□ 本日は前回に引き続き、行政立法、行政計画に対する司法審査の在り方、裁量審査の問題、団体訴訟について検討をお願いしたい。前回、いろいろな観点から意見をいただき、それを前提に事務局で前回お出しした資料に付け加えるという形で資料を充実させた。行政立法、行政計画に対する司法審査の在り方、裁量審査の問題、団体訴訟という順序で検討をお願いしたいが、よろしいか。
(委員から異論なし)
【行政立法の司法審査、行政計画の司法審査及び裁量に関する司法審査について】
■ 前回の検討会資料1「行政立法の司法審査」について、前回様々な観点から指摘をいただいた。資料1はその指摘を反映するべく、前回の資料の修正をする形で作成したものであり、その関係で表題のところに(修正案)というように記載している。添削の形で下に波線が付いたような形で記載しているところが、前回の資料から変更になっているところである。
変更になったところを説明する。5ページだが、②に挿入をしている。これは行政立法に対して司法審査をする場合には、直接に審査する方法、間接的に審査する方法といったいろいろなやり方があり得るのではないかという説明をさせていただき、間接的に審査する場合の1つの例として、公法上の法律関係に関する確認の訴えにおいて権利義務などの法律関係の前提として行政立法の無効等を主張するということがあり得るのではないかという指摘をさせていただいた。その例として、浦和地裁昭和63年12月12日判決で問題とされたラブホテル建築規制条例施行規則に基づく認定・通知の件を取り上げたが、こういった形で公法上の法律関係に関する確認の訴えとして争う場合に、どこまでが法律上の争訟として射程に入るかという問題を考えると、その関係で検討しておかなければいけない最高裁判決があるのではないかという指摘を前回いただいた。そこで指摘されたのは、最高裁平成14年7月9日第三小法廷判決で、これは宝塚市のパチンコ店の規制に関する条例が問題になった事件だが、「国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は不適法である。」として、法律上の争訟性を欠くという観点から、そういった判示がされている。この判決の射程距離というのが問題になるところかと思う。その判示の内容からすると、いろいろな解釈があり得るが、この判決は、国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として提起する訴訟について判示されているので、国民が公法上の義務の存否などの公法上の法律関係に関する確認の訴えを提起する場合の法律上の争訟性についてまで判示したものではないのではないかという整理をさせていただいた。
次に挿入している箇所は、5ページの下から3行目である。行政立法に対する司法審査の在り方として、行政立法の特質を踏まえた司法審査における問題点を3として記載しているが、書き加えたのは、「法律の司法審査との関係」についても検討が必要なのではないかという点を加えている。これは前回の検討会で行政立法を対象にして司法審査をする場合、その行政立法としてどの範囲のものを捉えるかという点が問題になるのではないか、通達のようなものも含むのかどうか、あるいはいろいろな基準という形で出されるものが含まれるかどうかという問題提起とともに、行政立法の司法審査といった場合にはとりあえず法律のことは念頭に置かないという整理でよいのではないか、こういった意見もあったところである。そういう意味で、行政立法としていうときに法律自体は含まれないとしても、では法律の司法審査というのはどうあるべきで、それと行政立法の司法審査というのはどうあるべきかということとの関係は、常に念頭に置いて考えていかなければいけない論点の1つではなかろうかと思い、記載したところである。
続いて6ページの上のところに挿入をしている。これは同じく行政立法の特質を踏まえた司法審査を考える上での問題の指摘である。前回の検討会で、行政立法を制定する際の手続もそうだが、その後、一たん制定された後のアフターケア、あるいはメンテナンスといった観点からの意見がいくつか出されたところであり、その点を書き加えたものである。行政立法の司法審査の在り方を検討する際には、行政立法に関するいわゆるPDCAプロセス、これはPlan、Do、Check、Actionだが、計画を立てて、それを実施し、更にそれを監視あるいは評価し、改善・是正につなげていくというプロセス、あるいはサイクルということで、経営のマネジメントなどで元々使われている概念のようで、それが自治体などを中心にして行政管理の分野でもこういった考え方が最近提唱されているようである。PDCAだけではなく、Plan、Do、Seeという三段階でサイクルを考える場合もあるようだが、そういった事後チェック的なことも含めて行政立法をめぐる手続全体の在り方がどうあるべきかといった視点も念頭に置く必要があるのではないかといった指摘があったところである。更には国民の行政立法に関する手続への参加ないし関与といった観点、国民の側から見た視点、こういったものを含めて、今申し上げたような行政過程全体、更には国民と行政との関係をも踏まえた全体的な利害調整の在り方の中で司法審査はどうあるべきか、その際には、司法権の特質を踏まえて、三権分立の中で司法が果たすべき役割というのはどんな役割なのか、そういう在り方について検討する必要があるのではないかという指摘をさせていただいている。
続いての挿入部分は7ページの下から5行目、4行目の部分だが、これは前のページの終わりから、訴訟手続上検討を要する点を種々挙げており、現行法あるいは改正後の行政事件訴訟法の解釈、運用の問題であるとともに、更には、場合によって、それが立法論につながる観点も含めて記載をしている。挿入した⑥は、被告側敗訴判決があった場合に行政庁に対して及ぶ効力をどのように考えるかという点である。現行あるいは改正後も同じだが、行政事件訴訟法第33条には、行政庁に対して拘束力が及ぶという規定があるが、拘束を受けて、実際に行政庁はどういった措置をとらなければいけないのかということが問題になる。これは後始末というような形で指摘があったところだが、資料の記載の趣旨がわかりにくいところもあったかと思い、具体例をいくつか挙げるという趣旨で、例えば行政立法自体を制定し直す、やり直すということが必要になるような場合もあれば、その行政立法に基づいていくつかの措置が重なっている場合に原状回復措置をとるべきかどうか、これはいろいろな議論があり得るところだと思うが、あるいはその範囲がどうあるべきかといったことも非常に難しい問題だと思うが、そういったことも視野に入れて検討しなければいけないのではないかという指摘をさせていただいている。
8ページの上の⑧にも書き加えている。同じく判決の効力の問題だが、第三者、訴訟の当事者になっている者以外の者に対する効力についてである。第三者にどの範囲でどういった効力を及ぼすか、これがまた非常に難しい問題であろうかと思うが、これについては、前回の検討会では、中川教授、橋本教授から、それぞれアメリカ、フランスの状況について説明をいただいたところであり、そういった外国の法制をも参考にすると、第三者に対してどのような手続保障をして、それとともに判決の効力をどの範囲で及ぼすべきか。更にはその判決を広く世に知らしめるための周知・公表のような制度は必要かどうかというところで、前回はいろいろ第三者に対して通知なりをした範囲でだけ効力を及ぼすというような例もあるという話もあったので、そういったことも踏まえて、この論点については検討する必要があるのではないかという指摘をさせていただいている。
9ページだが、「4 まとめ」として新たに記載している部分がある。これは資料自体が非常に大部のものになったので、前回の検討会でも、国民に対するわかりやすさという観点から資料について工夫ができないかという指摘があったものと受けとめて、その工夫の1つとして、本文で記載している内容を要約するような形で最後に記載してはどうかと思い記載した。これは3つの段落に分けて記載しているが、1つ目の段落は、行政立法自体の特質を踏まえて、司法審査という観点を横に置いて考えた場合のことについて触れている。一般的に、行政立法は立法府が行政に委ねた裁量の範囲内で一定の法規範を定立する行政作用であり、国民の多様な利益調整が極めて一般的抽象的な形で行われるという特徴があるのではないか。それはいわゆる典型的な行政処分との違いということになるわけだが、そうは言っても共通する点もあるのではないかということで、「その一方で」と記載しているが、このような行政立法についても、国民の権利利益に影響を及ぼすものについては法律上の根拠が必要で、これは影響を及ぼす程度が問題にはなるかと思うが、極めて抽象化した形で申し上げれば、そういったものについては法律上の根拠が必要で、その根拠となる法律に従って制定されなければならないというルールはあるのではないか。それはほかの行政作用と同じなのではないだろうか。そういった意味で、行政立法の適法性を確保するということについては、制定手続も含めて、行政の適法性確保における三権相互の関係といった観点をまず踏まえる必要があるのではないかということを記載している。
2段落目は、司法審査という観点からの指摘だが、行政立法の制定の過程ないし内容に違法があった場合における国民の具体的な権利利益の救済の在り方ということで見ると、行政立法は、法規命令と行政規則と分けただけでもその性質が異なるが、更にそれが個別にはいろいろな形で枝分かれしうるということからすると、多様であり得るという点で、個別の行政立法の法的効果の特質について検討して司法審査の対象とすべき範囲、それから、その方法、いろいろ直接、間接に審査する方法があるという指摘もさせていただいたが、そういった点について検討する必要があると考えられるのではないか。更にそういった三権分立の中での行政立法の位置づけや抽象性といった一般的特質を考慮するとともに、司法権の特質を踏まえて行政立法の司法審査において司法の果たすべき役割のあり方を検討し、それらの検討を踏まえて、訴訟手続上の問題として3(2)に挙げたような具体的な論点、例えば訴えの利益、原告適格、出訴期間、判決の効力等の訴訟手続上の問題点を一つ一つ検討していく必要があると考えられるという指摘をしている。
