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司法制度改革推進本部事務局−法曹養成検討会(第2回)   議事概要
     
    (司法制度改革推進本部事務局)
    ※速報のため、事後修正の可能性あり
     
  日時  
  平成14年1月28日(月)10:30〜12:30
     
  場所
  司法制度改革推進本部事務局第1会議室
     
  出席者
  (委   員) 田中成明座長、井上正仁、今田幸子、加藤新太郎、川野辺充子、川端和治、木村孟、ダニエル・  フット、永井和之、牧野和夫、諸石光熙(敬称略)
  (説明者) 滝井繁男(日本弁護士連合会法科大学院設立・  運営協力センター委員長)
    黒川弘務(法務省大臣官房司法法制部司法法制課長)
    清水潔(文部科学省大臣官房審議官)
    小池裕(最高裁判所事務総局審議官)
  (事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、松川忠晴事務局次長、片岡弘参事官
     
  議題  
  第三者評価(適格認定)基準の在り方について
     
  配布資料
  資料1      法曹養成検討会名簿(改訂版)
  資料2      第1回法曹養成検討会議事概要
  資料3      法科大学院の教育内容・  方法等の在り方についての中間まとめ
     
  関係機関の説明用資料
  (日弁連)   評価基準と評価作業のあり方について
  (文科省)
  資料1   現行の設置基準等、法科大学院設置基準等の論点を反映した骨子、ABA認定基準の比較
  資料2   大学評価について
     
  議事
  (1) 関係機関からの意見聴取
  1   日弁連・  滝井委員長からの説明
    説明用資料「評価基準と評価作業のあり方について」に沿って説明がなされた。
     
  2   法務省・  黒川課長からの説明
    ・  第三者評価基準(以下「評価基準」という。)は、法曹養成機関としての教育水準の確保を目的とするが、司法試験の受験資格と結びつき得ることを踏まえて検討する必要がある。評価基準の検討では、1現実的な基準の設定、2地方の小規模法科大学院の設置への配慮、3法科大学院の創意工夫による独自性の発揮への配慮に留意すべきである。
    (以下、第1回検討会配布資料7に沿って説明)
    ・  設置基準で定められるべき事項については、評価基準は設置基準と同じ内容とすべきである。
    ・  在籍者数が収容定員を上回る状態が恒常的となってはならないことは当然であり、法科大学院の評価基準として格別に規定する必要があるか疑問がある。
    ・  非法学部出身者及び社会人の割合について、各法科大学院の志願者の実情等を考慮せず、全国一律の基準として具体的な数字を盛り込んだ規定を設けることの妥当性には疑問がある。同様に、3年型・  2年型の定員の割合を基準で定めることも疑問である。
    ・  少人数教育について、学生数の具体的な数字を盛り込んだ基準を設けることは、教員の確保に関連して地方の法科大学院の設置を阻害することが懸念され、慎重に検討すべきである。
    ・  司法試験受験者層の質を高める観点からは、成績評価や修了認定の厳格性に関する基準が最も重要であり、抽象的な規定では機能せず、実効的かつ具体的な規定とすべきである。また、修了要件における必修科目については、基本法に関する十分な教育効果が得られるように単位数等の基準を定めるべきである。
    ・  情報の公表は当然のことであり、法科大学院の評価基準として格別に規定する必要があるか疑問がある。
     
  3   文科省・  清水審議官からの説明
    ・  評価基準の検討においては、トータルとしての大学評価のシステムにおける設置認可と第三者評価の整合性という観点を念頭に置く必要がある。大学制度全体における設置認可と第三者評価の在り方については、現在、中央教育審議会で検討されている。
    ・  法科大学院は新たな制度を作るものであり、評価基準についても、現実を無視することは妥当でない。
    ・  評価基準の目的としては、教育水準の確保(水準を満たしていない場合には適格認定を取り消す)とともに、育成的機能(より良い方向に向けた改善を促す、創意工夫による独自性・  多様性を尊重する)をも有すると考えるべきである。
    ・  大学の自主性を尊重する観点からは、評価機関については、国から独立した存在としつつ、大学関係者、法曹三者、法的サービスの利用者等の意見を反映させる必要がある。また、評価基準自体は評価機関で定めることとし、国の関与は間接的なものにとどめるべきではないか。
     
  4    最高裁・  小池審議官からの説明
    ・  評価基準の検討においては、1法曹の資質の向上を果たすという法科大学院の機能、2法科大学院の多様性の確保、3基準の現実性がポイントとなると考える。
    ・  1については、現在の司法修習生につき、基本法の基礎的知識を前提とした論理的・  体系的思考力の不足が指摘されていることからすると、評価基準では、基本法の十分な理解を得させるのに必要な単位数を確保することを重視すべきである。また、実務教育については、司法修習との役割分担・  連携の視点から検討すべきである。
    ・  2については、法科大学院で専門分野の教育を行うことも必要であるが、法曹の基本的資質の確保が重要である。法学部以外の出身者の割合を人為的に高く設定しすぎると、場合によっては、基本的資質を確保することがかえって困難になることも懸念され、評価基準で固定的な数字を定めるのが適当か検討する必要がある。
    ・  3については、現時点では、法科大学院の規模等が流動的な状況にあり、固定的で詳細な基準を定めることは必ずしも適当ではなく、設置後の法科大学院の状況を見ながらさらに検討していくことが適当と思われる。
     
