【福井(秀)委員】 福井でございます。資料3に基づいて御説明させていただきたいと思います。
資料3の1枚紙、「行政訴訟について」というタイトルのレジュメに沿ってお話しします。後ろにいろいろ資料を付けましたが、今日、申し上げるお話しは、例えば塩野先生の古稀記念論文集の中の行政訴訟論「権利の配分・裁量の統制とコースの定理」、訂正文が載っておりますが、自治研究の76巻7号、日経経済教室の1年6月29日、この辺りの議論を要約したものです。
まず、第1は「行政訴訟の原告・被告格差」という点です。これは先般、自己紹介のときにもちょっと申し上げましたが、私自身、収用訴訟、河川訴訟を中心に、国ないし大臣の被告指定代理人を多数やった経験がございますが、そのときの経験も踏まえて若干のコメントをしたいと思います。
まず、原則は基本的には私人ですので、国家賠償や取消訴訟につきましても、個人として争うということになります。したがって、当然自分の権利の回復のためとは言え、裁判のために膨大な時間や予算や労力を割くわけにはなかなかまいらないということは当然でございますが、反面、被告は大変この点恵まれた立場にありまして、人事ローテーションの一環として指定代理人などに任命されますので、端的に言えば幾ら時間が掛かっても構わないということがあります。
また、予算につきましても、例えば証拠調べなども、行われた処分のそのとき存在していた証拠ということではなくて、後付けで正当化するために一流の鑑定人に依頼したり、あるいはコンサルタント会社に膨大な試算や調査を依頼したりということで、かなり有利に証拠調べを展開することも実際上は可能です。
人的労力という点も、行政庁でも重要な事件については、恐らくそれなりの人事配置をしていますし、何よりも強力なのは法務省訟務局の応援でして、訟務検事の方々は大変俊英の方だと認識しておりますが、行政庁と訟務検事とが一体となって、かなり労力だけでなく能力も投入するというのが実態です。
時間は幾ら掛かっても構わないし、お金もかなり掛けられる。更に法律論や事実認定の面でも相当の労力、負担をして行政庁の行為を正当化するための体制が組まれているということですので、勿論、内容の当否についてはいろいろ議論があるでしょうが、少なくとも手続における対等性という点では最初からかなり原告に不利となっているということは、現行制度の下ではやむを得ないという実情だろうと思います。
原告にとってみれば勝ちたいでしょうが、どこかで息切れが生じるということもやむ得ないところでありまして、こういった点について、行政訴訟の目的の1つが権利救済だけではなくて、例えば適法性のコントロール、あるいは行政統制ということであるとして、本当にこういう実態でいいのかということも重要な論点の1つではないかと思います。
また、証拠の取捨選択や主張につきましても、一応原則は民事訴訟の原則ですので、自己に不利な証拠を進んで提出する義務がないという現行の訴訟法上の原則のため、当然ですけれども、行政庁は自分に不利な証拠をわざわざ裁判所に出すということは決して一般的にはいたしません。そういう意味で、客観的に存在している証拠が裁判所にそのまま出て公正に判断されているかというと、必ずしもそうではないという実態もあります。
事実はともかくとして、法律論については、客観的な解釈は当事者の主張に関わりなく最後は裁判所が決めるんですけれども、一般的な行政庁や訟務検事の対応としては、法律論についても勝てそうな理屈は相互に矛盾していても、ありったけ並べるというのが戦略であり、そういう意味で、相互に矛盾していても、どれかでけられても、次にこの理屈で救ってもらいやすいということをありったけ考えるというのが重要な仕事です。例えば今はさすがにこれはやっていないのですが、私が代理人をやっていたころには、都市計画法の事業認可は処分じゃないから却下せよと一方で言いながら、仮に処分であったとしても、後ろの収用裁決には違法性は承継していないから、その点は争うなということを同時に主張する。これは相互に排他的な主張ですが、こういう主張もしていた時期があったということです。
そういう意味では、もともと行政庁に法解釈のノウハウなどが蓄積されていることもあって、原告にはかなり苦しい闘いであることが一般的と思われます。
「実体法の構造」という点ですが、これは行政訴訟は基本的に行政庁の処分を争うということですが、その処分がいかなる要件の下に行使されるのかということに関しては、一般には行政法規の中に規律があるわけです。許認可、規制につきまして、行政法規の中にその要件や効果の記述がある。
しかし、行政法規は御承知のように、圧倒的多数のものが内閣提出法案でして、一般的には被告になる予定の行政庁が法案提出権を持っておりますので、ちょっと例えは悪いんですが、どろぼうが刑法をつくるという側面がどうしてもある。要するに、被告になる予定の人が不確定概念や許認可の基準なりを全部記述してしまって、一般的には国会でそれが追認されるということですので、これは被告にとって、勿論、事実上の効果でございますが、かなり有利に働く点があると思います。これは後ほどもう少しコメントします。
「印紙代・弁護士費用負担」は、やや細かい問題ですけれども、これを書きましたのは、印紙代がやはり訴額に応じてかなり大きな額に上る。税務訴訟などではかなり巨額に上りますが、これも行政訴訟に個人の権利救済だけではなくて、一般的に行政を適法にやらせるという機能が含まれている以上、単純に個人の救済額に比例して大きくなるという印紙代の負担のシステムには問題があるのではないかと考えています。
弁護士費用の負担問題ですが、司法審議会の議論の中では敗訴者負担ということで、原告が負けたときには被告の行政庁の弁護士費用も負担させるという議論があったと認識していますが、これも行政統制という観点からは、果たしてもともと能力や時間の点でも劣っている原告にそこまで鞭打つのはいかがなものだろうかということを感じておりまして、せめて民事の不法行為並みに、例えば被告が敗訴のときには原告の弁護士費用を負担させるのにとどめるという議論が正当ではないかと思うわけです。この点は神戸大の阿部教授が自治研究の78巻1号に同趣旨の論文を書いておられます。
