[開会]
○青山座長 それでは、時間になりましたので、ただいまから第13回「ADR検討会」を開会したいと思います。
本日は、横尾委員が少し遅れて参加されるということでございます。
それでは、早速議事に入ります。本日は、「ADR等に関する規律」の議論の第1回目でございます。主宰者に関する規律及び主宰者としての専門家の関与という論点を中心に検討を進めてまいりたいと思います。
本日は、終了が5時ごろになる予定でございますので、途中で休憩を挟みたいと思っております。
それでは、個別の論点に入ります前に、まず、今回と次回の2回にわたり、規律に関する検討を行うに当たって共通する論点について議論しておきたいと思います。
事務局から資料13−1の検討事項1−5について御説明をお願いいたします。
[ADR等に係る規律①(総論)]
○小林参事官 本日は、13−1と、13−2を資料としてお配りしておりますが、それ以外に、高木委員の方から、主に13−2に関連する部分かと思いますけれども、あらかじめ資料が提出されておりますので、御紹介しておきます。
それでは、資料13−1の検討事項1−5の方から御説明いたします。こちらは、ADRに関する規律についての序論のようなものでございます。全体は大きく3つから成っております。
まず、1ページの論点1の部分ですが、これは共通的な規律として考えられる内容を、いわばメニューを並べたものでございます。
①、②、③とありまして、その中は適宜黒ポツで分けられておりますが、正直申しまして、この分類自体は、やや機械的と申しますか、必ずしも論理的なものではありません。むしろ、こういったものが考えられるということで羅列いたしております。
それから、この内容をご覧いただくとわかりますように、②の中ほどにございますが、前回に若干御議論をいただきました「当事者の手続に対する協力義務」、あるいは③の最初のポツの例にあります「国民の紛争の自主的解決の重要性の認識義務」など、責務のところで御議論いただいたものと共通するものもございますけれども、責務のところで申し上げたように、両者は関連をいたしますので、こちらの方にも掲げてございます。
この全体像を今回と次回の2回にわたりまして議論していきたいと考えております。
今回は、留意事項にございますように、主宰者に関する規律を後半部分で扱いたいと思っております。それから「手続・組織運営等に関する規律」。この「等」の中には先ほど申し上げたような利用者、あるいは国民といったものも含まれますが、そういったものも含めて主宰者以外のものについては次回ということで考えております。
なお、「主宰者」という言葉につきましては、この検討会でも従来から使用してきたわけでございますが、必ずしも明確な定義、あるいは熟した言葉ではございません。現実には、個々の手続に応じまして、仲裁人あるいは調停人という形で使用されるケースもございますが、それらを総称したものとして、引き続きこの段階では「主宰者」という言葉を使わせていただきたいと思います。
以上が、1ページのメニューでございます。これをそれぞれ各論で議論していくということになります。
2ページでございますが、共通的な問題として「考えられる規律の性格」ということがございます。留意事項を見ていただければわかりやすいかと思いますが、大きく3つの観点から議論する必要があろうかと思います。
1つは、(1)にございますように、「規律の適用範囲」でございます。これは、基本的にはすべてのADR等に係る規律ということを念頭に置くわけではありますが、規律の内容によっては、Bにありますような「一定のADR等に係る規律」ということで考えるべきものもあろうかと思います。その場合には、幾つかの限定の仕方があるということでB1からB3を掲げてあります。
それから、(2)としましては、「規律の適用の任意性」ということでございまして、これはAにありますような規律の性格として、当事者の別段の合意があろうがなかろうが適用されるような規定にするのか、あるいはBのように当事者間に別段の合意がある場合はそちらに従い、合意がない場合に適用される規律、デフォルト・ルールと言われておりますが、こういったものとして適応するのかという問題がございます。
(1)(2)あるいは後ほど触れます(3)につきましても、いずれも個々の規律ごとに議論をしていくということでございますので、組み合わせはその規律に応じて考えていけばいいわけですが、一般論として考えた場合にどういう問題があるかということを参考で掲げさせていただいております。
一般論としてADRの場合には、当事者間の私的自治を尊重しつつということでございますので、こういったデフォルト・ルールとして考えた方がいいのではないかという意見がある一方で、仲裁とは異なりまして、手続上の理由によってデッド・ロックに乗り上げることが考えられないような手続につきましては、こういったデフォルト・ルールを設定する必要はないのではないかという考え方もございます。ここはあくまでも一般論でございます。
3ページに参りますが、3番目といたしまして、規律違反の効果をどう考えるのかということでございます。
その場合に、大きく3つの内容がありますが、1つは「私法上の効果」ということで、手続、合意といったものを無効にしてしまうのか、あるいは債務不履行として損害賠償責任を追及するための根拠となると考えるのか、その他ということでございます。
②の「行政上の効果」としましては、仮に認定なり許可という制度を導入した場合には、それらの認定許可の取消ということも考えられますでしょうし、行政上の制裁ということで公表ということもあり得るかと思います。
③の「刑事上の効果」ということで、刑事罰を設けるか否かという問題があろうかと思います。
先ほども触れましたように、(1)(2)(3)は、それぞれの規律に応じて組み合わせを考えていくという問題ですので、ここでは観点を提示したということでございます。
最後に3番目としまして、「ADR法と個別法令の適用関係」の問題でございます。
これまでも何回か議論になりましたように、ADRにつきましては、現在でも特定のADRの手続等を規定している個別の法令がございます。
主な内容につきましては、(参考1)から次のページにわたっておりまして、手続等を規定するもの、あるいは主宰者に着目したものなどがございますけれども、こういった個別のADRについての規定がございます。
この規定と、今回の、仮にADR法と呼んでおきますけれども、このADR法との関係ですが、これは論点3の枠囲いにございますように、基本的には個別法令に別段の定めがない場合に適用されるということを原則として考えていいのではないかということでございます。
その結果として、最後のページになりますけれども、中ほどより若干上のところですが、そういった考え方に立ちますと、基本的には民間型ADRを主な対象として考えていく、あるいは仲裁につきましては、仲裁法が適用されるということを考えますと、仲裁以外の手続についての適用が中心になっていくということになろうかと思います。
ただ、これはあくまでも結果論、あるいは形式論でございまして、現実に議論の過程においては、ADR全般について議論をしていくわけですから、必要があれば、その規律に基づきまして、個別の法令についての見直しということも十分あり得るわけではございますが、そうしたことを踏まえた上で、最終的な形としてはADR法と個別の法規についての関係は、今申し上げたように、個別法規に規定がないものに適用されるということに整理できるのではないかということでございます。
以上、個別の各論に入る前の確認も含めまして、若干の論点について御説明をいたしました。
○青山座長 どうもありがとうございました。資料13−1の検討事項1−5の性格は、今、小林参事官の方から御説明があったとおりでございまして、これについての議論は、こういう規律をすべきかどうかという内容にわたる実質的な議論ではなくて、まず、論点1については、これから検討していく規律としてはこのようなものが考えられるという全体像をまず御提示して、全体として御議論をいただきたいということ。
論点2の方は、規律をつくるにしても、いろいろな性格付けがあるだろうと、適用対象にしても、任意性にしても、あるいは規律違反の効果にしても、いろいろな性格付けがあるだろうということを御確認いただいて、こういうことでいいのかどうか。
論点3につきましては、これはADR基本法と個別法というものを考えられる場合に、個別法にないときにはADR法が適用されるという基本的な性格付けでよいかどうかという3点について、まず御議論いただいた上で、各論の方に入っていこうという資料でございます。御質問等があればそういうところからお伺いしたいと思います。
原委員どうぞ。
○原委員 2点ほどお伺いします。
1つは論点1に①、②、③と書かれていて、それぞれに規律をという話になるわけですけれども、②は「提供される手続の信頼性の確保・向上を図るための規律」となっているのですが、提供される手続の信頼性だけではなくて、内容的なものの信頼性の確保という話もあるかと思いますが、中身を見ると、例えば3つ目のポツのところに「主宰者の資質・能力の確保・向上に関する規律」などが入っているので、内容的なものも含んでいるように思うのですが、タイトルが「提供される手続」だけに限って書いてあるというのは、どういう趣旨であろうかというのが1つです。
2つ目は、論点3の「ADR法と個別法令の適用関係」のところですが、個別法令に別段の定めがない場合に適用されることを原則とするということで、民間型ADRと総称されるようなものが入るということですが、これは感じとしては、特に個別法があればそれが優先されて、こちらのADR法が上位と下位のような形になるのか、それとも特に上位・下位の概念ではなくて、平板なところでの整理というイメージなのかと、ちょっとそこの感覚がどういうことかということと、2点を質問したいと思います。
○青山座長 最初の質問の「提供される手続」という意味は、申立てがあって、両当事者との話し合いをして、それから解決へ持っていくというプロセスの流れを言っているわけではなくて、調停なら調停全般のことを言っていますから、その中にはプロセスと内容も当然入る、内容についても入ると御理解いただきたいと思います。
もう1つの論点3についての御質問は、私の理解では、ADR基本法というのは一般法のようなもので、個別的なものは特別法という関係に立つ、上位と下位ということではなくて、同じ法律ですから、効力としては全く同じですけれども、両方が矛盾することがある、その場合には、これよりも特別法の方が優先して適用されるということになると思います。それは通常の一般法、特別法の関係と同じだと思っています。
○原委員 わかりました。
○青山座長 ほかに何か、どうぞ三木委員。
○三木委員 論点3について、確認と若干意見が入るかもしれませんが申し述べたいと思います。
先ほど来の御説明では、言葉遣いだけかもしれませんが、参事官は「ADR法」とおっしゃり、座長は「ADR基本法」とおっしゃっておられたのですけれども、どちらの意味で論点3を理解するかということに多少関わろうかと思います。
「ADR基本法」という意味で論点3を理解する場合には、私は個人的には、これを原則とすることとしてよいと思います。
それが「ADR基本法」ではなくて「ADR法」だということになりますと、それをこの場で原則とするという結論を出すのは尚早で、後に改めて議論すべきではないかと思います。と申しますのは、「ADR法」と言いますと、基本法のほかに効力規定の部分が入る余地があるわけですが、効力規定につきましては、他の法令に別段の規定がない場合にはADR法の効力規定を適用するという、規律の仕方がよいかどうか自体がまだ議論されておりませんので、この場で議論なく原則とするという結論を取ったことになるとすると、それはやや困るのではないかと考えております。
特に私が念頭に置いておりますのは仲裁法のことでして、仲裁法は、特に国際商事仲裁を想定しますと、外国人にとってわかりやすい法律ということは、大きな要素になってきます。仲裁法というタイトルの法律を見れば、その中で仲裁に関する効力規定がすべて書き尽くされているという、仲裁法の完結性という概念は、世界各国が取っているところでありまして、我が国の今般の仲裁法の改正でも、基本的には同じ理念が取られているだろうと理解しております。
この点に関しては、勿論、異なる意見の委員の方がいらっしゃるかもしれませんので、それも含めて後の議論をすべきだろうと考えております。
○青山座長 三木委員の今の問題提起は、ひょっとしたら全員の方にわからなかったのではと思いますので、私があえて質問します。
三木委員は、「ADR基本法」というものと「ADR法」というのは別だというお考えに立っているわけですね。
○三木委員 別の可能性があり得ると思います。
○青山座長 それについて少し御説明いただけますでしょうか。
○三木委員 これもまだ中身の議論をしていないので、私自身もイメージが固まっているわけではありませんが、「基本法」というときには、環境基本法等我が国にあるもろもろの基本法と同じく、プログラムや政策理念のようなものが規定された法律であって、基本的には効力規定を含まないものと理解しております。
それに対して、「ADR法」という場合には、これも今後の議論いかんでしょうが、基本法のほかに、従来の言葉を使いますと、通則法や促進法を含めた、それ以外にもあるかもしれませんが、効力規定も入るという理解でおります。
○青山座長 事務局は、この「ADR法」と「ADR基本法」を今のように区別してお使いになっているということでしょうか。そこのところを事務局の方からお願いいたします。
○小林参事官 「ADR基本法」という言葉は、審議会意見書に「いわゆる」と書いてありまして、なぜ「いわゆる」かはよくわかりませんけれども、仮称という意味で使っているのだと思いますが、そういう意味で、経緯的には「ADR基本法」という言い方をしてきたわけですけれども、1巡目の議論でもいろいろとございましたように、いわゆる基本法的なもの以外にも、三木委員がおっしゃったようないろいろな規定が考えられますので、略称としては「ADR法」という言葉を使用させていただいているということでございます。内容的にまだ固まっていないというのは、御指摘のとおりでございます。
○青山座長 私の理解は、ここで2つの法律を別につくるというようなことは、今まで議論としては出てきていないものですから、「ADR基本法」と言おうと、「ADR法」と言おうと同じもので、ADR全体をカバーするものという意味でここに出ているという理解で、私は先ほどのように申しました。
これから議論が進んでいくと、今、三木委員が精密に言われたような、基本法的な理念的なものと、効力や何かを含むものとは性格が違うものだから、これは切り離して別にしろという議論が出てくるかもしれませんけれども、今はそこまでいっていないという前提での御議論だと御了解いただきたいと思っています。
○廣田委員 私は、論点1については、「規律」という言葉自体がしっくりこないのです。ADRの規律というと、規律を守らせる何らかの上位のものが存在することが前提になると思いますが、ADRというのはそういうものではないと思うのです。
ですから、論点1で書かれているのは、むしろ規律と言うよりも、努力目標という観点で考えた方がいいと思いますので、そういう意味では、努力目標としては、この中でピックアップしておくものが確かにあると思います。ただ、規律という概念は、ここでは使わない方がいいのではないかという気持を持っております。
論点2は、ADR機関に対する何らかの責務、義務ということであれば、私の考えでは、例えば、「公正かつ適確」などという大まかな捉え方でいいのではないかと思っております。むしろ、そういう表現で、積極的な面を出して、骨太な言い方をした方がいいのかなという感じがしています。
そのほか、「手続主宰者」という言葉で、先ほど「主宰者」という言葉は熟したものではないというお話でしたけれども、私も「主宰者」という言葉にもしっくりこないので、むしろ具体的に「調停人」「仲裁人」と言った方がいいと思っているのですけれども、仮に「主宰者」と言えば、やはり主宰者に対する何らかのものがあってもいいかと思うのですが、これもごく簡潔なものでいいと思います。
3ページの上の方に「(3)規律違反の効果」というものがありますが、これは何もADR法に書かなくてもいいので、一般の刑法なり民法なりで適用されれば、それで十分であると、ADR法で改めて何らかの違反の効果的なものを書く必要はないと思っています。そういうことを書くと、ADRというものが使えなくなるし、ADRの自主性そのものを損うものであると私は考えております。
論点3ですが、これは先ほど座長の方からお話がありましたように、私も大まかに一般法になるという捉え方でいいのではないかと考えております。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。「規律」という言葉は確かに、これはあるいは「規定」と言った方がもっと一般的かという気がいたしますが、これからこの内容をどのように捉えていくかということだろうと思います。
2点目で言われました、これが努力義務かどうかということは、この規定をどうするかということとも関係しまして、場合によっては守秘義務などというのは、単に努力目標だけではなくて、もっと厳格な法的義務だというような考え方もあり得ると思いますので、それは論点2のところで、これを念頭に置いて議論していただければよいかと思っております。
効果についてはこれからの議論ですが、多分ここにはあまり規定することはないのかなと思っております。
もう1点、「主宰者」という言葉も確かに熟さない言葉で、司法制度改革審議会意見書では、「ADRの担い手」という言葉でずっと来たのですが、「担い手」というのはふわっとしていて、主宰者も含むし、あるいはそれを経営する機関も含むような言い方なので、機関と実際に仲裁人、調停人その他として両当事者の間に立って手続を進める人のことを何と言うかというところで、ここでは仮に「主宰者」という言葉を使わせていただいたということ以上のことではないので、これについても少し知恵を出していただきたいと思っております。
その「主宰者」の「宰」という字が、何とかなく上に立って差配をするとか、裁量をするとか、そういう感じがするので、もう少しいい言葉がないのかなという感じがするわけでございます。
ほかにいかがでしょうか。どうぞ。
○安藤委員 やはり司法型、行政型をどうしてもADRの中に入れなければいけないのでしょうか。
○青山座長 民間型だけでよいのではないかということですね。
○安藤委員 はい。
○青山座長 安藤委員から、なぜ司法型や行政型も外してしまう方がいいのかという理由をお伺いさせていただきたいと思います。
○安藤委員 逆に言いますと、裁判とは違うんだぞという形のときに、司法型、行政型は既につくられた裁判の範囲内という形で考えていて、あくまでも私的自治という面で言うのがADRであるという形になりますと、いろいろな規制があるものを、司法型、行政型と言って無理やりその中に入れることが逆にADRの発展を妨げるのではないかと、そのような気がするのです。
○青山座長 前から議論があるところですが、今までの議論を私なりに集約しますと、こういうことではないだろうかと思っています。
