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行政訴訟検討会(第26回)議事録



1 日 時
平成15年11月28日(金) 13:30〜17:50

2 場 所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官

4 議 題
(1) 論点についての検討
(2) 今後の日程等

5 配布資料
資料1 執行停止の要件(検討参考資料)
資料2 執行停止以外の仮の救済[仮の義務付け・仮の差止め](検討参考資料)
資料3 執行停止決定に対する不服申立て(検討参考資料)
資料4 取消訴訟の原告適格の拡大(検討参考資料・補充)
資料5 義務付け訴訟の法定(検討参考資料・補充)
資料6 差止訴訟の法定(検討参考資料・補充)
資料7 確認訴訟による救済の可能性、行政訴訟の対象(検討参考資料・補充)
資料8 処分の理由を明らかにする資料の提出(検討参考資料
資料9 行政訴訟をより分かりやすく、利用しやすくするための仕組み(検討参考資料)
資料10 アメリカにおける確認訴訟(宣言判決)について(中川丈久神戸大学教授作成)
資料11 行政訴訟検討会開催予定

6 議 題

【塩野座長】それでは、時間になりましたので、第26回「行政訴訟検討会」を開会いたします。事務局から本日の資料について説明をお願いいたします。

【小林参事官】資料1から11までございます。それと、「たたき台」その他のこれまでの検討資料と、水野委員の資料、外国法制の関係で論文の写しもあります。

【塩野座長】よろしゅうございますでしょうか。それでは、本日は本案判決前の仮の救済の制度についての検討、それから、前回、検討いただいた事項について、追加の検討を行っていただきたいと思います。いずれもこの検討会での議論を踏まえた上で、事務局に資料を作成していただいております。これを参考に検討して問題点を詰めていきたいと思います。事務局から、既に検討の方向性がある程度固まったものと思われる論点について、資料もお出ししていただいておりますので、その確認をする時間も最後になると思いますけれども、設けたいと思います。こういった順序で、つまり仮の救済をまずやって、義務付け訴訟、原告適格等をやって、訴訟をやりやすいようにという国民の利便性の観点からの確認的な資料を出しているという、その順序で行きたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。

(委員から異論なし)

 それでは、まず本案判決前の仮の救済の制度の整備について、検討をしたいと思います。事務局から資料の説明をしていただきたいと思います。いろいろなところがございますので、項目ごとに事務局から資料の説明をしていただき、それに続いて意見交換をするという、多少ぽきぽきと折れるような感じになるかと思いますが、そういう形でやりたいと思います。

【小林参事官】資料1「執行停止の要件(検討参考資料)」を御覧いただきたいと思います。この第1として「執行停止の必要性の要件に関する検討課題」を掲げました。行政事件訴訟法第25条第2項で、執行停止の必要性の要件について、ここのかぎ括弧に掲げてございますように「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件を規定しております。この要件について、仮に回復の困難な損害という文言を重視して、損害の性質のみによって定まる要件というような解釈をとったときには、執行停止の運用は事案に応じた妥当なものとはならないのではないか。むしろ、行政事件訴訟法25条2項は、それ自体を丁寧に読むと、要するに処分の執行という問題と、それによって生ずる回復の困難な損害という損害の問題と、緊急の必要という必要の問題と。こういったものを全体としてとらえて、考えるべきものではないだろうかという問題があろうかと思います。そこでその要件を全体としてとらえた場合に「(a)処分の執行によって原告の受けるべき損害の性質・程度と(b)処分の内容・性質上執行の停止によって生ずべき公共の福祉への影響の程度との比較衡量を通じて判断がされるべきではないか」ということを問題として検討課題を提示しております。
 具体的に①の問題ですが、例えば、財産上の損害に限らず民法上は生命、身体、自由、名誉など、財産以外の存在も金銭賠償は可能だとされております。ですから、当然、金銭賠償が可能かどうかという観点だけから、回復の困難な損害という範囲が決まるものではないので、そうだとすると結局は回復の困難な損害と要件を書いてあっても、損害の性質や程度を具体的に考慮した上で、そういった金銭賠償による損害回復について権利救済としての実効性がどの程度のものと評価されるのかという判断が必要なのではないかということをここで提示しております。
 ②については、生命、身体、自由、名誉など財産以外の損害については、損害の性質上、後で金銭賠償を受けたとしても、それを完全な損害回復と見られるかというと、それはそうは言えない場合が多いのではないかと思われますが、それでは、そういう損害の性質だけを考えて、損害の程度も考慮しないで回復の困難な損害に当たるというような解釈は出来るかというと、それはまた適切とは言えないのではないか。結局は、損害の性質・程度を総合的に考慮して定めるほかはないのではないかという問題がありまして、裁判例の運用については別紙のさまざまな考え方を示した裁判例があって、裁判例も丁寧に見ると、そういった運用がされている。柔軟に努力はしているのではないかとも思われるところがあります。 
 ③は、行政事件訴訟法第25条第2項の、今申し上げたかぎ括弧の全体としての必要性の要件の立法趣旨は、処分を受けることによって被る損害が金銭賠償不能、または原状回復不能のものでなくとも足りるけれども、執行停止によって原告の受けるべき利益と当該執行の不停止によって維持される公共の福祉とを具体的事情の下で比較衡量して、後者を犠牲としても、なお救済に値する程度の損害かどうかによって相対的に定めるべきものというふうに立法趣旨は説明されているところで、結局のところ、執行停止の必要性として損害を考慮するに当たっては、損害の重大性といってもそれによって量的に一定限度を超えたら当然認めるとか、それを下回っていたら認めないとか、そういうレベルの問題ではないのではなかろうか。結局は処分の内容及び性質との相対的な判断をすることが求められるものではないか。その立法趣旨は、今のような立法当時の解説の中にも表れているのではないかと思われるところです。執行停止が、そのような相対的な判断をしながら、本来適切に救済すべき場合に適切な救済が得られるような執行停止の要件の在り方をどう考えるべきか、ということで、第2の「損害の程度などを総合的に考慮すべき旨の規定の考え方」として①と②を掲げています。特に損害の性質のみならず、損害の程度も総合的に考慮する。具体的な損害に応じて金銭賠償の実効性などを適切に評価し、必要な執行停止決定がされるようにするために、執行停止の必要性を判断するに当たって、損害の性質及び程度を考慮すべきことを規定することを考えてはどうかというのが①の問題で、また、それとの対応関係で②で執行停止の必要性の判断は、そういった損害の重大性ということだけで定量的に一義的に決まるものではないので、処分の内容及び性質などとも相対的に比較衡量して判断することが出来るということを明確にする趣旨で、例えば、処分の内容及び性質を考慮すべきことを規定することはどうかという問題点を提起しております。
 ③は、その次の検討課題として、執行停止の必要性の判断において、損害の性質のみならず、損害の程度を考慮するとともに、処分の内容、性質等との比較衡量も総合して判断されるべきことを、今のような考慮事情を法文上規定して、執行停止の要件を全体としてとらえて適切な解釈を示した判例の考え方を明示するということによって確保されると考えるべきか、それとも回復の困難な損害という損害という部分に着目して、その条文を変更する必要があるのかどうかということを検討する必要があるのではないか。仮に変えるとなると一体どこがどう変わるのか、損害要件だけに着目されることになってしまうことにもなるのですが、そういうことをどう考えるのかという問題はあろうかと思います。

【塩野座長】今までの検討経過を踏まえまして、一応こういうふうに事務局の方でまとめてございます。御意見、あるいはこのまとめ方について、御質問があれば、どうぞ承りたいと思います。

【水野委員】執行停止の要件の緩和ということで、ペーパーを用意いたしましたが、これは発言のメモというふうに御理解いただきたい。今回、このペーパーを事務局からお出しいただいたのですけれども、このペーパーは要するに回復困難な損害という今の条文を変えるかどうかということについて、第2の③で書かれてありますけれども、それはそのままにしておいて損害の性質及び程度、あるいは処分の内容及び性質を考慮して決定すべきだという一種運用規定というか、解釈規定というか、そういったものを置いたらどうかというような御提案と受け止めました。執行停止の問題は、要件が回復困難な損害を避けるために緊急の必要があるときという、非常に厳格な要件になっているわけで、これまで執行停止というのが十分機能してこなかったというのが我々、弁護士側の実感でありますから、この執行停止の要件を緩和するということは何より重要である。それが今回の改革である。これをまず確認したい。例えば、今日の資料にも出ておりますけれども、ダムの建設によって生活本拠が水没するといったケースまで回復困難な損害ではないと言われたりしているのであります。今日のペーパーで、判例が全部で12出されておりますけれども、この中で肯定されたものはわずか3つにすぎないのです。その他9つは全部否定という状況でありますから、やはり要件を緩和する必要があるだろう。そこで、この「回復困難」なというのが非常に狭めている原因でありますから、ここは手続の続行により生ずる損害を避けるため、緊急の必要があるときはということでいいのではないのか。「回復困難な」という要件を外すべきではないかと思います。さらに、3項に、「執行停止は、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、・・・することができない」という規定があるわけでありますけれども、この「公共の福祉」という概念が非常に抽象的でありますから、これによって執行停止が出来ないというふうなケースがある。そこで、これを公共の福祉という抽象的な概念ではなくて、具体的な規定を置くべきではないか。例えば、私が例として出しましたが「①国の安全が害されるおそれががあるとき」。「②他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあるとき」。「③犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあるとき」。こういった要件を掲げまして、こういった場合には執行停止が認められないというふうな、公共の福祉という抽象的な概念ではなくて、こういった具体的な要件を書くべきではないかと思います。
 暫定的執行停止制度というのが言われているわけでありますけれども、検討会でもそういう意見が出ていたと思います。執行停止の要件があるかどうかということについて判断するためには、少し時間がかかる。そういう場合には、とりあえず一定の期間だけ裁判所の判断で暫定的に執行停止が出来る制度をこの際導入すべきではないか。これにより、かなりの事件が適切に解決されることがあるのではないかと思いますので、そういった点について実現するようにしてもらいたいと思います。

【芝池委員】私は、先ほどの御提案の中心だと思うのですが、処分の中身とか損害の中身を総合的に勘案して執行停止をするかどうかを決定するという仕組みについては、賛成であります。ただ、そういう総合的な利益衡量の仕組みと回復困難な損害という文言を残すという方向が、ちょっと私には理解出来ない。と言いますのは、回復困難な損害という表現は、非常に限定的だと思います。そういうものを残して、その上で総合的な利益衡量するのだということになりましても、これはうまくいかないのではないかと思いまして、その点ではこの回復困難な損害をもう少し柔らかな表現にするという考えを提案したいと思います。今、水野委員がおっしゃった「公共の福祉」のところですが、確かに公共の福祉というのは昔から抽象的だという批判が学界であるのですけれども、この執行停止で問題になるのは公共の福祉と言いますか、行政側の利益だけでなくて、第三者である私人の利益であることもあるのです。例えば、マンションの建築確認について周辺の人が取消訴訟を起こして執行停止を求めた場合、原告の利益に対するのは公益ではないわけで、むしろ建築主の利益、つまり私の利益なんです。そういう意味で、私はむしろ、この「公共の福祉」という文言との関係を見ますと、公共の福祉だけでなしに、他の利害関係人の利益というものも考慮に入れる。もし、法律で書くのであれば、そういう利害関係の利益ということも書くべきだろうと思っております。
 もう一点、これは将来、こういう文書が公になる場合に備えて言うのですけれども、生命、身体、自由、名誉などは賠償可能であるというふうに書いておられますが、やはり生命は余りそういうふうに言うべきではないだろう。実際その生命被害が出て損害賠償が行われる場合は、それももちろんあるのですけれども、この執行停止との関係で言いますと、そういう利益に一旦、後ろに下がってもらえるかどうかという話ですから、そのときに生命というのは出さない方がいいのではないかと思います。

【小早川委員】第1は、今、芝池委員が最後に言われた点は、別の言い方をすれば書き方の問題ではないか。民法710条を引いて金銭賠償は可能である、これは確かなんです。生命についても金銭賠償が可能です。しかし、金銭賠償によって償い、補いが付くかどうかというのは、これはまた別の話なので、そこを書き分けていただかないと、やはりこの書き方ではちょっと誤解を生ずるかなという気はします。
 次の点は、原告の受けるべき損害の性質程度を見よ、それと、処分の内容、性質云々ということを比較衡量をせよということで、基本的にはそれでいい方向ではないかと思っておりますが、それに関連して回復困難なという語句を残すかどうか。今の言葉で言えば損害の性質を調べる際には、回復困難かどうかというのは一つの視点になることは確かなのですが、それが余りに唯一絶対要件のようになると誤解を生ずる。そこは実際、条文を書いてみないと分からないと思うのですが、回復困難ということを例示的に残すか、あるいは他の言い方で全体の文章を補うことで、損害の性質の中に読み込んでしまうか。いずれにせよ、回復困難ということが余り一人歩きするのは好ましくないということは言えるだろう。
 もう一つ、損害の性質程度という場合に、一つの観点は、これは原告適格問題ともやや共通する話ですが、原告個人にとって著しい。かつ耐え難い損害かどうかということと、原告個人にとってはどうか分からないけれども、社会全体として見れば、その処分が執行されてしまうとそれこそ回復困難な損害が生ずる、取り返しのつかない結果が生ずるというような場合をどうするか。環境問題とか文化財保護なんかの関係で差し当たり考えられるかなという気がします。そういうものは、従来の判例でもやや扱いが不確かなところがあったように思いますけれども、原告個人だけではなくて社会的に見た利益の評価ということも排除しないような、受けるべき損害の性質程度ということについての解釈か、あるいは書き方か、幅を持たせていただきたいという感じがいたします。

【塩野座長】実務的なことで、市村委員の方で総合的に、あるいは運用をもう少し弾力化出来るようにということで、その趣旨は出来るだけ生かしているというつもりでございますけれども、市村委員、何かコメントございますか。

【市村委員】御提案いただいた案というのは、大体むしろ現状で実務が今の解釈をかなり広げて、先取りしてやっているところとほぼ一致していると思いますので、こういうふうにやっていただければ、今の運用は理論面からもしっかりと支えられているとなります。実務について、念のために御説明申し上げておきますと、例えば、回復困難な著しい損害ということの解釈を、その損害の性質だけを見て振り分けをして結論を決めているということはまずないと思います。現実にまさに総合的に判断しているということだと思います。特に昨今、執行停止というのは非常に数が多く、私のところでも1年間で30から40ぐらいの執行停止事件等やりますけれども、全く執行停止を認めなかったという事例というのは、そのうちの2件ぐらいです。だから、決して著しい損害というものの解釈が今の文言のために制約されていて、それで動いていないという点はないというふうに思っております。

【福井(秀)委員】この回復困難な損害というのは、文言として大変きつい。実際上、今、市村委員から柔軟にという方向は実務では出ているというお話がありましたが、少なくとも水野委員御指摘のように、ここの別紙に挙がった執行停止の事件だけ見ましても、もちろん、個別の事案を精査しないと一概には言えませんが、退学処分が回復困難でないとか、あるいは換地の執行停止が回復困難でないとか、単に処分の性質だけから見れば、およそ金銭賠償によって償えるということは民法の大前提にもなっているわけですから、法令用語の回復困難というのは、やはり相当厳しいものだという観念が一般的には流通していると思います。判決でどの程度、最近それが緩和されてきているのかということは、ここで見る限りの資料では必ずしもわかりませんし、文言を変えることによって、ここの部分、執行停止の要件について、過度に厳格な運用を改めるというメッセージを放つ意味は大きいので、立法的にこういう文言でない形で、総論的な趣旨でお示しになられたようなことがはっきりと読めるような条文に変更するということを、この際やるべきだと思います。

【水野委員】ちょっとここに来てから気が付いたのですけれども、このペーパーの趣旨は第1の③のところには、公共の福祉が一方で比較衡量の要素として書いてあります。あとの第2の①と②では、損害の性質程度と処分の内容及び性質を考慮して、いわば比較衡量して判断するといった条文を置いたらどうかというふうに読めるのです。そうすると、これは2項の問題だけだというふうに、私は理解していたのですが、2項及び3項の前段を併せて、こういうふうに変えようという趣旨でしょうか。

【小林参事官】いえ、そういう趣旨ではありません。

【水野委員】そうすると、2項で例えば、公共の福祉も一方で斟酌要素だということをしながら、3項でまた公共の福祉に重大に影響を及ぼすおそれがあると言ってるのは、条文を残すわけですか。

【小林参事官】そう考えております。

【水野委員】そこはちょっと整合性がないですね。3項の前段も併せて、そういう形で2項を修正するというのであれば理解出来なくはない。もちろん、3項の後段の本案について理由はないと見えるとき、これは出来ないということで、これは別項残したらいいと思います。2項に公共の福祉が出てくるのであれば、3項の公共の福祉とどう関係があるのか。

【小林参事官】行政事件訴訟法第25条第3項は、公共の福祉に対する重大な影響ですから、それは極めて限定されたものと考えるのではないかと思います。

【水野委員】けれども、重大な影響があるときには駄目だというわけですから、これは2項も絡みます。2項で処分の内容及び性質(公共の福祉に重大な影響を及ぼすを除く)とやるのであれば別だけれども、そこの整合性の問題があると思います。

【塩野座長】2項で言っている処分の性質の内容というのと、ここの3項で言っている公共の福祉というのは、またちょっと違った側面であるというふうな感じもします。

【水野委員】違ったということも言えるかも分かりませんが、しかし、この説明では、当該処分の不停止によって維持される公共の福祉とを比較衡量すると書かれているわけで。

【塩野座長】それは最後の判断ですね、最終的な。ここは条文に全部してみないと、ちょっとかえって分かりにくいところがあると思いますが、私がここでずっと前から議論してお伺いしておりますのは、現在の条文でも結構、地裁レベルで運用なされていると。実際上圏央道も止まっているという状況がございます。しかし、非常に厳密に考えると今の条文は、また別の意味で非常に動かし難いというところがあって、これを弾力的に運用出来るようにというのが基本的な考え方でございまして、今日のところは2項について中心的な御説明がございましたし、しかし、そのことは全体として弾力的な運用、相互衡量して決めるといった判断の下に出来あがっていると思います。そこで、では条文上どうなるのかというと、もうちょっとここは丁寧に条文をお示ししないと分かりにくいということもあろうかと思います。その点で次回、最終的にまとめの案をお出しするときには、もう少し丁寧な書きぶりをするということになろうかと思います。
 あとは、回復困難の損害の言葉の問題について今、申しますと、私の感じでは法律上の利益というのは内容がないのですが、ここは回復困難な損害、かなり内容のある概念ということで議論の仕方はおのずから違ってくると思います。ただ、先ほど事務局がお話しましたのは、決め方、条文の立て方を変えると回復困難な損害というのは、それほど正面に浮き出て、これをクリアーしないとどうにもならないというものではならないのではないでしょうかということだと私は理解しておりますし、また、その点も踏まえて、先ほど、小早川委員がちょっと条文の立て方を見てみないと分からないというのは、そういう趣旨だというふうに、私は理解をいたしました。

【深山委員】その条文の書き方の問題は、積極要件と消極要件を別個に書くという一時期よくあった法律の書き方に従っているわけで、今、座長が言われたように総合衡量して、こういう書き方ばかりしてありますが、積極要件、消極要件を同じ条文に書くことも今では幾らでもありますので、まさに書き方の問題だと思います。さはさりながら、その公共の福祉については別個に今、消極要件になっていますが、先ほど、水野委員が公共の福祉の概念の明確化ということで、このメモに書いてある3つに限定したらどうかと。この3つは、私は非常におなじみの、座長もおなじみでしょうが、情報公開法で行政庁の第一次判断を尊重した形での審査を行うと言われている類型で、私が言った公文書の文書提出命令でも同じようにシステムを取ったものですが、情報公開法の開示、不開示、あるいは、文書提出命令の場合には、公務秘密に当たるかどうかということですけれども、この3つの類型、国防、外交、治安と言っていますが、こういうような秘密、あるいは不開示事由というのは、その判断に高度な政策的な要素から、将来の専門的予測判断、外交に与える影響とか治安に与えるといった将来の予測的判断をしなければ、なかなか適切な認定が出来ないという特殊な事項であるということで、まずはそれらの所管省庁の意見を述べさせて、その意見がまともかどうかを国民の目から司法裁判所が審査をするというふうな形でするのが、他の国でも一般的ですし、そうすべきであるということで、情報公開法でも公文書の文書提出命令でも、特別な扱いをされている重要な、あるいは特殊な公益です。ただ、そういう観点から選ばれた3つの公益であって、公共の福祉はこれに尽きるとか、公共の福祉の中で重要なものはこれなんだという趣旨ではないんですね。いろんなものが公共の福祉は、まさに抽象的ですから、いろんなものが入っていますが、その中に含まれる問題があることは間違いないですが、その切り口が今、言ったように判断に特殊性があると、なかなか司法裁判所がいきなり判断するのになじまない要素があるということで、広く国際的に公認されたような要素ばかりです。ですから、これに限定をしてしまうと、例えば、周辺住民の健康とか生命身体それも入っていないですね。治安でも国防でも外交でもないから入っていないんですが、そういうものが害されるというおそれがあるときに、執行停止が認められないというのは当然、だれしも疑いがないところだと思いますけれども、これに限定してしまうと周辺住民が死んでしまうというようなときでも、そんなことでは公共の福祉を害さないとかなるんですが、それはだれが考えても、やはりおかしいのではないかということで、ちょっと切り口が違う概念ではないかと思います。

