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行政訴訟検討会(第10回)議事録



1 日 時
平成14年11月21日(木) 13:30〜17:30

2 場 所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、成川秀明、福井秀夫、福井良次、水野武夫(敬称略)
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官

4 議 題
1.論点についての検討
2.今後の日程等

5 配布資料
資料1 行政訴訟の類型に関する検討資料(補充)

6 議 事

【塩野座長】では、所定の時刻になりましたので、第10回の行政訴訟検討会を開催いたします。事務局から本日の資料についての説明をお願いします。

【小林参事官】本日の資料は一つだけでございまして、「行政訴訟の類型に関する検討資料(補充)」というものです。第8回検討会に、資料5ということで、「行政訴訟の対象及び類型に関する検討資料」というものをご提出いたしましたけれども、それを補充したものでございます。
 以上でございます。

【塩野座長】それでは、今日配布された資料の中で、7月6日の行政法研究フォーラムの報告がジュリストに掲載されたものがございます。芝池委員と小早川委員が発起人で、何か、ここについて、コメントありましょうか。

【芝池委員】特に、ございません。最初に私の名前が挙がっておりますが、これは、私が発起人の一人であり、また、小早川さんからお前がやれという指令があったためです。一つご注意いただきたいのは、いくつかの論文があとに載っていますが、その内容が、当日の報告と少し異なっているものがございまして、したがって、最後に討議の概要というところがありますが、ひょっとしますと、ここと食い違いといいますか、うまく対応しないところがあるかもしれない、ということであります。それから、最初の「趣旨と経緯」のところで、阿部さんが60歳以下ではないような書き方をしていますが、現在60歳でいらっしゃいまして、以下と未満の使い分けの誤りであります。それから、これも弁解になるんですが、ちょうど真裏になります、討議の最後のところでありますが、左側のページで、東京都立大学の人見さんが、申請拒否処分について、公定力あるいは不可争力は不要であるという考えを述べられまして、そのお考えは、ここで一度お伝えしましたけれども、ちょうどその下の方で、小早川さんがそれに対する反論を述べておられます。それを失念しておりまして、ここで紹介するのを忘れておりましたので、あらためて指摘させていただきます。以上でございます。

【塩野座長】それでは、資料として、よろしく、ご利用をいただきたいと思います。
 今日の議事日程は、論点についての検討ということでございまして、その論点としては取消訴訟についての検討を訴訟類型の検討と関連させながら、議論を深めるということでございまして、訴訟類型そのものにつきましては、既に前々回に一応のご議論はいただいております。そしてそのうちの一つとして取消訴訟を前回、議論していただいたわけですけれども、議論の過程を振り返りますと、お分かりいただけますように、この訴訟類型と取消訴訟というものをどう設定するかということについては、非常に深い関連がございます。そういうことで今日は他の訴訟類型ということで、事務局の方の説明がありますけれども、取消訴訟について、こう考えるとこうだ、というような形での、前回の議論も踏まえながらのご発言ももちろん、歓迎いたしますので、よろしくお願いいたします。それではまず最初に事務局から資料の説明を頂きたいと思います。

【小林参事官】資料の1でございます。まずこの資料につきましては取消訴訟以外の抗告訴訟というところで、(1)として「抗告訴訟という訴訟類型の意義」という項目を設けてございます。抗告訴訟につきましては、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」をいう、とされておりまして、第8回のときに事務局からもご説明申し上げたように、行政事件訴訟法は抗告訴訟と当事者訴訟というのを主要な訴訟類型として、まず最初にそれを併せたものが行政訴訟であるというような形の訴訟類型の定義、行政訴訟の定義がされている、ということで、この抗告訴訟というのが非常に大きな意義をもっているわけです。その抗告訴訟について、「公権力の行使に関する不服の訴訟」というふうに定義をしたということから、そういったことと、行政庁の第一次的判断権の尊重と関連させて論じている見解として、極めて有力な見解として田中二郎先生の教科書を参考に掲げたものでございます。これは司法制度改革審議会の意見書におきましても、行政庁の第一次的判断権の尊重というものをどう考えるのかという問題の指摘があったことですので、抗告訴訟と行政庁の第一次的判断権の関係について、ご検討をいただきたい、ということでございます。田中二郎さんの教科書を読みますと、1頁のところにありますように、「抗告訴訟の抗告訴訟たるゆえんが、行政庁の第一次的判断が明示的にしろ黙示的しろ公権的に下されていることを前提として、これに抗議し、それによって生じた違法状態を排除することにあるとすれば、単純に行政庁の第一次的判断を求める給付訴訟とか、行政庁に第一次的判断をすべき義務があることの確認を求める義務確認訴訟とか、さらに行政庁の権限の不存在の確認を求める訴訟のごときは、少なくとも抗告訴訟の範疇には属さないといわなくてはならぬ。」と、こういうような考え方を述べられておりまして、下のほうの注のところで、下から8行目のところで、「司法権は、行政権の第一次的判断権を尊重すべきものであって、ただ、それが違法に行なわれた場合に、これを取り消し変更し又はその無効の確認をするに止まるべきであって(行政庁はこれに拘束されて何らかの行為をすることになる)、司法権が行政権に代わって一定の処分をするとか、行政権に対して具体的な特定の処分を義務づけることは、行政権の第一次的判断権を侵し、行政権に不当に介入するものとの非難を免れない。それは司法権と行政権の本来の機能の差異を無視し、行政責任の原則を紛糾させ、ひいては、司法権万能に陥らせるおそれもないではない。」と、このような考え方を述べられているわけでございます。
 他方で、事務局の方で取消訴訟以外の抗告訴訟、つまり抗告訴訟一般についてどういう特色があるのかということを法律の規定から探してみますと、それが2頁のところに、1行目から挙げられておりますように、被告適格として、「訴えは行政庁を被告としなければならない」ということと、管轄の問題として、「行政庁を被告とする抗告訴訟はその行政庁の所在地の裁判所の管轄とすること」、それから3番目に「当該処分又は裁決に係る事務の帰属する国又は公共団体に対する損害賠償その他の請求への訴えの変更ができること」、それから4番目として「訴訟の結果により権利を害される第三者の訴訟参加ができること」、この4つが条文の規定のみから見ると、こうした特色が挙げられることになるわけでございます。④の「第三者に対する効力」ということになりますと、取消訴訟以外は法律上は第三者に対して効力を有するとはされていませんので、こういう規定をする必要があるかどうかというのはなお検討をする必要があるのではないかという問題と、それから②と③で挙げましたところは、行政庁が被告になっているということと密接な関連を有する規定であるということからすると、前回ご検討いただきましたように被告を行政庁から行政主体、国または公共団体に改めるような方向性で検討するとすれば、こうした規定の見直しについても検討が必要になってくるのではないかと。さらにこのような取消訴訟以外の抗告訴訟一般というものを考える必要性というのは、そういったどういう規定を設ける必要があるかということから、さらに検討していく必要があるということではなかろうかと思いますので、今後の取消訴訟以外の訴訟類型というのはまずどういうものが必要かということを考えていった上で、さらに抗告訴訟という訴訟類型の要否というのも検討していく必要がでてくるのではないかと、このような問題意識をここに掲げた次第でございます。
 次に、無効等確認の訴えにつきまして、(2)のところで、書いてありますけれども、この無効等確認の訴えにつきましては、抗告訴訟とされておりますので、公権力の行使の無効確認、したがいまして、行政庁の処分に対する無効確認を念頭に置いているということでございます。その問題点につきましては4頁の③という項目のところに、「無効等確認の訴えの限界及び問題点」として掲げてございます。後ろの方に別紙1という形で、それを図解した資料もありますので、参考までにご覧頂きますと、11頁に別紙1というのがありますけれども、事務局の方で整理しました無効等確認の訴えの限界及び問題点というのは、一つは「対象」の問題。つまり処分に限られるということ。それから2番目に「原告適格」の問題として、訴えの利益を有するものの制限がされているわけですが、これが一般の民事上の訴えの利益との関係で、やや狭いと解される可能性があるのではないだろうかという、そういう問題点を指摘しているわけでございます。戻りまして、4ページのところでございますが、この無効等確認の訴えについてご検討をいただくに当りましては、前回の検討に当っても、取消訴訟には出訴期間があると。そうすると処分というものを広げていった場合に、逆に出訴期間の制限を受けることになるのではないか。一方、処分に当らない、取消訴訟の対象とならない行政行為で、何らかの法律上の効力があるようなもの、というのもむしろあり得るのではないかと。逆に出訴期間をかけないで、当然無効になるような行政作用、そういったものを考えたときに、その効力の確認というものができるような、そういうことはどうなんだろうか。それを考えるような場合については、現在の無効等確認訴訟というのは対象が処分ということに限られていますので、取消訴訟の対象と全く同じ仕組みで考えているけれども、さらにその範囲を広げて、争うことができる場合も考えてもいいのではないだろうか、ということが問題として指摘しているわけでございます。
 他方で、そうやって考えてまいりますと、どこまでが対象になるのか、ということが次に問題になりまして、法律上の効力のあるものとして、例えば規則であるとか、政省令であるとか、条例であるとか、あるいは行政計画であるとか、こういったもので処分に当らないものを、そういったものをどう考えるのか。さらには行政指導のように、これは行政手続法上は効力は有しない、とされていると思うのですが、実際上、行政指導を受けたことによって、経済活動、国民の自由という観点では自由な活動が阻害される場合もあり得るのではないかと、そういったご指摘もあるということですので、どういった場合にそれではそういうことを裁判所に確認を求めることができるのだろう、ということを検討しなければならないのではないか。それを検討しようと思いますと、それでは通常の民事訴訟において何らかの行為、効力、あるいはその適法性、そういったようなものを確認を求めるという場合が、どこまで許されているのだろうか。その場合の確認の対象なり、確認の利益といった問題と、行政訴訟でそれを仕組んだ場合の確認の対象なり、確認の利益というのは同じなのか、違うものなのか。もし同じとしたら、それを行政訴訟で書く意味は何なのか、ということを検討していく必要があるのではないか、ということをここに掲げたものでございます。ちなみに、最高裁の判決を5頁の方では引用しておりますが、最高裁の判決それ自体は、今度は無効等確認の訴えの原告適格の話になるんですが、その無効等確認の訴えの原告適格については、要件が絞られすぎているのではないかというような問題意識が事務局なりにはお示ししているところでありまして、これはどういうことかと申しますと、4頁の上からずうっときて、現在の法律関係に関する訴えによって救済が得られる場合を除いているということで、確認の利益というのは必ずしもその現在の訴えに全部還元できるときはおよそ確認の利益がないということが、通常の民事訴訟の原則であればこれは民事訴訟と同じことを定めた、ということが言えるのではないかと思うのですが、これが一般の民事訴訟の確認の利益と全く同じかと言うことになりますと、この行政事件訴訟法が制定された後に、出されました最高裁の判決として、これは別紙の2というところに、12頁に掲げてあるのですが、特にこれも大法廷の判決、昭和45年7月15日の大法廷の判決ということで、しかも反対意見がかなり多い、それだけ論争になる案件であったわけですが、その中の裁判官、大隅健一郎裁判官の補足意見ということで、12頁の下から4行目以降にあります。ここに書いてありますように、「確認の訴は、その対象とする法律関係につきいわゆる確認の利益がある場合においてのみ許されるものであるが、かかる利益は、当該法律関係に関して当事者間に法律上の紛争が存し、これがためその訴の原告の法律上の地位に不安、危険があり、判決をもつてその法律関係の存否を確定することが、右の不安、危険を除去するために必要かつ適切である場合において認められる。そして、このような法律関係の確定は、事の性質上、右の目的のために最も直接的かつ効果的になされることを要するのであつて、通常は、紛争の存する現在の法律関係について確認を求めることが適当であるとともに、それをもつて足り、その前提となる過去の法律関係に遡つてその存否の確認を求めることは、その利益を欠くものと解せられる。しかしながら、このことは、現在の法律関係において確認の利益が定型的に顕著に認められるから、それが確認の訴の通常の対象とされることを意味するものであつて、過去の法律関係であれば当然に確認の訴の対象として適格を欠くことを意味するものではない。過去の法律関係であつても、それによつて生じた法律効果につき現在法律上の紛争が存在し、その解決のために右の法律関係につき確認を求めることが必要かつ適切と認められる場合には、確認の訴の対象となるものといわなければならない。すなわち、現在の権利または法律関係の個別的な確定が必ずしも紛争の抜本的解決をもたらさず、かえつて、それらの権利または法律関係の基礎にある過去の基本的な法律関係を確定することが、現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のため最も適切かつ必要と認められる場合のあることは否定しがたいところであつて、このような場合には、過去の法律関係の存否の確認を求める訴であつても、確認の利益があるものと認めて、これを許容すべきものと解するのが相当である」。つまり過去にされた処分の無効の確認という、過去の法律関係の確認ということであっても、現在の法律関係の訴えに全て置き換えて解決しなければならないというものではなくて、それが紛争の直接的かつ抜本的な解決のために最も適切かつ必要と認められる場合もあるんだ、ということだとすると現在の法律関係に関する訴えで解決できないということが厳密な意味で必要かと言うと、今の通常の民事訴訟の範囲では必ずしもそうは言い切れないのではないかと。それで平成4年の最高裁の判決が5頁に掲げてあるわけですが、最高裁の判決も比較的それを柔軟に解しようとしているのではないかと思われるのですが、立法上の問題として、そのような制限を課すことが現在の民事訴訟の一般原則との関係で、狭すぎるということがないだろうかと。仮にそれがもし狭いのだとすれば、そういうものを存置する必要性というのをどのように考えるのか、ということについてもご検討いただく必要があるのではないかと、このように考えている次第です。
 それから、(3)の「不作為の違法確認の訴え」というのが6頁にございます。この不作為の違法確認の問題点につきましては、7頁の④というところに、「不作為の違法確認の訴えの限界」という項目を立ててございます。「不作為の違法確認の訴えができる場合は、「法令に基づく申請」をした場合に限られる(行政事件訴訟法第3条第5項)。「法令に基づく申請」がない場合、行政の不作為が違法でも、不作為の違法確認の訴えによってその違法の確認を求めることはできない。」。他方で、「国家賠償では、行政の不作為が違法になるのは申請をした場合に限られない。そこで、①行政の不作為が違法である場合に、「法令に基づく申請」がないときでも、現行法で救済が可能かどうか、②現行法で救済が可能であるとすればどのような救済が考えられるか、③新たな救済方法を認めるべきであるかどうか、また、④その場合どのような救済方法が認められるべきか」、このような問題点について検討する必要があるのではないか、ということでございます。
 それから7頁の下から5行目のところで、今度は救済方法の問題です。「不作為の違法確認の訴えの救済方法は、「処分又は裁決をしないことについての違法の確認」に限られる」ということでございます。したがいまして、判決で違法の確認がされても、特定の内容の処分をしなければならないという拘束力は生じない、ということでございます。
 そこで問題点は8頁の方でございますが、これはまたこれからご検討いただくことではあるんですが、行政法の仕組みの中で行政の方で国民に対して何か特定の内容の処分をしなければならないという法律上の義務が発生する場合というのはあるのかないのかという問題がありまして、そういう特定の内容の処分をしなければならないという法律上の義務が具体的に発生する場合もあり得るのではないだろうか、という点についてご検討いただきたいとともに、その場合に①としまして、そういった特定の内容をする義務が行政に発生するとしたら、そういった特定の内容の処分をしないことが違法であるということの確認を求めたり、あるいはその給付、その処分をして下さいという給付請求をする、そういった権利というのは、国民にとって発生するのだろうか、してもおかしくはないんじゃないだろうか、というふうにも考えられるわけですが、そういったことが現行法上、可能なのかどうか、そういった問題があろうかと思いますし、その場合にも違法であることの確認を越えて、さらに給付まで命ずる必要があるのかどうか、といった問題もあろうかと思います。
 それから②のところで、そういったことが法律上、義務が発生するとすれば、現行法でもそういったことは命ずることはできないのか、そういったことについて、法律上規定することが、明文の規定で、規定する必要があるのかどうか、という問題が②の問題でございますし、さらに先ほど田中二郎先生の教科書を引用しておりましたように、行政の第一次的判断権とか、司法と行政の役割分担という観点から、そういった行政に対して何かを命じたりするような訴え、そういったものを三権分立の観点から、どう考えるのかということもご検討いただきたい、ということでございますし、その裏返しの問題ではあるんですが、そうしたものを規定した場合に、処分、つまり処分の給付を求めるような訴訟を明文化した場合に、いろんな行政について、多様な国民からその処分の給付を求めるようなことも可能になってくるわけですので、そういった場合に何か弊害が生じないだろうか、という問題。
 それから5番目の問題としては、そういった給付を命ずるということをもし認めたという場合になりますと、先ほどの不作為の違法確認の訴えとの関係はどのように整理するのかと。田中二郎先生の本を見ますと、不作為の違法確認という範囲で認めたのであって、義務を命じたり、その処分の給付を命じたり、そういった義務付けをするようなことは予定してないのではないか、というような考え方もあるようでございますので、そのような関係について、違法確認の訴えを認めた趣旨とこの給付の訴えとの関係をどういうふうに考えるのかという問題点を整理していただきたい、ということでございます。
 それから(4)はその他の抗告訴訟ということで、抗告訴訟というふうに考えるかどうかということは別問題として、やはりこれまでの検討の中でもなるべく行政と国民との間で生じてくる多様な紛争をなるべく訴訟制度の中で幅広く実効的に救済していこうじゃないかというのが、これまでの検討の中で述べられてきた大きなご意見だろうと思われるわけですが、そういった救済の必要性に応じて、その多様な救済方法を考えるに当って、行政庁の違法な処分、それの差し止めを求める請求というものはどのように考えられるべきなのかということの問題も指摘してございます。ちなみにそこに最高裁の判例とそれから独占禁止法と住民訴訟に関する地方自治法の規定を引用してありますが、問題点としては9頁の真ん中のところにありますように、「行政庁の違法な処分その他の公権力の行使に当たる行為の差止めを請求する訴訟の類型」と、こういうふうに書いてあるのですが、およそこの差止めの請求というようなものを考えるときに、独占禁止法なり住民訴訟なり、あるいは商法で株主による取締役の違法行為の差止めというのもありますが、対象となる行為というのは一体何だろうかと、何を差し止めるのだろうかということをまず考える必要があるのではないか、ということと、その場合に他の、差止めというのはいろいろ考えられるのでしょうけれども、権利義務関係の確認で、事前に救済が得られるという場合もあるでしょうし、ここで論ずべきものは、そうすると何らかの不作為の給付、行為の差止めということを中心に考えていって、権利義務関係の確認というようなことになると、先ほどの確認訴訟との関係で考えていけばよろしいのではないかと思うのですが、そのような整理でよろしいのかどうかというような問題であるとか、差止めを事前に行うということになりますと、他の取消訴訟や確認訴訟などの救済方法でも救済が可能であるとすれば、そういった差止めまで認める必要がどこまであるのだろうかという問題と、それから民事上の差止め請求権というのもありますので、行政訴訟として差止めを認める場合は、民事上の差止め請求との関係をどう考えるのか。
 それから4番目の問題としては、違法な行政処分の差止めを求める請求について、原告側で重大な損害が発生するというようなことを要件にするということが、考えられるのかどうか、というような問題や、5番目としては、あるいはその行政側の問題として、公共の福祉を阻害するおそれがあるような場合、そういったときについてどう考えるのか。このような問題点、一応事務局なりで考えたところをご指摘しているところでございます。それから当事者訴訟につきましては、9頁の2のところでまとめてございます。当事者訴訟について、どのように考えるかということですが、10頁の(3)というところで、「当事者訴訟についての検討の視点」ということを書いておりますが、当事者訴訟については職権証拠調べの根拠が定められているものではありますけれども、訴訟要件が限定されているわけではないのではないか。そうすると当事者訴訟自体の可能性というのは訴訟の一般原則によって決まると。それから当事者訴訟におきましては、10頁の上の方の5行目以降で指摘してありますように、多様な訴訟が考えられるということから、そういった特色と機能があるということなどについて、検討する必要があるのではないかということでございます。ちなみに事務局の方でこの差止め訴訟と当事者訴訟とそれから確認訴訟との関係で、若干気付いた判例として、最高裁の昭和41年の7月20日の大法廷判決というのがありまして、これは薬事法で法律の規定によれば、薬事法に基づく薬局の開設許可または許可更新の申請をしなければいけない、ということになるはずだけれども、その薬事法の規定自体が憲法に違反するという、そういう主張をして、そういう申請義務が存在しないということの確認を求めて訴えた、というのがありまして、その薬事法の規定自体は憲法には違反しないということにされてはいるんですが、最高裁判決自体はその訴えは当然、適法だという前提で実体上の判断をしている。その場合の最高裁判決の考え方について、担当調査官の解説を見ますと、そういった薬事法上の申請義務がないということの確認というのが公法上の地位資格を保有することの確認を求める公法上の権利関係に関する当事者訴訟である、というようなことを言われております。そういった確認訴訟を当事者訴訟として利用するということが実際にも行われていて、それが法令の違憲審査のような形で利用されている、ということも当事者訴訟の機能としては考えていただく必要があるのではないかと、このように考えている次第でございます。以上です。

