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ADR検討会(第4回)議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時 平成14年5月13日(月)14:00-17:00

2 場所 司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
青山善充座長、安藤敬一、髙木佳子、龍井葉二、原早苗、平山善吉、廣田尚久、三木浩一、山本和彦、横尾賢一郎、綿引万里子(敬称略)
(関係機関)
最高裁判所、法務省、日本弁護士連合会
(オブザーバー)
日本行政書士会連合会、日本司法書士会連合会、日本土地家屋調査士会連合会、日本税理士会連合会、全国社会保険労務士会連合会、日本弁理士会
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林徹参事官

4 議題
(1)ADRに関する基本理念について
(2)法的効果の付与等について(その1)(時効中断効の付与)
(3)討議

5 配布資料
資料4-1ADR検討会において出された意見等
資料4-2議論用資料(基本理念関係)
資料4-3説明資料(時効中断効の付与)
資料4-4参考資料(時効中断効の付与)
資料4-5金融分野の業界団体・自主規制機関における苦情・紛争解決支援のモデル(金融トラブル連絡調整協議会)

6 議事

〔開会〕
○青山座長 それでは、定刻が参りましたので、ただいまから第4回「ADR検討会」を開会いたします。
 早速本日の議事に入らせていただきます。
 お手元に議事次第がございますけれども、本日の進行は、こういうふうにさせていただきたいと思います。
 第2回及び第3回に関係団体からヒアリングを実施いたしまして、また、前回はアンケート調査の結果も報告いたしました。
 そういうことを踏まえまして、前回の後半では何人かの委員からADRに関する基本理念についての議論をいただきました。
 本日の前半では、ADRの基本理念についての続きをさせていただきたいと思います。それに50分ぐらい時間をかけまして、その後に前回の検討会でも基本理念の構築も重要だけれども、他方で法的効果の付与等の各論の問題にも並行的に入って議論したらどうだろうかという御意見がございましたので、本日は後半の方で法的効果の付与等に関する議論の第1回目といたしまして、時効中断効の付与につきまして議論を行い、概ね4時半頃には終了させていただきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

〔ADRに関する基本理念について(第3回検討会の続き)〕
○青山座長 それでは、本日の前半の方のADRの基本理念についての議論を続けさせていただきたいと思います。
 既に今日の資料の中に、前回の第3回「ADR検討会」の議事録がお手元にお配りされています。その40ページのところから前回の議論が始まっているわけですが、これで見ますと、原委員、山本委員、廣田委員、安藤委員、綿引委員等々から御意見をいただいていますけれども、今日は前回御意見を頂戴した方でも結構ですし、まだ御意見をいただいてていない方には是非ADRの基本理念について御意見を賜わりたいと思います。
 どなたからでも結構ですのでどうぞお願いいたします。

○三木委員 私からも一言所感を述べさせていただきたいと思います。
 我が国では、ADRの利用が低調であるという認識が一般的でありますし、この検討会の席上でも、しばしばその趣旨の発言がなされてきたところであります。
 確かに民間型のADRや行政型のADRを見た場合に、伝統的にADRの典型として認知されてまいりました仲裁とか調停などにつきましては、その利用は決して活発とは言えないというところだろうと思います。
 しかし、他方におきまして、これまでの検討会のヒアリングの結果や、あるいは事務局でおまとめいただいた資料などから明らかなように、窓口相談とか、苦情受付のようなものまで含めますと、各種のADR機関を合わせてかなりの件数に達するということが言えようかと思います。
 もちろん、窓口相談とか、苦情受付などは、当事者の一方とADR機関のみが関わるのであって、相手方当事者が関与いたしませんから、これらをADRと呼ぶことは不適当かもしれません。
 また、私としましても、そのようなものを積極的に検討会の対象に加えてほしいとか、あるいはADR基本法のようなものを制定する場合に、対象として正面から取り込もうということを申し上げたいわけではございません。
 しかしながら、こうした相談の対応とか、あるいは苦情の処理などにおきましても、その過程において相手方当事者の意見を聴取したり、あるいは相手方の反論を取り継いだりということもございまして、そのような場合には次第にあっせんに近づいてまいりますし、また、あっせんと調停というものの境界も截然と線が引けるというものでもございません。
 更に申しますと、ADR機関に紛争が持ち込まれる場合に、最初からあっせんをお願いしますとか、調停をお願いしますという形を取って表われるものがすべてではなく、相談の対応とか、苦情の処理の過程で次第にあっせんや調停に近い形に成長していくというものも少なからずあろうかと思います。
 したがいまして、これをどのように位置づけるかによりまして、ADRは低調であるとも言えますし、既にある程度社会的な役割を担っているとも言えるということだろうと思います。
 このような現状認識が仮に正しいとしました場合、我々がこれからADR基本法の制定を考えるときには、次のような基本姿勢が望ましいと考えております。
 ADR基本法に期待される役割の一つとしまして、国家としてADRを裁判と並ぶ紛争解決手段として認知して、その健全な発展を援助したり、あるいはADRの法的基盤や環境を整備する際に、その基礎を提供するという側面があろうかと思います。
 このような側面を考える場合には、先に述べました窓口相談とか、苦情処理のようなもの、あるいは少なくともこれらのうちのあっせんや調停との境界線に近いものにつきましては、これを法律そのものに取り込むかどうかは別としまして、現実に果たしている機能や意義を広く視野に収めまして、これらがADRへの生成途上のものであるということで位置づけたり、あるいはADRとは密接不可分の関係にあるということを意識して議論をすることが必要ではないかと考えます。
 他方におきまして、本日後半に予定されておりますような、例えば法的効果の付与といったものを議論する際には、恐らく多くの場合には、本来の意味でのADRというものを対象にして考える必要があるかと思います。
 ただ、その場合でもADRとして十把一からげに議論するのではなくて、付与される法的効果の内容であるとか、あるいは法的効果を付与する目的などによりまして、場合によっては非常に硬い意味でのADRを念頭に置く必要がありましょうし、また場合によってはグレーゾーンまで取り込んで議論をするといった目的に応じて対象を設定するという作業が肝要ではないかと考えます。
 いずれにいたしましても、これから回を追って次第に議論が具体的になっていくと思いますが、いつの場合でもADRとして一括りに論じるだけではなく、局面に応じてきめの細かい議論をしていく必要があるということを申し上げておきたいと思います。
 そのためには、次の3つの点が重要ではないかと考えております。
 第1は、この検討会のヒアリングの席上で、消費者団体の方もおっしゃっておられたと思いますが、検討を進めていくいずれかの段階で、概念の整理と、必要があればその確定ということを行っておく必要があろうかと思います。
 具体的に申しますと、そもそもこの検討会でいうADRとは何を指すのか、あるいは、ADRと単なる相談への対応や苦情の処理とはどこで境界線を引くのか、あるいは、あっせんと調停を区別するのかしないのか、更には行政型や司法型をどこまで取り込むかといったような問題であります。
 第2でございますが、冒頭に述べましたように、ADRの周辺領域とか、その裾野にまで目を広げますと、我が国でも既にADRはそれなりの規模に成長しており、社会においてそれなりの役割を担っておりますから、ADR基本法の制定によって、それら既存のADR機関の活動がかえって制約されるということのないように、あるいは特定のADR機関だけを有利または不利に扱うことになってしまわないように、慎重な注意を払う必要があろうかと思います。
 最後に第3でございますが、これも既に山本和彦委員がお述べになっておられたことでありますけれども、ADR基本法の制定に当たりましては、規律というものは最低限にとどめるということを基本姿勢にすべきであると考えております。
 したがいまして、例えば法的効果の付与との関係で、濫用の防止とか、弊害の除去のための措置を設ける必要があるということもあるのかもしれませんが、その場合でも行政による事前規制型ではなくて、公平で透明性の高い、事後審査型を原則にすべきではないかと思います。
 また、国家によるADRの援助や関与を考える際にも、ADRの自主性というものを可能な限り尊重すべきであり、市場原理が決定するという領域をなるべく広く取るように制度設計をすべきではないかと思っております。
 長くなりましたけれども以上です。

