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行政訴訟検討会(第14回)議事録
6 議 題 【塩野座長】それでは所定の時刻になりましたので、第14回行政訴訟検討会を開会いたします。事務局から本日の資料について説明してください。 【小林参事官】論点についての検討資料の1−1から1−6までがございます。 【塩野座長】本日は、前回に引き続きまして、第2ラウンドの検討を行いたいと思います。第2ラウンドで議論すべき課題としては、フリートーキング参考資料に戻ってみますと、「行政訴訟の審理等について」、「執行停止・仮の救済」、「その他の課題」があります。それから、既にいろいろな形でご議論いただいているわけですけれども、必ずしも十分に議論されてきたとは言えなかった「行政訴訟の対象」というのも、今日の議論の対象としていただく必要がございます。今日のご議論の最後のところはどの程度入れるかどうかわかりませんが、一応そこまで議論していただきたいと思います。 【村田企画官】行政訴訟の審理手続については、資料1の1のこれまでの議論及びさらに検討すべき課題の①として記載しておりますように、職権証拠調べの点を除いて、基本的に民事訴訟法の訴訟手続の例によることとされておりまして、既にこれに対しては様々な論点についてご検討をいただいたところであります。 【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは、今の説明を前提にいたしまして、どうぞご自由にご議論いただきたいと思います。 【小早川委員】審理手続とそれから裁量処分の取消しの場合の問題、両方絡めてですけれども。今御説明がありましたように釈明処分といったような道具を展開していくというのも一つの方法だと思いますが、それは言い換えれば職権主義的な色彩をどれだけ強めるかということもあり、さらに言えば職権探知を認めるかどうかという問題とどういうふうに結合するのか、その辺の理論的な整備も必要だと思います。私が申し上げたいのは、そういうふうに裁判所にどれだけの権限を与えるかということは大事ですが、基本的にはこれは一種の証明責任の問題だと思います。裁量処分であれ、そうでないのであれ、行政処分をするからには行政庁として、最小限度それが違法でないということについての最小限の説明と、必要があれば立証はすべきなのではないか。その最小限度というのは事柄によって違うわけなんですが。これは、私的自治によって私人同士が交渉し合うという、そういう世界とはやっぱり基本的に違うので、法的に正当化される何らかの積極的な正当化がなければ行政処分というのはないはずなので、そこを訴訟できちんと行政庁の側から出すという基本原則を、できれば条文でかけないかなと。その上で、その基本的な被告行政庁側の役割をきちんと果たしていないというふうに裁判所が判断すれば、そこで裁判所の権限でもってそれを果たさせていくか、ということになるのではないかという気がしております。一般的なこととしてはそういうことです。あとはコロラリーとしていろいろとあると思います。 【村田企画官】典型の場合以外、いろいろな場合があるかと思いますので、それをどこまで広げるかという趣旨でございます。 【小早川委員】そういう場合にも、今、その前に私が申し上げたことと絡みますけれど、まったく行政庁が何にも考えていないときに、原告側からひょっとしてそういうことされたら困るとか、というのは、これは多分、争訟の成熟性がなくて、訴えの利益なしということになるんだろうと思うのです。訴訟として成り立つための前提としては、行政の側で調査の結果何かしようとしている、あるいはしないというふうに立場を固めつつあると、どっちかであって、そうすると、処分がいまだなくっても行政側に何らかの資料の蓄積はある、そういう前提で訴訟は起きるのではないか。そういうふうに思いますので、基本的には処分があった場合と同じような考え方でいいのではないかと思います。 【塩野座長】どうぞ、今の御意見に引き続いてでも結構ですし、また別な新たな御意見でも結構ですが。はい、福井委員。 【福井(秀)委員】私も今の小早川先生の御指摘には賛成です。これもやはり裁量と審理、両方に関わることですが、およそ行政庁が処分を行ったような場合について言えば、処分が法律に適合しているということは処分の前提として当然のことになりますので、適法に行われたという前提がある以上、それを行政庁が説明できないはずはないと考えるべきであり、処分が適法だということについて、実体としてもきっちりと説明を訴訟の場ではさせるということが出発点になると思います。何が裁量かというのはいろいろ議論がありますが、ましてや裁量が広いものについて言えば、このブラックボックスの中身を原告の方が、いやこれは違法ですなどと特定して挙証するということは現実問題不可能でありますので、裁量の広いものについては、かくかくしかじかの理由で、この裁量権を適法に行使したのであるということまできっちり全部訴訟の場で言わせないと、それが適法か違法かということは最終的に明らかにならないと思います。根拠となる事実を立証するのは行政庁であって、例外として、適法違法の判断について原告が挙証する方がむしろ楽に挙証できる事実があるという場合がないとはいえないと思いますので、そういう場合に限っては原告の方で責任を分担する。ただ原則は行政庁だというところは出発点であるべきだろうと思います。 【水野委員】私も小早川先生が冒頭におっしゃったことに賛成でありまして、やはり行政が自らの処分について、適法であることをまず主張・立証する。そういう一般的な規定を置くべきだというふうに思います。これは今でも行政の適法性について、行政庁に主張・立証責任がないという議論がまったくないわけでありまして、当然のことだと思いますが、やはり当然のこと、基本的なことをまず置いて、その上で様々な制度設計をしていくという意味で、さっきの基本的な規定を置くべきだという小早川説に賛成であります。 【芝池委員】各委員の先生方からの御主張があるわけでありますが、実は小早川さんが言われた行政庁は処分が違法でない証明をするべきだという提案には賛成なのです。ただ今御意見をお聞きしておりますと、ちょっとわからないところが出てきまして、小早川さんは証明ということですね。 【小早川委員】はい。 【芝池委員】福井さんは説明と言われています。水野さんは主張立証と言われています。この辺のところ、これからは厳密に区別すべきものはして、議論しないと議論が固まっていかないのではないかと思いまして、その点はできれば3人の方の御意見をもう一遍お聞きしたいと思います。 【塩野座長】今の最後のところはまずは御自身が御意見があればどうぞ。それはまだ。 【芝池委員】いや、よくわからないので。 【塩野座長】はい、わかりました。それでは今3人の方々にそれぞれ御質問がありましたので、発言順にお願いいたしましょうか。 【小早川委員】私は数分前に言ったこと、正確に覚えていませんが、多分、まず最小限度処分が違法ではないということの説明をするべきである。その「説明」という中には、裁量処分の場合で言えば、およそその基準が法律で与えられてないときにはどういう基準で考えたのか。その基準に照らしてどういう事実に着目したのかという辺りが「説明」であろうということです。その上で具体的な事実、法定要件に照らしての要件事実、裁量の場合で言えば行政庁が着目した重要な事実、そのような、問題となる具体的な事実の存否について原告側が、いや、それは違うと言ったときに、証明の問題になる。「主張立証」という場合、普通は具体的な事実についての主張立証だと思いますので、最初の段階はぼかすために「説明」という言葉を使ったわけですが、その後で対立事実が絞られてくれば、「主張立証」の問題というふうに考えます。私が言ったのは、何も説明すらできないようでは、これはダメだろうということです。しかし、行政過程でいろいろ説明の機会はあるわけで、聴聞の場合には聴聞で説明しているし、処分理由の提示ということでも説明しているわけですから、そういうことできちんきちんとできていれば、その処分はこう説明しましたよと、そういうことを言えば差し当たりはそれでもいいかもしれません。 【福井(秀)委員】今の小早川先生が言われたのと同趣旨で、事実の提示という意味ではまず情報があるのは行政であるから、それはまず提示するというところは手続法上の実体上の義務として、当然想定していただくことが一つ。それから絞られてからは訴訟法上の挙証責任分配原則にしたがって、その事実の存否については行政庁が適法を挙証するための事実の証明責任があるということをやはり明記した方がよろしいのではないかと思います。 【水野委員】3人とも言っていることはそう違わないと思いますけれども、説明というのは裁判用語としてはあまり使わないわけなので、要するに主張なのです。主張をまずするわけです。答弁書で説明しなさいとは言わない、主張するわけで、被告の主張を。その主張についてはまず一つは主張責任がどちらにあるかという議論になりますが、要はその適法性を主張するのは行政庁に主張責任がある。併せてそれを基礎づける事実について、立証責任があるというわけでありまして、そう違わないと思いますが、通常それを裁判の場では主張立証と言っているのではないでしょうか。 【塩野座長】文書提出義務とか民訴法の個別の規定はなかなか直ぐには入れないと思いますので、まず一般的なことで何か御意見があれば承りたいと思いますが、市村委員どうぞ。 【市村委員】今の説明責任というところはよく理解しております。ただその次の主張・立証責任にそれがすなわちそのまま行政の方にすべてが被るべきだというところは私にはちょっと理解できません。民事訴訟の分野では、例えばそれは法律要件分類説と言われるのが通説でありまして、個々の要件ごとに法律がどちらに分配するということを想定しているのかということを一応のテーマとしておきながら、証拠への接近度、近接性とか、公平性などを考えながら、その要件ごとに分類しております。例えば主張・立証責任の問題がどこで実際に出てくるかと言うと、ノンリケット、いわゆる真偽不明の状態になったときのリスクをどちらが負うかという形で出てくるわけです。例えば遺族年金などの給付を求める場合に、Aさん、Bさんの二人、法律上の婚姻関係にある方と長らく生計を維持してきたという内縁関係にある人とどちらが給付を受けるべきか、こういう訴訟のときに、婚姻要件や生計維持要件の主張立証をどちらが負うかということについて考えると、そういう場合に行政はそういう資料を百パーセント持っているわけではないと思うのです。そうした処分のときに、例えばそのことの立証がノンリケット状態になってしまったという評価になったときに、それじゃ両方に払わなければいけないという状態が是認されていいでしょうか。ノンリケットなら、要するにそれの証拠をつかんでいないために、行政の方が全部挙証責任を負担をしなければいけないのか。そういう問題もありますので、説明責任の問題としては大きな方向としてはよくわかりますが、主張・立証責任については、もう少し細かく要件ごとに分類しなくてよいかという議論を重ねるべきではないでしょうか。 【福井(秀)委員】今の点に関連してなんですが、多分おっしゃるような問題は、私さっき触れたと思いますが、要するに原告当人の方が当然主張が容易な領域というところである程度はクリアーできると思います。 【小早川委員】福井委員のおっしゃること、ちょっとどうかなというところもありますが、従来から学説で行政訴訟の挙証責任、立証責任の分配について法律要件分類説以外の説を唱える場合があり、その中で処分の種類によって分けるという考え方がありますけれども、私はそれはどうかなと思っているわけです。およそ行政庁はどんな処分する場合にも自分のやっていることが違法でないという一応の判断を経た上で処分をすべきであろう。そこは福井委員のおっしゃるとおりだと思います。そのことすら言えないようではこれはダメであるということです。ただ、行政庁の側から事実を固めて不利益処分をする場合と、それから、申請者が持ってきた資料を見て行政庁が判断すべき場合とがあって、後者の場合で言うと、申請のときに確たる資料を持ってこなかった、根拠になることをちゃんと言わずに申請してきたのではダメだよという処分は、それだけでは違法だとは言えないと思うのです。その場合は申請者側に負担があるわけでして、行政庁としては、普通やるべきことをやって判断すればいい。ただそれが訴訟になって、いやあのとき資料を出さなかったけれど実はこういう診断書があるんですよということを、訴訟の場で持ち出してきたときにどうなるか。このときには、行政庁は処分のときにはそれでよかったかもしれないけれども、こういう資料を突きつけられたときに、やっぱりあのときの判断は客観的には違っていたんだねということになるかと思うのです。そうなったら、これは行政庁の側でさらに、それを反駁する資料を出さないといけない。そこでノンリケットになってしまったらどうなるかということですね。私はその場合、ノンリケットになったらやっぱり行政庁が処分を正当化できていないということになるので、そのところではやっぱり行政庁の証明責任というのが最後に効くのではないかというふうに思いますけれど、そこまで行くことは滅多にないと思います。 【市村委員】そのときに、例えば今のようなケースでノンリケットになって行政庁が発したという場合に、拘束力の働き方はその後どういうことになるか。逆に言うと、もう一回審査しなさいという状態が働くのか、それとも給付処分を拒否したのが不当だと言ってきたのに対して、給付しなさいという方向での働きが行くのか、そこら辺はどうなんでしょうか。今のようなケースでわからないとき、行政庁がそこまでやったことが今のような意味で間違いだと言われるなら、給付しなさいという方向でその取消しがされるのでしょうか。 【小早川委員】そこは訴訟でもって全力を尽くして戦っているはずなので、その結果、これは断った方に分がないということで取消判決がされれば、基本的には取消しになります。その後で、訴訟に出せなかった資料が実はありましたということになれば、これは一種の再審事由みたいなもので、例外的にそこでなお敗者復活戦ができるケースというのがあるかもしれないけれども、それは例外だと思います。 【塩野座長】今のいろいろな法律家的な議論を聞いて、何か御感想でもあればお伺いしたいと思いますが、芝原さん、成川さん何かありますか。また後でお伺いする機会があろうかと思いますが。 【福井(秀)委員】補足ですが、実際に客観的に給付処分で抜けてたのがあれば給付してたはずなのに、というのもあるかもしれませんが、おそらく私の理解だと多いのは申請に対する給付処分などで、申請者が示したものだけ見て判断すればいいというものが圧倒的に多い。