- 1 日時
- 平成14年3月19日(火) 15:00〜17:30
- 2 場所
- 司法制度改革推進本部事務局第1会議室
- 3 出席者
- (委 員)塩野宏座長、市村陽典、小池信行、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫(敬称略)
- (事務局)松川忠晴事務局次長、大野恒太郎事務局次長、小林久起参事官
- 4 議題
- 1.小早川委員、芝池委員及び福井(秀)委員の意見陳述
- 2.今後の日程等
- 5 配布資料
- 資料1 行政訴訟改革の基本的考え方と諸論点・レジメ(小早川委員説明資料)
- 資料2 行政訴訟制度の改革の視点と論点(芝池委員説明資料)
- 資料3 行政訴訟について(福井(秀)委員説明資料)
- 資料4 平成12年における訟務事務の概況(法務省大臣官房訟務企画課)(略)
- (法曹時報第53巻第7号(平成13年7月1日発行)から引用)
- 資料5 外国法制の研究について
- 資料6 第3回以降の日程(案)
- 6 議事
(1) 小早川委員の意見陳述
- ○民事訴訟も、紛争の処理という形で利害対立を調整していくという機能があり、例えば財産権等をめぐる対立の調整には適している。ただ、問題となる利益が個々人の権利として主張されにくい種類のものである場合には、行政がその種の利益の調整について登場するという形もあり得る。
○行政の機能については、大幅な見直しが必要とされ、現に進められているが、それと対をなすという意味も含めて、司法改革、民事訴訟の機能の強化ということが、現下の課題となっている。
○精選、厳選された行政の機能について、その機能をいかに適切に実現させていくか、その意味での行政の適正な遂行の確保をどう行っていくか、ということが問題。
○行政庁と裁判所が、適正な行政の遂行の確保という観点から、どういう役割・関係に立つのかについては、①分離・分立型、②分離・司法優位型、③連続・協働型の3つの型があるが、行政として果たされるべき社会的な機能が本当に適正に政治部門の正統な決定の趣旨に従って実現されるということを担保するために、これまでよりも更に裁判所の役割が期待されていることから考えると、③の考え方が役に立つのではないか。
○現在の取消訴訟中心主義というのは、行政庁の判断というものをつかまえて、それに対して誰かが不服であるというときに、その不服を裁判所が審理・審査する、行政庁と裁判所の役割分担の一つの合理的な形ではないか。その限りでの基本骨格というのは、一応維持してもいいのではないか。
○処分の概念、訴えの利益については、より柔軟なものに改めるべきである。
○取消訴訟中心主義に対するアンチテーゼとして、義務付け訴訟の問題が常に提起されるが、取消訴訟と義務付け訴訟を並べて法定すると、その間での選択の間違いで、不適法却下が増えることが考えられるので、取消判決に付随して、こういう理由で取り消したからには、行政庁としてはこういうことをすべきだと裁判所が行政庁に対して指示をする、というような方式があってもよい。
○どういう形で訴訟を起こせという話よりは、裁判所として、本当は間違っているのだから、そこに気をつけてやり直せということを、主文などでわかりやすく書いた方が、利用者には親切なのではないか。
○不作為の違法確認訴訟は複雑で、評判がよくないが、みなし拒否処分の取消訴訟ということにしてしまってはどうか。そういう方が、制度として簡明、直裁。
○不利益処分の事前差止めについては、柔軟に認めていいのではないか。
○従来、行政処分の執行停止は行政権の行使であるから、裁判所は遠慮しろというのが立法の出発点だったようだが、そう考える必要はない。一つの行政作用を、行政機関と裁判所が連携していき、その中で誰にどういう権限を与えるかというのは立法政策の問題だ。
○今の執行停止については、要件を緩和してもいいのではないか。個別法で違えるというのもありうるが、あまり複雑になってもいけない。できるだけ一般法の要件緩和を考えてはどうか。
○申請についての仮処分は、ドイツの義務付け訴訟ではできるが、日本の裁判所では、役割の適正な分担という点からすると、ちょっと裁判所には重過ぎるのではないか。
○内閣総理大臣の異議については廃止の方向で考えたい。その代わり、裁判所の審級の中で、地裁の執行停止決定を止めることができるようにしておけば、それでだいぶカバーできる。
