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行政訴訟検討会(第25回)議事録



1 日 時
平成15年11月7日(金) 13:30〜17:45

2 場 所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官

4 議 題
(1) 論点についての検討
(2) 今後の日程等

5 配布資料
資料1 取消訴訟の原告適格の拡大(検討参考資料)
資料2 義務付け訴訟の法定(検討参考資料)
資料3 差止訴訟の法定(検討参考資料)
資料4 確認訴訟における救済の可能性、行政訴訟の対象(検討参考資料)
資料5 ドイツにおける確認訴訟の実例(山本隆司東京大学助教授作成)

6 議 題

【塩野座長】それでは、所定の時刻になりましたので、第25回「行政訴訟検討会」を開催いたします。まず、事務局から本日の資料について説明をお願いいたします。

【小林参事官】資料1から4まで論点について検討参考資料を用意しています。その他に、本日は、外国法制の研究でドイツを担当していただいた東京大学の山本隆司助教授から、資料5で、ドイツにおける確認訴訟の実例について資料を作っていただきました。よろしくお願いいたします。

【塩野座長】それでは、今、事務局からも説明がありましたけれども、重要な論点について資料を作成しております。そこで、これを参考に検討を進めていただきたいと思います。
 検討の進め方ですけれども、グルーピングしてみますと、取消訴訟の原告適格の拡大で1つ、それから、いわゆる無名抗告訴訟の義務付け訴訟の法定、差止訴訟の法定で1つ、そして、更に第3番目として、確認訴訟による救済の可能性、行政訴訟の対象で1つ、全体を大きく3つに分けて進めていったらどうかと思いますが、その順序でよろしゅうございますでしょうか。

【水野委員】今日は、極めて大事な検討会だと思いますので、ちょっと冒頭に一言だけ希望を申し上げておきます。昨日、事務局の方から、今日の議題について御説明をいただきました。それで、前回に当面4点の重要な課題があるということで、4点に絞って重点的にまず審議をしていただきたい。時間があれば他の課題についてもやってもらいたいという御意向がございまして、それでそういう方向でやろうということで賛成いたしました。この4点については、座長も何度もおっしゃっておりますように、「なお検討」という表現のものについては、実現すると、成案を得たいという趣旨だということをおっしゃっておりますし、他のいろんなところから、日弁連を通じて入ってくる話も、この4点について実現するからということを聞いておりました。したがいまして、私としましては、これは必ず実現されるものだというふうに理解をしておったわけであります。ところが、昨日の御説明では、このうちの原告適格と、それから処分性・確認訴訟の2つのテーマですが、原告適格については、要するにこれまでの判例が到達したものを規定上確認するというレベルのことしか考えていないという御趣旨の説明がありました。これでは、何も拡大にはならない。このたたき台には、原告適格が実質的に広く認められるような規定を作ると書いてあるわけでありますけれども、その趣旨とも反するのではないかということが1つ。それから、いわゆる処分性・確認訴訟のテーマについては、これはもう規定も何も置かないという御趣旨の説明であったわけです。そうしますと、原告適格の拡大と、いわゆる処分性の問題、訴訟の対象の問題というのは、これは何度も言っておりますけれども、行政訴訟改革の目玉商品と言いますか、2大テーマでありまして、しかも、これは何も今に始まった議論ではなくて、ずっと学会でも議論されてきて、判例も積み重ねてきている。このテーマについては、これまでこの検討会でもいろいろと議論してきたところでありまして、それをいわば現状のままで何もしないで先送りにするということになりますと、今までこの改革の検討会は何をしてきたのかということになろうかと思います。それで、何度も言うのもあれですけれども、4つは必ず実現する、法制化する、こういう御説明で来たわけでありますので、昨日の事務局の説明というのは、私としては到底納得が出来なかった。もっともこれは事務局の説明でございまして、今回のペーパーは、事務局がお作りになったものと聞いておりますので、必ずしも座長の御意向でもないだろうと思います。今日、もちろんこの検討会で議論して、それで物事を決めていくわけでありますから、先走って言うようで大変恐縮ではありますけれども、是非、少なくともこの4つについては実現するということで、いわばそういうことを世間にもオープンにして、前回以降やってきているわけですから、これは是非前向きの御議論を賜わりたいと思っておりますので、座長の方でよろしくお願いいたします。
 もう一つ、処分性と確認訴訟の問題でありますけれども、これは確認訴訟の問題だけではなくて、処分性の問題も併せて裏腹の問題であるという問題提起です。つまり、たたき台の3頁の「③ 確認訴訟による救済の可能性」、たたき台の4頁の「④ 訴訟の対象」の2つは、いわば裏腹のテーマになっているということで併せてやっていこうということだったと思うのです。前回も「④ 訴訟の対象」の問題については、「十分な検討を行う」という形になっておりまして、「③ 確認訴訟による救済の可能性」と比べて一段低いわけでありますけれども、例えば芝池先生は、やはりまだ処分性の拡大という方向に未練があるという御趣旨の発言もされておりますし、私も「④ 訴訟の対象」の可能性というのをもちろん捨てたわけではない。ただ、確かに「③ 確認訴訟による救済の可能性」と関連する部分でありますから、「④ 訴訟の対象」がどうしても難しければ「③ 確認訴訟による救済の可能性」でも仕方がないのかなという思いはあります。座長が前回おっしゃったように、要は、実質的に救済されればいいわけであって、いわば形式というのは、必ずしもそうこだわることもないのではないかという趣旨の御発言もありまして、それに同調される委員の方もいらっしゃいましたから、私は最後まで処分性の問題について、とことん固執するわけではありませんけれども、今回の問題に関するペーパーでは、私が見るところ、もう「④ 訴訟の対象」の問題は落ちてしまって、「③ 確認訴訟による救済の可能性」の問題だけがテーマになっているという形になっているのではなかろうかという印象であります。したがって、今日この訴訟の対象、確認の利益を議論する際には、前回確認しましたように、「④ 訴訟の対象」の問題についても併せて御議論いただきたいというふうに思いますので、この点も希望としてあらかじめ申し上げたいと思います。以上です。

【塩野座長】どうもありがとうございました。最初の点は、昨日の説明の言った、言わないということは、私はそういうことは余り取り上げたくありませんが、そういうふうな印象を持たれたとすると、今のような御発言もあるかなというふうには感じました。
 それから、次の訴訟の対象と、確認訴訟の関係でございますけれども、これはたたき台の方でニュアンスを付けて書いてございまして、訴訟の対象の方は十分な検討を行う必要があるということでとどめております。その点については御了解いただいていると思います。しかしながら、「③ 確認訴訟による救済の可能性」の問題を議論していくときに、「④ 訴訟の対象」の問題について何の目配りもしなくていいかどうかというと、それはそうではなかろうということで確認訴訟と訴訟の対象を併せて書いたという趣旨でございますので、この枠組みの中のニュアンスを取っ払いまして、両方全く同等に議論するということにはならないと思います。そこは御了承いただきたいと思います。どうもいろいろ御指摘ありがとうございました。
 それでは、議事に入らせていただきます。まず、「取消訴訟の原告適格の拡大」について検討したいと思います。事務局から資料の説明をお願いいたします。

【小林参事官】資料1「取消訴訟の原告適格の拡大(検討参考資料)」を御覧いただきたいと思います。それから、「参照条文」もありますので、併せて御覧いただきたいと考えております。
 資料の「第1 「法律上の利益」が認められる範囲をどのような考え方で画するか。」という点ですが、これはたたき台で、「原告適格は訴訟による法的な救済を求める資格の問題であるから、何ら法的評価を経ない事実上の利益だけで原告適格を認めることは困難であるという意味において、基本的な考え方として「法律上の利益」が必要であることは否定し難いのではないか。もっとも、そのように考えるとして、「法律上の利益」が認められる範囲をどのような考え方で画するかについてはなお検討が必要であり、その際、原告適格を基礎付ける利益と処分権者が処分の際に考慮すべき利益との関係をどのように考えるべきかなどについて検討が必要ではないか」とした注の指摘の点について、第1と第2で分けて書いてあります。第1と第2は、併せて考えるべき問題ということですが、便宜上、こういった形に分けてあります。第2が、「原告適格を基礎付ける利益と処分権者が処分の際に考慮すべき利益との関係をどのように考えるべきか」という項目と分けてあります。そういった法的な評価を経た法律上の利益を画する考え方について、1、2、3と参考判例を参考にしながら考える視点を掲げています。
 「1 行政法規の趣旨、目的をどう考えるべきか」で、参考判例1の伊達火力発電所訴訟で、3頁にありますように、判例では、「処分の法的効果として自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に限って、行政処分の取消訴訟の原告適格を有するものというべきであるが、処分の法律上の影響を受ける権利利益は、処分がその本来的効果として制限を加える権利利益に限られるものではない」。つまり、処分の直接の効果として不利益を受ける者に限られず、もっと広く原告適格を認められるとの考え方を基礎とした上で、「行政法規が個人の権利利益を保護することを目的として行政権の行使に制約を課していることにより保障されている権利利益もこれに当たり、右の制約に違反して処分が行われ行政法規による権利利益の保護を無視されたとする者も、当該処分の取消しを訴求することができると解すべきである。そして、右にいう行政法規による行政権の行使の制約とは、明文の規定による制約に限られるものではなく、直接明文の規定はなくとも、法律の合理的解釈により当然に導かれる制約を含むものである。」とした判例があります。
 この検討会の中でも、個々の行政法規の処分の根拠規定がどう書いてあるのか、それも重要な問題ではあるのだろうけれども、行政法規の趣旨目的というのは、もっと考えるべきではないかという御指摘もあったかと思います。判例の中にも、特にこういった視点で、解釈によって法律の趣旨目的を考慮して、行政権の行使の制約をもっと広く解釈し、国民の権利保護を考えて、それを原告適格の基礎にしようではないかというような判例の考え方がありますので、考慮すべき事項として、こういった考え方が参考になるのではないかということを1つの項目として挙げています。
 「2 当該行政法規と目的を共通する関係法規をどう考えるべきか」は、参考判例2として、新潟空港訴訟、これは航空法の許可が争いになった事例ですが、その中で公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止に関する法律もありまして、航空法は、航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定めるといった意味で、障害の防止が、航空法1条の目的の中に入っており、同じように公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律でも、その1条の中に、航空機の騒音により生ずる障害の防止という目的が掲げられている。この判例は、非常に多様な法律関係等を総合的に勘案して、最終的に3頁の下から11行目に、「航空運送事業の免許権限を有する運輸大臣は、他方において、公共用飛行場の周辺における航空機の騒音による障害の防止等を目的とする公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律3条に基づき、公共用飛行場周辺における航空機の騒音による障害の防止・軽減のために必要があるときは、航空機の航行方法の指定をする権限を有しているのであるが、同一の行政機関である運輸大臣が行う定期航空運送事業免許の審査は、関係法規である同法の航空機の騒音による障害の防止の趣旨をも踏まえて行われることが求められるといわなければならない」と解釈した上で、結論においては、4頁の上から5行目に、「申請に係る事業計画に従って航空機が航行すれば、当該路線の航空機の航行自体により、あるいは従前から当該飛行場を使用している航空機の航行とあいまって、使用飛行場の周辺に居住する者に騒音障害をもたらすことになるにもかかわらず、当該事業計画が適切なものであるとして定期航空運送事業免許が付与されたときに、その騒音障害の程度及び障害を受ける住民の範囲など騒音障害の影響と、当該路線の社会的効用、飛行場使用の回数又は時間帯の変更の余地、騒音防止に関する技術水準、騒音障害に対する行政上の防止・軽減、補償等の措置等との比較衡量において妥当を欠き、そのため免許権者に委ねられた裁量の逸脱があると判断される場合がありうるのであって、そのような場合には、当該免許は、申請が101条1項3号の免許基準に適合しないのに付与されたものとして、違法となるといわなければならない。」、つまり、違法になる余地はあると判断した上で、1頁にありますように、基本的な考え方として、「当該行政法規及びそれと目的を共通する関連法規の関係規定によって形成される法体系の中において、当該処分の根拠規定が、当該処分を通して保護すべきものとしているかどうか」といったことも含めて、原告適格の判断の基準としている。目的を共通する関係法規も含めて原告適格の根拠として考えるべきではないか、こうした判断を示した例がございます。
 「3 利益の内容、性質等をどう考えるべきか」については、参考判例3、原子力発電所のもんじゅ訴訟を掲げていますが、これは、4頁の参考判例3の括弧書きの2番目に、「当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。」とした上で、その下に、「同法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落があった場合には重大な原子炉事故が起こる可能性があり、事故が起こったときは、原子炉施設に近い住民ほど被害を受ける蓋然性が高く、しかも、その被害の程度はより直接的かつ重大なものとなるのであって、特に、原子炉施設の近くに居住する者はその生命、身体等に直接的かつ重大な被害を受けるものと想定されるのであり、右各号は、このような原子炉の事故等がもたらす災害による被害の性質を考慮した上で、右技術的能力及び安全性に関する基準を定めていると解される。」、「右各号は、単に公衆の生命、身体の安全、環境上の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、原子炉施設周辺に居住し、右事故等がもたらす災害により直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。」という判断をしている事例です。
 そういったことで、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容、性質や、あるいは直接的かつ重大な被害を受けるおそれがあるというような利益が害される態様、程度も勘案した上で、原告適格を考えるという視点も提示した参考判例があるということです。
 お手元に参照条文として、第1の2の関連法規を考えていく関係で参考になりそうな関連性のある法規として、1頁の一番上は、例えば航空運送事業の許可について、航空機の騒音の障害の防止というような関連性があるのではないか、1頁の真ん中から下のところに、同じように航空法に基づく場合に、公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律のほか、あるいは特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法というような関連性を考慮することはどうか。あるいは、2頁の道路法に基づく処分に関連するものとして、幹線道路の沿道の整備に関する法律があって、この法律は道路交通騒音の著しい幹線道路の沿道について、その沿道整備道路の指定、沿道地区計画の決定等に関して必要な事項を定めるとともに、沿道の整備を促進するための措置を講ずることにより、道路交通騒音により生ずる障害を防止するという目的も掲げられ、そういった関連性のあるものもあり、3頁では、例えば河川法によるダム、電気事業法による発電用の施設の設置、公有水面の埋め立てなど、こういった処分との関係で、環境影響評価法も関連してくる場合もあるのではないかという例として挙げています。環境影響評価法1条では、「この法律は、土地の形状の変更、工作物の新設等の事業を行う事業者がその事業の実施に当たりあらかじめ環境影響評価を行うことが環境の保全上極めて重要であることにかんがみ、環境影響評価について国等の責務を明らかにするとともに、規模が大きく環境影響の程度が著しいものとなるおそれがある事業について環境影響評価が適切かつ円滑に行われるための手続その他所要の事項を定め」ることを目的として規定しています。これは目的規定だけが問題になるというわけではなくて、目的というのは、権利を保護する目的という意味だろうと思いますので、行政法規のいろいろな規定を全体として見るのではないかと思いますが、ここでは、とりあえず目的規定で関連すると思われるような関連性のあるものを参照として掲げています。
 こういう判例は、原告適格を拡大していくために考えていく指針を示していると評価されている判例として参考になるのではないかと思って、挙げているわけです。
 1頁の「第2 原告適格を基礎付ける利益と処分権者が処分の際に考慮すべき利益との関係をどのように考えるべきか。」という問題については、「① 「当該処分を通して保護すべきものとしている利益」以外の利益を処分権者が処分の際に考慮することができるか。」、「② 自己の法律上の利益に関係のない違法の主張ができないとされていること(行政事件訴訟法第10条第1項)との関係をどう考えるか。」、「③ 処分権者が処分の際に考慮することができない利益により原告適格を認めて、その利益のために処分の取消しを求められるとすることは、処分により利益を受ける者の権利や処分を通して公益として守られている利益との関係で問題はないか。」という点について検討する必要があるのではないかということで、これは第1と関連する問題として指摘しています。
 2頁の「第3 合理的かつ客観的な判断基準を提供する規定の仕方」につきましては、「① 「法律上の利益」の文言を「法的利益」や「利害関係」に改めたり、「事実上の利益」とした上で利益の性質や因果関係を限定したりする場合、原告適格が実質的に広く認められることになるといえるか。明文の規定のない行政不服審査法における不服申立適格や民事訴訟法で、「利害関係」と規定されている補助参加の利益についても、取消訴訟の原告適格を定める「法律上の利益」と同様の考慮が判例でされていることをどう考えるか。」という問題があるかと思います。
 そこで、②のように、「「法律上の利益」が認められる範囲についての考え方を法律上明記することについてどう考えるか。処分の際に考慮すべき利益が広く解釈されることで原告適格が実質的に広く認められるようにするために、例えば、第1の1ないし3の観点などを「法律上の利益」の有無の判断に当たって考慮すべきことを規定することはどうか。」ということを考えたわけです。具体的には、先ほど申し上げた参照条文に掲げたような関連法規を考慮していくとか、あるいは場合によっては、例えば参照条文の3頁に挙げた公有水面埋立法の問題がありますけれども、伊達火力発電所訴訟というのは、公有水面埋立に関する訴訟で、埋立ての対象となる土地に近いところの漁業権者が争った事例ですけれども、当時は環境影響評価法はありませんけれども、環境影響評価法というものがあったときに、環境を通じて、隣りの漁業権に対しても影響が及ぶような場合について、そういった利益の性質や、関係法規等を考慮して、そういったものについて原告適格が認められるかどうかとか、あるいは、環状6号線の事件で都市計画に関する問題で、これも環境影響評価法の前の問題ですけれども、計画の範囲内の土地所有者は原告適格は認められるけれども、居住者は原告適格がないという形になった判例があろうかと思います。居住者であっても、環境影響評価法があって、環境を考慮するということになると、そこに及んでくる不利益の内容が、例えば生命・身体、生命ということがどこまであるか分かりませんけれども、道路公害による環境を通じてくる身体的な被害というような場合になったときに、それをどう考慮していくのか、そういった被害の性質とか、関連法規による保護といったものを関連して考慮していく解釈が可能になるのではないか。そういった意味で、処分の際に、処分権者が考慮すべき利益をなるべく幅広く考慮すべきであると解釈できるような、そういった原告適格の規定は考えられないだろうかということで、②に書いています。

【塩野座長】どうもありがとうございました。今の資料にございますように、第1、第2第3と資料を区切っておりますが、お聞きになってお分かりになりますように、第1、第2の点は、いわば原告適格についてどう考えるかという一種の考え方の問題を論じているところでございます。それから、第3の方は規定の仕方の問題でございますので、もしよろしければ、まず第1、第2を関連させながら御意見をいただき、それが一当たり終わったところで、第3に進むというような一応の議論の仕方でいかがかというふうに思っております。さはさりながらも第3からも十分関係があるというお考えがあるときは、どうぞそちらの方に飛んでいただいても結構でございますが、一応私の方はそういうふうに整理をしております。どなたからでも結構でございます。

【福井(秀)委員】今回の原告適格の資料全般にそうなんですが、これは現行法の解釈論の域を余り出ていないというのが率直な印象です。現行法の読み方なり、解釈なり、あるいは確定した最高裁判例に何か問題があるのではないかという前提で立法論になっているわけですから、ここが立法論を前提に検討するというのであれば、現行判例それ自体が何か基準を提示するという考え方自体が間違っていると思います。そもそも「法律上の利益」という文言はそのままにして、その他の考慮事項で何か出来るのかどうかというアプローチに見えるのですが、「法律上の利益」というのが、いわば確定した概念としてあるのだとすれば、その概念自体を変えないと法解釈は論理的には変わらないと思われるわけです。そういう意味では、「法律上の利益」という用語はまず変えるべきだという前提で議論すべきですから、本来これを前提にして議論するということにはいろいろ問題があると思っております。それを前提にして、若干個別のコメントですが、第1の1の①、②に書いてあることですけれども、いわばここに書かれているようなことは当たり前のことでありまして、本来、憲法や、あるいは法体系全般で保護されている利益を保護するというのが行政訴訟の目的のはずですから、こういう些末な議論をしなくても、本来、憲法と関連する行政法規の保護範囲に入れば、それが直接に具体的に保護していなくても法律上の利益があるというような、もう少し概括的なとらえ方が妥当ではないかと思います。
 2番の「目的を共通する関連法規」に関してのところも同じような意味がありまして、これもまさに最高裁のアプローチは、明文をなんとしてでも条文を引っくり返して探し出そうというもので、これはこれで苦労は分かるのですが、そういうアプローチをしないと原告適格を基礎づけられないという体系自体に問題があるのではないか、あるいはそういう解釈自体に問題があるのではないかというのが、恐らくこの検討会の原告適格に関する出発点でもあったと理解しています。そういう意味では、直接具体的、あるいは個別具体的という観点で明文を引っ張り出すというアプローチ自体に対する批判なり、別のもっといい形はないのかというのが、やはり出発点として妥当ではないかと考えます。
 3番の「利益の内容、性質」の点ですけれども、これももんじゅ判決の解釈論としてあえて申し上げれば読み方ですが、ここでいう「当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断」という判決の前提に立つとしても、内容・性質等というのは、結局は最高裁判例が一貫して言っている個別性、具体性だと考えれば足りるのであって、例えば生命・身体ならいいけれども、財産権は駄目だというような意味で言っているわけではないと私は理解しております。生命・身体というのはもちろん大事かもしれませんけれども、およそ財産的な利益でも、あるいは生命や健康や身体でも、およそ法体系が保護しているなら、それに対して行政訴訟で救済が与えられないということはあり得ないわけです。それは憲法上の裁判を受ける権利からいっても当然のことですから、利益の性質、内容いかんによって救済の必要がない場合があるというかのごとき前提で議論するのは、出発点として間違っているのではないだろうかと思います。要するに、法体系で保護されているのに行政訴訟で保護されないものが存在するという前提をとること自体不合理ではないかという趣旨です。
 第2の部分ですけれども、①、②に関して、特に自己の法律上の利益に関係のない違法、それから当該処分を通して保護すべきもの以外の利益ということですけれども、これも保護すべき利益以外に、当該法体系で遵守すべきとされたことを遵守するというのは、いわば単純な考え方ではないかと思われますし、また、原告適格の法律上の利益に関係ない違法という点に関しても、法体系で保護されているということが原告範囲であれば、それ自体が主張範囲になると考えられると思います。ですから、端的に言えば、10条1項の主張制限は、むしろ改正して第三者の利益以外は公益的なものであっても原告適格があるとされた以上は、適法性の統制の観点からもそれを主張出来るようにすべきだということが、むしろ方向ではないかと思います。処分権者の③の議論ですけれども、これも処分権者が考慮すべきことは、要するに違法かどうかが肝心だと思います。適法か違法かということが肝心でありまして、原告適格はそれを争う資格がどこまであるかという問題ですから、実体的に違法かどうか。それを誰に争わせるかという問題は、一応別問題でありますので、処分権者がそこまで考慮する必要があるのかどうか、果たしてこの問題設定は何か意味があるのかどうかということを感じました。