被告適格の問題ですが、これも私自身の経験でも、行政処分について、国を被告に訴えてきたら却下せよという答弁書を書いた記憶がありますし、あまり大きなことは言えませんが、国だろうが大臣だろうが、処分を受ける人にとってみればどっちでもいい話です。現在の行政事件訴訟法ではかなり厳格に行政庁と行政主体を区分していますので、間違えて訴えると出訴期間を徒過して、永遠に争えないということになりかねない。これも少なくとも、行政主体であろうが行政庁であろうが、訴えられた機関から教示をして出訴期間に間に合うようにつくろってあげるような手続的な決まりがあってしかるべきだろうと思いますし、さらに、そんなことをしなくても、善意に解釈すれば誰を訴えたいか明らかですので、善解して救って上げるというシステムをもっと拡充した方がよかろうと思います。
第2は「裁判所の専門性向上」という点ですが、これも私だけではなくて、いろいろ被告の代理人の方から聞く話ですが、地方に行きますと、裁判官の能力や経験にかなり問題があるという印象があります。
例えば行政法は勉強したことはないし、司法試験の科目でも取っていない、今度行政事件を初めて担当することになったという裁判官が、行政法の最近の教科書の主流は何だろうか、場合によると、行政庁で一番定評のあるコンメンタールは何だろうかということを行政庁の代理人に聞くことが少なからずあるという実態です。
証拠調べと争点ということなんですが、裁判官の立場から見ると、ちょっと言い過ぎだったらごめんなさいと言うしかないんですが、心証を固めた後はどうせ行政庁を勝たすつもりなのに、理屈付けと証拠調べだけは徹底的に被告側にやらせるという裁判官が大変多いという印象があります。
最終的には行政庁の言い分に依拠する。しかし、杜撰な証拠調べをしたとは絶対に言われたくないから、争点と関係ないことを含めて、とにかく被告の費用負担、労力負担で徹底的に証拠を調べさせる。被告は別に個人の負担ではありませんので、喜んで幾らでも証拠調べに応じるわけですが、最終的にはかなりの程度行政庁が勝つ、ないしは言い分が認められるということが多いと思います。事実的には勝訴率9割以上ありますので、かなりの程度被告側が強いというイメージもあると思います。
それから、裁判所だけではなく、弁護士についても、原告側の代理人の訴状などを拝見しますと、依頼者が気の得である。勝てっこないにもかかわらず依頼を引き受けているというケースも少なからずあると思われます。これも行政訴訟については、一種のテクニカルなノウハウがございますから、そういったことを熟知した上で本当に原告代理人のためになるような訴訟活動をしないと勝てっこないという側面もあるわけですが、その点についてもかなり力の格差がある。期待をもたされ、着手金だけ取られて、最終的にはどうせ却下か棄却という事件が実際上随分多いんだろうと思います。
こういう議論に対して、先般の法務省の案などでは、今度新司法試験になると、行政法を必修化させてもという議論があるようですが、行政法を法曹志望者みんなに薄く広くやらせても仕方がないと思います。単なる必修化は疑問でありまして、みんなが薄く広くやるというよりは、少数でも本当の行政訴訟のプロの輩出を目指すという重点化が重要です。
行政裁判所という点ですが、行政裁判所という名称を取るかどうかはともかくとしましても、47都道府県の地方裁判所ごとに行政訴訟を受けて立たざるを得ないというのも大変規模の利益に反するわけでありまして、せめてブロック単位で行政の専門家を配置して実質的にはブロック単位の行政裁判所で不安のない訴訟指揮ができる裁判官を配置していただくということが重要だと思います。国民の権利を守るという観点からも、知らない方よりは、行政庁に対して適切な訴訟指揮ができる方がたくさん配置されている方がいいと思います。そういう意味で今の東京地裁の体制などは参考になります。
第3は「民事訴訟との整合性確保」ということですが、この点特に今日申し上げたかった点ですが、行政訴訟の在り方に関しては、後ほど出てきますが、特に訴えの利益を中心として、拡大すべきという議論が多いように思います。訴えの利益としての処分性や原告適格をできるだけ広くという議論が学会、弁護士会などでも多いと思いますけれども、これも理屈と効果次第であり、ただいたずらに拡大という議論には私は疑問を持っています。
と言いますのは、民事訴訟と言い、あるいは行政訴訟と言っても、何か自分の権利を侵害する行為が発生したりしようとしたときに、それを差し止める、身に火の粉が降りかからないようにするというのが本来の司法制度、裁判制度の目的なわけです。その延長線上で考えますと、民事で例えば差止め訴訟や損害賠償請求訴訟の適法な審理対象に乗って権利侵害が認定されるものと、行政事件訴訟で本案の対象に乗るものとは基本的には分離していてはおかしい。
ただ、民事の場合は本案前で却下というのはあまりなく、通常はそのまま本案に入ってきて認容か棄却ということになりますが、行政訴訟の場合、御承知のように、原告適格や訴えの利益がないと、本案前で訴え自体が不適法、却下ということになるわけです。したがって、行政事件の本案前と本案は、民事訴訟では本案の中にかなり一元化しているという構図があります。とは言え、目的は権利の救済であるという点には何ら異なるところはない。この点が議論の出発点として重要だと考えています。
レジメに書きましたように、「権利侵害性の下での平等」ということが民事訴訟と行政訴訟を考える場合に重要であって、いたずらに行政訴訟の特殊性ということを言い過ぎると、この点での公平、平等が崩れるということを懸念します。
行政訴訟の場合は、要件上、権利侵害があることで本案前をクリアし、更に本案で違法であれば取り消す。訴訟物が違法性だということになっています。しかし、前者は民事の差し止めと実質的に同じでありまして、権利侵害の部分というのは、民事であろうが、行政であろうが言い換えれば効用の毀滅、ないしは効用の毀損だと考えれば、理解がしやすい。
好悪の感情や、その人の財産権等さまざまなものがありますが、何かにつけ、その人の効用水準を低下させた、毀損したという場合に行政であれば少なくとも本案に乗るし、民事であれば最終的に認容されるかどうかはともかく権利侵害は認定される。この点での対等性が重要だと考えています。
したがって、行政規制の有無のみで劇的にその違いが出る、要するに民事訴訟と行政訴訟で対象範囲が異なってしまうという結末には懸念を感じます。
