- 1 日時
- 平成15年5月23日(金) 13:30〜17:50
- 2 場所
- 司法制度改革推進本部事務局第2会議室
- 3 出席者
-
(委 員) |
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫、深山卓也(敬称略) |
(事務局) |
松川忠晴事務局次長、小林久起参事官、村田企画官 |
- 4 議題
- 論点についての検討
- 今後の日程等
- 5 配布資料
- 資料1 処分又は裁決の理由を明らかにするための方策についての主な論点
資料2 本案判決前における仮の救済の主な論点
資料3 行政の作為・不作為の給付を求める訴え、確認の訴えの主な論点(補充)
資料4 主な論点【行政訴訟の対象・取消訴訟の排他性・民事訴訟との関係、出訴期間】
資料5 主な論点【原告適格・訴えの利益・団体訴訟】
資料6 【検討会の議論の概要】行政訴訟の対象・取消訴訟の排他性・民事訴訟との関係
資料7 【検討会の議論の概要】出訴期間
資料8 【検討会の議論の概要】原告適格・訴えの利益・団体訴訟
資料9 【検討会の議論の概要】審理手続・証明責任・判決
資料10 【検討会の議論の概要】裁量の審査
資料11 【検討会の議論の概要】費用の負担
資料12 【検討会の議論の概要】行政不服審査法等の他の法令との関係・個別法上の課題
資料13 【検討会の議論の概要】行政訴訟の目的・行政の適法性の確保を目的とする訴訟
- 6 議事
- (1)論点についての検討(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■事務局)
-
■前回の検討会の冒頭に指摘された資料作成上の問題について、改めてご説明させていただく。この問題については新聞報道にも取り上げられ、委員の皆様始め各方面にご迷惑をおかけした点をおわび申し上げたい。
前回の資料作成に当たっては、事務局の担当者が最高裁等の担当者に事実関係等を確認し、その結果を踏まえて、事務局の担当者が自己の判断で資料の一部を修正し事務局の資料として完成させた。
前回も申し上げたとおり、この資料はあくまでも事務局の判断と責任において作成したものであり、最高裁等の了解が得られないと資料の中身が確定しないというものではないが、メモとして残していた文書情報の言葉が、あたかも最高裁等と事前に協議をしていたとの誤解を招きかねないものであったために、各方面にご迷惑をおかけしたことは反省している。
今後とも、当検討会での議論を踏まえながら、また、関係機関を含め各方面からの幅広い意見も伺いながら、検討を深めていく必要があると考えているが、その際にも十分透明性を確保し、いやしくも誤解を生じないよう、十分注意してまいりたいと考えているので、よろしくお願いしたい。
□本日は、前回の最後にご議論いただいた「行政の作為・不作為の給付を求める訴え、確認の訴え」について、前回の続きとして最初にご議論をいただきたい。次に、方向性が概ね一致しているということで掲げていた見直しの考え方の3つの項目のうち、残りの2つ、すなわち「審理を充実・迅速化させるための方策の整備」、それから「本案判決前における仮の救済の制度の整備」の検討を行いたい。順序としては、仮の救済の制度の整備が義務付け訴訟等々と関連するところが多いことから、まず仮の救済について議論していただき、その後で、審理を充実・迅速化させるための方策の整備について議論していただきたい。
それから、いわゆる第2トラックの論点の中で、既に挙げた作為・不作為の給付を求める訴え、確認の訴えの他の問題として、「行政訴訟の対象、取消訴訟の排他性、民事訴訟との関係、出訴期間」と「原告適格、訴えの利益、団体訴訟の問題」について議論してはどうかと思う。このような進め方でよろしいか。
(委員から異論なし)
- 【「行政の作為・不作為の給付を求める訴え、確認の訴え」について】
- ■資料3は、行政の作為・不作為の給付を求める訴え、確認の訴えの主な論点を補充する趣旨でお出しした資料である。このテーマについては、前回の検討会で検討をしていただいたが、その際の検討も踏まえ、さらに若干の整理をした。
1「行政の作為の給付を求める訴え」 (1)として行政の作為の給付を求める訴えがどのような場合に認められるべきかということについての考え方を、3つに分けて挙げている。①は、この訴えが認められる範囲は、法令に基づく申請に対し、行政庁が相当の期間内に処分又は裁決をしない場合及び行政庁が全部又は一部拒否処分をした場合で、一定の処分又は裁決を求めるときに限るべきであるという考え方を挙げている。これに対して、②は、違法建築物の隣地の居住者が違反者への是正命令を行政庁から発するように求める場合など、法令上は申請権がないことを前提として、行政庁が第三者に対して処分をすることを求める場合にむしろ限られるべきではないかという考え方を挙げている。そして、③は、これら①の場合及び②の場合のいずれの場合にも作為の給付を求める訴えが認められるべきではないかという考え方を挙げている。①の考え方は、現行法に規定のある不作為の違法確認の訴え又は拒否処分に対する取消訴訟のいわば延長として行政の作為の給付を求める判決をすることを認めるもので、②の考え方は、不作為の違法確認の訴えや取消訴訟による救済を求めることができない場合にこそ行政の作為の給付を求める訴えが認められるという考え方である。
①の考え方による場合は、不作為の違法確認の訴え及び拒否処分の取消訴訟の対象と、行政の作為の給付を求める訴えの対象とが重なることになるので、この関係を整理する必要がある。これらの訴えをそれぞれ別個の独立の訴えの形式、類型と捉えるのか、それとも、行政の不作為の違法を争う場合を一つの訴えの形式とした上で、その訴えに対してなし得る判決にいろいろな場合があって、その一つとして行政に対して作為の給付を命ずることができると捉えるのか、といった問題や、それぞれ独立の訴えの形式であると考えた場合は、それらの訴えの形式相互間の関係を全く並列的に考えて原告の選択に委ねるのか、それとも、訴えの形式の間に、ある訴えができるときには常にその訴えによらなければいけない、というような何らかの序列を認めるのか、さらには、取消訴訟の排他的管轄との関係についてどのように考えるのか、すなわち、言い換えると、拒否処分を問題とする場合にはその拒否処分を取り消してからでないと作為の給付を求められないのか、あらかじめ取消しを求める必要はないのか、などの問題点について検討する必要があるのではないかと思われる。なお、最後の点について、ドイツでは、義務付け判決を求める場合にはその訴えの中に拒否処分の取消しを求める請求が含まれている、という考え方が現在では一般的になされていると聞いている。
②の考え方による場合は、どのような範囲で実際に行政の作為の給付を求める訴えが認められるのかという点について、実体法上作為の給付を求める請求権が認められるかどうかの問題に尽きると考えるのか、それとも、実体法上の請求権の存否の問題はあるが、それに加えて、訴訟法上の問題として何か手続的な要件が必要なのかなどの何らかの考慮が必要なのか、などの問題点について検討する必要があるのではないかと思われる。
③の両方認められるべきではないかという考え方による場合には、今述べたような①及び②のそれぞれの考え方による場合に検討が必要な点のいずれも検討する必要が出てくることになる。
なお、この①、②、③という考え方の整理は、前回のご議論を踏まえながら観念的に分けたものであり、実際にこのように委員のご意見が分かれているということでは必ずしもない。どういった考え方がよいかについて、それぞれご意見を披露していただきたい。
(2)「行政の作為の給付を求める訴えの要件についての考え方」については、前回、下級裁判所で用いられることの多い3要件について紹介をしたが、今回改めて整理して資料を補充した。権利利益の救済を実効的に保障するための方策につき、一つの考え方として多様な救済方法を活用するという考え方に立つ場合には、この訴えによる救済が認められるためにどういう要件が必要かについて、3要件論も参考にしつつ、検討していただきたい。
①は、3要件、すなわち、ア「行政庁が特定の処分をなすべきことについて法律上羈束されており、行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないなど、第一次判断権を行政庁に留保することが必ずしも重要でないこと」といういわゆる明白性の要件、イ「裁判所による事前審査を認めないことによる損害が大きく、事前救済の必要性が顕著であること」という緊急性の要件、そして、ウ「他に適当な救済方法がないこと」という補充性の要件の3つとも充たされることが必要である、とする考え方である。
②は、この訴えに固有の要件としては、明白性の要件を満たす必要があるが、その他には一般的な訴えの利益があれば足り、緊急性の要件及び補充性の要件は固有の要件としては不要ではないか、という考え方である。
③は、明白性の要件についても、一定の範囲で緩和する考え方である。行政の作為の給付を求める訴えとして、特定の作為のみならず、例えば、これとこれとこれという作為の選択肢があるけれども、その範囲内で何らかの行為をせよ、というような抽象的な作為を求めることも認める立場に立つと、行政庁が特定の処分をなすべきことが一義的に明白であることは必ずしも要件とする必要はなくなるのではないか、また、緊急性の要件及び補充性の要件については、一般的な訴えの利益があれば足り、それらの要件は不要ではないか、という考え方である。
なお、ここで要件としているのは、訴えが適法なものとなるための要件、すなわち訴訟要件と言われているようなものか、それとも、それとは別に訴えている内容が判決で最終的に認められるのに必要な要件か、ということは区別をしていない。まずは、最終的に、到達点として求める内容の判決が下されるためには、どのような要件が揃っていることが必要か、という観点から記載している。
①の考え方については、立法論としてここで検討するにあたっても、現行法の解釈論と同様に考えるべきなのかどうかについて検討する必要があるのではないかということを指摘している。②の考え方については、①で言われている3つの要件のうち、明白性の要件は、行政と司法との役割分担の在り方として必要である、と考える一方で、緊急性の要件及び補充性の要件は、作為の給付を求める訴えが今は明示的に定められていないということに由来するものであって、立法論としては、権利利益の救済の実効性を保障するために、作為の給付を求める訴えの活用される場合を実質的に拡大しようという観点からは、緊急性の要件及び補充性の要件は不要である、とする考え方である。判決でその特定の行為をすることを行政に対して命ずるには、具体的な事案に法律の解釈を当てはめ、判決で命ずる内容が一義的に定まる必要があると考えるということができると思うが、これと対極に立つ考え方をあえて挙げると、具体的な事案にその法律の解釈を当てはめてもなお行政庁に裁量の余地がある場合であっても、行政庁に認められている裁量判断を裁判所が代わって行ってよいと考える立場が、明白性も要らないと考える立場と言えると思う。
③の考え方は、②の考え方と異なり、明白性の要件に関して、実体法上、特定の作為のみならず、抽象的な作為を求める請求権が認められる場合もあり得ると考え、作為の給付を求めることができるのは、行政庁が特定の処分をなすべきことについて法律上羈束されていて行政庁に自由裁量の余地が全く残されていないという場合には必ずしも限られないのではないか、行政庁に一定の裁量の余地があっても、抽象的な作為を求める請求権が発生する限りにおいては、抽象的な作為を求める訴えが認められていいのでないか、という考え方である。緊急性の要件及び補充性の要件については、②と同様に不要とする考え方である。したがって、②と③では、端的には、抽象的な作為を命ずる判決が認められるべきか否かという点が要件の考え方に反映されて、考え方が分かれているものということができると思う。
このほかにも、要件についていろいろな考え方があり得ると思うが、作為を命ずる判決が下されるために必要な要件について、ご検討をお願いしたい。
続いて、(3)「判決の執行についての考え方」では、三つの考え方を挙げている。①は、行政に対して作為を命ずる判決の執行についても、民事執行と同様に扱う考え方で、判決により実現しようとする内容に応じて、民事執行法第171条の直接強制、第172条の間接強制、第173条の定める意思表示の擬制の方法、これらのいずれもできるとするものである。民事執行法第173条1項本文で、判決による場合だけに限定すると、「意思表示をすべきことを債務者に命ずる判決その他の裁判が確定し、又は和解、認諾若しくは調停に係る債務名義が成立したときは、債務者は、その確定又は成立の時に意思表示をしたものとみなす」ということになる。したがって、この考え方による場合には、判決により命ぜられる作為の内容が、意思表示の方法による行政庁の処分の場合には、民事執行法第173条によって、行政庁が何もしなくとも、判決の確定の時に行政庁が意思表示を、すなわち意思表示を内容とする処分自体をしたものとみなされることとなる。この考え方では、処分が意思表示のみによって成り立っている場合には、判決が確定してしまうと、結果的に裁判所が判決で行政庁に代わって処分をするのと同じ結果が得られることになる。この考え方については、裁判所が行政処分をする、言い換えると、結果的には形成判決をしたのと同じ効果を生ずることになると思われるが、そのような方法で問題はないのか、検討する必要があるのではないか、という点を指摘している。
②は、行政に対して作為を命ずる判決の執行については、民事執行法第172条の定める間接強制の方法のみが許されるとする考え方である。司法と行政の役割分担の在り方として、直接強制や意思表示の擬制の方法を採ることは妥当でなく、行政に対して作為を命ずる判決の執行については、民事執行法第172条の定める間接強制の方法のみが許されるとするものである。民事執行法第172条第1項は、「作為又は不作為を目的とする債務で前条第一項の強制執行ができないものについての強制執行は、執行裁判所が、債務者に対し、遅延の期間に応じ、又は相当と認める一定の期間内に履行しないときは直ちに、債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭を債権者に支払うべき旨を命ずる方法により行う。」としているので、要するに、行政庁が判決に従わない場合には、従わない期間に応じた一定額の金銭を支払わなければならなくなる。いつまでも判決に従わないと支払わなければならなくなる金額がどんどん大きくなっていくことから、そのリスクを回避するために判決を履行しようというインセンティブを与える制度ということができると思う。
①は、行政に対しては強制執行は必要ないとする考え方であり、行政に対して作為を命ずる判決については、その判決の効力である既判力ないしは拘束力によって判決の内容は実現される、すなわち、判決が確定すれば行政庁は判決の内容に従うものなので、行政に対する強制執行は考えなくともよい、という認識に基づいている考え方ということができると思う。作為の給付を求める訴えについて、前回お示しした論点に加えて、以上のような論点と考え方についてもご検討いただきたい。
