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行政訴訟検討会(第29回)議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成16年9月16日(木) 14:30〜17:35

2 場所
永田町合同庁舎第1共用会議室

3 出席者
(委 員)塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、福井秀夫、藤井昭夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局)山崎潮事務局長、松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官
4 議題
  1. 論点についての検討
  2. 今後の日程等

5 配布資料
資料1 行政立法の司法審査
資料2 行政計画の司法審査
資料3 裁量に関する司法審査
資料4 団体訴訟に関する資料
 (4−1) 消費者団体訴訟制度に関する主な検討事項(案)
 (4−2) 消費者団体訴訟制度に係る論点整理(第1回)
 (4−3) 参考資料
 (4−4) 消費者団体訴訟制度に係る論点整理(第2回)
 (4−5) 団体が問題となった裁判例
資料5 行政事件訴訟法制定の際の規範統制請求訴訟等に関する議論の概要
資料6 行政事件訴訟法制定の際の規範統制請求訴訟等に関する議論の概要(経過概要のみ)
資料7 行政訴訟に関する外国事情調査結果一覧表(抜粋−司法審査の対象関係)
資料8 行政訴訟に関する外国事情調査結果一覧表(抜粋−原告適格関係)
資料9 行政訴訟検討会開催予定

6 議事(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■:事務局)

□ 前回の検討会の中で、今後、当面の重点課題として指摘の多かった行政立法、行政計画に対する司法審査の在り方、裁量審査の問題、団体訴訟について、事務局で資料を準備していただきたいとお願いをし、配布してある資料が出来上がった。ただし、まだ足りない点、あるいは資料についての疑問の点もあろうかと思うので、いろいろ御意見、御質問を賜りたい。
  行政立法、行政計画に対する司法審査の在り方と、裁量審査の問題は相互に関係するのでまず説明、検討に入りたい。そのあと、団体訴訟の検討とすることで、よろしいか。
(委員から異論なし)

