■本日の資料1は今回検討のまとめの議論をしていただくために、これまでの検討状況を踏まえながら、議論のまとまり具合を反映する資料として、事務局で作成した。1頁の一番冒頭に「行政訴訟制度について、行政に対する司法審査の機能を強化して国民の権利利益の救済を実効的に保障する観点から、今次の司法制度改革における立法課題として、次のような考え方で見直しをすることはどうか」ということを掲げている。基本的な見直し方の考え方は、これまでに検討会で議論が進んでいたもの、座長の「行政訴訟制度の見直しのための考え方と問題点の整理(今後の検討のためのたたき台)(第24回検討会資料1)」(以下、「たたき台」という。)にあったものと同じである。
「第2 具体的な見直しの考え方」の「1 救済範囲の拡大」、「取消訴訟の原告適格の拡大」だが、見直しの考え方としては、「国民の利益調整が複雑多様化している現代行政にふさわしい考え方として、法律の形式・規定ぶりや行政実務の運用等にとらわれずに法律の趣旨・目的や処分において考慮されるべき利益の内容・性質等を考慮するなど、原告適格が実質的に広く認められるために必要な考慮事項を規定する」として、見直しの概要に掲げた考慮事項として、次のような内容を基本とする規定を設けるということで、①から④までの事項を挙げている。原告適格の拡大の問題は、これまでの議論の中で、行政法における国民の利益調整原理を司法における権利救済にどのように反映させていくのか、その場合に極めて広く薄まった利益であって、公益として政治や行政の場における利益調整に委ねるべきものと、個人の権利利益として司法による権利救済において取り上げるべき利益とを、どのような観点から区別するべきか。その場合に、取消訴訟あるいはそれより広くとらえて行政訴訟というものをとらえたときに、その役割をどのように考えるかという極めて根元的な問題があるということが指摘されていたように思う。そうすると、行政法の意義であるとか、司法の役割であるとか、取消訴訟を含む行政訴訟制度の趣旨といった根本的な問題をどのように理解するかという基本的な考え方が重要な問題となり、「法律上の利益」という条文の規定の文言を変えてみたり、「法律上の利益」についていろいろな定義をしてみたり、という試みだけでは解決しない、そういう性質の問題ではないかという指摘がかなりあった。原告適格を実質的に拡大することが重要だということで、「たたき台」でも指摘がなされ、司法が個人の権利利益として救済すべき利益を行政において考慮されるべき利益の中から、なるべく広く取り上げていくために、裁判所が必ず考慮しなければならない事項を法律で明示的に定めて、当事者がこれを訴訟の場における主張で援用出来るようにして、行政における利益調整原理が司法における権利救済の場においても生かされる仕組みを作ろうという観点で考えられたのが考慮事項を法律で定めるという考え方ではないかと理解している。こうした考慮事項を裁判所が真剣に考慮しながら原告適格を判断していくことを通じて、行政法の意義や取消訴訟制度の趣旨が裁判所に適切に理解され、行政訴訟制度が真に国民に開かれた権利救済制度として活用されるようになっていくのではないか。この考慮事項は、行政における利益調整原理を司法による権利救済に生かすための考え方を示す目的で定めてはどうかと考えており、特定の事例を前提とした過去の判例を追認したり、あるいは現在の判例で認められている原告適格の範囲を固定的に固めてしまうというような考え方にはならないと理解している。委員の指摘の中に個別具体的な利益の保護という観念が前提になるのではないかという指摘もあったが、この個別具体的な利益の保護の観念は、個人の権利利益の救済という取消訴訟制度の本来の趣旨としては前提とする必要がある。この観念の使われ方は、場合によっては原告適格をその中で広く認めるための道具としても使われる場合があり、こういう考え方自体を一概に否定することは出来ない。一方で、こういった概念を使って、行政法の趣旨を狭く解釈して、原告適格の範囲を絞り込む道具として、個別具体的な利益の保護という観念を使うことが、この考慮事項を定める考え方の前提となっているわけではなく、今後裁判所が解釈していって、個人の権利利益の救済の場面で、行政における利益調整原理を広く考慮していくためのオープンなスペースを提供しているものであって、裁判官に今後の解釈の余地を残しているものであると考え、このような見直しの概要に記載した考慮事項を掲げている。
「(2)義務付け訴訟の法定」、「(3)差止訴訟の法定」は、前回の検討会の資料と変わったところは、それぞれの原告適格に関する要件について、前回指摘があった原告適格の考え方について、指摘を取り入れて、義務付け訴訟は「処分の義務付けを求めるにつき法律上の利益を有する者であること」に、差止訴訟は「処分の差止めを求めるにつき法律上の利益を有する者であること」にそれぞれ改めた。義務付け訴訟については、本来申請を拒否された者が義務付けを求めるという場合が最も使われやすい類型ではないかという指摘を踏まえ、第1類型は申請に対する処分を求める義務付け訴訟の類型、第2類型はその他の義務付け訴訟、つまり申請権のない者が第三者に対する処分を求めるような義務付け訴訟に分けた。その他の部分は、前回の資料の趣旨と変わっていない。義務付け訴訟や差止訴訟について、検討会の中では要件をもっと緩やかにすべきではないかという意見や義務付けという場合であっても、多少抽象的な指令判決というような形での抽象的な義務付けのようなものや、あるいは違法確認のような救済方法というようなことも考えられるのではないかという指摘が議論の中にあったが、多様な救済方法の指摘については、具体的な場合にどのような救済方法を工夫すべきかということについてはなお、具体的な事例を踏まえた、今後の解釈の発展や、裁判所の運用に委ねるべき部分もあり、現時点でこういう場合にはこういう救済方法というようなことを類型的に詰めてしまうことは困難であり、あるいは、将来の解釈運用の発展を制約することにもなりかねないのではないかということを考えた。現在の現実の事例の中にも、何々をしないことが違法であることの確認という判決が出された例も現にあり、それは救済の必要性等を考慮しながら、裁判所の実務の中で、今後も発展する余地があるのではないかと考えている。今回の改正は、行政訴訟制度全体を活用して、そういった解釈運用を発展させていく余地を、この類型をつくることによって、塞いでしまっているものとは考えておらず、むしろそういった発展の余地を開いているものではないかと理解している。今回の改革で、まず行政権の行使を直接に義務付けたり、差し止めたりする、そういう判決が出来るという、いわば行政にとっては究極的な命令を裁判所が出せるという救済方法の規定を置くことにより、例えば違法の確認のような場合も、本当に必要な場合もあるかもしれないが、中間的な解決や救済方法に関してはその現実の救済の必要性等を考慮しながら、義務付け・差止めという訴訟類型もある、救済もあるのだということを念頭に置きながら、解釈運用の発展がされるのではないか。新しい、こういった類型をつくることによって、その発展の基盤もつくられるのではないかと考えている。義務付けや差止めの要件は、もともとこういった訴訟の法定の必要はない、そもそも解釈に任せて、事例としてはそんなに予想されないのであるから、このような訴訟類型を作る必要はないという意見もあり、またあるいはこういったものは実体法で決まるのだから、訴訟要件として書くべきではないという幅広い意見があったかと思うが、そういった幅広い御意見の中で、こういった新しい訴訟類型が、これまで活用されてこなかったものについて、救済の必要性なりをある程度分かりやすいものとして示すことによって、利用していただけるような環境をつくることが大事ではないかと考え、このような訴訟類型として、ある程度の要件を明確にして、使いやすいものとして、新たに明示してはどうかと考えた。そういった中で、義務付けについては申請権の有無といった行政のシステムを考慮し、差止めについては事前救済の必要性も考慮しながら、司法と行政の役割を適切に考慮した要件を考える必要があるということで、これまでの検討が進んできたものと理解している。こうした類型を実際の場面で適用に当たるのは裁判所だが、裁判所が具体的な事例において、真に救済の必要性があると判断される場合について、そういった実効的な救済を図る裁判所の運用は十分に可能な要件になっているものと考えている
「2 審理の充実・促進」として、「処分の理由を明らかにする資料の提出の制度の新設」を、「3 行政訴訟をより利用しやすく、分かりやすくするための仕組み」として、「抗告訴訟の被告適格の明確化」、「抗告訴訟の管轄裁判所の拡大」、「出訴期間の延長」、「出訴期間等の情報提供制度の新設」等の項目をそれぞれ掲げている。これは、前回の資料に掲げたものを要約したものであり、あとは見直しの考え方として、このような改正をする趣旨も若干整理をして、掲げている。
「4 本案判決前における仮の救済の制度の整備」は、前回の資料と異なっているのは、前回、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」の、「回復の困難な損害」という要件を変える必要があるかどうかについて、本来的には執行停止の要件について、損害の性質のみならず、損害の程度、あるいは処分の内容、性質等を総合的に考慮することによって、個別事情に即して適切な執行停止が出来る、権利救済に資する執行停止が出来ることになるのではないかという形での問題提起をした上で、さらに文言を変えるかどうかについて検討をしていただいたが、「回復の困難な損害」という文言だと、損害の性質について重要な考慮が働くことになるという指摘が多かったことを踏まえ、見直しの概要では、「損害の回復の困難性のみによって判断するのではなく、損害の程度や処分の内容及び性質も考慮されるような規定とするため、「回復の困難な損害」との文言を「重大な損害」のような文言に改める等の改正を行う」という方向を示している。
