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行政訴訟検討会(第11回)議事録
6 議 事 【塩野座長】ただいまから、第11回行政訴訟検討会を開会いたします。事務局から本日の資料についてご説明いただきます。 【小林参事官】資料の中に、座席表の下に第11回次第がございます。そこで引き続き、本日の議題は「論点についての検討」をお願いしていることになりますが、その配布資料は資料1〜資料3になります。資料1につきましては「行政訴訟の審理等に関する検討資料」ということで、事務局で作成したものでございます。 【塩野座長】東アジア行政法学会のことでございますけれども、台湾、韓国、急速に研究を深め、水準も高く、特に法制の制度面ではむしろ台湾がドイツ法を主として参考として、大変立派な法典を作っておられ、韓国は来年の4月か5月ごろには法案ができるだろうという見通しの下に各国の制度の研究を進めておられる、ということでございますので、是非、ご覧いただきたいと思います。これはまだ翻訳が確定稿ではないということで、正式の資料として皆様にお配りすることは差し控えさせていただきたいと思いますが、どうぞご覧いただきたいと思います。 【村田企画官】管轄につきましては、現在の行政事件訴訟法の前身であります行政事件訴訟特例法では、被告行政庁の所在地の裁判所だけに管轄を認め、しかもこれが専属管轄ということで定められていたものを、この行政事件訴訟法の制定時に国民の便宜を一定程度図って改めた、というふうにされています。立法担当者の解説について、資料の2頁に多少長く記載しておりますけれども、この解説によれば、一つは、当事者の合意等によっては変えられない専属管轄とされていたのを改め、当事者間の合意やあるいは被告が任意に応ずることによって管轄が認められるような任意管轄ということに改めたというのが第1点、それから不動産あるいは問題となっている特定の場所の所在地の裁判所にも管轄を認めた、これが第2点。さらには処分等に関して事案の処理にあたった下級行政機関がある場合には、その下級行政機関の所在地の裁判所にも提起をすることができる、ということにした、これが3点目でございますが、このような形で管轄裁判所の範囲を拡げて、国民の権利救済の便宜を図った、というふうに解説されております。この3つ目の下級行政機関の所在地の裁判所というのはどういう場合にこれに当たるか、という解釈につきましては、資料の3頁で最高裁の判決を挙げておりますけれども、最高裁判所は柔軟な解釈をとっている、というふうに考えられるところかと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。なお、管轄については、本日資料の2として、最高裁判所から資料を提出いただいております。そこでこの資料についてのご説明をお聞きいたしたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】それでは、ご依頼がございましたので、資料に基づきまして、私の方から行政事件の現状、裁判所の体制の実情等につきまして、ご説明させていただきたいと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは、事務局側からの説明、それから最高裁の事務局からの管轄に関する資料と、それから説明を前提にいたしまして、ご自由にご討議をいただきたいと思います。なお、最高裁の表等についてのご質問も、適宜承りますので、御質問、御意見をいただいても結構であろうと思います。 【水野委員】ちょっと質問なんですけれども、最高裁の方に。この資料2の⑤の、例えば地方税と地方公務員に関するものが、原告の住所地以外に出されていますね。これはどうしてこういうことになっているんでしょうか。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】いろいろ原因あるんでございますが、例えば地方税の事件の中には、軽油引取税の賦課決定を争う処分がございまして、原告の本店所在地と言いましょうか、それと異なるところで取引を行ったものについて、他の都道府県で課税された事件をそこの裁判所で争うということで、地方税の事件について、原告の住所地、あるいは本店所在地と異なる裁判所に提訴されたケースが含まれている、ということでございます。 【水野委員】これは全部法人ですか、個人もありますか。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】手元にある資料では、法人と思われるんですが、ちょっと確定的なことは申し上げられません、申し訳ありません。地方公務員については、原告の住所地が、従来就労していた公共団体と別なところに、都道府県を異にしてある場合に、原告住所地以外の、例えば市立大学であればその市長を相手に訴訟を起こしたというようなことで、原告住所地以外の裁判所に訴えを提起された、というものてございます。 【塩野座長】これはアクセスということで、芝原委員のプレゼンテーションもきっかけになって、国民のアクセスについて注目していこうと、そういうことでございましたが、何か芝原委員、この段階でご意見ございますでしょうか。 【芝原委員】最後に、テレビ会議システムがあるということをお伺いしましたが、これはどういう形で実際には利用できる形になるのですか。その辺よくイメージできないので。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】テレビ会議システムの関係ですと、私よりも説明が詳しい方がいらっしゃるかと思いますが、私の方からでよろしゅうございますか。 【市村委員】私から説明いたします。私、ときどき使っておりますので、説明させていただきます。各地方裁判所には、今、テレビ会議システムというのが、ラウンドテーブル法廷といって、ちょうどこのくらいの円形の法廷にあります。傍聴席もありますが、そこに大きなテレビが1台おいてあり、テレビの上にカメラがあります。例えば、そちらにテレビカメラが置いてありますと、裁判官が大体、その正面くらいに3人座りまして、一方の代理人は、例えば東京であれば訟務の代理人などはその日、出頭しているわけです。相手方は、先日も鹿児島とやったり大阪とやったりしているんですが、鹿児島なら鹿児島の裁判所に来てもらうわけです。相手方のいる裁判所にも、同じような部屋があります。鹿児島で始まりますと、鹿児島の裁判所では東京の法廷の様子が、まさに同じ法廷のテレビカメラに写っているわけですし、逆に私どもの姿は向こうのテレビカメラに写っていて、子画面で、自分たちが写っていることも見ようと思えば見えるんです。後は普通と同じやり取りで、例えば先に準備書面を送ってきておいてもらうことですが、その準備書面でご主張になりたいところで、この点とこの点については、前回釈明したことと少しずれているんじゃないかとか、そういうことのやりとりとか、あるいはこういう補充をもう少ししてほしい、あるいは相手方の代理人がここのところはこう解してよいのか、というやりとりをする。それで普通の弁論で5分で終わるものであれば、やはりテレビ会議でも5分くらい。必ずしも弁論だけではなくて、準備手続、特に本人による訴訟など当事者が何を言っているのか、よく聞いてあげないとわからない事件がありますので、そういう場合のやりとりは30分くらいかけます。テレビを通してやりとりは、電話と違いまして、顔が見えているものですから、非常に法廷に近い雰囲気でやれる。 【塩野座長】結構お使いになるんですか。 【市村委員】私はよく使っています。 【成川委員】そのときは提訴裁判所との関係はどちらはどんな関係になるんですか。 【市村委員】ですから今の事件で言えば、鹿児島の方が東京に提訴してきたという事件で、東京地方裁判所が提訴裁判所ですが、結局、原告の方は、ほとんど鹿児島にいたままずうっと進行しました。 【塩野座長】成川委員、何かその、国民のアクセスということで。 【成川委員】専門性というふうに今、座長の方から、それをどう生かせるような点を考えないといけないんじゃないかというお話でしたけれども、今のテレビカメラみたいなものがあれば、かなりそれが柔軟に使えるのであれば、原告の住所に近いところで訴えて、専門性の人はテレビなり、の中で、しっかりやっていただくということであれば、大分イメージが違うのかな、という感想を持ったんですけどね。 【小早川委員】今のは、鹿児島の裁判所は、ただ部屋を貸しているだけなんですか。裁判官はどうですか。 【市村委員】裁判官は関与しません。書記官は手伝いのために関与してくれます。例えば書証を示したりする手続がございますので、その写しをあらかじめファクシミリですぐに送信できるようにもなっているんですが、大部なものですから長いものであれば、あらかじめ交換しておきます。そういう準備は、相手方裁判所に依頼して整えてあります。 【小早川委員】だから専門性は特には。 【市村委員】そういう意味ではそうです。 【水野委員】利用する立場からの意見を申し上げますが、私はやはり、ア、原告の普通裁判籍の所在地を管轄する地方裁判所に提訴するという制度にすべきだと思います。今は行政庁を被告にしていますから、行政庁に近いところにいる原告が訴えを起こすということで、結果的には先ほど最高裁の説明がありましたように、原告の住所地でほとんど起こされているんですね。ところが、今回の改革で、少なくとも被告適格については行政主体に変えよう、ということが第何回目かの検討会で一致したんじゃないかと思いますが、そうしますと、国を相手にする訴訟については、手当が要るわけです。そういう意味からしますと、国を相手にする訴訟に限りませんが、原告の住所地で、その地方裁判所で裁判が起こせる、という原則規定を置く必要がある、ということになろうかと思います。それで今、最高裁判所のご説明にもありましたように、現在、国を相手にする訴訟でも、ほとんど原告の住所地でやっています。それから地方公共団体を相手にするのは、これは当然地方公共団体ですから、原告の住所地でやっているわけです。それで特に支障がある、といった声は全く聞かれていない。いつかこの検討会でも例としてお話ししましたけれども、例えば東京に住んでいて、麹町税務署長から更正処分を受けた。その後、大阪の北区に住所を移して、いざ裁判を起こすというときには、麹町税務署長の更正処分を取消すというのではなくて、麹町税務署長から引き継いだ北税務署長の処分を取消すという形で大阪で起こせる、というのが今の解釈なんです。 【芝池委員】1つ、先ほど最高裁の方からご説明をいただいたんですか、資料2の③ですけれども、意味がわからないと言いますか、ご趣旨を承服し難いところがありまして、これは地方公共団体を被告とするものも入っているんですよね。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】すべての行政事件が入っています。 【芝池委員】ですからもし東京か、地元かという話になりますと、地方公共団体、あるいはその地方を被告とするものを除かないと、説得力を持ってこないのではないかなと思います。それから、今の水野委員のご意見ですが、1つは、原告の所在地での出訴を基本にする、というのはあり得ると思います。先ほどのお話でテレビ会議システムというのがあるようですから、逆に鹿児島の方に裁判長がいるという逆のこともあり得るんではないかと思います。 【市村委員】まず、統計的な点で、先ほどのご指摘があったので、関連して申し上げたいと思います。先ほどの原告住所地以外の地裁に提訴された行政事件の種類の種別、資料の2の⑤ですが、この一番上に、出入国管理・難民認定法関係、というところで12という数字があります。これは実は中身を見ていますと、外国人が例えば日本で不法就労しているとなどという形で摘発されてきた場合なんですが、大体提訴されたときには、センターに収容されたような状態で提訴されていることが多いわけです。これは、例えばこの近くで言うと赤羽ですとか、あるいは茨城県の牛久にあるわけですけれども、当事者が書いてくる住所というのはそこではなくて、自分が直近、就労していた場所、埼玉県であったり千葉県であったりします。そういう意味で、住所はそういう住所地ですが、住居の固定性みたいなことから言うと、割合その後は東京に住んでしまったりという方がたくさんいらっしゃるんで、この12という数字の中にはそういう住所地が入っているということを、少し申し上げておきます。 【福井(秀)委員】私も利用者の便宜という観点で言えば、原則形態としては、できるだけ原告住所地ということでよろしいんじゃないかと思うんですが、今まさに話題の専門性ということを考えると、今、市村委員からご指摘のあったよように、規模の利益があるわけでありまして、その点からすると、ある程度ブロックなり、あるいは東京なりに集約してやることは迅速化とか、処理効率の点ではメリットがある。