- 1 日時
- 平成15年10月24日(金) 13:30〜17:30
- 2 場所
- 司法制度改革推進本部事務局第1会議室
- 3 出席者
-
(委 員) |
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、福井秀夫、福井良次、
水野武夫、深山卓也(敬称略) |
(事務局) |
山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田企画官 |
- 4 議題
- 「行政訴訟制度の見直しのための考え方と問題点の整理(今後の検討のためのたたき台)」についての検討
- 今後の日程等
- 5 配布資料
- 資料1 行政訴訟制度の見直しのための考え方と問題点の整理(今後の検討のためのたたき台)
- 6 議事
- (1)行政訴訟制度の見直しのための考え方と問題点の整理(今後の検討のためのたたき台)」についての検討
(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■事務局)
- □本日は、「行政訴訟制度の見直しのための考え方と問題点の整理(今後の検討のためのたたき台)」(以下、「たたき台」という。)について検討をお願いしたい。「たたき台」の趣旨、性格、あるいは表現ぶりなどにつき、説明させていただく。
「たたき台」の性格だが、「たたき台」はこの検討会における委員の多様な意見を土台として、理論的、実務的、法制的など各側面から問題点を整理し、来年の国会への法案提出を念頭に置いた上で、議論が十分成熟しているかどうか、更に議論が必要なところはどのような点であるかといった点について十分考慮しながら、今後の議論の参考になるものを、事務局とも相談しながら、私の方から、当検討会に示ししてはいかがかと考え、前回の検討会でその旨提案し、了承をいただいたところである。
したがって「たたき台」は、これまでの行政訴訟検討会における議論を踏まえて、行政訴訟制度の見直しのための様々な考え方や問題点を整理し、今後さらに検討を深めるための議論の「たたき台」として、座長である私が事務局と相談して作成したものである。私個人の考えを示したいわゆる座長「私案」のようなものではない。
「たたき台」の中で、「取消訴訟の原告適格の拡大」、あるいは「義務付け訴訟の法定」など、明確に改正の方向性を示しているものがある。これは、検討会の議論の状況から見て、立案に向けて一応の議論の成熟が見られると思われるものである。もっとも、それらの項目についても、立案のためになお検討が必要な事項は少なくなく、その主なものは例えば1の「(1) 取消訴訟の原告適格の拡大」の中の(注1)、2頁目の「義務付け訴訟の法定」の(注)などの形で記載をしている。「たたき台」の中で、「確認訴訟による救済の可能性」、「本案判決前における仮の救済の制度の整備」の項目は、枠の中でも「なお検討する」という文言が出ている。これは、検討会として、権利利益の実効的救済のために重要な論点であることの認識は共有されているが、議論がなお抽象的な段階にとどまっている面があり、今後議論を深めて、考え方を整理する必要があると思われるものである。来年の国会への法案提出を念頭に置くと、今後の検討会では、これらの論点について検討の重点を置く必要があるのではないかと思われる。他方、枠の中で「十分な検討を行う必要がある」と記載している項目もあり、「(2) 団体訴訟」では「十分な検討を行う必要がある」となっている。検討会として、立案の方向性を示すにはまだ議論が成熟しておらず、これらの項目について、来年度の法案提出に向けて立案の方向性を示すことができるか否かは不透明であり、あるいは将来の課題として取り扱うべきかなど、中長期的な検討の継続の必要性も視野に入れた上で、その取扱いを議論していただいた方がよいと思われる。
それから、(注)の中に記載しているものの考え方だが、例えば事情判決の制限の考え方や、主張・立証責任を行政に負担させる考え方など、第19回検討会資料1「行政訴訟検討会における主な検討事項」(以下、「主な検討事項」という。)では独立の項目とされていたものが、「たたき台」では(注)の内容として記載されているものがある。例えば事情判決については、「訴訟の対象」の最後、5頁に記載がされている。これらの項目は、委員の意見が分かれているなど、検討会として立案の方向性を示すにはいまだ議論が成熟しておらず、また、制度の運用の状況や判例及び学説の動向などを踏まえて検討する必要があるなど種々の問題もあるため、来年度の法案提出に向けて立案の方向性を示すことができるか否かはかなり不透明であり、今後の検討会としては立案に向けた検討に力を注ぐ必要があることを踏まえると、将来の検討を待つべきかどうかを含め、その取扱いについて慎重に検討する必要があるのではないかと思われる。なお、当検討会で、「主な検討事項」として整理した項目は、枠の中であれ、(注)としてであれ、何らかの形で言及されている。
個別の論点の整理の仕方については、各項目ごとの説明の後で議論、意見をいただくとして、この段階で、共通事項について、意見等があれば承りたい。
○今回の「たたき台」は、「主な検討事項」を踏まえてのペーパーであるという趣旨で理解してよろしいか。
□「主な検討事項」を踏まえて、いろいろ議論を積み重ねてきて、そういった議論の積み重ね全体を踏まえたものとご理解いただきたい。
○今の説明だと、今回やると決めているものと、「なお検討する」についてはもう少し詰めてやっていく、「十分な検討を行う必要がある」は、なかなか難しい、(注)に落ちたものは、もっと難しい。いわゆる4つのトラックに分けられたと理解してよろしいか。
□トラックという意味にもよるが、成熟度に応じて分けた。
○「十分な検討を行う必要がある」と(注)に落ちているものは、かなり差があるという理解か。
□それぞれ厳密に考えていくと、うまくきちっと分かれているかどうか、よく分からないが、例えば(注)になっているものは今後の学説、判例の展開がある、あるいはもう少し学説、判例の動きを見なければダメではないかという形で整理しているものがある。この検討会を5年、10年続けるわけにはいかない。
それに対して、「十分な検討を行う必要がある」というのは、その場がどこであるか分からないが、学説、判例の動きを見てみようというよりは、もう少し法政策論として議論ができることがあるのではないかという趣旨である。1つの例だが、立証責任をここであと1年間議論して、学説上終止符を打てるかというと、それは無理だと思う。そういう趣旨で整理している。
○「十分な検討を行う必要がある」というものと、(注)に落ちたものとの間は、どういう基準で、区別されたのか、理解できない。これまではせいぜい第3トラックで終わっていたが、今回はかなり分かれている。一番最後の納税者訴訟の中の(注2)で行政訴訟の目的が書いてあるが、行政訴訟の目的は、納税者訴訟だけの問題ではなく、全般的な問題、むしろ納税者訴訟といった客観訴訟以外の行政訴訟についてどう考えるかというのがこの目的の問題なので、なぜこういうところに落ちているのか理解できない。
□「主な検討事項」の目次を見ていただくと、最後に「9 行政訴訟の目的・行政の適法性を確保するための訴訟」でまとめてある。目的規定を置くか置かないかというのは、まず全部終わった後での話ではないかという話をし、また今度もそういう形で意見を諮りたいと思うので、落ち付き場所が余りよくないと言われれば余りよくないが、「主な検討事項」でもこのようにまとめていたので、理解いただきたい。
○「主な検討事項」では、例えばA案、B案、C案というものがあった。それで、どれを取るかということがこれからの議論だと思うが、今回の「たたき台」でどの案を取るかということを明示してあるもの、してないものがある。これはどういうところで差が付いたのか。
□「主な検討事項」のときは、とにかくこの中でどういう議論が行われているかということを、関係省庁、あるいは国民にお目にかけたい、いろんな案があるが、もっと別の案がありますか、あるいは論点としてもっと論点がありますか、という国民への問いかけの文章として作られている面がある。
ところが、これから審議いただく「たたき台」は、問いかけではなく、来年の通常国会に向けての成案を得るべく向かっていくという段階で、A案、B案、C案という羅列の仕方がいいのかどうか、あるいは、そういう形で「たたき台」ができるかどうかということで、随分考えた。ただ、議論していく過程で、ある成案を得るという方向に行く際には、今までの意見を外すことはあってはならないと思うが、まとめ方としては(注)の中でこういう意見があったという言い方を整理することも、この検討会への資料の提出の仕方としては、あってよろしいかと思っている。
○管轄の拡大は、「主な検討事項」では原告の住所地の高裁所在地の地裁にするか、原告の住所地の地裁にするかの2つの考え方が示されていたが、「たたき台」では高裁の所在地を管轄する地裁にするというA案だけ取り上げられている。そちらが多ければ、それはそれでもいいと思うが、私は原告の住所地の地裁でいいという意見であり、今までの議論ではこちらでいこうということには必ずしも大勢がなっていたとは理解してない。今回の「たたき台」の中で、こうだと決めているものがある。他方、原告適格は、「主な検討事項」ではA、B、C、Dの案が書いてあるが、Aで行くのか、Bで行くのかは決めてない。そこらの差がどこから出てきているのか。
□今の段階で逐一お答えするのもいかがかと思うので、個別の段階でこの整理の仕方はおかしいのではないか、成熟度の判断の仕方がおかしいのではないかという形で議論いただきたい。むしろ今日はそのためにあると理解いただきたい。
○もう一つは、「主な検討事項」では一定のテーマ、考え方を示したが、それに対して、それをサポートする意見、あるいはそれに対する反対意見、問題点、特に問題点について、こういう問題があるというものを書いた。行政に対する意見聴取について、それだけでは最初に答案を教えているようなものだという意見があり、反論も入れていただいた。だから、これまでの検討会で検討してきた考え方があって、それに対する積極意見、消極意見がある程度整理されて、いろいろ議論もあったがこれで行こうということで承認して照会したという経過がある。若干の誤解もあるのかも分からないが、「たたき台」の中には今まで出てこなかったような反対意見が散見される。例えば、「たたき台」の5頁に、「取消訴訟制度そのものを見直す」という項目があり、この中で「是正訴訟の考え方及び取消訴訟の排他性の拡大解釈の防止の考え方については、行政の行為の在り方・効力全般にかかわる問題であり、訴訟物、請求の趣旨の特定と被告の防御権の保障等との関係など訴訟法理論上の整理が必要な問題も多く含まれることなどから、さらに検討する必要がある」という記載があるが、こういった指摘は、「主な検討事項」には出てきていない。他にもいろいろあり、例えば2頁の「(2) 団体訴訟」の中に(注2)があるが、この中に「団体の構成員の利益又は団体固有の利益と、団体の訴訟遂行権限との関係についても、さらに検討する必要があるのではないか」といった問題点の指摘があるが、これは「主な検討事項」には出てきていない。裁量審査についても、7頁に(注)があるが、その(注)の問題点の指摘は、必ずしも「主な検討事項」の指摘とは整合性がない。「主な検討事項」で我々が整理したいろいろな問題点以外のものを付け加えて、これはいろいろ問題があるので十分な検討を行う必要があるというペーパーにするのは、これまでの流れからしておかしいのではないかと思っている。
□「主な検討事項」が出た時点から、かなり時間を経過しており、その間にパブコメや、いろいろこの中でも議論をした。「主な検討事項」に掲げられているもの以外は、新しい文章の中に入れてはいけないというルールは、私はないと思っている。もし、「主な検討事項」に掲げられていないものを挙げてはいけないということであれば、何のためにパブリックコメントをやったのか。パブリックコメントは無視して検討を進めるべきだということであれば、それは意見として承るが、反対である。
それから、私も長年この問題に係わっているので、この方の意見はどなたの論文との関係で出ているのかとか、あるいは独自の意見なのか、そういうことを常々考えながら議論を拝聴している。そうすると、是正訴訟のような問題についても、何かしら言葉の端々に、実はこれは行政行為の効力の問題を言っているとキャッチすると、この「主な検討事項」の中には入っていないが、そういうものとして整理すべきではないかと思っている。その意味で、発言にエクスプリシットに出ているもの、議事録に出ていないではないかという意見もあるかもしれないが、私はその発言の趣旨が、一体どこから出ているのかということも含めて考える。それが座長のすべき仕事と思った次第である。
○言葉を返すようだが、「主な検討事項」ができたのが7月ぐらいで、まだ二月余りである。その間に、パブリックコメントと行政の意見は聞いたが、行政の意見ないしパブリックコメントで言われたから出てきたということではないものがある。そういったものについては、国民の側から見れば、「主な検討事項」でいろいろと問題点があるということで議論されたのに、今回のペーパーでは、それとは全然関係ない、全然関係ないというと語弊があるが、「主な検討事項」に載ってないようなものがいきなり出てくるということになると、これはなぜなんだということを考えるのが通常だと思う。その趣旨で質問をした。検討会のペーパーであるから、検討会で十分議論した項目について、あるいはその意見についてまとめ、もちろん、今から新しい意見を出したらいけないという趣旨で言っているわけではないが、そういう観点で是非これからも進めていただきたい。
□私の方も繰り返しになるが、発言の趣旨を私なりに斟酌しているところがあることは事実で、それは、やはり数十年勉強してきたので、この発言の趣旨はこういうところにあるのではないかということで咀嚼をしながら書いたところもあるが、入ってないのではないかということであれば、そういう論点、問題の指摘を、これはすべきではないという形で、各論のところで意見をいただきたい。