【行政立法の司法審査、行政計画の司法審査及び裁量に関する司法審査について】

■ 行政立法の司法審査については、資料1「行政立法の司法審査」は、行政立法と言われるものに対して裁判所でチェックをしていこうというときにどんな点が問題になるかということで、主に司法審査の観点から問題提起や参考になる判例の紹介等をしている資料である。
  まず行政立法たるものが一体どんなものかということを把握する必要があろうかと思い、最初のところで、「行政立法の概念」を掲げている。ところが「行政立法の定義」についても、言葉の用い方としても必ずしも統一されておらず、これが決定版というふうに言い難い状況がある。2つ定義の例を掲げており、1)は、田中二郎先生の教科書から引いたもので、「行政権が、法条の形式をもって一般的抽象的・仮言的な定めをすることがある。これを行政立法又は行政権による立法という。」とされているが、田中先生自身が(注)を付けておられるように、「ここで用いている用語は、わが国では、必ずしも統一されていない。」ということであると思う。
  2)に掲げたのは、平岡久先生の定義で、「行政主体または行政機関が制定する、行政組織または行政活動を規律する(成文の)規範であって、行政主体または行政機関を対外的に拘束し、裁判基準になりうるもの」となっており、1)と2)、どこが違うかというと、1)の方が基本的には広く、2)の方が狭いということになっていて、細かい点はいくつも違いがあるかと思うが、主たる違いは後に分類のところで登場する「行政規則」と言われている、基本的には行政機関内部の定めで、国民に対する権利義務に対する影響が基本的にはないという一応の整理されているものを入れるか、入れないかというところで範囲が違っていると考えられる。ここで、定義の議論を抽象的にしてもなかなか難しいところがあり、特に司法審査との関係で意味のある議論をしようということになると、まず一たんは、土俵は広くとらえた上で、中身に性質上違いがあるものであれば、その違いに応じた審査の在り方を工夫していく方が有益ではないかと考え、一応広い方の定義を前提にして分類論等あるいは法的効果等も考えている。
  田中先生の分類を前提にすると、行政立法は「法規命令」と「行政規則」に分けられるとされている。これは先ほども申し上げたが、国民と行政主体との関係、権利義務関係と言い換えることもできると思うが、これを規律するもの、一言で言うとそれが法規で、法規の定義もいろいろあろうかと思うが、国民の権利義務関係を直接規律するものが法規命令であって、裁判所が裁判規範として適用することになるというものが法規命令と一応考えられる。これに対して「行政規則」の方は、行政機関相互を拘束することを基本的に目的としており、国民に対する関係を規律するものではないというのが原則的な整理ということになろうかと思う。ちなみに「法規命令」の方は、更に権利義務の内容自体を法律の委任を受けて直接規律している「委任命令」と、権利義務の内容ではなくて、その実現のための手続的な事項を定めた「執行命令」に分類して議論されることある。ただし、ここで用いた「法規命令」、「行政規則」という用語がどういうもので、どういう範囲を言っているものかということには様々な見解があり、中には(注1)にも記載をしているように、小早川委員の教科書にも記載があり、行政規則というまとまった概念を使うのは妥当ではないのではないかというような考えも示されている。また、最近の教科書などでは、「行政基準」というような言葉で、そういった行政内部の定めを括っていってはどうかというような提言もされているが、便宜上、「法規命令」と「行政規則」の一応の区別はした上での議論を展開していきたい。
  2ページ目に、行政立法が実際に具体的にはどのような形であらわれているかということを(注2)で、「形式の分類」という形で挙げている。国の法規命令の場合は、政令、内閣府令、省令、外局規則といった形であらわれることが通常である。国の行政機関の内部の定めとなると、規則という言葉があることももちろんである。内規、要綱、通達といった形であらわれることがある。対外的なあらわし方として告示という方式もあるが、告示は内容によって権利義務に関わり合う場合、ない場合、両方ある。それから、地方公共団体が定める一般的な定めをどう扱うかについては、学問的な研究の中ではいろいろな立場があるところだが、ここでは先ほど申し上げたように、土俵は一たん広げて考えるとすると、まずは条例がある。条例は必ずしも法律の委任に基づくものではなく、独自の立法権で設定されるという法律に準ずる性格はあるが、それを承知の上で、あえて条例から始まると、更に規則、規程といったものがある。地方公共団体の内部の定めも内規、要綱、通達などいろいろな形であらわれる。条例を直接取消訴訟で争うというような事例もあり、「永田町小学校廃止条例」の取消しを求めた訴訟の判決が最高裁の平成14年4月25日に第一小法廷で出されているが、これは原告適格の議論をするときに、内容を紹介しているので、詳細については省略する。この資料の別紙1として原審の判断を含めて掲載しているので、適宜御参照いただきたい。
  先ほど一応の区別をした「法規命令」と「行政規則」について、国民の権利義務に影響があるかないかという一応の区別であるといっても、最近はその2つの概念は、むしろ必ずしもはっきり分けられるものではないのではないかとして、相対化というような現象があるのではないかと言われている。その中の一例を紹介すると、「行政規則」であっても、国民に対する効果が出てくる場合があるのではないかということで、1つには、行政組織を定めた規則は、基本的には行政内部でこの部署はこういう事務をする、こういう権限があるということで、事務分掌を定めるものと考えられるが、例えば組織上の定めによって、ある事務をするとされているけれども、ほかの事務については全く権限がないとされている部署が、権限外のものについて処分を行った場合、つまり無権限の場合であるが、その処分は国民に対する関係でも無効、効力がないものとされるべきではないかというようなことになると、組織の定め、内部の定めであるはずのものが、国民に対する関係でも一定の効果を生じてくる場合があるということである。
  それから、2)のイは、特別の関係、これは特別権力関係というような形で言われることもあるが、それから、部分的秩序、一定の団体の内部的な秩序を定めた規則がその団体ないし特別の関係の外に対しても効果を持つことがあるのではないか。これは典型的には公務員あるいは国公立学校の生徒などの関係が言われることがあるが、学校の規則の違反を理由として退学処分が行われたというようなことになると、退学処分自体が権利義務に影響しうるということで裁判所の判断の場にのぼってくることがある。その際に処分の根拠になっている学校の規則が処分自体の適法性の審査の基準として登場することがあり得る。こういった影響があり得るのではないかというところが1例である。
  それから、行政機関は自分の行動基準としていろいろなルールを定めることがあるが、法律の解釈基準を定める通達や、処分の裁量に関する基準を定めたり、あるいは補助金等の交付に当たっての給付の基準を定める、行政指導の基準を定める指導要綱といったいろんなスタイルのものがある。これらは基本的には行政内部でのルールとして定められるものであるが、それにのっとって処分などの形がとられるとなると、国民との関係でも一定の影響を及ぼすことがあり得るのではないか。例えば、一応の基準が定められていて、その基準自体が合理的なものだと思われるのに、あえてある事案ではその基準に従わずに、非常にその基準から乖離した取扱いをされているというような事案があったとすると、それは平等原則との関係で、そういった処分自体が違法というような判断がされる余地が出てくるのではないか。そういった意味で、権利義務への影響が出てくるのではないかというようなことが考えられる。
  以上、申し上げたような行政立法の概念と区分ないし分類等を見た上で、これが司法審査との関係でどういう留意点を生ずるであろうかということで考えたのが、3ページの「(3)司法審査との関係」であり、いくつか問題提起をしている。まず、裁判所で行政立法を取消しというような形で直接の審査対象としようと思うと、それは基本的には国民に対する権利義務関係を規律すると言われている法規命令が審査の対象になると考えられる。しかしながら、行政規則についても、今、申し上げたとおり、外部効果、国民に対する効果というのは一定の場合あり得るので、そういった場合には直接の審査対象にのぼることもあり得るのではないかと考えられる。どこまでの権利義務への影響があれば、司法判断の対象にのぼってくるかというところは、司法権の範囲の問題、更にはそれを具体化した訴えの利益、取消訴訟でいえば、処分性であり、更には原告適格といったことであらわれ、確認訴訟であれば、確認の利益の問題といった形で、どこまでの影響があれば、それを取り上げていくかという問題になってあらわれるものと思う。なお、(注)として記載しているが、理論的には、自分の法律上の利益に関係がないけれども、この行政立法については適法性を審査してほしいというタイプの訴訟も考えられる。主観訴訟、客観訴訟という整理からいくと、客観訴訟に当たるような規範統制訴訟あるいは行政立法に対する争訟というようなものもあり得る。これは司法権の範囲を基本的には超えるもので、法律上の争訟ではないものを特別に扱うということになろうと思う。その場合に、法律上の争訟ではなくても、その根拠となる法律をつくれば裁判所が扱うことができるということになるかどうかについては、法律があればいいのだという考え方が1つはもちろんあろうと思う。しかしながら、それについては憲法上、いくら法律でつくればいいといっても、憲法上限界があるのではないかという議論もされている。ここで佐藤幸治先生の著書も挙げているが、憲法学者の間では一定の限界があり得るのではないかという議論もされている。例えば佐藤先生の御指摘で申し上げると、裁判所というのは法原理機関だということが言われており、もともと権利義務関係に法を適用し宣言することで紛争を解決していこうということが基本で、それに見合った組織なりができているので、法律でそれとは異なる権限を付与するにしても、それとあまりにかけ離れた、全然違うものを付与することには限界が果たしてないのだろうか、権利義務の紛争に準ずる形のものである必要があるのではないかというような議論もされている。法律上の利益をどこまで求めるのかということについては、そういった憲法論からも検討し、あるいは場合を分けて考えていく必要があろうかと思う。参考として、法律上の争訟が要件になる場合については、一般的にどう考えられているかということで、最高裁平成3年4月19日第二小法廷判決を一例として挙げている。別紙2に法律上の争訟についての一般論を展開している比較的最近の判例ということで挙げた。これは福岡地方裁判所及び福岡家庭裁判所の支部を廃止する旨を定めた最高裁判所の規則について、その管轄区域内に住んでおられる方が、実際に具体的な紛争を抱えているというわけではないが、抽象的に規則の憲法違反を主張して取消しを求めた。これに対して最高裁は、「管轄区域内に居住する国民としての立場でその取消しを求めるというものであり、上告人らが、本件各訴えにおいて、裁判所に対し、右の立場以上に進んで上告人らにかかわる具体的な紛争についてその審判を求めるものではないことは、その主張自体から明らかである。そうすると、本件各訴えは、結局、裁判所に対して抽象的に最高裁判所規則が憲法に適合するかしないかの判断を求めるものに帰し、裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」に当たらない」ということで訴えが却下されたという事例である。
  それから、資料の3ページの方に戻り、「司法審査との関係」で、2)として記載している。最初に直接違法判断をする対象は法規命令であろうということを申し上げたが、間接的に審査する場合というのは考えられ、例えば処分の取消しを求めるが、その前提となっている行政立法自体が違法だから処分も違法だという争い方があり得る。こういう争い方をする場合には、必ずしも国民に対する法的拘束力がないと分類される行政立法でも、その違法性を審査するということはあり得るのではないだろうか。例えば裁量に関する基準は行政内部のルールであって、直接国民に影響しないとしても、実際の処分の違法性を判断する上で、もとになっている裁量基準自体が違法なので、その基準に乗ってされた処分もやはり違法であるという判断はあり得るのではないかと考えられる。ただし、ここで2)の下の方に記載しているが、間接審査の場合に、まず法律があって、次に行政立法があって、更に処分があるというような3段階の構成があるときに、裁判所で判断すべきものは何であろうかということを考えると、その具体の問題になっている処分が、法律に合致しているかどうかであって、例えば間に挟まっているのが通達だとすると、その通達がどういう法律の解釈を示していようが、これは基本的には問題にならないという場面もあり得るというところが行政立法の場合には1つ留意すべき点であろうかと思う。これについては参考になる裁判例を別紙3に掲げている。12ページの下で、「元来、通達は、原則として、法規の性質をもつものではなく、上級行政機関が関係下級行政機関および職員に対してその職務権限の行使を指揮し、職務に関して命令するために発するものであり、このような通達は右機関および職員に対する行政組織内部における命令にすぎないから、これらのものがその通達に拘束されることはあつても、一般の国民は直接これに拘束されるものではなく、このことは、通達の内容が、法令の解釈や取扱いに関するもので、国民の権利義務に重大なかかわりをもつようなものである場合においても別段異なるところはない。このように、通達は、元来、法規の性質をもつものではないから、行政機関が通達の趣旨に反する処分をした場合においても、そのことを理由として、その処分の効力が左右されるものではない。また、裁判所がこれられの通達に拘束されることのないことはもちろんで、裁判所は、法令の解釈適用にあたつては、通達に示された法令の解釈とは異なる独自の解釈をすることができ、通達に定める取扱いが法の趣旨に反するときは独自にその違法を判定することもできる筋合である。」という判示がされている点については留意が必要と思う。
  3ページの下から、「主な司法審査の方法」ということで、直接、間接にどういった形で行政立法が争われるだろうかという点を記載している。まず直接に争う場合の典型例は4ページの上の1)にあるが、抗告訴訟の対象として認められる、いわゆる処分性がある場合には、取消訴訟などにおいて、それを直接争うということがあり得る。その例としては、例がそうたくさんあるわけではないが、東京地裁昭和40年4月22日決定を挙げている。これは健康保険法に基づく療養に要する費用の額の算定方法の一部を改正する告示の処分性を肯定したもので、別紙4の1で14ページ以下になるが、ここではその告示でもって、もはや権利義務の変動が起きているということで処分性を認めている。そのときに、判決の効力がどこまで及ぶのかというのが非常に大きな問題になり、その点について、この判決は、ある意味、1つの工夫をしている例である。これがいいのか悪いのかというのは議論の対象になるところと思う。14ページの下の方で「しかしながら、立法行為の性質を有する行政庁の行為が取消訴訟の対象となるとはいっても、それは、その行為が個人の具体的な権利義務ないし法律上の利益に直接法律的変動を与える場合に、その限りにおいて取消訴訟の対象となるにすぎないのであるから、取消判決において取り消されるのは、その立法行為たる性質を有する行政庁の行為のうち、当該行為の取消しを求めている原告に対する関係における部分のみであって、行為一般が取り消されるのではないと解すべきである。けだし、抗告訴訟、特に取消訴訟は行政庁の違法な公権力の行使によって自己の権利ないし法律上の利益を侵害された者がその権利ないし法律上の利益の救済を求めるために認められた制度であり(行政事件訴訟法第9条、第10条第1項参照)、自己の権利ないし利益に関係なく違法な行政行為一般の是正を求めることを目的とする民衆訴訟は法律に定める場合において法律に定める者からのみ提起しうるものとされている(同法第5条、第42条)趣旨から考えると、行政事件訴訟法は、行政庁の一個の行為であっても原告の権利義務ないし法律上の利益と何ら関係のない部分についてはその取消しを求め得ないものとしているものと解するのが相当であるし、また原告をして自己の権利義務ないし法律上の利益に直接関係する部分をこえて立法行為たる性質を有する行政庁の行為全般を取り消さなければならない必要性も認められず、かく解したからといって何ら当該原告の権利救済の途をとざすことにもならないからである。」といって、32条1項の第三者効の規定があるが、それについて、こういった解釈を施しているという点が特徴的な裁判例である。
  ほかにも処分性が肯定された例を別紙4の2に掲げているが、これについては省略する。
  抗告訴訟の対象として認められない、処分性がない場合については、今回、行政事件訴訟法の改正で、4条に改正を加えており、公法上の法律関係に関する確認の訴えを利用できる場合があるのではないかということは指摘できると思う。その場合には、確認の利益が認められる場合であればということになるが、行政立法を直接無効だという判断を求めるということも事案によってはあり得るのではないかと考えられる。ここで処分性を否定した例として、旧公害対策基本法に基づく環境基準の処分性を否定した例を挙げているが、この事案が、すなわち、すぐ確認訴訟の土俵に乗るという趣旨ではないが、行政立法について処分性が否定された例のリーディングケースとして言われているものなので、別紙4の3に掲載している。
  それから、「間接的に審査する方法」については、更に多くの事例が紹介できるところである。取消訴訟、あるいは無効等確認の訴えにおいて、行政立法を前提としてなされた処分の違法性を主張する理由として前提になっている行政立法が違法だからというような形で主張することが考えられる。ここで(注)書きしているが、違法性の承継は、この場合には基本的に問題にならないであろうと考えられる。違法性の承継の問題は、先行する行為がいわゆる処分性が認められる場合で、取り消されるまでは有効として扱わなければいけないという効力があるので、後行行為を問題にする訴訟の中で、取り消されてもいない先行行為の違法の承継を主張するのは基本的にはだめだと。しかし、それを貫くと問題が生ずるので一定の場合には違法性を承継していると考えるべきではないかというのが違法性の承継の理論だと思う。この場合、先行する行政立法自体に処分性がないということになれば、違法性の承継論というのは基本的に問題にならないという整理ができると思う。この間接審査の方法については、最高裁で判断がされている例がいくつかあるので、それをここでは4つほど紹介している。このうち3つは、行政立法が違法だという判断が下されており、中身の判断においても参考になる事例と考えられる。まず1つ目は、4ページの例というところに掲げているが、最高裁昭和46年1月20日大法廷判決である。強制買収農地の旧所有者への売払基準について定めた農地法施行令、この規定を違法としたもので、別紙5の1、39ページに掲げている。これは昭和22年に自作農創設特別措置法によって買収された自分の土地が、その後、10年以上たってから農地法に基づいて第三者に売却する処分がされた。その処分の取消しを求めた事案である。農地法80条は、国が強制買収によって取得した農地を元の所有者に返す、売り払う場合について、政令で定めることにしており、政令で定めるところにより、自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認めたときには返すということになっていたが、その場合を施行令で、更に限定していた。公用、公共用又は国民生活の安定上必要な施設の用に供する緊急な必要があり、かつ、その用に供されることが確実な土地に限定したという点について、この判決は、法律自体の規定は売払い農地、元の所有者に返す農地の認定について、施行令のレベルで限定するのはやり過ぎであるということで施行令を違法にしたものである。
  その中で注目すべき点は、別紙5の39ページで、農地法というのは、自作農創設特別措置法とは違うということに触れている部分がある。「農地改革のための臨時立法であつた自創法とは異なり、法は、恒久立法であるから、同条による売払いの要件も、当然、長期にわたる社会、経済状勢の変化にも対処できるものとして規定されているはずのものである。」したがって、どういった場合に売り払いできるかという社会経済情勢を反映したものが行政立法であるべきであるが、それを反映していなかったのではないかという判断が根底にあってこのような結論になったのではないかと思う。ちなみにこの判決がされた当時の状況としては、戦後の自作農創設という理想が実現せずにそのまま残ってしまっていた土地は当時かなり広くあって、国の管理下にずっと置かれていて、これに対して多くの旧地主が自分のところへの売払いを求めて下級審判決が相次いでいたという事情があったという点を指摘できると思う。
  4ページに戻り、一番下にあるのが、最高裁平成3年7月9日第三小法廷判決である。これは未決勾留により拘禁された者が、14歳未満の者と接見をするということを原則としてだめと制限をした監獄法施行規則は制限のしすぎであるということで違法としたもので、実はこの監獄法の施行規則は、明治41年に定められて、そのままずっと残っていたものであり、そういった時代の流れの中で未決勾留、拘禁者の接見の自由に対する考え方というようなものを反映している判決であろうかと思われる。
  それから、5ページの上に、比較的最近の判決も掲げている。最高裁平成14年1月31日第一小法廷判決は、父から認知された児童を児童扶養手当の支給対象である婚姻外懐胎児童から除外していたところ、その除外を法律ではなくて、施行令のレベルでしていた点について、法律ではそういう限定はしてないのではないかということで施行令を違法という判断をしたものである。
  以上が取消訴訟で争われた事例で、ちなみに監獄法の施行令の事例は、国家賠償請求訴訟の事案として有名な事件だが、訴えの提起の当初においては、不許可処分の取消訴訟が提起されているので、一応ここで掲げさせていただいた。
  それから、5ページの2)で、間接審査の方法は、取消訴訟や無効確認の訴えだけではなく、公法上の法律関係に関する確認の訴えも使える場合があるのではないかということで、一例として浦和地裁昭和63年12月12日判決の事案を挙げている。この事案自体は、取消訴訟で争われたもので、取消訴訟には向いてないと判断がされたものであるが、ラブホテルの建築を規制しようという条例があり、その施行規則があったが、ラブホテルに該当するという認定をして、その通知を市長がするということになっていた。その通知の取消を求めたところ、判決では、通知自体で別に権利義務関係が変動するわけではない、条例で、その建物がラブホテルかどうかが決まっているのだということで、通知で権利義務の変動がないから通知自体は処分ではないということになった。ひるがえって考えると条例自体でそういう義務なり地位なりが発生しているのであれば、それを当事者訴訟として確認の訴えで争うことはあり得るのではないか。これは当時も、既に高木光教授が指摘されているところだが、本件建物がラブホテルに該当しないことの確認を求める訴訟というようなものが紛争の解決には適しているのではないか、こういった指摘がされているところである。更に間接審査の方法としては、住民訴訟や国家賠償請求訴訟の前提として判断されることもあり得るのではないかという指摘をしている。
  このように、争い方のルートしてはいろいろあり得るが、そういった司法審査をするときに、行政立法というものの特質をとらえてどのような点に気をつけなければいけないのだろうかという点を記載している。5ページの下の3からで、1つは、行政立法の司法審査は本来は立法府が法律で定めることが必ずしもできない事項ではないという事項について、事柄の専門技術性などを考慮して行政立法に委ねるということがされていると考えられる。そうした立法府と行政府との役割分担に対して、裁判所がその有効性判断に入っていく、こういったものだという位置付けから考えると、三権分立との関係、あるいは行政運営に与える影響、更には立法の在り方にまで与える影響があろうかと思うので、そういった憲法秩序全体の中での訴訟制度としてどう位置付けるべきかということを考える必要があるのではないかと考えられる。更に、必ずしも司法の枠ということにとらわれずに考えてみると、最高裁で違法判断がされた例を御紹介したが、行政立法が違法であるという判断に到達しているものは、世の中の価値観や、社会通念の変化に対して政省令がついていっていないというような事案ではないかと考えられる。本来、行政立法はなぜ法律で決めるのではなく行政立法で定めるかといえば、事柄の専門技術性ももちろんであるが、情勢変化に対する即応性、フットワークの軽さという観点からも法律より行政立法が適しているのではないか、こういう判断がされて、あえて法律で定めずに行政立法に委ねるという場合が多いのではないかと考えられるが、むしろ違法であると判断されたのは、そういった時代に対する対応ができていないのではないかという問題ではないかと考えられる。その意味では、一たん定められた行政立法が社会の変化に対応できているかどうかをチェックする仕組みとしてはどのようなものが適当なのだろうかという幅広い見地からの検討というのが必要ではないかと思われる。もちろん司法の場でそれをチェックするということは1つの手段であるが、ほかにも有効な手段はないかといった点と、それとの役割分担というようなものも検討が必要な点ではないかと思われる。
  話を司法の観点に戻すと、2)で掲げているのは、行政立法はある程度抽象的な定めをして、後に処分等の形で具体化されるものを予定しているものなので、どのタイミングで紛争をとらえて司法判断をするかというタイミングの問題が重要になってくるのではないかという指摘ができると思う。6ページの2)では、行政規則の場合は、特に個別に考えないと、国民の権利義務への影響の程度が判断できないというところがあろうと思うので、そういった意味で、個別に吟味する必要もあるのではないか。それから、中身の判断においては、先ほど申し上げたように、国会で立法し得る事項であっても、それをあえて行政立法にゆだねるという性質もあるとすると、国会の立法裁量に準ずる側面があるので、その意味では非常に裁量の幅が広いという見方もできるのではないか。これをどうやって審査していくかというのが大変難しい問題ではないかと考えられる。
  それから、訴訟法の分野から光を当てて考えるとどんな点が問題になり得るかという指摘を6ページの下から7ページ、8ページにかけてしている。これは改正法でいろいろな訴訟類型を整えているが、そういった改正法の使い方、解釈、運用として考慮すべき点としても考えられると同時に、その解釈、運用では賄いきれない部分があり得るのではないかとなれば、立法論としてつながっていくと、こういった面があるので、その両面から御検討いただきたい。例えば6ページの下では、原告適格の問題を掲げている。行政立法が、広く国民一般を対象にしているようなものだと、それはどの範囲の人が訴えられるということにすべきなのだろうか。それを今までの取消訴訟でいえば、取消しを求めるとき法律上の利益を有する者、確認訴訟でいえば、確認の利益を有する者というところに何か特別の配慮が要るのだろうかという点は検討を要する点かと思う。例えば、先ほどの療養費の告示の例で、あの事案は健康保険組合の負担を増やす改正なので、健康保険組合が訴えたが、逆に健康保険組合の負担を減らして、被保険者の負担を増やすような場合には、被保険者であれば誰でも訴えられるのかという問題を生ずるわけで、なかなか難しい問題を提起するのではないかと考えられる。
  それから、重複訴訟と記載した点は、同じ行政立法をいろんな人が別々の訴訟で争ったときに、それらをどう判断の矛盾が生じないようにしていくか。もちろん事件を移送したり併合したりしていくという工夫は現行法の枠組みの中でもできるし、行政事件訴訟法も関連請求の移送の規定があり、どこまで関連請求に当たるかという問題があるが、立法論としても何か考慮が必要かということは考えられるところである。同じようなことは訴訟参加という形で取り込むべきかどうかということにもなってこようかと思う。
  それから、「出訴期間」について、取消訴訟で争うと出訴期間があるということになり、ほかの訴訟類型では、基本的には出訴期間はないが、争い方によって異なる点の合理性ということ自体が問題になるし、新たに別の訴訟類型を立てて行政立法を争うということにすると、出訴期間自体そもそもどうするのか、あるいはほかのルートで争う途を認めるのか、認めないのか、こういった整理が必要になってこようかと思う。ちなみにドイツの規範統制訴訟は、通常の処分の取消訴訟とは異なる出訴期間を定めているものと聞いている。
  それから、「処分権主義の制限の要否」。通常の民事訴訟だと、処分権主義、弁論主義ということで、当事者のイニシアチブが非常に重視されているが、例えば、原告の請求の放棄、もうやめましたというときには訴えを取り下げるだけでなくて、被告の側の言うとおりでございますということになると、これは原告敗訴の確定判決と同一の効力を有することになる。これを訴えた一原告の自由な処分ということで任せていいのか、何らかの規制が必要か。あるいは被告側が請求を認諾するということはあまり考えにくいとは思うが、そういったものや和解については、処分の取消訴訟でも同じように議論があるが、処分と同じに考えればいいのか、更なる考慮が要るのか、こういった問題があろうと思う。
  それから、⑥、⑦、⑧は判決の効力の問題である。まず被告側、行政側が負けた判決については、取消訴訟であれば、例えば拘束力があり、この拘束力の規定がほかの類型にも準用されているが、一体行政庁はどこまでやればいいのか。行政立法に基づいて、更にいろいろな処分など、いろいろな行為が重なっているときに、どこまで原状回復をしなければいけないのかというあたりをどのように定めるのかという後始末の問題が出てこようかと思う。それから、原告が負けた場合は、後で行政立法で争って負けたけれども、その後の処分でもう一回争えるのか、そのときにどこまで争えるのか、こういったところについては、民事訴訟の一般の既判力の問題などだけでよろしいのか。それとも特別な配慮が要るのかといった点。更には⑧で、ある人は争ったのだけど、その勝った場合、負けた場合、それぞれについて第三者にはどんな効力が及ぶというふうにすべきかという点で、例えば現行法の解釈としても、先ほどの療養費の告示のように、一定の工夫をした解釈をしている例もある。それをそれぞれの訴訟類型でどういうふうに考えるべきかという点は運用としても問題になろうかと思う。
  それから、仮の救済で、例えば取消訴訟を起こして執行停止といったときに何か特別に考慮すべきことがあるのか、あるいは執行停止の効力の第三者の効力はどうなのか、公共の福祉要件はどういうふうに使うべきなのか、こういったところは更に議論が出てこようかと思う。
  最後に、いろんなルートをたどって、中身の判断にたどり着いたときにどういった点を考慮すべきかというところについては、それに対する答えということではないが、宮田三郎先生の論文の指摘を挙げている。行政立法をつくるに当たっての行政の裁量がどんなもので、それをどう審査すべきかというところについては、あまり議論がまだ積み上がっていないのではないか、こういった指摘もされており、この点については、どうしてそういう議論があまり出なかったかというところとしては、そういうことを争うことがなかなか許されなかったためにあまり実益のある議論だと思われなかった面もあるのではないか、こういった指摘かと思う。今回の改正では、従前の訴訟類型も使いやすくするとともに、確認訴訟の活用というようなことも図っているので、こういった改正法の効果によって事案が積み上がっていった際には中身の判断においてもどんなことを考えるべきかということがだんだん積み上がっていくのではないかと考えられる。
  ここで資料5及び6の行政事件訴訟法制定当時の議論についても簡単に紹介させていただく。現在においても、なお十分参考になる議論と考えられる。資料6の方が簡潔な資料なので、これに基づいて説明すると、昭和31年から34年ぐらいまで議論がされているが、まずここで言っている行政立法、あるいは法令の存在自体、法令の効力を争う訴訟というのは何を考えているのかという点について最初の議論のところで幹事の方から説明がされている。「例えば、法令の改正によって、ある者が当然身分ないし地位を失うような場合が考えられる。あるいは、また借地法等の改正によって、所有権者等がその所有権に制限を受けるような場合もこれに当たると思われるし、土地区画整理法等によって、土地所有者が地価の値下がりのために影響を受ける場合もこのような訴訟を許してよいのではないかと考えている。」こういったイメージで議論がされている。法律の場合に取消し、あるいは抽象的な無効宣言の訴訟は憲法上問題があるのではないかという質問をされて、そういう問題があるのは重々承知しているけれども、検討したい、こういう話になっている。
  その下の第30回の会議経過のところでは、ここでその後の議論にも通ずる非常に重要な指摘がいくつかされている。「訴訟の判決の効果を当事者間のみにかぎらないで第三者にも及ぼすものとすれば、司法権の範囲を超えることになりはしないか」。せいぜい当事者間だけでの効力しか考えられないのではないか、こういう意見、疑問も出されたが、これに対しては、「もし一般処分に対する判決の効力のごとく当事者間にのみ既判力、拘束力を認めるにすぎないのであれば、特別にこのような訴訟を認める必要はないのではないか」というような話も出ている。
  また、原告適格について、「近い将来において法令の適用により権利を侵害される虞のある者」というのは、このころ、題材として挙がっていたが、それでは出訴権者の範囲を確定することは困難ではないかという議論もされている。更には、このような「抽象的規範統制請求訴訟を認めなくとも公法上の権利関係確認の訴(例えば、法令により営業の制限を受けない権利関係の確認を求める訴を認めれば当事者の救済としては十分ではなかろうか」、こういうような見解も述べられ、積極、消極両論あり、むしろ消極論の方が強かったというところである。ただ、このとき、途中で田中二郎先生が退席されたので、田中先生の御意見を聞こうということになって議論が続くが、田中先生は、次の2ページの頭のところで「法令制定により国民の権利侵害がおこり、あるいはその侵害が極めて近迫するような場合に、これを救済する措置として、かかる訴訟を認める必要はあるのではないかと思うけれども、理論上、技術上の困難−とくに右訴訟を法令の無効宣言とみるか、取消しとみるか、原告勝訴の場合の原状回復措置をどうするか」。先ほどいくつか訴訟手続上の問題点を指摘したが、そういった難点がなかなか多いので、抗告訴訟に準じて取扱うような工夫ができないかなと、こういう御意見を述べられた。
  その後、いろいろ検討がされ、法令の違法制限の訴えというような形で検討されたり、法令の効力を争う訴えというような形で検討がされたり、いろいろな検討がされたが、例えば3ページの下の方のところで、刑罰法規をこれで争ったらどうなるのか、刑事訴訟にどれだけ影響するのか、それがもし拘束力を持たないなら意味がないのではないかというような議論がされたり、行政処分と同様の効果を生ずる法令といったら、通常の民事法規も入ってしまうが、それでいいのかというような議論も出され、さらに、対象として法律は入る、入らない、条例は入る、入らない、などなかなか意見が分かれた。
  結局、処分権不存在確認の訴えというような形で、形をかえてやったりしていろんな提案がされたが、最後はなかなか消極、積極論は対立したまま続いていって、結局、そういう訴えを別に排除する趣旨ではないんだけれども、本当にその必要があるときには、第三の第一項の概括規定によりこれを認めることも可能、これはすなわち今で言うと、無名抗告訴訟、法定外抗告訴訟になるが、これでいける場合もあるのではないかという余地を残すという条件の下に、明示の姿にはならなかったという経緯をたどっている。

