○改正が必要と思われる事項のうち、行政事件訴訟法の基本的構造に直接関係せず、それとして検討が可能なものについて成案を求め、より根本的なものはその後も継続して検討を進めるという「段階的改革論」が適切だ。
○当面の改正の主要な論点は、第1に、処分の取消訴訟を中核とする基本構造を維持する、第2に、処分性は拡大しない、第3に、原告適格を拡大する、第4に、取消しの利益を緩やかに認める、第5に、憲法上の「包括的な権利保護」という要請を満たすことをめざし、原告側の「訴訟類型選択負担」を軽減する、第6に、義務づけ訴訟を法定する、第7に、処分の差止訴訟を法定し、差止要件を緩和する、第8に、行為形式の多様化に即した行政処分の所在を前提としない訴訟類型をいくつか新設する。
○行政事件訴訟に関する判例の現状には、多くの学説から強い不満が表明されているが、立法による改革となると、従来の判例理論の全てをご破算にすべきとは考えない。理由は、第1に、最高裁の判断枠組みは、それなりに学説を意識しつつ、理論的な整合性をめざして形成されており、結論の妥当性に賛成できない場合でも、それを支える論理には傾聴に値するものが多く含まれている、第2に、結論の妥当性という場合にも、その評価は個々の判断枠組み自体について行うだけでなく、いくつかの判断枠組みを全体として行う必要がある場合も多々ある、第3に、訴訟法が裁判官に指針を与えるものである点に着目すると、可能な限り従来の判例法理の蓄積を生かす形での法改正が望ましい、という点だ。
○行政事件訴訟法の改正の検討の際には、現在の判例法理によって個々の条文がどう書き換えられているか検討し、書き換えられた条文を機械的に適用するとどのような不都合が生じるかを明らかにする作業が有効。例えば、処分性についての行訴法3条2項では、「行政庁の処分又は公権力の行使に当たる」が「公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうちで、その行為により直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているもの」と、原告適格についての同法9条本文では、「処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」が「当該処分によって自己の権利若しくは法律上の利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者」と書き換えられ、「法律上の利益」とは「当該処分の根拠法規が個々人の個別的利益として保護している利益」とされている。
○最高裁判所の判断枠組みとそれを機械的に適用する裁判例に対しては、「包括的な権利保護」又は「実効的な権利保護」という憲法上の要請が満たされていないとの批判がある。
○処分性が否定される行為を争う他の手段がない場合には「包括的な権利保護」という憲法上の要請に反する、というのが「処分性拡大論」であり、この立場からは、行訴法3条2項の条文は、機械的に適用する裁判例によって「硬化」していると診断される。
○原告適格を否定される者に自己の権利利益を守る他の有効な手段が与えられない場合は「実効的な権利保護」という憲法上の要請に反する、というのが「原告適格拡大論」の発想。そして、行訴法9条本文も元来は柔軟な解釈をとる余地を残している条文であったが、最高裁判所の判断枠組み、そしてそれを機械的に適用する裁判例によって「硬化」していると診断される。
○処分性については、現状維持、あるいは見方によっては処分性の縮小による「処分概念の純化」が望ましく、「包括的な権利保護」という憲法上の要請には、取消訴訟以外の訴訟類型の充実によって応えるべきだ。わが国における処分性をめぐる議論の錯綜の主たる原因は、「取消訴訟の負担過重」あるいは「行政行為論の負担過重」だ。
○取消訴訟の概念等については、日独両国で大きな相違が生じている。ドイツでは、争訟の存在と訴訟類型適合性が論理的にレベルを異にし、権利保護を与えるために取消訴訟の対象である「行政行為」の概念を拡大する必要性は低い。しかし日本では「取消訴訟か民事訴訟かの二者択一」又は「取消訴訟なければ権利保護なし」という発想の影響力が強く、処分性が争われる場合に、ここで処分性を否定すると裁判の拒否になるのではないか、という配慮のもと、最高裁の判例の中には、多少無理をして処分性を肯定したものもある。
○以上の状況は、現在の行政事件訴訟法の基本構造である「抗告訴訟と当事者訴訟の区別」「包括的抗告訴訟概念」、そして「取消訴訟中心主義」によってもたらされている。
