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司法アクセス検討会(第16回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成15年6月20日(金) 13:30〜16:40

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第2会議室

3 出席者
(委員)
高橋宏志座長、亀井時子、始関正光、西川元啓、長谷川逸子、長谷部由起子、
飛田恵理子、藤原まり子、三輪和雄、山本克己(敬称略)
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、後藤健企画官

4 議題
(1) 司法の利用相談窓口・情報提供について、民事法律扶助の拡充について
(2) 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて
(3) 今後の日程等

5 配布資料
資料1 司法ネット(仮称)に関する有識者懇談会関係資料
(1 - 1) 議事概要
(1 - 2) 片山知事説明資料
(1 - 3) 松本弁護士説明資料
(1 - 4) 鈴木司法書士説明資料
(1 - 5) 高峰編集局次長説明資料
資料2 司法ネット(仮称)検討資料
資料3 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いに関する議論の概要(第15回検討会まで)
資料4 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて(労働検討会における委員の意見)
資料5 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて(行政訴訟検討会における委員の意見)

6 議事(○:委員、●:事務局)

(1) 司法の利用相談窓口・情報提供について、民事法律扶助の拡充について

 事務局から、資料1に基づき、6月5日に開催された「司法ネット(仮称)に関する有識者懇談会」の議事概要等について説明がされた。

○ 全国知事会の資料1-1に、月に30回以上法律相談窓口を開設している団体があるという調査結果が出ている。休日も窓口を開設しているということになるのか。

● 6月5日にいわゆる司法過疎問題を中心に、国民の司法へのアクセスについて、関係する方々から御意見をお聴きしたいと考え、司法ネット(仮称)に関する有識者懇談会を開催した。参加いただいた有識者は、片山善博氏(鳥取県知事)、松本三加氏(弁護士)、鈴木晴男氏(司法書士)、高峰武氏(熊本日日新聞編集局次長)の4人である。
 片山知事からは、県民意識調査等に基づいて、司法は国民にとって縁遠いという現状のお話があり、その原因として、身近なところに弁護士がいないことなどが指摘された。鳥取県では、いわゆる弁護士過疎問題を解決するために、倉吉市にひまわり基金公設事務所が設置されるに当たって、当初は赴任する弁護士の応募がなかったため、県から財政的支援をされたということだった。片山知事は、地方にも法律サービスのニーズはあるが、アクセス障害があるためにニーズが埋もれ、泣き寝入りになっているのが現状であり、アクセス・ポイントの増加、弁護士過疎問題の解消、裁判の迅速化など国による司法インフラの充実をすべきであると指摘された。
 松本弁護士からは、紋別ひまわり基金公設事務所での経験を踏まえたお話があった。松本弁護士からも、地方にも法律サービスのニーズはあり、開業以来多忙な日々が続いたとのお話があった。松本弁護士からは、弁護士がいないために、弁護士のいない地域がヤミ金融業者等に狙われ、地域一帯が被害を受けているという実態が紹介された。また、松本弁護士は、日本弁護士連合会としてもいわゆる弁護士のゼロワン地域を解消するための取組みをしているが、弁護士から会費として徴収した基金での対応には限界があることを指摘されるとともに、ゼロワン地域に赴任する弁護士の確保の問題についても触れられ、国として取り組んでもらいたいとの意見を述べられた。
 鈴木司法書士からは、地方における法律サービスへの需要が多く、地元の市役所等でも法律相談を行っているが、相談件数が増加しており、対応に苦慮しているという実情が紹介された。鈴木司法書士は、巡回相談などにも取り組まれ、相談する場所がなかったら相談に来ないままになってしまったのではないかという事例も多いと指摘された。
 高峰編集局次長は、地方でも県庁所在地とそれ以外の地域との間に格差があるとの指摘をされた。県内の弁護士の数は増加しているのに、県内の地方裁判所支部にいる弁護士の数は減っているとの指摘をされた。高峰編集局次長からも、地方にも法律サービスのニーズがあることが紹介され、これに応える受け皿の整備が必要であるとの意見をいただいた。
 有識者からのプレゼンテーションに続いて意見交換が行われた。意見交換の場では、
・ 弁護士がいないために泣き寝入りになっている状態を改善すべきである。泣き寝入りをしている人達は声をあげないので、そういう人達の声を敏感にキャッチしなければならない。
・ 司法過疎問題の現状は予想以上に深刻であり、日本弁護士連合会や司法書士会の取組みだけでは十分でない。
・ 地域に法律専門家がいることで、その地域の雰囲気が変わる。
・ 中央に核となる弁護士集団を作り、そこから弁護士が地方に行って経験を積み、その経験を活かして別の仕事をするなどいろいろなやり方がある。ボランティアでの対応が難しいところを、制度として国が何かすれば、使命感のある弁護士が出てくる。
・ 法曹人口が増えれば司法過疎問題は解決するという意見もあるが、問題はそんなになま易しいものではない。
などの意見が述べられた。
 いわゆる司法過疎問題については、司法ネット有識者懇談会における議論を伺うと、地方の実情はかなり切実であり、地方における法律サービスへの需要に応えていくことが強く求められているとのことだった。また、地方における法律サービスの需要に応えるためには、日本弁護士連合会等の自主的な取組みだけでは十分とは言えず、国として何らかの手当てをすべきではないかという意見を複数いただいた。