□ 行政立法については統制が重要ではないかという指摘はずっとあったが、具体的にどういう問題があるか、過去の例、今、紹介のあった法制審議会の例も含めて、材料も提供していなかったので、少し詳しく紹介していただいた。ここのところがちょっとわからないという質問があれば、質問をいただきたい。

○ 4ページの2)の環境基準の告示の事件で、これは処分性を否定しているが、確認訴訟でやれるのではないかという可能性に言及されたのだが、これはどういう確認になるかお尋ねしたい。

■ 必ずしもそういう趣旨ではないという説明をした。なかなか難しい面があろうかと思う。ここで争われている環境基準は二酸化窒素の環境基準を緩和する基準であり、同じ環境に関するものであっても、規制基準、あるいは総量規制基準と言われているような具体的な効果を持つものではなく、政策上の目標という位置付けがされている。しかしながらこれは当時の公害対策基本法、今の環境基本法に当たるが、これがあって、それと別に大気汚染防止法に一定の効果があらわれてくる排出基準、総量規制基準があるわけで、その排出基準や総量規制基準を定める際には環境基準が示している数値も重要な考量要素となるという関連性がある。したがって、関連性を媒介にして、具体的な法律関係に影響が出ているということになるのであれば、法律関係ということで持ってくるという議論はされている。ただその場合に、個人の権利義務に影響するところまで持ってこれるかというと、なかなかこの事件自体では、健康被害や色々なことが主張されてはいるが、そういったものを法律上の利益としてどこまで認めていくかはかなりまた議論が必要なところだと思う。

○ 何の確認になるか。

■ なかなか具体的には想定しにくい。

○ 確認訴訟に置き換えることが可能なケースはたくさんあるが、これなどは確認訴訟に置き換えるのが非常に難しいのではないかと思っている。何かいいアイディアがあれば教えていただきたい。

■ 学説としては、具体的には後で効果を有するような排出基準の制定などの差止めや、そういうものを求めてされた基準の方の無効確認はあり得るのではないかという議論がされているが、そこになると、差止めの要件や確認の利益というところでハードルがあろうかと思う。