続いて、2「行政の不作為の給付を求める訴え」について、いわゆる差止めの要件の考え方として、①から⑤まで5つの考え方を記載している。①は、義務付け訴訟に類似した3つの要件を充たすことが必要だとする考え方である。②は、差止めの固有の要件としては、明白性の要件を満たす必要があるが、その他には一般的な訴えの利益があれば足り、緊急性の要件及び補充性の要件は固有の要件としては不要である、とする考え方である。これらは作為の給付を求める訴えの要件論と同様に考え方が枝分かれをするのではないかという整理である。これに対して③は、作為の給付を求める訴えの要件論ではあげていない考え方で、明白性の要件及び補充性の要件は不要だが、緊急性の要件が必要だとする考え方である。緊急性の要件の内容としては、他の制度を参考にして、例えば株主による取締役の違法行為の差止めの請求に関する商法第272条の「回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合」であることや、独占禁止法第24条の「著しい損害を生じ、または生ずるおそれがあるとき」といった要件が必要ではないかという考え方である。この考え方は、行政の行為の差止めは、社会的に影響のある行為を停止させるなど差止めの効果が非常に重大であること等を理由として、緊急性の要件は必要なのではないかという考え方ということができると思う。
④は、作為の給付を求める訴えで③として挙げていた考え方と共通するもので、抽象的な不作為を求めることも認め、行政庁が特定の処分をしてはいけないということが一義的に明白であることは必ずしも必要ではないのではないか、しかも、緊急性の要件及び補充性の要件についても不要である、とする考え方である。⑤は、作為の給付を求める訴えには類似のものが挙がっていないが、④と同様の考え方を基礎として、いわゆる3要件はいずれも不要であるが、それ以外の別個の要件として、住民訴訟としての差止めの請求に関する地方自治法第242条の2第6項を参考として、「差止めは、当該行為を差し止めることによつて人の生命又は身体に対する重大な危害の発生の防止その他公共の福祉を著しく阻害するおそれがあるときは、することができない」というような消極要件に当てはまると、差止めはしてはいけないとする考え方である。この考え方は、行政の行為を差し止める場合には公共の福祉に対する重大な影響があり得ることから、公共の福祉を著しく阻害するおそれがあるときは差止めをすることができないと整理した考え方ということができると思う。
差止めの要件についても、以上のほかにもいろいろな考え方がおると思うが、訴えの適法要件か実体判断の要件かは別として、最終的に差止めが認められるための要件としてどのようなものが必要かという点で、まずはご検討いただきたい。
3「確認の訴え」については、前回お示しした確認訴訟による救済の必要性のある場合という論点を、少し言い換えたような形で、論点としてお示ししている。すなわち、確認の訴えによる救済の求められる場合はどのような場合か、として、例えば、行政立法、行政計画のうち、抗告訴訟の対象である「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」には該当しないとされるものに関して、その効力を争う者が当該行政立法又は行政計画の無効の確認を求める訴えについて、どのように考えるか、また、法律上効力がないとされる行政指導についてはどのように考えるか、という点を例示的に挙げている。こういった点についてもご検討いただきたい。
□議論の順序は、資料のとおり、1「作為の給付を求める訴え」から順次していただきたいと思うが、よろしいか。
(委員から異論なし)
○義務付け訴訟ないし義務付け判決については、この制度を求める世論のようなものがあると思っており、義務付け訴訟、義務付け判決を何らかの形で導入した方がいい。それは、行政に対する司法のチェックを強化することもなる。
導入の仕方、制度化の仕方は、取消訴訟、不作為の違法確認訴訟のそれぞれにおいて、裁判所が義務付け判決を出し得る場合には、そういう判決をできるという程度にするのがいいのではないか。その理由は、義務付け訴訟では義務付けのための要件が揃っていることを原告が主張・立証する必要があるが、これは一つのリスクであり、場合によっては、取消ししか認められないような原告の主張もあり得るので、取消訴訟と義務付け訴訟を完全に分けてしまうのは得策ではない、という判断に基づいている。義務付け訴訟の制度化には、現在の時間的余裕から言うと、かなり困難があるのではないかと思っている。3つめの理由は、義務付け訴訟を制度化しても、義務付けに至ることはそう多くはないのではないかという予測がある。せいぜいいわゆる指令判決で終ることがあるのではないか。
義務付け判決の要件としては、補充性・緊急性は必要ではなく、作為義務が認められる状況があればいいのではないか。
先ほどの説明では必ずしも明確には出ていなかったが、義務付け訴訟は本来の行政処分だけを前提にすることになるのではないかと思っており、他の行為について作為を求める場合には、民事訴訟あるいはその他の訴訟に依ると理解している。
○今の提案に賛成するところが多い。資料3、1(1)の①、②という2つの場合のそれぞれについてこの訴えを認めるか認めないかということだが、①は申請の制度があるので、現行法でも取消訴訟、不作為の違法確認でも行けないことはなく、拘束力などの少し分かりにくい仕組みで一応の救済が図られているのに対して、②は、現行法では正面からは認められておらず、取消訴訟の道には繋げにくい。したがって、直に義務付け訴訟の問題として出てくる。②のケースについて、義務付け訴訟なり、義務付け判決を求めるという道を開く必要があると思っているが、その場合、行政作用についての法のシステム全体の形がいかにあるべきかということを考えたときに、②のような訴訟が出てくる可能性をできるだけ少なくするということが大事ではないか。例えば、第三者から行政庁の権限の発動を求めるような必要が考えられる場合には、できるだけ立法で、第三者からの申立ての仕組みというのを作るべきではないか。そうすればそれは①の方に流れ込んでいくのであり、そういう形が本来望ましい。それを前提にした上で、義務付けの問題というのは、①のようなケースについて、従来は取消訴訟でいいではないかと言われていたのを、拘束力云々という議論では分かりにくく、行政庁が何かしなければいけないのであれば、判決主文でそれを言うということが極めて自然な話ではないかということである。実際問題としては、裁判所として義務付けまでは判断できないけれども、行政庁が断ったのは違法だということで、取消判決や、指令判決で、さし当たり止まるというケースは多いのかもしれない。裁判所がここまでは行けるというところまで気楽に行って、そこで適切な判決をして、行政庁なりに場合によってはまたボールを投げ返すということが柔軟にできるようなシステムが望ましいのではないか。
ただ、②のようなケースはどうしても残り、これについては、あらかじめ設計された裁判所と行政庁との役割分担ということができないので、本当に必要な場合には裁判所が直に登場せざるを得ないだろう。その場合には、おそらく著しい損害が生ずるおそれがあるということで、義務付け訴訟というものを認めてもいいのではないか。
○補足だが、②で、規制権限の行使を求める訴訟については、不作為の違法確認訴訟において申請の要件を外すということで対応することを考えている。この場合には、不作為の違法確認訴訟の中で裁判所が対応するということになり、判決としては、義務付け判決ではなくて、確認判決になる。
○①、②を含めて、義務付け訴訟の類型があった方がいい。取消訴訟の排他的管轄との関係については、現在の取消訴訟の排他的管轄は、現行の行政事件訴訟法の産物であるから、ここは立法論の議論の場だと考えると、現在の排他性ないしは公定力の概念をそのまま維持しないといけないわけではなく、柔軟に考え、排他性が被らないような形で仕組めばいい。例えば、給付を拒否されたという場合であれば、給付してほしいというのが本人の意図なのだろうが、その中には取消しや再決定などの請求を含んでいると解釈するのが素直だ。義務付けの判決に熟しているような要件が整っていれば、その場合には義務付けだが、そこまでは熟していないが何らかの給付が必要ではないかという場合には再決定が要るのではないか、そこにも熟していないで、でも原告に何らかの救済を与える必要があるというのであれば不作為の違法確認でも構わない、という序列を想定して、もちろん原告がそれにある程度了解を与えていることが前提だろうが、そういう柔軟な判決を判決時に決めて出せるようにしておくのが適切である。これは、結局、審理の進捗次第であり、訴訟要件としてこのような義務付けの類型を捉えるのではなく、ある義務付け判決を下すために必要な要件は何かという、本案の議論として捉える方が適切ではないかと思う。あらかじめ厳格に類型を審理してからでないと中身に入れないというのではなく、判決の時点で総合的に考えて、もっとも適切な類型を選べるようにしておいてはどうか。
②の類型について、単純に考えると、例えば、違法建築物によって日照阻害される人には原告適格ありというのが確定判例なので、そういう人から見て、改善命令を出せという請求権という概念が成り立つかどうかは、結局、改善命令をやらねばならぬほどに裁量がゼロに収縮しているのかどうかという問題であり、そこまで収縮していなければ、何らかの措置をしないことは違法だとか、段階があり、端的に、申請権がないけれども除却命令を出すべきだというような場合はそれにふさわしい熟度があって、裁量が収縮している場合だと考えれば足りるのではないかという印象である。
執行については、いろいろ選択肢があった方がいいというのが基本的方向だと思う。例えば、間接強制だけだとすると、大抵の行政庁はちゃんとやるが、中には法の想定を超えたような振る舞いをする行政庁がないとは限らないので、安全装置として、直接強制、間接強制も含めていろいろな制度を置いておくのがいいのではないか
○今の意見に基本的には賛成であり、こういう訴訟を認めていくべきだと思う。それぞれの訴えが独立の訴えの形式と捉えるのか、それとも延長線上かについては、不作為の違法確認のレベルで判決を求めて、それが熟していればそうだし、給付まで求めてそこまで熟していればそういう判決をしたらいい。ただ、どちらの判決を求めるかということについては、少なくとも最終段階では原告の方で特定する必要があるだろう。給付まで求めることになると、非常に訴訟が重くなって、原告の負担が増えて大変であるという議論があるが、原告がそこまで求めたいというのであれば、裁判所は当然それに応じなければならないだけの話であり、そこは原告の選択に委ねたらいい。もちろん原告の選択に当たって、裁判所の釈明権が適切に行使されることが大前提である。
先ほどの意見の不作為の違法確認について申請要件を外すことも、いいのではないか。いずれにしても、不作為の違法確認と何らかの給付は延長線上の訴訟だと考えられる。
○②については、先ほどの意見に基本的な方向として賛成で、要件の中に、先ほど指摘のあった、著しい損害が生ずるおそれがある、というような要件の下であれば、適切かと思う。ただ、①について、熟していればこうする、というような意見があるが、弁論の終結は熟したら終結するということになっている。判断するに熟したら終結するのであり、ある一定期間が来たから終結するというわけではない。求められていることに理由があるかないかが判断できる程度まで審理しなければいけない。そう考えると、答えが出てきたところだけやれば、というやり方は今までのやり方とは違う。それは訴訟法的な見方からである。もう一点、実体法的に見て、例えば、ある給付申請に対する拒否処分があったときに、給付を拒絶したのは間違っていて、給付すべきだという判断を裁判所がした場合に、具体的な給付額をいくらにして給付決定をするかということについて、本当にそこが滞ったり、裁判所の言っていることに従わなかったり、ということで権利救済が図られていない場面がそんなに出ているのだろうか。どちかと言うと②の形のものの義務付けを認めるべきだということが今までのニーズの核心ではないか。それに比べて、①については、できた範囲でやればいいではないかというのは一つの考え方だが、原告の責任、負担と裏腹なので、今の方が得なのかどうか、慎重に考えた方がいいのではないか。
○先ほども、結局いかなる判決を求めるかは最終的には原告の申立てだと言われたが、そこはもう少し工夫する余地があるのではないか。原告の方で義務付けまで求めて、しかし場合によっては取消しでもいいというときに、裁判所が、事案を審理して、この事件は取消し止まりの方がよいと思えばそこで切ることはどうか。原告の意に反してはいけないが、最終的に何が訴訟物であり、どこまで裁判をすればいいのかということを、裁判所が自分で土俵を設定して、その上で判決に熟したら、そこでしてしまうというやり方ができないか。今までの訴訟の常識からすると違うのかもしれないが、行政の場合にはどれだけを行政に差し戻すのかという役割分担の問題があり、そういうことが考えられると思う。
○(3)で、「173条の定める方法による」というのも一つの射程に入っているようだが、今までの民事執行の理論では、行政庁の行う公権力の行使としての意思表示については、仮に給付訴訟ができるのだとしても、その意思表示は公権力を有する行政庁だけが行えるので、これについて173条は使えないという理論が執行法の世界ではかなり言われていたと思う。主文の形式をどうするのか、意思表示を擬制するような形で本当にできるのかということはよく考えておく必要がある。
○今の点、取消判決はどうか。
○それは形成判決だから構わない。給付判決と一緒ではない。本来なら、ある行政処分をできる権限というのは権限的に分配されており、裁判所にもある場合には権限が包括的に全部あるというようになっているわけではないとの理解で今までは議論していたと思う。
○取消訴訟の判決が出たときに、行政庁が改めてその判決を受けて、拘束力で取消しの意思表示をするのかどうか、しなければならないのかという議論である。今は判決が確定すれば、行政庁が取消しと言わなくても、取消しの効力が生じ、行政庁が取消しの意思表示をしたのと同じ効力が生ずると解されているのではないか。そうすると、今の議論もまったく同じで、何らかの意思表示という意味では、何らかの処分をするというのも意思表示だが、一旦した処分を取り消すというのも意思表示でないか。
○取り消すというのは形成判決の形成力を付する効果があるが、今問題にしているのは、173条の意思表示の擬制ができるかどうかの問題であるから、次元を異にするのではないか。
○法的性格、技術的・専門的に議論したらそうだが、それも一種の立法政策だと思う。作為の意思表示を命じられて確定したら、もう一回やらないといけないというだけで、最高裁で確定した以上は、裁量はないわけだから、二度手間を省き、時間と労力を節約するという意味では、同じことなら手前の方でやらした方がいいということもあり得る。それは必ずしも行政権の本質とか、司法権の本質という大上段の議論から出てくる議論ではないと思う。
□作用法上の権限が法律上行政機関に委ねられているという点をどう理解するかという問題だと思う。取消判決の場合は形成力で説明がつくが、議論のあるところなので、両方のご議論があったということで理解する。
○3要件について、判決要件としての明白性は当然これがないと判決が書けないから重要だと思うが、緊急性の要件については、合格決定なり、給付処分という受益がそこで得られず、後からでは損害が多いという単純な差し引きでやらないと社会的には不合理な結果を招き、顕著とか、著しいと言うと、マイナスの部分もしばらくは我慢しろと言ってしまうことになるので、あまり限定しないで、緊急性というよりはむしろ単なる多寡で考えた方がよろしいのではないか。補充性は要らないと思う。
もう一つ、訴訟法上の熟度と言うのは先ほどの指摘のとおりだと思うが、ここでの熟度の議論の主な論点は、実体法上の要件に熟するかどうかというところにややウェートがあったと理解している。
□(1)については、両方ということで大体のご意見が一致していると思うが、訴訟類型か判決類型かについては両方のご意見があったと思う。要件については、取消訴訟中心主義はやめたということになると、訴訟要件の問題ではなく本案の問題なのかと思うが、本案の問題を訴訟法に書けるかなという感じがする。
