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ADR検討会(第18回)議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日 時:平成15年6月23日(月)13:30 ~17:10

2 場 所:司法制度改革推進本部事務局第2会議室

3 出席者

(委 員)
青山善充(座長)、安藤敬一、髙木佳子、原早苗、平山善吉、龍井葉二
廣田尚久、三木浩一、山本和彦、横尾賢一郎、綿引万里子(敬称略)
(関係機関)
最高裁判所、法務省、日本弁護士連合会
(オブザーバー)
日本行政書士会連合会、日本司法書士会連合会、日本土地家屋調査士会連合会
日本税理士会連合会、全国社会保険労務士会連合会、日本弁理士会
(事務局)
古口章事務局次長、小林徹参事官、山上淳一企画官
(説明者)
東京大学大学院法学政治学研究科 森田宏樹教授

4 議題

(1)時効制度に関するヒアリング
(2)特例的事項②(法的効果の付与等)[時効中断]
(3)特例的事項①(弁護士法の特例)
(4)特例的事項②(法的効果の付与等)[時効中断以外]

5 配布資料

資料17-1(抄)検討事項2-1~2-5
資料18-1   検討事項2-6
資料18-2   検討事項2-7
資料18-3   参考資料
   ・時効の中断に関する議論(第16回検討会)の整理
   ・主なADRの手続比較(未定稿)
   ・個別労働関係紛争の手続におけるあっせん申請書等の様式 ・・・(略)
   ・ADR主宰者に求められる能力(イメージ)
   ・ADRにおける専門家の活用(論点の補足)
   ・既存制度により債務名義を取得する場合の追加的負担
   ・紛争解決手続の選択と法的効果等
  廣田委員提出資料(ADR検討会(第17回)の検討事項2-5について)
  廣田委員提出資料(ADR検討会(第16回)提出資料)

6 議事

[開会]

○青山座長 それでは定刻になりましたので、ただいまからADR検討会第18回を開会いたします。
 本日は議論を、時効中断の問題、弁護士法の特例の問題、時効中断以外の法的効果の付与の3つに分けて進めてまいりたいと思います。
 始めに、時効中断の問題に関しましては東京大学大学院法学政治学研究科の森田宏樹教授においでいただいておりますが、専門的お立場から御説明を頂く予定でございます。そして、御説明を踏まえまして事務局提出資料につき、皆様に御議論をお願いしたいと思います。
 次に、休憩を挟みまして、前回の第17回の検討会で十分に御議論を頂く時間がなかった弁護士法の特例の問題について、御議論を頂きたいと思います。
 3番目に、執行力の付与などその他の法的効果の問題について御議論頂きたいと思っております。
 ただし、おそらくは、予定された時間内では資料全体について、御議論を頂くことは難しいと案じております。その場合、区切りの良い、執行力の付与までを議論して、本日の検討会は終了し、次回、執行力の付与以外の法的効果の問題を御議論頂くこともあるかと思っております。
 それでは、最初に、時効中断の問題につきまして、東京大学大学院法学政治学研究科の森田宏樹教授に民事実体法の御専門の立場から、時効制度全体の考え方とADRへの時効中断効の付与につき、お話を伺いたいと思っております。
 なお、以前からこの時効中断の問題については、専門家のお話をきちんと聞かせていただきたい、という御要望もありましたので、本日はお忙しい中、東京大学大学院法学政治学研究科森田教授にお越しいただいた次第でございます。
 それでは宜しくお願いいたします。

[時効制度に関するヒアリング]

○説明者(東京大学大学院法学政治学研究科 森田宏樹教授)ただいま御紹介にあずかりました東京大学で民法を専攻しております森田と申します。ADRに対して時効中断効の付与をすることについて、実体法の観点から論点を整理して欲しいという宿題をいただきました。今日は、これまで考えましたことをお話しさせていただきたいと思います。
 まず、個別の問題に入る前に、時効中断の法的根拠について一言しておきたいと思います。時効の中断につきましては、教科書等では、いわゆる権利行使説と権利確定説という対立図式によって説明されるのが一般的であります。すなわち、権利行使説によりますと、時効制度は永続する事実状態を保護するものであるから、明確な権利主張の意思が示されれば、もはや「権利の上に眠る者」とはいえないので時効の中断を認めるべきだとされます。
 これに対し、権利確定説によりますと、時効制度は時の経過に権利の存在・不存在の証拠力を認めるものであるから、それに優越するような強い証拠力によって権利の存在が確定されれば、それまでの時の経過は意味を失い、時効は中断されると説かれるわけであります。
 しかし考えてみますと、この2つの考え方は互いに全く相容れないわけではありません。また、このような対比によって現行民法典の時効中断に関する規定のすべてについて、うまく説明できるわけでもありません。まして、ここで問題としておりますADRに対する時効中断効の付与について立法論を展開する際には、権利行使説と権利確定説のいずれに立つのかという形で議論をすることは必ずしも有益でないと考えます。
 すなわち、権利確定説によれば、時効中断の時期は、裁判上の請求については、判決が確定した時点、あるいは判決の基準時たる口頭弁論終結時ということになるかといいますと、そうではありません。あくまでも、時効中断の実質的根拠が権利確定にあるというにすぎず、そのことと時効中断の時期とは別の問題であります。そして、時効中断の時期については、権利者の意思とは無関係に裁判所の手続によって左右されるのでは私権の安定を損なうということから、訴えの提起の時点で時効が中断するとされるわけであります。つまり、訴えの提起によって「裁判上で保護を受け得る可能性を保存する効力」が与えられるわけですが、ここでは、権利者としてなすべきことをしたという権利行使説のような論理が採られているということができるかと思います。
 他方で、権利行使説によりますと、どのような形でも権利行使が明確になされさえすれば時効が中断するかというと、実はそうではありません。権利行使説の立場からすると、永続した事実状態を破るに足りる権利者の権利主張は一定の形式を備えた明瞭・確実な形態を採ることが必要であるとされます。具体的には、例えば、我妻先生の言葉によりますと、権利主張が「裁判所による一定の行為に直接又は間接に接着することによって、一定の結末に達することを要する」、つまり、訴訟上の手段によって一定の結末に達するということが要求されているわけでありまして、それに繋がるような形での権利行使であることが必要とされております。
 このように見てきますと、両説は説明の力点の置き方に確かに違いはあるわけでありますけれども、その内容に含まれる要素、つまり、権利者による権利行使であるということと、それが最終的には国の司法機関によってその権利が確定ないしは実現されるということが予定されていること、というこれら2つの要素から構成されている点では共通しているわけであります。
 それでは、両説の対立は学説史上どこにあったかといいますと、権利確定説がどちらかと言えば、「訴訟物」「既判力」とか「訴訟係属」といった訴訟法上のタームで、時効中断が生ずる範囲の限界を画定しようという方向を指向するのに対しまして、権利行使説はそのような形で限界を画するのは必ずしも適当ではなく、もう少し柔軟に時効中断を認めるべきだ、という点にあったと評価することができます。
 そして、権利行使説の立場からは、例えば、消極的確認訴訟に対して、被告が応訴して勝訴した場合とか、あるいは、裁判上の催告の継続による時効中断といった解釈論が展開されるわけでありますが、これらは判例の認めるところであり、また、その一部については、権利確定説によっても承認されているものであります。従って、両説はかなりの程度まで接近していると言うことができようかと思います。
 このように、権利行使説に立つか、権利確定説に立つかという問題設定よりは、それらが主張している要素が現行実定法上の時効中断事由の中でどのように組み合わされているか、つまり、時効中断事由ごとにそれらの法的根拠ないしは法的メカニズムを分析的に見ていって、それがADRに果たして妥当するものかどうか、かりに妥当するとすれば、どのような要件を満たすことが必要かという形での問題設定が有益だろうというふうに私は考えます。
 以下では、そのような前提で、具体的な問題について検討していきたいと思います。
 以下で検討しますのは、大きく分けまして3つのタイプであります。1つは、民事調停タイプとこの検討会でも呼ばれていたかと思いますが、民法151 条の適用ないしはその類推適用によって認めるというタイプです。
 2つめは、個別労働紛争タイプという名称が与えられていたかと思いますが、個別労働紛争の解決の促進に関する法律上のあっせん手続や、公害紛争処理法上のあっせん調停手続などに見られるものがそれに当たります。
 3つめに、時効停止タイプと呼ばれているものを取り上げたいと思います。
 このうち、1つめと2つめというのは後で述べますように、共通する面も多いので、一括りに扱うことが可能だと思います。このほか、催告継続タイプというものが取り上げられておりましたけれども、ここでは独立のモデルとしては検討せず、時効の停止との関係で言及するにとどめたいと思います。
 それでは、まず第一のグループの民事調停タイプと、第二の個別労働紛争タイプについて、お話ししたいと思います。
 まず、両者の関係について整理しておきたいと思います。両者は確かに相違点もあるわけでありますが、その基本的な考え方において共通する点も多いというふうに私は考えております。まず、現在の判例及び通説的な理解を前提にお話しいたしますと、両者の基本的な違いは次のように説明されております。
 すなわち、民事調停タイプにおきましては、その手続の申立てそれ自体に独立の中断効が付与されているけれども、個別労働紛争タイプではそうではないのは、裁判上の和解とか民事調停の申立てにつきましては、その手続の結果、合意が成立した等の場合におきましては、それに確定判決と同一の効力が付与されているわけでありますので、その限りでは、裁判上の請求と共通する点も認められる、その結果、その手続自体に、かつ手続の申立て自体に独立に中断効が付与されるというわけでありますが、これに対し、個別労働紛争タイプではそのような法的な効力、確定判決と同一といったような法的な効力は付与されておりませんので、手続の申立てそれ自体には独立の中断効はないというわけであります。
 しかし、他方で共通する面としては、いずれも合意が成立しない等、最終的解決に至らない場合には、所定の期間内に訴えを提起することを条件として当初の手続の申立てに訴えの提起の効力が遡及して付与されるという点であります。この点では、両者は共通しているわけであります。
 確かに、和解や調停では手続それ自体に独立に中断効が付与されているというわけでありますが、しかし、一旦、合意による解決が不調に終わった場合には、時効中断の効力を保存するためには所定の期間内における訴えの提起が要求されていることからすれば、その時点では手続の継続それ自体に独立に中断効があるとは言いにくいように思います。したがいまして、その点では両者は同じと言ってよいかと思います。
 以上が、現在の判例ないしは通説的な理解を前提にした整理でありますけれども、このような整理それ自体が当然のものかというと、若干の問題がありますので、少しお話をしておきたいと思います。民法151 条の沿革から見ると、そのような理解とは別の理解が成り立ち得るということであります。民法151 条につきましては、先程、和解ないしは類推適用によって認められる調停などにおいては、その合意に確定判決と同一の効力が付与されているので、その手続の申立て自体に独立に中断効を付与したものだと説明されていると申し上げました。
 ところが同条は、フランス民法2245条に由来し、ボアソナード法案、旧民法を経まして現行民法典の規定へと受け継がれたものでありますけれども、フランス民法2245条におきましては、そのような議論はなされておりませんで、そこでは、コンシリアシオンへの呼出し――このコンシリアシオンというのは、日本で言えば、丁度、和解と調停を両者をカバーするような広い意味だというふうに御理解いただければと思いますが――このコンシリアシオンへの呼出しそれ自体に、時効の中断効が付与されており、その法定の期間内に訴えの提起がそれに続くときには、申立ての時点で時効が中断すると規定されているわけであります。
 それで、民法典が起草された当時、そして19世紀のフランスにおきましては、いわゆる治安判事のもとで――最近では、平和裁判官と訳される方もおられますけれども――平和所におきまして、当事者が訴え提起をする前に話合いによって解決するということを試みるということがなされておりました。それが義務的でありまして、一定の事件を除きまして、当事者が訴え提起する前にこの平和所においてコンシリアシオンを試みなければならず、それが不調であった旨の証明書を添付しなければ訴えを提起することができないという仕組みになっていたわけであります。そして、そのようなコンシリアシオンへの呼び出しに、時効の中断効が付与されていたわけであります。
 このコンシリアシオンの結果、合意が成立したとしましても、それには私法上の和解契約の効力しかございませんで、調書を作成した場合にも執行力も付与されていなかったわけであります。旧民法を起草したボアソナードも、それから現行民法151 条を起草した梅博士も、このような意味でのコンシリアシオンを専ら想定した説明をしているわけであります。
 したがいまして、そこでは民法151 条は確定判決と同一の効力が生ずるような権利確定手続であるから時効の中断効が付与されたというわけではなかったようであります。
 ところが、他方、明治23年に公布されました旧々民訴法と言うべきかもしれまれせんが、そこではそれまで行われておりましたいわゆる勧解制度、すなわち、裁判所以外で第三者が当事者の和解を行うという勧解制度を取り入れず、法律的に純化されたものとして裁判上の和解を制度化したわけであります。その結果、民法151 条の和解とは、裁判上の和解を意味することになったわけでありますが、そこで、元々民法にいうコンシリアシオンの意味での「和解」と民事訴訟法上の「和解」の概念にずれが生じたと言うことができようかと思います。そこから、151 条からは調停が抜け落ちることになり、それを類推適用によってカバーするという判例法理が展開されることになります。他方で、権利確定説的な理解によって151 条をとらえますと、この手続の結果に確定判決と同一の効力が付与されているがゆえに、151 条は和解の申立てに独立の時効中断効を付与したという理解が生まれることになったわけでありますが、沿革的には必ずしもそうではなかったわけであります。
 このことは、次のような実際上の問題にもつながっております。つまり、個別労働関係紛争タイプの時効中断を考えた場合には、その話合いによって解決が図られている手続の進行中において、当事者が時効を援用をしますと、手続の申立てには独立に時効の中断効が付与されておりませんので、時効によって権利が消滅することになり、その手続を打ち切って訴えを提起しないと時効の中断効が生じないということになってしまいます。それは不合理ではないかと思われますけれども、そうした問題というのは、先程言いましたような、現在の判例、ないしは通説の理解を前提とした151 条の理解に立つからであります。しかし、151 条についてそれとは別の理解もあり得るということを考えますと、その辺りの結論もかなり変わってくることになろうかと思います。
 もっとも、ADRに関する立法の中で、民法151条の考え方ないし理解を見直すということがどのようにして行うのかということを考えますと、かなり難しいところもございますので、以下では、そういう問題があるということを留保しつつも、さしあたり先程述べました現在の判例ないしは通説的な理解を前提にお話しを進めたいと思います。
 さて、民事調停タイプないしは個別労使紛争タイプをモデルとして、一定の期間内に訴えを提起した場合に、その訴えの提起の効果が手続の申し立てに遡って認められるという考え方、そういうルールを導入することは果たしてADRについて可能であるか、その場合に考慮しておくべき問題点は何かを次に検討したいと思います。
 この問題を考える際の出発点となるべき問題は、なぜ訴えの提起の時点を遡らせることができるか、それをいかに法的に正当化できるのかという問いに対して答えることであります。
 それに対する答えというのはいくつか考えられるわけでありますけれども、比較的明確に答えられるものとしては次のような説明がありえます。第一に、沿革から申し上げますと、先程申し上げましたように、19世紀のフランスでは義務的な和解前置の制度が採られていたわけでして、訴えを提起する前に、当事者がコンシリアシオンを試みることが原則として義務的であるような場合を考えますと、訴えを提起することができないわけでありますから、その和解の申立てに、時効中断を遡って付与させるべき強い理由があると言えます。このような和解による話し合いが義務的である場合については、遡及効の付与は十分に正当化しうるわけであります。
 ただ、19世紀のフランスにおきましても、そのような見解が有力に主張されたわけでありますが、他方で、時効の中断効が付与されるのは、コンシリアシオンが義務的である場合に限られず、法律によって前置が採られていない場合であっても、当事者が任意に出頭して和解をした場合には、その和解の申立てに時効中断効を付与してよいのではないかという見解もむしろ有力に説かれていたところであります。
 そして、ボアソナードは後者の見解に立って旧民法を起草し、それが151 条の「任意出頭」という言葉に表れているというふうに理解することができます。したがって、沿革から見ても、必ずしも義務的であることと時効中断の遡及効を付与することとは結び付いていないし、また、比較法的に見ても、そのような論理必然的な関係があるわけではないわけであります。
 それから第二に、先程述べましたように、ある調整手続の結果に、確定判決と同一の法的効力が付与されていることが、その手続の申立てに遡及して中断効を付与することの根拠になるという説明もありえます。しかし、この点も、必ずしもそうとも言えないと思います。確定判決と同一の効力が付与されるということは、その手続自体が公正中立に進行することが制度的に確保されているということを示すものであるということはできるわけでありますけれども、反対に、そのような手続でなければ、時効中断効を遡及させるにふさわしいものであるとは言えないとまでは言えないのではないかと思います。
 そう考えますと、以上に述べたような理由が妥当するような場合以外にも、より広くADRの申立てに時効中断効を認める、訴えの提起の効果を遡及させて認めるということがなぜ可能なのか、ということが問題になります。しかし、これに正面から答えるのはかなり難しい問題であるように思われます。そこで、これを付与される効果の点から考えますと、次のように問題を言い換えることができようかと思います。
 つまり、時効の中断に関してはADRの申立てに訴えの提起の効力が遡及して付与されるということは、当該ADRの手続とそれに続く訴訟手続とを言わば一体をなす訴訟手続のように扱う。つまり、このADRの手続の申立ての時点で訴えの提起があったと同様に扱うというのは、その両者の一体性が前提となっているということになろうかと思います。ADR手続が訴訟手続の延長上に位置するもの、いわばその事前交渉の手続として位置づけることができるような場合には、その手続の申立てに時効中断効を遡らせて付与することが可能であると考えることができるのではないだろうかというわけであります。
 冒頭で述べました我妻説の言葉を借りますと、「裁判所による一定の行為に間接に接着するということによって、一定の結末に達する」ことが制度的に予定されているようなものであると評価できるかというふうに言うこともできるかと思います。
 あるいは別の観点から、次のように問題を設定し直すことも可能だと思います。つまり、時効の中断に関しましては、ADRの申立てに訴えの提起の効力が付与されるということは、その効果から見ますとあたかもADRの申立ての時点で訴えの提起がなされ、ただ、ADRの手続の進行中はその訴訟手続を中止しておくという扱いが取られているのと同様に扱うということを意味するわけであります。
 そうしますと、裁判所に一旦係属した事件について、どのようなADRであれば、裁判所が一定期間、訴訟手続を中止して、当該ADRによる和解交渉の試みに付することが適当であるのか、そのような扱いをすることが適当であるようなADRとは何かという形で問題設定することが可能であるように思います。
 このような裁判所の訴訟手続と一体として扱うことが可能であるような事前手続、あるいは、その訴訟手続を中止してでも当事者の和解交渉の試みに付することがふさわしいと言えるような手続、これがADRの適格性要件として要求される。そして、そのような適格性要件を満たすことを前提として、当該ADR手続の申立てに時効中断効を付与するという考え方になるのではないかと私は考えております。
 このように考えますと、少なくともADRの主宰者に公正・中立性と一定の専門的な能力が備わっているということ、そして、ADR手続の進行の公正さ・適確さが確保されていて、実効性のある紛争解決が図られる見込みが十分想定され得ること、そのような要件を満たす手続であることが必要であるということになろうかと思います。
 従来、司法型以外にも、行政型ADRを含めましても、国の機関の関与がある程度前提とされていたわけでありますけれども、それは国の機関であれば、いま述べたような前提要件が最低限クリアーされているということが暗黙に想定できたからということができようかと思いますが、それを国の機関以外にも広げる場合には、そこで暗黙の前提とされていた要件を顕在化させて、それをADRの適格性の要件として設定し、それをクリアできるようなADRについては、時効中断効を付与するという方向で考えていくというのが適当ではないかと思います。
 ところで、いま述べましたことに関連いたしまして、第16回の検討会におきまして、廣田委員がなされておりました条文案の提案がございますので、それについて一言しておきたいと思います。
 私の理解するところでは、この廣田委員の提案というのは、ADRの終了時点さえ形式的に明確にすれば足り、その他の要件は不要であるという考え方に立つものであるとみることができますから、私がこれまで論じてきたような問題、つまり、訴えの提起の効果を一定の行為の時点まで遡って付与するには、遡及させることについての一定の法的正当化が必要であるという立場を採らない、そういう正当化は不要であるという前提に立つことを意味するかと思います。しかし、まさにその点が問題でありまして、なぜ時効の中断に関して、訴えの提起の効果を遡及させることができるのか、その点は説明しなくてよい問題なのかということがまさに問題だろうと思います。仮に説明しなくてよいということであれば、これは一定の明確な始期と終期さえ確定されれば、その時点を基準に中断効が認められるということになりますけれども、私はその前提に問題があるのではないかと思います。
 冒頭で述べましたように、時効中断制度というのは、学説上、どのような立場に立ったとしても、それが最終的には国の司法機関による権利の確定ないしは実現につながるような手続を発動させることによってはじめて時効の中断が認められるということであります。そして、それにつながらない裁判外での当事者の相対交渉には時効中断効は認められていないわけでありまして、このことを考えますと、その線引きというのは、やはり必要になってくるのではないかというふうに思います。
 以上がどのようなADRであれば、手続の申立てに時効中断効を付与することができるか、というそもそも論でありますが、次に、個別労働紛争タイプをモデルとして、時効中断効を付与する場合に、それ以外に適格性以外の問題として論ずべき点について、若干述べておきたいと思います。
 第1は、ADRの申立てという請求内容であります。これに訴えの提起の効果を遡らせるわけでありますから、その前提としましては、ADR上の請求が、裁判上の請求と同視し得る程度に、主張される権利内容が明確になっていることが必要ではないかと思います。
 裁判上の請求につきましては、「訴訟物」といったような制度的な前提によって、自ずとその主張が明確になる仕組みが採られていたと言うことができますけれども、ここで問題とするようなADRの申立てについては、必ずしもそうではありません。ただ、その申立て自体に、請求、つまり相手方にある一定の権利主張を認めさせようという明確な権利主張の内容が含まれているということが最低限必要になってくるかと思います。 ADR上の請求と裁判上の請求の「同一性」という言葉が使われますけれども、厳密な意味で同一であることは必要ではなくて、以上に述べたような意味での明確な権利主張が含まれていれば足りるというふうに思います。この点は、請求の内容からみて、単なる相談ないし苦情処理の手続とあっせん・調停手続を区別するメルクマールをどう設定するかといったような適格性の認定要件とも関わってくるかと思います。
 なお、この点に関し、単なる催告と、時効中断効を付与しうるADR上の請求とを区別するメルクマールとして、ADR提供者と両当事者の間に、ADRを利用し、ADRにより紛争解決を試みることの合意、すなわち、ADR合意が必要であるかすべきでないかという点が論じられていたかと思いますが、私は、実体法上からは、必ずしもその時効中断の時期とADRの合意の時期というのを一致させる必要はないかと思います。ADR合意の要件というのは、これはむしろADRの手続が係属したと言えるかどうかという要件でありまして、時効中断の時期と一致させる必要はないと思います。
 それから第2に、このような請求の意思が相手方に到達することが制度的に保障されているかという点が指摘できるかと思います。これも時効の中断事由のすべてに共通していることでありますけれども、何らかの形で請求の意思が相手方に到達することが保障されている、つまり、相手方の了知可能な状態に置かれるということが必要であります。それがどの程度までなのかというのは、中断事由ごとに様々でありますけれども、そのような前提があるという点では共通しているというふうにいうことができようかと思います。
 もっとも、このことと時効中断の効力が発生する時期とは別問題であります。例えば、訴訟上の請求につきましては、訴状の送達によってその相手方への到達が制度的に保障されているわけでありますが、時効中断効が発生するのは、訴状を提出した時であります。したがって、それと同様の制度的な保障があれば、手続の申立て時点で時効中断効を発生させるということは同じように可能でありますけれども、その到達が必ずしも制度的に保障されていないというものについても、ADRとしての適格性を認め、時効中断効を付与する場合には、ADR上の請求が相手方に到達した時点で時効中断効が生ずるというように、その辺りの調整が必要になってこようかと思います。
 そのほか、ADRの申立てに時効中断効を付与するために訴えの提起が必要な所定の期間の起算点の問題があり、例えば、ADR主宰者による手続の打ち切りを必要とするかといった点が論じられていますが、これは明確に設定できればよいという程度の問題に過ぎないのではないかと思います。実体法の立場から言うと、このような起算点を取らなければいけないという結論が一義的に導かれるものではないというふうに私は考えております。
 以上で3つのタイプのうち、第1と第2のタイプの検討を終えて、最後に、第3のタイプである時効の停止について検討しておきたいと思います。時効停止タイプを考えるというのは、UNCITRAL国際商事調停モデル法や、ドイツの債務法改正などに示唆を受けまして、1つのモデルとして主張されているものであります。これに対しては、現行民法典の体系に適合的でないとの批判がなされているところであります。
 それでは、現行民法典における時効の停止の考え方とは何かということが、その前提として問題になろうかと思います。この点については、次のように説明することができようかと思います。
 一般に、時効の停止というのは、「権利者が時効の中断行為をすることが困難な場合に、時効の完成を猶予すること」とか、あるいは「時効期間中に請求権を行使することが特に困難な事情がある場合に、一定の期間を時効期間に算入しないもの」などと教科書等では説かれております。
 このような時効の停止は、沿革的にいいますと、フランス民法典に由来するものでありますが、フランス法ではその制度の根拠として、古くから「有効に訴えを提起し得ない者に対しては、時効は進行しない」という法格言が援用されるのが通常であります。これは、現行民法典について起草者である梅博士も援用しているものであります。
 つまり、現行民法典の時効停止規定はすべて、事実上権利を行使できない場合であるというわけであります。このような考え方は、時効の起算点が権利を行使し得る時からとされる考え方と、共通する面があるわけでありまして、一旦時効期間が進行した後に権利を行使し得ない状況になった場合には時効の停止の問題となるわけであります。
 また、この時効の停止は、時効期間の長さとも密接な関係があります。つまり、ある一定の期間、権利行使ができない状況に陥ったとしても、時効完成までにまだ相当の期間が残されている場合には、そのことを理由に時効の停止を認める必要性はあまりないわけであります。
 したがいまして、時効の停止が実際に問題になるのは、時効の完成の間際であるか、あるいは時効期間が2年や3年といったような短期の消滅時効の場合についてであるというふうに言えようかと思います。
 さて、そのような考え方に基づく時効の停止制度でありますが、現行民法典の規定――これが158 条から161 条までありますけれども――それらを見ますと、かなり特殊な場合に時効の停止事由は限定されております。それでは、なぜ特殊な場合に限定しているかというと、これらはすべて権利を行使し得ない場合というのが、極めて厳格に解されているからであるといえます。
 つまり、客観的・絶対的な不能、つまりは不可抗力によるといえるような場合に限定して、先程の法格言の適用を認めるというのがフランス民法の立場であり、現行日本民法典の立場であるというふうに言うことができます。
 これに対し、そのように限定的に適用するのではなく、もう少し広く先程の法格言を適用するということが認められてしかるべきではないかという議論がフランスでも以前からなされております。つまり、今、客観的ないし物理的・絶対的に訴えの提起が不可能だとまでは言えなくても、主観的・相対的に見て訴えの提起が不能である場合、言い換えると、何らかの合理的な理由によって、権利者が訴えの提起をすることが期待できないような状況、あるいは期待することが酷であるような状況に置かれている場合には、時効の停止を認めるべきではないかというわけであります。
 そのような類型としてフランスでもいくつかの類型が論じられておりますが、その1つとして、合意による交渉 (pourparleurs amiables) がなされている場合が論じられておりまして、それを認めた破毀院の判決もございます。
 以上のように時効の停止の制度趣旨に即して検討していくと、ADRにつきまして、時効の停止を認めるという場合には、いま述べたような考え方に基づいて、ADRによって当事者の交渉が進行している期間は、当事者が訴えを提起することが期待できないような状況にあるから、その場合には時効期間が停止するという考え方を採ることになろうかと思います。
 同様の考え方が、わが国の判例の中にも見いだせないわけではありません。やや孤立した判例とは言えますけれども、裁判外で支払の催告を受けた者が、請求権の存否の調査のために猶予を求めていた事案で、その者から何分の回答がなされるまで時効期間が進行しないことを認めた大審院判例(大判昭和3年6月28日民集7巻519頁)および最高裁判例(最判昭和43年2月9日民集22巻2号122頁)がございます。この判決については、学説によって、結論は賛成するけれども、理論構成は明確でないと評されておりますが、その論理からしまして時効の停止を認めたと位置づけることができようかと思います。
 ですから、時効の停止を緩やかに認めるという考え方は、わが国の判例の中にも見出すことができるわけであります。それでは、そのような考え方に基づいて立法化し、ADRによる交渉が行われている間は時効の進行が停止するとすることが適切かということになりますと、それにはいろいろと問題があると私は考えます。
 まず確認しておくべきことは、ここで問題となっているのは民法典の時効停止事由が前提としているような権利行使が絶対的・客観的な不能の場合ではなくて、相対的・主観的に不能の場合に広げるということが前提となるということであります。先の法格言をそういう場合にまで緩和をして適用するということになりますと、その限界付けをどうするのかという問題が直ちに提起されるわけであります。
 このような法格言は衡平ないしは信義則に基づくと言われることからも、その限界付けには、必ず曖昧さが付きまとうわけであります。現在のフランスの判例法も、合意による交渉に時効停止の効力を認めることについては、かなり慎重な立場を取っているのもそのことを示しているわけであります。
 そういうふうに考えていきますと、これを緩和するのはなかなか制度化に馴染まないのではないかという問題が出てきます。具体的には次の諸点に関わります。
 すなわち、第1に、合意の交渉に時効停止を認めるという考え方は、ADRには限定されるものではないということであります。これは当事者の相対の交渉も含めて、信義則上、当事者に訴えの提起をすることが期待できない場合に広く問題になるものでありまして、特にADRに限って問題となるというわけではありません。もちろん、立法する場合には、ADRによる交渉に限って立法化することが政策的には考えられますけれども、根拠からみてその場合に限定するのが適切かということが次に問題になります。
 第2に、すべての時効期間に共通するものとして、時効停止事由を認めるかという点も1つの問題であります。先程述べましたように、時効停止というのは、時効期間の長短にも関係し、時効の完成まで余裕がない場合に特に問題になることを考えますと、時効期間の長短を問わず、すべての時効期間に妥当するような一般的な制度として導入するのが適当かという問題が生じます。むしろ、立法によって制度化を図ることがあり得るとすれば、例えば、3年以下といった短期の特別の消滅時効が問題となるような場合におけるADR手続に限って、個別に導入するということはあり得るかと思います。そのような限定なしに一般的に導入することが適当かについては検討を要するところであります。
 第3に、始期と終期の不明確さということが挙げられます。先に述べた判例についても、何分の回答があるまでは時効期間が進行しないというわけですが、回答がない限りいつまで経っても時効は進行しないかという点については、学説上議論があります。いつまでも停止しているのは適当でないとすると、例えば、相当期間が経過して、もはや誠意ある回答が期待できなくなった時から進行するという解釈も示されておりますが、それは具体的にいつの時点かという問題が出てきます。これを制度化するということになりますと、かなりの混乱を伴うわけであります。
 このように考えてきますと、時効停止という考え方は、なるほどそれが妥当する場合はあり得るわけでありますが、それを広く一般化して制度化することが果たして適当かと言いますと、私自身は現時点では消極的にならざる得ないところがございます。そのような考え方は、カテゴリックに時効の停止事由として制度化するのではなく、むしろ解釈によって、個別の事案において、例えば催告の継続や信義則権利濫用といったような一般条項を通じまして、事後的な救済規範として構想をされるべきルールではないかというふうに私は考えております。
 かなり時間を取ってしまいましたけれども、3つのモデルについて、以上でひととおり検討を終わらせていただきたいと思います。

