時効制度について、東京大学大学院法学政治学研究科森田宏樹教授より説明が行われた。
・ ADRに対する時効中断効の付与について、実体法から論点整理を行うこととしたい。
・ 時効中断の法的根拠については、一般的に、権利行使説と権利確定説との対立があるが、権利者による権利行使と国の司法機関による権利の確定・実現が予定されているという二つの要素によって構成されている点では共通しており、二つの考え方は互いに相容れないものではない。検討するに当たっては、権利行使説・権利確定説のいずれの考え方を採るべきかについて議論するよりもむしろ、時効中断事由ごとに法的な根拠・メカニズムを分析し、それがADRに妥当するのかどうかという問題設定の仕方の方が有益である。
・ なお、時効中断時期については、権利確定説に立っても、権利者の意思とは関係なく裁判所の手続によって決定されることは私権の保護の観点から適当ではなく、また、訴え提起によって裁判上の保護を受けるために権利者としてなすべき行為をしていると言えることから、請求について判決の基準時である口頭弁論終結時とはせず、訴え提起の時点での時効中断を認めている。一方、権利行使説を前提として場合、永続した事実状態を破るに足りる権利主張として、一定の形式を備えた明瞭で確実な形態が必要であり、我妻説によると、権利主張が裁判所による一定の行為に直接又は間接に接着した手段によって一定の結末に達するということにつながるような形での権利行使が必要であるとされている。権利確定説は訴訟物、訴訟係属といった訴訟法上のタームで時効中断が生じる範囲の限界を画定するが、権利行使説ではもう少し柔軟に認めるべきであるというところに違いがあるものと評価することできる。
・ ADR検討会のこれまでの議論では、民法151条の適用又は類推適用する民事調停タイプ、個別労働紛争解決タイプ、時効停止タイプがあるが、このうち民事調停タイプと個別労働紛争解決タイプでは共通点が多い。
・ 民事調停タイプと個別労働紛争タイプの相違点は、判例・通説を前提にすると、民事調停タイプは独立の時効中断効がその手続自体に認められているが、個別労働紛争タイプは認められていないということである。ただ、両者とも、不調の場合には手続それ自体に時効中断効が認められず、時効中断のためには訴えの提起が必要となることから、共通することになる。
・ 合意に確定判決と同一の効力が認められているため、その手続自体に独立の中断効が認められているという考え方が一般的であるが、沿革から言えば、民法151条は、コンシリアシオン(和解と調停を含む概念)への呼出しに時効中断が認められているフランス民法に由来しており、確定判決と同一の効力が生じる権利確定手続であることが理由で時効中断効が付与されたわけではない。明治23年に公布された旧民事訴訟法において、民法151条の和解も裁判上の和解を意味することになったものである。また、民法151条には調停が含まれていないことから、判例法理上類推するに至ったものである。
・ 個別労働紛争解決タイプでは、話し合いの最中に当事者が時効を援用しても手続の申立て自体には独立に時効中断効が付与されておらず、時効中断のためには手続を打ち切って訴えを提起しなければならないということから、不合理であるとの意見もあろうが、ADRの法制度を考えるにあたっては、判例・通説の考え方を変更することは難しいので、この点を留保しつつ、現在の判例・通説を前提に検討したい。
・ 一定の期間内に訴えを提起した場合、訴えの効果がADR申立て時に遡って認められるという考え方を導入することが可能であるかについて検討するに当たっては、そもそも現在の時効中断制度において、訴えの提起の時点を遡らせることを法律的にどのように正当化しているかという点から考えるべきである。19世紀のフランス民法では訴えの提起前にコンシリアシオンが義務的な和解前置とされていることが根拠であると考えられていたが、民法151条は、義務的な場合に限らず、当事者が合意で出頭して和解に応じた場合は申立てに認めてもよいとの考え方を採用している。したがって、義務的であることと遡及するということは論理必然の関係は導かれない。