「明白性」というのは、田中二郎先生のいわれる一見明白性ではなく、明確性、一義的に決まってくるかどうかという意味か。
○一義性と言った方が使いやすい。
□いわゆる重大明白の一義的明白ではなく、客観的に確定しているという問題ということだ。
執行については、両方のご意見が出ており、なかなか難しい問題である。
○(2)の③の、抽象的な作為を求めることも認めるというのは大変良い考えだと思う。裁量の余地があって、例えば、違法建築であれば、立て替えさせるか、あるいは何か改築するかとか選べるけれども、とにかく何かをやらなければいけないというようなところが救えるよう、そういうものがあった方がいいのではないか。
○要件論は大体どの辺りが多数か。
□自分が整理した限りでは、訴訟要件の問題としてではなく、おそらく本案の問題であろう。
○①の場合には、処分があること、あるいは申請したけれども一定期間答えがないことを条件でこの訴訟を認めるということであれば、その上さらに義務付け判決まで至るための訴訟要件をプラスする必要はないと思う。それは座長のご意見のとおりである。ただ、②の方は訴訟要件のつもりで申し上げた。
□次に、「不作為の給付を求める訴え」について、ご意見を賜りたい。
○何でも認めてしまうと、およそ、行政庁がひょっとして自分に対してこんな処分をしてくるかもしれないというふうに、心配性な人がどんどん何もないのに訴えを起こせるのもおかしな話であり、執行停止、仮の救済の仕組みは今よりもさらに良くなるということを前提にすれば、一応処分があってから、とにかく争いなさい、という原則はあってもいい。ただ、それだけでは足りず、著しい損害を見込めるような、何らかのプラスアルファの事情があれば、事前の差止めを求めることを認めてもいいのではないか。次の確認の訴えとも絡むが、長野勤評の判決、高知の河川区域の判決のように、将来の処分、不利益な取扱いを見越して、現在の法律関係の確認を求めるという場合の確認の利益の判断の問題と共通してくるのだろうと思う。
○今の意見と全く同じである。予防訴訟ないし差止め訴訟は、取消訴訟の前倒しであり、取消訴訟中心主義をやめても、差止め訴訟のようなものは例外に留まる。差止め訴訟が認められる場合の要件については、長野勤評に関する最高裁の判例で用いられている、「事後的に義務の存否を争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合」という要件がいいのではないか。明白性、補充性、緊急性が挙がっているが、これを法律で全部並べるのは見苦しいところがあると思うので、できるだけ簡単に整理した方がいい。
○作為の給付を求める訴え、不作為の給付を求める訴えについて、区別する必要はないのではないか。資料3の5頁の④と2頁の③とが対応するので、これと同じでいいのではないかと思う。行政庁に代わって行政処分をするという、給付の方がきつく、差止めは処分がまだないから、現状のままだという方がまだましではないかという気がする。ただ、何でも裁判をやれるかというとそうではなく、処分が行われそうだということは当然ある。処分が行われそうにないのに差止め裁判なんかやれるわけない。これは訴えの利益になるのか、そこは詰めていないが、まるっきり処分の可能性がないのに、処分をしてはならないと言う判決を求めてきたときに、そのときはどうするのかという、極めて例外的な場面については留保したい。
○差止めがあった方がいいという点で共通の意見である。要件については、①と④の区別が必ずしも資料上明らかではない。①は作為の給付とほとんどパラレルに並べているが、それぞれに特質があるということを考えると、差止めの場合の明白性などはやや当てはまりにくいのではないか。特に自由裁量の余地が全く残されていないとか、第一次判断権を行政庁に留保することは必ずしも重要ではないというのは、差止めについて言えば、こういう議論よりは、ある一定の蓋然性のある侵害行為をすれば違法で、取消訴訟の対象になると言うだけのことでないかと思う。違法なことをやってはいけないとうことだけで、何も自由裁量の余地が全く残されてないかどうかということと、やったら違法になるというのは重ならない。一定の蓋然性があって求めたときには、それだけで基本的には訴訟に乗せればいい。そういう意味では、④的な考え方なのかもしれない。そして、そこで差止めないで、事後に回復してくれというのでは、本人も含めて社会的費用がいっぱいかかるというように、大小関係で捉えて、その段階で止めておいた方が、混乱の回復がより安い費用ないしより容易にできるという場合には認めればよく、緊急性というのはやや縛りはきついのではないか。
⑤に住民訴訟の消極要件というのがあるが、これは、客観訴訟だから抽象的利益と抽象的利益の比較衡量ということで入ったのではないかと推測する。ここで議論している主たる領域が主観訴訟、権利の侵害に関する訴訟だということを前提にすると、それで争われるものは、違法なら利益衡量するかどうかに関わらずやっぱり止めてもらわないと困るもので、主観訴訟にこの要件がそのまま当てはまるとなると違うのではないかという気がする。
○これは事前に行うところに特殊性があり、それを認めるのはどのような場合か、というところから絞りがかかっている。その中の一つの考え方として、長野勤評の最高裁の判決は大きな指標になるのではなかろうか。要件についてはそうした考え方を付加するのが相当ではないかと思う。原告適格という形で果たしてどういうふうに考えるのかはなかなか難しい。これを妙に絞り込むと使えない制度になってしまうし、外せばほとんどそこには原告適格がないという問題はなくて、むしろ先ほどの要件のところで絞りがかかる。後者の方で絞りが結局かかるのであればそんなにおかしな運用はされないのかなと思う。
○不作為の給付を求める訴えについて、何らかの縛りなり、著しい損害などの要件がないと非常に濫訴のおそれがあるのではないかという話だったが、そうだろうか。確かに心配性の人は、裁判に訴えてくるということはあると思うが、それ自身は非常に負担で、精神的、物理的のみならず、色々な準備等が必要である。その訴え自身はどういう根拠があるか十分議論されるべきであるが、入口で訴えを退けるという形になるのは好ましくないのではないか。一応受け取めた上で、判決、判断をするときの条件とする方がわかりやすい。
□米国のインジャンクションは、訴訟要件か、本案かといった議論はするのか。
△訴訟要件かという話はしない。ここで挙がってるような緊急性などは、むしろ仮の差止めを認めるかという形では議論されるが、最終的に差止めがされるかどうかというのは本案で、それだけの熟した資料ないし主張が出ているかということで決まる。
□不作為の給付を求める訴えの必要性は田中先生も認めておられていたかが、逆に難しい面がある。行政側に、こういう点があるのでこういう場合の段階で差止めというのは行政としては辛い、というような具体的な例が出てくれば議論が煮詰まるのではないかと思う。
次に、確認の訴えについて、ご意見をいただきたい。この問題は、取消訴訟の対象をどうするかということとも関係する。
○行政立法とか行政計画の無効の確認を求める訴えという例があるが、これは処分性の問題と重なり合う話なので、併せて議論しなければいけないと思う。具体的な例で、外形標準課税の場合で、事前にどういう訴訟形式がいいかというときに、従来の取消訴訟中心主義の考え方では、既にあったものの取消しや無効確認で、条例の無効確認という議論になるが、差止めができるとすれば、自分たちが狙い打ちで処分されると思っているような状況があれば、条例の無効確認というよりも、将来の処分の差止めという方が、法律上の実体に過不足なく対応していると思う。
□確認訴訟には、元々、一種の補充性がある。確認訴訟の活用がどの程度できるのかという点について、民訴の確認訴訟、確認の利益が一体どうなっているのかという点について、もう少し情報を集める必要があるのではないか。時間的な余裕があれば、民訴の先生に、民訴の基本的な考えはどういうものなのかレクチャーを受けたらどうかということも思っている。
○確認の訴えで、行政指導が法律上効力がないとあるが、例えば、国家賠償では違法な行政指導を前提とする賠償請求権があり得るし、また違法な行政指導をやるべきでないということの確認を求めるなど、いろいろな置き直し方があると思う。法律上効力があるものだけが、確認の訴えに乗るという整理で作られている資料なのか。
■それを断定しているものではなく、どのような争い方がいいかということを単に問うている。
○立法、計画、行政指導などと区別しなくても、できるだけ対象を広げようということであれば、実益があれば基本的には認めるということになるように思う。
□確認の利益があれば認められるが、その確認の利益が一体どういうものなのかという点について、もう少し資料を整えなければならないという趣旨であり、また、行政指導について確認訴訟は効かないのか、というのは大分前から申し上げている。
○普通の場合であれば確認の相手方というのは行政主体になる。今度みんな行政主体になるから同じになってしまうが、位置付けとして、当事者訴訟の位置付けなのかどうかという分類の意味では少し違うところがあると思う。どちら側から広げていく事項かなどなかなか難しい。
□行政指導は細かい議論をするとなかなか難しく、行政指導をするのは職員であって、行政庁ではない。
○そうだとすると、抗告訴訟から広げていく確認の訴えを認めていくというよりは、行政主体を相手に確認することになるのではないか。
□ここで是非前提としていただきたいのは、これは抗告訴訟だから、あるいは行政訴訟だからということではなく、要するに行政主体あるいは行政主体の職員が何事かをし、自分に不利益になると思い、手を挙げた人がいたときに、どうそれを受け止めるかという話である。
○確認訴訟は、古典的な民訴の理解だと、給付訴訟が認められるときは給付訴訟が直截な解決で、確認訴訟は許されない、という意味では補充性がある。不作為の給付を求める訴えで、求める不作為で何をしてはいけないかという特定は、事前であるため、厳密にやればやるほど難しく、これかこれかの監督処分はやめてくれというのか、いろいろな監督処分があってどれをされるか分からず、どれも困るが、疑われていて調査は受けているというときに、どんどん広げていくと、不作為の給付を求める訴えで行くべきなのか、それとも確認の訴えで行くべきなのかというのは、隣接しているところがある。古典的には、不作為の給付が求められれば、確認はできないと思うが、不作為の給付について、どの範囲を特定すれば不作為の給付を求められるのかという問題があり、軒を接する問題だと思う。
○例えば、東京都の外形標準課税は、むしろ条例の違法確認の方が直接だということになるのか。予防的不作為よりはその方がかえって明快ではないかということか。
○予防的不作為について一義的明白性を要求すると、いつ処分されるかはもとより、利益がどのくらいか分からないから、およそいくらの課税処分をされるか分からない。それでも、根拠法令さえはっきりし、年度ぐらいはっきりしていればいいと言わざるを得ないのか。ただそれがどんどん広がっていくと、もう少し前で争わないといけなくなり、その棲み分けが非常に難しい。
○給付が原則だということをあまり重く言い過ぎると、大変難しいところに陥る。
○ただ、古典的な民訴の理解では、給付で行けるものはあえて確認をしなくていい。また、給付について、自分はして欲しくなくとも、第三者が給付を喜ぶ場合もあり、元をどんどん叩いていくということで抽象度が高まると、その当事者に争わせるのが適切かという問題に広がる。したがって、争う範囲はなるべくコンパクトがいいと思うが、そこは難しい。良いアイデアがあれば教えていただきたい。
○そこで迷わなくていいように仕組んでおかないと、社会の混乱が起こる。
○それは、抽象的不作為を求めることを認めるかどうかで違ってくる。例えば、何らかの不祥事があったとして、それを争っているときに、どういう懲戒処分が出るか分からないけれども、具体的な処分内容が分からなかったら差止めができないというのか、それとも抽象的な不作為でいいということであれば、懲戒処分をしてはならないという差止めがあることになる。具体的な処分でなければ差止めが認められないということであれば、懲戒権限行使のできないことの確認を求めるというような確認訴訟に行かざるを得ないというようなことで違ってくるのではないか。
○長野勤評の場合は、自己観察結果を自分で書く義務がないことの確認を求める方が審判の対象としてもかっちりしるし、それに違反したときに将来どんな処分がくるか特定しないと、差止めができないといった問題はあり得るので、どちらでやるかというのは自ずと分かれてくると思う。
□取消訴訟や、給付訴訟でうまく救えないものについて、確認というものをちゃんと用意しておく必要があるのではないか。これまであまり活用してこなかったので、この際、活用の道をもう少しきちんと整理したい。その場合に、古典的な民訴のままだと危ないものでも、近年の民訴では、我々が考えていることで確認の利益があるのかどうかという点について、もう少し整理していきたい。
○行政立法、行政計画について、訴えができるのかということについてはどうなのか。例えば、予防的不作為訴訟で、行政立法、行政計画についても可能なのかどうか。
□行政立法、行政計画が取消訴訟の対象になると言ってしまうと、確認訴訟は要らないのかな、あるいは確認できないと見るのかなと、そういうことに繋がってくる。ただ、行政立法でもいろんな行政立法があるので、なかなか取消判決、あるいは取消訴訟に馴染まないものもあるのではないか、そういうものでも自分に具体的にこういう利益侵害が起きそうだということであれば、それは確認訴訟でこれを救うことができるかどうかという問題提起であるとご理解いただければと思う。
- 【「本案判決前における仮の救済の主な論点」について】
- ■資料2は、本案判決前における仮の救済の主な論点と考えられるものを記載した資料である。1「執行停止の要件」の問題では、執行停止の要件として「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件が行政事件訴訟法第25条第2項本文に規定されているが、この要件が厳格に過ぎるのではないかというご意見のあるところである。そこで、このような定めにより不都合が生じているのは、どのような場合か、という観点からご検討いただいたらどうか。なお、この規定の前身である行政事件訴訟特例法第10条第2項では「処分の執行に因り生ずべき償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があると認めるとき」と規定されていたが、現行の規定はこれを緩めたものだといわれている。立法担当者の解説である杉本良吉「行政事件訴訟法の解説」では、「処分を受けることによってこうむる損害が金銭賠償不能あるいは原状回復不能のもの、もしくは「著しい損害」でなくても、社会通念上それを被ったときはその回復は容易でないとみられる程度のものであれば足りるとする趣旨である。」とされている。さらに、これに続けて、解説では「もっとも、この損害は、ひっきょう裁判所において執行停止の拒否を判断するにあたって、停止によって原告の受くべき利益(免れる損害)として、当該処分の不停止によって維持される公共の福祉と比較衡量されるところのものと考えられるから、具体的事情の下において、後者とにらみ合わせて、それを犠牲としてもなお救済に値する程度の損害かどうか相対的に決まる性格のものといえよう。」とも解説されている。