それはその時点で申請者が示した中に本当に有利なものを示さないで起こっていたんだったら、多分適法になるものが多いと思うのです。処分時の事情としては適法だと。そういうものは基本的に行政が出して、もう一回やり直してもらえばいいということに落ち着くのが多いので、基本的にはその時点の、その申請者の提示した資料に基づいてした判断について、行政庁が適法だということをちゃんと挙証すれば、通常は収まるべきところに収まるという気がします。 【塩野座長】そこはいろいろ議論があるところだと思いますけれども、どうぞ水野委員。 【水野委員】さっき市村さんが冒頭におっしゃった説明責任と主張責任ですか、それはどういう。 【市村委員】だから責任というと少し私の考え方から言うとオーバーな表現になってしまいます。ただ実際上審理をやるときには必ず、被告行政庁の方から処分についての処分経緯についての説明というのは必ず求めています。ただ、主張・立証責任というのは先ほど申し上げたようにノンリケット状態になったときにだれがどういう責任を負うかというぎりぎりのところから考えていきますので、そこは繋がりは違っている。どうやっていけば審理が効率的かという問題と、最後に要件の存否がわからなかったときにだれがリスクを負うべきかという問題は一応別の問題です。皆さんお分かりでしょうけれども、行政庁がやったらいいということと主張・立証責任における帰結とは一致するとは限らないということを申し上げただけです。 【水野委員】言葉の問題で、ちょっと私は理解し難いのですけれども、つまり説明責任と主張・立証責任が違うとおっしゃるのだけれども、それは説明責任とおっしゃるのはまさに主張責任のことをおっしゃっているのではないでしょうか。 【市村委員】ですから説明責任というので、その責任というのがそこに繋がらないというのであれば「責任」という言葉は撤回します。説明を求めるのが審理の方向として適当であるという意味であったら、それはやっておりますということになります。 【水野委員】だからその説明を求めているということは、要は主張をさせているということでしょ。 【市村委員】主張はもらいます。 【水野委員】主張責任が。 【市村委員】だから責任ではないのです。責任というのは言われたようにそれを欠けたときにどうするかという、そっちの角度からもう一つ裏打ちされないと使えないという、そういう御指摘ならば、そう思います。 【水野委員】あんまり細かい議論はあれですけれども、要は今議論しているのは、小早川さんがおっしゃった違法でないこと、つまり適法だということの最小限度の事実についてはまず行政庁に、という話をしているわけなんで、その部分についてはそれはやっぱり主張責任なので、それ以外のいわゆる間接事実的なことについて、釈明を求めて、説明を求めると、これは主張責任の問題とは別でしょうけど、そこは何かやっぱりちょっと何か議論が、説明はあるけど主張は。 【市村委員】主張・立証責任と言った場合には要件をどのテーマごと、どの事実を誰が言うべきか、そういうことでしょう。 【水野委員】そう。 【市村委員】それは総体としての行政処分が適法かどうかという問題と、今個々にある具体的な事実においての主張・立証責任はどちらにあるかという問題は一応、二段に分けて考えるべきだということを申し上げているだけです。 【水野委員】今問題になっている行政処分が適法であるということの主張・立証責任は行政庁にあることはそれは動かせないのじゃないでしょうか。 【市村委員】単に違法だと指摘すれば足りるというのが今の考え方ですから。 【水野委員】それは原告の方でしょう。 【市村委員】原告が違法だと指摘すればいい。 【水野委員】そうそう。だからまさに被告の方が、いやこの処分はこういうことでやりましたという根拠をまず主張しなければならない。それは主張責任ではないですか。あまりこれ以上はやめますけど。 【塩野座長】そのこととノンリケットの話とは、そこは水野さんも別だということを前提でお話かと思います。 【水野委員】もう1点、これは今までこれにも出ていないことなんですけれども、通常、先ほどからも福井さんからおっしゃっているように行政庁は処分をするときには当然、根拠があってやっている。処分書には理由が書いている場合ももちろんある。それから例えば審査請求を経ているという場合もある。税金のもので言いますと、行政処分に理由が付記してあって、異議の決定に理由が付記してあって、不服審判所の裁決にまた詳細な判断が出ている。そこで裁判になります。私が経験している多くの事件では、第1回の口頭弁論で処分の理由が出てこないのです。大体第2回なのです。これは市村さんがたくさんやっておられるから、東京地裁の実情はわかっておられると思いますが、これはなぜ出せないのか。行政庁は第1回の口頭弁論において、処分の根拠となった事実とその適法性について少なくとも主張は出すべきだということぐらいは今回の条文に入れてもいいのではないか。これは今裁判の迅速化法案が閣議決定されようとしておりまして、迅速が言われています。2年で終わっていないもので、かなりの部分を占めているのが、行政訴訟ではないかと思うのです。それはもちろん原告側の方にも責任がないわけではありませんが、被告のそういう態度にも問題があるので、それは是非この際、訓示規定でもいいですから、入れるべきではないかと、新しい視点だけ申し上げます。 【芝池委員】今日の早々の村田さんの説明で指摘された点は文書の提出の問題だと思います。文書提出命令制度が使える場合はそれで行けるだろうけれども、釈明権の行使で今やっているような、つまり第1回期日前のことを問題として指摘されていたように思えます。ところが今の水野先生は、最初の期日に出せということですか。 【水野委員】第1回。 【芝池委員】だからちょっとずれているんですね。 【水野委員】別の問題です、もちろん。 【塩野座長】まだいろいろ御発言もあるかと思いますが、まず最初の方で一体なぜこういった議論をするかという点については、皆様大体意見は一致していると思うのですが、行政側としては処分をした以上はそれについての違法ではないということについて、とにかく集めた資料を明らかにして、それを説明しなさい、そういったことだと思うのですが、ただこれを今度は報告書にまとめていくときに、条文化するかどうかはまた後々の問題だと思いますけれども、やっぱりドグマティッシュに一体それを何に支えているかということをいつかの時点でもう少し掘り下げてやらないといけないと思います。今の話では審理の迅速さという、あるいは効率性ということもありましたが、昔読んだ本なんですけれども、ドイツでは理由強制は法律による行政の原理というところから説明しているのです。アメリカはデュープロセスあるいはそちらの方の一環として説明しているのですが、しかし訴訟のあり方によってはさらにそういった市民的法治国的な問題以外に情報公開で出てきた説明する責務というものとの関係もあるように思うものですから、一つではなかなか説明しきれないかと思いますけれども、皆様の意見を大体こういう点を重要な点として認識するとして、それをどういうふうに今度はドグマタイズするかという点についてはもう少し意見交換しなければならないなという感じがいたしました。 【福井(秀)委員】また別の論点ですが、これは審理の方の資料の問題点の④というところで、「公務員の職務上の秘密に関する文書」の議論をされておりまして、これも大事な論点だと思うのですけれども、基本的には私は職務上の秘密であっても、訴訟上の問題解決のために必要不可欠であれば、それは出しても別に秘密保持義務には違反しないとはっきりと違法性阻却を明記した方がよろしいかと思います。ただデリケートな問題が中にはあるかもしれない。そういうものについては最近ドイツで導入されたとも聞いておりますインカメラのような形で、裁判所の判断で職務上の秘密かどうかを先払いして判断していただくこともあり得ると思いますので、基本的にはできるだけこういうものが制約にならないように制度設計をした方がよろしいかと思います。 【市村委員】先ほどの①の問題の議論があまりされていないので、①の点について少し触れたいと思いますが、釈明処分なのか文書提出命令なのか、他の延長で考えていくのかということは確かに大事な視点だろうと思いますが、必ずしもどちらかでなければいけないことではなかろうという気もします。もう一つ、行訴法には23条に行政庁の訴訟参加の規定がございます。ところが実際には当事者も、行政庁も水を向けても、どちらもあまり熱心でないようなことが多いのです。煩わしいという側面も一つあるのでしょう。裁判所は、もっと豊富な資料の中で十分審理したい、そういうつもりで向けることがあるのです。例えば審判所なんかの審判を経てきているもので、おそらく訴訟に出ているもの以外のかなりのものがあるでしょうから、それもあれば、もう少しわかりやすいのにと思うことがあります。そういうことで、前に議論したわけですけれども、訴訟資料を豊富にするというつかみ方で、むしろ人的な補助参加とかあるいは行政庁参加とかという形で参加するのでなくて、資料による参加というのでもいいのでないかという気がします。 【水野委員】ちょっとその点、市村さんにお聞きしたかったのですけれども、今でも当事者の引用した文書、これは文提の理由にもなっていますし、釈明処分の理由にもなっています。ですからそれは釈明処分でもやれるし、文提でもやれるということです。これは裁判所の方ではどうなんですか、やはり両方必要だということなんでしょうか。それともこっちはほとんど使っていないということになるんでしょうか。 【市村委員】どちらかと言うと、今まではあまり釈明処分で使うということは少なかったのですが、民訴の方でも、例えば医療事故訴訟と言われているものでは釈明処分をもっと柔らかく使おうではないかということで、いろんな手段が考えられています。同じように、やはりその釈明処分としてもう少し活発にやって整理をするという意味でプラスの面があると思います。ただ、釈明処分だけで割り切ってしまうと、それならそれに必要な限度でいいでしょうという形になってしまい、実はたまたまある点だけが見えているので、そこばっかり議論しているけれども、もっと全体を広げて見れば、もう客観的によくわかるということもあろうかと思います。あまり探索的になってもどうかと思うのですが、少なくとも私は審査段階を経てきていれば、散々議論してきているところなんだから、そういうものを一応念頭に置いてもいいのではないかというふうに思っていたのですが。 【水野委員】弁護士の立場から言いますと、裁判官が非常に熱心な方で、こちらが気がついていないところを釈明処分でやられるということはこれは非常にありがたい部分もあるのですけれども、ただ必ずしもそうでない場合がある。文提であれば申立権があるということになるので、応答の義務がある。ところが釈明処分だと職権を促すぐらいの話なんで、だからやはり弁護士から見ると両方やっぱり必要じゃないかと。しかし仮に片方にするのであれば、文提の方で残ったものを置くという方がいいのではないかと、こういう議論をしているのですけれど。 【市村委員】ただ今日、深山委員がおられれば何か言われるのかなと思いますけれども、文提のこの4号を入れるときにいろいろな議論があって、なかなか難しいところだったと思われます。まだやったばっかりで、文提その部分のこの運用自体がどこまで本当にうまく活用できるか、それによって今までのいろんな狭かったところが広がったかという検証が済んでいないのです。その段階でまた文提をいじるというのは、あるいは文提と同趣旨のことであるならば、もう少しそこは様子を見た方がいいかと思います。また、一方で国の情報公開法が動き出しているわけですから、その両面でかなり今までよりは本当は広がっていると思われます。私どもがこれはどうかと思う部分も、今までの古い制度を前提に発言していますので、新しい制度になってからどうかという辺りの議論は、例えば行政側から反論があったときに古い事例ばっかりしか持ち出せませんので、そこはどうかというところはあります。だから今の段階でそれをやるかという点については、あるいは少し文提の活用状況を見てからやるのがいいか、そこは少し考える余地があると思います。 【塩野座長】それはいつ頃まで見ればよろしいですか。 【市村委員】まだなかなか文提も初期段階ですので、やっぱりあと2年ないし3年というところはいるのかなと思います。 【水野委員】ただそれが議論になったのは民事訴訟法ですから、民民の訴訟を念頭に置いているのです、一応。だから今議論しているのは行政側が一方の当事者になっているケースがほとんどですから、民訴とはちょっと違うので私は積極的に考えていくべきだというふうに思っているのです。 【市村委員】一方的な発言で申し訳ありませんが、私がもう一遍言わないといけないなと思いましたのは、この委員会の中では、例えば取消訴訟においては被告主体を変えましょうという議論がありました、そうしますと、今の民訴の規定でも、例えばそれに応じなかったときの制裁はどうかというと、これは相手方になるわけですから、相手方が応じなかったということで今の民訴の規定で対応できる、非常に強い効果が働くわけです。だからその意味で、被告を変えることで、副次的に、ここの部分が広くどんとかかっていくという面もあるということを念頭に置く必要があると思います。 【塩野座長】文書提出命令についてちょっと事務局の方から情報提供があります。 【村田企画官】若干情報提供ということですが、民事訴訟法220条の公務文書、公務員の書類に関する条文について、平成13年の改正をした際にこの改正の法律には附則がついてございまして、民事訴訟法の一部を改正する法律(平成13年法律第96号)ということですが、この附則第3項ではこのようにされております。「政府は,この法律の施行後三年を目途として,この法律による改正後の規定の実施状況並びに刑事事件に係る訴訟に関する書類及び少年の保護事件の記録並びにこれらの事件において押収されている文書(以下「刑事関係書類等」という。)の民事訴訟における利用状況等を勘案し,刑事事件関係書類等その他の公務員又は公務員であった者がその職務に関し保管し,又は所持する文書を対象とする文書提出命令の制度について検討を加え,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」という見直しの附則が付いてございますので御紹介申し上げます。 【塩野座長】という紹介でございますが、見直しのときに参考になるような意見がこの検討会の場で出てもおかしくはないと、そういうことでございますね。 【水野委員】ただこの見直しは日弁連がこの220条の4号のホ、つまり刑事事件の書類、少年法事件の記録、これが一切出せないということになって、これに反対したのです。