□ 確認だが、6ページの「(2)訴訟手続について検討を要する点」は、解釈論、立法論を含むという理解でよろしいか。

■ 両方である。

■ 行政計画の司法審査については、資料2で、まず、行政計画の概念を最初に掲げている。塩野座長の教科書、あるいは小早川委員の教科書からも引用しており、その中では、例えば塩野座長の教科書では、「行政計画とは、行政権が一定の公の目的のために目標を設定し、その目標を達成するための手段を総合的に提示するものである」と言われている。小早川委員御指摘のように、「この概念は必ずしも明確ではない」ところがあろうかと思い、定義も様々な定義が言われている。
  1)、2)、2)と掲げた定義からすると、特色としては、目標が設定され、その目標達成のための手段が総合的ないしは体系的に提示されていくもの、これが計画の特徴ということが言えるのではないかと思う。よりシンプルな定義をしている芝池委員の定義、あるいは西谷剛さんの定義では、今申し上げたような目標の設定あるいは手段の総合的ないし体系的な提示という特徴は、定義自体には含められていない。それはむしろ、そういうものは行政計画でなくても、計画と言われるものは一般的にそうではないかという理解を前提に、必ずしもそういった特徴があること自体を否定しているわけではないと認識している。目標を定めて、それに至る手段を計画という形で決めていこうというものだとすると、それに対する司法審査ではどのようなことに留意すべきかということで、1ページの下から記載している。手段を提示するものだということは、後に手段に当たるものが出てくるので、それが処分というような形で具体的に出てくることになると、これも段階的な行政活動、行政の展開というのがあり得る。そうなると、どのタイミングで司法判断に持ち込むかということが非常に重要な問題になろうかと思う。それから、行政計画というのは行政自身のアクションプランとして、自分たちがどうやっていくかという性格があろうかと思うので、そういう意味で、2ページで、内部の訓令的な性格もあるのではないかという指摘をしている。そうなると、国民に対する法的拘束というのは必ずしもメインでない場合というのがあり得て、実際に計画を見ると、法的拘束というのは国民に対してはないのではないかと思われるようなものも多々ある。そういう意味で、国民に対してどういう法律上の効果があるのかというのは個別に吟味する必要があるのではないかと考えられる。更には目的を達成するための手段をどう組み込むか、それをどう体系づけるかは計画で定めるということになっているので、その根拠となる法律がどこまで計画の中身のことを言っているかということになると、その法律の規制の在り方は非常に緩いということが言えると思う。その意味で計画の内容をどう定めるかについての行政の裁量は非常に広範なものと一般的には言えるのではないかと思われる。このあたりの指摘は芝池委員の論文、教科書で指摘されているところを参考にさせていただいている。
  2ページの真ん中辺で、行政計画については、いろいろな分類があり得るが、司法審査の観点からどこまでの分類が意味を持ってくるかはなかなかわかりづらいところで、あえて申し上げるとすれば、2ページ下(2)に記載しているように、国民に対する法的拘束力があるものがあれば、それは直接の審査対象にはなりやすいが、先ほど行政立法のところで申し上げたように、間接に審査するということはあり得るので、その場合には、必ずしも法的拘束力が直接にはないものでも対象にのぼってくることもあるかもしれない。また計画の中には、分類のところに記載しているように、法律上の根拠がないもの、事実上の計画も多々あり、そうなると、一体何に基づいて違法性を判断をするのかも難しい。ちなみに2ページの真ん中下のところに、西谷剛さんの報告から、平成13年末の段階で314の法律に基づいて586の種類の計画があるということが言われている、府省別計画名一覧が、西谷さんの教科書の末尾に挙がっており、これを見ると、各省庁ごとに実に様々な計画がある。一番最初の内閣の計画を見ると、司法制度改革推進計画であり、そういうものも行政計画として挙げられている。計画は、目標があって、そのための手段の設定があるが、この司法制度改革推進計画の場合には法案の提出が主要な手段になっている。そうすると計画があって、その後に国民に具体的な権利義務の変動があるとしても、間に法律が入るとなると、計画自体を争う意味はどこに出てくるのかというような議論にもなり得る。そういう意味で計画は、手段のつくり方も多様なものということが言える。
  それから、交通安全対策基本法に基づいて、交通安全基本計画、交通安全業務計画、都道府県交通安全計画、都道府県交通安全実施計画、市町村交通安全計画、市町村交通安全実施計画、というように、同じ交通安全の観点でも非常に多元的に多層的に計画が定められることもある。計画、計画といっても、計画同士の関係、あるいは位置付けも非常に微妙なものがあろうかと思う。
  資料2、3ページで、行政計画は国民に対してどのような効力があるのかというところで、これは西谷さんの著書を参考にして記載をしたが、必ずしもこの著書のとおりではない。直接的な効果、間接的な効果というのは一体どんなものか、その判断自体が非常に難しい。なるべくわかりやすそうな例を挙げたつもりではあるが、それでもなお行政計画の国民に対する効果はわかりにくいという感じを持っている。
  「A 土地利用規制」で最初に挙げたのは、土地再開発法の第二種市街地再開発事業の事業計画の決定で、これは最高裁で取消訴訟の対象になるということで処分性が認められている事業計画である。これは第一種市街地再開発事業とは性質が異なり、この事業計画の決定がされると、その施行区域内の土地所有者は、自分の土地が収用されるべき地位に立たされ、お金をもらって出て行くのか、新しく建てる再開発ビルの中に権利をもらうのかという選択を迫られる立場に立たされるという意味で、非常に直接的な効果がある例である。しかしながら、なかなかこういう直接的な効果が出てくる例というのはそう多くない。
  次の(b)は建築基準法による建築規制、これは都市計画で地域地区が定められると、それに応じて建築基準法の建築規制がかかってくる。すなわち建築確認のときに初めて都市計画でどういう地区に指定されているから、これを守らなければいけないという形で、間接的に都市計画の効力が問題になってくる、というものもある。
  それから、「環境保全規制」のところに、一般廃棄物処理業の許可基準の要件として市町村一般廃棄物処理計画に適合していることが必要とされるという、間接的に許可の判断をする際に計画への適合が問題になってくる効果があるものが挙げられている。これは環境保全規制であると同時に産業規制ともいうことができる。ほかに農業、医療、様々な分野での規制もされている。今申し上げたように、直接計画自体から権利義務関係が変動するものと、一定の処分が予定されていて、その要件として間接的に規制されるものなど、様々なあらわれ方がある。
  それから、3ページの下で、これは全然違う分類になろうかと思うが、規制をする場合だけでなく、国民に対してプラスになる側の措置が計画に基づいてとられることもある。すなわち補助金や政策融資などの公的な支援措置が計画に基づいてとられる場合がある。例としては、地域雇用機会増大計画でされる助成を挙げている。このようにまさにいろいろな効果を持つものがある。
  そこでどんな問題が指摘できるかということは、4ページの(2)で記載している。行政計画の国民に対する効力に関しては、行政計画はまさに多種多様である。行政計画という括りで一般論として問題をとらえることはなかなか難しいのではないか。確かに西谷さんのような分析はされてはいるが、その一方で、見上崇洋先生の指摘を挙げているように、今まで処分性があるなしという議論に重きが置かれたがために個々の計画がそれぞれどんな効果があるかという分析は裁判例の中でもあまり指摘されていないし、分析が進んでないかというような指摘もある。しかしながら、実際に訴訟で救済を考えていこうという場面になれば、それぞれの計画がどういう効果を持つかによっていろいろ訴訟要件等の判断が左右されるので、個々の制度の分析というのはなお必要ではないかと考えられる。特に先ほど交通安全の例を挙げたが、計画自体が数次の段階的な計画になっているものなどもあり、それぞれがそういう制度の中でどういう段階で、どういう性質のものとして位置付けられているのか、その中で関係者の利害がどう反映されていくことになっているのか、そういった計画策定段階のプロセスも含めて、どういう利害調整が図られているか、その中で司法審査も1つの利害調整の方法と考えたときに、ある段階で司法審査を行うことは、どういうメリットがあり、どういうデメリットがあるかということを個別に検討する必要があるのではないかと思う。それが訴訟類型を適切に選択し、更には訴えの利益、確認の利益などを判断する材料にもなっていくのではないかと思われる。
  実際に行政計画が、現行の枠組みでどんな形で争われているかについて4ページから5ページにかけて記載している。これは行政立法と大分重複するところがある。直接に争う場合には取消訴訟等があって、実際にも最高裁で土地改良事業の事業計画は処分性があると判断されており、先ほども紹介した土地再開発法の第二種市街地再開発事業の再開発事業計画の決定は処分性があるということになっている。処分性がない場合には、公法上の法律関係に関する確認の訴えが理論的にはあり得るのではないか。具体例が今のところはないが、そういったものも考えられる。更に間接的な審査となると、いろいろな形で争われている。例えば都市計画事業の認可があった場合に、その前提として都市計画自体の違法を主張するというやり方があり、その例として、(2)の1)の中に、最高裁平成11年11月25日第一小法廷判決を挙げている。これは原告適格のところで参照していただいた環状六号線の道路の拡幅工事の事件である。この判決は、明示的にこういった都市計画の争い方ができるという判断はしてはいないが、第一審、第二審は明示的にそういう形での都市計画の争い方ができるという判断をしており、最高裁もこれを前提にしている、あるいは是認しているものと考えられる。
  それから、公法上の法律関係に関する確認の訴えということで、権利義務などの法律関係の前提として行政計画の無効を主張することはあり得るところで、例としては、確認訴訟の議論をしたときに既に紹介したものであるが、東京地裁平成6年9月9日判決があり、これは一般廃棄物処理計画に基づく義務の存在確認ということで、当事者訴訟としての確認訴訟が適法とされた例である。別紙3で、17ページ以下に紹介しているが、一般廃棄物処理計画において、市長が設置したダストボックスからだけごみは収集することにしたのに対して、ダストボックスが設置されてない場所からもごみを収集すべき義務があるという確認を求めた事案である。これについてその判決理由、「本案前の主張について」ということで真ん中辺に記載しているが、「原告の被告に対する本件収集義務の存在確認の訴えは、ごみの収集義務という公法上の義務の存否に関する当事者訴訟と解され、本件建物の占有者である原告と被告との間に右義務の存否を巡って紛争が存在しており、その確認を求める以外に紛争解決のための適切な手段がない以上、原告は、右義務の存在確認を求める法律上の利益を有すると解するのが相当である。」ということで、内容の判断に入っている。
  ちなみに、これから確認の利益が問題になってくると思うので、この事案が、一見すると、本当に確認の利益があるのだろうかという疑問に思う面もないではないので、この事案について若干付言すると、この事件の原告はマンションの賃貸業者であり、本件訴訟ではごみの適切な収集として、原告が賃貸業に使っているマンションから収集してもらえないということで、そのマンションに30室の空き室ができて、月額180万の損害をこうむっている。更に毎月自費で入居者のごみをダストボックスまで運ばなければならず、1回3万円、月24万円の費用がかかっているということで、これらの損害賠償請求も併せてしている事案であり、そういった点も考慮の事情にはなったのではないかと思うので、併せて紹介する。
  5ページに戻り、住民訴訟あるいは国家賠償請求訴訟においても行政計画を争うということはあり得るのではないか。ちなみに国家賠償請求訴訟で争われた事案について、計画を国家賠償請求訴訟で争うというのはなかなかイメージしにくいところもあるが、この事案については、地区計画が違法である理由として、ある特定の業者が工場をつくりたいというようなときに、その特定の業者の利益を図るために住居地域から準工業地域に本当は用途地域の変更をしたいのだけれども、それは都道府県レベルでやることなのでなかなかできない、そこで地区計画という小規模な計画をあえて用いて個別の業者の利益を図ったのではないかというようなことで住民が訴えたもので、結論としてはそのような主張は認められなかった。
  6ページから7ページにかけて、訴訟手続上の問題点ということで、先ほどと同じように、現行法の枠組みの解釈論であると同時に、もしそれに限界があるとすると、立法論としてもいろいろな問題があり得るのではないかということで記載しており、これはほとんど行政立法と重複しているので省略するが、1点申し上げると、6ページの真ん中辺に「2) 訴訟参加」について記載している。行政計画について、一定の申請があって、それに対して行政機関が認可をするというシステムをとっている場合には、認可自体を争おうと思うと、計画をつくった人は訴訟の当事者とならない場合があって、逆に計画自体を争おうと思うと、認可した人は直接訴訟の当事者とならないと、こういう構図があり得る。そういった場合に直接の当事者にならないものについて、訴訟参加を義務的にするなど何らかの特別の配慮が必要かどうか。更には土地利用などの計画の場合では、賛成派と反対派があり得るわけで、そういった利害関係が複雑に絡み合っているときに訴訟参加について何か配慮が必要かどうか。こういったあたりは行政立法よりもむしろ行政計画のところで問題になり得るところではないかと思われる。
  7ページの下からは、今度は手続ではなくて、実体判断の問題についての指摘をしている。まず8ページで、先ほど、行政計画に対する法律の規制というのは非常に弱いのではないかということを申し上げたが、弱いながらもいろいろな規制をしていることはあり得るわけで、法律がどのような規制をしているか考え、例えば8ページの(3)の1)、2)、2)という事項を挙げている。
  1つは整合性の原則として、計画同士の間での整合性が保たれてないといけないということが法律に規定されている場合がある。国の計画に地方の計画が合致していなければいけない。あるいは上位の計画に下位の計画が合致してないといけない。こういったものが定められている場合がある。ただ、適合の仕方が、適合しないといけない、あるいは抵触するものであってはならないというものもあれば、調和を保つといった程度の規定もあり、規定ぶりによっては直ちに違法になるといえない場合もあり得るのではないかという指摘もされている。整合性の原則については、先ほど紹介した環状六号線の拡幅工事の事件の最高裁判決の中で触れられている。例えば、資料15ページの上から6行目で、これは原告適格の判断の中でまず一たん触れられている。都市計画法の13条1項で、「法一三条一項柱書き後段が当該都市について公害防止計画が定められているときは都市計画は当該公害防止計画に適合したものでなければならないとしているのも、都市計画が健康で文化的な都市生活を確保することを基本理念とすべきであること等にかんがみ、都市計画がその妨げとならないようにするための規定であって、やはり専ら公益的観点から設けられたものと解すべきである。」、原告適格の判断なので公益的というようなことがふれられている。それを前提にして、16ページで、「同第三点について」というところで、上告理由の3点目というのは、整合性・適合性の原則が問題になっていたところである。都市計画が公害防止計画の妨げとならないように規定したものと理解されるという、そういう理解を前提にして、法13条1項柱書き後段が、そういった政策と無関係に公害を増大させないことを都市計画の基準として定めていると解することはできない、ということで、この事件については、公害防止計画との関係が決め手にはならないという判断がされた。
  それから、8ページに戻り、法律が規制している在り方の1つとしては、考慮事項を定めている場合がある。計画の策定に関して行政機関がこういった事項を考慮しなければいけないということを定めている場合である。例として、都市計画法、都市再開発法の条文を挙げている。内容的に抽象的なものが多いが、一定の事項を考慮ないし勘案して計画を策定しなさいということになっている。
  更には、9ページの2)に掲げている計画目標あるいは方向が法律で定められている場合があり、整合性の原則や考慮事項と比べると、立法による統制の度合いが強いのではないかという指摘もされている。このような、考慮事項、あるいは計画目標といったものが、法律に具体的な規定があればあるほど司法判断においては、計画を定めるに当たっての裁量を審査するに当たって、そういった必要な考慮をしているかどうかといった判断がやりやすくなり、裁判所の立場からすると、その審査の密度を上げるための取っかかりができてくるということは言えると思うので、個別の計画を定める法律の規定において、そういった後の審査に役立つような考慮事項等の法定がされていくということは1つの司法審査の密度を上げるための工夫になり得るのではないかと思われる。
  10ページに、実体判断をした裁判例をいくつか紹介しており、なかなか興味深い論点をいろいろ判断している裁判例で、例えばb)の名古屋地裁平成5年の判決、別紙7の2は都市計画に絡む論点を網羅しているかのように、違法性の承継から、違法性判断の基準時など、いろいろな点の判断がされており、参考にしていただけるのではないかと思うが、内容については省略させていただく。
  それから、ここで外国法の関係で、行政立法と行政計画を合わせてどのような具合であったかを、概略だけ紹介させていただく。
  資料7は、外国事情調査の結果一覧表から関係部分を抜粋したもので、基本になる制度が異なるので、一概の比較は難しいが、あえて比較してということで申し上げると、資料7の2ページ目で、司法審査の対象の範囲として、若干字を大きくして太字にしているところが行政立法、行政計画に関係する部分と思われるところである。
  まずアメリカの場合、基本的に行政活動はすべて司法審査の対象となりうるとした上で成熟性というようなことで司法審査のタイミング、あるいは対象を事案に沿って判断していくといった形がとられており、行政の行為形式によって類型的に区別はされていない。逆にいうと、行政立法はもちろん対象になり得るが、常になるかというとそうでもなくて、成熟性の判断が必要になってくるといったことかと思う。
  ここに記載していないが、具体的な訴訟形態として、宣言的判決、あるいはインジャンクションというような形で判断がされることが多いのではないかと思われ、これをあえて我々の方の改正になぞらえてみると、確認の訴えと差止めの訴えに相当するものというような評価も可能かと思う。
  フランスの場合は、これもまた広く行政立法については当然に訴えの対象性を満たす、というあたりを真ん中辺に記載をしており、行政裁判制度の役割が、行政決定の違法性をチェックすることにあるとされて、行政立法の違法性を除去することも当然にその範疇に含まれるという考え方の反映だとされている。フランスの場合には、行政内部の行政裁判所であるので、違法性のチェックはむしろ当然で、司法権の範囲や、司法権の限界論といったものは出てこないということになろうかと思う。
  ドイツの場合には、1つは、確認訴訟のことが挙げられる。もう一つは、規範統制訴訟のことが挙げられる。法規命令の違法確認訴訟も権利保護のために必要な場合は必要な範囲で認められる。これはまさに確認の利益が必要になる。規範統制訴訟制度というのは別にあるのだけれども、だからといって、権利保護を目的にする確認の訴え自体が排除されるわけではない、こういう使い方である。
  規範統制訴訟は何をやっているかというと、条例の法形式をとっている都市計画、大半の州における州の法律よりも下位の法規定について、特別に認められた制度であって、ただ、誰が訴えられるかというと、私人については、「権利侵害」を主張する者しか提起できないということになっている。これは比較的最近法改正がされ、前は不利益がある者だったが、権利侵害を主張する者というような形になっており、特色としては、訴訟要件ではなくて、中身の判断になると、申立人の権利に関わらない違法事由も審理されて、かつ判決の効力としては、一般の処分の取消訴訟は当事者間にしか効力がないが、この規範統制訴訟については一般的効力があるということで、ドイツでは整理をされている。違法の主張については、今申し上げたように、日本で言うと、行政事件訴訟法10条1項のような自己の法律上の利益に関わるものというような制限はここでは出てこない、こういう特色がある。
  イギリスとEUも記載しているが、イギリスはアメリカに近いところがある。