 その後、次のような意見交換がされた。

○ 司法インフラとして考えると司法過疎は大問題である。人口が少なくても起こっている問題は同じだろう。専門家がいないために悪徳業者の狙い撃ちにあっているのは問題である。公的資金で法律の専門家を配置すべきである。ある場所に集ってもらうのがいいのか、巡回がいいのか、地域に適した工夫が必要である。事後救済も重要だが、予防も重要ではないか。

○ 法曹人口は着実に増加するが、それによって司法過疎問題が解消すると楽観してはいられないのではないか。弁護士が都市に集中し、地方でも県庁所在地に集中する傾向があり、むしろ悲観的である。どういう手当てをしていくのか考えるべきである。日本弁護士連合会も取組みをされているが、それだけでは問題は解決しないだろう。取組みでまかなえる範囲には限界があるだろう。本来の司法過疎問題の解消としては、どういう団体、組織が受け皿となって取り組むべきなのかを考えるべきである。

○ 今の意見と同意見である。日本弁護士連合会は平成2年ころから司法過疎問題に取り組んできた。現在、ひまわり基金の公設事務所は17か所できている。ひまわり基金は年に2億円集めている。しかし、弁護士から会費として集めているので限界がある。公設事務所は20か所が限界だろう。公設事務所は、事務所設立の際に支援をするが、その後は独立採算でやってもらっている。それが公設事務所の弁護士の負担になっている。黒字で回さなければいけないという意味での負担である。弁護士が1人しかいない地域では双方代理の問題もある。日本弁護士連合会としては、法曹人口の増加で自然に解決する問題ではないだろうと考えている。国が制度を作って、弁護士を配置するという形にしないと、過疎地の解消にはならない。司法過疎は外国でも問題になっているが、外国では国が制度を作っている。人の確保と資金がネックになっている。国が政策としてやってもらいたい。日本弁護士連合会でも取組みをしてきたが、それだけでは基本的な解決にはならない。

○ 専門家の視点から考える傾向があるが、利用者の視点が必要である。司法の教育の機関ではそういう視点を持たせるような教育をしてこなかったのではないか。利用者の視点があれば、地方で問題があることは分かったはずである。

○ 裁判の仕組みなどについて教育することはよいことだと思う。

○ 残念ながら御指摘のとおりである。しかし、法科大学院では、依頼者の声を法律家がどのように聴くべきかという実践的な教育もすることになっているので、今よりはよくなるだろう。

○ 司法ネット有識者懇談会では地方でもニーズがあるという話があったということだが、争いごとになってから相談に来ることもあれば、それを予防するために相談に来るということもあるだろう。過疎地でも法律サービスを充実させるべきである。日本弁護士連合会の取組みだけに問題の解決を期待することには無理がある。地方自治体でも、相談を充実させたいが財源などの問題があって難しいというところが多かったと思う。国の施策としての津々浦々への司法サービスの拡充をしていかなければならないだろう。司法ネットをどのような機関が運営して、スタッフ制の採用などできるだけ低コストでやる仕組みは何かを検討し、立ち上げをするのが喫緊の課題だと感じた。

○ 弁護士が来たおかげで地域の雰囲気が変わったという話があったが、紛争解決があるべき姿に近付いた点には感銘を受けた。法曹人口の増加や日本弁護士連合会の取組みだけでは問題の解決は難しいということは各委員の共通認識ではないか。問題の解決方法について検討したい。