【塩野座長】どうもありがとうございました。先ほど、冒頭に申しましたように、この今日お出ししている資料は、前回、取消訴訟についていろいろ議論が進みまして、そのいわば補充的ということもございましょうけれども、取消訴訟以外の訴訟類型を論じながら、取消訴訟との関係をもう一度、議論してみようという、そういうことだと思います。
 そこで、議論の順序ですが、ここに出ている順序で大体、よろしいのではないか。抗告訴訟という訴訟類型の意義について、特に第一次的判断権との関係で議論をしていただきたい。
 それから第2の論点は、取消訴訟の処分性と密接に関係があるところでございますけれども、無効等確認の訴えについての一まとめの議論をお願いしたい。このときにはしかし必ずしもその行政処分の無効確認だけに止まらず、先ほど事務局からのご説明もありましたように、じゃ行政指導はどうなのか、とかですね、行政指導の中でも勧告があって、次に公表が控え、それに従わないと、処分が起こるという、なされるという、そういった行政指導が法律のシステム、要件の一つに組み込まれているような場合はどうかとかですね、あるいは不法行為に当るような勧告、あるいは指導の場合はどうか、とか、そういった多少幅広にその他の行政の活動についての無効確認というか、違法確認の道のことも考えていただきたい、というふうに思います。従来、私の多少の反省もありますけれども、行政法では無効確認の訴えは原告適格が変にしばってあるものですから、一元説、二元説で、やや狭い土俵で議論をしてまいりましたが、今回はそうではなくて、もう少し土俵の幅を広げて、考えていただきたいという、そういう趣旨だと思います。
 それから、第3の論点が不作為の違法確認の訴えを始めとする行政の違法な不作為に対する救済方法に関する論点で、不作為の違法確認についても申請があったかないかとか、そういった申請が適法かどうかというようなことが本案なのか、訴訟要件なのかという、やや細かな議論をしてきたところもございますけれども、本日はそういったところよりももう少し、訴訟類型という観点からのご議論をいただきたい、ということでございます。
 第4点は、差止めの請求と、それから理論的にはその他の抗告訴訟と当事者訴訟は別だとは思いますけれども、先ほどの出された大法廷判決などは当事者訴訟の形で実は一種の差止めと申しますか、違法な処分がされたことの確認というふうにも機能いたしますので、ここは時間の関係にもよりますけれども、一緒にするということも考えられますし、あるいはその差止めの方に先に議論が集中すれば二つに分けて、議論するということも可能かと思います。ここは議論の成り行きに委ねたいと思いますが、大体、大きく4つ、あるいは最後の方を二つに分けるということで5つの論点に向って議論を進めていただきたいというふうに思っていますが、それでよろしゅうございますでしょうか。 そこで、第一の論点である抗告訴訟という類型の意義ということですが、この点については特に田中二郎先生の第一次的判断権の尊重との関係ということで、既に説明がありましたし、また今では少数説かと思いますけれども、非常に有力な説であり、また行政実務あるいは裁判実務もこれにかなり影響を受けているというところもございますので、ここをどういうふうに処理をするかという点について、率直なご意見を伺いたいと思います。どなたからでも結構でございますから、どうぞ。はい、小早川委員。

【小早川委員】さしあたり、意見ではなく、質問に近いのですけれど、事務局のお考えをもう少しお伺いたいのです。第1項の(1)項目の末尾には、先ほどご説明がありましたが、取消訴訟という訴訟類型を定めることの他に、それを含む上位概念として、抗告訴訟という類型を作っておくことが必要かどうか、そういった問題意識を出されているのですが、その前提として、今も座長からご指摘がありましたように、田中先生の見解が引かれているわけなんですね。田中先生の見解というのはこれは読み方によって、ちょっと二様三様の読み方ができるかもしれませんが、例えばここで今日引かれている中ですと、1頁の下から7行目、ここなんか一番端的に書かれているのです。司法権は行政権の行為を取り消し変更し、またはその無効の確認をするに止まるべきであって、これが第一次的判断権からくる帰結である、抗告訴訟というのはそういうものだ、ということを言っておられる。これは取消訴訟プラス無効確認訴訟以外の何でもないです。そういう田中説を引かれて、かつ最後に取消訴訟以外に抗告訴訟が必要かという問題提起をしておられることの意味がよく分からないわけです。この田中説だともう取消訴訟イコール抗告訴訟ではないかという理解もできるわけです。そこまでが質問です。私、今、昭和37年に至る立法過程の議論を繰り返す必要があるか、どの程度意味があるか、分からないのですが、ただ、ここで田中先生を引くのであれば、それと違う抗告訴訟についての当時の考え方を比較参照する必要があるのではないか。私が思うところでは典型的なのは白石判事の抗告訴訟についての考え方。これは、取消訴訟だけではない、行政庁の権限の存否の確認というのが抗告訴訟の本質であると、簡単に言えばそういうことを述べられています。そこから当然に義務付け訴訟なんかが出てくるわけではありませんが、しかし理論的には義務付け訴訟や差止め訴訟や、そんなものに相当するものが、行政庁の権限の存否の確認という形で、抗告訴訟の中でともかく論じられる。私の理解はそういうことなんですが、そういう考え方を出さないで、こういうふうに書かれると、一体何が問題なのかなという感じが私はするわけです。

【塩野座長】私の理解はこういった田中説のように抗告訴訟イコール取消訴訟、無効確認訴訟という議論もあって、これがかなり有力なので、それ以外の議論があることは先刻承知の上での話ですけれども、その点についてまず整理をして、そして、しからば、そういった形で取消訴訟、無効確認訴訟、抗告訴訟の他にもいろいろあるということになったときに、さらにそれでは抗告訴訟というもう一つ、上位概念を作るかどうかという点はどうなんなんだろうかという、そういった議論の出し方ではなかろうかと思います。私はもう一つ、この田中意見で整理しないということになった後で、あと条文で抗告訴訟という上位概念を作るかですね、これをどういうふうに並べるかというのは、これは私、後の法制的な問題として考えればよいのではないか、ということで、そこで端的に今度は無効確認の方に入ればいいのではないかという、そういう気持ちです。

【小早川委員】だとすれば、抗告訴訟から順次ということはちょっと順序が違うのでは。

【塩野座長】順序というのは、ここは軽い気持ちで、とにかくこれは済まないとですね、行政庁の第一次的判断権というのは頭に染み込んでいるところがあるんですね。我々学者は別としても、特に田中先生の行政法を学んだ方々はまだ第一線におられますので、そういう方々にとってはそこが非常に染み込んでいると思いますので、この点について、この検討会ではまずどういうふうに基本的なスタンスをとった方がいいのかという、そういうことだというふうに私は理解しております。ちなみにこの抗告訴訟の理解は、この言葉は美濃部先生が一番最初かと思いますが、美濃部先生の行政裁判法という昭和4年に出た本に、行政庁の違法処分により、権利を毀損されたりとする訴訟を権利毀損に基づく抗告訴訟と呼ぶ、と言っておられます。この場合にその権利毀損の基づく、が修飾語なのか、権利毀損に基づく抗告訴訟、これしか抗告訴訟はないというふうにお考えなのか、その命名のことは分かりませんけれども、こう定義された後で、営業免許の申請に対して、直ちに免許をくれ、あるいは免許をしていないのに免許を寄越せというのは当時の行政裁判法、さらには行政裁判法の改正要綱にも入っていないという、そういう考え方だと思います。抗告訴訟という言葉の議論をここで沿革をするつもりはありませんけども、田中先生の頭の中には抗告訴訟というと、そういうもんだという、もう一つあったのかもしれません。ただ、今、小早川さんからもご紹介がありましたように、そうではないということで、抗告訴訟と言いながら、言いながらというのは言葉を使って、行政権限の不存在の確認の訴えという説明の仕方もあるし、またそういう説明をせずにとも、義務付け訴訟等々の訴訟、差止め訴訟はこの点、行政事件訴訟法でも認められる、という考え方で進んでいる、という説ももちろんありまして、今ではそちらの方が強いというふうに思っておりますが、そういう趣旨で、ここで出してあるわけでございますが、裁判官の方でもやっぱり第一次的判断権というのは、こういう意味の第一次的判断権ですかね、裁量のときにどうするかという、そういった問題ではなくて。

【市村委員】結局ですね、行政機関が与えられた行政権限をまず行使した上で、それによって法律上の権利利益が侵害されたとするものの、取消しの訴えというのを待って、そして司法が初めてそこへ発動していく、介入していく、こういう仕組みを捉えて言えばいいのかなと思うのですが、私、前から第一次判断権という言葉そのものは確かにここからではないのかもしれませんが、実は前に第7回の検討会でしたか、外国法制について各先生方からご説明を頂いたときに、例えばフランスの場合では橋本先生の方から、言葉遣いとしての行政庁の第一次判断権の尊重という言葉はないと思うけれども、決定前置主義は原則だから、実際上ある種、そういう考え方がある、というご説明をいただきましたし、それから中川先生からは第一次判断権に関しては行政機関が権限を与えられているのだから、まずなるべく判断をせよ、その後から裁判というのが一般的な理解としてある、こういうふうにご説明をいただいたと思うのです。そうしたところから見ると、言葉としての第一次判断権というのを大前提として捉えるかどうかは別として、仕組みとしてそういう順番にやっていくというのが一応の原則だということは何も日本だけではないんではなかろうかというふうに思います。実際上も、一つの大きなことから言えば、三権分立の基本的な構造ということからすると、まず行政権というのは発動があった後、それを司法審査していくということが分かりやすいというか、あるいはその守備範囲に一番叶うものであるという考え方が一つあると思うのです。あと、実際上の、今度は実務的なものから行きましても、行政の場合に、行政の持っている行政裁量的なものが尽くされた、尽きたというところから判断するなら楽なんですが、そういうものが留保されたまんまの段階で、司法権がある仮定的な対象というものを持って、ある仮定的な前提を置きながら判断するということは技術的に難しい、という気もしますので、やはり現行のこうした取消訴訟中心主義という形で言われているこの考え方というのは私は原則的な形態としては非常に合理的なものではないかというふうに思います。ただ、そこからこぼれ落ちるものについての救済が、例えば義務付け訴訟のようなものについて狭かったというのは、あまりにこれを強調しすぎるからその裏返しだというご指摘については、やっぱり本当に必ず反省して、考えなくてはいけない部分があるのではないかなというふうに思います。以上です。

【塩野座長】今の原則をノーマルというふうに理解してよろしいですか。原則だと規範ということになります。ノーマルですか。

【市村委員】そうですね、通常の形態について。

【塩野座長】司法過程と来た時の、通常の形はおっしゃるとおりだと思うのですね。ちゃんとした申請もしないで俺のところに寄越せと言ってもそれは無理だし、申請した以上はある期間内に来るだろうということをもう少し待っていなさいとか。

【市村委員】ただ、なんて言いますか、手法としてもう一つ、別のやり方もあり得ることではあろうと思うのですが、それがやりやすい方法だというふうに意味も含んでいる、あるいは量的な意味でもそれが大半を占める、過半を占めるもんではなかろうかという感じを持っていることも含んでおるということを付け加えたいと思います。

【水野委員】抗告訴訟という名前ですね、これは正にこの田中先生がおっしゃっるとおりだと思うのです。つまり田中先生がおっしゃっているのは抗告訴訟の抗告訴訟たるゆえんというのが何かということを言って、もしそうであるとすれば、抗告訴訟の範疇に入らない、こういう論法なんですね。つまり抗告訴訟というものがあって、抗告訴訟がなぜ抗告訴訟と呼ばれているかというのはこういう面だと、そうだとすればこういうものは入らないという、こういう論法ですよね。かつてはこんな議論が通っていたのじゃないかと思いますが、今時こんな議論は通らないのではないかと思うのです。確かに抗告訴訟の中には無効確認訴訟もあるわけですが、前回議論になりましたように、取消訴訟を中心とする抗告訴訟というような従前の考え方というのはやはり払拭すべきだと。つまり、行政の処分というのが、まず適法にあって、それが国民が訴訟で取り消しなり、あるいは無効確認でもそうだと思いますが、何か公権的な判断をしてもらえなかったら、効力がなくならない、というような考え方は是非改めるべきだと思います。
 それから、それとは別個に、やはり三権分立ですから、行政権の第一次的判断権というのはこれは一定程度尊重しなければならない。これは私は当然だとは思います。ただ、現実に、訴訟になってくるケースにおいて、第一次的判断権が侵害される、あるいは第一次的判断権がなされていない、というようなケースはほとんどないのではないか。つまり、実質的には第一次的判断権がなされているから、訴訟として出てくるわけです。例えば何らかの不利益処分がされたときに、これはもう裁判所がそのまま、取り消しだけではなくて、義務付けてもいいケースも結構あると思います。例えば情報公開の非公開決定に対して、それが違法であるという場合に、その非公開決定を取り消すのではなくて、公開せよと言ったらいいわけです。それから税金ですと例えば何らかの経費の計上を忘れていて、更正の請求をした。処分庁はそれは経費に当らないとして更正の請求を棄却した。そのときにどうするかというと、更正の請求の棄却処分の取消訴訟なんですね。裁判所は、納税者の言うとおり経費の存在が証拠上も認められる場合であっても、更正の請求の棄却処分の取消ししかできない。そんなものは数字の上でも極めて明らかでニ義を許さないケースですから、そんなものはさっさと更正すると言えば、一回で済む話ですよね。ですから今、漠然と第一次的判断権ということで駄目だと言われている訴訟について、かなりの部分は第一次的判断権というのは経てきていると思います。それから何らかの処分を求めるような訴訟についても、今は申請に基づく処分についての不作為について、不作為の違法確認だけですよね。しかし一定程度の期間、つまり裁判所が違法だと考える期間処分をしないということであれば、これはそれなりに第一次的判断権がある程度示されていると言えるわけですし、その申請の中身にももちろんよりますが、申請の中身によっては裁判所が処分の給付を命ずる給付判決をしても、良いようなケースがたくさんあるのではないかと思うのです。
 それから申請に基づかない処分を求める場合、規制措置請求みたいな、そういうのについても、いきなり裁判所に行って、例えば大気汚染防止法に基づき規制というような人はいないわけであって、さんざん行政庁に言っていったのにそれでも規制しない。しかも規制しないという方針がいろんな機会に住民には伝えられている、そういう状況の中で規制請求措置を求めるという裁判をやったときにこれは第一次的判断権が侵害されているのかといったら、決してそんなことはないだろうと思うのです。ですから、私は行政の第一次的判断権というのは尊重するべきだと思いますが、現在、訴訟の場において、現実に第一次的判断権が侵害されるようなことになるケースはほとんど考えられないのではないだろうかと思いますので、第一次的判断権ということをあまり強調するのは如何なものかと思います。

【塩野座長】先ほど、外国法の話が出て、ドイツはスキップしましたが、ドイツは第一次的判断権というのは。

【山本隆司外国法制研究会委員】昔はそういうことを言った人がいたことはいたわけですけれども、ただ今は一般原則の形では言わないですね。ですから具体的なあくまで手続との関係で、例えば処分取消訴訟というのがあって、それはその申立てをしてからということになっている。それにもかかわらず自由に何もないのに、処分をするなという、その事前の訴訟を起こすというのはこれは取消訴訟でやれば十分だし、取消訴訟の制度にくっ付いている申立前置等の制度をスキップすることになるので、それは駄目だろうという議論はしますけれども、一般的におよそ第一次的判断権うんぬんという言い方はしないということになります。