○青山座長 どうもありがとうございました。それでは、ただいまの御説明につきまして、若干質疑の時間を設けたいと思います。どなたからでも結構ですので、御質問のある方は挙手をお願いしたいと思います。それから事務局の方も、もし質問があれば、追加的にどうぞ宜しくお願いします。大体30分位の質疑の時間を設けたいと思います。

[質疑]

○廣田委員 私の名前が出ましたので、質問したいのですけれども、私は裁判と一体化するかしないかというところで全く切り離しているつもりはないのです。私の案を読んでいただければ分かるように、それが駄目だったら、1か月以内に訴訟を出さなければ中断の効力を失うというふうになっていますから、森田先生がまさにおっしゃるような意味のADRと訴訟とを一体と見るという考え方には立っているわけです。そういう前提で、ちょっとその辺、先生は誤解があるのではないかと思うのですが、これは全く切り離しているつもりはないのです。
 それはそれで私の意見なのですが、それはともかくとして、それに関連して言えば、時効中断事由というのは、まず請求があって、催告は6か月放っておけば効力が生じなくなる、それから和解のためにする呼び出しだとか、仮差押・仮処分などがあって、これも一定の事由があれば効力が生じなくなる、そして最後に裁判所に請求というふうに集約されているというふうに見ていいのではないかと思うのです。この条文の置き方から見ますと。それが先生のおっしゃるADRと訴訟を一体と見るかどうかということに関連していることだと思うのですが、だとすれば、私がやはりそれにつなげて、一定の事由があったときには1か月以内に訴訟を出さなければ、中断の効力がなくなると考えるのは、先生のお話とそう矛盾はしていないのではないかというふうに私は思っているのですが、その点はいかがかということが1点です。
 それからもう一つ、時効制度の存在理由としてよく言われることは、「権利の上に眠っている者は保護に値しない」だとか、あるいは「長期間の経過によって立証が困難になる」などという元々の時効制度について、そういうふうに説明されていますけれども、ADRの申立てをするということは、大きく見ていずれもそれに該当しないのであるから、時効制度の趣旨からして、ADRの申立てに時効中断効を認めるということは、それほど矛盾した制度ではない。ですから、むしろ時効制度との趣旨に合うのではないかというふうに考えるのですが、その辺はいかがですかということです。
 それから第3点は、今言ったことには反対論があるかも分かりませんけれども、時効というのは当事者が援用しなければ、裁判所はこれによって裁判ができないというふうになっています。また、民法145 条に列記される時効の中断事由として3号に「承認」があります。そういうものがあるのですから、援用するにしても中断するにしても、当事者の自由な処分に、ある程度委ねている制度ではないかと読めないだろうか。そうすると、当事者の権利行使という観点から時効制度を見るとすれば、そういう当事者の権利行使とみなされるADRへの申立てがあれば、原則としてこれを認めるというのが、時効制度にマッチするのではないか。これは権利行使説と先程の先生のおっしゃるもう一つの権利確定説にとっても同じような結論になると思うのです。それが3点目です。
 もう一つは、森田先生も少しお触れになりましたけれども、民法が施行されたのは1898年で、その前の1891年の旧民事訴訟法典の成立によって訴訟中の和解と起訴前の和解の制度が設けられておりました。我が国で初めて調停制度ができたのは1922年の借地借家調停です。そこで民法151 条の和解のためにする呼び出しに関して言えば、民法制定の時にはADRにはなかったのです。今のお話ですと、フランスの法典からという話なので、そうすればなおさら、151 条が1つの現代的な意味で生きてくるということは考えられないかということです。ということは151 条の読み方ですが、訴訟中の和解は既に訴え提起がなされているので、元々はあまり意味のある規定ではありません。それから起訴前の和解も当事者間にほぼ和解ができているのが普通ですから、呼び出しにはあまり意味がない。
 ですから、今日のようにADRがたくさん出来て、ADRで和解をすることに注目して、現代的な読み方をすれば、先程先生も触れられたように、フランスではもうちょっと広い読み方があったようですので、ADRにおける和解のために呼び出しを民法151 条が排除しているとは私は思われないのです。そのほかに、民法には和解という規定もありますので、特にこれを排除していると読めないのではないかと思います。だとすれば、民法151 条の延長の問題として広くADRに対する申立てを認めていいのではないかというふうに私は考えているのですけれどもその辺はいかがでしょうか。これが4点目です。