この点、裁判例ではどうかということになると、資料の4ページ及び5ページの別紙1に裁判例を例示列挙している。「回復の困難な損害」の考え方について、1で挙げている裁判例は、概ね「原状回復又は金銭賠償が不能な場合だけではなく、たとえ終局的には金銭賠償が可能であっても、社会通念上、そのことだけではてん補されないと認められるような著しい損害を被ることが予想される場合も含まれる」というような考え方を示しており、この点では今、ご紹介した杉本解説の前半の説明に近い考え方を示しているものということができると思う。ただし、先ほどご紹介したように、杉本解説では、「著しい損害」でなくても、社会通念上それを被ったときはその回復は容易でないとみられる程度のものであれば足りる、とされているのに対し、これらの裁判例では、金銭賠償だけではてん補されないと認められるような著しい損害を被ることが予想される場合も含まれる、としている点は、必ずしも同じではないようにも見られる。別紙1の2で挙げている裁判例では、「行政処分の相手方にその損害を受忍させることが社会通念上相当でないと認められる場合」というのを付け加えて、それも一つの要素として検討されている。また、5頁の3で挙げているいくつかの裁判例では、杉本解説の後者の説明にあるような、利益の比較衡量という観点が強調されている。このような裁判例の考え方もご参考にしていただきたい。
この要件のうち、最後の「緊急の必要があるとき」という部分については、執行停止を現時点で直ちにしなければならない必要性と言いかえることができると思うが、この点を前半の要件と切り分けて独立の要件とする考え方は一般的ではないのではないかと思われる。
「緊急の必要があるとき」という部分については、執行停止を、現時点で直ちにしなければならない必要性と言い換えることができると思うが、それを前半の損害の関係の要件の部分と切り分けて、独立の要件とする考え方については、そういう考え方もあるが、あまり一般的ではないのでないか。全体として、必要性として考えている例が多いのではないかと思う。資料1ページの1の注2として、最高裁判所の決定を挙げており、その内容は別紙2として、6頁に挙げているが、この裁判例は、弁護士に対する戒告処分の公告は戒告処分の続行手続ではないとして、それにより生じる損害は行政事件訴訟法25条2項にいう回復の困難な損害に当たらないと判断されている。この決定は、必ずしも「回復の困難な損害」の内容自体についての考え方を示したものではないと思うが、執行停止に関する最高裁の裁判例あまり多くないし、最近の事例でもあるので、併せてご紹介した。
1頁の2は「執行停止決定に対する不服申立ての在り方」について記載しており、例えば、地方裁判所の発した執行停止決定に対しては、行政事件訴訟法第25条第6項によって、即時抗告という形で高等裁判所に対して上訴ができるが、即時抗告をしても、それは地方裁判所のした執行停止決定の執行を停止する効力を有しないと行政事件訴訟法第25条第7項で規定されている。この点について、参考として挙げている民事訴訟法第334条第1項を見ると、「抗告は、即時抗告に限り、執行停止の効力を有する。」とされていて、即時抗告は原裁判の執行を停止する効力を有することとされている。したがって、行政事件訴訟法第25条第6項の執行停止決定に対する即時抗告は、この民事訴訟法上の即時抗告の一般的効力とは、元々の裁判の効力を止める力があるかないかという点で、逆の規定になっている。このように、地方裁判所のした執行停止の決定に対して不服であるとして行政側が即時抗告をしても、高等裁判所でその審理をしている間は、地方裁判所のした執行停止の決定の効力はそのままなので、行政側で高等裁判所が即時抗告に対する結論を出すまで待てない、どうしても今地方裁判所のした執行停止決定を覆して、処分の効力等を復活させないといけないと考える場合には、一つの方法として、内閣総理大臣の異議の制度を用いるという方法があるということになっている。したがって、いったん裁判所で出された執行停止決定に対する即時抗告といった不服申立ての効力がどうあるかという、その在り方が、内閣総理大臣の異議の制度の存在意義に密接に関係しているのではないか、と考えられる。内閣総理大臣の異議の制度については、既にご検討の中でご意見をいただいているところであるが、内閣総理大臣の異議の制度との関係を含めて、執行停止決定に対する不服申立ての在り方そのものについてご意見をいただきたい。
1頁の3は、公権力の行使に当たる行為についての執行停止以外の仮の救済についての論点と考えられるものを挙げている。(1)は、民事保全の手続でいうところの係争物に関する仮処分に類するような仮の救済が行政事件において必要となるのはどのような場合か、という点である。これまでの検討の中では、執行停止以外の仮の救済としては、例えば、生活保護の申請をしたが、それに対する拒否処分があった場合には、執行停止をしても仮に生活保護の給付がされるわけではないので、執行停止以外に、仮に給付がされるような新たな法律関係を仮に形成するようなことが必要ではないかというようなケースを例に挙げたご意見が多かった。他方で、民事保全手続では、そうした新たな法律関係を仮に形成しておくという仮処分だけでなく、判決が出されてもそれが意味を成さないものとならないように、現状を固定することを目的としたタイプの仮処分の制度があり、それが係争物に関する仮処分と言われているものである。ドイツの行政裁判所法にもこのタイプの仮命令制度があると理解をしている。民事保全の例で言えば、ある不動産が自分のものであるということでその不動産を占有している者を相手にして不動産の返還を求めるという場合に、現在その不動産を占有している者がまだ訴訟の審理の途中で第三者にその不動産の占有を移してしまうと、もともとの占有者に対する判決が結果的に意味をなさなくなるという場合がありうる。そこで、現在その不動産を占有している者がその占有を他の者に移転しないように、占有移転禁止の仮処分を発して、紛争の当事者を現状で固定してしまうという手続がある。このような、現状固定を目的とした仮の救済が行政事件においても必要な場合があるのかないのか、ということをここでは問題にしているものである。ここでは、農地買収処分の無効を前提として、その農地の売渡しを受けた者を相手方とする当該農地の処分禁止の仮処分を求める場合を挙げている。第三者に転々と処分されてしまうのを防ごうというようなことである。この場合、現在は、行政事件訴訟法第44条によって、農地買収処分自体が公権力の行使に当たると考えると、これに関しては、民事保全法に規定する仮処分をすることができないと解されるものと思うが、このような場合の仮の救済についてどのように考えるか、という事例が一つの例になるのではないか。
2頁の(2)は、仮の地位を定める仮処分に類する仮の救済が必要となるのはどのような場合か、という点である。一つの問題としては、先ほどもご検討いただいた行政の作為・不作為の給付を求める訴えによる救済の認められる範囲と、新しい法律関係を形成するタイプの仮の地位を定めるような仮の救済の必要の範囲という関係はどうなるのか、という点についても、行政の作為・不作為の給付を求める訴えによる救済が認められる範囲の検討とあわせて、ご検討いただく必要があるのではないか。参考としては、許可申請に対する拒否処分の執行停止を求めた場合の裁判例を、別紙3として7頁から9頁にかけて記載している。また、行政事件訴訟法第44条で仮処分が許されないのかどうかということが争われた裁判例について、これは行政の行為について執行停止以外の仮の処分を求めて争った事例と考えられると思うが、そのような例を別紙4で挙げている。
(3)は、仮の地位を定める仮処分に類する仮の救済の制度を設けると考えた場合に、その要件をどのように考えるか、という点を掲げている。これまでの検討では、民事保全の手続で足りるのではないかというご意見や、民事保全の手続の要件を基礎として新しい制度の要件を考えるべきでないかといった方向の考え方、さらにはこれと違って、今ある執行停止の制度の要件との均衡、バランスを重視して考えたらどうかというようなご意見も示されていた。そのような考え方を、要件全体、パッケージとして考えることももちろん重要であると思うが、これらの参考となる制度の要件を個別に対照してみることも一つの検討の視点になるのではないかということから、資料で①から④まで記載しているように、問題となりそうな要件ごとに分けて、執行停止の要件と民事保全における仮の地位を定める仮処分の要件の対照をお示ししている。
(3)の①では、行政訴訟におけるこういった類型の仮の救済の必要性に関する要件として、どのような要件が考えられるか、という点を挙げている。この点の参考として、執行停止の積極要件としては、「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件が行政事件訴訟法第25条第2項本文に規定されている。他方、仮の地位を定める仮処分における保全の必要性の要件としては、「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるため」という要件が民事保全法第23条第2項に規定されている。これを比べると、条文の表現は異なるが、基本的な方向性としては、損害に関係する救済の必要性が一つの要件として重要なポイントになっているということ自体は共通しているのでないか。
②は、行政訴訟における仮の地位を定める仮処分に類する仮の救済についての本案に関する要件として、どのような要件が必要と考えられるか、という点を挙げている。この点の参考として、執行停止における本案についての要件としては、「本案について理由がないと見えるときは、することができない」という、消極要件、すなわち、この要件に当たるときは執行停止ができない、という方向での規定の仕方が、行政事件訴訟法第25条第3項後段でされている。これに対して、仮の地位を定める仮処分における保全すべき権利関係についての要件としては、その他の要件のことも合わせて規定されているが、「保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。」と民事保全法第13条第2項に規定されており、仮処分を求めるために積極的に必要な要件として、保全するべき権利関係の疎明が要求されているという違いがある。これは基本的な方向について、民事の保全手続と執行停止とでは逆を向いているところがあると思われる。この点で新たな法律関係を仮に定めるような仮の救済を行政事件で考える場合には、どちらに寄せて考えるかという視点もあるのではないかと思う。
③では、公共の福祉又は公益に配慮した要件を設ける必要性があるかどうかという点を挙げている。そのような要件が必要だという場合には、どのような要件が適当か、ということもご検討いただきたい。この点の参考として、執行停止については「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」は執行停止をすることできないという形で、行政事件訴訟法第25条第3項前段で規定されている。民事保全の仮処分については、このような観点からの要件は明示的には規定はされていない。
④では、本案の訴えの提起を仮の救済の申立てとともに同時、あるいは先行して要するか否か、という点を挙げている。この点の参考として、行政事件訴訟法第25条第2項本文で、執行停止については本案の訴えの提起が必要とされているのに対し、仮の地位を定める仮処分については、仮処分の申立ての時点では本案の訴えが提起されている必要はなく、ただし、仮処分命令を発した裁判所が債務者の申立てにより債権者に対して本案の訴えの提起を命ずる制度が民事保全法第37条第1項に規定されているだけであるという違いが挙げられる。
以上のような要件ごとの対比も一つの参考としつつ、仮の地位を定める仮処分に類する仮の救済の制度を設けるとした場合の要件について、ご検討いただきたい。
□仮の救済については、権利利益の実効的な確保ということで、大方のご同意を得ているところと思うが、もう少し細かく要件の問題について調べていただいた。
まず、執行停止の要件について、ご意見をいただきたい。例えば、この最高裁の決定はどうか。
○この決定については、例えば、手続の「続行」の中に入るということでもいいかと思うが、執行停止の要件が大きな形でできているので、現場で使うときは、例えば、公共の福祉というものの取りようによっては、何でも公共の福祉に影響があるとは言えてしまうので、運用の中での工夫がいろんな分野でなされている。最近多いのは退去強制処分の停止だが、見方の基本の軸として、行政処分の執行によって確保しようとする利益と、本人の受けるダメージとを比較衡量し、ただ同質のものでないので単純な比較衡量はできないが、本案で決着がつくまで、どちらが待つべきかということを直截に考え、事件ごとに段々類型化しているのが現状である。
○執行停止の要件について、公共の福祉、公共の利益と独立に、回復困難な損害を避けるための緊急の必要を判断するのは若干無理がある。執行されて困る人と、執行しないと困る人と、いわば裏表で両方の当事者がいる。執行停止の判断をするときに、本案の話しが仮に白地ならば、これは確率の問題なので一応対等に考えるとすると、結局どちらの方が利益の残存部分が多いのかということに帰すると考えるべきではないか。具体的には、執行で得られる利益というのは公共の利益で、執行で失われる利益は被処分者の利益、執行で得られる利益マイナス執行で失われる利益が、いわば純益として一応計上し得るし、もう一つは、執行停止で得られる利益で、これは被処分者のもので、執行停止で失われる利益は公共のものだとすると、これも観念的には差分を出すということができ、差分の純益同士を比べて、どちらが大きいか、仮に本案の勝訴確率が同じであれば、それが大きい方に転ぶ方が、結果的には合理的になるという観念的な図式はあると思う。こういう定性的な要件ではなかなか言いにくいというのは分かるが、緊急の必要など、いろいろ持って回った言い方をするよりも、本案が白地だということを前提にすれば、公共の福祉と、被処分者の利益との差し引きの勘定で比較衡量で判断するという思考枠組みが社会的にも、合理的である。
○要件を度外視すれば、大体この事件は執行停止をしないといけないかどうかというのは、ある程度あると思う。ところが、本当に執行停止をすべき事案だが、執行停止の要件がきつすぎるので、その条文によっては執行停止ができないということがあってはならない。そこで、日弁連は、ドイツ式に執行停止を原則にすべきだと言っているが、仮に、現行法どおり、執行不停止を原則にすると、今の「回復困難」、「緊急の必要」などはいかにも要件がきつ過ぎる。少なくとも、緩めるべきだと思う。
弁護士のこの事件は、続行手続でないというのは違和感があるし、形式論理的には最高裁の決定のとおりかもしれないが、もしこの最高裁の論理に従うのであれば、仮処分で止めることになるだろう。つまり、処分があったことは仕方がないから、行政訴訟としては一応争うが、処分は終わっているから、その後の新たな行為によって、自分の営業上の利益などを侵害されるとして、仮処分で止めるべき事案なのかと思う。
○原告が勝訴する見込みが明らかである場合、仮の救済の必要性が高くなり、逆に勝訴の見込みが全くといっていいほどない場合、仮の救済の必要性は小さくなる。法律の文言にかけるかどうかは自信ないが、そういった点も考えた方がいいのではないか。公益と私益の比較衡量が必要となるのは、勝訴できるかがはっきりしない場合である。
それから、例えば、建築確認の執行停止を考えると、この場合の公益とは一体何だろうという問題があり、そこで対立しているのは建築主の私的利益と、周辺住民の私的利益である。対立する利益は両方とも私的な利益であり、そうすると、ますます現在のような要件論というのは適切さを欠くのではないか。現在の要件論は、公益を守るという点から要件が厳しくなっているので、公益が問題にならないということであれば、もっと、いわば低いものになるべきである。許認可事例では、今のような私的利益が対立している場合が多いのではないか。
