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資料5ー3

各種提言における法学部教育の現状及び改革案

       司法制度改革審議会意見書
     (司法制度改革審議会平成13年6月)
     これまでの大学における法学教育は、基礎的教養教育の面でも法学専門教育の面でも必ずしも十分なものとは言えなかった上、学部段階では一定の法的素養を持つ者を社会の様々な分野に送り出すことを主たる目的とし、他方、大学院では研究者の養成を主たる目的としてきたこともあり、法律実務との乖離が指摘されるなど、プロフェッションとしての法曹を養成するという役割を適切に果たしてきたとは言い難いところがある。しかも、司法試験による競争の激化により、学生が受験予備校に大幅に依存する傾向が著しくなり「ダブルスクール化」、「大学離れ」と言われる状況を招いており、法曹となるべき者の資質の確保に重大な影響を及ぼすに至っている。(中略)
     また、大学における法学部教育を何らかの方法で法曹養成に資するよう抜本的に改善すれば問題は解決されるとの見方もありうるかもしれないが、この考え方は、大学法学部が、法曹となる者の数をはるかに超える数(平成12年度においては、4万5千人余り)の入学者を受け入れており、法的素養を備えた多数の人材を社会の多様な分野に送り出すという独自の意義と機能を担っていることを看過するものであり、現実的妥当性に乏しいように思われる。
       
     
   ○    法科大学院導入後の法学部教育については、それぞれの大学が特色を発揮し、独自性を競い合う中で、全体としての活性化が期待される。
   ○    学部段階における履修期間については、いわゆる飛び級を適宜活用することも望まれる。
       
     現在、全国で93大学に置かれている法学部では、1学年約4万5千人が学んでおり、法曹以外にも社会の様々な分野に人材を輩出しており、その機能は法科大学院導入後も基本的に変わりはない。法科大学院導入後の法学部教育については、法科大学院との役割分担を工夫するものや、法学基礎教育をベースとしつつ、例えば「副専攻制」の採用等により幅広い教育をめざすものなど、それぞれの大学が特色を発揮し、独自性を競い合う中で、全体としての活性化が期待される。
     さらに、学部段階における履修期間については、優れた成績を収めた者には早期修了を認める仕組み(いわゆる飛び級)を適宜活用することも望まれる。
       
       21世紀の司法の確かなビジョン
     (自民党司法制度調査会平成13年5月)
       
     法学部の在り方については、それがジェネラリスト養成の役割を果たしていることから、法科大学院の設置によって直ちに全面的な見直しが必要となるものではないとしても、法科大学院の設置・定着に従い、自ずとその意義役割や教育内容等が変化していくことが期待される。
       
       法学部の将来−法科大学院設置に関連して−
     (日本学術会議第2部報告平成13年5月)
       
  2.    法科大学院の設置を実現するために、その結果として、法学部における法学・政治学教育が空洞化したり、研究者養成機能が低下していく事態になれば、日本全体における法学・政治学教育や研究者養成の観点からしても深刻な事態をもたらすおそれがあるといえよう。
  3.    現在の法学部については、公務員その他の準法律専門職の養成、さらには法的素養(リーガルマインド)を身につけた多数の人材の養成という観点を含めて総合的に検討することが必要である。
  4.    法科大学院構想が実現した場合の大学法学部のあり方については、基本的には従来と同様に法的素養教育(および法曹養成のための前段教育)を担う学部として存続せしめるべきであるとの上記の考え方(従来型)のほか、法学部を教養教育中心のものへとシフトさせる(リベラルアーツ型)、法曹以外の実務法律家の養成に特化したものへとシフトさせる(準法曹実務家養成型)、法学部を廃止してその定員を法科大学院に一本化(法学部廃止型)など、多様な可能性が考えられる。これらのいずれの型を選択するかは、各大学が自主的に決定すべきことである。
  5.    限られた人的、財政的資源を法科大学院設置のために割かなければならないということから、結果として、法学部の廃止・再編を強いられたり、法学部の実質的空洞化が進行するという事態は決してあってはならない。
     6〜7(略)
  8.    政治学については、リベラルアーツ枠の中の学問として広く教育することが期待され、また後継者を養成する研究科が存続することが望ましいが、法科大学院が設置され、法律学の重点が大学院に置かれる結果、政治学が学部教育の中心となる事態や、新たに政治学が中核的役割を果たすプロフェッショナルスクールをたちあげる可能性が検討されるべきである。
       
