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行政訴訟検討会(第2回)議事録



1 日 時
平成14年3月19日(火)15:00 〜17:30

2 場 所

司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者

(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小池信行、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫(敬称略)

(事務局)
松川忠晴事務局次長、大野恒太郎事務局次長、小林久起参事官

4 議 題

(1) 小早川委員、芝池委員及び福井(秀)委員の意見陳述
(2) 今後の日程等

5 配布資料

資料1 行政訴訟改革の基本的考え方と諸論点・レジメ(小早川委員説明資料)
資料2 行政訴訟制度の改革の視点と論点(芝池委員説明資料)
資料3 行政訴訟について(福井(秀)委員説明資料)
資料4 平成12年における訟務事務の概況(法務省大臣官房訟務企画課)
 (法曹時報第53巻第7号(平成13年7月1日発行)から引用)
資料5 外国法制の研究について
資料6 第3回以降の日程(案)

6 議 事

【塩野座長】 所定の時刻になりましたので、第2回「行政訴訟検討会」を開催させていただきます。後ほど、事務局から外国法制の研究の進め方についての説明があるとのことですので、そのときに改めて御紹介があることと思いますが、あらかじめ私の方から申し上げておきますと、外国法制について研究を行っていただく研究者3人の方、中川教授、橋本教授、山本助教授が、今日おいででございますので、お名前だけおっしゃってください。

【中川教授】 中川でございます。

【橋本教授】 橋本でございます。

【山本助教授】 山本でございます。

【塩野座長】 御専門はそれぞれ行政法、あるいは行政訴訟ですけれども、主として外国法ということですと、アメリカ法が中川さん、フランス法が橋本さん、ドイツ法が山本さんということになっておりますので、よろしくお見知りおきいただきたいと思います。本日の議事日程は、小早川委員、芝池委員及び福井秀夫委員から、行政訴訟制度の見直しの検討課題等につき御意見をお述べいただくということになっております。これは前回、御了承いただいたところでございます。
 まず、3人の委員の皆さんに続けて御意見をいただきます。その後10分程度の休憩をはさみまして、質疑応答の時間を20〜30分設けたいというふうに思っておりますので、よろしく御協力のほどお願いいたします。
 それでは、早速でございますが、小早川委員からプレゼンテーションをお願いいたします。

