行政訴訟検討会(第19回)議事録
- 1 日 時
- 平成15年7月4日(金) 13:30〜17:30
- 2 場 所
- 司法制度改革推進本部事務局第2会議室
- 3 出席者
- (委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、
萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(説明者)
山本和彦(一橋大学大学院法学研究科教授)
(事務局)
山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官
- 4 議 題
-
(1) 山本和彦一橋大学教授からのヒアリング
(2) 論点についての検討
(3) 今後の日程等
- 5 配布資料
-
資料1 行政訴訟検討会における主な検討事項
資料2 民事訴訟法学から見た行政訴訟制度の改革(山本教授説明資料)
資料3−1 原告適格の検討の視点
資料3−2 原告適格の参考判例
資料4 裁量の審査に関する最高裁判所の裁判例
資料5 行政訴訟検討会開催予定(第22回以降)
6 議 題
【塩野座長】それでは、時間になりましたので、第19回「行政訴訟検討会」を開会いたします。事務局から本日の資料について御説明をお願いします。
【小林参事官】資料の1〜5までをお配りしております。
資料1につきましては、国民への意見募集を6月30日から行い、委員の皆様の御意見を参考にさせていただきながらまとめた「行政訴訟検討会における主な検討事項」を、この国民への意見募集においても参照させていただいておりますので、これを皆様にも改めて配布しております。
その他の資料は、これからの検討資料、それから山本教授の説明資料です。
【塩野座長】「行政訴訟検討会における主な検討事項」につきましては、事務局の方でも鋭意皆様の御意見を整理しましたが、その際各委員におかれましては、積極的にいろんな点で御協力をいただきまして、大変ありがとうございました。こういう形で国民へのパブリックコメントに付するとともに、各省庁に対しての質問事項として投げかけたところでございます。どうもありがとうございました。
それでは、本日は「民事訴訟法学から見た行政訴訟制度の改革」について、一橋大学の山本和彦教授からお話を伺いたいと思います。その後で、原告適格と裁量の審査に関する判例について、事務局で用意した資料を参考にしながら、御議論をいただければと思っております。
そういうことで、まず山本和彦教授から御説明をお願いしたいと思いますが、そういう形で進めてよろしゅうございますか。
(委員から異論なし)
それでは、山本教授、よろしくお願いいたします。
【山本教授】ただいま御紹介に預かりました、一橋大学の山本でございます。お手元の資料2とされているレジュメに基づいて御報告をさせていただきます。
最初に「はじめに」というところで、本報告の前提、それから扱う範囲について簡単にお話をさせていただきたいと思います。
私自身は、民事訴訟法の研究者でありまして、言うまでもないことですが、行政法については全くの素人であります。したがって、本日の御報告につきましては、行政法に固有の、あるいは公法に固有の問題、三権分立とか、あるいは行政庁の第一次判断権といったような、行政法特有の論理については、私の報告からは基本的にはそのような視点は捨象されております。つまり純粋に民事訴訟的な観点から見ると、ここでの行政訴訟制度の改革の議論がどのように見え、またどのように整理されるのかということを検討したものにとどまるということであります。そういう意味で議論の射程が限定されているということ、私の報告の中でも常にそれは申し上げますけれども、最初にまず御留意をいただければ幸いであります。
また、民事訴訟法の立場からの報告ということでありますけれども、もちろんこれも私自身は民事訴訟法学者を代表できる立場にはありません。とりわあけ、従来恐らく私の承知している限りでは、行政訴訟に関するいろんな問題について、民事訴訟法の側からアプローチするという研究は必ずしも多くなかったのではないかと思います。
したがって、これらの問題について民事訴訟理論一般の水準を語るということは困難であるということであります。また、私自身の勉強も不十分であるということで、ここでのお話は一人の民事訴訟学者の感想という程度にとどまるということをお許しいただければと思います。
それから、本報告の扱う範囲につきましては、今お話したような事情から、必ずしも先ほど御紹介のあった資料1の「行政訴訟検討会における主な検討事項」のすべての事項に対応するという形にはなっておりません。主としていわゆる訴訟類型のお話を中心とし、原告適格や提訴期間の制限、あるいは請求の特定といったような問題について、簡単に触れるにとどまっております。
これらは民事訴訟理論の観点から、最も興味深いという私自身の関心によっている。そういう意味で、議論の対象の選定もやや恣意的なものになっているということもお許しいただきたいと思います。
その他の問題点につきましても、もし御質問があれば私が直ちに答えられるかどうかは定かではありませんが、できる限りその御質問にはお答えしたいというふうには考えております。
以上が、前置きということでありますけれども、早速本論に入らさせていただきますが、まず2の「給付訴訟(義務づけ訴訟・差止訴訟)について」という題目であります。この標題自体が必ずしも適当なものでないということはすぐこれからお話しますが、いわゆる義務づけ訴訟、差止訴訟、あるいは予防的不作為請求訴訟と言うのでしょうか、そういう問題についてまずここでお話をさせていただきたいということであります。
この問題の民事訴訟から見た大前提的な議論といたしましては、基本的な制度の構成の選択として、2つの可能性があるのではないかということがレジュメの2の(1)のところで書かれているわけであります。すなわち請求権に基づく構成と独自の訴訟類型を構成するという考え方であります。
請求権構成というのは、行政によって国民に対して権利侵害が発生した場合に、その権利侵害に基づいて国民の行政に対する実体法上の請求権を観念するという考え方であります。この考え方によれば、さまざまな問題は基本的にすべて請求権の内容の問題になるということで、訴えの利益とか、原告適格といういわゆる訴訟要件の問題は、基本的には発生せず、ほとんどすべて請求権の内容、つまり本案の問題の中に吸収されるということになろうかと思います。
緊急性、あるいは補充性といったような要件がこのような問題については言われているというふうに理解しておりますが、それらも請求権の内容の問題になるということであろうかと思います。
このような発想は、後でお話するように、民事訴訟、民事の思考方法においては極めて一般的な考え方であるということになるわけで、そのような考え方に基づいて、この義務づけ訴訟や差止訴訟が構成されるとすれば、それは給付訴訟として構成されるということが前提になろうかと思います。
他方、これらの訴訟を独自の訴訟類型として構成するということは、つまり義務づけ訴訟や差止訴訟を取消訴訟などとパラレルに、独自の訴訟類型として構成する考え方ということになります。この場合の訴訟類型の分類は、民事訴訟の通常の考え方で言えば、恐らく形成訴訟ということになるんだろう、少なくとも形成訴訟を基本にするという考え方になるだろうと思います。
取消訴訟などについては、民訴の学説ではこれを形成訴訟とは捉えずに、別個の、独自の訴訟類型、救済訴訟とか、あるいは命令訴訟などと言いますが、そういう独自の訴訟類型として捉える考え方もありますけれども、それは必ずしも民訴では一般的な考え方にはなっておりません。したがって、形成訴訟、つまり本来的に行政に義務がないところに一定の義務を形成的に創設するという作用を本質とする訴訟ということになろうかと思います。
もちろんそういう義務づけ、義務を創設すると同時に、それに加えて意思表示やあるいは給付命令もそこに請求の趣旨として含まれるということはあり得る。そういう場合、形成訴訟と給付訴訟が合体したような形の訴訟ということになるという理解はあり得るだろうと思われます。いずれにしてもこの考えによれば、形成訴訟を基本として考えていくということになれば、先ほどのような緊急性、補充性といったような要件は訴訟要件として基本的には書き尽くていく必要があるというふうに思われるところであります。
このような考え方、あるいは基本的な構成が2つあるとして、いずれの考え方を取るべきかということは、民事訴訟法の見方から一義的に出てくるものではないと思います。
ただ、私自身の基本的な考え方は、そこに法的保護に値するような権利、あるいは利益がある場合には、基本的には国家にはそれを保護する義務が観念されるのではないかと考えております。
そして、請求権、あるいは訴訟類型の構成がその保護に十分でないとすれば、一時的には立法府がそれを整備する義務があり、また、立法府の整備が十分でない場合には司法府が積極的に救済方法を構成していく必要があるという考え方をとっております。これは民事訴訟の目的を何と捉えるかということとも関わる問題でありますが、このような考え方、これは竹下教授などが主唱されている考え方でありますが、民事訴訟法学では新権利保護説などと言われることがありますけれども、私はこのような考え方が妥当ではないかと思っておりまして、それをこの行政訴訟の場面に適用するのであれば、原則的な考え方としては、請求権を定立することによって、個々の実質権ないし法的利益と対応した、網羅的な救済のスキームを形成するということが、本来的には望ましいのではないか、そしてそれが憲法32条の裁判を受ける権利の趣旨にも適合するのではないかと考えております。
しかし、これはあくまでも理論的なお話でありまして、具体的な制度構成の観点、具体的な立法という点から見ると、果たしてこのような請求権というものが行政実体法上現在、十分に定立されているというふうに考えていいのかどうか、あるいはそもそも定立可能であるというふうに考えてよいのかどうかという問題があるのであろうと思います。この点は、もちろん行政法固有の問題として私の議論の射程外ではありますが、民事法の世界においても請求権の構成というのは、個別のいわゆるアクチオ、個別の訴訟類型がローマ法以来拡大、統合していく長い歴史を経て、最終的に到達した到達点でありまして、それが行政法上必ずしも現時点において十分でないとするとすれば、この請求権構成を前提として制度を構成するということは、実際上恐らく相当の混乱をもたらす恐れがあるということは否定できないのではないかということが少なくとも言えるのではないかと思います。
以上が(1)の前提的なお話でありますが、具体的なお話で(2)「義務づけ訴訟」でありますが、これについて私が言えることは余りないのですけれども、義務づけ訴訟というのは、私の理解するところでは、行政庁の行為がされていない場面で一定の行為をすることを求める訴えということになるんだろうと思います。
義務づけ訴訟が、例外的な訴訟類型であると、少なくとも一定の付随的な要件を必要とするような訴訟類型であるというふうに理解するとすれば、それは原則としてはむしろ行政庁に一回の行為機会を与えて初めて請求権ないし訴権が発生するという前提を取るということなんだろうと思います。
例外的に、行政庁に対する行為機会を与えないで、直ちに請求・訴求できる要件として一定の例外的な要件、緊急性とか補充性を求めるということになるんだろうと思いますが、民事の世界においては、請求権が存在し、それに対する違反があれば当然に訴求できるということが大前提になっているわけでありまして、そういう意味ではこのような考え方というのは、民事の世界においてはあまり同様の類例はないようにも思われます。
そのような考え方を取るのであれば、そこには行政の第一次的判断権の尊重等の行政法固有の何がしかのものがあるということなのだろうかと思う次第であります。
次に(3)の「差止訴訟」の話でありますが、これは行政庁の行為がされていない場面でその行為をしないことを求める訴えということになるんだろうと思います。この差止めについては、民事の世界でも差止請求権については、一定の議論があるわけで、その差止請求権については一定の限定的な要件、例えば保護対象利益の重要性でありますとか、侵害の恐れの現実性など、それを限定する一定の要件が議論されております。
そのような限定の根拠として一般に言われるところは、差し止めというのは、私人の行為の自由を事前に奪うことを意味するわけでありまして、それに対してはやはり一定の限定が加えられる、なぜなら民事の世界においては私人がまず自由にある行為をして、その後にその行為の当否を争うというのが自由主義の原理からして原則になると思われるからであります。
そのような原理が、行政が相手の場合にもなお妥当するかどうかというのが、1つの問題だろうと思います。ただ、民事の世界でも、例えば名誉棄損に基づく出版の差止請求については、出版の公益性というものを考慮して、その差止めの要件として違法の明白性、及び著しく回復困難な重大な損害を要件として求める判例があります。これは北方ジャーナル事件という事件についての、最高裁判所の大法廷の判決でありますが、そのような判断がありますし、また生活妨害に基づく差止めにつきましても、いわゆる受忍限度論という議論の中で、侵害者の行為の公共性や社会的な有益性を考慮するのが最近の民法学説、あるいは下級審裁判例の動向なのではないかと思います。
そのような意味で、行政の行為というものが典型的な公益実現の行為であるとすれば、少なくともそれを目的とする行為であるとすれば、その行政の行為を差止めるについては、そこにはやはり一定の何らかの要件、緊急性とか補充性といったような形で議論されている一定の要件をかける方がむしろ民事の議論と整合的であるというふうにも理解され得るところであります。
いずれにしましても、これは先ほども触れたことですが、もし何らかの要件をかけるとすれば、それは明文で規定する必要があるのではないかというふうに思います。訴訟類型的な構成、つまり形成訴訟として構成する場合には、その訴訟要件という形で規定する必要があるだろうと思いますし、仮に請求権構成を前提にするにしても、先ほどもお話したように通常は給付訴訟については訴えの利益ということは問題にならないわけであります。したがって、緊急性や補充性等の要件を通常の民訴の世界での訴えの利益に委ねるということは基本的にはできないのだろう。商法272 条がその要件、緊急性と言われるような要件を、請求権根拠規定の中で書き切っているように、恐らく請求権構成を前提にすれば、請求権の根拠の規定の中でそのような要件を定める必要があるのではないかと考えております。
4番目として「抽象的作為・不作為請求」というふうに書かせていただいた問題でありますが、これは問題意識としては行政庁に一定の裁量の余地が認められている場合に、その裁量を前提とした形で、抽象的な形で作為請求、義務づけの請求、あるいは不作為の請求、差止めの請求といったようなことができるだろうかという問題意識であります。
したがって、ここでは一義性の要件がなくても、義務づけ、差止めが一定の範囲で認められるということを一応の考察の前提としております。
行政に裁量が認められる場合というのも、幾つかあるのだろうと思いますが、私が一応乏しい認識で分類したところでは、第1に要件の認定それ自体について行政の裁量がある場合ということがあるのかなと思いますが、このような場合には認定それ自体について行政庁は裁量を持っているわけですから、裁判所がそれを飛び越えていきなり要件の有無について認定するということは、制度上やはりできないということになるのではないか、そうすると義務づけというのはできないということになるのではなかろうかというふうに思うわけであります。
第2に、効果の判断について行政庁に裁量が認められているけれども、その裁量について一定の幅が定められているという場合、つまり取り得る効果の種類や程度について、一定の制限があるという場合であります。この場合には、裁判所がその制限の範囲内で義務づけ、あるいは差止めを命令するというような可能性はあり得るのではなかろうかと思います。
このような問題については、民事の世界においても、騒音防止等についての抽象的差止請求という問題として議論がされております。例えば、騒音被害があるという場合に、その騒音を差し止める、防止を求める方法として、いろんな方法が考えられる。例えば、工場が騒音を出している場合には、その工場の操業をやめてしまうということも考えられるし、何らかの防音装置を工場に施すということも考えられるし、その騒音が入ってくる家に防音装置を施すということも考えられる。いろんな方法が考えられる場合に、そのどれかということを原告が特定せずに、少なくとも自分の家に何ホーン以上の騒音を入らせるなというような請求を求める。あとは被告側でどういう手段を取るかを考えさせるというような請求方法が認められております。
これについては、最高裁判所の判例もそのような方法でも請求の特定というものは認められるというふうに述べているわけでありまして、こういったことと類似している問題であろうかなと。つまり一定のそういう効果の幅がある場合に、その個々の効果を特定せずに、最終的にどのような事態がその行政の行為によって、作為・不作為によって実現されるかという部分だけを特定して請求するということはあり得るのではなかろうかというふうに、民事的な考え方からすれば思われます。
他方、③として、この効果の判断についての裁量が、いわゆる自由裁量といいますか、そもそも効果ある行為をするかどうかということ自体についても、行政庁に裁量が認められているという場合は、これは一定の場合には行政庁が行為をする要件が満たされていることだけを確認すると。そして、あとは行政庁が適切な裁量に基づいて処分すべき旨を命じるような判決というのも、論理的には考えられるところでありますけれども、果たして適切に裁量して処分をしなさいというような義務づけ命令を出すことが、実際上どの程度の意味があるのかということは、やや疑問のようにも思われます。こういう場合には、あまり義務づけとか差し止めの意味は少なくなるんだろうなという感じがいたすところであります。
それから、2の最後の(5)として「強制執行の方法」という点についても触れております。この点について制度を整備するには、基本的には2つの基本的な考え方があり得るのではないかというふうに考えました。
1つは、行政は基本的には司法が判断を下せば、それを尊重するはずであるという前提に基づいて制度をつくるということであります。これによれば、基本的には強制執行の方法は考えなくても、全面的に拘束力に委ねることで足りるということになるんだろうと思います。
現在の制度においても、理論的には司法が取消判決を下した後に、全く同じ理由で、全く同じ処分を行政庁がするという恐れはあるわけであります。もちろん行政庁がそのような処分をした場合には、再び取消判決でそれが取り消されるということになるんだろうと思いますが、行政庁はそれを更に無視するということもあり得るわけで、これが続けば司法判断は実効性を失うことになるんだろうと思います。しかし、現行法はそれに対する特別の対処は取っていないように見えます。そこにはやはり拘束力によって、行政が司法の判断を尊重するという前提があるのではなかろうか。そうだとすれば、義務づけや差し止めでも同じ判断をする可能性はあるのではないかというふうにも思われるところであります。
他方、そのような前提を取らずに、行政は司法の判断に従わない場合があるんだという前提で制度を組み立てるとすれば、そこにはやはり何らかの強制手段が必要になるというふうに考える余地があろうかと思われます。強制執行の民事的な観点からすると、強制執行の方法としては、義務づけの場合には行政の意思表示、つまり一定の処分をするという意思表示が執行の対象になるんだとすれば、民事執行法の基本的な考え方は、意思表示を命ずる判決が確定した場合には、その確定とともに意思表示がなされたものとみなすという、意思表示の擬制の方法ということになります。
このような司法の判断によって、行政の意思表示が擬制されるというのは、素人目から見ても三権分立の観点からすると、相当の問題を持っていそうにも見えるわけであります。これは素人の感想ですので、よく分かりませんが、仮にそれがやはり難しいということであれば、強制執行の方法は間接強制という方法が考えられるのであろうと思われます。 意思表示の擬制の強制執行というのは、意思表示義務というのは、いわゆる非代替的作為義務、つまりだれかがその人の代わりにすることができない作為の義務でありますから、本来的な執行方法というのは、間接強制という方法になります。強制金を支払わせて、それによって間接的にその行為の実現を強制するという方法ですが、意思表示の擬制というのは、それがされれば当然に効果が発生するということなので、あえて間接強制で本当に意思表示をさせるだけの必然性はないということで、それを簡易化したものというふうに民訴的には説明されておりますので、意思表示の擬制というのがダメであるとすれば、原則に戻って間接強制による執行ということになるのかなと思います。差止請求についても同じであります。
