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行政訴訟検討会(第13回)議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成15年2月5日(水) 13:30〜17:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第2会議室

3 出席者
(委 員)塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫(敬称略)
(事務局)松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官

4 議題
  1. 論点についての検討
  2. 今後の日程等

5 配布資料
資料1 論点についての検討資料
 (1−1)取消訴訟の対象(第3条第2項関係)についての検討課題
 (1−2)出訴期間(第14条関係)についての検討課題
 (1−3)無効等確認の訴え(第3条第4項、第36条関係)についての検討課題
 (1−4)不作為の違法確認の訴え(第3条第5項、第37条関係)についての検討課題
 (1−5)原告適格(第9条関係)についての検討課題
 (1−6)取消しの理由の制限(第10条第1項)についての検討課題
 (1−7)被告適格(第11条、第12条第1項関係)についての検討課題
資料2 団体訴訟に関する資料
 (2−1)司法制度改革審議会意見書(抜粋)
 (2−2)民事訴訟手続に関する検討事項(抜粋)
      民事訴訟手続に関する検討事項補足説明(抜粋)
      「民事訴訟手続に関する検討事項」に対する各界意見の概要(抜粋)
 (2−3)消費者団体訴訟制度について
 (2−4)各国における団体訴権
 (2−5)平成13年度委託調査報告書(ドイツ・フランスにおける団体訴訟制度に関する
      調査)平成14年9月経済取引局総務課
 (2−6)新しい時代における知的財産保護のための不正競争防止法のあり方に関する
      調査研究報告書(抜粋)平成14年3月財団法人知的財産研究所
資料3 水野委員説明資料
 (3−1)公金検査請求制度(国民訴訟制度)の提言
 (3−2)国における談合事案に対する措置等に関する調査報告

6 議事

(1)論点についての検討(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■:事務局)

【水野委員からの報告】

○貴重な時間を頂き感謝する。公金検査訴訟、あるいは国民訴訟、納税者訴訟と呼ばれる、いわゆる違法な公金の支出の検査制度、又は訴訟制度というものは地方自治法には規定があり既に何十年も続いてきているが、国レベルではなく、そういうものが必要だという議論が、これまでこの検討会でも出ていた。
 大阪弁護士会ではこの点について、いろいろと議論をし、大阪弁護士会としての案を作って公表した。1月20日、大阪弁護士会でシンポジウムを行ったが、新聞報道がされたこともあり、かなりたくさんの市民が参加したが、印象としては非常に関心が高いと思った。今日、いわゆる国民訴訟制度の提言につき説明をさせていただき、議論をしていただければと思う。
 国レベルで違法な公金の支出の事案は後を絶たない。例えば、社員の教育訓練、下請け業者への出向などを偽造して、給付金とか助成金を不正に取得した事例、外務省の領事その他の公金の不正流出の事例、入札・談合に伴う事件、超勤手当ての山分けと、枚挙にいとまがない。これら国レベルでの違法な支出がどのように処理されているか。それがきちんと国に返されているのかということが一つ大きな問題になる。
 大阪弁護士会では国における談合の事件について調査をした。
 まず、国や公団が発注者となっている公共事業の入札で談合が行われていたと認められたケースをピックアップし、その事案について、損害賠償請求等の、損害回復措置を採ったか否か、採ったとすればその内容が分かる資料を開示してほしいという情報公開請求の開示請求をしたが、ほとんどが文書は存在しない、という回答だった。さらにアンケート調査をし、その回復措置を採ったか否か、あるいは回復措置を採らなかった場合には、その理由を聞かせてほしい、今後、回復措置を採る必要があるのか、予定があるのかどうか、といった点について調査をした。その結果、8件の談合事件のうち、損害賠償の請求をしているのは、1件もなかった。回答を拒否されたところもあるが、損害賠償の措置を採らなかった理由としては、損害賠償額の算定が困難である、といった理由が挙げられている。
 しかし、地方自治体レベルでは、談合をした業者等に対する住民訴訟が、非常に多くの件数行われており、認められているケースもある。最高裁で認められたケースが今まで2件あり、鳥取県と奈良県の事件であるが、いずれも契約金額の5%が損害額だという認定がなされている。さらに下級審では非常にたくさんの事件が係属している。したがって、談合があった場合には、大体5%ないし10%の損害を見るというのがもう定着した判例として固まりつつある。しかしこれはあくまで地方自治体レベルであり、国レベルではそういった請求がされているのはおそらく1件もないのではないか。これは地方自治体レベルでは住民訴訟の制度があるのが非常に大きな理由であり、国レベルでもそういった訴訟を創設する必要があるのではないかと思う。
 大阪弁護士会では、全くの仮称だが、公金検査請求法という法案を提案している。この法案は、いわゆる地方自治法における住民監査請求及び住民訴訟をモデルにし、その国版ということで考えている。地方自治法の住民訴訟制度については、昨年法律が改正され、直接的な訴訟の道が一部閉ざされた。これは弁護士会は反対だったが、一応、改正後の地方自治法と同じレベルのものを作るということで、制度設計を考えており、したがって、条文はほとんど地方自治法の242条以下の条文と同じだ。
 第1章では公金検査請求ということで、公金の支出に違法があると思われるときに、会計検査院に対して、公金の検査請求をする。これは地方自治法の監査請求と同様の規定だ。第2章で、国民訴訟制度を設けることにした。これも地方自治法242条の2の住民訴訟と類似の制度だ。第3章で、国民訴訟の効力として、国民が勝訴した場合の行政機関等の義務という規定を考えた。
 こういった規定を公金検査請求法という形で立法するのが大阪弁護士会の提案であり、この検討会でも、これをたたき台に、一度時間をかけて、検討の機会をお持ちいただきたい、ということで提案をした。

○いわゆる国民訴訟については、また議論の時間を取ってほしい。自分の問題意識はこの資料にあるのと同様だ。実際上、問題が起こっているときに、裁判所が何らかの形で非違行為の是正に役に立つ場面があり、しかも行政の適法性確保の上で非常に重要な機能を自治体では果たしていることに鑑みると、国でこういうことをやるのは重要な論点だ。具体的な制度化も含めて、出来るだけ議論してほしい。ただ、被告は個人のままの方がいい。

□確認的なことだが、行訴法で言うと、どういう訴訟になるか。

○民衆訴訟という位置づけだ。

□これについて、特別法を作るという考えか。

○特別法を作る、という提案だ。自分個人としては行政事件訴訟法あるいは行政訴訟法の中にこういう規定を設けることも可能ではないか、と思うが、大阪弁護士会の提案は特別法の提案だ。

○大変おもしろい提案だ。自分も以前から関心は持っていたが、今の会計検査院がどう機能しているかをどう評価するかが一つのポイントという気がする。住民訴訟の制度は、監査委員の監査をベースに足らざる部分を裁判所に持ち込む、ということになっているが、監査委員はあまり信用されておらず、裁判所の機能の方が発揮されるのではないか、評価もされているのじゃないか、と思う。したがって、国の場合に、会計検査院の役割と裁判所の役割をどう考えるかが、立法政策論としては基本なのではないか。法形式的に言えば、今、会計検査院法に検査の請求のような規定があることはあるが、誰が請求できるか条文上はっきりしていないこともあって、あまり活用されていない。そのような、形式的に会計検査院法とどう関係させるのかは別問題としてあると思うが、裁判所にどれだけ役割を負わせるのがいいのか、といった場合に、今の会計検査院をどう評価するか。外から見てもそうだし、会計検査院自身の考えも問題だ。その辺、行政事件訴訟法の整備の議論とちょっと違う要素がさらにあるという気がするので、検討は意義があると思うが、個別法の、特別の世界がある、ということを前提に、これ自体についての別途の検討が必要だ。この検討会でどれだけ取りあげたらいいかは分からない。

○今回の提案の第1点だが、会計検査院という独立した機関をもっと機能させる必要がある、そのために国民が会計検査院に対して直接、公金検査の請求をしていくという直接民主主義的な制度を導入するということで、そういう意味あいが法案の第1章の公金検査請求だ。
 会計検査院法35条に会計経理の取扱の審査判定の条文があり、国の会計事務を処理する職員の会計経理の取扱に関し、審査の要求があつたときは審査をする、その請求は利害関係人から、という要件が被っている。つまり利害関係人からの審査の要求があった場合、しかも国の会計事務を処理する職員の会計処理の取扱に関しての審査の要求、という規定しかない。かつて井上ひさしさんなどは、旧国鉄の時代に極めて安い価格で土地を払い下げようとしたことに対し審査要求をしたが、関係がないと全然問題にならなかった。だから公金検査の請求の制度を設けることにより、会計検査院の機能を強化、活性化させる。
 第2点は、それでもダメな場合には次の手段として、裁判所に対して、国の公金支出が違法かどうか、ということの確認を求めて、出訴する道をひらく、ということだ。
 この検討会のテーマは、司法の行政に対するチェック機能の強化であって行政事件訴訟法の改正だけに止まるものではなく、また、行政訴訟と大いに絡む問題だから、この検討会でも是非取り上げて頂きたい。

○まず、会計検査院が現在どのような機能を果たしえているか。多くの行政官の認識として、現実に会計検査院の指摘事項にはネゴシエーションがある。何省のどの分野のどの事項について違法、不当な支出があるかということを公表するときに、当該支出官庁と交渉をして、その結果、いくつの公表を合意するとか、今回は公表は我慢してくれ、とか、検査する側とされる側との間で密室の交渉ごとがあることは常識だ。こういったものが表に出てくるチャネルがないのは、本来の会計検査の主旨からしてもよくない。
 また、その場合に裁判所の機能が一つ大きな役割を果たしうると考えるが、それを一般法、通則法的なもので書くか、個別法で書くか、というのは立法の選択で、どちらもあり得るかと思うが、行政の適法性確保の訴訟手段である、という観点では、審議会意見書にある行政訴訟の検討という項目に、概念としては入っていることは間違いないので、不服審査とか、情報公開とか、行政手続とは別の、訴訟制度として捉えることには一定の合理性はあると思う。

○国民訴訟制度、あるいは納税者訴訟に大変関心がある。今回具体的な法案の姿でお示しいただいたが、行政の違法行為に対してどういうチェックをするのか、行政訴訟の関係の中で論ずる必要があると受け止めた。特に第9条等で、差止めの請求、無効確認の請求、違法確認などが規定されており、そのこと自身では、行政訴訟の形と大変リンクしていると思うので、どういう扱いができるか自分なりに考えたい。
 会計検査院自身については、行政改革の中で、単なる行政の検査ではなしに、政策等の妥当性も含めて検査できるということを我々は検討したが、司法での違法性チェックについてはまた違う側面があると思っており、この辺の役割分担をしっかりした中で、自分としても是非検討したい。

□今、会計検査院は合規性の審査だけでなく、幅広にやることに一生懸命取り組んでいるが、有効性、効率性の審査も会計検査院の仕事として持ち込むべきだということか。それとも合規性だけか。

○会計検査院法20条3項では「正確性、合規性、経済性、効率性及び有効性の観点その他会計検査上必要な観点から検査を行うものとする。」とされ、有効性、効率性の検査も制度上可能だと思うが、今回の提案ではそこまで言っておらず、あくまでも合規性だけを対象としている。地方自治法の住民監査請求は不当な支出についても監査請求できるが、国について不当な支出の検査請求となると大変な数になるということから、とりあえずは違法なというところに絞って提案している。

□合規性の中に、法律の憲法違反も入るか。

○法律の憲法違反というのは考えていない。

□住民訴訟ではそれも入れて検査していることから、伺ったものだ。色々な意見もあるところであり、会計検査院という憲法上の機関のあり方にも関係するところだから、我々の守備範囲にあるからといって、そう簡単に入れるものではないと思う。さらに、会計検査院から、実情についていろいろ説明を伺わなければならないだろう。今日提案頂いた事柄の重要性は十分理解をしており、取り組むべき問題だと思っているが、どの段階で、どのように詰めるかは、ちょっと考えさせてほしい。もちろん、この検討会の決定・意見に従うが、どうしたらいいか、ちょっと考えさせていただくということでよろしいか。