【塩野座長】アメリカは少し。

【中川丈久外国法制研究会委員】先ほど、市村委員がおっしゃったとおりですけれども、行政活動の違法だから司法審査するということですので、行政活動がそこになければ訴訟を起こしてこない、というのが一般的な考え方というのは確かです。後はそれと同視できるような状況であれば、それは訴訟するのもこれもまた当然だということですので、結局大原則として、第一次的判断権のようなものを大きく打ち出すという議論はないのです。多くの訴訟が行政活動があってから顕在化しますので、それはいわゆる日本で言う取消訴訟的なものが多いのですけれども、それに限らなければいけないというような強い言葉で表すということはしていないところが、日本と大きく違うような気がするのです。基本的な発想は一緒なんですけれども、ニュアンスが、表現の仕方が非常に難しいのですけれども、ニュアンスがずいぶん違うような気がするのですね。日本の第一次的判断権という場合に私達が受けるニュアンスとアメリカで当然、行政活動があって、その違法性を議論するんだという場合のニュアンスとは随分違う。うまく表現できないのですけれども。

【小早川委員】一言だけ。ですから、最初に申し上げたことの繰り返しの部分はあるのですけれども、日本で第一次的判断権というのはそんなに強く一律に言われているだろうか。田中先生だけじゃないかと思うのです。だけど水野委員が言われたように、実際上、行政というのは、まず何か行政が動いてそれに対して、あるいは行政と市民との間で何かやり取りがあってそこでごたごたが起きるから、それで訴訟にくるというのが、極当たり前の話であって、そういうものをどういう訴訟形態で受けたらいいかという、そういうことで議論がされているんだと思うわけでして、今日のように最初から第一次的判断権はどうですかという形で議論しているわけではないと、私は思います。

【芝池委員】第一次的判断権というのは権力分立の国ではある意味では当然のことであるというのは先ほど来、お話があったところですが、私もそういうふうに思っております。問題はどういう訴訟を認めるか、という問題になってくるわけでして、その話はまた後で出てくると思いますので、第一次的判断権の問題には触れません。それで抗告訴訟のことですが、抗告訴訟という概念と言いますか、範疇を考えるかどうかということに関連して、今後の議論で問題になってくると思われますのは、義務付け訴訟なり予防訴訟だと思うのです。ただそういうものは作為義務なり、不作為の義務の確認訴訟になっていく可能性、あるいはそういうふうに見る見方があり得ると思うわけでありまして、そうすると、今で言いますと当事者訴訟に近づいていく、そういう可能性があります。ですから今の段階で抗告訴訟という範疇を設けて、その枠内で議論するということはしない方がいいだろうと思います。

【市村委員】私どもが先ほどから申し上げている第一次的判断権というのは一番最初に私自身が概念として提示したつもりなんですが、要するに実体法では判断順序が、これが効率的な判断順序だというふうにして扱っている原則的形態のことを言っているのであって、何も第一次的判断権という絶対不可侵な権利が絶対どこかにあるんだということを主張しているつもりはございません。そういう意味でどれが効率がいいか、あるいは救済に端的だという議論で進めていただければいいのかなと思います。

【福井(秀)委員】私は基本的に水野委員の意見に賛成です。第一次的判断権の尊重、それ自体はそのとおりだと思うのですけれども、それがおそらく取消訴訟中心主義を導き出す前提で、一人歩きしているというところに前から大変違和感を感じています。第一次的判断権を尊重するのだから取り消すところまでしかできない、という回路が極めて短絡的であり、水野委員が先ほどおっしゃったように熟度が高ければ、給付を求めるのと同じです。例えば収用裁決を取り消してくれということは、所有権確認、あるいは引渡し請求と全く同じことを言っているわけですから、それをなぜ、一番最後の形態でやらせていけないのだろうか。他の選択肢なんかないじゃないか、という場面が多々あると思うのです。取消訴訟中心主義の前提で第一次的判断権のドグマが流通してきたところはかなり田中学説を捉える上での反省点、批判的に検証すべきところではないかという気がします。

【市村委員】この点だけは一つ言っておきたいのですけれども、処分を取消すということと、処分を取り消した結果、行政庁が再度、取り消されたところに基づいて、処分するだろうというところの間には行政庁がやる場合にはさほど難しくない、というか、ある判断について裁判所からこういう枠がはめられれば、行政庁はそれまでの専門的な知識等を使いながらやるわけで、それでもう一回トラブルが起こって、さらに義務付けの訴訟が起こるとか、取消訴訟が起こるというのはほとんどありません。拘束力にしたがって、そのまま流れていくわけです。ところがこれを例えば、ある給付などについて、具体的な給付までそれなら取り消したついでに裁判所がやりなさいと言われますと、そのときには非常にどういう基準でどういう評価でやらなければいけないかと、裁判所はそういうものの個々の専門家ではありませんから、素人である裁判所の方にそれをやらせることはないだろうという気がするんですね。そこは拘束力にしたがって、流れていっている、そこはあまり今、現実のトラブルにはなっていないと思うのですね。ですから、そこはやっぱりミニマムのところで、それで救済に繋がるというのなら、そこで審理を打切って判断するというのが適当だろうというふうに思います。

【水野委員】今の市村さんの話を聞いていて思いつくのは、例えば滋賀県で情報公開条例に基づいて非公開決定を取り消した、裁判所がね。そうしたら普通は公開しますよね。ところが滋賀県はもう一遍それを見直して、別の理由でもう一回非公開決定をしたというケースがありますよね。それに類似した裁判例というのが何件かあると思うのです。ですからやはり紛争の一回的解決という趣旨からしても、裁判所はこれを公開するのに何ら問題はないという判断ができるのであれば、それをするのが一番直截的ではないか。それをやってはいけないという理由はどこにあるのか。さっきおっしゃったように第一次的判断権とは、そんなことでは出てこない。今おっしゃったのは裁判所がそれをやれるのかという、裁判所は大変だということをおっしゃってたと思うのですが、ですから私はケースによって、やはりこれは取消しに止めるべきだというケースもあり得ると思いますから、全ての場合に給付判決をしろと言っているわけではないのです。私は、前回言いましたように、取消訴訟というのは今考えられているような形成訴訟と考えるべきではない、違法確認訴訟の一つの類型として捉えるべきだというふうに考えているわけです。そうしますと、その裁判では行政処分が違法かどうかが議論になっているわけです。そうすると中には、これを取り消しにとどめるというケースがあるでしょう。これは私に言わせれば言ってみれば差戻しなんですね。行政庁が一旦決定してきたけれども、取消すというのは行政庁にもう一遍差し戻すと。ところが、さっき言った具体的な例で、これは裁判所が判断したって何らおかしくない。つまり、市村さんがおっしゃったように大半のケースは拘束力がありますから、返したって取り消したって、同じ処分をしてくるわけですよね。そんなケースはたくさんある。それなら何も裁判所が判決すればいいじゃないか、給付命じたらいいじゃないか。これは私、自判だと思うのです。ですから、裁判所としてはそのケースに応じて、行政庁に差し戻すというケース、場合によればこれは差し戻ししたって、どうせそういう処分をするしかないのだから、もうここで処分を命じます、という自判があってもいいだろうと。そうすると、要するに取消訴訟とか、義務付け訴訟とかそういう訴訟類型ではなくて、訴訟類型としては行政の違法を争う裁判だと。その熟度に応じて、判決主文としては、差し戻しをするか、あるいは自判をするか、という考え方でいいのではなかろうか。高裁の判決は、要するに差し戻すか、自判をするか、あるいは最高裁も一緒ですけれども、上級審はそうなんです。つまりこういうことで違っていると、それについては自判できるなら、最高裁だって自判しますね。ところが、ここが違っているということになると、もう少しこういう点について事実調べが必要であるという場合には差し戻して、もう一遍判断させると、いうことになっているわけです。それと同じように考えればいいのではなかろうかと思うのです。それで嫌忌施設の差止めを求める仮処分なんかで期間を限って停止したケースがありますよね。例えば1年間停止すると。これは理由を見ますと、例えば付近の住民に対する説明とかが不十分だったとか、いろんな理由を挙げまして、もう一遍やり直せといいますか、1年間止めると。1年の間に行政は住民とよく話し合いをして、やれというような決定が出ているケースがあったと思います。それは一時的な差し戻し。そういうような形で柔軟に考えて、事案に応じてやっていけばいいのではなかろうかと思うのです。

【塩野座長】どうもありがとうございました。市村さんのおっしゃってたこととそんなに大きな違いはないと思うのですが、要するに判決が熟していればいいけれども、そうでない場合には拘束力でもう一度戻して、ちゃんと行政庁に責任を持って判断をさせると。その責任を持って判断させるような訴訟資料が十分に整っていないのに、裁判所が勝手にやるわけにはいかないだろうと。水野さんのお話はもう既に熟しているのだから、裁判所がもうできる判断だという、それはケースによってかなり違うということで、市村さんはカテゴリーとして全て拘束力で整理するということは言っておられないので。

【市村委員】大半のものはむしろ拘束力で、実際上はケリがつくんじゃないか。水野先生がおっっしゃったような蒸し返しが予想されるようなものについては、その紛争の形態として、最初からそういうものをその枠でそれを大きな訴訟物としてやりうることはやりうると思います。

【水野委員】ケリがつくというのだったら、もうそれを判決すればいいじゃないかと。これはもう一遍行政にじっくり考えてもらう必要があるというものについては、あるいは裁判所が自分の判断でやってしまうというのはちょっと躊躇するというケースについては差し戻したらいいんじゃないかというふうに思います。

【小早川委員】今日でなくていいのですけれども、提案ですけど、具体的な事案でこれは拘束力で仕末した方がいいかそれとも義務付け判決が要るかというのを、ちょっと典型的なやつで議論した方が、議論してみると分かりやすいのではないかなと。

【市村委員】例えば例を出せということでしたら、年金なんかの訴訟なんですけどね、年金の額が少ない、そうするとある要件について、その人にある要件が存在しているかどうかについては行政庁側の認定と当事者の言い分が食い違って、仮に行政庁側の認定が間違っていると、裁判所がそこは判断できる。それでそうでない前提をもって計算すべきだとなったときに、今度は後にまたさらに積み重ねていろいろと計算しなければいけません。これをそれから先、それじゃ正しい額が出るまでにどうするのか、というのは裁判所がその資料を貰って、その計算をするというのはあんまり意味がないことだと思うのです。それはその点だけを指摘して、そこで間違っていますよ、ということをやってこの処分を取り消せば、あとは正しい計算を社会保険庁はやります。だから、そういうところで、原則、全部、給付型にしなくても、取り消すというところ、要のところをきちっとやれば、実際の行政は動いてくるということが多いということです。ただ、先生がおっしゃっているようなそういうぐるぐる回りになるような例、これは避けなければいけないと思いますから、そういうものに対しては何らかの手法を考えるべきだし、そういうものは座長がご指摘になられたように成熟度に応じて、そういうものも乗っかってくることは乗っかってくると思います。ただ原則形態をみんなそこまでやる必要はほとんどないんじゃないですかというふうに申し上げたいです。

【塩野座長】ドイツでは義務付け訴訟を認めているけれども、大体やり方は今のようなことですか。

【山本隆司外国法制研究会委員】そうですね。結局、裁量があれば、その裁判所の判断を示した上で、もう一回処分をやり直してきなさいという判決が出ます。義務付け訴訟以外の場合には113条3項に、裁判所がいわば差し戻しのような判決をすることができるというような規定があったと思います。

【塩野座長】義務付け請求で来ても。

【山本隆司外国法制研究会委員】はい、ですから熟度といいますか、対応してということになりますか。

【塩野座長】どうもありがとうございました。そこでそろそろ抗告訴訟のことなんですけれども、私も現在の学説の分布状況の認識としては小早川委員とまったく同じなんですけれども、やなり立法時点でこういう意見が非常に強かったということを踏まえて、今度は立法を変えようという話ですから、法律を。そこはきちんと整理したいというのが事務局側の前提であり、私もそれなりに理解をしたので、こういうふうな問題の出し方をしたわけでございますけれども、先ほど来ご議論のあるように、田中二郎説のような意味での行政庁の第一次的判断権の尊重の考え方というのは比較法的に見ても存在しておりませんし、また現在ではそういった学説はとられていないということを前提にしたいと思います。そしてさらに抗告訴訟の類型を設けるかどうかというと、これは先ほど私申しましたように、後始末の問題でして、取消訴訟以外にどういう訴訟があるかということをまず議論をしていただきたいということでございます。
 義務付け訴訟のところ、大分、議論が進んでまいりましたが、先ほど申しましたような順序にしたがって、無効等確認の方に入ってよろしゅうございますでしょうか。無効等確認といいますのは必ずしも行政処分の無効確認、あるいは不存在の確認だけではありませんで、先ほどちょっと事務局の方で触れられましたように行政指導なんかも入る、あるいは通達も入る。入るという意味は視野の中に入れて議論をしていただきたいということでございます。つまりここは行政決定を広く、その対象にしようということでいくと、その行政処分の無効確認になりますし、行政処分という概念、非常にコアの部分に限定していくとすると、そこからはみ出た部分について、しかし、それが紛争の原因になっているという場合にその原因をどういうふうに訂していくかという、そういった問題だと思います。そういう意味では取消訴訟との関係も押さえながら、現在の無効等確認の訴えという制度、それ自体の問題点、それからさらにそれからはみ出るような問題点について検討をしていただきたいと思います。資料の1の別紙1のところに若干のポンチ絵と申しますか、図柄が出ておりますが、これも参照しながら、ご議論をいただきたいと思います。どうぞ、小早川委員。

【小早川委員】行政処分の無効等、等はちょっといろいろありますので、典型的な無効確認の話をします。一方で行政処分の無効確認。他方で、先ほどから例に挙がっている行政指導、行政指導というのは定義上、法律効果はないのかもしれませんが、それに対して、行政立法とかゾーニングとかですと、これは法律効果はあるけれどもかちっとした行政処分とはちょっと違うという話かもしれませんが、そういうものが取消訴訟の対象に現行法ではならないとして、そういうものも確認訴訟の対象にしていいんじゃないかという話。この両方は別だろうという気がいたします。現在の行訴法の無効確認訴訟というのは、公権力の行使たる行政処分というのを前提にして、まず取消訴訟がある、その後に、取消訴訟には出訴期間があるので出訴期間を例外的に排除する道として無効確認訴訟を作っている、そういうこととの関連で、他の民事訴訟なんかとの関係をどうするかということで36条の訴えの利益の制限も出てくる、というように全体が閉じた世界になっていると思うので、それはちょっと別なんではないかなという気がします。そこの部分は、取消訴訟を、今言ったようなかっちりしたものではなくて、先ほどから話が出ているようにもっと広い違法確認の訴えみたいな、水野委員が言われたようなそういうものを、もしするんだとすればそれとの連動でまた違ってくる話。それとは別に、行政処分ではないものについて、無効確認か有効確認か、というような訴訟類型を設けるか、それはまた現行法でいうと抗告訴訟と当事者訴訟との仕切りを、垣根を低くするというような話かもしれませんが、それはそれとして議論するのがいいんじゃないか。私は後者については、法律効果、法的効力の有無にあまり拘らずに、事実上の不利益を受ける人から違法確認の訴えができるというぐらいのこと、その先は、先ほど水野委員も言われた、入口は一つだけども行く先はいろいろ有るというようなことでいいのではないか。従来からそういう発言もしましたし、そう思っております。

【芝池委員】今の小早川さんの意見と問題意識は同じなんですけれども、行政指導なんかの無効確認というのはこれはちょっとやはり話が違う。今の無効等確認訴訟の中には入らないのではないかというように思います。と言いますのは無効等確認訴訟は現在抗告訴訟の一類型でありまして、したがってあくまで行政処分を争うのだろうと思います。ですから行政指導なんかの無効確認を考えるのであれば、それは別枠の問題ということになります。それで行政処分の無効等確認訴訟の話に絞りますと、無効等確認訴訟をなくすかどうかという問題はあるだろうと思いますね。と言いますのは出訴期間を長くしまして、不服申立の前置主義をなくしてしまうという改革をしますと、無効等確認訴訟の必要性はかなり小さくなると考えられるからでありまして、その場合には残すのであれば、その実益を考えておく必要があるだろうと思います。
 それから、無効等確認訴訟につきまして、行政事件訴訟法36条で、訴えの利益と言いますか、原告適格についての規定が置かれているわけでありますが、これは確認の利益に関する民事訴訟法の理論を受けたものであると言われております。しかし、行政訴訟の場合は民事訴訟の場合と同じに議論できないと思っております。と言いますのは、争われる行政処分というのはほとんどの場合過去に行われているのでして、ですから民事訴訟の理論をそのまま持ってくることはできないだろうと思います。そういう意味ではこの無効等確認訴訟に関しましては残すとすれば行政事件訴訟法36条の抜本的な改正がいるだろうと考えております。

【水野委員】私はこの無効等確認訴訟というのが行政事件訴訟法に設けられている必要性というのは全く理解できないですね。この規定がなかったら何らかの不都合があるのか、といったら私は何にもないんだろうと。むしろさっき小林参事官のご説明があったように36条があるために実は民事訴訟の確認の利益を狭めているという結果になっている。したがってこれは何の意味もない規定だと思うのです。こういう点で必要なんだということがあれば是非教えてもらいたいと思うのです。例えば最高裁が無効確認訴訟を認めたケースで、課税処分の無効確認を認めたのがありますね。これは理由は、後に滞納処分がされる可能性があるから、無効確認を認めるんだという理屈で認めているんです。もし、行訴法に無効確認訴訟という類型がなければ、当事者はどうしたかといったら、債務不存在確認訴訟を起こしたでしょうね。これはまさに今日引用されている昭和45年の親子関係不存在確認訴訟とまったく類型としては同じなわけでありまして、租税債務不存在確認訴訟を起こせば、足りるわけです。それによって、もちろん滞納処分を未然に防ぐことができる。それがこういう行政処分の無効確認訴訟という類型があるばっかりに課税処分の無効確認訴訟という選択肢しかないと。そしてそれが訴えの利益があるかどうかというのが議論になった。しかし私に言わせれば、いわば過去の課税処分の無効という、過去の事実の確認ではなくて、現在、納税義務が不存在であるという、現在の権利義務の確認の訴訟が本則でありまして、わざわざそれは駄目だと、行訴法ではその場合には行政処分の無効確認訴訟をやってもらわないと困りますという必要性は全くないだろうと思います。その点からしましても、この類型を行訴法に残すというのは意味がないと思っています。