これは後から補足なり反論なりしていただければいいかと思いますが、従来、行政型や司法型も含めて考えているのは、司法型の民事調停、家事調停であれ、あるいは行政型、行政型と言ってもて、非常に硬い手続と、それから例えば建設工事紛争審査会のような手続等いろいろありますけれども、行政型の非常に硬い手続を除きますと、いずれにしてもそれは私的自治によってカバーされているものではないだろうかと思います。
裁判所で行われる民事調停であれ、家事調停であれ、あるいは建設工事紛争審査会等も、いずれも両当事者がそれでOKと言って初めて解決ができる、そういう意味では私的自治にのっとった手続ですね。それは必ずしも、民法とか商法とかその他の法律がそのままの形で適用されるわけではなくて、基本にはそういうものがあるにしても、当事者がそれでいいと納得して、初めてそれが通用力を持ってくる手続である。そういうものとしては、民間型であれ、行政型であれ、司法型であれ、共通の基盤を持っているのではないだろうかと思います。
そうすると、今度ADRというものについて法律をつくるとすれば、民間型ということにすると、それは司法型や行政型とは全く違うものとして構想するということになる。
そうではなくて、司法制度改革審議会の言っているADRというのは、極端に言うと、裁判の判決手続というものと違う紛争解決について広く網をかぶせろという思想が背後にあるのではないだろうか。そのためにADR全体について考えていこうというものです。
そのように考えていっても、結局、安藤委員のおっしゃるように、最後には、民事調停なり家事調停なり、いろいろな行政型手続でも、それぞれ個別的な規定を持っているところは、ADR基本法で適用される部分は非常に限定されてくるかもしれない。そうかもしれないけれども、初めからそれを外してしまうと、作業としては視野が狭くなるのではないだろうかということです。
最終的にどうなるかはわかりませんけれども、とにかく初めは広く検討しましょうということで始まったというのが私の理解でございます。
廣田委員から、もし何か補足なりあるいは反論なり、おっしゃっていただければと思います。
○廣田委員 今おっしゃったとおりで、行政機関でやっているADRの中にも、私的自治を尊重して、民間型ADRとそっくり中身は同じ、あるいは非常に似ているというものがあるのです。それ自体にも同じような問題がありますから、それを捉えるためには、とりあえず行政型や司法型も入れるという感覚で考えています。
理想型は安藤委員がおっしゃったとおりだということは、私も賛成しておりますけれども、現実を踏まえてそのように考えた方が、全体を捉えて間違いないことができるだろうという感覚です。
○安藤委員 刑事の場合はわかりますけれども、民事の場合は裁判の中に和解というものがあるのです。そうすると、行政型や司法型というのは、その和解の範囲の中に入ってしまうのではないかというような気もするので、やはり裁判所からの提示、そういった形でやるもの、いわゆるお上が提案するものというのと、民間で話し合いをするものと、そこで1つ区切りがあってもいいのかなというような気がするのです。
○青山座長 そのような区切りがあることは確かですが、しかし、それをADR基本法なり何なりというときに、それを初めから除外するのはどうだろうかということなんだろうと思います。
○綿引委員 裁判所の和解は除くということなので、先ほど言われた部分は除かれているのだろうと思いますけれども。
○青山座長 そこは除かれております。
よろしいですか。根本的な問題ですけれども、とりあえず私が申し上げたことで作業を続けていくということで、よろしゅうございますか。
○安藤委員 それに対してはできるだけ緩やかにお願いしたいということです。
○青山座長 はい、これからも先に議論していくと、これはきっと行政型手続には適用されないでしょうとか、そういうことはたくさん出てくると思います。
○廣田委員 安藤委員にお伺いしますけれども、考え方の基本には、民間型のADRを尊重するということの中には、私的自治を最大限に尊重して、できるだけ規制をしないようにという考え方があると理解していいですか。
○安藤委員 はい、そうです。
○廣田委員 それと同じように行政型で、これは全部が全部ではないのですが、ある種の行政型には同じような考え方を導入していくということも大事だと思うのです。そういうことのためにも、やはりそこからスタートして、もしそういうお上の力を借りないでやろうというお考えであれば、むしろ行政型もそういう方向になる可能性を持っているわけですから、それで一緒に考えていった方がいいと考えています。
○青山座長 ほかの点は、いかがでしょうか。どうぞ。
○山本委員 先ほど三木委員がおっしゃったことと関係するところで、論点3の質問ですが、個別法令に別段の定めがない場合にADR法が適用されるという、「別段の定めがない」ということの意味ですが、これは明文規定がないという意味なのかどうかということです。
1つ例示で具体的に挙げさせていただきますと、例えば後で審議の対象となる、主宰者が自分の公正な手続運営の確保に疑いを生じさせ得る事情を当事者に開示する義務を負うと、当否はともかく、仮にこういう規定がADR法に置かれたときに、私が承知している限りでは、民事調停法などにはこのような規定はないのだろうと思いますが、しかし、そういう義務はないという前提で、民事調停法の調停手続が運営されているとした場合に、こういう規定を置いた場合に、民事調停法を特にいじらないとすると、これはADR法が適用になると理解してよいのかどうかという趣旨の質問です。
○青山座長 率直に言って、私はそこまでは考えていなかったのですが、この文章をそのまま見ますと、今、山本委員のおっしゃるような解釈が素直に出てくるのかもしれませんけれども、おそらく明文の規定はなくても、個別法の領域内での解釈というものがあるだろうと思うのです。だから、それをどの程度尊重するかということによると思います。
今おっしゃったようなことは、ほかの個別法にもないところはいっぱいある、もしこれでつくれば全部これが適用されるというようになると、少し行き過ぎではないかと、おっしゃるような感じは私も持っておりますので、これはもう少し先に進んで、例えば守秘義務にしても、ここでつくれば全部それが適用されるということになるのかどうか、そこのところは、これから議論をしながら確かめていきたいと思っております。
○山本委員 全く座長のおまとめのとおりで結構だと思います。勿論解釈の余地がある部分というのは、必ず残らざるを得ないと思いますし、難しい問題があるところはあろうかと思うのですが、先ほど三木委員が仲裁法の一覧性のお話をされましたように、やはり立法するわけですから、できるだけそういうあいまいさが残らないような形で、これがADR法の適用になるのか、あるいは民事調停法なり、その他の個別法の解釈によってADR法の適用が排除されるのかということが、できるだけ明確になるような形で、なるべくこの点が規律されるようにしていただきたいという希望です。
○青山座長 わかりました。この資料につきまして、ほかにいかがでしょうか。よろしゅうございますか。
(「はい」と声あり)
○青山座長 それでは、いろいろ御意見をいただきましたけれども、今回と次回で個別の規定を検討するわけでございますが、今、お出しいただいたような御意見も十分に考慮しながら議論を進めていきたいと思っております。
それでは、引き続きまして各論といたしまして、検討事項1−6について議論をお願いしたいと思います。
まず、事務局から資料13−2の検討事項1−6についての説明をお願いいたします。
[ADR等に係る規律②(主宰者に関する規律等)]
○小林参事官 それでは、資料13−2に基づきまして御説明したいと思います。若干長くなりますが、御容赦いただきたいと思います。
1ページ以降、先ほどの検討事項1−5の1ページにありました中で、特に主宰者に関わるものを中心に個別に論じております。
それで、内容的には、先ほど2番目に申し上げました、規律の適用範囲でありますとか、あるいは規律の任意性、それから規律違反の効果につきましては、それぞれの部分で論じております。
ただ、先ほどの論点3のところで議論になりましたが、個別法との関係につきましては、これは最終的には勿論、できるだけ明確になるように規定すべきだと思いますが、まず、その前に実質判断として適用すべきかどうかということを議論する必要があろうかと思います。正直申しまして、民事調停、行政型、あるいはアドホックで行われるようなADRについてまで、これを適用すべきかどうかについては、やや詰めが十分ではない形になっております。
したがいまして、基本的には民間型のADRを中心として議論しているということを、前提として申し上げておきたいと思います。最終的には、そこも含めて議論すべきだと思いますが、いきなりそこまで行きますと、そもそも規律として置くべきか否かというところでまとまらないおそれがありますので、とりあえずは民間型を中心に議論させていただいております。
まず最初の「公正な手続運営を確保する義務」でございますが、これは枠囲いの中にありますように、常に当事者間に公平に手続を運営し、紛争の解決結果が適当なものとなるように努める義務を負うべきものとするのはどうかということでございます。
内容的には、「当事者に公平に手続を運営し」という部分と、「紛争の解決結果が適正なものとなるように」という部分の2つあるわけでございますけれども、主眼は前半の部分の「公正な手続運営を確保する義務」ということで考えております。
この関係につきましては、2ページの上段にありますように、これまでもこういった文言としてどんなものが考えられるのかという議論があったわけでございますが、なかなか現実問題として、これらをきちんと定義するのは難しいということは、これまでの議論でも、そういうことではなかったかと思います。
参考の2にございますように、実はUNCITRALでも同じような議論がございまして、最終的にはそこにございますような、公平処遇の努力義務が、いずれの法文化の下でも受け入れ可能な調停の本質的要素であるとされた経緯があるということでございますので、それを踏まえて、こういった「公正な手続運営を確保する義務」というものを努力義務として設けるのはどうかという提案になっております。
2ページ目の「(2)規律の性格」にはそういった旨が書いてございます。 また、勿論何が公平、公正かということについては、当然議論があり得るわけでございますが、努力義務として置く限りにおいては、基本的にはすべてのADRを対象にして考えていいのではないかと考えておりますし、当事者の合意の有無にかかわらず適用されるべき規律として考えるべきではないかということでございます。
2ページの最後に参考法令として幾つかの例を掲げてございます。
それから3ページにまいりますが、ここでは「利害関係情報等の開示義務」ということでございます。この利害関係情報というのは主宰者との関係でございますけれども、主宰者について公正な手続運営の確保に疑いを生じさせ得る事情があるのであれば、それを当事者に開示する義務を負うというようにしてはどうかということでございます。
勿論、何が公正な手続運営の確保に疑いを生じさせ得る事情かということにつきましては、これはなかなか一義的に決めることは難しい面もございますし、また、留意事項の「(1)規律の内容」の2つ目の○にございますが、こういった義務がいずれの時点から発生するのかということについては、ほかの制度等も踏まえてなお検討する必要があるわけでございますけれども、これまでの議論でもありましたように、やはり情報開示というものが1つの大きなテーマとして考えられるのであれば、こういった義務についても考えてみる必要があるのではないかということでございます。
その場合の規律の性格でございますが、この利害関係があるか否かという問題については、かなり大きな問題ではないかと考えられますので、「(2)規律の性格」の最初の○の終わりのところにございますように、少なくとも義務違反の場合には、損害賠償責任が発生する根拠となる規律として位置付けることを検討すべきではないかと考えております。逆に申し上げれば、単なる努力義務ということでは足りないのではないかと考えております。
他方、この義務につきましては、当事者の別段の合意があれば、その場合にまで適用する必要はないのではないかということで、3ページの最後の○ですが、合意のある場合は適用を排除してもいいのではないかということでございます。
4ページにまいりまして、参考となる法令といたしましては、UNCITRALのモデル法におきましても同様の規定を置いておりますが、この3条にございますように、UNCITRALにおきましても、当事者の合意がある場合には適用が排除されるということが項目の中に入っております。
それから仲裁法においても同様の趣旨の規定が置かれているということでございます。
4ページの続きでございますが、それに関連して主宰者の除斥・忌避・回避という手続を考える必要があるかどうかということでございます。
それぞれの内容でございますが、注の1〜3にございますように、除斥というのは、一定の原因が存在することによって当然のこととして排除される制度でありますし、忌避の場合は、それ以外の原因ではありますが、手続の公正性に疑いの生ずる原因が存在する場合に、当事者の方から申立てをして主宰者を排除するという制度、回避の場合は、これはむしろ除斥又は忌避の原因がある場合に、主宰者の方から手続の関与を避ける制度ということでございます。
これは、5ページにございますように、裁判の場合などで適用があるわけでございますけれども、結論から申し上げれば、ADRにつきましては、こういった手続を設ける必要はないのではないかということでございます。
この場合のADRは、仲裁を除いて考えているということでございます。これは、仲裁以外の手続におきましては、当事者はいつでも手続から離脱することができるということですし、先ほど申し上げたような利害関係情報等の開示が適切に行われているのであれば、あえてここまでの制度を設ける必要はないのではないか。最終的な合意については、当事者が合意するかどうかも判断できるということも含めまして、通常のADRにおいては、ここまで制度化する必要がないのではないかという考え方に立っております。
5ページの参考法令ですが、一番下の○に「住宅の品質確保の促進等に関する法律」がございまして、ここではADR機関の義務として紛争処理委員を指名してはならないという規定がございますが、これも1つの考え方ではないかと思いますけれども、基本的には、こういった除斥・忌避・回避といった手続を設ける必要はないのではないかということでございます。
6ページの「その他」ですけれども、ここではそれ以外にどんなものが考えられるのかということで、収賄の適用を考えるかどうかということでございます。
これは、仲裁法の下では賄賂罪が適用されておりますし、注にございますように、ADR主宰者が公務員の場合には、公務員としてこういった刑罰法規の対象になっているわけでございます。
したがいまして、民間型ADRを考えた場合には、こういう規定がないというのは、ある意味では信頼性の点においてややハンディになる面もあるわけではございますけれども、他方、これほど厳格なものを要求する必要があるのかどうかということについて言えば、やや疑問があるのではないかということでございます。
ただ、○の最後にございますように、執行力の付与という議論が後ほど行われるわけですけれども、その際に執行力が付与されるということになりますと、かなりこの問題は重要性を増してくるのではないかということが予想されるわけでありまして、執行力の付与に関する検討の結果等を踏まえて検討することにしたいと考えております。
6ページの次の項目として「2.手続の円滑な進行の確保に関する規律」ということですが、まず1番目は、「主宰者の守秘義務」でございます。
これは、手続の過程で知り得た秘密について漏らしてはならないという義務を課すかどうかという問題でございますが、結論から申しますと、これにつきましては、まず主宰者と当事者の間に別段の合意があれば別でございますが、それ以外のケースにつきましては、民事上の義務として、こういった義務を負うものとして考えてはどうかということでございます。
これは、やはりADRの特徴の1つとして手続の過程や結果が非公開になるということがあるわけですので、それについては、こういった民事上の守秘義務を課すことによって、手続の信頼性の確保・向上に資するのではないかということでございます。
7ページにまいりますけれども、規律の性格としては、守秘義務ということの性格上、当事者及び主宰者間で特に秘密にする必要がないという合意があれば、あえてそこまでかける必要はないのではないかということが1点でございますし、それから刑罰法規の適用については、慎重に考えるべきではないかというのが2点目でございます。
民事上の守秘義務という性格から、(3)にありますように証言拒絶権があるかどうかということにつきましては、一般的には認められないのではないかと考えております。
7ページの一番上にありますが、現在検討が進み、今国会に提出が予定されております仲裁法案におきましては、この仲裁人の守秘義務が法律上は明記されていないという状況にございます。
先ほど来、先生からも御指摘があった点と関連してくるわけですが、その場合にADR法において守秘義務がかかった場合、仲裁についてはどうなるのかということでございますけれども、ここは内容的に考えますと、ADR全般にかける必要があれば、仲裁についてもかかってしかるべきではないかということになろうかとは思いますが、この辺は御議論いただかなければならないということになろうかと思います。
それから、8ページは、その他に何か考えられるものがあるかということでございます。
9ページ以降は、主宰者の資質・能力に関する規律という問題でございます。
主宰者の資質・能力につきましては、1巡目の議論におきまして、私どもの方から大きく3つの能力が必要ではないか、あるいはそういう能力を備えていることが望ましいのではないかということで御提案したわけでございますが、1つは法律的な関係の知識、2番目が、問題になっている当該紛争分野に関する専門的な知識、3番目が、紛争解決全般に関わるような能力。具体的には、3−1の括弧の中にありますように、いわゆる調停技術と言われるようなもの、あるいはコミュニケーション技術というようなもの、こういったものが必要ではないかということでございます。
1巡目の議論におきましては、3番目の技術もかなり重要ではないかという議論がかなりあったかと記憶いたしておりますが、他方、この技術につきましては、その際にも議論になりましたように、なかなか客観的な内容、あるいは水準といったものが明確になっていないような状況にあるように思います。何かある一定のカリキュラムを習得すれば、それである程度の最低水準が確保されるというようなものでもないのではないかと、少なくとも現時点では考えられるのではないかという気がいたしております。
そういう観点から、3番目の技術につきましては、重要なものではあるけれども、なかなか明確な義務として置くのは難しいのではないかということで、これにつきましては、9ページの最後にございますように、努力義務として規定するのが適当ではないかという考え方をお示しいたしております。