そう考えると、さっきまさにテレビの話が出ていたので、それにインスパイアされて申し上げますと、できるだけ移動しなくていいようにする。被告もそうだし、原告もそうだし、専門性の高い裁判官をチョイスできるようにしておいた上で、できるだけ当事者が場所的移動を強いられなくても済むような仕組みにすれば、例えば金沢地裁で裁くにしても、被告の方は名古屋のテレビ会議でいいとか、そういうふうなことをできるだけ取り入れることで、原告所在地の問題もある程度はクリアーできると思うんです。ただ、専門性の問題というのは、基本的に勿論、行政庁の便宜ではありますが、原告にとって非常に大きな切実な利害があるわけですから、これも原告の所在地か、あるいはブロックの高裁所在地かということを原告の方で選択できるようにしておけば、ある程度処理件数もあって、規模の利益があって、きちんと判決してくれそうだ、と思えばそっちに、多少場所が遠いけれども、不便な分を補ってあまりあるだけのメリットがある、と考えればそちらに訴えるでしょうし、そうでもないと思えば地元に訴える。その場合でも、被告の方がテレビに参加すれば、それほど移動のコストは要らないんだ、ということであれば選択性に委ねてできるだけ遠距離で審理ができるような仕組みを活用する、という辺りが穏当なところではないか、という印象です。 【塩野座長】深山委員、それこそ専門的な観点から何か。 【深山委員】管轄は民事訴訟でも一番の問題になってくるところで、この事務当局のペーパーにもありましたが、管轄の原則はやはり当事者間の公平ということで、管轄を選択できない、応訴を強いられる側の被告の利益を中心に考える。訴訟も、民事関係の訴訟法ではやっぱりそれが普通の考え方で、原告もそういうことが原則になっている。民訴も、いろいろな例外はありますけれども、被告住所地が原則になっているというのは、当事者間の公平ということを考えると、訴えを提起されるか、訴訟に引っ張り込まれるかの利益を考えるというのが一般的な、普遍的な考え方で、そこからみんな出発点しているんだろうと思います。先ほどの今回、被告適格を行政庁から国等に変えた場合には、その原則をただ適用すると、全部霞が関になりかねない、という話がありました。管轄というのは、確かに被告の住所地が原則なんですが、それは民事訴訟でも、現在の行訴でもそうですが、別な基準で考えるということは幾らでもあるわけで、管轄のところだけ被告行政庁、あるいは事案の処理をした行政庁の所在地の裁判所、とするという現行法のシステムを上回るということも十分選択肢としてはあるんじゃないかと。国に変えたら、自動的にこうなってしまう、という類の話とはちょっと違うんじゃないかなと思います。それから私はこの資料2というのは初めて今日見ましたが、現行法の下でも、例外的な管轄や実際上の運用も相まって、統計の取り方はいろいろでしょうけれども、相当程度原告住所地でやっている。これは正直言って、もう少しそうじゃないんじゃないかと思ったんですが、85%が全体的な数字としていいかどうかはいろいろデータの取り方はあるかもしれませんが、という印象で、国民のアクセスという観点からはなるべく近いところで、というのは大きな原則的な考え方で、この基本的な方向性については異論はないので、私もそのとおりだと思いますが、現行システムでもそれは相当程度実現されているんじゃないか。管轄を考える際にそれが基準になる、というのは一つよくわかることなんですが、ほかの要素、特に私が思うのは専門性というのは、私も裁判官でしたが、例えば資料2の函館地裁というのは初任明けで行きまして、1件しかないですね。その当時も1件かゼロ件かという、非常に行政事件の少ないところで、これは行政事件が来ると、若い裁判官はそのときに塩野先生の本を買って読むとか、そういうところから始まるわけですから、非常に大変なことになります。今後の法曹養成のシステムが変わることによって、そこまでド素人の裁判官が誕生するかどうかは、もう少し基礎的な素養くらいはあるのかもしれませんが、しかし、これは訴訟運営とか訴訟指揮というのは、本だけ読んで、すぐできるものではありませんし、それから行政事件というのはやっぱり特殊な事件だと思います。 【水野委員】市村さんと深山さんがおっしゃったことで、問題点が出てきていると思うんです。つまり、訴えを起こすときに、原告側の便宜を考えるか、被告側の便宜を考えるかというところの発想の違いがあると思うんです。確かに深山さんおっしゃったように、普通の民事訴訟の場合には、民民ですから、被告の立場を考えて、という制度になっている。しかし、行政訴訟の場合にも、それと同じ考え方でいいのかどうかということについては私は非常に疑問があると思います。 【小早川委員】重要な論点は全部出ていると思いますけれど、私からは、データとして今日最高裁から出していただきましたけれども、その中で、先ほど芝池さんが言われましたけれども、自治体の行政庁の処分などというのは、これはちょっと意味が全然違うわけなんで、そういうものを外して、それから国の行政機関でも地方支分部局の長に権限が委任されているというものと、そうではない、中央の大臣が権限を保持しているものと、その辺でこれは裁判管轄の問題以前に、行政組織がどれだけ地方分散しているか、住民のニーズにちゃんと応えられるようにできているか、というところもあるとは思うんですけれども、その上で、中央に権限が残っているために、裁判管轄も無理やり東京地裁になってしまった、という部分がどれだけあるのか。そこを最後の2の⑤の表だけではまだちょっとわからないわけですので、それも出していただいた上で、結論を考えたらいいのかな、ということが1つです。 【塩野座長】どうもありがとうございました。萩原委員何かございますか。 【萩原委員】私自身のまとめみたいなことを考えているんですけれども、ある意味では両方の立場を、今も聞いておりまして、訴える側の原告の立場と、裁判官の方の立場とあったわけですけれども、これからいろいろアクセスのことを考えると、やはり原告にとってやっぱりアクセスしやすいという方向性がいいと思うんですけれども、そのときに、やっぱり訴えるときにいろいろ今までの判決とかを見ていて、その裁判を訴えたときに、あまり専門でないところに訴えた場合には、という判断が、原告側の方にもそういう計算はできるはずなんです。とすれば、やはりこの裁判はやっぱり地方ではなくて、東京まで行かなければいけないという判断もできるはずですので、とりあえずはやっぱり広げることは広げておいて、受ける側のその裁判官があまり事例がなくて、いろいろ調べられない、という問題のところは、ある意味では訴える側の方が、大体それも見当がついていますので、あそこに出したら、あまり経験もなさそうだから、いい判断をしてもらえないかもしれないということも、そういうことも含めての情報公開ということになれば、訴える側の利益というのは十分確保されるんじゃないかなという気がいたしますので、やっぱり原則はどこででも提訴をできるという形が望ましいんじゃないかという気がいたしました。 【市村委員】やはり制度というのは、設けた以上は中身のちゃんとあるものとして、用意しておかなければいけないものだと思うんです。我々もそういうつもりで体制を組まざるを得ないと思うんですが、それは先ほど福井委員からもご指摘いただきましたけれども、効率というのか、結果として何が原告にとって一番いいのか、あるいは国民全体にとっていいのか、そういうものから見ていくと、必ずしも、近いところにまず出訴できるということがプラスになる、というそっちの側面だけ見ることはできないんじゃないでしょうか。アクセスが便利だから結果がいいとは限らないと思いますので、仕組みを考えていただくときには、是非、一定の資源をどういうふうに配分するか、という問題だという中で考えていただきたいと思います。以上です。 【塩野座長】大体意見も出たようでございますが、今日は別にここでまとめるということではございません。私の方で幾つか申し上げておきたいのは、1つは、被告を現在の処分庁から行政主体に変える、ということについては、一応のご議論は承ったわけでございますが、まだ、それで確定したわけではございませんので、その辺はこの第1読会でございますので、ご了解いただきたいと思います。仮に行政主体とした場合でも、管轄をどうするかというのは、それはまた別に、先ほど深山委員からもご指摘もありましたように、法政策的に考えていく、ということも前提としていただいてよろしいのではないかと考えます。 【水野委員】そうではなくて、地方公共団体を相手にする場合には、原告の住所地でやったときに問題が生じるでしょう。つまり、地方公共団体に住んでいて、何らかの処分を受けた。その人が転居した。国の場合だったら、その転居先でやれると基本的にはなっていますが、そういう問題点があるから、原告の住所地に、ということを原則にするんだけれども、地方公共団体を相手にする場合には若干の修正といいますか、調整が必要だろう、ということを申し上げたんです。 【塩野座長】転居しない場合でも、もう既に東京に出ているようにありますね。元々地方団体の県庁所在地とは別の県に住んでおられる方も結構おられますね。 【水野委員】それはまずないでしょう。 【塩野座長】いや処分としてあり得るんじゃないですか、営業免許。 【水野委員】営業免許はあり得ますかね。 【塩野座長】結構あると思います。 【水野委員】さっきの軽油引取税などの支店で扱ったものについて。 【塩野座長】そうですね、実際にはあまり出ていないんですけれども、原理的には結構あり得るというふうに思います。ですから、その辺のこともちょっと考えておかないといけないということもございます。 【水野委員】そうですね。 【塩野座長】こういった点を含めて、今日は被告になるべき方々が出ておられませんので、被告となるべき人の意見もやはり聞くのが公平かと思いますので、またいずれ機会を改めて。 【福井(秀)委員】私は被告代理人として建設大臣の代理をよくやったのですが、一応建設大臣は霞が関が住所地なんです。実際に起こる事件というのは、土地に関する特例で、ほとんどが現地で起こるんです。わざわざ霞が関に訴訟をしに来る、東京地裁に訴えて来る人がほとんどいなかったものですから、なぜだろうと考えますと、さっきの議論を併せて考えますと、やっぱりいちいち通うのは面倒だ。やはり地裁の処理能力に対して多少訴える方も疑問は持っているわけですけれども、やはり通うコストに比べるとまだましだという判断がどうもあったような気がするんです。さっきからの議論の流れで言うと、例えばテレビで霞が関に起こせと言われても、テレビで動かなくてよくなるとか、あるいはブロックの中心地でそこの処理能力はうんと高いから原告だって有利な判断がもらえるかもしれないという情報開示なりでの期待を抱かせるようになれば、たまたま管轄が形式的に遠いところにあるというのは、それほど支障にならない。そのための技術開発なども重要ではないかという気がします。 【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは、そういうことで今後また被告の立場に立つ側の意見も何らかの形で聞いた上で、検討するということにしたいと思います。 【村田企画官】訴えの提起の方式につきまして、資料5頁の枠囲いの中の②で、はがきやファックスによる簡便な訴訟提起を認めるべきであるとの考え方が示されておりますけれども、この考え方は、具体的なそういった方式もさることながら、仮にごく簡潔な文書による訴えの提起で、たとえそれが不十分なものであったとしても、裁判所の補正の促しなどにより訴えの提起を適法なものとして認めて行くべきであるとの考え方が背景にあって、こういった考え方が出されている、というように考えられますので、その意味では、これも含めて③以下の考え方で述べられているような、原告の請求の理解等に関する裁判所の対応の在り方といったものと共通する問題提起がなされているものかと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。この点、それぞれ実務に詳しい方もご出席でございますので、いろいろ示唆をいただければというふうに思います。なお、その場合でも制度の新設と申しましょうか、行訴法の改正によってできるものと、いや現在でもこういった点について既にできる、あるいはやろうと思えばそのくらいはできるということのご指摘もいただければというふうに思います。どなたからでも結構ですから、どうぞ。 【村田企画官】書類に記名、押印が必要な文書ということに、訴状の場合にはなっておりますので、メールで受け付けることは民事訴訟規則ではできない、ということになっております。 【深山委員】その点について、いいですか。