[開会]
[裁判手続との連携]
○青山座長 それでは、第8回ADR検討会を開催いたします。本日は3つの議題について意見の交換をしたいと思います。第1は、前回時間がなくて、先に延ばしました裁判手続との連携という問題でございます。第2が、前回の続きといたしまして、専門家の活用に関する討議でございます。最後に、意見書の指摘事項で残っておりますところの法律扶助の対象化につきましても、本日若干の議論を行いたいと考えております。
最近のこの検討会は毎回4時間近くの会議が続いておりますけれども、本日は委員の何人かの御都合もありまして、2時間20分程度の予定でございますので、途中で休憩は挟まずに、続けて議事を進めさせていただきたいと思います。
それでは、議事の第1番目といたしまして、裁判手続との連携に関しての討議をお願いしたいと思います。この問題に関する討議は、1回目の議論は夏休み前ということでございまして、相当時間が空いてしまいましたので、いきなり今日前回の続きをと言いましても、なかなか難しい面もあろうかと思います。お手元の資料8-1の8ページから11ページにかけまして、裁判手続の連携のオプションが配られていると思います。
基本的な考え方に続きまして、情報の裁判手続への引継ぎの是非というような問題、証拠調べについての裁判所の協力、ADR前置という問題、ADR係属中は訴訟手続を停止することがよいかどうか、それから最後は、裁判手続において付調停ならぬ付ADRというようなことについてはどうなのかというようなことが前回の議論で出ておりました。こういう論点を中心に、これに限らないかもしれませんが、今日、御議論をしていただきたいと思います。
この資料をざっと拝見いたしますと、濃淡はありますけれども、いろいろなオプションがかなり出ていると思いますので、これをベースに40分位御議論いただきたいと思います。どなたからでもどうぞ、御意見を承りたいと思います。
連携の問題は、ADRの側からイニシアティブを取って、こういう連携をしてほしいということがかなり出ていると思います。しかし、逆に裁判所の方から、ADRとしてはこういうことをしてもらうとありがたいのだという観点もあろうかと思います。従来の議論は、ADRの側からのことが出ていましたけれども、それ以外のこともあると思います。原委員、何かございますか。
○原委員 時間が少し経ちましたので、昨日の夜も見直したりしておりまして、皆さんの御意見というのは余り連携しなくてもいいのではないかというような消極的な意見と、それから山本委員のように、裁判所とADRとの連携というのは、こここそポイントなのだから、きちんと書き分けておくというのでしょうか、議論しておく必要があるという御意見と、大体2つトーンが出ていて、いずれも、ものすごく積極的にこうすべきというような形ではないように見えました。
私は前回の議論の中で印象に残っていてもう少し議論を進めていただきたいと思ったのは、三木委員が御発言になったところで、ADRで提出されるものとしては証拠と主張とがあると思うのですけれども、証拠調べのところでお互いに契約を結んで訴訟には持っていかないという形でADRだけに出すという考え方の対応の話がありまして、私はここのところの議論をもう少し深めておいていただけないかという感じを持ちました。
あとは、ADR前置とかADRに回付するというのでしょうか、基本的には利用者側の同意ということを少しベースにして考えていくことである程度整理ができるかなと思ったのですが、情報のところはちょっと議論を深めていただけたらということを考えています。
○青山座長 この前言われたことも含めて、三木委員に御発言をお願いします。
○三木委員 前回はおそらくUNCITRAL国際商事調停モデル法との関係でしゃべったのだろうと思います。そのときに言ったことと今からお話しすることが整合しているかどうか自信がないのですけれども、こう考えております。ADRで得られた情報をその後の裁判でどのように扱うかという問題は、この検討会で是非とも議論しておくべき重要な論点だろうと思います。
考え方としては大きく相反する2つの考え方がありまして、1つはADRで得られた情報はせっかく時間と手間をかけて審議したのだから、仮にADRが不調になった場合でも、その後の裁判で何らかの形で活かすようにすべきだという意見が一方にございます。
他方で、ここで今問題にしているADRというのは和解型のADRでして、その場合には当事者はお互いに裁判のような対立型の審理構造では公にしない自己の弱みとか手の内をさらすということもあるのだから、むしろその情報は訴訟では使えないようにすべきという議論があります。
私は個人的には後者の方が正しい認識だろうと思っておりますし、UNCITRAL国際商事調停モデル法の策定過程における議論を初めとして、世界的な潮流ではないかと認識しております。
ただ、その場合に、前回の検討会でも若干議論があったように記憶しておりますけれども、ADRで出された主張や証拠は後の訴訟においては証拠能力を失うのだという考え方は、我が国の民事訴訟法制とはなじみにくいのではないかという議論がございます。なぜならば、我が国の民事訴訟法は基本的に証拠能力の制限というものを置いていない。これは刑事訴訟法と違うところで、ほぼすべての資料や情報、証拠について裁判官の自由心証に委ねるという建前が取られている。そことどう整合させるのかという議論もあり、その議論自体はある程度理解できるところもございます。
私がおそらく前回申し上げたであろうことは、証拠能力の制限という形を取ると考えるのではなくて、当事者間でADRを行うということは黙示の合意として、そこで出された資料、情報、証拠などは後の裁判では一方の意思だけで使ってもらいたくないということがあるのではないかと思います。確認のために申し上げておきますけれども、自分が出した情報や証拠というよりも、相手方が出した証拠や情報を勝手に他方の者が訴訟で使ってもらっては困るという黙示の合意のようなものがあるのではないかと思います。
UNCITRAL国際商事調停モデル法は、当事者間に別段の合意がない限り、ADRで出た情報や証拠は訴訟で使ってはならないという規定ぶりになっています。これをどう理解するかですけれども、別段の合意がない限りというのは、別段の合意があれば勿論使ってもいいということですね。そうしますと、UNCITRALの場ではいろいろな国から来たいろいろな方がそれぞれの国の法律の理解を前提にいろいろなことを言いましたから、人によっては証拠能力を制限する規定だということを言う人もいますが、私の理解では、別段の合意がない限りは訴訟で使ってはいけないというのは、これは当事者間のそういう黙示の合意をデフォルトルールとして規定したのではないかと思います。
つまり、何も明示の合意がなければ、それは証拠制限の合意があるものと推定する。勿論、反対の合意を結ぶことは構わない。こういう理解であれば、我が国の民事訴訟法の仕組みとも整合するのではないか。したがって、この方向が正しいとすれば、我々が検討すべきADR基本法の中でこういう道を探ってみるというのは、一つの選択肢ではないかと漠然と考えております。
とりあえず以上です。
○青山座長 先ほど原委員が主張と証拠ということを言われて、今、情報という言葉が出てきましたけれども、情報というのは主張と証拠の両方を指すのですか。
○三木委員 主張、証拠のほかに、ADRでの当事者が取った行動ですね、例えばある主張を撤回したとか、あるいは調停人が出した提案とかサゼスチョンとか、そういうものをすべて含めてという趣旨です。
○青山座長 証拠はちょっと違うような気もしますが。証拠を一度ADRに出すともう使えなくなったのでは非常に困るので、証拠は少し違うような気がします。要するに、自分に不利な主張をした、自白のような不利な主張をした、あるいは交渉の中で大幅な譲歩をした、そういうものはその後裁判であの時はこういったではないかといわれては非常に困る。しかし、証拠についてはちょっと別に考えた方がいいのではないかという気もします。
○三木委員 そこで接続を否定すべき情報として何をとらえるかというのはいろいろな考え方がありまして、非常に狭くとらえる、あるいは場合によっては証拠まで含めて広くとらえる、そこはこれからの議論だと思います。そこを必ずしも限定して、その点を特に意識して今申し上げたわけではありません。
○青山座長 分かりました。今、情報の裁判手続との連携という局面でございますが、ほかに・・・。
○原委員 私も、前回、三木委員は主張と証拠を分けて御発言なさったと思うので、分けて考えた方がいいのではないかなと。証拠というのは、ADRには別に拘束力があるわけではなくて、訴訟に行く道も開かれているので、そこでいくらお互いの契約と言っても、ちょっと違うかなというのが、自分の中に引っかかっていたもので、それで確認をさせていただきたいと思ったのです。
もう一つ、黙示の合意があるということですと、これを明文の規定で、例えばADR基本法を策定するかどうかはまだ分かりませんけれども、もしも仮に策定するとして、明文の規定で置くのかどうかというところも、もう少し議論しないといけないような感じがしております。黙示の合意というのは雰囲気としては分かります。
○廣田委員 決め方の問題ですが、ADR機関に裁判所から取り寄せ申請があったときに、機関が取り寄せに応じていいかどうか、それを拒否するということを原則にするのかどうかということが一つ問題だと思います。もう一つは、調停人や仲裁人が法廷において証言の拒否権があるかという問題があります。その辺りは押さえておく必要があるかもしれません。
あとは、当事者が自分の手持ちの証拠として出して、言ったじゃないか、言っていないじゃないかということを言うのは避けられないような気がするのです。そこで、避けられないときに、当事者が勝手に主張したり言ったりすることを制限することは果してできるのか。それは裁判所の自由心証に任せていいのではないかというような感じもするのですが、裁判所ではどうですか。
○綿引委員 今、廣田委員が言われたのはそのとおりだと思います。仲裁のときに言ったことだから言ってはいけないだろう、前にあそこで出したらもう出してはいけない証拠だろうという議論をするぐらいならば、そこはやはり今の民訴の建前で言えば裁判所の自由心証にお任せいただきたいし、裁判所に出てきたときにどういう主張をするかというのはあくまでも当事者主義の問題なので、そこでどういう主張をなさるかは、自由にもう一度訴訟の場でやり直していただいたらよろしいだろうと思います。それを立証するために、どういう情報を出してくる、それは従前のADRの過程で、相手方当事者が出した証拠を反対当事者が出してきたから、それは証拠能力はありませんよとか、それは裁判所は却下しなければいけませんよというのは、なかなか今の民訴とはなじみにくい考え方ではないかなという感じは持っています。
ただ、今、廣田委員が言われたように、調停人とか仲裁人が例えば証言を求められた、ADRでどういう交渉があったかを述べろと言われたときに、どの範囲で守秘義務を認めるかというのは一つ重要な問題だろうと思います。そういう意味では、仲裁人、調停人の守秘義務の問題として議論する必要はあるかと思います。
あと、取り寄せ申請の問題は、今は調査書不作為にしろ、送付書不作為にしろ、民訴上認められているのに対して、それをADRの一種の守秘義務の範囲として、どこまでどう押さえていくのかという、公務員の守秘義務と同じような形でADRの守秘義務の範囲はどこなのかという議論は必要なのかなという感じがいたします。そういう意味では、廣田委員が言われたようなアプローチというのは非常に現実的で実務的な感覚だなと思いながら聞いておりました。
○山本委員 前回、私が申し上げたのか、ほかの方が言われたことなのかよく覚えていないのですが、あるいは全然別の場で聞いたことかもしれないのですが、今の綿引委員がおっしゃったことは、裁判所の観点からといいますか、ADRが失敗して裁判に至った局面においては基本的には裁判所の自由心証になるべきであると。これは先ほど三木委員が言われたように、日本の民事訴訟法が基本的に取っている立場だと思いますし、私は日本の裁判所はそれだけの信頼に十分値するものだと思っています。
ただ、三木委員が言われたような国際的な潮流があるというのは、問題をADRの側から見ているということだろうと思うのです。つまり、将来これが失敗したときに、今ここで自分が行っている態度が裁判の資料になるかもしれない、裁判所の自由心証によって一定の判決でカウントされるかもしれないということを当事者が思ったときに、ADRで言わば本音を出して話し合って、そして合意に至っていくというADRの特質から考えたときに、果たして本音をもって当事者が話し合うことができるだろうか。そういう問題ではないかと思っています。
ですから、最終的には、綿引委員や廣田委員がおっしゃったことで裁判においては妥当な解決が図られるかもしれませんが、ADRによって本来解決可能だったことが、当事者が必ずしも本音で話し合えないような状況になってうまく解決できないというような事態になりはしないか、そこの懸念が問題だろうと思います。ですから、そこで三木委員がおっしゃったような制度的な対応というものが必要になるという話ではなかろうかというのが私の認識です。