・ また、ある手続の結果に確定判決と同一の効力が付与されていることが、遡及効の根拠となるとまでは言えない。ADRの申立てに時効中断効を認め、遡及させるということを可能とする場合の根拠は、当該手続とそれに続く訴えの手続とを一体の訴訟手続のように扱うことができ、いわば訴訟手続の延長上と位置付けることができるからということになるのではないか。我妻説でいうと、裁判所による一定の行為に間接的に接着することによって一定の結末に達することが制度的に予定されていると評価できることによるのではないか。
・ 時効中断効を付与するためには、裁判所に一度係属した事件の訴訟手続を中止して、当事者のADR和解交渉の試みに委ねることがふさわしいと言える程度の適格性要件が要求される。すなわち、主宰者に公正中立性と一定の専門的能力があること、そして手続進行に公正さ適格さが確保されていること、実効性のある紛争解決が図られる見込みが十分ある手続であることが必要である。従来において、行政型ADRを含めて国の機関を前提としていたのは、これらの要件が最低限クリアされていると想定されたからであり、もし、その範囲を広げるならば、暗黙の前提とされていた要件を顕在化させて要件として考えていくことが適当ではないか。
・ 一定の明確な始期と終期が確定されれば、時効中断効が認められるとされているとの前提に立って、時効の中断効を遡って付与するための一定の正当化は不要であるとの考えもあるが、この考え方は、その前提に問題があるのではないか。時効中断については、国の機関によって権利の確定・実現につながる手続が発動されることによってはじめて、時効中断が認められるのである。この場合、裁判外の相対交渉に時効中断効が認められていないことから、両者の線引きが必要になる。
・ 個別労働紛争解決タイプをモデルとした場合、適格性以外に、請求内容の前提として裁判上の請求と同視しうる程度に、主張される権利内容が明確になっていることが必要ではないかと考える。裁判では訴訟物によって自ずと明確になる仕組みが採られており、ADRでも申立ての請求に、相手方の意思に反してでも一定の権利主張を認めさせようという程度に明確な権利主張の内容が含まれていることが最低限必要になる。また、内容の同一性が必要といっても厳密な意味での同一性が必要ではない。この点は単なる苦情相談手続と調停あっせん手続を区別するメルクマールとしての適格性の要件ともかかわってくるものである。なお、ADR合意が必要であるかが論じられていたが、これは手続が係属したといえるかどうかという要件であり、時効中断の時期と一致させる必要はないのではないか。
・ 訴訟上の請求の場合は訴状の送達によって制度的に保障されており、ADRの場合でも何らかの請求の意思が到達することにより了知可能な状態に置かれることが必要である。
・ 起算点の問題は、それが明確に設定できればよいのではないか。実体法の立場からこういう起算点を取らなければいけないという一義的な結論が導かれるものではない。
・ 時効停止タイプは、UNCITRAL国際商事調停モデル法等にもある一つのモデルであるが、現行民法典の時効停止の考え方では、一般に権利者が時効中断をすることが困難な場合に時効完成を猶予する、請求権の行使が困難な場合に時効期間に算入しないものとする制度であるとされており、「有効に訴えを提起しえない者に対しては、時効は進行しない」という法格言が援用される。時効停止は、「権利を行使しうる時」を起算点とし、一度時効期間が進行した後、事実上権利を行使できなくなった時に問題となるが、時効期間の長短とも密接な関係にあり、完成までに十分に余裕がある場合は時効停止を認める必要はなく、時効完成の間際あるいは短期の消滅時効の場合に認める意味がある。現行民法典では、そのような考え方に基づき、客観的に不可能である場合や不可抗力の場合など特殊な場合に限定されている。ただ、客観的・物理的に訴えの提起が不可能とまでは言えなくても、訴えの提起をすることが酷な状況や期待できない状況として、判例で「合意による交渉がなされている場合」にも時効停止を認めている。
・ ADRにおいて時効の停止を認めるとすれば、当事者が訴えを提起することが期待できない場合で、かつ、ADR手続が進行している場合に停止することになると思う。裁判外で支払いの催告を受けた者が請求権の存否の調査のために猶予を求めた場合に、その回答が出るまで時効は進行しないとして時効停止を認めた大審院・最高裁判例もあるが、学説では結論には賛成するが理論構成が明確でないとされている。
