第3回検討会に引き続き、ADRに関する基本理念について討議が行われ、以下のような意見が出された。
○ いわゆるADR基本法に関する検討に臨む基本姿勢、留意点として、次のようなことが挙げられるのではないか。
- まず、基本姿勢として、多様なADRを一括りにせず、制度の中身・目的に応じたきめ細かな議論を心がけることが肝要である。例えば、国としてADRを認知し、ADRに健全な発展基盤や法制度の基礎を提供するという場面では、相談・苦情処理のように、必ずしも紛争解決の仲介をする形態ではないようなものもADRの一部と位置付けた議論が求められる一方、ADRに一定の法的効果を付与するという場面では、本来的な意味でのADRを対象に検討を深める必要がある。
そのためには、ADRとは何か、本来的なADRと相談・苦情処理はどこに境界があるか、あっせんと調停は区別されるのか、行政型・司法型ADRをどこまで取り込むのかといった概念の整理を、いずれかの段階できちんと行う必要がある。
- いわゆるADR基本法を制定する場合の留意点としては、①基本法の制定により既存の多様なADRの活動が制約されたり、特定のADRのみが有利・不利に取り扱われたりすることのないようにすること、②規律は最低限のものに留めること、③法的効果を付与する場合に弊害除去のために一定の要件を設けるとしても、事前規制ではなく事後審査を基準とすること、④国が支援等や関与する場合でも、できる限り、ADRの自主性が尊重され、市場原理が決定する領域を広くとるべきこと等が挙げられる。
○ 議論を進めていく前提として、今一度、意見書にいう「裁判と並ぶ魅力的な選択肢となるようADRを拡充・活性化する」という言葉の意味をじっくりと考える必要があるのではないか。
- ADRを裁判と対比させて簡易・迅速・廉価に紛争を解決できる手段としてマジック・ワードであるかのように捉えられており、ADRへの期待が大きくなり過ぎていると思われる面もあるが、簡易さ・迅速性・廉価性のいずれをとっても本質的に難しい問題があり、ADRにも限界があることを認識しておく必要がある。
- 相談者が二次被害に遭遇しないための担い手要件として、弁護士法72条が存在することから考えれば、その精神を外すことはできないと考えている。このため、紛争解決の担い手としては、法曹有資格者が中心となるべきであり、紛争の種類によって他の専門家を関与させることを考えるべきである。
- 国としては選択が可能となるだけの基盤を用意すればいいというものではなく、ADR基本法の制定、法的効果の付与等によるADRの利用促進を議論するからには、拡充・活性化された姿につきある程度具体的なイメージを持つ必要がある。
前回の議論で示された、①裁判所の効率化を図る観点から、裁判手続とADRの役割分担を図る、②行政的手法により、簡易・迅速に権利救済を図る、③私的自治の観点から、当事者が選び出した規範に基づいて自律的規範による解決を進める、というADRへの期待に関する3類型をベースに、各々にどのような価値を置いて、どの程度の拡充・活性化を図っていくのかを示す必要があるのではないか。
例えば、①のADRとしては、弁護士会仲裁センター等がその典型であろうが、準司法機関という位置付けからすれば、ADRにおける結論が裁判における結論に近いものとなる必要がある。また、②のADRとしては、国民生活センターやPLセンター等の相談・苦情型ADRへの期待ということになろうが、いわゆる行政型ADRについて、全体として、行政への依存、あるいは縦割行政を温存しつつ裁判へのバイパスを作り、実質的に行政の肥大化を招くこととなっていくことが、本当にADRの魅力の向上につながるのかという問題があることを認識する必要がある。③については、裁判所において扱いにくい紛争、あるいは規律がまだ確立されていない分野の紛争の解決を図る領域において、ADRの価値が認められるのではないか。
- ADRの制度基盤に関しては、ADRの認知度を向上させるためにも、いわゆるADR基本法を制定することは望ましいと考える。一方、法的効果については、ニーズ・有効性を踏まえて検討を進めるのであればともかく、効果を付与することばかりが先行する議論には賛成できない。
まずは、例えば、3類型のADRにつき、これらをどのように伸ばしていくのかについて検討する必要があるのではないか。なお、弁護士会仲裁センターを念頭に法的効果の必要性を考えると、ADRは自律的なものであるべきという考え方があるので、時効中断効は別として、他はどうしても必要なものとは思われない。もっとも、弁護士会にもいろいろな考え方はあろう。
- ADRの事業収益に対する税務上の取扱いについても検討が必要ではないか。
- 少額紛争については、簡易裁判所等と並ぶ受け皿として弁護士会仲裁センター等の活用が考えられるのではないか。