ただ、行政に対する間接強制というものが果たして実効性を持つのか、あるいはそもそも相当なものであるのかということについては、我々の目から見てもやや疑問があります。行政というのは、いわゆる究極のディープポケットといいますか、税金という無尽蔵に近い資源を持っているわけでありまして、強制金を裁判所に命じられても、理論的には無制限にそれを払い続けるということは考えられないことではない。いずれにしても、その最終的な負担者は納税者になるわけだろうと思いますが、もちろん最終的な、結局は政治責任の問題として行政の責任者が責任を問われるということになるのかなと思うわけですが、それはしかし拘束力という考え方を取っても、最後は政治責任の問題になるというのは同じことなんだろうという気がします。金銭的な損害が明確になることによって、政治責任が問いやすくなるということはあるいはあるのかもしれませんけれども、しかし他方では納税者に生じる損害という問題も考えていく必要があるだろうと思うところでありまして、この間接強制による執行というものが、これはフランスなどではこういう制度が実際に取られておりますけれども、それが相当かどうかということは相当の議論を要するようにも思います。
以上が2のところでありますが、次に3の「確認訴訟について」というところであります。
第1に「確認の対象」のお話であります。民事訴訟の世界では、教科書的な説明ですが、原則として過去の法律関係の確認は許されず、現在の法律関係の確認を求めるべきであるというのが大原則であります。一般には、現在の法律関係の確認の方が紛争解決に直接的であるからであります。
例えば、契約の無効確認というのは、原則としては認められない。むしろ契約に基づく債務の不存在確認等によるべきであると、その方が定型的に紛争解決の実効性が高いというのが民訴の原則的な考え方であります。ただし、例外的に過去の法律関係が現在の法律関係の基礎にあり、それを確定する方が現に存する紛争の直接かつ抜本的な解決のために適切かつ必要であると認められる場合には、例外的に確認の利益が容認されるということであります。
例えば、これは判例も認めるところでありますが、遺言無効確認の訴訟でありますとか、法人の決議無効確認といったような、過去の法律関係についての確認を認めるている判例は多くあります。学説も一致してそれを支持しているという状況にあります。
したがって、例えばここでの問題で言えば、行政立法などについては、その無効確認を求める方が、それから由来する現在の多数の法律関係の個別確認を求めるよりも、抜本的な紛争解決を可能にするという場合がもしあるとすれば、そのような場合については民訴的な観点からは、例えば行政立法の無効確認というものについて確認の利益を認めるということについては、違和感はないのではないかというふうに思います。
次に(2)「狭義の確認の利益(即時確定の利益)」といわれるものであります。これは確認の利益の本質といいますか、最も中心的な、中核的な部分でありますが、現在は原告の地位に対する危険・不安の存在と、この危険・不安の現実性というものに分けて論じるのが一般的であります。
まず、危険・不安の存在という点でありますが、それはすなわち確認請求をすることによって、原告が得られる実益があるのかどうかということが問題になるということであります。
ただ、この実益については、事実上の利益ないし期待でも足りるというのが最近の学説の一般的な理解でありまして、問題はそのような利益の蓋然性がどの程度あるかということであるとされております。そういう意味では事実認定の問題というふうに理解されております。
ここでの問題としては、例えば行政指導があって、その行政指導が当然には法律上の効力を持たないというような場合。この場合に、原告に事実上の不利益を与える蓋然性があるという場合には、そのような蓋然性が認定できれば民訴的にはその行政指導を争う利益というものが認められる余地があるのではないかというふうに思います。
そのような不利益が認定できない場合には、民訴的にはやはり確認の利益はないと言わざるを得ない。行政法の世界においては、行政の適法性統制機能というような観点から特に訴えを認めるというような問題はあるのかと思いますけれども、民訴的にはやはり確認の利益を認めるということは難しいということであります。
その争い方としては、原告の不利益が現在の特定的な法律関係に還元できるような場合には、その法律関係の確認を求めるというのが、先ほど述べたように民訴の原則ですが、行政指導の効力自体を対象とした方が、抜本的な紛争解決が可能となるような場合、例えば行政指導による不利益が非常に拡散したものであるような場合には、行政指導それ自体の無効確認を直接請求できる余地も、先ほどお話したような判例、学説の理解からはあり得るのだろうというふうに思います。
(b)として「危険・不安の現在性」ということでありますけれども、一般的な議論においては、将来の法的地位については、確認の利益は否定されるというのが原則であります。その理由としては、1つはそういう場合には紛争が現実化したときに提訴すれば原告の権利保護に十分であると、将来の問題について今の段階で訴えを提起させる必要はないということであります。
第2に、事件が予想していたのとは別の展開をすることによって、せっかく確認判決をしたのに、その判決がむだになる恐れがあるではないかということも指摘されます。しかし、現在においては、このような理解、理由は、絶対的なものではないと理解されております。まず、学説においては、確認訴訟の予防的機能を重視する方向が一般的でありまして、紛争予防による行動の自由の確保が特に自由競争を重視する社会においては重要な意義を持っているというふうに言われております。
そこに書きました例は、東京大学の高橋教授が挙げられておる例でありますけれども、ある製法で生産工場の建設を計画している会社が、別の会社からその製法は自社の特許権を侵害しているというふうに主張された場合に、その工場に対して巨額の投資をする必要があるわけでありますが、その投資を安全なものとするために、自らの行為の自由を確保するために、工場を建設する前に特許権侵害不存在確認の訴えを提起する利益があるというふうに言われております。これはまさにそういう確認訴訟の予防的な行動ルールを定めるような機能を重視する見解であります。
最近の最高裁判所の判例にも、そのような方向を伺わせるものが存在します。1つの例としてそこに挙げました、賃貸借契約継続中の敷金債権存在確認の訴えというものがあります。敷金というのは、御承知のとおり家屋を明け渡す時点で初めて現実に発生する請求権であります。その時点で家屋が汚損等していれば、その確認訴訟をした時点では返還請求権が認められていたとしても、実際には敷金はなかったという場合もあります。あるいは、その敷金の額が事後的に争いになって、再び訴訟を提起しなければならない恐れもあります。そのような場合であっても、この判決は確認の利益を肯定したわけであります。この判決自体は、その理論構成の基本としてあくまでも敷金返還請求権が停止条件付きの権利であると、その意味で現在の法律関係であるということを前提としてはおりますが、その実質的な理由としては、その確認をすることによって当事者の事後の行動ルールを形成し、将来の権利関係にあらかじめ予測を付けられるというメリットが挙げられておりまして、仮に再訴の可能性があるとしても、それを上回る実質的な利益が認められるときには、確認の利益があるというふうにされているわけであります。
ただ、このような学説の動向に呼応するように見える判例がある一方、最高裁判所はむしろ学説的に見れば確認の利益が認められそうに見える場合でも、確認の利益を否定した例があります。同じ平成11年に出た判決として、老人痴呆、アルツハイマー病に陥った者のした遺言について、その者が生存中に遺言無効確認訴訟が提起できるかという問題で、この判決は仮に遺言者が回復不能であって、将来遺言を取り消すような事実上の可能性が認められないとしても、やはりこれは将来の権利関係であって、それについては確認の利益がないというふうにしております。その意味で、判例の動向は必ずしも確定的なものとは言えないように思われます。
しかし、いずれにしても、行政訴訟に関する確認の利益に関する判例の基準、事後的に義務の存否を争ったのでは回復し難い重大な損害を被る恐れがあるかどうかという基準であるというふうに承知しておりますが、そのような判例の基準は民訴における最近の学説や判例の動向からすると、やや狭過ぎるのではないかという印象が否めないところであります。
以上が確認訴訟ですが、次に4として「取消訴訟について」、原告適格と排他的管轄・提訴期間の制限の問題についてお話をしたいと思います。
まず、原告適格については、民訴の通説的な理解はそこに書きましたように、訴訟物である権利関係について管理処分権を有する者が原告適格を有するという原則であります。しかし、形成訴訟における原告適格は、これでは説明できない。これは主として給付訴訟、請求権を前提とした適格の説明でありまして、形成訴訟は法律で原告適格が規定されるのだということで、実質的な説明は放棄してきていたわけであります。
それに対して最近の有力説は、原告適格の根拠を「訴訟の結果に係る重要な利益」を有している者ということで基礎づけるわけであります。これは福永教授、あるいは中野貞一郎教授の御見解でありますが、このような最近の有力説は私から見ても相当なものではないかというふうに思っております。自己の権利、利益の侵害を受けた者は、基本的にはその救済を求める適格を有するのが原則であるというふうに思われるからであります。訴訟類型は、その救済という目的を達成する手段であるとすれば、形成訴訟においてもその背後にある保護の対象となる重要な法的利益というものが認められれば、原告適格を認めてよいということになるように思われます。
もちろん、与えられる救済によってその保護を求められる利益の範囲というのが異なってくるように思います。例えば、ある利益については、それが侵害された場合に国家賠償を求めることはできても、処分の取り消しまでは許されないというような場合も理論的にはあり得ようかと思われるところで、つまりその利益の重大性、あるいはその要保護性によって与えられる救済が区別されるということは十分あり得るのだろうと思います。
しかし、その利益が特定の実体法による保護の射程に含まれているか否かを、決定的な要件として問題にする手法は、民訴法的には、つまり個別実体法規が保護しているもののみに訴権を認めるということで、やや古いアクチオ的な発想の残滓があるように見えるわけであります。
民事訴訟法的に言えば、当該利益が全法体系の中で、重要なものとして保護すべきものと観念されているか否か、それが観念されているとすればそれに救済を付与するということになるのが、一般的な理解のように思われます。ただし、もちろんその法的利益の重要性を考える際の1つの重要なファクターとして、実定法上その利益がどのように処遇されているかということをカウントすることは十分にあり得るのだろうと思いますが、ここではそれが決定的な要件となるということの問題を指摘したわけであります。
それから、原告適格の関係で行政事件訴訟法10条1項の規定については、私がかねがね疑問と思っているところをこの際に述べさせていただきますが、民事訴訟的には原告適格を認める根拠と、それが認められた場合に争える本案の範囲とは、必ずしも論理的な連続性はないというふうに思われるわけであります。
例えば、行政訴訟とよく似ている株主総会決議取消訴訟というものがあるわけですが、そこでは株主は他の株主に対する招集手続の瑕疵を理由に、総会決議取消訴訟を提起できるとするのが最高裁判所の判例であります。自分に対する招集については瑕疵がなくても、他の株主に対する招集手続に瑕疵があれば取消訴訟を提起できるというわけであります。
この行訴法の10条というものが、そういうような理解と整合的なのかどうか、あるいはそこにどういう違いがあるのかというのが私のかねてからの疑問であります。事柄の公益性というものが、恐らくは会社訴訟よりも行政訴訟の方が強いとすれば、ここにはややアンバランスがあるような気がするということ、感想でありますが、そういうことであります。
次に第2点として排他的管轄と提訴期間の制限の問題でありますが、取消訴訟の排他的管轄が認められている理由は、すなわち民訴においてはある訴訟が形成訴訟と構成される理由とパラレルなのではないかと思います。それは一般にはその対象となる法律関係が、社会の根本に大きな影響を与えるとか、多数の利害関係人に影響を与えるとか、爾後の多くの法律関係の前提となるとか、そういった理由のために法律関係の画一的な変動の要請があることに求められております。なぜならこのような場合に、当事者ごと、あるいは訴訟ごとに、その行為の有効・無効の判断が異なることは、ムダな社会的なコストを発生することになるからであります。
それから、取消訴訟の提訴期間の制限については、民訴では早期の権利確定の要請として説明されるところでありまして、提訴期間制限はもちろんそこに裁判を受ける権利への制限を内包するわけでありますが、それを勘案してもなお真に早期の権利確定が不可欠であるか否かが問題とされることになるわけであります。
そういう意味で、これらの問題について行政の優越的地位というような説明が、行政法的に仮に放棄されるべきものであったとしても、以上のような実質的な理由がなお妥当する場面においては、民訴的には排他的管轄や提訴期間の制限の制度はなお維持されるべきものと考えられることになろうかと、一般的にはそういうふうに言えるのではないかと思います。
最後に「請求の趣旨の特定について」一言させていただきたいと思います。この検討会の御議論では、行政訴訟について必ずしも原告が請求の趣旨を特定する必要がないという方向での御議論があるように伺っておりますが、民訴において請求の特定が必要とされている理由というのは、3つぐらいのことが言われます。
第1に、被告の保護であります。被告に対する不意打ちの防止という点であります。
第2に、原告の処分権を保障するという点であります。つまり原告は自己に最も有利な措置を自ら選択して、それによって裁判所が拘束されるという点で、原告の処分権が保障されるという説明であります。
第3に、攻撃防御を明確化することによって、争点整理等、審理を円滑化するという点も挙げられます。これは、そのような攻撃防御の明確化によって、ひいては当事者の手続保障にも資するという点も付随的に言えようかと思います。
それでは、行政訴訟の場合に、これらの理由がどうかということでありますが、まず被告の保護というのは、あるいは定型的に公権力を行使する主体である被告の保護は必ずしも必要ないという見方があり得るのかもしれません。
第2点の原告処分権の保障という点は、原告が自ら意識的に不特定な請求を認めているとすれば、それを保護する必要はない、それを保護するのはパターナリスティックにすぎるとの議論があり得るかもしれません。
ただ、第3点、つまり請求の趣旨が特定されていないために、審理が拡散して訴訟手続が遅延する恐れというものは、なお民訴の観点から見ると否定できないのではなかろうか。そうすれば、その防止、そのような審理の拡散、訴訟手続の遅延の防止というのは、公益的な側面を含むものであって、当事者が放棄できる性質のものではないというふうに思われますので、先ほどのような御議論は行政訴訟において相当程度の根拠を有しているように思いますけれども、民訴的な観点からするとやはりなお請求の趣旨の特定というのは維持されるべきではなかろうかというのが私の感想であります。
そうだとして、ただ原告の保護を代替的に実現する手段はないかどうかということが問題になるわけでありますが、そのような手段としては裁判所の積極的な釈明によって訴えの変更を認める、請求の趣旨の変更を認めるということが考えられるのではなかろうかと思われるところであります。
釈明義務については、民事訴訟法では判例、学説ともに最近ではそれを強化して考えていく方向が一般的でありまして、そういう意味ではこの釈明義務による対処というのは、十分合理的なものではなかろうかと思います。ただ、行政訴訟の場合には、一定の訴訟については提訴期間の制限があるわけで、場合によっては釈明をした時点では提訴期間が徒過していて、訴えの変更ができなくなってしまっている恐れというのがあるかもしれないと思うわけですが、それについては何らかの方途でそれを回避していく必要があるのではなかろうかと思うわけでありますが、そういうようなことを前提にすれば、請求の趣旨の特定という制度を維持することは、それほど不合理なことではないのではなかろうかという感想を持っております。
以上、ちょっと長くなりましたが、私の発表を終わります。
【塩野座長】どうもありがとうございました。最近の民訴法理論、及び判例の考え方等も御紹介いただきまして、我々の今後の検討にも大変参考になるのだろうと思います。
今日は、大体予定は3時ぐらいまで山本教授にも時間をお取りいただいていると思いますけれども、そのぐらいを目途に質疑応答の時間に当てたいと思います。御質問でも結構ですし、また山本教授の御意見に対する行政訴訟サイドから見た、反論と言ってもあれですけれども、釈明といったものもあるかもしれません。
どこからということをあまり決めませんので、皆様方、それぞれ委員の方々御興味のあるところについて御質問いただければと思います。
ただ、そうは申しましても、大きくはやはり分けておいた方がいいかと思いますので、1つは訴訟類型のところでひとくくりということにいたします。それから取消訴訟についてひとくくり、それから請求の請求の趣旨の特定という最後のところ、大体この3区分で質疑応答を重ねていったらいかがかというふうに思いますが、それでよろしゅうございますでしょうか。
(委員から異論なし)
それでは、大体3区分ということで、どなたからでも結構でございます。まず、訴訟類型についての御質問なり御意見等を承りたいと思います。あるいは、山本教授の理解が間違っておるということでももちろん結構でございます。
【小早川委員】大変よく整理された、鋭い分析整理を聞かせていただいて、ありがとうございました。今、座長は1、2、3とお分けになったんですが、私が一番関心を引かれたのは、1と2にまたがる話であります。
まず感想ですが、給付訴訟、確認訴訟、取消訴訟という順序をお立てになったのは、これはいかにも民事訴訟法の方らしい。行政訴訟の場合は、もう他はどうでもいい。今まではとにかく取消訴訟中心できましたので、あとは付け足しで、取消訴訟の話ばっかりやっていたということなものですから、こういうふうに、グローバルスタンダードに合わせるとこうなるのかなという印象を強く持ったのです。
そのこととの関連で、最初に請求権構成と訴訟類型的構成ということを、まさに義務付け訴訟等について御説明いただいたわけです。御承知のとおり、ドイツの行政裁判所法では、取消訴訟と義務付け訴訟というのを全く並べて規定しておりまして、ただそれは訴訟の種類としては一方が形成訴訟であり、他方が給付訴訟であるというのが通説的な理解だろうと思うんですが、ただ条文の上では2つ並んでおりまして、ですから見たところ、今日のお話ですと、両方、訴訟類型的構成で規定しているようにも見える。しかし学説は、義務付け訴訟は請求権に基づく給付訴訟であるということを言い、他方、取消訴訟については、これはずっと昔に私も勉強したといいますか私が研究者になる取っ掛かりはそこだったんですが、取消訴訟については一見訴訟類型だけ書いてあるように見えるけれどもしかし請求権に基づく訴訟ではないかということを、学説が一生懸命ああでもないこうでもないという議論をしていたという状況があるわけです。
ですから、どういうふうに質問すればいいのか大変難しいのですけれども、1つの言い方としては、この請求権構成と訴訟類型的構成という区別は、果たして実定法のタイプの違いなのか、それとも、規定の仕方はいろいろあるけれどもそれを理解し説明するための理論的な視点の違いであるのか。今日のお話ですと、取消訴訟は形成訴訟であり、それは、そういう訴訟類型がつくられているということでそういう訴訟が実際に行われる。それに対して義務づけ訴訟の方は、もし請求権構成を取れば何も規定がなくたってできるだろう、しかし現行法では義務を創設する形成の訴訟である、という御理解でしたけれども、日本の現行法がそうなのか、それとも、請求権としてまだ成り立ちにくいので訴訟類型として規定するのがいいという、立法論についての御説明なのか。