・ 時効停止タイプを立法化しようとすると、現行民法典では絶対的・客観的な不能の場合に限られているにもかかわらず、相対的・主観的な不能な場合にも時効停止事由を広げることになる。この場合、公平や信義則に基づくという曖昧な限界付けとなるが、このような曖昧な限界により時効停止事由を緩和することは制度化に馴染まないのではないか。時効停止事由の緩和は当事者に訴えの提起が期待できない場合に広く問題になることであり、ADRについてのみ問題となることではない。
・ 時効期間の長短を問わず、全ての時効期間において一般的な制度を導入することは適当かという問題が生じるほか、もはや誠意ある回答が期待できなくなった時に時効が進行するとした場合には、その始期と終期が不明確であるとの問題があることから、これを一般的に制度化することは困難であろう。
・ このように考えると、時効停止については、個別の場合において時効停止が妥当する場合もあるが、一般化・制度化することには消極的にならざるを得ない。むしろ、催告の継続などの解釈や信義則、権利濫用などの一般条項などによる救済規範として構想されるべきルールではないか。
(質疑応答)
上記の説明に対して、次のような質疑応答が行われた。(○:委員、□:座長、■:説明者、●:事務局)
○ 4点質問したい。まず、時効中断事由となっている請求、和解のための呼出し、仮差押などは、一定の事由があれば効果が生じなくなるものである。これらは裁判上の請求に集約されることを踏まえると、一定の事由があったときに1か月以内に訴えの提起をすれば、時効中断の効力が認められるように考えることもできるのではないか。
2点目は時効制度の存在理由として「権利の上に眠る者は保護しない」という説明があったが、ADR申立てによりこれに該当しなくなるから、ADR申立てに時効中断効を認めることは、むしろ時効制度の趣旨に合うのではないか。
3点目は、時効は当事者が援用しなければ生じないとされているが、民法147条3号の「承認」では、援用・中断において当事者の自由な処分にある程度委ねられているとも言え、ADR申立てがあれば、当事者の権利行使があるとして、原則として時効中断効を認める方が時効制度に適合するのではないか。
4点目は、我が国で初めて調停制度が認められたのは借地借家調停であり、民法制定時にADRはなかったのであるから、民法151条は現代的な意味で解するべきであり、今日のようにADRがたくさんできて、そこで和解をすることが注目されていることを踏まえると、ADRのためにする呼出しについて、民法151条は排除しているとは思われないので、民法151条の延長の問題として、広くADR申立てに時効中断効を認めてよいのではないか。
■ 1点目については、訴訟手続が前倒しされ継続していると言えるADR手続が必要であり、連続して一体のものであるとして扱えるための根拠が必要ではないか。
2点目については、権利の上に眠るものでないことを示せればよいといっても、時効制度の趣旨からは、権利主張の明確性が必要であって、相手方の意思に反してでも強制的に司法機関を通じて相手方に権利を承認させるとの意思表明が必要である。苦情処理の申立てや相談にとどまる場合では、権利行使説に立っても、明確な意思表明がなされたとは考えられていない。
3つ目について、承認は任意の場合の規定であり、援用は援用権者が複数ある場合に時効完成の効果を享受しうる法律関係をどう確定するかという規定である。時効制度は、私的な処理に馴染むものではないことが表われている。
4つ目の問題については、沿革から言えば認められ得るが、判例・通説を前提にすると、立法として認めることは難しいのではないか。また、これまで国の司法機関による手続であることが暗黙の前提とされており、民間のADRが行う手続についても同一に取り扱うことは困難ではないか。
○ 国の関与が必要であるからこそ、1か月以内に訴えの提起があればよいのではないか。証明の問題として済むことは証明の問題として処理し、最後に訴えの提起があればよいと考える。
○ 民事調停タイプと労働紛争解決タイプの相異点について、それぞれのメリットとデメリットを上げてほしい。
■ 手続に独立の時効中断効を認めているかどうかが異なるほか、手続として裁判上の請求が続き、訴訟手続と一体のものとみることができる場合に、民法151条を前提とするとかなり厳格な適格性要件が必要とされることになると思われる。
○ 民事調停タイプは申立ての時点で時効中断効が発生し、個別労働紛争タイプは調停不調後に訴えの提起をしなければならないというのであれば、民事調停タイプの方が判りやすいのではないか。
