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1、2年生と共に法律相談や具体的な事件を担当すると、事案分析力や論理的思考力が非常に重要な意味を持つと感じる。依頼者の提供する未整理の情報からポイントを絞り、どう問題を解決するかは、学生にとっては初めての経験でもあり、簡単なことではない。その上で、法律知識のない一般の方にわかるよう、回答をどう提示するかが次の段階の非常に大きな課題となる。こうした様々な障害にぶつかり、対応する相手との間で練り上げるという経験の中で、実務自体の批判的再構築の方向性を見出せるのではないか。 学生は、実際の事件を担当することで、改めて授業で学習した知識が実務で役立つと認識する。そのことが、授業で法律基本科目を学習しても、通り一遍の勉強ではなく、自分自身で定着させて表現できなければならないという強いインセンティブに繋がり、それと同時に、コミュニケーション能力、実務的な知識、事案分析力、論理的思考力等を磨く必要性を強く感じる。法科大学院は、理論教育の場で法律知識だけの取得を目指すものではなく、このような多様な能力を視野に入れつつ理論教育が実施されるということで良いと思う。教室で学生が意見を述べることでコミュニケーション能力が鍛えられるとともに、具体的な事案を検討していく中で、事案分析力や情報を整理して論理的に考える力は身に付いていく。法科大学院の教育は、実務に必要な能力と掛け離れないような理論教育を行うことが実務教育的識見となるだろう。 一方、クリニック等で生の事件を扱うと、実務教育自体の理論化の必要性を痛感する。実務教育を司法研修所の教育に置き換えると、従来の実務教育は要件事実教育のような裁判実務教育を重視してきたが、裁判実務や法廷外実務の在り方を考えると、これらの分野は、従来の日本の教育システム、あるいは実務家にとっての研修の中で最も欠けていた部分ではないか。法廷外実務では、弁護士としてのキャリアはあっても、依頼者と十分なコミュニケーションが取れるとは言えない者がいる。従来は訓練の場もなく、依頼者と弁護士との関係も議論されてこなかった。 行政法分野の教育では、できるだけ授業時間内に行政法規を学生に読ませ、個別法規への抵抗感を失くし、その背景にある政策についての各論と総論とを結び付ける方法を採ることで、行政訴訟における間口を広げ、さらに個別法や政策の理解できる法律家を生み、民事法との総合を図る教育をしていこうと考えている。 臨床法教育では、学生が身に付けるべき能力を実感できるという非常に大きな意味がある一方、教員側としては、法の知識にない部分に係る教育の理論化という課題を突きつけられ、刺激的である。
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学生アンケートの結果、今学期の履修科目の中で一番おもしろかった、刑法や刑事訴訟法の講義で学習したことと実務との繋がりがわかった、理論系科目だけでは掴めない手続や知識を確認して非常に有意義だった、との感想があった。模擬裁判についても、同様の感想が得られている。ほとんどの学生はビジネス系の弁護士を目指して大学に来ているので、刑事系の実務科目がこれだけ評価されたことは、教員側としても意外だった。授業内容については負担が大きいとの感想が多かった一方、授業に時間的な制約があったとの感想もあり、科目の可能性と問題点を反映している結果であると思う。やる気・興味は十分あっても、やはり心配な要素もあるのが実情であろう。 学生の志向は非常に明確で、法廷に立つ自分の姿をはっきり自覚しているからこそ、授業にも手応えがあり、学生からの具体的なニーズもあった。一方で、学生には試験合格への切実な思いがあり、どこまで試験に役立つかが常に頭にある。また、実務における経験談を折に触れて話すと非常に学生からの反応が良い。 実務科目の重要性は、学生が自覚している以上に大きい。その意味の一つとして、手続の流れを踏まえる必要性がある。法理論を勉強しても、手続の中でいつ、どのタイミングで知識を使うか、をどう学生に教えるのか考えなければならない。頭で刑事訴訟法や刑法の論点が把握できてはいても、それぞれが関連した形で整理されていない学生もいる。手続の流れが進む中で、論点に対する有機的な知識が構築できなければ実践で法廷に立つことはできない。もう一つは、事実認定が非常に重要であることである。実務では事実がすべての出発点であり、事実に基づき法律を適用する作業を行う。その前提となる事実の認定は、法曹三者各々の立場から様々な現実を見据える作業が必要となり、これまでの法学教育での作業とは全く違う作業であることを理解すべきである。過去に生じた出来事を、証拠に基づいて判断する作業は、全人間性を持っての作業であり、法の解釈論のように「あるべき」という問題ではない。学生に起案をさせると、法学教育の影響で、法律に事実を当てはめることが多い。