【塩野座長】また改めて詳しく御説明の文章をいただいても結構ですが、とりあえずお願いします。
【山本教授】私も小早川先生の助手論文で勉強させていただいて、ドイツの状況はそういうことなのかということを知った次第でありますけれども、今日の私のお話、最後のところで義務付け訴訟について、訴訟類型的な構成をすることが現行法の理解なのか、あるいは立法論的なものかという点については、これは立法論的なものというか、現行法がどういうような形で義務付け訴訟を観念しているかということは、これは私は十分知らないところでありまして、独自の訴訟類型として構成すればこういう考え方になるのではなかろうかということであります。
もちろん、請求権として構成をして、なお義務付け訴訟を実定法で規定するということがいけないかというと、それはいけないということではないのではなかろうか、それは一種の確認的な規定といいますか、そういうような位置づけになるのだろうと思いまして、それは通常の給付訴訟であるけれども、その給付訴訟ができるんだということを法律で書いている位置づけにすぎないのかなと。
そういう意味では、小早川先生がおっしゃった最初の点については、そういう訴訟類型を書いていくという話と、その背後に請求権による構成というものが理論的な、いわば整理として存在するにとどまるということももちろんあるんだろうと思います。ただ、やはり請求権というふうに捉えるのか、請求権を前提としていない形成訴訟として捉えるのかということは、完全には1対1で対応しているのでは確かにないのではないかとは思いますけれども、やはり制度構成に一定の影響をいろんなところで与えていくということはあり得るのではなかろうか。
私の今日の御説明は、割と端的に、通常の理解によればこういう形で結び付いていくのではなかろうかということを御説明したということで、先生御指摘のとおり、違う結び付け方を、違う説明の仕方でするということが、アプリオリに不可能であるというところまで私は申し上げるつもりはありません。
【小早川委員】ありがとうございました。聞き方が大変締まりのない聞き方だったのにもかかわらず、大変丁寧に答えていただきました。
そうすると、あとは非常に実際的な、仮に取消訴訟にしろ義務付け訴訟にしろ、訴訟類型として法定されているという場合の制度論です。できる限り訴訟要件ははっきり書き込むのがいいとおっしゃられた、そのとおりだと思うんですが、書き込んだ場合に必ずそれが限界として表われてくるわけですね。例えば、処分なら処分という言葉を使った場合に、ではどこまでが処分であるかということが問題になる。そうすると、取消訴訟であれ義務付け訴訟であれ、書かれた訴訟類型では救えないけれども、しかし請求権がこういう場合にはあるというふうに実体法が解釈されれば、その訴訟類型以外に必ず救済の訴訟、義務付けであれば、一般の給付訴訟として、許されるべきであるのか。侵害的な、処分ではないけれども何か不利益を加えられたということであれば、それの差止めなり現状回復なりの請求権が構成されれば、それは必ずそういう差止め訴訟なり何なりの、これも給付訴訟ということになるんでしょうけれども、そういう道が開かれるべきであるということになるのか。行政に関してもやはり一般的にそういうことだろう、それが裁判を受ける権利の帰結だと、そういうふうに考えてよろしいでしょうか。
【山本教授】私自身は、基本的にそのように考えております。もちろん行政実体法において請求権というものがもし構成されるとすれば、その請求権に対する侵害があった場合には、当然それに対する救済がやはり与えられなければならない、それも請求権という概念からしてやはりそうなのではなかろうかというふうに私自身は思っておりまして、更にその前提としてやはり基本的には私が考えるところの、一定の保護されるべき範囲の実体的な利益、ないし竹下先生は実質権という言葉をお使いになりますけれども、そういうようなものが侵害された場合には、それはやはりそれが救済される必要がある。それはその実質権について請求権を付与するという構成で救済すること、それが民事の実体法の通常のやり方ですが、そういう形で救済を図るということもありましょうし、必ずしもそういう請求権という構成を取らないで救済を図るということもあり得るのかもしれませんけれども、やはり私自身はそこで何らかの救済が図られるべきであろうというふうに思っているところであります。
ただ、それは先ほど申しましたように、実際的な点で相当の困難があり得る話で、私自身は行政実体法において請求権を構成していくというのが、どの程度大変な作業かということは必ずしもよくわからないところですが、民事においても小早川先生の論文でも御紹介があったかと思いますが、アクチオの体系から請求権の構成に移転するということについては、やはり大変長い歴史というものがあったんだろうと思うわけでして、そこがどの程度実際問題として可能なことなのだろうかということは問題ですが、基本的な考え方、前提としては、やはり救済は付与されるべきである。
【小早川委員】大人になったらそうなんだけれども、行政訴訟というのはまだ長い長い少年時代を彷徨っているということなんですかね。
【山本教授】私はそういうことを申し上げるつもりはありません。私は、そこはわからないものですから、今の時点ではしかし日本で私の存じ上げる限りでは、あまり行政実体法について、こういう請求権が発生するんだというような御議論が一般的であるとも思われないところがございまして、それを前提にすれば直ちに、明日からそういう請求権というものが網羅的に形成されるということが、果たして可能なのであろうかという程度のもので、決して少年時代であるということを申し上げる趣旨ではありません。
【塩野座長】今との関係で、例えば訴訟類型的構成を取るとして、具体的にどういうことになるのかなというイメージが湧かないんですが、要するにたまたま日本では実体法的に請求権構成がまだ十分進んでないというふうな御認識で、私はそれはある程度当たっていると思うんですが、例えばドイツでよく問題になります、結果除去請求権がドイツでずっと発展してきているというときに、では日本でも、日本はまだ子どもだから、それを育てていこうというときに、この訴訟法に結果除去請求権というふうに書くのですか。
【山本教授】そこは、民事法の通常の認識から言えば、請求権というのはまさに実体法の問題でありますので、それを訴訟法の中に書くというのは、非常に異例なのではなかろうかという気がします。
【塩野座長】そこでよくわからなかったのは、訴訟類型的構成と言われたときに、例えば結果除去請求権のようなものが念頭にあって、ただ日本では実体法があまり進んでいないと。しかし、この際これを日本でも取り入れたいというときに、訴訟法的な、訴訟類型的構成の中にそういうものを書き込むというアイデアもあるんですかという御質問です。
【山本教授】私自身はあまりそういうイメージは持っておりませんでした。ですから、訴訟類型としてそういう義務付け訴訟とか差止め訴訟というような形成訴訟的なものを規定して、そこで拾えないものがどうなるのかということは、私もなかなかよくわからないところですが、それは拾うような訴訟類型を構成していく必要があるのだろうと思いますし、あるいは、よく分かりませんが、ドイツなどでは請求権を構成していく前提として、非常に一般的な、行政によって権利が侵害された場合には訴えを提起する権利があるというような、非常に一般的な条文があるというふうに伺いますが、そういうようなものが請求権を構成していく理論的な根拠としてあり得るのであるとすれば、これは全く素人的な考えですが、そういうようなこともあり得なくはなかろうかと、そういうような形で訴訟類型で拾えなかったものを拾っていく道が、もちろんどこかで残れば非常に結構なことではなかろうかと思っています。
【塩野座長】どうもありがとうございました。よく分かりました。
【福井(秀)委員】まず一つは、今の議論にも関わるのですが、請求権というものの観念です。今の行政実体法では、つくるときに、これは取消訴訟中心主義の影響でもあると思うのですが、行政実体権なる請求権というのは、多分立法のときにもあまり行政庁なり国会は考えてつくっていないということがあって、実質的には行訴法がかなり実体的なところを肩代わりしているという側面があるように思われるのです。
そうしますと、ここで先生のおっしゃる請求権なり、請求権構成という考え方からすると、一体どのような場合に請求権があるのかということの特定は、現在の行政実体法を眺めてもある程度出てくると考えるのか、あるいはかなり抜本的な立法的対応が必要とお考えになるのかという点が1つです。
2つ目は、今の点をもうちょっと大きく考えると、例えば給付、確認、取消しとか、こういうさまざまな類型についての優先順序のようなものを、行政訴訟では何らかのイメージとして持っておられるのかどうか。ちょっと今お聞きした限りですと、例えば確認訴訟と給付訴訟について、一定の基準をお示しになっているようにも思いますし、また取消訴訟についても社会の根本とか、多数の利害当事者とか、一定の基準があると思うんですけれども、一種のこういう優先順位を付けるとしたら、特殊要件が必要な場合にはそれを優先して序列化することが、行政訴訟の場合にも適当だとお考えになっているのかどうかということです。
3つ目、強制執行に関してなんですが、この意思表示の擬制という義務付け、これは行政庁が何らかの形でこの義務付けの判決に従わないという場合に、これに相当するのは例えば行政行為を擬制するという判決を想定しておられるのかどうかということと、それは民事訴訟法的に見て可能なのかどうかということです。
最後に4つ目ですが、間接強制のディープポケットだから納税者に損害を与えても痛みがないという点なのですけれども、これは実際に民事訴訟ですが、町役場かどこかで、間接強制を払い続けて全然痛みがないというのはあったわけですけれども、実際問題働くかどうかはともかくとして、建前上は地方自治体ですと住民訴訟がありますので、そういう場合ですと、判決に従わないで漫然と間接強制を払い続ける場合には、個人賠償という形で最後は一種の均衡が図られるようにも思われるのですけれども、そういう形の解決ではまずいのかどうかということです。
【山本教授】ありがとうございました。的確にお答えできるかどうか分かりませんが、まず最初の請求権の観念として、現在の行政実体法から請求権が出てくるのか、抜本的な何らかの立法が必要なのかというのは、これはまさに行政実体法の問題でありまして、私自身十分、最初に申しましたけれども、行政法の素人として行政実体法についてよく見たこともないものですから、それが出てくるのかということは直ちにはお答えはできないところです。
ただ、ドイツなどの議論では、ドイツの行政法自体は日本とどの程度似ているのか、これもよくわからないのですけれども、ものの本を読む限りではかなりの程度学説の解釈として先ほど座長がおっしゃったような結果除去請求権とか、そういうような議論が出てきているというふうに伺っておりますので、そういう解釈論の中で相当程度のことは、少なくともドイツではできているんだろうと、その程度のことしか申し上げられません。
第2点として、給付・確認・形成の順序として、一定の序列化が適当かという御趣旨の御質問だったかと思いますが、今日の私のお話は、基本的には民訴法上の中での給付訴訟、確認訴訟、形成訴訟について、それぞれ認められている一定の要件なり限定というものを基本的にはお話したつもりでした。それが、行政訴訟にどの程度当てはまるかというのは、民訴ではこうなっていて、何も他に特段考慮すべき要素がないのであれば、民訴の議論が一定程度もちろん合理的なのだとすれば、民訴と同じことに行政訴訟にあてはまってもおかしくないということは言えるのだろう思います。私が言えるのはそこまでで、最初にお話しましたように、行政に特有の考慮要素があって、そこでやはり何か特有の要件が加わるということであれば、それはやはり民訴の今のお話とは、いろんなところで順序とか序列が変わってくるということは十分あり得るのだろうということであります。
3番目の強制執行で意思表示の擬制ということですが、私自身は福井先生と全く同じように、つまり意思表示の擬制と私が申し上げたのは、行政庁の一定の行政行為というか、それがまさに擬制されるという認識で、それが民訴的に可能かという御質問であれば、民訴的には可能である。ただ、三権分立の憲法違反になるのかもしれないと、それは私の領域の外の話ですので、民訴的にはそれはもちろん可能であると思います。
これが仮処分で可能かということになると、またちょっと別の問題があると思いますが、本案の請求としては可能というふうに理解しております。
最後の間接強制の御指摘は、確かに言われてみればおっしゃるとおりで、そういう形で行政の責任者が最終的には何らかの個人的な責任を負わされて、それよって強制金を支払うということができなくなるような形で圧力がかかる。それによって間接強制が成功するということが十分想定されるのであるとすれば、先ほど申し上げたような私の問題はなくなるわけでありまして、行政に対する間接強制についても一定の実効性はあるということになるのだろうと思います。
以上でございます。
【福井(秀)委員】大変よくわかるお答えありがとうございました。結局、今の2点目に関する山本先生のお答えを前提にした、私の印象といいますか感想を申し上げると、結局山本先生が排他的管轄のところで想定されておられるような社会の根本とか、多数利害当事者とか、爾後の多くの法律関係、ここが行政訴訟でいうと今一番問題になっている取消訴訟中心主義の見直しというところと非常に連動するのですけれども、結局ここで提示されたような一種の想定される優先順位というのは、行政訴訟でまさにこれまでも想定してきているし、今も議論になっている論点とほとんど枠組みは変わらないのではないかなという印象を持ちました。
【塩野座長】ありがとうございました。大分時間も経ちましたので、3つに分けましたけれども、最後の方の請求の趣旨の特定も含めまして、どうぞ御質問、あるいは御意見をいただければと思います。
【芝池委員】原告適格のところなのですけれども、最近の有力説として、「訴訟の結果に係る重要な利益」説というのがあるというお話だったんですが、確かに生命とか身体について不利益を被る場合に、訴えを認めるべきであるというのはわかるんですけれども、家の隣にお墓ができると、特段の不利益はないけれども、何となしに気味が悪いという場合、これは民事訴訟のレベルではどうなんでしょうか、民事訴訟を起こす訴えの利益というのは認められるんでしょうか。
【山本教授】墓ができることを差し止めるということですね。それは、具体的な例はなかなか判断が難しい、むしろ裁判官の方とかに聞いていただいた方がよいのかもしれませんが、基本的には保護に値する、不法行為とかの議論でも保護に値するような法的利益がどういうようなものかどうかということは、若干の議論はあるのではないかと思いますが、それは最終的にはしかし社会的な一種の常識的な判断に、判例などでも基準は委ねているのではないかと思いますので、なかなか帰結を申し上げるのは難しいところで、私の個人的な考え方からすると、それはあまり法的保護に値する利益とは言えないような気もします。
【小早川委員】今の質問の設例というのは、差止め訴訟ですね。その場合には原告適格という問題は起きるのですか。それは結局、請求権のあるなしの問題で、今お答えになったのも、そういうことではないかと思いますが。
【山本教授】適切な御訂正ありがとうございます。そういうことだと思います。請求権の問題ということになるだろうと思います。
【福井(秀)委員】そうしますと、原告適格で請求権の有無という観点で判断する場合と、取消訴訟の原告適格で判断するという場合について、請求権があるかないかは、ある意味では重要な利益の有無では、例えば受忍限度論などが前提になっていると思うのですが、それと取消訴訟におけるこの説を前提とした場合の原告適格の有無というのは、実態上の一種の常識的な苦痛なり侵害の判断として、似たようなものであるということなのかどうか。
【山本教授】結論的にはそういうことになるのではなかろうかと思います。請求権で構成する場合は、今、小早川先生から御指摘されたように、基本的には請求権が発生する前提としての実体権として、あるいは実質権として、どの程度の重要性があればその請求権が認められるかという、実体法上の判断の問題になってくるということであるのに対して、形成訴訟の場合にはそういう請求権概念が前提にならないので、そこの問題がまさに原告適格の問題として出てくるということだろうと思います。
給付訴訟においては、したがって民訴において原告適格を論じる意味はほとんどないわけでありまして、ここで先ほど通説的な理解というふうに申し上げましたが、ここで主として議論の対象とされているのは、いわゆる訴訟担当がどういう範囲で認められるかという、給付訴訟でも、要するに自分の権利関係を請求するのではなくて、第三者が他人の権利関係を請求する場合に、どういう場合にどういう利益があれば認められるのかということを中心とした議論であります。
【小早川委員】訴訟担当というのは、本来この人なら間違いなく原告適格があるというか、請求権をこの人に主張させても当然であるという人がいて、その周りに関連する利益の当事者がいて、それをどう考えるかという、そういうことだろうと思うのですが、今日、後で多分原告適格の実例ということで出てくるのは、御承知のとおりでして、ジュースに関する規制について消費者が訴えられるかとか、文化財の指定の解除について観光客やらあるいは研究者やらが訴えられるかとか、そのような類いの話がぞろぞろ出てくるわけです。ですから、そこは行政法と民事法の実体法構造の違いがまずあるのだろうと思うのです。およそ1対1のしっかりした法律関係がよく見えないままに、しかし行政法の法的規制がある、それに反した行動がされているようだというときに、どういうふうな法律関係をそこに見定めるか、その消費者なり観光客予備軍なりに原告適格を認めるかどうかという話になるわけです。その際に、最近の有力説、「訴訟の結果に係る重要な利益」という枠組みが、有効に働くのだろうか、ちょっと疑問に思うのです。
【山本教授】確かにそれはそのとおりかもしれませんが、民訴のそういうような問題意識からすれば、民訴での最近の議論からすると、例えば伊藤眞教授が言われている紛争管理権の議論でありますとか、あるいは福永教授などが言われいる、集団利益訴訟というような概念でありますとか、要するにその問題となっている利益が拡散しているような場合に、しかしそれが集団化される場合には、ここで言うところの「訴訟の結果に係る重要な利益」が形成されるという場合に、誰を当事者とするのが最も適切かというような観点からの議論がもう一つ必要になってくるのではなかろうかということはおっしゃるとおりだと思います。先ほどの話から言えば、福永説はこれの延長線上にあるのだろうと思うわけですが、「訴訟の結果に係る重要な利益」というのが一定の範囲の集団に帰属している、その集団の利益を誰が行使するのが適当か、それは団体訴訟になることもあるわけですし、その中から一定の者を何らかの基準で選別して当事者適格を認めるということもあるということになるんだろうと思いますし、伊藤先生の紛争管理権というのは、私の理解からすれば恐らくそういう実体的利益と切り離したところで、どの程度紛争解決に寄与して今まで活動してきたかという、そういう手続的な利益の観点から当事者適格を説明する。そういう意味では、福永・中野説とはもはや切り離されたところで原告適格を説明している議論なのだろうと思いますが、それは今日私がお話しした、また次の問題としてそういうような議論があり得るということは、先生御指摘のとおりだと思います。
【塩野座長】どうもありがとうございました。先ほど、芝池委員が触れた墓地の件で、あえて一言だけ説明しておきますと、行政法の場合には更にそこに制定法が出てきて、墓地埋葬法の法律とか、あるいは条例が出てきて、そのときに墓地を建設するときには、こういう点を注意しなさいというふうに、保護利益を拡大しているところがあって、それが原告適格を裏づけるかどうかという問題ですから、プラスアルファの要素があるということだけちょっと申し上げておきたい。後の方でこれはまた議論の対象になると思います。どうもありがとうございました。
【水野委員】民事訴訟と行政訴訟の選択の問題なんですけれども、民事訴訟としても構成可能、行政訴訟としても構成可能という場合に、先生はどちらでも選択していいというお考えなのか、そうではないのか、あるいは他の民訴の先生はどんな議論をしておられるのかということが分かりましたらお教えいただきたいと思います。