【福井(秀)委員】今、深山委員おっしゃったように、これは限定列挙という意味だと、確かにちょっと狭いかなということはあるのですけれども、重要な要素のメルクマールとして考えれば、こういったものでおっしゃったような周辺住民の健康というようなものも当然横並びだという一種の法的了解はあるはずですから、重要なものに出来るだけ限定していくという試みが可能であれば、出来るだけ明確化というアプローチをした方がよいと思います。これに関連するのですけれども、先ほどの公共の福祉の、2項、3項の要件は、私も水野先生がおっしゃったのと同じような問題意識があります。もともと深山さんがおっしゃったように、2項と3項、消極要件、積極要件を完全に書き分けるという割合オールドファッションのスタイルなのでそうなったので、条文の立て方にもよると思うのです。ただ、このアプローチは、事務局の資料の問題意識にもありますように、積極要件がどの程度ならあるデシタル的な、定量的なところを超えたらクリアーされ、消極要件は消極要件でまたある量、臨界点を超えればクリアーされる。それぞれ相互独立に判断するかのごとき要件の立て方をしていながら、実際には、恐らく裁判官の思考回路では、両方を天秤にかけながらということを必ずやっておられるはずです。やはりこういう立て方自体が不自然だということは、多少反省を持ってながめた方がいいと思うのです。先ほど来の議論にも通じますが、公共の福祉に重大な影響というのも、結局は、得られる公共の福祉と執行停止することで得られる個人の利益、その処分を受ける人の利益との利益衡量だということは、極めて常識的なまっとうな判断だと思いますから、相対的な意味での大小関係で決めるということを、はっきり書いた方がフェアでもあると思うのです。公共の福祉が裸で出てくるような議論があらかじめ立ってしまうと、今、深山委員がおっしゃったような意味での、本当に公共の福祉はこれだけかという議論につながるので、結局は相対関係で費用対効果を考えて、判断するということを条文上明確にしていくということは、重要な課題の一つだと思います。

【水野委員】このペーパーの読み方というか印象でいろいろ申し上げているわけですけれども、回復困難な損害を避けるために緊急の必要があるときはという要件をそのままにして、その考慮要素として損害の性質及び程度だけではなくて、処分の内容と性質も考慮するというのを持ち込むと。そして、3項で公共の福祉に重大な影響を及ぼすときはだめだよというのは残すということであれば、これは最低の改革だと。改革にならないと思う。市村委員がおっしゃったように、当然、裁判所は2項、3項はともかくとしまして、こういった決定を出すときに、そういう要素を考慮してやっていることは、間違いない話なんですね。だから、それは勿論、そういうことでやっているわけですから、2項と3項の前段、場合によれば3項の後段も併せて、統一的な形ですっきりした条文にするということであれば、一番すっきりするのではないかという気がします。

【市村委員】先ほど来、出ています1頁の③のところに出ている公共の福祉の意味ですが、これと3項に言う公共の福祉とは、やはり違った意味で使われているのではないでしょうか。むしろ、ここは当該処分の不停止によって維持されるという修飾が付いているわけで、これはどちらかと言うと、このペーパーの3頁の(3)というまとめがありますが、ここに「不停止によって維持される行政目的の達成とその停止によって申立人の免れる損害とを比較衡量」というところと、意図しているところは似ているのではなかろうかと。まずは当該処分をそのまま遂行することによる行政目的の達成、それから達成されることによって社会一般に与えられる影響効果というものと、逆に当該人に生ずる損害と、こういう比較衡量というのは、まず最初に来て、そういうものの外側から更に今、おっしゃったような周辺住民の環境、あるいは生命というようなもの。これは普通に考えられている公共の福祉への影響だと思いますが、そういうものとちょっと性質が違っているので、そういう意味では分けてやっていくというのは、必ずしもおかしくないのではないかと考えます。

【塩野座長】いろいろな御意見が出ましたが、私の考え方と申しますか、今までの御議論から受けた印象と申しますか、それを申しますと、基本的な考え方のベースは私と同じだと思うんですね。これは法制化するときにどうするかということで、多少、公共の福祉よりも、むしろ原告の救済に重きを置くべきだというようなニュアンスの御意見と、いや、そうではなくて、公共の福祉という点についても、いろんな問題があるので、そこは十分に慎重に考慮しなければいけないというニュアンスの問題があったかと思います。ただ、この検討会では法制的な、2条に分けるかとか1条にまとめるかとか、そういう議論はなかなか出来にくいので、ここは基本的なベースになることを確認した方がいいのではないかというふうに思います。
 そこで、ぎりぎりのところ、回復困難な損害という文言を残すか残さないかというのは、かなり問題になるところだと思いますが、この点は先ほど申し上げましたように、もう少し条文を整理して、頭の体操をしてみた上で、回復困難な損害というものが果たして、非常に支障になるかどうかという点について考えた上で、次回、まとめた御提案をさせていただきたいというふうに思っております。それで、皆様方の意をくみ上げたことになるかどうか分かりませんけれども、今日のところはそういうふうにしていただければと思います。
 それから、私もちょっと感じたのは、公共の福祉のこの3つ見た途端に、これは情報公開法だなと思ったのですが、情報公開法とこれとはちょっと筋が違いますので、これはこのままということにならないと思います。また、これでその他になると、では、金融の場合はどうかとか、やたら公共の福祉が広がってしまうのです。ここはむしろ、私は広げる工夫よりも狭める工夫はどういうふうなものかと言った方向で考えた方がいいと思います。こういった列挙は案外広がる危険性があるというふうに御覧いただきたいと思います。情報公開法の場合には、全体の条項があって、その上に更に裁量の問題として区切ろうという仕掛けを持ったものでございます。
 それでは、ちょっと時間が経ちましたので、次の執行停止以外の仮の救済について検討したいと思います。

【小林参事官】資料2を御覧ください。第1の「制度の必要性」で「1 仮の義務付けの必要性」を書いております。本案訴訟で処分の義務付けを求めることができるという制度を設けたときに、例えば次のような場合では、本案判決前の仮の救済としても処分の義務付けを求めることが実効的な救済を図るために必要となる場合、そういう事例というのはあるのではないだろうかと考えた次第です。①は、例えば、労働者災害補償保険などのような公的な保険・年金制度、あるいは生活保護などで、その資格の認定や保険給付等の処分を求めることが、本案判決までの生活の維持に必要な場合もあるのではないか。②で、保育所への入所や、通学校の指定の処分を求める場合など、処分がされないまま本案判決までに時間が経過すると、子どもにとっての保育、教育といった訴訟の本来の目的を実現することが極めて困難になるような場合があるのではないか。③で、特定の日に公共施設の使用許可等の処分を求める場合などで、本案判決の確定前に処分をしてもらえないと、訴えの利益がなくなってしまうような場合もあるのではないか。一応、事務局の方で、このような事例は、救済の必要性があるのではないだろうかということで、考えてみました。
 「2 仮の差止めの必要性」で、やはり本案訴訟で処分の差止めを求めることができときに、例えば次のような場合では本案判決前の仮の救済としても、処分の差止めを求めることが実効的な救済を図るために必要となる事例があり得るのではないかという事例として、①として営業秘密やプライバシーに関する文書を公開する処分が本案判決前にされて、執行停止を受ける間もなく公開されるおそれがあり、一旦公開されると生活や事業活動などに償うことが出来ない損害、取り返しのつかない損害が生ずる場合というのがあるのではないだろうか。②として、本案判決前に、例えば規制権限に基づいて監督処分や営業停止等の処分がされて、それを例えば一般顧客となり得るべき公衆に知らせるために、消費者に知らせるために、それを公表するというような場合もあるのではないか。そのようなときに、執行停止を受ける間もなく公表されるようなおそれがあるとすると、一旦当該処分が公表されると名誉が信用等が著しく害されて、生活や事業活動などに償うことができない損害が生ずる場合があり得るのではないだろうか、このように考えた次第です。
 第2で「制度の性質、要件及び手続」ですが、「1 制度の性質」としては、仮の義務付けや仮の差止めは、本案判決前の仮の救済であって、本案判決がされるまでの間の仮の効力を有する裁判ではありますけれども、その裁判の効力は、行政庁に対し処分をすべきことを仮に義務付けたり、あるいは仮に差し止めるというものですので、本案判決を受けた場合と同等の権利ないし法的地位を暫定的に実現する裁判であるという性質を有することになるのではないかということです。したがいまして、「2 要件」で、仮の義務付け、仮の差止めというような、本案判決を受けた場合と同等の権利ないし法的地位を暫定的に実現する裁判につきましては、これは民事訴訟における仮の救済であっても、そのときの救済の必要性とか本案で勝訴する見込みは、非常に高いものが要求されるのが一般的ではないだろうか。そうだとすると、その必要性と本案で勝訴する見込みについては、現状を維持する裁判である執行停止よりは、高く認められることが必要ではないだろうか。その観点から、例えば次のような問題点を考えてはどうかということでございます。①が、仮の救済の必要性ですが、「償うことができない損害を避けるため緊急の必要があるとき」という要件を定めることはどうかということです。本案判決と同等の地位を仮の救済で実現することから、これは執行停止における損害の程度、あるいは本案判決で要求されるような救済の必要性、そういったものよりも損害の程度や救済の必要性は高いことが求められるのではないかと考えた次第です。②は、本案で勝訴する見込みに関しては、「本案について理由があると見えるとき」との要件を定めることはどうかと考えたものです。本案判決と同等の地位を仮の救済で実現するということから、本案について勝訴する見込みが一応、認められることが求められるのではないかということです。③は、仮の義務付け、仮の差止めについても、執行停止と同様に、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときはすることができない」ということとしてはどうかということです。
 また、そのほか、適法な本案の訴えの提起があった場合に認められるというような、そのほかの仮の義務付け、仮の差止めの要件、あるいは手続については、執行停止と同様にしてはどうかというふうに考えているところでございます。

【塩野座長】この点は、義務付け判決等々については、多少議論はし、また判決も義務付け確認みたいのが出ているわけでございますけれども、こういった仮の救済は、本邦初演ということでございますので、十分御検討いただきたいと思います。

【水野委員】この要件ですけれども、現状維持する裁判である執行停止より高く認められることが必要ではないかという、これはそのとおりだと思うんですね。そこで、「償うことができない損害を避けるため緊急の必要があるとき」という御提言なんですけれども、「償うことができない損害」というと、これはまたそういうものがあるのかとかいうふうなことになって、かなり狭くなると言いますか、ゼロかも分からないという気がしないでもないです。ですから、むしろここでこそ、現在、執行停止の要件に使われている、回復困難な損害という用語を持ってきたらどうか。つまり、回復困難な損害を避けるために緊急性があるときという、その程度にしてはどうだろうかと思います。あとの要件については、特に本案について理由があると認められたときというのは、これは必要だろうと思います。公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときは出来ないという執行停止に関する25条3項の要件についてですが、これは先ほど申し上げたところです。

【福井(秀)委員】1の②にあるように、保育所の入所とか通学校の指定処分ですが、恐らく類型に入っていると思いますが、高校の入学とか開発事業を行う場合の第三者への改善命令とか、こういったものも念頭に置いたものにしていただきたいと思います。今の要件の議論ですが、この償うことができない損害というのは、きつ過ぎると思います。確かに執行停止の場合より要件を厳格にすべきだという議論があり得るとは思いますけれども、実際の実例を見ると、本当にそんなに厳格に考える必要があるのだろうかというケースが多いと思うのです。例えば、公会堂の使用許可申請で一旦許可されたけれども、職権で取り消されたときには執行停止が働く。だけど、不許可については仮の義務付けは難しいというようなことに、単純に当てはめると、なりかねないわけですが、本当にそれほどの差を付ける理由があるのだろうかと思います。一旦許可したかどうかは、現場のちょっとした運用の差にすぎないとも考えられるわけですし、生活保護の場合でも一旦オーケーで、減額されたなら、すぐに執行停止が働くけれども、新規申請の場合には厳格に審査しないといけないというほどの差を付ける必要が本当にあるのだろうかということを考えると、何らかの差があり得るということは理論的にはあり得るにしても、それを重んじすぎると現場の実態や常識と合わない判断になりかねない。今のような事例に関してもあり得ると思いますので、厳格に解されないようにもう少し緩める方向で検討した方がよい。さっき水野委員が言われたように、執行停止と同じような「回復困難な損害」というのも一つだと思いますし、例えば「償うことが容易ではない損害を避けるため」というようなやり方もあると思います。「償うことができない」というのは、ほとんどそんなことはあり得ないのではないかという判断を招きかねないので、厳しすぎると思います。本案について、理由があると見えるというのは、これも趣旨は分かるのですが、理由があると見えるまで言い切ってしまっていいのだろうか。理由がある可能性があるとか、あるいは蓋然性があると見えるときとか、例えば、そういう緩め方もあり得るのではないかと思います。

【塩野座長】御提案として承りますが、なかなか言葉の表現というのは、なかなか難しいもので、執行停止の回復困難なというのは、執行してしまったら回復困難なんですけれども、まだ執行していないのに回復困難だと言うのはなかなか難しいなという、日本語の問題としてですね。償うことの困難なということとできないということと、そこは言葉のあやみたいなものがございまして、むしろ私は言葉はともかくとして、こういうことを考えているんだと。だから、今のは例示は非常にいいと思いますね。保育所はそうだし、高校が入るかどうか、なかなか難しいところですけれども、そこはきちんと検討会としては、こういうものはやはり一つの例として考えているんだという、そこが重要なことだと思います。ですから、この例をもう少したくさん、こんな例があるよというようなことがあれば、どうぞ言っていただければと思います。ほかに何かございましょうか。
 それでは時間の関係もございますので、この点については以上にさせていただきます。次に執行停止決定に対する不服申立て。

【小林参事官】資料3を御覧いただきたいと思います。第1は「執行停止決定に対する即時抗告」でございます。執行停止決定に対する即時抗告が執行停止決定の執行、つまり原裁判で執行停止がされたその裁判の効力をまた止めてしまうというような効力は持っておりません。これについては、次のようなことを考えてはどうかということで、①については、執行停止決定に対する即時抗告をした場合に、執行停止決定の効力ないし執行が当然に停止される効力を認めた場合には、迅速な権利救済の観点から見て、執行停止決定の実効性が損なわれることになるおそれがないかということを考える必要があると考えたものです。②は、執行停止決定があった場合で、行政処分の緊急の執行の必要性から迅速な判断が求められる場合には、現在の実務では即時抗告に対して抗告審の高等裁判所が迅速に審理、判断するという運用がされていて、執行停止決定で緊急を有する場合については、高裁の裁判官に待機してもらうというような運用がされていると聞いております。執行停止決定の執行停止をするという、そこまでの必要性は余り大きくないのではないか。そういう実務の運用も考える必要があるのではないかということです。
 第2は「内閣総理大臣の異議の制度」で、①で執行停止決定の申立て、または決定に対する内閣総理大臣の異議は、「内閣総理大臣は、やむをえない場合でなければ、異議を述べてはならない」とされておりまして、実際に30年以上異議が述べられたことがないということについて、この制度の改正の必要性ということから、どういうふうに考えるべきか。そして裁判実務の運用においても、先ほど申し上げたように、高等裁判所が迅速に即時抗告の審理、判断をしているということから、行政の方もまず高等裁判所の判断を尊重するという形で、執行停止に対して即時抗告をしてみる形で不服申立てをするという、そういう運用が定着をしているのではないか。そういうことから、即時抗告の制度が利用されて、内閣総理大臣の異議が述べられる機会を実際上も少なくして、法律に定められているのは「やむをえない場合」という条文ですけれども、これを制度の運用上も限定して解釈、運用するという役割を果たしているとは考えられないだろうかという問題でございます。
 次に、②は、「内閣総理大臣は、異議を述べたときは、次の常会において国会にこれを報告しなければならない」とされておりまして、これについてどのように考えるかということです。
 別紙2頁以降、「内閣総理大臣による国会への報告が義務付けられている規定」ですが、「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」、あるいは「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」、「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」、あるいは「預金保険法」の金融危機に対応するための措置、あるいは「災害対策基本法」の非常災害対策本部の設置、こういうような非常の緊急事態というようなもの、あるいは重大な問題について対応がされているように見られるところです。
 この国会への報告の制度は、行政権の行使についての内閣の国会に対する政治責任を通して、内閣総理大臣が異議を述べることができるやむを得ない場合を、制度的に、ないしは政治的に限定する役割を果たしているとは考えられないだろうか。立法の必要性を考えるに当たっては、こういった点を検討する必要があるのではないかと考えた次第です。

【塩野座長】いわゆる事実の認定みたいな、事実に対する評価みたいな記述がございますが、まず第1の①でございますけれども、この点は実務はこういうふうに動いているというふうに理解をしてよろしゅうございますでしょうか。

【市村委員】私が知っている限りでは、そのようなことが行われています。東京地裁で特に緊急なもので、それを過ぎてしまったら効力がなくなると、意味がなくなるという場合には、地裁が判断に入るときに併せて高裁にも、こういう事件が地裁に今、出たということで、高裁のある特定の部が待機をするという状態であるようです。

【塩野座長】今後もそういうものとして期待をしてよろしいわけですね。

【市村委員】それはそういう動かし方をしているのだろうと思います。

【水野委員】第1に書いてあることは、このとおりだと思いますし、これは現状まだいいのではないか。これは余り議論になっていなかったような気もするのですが、議論をしましたか。まあ、いいです。それで、第2の内閣総理大臣の異議の制度ですけれども、これは大分議論しまして、違憲ないし違憲の疑いがあるという制度だと思われますし、現実に30年間異議が述べられてこなかったということは、その必要性もないのではないかということで、これは廃止すべきだと思います。

【福井(秀)委員】 私もまず第1に書かれていることは、おっしゃるとおりと言うか、ある意味では当然のことでありまして、行政庁の一方的判断で一審の決定を差止めることが出来るという制度も、問題があるのだろうと思います。それで第2ですが、ここの資料の趣旨がどういう結論に導こうとされているのか、よく分からないのですけれども、余り使われていない報告義務がプレッシャーになっているのだから、置いておいてもいいではないかというふうにも見えなくない。それはむしろ逆ではないかと思うのです。余り使われていなくって、使う実益がないことが、むしろ歴史的に検証されたのであれば、それが何に使われるか分からないのであるから、差し当たり緊急な必要性のある場面、活用場面が想定されない以上、一旦は廃止しておくというのが、むしろ普通の発想ではないかと思います。もともと、これは行政権が司法権のした仮の救済に対して問答無用で阻止するというのが事の本質、制度の本質でありますので、やはり仮の救済がもともとは行政権限だということを前提にしないと、この制度の合理的な説明は出来ないと思うのです。この点は若干前にも議論があったと思いますが、仮に行政事件であったとしても仮の救済はもともと司法権の本質的な内容ではないかと思われますので、こういう議論をすること自体が無意味で、そもそも高裁の判断や最終的に最高裁など、要するに司法権の内部で完結するような仕組みに、この際してしまうのが筋ではないかと思います。

【芝池委員】 確かに現行の制度がいろいろ工夫を凝らして濫用出来ないようにしているというのは確かだろうと思うのですが、ただ、やはりこれは建前の問題になるのですが、行政権の行使に対しては司法のチェックの可能性を必ず確保するということを考えますと、その点から見れば現在の制度というのは多々問題があって、違憲の疑いがあるというふうな評価も出てきているわけです。そういう制度をどうするかということで、一つは廃止ということもあるだろうと思います。もう一つ考えられますのは、内閣総理大臣の異議があった場合に、司法審査が及ぶように制度をつくるということでありまして、理由が付けられているかどうかの形式的な審査とか、あるいはその内容についての実質的な審査とか、そういうことを一応、学説の方では整理をしておりますので、そちらの方向も考慮するに値するだろうと思います。

【福井(秀)委員】今の芝池先生の御意見に関連してですが、もし今内閣総理大臣の異議の司法審査がうまく機能すれば、それも一案だと思うのですが、若干心配は、恐らく内閣総理大臣の異議が述べられるような事件というのは、かつてあったようにデモ行進など極めて政治色の強い問題になる可能性が大きいと思われます。そうしますと、そういった問題について内閣が、いわば覚悟を決めて伝家の宝刀を抜いたときに司法審査が入ったとして、本当にそこに躊躇なく、その異議は問題であるとバイアスなく判断出来るかどうか、ということを想定しますと、結構これは厳しいものがあるのではないだろうかと思います。裁判官にやや酷な審査を強いることになりかねないかもしれないという危惧がございます。