【小早川委員】 では、始めさせていただきます。お手元に若干の資料を用意していただいていますが、1枚は、資料1と書いてありますレジメが1枚ございます。今日のお話は、これに沿ってさせていただきます。
 直前に追加配布していただきました、参考図という簡単な図表がございます。これはレジメの内容の追加部分とお考えいただきたいと存じます。
 そして、もう一つホチキスで綴じた「行政訴訟改革の基本的考え方」というものがございますが、これは前回から配布されています『ジュリスト』掲載のシリーズものに、私も短いものを書きました。今、印刷中でまだ出ていないと思いますが、それの原稿でございます。時間がなかったものですから、ちょっとしり切れトンボになっていまして、今日はここに書かれたことの要点と、その他の具体的な論点と併せて御報告したいと思います。
 もう一冊、小冊子の形になった抜き刷りがございますが、これは『司法研修所論集』の抜き刷りですが、司法研修所で私、一度こういうテーマで報告をしたことがございます。最後のところにあります、平成12年9月ということで、もう一昨年になります。ですから、タイミングとしましては、今の制度改革の機運が起きる前でございまして、話のトーンも大分違います。ですが、テーマは共通しているものですから、かつて何を言っていたかということと、今から何を言うかということの間に多少差があるかもしれない、そういうことを、また後で批判されるかとも思いますので、最初から情報公開をするということで、適宜御参照いただければという趣旨でございます。
 それでは、早速でございますが、レジメと参考図に沿ってお話をさせていただきます。最初に行政訴訟システムが一体どのように役に立つのかということでありまして、それはさかのぼりますと、そもそも行政というものが、いかなる独自の存在意義を持つのかということとも関わるわけでございます。そういうことで話が始まるんですが、ただその前に、前書きがございまして、行政訴訟改革を論ずる際にも、具体的な制度論で論ずるか、それをリードすべき理念論レベルの議論なのか、その辺の区別もありましょうし、行訴法の改正を必要とする問題か、むしろ運用でもって対処していくべき問題かという仕分けもあるでしょうし、短期・中期的に手を加えるべきものと、長期的に議論をしていくべきものとの仕分けもあるかもしれません。その辺は、ここでは厳密には区別しませんで、差し当たりとにかく現時点で私が考えていることを率直に申し上げて、仕分けはおいおい必要に応じてやっていきたいということでございます。
 そこで、行政はいろんな利益を調整することができるわけでして、そこに書かせていただきましたように、民事訴訟も紛争の処理という形でもって利害対立を調整していくという機能があります。特に財産権を巡る対立とか、そういった場合にはもう民事訴訟がまさに適しているわけであります。
 ただ、問題となる利益が個々人の権利として主張されにくい種類のものであると、これは特定当事者間の民事訴訟という形では、必ずしも問題の全体がうまくつかまえられないということもあるわけでございます。そうすると、そこで行政が、その種の利益についての調整を行うという任務を与えられて登場するということがあり得る。昨今問題になります、土地利用問題であるとか、環境問題であるとか、消費者保護の問題であるとか、さまざまなものがこのカテゴリーに属するかと思われます。
 それだけでは勿論ありませんで、その他何らかの政策的な理由で、事柄を裁判所に任せずに行政という手法でもって処理していくという場合があるわけでして、税金なんかは多分理論的には民事訴訟で取り立てるということもできるでしょうが、そこは何らかの政策的理由で、行政の仕事ということに一応は仕分けがされることになります。
 そういういろんな形の行政による利益調整がありますが、現下の日本では、この行政がやや出しゃばり過ぎているのではないかという見方が有力であります。そこで規制緩和ないし規制改革、あるいは公共事業システムの改革、公共事業システムも何らかの意味での利益調整をしているわけでありまして、そういったものの見直しが必要であるということが一方である。そして、それと対を成すという意味も含めて司法改革、民事訴訟の機能の強化ということが現下の課題になっている。そういうふうに理解されるわけであります。
 そのように、行政機能については、大幅な見直しが必要とされ、現に進められているということを一方で前提としまして、それでも行政の機能は残るわけでありまして、そうやって精選され厳選された行政の機能、行政がさまざまな種類の利益の調整を行っていくという部分について、その機能をいかに適切に実現させていくか。そういう意味で行政の適正な遂行の確保、これをどうやっていくかということが問題であるわけです。それはさまざまなアクターがそこに登場するし、また、その適性に応じてそれぞれ活用されるべきものでありますけれども、ここではそのうちの個々の案件の処理に当たる行政庁と裁判所という2つのアクターを取り出して、その両者が適正な行政の遂行の確保という観点からしてどういう役割関係にあるのか。どういうふうに捉えるべきか。これが私の見ますところ、行政訴訟制度の在り方を考える際の1つの理論的な視点ではなかろうかと考えるわけであります。
 理論的にはいろいろ考えられるかと思いますが、現在の日本で、プラスにしろマイナスにしろ、現実に意味を持つモデルとして3つのものを考えてみたい。その第1が、名前を付けますと「分離=分立型」であります。
 これは、行政機関の活動のプロセスと裁判所の訴訟のプロセスとは制度的には別物だという、分離を1つの前提とし、しかし、分離はするけれども、国民の権利保護は必要ですから、その必要の範囲で裁判所が介入する、場合によっては行政裁判所でやったりすることもありますが、とにかくその権利保護の必要は最小限満たさなければならない。しかし、その場合にも、行政権と司法権との権力の分立という一種の憲法原理がそこに働く。通常の司法権の働きの場合とは違う抑制原理がそこに働くのだという考え方であります。これは一般に大陸型の、フランス流に言えば行政の司法からの独立という考え方から出発しているもので、日本も明治憲法下では基本的にこういう考え方が支配していたと思われますし、現在、行政裁判所は憲法体制の変化に伴って司法裁判所の役割に吸収されましたけれども、しかし、考え方としてはそういう考え方も残っている。ペーパーでは、恐らくこの考え方が戦後の特例法、及び行訴法の立案過程でもかなり強く作用したと考えられるという前提で、いろんな制度をこの考え方に結び付けて整理してあります。
 第2は「分離=司法優位型」でありまして、これは行政機関の案件処理の過程と裁判所のプロセスとを分けるということは同じだけれども、その次に権力分立を持ってくるのではなくて、むしろ司法権の優位を持ってくるという考え方であります。その考え方自体は恐らく戦後アメリカから持ち込まれた考え方に近いものだろうと思いますが、現行憲法の読み方としても、76条の理解としてこういう考え方は大いに妥当する部分はあるわけであります。
 先ほど、分離=分立型の考え方が戦後の立法を支配したようだと申しましたけれども、しかし、その中のリーダーの人たちの頭の中には、実は新憲法に伴って司法優位でなければいかぬという考え方もあったわけでして、私、ちょっと理論的に整備されないままだったんじゃないかという気はしているわけなんですが、それはともかく、後者の考え方からどういう制度が具体的に成立するかということは必ずしも言えない。1つの考え方は、一般私人が司法権に服する、その典型的な形が民事訴訟だとすれば、行政庁も同じように民事訴訟の形で裁判権の対象になるというのが1つの割り切った考え方ですが、全面的にそういうシステムを取っている国は外国ではあまりない。アメリカでもイギリスでもそうではないわけです。その辺はまた詳しいことは別の機会にお話があるかと思います。かつ、民事訴訟に委ねてしまうということが何を帰結するかということになると、これはいろんなシミュレーションをやってみなければいけませんが、大いに危惧されるのは、行政の実質的事実的な優位、行政機関と関係者私人との間の実質的な不平等をそのままにして、民事訴訟における当事者の形式的な平等ということをそれに重ね合わせると、実質不平等がそのまま制度的に固定され、あるいは拡大されてしまうという恐れがあるわけで、行政側の悪しき当事者主義という言い方がされますが、単純に言えば、要するに勝てばいいということで、いろんなことをやる。国民、私人の側はそれに振り回されるということになる心配が大いにあると考えられるわけであります。そこは注意を要することであります。
 第3が「連続=協働型」。連続とか協働という言葉はやや誤解を招く恐れもありますが、行政機関が行政を担当しているのは、法律なり条例なり、政治部門の正統な決定を前提にして、それを実施しているというのが基本的な形だと思われます。そうだとしますと、そこで法律なり条例なりにしたがって行政が行われるということだとしますと、これは裁判所もまさに、立法の趣旨が的確に実現されるようにするというのは、裁判所の任務でもあるわけでありまして、ですから、共通の目的を行政機関と裁判所との間でそれぞれの特性に応じてどう分担するかという視点が1つあり得るだろう。ですから、これは、分離よりはむしろ連続ということを強調しながら、そこに役割の分担を考えようという立場であります。
 以上3つの立場、必ずしもすべてが排斥し合うというものでもないと思いますし、連続=協働型と言っても、その場合における権力分立というのを強調するか、司法権の優位を強調するか、そこでニュアンスの差は出てくるわけでもあります。
 そういう性質の分類だということをあくまでも御理解いただいた上で、私としては行政として果たされるべき社会的な機能が本当に適正に、今、言いました政治部門の正統な決定の趣旨に従って実現されるということを担保するために、これまでもよりも更に裁判所の役割が期待されていると考えますと、恐らく最後の考え方がかなり役に立つのではないかと考えている次第であります。
 そこで、ここから先はジュリストの原稿には走り書きしかございませんで、今日のレジメの方を見ていただきたいんですが、具体的な論点としてどんなことが考えられるかということであります。一応、大きな点が(1)(2)(3)、その他の論点ということで(4)というふうに分けてみました。
 まず(1)は、現在、いわゆる取消訴訟中心主義というのは、系譜としてはさきの第1の考え方から出てきている面が強いと思いますが、行政庁の判断というものをまずつかまえて、それに対して誰かが不服であるというときに、その不服の当否を裁判所が審査するという、その限りではこれは行政庁と裁判所の役割分担の合理的な形ではないか。取消訴訟という名前がいいかどうかというのはあるのですが、今言った限りでの基本骨格というのは一応、維持してもいいのではないかというのが私の差し当たりの感じであります。
