本文へ
Home
>
政策関連情報
>
審議会情報
>
中央教育審議会 大学分科会
>
法科大学院特別委員会(第18回)議事録・配付資料
> 資料2
資料2
司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について(報告)案−法科大学院設立の理念の再確認のために−
報告の趣旨
当報告は、先般の慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)における司法試験考査委員による不適切な課外指導に端を発する問題状況をふまえて文部科学省が実施した調査「法科大学院における新司法試験に関連した指導の状況について」に関連して、文部科学省から「司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について」の検討の要請を受け、法科大学院特別委員会で4回にわたって議論した結果をとりまとめたものである。
本来、司法試験考査委員としての行為の適・不適の問題や司法試験問題の漏洩防止方策は、司法試験の公正性の確保等の観点から、司法試験制度や司法試験考査委員制度及びその行動準則等の在り方として議論されるべきものであるが、司法制度改革により新たに整備された法曹養成制度の下においては,司法試験は法科大学院における教育を前提とし,原則としてその教育課程を修了した者のみに受験資格が認められているという一体的な関係にある以上,司法試験考査委員を務める個々の教員だけでなく,各法科大学院およびそこに所属する教員すべてが,その教育の過程や学生・修了生に対する指導などにおいて司法試験の公正性・公平性を妨げることのないよう万全の配慮をすべき責務を負うことは言うまでもない。のみならず、今回不適切として問題とされた行為の背景として、司法制度改革の一環として法曹養成のための中核的な役割を担うべき教育機関として創設された法科大学院において、司法試験の受験指導に主眼を置いた教育や司法試験の合格のための指導に過度に偏った教育が行われているのではないかとの指摘があることは、法科大学院制度創設の趣旨に照らして看過できないところである。
新たな法曹養成制度は、旧来の司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院における理論と実務を架橋した法学専門教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備したものである。このプロセスの中にあって、法科大学院は、単なる「点」としての司法試験への対策としての教育に陥ることなく、将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養するための理論的かつ実践的な教育を体系的に実施することにより、多様かつ広範な国民の要請に応えることのできる高度の専門知識、幅広い教養、国際的な素養、豊かな人間性及び職業倫理を備えた法曹を養成するという理念を実現する教育を実践しなければならない。
そのような法曹養成のための中核的な教育機関として、法科大学院制度が平成15年度に創設され、もっぱら法学既修者を対象とした昨年度の第1回の新司法試験に引き続き、初めて法学未修者も対象として実施された今年度の司法試験により、社会人や法学部以外の出身者から広く人材を受け入れ、多様な分野において活躍することの出来る法曹を養成するという制度が本格的にスタートしたこととなる。
このような時期にあって、今回問題とされている不適切な行為の背景に、法科大学院制度の依って立つ基本理念を忘れて、司法試験合格者数という目先の数値を追う状況が仮に存在し、それが特定の法科大学院に限られるものとはいえない現象であるとすれば、法科大学院制度の根幹を揺るがしかねないものであり、法科大学院制度が創設された原点に立ち返り、法科大学院教育の在り方を考え直す必要がある。
今回の検討を行なうにあたり、文部科学省においても、法科大学院教育の在り方の検討の参考に資すること等を目的として、法科大学院教員が実施する新司法試験に対応した指導について、実態調査を行なった。
この中では、答案練習等を実施した教員は調査済教員4,227人のうち467人(54大学)、件数にして延べ711件とされている。もとよりこの件数の中には、単に司法試験受験指導を直接に念頭に置いた指導というよりは、法曹に必要な論述能力の向上を図るための指導として法科大学院における適切かつ必要な指導と評価されるべき教育・指導が多数含まれており、この数値をもって法科大学院において広く受験指導に偏した教育が行われていると即断することは適当ではない。しかしながら、その概括的な調査内容からも、プロセスとしての法曹養成の中核的教育機関である法科大学院として、将来の法曹として必要な豊かな学識及び能力を培いつつ、同時に、その確認をする中間点としての司法試験について、旧司法試験対策としてみられた受験技術偏重の教育を避けながら、他方、法科大学院の教育課程において十分な成果を収めた学生が司法試験にも確実に合格することができるという結果を実現するために、各法科大学院が苦悩し、試行錯誤している姿が窺われる。また同時に、一部においては、司法試験受験指導を過度に意識した教育となっているのではないかとの指摘を受けかねない事例も見られた。