○ 近代は、権利に基づく物理的な強制力や法の有権判断を国家が司法権として独占する一方で、各人が法的な主体性を持って自分の問題は自分で解決し得る私的自治の原則を貫くという、2つの源流を特色とし、ADRは後者から導かれるもの。ADRへの期待が大きすぎるという意見があったが、この検討会では、ADRは「近代」の意味にも関わる大きな問題として捉えて基本理念の構築を目指していくべき。
○ 労働紛争を念頭に置くと、一方当事者にはトラブルが存在することすら認識のない場合も多く解決を図るために公的権威が必要な場面もあること、裁判によって白黒を付けるのではなく、その前段階で表沙汰にしない形で決着をつけた方がよい場合も多いこと等を踏まえると、紛争の種類に応じて適した紛争解決手段、適したADRのタイプがあるのではないか。
○ 消費者の立場からいえば、次のような点に留意して検討を進めることが必要。
- 国民生活センター等の現状をみると、相談件数が非常に多いということも検討の視点として必要。
- 行政型ADRの拡充が行政の肥大化につながるという意見があったが、事業者と消費者の間に交渉力・情報力の面で大きな較差があることを踏まえると、すべての紛争解決を司法型ADRや民間型ADRに委ねられるのかという疑問がある。ただ、いずれにせよ、行政型ADRのあり方についてはきちんと考える必要がある。
- ADRの議論は幅広く国民の意見を汲み取って進めていく必要があるが、検討会で議論が進んでいることすら十分には知られていない。国民の意見を聞く方法についても、今後半年間程度の間に考えてもらいたい。
○ 社会に生じる様々な問題について、第三者が援助することで自主的な解決が可能となるケース、代理人に頼んでしまったために解決が困難になるケースも多くあると思われる。裁判と並ぶ競争力を持った紛争解決手段というよりも、裁判に持ち込まなくても済むような紛争解決手段として、ADRというものを議論する必要がある。法的効果を与えるか否かを与えるかを先行させるよりも、多様な紛争解決のメニューがあるという情報を広く提供していくシステムの構築や主宰者の質の確保について議論することが必要ではないか。つまり、最終的な法的な決定がなくても円満に解決が図られるようサポートする機関としてADRを育成することについて議論する必要がある。
○ 裁判と並ぶ魅力的な選択肢」という言葉の意味に関して、ADRは、裁判と同じレベルで並ぶものではなく、裁判を支えるものとして捉えていくべきではないか。また、裁判に至るまでに何段階もあり、それぞれの段階において適切なADRがあると考えないと意味がない。さらに、ADRの担い手については、利用者の選択の幅を広げることも重要ではないか。
○ ADRは担い手の質に負うところが大きい。自分の経験でも、代理人、鑑定人等の形で第三者が関与することでかえって紛争が複雑化してしまうこともあり、そういう意味でも、主宰者の中立性・公平性の確保や主宰者・機関に対する支援は重要である。
○ 意見書において、ADRについては、裁判と並ぶ魅力的な選択肢ということがいわれているが、これは裁判を否定するものではなく、私的自治に基づく紛争解決という多様な選択肢があってよいということである。
- 裁判が現状よりも魅力的になっていかなければならないことは司法制度改革の趣旨である。一部の国際的な紛争のようにADRによる解決を図らざるを得ないものもあるが、裁判で解決されるべき紛争が裁判の不備のためにやむなくADRでの解決が迫られているのであれば、それは裁判制度の見直しを行うことが本来のあり方である。
- ADRのベースとなる私的自治とは、当事者による自己決定・判断が必要になるものであり、ADRをアピールしていく場合には、その点を言わないと、ADRという制度があっても使われないということになる。
○ ①裁判と並ぶ魅力的な選択肢とすることの意味を、ADRを裁判に近づけると捉えるのではなく、ADRが本来的に有する特長を更に発揮できるようにすると捉えること、②ADRに対する公的支援として、最低限の法的保障を与える必要があること、の2点を基本的な視点として検討を進めるべき。また、①、②について考える大前提として、③国家としてADRを含めた紛争解決方法のあり方についてどう考えるかという問題がある。
- ①に関しては、ADRは、方法、紛争分野等の面で多様性を有すること、柔軟な解決が可能であること、裁判と異なり当事者が主体であって主宰者は当事者の自主解決を支援・補助する役割にあること、非公開が特長ではあるが透明性を確保するためには機関に関する情報開示が求められること等を念頭に置く必要があろう。
- ②に関しては、多様なADRにつき法的保障を与える対象の線引きに取り組まなければ議論は前進しないことを念頭に置く必要があろう。
- ③に関しては、他の意見にあったように、裁判とADRの関係は近代の司法・私的自治に根ざす大きな問題として捉える必要があること等を念頭に置く必要があるが、いずれにせよ、検討の最後の段階で今一度③に立ち戻る必要がある。
○ ADRに該当する日本語がいまだ確定しているとはいえないため、自主的な解決することができることを示すメッセージ性を持ったものになればと考える。