【塩野座長】この点、学界では違憲論が非常に強く、あるいは芝池委員のように疑義があるといって提案を出しておられる非常に丁寧な意見もあるわけですが、ただ、この段階で芝池委員の御提案について十分な議論をする時間的余裕がありませんでした。
 もう一つは、立法の時代は国会周辺のデモ行進というのが、かなり中心的な課題であったわけですけれども、それから大分時間が経ってまいりまして、一体、内閣総理大臣の異議を発動するような伝家の宝刀の事態はどういうものかということについて、デモ行進を前提にして、なかなか議論するわけには、これまたいかないのではないかという問題がございます。そこで、私もかねてから違憲論の意見、あるいは疑義があるということを申し上げてきたわけですけれども、ただ、この検討会全体として一つの意見として、現段階でまとめるのは、ちょっときついかなということを率直に思っております。この国会の報告になっている事例というのも、いわばその後に出てきたいろいろな政治責任を負うときのやり方として出てきているもので、ここに表れているような内閣総理大臣の報告事例というのはデモ行進というのとは、かなり違うということは、皆様は御承知のとおりだろうと思います。ただ、私の理解では第1、第2で、ではもうこの検討会としては、これは全然検討しないで内閣総理大臣の異議はこのまま置きましょうということになるかというと、それは私自身としても生煮えのところがございまして、今回の立法のとき、この1月の立法段階でどちらかということに決めるということには、いささか問題があるというふうにも思いますので、これも皆様方の御意見をいろいろ承ってからのことでございますけれども、少なくとも今日の段階では、廃止すべきということで踏み切れという御意見でまとまるということであれば、それはそれとして一つの考え方でございますけれども、私はちょっとそこはそれで、緊急の事態について、では、どういう緊急事態を考えて、もう要らないと言ったのかと言われたときに、一般的に説明するのに躊躇するものがございます。そういう意味で、もう少しここは詰めた議論をしていきたい。それから、外国法制について一体、その緊急事態に外国法はどうなっているのかということについて、このヒアリングのときに警察にお伺いしましたが、必ずしも適切な答えは返ってこない。それは察するところ、外国では緊急事態について、またいろいろ別の緊急事態の法令というものがあって、そのときの司法権と行政権の関係、特に行政権ではなくて執行権ですね。まさにレギールングそのものとの関係をどういうふうに調整しているのかという点についての制度的な仕組みというものも、やはり見てみないとそう簡単に結論は出せないのではないかというのが一応、私の感触でございますが、これでもう打ち切りということでなくて、なおこの場合については続行することあるべしというような取り扱いではいかがでしょうか。この点は、事務局とも全く打ち合わせしていないところでございますが、今日の御議論の情勢をうかがってみた上で、私なりにそういう感触を持ちました。いかがでございましょうか。

【小早川委員】結論としては今、座長が言われたところに近いかと思います。私もどちらかと言えば違憲説ですけれども、どこがまずいかというと、何にでも使えるということです。現に過去に使われたデモ行進関係の場合について、あれは本当にこういう仕掛けでなければ対処出来ない話だったのかどうかということを考えると、これはかなり疑問があるわけです。当時は当時ですけれども、やはり濫用の危険が常にあるということで、そういう仕組みの立て方がどうかということがあると思います。合理化するとすれば、座長も言われたように、これからの時代に法の支配の原則を歪めてまで執行権が乗り出さなければならないのはどういう場合かということについての国民的な議論をきちんとやる、私は別に憲法改正論者ではありませんが、緊急事態法制がいかにあるべきか、あるいはあるべきでないかという議論を十分やって、本当に必要な部分についてこういう制度を考えるというのが筋だと思います。ですから、現行法は非常に問題があると思っておりますが、この検討会としては、私の意見を検討会の意見としていただくかどうかはともかく、現行法には問題があるというところまでの議論がなされたという程度で収まってしまうのではないかというふうに思っています。

【成川委員】 私もやはり、この異議の制度は今、御指摘あったように濫用の恐れ、あるいは法の支配という中で見ると、どうしても、なぜこういう制度がなければならないのかというのをこの法律、この文言だけでは、やはり理解出来ない立て方になっており、一応、ここの検討会でそういうことを議論したと、問題ありという意見が強かったというふうに思いますので、これは更に検討しなければならない。これはこのまま、当面の法改正には間に合わないかもしれませんが、やはり検討の課題であるということは是非、確認をこの検討会として出来たらいいのではないかと思っております。

【塩野座長】 そういう御意見があったということで、ここをどういうふうに最終的に納めるかという点ついては、また次回に改めてお諮りするということにしたいと思います。

(休 憩)

【塩野座長】それでは、会議を再開させていただきます。原告適格、義務付け訴訟、差止訴訟、確認訴訟について検討をしたいと思います。この点は既に前回、御議論いただきまして、その議論を踏まえて事務局で一つの考え方を示すということで、事務局の宿題を今日、結果をお見せするということだと思います。多岐に項目が分かれますので、項目ごとに事務局から資料の説明をしていただき、それに引き続いて、それぞれ意見交換をしたいと思います。
 それでは、まず取消訴訟の原告適格の拡大からお願いいたします。

【小林参事官】資料4の「取消訴訟の原告適格の拡大」につきまして、第1の「原告適格が実質的に広く認められるような規定の在り方」について、考え方を示しております。「原告適格が実質的に広く認められるようにするための指針として、裁判所が原告適格を判断する際の考慮事項を法律に明記することについて、どのように考えるか。」ということですが、その際に、「基本的な考え方として、原告適格の判断に当たっては、①(a)当該処分の根拠となる法令の趣旨及び目的を考慮するとともに、(b)当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮すべきこと、②また、その際には、(a)当該法令と目的を共通する関連法令の趣旨及び目的をも考慮しつつ、(b)当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されるおそれのある利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度を考慮すべきことを定めることはどうか。」というものです。例えば、2頁以降に具体例を付けておりますが、そこの最初に書いてありますように、「第1の考慮事項を定めることにより、原告適格が広く認められることになるのは、これによって処分権者が処分の際に考慮されるべき利益が広く解釈されることを通じてされることによるものであるので、具体的にどの程度の範囲で原告適格が拡大することになるかは、個別の処分ごとに処分時の法令の適切な解釈を通じて行われることになると考えられるから、多様な行政処分についてあらかじめ個別具体的な場合を前提として原告適格が認められる場合と認められない場合を区別することは必ずしも容易ではないと考えられる。しかし、処分権者が処分の際に考慮すべき利益が広く解釈されるための考慮事項が個々の判例の解釈に委ねられるのではなく原告適格の一般的な解釈指針として法定されることにより、処分の根拠法規の法形式や規定振り、行政におけるその運用の状況等にとらわれることなく、根拠法規の趣旨・目的や利益の内容・性質等が総合的に考慮され(根拠法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては当該法令と目的を共通する関連法令の趣旨及び目的も考慮され)、実質的に原告適格が広く認められることが法的に担保される」ことになるのではないか。そのような考え方の下に、例えば、少なくとも次のような事例については十分に考慮に値することになるのではないかとして、(1)、(2)、(3)というような空港周辺の騒音問題と飛行場の整備の航空法の関係、幹線道路の沿道の整備という道路交通騒音の関係と道路法の関係、あるいは河川法や都市計画法、埋め立てなどとの関係と環境影響評価法という環境アセスメントとの関係などを例示として挙げているところです。すなわち、このような考え方の基礎となりますのは、前回御検討いただきましたように、処分権者が処分の際に考慮すべき利益がやはり原告適格を認める基礎になる、考慮されるべき利益でないものに基づいて原告適格を認めるべきではないのではないだろうか。その考え方に立ったときに、それでは考慮されるべき利益というのは何なのかということで、例えば質屋営業法の問題もありましたように、警察規制の目的で質屋を規制しているときに、隣の質屋が営業利益が減るかどうかというのは、それを考慮していないでしょうというような形で、従来、判例の中で考えられてきた訴えの利益の考え方があったのだろうと思います。つまり、行政法規の仕組みがある程度シンプルで単純な利益衡量をした上で、それを例えばAさんの利益は4でBさんの不利益が3で、4引く3をしたら1になるから、行政処分をしてもいいですよというような形の明確な利益衡量原理が行政法の中にきちんと書いてあれば、そういうような単純な法規制、つまり、法の趣旨、目的も簡明に警察目的と営業利益と区別して分けられるような、ある意味でシンプルな行政、あるいはシンプルな行政法規があった時代であれば、その法律で保護されるべき利益で簡単に割り切るような考え方のバックグラウンドとなる法律の仕組みがあったのではないかとも思われるのですが、そういうような昔ながらの判例の考え方をそのまま当てはめようとしたときに、行政の在り方が変わる、あるいはその行政によって守られるべき利益や法律の仕組みが変わってくる、行政活動の中に多様な権利義務関係、多様な人たちの利益を総合的に調整しなければいけないような行政法が生まれてくる、また特定の法律に書いてある根拠規定そのものが非常に抽象的な条文であり、抽象的な考慮事項であるのに、そういった法律ができた後で、例えば環境影響評価法のように、新たに別の利益を考慮するような手続が、その元となる根拠法規の関連する手続として別の法律で定められるというような、行政の考え方、法の仕組みが多様化してくる中で、そういった事柄をこの訴えの利益の判断、原告適格の判断において裁判所が適切に考慮できるような解釈のための指針、それを考慮事項として定めることはどうかということです。
 つまり、原告適格の判断に当たって、例えば、「技術上の基準」と書いてあるだけで、そこで誰の利益をどう考慮せよとはっきり書いていないような場合であっても、例えば法の趣旨・目的が原子力発電所の規制であれば、そこで守ろうとする利益は何なのかということを考えれば、それは非常に重要な国民の生命身体に関わるような、重要な利益を守ろうとしているのではないか、その規制によって守ろうとしている利益は、そういった法の趣旨目的に照らして解釈されるべきものであり、また、その当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮して判断されるべきものではないか、そこを明確に示すことが適切ではないか、と考えた次第です。
 したがいまして、従来であれば、というか判例の中には、この検討会の中でも委員から御指摘がありましたように、処分の根拠法規に誰の利益をどういうふうに考慮しろとはっきり書いていないと、原告適格はその規定を見ただけで否定されてしまうとか、あるいは法律の規定の解釈の運用基準として通達の中で誰の利益を勘案し、誰の意見を聞けとか、そういうことが書いてあれば認めるけれども、そういう通達がないから駄目とか、まさにその処分の根拠規定の形式とか規定ぶり、その運用の状況、そういったものを細かく詮索して、法律上の利益ないし国民の保護され、考慮されるべき利益が決められるものであるかと言えば、それはそうではないのではないか。まさに決められるべき基準というのは、法の根拠となる、なぜそういう規制を設けているのかという法令の趣旨及び目的であり、あるいはその際に考慮されるべき利益の内容、性質から考えるべき問題ではないか、というように考えた次第で、そういうことを考えることによって、先ほど申し上げたような非常に抽象的な「技術上の基準」と書いてあるだけのような条文であっても、そこで守られるべき利益というものを法律上想定することができるようになる、それを裁判官が法律上想定されることができる、またはそういったことを当事者が根拠として主張することができるようになる、また、それが裁判に当たって、最終的に違法性の判断で、その利益が適切に考慮されていなければ、抽象的な条文であっても、その条文に違反した行政であるという判断ができるようになるわけで、そういった原告適格を持つ人が結局、その違法性を争って処分の取り消しを求めることができる機会が増える、それが実効的な権利救済につながるのではないか、というように考えた次第です。
 したがって、基本的な考え方としては、①の(a)、(b)にありますように、処分の根拠となる法令の趣旨及び目的を考慮する、それから、当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮する、これが、まずは基本指針ではありますけれども、そういったものを考慮する際には、②のところで、(a)では当該法令と目的を共通すめ関連法令の趣旨及び目的を考慮していく。それによって、処分の根拠規定は非常に抽象的な条文であっても、その手続過程と関連する他の、例えば環境に関する法律であるとか、そういった保護されるべき利益がまた別の新しい法律で制定されてきて、国民の権利や利益が守られてくる、そういったことが根拠法規の解釈にまた戻っていって、その法令の趣旨を広く解釈する、その結果考慮されるべき利益を広く解釈する、ここにつながるのではないか。
 また、(b)で「当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されるおそれのある利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度を考慮すべきことを定めることはどうか」ということで、先ほど申し上げた、例えば原子力発電所の技術的基準としか書いていないという場合であっても、技術的基準に違反して、当該処分、その原子力発電所が出来た場合における、その被害は一体どういうものなのかということを考慮した上で、その内容、性質とか、原子力発電所の許可が技術上の基準に違反した場合に、そこから生ずる損害がどういう態様で生ずるのか。直接的に生ずるのか、それとも非常にめぐりめぐって起こるか起こらないか分からない、いろんな条件を考慮した上でたまたま起こるかもしれないというようなものなのかとか、そういうようなことを総合考慮しながら、更にさかのぼって、1の(a)、(b)にあるような法令の趣旨及び目的、あるいは考慮されるべき利益の内容、性質が広く解釈される根拠になるのではないか。
 したがって、基本は①の(a)、(b)に置きながら、①の(a)、(b)を広く解釈するための考え方の手法として、②の(a)、(b)というような関連法規や処分が根拠に違反してされたときの影響等を実質的に考慮する、こういうふうに考えてはどうかと考えた次第です。したがいまして、その上で、先ほど別紙の具体例のところに書いてあります形で、法律で、一般的、抽象的に、余りはっきり書いていないような利益であっても、その趣旨にさかのぼって、その利益を原告適格を認める根拠となる利益として解釈をして、それを訴えの手続でも保護していく、取消訴訟でも保護していく。こういったことを考えてはいかがかということです。
 「第2 「法律上の利益」という条文の規定の在り方」は、「(1) 第1のような考え方で考慮事項を定める場合においても、なお、「法律上の利益」という規定の文言を改める必要があると考えるべきか。」という問題で、「「法律上の利益」という規定の文言は、それ自体は、本来幅広い解釈が可能ではないか。」ということです。(2)は、「「法律上の利益」という規定の文言を改める必要があると考える場合、これによって原告適格の範囲が変わると考えるのか、変わらないと考えるのか。」ということを考える必要があるのではないかということで、もし、「変わると考える場合、どのように変わることになるのか。」が問題となる。例えば、今、申し上げたような形で法律上、考慮されるべき利益、それに基づいて訴えの利益が認められるのだという基本的なスタンスに立った上で、それで考慮事項を定めて、その考慮されるべきを広く解釈されるようにしようという考え方と別のことになるのかどうかというのは、またそれと別の考え方が適切であるということであれば、また別ですが、そういう考え方を取るのか取らないのかということも、きちんと押さえる必要があるのではないかということです。それよりも更に広く認められることは本当に考えられるのだろうか、ということを考える必要があるという趣旨で、ここを書いています。

【塩野座長】原告適格については、ここでも大分何度も議論をいたしまして、前回の検討会の討議に基づきまして、事務局の方で考えるべき考慮要素をきちんと書いてみたらどうかということがございましたので、それに対応して、こういう文章が出てきたというふうに御理解をいただければと思います。御意見、あるいは御質問をどうぞいただきたい。

【水野委員】前回の検討会の冒頭で、原告適格の拡大の問題について事務局がお示しになったメッセージは「法律上の利益」という条文をそのまま置いておいて、前回お示しになった、伊達火力と新潟空港ともんじゅの3つの判例の到達点を確認するという印象でありました。したがって、それでは原告適格の拡大ということにはならない。つまり、現在、判例はそこまで行っているわけですから、現在、到達している判例の文言を考慮事項として条文に入れてみても何ら拡大することにならない。むしろ逆に今後の判例の発展による拡大の方向を阻害するという要素ですらあるということを申し上げました。今回の第1で整理された①の(a)、(b)、②の(a)、(b)という整理ですけれども、これはまさに判例の域を一歩も出ていない。これはもんじゅ訴訟の判例に沿った形の文言なんです。それと関連法令という意味では新潟空港。だから、この判例の域を一歩も出ていないので、そのタイトルが原告適格の拡大ということになっておりますけれども、これでは何の拡大にもなっていないと思いますが、事務局としてはこれで拡大になっている、つまり、判例の到達点よりも更に踏み出しているとお考えになっているのかどうかということをまずお聞きしたい。

【小林参事官】資料4の2頁にあるように、この考え方自体は、そういう判例の考え方を出ているのか、個別事案についてどう考えているのか、というものを申し上げられるようなものではないと考えているわけでして、具体例の冒頭に記載しておりますように、まさに考慮されるべき利益を幅広く解釈するということが原告適格を拡大する基礎である。その考慮されるべき利益がこれまでの判例で往々にして狭く解釈されるおそれのあるような解釈手法が取られていたのではないか。そのことが起こらないように、その解釈手法を法的に担保するということですので、まさに個別の法規に当たって、そのときどきの法令がどういうふうに作られてきているか。また新しい法律の制定がされてくる。そういったことを考えながら、まさに考慮されるべき利益を広く解釈して、原告適格を広く認めるという、その基本方針が書かれていると考えております。

【水野委員】私の質問に全然お答えになっていないので、端的にお答えいただきたい。つまり、今回のこの提案では、前回お示しになった3つの判例の域を超えているのかどうか。超えているのだったら、どの点で超えているかということを端的に御説明いただきたい。

【塩野座長】私の理解は、この①と②ということで考えていくと、どんなことが起こるか、だから域を超えていないというふうに読もうと思えば読めるかもしれないですね。しかし、現在、いろいろなバリアーを穴を空けているというふうに読もうと思えば、これは私は無限の可能性を持っているのではないでしょうか。

【水野委員】これは判例を照らし合わせてみれば、ここに掲げている文言はこれまでの3つの判例の中で確認されていることであるということは明らかだと思うのです。ですから、このままであれば、前回申しましたように、原告適格の拡大ということにはならないので、むしろ現状固定の条文を作るといったことになりかねない。ですから、私としては、これでは到底承服出来ないと言いますか、これまで検討してきた現状では狭いから原告適格を拡大していこうではないかという大方の一致した意見とはそぐわないと思います。

【塩野座長】現在の最高裁の判例で幾つか口合わせだから、これは駄目だと言うのですけれども、私は前回も判例評釈はやめてください、判例の総合研究もやめてくださいと申しました。要するに考え方を示そうということです。こういう考え方ですとそんなに固定したというふうにお考えになりますか。私は現実に後から恐らく水野委員から御紹介ありますようなものと、そんなに変わらないのではないかと思うのです。水野委員が恐らく後から御提案になりますような御意見と基本的にはそんなに違わないのではないかと思うのです。駄目だ駄目だとと言われれば、では駄目にしようかということになるわけですけれども、この提案は実は私、そんなにこれに肩入れするつもりはありませんけれども、私はこの前申し上げたのは、固い枠を作るのではなくて、やる気のある裁判官、あるいは裁判所がやる気になれば、とっかかりになる条文にしたい、あるいは法律構造にしていただきたいということを事務局にお願いしたわけです。事務局がいろいろなことを考えて、こういう形にしたわけですが、私はこれはかなりオープンな規定だというふうに読めるというふうに思っているわけです。ですから、全然、今までのものを固定化するつもりはなくて、かなり広がる。だから、私はこれがそのまま通ると、お前は民衆訴訟を認めているかねというふうに言われることを、むしろ恐れているぐらいです。

【水野委員】これ以上やりとりしてもあれですけれども、文言を照らし合わせてみれば、もう既にここに書かれていることは、もんじゅの判例が認めていることですから、もんじゅの判例の域を一歩も出ていないと思います。

【塩野座長】あれはもんじゅの判決を認めてしまった場合なんです。だからもんじゅの判決の文書を持ったのですけれども、ではもんじゅにしか認めないかというと、あれはもんじゅの判決ですからね。これは考え方の問題ですから、これをそう書いたものですから、そうするとそれはもんじゅの判決を一歩も出ていないというのは、やや論理的にも無理があるのではないかという感じがするのです。

【水野委員】もんじゅのケースの抽象論です。例えば、当該行政法規の趣旨。

【塩野座長】考え方の問題です。

【水野委員】だから、考え方をもんじゅは示しているわけです。つまり、当該行政法規の趣旨、目的、当該法規は当該処分を通じて保護しようとしている利益の内容、性質を考慮して判断すべきである、一般論を述べている。要するに被害の重大という点についても、これは原子炉設置法の解釈ではありますけれども、要するにその被害の程度が非常に重大であるということからして、その保護しようとしている利益に入ると、そういう判断をしているわけです。それから、関連法規は新潟空港ということですから、これは私の理解では判例の追認だと思います。

【塩野座長】もんじゅの判決を前提にして、もんじゅの域を出ていないと言われるのは困るのです。もんじゅと違った場合の適応も考えて作られていると思います。分かりましたというか、御主張の趣旨はよく分かりました。続いて、水野委員の御意見も同じになりますか。

【水野委員】私の方から、具体的な提案をさせていただきたいと思ってペーパーを用意しました。私の提案は第9条です。「処分の取消しの訴え及び裁決の取消しの訴えは、当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき、当該処分若しくは裁決の根拠となった法令及びこれに関連する法令又は条理若しくは社会通念に基づき、直接又は間接に保護されるべき現実の利害関係を有する者が提起することができる」。こういうふうに第9条を変更するという提案です。原告適格を拡大するということは大方の一致した意見で、これまでいろいろと議論をしてきたと思います。「主な検討事項」はこれまでのこの検討会の意見として原告適格を拡大するために、A案、B案、C案ということで、例えば現実の利益だとか、法的利益だとか利害関係、そういった具体的な案を提示して、そしてパブリックコメントないし行政に対する意見聴取をしてきたわけであります。そこの議論は、やはり「法律上の利益を有する者」という文言を変更することが必要ではないかということが基本にあった。もちろん、この「法律上の利益を有する者」という文言は、いかようにも解釈が可能なわけでありまして、現在の判例が解釈が狭いのだ、これはもっと広い解釈が出来るのだという御議論があることは十分承知しているわけでありますけれども、これまでずっといろんな学者の方々が、これでは困る、狭いと言ってきたのに、判例は頑として変更しない。若干拡大していた例がありますけれども、やはり法律上の利益を有する者という現行法の文言を変更するということが不可欠ではないか。これは国民に対するメッセージ、あるいは裁判官に対するメッセージという両面があるわけでありますけれども、検討会では現行よりも原告適格の範囲を拡大するということで、こういった改正をいたしましたということが必要ではないかと思うわけです。それでは、このA、B、C、Dの案のうちどれがいいのかということで、私どもはA案を提案していたわけでありますけれども、実際、法令に乗せられるかといった議論だとか、さまざまな配慮をいたしまして、それこそ現実的な案としてはC案でどうだろうか。「利害関係を有する者」という文言はいろいろな法律に使われているわけでありまして、このC案に変えるということでどうだろうか。C案に変えれば「法律上の利益を有する者」よりも広がるのかといった議論が一部にはありますけれども、これは広げるというメッセージで、そして文言を変えるわけでありますから「法律上の利益を有する者」ということで現在の判例が解釈している内容よりは広がることは間違いないだろうと思っております。それで「利害関係を有する者」というだけでは、少し漠然とするという意見もありますので、その「利害関係を有する者」という文言の頭に、こういったものを書き込んだということであります。以上が提案です。