ですから主としてその部分の見直しだということなので、そういうふうに理解していただきたいと思います。 【小早川委員】情報公開法が動いているし、と一言言われたのですが、訴訟の証拠資料を情報公開法でもって取得しようという人たちが結構いまして、ただそういう請求というのは結局個人情報であったりということで、情報公開法としては受けにくいものが多いという面もあります。それは余計なことですけれども、やっぱり訴訟で必要な資料を当事者のためにどう調達するかというのは本来的には訴訟法の中で考えていただく方が筋ではないかというふうに思います。今日のペーパーで言いますと例えば不利益処分の原因となる事実を証する書面なんていうのは、これは行政手続法がたまたま聴聞の実効的な運用という観点から時間を限って閲覧請求を認めているわけですけれども、これなんかはやっぱり、行政庁としてはその人に対する不利益処分をするために資料を集めてまとめているわけですから、それを隠しておくというのはおかしい。訴訟でも、これは文書提出命令の範囲に入る入らないという問題があるとすれば、そこは何とか出るような手当てを取るべきではないかと思います。それは一種のディスカバリーみたいなもので、行政庁側の、その個人に係る案件についての資料は出せよと、そういうことに近いのかなと思うのです。ただそういう種類の、特定人に対する案件で行政庁がいろんな資料を集めている、それは行政訴訟になれば出すべきだろうと思うのですが、他面で行政は、その御本人のためでなくいろんな資料を持っている、それがたまたま処分の際に使われたり、あるいは処分の正当性をサポートするために使われたりというようなこともあります。そこは、行政における文書管理というか情報の流通あるいは目的外使用とか、その辺の法制が必ずしもはっきりしていないということはありますけれども、やっぱり行政というのは多少そういうところがどうしてもあって、ある人の訴訟遂行のためにそれに関連する資料を全部出せというところまで言えるかというところはやっぱり問題があるのかなという気がするのです。ですから線引きが難しい。さっきの話で、行政側に事実についての証明責任がある、だから全部資料を出さないといけないのだというところまで直結はしないのかなという気がして、そこはなかなか微妙なところだと思います。そこは第三者の利益もありますし、国家的な利益からというところもやっぱりあるのかなという気がいたします。 【芝池委員】現在の新しい文書提出命令制度において公文書について改革が行われたわけですが、私はなかなかよく出来た制度であると思っております。ただ、今小早川さんが言われましたように行政手続の文書閲覧の制度で見れるようなものは取消訴訟と言いますか、行政訴訟の段階でも見れるようにするべきだろうと思っております。そういう規定を法律の中に残すのがいいのではないかと思っています。 【福井(秀)委員】さっき市村委員が指摘された行訴法23条の参加、資料目的ではなかなか応じられないので資料の補強というのが重要という指摘がございましたけれども、それは私もまったく賛成でありまして、行訴法23条は実際上は確かに訴訟資料を豊富にするのに意味があると思います。私の経験でも一般的には23条の参加を求められている行政庁やあるいは関係の起業者は参加したがらないわけです。逆に言えば参加すると資料を求められるということがわかっているからいやがるわけでして、例えば裁決取消訴訟における事業認定庁とか、それから裁決取消訴訟における起業者とかあるいは事業認定取消訴訟における起業者とか、全部行訴法23条3項の規定でいけるわけですけれども、裁判所が言ってもあるいは被告の、法務省の訟務局が言っても頑として参加しないという起業者や認定庁は存在するわけです。やっぱりそこに引きずり出されると不利な証拠がばれるからだという行動様式が非常に多く行政庁に蔓延しているわけでありまして、だとするとそういう形でなくても情報が取れるようにするということは、むしろ現況がそうならそうじゃない形でも情報が取れるようにするというような制度を作った方がよっぽど手っ取り早い。水を飲みたくない馬を無理に飲ませることはできないということになれば、要するに情報が取れればいいわけですから、そのための制度が必要ということになると思います。そうしますとさっきどこかの論点で指摘があったと思うのですが、要するに当事者、行政庁の処分庁でないところに存在している重要な資料というのは随分いっぱいあるわけです。例えば裁決であれば認定庁にいっぱい前提となる事業の公共性についての情報があるとか、あるいは裁決庁や認定庁にはなくても、起業者のところには山のように書類や図面があるとか。こういうのがちゃんと取れるような仕組みになっていないと実は証拠資料ないし訴訟資料充実という観点ではまったく意味がない。ですので、提出しない場合のサンクションをどう考えるのかが、第三者のときは難しいことは難しいいのですけれども、基本的には行訴法23条みたいなことを持ち出さなくても、関連行政庁や関連事業者に存在しているものについてはちゃんと訴訟の場に出てくるような、訴訟手続上の担保を是非作る必要がある。逆に言えば、その分、23条の行使などを求めなくてもいいようにするということになると思います。そういう意味でおっしゃった問題意識はまったく重要なことだと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。非常に重要な論点が出てまいりましたが、最後の方の、先ほど言われたので言えば、例えば原処分があってそれから審査請求が出て、そのときに原処分主義で争いになったときにそこの関係はどうなっているのか、実体としてまったく切れている場合もあるわけですよね。出せと言っても全然関係ないよというような議論が出てくるのかどうかです。 【市村委員】そういうことを想定しましたのは、例えば、原処分があって裁決で一部取消しされている、一部手が加えられているのだけれども、どういう理由で取り消されているのか、裁決の理由だけではわからないし、その資料を見ないとわからないのですが、その資料は裁決庁にだけあって、原処分庁にはないわけです。ところが訴訟の対象は、削られた後のものです。そうすると、それを審理するときにどうしても裁決庁にあったものが見たいのですが、今のところでは、なかなかうまくリンクしていないです。そういうふうに処分を変容させることができるという形が裁決庁にあるような場合には、一体として、それを説明してもらいたいという要求はあるのです。 【塩野座長】ちょっと細かい話になりますけど、そのときに訴訟物は原処分の違法性になりますよね。そうすると原処分庁が自分の適法性を、先ほどの話ではないですけれども、主張するためにはやっぱりそれなりの証拠がなければいけないわけで、そうすると芋づる式に出てくるわけですか。 【市村委員】非常に不思議なんですが、例えば、推計課税で更正処分をやったとします。原処分庁は推計課税の根拠として、いくつか挙げたけれども、そのうちのいくつかは、推計の基礎として使ったらおかしいではないかというところが出てきて、裁決段階で処分内容が変容することがあります。ところが、どのような資料がそれに採用されたのかは必ずしもわからない。だから原処分庁が主張しようとすると、自分がやった当初の根拠は言えるけれども、変容された後の根拠についてはうまく説明できないわけです。そういう仕組みというか、そこが処分が変えられるのに説明しないというのはいかにも妙ではないかという気がします。そういうときに、やはり裁決庁からも資料の提供というのがあってしかるべきかなという気がするのです。 【塩野座長】そんなのは福井(良)委員の方の問題としていろいろ考えていかなければいけないかもしれませんね、不服審査の問題として。どうもありがとうございました。 【小早川委員】はい。30条につきましては何かあった方がいいのかなと思います。これは、今の裁判実務の裁量審査のやり方が30条の文言とはかなり離れた格好でやっておられるのではないかと思うので、古めかしい理論に立脚した文言よりはもう少し今の裁判実務でそのまま表現するようなそういう規定にできればいいのかなという気がしているのですが。何もなし、にすると、ちょっとそこは裁判所が裁量審査をして下さるかどうかが心配で。何もないとやりにくいのかなという気もします。ただ、何を書くかということになると私は、例えば費用便益分析とかいろんな裁量審査の手法というのがあると思いますが、それはやっぱりケースバイケースで違う。それよりもむしろ、裁量審査というのは元の関係法令の趣旨にいかに忠実に行政庁が判断したかということだろうと思うのです。関係法令のそれぞれの追求する目的なり、そこで考慮すべき諸利益の構造によって違ってくるので、こういう処分についてはこういう観点からの裁量審査をきちんとやれということは、基本的には個別法の問題なのではないかというふうに思っております。書くとすれば、むしろ法律の趣旨、ドイツ流に言えばプフリヒトメーシナ、行政庁が法律によって課せられた任務をきちんと履行しているかどうかという、そういう観点から裁量審査をしろというような趣旨の規定を置くなら、それはそれでいいかと思うのですが、そんなところです。 【芝池委員】さっき福井委員の方からこの30条については廃止論で固まったというような御意見があったのですが、前の議論のときに私は30条の修正論を言いまして、30条を残して修正するという提案をしたわけであります。問題は30条を残して修正をするのがいいのかそれとも30条を廃止した方がいいのか、どちらの方を取れば裁量権の行使についての司法審査が積極化するのかということでありまして、今の小早川委員の方からは30条は残すと言わないまでも何か規定を置くべきという御提案だったのですけれども、福井委員の考えについて言いますと、30条の廃止によって司法審査が本当に積極化するのかどうか、そこのところが私確信を持つことはできないと考えています。 【塩野座長】ありがとうございました。裁量処分については私の記憶違いでなければ、アメリカでは何か書いてある。 【中川丈久外国法制研究会委員】裁量審査の規定だけではありませんけれども、違法事由をずらっと例示するなかに規定があります。 【塩野座長】オーストリアは昔から有名ですが、ドイツは。 【山本隆司外国法制研究会委員】ドイツは今日たまたま配られています、私が書いているものですが、125ページの辺りに114条というのがあって、先ほど法律の趣旨に適合する、という御指摘がありましたが、それが書いてある。ただこの条文があるからどうとかないとかという話ではありませんで、一般法理を確認した規定で、裁量審査の必要性は憲法から来ていますから、法律でどう書こうと、憲法から裁量審査の必要性が決まるというところがありますので、この条文は確認的なものだと。 【福井(秀)委員】私が申し上げたのは30条の代わりに裁量の基準となる何かもっと明確な指針がある方がいいということを否定しているわけではありません。要するに今の30条というのは裁量権の範囲をこえ、濫用があった場合に「限り」、取り消すことができるというふうに書いてあるわけでして、非常に抑制的な印象を与えるように書かれているところに懸念があるということです。実際問題、大抵の行政処分には裁量があるのですけれども、私の被告代理人としての経験でも、この条文を旗印にして準備書面を強力に作り上げると裁判官が縮み上がるという例は枚挙に暇がないのです。特に田舎の裁判官などは、裁量処分、裁量処分と言うと身構えていただいて、行政庁にとって有利な抑制的な判決を書いてくれるという例は見聞しただけでも随分あります。最近変わっていればそれに越したことはないと思いますけれども、だからやはり、この条文の字面を素直に読んで、裁量権のゆ越・濫用に「限り」というのに当たるだろうかというところまで通常のあまり経験のない裁判官に判断していただくのは、−東京地裁の市村さんのところならともかく−全国いろんなところで起こるかもしれない行政訴訟の現場の実態を考えると現にかなり抑制的な機能を営んでいることは否定できない。そういう意味で問題提起をしているということです。 【市村委員】この件については前にも議論しましたけれども、私は実務が今おっしゃられましたけれども、30条があるからどうだということは決してないんじゃないかと思います。むしろ実務はどうしているかと言うと、どういうものが裁量判断のときのファクターになるかというのは30条ではほとんど書いていないわけですから、例えば外国人の在留期間更新だったらマクリーン判決と言われる著名な判決など、そういう点を示した典型的な上級審の判断において、どういうものをファクターに捉えているだろうかという分析をするわけです。そういう中で、この具体的事案ではどの辺りのファクターを検討しなければいけないかという判断作業をしているのがほとんどでありまして、まったく初めての行政処分でその裁量が問題になるときには別でしょうが、たくさんのこのような積み重ねられているものについては、いろんな考えが示されて、それの中でもまれてきて大きなファクターが段々定着してくる、というやり方をやってきていると思います。書くなら確かに列挙するのでしょうが、そうすると結局どれも書いてあるようなことで結局その中からこの具体的事案では特にどれとどれが意味が重いのだろうということをまたやらざるを得ないので、書く書かないによってそんなに違うことはないという気がします。ただ、私がこの規定を残した方がいいのではないかと申し上げているのは、行政庁にとっては、司法が、行政機関とまったく同じような頭で判断するというふうな形で判断し、行政の裁量権を顧慮しないということがあっては困るという危惧感はあるのではないかと思います。やはり行政側に対しては、そんなところは大前提はちゃんと押えるところは押えていますよという意味でこの規定はあるのではないでしょうか。この規定を残したらどうなり、残さなければどうなる、という極端なことはないと思います。 【塩野座長】これだけを議論して、このどっちかに傾いたならば、この行政訴訟検討会の意見がダメになるという話でもありませんので、今日は両方の御意見があったということをテイクノートしていただくということだと思います。ただ私の感じは裁量処分というのは古典的な美濃部・佐々木理論がそのままここに残っているのです。今おっしゃったように最高裁の判決が裁量処分というよりは、この処分をするについてどの点のファクターを行政庁は考慮しなければいけない。その行政庁の考慮を裁判所はどの程度、こういう考慮については裁判所はとことん入る、これについてはとことん入らないといった非常に細かい議論をしているときに、この裁量処分なる古典的な概念があることによって、何かしら支障が生ずるのかなと、そういった懸念があるということはあるのです。