仮の義務付け、仮の差止めの制度は、前回の資料と変わっていない。仮の救済の要件については、要件をもっと緩やかにすべきではないかという指摘もあったが、執行停止については、個別事情に即した適切なバランスが必要だということで、これまでの検討会の議論が進んできたと理解しており、場合によってはそういった柔軟な考慮をすることによって、本当に必要な執行停止が出来るようになるのではないか。ただ今のような条文では、そういった柔軟な考慮がしやすい規定になっているかというと、そこに問題があるのではないかという指摘が多かったように思うので、むしろこのような規定に改めることによって、適切な執行停止が行われるようになるということが重要ではないかと考えている。仮の義務付けと仮の差止めは、本案の判決でされることと同じような内容の仮の救済がされることから、そういった仮の救済において、そこまでの命令を行政に対して司法が行うに当たっては、それなりに司法と行政との役割を適切に考慮した慎重な要件を考える必要があるのではないかという形で検討は進んできたところであり、資料に書いてあるような要件を規定することが適切なのではないかと考えているが、これも具体的な解釈の適用に当たってはやはり目の前にある救済の必要性というものについて、適切に考慮しながら、この要件で定めている、今申し上げたような考慮事項も考慮した上で、本当に必要がある場合には、適切な運用が可能な、十分に実効的な救済が可能な道筋が付けられるのではないか。今まで、こういった救済方法が全くなかったことに比べると、そういった道筋がつけられている要件になっているのではないかと考えている。
「その他の検討結果」の「1 確認訴訟の活用」だが、表現はこれまでの資料に書いたものと若干異なっている。「確認訴訟の活用」として、「行政の活動・作用が複雑多様化したことに伴い、典型的な行政を前提として「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」を対象としてきた取消訴訟を中心とする抗告訴訟のみでは国民の権利利益の実効的な救済をすることが困難な局面への対応の必要性が指摘されている。行政の活動・作用の複雑多様化に対応し、国民の権利利益の実効的な救済を図る観点からは、確認訴訟を活用することが有益かつ重要である。確認訴訟を活用することにより、権利義務などの法律関係の確認を通じて、取消訴訟の対象となる行政の行為に限らず、国民と行政との間の多様な関係に応じ、実効的な権利救済が可能となる」、ということを検討結果として残していただいてはどうかと思い、まとめた。確認訴訟の活用をその他の検討結果に掲げた趣旨は、これまでのように取消訴訟を中心として、行政の法システムの方から、その行政に巻き込まれる国民の権利救済というものを考えていくのか、あるいはむしろ国民の権利の方に視点を置いて、国民と行政との間の多様な関係に対応した柔軟な救済方法をつくりだすように考えていくのかという考え方の視点においては、この確認訴訟の活用という考え方は取消訴訟中心主義的な考え方と比べると、これまでの行政救済法の考え方を本当に180度、見方、視点を変えているというようなところがあろうかと思う。その意味で、この検討会で、こうした検討をしていただけたことは、今後の行政救済法の発展にとって重要な意義があるのではないか。これまでは処分を中心に、取消訴訟という制度があるので、処分に当たるかどうかという観点からの議論が多くされてきた。しかしながら、処分性の議論の中で多く問題にされたように、例えば行政計画、政省令、それから通達、行政指導とさまざまな行政活動が行われて、そういった行政活動の中に多様な形で国民が行政との関わりを持つ。つまり国民と行政との関係が非常に多様化していることを直視しながら、国民の権利利益を救済するという必要性を中心にして、訴訟制度の運営を考える必要が重要ではないかということで、そういった視点から、確認の利益とか、確認の対象を考えて、適切な救済方法を工夫していく、これからはそういう発想が必要ではないかと考えている。前回の検討会では、その中で、行政の行為の違法確認の訴えを、例えば公法上の当事者訴訟に例示してはどうかという考え方の提示もあった。これもまた、今後のそういった確認訴訟の発展をさせていこうという視点から、貴重な御意見だが、こういった行政の行為という非常に幅広いものを対象として、それが包括的に訴訟の対象として取り上げられることになると、そこは行政の適法性の確保における政治の役割などとの関係で、一体裁判所がどれだけの役割を果たすものなのかというところで、問題が生ずる可能性もあり、また、現実には、そこでは適切な確認の対象を選んで、確認の利益がある、訴えの利益があるという場合に訴えが認められるということであるとすると、例示をしても、かえって訴訟対象となる行政の行為とは何かというような形で、従来の処分性の議論のような訴訟対象論ばかりが先行してしまうことになるのではないか。先ほど申し上げたように肝心の権利救済の必要性を中心に据えて、訴訟の方法とか、確認の対象を柔軟に考えるという視点が欠落してしまうことにならないだろうかという恐れを感じるものであり、また逆にそういうことにかかわらず、行政の行為の違法の確認を広く認めるという趣旨であるとすると、むしろこれまで確認訴訟が活用されてきた権利義務の確認を通じて、直接的に国民の権利を確定していくという裁判所の役割が果たされてきた部分との繋がりにおいて、実効的な権利救済のために機能する確認訴訟と行政の違法の確認という権利救済の機能を超えるような非常に幅広い確認訴訟が今後どういう位置付けを持つのかという点で、大きな疑問が生ずる可能性があるのではないか。現行法でも、確認訴訟が可能であって、国民の権利義務の確認というものを中心に、これは検討会の資料でも提示したように現実に活用された事例があるのに、一般的には取消訴訟という処分中心の訴訟類型があったために、処分性の議論が発展した一方で、多様な権利救済のための、この資料に書いた、国民と行政との間の多様な関係に応じた実効的な権利救済という観点からの確認訴訟の活用が論じられてこなかったという経緯も踏まえると、その行政の行為というものをとらえた抽象的な新しい違法確認という訴訟類型を明示することには問題があるのではないかということを考え、「その他の検討結果」にあるような形でメッセージを残してはどうかという趣旨で示している。
「2 執行停止に関する不服申立て」は、前回の議論を踏まえて「内閣総理大臣の異議の制度(行政事件訴訟法第27条)を含む執行停止に関する不服申立てに関しては、国民の重大な利益に影響を及ぼす緊急事態等への対応の在り方や三権分立との関係も十分に考慮しながら、制度の在り方について、引き続き検討する必要がある」とまとめた。
□本日は「行政訴訟制度の見直しのための考え方」(以下、「考え方」という。)を素材として、議論をしていただきたいが、よろしいか。
(委員から異論なし)
【〔取消訴訟の原告適格の拡大〕について】
○今日は日弁連名義の12月18日付の意見をお配りいただいた。これは、今回の「考え方」に対して日弁連はどう考えるのかということをまとめあげたもので、重点的に審議していこうという4つの項目以外に、5番目に「訴え提起の手数料の合理化」、6番目に「弁護士報酬の片面的敗訴者負担制度の導入」を盛り込んでいる。この趣旨は、他にもいろいろ実現していただきたい課題もあるが、少なくとも5と6に書いた2つの課題は、やるかやらないかの結論だけであり、やると決めたらいつでもやれる問題で、条文化するのにそう議論はいらないということで、この2つについては今回の改革で、是非取り組んでもらいたいという強い意向だということで理解をいただきたい。
原告適格についてだが、現在の「法律上の利益」の文言について、変えても広がらないではないかとか、いろいろな意見があるが、弁護士の中では、「法律上の利益」という文言を変えることによって、原告適格の拡大を図るのが筋道ではないかという意見が根強く、従前私が申し上げている「利害関係を有する者」という、既に他の法律でいくつも使われている用語に変えることによって、原告適格の範囲を拡大すべきではないか。今年の9月に最高裁判所が公正取引委員会の審判事件記録の閲覧の問題で、「利害関係を有する者」の範囲について判断を示した。談合に関する事件だったと思うが、原審では住民が利害関係を有する者に当たらないということで、閲覧が認められなかったが、最高裁で原判決が破棄になり、「利害関係を有する者」に当たるという判断をしている。これは独占禁止法の法令の趣旨を踏まえているのだが、そういうことを前提とした上で、住民訴訟を提起している国民については「利害関係を有する者」に当たるのだという判断をしている。独占禁止法が一般消費者の利益を確保するということであるから、広く解すれば、誰でも「利害関係を有する者」に当たるという理論も出来なくはなく、ここでは住民訴訟を提起しているということをとらえて、その限りにおいて「利害関係を有する者」に当たるという判断を最高裁は示して、原判決を破棄した。こういう例を見ると、現在までの運用における「法律上の利益」という文言と「利害関係を有する者」という文言とではやはり解釈の幅が違うのではないか、それを示す最高裁の判例だと思っており、「法律上の利益を有する者」という表現を「利害関係を有する者」ということに変えることによって、原告適格を拡大すべきだと思っている。考慮事項は、「法律上の利益を有する者」にするか、あるいは「利害関係を有する者」にするかということで、どちらの文言になっても考慮事項を置く方がいいという、それは確かに一つのアイデアとしてある。事務局から、いわゆる先進的な3つの判例の趣旨を解釈の基準として置くという説明があったが、それでは現在までのところの判例の到達点を確認するだけで、かえって判例の発展を阻害するという弊害すらあり得るのではないか。おそらくは書かない方がましである。今回の「考え方」の提案で、①から④までの要件を掲げているが、これでは従前の判例の到達点とどこが違うのか、これから先の判例の発展を阻害しないのかという疑問にどのように答えられるのか、もう一度説明いただきたい。
□その点については、今、事務局から、個別具体的な利益の保護をめぐって、この言葉を原告適格の範囲を絞り込む道具として使うのではなく、裁判所に出来るだけいろいろなことを考慮して、従来の原告適格の狭い枠を乗り越えられるようなオープンスペースを提供するという趣旨の説明があった。この問題については裁判官が現実に運用に当たるわけで、出来るだけいろいろなことを考えて、原告の権利利益の実効的確保のためにやってくださいというメッセージとして、9条はあるべきだということが基本的な考え方であり、この考慮事項を書くことによってかなりのことが出来るのではないかと思っており、また皆さんもそういうふうな意見かということで、出している。
