■お手元にお配りしております資料1をご覧下さい。「執行停止・仮の救済に関する検討資料」でございます。一番最後の13頁に別紙1として、「執行停止制度の仕組みの概要」がございますので、この仕組みの概要とそれから2頁に参照条文を記載しておりますので、まずこの両方をご参照いただきながら、制度の概要についてご説明させていただきたいと思います。執行停止につきましては2頁にあります行政事件訴訟法第25条にありますように、まず第25条第1項で、処分の取消しの訴え、取消訴訟ですが、「処分の取消しの訴えの提起は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げない。」という規定が置かれています。これが執行不停止の原則と言われているものです。
それから第2項、これは執行停止の要件を規定している規定ですが、別紙1では、左の方に「積極的要件」と書いてある、これに当たるものが第2項に規定があるものです。具体的に見てみますと、「処分の取消しの訴えの提起があつた場合において、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるときは、裁判所は、申立てにより、決定をもつて、処分の効力、処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止(以下「執行停止」という。)をすることができる。」と規定しております。それから、先ほどの別紙1に「消極的要件」と右側に書いてあるものですが、これは次の項でございます。第25条第3項におきまして、「執行停止は、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときは、することができない。」と、このような規定が設けられています。それから、そうしますと裁判所の決定でするわけですが、別紙1、13頁の下の方を見ていただきますと、「事情変更による取消し」と「内閣総理大臣の異議」という項目が一番下の括弧にございます。事情変更による取消し(行政事件訴訟法第26条)でございまして、2頁の条文に戻りますと、事情変更による執行停止の取消しとしまして、「執行停止の決定が確定した後に、その理由が消滅し、その他事情が変更したときは、裁判所は、相手方の申立てにより、決定をもつて、執行停止の決定を取り消すことができる。」。したがいまして、執行停止というのは決定が確定した後でも、取り消すことができると、こういう暫定的な措置であるという性質から、事情変更による取消しの規定も設けられています。
それから、執行停止に対する不服申立と内閣総理大臣の異議との関係を申し上げますと、先ほどの別紙1の一番下に内閣総理大臣の異議(行政事件訴訟法第27条)というのがございますが、行政事件訴訟法第27条におきましては、「内閣総理大臣の異議」といたしまして、「執行停止の決定が確定した後に、その理由が消滅し、その他事情が変更したときは、裁判所は、相手方の申立てにより、決定をもつて、執行停止の決定を取り消すことができる。」ということになっております。この内閣総理大臣の異議には第2項で、「前項の異議には、理由を附さなければならない。」。それから、第3項におきまして「前項の異議の理由においては、内閣総理大臣は、処分の効力を存続し、処分を執行し、又は手続を続行しなければ、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情を示すものとする。」、このような規定になっております。内閣総理大臣の異議があった場合には裁判所はどのような手続を取ればいいのか、ということは第4項に規定がございまして、「前項の異議の理由においては、内閣総理大臣は、処分の効力を存続し、処分を執行し、又は手続を続行しなければ、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情を示すものとする。」と、されております。それとの関係で、参考までに執行停止に対する不服申立はどういうふうにすればいいのか、ということについて、第25条に戻りますと、執行停止については第4項で、「第二項の決定は、疎明に基づいてする。」と、され、第5項におきまして「第二項の決定は、口頭弁論を経ないですることができる。ただし、あらかじめ、当事者の意見をきかなければならない。」。このような手続において、決定がされるわけですが、それに対する当事者の不服申立については第6項で規定され、「第二項の申立てに対する決定に対しては、即時抗告をすることができる。」ということになっております。この即時抗告は、したがいまして、執行停止の申立が却下された場合でも、執行停止決定が出た場合でも、申立をした側、それから執行停止を受けた行政側、両方から不服申立ができることになっておりますが、第7項におきまして、「第二項の決定に対する即時抗告は、その決定の執行を停止する効力を有しない。」と、されております。したがって、執行停止決定がもし地方裁判所で出されますと、行政の側から不服申立をしても、その執行停止がされているという状態は変わらない、ということで、その執行停止の決定に対する即時抗告に対する判断が出るか、あるいは先ほどの事情変更による執行停止の取消し、こういうものが行われない限りは、執行停止、それ自体は効力が維持されたまま、行政の執行ができない、ということになるわけです。
これは取消訴訟の規定ですが、条文の下の方に第38条がありまして、2頁の第38条第3項を見ていただきますと、 「第二十五条の規定は、無効等確認の訴えに準用する。」ということになっておりますので、取消訴訟と無効等確認の訴えについて、行政処分の執行停止の申立ができる、ということになっております。したがいまして、取消訴訟に関する規定の準用について、他の訴訟にはこの準用はありませんので、他の抗告訴訟には執行停止の規定は適用がない、ということになっております。
次に仮処分との関係につきましては、まず仮処分とは何かというと、9頁の注3、民事保全法第23条におきまして、第1項が係争物に関する仮処分、そして第2項が仮の地位を定める仮処分と言われているものですが、通常の民事上の請求を前提とする仮処分はどういうふうに行われているか、ということでございますが、第23条第1項におきましては、「係争物に関する仮処分命令は、その現状の変更により、債権者が権利を実行することができなくなるおそれがあるとき、又は権利を実行するのに著しい困難を生ずるおそれがあるときに発することができる。」。通常は建物の明渡しを請求しようとするときに、その建物が第三者の占有に移ってしまわないように、占有移転禁止の仮処分をする。こういうのが典型的な事例になります。
それから第2項の仮の地位を定める仮処分命令、これは「仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害」、先ほどの執行停止の決定の要件は第25条第2項で、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件だったわけですが、仮の地位を定める仮処分命令については「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」、こういう要件になっております。この争いのある権利関係について「債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。」仮の地位を定める仮処分命令というのは、典型的な場合は解雇された場合に解雇の無効を争うときに、雇用契約上従業員としての地位を引き続き有しているという地位を裁判所が仮に定めて、さらにその賃金を本案判決が出るまでの間仮に支払え、というような形での仮処分を命ずる場合、これが典型的な場合でございます。
それから仮処分の方法については、民事保全法第24条の規定、注3の下の方にございますが、これは具体的に仮処分の方法は何なのか、ということですが、「裁判所は、仮処分命令の申立ての目的を達するため、債務者に対し一定の行為を命じ、若しくは禁止し、若しくは給付を命じ、又は保管人に目的物を保管させる処分その他の必要な処分をすることができる。」と、要するにその他の必要な処分、いろんなことが必要に応じて出来るということになっております。もちろんこれは先ほど申し上げたように第23条第2項の必要性があるときに限って、その必要性の範囲内で相当な処分ができると、いうことにされております。仮処分は、民事上は規定があるわけですが、それが行政訴訟になりますと、どういう扱いを受けるかと言いますと、2頁の参照条文、行政事件訴訟法第44条に、「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法に規定する仮処分をすることができない。」ということになっています。「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については」と限られておりますので、行政に対していろんな仮処分をする場合、これはいろいろあるわけでございまして、国家賠償を請求するとき、それから例えば恩給の給付の決定がされているのに、支払わないときとか、そういうときに行政に対して、何らかの形で仮差押えは必要性がないからめったにないと思いますが、支払いを受けないと生活が困るときに仮に支払えというような、そういう仮処分が禁止されるわけではもちろんないわけです。「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為について」という、そういう限定の下において、当事者が例えば、本案訴訟として考えているのが、先ほど申し上げた取消訴訟、あるいは無効等確認訴訟ではない本案訴訟を予定して、例えば無名抗告訴訟、つまりそれ以外の抗告訴訟として、何らか行政に対して積極的な行為を求めたりとか、行政の行為を予防的に止めたいとか、そういうふうな裁判を求めようと思ったときに、それが仮処分という形で、仮に何か行政との間の権利関係を仮の救済として決めようかということになりますと、そういう場合に限っては、行政事件訴訟法第44条で仮処分をすることができない、こういうことになっているわけでございます。こういう全体としての仕組みを前提にいたしまして、この関係の問題点についての検討ですが、8頁に記載したように、諸外国における仮の救済がどうなっているか、ということを調べますと、アメリカとイギリスは報告をお伺いしましたところでは、行政訴訟における仮の救済も民事訴訟一般における仮の救済と同じ手続が使われているのではないかと思われます。ドイツにおいては、行政裁判所法に執行停止制度と仮命令制度というものが設けられておりますが、執行停止制度が行政行為の取消訴訟に関する特別の規定であって、それ以外の仮命令制度が、一般的な行政訴訟、その他の行政訴訟に対する包括的な一般法で、仮命令の規定をよく読みますと、民事訴訟法の仮処分、我が国の係争物に関する仮処分と仮の地位を定める仮処分、これはドイツの民事訴訟法と日本の民事保全法は保全処分はほとんど同じなんですが、ドイツの行政裁判所法に規定している仮命令制度というのは、ドイツの民事訴訟法の係争物に関する仮処分と仮の地位を定める仮処分に相当するような規定が行政裁判所法にも規定されている。したがって、ドイツも民事訴訟と行政訴訟との保全処分の制度はドイツの国内をみれば、同じような制度がとられているということになります。
それからEUの規定については、そこに記載されているとおりですが、フランスについては、そもそもフランスの本案の行政訴訟は、基本的には行政決定について、それを争うという形の訴訟形態をとっておりますが、その執行停止については、行政決定について取消又は変更の請求がなされた場合に、緊急審理裁判官が、申立てにより、当該決定の執行又はその効果の一部の停止を命ずることができるほか、明白に違法でかつ重大な基本的人権の侵害を行った公法上の法人又は公役務管理を負託された私法上の組織体に対して、基本的人権を保護するために必要なあらゆる措置を命ずることができる、こういうような規定が設けられています。
そこで、検討の視点につきましては、9頁以降に記載したとおりですが、執行停止の制度が設けられて、取消訴訟と無効等確認訴訟に関しては、処分の効力を停止するという執行停止制度が設けられておりますけれども、それ以外の抗告訴訟、あるいは当事者訴訟や民事訴訟の中で、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為について、何らかの仮処分を求めたい場合については、執行停止ができない一方で仮処分ができるかというと、仮処分も出来ないのではないか。そういう問題が現行の規定の中では生じているのではないか、という問題をまとめてあります。