       法科大学院(仮称)構想に関する検討のまとめ
     (文部省法科大学院(仮称)構想に関する検討会議平成12年9月)
       
     法科大学院の設置の後も法学部は存続することを前提に、法曹養成のための法学教育については、法科大学院が責任を負うことになる。その場合、法学部を、法的素養を備えた人材を社会の多様な分野に送り出す養成機能を持つ組織とするか、あるいは、その機能に加えて法科大学院の教育課程の基礎部分を実施する機能をも併有するものとするかは、各大学の判断に委ねることになる。ただし、これに対しては、法学部は、法的素養を中心としたリベラルアーツ教育を行うなどその使命を明確化すべきであるとの意見があった。
       
       司法改革と国民参加−司法制度改革審議会中間報告をめぐって
     中間報告における法学教育改革案−実行過程で理念を見失わないために
     (ダニエル・H・フット東京大学教授「ジュリスト」2001年4月10日号)
     2    一般教育としての法学教育
       「法や司法制度が法律専門家の独占物となることのないよう、・・・・・・・学校教育を始めとする様々な場面において、司法の仕組みや働きに関する国民の学習機会の充実を図るべきである」との中間報告の指摘に異論を挟む余地はないであろう。
       しかし、今日の日本社会において、法や司法は実際に法律専門家の独占物になっているのだろうか。おそらくほとんどの日本人はそう思っているかも知れない。アメリカの場合、法曹人口自体は日本のそれより20倍以上も多いということは広く知られている。しかし、法曹以外の一般のアメリカ人の法律に関する知識は決して高くない。ロースクールを出ていないと法律が分からない、という見方はアメリカでは非常に強い。それに対して、日本のマスメディアの法律に関する報道や一般向けの法律に関する高度な本を見ると、法曹以外の一般の日本人の法知識は一般のアメリカ人のそれより高いのではないだろうか。
       一般の日本人の法知識を支えているものとして、法学部の教育が大きな役割を果たしていることを見のがしてはならない。毎年日本の法学部が約4万7,000人の学生を教育してきた。その数はアメリカのロースクールの毎年の入学者の約4万2,000人を上回るということを考えると、人口比で数えた場合、高度な法学教育を受ける日本人はアメリカ人の2倍はいることになる。
       アメリカの大学には、法学部に当たるものはない。アメリカには日本のような学部制度自体はなく、そのかわり、柔軟な専攻制度がとられている。そして専攻選択数も非常に多い。大抵の大学では、何十もの専攻から選ぶことができる。それにもかかわらず、ほとんどのアメリカの大学においては、法律という専攻は存在しない。政治学や政治科学の専攻は通常あるが、その専攻に憲法や権力分立に関する科目を別として、法律に関する科目は少ない。制度的に法律をカバーするカレッジが非常に少ないし、法学が社会科学の重要な分野であるという認識はほとんど見られない。むしろ法律はそもそもロースクールで勉強するものであると見られている。
       私は、こうした状態がアメリカのカレッジレベルの教育の欠陥であるように思っている。法学は社会科学の重要な学問の一つである。専門家にならない人にとっても、法と司法制度の理解は個人や企業の法問題だけではなく、国民としての社会生活にとって非常に重要である。法制史、法哲学、法社会学や比較法といった基礎法学の勉強や高度の法理論の勉強は一般の学生にも重要なパースペクティブを与える。そういった理由で、法律家だけではなく、官僚や一般企業に進む、多くの人々に法学教育を行ってきた日本の法学部を積極的に評価し、アメリカも日本に習ってカレッジレベルでも大幅に法学教育を増やすべきだと思う。
       新しい法科大学院ができると法学部の存在意義がなくなるのではないか、と見るむきがあるようだが、私は絶対にそう思わない。教育の内容はある程度変わるに違いないけれども、法学部は以前同様カレッジレベルの教育の重要な一環をなすことになるはずである。他の学部の学生はカレッジの間にかなり高度の法学の科目を受けるようになるだろうと思う。そうなれば、法学部に対する需要が現在よりも増えるということさえ考えられる。
     5    法科大学院の実現に向けての難点
       (1)    二重構造
         ・・・・・・・二重構造に関して何よりも危惧しているのは、教育過程においても、3年の教育課程が例外扱いとなる、ということである。つまり、2年目からの教育が法科大学院の本当の業務で、1年目の役割はただ単に非法学部出身者を法学部出身者に追い付かせることだ、という見方である。そういう見方をとれば、法学部出身者が2年間の間に取得した知識を非法学部出身者に1年目の間に詰め込み勉強で習得させる、といった教育方法が有力に映るだろう。
         そういうアプローチは正しくないと思う。第一に、せっかくのすばらしい機会を無駄にしてしまうからである。様々なバックグラウンドを持って新鮮な目で法を見て、法律を勉強する意欲を持っている学生を相手に、少人数のクラスで教えられるということは、法学教育者にとって最大の楽しみである。アメリカのロースクールの1年生は、たとえ55歳で入学したとしても、必ずといっていい程いきいきとして、法律の勉強に強い好奇心を抱いている。もちろん、入学の基準は重要であるが、日本の法科大学院でも同じような学生を期待している。最初からそういう入学者に詰め込み勉強を要求すれば、せっかくのフレッシュな感覚と勉強する意欲が挫けてしまうはずである。
         法科大学院の1年目を単なるキャッチアップの期間にする発想には、もっと根本的な問題もあるように思う。つまり、その発想は中間報告の教育理念を全く逆にしてしまう危険性がある。非法学部出身者を法学部出身者のいわばクローンにするのではなく、むしろ法学部の学生にも幅広く勉強してもらった方が望ましいと思う。
         ここでの私の理想的なイメージを語ると、二重構造は経過措置で終わる、ということである。法学部の学生を司法試験の受験勉強のプレッシャーから解放する利点の一つは、法学以外の分野を勉強する余裕を持たせることである。将来法学部がなくなるとは思っていないし、教養学部の単なる一部になるとも思っていない。アメリカの大学における経済学や政治学の専攻と同じように、日本の大学において法学は今後とも社会科学の中心的な学問をなすことは変わらない。アメリカの大学において、専攻分野に関する勉強は通常学生の全単位数の4割ないし5割を占め、勉強の中心である。しかし、カレッジの1,2年目の他の分野に関する入門的な勉強だけではなく、3,4年目の間にも、専攻分野以外の分野の高度な科目を受けるのが普通である。将来の日本の法学部もその方向に進めばどうであろうか。そうなれば、法学部の学生の勉強の中心はもちろん法律であるという点は変わらないが、法律の科目に当てる比重が減るであろう。そのかわり、学部の3年と4年の間にも、学生が哲学、心理学、経済学、歴史あるいは自然科学等の分野の高度な科目を受けることを奨励すべきである。いずれ、法学部出身者も法科大学院の1年目からスタートする、というパターンに切り替えることによって、法科大学院の3年コースが本当の標準になることを期待している。
       
