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行政訴訟検討会(第23回)議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成15年9月17日(水) 13:30〜17:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 塩野宏座長、市村陽典、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、 水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局) 山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官

4 議題
  1. 意見募集と行政官庁等のヒアリングを踏まえた主な検討事項の論点に関する検討
  2. 今後の日程等

5 配布資料
資料1 意見募集の結果と行政官庁等のヒアリングにおける行政訴訟制度の主な論点
資料2 行政官庁からの追加資料(厚生労働省)
資料3 平成14年度行政事件の概況(最高裁判所事務総局行政局)
    (法曹時報第55巻9号(平成15年9月1日発行)から引用)

6 議事

(1)意見募集と行政官庁等のヒアリングを踏まえた主な検討事項の論点に関する検討
(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■事務局)

〔第1 基本的な見直しの考え方−権利利益の実効的救済の保障〜第2−3 本案判決前における仮の救済の制度の整備(執行停止以外の仮の救済以外)〕

■〔資料1に沿って説明〕

○被告適格見直しのもともとの意図が、行政庁か行政主体か紛わしい点をできるだけ明確化して訴えの便宜を図ることだったので、ここにある論点はいずれも重要だが、決めてしまえば、決めたことが分からない人は出てくる可能性があるので、何らかの形で決まったときに、決めたことが難しくてわからず、うっかり間違えた人がちゃんと救済される仕組みになっていることが重要。何らかの整理は要るだろうが、その整理でない訴え方をした場合に、今の行政庁か行政主体かのように、極めて冷たく突き放して不適法にするようなことを避ける手当を盛り込んでおかないとまずい。

○独立性の高い機関の事件については、被告を国ではなく公正取引委員会とするなど、特別のルールを設けろとの趣旨だと思うが、最高裁判所、国会、公取とか独立性の強い委員会、それを全部国として、ただしこれは最高裁のやった処分だとか、国会でやったものだとか、衆院議長のやった処分だとか、きちんと書かせることにすれば、一律全部被告は国でいいと思う。あるいは、地方議会でも、議会がやったことがはっきりしていれば、地方公共団体でいいと思う。

○自分はかつて公害等調整委員会にいたことがあり、そこは法務大臣権限法の適用がなく法務大臣が訴訟で代表できないことになっていたが、実際は、法務省の訟務部門のある課長を併任発令をして、訴訟になると、その方が対応していた。だから、独立行政委員会となっていることで訴訟対応にそれほど独自性を発揮する必要はないだろう。
 立法機関や裁判所は別の権力であるから、同じアナロジーを用いて「実害はないからいいじゃないか」という話でいくかどうかは、更にまた別の考慮が要るかもしれない。

□この点は福井委員の発言が基本的な考え方だ。これから仕組むことが、かえって国民の迷惑になるようなことがあっては困る、訴訟の現実の場面で支障のないようにする手当は非常に重要だ。
 もう一つ、行政組織法的に見るとどうかという議論はどうしても出てくる。基本は福井委員の発言に沿って今後とも技術的なところは詰めることになる。

○今の点だが、被告を制度上国または公共団体と整理して実際上は行政庁だけ書いてもいいというルールができれば、その意味の懸念はなくなるのではないか。
 事務の帰属する公共団体とするか、行政庁が所属する公共団体にするか、だが、パブリックコメントの結果などを見ると、行政庁が所属する、ないしは帰属する公共団体の方がわかりやすい、という意見もあり、自分もその方がわかりやすいと思うので、異論なければそちらの方向で進めていただきたい。

○実質的に救済が図られるにしても、できるだけ例外は少ない方が間違いにくいし、裁判の事務処理効率に資すると思う。その点では、公害等調整委員会とか、独立行政委員会、あるいは国会、そういった機関も国の人格である点には違いなく、独立していることの配慮は結局法務大臣権限法のところで実質的な議論をすればいいので、名義上は行政主体で国と割り切っておく方が訴える方にとっては簡明ではないか。

○問題の前提の確認だが、国や地方公共団体の代表者をどうするかの問題か、それとも被告を権利主体である国以外の機関、例えば公正取引委員会や最高裁判所などにするかの問題なのか。

■国を代表する者という法務省からの意見は、例えば国を当事者としてもいいけれども、国を当事者として最高裁判所長官を代表者とするとか、国会の議長を代表者とするとか、法務大臣が代表者ではない、そういう代表者という場合も考えることが必要という指摘と理解する。

○被告は、権利主体である国であることは変わらないということか。

■法務省からの意見は、そういう趣旨だと理解している。また、下の方の意見は、地方公共団体の場合は、そもそも地方議会を当事者にしたらどうかというものだったので、そういう立場を取ってしまうと、そもそも当事者が変わってしまう。今の指摘のように、場合によっては地方公共団体を当事者とした上で、議会の長を代表者とする、もし国をそういう方法にするとしたら、地方公共団体も横並びで対応することも可能ではないか。今後の検討課題だ。

○そうすると、「この場合だけはある機関にしないといけない」などと、余り色々な形態にするとわかりにくくなると思うので、被告が権利主体であることだけは統一し、ただ、それを代表する者が、ものによっては、例えば公正取引委員会の長であったり、というぐらいがバランスがいい気がする。
 委任の場合、委任を受けた事務の帰属で決めるのではなく、機関の所属で決める方がわかりやすい。
 訴状で行政庁を特定させることについては、管轄が現在よりも原告にとって不利益にならないようになることを考えると、やはり特定の行政庁を記載してもらう方がずっとスムーズに運ぶのではないかと思う。ただ、そこを間違ったとしても、不利益を課さないという配慮をすればいい。

○指定機関が権限を行使した場合、例えば建築確認をした場合だが、これはその指定機関が被告になると思っていいか。

□そういう意見だと理解した。ここで統一はしない。そういった意見があったということだ。

○管轄について、一方で、最も広く原告所在地の地方裁判所に訴えの提起を認めるという考え方があるが、他方、専門性の点からは東京地裁などが望ましい。条文に書けばどうなるか考えた。
 最初に、第1原則という形になるが、被告の所在地、行政庁の所在地の地裁と書き、その後に、2つの例外である、土地に関する事件、事案を処理した行政庁の所在地、という原則も書き込み、その後に、原告の所在地の地方裁判所、または高裁所在地の地方裁判所、に訴えの提起を認めると書き、最後に地方公共団体の特例を書けばどうか。
 そうすると一見、被告所在地が強い意味を持つようだが、実はそうではなく、後に来るほど特別法的な意味合いがあり、実際には後に来るものの方が優先的に適用されるということになるのではないか。
 また、特殊法人や独立行政法人については、原告の所在地で訴訟が起こると、ちょっと考え込む。

□特に、土地に着目した処分などについては、やや技術的な問題点がある。

○行政コストの問題がよく出てくるが、人は増えるわけではない。固定費は同じだ。民間的発想をすれば、固定費は同じで、固定の変動化をしているだけだ。国民のアクセスの利益と、行政コストのバランスの問題については、もう少し考えてもいい。固定費が同じの中でのコストのかけ方のウェートの問題だけであり、国家行政のコストが増えるわけではない。ここだけを考えるのもどうかという感じだ。

○基本的に原告の住所地を管轄裁判所にすることにほとんど大きな反対はない印象なのでそうすべきだ。また、地方公共団体や地方公社の場合は配慮が必要だと思うが、国の場合、全国に拠点を有しないとの理由だけで例外を認めるのはおかしい。行政コストというが、要するに国民に負担させるのか、行政が負担するのかの問題だから、やはり原告の住所地でやるべきだ。

○例えば土地の場合は、沖縄の固定資産税の支払い者が北海道にいることを想定すると、土地か被告かという選択でもいいと思うが、そういったもの以外は原則として、行政主体の管轄内の原告の所在地を管轄に加えるべきだ。それは、国であれば全国、都道府県であれば都道府県内、市町村であれば市町村内の原告所在地を管轄に加えるのが、素直な考え方だからだ。行政コスト云々というのも、それほど重視すべきものかという気がする。

□独立行政法人の管轄、があるかどうかの問題がある。

○昔だと北海道開発公庫とか、地域公団と都市公団の地域割りがあった。自ずと想定される地域はあるように思う。

□国立大学はどこも全国区を任じているので、一番微妙なところだ。この辺は個別の独立行政法人、あるいは特殊法人にとって大変重要な問題であり、もう少し事務的、実務的な見地等を踏まえて、いろいろ議論を重ねていきたい。