○行政庁の判断についての不服、という基本骨格を維持する、ということは、今の取消訴訟の出訴期間による制約をそのまま残すということになるが、それが裁判所への道を狭めているということも事実であり、それに対しては、余計な制約になっているところは、広げなければならない。
○不服審査前置に関する個別法の膨大な規定を見直すことが必要。
○違法の抗弁は広く認め、権利救済の期間制限による制約を緩めるべき。無効理由の認定についても考え直してもいいのではないか。
○違法性の承継についてもできるだけ柔軟に考えることで、出訴期間による制約を実質的に軽減していってはどうか。
○被告を行政庁にするか、国等の法人にするかという問題がある。
○裁判管轄の定めをどうするかの問題があり、それに関連して、行政事件の専門部、集中部を設けてもらうことが望ましい。
○参審制も、国民と行政の付き合いの一つのスタイルということで考えてみる必要あり。
○関連請求のしばりが今のままでいいかの問題がある。
○裁量審査についての行政事件訴訟法30条の文言は時代遅れ。証明責任は学説で議論があって、立法的に解決する話ではないかもしれない。
○事情判決は基本的にはこのままでもいいと思っている。
○個別法の中に、特別の訴訟の制度を組み込むということはできれば好ましいことだと思うが、そういう立法がなかなか難しいということであれば、一般法制で頑張る方がいいのではないか。
- (2) 芝池委員の意見陳述
- ○今般、行政訴訟制度改革の機会を得たが、可能であれば、抜本的な改革にチャレンジしたいし、すべきだと考えている。どの程度まで、あるいは、どこまでよくするのか、という判断が大切。
○ユーザー=国民が利用しやすい制度を作り上げることが必要。現在の行政訴訟制度ははなはだ使い勝手が悪い。形式的な要件に欠けているからということで、裁判所が裁判を拒否するといういわゆる門前払いのケースが多い。複数の訴訟形式が行政事件訴訟法において定められており、それに加えて民事訴訟があり、そういう複数の訴訟の選択について原告すなわち国民による自己判断、自主的な判断に訴訟の形式の選択が委ねられているということに一つの原因があるのではないか。
○行政不服裁判所を設置してはどうかと何人もの方が指摘しているが、行政不服裁判所を設けると、戦後の憲法によって行政裁判所が廃止されて、裁判制度が一元化されたという意義が損なわれる可能性があるのではないか。
○行政訴訟改革という作業は重要な制度の改革であって、多元的な取組が必要。この改革は、解答を模索する試みであり、したがって、関係者の競争でなく、相互の協力が必要。
○司法制度改革審議会の意見書で強調されている「法の支配」は行政統制を志向しており、他方、研究者の書いた論文で使われている「裁判を受ける権利の保障」とか「実効的な権利保護」はまさに国民の権利保護に重点を置いている考え方。この検討会においても、いずれの理念に立脚するかによって、結論が微妙に変わってくる可能性がある。
○行政訴訟は、行政統制という役割を客観的に果たしており、国民もそれを期待している。裁判から自由な行政の解消を図るためにも、行政統制の視点は重要だ。権利保護の視点だけだと、裁判所の審査を受けない違法な行政が残る可能性がある。裁量を濫用しているという意味での違法な行政は少なくないだろう。そういう事態は、法治国家、行政統制の視点からは放置すべきではない。
○真摯な訴えについては門前払いがなくなるような制度でなければならないのではないか。法理論的には、法の支配ないしは裁判を受ける権利の保障という点から要請されるだろう。
○裁判の拒否が限度を越えて行われると、自力救済を誘発する可能性がある。できるだけ門前払いを少なくするようにしなければならない。
○裁判所は、民事訴訟を提起すると行政訴訟をやれといい、行政訴訟を提起すると民事訴訟を提起せよという、キャッチボールなどと言われる態度をとることがある。この点で1981年の大阪空港訴訟に関する最高裁判所の判決は評判が良くない。また、行政事件訴訟法第44条がある結果、仮の救済ができない場合がある。
○行政訴訟に関して、公権力の行使及び公法という概念に対して近年学説上批判が多いが、公権力とか公法という基準を使わないと、民事訴訟と行政訴訟の役割分担をどう図るべきか、という問題が出てくる。
○環境行政、消費者行政、文化財保護行政という3つの領域では、国民一般が利害関係をもって登場することになり、こういう分野で行政訴訟を認めると、全ての国民が原告になり得るということになる。そこで、団体訴訟の資格を認めたらどうかということになる。ただ、この団体訴訟に関しては、学説上現行法上でも認められるという説と、個別法で解決すべきであるという説がある。