○ 民事調停タイプの方が望ましい点もあるが、民法151条をどの程度柔軟に考えることができるかによる、という理解でよいか。
○ ADRを活性化するための議論は、ADRを訴訟と並ぶものと考えることを出発点としているが、訴訟の事前手続のようなものと位置付けられ、ADRが訴訟に従属するもののようになるのであれば、そもそもの理念に反することになる。立法化により、ADRの要件が厳格になるのであれば、その特色や長所が失われることになり、かえってADRが衰退する懸念がある。独自の時効中断効を認めることはできないのか。
○ 訴え提起があってはじめて時効中断効が遡って付与されるとすると、どうしても訴訟中心になる懸念が生じる。
ADRの適格性の要件としては、具体的にどのようなものが考えられるか。
○ 適格性の要件は必要なのか。催告では厳格な要件が要求されていないことを踏まえると、証明の問題と考えることはできないのか。
○ 中断について、訴えの提起によりADRの申立てに遡ることができるのであれば、独立の停止があったとみることもできるのではないか。
■ 全体としてみれば、ADR独立の時効中断効について認められると言えるのではないか。
また、実体法上の時効制度は国家機関が最後に控えていることを前提に時効中断が認められる以上、この点に由来する要件が必要となると考えられる。
私的自治に委ねる領域については、「承認」という形で相手方の同意を採れば時効の中断の問題をクリアできるが、承認が得られない場合は国家権力によって相手方に権利を強制的に認めさせざるを得ないのではないか。
適格性の具体的な内容については、訴訟制度そのものが柔軟なものになればその要件も変わってくるので、実体法の立場から申し上げるのは難しい。むしろ、現在の訴訟制度を支えている最低限の要素は何かについて訴訟法の立場から抽出していただきたいと思う。
時効停止については、当事者間で話し合い中は時効期間が進行しないという合意ができれば、当事者の私的処分の領域で解決することも可能であると考えられるが、停止事由について一般法を置くと、かえって不利になることもあり、個別法で置く以外には考え難いのではないか。
○ 個別労働紛争タイプでは、時効の停止を認める解釈はできないか。
○ 独立の時効中断効を認めるには、厳しい適格性が必要であるとの説明であったが、もう少し詳しく御説明頂きたい。
■ 民事調停タイプを前提に適格性の要件を考えると、その結果に確定判決と同一の効果を付与するにふさわしい厳格な手続が必要になるということである。民事調停タイプというよりも個別労働紛争タイプという方が、適格性の要件が広くイメージできるのではないか。
○ 一般の人は、交渉中に時効が完成したり、相手方が交渉中に時効を援用できたりするのは不自然と思うと考えられるが、交渉にあたって何らかの時効停止は認められないか。ADRと交渉の間の線引きという難しい問題があるとは思うが、交渉と時効中断についてはどう考えればよいのか。
■ 消滅時効期間が1年の瑕疵担保責任のように時効期間が短い場合について、交渉中に時効となって権利行使ができなくならないように、裁判外で一定の明確な意思表示がなされたものに、権利保存を認めた判例もある。しかし、交渉に時効中断効を一般的に付与することは難しいので、個別法で1年といった短期消滅時効が想定される局面で検討する方が現実的ではないか。
○ 適格性の要件について、一定の事由があることを要件とすることにより、当事者の予測可能性が害されなければ、事前認定は不要ではないか。
■ 当事者の予見可能性を害しない適格性を要件の設定としては、事前認定だけでなく、裁判で主張・立証できるという制度(事後認定)も併用して設けることもあり得るだろう。この点について、どちらを選ぶかどうかは自由な選択であり、認定制度は事前だけでよいのかというのは一つの論点である。「事後の認定制度」も併用すれば、必ずしも国のお墨付きはなくてもよいことになる。
特例的事項②(法的効果の付与等)[時効中断]について、事務局より、検討事項2-6に沿って説明が行われた後、討議が行われ、以下のような意見が出された。(○:委員、□:座長、●:事務局)
○ ADR間で移行した場合の時効の中断に関する論点が漏れているのではないか。
○ ADR機関をたらい回しにされる場合や、一つのADRでは成果が得られないような場合に、他のADRに行く場合も考えられるので、論点として取り上げる必要があるのではないか。