 あまり時間がございませんので、少しはしょりますが、追加で配っていただきました参考図、これが現在の最高裁の判例の下での取消訴訟の構造だろうと思っておりまして、そういう取消訴訟というのはいろいろ限界があるのではないかということを言いたいのです。処分というのは、そもそも権利義務に関する決定であるということで、さっきさまざまな利益の調整と申しましたけれども、その中で権利の調整という形を取るのが処分である、そういう処分の存在というのがまず前提になる。その処分によって今まで持っていた権利を減らされる者、あるいは自分はこういう受給権が欲しいと言って申請したのに、拒まれた者、これがまず取消訴訟の主たる利用者のモデルになるわけでして、そういう人は出訴ができる。裁判所が違法認定をしてくれると、その結果処分が取り消されるということになる。そうすると、権利を減らしますよ、あるいは権利を拒みますといった処分が取り消されるので、少なくとも権利を減らされた分については回復されることになります。他方で、行訴法の言葉でいうと拘束力、これは違法認定について生ずるとされていますが、これが行政庁を拘束するので、一旦拒まれた権利についても、行政庁はその結果、認めざるを得ない。あるいは一旦減らしたのが取り消されたのであれば、後でもう一度同じことをやってはいけないというような形で権利の実現あるいは確保が図られる。これが、権利を中心にした取消訴訟のシステムであります。
 判例はそれを若干広げているわけですが、それが図の右側です。権利の調整でなくてもいい、ただし処分でなければいかぬということで、最初には権利の問題が出てくるわけですが、しかし、その処分によって権利以外の利益も調整される。イコールと矢印の違いというのはそこです。そこで、その利益を減らされたものがそれに対して不服であるというときには、出訴する訴訟の可能性はあります。ただし、判例によればそれはかなり限定されるわけでして、いわばその法律が個別に保護することを意図している利益、すなわち個別保護利益についてのみ出訴ができる。そこで例えば、伊達火力の判決で言いますと、埋立免許によって、埋立区域外の隣の海面で漁業を営んでいるものが、仮に不利益を被るとしても、それは個別に保護された利益を害されるわけではないから、だから原告適格はないというわけです。そのような仕分けがされてしまう。今の例で言いますと、仮に個別保護利益を有する者がいれば出訴ができて、違法認定されれば処分が取り消される。処分が取り消されることによって埋立てという行為はされなくなるということで、法律的にというよりは、むしろ事実上の因果関係にしたがって、自分の利益が維持される。そういうことになるわけです。これが現在の取消訴訟の形ですが、個別保護利益に限るというのは必ずしも筋が通らない。行政というのはもっと広い利益の調整を本来の任務としているわけで、それを確実にやっていくために裁判所がお役に立ちましょうというのであれば、やはり広げるべきであろう。
 更に、さかのぼれば処分についても、処分イコール権利の調整というのは、これもちょっと狭過ぎるんじゃないか。権利ではなくて利益の調整についても行政庁が重要な決定をするというのであれば、これは同じように訴訟に持ち込んでいいのではないか。処分性と原告適格の両方について問題があるだろうということであります。
 なお、「取消し」というのが、もともと権利を制限する処分についてその処分を取り消す、したがって権利が回復するという意味だとしますと、基本的にはむしろ違法認定というところにこそ裁判所の果たすべき役割があるのではないか、果たして取消訴訟という名前がいいのかという疑問もあります。これが第1点であります。
 (2)は、取消訴訟中心主義に対するアンチテーゼとして、何よりも義務付け訴訟の問題というのが常に提起されるわけであります。ただ、取消訴訟と義務付け訴訟を並べて法定すると、その間での選択の間違いで不適法却下が増えるとか、そういうことが起きてくる可能性もあります。私としては、最近のフランスの立法が参考になると思っています。要するに、基本は今の取消訴訟に似たような訴訟類型にしておく。実際問題としては、給付申請拒否処分の取消訴訟というのは、大抵の場合は取消判決で実は片はついているんだと思うんです。特殊な場合に、いろんな拒否理由が複数あって、そのどれが考慮されているとかないとか、審理されたとかされていないとか、そこにまだ裁量の余地が残っているとかいないとか、そういう話になってくるわけですが、それは例外なのではないか。だとすれば、取消判決に付随して、こういう理由で取り消した場合には、行政庁としてこういうことをすべきなんですよという説示を、訴訟法的にどういうことになるのか問題はあるかもしれませんが、裁判所が行政庁に対してするという方式があってもいいのではないか。訴訟の入口でどういう形で訴訟を起こせという話よりは、もう少しそういう柔軟な形が、だらしないかもしれませんが、あるのではないかということをちょっと考えております。
 拒否処分の取消しの場合には、現行法では取消判決の拘束力の規定で処理されることになっていますが、これは一般人には分かりにくい話なんで、この場合も裁判所として、ここは間違っているんだから、そこに気を付けてやり直せということを何かの形ではっきり分かりやすく書いたらどうか。現在ではそれは理由中の書き方で工夫はされているのかもしれませんが、利用者に対してはその方が親切ではないか。そういうことを裁判所にさせるからと言って、権力分立原理に反するということはないだろう。先ほどの役割分担の1つであると考えればいいということであります。
 不作為違法確認訴訟も、複雑で評判がよくないんですが、みなし拒否処分取消訴訟ということにしてしまってはどうか。とにかく本案の土俵に行政庁を引っ張り込んで、後付けでもいいから拒否の理由を言わせて、それを審理する。そこで何も出てこなければ、それは理由はないということになるという方が、制度として簡明ではないかと思います。
 不利益処分については、これは話の筋が違いますが、その事前差し止めは多少柔軟に認めていいのではないかと考えています。
 それから、(3)は「仮の救済」でありまして、この辺などは特に2つのプロセスが連続したものと考えるべきではないか。従来行政処分の執行停止というのは、これは性質上は行政権の行使なんだから、裁判所は遠慮しろというのが立法の出発点であったようでありますけれども、そう考える必要はない。1つの行政作用の案件を行政機関と裁判所が連携して処理していく、その中で誰にどういう一時仮停止の権限を与えるかというのは立法制度の問題と割り切っていいのではないかと考えております。そういう前提に立って、今の執行停止の要件というのはもう少し緩和してもいいのではないか。勿論、個別法で違えるというのもあり得ますけれども、あまり複雑になってもよくない。できるだけ一般法の要件緩和ということを考えてはどうかと思います。
 申請についての、仮に申請が認められたものとするという仮の地位を定める仮処分はどうか。これはドイツの義務付け訴訟ではそれができるわけですが、日本の裁判所には、これは憲法論はクリアされているはずですが、しかし、やはり役割の適正な分担という点からすると、ちょっと裁判所に荷が重過ぎるかなということで、これはクエスションマークが2つ付いております。金銭の給付の場合と現物の場合、それから公共の秩序に関わりのある許可申請の場合とか、いろんなケースがあると思います。
 内閣総理大臣の異議については、廃止の方向で考えたい。その代わり、25条7項の見直しと書きましたが、要するに、裁判所の審級の中で地裁の執行停止決定の更に執行停止が得られるようにしていけば、それで大分カバーできるのではないか。
 (4)の「その他の論点」の方は、項目だけごらんいただければと思いますが、さっきの第1点で、行政庁の判断についての不服という基本骨格を維持するということは、今の取消訴訟の出訴期間による制約をそのまま残すということになりますが、それが裁判所の道を狭めていくということも事実であります。
 それに対してはいろんな形でよけいに門が狭くなっているところは少し広げなければならないということで、不服審査前置の、個別法の膨大な規定を見直す必要がある。それから、刑事訴訟との関係では、違法の抗弁は広く認めることにして、その分、権利救済の期間制限による制約を緩めようということ、無効事由の認定についても考え直してもいいかなということ、違法性の承継もできるだけ柔軟に考えることなどで、出訴期間による制約というものを技術的に軽減していってはどうかということであります。
 あとは一般に言われているように、被告を行政庁にするか、国等の法人にするかという問題。
 それから、裁判管轄をどうするか。それに関連して、行政事件の専門部なり集中部なりというものを、今よりも多く設けていただくということが是非望ましいとは思います。また、これはいろいろ考えなければいけませんが、参審制というものも、国民と行政との付き合いの1つのスタイルということで考えてみる必要があるのではないか。
 関連請求の縛りが今のままでいいかという問題もあります。
 裁量審査についての30条の規定の文言がどうも時代遅れだということもあります。
 証明責任の問題。これはいろいろ議論があって、立法的に解決するという話ではないかもしれません。
 事情判決は、私はこのままでも基本的にはいいのかなと思っていますが、ここは皆様どうお考えになるか。
 そういうようなところが個別の論点でありまして、最後の1行に書きましたのは、さっきの参考図でお話ししましたところからしますと、権利の保護、あるいは具体的事件性というような憲法上の概念との関係はどうなのか。仮にその辺は柔軟に行政訴訟の制度をつくり直していくとしますと、これは憲法上の司法権の概念より、ひょっとしてもっと広くなるのかもしれないんですが、別にそれで悪いことはないだろう。バランスを失して広くなると、そこはまさに権力分立の問題になるかもしれませんが、そこは憲法上の司法権と行政訴訟制度の組み立てを1対1で対応させる必要は必ずしもないのではないかということであります。
 それから、行政訴訟一般法制をどうするかということと別に、個別の、例えば都市計画なら都市計画のがっちりした仕組みが個別法でできているわけで、その中に特別の訴訟の制度を組み込むということができれば、大変好ましいことだと思うんですが、そういう立法がなかなか難しいということだと、やはり一般法制で頑張る方がいいのか。その辺は戦術、戦略の問題ということもあるのかもしれません。
 といったところです。

【塩野座長】 どうもありがとうございました。
 それでは、先ほど申しましたように、引き続いてプレゼンテーションをお願いしましょう。芝池さんお願いします。
 本来ならば資料説明を先にしなければいけなかったんですが、それを抜かしましたので、自分で資料説明をしてください。