○もう一言だけ総括の意見を申し上げておくが、今回のペーパーについて、朝日新聞が報道していたのは御存じかと思うが、大阪版の見出しは原告適格拡大骨抜き、行政訴訟法改正原案、不便な法、条文温存という見出しで報じられている。東京版の見出しはちょっと違っているが、要するに今回の改正については、非常に不十分だという論調だと思っている。このペーパーは、「たたき台」なので、これからあと数回の検討会で議論を重ねて、成案を得ていくということで、我々も最大限努力をしないといけないと思うが、この記事には若干誤解の部分もあるとは思うが、この「たたき台」をこのままだというふうに受け取る向きには、原案を示した、原案をまとめたとか、そういう表現になっている。これがそのまま成案になるということであれば、極めて不十分だという印象を率直に国民に与えており、今回の分類の中で、「なお検討する」という事項はこれからの詰めで成案を得ていこうという趣旨のようなので、少なくともその部分については実現するということを、是非強く意見として申し上げたい。
□「なお検討する」というのも、結論を得るに際しても、この検討会で議論を十分にしていただき、その成果を得られたもので成案をつくっていただきたい。
○この「たたき台」は、座長の私案という位置づけになるのか。
□正確を期して、もう一度申し上げる。「たたき台」はこれまでの行政訴訟検討会における議論を踏まえ、行政訴訟制度の見直しのための様々な考え方や問題点を整理し、今後更に検討を深めるための議論の「たたき台」として、座長である私が事務局と相談して作成したものであり、私の個人の考えを示した、いわゆる巷間言われているところの座長私案のようなものではない。
○その区別がよく分からなかったが、これは検討会としてのとりまとめの第1次案という位置づけか。
□前回私がこの場で申し上げて了承を得た議事録を読み上げる。「本日いただいた御意見も含めまして、本日までにいただいた委員の皆様の多様な御意見を土台といたしまして、理論的、行政法理論、あるいは実務的、それから法制的など各側面から問題点を整理いたしまして、来年の国会への法案提出を念頭に置いた上で、議論が十分成熟しているかどうか、更に議論が必要なところはどのような点であるかといったような点について十分考慮しながら、今後の議論の参考になるものをお示ししてはいかがかというふうに考えている次第でございます」と申し上げ、更に、あとのやり取りの中で、事務局とも十分相談しながらと書いている。ですから私案でもない、要するに今、申し上げたようなことだ。
○議論の参考に資するもの、としての資料ということか。
□今、読み上げたのは、前回のものを速記で上げたものをそのまま、一字一句直さないで申し上げた。
○この資料は最終的にどういう形になるのかということと、この資料の文責は誰の名義になるのかということを教えていただきたい。
□私と事務局双方の文責ということになる。
○要するに、座長プラス事務局の文責の資料だということか。
□座長と事務局である。
○検討会としての意見とりまとめというのは、「たたき台」とは別にこれからはないのか。
□それは分からない。検討会の報告書をどういうふうにするかということは、これからの話だ。
来年の国会への提案に向けてまとまるものはまとめるが、それはどういう形でまとめるのがいいかという点については、議論をいただきたい。その成果物をどういうふうな形で公にするかというのは、まだ全然決まっていないと理解している。
○なぜこういうことをお伺いするかというと、要するにこの資料が座長と事務局の文責になるものであれば、感想とか意見を申し上げることはできるが、これがもし検討会として、いわば委員の資格で係わって最終的に公表されるとか、とりまとめられるものであれば、その当事者としての見解を披露しないといけないし、そうでないものであれば、一種の評論なり感想に留めざるを得ないのかもしれないと思うが、それはどちらと理解すればよろしいか。
□今日出すと、これを基に議論してください、という一過性のものだと思っている。2段階あり、1つは成熟してないとか、幾つか分けているが、それは今までの客観的なものと違うではないかというのがあり、それは指摘していただきたい。
もう一つは、ここでなお検討していただきたいと言っているものについて、そういう必要があるものを是非検討していただく。それは評論家ではなく、今までどおり委員としての私見に基づいた意見を開陳していただきたい。
○開陳するのはいいが、開陳した結果がその委員全員が参加して、何らかの形で検討会としてとりまとめられたものに反映するのか、それとも「たたき台」があくまでも最終的なもので、これのアレンジという形で、文責はあくまでも座長と事務局ということで最終的に推移するのかが、よく読めない。
□そういうものとしては、考えていない。この前皆さんの前で「たたき台」を出すと約束した。これについて間違っているところがあれば指摘いただきたい。そして、なお検討していただきたいという点については、是非意見をいただきたい。その意見が一つにまとまればいいし、まとまらない場合はどうするかという点については、これからの議論になる。
○多分いろいろな意見が既に検討会の中であり、今日も個別の議論でいろいろな意見があると思うが、せっかく検討会として、こういう合議体で議論してきたのだから、「たたき台」に対しては、建設的な議論ができるということは当然重要なことだと思うが、検討会の委員として今まで参画してきた延長線上で、それがいわば検討会としてのとりまとめにどのような形で反映されるのかということは重要な論点だと思うので、そういうものとしての検討会のとりまとめということは十分念頭に置いていただきたい。
□その後どうなるのかと聞かれても、検討会としてどういうふうにとりまとめをするかという点については、事務局の方でも他の検討会の情勢も考えながら、またそれこそ皆様方も考えていただきたい。ただ、この検討会に課された最大の課題は、この司法制度改革推進本部の設置期間内に、是非成案を得る、成案を得るというのは法案の形にすることなので、それに向けて今、一生懸命動いているということだ。
○それは分かるが、これからの何度かの議論を踏まえて、検討会委員からの意見はいろいろ聞くが、最終的に座長と事務局の案としてとりまとめるための参考、諮問意見を聞かれるということであれば、合議体としてこういう検討会をつくる意味はほとんど最初からなかったということになるような気がする。それであれば、座長と事務局が個別に委員に何回かヒアリングをして、それを斟酌して座長と事務局でまとめるという形もあり得たわけで、せっかく集まって議論して合議しているということは、合議体としての検討会で議論した結果を公表することを当然の前提としていたものとして理解していたので、そのようにしていただくのが、最終的には適当ではないかという感想を持っている。
□先日司法制度改革推進本部に置かれた顧問会議があり、そこで、いろいろな議論があり、行政訴訟の方では、原告適格は何をしているのか、決まらないならば、顧問会議の方で引き取りましょうという発言があり、今、一生懸命皆様が成案をまとめようと努力している間に、まとまらなければ引き取るということでは、私は引き受けられないということを、2度ほど申し上げた。合議体に頼むということは、とにかくいい議論をしてくださいということを頼むのに、頼んでいる最中に意見が分かれているから引き取るということでは、座長としての役を引き受けられないと言うつもりで、お引き受けいたしませんと申し上げた。とにかく皆様方が一生懸命まとめるように努力しているのだから、しかし節目節目には報告をいたしますと言って帰ってきた。そういうつもりで今日臨んでいるわけなので、今さら付け加えるまでもないと思っている。
次に、個別の問題について検討を賜ることにしたいと思う。検討の順序だが、少し分けさせていただきたい。まず一つは、第2の「1 救済範囲の拡大」。もう一つはその他の部分、第2の「2 審理の充実・促進」、「3 行政訴訟をより分かりやすく、利用しやすくするための仕組み」、「4 本案判決前における仮の救済の制度の整備」、「5 その他」と全体を大きく2つに分けて進めていってはどうかと思っている。
「基本的な見直しの考え方」については、行政訴訟制度の目的に関係する話なので、必要に応じ第2の5の項目と併せて議論をいただきたい。議論の順序はそういう形でよろしいか。
(委員から異論なし)
- 〔第1 基本的な見直しの考え方−権利利益の実効的救済の保障〜第2−1−④ 訴訟の対象〕
- ■〔資料1に沿って説明〕
○原告適格の枠の中の「原告適格が実質的に広く認められるような規定とする」の意味だが、もしこの表現が今後も生きた場合、この検討会として、原告適格が実質的に広く認められるような規定とする方針を取るということになるのか。
□そのようにまとめた。このまとめはおかしいという意見があれば伺いたい。
○これで固まった場合は、検討会としてこういう形で改めて意思表示をするのか。
□それはまだ事務局ともちゃんと相談していないが、大体こういう意見で行こうというときに、次の文章として、どういう形で今度は行くか。法制審議会は要綱案で出てきてしまうが、こういった考え方を整理した上で、アウトプットは要綱案で出てくることがあり、その背後に要綱案の考え方の説明というスタイルがあって、これは情報公開法及び行政手続法の審議会でやった手法だが、今回はなかなかどうかという問題がある。アウトプットをどうするかという点については、今日ここですぐ決められるものではない。ただ、こういうまとめ方でよろしいか、更にこのコメントにあるようなことについて、一生懸命考えたつもりだが、その考え方ではうまく整理しきれていないのではないか、あるいはこういう論点があるのではないかということを指摘いただきたい。
○対外的にどういう形で意思表示するかは別だが、こういう形で意見がまとまった場合、法案をどこかで作られるのだろうが、そこに下駄を預けるような感じになるのか。
□(注)のところをどの程度、具体化できるか、それにかかっていると思う。
○今のアウトプットをどうするかということに係わるかと思うが、「法律上の利益」という言葉は、置き換え難いようにも見える。しかし、今よりは原告適格が実質的に広く認められることが望ましいので、そのことを規定上で何か工夫をするという趣旨だろうと思うが、それでいいのかということと、その場合に、仮にそうだとして、今より広く認めることが、一体どの程度広く認めるのかということは、これはなかなか条文としては書きにくいのかもしれないが、少なくとも前々から繰り返し議論しているように、検討会としては非常に時間をかけている点なので、後々の新しい法律の解釈、運用の際に参考になるような形で、例えば従来の最高裁判決のこれこれについてはいかがなものかというような意見が強かったとか、そのような言葉が何か後世に対して残るような方法をお考えいただきたい。
□「正当な利益」、あるいは「事実上の利益」、韓国で言うと「法的に正当な利益」だが、それは一体何だということで韓国の人に聞いたら、それは裁判官が決めることです、と言ったので、それも一つの考え方としてあり得ると思うが、それでいいのかどうかは随分議論をしてきたので、言葉の点については、いろんな案があるので「法律上の利益」として括弧書きしてあると理解しているが、本当の一番重要なところは、最高裁のこれまでの判例をどういう考え方で、どういうふうに見て、今後実質的に広くするという点については、どういう考え方を我々として取るかということを議論していただきたいという趣旨だ。
○(注1)の3行目から4行目の意味だが、「法律上の利益」という現行法9条の、一種の根幹的な原告適格の定義規定に当たる部分は変えないのだということを言った上で、変えないとしても「法律上の利益」という概念の範囲について、例えば解釈規定のようなもので何か補うというようにも読めるのだが、そういう意味か。
■座長が先ほど説明したとおりだが、若干補足させていただくと、(注)の2行目から3行目のところに記載してあるように、「基本的な考え方として「法律上の利益」が必要であることは否定し難いのではないか」という「考え方」の問題としており、条文の問題はさて置いて、考え方としてどうかという意味である。
○条文上、「法律上の利益」という6文字をそのまま維持することを前提にする意味なのかどうか。
■条文の文言をどのようにするかについては、この頁の一番最後の行から記載しているが、考え方を固めた上で条文、文言の話が出てくるのではないかと考えている。
○条文の文言は変わり得るということか。
■そこはどうでなければいけないということを言っているわけではないし、維持しなければいけないという前提ではない。
○条文の文言を絶対いじらないで、別の形で補足するということを言っているわけではないということか。
■まず考え方として整理した上で、文言はその後で考えましょうという趣旨だ。
○この考え方としての「法律上の利益」というのは、どういう幅を持つ概念か。
■(注1)の最初に記載しているように、「何ら法的評価を経ない事実上の利益」と対置されるものとしての「法律上の利益」という趣旨だ。
○かぎ括弧を付けるのは、普通は言語としてそれを維持するという意味を表わすことが通例だと思うので、「法的評価を経ない事実上の利益」だけで云々という意味は分かるが、それを「「法律上の利益」が必要である」というのはミスリードな表現で、考え方ということであれば、かぎ括弧を付けて誤解を招くような表現をされない方がいい。
□これは「たたき台」であり、今のような説明で理解いただきたい。
○法的評価ということは、当然この検討会のどの委員も大前提にしていると思うが、問題はまさに先ほどから議論になっている、今までの最高裁判決の、この原告適格の読み方は、現行9条の「法律上の利益を有する者」の読み方としては、政策的に見て、あるいは立法的に見ていかにも狭過ぎた。この文言の読み方としては狭過ぎたという部分があるのであれば、広げて読めるように立法を変えるというのが、この検討会のマンデートだったと理解しているので、どの判決の原告適格を狭過ぎたと見るのかということを前提にしないと、裏返して言うと、その判決でも原告適格が読めるようにするためには、例えばこういう書き方があるというような、機能的なアプローチでないと、抽象的に法的か事実的かということを議論しても、余り生産的ではないと思うので、そこを是非詰める必要がある。
□当初は割合観念的、理論的な「法律上保護された利益説」、「法律上保護に値する利益説」ということで議論して、もう少し個別の具体的な裁判例を挙げてくださいという要望があり、それで議論をした。しかし、その後またそういう議論をしていくと、この問題はどう整理していいかなかなか難しい、考え方についていろいろ議論をしてほしいという意見が委員からあったので、考え方についてこの前若干の議論をしたという経歴がある。