10ページにまいりますが、主宰者として専門家を活用していく際に、どういったことを考えていく必要があるかということでございますが、まず、論点3−2におきましては、弁護士法第72条との関係を取り上げております。
弁護士法第72条につきましては、留意事項にございますように、弁護士以外の者が報酬を得る目的で業として法律事務を取り扱うことを禁じているわけであります。
したがって、ADRにおきまして、専門家の活用を図っていくということになりますと、少なくとも報酬を得る目的で業として行う限りにおいては、この72条についての例外規定を設ける必要があるのではないかというのが、第1点でございます。
他方、72条の趣旨につきましては、後ほど高木委員の方からも御紹介があるかもしれませんけれども、10ページの最後の○にございますように、国民の権利、利益を擁護し、法律生活の公正円滑な営み、ひいては法律秩序を維持するという公益目的で置かれているわけでありますので、その必要性については、今後とも意義を有するものと考えられるのではないかということでございます。
したがって、ADRにおける専門家の活用という観点から、72条との関係を整理する必要があるとしても、この場合の72条の例外を設けるに当たっては、やはり問題が生じないような一定の要件を置くことが必要になるのではないかという大きな考え方を示したものでございます。
場合によっては、ADRである限りにおいては、72条を全く適用しなくてもいいのではないかという御意見も、場合によってはあるかもしれませんけれども、なかなかそういう簡単な問題ではないのではないかと考えております。
後になりますが、15ページの論点3−6でございますけれども、一番わかりやすい例で申し上げれば、いわゆる示談屋、この示談屋という言葉が適切かどうか、あるいは事件屋と言っても同じかもしれませんが、こういう言葉自体が適切かどうかはともかくとして、そういう不適切なものが、こういった業務を行うということについては、厳に避けなければならないのではないかという観点から、少なくともここに書いておりますような消極的な要件は必ず必要ではないかということです。
更に加えて、積極的に一定の要件を要するかどうかということについては、なお議論が必要かと思いますけれども、少なくとも全く72条の適用を考えないというのは、この観点からいっても問題があるのではないかということでございます。
11ページにまいりまして、「主宰者として活用されることが期待される専門的能力」でございますが、これにつきましては、手続類型でありますとか、紛争解決基準によって相当変わってくるということではあろうかと思います。
12ページにまいりますが、それでは、その72条との関係で、「主宰者が備えるべき法的知識に係る能力」についてどう考えていくのかということでございます。
1つは、どの程度法的知識に関わる能力を備えていることが必要と考えるかという問題でございます。
論点3−4のところにございますように、仮に、実定法を解決基準しないと言いますか、解決基準として想定していないようなADR、こういったものにおいても解決の結果が法的地位に影響するようなケースについては、現行法では72条の対象になるわけですけれども、こういったものについて考えた場合には、この法的知識についてどこまで要求していくことが適切かということでございますが、1つの考え方として、その場合には、現在の弁護士と同じような程度というところまでは必要ないのではないか。例えば、当事者が法的問題について、法律の専門家の助言を受け入れるべきことを教示できる程度の法的知識に係る能力は要求されるべきという考え方もあるようですので、こういった程度で足りると考えるかどうかという問題が1つございます。法律上の知識に関する程度として、どこまで要求していくのかというのが1つの問題としてございます。
それから、留意事項の3番目と4番目の○でございますけれども、そういった法的地域についての能力をどのようにして担保していくのかということにつきましては、3番目の○におきましては、必ずしも一人の方がそれを備えている必要があるということではないのではないか。もし仮にパネル形式で行う場合については、それぞれの主宰者が相互に補完し合うということでもいいのではないかという考え方があるがどう考えるかというのが3番目でございます。
更に、その延長線上として、そのうちの一人が仮にそういった知識を備えているべきだという考え方に立った場合、先ほどの問題とも少し絡むわけでございますけれども、どの程度のレベルのものを求めていくのかということとして、弁護士と同等の水準ということで、弁護士と共同でそういう主宰をするならいいのではないかという考え方もございます。
現行制度としても、13ページにも幾つか例が挙がっておりますが、そういった考え方に立った制度もございます。
要するに弁護士が一人入っていればいいという考え方に立ったものもございますが、必ずしも現行制度を見る限りは、これが原則になっているわけではありません。ただ、1つの考え方としては、あり得るということでございますが、こういった考え方について、どうい考えるのかというのが4番目の○でございます。
14ページにまいりまして、そのような能力を備えていることをどうやって確認していくのかという問題でございますが、これも1順目のときに若干議論をしたわけでございますけれども、留意事項の2番目にあるように幾つかの方法が考えられるわけでございます。
1つは①にありますように、既存の公的資格、あるいは研修プログラムを活用して、それに依拠して確認をしていくという方法がございます。例として、○○士、あるいは○○プログラム修了者とございますが、こういった者について特定の分野における専門的知識・能力を有するものとして判断をするというのが1つの方法として考えられるわけでございます。
ただ、今のような方法で申し上げますと、○○士ないし○○プログラム修了者ではない、そういう者としてとらえられない専門家の方については、活用の道がないということになるわけでございますので、そういったケースを考えると、②のような専門的能力の有無に関する具体的判断基準を国が示したり、あるいは新たな資格制度を設けるという方法も考えられるということでございます。
ただ、今、申し上げたような②の方法については、現実問題として考えますと、新しい制度を今つくれるかどうかということに加えて、①で挙がったような既にある公的資格制度、あるいは研修制度との整合性をどう取っていくのかということで、現実問題としては非常に難しい面があるということがございます。
そういう①なり②の問題点を考えますと、1つの方策としては③にありますように、ADR機関というものに着目して、この機関の判断にある程度依拠していくという方向も考えていくべき必要があるのではないかということで挙げてございます。
ただ、当然のことながら、72条というのは刑罰法規でございますので、あまりあいまいな要件になるのは避けなければならないという問題がございます。
また、何よりも、ADR機関の判断に依拠するという場合には、そもそもそういう判断をするADR機関自体の適切性をどうやって担保していくのかという問題があるわけでございまして、これについてはなお検討を要するのではないかということでございます。
15ページは、先ほど少し触れましたけれども、72条の大きな目的としては、いわゆる示談屋などを排除していくということがあるのだとすれば、これは専門家の活用の問題とは別個の問題として、やはりこういった目的を達成するために、一定の要件を課す必要があるのではないかということでございます。
15ページの「4.その他の規律等」のところは、それ以外にどんな規律が考えられるのかということでございます。
16ページの「5.相談(苦情処理)手続への適用」ということで、これも本来、冒頭に触れるべきでありましたが、以上申し上げた点につきましては、基本的には狭義のADRを念頭に置いた議論でございまして、これにつきまして、相談手続についてどこまで適用するのかということは別途検討する必要があるということでございます。
しかしながら、論理的にはやはり苦情処理の方が緩やかであるべきだと思いますので、ADRにおいての対応の本体の方が固まらないと、なかなか相談手続への適用は議論ができないと思いますので、まずは、ADRを中心に御議論いただきたいということでございます。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。それでは、「1.手続の公正性の確保・向上に関する規律」と「2.手続の円滑な進行の確保に関する規律」の2つについて、それぞれ区切りごとに御議論いただきたいと思っております。
初めに、論点1−1の「公正な手続運営を確保する義務」について御議論いただきたいと思います。
ここでの問題点は、ADRの主宰者は、その責務として常に当事者に公平に手続を運営し、紛争の解決結果が適正なものになるように努める義務、これを「公正な手続運営を確保する義務」と包括して言っているわけでありますが、そういう言い方でいいのかどうかもありますが、こういう義務を負うべきものとしてよいかどうか。
このほかには、中立を保持する義務と、独立性の保持の義務というものがあるけれども、中立性・独立性の方は要らないのではないかというのが、事務局としての原案的な考え方でございます。そして、こういう規律内容にした場合に、それをどのような性格のものにするかというのが、その次の論点1−2でございます。
これは、当事者の合意で排除していない限りは、すべてのADRについて適用される規律ということで位置付けてはどうか。そして、それは努力義務として規定することでよいだろうかというのが、この論点1−1の内容でございますが、これについて御議論いだきたいと思います。
どなたからでも結構でございますので、よろしくお願いいたします。
[1.手続の公正性の確保・向上に関する規律]
○安藤委員 この論点1−1の問題だけではないのですけれども、ADRの中での上告というものはないのですか。
○青山座長 アピールという意味ですか。
○安藤委員 もう少し専門的な人にやってもらいたいからという形で、第1フェーズから第2フェーズに上げるというようなもの、同じADRの主宰者が一旦受けたら最後までやらなければいけないのかどうかという問題なのですけれども。
○青山座長 行政型の手続で、そういう二段構えの制度を設けているところは幾つもありますけれども、民間の方にはおそらくないのではないでしょうか。あるところもあるかもしれないけれども、普通はあまりりないのではないでしょうか。
おそらく、その機関によってそういう設計をすることはできると思いますが、それがここでの議論でどのように関係してくるのでしょうか。
○安藤委員 個人の場合においても、一般の会社においても同じですけれども、例えば、1番目には弁理士さんが出ていくと、次の段階には弁護士さんにお願いするという2つのケースが出てくるわけです。それと同じように、第1段階では相談から入っていっての主宰者、これがずっと煮詰まってきて、相手と論争になってきたときには、もう少し専門的知識がある、しっかりした人にお願いしたいという形で、もう一段上げる。そうするとその段階では主宰者が変わるということが考えられるのではないかと思います。
○青山座長 それは、一連の手続として当然あり得ると思います。それを否定しているわけではありません。
○安藤委員 そうすると、主宰者という形で、最初から全部をぴしっと決めてしまうのではなくて、第1段階の主宰者と、もう1つレベルが上の主宰者とは違えて考えてもいいのではないかという気がします。
○青山座長 ここではそれを主宰者ということで包み込んでいって、そして細部の制度設計をされる場合にはそれをどうするかという、そういう順序で議論を進めるべきではないかと私は思います。
○安藤委員 最初の段階では、ものすごく大幅といいますか、それで上の段階の時にはいろいろな規制が入ってもいいかなという気がするのです。
ですから、論点1−1に関しては、一応は公平・公正というような義務があるとか、責務があるとか、それだけの表現で構わないかなと思います。ただし、その先に行ったときにいろいろな条件が入ってくるのは、1つ上の段階ではないかなという気がします。
○青山座長 わかりました。ただ、相談は別に書いていますから、ここで言っているADRは相談ではないわけです。ただ一方の当事者の意見から話を聞いて、その人にアドバイスや何かをするのではなくて、双方と接触して解決案を示すということを前提として考えていますので、その点については、第1段階も第2段階も同じではないかと思っています。
○安藤委員 実態はそのようにならないのではないかと思うのです。
○青山座長 それは、担当者が変わるということはあり得ると思いますし、最初は1人でやって、これは難しい事件だから別の専門家に入ってもらいましょうということはあるにしても、しかし主宰者という意味では、それは同じに考えていいのではないでしょうか。
それが全体として厳し過ぎるとか、あるいは緩和し過ぎるというのであれば、そこで考えればいいので、初めから1段、2段という細かなデザインをここでやるというのは、議論が少し抹消的になるのではないだろうかというのが私の感じですけれども、ほかの方も御意見を聞かせていただきたいと思います。
どうぞ。
○原委員 今、弁理士と弁護士の話が出ましたけれども、多分消費者トラブルの場合で考えると、PLセンターに行って案件をやっていたけれども、どうもあまりうまくいかないと、そうすると行政型ADRというようなものが一方にあって、振り出しに戻って、また行政型ADRの方でやってもらおうかというケースはあって、ステップアップではなくて、ADRの場を変えるみたいなことは十分あり得ると思っています。
それであっても、ここの規律はそれぞれの場面において公平で適正な結果が出るようにというように全体的にかかっていることなので、これが担保されれば、どこのADRに行っても、この基本原則というものが担保されていればいいのかなという感想を、今の御意見のやりとりの中で感じました。
○安藤委員 論点1−1に関しては、これでいいかなと思っているのです。その先に進んだときを頭に入れておかないとまずいかなと思っていたのです。
○原委員 追加で、質問をお願いしたいのですが、論点1−1で使われている言葉が、公平な処遇ということと、適正な結果、それに努める義務という形になると思いますが、公平処遇の努力義務という考え方が、UNCITRALでいろいろと議論されて取られたということですね。
2ページの上にいろいろな文言が出ておりますけれども、どれもきちんとした実現とか、何をもって担保するかということで難しいということで、この公平処遇が取られたかと思うのですが、「偏りがなくえこひいきのない状態を指す」と書かれていて、えこひいきのような主観的なことはないかと思うのですが、「偏りがなく」というところで、事業者と消費者のように力量にギャップがあるようなものは、この公平処遇のところでは、どういう配慮をするという検討があったのかをお聞かせいただきたいと思います。
それから、公平処遇についは随分議論されたように見受けられるのですが、解決結果が適正なものになるという「適正」ですが、この適正さというのも、誰が見るかによって随分違ってくるかと思うのです。この言葉を入れられた背景といいますか、考え方の基本になっているものとが何なのかということを教えていただきたいと思います。
○青山座長 最初の方の質問は、三木委員からお答えいただいた方がよいかと思いますが、後の方の解決内容の適正というのは、おそらく2ページの下の参考法令の中に、公害紛争処理法では手続の公平だけではなくて、「事件が公正に解決されるように」ということを言っています。こういうものを参考にして「適正」という言葉が入ったのではないかと思いますが、事務局の方で後から補充していただきたいと思います。
まず、三木委員から今の質問に対してお願いします。
○三木委員 原委員の御質問にお答えしますが、その前提として、原委員の御質問とも若干関係すると思いますが、そもそも論点1−1の問題の立て方がこれでいいのかどうかについて疑問を持っております。
どこに持っているかと言うと、「ADRの主宰者は」という聞き方をしているのですが、私は、これは「調停の主宰者は」とか「調停又はあっせんの主宰者は」というように聞かないと、きちんとした議論ができないのではないかと思っております。
と言いますのは、今、原委員がおっしゃったことと関係しますが、この後に「公平の手続を運営し」という義務と、それから「解決結果が適当なものになるように努める義務」というのは分けて書かれていますけれども、これは仲裁と調停では同じ議論にはならない可能性があるのだろうと思います。
と申しますのは、これは勿論、人によって意見が違うことはあり得ましょうが、1つの考えとして、仲裁は裁判と同じように仲裁人が最終判断までするわけですから、前者の手続の運営の適正だけではなくて、後者の解決結果の適正についても義務を負うという見方はあり得ると思います。
それに対して、調停の方は、最後の解決結果は当事者が合意して決めるわけですから、当事者が納得すれば、調停人が関与すべきものではないという見方もあり得て、そうしますと、調停人の義務というのは、手続を公平に運営する義務だけという議論も立ち得るわけです。
したがって、ADRの主宰者の義務ということで一括で議論するということには問題があるのではないかと思っております。
更に付け加えますと、UNCITRALの議論におきましても、公平処遇の努力義務の規定を入れる際の議論において、それほど長い時間ではありませんでしたが、仲裁人の当事者を公平に扱う義務と同じ義務かどうかという話が出ました。人によって若干意見の違いはあったように記憶しておりますけれども、多くの人は同じ義務ではないのではないかと、しかしこの場は調停のモデル法の議論だから、仲裁人の義務はどうかということは置いておいて、調停人ということだけで考えましょうという話になったように思います。
したがって、2ページの参考には、我が国の仲裁法案にこれと同旨の規定が置かれる予定だと書かれていますが、そのことも含めまして、議論自体をADRの主宰者の義務として議論するのか、調停人の義務として議論するのかということをまずクリアーにしておいた方がいいと思います。
○青山座長 要するにADRの主宰者というのは、仲裁にも調停にもどっちにもかぶると、だから両方に適用される範囲でしか、ここは考えられないということです。
○三木委員 私はどっちもかぶる議論をここでするのはどうかと思います。というのは、仲裁法の方に既に同じ規定があるのに、重ねて仲裁を含めた議論をする意味がどこにあるのかということが1つあります。
○青山座長 それは、先ほど言ったように全体を見ていこうということですから、今の段階でここだけ仲裁を外すということではなくて、仲裁と調停の両方共通するものをここで議論していただこうと、適正というのは仲裁にはかぶらないということであれば、問題の立て方が悪いということではなくて、これは落としましょうという議論になるのではないでしょうか。