   ○    ロースクール方式の構想について
     (柳田幸男弁護士「ジュリスト」1999年7月15日号)
     ・    法学部の抜本的改革−法学教育を行わない教養学部への改組
       この解決のためには、法学部の抜本的な改革が必要であると考える。つまり、学部レベルでは法学教育を行うべきではなく、法学専門教育の前段階として、一般教養教育を行うことに専念すべきであるということである。その理由は次の点にある。
    (1)    進路決定の猶予期間をなくさせないため
         前述とも少し重複するが、法学は人間的学問であり、高度に社会的・人間的であるのに、学部入学時点では、彼らは人格形成期さえ終えていないわけで、そのことを考えると、学部入学時点で法学を学ぶという進路決定をするには早すぎる。
    (2)    一般教養教育を不足させないため
         法学部で法学専門教育あるいはその準備段階としての法学教育を行うこととすると、一般教養教育に割くべき時間が法学教育のために割かれることになり、法曹に必要な一般教養教育を行うには不十分となるということである。
       (3)    冷たい法律技術家をつくらないため
         ある種のタイプの学生には法学の勉強は非常に魅力的であり熱心に法学の勉強をする。法曹の多くは、このような法学に魅せられる資質を持つ学生から生まれているように思う。そのために、本来、一般教養教育を行うべき段階で法学教育を行うと、法曹になろうとする学生は、法学に魅せられてしまい、一般教養教育をおろそかにすることは避けられない。しかし、謙虚さ、人間性、柔軟性、批判精神、広い視野、倫理的・道徳的問題の理解が十分には育てられない学部課程の時期に法学を勉強し、これに没頭することになると、学生は、人間関係または社会との関係で人々が抱える悩みの解決という法曹の使命の本質を理解しないまま、法の冷たい、固い側面を無批判に吸収してしまう。法曹は専門職業人であり、その職業生活は、法学という専門的学問と密接に関連しているので、学生時代に勉強した成果が、そのまま職業生活につながっていく。そのために、学生時代の勉強の在り方が、その後の職業生活に与える影響は大きく、学部段階でこのような形で法学を吸収した学生は、法を単なる社会統制の技術とみるような冷たい法律技術家となる危険性が高いように思われる。このような危険を避けるためには、学部で法学専門教育はもとより、法学専門教育を行うことを前提として行うその予備的な法学教育も、原則として排除する必要がある。なお、いわゆる医学部方式として、大学学部と大学院修士課程を一体としたコースにおいて、法学専門教育を行うという考え方も出されているが、この方式では、学部での一般教育が年限的に不十分となる上に、一般教養教育を十分に受けない段階で、法学の勉強を始めることによる弊害が生じる上、進路決定の時期が早すぎるという問題がある。
     ・    新しい構想の教養学部の具体的姿
       法学部を改めた教養学部の具体的な姿については、一般教養教育という基本を維持する限り、必修科目の割合、科目構成などの詳細は、個々の大学によって様々なものである方がよいと思う。これによって、多様な学生がロースクールに進学する。また、教養学部の卒業生は、必ずしもロースクールに進学するとは限らない。ロースクールに進学しなくても、人間関係と社会に対する深い洞察力を得るための基礎的素養を備えた社会人として、また、ますます高度化・複雑化・国際化が進む社会に対応するための、基礎的素養を備えた社会人として、法曹以外の様々な分野で他の学部の卒業生と対応に活躍することができる。
       なお、新しい構想の教養学部においては、原則として法学教育を排除すべきとしたが、それはあくまで、次の段階で法学専門教育を受けることを前提とした場合、中途半端な形で法学教育を行うべきでないという意味に止まる。日本では、法学部の卒業生が多い国家公務員の法律職及び行政職並びに地方公務員の行政職や準法曹といった職種があるが、法学部の卒業生が多いこれらの職種のうちどの範囲までの職種が法学専門教育を受けるべきかという点については職種によって異なると思う。そのため、法的素養は必要ではあるが、法学専門教育を受ける必要性が社会的に認められない職種についてはそのような職種に就く学生のために、教養学部、あるいは他の学部において、ある程度の法学教育を行う必要があると思われる。
       
