行政訴訟検討会(第7回)議事録
- 1 日 時
- 平成14年9月24日(火)13:30〜17:30
- 2 場 所
- 司法制度改革推進本部事務局第2会議室
- 3 出席者
- (委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、福井良次、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(外国法制研究会委員)
中川丈久神戸大学教授、橋本博之立教大学教授、山本隆司東京大学助教授
(事務局)
松川忠晴事務局次長、小林久起参事官
- 4 議 題
-
(1) 外国事情調査報告(中川丈久神戸大学教授、橋本博之立教大学教授及び山本隆司東京大学助教授)
(2) 意見募集結果報告
(3) 今後の日程等
- 5 配布資料
-
資料1 行政訴訟に関する外国事情調査結果(アメリカ合衆国)(中川教授説明資料)
資料2 行政訴訟に関する外国事情調査結果(フランス)(橋本教授説明資料)
資料3 行政訴訟に関する外国法制調査結果−ドイツ(山本助教授説明資料)
資料4 行政訴訟に関する外国事情調査結果一覧表
資料5 アメリカ・合衆国法典・司法審査関連部分抜粋(事務局翻訳)
資料6 フランス行政訴訟法典(橋本教授仮訳)
資料7 行政訴訟関係法令−ドイツ(山本助教授翻訳)
資料8 韓国・行政訴訟法(2002年7月1日改正 事務局翻訳)
資料9 行政訴訟制度の見直しについての意見募集の結果について
〔概要〕〔項目による分類〕〔意見提出者毎の意見内容〕
資料10 平成13年度行政事件の概況(最高裁判所事務総局行政局)
(法曹時報第54巻9号(平成14年9月1日発行)から引用)
6 議 事
【塩野座長】それでは時間になりましたので、第7回行政訴訟検討会を開催したいと思います。お忙しいところ、お集まりいただきまして、ありがとうございました。
それではまず事務局から本日の資料について、簡単にご説明願います。
【小林参事官】お手元、座席表の下に行政訴訟検討会(第7回)次第というのがございます。
本日の議題として予定しておりますのは、第1に外国事情調査報告、中川神戸大学教授、橋本立教大学教授、それから山本東京大学助教授によりまして外国法制研究会において、調査研究を続けてまいりましたので、その報告を予定しております。
それから第2に、意見募集の結果報告。これは8月の下旬まで事務局の方で国民に対する意見募集を行っておりますので、その結果を報告したいと思っております。
配布資料でございますが、資料の1、アメリカ合衆国に関する報告。
それから資料の2、フランスに関する報告。
それから資料の3、ドイツに関する報告。
それから資料の4、これはこれらの報告について、事務局の方で一覧表に調査結果をまとめた資料でございます。
それから資料の5、これは事務局の方で翻訳いたしましたアメリカ合衆国の司法審査に関連する法律の条文です。
それから資料の6、これは橋本教授にお願いいたしました仮訳段階ではございますけれども、フランスの行政訴訟法典、新しく制定されました行政訴訟法典の翻訳。
それから資料の7、これは山本助教授がドイツの行政訴訟関係法令を翻訳したものでございます。
それから資料の8、これは事務局の方で韓国の行政訴訟法、最近、今年の7月1日に改正されておりますので、その分まで翻訳をしたものでございます。
それから資料の9、これは9の1と2と3に分かれておりますが、行政訴訟制度の見直しについての意見募集の結果について、まとめたものでございます。
それから資料の10、これは最初の検討会でもお配りしました行政事件の概況、最高裁判所事務総局行政局でまとめたものでございますが、最新の、平成13年度の概況が公開されておりますので、これを新しく資料としてご提出したものでございます。
事務局で用意したものは以上でございます。
【塩野座長】それぞれの資料、ご確認よろしいでしょうか。それでは本日の議事日程は、用意した資料からご覧いただけますように、外国事情調査報告及び意見募集結果報告でございます。
外国事情調査結果報告については、ご案内申し上げておりますように、外国法制研究の3人の委員、中川丈久神戸大学教授、橋本博之立教大学教授、山本隆司東京大学助教授からご報告をいただくことになっております。中川教授からはアメリカ、橋本教授からはフランス、山本助教授からはドイツということでございまして、それぞれ40分程度のご説明をいただき、それぞれのご説明ごとに15分程度の質疑応答の時間を設けたいと思います。3人の方、大変に入念な調査をしていただいたのを40分ということで、お願いするのはいささか学者としては、申し訳なく存じておりますけれども、ここは学会ではございませんので、時間厳守ということで、お願いをしたいと思います。
なお、橋本教授からの説明・質疑応答の後で15分程度の休憩時間を設けると。それからまた、各報告及び質疑応答の終了後にまとめて30分程度の意見交換の時間を設けたいと思います。外国事情調査結果の報告の後、意見募集結果について事務局から今回のご報告をいただくということになっております。
早速でございますけれども、それではまず中川さん、よろしくお願いいたします。
【中川教授】中川でございます。よろしくお願いいたします。私の担当しましたアメリカでありますけれども、資料1が報告書ということになっております。資料2や3のドイツ、フランスに比べましてかなり分厚くなっておりますが、あまり簡潔にいたしますと、かえってわかりにくいかなと思いまして、ある程度、長めでお出ししております。その裏返しですが、本日のご報告は各計算しますと、1ページ、2分で説明しなければいけない、ということになりますので、ごくかいつまんで、お話しをしたいというふうに思います。
それでは早速でございますが、1ページ目からまいりたいと思います。1.司法と行政との関係、1−A.憲法的背景というところでございます。まず、1.でありますが、ここは憲法でどのように書いてあるかということでございます。条文ですが、まず一つは合衆国の司法権は、もちろん最高裁のみにある。したがって、これとは独立の裁判所を、例えば行政裁判所をつくることはできない、という意味では日本と同じ状況にございます。それからもう一つ条文で書いてございますのは、アメリカは連邦政府でございますので、連邦の裁判所と州の裁判所がある。憲法では連邦の司法権、連邦裁判所はどういう管轄権を持っているのか、ということをいろいろ定めた条文がございます。ここでその有名な「事件及び争い」あるいは「ケース・オア・コントロバシー」という言葉が出てくるわけでございます。
続いて、2.にまいります。「司法権」の概念。では、憲法は「司法権」の概念について、何を定めているか、ということなんですけれども、特に定義規定のようなものはございません。ただ、条文を見ておりますと、推測されるのが、憲法制定当時の伝統的なコモンローおよびエクイティ上の裁判観、すなわちイギリスから引き継いだ、そういった裁判のイメージを漠然と前提としていることが伺われます。その際に、注意すべきこと、これは2.の後半の段落でございますが、コモンローおよびエクイティ上の裁判というのは、何も私人間の争いだけではなくて、これは中世以来の伝統でございますが、政府職員と私人、住民との争い、というものもここに当然に入ってきた、ということに注意をしておくべきだろうと思います。
そこで、「司法権」の概念に続き、3.でございますが、こうした伝統をもとに憲法上の「司法権」ができるわけですが、2ページ目にまいりまして、今度は「司法権」として、立法権あるいは大統領の執行権とぶつからないようにと、三権分立、あるいは権力分立上の配慮が必要である。裁判をする場合には司法権の範囲内でなければいけない。ということが新たに憲法問題として出てまいります。これは色々な形で議論されるわけですが、それをひっくくって判例上は「事件または争い」の要件、先ほど申しました「ケース・オア・コントロバシー」という言葉を使って表現してみたり、あるいは「ジャスティシアビリティ」、これはジャスティスという裁判とか司法とか、あるいは正義という言葉ですが、それになじむようなものという、これは法律の世界で造語なんですけれども、そういった法理というふうに呼ばれております。要するに、具体的現実的な紛争のみを取り上げ、政治的問題を取り上げないことが「司法権」の範囲内に収まることである、ということです。あとで原告適格であるとか、紛争の成熟性あるいは訴えの利益の消滅、というところで具体的にこの「事件または争い」の要件、あるいは「ジャスティシアビリティ」がどのように現れてくるか、ということをお話し申し上げます。この段階では注意すべきことといたしまして、これは2ページの上から2番目の段落ですか、上から5、6行目あたりですが、この「事件または争い」あるいは「ジャスティシアビリティ」という法理は判例上、しばしば言われることなんですけれども、二重構造である。憲法上、必ずこれは事件である、あるいはおよそ事件ではない。という場面と、一応、憲法上は事件の余地はあるけれども、しかし自発的に裁判所が自己抑制をしてやや縮めると、いうこともある。そういうふうな2種類の判断を使い分けている。どちらがどっちかというのはよくわからないと裁判官自身はよく言うのですけれども、しかしその2種類があるのではないかということが繰り返し言われております。ですので、「司法権」の概念という、ここで言う「事件または争い」の範囲、あるいは「ジャスティシアビリティ」の範囲というのはきちんと決まったものではなくて、決まっているのは最大限、ここまでは事件だ。最小限、これは絶対に事件にあたるという一番小さいところと最大限のところは決まっておりますが、その中間領域、ある種のグレーゾーンは裁判所が裁量的に自己抑制をして、あんまり広いのも訴訟経済上、どうかなという場合には裁量的に中間領域を狭めることがあり得ると。そういうふうな形で、伸縮、のびちぢみする。そういうふうな形で捉えられている、というのがアメリカの特徴であります。
次、2ページの下の4.にまいります。今度は行政活動でございますが、行政活動が憲法上、どのように位置付けられているか、ということですけれども、イメージといたしましては法律が、その時々のニーズに応じて、専門的組織として、創ったものである。いいかえれば、三権のうちどれかに直属するものではない。もちろん、各省の場合は大統領とは任命権の関係がございますので、非常に密接な関係がございますけれども、しかし行政活動を行う権限、というものとそれから大統領の執行権というものは別である、というのが一般的な見解でございます。
そのため、2ページの一番下の行でありますが、行政活動は、しばしば「第四権」、つまり憲法には書いていない組織ではないか、あるいは憲法に書いていない権限ではないか、ということで、まずはそれが憲法上正統なのかどうか、ということが論じられる。アメリカのロースクールで行政法を習いますと、最初にここから始まる、ということでございます。それから、報告書には書いてございませんが、長くなるので省略したのですけれども、そういった位置付けでありますので、司法権からもちろん裁判としてコントロールはありますけれども、大統領が固有の権限で大統領命令をもって、たとえば、費用便益分析をしろというふうに命令することができるか、あるいは議会が行政活動に対しいろんなチェックをして、たとえば新しく作った省令について、議会が拒否する権限があるか、ということが議論されております。
そして、3ページの5.でございますが、このような位置付けの行政活動でありますので、アメリカの特徴といたしまして、一つ一つの法律の中で、単にこういう行政活動の権限があるというだけではなくて、それについて、どういう訴訟ができるかまで書くということが非常に一般的な立法慣行となっております。司法審査規定まで置くというのが通常でございます。
それから行政裁量というものの捉え方も、法律がそれは行政機関の判断に委ねたという立法意図に対する尊重、つまり「司法権」が立法権を尊重していることに関係がありまして、「司法権」と「執行権」の関係ではない。こういうことが一つのアメリカ的な議論の特徴であろうというふうに思われます。
そこで、直ちに1−Bにまいりまして、このような行政活動と司法権、憲法上の位置付けを概観した上で、それではおよそ行政活動に何らかの形で係わりうるような訴訟が全般的にどのようなものがあるか、ということを概観しておきたいと思います。
まず、6.は今回、この報告の中心となります司法審査を求める訴訟、というものであります。日本でいえば抗告訴訟と似ているものであります。これについての一般法といたしまして、行政手続法、1946年制定で、あとはAPAと略称させていただきますが、このAPAの中に司法審査規定が6か条ほど、ございます。それが司法審査を求める訴訟の一般的な規定でございます。これが日本の行訴法とどう違うかというと、大分違う、ということをそこに書いてございますが、あとでここに戻ってまいりますので、直ちには4ページの方にいっていただければと思います。
4ページの上から3行目でございますが、「司法審査を求める訴訟」という言葉は、定義をいたしますと、行政活動に不服な者が、その違法を主張して、是正を求める訴訟ということになります。これはAPAにも、このままの言い方ではありませんが、こういう形の表現がございます。なお、わが国の「行政訴訟」という言葉に対応する言葉が、アメリカ法にあるかというと、ない、というふうに思われます。
次に7.でございますが、「司法審査を求める訴訟」以外に、およそ行政活動に係わる、どのような訴訟がアメリカであるのか、ということについてあらかじめ概観しておきますと、2種類あると思われます。