そもそも司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について、新司法試験受験対策を目的とした答案練習等の指導という問題に焦点を合わせて検討することは必ずしも適切とは言えず、また、いわゆる答案練習方式による指導の実態は多様であり、その当否は、その具体的な実施形態、教育課程全体における位置づけ、法科大学院教育と司法試験との連携の実情等々との関連で総合的に判断されるべきものであり、このような調査結果だけを基礎に司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について論じる意義には限界がある。しかしながら、法科大学院教育の現状について指摘されている問題が、法科大学院教育と司法試験との有機的な連携の確立にとって無視しがたい重要性をもっていることに鑑み、本委員会では、さしあたりこの調査結果と直接関連する問題を中心に司法制度改革の本旨に則った法科大学院教育のあるべき姿について議論し、この問題についての基本的な考え方を提言する必要があると考え、今回、その整理を行なったものである。
各法科大学院においては、本整理を参考として、あるべき法科大学院教育について今一度考え、法科大学院制度全体の理念と各法科大学院の養成しようとする法曹像に即した法曹養成教育を行うことが期待される。
(検討の視点)
本検討においては、法科大学院における教育が、「司法制度改革審議会意見書」(平成13年6月司法制度改革審議会)、中央教育審議会答申(「法科大学院の設置基準について」(平成14年8月))及び法令の基準(「法科大学院の教育と司法試験等の連携等に関する法律」(平成14年法律第139号)、「専門職大学院設置基準」(平成15年文部科学省令第16号))等に照らして、法科大学院としての本来あるべき教育となっているかとの観点から議論した。
第一章 基本的考え方(法科大学院における教育と司法試験の有機的連携)
既述のとおり、新たな法曹養成制度は、旧来の司法試験という「点」のみによる選抜によるのではなく、法科大学院における理論と実務を架橋する法学専門教育と、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備したものである。
そこでは、法科大学院においては、将来の法曹としての実務に必要な学識とその応用能力及び法律実務の基礎的素養を涵養するための理論的・実践的な教育を体系的に実施し、厳格な成績評価と修了認定がなされる一方、司法試験においては、法科大学院の教育を十分踏まえたものとし、法科大学院の教育内容を十分修得したことを前提として司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定するものとされている。即ち、司法試験は、いわば法科大学院教育により培われるべき将来の法曹として必要な豊かな学力及び能力が確実に修得されていることの確認をするものとしての性格を有することとなる。したがって、法科大学院における教育と新司法試験の出題は、有機的連携が図られていることが必要であり、法科大学院において行なわれる教育と新司法試験で扱われる内容とは、本来連続性を有しているべきものである。ここにおいて排されるべきは、旧司法試験において指摘された問題点を再発させかねないような教育であり例えば試験での解答の作成方法に傾斜した技術的教育や理解を伴わない機械的な暗記をさせる教育など、「点」としての司法試験への対策に陥った教育である。
法科大学院において、理論と実務を架橋する教育が求められることや、新司法試験と法科大学院における教育内容との有機的連携の必要性に鑑みれば、例えば新司法試験の問題やそれに類する形式の事案が法科大学院教育において教材の一つとして使われることをもって直ちに、現在の法科大学院教育が本来あるべき法科大学院教育とはかけ離れた、受験指導に偏った指導であるということは適当ではない。
しかしながら、法科大学院の教育は、将来の法曹としての必要な学識とその応用能力、法律実務の基礎的素養を涵養するための理論的・実践的な教育により、豊かな人間性や創造的な思考力、法的討論の能力等を広く養うため体系的に行うことが求められているものであり、仮にその教材として司法試験問題等が扱われる場合であっても、それはあくまでこうした目的達成のための手段の1つとして活用されるに留まるべきである。すなわち、本来涵養されるべきこうした幅広い能力の育成よりも、司法試験合格を過度に意識した、事例の解答の作成方法に傾斜した技術的教育が、法科大学院教育の理念に適うものとはいえないことは明らかである。
このようにみれば、個々の指導が本来あるべき法科大学院教育として適当であるか否かは、その指導が狙いとする目的と形式及び態様との組み合わせにより総合的に判断されるべきものである。
第二章 教育課程
法科大学院においては、法理論教育を中心としつつ、実務教育の導入部分をも併せて実施し、体系的な理論を基調として実務との架橋を強く意識した教育を行なうこととされている。このことから法科大学院は、法曹に必要な学識及び能力を培うために必要な授業科目を開設し、その教育課程を体系的に編成することが求められている。
しかし、司法試験の受験指導に過度に偏した教育は、法科大学院において本来行なわれるべき体系的教育を阻害し、試験に直結するかに見える断片的な判例・学説に関する知識の獲得をもってよしとする態度を助長するものといえる。