 事務局から、資料2に基づいて説明がされた。
 その後、次のような意見交換がされた。

○ 取り組むべき課題などについて議論してきたが、国が関与するということになると、どのような組織にするのかが一番問題になる。法律扶助協会は公益法人だが、行政改革大綱を見ると、補助金システムが厳しい状況にあることが分かるし、縮減、合理化、補助金の適正化などが言われ、独立行政法人への事務移管ということが出ている。公益法人が国の仕事をするのには厳しい将来なのだということが分かる。公益法人だと自主性があると思っていたが、指定法人になってしまうとかなり規制される。業務監督命令や役員の解任命令、法務大臣の認可などかなり厳しい規制がある。民間の公益法人で厳しいのは管理運営費が全額出るわけではないということである。予算削減の中で法律扶助協会への補助金の額が年々増えているのは事実だが、事業が拡大してくれば人件費もかさむし、箱代も必要になる。そうした経費への補助金が一部しか出ないために、事業拡大ができないという限界に来ている。公益法人のままでは先行き成り立たないと実感する。独立行政法人も含めて検討せざるを得ない。スタッフとなる弁護士の自主性、独立性を確保するべきであるが、予算規模や国の制度の位置付けという意味では、独立行政法人は一考に値する。

○ 公益法人を指定してその法人に仕事をさせるという指定法人制度はやめるというのが現在の流れだろう。最近の例では、指定法人をやめて登録制にしたという例がある。そういう意味では、民事法律扶助も指定法人では立ちゆかない。国の補助金を維持してやっていくとすると、独立行政法人しかないような気がする。

○ イギリスでは、ボランティア・スタッフがこういう分野で活躍していると聞いた。ボランティアを活用することも重要だろう。独立行政法人にならざるを得ないと思うが、役所が上から用意するのではなくて、民間の力をうまく活用していくべきだろう。泣き寝入りになっている人のためにお金を回収する仕組みについても考えるべきだろう。

○ 公益法人で全国展開するというのはかなり難しいだろう。初期費用がかかりすぎる。初期費用のことを考えると、独立行政法人しかないと思う。独立行政法人にも色々なものがあり、役所的でない制度の仕組み方もできるのではないか。

○ アクセスを容易にするための仕組みが必要であるという点では、各委員と同じ考えである。弁護士等のプロの養成も重要だが、リーガル・マインドをもった人を養成することも重要である。企業では、契約書の作成などは、法務部のスタッフが行っている部分が多い。例えば、自治体の相談でも、弁護士等の裁判に直結する専門家を使うことだけを考えるのではなくて、それと並行して、受付の職員がリーガル・マインドを持つような養成をすることも考えるべきである。限られた有資格者に多くを求めることは無理である。専門家以外の人も含めて全体として底上げすることを考えるべきである。

○ 独立行政法人の資金源としては募金も考えられる。専門家が最後には出ていかなければならないが、最初の受付は幅広い人間性を持った人に対応してもらうべきではないか。ここに行けば相談に応じてくれると案内するような通り一遍の対応ではなくて、多様なニーズをいかに満たすかという課題に応え、仕分けができるスタッフが必要である。

○ 利用者のニーズにフレキシブルに対応することが重要だという御意見だと思うが、それは組織論よりは、むしろサービス提供の在り方の問題だと思う。独立行政法人であっても、御指摘のようなニーズに対応することは可能だろう。イギリスでは1988年に制度改革が行われ、法律扶助事業を民間任せから独立行政法人的な運営主体に移した。その結果、業務の効率性が向上し、支出の透明化も図られた。独立行政法人にすることによって、このようなメリットが期待できる。

○ テレビの地上波のデジタル化で、テレビが双方向性を持つようになる。人でなければインターフェイスにならない場合もあろうが、人海戦術でいけない部分もあろう。その場合に、テレビは有力な窓口になるだろう。入口のところで時間と距離の問題を解消できるのではないか。

○ 情報提供に関しては、情報提供がバラバラに行われていて、全体像がよく見えないという指摘がされた。全体像をどこかで示してもらう必要があるのではないかという指摘である。まとめるとなると誰がまとめるのかという問題がある。相談窓口に関しては、自分がどのような問題を抱えていて、それに対してどのような解決手段が用意されているのかが分かるようにしてはどうかという指摘があった。運営主体がADRを主催するかどうかということも議論になったが、相談のあった案件でよいものだけを運営主体のADRに回し、それ以外のものは他に回すということにならないかという問題もある。ともかく、情報提供とある程度の相談受付は必要だということだった。法律扶助に関しては、限界に来ているという話があった。スタッフを充実できないため業務を拡大できないということだった。ジュディケア制では予算管理が難しいという問題もあった。