○原告所在地主義を取るとして、その場合でも、被告が国の場合に被告所在地である東京地裁と、高裁所在地の地裁への出訴ができるということでいいのか。

○被告、行政庁の所在地は、競合管轄で認めてもいいと思うが、高裁所在地の地裁に競合管轄を認める必要があるかどうかは、今はちょっと言えない。

○自分の一番近い地裁よりも、高裁所在地の地裁の方が専門性が大きいようだと考えた人がどちらかを選択するというのがあってもいいんではないか。

○あってもいい気もする。

□パブコメに付したときのA案として今の案が出ている。また、B案が地方裁判所にも提起することができるという形で、パブコメに付している。

○出訴期間の教示だが、教示の相手方につき、行政不服審査法に利害関係人に対しても教示するとの規定があり、それとのアナロジーの問題があるが、行政不服審査法と行政訴訟の違いに留意する必要がある。
 不服申立の場合、利害関係人に教示するのは、不服申立の適格に関するあくまでも行政庁の責任の範囲の中の行為になるが、更に行政訴訟の利害関係人までとなると事実上原告適格の有無を行政庁が判断することになり無理がある。行政の現場で混乱が生じないか心配だ。慎重に検討していただきたい。

○教示の対象は、書面による処分に限定せざるを得ない。ただ、公示をする場合については、教示を書くべきではないかと思う。そういう意味で書面を対象としていいのではないか。口頭の処分についても要求があれば教示しなければならないとすべきとの意見があるが、要求があれば教示すべきだ。口頭による処分でなくても、処分以外の第三者からの要求があった場合教示すべき。

□口頭での処分について要求があると、口頭で教示すればいいのか、それとも書面か。現実問題としては面倒なことが起こるかもしれない。

○資料の教示の箇所の3番で、職員任用の処分を除くべきか、とあるが、これだけ除くのも例外が多過ぎて煩瑣になるので、その必然性は必ずしもない。また、4番の教示がない場合や誤っていた場合の効果だが、少なくとも、教示を怠ったときは、教示がされるまで出訴期間は進行しない、というところまでは少なくとも法的効果として与えておいた方がよい。

□これは、フランスでは判例、あるいは法律のどちらで決まっているのか。

△条文でだ。

○審理を充実・迅速化させるための方策の整備について、文書提出命令にすると、訴訟の審理に入ってから文書提出の申立てをすることになるが、できるだけ早期に文書なり理由を行政庁から出してもらう点では、釈明処分の方が時間的早く行使できると理解しているが、それでいいか。

○どちらが早いかという意味では、文書提出命令と釈明処分で差があるという感じはしていないが、来年の春に施行される前国会で成立した民訴法の一部改正法の中で、提訴前の主張あるいは証拠の収集手段を拡充した新たな手続を設けている。強制力は伴っていないが、提訴前に、提訴予告通知をすれば一種の法律関係に準じた関係が生じたということで、事前に相手方に、どういう理由でこういうことをしたのか、こういうふうにこちらは認識しているが本当に間違いないのか、などの争点を当事者が理解するための必要な照会、あるいは、強制力を伴わない証拠調べ的なことが認められた。それは行訴にも使えるので、来年の春以降そういう形で対応できることになろう。

○文書提出命令については、公文書が提出命令の対象になったが、この帰趨を見ろという意見が結構ある。ただ、民事訴訟の場合の文書提出命令と、行政訴訟の場合の文書提出と若干違うところがある。その1つは、裁決を経ている場合だ。裁決を経ている場合には、裁決の記録がきちんとあり、そこには当事者の主張だけではなくて、証拠がつづられているはずだ。だから、そういうものは速やかに出させるべきだ。これについては、今の民事訴訟法の220 条の3号の挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成された文書に当たるかどうかという議論があり得るとは思うが、当たらないと言われる可能性もあるので、裁決については出させるべきだ。例えば、国税などで、裁決庁が税額を一部変えた場合に、どういう理由で変えたか処分庁も知らないということが形式的にはあり得るが、裁決庁の記録がきちんとあるんだから、そんなものはすぐに出させるべきだ。それから、いわゆる処分だ。原処分についてきちんとした一件記録があるケースはたくさんあると思う。例えば、運転免許の停止処分など、処分によっては、きちんと一件記録があるものが多いので、出させるべきだ。処分概念を拡大していくと、一件記録という形でまとまっているかどうか疑問がないわけではないが、それでも、どこまで出してくるかは別として、やはり処分の関係記録ということで、それを提出命令にかければ、それなりのものが出てくると思う。これはやはり行政処分を争う、行政事件訴訟の特質だと思うので、民事訴訟法の文書提出命令の一種の特例的なものを設けるべきだ。

○文書提出命令だと文書の特定が要ることになってしまう。一件記録で特定されているかというと、いろんなケースがあるだろう。争点となった立証事項の証拠としての必要性というのが発令の前提要件だ。「何かよくわからないけれども、いろいろあるようだから出してくれ」という方が国民にとって便利だということは理解するが、サンクションがある文書提出命令という制度で、何でも関係するものをみんな出してくれという制度を載せるわけにはいかないのではないか。

○ただ、それを隠す必要もない。

○隠す必要はないが、立証に必要でない資料も含めて、何を求められているかもわからない、何を出さなかったら制裁を受けるかもわからないということで、おおよそ関係しそうな資料は出して下さい、それは裁判所の提出命令です、という形でかけるのがいいのか。

○ただ、その処分を支える証拠もあると思うが、それに反する証拠だってあり得る。いわば処分庁に不利な証拠も、その情報は国民のものだから、裁判の場には出されるべきだと思う。今はそういう制度がなく、行政庁は自分の有利な書類しか出さないという問題点がある。

□その点は、自分もこの前情報公開法のシンポジウムに行き、行訴法の特色として、説明責任とはあえて言わなかったが、従前の当事者と違ったところがあるのではないかとの話はした。それを文書提出命令の中に仕組むのか、それとも釈明処分の一環として、あるいは行訴法独自の制度として仕組むかという問題はある。

○裁決でどのような資料に基づいて判断したのかが、訴訟の前提になるから、その前提をまず明らかにした上で訴訟が進行するというのが円滑な進行に資する。その意味で、その位置づけは、釈明的な位置づけに非常に近い、あるいは釈明的な位置づけと言っていいだろう。
 文書提出命令については、ここ何年かの間の何度かの改正で、いろいろな拡充が図られているので、その中で、更に文書提出命令をもっと拡大する必要があるかどうかは、私ども現場のものからは、もう少し何が本当に必要か実情を見た上でやっていけると思う。

○文書提出命令か、釈明かというのは、仕組み方によっては相対的なものだと思うので、本質的な部分が確保されていれば、その呼び名をどうするかは、それほど本質的ではない。
 言いたいことは2つあり、1つは、今の文書提出命令のように、固有の文書を具体的に特定するというようなことだと行政訴訟ではほとんど意味がないだろうということ。また、行政庁のこういった訴訟行為を対象として、強制力がない情報収集手続というのも、ほとんど甲斐がないだろうと思う。行政庁は処分をする場合に、処分を支える有利な証拠は当然集めるが、それに反する証拠も手元には実際に集める。そしていろいろ取捨選択して、基本的には有利な証拠に基づいて処分をする。これも法務省訟務局の指導がそうなっているが、後から洗いざらいそれを裁判で出すかというと、絶対にそういうことはしない。処分を具体的に維持するのに有利になる証拠だけをつまみ食い的に出すという、これは行政庁の指定代理人の経験者なら常識に属する話であり、これをつつみ隠さず出すようなおめでたい行政庁は聞いたことはないし、今も恐らくそういうふうに運用されているだろう。だから、裁判所に出てくる資料自体が極めてか細いルートを通ったものだけで判断されている傾向があることは否めないわけで、そういう意味では、処分を維持するに当たって必要とした、処分を維持するのに関係がある資料一式を強制力を持ってあらかじめ出してもらう制度は、何と呼ぶかはともかく、行政訴訟では違法の判断、公益の判断を争われる以上、極めて本質的な重要な要素だと思う。

□今の意見についてどう仕組むかは、かなり、現在の文書提出命令の在り方、あるいは将来を多少見越した上での提出命令の在り方と、現場での釈明処分、あるいは釈明権の行使の在り方と、いろいろな点を考えなければいけない。基本的な問題意識は皆ほぼ共通していると理解している。
 記録の提出を拒否できる場合につき、行政庁からはいろいろな意見が出ていることは理解し、その上でどうするかという問題だと思う。
 また、多少パブコメからの意見に分かれがあるが、これもなかなかいろいろ面白い意見があると思う。

○本案判決前の仮の救済の制度の整備について、1−1の公益への影響をどう考えるかの議論で、処分者以外の人たちの利益の衡量ということを随分各省庁強調しているが、この配慮は一定の場合当然必要なのだろうが、もともと行政処分が違法な場合は、仮に、その処分が違法で取り消されたら困る人が多くいるようなケースでも有無を言わせず取り消して、効力をなきものにすることが前提だから、例えば本案に理由があるように見えるような場合についてこういう要件を課すのは、もともとの行政訴訟制度からすると矛盾ではないか。その意味で、違法判断に熟しているものについて、公益が一方のてんびんで利益衡量にかかるということは、法の枠組みとしておかしいのではないか。

□今のような形で違法判断ができるんだったら、本案判決ができないものか。わからないから問題になっているわけで、逆に、わかっている場合は、実務的には、少し遅いのではないか。