○「法律上の利益」という文言を変更することは原告適格に関する議論の経緯や立法の経緯を踏まえれば、拡大を図るというメッセージを端的に示す最も効果的な立法措置だと思うので、この点は概念を演繹的に探求するなどという些末な議論ではなく、この部分の用語の変更それ自体が持つ意味に着目して、変更すべきである。考慮事項については、基本的に従来の最高裁判例はそれ自体が一種の法令類似の効力を持って、既に流通しているわけで、考慮事項としてこれで本当に広げることになるのかどうかという点には疑問が残る。特に、②や④にある「考慮されるべき利益の内容及び性質」、あるいは「害されるおそれのある利益の内容及び性質」ということで、何らかの利益の中での、法的な保護に値する程度に差があるということを前提とした書き方を考慮事項で行うということは反対である。基本的に行政訴訟の役割は違法な行政行為なり行政の活動を行ったことによって誰かの利益が侵害されたときに保護するのだということからすれば、利益の内容が精神的なものであっても、財産的なものであっても、害される利益それ自体の違法性に着目して、排除することについて同等の救済手段を講じるべきであり、こういった何らかの利益の内容や保護法益の内容で差別があるかのようなことを固着化することには賛成いたしかねる。それから、事務局の説明で、立法すると判例や解釈の発展を阻害するから立法をしないという見解が何度も示されているが、これは間違った考え方である。それは立法の出し方それ自体にかかわっているわけであり、解釈の発展を止めるような立法をすれば、そういうことになるというだけのことであって、どのような立法をするのかによって、解釈をむしろ、発展することを助長する立法にもなし得るわけであり、一慨に立法論について、消極的な位置づけをする見解を前提に資料をまとめられたのであれば、前提認識において問題がある。
□今の最後のひとまとめの意見は私と全く同じであり、オープンな形で裁判所が国民の権利利益の救済のためにもっと自由闊達に動くことが出来るか、そういう角度から御意見をいただきたい。前の行訴法の37条は立派な法典だと思うが、少し概念上かっちりし過ぎていて、裁判官の動ける枠を、どうもたがをはめてしまったのではないか。そのてつを踏まないようにだけ考えていきたい。
○「法律上の利益」と「利害関係」の違いはあまり重要でないと思っており、原告適格というものが法的な判断であるというメッセージを込める概念にする必要があることが重要である。日弁連案を見ると、②の項で、法令とか条理とか社会通念と言っているが、要するに法的に保護されるべきということであり、法制用語としては結局、法律上ということになるのではないか。以前、この「利害関係」という御提案をされたときに、「法律上の利害関係」はどうかという質問をさせていただいたが、それについてはある程度御賛同もあったと記憶している。特に利益という文言にこだわる必要があれば別だが、なければ「法律上の利害関係」という表現でも、いいのではないか。
○「法律上の利益」を「利害関係」に置き換えるという御主張だが、かねてからそういうことをしても何も変わりはしないと申し上げてきた。「利害関係」と書いても、今の御指摘のように「法律上の利害関係」と一般的に解されて、事実的因果関係があるという解釈をとる人はいない。「法律上の利益」と「利害関係」は、どちらも法令用語だが、「利害関係」の方が様々な場面で使われる。よく言われている倒産法でもたくさん使っているが、非常に中身が分かりにくく、いちいち解釈しなければいけないということで、あまりいい立法ではない。しかし、やむを得ない場合はそうせざるを得ない。多数ある即時抗告規定、倒産手続きの中で何十とあるが、それについて一つ一つ即時抗告権者を書き出すという作業をやって出来ないことはないが、立法スケジュールとの関係で到底、難しかったということで、従前許容されている「利害関係」という言葉で、それを表現している。「法律上の利益」という言葉が至極明確かというと、そんなことはなく、これまでも古典的には法律上保護された利益説と保護に値する利益説の対立があるように、解釈で意味内容を補充しなければならないという意味では、「利害関係」と同じだが、より茫漠としているのが「利害関係」だ。「法律上の利益」を「利害関係」と変えたところで、これまでの解釈と同じようになる、それだけの答えになるのではないか。選択として、より茫漠とした概念の方に、より幅の広い概念に置き換える方がいいのだと言われると、そんなことはない。「法律上の利益」についての考慮要素を掲げるという事務当局案は、先進的と言われている最高裁判例の個別の事案で示したある視点とか考慮要素を一般法として全て考慮しなさいということで掲げることになるので、極めて古典的な法律上保護された利益説よりはずうっと広い範囲の事情を考慮しないといけないということを裁判官に義務付けることになるので、判例理論を一歩も出ていないということはない。日弁連のペーパーを見させてもらっても、「利害関係」に変えればいいかというと、やはりそこはさらに解釈規定と言うか、定義規定というものを次に設けることにならざるを得ない。「法律上の利益」よりもより広範な意味内容を含む概念に変えるのであれば、それを限定する、あるいは明確化する規定を置かざるを得なく、これでどうして広がったことになっているのか疑問である。これは根拠法令、判例法令に基づいて、条理、社会通念を考慮して直接又は間接に保護されるべき現実の利害関係を有するという定義規定だが、この条理及び社会通念を考慮してというのは極めて珍しい表現振りだが、法令の解釈をするのに条理や社会通念でするのは当たり前のことで、そこはないのと同じではないか。根拠法令や判例法令に基づいて、また直接間接に保護されるべきと書いているが、この直接間接もよく考えると、どういうことを言っているのか。当該処分をするときに考慮しなければいけない利益とされているということを言えば、間接的に保護しているという意味だが、直接又は間接というのは明確ではない。現実の利害関係に至ったら、あまり法律で見たことがない表現だが、何をもって現実なのか、では架空とかそんな概念があり得るのかと言ったら、これも「利害関係」自体が法律の利害関係と当然に解釈されるということからすると、具体的な限定として、どういうことを考えているのかよく分からない。格段に現行の裁判例よりも広がるという結論のようだが、その結論にどうしてなるのか。これまでの議論を踏まえれば、この事務当局案で結構ではないかと思う。
○考慮事項の方の事務局案で、それなりに議論をした甲斐はあったという気はしている。抽象的に言えば、それぞれの法令の解釈でもって、原告適格のあるなしが決まってくるという前提で、個別の判定をしているというのが判例の表面的な立場である。一体どういう目的で立法したかは分かるにしても、どの範囲の人に原告適格を与えるのか、承認するのか、そこまで立法者が考えているわけないではないかという極めて常識的な疑問があり、私もそう思っており、その辺がいい方向に行かなければいけないわけで、今日のこの資料を見ても、①、②、③辺りだと、法令の解釈で、趣旨解釈で全て決まるのだという立場と、整合的であるようにも読めるが、そうだとすると、先ほどから言われているいい方向にこれでは行かないではないかという心配もあるが、②は法令の解釈としてどんな利益を考慮するのかということを言っているが、④の方はそうではなくて、個別の処分によって、個別の状況の下で、どういう利益がどういうふうに侵害されたのかということにも注意しろということで、この辺は明らかに従来の判例の、これでは困ると言われていた部分に対して一定の歯止めがかかっているのではないか。そうした上で、こういった①から④までの要素を考慮しろということは十分とは言わないが、それなりにいいのではないか。
他方、「法律上の利益」か「利害関係」かという議論があるが、2つの言葉でどう違うかということは一向にはっきりしないところがあり、むしろ「利害関係」というよりは、「法律上の利益」の方が良い。私の理解では、現在の9条の「法律上の利益」という文言はそれ自体が処分によって侵害される利益だけを考えているのではなく、いろいろな事情を含めて、訴訟として取り上げるに値する利益かどうかということだけを言っている。その意味ではかなり訴訟法的な、もともとはそういう概念であろうと思う。個別の利害とそれから法令の趣旨との1対1の結びつきだけでものを考えるのではない、訴訟というものはもっといろいろなことがあり得るのだということをそこに入れ込めるのだろうと思う。そういう意味で言うと、日弁連のペーパーは最初に申し上げた観点からすると、条理、社会通念というのはあるが、およそ一般的な法解釈として原告適格のあるなしが決まるという、私がまずいと思っていた判例の立場と逆に近いところがあって、もっと個別の生の事件の特質を入れ込めるような柔軟さという点からすると、やや日弁連の表現は問題なのではないか、そんな気がする。そういうこともあって、考慮事項の方で、出来るだけ頑張るということで、「法律上の利益」はそのままでいいのではないかというのが結論である。