○ パブリック・コメントの際には、民事調停タイプについても少数意見としてあったとして、残していただきたい。
○ 現在の案では、主宰者の専門性の要件などについてわかりにくい。もっと詳しく書くべきではないか。
○ 現在の案は、ADRの適格性の認定を行うことを中心に記載しているが、この点については異論もあるところであり、また、行政手続として認定制度を置けるかどうかもわからないことから、適格認定については一括して別途論ずるべきではないか。基本的にADRの立法の検討は、規制法ではなくて活性化法を創設することであり、認定が主、個別立証が従の関係と受け取られ得る点は見直してもよいのではないか。
○ 適格認定制度は、利用者の予測可能性を担保する必要性が強い部分では必要になるのではないかと思われるが、議論の中では、そもそも認定制度はいらないという意見、事前認定がよいという意見、事後認定がよいという意見、両者の併用があり得るといった意見があったことをパブリック・コメントに反映した方がよいのではないか。
○ 認定制度の議論を今まできちんとしないできたような感がある。時効中断効と適格性をどう結びつけるかについて整理し、どのような時効制度を組み立てようとしているのかについて、事務局としてある程度具体的なイメージを示すべきではないか。
○ 時効中断効を付与するための適格性の基準例として事務局案が挙げている事項には、講習会を受講する程度でクリアできるものもあるのではないか。
□ パブリック・コメントに答える側の立場に立つと、適格性要件と認定が一体に記載されていると、回答のオプションが少なくなる懸念があるので切り離して記載した方がよいだろう。
○ 適格性の認定については、事後認定を想定している意見がむしろ多いのではないか。また、適格性については「機関の適格性」と「手続の適格性」は分けて議論をするべきである。
○ 適格性要件は必要であり、利用者の利便性の確保の観点から事前認定が必要だが、裁判所による事後認定の余地はあってもよいと考える。
○ 当事者の予見可能性の確保という観点から言えば、事後認定は裁判所にとって重荷ではないか。
○ 予見可能性の確保や法的効果の付与の重みを考えると、事前認定が必要である。あらかじめ国以外の認定機関を設けることは不可能と考えるので、事務局案でよいのではないか。
○ 認定制度は、誰が、どういう基準で行うか、認定を取り消す仕組みをどう仕組むか、という問題が解決しない限り、実務的に認定制度を置けるかは疑問がある。民事調停タイプや個別労働紛争タイプを前提とすると、適格性が必要、認定制度が必要という考え方が有力になるが、催告継続タイプを前提とすると適格性はそれほど必要ではないという整理ができるのではないか。
○ 一定の事由があれば時効中断効が認められると考えることができれば、手続の適格性は必要であり、認定は裁判所による事後認定で足りると考えられる。
前回に引き続き、特例的事項①(弁護士法の特例)について、事務局より、検討事項2-5に沿って説明が行われた後、討議が行われ、以下のような意見が出された。(○:委員、□:座長、●:事務局)
(ADR主宰義務と相談業務)
○ 弁護士法72条は刑罰が規定されているが、外延が不明確な専門的知見という概念で刑罰法規の要件として維持できるのか。
● 専門的知見に関する基準が不明確であれば、公的な確認が必要という議論になるのではないか。
○ 公的な確認の仕組みとしては、他の要件の適格性の認定基準と同一のものとなることを想定しているのか。
● 具体的なものまでは考えていないが、抽象的には同じような仕組みとなろうかと思う。
○ 刑事罰があることから、公的な確認の仕組みがどうしても必要となるのであればやむを得ないが、必要でないという選択肢もあるのではないか。
○ どこまでが医療行為かという問題があるように、弁護士法72条の範囲も明確であるとはいえない。刑事罰を科す以上、罪刑法定主義から構成要件は明確でなければならないとすると、公的な確認を行うことは範囲の明確な確定につながるものと思われるが、ただ法律で細かく書けるのというのであれば、それによって範囲は確定できるかもしれない。