○文言としての「法律上の利益」を万が一そのまま維持することになると、最高裁が、実質的には反省している判決があっても変えようがない。そういう意味では、やはり「法律上の利益」という文言自体がもたらした解釈が今までの最高裁の原告適格の判例の集積であるので、もしいささかでも広げる、あるいは今まで判決の中で政策判断としては別の考え方を取ることを前提にするのであれば、文言としてはやはり絶対変えないと変わらないということが大前提だと思う。そういう前提で工夫することを提案したい。
○今の発言だが、私も同様に考えており、この枠の中で書かれているように、原告適格を実質的に広く認めるようにするためには、やはり現在の文言は変える必要がある。ただ、「法律上の利益」に変わる案というのが、なかなかないというのがここでの議論のこれまでの一つの結論のようなものであり、もし万が一この「法律上の利益」という文言が立法段階で維持されるのであれば、考慮すべき事柄をきちっとその前に書くという方法があるのではないかと思っている。
○この段階でも「原告適格を実質的に広く認められるような規定とする」という抽象的な表現になっているが、最終段階ではやはり具体的な形を我々が合意して、それを示すべきだと思っている。具体的な名案がないという意見もあったが、これまでA、B、C、Dと4つの案が出ているわけで、もう少し議論を詰めて、どれかに決めないと仕方がないのではないか。現行の法律を変えて、広くするのだというメッセージを示さないと判例は変わらないので、そうすべきだろう。そのときに、いつも問題になるのは、合理的かつ客観的な判断基準を提供できるかどうかという議論になる。合理的というのは、分からないでもないが、客観的な判断基準は、どういう書きぶりをしてもなかなか難しい。例えばA案を取れば、一連の最高裁の判例のうちのここまでは認められる、B案を取れば、ここまでしか認められないということは仕分けできないだろうと思っている。そういう意味で、ここの枠に書いてある「実質的に広く認められるような規定とする」は大いに結構で、そのために具体的な提案をすべきだろうと思うので、私自身ももう少し考えてみたい。先ほど言われたように、現行の規定を置いておいて、解釈規定を置くというのも一つの選択肢としてはあり得ると思っている。
○解釈規定を置いて、判例変更が可能なのかどうかは、私は非常に理解できないところがあるので、むしろ最高裁の方でそういうことが可能なのかどうか、意見があればお聞きしたい。
□それはまだまだ先のことですから、今日の議題にはしません。
○ただ、最終的にはそこが非常に重要で、判決変更を意図するのであれば、それが書けるということでないと、議論する前提が崩れることになる。
□それはおっしゃるとおりだと思う。ただ、いろいろ議論のあるところであり、文言が変われば変わるというのは、これまた独断。ドイツ人は権利侵害ということで、あれだけやっていて、フランス人は何の規定もなくても広げ、アメリカも、「事実上の利益」というのも、広めてみたり、狭めてみたりしているという状況なので、文言が変わらないともうダメだというふうに決めつけるとまた問題が起こるし、文言が変わらなくても、必ず最高裁は良心的に変えてくれると信頼するのも問題。そこでどのようにするかがこの検討会の知恵の出しどころで、一つ知恵を出していただきたい。
○先ほど言われた中で、例えば客観的な、というのはどれでも客観的にはならないのではないかという指摘だが、それは書きぶりで、A案からD案まであったら、どれによれば、どの程度それがはっきりするかという程度の差というのは、自ずとあるだろうと思う。そういうことは、今後の運用ということを前提に考えると、大きなファクターとして見るべきだと思っている。
○団体訴訟が、「十分な検討を行う必要がある」グループに入れられているが、少なくともそのことが原告適格の方に跳ね返って、団体については原告適格は認めないというのが、この検討会の差し当たりの国会に出す案の考え方であるというところまでは決め付けていただかない方がいい。原告適格の規定がどうなるかということもあるが、必要に応じて解釈、判例、学説で検討する余地はあるというふうに、この(1)「取消訴訟の原告適格の拡大」と(2)「団体訴訟」との関係を理解したいと思う。
□そういう理解でこれはまとめてあると思っている。情報提供として申し上げると、日本で機関訴訟、民衆訴訟が定められたことが客観訴訟と主観訴訟を峻別させ、主観訴訟の範囲を努力して広げるということに大きな支障があったと思っている。アメリカ人は、客観訴訟と言わずに、ケース・オア・コントロバシーの中で広げているという状況があり、フランスでもそうであろうと思う。団体訴訟ということを書くと、いかにも団体訴訟でないとダメだということになりかねないので、そこはこの検討会でも十分議論をいただきたい。
○義務付け訴訟の枠の中だが、「義務付けることにより実効的な救済を図る必要性のある場合」と、その次に、「行政庁がその処分又は裁決をすべきことが明らかなとき」という2つの要件が出てくる。あとの(注)を見ると、まず「一義的に明らかであることが必要ではないか」というのは、これは後の方の「明らかなときは」という要件だと思うが、「また」以下に必要性が出てくる。この枠の中の要件は、一義性だけでいいという趣旨なのか、そうだとすると「実効的な救済を図る必要性のある場合」というのはどう読むのか。ここがちょっと本文と(注)とが整合していないような印象だが、どうか。
■まさに要件論として考えたときにどうかということは、(注1)に記載しているとおりで、検討会で検討していただきたいという趣旨である。枠の中は、抽象的に救済の必要性があるからこそこういう訴訟が必要だという限度においては、いわば当然ということを記載しているが、それを要件論という形で高めて考えるかどうかについては、(注)に記載しているような様々な点を考慮してどう考えるか検討していただきたい。
○先ほどの指摘は、恐らくこれこれの場合で、これこれのときはというのは、二重限定をしている普通の条文の書き方だ。そうだとすると、条件説が2つ重なっていて、あることができることの条件が2つありますと書いてある。ところが、(注)の方は本案の要件としてこれこれが必要ではないか、また、救済の必要性に関する要件については、どのように考えるか、例えば云々となってきて、ここの書きぶりが本文と(注)とで少しポリシーの違いがあるのではないかということを言っているのだと思う。
○「主な検討事項」では、一義性の要件、緊急性の要件、補充性の要件という3つの要件が整理されていて、この要件が全部要るのか、1つでいいのかという議論の仕方をして整理したと思う。ところが、ここに出てくるのは、今言ったように枠の中では2つの要件が出てくるような印象があるし、(注)のところでは、「また」以下で必要性、つまり緊急性の話が出てくる。「例えば」と来て、「このほかに義務付け訴訟の要件としてどのようなものが必要かなどの問題点」と書いてあるが、よく意味が分からない。「などの問題点」というのは、一体どういう問題点を差すのか。あとの方の「他の訴訟による救済など他に適切な救済方法があるかどうか」は補充性の話。一義性、必要性(緊急性)、最後に補充性と出てきて、それ以外に「どのようなものが必要かなどの問題点」があるのか、もう一つよく分からない。
もう一つ言うと、「処分又は裁決を求める申請権が認められる場合か否かで要件を異にすべきか否か」が必要性のところで出てくる。これは、前の「主な検討事項」では申請権がある場合とない場合とで、どうするのかという議論は立てていても、要件には絡んでいなかったと思うが、ここでは、申請権が認められても認められなくても義務付け訴訟を入れようではないかという前提で、それによって要件が違ってくるという議論が出てくるので、本文との整合性と(注)の整理が何かもう一つよく理解できない。
□ここはいろいろな議論のあったところで、義務付け訴訟は認め、あとは要件が要るのか要らないのかということで、いろいろ議論をして、その間申請の場合とそうでない場合とはどうかとか、「主な検討事項」からもいろいろ議論があり、申請がある場合とない場合とでは要件がやはり違うのではないかという意見もあったように記憶している。いろいろ書いてある趣旨は、義務付けを日本で生かしていくためには、やはり要件をきちんと書かないといけないという実務的な意見も、大変重要な事柄であるということで、ここにいろんなことが書いてある。その他、どんなふうに、どのようなものがあるかというのは、まさにこの場で、実はこんなものがあるという指摘をするところであり、そのようなものはないと言われれば、それはそれで済むとことである。
○義務付け訴訟そのものをどう考えるかについて、民訴の山本教授の話で、請求権を軸に考えるか、訴訟類型の法定ということを軸に考えるかという、ある意味で分かりやすい整理があり、現段階では訴訟類型としての規定の仕方をして、訴訟要件か本案の勝訴要件かはともかく、この訴訟で勝つためにはこれこれのことが必要ですというようなことを分かりやすく書いておくのが、現段階ではいいのかなという気はしている。その前提で、この枠の中と注書きとか、どことどこが対応するのかというのが、もうちょっと整理されればいいという感じはしている。
中身については、(注)の中の一義的明白性、「一義的に明らかである」という表現があるが、やはりこれはどうかと思う。これまでの行政庁の第一次判断権という法的な法理、法的な原則を前提にした裁判所の考えでは、一義的明白性というのが第一次判断権を飛ばすための、まず訴訟としての要件として大事だったという位置づけだったと思うが、今度はそういう第一次判断権との住み分けはもう考えない方がいいと思うし、ここではせっかく本案の要件としてと整理されていて、これでいいと思うが、本案の要件であれば、一義的に明らかというのは余り意味がなく、審理の結果明らかになればそれでいいので、この「一義的に」という言葉を取った方がいい。
□この場合の「一義的」は、私の理解では裁量ではないということだと思っている。一義的明白というのは、確かに重大明白を思い出させるので、よくないのであり、趣旨はそういうことである。本案だから、判決に熟するようになって、それこそ判断が決まってくればいいということである。
○そうであればそれは一義的に明らかなのではなくて、一義的にすべきであるということになる。
□そうだ。ここは表現の問題なので、内容はそういうことで、いいか。
○(注)と本文の読み方が大変読みにくかったという意味で、今までの幾つかの意見と同意見である。この「明らか」という文言は誤りだと思っており、残すことに反対である。審理の結果、処分や裁決をすべきだということに熟すれば、それで十分で、それが最初から明らかとか、明確などという必要は全くない。結局、処分すべきだけれども、それを明らかではないとして棄却するという判決が起き得るわけで、義務付けるかどうかというのは違法と無効のような区別の問題はないのであり、要するに判決に熟すればいい。そういう先例は、例えば破棄自判の民訴法326 条で、判決に熟するときにそれができるのだという条文があるので、用語例もあって何の問題もない。「明らか」という言葉はもう有害無益で、是非削除すべきである。
□内容には賛成いただいているわけか。
○そのように読めるように、表現していただきたい。
○用語というか言葉遣いだが、「処分又は裁決」と書いていて、差止訴訟のところでも同じように書いているが、確認訴訟では、行政事件訴訟法3条2項を引用している。裁決というのは義務付け訴訟、あるいは差止訴訟の場合もそうだが、余り問題にならないのではないか。何か予想されて書いているのか。
■裁決の義務付け、差止めは不要だという議論も今まではなかったかと思うので、一般的に記載している。
○この裁決というのは不服申立てに対する裁決か。
■3条3項に使っている意味での裁決だ。
○例えば、裁決主義を取っている場合には、押さえるとしたらここでやらないとやりにくいものがあるのではないか。実際には切り分けにくいが、原処分に対する審査の部分と、更に行政の最後的な、内部的な決定として出されるもの、組み合わさっているものは結構あると思う。例えば、固定資産評価委員会の評価裁決に対する不服などは、その中で具体的な額まで書くことがある。こうすべきだといじれるのだとしたら、義務付けるとしたら誰に義務付けるのかということと平仄を合わせようとすると裁決を義務付けることで固定しておかないと、他と平仄が合わなくなってくるので、裁決は残しておいても、そういう意味ではいいのかなと思っている。
○普通の裁決でも水俣の認定申請のように、今までは不作為の違法確認で処理していたが、せっかく義務付け訴訟ができるのであれば、これに乗せてもいいのではないか。
○義務付け訴訟と民事訴訟との関係だが、民事訴訟を排除するようなことになって、またこの訴訟類型でややこしい選択や権利の救済不能を生まないように、併用があり得るのだということを前提にした作りにした方がいい。それから、第三者に対する義務付けだが、第三者の(注2)の意味がよく分からないが、例えば許認可の取消訴訟の原告適格があれば十分であり、第三者への許可の取消しには申請権は要らないのに、第三者への義務付けでは申請権が要るというのは多分不合理だと思うので、そこは前提とした上で一致されるというような考え方がすっきりしているのではないかと思うが、そういうことを言っているのかどうかよく読めなかった。
■この義務付け訴訟の原告適格については、そもそも余り議論がされてこなかったところがあり、今、指摘されたような考え方を明らかにしていく必要があるかと思い、論点として掲げた。
○これは第三者の申請権が法定されてなくてもいいという意味か。
■申請権がない場合を前提にして、そうだとすると原告適格はどう考えるのだろうかという意味で記載している。
○もうちょっと分かりやすくしていただきたい。
○皆さん理解の前提で、(注)の1行目の最後にある本案の要件としてと書いてあることの意味だが、最初本案判決の要件としてと読み飛ばして思っており、本案判決の要件というのは訴訟要件という意味だが、訴訟要件とは全く逆の実体要件としてという意味である。それ自体に必ずしも反対でもないが、少なくとも古典的な下級審の判例が言っている三要件の一義的明白性というのは、はっきりしてないが訴訟要件のつもりであろう。
□取消訴訟中心主義だからそういう問題が起きて、今度は取消訴訟中心主義の枠を外すと本案の問題であろうというつもりで書いているが、専門家から見た用語として適切でないと言われれば、それは御専門に従う。