○青山座長 どうもありがとうございました。どうぞほかの方も、髙木委員どうぞ。

○髙木委員 この問題はえらく悩んでいるのですけれども、言葉にしないと悩んでいること自体も分かりませんので、少しお話をさせていただきたいと思います。
 印象的なことから始まりますけれども、ここでの議論は意見書から出発しているわけです。検討会ですから、意見書から出発するのは当たり前なのですけれども、そのために言葉が先行していて、「裁判と並ぶ魅力的な選択肢」というのが抽象的に飛び交っているような感じがしています。ですから、中々具体的なイメージを持ちにくいために、もう少し弁護士業務が中心になっている紛争解決ということから考えたいと思います。
 紛争解決の仕事がどんなものかというのを、こんなところで言うまでもないのですけれども、非常に説明のしにくい仕事でして、要するに紛争の姿、形がまず見えないわけです。何が紛争であるかというものもつかみにくいし、原因もつかみにくいし、つかむまでに非常に時間が掛かる。
 また、紛争には人間が常に関与しているわけですから、感情とか色々あって、いわゆる経済合理性で測れないという部分があります。
 仮に解決への道が複数あったとしても、それは実験ができないものですから、比較もできない。そうすると消費者の方々、皆様そうなのですけれども、納得して解決したいとおっしゃっておりますけれども、真の意味での納得、結果に対する納得というのはほとんどあり得ないことだと思いまして、手続に参加するとか、手続保障の納得というのだったら分かりますけれども、そこは難しいのかと思います。
 では、紛争が何で解決しているかというと、ほとんど本人の決断によっているわけで、決断ができない人のために裁判がある。そういう整理かと思っております。
 ですから、紛争解決というのは、元々時間も手間も掛かるもので、収益目的のビジネスでは到底できないものなわけで、何か弁護士が儲けているのではないかと言われるかもしれないけれども、その部分は多分、弁護士の業務分野におけるほかの仕事とのバランスで成り立っているのだろうと思います。
 ですから、紛争解決について、ここでよく簡易・迅速・廉価ということを言われるのですけれども、それは元々実現が難しいものだろうと思います。
 経団連から、ADRがマジックワードになっており、過度に期待されているとの指摘を聞くのですけれども、恐らくADRは何でも容易に解決するものとしては期待はできないと思います。簡易・迅速・廉価というのを少し考えてみますと、簡易というのは手続の柔軟性、裁判のように面倒くさくないという意味では、ADRそのものの特性ですから、それはそれでいいのだと思うのですけれども、これから議論していって、例えば法的効果を次々と与えていくということになると、直ちに簡易ではなくなってしまうということになります。迅速も、ADRだから可能というものではないし、常に運動みたいにしてやっていかないと迅速性というのは図れない。心がけの問題と言えば心がけの問題ですけれども、労働委員会の例を出すと悪いのですけれども、ああいうふうに迅速性を失いかねない危険というのは常にあるわけです。迅速に保とうという心がけを、社会的、制度的に担保しようとすると、恐らく競争者を置くというほかにはないのかと思います。
 廉価ですけれども、代理人が付かずに解決できるシステムができるとなれば、その部分に廉価が働くのは当然ですから、それは可能性としてはあると思います。
 ただ別の要素で、代理人が付かないために迅速性が失われるということもありますし、当事者の納得みたいなことを問題にしていくと時間はかかっていくし、そうすると廉価にはつながらない。
 ついでに申し上げると、弁護士会が行っている仲裁センターというものは、制度の運営費を弁護士会の予算で賄っています。これが活性化されて事件が倍とか3倍とかになったときに、直ちに制度運営費が成り立っていかないという問題がありますので、活性化の予測イメージというものを持っておきたいと思っていますし、主宰者としての弁護士会にとってもそれは死活問題だろうと思います。
 紛争解決の担い手の問題なのですけれども、弁護士が適当であるかどうかというかということについて疑問の意見が前回、その前から少し出てきたのですけれども、法律だけで解決できない問題があったり、あるいはカウンセリング技術とか、専門的な知識とかを習得しなければならないということは分かるのですけれども、では、ほかのどんな人だったらいいかということになると、それでいいというような人とか、資格とかというものは恐らく存在しないのではないかと思っています。
 72条ですけれども、72条が持つ問題点、予測不可能であるとか、刑罰法規として要件が不明確であるとか、それはそれとして理解できるとしても、私は72条の精神というのは外せないと思っています。
 比喩的な言い方がいいかどうか分かりませんけれども、被害者問題においてよく言われる、救済を求めてきたときに、その当の相手から裏切られたりして二次被害に遭遇しないようにするための制度的な担保として72条があるわけです。
 そういう意味で言うと、紛争解決の担い手としては、やはり法曹が中心に置かれるべきで、紛争の種類によってほかの専門家を関与させるというようなスタイルはあるかと思いますけれども、中心はあくまで法曹(弁護士)にあるのだろうということです。
 ADRの存在意義を考えるときに重要なことは、弁護士会の場合ですけれども、仲裁センターが自然発生的に起こってきていることで、その設立経緯がADRの原点というところで結構重要かと思っているのです。それは何かと言うと、遅い裁判を何とかしたい、裁判に刺激を与えるというところが一つあります。
 少額事件を訴訟によらずに簡易に解決できないかというのが2つ目にありました。
 もう一つとしては、相談の延長線上にわずかな手間で解決できる分野があるだろうと。この3つというのは、今でも意味があるのではないかと思っています。
 ADRへの期待と限界の話ですけれども、今回の意見書が裁判と並ぶ魅力的な選択肢という非常に美しい言葉で評価してくださったので、設置機関に関与するものとしてはすごくうれしいのですけれども、ADRに対する期待が少し大きくなり過ぎていて、関与している方としては違うのではないかと思うところがあります。
 ADRができることには限界がありまして、前に山本先生がおっしゃいましたけれども、裁判よりすべての点において優れるADRはないという御意見はそのとおりかと考えております。
 裁判と並ぶ魅力的な選択肢としてのADRに、どういうものを期待するのかということに関して、前回事務局が参考としてお配りいただいたメモの中に3点挙げられていたのですけれども、その方向は細かく言うと色々あるのかもしれないのですけれども、大きな方向としては承認すべき考え方ではないかと思っています。
 復習しますと、3つ示された1つは、裁判との役割分担を図り、ADRに適合するものはADRにより解決することにより、全体として司法の機能を充実、強化すること、つまり司法の効率化を図るということ。
 2番目にありました、行政的な手法によって権利救済を図る。ある種、政策的な権利救済型を目指すということ。
 最後の自律的な規範を目指して、紛争解決の質的な高さを追求してゆくクオリティー追求型と言うのでしょうか、そういったものがあるのですけれども、それをどう価値を置いて伸ばしていくのかというのが結構分かりにくいし、ここはきちんと検討していかないと具体的なイメージができてこないと思います。
 もし、裁判所の効率化とか、負担軽減に資することが目的だとすると、ADRと裁判との関係というのは、結論が余り変わらないということが要求されて、例えばADRより裁判に行った方が有利ということになれば、また裁判を行ってしまうわけですから、負担軽減には全然ならないので、そういう意味では裁判とADRの双方向代替性みたいなものが必要になってくるのかと思います。
 その意味で言うと、例えば交通事故紛争処理センターとか、弁護士会の仲裁センターというのが、このジャンルに落ち着くのかと思います。
 2番目の行政型は飛ばしまして、3つ目の自律的なクオリティー追求型というのは、裁判においては扱うことが容易ではないものであるとか、あるいは新しい法分野とか、新しい取引とか、法律の制定が望まれながらまだできていないもの、そういうものについて当事者が合理的と考えるような技術的なものを生成しながらやっていく。そこが非常にADRらしいところかと個人的には思っていまして、そこは確かに意見書で言う魅力的な部分にも当たるのかと思っている次第です。新しいADRの領域として価値があるのではないかということです。
 先ほどADRの利用促進、活性化のイメージが分からないと言いましたけれども、選択肢と言うと任意の制度ですから、国としては選択肢そのものを用意するのではありませんけれども、選択肢が成り立ち得る制度基盤を用意することになり、それを用意すれば足りるということになります。しかし、利用促進について、ここで何か数値目標的なものを考える(設定されているわけでもないし、持つべきかどうかということも分かりませんけれども)どの程度の利用促進が望ましいか、つまり司法と司法以外のものがどういう関係に立ち、紛争解決を解決していくのかというものを持っておかないと、何となく基本法全体のイメージができてこないというところがあります。
 今回、基本法の制定に当たって少し難しいと思ったのが、第2番目の類型として挙げられていた行政的な方法によって権利救済を行うという部分に属するものをどう育てるのか又は育てないのかというところで、そこが私も考えがまとまっていない部分で、そこのジャンルには、行政機関自らが行うものと、行政機関が監督行政の中で業界に行わせているというのが数多くありまして、そこが行政との距離、あるいは行政の力の及ばせ方によって色々あるというところが問題のあるところだと思います。
 このジャンルについて、国民的レベルでニーズが多いのかどうか。その利用促進を図ることが、本当に裁判と並ぶ魅力ある選択肢というものにつながるのかどうかというのもきちんと検討されなければならないのかと思います。
 例えば、ここで基本法の議論をしている最中も、新しい法律でどんどん行政的なADRができるというようなことも出てくるわけです。
 ここが、何というか、日本的な行政依存型体質と結び付いて、役所の縦割行政をそのまま温存しながら裁判所に対するバイパスを次々とつくっていくという分野なので、これも含めて活性化させるとなると、例えば一番最初に申し上げたことなのですけれども、行政が肥大化することにもつながりかねないし、法の支配の貫徹との関係でどういう制度をつくるのかということも思っているところです。
 法的効果の付与の問題は、これから議論することなので、ここでは余り申し上げませんけれども、それによってADRが活性化されるかどうかということについては少し疑問を持っていますが、ニーズがあるというのだったら、それなりに検討してもいいかと思います。
 ただ、綿引委員の御意見のとおりで、法的効果を先行する議論というのは問題だと思います。
 法的効果を与えるADRと、そうではないADRがあるのかどうか。あるとすれば、それはどうやって分けるのかということになると、直ちにどういう仕組みで行うのかとか、だれが行うのかという難しい問題に行き着くことになります。
 本来、選択肢というのは、違うから選択肢として成り立ち得るのであって、仮に多くのADRに法的効果を与えられたら、ほとんど裁判と同じものになって、一体どうなるのかという疑問もあります。
 弁護士会の仲裁センターとの関係で申し上げますと、時効中断効や執行力が必要かと言えば、時効中断効は別として、執行力もないよりはあった方がいいという感じはありますけれども、どうしても必要なものとは思われないと思います。
 要するに仲裁センターというのは弁護士会にとって、意見を取ってみると多分半々ぐらいに分かれるのではないかと思うのですけれども、やはり法的効果の付与という形で伸びるべきものではなくて、自律的なものとして特長を活かして存在するのが、本来の在り方ではないかという根源的な問題に突き当たるところだと思います。
 少し細かい話になるのですけれども、民間ADRというのを考えたときに、税務上の扱いも重要で、仲裁センターの業務が、例えば法人税法でいうと、収益事業に当たるものかどうかという問題がありまして、住宅紛争処理機関の紛争処理について、国税庁と1年ぐらい時間をかけて協議いたしまして、一応解決はしました。ただ、こういった問題について民間の機関が個別に税務署とか、国税庁と協議するのは至難の技ですので、もしADRを伸ばしていくということならば、それも考えてほしいと思います。
 最後になりましたけれども、この部分は、先程の三木先生がおっしゃった相談の果たす役割と少し一致する部分があるかと思うのですけれども、今のまま弁護士会がこの延長線上で伸びていくということは、基本法ができればそれなりに可能かとは思いますけれども、どんなに頑張っても難しいと思うところがあるのです。それは少額訴訟とか、少額事件の権利救済を大量に行う分野だろうと思います。
 そこは、何らかの形で公の力が必要なところで、新民訴で少額訴訟がスタートしまして、そのためかなり解決できるようになっているかと思いますけれども、ここはやはり簡裁とか、裁判所の調停で頑張ってほしいと思います。同時にやはりそこの部分にも司法型ADRの競争者というものがあっていいのかと思っており、せっかく基本法の後押しがあるのだとすれば、例えば国民生活センターとか、消費生活センターといった形で行われているものを、全国的にもっと大きなものとして仕組んでいくことが可能であるとすれば、例えば弁護士会における相談センターみたいなものが使えるかと思っています。
 先ほど行政型というものをどう伸ばすのか、伸ばさないのかということをお話ししたのですけれども、縦割のままやっていくのではなくて、もう少し横断的にやるとしたら、そういった新しいものをつくれる基盤を整備していくことが必要ではないだろうかと思いました。
 以上でございます。

○青山座長 どうもありがとうございました。本来、私が最初に申し上げるべきだったのですが、今の髙木委員の御説明の中で出てまいりましたけれども、前回の資料で3-2という形で配っていたと思います。今日、新たに資料の4-1と4-2という資料が配られていると思います。
 4-1の方の資料は、これまでの3回の議論で出てきた、色々な意見を事務局の方で項目別に分けて整理したものでございます。
 4-2は、少しビジュアルな形でADRがどう位置づけられるかというようなことを事務局の観点から整理していただいた1枚紙のものがあると思います。
 こういう資料を参考にしながら、なおお話を伺わせていただければと思っています。
 どうぞ、龍井委員。

○龍井委員 誠に申し訳ないのですが、第1回目と前回は所用で欠席しておりますので、少しとんちんかんなことを申し上げるかもしれないのですが、今、お二方の話を聞きながら、私ども連合という労働組合の立場で前回、田島委員も報告をしたと思うのですが、こうしたものに労働者の立場で関わるというだけではなくて、実は連合本部、地方連合会というところで労働相談をやっておりまして、私も4~5年ほどその業務に携わっておりました。その傾向を今思い起こしながらお話を伺っていたのです。
 1つの特徴は、やはりかつてこの種の労働問題の裁判闘争、あるいは権利闘争というのは、労働組合でかなり乱暴な不当解雇なり、労働条件の取り下げに対して、裁判闘争を打って出て組織的に闘うと。それが判例として積み上がるというのが、大体この種のパターンだったのですが、御承知のように働き方も労務管理の面からも個人化、個別化というのが随分進んでまいりまして、私どもが受けていた相談でも、労働組合がある職場でも、中々そこの解決にならない。
 言ってみれば集団的取引に馴染みにくいケース、いじめ、セクハラから始まって、今の解雇も、とにかくいじめのようなものが多いわけですので、要するに労使関係の変化ということで、そうしたものが増えたというのが、4~5年前に私どもが携わっていた大きな特徴でした。
 そのときに、それが裁判にいくというケースは中々難しいのですが、例えばだれが見ても明らかな不当解雇があると、お前の顔が気にいらぬから始まって、ただ、それが後々の今の労働基準法という枠組みでは、理由が明示されていない。これこれの法的な理由がなければ解雇してはいかぬということが書かれていないわけで、監督署としてどうするかというと、基準法20条で予告をしましたかと聞く。予告をしてあれば、私は重大な損だと、するとその監督署がどう対応するかというと、大分改善はしてきたと言われているのですがまだまだで、だったら民事でおやりなさいと。
 だったら民事でおやりなさいと言われても、そこに行く人は何万分の1でしょうか。結局、それがどんなにひどいものかというものが客観的にわかっていても、今の監督行政ではどうにもならない。
 なおかつ、今申し上げた個人的なもので、今の職場にずっと居られるわけでもありませんから、ほとんどが泣き寝入りと諦めになる。
 私どもの相談は中立性から出ている問題なのでADRでできないかもしれませんが、そういうときに幾つか手立てがございまして、弁護士団としての労働弁護団もございますし、あるいは個別の弁護士のところにかかるケースもございますし、それからもう一つは行政が幾つかあります。
 ただ、労働委員会の場合は、これは私ども労働組合が関与する場合に、労組法違反が中心になりますから、制度改革で変わってきたとはいえ、いまだにすべての案件がストレートにいけるという構造にはなっていない。
 結局、そこで私どもが幾つかの個別案件で苦労している中で、比較的頼りにさせていただいたのが、実は東京都ないし、神奈川県、つまり都道府県の労政事務所ないし労働センターだったわけです。
 と申しますのは、皆様方はトラブルと当然お思いだと思うのですが、実は、私どもが受けるトラブルというのは、必ずしも相手方がトラブルと思っていない場合があるわけです。
 例えば、解雇しましたと、首を切られた側はとんでもない、行使した側は当然だと思っている。そこで交通事故のようにトラブルという案件が自明であって、両当事者という以前に、この問題はトラブルで問題なのですということを認知させるだけで実はえらい手間が掛かるのです。
 私どもも相談と言いながら事実上、あっせん的なことに踏み込んでいって、結局職場に伺うなり、あるいは当事者の労使双方に来ていただいて両方の言い分を聞いて、その上でないと判断できないケースというのが大部分でございまして、そう考えていくと、特に私どもが扱っている問題から言うと、当事者性というのが明らかにならないケースが多いです。
 そうすると、行政の場合は比較的権威と言いますか、それでもミスされる場合もありますけれども、やはり県なり都なりというところの看板があると、経営者の方も全く無視はできない、あるいは応じざるを得ない。ここが非常に難しいところでございまして、やはりある種、最後の解決の納得性までいくことも考えていきますと、呼応的なと言いますか、それがいい意味での権威、これが悪い意味ではどうしようもないわけですけれども、そういうことがどうしても要請される。
 もう一つは、トラブルがそういうトラブルですから、何をもって解決かというところは、実は余り自明ではなくて、私どもは裁判にいかない一つ大きな理由として思っていますのは、2つ分かれるのです。
 つまり、今の自分の職場で居続けようと思っている人と、もういいと、とにかく条件闘争で解決金なり、慰謝料なり、そこで問題経過として次にいくのだというところで全然手当が異なります。
 恐らく裁判までというのは、もちろん勇気も要しますけれども、特に個人の内容が多いわけですから、問題の質から言っても、当人から見たら悪質であったり、不当のものであるということで譲れないとなってまいりますと、そこまで争うということは、職場復帰をほぼあきらめる、ないしは、次の職場を探しながら、特に派遣労働者の場合が一番典型でございますけれども、文句を言ったら次の仕事は来ないということが明らかなところなものですから、そういうケースの場合ですと、どうしても解決というのが、元への原状復帰であると、あるいは働きやすいところで働き続けられる条件をつくっていくとなると、これはどうしても表ざたにしにくいわけです。
 職場の問題のそうであるように、恐らく地域なんかの解決の問題でも、そこの住民として、あるいはメンバーシップとして位置づけようとすると、お白洲に行くよりは、むしろ、大岡裁きに行く前に結局隠居さんの方に委ねると。そこでまあまあと。というのは、権利意識とか何とかというだけではなくて、相談の当事者と付き合っていて、恐らくそういう種の問題があるのだろうと非常に痛感するわけです。
 したがいまして、今話題になっておりますような裁判に代わるといったときに、裁判というものが一つの最終審級であって、どんなに法的付与をしたとしても、最後の決着は裁判によるということが考えられるのかもしれませんけれども、実際にこういう問題にぶつかって、調停の少し手前ぐらいの部分というのは、特に我々が扱っている問題からすれば大きいわけで、そこからすると変わるというよりは、そこでどれだけうまく丸く収めてもらうということが一番念頭に置かれるわけです。
 ですから、そこのところを完全に白黒の決着をつけるべき問題と、相談プラス・アルファのような、先ほどお話があったように何が本当の解決かというのは、一件一件の納得性以外に、手続の保障を行えとおっしゃられたのに私も全く同感で、絶対にこうだったらと、解決金一個取ったってうそなのです。
 そう考えていくと、解決のトラブルの中身と解決の在り方というのは、かなりランク付けがあって、それぞれの中でジャンルごとに多分違うと思うのですが、今申し上げた労働のような幅の広いものもあれば、交通事故などのように、はっきり当事者と解決の在り方の選択肢がある程度分かっている話と、その辺のマトリックスと言いますか、その辺がまだ私どもイメージできていないのでこういう言い方しかできないのですが、その中でそれぞれについて法的効果の在り方の問題、そこにいくプロセスの問題、そこで必要な人材、これは私どもが扱っている労働に限っても、全く基準法だけで処理できる問題、そうではなくて、いじめであるとかという話になれば、法律ということよりは、まさに人間関係を収めるような調停です。
 皆様方のお話を伺いながら、そういうかなり幅の広いところを何かうまくマトリックスをして、その中で在り方を御論議していくということが、それぞれのジャンルで必要なのかということで、そんな方向でこちらの議論をしていきたいと考えています。
 とりあえず、以上です。