行訴に限らず、民訴一般について、インターネットを利用したものを認めるという法改正をするということを法務省の方ではもう表明しておりまして、いつになるかはともかくとして、そう遠くない時期に、全体の行政事務をIT化するということで、電子申請を認めるのと同じように、裁判所もIT化を図るということで、今言った記名等の問題はありますが、電子署名もありますので、インターネットを利用した訴え提起は早晩できるようになります。そうすれば、もちろん今の構造のままでしたら行訴法ももちろん同じくインターネットでできる。 【市村委員】今のITの問題は全体が進んだときに一緒に、それに遅れないようについていきたいと思います。ここで幾つかご提案があるうち、請求の特定に関する部分なんですが、少し緩い特定でも足りる、というふうにしてしまったらどうかとか、そういうことだと思いますが、請求の特定の意味というのは、先ほど企画官がご説明くださったとおりで、実際上も裁判所はそれが審理の対象を枠づけるものとしてとらえており、非常に重要な意味を持つと考えています。ご承知のとおり、請求の趣旨と、それを裏付ける原因事実との2つから請求というのが固まってくるわけですが、原因事実の記載というのは非常にいろいろ多岐なことをおっしゃるものですから、そのうちどれが意味があるか、というのを汲み取っていく一番の鍵というのはまず請求にあるんです。請求を理由あらしめるために言っていると思われるものはなるべく汲み上げていくということをやるわけですが、逆に請求の方も一緒に動いてしまう、ということになると、ものすごい可能性が考えられるんですね、両方で。これを全部裁判所が拾えるものはみんな拾って上げようということをやっていると、かなりの部分が仮定的になってしまって大変だということがまず実情としてあります。 【小早川委員】今のお話を伺ってて、ある意味では市村委員に対するご質問になるかもしれませんけれども、行政処分の取消訴訟を考えますと、出訴期間をどこから起算するかということもありますので、何月何日のどの処分か、というのは特定する必要があって、建前上はそれは原告が特定しなければいかん、ということだと思うんです。ただそこは、いろんな手続があってその中のどれが本当に争うべき処分になるかということはあるでしょう。その辺で今おっしゃられた、ここの文章で言えば、どのような行政活動によりどのような不利益を受けているかということを、素人的にでもとにかく表現してあれば、それを、原告の不利益にならないように、かつ裁判のしやすいように構成するとすれば、どの処分なのか、どのような処分なのかということを、少し親切に裁判所の方で助けてあげてやる、というようなやり方が考えられるかと思うんです。 【市村委員】今、まず全体でおっしゃられた点について、実際にどうしているか、というと、先ほどの補正命令で、いつのどの処分だというふうに尋ねるわけですけれども、それでぴしゃっとやってくれれば、それで終わりますが、終わらないのがたくさんあります。それで次、どうしているかというと、なかなからちがあかないと、例えば裁決を持っていたら、その写しを出してください、と言うわけです。そうすると、裁決段階ではどう言っていて、そうすると、処分としてはこれなんだ、というのがある程度わかるわけです。そこで、裁決のときに主張したとされるものから、これについての取消しを主張しているのか、あるいはそうでないとしたら、それ以外のどういうことなのか、というような釈明をまたやるんです。大体その辺までいくんですけれども、それもうまくいかないというときには、弁論準備手続として、いきなり一回目から被告に来てもらいまして、被告においてどんなことをしたのかということを聞いて、それのどこが一番不満なのか、ということを聞いて特定するということもやっております。こうしたことはやるんですけれども、やはりその責任はだれにあるかという基本構造は変えてもらっては困ります。まずこのような点を理解した上で、自分の責任で最後は選択してくださいというふうに言わないと、裁判所が全部代わりはやってあげられない。訴訟の手持ち資料がどれだけあるのか、という、それから、こういう主張をしたリスクはどれだけあるのか、というのはなかなかわからないのですから。 【小早川委員】今挙げられた当事者訴訟の例は、ちょうど大阪空港の場合は逆になるわけです。それは、民事訴訟でいったのを抗告訴訟に読み変えるわけにはいかなかったということです。被告が違うから、ということもあるかな、と思ったのですが。 【市村委員】私も今、そのことをちょっと申し上げようと思ったんですが、今の中で、処分の取消しだということさえ決まってくれば、どの処分か、ということは本当はさほど難しくないんです。うまく表現できないだけの話で、そこまで乗ってきた後、その中身に入るときに、今の例えば侵害処分のような場合であれば、この処分は違法であるとさえ言えばいい。そうすると、適法だという、この処分には違法はないということを被告側が言うわけですから、そういう意味で原告がそれ以上そこで苦労するところはないし、それを違法だと言っただけで足りているわけです。非常に単純な話で、課税処分が何月何日になされた。これは違法であるから取消しを求める。それだけで別に不足だと言っているわけじゃないですから、それより簡便にするという余地はほとんどないんだと思うんです。 【水野委員】今、最後におっしゃったような国税については、国税通則法で特則がありますから、それはいいのですけれども。③とか⑤という考え方は非常に賛成であります。今、市村さんがおっしゃった点は、私も基本的にはそうだと思うんですけれども、ただ、いわゆる処分権主義、あるいは弁論主義というのは、これは民事訴訟で、基本的には当事者が権利を処分できるという、つまり私的自治のところからきている原則なんです。行政訴訟についても、例えば課税処分の取消しだとか、そういうものについては私的自治が妥当する、ということは言えるかもわかりませんが、私的自治が妥当しない分野の訴訟というのはあり得ると思うんです、客観訴訟的な。ある程度公的な訴訟と言いますか、表現はまずいですけど、そういう分野の訴訟については、民事訴訟と同じように、処分権主義、あるいは弁論主義がそのまま妥当するというふうに言っていいかどうかという点については、私は若干疑問は持っているんです。ですから、それをどういうふうに条文にしていくのかはなかなか難しいのですが、多くの訴訟はおっしゃるように、処分権主義であり、弁論主義が妥当すると思いますし、その制度の下でも市村さんがおっしゃるように、裁判官がかなり積極的に釈明権を行使しておられますから、その点については異存がありませんけれども、やはり何か民訴と違う処分権主義ないし、弁論主義が妥当しない、あるいは職権主義を入れる分野というのは少し残す必要があるんじゃないかなという気はしています。 【塩野座長】その点で、それを一般法で考えるということですか。 【水野委員】それはそうでしょう。やはり一般法だと思います。 【塩野座長】書けますかな。 【水野委員】現に今、職権証拠調べは一般法で入れておりますね。ですから、必要な範囲で一般法で書かざるを得ないんではないか、というように思いますが、具体的にどうかはなかなか難しい。 【塩野座長】重要なポイントだと思います。どうもありがとうございました。どうぞ、福井委員。 【福井(秀)委員】この資料の⑤に関連してなんですけれども、民事訴訟と行政訴訟のいずれが適法かが微妙な場合に、いずれも適法とした方がいい、ということなんですが、これも例えば大阪空港などもそうですし、行政訴訟自体に出訴期間の縛りがあって、出訴期間の対象から外れる訴えの提起をしていると、後からは取り返しがつかないという場合も含まれるわけですが、そういう後から取り返しがつかないものだと、微妙な場合でアウトになってしまうと、非常に酷な場合が出てくると思います。この微妙な場合というのは非常に幅があるので、資料自体の意図がよくわからない点もあるんですけれども、微妙というのは、かなり微妙なものは微妙で、原発もそうですけど、たくさんありますので、そういう場合の、特に出訴期間で後から取り返しがつかなくなるような領域については、できるだけ広く救い得るような仕組みを構築しておかないと、大変問題が大きくなる、と思います。 【小早川委員】今の点、よろしいですか。⑤のところは、さっきの点と絡むんですけれども、被告が同じになってしまえば、かつその請求の趣旨が実質において同じであれば、民事の差止めなのか、行政訴訟なのか、そこは多分理論的にはもうそれは原告の決めることではなくて、そういう条件が整えば、そこは裁判所がいかに訴訟法を適用するか、というそういう問題ではないかという気もします。そこまでいけば、ある程度、従来の問題は解決できる。 【市村委員】今まで同じ民事訴訟の中であれば、当事者がこの請求だというふうに言っていても、別にそれにこだわることなく、全くその内容で別の請求として十分立つ理由があるということであれば、そういうものとして取り上げてきましたよね。それが今まで行政訴訟と民事訴訟とで、形式の上で、ダブるようなことがなかったから問題になりませんでしたけれども、その考え方が、これらの訴訟の間でも言えるかどうかです。 【福井(秀)委員】例えば民事で起こして、実は行政でなければ争えなかったとすると、出訴期間を過ぎると、もうアウトになってしまうわけです。それは微妙かどうかはともかく、そんなのは最初から教えてあげればいいじゃないか、というのが1つ。 【塩野座長】芝池委員、何かありますか。 【芝池委員】この5ページの枠の中に書いてあることで、一つは平たく言いますと、素人でも起こしやすい訴訟制度にしようという話なんです。③及び⑤のところに書いてありますのは、必ずしもそうではない。法律の専門家でもわからない場合があって、そういう場合についても、門戸を広げよう、という趣旨だと思いまして、趣旨が違うんで、勿論、比較し得るところはあるんですけれども、違うところもあるんじゃないかな、とさっきから聞いておりました。 【塩野座長】この点は先ほどから話にありますように、被告適格がどうなるかということと、それから、もう一つ、訴訟類型が今度はばっと広がる。これもまだ決めたわけじゃないですが、そこは何度も繰り返しておきますが、仮に取消訴訟中心主義ではないという形で来たときには、そこの関係が今とは大分違ってくるということも、逆に言うと、難しい問題が出てくる。どっちなのかな、という、そういった状況もありますので、類型論、それから被告適格論など、もう少し詰めた段階でもう一度ここに立ち返ることあるべし、ということなんですが、まだ市村委員と水野委員との間には、やや原理的な対立があるように思いまして、これもまた全体の議論をしてまいりまして、あと弁論主義、職権証拠調べ、職権探知主義の問題が出てまいりますので、それとの関係を待って議論していきたいと思います。 【山本隆司外国法制研究会委員】そうではありません。明文の規定というのは88条のところではないかと思います。 【塩野座長】ああ、そう。 【山本隆司外国法制研究会委員】その条文は、最初に処分権主義のことを言った後で、ただし、訴訟類型への当てはめについては裁判所が行う、というふうに、言わば対比して書いているわけで、ですから、対象自体はやはり原告が決める。 【村田企画官】ドイツの行政裁判所法88条を読みますと、「裁判所は請求の内容を超えてはならないが、申立ての表現には拘束されない」、という条文があります。 【塩野座長】それは昔の行政不服申立のときに陳情書と書いてあっても、それは異議申立というふうにちゃんと真意を取って扱いなさい、というのが最高裁判所の判決でしたね。 【中川丈久外国法制研究会委員】アメリカの方は、ここでは「救済の具体的内容の決定は裁判所の責務とされていること」、というふうに書かれておりますが、これは訴訟類型の選択と救済の具体的な内容という、ふたつの違った話があります。訴訟類型の選択というのは、アメリカの場合は、個別制定法に書いてある訴訟か、判例法上の訴訟か、だけしかありません。そういう意味での訴訟類型の選択につきましては、たとえば本当は個別制定法に訴訟規定があるのに、間違って、判例法上の訴訟ができると思って、そういうつもりで提起してきた場合については、裁判所が個別法でしか提起できない、と言って、出訴期間を徒過していますということはあります。そういう訴訟類型の選択問題ではなくて、では、あなたは具体的にどういう決定に不満があって、何を違法事由と主張して、そして、どういう判決がほしいのか、この3点については、基本的に原告が言ったこと以上のことは裁判所は言えないということはあるわけですが、しかし、判決の内容につきましては、原告はおおざっぱにしか言わなくてよい。それは本案審理の結果により、救済の具体的内容は裁判所が決めるべきだということになります。 【塩野座長】それは判例で決まっているのですか。 【中川丈久外国法制研究会委員】判例で決まっています。 