○三木委員 いずれにしても、議論自体は仲裁の議論と調停の議論を分けてしないといけないかと思います。
○青山座長 それは両方あり得るので、それを分けた上で、両方に共通するものを取り出そうということです。
○三木委員 そうすると、まず調停の議論から始めると考えてよろしいでしょうか。
○青山座長 どうぞ明示的に言ってもらえればよろしいと思います。
○三木委員 では、それを以下の前提とします。
それで、原委員の御質問に対するお答えになるかどうかわかりませんが、なかなか難しい御質問でして、と言いますのは、英語あるいはフランス語の「公平」に相当する文言と、日本語の「公平」という言葉がそもそも同じかどうかという問題がありまして、ここで「公平」の定義として挙がっている、「偏りがなくえこひいきのない状態」というのは、あくまでも日本語の「公平」の、しかも法律用語事典の定義であって、UNCITRALがこの意味で「公平」を使ったかどうかというのはよくわかりません。微妙に違いがあるのかもしれません。
議論そのものは、前回から出ていますように、公正、独立、平等という言葉を使うと、いずれもそうではない調停もあるのではないかということが、いろいろと例に出て、結局採用に至らなかったわけです。
その中には、原委員がおっしゃったような、一方当事者の力が弱いというものを保護するようなものが外れてしまうのではないかという議論で落とされた言葉もございます。それはこの訳で言うと平等などになるのですが、したがって、私の理解では、UNCITRALが採用した公平処遇の努力義務というのは、そうした力の差のあるものに対して、多少調停人が手を差し伸べるということは排除していないという理解で私は捉えております。
○青山座長 ほかに御議論はいかがでしょうか。どうぞ。
○高木委員 私は、あまり細かく考えなかったといいますか、事務局の案でいいのかなと思いました。手続の公平さと解決結果の適正というのは、人間がおおざっぱになることもあるのですけれども、もともと努力義務としてしか書いていないから、そんなに厳格に分けることもないだろうと思います。
それで、「解決結果が適正なもの」というのは、確かにあっせん・調停では合意すればそれでいいわけですし、それが適正であるべく努める必要はあるかもしれないけれども、そうでないことも全然ないわけではなくて、ここは主宰者のマインドとして解決結果が適正な方向に向いているという意味で使われているのだろうと思ったので、これでいいと思いました。その意味では、あっせんも調停も仲裁も同じなのかなと思っています。
それから、公正、公平、独立、平等、この辺の言葉遣いは、どれも一長一短があって、必ずしも上手に表現しているかどうかというのがわからないので、あまりこだわりません。皆さんがいいように決めればいいのかなと思いますし、個人的な趣味で言うと、平等などという、割合機械的な言葉の方がいいのかなと思いました。
以上です。
○青山座長 ほかにいかがでしょうか。それでは廣田委員、その後に三木委員。
○廣田委員 2ページに書いてある公平、公正以下の言葉ですが、先ほど三木委員がおっしゃったUNCITRALの雰囲気というのはそういうものだろうと思いますけれども、私なりに理解すると、先ほど原委員がおっしゃったように、これは全部主観に関わっている問題で、一方当事者から見ると公平であるのが、逆に一方当事者からは不公平だということが当然出てくるので、そういう主観に関わるとか、抽象的な価値概念があるものは、私は盛り込まない方がいいと思います。
ここでもし入れるとすれば、やはり手続をする調停人なり仲裁人なりの行動の規範であるべきだと思います。
そういう意味では、UNCITRALの結論というのは大変いいと思うので、手続を公平に運営しろというのは、その人たちの行動規範の指針を与えるものですから、私はそういう意味では大変優れた方法だと思うのです。
ですから、中立性、独立性以下は要らない。私の整理によると、三木委員が訳されたように、その業務における手続を実施するに当たり、当事者を公平に処遇しなければいけない、手続の公平運営ということで、私は端的にそれだけでいいと思っているのです。
それからもう1つは、「紛争の解決結果が適正なものとなるよう」というものも、確かにこれは調停では問題になってくるので、調停の1つの方法として、評価力のある調停は、いい場合もありますけれども、よくないということもありまして、できれば助成力のあるもの、そういう調停を進めるという傾向が強くなってきますので、あるいはそのような調停の当事者を重視する考え方になりますので、この問題を入れておきますと調停人が頑張り過ぎるというようなことが出てくる可能性があると思います。
そうでなくても、人間というのは本能的にうまく解決しようというのが、いわば遺伝子に刻み込まれていると思っていいので、むしろこれは書かない方がよいと考えております。
そうだとすれば、今、言われたように、調停人も仲裁人も含むという座長の御意見もそのとおりだと思いますし、また、もしこれが外れれば、三木委員もそれで構わないということになると思うので、ここは一本化して、端的に簡潔なものにするというのが私の意見です。
○青山座長 では、三木委員どうぞ。
○三木委員 今の廣田委員の御発言に、最後の部分を除いては全面的に賛成です。
前半におっしゃったことは、私ももっともだと思いますし、UNCITRALの場における諸外国のADRの専門家たちの意見とも極めて似通った御意見だと思います。更には、UNCITRALの全体の雰囲気とも極めて合致しておったと思います。
先ほど高木委員は、手続の運営と解決結果の適正というものは一緒に扱ってよいのではないかとおっしゃいましたが、そうした意見は、UNCITRALの場ではほとんどの専門家が取らない立場でありました。
この問題は大変大きな問題で、この問題だけで何日も何時間もかけて議論をした問題で、乱暴に一緒でいいというような話ではないと理解しております。
その上で、UNCITRALは廣田委員が適切におまとめになったように、結果ではなくて、廣田委員の表現を借りますと、一種の行動規範として公平に処遇する努力義務という形でまとめたもので、そのような実質を考えますと、UNCITRALのような表現が妥当ではないかと考えます。
廣田委員が最後におっしゃった、調停も仲裁も一緒でいいではないかというのは、結果において同じでいいかどうかという問題と、この場で立法形式までどこまで意識した議論がされるべきなのかはわかりませんが、立法形式として一緒でいいかどうかということがありまして、少なくとも後者の意味であれば、それは違うのではないかと思います。
山本委員が適切に御指摘になったように、ADR法という法律で、こういう義務があると書きますと、それは他の法律で明示的に書いていない場合に、どういう扱いになるのかというものがよくわからないですし、仲裁との関係で言いますと、仲裁法には確かにこの問題に関する規定が置かれる予定でありますが、しかしその規定ぶり、言葉遣いが全く同じではない場合には、仲裁法におかれる義務に加えてADRの義務が課されることになるのか、あるいは言葉は違うけれども同じ意味だと理解されるのか、諸々の問題が出てきますので、一緒に規定を置くべきだということにはならないだろうと考えております。
○青山座長 わかりました。ほかに御議論はございますでしょうか。
○山本委員 私も適正な解決結果を求めるかどうかという定見はないのですが、おそらく事務局がこの文言を入れられたのは、UNCITRALで議論されているような国際商事調停の場面においては、多くの場合、力の格差というものは確かにある程度はあるのでしょうけれども、絶対的な力としては、それなりの十分な自己判断ができるという前提があるだろうと思うわけです。
ただ、広く国内のADRを含んだ場合に、先ほども原委員がおっしゃったような場面、消費者あるいは労働者というものが調停の一方当事者になる場合に、手続的な公平さということだけで足りるのか、解決結果の適正まで見なければいけなのかというところの問題意識があるのではないかと思いますので、もし可能であれば、原委員、龍井委員の御意見をお伺いしたいと思います。
○青山座長 それでは、龍井委員にお願いします。
○龍井委員 労働者、消費者と分ける以前に、基本的なハンディキャップ、力関係がある場合の配慮というのは是非お願いしたいという立場です。
ただ、こと労働に限って、これが民間のADRでどのようになるかということは、実は私もイメージが固まっていなくて、個別に労働に即してということでは、今の段階ではお答えしにくいのですが、一般論としては、御指摘のとおりその配慮は是非していただきたいし、それが結果の面でも必要だろうと考えております。
○青山座長 原委員、追加でありますか。
○原委員 先ほど質問という形で意見を申し上げたのですけれども、手続の公平処遇だけではなくて、解決結果も、山本委員がおっしゃってくださったように、適正さのジャッジは一体誰が見るのかというところが大変気になります。
消費者や労働者側という格差のあるところから見ると、結果まで妥当なものなのかどうかということは、見たいという気持ちはございます。ただ、それが文言として入ったときにどのような形であればいいのか、文言で入ったにしても、どういうことがかなえられていればそれがわかるのかというところが大変難しいと思っておりまして、努力義務という書き方になっているので、仮にこのような形で置いておいて、後半の議論をさせていただきたいと思っております。
○青山座長 取りまとめさせていただきますが、ほかに御意見があればおっしゃっていただきたいと思います。
今日の議論は、文言につきましても非常に細かな御注文や御意見をいただきましたけれども、大きく分けて、2つの意見があるということでございます。
1つは、手続の運営について公平に処遇するという点については大方の一致があった。その他に解決内容の適正を盛り込むべきかどうかについては2つ意見があったということだと思います。
一方、これが調停だけに係るのか、仲裁にも係るのかということにつきましては、今の対立状況と同じ問題が更にあるということを確認しておきたいと思います。
しかし、この義務を努力義務とすることについては異論がなかったということで、次の3巡目の議論で更に検討するということで、今日はよろしゅうございますでしょうか。
どうぞ。
○三木委員 今、対立があるとおっしゃいましたが、私は必ずしも対立があるかどうか、もしかしたらないのかもしれないと思います。
と言いますのは、おそらく私も廣田委員も、一本の法律で、調停、あっせんを全部まとめて規定するのだったら、いろいろなタイプの調停、あっせんがあるから、すべてに適用されるような一番核となる部分だけを押さえなければいけないという意味で言っているのだと思います。
私は勿論、調停やあっせんの中に、当事者の力の格差を調停人が補うようなものがあることを全然否定はしません。ただ、そういうものと、力の平等な、特に国際商事調停のようなものを同じ言葉で規律していいかということ自体が問題でして、それは一番丁寧にやるのだったら、もし、調停人の義務自体もタイプによって分けて書くということであれば、別に意見の対立はないはずであります。
それと関連しますが、前々から概念をきちんと明確にして議論してほしいと何度か言っているのですが、以前にその趣旨に沿って、作業仮設として調停とあっせんというものをわざわざ分けたのですが、調停というのは第三者が解決案を提示すると、あっせんはただ間を取り持つだけで解決案の提示はしないということでした。
そうすると、山本委員、原委員がおっしゃったのは、調停とあっせんの両方についての議論なのか、あるいは調停の議論なのかということもあろうかと思います。そういうこともきちんと議論しないと、ここで議論が対立していますよとか、していないとかいう荒っぽい話ではないと私は思います。
○青山座長 決して議論を荒っぽくしているつもりはありませんけれども、今の段階で、この入口の段階でどこまで詰めて議論をするのが効率的かどうか。我々の議論はぐるぐる回りながららせん状的に積み上げている段階ですので、第1段階のところで、細かな点に焦点を絞って、ギリギリ固めない方が、多分最後になると効率的に議論ができたということになるのではないだろうかと思っていますので、決して議論が乱暴であるとか、おおざっぱ過ぎるということは、私はないと思っております。
もし、もっとここのところをきちん詰めた方がいいという御意見があれば、そういたしますけれども、全体のスケジュールから考えますと、今日は専門家の活用という大問題まで議論をしていかなければいけませんので、入口のところはこのぐらいの時間で、あとは今日の御議論を聞いて、2つの意見があったということでまとめさせていただきたいと思います。それで先に進めさせていただいてよろしゅうございますか。
(「はい」と声あり)
○青山座長 それでは、3ページの論点1−2の、主宰者の「利害関係情報の開示義務」という問題についてはどうかということでございます。
この論点1−2は同時に、自分はこういう仲裁人、調停人、あるいはあっせん人に依頼されているけれども、自分はこういう利害関係があるのだけれどもそれでもいいですかということをまず開示する義務があるかどうか。また、後から除斥・忌避・回避というような規定を置くかどうか。これはワンセットの問題だと思います。
そのほかに、論点1−4も含めて、論点1−2、1−3、1−4の3つについて続けて議論いただきたいと思います。
いかがでしょうか。どうぞ。
○三木委員 論点1−2、1−3、1−4に「ADRの主宰者」と書いているのは、これは「調停人又はあっせん人」と読み替えてよろしいという趣旨でしょうか。
○青山座長 はい、そうです。
○高木委員 質問をよろしいですか。利害関係情報の開示義務の前提として、3ページの(2)に2つ○があって、合意による適用の排除を認めてもいいのではないかということがあるのですが、この利害関係情報等を開示する義務というのは、例えば調停人を選んだり、あっせん人を選ぶというような手続が想定されていて、その前提として開示義務をかけるといったこととしてつくられたのですか、それともそういうこととは全く関係なく提案されているのかということを知りたいのです。
なぜかと言うと、「(2)規律の性格」の2つ目の○に「当事者の合意による適用の排除」というものがあって、その「合意」というものが何についての合意なのかということがよく理解できなかったことと、括弧には、主宰者を選任することが機関の責任において行われていて、そういう機関を利用することを当事者が合意しているというものを合意の例として挙げてあるように思うので、そういう質問をさせていただきます。
○青山座長 具体的なイメージとして、どの段階で情報を開示をするかということですね。
○小林参事官 今の御質問について言いますと、まず、当事者が選任できることを前提としているかということについては、基本的には選任できることを前提とした記述です。
したがって、ここに書いてある例のように、そういうケースではなくて、そういう権利があることは前提としつつ、しかし実際には機関の責任において選任していただいて結構ですということを、併せて一任しているようなケースです。そのようなケースについては、この規定を適用しなくてもいいのではないかということで書いてあります。
○高木委員 合意というのは、情報開示義務があるとかないとかについての合意ではなくて、主宰者の選任に関する合意ということですか。
○小林参事官 少しわかりにくくなっていますけれども、一任しているという中には、当然そういうことも含めて一任していますという意味において合意しているということです。
○原委員 補足の質問でよろしいですか。
○青山座長 はい、どうぞ。
○原委員 私も「(2)規律の性格」の2番目の○が気になっておりまして、実際にADR機関に入って、そこで選択をするというところで、いろいろな情報を開示してもらい、そこで活かすということがあるかと思うのですが、そのADR機関を利用するかどうかというときに、そこは一任という形になっているから、全然何も調停人などについての情報が開示されないというのは少しおかしくて、一任という状況であっても、やはりその機関を選択する前の段階で、やはり情報は開示されるべきだと思うのです。
それを見ていて、ここに入るとこういう方たちに一任されるのだなということがわかって入る分にはいいと思うのです。だけど、その前の段階では、私自身は、この2番目の○は少し選択の幅を狭めていると思います。
○三木委員 今、原委員がおっしゃったのは、機関の情報開示義務の問題で、それは後に別に議論される予定だと思います。
○原委員 わかりました。機関の選択の場面と、中に入ってからの人の選択の問題ということですね。
○小林参事官 結論から言うとそういうことですが、それにしてもやや気になる例だということはわかります。適切な例が思い浮かばなかったということです。
○廣田委員 内容的には、基本的にこれでいいと思うのですが、先ほど山本委員から質問がありましたとおり、裁判所でも適用されるかどうかということは大きな問題になっていると思います。
裁判所の場合は、私の認識では、調停委員の情報はむしろ言わない、現在はどうなっているかはわかりませんけれども、かつては名前を聞いても言わない委員が多かったのです。
その辺は、これに対応した形になったときにどういう理由があるのか、やはり認識の中に入れておいた方がいいと思うのです。ここら辺りもいろいろなところでADRによって違いが出てくる部門だと思います。
○高木委員 でも、これは裁判所には適用されないという前提で考えていたのですけれども。つまり選択の自由ということで言うと、多分民間のADRのことだけだと認識していますが。
○青山座長 綿引委員の方で実態を何かご存知でしたらどうぞ。
○綿引委員 私は民事調停の実態は承知しないのですけれども、これが民事調停法にかぶってくることはないということが当然の前提だということで考えておったのですが、それはそれでよろしいんでしょうか。もし違うのでしたらかなり問題だと思います。
一番最初の議論で、民事調停法など、規定のあるところは別の議論なのだろうと思っていたものですから、ただ、先ほど山本委員の御発言のように、明文の規定がないからと言われてしまうと大変な話なのですが。
○青山座長 私の理解は、一番下の○の「当事者の合意による適用の排除」という、その言葉自身は適当ではないのですが、それは排除できると思っています。しかし、そういうことがなければ、そして民事調停などは排除されると思います。
この言葉自身が適当ではないのですが、とにかく、この言葉自身とは別に排除されるということです。そうではないものは開示してもらうというスキームだと思って、私は理解しています。
○山本委員 廣田委員の御質問は、おそらく、現在、民事調停についてそういう義務が適当でないということであるとすれば、その実質的な理由はどこにあるのか、それを民間のADRについてこの開示義務を設けるかどうかの審議に生かしていくべきではないかという御質問だったので、綿引委員には、実質的な理由としてなぜ開示義務を課してはいけないのかということがもしあればお聞かせいただきたいのですが。