まず第1ですが、これは政府と私人の間の契約違反であるとか、不法行為であるとか、あるいは信託違反といった、私人間でもあるような関係が政府との間でもありうる、ということを理由として、行われる訴訟であります。
このうち、特に問題になると思われますのが、信託違反であると思います。これは「第1に、」と書いたパラグラフの2つ下、「他方、」というところで述べてございますが、この信託違反というのは、自治体の基金とか財産につきまして、19世紀の州裁判所の話しなんですけれども、納税者と自治体の間にそういう信託関係が存在するんだ、ということを判例が認めまして、それがいわゆる納税者訴訟の起源になったというふうに言われております。このような関係は連邦政府とそれから連邦の納税者の間で存在するのかといいますと、連邦最高裁は一貫してこれを否定しております。そういうものは成立しない、というふうに言っております。州政府と州の納税者の間はどうかというと、これは州によって様々のようでございます。これが一つのタイプです。
それから第2の方、次、その下に第2と書いてございますが、また別の訴訟のタイプといたしまして、法律や行政命令等に違反した私人がいる場合、日本では大体、刑事罰を課するわけで、当然アメリカでもそういうものがございます。そういった刑事訴訟を政府が提起しますので、ここで刑事罰をかけるための刑事訴訟と書いてございますが、それと同時にアメリカで特徴的なのはその私人にその行為をやめさせる、という意味でのインジャンクションをかけるための民事訴訟を、政府が提起することができる。こういった訴訟、まとめて執行訴訟というふうに呼んだりいたしますけれども、そういったものがございます。
これについて、個別法でこういった執行訴訟ができるというのがよくあるわけですけれども、19世紀の末の最高裁の判例でございますが、そういった個別法に規定がなくても、刑事の場合、刑事罰規定がないとできませんけれども、民事のインジャンクションについては、できなければおかしいと述べたものがありまして、19世紀以来、これは個別法に根拠がなくてもできるというふうになっております。
そこで5ページにまいりまして、いよいよ本論でありますが、司法審査を求める訴訟について、もう少し詳しくご報告したいと思います。
まず、2−A.訴訟類型であります。8.でありますが、アメリカ法で、「司法審査を求める訴訟」の類型として、その訴訟ができるということが個別法に書いてあるのか、つまり個別の行政活動をつくった法律に訴訟規定があるのか、あるいはそうでないので、判例上できたものかという区別しかございません。
これに対して日本法では、「訴訟類型」という言葉は、行政事件訴訟法が定めている色んな類型でありまして、その観点はそこに書いてございますように、色んな観点が入り交じった複雑なものでありますけれども、アメリカではそういうものではありませんで、要するに法律に書いてあるか、書いてないかで、そういうものしかございません。
次に9.で、では個別法上の司法審査規定というものは、どういうものなのか。イメージを抱いていただこうと思いまして、書いておきました。これは個別法ごとに全くバラエティに実は富んでおります。様々なパターンがあるのですけれども、色々と見た結果、大体、①から⑧のもの、これ以上のものを書いてあるものはない。最も完璧なものが①から⑧に全部書いてある、というパターンであろうというふうに考えております。
①がいかなる行為が対象となるのか。②がどういう救済、判決を求めるのか。「取消し」であるとか「変更」、「是認」、そして「差戻し」、こういったパターンが非常に多く見られます。それから出訴期間は60日が多いようであります。4番目、仮の救済を与える権限。5番目、審理資料に係わる問題。それから6番目、原告適格。7番目、被告適格。8番目が管轄裁判所であります。高等裁判所にいきなりいくというものが多いのですけれども、地裁の例もございます。それから裁判地におきましても、行政機関の所在地だけではなくて、原告の住所地でもよい、というものも比較的多い印象がございます。
それに対しまして、次の10.でありますけれども、判例法上の司法審査訴訟というのは、何故できてきたか、ということでありますが、要するに今、9.で見ました個別法上の司法審査訴訟規定が個々の法律にないこともあったり、あるいは不十分であるという場合に穴埋めをするものとしてできあがってきました。
6ページの上から4行目で、「たとえば、」と書いてございますが、たとえば命令を受けた者がこれこれの訴訟をすることができる、というふうな個別法上の規定があった場合、同じ行為に対して第三者が訴訟をしようとした場合、これは法律には書いてないのですね。だからできないのかというと、そうではなくて、できるべきだというふうに裁判所が考えたならば、これは判例法上、そういった訴訟を認めよう、という形で穴埋めをしていく。あるいはそこに書いてある続きですが、個別法で具体的な命令、あなたはこうしなさいといった命令がある場合についての訴訟規定しかない場合。では行政立法を争えないのかと言いますと、これまた判例法上の訴訟といたしまして、もし争わせる必要があれば、それは適宜判例法で生み出す、というふうな形で生まれてきたものであります。先ほど、ちらっと申しましたAPAというのは、こういった判例法上の訴訟ができますよ、ということを確認した規定にすぎません。ですので、しばしば言われますのは、判例法上の司法審査というのはAPA上の司法審査というふうにも、同じ意味で使われたりします。
なお、個別法の司法審査規定、先ほど①から⑧まで書きましたけれども、そのうち①から⑦までにつきましては、ちょくちょく一部が抜けているということがございます。その場合には適宜、判例法上の考え方で決める。ある種のハイブリッドな、個別法と判例法の混ざったようなものがございます。⑧の管轄というのは全て、法律で決まりますので、個別法に書いてなければ一般法の解釈ということになります。
次に11.でありますが、ではこういった判例法上の司法審査のイメージはどのようなものか、ということで、おそらく最もイメージしやすいのは、どういう判決をもらうのか、だと思います。そこで、②求める判決は、どのようなものか、ということなんですが、これは私人間の訴訟で通常使われているものと同じであります。何かと申しますと、11.の上から5行目のところでありますが、インジャンクション、たとえば行政立法や行政命令のそれ以上執行しない、あるいは続行の差止めとか、あるいは許可を拒否された原告が私にくださいというふうな形、あるいは第三者に交付しない、というのはたとえば決定はしたけど、まだ書類がいっていないという状況であれば、書類を渡すなとか、色んな言い方を、素人的な言い方をしますが、そういった形でインジャンクションを求めればよい。そして、宣言判決は違法であるという確認判決。アメリカにはそういう言葉はございませんが、日本式に言えば、給付判決と確認判決をもらうということであります。インジャンクションと宣言判決を求める、というのが②のほとんどです。
②以外の残りのものにつきましてはここで特に指摘したいのが7番目でございまして、APAは先ほどただ単に判例法上の救済ができることの確認と申しましたが、被告適格についてはAPAで、ごく例外的に非常に積極的に規定しております。被告というのは合衆国、行政機関、行政官、のどれでもよいというふうな規定を置いております。
そこで次、12.でございますが、訴訟類型についての日米比較といたしまして、いくつか指摘をしておきました。
まず第1に、日本法では「主観訴訟」と「客観訴訟」という区別がございますが、アメリカ、少なくとも連邦法にはこういうふうな区別はございません。すべての訴訟は司法権の範囲内でなければならない、ということです。これは繰り返し、最高裁が言っていることであります。
第2に、日本では民訴と行訴の区別というのがございます。正確に言いますと、広い意味での民事訴訟の中に狭い意味での民事訴訟と行政訴訟が区別される。そういうふうな捉え方が日本ではされておりますが、アメリカの「司法審査を求める訴訟」というのは別に訴訟手続、判決手続とか保全手続という面で、他の民訴と変わることはございませんので、そういった区別は特になされておりません。普通の民訴という位置付けでございます。
そして7ページにまいりまして、上から4行目に、「第3に、」というのがございます。先ほど見ました個別法の司法審査訴訟規定というものは見た感じ、非常に日本の抗告訴訟と似ております。取消訴訟などと似ております。ただ違いとしましてはもちろん個別法のことでございますから、かなり多様性がある。また、取消しのみならず変更、裁判所が変更を命ずるというのもあります。これはある種の義務付け訴訟みたいなものだというふうに考えてもいいかと思いますが、裁判所が変更を命ずることができる、というものがしばしば規定されているところが特徴であると思われます。
第4に、アメリカでは、個別法訴訟を穴埋めする形で、判例法上の司法審査が形成される。そういった意味で、救済の“漏れ”を裁判所が責任をもって塞ぐという関係になっております。第4と第5の間に先ほど、飛ばしましたAPAのことですが、3ページでございます。そちらに戻っていただきまして、3ページの下のほうに6.とございまして、その第2段落からでございます。日本の抗告訴訟の制度というのはおそらくアメリカに引き直すならば、むしろ個別法に書いてある訴訟規定に相当するであろう。つまり、日本の場合はそれを個別法に置くのではなくて、それを全部統一化して、行政事件訴訟法に置いた、というふうに比較する方が私は適切でないかというふうに思います。3ページの下2行の部分でございますが、わが国の行訴法、その中でも抗告訴訟は、アメリカに引き直すと、むしろ、個別法の司法審査規定を統一化して規定したようなものと位置付けることが適当であろう。次に4ページになりますが、アメリカではそれをさらに判例法上の司法審査、すなわちAPA上の司法審査で補充していると。こういう関係にあるというふうに対比して理解した方が正しいのではないかというふうに思います。
そこで前後して申し訳ないのですが、また7ページに戻っていただきまして、7ページの「第5に、」というところでございます。日本では、原告が訴訟の仕方を誤った場合のリスクというのが非常に問題にされておりますけれども、アメリカではもちろんゼロではありませんが、そういったリスクが比較的少ない印象があります。と申しますのも一番典型的に現れておりますのは、インジャンクションをどの程度、どのようにして求めるかということなんですけれども、要するに訴状では原告がインジャンクションを求めるんだと。損害賠償ではありませんよと。あとは本案審理、何が対象なのかさえわかれば、十分である。具体的にどういうインジャンクションをかけるかはこれは裁判所が本案審理の結果に基づいて決めることである、というふうな仕組み、役割分担になっておりますので、そういった意味ではインジャンクションというのは非常に気軽に求めております。私は訴状を見たことはありませんが、一審判決を見る限りではただ単にインジャンクションを求めるというような感じの、こういう行為についてインジャンクションを求める、というようなものでも別にそれは問題はないのでございます。
続いて2−B.でありますが、いわゆる排他的管轄に関する問題であります。これが日本法で何かというのはちょっと時間がありませんので、省略させていただきまして、端的に言うとアメリカでも似たような問題状況があるというところからお話しをいたします。
これは7ページの下から6行目のところでございますが、アメリカでも日本の取消訴訟の排他的管轄と同じような問題がございまして、いわゆる執行訴訟、つまり政府が刑事訴訟、あるいはインジャンクション、民事訴訟を違反者に対して提起した場合、その中で行政命令を司法審査ができるか、あるいは合衆国に対する不法行為訴訟、日本でいう国家賠償訴訟でありますが、その中で行政命令の違法性というものを主張できるかといった問題がやはりございます。
7ページの下2行でございますが、コラテラル・アタックという言葉を判例は使うようであります。しかしこれをどのように解決するかということになりますと、先ほど申し上げました個別法上の司法審査規定があればその解釈である。その個別法上の司法審査規定が不法行為訴訟とか、あるいは刑事訴訟といった執行訴訟の中では争わせないよ、というほどのものである、ということが立法資料といったものから、看取されるならばそれは排他的である。そうでなければ排他的ではない、というふうなことになります。APAにもこの点については、執行訴訟については確認規定がございます。
8ページの14.は具体例でございますので、省略いたしまして、15.にいきまして、日米の異同を一言で要約すれば、日本では行為形式、取消訴訟の対象であります行政処分、公定力あるいは排他的管轄という言葉を使いまして、行為形式に絡めて議論しておりますけれども、アメリカの場合には、個別法の司法審査訴訟規定の解釈という形で結論をつけております。ただ、日本と同じようにアメリカでも色んな例外を付けておりまして、たとえば刑事裁判は別だとか、重大な憲法問題の場合は別だとか、そういう形で柔軟に解決をつけているようでございます。
判例13(大阪国際空港)につきましては、これは推測なんですけれども、おそらくいわゆる日本的に言うと私法的な差止訴訟、それから行政訴訟みたいなものというのは、これは両方できるのではないかというふうに思われます。ところが、しばしばあるのですけれども、州法あるいは連邦法が不法行為法であるニューサンスを否定する形でいろんな規制法をつくる、というニューサンス排除的なものがあって、これを日本法的に表現すれば、私法関係形成的ということになるかと思いますけれども、そういった場合にはもちろんニューサンス訴訟はできない、ということになりますが、これは実体法上の解釈の問題で、それがなければ両方できるということになると考えられます。