それから、その関係で民事保全法による仮処分は先ほども申し上げたように、要件も極めて抽象的な要件ではあるのですが、その方法についてもその場合に応じて、必要な処分ができるということで、多様ではあるのですが、では具体的な場合に何をできるのか、というのははっきりはしない。そういう、柔軟ではあるけれども、どういう救済ができるのか具体的にはっきりはしていない。そういう規定が置かれているわけですが、行政に対してそういった仮処分に類似する制度を設けるとした場合に、その救済方法が明確ではないというところ、それを多様であると捉えるのか、明確でないと捉えるのか、そういう問題があるのではないか。それから、その場合に行政と司法との役割分担をどう考えるのか、という問題があるのではないか。それから問題点として、執行停止は本案訴訟を提起したことを前提にする執行停止制度ですが、それと本案訴訟の提起を前提としない民事上の仮処分、そういった違いがあることをどう考えるのか、というようないくつかの問題がありそうだという指摘でございます。
それから、執行不停止の原則については、10頁にまとめてあるとおりです。これは質問に対する答弁書で、政府の方でその長所、短所についてまとめたことがありますので、10頁の6のところで括弧書きで引用しています。
それから内閣総理大臣の異議につきましては、この制度の位置づけについて、やはり同じ質問に対する政府の答弁の中で、これは11頁の9行目以降にございますが、その括弧書きの中にまとめてあるように、これ自体憲法に違反するという見解もあるのですが、政府の見解としては、執行停止そのものは行政作用に属する事柄である、という扱いをしておりますので、「執行停止の決定を覆す権限を内閣総理大臣に認めたとしても、司法権を侵害することにはならず、内閣総理大臣の異議の制度が憲法に違反することにはならない。」、このようにされております。
今後の検討の視点としてまとめておりますのは、11頁の下から8行目以降でございますが、諸外国の制度ではこのような制度は見当たらない。つまり仮の救済の最終的判断を裁判機関とは別に行政機関に留保している制度は見当たらない、ということで、これを前提にした上で、内閣総理大臣の異議の制度について検討するに当たりましては、執行停止に伴って、行政側が不服を申立てても、先ほど申し上げたように、高等裁判所の判断があるまで、執行停止決定の効力自体は変わらない、ということになるわけですが、そういうような意味で、行政側からは、執行停止決定が出てしまいますと、内閣総理大臣の異議を出して執行停止の効力を止めるか、あるいは事情変更による取消を求めるしか、現状は制度が出来ていない、ということを前提にしながら、この内閣総理大臣の異議の制度、それ自体をこのような形で行政と司法との関係を仕組んでいくのがいいのか、司法権に最終的には判断が委ねられるような形で行政側の執行停止に対する不服申立てが実効的に機能するような、そういうような制度を考えていくのがいいのか、そういった点について検討する必要があるのではないか。このような視点でまとめたものでございます。
○行政訴訟本体は司法権だけれども、仮の救済は行政権というのが政府解釈だと思うが、それは仮の救済はおよそ行政権であるということなのか、それとも、行政訴訟の仮の救済に限って行政権だということなのか。完全な民民の争いに関する仮処分は、行政権、司法権のどちらと解釈しているか。
□おそらく政府答弁は田中二郎教授及びその他の有力説に従った結果だと思うが、田中二郎教授の論文のどこを読んでも民民の間の仮の救済については何も言っていない。その意味では射程の範囲は行訴法に限定されていると理解しているが、政府の見解もその関係だと理解している。
○内閣総理大臣の異議の制度は行政法の研究者においても、違憲である、又は、違憲の疑いが強い、など非常に評判の悪いものであり、この検討会では廃止の方向で考えるべきではないかと思う。
○自分も内閣総理大臣の異議の制度自体疑問である。例えば公安委員会がした処分は自治体がした事務なのに、国の行政権の長である内閣総理大臣がいきなり止めるというのも非常に奇異な感じがする。国の事務と自治体の事務というのは一定の配分のルールがあって分けており、自治体に権限を与えておきながら、仮の救済の段になると、いきなり文句を国家の行政権の長が言えるようになっている点も、非常に奇妙な制度である。最終的な判断は司法権に留保し、行政庁の意見を司法権が斟酌して最終的に判断する、という制度に抜本的に変えた方がいい。
○両委員の意見に賛成だ。行政処分の執行停止をなし得る権限は司法権本来の作用に含まれず行政作用である、という田中二郎説は理解できない。行政訴訟本体は司法作用だから裁判所が終局判決で取り消すが、その前提として仮の措置として執行停止をするのは行政作用だというのは論理一貫しない。今日の資料の別紙2にある昭和28年1月16日の最高裁判所大法廷判決における真野毅裁判官の補足意見は、行政訴訟は司法権に属しており、これに対して内閣総理大臣が異議を言うのは司法判断に対する干渉で憲法違反だとおっしゃっているが、この見解に全面的に賛成だ。内閣総理大臣の異議の制度は憲法違反の疑いが強いので、廃止すべきだ。
○内閣総理大臣の異議の制度が違憲でないかということはかねてから言われて、疑いがあることは重々承知しているが、政府側は現行法が違憲ではないと一貫して答弁している。立案当時、取消訴訟で行政処分が違法であるかを決めるのは司法権の判断だが、権利の存否、最終的な判断を司法権に留保していれば、行政判断を途中で止めるかどうかを行政権に属するとしてもいいのだとされたが、その当時はそれなりに有力な考え方とされたのだろうし、なるべく憲法適合的に解釈するということになれば、こういう解釈は十分可能であろう。言うまでもないが、本質的には行政権に属することを裁判所の権限にすることはいくらでも例があり、そこは立法政策だ。だから、違憲だからこれをやめろ、ということではなくて、立法政策的にこの際見直すのであれば、個人的にはこの機会にこういう制度自体を廃止する方向で考えることは可能だと思う。
ただ、代替する装置をどうするか。今の即時抗告で執行停止効がない形となっていることがいいのかどうかという点が実は一番問題だ。結論として内閣総理大臣の異議の制度をやめるとなったときに、次に考えるのはそれに代替する行政の側の不服をどういう仕組みで構築するかということだろうと思う。資料には、保全執行の停止の規定が参考に書いてあるが、これは「取消しの原因となることが明らかな事情及び保全執行により償うことができない損害を生ずるおそれがあることにつき疎明があったとき」という非常に厳しい要件を立てて、その場合には取り消すとしており、ここまで要件を厳しくするとほとんど取消が認められないんじゃないかという感じもするが、逆に今の即時抗告について、執行停止の原則の規定を逆にしてしまうとそれは行き過ぎることになるわけで、色々な幅があると思う。実際にどうしたら合理的なバランスの取れた不服申立ての制度ができるのか、本当は詰めないといけない。
○今の意見に基本的に賛成だ。違憲の疑いが強いとは思うが、違憲だと会議で一致する必要はなく、立法政策として少なくとも妥当ではない、という点で一致できれば十分だ。代替措置だが、今の執行停止は本案の判決確定まで一回決めたらずっと変わらない。途中での事情変化や行政の必要が生じて執行の必要が生じた場合にも極めて硬直的に完全に止めてしまわざるを得ない。本案判決確定まで何十年もかかることを考慮すると、それだけの止めることについての覚悟がないと、裁判所も執行停止決定が出せない。つまり、裁判所が執行停止を行うことに対して慎重にならざるを得ないようなインセンティブを今の法制度は与え、執行停止自体のハードルを人為的に高くしている。裁判官のインセンティブのコントロールの手段として非常に悪い。したがって、執行停止を後で随時見直せるようにしたり、あるいは行政庁の何らかの申立てによって、もう一度判断を覆す余地を認めるというフレキシブルな制度にしておいた方がいいのではないか。
また、執行停止は本案と一緒でないと申立てできないが、執行停止だけの申立てを認め、本案に先行して判断し、しかもそれについても随時見直しができる形にしておくと、フレキシブルの度合いがより強まる。
○現在の執行停止制度そのものについて、大きく3つの問題点があると感じている。
まず、争点訴訟、当事者訴訟等について、25条の準用がなく、理論的にはここに少し穴が空いている。
次に、処分の名宛人以外の者から執行停止がされている場合に、その処分の名宛人の立場に当たる者の保護、例えば建築確認がされている場合に、その効力停止を第三者が求めるといった時に元々建築確認を受けた者、処分の名宛人をどうやって保護するかということについて、あまり配慮がされていないのではないか、例えば処分の名宛人について、意見聴取の機会が確保されているとか、あるいは経済的損失を被ることが考えられるが、民事保全と違い、担保を立てるという仕組みがなく、そのような手当てがされていない。これから第三者の原告適格がかなり広く出てくることを考えると、そういう点の配慮が必要なのではないか。
3番目に、執行停止決定について、これに抗告した場合にも、一旦出された仮の判断というものを是正する制度が設けられていないという点がある。実は民事保全についても、民事保全法以前には立法的な手当てがなかったが、昭和23年の最高裁の決定の中で、そのようなことができるということをうかがわせる判断があったために、その後実務の中では、抗告があった場合には、旧民事訴訟法の仮執行宣言付判決に対する控訴があった場合の512条の規定、あるいは上告再審等についての500条の規定を類推的に適用できるという考え方で、実際の停止が行われていた。保全法が立法されたときに、やはりこの停止の規定を入れるか否かで、非常に大きな議論があったと思う。最初の政府案では、この点は全く入ってなかったが、実際に実務における具体的な事例の当てはめでは、判断基準が非常にばらついており、基準を明確にしておく必要があるだろうという議論がされたと聞いている。仮の判断がすでにあるのに、それを同じような要件でひっくり返してしまうといつまでも行き着かないので、それを覆すためには、もっと強いものでないといけないだろうということで、ああいう要件に至ったのだろうと考えられる。行政の執行停止においても、厳しい要件の下に、その判断に対する是正の機会を設けておけば、全体の状況は相当変わってくるのではないか。
○全体のバランス論だが、民民間の仮処分の意義ないし機能、役割と、行政訴訟における仮の救済は、共通するところも違うところもある。違うところの一番の極端な場面というのは、行政というのは公権力の行使であり、特に人に対して強制的に、意思に逆らってでも不利益を課することができるところだ。それとの関係で、この執行停止の制度をどう位置づけるかだが、日本の場合は、行政庁が判断して、行政処分をして、不利益を課すと、直ちに発効する。しかも、その上さらにそれを名義として、強制執行できる場合も多々あり、既に一方的に攻撃する力が行政の方にある。ということで、現行法ではやや行政側にイニシアチブがありすぎるのではないかという感じがする。そうすると、それを司法がとにかく暫定的にチェックをするという機能をそこにかませる必要があるわけで、そういう意味で現在の執行停止制度、仮処分の排除プラス執行停止という、このシステムがそういう要請に応えきれているかというと、応えきれていない。その結果、バランスが悪い。行政の側も慎重に善意をもって判断すれば、無理やりな執行はしないかもしれないが、法的にはその権限はあり、一般常識から見ると、たまに行政が無理やりにやっていると見える現象が出てくるが、それを押さえきれないというところが、現行法の基本的な問題点ではないかと思う。
そのためにどうバランスを回復させるかだが、色々あると思う。元々バランスが悪い上に異議の制度がくっついており、それはやめろというのが論者の大勢で、自分の結論はそれに賛成だ。国民の裁判を受ける権利の側から見て、どこまで司法権が関与できなければいけないかという憲法論はもう一つあると思う。
それから、第三者の個人の利益をどう反映させるかという点で、現行制度では不備なのは、その通りだ。
それから、現行法の積極的要件の書き方がちょっときついのではないか。行政の方が元々権力を持っているのだから、それを裁判所が民民間よりはもっと立ち入ってチェックをするということもそれなりの意味がある。そうすると、回復困難な損害という言い方がちょっときついのかなという気もする。