【塩野座長】この点は歴史的な経過があって、行特法時代に農地買収を巡って、無効確認訴訟が随分多くでてまいりまして、つまり私の理解では、これは一種の実務の知恵ではないかというふうに思うのですね。他方、一方の見方としては、無効確認的なものは取消訴訟の時機に遅れた取消訴訟であるというのが私の理解ですけれども、そういったふうに理論化している面もございます。ただ今申しましたようにもともとの出発点は行特法自体は無効等確認訴訟はなかったと思いますけれども、行特法時代に生まれた実務の知恵を行政法学者としてどう生かそうかという田中二郎先生や雄川一郎先生の線がありました。それから今言われたのはまさに兼子先生の方の民事訴訟法の考え方で、確認訴訟は現在の法律関係を中心にする、過去の事実行為を確認は基本的にはないということからずうっと縛りをかけて、その論争の結果が現行法だということが今の私の理解でございますので、これは何も行政側が何かの都合で作り上げたという、そういう訴訟ではないと、むしろ実務の知恵ではないかというふうに推察していることだけは申し上げておきます。そこで、今日のこのペーパーも本当はいらないのではないだろうかという趣旨でちょっと書いてあるところもありまして、私はそれに必ずしも賛成はしないのですけれども、時機に遅れた取消訴訟の性格はあるのではなかろうかと。それとそれから先ほど来問題となっているその周辺にある行為の無効確認、あるいは違法確認とはまた違うということも私は良く分かりますが。どうぞ、市村委員。

【市村委員】水野委員のようにもともと処分について出訴期間なり排他性を設けるということ自体に疑問を抱いておられると、今のような形にずっと繋がるのかなと思うのですが、一応処分にそういうものがあるということを肯定していきますと、やはり今座長が整理してくださったように、やはり実際上、時機に遅れて出された取消訴訟なんですよね。ただそれに対して、要件が過重されることによって、バランスが取れている、安全弁になっている。これを全部、もしこの際外してしまって、例えば当事者訴訟で、ある現在の確認訴訟というふうに置き換えられるじゃないかという議論もあると思うのですが、そうするとその処分というものに区切りがなくなって、折角、こういう取消訴訟の体系を取って、排他性とか出訴期間を設けて、やろうとした意味がかなり薄れてしまう。混沌としてしまうので、やはり、あまり使われませんけれど、安全弁としての無効等確認訴訟というものが存続している方が実務的にはいい、というふうに思います。

【水野委員】さっきは課税処分の例を出しましたので、債務不存在確認の話をしましたけれども、他にやはり行政処分自体の無効というのを主文で言ったもらった方が、抜本的な解決としていいんだというケースがあるかもわからないとは思っているんです。その場合には、これこれの行政処分が無効であることを確認する、という裁判をすればいいのです。そのときに行訴法に規定がないとやれないことだとは思わない。例えば換地処分のように、早い段階で、ある処分を争った方が現在の権利関係で一つ一つやるよりも抜本的な解決になるというケースについては、それを無効確認で争ったらいいと思うのです。そのときに裁判所はこれは行訴法に規定もないし、民訴では無理だとは言えないと思います。私、そういうことを申し上げているので、わざわざ行訴法に訴訟類型として、行政処分に限って、無効等確認訴訟を置くという必要性はないだろうと。これはもともとは行政処分を争うわけであるから、行政庁を被告としてやりなさいということで設けられたと思うのですが、前回の議論のように被告適格を行政主体にするということであれば、行政処分の無効確認訴訟という類型を置く必要は、規定として置く必要はないだろうというのが私の意見です。市村さんとは中身的には変わりはないですけれどね。

【塩野座長】もう一つは現在の法律関係に引き直しにくいと、無理無理引き直す必要はないではないかということもあると思います。ですからそういうときに、ほっとけばいいやという議論と、やはり一応置いておかないとそういうものはうまく、民事法の頭の中はどうもうまくいかないので、ここに一つ置いておけば無効確認訴訟というのがありますよというサインはあるのではないかと思います。

【水野委員】それは民訴でも一緒ですよ。民訴の世界だって、一々そういう規定を置かなくても裁判所はやっていますから。

【市村委員】いや、どうでしょうかね。例えば良くあるのは退去強制令書発付処分の無効確認請求事件というのがあるのですね。これは現在の法律関係に引き直すとなると、非常に難しいのですね。そういう意味でまとまりのある処分、これを否定してしまう、法的に無効を確認する、ということは十分機能的な意味があるんです。その要件論にいろいろと議論があると思いますが、私はそれなりの、特に行訴の場合には取消訴訟というものをまず前提にしていますので、民事訴訟と事情が違うと思います。そういう意味で存続しているということは十分な意味があるというふうに思います。

【福井(秀)委員】今のやりとり、かみ合っていないと思うのですが、水野先生のおっしゃった趣旨は、無効確認は民事訴訟だってできるよということです。市村さんのおっしゃっているのは類型で残しておかないといけない、それもできるだけ訴えにくくさせるために残しておかないといけないんだというふうに聞こえるのですが、それは違うのじゃないかと思います。要するに類型があるかどうかということで考えれば、無効確認訴訟がなければできないのであれば別ですけれども、民事の中で争いうるということであれば、類型を残す必然性は必ずしもない。もう一つ、濫訴をおっしゃいましたが、もともと無効確認の対象行為には排他性も出訴期間もなくなることを前提にして、要するに排他性なり公定力の問題がないから、無効を争えることになっているわけですから、その点で十分に差違があるということだと思います。おっしゃったような根拠で残すべきだということは全く理解できません。

【塩野座長】こういう問題はどうですか。例えば、昔の話ですけれども、無効の農地買収処分を前提にして、民事関係になったというときに、行政庁をやっぱりそこに引っ張り込み、さらに行政庁は説明責任があるんだということをはっきりさせるためには無効確認訴訟という系列を置いとくというのが一つあるのと、それから先ほど来言っておりますように、民訴に引き直すと本当に大丈夫なのですか。そこは水野さん保証しますか。ですからそれが心配なんですね。そうじゃないときに、邪魔になれば別なんですけれども、民訴でうまくいってくれないときにこういうルートを残しておくかどうかという、そういう議論の仕方をしていただけませんか。

【水野委員】ですから、必要性が、どういう点で必要性があるのかという点をはっきりさせてもらいたい。

【塩野座長】今、一つ出しました。

【水野委員】現実にそういうケースがあるだろうと、さっき、私が申し上げたように、そのときには別に行訴法に規定がなくたって、そういう行政処分は無効であることを確認するという裁判をやるときに裁判所は拒否しないでしょ。

【市村委員】今あるものをなくす理由はわからないのです。

【福井(秀)委員】別に直ちになくすべきだと言っているわけではありません。市村さんがおっしゃる、これがあるから抑制されるのだというのは必要性の論理としては誤った根拠だと思います。もう一つ、冒頭の議論に関連して申し上げれば通達等を対象にするかどうかという議論なんですが、結局、通達なども一種の違法確認訴訟的類型として、要するに無効である瑕疵でない場合でも争う対象とするかどうかということと連動してくる話だと思います。そちらの方で争えるようになるのであれば、さらにこういう類型を残すのであれば、こちらでも連動して争えるようになるということが、自然な解決という気がします。

【塩野座長】事務局としては通達の場合には違法と無効の区別はないという前提ですね。立法ですから。違法なものは無効である。法的には拘束はしない。それを無効確認訴訟というか、違法確認訴訟というか、これはちょっと別なんですけれども、そこをどういうふうに仕切るかというのは是非議論をしていただきたい、という気がいたします。

【小早川委員】ペーパーで引用されている平成4年の最高裁、これはもんじゅであるけれども、そのもとはさらに換地処分のやつなんですよね。あの事件は、今現在どの土地が俺の土地だということを言うんじゃなくて、この換地処分の区分けの仕方が、従前の土地に対して与えられた土地が照応の原則に反していて、不服である、もう一度やり直せと、まさにやり直せということを求めた訴訟だったわけですね。これは取消訴訟でくれば、拘束力でいく、という話になります。取消訴訟じゃなくて義務付け訴訟で行ったってやっぱりやり直せということにしかならないわけで、そこは同じことですね。それをたまたま出訴期間を過ぎてから、これはやり直せ、という無効確認訴訟を起こした。で、もしそれが認められれば、やっぱり拘束力が働く。無効確認訴訟にわざわざ拘束力をつけてあるのはそのためだろうと思うんですね。だから、これは多分、無効確認訴訟がそれなりに効果を発揮する事案であったしそういう働かせ方を最高裁も理解をして、従来の学説判例よりもやや広めに36条の訴えの利益を認めた。それを踏まえてさらにもんじゅもでてきているというふうに思います。そこは現在の法律関係に引き直せないとは思いませんけど。どっちが分かりやすいかというと、現状でもいいのかなとも考えます。ですが、そこまで到達するのは36条をめぐる非常にしんどい解釈論争があったわけなので、結論としては36条は、先ほど芝池委員が言われたように、私も、桎梏でしかない、なくすか、もっと分かりやすいものにした方がいいと思います。

【市村委員】換地処分の事件のことですけど、換地処分を現在の法律に引き直すというのはほとんど不可能だろうと思います。現実に、いわゆる将棋倒しになるという、そういう理論です。一番端的な方法は、やっぱり無効確認だったのだろうと思います。

【塩野座長】そういうことで、水野委員も別に引き直しにくいのがあるということ自体、あるいは、無効確認訴訟にのっけた方が、うまく、行政過程全体の話ですからね、ということはあながち否定はされていないように私は承りましたが、つまり、民訴の場合と違ってというとまた、怒られるかもしれないけれども、割合行政過程全体で動いてますからね、換地処分なんていうのは本当にずっと長い連鎖でつながっていて、そこに、間間に行政処分が入っている時に、それを全部民訴の頭でポキポキポキポキ区切っていいか、という問題が、どうしてもあるもんですから、ただ、しかし、じゃあ、そのほかの確認の訴えはみんな排除しろとか、そんなことを言っているわけでは全くありません。行政過程に適した無効確認訴訟というのはあるのかな、という感じで申し上げているところが一つと、それから36条は、幸か不幸か、点の打ち間違えというか、あるいは本当に意識して点を打ったのかよくわからないんですけども、まあ現在流に言えば、あれはリコールの対象になる生産品ですね。それを法律であるがゆえにリコールの対象にしないというのは、私はややおかしいと思っているんですけど、この際是非、リコール、全て点検をした方が、いいのだろうというふうに思います。そこで、先ほどから出ております、もう一つ別の問題があるんですけど、もう一つちょっとここのところでひっかかるのは、あんまり取消訴訟、時機に遅れた取消訴訟のあれをやってきますとですね、第三者効を入れろとかですね、それから事情判決も、これ、適用を排除しておりますが、それも加えるべきだというような議論、があります。そうすると、無効確認訴訟に、第三者効を認めることができるとかできないとかというなかなか難しい議論になってまいりますので、これは、今日は判決の効力までは入らずに、およそ訴訟の確認判決の、既判力しかないと言われてますけども、既判力とは一体どういうものなのか、というようなことを、また、あらためて議論することにしておきたいと思います。
 そこでむしろ、今、申しかけたのは、行政庁の内部行為とかですね、あるいは、通達でもいいんですけれども、絞っていった、行政訴訟、取消訴訟を絞った結果、そこからはみ出るようなものについては、どういう風な扱いになるのか。先ほどちょっと申しました最近の法律でよく、勧告をしまして、従わないと公表しまして、さらに従わないと今度は最後の処分に行く、という場合に、その勧告は、一応、行政手続法の行政指導にあたる、というふうに一応は整理されておりますけど、その場合、ですから、コアの部分には、なかなか、行政処分にはならない、ということになるかもしれません。そうした時には、確認訴訟みたいなものがきくか、きかないか、という、そこは直感的にどうですかね。

【市村委員】ちょっとそれ、類似した事件を、かかえてましてね。

【塩野座長】じゃあ、それは、私の意見だけで。私は、それは一種差し止め的な機能として、きくのではないかと思うんですけども、その点はいかがでしょうかね。ただ、それから次第に離れていくと、先ほど小早川さんが言われたように、一番普通の行政指導ですね、例えばこの薬の販売はやめといた方がいいでしょう、とかですね、あるいはBSE関係で指導に止める、ああいった指導をどう見るかと、それについては、民訴の損害賠償で行く以外ないというふうに見るのか、あるいは行政過程での、それが違法であるということを前提としてですね、違法であるということをチェックするのにどういう手法があるのか、あるいは必要なのか、という、その辺は。小早川さんさっきちょっと口濁しておられたけども。

【小早川委員】別に濁したつもりはありませんけども、行政指導一般ということになると、確かに、私人間での勧告なり、指導なり、助言なりとどう違うかということがあって、特別の訴訟制度に乗っけなきゃいかんということもないかなという気も、つまり、民訴一本でいいかなという気もしないではありません。ただ、そこは、民訴とするのか、それとも、行政訴訟の中で取消訴訟とは違う民訴に近い形とするのかは、最後の整理の話であろうと思いますけど、ただ、一般の行政指導ではなくてですね、先ほど話に出た、法律に基づいて勧告するとかそういったようなもの、それから、勧告、行政指導に限らずある程度一般的に言えると思いますのは、法律が行政機関にミッションを課してさらには一定の行動基準まで示しているというような場合で、それがきちんと守られるかどうかについて一般市民または特定の人が利害関係を持っている、というような時にはどうか。行政庁が法律の趣旨に合わない行動をしたというようなことについて、それは行政庁のミッションに反しているのではないかということを、具体的な法律の規定との関係で適時に、タイミングよく審査してもらうというような道が、きちんと通りやすい形にできていれば、これは、市民にとっていい答えではないか、という気がするわけです。それが今の民訴でできるかというと、そこは、恐らく、確認の利益なりなんなりその辺が、あちらは訴訟類型問題はありませんので確認訴訟でいいと思いますけれど、訴えの利益の問題は、あるんじゃないか。そこは、全部いろんなケース調べてみないとわかりませんけれど、やっぱりある程度、権利義務関係みたいな具体性を持ってこないと民事訴訟の手続は始まりにくいんではないか。それに対して行政庁が法律違反の行動をとっているというようなケースについては、多少早めの段階で、多少訴えの利益の判断を緩くするような、そういう裁判所の門の開け方があるのではないか。そのために、一つの訴訟類型として、これは行政訴訟だからそれらしい判断をしましょうね、というようなそういう仕分けをしていることには、意味があるのかな、という気がしております。

【福井(秀)委員】通達については最高裁も出ています。墓地埋葬法に関して異教徒の埋葬を拒んじゃいけない、それは正当理由に当たらないという通達があります。これは、争えないという確定判例になっていますが、もしその通達がおかしいと思ったら、刑事事件を覚悟して犯してみて、起訴されてみて、有罪無罪で争うしかない。これはいくらなんでも酷だと思うのです。こういう通達、直接に刑事手続でないと違法か適法か決まらないようなものについてまで、通達段階の熟度が低いとするのはいくらなんでもひどい。理論的根拠はもっと必要かもしれませんが、少なくともこういった通達については、事前に、有効無効ないし適法違法を確認できる手立てがあった方がよい。
 これに関連して、今ちょうど衆議院で審査中の構造改革特区法案では、ノーアクションレターといいまして、事前に解釈を文書で示す手続が盛り込まれており、一つの解決にはなりうると思うのですが、通達で実質的には後々のことを規定している、あとで権利関係に影響する場合については、少なくとも何等かの形で司法上是正する手段があった方がよいと思います。
 あとは、例えば東京都の外形標準課税のように、課税処分の前で、条例の時点で課税されることが決まっている、単に時期の違いだけだというものについて、実際に賦課処分がなされるまで、手をこまねいてないといけないというのも必ずしも合理性がないように思います。似たようなことは計画も言えるわけで、最高裁では、土地区画整理事業計画の段階では熟度はないとします。こういうものも、後から実際に権利利益に関係する処分や規制が行われることは間違いないわけですから、間違いないものの前提段階については、それを取消訴訟で争わせるか、あるいは処分性を手前にいうと言うかどうかはともかくとして、何らかの形で争わせないとおかしいと思います。

【塩野座長】さきほどちょっと小早川さんも言われたことですけども、確認の利益について、民事訴訟の確認の利益の基本的なものと別にですね、行政訴訟特有の確認の利益というものも、考えることができるかどうか、それは、もう少し別の言い方をすると、それは行政訴訟特有の確認の利益というけれども、それはやっぱり確認の利益なんじゃなかろうかと。場面が民事関係の場合の確認の利益と、行政と、この場合とでは、シチュエーションが違うので、基本は同じ確認の利益なんだけども、表れ方が違うのではないかという、二つの説明の仕方があるかと思いますけども、小早川さんがさっき言われたのはどちらの方。およそ違う確認の利益。

【小早川委員】それは、こういう事件だから、こういう事実関係だから、確認の利益があるでしょう、という判断を一つ一つしていけばいいわけです。こういう事件というのは、民民の一対一の場合のお互いカプリシャスであって明日はあの人なにをやるかわからんというそういう私人間の関係もあって、それから、良かれ悪しかれルールに従って官僚制の規範に則ってきちんきちんと行われていく行政の場合とで、将来予測の程度も違うだろうと、一般論ですけれども。そういうようなことも含めて、確認の利益を判断した結果、それぞれの違いがわかれてくる、ということではないか。それを訴訟類型の別としてセットするかどうかは、他のいろいろな点、判決の効力とかそんなようなものも含めて考えて、別にした方がよければ別にする。

【塩野座長】その場合、今までの議論だと、どうも、認められそうもない、というものがあるかどうかというと、例えば、武蔵野市のマンションで、教育負担金を払え、ということで、必要に迫られて、一遍払ってから、あとで 不当利得返還請求、あるいは損害賠償を請求した例がありますけれども、あのような場合には、行政機関として、そもそもそういう権限はないはずだ、と。単にお願いということではなくてですね、必要に迫ってくる時には、そういった権限がないということの確認の利益は、民訴ではないんですかね。