例えばの話ですが、空港とか原子力発電所について、現在は行政庁の許認可が絡んでおり、先ほども議論の出ました大阪空港の判決や原子力発電所の設置許可の取消訴訟など、行政訴訟の領域が随分増えています。仮に立法政策の問題としてこういった許認可、行政規制が介在していないで、いわば民事の世界のみで建設される原発や空港というのも、昔のシステムであれば考えられたわけです。そういう場合に、原子力発電所ができて危ないとか、あるいは空港ができて上を飛行機が飛んでうるさいというのは、行政規制が掛かっていようがいまいが、あるいは行政の許認可があろうがなかろうが、ある人にとっての苦痛という点では同じなわけですから、その同じ苦痛に対して、行政であればうんと広い範囲で、うんと外側の人が原発を争えるとかという議論は民事との関係でバランスを失するという趣旨です。
やみくもな拡大は不公平であると同時に、訴訟が希少な国民の資源の利用だということ考えますと、訴訟資源の浪費、非効率につながると考えますので、何が権利侵害か、何が効用の毀滅かということからさかのぼって、できるだけ行政訴訟と民事訴訟とを相対化して考えるべきと思います。
「目的における連続性」とは、要は何か自分の効用が低下するような行為は差し止めたいといのが原告にとっては切迫した課題ですから、完全に一致というわけではありませんが、連続性を踏まえた救済手段として両者を設計していくことが立法論として重要です。
「無名抗告訴訟」、例えば義務付け訴訟や予防的不作為訴訟が、現在は観念的には行政事件訴訟法上あるけれども、実際には認められにくいということがあります。議論がありましたように、私ももっとこういったものを柔軟に認めるべきと考えていますし、それを更に発展拡充すれば、最終的にはだんだん民事訴訟に接近していくということになります。
民事訴訟に接近というのは、目的における連続的の点でできるだけ同じような被害をもたらす行為を同じように処理していく、同じように差し止められるようにするということに加えて、取消訴訟中心主義の見直しも含めて考えることが基本的に重要と思います。
ただし、これは広げる方向にも狭める方向にも行くわけで、両者をフィードバックして論理的に考えていかないと、一概に拡大だとか、一概に狭めるとは言えないと思います。どちらにしても、民事訴訟は蓄積が100 年以上あるわけですから、そちらを参考に行政訴訟のシステムを設計することは機能的アプローチとしても大変重要と考えており、そのような論文を塩野先生の古稀論文集で書かせていただきました。
第4は「訴えの利益」、ここからが各論の部分ですが、原告適格と処分性です。
まず、原告適格とは、要は離れた人が処分を争えるのかということですが、代表的なものが、先ほども例に出した原発と大阪空港を始めとする空港騒音だと思います。
原発についてはさまざまな判決がありますが、大体数十キロ以内の居住者には原告適格ありという判決が多いと理解しています。しかし、これも個別事件ごとにその原子力発電所の性能等から、定量的基準でもって導き出されるかというと、そういうわけでもなく、かなり個別事件ごとに主観性の強い基準が適用されている。そうすると、一体へりはどこか。訴えられるか、訴えられないかで天と地ほどの違いがあるわけですから、外縁部は一体どこにあるのかが重要ですが、判例を幾ら精査しても結局わからないという不明確さが残っています。
大阪空港判決は、先ほども批判がありましたが、私も同感であり、民事訴訟が不適法だと言いながら、どうやって行政訴訟で争うかを何ら教示しないという極めて無責任な判決だと思います。
端的に言えば、取消訴訟の排他的管轄という行政行為の特殊性の適用を誤った判決だと考えています。
後ほど述べますが、最高裁は新潟空港判決などで一定程度明らかにしたつもりでしょうが飛行機が飛ぶことを差し止めたいというときに、航空行政権を争えと言って門前払いを食らわしたわけです。しかし、そういうことを言い出せば、例えば建物が建つときに、建築確認を争う行政訴訟が可能ですし、一方で民事訴訟でこんな建物を建ててもらったら日照権の侵害だという訴訟も可能であり、要するに建築物がある基準に適合しているかどうかの技術的な内容の確認を行うという建築確認に関する取消訴訟の排他的管轄は、民事訴訟の日照権訴訟や環境権訴訟には及ばないという前提があるから両者が並存しているわけです。大阪空港がなぜこれと異なるのかは私にも全く理解できない。矛盾そのものであり、並存してしかるべき案件だったと思います。
新潟空港の89年最高裁判決ですが、大阪空港判決の批判が強かったため最高裁は、周辺に居住していて、著しい騒音の障害がある人については定期航空免許の取消訴訟の原告適格があるという判決を下したわけです。では、どうやって争うのか。要するに、定期航空というのは、新潟空港を発着していたり、将来発着する可能性のある航空会社は何社もあるわけであって、1社ごとに一体どれだけ騒音に対して寄与分があるのか、複数社の累積の効果と法的責任は一体どうやって分離するのかということは全く謎に包まれています。
もし本当にひどい騒音で本案認容、取消すという場合に、どの会社のどの免許をどうやって取消したら、騒音が回復されるのかを考えていない。私には本案判決の書き方が全く想像できません。非常に奇妙な判決です。
もう一つの問題は、著しい騒音だけ救済するということですので、著しくなければ野放しになる。これもまた異常な議論ではないかと考えます。
この権利侵害性基準で考えると、原告適格はどの範囲までかということは、原発の距離で言うのがいいかどうかはともかくとして、ある人の効用水準が低下したかどうかという点では、何らかの限界が存在するのは間違いないわけであり、結局、個人の権利救済訴訟だという取消訴訟の性格を引きずっている以上そこが主観訴訟の限界と考えざるを得ない。その限界が民事と行政でイコールフッティングになっているのかどうかという点が、私には非常に気になる点です。
民事との公平という観点で原告適格も設計する。先ほど申し上げましたように、民事の本案が、行政では本案前と本案後に分かれるわけですから、その本案前の部分と民事の認容対象足り得る部分とが一致しているのかどうかという検証は避けて通れないように思います。
一部に、とにかく原告適格は広い方がいいという議論がありますが、それだと、却下判決が棄却判決に移行するだけで、要するに原告が負ける比率に変わりはないということになりかねないわけです。やはり原告適格を広げるという議論も、本案で一体どのように救済していくかを併せてよく考えないと、画餅に終わってしまう、目的を達しないということにならざるを得ないと思います。