【塩野座長】今のは一つの御提案として承りました。事務局が一応用意したペーパーもございますので、どうぞ御自由に御意見をいただきたい。

【小早川委員】水野案についてコメントしてもいいのですけれども、そうするといろいろ多方向的になって混乱しますので。事務局でお考えになった、先ほどから座長が言われている考え方についての質問です。小林参事官の説明でも「考慮されるべき利益」、「守られるべき利益」というような言葉が何度も出てくるのですが、特定の処分をするに当たって考慮されるべき利益と考慮されるべきでない利益を線引きをして、前者であれば原告適格を認める、後者であれば認めないという御趣旨なのかということです。私の理解で言えば、もしそういうことになると、例えばジュース訴訟みたいなものは、景表法は当然、消費者の利益は考慮して立法されているし、それを適切に運用するということは消費者の利益を保護するということになると思うのです。ということは、その公取の処分は消費者の利益を考慮しつつ行われたことになるし、そうあるべきものだということになると思うのです。もしそうだとすると、それでは消費者全部に原告適格が認められるということになるのか。もしそうではないとするとどうなるのか。最高裁はそこではたと思いついて、当該法律が個別に保護しているかどうかという、その法律の趣旨を見ろという、最後の決め手を発見したというのか、私に言わせれば捏造したわけなんですが、そうせざるを得なかったのではないかということなんです。事務局はそこをクリアーされたのか。

【小林参事官】そこは決めていないということです。

【小早川委員】決めていないということは、今までのようなわけの分からない限定もやはりなされるということで、それに対して何らの歯止めもないと。

【小林参事官】考慮されるべき利益がどこまでの範囲かとか、公益的な利益のようなところをどう考えるのかというところは決めている趣旨ではありません。

【小早川委員】だから、個別の法令ごとに考えることになるのだろうと思いますが、私が言っているのは、もっと抽象的な枠組みとして。

【小林参事官】一般的な枠組みとしては、やはり考慮されるべき利益の範囲で原告適格が認められるということで、それがまた個人の権利利益であるということは変わらないのではないかと考えています。

【小早川委員】そうすると、景表法にとって消費者の利益というのは考慮されるべき利益ではないということになるのですか。

【小林参事官】具体的な事例についてどう解釈されるかということは裁判所がお考えになることなので、この段階で、この考慮事項を定めてどうなるかというのは、特定の事例について確定的に申し上げることは適当ではないと思います。

【小早川委員】小林参事官が裁判官であればどうお考えになるかということを聞くつもりはありませんけれども、どういう考え方がその場合にあり得るだろうかというところなんです。

【小林参事官】いろいろな考え方があると思うのです。

【塩野座長】小早川委員は、かねて一般的な保護利益と、それから、本当に最高裁の個別保護利益というのと別に、特定資格というか、言葉は何かいろいろあるとしても、一種集団的な利益を分け持っている人たちの利益ということがあるのではないか、そこは切り分けるのはどうかということは、この席上でも何度か御提案があったことは私も存じております。そこで、私もそういうものは出来ないかということでいろいろ考えてみたのですけれども、これはドクマティッシュにこういうものであることをまず決めて、それを条文化して、一種の裁判所に対する要件として書き込むのはなかなか大変なんです。そこで、この提案なんですけれども、それは小早川委員が提案されておるような学説に乗って裁判所が判断しようと思えばそれは出来る、そういうオープンなスペースを私は提供しているのだと理解しているのです。
 それから、個別具体でも、保護利益といっても、しかし、ここに書いてあるような利益を考慮してくださいと言っていますから、従来のような、非常に原告適格を個別の条文の根拠のあら探しをするような形でなくて、もっと広く個別保護利益の範囲は広がる、その範囲でも広がる。更に意欲ある裁判官であれば、小早川ドクマティークにも乗れるような条文になるのではないかと理解しています。特定な集団、あるいは特別の資格を持った人を原告適格の要件で切り分けるとなると、それはどこまで特別か、その特別という範囲がどこまでかということを条文の中で示せればいいのですけれども、それが示されないということになると、そこは非常に難しくなってしまうのではないですか。それはそういうものも入るのだという場を提供するということがぎりぎりかなというふうに思います。この点についても、私なりの訴訟法の理解、あるいは特に原告適格法の理解というものがあるものですから、それをここで開陳するつもりはありませんが、この提案はそういうツールを提供しているという趣旨でございます。

【小早川委員】これだけにしますけれども、先ほど申した趣旨は、この事務局案の考え方が、法律の解釈は柔軟に広くやれということですが、論理構造としては、ある特定の人の利益があって、それと法律とを比べて、法律がその利益を保護しているのかどうか、その人の利益をその人の利益として保護しているのかどうか、あるいは考慮すべきものとしているのかどうか、という形の法解釈でもって、原告適格の範囲が決まってくるという基本枠組みがあるように見えるのです。ですから、これはドイツ流の、要するに法律に基づいてその人の保護された権利なり利益が出てくるという、いわゆる法律で保護された利益説ないしは保護規範説の考え方であると見えるわけです。だから、そこを乗り越えたいわけでして。

【塩野座長】私の言っているのは、そういうことではあるのだけれども、その特定の利益をどういうふうに判断するかという点については非常に広がりを持っている、つまり、ある集団の、また特定のことを言うと、また判例評釈に私が陥ることになりますけれども、例えば、近鉄特急のような事件ですと、定期券を使っている人たち、一種の集団は最高裁判所は原告適格はないと言ったわけですけれども、やはりあの場合に、定期券の購入者、旅行者というのは、ちょっと違うのではないかということで考えて、それを認めてみようという方向にいざなうことが出来る仕掛けではないかと言っているわけです。ただ、それが更にどんどん進んでいって、土産物店はどうかとなると、なかなかそこは首をひねるということはあると思います。

【小早川委員】私は、むしろ土産物店も認めるべきだという論文を前に書いたことがありまして、そこへ何とか結び付けたいというのがあるのです。

【塩野座長】そこまではなかなか行かないと思いますけれども。

【小早川委員】それは先生が保護規範説に立っているのではないでしょうか。

【塩野座長】いや、そうではなくて、小早川委員の場合は、土産物店も保護利益と言いますか、法律上要件にはなっているわけでしょう。

【小早川委員】ですから、土産物店の利益から出発するのではなくて、史跡名勝の価値そのものに着目しよう、それを守るのは誰が適しているかということです。

【塩野座長】訴訟法の例の訴訟管理者でしたか。

【小早川委員】紛争管理権。

【塩野座長】そこに行かなければいけないので、そこのドグマティックをこの検討会で認めろと迫られてもちょっと困るのです。おっしゃることは非常に先見的なものがあるし、私も日本法がそういう方向に運ぶということにはかなり賛同するのですけれども。

【小早川委員】足を縛らないでいただきたい。

【塩野座長】それは縛らないように、これは出来ていると思います。

【芝池委員】先ほどの小早川さんの御質問との関係で申しますと、小林さんは考慮事項を非常に強調されたのですけれども、これはやはり条文をどう書くかというときの話になるわけでして、そういう点で言えば、第一の①とか②に書いてあることが、やはりこの案が承認されれば、条文作りにおいては基準になるのではないかと思います。前々から法的利益がいいと言っていたのですけれども、「法律上の利益」も「法的利益」も同じ意味だと言われますと、「法的利益」にこだわることは出来なくなってくるわけであります。その前提で言いますと、現在の「法律上の利益」についての判例の解釈をどういうふうに書いていくかという問題があって、その場合「法律上の利益」という文言自体を変えるという方向が1つありますが、それがどうもこれまでの作業では難しいというふうになっているのではないかと思います。そうしますと、「法律上の利益」というものを裁判所なりが解釈する上での考慮事項を条文に書くというやり方は、1つの原告適格を拡大する方法としては、あり得るだろうと思います。そのときに、第1の①、②に書かれているようなことが入ってくることになるわけです。その点について、先ほど水野委員が判例を超えていないとおっしゃったのですが、これは前にも申しましたけれども、もんじゅとか新潟空港の判決は、他の裁判例と比較しますと、非常に優れているところがあるわけでありまして、そういう考え方が一般的な形で法律に書かれれば、それは裁判実務上大きな影響を与えるだろうと思います。

【塩野座長】実務家の方からの感触、これはどちらか、水野案かこちらの案かを適用しなければならないということではありませんが、いろいろお悩みかと思いますが、率直なところを。

【市村委員】小早川先生の御指摘の問題は、私もかねがね感じていまして、そういうところはどうやって乗り切るべきかということは大きな問題だと思っております。小早川先生の御意思は違うかもしれませんが、例えば、公益という形で保護されているものにも一様に原告適格を与える、個別的というところを特にはねないで、保護されていると思われれば皆与える、そういうふうにした場合には、この人には原告適格があり、この人はないという区別する指標としての原告適格が稀薄なものとなって非常に判断がしにくくなるという気がします。むしろ、その問題は、例えば今の解釈の在り方が、公益と私益、個々的に保護された権利というのを余りにも截然と区別しすぎて、例えば、公益として保護しているときには、一方はあり得ないというふうな区別の仕方に陥りがちだというところにある。ですから、例えば、本当に救済すべき事案については、公益としても確かに検討はしているのだけれども、ある一定の範囲の人については、個々的な意味でも二重に保護しているというように実体法的に観察する領域があっていいのかなと思っております。そういうことが進んでいくのであれば、先ほどの、事務局がお示しになったようなメルクマールであっても、同じような保護に到達するのではなかろうかというふうに考えます。これは全く個人的な試案で、反対の御意見の方もたくさんいるのかなと思いながら、申し上げた次第です。

【福井(秀)委員】要するに、何らかの条文を作るのであれば、何か想定する領域が説明出来ないとおかしいという意味で、小早川先生がおっしゃったことに賛成ですし、また、メッセージとして根幹的な部分の条文を変えることがより適切に解釈の変更をもたらすであろうという点で水野先生の御意見にも賛成です。基本的な立案の仕方がおかしいと思うのですが、ここは何度も話題になっているように、立法論を行う場でありまして、立法論とは、今までの判例の解釈について何か問題があるとすれば、最高裁、下級審、学説も含めて、学説に混乱があったとか、判例が必ずしも統一されていなかった、あるいは原告適格が狭過ぎたなどという、要するに解釈の実体に問題がある場合に、それに対して立法的解決を与える、政策判断で立法的解決を行うために営む行為なわけです。立法論で想定されている条文の結果、どの判例が変わるのか、あるいはどの解釈がどのように変わるのか、について、それは判例や学説の蓄積に委ねます、というのでは誠に無責任な態度だと思います。もちろん、具体的に裁判官ではないですから、精密にある要件効果を厳格に特定することなどは出来ようがないわけですけれども、考慮事項なら考慮事項、あるいは端的な根幹条文を変えるなら変えるという、その条文にしたときに、今までの運用や判例や解釈と一体何が異なることと見込まれるのかということを、立案担当者自身が、それは分かりませんというのでは、こんなことがあっていいのだろうか、全く摩訶不思議だ、という気が、率直に言っていたします。どうも立法論の解釈論あるいは判例評釈と塩野先生はおっしゃるのですけれども、それはかみ合っていないと思うのです。立法の場でありますから、やはり立法で想定するものについての見込み事項なり想定事項なり、変更事項なりということがあるのかないのかということは議論の前提として進めていただきたいと思います。

【塩野座長】その点は既に一度申し上げたことなんですけれども、行政に権限を与える場合には、要件をきちっとし、その効果はどういうものであるかということをぴしぴし決めていかなければなりません、これは法治主義の基本原則になります。その権限を行政が誤ったときに、救済を求める人が出てきたときにどうするかというのは、これは私は憲法上最高裁判所ないし裁判所以下の裁判所に委ねられていると基本的には思うのです。アメリカあるいはコモンローの国はまさにそれは司法のやることであって、立法というものはよほど、今日これからあるいはお話しがあるかもしれませんけれども、アメリカでも確認訴訟というものは判例がどんどん積み重ねてきたのを立法が整理するのです。まず、宣言判決訴訟があって、それをどんな宣言の訴訟が出てくるかアメリカ人は考えて、それについて緻密な議論を展開した結果、宣言判決の今の蓄積があったというのは、アメリカ人に言わせれば、それはとんでもない間違いだということになると思います。まず判例が出て、それで余りいろいろなことが起きたので、整理をしたということです。ドイツの行政手続法もそうです。つまり、デュープロセスの実現の場で、一番真剣に取り組まなければならないのは裁判官である。そして、その裁判官が適切にその職責を果たせるような形での支えをするのが、立法ではないかと思うのです。ですから、要件とか効果というものをぴしぴし決めて、これで裁判官に動けというのは、裁判官に対する侮辱だと思うのです。あるいは司法法、あるいは裁判法に対する認識が、私はそうではないのです。裁判官にも、救済を求める原告にも、あるいは弁護士の方にも適切に権利主張し、適切に救済を図るための武器を与えるということなので、そのときに要件効果で縛るというのは基本的には反対です。ただ、それにしても、裁判所が今まで余りかたくなに動いているときには、それでは、こういった考え方でやれば、もっと適当に裁判の救済の武器を働かせることが出来るのではないでしょうかということで、示しているのが、今日出した事務局の案の基本的な私の考える理念なんです。そうすると、この武器はどういうふうに使えるかということは、過去の事例について言えば、ここでも既に、こんな場合にはこうなりますというふうに言っているわけですけれども、これからどういうふうに発展しますかという判例蓄積、学説を待ちますということより、むしろ裁判法に対する法規の当然の事柄であって、ここが福井秀夫委員と根本的に違う、行政に対する行為規範と、裁判所に対しての規範とは違って当然なのではないか、あるいは立法権としてもそのことを十分理解の上、臨むべきではないかというのが私の理解なんです。

【福井(秀)委員】そういうお考えとしては、拝聴いたしましたが、少なくとも日本は制定法準拠主義の国でありますし、アメリカでも判例を変える場合に、制定法である判例の傾向に歯止めをかけるために立法するということが広く行われているわけでありまして、もし判例の蓄積に対して、司法チェックの場での立法が別の流れをつくることが出来ないということになりましたら、おおよそ行政訴訟検討会で、今まで議論してきた営々たる蓄積というのは、ほとんど立法は出来ないことだということになりかねないのではないでしょうか。

【塩野座長】そんなことは言っていないです。もっと裁判所が動きやすくすべきではないか、あるいはいみじくも言われたのですけれども、制定法準拠主義はいけないと言っているのです。これを最高裁判所以下が破ってくれなければ、これまでの蓄積は全く外れます。いつまでたっても制定法準拠主義だったならば、日本は法の支配の国から離れることになる。それをやめてくださいと言っているわけです。

【福井(秀)委員】もちろん、裁判所が立法を新たに果敢につくられるということは全く異論はございませんが、今までの判例の救済範囲が原告適格に関して狭かった。まさに実体的に行政に権利侵害されたときの権利回復が出来なかったということです。あらかじめ行政庁の権限を拘束する実体法をつくるときと、その回復の場面とで次元を異にする立法態度があるべきだという発想は全く理解出来ません。およそ救済をするのであれば、やはり実体権の統制と同じような意味で、立法権が司法権にどのぐらいまで救済の範囲を求めるべきかというメッセージをつくり得ることは当然でありますし、立法を行う際、司法権が追随することしか立法が行えないのだということであれば、行政事件訴訟法について全部判例の蓄積に委ねないとおかしいということになりかねないわけで、それは全く理解に苦しむ御議論だと思います。

【塩野座長】いや、全然理解に苦しむことはないわけで、その場合の前提として、司法権というのは、行政統制のためにあるのだということであれば、そういう形で立法することはもちろん可能ですけれども、それに対して、やはり憲法上の問題があるということは憲法学者も言っているところです。何でもすべて客観訴訟で持ち込むということは出来ないだろうと、そういう限界はあります。

【福井(秀)委員】いや、客観訴訟などと申し上げているつもりはございません。

【塩野座長】ですから、もう一つここでは、原告適格を議論する場合には、私は言葉は余り好きではありませんけれども、主観訴訟というか、原告の権利、利益の保護ということで考えていきましょう。ただし、その場合の原告の権利利益の保護ということは、余り厳密に、あるいは細かな形で議論しているから、なかなか原告適格の範囲が広がらないので、その場合の考え方の筋道をこういうふうに整理したらもっと広がるのではないでしょうかというのが、ここの提案なんです。

【福井(秀)委員】もちろん、先生が広げられたいというメッセージなり、方向性については全く異存はございませんが、今、あえて問題提起申し上げているのは、それでは一体どういう手段で行うのかということに関してです。判例が、いわば呪縛に陥ってきた、一定の原告適格のドグマというものがあるのであれば、また、憲法の裁判を受ける権利に照らしても狭過ぎた、憲法上何らかの形で疑義があるとすれば、憲法に照らして広げるように判例自身が自浄努力で広げることが出来なかったのであれば、それは立法の出番であるということになるだけのことだと思うのです。司法が自発的にやってきてくれていれば、何の問題もないのに、やってきてくれていないから立法の出番がある。それがこの検討会の使命だと思っているわけですが、学説や判例が熟するまで立法が出張るべきではありませんという議論には、私は全くくみすることは出来ないと思います。

【塩野座長】私も全くくみしません、現に立法は出張ろうとしているのです、義務付け訴訟、差止訴訟、その他のことにもどんどん出張っています。それで、原告適格のところが今問題になっていますが、原告適格も出張り方はいろいろありますけれども、これは立法として、こういう形で出張れば裁判所はもっと原告適格の範囲、あるいは権利救済ということの実効的な確保をすることが出来るのではないかという形での提案なのです。

【福井(秀)委員】そういう形でしか立法が出張れないというのはドグマではないでしょうかというのが私の意見です。

【塩野座長】いや、一つの御提案です。だからドグマでも何でもないので、そういう御提案をしているわけで、そうすると福井秀夫委員としては、どういう御提案をされるのでしょうか。

【福井(秀)委員】繰り返し申し上げているとおりですが、具体的に条文で想定される領域を見込み事項なり、想定事項としては頭に置きつつ、こういう場合は、ここまで広がるとか、こういう条文なら、この判例は、例えば近鉄特急であれば、まさに塩野先生がおっしゃったように、考慮事項によって、このケースが救えるようになるはずだとか、そういうことに1対1で具体的に対応するシミュレーションが不可欠ではないかというのが1つです。

【塩野座長】それは、それぞれシミュレーションをやっていただきたいですね。

【福井(秀)委員】もう一つは、今までの「法律上の利益」というものが、かなり確たる呪縛概念として流通してきていることは、恐らく検討会でも共通認識だと思いますので、これもいろいろな形があって、もちろん論理的にある概念から、たった5文字か6文字の言葉から演繹的に外枠の概念が固まるなどということはありえないと思いますが、少なくともこの言葉に対応して、今までの最高裁判決や、下級審判決が営々と築き上げてきた一種の基準があるわけですから、その射程が狭いという議論をしている以上、言葉を変えなければ解釈は変わりづらいというのも、これも理の当然ではないかと思います。

【芝池委員】ですから、さっき私も申しましたように、「法律上の利益」という文言を変えるのが一番いいのでしょうけれども、それはなかなか難しい。ですから、一つの選択肢として、「法律上の利益」を解釈する場合の考慮事項を示すという方法があるのでありまして、それがいいかどうかという話だと思うのです。水野委員の御提案なんですけれども、法令云々に基づき、とございます。これは要するに法的判断をしなさいということだと思うのですが、その後、「現実の利益」というのがまた出てくるのですけれども、これは矛盾ではないでしょうか。「法的利益」と、「現実の利害」というのはどう結び付くのか。

【水野委員】だから、法令でどこまで保護されているかというよりも、法令でどこまでの利害関係があるかというほうが、かなり広がりますよ。

【芝池委員】それが問題なのではないですか。

【水野委員】利害関係があるという意味では、無限に広がる可能性があるわけです。だから、ある程度縛りが当然必要だろうということです。

【芝池委員】だから、そこは法的判断でいいわけではないでしょうか。

【水野委員】法的判断でいいのです。

【芝池委員】そうすると、現実のというのは要らないのではないですか。

【水野委員】要らないかもしれないですね。

【芝池委員】そうすると、法的な判断だということで合意が出来るのであれば、用語としてはいいものではないかもしれないですけれども、「法的利益」とか、そんな話になってくるのです。それを前から言っているのですけれども、どうもそれは法律用語ではないという御意見があるようで、そうすると、やはり「法律上の利益」になってしまう。そうすると、これは全然前と変わらないではないかという話になってきて、それなら「法律上の利益」という文言を解釈する場合の考慮事項を新しい法律で書くという方向が出てくる。それから、今の最高裁の判例を素材にして、この解釈基準を作るということについて、かなり御抵抗があるようなんですが、さっきも言いましたように、もんじゅ訴訟とかは、ちょっと表現に困るのですけれども、優れた判決でありまして、ですから、そういう基準が一般化されればかなりよくなると思うのです。