○本案判決と読んだら逆の意味になるというのに途中で気が付いた。ただ考えてみればいわゆる三要件が全くどれが同じようなものかというと、一義的明白性だけは少し性質が違うものだという気も昔からしているので、そう言われればそうかなという気がしている。
□そこを取っ払っていただきたいというのが、行政法学者の、むしろこれこそ一致した意見である。
○差止めの方で、一義的明白性は確かに分かりにくい言葉なので、余り従来の判例にこだわらないのであれば、最終的にもう少し分かりやすくした方がいい。特に差止めの方で一義的明白性を使うと、どう言っているのか非常に意味が分かりにくい気がするのと、一義的明白性というのがどうも事前に明らかだということを含意しているかのように取られがちであるという面も、分かりにくい原因かもしれないという気がする。条文でどうなるかは全然別の話として、同じことを言うのに、別の言い方があり得るのではないか。
それから、一義的に本案の判決に熟した段階で、処分の内容が完全に特定しなければいけないのか。例えばこれかこれはしなければいけないという余地を残すのかということは、前は指令判決もあっていいのではないかという提案もあり、いやそれは、という意見もあったとは思うが、そこはこのまとめでは少なくとも抽象的な義務付けみたいなもの、あるいはこの範囲の処分をしてはいけないという差止めみたいなもの、完全な特定に至ってないある範囲をもって特定できないものは許容しないというのが大勢ではないかという前提か。
□そこのところは、そう深い議論をしているわけではない。ただ、申し上げたいことの一つは、例えば国立の事件で、第三者からの給付訴訟を義務確認という形に理解いただいて、確認の判決を出された。その趣旨は、具体的にどういう処分をするかまではなかなか踏み切れなかったので、一つの考え方として出したということで、せっかくの東京地裁の判決がうまく救えるのかどうか、その点は実は是非議論をしていただきたい。それから、現在でも固定資産評価委員会の修正を求めるもので、これは別の東京地裁の判決だが、無名抗告訴訟の一種の義務付け訴訟であるということで、一部取消しではなく、一部は無名抗告訴訟という形で整理をされているところがあり、下級審では現にそういう形で動いている。そういった明確な場合もある。それから、複数の手段があるときに、一体どういう判決をしたらいいか、あるいはそれを訴訟として確認訴訟で受けた方がいいのかということについては、それこそきちんと整理をしていただきたい。
○先ほどの指摘は、2頁で「処分又は裁決をすべきことを」とあって、3頁で「その処分又は裁決をすべきことが」と受けているが、処分又は裁決というのが、単一に特定されていることを必ずしも前提とした書き方ではないのではないか。あとの方の「その」というのも、それを踏まえた「その」ではないかと読んだ。あとは許容性の解釈問題ではないかと思っている。
○ただ、その議論をしていくと、最後的にはここで扱った訴訟物は何だったのかという議論、既判力との問題等もきちっと詰めておかないと、どういう意味で、例えば一部認容していて、あとは取ったかというところが明確になるようなものであることも不可欠だと思うので、その辺の議論はほとんど今までやってきてない。もしそういう形も許容するというのであれば、しっかり詰めた上で立法につないでいただきたい。
○一種の性能判決と言うか、ある一種の性能を確保するための判決というのは、当然前提となっていると思っていたので、それが明らかでないということに今気が付いたが、やはり入れておいた方がいい。例えばの話だが、違法建築物に関する是正命令だと、建ぺい率違反でも容積率違反でも、どこか切り取ればいいという場合もあるし、切り取るにしても東側でも西側でも切り取れるとか、あるいは上下にも切り取れるとか、横にも切り取れるとか、あるいは土地を買い増せばいいとか、いろんなことがあり得るわけで、違法でなくなればいいというのが元々の法の趣旨だから、訴訟法上の効果とかいろいろ検討は必要だが、そういうものが逆に出せないということ自体が非常に不合理だという側面があるので、性能を満たせばいいのだという意味での判決が義務付けで出し得ることを前提に、いろんな整理をやる必要がある。差止めもこの義務付けと同じような意味で、特に(注)の2行目にある「処分をすべきでないことが一義的に明らかであることが必要ではないか」とあるが、これはむしろこういう要件を課すことは不要ではないかと書いていただきたい。差止訴訟自体を明示することは結構だが、結局差止訴訟というのは手前にずらされた取消訴訟で、本来、やったら違法になるというだけで十分であり、やったら違法になることが明らかだということは、先ほど義務付けに関して申し上げたのと同じような意味で、非常に加重した要件である。この要件の書き方だと、無効というほど明白な違法の場合だけ差し止めることができるなどというように、拡大解釈されかねないが、それだと後退になり、やったら違法だということで十分だということが表われるように立法すべきだろうと思っている。
□義務付け訴訟と差止訴訟を同じように考えていいかどうかというのは、議論の対象になるので、議論はさせていただきたい。
○差止訴訟だが、営業停止命令のようなものであれば分かるが、例えば公有水面埋立ての免許について、周辺の住民が差止訴訟を起こすということがここで予定されているのかどうか。入るのか。
□それは今すぐ答えろと言っても無理なので、そういうことを議論していただきたい。
○希望を申し上げておくが、「訴訟の対象」、つまり処分性の拡大の議論は「十分な検討」になっている。今回の行政訴訟の改革で、どこを改革すべきかというときに、原告適格と処分性の拡大というのは、これはもう何か決まり文句のように出てくるわけで、処分性の拡大について今回の検討会で実現できなかったということになると、かなりの失望感がそういうことを考えている人の間にはあるだろうと思う。今までの議論を踏まえてこれから議論を詰めていくわけだが、是非この訴訟の対象の拡大については、何らかの形で盛り込むようにお願いしたい。
□救われるべき者が救われないのはおかしい。それをどこかできちんととらえるかというのが、今度の改革の重要なポイントだ。それを技術的にどういうふうにやるかというのはいろんなチョイスがあるので、いろいろ議論をいただきたい。外国の法令を見ても、処分性の拡大という形でやっているところもあれば、いろんな訴訟のやり方で考えているところもあるので、その辺も是非深めた議論をいただきたい。
○今回の案で触れられていないのは、取消訴訟の対象の拡大である。「④ 訴訟の対象」は、取消訴訟の対象の話ではないと読んだが、この検討会の最初のころに使った言葉で言うと、取消訴訟の汎用性のようなもの、もちろん一定の限界はあると思うが、その汎用性を確保する方向での議論があったと記憶しているが、この「たたき台」では入っていないので、新しいバージョンが出るのであれば、付け加えていただきたい。
その取消訴訟の対象の拡大に代えて、チョイスとして挙がっているのが、確認訴訟の活用ではないかと思う。そうすると、確認訴訟の中には、行政立法などの行政の行為をとらえた確認訴訟、抗告訴訟的確認訴訟と言うか、そういう確認訴訟と、それから法律関係ないし権利義務の確認の訴訟、両方入っているのではないかという気がする。更に前者の抗告訴訟的な確認訴訟としては、現在行政処分の無効確認訴訟というのがあるが、行政立法などについて言うと、違法の確認訴訟ということになるのか。ちょっとそこの辺、確認訴訟の趣旨がよく分からなかったので、説明いただきたい。
□確認訴訟については、そういう詰めた議論はしてないので、是非詰めていただきたいということだ。
○議論はこれからだろうが、この③と④の関係が分からない、どういう理解で議論をしたらいいのか。どうも④は消極的だけれども、その部分は③で何とかしたいという雰囲気に読めるし、考え方によっては、それは一つの方向かなという気もしている。従来だと、④で挙がっている行政立法、行政計画といったものが、それ自体が民事訴訟事項かというとそうではない、どっちかと言えば公権力の行使の性質がある。そうすると、これは4条ではなくて3条、民訴でもなく行政法の4条でもなく3条の話であって、しかし3条で抗告訴訟としてそんな訴訟が認められるか。そこはちょっと待てとか、成熟性の議論とか、そんなようなことで最後バリアがかけられるという議論の構造があったと思うが、今回のこれがそこをちょっと変えて、多少公権力の行使っぽいものであっても、③の「「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に当たらないもの」という中に、行政立法とか公共事業の法律に基づく事業計画とかが公権力の行使っぽいが、それ自体が取消訴訟の対象となるような公権力の行使に当たる行為ではないというような整理の仕方もある。そうすると、これは②までが取消訴訟、義務付け訴訟、差止訴訟、これが抗告訴訟の話だとすると、従来の抗告訴訟の観念をもう一度見直して、37年の立法では抗告訴訟の概念をぐんと広げたが、今度はそれをもうちょっと狭くし直すというような意味合いもあり得るという議論も許容されるという前提で、今後の検討を進めていただきたい。
□もちろん議論の対象には入っているとは思っている。初めに抗告訴訟ありきではなく、こういった場合に普通の取消訴訟には乗りそうもないというときに、それでは民訴ではダメだ、それでは放っておけということになるのか。この権利利益の実効的救済という見地からは、ここで救わなければいけないというような議論が抗告訴訟に入るかどうかというのはやや法制的な問題なので、もう少し後の方でもいいかなと思っている。ただ、先ほども東京地裁の判決で持ち出したように、せっかくのああいう裁判官の発展的な手法がはじき出すような形の立法であってはいけないと思っている。
それから、訴訟の対象を広げる広げないについては、いろいろ議論があったことは存じているし、取消訴訟の対象を広げるという議論も髄分あったが、他方取消訴訟の対象というのは、もう少しきちんとしなさいという意見もあり、そういったいろんなことを考えてこういう形で一応まとめている。
○処分性を与えるかどうかというよりは、実質的に救済されればいいという点で全く同感だが、その点でこの資料でやや分かりにくかったのは、5ページの(注2)に通達とか行政指導が出てくるが、それは結局、その前の③の確認訴訟の実益がある、いわば典型事例のような気もする。そうすると、処分に当たるかどうかということはあるが、少なくとも確認訴訟の典型的な実益がある領域として、通達なり行政指導なりというのは明示的に議論していく。そういうものが違法の確認の対象になり得るように少なくともするというところは、是非出発点としていただきたい。確か、塩野先生も司法研修所の講演か何かで、そういうことを言っていたようにも記憶しているが、むしろ明示的にそういうものとしてとらえていただきたい。
□この検討会で確認訴訟というけれども、どういう場合に、一体本当に使えるのかということについても議論した方がいいという意見が多いようにも思ったので、せっかく山本教授にもおいでいただき説明いただいたが、説明も受けながらどういう場合かということを議論すべきであるということで、こういう形で出している。極論はいろいろあり、確認訴訟は元々認められるはずで、兼子一先生によれば、すべての訴訟は確認訴訟であるということは、何度も教えられた。規定しようがしまいが、それはもう確認訴訟というのは確認の利益がある限りはある。しかし、本当にこれを条文化するかどうか、あるいは条文化しないにしても、どういうものを想定して議論したかという痕跡は残しておきたいということで、その点は福井委員と同じような意見だ。
○確認訴訟が一般的にあり得るというのはそのとおりかもしれないが、出てきた場合に、取消訴訟の排他性との関係で、確認訴訟はどういう位置づけなのかというところが問題になり得る。排他性で蹴飛ばされてしまうような読み方をされる可能性があると元も子もないので、確認訴訟は確認訴訟で処分性を認める類型とは独立のところで、こういう場合に許されるのだということがあらかじめ迷いがないように明らかになっていないといけないので、その意味で確認訴訟を仮に確認的にせよ、ちゃんと立法しておくということは非常に意味がある。
□確認訴訟と取消訴訟の関係で言うと、取消訴訟の対象を広げるという議論のときに、排他性も含めての議論だと、確認訴訟はそれだけ使えなくなる。逆に取消訴訟の範囲が非常に狭まってくると、今度は確認の範囲が広がる。例えばの話だが、確認だけではなく、よく話題になるのは税関の通知の処分を通知行為処分と言って、最高裁は救済の手を差し延べたが、処分と考えなければ、排他性を考えなければ引渡し請求権が行使できるという、仮に実体法に請求権があればそういう方向でいろいろ考えることができる。要するに、いろんなことを考えて法律を作らなければいけないのではないか。取消訴訟であれば救済が簡単だというのは、せっかくの検討会を設けた趣旨がないのではないかというのが、この整理の仕方の根本にある。
○全く同感だが、その場合にもし論理的、概念的にトレードオフだとすると、その境目が分かりにくいときに、またキャッチボールみたいなことが起こり得るので、片方で行ってダメだった場合にはもう片方で読み得るとか、そこの救済措置が非常に重要だと思うので、その視点も是非検討していくべきである。
□救済の問題は、出訴期間を徒過した場合にどうなるかという問題として整理できると思う。
○救済の問題として考えるよりも、可能性としてはせっかく被告適格も変えるので、どんな訴えでもとにかく受けて、裁判所の方で審理をしながら、この争いはどういう判決で処理するのが当事者のためにいいかということを見ながらうまく運営をしていただけるようにすれば特別救済の仕組みを考える必要もないということで、できればそういう方向が望ましいと思っている。
□入口は広くしておいて、裁判所はそこは適当にというのは前からあって、ただ聞いているところでは、日本の場合には訴訟物の特定は原告がしなければいけないという鉄則があるのか。
○今までこういうことがなかなかできにくかったという、一番の隘路になっていたのは、被告適格の問題だったと思う。行政庁と行政主体、当事者訴訟と取消訴訟、抗告訴訟というところが、どうしようもなく被告の在り方が違ったので、そこが越えられない垣根だった。しかし、例えば被告の中であれば、今まででもそれは当事者が何について不満を言い、どういう違法を言って取消を求めているか。これはそんなに形式がどうだといって、無下に取り扱ってきたことはないだろうと思う。そういう意味で、被告適格が全部が揃った、行政訴訟がみんな揃ったということは非常に大きいことで、運用の面では恐らく今までのことを、ここまで広げられるという使い方を十分されるだろうと思うので、きっとその点では期待に応えられるのではないかと思う。