そこで、続きまして9ページであります。2−C.。今度は審査対象がどのようなものであるか、ということでございます。
16.では一般的に問題にされるのは、まず、①個別法が司法審査対象から特に排除している行為である場合、それから制定法上の審査排除。それから2番目に個別法が当該行政機関の裁量に全面的に委ねていると、普通の裁量ではなくて完全に委ねきっている場合、この2つは審査対象にならない、という形でこの2つをいかなる場合に認めてよいかということが教科書的には必ず議論になります。しかし、これはいずれも極めて例外的なものである、ということで、ほとんど認められません。たとえば、②の例でありますとある期間に調査申立てをしたけれども、何もうんともすんとも言ってこない。何だ、あれはといった場合に、それはやっぱり訴訟の対象ではない。その調査をするかしないかというのは完全な裁量であって、その裁量が正しいかどうかを判定する法的基準がない、という場合にはこれは審査対象にはしません。おそらく、日本でも同じような判決になると思いますけれども、そういった極めて例外的な場面だけでございます。
そこで17.ですが、こういった例外的なものを別にしますと、審査対象が問題になるというのは、個別法の審査訴訟規定がない場合です。個別法訴訟の規定がある場合、必ず対象規定が書いてございますので、その解釈問題になります。しかしそれがない場合、あるいはそれに入ってこない行為について、判例法上の司法審査訴訟において審査対象性が問題となります。
個別的な命令、つまり具体的にあなたはこうしなさいという、行政からの命令が司法審査の対象になるということは従来から当然だと言われてきたわけでありますが、それ以上どこまで広がるのかということは20世紀前半、はっきりしておりませんでした。APAもちょうど1946年の立法ですので、まさにはっきりしなかった頃の立法ですので、非常に曖昧な言い方、誰から見ても文句のつけようがない、言い方に終わっております。しかし、17.の3つめの段落でありますが、「しかしやがて、」というところでありますが、20世紀の後半になりまして、判例が確立いたしまして、これが現在に繋がっております。どういうふうな考え方かと申しますと、行政活動はすべて司法審査の対象となりうる。これを審査対象性の推定と言いますが、そのようにしたうえで、問題はむしろ裁判所がとりあげるべき成熟した紛争がそこに持ち出されているか、ということである。そうであればその紛争の原因となった行政行為を司法審査の対象にしてよろしい、そういう考え方でございます。「紛争の成熟性」、ライプネスという言葉で言われますけれども、要するに紛争の内容から見て、今取り上げても、司法権の範囲内であるか、という観点からのみ見ればいいわけであります。そういう理屈でございます。これがどういうテストであるかというのが、第1、第2というふうに分かれます。
第1は、その時点で十分審査できるだけの論点があるか。
第2は、これ以上延ばした場合に原告にどれだけ不都合(ハードシップ)があるか。逆に今の段階でやると行政がどれぐらい困るか。早すぎて困るか、といったことを考慮して定めるか、ということでございます。
そこで10ページでございますが、上から5行目であります。このように、審査対象性というのは、日本のような行為形式によって類型的に判定するわけではない。そういたしますと、たとえば行政立法だから常に争えるというわけでもない。同じ行政立法でもどのように紛争が出てくるかによって、争えるか争えないかというのが決まる、という判断でございます。
それからその次の段落、わが国でいう行政指導とか要綱でありましても、先ほど申しました成熟性のテストを満たす限り、これは訴訟の対象となります。現在、1990年代からこういった訴訟が非常に増えてきまして、かなり日本に遅れて行政指導に対する議論というのがアメリカでは非常に盛んになっています。ただ、日本とは違いまして司法審査の対象になる。そこで書いてございますように、たとえば指導文書に対して、これを守らなければ是正命令を受けるという場合、是正命令を待って司法審査を、これはできるわけでございますけれども、そうしますとそれによって原告に対して非常に酷な状況をもたらす、ということが事実認定できますと、じゃ今の段階で指導を争うというふうなことで成熟性を認める、という判決がございます。
次に18.でありますが、以上の審査対象性を日米で比較いたしますと、まず第1に、先ほども申しましたが、日本では行為形式を抜き出す、それに対応して訴訟方法を考えるという発想でございますが、アメリカでは、行為形式という類型が、これは一時20世紀の初めには試みられたこともあったのですけれども、結局は行政活動があまりにも多様化でやめてしまった。むしろ司法権の範囲内であるということの確保のために訴えの利益と申しますが、紛争の成熟性という観点から見れば十分であろう、というふうに舵を切り直してございます。
次に第2というのは、あえて日本の処分性の判定とそれがアメリカの判定の姿を対比すると、というものなんですけれども、日本の処分性があるかどうかという審査対象性の問題は、一つに、行為が権力的であるか、そして、もう一つは具体的法的効果性、あるいは事実的侵害も含みますけれども、そういった効力、効果を持つ行為であるかという2点に集約できるかと思いますが、これに対比させますとまず、権力性という概念はアメリカでは少なくとも審査対象性を決めるためにはございません。それから具体的法的効果があるかにほぼ対応する問題関心をアメリカでは「紛争の成熟性」という形で、行為の効果ではなくて、どういう紛争がおきているか、という形で議論している、というふうに整理すればあるいはわかりやすいかなというふうに思います。
そこで第3ですが、こういうふうに判断枠組みが違う結果、日本に比べて審査対象は当然、非常に広くなっております。
その下、判例1から判例3、これは11ページに入っておりますが、日本の判例ではどうなるかということですけれども、そこに書いてございますように、成熟性が認められる、個別の紛争ごとによって判断が違うと思うのですけれども、成熟性が認められるならば、これは全て審査対象になるだろうと思われます。それから特に付け加えたことは、このほかということで、11ページの上から7行目でしょうか。武蔵野市の負担金指導要綱という有名な平成5年の国家賠償でありますけれども、これも事案を見ますと、紛争の成熟性があるだろうと思われますので、アメリカであれば司法審査が提起できるというふうになったと思われます。
次、3番の原告適格でございます。19.でありますが、紛争に対する原告適格の範囲をどのような観点から決めるかということでありますが、これも要するに紛争に対する原告の関わり方からみて、その原告の訴えを認めても司法権の範囲内か、「事件または争い」の範囲内であるか、という観点から、原告適格を認める。要するに原告被告間が十分敵対的である。本当に具体的な紛争の当事者である。本人がそれに個人的な利害関係を持っているので、真面目に訴訟をやるだろう、そういうふうなことであるというふうに、パラフレーズされております。ではもう少し具体的な基準がないのかと申しますと、これは20世紀前半、後半で、かなり開きがございます。
20.でございますが、20世紀前半の裁判例といいますのは法的権利侵害を受けた者のみ原告適格がある。この法的権利、legal interestというのはコモンロー上の権利というふうに言われますが、要するに財産権、あるいはもちろん身体、生命も入りますが、そういったもの、あるいは制定法上の与えられた権利が侵害されたとき、そういった場面でございます。その結果、たとえば競業者というものは競争から自由であるという権利はない、ということでこれは原告適格はないというふうに言われてきました。ただし、それを批判する判例も当時の連邦最高裁でございまして、競業者には認めるという最高裁もございました。非常に揺れている1940年代の時期にAPAが立法されましたので、やはりAPAはこの問題について特に解決する立法ではございません。判例に委ねられるというわけです。
そこで12ページでありますが、上から4行目で、1970年代に入りまして、これもまた現在まで続く枠組みができました。有名な「事実としての損害」(injury in fact)があるかどうか、そしてその存在が「法律上保護された利益の範囲内と主張する余地があるか」、この2つのテストであります。
前者、injury in factというのが政府の行為によって、因果関係によって、損害が生じ、その損害は勝訴判決によってちゃんと救済されるか。こういった因果関係、損害の存否、救済可能性、この3つが必要であるというふうに言われます。これらの具体的・現実的紛争に真面目な利害関係を持っている者かどうか、ということでありますので、その損害の性質は、経済的や財産的ということにとどまりません。およそ、なるほどこれは重大だと思える問題であれば、全て入るというわけで、美的、環境的であり、リクリエーション上の損害を被った場合でも全て、「事実の損害」であります。ただし、一般的に言われているのは、知的関心、ちょっと関心があったというだけでは、必ずしも真面目な原告であるという証拠にはならないのではないかというふうに言われております。
その下にたとえば、と書いてございまして、たとえば開発行為をされることによって、自然環境を享受するという利益がなくなった。私はあそこで遊んでいたのにそれが見れなくなった、というのはこれはinjury in factである。それからある競争業者に免許があることによって、自分のところがお客が減った。これもinjury in factである。ある医事法の改正によって、私の収入が減るという医者もinjury in factである。あるいは消費者も当然にinjury in factであると、非常に広く認められております。あとはもう一つのテスト、原告の利益が制定法によって保護されているような利益の範囲内に入っているかというテストでございますけれども、これは非常に緩やかなテストでございまして、これによって却下した例は今まで1件しか連邦最高裁にはございません。
そこで21.でありますが、この2つのテストの関係につきまして、しばしば判例で言われているのは、injury in factというのはこれは司法権の範囲内であるために必ず必要である。これは冒頭に申しました司法権の最大外延を示すものである。injury in factさえもなければ、そういう原告の持ってきた訴訟はこれは司法権を超えるので、およそ認められない、ということになります。
それに対して、もう一つのテスト、「保護された利益の範囲内と主張する余地」があるのかということは先ほど申しましたinjury in factは非常に広いものでございますので、これを全部本当に認めないといけないとしてしまうと、これは訴訟経済から見たら、本当におかしいのでないか、合理的な範囲内で裁判所にはこれを縮減する、狭める権限があってもいいのではないか、ということで、そういった司法政策的な判断を示すためのテストとしてこういった「保護された利益の範囲内と主張する余地」があるという形式で見ていきます。ただこれは今後、変わるかもしれない。決まったものではなくて、とりあえずはこういうテストでやってみようと判例は言っているわけです。先ほど申しましたようにこの後者のテスト、「保護された利益の範囲内」と言わせて、却下された例が1件しかない、連邦最高裁では。ということからもわかりますようによほど、たなぼたと言いますか、これは本当にちょっと屁理屈だろうという原告でなければ、認めないというのが最高裁の方針である、というふうに言ってよいかと思います。
そして、12ページの下2行からのところでございますが、いわゆる市民訴訟という規定がございます。これは原告の「何人も……自らの資格において」これこれを訴えることができるという司法審査規定がある、ということがございます。その規定につきましてアメリカの連邦最高裁はこれも司法権の範囲内であるから「何人も」と書いてあるけれども、しかしそれはinjury in factが最低限なければいけない。ただし、法律が「何人も」と言ったことの意味がどこにあるのかといいますと、裁判所が勝手に「法律上保護された利益の範囲内」のところを司法政策的に狭めて、原告適格をさらに狭めるということがあってはいけない。injury in factより狭めることがあってはいけない。injury in factがあれば全員に原告適格を認めろというのを法律は言ったのだ、そういう解釈でございます。これが最高裁による市民訴訟規定の解釈であります。
それから13ページの3行目でございますが、納税者訴訟、これは先ほど連邦レベルでは納税者訴訟は認められていないと申し上げましたが、にもかかわらず納税者としての資格で原告適格を認めよという訴訟はやはりいくつか起きております。それについてはほぼ全てinjury in factのところで切っている。納税額に対する影響があまりにも微々たるものだというので、「事実上の損害」ではないということで却下しております。一件のみ認めた例がございますが、これはむしろ憲法上の問題がかかわっているということで、injury in factを認めた、ということでかなり例外的な事件であるというふうに言えます。
それから「なお、」というところでありますが、団体の原告適格でありますけれども、環境団体とか事業者団体が原告となることが非常に多くあります。それから、中にはクラスアクションで争うことも例がございます。