○「法律上の利益」という言葉だけで、その解釈の中身が今までも決まってきたわけではない。数々の裁判例は、その中にさらに間接的な判断手法のためのいろいろなメルクマールを持ち込んで判断してきたところで、今回長い時間がこの原告適格に割かれたが、ここで出た議論はどういう視点で見るべきかということを随分やってきて、この議論自体が非常に原告適格に対する考え方を耕した、いろいろな見方を提示するものであって、非常に有益だった。こういう議論を経たことがこれからの裁判実務において非常に解釈に役に立つだろう。どんな形で残していくかということだが、例えば「法律上の利益」という言葉を何かに置き換えるという一発で全部変えるということはそもそも難しいと思う。一つのアイデアとして、今までの先端的な裁判例の中で出てきたものを、そこから抽出してきたというのが解釈規定だろうと思うが、先ほどから指摘があるように、別にそれらの裁判例においても、一つのドグマのようなものを立てていって、ただそれに当てはめたというのではなくて、そのときの解釈の中でやっぱり見なければいけないというところは何だったかということをやってきて出てきたものがこういうものだろうと思う。「法律上の利益」を解釈するときにどういうファクターに注目すべきなのかを示すことは非常にこれから有益なのだろうと思う。やはり何にもなくて、単に言葉一つ、「法律上の利益」は何だ、あるいは「法律上の利害関係」とは何だということだけでやっていくと、どうしても平板な、ある一つの考え方を立てたら、ただそれをなぞるだけになってくるが、今回の事務局が挙げられた4つのファクターは非常に一つ一つの事例に当てはめようとすると、それ自体やはり考え方が出てくるところだと思うが、非常に重要なものばかりで、その見方は本当にあるべきものはどうだということを抽出するときには考えざるを得なく、4つのファクターを全部示すということはこれからの裁判例の中で、恐らく実務の中では解釈の幅をかなり広げていくのに役立つだろうと思う。3つの判例と再三言われるが、3つの判例で全て同事件でこれらのものが並べられたわけでもないし、この原告適格に関する議論として、その議論を的確に反映させようとするならば、こうした解釈規定を設けるという考え方はアイデアとしては良いのではないか。実務の中で広がる可能性があるのかと言われると、そういうものの十分なきっかけになるし、裁判官にオープンスペースが与えられたものだと理解して、きっとそういう発展が遂げられるのではないか。
○裁判実務上、そういう進歩が出来るということであれば、特に問題はない。
□一当たり意見を伺ったが、今日、特に新しい意見というののは出ていなかったように思う。ただ、非常にはっきりと物事をおっしゃったという点は、記録にきちんと留められたということになるが、何か新しい論点が今日急に出てきて、そこでその論点について、なお議論を深めるということはないのではないかと思った。原告適格については、考慮事項を定めるということに合意が成り立ったように思う。そこで問題とされているのは考慮事項で、各委員の意向をもれなく盛り込んでいるかどうかということがあるが、現段階においては、これから後の作業は立法当局に適切な条文化を頼むというのが多くの方の意見ではないか。考慮事項を決めるということになると、今度は「法律上の利益」という言葉を変えることの比重は私の考え方では軽くなってしまう。裁判官に訴えるのが考慮事項になるので、訴える中身の表現を一般的にどうするかというときにどういう言葉がいいかということについては何度も議論を重ねてきた。当初、裁判所に動いてほしいという気持ちが強かったので、文言を変えるべきかなと思ったが、条文の文言というよりも考慮事項を書くのが適切というふうに私も考えるようになったし、また他の方の意見でもあったと思う。メッセージとして、何か法律の文言を変えるべきだという意見は十分に理解するところではあるが、この両者の考え方について、ここでもっと議論を深めていくべきかどうかということになると、大体議論は出尽くしているのではないか。「利害関係」という言葉もいろいろなところで使われているから良い言葉だが、よく租税法で問題になるのは借用概念ということであり、民法、あるいは経済法等々で使われている言葉を租税法にそのまま持ってくると、これは一体何を意味しているのかということで、また大議論になってしまう。「利害関係」という言葉があると、会社更生法にあるかもしれないが、そこで使われている「利害関係」と同じかどうかという概念論争を巻き起こしてしまう。むしろ別の言葉の方がまだいいと思うが、そういう議論が段々と深みにはまっていってしまうので、よろしければ、大体意見が出尽くしているということで、今度はとりまとめの方向について、皆様方の御意見を伺うという段取りにしたいと思うが、いかがか。
○「法律上の利益を有する者」と「利害関係を有する者」について、何もないところから、白地で立法するということであれば、どちらがいいかという議論が一種平等に出来ると思うが、今ある状況はそうではなく、「法律上の利益を有する者」という文言があって、その文言がずうっと来ている。その文言を基本的には、もんじゅ訴訟で言うと、当該処分を定めた行政法規が個々人の個別的利益としても、これを保護する趣旨を含むと解される場合にはそれに当たるのだ、そこのところが動かないわけで、そういう形でずうっと来ている。それが狭すぎるのではないかという議論があって、そのときに文言をそのままにしておいて、解釈規定だけで広げられるのかという議論になってくるわけで、狭いから改革して広げようというのであれば、少なくとも今の用語と違ったメッセージを出すべきである。その上で、今の判例は個々人の個別的な利益としての保護すべきものとする趣旨を含むか否かについては、当該行政法規の趣旨目的とか、利益の内容性質等を考慮して判断するのだと言っているので、前段のところがきちっとクリア出来ていなくて、後段の趣旨目的とか、利益を判断しろと書いてみても、これは現状とは変わらないのではないか。
□変わるという意見もあり、原告適格については、ここに出されている「考え方」のまとめについて、反対の意見では、福井委員、水野委員がおられるが、これ以外には特段、これで変えろという反対はないと理解してよろしいか。
(委員から異論なし)
福井委員、水野委員の扱いだが、一つのアイデアだが、今日の議論をした上で、なお自分としては意見を書いておくということであれば、例えば最高裁判所判決の意見のような形で、きちんと書いて、「考え方」の、場所はまた私の方で考えさせていただくが、書きとどめておくというやり方があるかと思うが、その点はいかがか。いろいろなやり方があり、さんざん演説したからいいではないかと思っておられる方もいるかもしれないが、やはり今日は貴重な御意見が出た。それを前提にして、もう一度考えると、自分はきちんと、反対意見ではないと思うが、意見を述べたいということであれば、検討会の委員の御了承が得られれば、それはそういうスペースをお図りすることは適切ではないかと思うが、このようなやり方はいかがか。
○危惧しているのは、このようなペーパーで、何らかの形で、検討会の取りまとめなり、報告だということになると、文責が誰にあるのかということを一応、参加者としては大変関心のあるところであり、詰めたかったが、要するに検討会としての、合議体の一致した提言なり報告ということになると、これは原告適格に限らず、他のところも含めて、賛成するところも多いが、異論なりあるいは補足したいところもある。そういう意味では何らかの形で、今の段階で無理矢理に一本化を図って、検討会、合議体の意思として外部に表明することはくれぐれも避けていただきたい。大勢の意見がそうだったとか、あるいは何割ぐらいの意見がそうであったとか、ということはあるかもしれないが、少なくとも補論なり、意見なりにわたる部分は、報告の中で、誰それの意見については、そうではなく、こういう意見であったということが統一物として明確になるような形で、公平に扱っていただければ、それは意味がある。
□最高裁判決はご存じか。
○ああいった形で、一連のものとして並記されているということであれば、よろしい。どこか付録に付くのではなく、一連のものとして扱っていただきたい。
□別冊にはしない、というのが私のアイデアだが、皆さんの方で、別冊にするべきだという御意見があったら考える。こういういろいろな議論をして、こういう形でまとまって、しかしなお、こういう意見があったということは非常に大事なことである。全くみんな同じだということにはならない。
もう一つ確認しておくが、先ほど来言っているように学者はこれを飲み込むのに非常に苦労して、それぞれ飲み込んでいる。なぜそれを飲み込んだかと言うと、ここで動かなければ、日本の行政訴訟はまた動かなくなるのではないかという危惧があって、そして動いている中で、判例評釈なり何なりで、出来るだけ自分の理想に近づこうという、それが学者の立場として、私も学者の一員なので、こういうことを申し上げている。私も、もっといろいろなこうすればいい、こうすればいいというのはそれぞれあるが、あまりこと細かに言って、かえってこの勢いを止めることにならないようにしたい。
【〔義務付け訴訟の法定〕、〔差止訴訟の法定〕について】
○基本的な枠組みとしては結構だが、義務付けの要件は一義性だけでいいのではないか。「重大な損害」という要件もない方がいい、また差止訴訟も違法判断に熟しているということで足りるのではないか。
○3頁の③と、差止訴訟の4頁の③と④で書きぶりが違うが、どういう意味があったのか。
■前回説明したように、第2類型の③、義務付け訴訟については申請権がない場合で、他に適切な方法がないということは積極的な要件として必要なのではないか。しかしながら、差止訴訟の場合は基本的には処分がされた場合にはその直接の不利益を受ける立場にある人が訴える場合の、事前救済の必要性で、他に適切な方法がないということを原告の方が積極的にそれを主張立証する必要はないのではないか。むしろ被告側の方が、いや個別法にこれだけ明確な救済手段があるではないですかというような形で、例外的に被告側の方から主張立証していただくという形の要件にしたらどうかということで、むしろこれは裏返しの要件として、積極的な訴訟の、まず最初の原告側で構成すべき要件事実には当たらないのではないかと考えた。
□メッセージとして親切に書いたということだ。
○一義性の要件は、一義的に定まることにすると、例えば是正命令権限の行使は違法であるというふうな、市村委員が出された判決が一義的に定まることになるのかどうかという議論になる余地がある。つまりどういうことをするかは、まだ決まっていないが、そういう気がするので、すべきことが明らかであることでいいのかなという気がする。
□明らかではまずいので、削った。
○一義的に定まるというのがいいのか、若干その点が気になることだが、あとは解釈の問題である。それから、第2類型の③の要件だが、「重大な損害」、それから「他に適切な方法がないこと」は要らないのではないか。
○一義性だが、この「一定の処分」というのはまさに、性能判決も含めてのものだと理解しているが、そういう理解でよろしいか。
□私はそういう理解をしている。
○例えば違法建築物であれば、北側を削ってもいいし、南側を削ってもいいという裁量がある場合、適法にするための、そういったものの何らかをしないといけないということが一定の処分をすべきことがここの意味だという理解をして、一義性は、そういう意味での前提で重要と言うか、必要な要件だと思った。