最後の段落は、行政立法の司法審査における実体判断の問題に観点を置いて記載したところだが、行政立法に関する司法審査を充実させるためには、行政立法の制定手続などの行政過程における行政立法に関する手続を整備する必要があると考えられるとともに、これは前回、裁量のところで手続審査という方法もあるということを申し上げたので、そういった手続の整備の必要を挙げたところだが、さらに、各行政立法の根拠法等において、すなわち、それぞれの個別法において、行政立法に対する委任の内容・範囲等についての規定が充実していけば、より司法審査の密度が濃くなると考えられるのではないかということが裁量に関する司法審査の点でも検討があったところであり、そういった個別法の規定の充実というのも重要な問題ではないかと考えられる。このような点も踏まえ、更には今回改正された行政事件訴訟法で新たに法定された差止訴訟、それから当事者訴訟として明示された確認訴訟の活用などによる事例の集積も視野に入れながら適切な司法審査の在り方を検討する必要があるのではないかという点を指摘させていただいている。別紙の方は誤記の訂正などはしているが、内容的な変更はない。
資料2は、前回の検討会資料2「行政計画の司法審査」に修正を加えたものである。まず、資料の4ページの下の方は、行政計画は非常に多様であるということを踏まえて、それぞれの個別の行政計画の法的効果について具体的に検討する必要があるのではないかという指摘をさせていただいている項目である。そういった検討をする際には、併せて行政過程での利害調整の在り方も目を向ける必要があるのではないかということで、行政立法の関係ではPDCAプロセスということでお話をさせていただいたが、それが行政計画の場合にはもう少し具体的な形で、それぞれいろいろな分野で工夫が進んでいっているのではないかといった指摘が前回検討会でされた。それを踏まえ、そのような例ということでいくつか挙げさせていただいた。挿入している部分だが、行政計画の策定について、例えば都市計画が公衆の縦覧に供される場合に、理由を付して公衆の縦覧に供することが都市計画法第17条第1項で規定されている。この理由の提示が、パブリック・アクセプタンス、すなわち国民の納得を得るための手続という意味で非常に重要なプロセスとして規定されているのではないか。また別の例としては、都市計画法第17条第3項では、一定の都市計画と記載としたが、具体的には特定街区の都市計画を定める際には利害関係人の同意を要するというところまで踏み込んだ規定がされている。更には都市再生特別措置法第37条を挙げているが、都市制度の提案制度、行政機関の側ばかりではなく、第三者、民間の立場からの提案もあり得るのではないかということが法律の中に組み込まれてきている、こういった例もある。それから、地区計画等に関する都市計画の決定や変更等を申し出る方法を条例で定めることができるという規定をした都市計画法第16条第2項・第3項、こういった形でのパブリック・インボルブメント(国民の参加の手続)の例が出てきているのではないか。更には政策評価法を挙げたが、政策評価における事後評価の仕組みといった例も出てきている。この政策評価制度は、まさに行政の政策遂行におけるPDCAプロセスの1つということが言えるかと思う。ここで言われている政策は、政策評価法第2条で定義がされているが、「行政機関が、その任務又は所掌事務の範囲内において、一定の行政目的を実現するために企画及び立案をする行政上の一連の行為についての方針、方策その他これらに類するもの」、という定義づけがされている。そうすると、直接行政計画云々ということを言っているわけではないのだが、政策実施の手段として、行政計画というのは、今言ったような政策の定義からすると非常に馴染みやすく、計画がその中にはめ込まれていくということは容易に想像し得る。そういった政策については、政府でまず基本方針を定めて、更に3年から5年サイクルの基本計画を定め、更に1年単位の実施計画を定めることになっており、各行政機関の長が基本計画と1年ごとの実施計画をもとに事後評価を行うという制度をつくっている。もちろん一定のものについては事後評価のみならず事前評価の手続も置いているが、こういった制度が置かれることによって、例えば公共事業などの計画について言えば、時の経過に伴った評価というものが逐次されていくということがあり得る。例えば、政策評価法の仕組みで言うと、政策決定後5年を経過しても未着手、あるいは10年を経過しても未了なもの、こういったものについては行政機関の長が毎年作成する実施計画に記載をして公表するということになっている。そういった意味で、世の中の流れ、価値観などが変わっていく中で、そういった政策がどう見直されるべきか、その中の1つの要素として計画がどうあるべきかということも評価の対象になるということはあり得るのではないか、このように考えられるところであり、記載を挿入させていただいた。
次は、7ページの⑥、⑦、⑧というところの見出しの後に「(別紙7参照)」と記載している。別紙7はこの資料の30ページから33ページにかけて記載をしている。別紙丸ごと新しく付けたもので、添削の形にしていないが、新しい記載である。行政計画は、直接に取消訴訟で争うような場合もあれば、間接に処分の取消しの訴えの中で前提として行政計画の無効を主張する、あるいは確認訴訟というような在り方、いろいろあるのではないかという御指摘をさせていただいたところ、それぞれの争い方で原告が勝った場合、負けた場合、それぞれどのような判決の効力が及ぶのかという整理をしないとなかなかわかりにくいのではないか、という指摘があったので、それぞれの訴訟類型、直接・間接に争ういろいろなパターンを場合分けして、かつ、それぞれ原告が勝った場合、負けた場合、どんな判決の効力が当事者、関係行政庁、第三者に対して及び得るのかということを分けて記載したものである。この判決の効力については、様々な見解が出されているところであり、それをまとめてこうですと提示するのは難しいが、一応の整理をしたものである。この整理を前提にすると、どんな訴訟でも基本的に、勝った場合も、負けた場合も、その訴訟の当事者には既判力という効力は及ぶということは言えるのではないか。すなわち具体的には、前の訴訟でけりがついたものと違うことを言うことはできないのではないか、そういった縛りがかかる効力はあるのではないかと考えられる。これに加えて、関係行政庁に対する拘束力が行政事件訴訟法第33条で生じる場合があるが、これは原告側が勝った場合だけということに規定上なっている。それから、第三者に対する効力についての規定が行政事件訴訟法にあるが、これも取消訴訟で、かつ、原告が勝った場合にその問題とされた処分等の効果が遡求的に、初めからなかったものとなるという限りにおいて第三者も同じ扱いをせざるを得なくなるという効力が及ぶのではないかということが基本になろうかと思う。今、言ったことをそれぞれの場合に当てはめるとこういった形になるのではないかということで記載をしたものであるが、実際に現実の様々な事案を考えると、行政庁が負う拘束力で一体何をしなければいけないのかというようなことになると非常に難しい問題で、簡単には整理できないというのが現状であろうかと思う。
7ページの⑧の下の方に書き加えているのは、先ほど行政立法の資料について挿入したものと同じことを記載している。第三者に判決の効力を及ぼす際には、その第三者に対してどういう手続保障がまずあるべきかということも考えながら、判決の効力の及ぶ範囲というのを考えなければいけないのではないか。その際には、付随的な制度として、判決の周知・公表のための制度が必要かどうかといったことも併せて検討する必要があるのではないかということを記載させていただいた。
10ページから11ページにかけてまとめの記載をさせていただいている。これも3段落に分けて記載している。1段落目がより一般的な視点であるが、一般的に行政計画が行政過程の比較的初期の段階で行われる行政活動であり、国民の多様な利益調整が極めて一般的抽象的な形で行われるという特徴がある。その一方で、そのような行政計画についても、国民の権利利益に影響を及ぼすものについては、法律上の根拠が必要で、その根拠となる法律に従って策定されなければならないということはほかの行政作用と同様ではないか。そこで行政計画の適法性確保については、制定手続も含めて、行政の適法性確保における三権相互の関係の観点からの検討がまず必要ではないかという指摘をさせていただいている。
2段落目は、訴訟、司法審査という観点だが、行政計画の策定の過程ないし内容において違法があった場合における国民の具体的な権利利益の救済の在り方については、抽象性などの行政計画そのものの一般的な特質を踏まえる必要があろうかと思うし、それに加えて本文の中で指摘しているような行政計画は極めて多種多様で、それぞれの計画ごとに法的効果の有無、あるいは内容も様々なのではないか。これを行政計画一般として問題を捉えることはなかなか困難な面があるということから、個別法ごとにそれぞれの行政計画の法的効果の特質について各行政過程の中での位置付けを踏まえて検討する必要があるのではないか。その検討を踏まえた上で訴訟手続上の問題として挙げたような訴訟参加、判決の効力等の訴訟手続上の問題点を検討する必要があると考えられるのではないかという指摘をさせていただいている。
最後の段落は、実体面、中身の審査の観点だが、行政計画の策定手続などの行政計画に関する手続を整備する必要があると考えられるとともに、内容面の審査となると、各行政計画の根拠法等において計画策定の際の目的、目標、考慮事項等といったものについて規定を充実させることが重要と考えられるのではないか。そういった点も踏まえて、今回の改正で新たに法定された差止訴訟や、当事者訴訟として明示された確認訴訟の活用などによる事例の集積を見ながら、適切な司法審査の在り方を検討する必要があると考えられるのではないかという指摘をさせていただいた。
資料3だが、これも前回の検討会の資料3に修正を加えたものである。資料3は、基本的に判例の紹介を中心にした資料であり、まとめの部分を新たに追加している点が修正点で、それは5ページである。行政裁量に関する司法審査については、これまで検討会の中でも、当初のころより何度か御検討いただいているので、そこでいろいろあった指摘も踏まえつつ、まとめの記載をさせていただいている。まず、行政裁量に関する司法審査については、行政事件訴訟法の改正により、義務付け訴訟・差止訴訟や確認訴訟の活用などにより、多様な行政活動が司法審査の対象として取り上げられるようになっていくことが予想される中で、行政作用の基準・考慮事項などが抽象的に規定されている行政活動についても、行政裁量に関する適切な司法審査の重要性がより高まっていくものと考えられるのではないか。改正法によって、訴訟類型の活用といったことの中で、先に説明したような行政立法、行政計画というようなことの争い方も含めて、更には義務付け訴訟や差止訴訟の実体要件という中でも裁量に関する審査の重要性がより高まっていくのではないかという指摘をまずさせていただいている。その上で、行政裁量の範囲・内容は基本的には裁量を認めている個別の行政実体法の問題と考えられるが、そういった意味で行政裁量に関する司法審査をより充実したものとするためには、裁量を認める個別法の規定している処分の要件、手続の定め方といったものについて検討する必要があるのではないか。更には、行政手続法に基づく審査基準の制度が既にあり、これについてのどういった運用がされているかということも司法審査の際には有効な資料にはなるのではないか。行政訴訟の審査の充実促進のために、今回の改正で新たに設けられた釈明処分の制度があるので、これに基づいて資料の提出を受けて審理を充実・促進させていくというようなことになると、それでもって裁量の審査についても、充実が図られるのではないかといったこともあるので、こういった点も考慮しつつ判例の形で紹介した裁量審査の工夫を更に発展させていくという方策について検討していく必要があるのではないかという指摘をさせていただいている。