○今の建築確認の例で、第三者の保護という側面が、今の制度の中にはあまりきちっと出ていないのではないかという危惧はある。ただ、私益には必ずしも全部還元しきれず、公平なあるいは一つの基準に基づく運用をするということ自体が公益性を持っているという側面もあり、そうしたものを確保するという意味では、公益は全くなくなってしまうものではないだろうと思う。比較衡量については、実際の感覚では、例えば食品衛生法に基づいて、営業停止処分を受けている場合、営業停止処分が長引いたら倒産してしまうという、非常に切実な原告、申立人の訴えと、それを停止する必要性と、本当に秤にかけられるかは、非常に異質なものを秤にかけなければいけないタイプのものが多くなるので、量的な比較が非常に難しく、そういう特質は一般の民事よりは多いのではないか。
○この要件は非常に抽象的なので、書き方の問題なのか、運用の問題なのかという問題はあるが、この要件が厳格過ぎると思われるのは、民事的には一方では人が死んだときにすらてん補賠償として金銭賠償が建前となっているのに、回復困難な損害とは何なのかというのが非常に分かりにくく、ものすごく重く見える。
それから、緊急性の判断の中に公共の利益を持ち込むという見解が多いが、別に公共の利益との調整は消極要件があり、そこで判断するので、二重に公共の利益が衡量されるかのような解釈に何故かなっている。どうしても運用に最後は委ねざるをえない問題だと思うが、そうとはいえ、今言ったような点は、もう少し分かりやすい要件にすべきでないか。回復困難な損害という概念と、必要性の判断に公共の利益との比較衡量を持ち込むという2点ぐらいは、この際、条文を少しクリアにすることによって払拭して、使いやすくし、過度に厳重なイメージを与えないように置き換えて、後は運用に委ねざるをえないのではないかと思う。
○勝訴確率がうんと高い場合と、うんと低い場合というのはおのずとそれにウェート付けをした判断があってしかるべきであり、先ほどはあくまでもニュートラルな場合について申し上げたが、勝ちそうかどうかということによってウェートは変わってくると思う。
建築確認の議論があったが、大規模建物になると当事者がうんと出てくるとか、戸建ての家なら周辺何軒だけだとか、多分公益と私益というのが、定義の問題ないし連続した問題なので、公益と私益が、処分の種類によって、いろいろ薄まっている場合と、濃い場合があるということだと思う。比較衡量はなかなか難しいというのは確かにそのとおりだが、実際に土地利用関係の処分の処分要件でも、個別的な利益と、広い抽象的な、例えば鉄道が通る利益などと比較しており、処分でやっている以上は最終的には何らかの判断に熟さざるを得ないこともありうると思う。
□要件をもう少しわかりやすく書き改めた方がいいのではないかというご意見もあった。良い知恵が出るかどうか分からないが、いつかの段階かで、事務局の方で作ってご批判にさらしてみたらどうかという感じもする。執行停止に対する不服申立ての在り方は、注にもあるように、内閣総理大臣の異議の制度との関係もあり、こういった問題があるということが指摘されたので、仮に原審決定の執行停止に対する即時抗告に執行停止の効力を認めるとすると、その場合の要件はどうなるのかといった問題も含めて、事務局にさらなる検討をお願いしたい。
それから、執行停止以外の仮の救済手続きを認めるべしということについては意見の一致を見ていると思うが、さらに分析的にすると、重要なポイントがあるということで、資料が提示されているので、ご意見があれば承りたい。
一つ、確認したいと思うが、仮の地位を定める仮処分に類する、ドイツで言えば仮命令的なものについては、義務付け訴訟あるいは義務付け判決を認めるということになると、連動するということでよろしいのか。
○そこは相似形になると思う。ただ、その在り方が、命令という形か、行政にそれを義務付ける形か、という問題は、こちらの方でも同じ問題が出てくると思う。
□(3)の③のところで、「公共の福祉又は公益に配慮した要件」という部分が出ている、民事の仮処分でもやはり裁判官は見ているのか。
○制度とすると、執行停止の制度との連続性というのは無視できないのではないか。先ほど執行停止の見直しをしようという議論があったが、この仮の制度というのはさらにその上に積み上げていくという性格を持っているのではないか。実務では民事仮処分の場合は担保、保証金がいろんな意味で機能している。ところが、行政のこの場面では、金銭を立てることでいろいろと強弱を補う、あるいはいろんなリスクを回避するという期待はできなくなり、むしろ正面から、相手方の利益というよりは、公共の福祉や公益について何らかの形で配慮する必要がある。だから、そういう意味で、要件をどこで考えるかというと、単純に44条を廃止してしまって、後は全部民事保全を使えるというのは、現実的には難しいと思う。
○天秤にかける要素がないといけないというのはそのとおりだと思う。ただ、仮の地位の仮処分についての特質ということで考えると、当人の身分的な地位など、本人に関わるものに限るようなケースが多いと思う。合格した地位とか、公務員の身分たる地位とか、それを認めることに伴って阻害される公益というのは、一般的な侵害処分に比べると、比較的限定的な領域に留まるものが多いという特質があると思うので、天秤にかけて実体判断すると、仮の地位を認めたからといって、天地が引っくり返るようなことは滅多に起こらないのではないか。
○公共の福祉、あるいは公共の利益についての要素は考えざるをえないとすれば、民事保全と同じように保全の必要性は原告、申立てをする方が言うというのでは、事柄の性質上、おかしい。公共の福祉に重大な影響があるかどうかは、執行停止と同じように消極要件として、国又は行政側が言うようにすべきで、民事保全は被保全権利も保全の必要性もいわば国民の側になるので、主張立証の責任分配の点でも独特な部分はあるのではないか。
□専門技術的なことになるので、民事保全手続との関係を見ながら、できれば事務局の方で整理をしておいていただきたい。
それから、最後の④の本案の提起を要件にするかどうかについては、原告・被告のメリット・デメリットを整理して、こんな点が不便だというようなことをいっていただいた方が分かりやすいと思う。
○むしろ、保全処分の制度と変える必要があるのかどうかという気がする。
□この点はもう少し、事務的に整理してもらうことする。
- 【「処分又は裁決の理由を明らかにするための方策の整備」について】
- ■資料1「処分又は裁決の理由を明らかにするための方策についての主な論点」の1は、理由の説明を求めるという点に関してのものである。処分又は裁決に関する理由の説明を求めるために、民事訴訟法第149条の釈明権等という制度のほかに、行政訴訟に独自の制度を設ける必要があるかどうかということについて、ご検討をいただく必要があるのではないか。民事訴訟法149条では、裁判長の権限として、「口頭弁論の期日又は期日外において、訴訟関係を明瞭にするため、事実上及び法律上の事項に関し、当事者に対して問いを発し、又は立証を促すことができる」となっていて、裁判長が当事者に質問をしたり、立証を促したりする権限がある。これを釈明権と言っている。陪席裁判官も必要に応じて、裁判長に告げて、その処置を講ずることができることになっている。当事者も、裁判長に対して必要な質問をしてほしいというときは、それを裁判長からこういう質問をしてほしいという形で求めることができるという、149条3項の規定がある。行政事件訴訟法第7条により、現在でもこの規定は、当然行政訴訟においても適用があるから、行政事件を扱う裁判所の方で、この釈明権の行使ができるが、これとは別に行政訴訟の特殊性というのを何かしら考えて、独自の制度を作るとすれば、その必要性をどこに求めるのかといった点をまとめておく必要があるのではないかという点を挙げている。
2に記載しているのは、資料、記録等の提出という側面についてである。(1)は、行政側から提出を求める対象として、どのようなものを考えるべきか、その特定についてはどのように考えるかという点を挙げている。民事訴訟法上既にある制度の一つとして、公務文書が文書提出命令の対象になっているが、文書提出命令の制度の活用に関しては、最近改正されていることもあり、これまでの検討の中でも、運用の状況を見極めるべきであるというご意見もあった。また、実際にこの制度を使っている中で、文書の特定という段階でなかなか円滑に進まないという問題があるのではないかという指摘もあった。そこで行政訴訟の中に新たな記録等の提出を求める制度を考える場合に、対象をどういった単位で考えるか、あるいはその特定というものをどのように考えていくかということについて、検討が必要なのではないか。例示的に一つの考え方を示しているが、行政手続法の第18条第1項を参考にした考え方として、当該事案についてした調査の結果にかかる調書その他の当該処分又は裁決の原因となる事実を証する資料一切を対象とするとした場合はどうかということを挙げている。行政手続法の第18条は不利益処分に関する規定なので、このとおりの条文ではなく、「行政庁に対し、当該事案についてした調査の結果に係る調書その他の当該不利益処分の原因となる事実を証する資料の閲覧を求めることができる」という閲覧の規定であり、対象も不利益処分の場合ということで限定されている。これを他の処分にも一般化するということも一つの考え方かということで例示している。
(2)として記載している論点は、行政側が提出を拒むことのできる事由があるとしたら、それについてどのように考えるかということである。この処分又は裁決に関する記録等の提出を求める制度については、前に検討をしていただいた際に、制度の基礎的な考え方として、民事訴訟法上の文書提出命令を基礎にした制度として考えるか、釈明処分といったものを基礎にした制度として考えるかという論点もお示しして、ご検討いただき、ご意見をいただいた。文書提出命令のような証拠調べの制度として考える場合に、既に、こういう場合は提出しなくてもよいという例外規定がある。その場合のみならず、釈明処分の一つとして考える場合であっても、いずれにしても出された記録等は裁判の資料という形になるので、当事者が見ることのできる形にもなり、そうしたことを考えると、民事訴訟法において文書提出命令の制度について、提出義務の例外としていくつか定められている事由、例えば民事訴訟法第220条4号ロ「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」といった規定があり、このような提出義務の例外とされているようなものについては、どのような制度で考えていくにしても、行政側が記録の提出を拒むことができる場合としてやはり残るところがあるのではないかという点をご検討いただく必要があるのではないかという指摘をしている。
(3)で挙げているのは、行政側がどうしても記録等を出せないという事態のためにどういう手続を考えたらよいかという論点である。この点で参考になるものとして、文書提出命令に関する条文であるが、民事訴訟法第223条第3項ないし第7項を挙げている。第223条第3項から第7項は、裁判所が公務員の職務上の秘密に関する文書について、一般的な提出義務があるということで、文書提出命令の申立てがあった場合には、その申立てに理由がないということが明らかな場合を除いて、提出すべき文書か提出すべきでない例外に当たる文書かどうかについて、当該監督官庁の意見を聞かなければいけないという制度を設けている。当該監督官庁がその文書が出せないという文書に当たるとという意見を述べる場合には、理由を示さなければいけないということになっている。第223条第4項では、さらに一定の場合に配慮をしており、当該監督官庁が当該文書の提出により次に掲げるおそれがあることを理由として、例外に当たるという意見を述べたときは、例外に当たると述べた内容の意見について、相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の所持者に対し、その提出を命じることができるとしており、その配慮すべき事由としては2つ挙げられている。一つ目は「国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれ」、であり、もう一つは、「犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ」がある場合にはもう一段階慎重な段取りをしようという規定になっている。それでもお出された文書提出命令に対して不服があるという場合には、その決定に対して、即時抗告をすることができるというような規定になっており、即時抗告をすると、上級審で判断がされるという不服申立ての仕組みになっている。行政訴訟に関して記録等の提出を命じられたことに対する何らかの不服申立手続を新たに仕組むことが必要なのかどうか、不服申立てを認める場合には、その不服申立てを審理するための手続とその基になっている事件の審理の迅速化の要請の調和をどういった形で考えていくべきかということについても、ご検討いただきたい。
○理由の説明を求めるとすると、最初の期日になるのか、あるいは訴えの適法性を認定した後ということになるのか、適法性を認定する前になるのか。
○今のやり方では、本案前の答弁が出てきて、一区切りあるが、なお実体に入った主張をせんとするときに、1回目で全部やってしまうときもあるし、区切ってやっていくこともある。あるいは全くそんなことは必要がないという対応もあり得る。処分の適法を実体的に根拠付けようというようなときの一番便利な手段として冒頭に出てくるというのであればよろしいのではないか。
○処分をしているのだから、行政はそれなりの資料を持っているはずである。自分の経験では、税務訴訟では、本案前の抗弁は出していないという場合であっても、第1回期日に、原告の請求を棄却するという答弁だけしておいて、課税処分の根拠については次回に、という話になる。その次には勿論出してくるが、証拠も大体小出しである。行政訴訟の場合は、原告と被告とのいわゆる武器の対等が保障されていないということがかねてから言われている。行政の方はいろいろな証拠を持っているが、それをなかなか全部オープンにしない。したがって、なかなか原告の方でも十分な争いができないということである。民事訴訟の文書提出命令は当事者でない場合も当然想定しており、行政訴訟法ではあくまで当事者間の訴訟だから、民訴の文書提出命令とは違って、プラスアルファしたものを設けるべきで、処分をするに際して収集した資料は一切出すということにすべきでないか。いきなり証拠として出されてもよく、閲覧をさせることにすべきである。行政手続法18条の「調査の結果に係る調書その他の当該不利益処分の原因となる事実を証する資料」はかなり限定的である。不利益処分とは矛盾するような、行政庁に不利益な書類も当然ありので、そういったものを含めて、一切の資料は出させるという制度を作る必要がある。そういった資料は何も行政庁だけのものではなく、国民のものである。もちろん、いろんな例外的な手当ては当然必要だと思うが、原則として、そういった制度設計をすべきである。
○一切の資料ということで把握できるかどうか心配があり、各省の資料の保管の状態や、どういう形態で、どの程度、どの期間保管することになっているか、実態とも係わるので、各省ヒアリングのときに、問題提起として聞いた方がいい。
□行政過程における行政の説明責任の問題が司法過程においても、やはり貫徹すべきではないかということも以前に申し上げた。何らかの手当を設けるべきだということについては一致していると思う。むしろ問題は、記録等の提出について、法制審の方でも特に文書提出命令については議論をしているという話もあったが、その後進んでいるのか。