○現在のドイツの行政裁判は、1960年の行政裁判所法で基本構造が定められたが、日本の行政事件訴訟法の立案作業は1955年から開始されたのであり、当時日本が参考にしたドイツの行政裁判の仕組みは、現在のそれとは異なったものである。
○処分性の拡大という解釈論上の主張をそのまま立法論上の主張とするのは適切でない。アメリカをモデルに権利保護を与えるべきものを裁判官の柔軟な判断で拾い上げる等のドラスティックな変革は、副作用の方が大きい。日本には、行政処分・公定力という特殊な法的取り扱いの存在を前提に数多くの法律が存在している。行政手続法は、行政法の「行為形式論」の成果を、ようやく見やすい形で示したが、このような行為形式と訴訟類型の有機的な結びつきを切断することは賢明でない。小早川委員の提唱する「連続=協働型」を実現するために、行為形式と訴訟類型の有機的な結びつきが活用されるべきだ。
○原告適格については判例法理による「硬化」への治療が9条本文に施される必要がある。
○原告適格の拡大は、取消訴訟の対象の拡大とは異なり、行為形式と訴訟類型の有機的な結びつきに直接の影響を与えるものではないので、副作用は少ない。
○改正案の中には、原告適格について判例がとる「法律上保護された利益説」的な枠組みの否定を提言するものが見受けられ、魅力的であることは確かだが、多くの提言が、現在と同様に一般条項のみによって原告適格を規律しようとしている点は気になる。
○第三者の原告適格については、「規律的侵害」と「事実的侵害」の類型化の視点で見直す必要がある。「規律的侵害」とは、行政処分の法的効果による不利益で、不利益処分の名あて人が争うような、「公定力の排除」の類型のほか,距離制限規定がある場合に、申請に基づく許認可を競業者等が争う類型など。これに対し、隣人訴訟あるいは環境訴訟のような類型で問題なのは、許認可を受けて事業者等が行う活動によってもたらされる不利益であり、これら「事実行為」による「事実的侵害」がどのような条件の下で第三者の原告適格を基礎づけるかは、理論上必ずしも十分に解明されていない。
○最高裁判所の判断枠組みについても、「権利利益の侵害」が「実態としての被害」を想定しているのか、あるいは与えられるべき保護が与えられないという「観念的な地位の喪失」を問題としているのか、はっきりせず、無意識にアメリカの原告適格の一部である「事実上の損害」的な実務感覚を示しているのではないか。本検討会では比較法研究が予定されているとのことであり、このあたりの疑問をぜひ解明して頂きたい。
○類型化のアイデアにより、従来の判例法理を生かしつつ、比較法的に恥ずかしくないレベルまで原告適格を拡大することが可能ではないか。9条を「処分の法的効果によって自己の権利利益を侵害された者」「処分の存在を前提とした行政機関の活動によって自己の権利利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者」「処分の存在を前提とした第三者の行為によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者」などという例示を設け、その他に、「各号に掲げる者のほか処分の取消しを求めるにつき正当な利益を有する者」にしてはどうかというたたき台を示したところだ。
○運転免許の停止処分を争う場合のように、「規律的侵害」が消滅しても、「事実的侵害」が残っていたら、事後的に違法の確認の訴えができるとする方が望ましいのではないか。その際、処分の法的効果がなくなった場合についても「取消し」では違和感が伴うので、直截に「処分の違法確認」を求めることができるという表現が望ましい。
○自分は処分性は拡大しないとしており、その受け皿として、行為形式に応じた多様な訴訟類型を用意することが必要になるが、訴訟類型が多様になると、その選択について原告の負担が増すので、「訴訟類型選択負担の軽減」が不可欠の条件となる。これをどのように行うか更に検討を要するが、最も有力な解決策は、「行政訴訟の教示制度」だ。
○差止訴訟の法定は、法定抗告訴訟の類型を増やし、行政事件訴訟法3条1項という一般条項への依拠をなるべく避けるという意味を有している。義務づけ訴訟は多くの場合申請に対する拒否処分の場合であり、一方で不利益処分の名あて人が争う取消訴訟と分かれることに着目すると、行政手続法との有機的関連を重視した改正という意味を有する。
○差止訴訟につき、最高裁判所は「事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がなければ認めない」という要件を示したことがあるが、それは昭和47年であり、時代も変わっているので、見直しが必要。東京都の外形標準課税条例に関する訴訟では、このような厳格な要件を機械的に適用するとどのような不都合が生じるかが示された。