【塩野座長】最後のところがよく理解出来なかったのですが、もう一度おっしゃっていただけますか。

【福井(秀)委員】処分権者が処分の際考慮することが出来ない利益で原告適格を認めて取消しを求められるというのは、誰か他の人の利益を阻害することになるのではないかという指摘に関してですが、処分権者が考慮すべきことは適法か違法かということでありますので、それがいわば原告適格でどこまで認められるかということと、実体上の違法の存在する領域は論理的には違いますので、考慮する必要があるかどうかという問題提起自体が果たしてはまっているのかどうか、あるいはかみ合っているのかどうか疑問があるという趣旨です。

【塩野座長】福井秀夫委員のお考えは、考慮すべきでないもの、あるいは処分要件に入ってきていない利益を主張して来られた方が出てきた場合には、どうしろとおっしゃるのですか。

【福井(秀)委員】実体上、違法があれば考慮してよいと考えてよいのではないかという趣旨です。

【塩野座長】そうすると誰でも本案に入れますね。

【福井(秀)委員】原告適格がある者が。

【塩野座長】だから、原告適格があるかどうかは、どういうふうに決めるのですか、それがここでの問題なんですけれども。

【福井(秀)委員】原告適格は本人に関わるかどうかです。

【塩野座長】本人に関わるのです、だからそれをどこで決めるのですかということです。この問題設定は、私の理解しているところでは、およそ当該法体系で保護していない権利利益が侵害されるということで出てきた方に原告適格を認めることになるのでしょうか、それでいいのでしょうかという問いかけなのです。それで、いつかお話で出ましたように、文化財保護の取消しでお寺の前のお店の人が、お客が減るからそれはいけない、困るといったときに出てきたときに、およそ文化財保護法をどう引っくり返してみたって、お寺の前のお土産物の経済的な状況を勘案しろということはどこにも書いていない。それで、そのときにどうしますかというときに、確かあのときの福井秀夫委員のお答えは、それは認められませんねというふうにおっしゃったというふうに私は理解をしているのですが。

【福井(秀)委員】そういう意味で、本人の主観的利益に限定して議論するということであれば、誤解だったのかもしれませんが、そうではなくて何か別物の範囲があるということだということですので、先生のおっしゃるような整理になれば、理解します。

【塩野座長】そういうことで、それでも事実上の利益があれば誰でも認めるべきだと、競業者の利益は全部認めるべきだという御議論もあるものですから。

【福井(秀)委員】そういう趣旨ではございません。

【塩野座長】はい、分かりました。今の前半の部分については、1つの御意見としてあり得るというふうに思いましたが、ただここで言っているのは、結局はまとめると法体系全体から見るというときに、それでは法体系とは何ですかと聞かれたときに、判例らしく、きちんと一応それを細かく答えたということだと思います。例えば、ドイツだとすぐ基本権が出てきますけれども、日本の裁判所はそう簡単に基本権を持ち出しませんけれども、これから考えている趣旨は、やはり基本権的なものも読み込めるようなものにしたいという気持ちで、これ全体が出来ているというふうに思っております。

【市村委員】新潟空港訴訟の話が出ておりますが、新潟空港訴訟の考え方というのは、他にこれらの関する原告適格を認めた裁判例を並べてみますと、少し最高裁の判例の中では、張り出している部分なんです。そこを全部つかまえていきましょうということですから、恐らくそれと伊達火力の今の例ともんじゅとを全部並べていくと、並べてこれを全部取り込んで、仮に要件化出来るとすると、結果的に見れば、今の原告適格を一般的に認めている範囲よりは、私はかなり広がるのではないかと思います。

【芝池委員】私も今の市村委員と同じ御意見でありまして、新潟空港訴訟、それからもんじゅ訴訟の最高裁判決というのは、やはりかなり広く原告適格を認めようという方向のものでありますから、こういうものを参考にして新しい規定を作るということは、これは単なる解釈論ではない、やはり一つの立法的な決断の問題に関わっていると思います。

【小早川委員】基本的なことは自分の意見を何度も申していますので、余り繰り返しませんけれども、たまたま今市村委員が言われたので、市村委員への質問になるのかもしれません。新潟空港判決も結局は、航空法には正面からは書いていないけれども他の法律も併せて考えると、騒音被害について余りにも無視したような免許をしたら、これは航空法違反になりますよということを言っているわけです。ですから、航空法の免許要件の解釈において非常に柔軟であったということは言えるかもしれませんが、航空法が保護しているのだ、しかも一般公益としてではなくて、この場合は確か著しい騒音被害を受ける周辺住民の範囲に限っていたと思いますがその範囲では個別に航空法が保護しているのだ、航空法の柔軟な解釈によれば保護していることになるんだということだと思うのです。最高裁の一般の水準からして飛び出ているというのは、航空法の解釈においての柔軟さが飛び出ているのであって、原告適格を認める基準が飛び出ているということではないのではないかという気がしているのです。

【市村委員】私が、新潟空港訴訟の判例を正確に理解しているかどうかは自信がありませんが、ただ判例ですから、当然それまでの判例との整合性という枠を超えられないわけで、その中でどうやって説明出来るかというやり方でやった結果、今の小早川先生の御指摘のように、航空法に反映させる形で説明したと思います。ただ、私どもがそれまでの裁判例から読み取るところですと、このように目的を共通する関連法規の規定というのをこのように跳ね返らせるという例は、それまでほとんどなかったのだろうと思います。それを航空法そのものの中に、もう一回戻してきたというところでは、それは解釈のテクニックだと思いますけれども、少なくとも目的が共通する関連法規まで目を向けて、そこに手掛かりを見出だしたという点では、やはり私はそれまでのものと違うもので、もしこの裁判例というものがなければ、例えば下級審の我々の考え方でいけば、なかなか思い切ってそこまで踏み出せない、そういうものを手掛かりに出来ないというところだったと思います。そういう意味で、私は、この判例はその後の判例と比べてもかなり張り出していると思っています。

【小早川委員】ここは、判例を踏まえるか踏まえないかということが先ほどから議論になっているものですから、判例評釈をやらざるを得ない。

【塩野座長】いや、今のは判例を踏まえるということではないのです。行政法規の解釈として、こういう解釈もある、こういう解釈もあると、案外すごいところまでやっているではないかという、そういうこととして例示として挙げているわけで、新潟国際空港判決の本当の読み方はこうだと、そういうことをここで議論をするつもりはないのです。

【小早川委員】そうでしょうか。航空法の問題なのか、行訴法の問題なのかという、そういうところがあると思います。ですから、判例評釈ではなく総合判例研究のつもりですけれども、最高裁の枠組みで言うと、私の言葉で言うと保護範囲ではなくて個別保護要件というものを維持しながら、しかし個別保護の有無というものを関連法規を見ながら柔軟に広く解釈したということだと思うのです。その点は、もんじゅのような場合ですと、これはもう人の命に関わりますので、そこは割り合い簡単にいく。新潟空港の場合ですと、私は現地を知りませんが、命に関わるような話でもないものですから、著しい騒音ということで切りながら、かつ、関連法令を補助に使ったということかと思うのです。ですから、問題は、本当は法令の趣旨ではなくて、生命なり著しい騒音なり、実体に即した判断をしているにもかかわらず、枠組みとしては個別保護要件は残っている。そこは、今日、大変良い判決であるということで出発点に据えられた伊達火力もやはり、個人の権利利益を保護することを目的として、ということは確実に言っているわけでして、そこは今日の資料について言えば、そういう要件の立て方自体についてはそれこそ立法論としては呑めないなということを申し上げたいと思います。

【塩野座長】分かりました。それはずっと小早川委員が言っておられることですので、そういうことも認識して、これは作っていると思うのですけれども、しかし、そのことは今までの判例から引き出すことが出来ませんから、そういうことで、今の個別的利益の保護に着目した判例1を出して、しかし、それでもこれだけのものをやっているということになる。
 そこで、3の方になりますので、これはまた後で申し上げた方があるいは良いのかもしれませんけれども、その利益というものを組み込むことによって、これは私の理解ですけれども、多少その人だけ見ると、薄い利益でも集団的に見ると、それは非常に大きな被害であるというような場合には、その集団の中の一員の人について、それが保護の利益だというふうに読めるようなオープンな形の条文ということも1つ考えていいのではないか。そのための資料としてこれが出ているという理解なんです。ですから、幾らつくっても解釈者の方で、そんなことは絶対に駄目だと言えば、それはそれまでなんですけれども、そういう新しいパラダイムを作ろうと思う人、あるいは裁判官にとっては一つの素材を提供するという意味では、私は解釈論ではなくて、立法論を今やっているのだというふうに理解をしております。

【水野委員】今の問題で、小早川さんの御意見に賛成なんですけれども、市村さんがおっしゃるように、踏み出した印象がある判決であることは間違いない。これは、私が直接担当された最高裁判事に話を聞いたことがあるのですけれども、最初に何とかこれを認めたいという結論があって、それでこの判決になった。そのときに幸いだったのは、まず1つは、改正で航空法の目的に騒音の防止が入っていたということなんです、それまでは入っていなかったのです。目的が入っていたということがとっかかりになった。それから、もう一つそこに出ているように、免許権者と航空機騒音障害防止法の規制権者とが同じ運輸大臣なんです。だから、大阪国際空港の航空行政権みたいなもので、そういうことがあったから何とかこれを認められたということで、しかし、これだけいろいろ苦労して認めないと、今の最高裁の基準には合わないということになるわけです。もしどれかの要件が、つまり航空法の目的の中に、まだ騒音の防止というのが入っていなかった、あるいは航空機の騒音の防止の規制権限者が運輸大臣ではなくて、別の人であったということであれば、こういう結論になったかどうかというのは、分からないわけでありまして、そういう意味で、この判例でそれを条文化したらそれでいいというのは、ちょっと私も賛成しかねることを申し上げたかった。

【塩野座長】ですから、繰り返して申しますように、この新潟国際空港判決を固定化して、あるいはこのときの状況でこれを条文化しましょうと言っているのではなくて、最高裁も行政法規の解釈についてこれだけのことをいろいろ考えていると、それはいただきましょうと。しかし、先ほどから言っておりますように、小早川委員がずっと気にしておられますように、これはやはり個別利益のことしか考えていないのです。それをもう少し膨らませた集団的、あるいは地域の利益、あるいはもう少し言うと公益なんですけれども、公益にいろいろな幅があって、ある種の公益の中それ自体として見れば、多少狭い公益は公益なんだけれども、個別にも、なかなか重いものでないかというときに、今までのものは、この新潟国際空港でもなかなか拾い切れないのではないかというのが小早川委員の説明なんですが、私はそういうものも拾えるような形のものが出来ないか、あるいは拾えるというか、拾おうと思えば拾えると、拾いたくなければ拾えないと、これはしょうがない話ですが、そういうものとして議論をしていただきたいと思います。

【福井(秀)委員】私も、今塩野先生がおっしゃったような意味で、これを固定化するという前提でないというところは、そういうことで是非やっていただきたいと思うのですが、ただ、これが本当に先進判例かどうかという点では、私も小早川先生と水野先生と全く同感でございまして、ある意味では苦肉の策であることは認めますけれども、理論の枠組みを変えているようには見えないのです。今、私も申し上げようと思っていたことですが、判決自体が同一の行政機関である運輸大臣が行う免許審査と騒音の方の審査、両方たまたま同一人格の行政機関がやっているからだということを明示した判決であるわけです。他方において、たまたま騒音の方もやっているからだということですから、まさにこれは偶然の一致なわけですね。騒音等ですと、今の行政機関の権限配分ですと、ひょっとしたらこういうのは環境大臣がやっていても全くおかしくない。そうすると、免許は運輸大臣がやっていて、騒音規制は環境大臣がやっているというときには、多分この判決の射程には入らないと思うのです。もう一つあり得るのは、例えば自治体が条例で何らかの騒音規制を、飛行機を条例で出来るかどうかということは捨象するとして、仮に自治体立法でやっていた場合には、これは行政機関どころか行政主体も違う。そういう場合はますます射程には入らないということになりますと、まさに判決の意図は分かるのですけれども、かなり無理しているというのが率直な印象です。無理しているという意味では画期的かもしれませんけれども、やはり個別利益からは一歩も出ていないという意味では、しょせん保守的なものというのが私の印象です。そういう意味では、やはり立法論の重要性はますます大きいと思います。

【塩野座長】おっしゃっていることは私も一緒だと思いますけれども、我々は立法論をやっているわけですから、だから先ほどから言っているように、この判決の射程とか何とかには余りこだわらないでいただきたい、つまりいい知恵をいただくということですけれども、それを今度はうまく裁判所が展開出来るような形のものを作りたい。しかし、では野放図に広げられるかというと、それはそうではないでしょうと、それが第2のところの考え方として整理しているところです。ですから、それはおのずから第3のところにも区分けで、もしよろしければ少し3の方に入って、今の議論も頭に置きながらいきたいと思います。
 第3の②のところで、こういった議論をせずに、すぐ正当な利益とか、利害関係ということを言ってしまうと、それは野放図になるのではないかとか、あるいは逆にずっと狭くなってしまうではないかということがあります。そこで、今のような第1、第2の点についての議論を踏まえた上で、この第3のところをどういうふうに理解していったらいいか、ここはまさに立法論でございます。ここで括弧書きで法律の利益としてありますのは、最初は福井秀夫委員から法律上の利益というのは、確固として判例法でがちがちに固まっているので、それを前提にすることはまかりならんとおっしゃるのですけれども、そんなことを言い出したら憲法なんて、がちがちに固まったものをどんどん壊していくわけです。ですからそこは私は余りこだわらなくてもいいと思うのです。しかし、やっぱり変えた方がいいということであれば変えてもいいという意味で、私は、むしろ②のところを十分に議論していただきたいというふうに思うのですが、先ほど申しましたように、出来るだけ裁判官にとって使いやすいというか、裁判官を縛るものではなくて、いろんな状況に合わせて、あるいは社会の変化に合わせて裁判官が使えるような、そういった規定が書けないかなというのが基本的な考え方でございます。この点についてどうぞ。

【水野委員】①の後段の補助参加の利益の判例ですが、補助参加の民訴の規定は利害関係です、その民訴の規定を準用して補助参加出来るか否かが問題になる。ところが、参加するかどうかの訴訟は行政訴訟なんです。そうすると、参加出来るかどうかということは原告適格があるかどうかということに必然的になる。つまり、行訴法上の原告適格がない人が参加は出来ないではないかと。そうすると、その次に行訴法の原告適格を前提にすれば、これは法律上の利益だと。したがって、法律上の利益があって、行訴法上原告適格が認められるということが、民訴法の利害関係に当たるかどうかの判断になるのだという判例だと思うのです。だから、この問題の立て方は、必ずしも正確ではなくて、議論が逆転していると思っています。ですから、前段の原告適格が実質的に広く認められることになるといえるかとおっしゃるのですけれども、これはみんな我々がいろいろと知恵を絞ってA、B、C出したわけです、つまり法的利益はどうだと、利害関係はどうだと、事実上の利益はどうだというような形で、今の法律の文言に代わるべきものとして、つまり広げるためにこれはどうだと言っているわけで、なぜ実質的に広く認めることになるといえるかという問題提起が出てくるのか分からないのですけれども、私は、どの文言を取っても広がることは間違いないと考えています。だから、文言を広げるために代えますよということで代えるわけですから、これは広がらないという議論というのはちょっと理解出来ない。そして、今言ったように、広がらない例として、この例を挙げるのは全くミスリードだということであります。

【深山委員】今の文言を変えれば広がるかどうかという話は、私はいつも水野委員と意見が違うのですが、文言が変わっても変わらないと私はかねてより言っていたと思います。利害関係に変えたところで、これは当然法律上の利害関係と解釈されて、これについて何ら解釈規定も置かずに、ただ法律上の利益というのを利害関係に置き換えれば何か画期的に原告適格の範囲が広がるなんて、それこそ法律では普通考えられない世界の話で、普通に解釈すれば全く同じになるのではないか。それは、立法者がそうではないのだと、私がそうではないとここでみんなの前で発言したからということを裁判所に考慮しろと言っても、それは一意見としては考慮されるでしょうけれども、そう解釈される保障などはないと思うのです。むしろ、素直に解釈すれば、私は利害関係と書いても、今の法律上の利益に置き換えるだけであれば、何も範囲は変わらないと思います。
 それから、②の方で書いてある、一種の解釈規定を置くというアイデアですが、今の法律上の利益は非常に抽象的な書き方、これは原告適格の規定ですから、ある程度抽象的にならざるを得ないわけですけれども、それであるがゆえに、様々な解釈を生んで、最高裁がとった形式も一つの解釈論といえば解釈論です。公権的解釈ですけれども。それ以外の学説上の最高裁の読み方は狭過ぎる、もう少し法律上の利益の提言はたくさんある状況です。その抽象的な要件について解釈が分かれる、どれかが裁判所のとっている解釈であるということになっていたとしても、その解釈を変えたいというときに、解釈の幅を狭めるような解釈規定を置くというのは、立法の技術としてしばしばあることですし、この場面で、この問題について、そういう法的な手当をするというのは、一つの有力なやり方ではないかなと、今のまま、単に抽象的な文言を置き変えれば、広がる、狭まるという議論をただするのではなくて、今の概念でもいろいろ解釈の余地があって分かれているところを、その解釈の幅を一定の望ましい方向に狭めるような解釈規定を置く。これから先は、私の感じですけれども、これらの3つの裁判例の要素を解釈規定として盛り込むと相当広い解釈規定といいますか、一般的に原告適格の範囲について狭い狭いと言われている古典的な最高裁の立てている様式から見ると、相当広いものになると思いますし、逆に言いますと、裁判所の原告適格が争われた場合の負担は非常に大きくなると思います。しかし、それは広げる方向で考えるべきだというここでの議論の反映ですから、これはやむを得ないとして、裁判所の方には我慢していただくしかないのではないかと思いますが、しかも、これも俗に判例の評釈などで言われている、最高裁判例がここまでくると、古典的に言われた法律上保護された利益説なのか、法的保護に値する利益説なのかという対立で言うと、法的保護に値する利益説の方に紙一重まで来ているというふうに学説上評価されている、そういうような規定になるのではないか。法律上保護されている利益説の古典的なものから見ると、むしろ法的保護に値する利益説に非常に近いような解釈規定を置くという提案に結果としてなるのではないかなと思いますので、私自身はこれでいいと思います。

【福井(秀)委員】私は、水野委員にすべて賛成で、深山委員に半分賛成という趣旨で申し上げます。水野委員のおっしゃったことは、私もそのとおりだと思います。今、深山委員がおっしゃったように、解釈規定を置くというのは、もちろん望ましいことだと思うのです。ただ、要するに条文を変えても全く変わらないかというと、それはやはり条文が変わったということは、立法者は何か意図があって条文を変えたわけですから、意図を探求するということをやれば、まさか狭める方向で立法者が条文改正をしたわけはないだろうということは多分自明の前提ですから、どれぐらい劇的に広がるかはともかくとして広げる方向で読んだ方がいいのだろうというメッセージは少なくとも伝わるように思います。更に言えば、解釈規定はもちろんあってもいいのですが、だったら何も今の根幹的な要件をそのままにした上で解釈規定で凌がなくても、根幹的な部分を変えてしまえば、解釈は変わらざるを得ないということが前提ですから、その上で、どれがいいかはともかくとして、何らかの広げる方向のメッセージを付ける文言を、たとえその文言だけ見れば論理的にはどう変わったかということは、必ずしも概念的に明らかではなくても、変えた上で解釈規定を付けるのなら、なお明確ではないだろうか。だから、両方やればなおいいというのが私の意見です。要するに、個別具体的というところから、やはり最高裁も四苦八苦無理しているところはあるわけですから、そういうところを排除するような文言であれば、逆に言えば何でもいい。ちゃんと本体根幹規定を変えるとともに解釈規定を置けば、より万全なんだから、万全なものをあえて排除する必要はないのではないでしょうかという趣旨です。

【塩野座長】今のお話で、私の率直な疑問は、最高裁は法律上の利益を文言解釈しているわけではないのです。根幹規定といっても、あれはなければないでいいのです。フランスはないですから、ドイツは何度も繰り返しておりますように、レッヒツフェアレッツンクなんですね。では、レッヒツフェアレッツンクの文言解釈をドイツ人がやっているかというと、そんなものは全然やっていないのです。ですから、私は最高裁も根幹規定とおっしゃるけれども、それは文言でぎちぎちやっている場合には根幹規定と、逆に言うと、それを壊さなければ動かないということになるのですけれども、この法律上の利益というのは、そういうものではないというふうに私は理解しておりますし、雄川一郎先生の回顧談ですと、こんなのが問題になるなんて思わなかったよという、その程度の規定の仕方というふうに私は理解しておりますので、いろいろな御議論がありますけれども、文言をどうするかという点は私は余り時間を取りたくないのです。むしろ、文言を変えても、それではどういうふうに変わったのかということについて、やはりこの検討会の意見を出したい。その検討会の意見というのは、今の解釈規定ということになるというふうに私は理解しております。