○青山座長 どうもありがとうございました。

○廣田委員 先ほどの髙木委員の意見ですけれども、これは私と同じ意見のところもあるし、違う意見のところもあります。
 弁護士会の仲裁センターと言われましたけれども、私は第一東京弁護士会の仲裁センターの設立に関与しまして、私が設立答申書を起案しましたが、そのときに書いた内容と、今、髙木委員が言われたことと、同じところもあるし、違うところもあります。ただ、これは黙っていますと、全部同じところだと思われてはいけないので、一つ申し上げますと、同じところと違うところがあるというところをまず申し上げたいということです。
 しかし、髙木委員のおっしゃったことについて、一々ここは同じで、ここは違うというと大変時間が掛かりますので、これは横に置いておきます。いずれ具体的なことで議論が出てくると思いますので、そのときに申し上げます。
 ただ一番違うところを言えば、ADRの基本理念というところです。ADRは近代というところからスタートした制度です。近代を源泉にしていることですが、「近代」には色々な設計図が書いてあるわけです。その中の一つの大きなものは、物理的強制力を国家が独占するという要素があったのです。
 これが司法の流れで、とことんいったときに強制力を使えるということ、司法として有権的な判断をするというのが、最も根底的なところにある流れだと思います。これが一つの源流です。
 今、龍井委員からおっしゃったように白黒を付けるというのは、これなのです。しかし、どこかで落ち着きどころを考えるというのは、また別の源流がありまして、やはり近代に仕込まれていた設計図の中に法的主体性というのがあります。つまり、奴隷とか農奴ではなくなった、一人一人が主体性を持ったのだということです。
 この流れによる、紛争が起こったときに、自分のことは自分で解決しなさい、あるいは自分たちで解決しなさいとなりますから、国家の司法権の発動を促すまでもなく、私的自治で解決しなさいということになります。この2つの流れがあると思います。
 ところが、私的自治というのは、大変つかみにくいし、この間に戦争もあれば、社会政策も色々あるわけですから、私的自治は、中々表に出てこないのです。
 しかし、今になってこれが全世界中で注目を浴びてきた。私的自治でないともっていけないという歴史的な過程に入ってきたと私は思うのです。
 だから、日本ばかりではなくて、全世界中でADRが問題にされている。それがやはり基本的理念で、それをどこまで基本法や何かでするかというのは、また具体的な問題ですけれども、基本的理念としてはそういう問題が出てくる。
 今の労働関係のお話であれば、白黒つけない解決、あるいは個別化するとか、そういったことも全部これに絡んでくるのです。
 そういうところを押さえていくと、実際に期待が大き過ぎるかどうかということは別にして、問題としては非常に大きな問題だと思います。そこのところを基本理念として押さえる必要があると考えております。
 細かい話は省略します。

○青山座長 原委員どうぞ。

○原委員 私は、毎回発言しているので、今日は遠慮しようと思っていたのですが、今までの発言を聞いておりまして、3点ぐらいと思っております。

○青山座長 遠慮なさらずにどうぞ。

○原委員 必ずこれでなければいけないという発言をするつもりではなくて、やはり議論を是非していただきたいという感じなのです。
 1つが、今の弁護士会の仲裁センターの話とか、髙木さんのお話の中にもあったのですが、消費者という立場から加わっていると、消費者問題で苦情とか相談とかがかなり多くて、これが消費者センターとか、国民生活センターに挙がっている70万件の数字なのですけれども、大半は少額です。相談の延長線上で何とか解決できそうなのだけれども、解決ができないものが結構あると。ここが何とかならないかと思っています。
 三木先生の話の中に、苦情相談とあっせんの境界線の辺りをどうするかという話がありましたけれども、こことも絡んできて、是非この辺の視点を落とさずに、ずっと後半まで議論をつなげていっていただきたいというのが1つです。
 あと、髙木さんの方からお話があったことで、私も少し思っているのですけれども、行政型のADRがかなり出てきそうですので、消費者関係も規制緩和で直接的に消費者を保護する法律というところではなくて、できるだけ事業者も消費者も対等と、でも何か事が起きれば、行政型のADRで救済をしよう、事後チェックをするとか、救済をしようというふうなシステムを採ろうということになって、家電PLセンターができたのもそうですし、今回の金融分野のモデル案をつくりましたけれども、バックに行政の力がある。やはりそういう形になっていますね。
 でも一方では、髙木さんがおっしゃるように行政の肥大化にもつながる。そうすると、司法2割と言われている部分をもっと広げようとしているのに、行政がどんどんふくらむというのはおかしな話で、そこをどうするか。
 だけれども、どうしても技術力とか、交渉力とか、情報力という点では事業者と消費者は圧倒的な差があるわけで、それを単純に今の司法型のADRとか、民間型のADRに任せれば、圧倒的に消費者が不利な状況は変わらないという状況で、消費者問題の解決は本当に三すくみのような状況にあります。今おっしゃられた行政的なADRというものをどう考えていくのかもきちんと整理をしていただきたいと思っております。もう一つは、納得性の話が出たのですが、この間のヒアリングでも私も話しましたけれども、納得性の話はいつもしていますが、これは結果の納得性というよりは、手続面も含めての納得性で、手続へどう消費者が参画できるかとか、選択できたのかということも含めての納得性で、やはり最終的な結果だけを見て、納得するしないというのは、やはり中々難しいと思っています。それはどこかで決断なのだろうと思っておりますので、そういうことを含みますという話。
 最後なのですが、一番最初のときに、ここでADRの議論をしているということをもっと国民に知らせてほしいという話をしました。
 私も多分まだADRなんて世の中に出してもほとんどの人は知らないし、もちろんここで議論しているなんてことも知りません。
 ですから、みんながどういうニーズを持っているのかという辺りを何らかの方向で分かることができないのかと思っていて、髙木さんもどの程度の利用促進が望ましいのかという話も必要ですとおっしゃっられたのですが、その辺りを見るためにも、もう少し広く国民から意見を聞けるようなものというのも半年ぐらいの間で考えていっていただきたいと思っております。
 以上です。

○青山座長 どうもありがとうございました。どうぞほかに。どうぞ、綿引委員。

○綿引委員 私は前回も若干発言させていただいたのですけれども、私もADRのイメージについては、基本的に廣田委員がおっしゃったことと全く同じような考え方を持っております。
 社会に色々な紛争が生起するわけですけれども、白黒つける、法律の適用で解決するという解決だけがすべて望ましいわけではなくて、紛争といえるかどうかも分からないけれども、自主的な解決が図られるような紛争というのがいくつもある。自主的な解決はちょっとできないけれども、第三者が少しサポートし、適切な助言があれば、容易に解決できるという類型の紛争というのはいくらでもあるのだろうと思っております。
 私が、今、裁判所で仕事をしていて思うのは、代理人に委任して裁判を起こしてしまったためにかえって紛争が解決しにくくなっているという類型のものは少なくないということです。例えば、100 万円請求しているけれども、50万円もらえばいいと思っている当事者と、50万なら払ってもいいと思っていた当事者がいる。ところが弁護士さんを頼んでしまったために、一方は、あと30万もらわないと解決できなくなり、他方は、50万から30万を引いた金額しか払えなくなってしまう。そんな紛争はいくらでもあるのです。それを皆様が少額とおっしゃったと思うのですけれども、そういうものの受け皿になり得るようなADRというものをより具体的にイメージして議論できないだろうかと思っております。
 ですから、裁判と並ぶ競争力を付けるということよりも、裁判に持ち込まないで済むはずの紛争の解決のための機関としてADRをどう位置づけていくかという視点が、ここでの議論で一番大事であろうと思っております。前回、裁判と並ぶ魅力的な選択肢ということは、最終的な法的な紛争解決機関が裁判所であることとは矛盾しないと申し上げたのは、そういう趣旨でありまして、私は廣田委員が言われたことに全く同感だと思うものですから、その点を少し述べさせていただきます。
 そう考えていきますと、法的な効力を与えることによってADRの利用の促進が図られるというようなことなのだろうか。法的な効力を与えようか、与えまいかというような議論が先行するのはどうかというのが最初からの意見でありまして、むしろ先ほど原委員も言われましたけれども、色々な紛争解決のメニューがあるのだということを広く情報を提供していくようなシステムの構築ということはあり得ないのだろうかと。それを何かの形でここで議論できないだろうかというのが一つであります。
 もう一つは、色々なメニューがあり得るのだといったところで、メニューが余りとんでもないものであってはいけない。
 先ほど髙木委員が言われたように、ある人に相談したためにかえってひどい目に遭ってしまったというようなものまで、国家が支援しているADR機関という形で位置づけられてしまっても困る。その辺りのところの線引きをどうしていくのかということを議論できればと思います。
 あともう一つは、ADRの主催者なり、相談を担当する人たちの質の確保ということをどう考えていくのだろうかと。質の確保ということについて、ここの検討会でどこまで議論できるのかは難しいところでして、それが変な規制になってはいけないし、といって質の悪いADRがやたらとできてしまって、紛争解決機関として機能しない状況になってはいけないのだろうという気がします。
 ただ、私がADRの役割として考えているのは、最終的な法的な決断、法的な決定というものをもらわなくても解決できる紛争が、柔軟に、円満に解決するためのサポートができるようなADR機関というのをどう育成していったらいいのだろうかという観点からの議論が一番大事ではないかと思っていることを、前回の発言に少し補足して述べさせていただきます。

○青山座長 どうもありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。

○安藤委員 今の意見を伺ってやっと安心したのです。どうも私は話を聞いていて、国民にとってではなくて、国家にとってと、裁判と何で並ばなければいけないのかと、これが常に考えていたことなので、ADRと言ったって、AとDとRと3つぐらいの段階があるはずなのです。
 例えば、Aをアカデミックと言うのだったら、そこまではある程度の法的な権限を付与しても構わないだろうと。私なんかが考えるのは、逆に言うと、そこで得たある程度の結果が裁判に持っていかれても、裁判の一つの証拠として認めると、そのぐらいのところでいいのではないのかと、中途半端であるという問題もありますけれども、そういったことではなく、むしろ私的解決というのを図るために、もう少し民間に投げてしまうというような形がいいのではないかと思っております。
 それが国民にとってという意味であって、また、裁判と並ぶのではなくて、裁判を支えるではないかと思っているのです。
 ですから、裁判へいくまでの間に色々な段階があって、例えばアカデミック、ドメスティック、リテールというような3段階に分かれて、リテールのところは周知徹底させようと、横町の御隠居さんみたいなところに相談するのであれば、こういうところがあるとか、そういう紹介程度でも十分いいのではないのかと。
 私たちの場合ですと、例えば法人会に入っていたりしていますけれども、では税理士さんを選ぶときにどうするかというと、同業の人間には決して聞かないのです。同業者に聞いて同じ税理士さんを使っていて、あそこがいい、悪いという情報が出たら困ると言いますから、聞くとしたら異業種に聞かざるを得ないわけです。
 ところが、だれに相談していいか、何かの会合で会って、それだったらいわゆる弁理士さんですとか、司法書士さんだとか、色々いらっしゃいますから、その辺りにもう少し権利を広げておいて、私もできますけれどもこの先生はいかがですかと、すぐに紹介できるようなシステムができたっていいのではないのかということです。
 特に弁護士の先生の場合には、白弁、黒弁の区分けなんて全くできないわけで、非常に苦労しているのです。
 ですから、何か問題があったときに、まずやらなければいけないのは、相手側の弁護士さんはどういった弁護士さんだというのを調べるのが先になっているのです。
 消費者の問題などにしてみたって、うち辺りにクレームが来ている問題で、ほとんどのもめる問題というのは、受付の対応が悪いだとか、商品そのものではなくて、感情の問題というのがすごく入ってしまうわけなのです。
 そういった意味においては、こういったクレームのときには、ある程度の予備知識をどうやって与えるか、そういったようなことにおいても随分違ってくると思いますし、龍井委員の言われていた係争の問題でもほとんどそうなのです。あそこの会社ではこうなのに、うちは何でこうではないのだという形での議論からスタートしてしまうとか、色々お互いに聞きかじりの意見というのが非常にまかり通っている世の中ですので、その辺をどうやってレベルアップさせていくか、これがADRのRの部分で一番大事な仕事ではないかと考えているわけです。
 ですから、ADRでトータルで色々な議論をしますけれども、それをもう少し段階的に分けていただいて、この部分、この部分という形になっていかないと、恐らく国民にとっては何の意味のないものになってしまうかという心配をしております。

○青山座長 どうぞ。

○平山委員 考え方とすれば、先ほどの髙木委員のお話と全く同感でございます。
 今まで、裁判と並ぶ魅力的なというお話でそういうものなのだと思っていたのですけれども、そこに行く前に自主的に解決するということが一番大切ではないのかと。
 もう一つは、自主的な解決に対して、今、相談員というお言葉を聞いたのですけれども、その相談する方の公平さとか、倫理感、私たちは中立性と言っていますけれども、その辺がかなり大きく作用されてしまう。
 本来、この問題はもっと簡単に解決するのではないのかという問題が、第三者が入ることによって非常に複雑になるという例が、特に建築の場合なんかでございます。
 確かに事件が非常に専門性を帯びておりますから、中々弁護士の先生は分からない。弁護士の先生が、いわゆる自分が私的鑑定人という人たちをお願いすると。その辺から話はますます混乱してきて、両者が私的鑑定人を立てるものですから、そのうち私的に解決すべき問題が、まさに弁護士の利益と言うのでしょうか、そういった形でどんどん複雑化するという問題が建築なんかの場合では、非常に多く見られる。
 そこで、まず、相談員の方も支援というのでしょうか、どこかでそういうものに対する支援をしていかないといけない、そしてその人達の問題を理解していってもらいたいと思います。