このような思考を転換し、実務家の出発点はあくまでも事実であることを理解させる事実認定教育は必要である。関連して、実務能力の修得は、司法試験合格後の実務修習で行えば良いという考えもあるが、「やってみなければわからない」ことを自覚するためにも、やはり起案はして欲しい。実務起案は実務教育の中で必要である。また、即日起案が学生の実力を測る意味でも重要なのではないか。 新司法修習制度は期間が短縮され、特に前期修習は現行の形式ではなくなる。どのような法律家の養成が法科大学院の使命なのかを考えると、その要求水準は非常に高く、要求の事項量もかなり多いだろう。授業内容も様々なものを考えなければならず、我々も極めて緻密な授業構成を組んだ。そうした努力は積んだが、やはり単位量、時間の絶対量が不足していることから、学生から負担であるとの感想があったのではないか。 成績評価は、平常点評価を採用したが、学生はいつ何を評価されているのかがわからず、試験評価に比べ不公平感を与えてしまう。平常点評価を採用した上で、採点基準を極めて明確化する方法も考え得るが、学生にとって負担になるので、平常点評価と試験評価を併用する方法を採用する等の工夫が必要である。 実務家教員が授業を担当することは、学生にとって非常に必要である。当初、学生による裁判官のイメージは堅く、授業を進めていくうちに、裁判官も普通の人間であることをようやく理解してくれた。身近な話をし、刑事実務も普通の人間が携わっていることを理解させた上で、論点・局面での思考を教えると、学生も自分の将来的な姿を写してくれるようだ。 実務家教員にとって学生との接点をどう持つかは重要なポイントである。学生からの質疑応答だけでなく、オンライン教育システムを活用することで、講義内容の予告や演習問題の送信をし、メールでの指導もしている。またオフィスアワーで学生を受け入れてもいる。さらに、興味のある学生が裁判所に来た際には対応もしている。 要求水準に見合う単位数の在り方は、検討の余地があり、カリキュラムについても、各法科大学院の個性は必要ではあるが、最低限要求されるものを詰める必要がある。その際、新司法修習生を受け入れる側の意見も参考になるのではないか。理論科目と実務科目の関係について、実務科目の必要性を強調したが、今後、理論科目でも実務を意識した教育を考える必要があると思う。
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司法研修所が法科大学院に何を望んでいるのか、また、法科大学院がこのままの教育の在り方で実務修習に直結できるのかの二点が大きな問題である。一点目の問題として、最初に刑事実務を講義し、その後模擬裁判をするというカリキュラムを組んだ際、どの程度まで教育するのかとの質問を受け、前期修習に匹敵する教育と答えると、教員のほとんどから単位が圧倒的に少な過ぎるとの反応があった。しかし我々は限られた単位の中ででき得る最大限の教育をしなければならない。二点目の問題として、民事・刑事とも当初一人だった教員を、途中から無理を感じたので、二人にし、民事には補助教員まで入れて授業をしたが、これにより他の講義科目の教員から、学生が実務科目へ時間を割き、最近予習をしてこない、との批判が出た。この二点を解決しなければ、実務教育は成立し得ない。 逆に、上手くいくならば、科目を大幅に変更することが可能となり、例えば、法学既修者は実務科目から始め、理論科目を補足するという方法も有り得るのではないか。
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従来は法学部の教育から司法試験という「点」を通り、司法研修所での研修、実務に携わる中でのトレーニングを経て法曹が養成されてきたが、法科大学院制度はまさにそれ自体が、新しい法曹養成制度の中で、実務と理論を架橋して教育する方法そのものである。しかし、法科大学院は時間的な枠組みやカリキュラムの構成に関して大きな問題を抱えており、早急な対応が必要ではないか。そうした中、研究者教員と実務家教員が共に教育するという方向性により、より市民から期待される法曹が養成されていくのではないかとの感じを持っておられるか。
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全学生に当てはまるかはともかく、熱心に取り組んでいる学生については非常にレベルの高い法律家が養成されつつあると感じている。 例えば、授業の一環で法律相談をする際、幾つかのパターンに分けてシミュレーションをさせ、かなり突っ込んだ議論をした結果、今までの教育の枠組みの中ではできなかった部分が新しい形でできつつあるのではないかと感じる。積極的に参加する学生は、依頼者である市民の期待にどう応えるかというかなり良い問題意識を持っている。