○結論がわかっている場合、例えば執行停止のときに確信を持って本案に理由がないという場合には、他の判断をせずに、そこからすぱっと入っていくこともあり得、実際にもやっているが、それを使うのはよほど確信を持っているときであり、疎明の段階では非常に短い期間でばたばたと資料が来るので、出せていない資料もあるのではないかと、裁判所としては常に考えざるを得ず、その部分でいきなり入って、これからやっても訴訟は無駄ですよということは、なかなかこの段階で言えないのが実情だ。

□現在では積極的要件、消極要件で、非常に一つひとつ区切っていくようになるが、今の話だと、一つひとつ区切るよりは全体として事件を見て救済すべきかどうか判断しているということであり、そうすると書き方が違ってくるという感じがするが、その点いかがか。

○今の指摘は全くそのとおりだ。今、消極要件と積極要件と書いてあるが、要件ごとに分けて、こっちがどうだった、これが肯定できた、次にこっちという思考がなかなかできない。また、公益への影響というのも、使い方によっては非常に広く使えてしまうので、逆にほとんど使わない。ただ、公益への影響と、著しい損害をどう見るかは、かなりバランスの問題で、相関的な問題なので、実際上の考慮の仕方は、そういうことが広く働いている。そうした実際の思考方法に合った要件、総合的な考慮をすることが可能な、自然な要件の書き方にしてもらえば、実務は非常に安心してできる。

○内閣総理大臣の異議については、前回、各省ヒアリングでも役所の側から割合慎重な意見が出ていた。過去40年ぐらい発動されたことがないということなので、この規定による実害の有無ではなく、理論的にそういった究極の手段を残すべきかどうかだろう。
 この検討会で行政事件訴訟法の専門的な吟味の立場から理論上廃止の結論が出るのならいいが、そういう問題だけでもなさそうな感じがするので、将来における究極の状態が来るのかどうかの見極めも必要なので、どういう場で検討すべきかわからないが、別の判断も要るのではないかという感じがした。

□ここはなかなか難しいところで、今日どちらというふうにはなかなか決め難い。

○執行停止については役所からこういう場合に認められたら困るという意見が結構あったが、それが認められるかどうかは具体的な事案によって決まってくるわけで、それを言っても仕方がない。我が国の執行停止制度が非常に狭いのは、ある程度共通した国民的な認識だと思うので、それを重視するべきだ。執行停止原則にするか、執行不停止原則にするかという議論もあるが、どちらの制度としても例外は置くので、例外の要件の決め方によって、どちらにもなる。各省からは、暫定的な執行停止制度など困る、とか、外国人の収容、逃亡が防止できなくなる、とかの意見があったが、それではドイツで執行停止制度を採っていることはどうなんだということにもなるわけで、役所の話は余り説得力がなかった。
 内閣総理大臣の異議についても、現実問題として長年全然機能していないので、役所が一応反論しているが、大きな反論ではないという認識だ。

○内閣総理大臣の異議については、ヒアリングのときに各省庁から割と慎重な意見がたくさん出てびっくりした。各省庁の意見は、内閣総理大臣が登場するような仕組みをつくらないといけないというのか、それとも裁判所の審査を受けない申立ての制度をつくることが必要だと言っているのか、どちらか。

■内閣総理大臣の異議の制度は、国会報告も含めた三権分立の観点からも検討する必要があるという意見もあり、要するに、行政府の長としてぎりぎりの権限は必要ではないかという意見であって、単に不服申立に伴い原決定の効力を止めるルートがあればいいという話ではなく、もっと究極的な問題として残した方がいいというのが警察庁と財務省の意見ではないかと理解している。

○そうすると、やはり内閣総理大臣が出てくることが重要なのか。

■それだけの究極的なものとしてこの制度を考えた方がいいというのが行政官庁の意見ではないかと理解している。

○主務大臣ではいけないのだな。

■そうだろうと思う。

○そうであれば、裁判所の審査を何らかの形で仕組むのはあり得る。

〔第2−3 本案判決前における仮の救済の制度の整備(執行停止以外の仮の救済)〜第2−5−(5) 出訴期間の延長〕

■〔資料1に沿って説明〕

○仮の救済については、行政庁からの反対意見はそう強いものではなかった。
 仮の救済が認められれば、回復不能な結果を招く危険があるという指摘はそのとおりだが、逆に処分が違法である事例では、それでよかったことになるわけで、逆に仮の救済を認めない場合で処分が違法な場合には、逆に回復不能な被害を被ることになるわけだから、これは裏腹だ。だから、これは個々の具体的な省ごと、具体的な事業ごとに適正な判断をしていくしかない。
 人事院は、懲戒処分で免職にした公務員がそのまま残っていることになったら、後任の人はどうするんだという話だったが、それは民間会社だって一緒であり、余り説得力はない。
 自分は、もともと民事保全法の仮処分を認めたらいいじゃないかと主張しており、その場合、行政に関連する事件の場合には、当然その事案に即した公益性、その他の判断が入ってくるので、それで十分だと思っている。仮の救済の制度を設ける場合、要件について民事保全法と若干違う公益性等について配慮すべきだみたいな要件を付け加えるかもしれないが、設けること自体については大きな反対はなかった印象だ。

□行政庁の反対も、カテゴリーとして認められないということではなく、こういう点に留意をしろと、ある種適切な指摘もあった。これらの指摘を前提にし、要件の議論を進めていくことになるのだろう。

○前回、パブリックコメントの結果について、義務づけ訴訟についての要望が、少し弱くなっているのではと感想を述べたが、後で読み直してみると必ずしもそうではない、やはり要望は強いと感じた。
 規制権限の行使を求めるタイプの義務づけ訴訟について幾つか反論が書かれているが、例えば自分の住んでいる所の近くに産業廃棄物の処理場があっていろいろ被害がひどいという場合、何らかの形で、行政庁の介入を求める訴訟を認める必要性があると思う。法令に基づく申請権がないのに義務づけ訴訟を認めるのはおかしいなどの意見もあるが、ただ実際上の必要性は十分にあるだろうと思っている。

○前回の資料の3−2で義務づけ訴訟についての意見の整理がしてあるが、これを見ると、A案が「妥当」、B案が「いろいろ問題ある」、最後の5番目が「C案が妥当」となっている。最後の「C案が妥当」は1行で書いてあるが、それまでは4つの項目が8行にわたって書いてある。しかし実際に数を調べると、義務づけ訴訟に賛成の意見は54件中42件だ。A案が妥当だという意見は4件、2番目、3番目、4番目の意見はそれぞれ1件ずつだ。しかも3番目の意見と4番目の意見は同じ人が言っている。これはこの整理の仕方がそういう印象を与えているのでちょっと問題だ。意図的にされたとは思わないが、大半はC案に賛成の意見だ。

○義務づけ訴訟を申請権を持たない者から認めることになると、行政と司法の役割分担の在り方というところに、実質的な影響をかなり及ぼすと思う。
 行政の場合は、法律の範囲内で、場合によっては行政裁量も行使しながら、国民に対して、さまざまな措置、権限を行使する責任と権限とあるわけであり、義務づけ訴訟という形で、裁判を通じて行政に求めることが多発すると、役割分担という面で混乱が生ずるのではないか。
 全面的に否定しないが、要件などの辺りは慎重に検討すべき課題が残っているのではないか。

○いわゆる規制措置を講じなかったことが違法であるということにつき、例えば水俣病の事件では、地裁レベルで、国家賠償法で違法だとされている。また、最高裁平成元年の宅建業者の規制、平成7年のクロロキン事件、これはいずれも不行使が著しく不合理であるという場合には国家賠償法上違法になるということを認めている。このように、申請権のない人の訴えに際し、そのような状態を違法と認めているので、申請権はないが、被害者になり得る人たちについて、要件の議論は必要だと思うが、一定の場合には損害賠償ではなく事前の義務づけ訴訟を認める制度は設けるべきだ。水俣病の場合のように、どんどん被害を受けていて、裁判所から見て行政の権限の不行使が明らかに違法である場合にも、国家賠償法上損害賠償の請求は認めるが、被害を未然に防止する規制措置は裁判所によって求めることができない、という議論は説得力がない。

○申し上げたのは、行政事件訴訟法上、裁判規範として有効な規定になるかどうか。いざ決めても、法律にならなければしょうがない。そういう懸念を持っている。

○義務づけ訴訟が多発すると困るとのことだが、義務づけ訴訟ないし義務づけ判決の制度化としては、独立に義務づけ訴訟を設けるという、言わば大きな義務づけ訴訟方式と、取消訴訟や不作為の違法確認訴訟に義務づけ判決をひっつけるという小さな義務づけ訴訟ないし判決という方式があり、自分が目下考えているのは小さな制度の方だが、我が国の現状からすると、そう頻繁に義務づけ判決が出る事態はないだろう。ただ、小さな仕組みでもいいから何らかの制度を設けておく必要はある。