■ 裁量に関する司法審査については、資料3は大半が既に第19回検討会で紹介した判例を再度記載しているもので、それについては説明を省略させていただく。今回は裁量が問題になった判決について、裁判所の審査の仕方ということで3つに分けている。分け方自体については、まさにいろいろな評価、議論があるところで、これは1つの考え方ということでとらえていただきたい。1つは裁量処分の主に結果に着目して中身がどうだったかという判断をしようという審査と一応分類できるのではないかというもので、重大な事実誤認があればということで問題になった在留期間更新に関するマクリーン事件の最高裁判決。それから、目的違反・動機違反というような形で、内容的に違法判断が可能ではないかということで問題になったのが、個室付き浴場に関する事件で、児童遊園の設置認可をほかの目的でしたことが問題になった事件である。事件自体は刑事事件と国家賠償責任の事件である。
  それから、平等原則が問題になった事件は米の供出の個人割当の通知についてのものである。
  比例原則違反ということでは、運転免許の事案と公務員の懲戒処分の関係で、そういった基準を立てて中身の判断をしている場合がある。
  次に手続的な審査をしている例として、個人タクシー事件を掲げている。つまり、処分の中身がどうだったかというよりは、ちゃんと踏むべき手続を定めて、その手続を踏んで処分をしていたかということを審査するというやり方で、この場合には、あまりにも手続をちゃんと決めないでやっていたのではないかということで、そういう場合であると処分が違法になることがあり得るという判断がされている。
  2ページで、今回着目したいのはこの3つ目の類型である。裁量処分に至る行政庁の判断過程、判断のプロセスが合理的だったかどうかということに着目して審査をするというやり方で、最高裁の判決として既に御紹介しているところでは、伊方原発事件と「エホバの証人」退学事件を挙げることができる。伊方原発事件では、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断がまずあって、それに基づいて行政庁が判断をしているということで、まず調査審議の段階の具体的審査基準に不合理な点があるかどうかという一段階を経ることになるが、調査審議の判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠されたと認められる場合には行政庁の判断に不合理な点があるということで処分が違法になる場合があるのではないか、という指摘がされている。
  それから、下の方の最高裁平成8年の事件では、高校の退学処分について「考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。」、こういう言い方がされている。したがって、判断のプロセスで何を考えるべきだったか、考慮すべきであったものを考慮してないという、見落としがないか、あるいは考慮すべき事項の考慮の仕方の重さといったものも問題になるのかもしれないが、そういったものを判断プロセスとして見ていくというものである。
  こういった観点からの審査で、更に参考になる事例として、最高裁ではないが、下級審の判決を今回新たに2つ追加して紹介する。3ページの上の方に要旨を掲げている2つの事件であり、1つは、東京高裁昭和48年7月13日判決で、日光太郎杉事件と言われているものである。建設大臣が土地収用法に基づき国立公園日光山内特別保護地区の一部に属する土地についてした事業認定を、土地収用法20条3号の要件を満たしていないのにされた違法があるということで事業認定が取り消された事例である。オリンピックがあるということで、そのための広い道路をつくりたいということで、日光東照宮内にある杉の木を伐採して道路を広げようということで問題になったものである。
  5ページで一般論を述べており、土地収用法の要件に関するもので、「土地収用法は「公共の利益の増進と私有財産の調整をはかり、もつて国土の適正且つ合理的な利用」を目的とする(同法一条参照)ものであるが、この法の目的に照らして考えると、同法二〇条三号所定の「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」という要件は、その土地がその事業の用に供されることによって得らるべき公共の利益と、その土地がその事業の用に供されることによつて失なわれる利益(この利益は私的なもののみならず、時としては公共の利益をも含むものである。)とを比較衡量した結果前者が後者に優越すると認められる場合に存在するものであると解するのが相当である。」ということで、諸要素、諸価値の比較衡量に基づく判断をしている。
  6ページの頭の部分で、「この点の判断をするについて、或る範囲において裁量判断の余地が認めらるべきことは、当裁判所もこれを認めるに吝かではない。しかし、この点の判断が前認定のような諸要素、諸価値の比較衡量に基づき行なわるべきものである以上、同控訴人がこの点の判断をするにあたり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となるものと解するのが相当である。」ということで、この事案に応じた判断をし、結果的には、11ページの下から12ページにかけて、「本件事業計画をもつて、土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものと認めらるべきであるとする控訴人建設大臣の判断は、この判断に当たつて、本件土地付近のもつかけがいのない文化的諸価値ないしは環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果右保全の要請と自動車道路の整備拡充の必要性とをいかにして調和させるべきかの手段、方法の探究において、当然尽すべき考慮を尽さず(1ないし3)、また、この点の判断につき、オリンピックの開催に伴なう自動車交通量増加の予想という、本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れ(4)、かつ、暴風による倒木(これによる交通障害)の可能性および樹勢の衰えの可能性という、本来過大に評価すべきでないことがらを過重に評価した(5)点で、その裁量判断の方法ないし過程に過誤があり、これらの過誤がなく、これらの諸点につき正しい判断がなされたとすれば、控訴人建設大臣の判断は異なつた結論に到達する可能性があつたものと認められる。」というということで、違法だという判断がされている。
  もう一つの例も同じような必要な考慮ということで判断している事件で、二風谷ダム事件と言われている札幌地裁平成9年3月27日判決で、13ページからの別紙2である。
  これはダム建設工事に伴う土地収用に関する事業認定の問題で、ダムの建設によるアイヌ民族及びアイヌ文化に対する影響が考慮されなかった違法があるということで、権利取得裁決及び明渡裁決の各取消請求について違法と判断したが、ダムの工事が進んでいたということで、いわゆる事情判決がされ、取消請求自体は棄却され、主文において裁決が違法であるということの宣言がされたという事案である。一般論としては日光太郎杉事件とかなり共通した言われ方がされている。結論は、19ページの下から4行目のところで、「本件において起業者の代理人であるとともに認定庁である建設大臣は、本件事業計画の達成により得られる利益がこれによって失われる利益に優越するかどうかを判断するために必要な調査、研究等の手続を怠り、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当に軽視ないし無視し、したがって、そのような判断ができないにもかかわらず、アイヌ文化に対する影響を可能な限り少なくする等の対策を講じないまま、安易に前者の利益が後者の利益に優越するものと判断し、結局本件事業認定をしたことになり、土地収用法二〇条三号において認定庁に与えられた裁量権を逸脱した違法があるというほかはない。」、という判断がされている。
  先ほど行政計画の実体判断について申し上げたとおり、法律が一定の考慮事項を定めていれば、裁判所としてはこのような考慮事項を考慮したかどうかという判断がやりやすくなるということは一般論として申し上げられると思う。行政立法、行政裁量のような裁量自体が基本的には広いと思われるものでも、その判断の仕方の1つの工夫として、こういった事例を応用していくということもあり得るのではないかということで御紹介した。