○青山座長 ほかにございますでしょうか。

○原委員 裁判と並ぶ魅力的というのが随分出て、私も1回目も3回目も裁判と並ぶ魅力的な選択肢を強調したので、少し補足的に意見を言いたいのですが、裁判を別に否定しているわけではなくて、裁判は裁判で魅力的であってほしいし、そのための努力というのを司法制度改革でおやりになっているので、特に裁判を否定したり、裁判は魅力がないからこちらということを考えているわけではないのです。
 廣田先生がおっしゃったように、もっと私的自治に基づく紛争解決というものが世の中に広くあってもよくて、それはもっと多様なものがあっていいのではないかと。そういう紛争解決の手法も魅力的なものにしていきたいというのが趣旨だと思っていて、報告書自体もその趣旨で書かれていると理解をしておりますので、裁判が魅力的でないからだめだとか、そういうことではなくて、裁判は裁判でもっともっと魅力的になっていってほしいというのが、司法制度改革の趣旨でもあったと思って、私どももそのように考えておりますので補足をさせていただきます。

○青山座長 どうぞ、横尾委員。

○横尾委員 理念のお話になのですが、私は廣田先生の説に賛成でございまして、賛成というよりも、廣田先生の色々お書きになったようなもので勉強しているところがありますので、そこに異論がないということだと思います。
 いくつか申し上げたいことの一点目は、ADRというのは、裁判の代替性というようなことだろうと思うのですが、1つは例えば国際的な紛争の中で、元々規範がないようなところでは、ADRをやらざるを得なかったということもありますので、そういう側面をとらえなければならないのだろうと思います。
 第二点目は、そもそも民事裁判でやるべきものが、裁判の制度に不備があるために、ADRによって対応せざるを得ないということがあるとすれば、それは裁判の制度を直していくことが適当ではないかと思います。
 最後に申し上げたいのは、私的自治という考え方でございます。例えばあっせんであるとか、調停になってきますと、当事者の意思決定と言いますか、判断というものが非常に重要になってくるわけであります。これは制度そのものではなくて、むしろ個々の確立された自己決定というものが要求されるのではないかと思います。したがって、ADRについての広報というようなことをする場合には、方法論になってしまって大変恐縮ですが、是非とも個々の自己決定というものが非常に必要であるということを言わなければ制度だけあっても使わないということになりかねないのではないかと思います。

○青山座長 どうもありがとうございました。
 私も委員の一人として若干意見を述べさせていただきたいと思いますが、そうは言いましても、皆様各委員の言われていることに尽きていると思いますけれども、歴史的な認識としては、裁判とADRが近代国家でどう発達してきたかということは、先ほど廣田委員が言われたとおりだと思うのです。
 国家権力が集中してくると、実体法、手続法が完備して、それが裁判というものに紛争解決をずっと引き付けてきた。
 しかし、それだけでいいのかというと、それ以前にはADRだったわけですから、今やそれ以外に多様な紛争解決制度というのが再び求められている。その基礎は、個人の自由とか、契約の自由という近代資本主義社会を支えている原理に求められるのだろうという認識は、私は廣田委員と全く一致するわけです。
 先ほどから、司法制度改革審議会のキャッチフレーズが出ておりますけれども、ADRを一層充実し活性化するためにはどうあるべきかを考えるということなのですが、裁判による紛争解決は、どちからというと対立裁断型だと思うのです。
 これに対してADRの解決は、対話支援型だと思っておりますが、裁判の対立裁断型というのは、両当事者が対立構造でお互いに主張をぶつけ合う。最後は、裁判所が裁断をする形で紛争を解決する。それには既判力や執行力等が与えられて、強制的にその結果を実現する。
 それに向けて当事者である被告も応訴を強制されて、裁判所も難しい事件だから、裁判を拒否するということはできない。最後には証明責任というテクニックを使ってでも裁判をする。だから、非常に強行的な紛争解決です。
 他方、ADRは、それとは全く逆で、仲裁のことを除きますと、両当事者の話し合いによって解決する。ADRはそれを支援するという立場ではないか。ですから、先ほどから出ている私的自治に基づく自主的な紛争解決手段だという説明になると思います。
 元々ADRは、そういう本質を持っているわけですから、これを司法制度改革審議会が言っているように、国民にとってADRを裁判と並ぶ魅力的な選択肢になるよう考えるにはどうしたらいいかというと、ADRを裁判に近づけることではなくて、元々ADRが持っている特徴を更に発揮できるようにすること、これが第1だと思うのです。
 第2は、そうは言っても、ADRについて最小限度の法的な保障を与えるということがやはり必要なのではないか。
 第1、第2を包み込んで、更にその前提となるのが、やはり国家としてADRをどう考えるのか、22世紀になったら一体裁判というものは今の姿であるのかないのか。ひょっとすると、裁判というのは21世紀までの紛争解決で、22世紀になるとなくなってしまうかもしれない。いや、なくならないとは思いますけれども、かもしれないという見通しで、紛争解決はいかにあるべきかというADRも含めた国家戦略を考えていく必要があるのではないだろうかと思います。それが3番目の課題ではないだろうかと思います。
 第1のADRの特徴を伸ばしていくということですが、私はADRの特徴を、今とりあえず申しますと、4つ挙げておきたいと思うのです。
 1つは、ADRの機関というものが裁判所に比べてものすごく多様だということです。例えば、事件のタイプに応じるADRとか、あるいは地域ごとのADRとか、あるいは国際的な紛争解決のADRとか、あるいはインターネット紛争だけのADRとか、国民生活センターみたいに少額の生活上の紛争だけを扱うとか、そういう色々なADRの機関があって、これ自身が非常に裁判所と比べて多様性に富んでいる。その多様性を損ってはいけないと思うのです。
 2番目の特徴は、各ADRの紛争解決が非常に柔軟な解決です。これは、解決基準として柔軟なのだと。裁判所の解決が型にはまった解決だとは決して申しませんけれども、裁判所の判決は、やはり実体法に従った判決であるべきだし、それが予測可能性を持たせている。
 これに対しまして、ADRによる解決は、もう少し柔軟で多少ふわふわしている、ふくらみのある解決。それが実情に即した解決かもしれないし、条理にかなった解決かもしれない。そういうことをADRはやっているわけですから、この方向はもう少し伸ばす必要があるだろう。
 3番目に、これは前にも出ていたのですが、ADRの手続はやはり当事者が主体であって、ADRの機関は補助者である。
 今、裁判でも当事者の主体性というのが非常に盛んに言われてきていますけれども、やはり職権進行主義とか、裁判所が前面に出て進行するわけですが、そういうものを含めてADRは当事者のプロセス関与を重視する紛争解決だと思うのです。
 そうなると、最後まで解決にいかなくても、相談のところで当事者はこれでいいと満足することもあるし、それはもうADRではないというのか、その辺のところのADRの範囲をどう考えるかというときに、手続のプロセス重視というのが非常に重要な視点ではないだろうかと思っております。
 4番目は、これは裁判所と違って非公開です。公開の法廷の下にやるというのではなくて、原則非公開でやるとなると、手続が不透明ではないだろうかという点が心配です。手続の不透明性を補うのは何かというと、機関の情報開示とか、我がADR機関はこういう委員を選任している、こういう手続でやっていますとか、個々の事件の情報を開示するのは、プライバシーを保護するために非公開で、しかし手続全体、機関全体はもっと透明性を確保することができるのではないか。
 そういうADRの特徴を更に伸ばすというのが、私どもがとりあえず考えるべきことかと、皆様の意見を伺いながら考えたことです。
 先程ADRを裁判と並ぶ魅力的な選択肢にするための方策の2番目に、法的保障として最小限と言いました。これも後から議論される時効の中断だとか、執行力の付与だとか、裁判所の連携ということになると、先ほどから議論が出ておりますように非常に難しい。時効の中断であれば、ADRに申し立てると全部時効の中断になるかというと、これはどなたも賛成しないと。では、どう線引きをするかという問題がある。執行力に至ってはますますそうだと思います。だから、そこで線引きという問題が出てこざるを得ない。
 これは、我々の一番難しい問題ですけれども、これに取り組まなければならない。時効の中断などであれだけヒアリングやアンケートの要望があったところですから、この問題についてとにかく議論をして、最後にどうなるか分かりませんけれども、議論を尽くすべきではないだろうかと思っています。
 3番目の課題として、国家戦略という言葉を使いましたけれども、紛争解決をどう位置づけていくかというのは、最初のところでは結論が出る問題ではないので、我々はその点を常に念頭に置いて、最後の段階でまたこの問題に入っていく。まだ2年の期間がありますから、最終段階ではまたこの議論に戻ってこなければいけないのかと、そんなことを考えている次第でございます。
 ほかに何か聞かせていただくことはございますか。

○龍井委員 要望をよろしいですか。

○青山座長 どうぞ。

○龍井委員 皆様方の意見を伺って、自分なりの整理ができつつあるのですが、1つはADRというのは日本語になっていませんね。やはり、今のような話を基本として考えていくと、やはり裁判へのオルターナティブというだけではなくて、もう少しメッセージ性を持ったものが終わった段階では発信できないだろうかという、これは全くの感想です。
 それは、逆に言いますと、今、自主的解決というのがキーワードになりましたけれども、実は、自主的解決の力はみんな持っているのだということのメッセージです。その辺の自主的解決、しかも個人ではなくて、かつては先ほどの御隠居の話ではないけれども、町内会があったり、色々なインフォーマルなものがあったわけですね。今、それが全部個人にと。今更フィリピン型に戻れないわけですけれども、少なくともそういう力をみんな持っていて、なおかつ共同の力としてあるのだということとセットで仕組みをくっていくというメッセージが片方で要るのかと思いますので、非常に抽象的な言い方で恐縮ですけれども。

○青山座長 ここで座長からの勝手な提案をさせていただきたいと思っておりまして、それは総論の議論はまだ続けなければいけないのですが、今日はとりあえず法的効果の付与の各論に入ってまいります。
 総論の基本理念とか、今おっしゃったADRという言葉をどうするかということも含めて、各論の議論が一巡する秋頃までを目途に、各自が総論についてのペーパーを出していただくというのはどうでしょうか。
 これは、司法制度改革審議会が早期の段階で各委員に宿題を出して論点整理というのを発表されました。
 今、法曹養成制度の検討会でも、第4回に、皆、総論のペーパーを出してインターネットで公開されていますが、我々の方も、今日の議論でも非常にそれぞれに考えていることが違うわけです。それをA4の2枚か3枚ぐらいのADRの基本理念とか、ADRの裁判との関係だとか、ADRの拡充、活性化にはどうしたらいいかとか、もう少し詳しいことはいずれ事務局の方から御連絡させていただきますが、秋口ぐらいを目途にお出しいただくということでよろしいでしょうか。

○髙木委員 後でどう変わってもいいですか。提出時における意見であるということならば、喜んで出させていただきます。

○安藤委員 意見書などの具体的なものではなくて、A4を2枚で字の大きさは関係なしというペーパーでよろしいですか。

○青山座長 それは御自由で、そうしていただくと、自分でも考えることにもなる。それによって他人の御意見も目に見える形で見せていただくと。
 我々は、最初のときお互いに勉強しながらやりましょうということを誓い合ったと思うのです。それを夏休みの宿題というような意味で、今から予告させていただきたいと思っておりますが、座長の指揮権がきつかったら申し訳ないのですが、そういうことをお考えいただけますでしょうか。お忙しいことは重々わかっておりますが、どうぞよろしくお願いしたいと思っております。

〔法的効果の付与等について(その1)(時効の中断効の付与)〕
○青山座長 続きまして、今日は各論の方に入らせていただいてよろしゅうございますか。それでは時効中断の付与の問題に入りたいと思います。
 関連する資料として、事務局から資料の4-3、4-4が提出されておりますので、まずこれにつきまして、小林参事官の方から詳細な御説明をいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