今はどの範囲まで争えるのかは極めて不明確ですが、これはできるだけ明確化、客観する。例えば一覧表にでもしてしまう。あるいは定量的に書くことが可能なものは原告適格の範囲をわかりやすく法に記述することを試みるべきだと考えます。
結局、どの範囲で争えるのかは、権利の配分の非常にクリティカルな点であり、誰にどの権利があるのかというのは、大変この訴訟場面では重要です。コースの定理とは、どちらに権利を与えるかが明確に決まっていれば権利配分の如何を問わず最終的に効率的な資源配分が達成されるという議論ですが、その前提が行政訴訟の特に訴えの利益論では欠けている部分が多いと考えます。
次に処分性ですが、処分性とは、取消訴訟の対象となる基準で、一回きりの行為の処分性の判断では、基本的に原告適格同様権利侵害性基準でその行政行為を判定すべきです。例えば計画に多いと思いますが、当初は熟度があまりない。だんだん熟度が高まってきて、権利侵害性の契機がくっ付くと、その段階以降争える。その段階をとらえて処分性が備わったと議論しているものもあります。段階的にだんだん熟する行政決定をしていく場合の先行行為を訴訟上どう位置づけるのかという問題がより重要と思います。
例えば都市計画では都市計画決定がある。最高裁判例では、区画事業計画は処分性がないというものがありますが、計画決定は通常「処分」ではない。都市計画の事業認可にいきますと、これは通常処分性があると理解されています。更にその後、都市計画から収用裁決に至る場合、これも当然処分性ありということですが、一体どの段階からかというのが個別の行政法規によって非常に微妙なものがあり、非常に混沌とした状況にある。これも一覧表にでもしてしまったらいいと思いますが、少なくとも段階的な決定の先行行為については、できるだけ早く争わせないと意味がない。これは民事と比べてもあまりにも遅過ぎますので、段階的決定の先行行為についてはもっと訴訟対象に移行する時期を早めた方がいい。その方が後で蒸し返されて混乱するよりははるかに行政庁にとってもメリットがあると思いますので、訴訟対象への移行を早め、それを法に明確に記述していくことが重要だと思います。原告適格と異なり、段階的行為で処分性が問題となる場面では、後での明白な権利侵害行為が予定されているのですから、その時点での侵害的契機を厳格に要求するのは、適当とは思われません。
現在は、民事の差し止めよりも実質的に厳しいということが間違いなくありますので、先ほどの基準からみても、イコールフッティングにするためには、もっと先行段階で争わせないとおかしい。
さらに、双方ではっきりと争ってその段階でけりを付けろという立法選択をした以上は、例えば都市計画の事業認可の違法は、収用裁決では争わせない。あるいは収用法の事業認定の違法は収用裁決で争わせないように、明確に立法的に違法性の承継を遮断する措置を取らないと、何度も何度も蒸し返しがあるという意味で、行政行為の特質が損なわれますので、けじめが必要だと考えます。
これについては、お配りした成田頼明先生古稀記念論文集の中の論文「土地収用法による事業認定の違法性の承継」で詳細に論じています。
「訴えの成熟性の基準化」ということですが、これも今申し上げたことと同種で、一体どこになったら成熟しているとして差止訴訟として裁判制度を使わせていいのかという議論です。これをできるだけ明確化、基準化して、あらゆる場面で当事者に迷いがないようにしてあげることが重要な情報開示になると考えます。
「訴訟類型の柔軟化」ですが、現在は基本的に取消訴訟中心主義であり、行政行為については基本的に処分を取り消せと言わないとなかなか本案に乗せてもらえない。空港判決などにも関わりますが、どこまで一体民事を排除するのか。民事と行政で二者択一なのかどうかという点は再考が必要だと考えてます。
結局、行政処分だと位置づけることは、そこには取消訴訟の排他的管轄をかぶせて、法的安定を追求するんだという意味で、法的安定性の要請の妥当範囲がどこに及んでしかるべきかという問題だと考えられますので、それにふさわしい範囲として、取消訴訟を位置づければいい。それを超える、ないしそれ未満のものについて言えば民事訴訟の形で訴えたからと言って、それを排除するということには必ずしもならないというべきでしょう。
第5は「裁量統制」ですが、冒頭申し上げたように、現在の実体法の構造自体が、被告予定者がつくるというバイアスも掛かって、争いにくいということがあると思います。具体的には実体法の中での不確定概念、例えば「正当な理由」、「適正かつ合理的」、「公益上の必要」といった概念が多用されており、こういう一見して明確ではない要件をクリアーしないと取り消せない。そういう要件に違反していることを裁量統制論から論証しないと原告は勝てないという構造になっていますが、このような不確定概念に違反していることを論証すること自体が至難の技だということは冒頭申し上げたとおりで、不確定概念そのものをできるだけ客観化していかないと、幾ら行政訴訟で門前払いがなくなっても、本案では棄却判決がうず高く積み上がるということになりかねないわけですので、行政訴訟を活性化させるという場合には、手続法としての訴訟法だけではなくて、各省庁が一般的に作成しております行政法規の要件裁量の統制を立法的にどうしていくかこそ重要だと考えます。
そうでないと、結果的には裁判官も武器がないと徒手空拳にならなざるを得ない。それでは行政統制はできないということで、判決の中でいろいろ議論はされますし、証拠調べは多数なされますが、結果的に行政庁を負かせるのは相当勇気の要ることです。そのためには、拠りどころを与える、何らかの基準を与えることが裁量統制の場面で大変重要です。
この点に関して学会の一部などでは、とにかく行政裁量は司法が代替して統制してもらえばいい、裁判官がもう一回レビューすればいいんだという議論もありますが、私はその議論は危険だと考えてます。
行政庁の裁量が司法の裁量にそのまま代置するということになったのでは、本当に国民にとってふさわしい裁量の統制にはなり得ないと思います。
なぜならば、行政の裁量も危ないと言えば危ないですが、裁判官も裁量統制の実体の中身であるところの政策判断や費用便益分析について、トレーニングを受けたわけではないし、政治的な責任もとりようがないですから、彼らが完全に代替する範囲が広い方がいいというのは、問題が多い。裁量の統制過程の入口の段階、立法段階で基準をできるだけ持ち込むことが手続法の改正でも実体法の改正でも重要だと思います。