○それは今の民訴の訴えの変更の規定で、正規の訴えに変更できるということで、できると思っている。問題は出訴期間が絡む場合の救済規定だけはいるのではないかということだ。
○先ほど来問題になっている確認訴訟と、それから訴訟の対象を広げることとの問題で、抗告訴訟の対象としてそのまま広げるのが難しいものについて、確認訴訟の中で何とかもっていけないかという議論が一つ出てきて、例えば行政指導だという例が一つ挙がっていたが、そのときの議論の中で、必ずしも訴訟の対象だけではなく、原告適格としてはどうとらえるのか。例えば行政指導なら割と分かりやすいが、行政計画だったらどうか、更に立法だったらどうかということになると、その広がりをどういうふうにして原告適格を認めていくかは、かなり大きな難しい問題ではないか。例えば違法確認という形で求めるとすると、求める対象が自分に対してされた何らかの関係における、形成されたものの違法確認なら特定されるが、ある立法が違法であるとか、通達が違法であるとか、あるいは計画全体が違法であるとなると、それにつながって関連する人というのは、ものすごくたんさん考えられる。そういう人の規制をどうするか、訴訟の維持をどうするか。例えば参加をさせるという制度にするのかどうか。それから、更にその判決の効力をどのように考えていくのか。相対的なことをやったのでは全くそれこそ矛盾してしまうし、さりとて非常に早い段階なので、その段階で絶対的な効力、通用力を与えるようなことをすると乗り遅れた人は後で救済されない。例えば、区域計画のようなものがあったとして、それによって自分は不利になる、こうやってはダメだと思う人は訴訟を提起するが、それをあてにしてそういうことになるのだから、ではここにこういう計画をしようかと思ってる人もきっといると思う。そういうものの相互調整というのが、非常に大きい範囲で難しい問題だと思う。そういうことを十分視野に入れて議論しないと、単にある人の部分だけで拡大をしたからといって、全体の救済には必ずしもならないという気もするので、そういう議論を十分やって、どの範囲で確認の対象にできるのかというような議論をしていただきたい。
○今回のペーパーは「損害を受けるおそれがある場合に、これらの行為に係る法律関係等の確認をする」という立て方になっている。今、指摘されたことは、「主な検討事項」の15ページで、「例えば、行政立法、行政計画のうち、取消訴訟の対象には該当しないとされるものに関し、その効力を争う者が当該行政立法又は行政計画の無効の確認を求める訴えについて、どのように考えるか」という立て方をしている。行政立法と行政計画そのものの無効というものと、それに基づいて後続的なことが出て損害が生じる場合の法律関係等の確認というものとは明らかに違うわけで、今回のペーパーで「法律関係等の確認をする」というのが、いわば付け加わったようになっているというのがどういう意味を持つのか教えていただきたい。
■その点は、まさに「等」と書いてあるわけで、計画そのもの、行政立法そのものについて何らかの確認をすることも含めて、単に広く記載しただけである。
○そのものの無効確認も入っているという趣旨か。
■確認の対象が、何を対象にして、またどういうときに確認の利益を認めて救済をすることができるのか、それがまた適切かどうか、そういった点はまさに論点だろうと思っている。
○少なくとも「おそれのある場合」に、そのものの無効確認を求める、あるいはそれに基づく法律関係の確認を求めるというぐらいにしてもらわないと、分かりにくい。もう一つは、「これらの行為に係る法律関係の確認」が、どんな例を想定しているのか分からないが、現在の法律関係の確認は、わざわざ規定を置かなくても、民訴の今の一般理論でやれるはずではないか。
■それもまさに論点だろうと思う。
○今の行政事件訴訟法の36条は、「現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り」、処分そのものを無効確認訴訟ができるとしている。現在の法律関係に関する訴えが可能な場合には、民訴の一般規定でできるからという趣旨だと理解しているので、「たたき台」の「法律関係の確認をする」という部分については、わざわざ規定を置かなくてもできるわけであって、むしろ問題なのは処分から外れる、いわゆる処分的なものそのものの無効確認を求める訴訟という形で問題にすべきではないか。
□もちろんそうだ。そこで確認訴訟ということを言っている。
○今の意見と同じようなことを考えており、法律関係あるいは権利義務に関しては、当事者訴訟あるいは民事訴訟でいけるので、さきほどの整理を言葉で言うと、抗告訴訟的な確認訴訟、つまり行政計画などの行政の行為を争うという確認訴訟が、実際上はこの枠で予定されているものとしては重要である。その行政の行為を争う訴訟の中でも、無効確認訴訟は当然認められるとして、問題になるのは行政計画、行政立法などの違法確認訴訟であり、それについて議論をする必要がある。私は、取消訴訟の対象に未練を持っており、この違法確認訴訟についてまず疑問に思うのは、出訴期間はないのだろうかということであり、行政立法あるいは行政計画というものを想定すると、入ってこざるを得ないのではないか。そうなるかどうかは一つの論点だが、この違法確認訴訟の中身は、結局取消訴訟に準じたものになるのではないかという気がする。原告適格の問題とか、そういった点で取消訴訟に準じた仕組みになってこざるを得ないのではないか。そうであればわざわざ確認訴訟として分離する必要がどこにあるのかという疑問を持っている。
それから、この違法確認訴訟を制度化すると、取消訴訟に悪影響が出るのではないかという感じも持っている。つまり取消訴訟が残るとして、取消訴訟の対象は行政処分であるという観念が今よりも強くなるのではないか。その推測が当たっているとすると、行政処分に対する取消訴訟の排他性が現行法よりも強化される恐れがあり、違法確認訴訟を正面から制度化するよりも、取消訴訟の対象を少し広げるという措置で対応すべきではないか。
□広げたときに、そこで拾えないもの、例えば勧告や行政指導ははどうするか。
○それは、取消訴訟でやる。
□行政指導は取消訴訟でできるか。
○行政処分と考えればできる。
□法的効果がなければどうにもならない。
○行政処分に準ずるものとして考える。
□何を取り消すのか。
○今までもそういう訴訟があったと思う。
□通達のような場合は、明らかに一種の効果がある。行政指導はいろんな行政指導があるが、それを取り消すという判例はなかったと思う。
○取消訴訟の対象として、そういう議論はあった。
□議論を封ずるつもりはないが、もう一つ考えていただきたいのは、取消訴訟の対象を広げると言って、そこで救われないものはどうするかというときに、確認という道も考えておかなければいけないのではないかという、2段構え、3段構えの議論がここに含まれている。取消訴訟で救いますと言って、最高裁がそれに従ってくれればいいが、行政処分や、それに準ずるものということになると法効果ということを問題にするといったときに、どう答えるか。
○法効果は、確かに行政処分の定義の中には入っているが、無効の行為も出訴期間内であれば取消訴訟の対象になる。
□それは便宜の問題だ。
○そういうものとして考えている。
□そういう議論があることは、よく存じているので、その議論をシャットアウトするつもりはない。
それからもう一つ申し上げたいのは、形式的行政処分論という学説があり、学説、あるいは解釈論としていつまでも残ると思うので、そういった解釈論を否定するような立法であれば、硬直的な立法であると思う。ただ、ここでいろいろ提案しているのは、今までの議論をずっと伺ったときに、いろんな議論があった。今のような議論もあれば、割合処分を狭く解するという議論もあったが、一番大事なことは、とにかく手の平にうまく乗らないものについては、他の道もありますよということをこの際確認しておかなければいけないのではないか。どういう場合があるかということは、なければないでいいので、あったときに用意しているお皿があればいいのではないかということが一つある。
もう一つは、立法で1条置くかどうかは、その次の問題。こういう問題があるとすると、それから1条置くかどうかということは、最後のときに考えればいい。
それから、行政計画、行政立法は、今の段階で行政計画について処分性を広げて、何の手当てもしないで大丈夫なのか。それは手続と両方含めていろいろ考えなければいけないので、行政計画は十分に検討する、あるいは行政立法も今後検討する方に入っている。これは先ほど④のところは消極的に、という発言があったが、今回の立法についてはどうも成熟してないのではないかという判断であり、行政立法、行政計画については、この検討会が引き受けている重要な宿題の一つであると思っているわけで、決して消極的という意味ではない。そこも申し上げておきたい。
○今の座長のとりまとめに全く同感で、計画の救済は重要だと思うが、処分の方の類型で行く場合には、まさに手続的整備という意味で、違法性の承継をどうするのかとか、先ほど指摘があったように、第三者にもし効力を及ぼすのであれば、その防御の機会等をどうするのかは、かなり手当てしないといけない。そういう意味で、もし明示的に争わせるというのであれば、その段階ですべての利害当事者が一堂に参加するなら参加して、確定的な効果を及ぼしても支障がないようなものとして仕組んだ方が、むしろフェアではないか。そういう意味で、やはり違法性の承継なりについてはっきりさせておいて、その前提で遮断するなら遮断する。しかもそれはみんなに分かっているというような手当てが必要ではないか。訴訟の対象の処分の関連だが、例えば公的資金による給付の拒否について、処分なのか私法上の拒否なのかというところについて争いがあると思うが、これがもし後者だったら救済が困難であり、救済という意味では、一律に処分だとした方がちゃんと争える。通常の契約と考えると、給付の請求権というものはないことになってしまうので、もし民事で行くのであれば、そういうものについての給付請求権が一定の法令に羈束された給付請求権があるのだと考えて争えるとするか、そのどちらかでないと、エアポケットになっているので、訴訟の対象として非常に重要な領域の一つではないか。そこが読めているのかどうか、ちょっとはっきり分からないが、問題意識として持っている。先ほど来、少し議論も出ているが、訴訟の対象というよりも、あるいは訴訟の類型というよりも、判決の類型を残すべきだという考え方を、かねてより阿部教授も言っているし、私もそういう方向にシンパシーを感じるが、結局のところ、違法を是正してほしい。違法を是正してほしい人に対して、審理の過程でいろいろな判決類型があり得ることを前提にして、釈明をしたり、あるいは当事者の意見を聞いた上で、申し出を促した上で判決を行うという意味では、判決類型が残るという考え方がむしろ素直ではないかと思っている。そういう意味でも、処分権主義で勝手に決めていいのかどうかという議論があるかもしれないが、最終的に原告が特定するということであれば、そこは問題なくなると思う。排他性の限定のことが(注)でちょっとだけ出てきているが、いろいろ検討すべきことがあるというのは分かるが、もうちょっとここは踏み込んで、大阪空港のようなものを念頭に置くとしたときに、ああいう判決が出ないようにするための立法手当てはもうちょっと前向きに工夫する必要があるのではないか。一つの案としては、例えば民訴法の定める民事訴訟又は民事保全法の定める仮処分により直接にこれを差し止めることはできないということを書くと、裏返しに排他性が広がり過ぎないというようなやり方もあるかと思うので、検討いただきたい。
□いろいろ考えたが、大阪空港判決が出ないように、明示的に書けと言われても、なかなか書けない。ただ、大阪空港判決が救済の道を閉ざしたというふうに評価されるとすれば、今回の立法で道が開いてなければいけないということだと思う。大阪国際空港判決の読み方にもいろいろあり、最近は義務付け訴訟のことを提案しているのではないかと阿部教授が言っているが、もしそうだとすると、それは申請権を有しない周辺住民が離着陸の差止めを求める義務付け訴訟になり、これはまさに我々の今、考えているものにぴったりそのものである。
その他にどういうものがあるかということがいろいろあるが、ただパブリックコメントもいろいろ精査して読ませていただいたが、余り排他性をいじくらない方がいいのではないかという議論もある。つまり段々学説、判例で、いわゆる公定力というものの概念、分析が緻密になってきて、今まで公定力の範囲と言われていたものが、だんだん縮んできており、変にここで立法的に手当てをするよりは、実体法の問題もあり、作り方もいろいろ問題もあるので、そこで柔軟な解釈をしていった方がいいのではないかという問題もある。一つだけ材料を出すと、今度は個人情報保護法で開示請求が私人間同士で認められ、片方は行政庁に向かって文句を言う方法があるが、あの場合はどうも民法の先生方は、私人間に直接請求は認めてない、せいぜい人格権の範囲内で当事者訴訟が認められるので、そういうことは認められない場合もあると言っているが、私の読むところでは、個人情報の開示請求権は監督官庁に向かって行く場合もあり得るし、当事者で行く場合もあり得るという形で制定法で、いわゆる公定力というものの範囲が狭まっているところがある。そういった全体の状況を見ると、なかなか一般法で難しいところがあり、ここはまだ結論が出ないので、十分検討していただきたいという趣旨で書いてある。公定力の範囲の問題とか、大阪国際空港のような場合をどうするかということもあるので、今のような分かりにくい書き方をしているということで理解いただきたい。