○義務づけについて、法令に書けるかという発言があったが、おかしい。国家賠償の要件としては、最高裁自身が一定の要件を想定して概念操作しており、そういう要件の場合に、差止めをさせるのか賠償請求をさせるのかという選択があるが、要件自体が法令に書けないのであれば最高裁判決は執行不可能となるので、そういうことはあり得ないという前提で議論すべき。また、申請権の有無にかかわらず、これが違法だという類型が法令には直接明記されていなくても、最高裁までが既に一般論として存在を認めているのであれば、差止めと損害賠償は連続的な問題だから、差止めについて一切類型が存在しない法体系で本当にいいのかとのバランス論から考えれば、そちらの方にルートを開いた方が最高裁の考え方にも合致する。そういう意味で、要件をどう定めるかは議論の余地があるかと思うが、書きにくいからとか、あるいは行政が困るからということでこれを排除するということは、理由がない。

□この点はかねてから行政法で議論がある。ただ、実定法上請求権が認められているかどうかは裁判所が判断する。日本国憲法からは、おおよそ請求権の存否を裁判所が判断してはいけないということにならない、というのが行政法の普通の理解だ。現行法でも義務づけでなく確認という形では、もう既に東京地裁で実践的な判断がある。
 もう一つ、国家賠償で認められているから、という議論は苦しい。日本の場合には、国家賠償法で救済を図ってきたというアプローチと、今度ここで明確にしましょうというアプローチとは、要件論からしても違うところがあることを前提にしないと、これからの議論が少しやりにくい。
 ところで、この場合の義務づけ判決と、それから義務の確認は、質的に異なるものなのか。

○あることが違法であるとの確認をすることと、更に具体的にある行為をすべきであるということの間には、やはり明白性などが入るので、ベースは違法の確認辺りからやっていき、そしてここまではだめですよという宣言を司法がし、だから行政はそれを前提にもう一回急いで考えなさい、とやっていく方が役割分担が上手に機能すると思う。そういう順番で使われる仕組みの方がいい。

○強制執行についてだが、大阪国際空港の事件では、損害賠償の支払いと、夜間の差止めについて、大阪高裁で仮執行宣言が付された。これは民事訴訟としてやったので当然だが、夜間9時以降、翌朝7時まで一切の航空機を飛ばしてはならないとの差止めについても仮執行宣言が付いた。行政だから執行が要らないという議論はおかしい。義務づけ訴訟でも原則どおり執行の対象にすべきだろう。大阪空港と中味は一緒という意味からすると、相手は行政であっても執行の必要性はあるかもしれない。

○要するに、強制執行の仕組みが必要だということか。

○裁判所の命令があったら行政は従うじゃないかという議論があるが、しかし行政は従わない。9時以降の差止めについては、国の方が執行停止の申立てをした結果、国内便については執行停止の申立ては棄却、国際便については外国との交渉があるということで、6か月間だけ仮執行の執行停止の決定をした。国の方が自主的に航空会社を指導したので、仮執行の着手には至らなかったが、裁判所の決定に基づくものといえる。

○最高裁で判決が出て、確定して行政が従わないことは考えられない。大阪空港の場合は、仮執行のときは従わなかったかもしれないが、確定して国が従わないケースなどないのではないか。
 差止訴訟については、以前、長野勤評に関する最高裁判所の判決を紹介し、その際はその要件でいいのではないかと思っていたが、その後自分自身の考えが揺れている。ただこれはなかなか難しいところがあり、取消訴訟との関係をどうするかの問題がある。
 もう一つややこしいのが、事前手続の関係であり、事前手続が終わってから処分までに一定の時間が経っているという場合に、事前手続が行われたにもかかわらず、今度は裁判手続の方に持っていけるかという問題が1つあるのではないか。
 また、許認可の類いについて差止め訴訟を認めるとなると、行政庁が許認可をするかどうかの判断が出ない段階で許認可を求めている人と、それに反対する人の間で、裁判所を舞台に争いが繰り広げられることになって、これはなかなか難しい。何らかの形でこういう訴訟を設けておいた方が、そういう必要性が生じた場合に備えることができていいのではないかと思うが、難しい問題があるので、自ずと要件は限定されてくるのではないか。

□前からの議論としては、要件について義務づけ訴訟とは多少違うところがあり、「蓋然性」という問題がある。それに対して、義務づけ訴訟の方は、取消訴訟中心主義の枠が離れた場合の要件ということで、従来の三要件をそのまま維持できるかどうかという点の議論はしたということだと思う。
 確認訴訟について、2の2番目の□に、「現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができる場合には、確認の訴えを認める必要はない」という法務省の意見があるが、これは36条で、いろいろ最高裁判所が苦労していることとの関係をどういうふうに見ればいいか。

○これはごくごく単純に民事訴訟法の一般的理解を述べただけとしか思えない。

□36条を書いたために、まずはこれに当たらないということで最高裁も大変苦労している。最高裁は、一挙的な解決などということを言っているので、少し踏み込み過ぎていると思うが。

○2−5−(1)の項目の趣旨だが、取消訴訟の対象にならないと考えられるものについて、訴訟が必要である、したがって、何らかの別の訴訟を考えるべきだ、ということか。

■今の御指摘で、例えば11ページの確認の訴えのところの、上から3つ目、4つ目のところで、確認の訴えで考える考え方としては、取消訴訟の対象に該当しない行政立法、行政計画について、無効確認の訴えができるものとすべきではないかというものと、あるいは行政処分以外を争う訴訟は、確認訴訟を当事者訴訟として位置づけて、判決の拘束力も併せて考慮すべきだ、つまり、当事者訴訟としての確認訴訟を活用していったらどうかという考え方の意見も一方であり、取消訴訟の対象とするという考え方は、処分の中に含めるのか、処分とは別なものとするのかはともかくとして、今の取消訴訟と同じような仕組みで訴訟の対象としてはどうかという提言であり、確認の訴えとの対比は、今のような当事者訴訟的にものを考えていくのか、あるいは別の訴訟類型とするのかという考え方と、確認訴訟的な類型をつくるという考え方と、取消訴訟の枠組みに加えてみるのはどうかという考え方と、そういう違いがあるのではないかと思いますが。

○個人的な考えは、取消訴訟という用語を使うとし、取消訴訟の対象は行政処分、その他の行政決定、あるいはその他の行政の行為と考えており、通達や行政指導は、少なくとも判例集に載っているものは、10年、20年に1回ぐらいしか問題になることはないので、その他の行政決定ないしその他の行政行為というところで対応したらどうかと思っている。
 行政計画は、なかなか行政処分と言えないところがあり、また割合と用途地域指定など、訴訟が多いので、何らかの特別な扱いをする必要があると思っている。
 それに対して行政立法は、直接行政処分を媒介とせずに、国民の権利義務に変動を加えるようなものについては、行政処分として争うことが現在でも認められている。それに加えて、行政処分と見れないような場合について、行政立法を一般的に争う訴訟を設けるのは、かなり国民にとってもリスクが大きいと思うので、行政立法を争う訴訟については、消極的だ。

□その他の行為の争い方はどうなるか。

○取消訴訟の枠内で争う。

□いわゆる形式的行政処分のことだな。 排他性はどうなるか。

○理論的には問題があると思う。

○取消訴訟の対象の拡大について、行政庁の意見を見ると、影響が広範囲に及ぶとか、法律上の利益を有するものが不明確な段階で争わせるのはどうかとか、法的効果がないのでどうかとか、そういう議論だ。それは勿論解決すべき論点もあるが、そうなったときに、行政としてどういう点で困るかという具体的な指摘が一切なかった。
 出訴期間についても、現行法の出訴期間を維持することについては、行政に関しては望ましいだろうが、国民の方は短過ぎるといっており、これは立場の相違に過ぎない。実際に、6か月、1年になったらどう困るのかについての具体的な話もない。
 今の行政訴訟の現状が国民にとっては非常に使いにくく、行政庁にとっては非常にありがたい制度になっていることを変えようというときに、行政としては今のまま置いておいてもらえばありがたいというだけのことであり、それを変えたら、行政がどう具体的に支障が生じるのか、行政の安定性が損われるか、についてほとんど言及がなかった印象だ。取消訴訟の排他性の問題も一緒だ。行政の安定、行政の円滑、効率的な遂行というが、これも具体的な指摘が全くなかったと思うので、行政官庁の意見には、余り参考にすべきものはなかったと思う。
 「日弁連の案では結局は幾つかの訴訟類型に集約されていくのであり、当面は却って行政訴訟の機能不全を招く」という一般の方の意見があるが、これは何を言っているかよくわからない。

□自分もよくわからなかった。ただ、この意見から類推すると、判決はどうなるのかということだと思う。「給付、確認、形成以外の、行政上の何らかの措置となるのか、請求と判決との対応関係はどうなるか考えていくと、結局、訴訟の類型としては、給付、確認、形成に落ち着くのかと理解するが、違った訴訟類型、あるいは違った判決の類型を想定しているのか」という質問だと思う。