○今日すぐに議論とまでは思っていないが、またの機会を第2読会の終わりあたりに設けてほしい。

□この問題は、憲法まで遡って考えるべき大変な問題だ。台湾で大変立派な監査制度が出来ており、そういった会計検査院の置かれた比較法上の地位を考えると、悩ましいところだ。でも大変興味深いご提案をご紹介いただき、感謝する。
 以上で第一ラウンドの検討が一回りしたと理解し、次に第2ラウンドの検討に移りたい。今後、2回ないし3回程度、事務局からこれまでの議論を踏まえた資料を補充してもらい、集中的に第2ラウンドの検討を行っていただきたい。このような取り運びについては、前回にお計りし、ご了承いただいたと理解している。
 本日は訴訟類型について事務局の方で資料を用意していただいている。行政事件訴訟法の訴訟類型については、違法な行政に対する国民の権利救済を実効的にするという観点ではいかなる救済手段が認められるべきかという救済の視点からの検討が必要だ。その意味で、必ずしも個々の訴訟類型について、どういう問題があるかという点だけでなく、国民が行政活動によって生ずるいろんな権利利益の侵害について、国民の行政に対する救済を求める基本的な権利をどのように定めるかという根本的な視点、グランドデザインを常に頭の中において議論をしないといけない。
 団体訴訟の制度についても資料を用意していただいているので、あわせてご検討いただきたい。
 本日の検討は、便宜上4つの分野に分け、取消訴訟の対象及び出訴期間で一つ、無効等確認の訴えと不作為の違法確認の訴えを含むその他の抗告訴訟で一つ、原告適格及び取消しの理由の制限で一つ、被告適格で一つ、と、一応議事進行上はこのように区切って検討を進めることと整理したいが、よろしいか。

(特に異論なし)

【取消訴訟の対象及び出訴期間について】

■資料1−1です。この資料の内容は、そこに示したとおりです。これまでの議論及びさらに検討すべき課題、検討の基本となる考え方、検討が必要と思われる問題点について、これまでの議論等を参考にしながら、事務局で作成したものです。ただし、そもそも取消訴訟の対象について、どうしてこういう問題が論じられてきたかというと、座長からもご指摘がありましたように、取消訴訟の対象というのは、これまでなるべく拡大して国民の権利救済に広げるべきだという議論がされてきた、と理解しております。
 一方で、行政訴訟という訴訟法の仕組み自体については、検討会で意見を述べられた方の中にも、やはり裁判を受ける権利は保障されているから、それが行政に対してであろうと、国民が裁判を受ける権利、国民が実体法上持っている権利を実現するのは当然できるはずではないか。それと取消訴訟という仕組みが設けられているとの関係をどう考えるべきであろうか、そういう問題点があったかと思います。そういう問題意識で資料を作成しているわけですが、行政事件訴訟法は訴訟法ではあるのですが、ある意味で、行政に対する国民の権利救済のあり方を規定する実体法の基本法を定めている法律ではないかと思われるわけです。これまでの議論の中でも、そういう形で議論がされ、取消訴訟という形で権利救済の道が設けられているために、その取消訴訟の対象を広げて権利救済を拡大しようと、こういう議論だったかと思われます。通常の民事の権利救済と行政の権利救済に関して、その基本法の位置づけはどういうふうになっているか、というのを比較しますと、民事ですと、損害賠償については不法行為法になっているわけですし、権利の直接的な救済、例えば物権的請求権とか、人格権に基づく差止め請求権であるとか、これは法律上明文の規定はないのですが、そういうことが実体権としてあるとされていて、そういうことで全体として、権利の救済がされている。民法に明文の規定が書いてあるのは、占有に関する訴え、ということで、占有が奪われた場合に、原状回復を求めるとか、あるいは奪われそうになっている場合に、予防的に差止めを求めるとか、そういう様々な請求権というものが、民法の実体法には書いてある。そういう自分の権利を守る為の権利すなわち請求権と、自分の権利が侵害されたときにお金で回復するための損害賠償、こういうふうに実体法の権利救済システムはできているのだろうと思います。
 行政の権利救済についてはどうなっているかと言うと、損害賠償については国家賠償法があるのですが、権利侵害に対して、原状に回復するとか、そういうような直接的な形での救済方法というのは、やはり行政事件訴訟法で書かれているのではないだろうか。他の、もちろん法律、行政法というのはあるのですが、それぞれの行政法というのはどちらかというと、いかに公益のために適法に国民の権利を制限するか、そういう目的で規定されていて、もちろん税務のように、その過程で多少、行政に行き過ぎがあって、紛争が生ずることが当然、予想されるようなところについては、その救済方法もかなり詳しく規定されていますけれども、一般の行政法というのは必ずしもそういった違法に権利侵害をしたときに国民の権利救済をどうするか、どういう権利を国民が国ないし、公共団体に対して持つか、というところを直接規定しているものはないのではないか。そうすると、やはりそういう役割は行政事件訴訟法に期待されてきた。そこで取消訴訟という仕組みで、権利救済を図ろうという仕組みができてきたので、その取消訴訟の対象を広げようと、こういう解釈、そういう意見が出てきたのではなかろうかと思うわけです。民事上の、先ほどの占有の訴えのように違法な権利侵害に対する救済方法が詳しく規定されているのと比較して、我が国の行政の違法な活動に対する国民の権利利益の侵害に対して、どういう場合に、どういう方法で、国民が訴訟を通じて権利救済を求めることができるのか、というようなこと、それを規定しているのが行政事件訴訟法の訴訟類型に関する規定が、現行法では担っているのではないか。そこは十分意識されているかどうかというのは、よくわかりませんが、そういう意味で行政事件訴訟法の訴訟類型を検討する意義は、少なくとも現行法を前提にすれば、そういう意義があるのではないか、そういう実体法的な意義を十分念頭に置いて、議論する必要があるのではないか、このように考えた次第です。
 取消訴訟については、この取消訴訟という規定を設けることによって、その行政の効力、それに対する国民の権利救済、つまり違法な処分に対しては取消しを求めることができる、という権利を実体的に規定していると、そういうことも考えながら、この取消訴訟という制度を考える必要がありますし、またその背景において、現行の行政事件訴訟法は、取消訴訟とその他の抗告訴訟があるわけです。その他の抗告訴訟も、不作為の違法確認とか無効等確認訴訟とか、そういう具体的な訴訟類型を規定しているところはともかくとして、それ以外にその他の抗告訴訟もできますよ、と規定していても、結局、具体的に訴訟類型が書いていない、どういう場合に権利救済を求められるか、というところが全部オープンになってしまっている。オープンになってしまっている中で、他の法律を解釈しても、どこまでの請求権を国民が行政に対して持っているか、というのは明確にならない。そうすると訴訟類型を書いただけではそういうことが活用できない、こういう結果になっているのではないかと考えられた次第です。ですから取消訴訟の仕組みもさることながら、その背景にある、全体として、国民の行政に対する権利救済を求める権利というものをどういうふうに設計するのか、というところも踏まえてご検討いただければと思って、この資料を作った次第です。

□今の説明は、現在の基本的な考え方と今までの議論を背景に事務局なりに考えて整理してみた、ということで、その考え方で今後全部進もうという話ではないと理解している。ややドグマティッシュな問題が含まれており、そういう整理の仕方もある、ということでご意見を承りたい。

○今の点について、一応自分で「行政訴訟の目的等と取消訴訟について」というレジュメを作成したので、それに基き意見を申し上げたい。数日前に事務局から本日の資料をいただいたが、それが取消訴訟の対象についての検討課題というところから始まっており、もう少し前に議論すべきことがあるのではないか、議論の立て方、順序が必ずしも適切ではないのではないかと思った。改めて、第6回行政訴訟検討会フリートーキング参考資料を見ると、第1番目の項目が、行政に対する司法審査の在り方、として、行政訴訟制度の見直しの考え方、趣旨・目的、それから行政訴訟と民事訴訟の関係、といったふうなことが検討課題に挙がっており、まず行政訴訟の趣旨・目的について、共通の認識として何らかのものをまとめておく必要があると思った。その冒頭の部分の議論は第8回の検討会でも少し議論したはずだが、その時はどういう形で議論をしていくべきか暗中模索のときであり、必ずしも十分な議論ができなかったと思う。行政訴訟については、行政による国民の権利利益の侵害の救済と行政の適法性の確保、と言われているが、この一番根本的なことについて、何らかの意思統一をして、そういった条文を設けることを検討すべきではなかろうか。併せて、行政訴訟に関する法令解釈の指針を示す規定を考えるべきではないかと思った。
 なお、レジュメの2枚目に、この法律の目的、解釈指針という条文の案を出している。これは日弁連で行政訴訟法という形で検討している段階のものであり、イメージとして出した。
 その次に、取消訴訟中心主義の見直しについて書いている。フリートーキング参考資料では、冒頭に行政訴訟と民事訴訟との関係が項目として立てられ、民事訴訟のほかに行政訴訟制度というものを置く目的ないし、趣旨についてどう考えるか、また、(行政処分が)公定力を有するものではないということを規定すべきである、という考え方にしてはどうか、といった議論がされている。そこで、いわゆる取消訴訟中心主義についての根本的な見直しの議論をしなければ、次の行政訴訟の対象の議論になかなか入れないだろう。つまり、例えば行政訴訟と民事訴訟とをどちらも自由に選択にして、起こせるようにするのかしないのか、という問題があるし、取消訴訟については従前は形成訴訟と理解されているが、それを維持するのか否かということも併せて検討しなければ、例えば行政訴訟の対象を広げるのか否かの議論にもなかなか踏み込めない。前回この問題について議論したとき、そのとまどいが委員にもあった。したがって、そこのところを少し議論すべきだと思う。
 取消訴訟中心主義については、行政処分の公定力や取消訴訟の排他的管轄が言われているが、その結果、取消訴訟がやれる場合には民事訴訟、当事者訴訟ができない。あるいは義務づけ訴訟等の給付訴訟ができないということがある。それから、出訴期間によって当然に訴えが制限されることになる。他方、取消訴訟は形成訴訟であると理解され、それといわゆる公定力、取消訴訟の排他的管轄が当然のごとく結びついている、あるいは出訴期間の問題が結びついている。これが現状であり、そこを根本的に変えていかないいけないというのが自分の問題意識だ。
 訴訟というのは、当事者が対等でなければならないのが本来の大原則だ。それは民事訴訟の教科書でも訴訟の大原則として掲げられており、当事者の対等を欠く訴訟は、根本的に訴訟制度としての欠陥があると言わざるを得ない。しかし現在の取消訴訟の制度は、行政処分というのは一応適法であり、違法を主張しそれを裁判所で認めてもらって初めてそれが違法として効力が失われることとなっており、これはまさしく行政優位の思想に基づくものだ。抗告訴訟という呼称もそこから出てきている。行政というのは国の機関あるいは地方公共団体等になるから、法を犯さないという考えを前提にしているのかも知れない。確かに大多数の行政処分というのは適法に行われているだろうが、その中で、違法だとして、国民が訴えてきているものは、かなりの確率で違法だと考えるのが、常識だと思う。したがって、大多数は適法であるという前提で訴訟制度を考えるのはそもそも誤りだ。こういう観点で見直す必要があると思う。
 また、取消訴訟は形成訴訟だとされているが、そう規定する合理的な理由があるのかと思う。資料に新堂先生の新民事訴訟法を引用したが、その中で、一定の要件事実の発生によって直ちに法律関係の変動を生じるとせず、その要件に該当する事実が存在することを訴えをもって主張し、裁判所がその存在を認めて、法律関係の変動を判決で宣言し、その判決(形成判決)が確定して初めて変動の効果が生じると取り扱うことが形成訴訟であり、それまでは誰もその変動自体または変動があったことを前提にした法律関係の主張ができない、という制度だと説明されている。法は、特に法律関係の安定を図る必要がある場合や多くの関係人に画一的な変動を必要とする場合を個別に拾い上げ、この種の方式をとることを各別に規定している。
 ところが、取消訴訟については、頭から全てが形成訴訟だという決め付けで制度設計がなされているが、果たしてそれが妥当なものかどうか大変疑問だ。取消訴訟では処分の違法性が争われると言われているが、処分の違法性を争うのは裁判所にその処分が違法であることを確認してもらう確認訴訟となるのが自然ではないか。根本的な検討を要する点はそこだと思う。このような形成訴訟の特色について、新堂先生の教科書では、形成訴訟というのは裁判所の判決によって初めて変動の効果が生じ、変動自体を事実上困難にする効果を持っており、他方、変動を明確にし、その法律関係をめぐる無用の紛争を防止できる、と言っている。
 それから、訴えの提起できる資格を一定の者に限定したり、提訴期間を設けることによって、その法律の変動の可能性を実質上、制約することができる。これはその法律関係の安定を図ることができる、ということだ。現在、行政訴訟を、まさに変動自体を事実上困難にする、あるいは変動の可能性を実際上制約する、そういう作用を持つ形成訴訟だとしているところに、そもそも大きな問題点があり、これを根本的に考えていく必要がある。以前に配布された芝池先生の論文を含め、確認訴訟で行くべきだという議論が色々とあると思うが、やはり、中心となる訴訟は確認訴訟だと考えて、制度設計していくべきだと思う。
 そこでネーミングだが、取消訴訟というのは、どうしても現に有効なものを取り消して初めて効果が生ずるというイメージがあり、現にそういうイメージで制度設計されているから、この際、ネーミングを変える必要があると思う。色々な提案がされているが、行政決定の違法の確認とその是正を求める訴訟、という意味で、是正訴訟とした。取消訴訟というネーミングを変えることから、今回の改革が出発すべきだと思う。
 また、是正訴訟と民事訴訟との関係については、両方できるようにすべきだ。民事訴訟では困るので、是正訴訟でいってもらいたいなどと、例外的な部分を設けることもあってもいいと思うが、原則は民事訴訟であろうと、行政訴訟であろうと、選択することでいいのではないか。
 出訴期間についても、何故一律に出訴期間が必要なのか理解できない。狭い意味での行政処分を含めた行政決定全てについて、出訴期間を設ける必要があるか非常に疑問だ。出訴期間についてよく言われるのは例えば税務関係の大量的な処分について、資料の散逸、あるいは資料の保管という点で、出訴期間を設けないと困るといった議論がされるが、それは全く違う。例えば税の関係で言うと、通常の更正は3年間、いわゆる脱税等がある場合は、7年間できるから、少なくとも課税庁は3年分については保管してないと絶対に困る。少なくとも過去3年間のものは置いている。そういった意味からも、出訴期間が必要だと一般的に言われているものもよく考えると、必ずしもそうではないのではなかろうかと思われ、出訴期間というのは原則としていらないだろう。どうしても必要があれば、個別法で置くことを考えるべきだ。
 それから、取消訴訟を確認訴訟と考えた場合、判決がどうなるかだが、神戸大学の阿部教授などがこの検討会でもおっしゃったように、判決類型という考え方に立つと、基本はいわゆる行政決定の違法を確認する判決で、さらに特定の行政決定を行うことを命ずる判決、いわゆる義務づけ訴訟ができる場合にはそういった判決、主文をすればいい。