それから、行政活動の態様により問題状況が違ってくるわけで、特に人身の自由に関わるような話になると、何らかの形で、特に司法の方にバランスを傾ける必要があるのではないか。例えば個別法で訴え提起に停止効を認める、などということは十分考えられるのではないかと思われる。
それから、従来学説で、争点訴訟、当事者訴訟に準用がないのはこれは立法の不備であるという見解が強く、今も指摘があったが、自分はそうは思わない。必要であれば、無効確認訴訟を起こせばいい。立法者ははっきり言ってないが、現行法のシステムはそれなりに説明できるのではないかと思っている。
○現在の許認可に対する申請に対する拒否処分については執行停止制度は働かず、仮の救済制度がないということになるが、これはどうしても是正すべきだ。仮に義務付け訴訟を導入し、拒否処分はそちらで争うということになると、拒否処分に対する仮の救済の問題は執行停止制度の枠の外の問題であるということになる。
第三者が争った場合の処分の名宛人の方についての配慮の規定がないという話があったが、これは現在の執行停止の要件が非常に厳格であることによると思う。つまり現在、執行停止には「回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件が必要になっているが、これは非常に厳格であり、文言上これ以上厳しい表現ができないのではないかと思われるほど厳格だ。資料9頁にドイツ行政裁判所法の123条が記載されており、仮命令についての規定であるが、そこでは「本質的な不利益を避けるため、」という要件があれば仮命令が認められるということになっており、日本の執行停止ほど厳格な要件はかかっていない。これも参考にし、この検討会では、執行停止の要件の緩和に努力するべきではないかと考える。
○申請拒否処分に対する仮の救済がないのは、現行法で問題が大きいところだ。これについては一つは抗告訴訟システムの見直しの中で、各種の金銭給付、社会保障関係などについては、本案において、取消訴訟の利用強制を緩和していくことを考えるとすれば、44条の仮処分の排除についても、そこからまた外して、一般法である民事の仮処分でいくということは十分考えられる。他方、金銭的でない各種の許認可の申請の拒否のような場合について、警察規制における営業の許可を裁判所が仮に与えるということがいいのかどうかは、確かに、日本の相場観からすると、難しい問題があると思う。ただここも、法律の適正な執行は行政庁の任務でもあるが、裁判所がそれを助けるという観点がやはりどうしても重要であり、法律の趣旨を適切に執行するのは裁判所もできないはずはないと考えれば、そこはクリアできるはずだ。処分の性質ごとに考えるとすれば、個別法の問題になると思うが、ある程度一般法で、裁判所が仮の救済を行うことは考える余地はある。
○行政事件の対象となる権利等について、仮の救済を及ぼす制度を設けること自体には賛成だ。ただ考慮しなければいけないのは、民事と似ているところもあるが、公益性あるいは公共の福祉の影響というものが全般的に不可避だろうという内容を持つという点だ。行政事件の対象となる権利等について仮の命令等により保全を図ろうとする場合には、当該原告の利益の保護と、その一方で多かれ少なかれ必然的に公共の福祉に対する影響をどう調整するかを考えなければいけない。民事保全の場合には基本的には相対立する私人間の利益、それも大体、経済的利益と経済的利益など、割と同じはかりの上で比べやすいものが出てくるが、それと比べて、行政訴訟においては、相手方として考えなければいけないものはかなり異質なものだ。例えば、民事保全のように金銭による担保を立てさせることでバランスを取るのは調整を取るための効果的な方法ではなく、その点で民事保全とは違うということがあるのではないか。それから、民事の場合は、金銭賠償によって現状復帰することが可能なものが多く含まれているが、行政事件の対象となる権利等の保全の場合、原状復帰することが非常に難しいものがかなり多く含まれている。例えば文書の公開、非開示決定について、これを仮の処分でやってしまったら、元に戻りようがない。そういう意味で質が違うから、当事者双方の利益、あるいは損害の比較衡量というものが非常に難しい。
それから、公共の福祉への影響ということが消極要件としてあるが、これの把握の仕方が非常に一般抽象的になりやすく、客観的に裏付け検証する、あるいは証拠によって明らかにするということは非常に難しい分野だ。どういう要件を立てるかによって結論がかなり決まってしまうので、その要件の立て方については十分注意する必要がある。そういう点で、民事保全をそのまま使ってくるのはやはり制度としては十分ではないのではないか。行政独自の色々な視点でもう一回組み立てる必要があるのではないか。
それから、権利利益が明確であることが大前提になる。一義的なものであれば、裁判所といえども処分に至れないということはないと思うが、やはり裁量的なもの、専門性というか、全体を見渡してやらなければいけない行政専門的なものについて、裁判所にやれと言われても、かなり難しいことではないか。
それから、「著しい損害」とか「急迫の危険を避けるため」というような要件が厳しすぎるという議論があるが、程度をどうするか別として、そういう要件を設けることは必要だろうと考える。
また、公共の福祉に対する重大な影響を与えない、ということを消極要件として入れることは止むを得ない。例えば営業免許について公衆の衛生に配慮したり、あるいは交通関係で全体の抽象的危険が増加するということを配慮する必要は当然あるだろう。ただ、今の制度の中で、消極要件である公共の福祉を判断することは実際問題、運用していくと非常に難しい。随分前にはこの消極要件の存在を根拠に執行停止決定を排斥するといったものがあったが、最近はそれは少なくなっていると思う。多かれ少なかれ公共の福祉の影響があるわけだが、やはり比較衡量論になってくると思う。そういうものをやりやすい要件をもう少し細かく考えていただけないかというのが現場の意識だ。
○行政事件について仮処分が排除されていることに、必然性があるのか、根本的に疑問であり、行政事件についても仮処分を認めたらいいじゃないかというのが基本的な自分の意見だ。今、一番目に、公共の福祉の観点が必要だという意見があったが、現に仮処分の事件でもそういった判断はしている。例えばごみ焼却場を市が建築するといったときに、仮処分を利用することが認められているが、その中では、ごみ行政という公共性について十分斟酌されて判断されている。
二番目に、原状復帰が難しいものが多いという意見があった。文書の公開などはそのとおりだと思う。しかし民事事件だってそういうことはある。商法に基づいて、帳簿の閲覧請求権があるかないかという裁判になって、緊急の必要性があるから仮処分で閲覧させたと言ったら、それはおしまいになってしまうという点を考えると、それは何も行政訴訟特有の問題ではなかろう。
三番目に、利益衡量が難しい事件が多いという話があったが、これも民事事件でも同じだ。例えば大阪国際空港の事件でも、仮にあれを仮処分でやっていたとすれば、差し止めることが公共の福祉に与える影響や、外国との関係など、非常に複雑な利益衡量をしなければならない。これは仮処分だからできない。行政上の救済制度だったらできる、というものではなかろうと思う。
以上から、今の意見にあったようないくつかの点があるから民事保全法をそのまま適用するのは妥当ではないというのは自分は必ずしも賛成できない。むしろ仮処分を認めることで解決するのではなかろうかと思う。
○申し上げているのは、先ほどのような特質が必然的に出てくるものだから、仮に民事の保全と同じでいいというなら、行政の中にそのまま基本条文を取り込んできて、その中で吟味したらいいじゃないか、ということだ。民事の事件で公共性が吟味されるのは当たり前だが、だからといって、民事の保全でやる方が具合がいいことにはならない。民事では担保制度というのが非常に大きな機能を果たしているが、そういうものがあまり働かないという状況の中でどうするかということで、とにかく一回、行政の特質を全てチェックした上で、それで組み立ててみればいい、ということだ。
○公共の福祉の点は結局は個々の判断になると思うが、結局のところ、司法権の判断に熟せばいいというのが究極の姿だ。本案で最終的に審査される以上、仮の救済の段階で、司法審査が熟して、しかも行政庁の疎明等も得た上で判断されるのであれば、それはそれでいい。そして、公共の福祉という抽象的な文言は非常に問題が多いので、もう少し具体的レベルで、条文化した方がいい。
それから、基本的に、不利益処分は執行停止で、それ以外の義務づけ等は仮の命令で救済するという流れがいいと思う。生活保護の受給や公立高校の不合格のような、仮の地位がないと原告に非常に過酷な仕打ちをすることになる場合、義務付け訴訟を本案として、セットとして仮命令を置いておくとのが、大きな意味でのスキームではないか。いずれにしても重要なのは、執行停止が設けられないところで、一律に仮処分が排除されるというのはやはりおかしく、執行停止で補えないような領域・項目については、少なくとも公権力の行使に関する行為についても仮処分ができるというふうにして漏れがないように仕組んでおくのが絶対に必要な視点だ。そうでないと、裁判を受ける権利を侵害することにもなりかねない。
それから、執行停止の申立てがあったら、さしあたり止めるということが重要だ。そうでないと、退去強制のようなもので外国に行ってしまったら、もう戻って来れない。本案の前には申立てができることを前提にし、申立てがあったら、裁判所の判断が出るまでは停止しておくという原則に転換した方がいい。
それから、第三者の建築確認のようにその処分の名宛人の利害を調整する場合には、執行停止の要件を多少変えてもいいと思う。例えば、そういう場合は本案について理由があると見えるときに行うとか、裏返しの書き方もありうるのかもしれない。
それから、建物取り壊し命令や外国人の退去強制など、執行をしたが、後の本案で判断の前提がひっくり返ったという場合の国家賠償だが、今は故意過失が要求されているためなかなか取れないことが多い気がするので、むしろ無過失賠償の原則を入れ、しかも割増賠償で救済することも考えられる。民事の方でも、二審でひっくり返った場合には無過失賠償ということになっているから、それとのバランスでもおかしくはない。
それから、滞納処分や金銭に関する不利益処分の場合の執行停止についても、後で多少の割増が付いてもう一度支払わないといけないのであれば、リスクは本人に判断させればいいので、申立てがあれば基本的にはかなり自由に認めてもいいのではないか。
○執行停止について、色々な意見があったが、パブリックコメントなり、この間の議論を振り返ると、やはり(執行停止の)要件がかなり厳しく、また、執行不停止が原則になっているが、なぜその原則にしなければならないかという議論もあったので、執行停止の申立てがあれば、なるべくそれを認める必要があるのではないかというのが自分の感想だ。第三者と関係する場合は当然それらを考慮すべきだが、そういうものがない場合には、現在の要件について少し緩和の方向で考える必要がある。
また、拒否処分の場合には執行停止はできないが、これら執行停止が掛からないものについては仮の救済を認める形をとる必要があるのではないか。
それから、内閣総理大臣の異議だが、条文中、急に内閣総理大臣の語が出てくることには違和感がある。行政として何らかの措置が必要なら手立てを講じればいいので、それが内閣総理大臣となっていることには、司法と行政の関係の中で、ちょっと説得性に欠けるという感想だ。
○行政訴訟に今の執行停止制度を残すとすれば、やはり執行停止を原則とすべきだと思う。今、執行停止の要件が非常に厳格であることから、なかなか執行停止が認められず、裁判をやっているうちに期間が過ぎ去り訴えの利益がなくなることになっている。したがって、執行停止を原則にし、一定の場合には執行不停止にする、つまり、原則と例外を逆にするべきだ。それからやはり拒否処分に対しては、仮命令といった救済措置を採用すべきだ。
○執行停止、仮の救済の影響の一つの事象は、一般人から見たら信じ難い事情判決であり、ここに象徴的に表れている。執行停止ができない、仮の救済ができないために、結果的に事情判決がでる形になっている。事情判決の温床として、執行停止や仮の救済があるのだと、図式的にそういう感じがするわけで、事情判決をなくせるような仕組みにしておくべきだ。