勿論、個別の実体法が重要ですが、手続法のレベルでもできるのが、「費用便益分析基準」だと思います。特に土地利用などに関するものですと、ある土地利用規制やある許認可が、周辺の環境や財産価値に対して、どのようなプラスの効用をもたらし、どのようなマイナスのコストをもたらしたかは、ヘドニック法という手法を用いるとかなり客観的に算定することが可能であり、現在、経済学や土木工学で相当一般的になっています。行政庁の処分はまだまだそこまでは行っておらず、実際の許認可などでは形式的判断が多い。
したがって、実体法で将来的課題として基準として明記する。少なくとも行政訴訟法の中で、費用便益分析を用いて行政判断したかどうかについて審査し得るということを明記すれば、追って実体判断は自然と変わっていきます。また、費用便益分析は第三者が反証可能な形でレビューすることができますので、処分の適法性、適正さに関する緊張感が生じる点で意味があると考えます。
第6は「国民訴訟」です。住民訴訟に関しては、お配りした読売論点の1年11月2日に書いています。ちょうど今日辺り住民訴訟法案の改正法案が参議院で可決成立してしまうようですが、私はこの改正には反対の立場でありまして、被告が今までは知事個人、市長個人だったのが、機関としての知事や市長になるという内容ですが、これは今でも格差がある原告・被告格差、しかも、客観訴訟のため原告には一銭の得にもならないで争っている人たちに対して致命的な打撃を与えます。理論的に言えば、被害者が被害者を訴えるということになって、奇妙でありまして、今度の住民訴訟の構造には疑問があると考えております。
それはさておくとしても、現在、国の行為については、公金の違法支出や不当支出について裁判上争える手段がなく、例えば外務省の機密費横領事件なども、これを直接国庫に返せという裁判はだれもできない。国の行為についても、適法性コントロールの、住民訴訟類似の客観訴訟の枠組みがあってもよいと考えています。
【塩野座長】 どうもありがとうございました。長年の研究を30分で述べよというのがそもそも過ちではありますが、よく短い時間に御意見をまとめていただきまして、ありがとうございました。
時間も大分押しておりますので、休憩時間5分ということで、今日の予定は大体5時半を予定としておりますが、場合によっては5分、ないし10分遅れる可能性もございますので、よろしくお願いします。
それでは、5時まで休憩といたします。
(休 憩)
【塩野座長】 時間になりましたので、会議を再開させていただきます。
今日の予定の方を先に申し上げますと、事務的な説明等が10分ないし15分掛かると思います。そこで逆算をしてまいりますと、3人の方からの発表については、20分くらいの時間を充ててはいかがかと思っております。
今日は大変基本的な問題から、個別問題についての御提案ということもございましたが、今日でこの会議が終わるわけではありませんで、いろんな機会に根本問題から、個別問題についてもお話を伺うという機会は勿論あろうかと思います。
また、今日は専門家のお話で出てまいりましたが、具体的な判例でこういうことが最高裁の判例として出ていると。それは困るという議論がいろいろあるわけですけれども、そもそもそういう判決は外国では出てこないだろうというような形で外国法制の研究の方にもいろいろ調べていただいておりますので、問題判決という事例というのを一遍お目に掛けませんと、なかなか議論がしにくいところがあろかと思います。
そこで、今日の時点で問題判決ということをべらべら専門家の方が言われても、またそれは困ると思いますので、そういった点については、これからおいおい御紹介を申し上げ、また、そういった判決について、先ほど申しましたように外国だったらば、この点はどうなるんだろうかということも御説明していくということにしていきたいと思います。
それにつきましても、どうぞ御自由に御質問、御意見等いただきたいと思います。
また、今日の議論を最初から狭めるつもりはございませんけれども、先ほどの点で、多少私が伺っているところでは、行政訴訟の位置づけ、あるいは機能について、それぞれの御発表の中に、多少意見のずれと言いますか、力点の置き方に違いがあるようにも見受けられました。
そこで、このまま議論をほうり出しますと、3人でお前のはおかしいとか、何とかやられると困りますので、相互のやりとりは今日は控えさせていただいて、むしろ今日お聞きになった方々の方から御質問なりをしていただければと思います。どなたからでも結構でございますので、どうぞ御自由に。
また、私は専門ではないけれども、この辺がわかりにくいという点があれば、御質問いただいてても結構です。
【市村委員】 今日はさまざまな角度から非常に示唆に富んだ御意見を教えていただきまして、本当にありがとうございました。
非常に大きな問題ですし、また、これをどうやって具体化していくかというところになってから、もっと議論をしていかなければ、とても改正というところにはたどり着かないとは思いますが、その考え方の中で幾つか教えていただきたいところ、あるいは実務を運用している者の立場から若干申し述べておきたいというところもございますので、発言させていただきます。
行政と司法の関係をどう捉えるかということについて、幾つかの捉え方があるということ。そして、古典的な捉え方はこうであったけれども、更にこれから目指していく方向は、別の考え方があってもいいではないか。非常に御示唆に富んだ御見解だったと思います。ただ、この議論の中で、将来的には、今は行政事件訴訟法の改正というテーマで議論に我々も加えていただいているわけですけれども、今の問題というのは、私の感覚で言うと三権分立の問題として非常に微妙な問題を含んでいるだろうと思います。それだからと言って、消極的になってはいけないと思いますが、行政の立場からの考え方というのも、かなり聞いてみないと、軽々には司法から見てどうか、救済から見てどうかというだけでは言えないのではないかという気がしております。
それから、先ほど実務の方が方向として、例えば福井先生御指摘のとおり、原告適格、あるいは処分性、成熟性、不確定概念というのを、それぞれできる限り客観化していこう。これは裁判を担当する我々にとって、それをしていただけると客観化ができてくるということだと、非常にその分だけ我々の負担は楽になる。まさにその当てはめに集中できるということがあると思うんです。