□貴重なプレゼンテーション、大変参考になった。感謝する。冒頭で、自分からは、取消訴訟というものをどういうふうなものとして考えるか、現在どうあるか、それを将来どうあるべきか、それぞれのグランドデザインを背景に置きながら議論いただきたいと申し上げた。そこで水野委員からは、取消訴訟についての批判的意見等があったが、それは水野委員のグランドデザインの上に立ったものである、と理解しているので、まず、このまま取消訴訟、あるいは出訴期間を対象にして議論していってはどうかと思う。ただ、フィードバックをしたり、あるいは幅広い視点からのご検討をいただきたいと思っている。

○現在の取消訴訟をどうすべきかという筋で意見を申し上げたい。本日の事務局の資料だと、自分はCプラスDだと思っている。従来の取消訴訟については、判例上、解釈上、無理して広げてきた部分があり、そこはもっと自然に広く取れるようにしておいた方がいいので、D案がいいと思う。その意味では、今の水野委員の考えとも合うだろう。例えば土地区画整理事業計画決定なども、取消訴訟の対象とした方がいいのではないか。ただ、違法の判断をしても救済に繋がらないなど、様々な事情を判断し、訴えの利益によってきめの細かい議論をしていくべきだ。
 もう一つ例を挙げれば、いわゆる税関検閲の事件で、禁制品に当たるか否かの通知を税関長がすると、その見解を改めてもらわない限りは自分の手元に物が来なくなるのでそれを取消訴訟の対象たる処分だとした判例があるが、あの判断は苦しい拡大だと思う。取り消すべき実体法上の効果があるわけではないが、取消訴訟に乗せる、というものを正面から乗せられる制度にした方がいい。
 取消訴訟というネーミングについては、どちらでもいいかと思う。単に行政機関が何か決定をし、その決定はなかったことにしようというだけのことであれば、あらゆる場面で取消しという言葉が馴染まないわけでもない。一方、古い言葉はまずいのであれば、そうかもしれない。ただ、行政決定ないし行政上の意思決定では広すぎるのではないかという心配もないではない。あいまいな言い方だが、国民に対する決定、など、純然たる内部的準備的な作業を除く工夫をするかどうかは別として、ぎりぎりのところは訴えの利益があるかないかで判断はできるのではないか。取消訴訟というのも普通は違法である場合の是正というのは取消だということで、取消訴訟と言っているが、確かに是正という方が取消し以外にも色々必要な是正措置があるということが表現できるので、これはいいと思っている。
 あと、民事訴訟に対する関係での排他性の部分、出訴期間の問題についても必要なものについて個別法でそれを定め、そうでなければそういうものはないということでいいのではないか。その点も水野委員の意見とそれほど違わない。また、何故民事訴訟とは別に取消訴訟なり是正訴訟なりがあった方がいいのか、については、行政上の関係は必ずしも個別の請求権、具体的な権利義務関係に還元しにくく、行政機関の決定の結果、どういう権利義務関係が生ずるべきか、というところまでいかずに、ある行政機関の決定は法令に照らして違法か、という形での判断を求める道を普通の民事の場合よりも広く行政の特殊性に応じて認めている、ことが便利だと考えている。

○小早川委員の考えと同じだ。以前、取消訴訟の対象は資料のDのような行政上の意思決定を考えるべきだと申し上げたが、その時には出訴期間、排他性の問題は先送りにしていた。排他性については、行訴法には規定がなく、また、取消訴訟の対象になる行為の性質によりかなり異なってくるので、新しい行訴法には排他性についての規定は置かなくていいのではないか。
 また、出訴期間については、どこまで本当に必要か、各処分ごとの区分けが困難なので、結論的には個別法で出訴期間を定めることにならざるを得ないのではないか。したがって、取消訴訟の対象に当然に出訴期間がかかる、ことではないので、資料3頁のCのような位置づけになる。ただ、今回の改革では、個別法に問題を委ねることは、各省庁の判断が大きく意味を持って来て心配なので、できるだけ避けたい。立法技術的に可能かの問題はあるが、新しい行訴法の中で出訴期間についてのガイドラインのようなものを定立して、その出訴期間の採用を個別法に委ねるのがいい。
 取消訴訟の名称については、自分もどちらでもいいと思う。大学の講義で自分は行政活動の是正を求める訴訟という表現を、取消訴訟と民事の差止め訴訟のようなものを最初に学生にイメージを持ってもらうために、挙げることがあり、是正という言葉は違和感はないと思う。

○先ほど、出訴期間は原則定めず個別法でいいと申し上げたが、念頭に置いていたのは課税処分のような場合だ。課税処分には、仮に民事の場合、返還請求自体の権利の時効があるが、そこまで延ばすと不適切なので、もっと短い出訴期間を個別法で定める場合もあるだろう。
 他方、ゾーニングや公共事業計画などでは、時効で問題を処理するのは難しく、新しい取消訴訟なり是正訴訟でも、何らかの期限は切っておく必要がある。ただ、今の3ヶ月ではなく、1年とか少し長めの出訴期間の規定を置いておく方がいい。

○資料のCの図のようなイメージが適切だ。出訴期間と排他性については、現行の取消訴訟の制度には当然に2つ伴ってくるとことになるが、取消訴訟の対象にすると、争い方の上で便利になる反面、その2つが自動的にくっついてくると、いわば失権効をもたらす、という意味で非常に重大な権利救済を阻む役割をも果たしうるので、取消訴訟をただ広げるのは色々と問題が多い。したがって、取消訴訟の範囲が拡大するのだとすれば、救済の便宜にかなう方向でのみ拡大するべきだ。そういう意味で、範囲が広がるときに、それに伴い出訴期間とか、排他性が新たに出てくるのは絶対に避けるべき。そう考えると、資料のDのような、意思決定なども、出訴期間や排他性は被らないが何らかの形で争いやすい類型として設けることには大変合理性がある。そういう前提で考えたときの出訴期間について、従来は、取消訴訟の対象であれば自動的に3ヶ月の出訴期間が付いてくることになっているが、これは検証を経ていないドグマの立法的産物にしかなっていない。なぜ出訴期間が必要なのかは物事の属性に則して考える必要がある。例えば、計画や、課税処分の中でも滞納処分などは、第三者の権利関係に確実に影響するので、こういった第三者の権利義務関係を変動させる行政行為については、時効でいいというわけにはいかず、原則として出訴期間を被せることには合理性がある。しかし、単なる租税の賦課処分のような領域については、資料の散逸さえなければ時効でもいいと考えるのが制度の存在意義からアプローチした場合の、常識的な帰結だ。出訴期間がかかるのは第三者に影響するものに限るのが原理原則として重要だ。個別法と行訴法のどちらに規定するのかについては、行訴法に書くべきだ。個別法に書くことになると、その必要性の判断を被告予定行政庁に丸投げすることに繋がりかねないので、一般則として書いておくことが必要だ。第三者の権利義務関係に変動を及ぼすかどうかを前提に、それでまずければ、個別の行政法規を所管する省庁から説明をしてもらい、必然性のあるものについては場合によれば出訴期間をつけてもいい、という原則例外の関係で立案を行うのが妥当だ。
 取消訴訟という名称あるいは類型については、取消訴訟という、形成訴訟の名称なり、ドグマに必ずしもとらわれる必要はない。処分といっても特別なものではないと考えると、違法行為の除去、確認、あるいは一定の処分の発動、やり直しを求める、といったこと全てまとめて、何らかの形で争えると機能的に捉えればいい。そして特に早期確定の必要がある、第三者の権利関係に影響するものについてのみ出訴期間を設ければよい。取消訴訟に出訴期間が自動的に付随するというアプローチよりは、早期確定の必然性があるものはどの訴訟類型を選んでも、本質的な部分では出訴期間は被り得るという整理が一番すっきりする。

□排他性はどうなるか。

○排他性と出訴期間を両天秤にかけると、権利救済を阻む上で、出訴期間が圧倒的に本質的な役割を果たしている。排他性があり出訴期間がなければ、取消訴訟というルートを守ればいいだけのことで、失権はしない。ところが排他性に出訴期間が加わると、完全に強制的にアウトにされてしまう。排他性は今より広げるべきではないと思うが、排他性か出訴期間かというと出訴期間の方が本質的に重要である。

○排他性、あるいは出訴期間の廃止の問題は、単に行政救済という手法面の問題だけではなく行政の作用のあり方、行政の仕組みと非常に密接に関連している。もっぱら行政の救済の分野から議論されているが、仮にいずれも廃止すると、個々の行政行為が円滑に、効率的に遂行できるのか、コスト的にもそれで遂行できるのかという検証が必要だ。その意味でその角度からの議論あるいは行政機関からの意見も十分聞いて考えるべきテーマだ。
 取消訴訟の対象については、資料にB、C、Dと3つの案があるが、少しずつ難点があるのではないか。
 事実行為を除外する考え方については、事実行為だけ別途の救済方法を設ける必要が現実に、今の救済制度の中にあるのだろうか。同じ類型で救済をするということで、まかなえているのであれば、あえて別類型に切り分ける必要もないのではないか。
 出訴期間がある処分、ない処分という考え方については、第三者への影響があるかどうかで区別する手法にすべきだという話は、確かに重要なメルクマールだが、果たしてそれだけでいいのかどうか、また、一つの処分については、実は個別の事件を通してみると、意外な角度から意外な影響をしているということがよくあり、そういうものを果たして立法段階で見抜いて分類できるかという疑問があり、したがって、一般法の中で、出訴期間がある処分、ない処分を分けて、ある処分についてだけここに入れるというのは、難しいと思う。
 行政の意思決定を含むべきとの考え方については、行政の意思決定という形で全部入れてしまって訴えの利益で判断するのは、手法としては非常にたくさんの部分が入り、その中から抜けるものもかなりあるので、賛成しかねる。むしろ別類型にし、審査しやすい要件を立てた方が規範を適用する意味ではやりやすい。
 出訴期間については、仮に例えば3ヶ月を6ヶ月にするなど、今より長くする方向であれば、廃止の話とは次元が違い、実務ではさほど問題はないので、後は行政庁にどういう問題が出てくるか十分聞いたらいい。ただ、「知ったとき」という規定を入れるのであれば、公告があった場合はいろいろな裁判例でも判断が分かれているので、その場合の規定を明確にしておいた方がいい。また、教示の有無で分ける、という提案は、面白いと思うが、たまたま熱心に、いつまで出訴したらいいのか聞いた人は短くなり、聞かない人は長くなるというのは変な感じがするので、もしやるのであれば、書面で、こういうものは教示しなければいけない、などと、一律になるような、不公平が生じないような方向でやったらいいのではなかろうかという気がする。