【小早川委員】今の座長の御趣旨に沿った発言のつもりですが、第3の②で、第1の1ないし3の観点などを考慮すべきことを規定したらどうかと、解釈基準なのかと思いますが、そういうことがあります。それで1、2、3を見ますと、3つの判決がそれぞれ出ているわけです。そこで懸念されるのは、それぞれが今までのお話にありますように、それぞれここまで広げるのだねということで注目された判決ではあるわけです、結論として認めていないものも含めてですね。ですが、それに沿って解釈規定を置くとしますと、逆にその3つの反対解釈で、それ以外のものは駄目、その突出した部分はいいけれども後は突出するなというふうにとられると困るという気がいたします。もんじゅと言いますか、生命・健康というのは確かにいいのですが、1頁の第1の3の①、②など、どうなのか。生命はいいけれども、生命でなければ駄目かとか。直接的かつ重大、この辺の意味が必ずしもはっきりしないところがありますけれども、因果関係が極めて直接でないのは駄目だよとか、地域指定の結果、地価が上がった下がっただけでは駄目だよとか、そういうふうに反対解釈をされるおそれがある。そこは、もし書くとしても注意すべきであろう。その意味では、この3つの判決の他に、もし書くとすれば、たまたま第2の③のところに似たような文言が出てきますけれどもそれとはちょっとベクトルの違う話で、処分権者が処分の際にいかなる利益を考慮すべきであるかというところは重要なファクターになるであろう、その際に、行政ですから、広く薄い利益も考慮しなければならないわけで、それが個別に保護されているのかと言えばはねられてしまうかもしれませんが、そのようなものだけではなくて、およそ広く薄くも含めてどんな利益を考慮すべきなのか、その点が重要ですよということを一つ書いてみたらどうかというふうに思っています。もちろん、解釈規定ですから、そこから白黒直ちに答えが出てくるわけではない。

【塩野座長】大変重要な御指摘だと思いますが、私がさっきから申し上げて、判例評釈はやめてください、判例の総合研究をやめてくださいというのは、その意味なんです、思い出しては困るのです。だから、もんじゅを思い出して、生命・身体だけかと思い出しては困るので、ここのもんじゅを引き出した意味は、利益の性質等々を考慮しなさいということで、その利益の性質の中に薄くても広く及んで侵害が及ぶ場合もある、これをどういうふうに考えるか、それぞれの裁判所で考えてくださいというアナウンスメントであって、出来た解釈規定が、ここは新潟でいくかとか、ここは伊達火力でいくかとか、そんなことを考えてもらっては困るというので、先ほどから繰り返し判例評釈は困ると申し上げているところです。

【芝池委員】原告適格に関しましては、これは法的判断の問題であると思っていまして、以前、法的利益ということを言ったわけですけれども、それが余りよくないとすれば、法律上の利益になるのかなという気はしております。今、小早川さんがおっしゃったこととの関係で言いますと、行政処分の際の考慮事項ないし考慮利益と、それから原告適格の判断の際の考慮事項ないし考慮利益の問題がありまして、そこのところが違ってくるのかどうかという問題は1つあります。
 それから、少し古い話になるのですけれども、戦前の行政裁判所の時代には、権利侵害が要件になっておりました。現在の行政事件訴訟法では、法律上の利益というものに変わっており、その理解としては、法律上の利益の中には権利を含むということになろうと思います。例のジュース訴訟の最高裁判決は、そういうことを言っております。この権利と言いますのは、これをどういうふうに考えるかという難しい問題があるのですけれども、権利が常に処分の際の考慮事項の中に入っているわけではないと思っておりますが、それにもかかわらず権利侵害があれば、原告適格が認められるということだろうと理解していますので、原告適格の判断の際の解釈基準と言いますか、解釈指針を書く場合には、その点についてもまさに考慮すべきだろうと思います。

【塩野座長】今、芝池委員が言われたことは、要するに、要考慮事項としても公益として保護されたというふうに言われてしまったら、それでお終いなので、更にそれを原告適格に絞るということで、今の判決は個別の利益というところに非常に焦点を当てていますから、生命・身体とか、そういう言葉が出てくるのですけれども、そうではなくて、要考慮事項の中に、公益なのか、それとも薄いけれども、やはり個々人の利益として原告適格を認めるべきだという、そういう領域というものが2つあるのではないか、それはかねて小早川委員が、私の理解が間違っていなければ御指摘になっている保護範囲の問題と個別利益の問題だというふうに思います。個別保護利益、今度は逆に全部公益というふうにしていますけれども、そうではないので、処分要件を非常に広く範囲を見ますと、いろんな考慮事項が入ってくる。しかし、その中には全く全国民に関わる公益的な利益もあるし、あるいは集団的な利益だけもあるし、それが非常に個別の保護もあるという中で、やや薄いけれども広い問題について、これを単に公益だといって切り捨てていいかどうかが一番の問題だと思うのですが、それは条文にはなかなかうまく書けないので、いい知恵があればというふうに思いますが、今のところは、もんじゅの利益の性質云々の解釈の問題だというふうに整理は出来るのではないかと、私個人的には思っております。これは事務局と全く相談もしていない、私の委員としての発言というふうに御理解をいただきたいと思います。

【水野委員】確かに文言だけでは解決しないという深山さんの御指摘はそういう面もあろうかと思います。ただ、今の法律上の利益でも広く解釈出来るのに狭くしか解釈していない、それを変えるためにはどうするかということです。もう一つは、解釈規定を置くという議論ですね、これも一つの有効な方法ではないかというふうには思います。座長が今おっしゃったようなところも含めて、取り込むんだということでやるのであれば、これはかなり広がるというふうに理解しますし、それはいいのではないかと。ただ、この判例が多少広く認めているから、その判例の範囲で規定を置くということであれば、これは現在、判例が認めたものの追認でしか過ぎないわけであって、何も広げたことにならないということだけ申し上げたいと思います。

【市村委員】若干今と関連しますけれども、判例が認めているものだとおっしゃいますけれども、この中で今抽出した幾つかのファクターというのは、これは判例の、今までの中心的な軸になっている部分ではなくて、さっきから申し上げているように、かなり踏み込だ部分の、先進的な、と言われた部分の要素をここに抽出しているわけです。これを更に3本の判例をつないでいって、解釈の指標にしようということで明示されるのであれば、これを扱う現場の裁判官にとっては、かなりまた広がった判断というのが出てくるだろうと思います。先ほどから御指摘になっておられるように、公益か私益かという分け方、あるいは個々的に保護しているものか公益かという、確かに今、完全に二分するという形で説明しておりますが、座長が先ほどから御指摘のように、薄く、それでもやはり個人に関するものとして保護しているのではないかというタイプのものがあって、この辺りの領域は今から問題になってくると思われます。例えば生命・身体というのは、そんなことの代表的なもので、そういうアプローチもあるのだということを示すことは、非常に解釈上有効な指針になるだろうと考えております。
 ただ、先ほど来、出ていることで1点気にはかかるのですが、処分の際に考慮すべき利益という角度からも入れるべきではないかという小早川先生の御指摘の部分ですが、例えば今まで挙がってきたいろいろなファクターというのは、まさにそういうファクターを具体化したものであって、ベクトルの違うものを入れたときに、どうやってまとめ上げていくかというのは、非常に難しいことになってしまうのではなかろうかなというふうに思っています。

【塩野座長】そこは難しいので、またあと2週間か3週間、皆さんお考えいただきたいと思います。

【萩原委員】意見というよりは、これまで原告適格を拡大するということには、是非そうしていただきたいと思っておりまして、ただ文言をどのように変えたらという、いろいろな案が出てきたときには、どれもよく分からなくて、何かあればと思っていましたら、ちょうどこういう形で解釈規定というような形で出てまいりまして非常に分かりやすく、これを座長がおっしゃるように、解釈というようなところで、本当にそういう形で規定が出来てくるのであれば、かなり期待出来るものではないかというふうに思っております。

【塩野座長】ここは大変難しいところですけれども、標語的に言えば、開かれた解釈規定を作ってください、従来の判例を固定化した閉じた解釈規定ではなくて、ということです。

(休 憩)

【塩野座長】 それでは、時間が参りましたので、義務付け訴訟と差止訴訟の2つをまとめて議論をしていただきたいと思います。

【小林参事官】資料2と資料3を御参照いただきたいと思います。資料2は「義務付け訴訟の法定(検討参考資料)」という資料です。これは、たたき台の注1に書きましたように、「行政庁に対し処分又は裁決をすべきことを義務付ける判決がされるためには、本案の要件として、行政庁がその処分又は裁決をすべきことが一義的に明らかであることが必要ではないか」という注を付けたところ、明らかというところの意味に誤解を招くおそれがあるのではないかという御指摘を受けまして、第1は、「行政庁が処分(又は裁決)をすべきことが一義的に定まること」という形で議論していただければどうかということで書き直しています。これは、従来そういうようにまとめていた論点を具体化したものです。
 「1 行政裁量との関係」で、「① 行政庁に裁量の余地が残されている場合には、処分を義務付けることはできないのではないか。例えば、処分をするかどうか、処分の要件の認定、どのような処分を選択するかなどの点について行政庁に裁量の余地が残されている場合には、処分を義務付けることは出来ないのではないか。」という問題点があろうかと思います。ただ、この一義性という問題については、なお処分の特定の問題もあり、それを3頁の第4で別の論点として記載しています。
 ②は、行政裁量があればおよそ一義性がないと言っていいのかという別の問題があり、「法律上行政裁量が認められる場合であっても、具体的な事実関係のもとで、一定の処分をしないことが裁量の逸脱又は濫用であることが訴訟上判明した場合には、処分を義務付けることができるのではないか。」という点もあろうかと思います。
 次に、行政手続として「2 一定の手続を経る必要がある場合」については、「① 行政庁が処分をするためには法律上一定の手続を経る必要があるとされている場合については、どのように考えるか。例えば、処分をするための要件として、審議会に諮る等一定の手続を経ることが法律上必要とされている場合で、それらの手続が行われていないときはどうか。」という問題があります。
 また「② 第三者に対する不利益処分の義務付けを求める場合、その第三者に対する告知・聴聞の手続が必要とされているときはどうか。」という問題があり、「当該第三者が訴訟に参加しているときについてはどう考えるか」という問題も併せてあろうかと思います。第三者の利益保護との関係でどう考えるのかということです。
 3番目は、1、2に掲げたところを総合して、これまで一義性の要件は一体どういう意味があるのか我々も整理が十分ではなかったかと思い、一義性の要件の性質について、観点をまとめ、「以上の観点から、判決の時点で、裁量の余地なく直ちに特定の処分をすべきであると認められることが必要であり、その意味で、行政庁が処分(又は裁決)をすべきことが一義的に定まることが本案の要件として必要であると考えるべきではないか。」というように考えた次第です。
 次に、「第2 処分(又は裁決)を義務付けることによる救済が必要であること」として、「義務付け訴訟による救済の必要性に関する要件」を検討すべきではないかと考えています。たたき台でも、「義務付け訴訟による救済の必要性に関する要件についてどのように考えるか、例えば、処分または裁決を求める申請権が認められる場合か否かで要件を異にすべきか否か、このほかに義務付け訴訟の要件としてどのようなものが必要かなどの問題点については、処分又は裁決がされないことによる原告の不利益の程度、他の訴訟による救済など他に適切な救済方法があるかどうかなどの点をどの程度考慮すべきかも含め検討する必要があるのではないか。」としています。そこで、その必要性の要件の中を、まず、申請権のないものが義務付けを求める場合として、第2の1に、第三者に対して行政庁の規制権限の発動、これはどういう場合かというと、第三者に対して許可を取り消せとか、規制をかけろということを別の人が求めるような場合、それから申請に基づかないで処分をされたその名宛人がその処分の変更や取消しを求める場合などが考えられるのではないかと思います。その場合の「① 原告の不利益の程度の考慮」については、「法令上申請権を有しない者がその処分又は裁決を求めることは、当該行政実体法が予定していないのではないか。それにもかかわらず、義務付け訴訟を認めることにより申請権を認めたのと同じ結果となることを認めるには、その処分又は裁決がされないことにより生ずる損害が著しく大きい場合など原告の不利益の程度が極めて大きく、そのため義務付け訴訟による救済の必要性が高い場合に限られるべきではないか。」と考えた次第です。
 「② 他に適当な救済方法があるかどうかの考慮」につきましては、「他の訴訟による救済や個別法上の救済の制度など他に適当な方法があるにもかかわらず、あえて義務付け訴訟を起こすような場合についてどのように考えるか。」としています。問題となり得る事例としては、例えば租税の更正の請求のように、そういった救済の方法が行政手続の中に実は組み込まれている場合もあるのではないか。そういった組み込まれた救済の仕組みを利用しないで義務付け訴訟を求めるのは適当ではないのではないかという問題点があり、その他にも、取消訴訟で十分な場合もあり得るのではないかということで、課税処分の場合であれば、一部取消訴訟で足りるような場合を全く同じ目的で義務付け訴訟を起こすということまで認める必要はないのではないかという問題点とか、例えば処分の取消訴訟の出訴期間経過後に、処分の違法を理由として職権取消しの義務付けを求めるような場合もあり得て、こうした多様な義務付け訴訟がもし出来るというようなことになった場合に、いろいろなケースが想定されますので、そういったケースの中をある程度交通整理する必要があるのではないかという問題意識です。これは、処分の直接の不利益を受ける人ですが、先ほど申し上げた第三者に行政庁の規制権限の発動を求めるような場合になると、更にもっと本当にこういうことが認められるべきかどうか問題になり得る事例は、もっと多いと思うのですが、ここでは直接自分に対する処分を求めるような場合になっています。
 2頁の「2 当該処分につき申請権を有する者が処分の義務付けを求める場合」は、許認可の申請をしたけれども許可してくれないとか、あるいは本当は法律上許可されるべきであるのに不許可処分がされてしまったというような場合が考えられるわけです。こういった場合についても、処分をすべきことが一義的に定まることという一義性の要件を考えた場合に、そういった処分をすべきことが一義的に定まるかどうかを訴訟でずっと審理しなければいけないのだろうかという問題が出てくる。義務付け訴訟を求めた場合には、そういった一義的に定まるかどうかというところまで訴訟で審理しなければいけない。他の取消訴訟とか、不作為の違法確認訴訟で救済出来る場合に、そういった裁判所の審理の在り方とか、救済の要件についてどう考えたらいいのかという問題があろうかと思います。
 その場合、「① 原告の不利益の程度の考慮」の在り方として、「不作為の違法確認の訴えや取消訴訟による救済との関係で、義務付け訴訟による救済の必要性について、原告の不利益の程度をどのように考慮すべきか。申請権を害されていることで足りるといえるか。」どうかという問題があります。
 「② 他に適当な救済方法があるかどうかの考慮」として、「他の訴訟による救済など他に適当な方法があるにもかかわらず、あえて義務付け訴訟を起こすような場合についてどのように考えるか。」という問題があります。3頁で事例を3つほど考えています。「 i )申請権を有する者が申請をしないで義務付け訴訟を提起する場合」、これが認められるかという問題もあるでしょうし、あるいは「 ii )不作為の違法確認をすべきことや拒否処分を取り消すべきことが明らかであるが、特定の処分をすべきか否かの審理が複雑困難であると見込まれる場合」、それでもあえて義務付け訴訟の、先ほど申し上げた一義性について、更にもっと審理しなければいけないという、そういった複雑困難な審理が見込まれるのに、続けなければいけないのだろうかという問題もあろうかと思います。それから、「 iii )不作為の違法確認をすべきことや拒否処分を取り消すことはできるが、更に特定の処分をするためには審議会に諮るなどの手続が必要となる場合」、先ほど言ったように一定の手続を経るなどして処分をするような場合について、今の段階で処分をすべきことは一義的に定まるとはなかなか言えない場合もあるのではないだろうか、こういう問題があるわけです。こういったところを検討してみたところです。
 「第3 原告適格」の問題ですが、「処分の職権取消しを求める義務付け訴訟も考えられること、第三者に対する行政庁の規制権限の発動を求める場合には、当該第三者との間の利害関係は取消訴訟と同様の関係になると考えられることなどから、取消訴訟と同様の趣旨で、義務付け訴訟の原告適格を定める必要があるのではないか。」と思う次第です。
 「第4 処分又は裁決の特定」につきましては、申し上げたように一義性が必要だということですと、やはり処分は特定しなければいけないのは、基本原則ではあろうかと思います。それはどこから来るのかというふうに考えましたところ、やはり処分をすべきであるかどうかということを裁判所が明確に判断出来なければいけないのではないか、更に、義務付けられる行政庁にとっては判決の効力がはっきり判断出来るようにすることが必要ではないか。その根拠は、通常で言えば、一般の民事訴訟で請求の趣旨の特定が求められているのと同じような趣旨ではないかと思いますが、そういう意味で義務付ける処分、又は裁決が特定されなければならないのではないかと考えた次第です。ただし、②にありますように、実は民事訴訟における請求の趣旨の特定につきましても、一方でどこまで特定を要求するかというと、余り厳密に特定を要求すると、これから本当に救済を求めている人にとって、相手が何をすべきなのかということを厳密に特定するのが出来ない場合もありますし、実際上特定を求めている間に救済が出来ないということになりかねない。ですから、特定の必要性というのは、救済の必要性との相関関係で柔軟に解釈出来る場合もあり得るのではないかということで、もちろん①で書いたような請求の趣旨の特定という、そこで求めている意義が十分果たされているという前提においては、ある程度一定の明確な、明確でなければいけないでしょうけれども、一定の範囲に限定するということで特定するという方法も、こういった義務付け訴訟を考えるに当たっては考慮すべき場合もあるのではないかと考えた次第です。ただ、処分を受ける方にとっては、どんな処分がされるのか、それによって受ける不利益の内容というものも違うわけでしょうから、ある程度そういう意味で、どういう処分をしなければならないかが判断出来る範囲において、その特定について場合によっては幅のある場合もあり得るということで、そこでは建築基準法の例を挙げています。
 資料3の「差止訴訟の法定」ですが、この第1も、「行政庁が処分又は裁決をすべきでないことが一義的に定まること」と書いています。これは、処分が現実にされるまでの間における事情の変更や行政庁の要件判断などの過程を経るまでもなく、判決の時点で直ちに、つまり直ちに処分をするかしないか、行政庁がこれからするわけですから、していない段階で、しかも行政庁が本当に処分をするということになれば、その段階までの間に考慮すべきこととか、事情の変更とかもあり得るのではないか。ところが、処分をしていない段階で何かをしてはいけないということは、それはしてはいけないという行政庁にそういう義務を発生してしまうわけですから、そういうふうに事前に差し止めるという意味で義務付け訴訟と同様の趣旨で、行政庁が処分又は裁決をすべきではないということが一義的に定まることが本案の要件として必要ではないかと考えた次第です。
 「第2 処分(又は裁決)を差止めることによる救済が必要であること」ですが、①は「執行停止を含む取消訴訟による救済との関係で、差止訴訟による救済の必要性について、原告の不利益の程度をどのように考慮すべきか。」という問題です。
 ②にありますように、「処分によって生ずる損害が回復困難であって、しかも処分の執行停止によってはその損害を避けることが出来ない場合など、原告の不利益の程度が極めて大きく、そのため差止訴訟による事前救済の必要性が高い場合に限られるべきではないか。」。処分がされてから取消訴訟をしても、ほぼ完全な救済が得られる場合というのは、相当考えられるのではないか。そこで執行停止を受ければ、それで十分な場合もかなりあって、事前差止めで行政の行為を止めてしまうというような訴訟が出来るということになると、処分する前からどんどん訴訟が出来るということになりかねないわけですが、そこまで認める必要があるのか。そことの交通整理というか、要件のバランスは、どう考えたらいいのかという問題でございます。
 ただ、③に挙げた長野勤評訴訟で、これは確認を求めた事例ではあるのですが、後で処分を受けるおそれがあるからということで、確認を求めた事例ですが、この場合に「処分を受けてからこれに関する訴訟で事後的に争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情」が必要であるというような判例はあります。今回、もし、差止訴訟を法定するといった場合に、この判例の要件をそのまま考えると問題がありそうな感じがして、特に「事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情」ということになりますと、これが認められる場合が本当にあるのかなという感じもして、ある程度柔軟に考え、今の長野勤評の訴訟と、今回新たに救済制度を整備するに当たっての思想は、多少違って考えるべきなのではないかと考えているところです。ただ、①、②で考えたような必要性は、事前救済の必要性ですから、相当程度高いものが必要ではないかと考えているところです。
 その差止訴訟が使えそうな事例として考えたのは、そこの「問題となり得る事例」のi)で名誉や企業秘密、プライバシーなどを侵害されるような行為を行政がやろうとしているとか、それが差し迫っているような場合とか、例えば ii )にあるように、同種の処分が反復継続されて、一々その処分について争っていると、特に事実行為的な公権力の行使のような場合に、繰り返されることは分かっている、毎回やられる度に取消訴訟を起こしていたのでは実効的な救済にならない、という場合もあり得るのではないかということで、そこで差止めの必要性のありそうな場合を考えてみた次第です。
 1頁の「④ 行政庁が特定の処分又は裁決をする蓋然性があることも、差止訴訟の要件として必要ではないか」、これは民事訴訟で一般に差止めを必要とする場合ということで考えられている要件ではないかと思います。
 2頁の「第3 原告適格」につきましては、「原告適格については、処分がされた場合に取消しを求めることができない者は差止訴訟を提起することもできないと考えるべきであるという観点から、取消訴訟と同様に考えられるのではないか。」と思われるところです。
 「第4 処分又は裁決の特定」につきましては、「① 処分をしてはならないかどうかを明確に判断することができ、処分を差し止められ、それをしてはならないことを義務付けられた行政庁に判決の効力を判断することができるようにするためには一般の民事訴訟において請求の趣旨の特定が求められるのと同様の趣旨で、差し止める処分又は裁決が特定されなければならないのではないか。」というのは、要するに、請求の趣旨の特定で、先ほど義務付け訴訟で申し上げたのと同じような趣旨です。ただし、差止訴訟も事前救済ということから、処分されてからであれば特定というのは非常に簡単ですけれども、事前救済の段階で特定をしろということになると、それは非常に重い負担になることもあり得る。そこで救済の必要性との関係で、そういった請求の趣旨の特定の要請とバランスをとりながら実効的救済を図るためには、多少柔軟な解釈をすべき場合もあり得るのではないかというのが、「② 処分又は裁決の特定は救済の必要性との関係で、義務付け訴訟の場合と同様に、①の趣旨が満たされる限りにおいて、一定の明確な範囲に限定する方法で特定することも考慮すべき場合もあるのではないか。」のところで、これも義務付けと同じ考え方です。