□ それでは、行政立法、行政計画、そして裁量についての自由な意見の交換をしたい。
  前回の会議の自分なりの了解は、今後、審議時間が3回ぐらいしかないが、我々が重要な論点と考え、しかし、なお資料の収集等々が十分でないものについては、何か後世に残して、これからまた改めて議論することがあるときの貴重な参考資料としてもらいたい、そういったものができないかということで事務局にお願いしてはどうかという提案を申し上げ、検討会の了承を得たと理解している。
  そこで、今日の検討も、それぞれ意見はあろうかと思うが、できるだけ、この資料をどういうふうにすればもっと豊富にし、あるいはもっと利用価値の高いものになるかという角度からも意見をいただければと思う。もちろんそれに付け加えて、自分はこの点はこう思うという意見もいただいてももちろん結構だが、1つの重点は、資料を豊富にするという点にあるということを確認させていただきたい。
  「行政立法の司法審査」の方から入りたい。先ほど外国の話もあった。アメリカ及びフランスの専門家に、外国の状況を説明いただきたい。
△ アメリカについて。先ほど事務局から紹介いただいたのは、いわゆる判例法上の司法審査訴訟で、何の規定がなくてもできるタイプのものだ。これについては、要するに何も規定がなくてもできるので、訴訟参加、判決の効力の問題についておよそ何の規定もなく、普通の民訴と同じように考えられている。訴訟参加はしたければする。また、出訴期間は特にない。判決の効力もその当事者及び参加者に及ぶ。これが一般的に1967年以来認められてきた方法だ。
  それとは別に、個別の制定法で、これこれの規則、行政立法については、何日以内にどこの裁判所に提起できる、そしてその出訴期間を超えてしまった場合は基本的にはほかの訴訟でも争えない、つまり、例えば行政立法に基づく違反者というので行政処分があった場合、日本式に言えば、取消訴訟の中で先決問題として行政立法の違法ということはもう言えない、排他性もある、と明文で置くような規定が増えている。判例法上の司法審査訴訟で行政立法を争う場合、いろんな裁判所に行く。議会の方は、少しまとめた方がいいのではないかということで、連邦高裁に限定して、出訴期間をつけて、しかも排他性がある、というふうな規定を置くのが比較的流行っている。特に環境法関係を始めとして行われている。
  ただ、個別の司法審査規定を置いた場合でも、判決はどういうものを出すのかの規定がない。基本的には違法の確認宣言、確認判決である。もし万が一確認しただけでは行政が言うことをきかないという特別な事情、行政が政治にからんだような問題で、なかなか裁判所の言うことを聞かないのであれば強制させる必要があるのでインジャンクションをかける。インジャンクションに違反すると裁判所侮辱罪ということで強制力がある。宣言判決は強制力はない。我々が普通見ている事件では普通は違法の宣言判決だけ、という状況だ。
  最近は、議論として、個別制定法上の行政立法に対する特別の司法審査規定を置く場合、あるいは判例法上の司法審査でも同じとは思うが、判決の仕方として、違法宣言だけではなくて、違法とされた行政規則について、行政庁に差戻しをしてもう一回作り直させ、それをもう一回裁判所に戻らせるということができないかということが学説上は議論され始めているようだ。これは行政立法ではなくて、通常の行政処分の場合よくやる手法、かなり確立した手法だが、行政立法の場合にも広げてよいものかどうかということが議論されているところだ。これはまだこれからというところだ。
△ フランスについて。フランスの行政立法の行政訴訟は、特別な仕組みはなく、行政決定に該当するかどうか、侵害的な行政決定であれば、それは対象性は満たすし、原告適格は一般理論で判断する。ただ、資料4の2ページにある、行政決定の違法性をチェックすることが行政裁判制度そのものの役割だという議論は、そもそもこの制度ができたのが第二帝政の時代で、その時代は行政裁判所の位置付けそのものが憲法上あいまいだったころで、それを正当化するために行政裁判所が民主的なコントロールを行うという説明がされたということで、現在はもう少し技術的に考えられていると思う。
  説明として、2つ付け加えると、1つは、取消判決の効力については、フランスは対世効、エルガオムネスがあるということになっているが、取消判決を出して、執行をどう確保するかがが問題になるが、それが1987年の改革以降、取消判決の執行確保のために必要な措置というものを裁判所が言って、それで罰金強制、フランス語でアンジョンクシオンという制度が新設されている。取り消した後、具体的にどうするのか、「指令判決の制度」と訳されているが、そういうものができている。
  それから、個別の法制度になるが、都市計画法などの分野では、これは行政計画に近いのかもしれないが、様々な多数の利害関係者が絡んでいるところにどんどん取消訴訟が起こせるということになると、これは当然色々な弊害がある。したがって、行政裁判法典の中に条文があり、例えば都市計画法の領域では、原告が判決の効力が及ぶ訴訟の関係者に自分で通知をしなければいけないという制度があり、その通知した人にしか判決の効力が及ばない。しかも、それは多分、2週間程度の間にちゃんと通知した人にしか、原告は自分で通知をしないと効果が及ばない、こういう特別な制度が実際には設けられているものもある。だから原告の側でちゃんと影響の及ぶ人を探し出して言っておかないとその他の人には判決の効力は及ばない、という制度もつくられているということを補足する。

○ 色々な点から既に触れられており、行政計画も、従来の取消訴訟タイプのように、侵害をはねのけてそれで終わり、ということでなかなか終わらないところがある。広がりの面で、原告だけでなく他の人との関係、その始末をどうするかということもあるし、原告との関係でも、その後どうするのだという話がある。だからアメリカの説明でも差戻しについて触れられたし、フランスの説明でも取消しの後の事後措置、執行確保の問題に触れられた。
  裁判制度だけではうまく仕切れず、制定権を持っている行政機関にどういう役割を負わせるかの問題だ。今までだと、制定権があり、制定すると後は知らないということだったが、国民の側から文句を言われたときに、行政機関の側でどう受けとめるか、あるいは裁判所で違法とされたときにどういう後始末をすべきか、その辺の総合的なシステムがやはり要るのかなという感想を持った。

□ 今の話は、判決の効力の後始末の問題でもある。新たな論点もあるかと思うので、事務局で今度資料をつくるときに、補充的にうまく入るかどうか考えてほしい。行政立法も行政計画も、裁量の幅が広いので、ここをどうしたらいいかということがいろいろある。行政立法の手続について制度的な問題を考えてはどうかという意見もこの検討会で出たが、政府の方でも、規制緩和との関係も含め、行政立法の在り方について再検討している。
  今日新たに加わった藤井委員が、そちらの担当をしているので状況を説明してほしい。

○ 行政立法手続の法制化という観点から、この4月から検討会を開いている。座長は塩野先生である。スケジュールとしては、今年の11月に検討結果をまとめていただき、事務方としては、来年の通常国会にも所要の法案を提出したいというつもりで作業を進めている。内容の詳細はまさに議論の最中であり差し控えるが、段取りとしては、この夏休み前に行政立法手続を考える場合にどういう論点を議論するべきかという論点を整理していただき、その論点ごとにワーキンググループをつくっていただいて、論点ごとにどう考えるべきかお考えいただき、何とかコンセンサスを得ようと努力していただいている最中である。そのワーキンググループの報告をもとに、この9月末から検討会の本体で議論を踏まえ、全体の骨格やそれぞれの項目の趣旨のようなものを取りまとめていただくよう作業をしているところだ。
  多分、皆様方もこの行政立法手続の対象範囲なり、あるいは既存の制度との調整の問題がどうなるかが一番のご関心かと思うが、まさに今論議しているので詳細の説明は差し控えさせていただきたい。

□ 中身的にはパブリック・コメント手続が中心になっており、ホームページ等々に載せている。ただ、それをどこの範囲までかぶせるか、まさに今議論の最中であるので紹介する段階ではないが、今進めているのはパブリック・コメント手続の法制化という方向での議論が進んでいるということだ。取消判決があった後どうするかなどの話は、今もやっていないし、多分それは入らないと思う。

○ 先ほど質問した環境基準の処分性のところだが、確認訴訟の活用を図ろうではないかという方向で今回我々は処分性について意見がまとまったが、やはり環境基準の処分性のケースなどを見ると、どうしても権利義務などの確認という構成が難しいように思われる。そういうケースも他にも色々あるではなかろうかという気がする。
  この東京高裁昭和62年12月24日判決は控訴を棄却して訴えを却下したのだが、下から4行目のところで、「もっとも」ということで、「公害の防止は法及び国民の悲願であり、環境基準が公害防止行政を推進していくうえで果たす重要な役割にかんがみれば、その設定又は改定は、できる限り広く国民の良識、意見を反映すべき手続を経て行われるのが望ましいことはいうまでもなく、基本法が定める環境基準の設定又は改定の手続には、法学上の見地からなお考慮すべき点がないとはいえないが、所詮、これらは立法政策に属する問題である。」と判示している。つまり東京高裁は、これはやはり裁判所としては、違法性の有無について判断すべき重要な問題ではないかと思うが、結局、現状の法制の下では処分性なしと言わざるを得ない。立法政策として、立法でそういうのが争えるということになれば当然認められるのではないか、という判断をしている。こういった行政立法についての訴訟制度を法定する必要があるのではなかろうかと感じる。今、行政立法について、パブリック・コメントの立法化を中心に議論されていると思うが、行政立法に関する新たな法律を作るのであるから、そこに、一定の場合には訴訟で争えるといった条文を置いていただくことも併せて検討いただければありがたい。

□ そういう意見があったことはよく承知している。ただ、ここの判決は、むしろパブリック・コメントをしっかりやれという趣旨だ。

○ 行政立法の訴訟については一応導入の方向で検討し、ただ、いろいろ問題があると思われるので、その点を検討して、将来にバトンタッチをする、という役割ではないかと思う。そういう考え方に立つと、まず問題になるのは、行政立法という用語を使うとして、その範囲であり、政令と省令は行政立法の中に入ると思うが、あと審査基準とか処分基準、更には通達、こういうものまで含めるかどうかという問題がある。他方で、法律そのものを争う訴訟は考えないということだろうと思っている。

□ このペーパー自体は両にらみでいっている。両にらみという趣旨は、今度の改正法の運用いかんによって、これを徹底的にやっていただきたいということと、それから他方で、将来のことも考えて、今、御指摘のような形での論点ができるだけ多く積み重ねておいていただきたい。判決の効力でもう一遍行政に戻したらどうかというのも非常に重要な論点だし、また、対象をどうするかというのは難しいということもある。
  行政計画の点も踏み込んでいただいて結構だ。

○ 行政計画と行政立法のどちらも絡むだろうが、目的が重視されるのか、目的の下での目標・手段が判断基準として重視されるのか、いろいろ見ていて、目標・手段にウエイトがあった判断の判例が多い感じがした。自分から見ると、行政立法あるいは行政計画は、目的があり、そのためのアプローチの手段として目標なり手段がいろいろある。そこには裁量性は色々あるだろうと思う。時代の変化の中で、目標・手段は、技術の進歩や環境の変化で変わる可能性はある。その上にある目的が変わったら、それは行政立法なり、行政計画自体が用をなさないのではないか。そこではその計画ないし法律について、本来だったら改廃の手続が要るのだろうが、そこのPDCAが、この法律あるいは計画にないからそのまま明治から残っていて、それで判例が出てきたのだろうが、その辺の仕組み、あるいは判断をどこに置くかというあたりがもう少し整理されれば、後々使えるのではないかと感じた。

□ 行政立法改廃請求権については議論しているが、なかなか難しい話で、法律には請願権というのがあるが、あれも特定の法律についての権利性を与えるという弱いところにとどまっているが、行政立法についてそういうものをどう仕組むかはなかなか難しい問題があると思う。先ほどの行政立法の違法判断が出た事例などを見ると、重要な指摘だとは思うので、論点の1つには加えさせていただきたい。

○ 変更改廃請求権については前々から1つのポイントだと思っていた。もともと違法なものもあれば、事情、事実が変わってきて、あるいは社会通念が変わって、法体系全体が変わってきたので、もう昔のはもたないというのもあるが、現行法は、そういうときに行政機関がちゃんと事態の変化をにらんで機敏に対応する、というアフターケアというか、メンテナンスの仕組みができていない。結局、違法だというような訴訟の到来を期待するしかないというのが非常に危ないところだと思う。パブリック・コメントはイニシアチブが行政機関の側にあって、そこに国民が意見を言うが、これを何とかしてくれ、ということを国民の側に、制定請求権でもいいが、少なくとも改廃、見直しの請求権みたいなもの、申立権みたいなものの仕組みが要るのではないか。それをベースにして訴訟を考えていく方がいいのかなという気はする。
  フランスでは、単純に行政立法の取消しを求める越権訴訟というだけではなく、色々なシチュエーションに応じて、この立法はおかしいということを行政機関に申立てて、それに対する答えをもらってから、それで行政裁判所に行くという仕組みがあるようだ。その辺、割ときめの細かい動作ができるような、そういうシステムが必要なのではないか。

□ フランスについては、行政立法手続の検討会の方で伊藤東大教授の説明を受けて、大体同じ趣旨の説明があった。行政立法に対し文句を言って、行政の方でそれを拒否し、その拒否を越権訴訟で争うという仕組みである。

○ 計画もそうだと思う。むしろ日本では計画の方がちょっと進んでいて、都市計画あたりで計画策定の申入権みたいなものが最近出てきているし、地方公共団体から計画の変更の申入れをするとか、そのような仕組みも個別法では色々出きているので、全体としてそちらの方向に、日本の法体系を持っていけないかなという感じだ。

□ 行政手続法と訴訟法と両方がかみ合わさるようなところで、なかなか難しい問題だと思うが、論点としては非常に重要な論点が行政立法手続の検討会の方でも出ているし、こちらの方でも出た、ということは承っておく。