○違法性の判断に関し、現在の行政事件訴訟法の裁量権についての基準は非常に緩やかなもの。この検討会では十分な議論をして、現在の行政事件訴訟法に代わる裁量権の行使についての違法性の判断基準を、ある程度具体化して定めたい。
○あるレポートによると、一審で国民・原告が勝訴し、控訴審で国が逆転勝訴する率は80パーセントほど。こういう事態はあまり正常な状態ではなく、控訴・上告制度について何か工夫することはできないか。
○訟務を担当した者が判事として復帰する形の判検交流は、公平感覚に反する。
- (3) 福井秀夫委員の意見陳述
- ○取消訴訟や国家賠償訴訟において、原告は、裁判のために膨大な時間、労力は割けないが、反面、被告は、証拠調べなども、一流の鑑定人に依頼したり、コンサルタント会社に膨大な試算、調査を依頼することもでき、また、強力な法務省の訟務部門の応援を得ることができ、かなり有利な状況のもと、行政庁の行為を正当化するための体制が組まれている。少なくとも手続における対等性という点では、最初から原告に不利。
○行政訴訟は基本的に行政庁の処分を争うが、その処分を規律する行政法規は圧倒的多数のものが内閣提出によるものであり、一般的には被告になる予定の行政庁が法案提出権をもっていることから、例えは悪いが、泥棒が刑法を作る、という側面がある。
○行政訴訟においては、税務訴訟などでは印紙代が訴額に応じてかなり大きな額にのぼるが、行政訴訟に、個人の権利救済だけでなく、一般的に行政を適法にやってほしいという機能が含まれている以上、単純に救済額に比例して印紙代が大きくなるというこのシステムは問題。また、弁護士費用の負担についても、司法制度改革審議会の議論の中では、敗訴者負担ということで、原告側が負けたときには、被告の行政庁の弁護士費用も負担させるという議論につながる議論があったと認識しているが、行政統制という観点からは、もともと能力や時間の点でも劣っている原告に、そこまで鞭打つのはいかがなものか。せめて、被告が敗訴の時には原告の弁護士費用を負担させるにとどめる、というような議論が正当ではないか。被告適格の問題については、訴えられた機関から教示をして出訴期間に間に合うように作ってあげるような手続的な決まりがあってしかるべき。
○司法試験において行政法を必修化させてもいいのではないかという議論があるようだが、行政法を法曹志望者皆に広く薄く勉強させるというよりは、少数でも本当の行政訴訟のプロの輩出を目指すという重点化が重要。
○裁判官の配置については、ブロック単位の行政裁判所で、不安のない訴訟指揮をする裁判官を配置することが大変重要。そういう意味では、今の東京地裁の体制などは、極めて参考になる。
○行政訴訟の在り方に関しては、訴えの利益としての処分性とか原告適格をできるだけ広く、という議論が学会や弁護士会などでも多いが、ただいたずらに拡大という点には疑問。
○民事訴訟でも行政訴訟でも、目的は権利の救済であるという点には異なるところはないという権利侵害性の下での平等という点が議論の出発点として重要。何が権利侵害か、何が効用の毀滅か、ということからさかのぼってできるだけ行政訴訟と民事訴訟とを相対化して考えたい。自分の効用が低下するような行為を差し止めたいというのが原告にとっては切実、切迫した問題であるから、救済手段としてその連続性に着目して両者を設計していくというのが、立法論として大変重要。
○義務付け訴訟や予防的不作為訴訟などについては、もっと柔軟に認めていってもらいたい。それをさらに発展、拡充すれば、最終的には民事訴訟に接近していく。できるだけ同じような被害をもたらす行為は同じように処理していき、同じように差止められるようにするということが基本的に重要。民事訴訟は蓄積が100年以上あるから、それを参考に行政訴訟のシステムを設計するということは大変重要。
○大阪空港訴訟は、航空行政権を争えといって門前払いにしたが、建築確認の分野では、民事訴訟の日照権訴訟、環境権訴訟と行政訴訟が並存しているのに、なぜ空港の訴訟では異なるのか、全く理解できない。
○原告適格がどの範囲かということは、ある人の効用水準が低下したかどうかという点で何らかの限界が存在するのは間違いないわけであり、結局、個人の権利救済訴訟だという取消訴訟の性格が引きずっている以上は、主観訴訟の限界だ。