そこで22.でございますが、日米比較ということになります。日本の原告適格の認め方は、ややこれは強引かもしれませんが、見た感じではアメリカの連邦最高裁の20世紀前半のlegal interestに似ているかなと、いう感じがいたします。
次に2段落目でありますが、しかし日本の原告適格論の背景には、アメリカにない背景、主観訴訟と客観訴訟という区別がありますので、そこらへんからしてかなり考え方が違うというふうに言えると思います。13ページの下に日本の判例のあてはめというのがございますが、結論的にはアメリカではほぼ全て認められるのではないかというふうに思います。
そこで、14ページでございます。3−B.狭義の訴えの利益。訴訟をしていて、そのうち訴訟する価値がなくなったとして、却下をするという場合がありますが、これは特に制定法上の規定はございませんが、アメリカでは判例法上、「ムートネス」という言葉が使われます。訴訟をしていたけれども、紛争が途中で解決されてしまった、あるいは消滅したといった場合にうち切るということでありますが、これも、結局司法権の範囲内であるかどうかということの問題の一貫である、というふうに位置付けられております。具体的で現実的な紛争が継続しつづけていないならば、訴訟をやる必要はないということでございます。やはり原告適格と同じようにこれも憲法上、およそこれ以上訴訟をやってはいけないというタイプのムートネス、それから、いや、憲法上やってもいいんだけれども、これを続けるのは訴訟経済上、よろしくないのじゃないかということで、裁量的に打ち切る、という司法政策的考慮によるムートネスの2種類がある、というふうに言われております。ただ、どちらがどこまでどちらなのかということは結論に差をつけないので、やはり裁判官はあまり言いません。境界はよくわからないけれども、両方あるということが一般的には言われています。実際には後者の方が多く、司法政策的なムートという判断をすることが多いようだとの指摘があります。判例の傾向でございますが、これは14ページの24.のすぐ上のパラグラフでありますが、たとえば同じ当事者間で繰り返し起きることが確実に予想されるということであれば、一瞬それがなくなってもそれはムートとはされない。それからこれはアメリカ的な方法ですが、クラスアクションをすることによって、たとえば妊婦でなければ訴えの利益がないとかですね、いっぱいみんな集めてそれで誰かが原告適格があるというふうにしよう、ということが行われています。それから有罪歴とか病歴の有無という形で、記録に残るというような行政決定があった場合には重大な損害の場合には、ムートを認めない、というふうなことも一般的には言われています。
そこで14ページから15ページにまいりますが、これは24.であります。日本との比較でありますが、アメリカ的な特徴である司法権の範囲内についての柔軟な考え方、同じ訴えの利益の消滅といっても、政策的な消滅ということがあるという点が違うところだと思います。それから日本の判例のあてはめでありますが、これは判例14を検討していて、考えたことなんですけれども、日本では訴えの利益の消滅ということになっておりますが、しかしアメリカだと判例14の場面は出てこないだろう。というのがインジャンクションを非常に広く求めますので、事業者に開発をさせないようあらゆる措置をとるよう、というようなインジャンクションをしてしまえば、これはあとはどういう措置をとるかというのは裁判官の問題になりますので、訴えの利益の消滅という問題はそもそもならないのではないかというふうに思います。
あとは15ページ、真ん中の4.仮の救済でございます。ただちに次の16ページにまいりまして、日米比較、簡単に結論だけ申します。16ページの26.でございますが、いわゆる日本でいう執行不停止の原則というのはアメリカでも同じようであります。訴訟があったからといって、直ちに行政が止まるということは原則ではございません。しかし仮の救済の性格付けはこれはアメリカでは司法権の問題です。終局の判決が出せるのであれば、それが実効的であるために、途中で仮の救済として色んなものを止めたり、保全もしたりすることは当然これは司法権の範囲である、ということで、司法権の行使として仮の救済はいつでももらえる。日本の一部の学説でありますような、執行停止は行政権の活動であるという議論は影さえもない、というわけであります。
16ページの真ん中、5.裁量処分の審査でありますが、5−A.の27.であります。裁量審査の基準としましては、APAの規定をちょっと挙げておきましたが、706条の(A)、27.の2行目でありますが、恣意的、専断的、裁量濫用その他法に沿っていないということがあれば、取消、その他違法の宣言ができると、いう規定がございますが、これが審査基準の規定でございます。要するに日本の行訴法30条と同じであります。条文としては同じでありますが、しかし16ページの下の方でありますが、この基準のもとで裁判所は極めて緩い審査から極めて厳しい審査まで、様々なものをやっております。有名なものが16ページの一番下に書いてございます、ハードルック・ドクトリンでございますけれども、非常に意思決定の合理性を綿密に調べた、というふうなものであります。そういうものも先ほどの「専断的・恣意的」という審査基準のもとで、行われます。
17ページの28.は、裁量審査の考え方について述べたものでございます。歴史的なことを書きましたけれども、結論を比喩的に言うと、行政決定というのはある種、事実審判断みたいなものである。事実審と法律審の関係に似ていると。つまり、裁判所というのは行政機関のやや事後審査的な立場に立つものである。行政機関と裁判所は全く無関係の関係ではなくて、ともに法律で定められた正義を実現するんだと。ただし、行政機関の方が専門家である。事実認定をしている。事実認定及び裁量については、行政機関の判断をまず尊重しよう。裁判所はそれが合理的かどうかの審査をする。ただし、法律解釈に関しては、裁判所は全部やる、という形で行政判断と裁判所は非常に密接に絡み合った形で審査する、という考え方でございます。
最後に5−B.でございますが、資料開示の問題です。29.で、いわゆるディスカバリというのが、これはもちろん司法審査訴訟でも行われます。ただ、ディスカバリは非常に実務的な問題でございまして、私どもが外からどのくらい資料が出るのか、というのはなかなかわからないものでございますので、私の調査が止まっております。一つ言えますのは、ディスカバリというのは争点整理が目的でございますので、ここでどれだけ資料が出るかわかりませんが、出るといたしますと訴訟要件とか、本案審理でどこらへんを争点にするかということをお互いに争点整理していくために使われる。
18ページ、30.でございますが、それでは裁量審査の合理性はどうなるか、というところを見ますと、実はあまりこれはディスカバリは関係がなくて、判例上出てきたやり方ですけれども、実際に行政が用いた資料で行政がどのような判断過程を経て、その結論に達したのか。現実のものを審査するのがこの裁量審査である、というのが判例法上固まっております。従って審査の場合には行政記録、一件書類を全部持って来い。これによって具体的にどのように、実際に現実に判断したのか。実際に理由を述べよ。それが説得的かどうかを裁判官に説明しなさい、という形の審査をするんだ、ということが判例上確立しております。
ですので、18ページの一番最後、31.でございますが、日米比較いたしますと、日本にはディスカバリがありませんので、行政側の手持ち資料が出てきにくいというところはもちろんございます。
それとそれから19ページのところでございますが、裁量審査の判断について、日本では現実の意思決定過程を審査するのか、それとも行政が事後的に正当化したものであってもいいのか、あるいは場合によっては裁判官の方でこういう理屈もあったら合理的かなということを追認しちゃってもいいのか、というところをどれが良いのか悪いのかというところは我々は整理していないように思うのですけれども、アメリカの場合は最初の現実の理由しか審査しないだろう、ということで整理しております。
最後に、職権探知主義かというなんですが、これはそういう言葉ではアメリカでは議論されないのですけれども、ディスカバリがあるというのは当事者的ですけれども、しかし、裁量審査のところを見ますと記録を持って来い、というふうな指示を司法審査上出していますので、これはある種、職権主義的な運営というふうにあえて言えないこともないかなというふうに伺えます。40分になりましたので、これで終わります。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは今のご報告を聴いて、10分ないし、15分程度質問が何かあれば承りたいと思います。芝池委員、どうぞ。
【芝池委員】アメリカにつきましては、私としては、行政訴訟ないし取消訴訟がどういった形で現れてくるのかという点で、関心がありますが、今の中川さんのご報告では一方において、司法審査訴訟が民事訴訟と異ならないということですけれども、たとえば原発訴訟がアメリカであるとした場合、これは個別法が定めるところによることになるのでしょうか、というのが一つの点です。もし個別法で定められていて、司法審査訴訟が認められるのであれば、そのときに争われるのは違法性なのか、それとも妨害排除といいますか、民事訴訟の場合と同じような訴訟原因なのか、その点をお聞きしたいと思います。それから最後のところでおっしゃった裁量の司法審査に対してですが、裁量の審査については現実の理由が審査されるということをおっしゃっていたのですが、これは司法審査訴訟特有のものなのか、民事訴訟でも見られるものなのか。これを2つめに伺っておきたいと思います。
それからもう一つ、出訴期間がある場合があるということをおっしゃっていたのですが、この場合でも民事訴訟ができないわけではないのでしょうか。
【中川教授】最後、ちょっと質問の趣旨がよくわからなかったのですが、最初から申します。原発に関しましてはこれは原発関係の規制法の中に個別法の訴訟規定がございまして、これは全く日本の取消訴訟と同じような形で、つまりレジュメで申しますと、個別法の訴訟規定の①から⑧と同じような規定がございます。それによって、付近住民であるとか環境団体なんかが、訴訟をしております。そこで、主張されるのはもちろん違法かどうかということでございます。民事妨害といいますか、ニューサンスでいけるかと、不法行為という形でですね。それは実はニューサンスになりますと、州法になりまして州裁判所にいくのです。原発に関しては私はまだ探したことはないのですけれども、飛行場などはニューサンスを理由に損害賠償だけではなくて、差止をすると。飛行機を止めろと、あるいは空港の発注を止める、というような訴訟が州で起きている。ですからアメリカの場合、なかなか同じ裁判所にのりませんので、仮にのったらということで、大阪空港のところで、私申し上げたのですけれども、両方できるのではないかというふうに、それを否定するという理屈はどこにもない。私は司法審査は民事訴訟だと申し上げたのは、ちょうど日本法のイメージでいくと、株主総会取消決議、あれは形成の訴えでありますけれども、民訴ですね。あういうふうなものとして、行政行為のところにおいている。しかし、個別法がなくても判例法で訴訟すべき場面であれば埋めている。そういうイメージでとらえていただければわかりやすいのではないかと思います。
それから、裁量の現実の理由ということでございましたが、これが司法審査を求める訴訟以外に何があるかと言いますと、他に同じようなものがあるかは存じません。ただ、これは全て判例上理屈からして導かれるという形で出てきましたので、立法で現実の理由のみ審査せよ、ということになったわけではございませんので、そういう意味では、たとえば株主総会の決議取消の訴訟が、アメリカでは判例法上できるらしいですけれども、後から理由つけてはいかんというようなことを仮にあったとすれば、株主総会の場合、議事録が残っていますから、現実の理由でやるのだと思うのですけれども、それとそう変わったものではないという発想ではないかというふうに考えます。
それから、最後の出訴期間の点でございますが、民事でもできるというのは。
【芝池委員】出訴期間を一応、経過した後に限られますが、その場合に民事訴訟でもできるのか。
【中川教授】判例法上の訴訟ができるかということではなく。
【芝池委員】そういうことです。
【中川教授】それはできません。司法審査訴訟が個別法に書いてあると、それは出訴期間がここまで書いてある以上はそれは排他的で、そういう意味では排他性はあります。それは普通の法律の解釈です。そういう意味では排他的だと。
【塩野座長】今の点で、2番目の質問のところの、私も同じような疑問を持ったのですが、7ページのところが特に性質が違わないと書いてあるのです、民事訴訟の。6ページの終わりから7ページのとこに。しかし、そう思って聞いているとあとの方で職権探知主義ではないけれども、職権主義的な運用だと。それから「専断的・恣意的」という審査基準のもとで、いろんな審査をするという、そこはちょっと丁寧に書かないと、アメリカの場合でも完全な民事訴訟手続とは違う要素が手続上色々あって、行政側はそれなりに真摯に対応しなければ、さらには説明しなければいけないというルールがあって、そういうふうに私は理解し直しました。それでよろしいですか。
【中川教授】はい、そうですね。行政活動の司法審査が問題になっているので、それにふさわしい手続の工夫をしなければいけない、という意味では特殊性はある。それはしかし、だから民訴ではないという話しではなくて、民訴でも事件ごとにいろんな特徴がある、そういう話です。