□ 資料1、2、3は、それぞれ前回議論のあったところについて修正を加えるとともに、まとめで、それぞれの項目についての全体の問題点をもう一度整理し直して、ある意味では一覧性を保たせるようにしたということである。それぞれ関連するところもあるが、3つそれぞれについて議論をしていただくということにしたいと思うが、よろしいか。
(委員から異論なし)
まず行政立法の司法審査について意見をいただきたい。前回話が出たところのものが正確に修正されているかどうかについてまず注目いただき、それから、まとめがこれでいいかどうかということを注目いただきたいと同時に、それに付け加えて、こういう点についてはもう少し付け加えた方がいいのではないかという論点の指摘もいただきたい。
○ 6ページの上の方だが、国民の行政立法に関する手続への参加、関与ということと結び付けた記述になっていて、重要な点だと思う。ただ、その位置付けが、最後のまとめのところも併せて見ると、行政立法の違法性、すなわち、そういう手続をつくることで行政立法の中身も適正になるし、逆に手続の瑕疵があれば、それを違法として攻撃しやすいということだろうと思うが、それと並んで、行政立法について、誰が争えるのかというような制度論をやるときに手続をきちんと仕組んでおくと、国民一般のうちの全部の中の誰でもという話ではなく、その手続の中でしかるべき立場を与えられた人にはそれなりの、また訴訟との関係でも出訴権について何らかの配慮があってしかるべきだというような議論にもなるかと思う。本案の審査の関連だけではなく、原告適格の問題とか、その辺との関連も意識しておいた方がいい。
□ どこか文言を付け加えるか。
○ 3(2)①の原告適格のところで、手続の在り方も視野に入れて何らかの特別な配慮が必要か、といった感じだ。
○ 2点、意見を申し上げる。1つは、この資料では、行政立法に対する争い方として、直接争う訴訟と間接的に審査する方法という形で整理している。特に今後、立法論として問題になるのは前者の方だと思う。行政立法を直接に争う訴訟ができることになると、誰かフライングぎみに訴訟をやって負けると、その影響は後々まで響いてくるものであり、その意味で、行政立法を直接に争う訴訟というのは、かなりリスキーな訴訟だろうと思う。だからといって、当然にそういう訴訟を認めるべきではないとは言わないが、将来この訴訟を導入するかどうかということが問題になった場合、リスキーな面も十分に認識した上で検討をしていただきたい。今の意見を入れるとすると、2の①が3ページから続いているが、4ページの②が終わったあたりに(注)として入れることになるのではないか。
7ページに書かれている出訴期間だが、これも難しい問題で、行政立法は行政計画とは異なり、図式的に言うと、日々適用されていくものであり、その点では行政計画に比べ、出訴期間の制度には馴染みにくいのではないか。
□ 今の指摘は、どこに入れるかは考えさせていただきたい。
○ 9ページのまとめの2行目の一番後ろ、「利益調整が極めて一般的抽象的な形で行われるという特徴がある」というくだりがあるが、この「極めて」という言葉は要らないのではないか。その次の「抽象的な形で行われる」という文言と、それからその下の方にも「行政立法の抽象性」というのがあるが、本文を見ると、「行政立法の抽象性」という言葉はあまり出てこない。逆に、6ページの②のところは、法律の定めはある程度抽象的なものにとどめ、より具体的なものは行政立法であるというくだりもある。「一般的抽象的」というのは1つの用語だからわからないでもないが、非常に具体的な行政立法もある。税務の関係で言うと、法律が抽象的に決めていて、かなり具体的に非常に細かく決めている行政立法もあり、抽象的というのもそぐわないのではないか。絶対に変えてくれというほどのことではないが、検討いただきたい。
□ ニュアンスの問題もあり、考えさせていただきたい。「抽象性」については、「具体化を予定していることが多い」と、大体こういうふうに教科書では書くもので、何もこれで決めつけているわけではないということで理解いただきたい。確かに「極めて」はちょっと言い過ぎかなという感じもし、そこは考える。
行政計画に入らせていただく。先ほどと同じような趣旨で検討を賜りたい。
○ 10ページのところで、これも「極めて」と「抽象的」は要らない。後の方にも「抽象性」というのがあるが、御再考いただきたい。指摘しておく。
□ 「抽象性」を文言としてこだわっているところは、「一般的」というのと違うという点である。例えば、正当なとか、何々のおそれという場合には、「一般的」というよりは「抽象的」である。
○ 行政立法は「一般的」というイメージがぴったりくる。行政計画は「一般的」と言われると何となくそぐわない。しかし「抽象的」というのも何となくそぐわないような気がする。
□ そこはもう少しいい案があれば考えるし、また、委員からも御提案があれば承りたい。
○ 今の点だが、私も10ページの一番下が気になっていたのだが、行政立法との比較で言うと、行政計画は法令を適用しており、そういう意味では具体的である。都市再開発計画というようなものは地域も限られており、その意味では一般性は乏しい。行政計画を法令と同じように「一般的抽象的」と表現するのは誤解を招くのではないか。ただ、用途地域指定を考えると、法令を適用して用途地域をやるわけだが、建築確認の際の基準になるわけであり、その点では日々適用されていくというところがあって、その点では用途地域指定は法令に近いところがある。最高裁判所の用途地域指定に関する判決が、用途地域指定は一般的抽象的だというふうに言ったのはあながち誤りではないと思う。ただ、行政計画は、一応は法令を適用しているわけで、その意味では「一般的抽象的」というふうに表現するのは誤解を招くのではないか。
□ ここの書きぶりは難しいところで、行政計画というと、全総をまず思い出す。全総とか、所得倍増計画とか、そういった非常に抽象的なものを段々に具体化していくという、そういった時代に勉強を始めたので、割合これに馴染むところがある。計画は原則と例外というようなものではなくて、計画におよそいろいろなものがあるという話で、行政立法とはそこが違う。
○ これはここに書き入れていただく必要は必ずしもないが、一時期行政計画について勉強したことがあり、一口に行政計画と言っても内容が非常に多様で、一律に捉え得るのかという疑問を持っている。また、その点に対応して、訴訟での扱いも一律に行い得るかどうかという点について疑問があり、これは結論を先取りすることになるが、結局行政計画については、一般法でどう書くかという問題はあるが、それと並んで個別法でかなり手当てをすべきであろうと感じている。
□ そのニュアンスは、私の理解では、11ページの真ん中の段落の5行目「個別法ごとにそれぞれの」というところであり、行政立法の方も個別法というアプローチももちろんあるわけだが、行政立法の方は「個別法ごとに」というフレーズはないので、そこで多少ニュアンスを変えており、今の発言はここに含まれていると理解している。
○ 30ページ、31ページの「別紙7」で、行政計画の効力とか、行政計画の無効とか、そういう書き方になっており、これは法効果に着目して、それを行政計画の本体というふうに見た言葉遣いだと思うのだが、物によっては事業の段階ごとに段々事業計画が具体化していくというようなケースだと、それぞれの段階で法効果もあるかもしれないが、事業のプランの具体化の段階という意味の方が大きく、事業をどこでストップさせるかどうかというのをどの段階でやればいいのかという形で司法審査の可能性の議論がされることもよくある。そういう場合は、何も無効だとかそういう必要はないので、事業そのものが違法だから、差止めをどの段階でやるかという話になると思うので、効力とか無効とかというほかに、単に違法というような言葉も散りばめていただくと、射程が広くなる。
□ 大変重要な御指摘で、「別紙7」は事務局のまとめたものというふうに説明しないと、学者がこれだけ揃っていて、これでこのまま飲みましたと言われたのでは困る。
○ そういうことがあって、発言した。
□ ここは事務局作成文書というふうに了解した。それから、今、御指摘の点で、違法の問題ということでどうしたらいいかという議論もあるかと思うが、それをやると難しくなる。
○ あまり詰めた議論をやるつもりは全くない。7ページの⑧だと、「行政計画の効力等を争う訴訟」というふうに「等」ぐらい入れておけばよい。
□ 「等」とするなど、その辺を後で整理させていただく。
次に、裁量の問題に入らせていただく。裁量処分については、現段階ではこういう取りまとめの仕方になるのかなと思うが、よろしいか。
(委員から異論なし)
□ 資料1、2、3につき、御指摘があった点に関して、差し当たりこんなことはどうだろうかという点についての御提案をさせていただきたい。ただ、練れてないところもあるので、大筋大体こんなところでどうかということで御了解を得られればと思う。なお、細かな点については、また改めて考える余地を残しておいていただきたい。再考の余地を残させていただくということで、とりあえずできた案について事務局から披露いただきたい。まず資料1の方から。
■ 「資料1 行政立法の司法審査」だが、芝池委員の行政立法の司法審査のリスキーな面についての考慮の記載をという御指摘はもう少し考えさせていただきたい。
続いて、7ページの上の「① 原告適格の範囲」の記載があるが、行政過程での参加ないし関与とその原告適格の関係についての指摘はここに記載が可能かと思い、例えば、今①の記載があるが、この記載の後にもう一文設けて、前ページの上の方にある挿入した部分から1フレーズそのまま持ってきて、「また、国民の行政立法に関する手続への参加ないし関与の問題などを含む行政過程との関係についてどのように考えるべきか」といったことでいかがか。次に、7ページの④で、出訴期間が行政立法の場合には馴染みにくい面があるのではないかという指摘について、文言がまだ練れてないが、言われた趣旨からすると、④の記載の後に一文を追加して、「行政立法が反復して、あるいは継続的に適用される場合が多い点で出訴期間の適否についてどのように考えるべきか」というような記載ではいかがか。