○ 公正・適確な手続を行っている機関が行う調停・あっせんについては弁護士法72条を適用しないということだけを規定すればよくて、専門的知見という要件を設けたり、認定制度を設けたりする必要はないのではないか。弁護士でない者で手続を主宰する者はたくさんいるがこれまで弁護士法72条違反とされたという事例は聞いたことがない。したがって今あるADRについては公正・適確な手続が行われていると考えてよいのではないか。
そして、公正・適格な手続運営をどのように担保するのかという問題については、切り口を変えて、弁護士の関与・助言の必要性についてさらに議論すればよいのではないか。なお、その際には、弁護士が関与し過ぎると費用が高くなり、かえってADRの利用が減ることにはならないかという懸念もあることに留意する必要がある。
○ 罪刑法定主義があるために認定制度をおくというのは、順序が違うのではないか。弁護士の関与・助言を必要とするのであれば、専門的知見という要件は不要ではないか。弁護士の関与・助言の要件は、必要で適切なものと思われる。これによって、弁護士は不適切な者がADRにかかわっているときは、関与・助言することになろう。それに対し、専門的知見という要件を別に設けて、当該要件に関する認定制度を設けた場合、弁護士が専門的知見の活用の有無について判断していないと言うことが前提となってしまうので、これは望ましいことではない。
○ 公正・適確な運営が確保されるという基準は相当程度一般的であり、このような運営がされているかどうかが刑事裁判によって判断されることになり、主宰者は安心してADRに従事できないのではないか。また、審議会意見でも専門的知見を活用すべきという点が、議論の大前提であったはずであり、その視点は必要である。弁護士は法律的な専門的知見を有する者ではあるが、紛争分野における専門的知見があるわけではなく、専門的知見の有無を弁護士の判断に委ねることが適当かどうかについては異論が有るのではないか。
弁護士法72条が刑罰法規であることから、手続を主宰しようとする者の予測可能性を担保しておく必要性は高いものと思われる。
○ 仲裁については、特に認定が必要かどうか疑問である。世界のほとんどの国では、仲裁人に弁護士資格を要請しておらず、国際的な仲裁では弁護士でない者も活動しているという実態を踏まえる必要がある。
○ 仲裁かそれ以外のADRかで分けて考える必要はないのではないか。専門家が仲裁人となるケースについては、別途、論点1-3によって措置される場合も多いと思われ、それでもなお実際にどの程度の仲裁人が救済されないことになるのかという点も考える必要がある。また、行政が確認する仕組みがないと安心して主宰できないということを考える必要がある。
○ 仮に弁護士がかかわっても、そのかかわり方によっては、弁護士法72条違反になる場合がある。ADRの活性化のために専門的知見を活かすということであれば、弁護士法72条の問題とは絡ませず努力義務として書くという方法は考えられないか。弁護士法72条を絡ませる以上は、公正・適確という要件のみを書くことで十分である。
○ 主宰者は弁護士でなくてもよいと思う。弁護士は、法的に手続がきちんと行われているかどうかをチェックする程度の関与・助言で足りるのではないか。
○ 消費者の立場からは、悪徳事業者をどのように排除するかという観点がある一方で、自分たちが主宰者として関与したいという気持ちもあり、事前に公的に確認する仕組みを設けておくということまではいらないのではないか、という感もあるが、直ちにどちらとは言い難いので、パブリック・コメントで意見をきいてみたい。パブリック・コメントでは、公的機関による認定制度を設けるかどうかについては、丁寧に聞いてもらいたい。
(ADR代理業務)
○ 代理業務についても、ADR法に書けるものは書くことによって、姿勢を明らかにすべきであり、その上で必要なものについては各士業法を個別に改正することを考えるべきである。このような意見があったことは、パブリック・コメントに記載してほしい。また、ADRは相対交渉から移行して開始されることが多いので、相対交渉の代理も認めるべきである。
○ 論点2-1では、とりわけ代理業務ということになると、紛争分野にかかわる専門性というよりも、紛争処理そのものにかかわる知見・経験が重要となるのではないか。
□ 前回及び今回出た資料・意見を踏まえ、パブリック・コメントの際にどういう形で出すかについて事務局の方でまとめていただきたい。
特例的手続②(法的効果の付与等)[時効中断以外]について、事務局より、検討事項2-7に沿って説明が行われた後、討議が行われ、以下のような意見が出された。(○:委員、□:座長、●:事務局)