○確認訴訟にすると、民訴と何で分けるのかという話が先ほどあったが、その辺はこれから詰めていく必要があると思うが、一方で取消訴訟と違えるのか、違えないのかという、先ほどのやり取りにもつながる話で、ある意味では取消訴訟と共通しており、行政の活動も今日の案でも確認訴訟の場合には一定の行為というものに着目をしているので、その行為が与えられた行為規範に適合してなされたかどうかということを、審査の主たる対象とするという意味では取消訴訟と共通している。ただ、座長が言われるように、本当に取り消さなければいけないものは取消訴訟で、それ以外のものはこっちだと言われるのは、一つの従来の理論と一定の整合性を持った考え方かなと思って拝聴している。だから取り消しは必要ないにしても、拘束力辺りは多分働かせた方がいいわけで、公共事業計画でも、関係者が多数いて、それを計画が違法なのかどうかということを裁判所でもう一度関係者を集めて判断し直すというよりは、従来のやり方に違法があれば行政段階に差し戻してしまえばよく、その際に拘束力もくっ付けて、これこれは違法だからそうならないようにもう一度やれというような仕組みがここでも役に立つのではないか。事業計画の場合はそういうふうに考えられると思う。ただ、行政指導やら何やらまで入ってくると、それぞれについて訴訟類型なり、あるいは判決類型なりが、どういうメリットを持つかというのは、一つ一つ検討していかなければいけないのかもしれないなという気もしている。
□先ほどから確認訴訟でいろいろ議論があるが、簡単にまとめの意味で、今後の検討のことで話したい。水野委員から、それは民訴でやるからいいと言われたが、日本は今までそれをうまく使いこなしてこなかった。先ほどの「法律上の利益」の言葉の使い方の逆手を取るようで大変申し訳ないが、ここで何かアクションを起こさないと、裁判所は考えてくれない。あえて条文ということまで主張するつもりはないが、民訴で大丈夫ですといっても、では何で今までやってこなかったのか。通達の無効確認だっていろいろあり得る。今度はこういう道があるということを条文で示すか、我々の検討会の方向で出すかは別として、それは重要な意味を持つのではないかということで申し上げているので、民訴でやってきたからいいという返事ならいいが、あるから大丈夫でしょうというのでは納得できないところがあり、是非議論をしていただきたい。
もう一つは確認訴訟というのは、何でも入ってしまって大変なので、そう軽々に言うべきでないという議論があるが、確かにそのとおりで、これを今一つ一つ、どんなものどんなものと詰めていくのは、それはなかなかしんどい話で、それを全部つぶさなければ通してやらないというルールができると、それは立案者の一番好きなところで、全部つぶして持ってらっしゃいということになる。そうでなければ受け付けませんというのが、日本の今までの立法の非常に慣例になっているが、そうではないので、国民の権利利益の実効的な救済を図るの受け皿はこういうものがある、というのでよろしいのではないかと思っている。1つも出ないのでは民訴でやってもいいでしょうということになるが、その点について実は私も自信がないので、こういう場でどういうものがあるのか、もう少し検討して具体的な案に即して、一種のサンプル的な調査をしてはどうか、それがここの提案の趣旨であるというふうに理解いただきたい。
もう一つは、行政計画、行政立法については、ここでは我々の宿題として残しているのだということも十分頭の中に入れておいていただきたい。
- 〔第2−2 審理の充実・促進〜第2−5 その他〕
- ■〔資料1に沿って説明〕
○処分理由の変更の制限の問題で、「判例及び学説の動向を踏まえつつ」と出てくるが、これは、いろいろな箇所に何回も出てくる。要するに枕言葉のように、先延ばしをするために「判例及び学説の動向を踏まえつつ」というのが書かれているとしか思えないのが結構ある。例えば、今の処分理由の変更について、これまでの判例というのは最高裁判例の1件だけで、学説では、例えば処分の同一性について論じた論文があるのかどうか知らないが、果たして何本あるのか。これから先、何年かかれば学説と判例が動向を示して、この問題に結論を出せるようになるのか疑問であり、こういう言葉を軽々に使ってもらいたくない。
□ここは私の言葉で入れさせてもらったが、軽々にではなくて非常に重々しく使っている。例えば、処分理由の変更については、公告教授の1冊の大きな本があり、日本法、フランス法と比較して、私は大変感銘を受けて読んだが、それはフランス法のシステムがかなり背景にあり、非常に理由の変更を認めないで、どんどん切っていく。私の推測ではコンセイユ・デタがどんどん切って、それで行政庁の方ではそれを受けて、またどんどん違った理由で処分をするというシステムとしてできあがっているのではないか。
ところが、日本ではどうかというと、なかなかそうはいってない。同一性については私も教科書できちんと書いているつもりで、理由についてもいろいろ書いている。そういうわけで、公告教授の大変立派な論文自体もまだここで披露してないような状況ということもあるので、これは学説及び判例に委ねるという趣旨は、実は軽々に言っているのではなく、今までの議論の蓄積を見ながら、ここでこの検討会で決めるべきものなのか、あるいはもうちょっと学説、判例の蓄積を待つべきものなのか、大変悩んでいるところであり、この理由の変更はなかなか難しい。今度は義務付け訴訟が出てくると、この前、例として申したのは情報公開の開示請求で、あれは取消訴訟で出てきているが、その前の情報公開審査会では、要するに開示請求権の存否という全体をどうも議論しているときもあるし、それから理由の範囲で議論しているときもあり、いろいろだ。実体法の研究がどんどん積み重なっていくと、恐らく情報公開請求訴訟は、開示請求権の存否の訴えであって、裁量のない限りは義務付け訴訟で行って、そのときにはもう一発で行くことになるのではないかと思っており、新しい実体法上の請求権とか、実体法の仕組みが出ていく中で、今ここで決めていいかどうかということで、こういうふうに整理をさせていただいているという趣旨である。
○処分の同一性の範囲の考え方についての論文がそれほどたくさんあるのかということを申し上げただけで、変更の有無についての議論はある。しかし、「たたき台」には「処分の同一性の範囲の考え方」と書いてあるので、それについてはそれほど多くの論文が今まで書かれたわけではないのではないかということが一つ。それから、例えばあと5年待てばその間に判例、学説が蓄積されてやれるということであればいいが、そんなことは言えないのではないかというのが一つ。それから、もう一つは主張立証責任にしても裁量にしても、結構今まで判例、学説の積み重ねがあり、これから先また何年待つのかと言いたい。すぐにこういう文言を使って先延ばしにするが、本当にこれから先どういうことが見込めるのかということを具体的なイメージなしに言うのはおかしいのではないか。例えば、6頁の(注1)の民訴の文提は、これからの運用なんだから、運用とか、これからの判例、学説を見てやっていきましょうということは分かるが、他の項目については私としては異論があることを申し上げたい。
□私が言いたかったのは、これは立法で決めるものなのかというのも心の中にはある。例えば、立証責任みたいなものについて、立法というのはどうしても固く一律になるので、そういうことで果たしていいのだろうか。それから処分の同一性も、いろいろ学者は議論するが、立法で決めることになるのかどうかというのがもう一つあり、学説、判例が固まってくれば、ではここで固定化しようという議論もあるが、立法化はある意味では固定化の道具であるが、学説、判例は常に動く道具である。これは使い分けが難しくて、固定化という道具を使った方がいいのか、しばらくいろんなことを考えながら動いていくのがいいのかという両方あって、その両方が入っている。
立証責任の問題は、むしろ蓄積があり過ぎて、どう整理したらいいのか。通説とか何とかというのは言えない状況にあるときに、この検討会でこれが通説である、あるいはこれがいいということが言えるかというとなかなか難しい。では何年待てば固まるかというと、やはり法律で決めることになるのか、それとも裁判官の法として動いていくのがいいのか、この見極めは今のところはできない。
だから、決して軽々に、あるいは議論を先延ばしするために言っているわけではない。そこはよく理解していただきたい。そういうものしか挙げてないはずだ。
○軽々だとは思わないが、やはり判例及び学説の動向を踏まえて行うのは、解釈論であるべきであって、この検討会は元々行政訴訟法なり、あるいは行政法に関する様々な今までの運用なりについて反省して政策として、立法として対応しようというのが出発点だから、その意味において判例、学説の大部分は私の知る限り、判例は当然解釈論で、学説の大部分も解釈論なので、前提が変われば法解釈というのは当然変わり得る。そういう今までの法の枠組みを前提とした解釈で、何か国民の権利利益の保護にまっとうできてない部分があるのではないか、あるいは行政チェックに何か問題があるのではないかということを、まず出発点としてこの検討会なり司法制度改革推進本部全体の作業が設けられているので、一種のトートロジーに陥る。今の条文を前提にできている判例や学説を積み重ねを立法論の参考にすることは、論理矛盾する面がどうしてもある。判例、学説はもちろん参考にはなるが、それは動向の蓄積を見るというものではなく、やはり政策判断として今までの判例や、あるいは学説は運用の問題ないしはその結論において利益衡量なり違法性適法性のチェックということから見て、何らかの尺度による問題があるときに、その問題解決するための判断を検討会として、立法政策提案としてするのが任務だと思っている。そういう意味では、私も非常に違和感があり、判例、学説の動向を踏まえるという意味での政策論は、基本的にはちょっと違うのではないかという印象を持っている。
□誤解があるといけないが、判例、学説の動向を見るというのは、もしそれで私の頭ができているとすれば、最初から原告適格でも何でも、全部それになる。そうではない。判例、学説の動向に拠った方がいいと思われる、あるいはここでなかなか難しいと思われるものを拾い上げている。ただ、自分の意見に固執するわけでもないし、整理が正しいと思っているわけでもないので、この部分については判例、学説よりもここで決めた方が馴染むではないかという意見は大歓迎だが、およそ判例、学説に委ねるのはまかりならないということは理論的には成り立たないと思っている。立法で解決すべきものと、それからもう少し判例、学説を見ておこうというものがある。そのカテゴリーは2つあり、この検討会はまさに立法のための検討会なので、できるものはできるだけ立法で解決しようということで、皆様の意見を整理しているつもりである。そこで、個別の意見のときに、ここは判例、学説に委ねるよりはもうここで、あるいは更に十分検討というところで決着をつけて立法提案をしようという意見として、個別にお願いする。
○今、出てきた(注3)の関係の判例で、今、指摘されたので、コメントしたい。それは、この辺はずっと動いておらず、青色申告に関する判決が一つだけではないかという指摘だったが、私の印象ではむしろここは近年非常に動いている部分であり、平成5年にベンジジン判決と言われている、かなり著明な判決が一つあって、それが一つの同一性の切り方、処分の同一性、理由の差替えを規律する大きなヒントになる判決だと思っている。それから、平成14年の逗子の情報公開条例に関する理由の追加に関する判決だが、これもかなりどういうもので許すかということについての、重要なエポックになった判決だと思っている。こういうふうに、最近むしろ動きは活発化してきているのではないかと思っている。少なくともこのテーマについては、座長が先ほど指摘されたように、むしろ単一の訴訟物とは何か、処分の同一性の範囲は何かというあたりと密接に関連しており、例えば差替えを許さず小さく処分を切れば、別途の処分という形で、あとは許すということとつながっている、裏表の関係になっているところがあり、そういうものを全体としてどう処理していくかということと非常に関連していると思っている。少なくともこの分野については、今そういう議論が活発化し始めたところなので、これはもう少し見ておいて、それから議論する方が材料としていいものを使って、適切な立法につなげられるのではないかと感じている。
○先ほどの水野、福井両委員の指摘は、確かにもっともだが、ただ、他方で私はこの理由の変更、立証責任については、ここで議論する必要はないという立場を取っている。なぜかというと、結論が出ないというのがほぼ見えているからで、表現としては判例、学説の動向を踏まえるということになるのだと思うが、私個人について言うと、きちっと根拠を持って考えをまとめ得るに至っていない。それは、私が努力不足ということではなくて、客観情勢がそういうものなのだ。特に実務家の水野先生が早く結論を出せと言われるのは分かるが、やはりこの問題はもう少し成熟を待った方がいいのではないかと思っている。
○ちょっとニュアンスが違うかもしれないが、この問題自体は解釈論としては非常に面白いし、いろんな立場があって、解釈論をやっていると切りがないが、立法論としては訴訟段階で、特にここの釈明処分として処分理由を説明させるという制度を導入するとすれば、その関連で訴訟の早い段階で理由を特定させてしまうことは、立法論としてはあり得るし、考えられることではないかと思っている。ただ、そこは立法の必要性、緊急性がどれだけあるかということがあり、もちろん立法をするとなると、先ほど指摘があったように拘束力との関係、やり直しの範囲をどうするかというところの理論的整理をきちんとやらないといけないし、かなりしんどい話ではある。しかし今まで言われたことだが、判例、学説、いろいろ一生懸命やっているところなので、解釈論でしばらくやっていただいても、それほど国民の権利救済にとって、今すぐ立法でどうこうしなければいけないという話でもないのかなと思っている。
○今の発言のある一面には賛成の面もある。要するに立法論でやるとしたら、今の条文を踏まえての解釈について煮詰まることを待つ必要はないということは、言うまでもないことだが、ただし、立法論として現時点で立法する必要があるか否か、あるとしたら何を立法するのかということは決めないと、基準を持たないし、判断をしないということにもなる。判例、学説がまだ見えないとか、あるいは数が少ないから決めないというのは、不当な理由だと思う。そうではなく、現時点でこれは立法判断としてやるべきでない、やるべきでないとしたら、例えば先ほど言われたように、立法で硬直的に、一義的に決めてしまうには、時期尚早だということはあり得ると思う。そういうことであれば、立法論として別に判例、学説の展開を待たなくても決められることだから、そういう意味で決めればいい。理由として判例、学説の解釈論の動向を見るというのは、極めて違和感があるということは、もう一度強調しておきたい。
□判例、学説の展開を待つということは立法論である。