□ 「出訴期間の適否」という言葉はもう少し考えさせていただくとして、趣旨はそういうことだったと思う。
■ 9ページのまとめのところで、水野委員から指摘があった点だが、「一般的抽象的」という表現は、この資料の1ページで、田中二郎先生の教科書の定義が、「行政権が、法条の形式をもって一般的抽象的・仮言的な定めをすることがある」と使っているところから用いたもので、根拠がないわけではない。その手前にある「極めて」は削除させていただくということでいかがか。
□ よろしいか。「極めて」は取る。
(委員から異論なし)
■ 行政計画の資料については、10ページから11ページにかけてのまとめのところで、行政計画の場合には行政立法と比べて、一般的に論ずることは難しいということは御指摘のとおりかと思うので、10ページ下から2行目のところの真ん中辺に「一般的に」とあるのを落とさせていただいた方がよいのではないか。その後にあるフレーズだが、これもやはり同じように「極めて」というのは削除させていただき、「極めて」を消した後のところ、「一般的抽象的な形で行われるものも多く」、とした上で、「また」として、1フレーズ入れたい。6ページの(3)の冒頭にある「行政計画は多種多様であり、個別の制度における各計画の性質・位置付けや具体的な法的効果が様々である」というフレーズはどうかと思い、これを「また」の後に持ってきて、続けて言うと「一般的抽象的な形で行われるものも多く、また、行政計画は多種多様であり、個別の制度における各計画の性質・位置付けや具体的な法的効果が様々であるという特徴がある」という形でつなげさせていただき、かつ、その次の段落だが、抽象的だというところは今の段落で申し上げているところであるので、その2段落目の2行目の終わりからの「上記のような抽象性などの行政計画そのものの一般的特質を踏まえるとともに」はむしろ削除させていただいてもよろしいのではないか。
□ 大体御発言の趣旨はとれているようだが、きれいに書き直してみると、文言のつながり等々、直すべきところもあろうかと思う。今のような形で整理をしてみた上で、なお、文言の訂正を要すべきところは訂正させていただきたい。
【団体訴訟について】
■ 資料4「団体訴訟(検討資料)」を御覧いただきたい。団体訴訟については、前回の検討会では、消費者団体訴訟制度検討委員会の資料を参照して説明をさせていただいたが、行政訴訟という切り口から、まとめをした方がよろしいのではないかという指摘を踏まえて作成した。団体訴訟制度を行政訴訟において考える上で検討が必要と思われる事項を1として挙げ、最後に2として、要約のような形でまとめを挙げさせていただいた。
まず、「1 検討が必要と思われる事項」だが、制度の具体的な必要性をまずは検討する必要があるのではないか。ここで①と②に分けているが、①で書いているのは、今ある制度ではどこが問題だろうかという観点からの必要性である。個人又は団体固有の訴えの利益の存在を前提として基本的には組み立てられ、考えられている既存の訴訟制度では対応が困難であるという状況が、どういった法分野でどのように生じているのかというのをまずは見極める必要があるのではないか。その際には、利害関係を有する個人あるいは団体についての取消訴訟の原告適格については、今回改正をしているので、これによって実質的に広く認められていくことになるのではないかと考えているが、そのように個人、あるいは団体の原告適格自体が実質的に広く認められていくであろうということと、団体訴訟制度の必要性との関係をどのように整理していったらよいだろうかといった点も考える必要があるのではないかという指摘である。その点については、より具体的に考える必要があるのではないかということで、その下に「例えば」として記載しているが、一般消費者の少額多数被害の場合はどうかなど、個別の法分野ごとに、各法体系の目的や保護しようとしている権利利益の内容・性質、問題とされる処分等の行政の行為の特質等を考慮して、まず行政のプロセスが先にあるわけなので、その行政過程における団体がそもそもどういう位置付けをされているかという、行政過程全体の中での団体も含めた利益調整の在り方との関係を含めて団体訴訟を認めるべき具体的必要性を検討する必要があるのではないか。この行政過程での位置付けは、後ほどドイツについても紹介をするが、訴訟の場面だけ団体訴訟が出てくるのか、そうでなくて、その前段階の行政過程自体の中でも団体が出てくる場面というのがあり得るのではないか、その両者の関係というのをどう考えていくかという指摘である。
その下に②として指摘をしているのは、現行の制度で対応が困難な状況があるとして、そういった場合にそれに対する方策として、団体訴訟という方法がいいのか、ほかの方法がよりよいというものもあるのかどうか、こういった点からの必要性の検討である。例えば、個人が自己の法律上の利益に関わりなく訴えの提起ができる制度、例としては住民訴訟のようなもので客観訴訟と言えると思うが、前回の検討会でもそういった指摘があった。そういった制度と、この団体訴訟を比べて、どちらにどのようなメリット・デメリットがあるかということは検討しておく必要があるのではないか。例えば、団体訴訟のメリットとしては、訴訟に関する知識・経験を団体として組織体がある程度続いていくことによって知識・経験の集積が可能ではないか。あるいは個人に比べて財政基盤を強化する可能性が広がるのではないか。それから、団体としての適格要件の設定の仕方によることになると思うが、団体を選別するということで、全くの個人が誰でも提訴できる客観訴訟ということになると、かなり可能性としては広がるわけだが、弊害のおそれもあるわけで、それを団体の場合には団体の要件という形で選別することが可能だという点もメリットの1つとしては挙げられるのではないか。これに対してデメリットだが、例えば、団体を認定するというような制度を事前に置く必要があるということになると、それを訴訟外で直接交渉・事前交渉といった場合に濫用されるおそれはないか。それから、その団体が一定の範囲の国民・市民の利益を代表しているということで活動することになると思うが、実際の国民の利益とその団体の利益というのが乖離するおそれはないだろうか、そういうことに対する手当てが十分できるだろうかといった点も考えなければいけない点ではないか。
次に(2)と記載しているのは、「法律上の利益(原告適格を基礎付ける利益)の所在」としたが、原告適格を基礎付ける利益をどこに認めるかという問題である。消費者団体訴訟の場合であれば、消費者一般の利益に基本を置くか、団体自体の利益を別途観念するのかという問題として説明を既にさせていただいたところである。これについては、いくつか場合分けをして考えることが可能である。ここでは3つの場合を仮に想定させていただいており、①として記載しているのは、まず団体の固有の利益の侵害が問題となる場合、これは今でも実際よくあることであり、既存の訴訟制度において、一個人と同じような1つの団体が通常の訴訟を提起するということになろうかと思う。②の場合は、団体自体の利益ではないが、団体の構成員、それぞれの構成員の利益の侵害が問題となるというときに、団体がそれを代表して訴えるということもあり得るのではないか。その中でも、更に(a)としているのは、各構成員に法律上の利益が認められる場合で、構成員がそれぞれ、あるいはもちろんまとまってでもいいが、構成員自体が訴えを提起することが現行の制度でも可能と思われる場合を念頭に置いて、更に立法で団体に訴訟を任せるという制度をつくることももちろん理論的な可能性としてはあり得るところかと思う。ここで訴訟担当という言葉を使っているが、本来、権利義務の主体に当事者適格が認められるのが原則であるわけだが、そうではない第三者に訴訟を担当させる制度を訴訟担当というような言い方がされる。法律の規定に基づいてその者が定まる法廷訴訟担当と、それから元々の権利義務の主体の意思によって訴訟担当をさせる任意的訴訟担当というものがあると言われており、例えば法廷訴訟担当では、債権者代位権のときの代位債権者とか、差押えをした債権者とか、破産管財人といったようなものが挙げられるし、それが職務上の担当として決まっている場合だと、人事訴訟事件などで亡くなった方の代わりにというようなことで検察官が当事者になるような制度というものもある。任意的訴訟担当については、私の訴訟をあなたに任せるという制度を自由に認めてしまうと、訴訟代理人を弁護士に限定しているという民事訴訟法第54条の規定があるが、この規定の潜脱が問題になるし、また、訴訟をさせるために財産の管理処分権を移転するという、いわゆる訴訟信託が信託法で禁止されているといったことがあるので、これに抵触するという問題が生じる。したがって、一定の法律上の枠なり基準といったものが必要になるので、現行では特別に法律で一定のものを認めているということになろうかと思う。例えば手形の取立委任裏書もそのような制度と考えることができるし、区分所有建物、マンションの管理者についてそういう権限が与えられる場合、あるいは債権管理回収業に関する特別措置法で出てくるところのサービサーといったようなものが考えられる。そういった訴訟担当ということで、実際に訴訟を担当するのは団体だという形で制度を仕組むということは理論上1つの可能性としてはあり得るところと思われる。その下に(b)として書いているのは、各構成員の何らかの利益は問題になるのだが、訴訟の基礎となる法律上の利益とまでは認められないという場合で、これはそうなると、構成員が自分で訴えるということはできないので、それとは別に団体の法律上の利益を認めることができるか否かという形で問題になろうかと思う。この場合になると、その下の③に出てくる状況とかなり似通ってくる。