○今、行政実務に支障があるか否かという問題意識の提示があったが、その救済をした時に救済の仕方が実務に影響があるかどうか、という趣旨なのか、それとも元々の発動に当たって、何か出訴期間や取消訴訟の設け方が支障をきたす可能性がある、という趣旨なのか、どちらか。

○先ほど、滞納処分にはやはり出訴期間を設けないと影響が出てくるだろう、という話があったが、その他の行政処分は本当に影響が出てこないのか、その点の検証をするべきだろうということだ。

○処分がひっくり返ったときに、長期間経過しているとまずいのかどうか、ということか。

○そうだ。資料の散逸という問題だけではなく、その行政の円滑な遂行、あるいはコストの問題を見る必要がある。例えば一つ一つ債務名義を取るようにして、行政側が債務名義を取るような格好でやるのか、あるいは行政の意思決定だけをして進め、異論のある人は、行政が侵害行為に出たときにそれを跳ね除けることにした方が、行政が効率的に運営されるのか、などという点を含めて検討すべき、非常に大きな問題であり、その議論も十分踏まえて新しい法を考えるべきだということだ。

○例えば計画策定プロセスの段階については、現在、行政手続法や情報公開法など、国民・住民が参加するプロセスがあるが、将来、被害や損害が発生する恐れがあるときに、事前に、すなわち計画策定段階で訴えることができるとするとすると、資料ではD案がよろしいのではないかと思うが、行政上の意思決定というのはそのように解釈してよろしいか。

□自分の理解では、ここは一応、行政の決定があった後の話だ。ただ、行政の決定がある前にどうするかという指摘は重要なポイントであり、グランドデザインの中でどこかで位置づけられてないといけないと思うので、次回、次々回辺りに議論させていただきたい。権利利益が侵害があれば、どこかで救済をしなければいけない、というのが日本の憲法の趣旨なので、取消訴訟にうまく乗らないものはどこかで救われているはずだ。取消訴訟中心主義についてはその点で多少の誤解があった。

○先ほどの指摘だが、建築確認が拒否される場合には用途地域指定の段階で争うようにするとか、また、おもちゃのピストルの製造についての警察からの警告を放置すると刑罰がかかるので、警告の段階で争えるようにするなどについては、行政上の意思決定の場合に入っており、早期の権利保護となる。

□それは、決定という意思決定があった場合だな。

○それについても、何段階かある。

○先ほども指摘があったように、確かに、行政上の意思決定で括って後は訴えの利益があるなしを基準とするのは乱暴であることは重々承知している。そこで、行政決定に関する是正訴訟というのを作り、従来から公定力があると言われていた行政処分らしいものを第一種行政決定とし、それについては出訴期間や排他性がつくこととし、その他に第二種行政決定として、第一種には入らないかもしれないが広い意味での行政決定の定義には当たるというものについて個別に訴えの利益が認められるケースであれば、これもその訴訟形式に乗せる、というプランであれば多少は改善されると思っている。

○今の指摘と自分の考えは近いと認識したが、それでも、その第二種類型に入るものを列挙できるかというと、おそらく無理だろう。むしろそれを離れ、訴えの利益、成熟性、蓋然性などを大きなキーポイントとして、それに着目した要件を踏まえた上で、まだ効果が生じていないので取り消しまではしないが、具体的な侵害に至る前に違法をはっきりさせておくという手段があれば、それで足りるのではないか。

□多少今までの議論を整理すると、取消訴訟の対象の問題は、排他性と出訴期間を備えたものを想定するかどうか、また、それをどこで決めるのか、ということだと思う。つまり、排他性を備えた行政の決定がおよそ考えられない、というのではないと理解したが、それでいいか。

○排他性を認めて制度設計をしないといけないものが果たしてあるのかどうかと思う。

□しかし、この場で排他性を備えた行政の決定がないと頑張ってみても、立法者が、これはあると言ってしまったらそれで終わりという問題もある、ということも前提にしないといけないと思う。

○立法者がそう言えばそうなってしまう。

□カテゴリーとして排他性を備えた処分、出訴期間を備えた行政決定があるということを前提とすると、それを一般法の形で書ききるか、それとも一般法にはそういうものがあることを前提として、個別法で一つ一つ整理をしていくか、という問題が一番重要だ。そのときに、排他性と出訴期間を連動させるか、出訴期間の長さをどうするか、期間の猶予を認めるかどうか、という問題がある。その時にもう一つ、立法者は日本国の場合には中央の国会だけではなく、3千数百の市長村、47の都道府県、条例制定権を持っている組合があることを前提に考えなければいけない。ただ、そこは、あまり詰めても仕方がない。
 また、これから行政庁などに意見を聞いていく場合に、行政実務に耐えうるような制度設計を我々としても作っていかなければならないが、そのときにおそらく議論の対象になるのは、排他性のない行政決定という訴訟を認め、民訴でも、こちらでも行けるということにすると、コストパフォーマンスはどうか、却って弁護士も困るのではないか、という議論の可能性がある。逆に言うと、行政処分について、処分である以上は教示するというルートを取りさえすれば良いという仕組みが出来上がると考えると、一々実体法で引き直す必要はない、という問題もある。そこの排他性を認めずに取消訴訟を拡大するのは、取消訴訟の拡大ではなく、先ほどの市村委員と小早川委員のやり取りのコア部分以外の話になると思う。
 以上、外に向って色々意見を求めるに際しての、自分なりのコメントを付けさせていただいた。以上を前提に、今の問題と後の無効確認訴訟などの問題と関係させて、議論していただきたいと思う。

○新しい制度設計については、各委員の意見は大体確認訴訟の方向ということでいいか。

□自分は第1回検討会で、ドグマティッシュなことを議論してもあまり意味がないのではないかと申し上げた。つまり、我々は国民の立場に立っているわけだから、国民の皆様に形成訴訟で行くか、確認訴訟で行くか、どちらがいいかというパブリックコメントをしても意味がないと思う。国民の皆様には、排他性・公定力のある制度にするのがいいか、それとも公定力なんてものはないから、いつでも争えるような制度にするのがいいか、ということを問うべきだ。形成訴訟であるか確認訴訟であるかは、学者あるいは弁護士が考えればいいことだ。違法性の確認をする訴訟である、ということは動かせないと思う。

○確かに、国民に対するパブリックコメントで、形成訴訟、確認訴訟のどちらがいいか問うのは適切ではない。しかし、色々な学者から、どう考えて制度設計をしているか問われて説明できないのはまずい。

□およそ確認訴訟、形成訴訟のどちらかについて、この検討会で統一するのは、学説である以上無理だ。むしろ、未来に向っての制度設計だから、その制度設計を、自分の学説ではどう理解する、折り合いをつける、というアプローチで行かないといけない。もちろん大いに議論することは結構だが、こういった広い席で長い時間を使って議論するのは、必ずしも専門ではない委員の時間を奪うのではないか、と思う。

○先ほど、排他性はそれほど重要でないとの趣旨で申し上げたが、排他性が広がらないのを前提に、もし縮まるなら縮まった方がいいと考えているので、訴訟形式の本質が形成か、確認かよりということよりも、違法確認も、義務づけも、あるいはやり直しもできるという選択の上で、同じことが争点、訴訟物であるなら、色々なやり方ができた方が一般的には便宜にかなうと思う。

□自分もそのように理解しているが、例えば先ほど例に出た税関の通知の問題については、最高裁が無理無理広げているものだが、もっと端的に自分のところに寄越せという引渡し請求訴訟、または通知の違法確認が可能である、とできればよく、それを是正訴訟の中に入れ込んで法律を作るのか、それとも、先ほどの第一次行政決定のようなものについて取消しを置き、その他のものについてはまた別途受け皿を置くということにするのか、ということだ。重要なのは、どこでちゃんと救済あるいは違法統制ができるかだ。自分が言っているグランドデザインというのはそういう問題意識だ。

【無効確認の訴えと不作為の違法確認の訴えをはじめとするその他の抗告訴訟について】

□抗告訴訟と当事者訴訟とは裏腹の関係に立ち、また、取消訴訟もまさに、無効確認訴訟と密接な関係に立っているものだから、行政訴訟による救済全体を視野に入れた検討をしてほしい。

■先ほどの説明の続きになりますが、要するに行政救済という観点から、座長からもご説明がありましたように、違法な行政活動がされていて、それに対する必要かつ十分な救済を受ける権利、これは国民にとって当然保障されているはず、ではなかろうか。具体的にそういう権利がある場合に、それを裁判所が実現すること、これは当然、裁判所は、法律上の争訟を取り扱う以上、行政裁判も含めて、裁判所としてすることができる、こういう仕組みになっているのではないか、ということが、まず、前提としては考えられるわけです。それで、無名抗告訴訟といわれるその他の抗告訴訟と当事者訴訟については、そういった行政に対する国民の訴えというのが、全体としてどうあるべきか、ということを考えることになるのだろうと思います。ただ、その中で、先ほど、取消訴訟もこれ実は確認の訴えではないか。違法の確認ではないか、こういう考え方のご指摘もあったのですが、裁判の仕組みということからすると、確認訴訟とその他の訴訟というのは、普通はかなり性質が違うのではないか、というふうに思うわけです。確認訴訟というのは、普通、確認の利益があれば、確認訴訟ができる、という、基本的にはそういう仕組みになっています。それ以外の、どういう救済ができるか、ということになりますと、それは救済として、それが適切な方法であるのかどうか、求めている救済の内容と、受けている侵害、侵害を除去するときに必要かどうかと、そういう判断というのが必ず入るわけです。これは民事でも、全て、侵害はどの程度であって、求めている救済の内容がどういう救済の内容であるか、それを相関判断して、必要な救済であるかどうか、その必要な救済の範囲で、請求権が認められて裁判所が救済する、こういう仕組みになっているはずです。その他の抗告訴訟で、無効等確認の訴えのような確認の訴えはどういう仕組みかというと、通常の確認の利益があれば、確認の訴えは許されるのではないか。それを、さらに制約しようということになると、それは、そこまで、行政であるが故に、そこまでしなければならない理由というのをよく考えなければいけないという問題点があるのではないかということになります。
 それから、不作為の違法確認の訴えというのは、行政の不作為が違法になる場合、その違法な不作為に対する国民の権利救済の方法として、何が、必要な救済か、というのは、これは、いろいろな考え方があり得るだろう、と思うんです。そこに対する基本的な実体法、ここが明確にはなってはいないのではないか。もちろん、それは実体法で明確に書けばいいわけでしょうけども、不作為、行政がまず違法な不作為をすることを予定して、それに対する救済手段を個別の行政法で規定するようにといって、そんなこと本当に期待できるのか。それは、普通は期待できないのではないだろうか。そうであるとすると、ある意味で、そういう包括的な救済というのを、基本法、国民の権利救済の基本法に規定する必要性が出てくるのではないか、という問題があるだろうと思います。ただ、その他の抗告訴訟のところにいろいろな救済方法として訴訟類型を規定すると、それが国民の権利救済の実体法を書いた、というふうにも理解される恐れがあって、不作為の違法確認の訴えというのは、行政の違法な不作為というのがあった場合に、それを確認する訴えは認めているけれども、行政処分をしてくれ、というような請求はできないのか、ということになると、そこを規定しなかった、わざわざ規定しなかった。そうすると、救済手段としては、そこまでの必要性はない、という判断をしている。この訴訟があるが故にそういう必要性がない、とか、あるいは救済方法として相当ではない、という判断がされてしまうおそれがないだろうか、という問題があろうかと思います。その他の抗告訴訟一般に、差し止めの問題についても、前回までの資料として出しておりますが、結局これも、何をもって、違法な行政に対する救済、国民の権利救済として必要なのか、ということが決まれば、自ずとあとはそれを救済する裁判所の手続に乗ってくるはず、だろうと思いますので、まず、何が国民の権利救済に必要か、ということを議論しないといけないのではないか、と考えて、前回までの資料はそういう趣旨である、ということです。