【芝池委員】 それでは、私の方から「行政訴訟制度の改革の視点と論点」ということで、簡単に意見を述べさせていただきます。
 初めに「総論的プレゼンテイション」というところでありますが、ここでは行政訴訟制度の改正問題を論じる場合、論点が非常に多岐にわたるわけでありますけれども、私がこれからお話しいたしますことは総論的なことであるということを言わんとしているところが1のところであります。
 個別的な論点と考えますのは、レジメの3ページに列挙しております。これ以外にもあり得ると思うのですけれども、思い付きましたのは、そこに書いてあります27の項目であります。この個別的な論点は省略をいたしまして、総論的な問題点についてだけ述べることにしたい。あるいは私の希望のようなものを、そういうものを列挙したいと考えます。
 2で「千載一遇」としまして、「抜本的改革」と書いておりますが、千載一遇というのは、後から考えまして少々誇大表現だと思っておりますけれども、数年前までは行政事件訴訟法の改正の展望は、これなどは持ち得なかったわけであります。この間、行政訴訟制度の改革の機会を得たわけでありまして、せっかくの機会であるというふうに考えております。そういう意味ではこれが可能であればということでありますが、抜本的な改革にチャレンジすべきだと考えております。今回、恐らく至り得るであろう改正は、極論しますと、どのようなものでありましても、現在の制度よりはよくなることは確実だろうと考えます。ですから、どの点を、そして、またどこまでよくするのかという判断が大切であろうと思っております。
 それから「3、裁判の位置づけ・意義」のところでありますが、これは省略をさせていただきます。
 「4、userfriendly な行政訴訟制度」ということを書いておりますが、行政訴訟制 度の在り方を考える場合、この点が最も大切ではないかと思います。ここでユーザーと言いますのは、国民のことでありまして、国民が利用しやすい制度をつくり上げることが必要なことであろうと考えるわけであります。現在の制度ははなはだ使い勝手が悪いところがあるわけでありまして、いわゆる門前払いが非常に多いわけであります。訴訟を起こすための形式的な要件が欠けるという理由で裁判所が裁判を拒否するというのが門前払いでありますが、そういう門前払いが非常に多いわけであります。
 その原因を考えてみますと、1つは、複数の訴訟形式が行政事件訴訟法において定められております。それに加えまして、民事訴訟があるわけでありますが、そういう複数の訴訟の選択について、原告、すなわち国民による自己判断と言いますか、自主的な判断に、訴訟の選択が委ねられているというところに1つの問題があるだろうと考えられます。行政訴訟に関する論文を見ておりますと、訴訟類型、選択負担という用語を使っておられる方があります。
 2つ目の問題点としまして、それぞれの訴訟に固有の訴訟要件がありまして、この訴訟要件を満たしていない場合、やはり門前払いになってしまう。相撲で言いますと、そもそも相撲を取らせてもらえないということであります。当然民事訴訟的な発想があるのかもしれませんが、こういう土俵に上る前の段階で、訴えを退けられることが非常に多いという点を改善する必要があるのではないかと思っております。
 ただ今度は、国民の方が提起しますすべての訴訟の許容、すべての訴訟が許容されることを意味しないわけでありまして、法律的な基準ではありませんけれども、真摯な訴えであれば、訴訟を認めるような制度を構築する必要があるのではないかと思っております。真摯な訴えと言いましても、これも相対的な形でありまして、非常に思い詰めた訴えでなければいけないのかという問題があるわけでありますけれども、そこまで厳格に考える必要はないだろうと思います。
 それから、次に「5 裁判官にとっても使いやすい制度? 」と書いておりますけれども、これは多少誤解を招く表現かもしれません。私の問題意識は、以前次のようなことを弁護士をしている友人から聞いたことでありまして、それは裁判官は労働事件の場合、企業の労働事件、民事訴訟ですが、この場合は割にフランクに対応するけれども、公務員事件になるとかたくなるという言い方、身構えると言ったか覚えておりませんけれども、要するに、民間企業の事件とは、そもそも対応の仕方が違うということを聞いたことであります。
 この理由はよくわかりません。法律論では説明が付かないものかもしれませんけれども、1つ考えられますのは、裁判官の方々が行政事件にあまり慣れておられないということがあるのではないかと考えられます。
 そうしますと、行政訴訟を専門的に担当する機構をつくればどうかということになるわけであります。既に何人かの人が指摘されておられると思いますが、行政不服裁判所を設置するということがその延長上に課題として出てくるということになります。
 ただ、行政不服裁判所というのは、司法権の枠内での行政事件を扱う裁判所のことでありますが、1つは、リスクとして考えられますのは、民事訴訟に対する行政訴訟の独自性が強調されることになるのではないかということであります。これをどう評価するかというのは難しい問題なんですけれども、戦後の憲法において、行政裁判所が廃止されまして、裁判制度が一元化されたということでありますけれども、その点に1つの積極的な意義を見出すのが戦後の憲法学なり行政法学なりの考え方であったと私は心得ております。
 そうしますと、行政不服裁判所のようなもの、これは行政裁判所そのものではないんですけれども、これを設けますと、戦後の改革の持っていた1つの意義が損なわれる可能性があるのではないかと考えます。この点は、やはり慎重に考えるべき問題であろうと思っております。
 次に「6、行政訴訟改革と法制度設計論」でありますが、これはこちらの個人的な関心でメモったところでありまして、省略をさせていただきます。
 そこで次に「7、行政訴訟制度改革論議の在り方」のところにまいります。私はここにおいでの塩野先生、小早川先生と御一緒に行政手続法の制定に関与させていただきましたけれども、そのときに感じたことでありますが、行政手続法の場合は創設でありますし、行政訴訟の場合には改革になりますが、そういう法制度の改革なり、創設を考える場合、多元的な取り組みが必要なのではないかということであります。1つの案だけが制定レベルにおいてつくられるというのでは、どうも不十分であるように考えられます。情報公開制度の場合は、御存じのように、条例による制度化が先行しておりまして、それが多元的な議論の代わりの役割を果たしたのではないかと思っております。行政訴訟制度の改革というのは非常に重要な制度の体制でありまして、今申しましたような意味での多元的な取り組みが必要でありますし、本検討会におきましても、そういう案を積極的に参考にするという作業が必要であろうと考えられます。
 その点に関連しまして、この行政訴訟制度の改革に関しまして、考えておりますことを付け加えておきますと、行政訴訟制度の改革という作業は、これは社会の中の各種勢力という言葉を使いますが、各種の勢力が自己の考えをいかに多数派にして、その実現を図るかという問題ではないだろうと思います。行政訴訟制度の改革と言いますのは、解答を模索する試みであります。解答はなかなか見つからない。見つけることが非常に難しい課題でありまして、したがいまして、関係者の競争ではなくして、協力が必要ではないか。相互に協力をしていく、そういうことが必要ではないかと思っております。
 それから「8、行政訴訟制度改革の基本哲学」のところでありますが、司法制度改革の審議会の答申におきましては、法の支配ということが強調されております。他方におきまして、研究者の書いた論文を見ますと、裁判を受ける権利の保障とか、実効的な権利保護ということが言われております。前者の法の支配と言いますのは、英米法的な表現でありますが、その意味するところは、9のところで書いてありますけれども、行政統制を指向しているように見受けられます。これは正しい理解ではないかもしれませんが、そういう気がいたします。
 それから、後者の裁判を受ける権利の保障とか、実効的な権利保護という理念の整理の仕方と言いますのは、特に権利保護という用語において顕著なわけでありますが、ドイツ法的な表現であります。同時に、まさに国民の権利保護に重点を置くという考え方であります。この検討会におきましても、いずれの理念に立脚するかによりまして、結論が微妙に代わってくる可能性があるのではないかと思っています。
 それから、2枚目にまいりまして「9、行政訴訟の役割」のところでございますが、「権利保護+行政統制」とされております。この点、少し詳しくやりますが、この問題と言いますのは、権利保護か行政統制かと言いますのは、行政訴訟の役割の理解に係るものでありまして、基本的な論点であります。同時に、憲法解釈の重要問題でありまして、憲法学上は司法権の観念という問題の方向で論じられているところであります。そして、この司法権の観念の問題は、行政権と司法権の関係に関わる問題であります。この問題は単純化いたしますと、権利保護主義と行政統制主義に分けて対比をすることができるのではないかと思います。
 現在の行政事件訴訟法は、どちらかと申しますと、いわゆる客観訴訟は別といたしまして、権利保護主義を取っているように思われます。同時に、行政訴訟は行政統制という役割を客観的に果たしているわけであります。国民の方は、権利保護と同時に、行政統制を期待しているのではないかと考えられます。行政法をやっている者はよく法治主義という言葉を使うんですが、法治主義の保障という点からも、裁判所の役割というのは非常に重要なわけでありますが、その場合には、どちらかと言いますと、行政統制の方につながっていくのではないかと考えます。
 この行政統制の重視が、現在設けられております取消訴訟という訴訟がありますが、この取消訴訟の制度を温存し、活用するという方向に働くように思われます。取消訴訟と言いますのは、行政活動という行政処分の適法性を統制するという役割を持っているわけでありまして、したがいまして、行政統制という理念と取消訴訟という制度は結び付くと考えられるところであります。
 私は以上のように、行政統制の視点を強調いたします意図は、裁判所から自由な行政の干渉を図りたいと考えているからでありまして、権利保護の視点だけでありますと、裁判所の審査を受けない違法行政が起こる可能性があります。体験的な印象で恐縮ですが、裁量を濫用しているという意味での違法行政は少なくはないだろうと思います。法律とか条例、省令、そういう法令に違反している行政というのは、ほとんどないと思いますけれども、裁量を濫用するという行政は割合と多いのではないかと思います。しかし、そういう事態は法治国家と言いますか、行政統制の視点からは、やはり放置すべきではないわけでありまして、この問題を行政訴訟制度の改革の課題の1つとして、取り入れることはできないだろうかと考えております。その場合、課題になりますのは、裁判所がどこまで行政統制という目的のために介入し得るかということであります。
 それから、「10、『法の支配』、『裁判を受ける権利』を損なわない行政訴訟制度」ということでありますが、これは先ほど申しました行政統制と権利保護という2つの理念から言いますと、権利保護に関わる問題であります。
 具体的な制度の在り方としましては、先ほど申しました真摯な訴えについては、門前払いがなくなるような制度でなければならないのではないかということであります。これは理論的には法の支配、ないし裁判を受ける権利の保障から要請されるであろうと思われます。
 更に、門前払いは次の11に書いてありますような実際的な面からも抑制される必要があるのではないかということでありまして、次に「11、近代国家の論理と裁判拒否(門前払い)」というところにまいりますが、大学の法学部に入りますと、法学入門で勉強するようなことでありますが、近代国家におきまして、裁判制度が形成、整備されると同時に、その反面といたしまして、国民が自力で救済、つまり自己の権利の実現を図るということでありますが、自力救済が禁止されます。
 先ほど来、問題にしております門前払い、すなわち裁判の拒否が限度を超えて行われますと、自力救済を誘発する可能性があるのではないかということであります。現在、我が国ではしばしば、例えばマンションの建設を巡りまして、政治家に頼むとか、政治家の利用が行われております。これは自力救済では禁止されている救済ではないわけでありますけれども、一種のルール違反のような気がします。無論、暴力に訴えるということになれば、自力救済でありまして、そういうことは行われてはならないのですけど、そういうことが行われる可能性があるわけでございます。こうした事態を回避するため門前払いはできるだけ少なくする必要があります。
 それから12番に「隙間のない制度」と書いておりますが、これも門前払いの問題に関するものであります。
 よく我々、行政法研究者の間ではキャッチボールということを言います。民事訴訟と行政訴訟との間でのキャッチボールでありまして、図式的に申しますと、民事訴訟を提起すれば、裁判所は、「行政訴訟を提起すべきである」、他方で、行政訴訟を起こしますと、「民事訴訟を起こせ」という態度を取るということであります。
 この点で、評判のよくない最高裁の判決が、確か1981年のものだと思いますが、大阪空港訴訟と言われる訴訟に関する最高裁の判決でありまして、原告の方は民事訴訟を提起して、最高裁まで争ったわけでありますが、最高裁は「行政訴訟をできるかどうかはともかくとして」という弁解をしながら、民事訴訟を却下したという判決であります。ですから、先ほど申しましたキャッチボールよりもたちが悪いということになります。むしろ民事訴訟と行政訴訟の間では、重複するところがあってもよいのではないかというふうに考えるわけであります。
 それから、隙間のない制度という点で言いますと、仮の救済ないし、仮の権利保護の制度によりましても、隙間があるわけでありまして、これは個別の論点の27のところで挙げているところでありますが、仮処分制限規定というのがあります。行政事件訴訟法44条でありますが、公権力の行使、すなわち行政処分については仮処分をすることができないということを定める規定でありますが、この行政事件訴訟法44条がある結果、仮の救済ができない場合というのがあるわけであります。この点はまた機会があれば詳細に述べさせていただきます。
 それから「13、民事訴訟と行政訴訟の役割分担の基準」の問題があります。これは12 の隙間のない制度に関連する論点でありまして、民事訴訟と行政訴訟をどのような基準で画するかという問題です。
 現在は、公権力の行使、及び公法という基準で利用者、すなわち民事訴訟と行政訴訟の役割分担が図られております。すなわち、取消訴訟のようなものは公権力の行使について認められる。あと、行政訴訟の中に公法上の当事者訴訟という訴訟がありますが、これはまさに公法に関する事件について用いられる訴訟形式であります。ところが、この公権力の行使、あるいは公法という基準に対しては近年学説上批判が強いわけであります。ところが、この公権力とか公法という基準を使わないとしますと、民事訴訟と行政訴訟の間の役割分担がどういうふうになっていくのか。どういう基準で両者の役割分担を図るべきかという問題が出てくるわけであります。この点は私も名案はございません。この検討会で考えることができればと思っております。
 次に「14、現代的訴訟・公益訴訟への対応」の問題があります。これはまさに現代的な問題でありまして、行政の領域で言いますと、環境行政とか、消費者行政とか、あるいは文化財の保護行政、こういったところで問題になる訴訟であります。環境とか文化財というのは、言うまでもなく国民の共有財産でありますから、ものによりますけれども、その破壊に対しては、すべての国民が利害関係を有することがあります。それから、消費者の場合、民法の場合は、消費者というと被害者が考えられるわけでありますが、行政ないし行政法で消費者と言いますと、これは国民一般であります。消費者行政というと、国民一般の保護を図るということでありますが、こういうふうに3つの領域では、国民一般が利害関係を持って登場するわけであります。
 こういう分野で行政訴訟を認めるとしますと、考えようによりましては、すべての国民が原告になれるということになってまいります。しかし、これは不都合と言いますか、そこまで認めるような考え方はないわけでありますが、そうしますと、こういう行政の領域ではどういう解決策を図るかという問題があります。
 そこで、言われておりますのは、団体に訴訟の資格を認める。例えば環境保護団体とか、消費者保護団体に訴訟の資格を認める。これは団体訴訟というわけであります。ところが、この団体訴訟に関しましては、学説上は現行法上も認められるという説と、個別法で解決すべきであるという説があるわけでありますが、この個別法に委ねるというのがどういうことになるのかという問題があります。この話は17のところでもう一度触れたいと思います。
 それから、15の論点でありますが「根幹的問題としての違法性(とくに裁量限界ないし審理方法)」と書いてございますが、先ほど門前払いの話をしました。門前払いに遭わないで訴訟をすることが認められるとなりますと、あと、裁判所は違法性の審理を行うわけでありまして、その意味で違法性というのは非常に重要な根幹的な問題であるということになります。
 この違法性の中には、法律とか政令とか省令のような法令に対する違反があります。この法令違反の認定はそう難しくないと思うんでが、難しいのは、裁量権が行政庁に認められている場合でありまして、現在は、行政事件訴訟法が裁量権の範囲の逸脱、それから濫用がある場合について裁判所による行政処分の取消を認めているわけでありますが、これは先ほど小早川さんも言及されたわけでありますが、基準としては、非常に緩やかなものであります。
 そういうわけでこの検討会では、十分に議論しまして、現在の行政事件訴訟法に代わる裁量権の行使についての行政の判断基準をある程度具体化をしたものをつかみたいというふうに考えています。
 それから「16、国・公共団体の控訴・上告」というふうに書いてあります。あるレポートによりますと、一審で国民、原告が勝訴をし、そして控訴審で、国と表現されておりましたが、国が逆転勝訴する率は80%くらいだということでありまして、ですから、第一審、地方裁判所で国民の方が5回勝ちましても、控訴審に行けば4回は負けるということであります。
 これは新聞で読んだ話でありますが、まだ最高裁がある、というのは本来は第一審で負けた国民が言うべき言葉であろうと。ところが、最近は行政庁の方がそういうことを言っているということを聞いたことがあります。こういう事態もあまり正常ではないわけでありまして、控訴・上告制度について、何か工夫をすることができないものかというふうに考えております。
 それから、「17、一般法と個別法」というところでありますが、先ほどの団体訴訟がその例だったんですが、問題によっては個別法で定めるべしというふうに言われる場合があります。そこでこれは実務家の方にお聞きしたいんですが、訴訟に関して統一的対応というのは、法務省だけが成し得ることかどうかということでありまして、例えば地方自治法で住民訴訟についての規定があります。そういうふうに、法務省以外の省庁の管轄の法律で、訴訟に関する規定が置かれるというのはあるわけでありますが、この辺りはどうなっているのか。また、あとで御教授をいただきたいと考えます。
 それから、最後に「18、判検交流」ということでありますが、これは裁判官と訟務検事が行ったり来たりするという制度であります。判検交流が行政事件訴訟法には規定がありません。直接には関わっていない論点でありますが、行政訴訟の在り方に、国民のための裁判ということを考えますと、看過できない問題ではないかというふうに思っております。どうもこれは公平に反するとは言いませんけれども、公平感覚には反するんではないかというふうに考えます。この判検合流はあまり国民の方は御存じないわけでありまして、この結果、こういう制度を取った被告の国に有利になっているとすれば、一種の秘密兵器のような感じがするわけでありまして、何とか本検討会でも改善策をというふうに考えております。
 あとは27項目のところですが、個別論点を挙げておりますが、これらの問題に関しまして、また機会がありましたら意見を述べさせていただきたいと考えています。
 以上でございます。