③は、団体の構成員ということに限られず、ある一定の範囲で利益を共有している国民、これは地域住民のこともあれば国民全体のこともあれば、その範囲は様々だと思うが、ある一定の範囲の利益を共有する者の利益が侵害されるという場合である。(a)は、それぞれの国民一人一人に法律上の利益が認められる場合であれば、それぞれの個人で訴え提起は可能だし、それをまた、あえて団体に任せる制度をつくろうということになれば、訴訟担当というようなことも理論上はあり得るということになろうと思う。(b)の方は、先ほどの団体の構成員の(b)と同じことになるが、各国民には法律上の利益が認められないという場合であれば、団体の法律上の利益があるのかないのかということが問題になる。この点に関して(注1)としてドイツの例を挙げているが、ドイツでは、最初の①で申し上げた団体固有の利益が問題になる場合を団体被害者訴訟、②の構成員の利益が問題になる場合を私益的団体訴訟、構成員に限られない一般的な利益を問題にする場合を公益的団体訴訟と呼んで区分して議論されているという紹介が大久保規子先生の論文でされている。ドイツでは構成員の利益が問題になって、構成員自体が訴えることができる場合については団体訴訟は必要性に乏しいとして認められていないという紹介がされている。そのほかにドイツでは、法律により、行政過程への参加が特別に認められている場合において、その団体の参加権が侵害されたときに団体が訴えを提起できる参加訴訟という類型が記載されている。実際にはドイツの場合だと、連邦自然保護法で行政過程への参加ということで、一定の環境団体、NPOだが、行政プロセス、一定の環境に影響する計画とか、処分される際のプロセスにおいて意見表明をする権利が認められていて、それに対する侵害があった場合に団体自体が訴えを提起するということが認められてきている。大久保先生の論文は、連邦自然保護法が団体訴訟を認める少し手前の段階で書かれた論文なので、連邦自然保護法上の団体訴訟までは言及はないが、この検討会で、山本隆司先生から報告いただいたドイツの外国事情報告の中では、既に2002年にドイツで連邦自然保護法で団体訴訟が認められた点についても報告をいただいているので、参照いただきたい。それから(注2)に記載したのは、一応利益がどこにあるかということを①、②、③というふうに区別はしたが、この区別は、団体の利益をどう考えるかによって実は相対的になってしまうものではないかということを記載している。すなわち団体には、団体の構成員の利益を守るという団体の利益があるのだと考えて、この利益が法律上の利益を基礎付けるのだと考えると、団体固有の利益と団体構成員の利益を区別する①と②の区別は相対化するし、また、団体の存立目的との関係で、我が団体は構成員に限らず一定の範囲のこういう国民の利益を擁護することが目的になっている団体なのだから、その国民の利益を擁護する活動をするのは、まさにその団体にとって法律上の利益があるのだという考え方をすると、団体固有の利益と一般的な利益との区別は相対化してくる。ましてや利益を立法で定められるということまで考えると、それは制度をつくった上での理屈の整理ということにもなるかもしれない。この点も注意が必要かと思う。
次に、2ページの(3)に記載しているのは、行政訴訟において団体が訴えを提起できる訴訟の範囲、内容についてはどのように考えるべきかという点である。行政訴訟には訴訟類型ということで規定が豊富にあり、今回の改正でその点が更に拡充されているが、まず行政事件訴訟と民事訴訟とで扱いが違うということで考えるべきなのか、更には行政事件訴訟あるいは民事訴訟の中でもこの訴訟、例えば取消訴訟なら取消訴訟だけ団体の提訴が認められるというような限定をして考えるべきなのか、あるいはそういう訴訟類型とは全然違う次元で、全くどの訴訟類型に行くかを問わず、団体には団体の利益として団体訴訟というものを見い出す、あるいは全く既存の訴訟類型とは別に団体訴訟という訴訟類型を独自につくってしまうといったこともあり得ると思う。制度の組み方ということで考えると、まさにいろいろな可能性があろうかと思う。この点については、一体どのような利益を守るためにどのような訴訟を団体として起こすことが必要なのか、やはり必要性に基づいて法分野ごとに具体的に考えないと、抽象的に考えているだけでは様々な可能性が浮かんでくるだけでなかなか議論の焦点が定まらないという感じである。
2ページの下から(4)として記載しているところは、どういった団体が団体訴訟として訴えを提起できるかという団体の適格性を判断する要件を設定する必要があるのではないか。その場合にどういった内容が要件としてふさわしいかという点で、利益代表性の観点ということで、ある一定範囲の人々の利益を本当に代表している団体と言えるかという観点からは、団体の目的、活動実績、団体の規模、あるいは問題となっている行政庁や事業者と関係といったところも考える必要があるのではないか。それから、「訴訟追行基盤の観点」として、3ページの(b)として挙げたが、これは訴えを提起して訴訟を追行するからにはそれなりの基盤が必要ではないかということで、人的基盤、財政基盤、組織体制等がどうかということとともに、法人格が果たして要るのか、要らないのか、こういったところも議論になるところと思う。それから「弊害排除の観点」として、不当な目的で事前交渉したり、あるいは訴訟を行うというおそれはないかということから、反社会性を有する団体というようなことで暴力団とか、そういったものを排除するような要件も要るのではないか、こういった議論が消費者の関係でもされている。更にこの次の②の点は、そういった要件を何らかの形で設定するとして、その適合性を誰が判断すべきかという点で、消費者団体訴訟の関係では、基本的には事前に行政機関が団体の適格要件への適合性を判断する方法が制度の安定性からすると妥当ではないかということを基本にして議論がされている。その対局に位置するのは団体が個別に訴訟提起するごとに裁判所が要件適合性を判断する方法で、その対比というようなことで議論がされることになろうかと思う。(注1)として記載しているが、事前に行政機関が判断する場合のメリットとしては、適格団体が明確になることによって、一般の利益を代表されている国民と団体との間の意思疎通、情報提供がお互いしやすくなる。国民の側もこの団体に情報を与えれば、この団体がちゃんとやってくれるのだということが事前にわかる。それから、適格団体と関係行政庁、あるいは関係事業者との間の訴訟前の交渉で、行政機関から認可をいただいている団体だということで、交渉に入るということで交渉が促進され、より迅速な紛争の解決に至るということもあり得るのではないか。それから、不適切な団体の事前交渉を防止できるのではないか。さらに、個々の訴訟において、基本的には認可されている団体ということであれば原告適格有りということになるから、制度としては安定的ではないかということが挙げられる。これに対して個々に裁判所が判断するという方法は、①適格団体の要件について、訴訟提起に先立って、あらかじめ行政庁の認定を受けておく必要がないということで、いきなり訴訟を起こせるという点ではより迅速な訴えの提起が可能になるというメリットが考えられる。また②適格団体の要件適合性を判断する行政庁と他方で実質的な被告となる行政庁というのがあるとすると、その間で利益相反というのが生じることがあり得るのではないかというのがあり、これを事前の認可制度を置かなければそういった問題は生じないのではないかというメリットもある。逆にデメリットとしては、訴え提起後に原告適格が争われて、つまり団体として適合性があるかどうかということが訴訟の中で争われて審理が長期化して制度が不安定になるおそれがあるのではないかといった指摘がされている。(注2)は、仮に行政機関が事前に認可なりの形で判断する場合を採るとしても、果たして全てそういう団体であれば、個別の事案において全く原告適格を考えなくてよいかというとそうでもないのではないかという指摘で、一般的には適格要件に適合すると認められた団体においても、個別の事件においては、この問題については利益を適切に代表する団体ではないと判断される場合もあり得るのではないか、こういった指摘もされている。例えば、比喩的に言うと、団体でも百貨店タイプというか、デパートのように、うちは環境も消費者もいろいろやりますということで、どれでも来いというタイプの団体もあれば、専門店形式で、うちは消費者の、しかもこの約款の差止めのこのパターンしかやりません、この契約の類型しかやりませんというようなことがあり得る。そういったときに、消費者のある分野の関係に特化した団体が全然違う一般的な環境のような場面で登場できるかというと、それはなかなか難しいということもあり得、そういった問題をどう考えるか、こういった点も指摘されている。
そのほかに団体の適格要件に関する問題としては、事前に行政機関が判断しようとすると、認可、登録、更には届出というようなこともあり得、それに行政庁の判断がどこまで噛む形にするのがよいのか、どういう具体的な制度がいいのかというのは、様々な可能性がある。ヨーロッパの制度を見ても、国によって認可の場合もあれば、登録の場合もあれば様々で、その際に行政庁の判断が介在するということになると、その裁量の内容・程度をどう考えるべきかということになろうと思う。更には一たん認められた適合性の判断について、何らかの事後的な担保措置が必要ではないか。つまり一たん適合性が認められた団体が後に活動内容が変わったり、組織が変わったりして、適格性を失うということもあり得るわけで、その点をどうやって担保するか。例えば認可には有効期限があって、更新が必要だということにしたり、訴えを提起するたびに認可している行政機関に報告を義務付けたり、行政機関が検査ができ、更には検査の状況によって改善命令を出したり、最終的には認可・認定等の取消しといった制度も用意するのかどうかといった点の検討も必要になろうかと思う。
それから、団体訴訟ということで考えたときに、訴訟手続上どのような問題が生じ得るかを4ページから5ページにかけて記載しており、まず、「管轄」を挙げている。団体と言っても、活動地域についても範囲が様々であり、全国区の団体とある特定地域の団体等があり得るわけで、そういった点で管轄において何らかの配慮が必要かということも消費者団体訴訟の関係でも議論されているところである。特に消費者の場合だと、不当な行為がいろいろな形態があり得るので、ダイヤルQ2のような電話とか、IT被害のようなことになると、拠点がどこか、そういうときにだけ沖縄に拠点があるとか、そういう団体もあるわけで、実際にそういったときにどこを捉えて訴えを起こすか、非常になかなか難しい問題になっている。ただ、行政訴訟に関して言うと、相手になるのが行政機関、あるいは所属する国又は公共団体ということだと、それほどあまり極端な例は考える必要がないかもしれないし、ましてや今回の改正で原告の住所地に基準を置いた管轄の拡大もしているので、行政訴訟ということで考えると、あまり管轄の点は問題にならないのかもしれない。ただ、消費者の方では問題とされている点もあるので紹介する。
「訴額の算定」だが、団体訴訟で一体どういう利益のために団体が訴えを起こすのかということの考え方によって訴額の算定、つまり訴えで主張する利益をどういうふうに捉えるかということが問題になり得る。実際には訴えの提起の手数料の計算に影響してくる。非常に抽象的な形で捉えると訴額の算定が困難というようなことにもなり得るかと思う。
③で挙げたのは、重複訴訟ということで、同じ処分などの特定の行為について、適格団体が複数あって別々の訴えで争うということも現象としてはあり得るのではないか。同じ当事者間ということであれば、民事訴訟法の一般のルールとしては二重起訴の禁止というルールがあるが、団体が異なる場合に、それをどう規律していくのか、何か特別の手当てが要るのか。それとも別々にそれぞれやればいいということでよろしいのか。更に行政訴訟で言うと、行政事件訴訟法には関連請求を移送してまとめて判断しましょうというような13条の移送の規定とか、更には民事訴訟一般の取扱いだが、弁論の併合といった訴訟をまとめて判断するやり方もあるので、こういった規定の適用はあり得るが、更にそれに加えて何らかの配慮が必要かどうかという点が問題になろう。