○ 我が国の法律扶助は、開業弁護士だけで担っている。韓国では、スタッフ弁護士と公益法務官が担っている。韓国の場合はスタッフの給与だけが問題なので、予算管理はしやすい。反面、安上がりというところがあり、スタッフ1人当たりの持ち事件数が相当多い。韓国の制度では、多くの弁護士が公益的事業に関わらないという問題もある。イギリスではジュディケア制を採用し、予算はオープン・エンドでやってきたが、予算管理が難しいのでフランチャイズ契約が導入された。

○ 組織が自前の法律家を抱えるのがいいのか、外部の法律家に依頼するのがいいのか、予算の管理の問題もある。さらには、どのような法律家が行くのかという問題もある。御意見をいただきたい。

○ 法科大学院を出た人が、弁護士になる前に、何年か運営主体に勤めるという方法はどうか。そこで、民事だけでなく、公的弁護も経験し、法律扶助も担う。運営主体に勤務した人には法科大学院の奨学金の返還を免除するなどの特典を設けることも考えられる。スタッフ制を採用して独立行政法人でというのがいいだろう。そのような形態なら、過疎地への転勤も可能である。また、弁護士として長年の経験があり、弁護士としての名声もある人にボランティア精神で勤めてもらうことも考えられる。

○ 素晴らしいアイデアだと思う。もう1つ、若手の裁判官、検察官に経験を積んでもらうために来てもらうというのもいいのではないか。受入れ組織にとっても、裁判所、検察庁、法務省などで経験を積んだ人に来てもらうということは厚みを増すことになり、お互いにとっていい結果になるのではないか。

○ 色々な人に入ってもらうことに賛成である。例えば、税の専門家に入ってもらうことなどが考えられる。司法書士の合格者数は増えているが、登録者数はそれほど増えていない。司法書士試験は司法試験に準じて難しい試験であり、それに合格した人が資格を活かしていないのはもったいない。こういう人にスタッフとして入ってもらうことも考えられる。

○ スタッフ制の採用については異論はないか。事務スタッフも含めての話だが。

○ スタッフ制が原則というのはいかがなものか。ジュディケア制も必要だろう。スタッフが必要だということは言えるが。新しい組織がやる仕事として目指しているのは、公益的なものが多くなるだろう。先ほど、企業法務の活用という趣旨の話があったが、活躍の場があるのかという気がする。もっとも、全てが法律相談というわけではなく、それ以外の相談も多いだろうと思われるので、カウンセリングの専門家の活用など、幅広く考えてみたいと思う。

○ 企業法務を活用するということを申し上げたのではない。地方自治体でも、企業の法務部のような人材を育成してはどうかという意味で申し上げた。自治体が、職員の中でリーガル・マインドを持った人を育てていかないと、いくら予算があっても足りない。

○ 司法過疎対策については、日本弁護士連合会、日本司法書士会連合会で取組みをされているが、限界があるということだった。手当てが必要であろう。取組みと併存すると考えるべきか。

○ 併存でいいのではないか。既存のものはそのまま活用して、ネットを組んで、行き来ができるようにする。1つにまとめなければならないということはないと思う。

○ 併存することで、お互いにいい刺激になるという面はあるかもしれない。しかし、サービスに地域格差があってはならない。お互いに情報交換をして、サービスに地域格差が生じないようにするべきである。情報のデータベース化などの工夫が考えられる。

○ 組織としては、独立行政法人が現実的というのが各委員の共通の認識であると感じた。

○ 独立行政法人は、寄付金の受入れはできるのか。法律扶助協会は寄付金の受入れをしているが。

○ その点は調べてもらいたい。次回も引き続き検討したい。事務局には検討用の資料を作成してもらいたい。

(2) 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて

 事務局から、資料3ないし5に基づいて説明がされた。
 その後、次のような意見交換がされた。

○ 前回、敗訴者負担制度を導入する範囲、しない範囲について議論し、行政訴訟、労働訴訟、人事訴訟に関して御意見をいただいた。人身損害に関する訴訟、公害、薬害、医療過誤といった訴訟についても御意見をいただきたい。