○綿引委員 おそらく利害関係がある委員は指定していないのだろうと思います。指名した段階で、もし何か利害関係があれば、おそらく回避しておられるだろうと思うので、裁判所は調停委員を指名するときに利害関係のない調停委員を指名しているという前提で動いているのだろうと思うのですが、ただ、私もそういう御質問を全然想定していなかったので、十分理解しておりませんで、もし必要でしたら実務の方をもう少し確認してまいります。
○青山座長 では、高木委員からどうぞ。
○高木委員 実質的な理由というよりも、これはやはり民間におけるADRの信頼性を確保するために入れる義務なのかなと思っています。そういう意味で、裁判所のADRというのは、もう被る必要はないと頭から考えていたのですけれども。
それから情報開示は、単なる情報開示よりは踏み込んでいますから、当事者の選択に係るのか、係らないのかというところまではわからないけれども、そういうところでも民間のADRに適用されるものかなと思いました。
○青山座長 廣田委員どうぞ。
○廣田委員 当事者から見ると、例えば裁判所の調停に行った場合に、調停委員が弁護士であるかどうかというものだけでも、当事者にとっては自分にとって有利かどうかということを大体判断するものなのです。
しかし、そういうものは、ここで言う概念には入ってこないと思いますので、そうだとすれば、もっと個人的な利害関係があるということに限定されないと、ある程度もう少し限定を加えないとまずいと思うので、公正な手続運営の確保ということでいいのかもしれませんが、例えば多少の例示をするとか何かしないと、これだけですと手続が進行しない、それの攻防でエネルギーが費やされるということがあり得ると思うのです。労働関係の事件などもそうだと思います。ですから、ここのところの用心だけはした方がいいかと思います。
○青山座長 どうぞ。
○三木委員 この文言のまま法律にするという意味ではないと思うので、その点はこの段階ではあまり問題にならないかと思いますが、先ほどから出ている論点1−2と裁判所における民事調停、あるいは家事調停との関係ということですが、1つはやはりこの義務というのが、単なるプログラム的な義務なのか、それとも何らかの効力を伴う義務なのかによっても多少は違ってこうかと思います。
綿引委員が御懸念されているように、これが具体的な法的効力を伴う義務だとすると、それは内部でかなりの議論をしなければいけないところだろうと思いますが、他方で、プログラムだったら問題はないという気は全くございませんが、しかし、ここに書いてあるのは、すべての情報開示をしろというのではなくて、公正な手続運営の確保に疑いが生じるような事情があったら、せめて言いなさいということですから、裁判所の民事調停が公正な手続運営の確保に疑いを生じさせてもいいということは全くないでしょうから、事務の性質によっては被るという余地も皆無ではないと思います。
ですから、この辺も、今日の会議の冒頭で、基本法かADR法かという話がありましたが、そのようなことも、今日とは言いませんが、ある程度どこかでクリアーにしていかないと、議論が前に進まないような気がいたします。
○青山座長 どうぞ。
○山本委員 実質論としては、先ほど御議論のあった「別段の合意がある場合」の除外ですが、私はここはなお慎重に考えた方がいいのではないかと思います。
原委員もそういう御趣旨だったかと思いますが、やはりこれもまた先ほどの三木委員のお話ではありませんが、モデル法が前提にしているような当事者像というものと、いわゆるBtoCのようなもののADRの消費者像というのは、かなり違ってくることがあるのではないかと思います。
業界型ADRなどで、消費者が申し立てるときに、特にそういう点に十分配慮できずに、しかし、ADR機関のルールについては、そのような開示義務というものはありませんということが書いてあって、それに合意した形になってしまうと。しかし、実は担当者は被申立人である業者から出向してきているような人がやっているというようなことも考えられないわけではないので、それで果たして適当なのだろうかということが懸念される場合があるのではないかと思いますので、合意による排除というところは、なお御検討いただけきたいと思います。
○青山座長 ありがとうございました。ほかの点はいかがですか。
○安藤委員 私も同意見です。「当事者間に別段の合意がある場合」というのは、この別段の合意をいつ取ってしまうのかという問題です。事前に取ってあれば何も開示の必要がなくなってしまうということになります。利害関係が生じたときに合意を取ったのだったら、まだ話はわかりますけれども。
○高木委員 合意による排除が最初のところだけにしか書かれていないのですが、論点1−2を読みますと2行目に「自らが主宰する手続の過程を通じて」と書いてあって、おそらくこれはすべての手続過程でということなのだろうと思います。最初ではわからないけれども、進めていくうちに、何かそういう疑いを生じさせるような事情がわかったときもやはりかかるということになるのだろうと思います。
ちょっと厳しいかなという感じもしつつ、しようがないのかなと思います。
○青山座長 その点は、上の「(1)規律の内容」の2番目○でメンションしてございます。
除斥・忌避・回避については、これは不要だと、要らないのではないかということが原案として示されておりますが、これはこれでよろしゅうございますか。
○横尾委員 途中から参りましたので、これまでの流れと少し違うかもしれませんが、ADR機関の性格によっては、そういうものが必要になるケースもあろうかと思います。公的なものであるとか、あるいは消費者保護に期待されているようなものについて、やはりそういった規定が必要になるのではないか、特に忌避のようなものがあるのかなという印象を持っております。
それから、開示義務についてお話しさせていただきますと、私も利害関係者等の情報の開示義務というのは当然必要なものではないかと思いますが、産業界というのは非常に猜疑心の強いところでございまして、どこまで開示しても信用されないのではないかということがございます。
例えば、最近、商法の改正がございまして、4月1日から施行されますが、社外取締役、あるいは社外監査役というものは、これまで会社と一切関係がなかったものということになりますと、その方がどこの出身なのかというようなことをどこまでも追及されてしまって、挙げ句の果てにそれは公正ではないということになってしまうのではないかなということがございまして、当然開示については、基本的には賛成でございますが、どの程度の開示なのかということと関連するのではないかと思っております。是非、その点について御配慮いただきたいと思います。
○青山座長 はい、わかりました。今の1点目では、原案では、必要性が少ないのではないかということを言っていますが、これはADR基本法なりADR法については要らないのではないかと、個別法でそういうことを規定しているものは現にたくさんありますし、そういう制度をつくることは一向に構わないけれども、ここは一般法ですから要らないのではないかという御理解でお願いしたいと思います。
第2点はおっしゃるとおりで、どういう場合に開示するかというのは、もしこれを規定していくとすれば、今後議論を詰めていかないと、これは一般的過ぎるような気がいたします。
ほかの点はいかがでしょうか。除斥・忌避・回避はこういうことでよろしいですか、原案としては、ここにこういう重い規定を置かなくても、それは必要なら個別的な法令で対処すればいいのではないかということですが、よろしいですか。
(「はい」と声あり)
○青山座長 それでは、論点1−2と1−3につきまして、今までの議論をまとめさせていただきますと、ここにある「利害関係情報」というのが、言葉として漠然とし過ぎると、それはどういう利害関係かをはっきりさせなければいけないというのは、廣田委員や横尾委員がおっしゃったところでございますが、そういうものをとにかく開示する必要はあると、それはここに規定する必要はあるのではないかということでした。
その際に、合意によってそれを排除するという制度を組み入れるかどうかについては、今の御意見では、かなり慎重であるべきだというお考えが示されたと思います。
他方、これが民事調停や司法型の手続にこのままの形で被ってくるかというと、多分被らないという御意見もありましたけれども、ではなぜ司法型の手続ではそういうものがないのかということについては、できれば綿引委員にその根拠をお調べいただければ、この議論がもっと深まるかなということでございます。
それから、除斥・忌避・回避については、個別法でそういうものをつくるのはともかく、ここでは要らないのではないだろうかと、そういうとりまとめでよろしいでしょうか。
どうぞ。
○三木委員 1点だけ付け加えさせていただきますと、論点1−2ですが、当事者の合意による適用の排除について慎重であるべきだという山本委員や原委員の御指摘は消費者と企業の間の調停のような場合にはもっともだと思います。
ただ、他方で、調停というものは必ず消費者と企業との間でだけ行われるものではなくて、企業間で行われる場合もあります。
UNCITRALでは、勿論、そういったBtoBを主として念頭に置いて規定をつくったわけですが、逆にBtoBの調停の場合には、当事者の合意による適用の排除が必要だという場面がかなりあります。
と言いますのは、なぜこの規定を入れたかと言うと、解決結果に事後的に不満を持ったものが、手続分野の公正な確保がなされていなかっということで、なされた和解の結果を不合理な動機で覆そうとするということを防がなければいけないということです。ビジネスの世界では、手続の安定がないと、安心してその後のビジネスがやっていけないものですから、最初の合意で、そういった文句を付ける道を封じておくという必要があります。
したがって、調停全部について、当事者の合意による適用の排除が要らないかと言われると困るので、先ほど来の議論と同じですけれども、場面を分けて、あるいは調停の類型を分けて取り扱っていただかないといけないのかなという気がいたします。
○廣田委員 私も今の三木委員に結論的に賛成ですが、調停というものは非常に多様性があるので、当事者はあえて調停人が相手方に利害関係があるということがわかっていて、それで合意の上でその人にやってもらう。利害関係がある人というのは、影響力がありますから、その調停人に影響力を行使してもらうために同意するという場合もあるわけで、そういう面白い面もあるので、ここはふくらみという意味では残しておいた方がいいと思います。
○青山座長 いろいろ御意見を賜わりましたけれども、もう一点、論点1−4についてはいかがでしょうか。ここでは収賄罪のことが書いてありますが、これは要らないのではないか。逆にそれが必要かどうかという場面は、執行力の付与というような局面で、そういうことになるとやはり収賄罪が必要になるかもしれないと、そこで議論をしていただいてはどうかというのが原案で、ここではこういう問題もありますということですが、これについて何か御意見があれば承りたいと思います。
よろしいでしょうか。
(「はい」と声あり)
○青山座長 それでは、ここで10分間休憩させていただきまして、3時45分から再開したいと思います。
(休 憩)
[2.手続の円滑な進行の確保に関する規律]
○青山座長 それでは再開いたします。
6ページの「主宰者の守秘義務」についてどう考えるかということについて御議論いただきたいと思います。
ここでは、別段の合意がある場合には、民法上の義務として、特段の事情がない限り自分が関与した手続の過程や結果に係る秘密を漏洩してはならないという義務を負うことにすればどうかということでございますが、これについては、手続の信頼性の確保、向上に資するものと考えられるので、このような義務を置いてはどうかということです。
それから、記述の内容としては、これは罰則を付けるわけではないけれども、しかし、努力義務というよりもっと強い規定が考えられる。しかしそうは言っても、証言拒絶権があるというところまではいかないのではないかというのがここで示されているコメントから見る原案でございますけれども、これについて自由に御議論いただきたいと思います。
○原委員 この主宰者の守秘義務という論点ですけれども、主宰者の守秘義務そのものに異存はないのですが、7ページの「(2)規律の性格」の一番最初の○ですが、これは手続過程、結果を非公開とするか否か、その上で、それらに係る秘密を保持すべきか否かという部分ですが、この部分は私は別立ての議論だと思っております。
主宰者やこれに関わった当事者が、その案件について守秘義務を負うということはあり得ると思うのですが、7ページの○で書かれているのは、手続過程や結果まで含めて非公開とするか否かというのは、当事者だけの合意にされてしまうと、ADR機関や調停人を利用しようとする場合の選択のための情報になるわけで、全然話が違うことが入ってきていると思っていて、別立ての議論ではないかということが気になりました。
○青山座長 主宰者が守秘義務を負うということですね。当事者と主宰者との間に別段の合意がある場合に守秘義務を解除できるということですね。
○原委員 わかりました。そうすると、主宰者は結果を非公開とするか否かということですね。
○三木委員 論点2−1は、小林参事官の御説明のときに、仲裁の今度の改正法案には規定が置かれない予定なので、それとの関係をどう考えるかが問題になり得るということを明示的に指摘されましたので、それについて意見を申したいと思います。
仲裁検討会の記憶が必ずしも十分ではありませんが、論点2−1の問題、それから7ページの手続過程や結果の公開の問題は、議論をした上で積極的に規定は置かないという結論になったかと思います。
それは何も仲裁であれば秘密を守らなくてもいいというわけではなくて、最大の理由はモデル法に規定がないということだったかと思います。
仲裁検討会での議論に際して、最も議論を尽くし、意を払った点の1つはモデル法との関係で、どこまでモデル法の規定を採用するか、あるいはモデル法とどの点で離れるかということだったろうと思います。
仲裁に関してはモデル法との関係が極めて重要ですので、内容について反対だということではありませんが、モデル法との関係を考慮して規定を置かなかった以上、この問題は専ら調停・あっせんの問題として議論すべきであって、仲裁については議論の対象としないということにすべきではないかと思います。
○青山座長 ありがとうございました。ほかに御意見どうぞ。
○綿引委員 確認ですけれども、民事上の義務というのは、損害賠償義務が発生する義務という意味でよろしいのですね。それ以上の意味はないということですね。一般不法行為上の義務になり得るということを明らかにしておくということですね。
○小林参事官 はい。そうです。
○原委員 さきほど勘違いした発言をして大変恐縮でしたけれども、それであっても、私は7ページの「(2)規律の性格」の1つ目の○の書きぶりがやはり気になりまして、それは、手続過程及び結果を非公開とするか否か、この結果がどの程度のものかということです。
例えば、具体的に損害賠償請求であれば何百万円といった金額までの結果かどうか。それとも、金額は含まないけれども、こういう形の結論が出たのだというところで、いろいろな結果のレベルというものがあると思いますけれども、ある程度の結果は公開されないと、選択のために生かされないということになるので、こういうことがあるにしても、選択のための公開という議論は、また別途あると考えておりますので、追加として意見を出しておきたいと思います。
○廣田委員 3点あります。
結果を公開するかどうかというのは、各ADR機関が大変苦心しているところです。まず、個別事例が特定されるようなことであれば、ADRの非公開のよさというものが否定されて、ついては信頼して利用されないということがありすので、それと今おっしゃった趣旨でどのようなことをやっているのか、いいことをやっているのかということを見るためには、これはオープンにする必要性があるというジレンマがあるのです。
これは大変問題があるところで、私はむしろ当事者から承諾を取って公開していくという方法を、物を書くときにそう提案していますけれども、それだけでおっしゃったところが十分配慮されるようにはならないと思います。これは大きなテーマだと思いますので、後のテーマということで考えていいと思います。
あと1点は、論点2の枠囲いの中に「特段の事情のない限り」とありますけれども、これもわかりにくいので、UNCITRALには合意の履行執行が挙がっていますので、ある程度特定した方がいいのかなという感じがします。
もし、時効の中断を調停で認めるということがあれば、時効の中断のために、その限度で開示するという必要性は出てくると思うのです。ですから、そういったこと念頭に置いて、もう少し特段の事情の中身を議論しておいた方がいいと思っております。
3点目で、これは私はあまり答えが出ないのですが、証言拒絶権を認めないというのは、やはりそうなってしまうと、法廷に引き出されてしまうと全部言わなきゃいけないということになってしまう。これは大変つらいことになりますので、これで割り切っていいのか、もう1つ工夫が必要なのかどうかというのは今すぐ答えは出ないと思いますけれども、一応留保しておきたいと思います。
○山本委員 廣田委員の御意見の最後の点ですが、証言拒絶権というのは、私が理解して限り、日本の法制上は秘密漏示罪と基本的には対になっているのではないかと思っておりますので、そういう意味では、義務違反に対する罰則について慎重な態度を取る以上、証言拒絶権についてもなかなか難しいのではないかという認識を持っています。
ただ、廣田委員の御懸念は、もし私の理解が正しければ、ADRが失敗した場合に訴訟になって、その訴訟の中でADRで行われた手続経過等についてADR主宰者が証人尋問を受けるという事態を回避する必要があるということであれば、おそらくこれとは別の問題として、そのADR結果の訴訟手続での利用の可否という問題が別途あるのだろうと思います。これについてはその証拠能力を否定するとか、証拠排除契約として考えるとか、いろいろな議論があったかと思いますが、主宰者が証人として証拠能力を有するかどうか、証拠が開示されるかどうかということは別途そこで考える余地があるのではないかと思います。そういう前提の下に、私自身はこの証言拒絶権は認められないというのはしようがないのかなと思っております。
○青山座長 では、横尾委員。
○横尾委員 私は廣田委員の3点と、3点目の修正の山本委員の御意見を支持したいと思います。 主宰者の守秘義務につきましては、相談員レベルも含めまして、義務化していただきたいと思います。
○三木委員 私も山本委員の御発言を支持したいと思います。確かに法制的に証言拒絶権としてつくるのは難しいかもしれません。ただ、証拠能力という形でつくるのか、証拠契約のデフォルトルールとしてつくるのかというのは、どちらもあり得ましょうが、仮に後者の証拠契約のデフォルトルールとしてつくると考えた場合には、当事者間で、特にそれに関する合意がなければ、その人は証人として呼ばないという合意があったことになって、結局、証言拒絶権の問題にまで立ち至らずに秘密が守られるという仕組みをつくり得るのだろうと思います。ですから、この問題と証拠能力の問題とは別途議論すべきだろうと思います。