○確認の訴えと、計画、通達等への取消訴訟の対象の拡大について、まだ十分議論がなく、コンセンサスもないところだと思う。確認の訴えの方は、例えば今までは土地区画整理事業計画のように、処分性はないとして争われなかったところで無効確認の訴えで出てきた場合には、受け止めるようにするような類型を、今でもできるかもしれないが、正面切って立法で手当して明確化する実益は非常に大きい。そこに第三者を付けるかとか、あるいは出訴期間を付けるかとかは、立法政策の判断かもしれないが、今までは処分性の点で取消訴訟になじむかどうかわからなかった点でも、手前で、少なくとも確認の訴えで受け止められる類型をつくることは大いに実益がある。
 取消訴訟の拡大については、全般的に、段階的決定のできるだけ手前での拡大が1つの典型例だと理解しているが、その場合の基準が、主観訴訟として位置づけるのか、それとも今までの処分性の概念で言うと、熟度は低いが特別な扱いで位置づけるのか、ある程度政策判断として決める必要がある。自分は後者の方でもいいと思っているが、その場合、段階的決定で手前の方で争わせるとすると、そこは大々的に告知し、争うならそこで争ってくれ、違法性の承継は遮断する、とした方が、同じ仕組みをつくるのであれば、訴訟経済としては合理的という印象だ。ただしそれにより後ろで争うことができず権利の救済が閉ざされるのでは元も子もないので、その点は全体的な考慮が必要だと思うが、もし区切りを付けることができるのであれば、それはそれで望ましい。
 12頁の2の自治体の行政立法のところで、知事会から出ている意見がわからない。このように言い出せば、自治体の行政処分でも何でも、国が介入できないことになる。違法があって権利が侵害されているときに、偶々国に属している司法裁判所が出ていくだけのことだから、この議論はちょっと理由がない。
 排他性の見直しについての法務省の意見で、行政文書の保存期間が最短1年未満であることを考慮せよというのがあるが、文書の保存期間というのは、役所ごとに事務管理の都合上、便宜的に定めているので、役所で決めた保存期間に併せて、権利利益の救済の期間を揃えろというのは倒錯した発想であり、しかも、そうであれば、民事訴訟で国が被告になる可能性、自治体が被告になる可能性もあるがそちらとの平仄は一体どうなるのか、現在だって問題があるのではないだろうか、と思う。

□手前のところで争わせるのはわかるが、行政指導で手前がない場合など、どうなるか。

○勿論、救済の手段は明確化した方がいい。

□その場合には取消訴訟なのか、確認訴訟の関係の整理でいくとどちらか。

○非常にややこしいが、少なくとも行政指導が無効であることの確認はできた方がいい。更に、行政指導が直接に権利侵害をするケースであれば、今までの基準でいっても単純に取消訴訟の対象としてもいいし、そうでなくても、そこで争わせて政策的に確定させた方が意味があるケースでは、取消訴訟の対象の拡大、ないしは類型の拡大として明確に位置づけてもいいというイメージだ。

○前倒しで確定させてしまうことの意味だが、第三者で当該訴えを提起しなかった者に対しても、それが有効、無効か、あるいは違法か適法かの問題は、やるならここで、と大々的に仕組んで、そこで一応決着をつけてしまおうという発想か。

○そうだ。

○そうだとすると、行政計画について考えると、行政計画を引き継いで、具体的な何らかの処分がある場合、行政計画における違法は、その処分には承継しないということか。

○原則として遮断し、紛争の処理の時期なり手続を分離する方が望ましいという発想だ。

○何かいろいろ不利益が生じる前に、何らかの手立てを打つことができるのが、少なくとも国民にとって望ましい。ただどういうやり方がいいのか、技術的なことも含めてよくわからないが、事が進んでしまう前に何らかの手を打つことは必要だ。

○この行政事件訴訟法だけで対応できるかどうかという部分があると思う。経済産業省、国土交通省、全国知事会は、前段のプロセスで手続を踏んでいればそちらを優先的にすべきだと言っているが、きちんと手続法なり、個別法で法的に書いてあるのであればいいが、全てがそうではないので、そこをどう牽制するのか、あるいはどう違法性をチェックするのかという辺りはやはり要ると思うので、それは両にらみで要るのではないか。そういうことをせずに処分だけを問うと、まさに行政計画なり、行政立法はさかのぼりが難しいので、ある程度前段階で、そういう判断の機会があってもいいのではないか。

□両にらみとはどういうことか。

○個別法、手続法で、事前のアプローチをきちんとやるということと、その手続がない場合には、行政事件訴訟法で投網をかけておく、というやり方という意味だ。

○違法性の承継、違法性の遮断について非常に割り切った考えが述べられたので驚いた。自分は、そこはできれば結論を出さずに、裁判実務なり、学説の判断に委ねることを考えている。
 また、全国知事会の指摘で、条例の司法審査は国の直接介入だ、ということであるが、ドイツなどでは以前から言われていることで、考えるべき問題だと思うが、現在の裁判の現状からすると、この指摘は現段階では考慮する必要はない。

○違法性の承継に関し、国交省の意見も自分が述べたのに割合近いが、実際上、都市計画や収用など、段階的決定で争われる実例を見ていると、前でわかっている人は当然前で争うのでそれでいいが、後ろで争ったときに、ほとんどの争点は前の計画だ。収用を争うけれども、ほとんどは事業認定なり、都市計画の違法だというのが、圧倒的に多い。今までの違法性承継理論からすれば、前の段階で十分周知していないということもあり、比較的広く救ってきたのが判例法だと思うが、収用裁決はほとんど、道路ができているとか、鉄道が走っているぐらいの段階で、一人残った人に適用するのに近いものだから、ここで計画の違法が争われて引っくり返るというのは、社会経済実態の推移からすると、それで失われる利益もばかにならない例が多いと思う。だから、当初の処分の方の違法がよくわからないまま推移していたのが苦肉の策としての今までの違法性承継理論だったので、前の処分の方で争うというのが誰にも誤解なく周知徹底されていて、場合によればそこでの教示なり、出訴期間の特例なりをちゃんとしておけば、後ろの、ほとんど事業が終わってしまって供用されている段階で引っくり返る可能性を持つよりは、国民経済的に妥当なのではないか。立法政策的な提案だ。

○出訴期間について、知った日から6か月に延長する案が妥当との話があるが、具体的な事件に関し「知った日」というのは、審査の対象としては非常にわかりにくい。だから、客観的に見て知り得る状態になったときを規範にする方がわかりやすい。「現実に知ったとき」となると、どう推認するかという問題になってしまうが、「知り得る状態に置かれたとき」という客観的な審査しやすい起算点を工夫してもらうとありがたい。

□14条2項で不変期間にしている理由は何か知っているか。

○なぜそうなったかわからない。不変期間という強い仕組みじゃなくてもいいのかと思う。つまり、1項のところを先ほどのような状態に直すのであれば、不変期間ではなく同じように正当事由を設けても構わないのではないか、その方が実際に合った運用ができるのではないか、と日ごろから感じていた。

〔第2−6−(1)原告適格の拡大〜第2−9−(2)国の公金の支出の違法性を確保するための納税者訴訟の創設〕

■〔資料1に沿って説明〕

○行政庁の意見では、1番目は今の最高裁の判例を、2番目は法が本来保護しようとしている権利者の権利を損うと言っているが、法が本来保護しようとしている権利者の権利を保護する趣旨で行政処分をしているつもりでも、それが違法だから取り消されるのなら、こういう反論は成り立たない。その次に、幾つかの案について、行政の安定性が欠けるとか、膨大な数の訴訟が提起されるという意見だが、ともかく今は極端に件数が少ないので、膨大な数の訴訟が直ちに起きるとは考えられない。むしろそうなれば結構なことではないかと言いたい。行政の安定性というのも、具体的な指摘は何もない。法務省の意見で、客観的な判断基準として不明確だという意見だが、これについてはまさに座長の意見のとおりだ。例えば、「利害関係を有する人」という案があるが、会計検査院法35条で、利害関係人という法律用語が使われている。また、民事再生や会社更生の決定について、高裁に即時抗告をする場合、誰が持ち込めるのかというと、利害関係人ということで絞っている。よって「利害関係人」については具体的な例があるので、それが客観的な判断基準として不明確であるという法務省の反論はおかしい。もちろん明確であれば一番いいが、やはりどうしても限界があるので、判例の積み重ねでやらざるを得ない。だからA案からD案が十把一絡げに全部不明確だといって消えてしまうのはどうかと思う。何らかの要件を加えることを検討することも、具体的な案で提案いただいてなるほどと思えば結構だと思うが、こういう反論は、今一歩説得力がない。

○この検討会で、原告適格につきいろいろ判例についても検討してきたが、現状では余りにも原告適格が厳し過ぎて、もう少し緩和の方向を検討すべきだ。それをどう法律の言葉で直すかということだが、各省庁からは、検討会の議論経過を踏まえた反論というわけでもなかったので、原告適格の要件の緩和の在り方を、より具体的に検討することが必要だ。