ですからただそれはもう裁判所がそんなものはとっくの昔に克服しているよと、心配するなとおっしゃれば、それはそれで一つの御議論だと思いますが、どうぞはい、福井委員。 【福井(秀)委員】まさに今、塩野先生がおっしゃったとおりだと思いますが、裁量処分というふうに条文に書かれていると、裁量処分とは何で、裁量処分以外とは何かという、解釈論の問題はどうしても避けて通れなくなりますので、裁量処分という大上段に振りかざした一語が何か意味を持つというような解釈を生みかねないという意味でいろいろ支障がある。そういう意味では細かいところに分けるというようなことであればもっと書きようがあるのではないかという点を申し上げたということです。 【塩野座長】それではこれで今の最初の部分について、大分時間が経ちましたので、一応議論は終わるということにさせていただきたいと思います。今から10分ばかりということで、3時20分に再開ということでよろしゅうございますでしょうか。では3時20分に再開したいと思います。 (休 憩) 【塩野座長】それでは再開させていただきます。先ほど一応審理手続と裁量処分の議論は一応終わったということにしたいと思います。何かこういう点がおありになれば、おっしゃっていただきたいと思います。よろしゅうございますか。裁量のところは何か萩原委員、おっしゃられたいことが。 【萩原委員】特に何か新しいことを申し上げるわけということではないのですけれども、そもそも処分というのはすべて何か根拠があってされるものであるとすれば、ことさら裁量処分に限って何か明確に、例えば費用便益分析を使うというようなことを強調するというのはよくわからない。だからもう少し一般的に、だから裁量に限ってということではなくて、おそらく福井委員がおっしゃった趣旨というのは、ことさら裁量処分に限っての文言で条文を作るのではなくて、何らかの根拠を示すという意味で、新たな条文があったらいいのではないかというふうに私としては理解したのですけれども、一応そういうことで。 【塩野座長】どうもありがとうございます。芝原委員の方、何か。 【芝原委員】裁量というのが明確に定義できていないとすれば、社会の熟度というか、社会の流れの中で、裁量がぶれると思うのですけれども、そういうものを法律的にはどういうふうに対応できるのかというのはちょっとよくわからないです。例えば費用便益のことも書いていますけれども、そのような技術がまだ未熟で、進歩するものを法律に書くのが本当にいいのかどうか、これもよくわからない。だから社会の進歩・熟度、技術の進歩・熟度というのを裁量の中で一気にすべてカバーできるのかというのはちょっとよくわからなくて、その辺が法的に措置をするときにどういうことになるのかというのがちょっと我々としてはよくわからないなという感じで聞いておりました。 【塩野座長】いささか申し訳ないやり方ではございますけれども、我々裁量と言うとある種の事件を、さっきはマクリーン事件と言っていましたが、それから土地収用の、そういったものは多少ここにもお出ししている資料でございますけれども、それは前提にしながら議論するわけですから、間が飛んでて結論ばかり申し上げますが、良い御指摘ありがとうございました。 【村田企画官】執行停止・仮の救済についての検討課題の資料は資料1の3となっております。まず、このテーマに関するこれまでの議論及びさらに検討すべき課題ですが、資料で言いますと①のところは、現行の制度を簡単に記載しております。申し上げるまでもないかもしれませんが、取消訴訟又は無効等確認訴訟の訴えの提起は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げないという、執行不停止の原則がとられております、その上で、訴えの提起があつた場合において、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるときは、裁判所は、申立てにより、決定をもって、処分の効力、処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止をすることができる、という執行停止の制度があるわけです。他方、行政庁の処分その他の公権力の行使に当たる行為については、民事保全法に規定する仮処分をすることができないこととなっておりまして、執行停止のほかには仮の救済の制度がない、というのが現状の制度でございます。 【塩野座長】どうもありがとうございました。3つのテーマがありまして、ご覧になってわかりますようにそれぞれ固有の問題がございますので、一つ一つ区切って議論をしていった方がよろしいのではないかというふうに思います。そういうことでございますので、まず「執行停止・仮の救済についての検討課題」について先ほどと同じように御自由に御意見の交換をしていただきたいと思います。どなたからでも結構ですから、どうぞ。どうぞ、水野委員。 【水野委員】私、前回このテーマが議論になったときに仮処分でいいじゃないかという意見を申し上げたと思います。ですから基本的には44条を廃止して、仮処分でいくということで、それほどの支障はないと思っていますけれども、行政訴訟特有の執行停止及び仮の救済が設けられて、むしろ仮処分でやるよりは救済がよりよくなると、救済により資することになるということであれば大いに結構だと思っておりますので、念のため申し上げます。 【市村委員】私はやはり前回同様、行政に関しては仮の命令というものを置く必要があるということは皆さんと同意見ですが、その方法としては民事保全法を借りるのではなく、行政事件訴訟法特有の特性を考慮した新たな制度を設けるべきだというふうに考えています。例えば、実体が同じというものとして、住民票の不受理処分の問題がありますが、受理した後、消除処分という形でやりますと、これには執行停止がかかるわけです。現にそういう執行停止の申立てがあります。それと住民票が不受理の状態では困るから仮の地位を形成してほしいというのは、これはニーズは同じだろうと思われます。その場合、大体の判断の基本的な要素は同じだろうと思います。それが、一方は執行停止の原則の中で判断され、あとは仮処分で判断するということになるとその要件については必ずしも同じではなくなる。今もちろん水野委員がおっしゃったように修正して適用するという考え方もあると思いますが、それぐらいであれば、やはり同じ柱の上で、1本の柱を打ち立ててそれで現に処分がされた場合はどうかという特性を考えていくという方が体系的にも整合し、救済方法としても一貫したものができるのではないかと思います。 【塩野座長】その場合、名前は何ですか。 【市村委員】どうなんですかね。 【福井(秀)委員】執行停止が働く局面では必ずしも仮処分が競合する必要はないと思うのですけれども、働かない局面で仮に民事の仮処分で言うかどうかはともかくとして、何らかの救済が必要だという点では多分一致しているところがあると思います。ただそれも設計の仕方としては行政固有の事情というのはいろいろな考慮の仕方があるわけでありまして、さらから行政訴訟に何かつくるのがいいのか、民事の仮処分に行政固有の制約を何かくっ付けるのがいいのかと、これはやっぱり利害特質を比較考慮して選択すべきではないかなという一般論をまず申し上げます。その上でですが、水野委員もさっきおっしゃいましたように執行力が当然に付いてくるというところに、やはり執行不停止の原則には場面にもよりますけれども弊害があると思います。ただちに執行する必要がない場合もありますし、執行されたら原状回復が困難だという場合には例えば発給後数ヶ月程度経た上で執行力が発生するというような形にする余地もあると思いますし、もし執行停止原則を仮に採用しないとしても、執行停止の申請の審理中に執行されてしまうと取り返しがつかないということはよく起こるわけでありまして、こういう緊急の場合には執行停止の要件を厳格に審理するのでなく、さし当たり暫定的な期間の執行停止を認めると、それで後でもう一回ゆっくりやればいいということもあり得ると思います。要するに1回だけしかその執行停止の審理ができないというふうに何も前提とする必要はないわけでありまして、暫定的に止めて、もう一回本格的に止めるかどうかを議論してもいいということがあると思います。 【小早川委員】現行法で一番欠けているのは申請に対する拒否処分についての仮の救済の問題だと思いますので、そこに絞って申しますが、いろんな面からの改善が考えられると思います。一つは先ほどから出ていますが、金銭給付とか、金銭でないにしても社会福祉サービスのような、内容的には割合はっきりして、かつ法律関係としては行政対申請人の間で、大体、事が済む、外に波及しないというような、そういうものがあります。これは後の行政訴訟の対象の話とも絡むかもしれません、そもそも行政処分としてこの取消訴訟の対象に引き止めておく必要があるかどうかという別の論点と絡むわけで、本案の取消訴訟の排他性も外してもいいような話が多いのかもしれない、そうすると、それとパラレルに44条の仮処分の排除も外してもいい、仮処分も適用してもいいという感じはします。そういった類の、請求権が被保全権利としてありそうかどうかということを判断すれば大体それでいいのであって、それ以上に行政関係特有の判断を加える必要はそれほどないのではないかということです。 【成川委員】皆さんとあまり変わらない意見なのですが、今の執行不停止原則でやられますと、せっかく本人が違法で権利利益の救済を訴えながら、確定するまでそれが執行停止にならないということで、緊急の場合等あるわけですけれども、やはりこれは一旦執行停止するという形にした方がいいのではないかと思っております。ただ今も御指摘があったように、第三者の権利利益保護などに係わる場合には当然そちらに影響が出てくるわけなので、そういう点について執行停止するかどうかの要件としてその辺の判断は当然行いながら行うというふうな形になるのではないかと、こう思っております。また停止しただけで、不利益なりあるいは権利の確保ができないというふうな、給付なんかの問題あるいは自分の賃金なんかが払われないとか、そういう問題についてはちゃんと仮の救済ということで救済ができるという制度も是非考える必要があるのではないかと、こんなふうに思っております。 【小早川委員】ちょっと言い忘れました。被侵害利益の側に立って考えることも必要だと思います。被保全利益です。特に人身の自由とか、それから線引きが難しいのですけれども憲法上の精神的自由のようなもの、行政的規制というのは大体経済活動に対する規制が多いわけなんですが、中にはそうでないものがある。さっき私は、第三者に絡んでくるとそれは行政の方が専門家で、という言い方をしましたけれども、今のような種類のものについては必ずしもそうはいえない。憲法の原則からしても行政機関よりは裁判所の方がしっかり見てくれるのでなければ、また、第三者の利害よりも何よりもとにかく本人の憲法上の基本的な権利・自由を裁判所が保護するのでなければいけないという、そういう側面があると思います。そういったものはまたちょっと別かなと。そうすると、例えばその種の侵害的な処分については訴えの提起に執行停止効を認めるとか、それから、デモ行進について仮に許可制が取られていて、不許可処分があったという場合には、それらについては裁判所が仮の地位を定める、仮にデモ行進を認めるというようなことを、これは個別法で一つ一つやっていけばいいのでしょうけれどもそれはなかなか十分期待できないかなと思いますので、一般法で裁判所に特別の権限を認めるのはどうか、というような気もしております。 【芝池委員】私は、本案の取消訴訟、それと執行停止とは対応しているのではないかというふうに考えておりました。取消訴訟と言いますのは形成訴訟と言われますけど、よく考えてみますと非常に奇妙な訴訟でありまして、要するに行政の行為を取り除くというだけです。ですから形成訴訟と言われるのですけれども、民事の離婚訴訟などとはだいぶ違うわけでありまして、取消訴訟あるいは今回の改革でできるかもしれない取消訴訟のニューバージョンでありますが、そういう訴訟に対応するものとしては行政の行為で争われている行政の行為の効力を止めるだけの執行停止の制度が対応する。それ以外のところで仮処分ないし仮処分的なもの、そういうものの必要性が出てくるのではないかと考えていたのですが、でもただ今の小早川さんのをお聞きしますと、取消訴訟の場合でも仮処分的なものを認める、そういう余地があるということなんですか。 【小早川委員】いや、そこは基本的にはパラレルなんだろうと思います。本案で求められない救済は仮の手続でも求められない。そこは両方、両々相まっています。 【芝原委員】私どもが執行停止とか仮の救済をイメージするときに貨幣的な救済であれば、そのときに止められなくても、後で貨幣的な救済ができるのであれば、それは損害賠償的にある程度はいいのだろうという、行政の執行力の円滑、継続性の問題があるから、それのバランスで決まるのだろうと思いますけれども、そうではなくて、貨幣的でない、例えば大規模な公共工事がぽんと進むときに、これを止めれない。空間的に非常にどうしようもない、最後まで行って事情判決になってしまう。こういうときにはさっき小早川委員が言ったのは第三者の利益に係ってくる問題で、そういう社会的合意形成が不十分な事案に対しては仮に執行停止をして、社会的合意形成を促すとか、そういう意味であれば私は十分この仮の救済、あるいは、仮の執行と言うのですか、そういう意味では社会的には意味がある。これはやっぱり行政事件特有の問題ではないかなと、そういう感じがしているのです。 【塩野座長】例の小田急とかいろんなものがあります。 【芝原委員】あういうのはちょっと民事とは違う感じがします。その辺りはよくわからないですけれども。 【市村委員】非常に難しい問題だとは思うのですけれど。最初から結論がわかっていればどちらに、どういう流れで整序したら良かったかという形は言えるわけですが、一方において民主主義というのはある意味では多数決原理というので支えてて、あるいは手続的にあるプロセスを通ってきたら、それでやりましょうということでやるんだという建前にもなっているわけです。それに対して、何らかまだ、いやそれでは納得できないという人がいたときに、そのどこまで全部納得を得て物事を進めるべきかどうかというのは社会の仕組みの問題だと思います。執行停止を原則にするお考えが出ているのですが、例えば行政訴訟を起こせばみんな止まって、あと動かすのには、行政庁が続行命令か何かを逆にとらなければいけないということなのでしょうか。もしそうだとすると、とにかく、どのぐらいの長短があるにせよ、とにかく一時的に止まる、そういうことがやっぱり行政の円滑の問題から言えば、そちらの面を阻害することになる。