  (2) 質疑・  意見交換
    関係機関からの説明の後、次のような質疑応答、意見交換がなされた(□:座長、○:委員)。
    日弁連の意見は、完成形の法科大学院を念頭に置いているのか、それとも、当初からの基準として考えているのか。将来的に3年制に統一するということは、法学部は不要ということになるのか。また、基本法の理解も必要ではないか。
    (日弁連)現実を前提とすると真の改革にならないので、理想を高く掲げるべきである。ただし、地方の法科大学院の設立等を阻害しないよう、一部の事項について当面は規範的な基準としないことも考えている。法学部が不要とまでは考えていないが、その在り方は変わって行かざるを得ないであろう。基本法を軽視するわけではないが、従来のような体系的講義は不要であり、教育方法を変えれば、多くの単位数は不要である。
     法学部が存置され、司法修習制度もあることから、法科大学院で何でも教育すべきであるという考えを採らなくてもよいのではないか。
    (日弁連)法学部や司法修習があるから法科大学院ではやらなくてよいと言うと、法科大学院が目指すべきものが希薄化するおそれがある。
     日弁連の意見は、最近の法学部改革の方向性を踏まえたものか。法学部で法律以外も幅広く教育することを指向する大学もあり、法学部出身者は一定割合までと入口で決めてしまうのは適当ではないのではないか。
    (日弁連)基本的には、法学部では、法律学を中心に学ぶ分だけ他の勉強をしないのではないか。
     「法科大学院の1年次を重視する」とはどのような意味か。
    (日弁連)3年型の1年次が重要である。短縮型を認められるためには、この1年次修了者と同程度の力を備えていなければならない。
     それとは逆に、3年型の1年次を修了しても、その多くの者が法学部出身者のレベルに達しないのではないかと心配されている。審議会では、法学既修者と未修者が法科大学院の修了時に同じレベルに達していればよいという議論がなされた。法科大学院の1年次修了と同じレベルを求めるとすれば、短縮型の認定はどのように行うのか。また、厳格な成績評価、修了認定は、具体的にどのようにして行うのか。
    (日弁連)法学既修者の選抜方法は、難しいが、今後検討しなければならない。短縮型の認定が安易なものとなってはならない。
    (法務省)成績評価の在り方は、各大学で検討されるべきであるが、仮に大学で厳格な成績評価・  修了認定ができない場合には、たとえば、他の法科大学院に比べて司法試験の合格率がかなり低い状態が継続しているような法科大学院は不適格と認定されるようなシステムとすることも考えられる。
     法科大学院教育の多様性を考えると、本日の資料3の案でも、基本法科目の単位数が多すぎるのではないか。また、実務科目と一緒に基本法を教えることもできるのではないか。先端科目についての基本的な教育はどこで行うのか。
    (最高裁)基本法科目の単位数については、資料3の案が、一つの妥当な線であると考えられる。先端科目の基本的・体系的な教育は、法科大学院で行われるべきであろう。
    (法務省)これまでの司法試験受験生、修習生を見ると、基本法についての体系的な理解が不十分であると認識しており、資料3の案の単位数は、最低限のものとして妥当と考えている。先端科目は、基本法を教育した上で教えるのが適当ではないか。
     各法科大学院の教育の多様性を求めることと、基本法科目の単位数を多くすることとは矛盾するのではないか。
    (法務省)法科大学院である以上、ベースとして基本法をしっかり教育する必要があり、その上で先端科目等の教育を行うべきではないか。それができないとすれば、年間に修得可能な単位数の上限を設けるなどの制限を加えるからではないか。
     成績評価の厳格性が最も重要であるとの説明もあったが、少人数教育等の他の項目も重要である。
     多様な法科大学院を作るというが、今議論されていることは、法科大学院に規制を設ける方向に向かっているのではないか。第三者評価機関を拘束するような議論はすべきではないのではないか。
     当検討会で検討する評価基準が、省令で定められるのか、評価機関の認証基準のようなものになるのかが明らかでない。
    評価機関と評価基準とは関連するが、ここでは、どのような評価機関となっても基準に入れるべきもの、大学の準備に最低限必要なものという観点から検討したい。
     法科大学院の第三者評価は、それ自体は教育機関の評価だが、新司法試験の受験資格の前提となるので、基準の策定を評価機関に全面的にゆだねることはできない。基準の内容も、最低限の質の確保に関するものは決める必要があるが、それ以上は、各大学の自主性や評価機関の独自性にゆだねてもよいのではないか。
     これまでの日本の教育については、入口で厳しく選抜して、中身はかなり緩くて、次の入口でまた厳しく選抜するというシステムの弊害が指摘されてきたが、法科大学院は、プロセスを重視し、選抜型から育成型に改革しようとする試みであると考えられる。各大学の自主性も重要だが、司法試験だけで選抜しないという観点からは、教育内容を第三者評価でしっかり見る必要があり、かなり厳しいレベルで担保する必要があるのではないか。