新堂先生は、具体的な例としましては、供託金の却下処分の取消しを求める行政訴訟をやるか、あるいは、供託金を返せという給付訴訟をやるか、両方可能だとおっしゃって、新堂先生御自身は両方とも適法と解するべきだということを教科書に書いておられるのですけれども、その辺りは先生の御意見はいかがでしょうか。
【山本教授】その場合、行政訴訟が形成訴訟として構成されているかどうかということは1つの問題なのかなという感じがします。形成訴訟というのは、私の理解ではそれは行政訴訟と民事訴訟の選択可能性というよりは、形成訴訟とそれ以外の訴訟の選択可能性という問題になるとすれば、形成訴訟というのは私が先ほど申し上げたように、通常の理解といたしましては、行政訴訟でいうところの排他的管轄と言いますか、つまり形成訴訟で一定の形成的な判断がされない限り、それをその他の訴訟における法律関係の前提として主張することはできないという、だからこそ形成訴訟なんだというふうに私は理解しております。それは普通の理解なんじゃないかと思うのですが、そういう理解をとれば形成訴訟が定められている訴訟類型について、その形成訴訟を経ずに当該、例えば行為が無効であるということを前提に訴えを提起するということはできない。株主総会決議取消訴訟という制度が構成されているとすれば、その取消訴訟を経ずに当該株主総会決議が無効であることを前提に、一定の、例えば相手方の代表権を否定するというようなことができないのと全く同じことではなかろうかなと思います。
具体的な、今、新堂先生の例で挙げられた、ちょっとその具体的、供託金の却下処分取消訴訟というものがどういうものかよくわからないので、必ずしもお答えができないわけですけれども、形成訴訟というふうに理解するのであれば、そういうことになるのかなという、非常に当たり前のことですけれども。
【水野委員】確認ですけれども、形成訴訟としての取消訴訟と合わせて給付訴訟を同時に持ってくるということは可能ですね。
【山本教授】それは形成判決が確定することを前提とした、将来給付の訴えということになるんじゃないでしょうか。詐害行為取消権の場合は、基本的にはそういうような理解がされているのではないか、詐害行為が取り消しされることを前提として、一定の給付請求をするというのは、将来の給付の請求として認められると、それはそういうことになると思います。
【福井(秀)委員】今の点に関連してですが、さっき指摘申し上げたこととも関わりますが、要するに形成訴訟かそれ以外かということが、何らかの政策判断で決せられて以降は、現在の行政訴訟の取消訴訟の排他的管轄もまさにそうですし、山本先生がおっしゃったように、そういう割り振りが済んだ後は形成訴訟と任意的に選択できるということは想定できるということはそのとおりなんですが、要するに政策的判断として、現在の行政訴訟のいわゆる取消訴訟の排他性に服する領域は、山本基準でいくとすると、多分私の判断では恐ろしく広い範囲をカバーしているということになると思うのです。要するに、社会の根本とか、多数利害関係人とか、爾後の多くというのではなくて、それこそ供託金もその例かもしれませんが、極めて細かい私的な利益に近いようなものも含めて、すべてを行政処分構成して、取消訴訟の排他性と出訴期間に、いわば行政の争いのほとんどは無理やりそこに服させているいう立法的構造ができていると思うのです。今この行政訴訟検討会で主たる議論になっているのは、そういう構造自体をどう捉えるかということでもありますので、山本先生のような基準で割り振りされた後の排他性は、私もすとんと落ちるものがあります。しかし、現在の行政訴訟の排他性の領域というのは、少なくともこの基準よりは恐ろしく広い膨大な領域をカバーしているという印象なんですが、それについて御感想がありましたら。
【山本教授】その点については、まず第一に私は行政処分にはどういうものがあって、そのそれぞれについてどういうような基準で正当化できるかというようなことを十分検討してきたわけではありませんので、恐ろしく広いかどうかという評価はなかなか難しいということと、もう一点は、先ほど申し上げたように、これはあくまでも民訴の基準でありまして、行政訴訟について別の何らかの付加的な基準等がないかどうかということについても、私はそこは素人ですので、評価ができないところであります。
そういう意味では、これは私への御質問よりも、是非先生方に御検討をいただければありがたいということです。
【塩野座長】何か実務的な観点で、市村委員、あるいは深山委員、何かございますか。
【市村委員】一点だけ教えていただいてよろしいでしょうか。やはり原告適格に関するところですが、先ほど有力説として、「訴訟の結果に係る重要な利益」が原告適格を基礎づける有力な考え方であると御紹介いただきましたが、その「訴訟の結果」というのは、取消訴訟について言えば取消判決という形、処分の取り消しという形で表われてくるわけです。そうした結果と、「訴訟の結果に係る」という部分の判断の仕方について、例えば事実上の影響というものは、「係る」というときには入ってくるのでしょうか。
【山本教授】事実上の利益か法的利益かという判断は、なかなか難しいところがあるように思いますけれども、私自身の認識、これは必ずしも福永先生とか中野先生が何らかの形で書かれていたかどうか、記憶はないのですが、私の理解ではそれはやはり法的な意味での利益である。ただ、その法的利益というのをどういうふうに評価するかというのは、非常に難しいところで、先ほどお話したように、特定の実体法がその保護を基礎づけているという必要性は、私は必ずしもないのではないか。先ほどお話したように、全法体系の中でそれを重要なものとして保護されているかどうか、そしてその全法体系は先ほど芝池先生の御質問にお答えしたように、非常に判断は難しいということは間違いないと思いますけれども、基本的な考え方としては、そういう意味での法的利益なのではないかと思っております。
【塩野座長】山本さんのお時間があれば、原告適格のときにもまだ御在席していただけるということですので、原告適格のことであればまた後で、いろんな材料が出てきますので、そのときの方が、あるいは検討会委員の皆さんの知識が共有した上で議論ができると思いますので、それ以外のことで何かどうぞ。
【芝池委員】10条1項との関係で、株主総会における他人に対する招集手続の瑕疵を違法理由として主張できるとおっしゃったのですが、私の理解では株主総会というかなり狭いサークルの中での話ではないか、つまりその中で誰か1人の人に対して招集の手続に瑕疵があれば、株主総会の決議の内容にも影響してきますので、そういうところで別の人にも違法の主張が認められているのではないかと憶測をしておりまして、それとの関係で直ちに10条1項の方にはいかないのではないかという気がしたんですけれども。
【山本教授】直ちにいかないということは、多分おっしゃるとおりなのかと思いますが、ただ今、芝池先生が御指摘になった点は、要するに当該手続違反が実際の総会決議の結果に影響するという点を考慮したのではないかという御指摘だったかと思いますけれども、もしそうであれば行政訴訟の場合も、当該自分との関係ではない、当該何らかの瑕疵というものが、その行政処分に影響したのであれば、その自分との関係での瑕疵ではないとしても、それをその人が主張するということはパラレルなものとしてあり得るのかなと。
【芝池委員】影響したかどうかというのが、株主総会の場合は割と簡単に想定できるのではないかと思うのですけれども。
【山本教授】その認定の容易性というのは、確かに株主総会の場合の方が大きいかもしれません。
【小早川委員】行政法でも、行政委員会が何らかの処分を議決するというようなときの招集手続に瑕疵があれば、それは、オミットされた人でなくても、処分の結果について法律上の利益のある人であれば、合議体が適正に構成されてないわけですからその処分は違法だと主張できると思います。10条1項はそれを妨げる趣旨ではないと思います。
必ず挙げられる例はそれではなくて、税務署の公売処分の場合に、第三債権者に通知をしないで差押え、公売してしまったというときに、被差押者がそれを主張できるか、それはできないというのが、よくこの10条1項の例で挙がるのですが、それはもう公売されることは決まっている、決定の内容がそれで変わってくることはないわけです。議事手続、招集手続の場合は、それとは違う。御心配のことはそもそもないんじゃないかと思います。
【山本教授】分かりました。そうであるとすれば、私の誤解かもしれません。
【塩野座長】他によろしゅうございますか。どうもありがとうございました。
それでは、時間が大体まいりましたので、この辺りでひとまず休憩をいたしまして、続いて原告適格についての説明と、それからその討論をしたいと思います。そのとき、もし山本教授もお時間があれば、どうぞ参加していただければと思います。
それでは、今ちょうど3時過ぎですが、10分まで休憩をいたします。
(休 憩)
【塩野座長】それでは、時間が10分間経ちましたので、次の課題に入ることにいたします。御案内しておきましたように、原告適格についての検討ということでございます。
これは、当委員会でももう少し具体的な判例、あるいは具体的な事件に即して御検討をしてみるのがいいのではないかという御提案もあり、そういった点を意識をして今までも随分判例等はお目にかけてきたわけでございますけれども、この時点で集中的に具体的な事件をお示ししながら議論をしてみてはいかがということでございます。
先ほど御案内しましたように、山本教授は、原告適格のところまでは御同席いただけるということでしたので、どうぞ議論に参加をしてくださって結構でございますので、御質問、御意見等も随時お出しいただければと思います。
それでは、まず、事務局から資料の説明をお願いいたします。
【小林参事官】資料3−1「原告適格の検討の視点」それから資料3−2「原告適格の参考判例」を御参照いただきたいと思います。
原告適格の検討の視点は、一応の切り口として、現実の不利益、不利益を受けるおそれ、利害関係、法的利益という観点で参考になりそうな判例を分類してみたものです。
資料3−2は、21の判例を引用しています。4ページまでは、判決の要旨を抜粋したもので、5ページ以降、判決の理由を掲げております。特にその判決の主な理由と思われるところをゴシックにしております。
例えば、質屋の営業許可処分の無効確認訴訟、これは昭和34年で、行政事件訴訟法が制定される前、したがって法律上の利益という原告適格の規定がなかったころの判例です。これは、既存の質屋の営業者が第三者に対する質屋営業許可処分の取消しを求めた事例について、その法律上の利益を有しないとして訴えが却下された事例です。判決理由のゴシックのところを見ていただきますと、「訴えを提起するには、これにつき法律上の利益あることを必要とするは、訴訟法上の原則であって、行政庁の違法処分の取消しを求める訴についても、これと別途に考うべき理由はない」と判断をしていて、「質屋営業の営業許可は、質屋営業が庶民金融の重要な部分を占めるものであり、又質物を取り扱うのでその性質上犯罪捜査にも関係があって、社会公共の秩序に影響があるので、一般的に自由な営業を禁じ、許可の申請によって社会公共の秩序を及ぼす虞れのない営業者にこれを許可し、質営業を適法ならしめるもので、右許可によって質屋営業者に独占的な利益を享受する地位を保障するものでも、一定の営業利益を保障するものでもないのである。だから質屋営業者が質屋営業法によって営業方法につき制限される点はあるけれども、その範囲内でいかほどの収益を確保するかということは他の自由な営業者と同様に営業者の全く自由な経済活動に任されているものといわなければならない。従って原告が訴外組合大森支部の開業によって事実上質屋営業による利益が著しく減じたとしても、その営業利益は法律によって保護される利益ということはできないから、原告は本訴について訴の利益がない」、こういう判断をしています。
6ページは、公衆浴場営業許可処分取消訴訟で、これも昭和37年1月ですから、現在の行政事件訴訟法が施行される前です。これは、「既存の公衆浴場営業者は、第三者に対する公衆浴場営業許可処分の無効確認を求める訴の利益を有しないとはいえない」として、訴えは適法であるとされた事例です。
この事例では、「公衆浴場法は、公衆浴場の経営につき許可制を採用し、第2条において「設置の場所が配置の適正を欠く」と認められるときは許可を拒み得る旨を定めているが、その立法趣旨は、「公衆浴場は、多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である。そして、若しその設立を業者の自由に委せて、何等その偏在及び濫立を防止する等その配置の適正を保つために必要な措置が講ぜられないときは、その偏在により、多数の国民が日常容易に公衆浴場を利用しようとする場合に不便を来たすおそれを保し難く、またその濫立により、浴場経営に無用の競争を生じその経営を経済的に不合理ならしめ、ひいて浴場の衛生設備の低下等好ましからざる影響を来たすおそれなきを保し難い。このようなことは上記公衆浴場の性質に鑑み、国民保健及び環境衛生の上から、出来る限り防止することが望ましい」、「同条はその第3項において右設置場所の配置の基準について都道府県条例の定めるところに委任し、京都府公衆浴場法施行条例は各公衆浴場との最短距離は二百五十米間隔とする旨を規定している。これらの規定の趣旨から考えると公衆浴場法が許可制を採用し前述のような規定を設けたのは、主として「国民保健及び環境衛生」という公共の福祉の見地から出たものであることはむろんであるが、他面、同時に、無用の競争により経営が不合理化することのないように濫立を防止することが公共の福祉のため必要であるとの見地から、被許可者を濫立による経営の不合理化から守ろうとする意図をも有するものであることは否定し得ないところであって、適正な許可制度の運用によって保護せらるべき業者の営業上の利益は、単なる事実上の反射的利益というにとどまらず公衆浴場法によって保護せられる法的利益と解するを相当とする」、このように判断しています。
次に7ページは、東京第12チャンネルテレビジョンの開設に伴う免許の取消訴訟です。
これは、判決要旨にありますように、甲および乙が競願関係にある、つまり放送局のチャンネル周波数は1つ、その1つの周波数を争っている場合に、甲の免許申請が拒否され、乙に免許が付与されたときは、甲は乙に対する、つまり他人に対する免許処分の取消訴訟を提起することができるとされたものです。
8ページはかねがね御指摘のあります、主婦連ジュース訴訟で、これまでにも資料に掲げて説明をしてあるものです。
それから11ページの5の判決、長沼ナイキ基地訴訟は、「保安林の指定につき森林法27条1項にいう「直接の利害関係を有する者」は、右指定の解除処分取消訴訟の原告適格を有する」とされたもので、判決要旨の2の項目にありますように、「農業用水の確保を目的とし、洪水予防、飲料水の確保の効果をも配慮して指定された保安林の指定解除により洪水緩和、渇水予防上直接の影響を被る一定範囲の地域に居住する住民は、森林法27条1項にいう「直接の利害関係を有する者」として、右解除処分取消訴訟の原告適格を有する」とされたものです。
この理由で、「森林法所定の保安林指定処分についてみるのに、右処分が一般的公益の保護を目的とする処分とみられることは前記のとおりであるが、法は他方において、利害関係を有する地方公共団体の長のほかに、保安林の指定に「直接の利害関係を有する者」において、森林を保安林として指定すべき旨を農林水産大臣に申請することができるものとし(法27条1項)、また、農林水産大臣が保安林の指定を解除しようとする場合に、右の「直接の利害関係を有する者」がこれに異議があるときは、意見書を提出し、公開の聴聞手続に参加することができるものとしており(法29条、30条、32条)、これらの規定と、旧森林法(明治40年法律第43号)24条においては「直接利害ノ関係ヲ有スル者」に対して保安林の指定及び解除の処分に対する訴願及び行政訴訟の提起が認められていた沿革とをあわせ考えると、法は、森林の存続によって不特定多数者の受ける生活利益のうち一定範囲のものを公益と並んで保護すべき個人の個別的利益としてとらえ、かかる利益の帰属者に対し保安林の指定につき「直接の利害関係を有する者」としてその利益主張をすることができる地位を法律上付与しているものと解するのが相当である。そうすると、かかる「直接の利害関係を有する者」は、保安林の指定が違法に解除され、それによって自己の利益を害された場合には、右解除処分に対する取消しの訴えを提起する原告適格を有する者ということができるけれども、その反面、それ以外の者は、たといこれによってなんらかの事実上の利益を害されることがあっても、右のような取消訴訟の原告適格を有するものとすることはできないというべきである。
そこで進んで法27条1項にいう「直接の利害関係を有する者」の意義ないし範囲について考えるのに、法25条1項各号に掲げる目的に含まれる不特定多数者の生活利益は極めて多種多様であるから、結局、そのそれぞれの生活利益の具体的内容と性質、その重要性、森林の存続との具体的な関連の内容及び程度等に照らし、「直接の利害関係を有する者」として前記のような法的地位を付与するのが相当であるかどうかによって、これを決するほかはない」、このような判断をしております。
13ページは伊達火力発電所訴訟という6の訴訟ですが、これは、「公有水面埋立法(昭和48年法律第84号による改正前)第2条の埋立免許及び同法第22条の竣功認可の取消訴訟につき、当該公有水面の周辺の水面において漁業を営む権利を有するにすぎない者は、原告適格を有しない」とされたものです。
この判決は、「漁業を営む者の権利を保護することを目的として埋立免許権又は竣功認可権の行使に制約を課している明文の規定はなく、また、同法の解釈からかかる制約を導くことも困難である」として、原告適格を否定したものです。
14ページ、里道用途廃止処分取消訴訟は、かねて紹介した判例で、この判決は「里道が個別的具体的な利益をもたらしていて、その用途廃止により生活に著しい支障が生ずるという特段の事情は認められないときは、里道の用途廃止処分の取消しを求める原告適格を有しない」とした判例です。
15ページの8は、新潟空港訴訟です。新潟空港訴訟は、原告適格の判例として教科書でよく引用される判決ですので、その判決理由の一般論についてもゴシックをしております。
15ページで、「取消訴訟の原告適格について規定する行政事件訴訟法9条にいう当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであるが、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益をもっぱら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有する」として、更に、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通して右のような個々人の個別的利益をも保護すべきものとして位置付けられているとみることができるかどうかによって決すべきである」、このような判断をした事例です。
具体的判断は、15ページの下の方で、法制度をさまざま検討した上で、17ページにありますように、「免許に係る路線を航行する航空機の騒音によって社会通念上著しい障害を受けることとなる者は、当該免許の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、その取消訴訟における原告適格を有する」とする判例です。
18ページの9の近鉄特急料金訴訟は、かねがね御指摘のある「特別急行料金の改定(変更)の認可処分については、その地方鉄道の路線の周辺に居住し通勤定期券を購入するなどしたうえ日常その地方鉄道が運行している特別急行列車を利用している者であっても、その認可処分の取消しを求める原告適格を有しない」としたものです。
19ページの10、伊場遺跡訴訟も、かねがね御指摘のあるように、「静岡県指定史跡を研究対象としている学術研究者は、当該史跡の指定解除処分の取消しを訴求する原告適格を有しない」としたものです。
この判断の内容は、19ページの下から11行目の段落で「本件遺跡を研究の対象としたきた学術研究者であるとしても、法律上の利益を有しない」としてあります。
その下の一番最後の段落に、また更に別の判断もして、「論旨は、要するに、文化財の学術研究者には、県民あるいは国民から文化財の保護を信託された者として、それらを代表する資格において、文化財の保存・活用に関する処分の取消しを訴求する出訴資格を認めるべきであるのに、これを否定した原審の判断は、法令の解釈適用を誤つたものである、というのであるが、右のような学術研究者が行政事件訴訟法9条に規定する当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」に当たるとは解し難く、また、本件条例、法その他の現行の法令において、所論のような代表的出訴資格を認めていると解しうる規定も存しない」と判断しております。