○文書提出命令の見直しの作業は現在もやっており、来年の通常国会に提出する民訴法の一部見直しの中の検討事項の一つとして、公文書の文書提出命令制度のさらなる見直しが入っている。ただ、これは、主として刑事関係書類の文書提出命令であり、ごく限られた範囲の文提を中心にした見直しである。資料の1は、釈明処分を念頭に置いた記述で、2は文書提出命令の話が出てくるが、行訴も広い意味で民訴だから、主張の話なのか、立証の話なのか、第三の道なのかは、制度を詰めていくときには非常に重要なことなのに、事務当局のお考えがよく分からない。立証については、職権証拠調べで、文書提出命令により、公文書についてもこれ以上やると守秘義務違反で処罰されるというぎりぎりのところまで出してくださいということになっているし、行政情報公開法で、ほぼ守秘義務違反にならないものはだれでも開示請求ができるというシステムがある。、立証の場面で行政庁のこういう文書があるはずだが出てこないというのであれば、最終的には裁判所が職権で提出命令をかけて、秘密だと言えばインカメラ手続で裁判官が見て、そんな秘密はないでしょう、出しなさいと言って、命令を出して、当事者には違反について非常に大きな不利益が生じるので、立証の場面では、もうやりようがないのではないか。むしろ主張しようという段階で、訴訟関係を明瞭にするために被告の内部の検討資料がどうしてもないと分からないというようなときに、性質としては釈明処分として、主張をはっきりさせるために記録を出すということを考える方向で考えた方がいいのではないか。
○文書提出命令の場合は、文書の特定がそこそこ必要である。民事訴訟の文提は、こういう文書があるはずだ、これがほしい、という関係だが、今回議論しているのは、行政訴訟の冒頭部分で、こういう理由で、こういう資料に基づいて、こういう処分をしたということを、説明責任に必要な範囲内で、これだけの資料でやりましたということだけではなく、他の資料も含めて出せという制度が必要ではないかと思っている。
○文書提出命令は、確かに文書の標題や趣旨を特定することになっているが、この間の法改正で、少し緩やかにしてもいいということにしている。なぜ文書の特定が要るかというと、最後に不服の申立てができ、本当は出すべき文書を出さなかったときは裁判所が最後は文書を見て判断し、例外文書はどれかということは裁判所が決めることになっており、文書が漠然としていると、出す方も何を求められているか分からず、裁判所も出すべきか出さざるべきかを決めるのに困るから、文書の特定はある程度不可欠になっている。立証事項が定まっていて、そのときの証拠として必要があるという場面の話と、訴訟の入口で全部出しなさいというのは全然違う話である。一つの処分で関係するものが段ボール1杯、2杯というものもあるが、争点はここだけかもしれないが説明責任だけで全部出せというのは、コスト、手間と、必要性とのバランスをあまりにも失しているのではないか。立証については、立証に必要な限度では手当がされているし、釈明的なものとして考えるのだとしても、何も入口で無条件で全部出しなさいという制度にする必要は全然ないのではないかと思う。
○1、2の仕分けが大事である。行政手続法18条は、不利益処分についてのものであり、要件事実がまだはっきり決まっており、それに当たる事実があるかどうかについて資料を出せという話である。どういう処分ができるかどうかというときにいろんな要素をさらに考慮して、ということになると、そこは必ずしも行政手続法は必ずしもきっちり抑えていない。そういった点が行政訴訟では一つのポイントになるし、行政手続法が被らない利益的な処分で、第三者から訴えがあって、申請人がどういうメリットをどういうふうに評価したのかというようなことは非常に漠たる話である。最初は、当事者にとっても主張ポイントはまだ分からないし、裁判所にとっても分からないというところで、土俵をどうやって組み立てていくかというところでまず大事である。その意味では、1の釈明権の規定で全部できるのかもしれないが、行政訴訟は、、基本的にそういう筋道で進んでいるのがいい、それが普通のやり方ではないかということを訴訟法にきちんと書いてあれば、それが行政訴訟における釈明権の行使の一種の裁量基準なのだと、これは普通のやり方なんだなということが分かっていいのではないか。その上で、段々、この処分はこの辺がどうも怪しいということになってきて、それで文書が特定できれば、2の方に進んでいくということで、1の段階で釈明処分で、とにかくこういった種類の事情について、何か調べたのだったら、それを出してくれないかというようなことがあってもいいのではないか。
○全部コピーして出せということを言っているわけではなく、少なくとも開示する必要がある。行政処分がされた場合に、行政庁が行った事実認定に沿う証拠もあれば、独自の証拠もあり得るが、矛盾するような証拠は出てこない。裁量権を行使して処分をしたという場合に、矛盾する資料もあり得るが、それをどうオープンにさせるかである。情報公開法も一定程度役割を果たすが、今議論しているのは行政訴訟の場において、訴訟の当事者については相手方の持っている、関連する資料というのは、全部オープンにして、その中で争いをすべきではないか、これがまさに武器対等の訴訟の場でないかということで議論している。
○第1回目に何が何でも細かく特定できるかという問題はあるが、訴訟法の技術的な問題というより、基本的な問題の構図において、今の意見は実感としてよく分かる。訴訟の指定代理人の経験で申し上げると、1回目の期日というのは極力不親切にやるというのは法務省訟務局の指導であり、行政庁は訟務局に洗いざらい持っていくが、最低限の一番不親切な対応をするのだったらこれとこれぐらいで十分だというのが、1回目に限らず、ばれない限り最後まで続くというのが、最近は変わったか分からないが、自分の知る限り、行政庁の応訴手段のセオリーである。当事者主義で、本人の出したい資料だけ選択できるのだということだと、行政訴訟の場合にはうまく回らないということがあると思う。この間も、川辺ダムの判決があったが、千人を超える人が実は本人は署名していないということが、処分をやり、それに対する異議決定までやっている中で、明らかでなかったはずはなく、それが一審では明らかになっていなかった。ばれてしまうのはよほど下手な応訴をした場合で、通常は知らない事実は知らないまま、闇に葬られるということはかなりある。本当はそれではいけないと思う。どこまで特定できるのかという技術的な困難はあるにしても、本来、その裁判の前提となった処分に関係する、法的な判断に熟するに当たって使った資料を、不利なものも含めて包み隠さず法廷の場に出すべきだというのが原則で、それをできるだけ合理的な形で取捨選択できるようにするという仕組みに近づけるべきではないか。
○行政庁の保有している文書について、民事訴訟法の改正がなされて以来、文書提出命令の申立てなどが、非常に多くなってきた。その動きは半年単位ぐらいで変化してきている。当初のうちは、特定のレベルでも、大雑把な特定しかしないという感覚だったものが、やはりそれではいけないというふうな認識で非常に細かなところまで出てきている。昨今のポイントは少しずれており、220条4号ロの、公務の遂行に著しい支障を及ぼすか否かという辺りで、どの範囲でそれを出すかの攻防、議論に移ってきていて、段々進化し、地についたものになりつつあると思う。裁判所はまだ判断回数がものすごく少ないため、どういう範囲でそれが線引きができたかはとても言えないが、これが定着してくれば、立証の場面では、3、4年前の状況と比べたら随分違う状況が出てくるだろうと予想される。そういう意味で、立証の面からは、文書提出命令でどこまで出てくるのかを見て、やっていった方がいいのではないか。仮に新しい制度をここに入れて、同じように4号のロと同主旨の規定を入れるのであれば、入口が違うだけで、結局同じことをやってしまう。そういうことの他にどういうものが必要なのか、という議論があるのではないか。当事者としての立証責任の問題が、実際は釈明といって、入れ替わってしまうのも困るわけで、本来の釈明義務なり、あるいは行政庁としての義務なりとして、どこまでやるべきかという議論は、それだけ独立にもう少しやった方がいいのではないか。
□大分議論が整理されたと思う。文書提出命令についてはもう少し推移を見た方がいいというご提案もあったので、それも勘案しながらヒアリングの資料を作るということにしたい。
- 【「行政訴訟の対象、取消訴訟の排他性、民事訴訟との関係、出訴期間」について】
- ■資料4は行政訴訟の対象と、取消訴訟の排他性、民事訴訟との関係、出訴期間に関して、これまでの検討会の議論の概要を踏まえて、論点を整理したものであり、その論点については、国民の権利救済を実効的に保障するという観点から、主だったところを拾ったものである。全体の議論の概要については、別途資料6と資料7として、要約したものを用意しており、こちらの概要を併せてご参照願いたい。
資料4で、これまでの検討会の議論の概要の中で、主だった指摘として、6個の指摘を挙げている。1番目の指摘は「行政立法、行政計画、通達、行政指導などへの取消訴訟の対象の拡大」である。2番目が行政決定の違法を確認する取消訴訟のような排他性のない訴訟を創設してはどうかという提案である。3番目が「裁判所が判決で必要な是正措置を命ずる考え方」であり、4番目が3頁の「取消訴訟の排他性の縮減」、5番目が「排他性又は出訴期間を伴う処分を限定する考え方」、6番目が4頁の「出訴期間の延長」である。
立法をするにあたっては、国民の権利救済を充実するために、どういう目的を考えて、このような提案がされているかということを踏まえた上で、さらにその目的を実現するために、その提案されている手法が、適当な手法であるかどうか、あるいは提案されている目的自体が法改正によって対応すべき問題であるのか、実務なり解釈の運用によって対応すべき問題なのか、その必要性を精査する必要があると思う。さらにはその手法自体が目的を達成するために適切な方法であるのか、その他に適切な方法はないのか、あるいは目的を達成するために、その手法を用いた場合に達成しようと思った目的以外の悪影響が生ずることはないのか、を検証していく必要がある。そういう意味から、提案されている目的と、それに対する懸念事項について対比する形でここにお示しした。
第1点の取消訴訟の拡大については、多様な行政活動に対する国民の権利救済の機会を広く確保するという観点から行政立法、行政計画、通達、行政指導などを取消訴訟の対象とすべきである、という考え方が提案されている。
これに対しては、例えば、アの指摘で、現在でも国民の権利義務に直接影響を及ぼすような場合であれば、それは取消訴訟の対象とされており、行政立法、行政計画、行政活動の性質を捉えて、それで紛争の成熟性とは関わりなくすべて取消訴訟の対象に一律にしていいのかどうか、という議論がある。
イの問題としては、行政指導などを争うことができれば、国民の権利や自由の保障に繋がるのではないかと思われる場合は確かにあろうかと思う。確認訴訟や、差止め訴訟等の事例の中でも整理して、判例等で説明しているが、現在でも、例えば確認の利益があれば、そういったことを争って国民の権利を保障することは可能なのではないだろうか、ということについても考える必要があり、さらには現在検討されている差止め訴訟等による権利救済、そのような他の方法についても可能性を検討する必要がある。
ウの問題は、取消訴訟の性質として排他性や出訴期間の制限を受けることから、取消訴訟の対象に加えるということは、それによって、かえって訴えをする機会、争う機会を制約されることにならないか、さらには、そこで争えたのに争わなかったということになると、その後に行われる処分で実際不利益を受ける場合に、前で争わなかったのだから、後にされる処分については、前の行政立法や行政計画は違法だったという主張は出来なくなってしまうのではないか、という問題が生じないか、違法性の承継の問題であるが、こういった点について、検討をしておく必要がある。
2番目の、排他性のない訴訟という形で行政決定の違法を確認をする訴訟を創設したらどうか、という提案であるが、この提案は、今申し上げたような取消訴訟の排他性や出訴期間の制限で権利救済が必要以上に制約されることがないようにするという観点から、しかも多様な行政活動に対する権利救済の機会は広く確保して、さらには民事訴訟とか取消訴訟とか、そういった訴訟類型の選択によって、仮に訴訟類型の選択を誤って権利救済の機会を失ってしまうことがないようにしたらどうか、という観点から提案されているものである。その対象となるのは行政決定ないし行政上の意思決定というように包括的に捉えて、その訴訟類型も取消訴訟のような形成訴訟ではなく、確認訴訟という形で出訴期間もなくいつでも争える、それから民事訴訟などの他の形態の訴訟でも争える、排他性がないものとして制度設計をしてはどうかという提案である。
これに対して、これまでの検討会でも2頁にあるように、例えば、アで、現在の取消訴訟制度自体はそういった排他性と出訴期間を伴った形成訴訟というものを作って、法的な権利関係の安定を図ることが目的ではないか、取消訴訟の排他性と出訴期間という制度は、行政救済、国民の権利救済という観点のみから決まるものではなくて、行政の作用の在り方や行政の仕組みと密接に関連する問題ではないか、それから行政の円滑、効率的な遂行による国民の利益を検討すべきではないか、という指摘があったところである。
それから2頁のイで、今ままでの取消訴訟であれば、国民の権利義務への影響という要件があるので、それに対して行政法に要件が書いてある、その要件に合っているかどうかという形で判断するという形で審理ができたものに対して、行政上の意思決定という形になると、対象や効果が漠然としているものを幅広く対象とするために、裁判規範が明確にならないのではないかという問題、それから、幅広く対象を捉えた結果、最後には訴えの利益がある場合とない場合が出てくるので、訴えの利益を個別的に判断した結果として、多くの訴訟が結果的に不適法とされるのであるとすれば、そういった訴訟類型を新たに新設することが適切であるかどうかといった問題の指摘があった。
3番目で、違法な行政決定に対する救済というような形で考えた場合に、裁判所による救済方法を訴えの提起の段階で、当事者が特定するのではなく、裁判所が判決の段階で必要な是正措置を命ずることができるようにして、訴えの提起の段階での原告の特定の負担を軽減してはどうかということである。
この提案に関しては、次のアからウまでの問題点が指摘されており、アは、当事者にとって何が一番有利な救済なのかというのは一義的に決まらないということである。したがって、どういう救済が当事者にとって適切かということが決まらないとすると、判決で命ずる救済として当事者が何を求めるかというのは当事者がまず自分の判断で選択してもらって訴えていただき、当事者双方の主張の当否は裁判所がそれを見て中立的に判断するという、現在の訴訟の基本構造を変えることは適切ではないというご指摘である。
イは、請求の特定というのは、それによって審理の対象が決まるという性質の重要な意味があるとのご指摘があった。これによると、請求が明確でないと訴訟の審理が多岐にわたる、それからいろいろな部分について、こういった場合はどうなるかという形で仮定的な対象についても審理をしなければいけない。その結果として訴訟が複雑となって遅れることにならないか、という指摘がある。
次にウで、現行法でも、請求というのは裁判所から当事者に適切に釈明をしてもらうことによって、当事者にとって最適な救済を選択するように裁判所が促すことも可能ではないか、というご指摘もあった。