○青山座長 森田教授どうぞ。

○森田教授 では順番にお答えしていきます。廣田委員の条文案がADR手続と訴訟手続とを連続的ととらえているという点は、私もそのように理解しましたけれども、私の疑問は、なぜ両者を連続的なものとしてとらえることができるかという点にあります。ADRであれば、すべて訴訟と連続的なものとしてとらえることができるのか。それとも、訴訟と連続的なもの、つまり、訴訟手続がある意味で前倒しになっていて、継続していると同じように扱うということができるようなADRであることが必要ではないか。
 私自身は、両者を連続させて扱う根拠は、やはり必要ではないかという立場にたちますが、私の立場から先生の案を拝見しますと、そういう根拠は括弧に括って、一定の時期から起算して訴えを提起すれば、すべてのADRについて訴訟と一体として扱ってよいとしているように見えるのですが、すべてのADRについて訴訟手続と連続として一体のものとして扱うことがなぜ可能なのかという問いが立つのではないかということです。

○廣田委員 それは、私自身が時効制度を、「長期間の時の経過によって立証が困難になるから」という考え方でとらえているからです。ですからそういう考え方に立っているから、それは可能であるということです。しかし、その説に立っても、権利の上に眠っている者の保護ということに関しても、それほど大きな違いはなかろうと。だから、それは採れるのではないかという私の考えです。

○森田教授 そうしますと、2番目の御質問である、時効制度の趣旨からADRに時効中断を認めるにふさわしいのではないか、という点に関わってくるかと思いますが、権利行使説は「権利の上に眠る者ではない」ことを示せばよいと、教科書等には確かにそう書かれていることもありますが、権利行使説が、明確な権利主張をすれば何でもよいかというとそうではありません。反対説から「権利行使説によれば、このような場合にまで広く認められることになってしまい適当でないのではないか」という批判がされるときには、そのような場合にまで広く認めるのが権利行使説の論理的帰結であるように説かれますが、権利行使説を主張する方自身は、必ずしもそのように解していないと言うことができようかと思います。
 「時効制度の趣旨から考えて」という場合の時効制度の趣旨については、確かに権利行使という考え方がありますけれども、権利行使がどの程度の明確さを伴ってなされることが必要なのかという点の、明確さの程度の設定という問題があります。
 梅委員や、ボアソナードなどフランス法系の文献を見ていますと、権利行使説か権利確定説かという図式から言うと、権利行使説に近いように見えるわけであります。しかし、そこで権利を行使するとは、相手方に対し、その意思に反してでもその権利を認めさせるという強制的な契機が含まれていると見ることができます。強制とは、結局、国家権力である司法機関を通じて、相手方に権利を承認させるということであります。その国家機関が強制するのではなくて、相手方が任意で認めた場合が「承認」になりますから、結局、任意で認めるのか強制的に認めるのかという、大別すると2つの中断事由が並んでいて、承認とそれ以外はそこで分かれるわけでありますけれども、「承認」以外の中断事由については最終的には相手方の意思に反してでも、ある権利内容を認めさせようという意思を表明しなければ、権利行使とはいえないというわけであります。
 ですから、単に苦情処理の申立てや相談をしたというだけでは、明確な意思が表明されたとは権利行使説によっても考えられていないのであります。そうすると権利行使と言える程度の明確な権利行使とは、自ずと一定のADR手続に限定されるのではないかというのが私の考え方であります。
 それから、3つめの御質問につきまして、「承認」や「援用」については当事者の自由な処分が認められていることとの関係でありますが、「承認」については、は今申し上げましたとおり、「承認」とそれ以外の中断事由は任意か強制かという分け方になりますので、承認以外について、自由な処分を認めるわけではないという位置付けになろうかと思います。
 それから時効の援用については、私は最近論文を書いておりますが(「時効援用権者の画定基準について(一)(二・完)」法曹時報54巻6号・7号)、援用権者が複数ある場合、ある援用権者にとって処分が認められる対象は何かということが援用の問題であり、時効完成の効果を享受し得る法律関係の単位をどのように確定するのか、という問題であるというのが私の理解であります。ですから、時効の援用というのは確かに私的な権利の処分の問題になるかと思いますけれども、時効中断についても同じであるかといえばそうではないと思います。例えば、時効期間を当事者の合意で延ばすことができるかという点については、時効制度は公益的なものであるから延長できないと言われるのは、時効制度の必ずしも私的な処分と馴染まない面が表れているからではないかと思います。
 それから、4つ目の問題もいくつかの問題に関わりますけれども、1つは、151 条の理解ですが、現在の判例や通説的な理解を前提にした場合の151条の理解と、そうでないもう1つの理解とについて、先程申し上げたつもりであります。私自身は、後者の理解の方がむしろ適当ではないか、当事者の話合いの結果に確定判決と同一の効力を付される場合については、そのような手続は中断効を付与するにふさわしいという説得力が増すことは確かでありますけれども、それ以外については、独立の中断効を認めるべきでないかと言えば、沿革から言えば認めてしかるべきではないかと思います。ADRの手続進行中に、当事者が時効の援用をしたら訴訟に移行しないと困るということでは実際上の不都合もあろうかと思います。ただ、そうしますと、平成5年の最高裁判決などで示されたいくつかの前提となっている理解を動かさなくてはならなくなるのですが、判例や通説的な理解を前提としないADRの立法提案ができるのかという点で問題があります。したがって、151条の現代的な読み方が必要であるという廣田委員の御意見に賛成でありますけれども、ただ、それにはいま申し上げたような立法上の困難が伴うことも認識しております。
 その点を除くと、結局、一番目の問題に帰着するわけでありますけれども、調停とかフランスのコンシリアシオン、これらは全て国の機関が行ってきたものであり、従来は、そういう手続を想定して時効中断効の付与について議論が展開されてきたわけでありますが、ADRは国の機関ではなく、民間機関が行う手続であります。ですから、それらが行うADR手続について、そのすべてに国の機関に対して付与されてきたと同一の法的効力を認めることには直ちにならず、自ずと従来の151 条の理解を支える前提として、国の司法機関によって行われる紛争解決手続であるということが暗黙の前提とされていたのではないかと思うのです。その前提を取り払っていいということになれば、廣田委員のご提案のような考え方になるかと思いますが、そう言ってしまうにはかなりの勇気が要るのではないかというふうに、私は考えております。

○廣田委員 細かいことはともかく、前提を全部取り払うという趣旨ではありませんから、1か月以内に一定の要件を備えて、駄目になったときは1か月以内と私は考えたのです。そこは読み方の問題があると思うのです。
 つまり、国が行う交渉手続を全部取り払うという気持ちで提案しているわけではなく、時効中断効が一定の方向でなくなってしまうことがあることにして1か月以内に訴えを提起するということに引っ掛けている。だから最後のところで先生のおっしゃるところに、合流するというかそんな考え方になっていくわけです。
 ですから、そういう意味で証明の問題として片付くところは片付けて、最後はそこで収めようという感じで言っているのですが、そういう趣旨で書いたものだと御理解いただければと思っているのです。

○青山座長 三木委員どうぞ。

○三木委員 民事調停タイプ、個別労働紛争タイプについてお話をいただきました。森田先生のお話ですと、両者は違うところもあるけれど共通点も非常に多いという御趣旨だったかと思います。異なる点の方ですがそれぞれについてメリットとデメリットがあろうかと思いますので、それを整理してお挙げいただくことができればありがたいと思います。よろしくお願いいたします。

○森田教授 すみませんが、メリット、デメリットと申しますとどのようなことでしょうか。

○三木委員 現在、この検討会では両者の可能性があるけれども、取り敢えず、個別労働紛争タイプを前提として議論が進んでおります。ただ、廣田委員の御発言にもありますし、論理的に考えても、民事調停タイプの方、先生おっしゃったように両者はかなり基本において重なっているわけで、かなりテクニカルな点が違うのではないかと私は考えております。
 そうすると場合によっては民事調停タイプの方で立法した方が望ましいという面もあるかもしれないということを危惧しており、個別労働紛争タイプを採った場合と民事調停タイプを採った場合とで、どこが違ってきて、それぞれのメリットとデメリットについて考えるのは検討会の役目かもしれませんが、それを考える際の手掛かりとなる、違いをお教えいただければと思います。

○森田教授 正面からお答えしにくいのですけれども、1つは先程申し上げました手続の申立てに対して、独立に時効中断効を付与することができるかどうかという点です。この点については、両者のタイプは異なるという理解が一般的であり、その理解を前提に立法する場合は、個別労働紛争タイプの場合は、手続の申立てをしても、それ自体には時効中断効はないという前提に立った立法をするということになろうかと思います。しかし、それが適当かというと、私は必ずしも適当ではないのではないかということになります。
 そうすると、151 条というのは、手続の申立てに独立に時効中断効が付与されているけれども、それは何も和解や調停に限るという趣旨ではなく、個別労働紛争タイプのような場合にも解釈によって申立てに中断効を付与することは可能であるし、ましてや立法をするうえでは、それらには共通に、手続の申立てに独立の中断効を付与し得るという方向で考えていくということがあっていいのではないかというふうに思いますが、それには先に述べた別の問題があろうかと思います。
 それからもう1つの問題は、その手続の申立て自体が裁判上の請求と同視できるというような論理ではなくて、訴えの提起がその後に続きますと、それに続く訴訟手続と一体をなす事前手続として位置づけることによって、手続開始時点で訴えの提起があったというものとして扱うことが可能だと考えますと、そこで適格性の要件が必要となってくるわけです。その適格性の要件を考えるときに、151 条のような場合を想定しますと、かなり厳格な適格性が要求されるということになりはしまいかという危惧があります。それが適当かどうかというのは別の問題でありまして、その点になりますと、151 条に比肩するような手続という問題設定をしてしまいますと、やや狭くなり過ぎるようなきらいがありますから、そこはもう少し広げて考えた方がよいのではないかと思います。

○三木委員 少しだけよろしいですか。私もよくわかって質問しているわけではないのでてすが、民事調停タイプですと、とりあえず調停の申立ての時点で、時効中断効の効果が一応発生していると考えて、後の手続を進めることはできるわけですね。ところが、個別労働紛争タイプですと、その時点では時効中断効が発生していないと、将来調停が不調に終わって、かつ、訴えが提起された場合に遡るのだというわけで、その時点ではわかるのですけれども、現在調停が進行中の段階で、時効の問題が今どうなっているのかというのはよくわからないわけです。素人の目から見ると。
 そうすると、いろいろそのことに伴う不都合とかが生じてくるのではないか。つまり、民事調停タイプの方が考え方としても制度としてもわかりやすいのではないかというのが、素朴な疑問でお伺いしたということなのです。

○森田教授 その点は、先程お答えした前者の点にかかるものでありまして、私もそれはそのとおりだと思いますけれども、それを言うためには、151 条の理解として、これはどの程度広く行きわたっているかどうかわかりませんけれども、結局、ある手続の結果、確定判決と同一の効力が付与されるというのは、訴訟裁判上の請求と同じような構造を持っているから、独立に時効中断効を付与できるのだと、そうでなければ付与できないのだという論理を修正しないといけないと思います。このような考え方はどうやって修正するかというのは、どこかに明文で書かれているものではありませんので、ADRの立法をする際にはそのような理解は取らないと言ってしまえばいいのかもしれませんけれども、ただ判例も一定のことを述べておりますので、それとの関係であるとか、いろいろな説明が必要となってきて、そういう点をすべてクリアーしなければなりません。これは立法技術的な問題かもしれませんけれども、それをクリアーできるのであれば、その方がすっきりするというふうに私は思います。

○三木委員 確認ですけれども、要するにおそらく制度の仕組みとしては、民事調停タイプの方がわかりやすい、あるいは望ましい面がある、それを実現できるかどうかは現在の議論の前提となっている民法151 条の解釈をどの程度柔軟に考えられるかという点にかかっているという簡単なまとめでよろしいでしょうか。

○青山座長 それでよろしいですか。

○三木委員 この点はこれでいいと思いますが、もう一点、済みません。これはちょっとやや御意見を伺うには適当ではない質問かもしれません。というのは、民法そのものの問題ではありませんので、あくまでもお考えがあれば伺いたいという程度の質問になります。
 民事調停タイプであれ個別労働紛争タイプであれ、この両者を組み合わせたような、この両者のいずれかのような制度を導入する場合、結局、訴訟における訴え提起の効果を遡らせる構造ですから、結局、ADRが何らかの意味で訴訟の事前手続のようなものとして位置づけられるというふうに見られる場合でなければならないという御趣旨だったかと思います。その点は私もおっしゃるとおりだろうと思います。
 ただ、これは私の意見にもなりますし、先程申しましたように民法そのものの話でなくなるのですけれども、元々、このADRを活性化しようという動き自体は、ADRを訴訟の付属物とか、訴訟の前提手続としてとらえるのではなくて、むしろ訴訟と並ぶ独立の重要な紛争解決手段としてとらえるべきだという理念が根本にあるわけですね。
 世界的にも訴訟とADRというのを一方が他方に従属しているというような観点が入ってくるようでは困るというのが世界的な動きだろうと思います。そうすると民事調停タイプと個別労働紛争タイプを採るとどうしてもそこのところでADR立法を何のために行っているのかという理念の問題等、場合によっては抵触するのではないかという危惧を持っております。つまり、繰り返しになりますけれども、こういう形で立法すると、結局はADRが訴訟の事前手続として位置づけられなければ時効中断とは認められないという論理になりやすいのだと思うのです。
 そのことは具体的にも弊害がありまして、これは森田先生もおゃしゃっていましたけれども、そういう発想で時効中断を認めるためには、訴訟に準ずるというだけの一定の過大な要件というか、課題主宰者であり手続でありという要件がなければならない。そういう発想になるのだと思います。私もそう思います。
 しかし、ADRを活性化しようという動きの1つは、デフォーマライゼーションといいますか、訴訟における要件が固いところを緩やかにしていくという点に、むしろ目的があったわけで、そこともどうも逆行する。現にADRの歴史を見ますと、ADRについて立法が進んでいくと、どうしても要件が固くなっていって、結局訴訟に近付いていく、そうすると、そのADRは使われなくなって、次にまた柔らかいADRが生まれてくるという歴史でそれは仲裁に見られるのですけれども、仲裁は一部で活性化し、一部で今衰退していますけれども、衰退している方の理由というのは、仲裁が訴訟に近付き過ぎだと要件が固くなってきて、議論や実務が進んできて、あるいは立法が進んできて、今、調停の活性化というのが世界的に言われている。ところが、調停はいろいろな時効との関係とか、様々で、要件が固くなっていくと、またADRの長所が失われていく、そんな関係になるのではないかということを危惧しておりまして、そういったような論理になりやすい構造をこの民事調停タイプや、個別労働紛争タイプは持っているのかどうかという、若干私の意見も含んだ質問のようなものですけれども、ちょっとお答えいただけるのであればいただきたいのです。

○原委員 私も関連なので、三木委員の方で御質問の中にあったとおりなのですが、ADRと訴訟を一体として扱うというふうな御発言があって、それから、ADRの適格性要件が必要で、公正・中立性、手続の公正さ、それから実効ある結論が得られることということが御説明の中であったのですが、ADRと訴訟を一体として扱うというのは市民側、消費者側としてみると、ADRへの期待とは最終的に決着が着かなかったら訴訟に行くということを必ずしも考えているわけではなく、もし決着が着かなくても、決着が着かないということを、そのまま受け止めるという解決や終わり方もあると思っておりまして、結局、訴え提起のところを遡らせるという形になって、時効中断を決めてしまうと、どうしても訴訟とか裁判中心のADRという位置付けにならないかというところが、私も同じようにお聞きしながら懸念として持っております。
 それから、2つ目も同じなのですが、ADRの適格性要件で、公正中立性、公正さということで、特にこれを適格性の要件ということでの御発言はなかったのですが、今日の後段の議論では、そのことも議題では挙がっているのですけれども、どういったことを適格性の要件として具体的にお考えになっていらっしゃるのかということが2点目です。
 それで、1、2点とも合わせてなのですけれども、大変、今日、簡潔にこれまでの時効中断についての学問というのでしょうか、その一端を聞くことができて参考になったのですけれども、ADRと時効中断については、ADRと時効中断ということについての研究とか、それから整理というのは、まだ端緒についたばかりのところなのかどうかという、ちょっとそれもあるのかもしれないというふうに思いまして、今の学問の段階ということもちょっと教えていただけたらというふうに思います。

○廣田委員 それに同じように関連していいですか。
 今の適格性の要件が出たので関連して申し上げますと、適格性要件は本当に必要なのかどうかということです。つまり、今の民法を見ますと、仮処分とか仮差押えだとか、一方では裁判所に関連することが、ずらっと並んでいるのである意味では、それは必要なように思えますけれども、一方では、催告とか請求については、固い要件は何も必要としているわけではないのですね。だとすれば、適格性要件を必要としないで、例えば証明の問題で解決するような何か知恵を働かさないと、ADRの特色というのが消えてしまうのではないかと、その知恵を働かせながら、今、三木委員がおっしゃったような懸念を何とか解決してクリアーしていくと、あるいはアウフヘーベンしていくというか、そのような方法があるのではないか。それが我々の課題ではないかというふうに理解しているのですが、その辺はいかがでしょうか。

○髙木委員 ついでによろしいですか。個別労働の時効中断効のことで、なぜ申立てのところに遡らせることができるのかという説明の中で、その申立てを訴訟の申立てと一体的に扱うという形で説明なさって、それに関連しての質問はいくつかあったわけですけれども、そういう説明も可能かもしれないのですが、このあっせんの申立てのときに停止をしたものと見て、だから独自の中断効にはならないこととは整合性はとれるのですが、訴えの提起の時に遡るというのは停止をしたと同じような扱いになるという見方が取れないものでしょうかということと、それは先程の停止タイプが現行法と整合性が取れないということから説明されるのでしょうか、ということを併せて伺いたいと思いました。