【水野委員】今の「法律上の利益を有する者」というのが、変えるのが難しいということを、芝池委員はおっしゃったのですけれども、なぜ難しいのかよく分からないです。難しいということに、この検討会でなったわけでもない。A、B、C、D案は、「主な検討事項」まではまとまっていた。その後に、「たたき台」の段階からそういうのが出てきたわけでありまして、変えようと思ったらいつでも変えられる。変えるか、変えないかだけの話なんです。それで、先ほど言いましたように、変えても広がらないのではないか、そういう意見があるのは承知していますけれども、やはりここは広げるために変えたということが必要だと、繰り返しですけれども。
 それからもう一つ、今の判例が進んだ判例だから、それを追認するのでいいのではないかというような御意見なんですけれども、それだったら原告適格の拡大と言う必要はないのです。これは、たまたま昨日最高裁の判例が出た、我々が検討している最中に出た、ここまで最高裁が広げてくれるのだ、これは法を変えなくてもいいのではないかというのだったら話は分かります。しかし、もんじゅの判決は、平成4年の判決です。平成4年の判決が出た後も、やはり狭いという議論は変わっていないわけです。もんじゅの判決の要件が条文に書き込まれれば、やりやすいのではないかということは、事実としてはありません、我々弁護士の感覚としては。つまり、弁護士は、あらゆる判例を使いまして、例えばもんじゅの判決が使えるというのであれば、これを一言一句そのまま引用しまして、最高裁の何々判決とやりますから。そうすると、裁判所は、それと違う判決は原則的に書けない。だから、もんじゅの判決がこういう言い回しをしているというところまでは、これは既に、いわば確定しているわけで、だからそれと同じことを書いても、何にも拡大にならない。これはもう間違いないところだと、私は確信しております。

【塩野座長】それは、先ほど御意見をいただきましたので、いろいろ議論のあるところではございます。

【水野委員】1点だけ申し上げておきたいのですけれども、例えば、今の事務局の案は根拠となった法令というものが基本になっています。根拠となった法令ということを基本にしてやることにしますと、例えば里道廃止処分、要するに根拠となる法令がないものがありました。あれは、根拠となる法令ということを言わずに、法律上保護された利益に当たる場合があるという言い方をしてやっているわけです。そうすると、もしもこういう根拠となる法令というような条文を明文で置いた場合には、根拠となる法令がないケースについて救えるのか。今なら救えます、結論は別ですけれども、認められる可能性があるといって、認めたわけです。しかし、こういう案をきちんと書いてしまえば、それは救えなくなるのではないかという気もするのです。ですから、今の判例よりも場合によれば狭くなる可能性もあるし、少なくとも今後の判例の発展を阻害するということになると思います。

【塩野座長】その点は、この前もちょっと申し上げたのですけれども、里道や何かは、今度は地方団体に移管されましたので、ちょっと法制は変わってまいりますが、その当時の考え方からしますと、法定外公共物ということで、明治以来の法があるのです、条理でも社会通念でもない公物法がある。私は、それを美濃部先生、田中先生から受継いでおります。
 そこで、いろいろ、条理もしくは社会通念というのは、なんかその辺のことをお考えなのかとも思いますが、この御提案でちょっと私がなかなか分かりにくいなと思いましたのは現実の利害関係で絞ろうというときに、現実の利害関係とは何かというのが、また出てきてしまうのです。これでうんと広い利益だと、しかし、広過ぎるから現実の利益で絞ろうということで、広がり過ぎないようにとおっしゃっているのですが、そうすると間接的に保護された利害関係のうちの現実の利害関係という、これは一体どういう基準で決めるのかというのです。私は、もしかするとこれは条理及び社会通念かなと思ったのですけれども、条理がそうなると法源かなという話も出てきまして、私は条理ということで、なかなか思い出せないところがあって、法令検索をかけてみたら、法令用語にはなくて、明治時代の裁判所の規則辺りで、条理に従って判断すべきとあるのですけれども、いまだに学説上は条理というのは法源なのか何なのだろうかということは議論になっています。
 もう一つ、社会通念によって判断しようと、これも盛んにいろんなところで出てきますが、これもなかなか条文に親しむのかどうか。私は、社会通念というと、すぐチャタレー事件判決を思い出してしまうのです。常に社会通念というのは、そういうふうに社会の進歩にブレーキをかける役目も負わされている、そういう非常に恐ろしい概念なんです。行政法の方では社会観念という言葉なんですけれども、社会観念という言葉を使って判断しているのが、神戸税関の懲戒処分の事例で、社会観念に著しく反しないという、これも社会観念を裁判所が勝手に想定している。いみじくもチャタレー事件では社会通念というのは、裁判官が判断するものだと。その当時の裁判官がああいう判決を下したということになるので、これはなかなか条文化には難しいなという感じも持っているところもございまして、そうすると、結局、いろんなことを解釈していきなさい、それから現実の利害関係ということでいくと、そんなに事務局で考えていることと違わないのではないかという感じがするのです。そこで、なかなか検討会の御意見をどういうふうにまとめていいか苦労するところですけれども、やはり日本法としては、従来の法律の在り方等とも考えて作っていかなければいけないときに、どうすれば一番効果的に裁判官に訴えることが出来るかということなんです。ですから、この御提案のような形の方が、裁判所に効果的にいくのかどうか。それよりも考え方について、ここら辺を考慮してください、あるいは、こういう考慮をすることは出来ますよと言えば、それは意欲のある裁判官だったら、こちらでかなり行けるのではないかというような感じもして、また、いろいろ事務局とも相談して整理をしていきたいと思います。

【芝原委員】水野委員がもんじゅの判例を超えない、超える、とか言っておりましたけれども、我々から見れば、平均値の議論だと思うのです。裁判例が幾つもあって、平均値が今はここだとすると、もんじゅがやや突出して異常値にあるのでしょうけれども、そこまで平均値を上げるという規定になるのだろうと思うのです。平均値が上がるということは、そこから更にプラスマイナスするわけです。そういう意味では、かなり平均値を上げる議論では前進ではないかという感じはしています。だから、平均値が突出点を超えるか、超えないかというのは、我々から見ると違うのかなという感じで聞いておりました。
 あと、もう一点確認したいのですが、私の感覚からすれば、訴訟類型的に、というのは、集団訴訟とか、団体訴訟が非常に難しいということであれば、集団訴訟が一番高いハードルがある、その次に団体訴訟。とすれば、原告適格のところが一番ハードルが低く、広がりを持たすという意味では、原告適格のところで出来るだけそういうものを受け止めてほしい、そこを広げてほしいという感じがしていますので、そういうことがもう少しここで読めるようなものにしてほしいと思います。それが積み重なっていけば、将来の団体訴訟なり、集団訴訟につながるというようなダイナミズムを醸し出せれば有り難いなという感じがしています。

【萩原委員】今の芝原委員の言葉を継いで、ということなんですが、確かに原告適格を拡大するということで、事務局の文言を読んでいる限りにおいては非常に分かりやすくて、これでもし平均値が上がるのであれば、非常にいいなと思ったのですが、その一方で、いわゆる用語で言いますと、分散になるのですか、ぶれが大きくなるということは、国民にとってかなり不満がまた残るものにもなる。要は、あの判事のところに行ったならば、なんか非常に良かったにもかかわらず、こっちに行ったからという、何かそういうぶれが出てくるというものが、先ほど座長は意欲のある判事という言い方をされましたけれども、国民からすれば、意欲あるとか、ないとかとは関係なく、やはり自分にとって、一番いい判決をもらいたいわけです。たまたま意欲のないところに行ったお陰で、結果が思わしくなかったとか、やはりそのぶれがあるということは非常に不満が、幾ら平均値が上がってもぶれが大きいということは、やはり相変わらず不満が残ると思うのです。ですから、何とかそこのところ、ぶれがないような形でいくような文言を考えていただきたいなと思います。

【塩野座長】私がちょっと舌足らずだったのですが、仮に、この事務局案で法律が出てきたときには、平均値が今より上がると。私は、元気な裁判官と言ったのは、乗り越えると、例えば小早川委員が常に言っておられるような形のものまで乗り越えようと思えば、乗り越えられるという場はあるのではないでしょうか。それを今度は、どういうふうに受け止めていくかというのは、恐らくケース・バイ・ケースの話になりまして、最高裁まで行って、このケースならばいいだろう、このケースならば駄目だろうということで、最終的に、やはり最高裁判所が判例政策で決まってくることだろうと思っています。ただ、一審の裁判所に当たりはずれがあるというのは、これはなかなか、これはむしろ事務局長に聞いていただきたいのですけれども、それはしようがないと言いますか、そういうことはあるべしということですけれども、しかし、基本的な平均値まではこれで持っていけるでしょう。もっと元気がいいのがもっと出てくれば、もっと行きます、そういう趣旨でございます。
 そこで、実は最後の方にも申しますけれども、時間といいますか、この検討会のとりまとめの方向にだんだん進んでいるときに、この検討をどういうふうに進めていっていいか、私はなかなか判断し難いところがあるのですけれども、水野委員がお出しになった案、いろいろなことをお考えになった上での御判断だと思いまして、今日もいろいろ御議論の対象とさせていただきました。ただ、私としては、前回こういう形で事務局の方で考慮事項という形で作っていまして、それで御批判いただきいということでございまして、それについては積極的な御意見の方もありますし、真正面から消極的な御意見の方もございました。ただ、出来れば一つに、何とかお考えを統一して、まとめとなる核みたいなものについて、考えていかなければいけないなと思っております。ここは、皆様方の御意見によって判断することになりますけれども、私といたしましては、かなりいろんなことを考えて、今までの積み重ねで解釈規定という言葉は誤解を招く恐れがあったのですけれども、要考慮事項を置いてみようということで、一応、宿題をこういう形で出しましたので、もし、次にこういう形で、更に補うべき点は補うということでよければ、こういう形のものをまとめてみたいというふうには思っておりますけれども、いかがでございましょうか、大体そういう方向で行った方がよろしゅうございますか。

【水野委員】「法律上の利益」という文言を置いておいて、2項にそういった規定を設けるということですか。

【塩野座長】もう一つ、「法律上の利益」というのが残っております。私が常々言っておりますのは、これが本質的だという方もあるのです。福井秀夫委員は、どうもこれが根幹的な規定というふうにお読みになるのですけれども、そんなに根幹的な規定と思って、元々は書いていないのです。雄川一郎先生の行政事件訴訟法制定の回顧録を読みますと、法律上の争訟をこんな問題になるなんて全然思っていなかった、つまり法律上の利益のあるものと、その程度のものであるということなものですから、この言葉に何か従来の固い判決が凝縮しているというふうには私はなかなか認識出来ないところがあります。そこで、では、他の文言がいいかというと、利害関係も、この前、深山委員から御紹介ありましたように、凝縮している判例、固まっている利害関係というのもあるのです。全く新しいことだったらまだいいのですけれども、利害関係をこういうふうに理解しますよなんていうのがどんどん出てきていますので、そうすると別の法文の利害関係と、こちらの法文の利害関係は違うのだというのもなかなかしんどいところがあって、ここは次回までにどうこうということは、私は余りこだわらないのですけれども、両方の御意見があったということで、「法律上の利益」という言葉自体については、今日は締めさせてていただきたいと思います。

【水野委員】ですから、そういう解釈規定というか、運用規定というのか分かりませんが、そういう規定を置くということに絶対反対というわけではない。ただ、何遍も繰り返すようですけれども、それが現在の判例をそのまま持ってきた、判例の追認みたいな規定では困ります。さっきから、平均値を上げるみたいな議論があるので、一言言っておきますが、判例というものは、そういう平均値ではないのです。つまり、判例というのは、古い時代の判例から世の中の動きに従って変わってくるわけであって、例えばもんじゅ訴訟が仮に一番突出しているとすれば、それ以後の判例はもんじゅの判例は突出しているので、平均的なところで判例を出しますということではないのです。もんじゅの判例がここまで到達しているとすれば、それ以後に出てくる判例は、必ずそれを踏襲するのです。それを最高値だという表現をすれば、最高値がそういう判例を形成していく、これは紛れもない事実なので、平均値を上げるからいいという議論は、おかしいと思います。ですから、どういう文言になるのかというのは、今日のペーパーだけではもう一つよく分からないので、例えばこういった文言だったらどうかというものを提示していただいて、それを基に少し議論する方が具体的な議論になると思うのです。抽象的な話では、もうそういう時期ではありませんので、例えばこういう文言ではどうかといったものを、出来れば次回に事務局の方からお示しいただきたいと思います。

【塩野座長】文言というのは、どこの文言のことですか。

【水野委員】第1の、例えばというところです。

【塩野座長】ここをもう少し変えろということですか。

【水野委員】そういう意味ではなくて、要するに規定の文言という意味です。

【塩野座長】条文にしてみるということですか。

【水野委員】条文です。

【塩野座長】大体これでいくのではないかと思いますけれども。

【水野委員】条文がどんな条文になるのかということですね。

【塩野座長】そういう御要望があったということだと思いますが。

【小早川委員】実質論は終わりで、今後の進め方の話でよろしいでしょうか。

【塩野座長】実質論はいいと言えばそれでいいのですけれども、まだ実質論をしたいという方はいますので。

【小早川委員】いや、実質論をしようとしても時間がないものですから。事務局からの御説明でも、この案はちゃんとよく使えばいい方に進めるはずの案だという御説明なものですから、ではそういうふうにして読んでみようかと思うのですけれども、その際に、やはりここの検討会のペーパーとして、ここの表現をもうちょっと直したらどうかとか、そういうふうなことはいかがなんでしょうか。今、申し上げた方がいいのか。

【塩野座長】出来れば、検討会の場でおっしゃっていただいた方がいいと思います。

【小早川委員】では、そういうことであれば申し上げます。要するに先ほども申し上げましたように、行政法の場合には、全てが個人の利益から出発しているというわけではないので、社会的に共有された利益をまずは立法の対象にして行政活動が行われる、それが個々人の生活に対してどういうインパクトを与えるか、そういう話がしばしば出てくるわけです。ということで、私としては、例えばのパラグラフですが、ここで書かれている利益というのは、基本的にはそういう、立法が考えている、守ろうとしている、確保しようとしている利益のことであろう、それは個々人がそれでどれだけ損害を受けるかとか、直接にはそういう話ではないというふうに考えます。そこで、例えば、一番最後のところ、利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度を考慮すべきことを定めることはどうかとあります。これを、条文にするつもりではありません、考え方だけですから、砕けた言い方で言いますけれども、それが害されることで原告にとっていろんな態様、程度のインパクトが生ずるのかということを考慮すべきというような書き方にしていただけると、私としては少し安心出来る。

【塩野座長】分かりました。御意見として承ります。利益論はなかなか難しいのです。私は社会共有の利益と個人の利益というのは分かれないと思っています、すべてアナログでいっていると思っているものですから。アナログのものの難しさがここにあるのです。デジタルだったらもっとどんどん切れているのです。だから、最高裁はすべてを二分法で、これは近代法治国家の発想が最高裁に残っているので、それはそうではないので、ここはやはりアナログの世界、だからこそアメリカ人はあれほど苦労して判例を行きつ戻りつしているのです。判例は、なぜ行きつ戻りつしているかというと、それはやはりアナログの世界なんです。公共の利益というのは、そういうものなんではないですか。そこは、また小早川委員とここで議論をしても仕方がないので、小早川委員の気持ちはもう痛いほどよく分かっていますので、それでは、そういうことで少し前に進ませていただいてよろしゅうございますでしょうか。
 それでは、続きまして、「義務付け訴訟」の方に入りたいと思います。

【小林参事官】義務付けと差止めは一体の方がよろしいかと思いますので、資料5と資料6を御参照ください。「義務付け訴訟の法定」につきまして、資料5の「第1 義務付け訴訟の一般的要件」として、次のような要件を定めてはどうか。行政庁に対して一定の処分又は裁決をすべきことを義務付けることを求める訴訟の要件として、「① 原告適格に関する要件」として、「処分がされないことによって自己の法律上の利益を害され、又は害されるおそれがある者であること」、「② 本案に関する要件(一義性)」として、「行政庁が一定の処分をすべきことが一義的に定まること」、「③ 救済の必要性に関する要件」として、「処分がされないことにより重大な損害を生じ、又は生ずるおそれがあり、他に適当な方法がないこと」。大体このようなイメージで要件を考えてはどうかということです。
 「第2 法令に基づく申請をした者が当該申請に対する処分を求める場合」については、先ほどの③の「救済の必要性に関する要件」は、そのまま当てはめるのは適切ではないのではないかということで、特例を設けてはどうかと考えているものです。具体的には、「1 申請に対する処分を求める場合の要件の特例」として、法令に基づく申請をした者が、当該申請を拒否する処分がされ、又は相当の期間内に当該申請に対する処分がされない場合に、当該申請に対する一定の処分をすべきことを義務付けることを求める訴訟について、第1の一般的な申請権のない者も含めた義務付け訴訟の要件とは別に、特別に次のような要件を定めてはどうかという、これもイメージですが、「① 原告適格に関する要件」としては、「処分又は裁決についての法令に基づく申請をした者であること」、「② 本案に関する要件(一義性)」、これは一義性であり変わらない、「③ 救済の必要性に関する要件」としては、申請を拒否する処分がされた場合に、その拒否処分が無効であり、取り消すべきときであるとき、あるいは行政庁が申請に対し相当の期間内に処分をすべきにかかわらず、これをしないとき、つまり不作為の違法確認の訴えが出来るような場合、そういうような場合については、もう手続を尽くしているわけですから、その人が一義的な行政の義務を裁判で求めるということは、十分に救済の必要性が認められるのではないかと思います。
 「2 取消訴訟等との関係」ですが、今のような申請に対する処分について、救済の必要性があるということを認めるための要件としては、やはり処分は取り消すべきものであることは当然の前提になるのではないかということで、その救済の必要性に関する要件の存在を訴訟上も明らかにするということから、義務付けの請求は、申請拒否処分の無効確認若しくは取消しの請求、あるいは不作為の違法確認の請求と一緒に訴えなければならないこととしてはどうかと考えています。このときの訴訟の目的は共通なので、別に手数料が2倍要るとか、そういうことを考えているわけではありません。②で、「①により併合して提起された訴訟は、判決の間の判断の抵触を避けるため、弁論及び裁判は分離しないでしなければならないことを原則とするが、処分の取消し又は不作為の違法確認の請求についてのみ訴訟が裁判に熟した場合において、義務付け訴訟についての審理の状況その他の事情を考慮して、より迅速な争訟の解決のため必要があるときは、裁判所は、申請拒否処分の無効確認若しくは取消しの請求又は不作為の違法確認の請求について一部判決をすることができることとしてはどうか。」ということです。③にあるように、②により一部判決をした場合において、申請拒否処分の無効確認若しくは取消しの請求又は不作為の違法確認の請求についての判決が確定するまでの間については、判決の抵触の防止等の観点から、義務付け訴訟の訴訟手続の中止に関する規定を設けることが適切ではないかと考えています。
 資料6の「差止訴訟の法定」につきましては、「1 差止訴訟の一般的要件」として、「行政庁が特定の処分をしようとする場合にその処分の差止めを求める訴訟(差止訴訟)の要件」として、次のような要件を定めてはどうか、として、「① 原告適格の要件」として、「行政庁がしようとする特定の処分によって自己の法律上の利益を害されるおそれがある者であること」、「② 本案に関する要件(一義性)」で、「行政庁が特定の処分をしてはならないことが一義的に定まること」、「③ 救済の必要性に関する要件」として、「処分がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあること」、このようなイメージで考えているところです。
 「2 救済の必要性が例外的に認められない場合」で、1の「差止訴訟の一般的要件」で救済の必要性が一応ありそうだと思われる場合でも、実は他に別の処分の取消訴訟を起こせば、差止めを求める処分も止まってしまうというようなルートがあるような場合は、実定法上も考えられ、そういうようなことが明らかになったときは、そちらの実定法上の仕組みの方が優先するのではないか、そして差止訴訟による救済の必要性はないのではないか。したがって、そういうような、他に差止めを求めることに代わるような適当な方法があるときは、救済の必要性は認められない、つまり差止めを求めることはできないということを除外規定のような感じて書いてはどうかということです。
 「第2 救済の必要性に関する要件の考え方」につきまして、1の③のような救済の必要性に関する要件をなぜ考えるかということですが、①にあるように、「民事訴訟などにおいても、差止めは事前審査であるという性質から、例えば、著しい損害を生ずるおそれがあるとき(独占禁止法第24条参照)など、原状回復の困難性や損害の重大性などから救済の必要性が高く認められることが、一般的には要件として必要であると考えられているのではないか。」と思われるところです。これは民事一般に差止めという事前の審査の性質から来るという問題点ではないかということで、「処分又は裁決の差止めを求める行政の差止訴訟においては、少なくとも民事訴訟の一般的な差止訴訟よりも救済の必要性の要件を緩和することは適切ではないのではないか。」という考え方です。
 ②の観点は、そのような観点から長野勤評訴訟についてどう考えるのかということですが、これは、「処分を受けてから、事後的に争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情」というような要件が書いてあります。この判例の要件がいいか、悪いか、あるいは判例ですから、こうしたいろいろなことを書いてあるので、これが法律の要件として適切かというのはまた別の問題ですけれども、一応は司法と行政との役割分担ということ、それから先ほど民事一般にあるような差止訴訟による救済の実効性と、それをバランスしながら、救済の必要性の要件を考える必要があるのではないか、こういうことを問題点として考えた次第です。

【塩野座長】これも前回いろいろ議論した結果を基にしまして事務当局においてまとめたものですが、義務付け、差止め、順序は必ずしも求めませんが、一応資料5、6に従って御議論いただきいたと思います。