○青山座長 ほかにいかがでしょうか。よろしいでしょうか。それでは、この守秘義務につきましては、主宰者について、基本的には民事上の義務としての守秘義務を負うということを原則とする。しかし、当事者の合意があれば解除されるのはそのとおりだと思いますけれども、その手続をある程度開示する、あるいは結果を開示することによって、その後の利用者の便宜に供するいう点はあるので、その点をどう考えていくのか。開示の方法でも、例えば当事者の名前を伏せて、抽象的な形にして開示するといった、いろいろな方法があると思いますが、そういうことは今後更に詰めていけばいいことであって、ここでそこまでは詰めなくてもいいのでないか、そういう問題があるということだけで先に進ませていただいていいのではないだろうかと思います。
それから、罰則を伴わないというのは既に書いてあるのですが、証言拒絶権まで認められるかというと、一方ではこれを簡単に認められないものとしていいのかというと、ちょっと留保したいという考え方と、それは実質的に無理ではないだろうかという2つの御意見が、対立とは申しませんけれども、あったということで、ここはよろしゅうございますでしょうか。3巡目でさらに議論いただきたいと思います。
(「はい」と声あり)
それでは、先に進ませていただきまして、その他の論点2−2、今、幾つかの義務を挙げましたけれども、それ以外にADRの主宰者について、何かこういう必要があるのかということがあれば、今日はその御指摘だけいただきたいということでございますが、何かございますでしょうか。
よろしゅうございますでしょう。
(「はい」と声あり)
それでは、先に進ませていただきまして、9ページの「3.主宰者の資質・能力に関する規律等」でございます。ここではまず論点3−1の主宰者の紛争解決に係る専門的な能力について、その習得に努める義務を負うべきものとする規定を置くかどうか。ここでは原案としては、法令上こういうことを明らかにしておいた方が、ADRの質的向上を図る上で意義があるのではないだろうかということで積極的に打ち出しいるわけですが、法令の規定としてこういうものが必要かどうか。
それから、こういう義務を負うとしても、ADRの担い手に反復してなる人についてだけであって、単発的になる人にそういう義務を負わせるということはできないだろう。そして、この義務もあくまでも努力義務として規定するのが適当ではないだろうかということがここで示されているわけですが、これについていかがでしょうか。
どうぞ御意見がありましたら、おっしゃっていただきたいと思います。
[3.主宰者の資質・能力に関する規律等]
○原委員 これまでの発言の中でも、コミュニケーション能力と言うのでしょうか、そういった紛争解決のための専門性というものが必要だということは申し上げてきているのですが、2点ほど気になりました。
そういう努力をしなければいけないものが、「ADRを業とする者は」という主語で書かれていて、そうすると、運営主体がやるような感じになって、「規律の性格」の一番最初の○も、「反復継続的にADRの主宰を行うもの」となっていて、実際にやっていただきたいのは調停人といった人たちで、主語をこのようになさっているのは、そういうことまで含むのかどうかというのがわかりにくいところです。
もう1つ、やるべきことですけれども、「自己研鑽」と書かれていて、これが大変一般用語的でして、別に何の講座にも行くことなく、私は家で自己研鑽をしていますと言ったらそれで終わってしまうような感じもあって、ほかに代わる言葉がなかったのでこの言葉を入れられのかどうかということもありますけれども、今、どこにそういうことをやる組織などがあるのかということとも関わってくるかと思いますが、私はちょっと自己研鑽では弱いと思っておりまして、この趣旨はどういうところにあったのかということをお聞きしたいと思います。
○小林参事官 まず「業とする」ということにつきましては、むしろ反復継続を予定しているという意味としております。
○原委員 組織ではなくて人ですね。
○小林参事官 いわゆる営業主という意味ではなくて、個人、最終的には主宰者自身でございます。ちょっとわかりにくかったかと思いますが、意図は明確にそういうことです。
「自己研鑽」という言葉は、必ずしもそのまま法文に使えるとは思っておりませんが、自己研鑽の手段はいろいろありまして、勿論、御指摘にあったような研修を受けられるというものも入るわけですが、逆に研修を受けなければ満たしたことにならないかと言われれば、自学自習というものも当然あり得るわけで、それを幅広く含む意味として「自己研鑽」としております。
要するに、1人でウンウン唸るという意味ではなくて、努力されるという意味を広く書いただけでありますが、いずれにしても、法文上の文言としては、このまま使うものではないと思います。
○龍井委員 この項目の前提となる位置付けですけれども、要するに、(1)の「資質・能力の確保向上」ということで、これは単に主宰者としての要件ということではなくて、そういう人はこういう努力をすることが望ましいという程度のものですね。
今、求められている、そもそも資質としてそれがあらかじめ求められるのだというニュアンスと、事後的に将来のこととしてのものと、ちょっとニュアンスが違うのではないか。これはこれでやってくださいというのは私もそう思いますけれども、そもそも基本法で言う場合には、求められる資質、私もどのようなカリキュラムでやればよいかという十分条件ではなくて、去年の宿題では、勝手にADR士という問題提起をさせてもらったのですが、いずれにしろ、いわゆる専門的な分野だけではなくて、括弧書きで書かれている資質、経験というのが物を言うし、それがほかとは違うADRならではのところだとすると、例えば試案的には経験年数の問題など幾つか問題を出してみたのですけれども、何がしか厳しい要件というものではないですが、要件的な記載の方に近づけられないかと思います。
この努力義務は将来的な目標なので、それと現時点で求められるものとは、もうちょっと現時点に近い規定がある必要があるのかなと思います。それが勿論、最終的に資格の客観的なものがあって、カリキュラムがあって、試験があってと、そこまでは厳密には考えていませんけれども、よりそちらに近いものの位置付けがこの論点3−1では必要なのかと思っています。
○青山座長 ほかにいかがでしょうか。三木委員、どうぞ。
○三木委員 確認ですが、努力義務という言葉はなかなか多義的な言葉でして、先ほど調停人に課される当事者の公平処遇の努力義務というものが出てきましたが、あちらの方は基本法の規定ではなくて、実質法に置かれる規定だと思うのですが、こちらの方の努力義務は同じ言葉を使っていますが、そういう仕分けをすれば基本法の方に置かれる規定と理解してよろしいのでしょうか。
○青山座長 そこまで考えていたわけではないのですけれども、おそらくそうだろうと思います。
○三木委員 そうであるとすれば、ここで言うADRは仲裁を含んだ形での広い意味のADRで結構で、私はこういう規定を置くことは望ましいと考えております。
そうではなくて、実質的な規定だとすると、ややそれは違う議論になろうかと思います。
○高木委員 あえて言うほどのことでもないのですが、ちょっと違和感があります。
基本法の規定として置くのであれば、前の議論では、資質・能力に関して1から3までの能力が挙げられたわけです。法律分野としての能力、専門分野の能力、コミュニケーション分野の能力と3つあって、その3つはやはり必要だろうと思うのです。それは資格者であれば当然持っているから書く必要はないということがあるのかもしれないけれども、あえてこれだけ取り出して書くのは、どういう意味があるのだろうか。
努力義務であるし、どうしても反対というわけではないのですけれども、ちょっと変な感じを抱きました。
○青山座長 論点3−3のところで別の能力については議論していただくことになっていますが、論点3−3では専門分野についての知識、論点3−4では法律的な知識と書き分けていますけれども、議論のやり方としては、後で統一的にこれを考えていった方がいいかもしれません。
○安藤委員 論点3−1はどうしても資格という問題が後から発生しますので、これは入っていないと困るなという感じを受けます。
○青山座長 これを資格要件として書けという意味ではなくて、事後的なものとしてですか。
○安藤委員 この裏付けがない限り、資格を与えるというところへ辿り着かないのではないかと思います。
○青山座長 ほかにいかがでしょう。
○横尾委員 私は資格制度のような形になるのはむしろ反対であります。
既に既存のADR機関がいろいろと活躍している中で、そういったものを阻害してしまってはいけないのではないかという気がいたしますし、確かに調停技術やコミュニケーション技術というものはあるのですけれども、本当にそれがADRの促進と直結しているものかどうかという批判があって、相関関係があるかどうかちょっと疑問でして、そういったことも1つの方法であると思いますが、必ずしもコミュニケーション技術というものが一定のカリキュラムを経たからと言って、身に付くものかどうかという点も疑問ではありまして、努力義務程度のことであれば構わないと思いますけれども、義務が本当の義務になってしまうという点では私は反対でございます。むしろADRで何とか役に立ちたいという人たちをディスカレッジしてしまうのではないかと思います。
○青山座長 ほかに御意見はございますか。
○原委員 少し補足的ですけれども、コミュニケーション能力のような話は、消費者グループからもよく出されているところで、これからのADRは私的自治の中で主体的に自分たちが紛争解決に関わっていきたいというところがありまして、その主体的に紛争解決に関わりたいというときに、調停人などの担い手側が、その当事者側の意欲、意思のようなものをうまくコミュニケーションの中で引き出していって、まともに解決に臨んでいくという形になっていただきたいというところがあります。これからの紛争解決の方向性の中で、非常に必要となってくるという感じを持っておりますので、補足として付け加えておきたいと思います。
○青山座長 ほかに御意見はございますでしょうか。
それでは、紛争解決に係る専門的な能力と言われる調停技術やコミュニケーション技術等につきましては、これを法令の中に書くということについて、特に反対はなかったと思います。
これを、自己研鑽をすべきだというような努力義務の書き方にするというのが大方の意見だったと思いますが、もう少し資格として書けないか、それをにじませたような表現ということだと思いますが、そういう御意見もあったと承りました。
それから、「研鑽」という言葉は勿論、法令用語には馴染まないので、言葉としてはもう少し法律的な用語を工夫しないとおかしいのではないかということでございます。
それから、義務としての規定の性格ですけれども、これはやはり努力義務であって、それ以上強いものということについては反対の御意見があったということでよろしゅうございますでしょうか。
(「はい」と声あり)
その次は、10ページの論点3−2でございまして、これが今日の一番大きな問題だと思いますが、司法制度改革審議会の意見書の中に、専門家の活用というところがありまして、その中では弁護士法72条について触れております。それで今日はこの論点について活発な御意見を賜りたいと思いますが、ここで出しておりますのは、専門家の活用を図る場合に、それは弁護士法72条の例外を設けるということにするのか、例外を設けるとすれば、どういう要件でそれを設けていくのかという角度から問題を提起しております。
そこでしかし、弁護士法72条は一定の意味があるわけですから、その意味を殺さないような形で、つまり、事件屋や示談屋というものが入ってきて、国民の紛争を食い物にするということを排除するという大きな意味がありますから、そういう弁護士法72条の趣旨を生かしながら、しかし、専門家を活用するというのにどのような切り口があるのかという点から御議論いただきたいと思うわけでございます。
まず、最初に高木委員の方から意見書が出ておりすので、これについて御説明いただいた後で御意見を賜った方が効率的だと思いますので、まず高木委員から御説明をお願いします。
○高木委員 私が出しました資料は(1)と(2)がございまして、(1)の方は私の意見で、(2)は日弁連のアンケートの集計結果です。(2)の方は簡単ですから、これをちょっと御紹介したいと思います。
アンケートの1枚目を見ていただきますとおわりだと思いますけれども、弁護士法72条は、先ほど御説明がありましたとおり、弁護士以外の者は報酬を得る目的で業として法律事務を取り扱うことを禁止しているわけで、ADRで対象になる紛争というのは、法律事件か非法律事件かを分けるという分け方が1つありますし、関与するときに報酬を得る目的があるかないかということで分けられるだろうと思います。それを図にすると、①②③④と時計周りに番号が付いていますけれども、72条が禁止しているのは、法律事件でかつ報酬目的がある①の部分だけなのです。
②③④というは、72条の射程外ということですが、これを前提に日弁連から52会の単位弁護士会に質問をしてアンケートを取ったのが2ページ以下です。
2ページを見ていただきますと、①のエリア、弁護士法72条が適用される領域について、資格要件を必要とするかしないか、必要とするとすれば何らかの要件を設けるかという4つの仕分けで回答を求めているのですが、要するに、資格要件を必要としないというのは、大雑把に捉えると1しかない。1−4の「法律家との共同を条件に」認めるというのが圧倒的に多いというところです。
次は8ページに飛びます。先ほど申し上げた②ないし④、要するに、弁護士法72条が適用されない領域について同じ質問を聞いているわけですけれども、資格要件を設けないというのもありますけれども、何らかの資格要件を設けるというのが圧倒的に多いということです。
それから13ページでは、法的効果を有するADRについてどうかという質問をしてみましたけれども、それについても、3−3と3−4が13、15と多いわけですが、3−3は何らかの資格要件を設ける、3−4というのは法律家との共同を条件に認めるという結果になっておりました。
52会のうち、回答した会が18ページにございまして、このうち仲裁センター、ADR機関を設置している会が網掛けになっていると思いますが、そういう状況でした。
回答数は41ではありますけれども、回答不能としてきている会もありますが、現段階での資料をまとめたものです。
資料(1)の方に戻ります。
1枚目の紙はこれまでの復習のようなもので、この問題を考えるときに、考え方の筋道をどうしたかということだけで、特段説明することはないと思いますけれども、私たちがADRの拡充・活性化というテーマを与えられて、これをどういう考え方を基礎にして活性化していくかといった基本的な考え方として出されたのが、主体性・自主性の尊重であるとか、多様性の重視と信頼性の確保という3つであったと思います。
その初めの2つは、規制の在り方を考えるときに、規制をしない方向、自由な工夫を阻害するような規制を排除しなければならないということにつながるわけですけれども、最後の信頼性の確保というのは、最低限の規制はしなければならないという方向になるのだろうと思います。そうすると、相矛盾するもののバランスをどう調整するかということが問題になるのではないかということで考えました。
2枚目に移りますと、「手続主宰者の資質・能力」はここで何度も議論になった①から③の能力のことですけれども、これがいずれも重要であるということには、この検討会で異論はなかったのだと思います。
この①から③を法制化するときに、規制として取り入れるか取り入れないかという議論がまずあって、更にその規制をするときにどういうものとして入れるか、例えば通則的規律の強行的な規定として入れるのか、あるいは促進法規定の中に入れるか、単純な責務規定として構成するかという問題であろうと認識しているわけですが、この①から③の能力の中では、ここでは③の能力に関心が集まったと思うのですが、それは注目されていない能力に注意喚起するという意味はあるとしても、まだ、これが未知のものですから、今後、涵養に努めなければならないということはあるとしても、①から③の中では、①が基本になるべきではないかいうのが私の基本的な考え方です。
手続主宰者の資格要件に関する法制として、今は弁護士法72条というものが、現行法としてしっかりあるわけです。これがなくてもいいという法律なのかというと、決してそうではないというところです。これは先ほど参事官が説明されたようなことで、公益的な規定だと認識しています。
その公益性はいろいろなところにあるのだと思いますけれども、要するに、紛争というものは悩んでいる人から持ち込まれる、そこには大きな利害がいろいろあって、他人の秘密というものもあるわけで、秘密や利害に接する人たちの職業的な倫理というか、そういう誘惑に負けないような強さとか、それを制度的な担保としている資格の剥奪であるとか、そういったことが結構根っこにあるのではないかと思われるわけです。
ですから、72条をどの程度緩和するかという②ですけれども、72条を緩和するときに、意見書は担い手確保とADR拡充・活性化の観点から緩和の必要性を言っているわけですけれども、どういう要件があれば、弁護士法72条の趣旨に反せず、しかも法律が守ろうとしている国民の利益を損なわないかということを考えるべきであって、無原則的な緩和の考え方は採用できないと考えていい。この辺りは事務局の説明とそんなに違っていないのかなと思います。
他方で、紛争類型が非常に多様にありまして、解決手続もあっせんから仲裁まで、厳格な手続から非常に柔らかな手続までありますし、中身もいろいろなわけです。その特質に即して考えていくことになるであろうと思います。多様な能力を持っている方々がADRにおいて活躍できること、それは人的資源の活用につながるわけですから、それを可能にして、かつ72条の趣旨に反しないということを考える必要があろうかというのが基本的なところになると思います。
仲裁・和解についてですけれども、弁護士法72条が適用される領域に関してみますと、弁護士の一定の関与をかなり幅広いものとして考えていますけれども、弁護士と共同、又は弁護士の助言を受けるというような、言葉としての定義をいたしました。それを条件として非弁護士も手続主宰者になれるようにするということを考えています。
それが1つの選択ですが、現にそうではないADR機関もありまして、そこは72条違反になるのかということになるわけですが、そこは一定の実績と信頼性のある機関におけるADR、ここは機関を注目しているわけで、その場合には非弁護士が手続主宰者になることを72条との関係で違法視しないという扱いを確認する。これは海運集会所などがそうのようですけれども、ここで具体的な条文のイメージとしては、適用除外になると書いておきました。
もう1つ、72条の適用領域外のADRの手続主宰者をどう考えるかということですが、先ほどの円で4つの領域を見ていただきましたけれども、72条の適用領域外と言っても、報酬目的の部分と、法律事件か非法律事件かというものがあるわけで、法律事件に関しては、報酬を得ないで行っている場合でも、法的な専門能力を有するものが手続主宰者として関与することが国民の利益を損わないことにつながるし、ADRの信頼性確保のためにも必要ではないかと考えています。