④「訴訟の参加」だが、適格団体が複数ある場合にある団体が提起している訴訟にほかの団体が参加するという場面も考えられるし、更には団体の訴訟にその団体が守ろうとしている利益が問題とされている国民・市民が訴訟参加するということもあり得、その場合に参加できる国民の利益をどう捉えるかということにもよるが、民事訴訟法あるいは行政事件訴訟法にある参加の制度に加えて、更に特別な配慮が必要かどうかという問題があり得る。
⑤「出訴期間」については、例えば処分又は裁決の効力を争う場合には、取消訴訟だと出訴期間が問題になるが、団体自体が必ずしも処分、裁決の名宛人ではないというときに、一般的な出訴期間のルールで特に問題はないのかどうかという点が問題になる。
⑥「処分権主義・弁論主義の制限の要否」については、原告となる団体が、例えば、請求をあきらめ、被告の言うとおりである、ということになったときに、敗訴判決と同一の効力を有することになるが、そういった請求の放棄について、広く一般の利益が問題になるような場合には何らかの制約が必要かどうかという点が問題になろう。ほかにも被告側が請求を認めてしまう場合、あるいは和解の場合についても議論があり得るが、行政訴訟で、特に公権力の行使が問題になる場合だと、そもそも和解や、認諾については制約があり得るという議論は既に従来からされているところで、その応用でよろしいのかどうかということも問題になろうかと思う。
⑦、⑧は、判決の効力に関するところで、⑦は行政側が敗訴した場合の33条の関係行政庁に対する拘束力について、実質的に判決により利益を守られる国民との関係で行政機関は一体どんな拘束を受けて措置をすべきかということについて、何か特別な配慮が必要か。そこは判決の理由に沿った措置ということで、あとは個別の解釈だということでよろしいのかどうかという問題である。⑧は「判決の第三者に対する効力」ということで、ここで想定される第三者は適格団体が複数ある場合のほかの団体ということもあり得るし、団体の背後にあって、利益を擁護されている国民あるいは地域住民などの一定の範囲の人々に及ぶ効力ということも考えられる。行政訴訟で言うと、取消訴訟の訴えを認める判決の場合にだけ第三者に対する効力があることになっているが、それとの関係でいろいろな訴訟類型を団体が提起することを認める場合にはどういった規律が必要かということも問題になろうかと思う。
⑨として、判決の公表の制度を挙げているが、これは行政立法や行政計画の検討でも出てきた話だが、団体訴訟が実質的に一定の利益を共有する国民、一定の範囲の人々のための訴訟であるという場合には、それらの者のために判決の内容を周知させるための制度が必要ではないかということで、当事者又は公的機関が判決の内容を公表するような制度を設ける必要があろうかということを記載している。
⑩は「判決の援用制度」で、団体訴訟で団体の背後にいる国民にとって有利な判決が下された後で、個人が当事者となって訴訟が起こされた場合、団体がした訴訟の判決を後で起こされた個人の方の訴訟で援用するという制度があり得るのではないか。これはドイツにそういった制度があり、差止訴訟法11条により、不当約款の差止めについては、敗訴した約款使用者が差止命令に違反するときは影響を受ける契約当事者が差止命令の判決を援用する限り、約款における当該条項は無効とみなされるということになっている。まず先に団体訴訟で事業者が使うとする約款はこれこれの法律違反で無効だという訴えを起こして、それが認められる。したがって、その事業者はそういう約款を含む契約を個別の個々人としてはいけないことになるわけだが、それに反して、なお契約を締結してしまって、その不当な契約に基づいて個人に対して契約の代金を支払えという請求するというようなことがあり得る。その請求が訴訟でされたようなときに被告となった個人の方が、その件については団体訴訟でけりがついているはずで、この契約を根拠にしてそういう請求してくるのはおかしいということで、団体訴訟の判決を援用するということになると、裁判所の方は団体訴訟の判決に従って、その条項は無効だということに基づいて判断がされるといった制度がある。ただ、実際には消費者の関係で検討されているところによると、そういった団体訴訟があったときには、判決の結果は広くマスコミの方で報道されたり、あるいは被告になった事業者等が自主的にあえて違反するようなことはしないということで援用制度までが実際に用いられることは少ないのではないかというようなことも言われている。
以上のような問題点を指摘させていただいた上で、まとめとして、今申し上げたようなことを要約して5ページの下から6ページにかけて記載している。行政訴訟における団体訴訟については、様々な形で行政需要が多様化してきているということが言われており、今回の改正の理由もそこに1つがあったわけだが、そういった中で、特定の個人の利益に必ずしも還元し難い集団的利益についてどのような対処が考えられるかという問題の1つの局面ということができようかと思う。このような位置付けにおいて、団体という形をとる一定の者に行政活動の違法を争うことを認める特別の訴訟類型ないし法定の原告適格を認めるということが団体訴訟ということになろうと思うが、その必要性と意義については、個別の法分野ごとにそれぞれの分野が、法体系の中で目的としたり、保護しようとしている権利利益の内容・性質、問題となっている処分等の性質などを考慮して、行政過程での団体の位置付けも含めて、行政過程ではどういう利益調整をしているかということの関係を含めて、具体的にその必要性を検討するべきではないかということを指摘させていただいている。その際には、消費者問題の分野では同時多数被害への対処という観点から団体訴訟についての検討が行われているので、その検討の状況も視野に入れつつ、更には民事訴訟一般でも団体訴訟があり得ることから、その関係も踏まえ、更には今回の行政事件訴訟の改正によって、取消訴訟の原告適格について考慮事項が法定され、今後これが運用されていくということとの関係もどのように考えていくか。更には、何らかの問題があるとしたときに、団体訴訟のほかにもより適切な訴訟の形式はないのか、そのメリット・デメリットも併せて検討していく必要があるのではないか。更には、法律上の利益の所在という問題の指摘もさせていただいたが、これについては訴えの利益に関する民事訴訟一般の理論も踏まえる必要があると思うが、そういった上でどういう整理をするかという基本になる考え方を十分整理する必要がある。その検討を踏まえた上で、(3)から(5)として挙げたような、団体が提起できる訴えの範囲・内容、それから適格団体の要件に関する問題、あるいは訴訟手続上の問題といった問題点について検討する必要があるのではないか。
参考として図を7ページに挙げているが、(1)の図は、処分によって何らかの利益が害されるということが直接的にあらわれる場合で、行政庁と団体と利益が問題になる国民というのを三面の関係で捉える場合を挙げている。ただ、この場合でも、団体について、認可等の制度を置く場合には、それをする行政庁というものと、実質的に訴えの相手になる問題となった行為をする行政庁というものの立場が重なる場合というのがあり得るであろうということで、そこで一層複雑な利益状況が生じると考えられる。下の(2)の図は、もう一枚カードが加わり四面の関係になっているが、事業者が何らかの事業を実施しようという場合に、それに対して行政庁が許認可などをするという構図になると、更に一層利益状況が複雑になって、この下に図示しているような形になるのではないか。この点について、具体例ということで引用させていただくと、小早川委員の集団的訴訟という論文が「行政訴訟の構造分析」に収められているが、その中で、行政訴訟の場面でいくつか例が挙げられている。例えば道路、学校などの公共施設の廃止、変更に対して、その付近の利用者住民が取消訴訟を起こすというような場合、それから、あるいは環境上の影響を被る付近住民が提起する訴訟というようなことで、その場合に事業計画決定などがあると、その過程の行為を処分と見て取消訴訟の方法があり得るのではないかという指摘があり、今申し上げたところは上の(1)の図の方に比較的近いパターンかと思う。下の方に近いものとしては、環境悪化のおそれを伴う建築、埋立てなど私人の活動を行政機関が容認することに対して付近住民から訴訟が提起される場合、あるいは主婦連ジュース訴訟のような場合かと思うが、行政機関が私的企業活動に対して一定の規制を加えないことにつき、消費者等から訴訟を提起するような場合として挙げられており、小早川委員は現行の改正法のような先を見通しておられて、こういう規制についての義務付け訴訟もあり得るのではないかという指摘がされているところで、下の図のようなパターンだと、許認可の取消しと逆になるが、規制をしろというような義務付け訴訟が問題になるようなパターンもあろうかと思う。
□ 団体訴訟一般については、前回、特に消費者との関係で国民生活審議会の検討状況の報告があったが、今回はそれを前提にしながら、行政訴訟への適用上の問題点が指摘されている。今の説明について、質問あるいはまとめの仕方についての意見を承りたい。
○ 話を振り出しに戻すことになるかもしれないが、そもそも団体訴訟という形で問題を立てるときには、問題の限定が行われているのではないかということを申し上げたい。つまり団体訴訟は、一定の利益状況において、特に団体に訴えの提起を認めるものであり、その際には訴えを提起するものが団体でなければならないと、そういう制約、条件付けを行っている。その際、特別に訴訟を認める必要のある利益状況と団体の間に、何か必然的な関係があるのかという問題が出てくる。つまり、団体だけではなしに一定の要件を備えた個人に訴訟を認めるべき場合があるのではないかということであり、その例は伊場遺跡訴訟に見られる。伊場遺跡訴訟は、考古学の研究者が原告になった訴訟であり、団体訴訟ではなかった。今後、考古学の分野だけでなくて、例えば遺伝子の取扱いについて研究者個人が訴訟を起こすということも考え得る。そういう場合、必ずしも団体ということを考える必要はない。そう考えると、団体訴訟という形での問題の提起自体が既に一定の枠付けを行っており、その点をどう考えるかというのが1つの問題である。この種の訴訟は、恐らく研究者が起こす訴訟であり、主観訴訟の要素があるのではないかと思うが、しかし容易には認められないと思うので、その場合、団体について特別な手当をするのであれば、同時に一定のある種の資格を持った個人についても手当てをすることも理屈としては考えられる。今回、そこまで手を伸ばすかどうかは、それはそれで別の判断が必要なわけだが、そういう問題があるということは注意すべきではないか。