■今の指摘については、義務付けの一番最初の資料に記載したが、結局どこまで特定すればいいのかは、救済の必要性との関係で、微妙な問題があるのではないか。本当に厳密にピンポイントで特定出来るかとなると、現実の社会で、一体どこまでの特定がされればいいかは、結局行政がどういう義務を負っているかというのが明確に裁判所に判断出来るという限りにおいては、他方では原告の救済も考えないといけないので、特定というものに何か、これこそ一義的なものがあるのではないと考えているが、ただそこはあまり抽象的に法律の条文に書けるかというと、他の民事一般の救済に当たっての請求の特定もみんな、そういった裁判で、相手側が何かやらなければいけないという、相手側に何か命ずる以上は特定しなければいけない、これは当然のことだが、原告の救済のために細かな特定を要求したら救済が出来ないではないかということがある。そこは最終的には救済に当たる裁判所で考えていただくべきことではないだろうか。
○そこは裁量があるということでは同感である。
■制度の趣旨を理解していただきながら、運用していただくべき問題である。
□市村判決を否定していないということは、何度も繰り返している。
○市村判決が出来るという意味で理解する。
○今の一義的だが、「一定の」というのは個別に考えないと、この場合に一定の処分というものを定めたことになるのか。水俣の初期みたいに、およそ使いにくいが、こんな法律もあり、あんな条例もあり、どれかをやったら何とかなるかもしれないというときに、どれかをやってくれとやっても駄目だろうと思うが、改善命令の場合に、屋根のどの部分を切り取ってくれというところまで特定しないと、訴訟が進まないというのはおかしな話で、そこは具体的なケースバイケースかもしれない。一義性の方で、言葉の問題だが、これまでの議論で、判決をするのに義務が認められるから判決をするというだけの話であって、もう一義性という言葉をわざわざ使う必要は全くないのだろう。従来からの三要件説から議論が出発したこともあって、法律上の規定振りからすると、裁量的な処分であっても、具体的に事実関係に照らしてみたらこうなりました、これは処分をせざるを得ないというような、仮に裁量性があっても、個別具体的に言えば一義的だというぐらいのニュアンスで、この言葉が残っているのであって、果たして法律に書くときに、一義性という言葉を使うべきかはどうかと思うが、これは議事録に残していただければいい。
□法制化に当たって、事務局は今の意見は検討していただきたい。
○「他に適切な方法がないこと」というのが義務付け訴訟の第2類型、それから差止訴訟にあがっているが、ちょっと不親切である。例があった方がいいのではないか。義務付け訴訟の第2類型の「重大な損害」だが、先ほど要らないという意見もあったが、この訴訟では事業者などに対する介入を正当化するだけの重みのある損害がいるわけであり、その意味では「重大な損害」は、表現のニュアンスの問題はあると思うが、実質的には要るだろう。
【〔審理の充実・促進〕及び〔行政訴訟をより利用しやすく、分かりやすくするための仕組み〕について】
○「2 審理の充実・促進」の「① 裁決の記録の送付」に、「必要がないことが明らかなときを除き」とあり、「② 処分の理由を明らかにする資料の提出」の方は「訴訟関係を明瞭にするため、必要があるときは」とあり、要件に違いがある。裁決は絶対出せ、処分の理由を明らかにする資料についてはまあまあという違いを設けられたのかと思うが、むしろこれは②の方がまず出すべき書類であって、裁決ははっきり言ってどちらでもいいということになるのではないか。少なくとも両方とも「必要がないことが明らかなときを除き」でいいのではないか。わざわざ要件が違っているのは何かあるのか。
■思考の順序が逆で、②の方が我々としては原則ではないかと思っている。この「必要があるときは」というのは当たり前のことを書いているだけで、処分の取消訴訟があって争点があれば、もう必要があるという程度の意味だという位置づけである。むしろ、裁決の記録の送付の方がまさに進んだ規定だと考えており、訴えの提起があれば、相手方が抗弁をどう出してくるかとかを考えずに、当然に求めてもいいのではないかというぐらい、従来の普通の釈明処分のような考え方を一歩進めている。
□裁決の記録さえ出さない例があるということで、そういう今までの議論の流れである。
○だから、同じでいいのではないか。
□そこは法律を作るときにいろいろ考えていただくときの御意見として承る。
○もっと早くに申し上げれば変わったのかもしれないが、どういう手続でやったかということを原処分の方、②の方に入れたい。
□まだまだいろいろと考える余地はある。確かにそうだと思うが、条文でどう書くかというとなかなか難しい。
【〔本案判決前における仮の救済の制度の整備〕及び〔執行停止に関する不服申立て〕について】
○この辺りの表現の変更は、実務で既に取り込んでやってしまっているところを何か合わせて、やりやすいと言うか、文言的にそれが余り開きがないようにと言うか、そういうふうに直していただいた感じがするので、今の実務はもっと円滑に進む。
○「損害の程度や処分の内容及び性質も考慮されるような規定とするため」と書いてあって、文言を変えるという表現だが、これは「重大な損害」という文言を変えることで、そうなるという趣旨の文章か。
■ここは「等」が入っており、単に「重大な損害」に文言を改めただけでそうなるかというところについては、言葉だけを変えてもというところは先ほどからよく議論している問題があるので、こういった点を考慮すべきではないかという点についても条文の中に盛り込むことも今検討している。そういう意味で、「等」が入っている。
○この文章がちょっと変えれば、そうなるのだという文章になっている。
■決してそういうことだけでのことではない。
○そこをきちっと書いた方がいいのではないか。
■前回、考慮要素としてこういうことを考慮事項として書いたらどうか、柔軟な判断をするための考慮事項、必要性というのが個別事情に即して、適切に考慮されるような考慮事項を書いたらどうかということも含んでのことだが、文言の変更はかなり大きな問題なので、そちらの方を前面に出している。
○それはそれで結構だが、それから見直しの考え方のところで、「個別事情に即してより適切な権利利益の救済に資する執行停止決定をすることができるようにするため」とあるが、執行停止に関する要件を緩和するためという趣旨をもう少し盛り込んでもらいたい。これがそういう趣旨なんだと言われるとそうとも読めるが、我々弁護士からすると、やはり執行停止は非常に要件が厳しいというのが一般的な見方で、なかなか執行停止の申立てもあきらめている部分もあり、やはり緩和するためというのを盛り込んでもらった方がいい。
□今ここで文言を入れるのはなかなか難しいが、今までの感じからすると、裁判所はかなり動いている。むしろ逆の意味の反対が出るのではないかということをむしろ恐れているぐらいで、やはり中庸を得た表現ではないか。
○執行停止は文言の修正があるようだが、仮の義務付けなど仮命令については、「償うことができない損害を避けるため緊急の必要があるとき」とあり、何か厳しい要件になっている。確かに仮の許可とか認可などを考えると、非常に難しいわけで、こういう表現になることは十分に理解出来るが、ただ社会保障給付なども、この仮命令的なものによって救済が図られることになると思うが、金銭給付については、特に社会保障給付を念頭に置いているが、もう少し緩やかな要件であってもいいのではないか。ただ、それは個別法の課題であるということであれば、仕方がない。
■最後にまとめていただいたとおりに個別法の問題と考えている。
○私も同じところが気になっており、「償うことができない損害」という表現がかなり制約的になっている。「回復の困難な損害」は「重大な損害」に変えることにしているが、「償うことができない損害」は、これでいいのか疑義を持っている。
○私も同意見である。これでは、金銭賠償で大体のことは不法行為で何とかなるという前提であるから、非常に狭くなるような印象を持つ。
■先ほど御指摘にあったように、まさに本案の裁判の審理の前に行政処分と同じ効果をもたらすということなので、その場合における救済の必要性はやはりかなり厳格なものにならざるを得ないということで、この資料のような要件を考えている。もちろん、場合によっていろいろ救済の必要性が生ずる場合があり、それは本来的には個別法で本当は柔軟な救済類型を別途考えるということも必要ではないかと思うが、最初の資料の説明で申し上げたように、この要件であっても、現実の救済の必要性は裁判所の方でよく考えていただけるのではないか、これは基本的な枠組みとしての考え方を示しているのであって、現実の救済に当たる裁判所がそこは実効的な権利救済のために適切に考えていただける要件ではないかと考えている。
○執行停止はわざわざ「回復の困難な損害」を「重大な損害」に変えているが、これも裁判官がちゃんと出来るのであれば変える必要はないわけで、こちらは変えるのにこちらは残すということは序列を付けているというメッセージになるわけで、今言われたような理由で必ずしもこういう厳しい要件を当然に正当化することは出来ない。
□「回復の困難な損害」と「重大な損害」というのは言葉の言い換えではなくて、概念が全然違うので、変えなくてはいけない。「法律上の利益」を「利害関係」に変えるのとは全然違う、そういう趣旨で言っている。「償うことができない損害」とはちょっと次元の違うことで、この言葉によって、仮の救済が狭まるかどうかはなかなか難しい。まさに仮の救済、仮の義務付け、仮の差止めの問題で、そこをどういうふうに整理するかは執行停止の場合と違ってもいいのではないかということでずうっと議論してきたように理解している。
○「償うことができない損害」など、今まであるのかという議論になる。
□そういうことにはならない。仮の救済が出来る場合を作りだすことを前提にして、「償うことができない」という要件を作っている。
○絶対的不能のような語感があるので、例えば現に法令用語としてある「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要」とか、そういった用語でなぜいけないのか。