○ 行政立法・行政計画については、例えば内容的にも手段、あるいは効果の面をみても非常に多種多様なものがある。だから行政立法にしても行政計画にしても、その一番上の上位概念でどうしたらいいという議論がなかなかやりにくい。きめ細かく考えていかなければいけないことだろう。例えば、今の行政立法にしても、例えば本来の行政に任せた趣旨が、メンテナンスを怠ったためにおかしくなってきたということはままあるだろうと思うが、ただ、それが違法の問題にまでつながるのだろうかという気はする。つまり、不当な問題というのはしょっちゅう出てくると思うが、司法判断の場合には違法の問題としてつかまえられないといけないというところがあるので、今のようなものをケアしていくのに、まず司法が入っていくのがいいのか、それとも行政の内部手続の中でもう一回見直しをする装置をつくるということをやって、司法が扱うのは違法に達するようなもの、かなり極端なものだと思うが、そういうものについて司法が出て行くというのか、まずその分担をよく考える必要がある。司法に持ってくるといっても、支部の廃止の判決にもあるように、本来的な司法の機能というのは、当事者間の具体的な権利義務関係の存否に関する紛争の解決を基本的には目的としているので、司法という機能を使うというのであれば、どういう場面で、どういう働きを期待して使うかということをかなり考えなければいけないし、行政と司法との分担の問題としてもかなり徹底的に議論しなければいけないことだと思う。
  司法が入ってくる場合の難しさとして、判決の効力として第三者効または対世効を与えるというところに踏み切るのには躊躇があるだろうと思う。先ほど説明いただいたように、何月何日までにと一斉にやり、これで言えなければだめだ、という思い切りいい装置ができればいいが、なかなかそういうものも難しいだろう。それでは訴えた当事者間だけ解決するとなったら、果たしてそんな段階でやる必要があるのかということにもつながってきて、司法がそこに入って行って、本来の救済がやれるかということはよく考えてみる必要があると思う。
  取り上げるときに行政立法あるいは行政計画というふうに全部やるのではなくて、ある具体的なものについて、例えばそれを規定している個別法において少し改善していって、これはこういう仕組みでやれたらどうかというふうにかなり絞り込んだ議論をしないと、一般的に言えば、あんな問題があるという反撃にあってなかなか前に進まないだろうと思う。一番取り上げやすそうな行政計画なり、行政立法を取り上げてみて、それを議論で深化していく方法がいいのかなと思う。

【団体訴訟について】

■ 資料4−1から4−4は、国民生活審議会消費者政策部会の消費者団体訴訟制度検討委員会で消費者団体訴訟制度の検討が行われており、そこで用いられた資料をこちらでも使わせていただいているというものである。
  消費者という個別の切り口の問題はなるべく省き、一般論としても参考になるのではないかという点になるべく重きを置いて説明したい。資料4−1の9ページで、団体訴訟の必要性について、個人での対応の困難性が挙げられている。9ページに2として「消費者個人による対応の困難性」として、3つの指摘がされている。被害を受けた消費者個人が訴えを提起することはなかなか難しい面が多く、その理由としては、被害額が訴訟費用等に比べて少額なことが多い、あるいは訴訟に関する専門的知識や十分な財政基盤がなく、時間的負担も大きいこと、訴訟において一般消費者個人は立証が困難というようなことがあるのではないか。それから2つ目の大きな指摘としては、被害の拡大を未然に防止するための差止めについては、現行制度の下では違法・不当な行為の差止訴訟を提起するのは困難なところがあるのではないかという指摘。それから、消費者被害をはじめとする同時多数被害を集団的に救済するための訴訟形態としては、現行法上、共同訴訟、選定当事者制度があるが、共同訴訟は、あくまで被害を受けた消費者個人が複数人で訴訟を提起する形態にすぎず、選定当事者制度は複数の被害者が、その中から1名又は数名を当事者として選定するものであって、いずれも個人による訴訟提起の困難性を根本的に解決はしてないのではないか。集団的な形の訴訟として現行法上の制度と団体訴訟の制度を比較すると、共同訴訟は、基本的に個人が個人で訴えられるのだけれども、何人かまとまって訴えを起こしているということで、複数の原告が関与している訴訟を1つの訴訟手続で行う形態で、当然個々の原告がそれぞれ独自に請求権を持っているということが前提になる。それから、選定当事者制度は、共同の利益を有する者の中から、全員のために原告になる人を一人あるいは数人選び、その選ばれた人が、自分と選んでくれた他人のために当事者として訴訟を行う制度で、訴訟関係を単純化できるというメリットがあるが、前提はそれぞれ選んだ側の個々の個人もそれぞれ独自に請求権を持っていることが前提になる。
  それから、参考までにクラス・アクションは、アメリカで用いられていて、ほかの国でもいろいろこの応用編はあるようだが、この場合には多人数による集団のことをクラスと言うようで、利害を共有しているときにはクラスの代表者として一人ないしは複数の人が訴訟の当事者となる制度だが、基本的に我が国の選定当事者のように選ぶ、選定してこの人に訴訟遂行権を与えるという、そういった手続がない、不要ということにされており、逆に自分はこのクラスの構成員にはなりたくないということを積極的に拒否しない限り、判決の効果が同じ利益を持っている人たち全部に及んでしまうという制度と理解できる。
  これに対して団体訴訟のイメージとしては、被害を受け、あるいは受け得る消費者がいて、これに対して適格のあると認められる消費者団体が消費者全体の利益のために訴訟を起こす。個々の一般消費者から団体に対しては委任、代理とかそういった関係がなくても団体側は訴訟を起こせる。その前提としては、事業者が何か不当なことをしようとして、被害を受けるのは消費者であるけれども、消費者のために、消費者団体が差止請求や損害賠償請求などの訴訟を起こすというイメージになる。
  主な検討事項として論点が挙がっているのは、まず1つ目には訴権の内容、どんな訴えを団体に認めるのが適当かということで、考えられる訴権の例としては、契約の約款の不当な条項を使うなということで、使用の差止請求をするというようなこと。あるいは不当な契約をさせるために不当な勧誘行為をしてくる、これをやるなということで差止めをする、そういったものが考えられるのではないか。その他として、表示についての差止めということも考えられるし、更には差止めに限らず損害賠償を団体が消費者一般のために行使するということもあり得るのではないか、こういったことも議論されている。しかしながら、訴えを起こせる中身を広げると、それに応じていろいろ手続的に考慮すべき事項というのもどんどん広がっていくので、ここでの議論は基本的には契約約款、あるいは契約条項の不当な条項の使用の差止請求に焦点を当てて議論していこうではないか、ということになっている。
  2番目の問題点が適格団体の要件、どういった団体にそういった権限を付与すべきかということで、活動目的、活動実績、存続期間、いろいろな観点から団体の適格性を判断する要件が要るのではないか。一定の要件を設定するとして、その要件を満たしているかどうかというのを誰がどうやって判断するかということが、これまた問題になっており、考え方の大きな分かれ目としては、訴訟を起こせる団体であるということを行政官庁が事前に認可などの形で決めておくという考え方と、そういうのはなしに、裁判所によって事件ごとに、まずは訴えを起こして、その事件ごとに団体が適格があるかないかを判断したらどうかという2つの考え方が大きく分かれているという状況である。
  制度運営上の諸問題も挙げられている。行政立法、行政計画と共通するところが大分あるが、まず判決効をどこまで広げるのかという問題。更には、同じ契約の約款でも、ある団体と違う団体とがそれぞれ別に訴えを起こしたときにそれをどうコントロールするのか、こういった点が挙げられている。こちらは民事訴訟制度一般を前提にしているので、判決効は勝訴、敗訴問わず当事者間だけというのが原則だが、それに対して判決の実効性確保、あるいは濫訴防止の観点から一定の例外を設けるべきだというようなことが考えられている。また、申し上げたように複数の適格団体がある場合に、同一の事業者に対して同一の事案について、同時に複数の団体が訴訟を起こすということは認められるのか、それとも認めるべきでないのか、こういった点が問題になっている。それから、判決の公表の制度は不要か、導入すべきか、強制執行制度、例えば事業者が契約約款を使ってはいけないということで判決が出たとして、それに事業者が従わないときにどうやって強制執行するのか、そういう点で何か制度が要るかどうかというところも論点として挙がっている。更には団体の利益をどう考えるか、あるいは消費者の利益との関係をどう考えるかということにもよるが、訴額をどういった形で算定すべきか、何か特則が要るのではないだろうかというようなところが挙がっている。その他いろいろ訴訟手続に絡む問題の指摘もされている。
  これらの大きな論点を順次更に掘り下げる作業がされている。まず資料4−2で、どういう訴えをさせるかということを考えるに当たっては、その必要性がどこにあるのかということを考えるべきではないかということで、その判断のためには、被害の実態や特徴からみてどのような請求権を導入する必要性があるのか。民事訴訟によって対応をしうるのか。一般の訴訟でどこまで対応できるのかということから必要性を考えるべきではないかというような観点から論点が掘り下げられている。この点については、「差止の必要性」ということで、少額、多数被害だということから、初期の段階で被害の拡大を防止する必要があるのではないか。そのためには差止めが効果的ではないか。片や差止めというのはなかなか普通の民事訴訟では認められにくいのではないだろうかというようなことがあって、この検討委員会では、消費者団体訴訟制度における訴権の種類としては、まずは差止請求権を検討するということになっている。ただ、このときにその差止請求権の保護利益をどう考えるかということで、大きく議論が分かれ得るところだという指摘がされている。消費者全体の利益を保護する制度なのだという考え方、それから消費者団体自体の利益を保護するものなのだという考え方の整理で、それが個別の手続などの制度設計に反映する部分もあるのではないかということで、両方の考え方が出されている。これはなかなか一般消費者の方に利益があって、それだけで団体が訴訟遂行するとなると、その架け橋になるものは何かという議論で非常に訴訟法上も難しい。訴訟担当というような訴訟を任せるような何かが要るのではないかということも議論されるところで、それは法律で定めるからいいのだと考えればそれまでだが、それはなかなか難しいということになると、団体自体に利益があるのではないかということを考え、その利益の内容というのは何だろうかと考えよう、こういうようなことも議論されている。
  次は、資料4−3は、この検討委員会でヒアリングをされて各団体からいろいろな意見が述べられている。それからもう一つは、委託調査の形で海外の制度の報告がされているので、それについて御参考にしていただければということで詳細の説明は省略させていただく。
  資料4−4が適格団体の要件等、それを誰が判断するかという点について論点を掘り下げている。要件を設定する必要性がどこにあるかということで、その意味は3つあるのではないか。その団体が消費者なら消費者の利益を代表しているかどうかということを見定める要件が要るのではないか。そのために団体の目的や活動実績、規模、相手にする事業者団体から独立しているか、そういったあたりを見る必要があるのではないか、ということが言われている。
  もう一つの観点は、訴権の行使をするだけの基盤があるか。組織的な基盤、法人格が要るのか、要らないのか。それから人的基盤としてどの程度の基盤が必要か。財政基盤がないとなかなか訴訟遂行というのはできないのではないか。組織の体制はどうなっているか、こういったことを見る必要があるのではないか。更には、事業者に対して一定の交渉をし、更にはそれが訴訟に発展していくというようなことを考えると、これを制度として暴力団等が悪用するということも考えられるので、そういう弊害を排除するためにはなにがしか要件が要るのではないか、こういった議論がされている。
  1つ外国の例を挙げると、ドイツにおける消費者団体訴訟制度の運用の一例ということで、事業者が不当な約款を使用しようとしている。個々の消費者が法律相談に来る。これを事前にその適格消費者団体が連邦管理庁という行政機関に対して登録をしておいて、登録を受けた団体が、相談に来た中から事件を選んで、事業者に対して、そういう不当なことをしてはいけないということで警告状を送る。それで不当な条項が削除されたりということで直ればいいが、その事業者が拒否をするということになると訴訟提起をするということで、更に勝訴判決が出た後、それをどうやって実効性を確保するかということで手続が流れていくということになり、訴訟のことだけではなく、事前の警告状の送付やあるいは事業者との交渉という場面が出てくるので、なかなか訴訟の場面だけ考えればいいというものでもない。事前交渉を容易にするためには、場合によっては、かえって行政機関に登録をしてある、あるいは認可をされているといったことが交渉を有利に進める材料になるのかというようなこともあり得る。そういった観点も含めて、この適格団体をどうやって判断するか、あるいは誰が判断するのかというところの議論がされている。
  誰が要件を判断するかという議論で、一面において、裁判所が個々の事件ごとに適格性を判断する方法というのは、訴えの提起の時点に制限がない。すなわち事前に登録、認可なりをしておく必要がないことから即応性、迅速性はあるのではないかというメリットもある。しかしながら、個別の訴訟ごとに争われるとなると、非常に制度の安定性を損なうのではないかという指摘もある。導入している国が多いEU諸国などを見ると、あらかじめ行政機関が適格要件の適合性を判断する方法が一般的ではないかというようなこともあって、基本としては、行政官庁の認可なりを事前に置く制度がよいのではないかというような議論がされている。
  しかしながら、行政機関があらかじめ判断するにしても、例外として登録は受けてない、あるいは認可を受けてないけれども、個別のこの事案については、自分が遂行したいということで、団体が訴え出て、それを裁判所がいいと認めればいいではないかというそういうルートも併せて認めたらどうかという議論、主張もあり、それを認めると認可制をとった意味がないのではないか、こういったような議論もされている。
  イメージとして、事業者と団体と消費者という3つになるが、この場合でも、これに行政機関がどう絡むかというところがあり、消費者の場合は、消費者団体に対して登録、あるいは認可を与える。更には情報提供を与える、場合によっては財政支援をするということもあり得るかもしれず、消費者団体のバックに行政がいるようなイメージもある意味とらえることが可能だが、これをそのまま行政訴訟に持ってこれるかということになると、これはまたこれで難しいところがある。すなわち行政訴訟でも当然事業者がいて団体がいて、一般の国民がいてということはあり得るが、場合によっては事業者の位置に行政官庁が登場するという構図が1つあり得る。更には事業者がいて、事業者側のバックに行政庁がついているという構図になるものも行政訴訟にはあり得る。そういうときに団体の認定を事前に行政官庁が行うのか。同じ行政官庁か違う行政官庁かにもよるかもしれないが、かなり利益状況が複雑になってきて、団体自体が行政官庁による認可という制度自体を果たして好むであろうかといった問題も出てくるのではないか。行政訴訟に応用するに当たってはそういったところの問題の検討も必要ではないかと思われる。いずれにしても、この差止請求というものに限って考えたとしても非常に問題点の広がりは大きく、判決効といったあたりになると、差止めだから当事者相対効でも実質ほかの人のためにもとまるのではないかとか、いや、そんなことは言えないんじゃないかといった話になってくると複雑で、差止めに限らずもっといろいろな訴訟類型、形態、行政訴訟でも運用していこうということになるとなおさら話が複雑になってくるという面はある。
  それから、資料4−5「団体が問題となった裁判例」に6つ裁判例を挙げている。1つ目は、学校の廃止処分を反対する学区内の住民が団体をつくって訴えを提起した。これに対して、判断としては、団体固有の利益というのはないではないか。しかし保護者であれば個人の資格で訴えることはできるのではないか、こういう判断がされた事例である。
  2番目はボーリング場の建設訴訟を目的として付近住民、団体も集まって団体をつくった場合だが、これも団体固有の利益は認められず、しかしながら、ボーリング場建設における被害を受ける個人は、法律上の利益があるという判断がされており、これらの事例では、必ずしも団体という枠組みがなくても個人でも訴訟遂行というのは考えられる事案だということが言える。
  3番目は原告適格のところでも紹介した主婦連ジュース訴訟で、ジュースという表示が不当だといったときに、その表示がおかしいということに気がついている人は飲まないが、気がついてない人は飲む。そこがずれているところを手当てするためには、気がついている人が気がついてない人のために訴えを起こすシステムが要るのではないかという見方もできるわけで、ある意味で、団体訴訟という枠組みが1つの方法としては考えられる。
  4つ目は線路の増設工事に反対する地権者らが団体を組織したということで訴えが、組織規約もなく、訴訟を起こすためには必ずしも法人格がある必要はないが、権利能力なき社団として一定の組織的な定めがないと認められず、それだけの組織にはなっていないということで、当事者能力という段階で否定をされてしまった事案である。どういうふうな組織の組み方で、初めて団体として認めていくかということが問題になろうかと思う。
  5番目が、これも原告適格で紹介した伊場遺跡訴訟で、団体が訴えたという事例ではないが、学術研究者が自分の利益のためということももちろんだが、それ以外に一般国民のための利益も代表して訴えているという主張もしたが、それが認められなかったという事例である。
  最後は、アマミノクロウサギ訴訟と言われているもので、ゴルフ場の開発が進むと貴重な種が絶滅してしまうのではないか。しかしながら動物が訴えるという途はないので、環境団体あるいは個人の方がアマミノクロウサギこと(○○)というような形で訴えを提起したということで話題にもなった訴訟で、原告適格が認められなかったという事例である。この判決については、最後に17ページ、18ページの「終わりに」として判決の中で付言がされていて、現行の枠組みの中では難しいという記載がある。
  遺跡とアマミノクロウサギの場合には、誰が訴え出るかというと、訴え出る人がなかなか想定しにくいという見方もできる。行政訴訟において、団体という枠組みがどういったところで必要なのかというのは個別に見ていく必要があるのではないかと思われる。
  外国の点について簡単にふれると、資料8の2ページ目で、アメリカとフランスについては、個別の制度ももちろんそれぞれあると思うが、一般論としても訴えの利益というレベルの段階で、団体であっても柔軟に原告適格が認められている場合がある。これに対してドイツの場合には、個別の制度で手当てをしていて、不正競争の防止というようなところから始まって、最近では自然保護の関係でも、連邦レベルで団体訴訟の制度が導入されたという紹介がされている。