○青山座長 ちょっと私、今のところを整理させてもらいますけれども、非常にたくさんの質問で、最初の三木委員の質問は、個別労働紛争タイプだとか、それから151 条タイプというようなことにかこつけると、結局、ADRはやはり裁判の代替的なものになるのではなくて、ADR独自の中断事由を認めることができないかどうかということなのですね。だから、裁判との一体とか連続性ということとは別に、何か考えられないかという、無理な御質問かもしれませんけれどもそういうことです。
 それから、適格性につきましては、原委員と廣田委員から適格性についてありましたが、中身として具体的にどんなことを考えているのか、適格性はむしろ要らないのではないかという適格性の問題です。
 それから、原委員からADRと時効という、ADRに絞った時効という問題について民法、あるいはこれまでの学問の中で研究の成果が積み重なっているかどうかという御質問があったかと思います。
 それから最後に、髙木委員の質問は、これも停止ということに絡めて、後から裁判が追いかけていかなくても、独立の停止効が認められないかどうかという4つぐらいになりますが、非常に議論が出てきたので申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

○森田教授 三木先生のお話の中に2つの要素が入っていたと思いますけれども、私は独立の中断効を付与した方がいいではないかということですが、その前提として、やはりADRと訴訟手続をセットで見るからそういうことが言えるのであって、セットで見れば独立の中断効を付与できるという点は一歩進められるのではないかと思っており、この点では、先生のお考えと共通すると思います。ただ、他方で、ADRを裁判所による紛争解決に並ぶものとしてと位置づけていくというときには、訴訟に従属するものと捉えるのは適当ではないのではないかというご指摘ですが、確かにそれはそうなのですけれども、他方で実体法上の時効制度が、やはり国家機関を通じた権利の確定ないし実現ということがあってはじめて、あるいは、権利の確定ないし実現ということが最後に控えていてはじめて、時効中断を認めているという仕組みになっているという理解に立つ限りにおいては、それに由来する要件が必要になってくるのではないかと思います。
 それに関して、廣田委員から民法典が認める中断事由には「催告」があるのではないかというご指摘がありましたが、「催告」というのは比較法的にも見ても、かなり広げたものであります。元々、催告はフランスなどでは執行吏がする「催告」であったものですが、現行民法典はこれを裁判外の催告まで含めているわけです。これは、フランス法の付遅滞手続は現行民法上はなくなりましたので、その結果、裁判外でする当事者の「催告」のようなものにまでかなり広げて認めることになったわけです。というわけで、かなり広げて認めて、その中断効はこの程度でありますので、更にこれを広げるような解釈は無理ではないかと思います。仮に民法典の時効制度全体が変わればその前提が変わってくるのでしょうけれども、やはり現在の民法の時効制度を前提に考えていくときには、私が申し上げた整理のようにならざるを得ないという面があるのではないかと思います。
 当事者の私的処分に委ねる事項については、当事者の話合いで解決するということは、これは別に時効制度とは独立に考えることができるわけでありますので、そのADRの活性化を図るためには、時効中断効の付与がどうしても必要であるかというと、必ずしもそうではないと割り切って考えれば、そこは整理できるのではないかと思います。また、時効の中断でも「承認」という当事者が任意に行う中断事由がありますので、むしろ、私的自治に委ねる領域については、「承認」という形で相手方の同意を取れば、時効の中断の問題をクリアーできるわけです。しかし、クリアーできない場合には、やはり国家権力によって相手方に権利を承認させる、強制的に認めさせるという論理に行かざるを得ないのではないかと思います。そこで、訴訟手続との関係という中断事由の基本的な組立てから来る要件が問題となるので、私のような整理になるのかと思います。
 次に、適格性の要件ですが、この点は一国の訴訟制度としてどういうものが標準となっているかということに関わりますので、訴訟制度そのものが柔軟なものになっていけば、その適格性の要件も変わってくるものと思います。したがって、適格性としてどういうものを考えるかということについては、実体法の立場からこういうものが適格性であると申し上げることはなかなか難しいかと思います。現在の訴訟制度を支えている最低限の要素とはどういうものなのかということを、むしろ訴訟法の専門の方が抽出していただくことが必要ではないかというところまでが、私が申し上げることができる領分だと思います。
 それから、時効の停止についてですが、これは最後に申し上げたところに尽きるかと思います。このほか、先ほどはお話しをしませんでしたけれども、フランスの文献を見ておりますと、例えば、時効期間を延長する合意はできないけれども、時効の進行を止めるという合意は可能ではないか、という議論があります。つまり、債権の行使の期限を猶予することは、当事者の私的な処分に委ねられているわけですが、例えば、当事者の合意によって、話合いの期間は時効期間は進行しないという合意をすれば、これは時効期間を延長するのではなくて、時効の進行を止めるという合意であり、このような合意に法的効力が認められるとすると、当事者の私的処分に委ねられた領域では、当事者の合意によって時効停止についてもうまく解決できることになろうかと思います。そういった解釈も含めて考えれば、先ほど申し上げた以外にも、いろいろな選択肢があろうかと思います。その点は措くとして、今日申し上げたのは、ADRによる交渉を、時効の停止事由として法律に規定する場合の考え方はこういうものになるのではないかという点です。そのためには、時効停止事由というのをかなり柔軟にとらえていくということになりますが、それに伴っていろいろな問題が出てくる。それらを上手くクリアーできればいいけれど、なかなか難しいのではないか。例えば、保険など個別の紛争類型に即して、個別の時効停止の規定を置くことは、十分考えられてもよいのではないかとは思いますけれども、ADR基本法のような一般法として時効の停止事由を広くかぶせるとかえって不公平な場合も出てくるのではないかというのが私の感想であります。
 それから最後に、学説の蓄積という話ですけれども、私も今日の宿題に答えるべく、にわか勉強でいろいろ調べてみたわけでありますけれども、日本でこの問題について、直接に詳しく検討したものは、私の知る限りではあまり見当りませんでした。このような問題を検討して、時効制度そのものの趣旨から組立てていくということは、まだ議論が緒についたばかりだと思います。また、私はフランス法を中心に研究していますので、フランス法の文献を見てみましたけれども、博士論文でこの問題を扱ったものはありますけれども、それらによると、現行法を前提とする限り、時効の中断・停止を認めることは基本的には難しいけれどもそれを正当化することは可能ではないかという論調で書かれていたかと思います。難しいという点では、どの国でも同じで、それは基本的に時効制度が当事者の自由な処分に委ねられたものではありませんので、両者の接点となるところでは、どうしても調整問題が出てくるのではないかと思っております。

○髙木委員 説明を伺いましたけれども、個別労働紛争について停止があったというような解釈をなさる方はいらっしゃれば民法を勝手に変えることにはならないのではないかと思っております。

○森田教授 「勝手に変えた」というのが何を指すかについては、また難しいのですけれど、繰り返しになりますが、私の理解では、151 条にも個別労働紛争のあっせん手続と同じような論理が含まれている。ただ、151 条は、通説によればその結果に確定判決と同一の効力が付与されるような手続について規定していることになりますが、それは何もそのような場合に限ったものでないという立場にたつときは、151条の基礎にある考え方を構成し、それを特別法の中で実現することは十分に考えられてよいのではないか。その1つの例が、既に個別労働紛争の解決促進法という個別法の中にあるという位置付けができるのではないかと思っております。

○山本委員 1点だけよろしいですか。先程、民事調停タイプと個別労働タイプの比較の点で、確か先程民事調停タイプ、独立の中断効を認めるので、やはりADRの適格性については厳しいものが要求されることになるのではないかという御趣旨の御発言があったかと思うのですが、その点をもう少し敷衍していただければと思います。

○森田教授 ある手続の申立てに独立の時効中断効を付与するのは、合意の結果に確定判決と同一の効力が付与されているからと説明することになりますと、そのような場合に限定されるということになるということをお話をしましたが、他方で、そのように説明しない場合でも、適格性の要件を考えるときに、ミニ調停タイプをモデルに考えていくと、その結果に確定判決と同一の効力を付与することがふさわしい厳格な手続が採られているということが適格性の要件としてイメージされてしまいがちで、そのことから要件が厳格になってしまうのではないかということを申し上げました。
 確定判決と同一の効力が付与されていることと、時効中断効が付与されていることとは必ずしも一致しませんので、その点はもう少し広く考えることができるのではないかと思いますが、それを個別労働紛争タイプと呼んだ方が、事実上、適格性要件が広くなるのではないかと思います。あくまでも事実上そのようにつながって行きやすいのではないかという程度のことですが。

○青山座長 まだ御質問があるかもしれませんが、時間の関係もありますので手短にお願いします。

○三木委員 せっかくこの機会を逃すと民法学者に伺うチャンスがなくなるものですから、一点だけよろしいですか。

○青山座長 では、簡潔にお願いします。

○三木委員 このADRの検討では、ADR自体のほか、ADRの下部を支えるものとして、交渉も当然に視野に収められているため、交渉と時効の関係について伺いたいのですけれども、先程、時効停止タイプのお話の中で、ある程度申し上げたことでございます。ですから、確認の意味もありますが、細かい理屈抜きにして一般人が考えますと、当事者が交渉している間に時効が完成する、というのはやはり不自然だというのが一般の考えだと思うのです。交渉しているということは、相手方が権利を認める可能性もあることを留保しつつ交渉しているわけなのに、交渉の途中に時効が完成して、しかも相手方がそれを援用できるといのは不自然だと思うのです。
 そうするとドイツの立法にも見られますように、交渉に何らかの時効を止める力があるというのは一つの常識に適う発想だと思います。ADRと交渉の間に線が引けるかという問題にもなってくるのですけれども、我が国の時効法制で、交渉と時効を止める力とをどう整理すればいいのかについて、お教えいただければと思います。

○森田教授 当事者の交渉そのものには、時効中断効はないということが前提だと思います。それから、当事者の交渉があったことを理由として時効停止を認めるというのは、先程申し上げたような論理になるかと思いますので、それも一般には認めにくい。確かに、常識的に見れば不自然かも知れませんが、しかし、他方で訴えを提起することは、抽象的には可能なわけです。時効制度を前提に考える場合には、権利の保存が必要な場合には一定のアクションを起こさなければならないということも他方で言えるわけでありまして、これをどこまで緩和できるかという問題に帰着するかと思います。
 私がもう一つ申し上げましたのは、時効期間との関係というのは重要な要素ではないかということです。10年や20年の消滅時効を考えますと、最初の1~2年の間交渉していたからといって、それを理由に時効の停止を認める必要がないといえますが、これは、抽象的な権利行使の可能性があったかを考えればよいような長さの時効期間であるからでありまして、これが1年とか2年という短期消滅時効になってくると特別なルールが必要な場合もありえます。これは時効期間ではありませんので直接の参考にはならないかも知れませんが、例えば、瑕疵担保の1年という短い期間制限で、当事者の交渉を考えますと、買主のクレームに対して売主側が修理に応ずるなどの対応をしていたところが、1年経ってしまいましたからもう権利は消滅したと言われると買主は困りますので、そのような場合には、裁判外で売主の責任を問う意思を明確に告げれば、権利が保存されるとした判例(最判平成4年10月20日民集46巻7号1129頁)もあります。こういう個別の場合について、期間の長さと紛争の態様を考慮して、交渉と要素を組み入れたルールを考えていくということはあり得るかと思います。しかし、一般に交渉に時効中断効を付与するのが適用かという問題設定をした場合には、それは難しいのではないかと考えると、基本法のようなところで論ずることではなくて、もう少し、個別法の中で、特に1年2年といったような短期消滅時効が想定されるような局面に限定して立法化するのが現実的ではないかというのが私の考え方であります。

○三木委員 この点に関しては民法学の方で中断に限った話ではなくて、停止を含めたあるいは停止まで言わなくても時効が本当に進んでいいのかというレベルの話ですけれども、民法学の方で、交渉と時効がその間進んでいいのかという議論は一般的にはどうになされているのでしょうか。

○森田教授 一般的に議論はないのだと思うのですけれども。

○三木委員 そうですか、わかりました。

○廣田委員 適格性の要件なのですけれども、当事者はあるADRに適格性の要件があるかどうかわからないで、自分の権利を行使するつもりでADRに申し立てますから、実務上は、そこに予測可能性がなくなると大変困るのです。そこで一定の要件、適格性の要件の問題なのですが、一定の事由があれば中断効が消えてしまうという制度設計をすれば、適格性の要件というのは重要性がなくなるのではないかというのが私の考え方なのです。
 それで、そういった問題も立法でクリアーできればそれはそれでいいとお考えになるかどうか、そこをどう考えられるか。

○森田教授 ご質問の趣旨が十分理解できているかどうかわかりませんけれども、当事者の予見可能性を害しないような形で適格性要件を設定するということは可能だと思います。この点に関し、事前認定制度ということが議論されているようですけれども、私が以前少し関わったものとしまして電子署名法という法律がありますが、このような制度設計の仕方は参考になろうかと思います。電子署名法におきましては、その特定認証業務の形認定制度が設けられておりますが、これはある電子署名の方式が一定の電磁的記録の真正な成立の推定効を付与するにふさわしい技術なのかどうかを利用者がわからないと困るではないかという要請に応えるために、事前の認定制度というものを国が設けまして、その事前の認定を受けていれば、これは安全な方式の電子署名だというふうに考えてよいという形で予見可能性を確保しているわけです。
 他方で、事前の認定を受けていないと一切法的効力が付与されないとすると、技術的な中立性に反することとなり、また、今後様々な技術が出てきたときに、すべてについて事前認定制度が迅速に対応できるかというとそうとも限りません。また、そもそも事前認定を受ける必要はない、自分は後で裁判になって争われたときには推定効付与の要件を満たす電子署名であることを訴訟上で堂々と主張して、法的効果があることを主張できるというような認証業者にとっては別に国の事前認定は要らないというものもあるわけでありますから、事前認定制度と事後的な認定とを併用して設けることは十分にあり得ることではないかと思います。
 どちらのADRを選ぶかは、当事者に委ねればいいことでありまして、事前認定を受けているADRの方がよければそちらを選ぶ当事者もあるし、そうでなくてもいいのだという人は、事前認定を受けていないADR手続を選択することがあってもよい。これは当事者の自由な選択に委ねるというのがむしろ昨今の一般的な考え方であろうと思います。そうしますと、適格性の認定制度というのが、事前認定だけでいいのかという点は確かに一つの論点だと思いますけれども、予見可能性を確保するということを考えていくと、やはり事前認定は必要ではないかと思います。それだけでは、まずいということであれば事後の認定制度を併用すれば、特定のADRについてだけ国がお墨付きを与えるということには必ずしもならないのではないかと私は考えております。

○青山座長 時効中断についてはまだ議論しますので、ちょっとここで打ち切らせていただきます。

○廣田委員 それはいいのですけれど、ちょっと今お答えがなかったものですからもう少しよろしいでしょうか。つまり、時効中断効が消えるような一定の事由であれば中断効は消えるということの制度設計をすれば、適格性の要件は、それほど重要でなくなるのではないかということです。

○森田教授 それは最初に申し上げたことにやはり尽きるのではないかと思います。そもそもの問題設定からして、ADRに時効中断効を付与するためには、適格性の要件が必要であるかどうかということでありまして、先生のご提案は、それは要らないという前提に立った場合にそのようになるというものだと私は理解しておりますので、そこはちょっと論理の組み立てが、先生と私とが違っているというふうに思います。

○青山座長 それでは、予定の時間でございますので、質疑はここで終了させていただきまして、しかし、まだ時効の問題はこれから続きますので、しかし、森田教授には今日、お忙しいところを御出席いただきましてありがとうございました。時効の問題ですから、引き続きそこにいらして、ひょっとしたらまた質問が飛んできたらよろしくお願いしたいと思います。
 それでは、まず、事務局の方から今日の資料の説明をお願いしまして、議論を続けたいと思います。お願いします。

[特例的事項②(法的効果の付与等)[時効中断]]