それから、仮の救済では一種の緊急性が軸としてあると思うが、国が使う緊急性というのは非常に長いスパンの緊急性を言っているという実感がある。ここでの緊急性とは、その意味での緊急性なのか、本当に今日明日という意味合いで急がれる緊急性なのか、もう少しはっきりしておかないと実効性は多分持てない。
○現在の執行不停止原則を改めて、執行停止原則にするのはかなりの決断が必要だろうと思う。ただ、いずれを原則としても、例外を柔軟に認めていくのであれば、どちらを原則にするかはあまり重要な問題ではない。ただ、現在の執行不停止原則については行政が安住している感がある。したがって、今回の行政訴訟制度改革が国民のためのものなのであれば、この点はどうしても変える必要があるだろう
一つの方策は執行停止の原則を採用すること、もう一つの方策は裁判所による執行停止のための要件を緩和すること。このあたり、この検討会で検討すればいい。
○後始末の点だが、例えば滞納処分で執行停止をしたが取り消された場合、14.6%という超過金利が、執行停止期間中も含めて掛かってくるが、執行停止という形で法的にきちんと認められた期間中に、こういう懲罰的な金利が掛かるというのはおかしいので、何か手当てが必要だ。
また、例えば滞納処分で、家屋が第三者の手に渡っているという段階の後で滞納処分が取り消されると、今は後始末として所有権に基づく返還請求だとか、登記などを自分でやることになっているが、そもそも滞納処分で税務署に登記を移すのは職権でやるのだから、後始末も行政の責任で、職権で移すとか、取り返してきて提供するとか、もう少し対等な立場で後始末もできるようにした方がいいのではないか。
□かなり色々な意見が出た。また共通の要素、傾向もある。
仮の救済について穴があってはいけないというのは当然の前提だ。現行法で穴が空いているのか、空いていないのかというところはいろいろと議論があるところで、仮処分の禁止も穴は空いていないはずだという杉本解説もあるし、他の点でも穴があいていないのに裁判官がちゃんと動かないから、という異論もあるかもしれない。しかし、やはり国民に分かりやすく穴はきちんと埋める必要はあると思う。穴の埋め方については、民訴そのままでいいという意見と、行政の方できちんと考えた上でどうするか、ということはあったかと思うが、仮の救済については外国の法令を見ても、日本の法令はかなり穴があると見える。外国の制度も踏まえ、仮の救済、国民の権利の保全のため、十分な機能を果たせるかどうか、あるいは裁判官として使いやすい、あるいは国民として使いやすい、そういう制度の構築を考えていく必要があろう。
内閣総理大臣の異議の制度については、大体の意見は見直しの方向で検討をするということだと思う。ただ、違憲かどうかは、この検討会で詰めても、多少問題があると思うので、むしろ廃止するなら廃止するで、しかし廃止した場合もそれこそ公共の利益をどういう形で担保していくかという点について、詰めた議論をする必要がある。昭和37年の行政事件訴訟法の制定の過程で、国会で議論になった唯一と言っていい点がこの内閣総理大臣の異議だ。それだけ、日本法としては実のある制度であり、この点についてはきちんと議論した上で、前の立法政策が誤りだったということならば、そこは直してもらうという段取りを取るべきだと思う。
執行停止の固有の問題、仮の地位の問題、要件の問題もあるが、この点については穴があればそれを埋め、不十分ならばそれを是正する方向で検討していくことになろう。執行不停止原則をどうするかという点については、両方の議論があり、停止制度をとっているドイツも、裸で停止しているわけではなく、例外も設ける場合もあるし、行政庁の言い分も聞いたり、聞かないで行政庁にやらせるということもあろう。その点はまた機会を見て、ドイツ法あるいは外国についての状況も、要件論に入った段階で少し詳しく紹介してもらう必要があると思う。後始末の問題についても、興味のある提案があったで、その点については今後考えていただきたい。
□「行政訴訟のその他の論点」の検討では、フリートーキング参考資料の第6、第7、第8、第9のテーマを議論したい。項目が多いので、「第6 訴訟費用等について」で一つ、「第7 行政不服審査法等の他の法令との関係」と「第8 行政事件訴訟法以外の個別法上の課題について」で一つ、「第9 行政訴訟の基盤整備上の諸課題について」で一つとして、3つに区切ってご議論をいただきたいが、よろしいか。
(委員了承)
(「第6 訴訟費用等について」)
■訴え提起の手数料に関しては、2頁に記載したとおりで、基本的に行政事件訴訟についても訴えの提起の手数料は、他の民事訴訟と同じになっている。これがまず基本の仕組みで、民事訴訟費用等に関する法律により、民事訴訟、行政事件訴訟を通じて、訴えの提起については、「訴訟の目的の価額」に応じて、手数料が定められている。そこは同じです。それから訴え提起の手数料の見直しにつきましては、司法制度改革推進計画におきましても、2頁の下から3行目からですが、「訴訟の目的の価額に応じて順次加算して算出するいわゆるスライド制を維持しつつ、必要な範囲でその低額化を行うこととし、所要の法案を提出する」こととされており、この点については事務局で司法アクセス検討会を中心に現在検討を進めているところです。
それから3頁、訴訟の目的の価額の算定につきましても、これも民事訴訟と行政訴訟に何ら変わるところはない、というところでございます。若干、行政訴訟において、やや特殊に、よく起きてくる問題として、3頁の(3)に、複数の原告が同一の行政処分の取消しを求める場合、こういう場合があり、そういう場合でも、適用される法律は民事訴訟法と同じですが、この場合について、各原告の主張する利益というのは、それぞれ原告個別に存在するものだということで、この(3)の下から3行目のところですが、 各原告が訴えで主張する利益は全員に共通であるとはいえず、その訴えの提起の手数料は、利益によって算定される訴訟の目的の価額、1人について、つまり95万円、算定不能の場合95万円とされていますので、その算定不能な利益を1人95万円ずつ加算して計算する、こういう最高裁判所の判決がございますので、これは一つの処分の取消を求める場合について、特に環境に係わる問題について、こういった多数の原告が訴える場合というのがございますので、参考までに記載したところです。
それから、「訴訟費用の負担」のところですが、3頁にありますように、訴訟費用負担の原則は、敗訴の当事者の負担とする、とされておりますが、この点につきましては4頁にございますように、訴訟当事者が弁護士に支払う報酬は敗訴当事者負担の適用対象となる訴訟費用に原則として含まれない、とされております。そこで、この点についても司法制度改革推進計画においては、「弁護士報酬の敗訴者負担制度について、不当に訴えの提起を萎縮させないよう、敗訴者負担を導入しない訴訟の範囲及びその取扱いの在り方、敗訴者に負担させる場合に負担させるべき額の定め方等制度設計について検討した上で、一定の要件の下に弁護士報酬の一部を訴訟に必要な費用と認めて敗訴者に負担させることができる制度を導入することとし、所要の法案を提出する」とされ、これについても司法アクセス検討会を中心に検討を進めているところです。
民事法律扶助の制度は、訴訟費用とされない、特に弁護士報酬等に関しまして、その支出が困難な者を援助する制度です。4頁の下から2行目にありますように司法制度改革推進計画で 「民事法律扶助制度について、対象事件・対象者の範囲、利用者負担の在り方、運営主体の在り方等につき更に総合的・体系的な検討を加えた上で、一層充実することとし、本部設置期限までに、所要の措置を講ずる。」とされ、これも司法アクセス検討会を中心に検討を進めているところです。民事法律扶助におきましても、行政事件は民事事件と同じような扱いで、民事法律扶助事件の対象とされています。
○訴え提起の手数料、印紙代については、日本は非常に高額であり、行政事件訴訟だけではなく、民事訴訟一般でもそういう議論がされているので、是非低額化の方向で実現してもらいたい。行政訴訟については、例えば複数の原告が同一の取消を求める場合、かつては行政処分は一つであるという理由で、原告が何人いようと一つでいいというのが裁判所の取り扱いであり、自分が現実に担当した甲子園浜の埋め立て公害訴訟(兵庫県知事を相手に港湾計画の取消訴訟を求めたもの)でも、原告の数が2000人だったが行政処分が一つであるという前提で、95万円相当の印紙でずっとやっていた。ところが、途中で予備的に人格権に基づく差し止めの民事訴訟を併合提起したところ、裁判所からは人格権に基づく差し止め請求は個々の一人一人の手数料を合算せよと言われ、五百数十万円の印紙を貼った。こういう、貴重な甲子園浜、自然海浜を守ろうといった公益的な要素が強い裁判であっても、そういった負担があることをご理解いただきたい。ところが平成12年の最高裁の判決で、行政訴訟についても合算しろといった判例が出るに及んでおり、これはやはり立法的に、行政訴訟については、対象が同一となる場合においては原告の数が複数であっても、訴訟物は一つとしてみて、印紙はそれでいいというように立法的に解決する必要がある。最高裁には、住民訴訟については95万円の算定不能でいい、また、原告の数が何人であっても一つでいい、という判例もあるので、立法的に解決してもらう必要があると思う。
さらに、公益的な要素が強い裁判については、印紙を一律千円にできないか。本来適法に行われるべき行政が違法に行われていることについて住民が是正を求める裁判については、非常に公益性が強い訴訟であるから、個々人の利益を前提とした民事訴訟費用法の印紙でなく、特別の制度を検討をすべきだ。
それから、弁護士報酬の敗訴者負担の問題については、一律にこれを導入することは反対だ。これは日弁連でも総会決議をし、一律導入には反対として、対策本部を設けて様々な主張を展開している。一律導入になると、訴訟提起も一緒にさせるという効果があることは紛れもない事実だ。ただ行政訴訟については、原告が違法な行政が行われているということで、訴えを提起し、勝訴したという場合、その人が訴えを起こしたことで違法な行政が是正されたという一種公益的な効果が生じたという場合には、その原告の弁護士費用については行政が持つという、片面的敗訴者負担の制度を導入すべきではないか。それは、裁判を起こすことは、国民にとって非常に大きな負担であり、その負担を克服して勝訴するというのは非常に大変だからだ。住民訴訟には立法的な手当がされており、これと同じような制度を行政事件にも導入すべきだ。
それから、民事法律扶助については、民事法律扶助法が成立し、扶助制度が法律で認められた制度として出発し、行政訴訟も一応、この民事法律扶助の対象になっているが、現実的には、行政訴訟について民事法律扶助を受けているケースは少ないのが現状だ。原因は色々あるが、現在の行政訴訟は勝訴の見込みの判断が非常に難しいのが一つの大きなネックのようだ。したがって行政訴訟については、民事扶助制度の中で、何らかの特別の取り扱いを検討する必要があるのではないか。
□司法アクセス検討会で、いろいろと検討をしていると思うが、行政訴訟の問題の点については、アクセスの検討会でも一応視野に入っているのか。
■はい。特にご指摘のありました弁護士報酬の負担の問題につきましては、一律に導入をすることになって訴えの提起を萎縮させないように、導入しない訴訟類型はどういうものか、ということについても、次回の検討会もございますし、今後検討していくことになっております。
それから、法律扶助、それから訴えの提起の手数料についても検討することになっておりますが、訴え提起の手数料については、これまでの検討の中では行政訴訟の固有の問題というよりは全体としての手数料水準の引き下げという形で検討が行われております。法律扶助については、まだそこまで具体的な検討はいたしておりませんので、今後今のようなお話も踏まえて検討をしたいと思います。
□この問題については、アクセス検討会の方でいろいろと議論し、専門的に深く掘り下げ、かつ広く検討をしていると思うが、そうすると我々の役目は、その進行を注視し、行政訴訟の問題について、特にこういった点があれば考えてほしいという形になる場合と、アクセス検討会の検討が先に終わり、出来上がりを見て意見を申し上げるという形になる場合があると思う。今、アクセス担当参事官から、幅広く視野を広げて検討を進めていくということだったが、現段階において、こういう点があるから注意して欲しい、という意見はもちろん承りたい。
