もどる

資料3−3
   
「法科大学院」で授与する学位について
   
  専門委員   舘         昭
   
J.D.に相当する専門職学位の創設
     論議されるべき学位は、法曹としての高度な法務を実践できる基礎能力を持つものであることを証明する、専門職学位(professional degree)である。この学位の名称は未定であるが、それはアメリカのJ.D.(Juris Doctor)に相当するものとして考えられているので、ここでは仮にJD学位と呼んでおくこととする。
   大学院レベルの学位の性格には、研究者養成の系列の学位と高度専門職業人養成の系列の学位とがあり、その証明する能力は異なるものである。JD学位は、後者の系列の学位であり、法曹としての高度な法務を実践できる基礎能力を形成しうるものとして用意された教育課程を成功裏に修了した者に対して授与される。逆に、当該の課程は、JD学位課程(degree program)と位置付けられる。
   
法科大学院が出す他の学位
     上記のことは、法科大学院が出す学位が、上記の専門職学位に限定されなければならないということを意味しない。アメリカのロースクールにおいても、その主力はJD学位であっても、研究者養成系の学位としてLL.M.やS.J.D.などの学位が出されている。しかし、それらの学位が証明する能力を養成する課程としては、JD課程とはっきり区別されている。つまり、法科大学院でも研究者養成もするというのならば、学生が学習するプログラムとしての課程は、構想されているJ.D.課程とは違うものでなければならない。
   
J.D.に相当する学位と2年制との関係
 

   構想している学位の水準をJ.D.の指摘するものとする場合、国際的な通用力の面からみてもその学位課程を3年課程とすることが妥当であろうが、その場合、2年でよしとする意味はよく考える必要がある。学部段階で法学を学んでいない者は3年、学んだ者は2年でとすると、前者は他の分野をよけいに学んでいることから、両者で形成されるはずの能力は違ったものになってくる。学位の点からみると、違った水準の能力の形成を期待しておいて、同じ学位を出すことになり、この点について検討が必要である。

   
J.D.は博士なのか
     J.D.学位は博士なのか、修士なのか、あるいは他の学位名の創造が必要なのかという問題微妙である。
J.D.すなわちJuris DoctorのDoctorは、研究者としての基礎能力の証明であるPh.D.(Doctor of Philosophy)のDoctorと同一語であるから、博士とすればいいようであるが、問題もある。
   英語のDoctorは、特に何も付けなければ医師を意味し、事実、アメリカの医師は、専門職学位としてのM.D.(Medical Doctor)を保持している。これに対して、日本の医師は、カタカナではドクターと呼ばれるが、医学博士を取得するには研究者になることが求められる。つまり、ドクターと博士が違う意味で使われている。
   そして、求められている日本のJ.D.は、医療面での医療ドクターに対応する、法務面での法務ドクターだとすると、博士という言い様がそれにふさわしいか疑問である。日本語の博士はいわゆる学者、研究者の称号という意味が強い。また、その語源が「末は博士か大臣か」の言い様に表わされている様に、律令制度のもとでの学者官僚の身分からきており、期待される実務家のイメージからはかなり遠い名称である。
   
修士、博士とすることの問題点
 

   イメージを離れて、制度としての博士、修士との関係を考えても、問題が残る。まず、博士は現行のままでは、博士課程の目的は研究者養成か、職業人の場合でも高度な研究能力の証明であって、本来的な意味での専門職学位の性格を持たない。
   また、修士については、修士課程の目的は高度専門職業人養成を含むとされていても、設置基準では研究指導が必要とされるなど、研究能力の養成が主眼とされている。さらに、日本名の学位を修士とした場合、それをJ.D.と英訳することは難しくなる。
   ただし、3で検討したように、この課程が2年でもよしとされ、実質2年制で運用されるならば、修士として、その英訳はJ.M.とするというようなことも考えられる。

↑ページの先頭へ