○ 今の問題意識と共感するところが多い。団体訴訟の固有の意義というのが何かということがまだわかりにくい点がある。と言うのは、団体の構成員の個々の主観的利益にかかわることであれば、それは主観訴訟として構成員であれば誰でも提起できると整理できるし、そうではなくて団体であるがゆえに、主観的利益ではないが、何らかの価値を守るために訴訟提起資格を与えたのだと考えれば、これは一種の客観訴訟の創設と同じような意味を持つ。それが何故に団体でなければ提起の主体としてふさわしくないのかという今の指摘と同じ問題を惹起することになる。そう考えると、主観訴訟としての整理であれば、むしろ団体というよりは端的に個人の利益と整理した方がすっきりするし、もし客観訴訟という前提であれば、客観訴訟を担う担い手の権利を付与してしまえば、それ自体の遂行者が団体でなければならないということにはならない。個人にその資格を付与し得るというところにいかないと一貫しにくいのではないか。更に言うと、団体にせよ、個人にせよ、適格要件、適合性のような判断が随伴しないといけないのだとすると、その認定なり判定は、大変微妙な問題を含んでいる。行政庁が適切な団体かどうかを権力的に確定すること自体が、公益法人改革、あるいは特殊法人改革との流れからしても果たして適切なことかどうかという別途の重大な問題を提起することになる。そういう意味で団体の適切性に権力的関与が深まるような方向での団体訴訟というような創設には強い疑問を感じる。可能であれば、もう少し明確な論点として記述できれば、その方がよろしいのではないか。
○ 団体訴訟は積極的に取り組むべきだと思っており、基本的によく問題点を整理していただいている。個々人に原告適格が認められる場合であっても、その個々人が集まった団体に認める必要はないという議論はおかしく、例えば環境問題などでは個々人が原告になるよりも団体として原告になって訴えを起こしたいといった要求が現場にはたくさんあり、団体訴訟を認めていい。個々人では非常に薄い利益であっても、それが集まる場合には法的保護に値するような利益になるという場合には団体訴訟を認めるべきだと思うし、いずれにしても、これは積極的に議論していくべきである。適格団体の認定の問題だが、諸外国では個別法で、例えば環境保護などについて、何人かが集まって団体を組織すれば、それだけで原告適格が認められるのだといった、非常に簡単に団体としての原告適格が認められる法制度があると聞いており、そういった形で団体訴訟を認めていけばいいのだろうと思う。それが3ページの②(b)に当たると思うが、(b)の書き方だと、何か裁判所が最初から適格性があるかどうかを判断するような印象を与える。法律に要件を定めておいて、その要件に適合すれば団体訴訟が認められる。それが争いになったときには裁判所が判断する、といった、ちょっと引いた書き方の方がいいのではないか。5ページの「⑨判決の公表等」に、「実質的に一定の利益を共有する国民のための訴訟である場合」というのがあるが、これがどんな場合なのか争いになる可能性があるとは思うが、いずれにしてもこういう制度は必要だろう。訴え提起の段階で、そういった公表というのがやはり同じように問題になるのではなかろうか。その論点を付け加えておく必要があるのではないか。7ページの図について、上の四角の中に「認可等」とあるが、下は「適格団体の認可等」とあり、これは恐らく同じ意味だろうと思うので、同様に直したらどうか。それから、「団体についての所管行政庁」とあり、(a)だけしか書いてないので、そこをどうするかを考えていただく必要があるのではなかろうか。つまり(b)のことも考えて図をつくっていただいたらどうか。それから、訴えの提起で、「処分等をする行政庁」となっているが、訴えの提起は今度の改正法で行政庁の属する行政主体になったので、どうするか。行政庁(その属する行政主体)とするか、若干工夫をしていただきたい。
○ 団体訴訟は、1つの手段としての共通性で団体訴訟と括っているが、2ページにあった説明でも、団体訴訟には3ないし4つの区分ができるという説明だった。そのうち1番目の団体被害者訴訟は、現在の制度の中で十分機能するという問題で特に団体訴訟として取り上げる必要もないのではないか。たまたま原告になるべき者が団体であるというものだろう。2番目の私益的団体訴訟と3番目の公益的団体訴訟は、団体としての適格を求める基盤が全く違う。2番目の私益的団体訴訟は一人一人も被害者だが、一人一人ではやりにくいというものを団体でやってもらう方が訴訟負担が楽だということで問題になるが、行政訴訟の場合に果たしてそういう領域が広くあるのか、あまり思い浮かばない。むしろ公益的団体訴訟と言っている部分が、なかなか個別的な利益としては認めにくい分野においても、チェックがかかることによって、個々人の一定の範囲の人の利益を保護するのに役立つものがあるのではないかということで、原告適格でどうしても広げられなかった部分の適切な補完、行政の適法性の担保という意味でも、ある部分においては有効に機能するところがあるのではないか。この資料はバランスがどれにもウエイトがのっているきらいがあるので、ここの中では③の公益的な団体訴訟の導入可能性とその領域、その場合における問題点に絞り込んで提示した方が資料としての意義があるのではないか。
□ 団体に限る必要はないのではないかという意見は、それは一種のバリエーションとしてはあると思う。要するにその人たちも裸では改正行訴法第9条2項では駄目だということだな。
○ 一般の市民ではなくて、何らかの資格に着目して、特に訴えの提起を認めるということだ。
□ その場合にはその人の利益ということは一応断ち切るということか。
○ そうだ。
□ これは細かい議論するとなかなか難しい。伊場遺跡の場合は研究者の利益があるではないかということだった。薬の問題が出てきて、特に新しい先端技術の場合、およそ医師としてということなのか、先端技術にかかわりのある医師だけなのか。およそ医師としてということであれば、全く医師という立場に立った一種の客観的訴訟になるのだが、そうではなくて、先端的技術の開発に関わっている医師ということに限定すると、これは主観的な要素も入ってくるので、そこは細かくやり出すとなかなか議論が大変である。正面からここでその問題を取り上げるのは難しい。
○ ここでは、団体に限定していただいても結構だ。ただ、団体訴訟を論ずるということ自体に1つの、既に制約性が入っているということを指摘したかった。
□ 訴えの提起の公表はあった方がいいように思った。特に複数団体がいる場合にはそういう点がある程度必要かと思う。公益的団体訴訟に絞るという点は、ここで理論的に整理するとなかなか難しいので、一応ここではいろいろなものを出しておいて、それを今度は取捨選択をしていくのかどうか、そういう議論の運びになるのかと思い、この段階でそれは無理かなと感じた。ただ、団体訴訟という形で認めましょうという方向でいくのがいいかどうかという点については、多少疑問に思っているところもある。アメリカとかフランスは、判例でどんどん団体訴訟を認めるという状況にあって、制定法準拠主義がここで変に復活するのをむしろおそれている。とにかく団体訴訟というものを考えるけれども、団体訴訟で実現しようと思っていることについて、裁判所は外国の法制も見ながらできるものはどんどんやっていただきたいというのが私の気持ちである。我々は今度改正行政事件訴訟法が動き出すときに、こういった問題を議論することは当然のことだと思うが、あまり団体訴訟を是非やるべしだという形でこのペーパーをまとめることがいいのかどうかは疑問に思っている。もちろんこういう議論を十分尽くしていくことは必要だと思うが、団体訴訟ができるまでは裁判所は少し待っていてくださいというつもりは全くない。
■ なぜ団体でなければならないのかということに関連して、1ページの1(1)の②、真ん中に書いてあるところはそういった問題意識も込めて、個人が客観訴訟的に訴えを提起する場合との比較が必要であるということを記載しており、少し明確にできるかどうか考えてみたい。
○ 団体の適格要件、適合性云々という問題があり、これは当然のことなので表にはあらわれていないと思うが、行政庁が認定するのであれ、裁判所が認定するのであれ、基準は法律で書くのが前提になっているのではないか。それが表にはあらわれていないので、その書き方次第では行政庁なり裁判所の認定はあまり大きな意味を持たない。
□ 法制的にいろいろなやり方がある。ここである特定の法システムを前提にした議論はなかなかしにくいところもあって、こういう形でおさまっていると理解している。
○ 認定については、法形式はいろいろあると思うが、中身で重要な点は、仮に何らかのフィルタリングをするにしても、できるだけ明確で広いものであった方がいい。
○ 団体訴訟は、4ページの①から③の、どこから持ってくるかによって異なるのかなという気がする。あるいは①から③でなくて、④の例えば訴訟参加という説明のあったように、既に行政過程の中に1つの地位として組み込まれて、そこで意見を言う機会が与えられている団体が、後で更に訴訟の中でもチェック機能を果たすために当事者として主体になり得ると仕組んだ場合には、要件が随分違ってくるだろう。あまり一律に議論しても、全部に正解になるようなものは出てこないのではないか。
□ 中身の議論は今日で終わるということにならざるを得ない。次回、今日いろいろ意見があったところについては、修正案文を個別につくってお目にかけ、最後に確認をしていただく。個別の論点はこういう形で、議論をしていただいたということにしたいと思う。
前回の検討会で、委員から、いろいろな論点で、更に議論を深めることとした趣旨をはっきりさせた方が、国民の視点から見てわかりやすいという意見があり、事務局の方で委員の指摘に応える形で資料5「検討の趣旨(イメージ)」をつくった。