□この辺は随分議論した。今の条文のままでもいいが、やはりこういう考え方からすると、今の判例は狭いとか、文言よりも前に、やはり考え方をこの検討会で整理できるかどうかが1つのポイントではないか。「こういった考え方から見ると今の判例は狭い」、あるいは「こういった考え方からすると今の条文には載らない」という意見をいただきたい。
 行政が処分をする場合には、制定法、あるいは当該の処分の根拠、それから当該法律の趣旨、目的、更に新潟空港判決によれば、関連法規、その上の憲法、そのような考慮すべきものを考慮するのが、行政処分を行う際に一番大事なことだと思うが、そこで処分要件となっていない利益が侵害されている場合はどういうことになるか。

○法的保護に値する利益説などからは、処分要件となっていない利益なども、当然入っている。ところが、当該根拠法規では予想していない形で、例えば周辺住民などに何らかの権利侵害が生ずると、全然考慮の外だ。憲法にまで上がってくれば別だが、当該処分の根拠法規という議論になると、当該行政法規の考慮対象外である法的な利益が派生的に侵害される場合に争えなくなる。

□例えばラーメン屋などの食品衛生について、別のラーメン屋が出店、食品衛生法の結果を求める場合には、当該既存ラーメン屋の営業は一切処分要件では見ないが、たまたま憲法にさかのぼれば既存のラーメン屋の経済状態も収益状態も処分要件に合致することになる。行政法は憲法的価値の具体化だ。

○憲法の13条、25条で人格権が認められていると一般的に解釈されており、また、財産権の保障もある。ところが、ある行政法規に基づいて処分したときに、その行政法規では、周辺住民の人格権や財産的な権利の侵害が派生的に生じても、行政法規の対象外だ、要件外だというケースがあるが、それは、根拠法規を前提にするからおかしい。幾つか案はあるが、「利害関係を有する者」とすれば、根拠法規がその利害関係を行政処分の利益衡量の中に入れていなくても、派生的な形で利害関係に影響が生じる人がいれば原告適格を認め、あとは違法性の判断をすればいい、というのが一般的な考えだ。

□そうすると、法的利害関係を有するかどうかの判断はどこに求めるのか。

○個々のケースで判断せざるを得ない。法務省は、それが抽象的だと言うが、例えば民事再生の開始決定が出たというときに、どんな人が出てくるかわからず、例えば、今は債権はないが、これまでの取引先だったなど、債権者ではないが、色々な形で利害関係がある、というケースは十分考えられ、明確ではないのは同じだ。「利害関係者」というのは明確でないと法務省が言うのであれば、民事再生法の会社更生の規定も、例えば債権者、従業員、労働組合などと個別に書けばいい。ところがそうしないで、利害関係を有する者でいい、としている。今回行政訴訟についてもそうして拡大しようといったら不明確だというから、それはおかしい。

□文言のことではなく、利害関係について判断をする要素はどういうものかということだ。
 処分要件として新潟国際空港のようにかなり広がっており、また、憲法もそこに入れるとなると、何か派生的な被害が生じたときに、文言の問題ではなく、考え方としてどういう基準でそこを切り分けるのかの切り分け基準がないと、やはり裁判規範にはならないので、そこは何なのかということだ。

○切り分け基準として、「法的利益を有する者」という形で切る、あるいは、「利害関係を有する者」という形で切る、と、幾つか提案がある。

□だから「利害関係を有する者」というときの利害関係の切り分け基準は何か。

○それはなかなか難しいが、今の条文の解釈でも、例えば法的保護に値する利益説があり、その説に立って法的保護に値する利益かどうか、非常に不明確だ。今の判例も、一番狭いのは行政処分をした当該法律の条文であるところから始まり、それで全法体系、あるいは憲法を含めて、という広がりがある。だから新潟空港判決などは、従前の最高裁の判例よりもかなり広げていると理解している。今の最高裁の解釈論についても、最高裁自身が既に幅があるわけで、だから基準が不明確という議論は、どの場合もついてくる。

□考え方について検討会の意見がばらばらだと、立案のときもなかなか難しい。
 処分要件について、要考慮事項だといっても、それが即原告適格を認める根拠になるかというと、裁判所はそうではない。個別的に保護しているというもう一つの要件を隠している。それから、憲法でもカバーできない派生的な利益についても利害関係の中に入れて考えるべきだというのも一つの意見だと思う。例えばソバ屋や質屋営業の競業者、既存営業者についても認めるべきだというのが原田教授の意見だ。ただ、検討会として国民に説明していくときに、どういう考え方で説明をし、条文の在り方、書き方としてはどうか、というところまでの議論がないと、なかなか厳しいという感じがした。

○今の議論に関連し、19回の原告適格についての判例集を見直していたが、最高裁の原告適格基準の、「そのものを守る趣旨、目的が含まれているかどうか」というのは、判例の限りでも破綻している、読み切れていない、という印象がある。その事実認識を出発点にすると、例えば里道のケースなどもそう読めていないように思うし、風俗営業でも、一診療所の設置者はいいが、一般住民はだめだと判例が分かれているのがあったが、どうもよくわからない。恐らく最高裁の実質判断も、「趣旨目的」というのは言葉の手がかりとしてやるのかもしれないが、恐らく、真意にある実質的な判断は、その処分によって一種の法的因果関係を持って、誰かの権利を侵害していて、その者にその処分を争わせることが適当かどうかという機能的なアプローチで判断しているように見える。そうすると、趣旨文言から演繹的に議論するのではどうしても読み切れないものが結果的に救われているんだとすれば、その趣旨目的から形式的に読めるかどうかよりは、むしろ機能的アプローチとして、その処分により一定の因果関係を持って誰かが被害を被り、しかもその被害を被ったものに処分を争わせることが権利救済の手段として適当であるという、その意味での法的評価をきっちりと条文に書ければ、恐らく、今まで皆がもやもやと原告適格で、この辺が足りないのではないか、というところをある程度は埋めるのではないか。趣旨文言から演繹的に、という書き方は何とか工夫できた方がいいのではないか。

□自分は、里道のケースは、公物法のドクマティックが美濃部教授以来あるので、それを前提にせずに議論しており、おかしいと思っている。
 それから、法の趣旨目的は演繹的に考えるべきではないことは、田中教授が昔から言っているところなので、趣旨、目的から演繹ではなくて、趣旨、目的は考慮をして解釈するということだから、そこもいろいろ議論があるところで、意見の趣旨は承った。そういう形で意見を出して頂くと後で整理が楽だ。

○行政手法を巡って様々な利害があるが、そのうち、どのような利害を持っている者に原告適格を認め、その他の者について認めないか、その線引きの問題だが、先ほど、広い意味での法律ないし法秩序が基準になる、との発言があったが、自分も、法的なものが基準になる、と思う。だから、原告適格を示す文言に、「法律」とまではいかずとも、「法的なるもの」を何か持ち込みたい。そうしないと、メッセージが法律の解釈適用、あるいは裁判を起こす者に対して伝わらないのではないか。

○先ほど発言があった「法的因果関係」というのは、どういうケースを想定しているのか。

○厳格ではないが、民法の不法行為での相当因果関係があればいいとの趣旨だ。

□指定の取り消しに関し、みやげ物屋は、相当因果関係があると思う。

○相当因果関係では入るかもしれないが、法的評価という点ではどうか。多分みやげ物屋の場合は、法的評価をあえて理屈づけると、そこは営業の自由の話、経済的自由の発露だから、それは自己責任だという説明はあり得る。

○自分は前々から何回も、是非運用する立場から明確にと発言している。判断するに当たって、恐らく個々具体的に検討していかなければいけないのはわかるが、今までと違って何を、取り込む指標にするのか、ここで十分議論いただかないと、いろいろな考え方があるので、実務が混乱すると思う。

○こういうシミュレーションはどうか。例えば、都市計画法の開発許可の取消請求で、開発区域の周辺住民の原告適格については、原告適格あり、という最高裁判決があるが、これも崖崩れのおそれが多い土地に当たる、という条文の手かがりで判断している。では、もしも、崖崩れのおそれが多い土地、というのが、立法当時に条文の中に全く入っておらず、その他の環境とかだけを考えて条文をつくっていたとして、同じような理由で争われたらどうなっていたのかと考えると、今の最高裁の法律上保護された利益説だと、丸っきり崖崩れの手がかりがないとアウトになるかもしれないとの懸念を感じる。やはり条文に端的に書いてあるかどうかで救済のルートに入るか否かが分かれてしまうのは、こういう場合実質的に妙ではないかという、1つの例ではないかと思った。

□条文に書いておらず、保護法益でもないとなると、原告適格が認められても処分違法ではなくなる。崖崩れのところを考えていない、という要件がないけれども訴えを認める趣旨は、そもそも処分要件でないけれども認めるというのか、処分要件として考えよ、それは個別の条文ではなくて認められる、というのか、現在、探すとすれば新潟空港判決だが、同判決は今の条文の限りではそこまで読めないとすれば、また別の条文を考えなければいけないことになる。