     今後の司法修習の在り方はどうなるのか。現在の修習の在り方が変わるのであれば、法科大学院の後に司法修習があると言っても、前提が異なるのではないか。
     法科大学院に向けた法学部教育において基本法の体系的教育を行うことが可能であり、法科大学院では、これを前提に特色をもった多様な教育を行うことが可能となる。これにより、法科大学院の修了時において多様性を確保することができ、入学の段階で多様性を議論する必要はないのではないか。
    これまで、プロセス教育の起算点は法科大学院からという前提で議論されてきたようであるが。
     法学部で法律学の基礎を学んだ者は2年短縮型、法律のバックグラウンドのない者は3年型と双方があり、そのいずれが優っているということはない。この意味では、法学部もプロセス教育に含まれる。基本法の理解と先端科目を完全に区別することはできないのではないか。先端科目だけ勉強しても意味がなく、基本法を身につけた上で先端科目を学ぶからこそ意義があるのではないか。
     プロセス教育とは、多段階における選抜を意味し、法科大学院の途中で落とすことができるかがポイントになる。これまで大学では行われてこなかったことであり、大学関係者の決意だけでなく、基準においてこれを担保するシステムが必要ではないか。
     合計約90単位中、基本法科目が54単位というのは、アメリカのロースクールと比較しても多く、独自性を発揮するために充てることができる単位数が少なくなる。全国統一の最低基準として、基本法科目の単位数をこれほど多くする必要があるのか。実務教育について、アメリカのロースクールでは、エクスターンシップ等で実務を経験すると、学生の学習意欲が高まり、効果的である。評価基準の在り方についても、ABA基準でも、厳しく規定している事項と抽象的な規定にとどめている事項とがあり、より良い教育を奨励する面も軽視すべきではない。成績評価について、アメリカのロースクールの学生がよく勉強するのは、ロースクールの成績が就職に大きなウェイトを持っていることも理由となっている。日本でも、成績に何らかの意味がないと、学生に対する刺激になるか疑問である。
     法学部を存置すると言っても、これまでの法曹が現在のニーズに応えていないという批判から法科大学院という新たなシステムが提唱されたことを忘れるべきではない。基本法について、単位数を多くすれば身に付くというものではない。重要なのは、学生に意欲を持って勉強させることであり、単位数だけの問題ではない。
     司法研修所教官の経験からすれば、最近の修習生は、基本法の理解が不十分で、自分で考えようとしないなどの問題がある。体系的な勉強をしていないことが原因と考えられ、基本法については、ある程度の単位数を確保して、しっかり教育していただきたい。また、法学部の学生だからといって法律ばかり勉強しているわけではなく、資質に恵まれた者も多いので、法学部生に対する逆差別となるようなことは避けるべきである。他学部出身者がどの程度志願するのかはっきり分からないが、せいぜい2割程度と思われ、当初から3割とか5割といった数字を入れることは妥当でなく、受験傾向をしばらく見てから割合を決めるべきではないか。
     日本の法学教育は、パンデクテン体系で理論を教えるので理解しにくい。アメリカのロースクールのように、具体的事例を用いることが考えられる。知的財産権法でも、民法や民事訴訟法の知識が必要であり、基本科目の教育を充実した上で先端科目を教育すべきではないか。現在の法学部の教員が法科大学院の教員となることなどを考慮すると、1年次では、基本科目を講義中心で教育し、2年次では演習が中心となり(2年短縮型はここから合流する)、3年次は選択科目が中心となる(法科大学院の独自性)ような形が、現実的なものとして考えられる。関係機関は「現実的な基準設定」と言うが、どのような意味か。
    これまでの検討では、法科大学院の1年次についても、講義中心ではなく、少人数教育を前提に議論されてきたので、念のため申し添える。
    (法務省)審議会意見を上回る基準を定めることは、慎重に検討すべきである。評価基準の項目ごとに、実情に即して検討すべきである。
    (文科省)法務省と同様であるが、項目によっては、将来の見直しを前提に当分の間の基準として定めるような方法もあり得るのではないか。
    (最高裁)同様であるが、余りにも固定的な要素は基準に入れるべきではない。
     
  次回の予定等
     次回(2月5日   10:30〜12:30)は、新司法試験の在り方について、法務省担当者から説明を受けるとともに意見交換を行い、第三者評価(適格認定)基準の在り方についても引き続き意見交換を行うこととなった。
    (以上)


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