○小林参事官 それでは、検討事項2-6と、それから参考資料の方を使いまして説明をしたいと思います。
 検討事項2-6は、法的効果の付与全般のところからスタートいたしておりますので、若干、事項も含めて法的効果の付与全体についての基本的考え方のところを御説明したいと思います。
 「基本的考え方」の最初の○のところの後段のところでございますが、今かなり御議論になったところとも関連すると思いますが、法的効果の付与についてでございますけれども、この時効中断もその1つでありますけれども、その対象は、結果的に一定の適格性を有するADRに限定されざるを得ないということもあり得るわけでございますが、そうした場合であっても「こうしたいわば訴訟とも競争できるようなADRの存在は、利用者にとって、より多様な選択を可能にするとともに、ADR全体に対する信頼性の向上にもつながることが期待される」のではないかと、要するに、一定の適格性を有するADRに限定されること自体の、勿論、問題点もあるわけですけれども、他方、こういうことまで期待できるのではないかということを触れております。
 あとは、これまでの法的効果の付与についての論点を整理しなおしておりますが、1ページの最後の○のところで、最初にADRを選択しようとした場合の問題点として時効中断効、それから執行力、そして調停前置の問題を挙げております。
 2ページの②では、最初に裁判を選択した後、ADRを選択しようとした場合の問題点として、訴訟手続の中止の問題、それからADRを裁判所が勧めるということの問題を挙げております。
 これらの論点について、時効中断効それから調停前置主義の不適用、それから訴訟手続の中止を認めること、この3点については、積極的な意見が多かったという整理。
 それから3ページにまいりまして、執行力の付与、それからADRの利用を勧めることについては賛否両論があったという整理にいたしております。
 3ページの3番目の○でございますけれども、そういった中で一定の適格性に関する要件が必要ではないかという議論、あるいは予見可能性を確保する必要があるのではないかという議論があったことを踏まえて、1つの方法として認定制度というのが考えられるわけですが、これについては今御議論があったとおり、賛否両論があるということで、それについては2-7で整理をしているという整理にいたしております。
 以上が総論でございまして、次から時効中断効ということになります。
 まず時効中断効につきましては、前々回御議論いただいたわけでございますけれども、その際、いくつかの論点で議論がございましたので、それをまず参考資料の1ページ目で整理をいたしております。
 大きく3つほど議論があったかと思いますが、まず、ADRの適格性の要件についてでございますが、勿論、要件自体をどうするのかという議論があったわけでございますけれども、適格性要件を不要とすべきではないかという御議論、今もあったわけですけれども、これにつきましては、民法の時効制度との考え方が、整合性が取れ、かつ当事者の予見可能性を確保し得るという要件が設定できれば、これを敢えて否定する必要はないと思いますけれども、現実的にかなりそれが難しいということであれば、少なくとも認定制度についても前向きに検討する必要があるのではないかというのが論点1でございます。
 それから、論点2としては、ADR開始の要件、ADR合意が必要かどうかという問題でございますけれども、これは理論的にはおそらく必要になるのではないかというふうに考えられますけれども、ADRの適格性を確保できるということであれば、政策的な判断としてはこれを不要とするということもあり得るのではないかという整理にいたしております。前回の議論では、ADR合意は必要であるけれども、遡る時点としては、必ずしも合意があった時点にしなくてもいいのではないか。申立ての時点でいいのではないかという御提案だったわけでございますが、更に一歩進めまして、ADR合意自体も必要ではないという判断もあり得るのではないかという整理にいたしております。
 ただ、これは当然合意がなく、相手方が出頭しないというようなことになれば、手続の方は打ち切られるわけでございますので、その打ち切られたときからまた一定期間内に訴訟提起をしていただく必要があるということにはなろうかと思います。
 それから論点3がADRの打切りの要件でございますが、前々回に御提案したものは、打切りによる終了以降、一定期間内に訴訟を提起するというものを想定していたわけでございますけれども、打切りに限らず、広義の終了後、一定期間内あるいは終了前に訴えを提起した場合にも時効中断効を認めてよいのではないかというふうに整理をしなおしております。
 前々回の御提案は、既存の個別労働紛争タイプを、いわば下敷きにしたわけでございますけれども、これは行政型ADRということもございまして、はっきりはしませんけれども、おそらくこのADRでの紛争解決の努力をぎりぎりまで続けてほしいというようなことを前提に、制度設計されているのではないかというふうに推測されます。
 ただ、今回は、民間型ADRということでございますので、ADR利用者あるいはADR機関そのものに対しまして、ここまで要求することはできないだろうということで、もう少しこの起算点の問題については弾力的に考えていいのではないかということで、新たに整理をしなおしたわけでございます。
 これが、前々回の議論を踏まえた整理でございますけれども、それを前提にしてもう一度ペーパーの方はつくり直しております。先程の2-6の4ページ目でございますけれども、この論点1-1につきましては、総論でございますので、特段これまでの議論との変更はございません。あまり御異論のないところではないかと思います。
 それから5ページに具体的な方法について掲げてございます。ここでは、2つの考え方を示しておりまして、最初の○におきましては、一定の適格性を有することについて公的な認定を受けたADR業務として提供されたADRの申立てにつきまして、終了前、あるいは終了後一定期間内の請求について訴えがなされた場合には、ADRの申立てのときに訴えの提起があったものとみなすという考え方を採っております。
 それから、適格性に関する基準例としましては、i)、ii) 、iii)を挙げております。手続の開始・終了の決定、あるいは手続の進行管理が公正・適確に行われていること、申し立ての受付、当事者に対する通知・意思確認、手続過程の記録等の事務処理が公正・適確に行われることなどが要件として例示しております。
 なお書きのところでございますが、先程の論点1にも絡むわけでございますけれども、これらの要件について当事者があらかじめ容易に確認できる形で設定できるのであれば、公的な認定ということを経ることなく、個別の事案ごとに当事者の主張・立証に委ねればよいという考え方があることを付記いたしております。
 それから、それ以外の考え方として、欄外脚注のところにございますが、1つはADR申立てそのものを時効中断事由とする方法。それから、②として、ADRでの交渉継続中は催告継続の効力を認めるという方法。この2点を挙げておりますが、それぞれ問題点についても併せて記述しております。パブリック・コメントの段階では、この程度の記述はした上で御意見を伺う方が適当ではないかというふうに考えております。
 それから6ページにまいりまして、真ん中ほど、予測可能性の必要性については、例示を挙げて少し丁寧に御説明をいたしております。
 7ページにまいりまして、ADRに関する一定の適格性の問題でございますが、先程例示に挙げたものは比較的外形的な基準が中心、事務処理体制といったような外形的な基準が中心な記述になっておりますが、この一定の適格性のなお書きにございますように、先程の訴訟との一体性と申しますか、そういったことを重視する立場からすれば、ADR自体が十分な紛争解決機能を有することが求められるという指摘もございます。そういうこともあり得るわけでございまして、そういった基準に立てば、もう少しさらなる要件も必要になるのではないかという点を付記いたしております。
 それから、次のADR合意の必要性につきましては、先程申し上げましたように、理論的には必要であろうということでありますけれども、必ずしも合意が絶対的な要件ではないのではないかということで、7ページの下の方にございますように、ADR開始決定後の相手方への通知や、相手方が手続に応諾しない場合の手続の打ち切り決定などが公正・適確に行われることを適格性に関する要件とし、それが確保できるのであれば、必ずしも合意は成立しない場合でも、時効中断の効力発生を認めてもいいのではないかという考え方を採っております。
 8ページにまいりまして、訴え提起の時期につきましては、これも先程冒頭に整理しましたとおり、広い意味での終了あるいは終了前に訴え提起した場合にも時効中断の効力発生を認めてもいいのではないかという立場に立っております。
 それから次の請求内容の同一性でございますが、これは、ADRだけの問題ではございませんので、最終的には時効中断を意図する権利者において、ADRにおける請求を明確にしておく必要があるのではないかということを述べております。ただ、ADRの特性として、ADR申立て当初では、必ずしもそれが明確でない、それが話し合いをしていく過程の中でだんだん明確になっていくというケースも想定されますので、そういった場合、なお書きとして、請求内容の変更あるいは追加した場合には、その時点からの時効中断の効力発生は認めていいのではないかという考え方を述べております。
 9ページにまいりまして、ここは残された課題といたしまして、以上は調停・あっせんを念頭に置いたケースでございますが、それ以外の裁定、評価の場合には、例えば、主宰者が判断を提示して一定の効力期間を経過することによって終了するという手続もございますので、これも同じような扱いにしていいかどうか、あるいは②として、これはあまり御異論はないかもしれませんが、裁判上の請求のみならず、仲裁に移行した場合にも時効中断効を認めてもいいのではないかという問題。
 それから3番目としまして、最後に議論になったところと関連するかもしれませんが、認定を受けたADRであっても、個々の手続において基準に反する手続進行があった場合に、今度は債務者側を保護する必要がないかどうかということについて、更に検討する必要があるのではないかということでございます。
 それから参考資料の、先程御説明した次のところから後に、現在、時効中断効が認められている行政型ADR、あるいは民事調停の具体的な手続に関する規則と、それからその後ろに、これは個別労働のケースですが様式を付けてございます。御参考にしていただきたいと思います。以上です。

○青山座長 それでは、時効中断については、3巡目の議論を続けたいと思いますが、20分ぐらいの時間を予定しておりますけれども、パブリック・コメントに向けて、ある程度、パブリック・コメントを付すことができる程度のコンクリートなものにしたいというふうに思っております。現在、事務局が用意しているもので、論点として落ちているものがあればそれを指摘していただきたい。
 それから、今日追加資料として出されたこの参考資料のうちで、前回のところと違う、前回の議論を踏まえて今日出してもらったわけですが、その論点の1のADRの適格性の要件というのは要るのかどうか、必要なのかどうか、それから適格性の要件について、事前認定というものは、必要なのかどうかというのが、大きな対立点であると思います。 それから、ADRの開始の要件、ADR利用合意というのですか、そういうものについて、開始の時点を明らかにするために、ここの問題をどう考えるか。
 3番目は打ち切りの問題で、この論点1、2、3のうちで、後になればだんだん小さい問題ですけれども、これもある程度合意をしておかないとパブリック・コメントに付せないというような気がいたします。ADRについて何らかの時効中断の手当てをしなければいけないという点では、大方の一致があるのですが、その中でどういうADRかという点につきますと、先程から議論がありますように、右から左まで非常に大きく分かれておりますので、ある程度絞っていかないと、事務局としても自信を持ってパブリック・コメントに付せないというのが現状です。
 それから、私の個人的な感覚で申しますと、今日は18回目の会合ですけれども、皆さん非常に熱意を込めてADRの将来を語っていたのが、だんだん話が難しい問題に入ってきますと、どうしても事務局も安全に安全にと考えるようになりますと、何かガチガチな案が固まりつつあるのかという気もしないわけではないのです。そういうことも含めて、私はなるべく中立的な立場で議論をまとめていきたいと思いますけれども、どうぞ自由に御発言いただき、場合によっては、また森田先生に御質問をしても構わないというぐらいで、20分か25分ぐらいの時間をここに当てたいと思いますので、どうぞ御自由に御発言ください。

○横尾委員 最初に論点から落ちているような気がいたしますので、ちょっと教えていただきたいのですけれども。私どもの議論の中で一つのADR機関、あるいはADR手続から別のADR機関や手続に移行するというようなことがあると考えていたと思うのですが、それと時効中断効の関係をどう考えておられるのか。ここでは、9ページ「その他」のところで、仲裁手続に移行した場合が出ておりますけれども、調停から調停、斡旋から、あっせんへというようなことがあった場合の整理はどうなっているのでしょうか。
 この場合、最初のADRが終了した段階でまた考えるという整理でございましょうか。

○小林参事官 にわかには正確なお答えができませんが。

○横尾委員 この中に予定されているかどうかということをお聞きしたいのです。

○小林参事官 予定しておりません。

○横尾委員 それを付け加えていただきたいというふうに思います。

○青山座長 それをどう考えるかというわけですね。

○横尾委員 はい。

○青山座長 わかりました。ほかにありましたらどうぞ。

○綿引委員 4の論点は、多分、論理的に考えていくと、最初のADR申立ての時点で中断効を認めたければ、その手続が打切りになってから一定の期間内に訴えを提起すればということになるだろうし、2回目のADRの申立てのところで中断効を認めればいいというのであれば、その2回目が打切りになった後、一定の期間内に訴え提起すればよしというのが、こういうことを考えていくときの普通の考え方だと思うので、独立の論点として取り上げることまではないのかなという感じがいたしましたけれども、いかがでしょうか。

○髙木委員 その2つをつないで、最後のADRのところから一定期間内に申立てしたときに、前の2つが適格性の要件を仮に満たしていたら、最初のADR申立てのときに遡るというようなことをお考えになっておられるのではないでしょうか。

○綿引委員 要は、2回のADRへの申立てがあり、2回目のADR打切り後一定期間に訴えの提起がされると、1回目のADR申立てに時効中断効を認めたいということをお考えなのか。

○髙木委員 そういう考えです。

○綿引委員 普通は、1回目のADR申立てによる時効中断効をいうのであれば、その1回目が打ち切られた後一定期間に訴えの提起というのが普通の考え方だろうなと思ったものですから、どうかなと。どうしても1回目のADR申立てで中断効を認めたいのだったら、その打切り後一定期間に訴えを提起すべきという考え方でやっていくのであれば、独立の論点として取り上げないだけのことです。

○髙木委員 消費者の方々から、よく相談やADRのたらい回しの話が出ていました。多分、つないでいく論理が何か必要ではないかという問題提起だというふうに思いましたけれども。

○原委員 おそらく、民間型、事業者が持っていらっしゃるADRで、どうもあまりうまく行かないというようなときに、行政型のADRの方に持っていくとか、もう少し、NPOや何かでも、いろいろな形のものができてくる可能性もありますから、そういうところに持っていく、だから事業者側の方がたらい回しにするというのもありますけれども、消費者が選択をするという形で、ほかのADRに行くというようなことも出てくる可能性は十分あります。

○青山座長 いずれにしても、これははっきりさせておかないと困る論点であることは間違いないかもしれない。

○原委員 そうですね。

○三木委員 同じことで論点として十分取り上げるに値すると思います。最初のADRに申し立てたけれども、それは自分の期待するものではなかったと、しかし、依然として訴訟をやるつもりは平等ではないと、どちらも合意型で解決したいという意思はあるというときに、より適切なADRの方に移りたいというときに、最初の手続が終了した段階で、必ず一定期間内に訴え提起しないと時効が中断しないというのでは困るというのは、十分な問題意識だと思います。

○青山座長 ありがとうございました。ほかに、どうぞ。

○廣田委員 私は先程何度も述べたのですけれども、パブリック・コメントする際に、やはり民法151 条タイプがあり得るということを、ある程度少数意見でも構いませんけれども、それは残しておいていただきたいのです。
 森田先生の先程の説明でしたら、個別労働紛争タイプと、1つの範疇に入れられるという可能性もあるわけですけれども、それはかなり制度設計の仕方が違うところがありますので、そのものを1つとして。これによりますと5ページの一番下の方に1行ぐらいで書かれていますけれども、ちょっとこれでは意味がわからないと思います。ですから、それは是非加えていただきたいと思うのです。その後の議論で結構で、どうするかということなのですが可能性としてはあり得ると思うのです。

○青山座長 パブリック・コメントの際に、十分に視野に入れて答えられるような書き方をせよという御注文と承ってよろしいでしょうか。

○廣田委員 はい。

○原委員 書き方なのですが、5ページの論点1-2の書き方に対応して7ページの「ADRに関する一定の適格性」という項目が立てられていると思うのですが、ちょっと一般の人が読んだときに、論点1-2の一番最初の○で書かれている部分なのですけれども、ここの①で一定の適格性という話が出て、②で一定期間内に訴えを提起するという、この2つが分かれているのですが、これで7ページを見ると、この①の一定の適格性についてが前段で書かれていると思うのです。後段の「一部の行政型ADRの実務等も踏まえ」という文章が、5ページのところではどこに当てはまるのかがちょっと読めないのが1つ。
 それから、もう一つは、論点1-2の2つ目の○なのですけれども、ここはもう少し詳しく知りたいという意見が出てくると思うのです。その場合、特によくわかりにくいのが、「特例の適用が認められるための要件を、当事者があらかじめ容易に確認できる形で設定できるのであれば」と書かれている部分なのですが、この要件は、多分上に書かれているi)、ii) 、iii)だと思うのですけれども、当事者があらかじめ容易に確認できる形で設定ということは、もう少し詳しく説明がないと判断しにくいのですが、これは書かれていないような感じがするのですけれども。どちらを採るかという議論をするときに、少しそこまで踏み込まれている方がいいというふうに思います。
 それから、先程のたらい回しの件で補足ですが、記憶違いでなければ、東京都の消費生活条例が今回改正をしまして、ほかのADRで不調であったものも、都へ持ってくれば引き受けるというふうに今回改正をしています。

○小林参事官 今の点は、いずれも資料の書き方だと思いますのでそれは検討したいと思います。

○三木委員 パブリック・コメントに付す場合の全体の構成の問題なのですが、今回の資料を見ますと、いろいろなところでADR機関の適格認定をするという制度を主として出して、従としてそうではない制度も考えられるという構成になっているように思えるのですけれども、先程来、既にいろいろ御意見もありましたし、今日の後半、あるいは次回に本格的に議論されると思いますが、この適格認定につきましては、異論を持っておる方も多いですし、賛否の問題を離れても、本当に適格認定という制度が実際の行政の手続として置けるのかどうかについて、まだ目途が何も立っていない状態だと思います。そのときに、こちらを主にして出すということになると、その前提が崩れますと聞いているところの中心部分が全部抜け落ちてしまうということにもなりかねませんので、適格認定という方法論が1つあり得て、それを検討するということは私も勿論反対ではありませんけれども、構成としてはその適格認定によらない仕組みを先に出して、適格認定の問題というのは、まとめて取り扱うという方が望ましいのではないか、それは先程の座長の御懸念と私が思っていることが同じかどうかちょっとはっきりしませんけれども。
 私もちょっと適格認定というのが、実現可能であれば安全な方法であることはわかっておりますけれども、最初にこちらを出していくというのは、やはり元々ADRの検討が始まった趣旨、それは現在既にもう多数のADRが存在し、それも自由な形で活動が行われているとすれば、更に活性化していくと、そして勿論望ましくないものは勿論排除していくけれども、基本的にはADRの検討というのは、規制法を作ろうという話ではなくて、活性化法をつくろうという話ですから、その前提から考えても、主従の関係というものを考え直してもいいのではないかというのが私の個人的な意見です。

○山本委員 私も三木委員と同じ部分があるのですけれども、ただ、適格認定制度自体は私は利用者の観点から見て、利用者の予測可能性を担保する必要性が強い部分については、やはりどうしても必要になる部分があるのだろうというふうに思っています。それが様々な懸念を何とか懸念が妥当しないような形で制度を組み立てていくような努力も今後必要になってくるのだろうと思っております。
 ただ、資料の作り方としては、私は三木委員と似たような印象を持っておりまして、やはり認定制度が選択肢の中心となって、認定制度でない場合についてはややネガティブな書きぶりになっているということは否めないような感じがして、そういう意味では、例えば、時効中断の問題については、この検討会で勿論、当事者の予測可能性を担保するという点からして、認定制度というものは必要ではないかという意見はあったと思いますけれども、そもそも認定制度は要らないという御意見もあったわけですし、また、認定制度があるにしても、加えて、先程森田教授も事前認定に加えて事後認定のお話があったかと思いますけれども、そういう御意見もあったのではないかというふうに記憶しておりまして、そうだとすれば、もう少しそれを反映するような、勿論、事前認定だけにするというのも1つの案だと思いますし、事前認定プラス事後認定というのも1つの案だと思いますし、事後認定だけというのも案だったと思いますので、ここは何かそれぞれの案があるということをもう少し明らかにするような、そして、恐らくそれぞれの案によって、例えば、事後認定のシステムをつくる場合も、事前認定がある場合の事後認定と、事前認定が全くない場合の事後認定では、要件がかなり変わってくるような気がしておるのです。そのような点も含めて、もう少し選択肢としてどういうものがあるのかということを、このパブリック・コメントで答えるかを明らかにした方が、今までの検討会の雰囲気からするとよろしいのかなという印象を持っています。