法律事件とは言えない紛争、つまり、法的な問題点や、法律的な権利義務関係を含んではいるけれども、当面の当事者のこだわりが別のところにあるという紛争があるのかなと思いますけれども、この部分はそれほど厳格にこだわらなくて、固有の分野の専門能力やコミュニケーション能力などを重視することもあっていいのではないかと思います。
その場合も手続主宰者の資格要件以外の、つまりADR機関の適確性というものを見てほしいと思いますし、そこが前提になるのではないかと考えます。とても難しい話だと思いますけれども、ADRの多様性や自主性を害しない限度で、公正性の確保のための法制は考えなければならないし、制度的な担保は必要だろうと思います。
その他、私の印象的な意見ですが、自主性、主体性を育てるために規制を極力排除するというのは、本当にそれが実現できるのかということがありまして、非常に望ましいわけですけれども、国民が本当に多様なADRの中からニーズに在った自由な選択をするためには、情報開示が大きな前提になりますけれども、それが本当に実効的に可能かどうかというところが一番心配でありまして、そこが誤っていたときの救済手段や政策といったことが考えられないと、ちょっとこのまま放り投げていいのかなとは思えないということです。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。論点3−2は、後から出てくる論点3−4などとも関係いたしますけれども、一応論点3−2のところで御議論いただきたいと思います。
今、高木委員からも御説明いただきましたけれども、ここでの問題関心は、そもそもADRの担い手ならばそれだけで72条の適用の対象外だということになってしまうのであれば非常に簡単ですけれども、そうではないだろうということです。一応ADRの中に入ってくるとすれば、どういう形で72条の例外を認めて、専門家の活用を図ることができるだろうか。その場合にどういう要件でそういうものを規律するかというのがここでの問題関心で、方向性は示されておりませんが、今、高木委員のおっしゃったものも含めて、どうぞここで御議論を賜りたいと思います。
○三木委員 具体的な議論に入る前に、議論の前提として一言意見を言いたいと思います。
先ほど来、何度か仲裁と調停を分けて考えるべきだと言いましたが、この問題は特に、仮に最後の結論が同じになるとしても、仲裁と調停は分けて、別な議論としていただきたいというのが私の希望です。
理由は幾つもあるのですが、順不同で申しますと、1つは、我が国の国内のことに関して言いますと、日弁連の理事会決定で、仲裁に関しては72条問題を、緩やかにというのか、適用しないというのか、記憶がはっきりしませんので、もし必要がある場合には、廣田委員から後でお教え願えればと思いますが、何かしらの理事会決定があると聞いております。
それがどういう性格のものであって、どういう効果を伴うのかも私は存じませんので、この検討会との関係ではあまり意味がないのかもしれませんが、調停に関してそういう議論は聞いたことがないのに対して、仲裁に関しては聞いておりますので、若干事情は違うのかもしれません。
それから、UNCITRALの議論におきましても、仲裁人における法曹資格の問題と、調停人の問題は全く別の問題として扱われております。必要があればその内容をお話ししますけれども、この段階ではお話ししませんが、違うものとして扱われております。
それから、各国の法制や、あるいは実務の運用の長い歴史を見ましても、仲裁に関しては、この問題の議論は大変進んでおりまして、多くの国で立法手当てをしてあったり、立法手当てがなくても運用である方向を定めてあるということがございます。
それに対して調停に関しては、少なくとも仲裁ほどはそういう話が成熟していないように理解しております。
実務を見ましても、仲裁の世界では日本人でどのくらいおられるかは知りませんが、少なくとも日本で仲裁を行う外国人の方の中には、業として報酬を得て、仲裁を行っている方で非法曹の方がいらっしゃると思います。調停に関しては、私が知らないだけかもしれませんが、あまりそういう話は知りませんので、そこも実態か違うということがあります。
繰り返しになりますが、最後の結論が必ず違うべきだという趣旨ではございませんが、議論は分けてしていただきたいというのが私の意見です。
○青山座長 今おっしゃったようなことを念頭に置きながら御発言いただきたいと思います。仲裁はこうだ、調停はこうだとおっしゃっていただいても結構ですし、それに共通のものとして御発言いただいても結構でございます。どうぞよろくしお願いいたします。
○廣田委員 今の高木委員の御意見と、どこが一致するかしないか、自分でも十分に消化できないので一々申し上げませんけれども、私の印象では、もしおっしゃるようにADR法、あるいは基本法に書くとすれば、とてもこんなに場合を分けて書くことはできないのではないかと思います。仮に調停と仲裁とを分けるだけでも大変なことであると思います。
大雑把な言い方ですが、この問題に対する私の基本的な問題を言いますと、事件に多様性があって、ADRにも多様性がある。それを一概に、全部一緒に言ってしまうということは大変難しいところがあるというのが1つあります。ですから、まず事件に多様性があるように、ADRに多様性があることは大事なことですから、そこにはいろいろな能力が必要であるということは押さえておく必要がある思います。それが1点です。
もう1点は、弁護士の物理的な能力によって、ADRの限界を画してはいけないと、ADRに広く人材を結集するということができるようにすべきだと私は考えております。それが基本的な考えです。
そこで私はこの問題に関しては、大変簡潔に決めておけばいいと思っておりまして、私の結論を言えば、あっせん、調停、仲裁、ここは一緒にして三木委員に大変申し訳ないのですが、あっせん、調停、仲裁を公正かつ適確に行うことができると認められる機関において選任されたあっせん人、調停人、仲裁人が行う業務には、弁護士法72条を適用しないと、それだけでいいと考えております。
ということは、まず、「公正かつ適確に行うことができると認められる機関」という言葉は、弁理士法に書いてある文言です。ですから、ある意味で何にも書かないというのではないのです。ADR機関をきちんとした機関にしようという意味で、「公正かつ適確に行うことができる」というように、一応概念はつくっておきたいと思うのです。だから、どんなものでもいいということではないということです。
それで、このようにおおまかに捉えているというのは、かくかくしかじかの要件を備えてなければいけない、あるいは弁護士が必ず関与しなければいけないという問題は、やはり規制にかかるのでよくないと私は思っております。仮にそういうものをつくっても、形式的に弁護士をかき集めて、悪いADRをつくることは幾らでもできますから、あまり私は意味がないと思っております。
ですから、これは14ページに関係することですけれども、ADRで行う調停人、あっせん人、仲裁人の行為が正当であるということにさえきちんとしておけば、当事者から信頼されますし、そのことが結局、ADRの促進につながるということですから、私は端的にそういう表現をしておけばそれでいいと思います。
「公正かつ適確に」というのは、これは刑罰法規ですから、そうでないものは、やはり72条違反になるわけです。こういう表現の刑罰法規でいいのかということで反論が出てくるかもわかりませんが、刑罰法規の中にはこういうものはたくさんあるのです。例えば故なく住居に侵入したとか、そういうものはいっぱいありますから、そこから先は、余りにもおかしいものは日弁連が告発してもいいかもしれませんし、問題にされることになって、裁判所で裁かれる方向になるのではないか。ですから、この程度で私はいいと思っております。
以上です。
○青山座長 今、非常に具体的なお考えが出てきましたけれども、ほかにいかがでしょうか。
○横尾委員 高木先生のレジュメと廣田先生の御意見に質問させていただきたいのですが、適確な機関をどう決めるのか、これは後で決めればよいのですけれども、その点でございます。
特に高木先生のレジュメの3ページの3の「特例扱い」というものがございまして、フットノートを見ますと、PLセンターが抜けているのですが、これは「等」の中に読むのかどうかという点を教えていただきたいと思います。
○高木委員 最初の適確性の判断に関しては、勿論、誰かに判断を委ねなければならないと思っていまして、そこがどういう機関なのかというのは、今後もこの議論は出てくるのではないかと思っていますが、少なくとも法的効果を与えるADRとそうでないADRをどこで区別するのかという議論などと併せて議論されることに任せたいと思います。
個人的には役所でもいいと思っていますけれども、役所は抵抗のある方もあるし、日弁連も役所であるということに関しては必ずしも賛成しないかもしれないので、そこは将来において考えると申し上げます。
PLセンターを意図的に抜いたわけではないのですが、そこも適切と思われるところであれば入れて結構だと思います。
○廣田委員 一言で言えば、やはり公助良俗違反だとか、例えば消費者の争いに対して一方的に消費者だけを負かせてしまうとか、偏頗な調停をするとか、どう見ても明らかに適確でないというものでなければ適確であるという考えです。72条の刑事罰に引っかかるようなものはわかると思うのです。
○横尾委員 そうしますと、裁判まで待つということですね。
○廣田委員 待つことにはなるけれども、この条文があれば、実際には事前に防止できるのではないでしょうか。故なく住居に侵入してはいけないと書いてあれば、故なく入らないですよね。そのくらいの効果はあるだろうと思いますし、それだけでいいと思っています。
○青山座長 ほかに、これについてお考えはありますか。
○三木委員 廣田委員に質問ですが、アドホック仲裁をどのように評価しておられるのかということです。
調停に関しては、私が知らないだけかもしれませんが、あまりアドホック調停が大きな機能を営んでいるとは聞いていないのですが、仲裁に関しては、アドホック仲裁というのは、大変大きな機能を営んでおりまして、公開されていないので件数はわかりませんが、UNCITRALの仲裁モデル規則を使ったアドホック仲裁などがある程度行われておると聞いております。むしろそちらの方でより重要な事件がより扱われていることも少なくないと聞いておりますので、そこを伺いたいと思います。
○廣田委員 アドホックについては、する人の能力、資質や資格の問題については、少なくとも仲裁にしても調停にしても未解決だと思うのです。今のところ、まだ見えていないところがあると思います。ですから、今回の72条問題については、そういうものが発達してきてからでいいのではないか。だから、72条に関しては、今言った適用除外には書かない。現状をあれするということですね。だから、弁護士ならアドホックができるとか、そういうことは勿論ありますね。弁護士法72条に違反になるかどうかがテーマですから。
○三木委員 「現状あれする」というのがよくわらなかったのですが、現状は適法視されて、事実上違法扱いはされていないのですが、どういう趣旨でおっしゃったのでしょうか。
○廣田委員 国際関係ではアドホックは多いのですか。
○三木委員 公開されていないので統計の数字はわかりませんが、そこそこの数はあると思います。
○廣田委員 それで弁護士法違反になるかどうかということは、私の問題では未解決です。
けれども、もう少し状態を見てみよう。今回はそこに手を付けないということです。そういう案で申し上げているのです。だから、「現状であれする」というのは、現状のところで押さえていくということです。
○青山座長 三木委員、何か御自分のお考えがあったら、どうでしょうか。ここは非常に難しい問題ですから。
○三木委員 おっしゃるように難しい問題で、定見というものは無いに近いのですが、仲裁に関しては、ほとんど無制約にしないと、少なくとも現状の実務との関係で混乱を招く可能性はあると思っています。
仲裁に関しては、UNCITRALも当初、作業部会を立ち上げるに当たって、仲裁人の法曹資格の問題をテーマに取り上げるかどうか自体が議題に上りました。しかし、調停と違って仲裁の方は、各国が法律で法曹資格を要しないとしているか、若しくはそういう規定が残っていても、運用上、摘発はしないという形で決着がもう付いていると。それは日本も含めて、事実上摘発される例はないということで、もはや過去のテーマになったのではないかということで、少なくとも早い段階では取り上げないという決定になりました。
もし日本が仲裁に関して、現状は、運用の問題かもしれませんが仲裁人が72条違反で摘発されたという例は聞かないのですが、積極的に今よりも厳しくなるという印象を与える規定を置くとすると、これは大変な問題になろうかと思いますので、それは仲裁の専門家のヒアリングや、あるいは諸外国の立法、運用の詳細な調査などが必要になろうかと思います。
調停に関しては、この場では定見を持っておりません。
○横尾委員 先ほど廣田先生がおっしゃったように、弁護士の限界がADRの限界になってはいけないというのは、そのとおりだと思っておりまして、法曹人口の拡大が言われている中で一朝一夕に増えないということになりますと、やはり弁護士の物理的な数がADRの限界になってしまうのではないかと懸念しております。
72条の問題は別途検討されていると思いますけれども、その中で例えば司法書士の簡裁代理権を認めるということもあるわけで、当然これは認めていくだろうという方向だろうと思います。
では、どこをどのようにすればよいのかとなると、ある程度のホワイト・リストのようなものをつくっていただきたいと思っておりまして、どちらかと言いますと、高木先生のおっしゃったような役所かどこかが認めていくということかと思います。
私なりにはこういった考え方はあまり好きではありませんし、廣田先生の御意見の方がすっきりいくわけですけれども、実際問題として、どこかがチェックをするとなりますと、それは日弁連がチェックをするとなると思いますし、そうすると、いつも日弁連にお伺いを立てないとADR機関ができなくなってしまうのではないかということを懸念しまして、そういうことではないかと思っております。
ホワイト・リストのつくり方については、具体的にイメージはございませんけれども、少し72条を広げていただきたいと。そして、専門的知識を活用するような方向に是非持っていっていただきたいと思います。
○青山座長 わかりました。
○龍井委員 私もすっきりいければいいと思うのですけれども、労働分野というのはある意味では特殊分野かもしれませんけれども、ほぼ力関係というのか歴然としている分野ですので、今、個別紛争の調整委員会というものが都道府県につくられて、まだ、これはつくられて間もないものですから、事例を今集めている最中なのです。その中で幾つか散見されるのが、選任されるプロセスも、当たられる方のプロセスも鮮明ではないし、それに対する評価というのも年に1、2回の都道府県単位の労働政策調整審議会でやられているだけで、まだわかりません。
したがいまして、私どもが具体的にどういう問題が生じているということをもう少し実態を見ながらこの問題に対応していきたいと考えていますし、特に今、御指摘のありましたような、労働分野に限っても、ロースクールなどの立ち上げもこれからどんどん広がっていく可能性がありますので、そういうものの全体を見ながら判断したいと思っております。
今日のところは慎重な発言ですが、スキームとしては各論でやるべきではないと思っておりますけれども、私どもの視点としては、労働という特殊な分野についての視点を見定めてからもう1回発言したいと思っています。
○青山座長 時間の関係で先に進ませていただきたいのですが、72条との関係で言いますと、ADRについて専門家を活用して、ADRを拡充するということについては、どなたも反対がなかったと思います。ということは、ADRについて、72条を全面的にそのまま適用するということについては反対であるということだと思います。
それでは、ADRだから当然に72条から外れるということではおそらくない。そこで、廣田委員のように、機関に着目して、ADRの手続を公正かつ適確に行うと認められる機関で選任されたあっせん委員、調停委員、仲裁委員ならば全部外れるという御提言がありました。これについては非常に明確であると思いますけれども、更にこれについては慎重論が幾つか述べられたとおりであります。これについては、機関の場合にはいいけれども、個別仲裁はどうかという問題など幾つかの問題点もありますし、なお検討されるということで今日は態度を控えられた方もおりますので、これは大きな問題ですので、更に今日の議論を踏まえて、3巡目に検討を続けさせていただくということでよろしゅうございますでしょうか。
○原委員 座長のまとめ方で私も賛成ですけれども、私どもの方も弁護士法第72条がすべてにかかることではなくていいということで発言してきておりますので、その方向性で、高木委員が出された表のとおり、弁護士会でもこういった4分野に分けていらして、どこが大きくなるかはまたそれぞれだと思いますけれども、流れとしては、この整理でいいかと思います。
ただ、これから先72条が言いたかった国民の利益の擁護というものは、非常に大きな、それもまた1つの正義だと思いますので、それがどういう形で担保されるのか。今、ホワイト・リストの話もありましたし、適確な機関という話もありましたし、高木委員の方から出されたペーパーの最後の方に第三者評価という事後チェックの方法が書かれておりましたので、方向性として、その流れの中にある中で、次にどういう形を取れば内実が担保できるかというところの議論を3巡目では充実させていただきたいと思います。
○青山座長 おっしゃるとおりだと思います。
それでは、先に進ませていただきまして、時間の関係で大変窮屈で申し訳ないのですが、論点3−3の主宰者に期待される紛争の対象分野についての能力、あるいはその程度、それから論点3−4の法的知識の問題、そういう能力を一体どうやって確認するかという論点3−5も含めまして御議論いただきたいと思います。
論点3−3では、具体的な法律の規定というよりも、例えば建築なら建築、医療なら医療というような、紛争の対象分野についての知識なり能力があることが望ましい。ただ、どの程度の水準のものであることが必要だと考えるかというような考え方を提示していただきたいということでございます。
それから、法的能力については、一体その能力が法曹に近い能力というか、それともこういう問題があるから専門家の判断を仰ぎなさいというアドバイスができる程度の能力でいいのか。あるいは、パネルとして1人専門家が加わっていればいいのかというような、いろいろな考え方があるので、その法的能力についてどう考えるか。
それから、論点3−4のところは、そういう能力というものをどうやって確認していくのかという、ここではプログラム、研修に参加したとか何とかいう①の考え方と、新たな具体的な判断基準を示すという②の考え方、それはどちらも難しいので、それならば機関の判断に依拠するという③の考え方等々が考えられているわけでございますが、これについて御意見を賜りたいと思います。