それから、主宰者の証言許否権、あるいは守秘義務については、私は全く廣田委員、綿引委員、両委員のおっしゃったことに賛成です。ただ、皆さんがおっしゃるとおり、証言拒絶権を認める範囲がどの範囲かというのはなかなか難しい問題もあり得ると思っています。例えば、ADRの結果として成立した和解の有効・無効が問題になって、その有効・無効を判断するについて、錯誤無効の主張があったときに、和解でどういう交渉がなされたかということが争点になってくるというような事態があった場合にまで、果して証言拒絶権が貫かれるかどうかということは考えておかなければいけない問題ではないかと思っています。そういう意味では、その範囲については更に御議論をいただく必要があるのではないかと思いますが、基本的には証言拒絶権を認める方向で考えていくということは相当ではないかと思います。
以上です。
○青山座長 どうぞ、三木委員。
○三木委員 今、廣田委員がおっしゃった調停人とかあっせん人の守秘義務の問題と、先ほど来議論している調停、あっせんで出た情報の証拠としての能力といいますか、扱い方については分けて議論する必要があろうかと思いますし、勿論UNCITRAL国際商事調停モデル法でもこれは分けて議論されているわけです。調停人やあっせん人の守秘義務というものは、おっしゃるとおり、これも正面から議論しなければいけない問題だと思います。
他方で、当事者から出た情報が自由に訴訟の場に出ていいかというのは、今、山本委員がおっしゃったとおり、ADRという仕組みをどのぐらい守っていくかということから考えていくべきで、訴訟から発想するだけが唯一の考え方ではないと思います。
この場合に、どの範囲の情報を保護するかというのはかなり政策的な問題になってくるかと思います。ここも考え方があろうかと思いますけれども、最低限保護すべきだと考えやすいのは、相手方が出した和解の提案とか、あるいは相手方が和解がなされることを前提にして行った自白、こういったものを他方の当事者が自由に使っていいのかという点、このあたりが核になろうかと思います。
それを広げてさらにどこまで広く保護していくかというのは、これは紛争解決の手段として当事者が最初にADRの合意を結んだということをどう評価するかであって、見方として、ADRの合意が最初結ばれた場合には、その紛争はもうADRで解決されるのが本来であって、訴訟に行くというのはそれが失敗した場合の最後の受け皿であると考える見方が一方にあろうかと思います。
他方で、日本は伝統的にそうでしょうけれども、訴訟が中心で、ADRはそれを補助するのだと考えれば、訴訟における自由心証の幅を広く取る。この辺は政策判断の問題になろうかと思いますけれども、いずれにしてもこういったことはADR制度をどう評価し、どう位置づけていくかという観点から大きく考えていく必要はあろうと思っております。
○綿引委員 今の相手方が出した提案とか自白を自由に使えていいのだろうかという問題意識なのですけれども、別に自白を自白として使うわけではないですよね。現在でも、前の調停の段階でこういうやりとりがあって、結局こういうことがありましたという経過が訴訟の場に出てくることはよくあるのですけれども、それがあるから調停の場で自由な本音の議論ができないということではないような気が私はしてならないのです。何でADRでの議論が、こういう経過がありましたということが訴訟の場に出ることが本音の議論を妨げることになるのか、どうしてもよく分からないので教えていただきたいのですけれども。
○山本委員 示談については私は知らないので、当事者となり得べき一人の人間としての感触なのですが、綿引裁判官であればそういうことはないと思うのですけれども、やはりADRの話し合いの過程で、例えば先ほど三木委員が言われたような一定の和解案を自分が出すと、自分には例えば不法行為の請求権、自分にはそういう義務があるということを前提にして何か一定の月払いというような和解案を出す。あるいはその和解案が成立することを前提にして、確かに自分の方に過失があったということをその話し合いの中で認める。
そうすると、相手方当事者が過失を認めたじゃないか、損害賠償義務のあることを認めたじゃないか、一旦認めているじゃないかと言ったときに、まさに裁判官の自由心証なわけでありまして、一般の裁判官であれば一旦自白したということの証明力はそれほど高いものではないと思われるかもしれないし、しかしそうではない裁判官もいるかもしれない。
それは、その過程で過失を認めたということを重視して、あとの立証で微妙な事案であれば、それはやはり過失があったのだと、本人は一旦は認めたのだからと思うかもしれないですね。少なくとも日本の裁判官はそうではないかもしれないけれども、我々のような一市民から見ると、裁判官はやっぱりそう思うのではないかとADRの方で思わないだろうかと、普通の人はそう思うのではないかという、普通の人の視点からの感じだろうと思うのです、この問題は。
○廣田委員 先ほどの三木委員の意見を聞いていると、なるほどそうかもしれないという気持ちがしたのですが、本音を聞いたとか、和解の提案、あるいは自白、そこら辺が一番問題になってくると思います。私どもの感覚は、そこまで聞いてしまったら調停を成立するまで持っていけるということです。ですから、例外的な議論だという感じで聞いていました。
ただ、これも細かく言えばいろいろありまして、和解の提案というのは、当然後で崩れるような和解の提案はこれを撤回することを前提としてされるものですので、成立しなければ撤回しますよということがあるので、その辺は裁判官の自由心証に任せてもよいと思います。間違えて撤回がなかったとみなす裁判官もいらっしゃるか分からないけれども、その辺はまあまあクリアーできると思うのです。
問題は自白ですけれども、自白も相手側に伝わる自白になってしまうのかどうかという、そこら辺が大事なのですね。ですけれども、ほとんどの場合は、一旦自白した以上は自白を前提として解決しようという認識はあると思うのですが、それでも万が一つ自白をして、それが致命傷になるときにどうなるか。この論点だけは残ると私は思うのです。しかし、それを条文上に書けるかどうかというのは大変難しい問題だと思います。
○青山座長 三木委員どうぞ。
○三木委員 綿引委員や廣田委員の御発言は、日本の裁判官は優秀であまり間違いを起こさないという伝統的な観念にかなり立脚した御発言なのですけれども、日本の裁判官の考え方も近年変わりつつあるように思います。
一部のここにいらっしゃる委員の方には御案内かもしれませんけれども、最近出た東京地裁の裁判例で、これは下級審の裁判例ではありますけれども、弁論準備手続の中で一方側が自己に不利なことをしゃべった、それを相手方がメモにとって、そのメモを後に書証として提出しようとしたら、裁判所はそういうことをされては弁論準備手続での自由な意見交換が妨げられるので証拠能力はないと言って蹴ったという事案がございます。日本では証拠能力は制限がないというのが前提だと、先ほど私も申しましたが、しかしやはり自由な議論や自由な和解のためには証拠能力を制限すべきだというような裁判例も出るようになってきているということも、私はこれが無条件にいいと言っているわけではありませんけれども、是非わきまえておく必要があろうかと思います。
○青山座長 今、情報の問題が出ていますが、それ以外の問題はいかがでしょうか。裁判所における付ADRのようなものは考えられるのでしょうか。今は付調停は勿論ありますけれども、それ以外の機関にということが考えられる事案はあるでしょうか。
○髙木委員 また、思いつきでこういうことを言うのは大変申し訳ないですが、やはり、将来のことを考えて決めてほしいと思っているのです。要するに、前と似たようなことを言うことになるのですけれども、将来に向かって基本的な枠組みを決めるものだということからもそうなのですけれども、司法改革が今いろいろな問題がいろいろなレベルで問題になっていて、だんだん司法が大きくなってくる。そうすると、紛争はどんどん増えてくると思うのです。その際に、司法における対応能力とか所管能力というのはやはり問題になってきて、裁判所は結構頑張っておられて、通常事件だけではなくて、専門的な訴訟、医療にしても、知財にしても、建築にしても相当頑張っておられるのけれども、それに2年以内に判決をという法律ができるわけですか、そういうこともあって、とてもやりきれなくなってくるのかなという気が一方でするわけですね。だけど、今の国の財政状況を考えると、必ず司法でやれる限界というのがだんだん問題になってきて、行政におけるこの前の中央省庁の再編の見直しのような大きな問題も、必ず司法でも起こってくるのかなという気も実は個人的にはするのです。
ですから、そこまで将来を見越すというのは含んで言っているつもりもないのですけれども、必ず司法の運営委託とか民営化というのが問題になってくる可能性もあるような気がして、「司法の独立」の観点を考えるとどのように問題になっていくのかよく分からないけれども、そういったときの素地とか、受け入れやすさとか、そういうことも頭に入れて考えられることがないかというのはちょっと私は気にしているのですけれども、漠然とした話で大変申し訳ありません。
○青山座長 ほかにいかがでしょうか。どうぞ、安藤委員。
○安藤委員 どうもこの問題を考えるときに、何か問題が起きた一方の当事者がどこへ行くかという形からADRが始まると思うのですよ。そこへ相談に行ってどこかを紹介してもらって、そこで調停の話に入るかなというような形のときに、ADRの組織としてそれこそ何の権威づけもなかったら、そんなところに行って意味があるのかなと。交差点で警官が笛を吹いていればみんなそれに従う。交通安全協会の人が旗を振っていればそれに従う。だけど、ただの人がこっち来い、あっち来いと言っても果たして従うかということなのです。
そうすると、ADRに何らかの権威づけを少し与えるためには、やはり裁判につなぐという形でもって、ADRで調停で行われたものがある程度裁判の方まで引き継がれるような形、それによってADRに託すのがいいのだなと考えてもらわなければいけないと思うのですよ。それがないとADRというのは確立しないかなと思います。ADRをやっても時間つぶしだけで、裁判に行った方が早いよというような、このままの形でいったら将来はADRの迅速化のために裁判を使おうなんていう話になってしまうと思うのですよね。
ですから、今の証拠だ何だかんだという場合には、完全な証拠ですよ、情報ですよということではなくて、裁判の中で参考になるものとしてADRの意見がこうなのだ、ADRで調停しようと思ったけれども、こういう面で失敗しました、そういう情報は全部入っていいと思うのですよね。ですから、これがその中で行われたものに関して、第三者がその事件を見ていた、その参考の情報だというあたりでも構いませんけれども、何かが裁判所まで伝わらなければいけないなと。それによってADRでやったことが裁判につながるのだぞという認識で、ここで何とか解決しようという当事者の意思も出てくるのではないのかなと思います。
○青山座長 これは安藤委員が前にも言っておられたとおり、裁判と並ぶADRではなくて、裁判の前のADRと言われましたかね。御持論を展開されたということですね。
○原委員 裁判所に来たものをADRに回すかどうかということで確認を2つしたいのですが、私たちが訴訟ということで裁判所に入ったけれども、専門性から見てここのADRがいいのではないかと裁判所が判断して、そうしなさいと言われたときに私たちは門前払いをされるのかどうか。ADRが不調だったらまた訴訟に戻ってきたいと私たちは思うのですが、それは当然戻れるのでしょうねということの確認と、もう一つは、今、安藤委員がおっしゃったのとちょっと似通ったような感じがするのですが、裁判所は全くそこで出た結果に責任を持たないということではなくて、例えば1年以内に結果を出して、裁判所の方に報告する義務があるといったような、まるで切るのではなくて、やはり一番最初に持ち込まれた裁判所も最後まで責任を持って見ているというような仕組みにしていただく必要もあるようにも思ったりするのですが、その辺りを、裁判所も案件もいっぱいだし、こちらは専門性があるからそこへ行きなさいで、はいさよならではないのですよねということをちょっと確認させていただきたいのですが。
○綿引委員 裁判所に来たものをADRの方がふさわしいから門前払いですよということは、憲法上、絶対できません。それは国民が裁判を受ける権利の問題ですから。
あと、例えば裁判所の手続をとりあえず中断しておいてADRで話し合いをしてみましょうねと、当事者が合意なされるのだったら、裁判所は一定期間お待ちするということはするだろうと思います。ただ、当事者が嫌だと言っているものを裁判所がADRの方に行きなさいということは、まずこの事柄ではあり得ないと思います。
○原委員 では、行ってみますと行きますよね。そこで出た結果みたいなものは裁判所は全然関知しないということになってしまうのですか。
○綿引委員 ADRで解決ができてしまったら、それは裁判所には関係のないことになるだろうと思います。ただ、ADRで話し合いがつかなくて、裁判所の手続をもう一度進めてくださいということであれば、期日を指定してください、裁判を続けてくださいとおっしゃれば、1回係属したものはまだ裁判所は事件としては持っているわけですから、当然裁判所はその事件を進めることになります。
○原委員 もう一つ確認したいのです。そうすると、裁判の段階の途中で中断して出ていく場合と、私どもはADRに行きますといって出ていく場合と2通りあるのですか。