○まず、無効確認訴訟について。無効確認訴訟は、出訴期間の徒過によって不可争的な効力が生じたといえるもの、あるいは、公定力が生じていると見えるものについて、一定の要件を加重して、その効力の不存在、無効を確認する訴えだと思われるが、民事訴訟の一般理論では、例えば、売買契約の無効確認は原則認められないと言われている。それは、現在の法律関係の確認でやれるのであればそれでやり、やれない場合について、それが適切な方法であればそういう形式を許す、ということで、これは民事の一般理論として定着しているだろう。それと比較して考えると、無効確認訴訟がここに盛り込まれた時代には、あまりその辺を議論されずに、それを肯定したという歴史的な背景があると思う。無効確認訴訟については、最高裁のもんじゅの判例などを見ると、抜本的な解決として一番有効適切であるとき、というメルクマールを立てているが、それは、民訴でいう過去の法律関係についての確認の利益を認める時の理屈と、ほぼ、軌を一にしている。したがって、無効確認の訴えという類型を外したとしても、認められるかどうか疑問だ。むしろ、取消訴訟を維持するのであれば、その中に取り込まれなくなってしまったものについて、処分の有効無効のレベルで、整除しておいた方があとの法律関係を解決するのに資する、と思われるものとして、こういう類型はあった方がいい。ただ、現在の36条の要件が適切かどうかの議論をして頂き、もんじゅの具体的な判断の指標になったようなものを何かしら要件として取り込めないかという気がする。
 不作為の違法確認の訴えについて。現在の不作為の違法確認の訴えは、行政庁の応答の遅延であるところの握りつぶしに対するチェックという働きがあり、現実の訴訟では、その主張立証は、申請した、という事実と、ある一定日時が経過した、ということに尽きてしまう、非常に簡便な形でできる訴訟だ。
 みなし拒否処分として救済した方が端的ではないかという意見もあるが、どのぐらいの期間経ったら拒否処分と定めていくか、個々の処分によって異なるので難しいではないか、というのが一つと、審査請求前置などをとっているような拒否処分については、どのようなプロセスでもっていったらいいのか、ということがある。また、仮にこれを拒否処分に対する取消訴訟と構成すると、争いの中心的テーマは拒否事由の存否になってしまい、行政庁の応答の遅延の違法、という手続的な違法はテーマの外側になってしまうだろう。現在もこうした訴えが出ると、あわてて行政庁が処分をし、当事者が取り下げをするということで、ぎりぎりの所の促進という意味は、一応は果たしていると思われ、申請権の実質的な裏付け、申請に対する応答の遅延というものに対する督促的な意味を持つこの訴訟は、この訴訟なりに意味があるのではないか。事務局の説明では、この類型があることにより例えば給付を命ずる義務付け訴訟が不可能だと解釈される恐れがないか、ということだが、実務的にこういう主張をする者は、現実にはあまりいないので、そうした懸念はないといってよい。

○同意見だ。訴訟経済から、確認の訴えというのは、訴える利益がない、と言われているが、他方で、確認訴訟で解決ができるという場合には、確認訴訟の訴えの利益を認めていけばいいのではないか、という議論もされており、その一つの典型が、いわゆる公的機関を相手にやる裁判だ。違法の確認、例えば、債権確認という判決が出たのに公的機関が債権を払わないことは通常考えられず、公的機関、あるいは破産管財人なども含めて、そういったものを相手にする場合には、確認の利益がある、との議論がされている。その意味では、行政訴訟の領域は、確認の訴えが有効に働く領域だと思う。そして、今の36条にわざわざこういう要件を設ける趣旨がわからないので、置く必要はないだろう。36条は削除するのが適当だ。36条を削除すると、無効確認訴訟ができないと解釈されないか、という問題提起があったが、行政の違法を確認する是正訴訟という制度を設ければ、これはまさに無効確認訴訟だから、別に無効確認訴訟を設ける必要はない。ただ、例えば出訴期間などを設けた場合には、出訴期間をかぶらない領域について、現行と同じ無効確認訴訟を残す必要がある、という議論になる。ただ、いずれにしろ確認の利益に関する条文は必要ない。
 不作為の違法確認の訴えについては、行政の違法を確認し、是正を求めるといういわゆる是正訴訟としての行政訴訟で違法だと判断されるのであれば、違法ということを確認する必要は当然あると思う。さらに、なんらかの行政決定をするに熟しているのなら、行政決定を命ずる判決をしたらよい。拒否処分と認めてやる必要はない。そのときの、いわゆる一種の判決の種類で、最終段階で判断してやればいいことであり、判決の種類として、きちっと整理しておけばいい。訴訟類型としての立て方というのは必要ないと思う。

○無効確認訴訟については、現行法でも、出訴期間を外した取消訴訟という位置付けだと思ので、もし、出訴期間付の処分がなくなる、あるいは減る、とすれば、それに応じて無効確認訴訟の必要性はなくなり、普通の取消訴訟なり是正訴訟なりでいけるということになるが、出訴期間付が残る範囲では、特別の救済としての特別の是正訴訟、取消訴訟が機能的には必要になる、という単純な話だ。
 36条については、かつての立法者が民事訴訟との役割分担をあまり神経質に考え過ぎたのだろう。弁護士がそこの見分けをきちんとできるようになり、必要に応じてどちらで訴えるかを決めればいい。執行停止、仮処分、第三者効、拘束力なども、そういう自由選択性に付随して、必要な手当てをすればいい。民訴の確認訴訟との横並びの問題はあるが、訴訟類型として行政訴訟に関する制度の中でこういうものを特に定めることについては、取消訴訟と同様に過去の処分の違法性を審査することが、行政関係では意味があるということの認識さえはっきりしていれば、確認の利益の判断は、民訴とは違ってきて当然だ、ということだと思う。
 不作為の違法確認訴訟については、自分は以前から「みなし拒否処分」ということを言っているが、これは、義務付け訴訟を正面から認めるかどうかの議論と一体をなす話で、義務付け訴訟を認めるなら、みなし拒否処分の取消訴訟は中途半端だから要らないということになるが、そこまでいく前の段階、もう一つ前の段階を残しておくということもある。いずれにせよ、義務付け訴訟、義務付け判決を認めるかどうかが、議論の大枠になる。その上でさらに不作為の違法確認を残しておくかということは、この類型が実際に機能しているとすれば、あえてこれを抹殺しなければならないことはない。同じ申請のスキームのもとで、どういう救済を定めるかについては、色々な段階を用意しておき、原告側にそれを選ばせる、あるいは裁判所が審理の態様に応じて、判決の態様を選ぶ、という余地があってもいいかもしれない。
 みなし拒否処分についての先ほどの批判の点については、不服申立前置の場合、一定期間が過ぎれば、直ちに出訴可能となっていて、行政側が与えられた自分での事案処理の権能を、十分行使していない、あるいは放棄している、という場合には、特権は剥奪されるという仕組みはすでにあるので、それと同じことだ。

○細かい話だが、不服申立前置の場合に一定期間が過ぎれば出訴可能というのは、まさにその審査請求を担当する庁が遅延をする、という場合にできるのであって、この場合はまず処分庁の不作為が拒否処分とみなされるということで、一段階違うのではないかと思う。

○無効等確認の訴えについては、民事での訴えがこの36条があるが故にできないのであれば、改めて、民事でもこういう行政の意思決定に対する訴えができる、という形を整えるべきではないのか、と思う。排他性を備えたような行政についても、なるべく民事的手続で権利保護できるものについては、そういう行政を整えるのがよろしいのではないか。
 不作為の違法確認の訴えについては、義務付け訴訟の中でこういう不作為の違法の確認もできるということがわかるようになれば、両方残すとこともないのではないか、というのが自分が受けた印象だ。

○これまで何人かの委員の意見と同じだ。無効確認訴訟について、36条を最高裁の判例の線で書き直すという話があったが、いっそのこと、原告適格についての36条のような規定をとってしまって、解釈として最高裁のような考え方を持ち込むことはできないか。
 不作為の違法確認訴訟については、義務付け訴訟なり、是正訴訟との役割分担の問題があると思う。ただ、義務付け訴訟又は是正訴訟が認められない場合は、不作為の違法確認訴訟を残すことになるが、現在の「法令に基づく申請」という要件は、非常に厳格なので、この規定はなくしてしまい、取消訴訟と同様、原告適格及び訴えの利益があれば、不作為の違法確認訴訟を認めることを考えてはどうか。

○無効確認訴訟について、取消訴訟という、違法を除去する類型の裁判との関係で、ある程度平仄が合っていた方がいい。それは、無効の類型というのは、瑕疵の程度が違うだけであり、そのゆえに出訴期間の制約が外れるに過ぎないからだ。その意味で、無効になったとたんに、現在の法律関係でないと争えない、とする必要は、必ずしもないと思う。端的に無効確認で構わない領域については、別に現在の法律関係に置き直せるから禁止する、ということまで言う必要はなく、基本的には選択できるというのが出発点だ。
 ただ、第三者に関係する、農地買収などの類では、無効の確認だけを求めても、結局はその私人から取り返す必要があり、訴訟経済の観点から二度手間ということもあり得るので、第三者が関わっているものについては、現在の法律関係の裁判を優先してもいいかもしれないとも考える。さらに無効確認訴訟は今、第三者効がないが、執行停止だとあるので、同様に、無効確認でも、第三者効を持たせるようにした方がいい。
 不作為の違法確認訴訟について。基本的には義務付け訴訟を認めるべきだということを前提にするが、義務付け訴訟ができたとして、義務付け訴訟と不作為の違法確認というのは、基本的には連続線上にある裁判だ。義務付けをする程度に熟しているのであれば義務付け判決を出せばいいし、義務付けの中身を特定するにはまだ熟度は低いが少なくとも何らかの応答はするべきだという時には、不作為の違法確認判決を出せばいい。そういう連続線上の手前か後ろかという違いに過ぎないと考えるのが合理的であり、義務付け判決の一部、一類型として、手前の方に不作為の違法確認判決がある、と捉えた方が、実体的救済には合致する。
 仮の救済についてはまだ議論があまりないと思うが、特に給付的な処分で、生活保護や公立学校の入学許可などの類だと執行を停止しても申請状態に戻るだけで結局は救済にならないので、仮の地位を認め得るような類型としてこの不作為の違法確認なり義務付け訴訟も考えていかないと、民事との関係であまりにもバランスが悪い。特に、大学教員や公務員で、最近、任期付の採用があるが、行政上の身分だと、更新されなかったことにより争ったが、その結果失われたままだ、ということになるが、民事だとこういう場合には恐らく、仮の地位ということで、仮の職業が認められるので、そのような仮の地位を認めることはあった方がいい。

□無効確認訴訟に第三者効を認めると、現在の法律関係も、第三者効の方で救えるのではないか。

○そういう意味では選択的かもしれない。

○義務付け訴訟の扱いはどうなるか。

□もう一度、行政訴訟の対象のところで、他の訴訟も含めてまた議論する機会はある。

■包括的な国民の権利救済というところで出てくる。

○義務付け判決に適するだけの状態に達した場合に取消訴訟なり是正判決などにつなげ、義務付け判決ができる仕組みが好ましいし、特定の義務付けができなければ、行政庁の判断は間違いだ、と差し戻し的な判決ができてしかるべきだ。その辺、柔軟に、多様にできるのであれば、みなし拒否処分の仕組みは不要かもしれない。ただ、義務付け訴訟については、先ほどの指摘のように、不服申立前置等かなり慎重な事前手続がある場合に、その手続を不問に裁判所が判決で義務付けていいかの議論は、当然ある。