【塩野座長】 どうもありがとうございました。
 それでは、引き続きまして、福井秀夫委員の方からお願いします。

【福井(秀)委員】 福井でございます。資料3に基づいて御説明させていただきたいと思います。
 資料3の1枚紙、「行政訴訟について」というタイトルのレジュメに沿ってお話しします。後ろにいろいろ資料を付けましたが、今日、申し上げるお話しは、例えば塩野先生の古稀記念論文集の中の行政訴訟論「権利の配分・裁量の統制とコースの定理」、訂正文が載っておりますが、自治研究の76巻7号、日経経済教室の1年6月29日、この辺りの議論を要約したものです。
 まず、第1は「行政訴訟の原告・被告格差」という点です。これは先般、自己紹介のときにもちょっと申し上げましたが、私自身、収用訴訟、河川訴訟を中心に、国ないし大臣の被告指定代理人を多数やった経験がございますが、そのときの経験も踏まえて若干のコメントをしたいと思います。
 まず、原則は基本的には私人ですので、国家賠償や取消訴訟につきましても、個人として争うということになります。したがって、当然自分の権利の回復のためとは言え、裁判のために膨大な時間や予算や労力を割くわけにはなかなかまいらないということは当然でございますが、反面、被告は大変この点恵まれた立場にありまして、人事ローテーションの一環として指定代理人などに任命されますので、端的に言えば幾ら時間が掛かっても構わないということがあります。
 また、予算につきましても、例えば証拠調べなども、行われた処分のそのとき存在していた証拠ということではなくて、後付けで正当化するために一流の鑑定人に依頼したり、あるいはコンサルタント会社に膨大な試算や調査を依頼したりということで、かなり有利に証拠調べを展開することも実際上は可能です。
 人的労力という点も、行政庁でも重要な事件については、恐らくそれなりの人事配置をしていますし、何よりも強力なのは法務省訟務局の応援でして、訟務検事の方々は大変俊英の方だと認識しておりますが、行政庁と訟務検事とが一体となって、かなり労力だけでなく能力も投入するというのが実態です。
 時間は幾ら掛かっても構わないし、お金もかなり掛けられる。更に法律論や事実認定の面でも相当の労力、負担をして行政庁の行為を正当化するための体制が組まれているということですので、勿論、内容の当否についてはいろいろ議論があるでしょうが、少なくとも手続における対等性という点では最初からかなり原告に不利となっているということは、現行制度の下ではやむを得ないという実情だろうと思います。
 原告にとってみれば勝ちたいでしょうが、どこかで息切れが生じるということもやむ得ないところでありまして、こういった点について、行政訴訟の目的の1つが権利救済だけではなくて、例えば適法性のコントロール、あるいは行政統制ということであるとして、本当にこういう実態でいいのかということも重要な論点の1つではないかと思います。
 また、証拠の取捨選択や主張につきましても、一応原則は民事訴訟の原則ですので、自己に不利な証拠を進んで提出する義務がないという現行の訴訟法上の原則のため、当然ですけれども、行政庁は自分に不利な証拠をわざわざ裁判所に出すということは決して一般的にはいたしません。そういう意味で、客観的に存在している証拠が裁判所にそのまま出て公正に判断されているかというと、必ずしもそうではないという実態もあります。
 事実はともかくとして、法律論については、客観的な解釈は当事者の主張に関わりなく最後は裁判所が決めるんですけれども、一般的な行政庁や訟務検事の対応としては、法律論についても勝てそうな理屈は相互に矛盾していても、ありったけ並べるというのが戦略であり、そういう意味で、相互に矛盾していても、どれかでけられても、次にこの理屈で救ってもらいやすいということをありったけ考えるというのが重要な仕事です。例えば今はさすがにこれはやっていないのですが、私が代理人をやっていたころには、都市計画法の事業認可は処分じゃないから却下せよと一方で言いながら、仮に処分であったとしても、後ろの収用裁決には違法性は承継していないから、その点は争うなということを同時に主張する。これは相互に排他的な主張ですが、こういう主張もしていた時期があったということです。
 そういう意味では、もともと行政庁に法解釈のノウハウなどが蓄積されていることもあって、原告にはかなり苦しい闘いであることが一般的と思われます。
 「実体法の構造」という点ですが、これは行政訴訟は基本的に行政庁の処分を争うということですが、その処分がいかなる要件の下に行使されるのかということに関しては、一般には行政法規の中に規律があるわけです。許認可、規制につきまして、行政法規の中にその要件や効果の記述がある。
 しかし、行政法規は御承知のように、圧倒的多数のものが内閣提出法案でして、一般的には被告になる予定の行政庁が法案提出権を持っておりますので、ちょっと例えは悪いんですが、どろぼうが刑法をつくるという側面がどうしてもある。要するに、被告になる予定の人が不確定概念や許認可の基準なりを全部記述してしまって、一般的には国会でそれが追認されるということですので、これは被告にとって、勿論、事実上の効果でございますが、かなり有利に働く点があると思います。これは後ほどもう少しコメントします。
 「印紙代・弁護士費用負担」は、やや細かい問題ですけれども、これを書きましたのは、印紙代がやはり訴額に応じてかなり大きな額に上る。税務訴訟などではかなり巨額に上りますが、これも行政訴訟に個人の権利救済だけではなくて、一般的に行政を適法にやらせるという機能が含まれている以上、単純に個人の救済額に比例して大きくなるという印紙代の負担のシステムには問題があるのではないかと考えています。
 弁護士費用の負担問題ですが、司法審議会の議論の中では敗訴者負担ということで、原告が負けたときには被告の行政庁の弁護士費用も負担させるという議論があったと認識していますが、これも行政統制という観点からは、果たしてもともと能力や時間の点でも劣っている原告にそこまで鞭打つのはいかがなものだろうかということを感じておりまして、せめて民事の不法行為並みに、例えば被告が敗訴のときには原告の弁護士費用を負担させるのにとどめるという議論が正当ではないかと思うわけです。この点は神戸大の阿部教授が自治研究の78巻1号に同趣旨の論文を書いておられます。
 被告適格の問題ですが、これも私自身の経験でも、行政処分について、国を被告に訴えてきたら却下せよという答弁書を書いた記憶がありますし、あまり大きなことは言えませんが、国だろうが大臣だろうが、処分を受ける人にとってみればどっちでもいい話です。現在の行政事件訴訟法ではかなり厳格に行政庁と行政主体を区分していますので、間違えて訴えると出訴期間を徒過して、永遠に争えないということになりかねない。これも少なくとも、行政主体であろうが行政庁であろうが、訴えられた機関から教示をして出訴期間に間に合うようにつくろってあげるような手続的な決まりがあってしかるべきだろうと思いますし、さらに、そんなことをしなくても、善意に解釈すれば誰を訴えたいか明らかですので、善解して救って上げるというシステムをもっと拡充した方がよかろうと思います。
 第2は「裁判所の専門性向上」という点ですが、これも私だけではなくて、いろいろ被告の代理人の方から聞く話ですが、地方に行きますと、裁判官の能力や経験にかなり問題があるという印象があります。
 例えば行政法は勉強したことはないし、司法試験の科目でも取っていない、今度行政事件を初めて担当することになったという裁判官が、行政法の最近の教科書の主流は何だろうか、場合によると、行政庁で一番定評のあるコンメンタールは何だろうかということを行政庁の代理人に聞くことが少なからずあるという実態です。
 証拠調べと争点ということなんですが、裁判官の立場から見ると、ちょっと言い過ぎだったらごめんなさいと言うしかないんですが、心証を固めた後はどうせ行政庁を勝たすつもりなのに、理屈付けと証拠調べだけは徹底的に被告側にやらせるという裁判官が大変多いという印象があります。
 最終的には行政庁の言い分に依拠する。しかし、杜撰な証拠調べをしたとは絶対に言われたくないから、争点と関係ないことを含めて、とにかく被告の費用負担、労力負担で徹底的に証拠を調べさせる。被告は別に個人の負担ではありませんので、喜んで幾らでも証拠調べに応じるわけですが、最終的にはかなりの程度行政庁が勝つ、ないしは言い分が認められるということが多いと思います。事実的には勝訴率9割以上ありますので、かなりの程度被告側が強いというイメージもあると思います。
 それから、裁判所だけではなく、弁護士についても、原告側の代理人の訴状などを拝見しますと、依頼者が気の得である。勝てっこないにもかかわらず依頼を引き受けているというケースも少なからずあると思われます。これも行政訴訟については、一種のテクニカルなノウハウがございますから、そういったことを熟知した上で本当に原告代理人のためになるような訴訟活動をしないと勝てっこないという側面もあるわけですが、その点についてもかなり力の格差がある。期待をもたされ、着手金だけ取られて、最終的にはどうせ却下か棄却という事件が実際上随分多いんだろうと思います。
 こういう議論に対して、先般の法務省の案などでは、今度新司法試験になると、行政法を必修化させてもという議論があるようですが、行政法を法曹志望者みんなに薄く広くやらせても仕方がないと思います。単なる必修化は疑問でありまして、みんなが薄く広くやるというよりは、少数でも本当の行政訴訟のプロの輩出を目指すという重点化が重要です。
 行政裁判所という点ですが、行政裁判所という名称を取るかどうかはともかくとしましても、47都道府県の地方裁判所ごとに行政訴訟を受けて立たざるを得ないというのも大変規模の利益に反するわけでありまして、せめてブロック単位で行政の専門家を配置して実質的にはブロック単位の行政裁判所で不安のない訴訟指揮ができる裁判官を配置していただくということが重要だと思います。国民の権利を守るという観点からも、知らない方よりは、行政庁に対して適切な訴訟指揮ができる方がたくさん配置されている方がいいと思います。そういう意味で今の東京地裁の体制などは参考になります。
 第3は「民事訴訟との整合性確保」ということですが、この点特に今日申し上げたかった点ですが、行政訴訟の在り方に関しては、後ほど出てきますが、特に訴えの利益を中心として、拡大すべきという議論が多いように思います。訴えの利益としての処分性や原告適格をできるだけ広くという議論が学会、弁護士会などでも多いと思いますけれども、これも理屈と効果次第であり、ただいたずらに拡大という議論には私は疑問を持っています。
 と言いますのは、民事訴訟と言い、あるいは行政訴訟と言っても、何か自分の権利を侵害する行為が発生したりしようとしたときに、それを差し止める、身に火の粉が降りかからないようにするというのが本来の司法制度、裁判制度の目的なわけです。その延長線上で考えますと、民事で例えば差止め訴訟や損害賠償請求訴訟の適法な審理対象に乗って権利侵害が認定されるものと、行政事件訴訟で本案の対象に乗るものとは基本的には分離していてはおかしい。
 ただ、民事の場合は本案前で却下というのはあまりなく、通常はそのまま本案に入ってきて認容か棄却ということになりますが、行政訴訟の場合、御承知のように、原告適格や訴えの利益がないと、本案前で訴え自体が不適法、却下ということになるわけです。したがって、行政事件の本案前と本案は、民事訴訟では本案の中にかなり一元化しているという構図があります。とは言え、目的は権利の救済であるという点には何ら異なるところはない。この点が議論の出発点として重要だと考えています。
 レジメに書きましたように、「権利侵害性の下での平等」ということが民事訴訟と行政訴訟を考える場合に重要であって、いたずらに行政訴訟の特殊性ということを言い過ぎると、この点での公平、平等が崩れるということを懸念します。
 行政訴訟の場合は、要件上、権利侵害があることで本案前をクリアし、更に本案で違法であれば取り消す。訴訟物が違法性だということになっています。しかし、前者は民事の差し止めと実質的に同じでありまして、権利侵害の部分というのは、民事であろうが、行政であろうが言い換えれば効用の毀滅、ないしは効用の毀損だと考えれば、理解がしやすい。
 好悪の感情や、その人の財産権等さまざまなものがありますが、何かにつけ、その人の効用水準を低下させた、毀損したという場合に行政であれば少なくとも本案に乗るし、民事であれば最終的に認容されるかどうかはともかく権利侵害は認定される。この点での対等性が重要だと考えています。
 したがって、行政規制の有無のみで劇的にその違いが出る、要するに民事訴訟と行政訴訟で対象範囲が異なってしまうという結末には懸念を感じます。
 例えばの話ですが、空港とか原子力発電所について、現在は行政庁の許認可が絡んでおり、先ほども議論の出ました大阪空港の判決や原子力発電所の設置許可の取消訴訟など、行政訴訟の領域が随分増えています。仮に立法政策の問題としてこういった許認可、行政規制が介在していないで、いわば民事の世界のみで建設される原発や空港というのも、昔のシステムであれば考えられたわけです。そういう場合に、原子力発電所ができて危ないとか、あるいは空港ができて上を飛行機が飛んでうるさいというのは、行政規制が掛かっていようがいまいが、あるいは行政の許認可があろうがなかろうが、ある人にとっての苦痛という点では同じなわけですから、その同じ苦痛に対して、行政であればうんと広い範囲で、うんと外側の人が原発を争えるとかという議論は民事との関係でバランスを失するという趣旨です。
 やみくもな拡大は不公平であると同時に、訴訟が希少な国民の資源の利用だということ考えますと、訴訟資源の浪費、非効率につながると考えますので、何が権利侵害か、何が効用の毀滅かということからさかのぼって、できるだけ行政訴訟と民事訴訟とを相対化して考えるべきと思います。