○ 制度導入の根拠がはっきりしない。どのような場合に制度を導入するといいのかという視点での検討も必要ではないか。

○ ただ今の委員の御指摘はごもっともなところがあるが、前回、敗訴者負担を導入する範囲、しない範囲についての議論が進んだので、引き続き議論していただきたいと思う。行政訴訟一般、人身損害一般という形だと具体的なイメージがないので、普通に起こる民事裁判にはどのようなものがあるのか、お金を貸したのに返してくれないとか、信販会社の立替金請求とか、遺産分割とか、色々なパターンの訴訟の典型例があるので、こうした典型例で、原告はこういう立場で提訴する、被告はこういう立場で応訴するという具体的イメージを提供してもらって、そのイメージを前提に、この事件では敗訴者に弁護士報酬を負担させることが正義、公平に適うのか、そうでないのかという議論をすすめてはどうか。今回は、引き続き、パターン化を進めてはどうか。

○ 敗訴者負担制度を導入するのは大企業間の訴訟だけでよいのではないか。また、各自負担か両面的敗訴者負担の二者択一という形で議論されているように感じるが、基本は敗訴者負担にしようということで議論しているのか。

○ 最終的にどうなるかはまだ見えていない。まずは粗ごなしの議論をということでお願いしている。

○ 粗ごなしをする場合に、訴訟類型ということで、個々に進められていくのか。

○ これまでにも御議論いただいたが、粗ごなしということでという趣旨であり、これで検討は終わりということではない。

○ 訴訟類型の全体が見えにくい。原告、被告両方の立場で考える必要もある。多様な状況を考えていかないといけないと思う。これまでの検討を御破算にという趣旨ではない。逆に、導入した方がよいという意見がないので、導入すべき類型から入っていった方がすっきりするのではないかと感じている。

○ 人的損害という形で議論すると、自動車事故も公害も入るということになるが、これらの訴訟に違いはあるのか。

○ 公害訴訟は、事業者対個人の訴訟である。自動車事故の場合は、事業者対個人もあれば個人対個人もある。どちらの場合もアクセスの阻害になるので敗訴者負担を導入すべきでない。

○ 交通事故も、公害も薬害も、敗訴者負担を導入してもよいのではないか。

○ 公害などの場合、事業者対個人の訴訟になる。公害、薬害、環境といった訴訟は新しいタイプの訴訟で、勝てるかどうか分からないところで提訴している。最初から、負けたら2人分の弁護士費用を払うことになるということなら裁判にならなかった。イタイイタイ病、水俣病などがきっかけとなって提訴の気運が高まり、裁判に勝ち、環境権という言葉なども出てきた。個人の救済と法創造的機能という両方の側面がある。このような訴訟では、敗訴者負担だと裁判にならない。敗訴者負担は導入しない事案とすべきである。交通事故の裁判は少なくなっている。保険でほとんどの事案が解決されている。裁判になるのは、加害者が任意保険に入っていないために裁判を起こさざるを得ないとか、過失割合、後遺症で争うケースが多い。前者では、勝っても取れるかどうか分からない。後者は、勝つかどうか分からない。この場合、相手が個人か事業者かで差はない。裁判を起こすかどうかというところで影響するのが敗訴者負担である。そういう意味では、敗訴者負担を導入すべきでないと考える。

○ 交通事故の場合、原告が勝つと弁護士報酬が損害の一部として認められるのが判例であるが、それとの関係はどう考えるのか。原告が負けた場合も含めて考える必要があるだろう。自動車保険の任意保険で、弁護士報酬をカバーする特約が一般的になっている。交通事故を起こしたときの法律問題については、弁護士が関与して解決するということが社会に承認されていると言えるのではないか。だとすると、弁護士報酬の一部について、訴訟費用に近いものとして扱うことが世の中に承認されるのに最も近い訴訟類型であるとも考えられる。交通事故の場合には敗訴者負担を導入すべきでないという意見も分かるが、公害の事件と交通事故の事件とを同じように議論するのは違うのではないかという気もする。

○ 公害、薬害訴訟は勝ってきている訴訟ではないか。提訴の際に躊躇するという話は分かるが、勝訴すれば弁護士報酬を相手から取れるということになれば、提訴促進になる場合もあるのではないか。勝てないだろうという意識があるのか。

○ 公害、環境、薬害は、負けが続いてやっと勝つというパターンである。もんじゅ訴訟では21連敗した後初めて勝った。環境権、眺望権、日照権は裁判を通じて形成された。このような事件は、提訴する時に勝つかどうか分からないし、証拠があるのかどうかも分からない。