11はもんじゅ訴訟で、これは判決要旨にありますように、「設置許可申請に係る原子炉の周辺に居住し、原子炉事故等がもたらす災害により生命、身体等に直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民は、原子炉設置許可処分の無効確認を求めるにつき、行政事件訴訟法第36条にいう「法律上の利益を有する者」に該当する」としたものです。その判断の内容は、詳細に引用してあります。
23ページ、風俗営業許可処分取消請求事件は、診療所の設置者の原告適格が問題となったもので、判決理由に、「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律4条2項2号、風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律施行令6条2号及びこれらを受けて制定された風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律施行条例(昭和59年神奈川県条例第44号)3条1項3号は、同号所定の診療所等の施設につき善良で静穏な環境の下で円滑に業務を運営するという利益をも保護していると解すべきである。したがって、一般に、当該施設の設置者は、同号所定の風俗営業制限地域内に風俗営業が許可された場合には、右の利益を害されたことを理由として右許可処分の取消しを求める訴えを提起するにつき原告適格を有する」としたものです。
これは、30メートルという基準を超えている原告でも原告適格はあるということです。
26ページの13の事件は都市計画法の開発許可取消請求事件で、「開発区域内の土地が都市計画法(平成4年法律第82号による改正前のもの)33条1項7号にいうがけ崩れのおそれが多い土地等に当たる場合には、がけ崩れ等により生命、身体等に直接的な被害を受けることが予想される範囲の地域に居住する者は、開発許可の取消訴訟の原告適格を有する」としたものです。
28ページの14は、先ほどは診療所について風俗営業の原告適格を認めたもの、これは風俗営業制限地域居住者について原告適格を有しないとした判例です。
30ページは環状6号線道路拡幅事業認可処分等取消訴訟です。これは、判決要旨にありますように、「都市計画事業の事業地の周辺地域に居住し又は通勤、通学しているが事業地内の不動産につき権利を有しない者は、都市計画法第59条第2項に基づく同事業の認可処分又は同条3項に基づく同事業の承認処分の取消しを求める原告適格を有しない」としたものです。
32ページは16の墓地経営許可処分取消請求事件で、これは墓地の経営許可の取消訴訟について、「墓地から300 メートルに満たない地域に敷地がある住宅等に居住する者は原告適格を有しない」とした事例です。
33ページの17の事件、林地開発行為許可処分取消請求事件は、判決要旨にありますように、「土砂の流出又は崩壊、水害等の災害により生命、身体等に直接的な被害を受けることが予想される範囲の地域に居住する者は、森林法(平成11年法律第87号による改正前のもの)第10条の2による開発許可の取消訴訟の原告適格を有する」としたものです。
35ページの18の事件、総合設計許可取消請求事件もこの検討会でも話題になったものですが、「総合設計許可に係る建築物の倒壊、炎上等により直接的な被害を受けることが予想される範囲の地域に存する建築物に居住し又はこれを所有する者は、同許可の取消訴訟の原告適格を有する」としたものです。
37ページの19の事件、これも総合設計許可取消請求事件ですが、これは「総合設計許可に係る建築物により日照を阻害される周辺の他の建築物に居住する者は、同許可の取消訴訟の原告適格を有する」としたものです。
39ページの20、これは永田町小学校廃止条例の取消訴訟です。
「東京都千代田区内に設置されていたすべての区立小学校を廃止し、新たに区立小学校8校を設置すること等をその内容とする条例は、子が通学していた区立小学校の廃止後に新たに設置され就学校として指定を受けた区立小学校が子らにとって社会生活上通学することができる範囲内にないものとは認められないときは、一般的規範にほかならず、抗告訴訟の対象となる処分に当たらない」。これは、処分性の判断ですが、処分が権利義務に影響しないということを判断し、社会生活上通学することができる範囲内にあるかないかということが、権利義務への影響という処分性の概念としての判断で参照されている事例として、原告適格の判断についても参考になるのではないか、という委員の御指摘もあり、加えたものです。
40ページの21は産業廃棄物処理施設設置不許可処分取消請求事件に対する補助参加の申立事件です。
これは、補助参加の申立てですが、産業廃棄物の管理型最終処分場の設置許可申請が不許可になったとすると不許可であった方が地域住民としては有害物質が排出されるおそれがないので、不許可処分の取消訴訟の被告になっている行政側に住民が補助参加をしたという事例です。
40頁の下の方に、「廃棄物処理法15条2項2号は、産業廃棄物処理施設である最終処分場の設置により周辺地域に災害が発生することを未然に防止するため、都道府県知事が産業廃棄物処理施設設置許可処分を行うについて、産業廃棄物処理施設が「産業廃棄物の最終処分場である場合にあっては、厚生省令で定めるところにより、災害防止のための計画が定められているものであること」を要件として規定しており、同号を受けた廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則(平成10年厚生省令第31号による改正前のもの)12条の3は、災害防止のための計画において定めるべき事項を規定している。また、廃棄物処理法15条2項1号は、産業廃棄物処理施設設置許可につき、申請に係る産業廃棄物処理施設が「厚生省令(産業廃棄物の最終処分場については、総理府令、厚生省令)で定める技術上の基準に適合していること」を要件としているが、この規定は、同項2号の規定と併せ読めば、周辺地域に災害が発生することを未然に防止するという観点からも上記の技術上の基準に適合するかどうかの審査を行うことを定めているものと解するのが相当である。そして、人体に有害な物質を含む産業廃棄物の処理施設である管理型最終処分場については、設置許可処分における審査に過誤、欠落があり有害な物質が許容限度を超えて排出された場合には、その周辺に居住する者の生命、身体に重大な危害を及ぼすなどの災害を引き起こすことがあり得る。このような同項の趣旨・目的及び上記の災害による被害の内容・性質等を考慮すると、同項は、管理型最終処分場について、その周辺に居住し、当該施設から有害な物質が排出された場合に直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。したがって、上記の範囲の住民に当たることが疎明された者は、民訴法42条にいう「訴訟の結果について利害関係を有する第三者」に当たる」としたものです。民事訴訟法42条では、訴訟参加の要件として「訴訟の結果について利害関係を有する第三者」という要件が決められておりまして、その「利害関係を有する第三者」に当たるかどうかという判断においても、その法が個別的利益としても保護すべき趣旨を含むかどうかという要件について最高裁判所が判断しているということです。
先ほどの資料の3−1に書いた視点は、「1 現実の不利益」は、処分が行われたことによって、その処分の結果として、ある程度現実問題として何らかのマイナスが生じているということが言えるのではないかというような事例ですが、質屋とか公衆浴場で営業利益が低下するのではないか、あるいは東京12チャンネルのように1つしかないチャンネルを争う以上、自分が免許は受けられなくなる。あるいは、6番の公有水面埋立があれば、漁業資源への影響があるのではないか、あるいは里道が廃止されれば、ある程度は生活に支障が生ずるのではないか。航空機の運航が許可されれば、それによって騒音が生ずることは間違いないのではないか。それから特急料金が上がれば、自分の払う特急料金が増える、これは間違いないのではないか。それから、風俗環境、つまり風俗営業が許可されれば、パチンコ屋等が事例になっていますが、これは診療所に限らず、その周辺で生活している人にとっての風俗環境が変わるのは間違いないのではないか。それから道路拡幅があれば、そこで交通量が増えて、自分の環境に対して、騒音や震動、ばい煙等の関係では、何らかの影響があることは間違いないのではないか。それから16の、墓地が設置されると、その生活環境が変わることは間違いないのではないか。ただ、それがどの程度のものかということは別として。それから、日照についても建物が建ったことよって直接日照が増えるか減るかという問題は現実には生ずるのではないか。それから小学校が、これは永田町小学校から麹町小学校に800メートル通学する小学校が遠くに変わったわけですけれども、まさにその800 メートルを子どもが歩かなければいけない、その部分では事実として変化が生じている、つまりここでは現実問題として変化が生じていることはある程度間違いない、では、これがどの程度の変化であれば、これをもって原告適格があると認めていいのかどうかという問題になって、例えば永田町小学校の事例では、社会通念上通学が可能かどうかというようなことを1つの基準にしているということが参考になるのではないかと考えた次第で、こういう1つの切り口を切ってみたらどうなるだろうかということです。
それから「2 不利益を受けるおそれ」は、これは処分があっただけでは、実はまだすぐに不利益が生じていない。おそれがあるということ自体を不利益ととらえれば、それは現実の不利益かもしれませんが、洪水というのはまだ起こっていない、100 年に一遍、このぐらいの雨が降れば起こるかもしれない。つまり、ある程度の条件を設定した場合に、仮定した場合に不利益が生ずる。それから原子炉事故についても何かこういう条件が起こった場合には事故が起こるかもしれない、絶対に起こると言えるか言えないか、これは何らかの確率、確率はゼロに近い確率から高い確率まで、非常に確率には幅があるのではないかという感じがするものです。それから、がけ崩れにしても、土砂の流出災害、水害等にしても、100 年に1回のものを前提にするのか、あるいは地震でも、ものすごく巨大な地震を想定するのか、どの程度の地震を想定するかによって、その範囲が違うのではないか。また、これは委員からの御指摘もあった建物の倒壊、炎上は実際どのぐらいの確率で起こるのか、その確率というのはかなりの違いがあるのではないか。
したがって、こういう不利益を受けるおそれについて考えるときに、ではどのぐらいの確率を考えればいいのか、その確率と、それからその確率によって生ずる場合の被害の種類、内容、つまり生命、身体の問題なのか、財産の問題なのか、そういうのは相関関係的に考えるべきものなのかどうかということが論点になるのではないかということで、こういう仕切りをしております。
「3 利害関係」にいく前に、「4 法的利益」の方ですが、先ほどの「現実の不利益」というものに当たるある程度のマイナスが生ずる場合に、それがどこから法的利益と言えるのかどうかという点で、今までの判例というのは、かなり悩んでいるのではないかと思うわけです。
これは、例えば質屋営業者については、質屋営業者に独占的な利益を享受する地位を保障するものでも、一定の営業利益を保障するものでもない。こういうものは、許認可を受けた営業であるからといって、許認可を受けて営業できている地位が、他の営業者に対して許認可をされたときに、その許可を争う、そういうことによって保護されるべき利益ではないとしているのだと思うのです。
ところが、公衆浴場になりますと、適正な許可制度の運用によって保護されるべき業者の営業上の利益は、公衆浴場法によって保護される法的利益だと判断しており、では質屋と公衆浴場はどう違うのかと、これをどう考えるのかという問題があろうかと思います。
それから、主婦連ジュース訴訟の判決では、果汁の内容について容易に理解することができる利益というような主張がされておりまして、こういった利益は、原告適格を基礎づける利益ではないとされ、その次の文化財の学術研究者の学問研究上の利益、これは伊場遺跡の事例ですが、これについても原告適格を基礎づけるものではないとされております。
それから里道の廃止により、生活に著しい支障が生ずるという特段の事情、これは特段の事情、生活の支障が著しいかどうかということで原告適格があるかないかが変わるということを最高裁は判断しているのではないかと思われるわけですし、処分性の判断ではありますが、永田町小学校の事例のように、社会通念上通学することができる範囲内にあるのかどうかと、社会通念は、どの程度の変化が生じているのかという程度問題についても、やはり考慮されているのではないかという問題です。
「3 利害関係」の問題ですが、利害関係について判断した事例としては、長沼ナイキ基地訴訟で、生活利益の具体的内容と性質、その重要性、森林の存続との具体的な関連の内容及び程度に照らし、直接の利害関係を有する者として、その利益主張をする法的地位を付与するのが相当であるかどうか。つまり直接の利害関係を有する者が手続に参加する地位が与えられている。森林法につきましては、実は、改正前の森林法では、行政訴訟の原告適格そのものを直接の利害関係を有する者として規定していた。これは、他の法律で、現行法でも公証人法に、法務大臣に異議申立てをする資格は、公証人の取り扱いについて公証人に嘱託した人と利害関係人は法務大臣に異議申立てをすることができる、ということになっており、利害関係を有する者というのが原告適格の基準にされていた事例があって、そういった事例が、その当時の森林法では手続参加の要件として直接の利害関係を有する者と規定されていたことから、その直接の利害関係を有する者をこのような形で判断している事例があります。
それから、次に、補助参加の「訴訟の結果について利害関係を有する者」について、これは管理型最終処分場から有害な物質が排出された場合に、直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民は訴訟の結果について利害関係を有する第三者に当たる。利害関係という観点から判断を示した事例は、こういったものがあるということです。
これまで判例の基本的な基準、個別具体的な利益として保護する趣旨を含むかどうかという個別法の解釈を指針としていますが、今回、少し視点を変えて、不利益の程度、性質の違い、そういったものから原告適格の範囲を考えていけばいいのか、ということで、視点を変えて整理してみましたので、これが今日の検討の視点としてこれでいいのかどうかは、また御検討いただければ結構ですが、こういう視点で整理するということもあり得るのではないかということでまとめてみた次第です。
【塩野座長】ありがとうございました。原告適格につきましては、今日、お手元に資料1として出されています「行政訴訟検討会における主な検討事項」の23ページ以下に、今までここでいろいろ議論された御意見を拾っているところでございまして、かなりの議論を重ねてきたところでございます。
ただ、先ほども少し申しましたように、もう少し具体的な事件に即して議論しないと、議論が空中に舞ってしまうこともあるし、また、具体的にこの事案は原告適格を認めないのはどうしてもおかしい、その場合にどういうふうな論理構成を取れば、そこがうまく説明できるかといったアイデアもいただきたいということで、今日取り上げた次第でございます。
なお、今、事務局の小林参事官からも御説明がありましたように、この検討の視点の見方というのは、これは1つの見方として提示したもので、今後これで、この検討会の議論の仕方をこれで整理するというつもりではありません。抽象的な「個別的な利益が保護されているかどうか」という最高裁の文言を含んだ具体的な判例に即して、侵害、利益、あるいは不利益の方から見て整理するとこういうふうになっているということでございますので、私としては、重要な視点からの整理だと理解をしておりますが、これで今後議論を整理するというつもりではございません。
そこで、この主な検討事項の24ページ以下のところと、団体訴訟のところまでお入りいただいて結構ですが、それを見ながら具体的な事案に即して、また御議論をいただきたいと思います。もちろん、御質問も承りますので、どちらでも結構でございます。
【芝池委員】こういう資料が出てきた理由ですが、私の理解では、前に原告適格については広げるにしても、具体的にどうなるのかがわからないとか、行政あるいは国民の方に理解を得ることができないのではないかという話があって、そこで表現が難しいのですけれども、「不適切事例」を挙げるということになって、こういう資料が出てきたのではないかと思いますが、理解としてはそうではないのですか。
【塩野座長】私の理解では、不適切事例は大分前の方に出したんです、かなり初期のころにです。それで、だんだん議論していく間に、またやや抽象的な議論になりましたので、私の記憶が正確であれば、松川次長の方から、もう少し具体的な事件に即して議論をしてみたらいかがでしょうかという御発言があり、私もそれももっともかなというふうに思いました。特に、24ページ以下のところは、やや抽象化されておりますので、これを見ながらもう少し具体的に議論をしていただけると、もう少し議論の仕方が詰まってくるのかなという趣旨で出しているところでございます。
ですから、ここで不適切な事例だけを取り上げてどうこうというのではなくて、もう一つは、先ほど口頭では御説明がありましたように、時系列で見ますと、かなり最高裁の判例も、理論構成は同じですけれども、実質はかなり動いているところもあって、そこをどういうふうに見るかという点の資料としても使っていただければというふうに思っているわけであります。
【松川事務局次長】若干発言の趣旨を補足させていただきたいと思いますが、立案作業を検討する上で幅広く理解を求めていかないといけないわけですが、法律の条文を変える場合に、それがどういう具体的意味内容を持っているかということがわからないと、なかなか理解を得にくいだろうということで、具体例に即して、どういう考え方の下に、どう変えるべきかということを議論していただきたいという趣旨で申し上げました。
その中で、不適切な場合だけを取り上げてということではなくて、もちろんそれもあるのですが、現在の場合だと、ややもすれば、今の書きぶりなり、現在の実際上の結果から見てこういう範囲のものについて言えば、原告適格を認めるべきであるけれども、なかなか現在の法律の条文なり、現在の判例の運用ではなかなか広がらないという場合には、広げるべきではないかというのはどういう具体的事例があるか、その場合には、どういう考え方で広げるかということも議論していただきたい。
他方、法律の条文ですが、広げた場合には、本来保護されるべき範囲だけではなくて、それに付随して、おおよそ訴訟で救済される必要性が薄い人まで入ってくる可能性がありますけれども、そういうおそれがあるので、いろんな形で反対意見等が出るおそれがあるのですが、そういう場合には、逆にこういう範囲の者までは原告適格としては認める必要はないのではないかという、そういう限界についても一定の考え方をお示ししていただければ、大変立案の参考になるのではないか。もちろん、裁判ですから、実際上の当てはめになると裁判官の個別の認定の話ですから、当然に1対1対応にするというふうに考えてもらっては困るんですが、1つの指針としてこういう考え方の下で立てれば、具体的には原告適格が広がる可能性がある。あるいは逆に広がるけれども、これ以上は広がらないというところの議論の目安をいただきたい、こういう趣旨でございます。
【塩野座長】ありがとうございました。突然質問して大変申し訳ありませんが、芝原委員、成川委員、具体的にこういうのが出て、やや一覧性をもって出てきたときに、ここはどんなものかなという点があれば、どうぞ率直な御感想を承りたいと思います。先ほどの山本さんの御説明でも、社会通念ですなんて言われたところもございますので、あれは民民の間の差止訴訟のお話として、本案の問題として出てきたお話ですけれども、やはり原告適格という点についても、法的利益になるのかどうかという点については、かなり社会通念的なものも意味がある可能性もございますので、そういった点も含めて何かございましたら、どうぞおっしゃってください。