 「目的における連続性」とは、要は何か自分の効用が低下するような行為は差し止めたいといのが原告にとっては切迫した課題ですから、完全に一致というわけではありませんが、連続性を踏まえた救済手段として両者を設計していくことが立法論として重要です。
 「無名抗告訴訟」、例えば義務付け訴訟や予防的不作為訴訟が、現在は観念的には行政事件訴訟法上あるけれども、実際には認められにくいということがあります。議論がありましたように、私ももっとこういったものを柔軟に認めるべきと考えていますし、それを更に発展拡充すれば、最終的にはだんだん民事訴訟に接近していくということになります。
 民事訴訟に接近というのは、目的における連続的の点でできるだけ同じような被害をもたらす行為を同じように処理していく、同じように差し止められるようにするということに加えて、取消訴訟中心主義の見直しも含めて考えることが基本的に重要と思います。
 ただし、これは広げる方向にも狭める方向にも行くわけで、両者をフィードバックして論理的に考えていかないと、一概に拡大だとか、一概に狭めるとは言えないと思います。どちらにしても、民事訴訟は蓄積が100 年以上あるわけですから、そちらを参考に行政訴訟のシステムを設計することは機能的アプローチとしても大変重要と考えており、そのような論文を塩野先生の古稀論文集で書かせていただきました。
 第4は「訴えの利益」、ここからが各論の部分ですが、原告適格と処分性です。
 まず、原告適格とは、要は離れた人が処分を争えるのかということですが、代表的なものが、先ほども例に出した原発と大阪空港を始めとする空港騒音だと思います。
 原発についてはさまざまな判決がありますが、大体数十キロ以内の居住者には原告適格ありという判決が多いと理解しています。しかし、これも個別事件ごとにその原子力発電所の性能等から、定量的基準でもって導き出されるかというと、そういうわけでもなく、かなり個別事件ごとに主観性の強い基準が適用されている。そうすると、一体へりはどこか。訴えられるか、訴えられないかで天と地ほどの違いがあるわけですから、外縁部は一体どこにあるのかが重要ですが、判例を幾ら精査しても結局わからないという不明確さが残っています。
 大阪空港判決は、先ほども批判がありましたが、私も同感であり、民事訴訟が不適法だと言いながら、どうやって行政訴訟で争うかを何ら教示しないという極めて無責任な判決だと思います。
 端的に言えば、取消訴訟の排他的管轄という行政行為の特殊性の適用を誤った判決だと考えています。
 後ほど述べますが、最高裁は新潟空港判決などで一定程度明らかにしたつもりでしょうが飛行機が飛ぶことを差し止めたいというときに、航空行政権を争えと言って門前払いを食らわしたわけです。しかし、そういうことを言い出せば、例えば建物が建つときに、建築確認を争う行政訴訟が可能ですし、一方で民事訴訟でこんな建物を建ててもらったら日照権の侵害だという訴訟も可能であり、要するに建築物がある基準に適合しているかどうかの技術的な内容の確認を行うという建築確認に関する取消訴訟の排他的管轄は、民事訴訟の日照権訴訟や環境権訴訟には及ばないという前提があるから両者が並存しているわけです。大阪空港がなぜこれと異なるのかは私にも全く理解できない。矛盾そのものであり、並存してしかるべき案件だったと思います。
 新潟空港の89年最高裁判決ですが、大阪空港判決の批判が強かったため最高裁は、周辺に居住していて、著しい騒音の障害がある人については定期航空免許の取消訴訟の原告適格があるという判決を下したわけです。では、どうやって争うのか。要するに、定期航空というのは、新潟空港を発着していたり、将来発着する可能性のある航空会社は何社もあるわけであって、1社ごとに一体どれだけ騒音に対して寄与分があるのか、複数社の累積の効果と法的責任は一体どうやって分離するのかということは全く謎に包まれています。
 もし本当にひどい騒音で本案認容、取消すという場合に、どの会社のどの免許をどうやって取消したら、騒音が回復されるのかを考えていない。私には本案判決の書き方が全く想像できません。非常に奇妙な判決です。
 もう一つの問題は、著しい騒音だけ救済するということですので、著しくなければ野放しになる。これもまた異常な議論ではないかと考えます。
 この権利侵害性基準で考えると、原告適格はどの範囲までかということは、原発の距離で言うのがいいかどうかはともかくとして、ある人の効用水準が低下したかどうかという点では、何らかの限界が存在するのは間違いないわけであり、結局、個人の権利救済訴訟だという取消訴訟の性格を引きずっている以上そこが主観訴訟の限界と考えざるを得ない。その限界が民事と行政でイコールフッティングになっているのかどうかという点が、私には非常に気になる点です。
 民事との公平という観点で原告適格も設計する。先ほど申し上げましたように、民事の本案が、行政では本案前と本案後に分かれるわけですから、その本案前の部分と民事の認容対象足り得る部分とが一致しているのかどうかという検証は避けて通れないように思います。
 一部に、とにかく原告適格は広い方がいいという議論がありますが、それだと、却下判決が棄却判決に移行するだけで、要するに原告が負ける比率に変わりはないということになりかねないわけです。やはり原告適格を広げるという議論も、本案で一体どのように救済していくかを併せてよく考えないと、画餅に終わってしまう、目的を達しないということにならざるを得ないと思います。
 今はどの範囲まで争えるのかは極めて不明確ですが、これはできるだけ明確化、客観する。例えば一覧表にでもしてしまう。あるいは定量的に書くことが可能なものは原告適格の範囲をわかりやすく法に記述することを試みるべきだと考えます。
 結局、どの範囲で争えるのかは、権利の配分の非常にクリティカルな点であり、誰にどの権利があるのかというのは、大変この訴訟場面では重要です。コースの定理とは、どちらに権利を与えるかが明確に決まっていれば権利配分の如何を問わず最終的に効率的な資源配分が達成されるという議論ですが、その前提が行政訴訟の特に訴えの利益論では欠けている部分が多いと考えます。
 次に処分性ですが、処分性とは、取消訴訟の対象となる基準で、一回きりの行為の処分性の判断では、基本的に原告適格同様権利侵害性基準でその行政行為を判定すべきです。例えば計画に多いと思いますが、当初は熟度があまりない。だんだん熟度が高まってきて、権利侵害性の契機がくっ付くと、その段階以降争える。その段階をとらえて処分性が備わったと議論しているものもあります。段階的にだんだん熟する行政決定をしていく場合の先行行為を訴訟上どう位置づけるのかという問題がより重要と思います。
 例えば都市計画では都市計画決定がある。最高裁判例では、区画事業計画は処分性がないというものがありますが、計画決定は通常「処分」ではない。都市計画の事業認可にいきますと、これは通常処分性があると理解されています。更にその後、都市計画から収用裁決に至る場合、これも当然処分性ありということですが、一体どの段階からかというのが個別の行政法規によって非常に微妙なものがあり、非常に混沌とした状況にある。これも一覧表にでもしてしまったらいいと思いますが、少なくとも段階的な決定の先行行為については、できるだけ早く争わせないと意味がない。これは民事と比べてもあまりにも遅過ぎますので、段階的決定の先行行為についてはもっと訴訟対象に移行する時期を早めた方がいい。その方が後で蒸し返されて混乱するよりははるかに行政庁にとってもメリットがあると思いますので、訴訟対象への移行を早め、それを法に明確に記述していくことが重要だと思います。原告適格と異なり、段階的行為で処分性が問題となる場面では、後での明白な権利侵害行為が予定されているのですから、その時点での侵害的契機を厳格に要求するのは、適当とは思われません。
 現在は、民事の差し止めよりも実質的に厳しいということが間違いなくありますので、先ほどの基準からみても、イコールフッティングにするためには、もっと先行段階で争わせないとおかしい。
 さらに、双方ではっきりと争ってその段階でけりを付けろという立法選択をした以上は、例えば都市計画の事業認可の違法は、収用裁決では争わせない。あるいは収用法の事業認定の違法は収用裁決で争わせないように、明確に立法的に違法性の承継を遮断する措置を取らないと、何度も何度も蒸し返しがあるという意味で、行政行為の特質が損なわれますので、けじめが必要だと考えます。
 これについては、お配りした成田頼明先生古稀記念論文集の中の論文「土地収用法による事業認定の違法性の承継」で詳細に論じています。
 「訴えの成熟性の基準化」ということですが、これも今申し上げたことと同種で、一体どこになったら成熟しているとして差止訴訟として裁判制度を使わせていいのかという議論です。これをできるだけ明確化、基準化して、あらゆる場面で当事者に迷いがないようにしてあげることが重要な情報開示になると考えます。
 「訴訟類型の柔軟化」ですが、現在は基本的に取消訴訟中心主義であり、行政行為については基本的に処分を取り消せと言わないとなかなか本案に乗せてもらえない。空港判決などにも関わりますが、どこまで一体民事を排除するのか。民事と行政で二者択一なのかどうかという点は再考が必要だと考えてます。
 結局、行政処分だと位置づけることは、そこには取消訴訟の排他的管轄をかぶせて、法的安定を追求するんだという意味で、法的安定性の要請の妥当範囲がどこに及んでしかるべきかという問題だと考えられますので、それにふさわしい範囲として、取消訴訟を位置づければいい。それを超える、ないしそれ未満のものについて言えば民事訴訟の形で訴えたからと言って、それを排除するということには必ずしもならないというべきでしょう。
 第5は「裁量統制」ですが、冒頭申し上げたように、現在の実体法の構造自体が、被告予定者がつくるというバイアスも掛かって、争いにくいということがあると思います。具体的には実体法の中での不確定概念、例えば「正当な理由」、「適正かつ合理的」、「公益上の必要」といった概念が多用されており、こういう一見して明確ではない要件をクリアーしないと取り消せない。そういう要件に違反していることを裁量統制論から論証しないと原告は勝てないという構造になっていますが、このような不確定概念に違反していることを論証すること自体が至難の技だということは冒頭申し上げたとおりで、不確定概念そのものをできるだけ客観化していかないと、幾ら行政訴訟で門前払いがなくなっても、本案では棄却判決がうず高く積み上がるということになりかねないわけですので、行政訴訟を活性化させるという場合には、手続法としての訴訟法だけではなくて、各省庁が一般的に作成しております行政法規の要件裁量の統制を立法的にどうしていくかこそ重要だと考えます。
 そうでないと、結果的には裁判官も武器がないと徒手空拳にならなざるを得ない。それでは行政統制はできないということで、判決の中でいろいろ議論はされますし、証拠調べは多数なされますが、結果的に行政庁を負かせるのは相当勇気の要ることです。そのためには、拠りどころを与える、何らかの基準を与えることが裁量統制の場面で大変重要です。
 この点に関して学会の一部などでは、とにかく行政裁量は司法が代替して統制してもらえばいい、裁判官がもう一回レビューすればいいんだという議論もありますが、私はその議論は危険だと考えてます。
 行政庁の裁量が司法の裁量にそのまま代置するということになったのでは、本当に国民にとってふさわしい裁量の統制にはなり得ないと思います。
 なぜならば、行政の裁量も危ないと言えば危ないですが、裁判官も裁量統制の実体の中身であるところの政策判断や費用便益分析について、トレーニングを受けたわけではないし、政治的な責任もとりようがないですから、彼らが完全に代替する範囲が広い方がいいというのは、問題が多い。裁量の統制過程の入口の段階、立法段階で基準をできるだけ持ち込むことが手続法の改正でも実体法の改正でも重要だと思います。
 勿論、個別の実体法が重要ですが、手続法のレベルでもできるのが、「費用便益分析基準」だと思います。特に土地利用などに関するものですと、ある土地利用規制やある許認可が、周辺の環境や財産価値に対して、どのようなプラスの効用をもたらし、どのようなマイナスのコストをもたらしたかは、ヘドニック法という手法を用いるとかなり客観的に算定することが可能であり、現在、経済学や土木工学で相当一般的になっています。行政庁の処分はまだまだそこまでは行っておらず、実際の許認可などでは形式的判断が多い。
 したがって、実体法で将来的課題として基準として明記する。少なくとも行政訴訟法の中で、費用便益分析を用いて行政判断したかどうかについて審査し得るということを明記すれば、追って実体判断は自然と変わっていきます。また、費用便益分析は第三者が反証可能な形でレビューすることができますので、処分の適法性、適正さに関する緊張感が生じる点で意味があると考えます。
 第6は「国民訴訟」です。住民訴訟に関しては、お配りした読売論点の1年11月2日に書いています。ちょうど今日辺り住民訴訟法案の改正法案が参議院で可決成立してしまうようですが、私はこの改正には反対の立場でありまして、被告が今までは知事個人、市長個人だったのが、機関としての知事や市長になるという内容ですが、これは今でも格差がある原告・被告格差、しかも、客観訴訟のため原告には一銭の得にもならないで争っている人たちに対して致命的な打撃を与えます。理論的に言えば、被害者が被害者を訴えるということになって、奇妙でありまして、今度の住民訴訟の構造には疑問があると考えております。
 それはさておくとしても、現在、国の行為については、公金の違法支出や不当支出について裁判上争える手段がなく、例えば外務省の機密費横領事件なども、これを直接国庫に返せという裁判はだれもできない。国の行為についても、適法性コントロールの、住民訴訟類似の客観訴訟の枠組みがあってもよいと考えています。