続いて3頁の4、取消訴訟の排他性の縮減である。これは、例えば、大阪空港判決を例として、取消訴訟で救済ができるかどうか、行政訴訟で救済ができるかはともかくとしてという形で、民事訴訟を不適法として却下するような判決があった。取消訴訟で実効的な救済ができない場合についてまで、取消訴訟の排他性が及ぶとすれば取消訴訟の排他性の本来の趣旨を超えているのではないか、という指摘があった。給付の訴えや確認の訴え、その他民事訴訟もあろうかと思うが、他の訴訟類型も活用してトータルとして国民の実効的な権利救済を図ることをできるようにしよう、という形でご議論いただいているが、そういった観点で多様な救済を実現しようと思ったときに、取消訴訟の排他性が本来の趣旨を超えてこういった他の訴訟形態による実効的な権利救済を必要以上に妨げるようなことになってはならない、こういうご指摘があった。そのような趣旨を明らかにすることはできないか、というご意見がある。
これに対する関係では、問題点の指摘として、例えば、取消訴訟の排他性は、行政事件訴訟法そのものに規定が置かれているわけではない、しかもどういう範囲で排他性が及ぶかは、対象となる行為の性質によって異なる、とすると排他性に関して一般的な規定を置くことができるのか、というご指摘もあった。
次に5番目であるが、排他性又は出訴期間を伴う処分を限定する考え方である。取消訴訟制度は行政活動の円滑を目的としているとしても、全ての行政活動について、そういった理由があるのか。取消訴訟の排他性又は出訴期間の制限により権利救済の機会を必要以上に制約することをしないようにするためには、排他性又は出訴期間を必要とする行政活動を厳格に限定すべきではないか、こういうご意見があった。こういった観点から判断した上で、排他性又は出訴期間を伴う処分を限定すべきである、との考え方があった。このような考え方として、例えば、①排他性又は出訴期間については必要なものについて個別法で定めるべきではないかという提案、②第三者の権利義務関係に変動を及ぼす処分に限って出訴期間の制限を受けることを行政事件訴訟法に規定すべきであるとの考え方、こういった提案があった。
これらの考え方についてはその次のアからエまでのような指摘があった。例えば、アの指摘は、先ほども申し上げたような取消訴訟の排他性と出訴期間というのは、行政の円滑・効率的な遂行という行政の仕組みとの関係を検討すべきではないかという問題であり、イの問題点は4頁であるが、出訴期間の廃止は、それと同じような問題として、結局は行政コストとして国民の負担となるのではないか、一方では処分に対する訴訟の仕方を教示する制度ができれば、出訴期間を伴う処分を限定する必要は乏しいのではないかという指摘もあった。
次にウで、これは個別法で整理をするとしても、立法するのは、国会だけでなくて、市町村や都道府県条例制定権を持つ組合などもあり、そういったところで処分は規定されるということも考えなければいけない、との指摘があった。
それからエで、第三者の権利義務関係に影響があるかどうかという観点で、区別すべきであるという考え方に対しては、これを立法段階で区別することは難しいのではないか、したがって一般法である行政事件訴訟法で出訴期間がある処分を第三者の権利義務関係に影響を及ぼすものに限定することは適切ではないのでないか、このような指摘もあった。
最後に、6番の出訴期間の延長である。出訴期間が行政活動の円滑・効率性を目的としているとしても、処分のあったことを知った日から3か月の出訴期間、あるいは処分の日から1年の出訴期間という現在の規定が、その目的に照らして、必要性が十分あるだろうかという問題点の指摘があり、出訴期間の制限によって権利救済の機会が必要以上に制約されないようにするとの観点から、これを延長してはどうかという意見があった。これは多様な意見があるが、一応①から③までの整理をしている。
例示として、①は、現在、行政事件訴訟法第14条1項と2項で決まっている「処分があったことを知った日から3か月」の出訴期間を6か月に延ばしてはどうかという考え方である。
②は、「処分があったことを知った日から3か月」の出訴期間を延ばすということではなくて、これについて、処分が例えば公告された場合などでは「知った日」そのものが争いになる。公告の日から逆算するという最高裁の判例があるが、「知った日」が争いにならないように、明確な起算日に改めるべきではないか、という意見もある。
③の考え方は、「処分があったことを知った日から3か月」の出訴期間を廃止してはどうか、「処分があったことを知った日から3か月」の出訴期間は不変期間とされているが、「処分の日から1年」の出訴期間は正当な事由があれば延ばすことができることになっており、そういう柔軟な出訴期間だけに統一してはどうか、現在では処分を知らなくても、「処分の日から1年」の出訴期間がかかることになっており、「処分があったことを知った日から3か月」の出訴期間も併せて置く必要があるかどうか、という指摘もあった。
このような出訴期間を延長するという考え方に対しては、出訴期間について教示義務を設けることをどう考えるか、あるいは、取消訴訟の制度の趣旨として言われている行政の効率的運営の要請との関係をどう考えるか、という問題があり、迅速な裁判や、早期の行政の法律関係の確定という要請からは、現行法の出訴期間を維持すべきである、との指摘もあり、こういった点についても検討する必要がある。
○行政立法については、1のアにあるように、現行法でも直接具体的な法効果を生ずるようなものについては、取消訴訟の対象になることが認められており、その程度でいいのではないか。つまり行政立法のために、特に訴訟の類型を設ける必要はないということである。その理由は、一つは行政立法について独立の訴訟を認めると、もし裁判において、その行政立法の違法性が否認されるということになると、その後の民事訴訟などにおいて、行政立法の違法性を主張する場合に制約になるかと思う。つまり最初の訴訟で、既成事実ができあがってしまうという問題があるということである。行政立法を争う訴訟はリスキーな訴訟なので、行政立法については特別の訴訟の形式を設ける必要はなく、現行法で言う取消訴訟の枠内で許容される範囲で認めるのがいいのではないかと思っている。あるいは2に書いてある確認訴訟という形でも結構だと思う。したがって、行政立法については、民事訴訟あるいは行政処分に対する取消訴訟などにおいて、付随的な形で行政の審査が行われることになると考える。
それに対して、行政計画は、一般的にいえば法令執行行為であり、行政立法と同様に扱うことはできない。行政計画については、直接に行政計画を争う可能性が認められるべき要請が高い。行政計画には様々なものがあり、行政計画一般について、それを争う訴訟というのは無茶だと思うので、法律上の扱いとしては、新たにできる行政訴訟法、あるいは行政事件訴訟法において、行政計画に対する訴訟が認められるということを書き、実際に対象になる計画の類型は法律で指定をすることになるのではないか。その場合には出訴期間や、原告適格を有する者の範囲、あるいは違法性の承継が認められるかという問題はなお残るが、さし当たってはそういうふうに言えるのではないかと考える。
○行政指導は基本的に取消訴訟に乗せる必要はないのではないか。特定の個人なり、事業者なりが相当ひどい目に遭っているのであれば、それは民事訴訟の差止めで足り、被害が生じたのであれば国家賠償なりでよいと思う。後は毅然と従わなければよいという行政手続法の精神ということになる。行政立法については、訴訟の判決の多様化があるとすれば、それで個別に必要十分な救済が関係個々人に対してできるということになり、それで足りると思う。
行政計画、通達は微妙だが、今日のところは、従来の公定力がある処分とはしないで、違法確認の訴訟を広く考える。行政計画を列挙して、その都度訴訟を認めるのは大変分かりやすくて、使いやすいと思うが、それは列挙主義なので、2のような概括主義的な訴訟をさし当たりは追求してみたい。計画であれ、通達であれ、法律の執行としてのプロセスの中で行われ、それ自体は行為規範に則した判断をしやすいし、それを放っておくと、どんどん行政活動が具体化していって、関係者の被害が現実化してくるというものを、適宜のタイミングで捉えて、その適法性を審査することは必要なことだと思うが、さし当たりは取消訴訟を拡大するということではなく、2の議論をすればいい。
□その場合、通達や行政計画についての判決はどういうものになるのか。
○2で、違法確認が基本だが、3にあるように、ケースによって、適切な是正措置が絞られてくれば、それを判決で、事業計画であれば、この計画に従って事業を続行してはならないというような判決ができるかどうかである。
□それは一種の差止め訴訟か。
○計画の違法認定ということを主体にした訴訟だが、判決としてはそこまでできる。
○行政立法、行政計画について、初期の段階で違法かどうか裁判所に判断してもらう必要が、国民の側だけではなく、被告の行政側もあると思うので、これを積極的に認めるべきである。しかし、1のウに書いてあるような、行政立法と行政計画等を取消しの対象とすることによって、排他性等によって争う機会が制限される、あるいは違法性の承継の問題があるといったところについては、十分検討をする必要がある。そういう手当をする前提であれば、訴訟の対象を拡大する方向に行くべきだろうと思う。ただ、それに代わるべきものとして、違法の確認といった別の救済手段があるのであり、その方が適しているのであれば、そちらでと思うので、何が何でも取消訴訟の対象にすることについて拘るつもりはない。
○違法の確認といっても、あるいは取消しといっても、目的はそんなに変わらないので、より弊害がない方でやればいいのではないか。ただ、1のア、イ、ウの問題点の指摘というのはあまり説得的でない。ウについては、立法の仕方次第だと思う。後から争わせた方がいいというのであれば、違法性の承継を認めるような立法的手当をすればいいし、早期の段階で一挙に解決すべきだというのであれば、そこに出訴期間を設けて、その代わり違法性の承継を遮断する、それは立法の選択によることであり、一律に排他性のドグマを維持する前提でないといけないということには必ずしもならない。
アについても、成熟性に関わりなく一律に取消訴訟の対象とすべきだという極端なことを言っている人は、この中にはいなかったのではないかと思うが、成熟性がある場合は、ある意味では当然の前提とされているので、これは噛みあっていない。
イについても、現行法で可能だということだが、事実上の強制や行政指導の効力を争うのであれば、現行法でははっきりしない点を明らかにすることは意味があると思う。
○行政立法について争う訴訟は、独立の類型を考えているが、確認訴訟でできるのであれば、それで結構である。行政立法を争う訴訟というのは、実際上の必要性がどこまであるかということが一つ問題であり、確かに条例は時々争われることがあるが、政省令が争われたのは、例はあるのは知っているが、そんなにない。そういう状況で、あえてこういう訴訟類型を法律で設ける実益は疑問を持っている。
紛争の成熟性に関わりなく行政立法の訴訟を認める意見はなかったと言われたが、自分の理解では行政立法についての独立の訴訟を考える場合は、政令なり省令が制定された場合に直ちに提起される訴訟を考えており、紛争の成熟性との関わりはないのではないかと思う。
政令、省令などが直接争われて、違法性が認められなかったという場合に、違法性の承継はあるのかないのか。ないとしても、裁判所で一旦違法性がないという判断が出ると、その後のいろんな訴訟に影響がないのか。既成事実として影響しないか。既判力の問題ではなく、事実上の問題を言っている。一旦そういう判決が出ると、何らかの形で影響がないか。訴訟が好きな人が訴訟を起こして、負けるとなると、後で真摯な訴訟を起こす人が困るのではないか。
○事実上はあり得るかもしれないが、他でも訴訟行為の巧拙によって下手なやり方をすると、同じような類型について下手な判決が出ることがあり得るので、行政立法に固有の論点とも必ずしも言えない。
○2に対する反論として、アとイがあり、一つは行政の円滑・効率的な遂行による国民の利益を検討すべきだということだが、排他性と出訴期間を伴った形成訴訟でないと行政の円滑・効率的な遂行が阻害されるというのは理解できない。抽象的にそういう議論がされるが、実証的にそれによってどう具体的に行政の円滑・効率性の遂行が阻害されるのかということについては、ほとんど言われていないのではないか。
行政の意思決定という対象の問題は、対象や効果が漠然としているため裁判規範も明確にならないといわれているが、対象の決め方として、行政上の意思決定ということにしたときに、これが漠然としているかどうかは、「公権力の行使」という現行法でも同じようなことなので、漠然としているとは言えないのではないか。
個別の訴えの利益の判断で結果的に多数の訴訟が不適法とされるので、というのは理解できない。アとイという反論が出ているが、これはあまり説得力がないのではないか。
○全く賛成である。アは今のような排他性と出訴期間を前提にして、必ず議論を進めないといけないというわけではないので、やはり排他性とか出訴期間の意味を個別に還元して、守るべきは守るし、変えるべきものは変えるということでよろしいのであって、あまりそもそも論の議論は馴染まないのではないか。
イは、例えば、公務員の採用内定を取り消すというような場合は、今は処分でないと争えない。行政上の意思決定として捉えれば、極めて適切な救済の場が得られると思うので、例えばそういうのがあるし、行政上の意思決定が漠然としているかどうかは、中身の捉え方なり、熟度の捉え方の問題で、特定ができて判断に値するものであれば、十分対象になりうると思う。
□今の採用内定は、民間の場合はどうなるのか。
○民間では、内定で労働契約が成立している。
□民事の世界ではなく、行政の世界でも、あえてそれを取消訴訟の対象としない方が直截に行くのではないか。
○今いわれた形で争えるようになればそれで結構だと思う。
○アとイはあまり反論になっていない。アはまさに行政過程の中に裁判所による審査を組み込むことは、行政の円滑・効率的な遂行に資するはずなので、そういうような訴訟の在り方を前向きに考えていくことに対しては何ら反論にはならない。
イは、訴訟対象の絞りを緩めるといろいろなことが出てきて、カテゴリカルにはダメとは言えないが、個別に見れば原告との関係で具体的な紛争はないのではないかというようなことで、絞らざるを得ない。そうすると、見通しもきかず、結局はたくさん不適法になって、フラストレーションに陥るということではないかと思うが、ここは原告適格である程度の絞り方ができれば、それでいいのではないか。現在、現に処分性ということで跳ねられている訴訟の訴えのうちのどれだけが本当に跳ねてしかるべきかというのは、取消訴訟の条文からすれば、跳ねざるを得ないけれども、司法制度の役割としては、そういう観点から見れば、少なくとも処分性に関して言えばもっと広げてしかるべきではないか。この段階で多数の訴訟が不適法とされるべきかということは疑問である。そうはいってもイのような訴訟を制度として創設することは大変難しいことは分かる。行政決定ないし行政上の意思決定は何を意味するのかは非常に漠然としている。仕分けとしては、公営住宅のように、これは民事的に処理することでみんな納得しているようなものについてはここから外すというようなことをいくつか考えなければいけないのではないか。逆に言うと、民事の契約の自由の世界とは違う法律、条例なりに基づいて、行政をきちんと執行していくべきで、そこで間違いが起きないようにするということだと思うので、法律条例による行為規範の付与といったところが実質的には訴訟の狙いどころではないかと思っているが、それを言葉の上で、どう表現できるかはかなり難しいとは考えている。
□2は行政の処分とそれ以外のものも含めて、違法を確認する訴訟を設けるという話だが、取消訴訟という中核はあり、その他にもいろいろなものがあって、それについても取消訴訟というか、違法確認訴訟というか、そういうものを一緒に入れておいたらどうかという話だとすると、例えば行政指導をここに入れ込んでもいいのではないかというときに、違法確認というのは、結局は確認の訴えの問題、あるいは差止めの問題なのか、ということになると、それは判決の類型の問題となって、こういうカテゴリーを作るかどうかとはやや別の話かと伺ったが。要するに確認訴訟、あるいは給付訴訟で引き受けられるということになると、何故違法確認訴訟を作らなければならないか分からない。訴訟類型はいらないので、判決のところで整理するということだと、違法確認訴訟を作るというのはよく分からない。