【芝原委員】ちょっと疑問というか、どういうことなのかよくわからないのが1つあります。騒音とか日照の判決事例がございましたが、こういうものについては、基本的に原告適格が認められております。一方で、道路法とか、都計法に関わるものについては、道路法区域とか、都市計画法で決定をしたエリアの外とかのやや外にいる人たちについては基本的に認められていない。だから逆に実体法というか、個別法の方で制度的に空間を規定したがゆえに、ややその外にいる人が逆に原告適格の資格がなくなっている。騒音とか日照というのは、逆にそういう強力な法律がないがために、個別法がないために認められている、この辺の制度空間の谷間的なところをどう理解するのか、そこのところは本当に原告適格がないのかという点がよく理解できないということでございます。
要するに変に実体法での規定があるがゆえに、逆に救われない原告適格者が出現している、惹起しているという理解ができるのですが、本当にこれでいいのか、よくわからないところです。
【小林参事官】先ほど山本教授から言われたように、法体系全体を見て、社会通念に照らして判断するという発想でバランスの取れた方がいいと思って並べて検討したときに、それについて芝原委員のような御見解をお持ちになる場合があるのではないかと思います。
【成川委員】社会通念上とか言われているのですが、今回の判例を見ますと、例えば1の「現実の不利益」と分類されていますが、この中で認められているのは非常に少ないわけです。営業利益の低下の2は認めて、3も認められていますけれども、その後の6、7、公有水面とか、航空機の騒音は認めていますが、特急料金は認めてない、風俗環境についても住民については認めていないというので、かなり認めていない例がある。
2については、ほとんど非常に大きな影響があるということで、これは認めている。「利害関係」についても、ここに詳しく書いてあって認めていますが、4の「法的利益」については、法に照らしてほとんど認めていないと、●の2番目のところの公衆浴場については認めていますけれども、他については認めてないということで見ますと、例えば特急料金の問題などは、議論の中で認めていいのではないかというお話がありましたけれども、必ずしも判例の中では、これは当たらないと。ただ、素直に読んでもなぜ当たらないのかが必ずしも明確に書かれているとは思われない。
例えば、私が簡単に見て、公有水面埋立と漁業権との関係でも、近所に漁業権があるからといって、これも当たらないと判断してしまっているわけですが、どうもさっき言った通常の世間的な通念から見ても、どこで判断しているのか、必ずしも基準がすべての判例の中で明解に出ているとは必ずしも言えない。1つの印象です。
もう一つは、個々の中で、判断によっては目的を共通する関連法規による法体系の中で判断しているのだという指摘もありますが、すべての判例が本当にそういう関連法規まで調べて、法体系の中で判断されているのかどうか、ちょっと私自身よくわからないところがあって、特に拒絶されているところが、そこまでちゃんとやっているのかどうか、例えば果汁の内容等について、いわゆる問題になっている中身についても、これが本当に消費者が果汁の内容までちゃんと知らなくてもいいのだというふうな中身で書かれているわけですけれども、どうもそれが本当に全体の法体系の中で、そういうふうに判断できるのかどうかというのも少し疑問だというふうに思っていまして、基準があると言えば、あるようであるけれども、かなりその基準は揺れているのではないかという印象を非常に持っています。そういう意味で基準を何らかの形で出すのが好ましいのではないか。
【塩野座長】今の御意見としては、法律上、基準の内容はいろいろまた議論があるかもしれませんが、基準としてもう少し具体的なものを出した方が少なくとも国民にとっては分かりやすいし、その方がいいという御意見だと思います。
【成川委員】もう一点忘れました。それから4に「法的利益」と書いていますが、どうも個別実体法の中でも、本当にこれが行政法としてしっかり意識されて国民の権利、利益を意識して書かれているかどうかという面から見ても、個別的に問題があるのではないか。しかし、それを単純に裁判所の根拠として出しているというところの問題は残っているのではないかという印象を受けました。
【塩野座長】どうもありがとうございました。今の御印象は、私もまさにそのとおりで、なかなか基準は現実問題として揺れているところがあるというふうには思います。ただ、これからの問題は、先ほど松川次長からも御説明がありましたように、それを法律的にどういうふうに書き表わすことができるかなと、そこで何かいいお知恵があればと、そういうことだと思います。
【水野委員】今、成川さんが指摘されたとおりでありまして、新潟空港の判決は突出しているのです。あれだけは関連法体系というようなことを言って、無理やり認めているのです。一審、二審は却下していますから、私は最高裁が無理やり認めたと思っているのです。
あれは、なぜああいう判決になったかというと、やはり大阪国際空港の事件がありまして、大阪国際空港では民訴はだめだと言った。これは行訴はともかくとして、といって留保したのですけれども、今度は、行訴がだめだと言ったら、これは民訴も行訴もだめになると、何とか行訴をこの事件では認める方向で何とかならないかということでかなり無理をしてやったんではないかというふうに実は担当の裁判官から聞いているんです。
だから、おっしゃるとおりで基準というのが何かあるようで、実際上ないのではないかという印象というのは、まさにそのとおりだと思うんです。例えば、個別的利益をこの法律は保護しているのか、していないのかという判断についても、保護していると言えば保護しているし、保護していないと言えば保護していないということに過ぎないわけでありまして、要は言うか、言わないかと、つまり原告として入口を通過させるかさせないかということです。そこの判断があって、これは通過させようと思ったら、個別的な保護をしているのだという、通過させないと思えば、そうではないというだけの話ではないかと、私は思っているのです。
それで、これも前から申し上げている点でありますけれども、ここの議論は、要するに訴訟の土俵に上がれるか、上がれないかという議論でありまして、なぜ上がれるか、上がれないかというところで、これほど曖昧な基準と、それから上がれないというふうな判決が、なぜこれだけ多いのかというのが、これは普通の社会通念から見て、あるいは国民感情から見ておかしいと思うのが当然だろうと思うのです。訴訟の土俵に上がってから勝ち負けが決まるわけであって、上がったけれども負けるというケースは当然あるわけで、全部当然勝てるケースという意味で言っているわけではないわけですから、とりあえず上げて、そこで判断させるのが本当ではないかというふうに思うケースばかりなのです。だから、私はこれを全部原告適格を認めるべきだと思うのです。
なぜそういうことに躊躇しなければいけないのかということなのです。つまり、行政の違法があるというふうに、国民がわざわざ費用と時間を使って裁判所に申出をしている、これは濫訴の議論もありますけれども、非常に真面目に裁判を起こしているケースが通常でありますから、そういったケースについて、せっかく違法な行政だと言ってきているにもかかわらず、それを判断しないで門前払いをすると、結果的にはどうなるかというと、違法な行政がそのまま残ってしまうことになる。だからそういった結果は、今後は残さないように、我々の検討会で十分考えていくべきではないかというふうに思うのです。
12番の判例で、23ページですけれども、この判例は、結局、原告適格はないという判断だったので却下しています。しかしながら、下から11行目ぐらいから書いてありますが「審理は既に本案の判断をするに熟しているのであるから、単に右訴訟における原告適格を否定して訴え却下の訴訟判決をするのではなく、本案につき請求棄却の判決をするのが、訴訟の実際にかなうゆえんである」と、こういう言い方をしているのです。
つまり、この判決によると、これは原告適格はないというケースなのだけれども、それを審理する中で、本案に適するところまで審理が進むのだと、したがってこれは却下ではなくて棄却した方が訴訟の実際にかなうゆえんだと言っているわけです。
だから、こういう考え方からしますと、土俵に上げてやるというのは、原告の国民の側からの利益だけではなくて、被告とされている行政側についても、ある意味では利益の面があるわけです。つまり門前払いにされるよりは適法か違法かをきちんと判決してもらいたいというのは、これは何も原告側だけの要求ではないと思うのです。それを表しているのがこの12番の判例だと思うのです。
ですから、そういう意味において原告適格というのは、要するにかなり広く認めて、要は土俵の上で勝負してもらうということを考えるべきだと思いますので申し上げました。
【小早川委員】たくさん挙がっている中で、今、水野委員は全部認めろとおっしゃいましたが、私は全部は認める必要はないだろうと思いますので、まず、認めなくていいと思うのを挙げます。
まず、1番でして、これは質屋営業法の保護範囲に入っていない。競業者のための法律ではないものですから、こういうものがもしなかったとすれば自由競争にさらされるのが当然なので、これは認める必要はないと思います。
それから、せっかく認めたのですけれども、19番。日照阻害というんですけれども、これはどうも事実関係を見ると、1日のうちに何分か影が通り過ぎるだけではないか。これもどうかなと思っていますが、しかしこれは最近の最高裁がせっかく勢いづいて認めているわけで、ここまで認めたねという感覚です。
あとは、7番の里道の廃止、これは著しい支障があれば認めるといっていて、この事案ではどうも著しい支障はないといっている。そこは事実認定の問題で、それならそれでいいかなという感じです。その代わり支障があれば必ず認めてほしいということです。
新潟空港の場合も、これは確かに水野委員がおっしゃったようなふうに私も何となく感じております。最高裁としては頑張ったなというところで、これは結論としてはいいのですが、そこはやはり程度の問題です。著しい騒音については認めていいけれども、著しくなければ認める必要はないのではないか。認めないでいいケースというのはあるだろう。
もう一つは、この間に申しましたことの繰り返しですが、ジュースの場合には、一般消費者に認めていたらきりがない。一般消費者には認めるべきではなかろうと思いますが、それに代えて適切な団体には認めるべきではないかと思っています。
それで、何か基準があるかということになりますが、基準を書くのは大変難しい。私としては、英語で言えば、クオリファイド・インタレスト。単にインタレストがあるというだけではなくて。日本語で言うと特別な利益ということになってしまって、ちょっと固いかもしれませんが、今、言いましたような何らかの意味で、この人は一般とは違うねというところが言えれば、それでいいんではないか。
「2 不利益を受けるおそれ」のところは、先ほどもどなたかおっしゃいましたように、最初の御説明にありましたように、現実の不利益ではなくて単なるリスクなんですが、しかし、結果は生命・健康に関わる、重大なリスクということで、これも結果の重大さに着目すれば、クオリファイドなインタレストと言っていいかと思うんです。
そんなようなことを今日のリストを見て感じた次第であります。文化財の場合も、真面目で実績のある研究者であればクオリファイドかな。
【塩野座長】どうもありがとうございました。主婦連は既にクオリファイドだというふうに主張してきたことになりますか。真面目な研究者と同じように、私どもは真面目に消費者のためにやっているということだと団体訴訟ではなくて認める。今のお話は、団体訴訟として処理しろと、そういうお話なのですか。
【小早川委員】いや、そうではありません。そこまで全部引っくるめて、1つの条文で団体まで認めていただければ、それはそれでいいと思います。主婦連はジュースを飲まないじゃないのという屁理屈を言われるのであれば、もう一つ条文が要るかなということです。
【福井(秀)委員】今日の資料3−1で整理していただいたような問題意識は大変よく分かりますし、また立法論を考える上で大変参考になると思います。この整理でも、あるいは資料3−2も含めて概観してかなり明らかになったことがあると思うのですが、最高裁は、やはり基本的には常識的な判断で、これはかわいそうだというものはできるだけ救おうとしているのは明らかだと思うのです。ただ、もともと「法律上保護された利益」説という特異な考え方を一旦採用してしまったために、それを無理やり当てはめようとして、かなりアクロバティックなことをやっている、アクロバティックな範囲でも何とか読めるものは認めているけれども、少し法(のり)を超えたものは実質的に救った方がいいかもしれないというものも含めて外れざるを得なくなっているのではないか、というのが概括的な印象です。
私も個別にもう一度印を付けてみたのですが、少しコメントを申し上げますと、この質屋の1番の判決は、これはこんなものだと思うのです。
2番の公衆浴場も、これは結局立法の趣旨に照らすということですから、その立法の趣旨自体が自由競争を奨励するものなのか、あるいは多少業界エゴも含めて、そういう利益も同業者の利益も守るのだとするか。これは立法政策の問題で、その当否はありますけれども、公衆浴場法というのが同業者の利益を保護しているのだとすれば、これはこれでやむを得ないということはあると思います。
3番の競願もこれでいいという気がします。
主婦連ジュース訴訟は、これは確かに主婦連に認めたり、あるいはジュースを飲む人だれにでも認めたら客観訴訟と変わらなくなるじゃないかという気はするのですが、元々景表法のような法律の趣旨というのは、そのジュースを飲む人の健康を守っていると考えれば、これは団体と言わなくても個人に認めてもよかったのではないかという印象です。
【芝池委員】済みません、一つひとつコメントをされるのは、時間の都合もありますので、控えていただきたいのですが。
【塩野座長】今日は、まだ多少時間がありますので。
【福井(秀)委員】個別にやらないと議論が整理できませんから、今日の資料はそういう趣旨だと私は理解しています。
【塩野座長】ちょっとスピードを早めてやっていただけますか。
【福井(秀)委員】そのようにやっているつもりです。
5番の長沼ナイキは、これはこれでいい。
6番の伊達火力も、これも結論はこれでいいと思うのですけれども、明文の利益ということを個別に斟酌し過ぎているという意味で、理由に無理がある。
7番も同様の印象です。「著しい支障」というのは、小早川先生から著しいかどうかというのは一つの判断としてありうる、という御発言がありましたが、この「著しい」というのは、全体を通じて多用される概念、最高裁の判決で多用される概念です。「著しい」ということを余り言い過ぎると、法的評価で非常にハードルを高くするという傾向が出てきてしまうわけで、最高裁の判決全般に、原告適格に関しては、「著しい」というハードルが少し重目ではないかという印象を持っております。
8番もそういう意味では、条文解釈を引っくり返し過ぎているという点で、結論は別に結構なんですけれども、ここまで全体の法体系を見ないと判断できないというのでは、これでわかる人は、なかなか普通弁護士でも法学者でもいないのではないかという印象です。
9番は、結論は反対なんですけれども、保護された利益説であったとしても、これが定期券を購入して居住している人についても読めないというのは、ここはやはり少し厳し過ぎるという印象です。
遺跡訴訟は、解釈論としてはこんなものだと思います。立法論としては私はあった方がいいと思いますが、ちょっと飛ばします。
もんじゅ訴訟についても、これも先ほどの新潟と同じで理由についてここまで条文をあれこれ引っくり返さないと、直接かつ重大な被害を受ける場合の人に原告適格を認めるという結論を出せないのだろうか。そうではなくて、立法の趣旨自体で、もう少し端的に判断するやり方があるのではないか。個別に条文を引っくり返し過ぎるという1つの標本のように思います。
風俗営業も12番と、もう一つの14番との対比で言うと、これも非常に細部の条文解釈にこだわり過ぎているという気がするわけでして、条例は医院を保護しているけれども、政令の方では一般居住者を保護していない。ここもそういうふうに意味を持たせて読むべきものかどうかという点では、かなりバランスが悪い。両方とも原告適格ありで全く問題がない事例だと思います。
更に、先ほど水野先生からも指摘がありましたけれども、請求棄却の30メートルには収まっていないけれども、請求棄却でいいという判断をしていますが、そうであれば似たような話の永田町小学校も同じでありまして、800 メートル遠くなって、社会生活上通学できるかどうかということは、非常に微妙な判断ですから、条例自体は本案に載せておいて、むしろ本案の違法かどうかのところでそこを判断した方が永田町についてもよかったのではないかという印象です。
都市計画法の開発許可はやむを得ないという印象です。
風俗営業については、先ほど申し上げたとおりで、環状6号についても、これについては、なしとやっているんですけれども、これは都市計画ですから、ありでよかった案件だと思います。ただし、似ているけれども、ちょっと違うというのであえて問題提起しますと、土地収用の事業認定の場合には、起業地になるのは、これは専ら用地取得のためだけの手続でありまして、都市計画のように、環境も配慮して事業全体の公益性を判断するという法手続とは違いますから、これは個別の条文を引っくり返してということではなくて、立法の意図自体が違うと考えて、事業認定などで起業地以外には原告適格は一切不要であり、都市計画の場合は全く事情が違う。
墓地経営も、これもおかしい。300 メートルに満たないところであってもダメだというのは、これも結論としては全くおかしい。認めてもいい案件だったと思います。
17番については、34ページに2種類書いてあるのですけれども、前半の方の水害等の災害で直接被害を受けることが予想されるという、こっちはいいのですけれども、後ろの方の財産権を持っているだけだとダメだという、この線引きは私にはよく理解できません。後ろの方も、財産権だって、土砂の流出がないことで守られている利益だという点では全く連続線上の議論ではないかと思います。
18番の総合設計についても結論はいいのですけれども、これもここまで条文を引っくり返さなくても同じ結論はもっとストレートに出していい。
19番については、これはこんなものであろう。
永田町小学校は、先ほど申し上げたとおりでございます。
産廃の21番の最後の判決なんですけれども、これもさっき申し上げたように、直接的かつ重大な被害という、ここまで限定してでないと原告適格を認めないというのは、やはりもう少し緩めないとまずい。全体的にはそういう印象です。
【塩野座長】どうもありがとうございました。そこで、ついでにというか、お伺いしたいんですけれども、今、そういうふうな印象を持っていたとすると、これを変えるのには、条文を改正しないといけないという御判断ですか、それともここまでやれるんだから、今のままだってできると、どちらでしょうか。
【福井(秀)委員】私は、最高裁は非常に努力されていて、常識的な線を目指しているという意味では、今の判例は、現行の一種の解釈で確定した理論の下ではよくやっていると思いますが、やはり限界がある。条文としては、私は、主な検討事項の中で言うと、24ページのA案に近いのですが、現実の利益としてここで想定しているのは、法的な因果関係のある現実の利益なり、あるいは侵害されるおそれだと理解しており、そういう前提で立法論的に解決した方がよいと思います。
【塩野座長】御意見として承っております。
【芝池委員】山本先生にちょっとお聞きしたいのですけれども、私の持っております印象では、民事訴訟の場合、原告適格のレベルではほとんど問題になることはないのではないかと思っています。当事者適格を広く認めて、あと訴えの利益のところで操作をしておられるのではないかという印象を持っているんですけれども、その点はいかがでしょうか。
【山本教授】訴訟類型によって、それぞれ理解が違うのではないかと思うんですが、給付訴訟については、原則として請求権の構成を民事訴訟は取っておりますので、どういう人の利益が保護されるかというのは本案の問題で基本的に解決される。ただ、第三者の利益に基づいて訴えを提起するという訴訟担当、債権者代位とか、そのようなものについては一定の当事者適格の問題が生じる場合があり得るということだろうと思います。
それから確認訴訟につきましては、これは現在の流れは、基本的には確認の利益にすべて一元化される、まさに今、芝池先生がおっしゃったような、訴えの利益に一元化されていって、結局その当事者について本案判決をすることが紛争の解決に適切かどうかということで、当事者と訴訟物を含めて、一体として相関的に判断されるという構造になってきていると思いますので、当事者適格それ自体が独立に問題になるということはほとんどないということだろうと思います。