○綿引委員 もう訴えを取り下げますといって、裁判所から事件係属をなくしてADRに行ってしまわれたらそれっきりです。ただ、とりあえず裁判所に事件を係属させておいてください、ADRでとりあえず話し合ってみますからしばらく手続を止めておいてくださいということであれば、裁判所は事件を持ったままですから、手続を進めてくださいと言われたときには手続を進めることになります。
○原委員 それは当事者の意思ということですね。
○綿引委員 当事者の意思ということになります。
○山本委員 今の点は、フランス法は私の記憶では明文の規定を設けておりまして、付ADRには当事者の同意は勿論必要だということで、ADRに付した場合には訴訟手続は停止するという形になっておりまして、ADRが不調になれば訴訟手続は続行される。ADRに付するについては一定の期間を設ける。3か月だったか、6か月だったか、記憶が定かではないのですが、期間を設けてADRに付して、当事者から申立があればその期間を1回だけだったと思いますが、再度同じ期間延長することができるというような記述になっていたかと記憶しています。
○原委員 そうすると、すべて訴訟の中断ですか。
○山本委員 取下げは勿論自由です。
○原委員 それが明文の規定に入っているということなのですね。
○山本委員 そうです。
○龍井委員 逆に質問なのですが、そうしますと、ADR前置との関係も出てくるのですけれども、どの段階でというのは、つまり案件によって入り口で、門前払いの門のところで整理が済むものと、ある程度証拠調べなり、初期の段階が終わって、そこでその紛争の性格を判断したことによって当事者の同意になるのか、そこのイメージがつかみ切れていなくて、一般にはどうなりますか。
○綿引委員 一般には、訴えが起こった段階で付ADRということはあり得ないと思います。要は、訴えが提起されれば訴状は被告に送達することになるので、こうして係属した事件をまず裁判所としては受け取るというのが大前提だと思います。
現在も、私たちが訴訟事件を調停に回す場合があるのですけれども、それは事件によって、この事件は1回目からまず調停でやった方がいいなというようなときは早い段階で回すこともありますし、ある程度争点が煮詰まってきた段階で、この段階でいいなと思って、調停に回しませんかという御相談をすることもあります。多分、付ADRということを考えましても同じで、当該事件についてADRにふさわしいという見極めがついた段階で当事者と御相談するということになるだろうと思いますが、入り口の前にADRに行きなさいということはないだろうと思います。
○龍井委員 門のところで会えないところだったら、当事者の合意が前提といったときに、もともとがないから来るわけでしょう。ということは、そこで問題を共有するなり、審理過程でそういうことが当事者同士で醸成されてくるというのであれば、おっしゃった図式で分かるのだけれども、必ずしもそうはならないですよね。
○原委員 その場合はもう裁判でやっていただけばよい。それはあくまでも国民の裁判を受ける権利だろうと思うのです。
○安藤委員 私は、付ADRというのは、専門家に判断をしてもらうという第一段階かなと思っているのです。ですから、例えばインターネットの問題や何かで、裁判官よりは知識が多い人、平山先生みたいな建築家の方とか、そういう形でもってADRに付与して、そこで揉んだ上で裁判所で判断を下すというのがベストではないかなと考えているのです。
○龍井委員 今のケースは、最後は付ADRになっているのがもう一回戻ってくるとの想定ですか。
○安藤委員 そうですね。そこで解決してしまえばもう裁判の取下げになってしまいますから、それはいいですけれども、もめたときにやはり専門家の意見というのがはっきり入った上での裁判所の判断というのができると考えるのですが。
○龍井委員 私が持っているADRのイメージというのは、むしろ専門性のことよりも、自己解決の能力が当事者同士にある、あるいはその方が望ましいということかなと思ったのです。だから、そのことと今おっしゃったような裁判所とは違う専門性に、一遍そこでそのフィルターを通すということで、ちょっとイメージが違いますよね。
○安藤委員 ですから、通常の付ADRとADR付与というのはちょっと違いが出るかなと思っていますけれども。
○三木委員 学者の間の議論としては、裁判所がADRに事件を付する場合には2つのタイプがあり得るだろうというので、1つはADRで和解をしてもらうことを前提に、勿論失敗することもありますけれども、付す場合ですね。もう一つは、争点整理のための付ADRですね。それは今議論に出てきた専門性の高い事件などに特に考えられやすいのだと思います。
両者ともにあり得るのではないかと思いますが、それぞれにおいて制度の仕組みは違うのだろうと思います。つまり、和解をしてもらうためにADRに付す場合というのは、先ほど来議論が出ていますけれども、そこで出た不利な情報などが簡単に裁判所に出てくるようでは困る。他方で、争点整理型のADRというのは、その整理の結果をむしろ裁判所につないでもらわけなければ困る。ここは分けた議論になると思います。
○青山座長 議論はまだ中途半端でありますけれども、今日は時間がタイトですので、次の議題に入らせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
次は、専門家の活用という第2の議題に入りたいと思います。御議論いただく前に、事務局から論点の補足としまして資料8-2が提出されておりますので、小林参事官から御説明いただきたいと思います。
[専門家の活用]
○小林参事官 専門家の活用につきましては、前回、10の専門家の方からプレゼンテーションをいただいたわけでございますが、それぞれの御主張に対してどう判断するかというのは、いずれ御議論いただくことになると思いますけれども、そこに至る前に、まずそもそもADRにおける専門家の活用についてどういうことを考えていったらいいのかということについての御議論をお願いしたいと考えております。
前回につきましては、資料8-2で申し上げますと、左の方の主宰者としての活用の求められる能力・資質、この辺りにつきまして、「①法的知識等に係る専門能力」、それから前回いろいろプレゼンテーションをいただきました「②紛争分野に係る専門能力」、それから3番目として、もう少し横断的なものとして、「③紛争解決に係る専門能力」、コミュニケーション技術、あるいはカウンセリング技術、これを何と呼ぶかということ自体はまたいろいろ御議論があると思いますが、そういう紛争解決、あるいは人間関係的な面での能力、こういった3つの能力が必要になるのではないかということを御説明したわけでございます。
今日は、それらについて更に発展させた御議論ということでございますが、まず、前回は主宰者としてということでございましたが、ADRに関する関与につきましては、これも前回のプレゼンテーションにございましたように、代理人として関与していただくというケースも考えられるわけでございます。その場合の能力・資質ということについてどう考えることができるかということで、ここでは若干主宰者で要求されるものとは違うのではないかということで説明をしてございます。
まず、「法的知識等に係る専門能力」でありますとか、あるいは「紛争分野に係る専門能力」というのは、これは代理人というものが当事者の権利を代弁する、あるいはADRで不調だった場合には訴訟に行くということまで考えますと、やはりこのあたりの能力については、場合によっては主宰者よりもより高度なものが必要なのではないかという考え方もあり得ると思います。
また、他方、3番目の「紛争解決に係る専門能力」につきましては、これは別途主宰者がおりまして、代理人自身が全体を裁くというようなことは余り考えられないということからすると、場合によってはこのあたりの能力は少し主宰者ほど専門的な能力が必要ないのではないかということが、程度問題かもしれませんが、考えられるのではないかということでございます。
以上、こういった能力が必要だとしまして、そういう前提の下に個々の分野の専門家の方をどう活用していくのかということが議論になるわけでございます。
それで、先ほど申し上げたような、仮に3つ申し上げましたけれども、そういったような能力はあるに越したことはないということなのか、それとも是非必要なものなのかということも、また議論があるところだとは思いますけれども、少なくとも現在の制度はこの能力についてはやはりきちんと備えた者だけがこういう業務に携われるということになっているわけでございます。前回の御説明の際には、議論に枠をはめるのも適当ではなかろうということで、あまり強調はいたしませんでしたけれども、現在においては弁護士法72条というのがございまして、こういった業務は基本的に弁護士が行うということになっているわけでございます。
その趣旨でございますが、これも参考資料の方にはお付けしておりましたが、参考資料13ページに最高裁の判例がございます。ざっと読み上げますと、「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし、広く法律事務を行うことをその職務とするものであって、そのために弁護士法には厳格な資格要件が設けられ、かつ、その職務の誠実適正な遂行のため必要な規律に服すべきものとされるなど諸般の措置が講ぜられているのであるが、世上には、このような資格もなく、なんらの規律にも服しない者が、自らの利益のため、みだりに他人の法律事務に介入することを業とする例もないわけではなく、これを放置するときは当事者その他の関係者らの利益をそこね、法律生活の公正円滑な営みを妨げ、ひいては法律秩序を害することになるので、弁護士法72条は、かかる行為を禁圧するために設けられたものと考えるのである。」ということでございます。
72条の関係につきましては、また議論をいただく必要があろうかと思いますが、やはりこういった業務に携わる者には少なくとも一定の要件なり規律が必要ではないかという考え方が少なくとも現在はあるということでございます。
では、そういったものを前提としまして、それでは専門家の活用をどう図っていったらいいのかということでございますが、資料8-2の右側を見ていただきたいと思います。まず、左側で考えたような主宰者として求められる能力・資質が皆さんすべて満たしておられるということであれば、主宰者として御活躍いただくということになろうかと思いますが、すべて満たしているわけではないということになりますと、それを何らかの形で補完するなり、あるいは制度上の工夫を加えて活用を図るということが必要になってくるのではないかと考えます。
ここに掲げてあるのは、全く私どもとして考えられるオプションを示しただけでございまして、これがすべてというわけでもありませんし、またこれが適当かどうかという問題もあると思いますが、御参考までに、1つは補完ということで考えれば、真ん中の上段の方にございますように、研修等によって能力等を補完するという考え方があり得るわけでございます。また、研修は個人差もありますし、必ずしも効果にも限界があるということでありますと、右側のように若干制度上の工夫をした上で活用を図っていくということも考えられるわけでございまして、1つは紛争規模を限定して活用する、分かりやすく言えば、軽微な事件については活用が図られるのではないかというような考え方です。
2番目が紛争分野を限定して活用する。これは専門家の活用ということですから、普通に考えれば、当該専門の分野に限定して活用するということではないかと思います。
それから、3番目が手続を限定して活用するということでございまして、これはADRの手続をある程度マニュアル化して、そこから逸脱しない限りは、むしろその方の専門性を積極的に活用していくべきではないかと。手続を限定するということ。
4番目は、お一人お一人ではなかなか能力に限界があるということであれば、複数をグループ化して活用するというのが考えられるのではないか。それも、しっかりしたADR機関であるのであれば、その組み合わせといいますか、グループ化もADRの責任で行っていただくということでいいのではないかという考え方があり得るということでございます。勿論、これに研修を合わせるということも十分考えられるわけでございます。
残念ながら、こういったような制度的な工夫、あるいは研修といったものを講じても、なおまだ信頼に足りないということであれば、これは主宰者としてではなく、むしろ補助者として活用が図られるべきではないかということでございます。
それから、今申し上げたのは主宰者としての活用を念頭に置いたことですけれども、代理人の場合も基本的には同じような補完なり工夫が考えられると思いますけれども、それ以外に議論になり得る点を2点挙げてございます。
1点は、そもそもADRにおいて特に業として代理人を関与させる必要があるのかどうかという議論でございます。これは一つにはADRというのは、むしろ本人が直接紛争解決に主体的に参画されるということが一つの姿だと考えますと、代理人の必要性はそれほどないのではないかという議論がございます。また、代理人を立てるということになりますと、費用の面でも、あるいは手間の面でもどうしても重くなるということで、一つのあるべき姿として、簡易、迅速あるいは低廉と言われているADRの本質を損ねることになるのではないかという議論もあり得ると思います。