ただ、これからの話になると思いますけれども、それをどういう形で客観化するか。判例も何とか客観化の要素を一生懸命抽出しようという努力は重ねてきたと思うんです。そうしたものが十分であったかどうかは御議論いただくとして、これから客観化するときに、客観化に耐えられるファクターをどうやって選び出すかという御議論をこれから教えていただければと感じて聞いておりました。
それから、訴訟要件のところで、裁判所が門前払いをする数が多いのではないかという御指摘があったと思いますけれども、統計的なことはもし必要であれば、最高裁判所の担当官がいますので、そちらの方から説明してもらってもいいかと思いますが、勿論、我々の認識としても、民事訴訟に比べて行政事件訴訟の却下率が高いというのは重々認識しております。ただ、民事訴訟の場合、お金の貸し借りが全然なかった人が突然訴えてくるということはなかなかありませんし、仮にそうだとしても、それは棄却になるだけで、却下するという枠組みは取っていないわけです。
それに対して行政事件訴訟の場合には、先ほどから問題になっておりますように、どういうものが原告適格を持つのか、あるいはどういうことについて訴え出られるのかということについて、さまざま決めてきたわけです。それに乗らないで、だれしもが100 %それを理解して権利行使をしているという意識ではなくて、やはりいろんなことに不満がある、あるいはこれは是正しなければいけないと感じて出してきているものですから、そういう訴訟の中には、どうしてもその型に乗らないというものがままあると思うんです。
それから、実務でやっている者の感覚としては、正直申し上げて、民事訴訟に比べると、先ほど芝池先生が真摯な訴えとおっしゃられましたけれども、その尺度で測ったときに、その枠の中に入ってくるものとそうでないものと比率、結構そうでないものもあるということだけは御認識いただきたい。それがどういうものを真摯でないと言うのかということについていろんな御意見があろうかと思いますが、そういう意味で、実務に当たっている我々としては、例えば何らかの訴訟類型に何とか乗るんじゃないかと思うときには、かなりの補正命令を掛けまして、それに乗せるように努力しているつもりであります。実務では、恐らく民事ではなかなかやりませんけれどけも、第一次補正命令を出して、それで乗らなかった場合に、こうやったら救われるんじゃないか。こういうふうな考え方だったら、あなた乗る余地がありますよということをかなりサジェストして、第二次補正命令というものを掛けております。
そういうふうにして、決して裁判所がハードルを高くして、入り口を入れないということをやっている意識がないし、現実の訴訟記録を子細に見ていただければ、そういう補正命令を繰り返した跡、却下した事件についても、繰り返した跡というのをよく見ていただけるのではないかと思いますので、是非この辺りのところは御理解いただきたいなと思います。
それから、ちょっと気になりましたのは、どうせ行政庁を勝たせるつもりなのに審理をしているんじゃないかいうことがありましたけれども、勝訴率が9割だというところから、そういうところを根拠にそういう御発言になられたのかなと思いますけれども、少なくとも裁判をやっている者の立場から言わせていただきますと、結論については、常にそういう偏ったものがないように、だれもが自らを戒めながらやっているつもりであります。我々がどういう態度で臨んでいるかということについては、例えば勝訴率が9割だというところから推し量るのではなくて、現実のものを見ていただきたいなと思っております。
【塩野座長】 ありがとうございました。いちいち実はこういう事件もありましたということを言うのはあまり意味がないと思いますので、今の御意見は承らせていただきたいと思います。
【水野委員】 今日、3人の方、問題点をかなり挙げられたと思っております。あるいは実務家から見て、もっともだという御指摘もかなりあったと思います。
1点だけ小早川先生にお尋ねしたいんですけれども、私の聞き違いかもしれませんが、「分離=司法優位型」のところで、行政訴訟をやめてしまって民事訴訟に一本化するという議論の場合、どういう問題点があるということで、行政と市民との実質的な不平等を残したままでは問題がある。それから、悪しき当事者主義になるというのが行政訴訟廃止の場合の問題点だという趣旨でおっしゃったんですよね。
私どもに言わせると、その2点は、現状がそうなんですね。行政訴訟という類型がある現在でも、既に不平等が現にあるわけですし、悪しき当事者主義も現にあるんです。それは行政訴訟がなくなって、民事訴訟になればひどくなるとか、あるいは逆に言うと、行政訴訟があるからそういうものがないということではないと思います。
そこで、おっしゃった以外の点で、行政訴訟廃止論についての問題点というのが、あるのかどうかという点についてお聞きしたい。
【小早川委員】 直接の御質問は最後の点ですが、前半でおっしゃったことについても、一言申します。現状はおっしゃったような認識が正しいかもしれません。水野先生が実務の感覚でそうおっしゃっているんだから、そうだろうと思います。もしそうだとすれば、それはせっかく行政訴訟という制度があるのに、その趣旨にうまくかなった活用がされていないということではないかと思います。これは、制度はあるけれども、運用する人が同じだから、結局民事訴訟と同じようにしか運用されていないんじゃないか、だから、行政裁判所が必要だ、専門家を別に養成する必要があるという議論にもなると思うんです。いずれにしても、もし行政訴訟の制度が最初からなければ、そもそも問題は起きないわけで、問題意識すら出てこないだろうと思います。そこは1つ、前提だと思います。
今の点に関連して具体的な制度で言えば、例えば職権主義的な原理をどこまで入れるかというところがあります。また、その前提として証明責任をどう考えるか、要件事実をどう考えるかということがあります。民訴とは別に行政訴訟があるんだから、その行政訴訟にふさわしい訴訟の実務と理論がいかにあるべきかという議論が、十分展開されていない。