【塩野座長】 どうもありがとうございました。長年の研究を30分で述べよというのがそもそも過ちではありますが、よく短い時間に御意見をまとめていただきまして、ありがとうございました。
 時間も大分押しておりますので、休憩時間5分ということで、今日の予定は大体5時半を予定としておりますが、場合によっては5分、ないし10分遅れる可能性もございますので、よろしくお願いします。
 それでは、5時まで休憩といたします。

(休 憩)

【塩野座長】 時間になりましたので、会議を再開させていただきます。
 今日の予定の方を先に申し上げますと、事務的な説明等が10分ないし15分掛かると思います。そこで逆算をしてまいりますと、3人の方からの発表については、20分くらいの時間を充ててはいかがかと思っております。
 今日は大変基本的な問題から、個別問題についての御提案ということもございましたが、今日でこの会議が終わるわけではありませんで、いろんな機会に根本問題から、個別問題についてもお話を伺うという機会は勿論あろうかと思います。
 また、今日は専門家のお話で出てまいりましたが、具体的な判例でこういうことが最高裁の判例として出ていると。それは困るという議論がいろいろあるわけですけれども、そもそもそういう判決は外国では出てこないだろうというような形で外国法制の研究の方にもいろいろ調べていただいておりますので、問題判決という事例というのを一遍お目に掛けませんと、なかなか議論がしにくいところがあろかと思います。
 そこで、今日の時点で問題判決ということをべらべら専門家の方が言われても、またそれは困ると思いますので、そういった点については、これからおいおい御紹介を申し上げ、また、そういった判決について、先ほど申しましたように外国だったらば、この点はどうなるんだろうかということも御説明していくということにしていきたいと思います。
 それにつきましても、どうぞ御自由に御質問、御意見等いただきたいと思います。
 また、今日の議論を最初から狭めるつもりはございませんけれども、先ほどの点で、多少私が伺っているところでは、行政訴訟の位置づけ、あるいは機能について、それぞれの御発表の中に、多少意見のずれと言いますか、力点の置き方に違いがあるようにも見受けられました。
 そこで、このまま議論をほうり出しますと、3人でお前のはおかしいとか、何とかやられると困りますので、相互のやりとりは今日は控えさせていただいて、むしろ今日お聞きになった方々の方から御質問なりをしていただければと思います。どなたからでも結構でございますので、どうぞ御自由に。
 また、私は専門ではないけれども、この辺がわかりにくいという点があれば、御質問いただいてても結構です。

【市村委員】 今日はさまざまな角度から非常に示唆に富んだ御意見を教えていただきまして、本当にありがとうございました。
 非常に大きな問題ですし、また、これをどうやって具体化していくかというところになってから、もっと議論をしていかなければ、とても改正というところにはたどり着かないとは思いますが、その考え方の中で幾つか教えていただきたいところ、あるいは実務を運用している者の立場から若干申し述べておきたいというところもございますので、発言させていただきます。
 行政と司法の関係をどう捉えるかということについて、幾つかの捉え方があるということ。そして、古典的な捉え方はこうであったけれども、更にこれから目指していく方向は、別の考え方があってもいいではないか。非常に御示唆に富んだ御見解だったと思います。ただ、この議論の中で、将来的には、今は行政事件訴訟法の改正というテーマで議論に我々も加えていただいているわけですけれども、今の問題というのは、私の感覚で言うと三権分立の問題として非常に微妙な問題を含んでいるだろうと思います。それだからと言って、消極的になってはいけないと思いますが、行政の立場からの考え方というのも、かなり聞いてみないと、軽々には司法から見てどうか、救済から見てどうかというだけでは言えないのではないかという気がしております。
 それから、先ほど実務の方が方向として、例えば福井先生御指摘のとおり、原告適格、あるいは処分性、成熟性、不確定概念というのを、それぞれできる限り客観化していこう。これは裁判を担当する我々にとって、それをしていただけると客観化ができてくるということだと、非常にその分だけ我々の負担は楽になる。まさにその当てはめに集中できるということがあると思うんです。
 ただ、これからの話になると思いますけれども、それをどういう形で客観化するか。判例も何とか客観化の要素を一生懸命抽出しようという努力は重ねてきたと思うんです。そうしたものが十分であったかどうかは御議論いただくとして、これから客観化するときに、客観化に耐えられるファクターをどうやって選び出すかという御議論をこれから教えていただければと感じて聞いておりました。
 それから、訴訟要件のところで、裁判所が門前払いをする数が多いのではないかという御指摘があったと思いますけれども、統計的なことはもし必要であれば、最高裁判所の担当官がいますので、そちらの方から説明してもらってもいいかと思いますが、勿論、我々の認識としても、民事訴訟に比べて行政事件訴訟の却下率が高いというのは重々認識しております。ただ、民事訴訟の場合、お金の貸し借りが全然なかった人が突然訴えてくるということはなかなかありませんし、仮にそうだとしても、それは棄却になるだけで、却下するという枠組みは取っていないわけです。
 それに対して行政事件訴訟の場合には、先ほどから問題になっておりますように、どういうものが原告適格を持つのか、あるいはどういうことについて訴え出られるのかということについて、さまざま決めてきたわけです。それに乗らないで、だれしもが100 %それを理解して権利行使をしているという意識ではなくて、やはりいろんなことに不満がある、あるいはこれは是正しなければいけないと感じて出してきているものですから、そういう訴訟の中には、どうしてもその型に乗らないというものがままあると思うんです。
 それから、実務でやっている者の感覚としては、正直申し上げて、民事訴訟に比べると、先ほど芝池先生が真摯な訴えとおっしゃられましたけれども、その尺度で測ったときに、その枠の中に入ってくるものとそうでないものと比率、結構そうでないものもあるということだけは御認識いただきたい。それがどういうものを真摯でないと言うのかということについていろんな御意見があろうかと思いますが、そういう意味で、実務に当たっている我々としては、例えば何らかの訴訟類型に何とか乗るんじゃないかと思うときには、かなりの補正命令を掛けまして、それに乗せるように努力しているつもりであります。実務では、恐らく民事ではなかなかやりませんけれどけも、第一次補正命令を出して、それで乗らなかった場合に、こうやったら救われるんじゃないか。こういうふうな考え方だったら、あなた乗る余地がありますよということをかなりサジェストして、第二次補正命令というものを掛けております。
 そういうふうにして、決して裁判所がハードルを高くして、入り口を入れないということをやっている意識がないし、現実の訴訟記録を子細に見ていただければ、そういう補正命令を繰り返した跡、却下した事件についても、繰り返した跡というのをよく見ていただけるのではないかと思いますので、是非この辺りのところは御理解いただきたいなと思います。
 それから、ちょっと気になりましたのは、どうせ行政庁を勝たせるつもりなのに審理をしているんじゃないかいうことがありましたけれども、勝訴率が9割だというところから、そういうところを根拠にそういう御発言になられたのかなと思いますけれども、少なくとも裁判をやっている者の立場から言わせていただきますと、結論については、常にそういう偏ったものがないように、だれもが自らを戒めながらやっているつもりであります。我々がどういう態度で臨んでいるかということについては、例えば勝訴率が9割だというところから推し量るのではなくて、現実のものを見ていただきたいなと思っております。

【塩野座長】 ありがとうございました。いちいち実はこういう事件もありましたということを言うのはあまり意味がないと思いますので、今の御意見は承らせていただきたいと思います。

【水野委員】 今日、3人の方、問題点をかなり挙げられたと思っております。あるいは実務家から見て、もっともだという御指摘もかなりあったと思います。
 1点だけ小早川先生にお尋ねしたいんですけれども、私の聞き違いかもしれませんが、「分離=司法優位型」のところで、行政訴訟をやめてしまって民事訴訟に一本化するという議論の場合、どういう問題点があるということで、行政と市民との実質的な不平等を残したままでは問題がある。それから、悪しき当事者主義になるというのが行政訴訟廃止の場合の問題点だという趣旨でおっしゃったんですよね。
 私どもに言わせると、その2点は、現状がそうなんですね。行政訴訟という類型がある現在でも、既に不平等が現にあるわけですし、悪しき当事者主義も現にあるんです。それは行政訴訟がなくなって、民事訴訟になればひどくなるとか、あるいは逆に言うと、行政訴訟があるからそういうものがないということではないと思います。
 そこで、おっしゃった以外の点で、行政訴訟廃止論についての問題点というのが、あるのかどうかという点についてお聞きしたい。

【小早川委員】 直接の御質問は最後の点ですが、前半でおっしゃったことについても、一言申します。現状はおっしゃったような認識が正しいかもしれません。水野先生が実務の感覚でそうおっしゃっているんだから、そうだろうと思います。もしそうだとすれば、それはせっかく行政訴訟という制度があるのに、その趣旨にうまくかなった活用がされていないということではないかと思います。これは、制度はあるけれども、運用する人が同じだから、結局民事訴訟と同じようにしか運用されていないんじゃないか、だから、行政裁判所が必要だ、専門家を別に養成する必要があるという議論にもなると思うんです。いずれにしても、もし行政訴訟の制度が最初からなければ、そもそも問題は起きないわけで、問題意識すら出てこないだろうと思います。そこは1つ、前提だと思います。
 今の点に関連して具体的な制度で言えば、例えば職権主義的な原理をどこまで入れるかというところがあります。また、その前提として証明責任をどう考えるか、要件事実をどう考えるかということがあります。民訴とは別に行政訴訟があるんだから、その行政訴訟にふさわしい訴訟の実務と理論がいかにあるべきかという議論が、十分展開されていない。
 それから、最後に言われた点で言えば、そこは私が今日申し上げた具体論の第1とつながりますが、今の行政訴訟制度の中で批判はされながらも伸ばしていくべき部分というのは、行政庁の決定をつかまえて、それをとことん審査するという原理ではないか。そこは本当に生かされていれば、そこで綿密で奥行きのある審理、批判的な目で見た審理がされることになる。それが民事訴訟だと、どちらかというと、結論としての権利義務関係、現在の法律関係はいかになるのが正しいのかという、そこだけに行ってしまって、その途中でだれがどうしてそういう判断が出てきたのかというところの十分な審査がおろそかになりやすい。勿論、絶対だとは申しませんが、傾向的にそういうことが想定されるのではないかと思います。