○法律扶助については、平成13年事業報告書では、行政事件のうち扶助を受けた事件は37件で、29,855件のうちの0,1%にすぎない。37件のうち25件は国家賠償訴訟で、残りの12件が行政訴訟に対する扶助件数だ。これが実情であり、扶助の要件も「勝訴の見込みがないとは言えないとき」と緩和されたものの、それでもなかなか扶助を受けられる割合が少ないのが実情だ。もう一つは行政手続に関する法律扶助が認められていないという問題点があり、これについても法律扶助の範囲で拾うべきだという意見がある。
○訴え提起の手数料につき教えていただきたい。平成15年の通常国会では低額化ということで下げるという方向で検討中ということだが、どの程度下げるのか。また、金額の算定できないものについては95万円相当とみなして8千2百円になるそうだが、それ以上の手数料を得ている訴訟事件というのはどのくらいの比率を占めているのか。また、払えるような形になっているのか、それともかなり無理をしているのか。
■第1点の方ですが、確定的に法案の方、詰めていないので、具体的にどのぐらいの割合かというのは申し上げられませんけれども、検討会の結果については、訴えの提起の手数料については、結局のところ全体としてそれを誰かが負担しているということになりますので、その手数料を軽減するということになりますと、最終的には一般国民の負担との間の公平、訴訟利用者と一般国民、あるいは訴訟利用者相互の間でも大きな利益を追求する場合と小さい利益を追求する場合、そういった場合との負担の公平の問題、それから実際にそれぞれの手続において裁判所にかかる負担がどの程度のものか、ということも全体として考慮した上での、裁判所にかかるコストを最終的には誰がどういう形で負担すべきかという公平の問題を考える必要があると、そういうような形で検討を進めた結果、平均的な手数料水準よりかなり高いところ、そういったところについては引き下げを図っていく、ということで一致しております。それで平均的な手数料水準というのは目安としては300万円程度のところが通常の訴え提起の平均的な1件で納めている手数料の水準で2万円程度になるのですが、訴額が高くなると、それよりも高い手数料を負担しなければなりません。さらに訴額が何億円ということになりますと、さらに手数料が積み上がっていくわけですが、そういったところについて手数料の負担水準がどのくらいになるのかということも考慮しながら、それに応じた引き下げを図っていくべきだろう。しかし、平成4年に一度引き下げをしておりますので、平成4年に引き下げをしたことも考慮しながら、その負担の公平を図りながら、引き下げをしていこう。さらに一番上、10億円を超えるところについて、500万円ごとに1万円ということになっていますが、これよりもさらに高い訴額の訴訟も、最近になって増えてきておりますので、そういった高額の訴訟について、さらに裁判所がこういうのを受け入れていく。そういう訴訟も提起しやすくする必要もあるということで、さらの上の方にはもっと低い手数料水準を設定していくべきではないだろうかと、そういうことについては意見の一致をみておりますので、現在それに沿った作業を進めております。
それから第2点の訴えの提起の手数料が行政訴訟でも高くなる場合ですが、これは事件については調査が出来ていないし、多分難しいのではないだろうかと思うのですが、例としてどんなことがあるかということになりますと、一つとして税金、課税処分の取消訴訟になりますと、課税処分の額と自分の方で一定の額の税金を払う義務があると認めている額との差額が訴訟の目的の価額になると思われますので、場合によっては高額な手数料になる場合がございます。
○行政訴訟は元々、権利回復という目的はもちろんあるが、本来適法になされてないといけない行政について、その適法性を担保する、言い換えれば、違法性を是正するための機能を全ての行政訴訟は持っているので、これを一律に、単なる民民の権利回復と同じような基準で手数料や法律扶助を考えるのは問題が多い。印紙について言えば、行政事件は大規模プロジェクトもあれば、小規模もあり、税金も高額なものから非常に些細なものまであって、こういったものを金額換算して手数料を算定するというアプローチ自体にかなり無理がある。また、行政訴訟で得られる利益は民事とは違い、本来一般国民にその利益が広い意味で帰属するものだから、行政訴訟についてはできるだけ一律で、しかもあまり法外でない手数料で処理できる方法が良い。そこで、課税処分については、行政が取り間違えてそれを救済してくれというときにとんでもないお金が掛かるということは、構図として釈然としないものがあるので、課税処分についての訴訟の際の手数料は、できるだけ一律に、金額によって極端に異なることがないようにするのが妥当ではないかと思う。特に環境訴訟とか計画統制訴訟の場合には、個別に還元すれば薄く一人一人の主観的利益があるのかもしれないが、もしこういった訴訟類型を認めるとすれば、限りなく客観訴訟に近く、請求するものは同じだということで、一人分でいいと考えていいように思う。
それから、片面的敗訴者負担は、行政の場合は是非必要であり、原告が負けたときに行政庁の弁護士代金を全部負担するということには、決してするべきではない。
○印紙代の件はアクセス検討会で議論するとの話だが、行政訴訟は特殊だといってその検討会で納得してもらえるかは、問題があると思う。ある種の行政訴訟について、多数当事者の訴訟で処分が分割できる場合だと、各人が自分の利益のためにその部分の訴訟を起こしているのだ、ということになるかもしれないが、処分が不可分で一つである場合は、この最高裁判決のままでいいのか、という問題はやはりある。
弁護士費用については、行政訴訟の場合は特別かなという感じがする。行政庁というのは一当事者とは違って、普段から相手側の利益も適正に考慮しながら、適切に行動していくべき立場にあるわけで、その行政庁が判断を間違って違法な行為をしたのであれば、やはり普通の契約関係を巡る訴訟のものとはちょっと違う気がする。もちろん、不法行為に近い違法処分と、多様な行政をやっていればこういうものもあるという程度のものといろいろあると思うので、全部引っくるめてというわけにはいくかどうかという問題はあるが、考えることとしてそういう要素は一部あるのではないか。
○特定の判決が挙げられていたが、手数料の算定の仕方は費用法で決まっており、特に例外を設けていなければ、それに従った計算をせざるを得ない。公益性の強弱などを入れて考えるべきだというのなら、立法化してもらって、そのルールを適用する形になればよい。印紙の算定の部分であまり悩まなくていいようにまず作ってもらいたい。
また、人格権に基づくものは今までの訴訟物の考え方からすると、そのように計算せざるを得ない。ただ、同一の行政行為の取消しを複数の人が求めるような場合には、訴訟物は1個で価格を一つに吸収してしまっていいというコンセンサスが取れれば、法律に明確に書いておいてもらえればよい。裁判所が政策的にやっていることではない。
○先ほどの発言は真意として共感するところはあるが、国家賠償訴訟は民事訴訟だから、民訴と同じような計算になると割り切っているのか。
○突き詰めて考えてはいない。国家賠償訴訟及び税金訴訟をどう考えるか、一つ考慮に入れる余地はあると思うが、国家賠償訴訟については他の民事訴訟と一緒とするのはやむを得ないと思う。
○国家賠償については、もちろん個人の侵害された利益を回復するという機能は大きいが、国家賠償請求訴訟が認容されるのは、あくまでも行政庁の行為が違法だということが大前提になるから、その限りでは取消訴訟と同じ構図だと思う。そのように、違法是正という意味で国家賠償と行政訴訟は共通する面があるので、国家賠償についてもやはり同様に考えた方がいい。
○その場合、国賠訴訟は本来民事訴訟だが、通常の民事訴訟とは違う訴訟だと立法的に位置づけるということか。
○そうだ。
○そうすると国が違法行為をした不法行為訴訟とか、人格権に基づく差し止め請求でも同じような話か。先ほど、港湾工事の開発なりを人格権侵害で争う場合、一人一人の人格権侵害だから合算になるが、それは改めたらどうかといった話があったが、国が人格権侵害、あるいはいわゆる違法な行為をしたという場合、みんな同じ考え方で、違法の是正に役立つのだから、別立てにするということか。
○自分のイメージはそうだ。行政の行為の適法・違法が先決問題になっているのであれば、訴訟形式を問わずに、行政の適法性担保機能を果たしたという側面に着目して、印紙や弁護士の負担については考慮する余地はあると思う。
○違法の是正に役立った場合は敗訴者負担であり、勝訴すればまさに違法状態が是正されて、その結果、原告は負担することはない。先ほどの意見は、訴訟を起こすこと自体が違法の是正になるという意味にとれるが、是正になるのは原告が勝訴する場合だ。実際に適法性維持に貢献した場合、つまり勝訴した場合には、当然ながら原告側の費用は相手側の負担になるので、今の制度で何か問題があるのか。
また、印紙の制度というのは、明確なルールでいくら印紙を貼ればいいかをはっきりさせることで、ありとあらゆる訴訟類型がありながら、ある意味では金額だけで単純に切って、あとは誰でも足し算すれば簡単に計算できるというルールで、我が国は長い間、この経済的な利益の額を基準にすることで割り切ってきた。いろいろな訴訟類型ごとに穴を空けろという議論は十分分かるが、あまり複雑になると、印紙の制度全体、訴訟費用の制度全体が分かりにくいものになるというきらいがある。アクセスの検討会では、おそらく全訴訟類型をにらんで、訴訟費用のあり方、あるいは訴え手数料のあり方を考えていると思われるが、そういう目で見るのが非常に重要で、その際、こちらからはこういう点もいろいろ議論・意見があるということを伝えるという程度に止まらざるを得ないのではないか。ここで他の訴訟まで考え出すと、到底議論はまとまらない。
○それはそうだが、重要なことは、印紙代の算定のときに裁判所が判断に迷わないように、例えば、あらかじめこういう類型なら減額してもいいと分かっていればいい。勝てば大丈夫ではないかというのは確かにそのとおりだが、一旦裁判所という土俵に乗せる機会をあまり狭くしないという政策的考慮も重要だ。
□訴訟費用の問題はそれなりのドグマティックがあるが、行政訴訟、特に取消訴訟の場合には原告が実定法上国民に限定される。民事の場合は仕掛けてくるまでは寝ていればいいが、行政訴訟は、公定力が備わっている場合には、原告として国民が立ち向かわなければいけない。そういうシステムを作っていることを訴訟費用、訴え提起の手数料の点でどう考えるかという問題はある。そういった意味での特色はアクセス検討会の方でも検討頂ければと思う。
○報奨金の問題だが、これは神戸の阿部教授が書いているとおり、自分も基本的に賛成だ。行政処分が違法になった場合、原告本人だけでなく、他にもフリーライダーで得する人がいっぱい出てくるが、そうすると、1人でこの訴訟の負担を背負って、みんなのためになったという人には、是正した分について報いてあげてもいい、勝った場合にはなおさらだという気がする。その費用は、違法行為をやった行政庁の予算をその分削ればいい。そう割り切れば、そんなに国家財政に影響するわけでもない。
○報奨金というのは品が良くない。出したい人は財団を作り民間で奨励の制度を作ればいい。
□いろいろと議論があるが、今度の行政訴訟の検討の基本的な考え方は、報奨金があろうがなかろうが、権利は主張すべきだということだ。あるいは侵害を受けたなら、自ら排除するという、そういった自立的な国民、あるいは市民を前提にして、初めて成り立つ制度、改革であると思う。報奨金制度がさらに自立性を高めるものならばまた考えるが、基本はそこにあるということで、報奨金の制度の議論をしていただきたい。
○資料3頁の「2 訴訟費用の負担」の項目で、「村議会議員除名決議取消しの訴え」の事例があるが、この時の費用は、実際には敗訴をした原告が負担したのか、それとも民事訴訟法第62条の規定によって、原告はこの費用を負担しなくてよくなったのか。
■この例は、民事訴訟法第62条でもって、原告が負担しなくてもよい、ということになったという、敗訴の結論ではあるが、原告が負担しなくてもよい例だ。
○そういう判決に倣い、今のように途中で訴えの利益がなくなった場合に、原則全て訴訟の負担は行政側が負担するという形になっているのか。それとも一定の部分については原告側が負担させられてるのか。この原則がもし行政側の事情で適用されていないとすれば、行政側が何らかの手当てをするという形が納得的ではないか。