ただ、現実問題としては、一部の紛争につきましては、こういった代理業務について、隣接法律専門職種の方が業として代理をすることを法律上認めているというものもございますので、一概にすべて否定するという問題ではないと思いますが、こういう論点はあろうかと思います。
それから、もう一つの論点は、ADRについて代理人の関与を認めるという場合には、それに先立つ相対交渉についてはどう考えるかということでございまして、一つの考え方は、ADRについて認めるのであれば、それに関連する相対交渉についても代理を認めるべきではないかという議論があろうかと思いますし、もう一つの議論としては、ADRの下での代理であるから認められるのであって、そうでない相対交渉については敢えて認める必要はないのではないかという議論もあろうかということです。
以上、非常に駆け足ではございますが、専門家の方を活用しつつ、しかし現実に紛争が紛争を呼ぶというような弊害を生じないようにするためにはどうしたらいいのかということで論点を挙げさせていただきました。
それから、これに関連しまして若干最近の動きを申し上げておきますと、10月22日の仲裁検討会におきまして、現在、新しい仲裁法の御議論を進めていただいているわけでございますが、この仲裁検討会におきまして、仲裁人の資格、ここでいきますと主宰者としての活用に当たるわけですが、仲裁人の資格要件については、特に今検討しています仲裁法で手当てするということではなくて、むしろADR全体の中で議論をするのが適当ではないかということで、皆さんの議論がそういう形になったということでございますので、事務局としましては、勿論これまでも特に仲裁を区別することなくADR全般についての専門家の活用ということで御議論いただいたわけでございますが、仲裁検討会の方のそういった要請についても、まずはこのADR検討会で御議論していただきたいと考えております。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。前回の1巡目の議論とただいまの小林参事官の御説明を踏まえますと、専門家の活用につきましては幾つかの論点があるように思います。
第1が、ADRの主宰者や代理人としてどのような資質なり能力が求められるのか、これは前提問題として第1の論点になると思います。
第2には、それではそのような能力の全部又は一部を持っている専門家について、どのような活用の形態があり得るのか。これはADRの拡充・活性化に関する基本理念と関係していますけれども、そういう能力を持っている専門家をどのような形態で活用できるのかという問題が第2でございます。
第3は、これは個別論になりますけれども、それを展開いたしまして、では具体的にどのようなADR機関でどのような専門家にどのような形での活用が適当だということになるのか。具体的な例として、そういう個別的な例を御議論いただければと思います。
最後の第4番目でございますが、小林参事官が最後におっしゃった点ですけれども、そういう活用を図る上で、弁護士法72条などの現行法制とどういうすり合わせをするかということでございます。
仲裁検討会の方では、この問題はADR検討会の方で検討するのが適当であるという議論がありまして、確かに言われてみると、仲裁だけでやるよりもほかのADR全体として専門家を活用する際に、72条の問題をどう整理するか、こちらで検討するのが適当かなと思いますので、この4つの論点の特に最初の2つの論点を中心に御議論いただければと思っておりますが、時間は大変窮屈でございますけれども、40分ぐらいで御議論いただきたいと思っています。どなたからでも結構でございます。
初めの2点と申しましたけれども、あとの点を発言してはいけないという趣旨ではございませんので、72条の問題でも構いません。
○龍井委員 このチャートで言いますと、前回私は出席できなかったのですが、①②③の中で特に③についての重要性が指摘されたようですけれども、言葉の問題ですけれども、こういうふうに並べられる専門能力なのかなというと、いわゆる専門能力というよりも、もう少し幅の広い調整能力というのか、あっせん能力というのか、先ほど御説明の中にありましたように、下の括弧書きの中をどのように想定するかということだと思うのですが、そう考えていきますと、これは主宰者としての資質と整理されましたけれども、まさにADRそのものにおけるものになっていくのだと思うのですね。
そうしますと、私どもが前に宿題で出したペーパーでは、全く未整理のままADR士的なものという表現を使ってみたのですが、何かこれが先ほど来話題になっています、いい意味での権威ということも関わってきた場合に、これをどういうふうにお互いに保証していくか、あるいはつくっていくか。当事者の解決能力の力を育てていくと同時に、この人材をどれだけ育てていくかというのが、結局ADRの活性化の一番のキーになるだろうと私は思っているのですね。
そういう意味では、ADR士という言葉を入れてほしいと言っているのではなくて、あくまで問題提起として言っているわけですが、今ある専門性なり、今ある紛争分野から何かプラスアルファの能力として、研修なり、あるいはそういうことだけで本当に調整能力というのが蓄積されていくんだろうか。
これは実は個別紛争処理の議論を、私どもと日本経団連との中でしていった段階でも、人生の達人という表現が示されたのですが、言ってみればそういうことが当事者たちに本当に説得性を持って、本来の和解提案の妥当性ということだけでなくて、やはりそこに至るプロセスにどう関与していくかということに大きく関わってくるわけですので、そこをどういう経験を踏まえればいいという十分条件はあり得ないわけですけれども、今ある専門性を求められている方にプラスアルファで、しかも研修だということとはちょっと違うものがもう一段必要なのかなと。
逆に言いますと、敢えて言わせていただくと、これも前回話題になっているようですが、72条との関係で言えば、弁護士の方が大体これは無条件に備えていらっしゃるという前提で、言ってみればそれはどう拡大していくかというだけではなくて、今いる弁護士さんたちも含めて、この③のところが、これもまた経験年数とか、私ほかに知恵がないのでなかなかいいアイデアが出てこないわけですけれども、そこでもう一つフィルターがかかるような、そういう仕組みというのも一度議論はしてみて、そういうことが現実に最終的に基本法なり、あるいは4つ目の修正された論点にすぐに解決にはつながらないわけですが、一度そういう視点で少し議論させていただきたいという考えでございます。
○山本委員 私も、龍井委員の御発言に全く賛成です。前回、若干申し上げましたけれども、まさにこの③の専門性というのは従来必ずしも注目されていなかったのではないかという気はしますけれども、やはり非常に重要な点であって、そして今御指摘のとおり、①の専門能力を持っていたって、当然に③の専門能力があるという前提にはならないのだろうと思います。これは廣田委員などの方がよく御存知だと思いますが、仄聞するところによると、アメリカなどではメディエーションについての一定の資格があると。各州ごとに、一定の研修なり試験なりを受けてその資格を取得するという制度があって、弁護士など法曹資格を持った人がそういう資格を併せて取るということも多いようですが、法曹資格を必ずしも持たない人がそういう資格を取って、メディエーターとして活動されているというようなこともあると伺っておりますので、今、検討の対象になっている法制の中で実現するかどうかということはともかくとして、本質的にはそこまで踏み込んでこの検討会では御議論をいただければと思います。
○平山委員 ちょっと建築の方に偏っていますけれども、この前途中までお話ししましたけれども、実は私たちの関係している紛争はかなり専門性が高いというか、ある意味複雑である。そこで今までは裁判所のお手伝いをしている方は私的鑑定という形で勝手に自分が名乗り出てお手伝いする。
すると、どうしても依頼人にかなり意見が偏ってしまって、むしろ紛争を複雑化しているのではないかということから、建築学会の方で調停委員あるいは鑑定人を推薦してほしいというようなことで、建築学会で随分検討して、その中で、もちろん専門家として役に立つ人をと、それから今いろいろなお話がありました3番目の能力に関しては、学会の中ではいろいろな委員会で推薦された人ということで、その人に特に司法会員というような称号を与えようという話があるわけです。
そのような形で、まさに人格が円満であって、中立性が保たれるというのが、私的鑑定をやって実際に自分の職場に関係していると、どうしてもそのような意見に流されてしまうということで、一旦そういったものを卒業された方で、なおかつ中立であって、人格が円満である。そのときの条件とすると、司法会員になった人は私的鑑定を受けてはいけないということで、現在司法会員というのは、建築学会の会員は約4万人いますけれども、約200人ぐらいが司法会員として学会で登録して、理事会が認定している。その中から裁判所の方に応援に行っている。
それはまだ制度を始めて2年弱ぐらいでございますけれども、最近の東京地裁の統計によりますと、今まで約2年半ぐらいかかっていたものが1年半ぐらいで事件が解決しているという結果をいただいております。
そのようなことで、特に専門性に優れた人は勿論ですけれども、その中で、人格なんて言うと怒られるかもしれませんけれども、特に幾つかのグループに分かれて、そこで推薦された司法会員というような制度で私たちは対処していますけれども、結果とすると、すごく具合よく行っているのではないかと思っています。
○青山座長 ありがとうございました。廣田委員、どうぞ。
○廣田委員 今日は時間がないということで、具体的な機関との関係、あるいは72条の問題、ここまで言うと時間がなくなってしまいますので、それは事後にまた継続して話し合いがあると思ってよろしいですか。
○青山座長 あります。この問題は2巡目でやります。後で、具体的にいつやるかということを提案いたしますけれども、今日でおしまいでは決してございません。
○廣田委員 今まで資質のところがふくらんだ御意見がずっと出ましたので、その辺に関連して言いますと、今皆さんがおっしゃったようなことを考えると、前提となる事実、現状の前提というのがあるわけですね。それを押さえておかなければいけないと思います。
平山委員の意見にも関連することだと思いますが、まず一つは、訴訟とADRで決定的な違いがどこにあるかといいますと、訴訟は職業裁判官が行っているのです。ところが、我が国では職業調停人とか職業仲裁人、ここでいう職業調停人とか職業仲裁人というのは調停、仲裁の収入だけで食べているということなのですが、そういう意味のプロの職業調停人、職業仲裁人はいないということです。つまり、我が国のADRは全員パートタイマーです。
このことは多分、党派性の問題というものに絡んでくるかも分かりませんが、それは当然のように、職をかけるというような真剣さにも問題があるのではないかと思います。しかし、そういうことを言い出すと切りがないので横に置いておきます。ただ、パートタイマーですと、どうしても時間的、物理的に限界があって、本職が別にあって主としてそちらで食べているということですから、ここに割く時間というのは限度があるということです。ですから、パーソナリティーとしての資質というものと、それに関連した意味で物理的な時間というものが非常に大きな要素で、これは計算に入れておかなければいけないと思います。
もう一つ、今も出ましたように、調停人、仲裁人についてトレーニングを受けた人はほとんどいないということですので、これは前回、三木委員からの発言もありましたけれども、裁判官も弁護士もみんな同じことなのです。訴訟についてはトレーニングは受けていますけれども、調停、仲裁について、まさに今、龍井委員がおっしゃったような意味で、そういう本当の意味の資質を身に付けているかどうかということについては、少なくとも理論や技術というものを系統的に勉強していることはまずないですね。
これは私も含めてなのですが、みんな自己流でやっている。それで、自分の到達点というのが山の頂上だと思っていますから、しかも霧の中で周りが見えませんから、自分だけが頂上に登っているというような、言わば唯我独尊でやっているというのが現状ではないかと私は思うのですね。
このことは裁判官も弁護士もその他の法律専門職種の人も、あるいはその他一般市民もみんな同じことなので、だとすれば、理論や技術についてはほぼ同列ではないか。ただ、実際に調停、仲裁をやっていますから、それをやっている人は多少先を行っているような気がしていますけれども、これも自己流ですから、客観的にどんなところにいるかというのはまず分かりません。ということは、私の認識では、みんなそれなりのトレーニングをすれば、すぐ追いつくところにいるのではないかと思っています。
それからもう一つ、法律専門職種に関して言いますと、弁護士は他の法律専門職種のそれぞれの専門分野に精通しているわけではないのですね。その分野を専門としている弁護士は別にしまして、それ以外の分野についてはほとんど知らないと言っていいと思います。ですから、法律の分野で、弁護士ならすべて全部できるのかというと、決してそうではない。したがって、法律専門知識、あるいは経験というところに限って言っても、法律専門職種の人々が全員でそれぞれの専門分野を全体として担当しているというのが日本の現状である。これが現在の姿だと思います。