(執行力の付与)
○ パブリック・コメントに付すには、議論が足りない点があるのではないか。一つは、請求異議の訴えとの関係であり、ADR和解には既判力がないため、訴訟でいう基準時以前に生じた事由を理由として請求異議の訴えが提起できるのかどうかが問題となる。これが認められるとすると、当該訴えにおいてすべての審理をやり直すこととなるため、執行力を付与しない場合とどの程度の差異があるかが問題となり、執行力を得るために訴訟を提起する場合と起訴責任が異なるだけとなるが、パブリック・コメントの説明では、執行力を付与することの利便がどの程度あるのかを記載する必要がある。
□ ADR和解には既判力がなく、基準時といったものもないから、事由の生じた時期を問わず、請求異議の訴えを提起することができ、同一の事由は執行決定の手続においても主張することができる。また、執行決定の裁判は決定手続であるから、既判力によって失権することがないため、そこで主張した事由を請求異議の訴えでも主張することができるのではないかと考えられる。しかし、請求異議の訴えが常に提起されるというわけではなく、なお執行力を付与することに意義があると考えるかどうかということである。
○ ADRの調停に執行力を付与することと既存の契約法理や執行法理との整合性についての議論が詰められていないのではないか。UNCITRAL作業部会では、原理的に付与することはできないのではないかという主張もあった。一つは、裁判所の関与の下に行われた手続において実質的な合意が成立しても、訴訟外で和解が成立すれば、これには執行力が付与されないにもかかわらず、民間調停で付与されるというのは論理が通らないのではないかという主張である。
また、調停といっても、最終的には当事者が調停人の意見に拘束されずに合意を成立させるものであり、当事者間の和解の場合と異ならないにもかかわらず、調停に基づく合意に強い効力を与えることの理論的説明はどうなるのか、世の中の多数を占め、重要な機能を営む交渉の不当な軽視にならないかという意見や、調停における和解合意に執行力を与えると、調停外合意が成立した場合に効果が異なることになるが、両者の区別が実際にできるのかという意見もあった。
○ 理論的な問題を検討する必要があるという指摘をしておく必要があると考える。
● パブリックコメントは、検討会の検討状況をできるだけ忠実にまとめて、広く意見をうかがい、その後の検討につなげるという趣旨のものであり、いろいろな意見があるものは取り上げることになるとともに、問題の所在について丁寧な説明を行うことが必要であると考えている。
○ ADR和解には既判力がないので、執行の完了後に不当利得返還請求の訴えや現状回復請求の訴えを起こせることになり、執行結果を執行後に覆滅することが容認されてしまうのではないか。この点は、既判力を持つ仲裁判断とは異なるところであり、仲裁判断に執行力があるからといって、調停についてもそうなるということにならない点の一つではないか。
○ 訴訟上の和解や民事調停についても、学説は、既判力不要説が多数と思われる。判例は、一般に制限的既判力説に立っていると理解されているが、いずれの立場でも、訴訟上の和解等であっても、合意がなかったといったことが立証されれば返還請求・請求異議が立つという点では変わりはない。パブリック・コメントに説明を加えるのであれば、裁判上の和解等においても同じであることを付加すべきである。
○ 理論的にはそのように解されると思われるが、事実としては、裁判上の和解の効力は争いにくく、民間の調停の効力は争いやすいという差異はあると思う。
○ ADR和解に執行力を付与するとすれば、時効中断に比して、要件は厳格なものにする必要がある。調停手続法を作るかどうか等は議論があるが、強行法規たる手続規定を設けずに執行力を付与することができるのかが問題であり、この点をパブリック・コメントで指摘しておく必要があるのではないか。
○ 今後の議論のためには、どういう基準でどういう機関が認定するかという点について、ある程度のイメージが必要なのではないか。
○ 士業資格を有する者が参加するADRセンターを作ってこれに一定の規制を加え、執行力のあるADRを担当する機関とすることはどうか。いずれにしても、国民が安心できなければADRが機能しないことに留意してほしい。