■この資料は、行政に限らず、訴えの利益が途中でなくなるということは民事でもありうることであるが、それは民事訴訟の基本原則の運用次第ではなかろうか、という判例があるということを指摘する趣旨で作ったものです。行政の特殊性ということを考慮しつつ行政についての規定を作るには、それなりの相当詰めた検討が必要ですが、民事訴訟の基本原則とその運用の範囲で、こういう取り扱いの例があるので、参考にしていただきたい、という趣旨です。具体的な運用の実情は把握していません。
○実際の運用だが、例えば文書の非開示決定の取消しなどを求めた場合に行政庁側が途中でよく考え直して、取り消すことなどが稀にある。そういった場合、訴えの利益そのものはなくなるが、それでも判決ということになると、私どもでは被告負担、つまり行政庁側の費用負担ということでやっている例の方が多い。自分の部ではそうしているし、他の行政部の判決でもそういうふうになっていると思う。ただ、訴え提起のときには、2つの文書を対象にしたが、そのうち1つは無理なので途中で取り下げるという場合があるが、そういう場合には当然ながら、その部分を考慮して何分の一は原告負担、何分の一は被告負担として、実務は運用されているのではないかと思う。
○今の点に関連し、例えば違法建築物で除却命令を受け、それを取消訴訟で争った場合、係争中に執行されて訴えの利益がなくなり、却下されてしまうことがあり得るが、そういう場合訴訟費用はやはり原告負担になるのか。
○原告負担になっている例の方が多いのではないか。
○この例も、被告が早とちりで早く壊してしまったから、たまたま却下になっただけで、こういう場合でも原告負担となってしまうのであれば、やはり立法的に手当てをした方がいい。
○ただ、条文の上では、事情を勘案して場合によっては相手側の負担にすることができるという規定があるので、これ以上立法上の手当てはできない。そこで議論すれば足りることだ。
○最初の発言とは逆ではないか。
○それはむしろ認識の問題だ。裁判所が、被告の側に原因があると認識すれば被告の負担にすると思う。ただ、訴えの利益が第三者の行為によって消滅することがあるが、その場合原告被告がイーブンであれば、訴訟費用の負担を原告に持っていくことが多いのではないかと申し上げたのである。
○例えば、本案で勝てそうだったかどうかみたいなものは、訴訟費用の負担を検討するときに実質的に考慮されるのか。
○ある程度考慮するが、もしそれを必ず考慮するとすると、訴訟費用の負担のところだけをみるために訴訟が継続するという、妙なことになってしまう。そこは、ある意味では付随的な部分なので、裁判所の方に任せていただいているやり方で、バランスは取れていると思っている。
□土俵をアクセス検討会の方に移して相撲をとってくれというのも如何なものかとは思うが、やはり本来の場で、きちんと議論をしてもらい、材料はこちらで出す、ということで今後進めていきたい。報奨金支給制度はそちらの方で受けようがない。これは今日議論を戦わせて、ということで、国民一般の支持が得られるかどうか、この辺も慎重に見極めていきたい。
(「第7 行政不服審査法等の他の法令との関係について」及び「第8 行政事件訴訟法以外の個別法上の課題について」)
■5頁から7頁までです。まず、「第7 行政不服審査法等の他の法令との関係」ですが、この点について、意見書を引用しています。5頁の下から6行目、行政訴訟制度の見直しを含めた行政に対する司法審査の在り方について、「この問題に関する具体的な解決策の検討は、事柄の性質上、司法制度改革の視点と行政改革の動向との整合性を確保しつつ行うことが不可欠であり、また、行政手続法、情報公開法、行政不服審査法等の関連諸法制との関係、国家賠償制度との適切な役割分担等に十分留意する必要がある。」とされております。さらに、「行政委員会の準司法的機能の充実との関係にも配慮しなければならない。」とした上で、「そもそも、司法による行政審査の在り方を考えるには、統治構造の中における行政及び司法の役割・機能とその限界、さらには、三権相互の関係を十分に吟味することが不可欠である。国民の権利救済を実効化する見地から、行政作用のチェック機能の在り方とその強化のための方策に関しては、行政過程全体を見通しながら、「法の支配」の基本理念の下に、司法と行政それぞれの役割を見据えた総合的多角的な検討が求められるゆえんである。」とされています。
それから、「第8 行政事件訴訟法以外の個別法上の課題について」です。ここについては6頁の下から6行目以降にございますように、行政事件訴訟法は、その性質上、行政訴訟に関する手続を定めることを目的とするものではないだろうか。行政に対する関係での国民の権利義務というのは、本来的には、行政に関する個別法ないし実体法が定めるところによるものであって、訴訟手続は、このような権利が存在することを前提として、その権利の実現のために機能することが本来期待されるものではないだろうかということを書いています。また、訴訟手続に関しても、これは行政事件訴訟法第1条で、「行政事件訴訟については、他の法律に特別の定めがある場合を除くほか、この法律の定めるところによる。」と規定しておりますので、個別法において具体的な手続が定めることは元々、許容しているところです。したがいまして、行政との関係において、いかなる権利が国民に認められるべきか、あるいは訴訟手続においても、個別法においてもその行政に即した具体的な手続をいかに定めるべきかと、そういうことが重要な課題ではないだろうか、というふうに考えている次第です。
それから、処分の取消の訴えと審査請求との関係につきましては、行政事件訴訟法第8条で、「処分の取消しの訴えは、当該処分につき法令の規定により審査請求をすることができる場合においても、直ちに提起することを妨げない。」と規定しているのですが、したがって基本的には審査請求を経ないで直ちに処分の取消しの訴えを提起するかどうかというのは国民の自由な選択に委ねられているのですが、行政事件訴訟法第1条によって、他の法律に特別の定めを置くことが許容されているわけです。それで資料3が、他の法律の定めを調査して結果です。以上です。
○行政庁の処分という言葉が行政事件訴訟法で使われ、不服審査法でも同時にそれが使われ、そのことを前提に行政手続法もそれを使い、それを全体として、行政処分についての一連の手続過程についての法制が出来上がっているので、今回の司法改革で、行訴法だけが対象だとあまり狭く考えず、技術的に可能であれば当然、他の法令にも手を加えざるを得ないし、そうすることが行政についての基本法制として国民にとって分かりやすくなる。ただ、それを超えて、あらゆる法律全部を直すことになると、これは気の遠くなる話だ。
□整備法はつくることになるだろうと思う。
○技術的な話だが、今回の行政訴訟の改革で、仮に被告適格が行政主体となるとすると、実際上不服審査から行政訴訟に移行する例が多いことを考えると、途中で被告が変わるのは、大変使い勝手が悪い。こういう混乱を避ける意味でも、やはり行訴法が変わるのであれば、不服審査法も被告適格を変えるとか、何らかの平仄合わせをした方がいい。
○審査請求という用語は行政不服審査法では不服申立ての一つにすぎないが、行政事件訴訟法では広い意味での不服申立てイコール審査請求という意味になっており、大学で講義をするときにいつも困るので、行政事件訴訟法の改正の際にはなんとかしていただきたい。
○「国家賠償制度との役割分担等」についてだが、これは非常に重要な問題だ。現在は行政のプロセスに沿った司法によるチェックのその他の仕組みが不十分なために、国家賠償の制度がやや本来の領分を越えて利用されざるを得ない面がある。そういう歪みをなくし、本来なされるべき行政の是正機能をこの行政訴訟の制度の中でできるだけつくり、名目的に賠償を請求して是正を求めるというようなことの必要がない形にすべきだ。国家賠償制度があるからいいじゃないかという発想は最初に置かない方がいい。
□ここでの問題提起の趣旨は、行政過程において制度の整備が進んでいるときに、その成果をどういう形で行政事件訴訟法に生かしていくか、ということだと思う。行政訴訟の改革の成果を運用するためには、せっかく整備された新しい行政過程をこういうふうに生かすともっとうまく行く、などのことをこちらの報告書のどこかに書けばいいという気持ちを持っている。例えば、行政手続法をもっと活用すれば、裁判所だって審理の仕方も違ってくるし、あるいは情報公開法の精神を生かせば、裁量統制の仕方も違ってくるではないか、などだ。行訴法だけを考えずに、こういう点にもっと力を入れれば行訴法も生きるのではないか、という議論をし、あるいは報告書にそういう趣旨が出てくれば、ということでの問題提起だと理解している。
それから、国家賠償制度については、まさに意見があったように、自分も国家賠償制度は少し負担過重になっていると思う。最高裁判所の判決の中でも、却下しておいてあとは国家賠償があるじゃないかというニュアンスのものもあるが、国民の不満はいくらばかりの金を貰うのではなく、自分のされた侵害を違法宣言という形で回復して欲しいということだ。今の点の関係で言えば、訴訟類型を多様化することにより国家賠償への負担過重は少しでも和らぐのではないかと思う。ここでは意見がまとまったというようなことはない。こういったことは問題提起については根本論であるので、ご意見があればいつでも、議論していただきたい。
○不服審査前置主義について。行政事件訴訟法では不服申立てと取消訴訟の自由選択主義が採られているが、例外が個別の法律で設けられている。それを許容する規定が行政事件訴訟法8条1項のただし書きであり、このただし書きが活用されている。行政事件訴訟法の改正ないしは新しい行政訴訟法では、自由選択主義を徹底すべきだと思う。行政としては不服申立てが望ましい場合もあろうが、それは行政不服申立制度を充実することにより、国民にそれを利用したいという気持ちを起こさせることにより解決する問題である。一番よい例が情報公開審査会であり、情報公開に関しては、不服申立ては義務にはなっていないが、ほとんどの人が不服の申立てを用いている。それは現在の情報公開審査会の役割が、国民にとって期待できるものであるからだ。ただ、税金の分野など、不服申立前置を定めるべきごく限られた例外はあるが、考え方としては自由選択主義を設定する方向で考えるべきだ。
○賛成だ。この機会に、税務訴訟も含め、よほどの事情がない限り自由選択主義ということにしていただきたい。不服申立前置は、司法権における救済を受ける権利を人為的に遅らせるということで、元々不服申立に期待していない国民から見たら迂遠な手続になっている。それを強制するだけの実益があるのなら残してもいいのかもしれないが、課税も含めておそらくそういう領域は一つもない気がするので、今まで前置になっているものをそのまま存続するのではなく、もう一度検証し、必要性の有無を判断した上で、どうしても残さざるを得ないもの以外は、原則としてなくしていくという方向がいい。行政庁からすると先に審査請求や異議申立てが出てくると、原告の争い方の手の内が分かって、後の裁判になったときに争いやすくなる。不服申立手続には、原告の争いそうな手口を学習するという機能が極めて大きい。先に不服申立をしろと強制するのは裁判を受ける権利の実効性の確保という観点からも極めて問題が多い。
○全体のことはよく分からないが、国税の問題に関して言えば、国税審判所に係属する案件は、かなりの件数に上る。そこで認められなかったもののうち、どのくらい裁判所に来ているかというと、非常に低い割合であり、国税の申立制度については、相当程度、機能を担っているという気がしている。それらがもし裁判所に来たらという量の問題もあるかもしれないが、そうではなく、その中で本来の機能に近いものをある部分では営んでいると思うので、見直しの議論をするにしても、全体の統計などをきちんと見て、どこが制度として生きていないかということを踏まえた上で、議論をするべきではなかろうかと思う。
○今の点は十分考慮すべきだが、本当に国税不服審判所が機能を果たしていることが訴える納税者側にも分かっているのなら、自由に選べても、そちらを利用する人が多くなるはずだし、そうでなければ裁判所に来るだろうから、やはり強制するべきではない。バイアスをかけた制度にしておかない方がいい。