○ もんじゅ訴訟は公害訴訟ではなく行政訴訟だろう。眺望権の話もあったが、公害とは違うのではないか。

○ 交通事故に関して、弁護士報酬が損害の一部として判例上認められている部分については異論はない。判例が敗訴者負担を認めているということになるが、これを覆す必要はない。しかし、交通事故でも、難しい事件はあるのではないか。訴えを起こして負けた方に責任がない場合もある。今までの制度を変えるということなのだから、慎重でなければならない。私は、敗訴者負担制度の導入には反対である。公害では、多くの犠牲の下に裁判に勝てるようになって、法律も整備されてきた。公害訴訟に敗訴者負担制度を導入することは考えられない。

○ 公害訴訟の中で、本来勝つべきなのに負けたというのは、具体的にはどのようなケースか。公害訴訟で言うと、四日市公害訴訟を初めとして、比較的に勝訴率が高いのではないか。敗訴者負担になれば、より多くの原告を集めることができたという面もあるのではないか。どのようなところで訴訟抑止になっているのか。四大公害裁判では、全部企業側が負けたはずだが。

○ 裁判に時間がかかり、亡くなってしまった人もいる。公害の被害者は悲惨である。いつ発作が起きるか分からないという人もいる。このような人は仕事もなく、訴訟を起こしたくてもお金がないという人が多い。交通事故にしろ、公害にしろ、個人が裁判を起こすことは大変なことである。

○ 勝つか負けるか分からないという意識は分かる。しかし、民事の普通の事件を前提とすると、勝つか負けるか分からないという事件は少ない。公害訴訟の場合は、訴え提起の必要性、正当性があるというような事情があるのではないか。そのような事情がなくて、勝つか負けるか分からないと言うだけでは、弁護士報酬を負担させないという十分な理由にはならないのではないか。公害訴訟では、訴え提起の必要性、正当性がどこにあるのかといった点を検討すべきではないか。現に被害を受けていて、誰かが悪いことは明らかだが、証拠収集には苦労が伴うという訴訟であれば、立証が十分でなかった、被告を誤ったという結果になっても、被害の大きさ、被害があること自体間違いはないという事実を考慮して、弁護士報酬を敗訴者に負担させないということになるのではないか。勝つか負けるか分からないということだけではなくて、そのような状況であっても訴えを提起すべきであるという根拠を探すべきではないか。

○ 政策形成だからという理由がよいのかどうかは慎重に考えるべきである。公害訴訟であっても、政策形成という理由は、重要ではあるが決定的ではないので、取り上げるべきではないと考える。最初に最高裁で認容判決が出た後に起こされた訴訟のことを考えるとそう思う。このような場合は、かなり勝訴の確率は高くなっている。勝つかどうか分からないということを理由にしてしまうと、後発の訴訟を救うことができなくなる。むしろ、生命・身体の被害は他の権利侵害よりも保護の必要性が高いからということで、人身損害は敗訴者負担にはしない、各自負担で行くという説明になるのではないのか。

○ 結論としては同じである。勝敗の見込みそのものではなくて、それが提訴萎縮効につながるということを言いたい。もう1つは、全国に同じような被害者がいる事件は全体に利益をもたらすので、裁判を起こした人達だけが敗訴者負担というのはどうかということである。司法アクセスに寄与しないということが現実的な理由である。

○ 公害訴訟に関して言うと、全体として見れば、被害者側が勝訴しているということになろうかと思う。ただ、やや高めの額を請求することもあって、全額認容ではないことが多い。ともかく、公害訴訟は勝つから敗訴者負担にしない範囲にしなくていいということにはならないだろう。

○ 人身損害の場合は、完全な回復が必要だと思う。弁護士報酬が各自負担だと、その分だけ減額されてしまう。これは問題ではないか。判例で弁護士報酬を相手から回収できる部分があるが、原告が勝った場合だけという一方的なものであり、しかも不法行為に限られている。それでよいのかどうか。本来、弁護士報酬を勝った方が回収するというのを判例で代替している部分もあると思われる。判例があるから各自負担でいいとは言い切れないのではないか。人身損害一般について申し上げると、確かに、最初に訴えを提起する場合には大変勇気がいるという話は重く受け止めるが、途中で因果関係などが解明されて、勝てるようになってきても敗訴者負担でなくてよいのか。

○ 権利目減りの話があったが、目減りするから裁判をしないということはないのではないか。裁判にコストがかかるのは誰もが納得しており、コストがかかるから提訴しないという人はいない。判例で認められている部分は、事実上片面的敗訴者負担である。これはこのまま維持してもらいたい。

○ 片面的敗訴者負担制度の話が出たが、片面的な制度にするには、それなりのベースが必要である。敗訴者負担に反対の立場の方の意見を聴くと、現状肯定であり、現状より後退になる敗訴者負担制度には異議があるという御意見が大半である。どう考えるか。