○現行法の基本構造は「抗告訴訟と当事者訴訟の区別」だが、むしろ一歩進み、行政処分権限の発動・不発動をめぐる訴訟である「処分権限訴訟」とそれ以外の権利義務関係をめぐる訴訟である「権利義務訴訟」に大別した方が、将来の訴訟類型の整備にとって有益だ。
○行為形式の多様化に応じた多様な訴訟類型の整備といっても、土地利用計画の決定や公共事業の計画・実施、技術基準の策定をめぐる利害調整のように、行政訴訟自体が果たしうる機能には限界があり、行政手続の整備や、個別の行政実体法の見直しが併せてなされなければならない。このような観点は、団体訴訟をどう取り扱うか検討する際にも有益だ。
○行訴法の改正論点は、ほかに、適正手続、手続的な瑕疵の扱い、裁量などの本案の審理、裁判管轄等々、技術的な点についても論ずべき点が多く残されている。
【質疑応答】(●:委員、○:説明者)
●処分性を拡大しないとのことだが、例えば計画の前段階や公共事業などについて、どういう差止訴訟の類型を想定しているのか。
○処分が後からされる場合については差止訴訟による。後から処分が出てこなくても、権利侵害が予想される場合には、権利義務訴訟で前段階の確認訴訟を認め、現実に被害が出ている場合には、給付訴訟のアナロジーで妨害排除的なものを権利義務訴訟として認めるということだ。
●客観訴訟的なものは想定していないのか。
○さしあたりはそうだ。ただ立法により新たな訴訟類型をつくる場合については、必ずしも主観訴訟である必要はなく、計画関係で新しく訴訟類型をつくる場合には、若干はみ出しても、一定限度で計画の違法確認を争えることにすれば、立派な訴訟だ。
●「訴訟類型の新設」の提案だが、具体的なイメージはあるか。
○例えば河川区域に該当しないことの確認を求める訴えや、あるいは2項道路に該当しないことの確認訴訟を求める訴えだ。
●今、原告適格がなくて救済すべきだという具体的な例は何か。
○例えば、違法な診療所の許可により、距離制限でパチンコ屋が出店できなくなることについてパチンコ屋が争えないのはおかしい。また伊場遺跡の訴訟も誰も争えないのはおかしい。これは9条の手直しだけでは難しく、団体訴訟的な仕組みが必要。客観訴訟による行政統制、司法による行政のチェック機能を重視すれば、従来の学説がこだわる権利利益侵害の有無を越えられるのではないか。
●多用されている類型という言葉に縛られて議論が進むのは非常に奇異だ。物事の原理原則を理解するための類型化なら分かるが、パターン類型が先に既定要件的にあるのはおかしい。限定列挙をしていかないと現実の世の中の流れに追いつかない法律体系と、そのようなパターンは運用の中で認めていくのと、どちらがいいのか。
○訴訟法の規定の仕方は色々あるが、今までの部品をなるべく生かした方が使いやすいのではないか。道具に縛られてはいけないが、従来のものを一挙に捨ててというのは難しい。
●段階的改革とあったが、今のように構造的に世の中の仕組みを変えようという流れの中、司法だけがそういう段階的改革で世の中の大きな流れにのっていけるのか。
○司法の改革というのは、社会、経済の改革の後、一番最後に出てくるのではないか。
●今の質問は大変重要なポイントだ。行政法の分野ではパターン化すると、一種の排除効を持つということが起こってくる。
●段階的改革論とのことだが、今回無理でも根本的に解決すべきと考えているものは何か。
○今まで、行政訴訟の独自の存在意義は何か等の議論があったが、限られた期間ではけりがつかないので、今回の改革で、どういうものが当面必要かの議論をすべきという趣旨だ。
●「行政訴訟の教示制度」は、不服申立の教示と違い、その教示に裁判所が果たして拘束されることになるかの問題があるのではないか。
○確かに、行政訴訟の教示が有効に働くのは教示によって出訴期間を走らせたり、排他性を出す部分であり、「こういう訴訟で争うべし」という点は難しい。
●提言に「行政裁判所と通常裁判所の二元的構成」とあるが、行政裁判所ができない場合、権利義務訴訟と民事訴訟とはどう違うのか。
○行政裁判所までいくべきか迷っており、当面は一元的な裁判制度のもとで改革するしかない。その場合、民事訴訟と権利義務訴訟の区別は、訴訟手続ではなく、実体法が違ってきて初めて意味のある区別になる。その区別の議論は、今回の改正では避けるべきだ。
●公法と私法の区別の議論を避けた場合、行政事件訴訟法の中に権利義務訴訟という仕組みを入れておかないと救えないことになるのか。
○救うために、行政事件訴訟法の中に権利義務訴訟という仕組みを入れておくのは、理論上必要ない。