【市村委員】どうでしょうか。

【塩野座長】そうすると、今まで、あまりそのことを、そういう訴訟を使わなかったという、弁護士の問題ですかね。それとも、弁護士にかけこまなかったんですかね。有名な事件がありましてね。

【水野委員】ちょっと待って、今、聞いてなかったんで、どんなあれでしたっけ。

【塩野座長】武蔵野市のマンション事件でして、老人夫婦がマンションを作って、それで老後の資金にしようとしたところが、武蔵野市は子供の教育ということで、教育負担金を一斉に課して、課してというのは、もちろん、法律上の根拠はありませんから、行政指導でやったわけです。それで、納めないとなかなか建築確認くれないものですから、やむなく納めて、後から取り戻した、という時に、私の質問は、民訴の考え方では、そういったことに執ように条例も法律もなんの根拠もなく、負担金をよこせ、というようなことを迫ってくる、ということになると、それは、負担金を納める前に、そういう権限はないはずだ、という、行政指導といってもそれはひどいじゃないか、そういう違法確認訴訟というのは、通常の民事訴訟では認められないんでしょうか。

【水野委員】それは、債務不存在確認の裁判が認められるのではないでしょうか。つまり、行政庁の方は、要綱等に基づいて、これだけの金を払え、債権がある、と言っているわけですね。

【塩野座長】債務不存在確認ではちょっと答えにならない。お前に債務があると言っているわけじゃないんですね。払って下さいよ、という行政指導をしているだけなんですね。

【水野委員】それだったら無視したらいいわけですけどね。

【塩野座長】いや、だから、無視できるんなら。

【水野委員】ですから、それは、債権を主張しているわけですから。

【塩野座長】いや、してないですよ。

【水野委員】いや、していると思いますよ。例えばね、利息制限法を超えた利息を請求してくると、これは法律上無効ですね。無効だけれども、それは、債務不存在確認の裁判を起こすんですよ。これは認められてますからね。

【小早川委員】それは、債務不存在で争える場合もあるし、それから、債務はあるけれども取り立て方があんまりだ、暴力団が何か払えと言って迫ってくる、その迫り方が違法であるという場合ですとね、これは恐らく民事でも、暴力団相手に、何らかの妨害排除を本案にするんでしょうか、債権の存否とは別の仮処分、救済ができるのだろうと思います。だから武蔵野市も暴力団と同じだと思えばそれはできるんじゃないか、と私はそう思いますけれど。ただ、私の頭の中ではそういうケースを考えていたわけではありません。

【塩野座長】いや、だから、そういう場合はどうでしょうか、という。

【小早川委員】それは民訴で行けるのかな、と。

【塩野座長】民訴で行けるっていうか、端的にそういうものの受け皿としてですね、これは後からの戦略の問題になるんですけれども、受け皿として行政訴訟法に置いといた方が、弁護士さんも使いやすいし、普通の人も、そちらに行こうという、そういったことがいいかどうか、という、そういう議論なんですけどね。

【水野委員】それはさっきから、議論出ているように、今あるものをなにもなくす必要はないじゃないか、とかいう議論がありますがね、それは別に無効確認訴訟という類型を行訴法に置いて、それ以外の色々な手続を制約するものではないということであれば別に構わないんじゃないか、ということにはなるんですね。ただ、36条は小林参事官が報告されたように、明らかに判例よりも狭めているわけです。少なくとも、民訴については、判例に委ねてるわけで、確認の利益というのはどういう場合かというのを、判例は形成している。行政処分の無効確認訴訟についてだけ、特に確認の利益についての規定をわざわざ設けて、それをまして狭める必要性は全くない、ということです、私の言いたい本当のところは。

【市村委員】要件論としては、一元説、二元説の古い話は置いといて、現実の運用として、先ほど小早川先生ご指摘になられた換地処分の無効確認の事件からもんじゅの流れを見ていくと、もう既に要件としては、紛争の抜本的な解決のために有効な手段であれば、確認の利益を認めていくという立場で運用されてるわけですから、あとはその文言をそういうものにむしろフィットさせていくことの方がいいのかな、という気がします。

【芝池委員】行政指導などの違法確認訴訟の議論なんですけど、これは、4ページに書いておられる、行政計画なんかも、射程に入っているということでしょうか。

【塩野座長】どうぞ、議論して下さい。

【小林参事官】行政計画、法令ですよね、政省令、を含めて、法律上効力があるわけですから、その効力を受けることによって不利益を受ける、あるいはその続く処分によって不利益を受ける恐れがあれば、今の法律でも確認の利益がある場合があるのではないか。

【芝池委員】それは、今の法律上は、さっき言いましたように、無効等確認訴訟というのは、抗告訴訟の中に入ってまして。

【小林参事官】当事者訴訟でできます。

【芝池委員】当事者訴訟はいいです。無効確認訴訟の話をしてるんです。

【小林参事官】まず抗告訴訟という類型の枠は、まず念頭から、後の問題として、救済手段としては、できるんじゃないかという。

【芝池委員】現在はそうはならないですね。現行法では。

【小林参事官】この趣旨は、現行法の枠の中の議論をしてるつもりはありませんので、できるとすればできるものを書く必要があるのかないのか、という、幅を広げたり縮めたり、考えてはどうか、という。

【芝池委員】その趣旨はわかるんですが、いや、こだわりますけどね、4ページの下から12行目、すなわち、というところがありますが、現行の行政事件訴訟法はうんぬん、と書いてありまして、これはやっぱり、現行法の話じゃないですか。

【小林参事官】当事者訴訟としてできるのではないか、と。

【芝池委員】いやいや、だから、それは、今は。

【小林参事官】ですから、これを受けて、法律で規定すべきではないかという議論もありますので、現行法では当事者訴訟でできるのではないかと思いますが、これについて立法する必要があるかどうか、という。

【芝池委員】ちょっとここの記述がややこしいんですが、無効確認訴訟の話をしますと、ここの、行政指導などの無効確認訴訟の話をめぐる議論が、行政計画なども視野に含んでいるのでしょうか、ということなんです。

【塩野座長】それで、視野に含んでいるとどういうことになりますの。

【芝池委員】それはそれでまた大きな問題ではあると思います。

【小林参事官】当然ここで論点には指摘しているつもりです。

【塩野座長】議論していただきたい。

【芝池委員】そうしますと、前回、取消訴訟の対象について、いろんな、いくつかの考えがありましたけれども、ここで考えておられるのは、取消訴訟は従来のように行政処分を対象にする、それ以外のものはですね、無効確認訴訟、あるいは当事者訴訟などで争う、そういうことになるんですかね。

【小林参事官】方向性を示しているつもりはありません。

【塩野座長】だいぶ時間が経ちましたので、今日色々な議論が出ましたので、また今事務局の方からもありましたように、方向性を示している、あるいは、今日ここで、なにかしら、基本的な方向をまとめるつもりはございません。ただ、あと、不作為の違法等もございますので、ちょっとこの辺で、一息入れたいと思いますが、一息入れるという趣旨は、こんな感じを持ちましたということですが、要するに、事務局が出した問題は、あるいはこのペーパーで出した問題は、無効確認訴訟ということをいう時にも、この前の取消訴訟の時の議論をしました時の引継ぎで、取消訴訟の対象を広めれば、やっぱり無効確認訴訟の範囲も広まって行くんでしょうか、どうでしょうか、という連動の話が一つあります。それからさらに、無効確認訴訟ということで、それよりももう一つ、前の方でうんと広がれば別なんですけども、あんまり前の方は広げない、コアにしといて、しかし、先ほど来、福井さんから指摘があったような通達やなんかの無効確認訴訟、あるいは、例えば計画に処分性がないとすると、今度はそれの、計画の無効確認というものがあり得るんでしょうか、という、そういった問題提起が、もう一つ、入っていると思います。その場合に、それを無効確認というか、違法確認というか、それはまた別の話。それからもう一つ、それを、当事者訴訟の中で読んでくのか、あるいは水野さんが先ほどから言っているように全部それも民訴に任しておけばいいので、行訴は知らん顔していればいいという、それで本当にそうなるのかどうか、というのはこれからの議論ですけども、そういった、受け皿としてどこが用意されているかという、そういう問題が一つあります。それからもう一つは、現在の無効確認訴訟の定めの仕方について、それは少し、現在の民訴の立場に立って考えれば、少し、確認の利益を絞りすぎているのではないか、という指摘があった、ということになろうかと思います。こういった二つの問題提起があるわけですけれども、現在の無効確認というのは、公権力の行使ということに一応限られているのは、これはどうも、抗告訴訟というかさのもとにあるということが一つの前提となっていると思いますが、今日のご議論のように無効確認訴訟というのを、行政処分の取消訴訟の時機に遅れた取消訴訟というふうに見るということになると、別に、これを、今後、この無効確認というものを考える場合にも、あえてあまり抗告訴訟の中に取り入れて考えなくてもいいと、色々な受け皿で考えていけばいい、と、そういった方向にもなるか、という点がございまして、この点はまだ、今日詰まっていないところもございますので、そういった問題点が明らかになったということで、今後も議論をしていただきたいと思います。
 それから、訴えの利益のところですが、ここが、いろいろご議論がありまして、一つにまとめるわけには到底まいらないと思いますけれども、私が一番心配してるのは、民訴にお任せした時ですね、そんな行政法的な議論、あるいは行政過程論的な議論、私のところでは受け付けられない、と、民訴ではそんなものは、確認の利益なんてものは、到底認められないよ、というふうに頑張られると、非常に困ります。ただ、その場合でも、さらに、当事者訴訟のところで受けるかどうか、そういう問題は残ると思いますけれども、ほっといても大丈夫ですというのがですね、もうちょっと議論をし、あるいは、情報を収集する必要があるのではないか、というのが私の感じでございますが、何か市村委員、何かその点で。裁判官に任せておけば大丈夫ですかね、ここは全部、確認の利益を。

【市村委員】いやいや少し、どういう要件で争えるか、うんと議論をしといていただいて、現場に一つ規範を下さい。

【塩野座長】では、いろいろな場合や何かを考えてまた、議論をすることにいたしましょう。それではちょっと時間が経ちましたが、今、三時半でございますので、三時四十分ぐらいを再開ということで、休憩をしたいと思います。

(休 憩)

【塩野座長】それでは時間でございますので、引き続き、第3の論点として整理させていただいた、不作為の違法確認の訴えについて、検討したいと思います。
 先ほど、事務局からの説明にもありましたように、行政の違法な不作為に対する救済につきまして、救済の範囲を、法令に基づく申請をした場合に限るかどうか、とか、義務付け訴訟などの他のより効果的な救済方法の採用の当否と、それから、行政庁の第一次的判断権の尊重との関係などの問題について、検討していただきたい、というふうに思います。かなり先程、一種の先取り的な意見交換をいたしましたけれども、重複を厭わずに、そして、もう一つは、現在、先ほどからの話にも時々出てまいりましたが、現在、ああいう条文がある、ということも前提にして、ご議論をいただきたいと思います。論点自体は先ほど、説明がありましたので、もう一度繰り返すことはいたしません。どなたからでも結構です。
 現実に、不作為訴訟というのは、東京地裁でも、ございますか。

【市村委員】ええ、起こって来ますけど、本当に少ないですね。起こります。ありますが、非常に少ないし、その、やってる間に、処分したとかですね、そういうことで、ご指摘のような問題はあると思います。ただ、やっぱり、これがあるということは、一番最後の、行政に対する歯止めにはなっているわけで、それはそれなりの意義はあると思うんです。このことと、申請以外のものに対して、同じような違法確認を認めるかというのは、これは何か、言葉とか、概念からいうと、すぐ隣にあるようだけれども、実は全然違うところにある、非常に大きい問題だと思うんですね。特に、申請に基づかない形での不作為の違法確認を認めるということは、義務付け訴訟を認めることと、もう一歩手前ですので、その後者の問題に関しては、私はやっぱり、どういう場合に認められるのかということ、特に、行政の、行政裁量の問題等々、勘案して、やはり、十分なしぼりをかけた上でないと、仮に認めるとしても、難しいんではないか、というふうに思います。ただ、あるケースにおいては、こういう手段というのも、あり得ても、悪くはないのかな、という感じはします。  

【塩野座長】不作為の場合で、既に裁判例がいろいろ出てますね、国家賠償関係は出ておりますですよね、不作為の結果、損害が生じたという場合ですね。それよりもう一つ進んで、請求権を行使して、なになにをせよ、という作為を求める訴訟というのは、まだ、あまり出ていないと思いますけれども、あの、その場合は、裁判官として、どうなんですかね。私なんか見ておりますとどうも、実体法の解釈の問題で、およそ日本法としてそういう実体法ができているのかどうか、というのがよくわからないんです。

【市村委員】まさにおっしゃるご指摘の通りだろうと思うんですね。一番の問題は、私の方が、例えば、行政に代わって、行政をやっていいということならば、私の考えで、あることをやれるでしょうが、私に与えられた規範として、これでなければならないという形の判断、それでなければ違法になる、という、そういうものとしてまで、実体法が組み立てられていることは、非常に稀な場合だと思うんですね。ただ、稀な場合があるということは、私も十分承知してますので、そういう要件について十分確認した上でやるということだと思いますが、現実の訴訟で出てくる作為請求というのは、ほとんどそういう実体法の場面は無視して、私の考え方によればこういうふうにやるべきだという、形で、行政の裁量ということと、特にあまり吟味せずに出てくるものが多いものですから、なかなかそういう請求は通らない。義務付け訴訟の三要件というふうに、下級審の方で、どんどんどんどん一人歩きしていると、こう言われますが、やっぱりそういう意味で、なかなか、一義的なものでないと、裁判所は、行政に代わるということは、基本的にはできないんだ、という認識でやっております。

【水野委員】これはさっき申し上げた、議論の延長だと思ったんですけどね、何らかの処分をすべきなのに、処分をしない場合に、それが違法であるかどうかということが、訴訟の対象なんですよね。それで、それが違法であるといって裁判を起こす、その場合に、裁判所が、これは、違法であることの確認までしか、今の段階ではできない、という判断をした場合には、不作為が違法である、という判決をすればいい。もしも、何らかの作為をすべきだということがある程度一義的に判断できる場合は、裁判所は義務付け判決をすればいいのではなかろうか、というふうに思うのです。ですから、やはりこれも、不作為の違法確認という訴訟類型、義務付け訴訟という訴訟類型という議論ではなしに、要するに不作為の場合の違法を争う裁判というものの中で、違法であることを確認のレベルで判決をするのか、あるいは一歩踏み込んで、何らかの処分をせよという、義務付けの判決までするのか、というのは、そのケースケースごとによって、裁判所が判断すればいい。もちろん、どういう場合にできるかという、一般的な要件を法律に定めておく必要があるだろうとは思いますが、要するに主文の違いだけじゃないか。したがって、仮に義務付け訴訟で請求をしてきても、裁判所が、これは違法確認にとどめるべきだ、というふうに判断すれば、いわゆる一部認容という形で、違法確認で判決をしてよろしい、と考えるべきじゃないかと思っているんです。

【塩野座長】その場合は、先ほどの話は、私の理解では、申請権があるということを前提にして、議論をしていると思うんですが。取消訴訟の話でしたので。今度の場合は、申請権がない状態、例えば、東京地裁でしたかな、出てた、不法、違法建築の除却命令を出してほしい、という、そういった類の事件を前提にして、ということで、よろしうございますか。

【水野委員】もちろんです。両方、あると思うんですね、つまり、申請に基づく不作為の場合と、申請がない、いわゆる規制措置請求みたいなケースと、両方あり得ると思います。それは、場合によったら、判断の要件が違ってくることがあり得ると思いますが、いずれもにしても、それは、いずれも共通で、違法の確認にとどめるか、あるいは、義務付けまで命じるか、これはもう裁判所がその事件に応じた判断でやればよろしい、というふうに考えるべきじゃないかな、と思うわけです。

【芝池委員】不作為の違法確認訴訟の件数なんですが、ちょっと古くて1989年の、ある方の論文では、毎年20件ないし30件程度ということになっております。行政事件訴訟の総件数の、2ないし4パーセントです。この点はちょっとご紹介いたします。それで、この不作為の違法確認訴訟についてでありますが、従来、この訴訟につきましては、中途半端なものでありますとか、迂遠な訴訟形態であるとか、いろいろ、学説上は批判のあったところです。確かに、不作為の違法確認訴訟に勝ちましても、また拒否処分が行われ、さらにそれを争わなければいけない、という事態もあります。私は、この不作為の違法確認訴訟は残してもいいんですけれども、それに代わる制度として、是非、義務付け訴訟ないし義務確認訴訟を法定すべきである、と考えております。それで、さきほどの市村委員のご発言に対してちょっとおたずねしたいのですが、裁判所が現在義務付け判決みたいなものを出しにくい、というお話でしたけれども、それは、現在義務付け訴訟は法定されていない、ということと関わっているんでしょうか。

【市村委員】今おっしゃられたことで、確かに、法定されていれば、あるいは、我々が考えている要件とは違うものが出てくるかもしれませんから、その意味では、影響があるのかもしれませんが、基本的にはやはり、義務付けができるというのは、つまり、司法が、積極的に行政行為を、他のいくつかの選択肢の中から一つ選び得る、そういう前提がないとなかなかできない、やっぱり一義性というところに来るんだろうと思います。我々、一義性、明白性あるいは緊急性というふうなこといっていますが、緊急性という要件が要るかどうかはちょっと置いておいて、少なくとも、裁判をするときに、行政裁量のようなものが残っているような場合には、裁判所は行政には、そういう意味ではとって代われない、というところの制約がすごくある。先ほど、塩野座長がご指摘になられたように、実体法から見て、これしかない、というふうになっている規定というのは、非常に少ないように思うんですね。そういう意味で、もともと、不作為の違法確認訴訟といっているものの「申請があったときに、申請に対しては応答しなければいけない」というのは、これははっきりしていますので、これは非常にある意味では、気楽に、というか、客観的な事実は判断しやすいんです。けれども、そういう申請権がないところである行為をしなければいけないというのは、これは創設的に考えなければいけないわけで、その時に、実体法規が義務付けているかどうかということを、実際に考えてみますと、なかなか一義的、明白に、義務づけているんだ、といえるものにはあたらない、というのが実情です。