○とにかく原告適格は広い方がいい、という議論は、却下判決が棄却判決に移行するだけで原告が負ける率には変わらないということになりかねず、本案で一体どのように救済していくかをよく考えないと目的を達しない。例えば一覧表にしてしまうとか、定量的に書くといういうように、できるだけ明確化客観化して原告適格の範囲もわかりやすく法に記述するということを試みてもいいだろう。
○段階的に熟する行政決定をしていく場合、どの段階から処分性があるかについては、個別の行政法規によって、非常に微妙なものがあるが、仮に一覧表にすることが無理だとしても、少なくとも段階的決定の先行行為についてはできるだけ早く争わせないと意味がなく、もっと訴訟対象になる時期を早めるべき。
○訴えの成熟性の基準化として、一体どの段階になったら差止め訴訟の裁判制度を使わせていいのか、これをできるだけ明確化、基準化して、迷いがないようにしてあげるのが、国民に対して極めて重要な情報開示。
○現在は基本的に取消訴訟中心主義だが、どこまで民事を排除するのかについては再考が必要。結局は、それにふさわしい範囲で類型としての行政訴訟を位置付ければよく、取消訴訟の範囲に当てはまらないものについて民事訴訟の形で訴えたからと言って、それを排除する必要はない。
○実体法の中での、例えば「正当な理由」とか「適正かつ合理的」とか「公益上の必要」などの不確定概念をできるだけ客観化していかないと、いくら行政訴訟が使い勝手がよくなったと言っても、本案では棄却判決がつみ上がることになりかねない。行政訴訟を活性化させる場合には、手続法としての訴訟法だけではなく、各省庁が一般的に作成している行政法規の要件裁量の統制を立法的にどうしていくかを考えていくことが非常に重要。裁判官が行政統制をしていくためにも、拠り所、何らかの基準を与えることが、裁量統制の場面では非常に重要。
○行政裁量は司法に多く統制してもらえばいい、という議論は危険。行政庁の裁量が司法の裁量にそのまま代置することになったのでは、本当に国民にとってふさわしい裁量の統制にはなりえない。裁判所の専門家は、裁量統制の実体の中身である政策判断や費用便益分析について必ずしもトレーニングを受けたわけではない。できるだけ入り口の段階、立法段階に裁量の統制過程の基準を持ち込むということが、手続法の改正でも実体法の改正でも非常に重要。
○ある行為が周囲にどのようなプラスの効用をもたらし、どのようなマイナスのコストををもたらしたか、現在はかなり客観的に算定することが可能。こういった費用便益分析を統制の手法として用いて判断したかどうか審査し得るというということを明確に訴訟法に明記すれば、実体法の方は、自然と変わっていくのではないか。
○今回の地方自治法改正による住民訴訟の措置には疑問があると考えている。また国の行為については、公金の違法支出や不当支出について、裁判上争える手段がないが、例えば外務省の機密費横領事件などの事件もあり、中長期的な検討課題かもしれないが、こういった違法性コントロールの客観訴訟の枠組みがあってもよいのではないか。
- (4) 質疑応答
- ○行政訴訟の問題は三権分立の問題として微妙な点を含み、行政としての立場を聞く必要がある。不確定概念の客観化については判例も努力していると考える。民事訴訟に比べて行政訴訟での却下率が高いということだが、裁判所も訴訟類型にのると思われるものは、第一次補正命令の上、第二次補正命令も出すなどして、なるべく訴訟に乗せるように努力しているが、行政訴訟の枠組みは、民事訴訟と性質も異なり、訴訟にのらないものが多いのも事実である。
○行政訴訟制度が民事訴訟のほかに存在する意義としては、職権主義的要素、証明責任、要件事実、十分な審査の可能性などが考えられる。
○客観性ということでは、環境の評価が非常に期待されているようであるが、過度の期待はいかがなものか。環境の評価は、司法にとって十分な信頼性が今の時点ではないことも、検討していただきたい。
○日本の行政訴訟の受理件数が少ない理由がどの辺にあるのか、国民が行政に不服を言うのに慣れていないのか、制度自体を知らないからか、又は文化性の問題か、その辺の理由を教えてほしい。
- 7 今後の日程等
事務局から、資料6に基づき、第3回以降の日程等について説明がなされ、了承された。
- 8 次回の日程について
- 第3回の検討会は、次の日時に開催することとなった。
4月8日(月)15:00〜17:30
- 第3回検討会では、宇賀克也東京大学教授、全国消費者団体連絡会、全国市民オンブズマン連絡会議及び環境行政改革フォーラムから意見を聴取することになった。