そういう前提として押さえておくような事実がありますので、そういう事実を押さえておきますと、次にこの問題にどう取り組むかという姿勢の問題なのですけれども、これはあくまでも当事者とか利用者が利用しにくいようなものであってはならない。ですから、ADRの拡充・活性化ということについては、当事者とか利用者が利用しにくいところに活性化も拡充もあり得ないわけですから、それが第1のポイントですね。したがって、全体に私は垣根を低くするということが大事だと思います。
そこで、利用しやすいという観点から今言った現実を踏まえてみますと、やはり弁護士中心という考え方はちょっと問題があるのではないかと私は考えております。それはいろいろ理由があるのですけれども、一番大事な問題は、弁護士がADRに割くことができる時間と力には限界があるので、もし弁護士を中心に置いてそこから物事を考えますと、結局弁護士の物理的な限界がADRのスケールを決めてしまうということになりかねないのです。ですから、ここのところは平たく垣根を低くして全体を見回してみて、それでやらないといけない。現実問題として、弁護士だけでは現在の民事・家事調停は運営できませんよね。民事・家事調停もそうですけれども、ほかのADRでもそういうことが出てきていますので、今後の拡充・活性化ということになれば、当然、いろいろな専門分野の方々と一緒にやらなければいけない。
前回のヒアリングで、弁護士以外の法律専門職種の皆さんがADRに取り組む姿勢を述べられましたので、せっかくそのように言ってくださるのだったら、それなら一緒に全体としてADRをよくしようと私は言いたいと思います。
ですから、多くの力をここに結集して、垣根を低くして、能力アップをして、それでADRを魅力ある選択肢にする。これがこの問題を考えるときの基本姿勢だと私は考えます。その先の72条の問題は、今日は時間が足りませんから次回にしたいと思います。
○青山座長 どうもありがとうございました。では、原委員、どうぞ。
○原委員 現状を前提としてということで、もう皆様方の発言で出ているのですけれども、消費者側からの意見ということでも提出しておきたいと思います。
資料8-2で①②③と書かれている3つは、主宰者として大切なポイントということはそのとおりなのですが、既存のADRはやはり①と②に特化しているという感じがありまして、私たちがADRと称されているところに行くと、専門家が出てきて、それに法律家も加わって、説得されるというイメージが大変強いのですね。担当していらっしゃる方も、私どもにお任せください、ベテランでもありますしというような感じになって、こちら側もお任せしますというのが今までだったと思うのですが、ここを根本的に変えていただきたいというのが私はここでやっているADRの議論だと思っておりまして、そういう意味では③が大変重要になってくると思います。
この③のコミュニケーション能力なのですけれども、これもそれぞれの専門家を何年も経験しているベテランであるとか、人格がよくてという話が出ていますが、これもやはりお預けするということになって、そういうコミュニケーションではなくて、私たちは両当事者が話合いをしたい、そういうメディエーションを基本に置いて、そこに関わる第三者がサゼスチョンしてくれたり、こういうところを整理してみたらどうですかというアドバイスをしてくださったりと、そういう第三者の関わりを考えているのであって、③というところの一方的なコミュニケーションですね、唯我独尊と言われましたけれども、上に立って、お互いに話し合ってごらんみたいなことではなくて、一緒になって当事者同士を主体にした形でのコミュニケーションというふうに組み立てていただきたいと思っております。
それから、専門家の活用として、ここに補助者として活用というのが書いてあるのですが、これは私どもは大変望んでおりまして、主宰者ということだけではなくて、いろいろな専門家の意見を聞きたい場面も度々あるわけで、そういったときに利用できるようになっていた方がいいと思っておりまして、ここにorと書いてあるのですが、orではなくてandではないかなと思っております。
それから、もう一点ですが、私もどこでこの議論をしたらいいのかというのがよく分からなくて、今日代理人という言葉が出てきて、これともなじまないのですが、あっせんについて、これをどのように考えていったらいいのか。消費者問題の場面では、苦情相談からADRに行くステップの段階であっせんということが非常によく行われていて、ここをどう整理するかというのが、夏休みの宿題で青山先生と三木先生はそこの整理が必要だと書かれていらしたのですけれども、このあっせんの議論も是非どこかでしていただきたいと考えております。
以上の2点です。
○青山座長 どうもありがとうございました。髙木委員、どうぞ。
○髙木委員 ちょっと私は皆さんと違いますというか、③のコミュニケーション能力が重要であるということについては全然異論はありません。裁判官であっても、弁護士であっても、必ずしも③を備えているとは限らないというところも、多分備えていない人はたくさんいるのだろうと思うのですけれども、一応これは分析すればこういうことになるということであって、裁判官も弁護士も③の能力はベースとして備えていなければならない能力なのだろうと思っているのです。
ただ、皆さんと若干異なるのは、③の資質は一般的なコミュニケーション能力やカウンセリング能力であって、これを超える能力ではないのではないかと考えている点です。③の能力が研究に値する可能性がありそうだということは否定しないけれど、どんな能力か分からず、どんな人であれば③の能力を備えているのかも分からないまま、手放しで③に力点を置いて考えることはできないと思っています。
③重視の考え方がどこからどういうふうに来ているのかよく分からないのですけれども、もう一つ、紛争解決の基準の問題もあるのではないだろうかという気がして、必ずしも法的なものだけが基準になるというわけではありませんし、ただ法的なものと法的でないその他のものがあるとしても、やはり法的なものを横に置きながら別の解決基準というものを考えていくというのがADRなのかなと私は思っています。そういうことも考えるならば、③というのもあるでしょうけれども、やはり①②の方が重要なのだろうと思っています。
ですから、弁護士の物理的な力の限界ということでは、廣田先生と全く違った結論になるのはその辺りなのですけれども、弁護士の力の限界がADRの限界を決めるという御意見なのですけれども、それは弁護士なり法曹なりを増やす問題であって、そこからADRにほかの人たちもというのは、ほかの人たちがそれなりの能力の部分で参加してくるのは全然構わないのですけれども、そこから垣根を低くしていくということに関しては、ADRの質の担保みたいなところから若干懸念を感じています。この分類でどれがいいかということについては、次回でもいいかなと思います。
○青山座長 三木委員、どうぞ。
○三木委員 先ほど来、多くの委員のおっしゃったことに基本的に私も賛成であります。先ほど山本委員の方からアメリカの現状についての御紹介があり、おっしゃるようなことだろうと私も思います。
私は、オーストラリアについて過去に若干調査をしたことがありますが、私の知る限り、オーストラリアではアメリカのようにADRの専門資格のようなものはないのではないかと思いますが、かといって、弁護士であるとか、一定の分野の専門家であるというだけで調停人、あっせん人が務められるかというと、そういうことは全くないと理解しております。民間レベルの調停機関であれ、あるいは半公的な調停の機関であれ、そこで調停人、あっせん人を務めるためには、この表で言えば③に当たる部分の一定の研修を積まないとその立場に就けないというような内規があるのが、私が調べた限りではすべてでありました。そういう意味では、我が国ではやはり多くの委員が指摘されるように、③の点がこれまで軽視されてきたという感はどうしても否めないと思います。
③の能力についてですが、しばしば我が国では技術とか専門能力のようなものというよりも、人格とか全人的な能力と捉えられがちでありますが、勿論そういう面もあろうかと思いますが、私はもう少し技術という点を重視すべきではないかと思います。私はこういう分野での研修を受けたことがありませんで、ちょっとのぞいただけですから語る資格はありませんけれども、少し見ただけでもやはりかなり技術的なこと、学ばなければ身につかないような技術が教えられていたと感じております。
この点は廣田委員が恐らくこの中では一番お詳しいだろうと思いますが、例えば廣田委員がお書きになったものを見ても、野球式仲裁というものを廣田委員がよく御紹介されておりますが、ああいうのを誰かが最初に考えたのでしょうけれども、しかし教えられなければとても思いつくようなものではない、さまざまな技術があろうかと思います。そういった点で、先ほど山本委員や龍井委員がおっしゃったように、この検討会のレベルでできる話かどうかは分かりませんが、やはりADRに関わる専門資格のようなものまで視野に収めるということが望ましいのではないかと思います。
○小林参事官 議論に水を差すつもりは全くございませんが、先ほど原委員と髙木委員がおっしゃったことに関連しまして、前回の説明資料の11ページですが、今日の資料はやや乱暴でして、およそすべてのADRについて同じようなペーパーになっているわけでございますが、ADRをどのように考えるかという議論と絡んでくると私どもは思っておりまして、下に書いてある3つは今回のものと同じなのですが、上に紛争解決における主宰者の関与、あるいは当事者が希望する紛争解決基準というのを書かさせていただいております。
それで、原委員の方からお話のありました、あっせんをどう考えるかということにも関係するのですが、あっせんはむしろ当事者主導の解決が非常に強いケースだと思いますが、そういうケースであると、あるいは更に言えば、消費者の立場からむしろ当事者の話し合いを促進してくれということで、極端に言えば黙っていてくれということであれば、まさに右側の方のラインということです。したがって、一番下のところがやや比重が高くなるわけです。
それから、紛争を解決する基準として法的にどう考えるかという問題をお互いに基準として考えたいということであるのなら、下のところですが、左側の方に比重がいくということで、やはりそういった面での能力というのは必要になってくるのではないかなということでございまして、決して議論に水を差すつもりはありませんが、若干議論が表面的にはぶつかっているように見えますけれども、そういうことで整理すれば少し分かりやすいかなということです。
○青山座長 どうもありがとうございました。どうぞ、安藤委員。
○安藤委員 私一人大きな勘違いをしていたような気がして今まで悩んでいたのですが、この表から見ますと、この前にADRの窓口、紹介というものがあるので、そこで恐らく問題は3分の2ぐらい解決されてしまうかなと。その次にいよいよ専門家の方に来たときに、この①②③というのが何で1人でなければいけないのかな、グループとして動くのであれば、③が裁判官、①②は右陪審、左陪審ぐらいのつもりで、そういったグループとなって解決ができれば、それだけで専門家として、主宰者としての活用、代理人としての活用が十分できるのではないかなというようにすらっと受けてしまったのです。やはりこれは個人なのですか。
○小林参事官 そういう考え方もあり得るということで、右側の活用形態のところでは書かせていただきました。その下はorではなくてandではないかという話もありましたが、補助者として活用していただくいうことも当然あり得るということです。
○安藤委員 こういったところで能力がある人があれば、最初のところの窓口で受けて、どこに紹介しようかというときにはその人のところへ集中していくと思うのですよね。ですから、①②③を1人でもってしまうというのは、逆に言うと、何となく見ざる、聞かざる、言わざるを1人で背負っていたら何もできないというのと同じになってしまうのではないのかなと、そんな気がしたのですけれども。
○青山座長 これは1人でもつということではなくて、そういうスーパーマンみたいな人はなかなか見つからないのではないでしょうか。だから、恐らくグループで考えざるを得ないのではないでしょうか。
○小林参事官 ただ、ADRの経済的な負担という問題もありますから、必ず3人でやっていただくということになるかどうか、1人でやっていただくケースもあると思います。
○安藤委員 確かに対応するのは1人かもしれませんけれども、相談としてはあっちこっちへいって、いろいろな知識を通ってそれで判断すると思うのです。
○青山座長 綿引委員、どうぞ。
○綿引委員 今日はプラスアルファの話がほとんど出ないのですが、私はプラスアルファの部分がかなり大事なのではないかなと思います。というのは、紛争の周りというのはいろいろな危険の目があると思います。紛争当事者は、利害対立の中で自分の利益の獲得を図ろうとしている。その仲裁に入る者には、一方に協力して自分も利益を得るという非常に危険な誘惑がいっぱいあるのだと思うのですね。ですから、やはり中立性とか公正さ、それから公正らしさ、そういうものに対する配慮というのは、ADR機関を仕組んでいくときに必要なのだろうと思います。
先ほど平山先生が司法会員は私的鑑定は受けないということをおっしゃっておられたのですが、そういうような公正らしさ、中立さ、こういうものを何とか仕組んでいかないといけないのではないか。このプラスアルファの部分というのをもう少し考える必要があるところのような気がして、ちょっと一言申し上げたいと思いました。