【芝池委員】義務付け訴訟の導入を主張する人、私もそうですけれども、そういう場合には、行政庁に裁量がある場合はですね、その点を尊重して何らかの行為をすべきである、という判決になるのだろうと思います。そこは、どなたも認めておられるだろうと思います。

【塩野座長】仮に、今の芝池委員の、ご主張のところを、もう少しドグマチッシュにきちんと整理しないといけないと思うんですが、公衆に対する一般的な請求権を自ら代表するのだと、公衆が持っている請求権ですね、というのはまた別の議論としてありうるんですけれども、自分に何も申請権が何もない、与えられていないときに、ある措置要求をしろという請求権は、どこから導いて。制定法から読み込むんですか、それとももう少し背後に、法治国、あるいは法の支配、あるいは基本的人権、そういったものの道具立てがが必要なんだと思いますね。

【芝池委員】それは、申請の場合、

【塩野座長】申請じゃない、申請外の場合です。申請の場合は割合わかりやすいと思うんですね。

【芝池委員】申請外の場合は、例えば不法建築物があって、その取り締まりを要求する、という場合は、原告適格の問題だろうと思います。

【塩野座長】いえいえ、原告適格じゃないですね、請求権の問題です。

【水野委員】それはですから、例えば公害規制なんかのように、不作為のために、自分の権利利益が侵害されている、という場合には、人格権なり、なんなりから、裏付けられるのではないでしょうか。

【塩野座長】それは、私もできるだけそういうふうにもって行きたいと思うんですけれども、素朴な質問からすれば、それは、公害の相手方に対して、人格権を当然、主張できますよね。

【水野委員】だけれども、規制をしないために、相手方もそうですけども、規制権限を持っている行政庁が、本来規制する義務があるにもかかわらず、しないために、原告の権利利益が侵害されている、という場合には、大気汚染防止法には直接そういう規定はありませんけれども、それは、自分の人格権が侵害されている、ということで、規制を求める、という裁判が認められてもいいんじゃないか、と。

【市村委員】今、水野委員がおっしゃられた、規制する義務がある、と。そこが、義務が肯定できてしまえば、むしろ答えがでたようなものなんですけど、自分との関係で、例えばどういう状態で規制する義務が発生するか、そこらあたりが非常に実際上は難しい。各法規にですね、そこまで言える法規というのが、そんなにあるのか、という、その辺の判断は難しいのではないでしょうか。

【水野委員】それは、裁量とかいろいろな問題がありますから、難しいというのはわからないでもないですけどね、そこがクリアーできて、そういう場面があるとすれば、それは当然そうなるんじゃないか。ドイツなんかはだいたいその方向でやってるでしょう、規制措置請求。

【山本隆司外国法制研究会委員】ドイツの場合には、ですから、要するに請求権の問題は、取消訴訟の場合と同じように、根拠法規から読み取れるかどうか、という基準があります。取消訴訟の場合と、あまり区別しないで、認めてしまう、という、つまり、形式的に取消という形になるか、義務付けになるかというところは、あまり区別しない、ということだろうと思います。

【水野委員】そうするとね、今みたいな例で、大気汚染防止法で、工場に対して、法律上、規制をしなければならない、と考えられる場合に、それによって被害を受けている住民が、いわゆる規制措置を求めて訴える、その場合に、一つは、結論的には、規制措置をしないことが違法である、という確認の判決をする、二番目には、もう少し踏み込んで、これこれこういう規制をすべきだ、という義務付け判決をする、これは、ドイツでは認められるんでしょ。

【山本隆司外国法制研究会委員】はい、今、議論されている中で、請求権の問題と、それから裁量の有無によって、どれだけの義務が認められるかという問題は一応別になるだろうと思うんですが、今、ご質問されたその義務の点に関しては、ドイツの行政裁判所法の113条の5項の中で、もし一義的に何か義務がないという場合には、裁判所の判断を尊重して、もう一回やり直せというベシャイドウングスウァタイルというんですか、という判決を出す、ということになっておりますので、それは一義的に義務がある場合には、真正のといいますか、はっきりした義務付け判決になり、そうじゃない場合には、場合によれば、やり直し判決、ということになると思います。

【塩野座長】よろしゅうございますか。それではどうぞ、小早川委員

【小早川委員】今の話の続きですけど、私なりに整理をしますと、ドイツの場合には、義務付け訴訟そのものを訴訟形式として認めている、そこで、あとは、もう本案の問題になるんですね、義務があるか。請求権があり得るか、これは保護規範説とかです。その上で、じゃあ、その請求権に見合った義務が本当に現に個別にあるか、ということで、その義務をどこまで認められるかによって義務付け判決がされたり、ベシャイドウングスウァタイルがされたりする、ということになる。それに対して、日本では恐らく、先ほどから市村委員が指摘しておられる中には、そもそも裁判所が行政庁の懐にまで立ち入っていいのか、そもそもそういう権限があるか、ということがある。ドイツでは解決されていることが、日本ではまだ入り口のところが解決されていない。そこで、一義的明白、ということで、なんとか司法権と行政権の間の線引きをまずやろう、ということではないかと思いますね。そういうふうに整理した上で日本の場合は、ドイツと違って義務付け訴訟何でできないんでしょうねと雄川先生に聞きましたら、行政裁判所ということもあるねと言われたので、私は信じてますが、日本の場合にそれを回避するとすれば、先ほどからいろんな方が言っておられるように、すでになされた行政庁の判断なり行動なりの違法性の認定を求めるというところをメインに訴訟を組み立てれば入り口としては一応入れるのではないか。その先は審理の具合によってどうなっていくか、問題を先送りするだけかもしれませんが、訴訟の形としてはそういうことならなんとか行くのかなあ、という気がしております。これは、最初に市村委員が区別された部分、義務付け訴訟の代替的な、不作為の違法確認の話ですね。もう一つの、現在ある申請に対する救済、申請に対する応答がそもそもないという場合の不作為違法確認訴訟については、先ほど、他の方が言われましたが、これはやっぱり遠回りなので、今のような形の訴訟で、実際にもっと優れた救済を提供できるならそれでもいいし、そうでない場合は、これは何度も繰り返して恐縮ですが、今の不作為の違法確認よりは、みなし拒否処分の取消訴訟の方が、多少とも、迂回しない直接の救済になる、というふうに思います。

【塩野座長】今の、雄川先生のあれは、雄川先生の持論ですが、なんでそうなのか、というのが、よくドグマティッシュにはわからないのですね。感覚的にはそうなんだけれども、じゃあアメリカ人は突っ込まないかというと、行政の、アメリカの場合は、今のような。

【小早川委員】結局、市村委員が恐れるのも、裁量問題だと思います。

【塩野座長】それは、ドイツも、特に効果裁量の場合は突っ込まないんじゃないですか。

【小早川委員】でもそういう訴訟をそもそも認めるっていうことを、日本の裁判官は非常に遠慮している。

【塩野座長】そのことをちょっと、アメリカに聞いてみましょう。

【中川丈久外国法制研究会委員】そういう感覚はないんですね。紛争に成熟性があるのか、審査対象にするだけの中味があるかというところでは、不作為だけれども本当に対立が尖鋭化してるのか、というところは最初に見ますけれども、そうであれば、本案に入って、不作為が違法なのかを審査して義務付けられるような事案と言えるのであれば、もちろん義務付けが認められますが、単に不作為が違法であることを宣言するにとどめることもあります。それはもう、どこまで本案審理ができたかによる、という形です。

【小早川委員】そこはその、平均的な相場感覚で伺うんですが、先ほどの、国立の違法建築に対して例えば除却命令を求めるというような訴訟に対して、事実関係を審理した結果、除却命令に値するというふうになるのか、それとも、あの判決のように、なんらかの対応ということになるのか、それともさらに、また別の、あれになるのか。

【山本隆司外国法制研究会委員】それはどうも難しいですね。それはですからその裁量がどの程度あるかという問題ではないかと思います。それから、判決の形式に関していいますと、ドイツの場合には、要するに、間接強制の、行政庁に対する間接強制が認められていますから、給付判決か確認判決かというのは、そこのところが違ってくる、んですね。ただ、向こうでも、給付訴訟とか確認訴訟ができる場合に、給付訴訟を絶対に起こさなくてはいけないかと言うと、それは行政機関の場合には、確認判決だっていいだろう、という形で、整理がされていますが、日本の場合にはそこまで議論がいっていないですので、形に関しては、ちょっと、ドイツ法の場合とは、やや違うかなという気がします。

【塩野座長】はい、どうぞ、福井秀夫委員。

【福井(秀)委員】申請権がない場合の一つの典型が、事務局でお示しいただいた建築物の除却命令だと思います。これは私も代執行のテーマで昔調べたことがありますが、要するに、かなり違法建築があるのです。だいたい2万件ぐらい年間違法があってですね、是正されるのが8,000件ぐらい。残りの12,000件のうちで除却命令まで行くのがせいぜい3,4件、代執行だと0か1、ということですから、大抵野放しになっている。その中にはまた、程度の軽いのから重いのまで玉石混交であり、ひどいものでも野放しになっている反面、ちょっとしたオーバー、だけどもし適法にしようと思ったら、建物の躯体を壊さないと直せない、というようなものも中にはある。そういうこともあるからだと思うのですが効果裁量が非常にあり、実際上も除却命令などというめんどうなことはほとんど発動しない。結局軽微なものにひきずられて全然発動しないという慣行が成立してしまっていますから、わかっている人は見越して違法をやってやり得という悪質な事例も混じっている。そういうことを念頭に置くと、一定の場合、いくら何でもひどいという類型で、申請などなくても除却命令の発動義務があるという類型がないとおかしい。実体法上の根拠は、いくら効果裁量を置いていても、こういう場合にまで不作為を認める趣旨ではないと基準法上読みとれる領域は、明文になくても存在しているという考え方ができないだろうか。そういう場合は裁判所が果敢に救済すべきです。この場合、一つ問題があり、除却命令を出す場合でも、例えば4階を切り取れば容積率適合になる場合、地下室を掘れば大丈夫な場合、ひさしだけ切ればいい場合とか、いろいろな選択肢がありますので、多分除却命令だと代わりにやる、というところまで完全に裁量を一義的に収れんさせるのは難しい。とすると、少なくとも何らかの形で是正に寄与する除却命令を出してないことが違法だ、という確認まではあり得るのではないかと思います。そうでないと、何のための除却命令制度かということになり、ザル法の最たるものですので被害者がうかばれない。全部勝手に民事でやれ、というのは、行政のあり方としておかしいと思います。

【塩野座長】他に何かありますでしょうか。不作為の違法確認で、法令に基づく申請を前提としているようなものについては、もう少しうまく、あるいは救済に役立つような仕組が、とれるかどうかということは、これは議論し、あるいは事務局でもそれなりに考えていただきたいと思っておりますけども、あって、弊害を起こしているという、なければ、やっぱり、なんか返事をしろ、という訴訟を原告が選ぶというときに、そういうものは認めないんだ、ということを言う必要はないし、現在それがあるものですから、ということで、一つ、今後とも議論をしていくことになるのかどうか、という点があります。その時に、今、先ほどもちょっと申しましたように、本案の問題なのか、本案前の問題なのか、という議論は残されているところはございますが、ああいった、ややはまった議論が起こらないように、整理するということもあるいは必要なのか、とも思います。

【小早川委員】私は、今の不作為違法確認訴訟という訴訟類型の存在は弊害を起こしていると思っています。申請書を返戻された時に、どっちの訴訟で行くか、拒否処分取消訴訟で行くのかいな、不作為違法確認に行くのかいな、ということで、間違えて悲しい思いをする、という人が、行政手続法ができてから減ったとは思いますけれども、今でもあり得るわけなので、そこはできるだけ訴訟類型の数は減らして間違いを少なくした方が。

【塩野座長】その点については、いろいろ議論があるんで、せっかく手続法ができたので、あれを、ちゃんと浸透させてほしいという気持ちがやはりあるのと、それから訴訟類型を間違えた時に、弊害が起こらないように、というのは、いろいろな訴訟類型がやはり出てくるかもしれませんので、その時にまた、あらためて、議論したいと思います。なお、小早川委員がかねてから、みなし拒否処分説をとっていることは、よく承知しておりますし、この論点の中にも出ておりますので、また議論をしていただきたいと思います。それで、もう一つの方ですけどね、先ほどの議論の中で、行政裁判所だからできるという議論、これ確かに、田中、雄川、両先生から私も時々そういうお話を聞いたことがございますが、ただそれは、憲法が、司法裁判所によって行政を統制するということで割り切ったんじゃないかと思います。それが比較法的に成り立たないということなら別ですけれども、まさに日本と同じような、司法裁判所による統制をとっている所では、認めているというところもあるということもあります。もちろん、中川さんのご報告のように、アメリカの司法権と行政権の理解の仕方と、日本の、伝統的な、行政権と司法権の関係の理解の仕方は違うということは、あるんですけれども、そのところは、行政裁判所のあるなしは、一つの論点かとは思いますけれども、現段階でそれだけで説明できるかどうかとなると、ちょっと、疑問がございますが、この点はまた、議論を積み重ねていきたいと思っております。
 もう一つ、なかなか難しいのは、ちょっと私はドグマティッシュなのにこだわるかもしれませんけれども、なかなか、その当人に対して、権力を発動する義務というのがですね、義務の一義性ということと、その当人が請求権を持っているということはちょっと別の話なんで、そこはドイツ人が何でそこをうまくすりぬけたのかということはもう一度確認したいと思います。

【山本隆司外国法制研究会委員】ですから、逆にいいますと、日本の場合には国家賠償からまず出てきたわけですけれども、ドイツの場合には逆に義務付けから出てきたんですね。ですから、なんといいますか、おそらくドイツ人の目から見たら、何故国家賠償では、個人に対する賠償があり得るということになっているのに、義務付けというのは、事前にそれをやればできないのか、という、あるいは疑問を持つかもしれないな、というふうに思うのですけれども。

【塩野座長】はい。あまり明快な答えではないというふうに思いますが、ドイツの場合、損害が起きちゃってるんだから、という、そういう話ですよね。

【山本隆司外国法制研究会委員】ただ、損害が起きても、それが要するに行政機関が違法に何かやらなかったことが原因で、ということですので、やっぱりそれは、行政機関の違法な行為とつながった話ということですね。

【塩野座長】個人との関係、ということですね。
 はい、どうぞ、福井さん。

【福井(秀)委員】法令に基づく申請がある場合の話ですと、私自身も、不服申立て、審査請求の裁決に関して、裁決が遅すぎるという不作為の違法確認、あるいは不作為の国家賠償を担当したことがありますが、だいたいこういうのを行政庁がどう対応するかと言いますと、起こりそうな気配があったり、起こると大慌てで最優先で処理をする。実際よく起きることであり、確かに小早川先生がおっしゃったように、別の形の救済があると思いますが、どんな形でもいいので、要するにやっていないことについて顕在化させる手段があるということが、行政庁に対する相当大きな、いい意味でのプレッシャーになると思います。

【塩野座長】今日、ちょっと少し、細かな議論に入りすぎたかと思いますけれども、成川委員、今までの議論を聞いておられて、何か、こういった点が落ちているのではないか、とか、こういった点もちょっと議論を深めたらどうか、と、そういうご注文でも。

【成川委員】特にありません。事務局の文章だけですと、なかなか、何故こういう論点が上がってくるのか、というのがちょっとわからないところがあったんですけれども、議論を聞いてると、それぞれ、ちゃんと議論しておかなきゃいけない、というふうに思っています。

【塩野座長】また何かありましたらどうぞ。そういうことで、まだ、今日直ちに方向性を出すというつもりはございませんけれども、いろいろな論点が指摘していただきましたので、これからの、司法と行政の役割分担というのが、一番基本的な問題として横たわっておりますので、今日出た論点をさらに、こういった、司法と行政の役割分担という角度からも、深めて行ったらどうか、というふうに思っております。この点、不作為の違法確認について、何か他に、ご注文は、あるいはご意見等はございますでしょうか。
 まあ、時に、総務省の方からですね、不服審査法上の不作為の違法確認が一体ちゃんと動いているのかどうか、とかですね、そういった点についても、資料を提供していただくことがあるかとも思いますので、その辺は、よろしくお願いいたします。統計的な資料はとっておられましたかね。

【福井(良)委員】最近はやっぱり、膨大な調査になりますので、7、8年間隔とか、そういうことで、割合、古い資料しかありませんが、事務局とどの辺のデータが必要か、相談したいと思います。

【芝池委員】ついでですけど、もし、統計をとっていただけるようでしたら、変更裁決がどのぐらいあるかですね、義務付け訴訟との関係で。

【塩野座長】義務付け訴訟との関係で、変更裁決というのが、不服審査法で既に認められているものですから。

【福井(良)委員】ちょっと今はそういうのはないんですが。

【塩野座長】それでは、次に、第4の点、場合によっては二つ分けてもいいかもしれませんが、一応ひとまとめにして、ということを申し上げましたが、差止め請求、それから、当事者訴訟、その他の訴訟の救済方法に関する論点について、検討をしたいと思います。先ほど、冒頭の説明でしたので、多少、ご記憶が薄れているかとも思いますが、そういうことで、ちょっと、悪いけど、もう一度事務局の方で、ここが、という。