○青山座長 どうもありがとうございました。ほかにどなたか。

○綿引委員 今の点なのですが、この認定制度の議論を今まで1回もここできちっとやらないで、今回のパブリック・コメントの案でこういう形で出てきているのが、今のような三木委員や山本委員の御意見につながっているような感じを持っております。
 ただ、時効制度をどう組み立てるかという問題についても、個別労働紛争型なのか民事調停型なのかというような話が出ていまして、森田先生のお話の中にもありましたように、民事調停型の場合には、ある程度適格性の要件が厳しくなってくるのではないかというような、いわば時効中断効をどう認めるかということと、適格性の要件をどう考えるかということとがセットになるような議論なものですから、それらすべてを網羅的にばらばらにやっていくと一体どんな時効制度をイメージしてこのパブリック・コメントをしているのかというのが見えなくなってきてしまうという可能性もあるだろうと思います。
 その意味である程度適格性の要件をどう考えて、それと時効中断効をどう結び付けるのかという、やはりある程度具体的なイメージを持った提案をしないと、パブリック・コメントに付した場合に、意見が返ってこないということにもなりかねないと思います。ただ、適格性の要件をどういうふうに考えるのかという議論をきちっとやらないで、こういう案1つに絞ってしまうのは、いかがかなという感想は私も持っております。

○青山座長 廣田委員、どうぞ。

○廣田委員 先程、三木委員と山本委員がおっしゃったことに賛成したいと思います。先程座長がガチガチの案にならないようにということもあるのですが、どうもこの議論をしていくと段々、頭の方がガチガチになりそうで、難しく考え過ぎるのではないかという感じがあるのです。例えば、5ページの囲みの中の真ん中にあること、これは今、綿引委員もおっしゃったのですが、認定とは何かということなのですけれども、この手続の開始・終了の決定、手続の進行管理や管理が公正・適確に行われること、これらのことは何も認定しなくても、講習会程度で大体できるのです。ここに書いてあることは、内容的には大抵のことはこれはクリアーできるので、そういう意味での認定が、果たしてどこまで必要かということになると、私はその程度の問題も含めて議論した方がいいと思うのです。
 だから、そういう意味では、認定を一番頭に出すというのは問題があるのではないかと思っております。

○青山座長 4人の方から意見をいただきましたので、弁解をするわけでは全然ないのですが、これをパブリック・コメントを付された場合に、これに答える人はどういう印象を持つかということを考えますと、先程三木委員や山本委員が御指摘になったように、第1案として、一定の適格性を有する公的な認定を受けたADR業務という言葉が上に出てきて、オルタナティブな案が下の方に来ているので、これでは答えにくいという気がするのではないかと思います。
 ですから、もうちょっとこれをばらして、例えば、適格性が必要だということと事前の認定を切り離して、これこれの適格性を持ったADRならば時効中断が認められると。それを事前認定にするか、裁判所の個別的な判断に任してしまうかは2つに割れていくと思うのですが、適格性と事前認定を一緒にして書いてあるものですから、その点に関する答え方が少なくなっている。適格性は必要だけれども、認定は要らないというオプションもあれば、認定は絶対に必要だという考え方もあると思うのです。
 このように文書のつくり方はもう少し工夫する余地はあるにしても、論点は大体挙がっているのではないかというのか私の印象ですが、いかがでしょうか。

○龍井委員 最低、注釈でも構わないのですが、前々回の資料にあった4タイプそれぞれのメリット、デメリットがもう少し醸し出されるような資料にしていただければ助かるという感じがします。

○青山座長 議論が段々進んできて、4つのタイプのうちで、これは無理だというものもあったのでそれについては落としてきたものがこれなのです。全く並行的に4つの案を出して、そのうちのどれかという書き方は、これまでの議論によってここまで辿り着いていることからすると、一回り前の議論に遡るような気がします。
 ただ、答える方としては、議論の過程もわかった方がいいことはおっしゃるとおりですので、それは工夫をさせていただくということでよろしいですか。

○龍井委員 本文はこれでいいと思います。説明の仕方です。

○青山座長 わかりました。ほかにいかがでしょうか。確かめておきたいのは、適格性が必要でないとの意見がありましたが、他の委員は大体、こういうADRでなければ時効中断は認められない、時効中断を認めるために何らかの適格性が必要だという意見だったと思いますが、そのような理解でよろしいかどうか。
 もう一つは、適格性があるにしても、それを公的な認定にするかというについて、公的な認定が必要という主張をされた方もありますけれど、むしろ大多数は公的な認定には馴染まないのではないかという意見の方が強かったように思っていたのですが、その点をちょっと確かめさせていただきたいと思います。

○三木委員 座長が整理されたとおり、適格性が必要かどうかということと、事前認定にするか司法による事後認定にするか、ということは分けて議論すべきだと思います。
 私の個人的な意見としましては、座長がおっしゃったように、事前認定が必要だという方もいらっしゃいますけれども、主として事後認定を想定して適格性の必要性を議論をされていた方が多いと理解しております。
 適格性の方ですが、機関の適格性と手続の適格性の2種類あり得ると思います。これも分けて議論すべきと思います。機関の適格性はある機関に適格性があると判断すればその機関が行った手続が仮におかしくても、推定になるのかみなしになるのかわかりませんが、一時的に時効中断効が付与される、すなわち、機関そのものが一定の効果の付与を享受するということであり、手続の適格性は1個1個の手続に着目するということですから、これらは分けて話をすべきだと思っております。

○原委員 私も個人的にはそのような整理の仕方で、三木委員がおっしゃられたような形で整理した方がいいと思っております。それで先程5ページの「なお書き」のところで、そういう意味では大変わかりにくくて弱いため、もう少し明確に書いていただきたいと発言をしたのです。

○青山座長 ほかはいかがでしょうか。

○山本委員 先程申し上げたように、ADRについて一般的に適格性が必要だと思いますし、事前認定制度も必要だろうと思っております。
 ここに掲げられている適格性の要件を見ると、通常の人が訴訟になったときに、立証することが非常に厳しいもののような感じがします。その下の○のところで、あらかじめ容易に確認できる形で要件を設定できればと書いてありますが、今までの議論の中で、この要件とは違う提案は、廣田委員の御提案を除けば、なされていないと思います。そういう前提からすると、利用者の利便性、あるいは利用者の権利保護を考えて、時効中断が問題かさえ知らないうちに請求権が消滅したり、時効中断したつもりであったが請求権がなくなってしまっていたとか、相手方からすれば時効中断されていないつもりだったのに、後から中断していましたと言われる、ということがあり得るため、事前認定制度が必要だろうと思います。
 ただ、事前認定がなければ、一切、時効中断が認められないかと言うと、必ずしもそうではないと思うのです。後で裁判所に認定してもらう余地を残すことも、あり得るのではないかと思っております。この利用者の利便性という観点が今回のADRの制度改革の1つの柱であったということを考えれば、事前認定はあった方がいいのではないかと思います。

○綿引委員 山本委員の意見に賛成です。やはり予見可能性の確保は、仮に時効中断制度を入れる場合、必要ではないかという感じを持っております。後で事後的に裁判所が認定できる場合が残るという点は、ちょっと重荷かなと思うくらいでありますが、いずれにしても、適格性の要件は必要で、それについて事前認定の制度を入れるべきであると考えております。

○原委員 立証する事項が抽象的に書かれれば書かれるほど、こうなるということはあると思うのです。そして、誰が認定をするのかという話が個人情報保護法のときも大変問題になったのですが、その論点とも関わってくるかと思います。

○髙木委員 座長が意見分布を知りたいと言っておられるので申し上げますけれども、山本委員、綿引委員と大体同じです。適格性は必要だと思いますし、これだけの法的効果を与えるわけですから。また、予測可能性の確保というか、あらかじめ分かっている必要があろうかと思います。
 山本先生とちょっと違うのは、公的な認定、つまり国家機関による認定でも構わないと思っていますし、他に適切な認定の仕組みはつくれないだろうと思っていますので、一歩進んで、事務局案でいいと思っています。

○三木委員 この議論は後でもう一遍出るのだと思いますので、抽象的に申しますと、私は認定制度は望ましくないと思います。仮に望ましいとしても、実務的にそれが置けるのか多大な懸念を持っています。
 したがって、望ましいかどうかは別として、果たして可能かどうかという問題、認定制度の場合、少なくとも、誰が認定するか、どういう基準で認定するか、一旦した認定の取消しという制度はどういう形で仕組まれるのか、の3点が解決しない限り認定制度が本当に置けるかどうかわからないということがあります。その点が一度も議論されていないということですから、少なくともこの検討会レベルで置けるかどうかということについての目途は立っていないという状態だと思います。
 それから、時効との関係は既に議論として終わったのか、生きている議論なのか、わかりませんが、事前認定でも事後認定かは別に、適格性が要るかどうかという点は、民事調停タイプもしくは個別労働紛争タイプを採った場合、必要だという議論が有力になると思います。
 私は時効停止タイプ、あるいは催告係属タイプのような形の方が望ましいと思っておりまして、その場合適格性という議論はさほど要らないという仕分けになると考えております。

○廣田委員 仕分けの問題なのですが、私は一定の要件があれば時効中断効がなくなるという意見ですから広い意味で手続の適格性を言っていると思うのです。そういう観点からすれば、認定は必要ではない、裁判所の判断に委ねる、という範疇に入ると思いますので、そういう意見もあるということをパブリック・コメントで整理していただきたいと思います。

○青山座長 わかりました。まだ、議論が途中であることは十分承知しておりますけれども、今日、更にほかの論点まで議論を進めなくてはいけませんので、時効中断の問題はこれで打ち切りらせていただきたいと思います。
 森田先生には最後までお付き合いいただきましてどうもありがとうございました。
 ここで10分休憩をいたしまして、午後3時45分から再開したいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

(森田教授退室)

(休  憩)

[特例的事項①(弁護士法の特例)]

○青山座長 審議を再開いたします。次は弁護士法の特例に関しまして、前回に引き続いて改めて時間を取って議論をしていただきたいと思います。資料としましては、前回と同じ資料17-1、検討事項2-1~2-5(抄)が資料でございます。これに基づきまして、事務局から何か補足することがあれば、御説明をお願いしたいと思います。

○小林参事官 こちらの問題につきましては、前回御議論いただいたわけでございますが、その御議論を踏まえまして、若干補足させていただきたいと思います。資料の関係でいきますと、今の資料の12ページから「相対交渉における和解についての代理権」と、「法律相談業務に関する弁護士法第72条適用除外」というテーマでございます。それぞれについて若干補足させていただきたいと思っております。
 前回の論点2-2につき、1つの問題は、ADR代理業務を行うことと認める場合に、それに関連した相対交渉における和解についてどう考えるのかという問題であろうかと思います。これはいくつかの段階があろうかと思いますが、1つは、ADR代理業務を受任しているケースについて、ADRの外での和解交渉をすることを認めるかどうかということでございますが、恐らくそれほど議論はないのではないかと思っております。
 次はADR代理を受任することを念頭に置きながら、実際受任していない段階で相対交渉をする場合の和解についての代理権が認められるかどうか、ということが問題になろうかと思います。この点については、前回、髙木委員からの御質問の際にお答えしたように必ずしも、当然に認められるべきだと考えているわけではございません。ただ現実問題として、ADRにかからないと代理権が認められないというのは現実的ではないという御指摘もあろうかと思いますので、その点は考える必要があるのではないかということでございます。
 更に、ADR代理は考えていないのだけれども、同じような紛争範囲について、代理権を認めるかどうかという問題もあり得るのではないか、ということでございます。その辺り現在のペーパーは、やや乱暴な書きぶりになっておりますので修正をしてまいりたいと考えております。
 2番目の問題は、3番として挙げております「法律相談業務」という問題でございますが、これも前回御説明させていただきましたが、元々の発想はADRを支えるものとして相談業務についてもこの検討会で議論をしているわけでございますが、相談業務と72条との関係をどう考えるのかということについても議論する必要があるのではないかということでございます。
 これまでの議論の仕方として、ADR関係を全部整理した後に相談について議論をするという形を採っておりましたが、この件については本来は主宰者のところで議論したものの延長として考えるべき問題ではないかと考えております。その辺りがよくわかるように資料は工夫をしたいと考えておりますが、いずれにしても何か法律相談という新たな業務を認めるということではなくて、あくまでもADRを支えるものとしての相談業務について、主宰と同じような考え方を採る必要がないかどうかということでございます。
 したがって、13ページの論点3-2、主宰のところで挙がっていたような論点1-2、論点1-3のようなスキームを考えておりまして、具体的には弁護士の関与・助言を得るケース、そうでないケースについては一定の法律についての専門知識があるケースを想定しております。以上です。

○青山座長 どうもありがとうございました。資料も前回の続きですが、4ページの「基本的な考え方」は特に御異論がなかったかと思います。ADRの弁護士法72条の適用除外を認める例外規定を設けるということについて大方の一致があったと思いますが、その場合に主宰業務と代理業務とがあるということでございました。
 更に、相談業務については主宰業務に近いかもしれませんけれども、主宰業務と相談業務合わせて弁護士の関与・助言を得てできるというのが6ページ目の論点1-2、論点1-3は相当程度以上の法的知識を備えた専門家は弁護士の関与・助言を得ることなく主宰業務や相談業務をできるという構成になっております。
 その部分と代理業務の方なのですが、これは10ページの論点2-1と、それから12ページの論点2-2は高度の専門能力を有するものと評価できる専門職種を対象として、代理業務ができるということを個別法令上の規定を設けるということで、これは基本法ではなくて、そういうことにするということでパブリック・コメントに付そうという案でございます。
 では、まず主宰業務と相談業務について御意見を伺い、代理業務についても御意見を伺いたいと思います。これらは相互に関連いたしますけれども分けた形で御議論いただきたいと思います。

○三木委員 まず、主宰業務の点でお伺いします。6ページの論点1-2かと思いますが、専門的知見を適確に活用し得るものと認められるという部分ですが、弁護士法72条は違反すると刑罰が付与されるという意味で刑罰法規の構成要件の要素があろうかと思います。しかし、専門的知見という概念がどういう概念は抽象的で外延のはっきりしない概念だと思います。構成要件の明確性という刑事法上の要請に照らして、このような要件で維持できるのかどうかについて御検討の結果を教えていただければと思います。

○小林参事官 7ページのところでございますが、まさに同じような問題意識から、刑罰法規でございますので明確にする必要があるのではないかということで、ここでは一応適確な判断能力と、それから組織的基礎を有するということについて、具体的には①②でございますけれども、公的に確認する仕組みを取り入れることも検討する必要があるのではないかということで整理をしております。

○三木委員 どちらが原則かということですけれど、公的な確認制度を導入しないと、刑罰構成要件としては維持できないという方が主なのか、これで維持できるけれども場合によってはこういう仕組みも要るのか、どちらが主になると理解してよろしいでしょうか。

○小林参事官 これまでも御議論がありましたように、専門的能力についての明確な基準はなかなか難しかろうということになれば、やはり公的な確認が必要ではないかということであります。

○三木委員 ここで有効的な確認というのは、先程来議論している適格認定制度が仮に入れられるとした場合の、公的な確認と同じ機関、あるいは同じような手続でやるというイメージを持っているのか、それとも、また別の話であるというイメージなのか、いかがでしょうか。

○小林参事官 抽象的に申し上げれば同じ仕組みになるのではないかと思いますが、具体的な機関が時効を認める機関と同一であるかどうかということとはまた別の問題でございます。

○青山座長 ほかにいかがですか。

○原委員 質問したい点は2点あって公的関与の部分だったのですけれども、この7ページですが、よくわからないのは、弁護士法72条は刑事罰がかかる強い規定であるため公的関与が必ずされるものか、それとも刑事罰があっても公的関与が必要ないのか、法律の専門家ではないのでわからないのですが。いかがでしょうか。

○青山座長 弁護士法72条にいう法律事務とは、対価をもらって反復して繰り返すということですから、主宰者が一回限りだとかいうことになれば元々外れてくるのですが、反復継続するということであれば一応入ってくると弁護士会は考えておりますから、何らかの工夫をしなければいけない、工夫の仕方としていろいろな外し方があるのではないかということなのです。

○原委員 例えば、医療行為は医師がやらなければいけなくて、これは医師法が関わりますが、これと弁護士法は同じか、違うのかという辺りがよくわからないのです。

○髙木委員 どこまでが医療行為の範囲か難しい問題がありますから医療行為と似たところがあるかなと思うのですが、弁護士法72条で禁止されている法律事務もその範囲があまり明確ではないのですが、罪刑法定主義から範囲が明確であることは必要だと思います。
 元々明確でないものについて、その例外を設けようというのも、大変なことですけれども、少なくとも、どこが例外かきちんと決めておかないと、後になってそれは刑罰になりますといわれるような不測の事態が起きることを防ぐ必要があり、そのため、どのような方法があるかという問題で、公的な確認をすれば、それは例外の範囲を定める方法につながるのだと思うのです。ただし、公的な確認がないと他の方法では絶対にできないかというと、そうではなくて、ぎちぎちと言葉をたくさん重ねて書けば書けるかもしれないし、実際やってみるとやっぱり書けないというかもしれないという問題なのだろうかなと思います。

○小林参事官 先程の時効中断効のところも同じですが、要するに要件が何かという問題と、それをどうやって担保するかという問題は切り離せということでございましたが、確かに理論的にも別の問題であります。①とか②のような要件が必要だとすればそれらの個々の判断はなかなか難しいのではないか、刑罰法規としては不明確ということであれば確保する手段として公的な確認という仕組みを考える必要があるのではないかということです。

○原委員 時効中断のときの議論と同じだと思うのですが、刑事罰を科すようなものであれば公的な関与が必要なのかどうか、ちょっとプラスアルファして考えたのですが、そこまでは考える必要はないということなのですね。