□申請手続を経ずに、第三者に対して除却命令等を発することを求める義務付け訴訟のようなものは、この不作為のところではなかなか出にくいので、もう一度そこは議論をすることになると思っていたが、一方、不作為の違法を前提とする場合には、義務付け訴訟も割合馴染むと思っていた。

○義務付け訴訟をかぶせた場合に、一部認容の形で、不作為の違法確認のようなタイプまでやったらどうか、という意見があったが、それは義務付け訴訟のありようとして議論されればいいが、ただ、当事者としては、遅れた手続の救済も求めたいという面もあるだろうから、その類型だけで設けておいてもよよい。

○自分が言ったのもそういうことだ。遅いことだけ求めたい人には、それを利用させればよい。

○先ほど芝池委員から、抜本的に原告適格の要件を外してしまったらどうかという意見があったが、やはり取消訴訟の連続として出てきていることを考えると、その要件を外して、連続性の問題は説明がつくのだろうか、自分はちょっと整理がつかないので、もう少し考えさせていただきたい。

□芝池委員の意見は、36条の後段の部分か、それとも、全部か。条文で書くとどうなるか。

○全部だ。したがって、この規定はいらなくなる。訴訟形式としては残るが。

○無効確認訴訟の規定を外してしまって、当然にできるとは思えない。行政においては、処分の重要性、意味づけがあり、これを規定したから初めて当然にできる形になっていると思う。したがって、この規定を外しても大丈夫だとは、にわかには同意できない。

○出訴期間を設ける領域を残すんだとすれば、無効確認訴訟は残さざるを得ず、その場合には、やはり規定を置いておいた方がいいだろう。その置き方だが、いわゆる行政決定の瑕疵が重大な場合、というふうな要件を書いたらどうか。そうすると条文としての存在意義が出てくる。

○先ほども意見があったように、不作為の違法確認の訴えは、申請権がある場合に限られていて非常に狭いので、例えば建築確認の発動義務を求めるような義務付けなり、発動しないことの違法確認など、そういう入り口を広げる方も、是非検討した方が良い。

□次回や次々回でその議論をしたいと思う。一言だけ言うと、本来、そういう請求権があるかどうか、実体法の問題だ。実体法の成長過程、あるいは実体法ができることを前提にし、かつ、実体法を育てる意味での訴訟法だ、という理解もある。事務局の方で、実体法上の権利、あるいは実体権というものもあるということを前提に議論しているのも、そういう趣旨だと思う。
 今回は、だいぶ意見の一致を見た。つまり、無効等確認の訴えについては、通常の民事訴訟の訴えの利益より制限されるべきではない。無効確認の利益があれば当然に無効確認の訴えが認められるべきだということだと思う。その意味で、36条の後段の、現在の法律関係にひきなおす、ということをあえて一生懸命考える必要があるかどうか、つまり、無効等確認訴訟が出てきた場合には、確認の利益があるかどうかを判断すればいいという意見も、だいたい一致しているのと思う。ただ、無効確認訴訟を規定する必要があるかどうかは、多少ニュアンスの違いもある。芝池委員の意見は、この規定はいらないという話か。

○訴訟形式としてはいると思う。今の話だと36条の前段、つまり無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有するもの、という規定を残すということだが、その趣旨は理解できない。

□これは、取消訴訟の原告適格と同じようなものだ。

○だから、取消訴訟で言う原告適格と訴えの利益があるものにつき、その範囲で認めるということ。

□皆さんそういう趣旨で意見を言ってると思う。
 それから、先ほど、無効確認訴訟も是正訴訟の中に入るという発言があったが、基本的には、全部民訴に投げ出すと、どうなるかわからない、やはり過去の行為の効力についての確認訴訟を正面から認めるという、行政過程の一段階における無効確認訴訟というところに意味があるというところは意見が一致しているのだろうと思う。ただ、いらないという意見もあるかもしれないので、ここは、完全に意見が一致したということにはしない。
 不作為の違法確認については、国民に対するパブリックコメントとの関係では、とにかくなんか処分せよという訴訟は、やはりあった方がいいだろうという意見と理解した。ただ、義務付け訴訟については、今日正面から議論しておらず、特に要件論が必ずしも済んでいない。こんな要件では結局認めないのと同じではないか、ということも場合によっては議論しなければいけない。また、義務付け訴訟について、積極的な意見があったが、他方、不作為の違法確認訴訟でなんとかしろという訴訟を認めるべきであるという点では、意見はだいたい一致していると思ったが、それでよろしいか。条文上どう書くかは、また後の問題だ。
 みなし拒否処分については、先ほど来、いろいろ意見があったが、アイデアとしては、今後も議論はしていきたいと思うが、議論は整理された。

【原告適格、取消しの理由の制限及び団体訴訟について】

■資料の1−5と6が原告適格と取消しの理由の制限についての検討課題で、資料の2が、団体訴訟に関する資料になります。
 原告適格についてですが、資料の1−5の「これまでの議論及びさらに検討すべき課題」に、これまでの議論をまとめました。原告適格については、これは民事訴訟の訴えの利益と通じる、訴えの当然の原則を規定したに過ぎない、というのが、立法当時の議論であったように理解されますが、これについては②に「法律上の利益」と規定してある、その、法律上の利益にあたるかどうかというのは、行政法規が当該利益を個別的利益として保護しているかどうかによって決せられるとする、「法律上保護された利益」説、をとる判例が確立している、という状況にあります。
 ③がこれをどう評価するか、ということですが、判例の採る「法律上保護された利益」説は、裁判所の運用に客観的基準を与えて、裁判を安定させているという評価がある反面、立法者が取消訴訟の原告適格の有無についての判断基準を与えることを念頭において行政法規を立法するというようなことは、一般には考えにくく、当該法律やその施行令ばかりではなく、ときには施行規則にまで手掛かりを求めて細かい解釈論を展開した末、ようやくにして原告適格の有無が決せられるという、現在の実務にみられる手法からみて、「法律上保護された利益」説は判断の硬直化を招く恐れがあるのではないか、と、こういうご指摘があった、と思われます。④のところにありますように、他方、処分の根拠となる行政法規によって保護されている利益に限らず、広く原告適格を認めるべきである、こういうご意見もあったように理解しております。「検討が必要と思われる問題点」ですが、①に、「法律上保護された利益」説は、もともとかなり柔軟性をもったものであり、当該処分の根拠規定のみによって行政事件訴訟法第9条にいう「法律上の利益」の有無を決するような「硬直」したものではない、という指摘もございます。これは3頁の最高裁判所判例解説の担当調査官の解説の中でも、そのような指摘がされております。次に②で、「法律上保護された利益」説は、原告適格の有無の判断の根拠を実定法に求めるものであり、一面で手堅い手法であるが、他面、個別法律の制定に際して立法者が原告適格の存否まで考えているとは思えず、結局実定法尊重の名の下に社会的妥当性を欠く結論に至りかねないとの批判もございます。次に③で、「法律上保護された利益」説による解釈運用の硬直化を避けることが必要であるとして、行政事件訴訟法第9条の「法律上の利益」という規定を改めることがその解決策として必要であり、また適当である、といえるかどうか、という問題があろうかと思います。これは、②と③に関連する考え方として、最高裁判所の判決の中の意見、それから最高裁判所の判決の中で、参考になると思われるものを、4頁と5頁に引用してございます。4頁の2の事件は、これは公衆浴場法につきまして、公衆浴場を営業している人が、他の人に営業許可がされて、それによって自分が不利益を受ける、ということで、他人にされた許可の取消を求めた事例について、最高裁判所の判決は、その現に営業している人の利益を公衆浴場法は保護している、という解釈をして原告適格を認めたのですけれども、この裁判に付された池田裁判官の意見では、そもそもこの公衆浴場法の営業許可で、要するに営業許可を受けた人が、それによって、他の人に許可がされるかされないか、ということについて、法律上保護された利益があるというわけではないのではないか、つまり、公衆浴場法の規制というのは、これ自体は公益の目的ではないだろうか。すでに公衆浴場を営業している人の利益というのは、むしろこれは、法律上保護された利益ではなくて、単なる反射的利益、あるいは事実上の利益ではないだろうか、しかし、そういう事実上の利益であっても、既設業者が、違法な営業許可によって甚大な損害を被ることがあって、その違法な行政処分に対する是正のための法的救済を拒否するということが、これが憲法の趣旨であるのかどうか、こういう疑問を呈しているわけです。つまり、個別の行政法規というのは、本来的には公益を実現するということが、多いだろうと思うのですが、つまりその行政法規によって、その目的によって保護されているかどうかという観点で見るのではなくて、そこで保護されていないような事実上の利益ないし反射的利益であっても、それが重大な場合には、憲法上の、そういった法的救済を受けるための、法律上の利益にあたる場合がある、と、こういう解釈をしている考え方を示した裁判官もおられる、こういうことを指摘しております。
 次に、5頁の3ですが、これも明文で、法律上の規制がされていない里道、この用途廃止がされた場合に、それによって不利益を受ける地域住民が、その廃止処分の取消しを求める取消訴訟の原告適格を持っているかどうか、という判断にあたって、最高裁判所は、それが里道のような、特に用途廃止処分の基準とかが書いてはない、そういうものについても、5頁の下から5行目のところで、「本件里道が上告人に個別的具体的な利益をもたらしていて、その用途廃止により上告人の生活に著しい支障が生ずるという特段の事情は認められず、上告人は用途廃止処分の取消しを求めるにつき原告適格を有しないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ」るといっておりまして、そうすると、やはり個別具体的な利益であって、生活に著しい支障が生ずる、こういう場合についてまで原告適格を否定する、というような考え方は、最高裁判所はとっていないのではないか、というようにも思われるのです。
 6頁に行きまして、このような最高裁判所の考え方について、ヒアリングの時に阿部泰隆教授が「里道については法律がないから、法律上保護された利益説では、根拠づけられないはずである。」このような疑問を呈しておられるわけです。
 次に、2頁の④で、先ほどからたびたび申し上げておりますように、行政事件訴訟法は、ある意味で行政救済の基本法でもあるのではないか、そうすると、権利救済の必要性がある場合に、様々な訴訟類型を用意して、それによって権利救済をしている、ということになるとすれば、取消訴訟も、結局のところ違法な行政活動に対する国民の権利救済の要件を定めているようなものではないだろうか。そうすると他に、国家賠償、不法行為についても、同じように権利救済の要件を定めるという目的でその要件として、法律上の利益というような考え方は、かなり広く使われているのではないだろうか。もっとも、この法律上の利益といいましても、普通、そういう時にいう法律上の利益の法律上という意味は、なにか、特定の実定法によって保護されている、とか、そういうことを通常は言っているとは解釈されなくて、それぞれの目的に照らして、その目的による保護にふさわしいかどうかという、そういう意味での、法的評価を経ているという意味での、法律上という概念ではないか、というふうに思われます。
 ⑤は、通常の民事訴訟では、原告適格について判決の中で用いられている概念としては、法律上の利害関係を有していること、というのがあり、7頁に、これは宗教法人の一構成員が、この宗教法人の役員の地位について確認を求められるかどうか、ということについては、その、氏子にすぎない者については、原告適格は認められない、としまして、その最高裁判所の判断は8頁2行目にありますように、「代表役員の地位について法律上の利害関係を有していることを要する」と、このような言い方をして、原告適格を否定した事例がございます。
 原告適格については以上のとおりでございまして、資料1−6の取消しの理由の制限につきましては、簡単に申し上げますと、検討が必要と思われる問題点、1頁のところ、これについても当然のことを規定したということが立法当時から言われているわけですが、1頁の②に書きましたように、仮にこれが「当然の事理を規定したものであるとしても、行政法令には個人の保護よりも公益目的のために設けられた規定が多いから、「自己の法律上の利益に関係のない違法」を広く解すると、このような法令違反を取消事由として主張できなくなるおそれがある」、広く解釈されると、国民の権利救済の障害になる恐れがあるのではないか、このようなご指摘もあるわけでございます。参考までに、下の方に、土地収用法第131条第2項を引用しているのですが、こういうような規定の例、2頁にありますけれども、手続に違法があった場合に、それが「軽微なものであって、かつ、処分に影響を及ぼすおそれがないと認めるときには、裁判所の裁量で請求を棄却することができる」そういうようなことも、場合によって考えることはどうか、ということを、問題点として指摘しています。それから団体訴訟については、資料2でございまして、資料の2−1に、司法制度改革審議会の意見書がございます。これの枠囲いの中にありますように、「団体訴権の導入、導入する場合の適格団体の決め方等については、法分野ごとに、個別の実体法において、その法律の目的やその法律が保護しようとしている権利、利益等を考慮して検討されるべきである。」、このようにされております。なお、その資料の2−2はですね、民事訴訟法の改正についても、この点について検討事項とされた、わけでございます。参考までにその時の問題点についての、検討事項の補足説明、それから、それに対する意見募集の結果、がまとめてありますので、ご参照下さい。これにつきまして、現在、内閣府国民生活局で、消費者団体訴訟制度についての検討が行われておりますので、その関係の資料、それから、公正取引委員会経済取引局で検討している資料、これは、独占禁止法の関係での研究の状況について、それから、資料の2−6で、財団法人知的財産研究所、におきます、特許庁での、団体訴訟、それで、不正競争防止法の関係での研究が行われている、この現状を各省庁からご紹介いただきましたので、ここでご報告いたします。以上でございます。