【小林参事官】差止めの請求のところを書いているんですが、要するに、ご指摘がありましたように、抗告訴訟という訴訟類型を作ったからといって、公権力の行使に対する争い方というのが、事後的救済というのですか、抗告的な救済に限られる、と。つまり第一次的判断権を、この訴訟類型自体が前提として仕組んだ、という、そこまで厳密に考える必要があるかどうか、そこをご検討いただいていたわけですが、そういう意味で、立法当時の、立法担当者の考えでは、必ずしも、明文の規定のない抗告訴訟を否定する趣旨ではない、というふうに説明されているわけです。ただ、差止めの請求ということになりますと、民事では一応、実体法上は、こういう場合についてこういう差止めが請求できる、というのが、法律はないんですが、今までの判例の中で、明確に人格権に基づく差止めと考えられているわけです。ただ、行政の違法な行為に対する差止めというのが、その、何を要件にして、どういう場合に差止めができるのか、というのは、先ほどの義務付けの場合も、似たようなところがあろうかと思うのですが、必ずしも、明確な基準というのもないし、そもそも認められるかどうかというのもはっきりしていないのではないのではないか、と。その点について、そうであるとすると、規定するとしたら、何らかの規定を置いていかなければならないのではないか。その時に規定するとした基準、何があるのか。対象となる行為というのは、行政処分もあれば、事実行為もあるるでしょうし、様々な対象について、念頭に置く必要があるのか、例えば株主の取締役の違法行為の差止めといったら、違法行為の差止めとしか書いてない、と思いますし、逆に、住民訴訟などでしたら、公金の支出とかかなり限定した対象で書いてあるでしょうし、そういった対象をどういうふうに区切っていくのか、あるいはそういうのというのは、一般的な訴訟法で決めるべき問題なのか、個別の実体法的なところで差止め請求権というのを規定していくべきなのか、というような問題も出てくるのではないか、と。差止めの対象というのは非常に設定の仕方というのが難しいな、というふうに思ったわけです。それから、その時に、原告側の損害というような要件をつくるのがいいのか、あるいは被告側の公共の福祉という、行政側の公共の福祉というような要件も考えていくべきなのか、それから、これは他の救済方法、そういった要件をどうつくるか、というところの関係だとは思うのですが、通常の訴えの利益とそれはどう違うのか、とか、他の確認訴訟等での救済方法との関係をどういうふうに考えていくのか、一応そういったところを詰めた上で考えていく必要があるのではないか、と、こういう問題意識を持っております。

【塩野座長】どうもありがとうございました。差止めの場合、一応置かれた状況を見ますと、先ほど来議論をしていた違法確認、あるいは無効確認というのが間に入ってくると、かなり差止め効果を持ちます。例えば、先ほど申しました勧告、公表、処分ときたときに、処分を止めようと思うときには、処分の差止めじゃなくて、ですね、勧告の違法ということで、止まる、ということがありますので、抽象的に考えているよりは、働く場面は狭いのかもしれない、実際に動かして見ますとですね、ただ、およそありえないかというと、そこはまた、こういう、いろいろな場面を分けて考えてみないといけないんですけれども、その時の要件について、事務局の方では、非常に、特に民事関係の場合と比較して、かなり心配をしておられるところがありますので、ドグマティッシュになにか考えなければいけないのかどうかという点があるかと思いますが。

【福井(秀)委員】事務局の方で把握されていれば、ということで、質問ですが、今塩野先生がおっしゃったような、違法確認が前提となる、手前の方の処分について、なされても、なおかつ差止めをしないと止まらない可能性があるような行政行為類型を、何か想定されていますでしょうか。

【小林参事官】むしろそこら辺を議論していただきたいと思います。十分検討しておりませんので。

【市村委員】私も実は差止めについて考えてみると、まず一応普通だったら基本となるべき取消訴訟のようなものは、処分があって 執行停止という形があるものですから、そこはぽんと抜けてしまうわけですよね。それ以外で、差止めということを実際に考えていって、先ほどのような人格権に基づくような、ああいうタイプのものは、それで可能だというふうな見方がされておりますので、行政独自にというのを考えていくと、なかなか難しくて、例えば、さっきちょっと例に出ていましたけど、外形標準課税のようなものが出たという時に、その時にどうするかという対応として、そんなことも議論には上るのかなあというふうなことぐらいしか、想定できなかったんです。

【塩野座長】こういう時の典型事例としては、昔から、丸刈り、刑務所の受刑者についての丸刈りの差し止め訴訟というのが起きて、これは白石判決が、訴訟自体は認めた、入り口は認めた、という事例なんですね。あれなんかは、今出てきたら、どうなりますかね。その場合でもいろいろ議論があって、先ほどの確認訴訟、無効確認訴訟で、そういった丸刈りを定めている、慣行なりなんなりの規律があれば、それの無効確認ということができれば、あえて、丸刈りの差し止めまで行かなくて済む、ということはある、と。

【市村委員】しかし、そのへんも、端的に民事の予防訴訟でできそうな気がするものですから。

【塩野座長】そこはですね、ここでもずっと底流に流れている議論の一つで、それは、少なくとも田中先生なんかの頭では民事ではないと思っておられますね。あるんだったらば、公法上の当事者訴訟、だけどもそれは抗告訴訟、公権力の行使なので、公法上の当事者訴訟には当てはまらない、ということで、法定外抗告訴訟の問題。で、法定外抗告訴訟の問題は、ご指摘のようになかなか厳しい、と。ただ、田中先生は、差止めの方は割合緩やかといいますか、そういうこともあるなあというふうにお考えだと思うんですね。それはやはり人権侵害については、もう自由権の侵害だ、ということが前提となって、それはやはり差止めということは、裁判所の機能としてあり得るだろう、しかし、余計なことというか、行政庁をして、ある行為をやらせるということは、田中先生の頭の中では、これは権力分立に反する、ということで、その意味では、美濃部、田中理論は、自由主義的な行政法理論のちょっと徹底した姿かなというふうに思っておりまして、その点からすると、差し止めの方は日本法でいうと理論的には割合つながりがあるんですね。人格権ないし、あるいは自由権の。

【小早川委員】丸刈りを民訴で止められないかというのは私も考えるんですけど、恐らく仮処分まで認めていいかっていう話ですね。それでもいいっていうのであればいいと思うんですけど、あまり簡単に、まさに仮処分の問題がそもそも日本の戦後の行政訴訟制度の出発点なもんですから、民事裁判官が勝手に止められちゃ困るという、そこの感覚がクリアーできるか、じゃないですかね。そうでなく、特別の要件のもとでの執行停止、事前の、前倒しの執行停止、仮命令でもいいんですけれども、そういう制度を作るとなると、そこから、これはやっぱり行政訴訟の問題だねという話になるのかもしれない。

【水野委員】仮処分についてですね、よく、仮処分で簡単に止められたら困る、という議論が出るんですけどね、実際にはそんな簡単なもんじゃないんですよ。例えば、嫌忌施設の建設、これはもう丸刈りと変わらないと思うんですね。これは全部仮処分、民事でやってるんですよ。仮処分のケースが結構あるんですね。その時に、それでは民事の仮処分で、人格権の侵害を理由にしてごみ焼却場をストップさせるというですね、それは、民事の仮処分だからすっと出るかというと、とんでもない話で、その時に人格権の侵害だけで、決定がでるかというと、そんなこともないんですよね。やはりそれは、いわゆる公共性をですね、十分斟酌しているんですね、その上で、決定なり、判決がなされる、というのが、実態ですね。ですから、民事の仮処分だから、簡単に出るとか、公共性とかそういうことが判断されないとか、したがって、行政にからむケースは、民事の仮処分がだめだ、というのは、これは、もう誤解に基づくことだと思います。

【塩野座長】仮処分の点はまた、次回でしたかね、

【村田企画官】次々回です。

【塩野座長】次々回に予定しておりますので、その時のご意見としても承っておきますけども、先ほど来、民事でもやれるとか、行政ではどうとか、そういう話は、今日の冒頭の抗告訴訟という観念を置くかどうかという問題と関係してます。ここで事務局の方で一緒に議論をしているというのは、仮に抗告訴訟という観念がなくなれば、それはまさに当事者訴訟であろう、と。当事者訴訟というものが、ではどこで引き受けるかということになると、この残るかもしれない行政訴訟法の外に置いちゃうのか、あるいは行政訴訟法の中の当事者訴訟というところで引き受けましょう、そこには職権証拠調べもあります、というふうなことで、落ち着かせるか、という問題はありまして、どこで引き受けるかというのは、これはまた、あとの方で議論していただきたいと思いますけれども、今のことで言うと、市村委員も、理論的に、差止め、丸刈りのような、ですね、民事に行くかは別として、それは、人格権で行くということは、あり得るわけですね。処分だけ、そういった人格権の侵害といいますか、ほんとに人格権の侵害じゃなくてですね、地位を失わせしめるとかですね、営業の関係の時に、差止めというのが、その、もろに行くのがいいのか、それとも、一遍処分をさせてから、その取消しで行くという問題があるように思うんですけどね。

【市村委員】基本的なところはやはり、処分前提型というものだと思うんです。ただ、ものによっては、事前差止めでなければ全く効果がないというものもあるし、ただ、その時に、どういう要件のもとに認めるかという、その要件の中身の議論で、そんなものはありえないとかいうふうな発想は、私自身にもありません。

【塩野座長】でもなんか判例見てると、結果的にあり得ないような判例が多いようにも思いますが。一義的、三要件で、ぎしぎしやってですね。

【市村委員】差し止め、ですか。

【塩野座長】ええ。

【小早川委員】三要件は義務付けじゃないですか。

【塩野座長】失礼しました。それにしても最高裁も結構厳しかったんじゃないですか、長野勤評。

【市村委員】まさにそれが、なんかの利益につながらなければいけないとか、成熟性の問題とか、そういう、他のものがあると思うんですが。先ほど、ちょっと話がずれてしまうかもしれませんが、仮処分で満足的な仮処分的な、あるいは仮処分で要求するような、高いものを要求するのは事実だと思うんですよね、そういうものがなければ、何か言えば止まるというものではないのは事実でしょうし、そういう点で、実際上通りにくいことはあると思うのですが、民事の場合と比べて行政だから、極端に差止めが認められないかというと、それは、実体のあてはめの問題に過ぎないんじゃないかという気がするんです。 

【小早川委員】私の発言、水野委員から批判されておりましたので、多少修正します。というか、言葉が足りなかったんですが、私自身は、丸刈りみたいな、あれはまさに人身の自由にかかわる話でして、それについて、仮処分を制限して行政庁の判断を優先させるということは、今の日本国憲法の人身の自由に対する考え方からしておかしいのではないか、行政庁よりはむしろ裁判所が正面に出て判断権を持つべきではないか、そういう領域ではないか、と思ってます。だから、仮に、今後、出訴期間付きの取消訴訟の対象をしぼっていくような話にもしなれば、その種の、いろんな人身の自由の話がありますが、その辺は本当に行政訴訟にしていいのか、それともむしろ、裁判所が直接出てくるようにすべきか。人身保護請求もあるし、そんな別の考え方があり得るのかなとは思ってます。ただ、一般論として、公共機関の場合に仮の救済の問題はありますね、ということを先ほど申し上げたわけです。

【塩野座長】ちょっと同じことを何度も申し上げるかもしれないんですけれども、今のちょっと小早川さんもそういう趣旨でいわれたので、行政訴訟としていいのかね、というときに、それじゃあもう全部民訴に丸投げということでいいかどうかが、これからの議論になると思うんですね。そのときには、行政訴訟は取消訴訟があるけれども、他にもし何かあるとすると、それは何のために行政訴訟に置いておくのかという議論もするわけで、その時に、一つのあり方としては、裁量問題があって、権限行使の場合の裁量問題があるとすると、裁量統制の道具というのが、通常の民訴にありますか、という質問になって、それは、こちらの方で、裁量統制の問題を用意します、という問題が一つあります。それから裁判所の管轄について、あるいは専門部について、行政訴訟の専門部を設けたときに、そこは取消訴訟だけです、と。他のものは全部民訴でやります、ということになるのか、行政の専門性に対する裁判所の切り込みというものが必要だからこそ、専門部を設け、まあ、市村さんなんか今やっておられるわけで、それが取消訴訟だけで、きちんとした司法による行政のチェックシステムになるか、という問題がありまして、それは、行政裁判所ではないけれども、専門的な、習熟した裁判官が、行政に対する司法チェックを行うというシステムが、もしできているとすると、そこにも道をつけといた方がいいのではないか、という問題がありますね。しかし、取消訴訟の排他的管轄のように、これだけだというわけではなくて、民訴の道もあるけれども、こちらの道もある、というようなことも考えて議論をしていただきたい、という、そういったことで、先ほどから申し上げているところなので、市村委員のおっしゃるのも、丸刈りは民訴なんだから、もう民事第二部はやらない、なんていうことになると、私はそれは、何のために二部を置いたのか、という問題になると思いますので、そこはいかがでしょうかね。

【市村委員】どういうふうな構成で、してくるんでしょうね、その場合に。請求の構成ですね、実体構成がどういうふうになってくるのか、その、おっしゃる趣旨はわかるのですけど、民事訴訟でいう要件と、行政訴訟として構成したから、こういうものが、独自の要件、あるいは、民事訴訟では要求されるけど、行政で構成したから、これがいらなくなった、という部分がどこか出てくるのかなあと、あまり、こうちょっと、イメージができないものですから、何か、ほとんど同じ重なってしまうように思うんですけど、どこかに出てくるのでしょうか。

【塩野座長】そこは、行政の行為規範、行政の行為規範が、どれほどきちんとあるかどうかという問題だと思うんですね。ですから、丸刈りのようなものになると、行為規範があろうかなかろうか、それは、だめなものはだめだということになりそうですが、そうではないような場合で、しかし、民々の間にはない行為規範が行政に課せられている時に、その行為規範の統制をする、というのが、民事第二部だということではないのか、と思うんです。

【市村委員】行為規範の源泉を、公法的なというか、行政上の行為規範というふうにして理解していって、その充足なり欠缺なりということをよく見なさい、ということであれば、それは、それで結論が決まってくるものであれば、行政訴訟として、任せるべき、ということになるんだろうと思います。

【水野委員】これはね、行政訴訟として専門部がやるから、どこまでも行政訴訟に入れる、という議論は、ちょっと順序が逆だと思うんですね。例えば今でも、国家賠償訴訟は、二部、三部に限られないでしょ。一般部もありますよね。あれも、中身は一緒なんですね、行政の違法。それからこれから議論が出てくる当事者訴訟についても、これもおそらく行政部には。

【市村委員】専属です。当事者訴訟であれば。

【水野委員】ただ、当事者訴訟かどうかというのは、区別されてますか。

【市村委員】してます。もちろん。当事者訴訟か民事訴訟かというのは、区別してます。

【水野委員】それは、事件番号の。

【市村委員】違います。符号自体が違います。

【水野委員】そうすると、これから先の議論になるんだけれども、区別ができるかどうか、公法上の訴訟か、私法上の訴訟かについて。区別してやっているのならそれでいいでしょうけれども、しかし、それに類する訴訟で、ワの記号がついて、一般部に回っているものも、結構あると思うんです。だから、行政部に集中させるために、行政事件訴訟法で、行政事件をきちっと書くというのは、ちょっと僕は逆じゃないかなという気がします。もしやるとすれば、行政を当事者とする裁判は全部行政部に回すというふうなね、さっきの嫌忌施設の裁判なんかは、一般部に回ってますから、あれだってやはり公共の福祉を判断しているわけで、つまりいわゆる裁量的な判断を、行政的な判断をしているわけですね。ですから、専門部について議論するんであれば、行政を当事者とする裁判は全部行政に集中させる、というふうな議論ではないかなという気もしますけどね。

【塩野座長】そこはまだあり得る議論だと思って。私が先ほど申し上げたのは、それを行政専門部の専門管轄にして、統一的な行政裁判、あるいは、フランス的な行政裁判に、全面審判訴訟みたいなものを全部コンセイユ・デタに取り込め、それが日本にもモデルになる、などということは、言ってるつもりは全くありません。そういう道を開いておく必要は、ないのか、と。原告の方でここはやっぱり行政専門部の方でやっていただきたい、ということで、やってくれという時に、来た時に、それは行政訴訟、取消訴訟ではないんだから、民事訴訟に行きなさい、ということをせっかく作った民事第2部として、言っていいものかどうか、そこに、行為規範というものがあるとすればですね、それは民事関係のようなごった煮の議論で、えいやで決めるのではなくて、きちんと、適法性の審査をするのが、私は行政訴訟の専門部であるというふうに思ってますが、ただそれを、独り占めにするという意味で申し上げているわけではないんです。それからまた、そういうことで、一つの考えとして申し上げているわけで、水野さんのおっしゃたのも一つの議論としてあり得るんですね。つまり、嫌忌施設だって、あるいは、普通の建築請負であったって、入札の問題とかなんとか全くの民事とは違うようないろんな要素が入ってきますので、そうするともう、一種の主体説になってですね、全部、行政と言えば、被告が行政であれば全部、専門部に任せるというのも、選択肢としてはあり得るんです。それはまた、あとのお話ということになります。そこで自ずから、この当事者訴訟についてということもあるんですけれども、これはだから、水野さんのあれだと、当事者訴訟なんていうのはもういらないということになるわけですか。

【水野委員】これは、もともと、公法関係か、私法関係か、という議論ですよね、出発点が。それで今は、公法、私法の区別をつけないというのが、ほとんど通説なんじゃないでしょうか、ちょっと不勉強ですが。私の認識では、いわゆる当事者訴訟的な裁判が起きてきたときは、全部ワが付いてるんじゃないか、というふうに思ったんですよね。

【市村委員】そうじゃないです。

【水野委員】それは、どこで判断してます。受け付け段階ですか。

【市村委員】基本的に受け付けでわかればそこでやりますし、疑問に思えばしょっちゅう聞いてきます。そこで判定します。

【水野委員】そうですか。そうすると例えば、2部へきて、これは、ワにするか、行ウにするか、というのは、判断しておられるケースがあるんですか。

【市村委員】あります。

【水野委員】そうなんですか。

【市村委員】逆もあります。通常部に行きましてですね、公法上の請求じゃないか、という形で、行政部の方で、もう一回検討してくれ、と。行政部の方で検討して、符号を付け直すということは、ありますね。ですから、難しい、限界のものは、結構ありますので。

【水野委員】そうすると、公法関係か、私法関係かという、ものすごい難しい議論をしてはる。

【市村委員】大半のものは、入ってます。むしろ、勘違いで回ってしまったり、あるいは、当事者がどっちへ行っているんだ、というのが、つかみかねる、という場合で、そういうところで、解釈に迷ったりすることで、こぼれはありますけれどもね、でも一応、それは必ず区分けしてます。符号自体は違います。

【塩野座長】立法論としてはどうなんでしょうか。

【市村委員】実際のところは、正直、私共は違和感がないんですね。やっぱり当事者訴訟でやってるテーマというのは、取消訴訟と連続している部分があるものですから、取り扱っている時に、そういう違和感がないんです。取消訴訟で考えるテーマと、考え方の働かせ方は違いますけれども、扱う部分が非常に似てるんで、民事訴訟をその分ぽんと通常事件の部に放り込んだ場合の違和感は、もっと強烈にあると思います。