【塩野座長】それでは、一緒に説明をいただきましたが、論点が共通するところがございますけれども、やはり物事の順序として、まず義務付け訴訟について御議論をいただき、そして、その後で差止訴訟の方に入るということでいかがかと思いますが、それでよろしゅうございますでしょうか。
 義務付け訴訟のところでございますけれども、特に一義性の要件、それから救済の必要性に関する要件が一番重要なことだと思いますので、この辺でまず議論をしていただければというふうに思います。いろいろなことを考えると、なるほどいろいろ考えなけばいけないことがあるなというふうに私も思いましたので、これが直ちに法律に要件でぎちぎち書くことになるかどうか、それは個別法の解釈の問題だということで終わるというものもあろうかと思いますが、とにかくきちんとした議論はしておかなければいけませんということで整理していただいたものでございます。どなたからでも結構でございますが、まず、義務付け訴訟の法定から入っていただきましょうか。

【小早川委員】義務付け訴訟の第1の「1 行政裁量との関係」、「2 一定の手続を経る必要がある場合」、「3 一義性の要件の性質」のところですけれども、1つは概念論です。ここで冒頭から、行政庁に裁量の余地が残されているかいないか、3のところまで行きますと、「判決の時点で、裁量の余地なく直ちに特定の処分をすべきであると認められる」かどうかという、要するに裁量の余地が残されているかいないかという言い方がされています。これは、実体法上行政庁に裁量権が認められている場合かどうか、あるいは実体法上何らかの要件事実があるためにその裁量権がいわゆる収縮とかということで法的になくなっているかどうか、という意味に取るのが1つですが、そういう裁量権があるかないかという話では必ずしもなくて、もっと具体的に、どういう場合にはどういうことをすべきなのかということが、ここで言っているように、ある時点で一義的に定まっていると見るべきかどうかという、具体的、相対的な話である場合が多いのではないかという感じがします。だから、裁量の余地が残されているという表現がやや概念的には引っかかるのです。ただこれも、具体的な行政庁の、あるいは訴訟になった場合の裁判所の判断形成のプロセスで、こういう事実関係であるということがここまで明らかになった以上はこういう処分をするしかないではないかという、いわば判断の固まり方、事実問題ではないから心証形成というとちょっと違うのかもしれませんが、裁判官の判断の固まり方を表わす表現であるというふうに取れば、私としても概念上、理論上も特に異を唱えることもないのかなと思うのですけれども、ただ裁量の余地という言葉が、引っかかることは引っかかるのです。
 ついでに、そういうふうな枠組みで申しますと、「2 一定の手続を経る必要がある場合」は、確かに義務付け判決する際のネックになりそうな話なんですけれども、これも実際問題としては、これは裁判官にお聞きしないと分からないかもしれませんが、後の方でも出てきます3頁の上から3つ目の iii )がありますが、要するに審議会に諮るという手続が決まっている場合に、裁判官として、これは審議会に諮らなくても処分はこれしかないよというふうな判断に達するべきなのかどうかということです。慎重な裁判官であれば、事実認定すればこうだから処分はこうなりそうだと自分は思うけれども、でも法律が審議会に諮れといっているし、もう少し何かあるかもしれないので、行政庁に戻すということも考えられる。不利益処分についての告知・聴聞についても同じことです。ですから、この辺は今のところは、手続を経るために差し戻せとか、そういうことを一定の要件を書いて仕分けをするのではなくて、裁判官の判断形成の度合にお任せして、そこは裁判官を信頼してもいいのではないか。法律に審議会を経ろとあっても、今すぐ義務付けして原告を救済する必要の方が明らかに大きいということであれば、そういう判断をすればいいことではないかという感じがします。

【塩野座長】今、1、2、3のところの第1のところについて御意見をいただきました。やはり、第1のところを、まず差し当たり絞って御意見を伺った方がよろしいかと思っておりますので、第1のところについて、他に御意見があれば。今の御意見の中で裁量という言葉が条文の中に出てくるかどうかという、これはなかなか作業してみないと分からないところだと思いますけれども、確かに裁量権の収縮というのは、ドイツ人が好きな言葉ですけれども、私はあれはたまたま決まっているというだけの話で、裁量権の収縮というドイツ法的な説明をする必要はないのではないかというふうに思いますが、ただ、日本の学説は割合裁量権の収縮というものが好きな人もいるものですから、ここは小早川委員の言葉で法律を書くのか、他の学説の言葉で書くのかというのは、これはなかなか微妙なところがございます。しかし、おっしゃっている中身は今言われたようなことで、ずっと審議していったところが、これでしかないよという、その判断の問題だと思います。 ただ、そこでちょっと難しいのは、どこまでいったらそこまで行けるのかというのは、先ほど第2の2ですね、そこでもう一度議論しますので、ちょっとそこまで待っていていただきたいと思います。ここでそこに引っかかってしまうと、先に進めませんので。

【深山委員】今の1、2、3のところに限って、2の②のところで「第三者が訴訟に参加しているときについてはどう考えるか」というパラグラフのところですが、第三者に対する不利益処分の義務付けを求める場合に、そもそも第三者が訴訟に参加しない、あるいは知らないうちに、第三者に不利益処分をしてくれと言われてしまっていて、肝心な処分を受ける人が知らない間に判決が確定して、しょうがないというので、行政庁が不利益処分をしてくると、それまで自分は何も知らないということで、そもそもいいのかという問題がまず前提としてあって、それはやはり訴訟告知で参加を促すようなことを制度的に保障するというようなことが当然考えられてしかるべきではないかと、細かなことですけれども、思います。ここで書いたのは、それとは少し違って、それとは別の問題で、行政手続上、告知・聴聞の機会が不利益処分だからということで与えられているときに、訴訟に参加している、していないといろいろあるのでしょうが、今言ったように、訴訟告知を義務付けると仮にしますと、義務付けるときに、新たに不利益処分を発してくださいということを第三者であるAさんが行政庁に義務付け訴訟を起こしましたよと、参加するならどうぞということで、機会を与えるわけですね、それでは参加する人と、しない人といるでしょう。その場合に、参加しているか、していないかによって、第三者に対する告知・聴聞の手続、これは行政手続上要求されているものが飛ばせるかどうかが左右されるということになると、みんな参加しないです。だから、それは何か結論としておかしいような気がするのです。ただ、訴訟告知というのは、あくまで訴訟の参加の介入だけですから、そのことによって行政手続上の第三者の告知・聴聞の手続が飛ぶというふうにするなら、それも告知して、その上で法的に行政手続上は告知・聴聞の手続が別途必要であっても、それをしないで義務付け判決が出来るのだと、そういうような仕組みを何か手続的につくっておけば、それはそれで仕方がないのかなという感じで、少し技術的に工夫が要るところだろうと思います。

【水野委員】これは当然、参加した場合だけでしょう。

【深山委員】いや、ただ参加しなかったら飛ばされますよと、そういう規定を設けられていますよと。

【水野委員】いやいや、飛ばされるというのは、いかにもきつい。

【深山委員】でも、そうしたら参加しないですね。

【水野委員】しなかったら、それはしょうがない。

【深山委員】そうすると義務付け出来ないですよ。

【水野委員】いや、それは義務付けしたって、手続を踏んでやったらいいわけでしょう。

【小早川委員】そこは今の取消訴訟の場合の第三者の参加の問題とパラレルだと思うのです。あそこは現行法は告知を義務付けていないで、その代わり再審の訴えを認めている、それは一つの立法政策ですが、逆に何が何でも最初から参加させる、しなければ不利益を受けるよという仕組みも当然考えられたけれども、現行法の立法者はなぜかそれを採用しなかった。私は、ちょっと変ではないかなとは思っていたのですけれども、いずれにしても、今の深山委員の問題は、それと併せて考えるべき話ではないかと。

【福井(秀)委員】審議会、第三者のところに関してですが、義務付けは確かに一義的に難しいという議論もありますが、例えば審議会なら、裁判所の見解に沿って審議会に諮って判断したらどうかというような一種の性能保障的な判決もあり得るのではないかと思います。また、第三者も裁判所の見解に沿って、かつ第三者への手続は手続として踏まえた上で行いなさいという一種の指令ないし性能判決のようなものがあり得るのではないだろうかと考えると、第三者が訴訟に参加しているのなら聴聞は不要だという特別規定を置けば、それで足りるようにも思います。

【市村委員】この義務付け訴訟をどういうふうに考えていくかということで、我々は本当に乏しい経験しかないものですから、もしやるということになれば、どういうふうなものかと、いろいろなシミュレーションををやってみました。その中で、これはどうやって解決していったらいいだろうという難問が幾つか考えられているので、ちょっとお伺いしたいのです。その1つは、まさに今出ていましたように、審議会などに諮るという手続的なことが設けられている場合どうするかということです。その他に、例えば難民認定申請のような場合は、行政庁であれば必要ならば難民認定調査官の調査をするというふうなことで補っていけるわけですが、裁判所で、原告と被告という立場になってしまった状態のときに、今のように調査権能というのはどうするのでしょう。特に裁判所が例えば義務付けをせよと、もし言われることになると、そういうふうな適切な専門官を使ってやるということで、実体的な処分要件の判断に至るということが予定されている手続などは、どうしたらいいだろうと。それなら裁判所が代わってやりますといっても、道具がないという場合があると思うのです。審議会の意味もいろいろあって、専門的な御意見を伺うというふうなものもあって、それがあることによって、より慎重ならしめると言うか、妥当な処分を引き出すという部分があると思いますが、そういう場合であっても、例えば裁判所としては、今の資料から見ると、こういうことは考えられるとは思っても、やはり今のようなことで仕組まれているときに、たまたま裁判所にダイレクトに来たようなものは、それをバイパスしてしまっていいのだろうかということもちょっと疑問になると思います。
 今のは第三者の場合ですが、申請の拒否処分が既にあっているという場合、これは、まず理屈の問題として拒否処分があるのですから、その拒否処分、今までだったら取消訴訟でそれをなくしていくというプロセスがあります。そのパターンの処分を義務付けるということになるときにも、やはり思考の順序としては取消事由があって、まず取り消されるべきなのか。そして、その次に正しい処分は何だったのだろうと、こういう順番になると思うのです。しかし、そういうふうに整理していくと、取消訴訟のところに、まず集約的に恐らく審理をして、そういう事由があると思ったものにやっていくということになると思いますが、もしそれをやらないで、例えば、これは義務付け訴訟で来ているものだから、被告行政庁としては取消事由だけでとどまらず、もし取り消されたら、この処分要件があるのか、ないのか答えなさいということになると、例えば手続的な意味で、この資料を出さないときは判断出来ないという拒否処分をしているような場合には、背反することを要求するということになりますし、取消事由自体が認められないという結果に終わったものについては、労力の点でもかなり無駄な部分の攻防をやったということになってしまいます。そこの辺りをどうやって整序していくかということもあろうかと思います。
 それから、取消訴訟の対象の拒否処分といってもいろんな段階があって、実体判断までやって、間違えたというパターンと、もっと手前のところで間違えたというのがあると思うのです。それで、実体判断までやって間違えたというときは、それを取り消すときには審理しますので、かなりの部分が裏表で使えるので、そこまでやったのなら一気に後まで行きましょうということでやりやすいのです。しかし、入口しかやっていないというときは、行政庁もこれからまた調べなければいけない。そうすると、そういうものを果たして裁判所と原告、被告という形でやることが、訴訟経済、それから当事者の迅速な救済という観点からみて、救済に役立つのかという疑問もあります。それから、取消しの部分と、義務付けの部分とが必ず表裏にはならない場合があると思います。例えば、在留資格の変更不許可処分というのがありますが、これは不許可処分を取り消すということは、裏返して申請にあったものを許可せよと、大体そういうふうになると思います、手続上の瑕疵の点からで取り消すものではない限りは。ただ、そうではなくて、例えば難民認定申請の場合ですと、取消しの審理にある程度相当の期間を要します。そうすると、情勢の変化があって、新たな処分をやるということは処分時が基準となりますから、1年半ぐらい前に行われた難民認定不認定処分の取消しを一生懸命やっていると、取消訴訟の結論は出たが、この資料が即使えないということが、起こるわけです。結局、実効性のあるものというのを抽出していく、あるいは逆に、こういう義務付けをやることで迅速な救済が図れるものは何だろうという、その辺りを少しつめて、要件化をするというようにしていくべきではないでしょうか。

【塩野座長】いろんな論点を指摘していただきましたが、もう少し第1のところについて、もし御意見があれば。

【福井(秀)委員】裁量のところなんですけれども、裁量のとき、やりにくいと言えば、やりにくいのですけれども、これももう何度か申し上げているので詳しく申し上げませんが、一種の限定された範囲での判決というのはあり得るのではないだろうか。例の建築確認で言えば、要するに適法にすればよいというところまでは言える、だけどどこまで切り取るべきか、建て増すべきかというところまでは言わないというのはあり得ると思います。これも一種の性能判決ですけれども、そういう意味での義務付けはあり得ると思います。
 それから、第1の1の②は、処分をしないことが裁量の逸脱、濫用である場合には義務付け出来るのではないかという、これもある意味では当たり前のことではないだろうかという印象です。
 3番の一義性の要件のところですが、ここはちょっと疑問がありまして、先ほどから申し上げているような意味での、再度何らかのことをやるべきだというようなことが、もしあり得るとしたら、義務が完全に一義的に決まらなくてもあり得るとするなら、一義的に定まらない限り、訴えが認められないという無駄な訴訟になりかねないので、その訴訟で判明した範囲では、行政庁を拘束して、その枠内ではやらせると考えると、ここまで縛ることも必然的ではないようにも思います。

【塩野座長】今の最後の点は、特定の点と関係してきますし、それからそういう場合には義務付け確認という形で、その事案に対応したやり方が出来るのではないかというのが、市村コートでもう実証済みのところですので、この一義性というのはちょっとまた議論が違いますので、そこはまた改めて特定性のところで議論させていただきたいと思います。

【市村委員】ちょっと、根本的な疑問なんですが、こういうことを仕組んだ場合に、行政庁自体の処分権というのは、その争訟になった状態でどういうふうに理解したらいいのかという問題があると思うのです。

【塩野座長】それは私も申し上げようと思ったのですけれども、これはいろいろ議論あると思うのですけれども、私は調査権限は残ると思っているのです。

【市村委員】調査権限はあって、かつ処分が出来るでしょうか。例えば、ここは今、不作為と拒否処分と両方掲げているのですけれども、今までですと、例えば不作為の違法確認をやっていれば、そういう訴えが起こされたからといって、何も行政庁は出来なくなるわけではなくて、むしろ迅速にやればいいという形で、すぐやっています。だから、こちらのパターンのときに、遅れているというときには、むしろ処分をするかもしれません。拒否処分の方ですが、話の順序としては、やはり前にした処分が間違っているのかどうかというところからまず入っていくだろうと思うのです。これが審理の過程で、これは間違っているというふうにしたら、それを切り離して、一旦そこで取消判決のようなことをするかどうかというのは議論があるでしょうが、整序するためには何らかやらなければいけないだろうと思うのです。そういうことをして、行政庁がなるほど仕方がないと思ったときに、こうこうの義務付け訴訟の中で争うのではなくて、行政庁自身がそれまでした調査の結果に基づいて、例えば認める処分だったらさっさとしてしまえばいいということもあり得るのだろうと思うのです。それは制限されないのでしょうか。

【塩野座長】そこは、私も人と議論したことはなくて、ただ自分の頭の中で考えてきた限りでは、調査権限も処分権限も残るというふうに思っているのですけれども。

【市村委員】それが、今のように肯定的な結論で終わるなら、それが一番原告にとっても満足で終わるからいいのですが、行政庁がその時点で否定的な判断を更にしたというふうになると、テーマがまたぐらっといってしまうので、そこら辺をどうやって調整していくのかという辺りはかなり難しいことだと思うのです。行政庁の権限が、それはそれで争訟とは別途に残ってやれるというのは、その方が便宜だと思うのですが。あと争訟との兼ね合いをどうするかという辺りも整序する必要があるのではないかというふうに考えております。

【塩野座長】ただ、昔からよく出ている教科書的な設例で言えば、取消訴訟の間に職権取消をすると、それは出来ると。そのときの裁判の訴訟費用をどうするかという形での設例問題としてはやっていたわけです。それは、職権取消は可能だというふうに一般的に考えていたと思うのです。ただ、今度の場合はもう一つ、義務付け訴訟も出ているときにどうなのかという問題があって、そのときに今までの訴訟はかなり無駄になるし、いろんな不都合な点があるかというふうにも思いますが、そこまでは余り考えたことはないのですが、基本的には、私は処分権限は残ると思っています。そこは、他の方がどういうふうにお考えか分かりませんが。

【小早川委員】例のベンジジン判決みたいなケースがありますね、行政庁は最初は法令の適用関係でもって申請を拒否した、しかし、その適用関係の解釈が間違いだということになって、では今度は、業務上災害ではないという問題が出てくる、そういうときです。ですから、まさに座長が言われたような、取消訴訟で今まで問題になっていたような訴訟物は何かとか、処分の同一性は何かとか、それと同じような種類の問題だと思うのです。いずれにせよ整理は必要だと思いますけれども。

【市村委員】今の取消訴訟の場合だと、恐らく訴訟物が違うという説明は出来ると思うのです。ただ、義務付け訴訟だと、申請に対するこういう義務付けせよとの方が動かないから、後からされた処分をどのようにそれまでの訴訟手続に取り込んでつなげていくかは難しい問題だと思います。例えば、義務付け訴訟係属中にされる処分は、肯定的な方だったらやっていいが、否定的な方は許さないとなるとそれも何か変な話です。やはり肯定、否定両方入れて、起こり得るということを前提にしながら、それならそれで自在に乗り換えていけるような、そういう仕組みにしないと、訴訟が無駄になってしまうと思います。

【塩野座長】どうも貴重な論点を提起していただいてありがとうございました。ただ、だからといって義務付け訴訟をやめましょうと、そういうお話ではないですね。

【市村委員】全然そんなことはございません。

【塩野座長】そこで安心をいたしました。

【市村委員】ただ、有効なものの範囲というのをよく見定めて要件化していただきたいと言っているだけです。

【塩野座長】そこは、私も非常に重要なポイントだと思うのです。つまり、学者の方でこの際、取消訴訟中心主義というのを、やはり比較法的に見ても、あるいは権利救済から見てもおかしいということで、そこはやめましょうということで、この検討会でもずっと議論をしてきて、そこはもう乗り超えたというふうに私自身は思っているのですが、座長としてですね、単なる委員としてではなくてです。ただし、義務付け訴訟をただ正面に出したことが本当に実効的な救済になるのかどうかという、そこはまだ決まっていないわけですから、論点として出していただいて、本当に国民の救済に役立つようなシステムをつくり上げるということの御提案だというふうに思います。ありがとうございました。
 先ほどのところの一定の手続を経る必要がある場合は、いろんな考え方があるのですけれども、これも第三者に対する2の②のところは仕掛けの問題がどうしても出てくると思うのですけれども、①の方は、私は割切って言えば、個別法の解釈問題ではないかと、ただし、個別法では、やはり審議会を通るべきだということに原則としてなっているけれども、もう誰が見たってこれしかないやというようなところになれば、あるいは判決にも熟していると、そこに十分資料も出てきているというようなことであれば、それは裁判所の判断でやればいいので、ここは一律に審議会に戻すべしとか、一律に裁判所が判断すべきとかということではなくて、まず、個別法の解釈、それからそのときの状況に応じてという、そういう扱いになるのかなというふうに私なりに理解をしています。また、皆様方の御意見もそうではないかというふうに勝手に思い込んでいるのですが、大体それでよろしゅうございますでしょうか。

【水野委員】今の点も一定の手続がある場合、だからといって義務付け判決が出来ないということではないと思うのです。だから、判決を受けた行政庁が手続を経た上で処分するというふうに理解すればいいのではないか。おっしゃるとおり、手続を経なくてもいい場合もあるだろうというように思いますけれども。

【塩野座長】私も、その場合は大体は手続違反でぽんと裁判所が決めるべきだというふうに思うのですけれども、そこで後の方で出てくる義務付け訴訟と取消訴訟が両方出てきたときに、裁判所の方は義務付け訴訟をとことんまでやらなければいけないのか、両方出てきた場合には早目に取消判決をして、それで義務付けは気の毒だけれども棄却にするかとか、そういった芸当をしないといけないのかなということで、それは先ほどの話ですと、後の話としてもう一度出てきますので、そこでもう一度御議論いただきたいと思います。
 それでは、2の辺はいかがでしょうか。必要性ということですが、ここも先ほどの理解で読んでいるのですが、それでよろしいかどうかというのが出発点なんですが、つまり前は取消訴訟中心主義があったときは、何が何でもまず取消訴訟、これでどうしても駄目な場合にはという、そういう意味での必要性だったのですけれども、今までの審議の理解ですと、とにかく義務付けと取消しと差止めがパラに並んでいる、そこでパラに並んでいるときに、実効的な救済というのはどういうものかという、そういう理解なのかなと。そうしないと、必要性をまた改めてここで取消訴訟中心主義から必要性を議論し出したらば、今までの2年間の議論が無になると思うのですが、そういう整理でまず議論をするということでよろしゅうございますでしょうか。
 先ほどの市村委員の御発言も、そもそも取消訴訟中心主義はまだあるので、昔の3要件で行きましょうと、そういうお話ではないですね。

【市村委員】そういう趣旨で申し上げているのではなくて、ただ実際にシミュレーションを幾つかやってみますと、取消訴訟をやってしまえば、行政庁に処分権限が残っているので、あとは行政庁がばっと走ってやってしまう方が先ではないかと、現実に出来てしまう方が先ではないかと、そんな場合まで、何でも訴訟を起こされたら、取消し処分の方を凍結しておいて、訴訟で全部決着つけましょうということは非効率ではないか。そういう意味でコース分けをしていく方がいいのではないかと申し上げているものです。