【塩野座長】わかりました。では小早川委員。
【小早川委員】個別法による訴訟規定と、それからそうでない判例法とあるいはAPAの、その関係の話しで、今日の話しで大分よくわかったのですが、全体として見て、実際に起きる行政訴訟でどっちが量的、質的に多いのかというのが一つ。個別法によって、出訴を認めるというのは、たとえば議会が規制法律をつくったときには、まずそういう規定を置くもので、だから日本流に言えば、公権力の行使という言葉は出てこないというのですが、日本流に言っても、権力的規制については大体、個別法でまかなう建前になっている、というような一般論が言えるのかどうかというのがもう一つ。それともう一つは逆に、判例法なりAPAの手続の場合にインジャンクションなり、宣言判決なり求めるときに、出訴期間の制限はあるのかないのか、逆の方から。そういった点です。
【中川教授】まず、第一点の個別法の訴訟とそれから判例法上の量的、質的違いということでございますが、実際に起きているのはどちらが多いのか、というのは統計がなくてわかりませんが、いわゆる行政法の教材になるのは圧倒的に判例法上の訴訟でありますので、私が知っているのはほとんど、判例法上の訴訟でございます。いわゆる著名事件がほとんどそうで、むしろ個別法上の訴訟の方はあまり訴訟要件的に問題になりませんので、むしろその裁量審査であるとか、そういったところになると、そういうものが増えてくる。入口論のところを判例法上の訴訟を素材に授業を進めている、という傾向です。
【小早川委員】実際の役割でいえばどうなんでしょうか。
【中川教授】個別法上の司法審査、これは2番目のご質問と関わってくるのですけれども、ほとんどの法律には付いているというふうに考えた方がよろしいかと思います。そういう意味では数は個別法上のものは非常に多い。ただ、判例法上の訴訟というのは非常に重視されるのは、たとえばプリインフォースメントという訴訟がありますけれども、大体行政決定までは書いてある。あるいは行政立法でもごく一部のものには書いてある。しかし、それ以外のものもあっていいんじゃないかという形で訴訟が起きてきますので、これは非常に関心を呼ぶという意味では質的には非常に重要なものである。極めて例外的だという印象では全くございません。
【小早川委員】たとえば典型的な争い方については、個別法に規定しているけれども、それをもうちょっと広げたいというときに判例法が出ると。
【中川教授】ええ、まさにそのとおり。
【小早川委員】そこが講学的には注目をすると。
【中川教授】そういう整理だと思います。
【塩野座長】アメリカでは制定法準拠主義はあまりはやらない。つまり日本だと制定法でこれは決まっていると。それ以上に出るのは、立法趣旨に反する。
【中川教授】それはおよそないといってよろしいかと思います。つまり、制定法があるからそれ以上のものはできないという反対解釈というのは見たことがないというぐらい全くございません。逆に言いますと、特に初期の判決ですけれども、立法趣旨を見たけれども、この訴訟規定がある以外のものを許さないという趣旨はどこにも見出せなかったということを一言言うことがございます。明示的にこれ以外の訴訟を禁ずるという趣旨があれば、それはもちろん、そういうことを読み取れる。あるいは立法趣旨が明確であるということであれば、それ以外の訴訟を認めませんでしょうけれども、そうでない限りはあとは司法権で考える、という発想です。
【塩野座長】禁じたときに憲法問題は起こらないのですか。
【中川教授】それは起こりますので、禁じたという解釈をするためには、司法審査の排除によほど理由がなければ、説得的でなければいけないのです。
【小早川委員】第3点については。
【中川教授】出訴期間に関しては、民訴一般の理屈に通じるわけですけれども、州法の時効規定といいますか、出訴規定、スタチュート・オブ・リミテーションといいますが、それがかかるのか、それとも連邦民事法にある6年以内の規定がかかるのか。あるいはさらに判例法上、レジスというのですけれども、あまり時期を失して提起された訴訟は却下する、という判例法理があります。それらのどれが適用されるだろうというところがわからないので調査中ですけれども、非常に重要な点なんですけれども、しかしそこはまだはっきりとは基準としては私は理解しておりません。
【塩野座長】後でまとめて、3人に質問する時間もありますので、あと一人だけお伺いしましょう。あと、まだ質問あると思いますけれども、後にまた、ディスカッションの時間がございますので、そのときにお願いします。では福井さん、どうぞ。
【福井(秀)委員】後からの理由で正当化はできないという話しについて、お伺いしたいのですが、日本だと処分時に存在していたあらゆる理由、事情、後から証拠作成するというのは割合広く行われていますが、要するに鑑定とか証拠作成で、当時存在していたはずだということが、後から鑑定なり証拠作成するとかは、アメリカでは一切ないと考えてよろしいのか、というのが一つです。特に段階的決定の場合なんですが、後から争いが排除されるという効果があるのか、特に判例法で出訴が認められているような行為について、それが認められたから、たとえばその次から似たような争いではそれ以降の段階で争ったらもう遅すぎるよということが起こりうるのかどうか。利用強制ないしは出訴期間という観点から教えていただきたいということと、最後に納税者訴訟が連邦と州でなぜ考え方が違うのでしょうかという理由を教えていただきたい。以上です。
【中川教授】第2問目から、そういうことはございません。といいますのは、これはある行為に審査対象として判例法上、司法審査を認めましても、それはその行為だからすぐに認められるのでなくて、先ほど申しましたように紛争の成熟性があるから、その事件は認めたということでございますので、定型的に認められる保障はどこにもないので、たとえばその後の段階的な行政の場合、その後で制限を受けるということはございません。現実の理由の審査は決定があるのだから、その決定の理由を見て審査するのは当然だろうという単純な理屈なんですけれども、これは徹底してやっております。ただし、こういうことがございまして、ここにはちょっと書いてございませんけれども、追加的な証拠申請、つまり原告がもっと、重要な証拠を持っている。ところが、行政が採用してくれなかったので、こういう決定をしたんだという場合がございますね。その場合には追加証拠申請の手続を踏みまして、裁判所に対してこの証拠をもって、もう一回行政機関に考え直させてくれと。そうしますと、裁判所がなるほど、これは重要な証拠だと考えますと、事案を全部行政機関に持っていきます。そこでもう一回、フィルターをかけ直しますので、ある意味、そこでもしかしたら新しい事後的な正当化ができるかもしれません。判断し直しは、そういう意味では裁判官が認めている、追加証拠によってのみおきるということになります。
【福井(秀)委員】行政庁のイニシアチブではないのですか、その場合は。
【中川教授】ないです。それから納税者訴訟は、州については自治体については全部、認めている。これはわかりやすいのです。自治体というのはアメリカの場合、企業ではありませんが、連邦破産法の対象でもありますし、自治体の破産も当然ありますので、我々のイメージする市町村とは随分違う。その結果、信託財産であるのかないのかはしっくりくるものがあるのですけれども、州は主権国家ですよね。主権国家について、信託関係が成立するのかどうかということなりますと、これは判例法上、そんなのは関係ないというところと、そうじゃないところがあるようでございます。私、ニューヨーク州しか見ていませんので、残り49州がどうなっているのかはわかりません。そうしますと法律でそこはあえて、いやそれは信託関係があるんだというふうにコモンローの変更という形で、正当化することはもちろん有り得ることであります。それをしなければ州によってない、それだけの違いではないかと思うのですが、しかし、これは繰り返しになりますが、ニューヨーク州のしか見ていませんので、他のは今回は手が及びませんでした。
【塩野座長】どうもありがとうございました。その他色々とご質問あろうかと思いますが、またもう一度質問時間ありますし、また今後のこの検討会のやり方しだいでは外国法制研究の先生の方々に常にいろんな形で資料を提供していただくというやり方もあろうかと思いますので、第一弾の質問は終わらせていただきます。それでは続いて、橋本さん、お願いします。
【橋本教授】フランス法を分担した橋本でございます。調査結果につきましては当研究会の事務局から提示されました項目といいますか、概念構成に忠実にしたがった形で、提示をしてあります。
1 司法と行政との関係一般。① 行政裁判制度。フランスは、司法裁判と制度的に分離された行政裁判制度を有しております。これは、フランス革命以降、権力分立のひとつのあり方として、歴史的に形成されたものであります。
1789年にフランス人権宣言が出されておりますが、ここには権力分立がうたわれておりましたが、この時期、フランスでは、いわゆるアンシャン・レジームの時代に裁判機関が政治的介入を行ったことへの不信がございまして、司法権による行政活動への介入を否定する考え方が支配的でありまして、1790年の法律は、司法作用と行政作用の厳密な分離を定めております。この1790年法がフランス行政裁判制度の基盤をもたらしたというふうに言われているわけであります。
1799年に、ナポレオンは、立法及び行政立法の起草と、行政争訟の裁断に関する諮問的権限を有する機関ということで、コンセイユ・デタを創設しました。当初、コンセイユ・デタは、行政裁判権を有していた国家元首に答申を行う機関ということでありましたけれども、1806年には、コンセイユ・デタの内部組織として訴訟委員会が設けられまして、行政裁判手続としての体裁が整いはじめるわけであります。一方、19世紀全体を通しまして、フランスの憲法体制はすごく変わるわけでございますけれども、コンセイユ・デタを中心とする行政裁判制度は存続、発展を続けることになります。そして、第3共和制下の1872年法により、コンセイユ・デタは、独立した裁判機関としての地位を確立いたします。
その後、行政裁判制度は、第3共和制下で飛躍的な発展を見せる。そして国民の権利・自由と行政の公権力性とのバランスを可能にするシステムとして、独自の判例法によって、民事法とは区別された新しい法の体系としての「行政法」を生み出したわけであります。これがフランスが「行政法の母国」と言われる所以であります。19世紀のフランスで誕生した「行政法」は、ドイツに影響を与え、さらにドイツ経由でその一部が日本にも流入するわけであります。しかし、当時のドイツ及び日本が立憲君主制下であったのに対して、フランス行政法は国民を主権者とする共和制下の近代国家で発展したというところに根本的な特質が認められます。フランス行政法は、主権者の意思である法律の優位を貫徹し、公権力作用が総体として法律に服従すべきという「適法性の原理」を基盤とする形で発展を遂げます。
いずれにいたしましても、このフランスの行政裁判制度は、立法・司法・執行権という分立の中では、執行権に属する裁判機関でございまして、アメリカ及び現在の日本の権力分立とはモデル的に異なるヨーロッパ大陸型モデルの典型ということになります。
また、フランスの行政裁判官はかの地ではよく行政官の精神を持つ裁判官であるという言われ方がなされまして、これは自らが行政活動の補完であることを認識して、それを代弁している裁判官、こういうことだろうと思われますけれども、いずれにしましても司法裁判官とは全く異なる公務員集団を形成している、こういうことになるわけでございます。
② 司法権の観念。フランス憲法を一瞥いたしますと、第8章に「司法権」の規定があります。また、第7章は「憲法院」について定めております。一方、行政裁判制度について憲法典の規定はございませんけれども、1980年代のいくつかの憲法院判決によって、行政裁判制度は憲法的基礎を有すると解釈をされております。このことから、フランス憲法上の司法権の概念というのは、これは民事訴訟・刑事訴訟を念頭に置いたものであって、憲法訴訟や行政訴訟はそこから除かれているということになります。
フランスでは、司法裁判と行政裁判という用語の対比が示しておりますように、司法的と裁判的という概念の違いがございます。行政裁判所というのは、司法権ないし司法機関には属さないけれども、これは裁判機関であるというふうに考えられていて、行政事件について、国民の裁判を受ける権利、これは憲法上当然に要請をされるということになります。
日本的に考えますれば、行政事件の領域において、後に述べますように行政決定に対する抗告と、これがフランス行政訴訟手続の基本的な枠組みですけれども、これに乗らないような請求、たとえば、原告が有する権利の確認を直接求めるとか、あるいは行政主体に対して直接作為義務を求めるといったことができないのは、これは「裁判拒絶」にあたるのではないか、という疑問が生じるわけでございます。これは、つまるところ権力分立モデルの相違と、それに基づく行政裁判所の自己抑制の結果ということになりますけれども、この点、フランスでも、行政事件について原告側の権利を直接争う訴訟類型がないということを問題視する見解もございます。また、義務づけ訴訟が欠如している、あるいは仮の救済が不備であるといった、従来フランス行政訴訟の欠陥として比較的指摘されていた事柄につきましては、近年の制度改革の中で、立法上の手当てによる欠陥の克服が試みられているところであります。