【水野委員】私はそうたくさん訴訟をやってるわけではありませんが、当事者訴訟か民事訴訟か、という区別をあえてしなければならないのか、という、ですね。

【市村委員】いくつか、事例を申しましょうか。当事者訴訟でどんなものが係属しているかという。例えば国籍確認ですね。それから、公務員たる地位の確認とか、あるいは俸給の支払いとか、それから、補助金の交付請求とか、それから、社会保障関係はけっこう多いんですね、給付自体を求めるもの、それから、あとはさきほどから出てます、納税義務の不存在確認の訴え、とか。そのほかは、形式的当事者訴訟になっていない形での、損失補償請求、こういうものが現実に係属事件で、ある程度の率ではあります。

【塩野座長】やっぱり、それは先ほど私がちょっとお話しした行政の行為規範があって、それに基づいて審査をする、という。

【市村委員】そういう意味では、むしろ、その枠の中でやるのに、非常に、私は馴染んでいると思うんですね。

【水野委員】ですから、いわゆる公法上の当事者訴訟という類型をなくしてしまって、民事訴訟だと言っても、判断は私は一緒になるんじゃないかと思うんです、さっき言ったように。公益性とかいろいろな判断はするわけですから。問題は、今違っているのは、要するに職権証拠調べとか、若干違いがありますよね、民訴と。このレベルではどうですか、やっぱり違いがありますか。

【市村委員】実際の審理の仕方としてですか。

【水野委員】ええ。

【市村委員】職権証拠調べについては、もうご承知かと思いますけれども、実際上はほとんど職権証拠調べをしておりません。ある程度サジェストすれば、当事者の方で立証活動を活発にやってくれますので、まずそこを使うことはありません。ただ、それ以外の面で、どうかと言ったら、審理のやり方自体は、非常に、例えば、行政庁のやるべき分担と、当事者のやるべき分担というのが、これは取消訴訟とよく似てるんですよね。そういう意味では、すごく似てると言えば似てます。

【水野委員】だから、私が言いたいのはね、それはもちろんそういうことはあるでしょう。これは別に、民事訴訟だといったからどう、公法上の当事者訴訟といったからどう、ということではなくて、行政庁、行政主体が訴えられている、という次元から来ている話なんですね。だからそれを民事訴訟と言ってみたって、当事者訴訟と言ってみたって、違いはないじゃないか、と。違いがあるのは、まず裁判所の管轄がありますよね、支部でやれない、それから、もう一つは、さっき言ったように職権証拠調べがありますよね。しかし、職権証拠調べは、市村さんおっしゃったように、我々の感覚だって、あんまり区別はないんですね。そうすると、民事訴訟か、行政訴訟かと言ってみたって、ほとんどなんの意味もない。そうすると、そういうものをわざわざ置いておく必要があるのか、というのが、廃止論を主張しておられる方の大方のご意見だと思うんですけどね。

【塩野座長】そうすると、東京地裁の、民事2部、3部もいらない、ということですか。

【水野委員】ですから、さっき言ったように、これは民訴かどうか、例えば公営住宅に関する訴訟だから、これは2部に係属させるのか、別の、普通部に係属させるのか、というふうな判断を受け付けでやらせてね、行ウにするか、ワにするかというふうなことをするのは全くナンセンスなんで、これは行政を相手にしている裁判なんだから、民訴かどうかはともかくとして、2部なり3部なりに配転する、とすればいい話でね、それはあえて民訴か行訴かという議論をする必要はないんじゃなかろうか、と。

【塩野座長】あるいはちょっと私よく理解していないのかもしれませんけれども、取消訴訟の排他的管轄というのは、裁判所の専門部とは全然関係のない話なんですね。ですが、今後、いろいろな環境整備とかいろいろなところをやっていくときに、取消訴訟について、もう少し専門的にやらなきゃいけないのではないか、とかですね、行政訴訟に専門性が足りない、とか言っているわけで、そのときに今の民事裁判そのままで全部いいかというと、なかなかそうはいかないでしょう、という話が出てきたときに、行政訴訟の専門家を育てるというときに、取消訴訟の専門家、なんですかね、それは。

【水野委員】いや、行政に絡まる訴訟の専門家じゃないですかね。

【塩野座長】そうですね。そうしますと、そういうものは、一応、あとはかなり技術的な話だと思いますけれども、民事訴訟の中に入れといて、しかし行政訴訟、行政に絡まる訴訟なんだから注意しなさいというふうに言うのか、整理するのか、ですね、それとも、行政訴訟という中に入れといて、例えば当事者訴訟というふうに入れといて、ここは考えましょうか、という、そういう仕分けの仕方になると思うんですね。それで、田中先生、雄川先生、あの辺の、当初は、「公法上の」とやったのはどうかとも思いますけども、先生方の、抗告訴訟以外にもですね、やっぱりなんか公益に関するものがあるので、それはそれとして一つ、一括りにしといて、そこで、実体法もどんどん作っていき、ですね、行政事件の特質をそういうところで、つまり公益判断ですね、特性を作った方がいい、そういう意味での受け皿を作った方がいい、というのではなかったかと思いますね、機能的に考えますとね。その問題は、最後の頃にまた出てまいりますので、ちょっと、考えていただきたいと思います。

【小早川委員】質問ですけど、例えば公営住宅の明渡し請求なんていうのは、これは、どうなんですか。

【市村委員】これは、通常の民事訴訟でやっています。

【小早川委員】通常の民事訴訟で、別に、2部、3部に集中しているわけではない、ということですね。

【市村委員】はい。むしろ、排除されてます。

【小早川委員】その辺がですね、公法関係か私法関係かということになると、従来の学説では、一生懸命あれは私法関係だというふうに言ってきて、それが通常の扱いで認められているということになるのかもしれませんけれども、ただ、問題の性質からすると、やっぱりそれも行政のあり方の問題というのはある、そうではないんですか。

【市村委員】正直言って、家賃の滞納とかですね、それはどちらかというと、民々の、アパートの家賃などと非常によく似てるので、それは通常部が得意なところだと思います。

【芝池委員】一つは、この当事者訴訟の守備範囲なんですが、現在は公法上の法律関係になっているんですけれども、これ別に、公法という言葉にこだわる必要はないと思ってまして、さっき塩野座長もおっしゃいましたけれども、公益というふうな文言を使って、守備範囲を画する、という方法はあるだろうと思います。それから、公法私法の区別の否定論と、この当事者訴訟の存在可能性との関係なんですが、私も否定論に与しておりますけれども、それは、適用法規の問題でありまして、公法関係には公法しか適用しない、という考え方を批判しただけです。法律関係の種別として、公法関係と私法関係というのがあり得る、ということは、認めているといいますか、そこまでは否定していません。

【塩野座長】そこはなかなか微妙な発言ですので、あれですが、理論的には誰も否定はしないというのが、宮沢理論、論文以来の話だと思います。そこで、この辺もいろんな角度からの議論の整理が必要ですので、もっと詰めていかなければいけないというふうに思います。今の違和感がないとおっしゃったのは、これを勝手に私が理解しているところでは、単にそれは行政の権限行使についての訴訟ということで、それで違和感がないのだというふうに思いますが、そこで冒頭の議論に帰りますけども、抗告訴訟と言われたのも、結局はそういうところがあるのではないか、という感じがするんですね。田中先生の抗告訴訟はちょっと別といたしまして。つまり、その、公権力の行使というのは何かというと、それは、つまりは、行政権限、行政が立法権から権限行使を委託されて、それを誠実に執行する。それがまさに権限行使なので、それが誤っているのならたださなければいけない。そのただし方は取消訴訟でもあると同時に、無効確認訴訟でもあり、他の確認訴訟でもあり、差止め訴訟である、というストーリーを描くとすると、抗告訴訟という名の、オーバーベグリフみたいなものがあるのではないかというふうに推察されることがあるんですね。ただ私はその時に、じゃあ抗告訴訟というオーバーベグリフが必要であるとは全く思ってません。そんなのがなくたって、権限行使に関する訴訟について国民の権利利益の救済と適法性の統制をきちんとやるべきだと、いうことさえ、押えれば、いいわけですので、あえて抗告訴訟というカテゴリーを作る必要はないと思うんですけれども、やはりそういったその行政の権限行使を普通の民事の、官庁が請け負わせてとんかちやるのとは違う、という、そこはやっぱり、審議の仕方についても残るのではないかという感じが漠然としているところがあるものですから、申し上げた次第でございます。あと、それをどういうふうに受け皿を作ったらいいのかというのは、いずれ議論すると思います。ですから今日のところは、公法上の当事者訴訟として残せということではなくて、やっぱり両方の意見があるということで。全部、もう民事でもいいじゃないかというご意見もあったことは、承りましたけれども。一緒に、このところでやった方がいいという意見もあるように承りました。何か他にご意見ございますでしょうか。時間は今日ちょっと、差止め、これで終わりましたね。何か特にこの差止め、当事者訴訟のその他のところでご意見がありましたら。

【小早川委員】抗告訴訟という言葉ないし概念がいらないかどうかっていうことがありますが、当事者訴訟という言葉も、これもどうかな、と。むしろこちらの方こそ、どうかな、という感じがします。これは逆に、抗告訴訟というのは公権力の行使の、上下関係の訴訟である、ということを裏返して言っているわけですね。だから、先ほどまさに座長も言われたように、対等関係だとして抗告訴訟との区別を強調するのではなくて、その前に何故行政訴訟かといえば、それは権限の行使について立法者が規範を課している、そこでの行動の適法性判断である、というふうに考えれば、むしろ、抗告訴訟と言われてきたものとの連続性が出てくるわけでして、そこを当事者訴訟という言葉を使うと、むりやりぶったぎることになる。

【塩野座長】はい。まあそれはおっしゃるとおりですね。通説だったらあれは抗告訴訟になっちゃうんじゃないのかな。まあ、今日我々が議論してこれは当事者訴訟だ当事者訴訟だと言っていた、先ほどの丸刈りもですね、通説だと抗告訴訟、いや、通説じゃなくて、田中、雄川説だと、

【小早川委員】処分性なり公権力の行使なりの、外延を、今まで一生懸命広げてきましたから。今、我々はなんとなく、そこをもう一度狭めるような感じで、議論しているところもある。

【塩野座長】そうですね。そういった言葉については、確かにそう思いますし、また、私はもともと、上下関係とは思ってないもんですから、権限行使で、こちらは当事者訴訟というのは、普通の民事訴訟の審理の、それこそ、当事者、武器対等のところだ、ということですが、取消訴訟はむしろ私は、武器不対等なので、行政の方にそれだけ説明責任が課せられているという訴訟であるということであれば、何もその、上下関係のものでも何でもないということになると思います。呼び方は確かに、問題があると思いますね。

【小早川委員】まあその、今の説明もちょっと一面的で、フランス的に言えば、当事者訴訟というのは原告被告がいて、越権訴訟というのは行為に対して攻撃があるだけで被告はいないというのが、古典的な考え方ですね。当事者訴訟というものをそういうニュアンスで考えるんだとすれば、それは一つの考え方ですけど、日本ではそんな、被告のない訴訟というのは、およそ常識に合わないと思いますけど。その意味でも。

【塩野座長】この際、外国法のことを聞いておきますが、ドイツやアメリカでは、当事者訴訟というのは、カテゴリーとして。

【山本隆司外国法制研究会委員】ドイツの場合には、公法上の法律関係に関する訴訟が、行政裁判所の管轄に属する、ということですから、その意味では、どちらかというと、公法上の当事者訴訟に近いような感じになっております。あとは、取消訴訟と義務付け訴訟に関する特則がある、ということですから、真ん中の抗告訴訟というカテゴリーは、ない、ということになっています。

【塩野座長】命名の仕方です。

【山本隆司外国法制研究会委員】命名の仕方は、かつてはそれこそ、公法上の当事者訴訟うんぬんといった命名はありましたけれども、現行法上は、公法上の法律関係に関する訴訟、これだけです。

【中川丈久外国法制研究会委員】アメリカにはそもそもありません。

【塩野座長】という外国法の状況がありますので、あまり命名の議論、名前の議論をしてるときりがないので、私は、あまりやらない方がいいと思いますが、概念としては、きちんと、整理をしておく必要があると思うんですね。抗告訴訟というのと、当事者訴訟を対峙させたわけですから。これが仮になくなった、と、前の方の抗告訴訟がなくなったとすると、当事者訴訟という概念そのものでいいかというのは確かに、小早川さんご指摘の通りと思いますね。

【山本隆司外国法制研究会委員】基本法19条4項の中では、「公権力」という言葉が使われていて、なおかつそれがかなり広く理解されている、ということが一方でありますから、あまりドイツでもターミノロジーに関して統一性があって、ということでもない。

【塩野座長】もう一つは、あとから議論になると思いますけれども、公権力の行使という言葉は現在、あちこちで使われておりますし、行政手続法にも使われておりますので、そういった言葉を、今度の行訴法でどう料理していくか、と。理解していくかというやり方もありますし、それは別の表現で代えるというやり方もありますけれども、一体、現行法で使っている公権力の行使という意味はどういう意味であるかという点も、そろそろ、細かな点に入ってくる段階では、詰めておかなければいけないというふうに思っております。ちょうど今、19条4項の話がでましたので、そういう問題があることを指摘しておきます。

【小早川委員】私、最近、この検討会の議論、だんだん、佳境に入って来てですね、これは、行政法学にとっても、由々しきというか、由々しきというのは悪い意味になりますけれども、とにかくこれは大変なことである、という感じです。今、座長が行政手続法と言われましたけど、それとも当然、連動するわけですね。行政法学にとっては、その先の、行政行為論なり、行政処分概念なり、その辺を書き直すとなると、教科書を全部書き直さなきゃならんなという、そういうことなんですが。ただ、この席で申し上げるとすれば、行政手続法、行政不服審査法、の同時見直しということが、立法作業としてあり得るのか、ということ、ですね。逆にそれが、行訴法の見直しの、外在的な枠に、なるのか、ならないのか。

【小林参事官】現段階ではなんとも、言いかねるところはありますが、総合的多角的検討はするということになっていますが、ここの課題は、司法救済、司法審査、行政に対する司法のチェック機能の充実というテーマになっておりますね。司法のチェック機能、そことの関係では議論していくことになると思いますが、それそのものが、ターゲットにはなってはいないんです。ただ、併せて、どうしたって、行政手続法の中でどういう救済をしていくか、それを、行政手続法をどう仕組んでいくか、前から問題点、そういう指摘をしておりますので、併せて、ご検討をいただいて、その上で、司法救済どうあるべきか、場合によってはそちらの方も、どういう考え方があるか、ご議論いただいたらよろしいんじゃないでしょうか。

【水野委員】それは、柔軟に考えたらいいんじゃないでしょうかね。ADRにも触れているでしょ。ちょっと今手元にないんだけど。ですから、そこはもう柔軟に考えて、ここで決めていけばいい話であって。

【小早川委員】決められればいいんですけど、どうせだめな話なら。

【水野委員】そう考える必要はないんじゃないでしょうか。他の検討会では、明らかに意見書をはみ出しているものもありますからね。

【市村委員】ただ、やっぱり、目的の実現というのをちゃんと果たさなきゃいけないと思いますのでね、やっぱり限られた期間の中で、できるだけ集約的に議論をしたらいいと思うんです。そういう意味で、非常に勉強にはなるんですけど、全部これだけ広げて、最後に収斂するだろうか、という疑問を持ちながらやっていますけど、まあ、一読の段階ですからいろいろな意見が出るのはいいと思いますが。やっぱり、我々はなんか成果は上げたいな、というふうに常に思います。

【塩野座長】ありがとうございました。それでは、予定しておりました論点については、一応、ご議論をいただきましたので、今日の、論点に関する、議論というのは、この程度に止めておきたいと思います。それでは今後の日程等について事務局から説明をお願いいたします。

【小林参事官】次回、12月17日火曜日の午後1時半から、こちらの事務局で、論点については第4という、行政訴訟の審理等について、ですね、こちらの方の論点について、現在準備を進めております。そこのご検討をお願いできれば、と思っております。それから、ご参考までに、事務局に前は国民の意見募集の、ご紹介をしましたが、それ以外にも随時、国民の皆様から寄せられている意見については、ファイリングをして、いつでも委員の方には見ていただけるようには、準備しております。ただ、極めて多岐にわたる意見ですので、ご参考になるかどうかというのは、必ずしも言えませんが、そういうことで、申出があればいつでも、こちらの方でリストをお示しして、もし必要なものを見ていただくということはできるようになっておりますので、ご参考までにお伝えしておきます。

【塩野座長】それから私だけ、不案内だったのかもしれませんけれども、議事概要が、かなり早い時期から、ホームページに出ております。と申しますのも、だんだん回を重ねてまいりますと、前にどういう議論をしたかということが、かなり重要なポイントになります。その時に、場合によってはこれを、手元に、議事概要をお配りしていただいた方が、あるいはいいのかと思います。と申しますのは、普通の議事概要は、何について議論があったという場合が多いのですけど、この議事概要は、かなり、雰囲気まで伝えている議事概要でございますので、ご出席の前に、前にどういう議論があったのかということを、あるいはお目通しする機会を頂いた方があるいはよいかと思います。あるいはこの場で置いておいた方がいいとも思いますので、ちょっと事務局の方で、その点は、用意しておいていただきたいと思いますが、前もってはホームページを開くとわりあい簡単に出てきますので、ご覧いただきたいと思います。既に第9回まで出ております。今回は、第10回ですね、第10回も、すぐに。

【小林参事官】頑張ってなんとか。

【塩野座長】頑張って作るそうでございます。ということで、だんだん、議論が積み重なってまいりますと、あまり、同じ議論を、同じような角度からするというよりは、発展的にしていきたいと思いますので、よろしく、ご準備をいただきたいと思います。それでは、次回は、12月17日の午後1時半から、事務局の会議室で、本日に引き続き、論点についての検討を行うということで、議事は、終了した次第でございます。どうもありがとうございました。

【水野委員】すみません。第4だけで、持ちますかね。

【小林参事官】その先まで、できれば、準備したいと思います。

【水野委員】第5の「執行停止と仮の救済」まで、もし時間があまれば、そこまでね。事務局が大変だと思いますけど。

【小林参事官】ご指摘があったということを踏まえたいと思います。