○開発許可要件に崖崩れが入っていなかった場合は、その点では違法にならないが、開発許可の全体の中で個々の違法を見つけた場合には、その崖崩れでない違法を崖崩れを理由とする原告適格を持っている人に争わせるのも1つのルートであるかと思う。

□緑の木を守るところだけで本当に原告適格の満足を得られるかということだ。

○その場合は、書いてなくても、処分要件の中にはそういうことが入っているんだと読むような解釈を助ける立法があると望ましい。

○そうすると、やはり処分要件を軸に考えていくというスタイルは、これはいいのだな。それならば裁判官は慣れているからやりやすいが。そこに今のようなことも考えよという趣旨か。

○今の判例だと、比較的形式的に読むケースも間々見られるので、処分要件が実質的に読めるようになれば、かなりの問題は解決するのかもしれない。

□あとは公益一般に吸収されてしまうのが辛いところだ。そこを何とか克服しないといけない。

○個別の法が想定している行政処分による権利侵害の範囲は、別に当該法の想定している範囲とは限らない。出てくる結果としての権利侵害は、その法律の想定範囲には決して止まらない。はみ出た部分を原告適格としてどこまで認めるのか、あるいはそれを救う何かがあるのかが問題だ。議論を聞いていると同じ法律の中で全て完結しようとしているが、処分の結果の表われ方は、当該法の範囲を超えることは実態上幾らでもある感じがするので、そこをどう救うのかが、考え方としてかなり微妙だ。

□その場合、救わなければいけないという意味だが、その方に対する侵害ではなく、別のところの違法をつかまえて結果として自分も救われるということだから、そこが難しいところだ。

○主張・立証の責任の行政負担について、各省庁の意見は似通っているが、なぜ行政庁が一義的、あるいは原則的な主張・立証責任を負うと支障があるのか、どうもよく飲み込めない。例えば、処分を受けた人が、不法に滞在しているかどうかとか、あるいは簡単に調達できる証拠を持っているかどうかというのであれば、それは本人が簡単に説明すればいい話だが、行政庁が民事と違うのは、優越的地位で一方的に権力発動して法の要件に該当する処分をし、相手の権利を剥奪ないしは制限したわけで、そこの根拠が行政庁側で、必ずしも主張・立証できないというのは異常だ。勿論本人にしかわからないことは、非常に明らかで客観的にわかるので、そういうところは本人に残るようにし、だけど全体としてその処分の発動の必要性があり、違法ではないということは、一方的にやる処分である以上、民事と違いまず行政庁が原則的に主張・立証責任を負うと考えるのは、全く常識的だ。

○立証責任については、学説上も様々な意見があり、だから今回法律の中に規定する必要はない。これを議論し出すと、説が幾つもあるので、それを全部見ていくと、とてもできない。
 ただ、主張については、処分の適法性について行政が主張すべきである、という指摘はもっともだ。それは、審理の充実との関係で、記録提出や理由の説明などとの関係でつなげることができる。

○主張責任があるイコール立証責任がある、というのは基本原則だ。問題は何らかの利益の給付の申請をして拒否された場合にどう考えるかだ。立証責任というのは、真偽不明のときにその不利益をどちらに負わせるべきかという議論だが、実際の訴訟の場ではそういうケースは滅多に出てこないので、原告がそう言っているが、どうもそうではないだろうと拒否処分を認める判決も結構あると思う。しかし、本当に真偽不明だ、なるほど原告が言っているのもわからないでもない、しかし行政の立証が十分できていない、という場合には、どちらに不利益を課すかといったらやはり行政に不利益を課すべきで、立証責任は行政にあるというべきではないか。意見が分かれるとすればそこのところだが、場合によっては議論して、できるものなら規定すればいい。
 団体訴訟について。法務省と総務省だけから反論があり、個別法で規定すべきだとのことであるが、外国では確かに個別法の中に訴訟条項を置いている法律も結構あるようだが、日本で訴訟条項を置いている法律はゼロではないか。当該官庁が所管の法律をつくるときに、訴訟条項を自ら置くということは今の日本の状況では到底考えられない。環境アセスメント法の制定時に、訴訟条項を置くことを日弁連などもかなり強く申し入れたが、結局ほとんど見向きもされなかった。だから、個別法で規定すべきという議論は、団体訴訟は導入しなくてもいいという議論に等しいと思う。今の日本の現実を直視すれば、どういう要件にするかは議論をしたらいいと思うが、やはり一般法である行政事件訴訟法の中で、団体訴訟を認める規定を置くべきだと思う。

○団体の指定も含めて、全部行政事件訴訟法で規定するのか。

○そうだ。どういう団体に原告適格を認めるかは、行政事件訴訟法で決めるべきだ。

○どういう処分について、どういう団体に認めるか、一覧表でも作って、全部行政事件訴訟法に列挙するということか。

○一覧表などではないが、抽象的な表現ができると思う。団体訴訟の議論には、団体としての適格があるものについてどうするかの議論と、団体としての適格がないものをどうするかの議論と混在しているから整理しなければいけないが、これには日弁連も具体的な案を出しており、あのような形で議論することは十分可能だ。外国法でも一般法で規定している例はあるのではないか。

□これはアメリカ辺りでも判例でどんどんやっている話だ。

○団体訴訟については、一般則で書けるなら是非書いた方がいい。
 事情判決の制限について、一般からの意見で「代償措置を講じることができなくても、事情判決の要請される場合がある」というものがあるが、代償措置を講じることができないというのは、違法な行政処分があったが、損害賠償もやらないし、あるいは代わりにその処分を受けたものの被害を軽減する別の措置も講じないことを意味するのだろうから、結局違法措置を行った行政庁が事情判決だけもらったまま違法措置の被害を相手方、国民側に受忍させ続けるべき領域があるという意見と等しい。基本的にそんなことはあってはならないというのが法治国家の前提だと思うので、こういう議論に与することはできない。同様に選挙訴訟には代償措置がなく問題がある。事情判決の制限に賛成しない意見について、理由が全く示されておらず、なぜ代償措置のないところで事情判決の法理を使って構わないのかの実質的な根拠について、どの省庁からも、一般国民の意見からも、まともな理屈は1つも見つからなかった。
 弁護士報酬の敗訴者負担について、片面的敗訴者負担にいろいろな省庁がこぞって反対しているようだが、これも余り説得的ではない。市が負担する弁護士費用は税金だとか納税者の負担だとかと言っているが、行政訴訟というのはもともとそういうものであり、行政庁を支えるのは納税者であることは大前提だが、その違法を発見して権利救済をさせるための手続として設けられているので、そのようなそもそも論で片面的敗訴者負担が一概にだめだということには必ずしもならないだろう。これは別の検討会で民事一般の話で議論をしているとは聞いているが、民事というのは基本的には両当事者が対等で争っている場合を念頭に置いている。行政の場合には対等でないことが、行政訴訟検討会で独自の訴訟法を検討しようされた趣旨だから、やはり行政のような不対等の場合にも片面的敗訴者負担を設けてはいけないという実質的根拠があるのかどうかという観点で検討し議論して結論を出さないといけない。そういう意味で、民事の結論にただ合わせるとか、あるいは行政庁が言っている意味で単に困るというような議論でなく、もう少し実質的なところがないとこれを否定する論拠にはならない。

○実質的に不要であるという判断をした上でだが、できるだけ今後の論点を減らした方がいいと思うので、事情判決については、今回は触らなくていい。現在の制度でも、事情判決を出す場合には、損害賠償の可能性も考慮してやることになっている。
 選挙訴訟だが、これは損害の賠償、損失補償の話ではない。実際に選挙訴訟を起こして事情判決を受けた人の判断としても、金がもらえるかどうかで事情判決を認めるかどうかの結論が異なってくることはないだろう。そういうこともあり、事情判決の問題は、今後、1つの論点として扱うことはないと思う。

○今の点だが、反対だ。選挙訴訟の問題について申し上げたのは、選挙訴訟に損害賠償措置がないからまずいということではなく、選挙訴訟では代償措置を設けようがないんだから、これは本体取消ししかないのではないかということだ。

□情報公開に関してだが、理由等の変更について、義務づけ判決を正面から認めるとなると、請求権の話になる。最初の行政処分が違法かどうかよりも、請求権の存否の話になるので、そのときには最初行政庁が拒否処分をしたときに付けた理由と違った理由を、請求権が相手方にないことを根拠づけるために、言わせないということになるのかどうか。なぜそういう問題が起きたかというと、情報公開の不服審査段階でどんどん実体に入り、拒否処分の違法性の問題ではなくて、仮請求権、つまり不開示事由があるかどうかに入っていかれる。そうすると、たまたま理由付記で拒否する時もあるが、行政庁からこういう理由が示された時に、今さらそれは理由付記していないから言わせないとなると、もう一度返すことになり、しかし申立人の方は、それよりも今の不服審査段階で全面審査して下さいという気持ちもあるのか、新しい理由についても結構どんどん判断をしている。理論的に整理すると、義務づけ判決の場合の訴訟物及び攻撃、防御方法とは何かという問題につながってくるので、今申し上げた趣旨は、理由等の変更の制限というのも、そういった新しい訴訟類型を認めるときに考えておかなければいけないものだと思ったので、情報提供ということで申し上げた。
 今日議論にならなかったのは、議論にならないという趣旨ではないので、今までの議論に付け加えて論点の指摘はなかったという意味で扱いたいと思う。