○文言はお任せするが、執行停止と仮の義務付け、仮の差止めに差があることはこの場で議論してきて、文言上も差があってしかるべきで、既に行政権の発動があった後の救済の話と、何もしていないうちにやるとなると、行政と司法との関係で究極的に司法の方が強く出る場面ですから、よほどのことがない限りは救済というわけには簡単にはいかないということで、これまでの議論もランクを設ける、執行停止と仮の義務付けや仮の差止めについて、要件の厳格性において差を付けることは余り異論はなかった。文言として、一方は「重大な損害」はどうかということがあり、仮の義務付けや仮の差止めの方は「償うことのできない損害」はどうかという結論で、そこはまさに法制的なことですから、回復困難が良いのか、償うことが良いのかはお任せするが、差が付いているのは議論の前提だったのではないか。
○そこは当然の前提である。
□「回復の困難な」というのはやった後の話で、やる前に「回復の困難な損害」というのはなかなか難しいのではないか。ここは法制担当者に任せるとして、ただ、違いがあるということは共通の認識として理解していただきたい。
最後になるが、「その他の検討結果」のところの「執行停止に関する不服申立て」についてはこのような形でよろしいか。
(委員から異論なし)
【〔確認訴訟の活用〕について】
○確認訴訟が出来るという今回のメッセージだけで問題が解決するのかについて非常に危惧を持っている。例えば、長野勤評訴訟は下級審は当事者訴訟、確認訴訟という構成で判断しているが、最高裁は訴訟形式に触れないままに非常に難しい要件を持ってきて否定している。あの2つの判決が今回のメッセージで変わり得るのかということについて、非常に疑問に思う。他にも下級審も含めて言うと、そういった判決がたくさんあるわけで、これは最高裁の判決にならったと思うが、確認訴訟が出来るというメッセージだけで、問題解決するというのは非常に疑問がある。やはり、確認訴訟が出来るということを言って、その活用によって、いわば救済の穴を埋めていこうということであれば、条文で立法すべきではないか、そうしなければそう簡単に変わるものではない。やれるというのであれば、やれるということを書けばいいではないか。前回私が提案した内容について、行政の行為はかなり広いからという反論みたいなものがあったが、適切な確認の対象として何が適切かというのは確認訴訟における不変的なテーマであり、例えば今のままで、何も書かないが確認訴訟が出来ますから活用しましょうとしたら、行政の行為ということに限らず何でも出来るのかといったらそんなことはないわけで、やはり対象がそこで当然絞られてくる。行政の行為と書いても、行政の行為全てが確認の対象になるわけではなく、確認の対象にふさわしいかどうか、確認の対象として的確かどうかということが個別の案件ごとに当然、議論になる。行政の行為は広すぎる、漠然としすぎるということであれば、書かなくて確認訴訟が出来るということがもっと広い。そこのところは全く反論になっていない。例えば課税処分の無効確認訴訟が認められており、原審は納税義務不存在確認訴訟がやれるので、つまり現在の法律関係に関する訴訟がやれるので、無効確認訴訟が不適法だと言ったが、最高裁は滞納処分が予想されるから、36条の規定に基づく課税処分無効確認訴訟は出来るという判断をしている。それで、なぜそういう判断が出てきたのだろうかと考えたときに、一般の民訴の感覚で言えば、納税義務不存在確認訴訟がやれますということでいいわけで、課税処分無効確認訴訟とやる必要はないということになるわけだが、最高裁はわざわざ原審をひっくり返しており、それを認めたのは行訴法3条ないし36条で、処分の無効確認訴訟という類型を認めているからではないか。例えば株主総会の決議の無効だとかいろいろなことがあるが、いわば過去の事実の、あるいは法律関係の確認みたいな特別法で定めているのがあるが、それは現在の法律関係に当てはめてやれないことはない。例えば株主総会で決議した中身について、権利とか義務がないことの確認、株主総会の決議の無効を前提とした権利関係の確認訴訟をやれないことはないが、それをやれるからといって、商法上の訴訟の提起は否定しない。そういう規定を設けることによって、そういった道が開けるということは紛れもない事実ではないか。確認訴訟について、現在の法律関係に関するものであれば、あるいは現在の権利義務に関するものであれば、規定がなくてもやれるという議論は現にやっているものもあるのでいいと思うが、やはりそういった行政処分的なものをダイレクトに無効ないし違法であるということを求めていく、それが根本的な解決になる。それを皆さん活用しましょうではないかということであれば、それが出来るという1条を置くことによって、非常に明確になる。
□行政の行為の違法の確認ができると書いても決まらない。書いていないこととどこが違うのかということになってしまう。行政指導の確認を求めることが出来るといっても、いろいろなものがあるから、やはり確認の利益は必要である。行政計画について、確認を求めると書いても、いろいろなものがある。行政処分は確認の利益は要らずに、原告適格だけあればいいが、行政指導はいろいろなものがあり、一つ一つ吟味していかなければいけないといういやらしい問題があり、確認の利益は行政指導については要らないとおっしゃるのなら、それはそれで一つの考えだと思うが、水野委員の御意見は確認の利益は要るのか。
○もちろん要る。
□要るとすると、行政指導だからといって、原告適格があればそれでオーケーというわけにはいかない。一つ一つ見なければいけない。そうすると行政指導は確認が出来ると言っても、何があるのか。
○今まで出来るのだと言ってしまえばそれまでだが、文言の書き方は工夫の余地はあるが、例えばここの原案にあるような、活動・作用なりの法令用語と確認の利益をセットにして、確認的にせよ、確認訴訟が出来ると書くことはメッセージとしてやはり意味がある。
○確認訴訟をスムーズに、そして役割を果たしているかどうかについて、不安と言うか、心配をしている。4頁の「審理の充実・促進」の見直しの概要の2行目に、「無効等確認の訴えのほか、処分又は裁決の適否が争いとなる当事者訴訟又は争点訴訟についても準用する」とあるが、確認訴訟には準用はどうなのか。
■資料の提出の考え方は、処分を一つの切り口にしており、処分である以上はかなり手続き的にも類型化されているだろう、それに対する記録の管理も出来るのではないか、しかもその根拠も法令にきちんと決まっているはずではないか。したがって、こういう類型として明確な、資料の提出を求めるという類型が考えられるのではないか。それで準用するのも処分という一つの切り口で準用していったらどうかと考えている。ここはさらに、行政活動が多様な部分については、そういう類型化した規定の置き方は難しいのではないかということで、他の民事訴訟一般の制度の活用なりを考えていく、あるいは情報公開その他の手続きを使っていただく、そういったことが現時点では適切ではないかと考えている。
○確認訴訟は、取消訴訟の対象の拡大に代えて、その活用が謳われているものであり、いわば処分に準ずるものを想定している。そういうものについて、資料の提出等の仕組みが準用されないのは、せっかくの資料の提出の良い制度の発揮の場を狭めることになるのではないか。せっかくこの資料提出の制度は良い制度だと思うので、出来るだけ広く活用出来るようにしておく方がいいのではないか。
□今の準用関係の点は重要なポイントだと思うので、これからいろいろ考えていくと思う。
○先ほど触れた点だが、確認訴訟はやはり不安なところがあり、うまく行くかどうかの問題があるので、取消訴訟の対象の拡大という方向も引き続き追求していくべきであろうと個人的には思う。
□取消訴訟の形式的行政処分は確認訴訟でいけないとはどこにも書いていない。
○ですからもう一度確認のために言った。
□一つ申し上げると、これで国民に対するメッセージだとは到底思っていない。確認訴訟は今までの御議論も伺っていると、原告適格における意見と違い、救済方法の重要な一翼を担う、あるいは活用してくれと言っていること、一翼を担う確認訴訟については意見の一致がある。問題は国民、あるいは弁護士、さらに裁判官にどのように訴えるべきかということで、なお意見が一つに絞られていない、具体的なメッセージが絞られていないということだ。今のような具体的な条文化の話もあったが、それぞれニュアンスが違う。そこで、どうしてそうなのかと思うと、やはり条文の形で明確にするのがいいのかどうか、よく引き合いに出すが、36条の無効確認訴訟が良かったかどうか。36条がなければ、もっと発展したかどうかという問題もあり、仮に条文化するにしてもどのような形にまとめあげるのが今後の確認訴訟の合理的発展のために適切かどうかという非常に難しい法制上の問題もある。つまり下手なメッセージを書くと、仮に日本にまだ制定法準拠主義があると裁判所が、そこだけに非常に厳格に解釈してしまう。つまり、下手に裁判所に枠をはめることになるかどうか、出来るだけオープンな形で、確認はどうしたらいいか。そこで、私としてはこの問題は推進本部事務当局であらゆる角度から、検討会のこの意見を介して、国民にどれが一番訴えられて、あるいは法曹に訴える力強いメッセージになるかどうか、これは案を作ってもらうのが適切ではないか。事務局においては、是非力強いメッセージを考えて、我々の意を体した行動をしていただきたい。
■まだお決めいただいてない段階だが、もし決まるということであれば、我々はその決定を重く受け止め、我々として出来る行動、いろいろあるかと思う。国会の質疑ではっきりさせる、それからそれ以外のPR活動に努める等、我々として出来るものをやりたいと思うし、また委員の方々は、いろいろな解説等をお書きになるチャンスがあると思うので、是非御協力をいただきたい。お互いの共同作業でこの点は明らかにしていきたいと考えている。
○今の点は立法化も含めて検討するという趣旨か。
■今のところはその問題は別として、まとめるということを前提に物事を進めていくということである。
○要するにメッセージの仕方を考えるということだな。メッセージの仕方を考えていただくのは結構だが、ただ今回のペーパーは確認訴訟の活用ということで、前段と後段とあって、前段は導入であって、後段は要するに「確認訴訟を活用することが有益かつ重要である」ということで結論しか書いていない。いくら何でもこれでは、あまりにもお粗末ではないか。どういうふうなことからこういうものが出てきたか、どういう方向性が考えられるのかということについて、もう少し詳細に書いてもらわないと、確認訴訟が出来ますよと言うだけではメッセージすらならない。ここはもう少し工夫がいるのではないか。