○小林参事官 その必要性は高くなるということは言えるのではないかと思います。

○廣田委員 私は今日は検討事項の2-5についてペーパーを用意しておりますけれども、これは全般にわたっていますので、一応ペーパーに書いてありますから、これを全部説明することはいたしません。けれどもこれは、一応援用させていただくことにしたいと思います。今の手続の主宰者に関して言えば、今のような議論があるのと、専門的知見についての構成要件についてどう見るかは非常にややこしいことがありますので、これは前回にも申し上げたけれども、公正かつ適確に行うことができると認められる機関において行われる調停・あっせんについては弁護士法第72条本文を適用しない、ということだけを決めておけばよいと思うのです。
 現在、弁護士以外の手続主宰者はたくさんいますが、これが弁護士法72条違反で摘発されたということは私は聞いたことはありません。ということは今のADR機関に関する限り、皆、公正かつ適確に運営されていると言っていいと思いますので、ここで認定という制度は必要ないと考えておりますし、専門家の知見などという要件も設ける必要もないというのが私の意見です。
 これに関して、公正性と適確性をどう担保するのかという問題が出てきますので、私はこれは切り口を変えて前々から問題になっている弁護士の関与・助言をどう見るかという関係で議論すればいいと思います。私のペーパーの5ページの方に書いてありますが、ADR機関はその運営及び手続の公正性と適確性を確保するために、必要に応じて弁護士の関与・助言を得るものとする、というような条文を置くかどうかということさえ検討すればいいと思うのです。前回、私は消極意見だと言いまして、現在でもどちかというと消極意見です。なぜ消極か、という理由はペーパーに書いてありますが、要するに、弁護士が関与し過ぎますと高いものについてしまい、かえってADRが利用できないものになってしまうことは避けたいということと、弁護士が中心だという考え方に立つべきではないと思っているからです。私は消極意見ですけれども、メリットがあれば消極意見に拘泥することはしませんので、この辺を議論していただければいいと思うのです。

○三木委員 認定制度を置くかどうかについて、ペーパーでは7ページに補足的に書いてありますけれども、むしろ認定制度を置くことが事務局の案として主なのだということになりますと、私もやや違和感を持ちます。
 先程、専門的知見という要件が罪刑法定主義の観点からして不明確な要件ではないかということを申しましたけれども、それを置いたとして、それを認定するために認定機関を置くというのは話の順序が違うという気がします。むしろ専門的知見という要件は外していいと思います。
 弁護士の助言・関与を得てという点は弁護士会から出された意見を踏まえたものだと思いますし、私もこの要件は必要かつ適切だと思いますが、弁護士が関与・助言をするということを要件にする場合、専門的知見を有さない者が不適切にADRに関わっている場合、それに応じて排除するための関与・助言をするでしょうから、弁護士の関与・助言という要件があれば、専門的知見という要件は要らないと考えます。
 逆に、その要件を置くと、弁護士は専門的知見の有無については判断をしないという可能性があることを前提に立法を仕組むことになりますが、それは望ましくないと私は考えます。

○山本委員 私は基本的には原案の考え方でいいのではないかという感じがしております。廣田委員の御提案につきましては、やはり公正・適確な運営というものは相当程度一般的なもので、弁護士の関与・助言があれば手続は当然に公正・適確であるという前提が取れればいいのでしょうけれど、おそらくなかなか難しいのだろうと思うのです。
 そうすると、公正・適確な運営がなされているかどうかは、最終的には裁判所の判断になるのだろうと思いますが、それだとADRを主宰しようとする方々は、いつ捕まるかわからないため、なかなか安心して主宰することができないだろうという感じがしております。
 先程の三木委員の御発言は、基本的には弁護士の関与・助言があれば、その他の要件は不要であるという御趣旨かと承りました。それは一つの魅力的な考え方であるという感じがするわけですけれども、議論の前提となる司法制度改革審議会の意見から、専門的な知見という、法律以外の専門的知見を有する人を活用するということがここでの話の前提になってきていたと思いますし、弁護士の関与・助言があれば専門的知見がないとか、排除できるのではないかという御趣旨の御発言もあったかに思いましたけれども、弁護士はあくまでも法律的な知見の専門家であるということからすれば、ある人が紛争分野に関する専門的知見を有しているかどうかとか、紛争解決についての専門的知見を有しているかどうかについて、弁護士の判断に委ねるということが制度上望ましいかどうかについて、やや疑念を持っております。
 そういう観点からすれば、この辺りこういうような要件にならざるを得ないとすると、先程のような懸念からすると、これも先程の予測可能性、今度は利用者ではありませんが、ADR主宰者の方々の予測可能性の担保という観点から、また、特にこれは刑罰ということですので、その予測可能性を担保する必要性は高いと考えざるを得ないのではないかと思います。そういう意味からこういう枠組みで行かざるを得ないのではないかというのが、私の現段階での認識です。

○三木委員 専門的知見という要件を残した場合、7ページに書いてあるような行政の認定が必要であるという前提なのかどうかということと、仮に必要であるとした場合、仲裁についても、これから改めて行政の認定を得なければ72条違反の問題が生じてくるのかという問題の2点について御意見を確認したいと思います。

○山本委員 後者は、仲裁かそれ以外かということで分ける必然性はないような感じがするということであります。
 それから、確認が必要かについては、先程来申し上げたような理由で、確認がないとなかなか安心できないのではないかと思うのです。主宰者は専門的知見という要件があるだけでよいとなると、その専門的知見も資格制度とかを設けてはっきりさせるということになれば別だと思いますけれども、そうでないような形で抽象的に専門的知見ということになると自分は専門的知見を有しているというつもりでやっていたところ、後から専門的知見はありませんと逮捕、起訴され刑事裁判で専門的知見はないと認められて有罪判決を受けるということになることは、やはり望ましくないのではないかということです。

○三木委員 仲裁と言ったのは、別に仲裁と調停がそれぞれ違う仕組みに馴染むという趣旨ではありません。しかし、仲裁に関して、非弁護士の外国人の仲裁人は既に活動を行っていますし、仲裁に関して弁護士資格を要請しないことはほとんどの世界中の国が採用していることでありますし、日米構造協議以来の議論があるわけですから、それらを踏まえた上で本当にこれから新たに行政による認定が必要だと言っておられるのかどうかについて伺いたいのです。

○山本委員 論点1-3はまた別にあるわけでありまして、相当程度以上の法的知識を有すると認められる専門家をどういう形で拾えるかわからないのですけれども、現実に仲裁をやっておられる方は相当程度以上の法律知識を有していると見られる方も多いのでないかという感じがします。
 また、機関仲裁であれば、論点1-2で弁護士の関与・助言を前提に一定の認定を受ければということになっているわけですから、一定の認定があり、弁護士の関与・助言があれば問題はないわけですので、実際問題、私はどの程度の仲裁が落ちることになるのかということについて詳しくありませんのでわかりませんが。

○廣田委員 山本委員に対する私の意見として、専門的知見を生かすことが今の72条の緩和をするということに関わっているので、だから認定が必要だという文脈で語られていると思うのです。しかし、ADRを活性化するには専門的知見が必要でそれを生かすということだったら、72条に絡ませないで努力目標として生かすべしということをどこかに書いても構わないわけで、72条と絡んでいるからややこしい議論になっていると思うのです。
 ですから、私は72条に絡ませる限りは先程も言ったような公正性・適確性くらいで十分だと思いますし、刑法上の要件もこういう要件はいっぱいあるのです。要するに、正当な理由なくとか、不正な目的でということを刑事裁判所で認定することもあるわけです。
 同時に、弁護士が関わっても、不公正、不適確なADRがあったら、それは72条違反になると思うのです。消費者金融業者に名前だけ貸す弁護士がいて、中身は全部事務局が適当なことをやっていれば、72条、73条違反ということになりますが、そういう法律構成で私はいいと思っているのです。

○青山座長 ほかの方いかがでしょうか。

○安藤委員 私も一応はこの論点1-2、1-3、これはそのまま納得できるわけなのです。基本的には主宰者は弁護士ではない方がいいという頭を持っております。弁護士の関与・助言は、あくまでも法律を侵さない法的手続がきちっとできているものについての関与・助言ということで十分ではないかと思っています。

○青山座長 ほかにいかがですが、この点は、原委員はどういうふうにお考えですか。相談業務も勿論入ってまいりますので、その場合どういうお考えですか。公的確認の仕組みという問題はどう考えでしょうか。

○原委員 事前に公的に確認する仕組みが先程の時効中断の話とも関連しますけれども、事前でなくてもいいのではないかという感じはしています。ただ山本委員がおっしゃられたように、NPOでもいいですけれどもADRをやっていたと、だけれどもそういった専門的知見がないから刑事罰にかかるというところも不本意です。
 2つあって、1つは、先程廣田委員がおっしゃられたように、今問題となっているヤミ金融ではありませんけれど、悪徳事業者がどういう形の紛争処理機関をひょっとすると作るかもしれないという懸念があるので、利用者としての立場と消費者自身、市民自身がNPOで紛争解決の機関みたいなものをつくりたいというのもこれまで以上に機運としては出てくるでしょうから、自分たちが主宰者になるという両方の意見を持つというところがあって、即断してこちらがいいとはなかなか言い難いところがあります。
 ただ、私自身は事前に公的に仕組みとして設けておくというところまでなくてもいいのかなという感じがするのです。でも、それは個人的な意見というところで、パブリック・コメントを取ってみて皆さんがどういうところを望んでいるかによるかと考えております。 ですから、両論ある形で出されることと公的関与というものがどういうことを指すのかをもう少し丁寧に書いておいていただけたらと思います。

○青山座長 わかりました。次は代理業務の方にいきたいと思いますが、代理業務について、10ページの論点2-1と2-2について前回の続きの議論をと思っていますが、いかがでしょうか。今日論点2-2について、事務局から追加的な説明をしていただきました。これは前回髙木委員からの御質問に答えた分だと思いますが、髙木委員、先程のはどうでしょうか。

○髙木委員 そういう書き分けをしていただけるのなら格段異存はありませんけれども、論点2-2の末尾のところで、認めるものとしてはどうかという方向性が出してあるので、認めることについてはどうかというくらいにしていただければ、ありがたいと思います。

○小林参事官 それを含めて丁寧に書きたいと思います。

○青山座長 10ページの個別法令上に規定を設けるのは、そういうことをパブリック・コメントで聞いてそれがいいと言ったら、我々の検討会としてはそういう提言をするということになるのでしょうがADR基本法に盛り込むというわけではないですね。そこのまとめ方について何かあればどうぞ。

○廣田委員 私は前回申し上げましたけれども、個別法に織り込むということも必要だと思うのですが、ADR基本法にずばり書けるものは書いてしまうという方がいいと思うのです。私のペーパーの7ページ終わりから8ページの初めにゴシックで書いてある程度のことはADR基本法に書けるのではないかと思います。
 例えば、公認会計士、司法書士、土地家屋調査士、行政書士、税理士、不動産鑑定士、社会保険労務士、弁理士は、それぞれの資格付与の要件を定めた法律が規定する業務の範囲内の事項に関して、ADR手続これは括弧してあっせん・調停・仲裁等の代理、相対交渉による和解の代理、相談業務を行うことができるというふうにずばりと書いてはどうかと思うのです。
 それから、医師以下の専門家については、ADR機関の許可を得て、というのは、今の民訴法と同じです。許可を得てADRの手続の代理人になることができる。そして、消費生活に関する専門的知見を有する相談員が行う消費者問題に関する相談業務、苦情処理業務については、弁護士法72条の本文を適用しない。ここまで書けばADRを利用するという人はかなり増えますし、今まで不明瞭であるため躊躇していた当事者などの問題も吸収できると思います。そういう姿勢を明らかにするということが必要ではないかと思うのです。その上で、これに対応する各士業法に関する改正が必要な分は改正するとした方がいいと思います。
 先程から議論になっている相対交渉による和解の代理ができなければ、そこからADRに手続が進行してくるときに、そこが抜けていたら、結局、ADRは利用されないということですし、専門家はその専門の業務についてのことですから、法律に規定されて、何が業務かということが書いてあるわけですから、私は問題が起こるようなことはないと思っています。ここまではきちんとしておきたいというのが私の意見です。

○小林参事官 先程の座長からの御質問でございますが、まずは問題に対するアプローチの仕方についてコンセンサスを得ていく必要があるのではないかということでございまして、そういう方式を採った後、具体的な検討をどう進めるかについては、オープンといいますか、現時点でここから手が離れるということを決めているわけではありません。
 それから、廣田委員の御意見でございますが、そういう意味で申し上げると、ここで書かれておられる中身について、皆さんの合意ができれば私は問題ないと思いますけれども、そういう個別の議論はまだなされていないのではないかと思っております。また、それをADRの、基本的な法制に書くということについては、法制上の問題としてこれが可能かどうかという問題は依然として残ると思います。

○青山座長 廣田委員から非常に具体的な御提言をいただいておりますので、もしここで何か御意見を述べていただくことがあればいただきたいと思います。そうでなければ先に進ませていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

○廣田委員 もしそうであるとすれば、事後の検討ということになると思いますので、個別法令に書く前に、基本的な方針をADR基本法に書くべきであるという意見もあったということをパブリック・コメントに入れていただきたいと思います。

○青山座長 わかりました。

○龍井委員 論点2-1で出されている専門的知見を要する紛争と言ったときに、これが前回から議論になっていますように、専門的知見が紛争分野に関わるもの、それから紛争解決に関わるもの、とりわけ代理業務ということになれば、紛争処理そのものに関わる知見というか経験というか、それが大きな要件になるのではないかと思っておりまして、それがどう書けばというのは具体的な提案がないのですが、この前の段階で多分両面からという専門的知見に使われていましたので、この分野でもそういうものが必要になるだろうと思っていますので意見だけ申し上げておきたいと思います。

○青山座長 今おっしゃった専門的知見とは、代理業務については法的な能力という意味ですか。

○龍井委員 結局そのことに絞られてくると思うのですけれどもそういうことです。

○青山座長 ほかによろしゅうございますか。それでは、前回に引き続き、今日いただいた議論をまとめまして、パブリック・コメントにどういう形で出すかについて、事務局で更に検討させていただくということにさせていただきたいと思います。
 それでは時間が迫っていて申し訳ないのですが、続きまして検討事項2-6に戻りまして、執行力の付与から議論をしたいと思います。まず、事務局から執行力の付与についてのポイントの説明をお願いしたいと思います。

[特例的事項②(法的効果の付与等)[時効中断以外]]

○小林参事官 資料は2-6に戻っていただきまして、10ページでございます。
 まず論点2の最初の○でございますが、前々回の議論のときに、執行力の問題をどのようなスタンスでパブリック・コメントに書けるか、ということについて御議論がございました。それを踏まえてでございますけれども、最初の○のところでは、現状の限界、それに対応するために一定の和解文書について特例を設けることについてどう考えるのかという、言わばニュートラルな聞き方になっております。ただ、注のところでは、これまでの検討では積極意見がある一方で、強い消極意見も出されているという形で整理をさせていただきました。これは委員の方の数で決めるわけにもいきませんし、それから消極意見の方が非常に強い、ある意味では危機感を持った意見であったということはきちんとお示しした上でお伺いすべきではないかということでこういう形でいかがかということでございます。
 次の○は、さはさりながら、意見を聞くために、一応考えられるスキーム、最低限こううスキームは必要ではないかということについてお示しする必要があるのではないかということで整理をいたしております。①については、確定した裁判所の執行決定を付したものということ。それから、その前提として、ここもまた御議論になるかもしれませんが、公的な認定を受けたADRの下で作成されたADR和解文書であることということにいたしております。適格性に関する基準例としましては、時効のところのような、言わばしっかりしたADR機関ということに加えまして、主宰者により次の時効の確認が公正・適確に行われることということで公序良俗違反、意思表示の成立についてのチェックが行われるということを書いてございます。
 それから、前々回の議論でございましたように、執行受諾文言については、必要という整理にいたしております。
 また、執行拒絶事由としてはそれに対応するような事由を掲げてございます。
 注のところには、これは後ほど出てまいりますが、これらの要件に加えまして、手続ルールを法定する、あるいは法定しないでも、そういった手続上の瑕疵があった場合を執行拒絶事由として加えるかどうか、これについては両論あったということを示してございます。
 11ページの趣旨でございますが、これは先程の総論のところで述べた賛否両論についての説明をもう少し丁寧にいたしております。前回いただいた意見も加えた形で賛否両論を整理いたしております。
 それから、11ページ、その下の○のところについては、対象となる手続の種類としましては、先程申し上げたような主宰者がチェックをするということを要件としますと、主宰者が判断評価を提示した時点で手続が終了し、あとは当事者間の和解交渉が行われるようなADRは対象とならないということを示しております。
 それから、12ページは、裁判所による執行決定の必要性、それからADRに関する一定の適格性、認定の必要性ということを書いてございますが、この適格性、認定の必要性については、なお書きで、これは廣田委員から出された意見でございますが、個別に機関を法定するということについても言及をいたしております。
 ただ、この考え方については、行政型はともかくとしまして、法律に直接の設立根拠のない法人などを法律に直接に書くということは、私は寡聞にして存じ上げておりませんので、それはおそらく法律に根拠ない法人ですと名前が変わることもありますし、潰れることもありますし、合併することもありますし、そういった意味で事後のチェックができないということがあろうかと思います。
 また、ADR機関が適格でなくなった場合の処理が、法律改正をしないとできないという問題もございますので、なかなか難しい問題は多々あると思いますが、そういう御意見が出されたことも付記しております。
 その次の執行受諾文言につきましては、必要だという御意見が強かったので、それを加えております。12ページの執行拒絶事由につきましては、先程申しましたように、手続上の瑕疵をどうするのかということで両論がございましたので、①②という形で整理をさせていただいております。
 それから、請求権の範囲につきましては、これも前々回の御議論で、金銭給付に限定するのはニーズに合わないということでございますので、その他のものも対象にするという考え方で整理をいたしております。
 それから、次のその他でございますが、これについては、残された問題として、以上は調停・あっせんを念頭に置いておりますが、裁定の場合のように、一方当事者が拘束されるというケースについては、仲裁と同じような考え方を採る必要があるかどうかというのが①。次に、14ページの②でございますが、執行決定の申立てに関する手続、あるいは執行拒絶事由と、それから請求異議の訴えにおける異議事由、これが重複していいかどうかというような問題について、もし仮に執行力を付与するということになれば、検討は必要だということでございます。また、主宰者の職務執行の公正性を担保するために、何らかの補完措置が必要になることもあり得るのではないかということも併せて言及をいたしております。
 以上でございます。