【芝池委員】市村委員に質問ですが、今おっしゃったようなことは、前からここで申し上げておりまして、ただそういう訴訟運営というのは、裁判所にとってそれほど負担ではないということなんでしょうか。

【市村委員】恐らく、最初は非常に負担だろうと思います、まず慣れていないということ。
 それから、もう一つ大変だなと我々が思うのは、敢えて例えて言えば、医療過誤訴訟で誤診があるかどうかということを判断するとき、過去に起こったあるテーマだけに絞り込んで、誤診があるかということに集中して判断するということは、何とかできるのですが、それでは誤診があったとして、次に、では先々その変化を見ながら何を診療すべきかということを、司法機関がやれと言われたら、恐らくまず出来ないのではないでしょうか。今、考えている難しさというのはそういうところであって、具体的に例えば年金なら年金の体系を隅々まで目配り落とすことなく見つめてやらないと、積極的な行政処分というのはなかなか出来ないものです。ただ、裁判所は大変だからといって、それが救済に必要なら決して逃げるつもりはないことは、恐らくどの裁判官においても同じだろうと思います。ただ、やることが、余りプラスではなく、行政がやったらすっと終わってしまうのに、裁判所が下手にその真似事をするという形で、時間ばかり掛かるのでは、足を引っ張ることになります。それがどういうふうにやったら効率的かということ、あるいは先ほどのように当面並走させるということも1つのアイデアだというふうに考えたものですから、先ほどのような発言をしたわけです。

【塩野座長】ただ、それについては、裁判所は適当にやりなさいと、そのままですと、今までどおり、では取消しでどんどんやりましょうということにならないような仕組みはやはり必要で、例えば情報公開関係ですと、多少特別のあれかもしれませんけれども、開示請求権という請求権一本で来ていますので、そうすると、やはり全部そこで勝負し切ったらどうですかという問題もあるので、面倒くさいと常に取消訴訟でやりますという仕組みでは困るのです。

【市村委員】取消訴訟で表と裏になるものばかり、つまり取消訴訟の判断が出来て、先ほどの在留資格変更不許可処分の取消しのように、単に主文だけを変えれば、その判断の中でぽんと行くものもあるでしょうが、それしかやらないというふうなことでは、恐らく本来の目的は遂げないのだろうと思います。
 しかし、例えば裁量が何段階かあるとか、今のような特別な専門調査官の活用をしないと、適切な結論が出ないとか、そういうものもあるだろうと思うので、そういうものを洗ってみて、十分目配りしていただきたいというふうに思います。

【小早川委員】今、議論されているのは、多分第2の中の2頁の2の申請に対する不作為の場合、申請拒否処分がなされた場合と、多分その辺だと思うので、その辺だけ申します。制度設計をする場合、もちろん、取消判決に逃げ込む姿勢が一般化するということは、せっかく義務付け訴訟を作る以上は好ましくないと思いますが、それでも、その方がいかにも効率性から見てみんなにとって良いということはあるわけでしょう。その場合に、義務付けの申立てだけれども処分の取消判決で応えるということを訴訟手続上出来るようにしておく。裁判所の判断でそれが出来るように、もし出来ればその方がいいのかなという気はするのです。

【塩野座長】要件を書きたいですね。

【小早川委員】それと、義務付け訴訟の枠の中で、原告の申立てに拠るか拠らないかはともかく、取消判決で行政庁に戻すという場合にも、それで訴訟が終結することになるのか。それとも、それは中間判決みたいなことで、義務付け訴訟がまだ残っているということで、行政庁に対して、脅しではないですけれども、そういう土俵はちゃんと残しておくということにするのか。私はどっちということではないのですが、両方あり得るのかなと。

【福井(秀)委員】今の点と言いますか、申請に対する不作為とか、申請拒否の件ですけれども、申請に対する処分は、不作為も拒否も基本的には義務付けで争わせて、もし判断しないことが違法だという点が分かれば、それは不作為が違法だとして何らかの判断をせよという義務付け判決になるし、あるいはある程度特定されるということですと、これこれの違法がないように配慮して判断せよということで足りるのではないだろうかという気がします。
 2の②の ii )で、「不作為の違法確認の訴えや取消訴訟による救済との関係で、原告の不利益の程度が小さいため、又は他に適当な方法があるため、義務付け訴訟による救済の必要性がない」という議論ですが、これも義務付けと不作為というのは、基本的に包含関係だと考えれば、別物だとして一々ぎりぎり要件を詰める必要はないので、要するに義務付け訴訟の中に、そこまで熟しないものは不作為も含まれると考えれば足りるのではないでしょうか。

【塩野座長】それは、先ほどからの、何とか判決でしたね、分かりました。ただ、最初の方の御発言の申請不許可の場合は義務付け一本ということなんですが、それでやると裁量があると義務付けが棄却して、もう一度今度は取消しで改めて出直していらっしゃいということになるので、やはり両方ということになるのではないでしょうか。義務付けだけで出てきますと、それは判決に熟さないと、一義性がないということで棄却になってしまいますので、そうするともう一度出直さなければならないということになり、そうしてもう出訴期間がなくなってしまう場合がありますので。

【福井(秀)委員】拒否処分の場合ですか。

【塩野座長】拒否処分の場合です。

【福井(秀)委員】 拒否処分の場合も取消しを含んでいる。

【塩野座長】ええ、含んでいるというか、そこは請求の特定性の問題があるのですけれども、だからただ義務付けだけでというわけにはなかなかいかない、それだけちょっと申しました。

【福井(秀)委員】それはそうだけれども、概念的な話としてはそうではないかという趣旨です。

【塩野座長】分かりました。

【水野委員】今のと関係するかどうか分かりませんが、要するに申請権を有しない者の場合、義務付け訴訟までは難しいけれども、不作為の違法確認だったらいいという場合があります。

【深山委員】申請権を有する場合ですか。

【水野委員】申請権を有しない場合で。

【塩野座長】申請権を有しない場合は不作為の問題は生じないです。

【水野委員】いや、ですから、例の市村判決です。つまり是正命令をしないことが違法であることの確認という、いわゆる無名抗告訴訟が認められたと。要するに是正命令すべきことははっきりしているけれども、いつの時期にどういう是正命令を出すのかについては裁量の余地があって、そこまで踏み込めないという場合です。そういう場合に、今回、義務付け訴訟を認めるということであれば、そこに行かない場合、不作為の違法確認のレベルで判決が出せるという場面を用意しておく必要があるのではないか。今は、無名抗告訴訟です。しかし、義務付け訴訟を明文で認める以上は、義務付けまで行かない場合の不作為の違法確認というものを制度として設けるべきではないのか。今、福井さんがおっしゃった裏腹のことだとか、そういうことが1つです。
 それから、2頁の「① 原告の不利益の程度の考慮」ということで、これは申請権がない場合は申請権がある場合と違って、「原告の不利益の程度が極めて大きく、そのため義務付け訴訟による救済の必要性が高い場合に限られるべきではないか」と書いてあるのですけれども、こういう要件が別個に果たして要るのかどうか。一義性の要件があるわけです、これは一義性は若干問題があるとは思うのですけれども、一応そこで縛りをかけているわけですから、申請権のあるなしによって、こんなに大きな差をつける必要があるのかということがちょっと疑問に思います。

【塩野座長】そこは1つの論点かと思います。

【福井(秀)委員】今の論点ですが、私も同感でして、必要性の議論で、特に1の①で「申請権を認めたのと同じ結果となる」とか、あるいは「必要性が高い場合に限られるべきではないか」ということは、ちょっと過重だと思うのです。ここは、例えば原発が危険だといって、設置許可を争うという原告が、許可された後で非常に老朽化していて危ないというようなときに改善命令を求めることが出来るというのは、ある意味では同じ利害だと思うのです。バランスが取れていないように思うのです。この要件を形式的に当てはめると、本当に後ろの方が大丈夫だろうかというところがある。取消訴訟の原告適格のときには、もともと申請権は要らないわけですから、義務付け訴訟で申請権ということは、むしろ申請に対する処分の場合で、第三者に対する処分を求めるということであれば、そこは関わりがないと考えていいように思うのです。

【塩野座長】どの部分ですか。

【福井(秀)委員】2頁の上の「① 原告の不利益の程度の考慮」の部分です。

【塩野座長】その部分がちょっとよく私は理解出来なかったのですが、今の原発の運転停止命令を出してくれというときには、まさに重大な損害でぴたり当てはまるのではないでしょうか。

【福井(秀)委員】それが大きいかどうかということとか。

【塩野座長】それは大きいです。

【福井(秀)委員】それはそうかもしれません。

【塩野座長】もっと別の例を出してください。

【福井(秀)委員】申請権の有無というところを今とりあえず申し上げました。

【塩野座長】申請権のある方は、この2の①ですね、ここは私はもう済んだ話だと、原告の不利益の程度なんていうのは、別に考慮する必要は本来ない話で、これは取消訴訟中心主義でもう終わりました。ただ、先ほど来、市村委員がおっしゃている、あるいは小林参事官が説明したように、紛争解決の合理性あるいは効率性というところからいったならば、やはり義務付けだけで行くよりは、二本柱の方がいいでしょうという形で私は整理出来たと思うのですが、この前の方の①のところはもう一つこの場で余り議論が出来てないと思うのですけれども、一体実体法上の請求権なのか、救済上の制度なのかという根本問題があって、ここはそれをやり出すと泥沼にはまりますが、仮に実体法上の請求権だとすると、一義性だけで第三者に対して公権力の行使をしろという実体法上の請求権を認めることが出来るのかどうかという難問が出てくるのです。第三者に対して公権力の発動を求める、それも申請権のない者というのは、これは法治国原理から言うとかなり例外な場合になります。そういったときの侵害の程度というものも全然考慮しなくて、ただ一義性で判断していいかどうか、特に実体法上の請求権という構成からすると、ちょっと考え込んでしまうところがあって、こういう問題の提起もして、私はそういうものとしてこの問題提起を理解したわけです。

【福井(秀)委員】その場合の必要性の中身なり程度にもよると思うのですけれども、余り重いものを課すと結局実効性がないということはあると思うのです。

【塩野座長】それはおっしゃるとおりです。

【小早川委員】今と同じ問題ですが、請求権の要件論と別のアプローチですけれども、昔、貸し倒れの事件というのがあった。その当時は更正の請求の対象にならないケースで、しかしそのまま税金を返さないことはいかにもおかしいというので、それはもう当然に不当利得で救えばいいではないか。そういうふうに私もその当時は思ったのですが、最高裁はそこまでは言わずに、一義的に明白であるなら不当利得で返せということを言っているのです。そこはやはり、ここで第一次判断という言葉が出てきてしまうのですけれども、こういう申請の仕組みというのは、行政庁にとにかく第一次判断をさせる仕組みなわけです。そういうものがあれば裁判所としては後からその適否をもう一度判断することがしやすい。けれども、今のケースで言うと、更正の請求に乗らないものについて裁判所が不当利得を認めるかどうかは一歩退く、という判決だったと思うのです。だからこれは、個別実体法、行政作用法で申請権を与えるか与えないかによって違ってくる。これは、見方によっては、泥棒に刑法を作らせるようなものだということかもしれないし、それは社会学的には当たっているとは思いますけれども、ただ法解釈としては、ちょっとしょうがないところがあるのではないか。そういう仕組みを作っているかいないかで、行政と司法との役割分担がそれで規定されてくるところがあるのではないかという気がするのです。その意味で①、それから②のところも絡まってきますけれども、やはり差を付けることはやむを得ないのかなという気はします。
 ただ、そうではあるにしても、特定の第三者に対する関係で、やはり行政庁としては何らかの配慮義務を負っているわけなので、申請権が立法で認められていないにしても、第三者に対していかにもこの仕打ちはひどいねというようなことであれば、規制権限の不行使が権限の消極的濫用になるとか何かそういうような話になる。それが、座長の言葉で言えばその場合には請求権が成立するということなんでしょうけれども、義務付け訴訟の要件としても、そういう場合にはこれは認めてもいい。そういうような話なのではないかなという気がします。

【芝池委員】規制権限の不行使の場合にも義務付け訴訟を認めるべきであるという提案を私は前からしておりまして、その点は結構だと思うのです。ただ、さっき座長がおっしゃいました、その場合の実体法上の請求権の要否につきましては、よく分からないところがあります。昔の話で言いますと、原田尚彦先生が公権論について書かれたときに、昔のことで記憶があいまいなところがありますが、取消訴訟については法的な保護に値する利益で足りる、しかし、義務付け訴訟については、たしか権利が要るというふうにおっしゃってたと思います。そういう考え方があるところでありまして、問題としては割と難しいところだろうと思っています。
 ただ、②の方との関係で言いますと、公害の場合の規制権限の不行使を想定しますと、民事訴訟が出来るのではないかと思うのです、直接事業者に対して。

【塩野座長】ええ、出来ます、それはもんじゅなどで。

【芝池委員】ですから、その点では義務付け訴訟の要件を制限しても代替措置というのはあるのではないかと思います。

【塩野座長】逆に言いますと、他に民訴で争えばいいのではないかと言われては困るのです。ここはもんじゅの最高裁でも割切ったところですので。

【福井(秀)委員】補足ですが、まさに建築確認とか、開発許可の場合が典型的なんですが、確認の取消しの利益等が建物が完成すると失われるということが、今の確立された判例ですので、そうすると中途段階は争えるのだけれども、実体上違法にもかかわらず竣工してしまうと行政訴訟で争えなくなる。これも、もちろん民事訴訟で行けばいいではないかというと身もふたもないのですが、やはり不合理な部分が残っていると思うのです。訴えの利益を取消訴訟で喪失するのは仕方がないのですけれども、その場合に行政訴訟としての司法判断の許否について補うという意味で、こういう場合の監督権限の発動を求める義務付けというものは、大変意味がある領域だと思います。

【塩野座長】そこは、日本の学者がさぼっているところなんです。結果除去請求権というものがあって、立派なお手本があり、判例、学説が積み重なっているのに、学者全体がそれに取り組まなかったということで、ここは私も大いに反省しているのですが、それを今更急に、実体法上に切り替えても無理な話ですので、そこは今のような判決であることは、私も承知しておりまして、それをどういうふうに解決していったらいいかということは1つの大きな問題だと思いますが、この議論で、そこまで入ってしまうと、なかなか難しいものですから、そこはまた別に考えさせていただきます。
 それから、先ほど来、市村判決をどうする、どうするという話があるのですが、あれも義務付け判決の内容というふうにも理解出来ますか。無名抗告訴訟は出来るだけない方がいいと思うので、今度は取消判決、義務付け、差止めと出てきたときに、更に義務付けに関する無名抗告訴訟もある、これは論理的には必ずあるのですけれども、出来れば今の新しいものの中に入ればいいなという気持ちはあるのですけれども、あれはこういうふうに義務付け判決について、先ほど来福井秀夫委員からの御提案のような形の判決も、義務付け判決の中であり得るということだと、市村判決も中に入っていただけますかね。

【市村委員】私の意識としては、やはり義務付けの系列の中の、必要限度ぎりぎりのものとしてここの系列に入るものだと思っていましたけれども。

【水野委員】義務付けを認める条文を置くだけで、一種、一部請求、一部認容みたいなことになるのですか。

【市村委員】作ればですね。

【塩野座長】それは出来れば作りたいということですし、あるいは条文に書けなくても、そういうものとして理解をするということでよろしいのではないかと思います。

【水野委員】2頁の真ん中に、租税の3つの例が出ているわけですけれども、こういうものは一義的明白性が問題になったケースではないと思います。このi)の例は、更正の請求をしないで、というケースを想定している。そうではなくて、更正の請求をした上で、更正の棄却処分の取消しではなくて、義務付けを求めるという場合、それから iii )のケースで言うと、出訴期間経過後に、というのを置いてあるのだけれども、出訴期間内に職権取消しの義務付けを求めたという場合、そういう場合を想定しなければいけないと思うのです。だから、更正の請求の制度がある以上は、まずそれをやれということは仕方がない。しかし、それを経た上でやるときはどうか。あるいは出訴期間を守らなければならないということは、しょうがないことだから、守った上で義務付けをやるときにどうか。これは、いやそれは義務付けは駄目、取消訴訟でないと駄目ということを言わなければならないこともないのではないか。その場合には義務付けを認めてもいいのではないかというふうに思っているのです。

【塩野座長】ここのところは、本気になって考えたらいろいろな問題が出てきてしまったと、そういうことでこれを一々要件に書くべしということではないと思いますが、非常に大きな問題を我々は議論しているのだと、ただ大きなだけということではなくて、実際に運用していくと裁判上いろいろな問題があるという例として考えて。

【水野委員】だから、さっきの民訴で救済出来るではないかということをおっしゃったのですから、つまり他に適当な救済方法があるかどうかということについては慎重な配慮が必要だと。

【塩野座長】それから、原告適格も議論し出すとちょっと大変なんですけれども、出来れば、差止訴訟についても議論をしていただいた後で、休憩に入りたいと思います。

【水野委員】特定はどうですか。

【塩野座長】特定は、今のところ大体いろいろな形があり得るというところで、市村判決も飲み込むということになったというふうに私は理解していますが、ただやはり請求のときに、ただ何とかしてくれでは困るということです。

【水野委員】これは、いわゆる請求の趣旨の特定の問題ですね。それで民事の関係では差止請求のときに、いわゆる抽象的不作為請求が認められるかどうかという議論があって、つまり原告所有地に何ホーン以上の騒音を侵入させてはならないという請求の趣旨が特定しているのかと。これは、その判決が認められた場合にどうやって強制執行するのか、方法はいろいろあって、いろいろなことが考えられるから特定していないという議論がずっと昔にあったのです。最高裁の判例で、それはそれで特定しているのだということになりましたから、それと同じように考えれば、いろいろな、例えば是正措置、是正命令が出ている場合に、抽象的に建築基準法何条に基づく是正措置をせよということを言えば、具体的にどういう形でやるかということについては、行政に任せればいいという判決が出来るということになろうと思いますので、一義性もそれと同じように、それとパラレルに考えなければいけないと思います。それだけ一言申し上げます。

【深山委員】今の特定のところですけれども、この例は、一番最後の効果裁量のところについて決めを打てないから、この範囲でどれかの措置を取ってください、取るべきだという判決をする。これは、仮に原告個人が、自分はこれが一番適当だと思っても、そこまで一義的な認定は出来ないということならば、一部認容でこういう判断をするということも許容する趣旨になると思うのです、これを最初から認めるならば。これはどこまで下がるかという問題があって、水野先生が言われた、どこかで判断したら、あなたはこの拘束力の下で、先に全部やってくださいというのをどんな人のレベルでも、形式要件だけは満たしていると裁判所が判断して、実質要件については裁量はいろいろあって、ちょっと決め難い、認定し難いと、形式要件だけは満たしている前提で、実質要件を今後ずっと判断して行政庁は処分をしなさいという判決まで一部認容という形で認めるのかというと、そこはいろいろな考え方があると思うのです。最初の1つの要件だけでも一部認容だというものもあるかもしれないけれども、まさにこの典型例で書いてある、この効果裁量のところに限定するのが限度としては1つの合理的な切り方ではないかと思います。
 それともう一つついでに、申請拒否処分があったときに、取消判決と両方併存するという話が先ほど来あって、小早川先生が言われたことは私は全く同感ですが、論理的には、申請拒否処分があった場合の義務付けは民事訴訟的に考えれば、訴訟物は2つあるという話で、まず取り消して、取消しの判断の基準時は処分時で、義務付けは口頭弁論終結時で義務付けをするのだから、普通なら併合が強制されるか、あるいは包含されているということになると思うのです。ただ、これは一部認容で取消判決をするということは、義務付け訴訟の方を給付訴訟ととらえれば、形成判決を一部認容でするということも妙だし、そこはいろいろ異論があって、私は義務付け訴訟も給付判決でなくていいと思っていますが、別途の訴訟類型を作って、あえて言えば形成判決だと言ってもいいと思いますけれども、それにしても形成訴訟において、一部認容判決は聞いたことはないので、いずれにせよ、一部認容と同じような意味で、取消しにとどめる場合を許容すべきだと思うのです。ただ、それは一般論に委ねると駄目なので、規定を設けざるを得ないと思いますし、そのときに先ほど話が出たかもしれませんが、裁判官が嫌がって、みんな面倒くさいから取消しまで判断したから全部ここで終わらせようというのを許さない、許すべきではない、それはそうだと思うのです。ただ、面倒くさいのではなくて、制度の合理的な振り分けとして、誰が見ても取消しに止めた方がいいというケースは、取消しで止めていいと。実質的な一部認容である取消判決が出来るときの要件を、義務付けを求めているのに、取消しでサービスを十分だと裁判所が認めることが出来る類型というものを、先ほど市村委員がいろいろおっしゃいましたが、いろいろなケースがあると思いますが、要件を課して、設けるという必要があるのではないかと思います。

【塩野座長】私も理屈ではそうだと思うのですけれども、ただ類型を今から分けてやるといっても、それは到底無理な話で、それは動かしていって、やはり類型できちんともう一度そこは整備した方がいいですよという御議論だと承りますが、あと一月か二月の間に、類型を考えてやってこいというのは無理な話で。ただ重要な論点だと私も思います。

【市村委員】まず、最初に、今、座長が一番最後におっしゃられたことですけれども、ですから、今のような形で、例えば棄却判断ということが可能であるという、座長のお話だと、とりあえずそういう制度を設けて、そういう中で運用しなさい、運用してこういうものは棄却類型になるというものを積み重ねなさいという御趣旨かなと思うのですが、例えば調査権限があるときとか、あるいはもっとそういうものを抽象化して、要するにそれだけでは一義的な判断に至らないし、あるいは適切でないとか、困難とか、裁判所としては、出来ればそういうものを幾つか類例を挙げておいていただいて、要件化というところまで出来れば一番ありがたいというふうに思います。