■2つの論点が混ざってしまっている。包括的に違法確認的なもので捉えた訴訟で考えていこうというご主張と、それにプラスアルファ取消訴訟の排他性や出訴期間をできるだけ縮小していこうという主張を同時に主張されている方がいらしたので、あたかも論理的に繋がっているように、別のところの論点に対する反論をされているのと一緒にして、混乱しているのかもしれない。ご主張の内容が出訴期間の問題、排他性の問題はまた別途論じるという問題であればまた別の議論だが、新たな類型として、取消訴訟に代わるものとして、全て違法確認で争うということになると、取消訴訟が持っている意義をどう考えるかという基本問題は残る。これについては、出訴期間を縮減すべきだと言う人についても、最低限、第三者の関係では出訴期間は要るのではないかというご主張の方もいるので、別途議論していただかないといけない。そういう問題とリンクされている誤解があるので、今後の議論で整理させていただくが、具体的なご主張は併せてされている方がおられるとしても、論理的には別の問題だと考えて議論させていただくという前提であれば、おっしゃる点はよく理解できる。
○以前から申し上げているのは、今の取消訴訟はやめてしまって、2のような訴訟、制度に変えるべきだということを申し上げている。ただ、1は取消訴訟を残すという前提の議論だから、1の問題については、行政計画等も取消訴訟の対象にすべきだと思うが、行政立法とか行政計画とか、その他について、取消訴訟の対象にしないで、それを2のような訴訟でやったらどうかというご主張だと理解したので、2という形で争えるのであれば、それはそれでいいのではないかということを申し上げた。
○1は取消訴訟を残すという前提で書かれているので、ではその取消訴訟の対象は何なのだということだが、2の訴訟が取消訴訟も全部吸収してしまうものであるという可能性はまだ立法論として残っていると思うので、その場合はまた議論の仕方は別だと思う。
○1だ、2だという話だが、行政立法や行政計画などが、訴えられるかが一番の問題だから、それを取消訴訟の対象の拡大で行くのか、もっと包括的な形で行くのかというところは、それはまた別の議論で、取りあえず行政立法や計画は争えるということの了解でよろしいのか。
□国民の権利利益の侵害をもたらして、訴訟の対象になるような状態のものであれば、それは何らかの形で救わなければ憲法に反するという前提である。救われるべきものは救われないといけない。
○国民の権利救済ということからすると、2の訴訟類型の選択のための国民の負担をなくし、というところが非常に共感するところでもあり、形としてはこういう形もあってもいいのかなと思う。
○取消訴訟中心主義を少し変えようではないかという議論をしてきたが、この文章の立て方は、まず、取消訴訟の対象の拡大とくると、議論のためたまたまこういう順番にしているということであれば理解できるが、今までの議論の中の取消訴訟中心主義を改めるという趣旨について、まとめ方としては工夫をする必要があると思う。
□取消訴訟中心主義を非難しているときには、本来もっと良い救済の方法があるのに、それを否定してしまっている、という意味である。ここで言われている趣旨は、拡大することによってもっと救える場合があるのではないかという話としてここに出てきている。ただ、そうは言っても拡大すると、結果的に取消訴訟の排他性、出訴期間の制限が出てきてしまうということについての議論もちゃんとしておかなければいけないだろうという趣旨である。
○4の排他性の縮減は、説明では、大阪空港訴訟を念頭に置いているようで、それはそれで分かるが、一般的に排他性をとにかく少なくすればいいという議論の文脈でなくて、おそらく底流にあったのは、不明確で、過度に拡張解釈されるような排他性の概念はやはり明確にした方がいいし、限界線がある程度、限定的なところに留まっていた方がいいという意味で、大阪空港の問題を典型的に、こういう議論が出たのだと理解している。そういう前提で考えると、下3行の反論は噛みあってない。現在でも排他性が生じるものだという明確な規定は行訴法にはないが、行政事件訴訟法に取消訴訟を置いてあること自体の解釈論として出てくるのだということになっているわけだから、規定がはっきりしたものがないが故に、非常に揺れていて、しかもかなり限定的になっているということがあり、そういう解釈が最高裁まで含めてある以上、工夫の余地があるのではないかと考えれば足りる。一般的な規定が適切でないというのは噛みあっていないので、どうすればその過度の拡張を回避できるのか、そう考えていくべきではないか。
○4は意味が分からない。大阪空港判決は取消訴訟の排他性を問題にしているわけではない。取消訴訟の排他性は、取消訴訟ができるなら、典型的には民事訴訟ではダメだという話だが、判決は取消訴訟ができるとは言っておらず、抽象的に抗告訴訟事項だから民事訴訟事項ではなく、抗告訴訟事項だけれども、現行の行訴法の下で訴訟を起こせるかどうかは分からないということだと思う。ただ、本来の取消訴訟の排他性については、現行法の解釈論として、排他性があるということは異論なく解釈論としては認められているが、同時に排他性の範囲も限りがあって、公定力の範囲は限定されているというのが、既に何十年も前に東京地裁で有名な恩給裁定の判決が出ているのだから、ここで間違った解釈をしてはいけないというだけのことを言っているのであれば、あまり意味はないのではないか。
○まず、1について、最近見解を変えており、取消訴訟との関係では、行政処分は特別なものがあるのではないか。一方的に、具体的な権利義務を形成するものであるから、他のものとは違う。それに対応するものとして、取消訴訟が形成されてきたという事情がある。取消訴訟の対象としては、行政処分、それからプラスアルファとして、これまで取消訴訟を提起して処分性が認められなかったが、学説などでは、取消訴訟の対象として認めるべきであると言われているようなものを対象にできるようにしたらどうかと考えている。それを前提として、行政処分については現在排他性があると言われており、国民の権利救済の機会を広げるという点からすると、排他性を縮減していくという方向で検討が行われると思うが、排他性について法律で書くというのは極めて困難だと思う。一般的に行政処分について排他性を認めるのであれば書けると思うが、縮減という方向で書くというのは極めて困難だろう。何故かと言えば、この問題については理論的な検討が全くといっていいほど、これまで行われていないからである。例えば、建築確認に対しては取消訴訟ができると同時に民事訴訟ができるというのが現在の裁判実務で、原子炉の設置許可の場合でも、取消訴訟あるいは無効確認訴訟ができると同時に、民事訴訟が裁判所に認められている。しかし、建築確認、あるいは原子炉の設置許可の場合に、何故民事訴訟ができるのかということについては、全然と言っていいほど研究がない。排他性を縮減するとしても、その基準が今のところ提供できないというのが学説の状況ではないか。そういう次第で、排他性については新しい行訴法では規定はしないで、今後の学説の奮闘に期待をするということにすればいい。
○2つの訴訟制度が、それぞれ必要性に応じて設けられたときに、国民がどちらを利用するかというのは国民が選択すればいい。一方が成り立たなければ仕方がないが、民事訴訟も成り立つ、行政訴訟も成り立つということであれば、どちらを選択してもいいではないか。それぞれ要件が違う。原告がどちらかの訴訟形式を選択してきたときにはそれを認めたらいい。それを一方の訴訟形態でしかダメだという必然性は全くない。排他性についての規定がないのは当然だが、残念ながら今は排他性は認められている。もしも、排他性が認められる必要性があるというのであれば、何故必要性があるのかということを論証しなければならないと思う。それがないままに排他性が認められているのはおかしい。これからの学説に期待したらいいではないかというのは一つのアイデアかもしれないが、できる制度にするのか、できない制度にするのかということぐらいはきちんと法律に書いたら済む話である。できるかできないかについて、大阪国際空港裁判のように何年も争って、ようやくケリを付けるという制度はおかしい。原発の訴訟、建築確認の訴訟の例が出たが、それは民事訴訟の要件に合致するから民事訴訟で、行政訴訟の要件に合致するから行政訴訟でやっている。付近の住民が原発の許可処分が違法だということで、行政訴訟でやる。その審理の対象は処分の違法性である。付近の住民が電力会社を相手に原発を建築してはならないということは、人格権に基づいて、民事訴訟としてやっているわけで、それはそれぞれ認められているということである。おそらく付近の住民が電力会社を相手に、処分が違法だから差し止めろというのはやってないし、認められていないのではないか。それはまさに排他性の議論である。原被告が同一の場合には特に問題は出てこない。基本的には2つの訴訟制度が認められていれば、便利な方を利用させたらいいと考えるのが自然な考えではないか。
○原発、建築確認といった場合に、両訴訟が併行し得るのは、個別に見れば、建築確認は隣人の民法上の妨害排除請求権を制限する効果を元々建築法上与えられているという解釈論であり、同じことが各規制法についても言える。個別の解釈論としてそうなっているというだけの話である。民事法体系と行政法体系が、どういう原理でお互いの役割分担をしているかははっきりせず、その原理が明示されていないというのはそのとおりだと思う。排他性の問題は、結論としては訴訟法で何か書いても仕方がないのではないか、これは結局個別法の解釈の問題だと思う。
○2つ制度があって国民が選べればよく、それを制限することはないと言われたが、少なくとも、古典的、中核的な行政処分について、早期に効力を安定させることは、行政が、あるいは役人が助かるという話ではない。国民一般の利益になるから、そうしているわけで、後続的な処分が次々に予定されているとか、権利関係が変わって、それを前提にさらに権利関係が積み上がってしまうような行政処分について、出訴期間も排他性もなく、何年経ってからでも、困った人がいればその効力を無効として争えるということでは、困るのは役人ではなくて、国民である。現行の排他性、出訴期間そのもの自体がそのままいいというつもりはない。出訴期間については前に延ばす必要はないと言ったが、皆さんが延ばすということであれば、それに固執しない。しかし、排他性と出訴期間を伴った形で、少なくとも中核的な、ある部分の処分が早期に法律関係を安定させるというのは非常に大きな公益で、それを、困った人のためになしにしてしまえば世の中結構だという話には全然ならない。現在のシステムの核心部分は維持すべきである。一般的に言われている処分性がないということで跳ねられて救済ができなくて困っているケースが多々あるという点に対する対処をしなくてもいいと言うつもりもない。それはそれで、中核的なシステムを拡大するという考え方もあるだろうし、自分自身は別途の手当を何かできないかという方がいいと思うが、いずれにせよ、現行法のシステムの中核部分というのは存続させるべきではないか。
○仮に行政の早期安定が必要だとしても、排他性の問題とは別である。出訴期間の問題はそのとおりだが、早期の確定が必要だというのであれば、行政訴訟に出訴期間がある場合に同じ種類の民事訴訟を起こしたときに、同じような出訴期間を被るという制度にすれば済む話である。
□排他性というのは、こういう処分であったらば、取消訴訟を提起してくださいというルートを設定しているだけである。ルートを設定したのならば、もう一つ別のルートもあれば、両方やっていいのではないかという話だが、比較法的な検討で、排他性が議論されているのはイギリスだけであり、東アジアも、韓国であれ、台湾であれ、行政事件訴訟法の改正があるが、処分の取消訴訟については、そう突っ込んだ議論はされていない。取消訴訟があるから却下判決が多いとか、なかなかみんな出訴できない、ということにはなっていない。むしろ韓国は、日本の何倍も取消訴訟が提起されており、台湾も同じである。ドイツも同じで、ドイツは訴願前置も置いている。そういうルートもみんな使いこなしているということをどう見るか。もちろんそれに対して、アメリカの伝統がある、そしてイギリスの伝統がある。日本の伝統はどういうものかということも踏まえた上で、客観的にご議論をいただきたい。
○今の整理に全く同感で、結局排他性はあってもいいと思う。先ほどの意見は、排他性がすっからかんになるべきだということではなくて、排他性がはっきりしていて、民事訴訟との間で混乱がないようになっていればいいという趣旨だと思うので、その限りではそうだと思う。先ほど大阪空港訴訟は取消訴訟の排他性ではないとの指摘があったが、抗告訴訟の排他性を認めているという点では大体、相似形ではないか。
○違う。
○そういう理解が大方だと思っているが、だとすれば、何らかの形で航空行政権をそれ自体をひっくり返すという別の裁判は取れないけれども、うるさいから飛行機を飛ばすのをやめてくれという裁判が認められなくなるいわれはないという議論を、立法に置き換えられるのであれば置き換えた方がいいのではないかという趣旨である。
○確認したいのだが、先ほどの排他性の議論は、今まとめられたような趣旨でいわれたのか。調整がはっきりしていないところが問題なので、調整をはっきりさせれば、逆に排他性を残していいのではないかということを今いわれたので、先ほどいわれた、2本のルートが成り立ちうるようなケースはいいんのではないかというのは、排他性を否定しているよう思うので、違うのではないか。
○両方の要件があれば、それぞれ違うわけだから、両方やれればいい。予備的主張としては、弊害はどっちがどっちがというのはあるから、きちっと救えるのであれば、それはかなりの部分は救えるということは言えると思う。
□日本の場合は、ドイツ、あるいはフランスの場合と違い、行政裁判所制度がないから、自由闊達にやっていただければ、今のようなやりとりの不便さはなくなると思う。
- (2) 今後の日程等(□:座長、■:事務局)
- □出訴期間の点が残っている。5ももう一度議論した方がいいということであれば、議論をするということにさせていただきたい。
○4までだと思っていた。5には全く触れていない。
■今日は原告適格まで論点をまとめているが、それ以外にもこれまでの議論の概要をまとめた資料は示している。その部分についても、論点をお示しする形で、ご議論をいただけないかと思っている。今度作る部分と今日ご検討頂いた資料の4と5を次回ご検討いただきたい。そういった部分等をまとめて、ある程度この検討会で検討している主な論点をまとめたものを作って次回にお示しをし、それで行政官庁にヒアリングができるような準備をしてはどうかと思っている。次回はそのようなたたき台を作らせていただきたい。
○結構だと思うが、そういった意見を求める場合、今まで第1読会、第2読会とやってきて、今の段階である程度議論を整理するという、論点整理という趣旨だろうと思う。この論点整理については、いわゆる第1トラック、第2トラックということはやめて、きちっと頭から整理すべきだと思う。今日お手元に、「改革の方向性が概ね一致している論点についての整理」というペーパーを配らせていただいたが、次回までの事務局の作業に多少なりとも参考にしていただきたいという趣旨でお配りしている。概ね一致していないという方がいるかもしれませんが、一つの参考資料として、次回の事務局のペーパーの作成に参考にしてもらえれば、という趣旨でお配りしたので、よろしくお願いする。
- 7 次回の日程について
- 6月13日(金)13:30〜17:30