○ 現状でよいと考える。明治の民事訴訟法制定以来そのようなやり方でやってきた。司法制度改革審議会意見で指摘されている、弁護士への報酬を理由に訴訟を回避する人というのも聞いたことはないし、アンケート調査でも、80パーセント以上の人がそういう人ではないという結果だった。入れるとすれば片面的敗訴者負担制度を入れてほしい。全部に入れるということではなくて、一定の分野でということである。

○ 今までこの制度でやってきたし、原告がそれを理由に諦めることはないだろうということか。現在の裁判での弁護士への報酬の位置付けの話をベースに議論しているのか。提訴萎縮の話は重要だと思うが、同じ場面で議論すべきことなのか。各委員の議論が必ずしもかみ合っていないような印象を受ける。

○ 交通事故の例で、Aだけが怪我をしてBを訴えたが、審理をしてみると、交通違反をしたのはAであり、Bには過失がなかったという場合、Bの弁護士報酬はAが負担すべきだと思われるが、どう考えるか。問題は、理不尽に訴えを起こされて勝訴したが、弁護士報酬を負担しなければならない被告のことをどう考えるのかだと思う。

○ 被告とされた側の論拠は示していない。

○ 委員の御意見として、人身損害の場合は、公害も薬害も含めて敗訴者負担にすべきだという趣旨なのか。

○ 意見としてではなく、人身損害に敗訴者負担を導入する場合に考えられる論拠として申し上げた。

○ 消費者関係訴訟についても議論していただきたい。押売りに契約を結ばされてしまったというような事例が考えられるが。

○ 典型的な例としては、高齢者が催眠商法に引っかかってしまったという事案があるだろう。

○ 高齢者が訴訟を提起する場合もあれば、形式上は契約が成立しているので、業者が高齢者を訴える場合もある。事例はこれに限られるわけではないが、こういった事例を念頭に置いて、消費者関係訴訟に敗訴者負担を導入した方がいいのか、そうでないのか、議論していただきたい。

○ 消費者契約法に事業者と消費者の定義規定があるので、事業者と消費者の間の事件という分け方をしてはどうか。仲裁法案でもこの考え方を採用して仲裁合意を排除できることとしている。消費者訴訟には、敗訴者負担は導入すべきでない。提訴萎縮につながる。

○ 消費者が被告になる場合、例えば、業者から履行請求が来たが、消費者としては拒みたいという場合はどう考えるのか。

○ 高齢者が被害にあった場合は判断能力が欠けており、後で家族が気付いて消費者センターなどに訴えてくる。本人が、払わされてしまったけれども被害回復をしたいということはまずない。

○ まだ高齢者が代金を支払っておらず、業者が訴訟で代金を請求してきたという事例でどう考えるかという趣旨である。

○ そのような事例なら、家族が消費者センターに持ち込むだろう。しかし、消費者センターに持ち込まれるのが全体の3パーセントくらいと言われている。裁判に持ち込まれるのは更に少ない。消費者は、被害を受けても、裁判を起こそうと考える人はごく僅かである。ほとんどは、どうしたらいいか分からなくて困っている。

○ 消費者が訴えられて、応訴せざるを得ないという事例の話をしているのではないのか。

○ 業者側には不実告知などがあるのだろうが、消費者が裁判に訴えるということが、現実的に起こるのかということである。

○ 事例の追加ということで申し上げる。信販会社が立替え払いをして、消費者に立替金を請求する事件は沢山ある。その中で、被告が、あの契約はインチキだった、詐欺にあったのだ、だから払いたくないという事件は、普通の事件としてある。このような訴訟で被告が勝った場合に、被告は自分の弁護士報酬は取れなくていいのかというイメージで考えていただくといいのではないか。

○ 消費者被害は、一般に少額である。弁護士に依頼する事件かどうか。

○ 消費者が訴えられて、自分ではどうにもならないので弁護士に依頼したという場合の話である。委員は、消費者がアクションを起こすことを念頭に置いておられるのではないか。

○ 消費者が被告になる場合も沢山あるが、勝訴するとは限らない。サラ金業者は、裁判通告をしてくる。利息制限法の問題などはあるが、借金をしたこと自体は間違いないという弱みがある。応訴せずに支払ってしまおうということになりかねない。被告になる場合も考えても、敗訴者負担を導入すべきでないと思う。