形成訴訟については、これも先ほど触れましたけれども、基本的には当事者適格というのは、まさに形成訴訟を書いている根拠条文の中で書かれていることが原則であるということで、民訴で問題になる場合には、多くの場合ほとんど、例えば株主総会決議取消訴訟で原告適格を持っている株主とか、それほど解釈論を必要とするような場面というのは余りないということです。
総合的に見れば、先生がおっしゃるように、民訴では問題となり得る場合はそれほどない。先ほど私の紹介したような議論の対立というのは、基本的には説明原理、そして若干議論のあり得る給付訴訟における訴訟担当等についての解釈論に関して、そういう議論がなされている、そういうようなことでございます。
【芝池委員】そうしますと、そういう民事訴訟法の立場から御覧になって、行政訴訟で原告適格が非常に大きな問題になっているという状況はどういうふうに評価されることになるのでしょうか。
【山本教授】非常に難しいところだと思いますが、行政実体法において、先ほど来のお話で請求権という構成が取られていないということで、基本的には形成訴訟としてなされていて、ただ形成訴訟で定めている原告、まさに行政事件訴訟法9条の条文の解釈が非常に難しい、そして恐らくここに挙げられているいずれの案をとっても解釈の問題は非常に難しいものが残らざるを得ないということで、そういう意味で、先ほど民訴でされている、民訴ではかなり抽象的な、ある種の説明原理としての位置づけしかないような議論ですけれども、むしろ例えば行政訴訟のようなところの1つの判断の基準として、こういうような考え方というのが御参考になるのかなということで紹介をさせていただいたということです。
【水野委員】今の点では、形成訴訟については、原告適格について規定がしてあるという御趣旨ですか。
【山本教授】多くの場合がそうだと思います。
【水野委員】だから、例えば株主総会決議取消の訴えは、これは株主ですね、しかし無効確認訴訟は、一応確認訴訟ですね。
【山本教授】株主総会無効確認訴訟は、講学上は形成訴訟と理解されているようにも思いますが。
【水野委員】いや、それは少数説ですね、そういう説もありますけれども、それは少数説で、確認訴訟だということだと思うのです。
だから、そうなると取消訴訟の場合には、株主以外の者が原告になって、決議取消訴訟を起こした場合には却下になって、確認訴訟だったら棄却になるということになりますか。
【山本教授】株主総会決議無効確認訴訟が確認訴訟だとした場合に、先ほどお話したように、基本的にはその当事者をも含めて、どういう人が当事者になっているかということも含めて、その確認判決をすることが紛争解決に資するかどうかという確認の利益の問題として、一元的に理解していくというのが最近の多くの人の考え方だと思いますので、やはりその人に確認判決を与えることが紛争解決にとって必ずしも適切なものではないというような、もしそういうことであれば、それは確認の利益がないという判断で訴えは却下されるということになろうかと思います。
【水野委員】株主でない者が起こした場合は、確認の利益の点ではねられるということですか。
【山本教授】例えば、私が全く関係のない会社の総会決議の無効確認を起こした場合に、私に対してそういう判決を与えても意味がない、そういうことです。
【塩野座長】大分時間が経ちましたので、原告適格の点について、なお何か御質問、あるいは御意見があれば今いただきたいと思います。
【福井(秀)委員】山本先生に御質問なんですが、民事訴訟法上の重要な利益説と言うのでしょうか、訴訟の結果に係る重要な利益説の、重要という文言と、今、御紹介のあった最高裁判決の原告適格でよく使われる重大とか著しいという概念とはどの程度重なり合う概念として理解されたかについて教えていただきたいのです。
【山本教授】最高裁の判例を十分に理解していないので、非常に難しいところなのですが、福永先生などが書かれているものによれば、重要な、という文言が入っているのは、民事訴訟の、先ほどの一番最後の21の判決との関係で、民事訴訟法42条の補助参加の要件として、訴訟の結果について利害関係を有する第三者という文言があったかと思うんですが、これは単なる利害関係とだけ書いているわけですが、やはり補助参加ができる資格よりはより重要な利益、それにとどまらない利益がやはり原告になるため、当事者になるためには必要だということで、こういう重要な利益という言葉を使っているのだろうと思います。
ですから、それは補助参加の利益、それから民事訴訟においては補助参加できる利益というのは、最近の判例、学説ではかなり緩やかに理解されている、そういう意味では、先ほどどなたかおっしゃった21というのは、これでは当然補助参加の利益があるだろうなというもののような感じがするんですが、緩やかに解されていて、それより重要だということですが、そんなに強いものを求めているわけでは多分ないのではないかという、その程度のことです。
【塩野座長】どうもありがとうございました。水野委員のように、これを全部原告適格を認めるべきだという御意見もございましたが、他方、それぞれ若干の星取り表的な御発言もありまして、そこの中にはかなり共通する点もあるかと思いました。
今日の御意見を参考にしながら、もう一つの問題は、先ほど私、福井委員にも御質問申し上げましたように、そういった問題があることを前提とした上で、それでは条文の改正ということになるのか、あるいは改正に踏み切ったとしても先ほど成川委員から注文がありましたように、きちんとした基準が書けるのか。例えば、先ほど福井委員からの御提案のように、現実の利益を侵害され云々というのが、成川委員が御希望のような基準であるのかどうかという点についても、これから議論していかなければいけないことだと思います。また、外国でも何度も申し上げて恐縮ですけれども、ドイツでは権利を侵害という、それ一本であれだけのことをやっている、フランスは何もないということで、外国の裁判所がいかに頑張っているかという点にも注意しなければいけないと思いますし、また最高裁も頑張っていると見る人と、頑張っていないという見る人と両方あるのですけれども、時系列的に見ると、先ほど小早川委員は、無理して頑張っているとおっしゃったところもありますけれども、論理的には無理しているということですけれども、結論的には支持をしておられるところだろうというふうに思いますが、そういったいろんな角度からの問題がございますので、事務局なりに整理して、また議論を深めてまいりたいと思います。原告適格は、以上のことでよろしゅうございますでしょうか。
それでは、時間も迫ってまいっておりますので、山本さんどうもありがとうございました。
それでは、裁量の審査についての検討をお願いいたします。事務局から資料の説明をお願いいたします。
【村田企画官】お手元の資料の4をごらんください。ただいま原告適格について具体的な事例を踏まえて御検討いただきましたが、裁量の審査につきましては、これまで余り具体的な事例の御紹介をしていなかったのではないかと思いまして、資料として補充させていただきました。幾つか裁量の審査に関係すると思われる最高裁の判決を挙げております。その位置づけや理解の仕方は、いろいろな考え方があり得ると思いますので、その点も御意見をお述べいただければ幸いと存じます。
まず、1でございますけれども、広汎な裁量が認められた1つの例として、いわゆるマクリーン事件と言われている事件を挙げております。これは、外国人の在留期間更新不許可処分の関係でございまして、判決の理由の方は別紙としてお付けしてございます。この事件ですと5ページからが理由になっております。これは、外国人が在留期間の更新を申請しましたところ、更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとは言えないとして更新を許可しない処分がされました。それは、在留期間中の無届転職と政治活動というようなことが理由になっていたようです。
出入国管理令のこの処分の裁量について、どのようなことが言われているかと言いますと、6ページの下のところからその解釈を展開しております。6ページの一番最後の行から見ますと「出入国管理令が原則として一定の期間を限つて外国人のわが国への上陸及び在留を許しその期間の更新は法務大臣がこれを適当と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしているのは、法務大臣に一定の期間ごとに当該外国人の在留中の状況、在留の必要性・相当性等を審査して在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、そして、在留期間の更新事由が概括的に規定されその判断基準が特に定められていないのは、更新事由の有無の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広汎なものとする趣旨からであると解される。すなわち、法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立つて、申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情をしんしやくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる」。こういうような性質の裁量を持った処分だというふうに展開しております。併せて、この判決は、裁量について若干一般的な議論も述べております。その下の(二)のところでございますが、読み上げますと、「ところで、行政庁がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則を定めることがあつても、このような準則は、本来、行政庁の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから、処分が右準則に違背して行われたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があった場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取り消すことができるものであつて、行政事件訴訟法三〇条の規定はこの理を明らかにしたものにほかならない。もつとも、法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は各種の処分によつて一様ではなく、これに応じて裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法とされる場合もそれぞれ異なるものであり、各種の処分ごとにこれを検討しなければならない」というふうに述べております。その後本件の処分についてどうかという判断をしております。
続きまして、2の事例でございますが、これは一応合理性の基準に関係するものということで挙げております。原子炉の設置許可関係の処分で、伊方原発事件と言われている事件です。
判決の理由で申しますと、10ページから別紙2としてそれを挙げておりますけれども、11ページの上から2段落目をごらんください。「右の原子炉施設の安全性に関する判断の適否が争われる原子炉設置許可処分の取消訴訟における裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤欠落があり被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく原子炉設置許可処分は違法と解すべきである」と述べております。
その下に、裁量そのものの問題ではございませんけれども、主張、立証責任についても若干触れておりますので、参考までに御紹介いたしますと「原子炉設置許可処分についての右取消訴訟においては、右処分が前記のような性質を有することにかんがみると、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである」と、このように述べております。
結論としては、事実関係の下においては、11ページの一番下のところでございますけれども「原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会が本件原子炉施設の安全性について行った調査審議及び判断に不合理な点があるとはいえず」ということで、適法ということにしております。
今、読みましたとおり、この判決の理由中には、行政事件訴訟法30条も、それから裁量の逸脱あるいは濫用といった言葉も出てきておりません。
次に3でございますけれども、平等原則に関するものというふうに言うことができるかと思いまして、若干古いのですけれども、昭和30年の判決を挙げております。判決の理由の方で言いますと、13ページに記載してございます。これについては、真ん中辺ですが「しかし」というところの後からかぎ括弧をして記載しておりますけれども「「市町村長が、知事の指示に従い、食糧調整委員会の議決を経て、供出割当数量を定め、遅滞なくこれを生産者に通知する」との趣旨の定めがあるにとどまり、その方法として、いわゆる事前割当の方法(生産開始前に予め部落内の生産者相互の協議を経て割当額を決定通知する方法)によるべきかどうか、また割当通知の時期を何時とすべきか等については、何等具体的な定めがなかつたことは明らかである。従つて、これらの点についてどのような措置をとるかは、一応、行政庁の裁量に任されていたものと解さざるを得ない。もつとも、かような場合においても、行政庁は、何等いわれがなく特定の個人を差別的に取り扱いこれに不利益を及ぼす自由を有するものではなく、この意味においては、行政庁の裁量権には一定の限界があるものと解すべきである」と、このように述べておりまして、具体的な事情を認定した上で、下の方に行きますと「事情を綜合して考えれば、被上告人が供出割当について上告人を前記の程度において区別して取り扱つたとしても、これをもつていわれのない差別取扱による違法処分というには当らず、また右措置が上告人に対する人格蔑視に基く違法処分であるということもできないものといわねばならない」、このような結論になっております。
4として2つ挙げておりますが、比例原則に関係するのではないかというものを挙げておりまして、1つ目は運転免許の取消しの処分の関係でございます。最高裁の昭和39年の判決でございますけれども、理由の方でいきますと、14ページからでございます。
これは、14ページの上の方でございますけれども、「自動車運転手の交通取締法規違反の行為が、道路交通取締法九条五項、同法施行令五九条、昭和二八年総理府令七五号八条一項所定の運転免許取消事由に該当するかどうかの判断は、公安委員会の純然たる自由裁量に委かされたものではなく、右規定の趣旨にそう一定の客観的標準に照らして決せらるべきいわゆる法規裁量に属するものというべきであるが、元来運転免許取消等の処分は道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とする行政行為であるから、これを行うについては、公安委員会は何が右規定の趣旨とするところに適合するかを各事案ごとにその具体的事実関係に照らして判断することを要し、この限度において公安委員会には裁量権が認められているものと解するのが相当である」ということで、原判決の確定した事実関係に基づいて判断をしたわけですけれども、結論としては、第一審、二審の判断は、免許を取り消すまではいかない、免許停止処分でいいのではないかという判断だったんですが、最高裁では結論が変わっておりまして、最高裁の判決は、14ページの下の方でございますけれども「されば、本件運転免許取消処分を「比例原則」に違反し、著しく公正を欠く裁量を行つた瑕疵ある行政処分として取り消した第一審判決および同判決を正当として是認した原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背あるものというべく」ということで、結論を変えております。比例原則という言葉が明示されている数少ない判決かと思います。内容的には、Uターン禁止の場所でUターンをしてしまったのですけれども、それだけでは運転免許の停止事由なんですが、それ以外の情状、過去にも大分違反をしているということを考え併せると取消しでもよかったのではないかという判断がされたというものでございます。その後に、一審、二審の判断を記載しておりますので、それとの対比も御覧いただけるかと思います。
4−2として挙げました判決は、これは公務員の懲戒免職処分の関係でございまして、最高裁の昭和52年の判決でございます。
判決理由が、これが大分長くなっておりまして恐縮でございますけれども、まさに具体的な事実関係に基づかないとなかなか判断がしずらいということもありまして記載をしております。
比較的一般的な部分としましては、22ページをごらんください。22ページの真ん中辺から下の方でございますけれども「裁量権の範囲の逸脱について」ということで判断がされております。「公務員に対する懲戒処分は、当該公務員に職務上の義務違反、その他、単なる労使関係の見地においてではなく、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地において、公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するため、科される制裁である。ところで、国公法は、同法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒権者が、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる処分を選択するべきかを決するについては、公正であるべきこと(七四条一項)を定め、平等取扱いの原則(二七条)及び不利益取扱いの禁止(九八条三項)に違反してはならないことを定めていること以外に、具体的な基準を設けていない。したがつて、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合に、いかなる処分を選択すべきかを決定することができるものと考えられるのであるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してされるものである以上、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝にあたる者の裁量に任せるのでなければ、とうてい適切な結果を期待することができないものといわなければならない。それ故、公務員につき、国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてして懲戒処分は、それが社会通念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがつて、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである」ということになっております。比例原則は、必要性を超えた過剰な規制処分をしてはならないという原則だと思いますけれども、その判断を裁判所がするに当たっては、この公務員の懲戒処分については、こういう判断の手法をすべきだというふうに示した事例ということでございます。
5番目に挙げておりますのは、「他事考慮」、考慮すべきこと、すべきではないことに関するものとして、平成8年の最高裁の判決を挙げております。学校の退学等の処分に関するものでございます。判決の理由の方で申しますと、28ページから記載をしております。高等専門学校の生徒が、エホバの証人ということで信仰を持ちまして、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加すことは自己の宗教的信条とは根本的に相入れないという信念の下で、剣道の実技に参加することができないというふうに言いまして、レポート提出などの代替措置を認めてほしいと申し入れたんですけれども、教員がこれを拒否しまして、結果的には進級させないという原級留置処分をして、更には退学処分ということになってしまったという事件でございます。その裁量の性質及び判断につきましては、29ページ一番下の段落に記載してございます。「高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである」ということで、先例などを引いております。しかしながら、処分の重要性にかんがみて一定の配慮をすべきだということもその後に記載がされております。