○龍井委員 たまたま今、連合として、いわゆるサービス残業問題、不払い残業問題のキャンペーンをやっていて、その中で事例として、労働調停にこの問題を持ち込んだものが1つあって、それが時間外の未払いですから労働基準法違反になるわけです。ところが、調停員の中で労働基準法をよく知らずに、いわゆる民事調停一般の金銭解決のような間を取る話のようなヒアリングをされて、それは先生ちょっと違います、これは明らかに基準法違反ですからというようなアドバイスを弁護士がする例をたまたま私は伺ったのです。
それをADRにそのまま引き寄せているわけではございませんけれども、先ほど人の適確性というか、情報開示の問題があったわけですけれども、機関として、そういうことが1人で全部できるわけじゃない。その協力関係なり、専門家がそろっているということが、それこそあらかじめ情報として開示されて、勿論、それと人の適確性の問題は別ですけれども、そういう協力関係が見えるということがあらかじめあって、しかもそれが真偽関係といいますか、そうじゃなかったという場合には、また別の問題化すればいいことなので、そういう総合能力的なことがとりあえず情報としてきちんと出されるということがないと、今の私どものぶつかっている問題では結局たらい回しにされて、最後は裁判でということで、今までのこととあまり変わらないのではないかという気がします。
ですから、私は要件として必ずしも弁護士がいなくてはいけないとまでは言いませんけれども、いろいろな選択肢の中でいい方向を選べるようなものがどの程度開示され、またそれを一定義務付けるか。その辺の連携を出すしかないかなと思っています。
○山本委員 私も今、龍井委員がおっしゃったのと同じような印象を持っていまして、まだ細かい部分については必ずしも十分な定見を持っていないのですが、私の基本的な認識は検討会で何度かお話ししたかと思いますが、高木先生のペーパーではやや御批判をされているようにも見えるわけですけれども、基本的には多様な主体が、機関としても主宰者しても参入してくるということはADRの発展のために望ましいのではないかという認識であります。
非常にアバウトな言い方をするならば、私は悪意のADR機関、主宰者というものは、何としても排除しなければいけない。しかし、善意で能力が乏しいADR機関ないしは主宰者というのは、排除するのではなくて、淘汰されるべきであるという基本的な認識を持っております。
この論点3−3、3−4に即して申し上げれば、こういう紛争分野の専門能力とか紛争解決の専門能力、あるいは法律的な知識が、それは水準が高ければ高いほどいいに決まっているわけでありまして、どういう水準があればいいのかと言えば高い水準があればいいということは当然なのですが、その水準以下のものについてはADRへの関与は認めないという意味で捉えるとすれば、私はその水準というのが、過度に高いところで求めるのは問題ではないかという認識を持っております。
まさに龍井委員がおっしゃったように、一定の情報開示とか、あるいは先ほど原委員がおっしゃったような外部評価、第三者評価というような、なるべく自主的なところで、必ずしも能力がない機関ないし主宰者が淘汰されていくような仕組みをできる限りつくっていく。それを国家なりが一様に排除してしまうというような仕組みづくりというのは、時代のニーズにも適用しないし、ADRの問題においては特に望ましくないものではないかと思っております。
1点だけ先ほど言いそびれたのですが、三木委員が仲裁について、必ずしも法曹資格や法律的な能力が必須のものではないのではないかという趣旨の御発言があったかに思うのですが、前に事務局の出されたペーパーでは、むしろ裁断型ADRにおいてはより強く法的な能力というものが求められていたという趣旨のペーパーであったかと記憶しておりまして、むしろ調整型ADRにおいては、紛争解決に係る専門能力の比重が高くなっていたような図表があったような気がいたします。これはコメントです。
○青山座長 三木委員、どうぞ。
○三木委員 今、山本委員がおっしゃったのは、議論を分けなければいけないので、法曹資格が要るかという文脈で私は申し上げたのです。法曹資格が要るかというのと法律的能力があるかというのは一応は別の問題だというのが1つあります。
これは意見ではなくて、おそらく事実だと思いますが、法曹資格を要求するという制度は世界的に廃止の方向にあるのだろうと思います。あるいは運用上廃止されているのだと思います。それは仲裁の世界性ということを考えて、是非とも考慮しなければいけない要素だろうと思います。
それから、資格ではなくて法的能力の方ですが、山本委員の議論に即して言うと、仲裁の場合は訴権がないわけですから、法的能力のないところに事件を持っていこうという人は実際にはほとんどいなくて、つまり、市場原理で淘汰されているから現状それでやれているのだろうと思います。むしろ仲裁に関しては、より市場原理が働くわけですから、山本委員の議論の筋でいけば、むしろ法曹資格は要らないのではないかという結論になるのではないかと私は思います。
それから、法的能力の方ですが、これは今からお話するのは調停に限ってですけれども、これは法的能力が必要だという議論もそれなりにわかりますが、しかし、ここで考えなければいけないのは、調停・あっせんを利用したいという人の一部には、法律家による紛争解決、あるいは法律家的な紛争解決を望まないというニーズがあることは確かです。
もともと世界的に見ても、ADRが裁判で至らない部分を埋めていった領域の1つというのが、いかにも法律家的な紛争解決というのが困る、あるいはいやだという当事者のニーズが背景にあったと思います。勿論、理屈だけ言えば法的能力を持っている人が法律家的ではない紛争解決をすればいいではないかという議論があるかと思いますが、しかし、現実にそこでは行われているかというと、やはり法律家はどうしても法律家的な紛争解決をしてしまう。あるいは世間の見る目は法律家の紛争解決というのはどうしても法律に乗っかった法の枠を一歩も出ない紛争解決だと。あるいは、ビジネンマンに言わせると、ビジネスのことが全くわかっていない紛争解決だということがありますので、結論としては、法的能力が資格要件のようなもので入ってくるということは、ADRの本質を著しく損なうものだと思います。
○原委員 論点3−3で書かれている専門性の話ですが、私はぜひこの道を開いておきたいと思いまして、実際にはそれぞれ紛争解決に携わる方は誠実に努力していらっしゃるということは認めるのですけれども、往々にして、専門的な案件になると、足して二で割るという形の解決、間を取るという解決をなさっていらっしゃるのがまま見受けられます。
特に消費者トラブルもかなり専門的になってきておりまして、例えば家電ですとか、医療、医薬品、建築、金融など、これはただ単に法律的な知識だけではなくて、それぞれの専門的な知識を持っていないとなかなか判断ができないというところになってきておりまして、是非この分野を開いておいていただきたいということです。ただ、その場合どの程度の水準のものかというところが大変難しいところなんですが、少なくとも足して二で割る以上のレベルという感じを是非出していただきたいと感じております。
私の感じとしては、1人が担うのはとても難しくて、パネル形式のようなものが一番やりやすい。技術的な専門性と法律的な専門性との組み合わせがいいのだろうと思いますが、現状、かなり足して二で割るというのが多いので、是非そこは打破していただきたいと思っております。
○廣田委員 私は先ほどの山本委員の御意見に賛成でして、能力の高い低いを判断することができる人は、今の我が国にはいないと思うのです。もう1つ、もともと非公開ですから、正確な情報が集ってこないのです。もう1つ、おっしゃったように、高いハードルやレベルというものを設定しますと、かえって手続を硬直化するというような危険性もあると思います。
ですから、私はこの問題は長い時間をかけて利用者が決めていく問題ではないかと思っております。ですから、論点3−3、3−4、3−5に関しては、むしろ龍井委員がおっしゃったような具体的な情報開示だとか研修をするとかいう問題で手当てをして、あとは機関に任せる。機関というのは原委員がおっしゃったような方向で、多分だんだんいいものになると私は思っているのです。ADRというものはもともとそういう性格を持っているものだと思いますので、時間を置いて考えて、ここはあまり規制や目標で難しくして、何か固いものとか、あるいは大変だという印象にしない方がいい。鎧を着ない方がいいというのが私の考えです。
○平山委員 皆さんのお話を聞いているとかなり範囲が広いので、私の方は建築という限られた部分のお話だけですけれども、実は建築はかなり専門性のある事件ということで、裁判所の方と協力して建築学会にそういった組織をつくったわけです。建築の事件は、その事件の内容もかなり幅が広くて、1人や2人じゃ到底対応できない。その中でそれぞれの専門家を建築学会の方では分野別に分けて、それをあるレベル以上といいますか、難しい資格とか何とかではなくて、仲間同士で話合いをしてあの人ならいいだろうという形で、それを裁判所の方に登録してあります。
それについて、事件に応じて裁判所の方でこういった人を出してほしいというような、これは東京だけではなくて、全国にわたってそのようなスキームをつくっております。
その中で、裁判所の方は高度な専門家よりも、例えば町医者というような人を選んでくださいということで、高度な専門を1つ持っていて、なおかつある範囲の仕事ができる人というような観点で選んで裁判所の方に推薦していくということをやっております。
以上でございます。
○青山座長 どうもありがとうございました。安藤委員、どうぞ。
○安藤委員 例えば消費生活センター、PLセンターに消費者が来るというのは、機関に対して来ているのであって、主宰者に対して来ているのではないのです。主宰者に対して来るというのは、サムライと言いますか、弁護士とかいった形で来るのが多いのですけれども、そういったものについても、少しずつ事務所という評価になって出てきています。
そうすると、この主宰者というものをどのようにして見るかというと、むしろ今、廣田委員や平山委員が言われたように、むしろそれを活用できる人、それが専門技術ではないかと思います。そういうところに対しての資格というのは、ADRの主宰者として3年間ずっとやって、事例がこういうふうにありますよと、そういうものできちっとした資格が出てくればいいかなと思います。その資格を持つことによって弁護士法72条の穴にするという形で考えていくのがいいので、決して高い能力、そういったものをすべてに要求する必要はないのかと思います。
簡単に言えば、早い段階では公認会計士であれ、税理士であれ、一応それなりのきちっとした身分、資格を持っている人ですから、その人たちがADRという形で動いていただけるのだったら、フリーにやってみていいのではないか。それで実績がきちっと付けば、そこに資格を与えればいいということです。
ですから、3年間待ていないよという状態になるのでは、廣田先生のおっしゃるように、機関にある程度任せるというような形がいいかなと思います。ただし、その資格については、免許証のペーパードライバーがゴールドカードを持つようなやり方は取ってほしくない。あくまでも実効性のある資格にしてほしいということです。
○青山座長 よろしゅうございますか。論点3−3から3−5までを一通り議論していただきましたけれども、紛争の対象分野についての専門的な知識、それから法的知識については、ある方が望ましいし、そういう人を積極的にADRに活用すべきであるということについては御異論はなかったと思います。
問題は、そういうものを判定することを、誰がどのようにやるかということは非常に困難なので、ではどうするかということですが、これについては大方の意見は、機関に委ねるということで、しかし、機関に委ねっぱなしでも困るので、機関はどうしてそうするかというと、それは情報を開示する、あるいは推薦委員会にきちんとした責任を持って推薦してもらうということにしてもらって、ADRの担い手の資質を確保する。しかし、一定の水準に達していないADRというものが出ても、それはもう利用者の自己判断でADR機関を淘汰すべきで仕方がないのではないかということかと思います。
それから、開示や推薦のほかに一定の期間勤めれば資格を与えるというのも1つのアイデアとして示されたところでありますが、この問題はこういうとりまとめでよろしいでしょうか。
(「はい」と声あり)
それでは、15ページに論点3−6として、ADRの担い手について欠格事由を設けるかどうかという問題と、論点4のその他の記述が必要かということと、論点5の相談についてどうかという3つの問題を、もし御意見があれば賜りたいと思います。
論点3−6というのは、先ほど廣田委員が言われたように、公正適確な手続を行い得ると認められる機関が認定した担い手という一般的なことのほかに、こういう人はもう関与できないのだというこで、参考法令にあるような欠格事由を設けるかどうかという点については、何かお考えがあればおっしゃっていただきたいと思います。
○三木委員 この欠格事由は仲裁を含むという議論でしょうか。
○青山座長 仲裁と両方あると思います。
○三木委員 これは座長の方がお詳しいと思いますが、仲裁検討会で欠格事由を設けるかどうかという議論を経た上で今の法案になっていると思うのですが、それとの関係はどう考えればよろしいのでしょうか。議論の仕切り直しができるいうことでしょうか。
○青山座長 どうぞ御自由に御発言ください。私がお答えするよりも、三木委員の方が御存知ですから。
○三木委員 私の理解では、手続的なことを申し上げて恐縮ですが、これを議論するのであれば、もう一度仲裁検討会をその限りで再開しないと、ちょっとおかしなことになるのではないかという気がいたします。
○小林参事官 今の点でございますが、仲裁検討会においては、72条の関係の議論はADR検討会で議論するということになっていたか思います。
ここで申し上げている欠格事由は、平場の欠格事由について議論するという意味ではなくて、72条についての議論をする際の一定の要件という位置付けでございますので、仲裁検討会から委任された範囲内だと考えています。
○三木委員 私が申し上げているのは、おっしゃるように72条の関係で議論するのですが、それが結果的に一般的な欠格事由の問題になるようであれば、仲裁検討会での議論が必要ではないかということです。
つまり両者の問題は、72条の問題と言っても、例えばですが、欠格事由で破産者の問題などが仮に入るとした場合に、それが72条との関係でこの検討会で議論されたとしても、破産者は欠格事由になりませんという決議がされたわけなので、そのように72条に絡んだ議論であっても、実質的に仲裁検討会の議論と矛盾するような場合が出てくれば、そういう必要があるのではないかという趣旨です。
○青山座長 手続論はともかく、三木委員の御意見は、仲裁は外せということですね。では、調停をどうするか、そちらの方をおっしゃっていただいた方が建設的な議論が進むかと思いますが、いかがでしようか。
○三木委員 私は個人的には、欠格事由というのは法律で置く必要はないという立場です。
○青山座長 他にいかがでしょうか。
○廣田委員 欠格事由については、機関がほとんどであると思いますから、そこで認めればよいし、アドホックであれば当事者が選ぶわけですから、その辺は判断すると思うのです。だから、置く必要はないというのが私の意見です。
○山本委員 私は何らかの形で置くべきだと思っています。ここに書かれているように、確かに「悪質な」というメルクマールは非常に難しいと思いますけれども、置くことを検討して、このメルクマールを見つけていくという方向を目指していただきたいと思っております。
○青山座長 ほかにいかがでしょうか。
では、これは2つの御意見があったということですが、論点4と論点5について、特に今日、是非御発言したいという方はおっしゃってください。
[4.その他の規律等]
[5.相談(苦情処理)手続への適用]
○廣田委員 論点5ですけれども、これも先ほどのあっせん人・調停人・仲裁人と同じように、公正かつ適確に行うことができると認められる相談機関、あるいは機関において行われる相談業務は、弁護士法72条を適用しないという形にすべきだと思うのです。これは消費生活センターの相談員などの活躍を考えれば当然のことですから、むしろ現状の確認という意味で、元気を持って活躍していただきたいという趣旨では置いておかなければいけない規定だと思います。
○青山座長 原委員はいらっしゃりませんが、安藤委員、相談のことを前から言っておられますがいかがですか。
○安藤委員 これは当然なければいけないなと。廣田委員と同じ意見です。
○青山座長 廣田委員の御意見に賛成だということですね。今の点以外で、論点5そのものについて何かございますでしょうか。よろしいでしょうか。
今日の議論は非常に多岐にわたって展開されまして、いろいろな意見がたくさん出ておりましたけれども、今日はたくさんの意見を何らかの形で方向付けたという性格のものではございませんので、次回以降、更に今日出た意見を参考にさせていただきまして、3巡目の議論につなげていきたいと思います。どの論点についても、そういうものとして御了解いただきたいと思います。
それでは、議事の最後といたしまして、事務局から資料13−3について、御説明をお願いいたします。
[その他]
○小林参事官 資料13−3につきましては、この検討会でも何回か御紹介させていただきましたアクション・プラン構成案に対しまして、意見募集をした結果の概要をまとめてございます。
時間も押しておりますので、簡単な御紹介にとどめますが、一言で言えばいろいろな意見が寄せられたということでございます。したがって、特に方向付けをするというわけではございませんが、後でご覧いただく際の1つの見方として2点だけ申し上げたいと思います。
1つは、ADR機関等へのアクセスの向上ということで、ポータル・サイトの整備、あるいは総合的相談窓口の充実ということを挙げていたわけでございますが、これに対する意見としては、一方ではポータル・サイト等の自主性を尊重すべきだという御意見もございましたが、他方、内容的には国がある程度関与すべき、あるいは責任を持って運営すべきという御意見もございました。
それから、2番目に、関係機関間の相互紹介の体制整備の促進、あるいは研修の充実、人事交流などという問題につきましては、理想論としてはわかるけれども、現実にはなかなか難しい問題がある。あるいは機関の状況に応じて配慮すべき点があるではないかという御意見もかなり寄せられました。
○青山座長 今の資料の説明につきまして、何か御質問ございますでしょうか。これも非常に参考になる資料だと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。
それでは、次回の日程を確認しておきたいと思います。次回は4月7日月曜日、午後1時半から、内容といたしましては、手続や組織運営等に関する規律について議論をお願いしたいと思います。
また、今日御議論いただきました専門家の活用についても、次回にはADRの主宰者として積極的に関与している立場にある日本弁護士連合会からのヒアリングを併せて予定しておりますので、御承知おきいただきたいと思います。
本日は時間が25分も超過いたしましたが、充実した議論をどうもありがとうございました。