【塩野座長】 よろしいですか。また、おいおい議論はしていただきたいと思いますが、他に何かございますか。あるいは今日のは少し抽象過ぎる。こんなことで国民の前で議論したって何もわからないから、もう少しわかりやすくというお話でも結構です。

【萩原委員】 前回と今回で、いわゆる法律用語をかなり勉強させていただいて、これは今説明していただくということではなくて、例えばこんな言葉がわからないということだけ申し上げますと、例えば、小早川先生のみなし拒否処分、その辺のところがわからない。あるいは、(3)にある仮の地位とか、そういうような言葉がときどきわからないのが出てきますので、少し理解に苦しむというのが正直なところです。
 ただ、最後に福井先生の方からお話があったところで、客観化というところがございまして、環境の評価ということが非常に期待されているようなことでしたが、私、前回も申し上げたように、環境の評価を少し研究しておりまして、非常に期待されるところはうれしいんですけれども、過度の期待はいかがなものかなということで、ある意味ではこちらも心を引き締めて客観性ということに応えられる評価をできるようなことを考えていかなければならないということを非常に思った次第であるのと、今の段階で、司法によってはまだそれほど信頼性がない部分もあるということで、これから十分検討していただきたいなと思っております。

【塩野座長】 大分時間もまいりましたので、今日のお三人の報告に対する皆様方からの御意見は一応これで終わらせていただきたいと思いますが。

【成川委員】 1つだけ教えていただきたいと思います。
 門前払いが大変多いという芝池先生のお話で、市村先生の方は、そうじゃなくて、いろいろ補正命令を出して、救っていますよというお話なんですが、日本の行政訴訟を受理した件数は、前回教えていただきますと、ほかの国に比べて極めて少ない。その辺の理由はどの辺にあるのかというのをちょっとだけ教えていただければと思うんです。
 どうも、国民の方がこういう行政に対して何らか取消しなり文句を言うのに慣れていないということなのか、そうじゃなくて、そういう制度自身があるということさえも知らないとか、そういう国民の文化性とか問題もあるという議論はされているのか、その辺はどうなんでしょうか。

【塩野座長】 わかりました。その点、私は今、お答えになるよりは、少し調べて、事務局なり、どこが答えるのかが一番適切かも含めまして、学者の研究もございますので、まとめて御報告をするということにさせていただければと思います。よろしゅうございますか。

【成川委員】 結構です。

【塩野座長】 今日は大変示唆に富む御意見を承りましたが、先ほど市村委員の方から言われた行政と司法、あるいは三権分立の関係のことでございますが、やはり物の考え方がここで細部の制度設計にも微妙な段階で影響してくるところがあるんです。私が伺っているところで、今日の御議論も、大方のところはそんなに違いはないと思うんですか、微妙なところの最後の決断のところで、権力分立論が出てくるという可能性がないではありません。その意味では、比較法的な形での外国法制研究の方に御迷惑をお掛けするかとも思いますけれども、調査をしていただきたいと思いますのは、日本の権力分立というのは、どうも日本の権力分立なんです。どうも外国法制を勉強したと言いながら、結構日本的な権力分立なので、田中先生の権力分立で第一次的判断権というのは、ドイツの本を見てもあんなに厳しくは出てこない。それはやはり田中先生の権力分立論だと思いますので、その辺り少し整理をした上で議論をしていただきたいと思いますが、ただ、権力分立のところで、あまり大きな声で2つ議論がなされますと、後でなかなか整理が難しいところもありますので、検討会の先生方も、それぞれの自分なりの権力分立論はあるけれども、この検討会としてどういう形でまとめるのがいいのかという、それを今ごろから考えておいていただいた方がよろしいかと思います。今日も根本のところで少しずつ違っているところがあるなと思いましたので、その辺は今後どういう形で議論を詰めていくかということについて御協力をいただきたいと思います。
 それでは、次回は事務局の方で御説明をするということです。

【小林参事官】 配布資料等の説明に入る前に、本日司法制度改革推進計画が閣議決定されております。各委員の机上に配布されておりますので、御参照ください。この推進計画の趣旨につきましては、1ページの初めにありますように、司法制度改革審議会意見の趣旨にのっとって行われる司法制度の改革と基盤の整備に関して政府が講ずべき措置について、その全体像を示すとともに、司法制度改革推進本部の設置期限、これは平成16年11月30日とされておりますが、それまでの間に行うことを予定するものにつき、措置内容、実施時期、法案の立案等を担当する府省等を明らかにするものでございます。
 行政に関しましては、6ページにございまして、司法の行政に対するチェック機能の強化という項目の中で「行政事件訴訟法の見直しを含めた行政に対する司法審査の在り方に関して、『法の支配』の基本理念の下に、司法及び行政の役割を見据えた総合的多角的な検討を行い、遅くとも本部設置期限までに、所要の措置を講ずる。(本部)」ということに閣議決定がされましたので、御報告申し上げます。
 それから、本日配布の資料、資料1〜3まで、事前の説明が遅れまして失礼いたしましたが、今日意見陳述をしていただいた委員の方々の資料でございまして、資料の4というのが、これが法務省大臣官房訟務企画課の作成いたしました「平成12年における訟務事務の概況」という資料でございます。
 訟務と申しますのは、先ほどの意見の中にも出ておりましたけれども、国の利害に関係のある訴訟について、国の立場から裁判所に対して申立てや主張、立証などの活動を行うことを言うとされておりまして、このような活動を法務省が国の立場から統一的、一元的に処理する制度を訟務制度と言っているわけでございます。
 国の利害に関係のある訴訟というのは、民事に関する争訟と行政に関する争訟がありまして、これらの争訟に関する具体的事件を訟務事件と言っております。そして、その処理に関する事務が訟務事務ということでございます。これらの事務を処理する訟務の組織としては、法務省の大臣官房に訟務総括審議官以下の組織が置かれるほか、地方実施機関として全国の法務局(訟務部)、地方法務局(訟務部門)がございます。その訟務事務に関する平成12年の概況を示した資料でございます。
 統計に関しては、この資料の78ページに「訟務事件件数表」というのがございます。これは民事も含めているものですから、本検討会に関する部分は、行政、租税関係の訴訟に関する統計が参考になろうかと思います。
 次の80ページにおきましては、その中の本訴、判決手続で行う本訴事件について、行政事件、租税事件と分けまして、事件内容の種類別に処理状況が統計資料とされております。
 81ページ「第二 主要事件の概要」ということで、平成一二年に新たに提起され又は判決等のあった事件のうち主要な事件の紹介がその後、末尾までされております。
 この資料は、訟務事務という観点から紹介しているために、中の主要事件の概要の説明も、民事訴訟と行政訴訟が両方含まれていることに御留意いただきたいと思います。
 資料5は、外国法制の研究について、御報告をする資料でございます。先ほど御紹介いたしましたように、本日、研究の担当者として、アメリカ法について神戸大学の中川教授。フランス法について、立教大学の橋本教授。ドイツ法につきまして、東京大学の山本助教授に御研究をお願いすることにいたしました。
 この研究の目的につきましては、その資料に記載してあるとおり、行政訴訟検討会における行政訴訟制度の見直しの基礎資料を得るため、研究を行っていただくものでございまして、秋ごろにはこの検討会にある程度の研究結果の報告をしていただこうということを考えておる次第でございます。
 続きまして、資料6でございますが、今後の日程等でございます。第3回以降の日程の案を作成しております。検討会につきましては、第3回から第5回まで、そこの資料に記載されておりますような有識者、日弁連、総務省、消費者団体、市民団体等からのヒアリングを行ってはいかがかと考えておりまして、その上で第6回の検討会におきまして、委員間の自由な意見交換を行ってはどうかと考えております。
 ヒアリングの時間につきましては、消費者団体、市民団体に関しまして、各15分程度、その他の有識者等に関しては、各30分程度を考えてこの日程を組んでおります。
 それから、資料6の「参考」というところに、「7月 行政訴訟制度の見直しに関する意見募集」ということを記載しておりますが、事務局におきましては、行政訴訟制度の見直しに関しまして、この検討会における検討と併せて、広く国民の皆様からの御意見等を募りたいと考えております。この意見募集の進め方は、第6回の検討会の後、本年7月ごろに実施し、意見募集の結果は、事務局でとりまとめて公表し、検討会においても報告することを考えております。
 以上でございます。

【塩野座長】 以上でございますが、何か御質問ございますでしょうか。訟務事務の概況についての説明、本当の概況でございましたが、先ほどの門前払いの問題については、先ほど申しましたように、数字も含めてもう少し中身に入った説明を次回、どなたかにしていただくということを考えております。
 それから、外国法制の研究でございますが、およそドイツ行政訴訟はこうあるということを概論的に説明されても大変困りますので、私が考えており、また、既に外国法制の研究の方にお願いをしておりますのは、例えばで申しますと、小早川さんの今日のレジメ、資料1がございますね。それから、芝池さんのも、拾っていくと大体対応するものがあるし、福井委員のもそうなんですけれども、例えば若干の具体的論点の中で、取消訴訟の中で言えば、例えば規範訴訟の概況はどうなっているか。あるいは原告適格というのは、日本で言う原告適格という言葉はドイツ語ではどういう言葉で、それについて一般法はこうである。個別法はこうである。結果的に今度は日本の問題事例、日本ではこういった事例は却下になっているけれども、ドイツでは原告適格と同じような言葉の中でこれは救われているとか、救われているという意味は門の中に入ったという意味なんですけれども、そういったことで、日本人から見て外国法制はどうなっているかという形で絵を描いていただきたいと思っております。全部やれというのは大変なことですので、訴えの利益の問題と、訴訟類型の義務付け訴訟、差止め訴訟など。あるいは、仮の救済の辺りから手始めにやっていただいて、これではまだ足りない。例えば裁量審査のところを調べてくださいという御要望が出てくれば、それはそれとしてはお願いをするということになろうかと思います。
 そういうことで、外国法制研究の方に大変御迷惑をお掛けすると思いますが、よろしくお願いしたいと思います。
 第3回以降の日程については、今御説明したとおりでございまして、いろいろ御意見もおありかと思いますが、差し当たりこういう形で進めたいと思いますか、いかがでございましょうか。

【福井(良)委員】 ユーザー官庁と言いますか、遡上に上る役所についても、今後意見を聞く必要があると思うのですが、その辺の座長なり事務局の進め方のお考えがあればお聞きしたいと思います。

【小林参事官】 まず具体的な論点、あるいは改正の方向性というものがないと、なかなか現在の法制度を前提にしている行政官庁から御意見をいただきにくいのではなかろうかということで、そういう意味で有識者からのヒアリングを中心として、秋以降論点を整理し、あるいは論点についての議論をしていく過程で、その間、各省にもいろいろ情報を提供しながら、必要があれば御意見を聞くというふうに今のところ考えております。

【塩野座長】 よろしいですか。大体プレゼンテーションの方の性格にもよりますが、この日は長くなりそうだなというのもありますね。大体2時間半強を予定しておいていただきたいと思います。
 それでは、今日はこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。