【塩野座長】別に制定法があるわけじゃない。 【中川丈久外国法制研究会委員】まず、判例法上の訴訟につきましては、インジャンクションを求める場合、原告がインジャンクションを求めるんだと言えばよい。具体的内容は裁判所が決める。 【塩野座長】どうもありがとうございました。フランスはここに書いてあるところを見ると、市村さんと同じような。 【橋本博之外国法制研究会委員】フランスの場合は、そもそも訴訟類型を原告が選ぶという考え方を基本的には取っていないわけです。これは行政決定について、これは教示がされていますから、出訴期間が教示されているわけですけれども、あとは原告になる人は請求をどうするか。取消しを求めるだけなのか、プラスアルファを求めるのか。その請求のところで、中身については、どの類型なのかについては裁判所がそれを見て解釈をする、ということになるわけです。越権訴訟で、提起する、取り調べを求めるときには、弁護士強制が要らないというメリットがあるんですけれども、そういう場合にこの請求の趣旨からいくと、認定まで踏み込むから、一見そうではないですよ、と裁判所が判断したときには、それを補正しないと、弁護士を付けないと却下されますから、そういう形で補正命令が出るという形になるわけですが、そういう意味では基本的には訴訟類型を原告が選ぶということではなくて、どういう請求をどの処分、決定についてするか、ということに委ねられている。 【塩野座長】フランスは決定中心主義ですから。どうもありがとうございました。 【福井(秀)委員】補足なんですけれども、現在も審査請求とか異議申し立てなど、不服申立が先に走ると出訴期間が停止しまして、それが終わってから裁判に移行するというのが結構あるわけですけれども、この場合に、幾ら裁判所が親切でも、不服審査段階で行政庁が不親切だと、結果的にふたを開けてみたら裁決で却下になって、もともと不適法だったことになると、アウトになるということが起こり得るのです。そういう例はあるわけです。 【塩野座長】私の記憶が間違っているのかもしれませんが、違法な却下処分については、別のグループだと思います。 【小早川委員】却下が違法であればそれは前置したことになるんですね。 【市村委員】今おっしゃられたのは、客観的に不適法だった。ただもともと不適法な行政命令。 【福井(秀)委員】ちょっとなおせば適法になったはずなのに、というものですね。 【市村委員】やらなかった場合のことをおっしゃられたわけですね。 【塩野座長】そこまで親切に。わかりました。 【福井(秀)委員】よくあるのは、被告ですけれども、行政主体が是非取り消せと言ってくると非常に冷淡に却下とやるわけです。そのころには出訴期間が終わっていて、本当はそれが適法だったら出訴期間は伸びているはずなのに、3ヶ月、大分前に終わっていたということがあるんです。できるだけ不親切に対応しようと思えば、幾らでも簡単にできてしまうんです。そこもやっぱり裁判所だけではなくて、行政庁の不服審査が実際に先行する場面で手当しておかないと、しり抜けになってしまいます。 【塩野座長】この点についても、各方面からのご意見をいただきまして、ありがとうございました。訴え提起の方法については、先ほど民訴一般で大改革をしていただけるということで、その成果を見守りたいということで一応は整理できるのではないか、というふうに思います。 【村田企画官】資料1でいいますと、7頁からということになります。枠囲いの中で、⑥、⑦、⑧というところで考え方が挙げられています。⑥に関連しまして、職権探知主義を導入すべきであるとの考え方が挙げられております。訴訟の審理において、主張や証拠の提出を当事者の責任とする考え方、これを弁論主義というふうに申しまして、裁判所にもその責任を負わせる、という考え方を職権探知主義ということができるかと思いますけれども、この⑥では、行政訴訟においてこのいずれの考え方をとるべきかということで、問題提起がされています。 【塩野座長】どうも、ありがとうございました。この点、それぞれに難問がございまして、直ちに結論はなかなかそれぞれ導き出せないものでございますけれども、まず自由にご議論をいただければと思います。最初の方から主張・立証まで入ってしまうとあれですが、まず、職権探知主義を。一緒にやっていただきましょうかね。いちおう全部説明してからに。 【村田企画官】そうしましたら、主張・立証責任とその後の点についても合わせてご説明いたします。 【塩野座長】どうも、ありがとうございました。今、説明ありましたように、この中には、職権探知主義と職権証拠調べの問題。それから、主張・立証責任。そして、審理手続、大きく3つぐらいに分かれます。それぞれ関係するところはございますけれども、一応この順序で議論をしていただければと思います。ただ、職権探知等をやっていると、当然、主張・立証にも入ってくることになりますので、あまり厳格には考えてはおりませんけれども、まず、最初の方から入っていただければと思います。どなたからでも結構でございます。 【市村委員】最初の職権探知のところでございますけれども、まず、現在の職権証拠調べの活用状況ですが、実際上はほとんど職権証拠調べということ自体をすることはございません。なぜかというと、疑問に思っていることについて、法廷である程度、当事者に「こういう点についての立証はこの程度ですか。」「これ以上されないんですか。」ということで水を向けると、双方の当事者が、それぞれこの点について、まだ足らないと感じているのかというふうに汲み取ってくれて、立証の申出があるというのが通例でございます。それでもなお職権によって調べなければいけないというふうに感じたことはございません。 【塩野座長】どうもありがとうございました。ただ、職権証拠調べと職権探知は、なかなかわかりにくいところですので、今、ちょうど具体的な場合が行訴法であれば、というお話でしたが、事件でですね、そうではなくて、およそ一般的にどんな形で具体的に問題になったかということを、必ずしも行政事件にかかわらず、実務の経験のある方から教えていただければと思うんですけれども、ここで非訟事件とか人事訴訟とありますが、市村委員は実際におやりになったことございますか。 【市村委員】人事訴訟の方ではやったことがありますけれども、行政訴訟では職権証拠調べ自体をやったことがございません。 【塩野座長】職権探知をされたことはありますか。 【市村委員】戸籍関係とか、そういう基礎的なもので何か足りない場合には、当事者の申出を待たずに、これについては照会してしまおうと、ということはございます。 【塩野座長】水野委員、何か実務でこういった人事関係のあれでおやりになったことありますか。 【水野委員】私自身がまだ迷いがあるんですけれども、確かに職権証拠調べの規定が今はありますが、全然活用されていない。それは、どなたもおっしゃっているように、裁判所が気がついたら釈明したりしてやれば、証拠申請をしますから、それで実際上はおさまっているんです。ただ、さっき行政訴訟の、例えば課税処分などについては、処分権主義、弁論主義が妥当するんじゃないかと言ったんですが、しかし、よく考えてみると、そういう一見、個人的な利害に絡むような事件であっても、行政の違法が争われているという意味では、客観的、公的な面もあるんじゃない。そうしますと、やはり行政訴訟について、職権証拠調べの規定を置かれたのは、それなりの理由があったのかな、ということなんです。そうなると、職権探知主義についても、やはり導入してもいいのかなと。これは実際上、どれだけ活用されるかわかりませんが、市村さんが今おっしゃったように、それがあると、やはり裁判所の方がかなり積極的にやるという契機になるんじゃないだろうか。今、職権証拠調べの規定があるから、ある意味ではかなり積極的に釈明をし、証拠調べを促しておられて、結果的には当事者が申請した証拠に応じて裁判をしているということになっている要素はないか。そうなると、やはり規定を置いたことについては意味があるかなと思うのです。 【塩野座長】そうすると今のお話は職権探知「権限」であって、職権探知「義務」ではない、ということですか。 【水野委員】そこがまた悩ましいところなんですけれどね、義務までやるかどうかということですね。義務までやると裁判所は困りますかね。 【市村委員】結局、弁論主義で、今の課税の場合にたくさんの費目がございますね。ここを争うというのではなくて、自分が不満なのはここだけだ、これだけなら証拠調べは要らない、要するに解釈問題だ、だからすぐに判決をしてほしい、そういう場合主張だけいただければできますよね。だけど、ほかの部分について、本当に当事者はそう言っているけれども、それでいいのかどうかということを確信を持てと言われたら、それだけではわかりません。もし、そういうことで義務だと言われると、怪しげなものをみんな裏付けをくださいということになって、時間はもっときっとかかるでしょうね。 【塩野座長】この職権探知は、ドイツ人に聞くと、これこそ行訴法の真髄だというふうに言われるんですが、実態については聞いておられますか。 【山本隆司外国法制研究会委員】実態までは聞いていないです。あまりにも当たり前になっているということだろうと思います。ただ、裁量処分などの場合に、これをあまりやり過ぎると本当に争点が拡散してしまうということがあるものですから、むしろ、最近批判的な声が出てきているんじゃないかと思います。ただ、あまりにも当たり前になっていますので、多分、制度を改めるところまではいかないと思います。 【塩野座長】近隣諸国で職権探知を入れているのは台湾の行政裁判法が入れておりますけれども、規定どおりの動き方をしているのかどうか、その辺までは私、それこそ「職権探知」はしておりませんので、伺ってません。 【水野委員】ただ、1つ言えることは、職権探知にしろ職権証拠調べにせよ、それがあることによって利益を被るのは原告の方でありまして、被告がそれによって利益を被るというのはまずないと思うのです。つまり、被告の方は専門ですから、被告の方が主張すべきことを主張しない、立証すべき証拠を出さないということはまずない。結局、原告にとって有利な制度だというふうに思いますので、そういう意味ではいわゆる武器対等の原則等から考えますと、やはり置いておくべきではないか、という気もするんです。 【市村委員】今の原告に利益だという点は私はちょっと疑問です。結局、処分権主義というのを与えているわけですから、争おうと思えば、最初から自白しないで、この事実について立証してくださいと言えば、立証責任は被告側にあるわけですから、これがやられるわけです。むしろせっかく自分が、そこはもう争わない。争点を絞って、これで早い判断が欲しいというふうに構成しても、なおかつ職権探知によって引っ張られてしまう。まさに拡散する。そういう可能性が出てきてしまうので、むしろ弁論主義の効果がはなはだしく弱められてしまう、そういう側面があるので、必ずしもどこか破れる部分があるから、原告に有利だ、というばかりには評価できないんじゃないかなと私は思います。 【水野委員】拡散するとか、遅れるというのはどういう。 【市村委員】ですから、せっかく自白しても、自白に拘束されないわけですから。争点について、例えばたくさんの費目のうち、そんなこと自分はいちいち争うつもりはないというふうな態度を示しても、裁判所にそこへ突っ込んで来られるわけです。それをやると、何か裁判官を上手に納得させるというところまである程度証拠を出しておかないと、そこへ突っ込んで来られるということで、証拠調べの範囲は広くなりますし、それから裁判官がつくり出した争点が幾つか付け加えられ、それだけ審理の期間が伸びる。そういう意味で、結論として原告は、少し取消しの額が増えることがあるかもしれませんが、そこはどうでしょうかね。 【水野委員】裁判官が疑問に思ったものは、むしろ立証させるという方がいいんじゃないかという気もします。 【市村委員】それは今まで弁論主義の中で、むしろ義務付けておかなければ、まず当事者が、それは相手方に立証してもらいたかったら、不知とか、争うとかしておけばいいわけですから、それで十分だったわけですけれども、その自分の意向が無視されるという意味です。 【水野委員】あえてそんなところ争いたくないというならは別ですけれども、ただ、気がついていないという場合がありますよね。例えば何か実体で争っている。ところが、裁判所から見れば、処分の通知書の理由がかなり不備じゃないかと。理由付記が不十分だという違法を主張すれば、勝訴判決を取れるのに、例えば原告がそれを主張しない。 【市村委員】それはそこを自白していない限りは対象になるわけですから、立証が要るはずです。ですから、決して気がついていないからと言って原告が不利益になっていることはないと思います。 【水野委員】ただ、主張しないわけですからね。 【市村委員】主張しなくたって構わないわけで、その処分が違法だと言っているわけでしょう。