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実務家を目指すという学生の思考は明確であり、実際に教育の現場に立ってみて、こんなに反応の良い聴衆はいないというのが正直な感想である。学生は皆熱心に勉強しており、非常にやりがいもあった。実務の流れをきちんと理解しなければならないとの観点から、現在、補助教材を作成しているのだが、ある教員からこの補助教材は3年生を対象にするのではなく、1、2年生を対象に広く配るべきとの意見をいただいた。理論が実務のどの場面でどう役に立つのか、その架橋をしていくために、まず実務科目から教育するのは実は良い方法かもしれない。まず実務教育から入ると、学生は明確に流れを掴める。その中で自分の将来描く姿に応じ、いろいろな興味に従って識見を深めていくことが可能ではないか。
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実務家にとっては事実認定が重要であるが、これは従来の法理論教育からは出てこない能力であり、それを育てることが必要である。このために、お二人の先生方はそれぞれ、従来の法教育の中にはなかった法廷外実務をシミュレーションやロイヤリングで教育したり、生の相談者を対象としたクリニックを行ったり、司法研修所の前期修習的カリキュラムで模擬裁判も本格的に行う教育に取り組んでおられるように見受けられるが、どの手法を取るかは各法科大学院でそれぞれ選択し得るものだろうか。 特にクリニックの場合、生の相談者を相手にするので、裁判所や検察庁との関係で色々な制約がある。私は弁護士法第5条による研修を受け入れているが、法律上の身分が単なる弁護士法第5条の研修生なので、弁論準備手続のために裁判所に連れていくにも、相手方の同意を得なければならない。裁判所から断られる場合もあるので、法科大学院の学生が生の事件を扱うことがどれだけ可能なのか、可能にすべきなのか、それとも模擬裁判のみで良いのか、御意見を伺いたい。
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従来の司法修習生の場合は法律上守秘義務等が整備されているが、この問題は法科大学院の学生の場合に限らず、新司法修習制度を含めた司法制度改革全体の中で論議の必要があると考える。 例えば、刑事では、実務修習なら検察庁での実務修習で取調べを体験する、修習生なら弁護人に付いて接見に行く等の生の事件を扱う例は考えられるが、実際の高度なロイヤリングの前に、理論を実際の世界に当てはめて紹介することが、今の単位数の中で刑事系の実務科目でできる限界である。その先に何ができるかは、難しい問題があり、総合的に議論していかなければ整備できないと思う。
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本学では法律相談の前に、事案の概要を学生に伝えて準備をさせており、それに沿って法律相談をしているが、学生が法律に沿って要件事実をきちんと準備してきても、依頼者の話は全く違う方向に展開するので、学生が描いた絵は簡単に崩壊してしまう。その経験に重要な意味があり、当事者が持つ生の事実に対しては、勉強してきた知識はそのまま適用できないこと、事実を解釈して認定するプロセスがなければ法律は使えないこと、を学生は衝撃的な体験として感じる。その経験は非常にナイーブな事件で得られるもので、将来学生がどの分野に進むとしても、貴重な経験になると思う。 クリニックには守秘義務の問題があり、本学では守秘義務違反の場合、退学も有り得るとの誓約書を書かせ、記録管理も含め厳格なルールを作っているが、その上で行う意味は非常に大きい。 学生たち自身が描く通りに現実は動かないことを経験し、それにどう対応していくかという能力を身に付けることは法律家として役立つ。また、法廷傍聴など、実際の民事訴訟手続を見る機会を得られることで、学生は喜ぶ。
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学生の反応では、研究者教員に比して実務家教員に対する評価は相当高い。学生は科目や教員の新鮮なパワーに魅せられて、実務が輝いているという印象が強く、理論科目が霞んでしまう。授業を客観的に見ていても勝負にならない面があり、これが法科大学院の大きな問題ではなかろうか。その際、実務家教員から理論科目の工夫について発言することも大切である。また、理論科目が平板化、細分化され、学生が消化し切れないことは否めず、判例という教材を中心に議論が進み、それを乗り越えられない危険性もある。 日本の法科大学院制度はアメリカのロースクール制度を遥かに上回るエネルギーと工夫と細密な計画で発足したが、10年後には反省すべき点が多い可能性もある。そうならないよう新しい実務と理論の架橋という最大の柱について全体的な協力が必要である。