【塩野座長】考えるべきだと思います。

【市村委員】それから、深山委員が最後におっしゃられたことと若干関連するのですけれども、いわゆる取消訴訟が先行している場合に、それの取消しという部分については、やはりきちんと分けておかないと、中間判決という手法ではちょっとまかないきれないだろうと思うのです。そういう意味で、明らかに請求は2つであるというふうにして、ちゃんとつかまえられるようにしておいた方が後が混乱しないだろうと思います。

【塩野座長】その点については、いろいろ議論のあるところだと思います。それからもう一つ、義務付け判決の一番難しいのは、判決時説を取るか、処分時説を取るかで、そこで非常に大きな、第一次判断権ではなくて、要するに行政庁に一遍判断させてみろというところで非常に難しい問題があるのですが、そこの処分時説をとるか、判決時説を取るかということまで立ち入るとなかなか難しい、そこは裁判官にお任せする以外にないのかなと、従来の違法判断の基準時の問題を適切に当てはめていただく以外にないなと、そういう問題はあると思います。ここは韓国で非常に問題にしているところだと思いますから、どうもありがとうございました。
 それで、差止めの方について、大体基本的には今までのような議論で頭の整理をしていけばいいのではないかと思いますが、ただどうしても御意見を承っておきたいのは、第2の③の長野勤評事件があって、これは先ほど小林参事官からも随分高いバリアだなというふうにコメントがございました。これは、読み方が多少、人によって違うのかもしれませんけれども、これは私は取消訴訟中心主義の基礎の上に出来た最高裁判例なので、そこの基礎が外れると、こんなに高いバリアを一律に課すということにはならないのではないかというふうにも思うのですけれども、この点についてどうぞ御意見をいただきたいと思います。

【小早川委員】長野勤評訴訟にしろ、もう一つの横川川河川区域訴訟にしろ、それぞれの事件そのものが抗告訴訟だったのか当事者訴訟だったのかという、そこもはっきりしないところがあります。それと関連するのか、今回の立法論としても、差止訴訟として考えるのか、次の確認訴訟のところで用意をするのかというところもあると思いますが、いずれにせよ、利益があるかないかという判断のバリアの高さの問題を考えれば、今、座長が言われたように、この最高裁の2つの判決は、多分抗告訴訟と考え、抗告訴訟なら取消訴訟が本筋だと考えて、普通の民訴とは違う高いバリアを設定したのではないか。そう考えた方が、今度訴訟類型に手を付ければそこは当然この判決の考え方は違ってきますよということで、戦略的にもいいのではないか。これは多少ずるい話かもしれませんが、そういうふうに考えております。

【芝池委員】差止訴訟を認める個別のケースで、差止訴訟を認める前提は、行政庁が行う処分が決まっていること、許可なら許可をするということが決まっていることですが、実務上、そんなに早く、早くというのは処分をした日を基準にした場合ですけれども、早く処分内容、許可不許可のどちらかなのか、あるいは付款を付けないのかとか、そういうことが決まるのでしょうか。極端に言えば、処分が行われる前日に処分の内容が決まるということがあり得るわけで、そういう場合は使えないかなという気はしているのです。

【塩野座長】そういう場合は使いませんけれども、例えば反復継続というのは、割合乗りやすいですね。

【芝池委員】刑務所での丸刈りの件とかでは使えると思います。

【塩野座長】ここは、④のところで、「特定の処分又は裁決をする蓋然性がある」ということを一応要件と書いていると、そういう場合が具体的にどうなのかということは、先ほども申しましたように、あり得る例としては「問題となり得る事例」の i )なり ii )に典型例として浮かび上がるということです。

【水野委員】同じ意見ですけれども、要するに長野勤評の判決はいかにも要件としては重過ぎる、これは完全に緩めるべきだと、これは全く同じ意見です。

【福井(秀)委員】私もその点は同じなんですけれども、若干補足しますと、この要件というのは、一種の、今の執行停止の要件とちょっと似ていると思うのです。そういう議論もあり得ると思うのですが、執行停止とこの話で違うのは、こちらは基本的に本案の話ですから、少なくともやれば違法だというところに熟せば、本案で認容され得るのだとすれば、やったら違法だということでも足りるのではないか、基本的にはやったら違法なことは差し止めるということで大方のことは尽きているのであって、それより先いろいろ、回復困難な重大な損害とか、いろいろな要件を考えるならば、執行停止なら本案でけりがついていないからいろいろ間違えたときのことも考えると配慮が要るというのは分かりますが、これは本案の事件なんだから、基本的にはそこで片がついているときに余り事後的な要件をいろいろ過重するのは、ちょっとバランスが悪いと思います。

【塩野座長】分かりました。この辺、もう少し委員の御意見を、大体よろしいですか。
 それでは、どうぞ、事務局から説明をお願いします。

【小林参事官】資料4「確認訴訟による救済の可能性、行政訴訟の対象(検討参考資料)」という資料です。「第1 取消訴訟の対象に当たらないとされている行為に対する救済」という項目で、「① 行政計画、行政立法、通達でも、行為の直接の効果として国民の具体的権利義務に影響を及ぼす場合には、取消訴訟の対象とされている。」。これは別紙1にまとめたとおりです。
 「② 行政庁の処分をまつまでもなく法令自体が直接国民の権利義務に影響を及ぼす場合に、その法令により権利義務に直接の影響を受ける国民が国に対しその法令の無効確認あるいは当該無効法令に基づく権利義務の存在、不存在等の確認を求めることは、判例により許されているのではないか。」というのは、別紙2の判決の第一審判決でそのとおりのことが書いてあり、それは最高裁も当然の前提として判断しておりませんけれども、それを別紙2で掲げております。6頁です。別紙2は「当事者訴訟としての確認訴訟により、法令や通達の効力等が争われた事例」で、そのうち「1 法令の効力や法令へのあてはめが問題とされた事例」として、(1)の最高裁昭和41年7月20日大法廷判決・民集20巻6号1217頁の判例は、「薬事法の憲法違反を理由として、許可又は許可の更新を受けなくても特定日以降も薬局の開設が出来ることの確認を求めた訴えが適法とされた事例」で、第一審判決の関係部分を御覧いただきますと、「まず原告の本件訴の適法性について考えてみると、原告の本訴請求の要旨は、原告は旧薬事法に基づき薬局開設の登録を受けた者であるところ、新薬事法附則第四条により同法第五条による許可又は許可の更新を受けない限り昭和三七年一二月末日限り薬局の開設ができないことになったが、右法律第五条の規定は憲法に違反して無効であるから、右許可又は許可の更新を受けなくても昭和三八年一月一日以降も薬局の開設ができる権利のあることの確認を求めるというにあると解すべきであり」と言っており、実は原告はそういう請求をしていなかったわけで、括弧の中に書いてありますように、「原告は薬事法第五条に基づく薬局の開設許可又は許可の更新の申請義務の不存在確認を求めると陳述しているが、原告から申請がなくても、その結果は申請に基づく許可又はその更新がなされず、従って適法に薬局を開設しえないというだけで、申請自体はこれを原告の義務とみるべきものではないというべきであるから、結局その真意は上記のとおりであると解するのが相当である。」。これは結局訴えの趣旨は、裁判所の方でそういう趣旨だと解釈して、引き続き薬局を開設出来て、法律に基づく許可の申請をしなくても薬局が開設出来るという請求の趣旨と解釈した上で、「一般に行政庁のなんらかの処分をまつまでもなく、法令自体が直接国民の権利義務に影響を及ぼすような場合には、その法令により権利義務に直接の影響を受ける国民は国に対しその法令の無効確認あるいは当該無効法令に基づく権利義務の存在、不存在等の確認を求めて裁判所に提訴することは、許されるものと解すべきところ、原告は右薬事法の規定により新たに薬局開設の許可又はその更新を得ない限り昭和三八年一月一日以降薬局の開設をなしえないことになったというのであるから、(その主張によれば)その権利に直接の影響を受けたものというべく、かかる場合には右規定が無効であることを理由として新たに薬局開設の許可又はその更新をうることなく昭和三八年一月一日以降も薬局を開設しうる権利を有することの確認を求める訴を提起しうるものというべきである。」という判断がされております。訴えが不適法であるという被告の主張については、「被告は本訴のごとき請求は行政処分がされる前に行政庁を事前に拘束することを目的とするものであって許されないと主張するが本件の場合は原告の申請のない限り行政庁の薬局開設の許可又はその更新の行政処分はありえないのであり原告は申請に基づく許可又は許可の更新を争うものでなく、その前の許可の制度自体を定めた法律による権利侵害の適否を争っているのであるから、本訴のような請求は行政庁の処分を待って初めて司法審査をすべきものとはいえないものであり、従って行政庁を事前に拘束することを目的とする許すべからざるものということはできない。(原告が右薬事法の規定に反して薬局を開設した場合には罰則の適用(これは行政処分ではない。)、薬剤師法第八条第二項による薬剤師の免許の取消処分等がありうることが考えられるが、これらの処分は、別個の立場から考慮される事項であって、それら処分のあるまで、本訴のような請求による権利救済を待つべきものとすることはできない。)」、こういう判断がされているものです。これは、最高裁の判例解説でも公法上の当事者訴訟として許されるのではないかという解説が担当調査官によってされています。その他に、取消訴訟の対象に当たらない行政立法、行政計画、通達、行政指導等の行為によって紛争が生じ、後の処分が差し迫っていたら、先ほどのような差止訴訟を法定することによって、差止訴訟による救済の可能性もあるという③の問題もありますし、④で、結局のところ法律ですら先ほどの判例のようにして争うことができるということであれば、後に処分が予定されていない場合や、処分があり得るとしても、先ほどの判例のように、それは別に直接の効果ではなくて、別の観点からされるようなものであって、今、権利義務の確認をする必要があって、その後の処分があるまで本訴のような権利救済を待つべきものとすることはできないという考え方が取れるような場合であれば、すなわち個別の事情として、このような紛争について確認の利益が認められるような状況が生じていれば、法律に限らず、今のような処分に当たらない行為によって生ずる法律関係や権利義務の存否、あるいはその基となる行為それ自体の無効等の確認を求める方法によって救済がされる場合があるのではないかと考えられるところです。
 ⑤ですが、そういった確認の訴えができるとして、その訴えの性質について、「取消訴訟の対象に当たる行為を直接の対象としていないことに着目すれば、一般的には、抗告訴訟ではなく当事者訴訟と考えられるのではないか。」。最高裁の先ほどの41年の判決のように考えていいのではないかと思うわけです。ただし、抗告訴訟としての確認訴訟も否定することはできない。処分そのものを対象として、それについて何らかの、例えば違法確認を求めるというような場合も、それが有効な解決方法になる場合もあり得るだろうと思いますので、そういったようなことを否定することはできないと思いますし、そういったものがあり得るとした場合に、当事者訴訟としての確認訴訟との区別はどう考えるのかという問題も一応あるわけです。直接、取消訴訟の対象に当たる行為を対象としていなければ、一般的には当事者訴訟として考えておけばいいのではないかとも思われるわけですが、その場合に、そういった抗告訴訟としての確認訴訟と、当事者訴訟としての確認訴訟は、いったい救済の観点で違いがあり得るのか。抗告訴訟と考えることによって、その救済でどのような違いがあるのか、あるいは違いはないと考えるべきなのかという問題があります。今の大法廷判決とは別に、資料の別紙2で、その他にも6頁以降、確認訴訟による救済の可能性が認められた判決を挙げております。(2)は、高松高裁昭和63年3月23日判決・行裁集39巻3・4号181頁の判決で、これは河川区域に当たるかどうかということが争いになった場合に、7頁に判示事項が書いてありますが、「自己の所有地が河川法第6条第1項第1号の河川区域に該当しないとして、河川管理者である行政庁を相手に、予防的に河川法上の処分を行ってはならない義務の確認及び同法上の処分権限の不存在の確認を求める訴えが、右各訴えの訴訟の類型はいわゆる無名抗告訴訟に当たると解されるところ、当事者間の争いの根本的原因は、行政庁の公権力の行使そのものにあるのではなく、その前提たる右土地が、河川法第6条第1項第1号の河川区域として、同法第26条、第27条等の制約に服するか否かという公法上の法律関係の存否の認職の対立にあるから、その抜本的解決のためには、右公法上の法律関係の確認を求める当事者訴訟によるベきであるとして、不適法とされた事例」ですが、そういう確認訴訟による解決ができるのではないかと判示された例です。
 7頁の「2 行政機関の内部的規律(通達など)に関係する権利義務が争われた事例」で、(1)の長野勤評の第一審の長野地裁昭和36年6月2日判決・行裁集15巻6号1107頁の判決も、訴えの利益があると考えて、勤務評定書への自己観察表示義務の不存在確認を訴える利益があるとした事例がありますし、(2)は、東京地裁平成4年8月27日判決・行裁集43巻8・9号1087頁の判決で、「首都高速道路の料金改定(建設大臣・運輸大臣の認可にかかるもの。内部的行為とされる)に関する道路整備特別措置法11条1項の基準に基づく料金債務の不存在確認請求が適法とされた事例」があります。
 7頁の(3)の東京地裁昭和56年11月27日判決・行裁集32巻11号2196頁の判決は認められなかった事例ではあるのですが、これは考え方として、ホストキシンという薬剤が毒物及び劇物取締法の対象になるかどうかということで、それについて従来それを販売することをしていた人が法規制の対象に当たるか、当たらないかということが問題になった場合に、これ自体は当事者訴訟として訴えられる可能性があるのではないかという事例です。
 7頁の「3 行政計画に基づく義務の存否が争われた事例」の(1)の東京地裁平成6年9月9日判決・行裁集45巻8・9号1760頁の判決、一般廃棄物処理計画で、市が従来の処理計画を変えて、ダストボックスを公的に設置して、そこからでないと収集しません、今までのところにごみを出しても収集しませんという廃棄物処理計画を市が作った場合に、住民の方から、今までの場所から市は収集する義務があるのだということの確認を求めた場合に、市はそういう義務はないのだということで、ごみ収集義務の存在確認が適法されるとされているという事例があります。
 その他、そこに幾つか不適法とされた事例もあるのですが、行政計画に関して争いになった事例があります。この場合に、確認の利益がないというところで不適法になっておりますが、確認訴訟で争われたような事例、土地区画整理事業の施行地区内に自己の所有地が存在するかどうかというようなことで、つまり計画自体が有効であるのかどうか、あるいはその計画の内容に自分の土地が当てはまるのかどうかとか、先ほどのホストキシンというような問題であれば、例えば法令の適用、河川法の問題もそうでしょうけれども、法令の適用関係の具体的な当てはめを争うとか、そういったいろいろな争い方があるのではないかと思われます。
 ところで、1頁に戻って、「第2 確認訴訟による救済の可能性」について何を考えるべきかということですが、①は、長野勤評の先ほどの判決で「義務違反の結果として将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけで、その処分の発動を差し止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然に許されるわけではなく、当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質およびその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性およびその内容または性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合は格別、そうでないかぎり、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることはできない」と判断しております。これは、先ほど座長から御指摘があったように、次に処分があって、その処分を止めるという感じで、抗告訴訟的にとらえたためにこういう確認の利益について非常に厳しい判断をしたのではないかとも考えられるところで、先ほどの昭和41年の最高裁の大法廷判決のように、後から処分を受けるかもしれないということはもちろんあるわけですし、刑罰を受けるかもしれない、そういった場合であるけれども、現在の段階での確認の利益を認めた事例もあります。そういった意味で、後から処分があり得るかどうか、実質それができなくなるような確認になる場合もあるかもしれませんけれども、そういった可能性を抽象的にとらえて、それが抗告訴訟だとか、あるいは抗告訴訟に類するものとして、取消訴訟を中心に考えて確認の利益を考える必要が本当にあるのだろうか。先ほど第1の⑤で御説明したように、直接抗告訴訟の対象に当たる行為を対象にしていなければ、当事者訴訟と考えて、普通の確認の利益と同じように考える考え方も取れるのではないか。それは、その確認の利益がどの範囲にあるのかというのは、また別問題で、具体的な事例を見てみないと分からないですし、それは行政の特殊性とか、具体的な行政活動を見てみないと分からないかもしれないですけれども、そういったことが考えられるのではないかと思った次第です。
 ②は、確認の利益に関する民事訴訟の考え方も、実は確認訴訟以外の紛争解決形態、別の形で言うと、給付訴訟が出来るのに、確認訴訟を求めたりというようなことが本当に許されるのかという意味では、原則としてはそういうときは確認の利益が否定されるという確認の利益の補充性というような考え方もあります。
 他方で③に書いたように、権利に対する現実の侵害が生じていない段階でも、というのは、先ほど大法廷判決で言ったように、後で刑罰を受けるとか、あるいは薬局が営業できないという状況があるわけですが、③の問題は、紛争を事前に予防する、権利に関する不安を除去するという確認訴訟の紛争予防的機能というものを重視する見解、確認の利益を具体的な場合にどの範囲で認めるかということは、前に山本和彦教授に民事訴訟の観点から確認の利益について御説明をいただいたときも、最高裁の判例でも微妙な動き、揺れているところもあるというようなお話だったと思われます。
 2頁の「2 確認の利益が認められる場合」として問題になる場合はどういう場合かというと、①は、まず確認の対象ということで、「確認の対象として適切なものとしては、どのようなものが考えられるか。権利義務ないし法律関係の存否か、当該行為の法律上の効力か、当該行為の違法性か。確認の対象は、結局、事案ごとの具体的事実関係に応じて、最も紛争解決に資する確認対象を選択するほかなく、その方が妥当な解決が図られるのではないか。」。その確認の対象の選び方が難しいときに、その請求の趣旨を、それは裁判所も協力しながら、良い請求の趣旨にしなければいけないと思うのですが、先ほどの最高裁の41年の大法廷判決の第一審の東京地裁判決のように、原告が言っていることと全然違う請求の趣旨で、実際にあなたの言っていることはこういう趣旨ですねということで、確認の請求の趣旨を裁判所は判決の段階で適切に解釈して、それは趣旨が一致しているという範囲で解釈している事例があるということも参考にしながら、そういった適切な対象を選択するしか方法がないのではないかと思うのですが、確認の対象というのをどう選ぶかというのも難しい問題がありそうだということです。
 ②として、「行政訴訟における確認の利益の考え方をどのように整理するのか。」ということで、先ほど民事訴訟における確認の利益にもいろいろな考え方があり得るところで「確認の利益については、結局、事案ごとの具体的な事実関係に応じて、裁判所が判断するほかなく、その方が妥当な解決が図られるのではないか」という問題もあると思っております。
 参考のところに、「行政立法等につき、行為形式に応じた独自の訴訟手続を検討する際の問題点」を掲げております。「1 行政立法」については、「① 一般的抽象的な法形式で定められる行政立法を訴訟手続で争わせる意義についてどのように考えるか。行政立法の適法性の確保については、その制定手続も含め、行政の適法性確保における三権相互の関係の観点からも検討する必要があるのではないか。」と考えます。
 「② 多様な行政立法を一律に訴訟の対象とするのか、それとも一定の範囲のものにとどめるのか。後者の場合には、どのようなものを対象とするのか、対象としないものとの区別の基準は何か。内部的規律である行政立法を争わせる意義は、どのような点にあるのか。」という問題があるのではないかと考えた次第です。
 更にそういった訴訟形式を行為形式に応じて独自なものを創設するということになると、「③ 行政立法手続、出訴期間、判決の効力などについてどのように考えるか」という問題点があります。
 「2 行政計画」の①は、行政計画についても多様なものがあって、先ほどのごみ処理の計画のようなものもあるわけですが、そういったものについてどういうふうに考えたらいいのかという問題です。
 「② どのような行政計画を対象とするのか。訴訟の対象とするものとしないものの区別の基準は何か。」。
 「③ 各行政計画の根拠法により争訟手続を個別に手当てするよりも、一般法である行政事件訴訟法で争い方を決めることが適切か。適切であるとする場合、その根拠は何か。特に、行政計画の決定過程における手続参加や訴訟手続への参加などの第三者の権利保護の在り方・出訴期間・争訟方法の排他性・違法性の承継・判決の第三者効について、一律に扱うことが適当か」といった点についても検討する必要があるということです。
 「3 通達、行政指導等」については、「① 行政機関内部の行為である通達を訴訟の対象とする根拠は何か。争わせるべき通達の範囲をどのように考えるか」という問題もございます。
 「② 行政指導について、それを争う利益がどの程度想定されるのか。類型的に訴訟の対象とすることが適切であるとする根拠は何か。国家賠償請求や処分の差止訴訟などの前提として違法を争うことでは足りないのか。」という問題もあろうかと思います。
 もっと根本的な問題として、「4 紛争の成熟性」の問題があり、①のように一般的にはこういった処分に当たらないものについて、行為形式に応じた独自の訴訟手続を検討するに当たっては、紛争の成熟性は必要だというふうに言われているのですが、先ほどの確認の利益などと違って、紛争の成熟性といった場合に、紛争の成熟性がある場合というのは、どういうふうにピックアップしていくのかという問題があります。
 ②で、紛争の成熟性というのは、確認訴訟その他の訴訟類型による救済の可能性とか、必要性の要件、先ほどような要件の議論、あるいは確認の利益の議論と異なっているものなのか。もし異ならないとすると、ほかに救済方法を創設する理由、処分に当たらない行為であっても現に確認訴訟で争われている事例もあることからして、そういった訴訟の行為形式に応じた独自の訴訟手続を創設する理由について考えていく必要があるのではないかと考えた次第です。
 それから、別紙の3から5、9頁以降に、特に通達、それから用途地域の指定、それから土地区画整理事業、要するに計画とか、通達とか、しばしば処分性がないということで取消訴訟では救済が出来ないと言われたような事例について、それぞれの頁の右側の方で、取消訴訟以外にも、場合によって具体的な後続処分の差止訴訟とか、確認訴訟とか、多様な救済方法を工夫する余地があるのではないかということで、事務局の方で、これで直ぐに確認訴訟が出来るとか、救済の要件があるということで言っているわけではなくて、もちろん個別事例によって、当事者の権利救済の必要性ということが問題になると思いますが、必ずしも処分の取消訴訟に限定して考える必要はないのではないかということで工夫してみた次第です。