また、このような教育への傾斜は、現象面で言えば、法科大学院における教育が法律基本科目や司法試験の選択科目となっている一部の授業科目に偏した教育が行われ、司法試験受験科目以外である授業科目、例えば展開・先端科目群や基礎法学・隣接科目群に配置される多様な授業科目の指導が十分になされないことにもつながりかねない。このような事態に至れば、法的問題を批判的に検討・発展させていく創造的な思考力と議論能力、具体的な問題を事実に即して法的に分析・議論する能力の育成や、先端的な法領域についての基本的な理解など、司法制度改革が求めた法曹としての資質について十分な展開が図られないこととなり、法曹養成の中核的教育機関としての法科大学院教育の理念に悖ることとなる。
第三章 授業・教育方法等
1.論述能力を涵養する指導
法科大学院においては、従来、大学教育と司法修習とで分離していた、実定法に関する理論的指導と実務における法適用の在り方に関する指導の融合とともに、法理論教育と実務教育の導入部分(要件事実や事実認定)など理論と実務の架橋を意識した教育を行うこととされている。このため、一定の事案をもとに法的に意味のある事実関係を分析し、その法的分析・検討を行い、一定の法律文書を作成する能力を育成する教育は法科大学院本来の教育であり、法曹として実務に必要な文章能力の育成は当然に求められるものである。この能力の涵養のために、一定の課題等に基づき論述の機会を与え、効果的な添削指導等を行なうことは、通常の授業の中においても十分有り得るものである。(なお、このような論述訓練のうち、過去の新司法試験問題又は同形式の作成問題を素材に、一定時間内において答案を作成させ、添削・解説等を行なう訓練・指導がいわゆる「答案練習」と呼ばれているものであるが、この中には、上記のような目的のもと法科大学院教育に相応しい内容として実施されている場合も多いが、試験対策に傾斜した指導になっていると見られる可能性がある場合等も含まれていると考えられる。)
このような論述指導を行なうに際して、その課題として、各教員が独自に作成した一定の事例問題のほか、過去の新司法試験問題を取り上げる場合がある。新司法試験の出題内容自体が長文の事案を読ませ、その事実関係を分析した上で、法的な分析・検討を行なわせるものであり、またこのような出題内容が法科大学院において行なわれるべき教育との有機的連携を図るものであることから、新司法試験の問題やこれに類似する事例問題を活用することをもって、直ちに、本来の法科大学院教育とかけ離れたものということは出来ない。しかし、論述訓練による添削・指導が、司法試験にどのように対応すればよいかという、受験技術に焦点を当てたものである場合、本来あるべき教育理念から離反しているものといわざるを得ない。
また、授業において行われる論述訓練が当該授業内容との連続性・体系性を欠いた指導であったり、授業そのものの時間配分が過度に論述訓練に偏し、双方向・多方向型の授業を通じて創造的に考えさせる能力を育成することをおろそかにしている場合、本来の法科大学院教育としては不適当と考えざるを得ない。
なお、論述能力を涵養する指導に関して、一定の法律文書を作成する能力の前提として、一般的な文章能力の育成が必要な場合があるが、このような指導に当たって教材として過去の司法試験問題等が適当であるか、また受験技術に焦点を当てた指導とならないような指導方法の在り方等について、各法科大学院において適切に検討することが必要である。
また、法曹に必要な論述指導に関して、クリニック等において行なわれる実務指導等は、法曹が行なう法文書作成に必要な論述指導という観点から積極的に位置づけられるべきである。クリニック等においては、法律相談、事件内容の予備的聴き取り、事案整理、関係法律の調査、解決案の検討等とともに、準備書面等の法律文書起案も行なわれるものであり、このプロセスは単なる論述能力の育成に留まらず、内容分析とそれに対応した実践的な文章展開能力の育成という観点からも、より積極的に評価されるべきものである。
2.短答式問題の活用
法科大学院教育においては、法曹に必要な基礎的知識の確実な定着が前提とされることは当然であり、そのような基本的な知識なしに批判的・創造的な法的能力を養成することは不可能である。この基礎的知識の定着を促し、また確認する上で、過去の新司法試験における短答式問題等が利用される場合があるが、その利用が法科大学院教育に必要な知識の定着確認等を目的とするかぎり、そのことをもって直ちに試験対策に偏った指導とは言えない面もある。しかし、それが授業の中で日常的に過度に行なわれ、当該授業内容との連続性・関係性を欠いたものとなることや、知識の暗記型教育に偏することとなれば、知識偏重型の学習態度を助長し、法科大学院において実施されるべき教育が、そうした基本的知識を前提とした批判的・創造的能力の育成の涵養にあることを等閑視させるものといえる。
このような観点から、どのような方法を用いてどのような形で、基礎的な知識の定着とその有機的・体系的な結合を前提とした高度の法的思考能力の育成を図っていくか、各法科大学院において十分に検討することが望まれる。
3.補習指導等