それから、最後に言われた点で言えば、そこは私が今日申し上げた具体論の第1とつながりますが、今の行政訴訟制度の中で批判はされながらも伸ばしていくべき部分というのは、行政庁の決定をつかまえて、それをとことん審査するという原理ではないか。そこは本当に生かされていれば、そこで綿密で奥行きのある審理、批判的な目で見た審理がされることになる。それが民事訴訟だと、どちらかというと、結論としての権利義務関係、現在の法律関係はいかになるのが正しいのかという、そこだけに行ってしまって、その途中でだれがどうしてそういう判断が出てきたのかというところの十分な審査がおろそかになりやすい。勿論、絶対だとは申しませんが、傾向的にそういうことが想定されるのではないかと思います。
【塩野座長】 よろしいですか。また、おいおい議論はしていただきたいと思いますが、他に何かございますか。あるいは今日のは少し抽象過ぎる。こんなことで国民の前で議論したって何もわからないから、もう少しわかりやすくというお話でも結構です。
【萩原委員】 前回と今回で、いわゆる法律用語をかなり勉強させていただいて、これは今説明していただくということではなくて、例えばこんな言葉がわからないということだけ申し上げますと、例えば、小早川先生のみなし拒否処分、その辺のところがわからない。あるいは、(3)にある仮の地位とか、そういうような言葉がときどきわからないのが出てきますので、少し理解に苦しむというのが正直なところです。
ただ、最後に福井先生の方からお話があったところで、客観化というところがございまして、環境の評価ということが非常に期待されているようなことでしたが、私、前回も申し上げたように、環境の評価を少し研究しておりまして、非常に期待されるところはうれしいんですけれども、過度の期待はいかがなものかなということで、ある意味ではこちらも心を引き締めて客観性ということに応えられる評価をできるようなことを考えていかなければならないということを非常に思った次第であるのと、今の段階で、司法によってはまだそれほど信頼性がない部分もあるということで、これから十分検討していただきたいなと思っております。
【塩野座長】 大分時間もまいりましたので、今日のお三人の報告に対する皆様方からの御意見は一応これで終わらせていただきたいと思いますが。
【成川委員】 1つだけ教えていただきたいと思います。
門前払いが大変多いという芝池先生のお話で、市村先生の方は、そうじゃなくて、いろいろ補正命令を出して、救っていますよというお話なんですが、日本の行政訴訟を受理した件数は、前回教えていただきますと、ほかの国に比べて極めて少ない。その辺の理由はどの辺にあるのかというのをちょっとだけ教えていただければと思うんです。
どうも、国民の方がこういう行政に対して何らか取消しなり文句を言うのに慣れていないということなのか、そうじゃなくて、そういう制度自身があるということさえも知らないとか、そういう国民の文化性とか問題もあるという議論はされているのか、その辺はどうなんでしょうか。
【塩野座長】 わかりました。その点、私は今、お答えになるよりは、少し調べて、事務局なり、どこが答えるのかが一番適切かも含めまして、学者の研究もございますので、まとめて御報告をするということにさせていただければと思います。よろしゅうございますか。
【成川委員】 結構です。
【塩野座長】 今日は大変示唆に富む御意見を承りましたが、先ほど市村委員の方から言われた行政と司法、あるいは三権分立の関係のことでございますが、やはり物の考え方がここで細部の制度設計にも微妙な段階で影響してくるところがあるんです。私が伺っているところで、今日の御議論も、大方のところはそんなに違いはないと思うんですか、微妙なところの最後の決断のところで、権力分立論が出てくるという可能性がないではありません。その意味では、比較法的な形での外国法制研究の方に御迷惑をお掛けするかとも思いますけれども、調査をしていただきたいと思いますのは、日本の権力分立というのは、どうも日本の権力分立なんです。どうも外国法制を勉強したと言いながら、結構日本的な権力分立なので、田中先生の権力分立で第一次的判断権というのは、ドイツの本を見てもあんなに厳しくは出てこない。それはやはり田中先生の権力分立論だと思いますので、その辺り少し整理をした上で議論をしていただきたいと思いますが、ただ、権力分立のところで、あまり大きな声で2つ議論がなされますと、後でなかなか整理が難しいところもありますので、検討会の先生方も、それぞれの自分なりの権力分立論はあるけれども、この検討会としてどういう形でまとめるのがいいのかという、それを今ごろから考えておいていただいた方がよろしいかと思います。今日も根本のところで少しずつ違っているところがあるなと思いましたので、その辺は今後どういう形で議論を詰めていくかということについて御協力をいただきたいと思います。
それでは、次回は事務局の方で御説明をするということです。
【小林参事官】 配布資料等の説明に入る前に、本日司法制度改革推進計画が閣議決定されております。各委員の机上に配布されておりますので、御参照ください。この推進計画の趣旨につきましては、1ページの初めにありますように、司法制度改革審議会意見の趣旨にのっとって行われる司法制度の改革と基盤の整備に関して政府が講ずべき措置について、その全体像を示すとともに、司法制度改革推進本部の設置期限、これは平成16年11月30日とされておりますが、それまでの間に行うことを予定するものにつき、措置内容、実施時期、法案の立案等を担当する府省等を明らかにするものでございます。
行政に関しましては、6ページにございまして、司法の行政に対するチェック機能の強化という項目の中で「行政事件訴訟法の見直しを含めた行政に対する司法審査の在り方に関して、『法の支配』の基本理念の下に、司法及び行政の役割を見据えた総合的多角的な検討を行い、遅くとも本部設置期限までに、所要の措置を講ずる。(本部)」ということに閣議決定がされましたので、御報告申し上げます。
それから、本日配布の資料、資料1〜3まで、事前の説明が遅れまして失礼いたしましたが、今日意見陳述をしていただいた委員の方々の資料でございまして、資料の4というのが、これが法務省大臣官房訟務企画課の作成いたしました「平成12年における訟務事務の概況」という資料でございます。
訟務と申しますのは、先ほどの意見の中にも出ておりましたけれども、国の利害に関係のある訴訟について、国の立場から裁判所に対して申立てや主張、立証などの活動を行うことを言うとされておりまして、このような活動を法務省が国の立場から統一的、一元的に処理する制度を訟務制度と言っているわけでございます。