○山本委員 今までの御議論を伺っていて2点ほど感想めいた話なのですが、1点は原委員が御指摘になったところですけれども、日本のADRの現状というものを前提といたしますと、勿論正規の仲裁とか調停の段階に至った場合には、現在の多くのADR機関は①や②の能力を満たしている方を調停委員等にされているのだろうと思うのですが、実際に日本のADRで処理されている事件のほとんど99%以上は、原委員がおっしゃったあっせんとかあるいは苦情処理と言われるような、かなり非公式な手続の中で処理されているのではないかと思われます。
そこでの主宰者というのが、果してどういう能力・資質を持っておられる方なのかということは外部から非常に見えにくいわけですが、いわゆる業界型ADRと言われるPLセンターでありますとか金融関係のADRなどでは、実際には各業界を構成している会社から出向されてきて、一定期間だけそこで苦情処理等の活動をされていて、何年かたてば元の会社に戻っていかれる。その間に特別の研修も若干はあるかもしれませんが、必ずしも十分研修は受けられていないようなお話も伺います。そして、そこで実際には日本のADRの相当の比率の活動がされているということを前提にすれば、やはりそこの問題はこの検討会でも考えていく必要があるのではないか。そこでの主宰者のレベルアップといいますか、それが日本のADRを真によくしていく一つの鍵になるのではないかというのが私の認識です。
もう一点は、綿引委員が御指摘になったことですが、私もまさにそのとおりだと思います。やはり倫理の問題というものは非常に重要なものだろうと思っておりまして、それは勿論、主宰者の点についてもありますし、また代理人の点についてもある。ある座談会で練達の弁護士の方が御発言されていたことですが、ADRにおける一種の専門家が入ってくることで乱用がなされて、依頼者の利益が害されるというおそれは、主宰者よりもむしろ代理人としての方が大きいのではないか。主宰者の場合よりも、代理人の方が依頼者の利益を害するような活動をしやすい側面があるのではないかという御指摘がございました。これは私はもっともな御懸念ではないかと思っております。
そういう意味では、主宰者として、あるいは代理を認めていくについては、倫理に関する十分な担保というものが必要ではないかと思われるわけでありまして、これは勿論職業団体等においての一定の研修ということもありますし、また懲戒に関する実効的なシステムが備わっているということもあろうかと思いますが、その辺りを十分検討してこの問題を考えていく必要があるのではないかと思います。
以上です。
○青山座長 主宰者としての活用というところで、法律的な関係での専門能力と紛争分野に関する専門能力、それから先ほどから議論されている③の紛争解決を促進するような、そういう意味での専門能力という3つがあって、従来からこの第1と第2は非常によく分かるのだけれども、第3は分からない、ここでもそれについてもう少し議論を煮詰めなければいけないということで前回から議論が始まっているようですね。
今日の御議論の中でも、第3の能力については非常にイメージが違って、ここでの表現が例えば人生の達人というような意味での能力と、それから原委員のお話ですと、私の理解するところでは、当事者が持っている紛争解決力みたいなものを引き出すとか、アドバイスをするというような意味での能力ということではないかと思います。
それに対して、また三木委員の言われるように、これは人生の達人的な能力ではなくて、非常に技術的なスキルで、それは研修でなければ身につかないものだというような理解があり、それぞれが正しいのですが、一体どういうものかということをもう少し詰めていかないと、ADRに必要な能力というものは何なのかということが少し漠然とし過ぎるかなというような気もいたします。
今日はこの問題について割ける時間は余りありませんけれども、もし御発言いただけるなら、1人か2人御発言いただきたいと思います。
○原委員 先ほど三木委員の方で研修の話が出て、やっているというのがあったのですが、諸外国でやられているのはどういう内容でやっていらっしゃるのかという事例があれば、それを是非見させていただけるとイメージとしてつかみやすい、把握しやすいのですが、よろしくお願いします。
○廣田委員 私は余り詳しくないのですけど、聞いた話しか知らないのですが、ICCには研修所があって、真夏と年末を除きほぼ毎月、交渉技術とか模擬仲裁とか、そういうことを全部一通り研修するという話は聞いていますけれども、聞いただけの話で、実際にはよく分からないのです。
○原委員 私も断片的に聞いた話とか、資料で紹介された話とかの情報で、全体がよく分からないのですね。
○青山座長 これは事務局の方でもある程度努力して探すことにいたします。先ほど山本委員から、資格を与える場合に何か試験を受けるとか、トレーニングを受けるとか、そういうこともやっておられるのではないかと思いますが、アメリカの制度がもし分かれば御紹介していただきたいと思います。
○山本委員 私も人から聞いた話ですので。
○青山座長 初めに言いましたように、ここではみんなADRの専門家はだれもいないので、みんな勉強しながらやりましょうということですので、それでは事務局も勉強いたしますけれども、断片的な知識でも持ち寄りながら少し我々自身も勉強したいと思います。この点につきましてはよろしゅうございますか。
次に、今日の第3番目の議題でございますけれども、法律扶助の対象化の問題に移りたいと思います。まず、事務局から資料8-3が提出されておりますので、これについて小林参事官の方から御説明をお願いします。
[法律扶助の対象化]
○小林参事官 それでは、資料8-3をご覧いただきたいと思います。本日は第1巡目でございますので、まず民事法律扶助制度とは何か、現在の民事法律扶助制度の中でADRはどのように位置付けられているのか、そして法律扶助に関する議論は、私どもの議論の対象でございますADRの拡充・活性化をめぐる議論全体の中でどのように位置付けられるのかといった点につきまして簡単に御説明したいと思っております。
まず、1ページをお開けいただきたいと思いますが、民事法律扶助制度とは、大まかに申し上げますと、資料の上段の四角の囲みの中にございますように、紛争に巻き込まれて裁判が必要になったけれども、弁護士費用が支払えないとか、あるいは支払うのが非常に困難であるという方のために、法律相談を実施したり、弁護士費用を立て替えたりするという制度でございまして、裁判を受ける権利を実質的に保障する意義を有するということでございます。
民事法律扶助制度に関しましては、平成12年に民事法律扶助に関する国、日弁連等の責務を定め、事業を行う公益法人を指定することができる制度、いわゆる指定法人制度を採用いたしまして、事業の適正な運営を確保し、その整備及び発展を図る民事法律扶助法が成立してございます。その後、法務大臣によりまして、財団法人法律扶助協会が指定法人として指定されております。
援助手続の流れでございますが、法律扶助には主なものとして法律相談援助、それから代理援助、書類作成援助の3つの形態がございまして、これを紛争の発生から解決までの流れに沿って、この財団法人法律扶助協会による民事法律扶助事業の概要をこれから見ていきたいと思います。
まず、紛争に直面し、法律扶助を希望する者は、まず法律扶助協会に対して援助の申込みをしていただくことになります。この申込みにつきましては、全国に約50ある法律扶助協会の支部のほかに、相談登録弁護士と呼ばれる弁護士の事務所で受け付けられ、申込者が資力に乏しい者であること、それから法律扶助の趣旨に適しているということという法律相談援助の要件を満たしている場合には、申込者は無料で法律相談を受けられる、これがつまり法律相談援助ということになるわけでございます。
次に、法律相談援助が終了した段階で、申込者の目的が果たせたのならば勿論それで終了するわけでございますが、裁判手続などによって紛争解決をするというのが相当な案件であることが判明した場合につきましては、法律扶助協会の支部に置かれております支部審査会におきまして、今度は代理援助などを受ける要件に適合するかどうかを審査するということになるわけでございます。
この場合の援助の要件というのは、資料の中ほどにございますように、収入などが一定の基準以下で、資力に乏しい者であること、勝訴の見込みがないとはいえないこと、それから法律扶助の趣旨に適しているという3つでございます。
このうち資力要件につきましては、法律扶助協会の業務規程によりまして収入等に基づく具体的な基準が定められております。概ね所得階層で下から2割程度ということでございます。
また、法律扶助の趣旨に適している場合、3番目の要件でございますけれども、これは権利の主張が正義・公正等の観点から見て援助に値するということでございます。例えば権利濫用的な訴訟であるとか、あるいは弁護士など専門家が関与する必要性が乏しい場合にはこの要件は満たさないということになるわけでございます。
以上の3つの審査につきまして審査をした結果、要件に適合するときには、代理援助、あるいは書類作成援助のうち、どちらか相当と考えられる援助につきまして援助開始の決定がされるということになります。このうち代理援助は代理人に支払う費用、つまり弁護士に支払う費用を立替えするということでございますし、書類作成援助につきましては、訴状など裁判所に提出する書類の作成費用ということですから、これは弁護士とか、あるいは司法書士の費用を立て替えるということでございます。
立替えと申し上げていますけれども、立替費用でございますから原則として返済しなければならないということでございますが、返済に当たっては生活状況、あるいは相手方から金銭その他の財産的利益を得ているか否かを確認した上で、償還の方法が決定されるということでございます。ただし、事件が終結した後、生活保護法の適用を受けているとか、あるいは生活保護法の適用を受ける程度に生計が困難であって、また将来にわたってその資力を回復する見込みに乏しいと認められる場合などにつきましては、申請によって立替金の償還が免除という制度もございます。
それから、立替金額についてですが、代理援助等の場合につきましては、着手金、あるいは報酬金、実費などということでございまして、案件などに応じまして法律扶助協会が業務規程において立替基準を定め、法務大臣の認可を受けています。例えば、裁判代理援助の場合で100 万円の金銭請求事件というようなケースで見ますと、着手金が12万円、報酬金が10万円、それから自己破産の申立て、これは最近増えている状況でございますが、こういうケースでは債権者の数に応じて着手金が12万円から17万円ということにされております。
それから、全体の事業規模でございますけれども、法律扶助協会によります民事法律扶助事業の規模は、左下に表があると思いますけれども、そこで見ていただきますと、代理援助につきましては件数で3万件弱、支出金額で見ますと51億円を超えるということでございます。法律相談援助につきましては、件数で5万件弱、支出金額で3億円弱ということでございます。
それから、先ほどちょっと触れましたけれども、援助の対象となっている事件の種類につきましては、最近の経済状況を反映しまして自己破産事件がかなりの割合を占めていると伺っております。
それから、民事法律扶助法におきましては、国は民事法律扶助事業を行う指定法人に対しまして、予算の範囲内で民事法律扶助事業に要する費用の一部を補助することができると書いておりまして、平成13年度においては、指定法人である法律扶助協会に対し、約28億2,000万円の補助金が支払われているということでございます。
次に、民事法律扶助制度とADRの関係について御説明をいたします。民事法律扶助法の2条でございますけれども、法律相談援助、代理援助、書類作成援助といった民事法律扶助の対象となるのは、原則として裁判所における民事事件、家事事件、行政事件に関する手続とされております。資料の中ほどにございますが、具体的には民事訴訟、民事保全、民事執行、民事・家事調停、家事審判、行政訴訟などでございます。
ただし、図の下の方に示しておりますように、代理援助の場合には、例外として訴訟等に先立つ和解の交渉で特に必要と認められるものも対象としておりまして、このような条件に合致する場合には、示談交渉における弁護士費用なども援助の対象となっております。
裁判所における手続を中核として現行制度は組み立てられているわけですけれども、その中でこのような裁判前代理援助が認められているというのは、例えば裁判で高い確率で勝訴が予想される場合でも、裁判前の和解交渉をする方が当事者にとって早期解決になる、それから費用の低廉化にも資するというような場合があることを念頭に置いたものと聞いております。
しかし、具体的に裁判前の代理援助の対象となる手続にはどのようなものがあるかという点につきましては、民事法律扶助法においては、民事裁判等手続、もう少し具体的に言うと、民事訴訟などに先立つ和解の交渉としているのみでございまして、制度としては当事者同士が相対で行う示談交渉のみならず、資料にございますように、ADRを通じた和解交渉も含まれているということでございます。援助審査の段階で裁判前の代理援助が適当と判断され、受任された弁護士が和解交渉の場としてADRが適当と考えるような場合には、現行制度の下でも、ADRにおける代理人費用は法律扶助の対象になるということでございます。