○裁量審査の充実だが、この中間とりまとめでもいろんな方向の議論があり、どの意見に対して意見を言えばいいのかちょっとわからない面があるが、行政裁量というのは、本来は立法府が法律を作り、それに権限行使の基準を書いていくというのが本来の在り方だし、そもそも行政自体には、裁量権の濫用的なことが発生すると政治責任のような形でチェックをされる面もあるし、最後は司法審査で個別法の趣旨に沿って、裁量の範囲の濫用があったかどうか判断されるが、この中間とりまとめの中でも、例えば30条の規定を削除するとか、何らかの積極的な裁量判断基準の要件を書くとか、いろいろな議論があり、やはり個別法での明確化なしに、訴訟法の中で行政の裁量範囲についての在り方を書くのが適当かどうかという気がする。行政事件訴訟法の問題なのか疑問に感じる。
 また、目的規定にどう書くか、裁判実務にどういう影響があるのかはよくわからないが、一般的に考えると、行政の適法性の確保というのは、行政内部に関しては監査などの機能があるし、立法府は行政に対するさまざまなコントロールの手段の形が既にある。勿論行政訴訟によって個別の救済が行われて行政の違法性が是正されたのもあると思うが、そちらの方はやはり反射的に行政の違法性が是正されるということだろう。やはり本筋は行政内部の機能であるとか、立法によるコントロールだと思う。行政事件訴訟法の第1条に、行政の適法性の確保、という規定が入るのは、少々違和感がある。

○適法性も書いた方がいいと思う。もともと司法制度改革審議会の意見書は、今まで適法性チェックに必ずしも光が当たらなかったから、そこを充実させるためにも、行政訴訟の充実を図るべきだという議論でスタートしていたように記憶しているし、権利救済は違法の是正とイコールだということは、今までもそうであったわけだから、権利侵害がないときの適法性確保は主観訴訟ではないと考えればやや従属的なものであろうことはわかるが、権利侵害を是正するときに、反射的、ないしは結果的とはいえ、適法性が確保されることになるのも訴訟制度の重要な目的であるという理念を入れておくことは有害ではないし、裁判に携わる方の心構え、姿勢に対しての訓示的な意味がある。

□今の点は、目的規定を新しく起こすかどうかの点も含め、いろいろ議論の対象になると思う。今の行訴法には目的規定がない。行政不服審査法にはあるということも前提にしている。

(2)今後の日程等

□次回との関係で自分の方から諮りたい点がある。
 議論の結果「行政訴訟検討会における主な検討事項」がまとまり、これに基づき国民、行政関係の諸機関に披露し、頂いた色々な意見の様子は前回事務局から報告を受けた。そして今日は、我々の従来の検討事項についての議論と、国民からの意見、各官庁からの意見を踏まえ、もう一度議論をした。
 今後どうするかだが、行政訴訟検討会としてもそろそろ具体的な改正案の立案に向けての見直しの考え方というものを事務局に対して示すための作業、あるいは検討が必要だと思われる。そうした次に進む作業を行うためには、これまでの検討結果を踏まえて、具体的な改正、あるいは改革の方向性と、それからその場合に詰めるべき問題点について、何かたたき台のようなものがないと、今までの議論の繰り返しになる。そろそろそういう時期が来てもいいのではないかという雰囲気は、自分なりに検討の議論を承りながら察しているところだ。
 そこで、たたき台について、どういう手順・やり方でこの検討会に登場させるかだが、自分と事務局でいろいろ考えた結果、この検討会の進行を務めてきた自分の方から、事務局と相談して、たたき台のようなものを示し、今後の議論の踏み台にしてもらうのが適当ではないかと考えた。
 ただ、たたき台がどのようなものになるかは、今日は委員の意見を承った段階であるので、すぐこういうものですとは到底言えない。そういう意味では、かたまったものは持ち合わせない。更に、現段階で改正案の要綱案をつくるという段階になっていないことは、各委員もそういう感触だと思う。
 そこで、ごく大雑把なことしか言えないが、本日までに頂いた委員の多様な意見を土台とし、行政法理論、あるいは実務的、それから法制的など各側面から問題点を整理し、来年の国会への法案提出を念頭に置いた上で、議論が十分成熟しているかどうか、それから更に議論が必要なところはどのような点であるかなどの点について十分考慮しながら、今後の議論の参考になるものを示してはどうかと考えている。
 たたき台の具体的なイメージを披露する前に大変恐縮だが、むしろその方がこの検討会の議論を率直に反映するやり方ではないかということで、会の進行に当たる者として申し上げた。こういう形でいいか、あるいはもっと別のやり方があるか、意見を承れればありがたい。

○たたき台というのは、案を各項目ごとに1つに絞るのか。

□項目により、案が大体絞り切れていて詰めが必要であるものも、また、そうではないものもあり、それは、議論の成熟度に応じて出てくるだろう。

○ある程度の整理が必要だというのはよくわかるので、そういう作業は是非事務局でやってくれればと思うが、これでいくかどうかというところまで全体が煮詰まった、というほどの印象もないので、ある程度幅を残した議論で煮詰まっているものの度合も色々だが、どの案とどの案が特に論点になっているとか、ある程度公平に、複数のものがあれば複数示してもらい、それぞれどういう点が詰めるべき点なのかを踏まえて、最後政策判断をするときの素材になる、ある程度の絞り込みというようなものでお願いできればと思う。

□できるだけ要望に沿うように考える。
 それから、事務局から出すのではなくて、自分が出す。しかし、自分一人でつくるわけには当然いかないので、事務局と相談しながら出す。司会の進行の役を仰せつかった者の責任の果たし方の1つかとも思ったので、今のような提案をした。

○次回が10月24日で少し空く。今の話は、基本的にそういう方向で結構だと思うが、できたら事前に委員に配っていただき、委員からも意見を事前に寄せる機会を持ってほしい。勿論座長の裁量に任せるが、いきなり当日出されるというのではなく、できたらそうしてほしい。

□恐らく前もって配ることになるだろうと思う。ただ、その前に委員から意見をいただき、それをまた取り入れた形で直したものを出すということまでいくかどうか。作業の問題もある。その場合には委員に対して、前もってある程度説明しないといけないが、そうなると、説明の仕方の厚い薄いとかがいろいろある。本当のたたき台、議論のための土台であって要綱案ではないので、検討会の場で、ここはもう少し成熟度を詰めてあったじゃないかとか、いろいろ自由に意見を承った方が、個別に前もって意見を徴するよりいいと考えている。どの程度前もって配れるかと問われると困るが、一生懸命やりたい。

○今度出てくるものは、今までの論点整理的なものから、かなり一歩も二歩も踏み込んだものになると思うので、時間も空いていることから、できるだけ早目に、まず第一次素案を作ってもらい、それに対し、委員の意見も文章上反映してもらえる形にした上で、次回の議論に望むのが一番ベストだ。

□それも考えたが、委員の意見をどう頂くかの点があり、文章で頂くと、手直しの時間、それからまた意見が拮抗しているような場合どうするかと、いろいろ考えると大変で、むしろ検討会の場、メディアの方もいるところで、自由に意見交換をした方がいいと思うので、そういう形でお願いしたい。
 ただ、今意見があったことは十分斟酌し、何かできれば対応する。

○いろいろな意見を完全に織り込んで1つの案にするのは非常に難しいかもしれないが、たたき台以外は、議論も口頭でしかないというよりは、例えば、事前に紙で提出された意見については、それも併記する形で配っていただくとか、いろいろな意見があるのであれば、記載上できるだけそれがわかるようにしてもらい、できれば各委員が熟考した上で紙で持ち寄ったものを更に議論するというようなことができる程度の余裕をもらった方がより生産的な議論ができる。

□意見を書面で当日配るようにということでお寄せいただくこと、それだけの余裕を持った原稿ができるかどうか、今、請け負うわけにいかないが、当日口頭で述べるよりは文書で明らかにした方が、いろいろなところで明確になるという趣旨で文書で前もっていただく、ということは考えさせてもらう。

○普段の資料は大体数日前ぐらいにいただいているが、それだと余裕がないので、せめて2週間ぐらい前にいただかないと、じっくり検討するのはなかなか難しい。

□2週間前は無理だが、一生懸命やる。
(座長からの提案につき、各委員了承)

7 次回の日程について

 10月24日(金)13:30〜17:30

以 上