取消されるものだと主張しているんだから。これで十分だというのが今の建前ですよね。ですから、個々的に今の理由付記の点が足りないじゃないか、という指摘は、自分は争わないということを言えば別ですけれども、理由付記はこれで十分だということを示せば、それは自白の問題になってきますけれども、そうではなくて、気がついていないというのであれば。 【小早川委員】理由付記だと、処分を見れば何が書いてあるかわかりますけれども、例えば聴聞なり事前の意見聴取のやり方がどうだったかというようなことは、原告が言わないと裁判官は気がつきませんよね。その事実そのものが出ていなければ、これは弁論主義だから、ずうっと実体で争っていて、実は手続の方がおかしかったんだ、という、ある意味切り変わりは認めるということだと思います。 【市村委員】ですから、今の理論上の建前は、今の形でも、手続的な点についても立証義務というのは被告にあって、被告はそれをやっているんだという建前でやっているわけです。ただし、それを個々的に原告が指摘しないということにおいて弁論の全趣旨という形で認定しているというのが今の実務のやり方です。ですからそれは本当に裁判官が気がつけば、それはそこについて弁論の全趣旨でやりません。だから、職権探知が働くような事項であれば、その前に今の証拠調べの中の規定で、被告になぜここを立証しないんですかということをやりますから、それは別に制度を変えたからといって、そう変わらないと思います。 【塩野座長】私は素人でよくわからないんですけれども、今のお話の関係で、職権探知というふうにおおげさに言わなくても、釈明権の行使なり、何なりで、例えば手続について、あなた方何もおっしゃらないんですけれども、本当にそうなんですか、それでいいんですかということぐらい今の中で言えるわけですね。 【市村委員】今の大きな点については、釈明義務がある部分については、ところどころで釈明義務ということが観念されていますので、その中では十分果たしていると思います。そういうことで、少しノーティスすれば双方が動き出すという形で動いているので、むしろ義務的に裁判所にそういうものを、細かいとこまで全部負わせると、特に違法一般だなんていう非常に広い形でかぶっている今の制度の中では、裁判官は非常に神経質になって、本当は、結果的に見たら、あまり益のないところまでやらざるを得なくなると思います。だから職権証拠調べの規定が置かれているこの中での運用で、現在のところは私はされているように思うんですが、本当に探知をやっておけばよかったという例がぞろぞろ出てくればまた少し考え方を変えて、再検証してみたいと思います。 【塩野座長】今、ちょっと議論の先取りをしているようなところがありまして、市村委員も、主張・立証責任の分配を既に先取りして議論しておられるところがありますので、そこはもうちょっと中に入って、議論をしていただければ、というふうに思いますが、ここの主張・立証責任は、なかなか議論の分かれているところで、学者の論文を見ても、どれが多数であるとさえ言えないところもありますので、この検討会でどれか1つの説を取るというのは、またこれは結論が先で大変申し訳ないんですけれども、なかなか難しいところとは思いますが、ただ、行政庁としては、やはりどこまでの証明度を求めるかは別として、主張・立証、まず立証は行政庁側がやるんだということについては、裁判上の実務としては大体そのとおりになっているというふうに。 【市村委員】立証活動としては、現実には行政庁側がやっております。ただ、いわゆる受益処分ですね。受給権などについては、そうやりつつも、建前は立証責任は受益処分などの事項については原告が充足を言うべきだという考え方は取っております。 【塩野座長】それは民訴の建前ですね。 【市村委員】それを一応やった上で、なお一般論ではこうだということは崩しておりません。 【塩野座長】この点は小早川説も芝池説も、私のも、それぞれちょこちょこ違うところがありますが、何かこの際特に、今の裁判所の動きとの関係で立法的な措置を必要とするというところまでお考えがあればおっしゃってください。 【小早川委員】立証責任問題だけを切り出してここで議論するつもりは私もありませんが、ただ、やっぱり特に次の問題、釈明権なり、あるいは文書提出なり、その辺との関係で私などは行政庁というのはきちんとした処分をすべき職務上の義務がもともとあるんだから、それにふさわしい行動を、法廷でも取るべきではないかと、ご承知のとおりです。 【塩野座長】水野さん、この点で主張・立証責任にだけ絞ってご意見があればどうぞ。 【水野委員】行政庁に基本的に主張・立証責任があるということは、この一般法に明記すべきではないかと基本的には思っております。 【塩野座長】取消訴訟の場合ですね。 【水野委員】訴訟類型がどうなるかわかりませんが、一応すべてについてですね。 【塩野座長】なかなか難しいところがあるんですけれども、例えば義務づけ訴訟でも、申請に基づかない義務づけ訴訟というのがあるわけです。隣の違法建築を除去しろと。その場合どういうことになりますか。その場合行政庁の決定との関係は。 【水野委員】除去命令を求める裁判についても、やはり除去命令を発する必要はないということをやはり行政庁が主張・立証する。 【塩野座長】そういうご意見なんですね。それを法律に書くべきだと、そういうことですか。 【水野委員】そうですね。基本的には主張・立証責任が行政側にあるという規定はやはり置くべきではないかと。 【塩野座長】芝池説はどうでしたか。 【芝池委員】私はあまりこの立証責任の問題に立ち入りたくないと言うとおかしいんですけれども、ちょっと市村さんにお伺いしたいんですが、立証責任の分配の原則によって、決着がつくケースというのは実際にはどれくらいなんでしょうか。 【市村委員】わずかですが、それはございますね。今、どちらかというと、それが影響しているとすれば、例えば年金の受給関係、重婚的な内縁関係の一方当事者が、私に年金受給権があるというふうに主張した場合に、配偶者要件だとか、生計維持要件だとかの充足が必要となるわけです。けれども、行政庁側というのは、本当は内縁関係があるとしていた人たちの間の極めてプライベートな部分ですから、わからないところがあります。そうすると、ある程度の証拠というのは出てくるんですけれども、やっぱり立証責任がそういうものはこちらにあるという考え方を取っていることで、これこれは足りない、十分に納得させるに足りないというふうなことをやるときがたまにあります。基本的には立証責任で解決するというのは、民事訴訟でもそうだと思いますけれども、全体の比率から言うと、そんなに多くないと思います。 【水野委員】ただ、今の受益処分でも一応申請をしているわけです。そこでいろいろ言っているわけです、つまり、行政庁に対する立証活動として。その行政庁が拒否処分するわけです。そうすると、やはりどういう理由で拒否処分をしたのか。そこがちゃんとそのとおりなのかというのは、やはり行政側に主張・立証責任を負わせてもいいんじゃないか。 【市村委員】しかし、ちょっと具体的なことで申し訳ありませんけれども、例えば申請があったときに、申請者はこういう資料を出さなきゃいけないと書いてある具体的な実体法規があり、それに基づいて判断しなければいけないということがあるんです。そうするとそれに基づいて判断したところが、ダメだと言っときに、原告の方が、そのときはどうも書き方からすると、出す義務は少なくとも原告にあるんだろうと思うんです。拒否処分をしても、そういう資料が出ていないと言えば、被告としては足りるんだろうと思うんです。 【水野委員】それはむしろ拒否処分が違法でなかったということになりません。 【市村委員】ところが、その実体を今のやり方だと、そういうものも含めて、実体的にもし原告に有利なものであれば、原告はそのとき出さなかったものについても、なおかつ資料を追加して、出すことを行政庁も認めていますし、そういう活動をしてくれれば裁判所もある程度認めています。ただし、それは原告が出す。最初からそういう構図になったから原告が出すということになったので、そういう拒否処分というものについて、こういう自分には要件があるんだ、ということについて原告がその証拠に近ければ、原告に言わせることは公平の観念から言っても、そう難しいことではないし、証拠の偏在の問題からも原告にそのような証拠があることも多いわけです。 【塩野座長】そういうふうにいろいろ実体法との関係もあるので、立証責任一般というのは、なかなか難しいものではないか、という感じもいたしますが、先ほど小早川委員からもご指摘がありましたように、この問題は、単に民訴法の立証責任の問題だけでは収まらずに、行政庁側がその行政訴訟当事者として登場したときに、通常の民事訴訟の当事者と全く同様の態度でいいのかどうかという問題があります。この点については、記録の提出等というところがございますので、この点も議論をした上で、また立証のところに立ち返るということはあり得べしということで、時間も大分押しておりますので、少し先に進ませていただきたいと思いますが、この点については、実は、外国もアングロサクソンと言わず、コンチネンタルと言わず、行政庁は単なる当事者ではないという前提で、いろいろ制度を整えているところがあるようにも聞いております。既にご発表の機会がございましたけれども、それぞれ記憶が多少薄れているところもございますので、簡単にちょっと説明していただけますか。 【山本隆司外国法制研究会委員】11ページのところにありますが、行政裁判所法の99条におきまして、行政庁は裁判所の求めに応じて、審理に必要な書類・文書を提出し、情報を提供することを義務づけられているということでございまして、ドイツの場合には、職権探知ですので、基本的に裁判所が主導して手続を進める。そのために裁判所が行政庁に対して求めて、それで出してくる、という形になっておりますけれども、そういう条文です。ある注釈書などを見ますと、例えばこの案件に関する資料を全部出せという形で裁判所が行政庁に求めて出す、というようなこともあるようですので、これでもってほとんど必要なものは出てくるということではないかと思います。 【塩野座長】ありがとうございました。では、フランスをお願いします。 【橋本博之外国法制研究会委員】フランスの場合、我が国に近いということで、職権探知ではないけれども職権証拠調べはできるという、条文の体裁もやや似ておりまして、フランスの場合は、担当裁判官が報告裁判官として、記録の提出を命じることができる、ということになっています。 【塩野座長】どうもありがとうございました。アメリカは、当事者対等ではないんですか。 【中川丈久外国法制研究会委員】当事者対等です。それはふたつの形で現れます。ひとつは、文書提出義務等は、基本的にディスカバリーのところで全部やってしまいます。ディスカバリーは基本的には弁護士だけでやるんですけれども、たまに裁判官も同席することも、あるいは当事者間の意見が食い違ったとか、そうした場合には、裁判官が中に入って、これは日本でいう釈明に近い形で、お互いの情報を共有します。これは事実に関する情報の共有です。これが一つです。 【塩野座長】あとの理屈付けは何ですか。 【中川丈久外国法制研究会委員】これは判例で出てきたもので、現実の行政判断プロセスが正しかったかどうか、というのを審査するのが司法審査だと、つまり、結論が正しいかどうかの理由付けを裁判所は発見してやるんではなくて、実際に現実の行政側が用いた理由がよかったかどうかを審査すべきだという考え方です。もしそれがおかしいことになると、取り消すか、あるいはもう一回差し戻して出直して来いというのもあります。 【塩野座長】提出する義務が、行政庁側に訴訟の場面でもあると、裁量という点ですが。なお、イギリス、EU、韓国については、当事者がおられませんので。 【村田企画官】お手元に、これまでの検討会で出されました資料を幾つか、黒いクリップで束にして綴じてあるものが置いてあるかと思いますが、この中で上から3番目の資料、ちょっと全体にページがふっておりませんので、わかりにくいんですけれども、諸外国の制度を一覧表にしたものが綴じてございます。 【塩野座長】ありがとうございました。若干情報の提供ということでございますが、委員の方に情報提供を求めるのは、いささかあれかと思いますが、日本の実務をやっておられる行政庁はどの程度に積極的に資料を提供するものなんでしょうか、よろしくお願いいたします。 【市村委員】実は、平成13年に民訴法の文書提出義務の改正がございまして、それ以後、裁決の段階での審査資料の提出命令の申立てが2件あり、また、別途の行政委員会における記録の提出命令というのが1件ございました。 【塩野座長】ありがとうございました。