先ほど見ていただいた左下の表のとおり、平成13年度では代理援助の開始が決定された件数は合計2万9,855 件でございますが、このうち示談交渉によることとされたものは1,689 件でございます。この内訳につきましては特に統計はないのですけれども、ADRを利用した件数は極めて少ない、ゼロに近いのではないかということでございます。
それから、これも資料の右下にございますが、ADRのうち仲裁につきましては、訴訟の外に出るわけでございまして、訴訟等に先立つ和解の交渉には該当しないということでございますので、対象とはならないということでございます。この点も民事法律扶助事業が裁判を受ける権利を実質的に保障するものであることを前提とした現行法の枠組みとも関係しているようでございます。
それから、山本委員がお詳しいと思いますが、民事法律扶助法の立案当時にも、ADRの位置付けにつきましては議論がされております。ただ、ADRを利用する場合に要する費用をそれだけで直ちに扶助の対象にするかどうかという点につきましては、ADRを利用する場合のうち、どのような場合をどのような理由で扶助の対象とするべきか、あるいは裁判になる前に際限なく国が費用を負担するという事態にならないか、それからADRにおける費用負担の在り方については、その特殊性や専門性などを踏まえて、当該ADR自体、あるいは関係当局において別途検討されるべき事柄とは言えないかなどの問題点があり、ADRの実態等を踏まえ、今後慎重に検討されるべき問題であるとして、結果的には現行法の形になったと承知いたしております。
以上が現行制度でございますが、2ページをお開けいただきたいと思います。今申し上げましたように、限られたものにつきましては法律扶助の対象となるわけでございますけれども、これまで何回か御紹介したように、扶助制度に関しますさまざまな御意見の中には、更に民間型ADRを裁判、あるいは民事調停などと同列に位置付けるべきではないかという御議論もございます。
2ページの図は、このように必ずしも今の民事法律扶助法の枠にとらわれないで、幅広くADRに関する国の支援を考えるとした場合には、どのような議論のアプローチが必要になるのか。言い換えれば、結論に達するためには、前提としてどのような論点について考え方を整理しなければならないのかということを表したものでございます。
そもそも国によるADRに関する支援としましては、図の一番下の列に示してございますように、ADR機関への支援、法律扶助のようにADR利用者への支援、それから環境整備面での支援、これはアクセスの向上ですとか、担い手の確保などの問題でございますが、そういう環境整備面での支援と、4番目としては、これまで議論を続けてまいりました法的効果の付与などの面での支援というさまざまな形態が考えられるわけでございまして、法律扶助については、このうち左から2番目の位置付けということになるわけでございます。
したがいまして、法律扶助という形を採るにしても採らないにしても、まず国による支援についての考え方を整理する必要があるのではないかと考えるわけですけれども、そうなりますと、そもそもその前提として民間型ADRに対する国の関与についてどう考えるのか、ひいては、ADRの拡充・活性化に関する基本理念としてADRをどう位置付けるのかという点について、まずは考え方を整理する必要があるのではないかということでございます。
ちょっと話が抽象的になりましたので、もう少し具体的に申し上げますと、まず基本理念との関係で申し上げれば、民間型ADRに対して国として何らかの形で支援するか否かという問題については、多様な紛争解決手段の中で、この中には勿論裁判、ADR、相対交渉があるわけですが、裁判や相対交渉との関係でADRをどのように位置付けるのかという問題がございます。更に、その上で司法型・行政型・民間型ADRがADRになるわけですが、それぞれどのような役割を期待するのかということもやはり考える必要があるわけでございます。
例えば、一例で申し上げますと、現在は司法型ADRに加えまして、国の政策上ADRという手段が必要であると判断される分野につきましては、これまでそれぞれ行政型ADRを設置することによって対応してきたわけでございます。これをある意味で転換あるいは発展させて、民間型ADRも国の政策上相当の役割を担うものとして位置付けるのかどうかといった点についても、やはり十分議論を尽くす必要があるのではないかと思います。
その際には、先ほど申し上げましたように、同じ自主的紛争解決手段の中で、ADRと相対交渉があるわけですけれども、ADRが関与する場合と関与しない相対交渉の場合で差があっていいのかどうかということについても、十分考え方を整理する必要があるのではないかということでございます。その上で、民間型ADRに対する国の関与について考え方を整理する必要があるのではないかというわけでございます。
これまで検討会の一巡目の議論ということでいろいろな論点について議論してきたわけでございますけれども、その中で考えられる国の関与の形態といたしましては、まずはADRの位置付けの明確化でありますとか、あるいは利用促進のための法制上・財政上の措置でありますとか、あるいは場合によっては所要のルールを設定するとか、そういったいろいろな形での関与ということが考えられるわけでございますが、国はどのような形でどの程度まで民間型のADRに対して関与していくべきか、あるいは関与しないべきかということについての議論を経て、国による支援についての考え方が導き出されてくるのではないかと考えるわけでございます。
若干、ある意味では水を差すような議論になってしまったかもしれませんが、広い意味での法律扶助につきましては、ADRの拡充・活性化という観点からのみとらえますと、どうしても単純な積極論ということに留まってしまうと思われますので、敢えてやや骨太といいますか、少し水を差すようなことになってしまったかもしれませんが、大きな議論をさせていただいた次第でございます。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。ただいまの御説明からもお分かりのように、この問題はADRの基本理念に関する議論や、国のADRに対する支援が全体としてどんなものであるかということの一環として本格的には議論すべきだろうと思います。そういたしますと、今日はそれについては時間も足りませんので、今日は今の御説明を中心とした質問、あるいはこれからどういうスタンスで議論すべきかという問題整理、それについてまず今日は御意見を伺うことにしたいと思います。
それでは、御質問があれば、まず御質問から。
○龍井委員 1点だけ伺いたいので、今でなくても結構なのですが、先ほどの援助要件というところで3つ示されたわけですが、資料8-3の1ページ目ですね。この実績の母数といいますか、つまりどの程度援助申込みがあって、それはほとんどクリアーされているものなのか、あるいはケースによってはそうでないのかということ。それから、立替えの返済の実態ですね。先ほど自己破産が多いということがありましたので、それがどういうような実態になっているか。
もう一つ実利的なことで恐縮なのですが、チャートの一番右側に立替金の猶予・免除というのがあるのですが、これがどういう条件のときにそうなるかというのを、もし分かれば簡単に教えていただきたいのですが。
○小林参事官 まず、申込件数の方ですが、先ほどの平成13年の資料との関係でいきますと、代理援助に関するもののみ区分した数字はございませんが、援助全体としての申込件数は6万9,611件でございます。それから、返済の状況ですけれども、法務省の方に確認したところ、取り方がいろいろあると思うのですけれども、おおむね六、七割が償還されているということでございます。それから、猶予の具体的な基準ですね。
○龍井委員 猶予と免除の基準です。後ほどでも結構です。
○青山座長 それでは、その点は資料として次回に出していただけますか。
○原委員 素人の質問かもしれませんが。法律扶助というのは司法制度の中に出てきている考え方ですよね。一方で、消費者相談をやっていると、行政型ADRと呼ばれているものが例えば東京都の被害救済委員会などがあるのですが、2ページの表を見ると、ADR利用者への支援という形のところで、実際には若干の手数料は取っていますけれども、ここも支援しているし、それからADR機関への支援とか、環境整備面でも行政が全部やっているので、そういう周辺のコストは全部行政が負担をした形で、利用者が若干の利用料を払うというところでのADRの利用の仕方というのがあるのです。これは司法とは離れて行政型ADRの費用負担の在り方ということになると思いますが。
こういう考え方は、先ほどもちょっと諸外国の話をしましたけれども、司法制度の中で話をしていくと法律扶助の話が出てきて、そうすると私人間の争いに何で税金を使うのかという話になるのは私も当然だという感じがするのですね。もしも、私人間の紛争のところに、ADR機関を利用する人に対しても何らかの補助をするということであれば、やはり何らかの要件が必要なのだろうという感じがするのです。一方で、日本型なのかもしれませんけれども、行政型ADRと呼ばれているものでの解決手法みたいなものもあって、ここは周辺のコストをかなり税金という形で負担をしているということになると思うのですが、この辺は諸外国などではどのように整理されているのでしょうか。
○小林参事官 2つの論点があったと思いますが、まず行政型ADRをどう考えるかということにつきましては、これも先ほどの説明の中で若干触れましたけれども、当然裁判を受ける権利は保障されているわけですけれども、それのみならず、特に社会的に弱い立場にある方の権利保護や救済を迅速なり、あるいは低廉な料金で実質的に確保するという観点からこれまでつくられてきたという経緯は、恐らく間違いではないのではないかと考えております。したがって、そうした措置を講じられている上に、更に言わば法律扶助のようなことを考えるのかどうかということは先ほどの議論になるわけでございます。
では、諸外国の方の状況はどうかということでございますが、これはどちらかというと、司法といいますか、法律扶助の制度の比較でございますけれども、これについては必ずしも詳細を承知しているわけではございませんが、いわゆる主要国につきましては裁判手続に関する援助に限りませんで、示談交渉なり一定の紛争解決手段の裁判前の手続の援助も対象としている例が多いと聞いております。
○原委員 そうすると、一応申し出ることはできると。それである程度要件があって、それにかなえば、私人間の争いであっても、別に訴訟というところまで行かなくてもOKだという形なのですね。
○小林参事官 ただ、そこで考え方が、結果的には訴訟に行かないけれども、訴訟を念頭に置いて、それのいわば前手続としての支援をするということと、それから訴訟を全く考慮に入れず、ひょっとしたら行くかもしれないけれども、そもそもADRというものを正面に据えて扶助をするということは、結果的にはどちらでもいいのだということかもしれませんが、考え方としては相当大きな違いがあるのではないかということです。訴訟を念頭に置いた法律扶助ということからすると、諸外国の場合でも対象となっているケースが多いというころです。
○山上企画官 若干補足いたしますと、まさに国によって、どのような事件を対象に扶助するかどうか、あるいは主体その他スキームを含めまして、全く違っておりますので、今参事官の方から申し上げた点について言えば、例えばアメリカのケースでは、受任した弁護士が適当であると考える手段を選ぶということになっていますから、結果として裁判外の手続も対象になるということです。
一方で最近、これは山本委員がお詳しいかと思いますが、フランスでは98年に関係法令が改正されたのですけれども、それによりますと、やや日本的な制度に似ていると申しますか、訴えの提起の前に和解に至ることを目的とした交渉については扶助の対象にしているという形であり、原委員がおっしゃった点については、国によっていろいろな形態があるということでございます。
○山本委員 民事法律扶助法案の前提となった法務省の法律扶助制度研究会の方に関与した者として、若干補足的に申し上げたいと思います。
研究会での議論の経緯は、先ほど小林参事官からのお話があったとおりで、さまざまな議論がありました。最終的な報告書の中では、裁判前援助の位置付けについては、紛争の早期解決、それから紛争解決制度全体のコストダウンという観点から、これを積極的にとらえ、充実させる必要性が高いという形で位置付けられました。
具体的な適用については、法律扶助制度研究会の報告書、それから法律扶助法案全体がそうですけれども、基本的な裁判を受ける権利を保障するという裁判を中心に位置付けたものとなっております関係で、どこまで裁判前援助を対象にするかということについてはかなり微妙な言い回しがされております。
読み上げてみますと、「示談交渉の延長線として適切な紛争解決方法として選択された場合の弁護士会による仲裁制度等についても、対象とすることは考えられる。」ということです。これは弁護士会の仲裁制度を挙げておりますので、仲裁はやはり対象に含まれるということを研究会の段階では前提にしていたのだろうと思います。ただ、「適切な紛争解決方法として選択された場合の」という修飾語がついているところに、その微妙さが表れているわけでありまして、何でもいいとは言ってはいなかったわけです。