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いずれ機会があれば、司法研修所で構想している司法修習のためには、法科大学院が教育している学生をどの程度のレベルにすることが必要なのか、そのために大体どの程度の単位が必要となるかをシミュレーションし、それを前提に、法科大学院の在り方を再検討することを考えていただけるとありがたい。
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本学のリーガルクリニックは、実務家教員と研究者教員がペアで学生と共に事件を扱うので、学生だけでなく研究者教員にとっても大変有意義である。実務家教員の存在は非常に学生を引き付け、自分が目指している世界を目の当たりにするので、非常に刺激が強い。それを最大限生かすため、講義科目や演習科目に加え、エクスターンシップやリーガルクリニック、模擬裁判等で実務に接する機会をつくることは非常に有意義であろう。 本学では、理論を勉強した上で初めて実務に接することができるとの考えに基づきカリキュラムが組み立てられている。試行プログラムで1、2年生にもリーガルクリニックをさせると、学生は事実に接することで、なぜ理論を勉強しなければならないかがよくわかる。事実認定は大切だが、その事実を分析するための法的な理論や知識を学習する必要性を学生が痛感することで学習意欲を高め、方向性を明確に意識させるという点で大きな効果が期待できるだろう。その意味では、ある種の導入教育的意味は非常に高い。 現実では民法の単位数の少なさに比べたら、理論教育や実務教育の単位数が足りないといっても、大きな問題ではない。リーガルクリニックについては、すべての範囲を基礎から固めていき、法曹倫理を修得した人が初めてできるという、積み上げ式にやっているが、その方式を法科大学院における実務修習のすべてで実現するには、総単位数が絶対的に不足している。 法科大学院の教育目標は、従来の司法研修所の修習すべてを行っていくことではない。法科大学院は、将来実務に携わった際にどのようにでも対応できるよう、一番効果的な基礎力を高める場であり、先端的なところまで完全に司法研修所に取って代わるのは無理であろう。新しい司法修習制度では、従来と比し半減しているが、その分が全部法科大学院に移り、法科大学院で完全に従来の後期修習生と同じ水準まで高まるとは考えていない。 司法修習修了後も、従来の修習生と同レベルを要求するのは難しく、その後実務に携わる中でのトレーニングに頼らざるを得ないのではないか。実務科目は、理論教育を前提とした最後の仕上げ科目として位置付けるべきであり、従来の司法研修所での修習の前倒しではない。これをより自由にやっていこうとするときに、現在の単位数の上限や、積み上げ式にやっていかなければならないという考え方があって、それが大きな制約となっていると感じる。 完成年度を迎えたところでこれまでの経験を踏まえてもう一度抜本的に全体の構成を考える必要があるとは思っている。
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実務教育は最後の仕上げではなく、早い時点での導入により理論教育への学生の取り組みにも非常に熱心になるのではないか。理論教育と実務教育のどちらを先に教えるかという順番の問題ではなく、相互に影響をさせながら総体としての力を付ける方法も十分有り得る。
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実務家が新しい問題に直面した際、最後のよりどころはやはり理論であり、学生も実務教育の後で理論の有難みを再認識するのではないか。理論教育と実務教育をどう一体化していくかは、各法科大学院の経験や知恵を踏まえ、今後ご議論いただきたいと思う。 実際教育により従来の前期修習に匹敵する仕上げをすることは、現実問題としてとても無理だが、司法修習に当たり、何も知識のない者が来て、何もわからないまま修習を終えることは、絶対避けなければならない。司法研修所だけでなく、関係各機関総体で取り組む必要がある。
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工学は本来モノを扱う学問だが、従来の伝統的な教育では理論を教え、それからモノに取り組ませていた。1970年代のアメリカの大学では、工学部にもかかわらずエンジニアリング・サイエンス的な理論の講義をしていたが、20年経ち再度訪問すると、まずモノに触らせ、理論に移る授業に変わっていた。その転換の理由として、第一に、日本と同様、学生の学習意欲が非常に低くなっており、学習意欲を先に植え付けるため、第二に、冷静に分析するとその後の理解の度合いが上がるようだとのことだった。15年程前、文部省の独創性・創造性をいかに涵養するかという協力者会議で、成功した例は、皆、実務を最初に教え、それから理論を教えるようであった。分野は全く違うが、どの学問にも同じことが言えるのではないか。しかし法学の場合は余り最初に実務を教えると、学生が理論に全く興味を示さなくなるという問題もあると思う。 |