行政手続法では、文書閲覧が今度正式に決められたんですが、行政不服審査法は、実はそれに対応した規定がまだ置いていないという状況で、更にそれが今、裁判の段階になっている、という状況にあるということが1つ前提になっておりますが、先ほど小早川さんから、この方向でのお話もありましたが、もう一度自説を繰り返していただいても結構だと思いますが。 【小早川委員】それは、また、もうちょっと考えますけれども。 【塩野座長】今の不服申立前置の場合に限らず、おおよそ、一般的にです。 【小早川委員】今の関連で言うと、不服申立前置であることが前提になるんでしょうか、その場合には、それは法定の前審手続だというふうに考えて、一応システムの中に取り込んでしまうというのが一つあります。 【塩野座長】どうぞ、水野委員、失礼いたしました。 【水野委員】今、市村さんがおっしゃったことに全面的に賛成なんですけれども、国税通則法96条2項という規定がありまして、これは審査請求人が担当審判官に対し、原処分庁から提出された書類、その他の物件の閲覧を求めることができると規定されているのです。審査請求をしていたときに、この規定を使って閲覧請求した。そうしたら何も出てこない。出てきたのは、審査庁に対する答弁書くらいで、ともかく何も出てこないと言っても過言ではないのです。これは元来、原処分庁がどういう資料に基づいて原処分をしたのかということを当然審判所には説明するわけで、それを審査請求人は閲覧できる、という規定なんですけれども、これは実際上ほとんど意味をなしていないということです。民訴法の改正で、文書提出命令が拡がりましたけれども、今、市村さんがおっしゃったように、やはり公共の利益を害するとか、公務の遂行に著しい支障が生ずるおそれがあるといったような一般条項で出してこないというのが当然考えられる。 【小早川委員】座長からさっき言われた質問ですけれども、先ほど市村委員が言われたのも、課税処分のケースですが、課税処分は行政手続法適用ないのですけれども、ただ、一般論として言えば、行政庁が国民に対して不利益処分をやるというときには、行政手続法の一般ルールで言えば、事前にまず、あなたにはこういう理由があるからやろうと思っているんです、ということを通知する。それからその根拠について、相手方から、その根拠は、ということを事前に資料閲覧請求することができる。聴聞の当日には、またもう一度処分庁の方から改めてその理由を説明し、そこでまたやりとりをするということになっているわけです。従来、不服審査法のレベルはそこまでいっていませんけれども、私の理解では、少なくとも不利益処分に関しては、きちんと手の内を見せて、公明正大に処分をする、ということになっているはずなのです。だとすれば、同じことを行政訴訟でも、事前に出ていないものがあるとすれば、行政庁は、少なくとも行政訴訟の段階では手の内を出して、こういうことだから処分したんだということを言うべき責任があるではないかと思っているわけです。それは、証明責任、立証責任の問題でもあるし、立証責任があるということは、結局裁判官を納得させない限りは幾らでも証拠を出さなければいかんということになりますから、だったら最初から記録も出されるというように義務を負わせて何の不都合もないのではないか、というのが1つです。 【水野委員】課税処分取消訴訟では、課税庁が被告ですね、税務署長が被告。ところが、その被告の税務署長から、審判所が調べた証拠書類が出てくるんです。国税不服審判所でいろいろ調査した資料は、これは課税庁から自分のところに有利なものだけは出てくるんです。これもおかしな話でして、不服審判所は課税庁にはそれを示している、あるいは提供している。ところが原告の方には提供していない。こういうのが実態なんです。 【塩野座長】大体ご意見の方向は一致していると思うんですけれども、もっと細かく言いますと、記録の提出等を不利益処分を中心に、あるいは行政手続法的でもきちんと固めていくことになるのか、あるいはここにもちらっと出ておりますように、行政過程や情報公開における、行政の説明責任の問題。つまり、行政手続法は割合狭い範囲のものですから、そうではなくて、反対利害関係人や何かが出訴してきた場合にも、行政庁としては、本来説明責任を負っているわけですので、それが訴訟の場になったときに、どういうふうな現れ方をするか、という点が議論の対象になると思います。この記録の提出等については、それぞれに理屈付けはいろいろ違うところがあり、この点は詰めていかなければいけない、というふうに思います。私も情報公開等の説明責任がストレートな形で訴訟手続に及ぼす、ということまで言えるかどうか、そこは何らかの説明の仕方を違えなければならないという問題があろうかと思いますけれども、基本的には、行政は適法性確保、あるいは透明性の確保という、行政過程だけ持っていて、裁判所になったら勝手になった、そんなのはどこかにいってしまったというのは、どうにも説明がつかない。 【芝池委員】今の各委員のご意見に方向としては賛成なんですけれども、やはり開示しなくてもいい例外的な文書というのはあり得るだろうと思います。そうしますと、そこに食われてしまう可能性があるわけで、そこのところの詰めが難しいなと思いました。 【市村委員】いや、それはやっておりません。まだ、そこまで至っておりません。現実には特定できないです。 【福井(秀)委員】裁決の段階の資料は、当然必要だと思うんですけれども、そっちだけ開示義務を課すと、行政庁のやりそうなことは、要するに裁決の審理手続では、あまり知られたくない資料は使わないですから、歪みが必ず出ますので、やはり裁決も当然そうなんですけれども、全部にかける、要するに原告が訴えて、自分が受益処分の拒否処分にせよ、不利益処分にせよ、不利益だと思って訴えた場合の、その処分についての基本的な、実体上適法だという証拠で行政庁が判断の根拠としたものは、すべて明るみに出せ、というのが出発点でないと歪みが入ると思います。 【塩野座長】わかりました。どうもありがとうございました。 【水野委員】さっきの職権証拠調べのところで、1つ言い忘れていました。豊島事件があります。あれは、中坊公平さんが団長でやられた事件なんですけれども、あの事件で中坊さんがおっしゃっているのですけれども、これは本当は裁判所に訴えたかったが、それを裁判所に訴えなくて公調委に訴えた。これはなぜか、と言いますと、あそこに有害物質が大量に投棄されており、それを調査しなければならない。この調査を裁判所でやろうと思いますと、利益を受ける方が予納するという原則になっている。当事者が予納しない場合には、国庫が立て替えるという、昭和25年の民事局長、刑事局長通達がありまして、そういう制度にはなっているんですが、そんなものは利用されたものはない。そうすると、裁判をしても費用を予納しないといけないということで、選択できなかった。結局、公調委の方へ行った。公調委では、県の費用で調査をした。それに基づいて調停が成立した。これはやはり、裁判を求める桎梏になっているんです。したがって、職権証拠調べの中で、どう考えてもこれは国なり地方公共団体の費用で、調査するところまでは必要ではないかというふうに思われるものについては、職権で、あるいは申立てでもいいんですけれども、国なり地方公共団体の費用で調査する、というような制度を設ける必要があるんではなかろうか、ということを指摘しておきます。 【深山委員】私は公害等調整委員会に昔、出向していたんですが、あそこは相当程度の予算を持っていて、億単位の調査もしばしばやっております。それは、ただ公害紛争というのが、因果関係や加害行為の態様を特定すること自体に相当程度お金がかかるという極めて特殊な民事紛争であるということで、裁判所とは別に準司法機関をつくってそこに相当程度の予算を付けて、彼らが調査をしないと因果関係の立証を当事者にするというのは無理だという紛争の特殊性に着目してつくったADRであって、だからどうという話ではないと思います。まさに、そのためにつくった組織が、あの紛争では適切に生かされたと、制度が予定したとおりになったということだと思います。 【水野委員】あれは県のお金ではなかったですか。 【深山委員】県のお金も少し出ているかもしれませんが、相当程度、お金は持っていますから、私が出向した当時も年間億単位のお金を払って因果関係の調査をするということはやっております。 【塩野座長】今のご意見は、私も承知しているところでございますので、費用負担の問題のところで、また議論することもあろうかと思います。今日は、そういったご意見の紹介として承っておきます。どうぞ、福井委員。 【福井(秀)委員】2点補足なんですが、行政庁の把握する事実なり資料の中で、不利益に働くものは、要するに民訴上の原則だと出さなくてもいい。黙っている分には別に構わない。持っていないと、うそをついたときだけお咎めがあるということで、ここがやっぱりフルに活用されている部分ですので、行政訴訟で適法性が問題になっているときに、そういう言わない自由、密室の行為で逆の推定を働かせるような主張・立証はそもそもできないように転換しないと、多分不存在のものについては、なかなか証明しようがない。 【塩野座長】どうもありがとうございました。最後の点は、情報公開法のときにもいろいろ問題となった事例で、ここだけの問題ではないと思いますけれども、ご指摘ありがとうございました。 (休 憩) 【塩野座長】それでは、次の問題に入ることにいたします。第4の論点でございますが、処分の理由の変更、行政訴訟における和解、特別の事情による請求の棄却の制度についての問題についてでございます。事務局から資料の説明をお願いします。 【村田企画官】資料1の11頁からのところでございます。枠囲いの中にある⑨から⑫までございまして、その関係でございます。まず⑨の関係で、処分の理由の変更・差し替えといった点について、規制をすべきであるとの考え方が挙げられております。行政訴訟においては、取消訴訟を例にとって考えますと、審理の対象は、先ほど市村委員からもお話がございましたけれども、処分の違法性一般であるというように言われることが多いかと思われます。したがって、その処分の適法性が争われている、というような場合に、その処分をどのような理由で行ったのか、という点は、この点は異論もあるところかと思いますけれども、直接の審理の対象そのものというよりは、審理の対象である処分の適法性・違法性を基礎付ける一つの要素、といったような捉え方ができようかと思われる。これを訴訟手続という観点から見れば、処分の理由は、審理の対象そのものというよりは、攻撃防御方法の一つ、というふうに整理する考え方が一般的というふうに言えるかと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。この資料の11ページの枠の中に入っているのは、かなりいろんな論点が挙がっておりまして、これはフリートーキング参考資料で1つのところをまとめたものをそのままお目にかけている、ということでございますので、その意味では、必ずしも相互に論理的に結合しているものではございません。そういうことで、まず、頭の方から逐次御検討いただければ、というふうに思います。 【芝池委員】文言なんですけれども、これは「処分の差し替え」でいいんでしょうか。 【村田企画官】そこは、フリートーキング参考資料のときに、そういうふうにつくってしまったものですから、そう書いておりますが、これはかなり微妙な問題をはらんでいる、ということになろうかと思います。理由の変更と処分の差し替えは、確かに次元が違うものだという考え方の方が、むしろ一般的かと思いますが、ここも含めて、処分の同一性の問題のところも含めてご議論いただければと思います。 【塩野座長】理由の変更だけだと、また狭い、ということにもなります。 【水野委員】処分の理由の差し替えが許されるという議論というのは、これは行政処分に理由付記が要らなかった時代の議論だと思います。 【小早川委員】これは、全くのはっきりした定型的な問題についての議論ということになるので、既にいろんな説は出ていますけれども、私は、今の水野委員のご意見には、半分賛成、半分反対です。 【水野委員】今の情報公開の例は、前に滋賀県の例がありました。これは、私はこう考えるんです。Aという理由で不開示決定をした。これについて理由がないと認めるときに、義務づけ訴訟を原告が選択している場合には開示せよ、という判決をすれば、次にはBという理由で不開示決定の余地はないです。ですから開示が取れると。 【小早川委員】おっしゃるとおりだと思います。だから、申請拒否処分に対しても、義務づけ訴訟が本来の訴訟方法だ、というふうに考えれば、その部分は、理由の差し替えの問題というのは、基本的になくなるんではないか、と思います。 【塩野座長】なくなるけれども、差し替えの問題ではないですけれども、Bという事実を被告は主張できるんですか。 【水野委員】いや、できない。 【塩野座長】それは、小早川さんの先ほどの趣旨と違う、と思うんですけれども。 