○議論を整理しなければいけない。今の国税不服審判所は、前審としての重要な機能を果たしていて、それは国民にとって便利かどうかではなく、国家の司法制度の合理的な資源配分ということかもしれない。他方、現在の不服申立前置の在り方はやや中途半端なところがあり、裁決主義などを採れば徹底するだろうが、原処分で間違いないとやっておきながら、しかし間違いがあるかもしれないということで不服申立ての道を開き、かつそこを通らなければ裁判所に行けないということは制度としては論理が通らないようなところが元々あるような気がする。だから、不服審査前置の現行法の在り方、その設定の立法の基準の考え方なりをもう少し整理する必要があるのではなかろうか。昭和37年当時には確か3つの基準ができて、今でも法制局辺りで、通用しているのかなと思うが、これからもそういう考え方をそのまま持っていくか。不服申立前置の在り方について、どう考えていくかをこの検討会として何らかの整理をすることが必要ではないか。
○資料6頁の、第8の①はもっともであるし、②のアからオまでも非常にもっとも。確かに、対象の問題や原告適格の問題は、それぞれの個別法上において修正あるいは改正などをすればかなり解決する問題だ。また、情報公開法やパブリックインボルブメントなど様々な制度が出来てくることにより、訴えそのものをしなくてもよい状況が生まれるのが一番望ましいことだと思うが、現状を見ると、個別法でそれだけの整備が出来ていない中で、この行政事件訴訟法にできることはあるのか、あるいはないとしたら、報告書の段階で添え書きのような形で付ける程度のことしかできないのか、あるいはこういう法律の条文という形でもし明確にできるのであれば、個別法上の修正はそんなに簡単にはできないと伺っているので、一国民としての訴訟のしやすさ、あるいは訴訟に勝つという状況を得るためにはやはり何らかの具体的な措置が講じられることが一番望ましいのではないかと思うので、その点に関し、もう少し専門家の意見をお聞きしたい。
□もっともな質問だ。①のところについてはかなり議論はできると思う。審査前置主義については、行訴法の制定過程で大変な議論をし、審査前置を置く場合にはこういうカテゴリーならば置けるという議論の整理をした。それから数十年経っているので、現時点で審査の前置をきちんと置くとすれば、こういう形ならば認められると報告書にまとめることはあり得る。それに対して②のところでは、既にいろいろな方から、いろいろな議論が出ているが、例えばエのところ、行政手続法において、あるいは都市計画法などの個別法で、きちんと原告適格なり訴えの対象なりを、例えばドイツのように判決の効力も含めて、きちんと書き込めという声が大きいし、自分も大変重要だと思うが、それをこの検討会でどこまでできるかの問題は時間との関係もあり、非常に悩ましいところだ。是非、この点についてあるべき方向性ぐらいは出せるといいなと思っているが、いつの段階で方向性みたいなものが出せるか、これからの議論で来年の通常国会に間に合わせる法律案の中にうまく仕組めるか、ということになるとなかなか難しい問題も起こるかもしれない。
○国税の事件については、国税不服審判所に係ってから3か月経過すると訴訟に持ち込むことができるが、国税の事件を担当している弁護士の感覚としては、裁決が出ないから訴訟に持ち込むかと言ったら、それはしない。それは、国税不服審判所の救済に期待するからだ。最近はわからないが、救済の率はそこそこあるし、ある程度和解的な救済もできないわけではない、一方、裁判所は、最近の東京地裁は別にして、税金の訴訟では勝てないというのが共通の認識だ。裁判に持ち込むことになったらもう駄目だ、というのが税金事件を扱った弁護士の大体の共通の認識で、できるだけ裁判所に持ち込まないで救済を勝ち取ろうとしている。先ほど、不服審判所で救済されなかった事例のうち、裁判所に持ち込まれている率が低いという話があったが、それは裁決に満足した結果ではなくて、裁判にあきらめた結果だ。ただ、東京地裁などは最近はずいぶん変わってきたと思うし、逆に不服審判所の方について非常に不安がある。今から30年ぐらい前に国税不服審判所という制度ができた。今も国税不服審判所長は裁判所、東京国税不服審判所長は検察庁、大阪国税不服審判所長は裁判所から行っている。そして、若手の裁判官も審判官として、数名大きな所には行っている。かつては南博方さんみたいに学者をやめて審判官になられた方もいた。そのころは非常に救済率が高かったが、最近はどんどん救済率が下がっていて、最近の国税不服審判所の機能低下は著しい。そして時間もかかる。最近の東京地裁を見ていると、むしろ国税不服審判所を飛ばして裁判所に持ち込んだ方がいいというケースもある。例えば、この間のストックオプションについては、全国でたくさんの訴訟が起きたが、訴訟が起きる前は不服審判所で裁決が出ることになっており、不服審判所が改正されたばかりの通達に反する裁決をすることは考えられないので、全く無駄なことで、すぐに裁判所に行くべき事件だ。そうすると、不服審判所でやりたい人はそちらに行ってもいいし、今のストックオプションのように不服審判所が全くの時間の無駄だという事件についてはさっさと裁判所に持ち込むという選択の余地を国民に与えておくのが、非常に使いやすい行政訴訟の制度だと思うので、原則としてどちらかの選択ができるようにしておくべきだ。
□不服審査前置についてはいろいろと議論いただいたが、先ほどのようなご提案の方向で、基本的な考え方の整理をする必要があると思う。
□第8のところで挙げた項目の中には、すでに一度議論いただいた納税者訴訟あるいは国民訴訟というカテゴリーが入っているので、それについて発言があれば、今日多少時間があるので承りたい
○実は大阪弁護士会では、いわゆる納税者訴訟(公金検査訴訟)についてずっと検討をしてきたが、1月20日にシンポジウムを予定している。そこでいろいろと意見を聞き、具体的な提案をしていきたい。それで、次回の検討会で資料を配布し、説明する機会を是非設けていただきたい。
□仮にジャブを出す場合、あまりあとの方になってから出すのではなく、できるだけ早い機会に出していただきたい。もちろん、きちんと受け止めるものは受け止めるが、我々にとって時間は非常に限られているということを認識いただきたい。
○それは行訴法の中に規定するつもりか。
○行訴法の中ではちょっと無理だと思う。
○スケジュールは、非常に詰まっており、あと何回、詰めた議論ができるかということもあるので、そこら辺の兼ね合いをもうそろそろ考えていだたきたいという気がする。
○これはかなり国民からの要望も強い事項だから、一度議論する機会を是非設けていただきたい。
□議論することはやぶさかではないが、我々は行訴法の改正問題をタスクとして担っているので、その辺も十分にご注意いただきたい。
○行政訴訟法をいくら整備しても、個別実体法が今のように不明確なままだとやはり行政訴訟は機能しない。行政訴訟がちゃんと機能する前提として、個別法で、裁量が客観化されているとか、手続法とか情報公開法できっちりとした情報が得られるとか、ということは大変重要なので、この検討会で直接取り上げるかはともかく、この種の論点の重要性を、この検討会としても述べることは重要だ。
□先ほどの質問について補足すると、今まで皆様方には行訴法を中心にお考えいただいたが、それが充実した形で実現すると、かなりの効果を持つと思う。個別法が整備されなければ国民の救済がされないということではなく、きちんとした受け皿、訴訟法が用意されると、実体法もそれなりに生まれてくる。ドイツの結果除去請求権というのは、実定法上どこにも書いていないが、訴訟の場で、裁判官が生み出した実定法だ。その他、判例の段階で、権利が生み出されることがあることが外国の研究で明らかになっているので、この第8の中のいくつかの項目ができないと、何の成果も上がらない、ということではない。昭和37年の立法者もそういう考え方だったと思うが、それがうまく機能しなかった。例えば公法上の当事者訴訟、あるいは無名抗告訴訟でもやろうと思えばできるというのがおそらく立法者の考え方だったろうと思うが、いろんな情勢でそれがうまくいかなかった。現在ではそれを意識しながら、行訴法を整備、充実するということでかなり効果があげられるのではないかと思う。ただ、個別法、例えば都市計画法ではこんなところを注意した方がもっと良くなるとかいった点は是非知恵を出していただきたい。
(「第9 行政訴訟の基盤整備上の諸課題について」)
■「行政訴訟の基盤整備上の諸課題」、8頁以下ですが、司法制度改革審議会の意見書を引用しています。「国民的基盤の確立(国民の司法参加)」ということで、「訴訟手続は司法の中核をなすものであり、訴訟手続への一般の国民の参加は、司法の国民的基盤を確立するための方策として、とりわけ重要な意義を有する。すなわち、一般の国民が、裁判の過程に参加し、裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されるようになることによって、国民の司法に対する理解・支持が深まり、司法はより強固な国民的基盤を得ることができるようになる。このような見地から、差し当たり刑事訴訟手続について、下記(1)ないし(4)を基本的な方向性とし、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである。具体的な制度設計においては、憲法(第六章司法に関する規定、裁判を受ける権利、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利、適正手続の保障など)の趣旨を十分に踏まえ、これに適合したものとしなければならないことは言うまでもない。また、この制度が所期の機能を発揮していくためには、国民の積極的な支持と協力が不可欠となるので、制度設計の段階から、国民に対し十分な情報を提供し、その意見に十分耳を傾ける必要がある。実施段階でも、制度の意義・趣旨の周知徹底、司法教育の充実など制度を円滑に導入するための環境整備を行わなければならない。実施後においても、当初の制度を固定的にとらえることなく、その運用状況を不断に検証し、国民的基盤の確立の重要性を踏まえ、幅広い観点から、必要に応じ、柔軟に制度の見直しを行っていくべきである。なお、刑事訴訟手続以外の裁判手続への導入については、刑事訴訟手続への新制度の導入、運用の状況を見ながら、将来的な課題として検討すべきである。」とされております。
次に法曹等の相互交流の在り方に関しましては、「法律専門職(裁判官、検察官、弁護士及び法律学者)間の人材の相互交流を促進することにより、真に国民の期待と信頼に応えうる司法(法曹)をつくり育てていくこととすべきである。」としております。
次に調査官制度でございますが、調査官制度は裁判所法第57条1項によりまして、「最高裁判所、各高等裁判所及び各地方裁判所に裁判所調査官をおく。」と定めておりまして、同条の2項で、「裁判所調査官は、裁判官の命を受けて、事件(地方裁判所においては、工業所有権又は租税に関する事件に限る。)の審理及び裁判に関して必要な調査を掌る。」ということになっております。
それから裁判外の紛争解決手段(ADR)の拡充・活性化につきましては、司法制度改革推進計画は資料のとおりで、具体的な内容は、ここでは省略させていただきます。
○参審制の導入については賛成だ。行政事件訴訟という非常に専門性が高いところに一般の国民が参加して分かるのかという議論はあるかもしれないが、行政事件でも税務訴訟などはかなり事実認定に関わる訴訟であり、刑事事件で事実認定をするのと同様行政事件についても、国民が参加して事実認定の裁定を行うことで、十分参加する余地がある。また、法令の解釈が争われる事件についても、どちらの解釈が正しいかということにつき、やはり一般の国民の、健全な常識を反映させる必要があるだろう。一般国民から見て非常識と思われる行政事件の判決はあるが、その是正のために、参審制は是非実現したい。
専門性の強化について、弁護士会でもこれまで行政事件につき、専門的な研修も含め必ずしも十分ではなかったことを反省し、やはりもっと行政事件に精通した弁護士を増やす、しかも、全国津々浦々にそれを広げる必要がある。これは弁護士、弁護士会としての反省材料として、今後、改善していかないといけない。
判検交流について、自分が体験した実例だが、大阪高等裁判所で税務訴訟をやったとき、主任の裁判官の転勤に伴い新しい裁判官がそれに参加することになったが、その後任の裁判官は大阪法務局の訟務部の副部長だった。その副部長がその事件を担当していたかはわからないが、いくらなんでもその方がその事件を担当するのは避けてもらいたいと書記官室で申し上げたが聞き入れられなかったので、忌避の申立てをしたが、棄却され、最高裁に抗告したがそれも受け入れられなかった。これは誰が考えてもおかしい。昨日まで相手方被告代理人の上司として決裁業務を担当してた者が、翌日からその事件の裁判官としてその事件を担当する。稀なケースかもしれないが、現にある。しかも最高裁判所はそれを認めている。これが判検交流の一番の大きな問題であり、こういう実態を認識いただいて、判検交流はなくすべきだ。