結論としては、この事件は、31ページのところに4として結論の部分がございますけれども、下の4行ぐらいで「退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない」と、こういう判断になっております。 6番目については、手続の審査、手続違反に関するものとして、個人タクシー事件と言われている事件を挙げております。最高裁の昭和46年の事件でございます。この点については、多少一般的な判示としてはどのようなことがあるかと申しますと、33ページの上の方にございます。「おもうに」として記載しておりますけれども「道路運送法においては、個人タクシー事業の免許申請の許否を決する手続について、同法一二二条の二の聴聞の規定のほか、とくに、審査、判定の手続、方法等に関する明文規定は存しない。しかし、同法による個人タクシー事業の免許の許否は個人の職業選択の事由にかかわりを有するものであり、このことと同法六条および前記一二二条の二の規定等とを併せ考えれば、本件におけるように、多数の者のうちから少数特定の者を、具体的個別的事実関係に基づき選択して免許の許否を決しようとする行政庁としては、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともと認められるような不公正な手続をとつてはならないものと解せられる。すなわち、右六条は抽象的な免許基準を定めているにすぎないのであるから、内部的にせよ、さらに、その趣旨を具体化した審査基準を設定し、これを公正かつ合理的に適用すべく、とくに、右基準の内容が微妙、高度の認定を要するようなものである等の場合には、右基準を適用するうえで必要とされる事項について、申請人に対し、その主張と証拠の提出の機会を与えなければならないというべきである。免許の申請人はこのような公正な手続によつて免許の許否につき判定を受くべき法的利益を有するものと解すべく、これに反する審査手続によつて免許の申請の却下処分がされたときは、右利益を侵害するものとして、右処分の違法事由となるものというべきである」というふうに述べております。内部的な基準の意味合いについては、マクリーン事件の判示しているところと比べて違いがあるようにも思われます。
最後に7番目には、目的違反に関するものとして挙げておりますが、これは行政事件ではないものを参考として2つ挙げております。同一の紛争に関するものですけれども、刑事事件として行政権の濫用というような形で問題になった事件。それから、同じものが国家賠償請求事件の中で、行政権の著しい濫用というようなことが認められた事例として紹介をしております。その要旨としては、4ページのところに記載しておりますけれども、「個室付浴場業の規制を主たる動機、目的とする知事の本件児童遊園設置認可処分は、行政権の濫用に相当する違法性があり、個室付浴場業を規制しうる効力を有しない」というふうに刑事事件の中で判断されておりますし、国家賠償請求事件の方でも同じ紛争ですので、「個室付浴場業の開業を阻止することを主たる目的として原判示の事実関係のもとにおいてされた知事の児童遊園設置認可処分は、たとえ児童遊園がその設置基準に適合しているものであるとしても、行政権の著しい濫用によるものとして、国家賠償法一条一項にいう公権力の違法な行使にあたる」というようにされております。児童遊園の設置基準自体には合致していたのですけれども、その目的が専ら近くに個室付浴場業の営業が許可されることを阻止しようという目的で、児童遊園の設置を認めたものであったことが違法だというふうにされた事案でありまして、国家賠償請求事件の方につきましては、その具体的事実関係がどうだったかということについて、第二審の判決の方も、一番最後に挙げておりますので、御参照いただければと思います。
以上でございまして、このような具体的な事例も念頭にいただいた上で、主な検討事項の方で幾つか挙げられておりますような見直しの考え方、あるいはそれに対する御指摘について、それぞれ更にまた議論を深めていただければと、そういう趣旨でございます。以上です。
【塩野座長】どうもありがとうございました。今、事務局からも御説明ありましたように、余り具体的な事案をお目にかけて議論していただいたというわけでもございませんので、多少抽象的な議論に終わっているところもあろうかと思います。そこで、具体的な事案で御説明をしていただいたところでございます。主な検討事項では31ページ以下のところに今までの御議論をまとめてあるということでございます。これを取り上げて検討していただくやり方はいろいろあろうかと思いますけれども、先ほどの原告適格の御議論との関係から申しますと、やはりこの最高裁の判例の流れ、あるいはそれぞれの個別の判断についての御印象をお伺いするということも1つのポイントかとも思いますので、そういった前提に立って果たして今度はここで検討事項として挙げられておりますように、30条の規定自体を見直す必要があるのかどうか、そういったところにまで及んでいただければと思います。
私から聞くのもあれですけれども、市村委員、いつかお伺いしたことかもしれませんけれども、裁判をしておられて30条は気になるのかならないのかという、その辺はいかがですか。
【市村委員】気になるかどうかあれですが、どちらかというこの裁量判断について、今もいろいろ御紹介いただきましたが、かなり類型化してパターン化してきているんです。例えば、在留期間の更新とか、あるいは資格の変更とか、こうしたものが争いになるときは、やはりこのマクリーンの判決の手法というのは非常に重要なものとしてあります。
そういう中で、更にどうやって緻密化させていくかという作業を続けてきております。ですから、いきなり例えば30条との比較でいったら、判断本当にできるのかという御批判も受けるかもしれませんが、現実に、例えば更新不許可でも資格変更不許可でも、違法だという判決は幾つも出て、固まっていっています。違法か適法かの基準というのは、やはりもっと実際に具体的なファクターに落としていかないと、なかなか論じようがない。だから、何かを規制してしまうというふうな意味で30条が働いているなら変えた方がいいという御意見ももっともかなと思いますが、余りそれに引っかかっているような気は自分たちではしておりません。ただ、言葉の点で先日御指摘になられたように、確かに現代的な理解から言うと、言葉がぴたっと合ってないのかなというところはあるかと思います。以上でございます。
【小早川委員】言葉がぴたっと合ってないんだということを、前から申し上げています。今日の例の中で言えば、52年の神戸税関事件、これなんかは、余り立ちいってはだめだよということを正面から強調する判決だったわけで、それが今の規定の文言にも割合合っている適用例なのですが、しかし実務はそんなところにとどまってないというのは、今、市村委員がおっしゃったとおりです。今日の例で言えばやはり5番辺り、こういったものは、学生・生徒に対する扱いというのは広い裁量が認められるという1つの常識がありながら、しかしそれに全くとらわれずに、ではその裁量において何を考慮するべきなのかということをきちんとフォローしていけば、こういう判断の過程で、いかにもおかしなところが、抜けているところが、偏っているところがあるねということになるわけです。こういった種類の判断手法を、たとえば東京地裁だけではなく全国の地裁できちんとやっていただけばいいのですが、今の条文からしてこういうことに思い至らないような裁判官がもしおられるとすると、やはりまずいのではないかという気がいたします。
【福井(秀)委員】この判例も大変参考になりまして、全体を概観すると、おおむね常識的にそうおかしくはないと思うのですが、やはり理論の立て方が非常に極端ではないかと思います。というのは、例えば7ページのマクリーン事件の一般則なのですけれども、「全く事実の基礎を欠き、または社会通念上著しく妥当性を欠く」というようなことが、本当にこの言葉だけ考えれば、こんなことがあり得るのだろうか、行政庁がこんな処分をすることって一体あるのだろうかと思うわけです。
同じことは、22ページの、これは神戸税関事件ですけれども、これも下から3行目を見ると「社会観念上著しく妥当性を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用した」。この著しく妥当性を欠くとか、全く事実の基礎の欠くというようなことを必ず枕言葉に最高裁はするのですけれども、ただ、塩野先生おっしゃったように、実際の判断はもうちょっと柔軟にやっているわけですね。しかし、こういう一般則を提示して下級審にこれが広まったときに、やはり裁判官としては、一般則に合うかどうかということを考えると、非常に微妙な判断まで含めて、最高裁のこういう苦労をうまく取り入れられるかどうかというと、かなり疑問があるという気がいたします
そういう意味で、やはり裁量については立法的にもう少し柔軟な判断をより容易に可能にするように立法で解決した方がいいという判断です。社会通念上著しく不合理とか、全く事実の基礎を欠くというのは、非常に過酷な立証責任を原告に、一般的な文言からすれば課すと思うのです。行政の治外法権ということを促すことにもつながりかねないので、こういう理論があるとすれば、それを具体的に変えるような立法的対応が要るし、30条の逸脱、濫用も、やはりない方が無難だと思います。
【芝池委員】今、福井委員がおっしゃった社会通念に照らし著しく不合理云々という文言ですが、これは従来は裁量権の行使が違法でないということを言うときに使われていたのです。裁量権の行使が違法であるという場合には、この文言は使わないというのが従来の最高裁判所の判決であったわけですが、今日の資料で1つ例外がございまして、それはエホバの証人の事件、神戸高専の事件です。5番の事件でありますが、ここでは結論的には裁量権の行使が違法とされているのですが、社会通念上著しく妥当性を欠くという形式が使われておりまして、私は面白いかなと思って読んでおりました。
【水野委員】この個々のケースについて、一々論評するのが適切ではないと思いますので言いませんが、1つ判例の中で参考になるのは、2番目の判例なんです。これは11ページのところで、先ほど御紹介があったところですけれども、いわゆる主張、立証責任について触れているわけです。この判決は、要するに被告行政庁がした判断に不合理な点があることの主張、立証責任は、本来原告が負うべきものであるという点は、動かしていないのです。しかしながら、当該原子炉施設の安全審査に関する資料を、すべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側においてまずその依拠した具体的審査基準等、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があると言っているのです。一種、立証責任の転換を事実上図っているわけです。しかし、主張、立証責任が原告にあるという点は崩してないわけでありまして、したがって被告行政庁がした判断に不合理な点があることが事実上推認されるというレベルにとどまっているわけです。この被告行政庁にすべての資料があるといったふうな事情、つまり証拠の偏在ということが、主張、立証責任の転換の1つの要素だというふうに言われていると思いますが、そういった証拠の偏在というのは原子炉の事件に限らず、すべての行政事件について共通するものです。例えば、さっきの学校の事件でも、学校はすべての資料を握っているわけでありまして、そのすべての資料が被告行政庁にあるという、ここのところは行政事件に特有のことだと思います。したがいまして、我々はこの際いわゆる裁量処分については、被告行政庁がまずどういった基準に基づいて、どういった裁量権を行使したのかということについての主張、立証責任は、被告にあるのだということを明文できちっと書くべきではないかというふうに思っているわけです。
【塩野座長】分かりました。これは既に御発言のあるのを、いよいよ意を強くしたという趣旨の御発言ということで受け止めてよろしいですね。どうもありがとうございました。
他に何かございましょうか。これも一般的な感触でよろしゅうございますけれども、芝原委員、御感触がありましたらおっしゃっていただきたいと思います。
【芝原委員】今の同じ事案の、2番目の、いわゆる合理性の基準のところで、こういう極めて専門性が高いものに対する司法裁量というか、行政裁量を踏まえての司法裁量をどうするかというのは非常に気になるところでして、例えばこの原子力について言えば、非常にクローズした専門家集団の中で、推進側とプロテクト側と、同じ専門家集団の中に異なる2つの委員会があり、議論してつくったいろんなものを、どうやってここでいう推認するのかというのは、非常に難しいところです。別にこれだけではなくて、先ほどちょっと言われましたけれども、こういう非常に高度なプロ的な専門性を要する行政の判断を、いかにして司法が判断し得るのか、これは非常に難しい。専門性が高いほど、逆に言えば恣意性をもってその行政が行っている可能性が非常に高いわけです。ある意味においては、だれも見えませんから、チェックできない。だから、この判断基準は、そこのところは問わずに手続論的なところだけ見て判断しましょうということになっているように見えるのですが、果たしてそれで裁量性の司法判断が正しくできるのかというところはやや疑問だなという感じがしております。だから、社会観念、社会通念上判断できるような行政処分ならいいのですが、そうじゃない非常に専門性が高い、社会通念がないものについての裁量はどうするのかと、この辺はまた別の問題だと思います。
【塩野座長】おっしゃるように、専門性といっても、判断の専門性は教育判断とか何かがあるのですけれども、ここは危険性という一種の判断なんですけれども、その根っ子の事実の問題が裁量かどうかという形で議論されていて、裁量論からすると今までの裁量論とは違った場面での問題でして、これを裁量と言っていいかどうかというのは、理論上はいろいろ議論をしているところなものですが、確かにおっしゃるようにどうしたらいいか考えあぐねて、最高裁判所は手続を見るという、そういう1つのやり方を取ったということだと思います。
【成川委員】裁量と言いながらも、それぞれの判例を見ますと、1つの裁量の、おのずと裁量であっても、個々に判断すべきとは言いながら、ある1つのルールのような形もあるように読めますので、その辺をどういうふうにこの辺の書き方で、法律的にはどう表現できるのかなということを、もうちょっと考えてみたいと思っています。
【塩野座長】ありがとうございました。この裁量については、私の率直な感想を申しますと、学説よりも判例の方で裁量統制の道具をつくっていったところがあるのです。学説の方は、裁量権の逸脱、濫用といって、割合のんきな顔をしていたのですけれども、判例はいろんな道具を使っている。それから、学説が要件裁量とか効果裁量といったのを、そこをまた学説を踏み越えて、判例がそれなりの工夫をしてきているというところで、私は戦後の裁量統制に関する判例の機能は非常に大きかったというふうに見ております。
ただ、それが下級審全般に及んでいるかというと、先ほど福井委員もちょっと指摘されましたように、必ずしもそうではないのですね。ここは行政庁の裁量だからといってぽんと蹴飛ばしているようなものもあって、どうも最高裁の打出したいろんな統制の技術を、完全にうまく使いこなしていないのじゃないかという印象が率直なところあります。最高裁もなかなか、日光太郎杉判決を使ってくれなかったのですけれども、やっと使うようになり、それからそれを通じて最近の地裁判決を見ても、やはりこういった他事考慮等々の日光太郎杉事件判決の趣旨を踏まえたような判決が出てきていることは出てきているのですが、私はそういう意味ではかなりばらつきがあるというのは、事実の問題として認識しておいた方がいいのではないかということと、学説をどんどん乗り越えている先進的なものもあるということで、そういうことを前提にして30条をどうしたらいいかというのが我々の検討課題の1つかなというふうに思っているところでございます。無視してやっているのだと市村さんに言われてしまえばそれまでなんですけれども、そうではなくてあの条文にこだわっている地裁の判決もどうもありそうだ。それから、最高裁がちょっと誤解を招くような表現をしているところもあります。全く事実を欠くというようなことで、あれは事実問題を裁判所が判断するよというメッセージだと私は思うのですけれども、全く事実を欠くなんていうから誤解を招く恐れもあるのですけれども、そういった最高裁の判例自体も誤解を招くようなものもあるということも事実だと思います。
そういったいろんな事情を考慮してこれから検討を進めていかなければというふうに、私は思っているところでございますが、何かコメントございますでしょうか。
【福井(秀)委員】1つ、若干問題判例だと、最高裁判例の補足なんですけれども、82年4月23日の車両制限令による基準に適合しない車両の特例認定という判決があるのですけれども、要するに道路法に基づく車両制限令の基準適合でないものは、本来通行しちゃいけないということになっているのですが、適合しない場合でも、積載する貨物等が特殊なためやむを得ないと認定した場合には、適合するとみなすというのが争われた案件です。
この認定というのは、最高裁の議論では、基本的には裁量の余地のない確認行為の性質を有するが、基本的に許可と同様の行為だから具体的事案に応じ行政裁量が全く許容されないものではないと、こういうことを言っているのと、結論としてはマンション建築に反対する住民とトラックの衝突を避けるためにした認定の留保は裁量の範囲内であるとする。これは2つ問題がありまして、認定が許可と同じだから裁量が許されるという、許可であるかどうかと、裁量が許されるかどうかというのは、一般的な最高裁の最近の基準で言えば、こういう議論はやってないのじゃないかと思うのです。要するに、行政処分の性質によって裁量がどの程度になるかということを、一義的に結び付けるという考え方は、恐らく今なら取らないと思うのですけれども、こういうものが現に残っている。こういうものがある以上は、こういう考え方を取らないということを明記した方がいいのじゃないか。「取れない」ということがわかるような立法的対応に意味があると思います。
もう一つは、マンション建築に反対する住民とトラックの衝突を避けるのが合理的な裁量の範囲内だというのはこれもやはり異常な結論ではないかと思うわけです。
あくまでも道路法の趣旨というのは、道路交通なり公物管理なりという観点から出いるわけですから、住民との衝突を避けるというのはそもそも法律の目的外であって、ここに裁量があるというのはおかしいという気がします。
【塩野座長】分かりました。その判決は、前から理論上大変問題のあるところで、前半は美濃部理論と全く違うことだし、また学説の一般的な考え方とも違うので、許可と裁量は違うというのは普通だと思います。
それから、後半部分については、私の説は時の裁量がそこに入るのかという考え方も持っておりますが、そういう問題判決もあることはあるのです。だけど、その問題があるから30条を変えてしまうということにはなかなかいかないところもあるようにも思いますので、しかし重要な御指摘だと思いますので、検討の材料にさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
他に何か、よろしゅうございますか。それでは、時間も随分押してまいりましたので、本日の検討はこれで終わらせていただきます。そこで、今後の日程等について、事務局からの説明をお願いいたします。
【小林参事官】資料5で今後の開催予定をお示ししたのですが、若干調整上御都合の悪い方がおられるようでして、22回の9月5日の金曜日は確定とさせていただきたいと思います。11月7日の金曜日、これも確定。11月28日の金曜日、これも確定ということでさせていただきたいと思います。その前の9月26日と10月17日は、保留させていただいて、再度調整させていただきたいと思います。事務局の方の日程調整がうまくいきませんで、申し訳ございませんでした。
それから、行政官庁のヒアリング、また地方団体等のヒアリングの日程についても、早く決めて次回7月24日、25日の前の段階で日程等をお示ししたいと思います。
【塩野座長】それでは、今の長期の日程についてはなお調整するということになろうかと思います。
それから、あと2つばかり申しますが、次回は7月24日木曜日と25日金曜日に、連日で開催することになります。24日木曜日については、午後1時半から午後5時半まで。7月25日金曜日については、午前10時から午後5時半まで、送り合わせで時々席をお立ちになっても結構でございますが、とにかく一遍ぐらいは席に着いていただきたいと思います。行政官庁とのヒアリングを行うので、大変きつい日程でございますが、それまで十分体力をお付けいただいて、お休みいただきたいと思います。以上で会議を終わります。
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