○青山座長 どうもありがとうございました。執行力の付与につきましては、その前提問題として議論をしまして、その後、仮に執行力を付与するという案をパブリック・コメントに付す場合にはどうだろうかということで、具体的な議論をいただいたところでございます。これにつきましても、どうぞ自由に御発言をいければと思います。時間は大体30分以内に終わりたいと思っております。よろしくお願いいたします。

○三木委員 執行力の付与に関しましては、パブリック・コメントに付すためには、足りない議論がいくつかあるように感じております。思いつく限りで若干触れてみたいと思います。
 1つは、請求異議の訴えとの関係であります。調停等のADRによって、和解が成立した場合に、その和解には既判力はないということは争いがないと思います。そうしますと、仮に執行力が付与された場合に、執行手続が始まる前と始まった後の双方において債務者側は、いわゆる訴訟で言えば基準時に当たる時点以前に生じた事由についても、請求異議の訴えが起こせるかどうかについて、事務局はどうお考えなのか。
 仮に、請求異議事由が時点を問わずに提出できるとすると、結局、1からすべての審理をやり直すということになりますので、そうすると、執行力を付与しない場合とどのくらい違ってくるのかという点が問題になります。執行力を付与しない場合、権利者の側は執行力を得るために訴えを起こさなければいけないわけですけれども、それとその訴訟においてなされる審理と実質的には同じことを請求異議訴訟でも債務者側から提起してできるということになりますと、結局、起訴責任が違ってくるだけで、審理内容は同じになってしまう。つまり、執行力付与というのはその程度のものだという認識でいいのかどうかについて伺いたいと思います。

○小林参事官 結論から申し上げれば、その点についての定見はございません。

○三木委員 いずれにしましても、この点を明らかにしてパブリック・コメントのペーパーに書いておかないと、執行力を付与されるということがどの程度の利便を与えるのかというのが答える側にわからないわけです。つまり、ほとんど与えられない場合と変わらないことになってしまう余地があるわけです。

○青山座長 私の方から申しますと、既判力がないですから、基準値もないですから、請求人訴えは勿論起こして、それは過去に遡って持ち出すことができるわけです。しかし、この前に執行決定をされますから、執行決定の際でも勿論持ち出すことができ、決定手続ですから、決定手続で出した委員がそれで失権するということがないので、また、請求人の訴えでも出るのではないか。多分、民事訴訟法の理論から言うと当然そうなるのだろうということです。
 しかし、それでも請求人の訴えがいつでも起きてくるというわけではありませんから、それはそれとして、執行力を与えるということに異議があるかどうかということになるのではないかと思います。

○三木委員 私もこのことによって、この提案そのものをどうこうしろということではありませんけれども、この説明をちゃんと書いておかないと、答える側としては正しい答えができないという趣旨です。

○青山座長 わかりました。どうもありがとうございます。

○三木委員 それから、これは前回綿引委員からも少し出たのですけれども、そもそもADRにおける和解合意に執行力を付与することと、既存の契約法理や執行法理との整合性というものがまだ詰めて議論されていないという気がいたしております。
 いろんな観点からの検討が可能であり、また、すべきだと思いますが、1つの例としてUNCITRALの作業部会でこの執行力を付与することに反対する国はかなりあったわけですが、その中には政策的に置くべきではないという国のほかに、原理的に置けないのではないかいうことを述べた意見もありまして、そういう議論を日本ではどう考えるのかという点はやはり検討しておかなければいけないし、場合によってはパブリック・コメントの際に説明しておかなければいけないという気がいたします。
 勿論、網羅的に挙げるのは時間の関係でいたしませんけれども、UNCITRALで出た意見の中で私が気になっているところを2、3だけ挙げておきたいと思います。1つは、訴訟手続があって、その訴訟手続の中で裁判所の関与の下に和解の協議が進行していったと、その和解協議は裁判手続内で100 %なされ、それを踏まえて裁判上の和解が成立したのではなくて、それを踏まえて訴訟外の和解が成立したということは当然あり得るわけですが、このような和解には当然執行力は付与されないわけです。
 つまり、和解自体は訴訟外の和解になってしまうが、手続はすべて裁判所の関与の下に裁判所で行われたちゃんとした手続に執行力が付与されないで、民間の調停に執行力が付与されるというのでは論理が通らないではないかという議論をした国があるのです。これは一つの理屈だと思いますので、こういった議論に対してどう答えるのかということは一つ必要かと思います。
 2点目として、これはかなり原理的な議論であって、答える必要があるのかどうかもよくわかりませんけれども、有力な国の多数から出された意見としては調停と言っても、最終的には当事者が調停人の意見に拘束されずに合意を結ぶわけですから、結局は和解合意という点で、通常の交渉に基づく合意と調停に基づく和解合意は変わらないはずだと、それなのに、通常の交渉に基づく合意よりも、調停に基づく合意に強い効力を与えるというのはどういう理論的な説明ができるか。
 それから、もう一つ、理論的な説明が仮にできるとして、それは本来世の中の多数を占め、かつ重要な機能を営んでいる通常の交渉に対してネガティブな評価を与えることになり不当に軽視することになるという社会的な悪影響を与えるのではないか、という議論がございました。
 3点目として、先程の訴訟手続の中で和解協議が進行して、しかし、和解合意だけは訴訟外で行われたという例にも見られますように、調停における和解合意に執行力を与えるという法制をつくっても、最終的な合意が調停手続内で結ばれたか、調停手続外によって結ばれたかによって効果が違ってくるというのは今回の法制の前提かもしれませんが、その両者の区別が実際にできるのか。ADR機関を利用していたから、和解合意もADR手続内で結ばれたとは限られないわけで、最後の段階ではADR外で和解合意を結ぶということもあるわけです。そこの区別はどうやって担保できるのかという議論がありました。
 とりあえず、ここまでにとどめておきますが、こういった問題について、少なくとも我々はこう考えるから執行力が置けるのだというところまで押さえておかなければいけないという気がいたします。

○青山座長 わかりました。おっしゃるとおりだと思います。私的な和解とADRの和解と区別ができるのか。執行力を一方には付与し、一方には付与しないということをきちんと説明できるかという御指摘だと思います。

○綿引委員 今の点、私も全く三木委員に同感だということだけ申し上げておきます。前回申し上げましたので重ねて申しません。

○小林参事官 説明を省略しましたのは申し訳なかったと思いますが、11ページの趣旨にはその旨を記載しております。これで足りないということであれは、御意見をいただければと思います。

○綿引委員 理論的根拠が説明できるのかというところを詰めておかないといけないのではないかという御指摘だと思うのです。こうやって説明できるという考えもあるけれども、こういう問題もあると言えなければ、問題点が浮かび上がっていないのではないかという御指摘だと私は受け止めました。

○小林参事官 そういう御趣旨であれば工夫をいたします。

○青山座長 ほかにいかがでしょうか。

○廣田委員 そのことを含めて、パブリック・コメントで何を出すかということと、将来議論になる可能性があるものは出しておいてほしいという気持があるのです。今後、これに対して意見を闘わす機会は当然あるのでしょうね。
 つまり、パブリック・コメントでは理論的な問題があるということを出しておいていただいて、その後で、今の問題の中身について議論することができることにするのはどうかです。この問題は確かに議論しておかなければいけない問題だと思うのですが、三木委員の御指摘では、パブリック・コメントの段階で、それに答えておかなければ、パブリック・コメント自体ができないのではないかという御意見かと思うのですが、もう一回議論することとして、そのような議論や意見があったということで駄目かどうかということです。まるっきり議論しないとやはり問題があると思うのですが、これから先のものとしてではないでしょうか。

○青山座長 パブリック・コメントに付す前にあと2回検討会を開催して、パブリック・コメントをするというのが、私の認識しているところですが、パブリック・コメントが終了した後で、パブリック・コメントの結果を受けて議論する機会が数回ありますので、そこで議論できるのではないでしょうか。今、御指摘があったようにパブリック・コメント前に、パブリック・コメントを付す案としてこの問題を書いておかなくてはいけないという意見と両方あったと思います。ただ、パブリック・コメント前の検討会の2回で全部できるかどうかはいささか心配ですが。

○小林参事官 パブリック・コメントの認識に若干違いがあるのかもしれませんけれども、パブリック・コメントの正確な意味かどうかはともかく、今回予定いたしておりますのは、この検討会での検討状況をできるだけ忠実に、かつ、簡便な形でまとめて、それについて広く国民の方の御意見を伺った上で、その後の検討につなげていくということでございますので、本来であれば、最大公約数が望ましいのかもしれませんけれども、現実にはこの案文を見ていただくとわかりますように、かなり最小公倍数といいますか、いろんな意見があるものについては、できるだけ取り上げていくということでございます。
 したがって、全ての問題について我々はこう考えるということを示すことができないことは、時間的な制約があることからも当然だと思います。先程綿引委員から御指摘があったように、問題の所在について、できるだけ丁寧に説明することは必要だと思いますので、その限りにおいては、残された時間で努力をしますということでございます。

○青山座長 それでよろしゅうございますか。

○三木委員 若干補足ですが、請求異議の訴えとの関係を申しましたが、それ以外に執行が完了した後であっても、既判力がないということになりますと、不当利得返還請求の訴えや原状回復請求の訴えが起こせるということになろうかと思います。
 そうすると、執行結果を執行後に覆滅させることも容認できるのですが、この点は仲裁と違うところでして、仲裁判断は既判力がありこちらには執行力が認められているから、調停も同じようにという話にはならない点の1つだと思います。
 したがって、この点についてもそういう理解でいいのかということと、そのような非常に不安定な執行しかできないということをも踏まえても、執行力を付与した方がよいという人がどの程度いるのかということを、パブリック・コメントで問うておくべきかと思います。

○山本委員 その点、先程の請求異議の訴えも含め、私の認識によれば、訴訟上の和解においても調停においても、現在においては既判力不要説というのが多数説ではないかと認識しております。判例は一般に制限的既判力説に立っていると理解されていると思いますが、私の認識では三木委員から御指摘があった、セキュリティーとか、事後の不当利得返還請求の部分は、制限的既判力説の帰結と既判力不要説の帰結とで同じになると思います。そういう意味では合意がなかったということが、裁判所の和解であれ調停であれ、それが後で立証されれば返還請求が立つ、あるいは請求異議が立つ、という点においては同じであると思いますので、今の点をパブリック・コメントに諮るのであれば、それは結局、裁判所の和解等においても同じことであるということを書かせていただきたいと思います。

○青山座長 なるべくパブリック・コメントではニュートラルな形で書きたいと思います。殊更に請求異議の問題があるとか、後から不当利得の返還があると書くと、いかにも消極的な感じを出すことになるので、どういう問題点があるかということを取捨選択しながら書いていきたいと思っています。

○三木委員 今、山本委員のおっしゃったことに私は全然異論はありません。これは勿論争いがあるところですので、万人が同じことを言うとは限りませんが、現在の多数の見解によれば、山本委員がおっしゃったようになるのだと思います。その意味では既存の訴訟上の和解以上でも以下でもないということになろうかと思います。
 そのことも含めて、ただ今言ったことはかなり専門的な話で、一般の方がそういうことを知っているということは、なかなかないと思いますので、事実は事実として提示するということが必要だろうというと。
 ここから先は書く書かないという問題は別ですけれども、現実の問題として、法的効果は同じであっても、裁判所でなされたものについてはなかなか当事者が争わないのに対して、民間でやられたものは争いやすいということで、どちらも争えるのですけれども、実際に争えるけれども、争わない場合と、争えるけど争いやすいという場合という差もあり得るということだろうと思います。

○青山座長 ほかにいかがでしょうか。大前提として執行力を付与するかどうかは非常に議論が分かれていたのですが、執行力を付与するという場合の要件として、10ページに適格性、適格性について公的な認定を受けたという事前の認定、執行受託文言、執行拒絶理由がある場合には却下する、という3段、4段の要件をここに付加した上で執行力を認めるとすれば認めるということを書いていますが、この4段くらいの要件についてはいかかでしょうか。
 時効の中断のところは若干、私も事前の認定は本当に必要だろうかという気もしますけれども、執行力の方はこれをもし認めるとすると、このくらいの要件は必要かという気がいたします。これは個人的な感想ですので、パブリック・コメントに付す場合に、こういうことでいいのかどうか、御意見を少しいただければと思います。

○三木委員 たびたび済みません。私も細かいところはいろんな議論があると思いますけれども、時効中断に比べて、執行力の方はそれを付与するとすれば、かなり重い要件にならなければいけないという点については、おっしゃるとおりだと思います。
 その関係で手続上の瑕疵を執行拒絶事由にすべきかどうかという話が、前回以来ありましたが、議論の前提として一つ、執行力を仮に付与する場合には、ある程度の強行規定を含んだ手続法を置かないまま執行力を付与していいのかという問題もあろうかと思います。
 つまり調停手続法を作るかどうか、という点については議論がありますし、作る場合にその中に強行規定をどのくらい含むのかという点についても一般的な議論があります。それとは別に、執行との関係ではこういう場合には調停手続は無効になるというような強行規定をある程度含んで手続を置かないといけないのではないかと思います。
 このような強行規定を置かないのに執行力を付与するということは本当にできるのだろうかという点は考えておかないといけないですし、また、パブリック・コメントにも指摘しておかなければいけない点ではないかと私は考えています。

○青山座長 ほかにいかがでしょうか。

○廣田委員 認定については、今の手続規則というものではなくて、何か認定の基準があると思うのです。私の意見と事務局の案とは随分違うようですけれども、私もこれについてはかなり厳格な適格性は必要だと思っています。ただ、最後に立法で措置をしておく必要があるのではないかということが私の意見です。しかも、私の意見と多分同じだということは、現存するものについてでないと認定できないと思います。
 だから、現存というところも同じだと思うので、私の場合に立法があるとしても、誰かが判断しなければいけませんから、それを認定という言葉に置き換えればかなり似たものになるのです。そういうことからすれば、むしろそれをお考えならば、どういう基準で、どういう機関が認定するのかということについて、ある程度イメージがないとこれからの議論が続かないと思うのです。

○青山座長 5ページにありますような時効中断のところに、①の3つの基準例があります。これをそのまま執行力の方にも持ってこようというのが10ページで示された考え方です。それらは適格性に関する基準ですけれども、いかなる機関が認定するかということについてはブランクになっているのです。ですから、イメージが湧きにくいというのはそのとおりかと思います。その点について何かアイデアがあれば、お聞かせいただきたいと思います。

○安藤委員 アイデアというわけではないですけれども、私が前々から想定したものというのは、士業の中にADRのセンターをつくっていただいて、個別の士業が受けることなく、そのセンターが受け持つべきだと思っているのです。そういう形で考えていけば、そこで受ける適格性に関する認定は、既にいろいろな規制でがんじがらめになってきたわけですから、その規制をここへ書くだけで十分かと考えているのてず。
 何にしましても、相談に来る方、つまり、国民の方が安心できるものでなければ、絶対にADRは機能しません。やはり、執行力などは最初からスタートしていなければいけないので、それらを付与することを前提とした規制は幾らあっても構わないと考えているのです。
 もう一つ、どうして今までこれが出てこなかったかと思っていたのですが、皆さんも何となくそういう想定はされていたのではないかと思います。ただし、それに対していきなり出してしまうとまずい部分はあるので、悪い部分とはどういうものがあるのかを教えていただけると、これからの議論が一番しやすいのではないかという気がするのです。

○青山座長 今のは新しい御提案で、士業の人たちが集まってADR機関をつくるということを前提にしていると理解しました。今、多数存在するADRはどうなるのでしょうか。

○安藤委員 簡単に言えば、3年間何もしない。実績を上げてくれよと。3年経ったらチェックしましょうという形で考えているのです。

○青山座長 そうすると、その部分は認定をするというお考えですか。3年経ってチェックをするというのはどういうことでしょうか。

○安藤委員 実績と研修をたくさん行うような形が出ていますね。研修員を育てるとか、実績を積むとか、いろいろな手続上の形式を整えるとか、こういったものが完全にできた状態で認定してもいいのではないでしょうか。それまでは士業に全部お任せするということでどうでしょうか。それから、一般のところでも、そういう認定は受けたくない。自由にやりたいというところもあるわけです。
 それから、消費者センターにしろ、私どもの東商にしろ、相談窓口としてしか動けないわけです。そういった窓口から、さらに上げるためには、きちんとした機関がない限り上へ持っていけないわけです。その辺は一番相談しやすくて持っていきやすいルートをつくっていただかないと、上手く機能しないという感じがしています。

○青山座長 今日の資料は、まだ調停前置主義の不適用の問題だとか、訴訟手続の中止の問題とか、ADR利用の勧めという問題、法律扶助の対象化、あるいは検討事項2-7の、ADRの適格性の確認方法という議論が残っております。
 今日これらをすべて議論する時間的余裕がありませんので、大変申し訳ないのですが、予備日として確保していただいております来週、6月30日の月曜日に再度検討会を再開いたしまして、今のテーマについて御議論をお願いしたいと思っております。
 そうなりますと、これはキープはしていただいているのですが、御都合がつかない方がおられましたら、別途事務局の方に御意見をお寄せいただければ幸いでございます。来週出席できないという方はいらっしゃいますでしょうか。もし、御意見があったらよろしくお願いしたいと思います。
 次回は6月30日月曜日の1時半からということにさせていただきます。その上で、先程もちょっと言いましたけれども、7月14日の月曜日でございますが、これも午後1時半から検討会を開催いたしまして、その際にパブリック・コメントに付す前の最後の議論になるのかと思いますが、そこで最後のパブリック・コメント案を御審議いただきたいと考えております。何か事務局からありますか。

○小林参事官 ありません。

○青山座長 それでは、本日少し時間を超過いたしましたが、大変お忙しい中、御出席をいただきまして、ありがとうございました。本日の検討会はこれにて終了いたします。