○小林参事官 それでは、総論の議論を非常に精力的にやっていただいた後、いきなりかなり個別の各論に入りますので、非常に恐縮でございますけれども、今日の御議論につきましては、たくさん宿題もいただいておりますので、私どもの方で手順も含めて整理させていただいて、しかるべき形で進めさせていただきたいと思いますが、今日のところは時効の中断効の方の御説明に入らせていただきたいと思います。
 資料の4-3と4-4がございますが、基本的には4-3を順次御説明する形で説明を進めさせていただきたいと思います。
 まず、1ページをお開けいただきたいと思いますが、こちらでは「時効・時効中断効とは何か」ということで御説明を始めておりますけれども、比較的馴染みやすい例ということで、AさんがBさんから100 万円を借金したと。特段催促をしなかったので、10年を迎えることになってしまったというようなケースを挙げさせていただいておりますが、こういう一定の権利を行使しないという状態が継続した場合に、その事実状態が真実の権利関係に合致するかどうかを問わないで、この場合ですと権利の消滅ということでございますが、法律効果を認める制度というのが時効でございます。
 このケースでは、10年ということを例とさせていただきましたが、参考の2にございますように、実は、私どもの身近にあるような債権につきましては、かなり短い時効期間が別途定められておりまして、一番最後にありますような料理店の飲食料等につきましては、1年ということでございます。
 こういう比較的短期間で決済するのが取引慣行となっているものでありますとか、あるいは当然当事者もそういったものについて書面で確認するというのが非常に困難になりやすいというものにつきましては、若干批判もあるようではございますけれども、短期の消滅時効というのが定められておりますので、決して10年という悠長な話ではないということは御承知いただきたいと思います。
 2ページに参ります。
 先ほどの設例におきまして、仮に9年10か月経った時点で100 万円の返済を求めて裁判を訴えた場合のケースでございますが、下に線表がございますけれども、9年10か月の段階で訴えの提起をすれば、仮に裁判中に時効期間が満了したとしても、裁判で請求を認められるということでございます。この訴えの提起は、時効の中断効を持つということの意味でございます。
 3ページ、それではADRの場合はどうなるかということでございますが、これは先ほどの訴えの提起に代えて、仮に民間のADRに申立てをした場合のケースでございますが、この場合は上段の○のところにありますように、せいぜい催告という請求をするというのと同じ程度の効果しかございませんので、実際にADR機関での調整が長引けば、その期間の間に時効が完成してしまうという恐れがございます。
 その後、ADRが不調で裁判に訴えたとしても、時効が成立しているということで請求が認められないというリスクがあるわけでございます。
 このリスクがあるがゆえに、ADRの利用を躊躇する可能性があるのではないかというのが、この問題が提起されている背景ということでございます。
 4ページ、今のは、言わば理論的な整理でございますけれども、具体的なニーズはどの程度あるのかということを4ページ以降整理させていただいております。
 前回、民間ADRに対するアンケート調査を御報告いたしましたが、その際も委員の皆様から、もう少しブレイクダウンした形で報告をしてほしいという御意見がたくさん出ました。今後、各論につきましては、その形で御報告させていただきたいと思います。
 今回のケースで申しますと、4ページは何らかの形で法的効果が必要だと考えている機関のパーセンテージでございますが、参考の最初の点にございますように「紛争全般を取り扱う機関」、これは弁護士会の仲裁センターさんが中心でございますが、この機関ですと法制面の整備が必要だというのが67%、「特定分野の紛争を取り扱う機関」ですと29%ということで、かなり扱っている内容によって差があるということでございますが、これは法制整備が必要だという全般についての意見でございます。
 5ページ、それでは時効中断効については具体的にどうかということでございますが、全体では38%が時効中断効の付与が必要であるという回答があったわけでございますが、参考にございますように、先ほどと同じように「紛争全般を取り扱う機関」ですと92%。「特定分野の紛争を取り扱う機関」ですと23%ということでございます。
 また、紛争解決方法の形態別に見てみますと、中ほどの黒点でございますが「相談・苦情処理のみを実施する機関」では25%、「あっせんを行っている機関」では31%、「仲裁又は調停まで実施する機関」では45%ということでございまして、いわば手続が重くなるにしたがって時効中断を求める率が高くなっているということでございます。
 また、その下の黒点でございますが、紛争解決に要する標準的な期間について見てみますと「調停・あっせんのいずれも1ケ月以下で処理している機関」ですと、パーセンテージは9%ということでございますが、「調停又はあっせんのいずれか一方でも2~3ケ月以上の期間を要するとする機関」になりますと、そのパーセンテージが60%になるということでございまして、これもある意味では当然ではありますけれども、解決に期間を要する機関であるほど時効中断効を求める率が高いということがあるかと思います。
 6ページは、自由意見で挙げられた意見を区分けしております。必要とする意見につきましては、やはりこういった時効中断効が必要であるということが幾つかの機関から要望が出ております。
 積極的に不要とする意見はございませんが、特段必要性を感じないという機関が若干ございました。
 参考でございますが、前回御報告したヒアリング調査は、民間型ADRでございますけれども、別途行政型ADRにつきましても、同様の内容のヒアリング調査をしているところでございますけれども、その幾つかの機関においても、やはり時効中断効が必要ではないかという御意見をいただいているところでございます。
 7ページ、以上はADR機関側のニーズでございますが、ユーザーサイドのニーズはどうかということでございまして、当検討会におけるヒアリング等からの意見を掲げさせていただいております。
 中ほどに「時効中断効の付与に関する意見」ということで、時効の中断については明確化する方向で考えてほしいという御意見をいただいております。
 検討会自身における議論につきましては、前回までということではございますが、全般論としては、積極的に法的効果を付与すべきだという意見と、もう少し制度設計をきちんとすべきではないかという意見と両論出ておりますが、いずれも全般論でございまして、時効中断効に特化した意見は前回までは出ておりません。
 8ページは、今、現実に時効中断の効力があるものとして認められているものを掲げさせていただいております。
 先ほど申し上げました催告というのは、請求の一番最後に載っておりますが、それ以外はかなり厳格な手続が必要とされるものでございます。
 9ページは、そもそも時効制度、あるいは時効中断に関する考え方というのはどういうことなのかということでございますが、ここで上段と下段に2つの考え方を挙げております。
 この2つ考え方、そもそも時効制度をどう考えていくのかということにつきましては、学説上は非常に大きな議論があるところでございまして、私ごときが説明する能力もないわけでございますが、一応ここで2つの考え方を載せさせていただいたのは、先ほどの冒頭の御紹介の仕方もそうだったのですけれども、得てして時効の場合には、上の段の考え方「権利の上の眠る者は保護に値しない」という発想が比較的馴染みやすいものですから、したがって時効中断というのも請求をすれば、認めてもいいのではないかという発想も一つ出てくるわけですけれども、現実の時効制度あるいは時効中断制度を見ていくと、下にあるような考え方もかなりあるのではないかということで敢えて御紹介をさせていただいております。
 それは、時間の経過によって権利の存否についての証明が困難な状態になってしまうということを背景にした考え方でございまして、したがって中断を認める際にも、単純に権利を主張するということだけではだめでございまして、権利の内容についての白黒がきちんとつく手続のルートに乗るというような段階で中断効を認めるという考え方がございます。
 先ほど見ましたように、現実の法律で認められている時効中断効というのは、かなり後ろの方の考え方が背景になっているということでございまして、その点を少し頭にとめていただきたいということで載せさせていただいたわけでございます。
 もう少しADRに関連して時効中断効の現行の制度の仕組みはどうなっているかというのが、10ページでございます。
 一応、「司法型」「行政型」「民間型」。内容的には「調整型」「裁断型」という形で分類をさせていただいておりますが、まず「司法型」については、民事調停・家事調停で、「調整型」についても民法の類推適用という形で時効中断効が認められております。
 「司法型」の「裁断型」については、独立した手続としては存在しないということでございますので、省略をいたしますが、次に「行政型」のADRについてはどうかということでございますけれども、「調整型」については、一部の調停・あっせんについて個別の法律で認められているということでございます。
 具体的な例は、※の1にありますが、個別労働関係紛争解決促進法、公害紛争処理法の例でございます。
 「裁断型」につきましては、仲裁については「行政型」「民間型」を問わず、仲裁制度ということで、判例によって時効中断効が認められております。
 また、それとは別に一部の仲裁・裁定につきましては「行政型」については、先ほどの「調整型」と同じように個別の法律によって認められている例がございます。
 具体的には、※の3にありますように労働基準法。これは、労働災害についての補償金額だとか、あるいは認定についての不満がある場合には、労働基準監督署長に申立てをできることになっていますが、それについての扱い方。
 公害紛争処理法の責任裁定。だれに責任があるのかということについての裁定についても時効中断効が与えられているということでございます。
 「民間型」につきまして「調整型」については、今は特に規定はございません。
 「裁断型」については、繰り返しになりますが、仲裁については認められているということでございます。
 続きまして11ページでございます。
 先ほど冒頭に申し上げたようなニーズから、仮にADRの時効中断効を付与するということになった場合、考えられるオプションについて整理をさせていただいております。
 まず、1つポイントになるのは、どの時点で時効の中断を判断するのかということでございます。
 次の12ページに紛争解決の進行イメージというのを表にしてございますが、そこと比べながらお聞きしていただくとありがたいのですけれども、1つの考え方はADRの申立てがあった時点で時効を中断するという考え方でございます。
 12ページでいうと、左から始まって、2つ目の四角のところで三角印がありますが、そこで時効中断効を認めるという考え方でございます。
 具体的には、先ほど御紹介しました仲裁の例、あるいは公害紛争処理法の中でも責任裁定、これは責任はどこにあるのかということについて決定をするというものですけれども、その場合には、申立てがあった時点で時効を中断するということになっております。
 もう一つの考え方は、その時点で時効を中断するということではないけれども、その後の手続の進行を見極めて時効中断の可否を判断するという考え方でございます。
 12ページの線表で見ていきますと、ADRで紛争解決の試みをするわけですが、そこでまとまればいいのですけれども、まとまらず、上の線をずっといっていただきますと、更に訴えの提起をするとか、あるいは仲裁の申立てをするという紛争の流れになることがあり得るわけですけれども、この時点をとらえて時効中断の可否を判断するという考え方がございます。
 この例を11ページで申し上げますと、個別労働紛争解決促進法。これは労使の紛争解決ではなくて、個人と使用者というような関係の紛争について解決を図るということで、最近できた法律でございます。
 あるいは、公害紛争処理法の調停・あっせんというものについては、こちらの方で判断するということでございます。
 ただ、こちらの場合にも、調停・あっせん打切り後30日以内に訴訟を提起した場合、次の段階に進んだ場合には、時効中断に関しては、調停・あっせん申請時に訴訟提起があったものとみなすと。結局、遡れるのは、先ほどの紛争の申立時であるわけですけれども、それを判断する時点が異なってくる。あるいは条件が付くということで上と下で異なってくるわけでございます。
 それでは、どちらの制度の方が民間型ADRに馴染むのかということについては、これから御議論いただくということになるかと思いますが、一つ参考になるのは、上と下を見比べていただくと分かるように、ADRの申立てがあった時点で時効を中断しているというケースは、比較的手続も厳格でございますし、いずれにしても白黒がきちんとつくというケースでございます。
 責任裁定の場合には、もちろん不満があるものは、一定の期間内に裁判に訴えれば、その決定を引っくり返せるわけですけれども、そうでない限りは、ここでの決定が確定してしまうというものでございます。
 他方、同じ公害紛争処理法の中でも調停については、申立ての時点で時効を中断するのではなくて、先ほど申し上げましたように、次の段階に進んだときに時効中断効を認めると、ただし時点については遡るという考え方を取っているわけでございます。
 今までの例からすると、比較的下の方の考え方の方が少なくともバランス上は馴染みやすいかという感じはいたします。
 もう一つの問題は、12ページの線表にございますように、典型的なケースはADRが不調の場合に訴えの提起ということでございますが、訴えだけではなくて、仲裁の申立てをしたときにも認めていいのではないかという考え方があり得るということでございます。仲裁の場合にも最終的に白黒判断されるわけですので認めてもいいのではないかという考え方があり得ます。
 参考になる例としては、今申し上げた公害紛争処理法の例の場合ですと、公害紛争処理法上の調停から訴えの提起に至った場合のみならず、先ほどの責任裁定の申立てをした場合にも、やはり時効中断効を認めているということでございますので、仲裁の申立てについて認めるという考え方は十分あり得ることだと思います。
 次が、いずれかの考え方を取るにせよ、どんなADR機関に対しても時効中断効が与えられるかという問題でございまして、11ページの一番右側の四角に「考えられる要件」ということでございます。
 ここで「基本的な考え方」としておりますが、これは私どもの方で、こういうような要件が考えられるのではないかということで幾つか挙げさせていただいたものでございますので、どうしてもこれがなければ付与すべきではないということをお示ししているわけでもありませんし、逆に要件として考えられるものは、これがすべてだということで御提示しているわけではありません。あくまでも幾つか考えられる例として御提示させていただいているものでございます。
 1つは、いずれにしても時期を決めなければいけないわけですから、そういった時期が確定できるかどうか。あるいは、それが記録等からきちんと確認できるかどうかという問題があります。
 次に、これについては色々御議論が分かれるところかもしれませんが、いずれにしても時点が遡りますので、遡った時点に、言わば申立てていた内容と、裁判のときに争われている紛争内容が、果たして同一のものであるかどうかということについて判断ができなければならないということになります。
 したがって、少なくとも紛争の内容等が明確である必要があると。あるいは明確であるかどうかを判断できなければならないという問題があり得るということでございます。
 ちなみに、今、民事調停では申立ての段階では、調停申立の趣旨及び紛争の要点というものを申し立てていただくことになっておりますし、行政型のADRの場合には、紛争の経緯でありますとか、申請事項というのを文章で提出するということになっております。
 3番目の問題が、これも後ほど詳しく御説明しますが、悪用の防止、あるいは脱法の防止みたいなことが必要ではないかということでございます。
 1つは、一方当事者と言わばグルになっていたようなケース。あるいはグルではないのだけれども、ADR機関としてやるべき仕事をやっていないようなケースについてまで通常の催告よりも、より強い時効中断効を与える必要はないのではないかという考え方が3つ目の○でございます。
 こういった考え方に基づきまして、具体的な要件というものはどんなものが考えられるのかというのが後段部分でございまして「手続的な要件」としては、受付・開始から終了に至る各手続の適格性、透明性。
 「主宰者要件」。これは、やや言葉が大げさなのですけれども、詳しくは後ほど御説明しますが、先ほど申し上げたようなグルではないとか、あるいはきちんと紛争解決の手続を進められるかどうかというような資質の問題を確保する必要がないだろうかというものでございます。
 3番目は、記録その他管理が確実に行われるかという問題でございます。
 こういったような内容が少なくとも検討する必要があるのではないかということでございます。
 続きまして、13ページ、14ページは若干細かい話でございますが、先ほど12ページのオプションの中でどれを選択するかということを考える際に、1つの材料でございまして、先ほど上段の申立てがあった時点で時効中断するものと、手続進行を見極めて時効中断の可否を判断するという2つについて御説明をしましたが、ADRの申立後、手続進行を見極めて時効中断の可否を判断するというタイプにも、実は現行制度では2つございます。
 1つは、先ほど申しましたように、ADRが不調になって、次のステップに進んで訴訟ないしは、仲裁に進んだときに申請時までさかのぼって効力を認めるという考え方が1つでございます。
 もう一つは、11ページの(注)にあるように、一応申立ての時点で中断効は発生するのだけれども、最終的には不調に終わって1か月以内に訴訟を提起しなければ中断の効力を生じないという条件付きのような中断効の付与の仕方がございます。
 これは、非常にテクニカルな問題になりますので、これで結論が左右されるという話ではございませんが、一応こういうような違いが出て来得るということでお聞きいただければと思います。
 まず、13ページの方は、どちらかの関係を取るかによって催告との関係が若干異なるということでございます。
 13ページの左の方で、催告については6か月以内に裁判所の請求等、きちんとした行為を行わないと催告をしたという効力も生じないという制度になっているわけですが、右側の線表にございますように、まず催告をして、6か月以内にADRを申し立てたというケースを考えてみます。
 ADRにおける調整が不調に終わって、30日以内に訴えを提起したというケースですけれども、この場合、先ほど申しましたようなさかのぼり方式を取ると、ADR申立てまでにはもちろん中断効は遡るわけですけれども、更に加えて裁判上の請求とみなすということでございますので、催告のときまで時効中断効を定めることができるということでございます。
 これに対しまして、先ほどの後に御説明した条件付きのような時効中断効を認めるという考え方ですと、もちろん、ADR申立ての時点まで遡ることはできるわけですけれども、そこから更に催告の時点まで遡ることができるかどうかは、ややクエスチョンマークということでございます。
 同じように、やや細かい話でございますが、14ページの保証人との関係を若干御説明いたします。
 今度はADRで合意が成立したケースでございますが、ADRに申立てをして、ADRで話し合いをしている間に時効期間が満了したと、その後、ADRで合意をしたというケースでございますが、左側のさかのぼり方式で考えていきますと、まず、申立てのときの時効は中断しておりませんので、期間満了のときに時効は成立してしまいます。
 それにもかかわらず、ADRで合意をするということですから、何分かお金を払うということになりますので、その限りでは時効利益を放棄、あるいは喪失しているということになるわけですが、この債務者に保証人がいた場合の扱いですけれども、時効利益の放棄というのは、保証人には及ばないということになっておりますので、仮に債権者が保証人に債務の履行を請求した場合であっても、保証人は時効が成立としているということで、これを拒めるということになるわけであります。
 ところが、右側の民事調停型の例で考えますと、とりあえずADRの申立てをしたときに、債権者によって時効は中断するということになっております。
 したがって時効は不成立ということになりますので、債権者がADRでの合意にかかわらず、保証人に請求をした場合には、時効が中断しているということで、保証債務を履行しなければならない可能性が出てくるということでございます。
 ただ、これはあくまでもやや頭の体操をしたということでございますので、仮に結論が不当であれば、手当をすればいいということでございますので、これでどちらを取るかというのが左右されるという問題ではありません。一応御説明したということであります。
 15ページは少し御議論いただかなければならないところでございますが、先ほど期間を確定しなければならないということを申し上げたのですが、どういう期間を取って考えるかということでございます。
 1つの論点は、ここにございますように、先ほど仮に申立てのときに時効中断効を発生させると申し上げましたけれども、ではその時期をもう少し厳密に見ていくとどうかということでございます。
 3つ箱がございますが、一番左は文字通りADR機関に申し立てたときをその時点とするという考え方がございます。
 もう一つは、ADR機関がいわばそれを相手方に通知をした時点をつかまえるという考え方があります。
 3番目は、単に通知をするだけではなくて、相手方がADRに応ずるという返事をしたときの時点をとらまえるという考え方でございます。
 これは、いずれも成立し得る考え方でございますが、若干効果について申し上げれば、一番左の申立時を取った場合の問題点は、時効期間満了後に相手方に通知がいくかもしれないということがございます。
 そうすると、相手方としては、時効が成立していると思って安心していたところ通知が来て、実は中断していたのだということになるという問題があり得るということでございます。
 真ん中の通知方式を取った場合には、どんな問題があるかということですが、これはADR機関が相手方にきちんと通知をしたかしないか、あるいは速やかに通知ができたかできないかによって、時効が成立するかしないかが左右されてしまうということでございまして、申立人Aとしては、完了する前にADR機関に申立てをしたとしても、相手方に通知できた、あるいは通知された時点が時効期間満了後になると時効が成立してしまうという問題が生じるということでございます。
 最後の一番右側の応諾の方式を取りますと、応諾しなかったケースをどう考えるかという問題もございますし、返答を延ばした場合については、先ほどの通知と同じような問題点が生じ得るということでございます。
 以上が、どこまで遡るかという考え方についての時点の問題ですけれども、次に、仮に不調のときから一定期間内に訴えを提起した場合に遡るという考え方を取った場合には、いつの時点でADRが不調として終了したかということを決めなければいけないという問題がございます。
 これも2つ問題がございまして、左側はそもそもどういう時点のときに終了できるのかという問題でございまして、当然当事者AまたはBから申し出があった場合は打ち切られるわけでしょうけれども、それ以外にADRの判断による、いわば職権打切りのようなものを認めるかどうかという問題があるわけでございます。
 行政型のADRの前例を幾つか申し上げましたが、その前例は職権の打切りを認めているということでございますが、通常の民間のADRの場合、職権打切りを認めるかどうかという問題が1つの論点としてあろうかと思います。
 次に、仮に職権の打切りを認めたとした場合に、訴訟に訴えなければならない起算点はいつから考えるのかという問題がございます。
 これも2つの考え方がございまして、職権で打ち切ったときを起算点とする考え方と、職権で打ち切りましたということを当事者へ通知したときから起算をするかという問題がございます。
 行政型のADRの場合には、当事者への通知がされたときから起算しているというのが前例ではございますけれども、民間型のADRの場合はどう考えるのかという問題があろうかと思います。
 これが、いわば期間を巡る論点でございます。
 16ページは、先ほど少し「独立」とか「資質」という大げさな言葉を使ったのですけれども、主宰者に関する要件として考えられるものでございます。
 1つは、独立性という言葉を使っておりますが、ADR機関が実質申立人の代理人的な存在にすぎないようなケースがございます。この場合、点でくくっておりますけれども、結果的にADRから相手方に通知がいったとしても、行われるのは通常の相対交渉と変わらないということになろうかと思います。
 そうしますと、相対交渉にはせいぜい認められて催告以上の時効中断効はございませんので、今回想定しているようなより強い効力を与えるのは適当ではないのではないかということがあり得るということでございます。
 後段の方でございますが、ADR機関が、別に代理人ではなくて、一応独立した機関として存在はするのだけれども、申立人から申立てを受けて、それを相手方に通知しただけという形で当事者から話も聞かないし、相手も呼ばないというようなケースでございますが、この場合には、事実上申立人が相手方に催告した以上のことは行われていないわけでございまして、このようなケースについてまで催告以上の時効中断効を与えるのは適当ではないのではないかという問題があります。
 「独立性」や「資質」という、やや大げさな言葉を使っておりますが、主宰者についてもある程度見る必要があるのではないかという議論があり得るということで、御紹介をさせていただいております。
 以上、非常に駆け足でございますが、私の説明を終わらせていただきます。