その辺りをどう考えるかというのはいろんなケースがあるでしょうから、それは十分行政のヒアリングをやってやるべきだというふうに思います。 【塩野座長】そこはヒアリングのことになると思います。 【水野委員】市村さんのおっしゃることと基本的にそんなに違いはないのですけれども、原則と例外が反対になるということだけなんです。おっしゃるとおり執行停止原則をとっても、それに不都合な場合には申立によって、その執行停止の効力を一時止めるという制度を設けることは、間違いないです。だから執行不停止原則をとっても逆の手続がある、執行停止原則をとっても逆の手続があるということで、これは当然のことだと思いますので、どちらを原則にするのがいいのかということになると思います。我々の感覚からすると今、執行停止の決定を取るということは至難の業というのが実感です、いろんな面で。したがって、どんどんと進んでいくということで回復が困難だということになる。やはりこの際行政訴訟の改革の中で執行停止原則を取り入れて、そして行政がどうしても困るという場合には行政の申立によって、執行停止の効力を覆すと、そういう制度設計をすべきではないかというふうに思います。 【福井(秀)委員】今の議論に関わるのですが、現在の執行停止の要件は実際上非常に重い要件になっているわけです。緊急の必要とか回復困難とか、実質的にはかなり事業なり処分の実体を把握してからでないと、そう軽々には、イエスにせよノーにせよ判断できないという重たい要件が加わっているわけでありまして、現に審理するときには停止決定が出ると大変なものですから、行政庁も必死に準備するわけです。執行停止申立てが出そうな事件はわかりますから、逆に言えば原告側の弁護士が準備するよりももっと説得的な資料を短期に出せるようにということで、短期集中で大変な作業を現にやります。結局瞬間的にうまく裁判官を説得できた方が勝ってしまうということなんですけれども、それが必ずしも簡単な判断でないだけに、短期間で重たい判断を強いられてて、しかも1回判断したものは覆られない、しかも一度執行されてしまったらお終い、というような領域がある。重い判断を緊急にやって、実際には穴が空く可能性があるにもかかわらず、とにかく判断を求められる。これはやっぱり一か八かになるという偶然と、執行停止申立に対応する技術と言うのでしょうか、これは被告行政庁によって巧拙があると思うのですけれども、そういう偶然の要素。運、不運それから能力差で左右されるところが非常に多くあると思います。したがって、仮の仮とおっしゃいましたが、重いのが今の執行停止だとしたら、より軽い、さし当たり執行停止の判断をする間の期間は大慌てでなくて、すこし執行停止の要件についてじっくり議論できるよう止めておけ、というような制度があるのは極めて合理的な制度だと思います。 【塩野座長】原則をどっちにとるかというのはいろいろあって、立法例としてはドイツの立法例が日本と逆なんですが、しかしドイツも原則を破るときはかなり乱暴なこともやっていると聞いていますが、山本さんその辺は何か調べていますか。 【山本隆司外国法制研究会委員】たまたまこれも今日配っているものですが、原則は116頁のところに条文があるように、執行停止原則となっているのですが、80条2項1号、2号、3号のところで法律上例外が設けられていて、3号により例外を設けている法律というのが何だか最近非常に増えておりまして、これは119頁から120頁のところに一覧表を掲げておいたのですが、非常に見通しが悪くなっていることがございます。 【塩野座長】どうもありがとうございました。ごちゃごちゃいろいろ考えないとなかなかそう簡単に行かないということだと思います。どうぞ市村委員。 【市村委員】例えば期限を切って命令するのがあり、むしろ今の執行停止はそういう形のものがたくさん出ていると思います。それから、ケースによっては、申立人の申立てだけでやってしまうというのもあります。ですから、今のおっしゃられたもの、大原則をどっちにするか、最初の入り口をどっちにするか以外のところでは、運用はそう違っていないかなというふうに思います。執行停止全体から見ると、水野委員は、執行停止を取るのは非常に難しいとおっしゃられたけれども、全体からすると執行停止というのはかなり発令されております。 【芝池委員】本案の取消訴訟を提起する前に執行停止の申立てはできるのですか。 【市村委員】できないです。 【芝池委員】法律上はそうなんですけれども、実務上はそれを認めているというのは聞いたことがあるのですが。 【市村委員】いや、そういうことはないと思いますし。 【芝池委員】それはそうすると一つの問題です、現在の執行停止制度の一つの問題だということになります。 【市村委員】そういう考えはありまして、ただ例えばどちらかと言うと、本案を出すときに本案の違法理由については非常に簡潔に書いたままで、それはとにかく執行停止を出すために本案を出しているという、確かにどっちが主でどっちが従なのかと思われる申立がないとはいえません。執行停止の帰趨によってすべて決まってしまって、もう執行停止の結論いかんでは、本案をやる意味はないというタイプのものも確かにあります。例えばデモの規制の問題のようなものについて、後で損害賠償に変えるかどうかということだけですので、そのままでは維持する意味がなくなってしまいます。そういうものがあるということで、そこら辺はどうするかという問題は十分議論の余地があるところだと思います。 【水野委員】それは仮処分でも同じ議論があります。仮処分の本案化ということで、仮処分で大体済んでしまうケースが多いというのは言われています。 【福井(秀)委員】執行停止か不停止かに関して、先ほどドイツのご報告、大変参考になると思います。山本先生から最近例外が増えているというお話があったと思うのですが、ただ逆に言えばこれは健全だと思うわけです。なぜならば、停止が原則だけれども、やっぱりいきなり停止されたら困るというものについて、立法なりで個別判断をした上でないと執行不停止の方の類型には行かない。のべつまくなしに執行不停止が原則だという仕組みよりは個別の処分なりについて、具体的な議論をした上で、いやこれについては公益上の必要があるから、執行停止原則では困るんだという議論があっての上でこういうリストができる。ここは非常に学ぶべきものがあると思うわけです。日本の今の原則はおよそ行政処分というのは一切、止められないということが出発点になっていて、本当にどの処分も、この処分も止められないようなものなのかどうかという検証を一切不要にして、とにかく習慣的に執行してしまって、一巻の終わりなどという案件が、行政庁、自治体あたりに行ったら山のようにあるわけでして、それはやっぱり個別の検証を経ていない乱暴な行政運用ではないかと思います。そういう意味では、ドイツのやり方というのは、増えているのがいいか悪いかという議論はありますけれども、少なくとも個別審査にさらされた上でないと、こういうものが出てこないということで極めて参考になる事例だと思います。 【山本隆司外国法制研究会委員】ちょっとよろしいでしょうか。実はそんなに褒められたものではなくて、119頁から120頁のリストを見ていただきますとわかりますように、例えば外国人関係のこととか、あるいは集会等の例が出てくると思うのです。こういう例について、執行不停止とする合理性が執行停止になっているものと比べて、あるのかと言うと、やや疑わしいところがありまして、ある人の言葉ですが、119頁の一番最後のところに書いておきましたように、「政治的衝撃力のある分野」でこの種の法律が増えており、「表面的な『束の間の成功』を目指す、コンセプトなき行動主義」というような評価があります。 【福井(秀)委員】そういうこともあると思うのですけれども、多分さっき私が指摘した文脈ではそんなに問題にならないと思います。というのはこの政治的衝撃力のある分野で云々というのはやっぱり個別の立法での政治的な動きがどうかと思うものまで取り込んでいるという、むしろ立法過程の問題点だと思います。やっぱり法律で個別審査をするという構図自体はこういう枠組みでも一応守られていると推測しますので、その限りでは個別判断が一応あるという点は評価できる。もう一つはEC法とドイツ法については、これはある意味ではECとドイツ法との関係がややこしくなったということの問題点ではあっても、少なくともドイツ法に関する限りの執行停止原則の下では先ほどのような意味の個別審査があるという点は参考になるという印象です。 【塩野座長】ただEC法がこうだということは、これはフランスが勝ったのですか。 【橋本博之外国法制研究会委員】 フランスは執行不停止なんですけれども、仮命令を新しく作ったということです。 【山本隆司外国法制研究会委員】ですからドイツ法は執行停止をやり過ぎで、フランスは仮の命令を今まではやらなすぎていた。 【橋本博之外国法制研究会委員】今まではフランスでは3ヶ月の期限を切った、仮の執行停止というのがあったのですけれども、そういう意味ではむしろEC法によるインパクトで、それでは中途半端だから仮命令の創設、あるいは人権に関するものはもっと強力な仮の救済のところまでやらないと、それはECとのハーモナイゼーションができない。 【市村委員】この前フランスの仮命令がどのくらい使われているかという現状をお伺いしたら、そんなに活発な活用はまだされておられないという御説明でしたね。落ち着くところは、結局どっちから行くのかという問題なのかもしれませんが、この問題はやっぱり両方、申立人側と行政側とのまさに引き合いの問題でしょうから。 【福井(秀)委員】ただその件で非常に危険だと思うのは、行政庁一般に執行の緊急性があるかないかというのは全然意味はないと思います。この処分についてどうか、あの処分についてどうかでやらないと、およそ行政庁の意見を集約して天秤にかけるというのは全く物理的にも不可能だし、科学的なアプローチではないと思いますので、ご留意いただきたいと思います。 【市村委員】そういう議論をすれば、みんな個別法でやるべきだということになってしまいます。今までやってたものもみんなそういうふうな個別法に還元すべきだということになりませんか。その分野、分野であるとは思いますけれども。 【福井(秀)委員】だからドイツは現にそうやっているわけですから、そういうアプローチとおっしゃるような一律のアプローチとどっちがましなアプローチかという議論をやりたいと思います。 【塩野座長】一律のアプローチのときでも執行停止で早め早めに裁判所が対応すれば、つまり個別のアプローチということになるというふうには思いますけれど。 【福井(秀)委員】それは裁判所の個別判断に委ねなくても止まるのか、要するに立法であらかじめ枠を決めておくのか、裁判所の良心的な裁判官に委ねないと止まらないのか、という違いはあると思います。 【塩野座長】それからもう一つ考えないといけないのは、執行停止はよく、これは田中説で行政、つまりは非常に個別な、具体的な状況に応じて判断を要するということ、それが裁判所の判断に馴染むかどうかという問題はありますけれども、非常に個別に富むのです。ですから、それの個別性の判断をどの段階で入れるかということだというふうには思いますので、両方の考えがあるということは今日はよくわかりました。 【芝池委員】水野委員と福井委員の御主張についてお尋ねしたいのですけれども、仮処分、あるいは仮処分的なものを使うとして、どういう訴訟で使うのでしょうか。 【水野委員】仮処分ですか。いわゆる私たちが言っているのは是正訴訟、取消訴訟。 【芝池委員】しかし、執行停止原則をとれば、そこは要らないわけですね。 【水野委員】もちろんそうです。だからさっきから言っているのは私は仮処分一般でいいではないか、というのは前にも申し上げた。今も座長がおっしゃったけれども、それで困るところがどれだけあるか、そう大してないだろうと。公共性の問題でも、今その種の仮処分事件では現にやっているのですから、そう大きな問題はないのだろうと思っています。しかしいわゆる是正訴訟について特にこの行政訴訟法の中で特別な規定を設けるべきだということについては特に反対しないというか、むしろそちらの方がいい制度ができるのであればそれは賛成と言っているわけで、その場合にはもちろん仮処分の必要はないわけです。 【芝池委員】是正訴訟の中には義務付け訴訟的なものも入っているのですか。 【水野委員】もちろんです。 【芝池委員】そちらの方では仮処分的なものは要ると。 【水野委員】ですから、執行停止と仮命令でやるのでしょう。 【芝池委員】執行停止は要るのですか。 【水野委員】要するに是正訴訟の中の制度として、執行停止と仮命令をつくろうとしているわけでしょ。それはそれでやると。だから是正訴訟でない訴訟、今で言う当事者訴訟などは当然仮処分でやるということになります。それだけの話しですけれども。 【市村委員】今の当事者訴訟で仮処分は別に排除されていないわけですから、何もそこは変化ないのではないでしょうか。 【水野委員】そうです。 【市村委員】そうだとすると、委員がおっしゃられたように是正訴訟に執行停止原則があるんだというふうにおっしゃられると、どこで問題が出てくるのか、そこがピンとこないのですが。執行停止が原則であるとおっしゃられると、今までと違って、行政庁側が何か出すのでしょうか、続行命令の申立みたいなものを。 【水野委員】今制度を作ろうとしているのでしょう。制度を作る場合には執行停止原則にしたらどうですかということです。 【塩野座長】今言葉として是正訴訟が出てまいりましたが、これについてはここで正式な形での御披露はなかったものですから、またそういった点について資料が出てきたときに、また一体どうなんだろうかというような御議論はあろうかと思いますので、今日はその程度にしたいと思います。 【福井(秀)委員】今の水野委員のお答えで大体尽きているのですが、一つは、私が申し上げたのは、民事の仮処分を認めるべきだというよりはむしろ、受益処分の拒否処分の仮命令を民事と言おうが、行政と言おうが、やるべきだということの文脈で申し上げたということです。もう一つは執行停止原則と不停止原則とで言えば、これはファーストベースとセカンドベースとの関係にありますから、不停止原則でもいろいろ活用の余地はあると、こういう趣旨で申し上げたわけです。 【芝池委員】拒否処分の場合は小早川さんが言われたところでは二つのものが接するところがあり得るということですね。仮命令的なもの、仮処分的なものだけでは適切ではないという、そういう御意見ですね。 【小早川委員】義務付け判決の前提としての仮の救済という場合に、例えば営業許可なんかですと、行政庁が許可する場合には、どんな条件を付けるかというそんなところまでいろいろあって、それで処分するわけです。