○立法論の基礎として解釈論的な推移を見るのは、論理矛盾だと思っている。
□立法を今すべきでないという意味での立法があるが、なかなか難しいところで、特に立証責任は、民訴の一番大事なところなので、なかなか手を付けられないなということを考えるので、この辺はもう少し立法論としては慎重にし、しかし、我々は立法の課題を仰せつかっているわけなので、立法すべきものは立法すべきということで会議を進めていきたい。
○30条については、前からこの条文が、現在の理論水準に合ってないということを申し上げてきたが、その度に現在の裁判所は現在の高い水準の裁量審査をやっているという主張があり、そうであればこれをどう書き直すかということで、大変な議論になるので、仕方ないのかなと思っている。
○処分の理由の資料の提出だが、釈明処分の特則というふうに(注1)に位置づけているが、これも度々議論があったように、最初から関連文書をすべて提出させるという選択肢をどう考えるのかとか、あるいは裁判所提出以外の資料を自分の処分の根拠とはなし得ないというような考え方をどうするといったことも是非含めて考えていただきたい。
□今の趣旨をもう少し説明いただきたい。
○(注1)で釈明処分の特則というふうに、割合技術的な問題として位置づけている印象を持つが、最初から処分の根拠となった関連文章をすべて提出させるというような行政庁の義務についてどう考えるのか。規定できるのかできないのか、できないとしたらなぜなのかということとか、裁判所に提出した以外の資料は、例えば自分の処分の根拠としては主張し得ないというような議論もあったかと思うが、そういう議論についてどうするのかということも含めて考えていただきたい。
□論点を付け加えろという趣旨だな。
○裁量の中身についてはいろいろな議論があって、なかなか一元化しにくいということは分からないでもないが、この30条の規定の見直しということについては、依然として十分な検討というのがどういうニュアンスかというのはややはっきりしないが、30条自体の持つ効果を考えれば、これを削ってしまうという可能性については、もうちょっと明示的に議論したいと思っている。
○「被告適格者の見直し」だが、この見直しの理由として「行政庁を特定する原告の負担を軽減する」と書かれているが、これは人によってかなり理由は違ったのではないか。個人的には民事訴訟の一般原則に戻すのがいいと思っている。それから、先ほど指摘されたように、訴訟の訴えの変更との関係でもやはり意味があるようだ。
□確かにそういう議論もあるが、訴訟の本質に戻るということで、すぐ戻れないところがあり、実は美濃部先生は論理上、あるいは本質上行政事件訴訟法の被告は行政庁であるという議論を立てており、それはドイツから来ているわけだが、その後ドイツではどういう議論をしたかというと、本質はそうかもしれないが、原告の利益のために便宜上変えるという議論を展開している。この検討会の資料に出てないものは一切言ってはいけないと言われればそれまでだが、私が勉強したところではそう簡単に便宜的なものではなく、それについてかなり大部のドイツの本も出ている。
被告適格を誰にするかは便宜の問題であると言われたのは、田中二郎先生で、割合簡単に前の行訴法の改正のときに、便宜の問題であることがどうも通ってしまったのだが、雄川一郎先生はまだ美濃部理論にこだわって教科書を書いている。私が多少反省しているのは、ここを少し簡単に飛び越え過ぎてしまったので、もう少しそこは議論しなければいけなかったのかなという反省もあるので、こういう書き方をしている。ただ、今となってみれば、ムダな議論をしたのかなというふうにも思うが、美濃部先生はムダな議論をしているはずではないので、やはりそれなりの取消訴訟の観念があったのだと思っている。そこはやはり大事にしないといけない。
○被告の変更に関して、結論は別にこれで結構だが、間違えたときの救済ということが必ず起きるので、今みたいに重過失があったらダメだとかというよりは、間違えても基本的には全て許容するというぐらいのことをしておかないと、またこれで余計間違える人とか、不服審査と別になったのでややこしくなるとかがあり得るので、そこはくれぐも充実するということは明示した方がよいのではないかと思っている。
□そこの点は賛成であり、今度は大丈夫なようにできているはずである。
■(注2)に論点として記載している。
○管轄だが、例えば、京都とか神戸とか、地裁で実績があるところをどうするかというものは一律にこの考え方で統一するという意味か。
■これは、現在の管轄に加えてプラスアルファの管轄を設けようという趣旨なので、今できているものができなくなるということはない。
○集約するときに、都道府県庁所在地のところか。
□持って行ってしまうわけではなく、ばらまくということである。
○実は両面あり、最高裁がこの場で報告されたように、ほとんどの行政事件は原告の住所地でやっている。ところが、例外的に地方の裁判所の管轄がなく、東京地裁にならざるを得ないというのが幾つかある。それは、今回の規定で、少なくとも例えば大阪地裁でやれるということはある。
もう一つは、例えば関西で言うと、大津地裁で税金の訴訟が起こせるが、これができるとプラスで大阪地裁でもやれる。だから、例えば千葉の人が税務訴訟を起こすときは、千葉の地裁しか今はやれないが、東京地裁でもやれるという面がある。
ところが、逆に東京でしかやれない事件については、原告の住所地をプラスすれば、自分のところでやれる。ところがこれだと少なくとも大阪まで行かなければいけないというのがあり、若干私も実は迷うところがある。だから、本当を言えば両方プラスしてもらうのが一番いいが、どちらを選ぶかと言われたら迷うが、やはり弁護士は全国にいるから、東京とか大阪とか、高裁所在地だけをプラスすることにすると、結構その他の地域の弁護士は文句が出ると思うので、私はやはり原告の住所地をプラスする案に賛成だということを申し上げておきたい。
○それに関連して、住所地という場合に、例えば神戸や京都の人が大阪にしか行けないオプションしか持たないのかというと、地元でもいいような気もするということを申し上げたが、それはそういうふうに読めるのか。
□住所地で決めるわけではなく、元々今の裁判管轄があって、その上に更に高裁の所在地であれば、今までは行けなかったが、高裁の所在地まで行けば裁判を受けられます。そこでは、恐らく私の希望的観測では、集中的に行政事件訴訟に長けた裁判官を配置していただける、あるいはそこに行けば行政事件訴訟に長けるという話だと思う。
○出訴期間を延ばすことがなぜ必要かという議論が既にあり、国際的な相場から見ても、何も6ヶ月まで延ばさなくてもいいのではないかという議論はあったが、私としては日本の現状に照らして、まずは行政訴訟にもっと慣れてもらうための、いわば特例措置、暫定措置と言うか、そういうことかなという気はしている。
これまでなぜ出訴期間がネックになっていたかというのは、実態をきちんと調べたわけではないが、意識として裁判所というものは元々遠くて、処分を受けた途端に、さあ裁判所に行くためにはどういう準備をすればいいかという対応は一般国民は余りしないのではないか。裁判所に行く前に、まずどこかの先生のところへ行くということが普通頭に来て、それに時間を取っているうちに段々出訴期間が過ぎてしまうというようなことも、多分たくさんあったのではないか。そういうビヘービアが改まれば、それはもう出訴期間が短くても構わないということなのかもしれないと思うが、そういういろんな手を尽くしたあげくに、やはり裁判所しかないという人を差し当たりは救う方が行政訴訟の健全な発展に資するのかなというつもりで賛成する。
○これは我々弁護士に関係あることなので一言申し上げるが、もちろん延長しなければならない。「少なくとも6ヶ月」という含みのある言葉なので、1年ということも考えられるのかなというふうに思っている。この前の行政官庁のヒアリングをしたときに、行政の早期確定、安定ということをしきりに言っていたが、大体聞いてみると1年でどうかといったら、1年では長過ぎて困るというところは一つもなかったように思っている。1年ぐらいなら仕方がないなというか、そんな印象だった。だから、これを6ヶ月に延ばすというのを1年としてもいいのかなと思っており、そうすると「処分があった日」から1年という規定は要らなくなる。「知った日」から1年ということで1本にするというのも一つだ。
□「知った日」からか。「処分があったことを知った日」から勘定するので、今よりも延びるが、どっちか。
○「処分を知った日」からだ。「処分を知った日」から1年、という1本でいいかなと思っている。
○私も、「知った日」が起算点かどうか、あるいは「処分があった日」ということもあり得ると思うが、出訴期間について延ばすのであれば、6ヶ月よりは1年の方がいいと思っている。6ヶ月ぐらいだと、まごまごしているといろいろ救済の機会がなかなか得られないということもあり、ましてや(注3)にはちょっとだけ問題点を書いてあるが、第三者に係るかどうかという観点で言うと、6ヶ月だとやはり第三者に係らない場合についてはやや短過ぎるという印象である。もう一つ、不服申立前置の場合は課税とか年金裁定とかで、60日の異議申立期間というのが前置されている場合に被ってくるという場合については本体の行訴法の出訴期間を延ばしただけでは全く意味がないということがあるので、不服申立前置自体はまたどこか別の論点で出てきて、それ自体は選択性にすべきだとは思っているが、それはともかくとして異議申立が前置されるような場合の60日が、そのままになって6ヶ月とか1年という議論は、いかにもアンバランスだと思うので、そういう前置がある場合の不服申立期間についても、同様な意味での救済の機会の拡充ということをセットで考えていくべきだろうと思っている。
○私は、かねてから1年ということを言っている。その場合、処分があってから1年というふうに説明をしていた。知ってからではなくて、処分があってからというふうに説明をしていたので、ちょっとその点は水野委員と違うかと思うが、ただ、「あった」というのがどの時点かという問題はやはり知り得るべき状態に置かれたときだろうと思っている。
□到達したということか。
○そうだ、到達したことだ。
○「知った日」か「あった日」かの場合、恐らく訴訟経済の観点で言うと、知った日を特定するというのは一種の確定コストのかかる問題だということも加味すれば、1年であれば「あった日」の方がよいのではないかということも考られる。
□1年というのは、これからの議論の中身になると思うが、この枠の中は「少なくとも6ヶ月」と書いてあるので、このまま次回にまた議論をしていただきたい。
○(注2)の「正当な理由による例外を認める」は、実は「主な検討事項」には出てなかったことだと思うので、先ほどは「主な検討事項」に出てこない言葉を入れてはけしからんと言ったが、この部分は是非。
□これは市村委員と私の応対の中で、この議論は出てきている。何度も断わるが、「主な検討事項」に書いてないからダメだというのは、ルールとしては承服し難いところがある。
ただこの前も情報提供ということで申し上げたが、出訴期間を議論している国はない。新しい情報ということでは、韓国では出訴期間はむしろ法治主義のためにあるのだということを言って、出訴期間を長くするということは考えてもいないということです。それはいろんな理屈があると思う。そこで、では日本ではこうだというのを、なかなか訴訟を奨励するために6ヶ月に延ばしました、あるいは1年に延ばしましたということを国際会議に出てどういうふうな顔をして説明するのかということが心配なので、そこは是非きちんとした理由を言っていただきたい。東アジア行政法研究会があるので、日本ではなぜ6ヶ月、あるいは更に1年という議論があるのは、一体何のことだろうという質問が必ず出ると思うので、そこは6ヶ月、あるいは1年論者は是非説明をしていただきたい。
仮の救済の制度の整備は、全て「なお検討する」ということで、ここは是非立案に向けて、次回以降も詰めて検討していただきたいというのが、私と事務局側での「たたき台」を作ったときの気持ちである。
○(1)は執行停止の要件を広げるという話で、(2)は執行停止以外の仮の救済の創設ということだが、義務付け訴訟と差止訴訟では仮の救済の在り方は全然違うと思うが、少なくとも義務付け訴訟との関連で仮の救済を考えるということであるとすると、現在の申請拒否処分取消訴訟についてもやはり並べて扱った方がいいのではないかという気がしている。特に今日の前半の議論との関連で、入口でどういう訴訟かというのを一応分けると、あとは訴えの変更で処理しているのだというシステムだとすると、最初の段階でどうしても義務付け訴訟をやっておかないと、仮の救済の申立てもできない、そうではないと蹴っ飛ばされるというのも、ちょっと窮屈過ぎるかなという気もしている。
○仮の救済制度の(2)の(注1)の問題点はどういう意味か。
■この点は、以前執行停止以外の仮の救済の制度を議論いただいたときには、一つの視点として民事保全法になぞらえた整理で類型化をして検討いただいたこともあったが、それを改めて整理し直して考えたときに、仮の義務付け、仮の差止めと、それから元々ある執行停止ということに振り分けて考えると、それから漏れるものが果たしてあるのだろうか、なかなか想定し難いというつもりで記載している。
以前は例えば民事の保全になぞられて、係争物に関する仮処分に類するような仮の救済が行政訴訟でも必要かということも論点として示したこともあったが、それは仮の差止めであったり、あるいは執行停止の手続の続行の停止とかで足りるということで整理するとそういうことになるのかなというところもあり、仮の義務付け、仮の差止め以外に何か必要なものというのは果たしてあるのかということを論点として記載したところである。
○仮の義務付け、仮の差止めを実施することを前提にしてということか、更に、ということか。
■その他にまだ必要かどうかということだ。
○そうすると、本文の「なお検討する」ということとは、どういう結び付きになるのか。本文は制度そのものについて「なお検討する」のだろう。
■制度そのものと言うか、その要件とか、なお考えるべきところは多々あるであろうという意味で、その際には仮の義務付け、仮の差止めだけでいいかというのも一応確認しておきたいということである。
□仮になければこれでいいということだな。それから、ここでは出ていないが、私の理解では確認訴訟の話も出て、確認訴訟の仮の救済というのはどういうものかということも考えておかなければいけないと思っている。