司法試験において問われる知識・技能の総体に比して、法科大学院における授業単位・時間が限られていることから、補習や特別講義等において指導が必要であるとの意見も聞かれる。確かに法曹に必要な基礎的知識に限って見てもその量が多いため、特に知識の定着等が不十分な学生や初学者に対する指導を中心に、一定の補習指導が必要な場合があり、そのことは法科大学院教育として適切に行なわれている以上、否定的に評価されるものではない。
しかしながら、その場合においても、法科大学院における教育は、教員が授業の中で行なう指導と、学生が事前・事後に教室外で行なう自学・自習との適切な配分によって展開されるべきものであるという視点が看過されるべきではない。補習指導等は授業における指導の延長として観念され、その内容を補完するものであるべきことは当然であり、授業外の指導であるとの理由で、本来あるべき授業の内容と離れた受験指導は適切ではない。
また、過度の補習指導等は、自学・自習の態度を阻み、またそれに必要な時間を奪うことにもなりかねない。この意味で、授業以外に組まれるような補習指導等は、受動的な学習態度を排して創造的・批判的能力の涵養を目指す双方向型・多方向型の授業と、学生による自学・自習との適度な配分を損なうものであってはならない。したがって、法科大学院の授業科目に割り当てられる単位数に比してバランスを失するような補習指導が行なわれることのないよう、十分留意する必要がある。
4.学生主催の学習活動等について
学生が自らの活動として、自主的な勉強会や演習ゼミ等を行なうことは大学院教育として望ましく、それが授業において修得された内容を自ら創造的に発展・展開されるものとなることが積極的に期待される。そのような学習活動等において、法科大学院の教員が学生の希望に応じて一定の学習支援・指導を行なうことは、それが授業における指導を補完・発展させるものである限り否定されるべきでなく、また積極的意義も認められる。
しかしながら、学生主催の学習活動等であっても、教員が関与する以上、当該指導は広義の法科大学院教育の一環として観念されるべきものであり、その指導が受験技術に焦点を当てたものである場合には、正課外の学習支援・指導の在り方として適当なものとはいえない。その指導は、あくまで法科大学院教育が目指すべき能力の育成に向けられたものであることが必要である。
また、学生が自らの活動として行なう自主的な学習活動等について、法曹関係者等が指導者として関与し学習指導が行われる場合であっても同様の配慮が求められる。
5.いわゆる「法職課程」等について
従来、旧司法試験に対応した教育を目的に法学部に設置されてきた、いわゆる「法職課程」等の組織は、法科大学院を法曹養成の中核的機関としたプロセスとしての法曹養成への転換とともに、各大学においてその設置目的や機能の見直し等が図られつつある。
しかし、仮に当該組織が法学部等法科大学院以外の組織として設置される場合であっても、教員が関与する以上は、そこにおける教育指導等が直接的に新司法試験の受験指導を目的とするものとして受験指導に偏ったものであるとすれば、上記と同様に、正課外の学習指導の在り方として適当ではない。
また当該法科大学院の教員が関するか否かにかかわらず、法科大学院の学生がそのような組織における受験指導を利用することにより、法科大学院教育において本来行われるべき教育・学習活動を阻害する場合には適切ではないと考えられる。
法科大学院において教員等が当該法科大学院の修了生に対して教育指導等を行う場合であっても、その教育指導等が受験指導に偏ったものにならないようにするなど、法科大学院の教育理念に抵触することがないよう適切な配慮が求められることは上記と同様である。
おわりに
既述のとおり、新たな法曹養成制度は、旧来の司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院における法学専門教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備したものである。そこにおいては、法科大学院教育が、旧来の「点」としての司法試験への対策に偏した技術的教育を排しつつ、将来の法曹として必要な豊かな人間性や創造的な思考力、法的討論の能力等を広く養うために体系的に行なわれる一方、司法試験は、このような将来の法曹として必要な豊かな学識及び能力を確認するものとして、単に旧来の受験技術に偏した準備では合格し得ないものである必要がある。現在の新司法試験はこのような趣旨を踏まえたものとして行なわれており、旧来型の暗記型等の受験技術指導に主眼を置いた教育では対応できないものである。法科大学院において上記のような(その理念に則った)教育を十分に受け、法曹として必要な豊かな学識及び能力をを身に着けることこそが、司法試験に合格するための最良の方法であり、かつ、将来、社会に求められる法曹になるための確実な道であると言える。
多くの法科大学院では国民の要請に応えることのできる質の高い法曹を養成するという理念を実現すべく、真摯な教育の取組みが行われているところであるが、各法科大学院には、改めて上記の認識を再確認するとともに、学生に対してもこのような認識を踏まえて適切にメッセージを発することを期待するものである。
21世紀の法曹を担うにふさわしい質の確保を目的に整備された「プロセス」としての法曹養成の中で、法科大学院は、司法制度改革の本旨に則った法科大学院制度の理念に今一度立ち返り、法科大学院の養成しようとする法曹像に即した教育を行うことが期待される。
ページの先頭へ
文部科学省ホームページのトップへ