□行政法学者として申し上げたいが、今までこういった形できちんと論文を書いた人はいない。いるとしても、非常に少数である。私は誤解していたが、例えば高木光教授、あるいは園部さん辺りがこういうことを狙って言っておられたかと思うが、どうもきちんとそこを受け止めていなかったところがあり、そういう意味では、私の反省がここに込められており、いい加減なことで書いてあるわけではない。一種の新しい考え方、つまり田中先生の取っておられた取消訴訟中心主義に対する別の考え方がやっとここで出てきた。あるいは別の言い方をすれば、田中先生は公法上の当事者訴訟をもっとこういうふうにして活用してほしいということであったのかもしれない。それは私が田中先生のメッセージを誤解していたのかと思う。典型的な俸給請求権訴訟ぐらいでしょうということで、公法と私法の区別はありませんという議論をしていたことに対しては、これは国民の権利救済の見地から見て、確認訴訟をもっと使えるようにしようではないか。あるいは、使うところがあったのに気が付かなかったのを気が付こうではないか、そこが非常に大きなメッセージだと思う。ただ、これは国民に対するメッセージにはならないということは水野委員指摘のとおりで、これをどういう形で国民に対するメッセージとして仕上げていただくか、これを先ほどから、もし皆様の御同意を得られれば、メッセージをしっかりと作ってくれということを事務当局に頼むということはどうかという趣旨で、ある意味、これは行政法学の歴史から見て大変な転換である。
○事務局が後でいろいろなところでPRされるのは結構だが、少なくとも検討会のまとめとしてはあまりにもお粗末ではないか。
□どこがお粗末か。
○結論しか書いていない。
□結論は書いている。この結論は非常に大変な結論だ。
○大変かどうかは知らない。
□知らないではなく、大変な結論だ。今まで、どこの教科書にも書いていない。
○やはりどういう方向で、どういう考え方で活用していくのかということぐらいは書いていただきたい。
○確認訴訟にはいろいろな議論があると思うが、確認訴訟をこんなふうに積極的に使おうと言ったことはこれまでない。むしろ、確認訴訟というのは極めて限られた場合しか使えないという呪縛というようなものがあったのだと思う。そういうものに対して今、こうした議論をさんざんやった後に確認訴訟というのに目を向けて、確認訴訟を使いましょうというのは本当に転換である。行数が3行しかないということを言われればそうかもしれないが、こういう方向性をこうした場で言ったということは、非常にインパクトのあることだろうと受け止めている。
○確認訴訟が出来るということ自体は大変意味があることだが、議論がずれていると思うのはこれも一種の審議会なり政府の部局の検討組織はこの検討会や事務局自身も含めて、直接の立法者になるわけで、裁判官を拘束するのはあくまでも法令と良心であるわけで、法令のレベルで同じことが確認出来れば、なお効果的ではないかということが今の議論で、本部がいろいろな形で啓蒙普及されるのは大いにやっていただければいいが、その前に可能であるならば、まず立案段階で、立法にそういうメッセージ、まさに裁判官の法源となるべき形で、取り入れることをまず追求していただくのが優先順位としてはより手前にあるのではないか。
□どういうふうに育てていくかという点については、大変残念なことだが、行政法学者として、すぐ案を出せないことはつらいことであり、もしこれで、例えばドイツの確認訴訟の利益、確認の利益もずうっと前から積み上げて、あるいは議論をもっと掘り下げて、あるいは民訴法の確認の訴えの利益、対象性の問題から将来の確認までいろいろな議論があることを我々がもっと蓄積していれば、もっと適切な案が出せたと思う。大変残念な提案だが、しかし残念な思いを事務局としてはよく受け止めて、前向きに整備していただきたい。
○「2 執行停止に関する不服申立て」についてはここに書いていること自体は異議はないが、このテーマだけが引き続き検討する必要があると書いてあるが、他のテーマはどうするのか。
□この部分は、今度はやるはずだったが、いろいろとやっていると、なかなか難しいので、押し上げることは出来なかった。他の部分はさらに検討するで、きちんと引き継いでいる。ここの部分は今回は中に入っていたが、内閣総理大臣の異議はこういう形になりました。そこで、引き続き検討するということになった。
○中に入っていたということがよく分からない。
□仮の救済の中に入っていた。
○全て中に入っていた。内閣総理大臣の異議だけを取り出して書くと何となく違和感がある。他のテーマもやってきたので、その中には今回盛り込めなかったら、さらに検討するということにならざるを得ないのではないか。日弁連はこの他にも訴え提起の手数料、弁護士報酬の問題を提起しているわけで、そういった直ぐにでもやれるようなことについても、さらに検討するということであれば、それも議論になる。
□「たたき台」の10頁は、まず(2)として、「執行停止以外の仮の救済制度」は「なお検討する」ということで、立法化に向けて検討するというメッセージである。それから、次が(3)で、「内閣総理大臣の異議の制度を含め具体的な在り方についてなお検討する」となっている。これも今度の立法課題に向けて、なお検討するということで、そこの前の方の、仮の救済制度(2)は、いろいろ御不満もあるかもしれないが、そう納まりがついた。ところが、(3)については、結論が出ていないということで、引き続き検討するということにしている。ところが、その他の「さらに検討する」はどうなったかというと、これは「たたき台」の中に来ており、「さらに検討する」はこれをまとめていただいた後、いつの時点で始まるかはこれはまた事務局の方の話だが、ここで御提案になっているのも、検討することに、現段階の検討会の審理状況ではそうなっている。この内閣総理大臣の異議だけ、今後検討しましょうというと、そんなことは絶対にない。
■今ここにあがっているものと、それ以外の、いわば「たたき台」の「十分な検討が必要」という事項については、今回法律案の成立時期を念頭に置きながら、座長とまた相談して、再度お諮りすることを考えており、これで終わりといっているわけではない。今はとにかく立法作業に時間をいただきたいということで、中断をさせていただきたい、その後また検討をしましょう。最終的な検討でどういう結論になるかはまだ議論してみないと分からないが、将来にどういうふうにつなげていくかという議論もしてまいりましょうということである。そういうつもりで考えている。
○「たたき台」は検討会の合議体として、例えば私も文責を持っている資料だという認識はしたことがないが、そういう理解でよろしいか。
□はい。
○「たたき台」で、なお引き続きと書いてあるから、当面やることになったことだけまとめるというのは資料の性格が違うものだと思うので、もしこのたたき台的なことで、何か検討会として議論をまとめるとしたら、何か別の形で改めて、全体としてはまたやっていただいた方がいい。
■2は落とした方がいいという趣旨か。
○別に落とさなくてもいい。私が申しあげているのは、今日出た「行政訴訟制度の見直しのための考え方」という資料は、土俵がもともと限定されたものだということがないと、検討会の合議体として重要なことはこれで当面の緊急立法事項はこれですというふうに合意したわけではないということが分かるようにしていただきたい。要するに、本日の資料に出ていないことでも恐らく、それぞれの委員の中で、多分今回やるべきだったと思っている項目もあるかもしれない。だけど、そこはあえて今回の立法事項に間に合う前提としての資料にはそもそも入っていなかった、この枠内でだけで議論した結果がこれであるということなら理解出来る。
□「たたき台」の性格として、確かに座長案として出した。それで今回、これをやります。さらに検討するという意味は、今後法案作業が終わった後で、検討をするというのは普通の理解ではないか。さらに検討もしないで、どんどん別の形にどこか進めるということはどうも検討会として、前提としてないのではないか。さらに検討をするといって、ではこれは別のところでやるから、ここの検討会でさらに検討しなくていいよという御発言は今までなかったと思う。
○さらに検討は結構だが、もう少し形式的なことかもしれないが、本日の資料1で、「立法課題として、次のような考え方で見直しをすることはどうか」という、切り取った非常にピンポイントの4つの項目があるわけで、その4つの項目を選定したことについては、もともと委任事項がそこにあったのだということがはっきりしていないと、ここに出ていない重要事項の取捨選択も含めて、全員で合意があったわけではないということになると思うので、そこが分かるようにしていただければという趣旨である。
□他はまだ取捨選択していないか。
○この資料1というのはこの事項についての議論である。そうでないと、他のものについて重要度が低いと、まさに水野委員の御指摘もその懸念ではないかと想像する。他のこととの加除序列ではなくて、今まさに委任があったこの4項目をまとめたものだということであれば、まだ「たたき台」自体は座長と事務局でまとめられたもので、合議体の検討会としてはまだ決定を下したわけではないという理解である。
□検討するで、実は自分はこれだけをやるためにいるのだという人もいるわけで、それは否定していない。
○確認訴訟について、こういう理解で良いかということだが、「たたき台」のときは確認訴訟の点は非常にいろいろな読み方が出来る文章になってはいるが、何となく抗告訴訟の対象になる行為と、それから抗告訴訟の対象にならない、つまり公権力の行使に当たらないという行為があって、後者については処分性の拡大ということもあり得るが、確認訴訟で行くということもあり得るということで検討しましょう、何となくそんなふうに「たたき台」では見える。今日のペーパーの最終的な案では、処分性問題とのリンケージは芝池委員が常に問題にしておられることだが、ここの最終的な案文では、行政法学にとって根本的なことまで遡るような、そういうような話であって、要するに抗告訴訟中心の行政訴訟体系を全体として見直ししましょうという話で、それは先ほどの件も含むが、それだけではない、例えば公権力の行使に当たるような行政作用であっても、切り方によっては3条ではなくて4条の訴訟の対象になるというニュアンスが「たたき台」では読めないが、先ほどの座長の決意表明からしても、何か相当これは大きなことではないかという気がするし、文章からしてもそう読めなくもないというようなことで、私が言いたいのは今日のペーパーは今の点からすると、「たたき台」とある程度切り離して理解をして、今後の議論にする。行政法学会としてもそういう大きな課題を与えられて、これから議論をよく研究をせよという責任を負わされているということでよろしいか。