フランスでは2000年に法典化作業が行われまして、現在では800条弱の条文を持つ体系的な行政裁判法典が整備されております。フランスでは、1980年代から約15年以上にわたって大幅な行政訴訟制度改革が進められまして、この法典がその到達点を示すものになっております。日本の行政事件訴訟法は45条までしかなくて、同法に規定がない部分を民事訴訟の例によるとしているわけでございまして、その訴訟手続の遂行に関する規定の大部分が民事訴訟に委ねた形になっているわけでありますけれども、この点フランスは大きく異なりまして、日本では民事手続法に含まれる部分まで取り込んだ完結性を持っていることが言えるわけでございます。
いずれにいたしましても、フランス型モデルは権力分立の一つのあり方であるとともに行政活動への司法裁判機関の介入の禁止という歴史的与件の産物であり、そのことに由来する弱点と言いますか、弱い点も見られるわけでございますけれども、アメリカ型モデルとは別の方向で、現在の到達点を示す比較法上の一つのモデルということができるかと思われます。
2 行政に対する司法審査の類型等。(1)は訴訟類型。①制定法令上の定め。行政裁判法典には、各訴訟類型を内容的に定義する規定はございません。他方で、越権訴訟、全面審判訴訟等は、明文で使用されております。従いまして、こういった訴訟類型は、実定法上の概念として用いられているけれども、その内容や分類は、学説あるいは古い法律の伝統的解釈論によっている、ということになります。
なお、これらの訴訟類型は、一般的にはいずれもいわゆる「民衆訴訟」ではなくて、訴えの利益を要求される訴えという形で観念されております。日本で語られている客観訴訟に類するものとして、適法性統制訴訟がございますけれども、これは、地方公共団体一般法典を根拠として存在している、というわけであります。
②具体的訴訟類型。フランス行政訴訟の類型として、通常ですね、越権訴訟、全面審判訴訟、解釈訴訟、処罰訴訟、の4つがあげられるわけであります。
これらのうち、概括的な訴訟類型として、実際上重要性をもつのは越権訴訟と全面審判訴訟の2つであります。
越権訴訟と全面審判訴訟は、両方とも行政決定に対する抗告という共通の構造をもっているわけですけれども、そのうち行政決定の取り消しの可否のみを審判するのが越権訴訟であり、行政決定の取り消しにとどまらずその変更等まで争えるのが全面審判訴訟という形で整理をされます。
ただし、全面審判訴訟における行政裁判官の権限には、実際上は制約がございまして、そこに書いてありますように金銭給付決定に関する給付額の変更、あるいは金銭給付拒否決定に関する給付額の決定、その他、相当に限定をされているということになります。
これは、行政裁判制度が歴史的に形成される過程におきまして、執行権の内部において、活動行政作用と、行政裁判作用とを分離しよう、こういう基本原則があったということに由来しております。同じ執行権に属する裁判作用としての行政裁判制度が確立するための前提として、行政裁判官が活動行政、行政機関に対して作為命令、あるいは不作為命令を下すということを自己抑制というのが原則として採用されまして、全面審判訴訟においても、歴史的に形成されたり、立法により根拠づけられたりした一定の枠組みの中でのみ、行政決定の変更を命じる、こういうことになっているわけでございます。全面審判訴訟は、抽象的には国民側の権利について完全な救済を可能とする枠組みとして存在しておりますけれども、実際には、行政裁判官が行政機関に対して作為・不作為命令を下すということは、自己抑制されていることになります。
1980年代以降の行政訴訟改革では、活動行政作用と行政裁判作用の分離という基本原則それ自体は維持しつつも、立法措置によって行政裁判官が行政に対して命令する権限を強化することがなされております。その方法といたしましては、第1に判決の執行確保のための命令権限強化ということ、それから2番目に執行停止あるいは仮の救済制度の一環としての命令権限強化、という二つのルートが採られているわけであります。そして、一連の改革が終了した現時点では、かなりの程度、行政裁判官が行政機関に作為・不作為命令を下す権限が確立をされているということができます。しかしながら、この全面審判訴訟は、あくまでも金銭的事後救済の方法と、こういう側面が強くて、一般的な権利宣言訴訟あるいは義務づけ訴訟としての地位を得ているわけではないということになります。
これとは別に、1980年代以降の改革の中で、個別の法律によって全面審判訴訟の類型を活用しよう、こういう動向が見られます。これは、単に行政決定の取り消しを争うものではなくて、行政決定の変更までできるという行政裁判官の全面的審判権限を活用しようというものでありまして、たとえば、規制緩和の結果として、行政委員会が企業等に一定の制裁を課すと、こういう法的仕組みが導入されたときに、行政委員会の制裁処分について争うためにこの全面審判訴訟を法定して使う、こういうパターンが見られるわけでございます。
③我が国との対比。フランスでは、決定前置主義が取られておりまして、従って理論的に見ると、包括的な抗告訴訟中心主義という形が徹底されていることになります。それに対して、日本では、現在では抗告訴訟と当事者訴訟の二元的構造が見られる点に相違があるわけでございます。またフランスの全面審判訴訟は、国家賠償請求訴訟や、あるいは税務訴訟等を含んでいることも、日本とは異なるわけであります。
我が国で民衆訴訟として定義をされている、住民訴訟あるいは選挙訴訟に相当する訴えは、フランスでは民衆訴訟ではない通常の訴えということで分類されて、訴えの利益を要求されています。これは、訴えの利益の観念というものが、フランスでは非常に広いのに対して、日本では極めて厳格であることの反映であると思われます。さらに、フランスでは、越権訴訟を通常、「客観的訴訟」というふうに説明をしますが、この場合も通常は訴えの利益を不要とするわけではなくて、訴え自体はノーマルなものだけれども、行政活動の適法性コントロールを主たる争点とすると、こういう主旨によっているものと思われます。
機関訴訟につきましては、フランスでも、行政機関の階層的上下関係についての行政訴訟は一般的に不受理となるとされます。判例11、長野勤評との対照でございますけれども、フランスでは、行政決定を覆審的に争うのが原則でございますので、義務不存在確認請求といったものは不可能であると思われます。しかしこの事件であれば文部大臣の決定から学校長の勤務評定の作成という一連の過程の中で、行政決定に当たるものを取り出して争う、ということが可能であると思われます。特に、通達によって直接に各教員に法的義務が生じるということであれば、これは命令的性質の通達として、越権訴訟で争うことが可能ではないかというふうに思われます。
(2)「取消訴訟の排他的管轄」に類する議論。①制定法令上の定め。先ほど述べた1790年法、それからちょっと後の共和Ⅲ年の実月16日法というのがございまして、これらの法律によって、行政事件は、司法裁判所の管轄には服さないことになります。
他方で、行政裁判法典は、行政裁判所は行政庁の決定に対する申立てのみを受理すると定めていますので、行政庁の決定に対する訴えというものが、排他性を有するということになるわけでございます。
②排他性の内容等。フランスでは、越権訴訟による救済が「プラス・アルファ」として認められているという位置付けになるために、日本における「取消訴訟の排他的管轄」とは、問題の現れ方が異なっていることに注意が必要であると思われます。
当該事件が司法裁判管轄になる場合には、行政決定の適法性について、民事事件であれば先決問題として行政裁判所に移送されることが原則であり、刑事事件についてはこれは前提問題だということで司法裁判所が行政決定の解釈を行うことが原則とされております。
さらに、行政事件につきましては、全面審判訴訟が可能であれば、越権訴訟は提起不能ということが原則ですけれども、ただこれも全面審判訴訟の方が実はより広く審査が及ぶということですので、日本とはちょっと排他性における問題状況が異なるということになると思われます。
③我が国との対比。行政決定の取り消しについて、フランスでは2箇月という短期の出訴期間があり、それを徒過しますとそれが形式的に確定すると、こういった説明をするわけですけれども、こういった形で見られる手続的な公権力観というのは、行政決定の公権力性と国民の権利・自由の保護の手続的なバランスという、行政裁判制度を基盤としたフランス行政法のエッセンスである、というふうに思われます。この点、日本における行政行為の特殊な効力に関する議論とは、一定の近似性が指摘できると思われます。
他方で、フランスは、行政決定に関する非常に広い解釈、それから行政決定の取り消しを求める訴えの利益の極めて柔軟な解釈等、行政決定の取り消しを争う場合の訴訟要件に関する非常にリベラルな判例政策といった部分が、日本と際立った対照を成しております。フランスは、これは行政裁判制度の存在もございまして取消訴訟、行政訴訟が排他性を有する一方で、行政訴訟なり取消訴訟手続に乗せるための入り口は非常に柔軟である。フランスでは、国民がさまざまなルートを選択して、多様な形で行政訴訟の入り口が開かれる可能性があるということでございますので、行政訴訟で争うということについて日本のような否定的といいますか、限定的なニュアンスはあまりないと思われます。日本は、行政裁判制度を有しないにもかかわらず取消訴訟の排他性があると言われておりまして、かつ、取消訴訟の入り口が厳格に運用されている、という特徴が指摘できるのではないかというふうに思われます。
判例13(大阪空港訴訟)との対照でございますけれども、フランスでは、行政訴訟において事実行為の差止めとか妨害排除請求をすることは、不可能であるということが推測されます。フランスであればまずは、空港設置に関する土地利用計画の策定段階でその取り消しを争うことになると思われますけれども、仮に国営空港が供用された後で夜間の飛行差し止めを求める可能性を探るとすれば、それは飛行機の運航許可の基準となっている行政立法的決定など、そういう運航に関する何らかの行政決定を探し出して取り出して、その取り消しを争うということが可能性としては考えられるのではないかと思われます。なお、民事裁判・行政裁判を問わず、裁判所が公の工作物の除却を命じることは不可能であると、こういう法理がございますので完全に公の営造物を壊してしまうということはできない、ということになろうかと思われます。
(3) 行政に対する司法審査の対象。①制定法令上の定めとありますが、行政裁判法典は、公土木の領域を除いて、「決定」に対する訴えのみが可能であること、さらに不作為の場合はみなし拒否決定としてそれに対する訴えを提起することを規定しております。「統治行為」に該当するような例外的な場合を除けば、行政の行為形式のうち、「侵害的な」行政決定に該当するものについて、行政訴訟の受理要件たる訴えの対象性を満たすということになろうかと思われます。
②司法審査の対象の範囲。これはフランスにおきましても通達とか答申とか通知その他さまざまな非定型的な行為について、それが行政決定に該当するのかということが判例法上の問題とされます。
たとえば通達の場合であれば、解釈的な通達と命令的通達を区別し、後者についてのみ行政決定であるというふうに解釈をされます。通達に似ている行為形式としてモデル文書がありますけれども、これは行政組織内部で法的効力を有する限りでは行政決定該当性が否定されるということであります。それから裁量基準も、原則として行政決定には含まれない。答申等につきましては、通常は訴えの対象性を満たさないわけですけれども、場合により決定としての性質が認められる場合もあるようであります。
一方、行政立法については、これは当然に訴えの対象性を満たすものというふうに解釈をされております。行政立法に対する越権訴訟による適法性審査は、これはフランス的な「法律の優位」原則を担保するシステムとして、古く19世紀半ば以降、判例法において認められるようになり発展をしたわけであります。これは、行政裁判制度の役割としては、行政立法に含まれている違法性の除去というものが当然含まれるだろうと、こういう考え方におそらくは由来しているものであるというふうに思われます。
続きまして、③我が国との対比でございますが、まず、命令、行政立法的決定について、広く処分性が認められている点が大きく異なるということになります。また行政計画に係る決定、あるいは計画文書等の処分性についても、広く肯定をされております。また、行政過程の中から行政決定を切り出して越権訴訟に乗せるという、分離し得る行為と言われる解釈方法がリベラルに運用されているところも、日本と対比されるものと思われます。
判例の対照ですけれども、判例1についてはいくつか考えられますけれども、フランスでは、建築請負契約に関してそれに先行する行政決定について、越権訴訟で争うことがまず考えられるだろうと思われます。
判例2、3、4につきましては、いずれも決定として越権訴訟の対象性を満たすと思われます。ただし、訴訟手続上、当該決定が個別的な決定か命令的決定かということは若干区別をする必要がございますので、どちらに入るのかという問題はこれは別途残ることになろうかと思います。
3 原告適格及び訴えの利益。(1) 原告適格。①制定法令上の定め。行政裁判法典上、訴えの利益に関する条文はございません。この訴えの利益は、そもそも訴えあるいは請求を成り立たせる要素の一般的な解釈論として、議論されていることになります。
②原告適格の認められる範囲。越権訴訟の受理要件としての訴えの利益の解釈論は、フランスは年間10万件以上、裁判があるわけですから、非常に膨大な判例法上の問題として扱われております。そして、この原告適格に関する判例法の柔軟性というものがフランス行政裁判制度の最も重要な特質であるというふうに言われております。