【水野委員】私は、それはできないと思います。できないと解釈すると、先ほど言ったように、訴訟の一回的解決という利益が損われる場合もありうると思いますが。 【塩野座長】わかりました。そうなると、行政庁は大変ですよね。全部つぶさなければいけませんから。 【水野委員】それは当然じゃないでしょうか。 【塩野座長】いや、当然ではないかと言うけれども、国益あるいは公益に関することで、こういった事実が見つかったと、後から見つかったというときに、それを一切主張させないというご趣旨、今日は別にここで結論づけるわけではないですけれども、水野委員のご趣旨はそういうことですね。義務づけ訴訟というのは、前の理由の範囲内でしか、議論をしないと。それは、義務づけ訴訟一般に関わることでございますので、これは訴訟類型の問題とも関わってきて、義務づけ訴訟というのは、どういうものか、ということについて、イメージがそれぞれ違うようなところがございますので、今日はご意見として承りたいと思います。 【市村委員】今と関連するんですけれども、例えば懲戒免職処分の例を取ってみると、あるところで職員が万引きをした、ということで、仮に懲戒免職になったとします。そんな事実はない、といって争っている間に、あるところで、実は人を殺していたと、極端な話ですが、そういう事実が後から発覚したというときに、それで差し替えることができるかと、これは普通誰が考えても、それは別途のものだろう、というふうな理解になりますね。しかし、これらは、いづれも、あるときまでになし得た懲戒免職処分です。そういうことを考えていきますと、処分の同一性とは一体何をもって同一なんだろうということになりますが、そこが実はよくよく詰めてみると、あまり通説がないんではないでしょうか。 【水野委員】まさにおっしゃるとおりなんです。つまり、処分の同一性の範囲内であれば、変えてもいいと思っているんです。ですから、最高裁の判決は、処分の同一性の範囲内と判断した事案だと思っているんです。だから、例えば懲戒理由で言えば、何月何日に万引きをした、ところがそれが何月何日の日にちが違っていたとか、あるいは本を何冊万引きした、というのが違っていたとか、そういうのは、要は処分の同一性の範囲内なので、そこで理由が変わると、これはいわゆる理由の差し替えの問題ではない。 【市村委員】むしろ、私は、同一処分の中で実質的な攻撃防御が変えられるかというのは、理由の差し替えであって、処分の外の枠に出てしまったら、それは処分の同一性がないのだから、これは当初の処分と名前は同じかもしれないけれども、これは違う処分というべきだと考えています。さっきの懲戒免職処分でも、2つの理由の懲戒免職処分が並立するものではない、そういう気がするんです。 【水野委員】その後のものは、調査した結果、もう一遍処分すればいいわけでしょ、市村さんの説でいっても。別の処分なんだから、 【市村委員】水野委員は、処分の単位というのをかなり小さくお考えだと思うんです。ただ、これは考え方によっては、例えば処分名が同一だったら、同じ日にちに、同じ処分名でなし得る処分だったら、それは一回でやらなければいけないから、それを一個だという考え方をなさる方もいらっしゃる。水野委員のように、きっかけになるべき理由ごとに切っていくというのもある。ただ、私はそれらは一方は広過ぎ、一方は狭過ぎるんではないかな、という気がします。各行政実体法規によって範囲は異なっているので、そこをつかまえてくるのはなかなか難しいんですけれども、それをやっぱり吟味しながら、それで入る、入らないをやらないと考えるのが相当であって、例えば一般抽象的に処分の差し替えを許す、許さないと言っても、結局、問題は他のところに、今、同一であるか、同一でないかというふうな形で、問題がただ他のところに形を変えて表現されるだけになるんではないか、という気がいたします。 【水野委員】ですから、同一性をどう考えるか、ということについては意見が分かれると思いますが、例えば、先程の最高裁の判決は処分の同一性の範囲内で理由を一部変えただけだと。これは要するに、取得価格と譲渡価格の違いがあったんですが、取引は一つなんです。ですから、これは言ってみれば両方争っているわけで、これは理由を一部変えても、これは処分が同一性の範囲内だから許される、というふうに考えています。 【小早川委員】ちょっと申し訳ないですけれども、言葉の問題ではないですか、大部分は。最高裁の課税処分の事例についても違わないと思いますし、懲戒処分と殺人云々ということについても結論は違わないんではないか。 【市村委員】では、もう1つ例を出してみますが、分限処分の場合は、その対象は、ある人のある時点における状態だと言われています。その人が例えば、職務怠慢でしょっちゅうエスケープしていると、あるいは病気で執務がとれない。そういうものは、みんな分限処分事由で同一だと言われています。その中では一個の処分です。その中のどれを主張するかというのは、これは理由の差し替えの問題ではないかと私は思うんです。例えば、この人はずる休みばかりする、ということを言っていたのが途中で、そのことがそれぞれ何か理由があってきた、ということになったときに、執務能力が著しく劣る、間違いばかりしている、ということに差し替えられるかという場合は、理由の差し替えの問題ではないのですか。 【塩野座長】私は、大体市村説で説明しているんですけれども、懲戒処分の場合には、その行為を非難するんです。ですから、その行為が違えば、処分が違うということになる。別の事由で懲戒処分をやることができるのですけれども、分限処分の場合は、その人が職務の適格性を欠いているかどうか、その人の全人格に関わっていることです。居眠りという現象をとらえる場合もありますし、別の現象をとらえる場合もある。それは最初の、その理由はいろいろだと思うんですけれども、行政庁としては、こういう人は職務に就かせたくない、ということであれば、すべての事由を後から付け加えることは、私は可能ではないかというふうに思うんです。分限というのは、その人の全人格についての評価。懲戒処分というのは、その行為についての非難をしているというふうに、一応はそういうふうに説明するんですが、そこを市村さんは、わかりやすい例だけ出したので、問題は、では同一性というのはどういうのかとなると、なかなか難しいところがあります。 【市村委員】いえ、というか、まず、和解の例がないということが実情です。 【塩野座長】本当の和解。 【市村委員】実は、公法上の当事者訴訟について、損害賠償の利率を少しいじるとか。処分の取消しの部分で、裁判所で正面から和解をする例というのは経験がありません。 【水野委員】私は、税務訴訟で、1件和解したことがあります。これは、株の評価が問題になった事件でして、それで鑑定が入って、課税庁の主張と、原告の主張との間ぐらいの結果になった。そこで話し合いをした結果、課税庁はそこまでの課税処分を取り消す、原告は訴えを取り下げる。和解調書は作りませんし、形式では和解ではないんですけれども、実質はそういう話し合いをして、課税処分を取り消す代わりに訴えを取り下げる、という形で和解したケースがあります。 【塩野座長】そういう例は、東京地裁でもやたらにあります。 【市村委員】どういう訳ですか、西の方の裁判所では随分成立すると聞くのですけれども、東京の場合は成立することがないですね。それは何のせいでしょうか。 【塩野座長】福井さんも和解に持ち込むのはよくないという、そういう話も実質上の和解ですね、そういうことも話として聞くこともございますけれども。 【福井(秀)委員】よくあるのは、当時は収用事件などですと、起業者が被収用者にお金を払って、裁決取消訴訟や、認定取消訴訟を取り下げてもらうことはよくあるのです。よくあるのですけれども、被告も面倒だし、原告もお金をもらえれば、最後はいいんだ、ということで、裁判官が推奨するという構図があります。できれば、わからぬように取り下げてもらうとありがたいという希望をよく表明されるわけでして、要するにまさか適合か違法かをネゴするわけにもいかないから、別途の何かの名目で、言わば原告、被告と違うところで金を払って解決してくれる人がいれば、ありがたいという実態は、かなり蔓延しているのではないでしょうか。 【水野委員】もう一つ、実例を言いますと、甲子園浜の埋立て反対の裁判をやったんです、港湾計画取消訴訟です。間に立った西宮市が仲介に動きまして、それで埋立ての面積を3分の1に減らす、ということで和解をした。3分の1に減らすように行政計画を変更して、その結果訴えを取り下げるという和解をしたのもあります。 【福井(秀)委員】和解自体は、本当にネゴして決めていい和解は一切ないとは言えないと思うのですけれども、収用案件みたいに、実は違法かもしれない、というものが、お金で解決されてしまうと、取消訴訟を提起すること自体が、言わばお金を取るための非常に有効な道具になる、という機能を果たしてしまうわけです。それは本来の行政訴訟の趣旨ではないと思うのです。そういう、事実上、裁判をいわば恫喝の取引道具に使うような使われ方がなされないようにするというのは、和解制度を考える上で非常に重要な視点だと思います。 【塩野座長】この問いかけは、そもそも行政訴訟において、特に昔流に言えば抗告訴訟ですが、和解が認められるのかどうか、ということにも関係していて、ドイツはどうも認めているという情報があるんですが、山本さん、どうぞ。 【山本隆司外国法制研究会委員】ドイツにはあります。訴訟上の和解に関して、行政裁判所法106条に規定があります。ちなみに、裁判外の和解契約というのも、これは行政手続法で規定されております。 【小早川委員】私の読んだ日本語の文献で、ドイツの場合に、法解釈とか権利そのものについての和解はできないけれども、事実認定については、両当事者間の主張・立証の度合に応じて、十分な段階まで主張・立証を行ってそれでもなおわからない部分を和解で、とか。 【塩野座長】先ほど市村委員がおっしゃった、やっていない、という趣旨は、行訴法では理論的にやはりあり得ないという前提ですか。 【市村委員】そうではなくて、私どもも例えば課税訴訟なんかで、今までの立証過程で、この辺は証拠は出ているけれども、こことここは弱いんではないか、というふうに思うところがありまして、そういう場合について、自庁取消しで修正すればいいんではないか、と指摘をすることはあるんですけれども、なかなかそれに応じてくれることがないというだけです。そういう意味では、そういうプロセスを踏んでならやれる場合がある、というふうに思います。ただ、さっき福井先生がおっしゃられたこととも関連するんですけれども、やはり法の適用において、国民は皆平等でなければならないということは、絶対に誰かが担保しなければいけない、という部分があります。それがそれなりのきちんとした理由の下にやるというところは大切なことで、やっぱり民事の和解のようなものとは同じ次元では考えられないことだろうと思います。 【福井(秀)委員】やるとしても、裏にもぐって秘密取引にならないように、はっきりと適正な行政権の行使の一環の和解だ、と位置付けてやるならば、だれにもわかるように公明正大にやらせた方がいいと思います。 【小早川委員】昔の教科書に裁量権の範囲内なら和解できるみたいなことが書いてあることがありますが、あれはやっぱりおかしいので、裁量権というのは適正に行使しなければいけないです。処分権とは違うんだと、私は思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。この点は、解釈論に任せるのか、あるいは1条を設けるのかどうかというのは、もう少し具体的な場合も考えて、あるいは比較法的にもう少し詰めていきたいと思いますので、今日のところは、実務の状況もお伺いいたした、ということでよろしいかと思います。 【福井(秀)委員】事情判決はあった方がいいと思うのです。当然取り消しても甲斐がない、という案件はあり得るわけでして、これがないと、むしろ損害賠償の機会をかえって得られない、ということにもなりかねない。その意味であった方がいいと思うのです。ただ、最近よく活用されている選挙無効の領域がありますけれども、あれが事情判決というのはよくわからない。今日の資料の解説にもあるように、元々の趣旨は、別途の、いわば代替手段を設けるから違法だけど取り消さないことにする、というのが出発点なわけですから、選挙で一票の格差訴訟が出たときに、無効にしないで誰かが賠償をもらえるとか、代わりの措置が講じられる、ということが全くないにもかかわらず、単なる精神訓話の判決が塁々としている。事情判決の当初予定していたのと全く違う使われ方でいいのかどうかというのは、立法の問題です。最高裁は使えると言ってしまったわけですから、変えるとしたら法律を変えるしかない、ということになると思うのです。本当にそれでいいのかどうかというのは、事情判決の大きな論点ではないかと思います。 