そういうものを裁判所がすべて代わってやるということをどう評価するかということです。民事の仮処分ですと、私人と私人の間に裁判所以上の権威はないわけですから、裁判所が、ではこういうことでしばしやりなさいと言って、しばし収めることがあるわけですが、行政庁というのは法律上、自分でいろいろとさじ加減をやって、この事件はこういうことで、こういう条件で許可をしようというようなことを決める権利を一応与えられているわけなので、それを裁判所が代わって行使する資格と言いますか、正当性はどこまであるか。そういうようなケースがある種の申請に対してはあり得るだろうと。 【水野委員】それはおそらく通らないでしょう、申請しても認められないでしょうね、というだけの話し。だからそういう制度をつくればもちろん通るものもあれば、裁判所がそこまでやるのは行き過ぎだよと、通らないと、そういうようなケースがあるわけで、例えばさっき言った和泉市の事件だって、申立をしたのは要するに期限なしで申立をしたのです、ストップしろと。ところが裁判所はずうっとストップだというのはこれは行き過ぎだと。そこまではちょっと行き過ぎだと、1年間とりあえず止めると、そこまでだったら認めると、そういうふうにやったわけですから。それはもちろんケースケースによって、いろんなケースがあるということです、当然。 【塩野座長】本当にこれは個別の利益条件がいろいろとありますので、先ほど芝原さんの金銭という場合でもいろいろな金銭がありまして、生活保護になると、今日明日の生活ということがかかっているときに、金銭だからもう少し後に待って、後から払えるじゃないかということにはなかなかならないという点があって、かなり個性的な問題がありますので、そこで一つの制度で勝負するというのはなかなか難しいところがあります。先ほど芝原委員の大規模建設のような場合にも今は執行停止1本でやるのですが、それなんかはむしろ萩原委員やあるいは芝原委員がよく御主張なる都市計画決定手続とかそういったものできちんとやるべきではないかというような議論があって、私もそうかなと思うのですが、今日はとにかくおよそ一般的にというところでお話を伺っているところでございます。 【福井(秀)委員】最終的に司法審査で決着つけるというのは全く結構だと思うのですが、その場合に処分庁ではない内閣総理大臣が出てこなければいけない必然性があるのかどうかというのはまた別の論点になり、私は個人的には全くないと思っています。今日でなくてもいいのですけれども、詰めるべき議論ではないかという気がします。内閣総理大臣が不服申立をする余地というのはこれは排除しているという趣旨ですか、事務局案は。それならいいですが。 【水野委員】不服申立は当然相手方でしょう。つまり抗告とかそういう制度を設けると。 【福井(秀)委員】それならいいのです。両方に読めたような気がしたものですから。内閣総理大臣の不服申立権はなくてもいいと思っただけですから。 【村田企画官】今ある制度を廃止するような方向で検討すべきだということで一致したというだけで、あと代わりの制度をどうするかというところは特に何も。 【福井(秀)委員】そうすると今の問題もあるということも申し上げておきます。 【塩野座長】どうもありがとうございました。よろしゅうございますか。 【市村委員】ある程度実情の御報告ということになるかと思いますが、実際の事件ではこの行訴法の8条の1項、それから2項、3項をそれぞれ結構活用しております。というのは例えば審査請求を既にしているという事実があって、ただ3ヶ月を経過していない間にまた出してきたというような場合に、それだからといって、直ぐにそこで不適法だとやったりはしません。大体その場合は様子をみて、他の点も3ヶ月で全部終わってしまうことはなかなかありませんので、あえてその点を取りあげてやるということはありません。また、つまり審査請求を全くしていないのなら別なのですが、被告行政庁の方から、この点を指摘して、3ヶ月経っていないじゃないかということを言ってくることがまずないのです。そういう意味では、あまりそれは争点になりませんので、判決の中では、書きませんが、割合この辺りは例があるのです。それからあとよくありますのは、もう既に同じものについての、同じ類型での不服申立をしているけれども、なかなか行政庁は判断せずに、ずうっとそれを抱え込んだままだというのがありまして、それについてはそこの審査を申立てないまま、行政庁の態度としてはしばらく裁決は出ないという形で2号だ、3号だという理由があって申立てるものはかなりあります。この点についても、被告行政庁の方からは、あまりここは審査請求未経由だということは言ってきません。判決で触れたとしても非常に軽くしか書かないし、そういう意味ではあまり表には出ていませんが、件数を取ってみれば、そんなに少なくはないと思います。ここのところの活用は、割合と柔らかく運用しているということを御理解下さい。 【水野委員】1号は当然3ヶ月過ぎてしまったからということになると思いますけれども2号と3号はやっぱり立法的な手当てが要るのではないのでしょうか、私もあまり実情は知りませんが。 【市村委員】2号でカバーしきれないと思う場合でも3号について、3号該当があるということで認めていると思うのです。行政庁が、これから審査請求についての判断を出すぞというときには言うのでしょうけれども、ほとんどそんな例はございません。むしろ、それなら裁判の方を早くやって、判決を見たいという態度を取っているのではないかと思わせることが多い。 【水野委員】ただ「正当な理由」というのはかなり厳しいのではないでしょうか。 【市村委員】いや、例えば同じ審査請求をして、例えば1年も判断をしない、あるいは、そうした申立てしながらずうっとそういうものを判断した例がないというのであれば、それで「正当な理由」というところを認めるケースもあると思います。だから「正当な理由」というところは割合と柔らかい運用かと思います。 【水野委員】きちんと当たっていませんが、私は3号の「正当な理由」というのはなかなか厳しいのではないかと思います。 【市村委員】審査請求を全く意味をないがしろにするつもりで、全部やってくれというのは、それはなかなかパスしませんが、何でやってこないのかということについて、それぞれ理由があることが多いです、もう既に態度を明らかにしている。例えば年度の違う更正処分でもこういうふうになっているとか。そういう意味では今の、どんな状況でむしろ問題があると言われているのか、実例はあまり捕まえられないのです。 【塩野座長】こういう「正当な理由」がどういうふうに使われているかというのは、最高裁の方でつかんでいますか。 【最高裁判所(事務総局行政局増田第二課長)】そこは十分には把握できていません。判決に表れていないというところもありますので、正確には把握しておりません。 【小早川委員】3号ですと、そもそも審査請求しなくていいわけです。今、現に、不服申立前置の大物というと、課税処分と社会保険、労災関係かと思いますけれども、社会保険や労災なんかで、法律問題で争っていておよそ審査会通したってしょうがないというケースがときどきあるのです。そういうものについて現行制度で不服申立前置を被せるということ自体にどれだけ合理性があるのかなという気はしております。この問題は、そもそも、ある種の処分について、出訴期間排他性付きの取消訴訟を強制しないとなれば、不服申立前置そのものが本来の意味がなくなる。取消訴訟を起こすには不服申立をしなければいけないかもしれないけれども、民訴で行けるのだったら、それはそちらで出してもいいということになるのかもしれません。民訴でなくても、他の何か別の訴訟を起こすことになるかもしれない。そういうことで、対象となる処分の範囲を狭めていくということになれば、問題そのものが小さくなっていくのだろうという気もいたします。 【福井(秀)委員】この②の最後の問題提起の趣旨は、要するに却下になったらもう二度と起こせないから待ってあげて、適法性が補完されたと考えたらどうか、という意味ですか。これをやった場合に何か問題点というのは想定しておられるのですか。 【村田企画官】その辺もし、あればということで御議論いただければということで、特に具体的な指摘はございません。 【福井(秀)委員】これはさっきも御指摘あったと思うのですが、審査請求をしないで起こすことを想定しているという理解ですか、3号は。それともしてあるけれども、まだ裁決がない段階で正当な理由があるから裁判を起こすのだということですか。 【村田企画官】2項3号は審査請求を経ない場合も対象になっている。 【福井(秀)委員】両方あり得るということですか。 【村田企画官】申立てしていない段階のものも両方、あり得る。 【福井(秀)委員】してないとアウトですよね。おっしゃるような他の余地はないのではないでしょうか。 【村田企画官】待てるかどうかということですか。 【福井(秀)委員】3ヶ月経つまで待ってあげるというのは審査請求しているときには意味があるけれども、していないときにはもうとにかくアウトになる。 【村田企画官】その場合には2号、3号。 【福井(秀)委員】そこの救済措置にはならないわけですね。 【村田企画官】はい。 【福井(秀)委員】という意味ではやっぱり前置がどうかというところに、救済という意味では戻っていくわけですよね。 【市村委員】前置の規定は、それぞれ個々の法令に置かれているわけですが、そちらの方に、本当に意味があるかという見直しをすべきでないかなと感じるものはなくはないです。つまり実際には審査請求されても判断をしないのに、法の建前としてその前置を要求するというのは、何か不合理ではないかなと思う事例もなくはないですが、そこはやっぱり個別法の問題と思います。どちらかと言うとそれこそ個別法で必要なら置いていい、それをまったくそういうことをやったらいけないということは逆に言うとおかしい。 【福井(秀)委員】もちろんそれはそうなんですが、多分前置の問題を考えるときには今置かれている前置の個別法が何らかのまともな基準によって、綺麗に分類された合理的な制度かどうかというのは、行政訴訟の問題として捉えないといけないわけで、もちろんここで全部個別にチェックできるかどうかというと時間的、資源的制約があると思いますが、少なくとも今代表的にある前置の部分についてはいくつかのケーススタディでもいいのですけれども、本当に合理性があるのかどうかについて、行政庁の言い分が本当に妥当かどうかという観点でレヴューする手続を是非やっておいた方がいいと思います。 【塩野座長】その点は今の行訴法の立案に際しても大問題になったところで、どういう場合について審査請求前置を認めるかということについて、一種のカテゴリーをつくって、こういうものならいいのでしょうと、いくつかのカテゴリーを置きまして、問題はその後、そのカテゴリーに入らないようなものができているかどうかということと、それからさらに遡れば昭和37年のときに立てたカテゴリーが果たして現在に通用するのかという問題があろうかと思います。それからそういう場合には、これはまた福井(良)委員にもいろいろお考えいただかないといけないのですけれども、ピックアップ方式で行くのか、それとも総合的に調査をかけて、それで所管省から自分はどのカテゴリーだと、それは具体的にはこういう理由ということを言ってもらう。いろんなやり方があるかと思いますので、その点はまた聞きたいと思います。何か福井委員、今の段階で。 【福井(良)委員】ちょっと今のピックアップのことで述べさせていただきたいと思いますけれども、総務省では行服法の特例ではありませんので、これは全然チェックしておりません。 【塩野座長】どこかから声をかけていったらいいのかということも含めて。 【福井(良)委員】それも含めて事務局と相談します。 【小早川委員】ちょっと今の件で、この問題をどこに位置づけるのかということなのですけれども。司法制度改革の中でADR問題というのが提起され、検討会ができているわけです。ただ、不服審査前置がいいかどうか、今ある不服審査システムがうまく機能しているか、あるいはそれにさらに改善すべき点があるか、せっかく前置するのであれば第三者機関で裁判所にできないような立派な仕事をしてもらいたい、その辺をどうすべきか、それは私達からは何も言えない話なのでしょうか。ただADR検討会では。 【水野委員】ただそういうのを用意するのはもちろんいいのですが、それを選択するのは国民なんです。どれがいいのかというのは、国民が選択すべきであって。 【小早川委員】そうです、確かにそれは必要です。 【水野委員】だからADRの利用をまず強制するというのは反対です。これは私はちょっと小耳にはさんだことですけれども、韓国では行政事件が行政不服審判委員会、行政裁判所がある。それから憲法裁判所がある。この3つが競いあってやっているというのです。だから市民は一番自分の救済に適すると思うところを選んで持っていく。やはり制度としてはそういうものでなくてはならないというふうに思います。さっき市村さんがおっしゃられた現行法8条ではただし書きが、無条件で法律に定めがあるときは、と書いてあるのです。ですから、もし書くとすればそこに何らかの要件を定めて、特にこういう場合で、法律に定めがあるときはという、個別法の立法を制約するような規定を置いたらどうかなという気もいたします。 【福井(秀)委員】ここの紙の論点ではないのですが、広く審査請求と取消しの訴えとの関係という意味で、前にも一回問題提起したことがあります。教示と係わるわけですが、不適法な審査請求が出訴期間過ぎてから却下されるともう裁判に移行する余地がなくなって、実質的に訴えの権利、救済の機会を制限されるという問題があるので、これは是非不服申立手続の中で、訴訟同様、簡単に補正できる不適法事由についての追完なり補完なり、適法化の手続を検討していただくことをお願いしたいと思います。 【福井(良)委員】ちょっと今の点ですけれども、行政不服審査法の21条に補正の条項があるのですけれども、それではなくて、それは使わないということですか。 【福井(秀)委員】そうです。時期に遅れると、ずうっと不適法な審査請求を起こしていたことになりますので、出訴期間の3ヶ月を過ぎてから、却下されますともう直しても未来永劫争えないのです。 【福井(良)委員】行政不服審査法で補正できるものについては補正しなければいけないことになっていますよね。 【福井(秀)委員】だから出訴期間に間に合うように親切にやってあげればいいですよ、それを。 【福井(良)委員】ですからそこは運用の問題があるかなと思いますけれども、ちょっと事例があまり浮かばないものですから。普通は補正義務を尽くさないで却下した場合については、そのものが違法になります。