○原告適格は現行法では非常に狭く、最後は本案の審理と重なる部分がある感じだ。原告として訴えを認めるかどうかは、その行政の違法の是正を求めるのに誰が適しているかが基本になる。誰かが訴えを起こして違法の是正を求めなければ、行政の違法が放置されたことになる。だから、違法の是正を求めるのに適しているかどうかが基準になるべきであり、その法律が保護しているかどうかという基準は、非常に狭すぎる。したがって、例えば事実上の利益といった形で広げ、あとは本案でじっくりやってもらうべきだ。もんじゅの裁判は、原告適格の問題で確か7年かかっているが、そんな国はどこにもない。すぐに本案に入れる制度にすべきだ。その意味から、事実上の利益など、書きぶりは様々だが、そのような形で、広げるべきだ。

○法律上の利益の解釈が非常に厳しい。主として行政処分の根拠になった規定を考え、そこから、原告適格の有無を判断する、としている。だから、原告適格と法律の観念を完全に切断できるかどうかは別として、その関係を緩める必要がある、ということは既に述べた。まだ申し上げていなかったのは、この「法律上の利益」の代わりに、「法的利益」という観念を使ったらどうかということだ。事務局からは、法的という言葉は法制局用語ではないからだめだと言われたが、英語のlawとactの区別ぐらいは法制局もつけてはどうか。

○条文を書き直すことになると、理論的前提が多少影響してくるので申し上げるが、行政訴訟の本体部分であるべきこの訴訟は、主観訴訟として構成するのがいいと思う。主観訴訟と客観訴訟の仕切りははっきりさせた上で立法論、解釈論をした方がいい。
 原告適格について、現在「法律上の利益」となっている表現を柔軟に読めば特に問題はなく、現行法では、取消訴訟は主観訴訟であるということを前提に、その場合の法律上の利益は何かを柔軟に考えていけばいいはずだ。それに対し判例の解釈というのは、やはり狭い。現在、自分の言葉で言えば、最高裁の判例は、保護範囲要件、と、個別保護要件の二つを要求している。実際に立法者がそこまで考えているかと言われているが、そのことが特に妥当するのは、この個別保護要件の認定についてだ。例えばジュース表示事件で言えば、景表法が、消費者の利益を視野に入れて、それを保護の範囲に含めているとまでは言えるが、消費者個々人の権利利益として個別に保護しているわけではない、というわけで、後者の判断はどこから出てくるのか極めてあいまいだ。その後の最高裁判決を見ていても、もんじゅも含め、原告適格を認めるべき場合には、個別保護要件も満たされているようだが、結論先にありきの話で、この最高裁の枠組みは再考を要するものだ。自分としては、個別保護要件は外し、法律がどの利益を視野に入れているか広く考え、その上で、日本国民及び外国人全部が原告適格があるとならないように、利益の特定性など別の判断基準でもう一度絞り込むような方向が考えられるのではないか。しかし、それを条文に書くということになると、また議論のきりがない話だが、今のでは狭すぎる、ということを前提に、なんとか表現を考える、ということだ。

○原告適格という要件の機能的な意味は、訴訟提起の際に、その者が原告となって遂行できる地位にあるか、その者が訴訟追行者として訴訟をしていくことを認められるか、判断するためのもので、できるかぎり判断が明確である必要があり、その範囲が何か調べなければわからない、というのでは欠陥がある。その意味で、事実上の利益、を要件とすれば、何を判断の基準にするのか、問題が出てくる。少なくとも、現在の原告適格の定義である「法律上の利益を有するもの」というのは、これまで積み重ねられた判例の中で法律上保護された利益の意味だと実務上確立しており、狭いとの批判もあるが、その具体的な適用範囲はその裁判例も含め、かなり判断の資料になっているので、これは前提とすべきだ。新しい言葉で原告適格を定義するのであれば、その定義は、判断の基準として明確なものか、今の基準より優れているかどうか、その新たな定義によって含まれるものの範囲は、今の解釈によっている範囲と比べて、どの範囲の部分が拡張され、あるいはどの範囲の部分が削り落とされることになるか、そういうものを具体的に明確にした上で、どこは含まれどこは外れる、という議論を十分にすべきであり、単に変えてみればよいというのでは危なっかしい。こういう作業については、法的安定性をできるだけ考える必要があるし、言葉を変えたことによって、無用な混乱がないようにしなければいけない。法的保護に値する利益というのは、そういう意味では、判断の基準としての、客観性、予測可能性という意味で、少し問題が生まれるし、利害関係を有するもの、という基準は、今までの法律上保護された利益という概念と比べ、どこが引っ込んでどこが増えたのか、ということを明瞭にできるのかという気がする。もし変えるのならば、そういうところをきちっと意識した上で、だから何故変えるのか、という議論をすべきで、言葉だけを変えてしまうのでは、実務は非常に混乱する。
 取消理由の制限に関する10条の規定は、自己の法律上の利益に関係のある違法というのは全て主張できるという、主観訴訟の当然の裏返しの表現だと思う。もしこれを廃止すると、原告適格を備えている限り、自己の法律上の利益に関係のない違法、今まで言えなかった違法が言えると解釈される余地が出てきて、そのような部分において主観訴訟という性格が一部変容する懸念があるので、残すべきだ。

○概念が明確でないのはその通りだと思うが、法的安定が必要で、従来の実務から変えない方がいいとの発言については、ここは立法論を議論する場、今までの実務に問題があるのか否かを議論する場であり、単に連続しているからいいというのは、立法政策の議論としては間違いだ。原告適格については、事務局の資料の問題意識にもあるように、公衆浴場の問題にしても里道の問題にしても、法律上保護された利益説では非常に読みにくいものを、規則や政令まで総動員してかなり四苦八苦して読んでいるのが判例の現実だ。この条文がこのような解釈をもたらしているのだとしたら、もっと端的に読めるように立法で解決するのが筋だ。解釈をちゃんとすれば読めるはずだ、というのは、現実に判例がかなり苦労している状況を踏まえると、役に立たない。意図した政策を、裁判官が迷いなく書けるよう立法で手当てするのが、基本的姿勢だ。
 この資料にある例は当然原告適格はあると考える。その際の基準だが、当該処分の根拠条文に何と書いてあるかということよりは、ある行政の活動によって、実際にある者が不利益を被っているのかどうか、ということが、訴訟を提起できるかどうか、裁判を受ける権利を持つかどうかの出発点だと思う。その意味で、この事務局の問題意識は非常に共鳴する点がある。やはりこの法律上の利益という文言は変えた方がいい、というのが自分の意見だ。変える際には、概念が明確で、しかも混乱が生じないように、などいろいろな配慮は必要だが、このままでは裁判を受ける権利をかなり制約していると言わざるを得ないとすれば、できるだけ適切に読みうるように、変える方向で最大限努力することが必要だ。
 実際の変え方として、この資料のような「法律上の利害関係」も一つの案だとは思うが、これだと現在の規定と似ていて、本当に変わるかどうか心許ない。法制的にはもっと詰めた言い方があるかもしれないが、もっと端的に、行政の活動によって実際に不利益を被っているのかどうか、という趣旨が現れる書き方の方がよい。例えば航空機の騒音について、根拠法令の中に、お前はうるさいはずだ、と条文が想定しているかどうかと、実際に飛行機の音がうるさいかどうかとは、何の関係もない。あくまでも主観訴訟として捉えた場合、その人が何らかの迷惑なり不利益を被っているのかどうか、条文に何と書いてあるかとは何の関係もない、ということを出発点にしてできるだけいい書き方を考えるのがこの検討会の使命だ。

○飛行機の騒音について言及されたが、騒音の不利益を被っている人はたくさんいるが、その中でどういう範囲で原告適格を認めるか、という法的な作業が必要で、その意味合いをどう文言の中に入れるか、ということが問題だ。だから、単なる事実上の不利益では無理だ。

○自分は、事実上の不利益と言ったのではなくて、行政の活動は法に基づいているわけだから、法に基づいた活動の因果関係のもとに発生する不利益、というのを当然の前提としている。

○今の考えだと、判断の基準自体、中身と非常に密接になってしまうが、最後的に事実判断をした上でないと評価ができないのでは、原告適格の役目は、半分損なわれていると思う。なるべく中身に触れずに、法律的な要件などで判断できることが必要だ。法的安定性とはそういうことだ。原告適格について、こういう部分は増やすべきだ、これは削るべきだ、という議論を十分するのはこの検討会の使命だが、それなら対案を示して議論すべきで、今の、法律上保護された利益説が不完全だというだけでは、新しいものは出てこない。いい基準があれば、それにしてもいいだろうと思うが、なかなかいいものが見つからないのが実情だ。

○今の説明では、これまでの判例が積み重なってある程度固定しているからそれでいいじゃないか、と受け取れるが、原告適格が狭すぎてどうしようもないというのは、かなり共通している認識だ。拡大すべきだという議論はかなり多数であり、現状のものでいいという議論は極めて少ないだろう。法律上の利益を有する者という現在の条文については、判例はもう確立している。原告適格の現状を拡大するには、この条文の書きぶりをもっと拡張しなければならない。どういう文言に変えてもまた議論になるというのはその通りだが、だからといって今のままでいいということにはならない。今、日弁連の中では、現実の利益を侵害され、または侵害されるおそれのある者、ということでどうか、と議論している。仮にそのように変わったとしても、現実の利益が侵害されているかどうかについて、判例上議論になるだろう。しかし、少なくとも現在より拡張されることは間違いない。近鉄の特急料金の裁判についても、だめだという判定が出ているが、そのように変更すれば、原告適格が認められる余地がある。あるいは、パチンコの場合も、今まで原告適格が認められてこなかったが、現実の利益を侵害されるという条文に変えれば、認められる余地が広がることは間違いない。
 それから、中身について議論しなければ原告適格の有無を判断できないのはおかしいのは確かだが、現行の最高裁の判例でも、里道などについては、公共用財産でも特定個人の日常生活に個別性の強い具体的利益をもたらしていて、廃止によって日常生活上著しい支障が生ずるという特段の事情が認められる場合は、証拠調べをして初めて原告適格が認められることになっており、中身について議論していると思う。

○基本的には門前払いをなくし、本案の裁判まで行かなければ、なかなか納得できないな、という気がする。その意味で広く原告適格を認めるべきだ。どういう文言にするかは非常に難しいが、今までの判例で多くの人がおかしいと思っているものについて、こうすれば直るという具体例があれば、その文言をたたき台に考えてみることはありうるだろう。いずれにしてもそういう広い方向で行ってほしい。
 それから、今まで議論されていない団体訴訟について。遺跡の指定取消しの話、奄美の自然の話など、いろいろ歴史的、文化的遺産、自然など、回復不可能なもので、一度壊してしまったどうしようもない、ということは、今後、様々な場面で起こってくるだろう。今現在もどこかの学校の話、どこかの建物と、いろいろな案件があるが、それについて訴えるなんらかの手立てはないものか、と考える。事務局の団体訴訟に関連する資料では、どちらかというと否定的な見方が多く、どうしたらいいかわからないが、今後、そのような回復不可能なものを守らなければいけないケースがどんどん出てくるだろうから、どうすべきか考えるべきだ。昔、代表的訴権などのようなものも言われていたし、個別に、ここがいい、ここが悪い、と検討して、団体訴訟に限らずに、何らかの手立てはないか、議論を進めていただきたい。