【塩野座長】どうもありがとうございました。それで、冒頭に申しましたように、確認訴訟につきましては、ドイツがかなり蓄積しているところがございます。
 これについては、山本助教授が既に「ジュリスト」の1238号に論文を書いているわけでございますけれども、今日、改めて一表に整理してもらって、分かりやすく、ドイツではこういう事例があるのだということを説明していただきたいと思います。
 それでは、山本助教授、よろしくお願いいたします。一応、15分ということでお願いをしてありますけれども、場合によってはちょっと延びるかもしれません。資料は、皆さんのところに2枚紙で、資料5です。

【山本外国法制研究会委員】 「ジュリスト」が大変分かりにくいということですので、本日はどういう事案があるかということをお話しいたします。したがいまして、ここのところで整理をしたものは、事案の性質を見て整理したというものでありまして、全く理論的なものではありません。したがって、項目が重複していたり等々のことがございますが、この点は、今日の報告の趣旨に鑑みまして御容赦いただきたいと思います。
 まず、前提といたしまして、確認訴訟に関する規定がどうなっているかということなんですけれども、これは行政裁判所法の43条という規定がございまして、43条の1項は、「原告が即時確定について正当な利益を有する場合、訴えによって、法関係の存否あるいは行政行為の無効の確認を求めることができる(確認訴訟)」。2項といたしまして、「原告が形成訴訟あるいは給付訴訟によって権利を追求出来る、あるいは追求できたであろう場合、確認を求めることはできない。但し、行政行為の無効確認が求められる場合を除く」というふうになっております。この2項の方が、先ほどお話にありました補充性の要件なんですけれども、連邦行政裁判所は、1970年に既に判決を出しておりまして、この2項は緩やかに解釈をすべきであると、要するに、取消訴訟や義務付け訴訟の出訴期間や、あるいは不服申立ての前置が決まっているのですが、これを潜脱するような趣旨の確認訴訟を許さないということである。しかし、それに限られると、それ以上に確認訴訟を制限する趣旨ではないのだということを言っております。なお、ドイツの場合には、先ほどの抗告訴訟か、当事者訴訟かという区別は、現行法においてはございませんので、これが抗告訴訟か当事者訴訟かという議論にはなっておりません。
 それで、具体的な事案でございますが、資料の方を見ていただきますと、まず、一番最初に「サンクションを課される可能性がある場合」ということでございます。①といたしまして、「原告の事業に関して許可が不要であることの確認訴訟」。これは幾つか例がございます。そこに挙げられておりますが、判決文を以下、部分的に抜き出しております。これは、小売業の許可が必要であるかどうかが争われた事案なんですが、「当事者間の法状態が明らかでない限り、原告は、彼の見解によれば有するはずの権利を行使してはならないか、もしくは、無許可営業活動が小売業法9条により罰金刑に処される危険に晒されなければならない。このような状態を原告に受忍させることはできない」ので、確認訴訟が認められると言いました。
 次の判決は、動物実験に許可が要るかということが問題になったのですけれども、特にこの事件においては、既に見解の対立があり、しかし、行政庁の方が何か具体的な処分をするというようなことは何も言っていないというので、差止めが非常に難しい、それで結局確認で行くべきだといった事案です。
 「② 違反行為が懲戒事由になるおそれがある義務の不存在確認訴訟」は、日本で申しますと、先ほどの長野勤評事件に対応するものでございますが、ここで連邦行政裁判所は、懲戒手続において初めて争えるということにすると、結局、ここでは裁判官の服務規律が問題になったのですが、裁判官が違法と考える計画に、自らのリスクで違反するということをせざるを得ない。しかし、それでは余りにも酷であるというので確認訴訟を事前に求めるべきだというふうに言ったわけです。
 それから、③番目の事件はやや面白い事件なんですが、「原告の行為が違法である旨の行政指導が執拗に、法的なサンクションを課されないまま継続している場合の、原告の地位確認訴訟」でございます。これはざっと読みますと、「被告[手工業職能団体]は原告に対し繰り返し、原告が手工業登録簿に登録せずに違法に手工業を営んでいるとの見解を主張し、こうした理由により、まず市の営業担当機関、後に郡庁に対し、被告の見解を考慮して営業看板を変更することを原告に求めるよう働きかけた。原告は被告のこの見解に常に反対し、それゆえに、勧告された営業看板の変更も何度も拒否した。当事者が原告の営業活動に関する法的判断について基本的に相反する見解を非常に明確な態様で表現し、見解の一致に達することができなかった後には、裁判所が確定できる具体的な法関係の存在を……否定できなくなった」、要するに、確認の対象になる法関係があるというふうに言ったわけです。更に、その後のところで、何か原告は自分に処分をしてくれと、そうしたら訴訟が出来るようになるからということまでどうも言ったようなんですが、それでも被告はしなかった、こういう事件でございます。
 次の頁に行きまして、「2 申請前に資格または請求権を確認する訴え」。事案を見ていただきますと、市が原告、これはある政党なんですが、その催しのためにホールの利用を許可する義務の確認を求める訴えというものをしたわけですが、これが適法とされ、ちなみに本案でも原告が勝っております。原告は、過去に何度も市のホールで政党の催しを行おうとし、その年もそれを計画していたという事案なんですが、そこで裁判所はこう言っております。「確認訴訟は、権利保護が他の訴訟類型によって同様の範囲で実現できない場合には、なお許される。……確かに原告は給付訴訟によって、特定の日時に、または複数の日のうちの一つを選んでホールを貸し出すよう求めることもできたであろう。しかしこの判決の既判力が生ずる前に、この日時は確実に過ぎてしまったであろう。行政裁判所法113条1項4文による継続確認訴訟も、判決主文が過去[の処分の違法確認]に関わるため、完全な権利保護にならなかったであろう。被告の態度から考えて、被告がそのような判決主文を、原告に対する将来の関係も拘束するものと見たであろうことを、当然の前提にすることはできない」というふうに言いまして、確認訴訟を認めたというもので、一般的に申しますと、①と②に書いたようなことになるのではないか、つまり拒否処分が反復される可能性が高い。それから拒否されることが確実であるけれども、処分後に争うのでは、もはや間に合わないという事案であったということです。
 「3 その他、処分の前提要件に関する確認訴訟」ということで、まず、一番最初にありますのが、「行政機関が態度を明らかにしており、事業者が既に経済的なリスクを負っている場合」。これは、「原告(鉄道事業者)が、被告(地方自治体)の区域における3箇所の踏切に新たな安全技術を施す工事の費用の3分の1を、鉄道・道路交差法により被告が支払う義務を負うことの確認を求める訴訟」でした。これは鉄道・道路交差法という法律によりまして、負担の区分が定まっていたわけですけれども、鉄道事業者の方は、とにかく3分の1は支払ってくれと言ったのですが、地方自治体は、それは自分には義務はないといった事件です。ここでは、確かに請求金額をこの段階で特定することは出来ないけれども、その括弧書きのところの最後の3〜4行のところですけれども、「原告が、被告が費用を分担すること[自体]を拒否していることから、事業が完了する前にも、場合により全費用を一人で負担しなければならないかどうかを明らかにし、そのことから早期に、当該工事の継続および続く工事の準備について結論を出せるようにしようと考えるのは、当然である」と。したがって、確認訴訟を認めるべきだと言ったわけです。
 次の事件は「② 同種の処分が反復される可能性が高い場合」というものです。事件自体は、やや古い感じの事案です。そこを読んでいただければいいと思いますので、これは省略いたします。
 「③ 個別の処分を争うのが紛争の実体に即しない場合」は、「原告(「オショー」運動の団体)に対する参加人(新興宗教問題に取り組む団体)の活動を援助する補助金を、被告(ドイツ連邦共和国)が支出することの違法性の確認を求める訴訟」というものでした。因みにこの判決は、特定の宗教団体の活動について公衆に警告する私的団体に国家が補助金を交付する場合、侵害作用として法律の根拠を要する旨を明確に述べたものとして、有名です。「原告が参加人への補助金交付に対し権利を防護するために、被告がそれに関して行う個々の交付承認決定の取消しを求めるよう強いるべきではない。むしろ実効的な権利保護を達成するために、原告が被告による補助金交付の慣行全体を裁判所の審理対象とすることが許される」と、こういうふうに言っております。
 次は「4 行政立法や条例が違法に原告の権利を侵害することの確認」でございますが、2つほどございます。1つは「立法不作為を争う場合」です。これは「自営業者が議員として郡議会に出席する場合の休業補償を定めていない条例が、自営業者たる議員である原告の権利を違法に侵害していることの確認を求める訴訟が、適法とされた」わけです。この中で、裁判所は、要するにほかに争いようがないと言っているわけです。「休業補償支払請求権を正に直接裁判で実現させ、要求されている確認を放棄することは出来ない。……支払請求訴訟は訴訟上および実体法上、確認されるべき義務が履行されて補償条例が原告の有利に改正されることを前提にして成立する。したがって要求されている確認に代えることはできない。規範制定を求める給付訴訟に対してもまた、確認訴訟は劣後しない。……概して確認請求の形式はむしろ、裁判所は法制定機関の決定の自由に対して市民の権利保護に不可欠の範囲に限って働きかけるべきであるという、権力分立原則に基礎を置く考え方に適合する」ということを言ったわけです。 
 最後になりますが「② 第三者が即時に不利益を受ける場合」です。これは、以前に私が夏休みにドイツに行ったときに確認訴訟で適当な例はないかと尋ねたときに、まず挙げられた割と最近の例なんですが、「空港から(へ)の離着陸航路を確定する法規命令に対して近隣住民が騒音を理由に提起した違法確認訴訟が、適法とされた」事例です。要するに、原告適格も認められているというもので、訴訟は適法だと言われました。この前半のところ、ちょっと長いので、一々読みませんが、前半のところは、要するに行政裁判所法47条の定める規範統制訴訟と独立にこのような訴訟は可能であるということを言っております。つまり、規範統制訴訟というのは、行政裁判所法47条に定めがありますが、これは主観訴訟、権利保護の訴訟ではないわけでして、例えば規範を違法とする判決には対世効が認められるということがございますし、日本流に言いますと、行政事件訴訟法10条1項に対応するような違法理由の主張の制限のようなものも基本的にはない、この47条というのは、あくまで特別な訴訟であるということで、これとは全く別に確認訴訟は出来るということを言っております。ちなみに申しますと、この47条の規範統制訴訟の対象として非常に重要なのは都市計画でございまして、都市計画は、ほとんど47条を使って争われますので、一般の確認訴訟の場面ではなかなか出てこないという事情がございます。
 最後に、これはやや特殊なものですけれども、行政行為が完了した後に、行政行為の違法確認を求める訴えというのが、これは別の条文ですけれども、行政裁判所法113条1項4文に認められております。これは、先ほどから何度も出ておりますが、同種の処分が反復される危険性が高い場合などに認められるというものです。

【塩野座長】どうもありがとうございました。これから議論になりますけれども、議論の途中で、もしかすると質問があるかもしれませんので、そこでそのままお座りになって、場合によっては、議論に参加していただきたいと思います。
 それでは、今、事務局及び山本助教授から御説明がありました。これを土台にして御議論をいただきたいと思います。なお、アメリカも実はこの中川論文に書いてあるはずなんですけれども、どこに書いてあるのか、これもまたなかなか読みにくいので、特にアメリカは資料の整理が難しいのですけれども、時間があればアメリカでもこういうものについて、デクラトリー・ジャッジメントが働くということを御紹介いただければというふうに思っております。今日は、アメリカの例がありませんし、またフランスの例も出ておりませんので、ドイツの例を引いたわけでございますけれども、一応これで検討の材料は整っていると思いますので、どうぞ、御検討いただきたいと思います。

【水野委員】質問ですけれども、1頁の第1の⑤の3行目に「抗告訴訟としての確認訴訟もあり得ると考えた場合」とあります。抗告訴訟の確認訴訟と当事者訴訟の確認訴訟ということが言われているのですけれども、この抗告訴訟としての確認訴訟というのはどういう意味なんでしょうか。

【小林参事官】処分そのものについて、何らかの確認を求めるような場合です。

【水野委員】無効確認訴訟というのがあります。それとは別個の話でしょう。どんなことを考えているのですか。

【小林参事官】1つは、処分をしないことの違法を確認した市村委員の判決のような事例です。

【市村委員】処分の違法確認というタイプは、抗告訴訟の方になりますね。

【小林参事官】これは当事者訴訟ということは、まずないだろうと考えます。

【水野委員】不作為の場合ね。

【塩野座長】ただ、ドイツで言えば、そんなのわざわざ抗告訴訟だとか、何とか言わないと、私もその方がいいと思うのですけれども、それから繰り返しの場合ですね。先ほど日本の例としては差止めが効くのではないでしょうかと言ったのですけれども、ドイツでは割合と反復的なものについては確認訴訟という形を用いているという、そういうことで、そうすると繰り返しが行政処分ですと、従来の日本流の考えで言うと、抗告訴訟類似というふうになる。ただ、それはどういうふうに整理するかは、いろいろあり得るでしょうけれども、それが本当に、そんなに真面目にやる意味があるでしょうかということが、この⑤の意味だと私は理解しております。

【水野委員】この最高裁の41年の薬事法の判決ですけれども、これは法令自体が直接国民の権利義務に影響を及ぼす場合には、という設定なんでしょう。そうすると、この場合には、この法令自体に処分性が認められる場合になりますか。

【塩野座長】でも、法令の取消訴訟というのは効かないものですからね、処分ということを議論するのではないのではないかと思いますが、この点は、むしろ事務局の方で。

【小林参事官】実は、①で処分に当たる場合があるといっても、これは実はそんなに多くはないわけです。ですから、一般的にはそれは処分に当たらないという前提で、国民の権利義務に影響を及ぼすとしても、かなり一般的、抽象的に影響を及ぼすわけですから、かなり幅広く影響を及ぼすような法令というのは、取消訴訟の対象というよりは、こういったそもそもそれ自体の無効確認か、権利義務の確認で争う方がいいというのが一般的ではないかと思います。

【塩野座長】条例と行政立法については、杉本解説でも処分性を認める場合があり得る、取消訴訟が効くというのですけれども、法律の取消訴訟というのは、一種カテゴリーとして排除しているということも付け加えておきます。

【水野委員】法令の無効確認、あるいは法令に基づく権利の存在等の確認とあるのですけれども、法令の無効確認と言うと、これはどういう訴訟になるのですか。つまり、抗告訴訟としての無効確認訴訟を念頭に置いているのではないでしょうか。

【小林参事官】処分でないから当事者訴訟ではないかと思います。

【水野委員】何で確認訴訟が出来ますかね。

【塩野座長】確認の利益がある限り出来るのではないですか。

【小林参事官】法令によって、そういう権利義務関係があるかないかが争いになるので、その元となる法令の無効確認することも公法上の法律関係であると考えます。

【水野委員】いや、私の理解では、要するに法令を処分ととらえて、それで行訴法上の無効確認訴訟を念頭に置いているのかなと思ったのです。つまり、処分があって、その処分が無効だと、その処分に続く後続的なあれですね。だから、その場合には、後の法律関係の無効確認訴訟をやるのは、ある意味では当然だと。そうすると、仮に基の処分が無効ではなくて、取り消すべきものだとした場合に、同じ結論になるのかどうか、そこが1つ。

【塩野座長】それをやりますと、今の取消し、重大明白の問題が出てくるということがありますので、法令の無効確認の場合には、そういうことを議論する必要はないわけです。

【小林参事官】この資料の②は「国に対し」と書いてあります。最高裁昭和41年大法廷判決の第一審の東京地裁の判決も明確にそう書いてあるので、これは当然に当事者訴訟であると考えております。

【水野委員】当事者訴訟でそれが出来るというのは、どういう理屈なんですか。

【塩野座長】これからの御議論もありますけれども、余り抗告訴訟と当事者訴訟というふうに2区分しないで、後で括り方として抗告訴訟という概念が残るか、残らないかということは別にありますけれども、現在のところ用意しているのは、取消訴訟という形成訴訟が1つぽんとあって、更に取消訴訟の対象となる処分の差止め、あるいは義務付けを求める義務付け訴訟というものがあるというふうにお考えいただいて、抗告訴訟というカテゴリーがあって、それに排他的管轄が及ぶのだということは今は考えない方がいいと思うのです。要するに、救うべき状態が起きたときに、確認訴訟というものがどの程度効きますか、あるいはどういう活用の仕方がありますかということを議論していただきたい。これは、確認訴訟、確認訴訟と言うけれども、どんなことがあるのか全然分からないで抽象的に議論していてもしょうがないという御意見が幾つか私の耳にも届きましたので、具体的な場合について、こういう活用方法があるということをまず御確認、あるいはまず議論をしていただいて、それから抗告訴訟と考えるか、当事者訴訟と考えるか、どうするかというふうな話に移っていただければと思います。

【水野委員】さっきちょっと話ししましたのは、薬局のケースは、無効であることを前提に請求しているわけです。その場合には認められるということは、私は当たり前だと思うのです、その限りにおいては。ところが、例えば、これは法令ですけれども、仮に通達か何かでやるとして、それが処分性があるというときに、しかし無効とは言えないという場合であれば、やはり取消訴訟でやってこいという話になるのではないでしょうか。

【塩野座長】だから、それもいろいろ議論していくとなると、そういうものだから、むしろ通達や何かについては、処分性があるなんて言わない方がいいと。

【水野委員】それは次の議論ですけれども。

【塩野座長】いやいや、次の議論というか、紛争の解決としてではあるのです。違法確認ということで、当事者訴訟を通して解決した方が、いろんな余計なものを引っ張り込まなくて済むという問題があります。それから、今まではとにかく取消訴訟ではないと救済出来ないのだという固定観念が学説にもあったし、あるいは裁判所にもあったということですけれども、その固定観念を取っ払うと、割合自由にいろいろな議論が出来る。私は、ドイツがその例ではないかと思って、アメリカはもっと最たるものですが、あれを持ってくると、また何がなんだか分からなくなるので、ドイツでも行政行為という非常に固い議論があるのだけれども、それを拡大してどうこうということではなくて、いろんな救済方法を考えましょうと、そういうモデルとしては参考になるなと思ったわけです。

【水野委員】この場合に、一番問題なのは、行政処分的なものがありまして、それに基づく何らかの確認訴訟を想起するときに、権利ないし法律関係というものが生ずる場合には、これは確認訴訟に乗っかってくるだろうと。ところが、そういうものとして構成出来ないような場合にどうするのか、そこが一番問題なんです。例えば、権利義務ないし法律関係ということでなくてもいいのだという議論をすれば、例えば処分自体の違法性を確認出来るのだといったことが出来れば、これは解決すると思うのです。ところが、通常の民事訴訟の確認訴訟というものは、やはり権利義務ないし法律関係の確認という前提でありまして、過去の行政処分の確認、過去の事実ですからね、その確認は出来ないという原則なんです。だから、それ自体の違法性の確認を求めるということであれば、その特別規定が要るだろうということになる。だから、行政事件訴訟法の無効確認訴訟もそういう説明なんですね。つまり、あれは普通の民事訴訟の感覚では出来ないわけであって、わざわざ行訴法であの規定を置いたから出来るのだということなんです。やはり、そこの問題だと思うのです。

【塩野座長】その辺は、私はちょっと申し訳ないのですけれども、昭和37年の行訴法の立法者は、私はあれは過ちを犯したと思っています。せっかく下級審が無効確認訴訟を判例でどんどん認めているときに、民訴法のドクマチックで、それは本来認められない。そこで法律関係に関する36条を作って、非常に範囲を狭めたのです。あれは私はドクマチックとしては大変立派なものだけれども、紛争の解決としては、あれで良かったのだろうかと、その反省を今しているところなんです。
 もう一つは、ドイツのこれも結構、いろいろな権利義務関係もあるわけですけれども、例えば行政指導の場合も地位確認というふうに引き直してみたり、それから行政立法ですと、このまま無効確認を言っているのですか。

【山本外国法制研究会委員】 違法確認です。

【塩野座長】ごめんなさい、違法確認ですね。違法確認というものをストレートに認めていて、私が疑問なのは、ドイツの確認訴訟というのは、日本の親元でしょう。親元が民訴で、これもドイツの確認訴訟の訴えの利益を特別に行訴法で規定しているわけではないですね。単に補充性のことを書いているだけで、ここまで言っているのに、何で日本だと立法が必要だということになるのだろうかというのが、それが私の根本的な疑問の1つなんです。それで、民訴法の山本教授にお伺いしたところは、民訴でもいろいろ動いているところで、なかなかそこは難しいのだけれども、自分の学説としては、行政指導の、この場合は無効確認と言われましたが、あれは私は正確に言えば、行政法的に言えば、違法確認だと思いますが、行政指導の無効確認あるいは違法確認も認められる場合もあるというふうに自分は思うというふうに言っておられたところがあります。ただ、民訴自体も非常に動いているところですので、行訴法でそれをそう簡単には乗り越えられるとは私は思っていないのですけれども、こういう形で取消訴訟に固執しないで、どんどん権利救済を図っている例が外国法にあるし、また昔の日本の裁判官も結構やっていた、あるいは昔の無効確認訴訟をどんどん提起した弁護士が今よりもちゃんとやっているのではないかという気がするのです。何で、もっと確認訴訟を使いこなしてこなかったのかと、そういう気持ちがあるものですから。

【水野委員】例えば、都市計画決定で、地域指定の変更をした、緩めたという場合、その当該本人は、規制が緩んだわけですね。ところが、隣りに、そのために高い建物が建つと、その変更自体が違法であるという争いをしようとしたときに、これはどうなりますか、確認訴訟でやれるということになるのでしょうか。

【塩野座長】それは、私は確認訴訟で余りうまくは解決出来ないと思うのです。それはやはり行政計画立法でやらないといけないのです。ドイツのように、他の訴訟を排除するとか、いろいろなことまであんなにがたがたやるかどうかは別として、それなりのきちんとしたものを計画立法で作らなければいけない、手続と救済を両方ですね。
 その意味で、先ほど小林参事官が参考として読まれ、そして我々のたたき台でも今後十分検討しましょうということで、行政計画立法は十分検討するという方向で書いてあるわけですけれども、そこがきちんと行かない限りは、確認訴訟で幾らやってもそういい解決は認められないと思います。