■ 資料5の13行目から説明する。行政訴訟制度の見直しにおいて、法律の改正があり、その改正の意義の上に立って行政訴訟検討会において、更にこれらの論点について議論を深めておくこととした趣旨をなるべく簡潔に国民にわかりやすく提示した方が、先ほどの資料も生きてくるのではないかということである。第1点として、「行政立法・行政計画の司法審査に関しては」というところがあるが、これは先ほどの議論で直さなければいけなくなっており、そのイメージも含みながら説明したい。「行政立法・行政計画の司法審査に関しては、行政立法・行政計画が行政過程の初期の段階で行われる行政活動であり」と、ここまでは承認いただいているところかと思う。その後、「国民の多様な利益調整が極めて」の「極めて」は要らないということで、これは取りたい。「一般的抽象的な形で行われるという特徴がある」と書いて、「一般」は行政立法と行政計画の両方にかけてしまっているのは、今までの審議からすると適切ではないように思うので、頭に「行政立法については」と入れ、「行政立法については、国民の多様な利益調整が一般的抽象的な形で行われるという特徴があり」で、「行政計画については、国民の多様な利益調整が一般的抽象的な形で行われる場合も多く」というのが先ほどのまとめだったと思うので、そのようにした上で、「また、行政計画は多種多様であり、個別の制度における各計画の性質・位置付けや具体的な法的効果が様々であるという特徴があることに留意する必要がある」とまとめてみたい。その上で、次に「一方で」というところで、審査の必要性の方に、「一方で、このような行政立法・行政計画についても、国民の権利利益に影響を及ぼすものについては、法律上の根拠が必要とされ、その根拠となる法律に従って制定・立案されなければならないことは、他の行政作用と同様である。そして、その制定・立案の過程ないし内容において違法があった場合における国民の具体的な権利利益の救済の在り方については」の後の「これが極めて一般的抽象的なものであって」は要らないかと思うので、取っていいのではないかと思うが、その後で、「多様な」のところに入る前に、「行政立法や行政計画の特徴やそれが多様な国民の利害に幅広い影響を及ぼすことも考慮しつつ、適切な司法審査の在り方について、新たに法定された差止訴訟や当事者訴訟として明示された確認訴訟の活用との関係も含め、更に議論を深めておく必要があると認識されたことによるものである」、といったイメージの方が、今までの議論のまとめではよろしいかなと思う。
次に「裁量に関する司法審査に関しては、行政事件訴訟法の改正により、義務付け訴訟・差止訴訟や確認訴訟の活用などにより、多様な行政活動が司法審査の対象として取り上げられるようになっていくことが予想される中で、行政作用の基準・考慮事項などが抽象的に規定されている行政活動についても、適切な司法審査が行われる必要が増大することなどから、処分又は裁決の理由を明らかにする資料の提出等を行政庁に対して求める新設された釈明処分の特則の活用により裁量に関する審理の充実を図ることとの関係も含め、裁量に関する適切な司法審査を担保する観点から更に議論を深めておく必要があると認識されたことによるものである」としたい。
それから、「団体訴訟については、処分などにより侵害される利益が特定個人の利益でなく、広く消費者、地域住民など一般的に共通する集団的利益として把握できる場合に、そのような多数人の共通利益を法律上又は事実上代表する消費者団体、事業者団体、住民団体等に訴えの提起を認めることができないかという問題であり、現在、消費者問題の分野では、同時多数被害への対処という観点から具体的な検討が行われているところであるが、行政需要が多様化してきている中で、必ずしも特定個人の利益に還元し難い集団的利益についてどのような対処が考えられるかという問題意識から、民事訴訟制度における団体訴訟の位置付けや、行政事件訴訟法の改正により適切な判断を担保するための考慮事項が法定された一般的な取消訴訟の原告適格との関係も含め、更に議論を深めておく必要があると認識されたことによるものである。これらの論点について、検討会において議論をした結果をとりまとめた資料は、別紙1ないし4のとおりであり、よりよい行政訴訟制度の在り方を考えるに当たって、今後の参考に資することが期待される」ということで、今度まとめていただけるのであれば、1から4の資料を付けてみてはどうかというイメージである。
□ この資料は、資料1、2、3の前書きのような形で、こういったものを付けたらどうかということで、事務局において整理したものだ。中身は基本的には資料1から4までのまとめのところにあるものについて、整理をしてみたということである。
○ まず1つ、残された論点が4点だけしかないと誤解されては困るので、その趣旨を付け加えたい。具体的な案としては、3行目の真ん中に「検討を進めた論点は」というところがあり、その前に「残された論点は多岐にわたるが」という文章を入れて、それで続けるというのが1つの提案。もう一つは、団体訴訟の下から4行目のところの「事業者団体」の前に「環境保護団体」という言葉を入れてもらいたい。消費者団体か、環境保護団体どっちを先にするかはあるが、消費者の方が先に議論しているので、消費者団体が先でもいいと思うが、できれば付け加えてもらいたい。それと、文章が、例えば団体訴訟のところが全部一文なので、もう少し国民にわかりやすい提示をお願いしたい。
○ 行政事件訴訟法の一部が改正された後の検討がどういう目的でされたのかという趣旨について、まとめのところを読んでいると、「検討する必要がある」というのがいっぱい出てくる。検討する必要があるというのは、誰が検討する必要があるのかというところが明確ではない。よく読めば、例えば行政庁なり、あるいは司法であったり、そういうところが検討する必要があるのだろうが、国民から見ているとちょっとわかりにくいのではないかということと、実際に行政事件訴訟法が改正されて、この法律が実際によりよい形で利用されていくときに、例えば行政庁なりが個別法の策定をするようなときに考慮すべきこともかなり含まれているとすれば、そういうところへの情報提供、資料配布についても考えていただきたい。
□ 最後のまとめのところで、「検討が必要」と書いてあって、誰にどこでというのは書いてないというのは御指摘のとおりだが、ここはなかなか難しいところである。我々としてはこういう点について問題を意識したということで、これを誰それに、という点はあえて差し控えている。これは関係者の方々はよく読んで、自分なりにこれを咀嚼して十分活用してくださいということである。その中には裁判所ももちろん入る。なかなか情報が行き渡らないおそれがあるということは指摘のとおりなので、どういう形で皆さんにできるだけ常々活用していただけるようなものにするか、それは事務局の方でよく考えてくれると思う。
それから、環境保護団体を入れると、医療過誤○○団体はどうかとかいろいろ出てくるので、それで、かなり抽象的なもの、消費者などとなっている。どれを取り上げるかということで非常に難しい点があり、無難なところだけ取り上げたつもりなので、そこは御了解いただきたい。
○ 主観的な部分が入っているかもわからないが、環境保護団体が一番団体訴訟のことを言っているのではないかという気がする。消費者団体と環境保護団体の2つはやはり並べていただきたい。
□ 今日のところは意見として承るが、全体の書きぶりもある。本文にないのにここであえて委員の指摘でこの団体を入れろと言われても困るところがある。
それから、最初の方の「多岐にわたる」というところだが、これはもう一つ、私の方から御提案をすることがあるので、それとの関係で、また議論をしていただきたい。
○ 先ほど指摘があった点だが、この紙の名宛人が何にも書いてないのもいかがなものか。少し広めにとって、法の定立、運用、そして研究に携わる人は必ず読んで、自分に関係のあるところをそこから拾い取ってくれというような書き方を工夫していただきたい。
□ 最後は国民各位になってしまうので、そうするとかえってどうかとも思う。
○ 国民全部だと誰も読まない。
□ これで資料1から4までについての総括的な話も承り、一種のペーパーができると思う。次回はこの検討会のまとめをすることになる。そこでせっかくこの検討会でいろいろ議論してきた経緯等について、できるだけ国民にわかりやすく残したいという気持ちが、皆様にもおありだろうと思う。資料5のまとめの前に、検討会での議論の経過を客観的かつ簡潔に記述したものを付け加えるということで、この検討会のまとめのようなものをつくってはどうかと思っている。資料5の前に、どういう順序で書くかということはまだ詰めてはいないが、検討会としてどういう形で議論を進めてきて、どういう問題点が浮かび上がってきたかということを多少時系列的に書いてみて、そうすると、先ほど指摘された点はその中におのずと出てくると思う。そういうことを書いてみた上で、なおかつ先ほど指摘された「多岐にわたる」というのを入れるかどうか、考えてみたい。それから、資料5の検討の趣旨の冒頭の部分は、場合によっては更に簡略化されるかもしれないし、少し書き方が違ってくるのではないか。それを作成するに関しては、各委員に相談する機会もあろうかと思うので、その節はよろしくお願いしたいし、そういう形で取りまとめたものを、今日の一連の資料の前にもう一つ全体の経緯を取りまとめたものを付けてはいかがか。その際には、委員の方々の意見も承ることがあるべしということで提案したいと思うが、このような取り運びでよろしいか。
(委員から異論なし)
○ 全体の表題は何となるのか。
□ それはこれからである。何かいいアイディアがあったら出していただきたい。
○ 次回で一応終わるということで、まとめのペーパーを出していただくのは非常に結構だ。ただ、もし、時間があればで結構だが、今回いろいろと議論してきて、積み残し課題もある。もちろんこの検討会は司法制度改革という一環でやってきたから、行政事件訴訟法の改正がメインテーマだったわけだが、いろいろ議論していく中で、恐らく多くの委員の方が、やはり行政訴訟の更なる改革だけではなくて、更に周辺の、例えば行政不服審査、行政実体法などについても、これから先、検討していく必要があるではないかということを実感されたのではないか。それで、今後、そういった論点をどういう組織でどういう議論をしていったらいいのかといったことについて、元々ここはそんな所管の場所ではないということは重々承知しているが、それぞれいろいろな分野からいろいろな経験をお持ちの方が幅広く委員になっているわけだから、これまでの2年間余の議論の中でいろいろなことをお考えになったと思うので、できればそういうことについて意見交換をする機会を与えていただくことも検討いただきたい。
□ 御意見として承りたいと思うが、基本的には我々に与えられたタスクをきちんと仕上げるということに重点を置いてきたので、そういう点について、次回きちんと議論をしていただきたい。もちろん今御指摘があったこと、それぞれの委員の考えがあろうかと思うので、いろいろな場面で、この検討会の御経験を生かした形で積極的に発言いただくということはもちろんだが、この検討会として、そういった1つの方向を打ち出すということについては、また逆の意味での意見もある。
○ 検討会で方向を打ち出せということは毛頭申してない。意見交換する時間があればで結構なので、意見交換をする場があればと思った。
□ 意見交換という形をとると、記録に残る。そうすると、皆様方に準備いただかなければならないということになるが、そういうことをお願いするつもりはない。今まで一生懸命やっていただいた上に、更に自分としてはこの問題はこうやるべきだといった具体の提案をお願いするつもりは全くない。何か感想をおっしゃる機会はつくりたいと思うので、それぞれの御感想を承ることはあるかもしれない。