訴えの利益については、個々の越権訴訟において、それが「直接的かつ個人的利益」に該当するのか、というテストがなされるわけであります。この場合に、利益が個人的であるか、利益が正当であるか、利益が決定との関係性において適切なものであるか、利益が直接的で確実であること、こういったことが要求されるわけであります。
この最後の利益が直接的で確実であるかという要求につきましては、判例法上、利益の侵害が「過度に間接的でなく、過度に不確実でない」ことの要求という形に定式化をされております。このテストを満たさないときには、当該利益が「間接的で不確実な反射的利益」であると言われて、当該越権訴訟は不受理となるということでございます。
以上はフランスで通常なされる整理ですけれども、こういうふうにまとめてしまいますと非常に厳密なテストがあるようにも見えますけれども、現実には、訴えの利益は極めて広範に認められております。
さらに、フランス法の特色として、非営利社団あるいは組合等について、集団的利益が柔軟に認められていることがございます。決定による集団的利益の侵害については、その集団の規約上の目的、あるいは、集団の権限等に関する法令に照らして判定されるわけですけれども、当該集団の目的との関係で精神的な利益であっても、受理可能性は認められます。たとえば、特定の市について都市計画規範の遵守を目的とする社団を結成すれば、その市における違法な建築許可の取り消しを求める訴えの利益が認められることになります。このことは住民単独では訴えの利益が認められない場合であっても、社団をつくれば、訴えの利益が拡大する可能性があるということになります。
それから納税者としての資格で、財務会計上の決定の取り消しを争う場合につきまして、判例法は、市町村、県、植民地の納税者についてはかなり早い時期に訴えの利益を肯定しております。他方で、国の納税者の資格で、ある行政決定の取り消しを争うということについては、訴えの利益を否定しております。これは国の納税者については、「広範に分担された利益」であるとか、あるいは民衆訴訟と同視されるといったことで、訴えの利益を否定していると考えられます。
なお、越権訴訟における訴えの利益の解釈について、都市計画の領域では、その利益について一定の制限をしようという方向性が見られるということであります。判例は、建築許可等を争う場合に、当該建築物と原告との間の「近接性」のテストを行っておりますし、団体の利益についても、団体の目的と当該建築物との関係性についてもテストをしているということであります。
③我が国との対比でございますけれども、判例5、6、7、8辺りについては、おそらくフランスでは、原告適格は認められるであろうと思われます。
判例9、10辺りになりますと、これは一般論としては「近接性」のテストの問題になると思われまして、個別法令の仕組みが違いますから、一概には言えないわけでありますけれども、いずれにしても非営利社団をつくれば個人でいくよりは原告適格が認められる可能性が多少広がると考えられます。
(2) 狭義の訴えの利益でございまして、①制定法令上の定め。フランスでは、訴えの利益の事後的消滅という議論の立て方は通常なされていないということになります。
②訴えの利益の事後的消滅に類する議論でございますけれども、日本の狭義の訴えの利益に類する議論として、フランスではいわゆる免訴という問題がございます。この免訴とは、訴えが開始した後、訴訟を遂行するのに不可欠な要素が事後的に消滅した場合に、本案判決を下すことなく裁判所の決定によって審理が終了することを言います。
係争中の行政決定が取り消された場合には、職権取消とかあるいは原告以外の第三者が別の訴えを起こしていて、取り消されたとか、そういう争訟取消の場合を問わず、訴えは免訴となるのが原則であります。これに対して、係争行為が行政過程の進行によって執行が完了しても、免訴とならないというのが原則になります。
我が国との対比でございますけれども、最初に申しましたように、我が国とは異なって、フランスでは、処分後の事情変更が訴えの利益を消滅される、という説明はなされないわけであります。これは、おそらく訴えの利益という概念についての、理解の違い、フランスの方が広いということの反映があろうと思われます。他方で、フランスでも免訴という手続きもございますから、日仏で共通の問題があるということも明らかなわけであります。フランスでは、行政決定について行政権が執行を完了しても免訴とはならなくって、本案判決まで行くということが異なるわけでございまして、日仏では、執行不停止原則の点では共通していますから、この違いは際立つことになります。
我が国の判例12、14との対比としましては、いずれにしてもこれは本案判決に至るものというふうに推測されます。
4 仮の救済。(1) 執行停止。①制定法令上の定めでございますけれども、行政裁判法典は、まず執行不停止原則を規定しています。執行停止手続は、2000年に、仮処分手続に統合された上で大幅に改革されまして、この結果、執行停止の要件・効果はもとより、手続が整備されたということになります。
②執行停止の要件・効果等。執行停止仮処分に関する一般条項として、法典L521−1条があります。この条文のポイントといたしまして、5個挙げておきましたが、第一に、執行停止を仮処分手続に統合したということによりまして、単独裁判官による決定が可能になったと同時に、仮処分手続を使うわけですから、執行停止そのものの迅速性が確保されることがございます。それから第二に、拒否決定についての執行停止が明文で認められた。ということは、各種の申請拒否処分について裁判所が行政庁に一定の処分をしろということを仮に命令するということが可能になったことでございます。第三に、行政決定の取り消しを求める訴えのみでなく、変更を求める訴え、全面審判訴訟ですけれども、これについても、執行停止が可能だということが明文化されております。それから第四に、執行停止の要件が、「緊急性」とそれから「決定の違法性に関する重大な疑義」、の2つに明文化されたわけでございますけれども、フランスでは従来の判例法では「回復し難い損害」要件と「重大な疑義」であったのですけれども、「回復し難い」要件から「緊急性」要件へと明文で変更されたことがございます。五番目に、行政決定の部分的な執行停止が、明文で認められた、こういったことが指摘されるわけでございます。
さらに、法典L521−2は、人権救済仮処分という新しい手続を導入しまして、これは仮処分裁判官が、行政主体等に対して「基本的人権を保護するために必要なあらゆる措置」を命じるという手続を創設しております。これは、保全仮処分において、行政決定の執行を妨げないという限定があることを埋め合わせる、あるいは従来フランスでは暴力行為の理論というものがございまして、そういったものの発展形ということもございますけれども、いずれにいたしましても、いわゆる外国人の滞在許可であるとか難民認定であるとか旅券発給関係の移民の人の親族の旅券発給とか、外事関係の事案において事件が見られるようでございます。
③我が国との対比。日仏の行政訴訟は、執行不停止原則とそれから執行停止手続の組み合わせという枠組みは共通しております。ただしフランスでは極めて詳細な執行停止手続が整備されているという点が際立って異なります。2000年の改革においては、要件として「回復し難い損害」が外されたということ、さらに明文で人権救済仮処分という特別の手続が新設された、こういったことが参考になるのかと思われます。
(2) 執行停止以外の仮の救済ですけれども、①制定法令上の定め。行政裁判法典は、保全仮処分の手続を定めております。これは古い法律では「本案に影響を及ぼさない」という要件と「行政決定の執行を妨げない」と2つあったところが、「本案に影響を及ぼさない」という要件が削除されておりますが、「行政決定の執行を妨げない」という要件は残されております。
②仮の救済の内容。この保全仮処分としては、実際に私人に対する措置命令とか、無権限で公物占用しているものを排除する命令をする、こういったものがあるようですけれども、ここでは行政に対する作為命令を自己抑制すると、こういう一般原則が働いておりますから、実際にこの保全仮処分が対行政との関係で果たす機能はおそらくは小さいというふうに思われます。
その他、原告に対する仮払いであるとか、緊急の証拠調べ等について、法律においては手続が整備されていることになります。
我が国との対比、③でございますが、日本の行政事件訴訟法は仮処分を排除してそれで終わっているわけですけれども、フランスではそこから進んで、行政訴訟独自の仮の救済制度を整備したというところが、大きく異なるわけであります。ただちょっとさっき申しましたように、フランスの仮処分は行政裁判官が活動行政へ介入することを自己抑制すると、こういう要素がございますので、日本と類似性があるといえばあるという言い方もできると思われます。
最後、5 裁量処分の話しですが、(1) 裁量処分の審査に関する法制。①制定法令上の定め。行政裁判法典には、おそらく裁量審査に関する明文の規定は特にないのではないかと思われます。行政裁量の問題は、越権訴訟における行政決定の「適法性の原理」の確保の問題、具体的に言いますと、越権訴訟における行政決定の取消事由の問題という形で扱われております。行政裁判官による取消事由に関する審査密度が大きいほど、決定に関する行政庁の裁量は狭くなる、ということになります。この点、審査密度については、制限的な統制、通常の統制、最大の統制、という3つの段階があるという形でオーソドックスな説明がなされていると思われます。
ここは制限的統制と通常の統制は飛ばしまして、最大の統制のところを述べますと、最大の統制と言われているものは、これは要件事実と決定内容の間の比例性について審査が及ぶ場合、これをいうのであります。伝統的に警察措置が人権侵害に及ぶ場合については、要件事実と措置内容の比例性の統制が行われていた。1970年代以降、土地収用や都市計画の領域における「公益性宣言」の違法性について、「費用便益対照」について裁判的統制が行われるようになったわけであります。ここでは、行政裁判官が、決定を行う行政庁の判断過程に代置するのに近いところまで、審査密度が深まっていると思われます。
②我が国との対比でございますが、日本では、行政事件訴訟法30条がございますけれども、フランスでは、行政裁量論が訴訟手続上の立法課題として扱われることはあまりないのではないかというふうに思われます。裁判的審査密度の段階についても、基本的には行政決定の類型ごとに蓄積された判例法の問題であるとか、あるいは個別決定の根拠法令の解釈の問題として扱われているようでございます。
(2) 審理手続における行政側の資料開示等。①制定法令上の定めでございますけれども、フランスの場合は報告担当裁判官というものは、判決形成の裁判官グループの一人になりますけれども、その事件を担当する報告担当裁判官が争点整理を行うのですが、その報告担当裁判官が被告行政庁に対して、準備書面・書証・その他の文書について、作成・提出を命じることができるわけでございます。これは、報告担当裁判官の権限であって義務ではございませんが、報告担当裁判官は、紛争解決のための争点整理にあたって、広い権限を有するのであります。
裁判所は、行政庁に対して、文書提出等の督促を行うことができるわけであります。督促に従わない場合には、原告側の主張を自白したということになります。
また行政裁判所は、法典に基づいて自分で鑑定、現場検証、証人尋問、書証の真贋の確認等を行うことができるわけであります。これらの手続も、行政裁判官の権限であって義務ではございませんが、当事者からの申立てによることなく、職権で行使することができるわけであります。
関連する法制でございますが、フランスの行政訴訟手続の特色としては、職権主義的性格が指摘されております。行政訴訟の立証責任は原告側に課されるのが原則でございますが、推定であるとか挙証責任の転換といった法技術によって、裁判実務上原告側の立証責任が緩和される場合があるということであります。これが①で説明した行政裁判官の権限等とあわせまして、行政裁判の職権主義的性格を示すものであるというふうに思われます。以上で私の調査結果の報告は終わらせていただきますが、フランスは行政裁判制度を有する比較法的モデルの典型でございまして、その意味では現在の日本の憲法構造とは明らかに異なっているわけであります。ただ最近20年の制度改革には急速なものがフランスにはございまして、現代社会において行政裁判を有効に機能させるための改革をかの国なりに試みている、ということになろうと思われます。今回の一連の検討としまして、原告適格の評価といった部分ではモデル的な違いにも関わらず、アメリカ法と実質的に共通しているのではないかという印象を持ちました。
また、フランスもEUの中での地位を獲得するということもございまして、義務付け訴訟等の、ドイツ法の優れている部分を取り込むということを試みていると、こういう印象も持ったわけであります。いずれにいたしましても、フランスはヨーロッパ型の一つのスタンダードであるわけですけれども、この我が国の行政訴訟ですね、もちろん我が国固有の要因というものを適切に反映しながら、比較法的なスタンダードに照らして、先進性を誇れる、こういう姿になりますことを当検討会の議論で、私自身も一国民として、切実に期待申し上げる、こういう次第でご報告を終わらせていただきます。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは3時半ぐらいまで質問にあてたいと思います。それではどなたからでも結構でございますので。はい、どうぞ水野委員。