【水野委員】そうすると、やはり処分性を広げる方向で救済に乗っけていくという方がいいのではないかという議論になりませんか。

【塩野座長】いや、処分性を広げても、また大変難しい話がいろいろあるのです、判決の効力とか、いろいろな部分が出てくるのです。ですから、それがきちんと計画立法で判決の効力、あるいは遮断効、あるいは違法性の承継を遮断するかどうかということをきちんと定めなければいけない。それは私は早急にやらなければいけないことだと思うのです。あえて言えば、この改正行政事件訴訟法と同時に本来は走るべきなんですけれども、それが遅れているのです。

【小早川委員】今、挙げられた、緩める計画、地域指定、この種のものについて、第三者から確認を求める利益はあるのでしょうか、ないのでしょうか。つまり、この41年の薬事法のものも、自分が許可なしに開業してよい地位という地位の確認を求めたわけです。その場合、自分のことなら法令の無効に基づく現在の法律関係の確認を求めるわけだけれども、他人のことはどうなのか。地区計画なり用途地域に関する最高裁の判例で、法令と同じだと言っている。では、その法令が違法なんだから、何とか不動産は建てていいように一見見えるけれども本当は建ててはいけないのだよと。そういうのは出来ないという理屈は何なんだろうか。

【塩野座長】それは、水野委員も思っていると思いますけれども、それで基本的に解決するでしょうかという御疑問だと思うのですけれども、それは処分性を与えたからといって、うまく全部解決出来るかどうか、違法性の承継も含めて、そういう問題が残るのです。だから、私も確認訴訟が万能だとは一言も言っていないのです。

【小早川委員】確認訴訟は出来ないのだろうかというのが私の問題意識です。水野委員は、それは多分出来ないから処分性を拡大して取消訴訟、という未練を持っておられるわけですね。他方で塩野座長も確認訴訟では駄目だよとおっしゃるのだけれども、なぜ駄目なのか。

【塩野座長】駄だとは言っていないのです。それで都市計画という用途地域指定というものがうまく全体として、システムとしてうまく収まり切るでしょうか。出来ることは、私は確認の利益がある限り出来ると思うのです。ですから、カテゴリーとして出来ないということはないはずなんですけれども。

【小早川委員】そうですか、さっき出来ないとおっしゃったのかと思ったので。

【塩野座長】いや、出来ないというのは、確認訴訟を認めても全体としての合理的なシステムとして都市計画を実現するのには余りふさわしくない道具ではないですかという意味です。もし、そういうふうに聞こえたら撤回します。

【小早川委員】なぜ、41年の薬事法みたいに本人の地位確認なら出来るけれども、第三者の地位確認は難しいということになるのですか。

【塩野座長】難しいとは言っていないです。それを認めたとしても。

【小早川委員】それは認めていいのではないかと。

【塩野座長】いいですよ。

【小早川委員】この薬事法違憲訴訟と同じように、都市計画違法訴訟というものがあってもいいのではないかと思いますが、それのどこがまずいのか。

【塩野座長】あってもいいのですけれども、それで都市計画がうまく動くかなと、そこは都市計画の仕組みをもう少し私もよく考えなければ分からないのですが、判決の効力とか、それからいろいろな人がいますから、そういう点を全体としてシステムとして考えてみた場合に、いいかどうかということで。

【小早川委員】対世効の問題ですかね。

【塩野座長】ええ、それもあります。

【水野委員】ですから、小早川先生がおっしゃったように、違法確認訴訟みたいなものを条文に置いて、過去の事実だけれども処分の違法性を確認出来るというふうにすれば、あとは原告適格の問題だけですから、原告適格を認めて、中に入らせれば、それでやれるという議論にはなると思うのです。

【小早川委員】何とか建設は建てられないよということの確認ではなくて、およそこの地域にこの都市計画に従って建てようと思っている人は、そうはいかないよ、という確認はなぜ出来ないのか。

【塩野座長】それで何で条文が要るのですか。

【水野委員】やはり違法性の判断というのは、過去の事実に対する確認ではないですか。

【塩野座長】過去の事実で認められないというドクマーティクというのは、今でもあるのですか。

【水野委員】それはあるのではないでしょうか。

【塩野座長】それは段々、崩れているのではないですか。

【水野委員】そうですけどね。

【深山委員】結局、ドグマチックな考え方に実務家の方が毒されているせいもあって、しかもそれが崩れつつあるのも、ある程度は分かりつつも、なかなかかみ合わないと思うのですが、確認訴訟というものは、よく民訴の教科書に書いてあるように、どんな法律関係でも事実関係でも誰がどう確認しても確認は出来ると、一応論理的には。だけれども、国家組織で裁判所の確認判決という形で求めることを許すには、それは隣りの人の持ち物があるかないかの確認なんてしても困るから、紛争解決の手段として国家機関を使う合理的な理由があるものに限定しましょうということで、原則は現在の法律関係と権利義務関係です。ここは少し民訴のつたない知識ですけれども、学説上の変遷はありますが、紛争の抜本的解決になるなら、過去の法律関係でもいいでしょうと、最近はまたそういう考え方が非常に、一時衰退したのですが、強まってきていますので、現在の法律関係に引き直すことは可能であっても、より抜本的な解決に資するなら過去の法律関係の確認でもいいですよと。ここは、しかし権利義務関係の存否と無効・有効の話までで、違法というのは、そこから出てこないのです。山本教授が言われたのは、しかし紛争の解決のために現在の法律関係の確認を前提としながら、過去の法律関係を許すなら、より合理的なら過去の事実行為の違法確認、これは法的な効果、有効・無効は確認の対象に出来にくいのであれば、そういうことがあっていいのではないですかと、要するに救済の視点というか、憲法上の裁判を受ける権利の保障ということからすると、それが最もふさわしい紛争解決の裁判制度の助けになる、それは認めていいのではないかということを言われたのだと思うのです。それは1つの考え方で、そこまで行くというのは、大分思い切った考え方だと、私は民訴のカテゴリーからすると思います。ただ、現在の法律関係に、必ずしなければいけないと、それこそ昭和30年代、40年代に非常に強く言われた考え方は、今は少しきつ過ぎて過去の有効・無効まではいいでしょうと、更にこれは行訴ですし、学説の方向はそちらに遡って、確認の利益があるかどうかで結局全部考えればいいではないかという方向に行っていますから、塩野先生が言われるようにどんどん動いていって、ただそれを法定するとか、何とかという類いの話ではない、つまり確認訴訟の確認の利益がどういう場合に認められるかというのは、延々たる議論があるけれども、一つも条文はないと言っては言い過ぎですが、ほとんど条文はないのです。

【水野委員】いや、一つもないでしょう。

【深山委員】証書真否確認の訴えがどうかとか、そのぐらいですね。

【水野委員】あれは要件なかったですか。

【深山委員】だからこそ確認の利益にそこを収斂させるという議論が正しいというか、そういう体制が組めるのなら書きようがないのです。

【福井(秀)委員】難しいのかもしれませんが、私は出来るだけはっきり分かるように書いた方がいいのだろうと思っています。さっきの計画の場合、例えば用途地域の変更の話題も出ていましたし、区画整理事業計画の話題も出ていましたが、例えば用途地域の変更だと、緩くなって得する人と損する人がいる、そうすると二面性があるわけですから、後で、例えば工業地域に変わったから工場進出したのに、いざ建築確認の段階でアウトだというと大変なことになりますし、工業地域に変わって静ひつな環境を奪われてたまらないという人が、いざ工場が出てからでないと争えないということも不合理だと考えれば、やはり手前で争える、しかもそれに対世効を持たせるような手立てをしておかないと、実質的には混乱が深まると思うのです。私は、別に処分でなくてもいいと思うのですけれども、確認訴訟でそこはやはり明確に根っこのところを叩けるようにして対世効を与えるということが出来ることがはっきり分かるようにしておくということに非常に大きな意味があると思います。それから、区画整理事業計画について言えば、元々あの事件は長年放置されっぱなしで仮換地になかなかいかないということが不服の中身だったわけですから、後で差止めとか取消訴訟に移行するという問題ではないわけです。ヘビの生殺しが困る。とすると、こういうのは、やはり計画自体の失効なり、違法なりという形で、あれは処分ではないとすれば認めておかないと、結局救済にはならないと思います。
 病院の開設申請で医療法の減床勧告というものがありますが、要するにもっとベッド数を減らせ、これを無視して建てたとしても、開設は許可されるけれども、結局保険医療機関の指定がなされないということになるので、指定の拒否処分を受けてから例えば指定せよという義務付け訴訟では間に合わない、ハイリスク過ぎる。とすると、病床の勧告というようなこと自体をとらえて争える。そこの違法の確認だけでいいという方が多分紛争解決の手段としても合理的であろうと思うのです。
 もう一つだけ言っておくと、医療費の値上げの職権告示というのもあるのですけれども、これも値上げされては困るということをかかる予定の病院相手にやるのだとすると、無数になる可能性もあるわけで、告示をやっている厚生労働大臣相手に、告示自体が違法だと確認出来れば、しかもそれに対世効を持たさせておけば一挙に解決する。この種のことは多いと思いますので、それがはっきり出来るのだというようなことを、やはり立法で具体的に書いておくことに意味があると思うのです。

【塩野座長】職権告示の場合は取消訴訟が働きましたね。

【芝池委員】今、福井秀夫委員が言われた、はっきりさせるというのは、何をはっきりさせるのですか。

【福井(秀)委員】出来るということ、対世効を持つということです。

【芝池委員】確認訴訟でですか。

【福井(秀)委員】はい。

【芝池委員】確認訴訟は別にあってもいいかなという感じなんですけれども、ただ現在取消訴訟において、今の職権告示でありますとか、あるいは行政計画について一定の限界内においてですけれども、争うことが認められているわけです。そういう裁判例の流れで確認訴訟を法定することがマイナスの効果を持つのは困ると思います。個人的には、今でも取消訴訟活用論でいいと思っておりますので、確認訴訟を何らかの形で法定とまで行かずとも、明確化されるのは結構ですけれども、マイナス効果が他に波及しないようにお願いしたいと思います。

【小早川委員】今の職権値上げ告示の問題は、確かにちょっとクルーシャルです。この確認訴訟を認めることによってあの東京地裁の解釈はもう要らないという整理もあると思うのです。あれは、いわば分解して、特定の健康保健組合に対してはこの告示はしっかりした法律効果を及ぼしているではないかと、そういうふうに短冊型に切った、それは確かに巧妙な解釈です。しかし、告示は公定力も何もない立法行為なんだ、だからそれが違法だったら無効ではないか、だから違法の確認を求める、ということがもし出来るのであれば、それはそれでもいいのかなという気もする。私は芝池さんとはちょっとニュアンスが違うかなと思っているところです。私も先ほどは対世効が要るのかなと思ったし、そういうふうにおっしゃる方がいるのですけれども、単に過去の立法行為なり計画決定行為なりの違法を確認し、それをあずかる行政庁としてはもうそれを適法として執行しては駄目だよ、というだけのことであれば、対世効は要らないのかなと。対世効を付けるとなると立法としてなかなか大変ですが、この確認訴訟一本で、そういうこともひょっとして出来るというぐらいのところも、立法政策としてはあり得るのかなと。ただ解釈論はいろいろ残るかもしれませんが。

【塩野座長】今の問題は当事者訴訟に、今の条文で行きますと、拘束力が働きますので、行政庁として放っておけないのです。何らかのことをしなければいけないということになる。
 もう一つ、ここは民訴法のドクマーティクですけれども、無効確認訴訟に第三者効を認めるべしということで、田中二郎先生、雄川一郎先生が迫ったけれども、それはもうがんとして受けなかったのです。兼子一先生が、これはもうがんとして、それはやはり非常に民訴法の一番のプリンシプルで、一番大事なところではないかと思うのです。ですから、それをそう簡単に立法化しろといって提案したらば、これはなかなか通らない、民訴法との関係でも大げんかをしなければいけないということになって、そこは慎重に考えなければいけない、気持ちはよく分かりますけれども。それから、ある特別の類型でもって、例えば特許無効確認ですと、あれは別に条文を引いていなくても第三者効ありということで、今、動いているようなんですけれども、そういう特別のものとか、それから今度は都市計画や何かでの、場合によっては無効確認というものを認める、それは第三者効を持つという、そういう仕組みは出来ると思いますが、一般論として、福井秀夫委員のおっしゃるような形では、なかなか辛いなという感じがします。

【福井(秀)委員】 その場合、先ほどの、例えば用途地域指定のような場合ですと、結局都合のいい人と悪い人がいるという二面性がある場合に、対世効がなくて、両方の適法確認と違法確認が例えば併存したりして、判決が矛盾抵触するとか、あるいは参加も出来ないうちに、いつの間にか下っていた違法判決で指定が変わって、もちろん対世効はないかもしれないけれども、判決の拘束力でそれこそ指定換えがあったというときに、不測の被害を被る人が出てくる。そこの混乱をどう解決するのかという問題はあると思うのです。

【塩野座長】それは先ほどの繰り返しになりますけれども、やはり都市計画なり計画立法で、個別法できちんと対応すべきではないか。ドイツ人はそれをやっているものですからね、かなり一般法的にね。

【福井(秀)委員】いわば計画的な実体法の方のシステマチックな改変がないときに、いわば確認訴訟が個別に出てくる、しかも対世効の問題や判決の効力のことを余り気にしないで、認められることを前提に制度が変わってしまうと、実質的には混乱があると心配します。

【塩野座長】それは早くやらないと、非常に混乱を、そのとき私も申し上げましたが、放って置くと大変な混乱が起こりますということは申しました。

【小早川委員】ただ、都市計画の例で言えば、この線引きが合理的かどうかということで裁判所で違法確認判決が出るということは余りなく、手続問題の方が多いのかなと。そうだとすれば、拘束力も、もう一度やり直せという意味の拘束力になりますから、行政庁としてはもう一度やり直すということで、余り混乱は起きないのかなと。

【塩野座長】ただ最近、そう簡単にかなり実体法に踏み込んで、いろいろ判決が出ますし。

【福井(秀)委員】小田急判決、圏央道判決みたいなものだと、今のような問題が顕在化すると思います。

【市村委員】今のは確かに手続に限って言えば、それだけに本当に限定された訴えであれということならいいのですけれども、恐らく違法事由としては、どこまでも言えるという、そういう舞台の中で出てくるものです。そうなると、やはり先ほど福井秀夫委員が御指摘になられたように二面性があって、逆の利害関係人が、むしろ原則的に入ってこれるような舞台装置というものがどうしても必要だと思うのです。それは、やはり計画、計画に応じて、どの人までをどういうふうに引き込むかということを一つ一つ考えざるを得ない場面だと思いますので、適切な解決としては、やはり先ほど座長がおっしゃられたように、個々の計画の中で少し実体規定を整備していくということを促すという方法をやらざるを得ない分野だろうかなというふうに思いました。

【塩野座長】他に、今日は、いろんな確認訴訟の事例が考えられますということで、こういったものを前提にして、今後どういうふうに図っていったらいいか、これはまた事務局なりにいろいろ考えていただくことになろうかと思いますが、ただ一般的にかちっとしたとりまとめはするつもりはありませんけれども、やはり確認訴訟というものも活用ということは、日本法としても考えていいのではないか。また、民訴法の基本的なドクマーティクがありますけれども、民訴法も揺いで、多少変わっている段階において、行政訴訟なりの確認の利益というものも考えてもいいのではないか。山本教授の説もございましたし、そういう方向の学説もあるということで、私としてもそういうものを考えてもいいのではないかというふうに思う程度の総括ということでよろしいでしょうか。

【芝原委員】今の確認訴訟は、結局類型として作る方向で一歩踏み出そうということなんでしょうか。聞いていて、いや要らないというような感じにも聞こえましたし、ちょっとその辺がよく分からないのですが。

【塩野座長】類型は既にあるのです。ですからそれはありますけれども、それを条文上、書くのかどうかということで、まだそこは今日は詰めていないということでございます。訴訟のルートは普遍的なものとしてあるのだということです。

【芝原委員】このドイツのものを見ていましても、ここまでかなり本格的に中身をこういうレベルまで認めるかは別にしましても、確認訴訟としては、かなり牽制機能としては有効だと思いますので、牽制機能としての効果を持たせるような確認訴訟は、私はもっとあってもいいのではないかなという感じがしていまして、取消しとか、何かやや重いというイメージではなくて、もう少し軽いイメージのこういうものが日本らしくあってもいいのではないかという感じを受けました。

【成川委員】大体座長のまとめで、私としては大体理解出来たのですが、原告適格の拡大については開かれた規定で、解釈規定を是非設けていただきたいと思いますし、原告適格が義務付け訴訟なり、差止訴訟の、また原告適格とほぼそれを利用するということなので、その点においても、それが何らかの制約にならないような形の定めを是非お考えいただきたい、こんな感想を持ちました。

【塩野座長】他に何かかございましょうか。ちょっと時間が経過しておりますけれども、もう最後ですから、私は最後、どこまででもお付き合いいたしますので、この際、次回のことについて、次回はこういうことについて注意をしてほしいとか、そういう御要望も承ります。

【水野委員】これからのことですが、どういう形でまとめていくかという問題があると思うのですけれども、あと1回だけ決まっています。それで12月と1月、2月までか、その辺りまでは一応入れておく必要があるのではないでしょうか。

【小林参事官】今後の立法のスケジュールを考えますと、この議論の骨格は、相当早く詰めないと、我々立案作業が進まないと考えておりまして、そういう意味では、なるべく早く検討を詰めていただきたいと思っているのです。では次回で、全部出来るかどうかというのは、それは今日の検討状況もよく踏まえて、我々事務局でもよく相談をさせていただきたいと思いますが、そんなに先まで延ばすということは、ちょっと立案上難しいのではないかと思います。

【水野委員】この次、まだ仮の救済の議論をやりますね。

【山崎事務局長】その点もありますけれども、ただ今、2月とおっしゃられましたけれども、2月だったら法案としては出来ません。

【水野委員】12月、1月。

【山崎事務局長】1月でもいろいろな手続がありますから、1月の下旬にいろいろな手続が全部出来るような状況になっていなければ、はっきり言いましてもう完全にアウトです。ですから、必要であれば、12月、それから1月の真ん中より前、どこかに入れるということは、それはちょっと熟度の関係であり得る話かもしれません。

【水野委員】これがあと1回だけですと、もうどうしょうもない。だから、もう少し何回か入れないと。

【山崎事務局長】皆様方、いいですか、暮れのお忙しいときに。

【水野委員】そうじゃないと、このままではだめでしょう、やはり今日だって結論が出ていないわけだから、ある程度最終的にこういう形でという結論を確認することは少なくとも必要で、そうでないと今までやってきたことは意味ないですから。

【山崎事務局長】御指摘を踏まえまして、早急に検討します。

【塩野座長】ただ、私としても、やはり司会をしております関係から申しますと、出来るだけ御意見は、ここで十分言ったという満足感を味わって報告書をまとめたい。どこか、たまっていますと、それは大変その方にとっても不幸ですし、私は検討会の報告書としても不幸な問題だと思います。そういう意味では議論を尽くしていただきたいと思いますが、さはさりながら、やはり立法作業に取りかからなければならないということもございますので、そこはやはりバランスの問題がございますから、なかなか難しいところかと思いますが、金曜日に忘年会はとりあえず避けておいていただきたいというお願いはしておいてもよろしいかろうと思います。

【水野委員】最終的にはどういうものを作るのか、どういうイメージをお持ちなんですか。今、報告書とおっしゃったのですか。

【塩野座長】そこも検討会としての報告書ということになるのかどうかということは、まだ事務局も私も詰め切っていないところです。この検討会というのは、非常に一種独特なものでして、普通の審議会とは違うということは、もう皆様御承知のとおりだと思いますから、先ほどちょっと言いましたが、それを報告書という形でとりまとめるのかどうかという形式的な問題は別として、私が先ほど申し上げたかったのは、要するに、言いたいことは言ったという検討会にはしたいというふうに思っております。

【水野委員】それは、いいのですけれども、言いたいことは言ったけれども、何も実らなかったのでは困るので、やはり検討会をやってきた成果は、こういうものだったということは、残さないといけないでしょう、そういう報告書という形ならそれでいいかもしれませんが。

【塩野座長】これは、検討会の横並びの問題もありますので、どうぞ事務局の方でじっくり検討してください。

【山崎事務局長】検討会によっても、様々な報告書と言うのですか、最後の整理と言いますか、これは様々ありますので、その実態に合わせていくほかはないだろうと思います。

【水野委員】だけども、例えば、他の簡裁の事物管轄を何ぼにするかという話とは違って、ある程度これだけの議論をしてきたわけだから、やはりその成果はきちんとまとめて残すような形にしないといけないのではないですか。あとは立法作業に一定の方向付けをきちんとしなければいけないわけでしょう。

【山崎事務局長】ですから、この前から私が申し上げているのは、本当に時間がないものですから、立法作業に向けてそこのところのまずまとめをしていただかないと、全体について、ではまとめを云々という話とか、それはもう今の段階では不可能でございます。

【水野委員】いや、だから不可能なことを言っているわけではなくて、可能な話をしているので。

【山崎事務局長】可能なのは、この立法に向けてのコアですね、こういうものをどういうふうに整理出来るかという問題はあると思います。それを今、我々としてまず中身を詰めることを先決にさせていただきたい。それいかんによってやり方は決まってくるというふうに思います。

【塩野座長】よろしゅうございますか、他に何か御意見、御要望等ございますでしょうか。
 それでは、今日は、ちょっと時間を超過いたしまして、大変恐縮でございました。では、次回の日程を。

【小林参事官】11月28日金曜日の午後1時半ということで、今、水野委員から御指摘のあった仮の救済と、今日の検討状況を踏まえて、更に詰めなければいけない部分について、我々の方も努力したいと思っております。その後どうするかは、よく検討してまた御相談したいと思います。

【塩野座長】 どうもありがとうございました。長時間どうもありがとうございました。