□いろいろなニュアンスがあることは事実で、例えば、行政指導で取消訴訟をやって駄目だから、これで駄目かといって引き下がってしまうところがある、形式的行政処分説を取らないから駄目なんだということで終わってたのが事実だと思う。しかし、それでもなお国民の権利利益の実効的救済ということであれば、方法があるではないかというところで、一つは確認訴訟があり、抗告訴訟的なものをどこまで切り込んでいくかというのは私は実は正面切って議論していないところである。非常に大きなことになるかもしれないし、せいぜい効果を持たないものについての確認の利益がある限りにおいてはという形に行くかもしれないが、今この段階ではなかなか結論が出ないところだと思う。それから、義務付け訴訟とそれから義務付けの確認という、市村委員のものもあったが、そういうものを一体どうするか。確認訴訟の方で引き取るのか、それとも義務付け訴訟のところの一つの一類型として、ということになるのかという問題がある。ただ、余り気にしていないのは被告適格が一緒になるので、抗告訴訟と当事者訴訟の垣根が割合低くなってしまった。ただ学問上の問題としては大問題があるということはそのとおりである。
それでは今回の締めくくりをどうするかという点について、お諮りをしたい。今日の御意見等を見ていると、もう一度、次回を新たに設定して議論を深めなければならない論点はどうも私が見る限りでは出てこなかったのではないか。多少のやり取りはあったが、それはそれぞれに咀嚼して、今後それぞれのお立場で意見なり何なりを表明していただくことで、いいのではないか。そこで、ただ先ほど来、この「考え方」に対して自分はこう思う、意見を申し上げ述べたいという希望があり、それは原告適格のところで一応整理をしたが、外に置くのではない。「考え方」については自分はこういう意見があるのだという方については出していただくことになると思うが、どんなのでもいいからということになると、意見を言わないと、後で学会でも、これを後生大事に抱えて、いつか書かなければならないという問題があり、そうではなくて、現段階では自分の学説何なりと「考え方」とは多少違うところがあるが、とにかくこの段階ではこの取りまとめで自分はいいと思うという意見と、それからこの段階でもやはり自分の意見はきちんと、一種反対的な意見があるので出したいという方についてはそれをお認めするというのが検討会の多数の意向である。それで後から、家に帰ってからやはり意見を出したいということになると困るので、確認させていただきたいが、原告適格について御意見が出たのは福井、水野委員。もう一つ言うが、だからと言って是非書けと言っているわけではなくて、今日の議論を踏まえて、この場ではこういう意見を言ったが、一応この「考え方」で今回は特段の意見を書かないという選択ももちろんあるということで申し上げている。
○今日、この「考え方」について議論したが、確かにこれまで議論してきた繰り返しの部分も結構あるが、今日いろいろと新しい説明もあり、私自身もどうするか、意見を付けるか付けないかも含めて、もう一遍検討してみたいと思っているので、今日この場でお終いにするのではなく、1月19日に予備日が入っているので、その場で最終的な取りまとめをするということで、もう一回、日を設定していただきたい。それまでに意見を書く人は書いて持ってくるということにすればどうか。
■確かに1月19日は予定していただきたいと申し上げたが、現在の状況では本当にデッドラインの日で、今ここである程度まとめて、それでどういうふうにしていくかという作業を、それから関係方面とのいろいろな調整が残るわけで、これをやらないとまず先に進まない。先に送れば送るほど、いろいろなものが全部遅れてしまうという状況になるので、御理解を賜りたい。
○そんな先までと言っているわけではない。1月19日まで待っても、間に合わないことにはならない。
■この検討会だけではなく、他にもいろいろなものがあり、全部遅れており、デッドラインは全部これより前ぐらいに持ってこないと、それも実質的にある程度まとめた上で、調整を図っているという段階に進んでおり、そこまでまとまらないで調整に入ることは不可能、もう諦めろということで、御理解を賜りたい。
□いかがか。もう一回やった方がいいという意見が多数であれば、それに従わざるを得ない。
○水野委員のお話だと、自分の意見を出したいからもう一回やりたいということだが、書面で拝見すれば、恐らく大体これまでの御主張どおりのことを書面で書かれるだけで、取りまとめの内容について特段議論することはない。それから、今20日や1ヶ月ぐらい遅れてもどうってことはないと言われたが、法案の提出期限はまだ確定していないが、3月7日に普通は来るわけで、それを遅れると、国会との関係で説明とか、別途の手続きが必要になるから大変なことである。ここの検討会の内容の取りまとめがないと恐らく各省庁との事前協議、これは法文になってからの、いわゆる法令協議以前に行訴の場合には全省庁に利害が関係するので、詳細な説明会を開いて、質疑応答など立案過程をしていただかないと、普通の法律のように条文が出来たから、さあ2週間で法令協議というわけにはいかない。対外的な法律の立案に向けての作業が20日も1ヶ月も遅れると、法案の提出期限もそのとおりに響いてきて、非常に遅れてしまう。遅れて出ると成立する可能性が低くなるということで余りいいことは何もなくて、多数の意思が形成されていなくて、まだ詰めないと大方の取りまとめが出来ない論点があるなら、それはそうだが、個々の点について異論があるのは十分分かっているが、それを書面で出すということであれば、それは出していただいて、直ぐ我々全員に見せていただくということでいいのではないか。
○意見の出し方の項目とスケジュールだが、項目は先ほど時間もないので、ほとんど繰り返さなかった点もあり、また審理の充実とか出訴期間も含めて、急ぎでしたので、あえて繰り返していないが、かねてより申し上げたいこともあり、ここにある項目については補足の意見は出してもいいという理解でよろしいか。
□先ほど発言のなかったところは今度の意見の中には入ってこないと思っていたが、何か特にあるか。
○そういうことであれば、補足したいことがある。「審理の充実・促進」の中で、資料の提出については、資料の項目なりリストなりをあらかじめ付けていただきたい。出訴期間についても、第三者の利害関係にかかわるかどうかの区分ということについては、まだ一定の意味はあると考えている。そういうことも含めて、何らかの形で表記をさせていただきたいと思っている。確認訴訟の立法化もある。
□余りだらだら書いてあると、本当に言いたいところがどこかということが分からなくなってしまうので、重要なことをお願いする。
○重要なことに絞ってということであれば、要するに何項目以内とか数量制限という形でない形にしていただきたい、もちろん分量も適当な範囲内に収まるという前提である。
□第三者の話は、「たたき台」の方で、さらに検討する必要があるのではないかという形に書いてあり、そこは御留意いただきたい。
○要するにここの項目に入った中に限定してということで、それはもちろん配慮したい。いつまでに出せばよいか。
■年内にお願いしたい。
□水野委員はいろいろと御意見をいただいた。原告適格あるいは差止訴訟、それから確認訴訟の件。御発言いただいた、自分はこういった意見があるといったところについてはもし必要があればお出しいただく。もし必要がなければそれはそれとして承る。学者は論文という手があるので、これを活用していただきたい。なお、柱書きにある「見直しをすることはどうか」という「どうか」は削るとか、あとテニオハでどうもやはり読めないというところ、それから御意見をいただいた順序、水野委員、福井委員をどちらかを先にするかとか、頁を改めるとか、そういった些末なことは私の方にお任せいただきたい。年内にお待ちしているので、よろしくお願いする。司法制度改革における立法課題としては、この資料1の「行政訴訟制度の見直しのための考え方」、ここで見直しをすることを、もちろんこれまで多くの議論をした議論の内容自体も重要なもの、これは記録に留めてあるので、これも重要なこととして受け止め、またさらに若干一部の委員には、福井委員、水野委員には個別の意見もあるということも受け止めていただくということを前提として、この「考え方」、この検討会で御異論がなかった方々についてはこの検討会としてまとまっているということで事務局に出したい。よろしいか。
(委員から異論なし)
それでは実質的な議論は今日これまでということになる。皆様方、そしてさらにはパブリックコメントでお寄せいただいた国民の皆様のいろいろな角度からの貴重な御意見をいただいた上で、こういう形に、我々の第一段階のタスクはまとまったということで、私としても皆様方の御協力に感謝申し上げたい。ただ、これで終わったということではなく、今後もっともっといろいろな議論をしていかなければならないという重荷があるということを前提にして、今年はこれで終わりとする。
■先ほど、細切れに申し上げたが、一言申し上げたい。今日取りまとめいただき、今後通常国会への法案提出に向けて、この意見を尊重して、立案作業を大急ぎで進めなければならないということになるわけだが、関係方面との必要な調整を全て図った上で、早期に法案を提出するということを最大限努力してまいりたいと考えているので、御理解を賜りたい。それから、そういう関係で、来年の1月19日の日程は開催はしないということで御理解を賜りたい。それともう一つ、最後に先ほど来、御指摘があったが、「たたき台」等で十分な検討が必要とされた検討課題については、法律の成立時期とその辺のところを勘案させていただき、ある時期からまた再開をして、議論をしていきたいと考えているので、また引き続きよろしくお願いしたい。