【水野委員】質問ですけれども、いわゆる抽象的な義務付け、例の国立の市村判決みたいな、要するに何らかの規制権限を行使すべきことは明らかだけれども、具体的にどういう権限行使すべきかは必ずしも明らかではない。それは、この一義性の中に入っているという理解でいいのですか。これはよく見ますと、義務付け訴訟は一定の処分と書いてあるのです、差止訴訟は特定の処分と書いてあるので、そこでちゃんと区別をしているのかなというふうにも読めるとは思ったのですけれども、ちょっと確認したいと思います。

【小林参事官】そこの特定の問題は、請求である以上特定されなければいけないということであって、むしろそこは前回の検討会の資料で、民事訴訟の請求の趣旨の特定と同じではないだろうかと考えて、ただこの場合は、一義性が判断出来る程度の特定でなければいけないという、この訴訟特有の民事訴訟の原則の適用上の工夫の問題はあるかと思いますが、基本的には一般論の問題ではないかと考えたものですから、この要件の中には書いていないということで、今、水野委員のおっしゃられたような、それは一義性の中のとけ込みなのかなとおっしゃられたのは、むしろ我々の方の考え方では、一義性という要件が定められるわけですから、その要件が運用出来る程度の特定が必要だということで、ではどこまで特定が必要かというのは、これは訴訟法の一般論の問題ではないかということを考えています。

【水野委員】だから、例えば何らかの是正命令を行使すべきだといった義務付け訴訟は出来るのか。

【小林参事官】それは具体的な場合に応じて可能性はあると考えています。

【水野委員】出来るか出来ないかはきちんと書いておかなければいけないのではないでしょうか。だから、この要件で、一定の処分をすべきことが一義的に定まることというのを狭く解釈しまして、例えば何らかの是正命令でも具体的な、これをやらなければいけないということまで、一義性があるというところでなかったら義務付け訴訟が出来ないということになると、抽象的な義務付け訴訟が出来なくなるので、もしそうだとすれば、それが出来るということを分けて書く必要があるのではないかと思います。

【芝池委員】今の抽象的な作為の義務付けの訴訟ないし判決ですけれども、ドイツ流に言えば義務付け訴訟の枠内で出てくるのですが、これは不作為の違法確認訴訟とはどこまで違うのでしょうか、あるいは不作為の違法の判決とは共通性があるようにも思うのです。つまり、不作為の違法確認判決は、実際には義務の確認判決だと思いますので、そうすると、今、先生がおっしゃっているような場合もカバーしてくるのではないかなと思っていたのです。

【水野委員】だから、そっちで行くのだということであれば、それも1つの解決かも分かりませんけれども、市村判決はそういう判決で。

【塩野座長】市村判決は、不作為の違法確認が効く話ではないので、申請に基づく処分ではありませんから、第三者の問題ですから、そういう問題があるかと思います。

【水野委員】もちろんそうですね。

【塩野座長】ただ、この点は前回もいろいろ議論しまして、私としてはこういう理解なんですけれども、市村判決を否定するような法律は絶対に作ってはいけないという前提で事務局にお願いをしてあります。それを条文上どう書くかは別として、あれほどすばらしい判決が出ているのに、それを否定するようなことはあってはならないということだと思います。

【水野委員】今の芝池先生の御意見は、いわゆる義務付け、何らかの是正処分をしろという抽象的義務付けでなくても、是正命令を出さないことが違法であるという、今の段階で言うと、無名抗告訴訟としての不作為の違法確認訴訟でいいではないかという御意見だと承ったのです。ですから、それはそれでもいいかなという気はしますということを申し上げたわけです。

【塩野座長】それから、今の市村判決の場合のことで言えば、前回の資料の中で、処分の内容を一定の範囲で特定出来れば、抽象的内容の義務付けもあり得る、これは義務確認というふうにやるか、あるいは義務付けというふうにやるか、それはいろいろ考え方があると思いますけれども、特定としてはそういうものであるということで、前回お示しして御了承をいただいたと思っております。

【水野委員】ただ、その処分が最後の最後まできちんと全部コンクリートな形で一義性がないと出せないということになりますと、非常に硬直したところを出ないので、やはりある程度抽象的な義務付け訴訟を認めるような書きぶりにすべきではないかと思います。どこまでが具体性で、どこまでが抽象的かというのはまた議論が分かれると思いますけれども、やはりある程度裁判に応じて、不作為の違法確認でもいいのですけれども、ある程度抽象的な義務付け判決も出せるような形にすべきではないでしょうか。

【塩野座長】それはおっしゃるとおりで、私もそういうことだと思います。

【小早川委員】全体としては、おおむねいいような気がするのですが、細かなところで、両方、義務付け訴訟、差止訴訟ともですが、原告適格に関する要件のところで、自己の法律上の利益を害され、または云々というふうにある。取消訴訟の原告適格の方は、取消しを求めるについて法律上の利益があるかどうかということで、処分が法律上の利益を害したという言い方とは違うわけです。それに対してこの言い方は、何となく法律上保護された利益が侵害されたというようなニュアンスもあって、私は余り好きじゃないという、そういう好き嫌いの話ではなくて、理論上の混乱を招く恐れがあるので、取消訴訟と表現を合わせた方がいいのではないか。つまり、単純に義務付けを求めるについて法律上の利益を有するとか、差止めを求めるについて法律上の利益を有するでいいのではないかと思います。

【塩野座長】そこは考えさせていただきます。

【小早川委員】その他、②、③は、訴訟要件と本案の要件がどうなのかという整理も多少絡んでくるのかもしれませんけれども、ちょっとお考えいただければと思います。

【水野委員】要件でいきますと、③の救済の必要性に関する要件というのがあるのですけれども、これは不要ではないかと思うのです。つまり、一定の処分をすべきことが明らかだということであれば、義務付け判決を出してもいいではないか。だから、処分がされないことで重大な損害が生じ、または生ずるおそれがあり、他に適当な方法がないことというふうな、こういう厳格な要件を設けますと、まさに義務付け訴訟というのは、法定したけれどもほとんど出来ないことになりかねないので、③の要件は外すべきだろうと思います。

【塩野座長】この点は、私は議論した記憶がありまして、特にこの場合には、第三者が義務付けを求めているわけです。ですから、一種の介入行為請求権で、これは昔流の日本法でいくと、そんなことはあり得ないのです。それはかなり特別な場合ということで、通常の場合とは違うのではないかという御説明で、今まで大体整理されてきたというふうに思います。ちょっと、これが私も最初変に思っておりましたが、第1は一般的要件なので、申請に基づく場合には、第2のところの③で全部外れているというのです。

【水野委員】そう読むのですか。

【塩野座長】ええ、そう読むのです。

【小林参事官】申請による場合は資料5の第2の1の③が救済の必要性に関する要件となるので、第1の③のような救済の必要性は要らないのです。

【水野委員】そうすると一般的要件と書いてあるけれども、これは申請に基づかない場合のものですか。

【小林参事官】第1の一般的要件は、申請に基づかない場合に適用になり、申請に基づく場合は、第1の③の要件ではありません。

【小早川委員】第1と第2の書き方が、ちょっと分かりにくいです。むしろ逆の方が分かりやすいです。

【塩野座長】要するに、条文を書いていくと、まず申請から書いていくと書きにくいという説明のようですが、内容的にそういうふうに御理解いただきたいと思います。私もそういうふうにのみ込みました。申請に基づく場合には、第2の③でいくということです。

【水野委員】ただ、第三者がやる場合でも、そんなに重たい要件が要りますか。

【塩野座長】これは、なかなか難しいところで、日本では第三者が請求権があるかどうかまで、大変申し訳ないのですけれども、行政法で議論していないのです。ドイツでは盛んに議論をしたのですが、日本は取消訴訟ばかりに熱中していて、これはその意味での請求権か、それとも一種の形成訴訟的なものかということは整理せずに終わっているという状況ですので、請求権が、もしそういうふうにあれば、水野委員のおっしゃるように、請求権がそのまま完成すればいいではないかということになるのですけれども、なかなかそうはいかないというところに、悩みと言いますか、反省があって、私はどうも行政法学の方で大変申し訳ないことをしているというふうに思っております。ただ、これを機会に請求権、日本でも実体法上の請求権というものが生成発展してくるかどうかということが問題になると思います。

【水野委員】両方で違いを設けるべきかどうかをもう一遍考えますけれども、ただ第1の③の要件は、いかにも書きぶりが重いと思います。

【深山委員】第三者が救済処分をしろという話ですから、重いに決まっているのです。

【水野委員】 いや、重過ぎるということです。

【小早川委員】第2の方は、立法者がある人に一定の権利を与えようという判断をしているわけなんです。第1の方は、その判断が立法上余りないということなので、ですから、それを塩野先生は請求権が確実に生じていないと言われたのだと思いますけれども、そうなると、やはり第1の方は、立法がいかにあるべきかということを考えながら裁判所が非常的な救済に乗り出すという話なのかなと私は考えます。

【塩野座長】ただ、私は事情によってはかなり動き得るものだと思うのですけれども、ドイツでよく例に挙げられるのは、原子力施設の稼働停止、あるいは直すことを求めるというふうなのもありますし、それから、これは私が考えたものではなくて、事務局に教えてもらった例ですけれども、例えば雑居ビルの中で階段のところに変なものが置いてあるときに、それを除却してもらうというので、では民民で行けばいいではないかというのも一つのアイデアで、それを貫くとそういう必要はないのですけれども、ただ民民で本当に行けるかねと、どの地区ではどんな人が住んでいるか分からないというときに、民民でやりなさい、おれは知らないというふうに言えるかというと、それは知らないとは言えないというルートはここにあるということだと思います。

【水野委員】ですから、今おっしゃったように、第1の③の「他に適当な方法がないこと」というのは、やはり引っかかるのです。つまり、民民で行けるからいいではないかという議論になる、つまり、例えば公害を発生させているから規制してくれというときに、それは直接工場相手に差止訴訟がやれるではないかという議論になりかねない。だから「他に適当な方法がないこと」というのは、どういうことを念頭に置いて書かれているのか分かりませんが、もしそういうことであれは非常に困ると思いますので、これも外すべきではないでしょうか。

【塩野座長】基本的には、民民の紛争だという問題がありますから。

【水野委員】民民の紛争だと言っても、例えば規制の相手がたくさんあるような場合に、公害工場が幾つもあるという場合に、全部に裁判を起こさなければいけないのか。しかも、例えば大気汚染の場合ですと、原告に到達する寄与率がどれだけであるかとか、そんな議論がいっぱいあるでしょう。それだったらきちんと大気汚染防止法に基づいて規制をしてもらえばいいではないかということも考えられます。ですから「他に適当な方法がないこと」という要件は少なくとも必要ないのではないでしょうか。

【塩野座長】いや、今の話の下に適当な。

【水野委員】いや、だからそういう議論になると思います。

【塩野座長】おっしゃりたいことはよく分かります。

【水野委員】ここでまた議論になるのです。

【芝池委員】差止訴訟ですが、第1の②の「本案に関する要件(一義性)」とあるのですけれども、これは処分してはならないというところに力点を置きますと、これは違法性の問題で、本案の問題だろうと思うのです。この差止訴訟が認められるために、どういうことが必要かと考えますと、要するに一定の処分をすることを行政庁が意思決定をしている、あるいは、そういう一定の処分が行われる蓋然性がある、あるいは可能性が高い、そういう場合だと思うのです。ですから、ここで特定の処分と一義的というのが2つ入っているのですけれども、特定の処分だけでいいのではないでしょうか、特定の処分が行われる蓋然性があることとか。

【小林参事官】そこは、柱書きの方に入っていて、特定の処分をしようとする場合に差止めを求める訴訟ということで、そもそも訴訟の構成要素ではないかなと思ったので、ここに書いているつもりです。

【芝池委員】本案に関する要件とありますが、勝訴要件だという意味ですか。

【塩野座長】はい、そうなんです。本案に関する要件というのは、訴訟要件ではなくて勝訴要件です。
 それでは、次の確認訴訟になりますが、お願いします。

【小林参事官】資料7を御覧ください。第1で「公法上の法律関係に関する訴訟による救済の可能性」を指摘しています。「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」(行政事件訴訟法第3条第2項参照)、これが取消訴訟の対象で、抗告訴訟の対象でもあるのですが、この「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」を訴訟の対象として取消訴訟その他の抗告訴訟の方法による救済を求めることができない場合であっても、公法上の法律関係に関する確認の訴えは、「公法上の法律関係に関する訴訟」(行政事件訴訟法第4条参照)、これは当事者訴訟の中の一形態として書いてあるのですが、その「公法上の法律関係に関する訴訟」の一形態として可能な場合があるのではないか。公法上の法律関係に関する訴訟による救済の可能性は、法律上の争訟と認められる限り、確認の訴えに限らず、給付の訴えなどの訴訟の形態も、個々の事案によっては現行法の解釈上否定はされないのではないか。つまり、「公法上の法律関係に関する訴訟」という行政事件訴訟法第4条の規定は、訴訟要件は一切書いていないものですから、その訴訟要件というものは、むしろ一般の法律上の争訟と認められて、あるいは確認の訴えとして確認の利益があるかどうかとか、一般の訴訟の要件と同じように決まることを前提にしていると思われます。したがって、他の訴訟形態も行政の仕組み等を考慮しながら、そういった権利が認められ、それが紛争になっていると認められる限りは、現行法の解釈上も給付の訴えなども否定はされないのではないだろうか、そういう幅を持ったものであろうと考えております。
 「第2 確認の対象」につきましては、「公法上の法律関係に関する確認の訴えが認められる場合に関し、確認の対象を広汎な「公法上の法律関係」の中からあらかじめ想定・特定して訴訟要件を定めることは、行政の法律関係にかかわる行政の活動様式や紛争の発生形態が著しく多種多様であることを考えると、困難ではないか。」ということです。「仮に確認の対象を特定して訴訟要件を定めた場合には、その確認の対象に当たるかどうかという訴訟要件をめぐって新たな争いを生じ、また、確認の訴えが限定的に解釈運用されることになるおそれも生ずることから、かえって訴訟要件を規定することが実効的な救済を妨げることにつながるおそれがあるのではないか。」ということです。「確認の対象は、権利義務ないし法律関係の存否、行為の効力の有無や違法性など多様なものが想定されるが、多様な法律関係の中であらかじめ特定の対象を取り上げて訴訟要件を定めるよりも、訴訟の形態を定めず、具体的事実関係に応じて紛争解決に最も適した確認の対象を選択し、確認の利益が認められやすい訴訟の方法を選択することができる可能性を有する当事者訴訟の訴訟類型を利用する方が、実効的な権利救済につながるのではないか。」ということです。
 「第3 確認の利益」につきましては、「確認の利益について、多様な行政上の法律関係について、あらかじめ特定の場合を想定して訴訟要件として定めることが可能か。仮に確認の利益が認められる場合を特定して訴訟要件を定めた場合には、その訴訟要件に当たるかどうかをめぐって新たな争いが生じ、具体的場面によっては民事訴訟で一般的に確認の利益が認められる範囲よりかえって限定して定めることになりかねず、訴訟要件を規定することがかえって実効的な救済を妨げることにつながるおそれがあるのではないか。」このように考えた次第です。

【塩野座長】それでは、確認訴訟について、前回も大分議論をなされましたが、こういう形でまとめてももらいました。検討会の資料としてドイツの例をお示ししたのですけれども、宣言判決法ということで、アメリカが非常に蓄積があるところでございます。それから、フランスは越権訴訟が中心ですけれども、それでもいろいろな考え方があるということが分かりましたので、今日、まずアメリカ、そしてフランスということで、こちらの方に出てきて御説明いただきます。中川さんは膨大な資料を作ってきましたけれども、5分で終わるという約束を取り付けております。

【中川外国法制研究会委員】それでは、お手元の資料10、1枚目の「I.宣言判決の制度」というところで、「1)宣言判決における判例と立法の関係」、先ほど塩野先生から言及がございましたけれども、それについて御説明いたします。①は宣言判決はこういうものだということで、②でありますが、それまでは憲法違反ではないかという議論があったのですけれども、1933年に連邦最高裁が宣言判決を認めようと、判例変更をしまして、翌年に法律が立法されております。その下が条文であります。その下に(説明1)、(説明2)とありますけれども、(説明1)は今申し上げたことの詳細の説明でありまして、(説明2)はなぜ立法されたかということについて、この連邦以前に州での前史というのがございまして、その一番下の行「しかし」というところでありますが、次の通りです。判例上宣言判決を認めようという動きはあった。しかし、宣言判決は憲法の司法権を超えて違憲ではないかという反論もあった。2頁にまいりますが、権利の存在だけなのか、それとも不存在も言えるのかとか、あるいはインジャンクション等の関係で劣後をするのかどうか、あるいは、裁量として認めないこともあり得るのか、あるいは既判力があるのかというところでいろんな議論があった。20世紀初頭の話でありますけれども、この点について立法がなされるという動きがあったわけです。当時の立法データが出てきますが、そこで立法を行うという1つのパターンが出来たところであります。それがそのまま連邦法でも取り上げているというところであります。
 「2)宣言判決の特徴」でありますが、①既判力を持つ。それから②、ほかのタイプ、例えば損害賠償であるとか、差止め、インジャンクションでありますが、そういうものが請求されているか、あるいは請求され得るかとは無関係に宣言判決をすることが出来るということが立法で明言でされております。③、その結果、唯一問題になるのは、現実にそこに紛争があるのか、何でもかんでも宣言出来ますというのではなく、現実の紛争があるかどうかに限定されるということが重要で、ここが唯一問題のあるところであります。
  「3)宣言判決の利用のされかた」、これは具体例でありますが、①民民の訴訟であれば、そこにありますように、これこれの権利がある。あるいは3頁にまいりまして、契約は有効であるとか、特許は無効であるとか、こういう形で使います。「② 国・地方公共団体に対する訴訟の例」でございますと、これは非常に広く使われております。第2パラグラフでありますが、現在では法律や条例等の違憲性を争うタイプ、あるいは行政決定を争う際に極めて多用されております。具体例は後で申し上げます。
 5)でありますが、こういった宣言判決を、日本ではどういうことになるのかということを一番下に絵に書いておきました。3頁の一番下でありますが、左側がインジャンクション・宣言判決、これは行政上の決定を争う場合には、いつでも使える。判例法令上の司法審査ということで、かつて御紹介いたしましたが、ただし個別制定法で別の審査方法を書いてあればそちらを優先するというものとの関係でございます。これを無理やり日本に引き付けますと、個別制定法上の司法審査が抗告訴訟、処分がある場合の訴訟。それ以外の場合について、何らかの請求権があるということで給付訴訟または確認訴訟が出来るという関係で御理解いただければいいのではないかと思います。
 具体例でありますが、4頁以降です。要するに全ての場面で使われるということであります。宣言判決とそれからインジャンクションというのが全ての場合で使われます。以下は基本的な場面に分けてみました。II−1というのは、申請があった場合で、1)申請が拒否されたので相手が訴えた。この場合には、①拒否が無効である、あるいは申請に係る事業を行う権利が自分にあるのだということの宣言をする。それに加えてあるいは、インジャンクションだけのこともありますけれども、許可をするよう命ずる、義務付け訴訟です。こういうパターンでやっていかれます。
 2)は、申請が認容されたときに第三者が訴える、やはり同じように、宣言判決とインジャンクション、ここに例が書いてございます。
 5頁にいきますと、下の方に3)がありますが、申請に対して不作為がある。この場合も同じように申請について処理を受ける権利があるということを宣言します。このようにやっております。6頁で少し事例を書いておりますが、御覧いただければと思います。
 7頁で、今度は「不利益処分」の場合でありますけれども、やはり同じように、1)不利益処分に対して相手方が訴える、宣言判決で無効である。あるいはその不利益処分をやるなという、続行するなというインジャンクションであります。
 6)でありますが、なされる見込みのある不利益処分に対して、先ほどありました差止訴訟の事案でありますが、これは例があるのだと思うのですが、どうも探してみても実際に発見出来ませんで、その理由は7頁の下に○が書いてありますが、多くの場合、アメリカではその前提となる通達等を、後で言いますように、違法宣言をするということがよくやられているようであります。
 7頁の下の方の○では、反復する場合には、既に前の処分を争っていて、それが期間満了等があっても、ムートとならないということでございますので、そのまま前の処分について違法確認をするということです。
 8頁3)が、先ほど義務付け訴訟で扱われましたような場面でありますが、これも宣言判決が使えるはずなんですけれども、私が見た限りでは、端的にインジャンクションするという判決ばかりでございました。
 8頁の「II- 3.その他の場面」とありますが、1)行政立法等々につきましては、これこれについて宣言判決を用いて、他のインジャンクションも可能でありますけれども、いわゆるプリエンスフォースメント訴訟ということで御紹介いたしましたが、それが行われます。この場合も、紛争の成熟性があれば認めるということでありまして、これは宣言判決の現実の紛争と同じことで、一回的に判断されます。
 具体例が10頁以下で、行政立法の場合、あるいは立法の不作為、あるいは11頁で行政指導という形で御紹介してありますが、すべてまったく同じようです。そして、宣言は何を宣言するのかというと、無効というものもあれば、違法という判決もあるし、それからこういう権利がある、権限がない。非常に直観的な言葉で表現しておりまして、言い方が悪いといって却下になるということは皆無であるというところが特徴かと思います。

【塩野座長】どうもありがとうございました。これは入り口が広いということは分かりましたが、出口もかなり広いというのが認められる。インジャンクションと宣言とどっちでしょうか。