指定代理人制度であるが、これもいろいろと問題点がある。まず、いわゆる訟務検事以外に担当の官庁の訟務官などが指定代理人として出てくるが、一つの事件で、多い時には10名を越える場合もあり、そのために、なかなか期日が入りにくいということがある。次に、準備書面を被告が出す場合も、決裁がかなりあるので、なかなか先にしか入らない。そのような指定代理人制度が、行政事件訴訟の遅延の原因になっていると思う。これから弁護士の数も増えるので、弁護士を国ないし、地方公共団体等に被告の代理人として選任していくべきだ。これは弁護士の職域拡大のために言っているわけでない。
それから、担当の官庁の訟務官が担当すると、何が何でも勝たないとならなくなるが、外部の弁護士だと、少しは客観的に物事が見られるので、指定代理人制度は廃止すべきだ。また、指定代理人はすごい数となっており、経済的な面から見ても、この制度は廃止すべきだ。
それから、租税に関する事件の調査官制度について、例えば一部認容の場合、計算その他で、調査官が必要だということは分かるが、調査官には、国税庁の職員が行っており、しかも、人事異動のルーチンの一つのポストになっている。確かに、裁判所は事実認定も含め、調査官の判断に従っているわけではないと言っていることは理解できるが、やはり国民の目から見ると、国税庁の担当者が人事異動で調査官として裁判所にいるというのはなかなか納得し難い実状だろう。租税に関する調査官なら、例えば税理士から起用することも可能だし、いくらでも方法はあろう。現在の調査官の人事については改めるべきだ、
□判検交流というのは皆様方あまり御存知ないと思うので、説明をしていただきたい。
■法務省あるいは検察庁の方に出向している裁判官の数は、現時点では約100人であり、そのうち訟務事件を担当している者は、昨年の12月1日現在で、約半分の50名ぐらいとなっている。
○本省だけでなく、出先も含めてか。
■法務局の訟務部長なども入っている。それから平成14年、昨年1年間に裁判官から検察官に、例えば転官した者は45名、検察官から裁判官に転官した者は38名と聞いている。
○判検交流は日常茶飯事的にやられてはいるとは思わないが、判検交流のもう一つの問題点は、捜査検事が裁判官になるという点だ。裁判官が捜査検事になり、捜査を担当してまた裁判所に戻ると、刑事事件について、やや警察官寄りになるではないかという意味でも問題がある。
○判検交流は、どのように行われているのか。
■検事として併任になる場合もあれば、元々検事を当てる職もある。
□今の事例だけ見ると、けしからんということになり、そういった運用についてはいろいろと考えていかないといけないと思うが、そのことだけで、この検討会として判検交流はやめるべきだということにはなかなかならないだろう。ただ、裁判の公正性を確保するということは国民の信頼を確保するということで非常に重要なことだと考えているので、この点については、裁判所の人事の在り方も含め、裁判所側からの説明は聞きたいと思っている。指定代理人の範囲の話は、運用の問題であって、制度の本質ではないという感じもした。
○ただ、法務大臣の法律で、指定代理人が指名できたと思う。
□無駄だとのことで、改めることは十分可能だと思うが、制度論にそのまま結びつくかどうか。自分もあまり訴訟に関わったことがないが、両方とも、ちょっと有名な事件だと、いつも弁護士の数が大分多い。
○普通の事件は原告は大体弁護士は1人だ。被告側は10人ぐらい来て、代理人席に座れなくて、証人席に座ったりすることもある。
□今度、役所の方に何でそんなに座るのか一遍聞いてみたい。
○判検交流については、良い面での効果もある制度だと認識している。裁判官は通常行政事件に触れる機会がないが、こういった機会に行政の手口を学び、戻ってから行政に手厳しく判決を書かれる者はいくらでもいる。学習の機会としては意味がある。また、法曹一元の議論があるが、原告の代理人をやった者は判検交流は駄目だという原理を押し詰めれば、裁判官になれないことになるし、弁護士として被告行政庁の代理人をやった者も裁判官になれないことになる。そういう意味では、単に元検事で、行政庁の側に立ったことがあるから裁判官になってはいけないというのは、やや短絡的ではないか。もちろん、今の判検交流は、実質的に最高裁の事務総局の人事ローテンションの一貫として行われているので、そういう将棋の駒のような形で、裁判官が行政庁に行って、被告の立場をやるのがいいのかどうかという人事任用の運用の在り方としては問題を提起する余地はあるかと思うが、一概に前歴がそうだから駄目だといったら、それ以外の立場はとれないことになりかねないし、やはり学習の効果などを考える余地はあるのと思う。
それから、自分は指定代理人を経験したことがあるが、大学を卒業してすぐ、全国どこでも自分1人で行き、検事と2人でやる事件がほとんどだった。弁護団は逆に5、6人もいて、次回の日程が決まらない要因のほとんどは弁護士の都合だったと思う。指定代理人をやったから勉強になることもあるので、行政官として裁判に絶対に出ていけないということになると、行政を客観的に見る者が少なくなってしまうのではないか。
○判検交流については、確かに積極的な面も一般的にはあると思うが、法曹の流動性が乏しい中で、判検交流だけが活発であるというのはおかしい。
○司法制度改革の行く末については、非常に幅広く、層の厚い法曹の集団をつくり、法曹一元かはわからないが、そういう集団が役所の中にも、在野法曹にもいるということが理想像として描かれているが、そうなれば今議論している問題は解決されるか、あるいは全然別の形になると思う。しかし、今のように行政事件が分かる法律家が非常に限られているという現段階では、現にあるスタッフをうまくやりくりして使うという観点は必要なのではないか。
□参審制については、刑事の方で検討が進められていると承知しているが、他の訴訟、例えば民事訴訟に参審制を設けるべきだとかの議論は既に行われているのか。
■審議会の方で将来の課題として整理されておりますので、私ども事務局としては具体的な検討は進めておりません。
□意見があったことは言っておいてもらいたい。ただ、先ほど事実認定の話があったが、おそらく全てということではないと思う。情報公開のときは事実認定で、おそれがあるときに一般国民の声も聞いてみる方がいいということか。
○情報公開は、地方自治も含めて、審査会を組織していただいている。そういう意見は非常に参考になるので、それをどこまで拡大していくかということの延長としては考えられなくはない。
□義務的に、刑事で今考えているような裁判員と同じような形のものを考えているのか。
○いや、具体的に、義務的か選択性か、裁判員を何人にするなどはまだ考えていない。ただやはり、まず刑事事件に導入し、次に行政事件に導入するのが自分の意見だ。
□ドイツにはラインリヒターという、素人裁判官の制度があって、大学の先生が結構入っているが。
△大学教授は確かに入っているが、高裁だ。法律問題が争点になることが多いので、上級行政裁判所の裁判官を兼ねることが非常に多い。最上級審というのはあまりない。
○行政訴訟の基盤整備について、日本の司法のコストの内訳がどうなっているか知りたい。司法の充実と言われているが、本当にその方向に国として手当てができるのか。そういうバックボーンがない限り、事務的手当てができない。そのあたり基盤整備の上では非常に大きいので、日本の司法のコストの内訳のトレンドについて、分かれば教えていただきたい。コストの意識、あるいは財源措置がないと本気かどうか分からないし、本当に出来るのかどうかにも、全部関わってくる。非常に少ない予算で大丈夫かという感じもする。
□最高裁判所はそこが一番頭が痛いところだ。専門性をもった裁判官を全国に早急に配置せよという答申を出すと、一番困るのは最高裁判所だ。また、全国に優れた弁護士を全て配置してくださいと言ったら、困るのは弁護士連合会だ。そういった点でなかなか実現し難いということは感覚的には分かるが、なかなかそれを定量的に表したものがするに見付かるかどうか。少し時間をいただければ、何かの形で司法のコストをお知らせすることがあるかもしれない。
○参審制に関し、判検交流とも多少関わるが、行政訴訟を判決する裁判官として弁護士や行政法の研究者などが、現場に出て行くというルートをもっと拡大してはどうか。判検交流というのは判事が一方の側に来るということだが、これにいろんなチャネルができると、大分、相対化される。裁判官の立場に、例えば、在野の方や弁護士や研究者も来て、学習して、知見を蓄えて戻るとか、あるいは行きっぱなしでもいい。参審ということに止まらず、できるだけ、行政訴訟を巡る当事者関係が固着化しないよう流動化するような人事運用、あるいは制度的対応をしていくということが行政訴訟を公正化、活性化するために意味がある。
□先ほどのドイツのラインリヒター、素人裁判官の話もそれに通じるので、検討課題にはなる。
○参審制の問題に関し、先ほどコストの話が出たが、自分も、参審制をやるとかなりコストが掛かり、国民の負担という意味でも相当なものだと思う。以前、地方の離島の支部をやっていたときに、検察審査会の委員を任命したが、離島なので、皆さん1日仕事で来る。それで、何で自分がこんなものに選ばれたのか、1日漁に出れない、いくら減収になるんだ、という人がたくさん出てくる。そういうコストを払ってやるほどの見返りが本当に国民にあるのか、それを十分検証せずに、頭の中でばかりでやると、やはりそういう部分を忘れてしまうのではないか。是非それも検討材料に入れていただきたい
○去年、初めて検察審査会のことが分かったが、確かに検察審査会の委員に選ばれて迷惑だという方もいると思うが、検察審査会のOB会が全国にあり、大阪には大阪検察審査協議会があって、かつて検察審査会の委員だった人が、自発的に集まって、組織をつくっている。そして、検察審査会のPRや色々な情報公開など、検察審査会の委員でもないにも拘わらず、全くのボランティアで、全国的な組織で非常に熱心にやっている。これを見て、やはり日本には参審制なり、陪審制なりが十分に根付く余地があると確信した。
○参審制あるいは裁判員制度は、労働組合でも議論をしている。司法改革の中で、労働組合のリーダーの関心を一番持ったのは、この陪審制、参審制の問題だ。この課題の故に、司法や立法についてもっと自分の問題として考えないといけないというインパクトを持ったのは事実だ。まず刑事訴訟から検討に入るとのことだが、参審制は、個々の国民に対しての教育と、それから自ら考えさせる力が非常に大きいと受け止めている。なるべく無理のない形で国民に預けられるような形を準備し、広がっていくのが好ましい。
○事件が東京に集中するのはいろいろな事情があり、どうしようもないことはあると思うが、やはり高裁所在地の地裁に有能な行政事件の専門家がいて、そこへ事件を持っていけばそれなりの成果が得られるということが分かれば、今はあきらめている人たちも訴訟を起こすことが当然考えられる。需要もないのに有能な者をそこに貼り付けるのは無駄だが、将来を見越した合理的な投資をし、それで国民に対してもPRをするという意味はあろう。そこはバランスよく、少し先取りして考えていただきたい。
□今ちょうど話があり、判検交流も、コストの話もそうだが、いずれかの段階で、管轄の見直しと併せて、裁判所の意見を一度聴する必要がある。また、それよりも前に、不服審査前置主義等々、それから出訴期間の問題も含めて、、行政側の意見も聴する機会を設けたい。それを前提にして色々な意見を承ったので、今後の議論の参考にさせていただきたい。必ずしも一致した意見だけではなく、それぞれの立場からの意見、あるいは知見を披露していただき、感謝する。
○裁判所の体制の問題だが、例えば横浜とか神戸とかの、ブロックの中心都市ではないが結構行政事件があるという所での処理を考えると、できればそういうところは例えば巡回裁判所のような形で、ニーズのあるところではできるだけ、不便なく、一定のところに行き着くようにすることを検討いただきたい。
○いわゆる団体訴訟もかなり重要だと思っているが、これについての議論が必ずしも十分ではなかったのではないかという気がするので、できたらこれも一度議論をしていただきたい。
□おそらく、訴訟類型、あるいは原告適格のあたりでその辺の議論が出ると思うが、今の申出はしっかりと受け止めたいと思う。