○現在の判例が狭いか否かだが、学者の立場ではかなりの共通認識があり、かつては狭かったが、最近の判例はかなり広がっている、と考える。ただ、同じ理論枠組みを維持している中で広げており、その枠組み自体はどうなのか、という評価が、学者の側から出ていた。自分も、今の判例のままで本当にいいのかという認識だ。行政手続法の10条については、先ほど話に出た近鉄特急事件もまさに念頭に置いて議論した。これは、判例の立場では原告適格は認められないが、行政手続法上は意見は聞かれてしかるべきものだ、ということだ。それを「申請者以外の者の利害を考慮していることが、当該法令において処分の要件とされている」という言い方をとって、近鉄特急の場合には、これに入る、という議論を、立案の時にした。このような文言よりは、法律上の利益を有する者、の方が整理されていていいが、例えばそういう言い方もある。事務局の案では、利害関係うんぬん、となっているが、検討してもよいのではないか。
 そして、多少原告適格が広く認められることを前提にした上で、そこで原告が主張し得る利益の中には、特定の原告に主張させるよりは、直接の被害を受ける人ではなく、また団体かもしれないが、そういう者が原告になった方がふさわしければ、あくまでも個人で原告適格が認められるべき者がいるのを前提に、一種の訴訟担当のような形で当事者適格を肯定する必要性が、行政訴訟の場合、民事訴訟よりも高いのではないか。
 今日の資料にある不正競争防止法などの民事訴訟について言えることが、行政訴訟についても言えるのではないか。そこは民訴の一般ルールに全部よりかからず、こちらでも言うべきことは言うべきではないか。

○先ほど来の議論は、法律上の利益を有する者、という今の定義が狭すぎるということではないと思う。判例の解釈が、本来予定した定義通りにやってない、もっと広く解釈できる、という趣旨だろう。確かに、そこで取り込まれていないものは、もっと漠然とした規定をすれば入るが、やはり枠組みとしての必要もある。自分は、これが安定しているから動かさなくていいと言っているのではなく、判例の解釈の仕方がおかしい、という議論がされるべきだということだ。言葉を入れ替えても、却って混乱するのではないかと思う。

○判例がある程度固まったら、解釈よりも立法を変える方が国民経済的には余程速いと思う。
 また、先ほど、原告適格は明確な方がよく、実体判断に踏み込みのはどうか、という発言があったが、現実の最高裁判例の方が、よほど実体判断に踏み込んでファジーだ。例えば、学校統廃合の条例を定める時の去年の最高裁判決は、ある学校が廃止され、遠距離からの通学を強いられる子供なり親なりの原告適格を認める時に、その統廃合が社会生活上受忍できるかどうかを判断し、受忍できない場合に限って原告適格ありとしているが、これなどまさに、実体審理しなければ原告適格の問題は決まらないということを、最高裁判例自身が累々と積み重ねてきているもので、この運用の方がよほど不明確、主観的という気がする。それよりは、少なくとも遠距離で苦痛になったのであれば、端的に原告適格を認め、それが受忍できるかどうかは本案で判断すればいいという方がよほど健全だ。判例がそうである以上、条文はそう読めるように変えればいい。ちゃんとした領域をちゃんと読めるように書くために英知を重ねるのがこの検討会の使命だと確信する。

□今までに出てなかった議論だが、各国の原告適格について外国法制研究会委員に色々調べてもらったが、主要国では条文がないところは裁判所は広くしたり狭くしたりしており、まさに裁判所が自分の司法権の範囲内で法を形成している領域だ。原告適格の表現については、ドイツの方が狭いが、ドイツ人は基本権まで動員して広げており、司法の責務を自覚しているのだと思う。だから、法律上の争訟という言葉の問題ではなく、法律上の争訟のもとで形成されてきた判例が、今の文言のままだと変わらないのではないか、この前提をとるかどうかが一つのポイントだ。ただ、そこはなかなか難しく、例えば事実上の損害という言葉、あるいは法的利益という言葉にしたら変わるかというと、これもわからない。それは、最高裁判所が解釈権を持っているので、法律上の利益のままでも広がるかもしれず、そこは委員の意見の分かれるところだと思う。今までの議論も二つに分かれており、どちらということはなかなか言えない。だから、ここの検討の過程として、二つの議論を率直に世に問えば、それこそ「世の英知」で、もっといい文言が出るかもしれない。
 ただ、気分を変えてもらいたいから法文を変えるというのは、至難の技だ。今までの判例分析で、どう変わってくるか、という問題だ。それから枠組みからいうと、どうも最高裁判所も、後ろから見る場合が多いと思う。

○そういうものは判例になりやすい、非常に微妙なので注目されやすい、ということでないか。

□違法な行政によって国民の権利利益が侵害されている場合に、どの範囲で自分の権利利益を主張できるかという問題だ。制定法の文言だけに原告適格の範囲を限るのは、もう全くとられていない。里道については、法がないとよく言われるが、自分は、あの領域については公共物法がある、最高裁は、その伝統的な公共物法理論を使ったと理解している。先ほど例に出た学校の就学権の話は、ドイツではどうなるか。

△要件がない場合は、基本権侵害になる。里道の場合も、同様のケースではやはり基本権侵害だ。

□そういった形で、読み込み方について、もう少し掘り下げていく必要がある。
 10条1項については、両論あるということで、本日の資料に指摘されている問題点の整理を前提に、論点を明確にする資料を事務局で作成してほしい。ただ「手続が法令に違反する場合に限り、その違法が軽微なものであって、かつ、処分に影響を及ぼすおそれがないと認めるときには、裁判所の裁量で請求を棄却することができる制度」が事務局から紹介されたが、これは、行政手続の違法の効果をどう考えるかという、行政手続法上非常に重要な問題であり、10条1項で簡単に整理されては納得がいかない。ここを世の中にどう訴えるかについては、もう少し相談させていただきたい。取消し得べきほどの瑕疵ではない、との考え方は既にあるのであり、それを条文化すると、裁判所が手続違反を軽く見る可能性もあるので、注意してほしい。
 団体訴訟については、萩原委員に非常に賛成だが、司法制度改革審議会の意見書で「法分野ごとに、個別の実体法において、その法律の目的やその法律が保護しようとしている権利、利益等を考慮して検討されるべきである。」としているので、当検討会ではこの意見の趣旨に則って検討していく必要があると思う。ドイツは団体訴訟というカテゴリーを作ったが、アメリカはそういうカテゴリーを作らず、主観訴訟として、代表訴訟のようなものを一生懸命作る。だから、団体訴訟を認めて、それに乗せようという立法論がいいのかどうか。むしろ、原告適格論をとことんまで詰めて、本当に乗らないのはどんなものか議論していった方がいいと思う。主観訴訟、客観訴訟の区別も同様であり、アメリカ人は客観訴訟などという区別をせず、フランス人も同様だ。そこでは、司法権の範囲はどうか、ギリギリのところまで詰めるが、客観訴訟とか団体訴訟があると、ギリギリ詰めずに立法に委ねると思われるので、この点は、今後検討を進めていってほしい。
 今のまとめ方に問題が指摘してほしい。重要な点だ。

○団体訴訟については、確かに、原告適格をかなり拡大すれば、団体に認めなくても個人でやれるということで、団体訴訟の必要性はかなり減ると思うが、ただ、個人の利益というよりは団体の利益として認めた方がいい部分というのはあるだろう。その意味で団体訴訟の導入も前向きに検討すべきだ。

○環境、文化財、伝統的な価値などは、やはり主観訴訟で広げるのは限界があると思う。もちろんアメリカのように全然区分しないでできればいいが、最高裁判決をはじめ、累々と積み重なっている日本の状況を前提にすると、やはり立法で解決した方が早い場面もあると思うので、環境や文化財などについては、団体で、かつ、主観訴訟でないけれども認めるという類型の必要性はまた検討した方がいい。

□検討しないと言っているわけではない。ただ、そちらにあると安心してしまうと申し上げただけだ。

【被告適格について】

■被告適格については、資料の1−7になりますが、これまでの議論で、「取消訴訟の被告については、当該処分又は裁決に係る事務の帰属する国又は公共団体を被告として提起するものとすべきであるという基本的方向性につき意見が一致」したというふうに理解しております。その上で検討すべき問題点につきましては、1頁の一番下の補足説明をまとめたところですが、「行政庁から当該処分又は裁決に係る事務の帰属する国又は公共団体に改めるものとした場合に、国の行政庁がした処分の取消訴訟は、行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第1条第1項の規定により、原則としてすべて東京地方裁判所が管轄することとなる。身近に処分をした行政庁がある場合においても必ず東京で訴えを提起しなければならないとすると原告の不便となる、との考え方に立てば、改正前と同様に、行政庁の所在地の裁判所にも、取消訴訟を提起することができることとする必要はないか。」このような点についてご検討いただきたいということ、それから、その他の規定についても、検討すべき課題があると思いますので、その点について何かご意見をいただければ、さらに検討が深まると思いまして、ご検討をお願いいたします。

□基本的な点については、すでにある程度合意があると思うので、細かな点について、あらかじめ行政庁にアナウンスしといた方がいいという点があったら、指摘いただきたい。

○管轄については、やはり現行の管轄程度の便宜は確保すべきだ。訴訟参加の場合とか、拘束力とか、周辺をどうするか、については、やはり考えないといけない。訴訟参加については、普通の場合は広く、国なら国の各機関となるが、実際にあったのは、市町村立学校の教職員の給与負担法に基づいて、教職員の超過勤務手当の負担の問題などが争われている時に、区の中では解決しきれないから都の教育委員会に参加してもらったことがあるが、行政主体になっても、この種の規定は残しておかないと、不便を生ずる。
 拘束力については、大半のものについては不要だが、用意はしておくべきだと思う。
 再審査義務については、まさに審査庁を拘束する形で書いておく方が実効性があると思うので、ここは主体の中に解消せずに、主体にこれこれさせる義務がある、とするか、何か手当てがいるところだと思う。

○基本的にこの資料で結構だが、管轄については、行政の所在地の管轄など、現行法から後退しないようにする必要があるとともに、いっそ、原告の住所地を管轄する裁判所に提起するということを、選択肢として付け加えたらどうか。最高裁の報告でもあったように、原告の住所地でやっていないケースは極めて稀だ。だから端的に、原告の住所地でやれる、という論点を、補足説明のところに付け加えていただきたい。

□管轄の問題は次回も検討する予定だ。

○それでは結構だ。

□今日は本当にいろいろな角度から、いろいろなご意見をお出しいただき、感謝する。ただ、論点を幅広く、かつ、深めていただくのはまことに結構だが、会を運営している方から見ると、期限をもって改革をしなければならない、ということもあり、最後の期限も頭に入れて発言をいただければ幸いだ。

(2) 今後の日程等(□:座長、■:事務局)

■次回については、第2ラウンドの検討として、抽象的には、行政訴訟の審理と、執行停止・仮の救済、このあたりがあろうかと思うんですが、その他にも、今日ご指摘ありましたように、違法な行政に対する国民の権利救済、これを全体としてどう制度設計していくのか、という問題や、あるいは、行政訴訟の審理等とも関係するのですが、行政訴訟全体をどう捉えていくのか。それから、それを前提にして行政訴訟の対象をどう考えるのか、というところまでも含めて、可能な限り、これまで今日いろいろなご意見をいただいたところをなんとか整理し、論点を示して、ご検討いただけるように努力したい、と思っております。

□今日の検討で、取消訴訟の特色、利点・欠点、がかなり明らかになった。行政上の決定の是正訴訟という案などをはじめ、人によって描く絵が違うのが辛いところだが、そこは事務局と相談いただきたい。

7 次回の日程について

 3月5日(水)13:30〜17:30

以 上