○仮の救済については、元々検討会でやるということにしてあったわけで、これは意外と言ったら語弊があるかもしれないが、行政官庁のヒアリングでもそう大きな抵抗はなかった。むしろ執行停止の要件緩和については抵抗が大きくあったと思うが、これは是非実施する方向でやっていただきたい。
□是非いい案を考えていただきたい。執行停止は具体的にこれを条文化するとなると、大変難事業がいろいろある。特に不服申立てについては、今後十分な検討をし、成案を得るように努めていただきたいと思っている。
○「弁護士報酬の敗訴者負担の取扱い」だが、ここでの議論は要するに行政訴訟に片面的敗訴者負担制度を導入すべきかどうか、という議論だったと思う。行政が違法だと訴えられて、それが裁判所で通った場合には、いわば行政の違法が正されたわけだから、公益的なものもあるのではないか。そういう場合には原告の弁護士費用を行政に負担させるべきではないか、つまり片面的敗訴者負担制度を導入する訴訟領域としては、行政訴訟が一つあるのではないか。こういう議論の問題の立て方だったと思うが、この枠の中は「敗訴者負担制度の持つ訴訟の活用を促す側面と訴えの提起を萎縮させる側面の両面の観点等を考慮して」と書いているが、「萎縮させる側面」の観点というのは出てこない。ここの書き方が少し今までの議論と合わないのではないか。これは、「十分な検討を行う必要がある」ということで、「他の訴訟における取扱いの検討を踏まえ」てということになっているが、一般的に弁護士報酬の敗訴者負担制度を導入すべきかどうかについては、今、大激論があるが、行政訴訟については片面的敗訴者負担制度を導入すべきかどうかという議論は、本籍はこちらだと思っている。一般的な制度はどうであろうと、要は踏み切るか踏み切らないかの判断だけである。ちょっと違うが、住民訴訟には規定があるので、規定を書くことについてもそんなに難しいものではない。そういう意味では、行政訴訟については、片面的敗訴者負担制度を導入するということに踏み切ればいいのではないか。それに異議のある委員の方がいるのかということを私としては申し上げたい。
○同感である。これは議論したことをちょっとずらして記述されているのではないかという印象すら持つ。民事の対等当事者間の訴訟ではないから、この行政訴訟の検討会が存在しているわけで、この点については何度となく明示的に片面的敗訴者負担という用語も含めて、行政事件としての問題として考えようということは、何度も繰り返し出てきているわけで、それをなぜ無視するのか全く理解に苦しむというのが正直な感想だ。「萎縮させる側面」とか、そんな議論はあったかということを申し上げたい。問題をすり替えるのはやめていただきたい。
□問題をすり替えているとは、随分昔の表現だが、そういうつもりは全くないと思っている。そこは弁護士報酬の敗訴者負担制度という、一般制度としてきているので、その上に行政訴訟の特殊性にも配慮してと書いてあるので、文法的にはこれで成り立っていると思っている。
○他の敗訴者負担一般、しかも民事中心に考えている別の検討会なり、本部の事項に、まずそれを前提としてこちらがあるというのではなくて、これはあくまでも行政訴訟の在り方ですから、行政訴訟としての敗訴者負担はどうかということは、よその検討会とか、あるいは民事のことを前提としないで、独自に結論を出すべき問題だと思っている。
□それに対しては、行政訴訟も訴訟ではないかという議論があり得るので、そういう点も含めて考えて意見をいただきたい。
○それは矛盾するとか、抵触するとか、何かよその制度に迷惑をもたらすかどうかという具体的な観点で考えるべきだと思っている。
□そういう点も含めて十分検討するということになっている。
○11ページの(注3)の、複数の原告が同一の処分の取消しを求めた場合の訴額をどうするかという議論だが、これは合算しろという最高裁の判例が出て、前にも紹介したが、かつては行政訴訟については処分は1つなので、しかも違法性を争っているのだから1つでいいのだというのが、実務の大勢だった。あるときから、それが変わってきて、最高裁は今回認めた。ところが、あの最高裁の判例を見ても、全部についてあのように合算する結論を出しているのかどうか、若干疑問に思っている。つまり、どういう出し方をしているかというと、それぞれ人格権を問題にしている。行政処分を争っているのだが、それぞれ人格権に基づいて違法だと言っており、だから別々だから合算しろと言っている。例えば、処分の手続に違法があるとか、何か共通の問題であれば合算しなくてもいいという結論になるのかも分からないという読み方もできるのではないかと思うが、それはともかくとして、これはその程度の問題である。「理論的・実質的な問題点等について」というような大層な問題ではなくて、要は合算させるのか、1つでいいのか、これは現に過去は1つでやってきたわけで、ああいう最高裁の判例が出てややこしくなっているわけです。ですから、これは条文を一つ置けば済む話なので、条文を置いて解決すべきではないかと思っている。
□この点も今後の検討事項ということになっているので、よろしくお願いする。
私と事務局で整理した点についての至らなかった点については、今日の指摘を踏まえて、適宜整理をしたいと思っている。ただ、他方、顧問会議の方では検討会の皆さん一生懸命になって、とにかく国民の権利の実効的救済のために鋭意努力しており、できるだけ意見をまとめるべく検討を続けるので、途中でかっさらっていかないでくださいということを申しているので、今日の議論もそういう方向で議論いただいたと私は思っている。
そこで、今後これをどうしたらいいか、どういうふうに審議を進めていったらいいかということだが、この点については私一人でどうこうする、あるいは座長の考えでどうこう動くということでもないので、事務局にそれなりのお考えがあればそれなりのお考えをまず伺わせていただきたい。
○事情判決と和解と不服申立前置廃止については、論点としては重要だったと思うが、どうも明示的にはっきりと見当たらなかったような気がする。
□(注)に入っている。
○(注)の中身の問題かもしれないので、またそれは追って。
□「主な検討事項」の論点にあるのは全部拾いましたということは最初に申し上げているので、拾ってないのがあれば指摘いただきたい。
○10ページの「(3) 執行停止決定に対する不服申立て」は、「具体的在り方についてなお検討する」となっているが、ただ前々から言っているように、内閣総理大臣の異議の制度については、多々批判があるところであり、そういう意味で、違憲の疑いを払拭するためには、制度づくりを目指すべきではないかと思っている。
□今後の参考にさせていただく。
それでは、今日この「たたき台」についての検討はこれで一応終わったということにさせていただき、それでは次にどうするかということで、いろんなチョイスがあるかと思うが、事務局側で一応考えていることがあるので、説明をいただきたい。
■来年の通常国会への法案の提出を念頭に置いて、今後の検討を詰めていかなければいけないということで、今回この「考え方と問題点の整理」という「たたき台」を座長の力で作っていただき、更に検討の材料にしていただきたいということで検討を始めていただいたわけだが、この課題の中でも、特に法案の提出を念頭に置いて、当面検討すべき重要課題としては、やはり「取消訴訟の原告適格の拡大」、「義務付け訴訟の法定」、「差止訴訟の法定」の問題。それから、その次の「確認訴訟による救済の可能性」。またそれと問題の所在としては裏返しの問題としてこれまで議論されてきたと思うが、「訴訟の対象」の問題。それから、今指摘のあった「仮の救済」の問題。これは非常に大きな問題として更に詰めるべき問題点がかなりあるのではないかと思っており、特に次回、この点を中心に詰めて検討をお願いできないかと考えている。
■今、御案内のとおり11の検討会があり、14、15のテーマを持っている。この本部も設置期限の半分が過ぎており、法律として国会へ提出することになると、次期通常国会ということになり、そうなるとこのテーマがほぼ全部行くということである。この本部全体として、想像を絶する作業ということになろうかと思っている。そうなると、これを国会に提出するためには、議論の成熟度、分析がかなりできてないとなかなか物理的に無理であり、全体の時間を考えると、もう残された時間は余りない。そういうことで、本当に法律改正をするのであれば、ターゲットをとにかく絞っていただいて、熟度の高い議論をしていただきたい。そうしないと法律として耐えられなくなるということ、場合によっては出せないということにもなりかねないが、我々としては出したい。
そういう意味では今、参事官から話があったが、幾つかに絞って、もう少しいろんな論点について議論をいただければということで、是非その趣旨を御理解賜りたい。
○今の事務局の説明に基本的に賛成する。今、指摘のあった点は、この中で極めて重要な事項だと思っているので、次回、あと何回やるか分からないが、今、事務局の指摘になった事について重点的にやって、少なくとも今の事項については絶対に今回の改革に盛り込むという決意で我々としてもやりたい。その他にも、いろいろ弁護士報酬の敗訴者負担の問題だとか、いろいろ言いたいことはたくさんあるが、時間が許せばともかくとして、とりあえずは今の重点項目についてやっていく。これは必ず実現するという趣旨で事務局の提案に賛成したい。
○今説明を受けたし、読まさせていただき、これまでの検討でかなり煮詰まった点について座長を中心にしてまとめていただいたと思って受け止めた。なお検討というところで、今水野委員も指摘されたが、もう一歩具体的にして、是非この点をしっかり検討した結果をまとめたものにして、この11月の段階で示していきたいということで、私もなお考えさせていただきたい。
○先ほどの幾つかの論点、重要なことは間違いないので、それはそれとして是非詰めていただくことは必要だと思うが、ただ、先ほど言われたように、熟度を煮詰めて議論したから改正ができるとかできないという問題では、必ずしもないと思っている。基本的に熟度はあるけれども、決めるか決めないかという決断をするかどうかによって、行く末が決まってくるという論点も、かなりあり得るので、熟度の問題というよりはやはり決めるべきことを決めるということは、どこかの段階で検討会として必要であるので、先ほどのことに限定して今後検討を進められるということであれば、反対である。
□他にどういう点を、次期国会に出せばいいというふうにお考えか。
○今ここで論点になっているようなことの全部というよりも、その中でまさに決めるべき熟度に達したものはもう決めて、できるだけたくさん拾っていくということで、どれがどれというよりも、できるだけたくさんを目指すべきだと思っている。
□できるだけたくさんのつもりで一応出しているつもりだが、こういうのもこの際やってしまえばいいではないかという点があれば、提案としては常に承る。ただ、一番心配しているのは、これから例えば国会など、いろんなところで、いろんな角度からの質問が出てくるときに、あるいはそれを恐れてこれでは議論に耐えられないから成案には馴染まないよと言われるのが、一番残念で、事務局としてこれだけのものは是非検討したいと言っていることは、これだけのことは詰めてくだされば、もう何としてでも通しますという非常に強い決意だと思っている。もっと重要なものもあるから、これも議論しろと言われれば、それはそれとしてまた、時間の関係、議論の熟度の関係で判断するが、今挙げられたものだけでも、相当しんどい議論を重ねていかなければならないし、それこそ皆様の英知を傾けていただかなければならない仕事だと思っている。また、そのためには相当な資料を準備しなければいけない。そういう意味で次回は2週間後に迫っているので、どこまでお出しできるか分からないが、とにかく先ほど事務局はこれはもう是非国会に出したいと思っている点について、全部出るかどうか分からないが、資料の整備方よろしくお願いしたい。
○もう一度確認するが、先ほどの4項目以外は国会に法案提出する意思はないということか。
■それを中心にやっていただきたいということである。
○中心は分かるが、私が聞きたいのは、それ以外の項目について立案する用意はないということか。
■皆様の議論、それから我々も考えて熟度が上がって、それはやるべきだという結論に達すれば、これ以外でも出すことは当然あり得ると思っている。
○どうやって結論を出すのか。
■もちろんこちらで議論をいただき、かつ最終的には政府全体として判断をする。
○検討会としては、どうやって結論を出すのか。
■それはまだ決めてない。今の段階ではまだである。
○検討会としてどういう結論を出すかということは、検討会の問題のように思う。ある程度事務局の考え方がどうかというのはあると思うが、検討会は検討会である。
○事務局が委嘱した意図が検討会の合議体に何を求めているのかということは、これはまず事務局の判断だと思っている。
□改革の問題について委嘱を受けて、ここまで煮詰まったものはこれだけで、事務局としてはこれは是非やりたいといって持ってきた、そこまで今日決まったということでよろしいか。
○それがミニマムだということか。
□ミニマムかどうか分からないが、これはやりますと言ってきて、そこでしかしこれだけでもしんどいなと思う人もいる。果たしてできるかねと思う人もいる。
■基本的に行政事件訴訟法の改正だが、これを改正することによって、他にもかなり影響を受けるものがあり、そうなるとその辺の分析等、これは早目に実質が決まっていかないと、なかなか着手できないということもあるので、そういう点もバックにものすごく控えているということを頭に入れて、なるべく絞って、それである程度の熟度ができればそれに伴って周りの関係する法律についてもどのようにしていくかということが分析できるので、そういうことを考えているということで理解を賜りたい。
○関係する事項というのは、どんなことがあるのか。
■例えば、出訴期間一つでも、他の法律にいろいろある。
○改正を伴う関連法令の整備の問題だな。
■整備というか整理である。
○それはあらゆる立法について、すべて共通の事柄である。
■それは当然だが、思想が固まらないと、そちらがなかなかできないということで、残された時間は非常に少ないということをお考えいただきたい。
□次回以降、今の事務局から提案のあった項目について事務局は準備を進め、この場に資料を提供し、それについてまず議論を進めていくということでよろしいか。
(委員から異論なし)
- 7 次回の日程について
- 11月7日(金)13:30〜17:30