【中川外国法制研究会委員】要するに、インジャンクションが認められると宣言判決も認められることになっているのです。例えば不利益処分が違法であると、違法を宣言して、不利益処分を執行するなというインジャンクションを同時にかけるということなんです。これは別に宣言判決だけでもいいのです。つまり、宣言判決とインジャンクションの違いは、インジャンクションはもし行政が言うことを聞かなかったら、罰金刑とか、そういう強制力があるというので、安心のために原告は両方やるようでありますけれども、片方だけでもよい。

【塩野座長】日本のように過去の行為の確認はいけないとか。

【中川外国法制研究会委員】過去の行為であっても、それが確認されれば紛争は解決すると思えれば、それはすべて認める。

【塩野座長】具体的に認められた例というのは、こういう例としてある。

【小林参事官】原告側がどういう不利益を受けて、どういう争いになったときに認められたかという確認の利益のところはどうですか。

【中川外国法制研究会委員】確認の利益は既に御紹介した紛争の成熟性と同じです。

【小林参事官】それが認められた現実の場合はどういう場合ですか。

【中川外国法制研究会委員】それは、以前に申し上げた通り、例えば行政指導とか通達などが出ています。

【小林参事官】対象だけではなくて、原告はどういう状態でどういうことが争われたのかということではどうですか。

【中川外国法制研究会委員】守らないと、結局、倒産をするという話がありますね。こういった商品は認められませんという指導があるがしかし、それはおかしいというので、あえて商品化した結果、不利益処分がでると倒産をするかもしれない。その危険を冒してまで頑張れというのは酷である。だから、この段階で訴えるのだと。日本で言うと審査の対象性の問題ですが、アメリカでは訴訟対象性を全部認めた上で、タイミングの問題でやる。ちょっと言葉の違いですけれども、実際待てと言っても、これでは合理的な訴訟行動として無理だろうと考えると、訴えることを認めるわけで、これはアメリカ的だなと思います。

【塩野座長】また、小林参事官が問題にした点についても、あるいはお願い申し上げるときがあるかと思うのですが、今日は発表時間を限定し、更に準備の期間も非常に限定したのに、どうもありがとうございました。非常に参考になりました。それでは、橋本教授お願いします。

【橋本外国法制研究会委員】私も2日前にやるように言われて、余り準備が出来なかったのですが、一応「フランスにおける無効確認訴訟について」という1枚紙のものに沿って、ごく簡単にプレゼンテーションを行います。まず、行政決定について、それが無効であるという議論と似たもの、これはフランス行政法でもまず一般的にあるということになります。これは1950年代の後半以降認められております。通常、フランスでは不存在の行政決定という言い方をしますが、大体日本の言い方では無効ということになるかと思います。その場合、出訴期間の制約は外れますし、民事訴訟でも訴えが可能ということになります。この無効の行政行為について、越権訴訟が提起されたらどうなるかということでございますが、その場合に、行政裁判官は職権によって訴えの性質の変更を行った上で、本案に理由があると認める場合には、当該行為の無効を判決で宣言するというのが一般的でございます。この場合は、無効宣言訴訟という類型が用いられているということでございます。この無効宣言訴訟のほかに、行政契約の無効確認訴訟、あるいは金銭支払い命令の無効確認訴訟というものが訴訟類型として存在していることになります。実例はいずれも少ないということだろうと思われます。
 4に行きますが、他方、この検討会で議論されているような取消訴訟の対象拡大の代替物としても、無効確認訴訟を利用するという発想は、フランスでは非常に稀薄であるということになります。これは行政決定の概念が広くて、そもそも処分性が広いわけですから、余りそういうことをやる実益がないということ。それから、行政訴訟において、決定前置主義が大原則であるということになっておりますから、決定を経ない訴えというものは非常に例外的だということが理由であるというふうに思われます。しかし、それを正面から否定するという理屈は多分ないということになると思います。
 5番目ですが、しかし、フランス行政訴訟でも、取消訴訟での救済というものが不十分であって、法律関係の確認、あるいは権利義務関係の確認という形で訴訟的な救済を拡大すべきではないかという議論は存在するわけであります。この問題については、1980年代以降、我が国の言う当事者訴訟的な構造を持つ、越権訴訟と並ぶもう一つの行政訴訟類型である完全裁判訴訟、これにより救済の拡大をしていて、この現象をとらえて、これを権利関係の確認訴訟ということで再構成すべきである、こういう議論があるということになります。これは統一的構造を取るということも1つであるし、行政裁判官が行政機関に対してインジャンクションを命令する、こういったタイプのものが増えてきているということもあるのだろうと思われます。この議論の1つの例を、これは私の書いた本で紹介したことがございまして、これもお手元の資料の77頁の後ろから2行目にありますが、この議論を紹介しているということになります。この議論は恐らくドイツの議論を参考にしたものだろうと思われますが、フランスにおける完全裁判訴訟の再評価といった傾向について、こういったものを発展すれば、ドイツで言うような確認訴訟といったものになっていくのではないかという主張があるということになります。これはあくまで学説の主張ということになります。
 6番目ですが、もう一つ、民事訴訟の先決問題として行政決定の違法性を行政裁判所で確認する「適法性評価訴訟」がございます。この適法性評価訴訟の判決に対世効があるという理解がされるようになっていることも、この検討会での議論との関係では頭に浮かぶことでございます。この一番有名な判決といたしまして、1986年の民事の判決ですけれども、エールフランス、これは当時は国営企業ですけれども、エールフランスの就業規則が女性を差別するものであったということが問題になったときに、その規則に関する適法性評価訴訟で、行政裁判所が違法宣言判決を出した。その効果が、それに基づく労働契約全体に及ぶということを認めたという判決が出ておりまして、こういったタイプの訴えでありますと、規則というものの違法を確認するということがまず行われて、それが対世効を持つことになりますと、事実上その違法を確認することによって、そのような紛争を解決するという効果をあらかじめ持たすということになる。この例などがここでの議論には1つあるということで紹介をしました。以上です。

【塩野座長】それぞれのお国ぶりによってではありますけれども、我々が議論しようとしているような確認訴訟はかなり利用している。それから今後それが発展しそうなところがあるということを御理解をいただければと思います。なお、資料等、今日配布されましたので、どうかお時間があればお読みいただくということにし、また、格別に御質問があれば、それぞれ専門の方々ですので、お答え出来るかと思います。時間の関係もありまして、今日は外国法について余り深く入ることは出来ません。どうも3人の方ありがとうございました。それから山本助教授、この前お礼を言うのを忘れて失礼しました。そこで、確認訴訟についてペーパーと、外国法の紹介がございましたので、御意見をいただきたいと思います。

【水野委員】元来、いわゆる処分性の拡大をしていくべきだというのが本来的な議論だと思うのですが、なかなか難しい面もありますので、今、確認訴訟ということでその代替をしようとしておられると思います。その方向は私としては理解出来ます。前回も申し上げたことですけれども、だからと言って、今の法令でやれるから、何も規定を置かないということであれば、対裁判所、対国民に対して、改革したということは言えないのではないかと思うのです。仮に出来るとしても、出来るのだったら出来るという規定を置くべきであって、出来るから規定を置かないというのでは改革の名に値しないのでないかと思っています。そこで、どういうふうな条文を置くべきかということで考えてみたわけでありますけれども、今、この段階で条文の規定を置くとすれば、これは当事者訴訟のひとつとして、違法確認訴訟というものが認められるのだということを明文で明らかにすべきではないか。ここに第4条として当事者訴訟の規定の案を書きましたが、1号、2号と書いてありますが、これはいわゆる形式的当事者訴訟と、実質的当事者訴訟、単に条文が長過ぎるので、こう分けたらどうかという形だけの問題です。変わっているのは、公法上の法律関係に関する訴訟というところに括弧書きを入れまして、「抗告訴訟によることができない国または公共団体若しくはこれらの機関の行為の違法の確認を求める訴えを含む」ということを書く。この括弧書きを書き込むことによって、そちらで救済が出来るという明確なメッセージになるのではないかと思っているわけです。確認訴訟というのは、過去の事実の確認というのは、例外的にしか出来ないというのが今の民訴法の理論でありまして、確認訴訟を特に認めるという場合には、明文の規定を置いて、それが確認の利益ということを言わなくても、明文の規定があれば、それでやれるということで、幾つかの条文が置かれています。例えば株主総会の決議無効とか、婚姻無効とか、そういったさまざまな確認訴訟がある。これは確認の利益という難しい議論をしなくても、これについては大本のところで確認させることによって、根本的な解決が図られるので、認めるのだという趣旨なんです。恐らく、行政事件訴訟法で行政処分の無効確認訴訟というのが36条で認められておりますけれども、36条の規定が置かれたのは、3条4項で当然にどんな場合でも確認の利益があると解釈されたら困るので、36条で確認の利益に関する規定を置いたのではないかと理解しています。そういうことで、いずれにしても、確認訴訟についての規定を置くべきだと思うわけでありまして、1つの案として、こういったものでどうかということで提案した次第です。

【塩野座長】私から質問ですけれども、この括弧書きを入れるという趣旨は、株主無効とか離婚無効確認とか、それだけでどんな行政指導でも確認の利益を個別に判断しないで認めてしまうという趣旨ですか。

【水野委員】そこのところが実は問題でありまして、確認の利益についての条文、36条に類似の条文を置くべきかどうかということが1つのポイントになると思うのです。それがなければ全部それでいってしまうのかという議論があり得ると思います。ですから、場合によったら置いた方がいいのかも分からないとも思います。しかし、置かなくても、それだけで当然に確認の利益が認められるということに必ずしもならないのでないかという気もしますので、そこら辺りは少し詰めなければいけないのではないかと思います。

【塩野座長】これだけでは確認の利益を当然に認めたことにはならないということですか。

【水野委員】解釈は可能である。

【塩野座長】そういうふうに承ってよろしいですね。

【水野委員】はい、そうです。

【深山委員】第一として、この部分だけ、いわば確認にすぎないかもしれないけれども括弧書きで注書きみたいなことを書いて、こういうものも入っていますよという理解をちゃんとしてくださいという趣旨のことを書きたいとおっしゃったのだと思うのですが、立法の在り方として、前回事務局の方からも行政計画の場合はどうだ、行政立法の場合はどうだ、行政指導の場合はどうだとか、それぞれ確認訴訟で争うことを認めた場合には、どういう要件の下で認めるのかということを個別的にいろいろ考えないといけませんねという、随分たくさんの課題があるということを示されたと思うのです。全部が全部どうかはともかくとして、相当程度の手当をしなくてはいけないというのは一見で明らかなくらいいろいろ考えなくてはいけないと思うのですが、ここの部分だけあえて明示的に特出しして書くと、そのこと自体はおかしいとは思わないのですけれども、そうしながら、こういう規定を使おうと思ったときに、行政計画だったらこういう点が要件にならざるを得ない。行政通達だったらこういう点を要件にせざるを得ないと、全部解釈に投げる、あるいは個別法で手当してくださいというのは、行政指導だと個別の手当になるかどうか分かりませんが、いずれにせよ、非常に大変なことだし、法律の作り方としていささか不親切ではないか。今、出来ると一般的に言われていることを特出しているということをして、そうするなら、では、どういうふうにして出来るのですかということまで検討して書くなら、それはそれで1つの進歩だと思うのですけれども、今は全部出来ることは解釈で一般的に認められて、その際どういう要件がかぶさるかも解釈、そこは一切触らないで、ここだけ書くというのはいささか不親切な立法ではないかと思います。

【水野委員】それは対象ごとにいろいろ書けるかと言ったら、それは書けない。今日のペーパーに出ているとおりでそうだと思うのです。そうしたら、何も書かないで全く白地でおやりくださいというのはもっと不親切ではないか。だから、少なくとも違法確認訴訟というものは、本来は過去の事実の確認だと理解していますから、違法確認訴訟というのは、出来るか出来ないかという議論があり得るところだと思うのです。けれども、違法確認訴訟というのも、公法上の当事者訴訟としてやれるのですよということを明文化することによって、一歩前進する。具体的な行政計画なり行政指導が訴訟になったときに、それではどんな場合にどうなるかというのがいろいろ議論が出てくると思うのです。そこのところはやはり判例なり何なりがなければしようがない。

【深山委員】違法確認は確かにそこに焦点を当てて言えば、普通の公法上の当事者訴訟では、普通は有効・無効まで、権利義務関係の存否の確認か、せいぜい有効・無効までで、違法の確認というのは法的効力のないものについて、法律違反があるかどうか。そういうふうな確認までは、ごく古典的に考えれば、ちょっと古い考え方かもしれませんが、認められないと思うのです。ですから、そこを際立たせたいということで、この違法の確認を求めるということを書くのだとすると、この違法の確認をせざるを得ない類型というのは確かにあると思うのです。法的な効果がない行政指導には有効も無効もないですから、ただし、法律違反ということはあり得る。そこに焦点を当てて書くと、全てのものについて、権利義務関係の存否でやるのが適切なものも、それから有効・無効でやるのが適切なものも、あえて言えば違法で言うしかないものとありますね。それらのうち、違法のところだけ特出しして書くというところに普通認められにくいところを認められますよということで、強調したいということなんですか。

【水野委員】権利義務関係の存否だとか、おっしゃられるものは出来るのです。ところが、処分的なものの違法性の確認というのが出来るのかどうかということは、これは過去の事実の議論だけではなくて、そもそもそういうことが出来るのかという議論があり得ましょう。それは出来ると書くというのは、その部分では創造的な部分があると思う。

【深山委員】今、読んだばかりだからあれですが、「抗告訴訟によることができない」という修飾が付いていて、これを読むと、行為に公権力性がある抗告訴訟、取消訴訟等々の無名抗告訴訟も含めた抗告訴訟で争うべきものではないもの、公権力性がないものを考えているのですか。

【水野委員】抗告訴訟で争えるものは抗告訴訟でやるべきだと。

【深山委員】抗告訴訟でも確認の利益でしか争えないものもあります、処分性がないために。

【水野委員】それはこっちに入ってくる。

【深山委員】無名抗告訴訟でやるのですか。

【水野委員】そうじゃなくて、今の提案している当事者訴訟に入ってくるわけです。

【深山委員】当事者訴訟は抗告訴訟によることが出来ない。抗告訴訟は無名抗告訴訟も入っているのですよ、行為の公権力性がないことを言っているのだから。

【水野委員】何らかの処分を求める義務付け訴訟というのは、いわゆる無名抗告訴訟でしょう。これは今回有名になるか分かりませんが、今の段階では無名抗告訴訟で、それはもちろん、当事者訴訟に入ってこない。

【深山委員】公権力性のある行政庁の行為だから、処分ではないけれども、抗告訴訟で争うべきだなと思われるような類型のものについては、一体どっちでどう扱われるのですか。

【水野委員】抗告訴訟で争えるものは抗告訴訟でやらざるを得ない。

【深山委員】無名であれ。

【水野委員】そうです。いわゆる狭い意味の処分ではないもの、いわゆる非処分について公法上の法律関係に関するものについては、非処分が違法であることの確認訴訟が出来る。

【小早川委員】今の深山委員とのやり取りの点は、実質的には事務局案に対してもあるわけです。こちらは特出ししていないけれども、しかし、これで1頁の下の方に行為の違法性ということがちゃんと書いてあるわけでして、そういうものもこれに入ってくるというわけですから、それが一体どの範囲で入ってくるのか、その場合の訴訟要件は何かという問題はあるのだと思います。と思いながら議論を伺っていました。

【深山委員】そのとおりだと私も思うのです。この事務当局の方の資料の違法性というのは非常に私自身は気になったのです。しかし、ここは手当をしないで解釈に委ねるという前提だから、際立たないのです。非常に水野先生などはそこに目が行くものですから。

【水野委員】生かなさなければいけない。

【塩野座長】ここのところは、なかなか悩ましいところでして、ただ、私の勉強したところは、第19回の検討会で山本教授にレクを受けたということが1つございます。それと若干の民訴法の論文等での知識にすぎませんけれども、確認の対象については、現在の法律関係の確認が大原則なんだけれども、しかし、それよりもむしろ例外的な確認の利益が容認される場合もあり得る。その意味では過去の行為の確認訴訟というのはおよそ認められないという議論は、あるいは判例はもう過去のものであるという認識の下に、山本教授も御報告されましたし、また、中野貞一郎大阪大学名誉教授の「民事訴訟法の論点」2というところでも、確認対象となる権利関係は、現在のものか、過去のものであるかは請求適格のものではなく、確認の利益の問題であるということが共通の認識となったものであるという記述がございまして、私としては、この検討会も、民訴法の判例、理論の発展過程の上に立って議論をすべきではないか。大原則なんだから、行訴法は民訴法とは違って大原則に忠実に動かなければならないという議論、これは私はないのではないかと思います。ただそうは言っても、中野論文におきましても、それでは将来の確認訴訟についてはもっと厳密にいろいろ考えなければいけないので、そう簡単に現在から始まって過去・将来に野放図に広がるべきではないということです。しかし、カテゴリーとしてはそういうものがあり得る。しかし、その場合の確認の利益等々についてはきちんと考えていかなければいけないということで、我々もこういった考え方に立つべきではないかということだと思うのです。恐らくその点も水野委員も、これは創設的規定で過去の行為の確認というものは、解釈論上一切成り立たないということを言っているわけではないと私も理解しております。そうすると、後の問題は、行政活動、あるいは行政と私人の間にいろいろな紛争があるときに、確認が一番ふさわしいという場合はどういう場合なのか、あるいはその要件はどういうものなのかということなんですが、この辺は私も一番弱いところなんですが、前のは割合答えられるのですけれとも、確認の場合はまだ余り勉強していないのです。ですから、どういうものを念頭に置いて確認の利益があるものと見るかというのは、ほんの幾つかしか挙げられない。むしろ外国法の例で挙げられることがありますけれども、日本の場合だと、例えば行政指導だとか通達とかいったものもありますけれども、他にどんなものがあるか分からないという状況が1つあります。
 もう一つは、行政法は従来、先ほどからの議論との関係もございますけれども、そういう場合に取消訴訟に対象性、処分性を拡大して救済すべきではないかという方向に議論がずっと行っていまして、そうではなくて、例えば実体法上の請求権があるのではないかというのは、例えば補助金の法令の根拠のない補助金、地方団体の補助金については、私は契約でやれるのではないかということを随分前に論文で書いたのですけれども、それをフォローする人が余りいないのです。なかなか実体法的な頭が働いていない。だから、確認の利益がどういう場合にあるかということも、今すぐ列挙してみろと言っても、これはなかなか難しいということで、ここはまさに将来の学説、判例の発展に委ねる以外にはないということだと思うのです。そこはうまく使いこなしていただきたい。その場合に私が一番危惧するのは、変な枠をはめないでください。行訴法36条のような、行政処分の取消訴訟と一対になった、時機に遅れた取消訴訟という理解で1つのシステムですから、それはそれとして成り立つと思うのですけれども、そうではないものについて、変な規定を置いて、せっかくの学説、判例の発展を阻害するようなことはしないでほしいということでいろいろ議論を重ねて、事務当局はこういう案を出しているということでございます。

【芝池委員】行政指導などについては、確認訴訟を当事者訴訟として位置付けるというお話のようだったのですけれども、講義でどういうふうに説明するか、頭が痛いなと思っているのです。現在の無効確認訴訟とか、不作為の違法確認訴訟というのは、こちらに入ってくるのでしょうか、入らないのですか。

【塩野座長】そうなりますと、制定法の作り方が問題ですから、何とも言えないのですけれども、抗告訴訟というものはこういうものでございますということで書いてしまえば、不作為の違法確認、無効確認も抗告訴訟に入るというだけの話です。

【芝池委員】その他の確認訴訟ということになるわけですね。

【塩野座長】はい。しかし、それは余り議論しても実のない議論だと思います。要するに、包括的な救済が出来るように受け皿をきちんとそろえておけばよろしいということだと思っております。今の行政指導の場合で言いますと、宣言判決は出来ると言っているわけですね、先ほどのアメリカの紹介では。それから、ドイツの場合も、なかなか認め難いけれども、そういう場合はあり得るということで、その場合、行政指導の違法確認と言うのか、行政指導の無効確認と言うのか、あるいは行政指導による不利益のある地位に置かれないようにということで、無理に実体法関係に構成するか、これはいろいろなやり方があると思います。

【芝池委員】これまで処分性が余り認められずに、したがって取消訴訟が認められなかった行為として問題なのは、行政立法とか行政計画といったところだろうと思うのです。行政指導とか通達とが、問題になった例は、判例集を見る限りはそれほどたくさんないのでありまして、今後、この確認訴訟というものを推奨する場合に、問題になるのは、今言いました行政計画なり行政立法だと思うのですが、もし全然法律で何も規定しないとしますと、出訴期間もないということになるのです。それで、行政計画なり行政立法をダイレクトに、いつでも争うことが出来るということになるのでしょうか。

【塩野座長】放っておけばそういうことになると思います。そこで都市計画課長が出てきて、いろいろ御説明になさったときに、放っておくと都市計画はずたずたに切れますので、都市計画なら都市計画できちんと事前手続とそれから救済手続、これを1つのシステムとしてお考えいただきたいと申し上げたことがあります。ですから、行政立法手続もきちんと対応しませんと、これがどんどん使われるようになりますと、行政庁は非常に運用に齟齬を来す恐れがありますので、行政立法、行政計画、ともに早目に手当をしていただきたいというのが、ここで何度も申し上げているとおりですし、また、この検討会としても、今後十分に検討すべきものとして、この中には掲げてありますので、この検討会でどの程度までお取り上げになるかというのは、これからの議論の話ですけれども、このままですと、いろんな問題が起きてくるというふうに思いますし、また、そういった点で使い勝手が悪いということで、裁判所がシュリンクされても大変困るということがありますので、そこは芝原委員、萩原委員、何度もお約束みたいなことをしているところでございます。