国の利害に関係のある訴訟というのは、民事に関する争訟と行政に関する争訟がありまして、これらの争訟に関する具体的事件を訟務事件と言っております。そして、その処理に関する事務が訟務事務ということでございます。これらの事務を処理する訟務の組織としては、法務省の大臣官房に訟務総括審議官以下の組織が置かれるほか、地方実施機関として全国の法務局(訟務部)、地方法務局(訟務部門)がございます。その訟務事務に関する平成12年の概況を示した資料でございます。
統計に関しては、この資料の78ページに「訟務事件件数表」というのがございます。これは民事も含めているものですから、本検討会に関する部分は、行政、租税関係の訴訟に関する統計が参考になろうかと思います。
次の80ページにおきましては、その中の本訴、判決手続で行う本訴事件について、行政事件、租税事件と分けまして、事件内容の種類別に処理状況が統計資料とされております。
81ページ「第二 主要事件の概要」ということで、平成一二年に新たに提起され又は判決等のあった事件のうち主要な事件の紹介がその後、末尾までされております。
この資料は、訟務事務という観点から紹介しているために、中の主要事件の概要の説明も、民事訴訟と行政訴訟が両方含まれていることに御留意いただきたいと思います。
資料5は、外国法制の研究について、御報告をする資料でございます。先ほど御紹介いたしましたように、本日、研究の担当者として、アメリカ法について神戸大学の中川教授。フランス法について、立教大学の橋本教授。ドイツ法につきまして、東京大学の山本助教授に御研究をお願いすることにいたしました。
この研究の目的につきましては、その資料に記載してあるとおり、行政訴訟検討会における行政訴訟制度の見直しの基礎資料を得るため、研究を行っていただくものでございまして、秋ごろにはこの検討会にある程度の研究結果の報告をしていただこうということを考えておる次第でございます。
続きまして、資料6でございますが、今後の日程等でございます。第3回以降の日程の案を作成しております。検討会につきましては、第3回から第5回まで、そこの資料に記載されておりますような有識者、日弁連、総務省、消費者団体、市民団体等からのヒアリングを行ってはいかがかと考えておりまして、その上で第6回の検討会におきまして、委員間の自由な意見交換を行ってはどうかと考えております。
ヒアリングの時間につきましては、消費者団体、市民団体に関しまして、各15分程度、その他の有識者等に関しては、各30分程度を考えてこの日程を組んでおります。
それから、資料6の「参考」というところに、「7月 行政訴訟制度の見直しに関する意見募集」ということを記載しておりますが、事務局におきましては、行政訴訟制度の見直しに関しまして、この検討会における検討と併せて、広く国民の皆様からの御意見等を募りたいと考えております。この意見募集の進め方は、第6回の検討会の後、本年7月ごろに実施し、意見募集の結果は、事務局でとりまとめて公表し、検討会においても報告することを考えております。
以上でございます。
【塩野座長】 以上でございますが、何か御質問ございますでしょうか。訟務事務の概況についての説明、本当の概況でございましたが、先ほどの門前払いの問題については、先ほど申しましたように、数字も含めてもう少し中身に入った説明を次回、どなたかにしていただくということを考えております。
それから、外国法制の研究でございますが、およそドイツ行政訴訟はこうあるということを概論的に説明されても大変困りますので、私が考えており、また、既に外国法制の研究の方にお願いをしておりますのは、例えばで申しますと、小早川さんの今日のレジメ、資料1がございますね。それから、芝池さんのも、拾っていくと大体対応するものがあるし、福井委員のもそうなんですけれども、例えば若干の具体的論点の中で、取消訴訟の中で言えば、例えば規範訴訟の概況はどうなっているか。あるいは原告適格というのは、日本で言う原告適格という言葉はドイツ語ではどういう言葉で、それについて一般法はこうである。個別法はこうである。結果的に今度は日本の問題事例、日本ではこういった事例は却下になっているけれども、ドイツでは原告適格と同じような言葉の中でこれは救われているとか、救われているという意味は門の中に入ったという意味なんですけれども、そういったことで、日本人から見て外国法制はどうなっているかという形で絵を描いていただきたいと思っております。全部やれというのは大変なことですので、訴えの利益の問題と、訴訟類型の義務付け訴訟、差止め訴訟など。あるいは、仮の救済の辺りから手始めにやっていただいて、これではまだ足りない。例えば裁量審査のところを調べてくださいという御要望が出てくれば、それはそれとしてはお願いをするということになろうかと思います。
そういうことで、外国法制研究の方に大変御迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いしたいと思います。
第3回以降の日程については、今御説明したとおりでございまして、いろいろ御意見もおありかと思いますが、差し当たりこういう形で進めたいと思いますか、いかがでございましょうか。
【福井(良)委員】 ユーザー官庁と言いますか、遡上に上る役所についても、今後意見を聞く必要があると思うのですが、その辺の座長なり事務局の進め方のお考えがあればお聞きしたいと思います。
【小林参事官】 まず具体的な論点、あるいは改正の方向性というものがないと、なかなか現在の法制度を前提にしている行政官庁から御意見をいただきにくいのではなかろうかということで、そういう意味で有識者からのヒアリングを中心として、秋以降論点を整理し、あるいは論点についての議論をしていく過程で、その間、各省にもいろいろ情報を提供しながら、必要があれば御意見を聞くというふうに今のところ考えております。
【塩野座長】 よろしいですか。大体プレゼンテーションの方の性格にもよりますが、この日は長くなりそうだなというのもありますね。大体2時間半強を予定しておいていただきたいと思います。
それでは、今日はこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
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