ですからそうじゃなくて、もう少し何か限界的なケースを考えておられるのかなと思いますが、具体的な事例があれば教えていただきたい。 【福井(秀)委員】今のどういう意味ですか、よくわからない。何が違法になるのですか。 【福井(良)委員】補正義務を尽くさないで、却下することです。 【福井(秀)委員】そういう問題を想定しているのではないのです。要するに補正させられるものを補正させたにしても、補正したら適法になるわけです。しかしそうではなくて、例えば被告を間違えてるという類で、補正すれば適法だけれども、補正しないままだったら違法の審査請求という類で、要するに補正できないということを3ヶ月経ってから、教えてもらっても意味がないということなのです。 【福井(良)委員】そこはもう少し具体なケースを教えていただきたいと思います。 【福井(秀)委員】今言ったのは私が自分が経験したから言っているのです。いっぱいあるのです。行政庁で直させれば適法になるのに、3ヶ月過ぎてから、もう直せない時期になって却下するような裁決はどこの行政庁もいっぱい書いている。だから言っているのです。 【芝池委員】その3ヶ月というのはどういう意味なんですか。なぜ出てくるのですか。 【福井(秀)委員】出訴期間の間に、ということです。 【芝池委員】審査請求をやってからは出訴期間は走らないですよね。 【塩野座長】それは審査請求が不適法だと、そういうことでしょ。 【市村委員】審査請求のやり直しができない状態になって、この審査請求はダメだと言われても困る。それは審査請求やってて、3ヶ月経過している間の審査請求が維持されている間であれば、補正は可能ですよね、それ自体。 【福井(秀)委員】被告を間違えているような場合だと厳しいのではないですか。国と書くか大臣と書くか、間違えて3ヶ月経ってから教えてもらっても意味ないですから。 【市村委員】そういう意味ですか。逆に「だから補正命令を一定期間内に発しなさい」ということですか。 【福井(秀)委員】一定期間内の補正命令みたいなことをやらないと多分救えないというのが随分あります。訴訟の方も、既に議論があったように例えば訴えの類型とか、些末な技術的な事項で落とし穴にはまらないように親切にしようというのが裁判であるとすれば、やはり前提段階になっている可能性の高い不服申立手続も同じように対応しておかないと、救済の権利を実質的には制約するということです。 【塩野座長】そういう問題があるということはわかりました。ただ不服審査法それ自体をここで取り上げることはなかなか難しいかもしれません。そこはまた相談して。 【福井(秀)委員】裁判と連動しますので、その限りでは検討していただきたい。 【塩野座長】連動はよくわかりますけれど。 【小早川委員】今のお話を伺っていて、思ったのですけれども、別の話ではありますけれども、教示は義務付けられているわけですが、あれは不服申立ができるということの教示であって、不服申立前置の教示ではない、現行法はそういう教示を義務付けてはいないと思うのですが、行訴法の方で、不服申立前置まで教示しなければ不服申立前置は働かないよという仕組みはあり得る、現行法に比べて若干の改善になるかなという気がちょっとします。 【塩野座長】今日の問題提起には教示自体は出ていないのですけれども、ただ論点として既に教示の問題についてはいろんな御提案もありましたし、これは是非国民に対するアクセスの容易さ、あるいはアクセスを確実にするということで、国民側の裁判所に対するアクセスを確実にするという意味で、制度として今後細かな制度に入ってくると思いますので、そのときにはまたいろいろ御議論をいただきたいと思います。他に、よろしゅうございますか。 【小早川委員】これはご承知のとおり、複数原告という場合も2つあるわけでして、処分そのものが1個のように見えるけれども、原告ごとに可分であるという場合と、それからあくまで処分は不可分で、切り分けは絶対にできないという場合とがあって、有名な医療費値上げ告示の取消訴訟というのがもし適法だとすればですけど、あれは原告健康保険組合ごとに処分は別だというふうに多分、時の裁判所はお考えになって、そういう前提で議論していたと思うのです。それはそういう場合があって、それはこの問題は自ずと解決されるのではないかと思います。ここで挙がっている森林法のケースというのは多分そうでなくて、処分はやっぱり不可分である、原告らはそれぞれ自分自分の立場に立って、自分の利益を守るためにそのたまたま一つの処分に群がって、というとあれですが、それに向かってみんなで槍を向けているということになるわけです。私はこの問題は、前々から頭出しだけされています団体訴訟の問題についてもし団体訴訟を認めれば、その団体の構成員は様々な立場に立って、とにかくしかし処分には反対だということでは一致しているというシチュエーションが考えられます。その場合原告が1団体であるとすれば、手数料も1団体が払えばいいということになると思います。そういう先のことを考えて、それから現状に戻ってみますと、この場合に、それぞれ立場が違うからそれぞれ別々に手数料を払えというのはやっぱりおかしいのではないか。現行法の解釈論としては最高裁判例があるから仕方がないのかもしれませんけれども、立法的にはありうるかなという感じがいたします。 【福井(秀)委員】私も結論は同じなのですけれども、この最高裁判例以外にも大阪高裁の判決で、例えばゴルフ場の建設差止めを人格権、環境権で求めたものとか、カンボジアへの自衛隊派遣の差止めを生存権とか納税者基本権で求めたものについて言えば、これは合算して一つだというふうにしている例があるわけです。これらと最高裁と比べると別に基本的な問題の構図に違いがあるとは思いませんので、結論から言うとこの最高裁の解釈論は間違っているのではないかと思うわけです。その趣旨は最高裁の解釈論は訴えで主張する利益とその訴えの根拠なり原告適格の根拠が混同されているという気がするわけです。この場合も原告自身は、安全な水とか水利権自体を求めて、その権利を確認せよと主張しているわけではなくて、あくまでも開発許可の違法性について判断を求めているというのが大前提ですから、そういう意味では開発許可のない状態を回復してくれという意味で、原告全員に共通の利益があると考えるべきであって、水利権等の主張というのは何故その原告が訴えることができるのかということの根拠に過ぎないわけです。多分解釈論としても間違っていると思うのですが、とはいえ、今小早川先生がおっしゃったように最高裁が出てしまった以上、解釈でもう一回やり直すことはできないので、やっぱり立法で変えないといけない。結論から言えば、こういう場合について言えば、一つのものとして扱うようにするのが少なくとも立法政策としては妥当だと思います。手当てをした方がいいと思います。 【市村委員】解釈論が間違っているとは思いません。その議論をしてもしょうがないのですが、行政訴訟にはこの種の問題のようにやっぱり何となく国民の意識感覚とずれてしまう、費用法をそのまま当ててしまう、ずれてしまうというものは、他にもいくらかあると思うのです。例えば年金訴訟、年金給付などの取消しを求める訴訟はやはり経済的な利益を求めているのだと思いますが、どうやってその額を算出するか非常に難しいのです。もし受給権者ということになれば、なくなるまでずうっと受給を受けることになりますが、それはどの期間かという計算が非常に難しいし、果たして、そんなものを計算してみるということはどれだけ合理性があるかということも問題です。あるいは、固定資産の評価について税額が変わらなくても固定資産の評価が間違っているという場合に取消しを求める利益というのは認めていると思うのですが、税額が変わらないけれども、やっぱり利益があるというときがありますが、直ちに算定不能というところに持って行ってどうかという問題もあると思います。費用法があまり行政事件の特有の問題について、すべての場合を考えていないのです。この行政事件については、私どもはむしろすっきりとしてわかりやすいことが大事だと思いますので、むしろ、費用はこういうものだったらこれだけいただきますよ、というものでしょうから、そういう問題があるものをむしろ全体の意見を取って洗ってみて、それで行ったらいいのではないでしょうか。あんまり頭を悩ませたくない部分です。 【水野委員】これは前にも申し上げたのですが、かつては人格権なんかでやるときには合算する、行政訴訟については一つでよろしいという、これは裁判所の安定した取扱いであった。これは理屈は別に議論したわけではありませんが、訴訟物は民事訴訟の場合には権利です、Aさん、Bさんのそれぞれの権利。それは当然合算となる。ところが行政訴訟の場合は行政処分の違法性が訴訟物となる。行政処分の違法性というのはこれは共通なのです。それが取り消されるというのが利益ですから、だからここで言う共通の利益というのは行政処分が取り消されるということを求めて裁判をやっている。これは共通の利益なんだということで、一つでいいのだ、合算しなくていいというのが裁判所の取扱いだったのです。これがあるときから一部裁判所が、行政訴訟についても合算すると言い出したのです。この最高裁の判例は、さっき福井さんが言われたことだけれど、要するに水利権とか人格権とかを根拠にしている。これは訴訟物ではないわけでありまして、訴訟物はあくまで共通なんです。ですからこの最高裁の判例の解釈はおかしいと思いますが、それはそれとして、やはり合算しなくてよろしいという、明確な規定を置くべきだ。こういうことで最高裁までいかないといけないという制度がそもそもおかしいのです。だから市村さんがおっしゃるようにはっきりさせておくべきだと思います。私は今市村さんがおっしゃったことに関連するのですけれども、行政訴訟について、民事訴訟と同じように訴えの利益が何百万だから、それに応じて印紙を貼るというようなのがいいのかどうかというのは非常に疑問なのです。例えば税金の裁判で言いますと、百万円の税金を争っているのと、一千万円の税金を争っているのが違うということになるかもわかりませんが、要は行政が違法を犯しているということを理由に裁判を起こしているわけですから、これはもう一律でいいじゃないかと。それに応じて訴額を決めるという民事訴訟的な発想ではなくて、行政については一律千円とか、そういうふうな形ではっきりさせた方がいいじゃないか。これは非常にはっきりしますから、追徴命令を出すか出さないかは誰も必要ないので、そういう制度にすべきではないかと思っております。 【福井(秀)委員】では立法論としてどう書けばいいのか。少なくとも立法論では直した方がいいと思うのですけれども、複数の原告が訴えで主張する違法性が共通する限り、その訴えで主張する利益については民訴法9条のただし書きを適用する、こういう趣旨のことを書けば解決するだろうと思います。最高裁判決は解釈としても間違えていると思いますが、それはともかく、立法としてはそういうふうにした方がよろしいかと思います。 【塩野座長】私はまったくこの点はわからないところなんですけれども、一般的に芝原委員、あるいは成川委員、萩原委員、手数料というふうに書いてあると、どういうものだと思いますか。つまり違法性だけでも、原告の人数により手数料はやっぱり随分変わりますか。 【市村委員】それによっては変わります。それは確かに多数当事者であると非常にその手間はかかります。同じ割合で上がっていくかといえばそれは違うと思いますが。もちろんただ代理人が選任されてしまって一人になれば、そういう意味ではほとんど変わらない。 【塩野座長】だからこの検討会で費用が何かというのを根本的に詰めるのはなかなか難しいと思うのですけれども、行政法的に言うと、ここは違法な行為に対して国民が手を挙げて、一生懸命やっているときにどの程度の費用を当該国民に求めるのが正義なのかという、そういうアプローチもあっていいのかなというふうにも思うのです。ただそこの限りにおいてかなり立法的な判断の可能性があり得るということは言えると思います。 【成川委員】どういうふうに感じるかということですが、普通手数料というとそれに要する実費みたいな形を考えますが、こういう訴訟で違法性を争うときに実費をどう考えるかと、裁判官も人件費を考えたらとんでもないお金になるでしょうし、それはそれで公共性ということで別途の手当てがされているということになりますと、なかなか難しいです。通知の切手を出したりなどは今はどうなっているのかわかりませんけれども、また切手の料金も変わるでしょうし、電子媒体になったらどうなるかとかいろいろありますから、なかなか答えにくいと思います。 【塩野座長】これは外国法の方々は調べていただいておりますか。 【橋本博之外国法制研究会委員】フランスは租税法典に条項があって、行政訴訟は定額です。 【塩野座長】複数の場合は。 【橋本博之外国法制研究会委員】原告複数の場合は集団訴訟で、法人が1個の訴状で訴える場合は1個だが、訴状が複数の場合は訴状に貼る数が増える分増える。 【塩野座長】郵便代と考えれば増えるのは当たり前のことになりますが。 【市村委員】郵便代は入っておりません。 【水野委員】実情を言いますと、やはり印紙代というのが、訴訟を起こすか起こさないかの極めて大きな要素になっているのです、市民にとっては。一審のときには無理をして貼る。控訴審に行くと1.5倍なのです。上告審になりますと2倍になるのです。そうなりますと特に上告審まで争いたいというケースもあるわけですけれども、上告で受理されるかどうかとか、上告審で引っくり返る可能性があるかどうかという非常に難しい問題がありまして、そのときにまず印紙がいくらかという、その印紙代を捨てる覚悟でやらないといけない。これが上告をするかしないかのものすごい大きな要素になります。これが実情です。やはり裁判を受ける権利という憲法上認められた権利ですから、そんなことで裁判を断念させるということは、とりわけ行政訴訟ではないように是非配慮しなければいけないと思います。 【福井(秀)委員】試算があるので、御紹介したいのですが、例えば1億円の課税処分の取消訴訟だと、一審で41万7千6百円掛かり、今水野先生がおっしゃったように高裁、最高裁で50%増し、最高裁で倍ですので、合計188万円ほど掛かる。1億円の課税処分を違法だと言って争っているときに188万円というのは通常の感覚からしても非常に大きいという気がします。 【塩野座長】わかりました。ちょっと時間が私の不手際で大分押してまいりました。今日もう一つ是非説明を聞き、さらに時間があれば議論していただきたいと思う点がございます。というわけで、議論が早く終われば5時半に終えますけれども、ちょっと議論が重なる場合には5時40分ぐらいまで、多少時間を10分程度延ばせていただくことがありえますということをまず最初に申し上げておきます。 