【小早川委員】どういう使われ方をするのかまだ一向によく分からないので、だからこそ水野案のようなものが特出しで出てくるのだと思うのです。
 従来の例で、比較的、これで認められるかなというものが、何度も出てきますような横川川とか長野勤評です。そこで、1つは、あれは、従来の最高裁判例では、抗告訴訟事項であると考えたらしい、その上で確認の利益はかなり厳しく絞って、それはまだ駄目だよというふうに言った。それを、今度は3条ではなくて4条に移して、かつ確認の利益は、抗告訴訟の方の特別な話ではなくて、一般の民訴と大体共通の一般原則に因ることとすれば、認められやすくなる、というふうな考え方なのか。ということと、その場合、もし3条と4条の条文を変えないとすると、かつての最高裁判決は間違いだった、あれは4条で判断すべきものだったということになるのか。それとも、いや、最高裁は、そこは明言はしていなかった、調査官解説などでほのめかしていることが間違いなので、判決は4条だったと読むべきだというのか。これは事務局に御質問すべきことなのかどうかよく分からないのですが、それが1つです。
 もう一つは、都市計画関係で、地域地区の指定などというのは、従来は処分性がないとされて抗告訴訟では争えませんよと言われていた。しかし、それが違法である、あるいは無効である、ここは何々を建てていいところである、建ててはいけないところである、といったような確認訴訟が今後は出来ますよ、芝池委員の言葉を借りればこの検討会としてそれを推奨しますよということになるのか。もしそうだとして、それは従来ですと、都市計画の線引きとか、色塗りとか、あるいは事業計画の決定とか、これは公権力性がないとは考えられていなかった、公権力性はあるけれども処分ではないということで、事項としては抗告訴訟事項で、しかし、その中の取消訴訟では争えませんよ、というふうに考えられたのではないかと思うのです。それが、この事務局の整理では、そこはそうではないのか。要するに、かちっとした処分は、取消訴訟なり義務付け訴訟なり、とにかく3条の問題だけれども、そうでないものは広く4条の方で行けるのですよと、そういう解釈論というかドグマティクというか、そういうものがこの案の前提にあるのか。確認の利益なり何なりを認められるかどうかというのはまた先の話ですけれども。とにかく、理論的にどういうふうに整理するのか。私も、学生に説明すると言いますか、それ以前に自分でも、3条と4条の仕分けがどういうことで出来ているのかという、コンセクエントな理解は必要だと思いますので、その辺を。

【市村委員】今の関連ですけれども、横川川の話が出てきたので、最高裁の判例、その後の最高裁の理解がどうなのかという今の御発言でしたけれども、第二審としては、あの問題は4条の中で解決するのが妥当であろうと思ったわけです。ただ、原告は、あくまで県知事を被告とするという考えのようだったので、あのまま行っても、結局4条の処理としては、結局、結論的には、被告を間違えているということで不適法とならざるを得ませんし、さりとて、予防的な無名抗告訴訟というふうに考えますと、従来から言われた成熟性の問題で、どうしてもぶつかってしまう、どちらで行った方がいいのかという形の問題だったわけです。二審は、原理的には4条が使える可能性がある部分ではないだろうかと考えたものですから、こちらに来ればと、こういうふうになればという趣旨で書いてある部分がありますが、最高裁判所としては、当事者があくまで県知事を被告としているということを考えれば、この訴訟の趣旨は予防的な無名抗告訴訟として理解する方が正しいという判断から、ああいう説明で、今度は成熟性を問題にして不適法だというふうに至ったのだろうというふうに思います。ああした判決が出た当時には、4条のこうした当事者訴訟を使うということについては、その後の判例批評で非常に批判的な御意見が多かったようで、こんなものを想定していないという批判がたくさんありました。むしろ無名抗告訴訟以外には行く道はないのだというふうなものまであったと思います。そうしたことに比べますと、ここで御議論いただいたように、当事者訴訟というものがもっと使い道がある制度であるという、確認訴訟の中ではまだまだやれる部分があるのだというふうな御意見も多数いただいたというふうに思います。私は、これから裁判所が、もしそうした議論が支えられるならば、裁判所が4条を使ってやれる範囲というのは相当広がるのではないかと思っています。ただ、裁判所の中にも、4条の理解というのはまだ非常に未開拓の分野ですので、いろいろな意見があります。それから、特に抗告訴訟との関係でどう整理するかというのは非常に難しい問題でありますし、それから訴えの利益ということも民事訴訟とのつながりでも考えなければいけないことだと思います。そういう意味で、非常に難しい点を含んでおり、何でもこういう構成をすれば全部通るのかというと、私は必ずしもそんなことはないと思いますが、今の制度の中で使える範囲というのは、こうした議論を踏まえて使うならば、やはり相当広がるのではなかろうかというふうに、思います。

【塩野座長】抗告訴訟かどうかという点については、一応今、市村委員から御発言がありましたように、被告が抗告訴訟の行政庁ということになったので、その問題がありましたが、今度は被告の点が解消されましたので、実は抗告訴訟も当事者訴訟なんです。そうすると、あとは条文の準用の仕方の問題になって、これも大体全部準用していくということになりますと、取消判決固有のものは別として、そんなに従来の垣根はさほどにはならない。あと、学問的にこれをどう処理するかというのは、これは出来てから考えてほしいというのが私の率直な気持ちなので、今、国民の権利利益をどうやって確保しようかと、そして、確認の道がありますよというときに、抗告訴訟だと確認の道は狭いですとか、当事者訴訟になると広いですとかということではなくて、とにかく国民の救済を広げられるような方向は何かということで考えていただいて、それを抗告訴訟に振り分けるかどうかというのは、事務局大変御苦労様ですけれども、あとは最後の法制的な詰めがありますが、私のそのときの事務局へのお願いというのは、どちらにあってもそれは勝手だけれども、救済に穴があるということになると、これはもう大変なことなので、そこは救済に穴がないようにするのがプロの役目ではないかということで、プロに常々お願いしているところでございます。そこで、私も実は理論的には大変悩ましいので、一体どうなるのかねというのをよく聞くのですけれども、抗告訴訟なんてやめてしまえばいいではないかとまで言うのですけれども、なかなかそこは難しいところがあるようでして、これはその制度設計のプロにお任せする以外にないと思いますが、しかし、プロが見落としていけないのは、国民の包括的な権利救済という理念だけは常に頭に置いていただきたいということでございます。
 そこで、このところは、要するに、確認訴訟の活用と言いますか、そういうことが出来るということをまず検討会できちんと整理していただくということが1つあると思います。あるいは出来たのにやらなかったのだということだと思います。ただ、それを推奨するかどうかというのはこれまた別の問題でして、それを使うかどうかはこれは弁護士の力量と裁判官の頭の働かせ方いかんによるということになると思います。他方、確認訴訟だけではなかなかうまくいかない領域というのは先ほどから申しておりますように、行政計画、行政立法のところがございますので、そこも十分にらみながら考えていくということになりますが、ただ、出だしはとにかく道がありますということを明確にすることだと思うのです。そこまでは恐らく皆さん御意見一致していると勝手に思っておりますが、あとはその次なんですね。出来ますというのをせっかくこれまで議論したんだから、条文に書くのかどうかということで、私はその点はこういうふうに理解しております。これは検討会でここまで議論していただいたので、検討会のメッセージとしては、明確に国民に伝えるべきだというふうに思います。ただ黙って確認訴訟という道がありますよということでは済まないと思います。ただ、そのメッセージをどういう形で国民にお伝えするかというのは、これまたいろいろな方法があるわけで、下手なメッセージは一番困るのですね。過去の行為はやっとこれで認められました、万歳というようなメッセージは私は絶対したくないと思います。しかし、他方余り欲張って行政指導も確認の利益は当然にありますよというメッセージは、これまた勉強もしていないのにそういうことを国民にお伝えするというのは大変不確かなメッセージを送ることになりますので、我々の今までの議論をどういう形でメッセージとして国民にお伝えするかという点については、最終的な報告、これからのこの検討会のとりまとめをするについて、事務局には十分考えていただきたいと思います。今日のところは、大変申し訳ありませんけれども、括弧書きにするのか、括弧書きをもう少しリファインするのか、あるいはもっと別なところに書こうと思えば書けるところが、考えればたくさんあるのですが、しかし、書かない方がいいといったメッセージも十分あると思いますので、そこはもう少しいただきたいと思います。
 最後のところまで来ておりますので、事務局が用意いたしましたペーパーにつきまして、これは大体、従来見直しの方向が決まったものを正確にするというつもりでございますので、事務局の方から説明いただけますでしょうか。

【小林参事官】資料8「処分の理由を明らかにする資料の提出」につきまして、「第1 見直しの考え方」として、「審理の充実・促進の観点から、訴訟の早期の段階で、処分の理由・根拠に関する当事者の主張及び争点を明らかにするため、裁判所が、裁決の記録や処分の理由を明らかにする資料の提出を命ずることができる釈明処分の特例を設ける。」としております。
 「第2 見直しの概要」ですが、これは「1 処分の理由を明らかにする資料の提出等」として、「民事訴訟法第151 条の釈明処分の特例として、裁判所が、例えば、次のような処分をすることができる制度を設けることはどうか」、①として、「裁決の記録の送付」、②として「処分の理由を明らかにする資料の提出」を掲げております。「① 裁決の記録の送付」は、「裁決の取消しの訴え又は裁決を経た処分の取消しの訴えの提起があった場合には、裁判所は、遅滞なく、当該裁決をした行政庁に対し、裁決の記録の送付を求めるものとする。ただし、その必要がないことが明らかなときは、この限りでないものとする。」としてはどうかと思います。「② 処分の理由を明らかにする資料の提出」については、これは記録というような定型的なものを予想しがたいということから、訴えの提起があった場合に、必要があるときは、ということで「処分の取消しの訴えの提起があった場合において、当該処分に関し、訴訟関係を明瞭にするため、必要があるときは、裁判所は、処分の内容、その根拠となる法令の条項、その原因となる事実その他処分の理由を明らかにする資料の提出を求めることができるものとする。」と考えてはどうかと思っております。「2 当事者訴訟等への準用」は、処分が争点になる場合ということです。②の場合は、記録という定型的なものがありませんので、運用のイメージとしては、訴えの提起があって、争いがあるということがはっきりした段階で、処分の記録を一切、一式というか、出してくださいというように求めることになり、その後、争点が具体化した段階で更に必要なものがあるというようなことになった場合は、また更にそのときに求めることもできると考えております。また、これについては、当然、正当な理由があれば行政官庁としては拒むことができることを前提に考えていますが、それ自体をどういうふうに規定をするのがいいのかどうか、若干法制的な問題でございますので、そこには当然触れてはおりません。釈明処分でございますので、そういったことをどこまで書く必要があるかということも含めて、法制的に検討したいと思っております。
 資料9「行政訴訟をより分かりやすく、利用しやすくするための仕組み」につきましては、「第1 被告適格者の見直し」、「1 見直しの考え方」として、「被告適格を有する行政庁を特定する原告の負担を軽減し、訴えの変更などの手続をしやすくするため、抗告訴訟について処分又は裁決をした行政庁を被告とする現行の制度を改め、処分又は裁決(以下単に「処分」という。)をした行政庁の所属する国又は公共団体を被告とする。」と考えております。先ほど座長、市村委員からも御指摘のあったように、被告適格を変えるという意味は、単に原告の負担軽減というだけではなくて、訴えの変更などもしやすいというところが重要ではないかと考え、たたき台より少しふくらませています。中の細かい制度設計は飛ばし、2頁の「(2) 行政庁の特定」で、「国又は公共団体を被告として取消訴訟を提起する場合には、原告は、処分をした行政庁を訴状に記載すべきものとしてはどうか。ただし、この記載がない場合又は誤っている場合でも原告に不利益はなく、この記載の有無又は内容にかかわらず、被告とされた国又は公共団体は、提訴後一定の期間内に処分をした行政庁を自ら特定しなければならないものとしてはどうか。」という方が、結局は最終的に処分をする人が誰かということが訴訟で重要なことになりますので、そのようなことにしてはどうかということです。
 「(3) 被告適格者の特例」については、「個別法において被告適格者を明確に定める規定が設けられている場合には、これらの個別法の規定の趣旨を個別に検討する必要があるのではないか(特許法第179条、海難審判法第54条等参照)。」と考えております。
 「第2 抗告訴訟の管轄裁判所の拡大」につきましては、「1 見直しの考え方」として、「国及び独立行政法人等の公共団体で国に準ずるものを被告とする抗告訴訟の管轄裁判所を拡大し、行政事件訴訟法第12条の定める現行の管轄裁判所に加えて、原告の普通裁判籍の所在地を管轄する高等裁判所の所在地を管轄する地方裁判所にも訴えを提起することができるものとする。」としてはどうかと考えております。
 3頁の「第3 出訴期間の延長及び出訴期間等に関する情報提供(教示)」ですが、「1 見直しの考え方」として、「「処分があったことを知った日から3か月」とされている取消訴訟の出訴期間を6か月に延ばす。行政庁が書面による処分又は裁決をする際、その相手方に対し、当該処分又は裁決に係る取消訴訟の被告となるべき者及び出訴期間並びに不服審査前置の定めがあるときはその旨を情報提供しなければならないものとする。」としてはどうかと考えております。
 「2 見直しの概要」として、「(1) 出訴期間の延長」のほか、「(2) 正当な理由がある場合の出訴期間の例外」を設けるということで、この場合、「正当な理由がある場合としては、例えば、出訴期間に関して行政庁から提供された誤った情報を信頼したために出訴期間内に取消訴訟を提起することができなかった場合」などに救済することが考えられるのではないか、ということで例示をしています。こういう場合を想定されるのではないかということで、不変期間と定める現在の規定を改めた方がいいのではないかという理由として考えているところです。
 「(3) 裁決を経た処分の取消しの訴えと当該裁決の取消しの訴えの出訴期間の統一」につきましては、かなり前の検討会で一致した論点ですので、ここに掲げております。 
 「(4) 出訴期間等の情報提供」につきましては、2段落目の「なお」以下で、「処分に関しては、これについての審査請求に対する裁決に対してのみ取消しの訴えを提起することができる旨の定めがあるとき(弁護士法第16条第3項、第62条第2項等)」があり、これは弁護士法等幾つかあるのですが、その場合は、不服申立てをしないと、結局争えなくなってしまう、訴訟ができなくなってしまうということになりますので、不服審査前置の情報提供が必要であるとすれば、これと同じような趣旨でその旨の情報提供も必要になるのではないか。この場合は、法制面でどこに書くのがいいのかというのは、また具体的にどうするか検討しなければいけませんが、実質的にはこれは必要だと考えた方がいいのではないかということで掲げました。
 それから、「(5) 出訴期間等の特例」については、「出訴期間等について、個別法で行政事件訴訟法の特例が定められている場合には、これらの個別法の規定の趣旨を個別に検討する必要があるのではないか。」ということです。

【塩野座長】この点につきましては、この検討会でもこういった方向でとりまとめてはどうかということを前提に御議論があったものをとりまとめたものでございます。自分はこうは思ってなかったというようなことがあれば、どうぞおっしゃっていただきたいと思います。

【芝池委員】1つは「処分の理由を明らかにする資料の提出」のところですが、この「処分の理由を明らかにする資料」というのは、既存の資料だけではなしに、新規に作成まで求めるという趣旨でしょうか。

【小林参事官】既存の資料ということになると思います。

【芝池委員】だから、情報公開ですと既存のものですね、あとは自分でもう一遍作り直すとか。

【小林参事官】新規に作成するとなると、民事訴訟法の一般原則による説明を求めるという釈明命令のようなものになると思います。現行の民事訴訟法に基づいて行うことになると思います。それは現行の民事訴訟法でもできることなので、ここはむしろ明確に資料を提出するということで、既存の資料の提出を求めることを明示したらどうかという趣旨です。

【芝池委員】それからもう一つ、抗告訴訟の管轄裁判所のところですが、現行の行訴法12条の管轄裁判所に加えて云々という説明があるのですが、これは12条の1項ですと行政庁の所在地なんですが、国の所在地も入るのですね。

【小林参事官】その点も法制的に検討する必要があると考えています。

【芝池委員】前に発言したのですけれども、東京の裁判所に訴え提起出来るというのは、ある意味でメリットですから、そういう方向でお願いしたいと思います。

【水野委員】出訴期間の特例とか、被告適格者の特例で、個別法の規定の趣旨を個別に検討する必要があるのではないかという表現になっているのですけれども、これは具体的にどうすることになるのですか。各省庁でもう一遍見直せということになるのですか。

【塩野座長】そこはなかなか難しい。私の理解だと、これは整備法の範囲になると思うのです。整備法を作るときにどうするかというのは、各省庁にどうするかと、こっちはこうなっているということで問い合わせをして、出来るだけ統一するという方向で動かなければいけない。これは情報公開法、行政手続法で3年やって、行政手続法は大失敗をして、特例が多過ぎて、情報公開法の方はかなりびしびしと進めていったものですから、整備法は割合きれいにいったと思います。ですから、この辺も十分注意をしていきたいと思います。

【小林参事官】今回の改正の趣旨では、従来3か月の一般原則によっていたものは3か月のまま残る特例を新たに作ることは、よほどのことがないとまず認めるべきではないのではないかと思っているのですが、既存の特例は特別に作っているわけですから、それはその法の趣旨はかなり重視しなければいけないと思います。

【塩野座長】ですから、私が申し上げたのは、一応説明は聞かなければいけないだろう。およそ説明になってなければ押し返すということになるだろうという趣旨で私は申し上げました。

【水野委員】そうすると、今回6か月に延ばすので、出来るだけ特例はそれに合わせるような方向で検討してもらうということですね。

【塩野座長】説明を求めるということはするだろうと思います。ただ、これは本当にこれからの短い期間に整備法というのがおよそ大変なことですから、どれだけのことが出来るかどうかという問題はあろうかと思います。

【深山委員】先ほどの被告、例えば国の場合に現在の12条で行政庁の所在地に、今回被告適格者を変えることによって、国にもそれに入るようにしたらどうかというのは、これは12条を超える話だと思いますが、現在の管轄裁判所に一律、国の処分については全部霞が関、東京地裁ということになるわけですけれども、確かに原告の便宜には、管轄裁判所が1つでも2つでも増えることは便利になることは間違いないのですが、管轄というのはまた原理原則を言えば、被告の利益なんです。原告が起こす方で被告は起こされる方ですから、いかに強大な国であっても、被告が、例えば北海道の支分部局でやった処分について、たまたま東京の知り合いの弁護士さんがいるからということで起こすと、被告の行政庁の資料とかは全部北海道にあるというようなときに、そういう選択を認めるということが、若干の利益になることは分かるのですが、管轄を考えるときの一般的なものの考え方で、被告の利益をまず考えるというところからすると、やはり比較考慮した上で最終的にどうするかはお任せしますが、考えるべきではないか。

【小林参事官】被告適格を変えるというこの検討会での検討の趣旨は、管轄を東京に認めるという検討をしたという趣旨ではないというふうに考えておりますので、今までの検討の趣旨の積み上げの上で当然、国の訴訟の管轄を東京に認めなければいけないという立法を進めるということにはならないけれども、それは、今までの検討の積み上げとはまた別の問題として法制的に検討すべきではないかという趣旨です。

【塩野座長】それでは、今後の日程につきまして、事務局から御説明いただきましょうか。

【小林参事官】大変お忙しいところ、また新しい日程をいただきました。資料11ですが、今日の検討の続きといたしまして、12月22日1時〜3時までお時間をいただきました。1月19日はむしろ予備と考えておりますので、次回の検討会ではこの検討のまとめの議論をお願い出来るような、そういうような準備として資料を用意したいと思っております。これは2時間になっているのですが、実はお忙しい方もおられて2時間にしたのですが、ひょっとするともう1時間ぐらいはいただかないといけないかなという感じもしまして、お忙しい方もおられて一応2時間ではお願いしたのですけれども、後ろの方、もう少し余裕をいただけないでしょうか。最後の詰めということになりますと、若干時間に余裕をいただきたいと思っております。

【塩野座長】是非後ろの方、余り入れないでいただきたいと思います。と申しますのは、まだ今日もいろいろ御議論いただき、大変貴重な御意見をいろいろいただきましたので、それを十分考慮しながらまとめの案を作りたいということで、事務局も努力すると思います。まとめの形式としては、この被告適格者の見直しの辺で、見直しの考え方、それから見直しはこういうものとするという、そういったやや条文的なスタイルというか、要綱的なスタイルで出てきますか。

【小林参事官】まだ議論をしているものもあるのですが、イメージとしては資料9のようなイメージかなと思っています。

【塩野座長】イメージはそういうものですが、今日の議論ではなかなかイメージが出来ないと、イメージを勝手に作るとまた大変問題を起こすということもあると思いますが、ただ私は出来るだけ今までの御議論のまとまり具合に沿った形で、かなり分かりやすいイメージをお出しになると、また最初からの議論に戻るということになりますので、そこはひとつよろしくお願いいたします。
 それから、皆様方の本当に熱心な御意見、それから御協力を得ましたので、この検討会は、座長私案のようなものは出さないということになると思います。こういう意見、こういう意見があって、座長はこの真ん中のところで落とすということはいたしませんので、皆様の御意見をとりまとめることに私は徹したいと思います。どうかよろしくお願いいたします。またその間、いろいろ情報の提供等もお願いすることがあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。