最終的に、民事法律扶助法案が、先ほど御紹介があったような形で、調整型に限定されたように読める文言になっておりますのは、民事法律扶助法案が成立したのは2000年の通常国会だったと記憶しておりますけれども、私の理解ではこの時点では既に司法制度改革の議論が始まっておりました関係上、その中でADRが議論の対象になるということは当然考えられておりましたので、そこでの議論におけるADRの位置付けを見守って、最終的な法律扶助での位置付けも決めるということであったように思います。私は確か民事法律扶助法案について参議院の法務委員会に参考人として招致されたときも、そういう発言をしたのではないかと記憶しておりますけれども、私自身はそう認識しておりまして、まさにこの検討会で今進められている議論を見守って最終的な位置付けを決めるということであったかと思います。
諸外国においては、まさに先ほど御紹介があったとおりの状況だと思いますけれども、フランスなどでも、先ほど1998年改正の御紹介がありましたが、まだ可決には至っておりませんが、現在、国会に上程されている法律扶助法の改正案の中では、ADRに対する適用をより広げるという方向での条文があるように承知しております。諸外国においては、恐らく裁判での援助といいますか、そういう面での法律扶助のコストが非常に高くなっている。フランスでもそうですが、非常に急増している関係で、むしろADRの段階で税金を出した方が、国としてのコストが抑えられるという問題意識がイギリスなどは顕著ですけれども、フランスなどでも同じようなものがあるのではないかと思います。
そういうことを考えますと、果たして日本でどうなるかということはかなり微妙な問題で、今でも日本の法律扶助は、裁判援助は必ずしも十分な状態ではありません。先ほど御紹介のあったように、消費者倒産にかなりの予算を取られておりまして、しかも倒産件数、破産件数が急増しているという状況にありますので、今、予算を配分するとして、果たしてADRの方にまで回していくことが、予算の配分として、あるいは国民の裁判を受ける権利を実質的に保障するという観点からして相当かどうかということは、なお慎重な検討が必要ではないかと思います。しかし、この点は諸外国において法律扶助の適用というのが、ADRの活性化の重要な要素として多くの国で位置付けられているということを考えれば、やはりこの検討会でも今後も慎重に検討していくべき課題だろうと思います。
以上です。
○青山座長 どうもありがとうございました。
○廣田委員 そうすると、抽象的に議論するよりも、行政型・司法型・民間型というものを想定して、しかもその中で代理人に費用が非常にかかるものもありますが、手数料が民間型はかなり高いですから、訴訟救助に相当する手数料まで対象に入れるかという問題も含めて、ある程度現状を踏まえた上で、この辺までは扶助すべきであるという線を出した方がいいということになるのですか。そういう議論になるとすれば、現実にどの程度、どのようにかかっているということをある程度知っておいた方がいいと思います。
○青山座長 これは第2巡目でもう少し議論して、どういうところに線を引くかということも含めて議論をさせていただきたいと思いますが、今日はこれでよろしゅうございますか。
○三木委員 ちょっと質問を。国庫による紛争解決費用の援助の仕組みとしては、今ここで議論されている法律扶助の仕組みと、それから既に行政型ADRではなされているように、ADR自体に費用を投下して、結果として利用手数料等を安くすることによって利用しやすくするという両方のスキームがあり、勿論現在、民間型にはそういったADRへの費用投下というのは行われておりませんけれども、考え方としてはそれを民間型に広げるということもあり得るわけですね。
ここで法律扶助とADRの関係をどうするか論ずるときに、ADR機関への国の費用の投下という問題はリンクさせて扱うのでしょうか。それとも、その問題は全く扱わないということでしょうか。
○小林参事官 直接のお答えになるかどうか分かりませんが、先ほど廣田先生からも御指摘のありましたADRの手数料自体ですね。裁判で言えば救助制度でカバーされている部分でございますが、これについても、法律上は対象になり得るということでございまして、しかし、現行の実務の基準上は対象になっていない、明文の規定はないわけでございます。したがって、手数料という意味からすれば、そこは当然議論の対象になり得ると考えております。
更にそれを発展させて、運営自体に要する費用について支援をするかどうかという議論についても、これは関与の一環として議論の対象にはなり得ると思っています。別にそれを排除するつもりはありません。
○三木委員 費用対効果の関係で、先ほど山本委員がフランスの例を紹介されましたけれども、私は現状は知りませんが、場合によっては法律扶助のスキームよりも機関援助の方が費用対効果が上がるということもあり得るわけですね。ですから、限られた予算の中でどうするかというときにはそちらの問題もあり得るとは思います。
○青山座長 資料8-3の2ページ目の支援の体制の中の環境整備面での支援というのはそういうことを含めていますけれども、とりあえず法律扶助の方の拡張については、それだけ単独で、利用者に対する支援という面に限定して議論していただいた方が混乱が少ないかなと思います。
○小林参事官 その関係で、今申し上げたのは、利用者という観点からいっても、手数料まで見ると結果的に機関を支援しているということと同じことになりますので、そこは扶助の観点からの議論をしてもカバーするところでございます。
○青山座長 先ほど山本委員の発言は非常に重要な御指摘で、ここでのADRの議論がひょっとしたら法律扶助に関する法律の改正にもつながるかもしれないということで、こちらに下駄を預けられていると。しかし、他方では、ADR全体の予算が狭隘で、しかも申請件数が非常に多くなっているということから、実際にこちらで何か結論を出してもADRにどれだけ回るか分からない。これはそういう現実があるということも踏まえながら、次回以降、また法律扶助の対象化の議論を続けさせていただきたいと思っております。
[その他]
○青山座長 それでは、最後に、本日は第二読会いいますか、2巡目の議論に入る前に議論しておく項目がないかどうかということを確認した上で、当面のスケジュールをお諮りしたいと思っております。
私の見たところ、本日までにADRの制度基盤の整備に関して意見書で指摘された項目については、そこで明示されているものについては一通り全部事務局の方で洗い出して、御議論をしていただいたと思っております。これまでの当検討会で出された意見を総合いたしますと、意見書には確かに明示的には書いてないけれども、第二読会に入る前にもうちょっと議論をしておいた方がよいのではないかという点が私の見るところ2点ございます。
それを御紹介させていただきたいのですが、第1点目は、これは何人かの委員からも出てきましたし、今日、綿引委員もおっしゃいましたけれども、ADRの通則的な規律といいますか、いわばすべてのADRについて共通する最低限のルールというものがあるのかどうか。あるとすればそれはどんなものであるか、先ほど中立性とか公平性ということも言われましたけれども、そういうことを議論する必要がないだろうかというのが第1点でございます。
もう1点は、これは前に時効中断のところで出てきた議論ですけれども、時効中断というような効力を付与するとすれば、時効中断に限りません、法的効果を付与するとすると、何らかの方法で、線引きという言葉はよくないかもしれませんが、どこかでADR機関を、この機関の場合にはそういう効果は認めていいとか、認めては困るという議論をせざるを得ないのではないか。その場合にどういう方法で、法的効果を付与するとすれば、その前提としてそういう効果が与えられるADR機関なり、ADR手続の要件というものについて若干議論をいただいた方がいいのかなという、この2点がございます。
すべてのADRに共通のルールのようなものがあるかどうか、ADR機関についてもう少し法的効果が与えられる要件というものを議論する必要があるかどうか、その2点について一度横断的に議論しておく必要があるのではないかというのが私の感じでございます。
それから、これは議論ではないのですが、第1回目から出ておりましたけれども、三木委員がUNCITRAL国際商事調停モデル法の会議にずっと出ていらっしゃいますので、そのモデル法をなるべく早い時期に説明していただいて、我々も勉強したいと思います。
そこで、私が申しました今の2点が必要だということでよろしければ、それではそれをどのようにこれからの会議でやっていくかということをお諮りさせていただきたいと思います。
そこで、お手元に資料8-4という1枚紙の資料がお配りされていると思います。この資料8-4の日程そのものは、各委員の御都合を伺った上で事務局がこういう日程にしたわけでございますが、そこでこの日程を少し説明させていただきます。
まず次回の第9回、11月11日でございますが、ここでは私が今申しました2つの論点を御議論していただければありがたい。これは第2巡日、第二読会に入る前にこの点を詰めておいた方がいいということから、次回にこの議論をしていただいたらどうだろうかと思います。
もう一つは、やはりこれは第二読会に入る前の作業といたしまして、夏休みの宿題を出していただきましたものですから、今私がそれを読んでいるのですけれども、これを整理いたしまして、総論に関する論点整理メモというものをお配りし、これからの議論の基本的枠組みを次回で検討したい。先ほどの2つの論点とレポートに基づく論点整理について議論をしていただくというのを第9回にやってはどうだろうか。
それから、次の第10回でございますが、これからは第二読会に入るわけですが、第10回目は基本理念等に関する二回り目の議論を行うと同時に、先ほど三木委員にお願いいたしましたUNCITRAL国際商事調停モデル法の概要を12月9日に御説明いただいたらどうだろうか。よろしゅうございますか。
その次の第11回でございますが、これは年が明けて来年の2月でございますが、11回以降は第10回目までの議論の進捗を踏まえまして、今度は各論について二回り目の議論を進めていったらどうだろうか。内容はこれから事務局と一緒に詰めますが、そういうことにさせていただいたらどうだろうか。
それが今後のここでの議論をしていただく予定といいますか、計画でございますが、こういう進め方につきまして、何か御意見あるいは御注文、御質問がありましたら伺いたいと思います。どうぞ、原委員。
○原委員 議論を始めて半年以上たって、周りからどういう議論をしているのとよく聞かれて、今回『自由と正義』にも掲載されたりしていますけれども、私としては11月11日が終わって12月9日辺りに、簡単な論点メモというのをもうちょっと広くオープンにできないかなと。意見を聴取するというところまではいかなくても、こういうところを非常に論点としては考えているのだということをもうちょっと広げた形で出していただけたらいいなと思っております。
○青山座長 これは検討させていただくということでよろしゅうございますか。どうぞ。
○廣田委員 私は先ほど座長がおっしゃった、専門家の活用という問題について、具体的な機関でどのような専門家を活用するかとか、72条の問題がありますね。
これは避けて通れないと思います。また、今もおっしゃった通則的規律にするかどうかというのも、ADR全体を広くとらえるか、誰が担い手になるのか、代理人はどうなのかということと、それからもう一つ、法的効果を付与する機関に線引きするかどうかという問題も全部これに関わってきますので、勿論今の流れでいいのですが、一応それを先にどこかで議論する方がよいと思います。時間的には次回と次々回ぐらいにどこかでやってからの議論の方が、ここがどうなるか分からないのに、通則的な規律ということはなかなか共通のイメージが持てないのではないかと思います。ですから、それは先にやっていただきたいと思います。
○青山座長 分かりました。今おっしゃることは非常によく分かりますので、次回か次々回のどこかに、通則的な議論、あるいは線引きの議論と絡めながら今の議論をしていただくということでよろしゅうございますでしょうか。時間をどのように調整するかは事務局とこれから打ち合わせます。確かに、先ほどの議論は入り口の問題点の指摘だけあって、中身はほとんど詰まっていないという状況ですので、第二読会の前にもう少し詰めたいという気持ちは私も持っておりますので、そのようにさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
ほかにどうでしょうか。よろしゅうございますか。
それでは、時間でございますので、次回は、今日程が示されたとおり2週間後でございます。11月11日には残された論点について議論を行うとともに、論点整理メモをベースに制度基盤整備に関する基本的な枠組みというものを検討していきたいと思います。
それから、開始の時間でございますけれども、資料8-4のとおり、開始時刻は本日よりも30分早く、1時半からでございますので、お間違えのないようにお願いします。
それでは、本日の検討会はこれで終了いたします。どうもありがとうございました。