○青山座長 どうもありがとうございました。皆様から時効中断効の付与について御討議いただく前に、今の御説明資料につきまして、非常に詳細な資料でございましたけれども、何か御質問があれば承りたいと思います。

○綿引委員 今まで時効中断を認めている、幾つかの行政的なADRもあると思うのですが、申立ての受付についてどういう手続が執られているのか、相手方に対する通知について、通知が届いたか、またいつ届いたかという確認が、どういう形でされているかというところが整理されていましたら、議論の前提として伺っておいた方がいいと思います。

○小林参事官 申立ての手続につきましては、先ほど若干触れましまたが、個別労働紛争、あるいは公害紛争処理のケースで申しますと、先ほどの紛争の経緯、あるいは所定の申請事項を書いたものを、文章にて提出するということになっております。

○綿引委員 口頭申請は認めていないということですね。

○小林参事官 口頭申請は、認めておりません。

○綿引委員 申立ての受理日の確定は。

○小林参事官 特に、この法律の中では受理日についての規定はございませんで、一般的な行政庁の文書の受理扱いだと思います。

○綿引委員 裁判所に対する申立てですと、必ず受理印を押して、受理の日時が分かるようになるわけなのですけれども、その辺はこういうものについてもそういう手続が執られているかどうかという確認は、まだされていないですか。

○事務局(山上参事官補佐) 詳細な手続については、まだです。

○小林参事官 恐らく通常の役所の文書の受け付けと同じようにされていると思います。逆に申し上げると、恐らく行政型ADRがこれまで認められているのは、その辺りは前提になっていると思います。逆に、民間型の場合には中々難しいかもしれません。

○綿引委員 相手方への通知は。

○小林参事官 書面での通知は当事者に行うというのは、規則レベルで決まっておりますので、それは規則レベルではありますが、行うべきであるという責務は法律上負っているということであります。

○綿引委員 通知がされたことの確認を、どうしているかというところはどうでしょうか。裁判所に対する訴えの提起の場合ですと、訴状か送達という形で、必ず本人が受領した、代理人が受領したということが分かるような形で、相手方に訴えの提起があったことが確実に通知されていることが確認できる手続が担保されているわけなのですけれども、その辺がこれまで時効中断効を認められた申立ての場合、どうなっているのか、どの程度のやり方をしていて、時効中断効が与えられているのか、ちょっと前提として知っておきたかったのです。

○小林参事官 実務も絡むものですので、確認します。

○青山座長 ほかに御質問ございますでしょうか。それでは、時効中断効を付与するかどうかということですけれども、今日はこの各論の第1順目でございますので、余り細かなことよりも、こういう全体の体系の中に、ADRの場合に時効の中断を認めるということは、バランス的にどうなのかというところから御議論いただいた方がいいのかと思っていますが、いかがでしょうか。

○綿引委員 今、質問した関係で、若干補足させていただいたよろしいでしょうか。

○青山座長 どうぞ。

○綿引委員 先ほどの質問では、これまで時効中断効が認められている申立てについて、申立てがどの程度、内容的に確定されているのか、申立てがいつの時点でされて、どれだけきちっと確定されているのか、相手方に対する申立てがあったことの通知がどれほどきちっと確認されるのかという点を確認させていただいたのですけれども、その辺のことがきちっと確認されない手続で、時効中断効を与えるということは問題であろうと思ったからです。ですから、そういう手続がきちっと担保されていない場合に、ADRに対する申立てに時効中断効を与えるということには否定的な考えを持っています。ADRはどんなものか、ADRも色々あるものですから、その辺の手続がどれだけきちっとしたものなのかという議論、そういうことが確保できるのかどうかという議論を抜きにして時効中断効の議論はできないのではないかという気がしたものですから、先ほど質問させていただきました。

○青山座長 ほかにいかがでしょうか。

○髙木委員 私は、それほど厳格に考えてなくて、後で調べていただくことになると思いますけれども、ドイツ民法に交渉継続中は時効が停止するという条項があるようなので、恐らくそんな感じに認めていいのだろうと思っています。
 日本の民法も、単なる請求が6か月後の裁判上の請求を伴って、ADRは時効が中断する。また、和解のための呼出しという条項があります。そうすると、ちょうどそれの中間にあるのかということで民法151条ができたときにはADRは当然なかったわけですけれども、社会的な存在としては、ADRはどちらかというと和解のための呼出しに近いわけだから、バランスから言ったら認めてもいいのかと思っています。
 すべての機関に認める必要はないのだろうと思うのですけれども、時効中断効がないと不当な結果につながることもあるし、建築紛争なんかだと請負代金3年で結構時効期間が短いので、すぐ経ってしまって、不当な債務者というか、時効の利益を主張する人が、そのことを言うのは信義則に反するような、とてもやりにくいところもあって、これは認めてもいいのじゃないかという感じがしています。細かい話をしました。

○青山座長 どうぞ。

○山本委員 全く髙木委員と同じ印象を持っておりまして、ニーズの点については、既にアンケート調査がありますので、ヒアリングでも似ているニーズがあるということは確認されておりますので、それは前提にしていいのだろうと思います。
 現在の体系からしても、まさに髙木委員が御指摘のとおり、和解のためにする呼出しについて時効中断が一定の範囲で認められて、更に民法ができた当時はもちろん調停制度はなかったわけですが、その後大審院の判例、更に最高裁、綿引委員が調査官をされていた事件がありますが、平成になってからは最高裁判決で、民事調停についてもこのところで類推適用していいという判例が出ているわけでありまして、更に今、行政型ADRについては個別法で時効中断を認めている例があるということであるとすれば、問題はまさに綿引委員が御指摘のとおり、どういうような要件を満たせば時効中断、どういう手続的な要件、あるいは先ほど参事官からも御説明がありましたが、主宰者の点も含めてですが、要件を満たしたADRについて時効中断は認められるかということだろうと思います。
 既に司法型ADR、行政型ADRについて認められているわけですから、民間型だからだめだということはもちろんないわけで、現在認められているADRについては、こういう要件を満たしているから認められているという、一般的な要件というのが抽出できるとすれば、その要件を満たしていれば、主宰者が司法型であれ、行政型であれ、民間型であれ、それは認められるのが筋だということになると思います。
 したがって、問題は要件を抽出していく、それについて議論を深めていくということかと、一般論としてはそう思います。