○ 結論は同じだが、構造的な力の格差があるから敗訴者負担を導入しないという理由になるのではないか。原告であろうが、被告であろうが、役割分担にかかわらず、同じ規律でいくべきだと考える。

○ どこで線引きをするのかという点については、おそらく、結論はそう違わないように思われる。何を理由にというところを議論すべきである。理由についての議論ができないまま、直感的にこのあたりだろうという結論を出しただけでは、任務を果たしたことにはならないだろうという気がする。実例はこうです、現状はこうです、今までやってきましたからということで、果してそれが根拠として十分なのかどうかが不安である。

○ 現状を変えて制度を導入する必要があるのかどうかを先に議論すべきである。

○ 格差が根拠になるのではないか。個人とグループ、個人と行政というように大きなところと小さなところが戦うときは、知識や情報の差がある。大企業間ならそのような問題はない。そういうところは両面的負担でやればいい。

○ 論拠が大切だという意見に賛成である。理論上の問題もあるし、政策的な問題もある。情報格差は、どちらかと言えば政策的な理由だと思う。理論上は、当事者間の公平から言えば敗訴者負担もあり得るが、情報格差を考慮して導入しないという結論もあり得る。ただし、情報格差が絶対的な理由とは言えないだろう。情報格差を補充するために、訴訟手続を改善するという方法もあり得るし、経済力の差には、法律扶助という制度がある。他の周辺的な制度で補充するということもある。1つの理由だけではなくて、周辺的な制度も含めて、様々な理由を考慮して結論を出すべきではないか。

○ 裁判に臨む際に、理想としては、当事者間に格差がないのがよいが、現実には格差がある。格差を少なくするために、法律の専門家がいるのではないのか。裁判の理想型をどう考えるかという中で、格差があるというところをどのように認めるのか、悩ましいところである。格差がないところで裁判を受ける権利があって、格差をなくすために必要な資源として弁護士が必要不可欠になってきているというのが現状ではないか。格差についても、どのような格差なのかを厳密に議論すべきではないか。

○ 格差は個人間でもある。お金持ちもいれば、そうでない人もいる。情報だけではなくて、立場の違いなどもある。

○ 今の裁判は理想型ではない。格差のないところで裁判を受けるということ自体がそうではない。格差は、弁護士だけでは埋めることができない。制度的なものが必要である。証拠開示が必要である。日本には、何かあったら紙に書くという習慣がない。証拠の偏在の問題もある。格差のあるところに裁判が始まる。色々な制度保障が必要だが、それがないところでどうするかという問題である。理論的にはどちらも成り立つ。弁護士費用を誰が負担するのかは、政策の問題だろう。政策の問題として考えると、今、弁護士報酬の敗訴者負担を導入するのは問題である。司法へのアクセスの拡充と言われていることも考えるべきである。

○ 消費者には情報がない。景表法が少し踏み出せるかどうかというのが現状である。

○ 情報格差を理由にするのはどうか。情報格差は、周辺の制度で対応できる。社会的なリソースの差というあたりが理由になり得るのではないか。ラフな形でのリソースの違いというのが、消費者契約法の採用している考え方だろう。動員できるリソースの違いがあるから各自負担の方がいいということになるのだろう。アメリカ型のディスカバリーが導入されれば、情報格差はほとんどなくなってしまうだろうが、それでも、弁護士報酬の負担については、別の問題として考えるべきだと思う。

○ 勝敗とかお金とかではなく、トラブルをはっきりさせてほしいということで裁判が起こされているのではないか。イギリスでは、ハイ・コートという上級裁判所では敗訴者負担で行われているが、カウンティー・コートでは各自負担でやっているそうである。経済活動をしている人の考え方と、そうでない人の考え方は違うのではないか。普通に生活している人の感覚を捉えるべきではないか。

○ 消費者訴訟では、消費者が訴える例は少なく、業者が訴える例が多いという印象である。訴えられた消費者が勝訴して、業者にお金を払わなくて済んだものの、自分が依頼した弁護士への報酬の支払が残ってしまうというのは、やや気の毒な気がする。

○ 消費者が原告となる訴訟も増えている。先物取引、原野商法など色々ある。敗訴が続いたものも多い。法創造につながったものも多い。訪問販売法などの取締法規は後からできた。そのようなことを考えると、各自負担がよいと思う。

(3) 今後の日程等について

 次回については、引き続き、司法ネット(仮称)、弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて検討を進めることとなった。
 弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについては、次回検討会終了後パブリック・コメントの手続をし、秋以降も検討を続けることとなった。

  (次回:平成15年7月23日 13:30〜)