□ 行政訴訟固有の問題は口頭での紹介があった。次回の資料としては、今日色々と出た論点も含め、また、事務局で新たに発見した資料、あるいは委員の方から、こういった資料、判決があるではないかとか、文献としてこれはやはり欠かせないという点があれば、事務局にお渡しいただきたい。次回は論点の追加、あるいは資料の追加もさることながら、どうこれをこの検討会としてまとめていくかという点にも重点を置いて議論いただきたいと思っている。

○ 団体訴訟だが、4−5の判例等についても個々に問題になり得ると思うが、要するに主観的利益を守るのか、あるいは主観的には成熟度が低いが、何らかの形で訴訟対象に拾い上げることを考えるのかという前提のところをある程度整理して議論できるようにした方がいいと思う。例えば主婦連ジュース訴訟などにしても、成熟度の問題として、団体訴訟やクラスアクションというやり方でなくても、そういう場合に表示を争うことができるような立法上の措置があれば、それはそれで独立の民衆訴訟になり得るわけであるから、それで行く場合と、団体訴訟を認める場合とでどう違うのか。どちらにどのような特質があるのかという比較は有意義だと思うので、そういう観点も入れていただきたい。

○ 例えば、情報公開の開示請求権は、立法政策的に作られたものだ。憲法上要求されているのかもしれないが、一応それを切り離しても、こういう請求権を法定すれば世の中が良くなるという政策判断で、かつ、それがそれほどの弊害があるかどうかもチェックした上で、そういう請求権を法定してしまえば、経済的ないし人格的利益の基礎と直結しなくても、それは訴訟の対象になる。そういう権利の主張というのは、これは法律上の争訟にも当たるのだ、というふうに話が行く。
  思いついているのは情報公開だけだが、他に現行法でそういう類の公共政策的な請求権の設定という例がデータとして出てくればいいと思う。
  個別の分野での政策判断の結果そういう選択をするということだろうから、結局個別法の話なのかもしれないが、それと、個別法を待たずとも行政訴訟一般法でどこまで認めるべきか、両にらみで議論していった方がいいと思う。

□ 団体訴訟については民民の問題ということでどんどん進んでいるが、行政訴訟あるいは行政とそれが絡んだ紛争としてこれをカバーする際にどういう点に注意しなければいけないかという話だ。今日はその種の点については、ペーパーとしては出ていなかったので、事務局でも多少整理してほしい。

○ さっき事務局から口頭で触れられた論点にも関わるが、利益状況が民事の場合と行政の場合と相当違う。まさに認可などが介在すると民事以上に危ないことが起きる気もする。それもどういう利益状況の違いがあるのかというような資料にしていただいた方がよくわかる。

○ まとめ方について、行政訴訟検討会の当初の趣旨は、国民の権利擁護なり、あるいは司法と行政の関係のところをより改善するということだったと思う。この分野において、国民の権利擁護なり、行政と司法の関係で、そういうベクトルから見たときにどういうところがまだ残されていて、どこを考えなければいけないかという点で、論点なり問題点は出ていると思うが、まとめ方として、読んでもらう方に、こういう視点から見ると、ここがまだもう一歩検討を深めなければならない、課題はここにあって、どういうふうな方向での課題だ、という点のわかるようなまとめを、是非お願いしたい。

□ 確かに、この資料だけ国民に対してホームページに出しても、何のことかわからない。我々に託された国民の権利利益の実効的確保という点から見て、こういった重要な論点として3つ挙がっているが、なぜ3つを挙げたかということも含め、まして、どういう趣旨のペーパーか国民の皆様に御理解いただけるような形のペーパーができたらなと思う。国民向けのペーパーにするにはどうしたらいいかということで、今までの意見も踏まえ、事務局から、こういう形でまとめたというペーパーを次回出してよければ、努力してみたいと思うが、いかがか。

○ それに関連して。国会で、継続して検討しろという附帯決議があったことは御案内のとおりだ。今日席上に配布していただいているが、1つは「国民と行政の関係を考える若手の会」という自民党の国会議員を中心とする議員の会が、この行政訴訟の改革の積み残し課題の検討と、それ以外のもう少し幅を広げて検討していくべきだ、そういう組織をつくるべきだという提言をしている。それから、本日付で日弁連も同じような提言をしており、これも席上配布させていただいている。
  それから、先日、9月8日に司法制度改革推進本部の顧問会議が行われたが、その席で佐藤座長が「今般の司法制度改革で行政訴訟制度の改変に向けて重要な進展があった。しかし、なお、残された大きな課題がある。これらの課題は、司法制度改革の枠をも超えた行政そのものの在り方、当時の構造、課題の在り方にも関わる。これは行政改革以来の重要課題とされてきたものであり、今後この課題に取組む体制が早急に整えられることを期待したい」というふうにまとめられ、これを受けて野沢法務大臣も「行政訴訟関係はまさに司法制度改革の枠を超えて内閣の重要課題であるので、それに対する御提言、御意見がいただければ努力していくのでよろしくお願いしたい」、このように述べられたというふうに伺っている。
  こういった状況を見ると、いわゆる今回の行政訴訟検討会では、我々なりに非常に努力して一定の成果は上がったと評価をしているわけだが、当然積み残しの課題がある。更にはそれをもっと広げた形で行政全般にわたる色々な検討をしていく組織が必要だ、という提言がかなり出てきている。そこでこの検討会の残された数回の議論の仕方、まとめ方だが、これまで我々が3年弱にわたって検討してきた結果、今回の行政事件訴訟の改正で実現した課題はそれでいいが、今日議論した4つの積み残しの課題の重要なものを一応整理をし、それで、できればその課題について、もし意見がある程度一致するのであれば、改革の方向性もある程度示した上で、この検討会の最後の置き土産というか、次の第二ラウンドに引き継ぐためのペーパーとして残すということが非常に今後のためにも有益ではないか。そして国民からもそれが期待されているのではないか、と思う。それで、事務局には御苦労だが、できたら、この4課題だけではなく、そういった観点でまとめていただくことはできないだろうかと思うので、よろしくお願いしたい。

□ 今のは意見として承りたいと思うが、ただ、前回も皆様方とお約束したように、検討会が終わった後に、今後の検討にしていただくときに重要な土産物はないかということで、この3つの点あるいは4つの点に絞って、これについてはこういう資料を後の世代の方に提供いたしますという意味で、事務局でこのようなものができ、また次回もこれについて更に深めるということがある。だから自分としてはとにかくこの作業を完成させなければいけないと思っている。それは検討会の皆様の御了解を得たものであると思う。
  しかし、まだ他にもいろいろあるではないかという指摘はそのとおりだ。ただ、各委員の指摘は様々であることから、検討会として重要だと拾ったものではないという議論も出てくる可能性がある。そういう意味で、最低限、主要論点からどういう形で今度の改正案に残った、あるいは「考え方」ではここのところもある、「たたき台」ではこういう形だ、という資料は、時間の関係もあるが、事実の問題を整理するのは引受けられると思う。その上に立ってどうするかは、また次回でも、最後の機会にでも、意見、議論をいただければと思う。
  それでは、事務局なりに、今日の議論、今までの議論を踏まえ、この資料についての国民に対するメッセージのような資料を作ってよろしいか。

(委員から異論なし)

○ 行政計画に関する判決の効力の問題だが、計画を直に争う場合でも取消訴訟、確認訴訟がある。それと前提問題とする場合でも色々な類型がある。それぞれに勝訴、敗訴というようなことで、場合分けをすると色々なケースがあるが、今度の改正された法案の下でも判決の矛盾抵触などいろいろあるので、現行法を前提にしても確認訴訟が活用されるようになった場合に、どういう場合に問題があり得るのかという樹形図のようなものを整理いただき、頭の整理として置いておきたい。また、行政立法の資料の5ページで引用されている判例に関わるが、ラブホテル建築条例に関する議論に関連してだが、別途最高裁で、行政上の義務履行で、条例上の非代替的作為義務を直接法律上の争訟じゃないから争えないというのがあったが、それとの関係で頭の整理がしづらい点がある。例えばこの事件でいうと、除却義務がないことの確認という議論がある旨紹介されているが、除却義務があることの確認を行政庁は私人に求められるのか。あるいは除却義務があることを前提にした除却の給付を求めることができるのか。それと最高裁判決との射程との関係が大変わかりにくい気がするので、それも可能な範囲で整理できればと思う。あのケースを前提にしたときに、確認訴訟の活用とやや抵触するようなところがあるかもしれないと思うからだ。裁量だが、圏央道の一審判決が政策的選択の裁量だという面白い議論をしていまるので、ここでそういった議論もできればと思う。

7 次回の日程について
10月15日(金) 14:30〜17:30

以 上