【塩野座長】それはおっしゃるとおりで、論文を書けば、おっしゃるようなことになるんですけれども、法律に最高裁のようなことを書けるかどうか。ご提案でございますので、それは大事に受け取りますけれども。市村委員は事情判決は。 【市村委員】私は経験はございません。 【塩野座長】元々のものとちょっと違いまして、土地改良とか、ああいう点で割合幾つか出ました。 【市村委員】一度、自ら担当したものではございませんが、土地改良だったか、土地区画整理だったかは忘れましたけれども、一部照応違反がある、しかし、もう既にそこにはその成果としての新しいものが建ち並んでしまっている、という場合に、その是正をどうやってするか、という問題があり、やはりそういうときには、事情判決というのは、有益な手段かな、と思いましたけれども。 【塩野座長】ただ、気持ち的には、裁判官だって違法だと認定してしまったものを棄却するというのも、非常に気持ちが悪いんだろう、と思いますけれども。 【小早川委員】私も講義で説明するときに、そんな完璧な制度ではないけれども、ただ、理屈としては、取消しを求める権利というのは、個人の権利であるからには、公共の利益のためにそれを奪われることはあり得る、正当な補償があればいいわけですから、この制度は憲法29条3項できちんと説明のできる制度である、と私は思います。その意味で、先ほど福井さんが言われたように、定数訴訟は違うわけです。その意味でおかしいとおっしゃっておられるのでしょう。しかし、あれは、全然違う世界の、違うことを言っているんだと思います。 【芝池委員】私も同じようなことを考えておりまして、事情判決のような制度は、やはり要件はともかく、まさに事情によって、必要な場合もあるだろう、というふうに考えています。 【塩野座長】損失補償か、損害賠償かの議論は、また法律ができてからまた議論していただくことにいたしまして、ただその場合に、やっぱり実際のやり方としては、過失の問題とかはとにかく違法だけれども、この点は補償するという約束をすれば、事情判決をする、ということにはなる。どちらの学説をとるにしても、実務的にはそんなに大きな違いはないと思います。ただ、この点については、今日、お出しいたしました、東アジア行政法研究会で、宮崎教授からの反対意見もございますので、そういった点についても、今日初めてお目にかけた場合もございますので、ご覧いただきまして、ご議論を更に詰めていただきたいというふうに考えております。 【深山委員】皆さん言っていることは同じで、割増損害賠償というのは、懲罰的損害賠償など最近あちらこちらでしばしば問題になっています。制裁としては、損害賠償となるんですが、これは民事法一般の損害概念、実損填補で差額として、ものを考えるという、一般の日本の損害賠償概念と相容れない。懲罰賠償などだと、外国判決の承認を得られないということでしょうし、最高裁もそうなんですが、ですから、政策的に割増しを認めるという趣旨はよくわかりますが、賠償でやるのは、制度論としてはなかなか説明は難しいのではないかと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。何かこの点については特にご発言ございますか。 【水野委員】福井さんがおっしゃった、定数是正訴訟ですが、あれは非常に一般の人に評判が悪いです。私なんかは、これでもいいかなと思ったりもするんだけれども、一般には、あの判決は非常にわかりにくいし、いわゆる最高裁判所に対する信頼を非常に損なっているという印象があります。ですから、ああいうので事情判決が出せるというのでいいのかどうかということについては、やはり検討する必要があるだろうと思います。ただ、事情判決を一切なしにするというのは、ちょっとどうかという気もします。 【塩野座長】わかりました。その点、少し検討して何とか考えると言われても、ちょっと困るところがあって、最高裁がああいうふうにおっしゃったときに、そこはまた検討させていただく、といたしまして、ちょっと比較法的なことを言いますと、台湾がこの制度を取り入れたんです。 【福井(秀)委員】事情判決は、やめたときの波及効果をシミュレーションしますと、仮にやめると違法なら違法で筋は通るのですが、そのときに何が起こるかと言うと、被告もそうですし、裁判官もそうですけれども、やっぱりこれを取り消したら、大変な社会的混乱やコストが発生するから、適法であったことにするためにどうやったら言いくるめられるかということでかなり能力を使うことになるのは間違いありません。これがあることで、無理な判断を回避するという機能は評価した方がいいと思います。 【小早川委員】ついでですけれども、記憶ではフランスの判例で、行政訴訟ではないんですが、民事の判決で権利を認めたんだけれども、それを執行したら暴動が起きる。植民地関係の事件です。それについて行政当局が執行しないという決定をして、その結果については、勝訴判決がふいになった当事者には、無過失損害賠償をする、というわけです。先ほどの芝池さんは、無過失損害賠償と説明したけれども、そういう形であります。私は、裁判官に判断させるのはどうかなと、さっき言いましたが、このこともちょっとあるわけです。ですから、工夫の仕方はいろいろあるわけです。 【塩野座長】ありがとうございました。それでは、今日最後、大分時間も経ち、お疲れでしょうけれども、最後の論点に移らせていただきます。 【村田企画官】資料1では13頁の下のところからでございます。裁量処分の取消しについて定めます行政事件訴訟法30条は、行政の自由裁量事項を含む処分について、外国の立法例に倣い、立法時までに行われていた取扱いを明文化することによって裁判所の審理権の範囲を定めたもの、というふうに解説されております。法治主義の下においても、行政の目的達成のためには、多かれ少なかれ行政庁がその目的に見合った自らの判断に従って行動できる余地が認められなければならない、ということ自体は現代においても肯定されるところではないかと思うのですけれども、この行政事件訴訟法30条は、こうした行政の自由裁量事項については、この解説によりますと当・不当の問題はあっても、原則として違法の問題は生じないということを前提にしつつ、自由裁量といっても、法の信託した限度においてのみ存立するものであるから、法の認めない裁量が違法となることを明らかにしたもので、どういう場合に違法になるかということについては一つは、裁量がその範囲を超えるとき、二つ目は、法の認める範囲内にとどまるように見える場合であっても法が裁量権を認めた目的を逸脱し裁量権を濫用して行使する。この二つの場合について、これを違法として取消判決をすることができることを定めたものというふうに言われております。 【塩野座長】どうもありがとうございました。最近の実務では、行政庁が裁量があるといって争っているときに、やっぱり30条をすぐに引くことになるのか、それとも30条とは無関係にこれは裁量権の余地があるとか、あるいは裁量判断の過程には違法があると、そういう形でやるものなんでしょうか、その辺を少し教えていただきたいと思います。 【市村委員】中には、少なくとも表現の上で、30条をあまり意識していない判断だなと思われるものを見受けることがありますが、基本的には30条というのは、やっぱり頭に強くあります。ただし、そうは言いながらも、例えばマクリーン判決という有名な判決があって、非常に広範だと言われている法務大臣の裁量権についても、裁量判断の枠の中で考えていまして、例えば、あれは一般抽象的に考えたら、違法なんてよほど珍しいものだというふうに読めてしまいますけれども、結構、いろんな具体的事例で取消しを随分して、かつそれが最高裁まで維持をされるということがありますので、裁量判断のやり方としては、ある程度の形は、実務でも固まっているのではないでしょうか。 【塩野座長】私がお伺いしたかったのは、もう一つ技術的なことで、要するに締めのときに30条を書くのか。つまり、常に30条という条文があることを意識して、判決をお書きになるのか、そうではなくて、やはり司法による行政の統制ということで、裁量問題についても立ち入ることができる、というそういう前提があって、審理をすると。 【市村委員】結論から言えば、30条を引くことはございません。 【芝池委員】これは30条をどうするか、という話なんですが、最低限の手当として言えることは、次のようなことだろうと思います。 【小早川委員】今の芝池さんのご意見に反対するところは全くありませんが、結論はむしろこんな条文はない方がいいと思っております。先ほどご紹介があった杉本解説の中には、自由裁量事項については原則的に法の問題が生じないと言っておきながら、自由裁量であっても、法の認めない裁量は違法となりうると。全く芝池さんがおっしゃったとおりでして、この2つをつき合せると、何もここからは見えてこないんです。しかし、裁量権というのはとにかく滅多やたらには踏み込んではいけないんですよという気分を、当時の行政法理論が表現していたし、それがこの条文に表現されたと思うんですが、しかし実際には、そういう気分が全部を支配しているわけではなくて、必要な場合に、それぞれのケースに応じていろんな法原則を持ち出してきて、それとの関係で違法性判断を裁判所がしているわけです。この条文で、そういう、事案ごとに適切な法原則を引っ張ってきて違法性を判断するということを遠慮する効果が出るとしたら、重大であると思います。どうせ意味のないものですから、なくした方がいいと思います。 【福井(秀)委員】私は、結論から言えば、こんな条文はない方がいいという意見に全く賛成です。実際問題、裁量と言いましても、とにかく要件裁量の場合、実体法の各個別の要件の規定ぶりの中の、その要件の解釈問題ということに全部収斂するのが通例ですから、わざわざこんなことを書いたから、解釈態度が変わるとか、変わらないということは本来ないわけでして、元々不確定概念の解釈にどれぐらい司法審査が踏み込むべきか、ということで、むしろ司法審査の限界なり、範囲が決まってくるというのが、今までの実態でもあるし、あるべき姿でもあると思うんです。この条文があるから、やっぱり遠慮するような効果が現実問題ありますし、被告側は、この条文を盾に取って、言わば不確定概念については、できるだけこの30条問題に収斂させる準備書面を量産するという傾向はあるわけでして、それは裁判官に対して無言のプレッシャーを与えるということがあると思います。 【塩野座長】この規定は、なかなかどう位置づけるか難しいところで、できるものはできるし、できないものはできないはずなんですから。アメリカでわざわざこういうふうに規定したのはどういうことなんでしょうか。 【中川丈久外国法制研究会委員】アメリカのこの規定は、違法事由をずらっと並べたもので、いずれも判例で出てきたものです。15ページの(注18)では、これはたまたま裁量の話なので(A)と(E)だけをあげておりますけれども、他の(B)(C)(D)は何かと言いますと、たとえば手続違反であるとか、根拠法の解釈を誤ったとか、憲法違反といった、日本人からいっても、よくあるような違法事由の羅列で、そのなかに、裁量濫用というものも入ってくるという程度の趣旨です。 【塩野座長】ドグマティッシュなものはないと。ドイツは昔からの規定は。 【山本隆司外国法制研究会委員】そうですね、沿革的なものだと思います。ただ、これがあるからどうこうということはないです。 【塩野座長】これも今後また慎重な検討をいただかなければいけないところですけれども、私の客観的な認識は、やはり杉本解説に出ているように、往時の日本の裁量論のドクマティックがあって、それを確認するとともに、きちんとそれを明確にしておく、ということが、おそらく当時の先生方にとって必要であるというふうにお考えになったのだろうと思います。 【水野委員】30条は、かつては意味があったかと思いますが、今は要らない。むしろ、14ページの③のイかウですね、こういった積極的な主張・立証責任の文書の規定を置くべきではないか、というふうに考えております。 【市村委員】裁量の問題というのは、実務の場面でも、しょっちゅういろんな形で出てくるので、非常に多くの場合は、実体法の解釈問題であると、それで尽きてしまうということが多いと思います。 【塩野座長】どうも、そういうご意見も承ったと思いますが、どうもありがとうございました。 【小林参事官】次回は、1月15日の水曜日の同じ午後1時半から、同じ会議室で開催を予定しております。順番からいきますと、仮の救済のところから、その後の方も可能な限りご審議をお願いできればと思っておりますので、私どもも準備をしたいと思います。それから、資料3の日程についてもご予定をお願いしたいと思います。 【塩野座長】多少、無理にお願いをした方もあろうかと思いますけれども、今のうちから日を押さえておいていただければありがたいというふうに思います。 |