   ○    転換期の日本法
     (田中成明京都大学教授2000年12月)
     大学が法科大学院を設置して法曹養成のためのプロフェッショナル教育に新たに関与することになれば、学部教育を含めて大学の法学教育全体の再編成が避けがたい、とりわけ、法学部と法科大学院との役割分担をどうするか、法科大学院の教育内容をどのようなものとするかということが、大学の教育研究体制の在り方にも影響を及ぼす重要問題である。
     法学部教育については、法的素養を身につけたジェネラリスト教育によって、社会の各領域で「法化」に対応しつつ組織管理・問題解決に携わる人材養成を行うことに対する社会的ニーズは、今後も続くであろうから、それに合わせて教育内容を再編成する必要がある。多くの法学部においては、基本的に、法学を中心に政治学・経済学を含めた高度教養教育と専門基礎教育を行い続けることになるが、教養教育の内容については、現在の総花的な一般教養教育に代えて、副専攻制の導入などによって、メリハリをつけ学生の自発的学習意欲を高める魅力的なものとするとともに、法学の専門基礎教育の内容も、組織管理・問題解決に汎用的で基礎的なものに精選し、各学生がそれぞれの能力と将来の進路に応じて系統的な学習が可能となるようなカリキュラムを編成すべきであろう。
     法科大学院においては、法的な問題発見・分析・議論・解決・説得能力と正義・人権や適正手続への感覚など、いわゆるリーガル・マインドを身につけ、高度な学識に裏付けられた技術・見識を備え公共精神に富んだプロフェッションとしての法曹を養成することに特化した教育が行われるようになる。そして、このような法科大学院は、法学部で法学専門基礎教育を受けた者だけでなく、他学部出身者・社会人をも受け容れ、多様なバックグラウンドをもった者にできる限り開放的なものとすることによって、複雑多様化する法的サーヴィスのニーズに幅広くかつ専門的に対応できる法曹の養成がめざされるべきであろう。

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