○青山座長 ほかにいかがでしょうか。

○廣田委員 私は、主宰者の要件を抽出するというのは、非常に立法技術的に難しいのではないかと思います。しかも、下手をするとそれが規制につながりますから、ADRの個別的な発展を阻害するのじゃないかという気持ちがあります。そうすると、時効制度というのは一体何かという、元のところから議論しないといけないと思います。
 私は、主宰者とか何とかということを念頭に置くよりも、これは本来的には法律論であると考えるわけです。
 そこで、今、説明資料の中の9ページに、大変要領よくまとめていただいたので、非常に法律論的なことも網羅されているのですけれども、1つ付け加えるとしますと、下の段について、下の段というのは、大体川島武宜先生の説だと思うのですけれども、簡単に言えば、時効は権利消滅の法定証拠を認めるものであり、中断で証明可能になるという説ですね。そうすると、時効中断については、説明資料の8ページで表になっているのですが、このうち承認を除くと、権利を確保するために、相手方に何らかのアクションを起こすというのが中断として並んでいるのではないかと思います。
 ADRに対する申立ては、民法151条の和解のための呼出が似ているわけですけれども、民法というのは、明治31年に施行されたものです。一方、和解は明治22年に施行された旧民事訴訟法典の成立によって、訴訟中の和解と起訴前の和解の制度が設けられました。その時にそれまで最下級の裁判所が管轄していた「勧解」という制度が消滅したわけです。そのことから見ると民法が制定されるずっと前から、民法151 条にいう和解の制度は存在していたことになるわけです。
 ですから、この時効中断については、恐らく民法制定当時は、権利を確保するために、相手方に何らかのアクションを起こすことがまず網羅されていたのではないかと思います。
 そこで、調停制度はどうかということになりますけれども、我が国で初めて調停制度ができたのは、大正11年に成立した借地借家調停法ということになります。そうすると調停は、民法が制定された20年以上も後にできたことになります。ですから、民法の中に書かれなかったことは当然なのです。なかったわけですから。
 これについて、私が大学で川島先生の講義を聞いたときのことですが、この時効中断の講義のときに1人のある学生が、調停の申立では時効は中断されないのかと質問しまして、川島先生は一瞬はっとしまして、君はよくそれに気が付いたね、これは法の欠缺ですねと答えたのです。つまり、法が欠けていると川島先生は答えられました。
 川島先生の本では、調停制度については類推適用されるとなっています。類推適用されるというのは、法がないから類推適用されるわけであって、つまり後からできた制度のために、法に欠缺が生じたというのが、そもそも時効中断の法制度だと思うのです。これは私の解釈です。
 ではその欠缺はどうなったかというと、判例によって埋められた。戦前にも大審院の判例が昭和16年にあります。それから、最近では最高裁の平成5年の判例があるということで、これは両方とも類推適用されるとなっています。それは、やはり欠缺があったということだと思うのです。そうすると、この制度の面白いのは、後から制度ができると、そこに法に穴が開くということになっている。
 そこで、ADRはどうかということになると、この制度は調停制度よりずっと後からできた、現在制度的になってきたわけですけれども、つまりADRができたために、時効中断という問題が網羅的でなくなってしまって、その制度によって穴が開いたのではないかということになるわけです。
 ですから、我々が今、何をやっているかというと、その法の欠缺を埋める作業をここで議論しているのだという認識が一つあるのです。これは、私の時効中断効は広く認められるべきだという説の根拠です。
 もう一つ理由がありまして、それは九州大学の曽野裕夫という助教授の『売主担保責任の裁判外追及と期間制限』という論文がありますが、これを言い出すと切りがないので簡単に言いますと、交渉過程の法定の時間的制約は交渉阻害的であるから取り払われるべきであるという考えに立っています。交渉をしている間に時効が成立してしまったら、交渉そのものが成り立たなくなる。そういうものは、取り払われるべきだということで、時効中断を認めるべきだということになります。つまり、先ほどの私的自治の延長線上にある時効中断制度というものを認めるべきであるという積極的な理由も一つある、現代的な理由もある。つまり、法の欠缺を認めるというのと、私的自治の促進の意味で時効中断を埋めるという、2つの大きな理由があると思うのです。これが、私が時効中断制度を認めるべきだという理由です。
 そうしますと、以上が実質的な理由なのですが、では形式的な在り方はどうするかというと、先ほど来出ております、裁判と並ぶ魅力的な選択肢なのですけれども、そういう以上は民法151 条に似たものにするのがいいのではないかという感じがするのです。具体的にどうするかというのは別問題として、似たものにすることによって展望が開けてくるというのが一つだと思います。
 もう一つは、時効中断の論議では、手続主宰者が問題になっています。これが大変頭が痛いのですが、しかし、時効中断の規定をずっと見ていきますと、手続主宰者の立場から民法はできているのではないのです。当事者の権利行使という方向で、時効ないし時効中断という規定はできている。そうすると、当事者の側から規定をつくることが大切なのであって、それ手続主宰者の要件はそれほど気にしなくてもいいのではないかと私は思っています。
 手続主宰者の要件を決めようとすると、どうしても規制につながっていきます。そうすると立法技術的に難しくなってきます。当事者から規定をすることによって、規制を少なくするというADRの基本理念は一応クリアーできるのではないかと思うのです。そこまでを念頭に置いて、もし規定をつくったならば、今、小林参事官の方から説明がありました、説明資料で指摘されている問題点が、どこまでカバーできるか、あるいはクリアーできるかという問題だと思うのです。
 そこがカバーし切れないところ、あるいはクリアーできないところを、どのような配慮をするかという問題が残るだろうということになります。その点について考えてみると、問題は時効中断効を悪用して引き延ばしをするなり何なりということで、11ページの右の欄に書いてあるところだと思うのです。これについても、まず法律論を基本にして打開するべきだと思います。
 時効の主張というのは、請求原因に対する抗弁です。それから時効中断はその抗弁に対する再抗弁です。したがって、例えば調停を申し立てて放置した場合だとか、一定の期間内に期日が開かれなかった場合とか、そういう要件を設けて、その要件に該当するときは時効中断効が失効するというような再々抗弁を用意する。
 あるいは、立証責任を転換して、再抗弁の中に要件を1つ加えて、主張立証責任を転換するというような、証明の問題で解決できるのではないか。それが先ほど綿引委員が盛んにおっしゃっていたことに関係するのですが、そこは証明の問題でクリアーできるのではないかと思うのです。申立てでいくのか、送達でするのかという辺りは、証明の問題で解決したい。大体時効の規定はそうなっているのですね。呼出しに応じないとか、そんな要件はそういうことだと思うのですね。
 そうすると、細かい問題は横に置いておいて、できるだけ規制をせずに、証明の問題で解決するようにすれば、手続主宰者の問題は、要件を定めることを気にすることはない。また、立法技術的に困難だということでクリアーできないところを、そういう問題で解決する。
 例えば、民法151 条に、相手方が出頭せずというのも、これは煎じ詰めれば証明の問題だと思うのです。裁判所だからきちんと証明できるということがあるから、そういう問題がクリアーできるのだと思うのですけれども、要はADR機関でその証明がつくかどうかが問題だと思うのです。
 ただ、一点注意することは、手続主宰者の守秘義務の範囲について、事件の存在自体を全部秘密にして、存在そのものを秘密にするということになると、時効中断の証明が付かなくなりますから、時効中断を証明するための最低限度の証明資料を、ADR主宰者が提供することは認めなければならない。つまり、それができればいいのではないかと思うのです。現在でも、民事・家事調停ではそれを行っていますね。
 しかし、だからといって送達まで厳格にやっているかというと、呼出状はそんなに厳格にはやっていませんね。ですから、そういう程度の形式的な証明は、ADR主宰者が行うことは、それほど難しくない。
 しかも時効間際で、申立人と相手方が非常に熾烈に争う事件は、それが争えば結局裁判で争うかどうかということに関連していますから、そこら辺りの非常に際どい争いは、むしろ裁判所に行くものに近くなってくると思いますから、実害は生じないと私は思います。そういうことで手続主宰者の問題をクリアーして、平たく言うと民法を見て、欠缺を埋めて、私的自治の原則を入れるということで、私は時効中断効を認めてしまった方がいいと思っております。
 ちょっと長くなりまして、しかも法律論ばかりで恐縮です。まだ色々ありますけれども、細かいところは抜きにしまして、そんなことを考えております。

○青山座長 今の考え方は時効中断を非常に広く見た考え方ですね。これについて、何かございますか。

○綿引委員 私も一切だめだというつもりはないのですけれども、これまで時効中断効を認められている申立てが、一体どの程度の手続が担保されているものであるのかを、事務局の方で材料を提供してほしいと思います。受付がどうであり、送達がどうであり、それから申立ての内容がどれだけ確定されているか、実態としてどうなのかというところを、やはり検討したいということです。
 それがなくて、すべてが証明の問題だということになってしまうと、率直なことを言いますと、裁判所ではいたずらに時効中断の主張が出てきて、それについて審理をしなければいけないというようなことになることは避けたい。ここでの議論で仮にADRに対する申立てに何らかの時効中断効を認めるにしても、やはり定型的に時効中断効があると言っていいだけの実態があるような申立てに限るようにするべきであると思います。民法151 条の和解申出と同視できるものが何なのかという議論はちゃんとやっていただきたいというのが、私の申し上げたいことなのです。
 敢えて申し上げますと、平成5年の判決も判決文でも書いてあると思いますが、民事調停法に基づく調停の申立ては、自己の権利に関する紛争を裁判所の関与の下に解決し、その権利を確定することを目的とする点において、裁判上の和解の申立てと異なることがないということを理由として、調停の申立てに和解と同様の時効中断の効力を与える判断をしております。調停の申立てが裁判所の和解の申立てと同じようにこれを類推できるような基礎があるものかどうかというのを、最高裁は判断した上で、この判例を出しておりますので、その辺のことも考慮いただいて、ADR全般に、それは話し合いを求めているのだから、和解と同じだというような雑な議論はここでしていただきたくないというのが、私が申し上げたい趣旨です。

○廣田委員 それほど違うことを言っているとは思わないのですが、要するに、私もそこが気になっているところなのです。ただ、そういうところを中断に相当する証明をできるものがあればいいわけですね。むしろ中身の問題になるよりも、中断したという事実の証明があればいいと思うのです。
 もう一つ言えば、仲裁についての判例と言われるのは、多分、大正15年10月27日の判例でしょう。これはアドホック仲裁だと思います。すなわち、双方が仲裁人を選定したという事実があるならば中断を認めてもいいということなので、そうだとすれば裁判所で双方に仲裁人が立ったのだという証明をした、それを裁判所が認定したのです。それで仲裁を認めたわけですから、その程度のことはやっていただきたいと私は思うのです。
 むしろ、私が言いたいのは手続主宰者の要件を厳格に決めるとなると、これは立法技術的に多分決められないと思うのです。しかも監督官庁がどうなるかとか、どこで線を引くかが決まらない。結局、説明資料の16ページの一番最後の「催告以上の時効中断効を付与するためには、主宰者について何らかの条件が必要? 」というところにいってしまうと、もうドミノ倒しみたいに、ここで倒れれば全部倒れるということになると思うのです。それは立法技術的に非常に難しい、むしろ現行民法が証明でいっているわけですから、それでいけるのではないかと思います。そうしないと時効中断効を認めにくいという判断なのです。私の考えですが、ここは議論があるところだと思います。

○綿引委員 仮にADRに対する申立てに時効中断効を与えるのであれば、手続面での縛りというのがある程度必要なのではないかと思っているのです。主宰者要件を縛るというのは、確かにおっしゃるように、立法技術的にもできることなのかという感じは持っています。そこも法曹有資格者が入っているADRでなければいけないというような縛りの仕方でいいのかどうか、そういうわけにはとてもいかないだろうと思いますから。
 手続と進行についての確実性、透明性の確保という意味では、単なる証明に委ねないで、もう少し定型的にこの程度のものでなくてはならないということは考えていただく必要があるのじゃないかという気がしているということです。

○廣田委員 それが、再々抗弁か再抗弁の書き方によって、証明の問題が出てくると思います。そこをきちっとできるかどうかという問題だと私は思っています。

○髙木委員 いたずらにそれに関する紛争が裁判所に来て困るという、実務的な感覚として私は理解できないわけではないのですけれども、問題にしてらっしゃる行政機関で時効中断効が認められたADRというのは2つあるわけですけれども、恐らくこれは政策的な配慮によるもので、特に公害紛争は元々司法による解決が難しくて、調停でしか解決できないというようなことが言われていたことと、被害者救済のために、特別に認められるという説明でした。
 何でこんなことを申し上げるかというと、実は住宅品確法の審議の中で、弁護士会が指定紛争処理機関を引き受けるかどうかという議論のときに、時効中断効を認めてほしいということを随分お願いしたのです。けれども、現行法の中で行政機関で認められているのは公害紛争しかないと、建設業法で設置されている建設工事紛争審査会にもないのだから、バランス上だめですよと言われました。
 建設工事紛争審査会の方の議論で、何回か時効中断効について研究会で取り上げているが、そのときはやはり建設省でも内閣法制局に民法151 条の類推適用ができないのかということをお尋ねをして、それは綿引さんが解説なさった判例より随分前の話なのですが、そのときには法制局は消極的だった。それで見送ったということなので、余り手続、受け付け、送達など、そういったところに配慮して認めなかったというより、どちらかというと政策的なものかと思っています。
 今回の個別労働紛争も、どちらかというとそういう感じ、つまり労働者の権利救済目的で理解されるのではないかと思います。

○青山座長 どうぞ。

○三木委員 法律的な意見がないわけではないのですが、ただ今日の段階では余り法律家同士の解釈論に踏み込むべきではないと思っているので、もうちょっと大きなところを議論するべきだと思っておりますので、そこには触れませんが、一点気になったのは、綿引委員が手続要件をある程度固めないと、いたずらに時効中断の成否の有無に関する紛争が裁判所に持ち込まれて負担が重くなると懸念を示されて、髙木委員がそれに賛成されたのですけれども、私はそこはやや理解し難いところがありまして、一般的に調停のような緩やかなADRに時効中断効を認めるかどうかというのは、今、世界的にも議論されているところなのですけれども、そこでは時効中断効がもし認められれば、現在裁判所が受けている事件のうちの一部はADRに流れていくと、つまりADRが安心して使えるようになるために時効中断効を設けるわけですから、その分裁判所の負担が減ると、他方で綿引委員がおっしゃっているように、もしかしたら、若干は中断を巡る紛争が増えるかもしれませんが、それは減る方がずっと多くて、増える方が少ないというのが、少なくとも私が国連に関与しているときのすべての国の理解で、これによって紛争が増えるという議論は初めて聞きましたので、それはどちらが正しいかは統計もありませんから、それを決める気はございませんが、アプリオリにそういう紛争が増えて裁判所が困ると言われると、それはちょっと違うのじゃないかと思います。