【村田企画官】行政訴訟の対象についての検討課題の資料は、資料1の6となっております。まず、このテーマについてのこれまでの議論及びさらに検討すべき課題という項目では、①において、現状の説明をしております。すなわち、「法律上の争訟」に含まれない「民衆訴訟」と「機関訴訟」を除けば、行政訴訟は、「抗告訴訟」、すなわち「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」、と「当事者訴訟」、これはさらに2つに分かれまして、このうち別途法令で定めることが予定されている訴訟を除きますと、残ったものは行政訴訟は、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」と「公法上の法律関係に関する訴訟」ということになります。 【塩野座長】どうもありがとうございました。最後に事務局の方から資料説明で言われましたように基本的な視点について、いろいろな御意見をいただきたいということでございます。個別の、今まで取消訴訟とか、あるいは義務付け訴訟とか議論してまいりましたが、そういった個別のことについて話をしていただいても結構でございますし、自分としては基本的な考え方はこういうふうに思うというふうな御意見でもいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。この点については、最初大変立派な絵を芝原委員に書いていただきましたが、芝原委員何か感想をお持ちでしょうか。 【芝原委員】今までずうっと個別的な議論、あるいは技術的な議論、法律的な議論をしてきたと思うのですけれども、我々の世界で言えば、個別個別で最適な集合体が全体として最適かというのは合成の誤謬で、実はそうではないという理論があるわけです。やはりこういう制度設計をするに当たっての基本的な設計思想、アーキテクチャーがあって、こういう個別的議論の是非はその上で問われるべきだと思うのですけれども、そこら辺りのベースになる判断基準がまだすり合わせができていない。これから、今まで、今日あった議論のことも含めて、右に行くのか左に行くのかというときに、1個1個でこういうのでなくて、やっぱり基になる基本的な設計思想に合意がないと、それぞれがぶれてくるのではないかなという感じがしています。是非その辺一度、事務局で今までの議論を踏まえた上で、基本的なアーキテクチャーを、我々の話を聞いているとこういうことではないかという辺りを大雑把でもいいから、スケッチをまずしてもらって、そういう議論をする方がいいのではないかなという感じを受けています。それがないと、個別個別で最終的に詰めの議論がするときに、どっちがいいですかというときに、立ち返る原点がよく見えないという感じがいたしました。 【水野委員】私はかねて、行政訴訟の改革は簡単だと、一つ条文を設けたらいいと。行政事件訴訟法を廃止するということでいいのではないかということを半分冗談で、半分本気で言っていたのですが、今日の問題提起はかなりそれに近い問題提起になっていると思います。やはりこういった観点、つまり権利救済ということで、権利救済の方法を区別するというのがそれによって、国民の権利利益の包括的実効的な救済に障害が生じないかどうかというのが一番です。現行の行政事件訴訟制度というのは支障が生じている。それから2番の私法関係か公法関係か、行政上の法律関係か、そういったことは一つの判断要素だろうけれども、権利救済の実効性の確保という観点から見て、区別する要件として決定的なものとして考えられるかどうかということについても、決定的なものと考えるということで作られている今の制度というのは非常に疑問があると思いますし、それから3番の「国又は公共団体に対しても必要な救済を求める請求権が生ずるという考え方」、これもそういう考え方をとるということも十分可能だというふうに思うのです。手続的な違法で行政処分の取消しなどを求める場合に、一体原告の権利利益は何なのかといったふうなことを考えるときに、これはやはり適法な手続によって行政処分を受ける権利があるとでも言わないとしょうがない。理由付記が要求されているときに理由付記がない。これは行政処分に適切な理由を付記する権利ということでも言わないと意味がないと思います。そうするとこの3番の問題提起も非常に私としては共感するところがあると思います。 【成川委員】非常にこれまで14回目まで、行政訴訟とはどういうものかいろいろ考えさせられたところなのですが、基本はやはり行政の行為による国民が受けた侵害あるいは権利をどう是正するか、そして行政行為自身がやはり合法的に国民がしっかり支持できるような、そういう行政行為をやるかという、正すというか、司法の場でチェックする、そういうシステムではないかと受け止めたところです。しかしやはりその具体的なシステムについては行政の決定なり行為があったことに対して国民の側から異議を申し立て、当事者自身がやはり一番そこで権利の侵害、利益の侵害がされたということで、申立があることが具体的な争点が明らかになるということなので、行政訴訟法というのはそのときの手続をやはりしっかり定めておくという意味で必要があるのではないか。民事との違いはやはり一方の当事者が行政で、力を持っているということで、なかなか対等の、普通の民事の訴訟関係ではない特色があるという点について、やはりどこまでしっかりその点を行政訴訟法の中で明確に書いておく必要があるのではないかと、こんなふうに思ったところであります。 【小早川委員】今日のこの資料1−6のペーパーは非常にメッセージが強いと思うのですが、読んでいて、私が30年前に書いた助手論文を思い出しています。民事関係は権利の体系であり、それは人が人に対して何を要求できるかという言葉でよく表現できる、それが請求権であるということで、このペーパーは、行政上の事象についてもそういうふうにすべてを請求権に還元すると言いますか、昇華させると言いますか、請求権というカテゴリーで表現できるし、それでもって制度を作るべきだというふうに言っておられるようなんです。私も30年前にやっぱりそういうふうに考えました。考えたのだけれども、それでいい制度ができるのだろうかというと、結局はそうは思わなかったわけなのです。それはどういうことかと言うと、自分では段々わかってきたと思っているのですけれども、この検討会でも何度か申し上げたことですけれども、請求権にうまく整理しきれないような人間にとって何か大事なもの、社会的に保護されるべき個々人の、あるいは各事業者の立場がある。そういうものを請求権とはっきり言えれば、それを裁判所が助けてくれれば、それでいいのですが、裁判所がうまく助けてくれないようなものがある。もし行政というものの存在価値があるとすれば、そこにあるのではないか。そういう意味で、100%法的ではないのだけれども、行政は外野手かもしれませんけれども、そこを何とかカバーしてうまく働いてくれれば、その分国民は幸せになるということがあって、現実の行政はそうではないのかもしれない、しかしそれをどうやって本来期待される役割をきちんと果たさせていくか、そこが行政法であり、行政訴訟制度だというふうに思うのです。その結果として訴訟で守られるものは請求権としてしまう、それはそれでいいのかもしれませんけれども、頭の順序としては逆でないかという気がします。そういうふうに私は今考えています。ただドイツでは請求権思想というのは大変強い、今はどうか知りませんが、私が勉強した頃には非常に強かった。しかし、請求権で全部考えるのであれば、それは民事訴訟でいいではないかということになりますが、ドイツではそうではなくて、行政裁判所が現にあるわけです。だから行政裁判所と行政機関が相互に役割分担して、裁判所の方は請求権ということで自分の口出しをしていく。その役割分担でもって、全体として国民のための行政が遂行されていくということだったのではないかと思うのです。日本で請求権、請求権と言ってしまうと、先ほど水野委員がおっしゃったように、では民訴でいいのではないかということになりそうなのですが、そこはドイツと制度的な前提が違うのという気がいたします。もちろんこのペーパーの最初の書き出しの前提にありますように、民訴から離れて行政に特有の訴訟制度を作ったために、実は守られるべきものが守られなくなってしまっているということがあるとすれば、それはまずいわけでして、守るべき権利利益、これは憲法上の人権と言ってもそんなに遠くないのかもしれませんが別に憲法にこだわる必要はない、守られるべきものを守る、そういう制度であることは必要なのですが、そこへ行く道は必ずしも請求権思想のみではない、というふうな感じがいたします。 【福井(秀)委員】私はこの今日の事務局の1−6の資料、確かにメッセージ性がはっきりして、共感するところが多いのですけれども、若干補足申し上げます。ここでも多分前提になっている思想だと思いますが、公法か私法とか、あるいは公権力の行使か否か、あるいは行政庁の優越性があるか否か、あるいは公定力という概念を前提とするかどうか、さらに行政庁の第一次判断権を尊重するかどうかという、多分合い通じる概念がいろいろあると思うのです。おそらく事務局の問題意識と共通するかとは思うのですが、こういった状況を見極める上での概念としてはともかく、道具性を持つ概念として、こういった概念が流布しているという状況はやはり早く断ち切った方がいいという印象を持ちます。これは塩野先生がかねてより、御講義等でもおっしゃっていたことと同じなのですけれども、公法私法、公権力などが道具性をもって一人歩きすることはできるだけ今回の立法の機会に断ち切った方がいい。それは法学会からも、訴訟実務からもそうですし、その前提となるのは行政事件訴訟法であると思います。実際に特にややこしいのは公法上の当事者訴訟というのが残る領域にある、と資料にも御指摘がありますけれども、これは残すのであれば形式的当事者訴訟だけにしていただいて、それ以外の公法か私法かを解釈論で区分しないと、争い方が決まらないという領域は、どうせ職権証拠調べだけですので、廃止していただいた方がいい。さらにその延長線上で感想を申し上げれば、基本的には行政活動についても原告と行政庁は少なくとも裁判の場では対等だということを是非出発点にする必要があると思います。さらに推し進めれば、請求権概念を使うかどうかはともかくとして、本来は行政活動についても水野委員が繰り返しおっしゃっておられるように、民事訴訟で適法違法が判断できないというドグマはないわけでありますから、行政機関の違法活動についてはもし行政訴訟の手続がなければ民事訴訟で救済する方法が、当然に裁判を受ける権利という憲法上の権利からみて存在しているというところが出発点だと思います。それにも拘らず、行政訴訟制度が一定の意味を持つ場合があると思いますけれども、その場合には何故この手続きを使う必要があるのかという存在根拠を明らかにして、何で民事訴訟と別のシステムがその場合には合理的なのかということを個別に検証しておいた上で制度化していくべきだろうと思います。 【塩野座長】どうもありがとうございました。 【芝池委員】今、福井さんが言われたように公権力という概念は歴史的に言いますと、日本では行政の活動のうち、非権力的なものは民事関係に、訴訟の世界に持っていくということが行われて、結局残ったのは公権力の行使ということで、それが公権力の行使の観念を中心に、行政訴訟制度を組み立てるということになったと思うのですが、やはりこれからは公権力の行使という観念を軸にしないで、行政訴訟制度を考えていく必要があるだろうというふうに思います。その場合、キーワードと言いますか、最も重視しないといけないのは公益か、住民の利益ということと、それから行政の責任に着目して、制度をつくる必要があるのではないかと考えます。ただ技術的な話になるのですけれども、取消訴訟制度というのはここで意見を述べられた宇賀さんの表現では直接攻撃訴訟と言われていますけれども、行政の活動を直接的に攻撃するという点で、一つの民事訴訟にはない特別性がありますので、それを活用していくということにならざるを得ないのではないかというふうに思っています。 【塩野座長】どうもありがとうございました。この資料について、それぞれの角度からの御理解があろうかと思いますが、今日御発言いただけなかった向きの方、これでお終いではございませんので、こういった整理を一応お目にかけて、ということでございますので、そういう議論をしていただければと思います。 【小林参事官】今日の最後の資料にありますように、これまでの検討の結果を踏まえて、事務局でいろいろ行政訴訟とは何だろうかと考えたときに、非常に難しい問題、特に民事訴訟との関係も踏まえて御議論をいただいている問題には到達し、基本的な方向性として、包括的実効的な救済が必要ではないかという皆様の御意見、誠にそうなんだろうなということで、方向性としては我々としても、そういうところが重要だというところの考えに至って、こういう資料を作ったわけですが、具体的な問題に対するアプローチということになりますと、問題解決のためのアプローチは必ずしも一様ではないのではないかというふうに思われまして、事務局で大きなデザインを示せるかというと難しいのではないかという感じがしております。その具体的なアプローチも含めて、それからその問題解決のための手順も含めて、できれば次回これまでの問題点全体のおさらい的な議論と、それから今後の検討の進め方も含めて、御検討をお願いできないかというふうに思っているのですが、如何でしょうか。 【塩野座長】何か自分はこうした方がいいと思う、そういう御意見があれば伺いたいと思いますが。あるいはこの論点がまだ落ちているから、是非今の段階でやってほしいという御意見も。 【福井(秀)委員】どのタイミングはともかくとして、一度行政訴訟にも通じた民事訴訟の専門家の話を聞く機会があると、大変頭の整理に助かると思いますので、可能であれば、御検討いただければと思います。 【水野委員】日弁連で行政訴訟法という条文化の作業をしておりまして、先週の土曜日にシンポジウムで議論していただいたのですが、正式に日弁連の機関決定をして、こちらにもお出しすることになるだろうと思いますので、それを資料として、次回までにお配りいただきたいと思うのと、場合によればそれを基に議論をしていただく機会を設けていただければ、非常にあり難いと思います。全般に渡りますから、そのときどきでも結構だと思いますが、資料としては次回にお配りいただきたいと思っております。 【塩野座長】資料はお出しいただいて結構です、それは適宜配っていただいて。他によろしゅうございますか。 【小林参事官】3月26日(水)の午後1時半からでお願いします。 【塩野座長】3月はもう一度あるということで、どうもありがとうございました。 |