○綿引委員 全体として増えるということを申し上げているつもりではなくて、やはり時効中断効を認めるには、それなりの明確性が必要だろうということを申し上げたいというだけのことなのです。
 あともう一つ申し上げると、時効中断効がないからADRが利用されてないという議論が、本当に成り立ち得るのだろうかというところに、本音を言うと疑問を持っています。

○三木委員 そこも統計がないので、どちらかが正しいとは言えませんが、一方の立場に偏したような認識を前提に議論をすべきではないということだろうと思います。

○青山座長 ほかに何か。

○原委員 時効中断効について、消費者側からの意見ということで何も言わなかったら、みんな議論したのに、何でしゃべらなかったのと言われそうで、一言だけなのですが、話をしすが、メリット、デメリットの両方があるということで、でもメリットの方があるかしらという感じなのです。
 例えば、相談とか苦情でトラブルになって、東京都の被害救済委員会なんかに挙げるという、これはもうほとんど訴訟と似た形になりますけれども、やはりそういう場合は時効中断効があった方が消費者側としてはやりやすいというところがあって、メリットを活用したいという意見は強かったです。
 ただ、デメリットというのが、11ページにありますように、個人的な悪用ではなくて、組織として余り動かなくて、結果として時効がずるずると延びてしまうというようなことなのですけれども、そこの当たりはデメリットとして感じていて、その要件を絞るということで何とかクリアーできないのかという話にはなっていて、だけれども主宰者要件で縛るというのも大変だねと。やはり、法律的にそういうことはどう手当できるのか、やはりそれは何か違う形で悪用みたいなところを防ぐ方法という手法がないかというところまでの議論は、今、グループの中ではしてきているということです。
 今日は、色々な法律的なお話もお聞きしましたので、整理したいと思いますけれども、全体的にはそういう意見です。

○青山座長 ほかにいかがですか。

○安藤委員 私は非常に単純に考えていまして、ADRを活性化させるためには、絶対に与えければいかぬと。ただし、中断効を与えるところは、私の持論であるAの部分だけだと。D、Rには与えなくてもいいと。ただし、与えるAに関しては、ADRに申立てをして、1年とか、半年とか、そういう時限で与えて、その間に処理しなさいとやったらどうかと思っているのです。
 そうしますと、時効の中断でずるずるどこまでもやるのではなくて、ADRでどれだけしっかりやったのだと。その期間だけが中断効という形になって、もし1年を経過してしまえば、もうADRは働かなかったのだと、その時点で無効になってしまうというやり方も1つあるのではないのかと。

○青山座長 アイデアとしては、時効の停止ということですね。

○安藤委員 考え方としては、そうですね。

○原委員 あともう一点、皆さんから言われていたことがあったのです。起点をどうするかというときに、先ほど言いました70万件の相談、苦情がありますね。これが本当に全く相談みたいなものから、中にはすごく深刻なものまで含まれていて、やはり起点の議論は十分したいというのも出ておりました。済みません、補足で。

○三木委員 議論の進め方ですが、時効中断効を付与するかどうかという議論は、第1巡目の議論としてはある程度のところで打ち切って、将来行われる第2巡目、第3巡目の議論の際に、法律的に踏み込んだ詳しい議論に移っていくものと理解しています。そこで、現在の段階では、あまり議論の方向性を絞り込まずに、いろいろな選択肢を幅広く議論していくべきであろうと思います。そのように考えますと、時効の中断という方法のほかに、安藤委員のご発言の趣旨かどうかはよくわかりませんが、時効の停止という方法も、議論としてはあり得るのではないかと思います。
 実は、国連のUNCITRALで議論している国際商事調停モデル法は、時効の中断ではなく停止を前提として議論がなされてきました。時効の中断と時効の停止というのは、法律家にとっては馴染みの深い概念ですが、一般の方にはそうではないので、そんな話を今日の段階で出していいのかどうかちょっと迷ったのですが、議論の幅を広げるために問題提起として、敢えて出しておきたいと思います。
 時効の中断というのは、進行していた時効期間がゼロに戻って、またゼロから10年なりの進行を始めるのに対して、停止というのは、10年のうちの7年が経ったところで一旦止まるけれども、停止の原因がなくなればまた7年目から進行を再開するというものです。国連の場では、いろいろな国から異なった法制度を背負った方々がやってきますので、チェス・クロック方式と呼んでいます。チェスの時計というのは、一旦止めてもそこからゼロに戻らずに進行するので、一般の人にもわかりやすい表現だろうと思います。このようなチェス・クロック方式と時効の中断とどちらがいいのかということも、最初の段階では、広く視野をとって議論した方がよいと思います。
 更に申しますと、それ以外の方法もあり得ます。例えばですが、アメリカ合衆国などは、調停に時効の中断効や停止効などを付与するのではなく、時効は訴えの提起や仲裁の申立てなどで止めればよいという考え方です。そのように言いますと、それでは調停は終わってしまうのではないかという疑問を抱かれると思いますが、アメリカでは訴えを提起して時効の進行が止まれば、今度は訴訟の方を止めておいて、調停をそのまま続けるということが、認められているようです。つまり、アメリカの裁判所は、この訴えは時効を止めるという目的で提起したのであり、紛争の解決は今のところ調停で行いたいということを言うと、訴訟の方は期日を入れずに止めておいてくれるようです。それはあくまでも事実上の処理なのかもしれませんが、そういったようなものを法で仕組むということも、選択肢としてあり得ないではない。
 もちろん、私は、そのような方法がいいと言っているわけではなく、いろいろな可能性をすべて最初から落としてしまって、中断効の付与という方法だけで議論を進めていっていいのかということです。事務局にはご負担でしょうが、いろいろな方法を検討の場に出していただければ幸いです。

○青山座長 何かございますでしょうか。
 時効の中断については、もう少し先にまた議論するということでよろしいですか、今日は、廣田委員から非常に本格的な解釈論の部分まで当たる細かい議論と、非常に大きな時効を与えるべきかどうかと、バランスはどうかという議論と必ずしも同じレベルではなかったのですけれども、今日はこういう2つの考え方の違いがあったということで、また次回にこの議論をするということで、今日の続きをさせていただきたいと思っておりますので、それでよろしゅうございますでしょうか。

〔その他〕
○青山座長 それでは、この研究会の議論と関係する動きについて御紹介いただきたいと思っております。
 事務局から少し分厚い資料ですが、4-5といたしまして、金融トラブル連絡調整協議会が、4月25日に取りまとめた「金融分野の業界団体・自主規制機関における苦情・紛争解決支援のモデル」とやや長いタイトルの文章が配布されていると思います。
 これは、聞くところによりますと、金融分野における苦情・紛争解決支援の改善のために現状における実現可能な範囲の下で、理想的と考えられる苦情・紛争解決支援手続を金融トラブル連絡調整協議会という団体が策定したものだそうでございます。
 これは、性格といたしましては、いわば金融分野におけるADRのモデルルールとも言えるようなものだということでありますので、開いてみていただきますと、このモデルルールを作成されたワーキンググループが出ているかと思いますけれども、お名前の中に、ここにいらっしゃる方もいますので、少し御説明をいただきたいと思っておりますが、原委員と山本委員の名前が見えるのですけれども、できましたらどちらかから、では山本委員から御説明をいただきます。簡単で結構でございます。

○山本委員 原委員に補足をいただきたいのですが、元々こういう作業を行われたきっかけは、御承知の金融商品販売法というものが制定されて、実態関係の金融トラブルについてのルールを作成する中で、紛争解決ルールについて考える必要があるのではないかという問題意識が金融審議会の中で生じまして、金融関係の裁判外の紛争処理手続について金融審議会で議論されました。
 そこでは、金融オンブズマンといった新しい制度をつくるべきではないかという御議論も有力もだったわけですが、最終的な答申は、まず業界団体や自主規制機関が持っている既存のADRを改善することを考えべきだということになりました。
 それを受ける形で、青山先生から御紹介がありました、金融トラブル連絡調整協議会というものが、消費者行政機関、消費者団体、業界団体、自主規制機関、あるいは弁護士会等の任意の参加に基づいた自主的協議会として、平成12年9月に設置されたわけです。
 協議会の議論で、現在、各業界団体等が設けている、苦情・紛争処理機関の手続規則の内容や運用実態というものが、団体間で著しく差があるという点が問題になりまして、これを改善するためにも、苦情・紛争処理手続の理想的なモデル、あるいはベンチマークというものを作成すべき必要があるという点で認識が一致しました。
 それを受けて、昨年3月に協議会の下にワーキンググループが設置されて、約一年間検討を行い、モデル案というものをパブリックコメントに付して、それを参考にしながら今年の4月25日に最終案が作成されたという経緯になっております。
 モデルの内容は、先ほど座長からも御紹介がありましたが、金融関係のADRにおいて、現在の整備状況を踏まえながら、現状において実現可能と考えられる範囲内で理想的とされる苦情・紛争解決支援規則を示すことによって、各業界団体等において、公正中立かつ透明な手続の整備を促していくということによって、ADRの改善を目指すというものであります。
 モデルは、見ていただくと分かりますが、基本的理念、苦情解決支援規則、紛争解決支援規則及び苦情・紛争要解決支援に共通する通則によって構成されておりまして、具体的な内容については、これを御参照いただきたいと思いますが、重要な点を二、三、御紹介しておきますと、まず、理念としては公正中立性、透明性、簡易・迅速・低廉性、実効性の確保、更に金融市場の健全な発展という、この検討会でも議論されてきているようなお話が明示されているということです。
 また、通則的事項の中では、特に問題になるたらい回しというような事態を防ぐために、機関間連携として行うべきことを提示し、またADR機関に対する外部評価の実施を通じて、機関の運営の適正化等を推進するというようなことが盛られておりますし、また個別の苦情・紛争解決については、取り扱う苦情・紛争や苦情申立による範囲、標準処理期間、あるいは苦情・紛争解決支援を行わない場合等を明示することによって、事件が握りつぶされたりという問題が、今日も最初に三木委員等から御指摘がありました苦情解決の場面を含めて規則化しております。
 苦情紛争解決の中で、ADR機関に対する会員企業の協力義務、事実調査や資料提出要求に対する協力義務、あるいは苦情の解決促進義務等を盛っておりますし、また提示されたあっせん調停案については会員企業による尊重義務を規定し、正当な理由なく受諾しない場合などには、企業名を公表するというような形で実効性を担保するというような措置を盛り込んでおります。
 これは、あくまでも先ほどお話しましたように、各団体の一つの理想系として策定したもので、今後実際にこのモデルに沿った手続を整備するかどうかは、各業界団体等に委ねられているものでありますけれども、それが望ましいということで、今後協議会においては、引き続きまして苦情・紛争解決支援手続の整備状況についてのフォローアップ作業を行っていくということで、そういう形で業界内部でADRの実効性を確保していこうという一つの試みとして、この検討会でも御参考になればと思いますので、御紹介をさせていただきました。

○青山座長 どうもありがとうございました。原委員、何か追加されることはございますか。

○原委員 一言だけなのですけれども、1年近く作業をしまして、かなり工夫したところはあります。紛争解決支援という言葉を大川先生の発案で入れたりとか、苦情という定義の明確化もある程度図ろうということで、それとADRへの連携みたいなところもきちんと定義づけてやれるようにしたところとか、片面的仲裁まではいかないまでも、業者の協力義務とか、尊重義務を入れる形にして、それに従わない場合は、公表という形で、ある程度縛りもかけられたかという点で、できるだけの工夫はしたのです。
 ただ、問題は、これが本当に機能するかどうかというところが、今一番の第2ステップの問題点として挙がってきて、実際に消費者への認知を広げるとか、人材育成とか、外部評価という辺りがどうやられていくのかとか、外部評価を実際にチェックして改善に結び付けていくみたいなところがどう機能していくかという第2ステップを構築するところに、今非常に苦労しています。
 ほとんど全部の業界団体が出席しているのですけれども発言しないのです。納得して発言しないのか、反発して発言しないのかというところがわからなくて、第2ステップは少し苦戦をしておりますけれども、何とか定着を図っていきたいと思っております。

○青山座長 どうもありがとうございました。何か今の御説明で御質問はありますか。よろしゅうございますか。非常に面白い資料だと思って拝見いたしました。
 1つだけいいですか、「具体的な内容」「留意すべき点」「趣旨」この区分けはどうなっているのですか。

○山本委員 これは、具体的な内容はどちらかと言えば、条文的な構成になっているわけで、必ずしもそうはなっていない部分がありますけれども、ただ、先ほどもお話ししたように、これはあくまでも一つのモデルでありまして、各団体は、これを基礎に自分たちルールを定めていくということですので、具体的内容がなぜこうなっているのかという点を趣旨の形で明らかにして、具体的内容をルール化していく際に留意すべき点として整理しているという性質のものですので、具体的内容だけを出しても誤解を招く恐れがあるということで、こういう構成にしているという次第です。

○青山座長 ありがとうございました。それでは、今日は時間も少し超過いたしましたので、今日の議論はこれで打ち切りにさせていただきたいと思います。
 次回の日程を確認させていただきたいと思います。次回は、6月10日月曜日、午後3時半から2時間程度の予定をしております。
 若干、今日の議論の続きを行った上で、次に執行力の付与という問題について議論をさせていただきたいと思いますので、執行力の付与についてお考えいただければと思います。
 開始時間が3時半という少しイレギュラーな時間でございますので、御注意いただきたいと思います。
 なお、それ以後の日程を少し確認させていただきたいのですが、第6回は7月22日月曜日でございます。それから夏休みに入りまして、9月以降の日程につきましても、大体ここで確定しておきたいと思います。
 事務局から、これについて御都合を伺っているというので、9月以降の対応についてお願いします。

○小林参事官 皆様の御都合をお伺いしまして、有力な候補としまして、9月30日月曜日、10月28日月曜日、11月11日月曜日、12月9日月曜日、いずれも午後2時から2~3時間、若干やりくりしていただく方もおられるのですが、一応、これでありますと皆様の御出席をいただけるということで、お願いをしたいと思います。

○青山座長 それでは、本日の検討会は、少し時間を超過して申し訳ありませんでしたが、これにて終了いたします。
 本日は、どうもありがとうございました。