【水野委員】民事事件の場合には先決問題として、行政裁判所に移送されて、行政裁判所で判断されるということですよね。ところが、いわゆる行政裁判所の審理の対象になる行政決定に該当するかどうかということについては、かなり色々と判断が分かれていますよね。民事裁判所ではこれは行政決定に当たらないとして、民事手続を進めるという場合もありますでしょうし、行政裁判所に移送されて逆の場合もあると思いますけれど、その辺りの交通整理はどうなっているのでしょうかというのが一つと、それからもう一つはいわゆる民事裁判所の裁判官と行政裁判所の裁判官との人事交流みたいなことはあるのかどうかと、あるいは他方、行政裁判所の裁判官といわゆる行政官との間の人事交流はあるのかと、2点について。
【橋本教授】最初の点は、これは行政裁判制度を持っている国の最大の弱点なんですよね。それについては民事のルートでずっとあがっていけば、最後は権限裁判所がございますので、そこで判断をするということになろうかと思いますし、行政側にきた、あるいは移送されて、移送されるかどうかという問題が最初にきたときにはこれは独特の手だと思いますが、下級審のレベルの行政裁判所がコンセイユ・デタに対して一種の重要な法律問題についての申し立てをするという手続きがございまして、一旦審理を執行停止をかけた上で、コンセイユ・デタが法律問題について判断して、それでまた答申を出すと。こういった仕組みがございますので、そういったルートを使って交通整理をするということになるわけですけれども、ただこれはかなりここは法技術的に非常に複雑な問題になりますので、なかなか我々がぱっと見て、微妙な交通整理はよくわからないと。確かに行政裁判制度が並んでいることによる弱点ということです。それはフランス人も認識しているだろうと思いますが、手続としては結局最後は権限裁判所がございますので、そこで民事か行政かの判断は下されることになることと思われます。
2番目の点でございますけれども、裁判官の人事交流で行政裁判官と司法裁判官との関係ですけれども、これはなかなか分析といっても、一般的にこう言われているという話しですけれども、一般的にはおそらく行政裁判官の方がステイタスが少し高い。それで司法裁判官の方がいくつかのルートで行政裁判官になるという手続きがあるわけですけれども、逆はないと、多分ないということです。これは経験とかあるようですけれども、出世するような感じで、民事の裁判官から行政裁判官になることがあるということであると思われますけれども、基本的には独立していて、特別なパターンでないと、司法と行政裁判官の間ではないということですね。よく言われることで私も見ましたが行政裁判官というのは法服を着ないですね。それをやっぱり職業団としての違いというのはある。他方で、それだけ行政官に入ることが近いということになりますけれども、行政官との人事交流は、これはかなり行われているということで、よく日本で知られているとおり、ENAと言われている国立行政院ですか、そこを出て、行政官になったりする場合、一種の高級公務員になったりしますから、通常の行政官になったり、戻ってきたりということもそれはあると思います。
【市村委員】1点、教えていただきたいのですけれども、執行停止の関係ですけれども、先ほどのご説明ですと、9ページの第2のところで、②の第二で、拒否決定の執行停止が明文で認められ、各種の申請拒否処分につき行政庁に一定の処分を仮に命令することが可能になった、というご説明をいただきましたが、その場合先に全面審判訴訟における行政裁判官の権限には実際上制約があるというご説明もいただいていますが、そのこととの関係で、ここでいう申請拒否処分というのは日本で言ったら本案の訴えとしてはどちらの類型に入っているようなものを考えているのか。そしてまたどういう命令ができるのか、最後的な本体の判断との繋がりはどうなるのか、その辺りをちょとと教えていただけたらと思います。
【橋本教授】ですからここはですね、この執行停止令ができたのが2000年で、法典が施行されたのが2001年の1月1日でございまして、これが一体どういう事例に適用されるのかというのはこれはまさにホットな問題であります。まず、説明としては執行停止の場合の緊急性と違法性に関する重大な疑義というのがまずその2つの要件がございますから、その意味では通常の全面審判訴訟の本案判断とはやはり異なると。そこをクリアしてこれは出て行くと、いう話しになるわけですけれども。実際の例としては、これもまだ1年間の運用で、色々と資料は出ていますけれども、読みますとやはり、仮命令の申し立てが出るのは通常いわゆる申請に対する拒否処分、これはいろんなものが出ている。しかしこれは実際認められたという例はそんなにあるというわけではない、ということですけれども、ただやはり、たとえば裁判所が通常の許可みたいなものを出すように命令したり、これは明らかに何かおかしなことがあって、拒否したというときにはこれはやはり許可を出したということを少なくとも下級審レベルではそういう仮の命令というものができる、ということですね。本案との関係のところについては、一方でこれはあくまで仮処分、仮の救済の手続の一部としてやっているのですから、おそらくこれは本案は切り離されて、やっぱり別に取消しなりなんなり、という全面審判訴訟でやっぱりできるところできないところというのは最後は出てくるということですね。
【市村委員】全面審判訴訟で最終的に実際上の制約があるということで、できないとされている部分について、仮の手続だからできる部分というのはあるのでしょうか。
【橋本教授】それはやはり緊急性と重大な疑義があるような場合には、多少はあるということなんだろうと。ただ、仮の命令のところは非常に理屈がわかりにくいし、今後どういう事例が出てくるのかというのはちょっと見ないとわからないですね。
【小早川委員】今のところなんですけれど、たたみかけるようですが、4ページの一番最初のところに判決の執行確保のための命令権限強化と、それから執行停止・仮救済の一環としての命令権限強化、と書いてありまして、これは両方密接に関連しているのかなという気もするのですが、私自身は前者の方の判決に伴う作為命令というかそこだけつまみ食いして、調べたことがありますけれども全体としてみたら、近年の改革の方向というのはやはり義務付け訴訟とは言わないけれども、本案での作為命令権限強化というのがあって、それを全体としての行政裁判官の権限をそっちの方に広げることになって、それと同じベクトルで、申請拒否処分についての執行停止で、仮命令とか、それと関連して見ていいのか、ばらばらの話しでたまたま並んでいるのか、そこは。
【橋本教授】ですから、おそらくですね、これはフランスの場合は今までフランスがやってきた法制度というのを延長線としてできる限り拡大しようという方向性はあるんですね。その執行停止なり仮の救済制度のまず並びとして、行政裁判官の命令権限を行使しようとするときに、たとえば人権救済仮処分はちょっと申し上げましたけれども、もともと暴力行為の理論でございまして、あんまりひどい人権侵害をやったときには公権力の特権が外れて、そうするとこれは通常の民事事件と同じになるのです。そうすれば仮の救済も公権力行使でないからできますよということになります。それの発展形として、こういうものがでてこようとしているわけですね。あるいは仮の命令というのは非常に全体の構造の中でわかりにくいところがございますけれども、これもやはり本案のところで、小早川先生がおっしゃった話しで言いますと、執行確保の中で作為命令権ができるのだから、仮命令もやれるようにある程度、工夫しましょうと。そういうのは確かにあるわけですね。だから一つはヨーロッパ法全体の流れの中で、これはEUのいろいろな枠組みの中で仮の救済を認めなければいけない、というような要素がたぶんあって、その中でできることを工夫していろいろ条文等工夫してやっていくと。そういう意味では先生が論文を大分前に書かれた執行確保のための命令権限強化という話しと2000年の改革の中ででてきた仮の救済の中での命令権限強化とはちょっとやはり方向性は違っていて、EUの統一的なスタンダードですかね、そちらに近いものをつくらないといけないというベクトルが働いているのだろうというふうに思います。
【小早川委員】非営利社団の方式を使うことで、原告適格が広がるということは理論的にそうなんですかね。一人だと認められないけれども、みんなで手をつなぐとできると。そこはドグマティッシュに、理論的に説明ができることなのか、それとも実際上結果がそういうふうに違ってくるのか。
【橋本教授】確かにこれはかなり古くから認められている。一番最初に認められたのは資格を持った人のグループ、有資格者のグループが、その社団は資格を国家資格みたいなものをどうも勝手に出したり、不適格な人に出したりしたのが社団であれば争えるというのが一番最初のパターンですね。そこでの古い議論を見ますと、やはり権利の束がまとまって、まとまってどうのこうのという議論はやはりあるようですので、そういう意味では一人ではだめだけれどもアソシアシォンとして、目的として何か掲げてその目的との関係で訴えの利益を認めるんだ、という方向性はあったんだろうと思うんです。
【福井(秀)委員】5ページと6ページの日本の判例との対比なんですが、日本の大阪空港訴訟のようなものはフランスでは民事訴訟では可能なんでしょうかということ。同様に6ページの一番下にあるごみ焼却場のような案件がこれもやはり民訴の差止めが可能なんでしょうか、ということを教えていただければと思います。それから8ページの判例12、14の運転免許効力停止処分、検査済証交付後の開発許可処分ですけれども、訴えの利益が消滅しないとすると、判決の効力は一体何なのでしょうか、ということをお伺いしたい。最後に、9ページの下から7行目ぐらいに裁判手続による執行停止決定をエンフォースメントの手段として利用する、とあるのが、意味がわかりにくかったので、教えていただけたらと思います。以上です。
【橋本教授】まず大阪空港が民事訴訟でできるのかということですけれども、おそらく民事訴訟で空港自体の差止めを認めることはできないと思いますね。
【福井(秀)委員】運航については。
【橋本教授】運航については、運航の根拠となっているような行政立法が多分あるだろうと。そこが部分的に取り消されれば、それがなくなるわけですから、それに基づいた運航許可は出せなくなるということだと思いますが、全面的な飛行差止めにはならなくて、夜間だけとかですね。そういうものだったら可能性はないわけではないだろうと思います。航空会社相手に民事訴訟を起こすことは可能ですけれども、公の営造物という理論がありますから、そういう意味ではちょっと本体として民事訴訟に乗る例はフランスでは考えにくい。
【福井(秀)委員】原発も同様と考えてよいですか。
【橋本教授】原発もそうですね。もともとつくるときにアメリカと同じで、取消しとか、争うことはありえますけれども、できてしまった後は賠償ということになりますが、損害賠償だけなら認められた例はかなりありますけれども、民事差止め訴訟という形ではならないですね。
【福井(秀)委員】規律法令があるからそうなんですか。
【橋本教授】そうですね。
【福井(秀)委員】単なる国とか自治体のとんかち工事がうるさいと言って、差止めを求めるようなのは民事訴訟に乗るんですか。
【橋本教授】事実行為であれば乗るかるかもしれませんね。営造物という概念がもう一つありますから、それが入ってくると、公物一般法理が少しうるさいですから、それがバリアになるということはあると思いますけれども。それから、だからごみ焼却場の場合も大体、同じだと思いますけれども、ただこれはですね、フランス流に考えると、色んな形で行政訴訟に乗っけて争う可能性がたくさんありますので、あまり問題にならないですね。民事でいけないという感じはしますけれども。そのことはあまり問題にならないのではないかという気がします。
【福井(秀)委員】日本のように民事で行くべきか、行政で行くべきか迷って、要するに訴える方が救済の機会をなくしてしまうという、そういうような問題ではない。
【橋本教授】あまりそういう議論はしないということですね。次の判決の効力のところですけれども、これは訴えの利益がなくならないとすると、なくならないかどうかというのはこれは日本人的にみると非常に素朴な疑問としてあるところですけれども、ここはやはりフランス人はなくならないと考えている。これはそもそも越権訴訟というものが処分時の行政庁の決定が違法であるかどうかというのを判断する訴訟であるということですので、処分時に違法であるかどうかをとにかく本案で言います、ということになるわけです。ただし、判決の拘束力が及ぶか及ばないかということになれば、それはほとんど必要ない。
【福井(秀)委員】運転免許なんかですと、期限が切れてから取り消してもらっても、日本では戻らないという気がしますよね。それはフランスでは違うんですか。
【橋本教授】訴えが受理された以上、違法として取り消されて、それで終わりということになる。
【福井(秀)委員】取り消されても、復する状態がないとすると、意味がないんじゃないかという疑問なんですが。
【橋本教授】意味は多分、ないんじゃないかと。
【福井(秀)委員】意味がないけど、判決は。
【橋本教授】判決は出すと。それがだからさっき言ったようにそもそも制度の趣旨として、処分時に違法だったということを、行政裁判所ですから、ここは宣言をするということになるわけですね。ただ、これはだからそれでも訴えの利益が残っているという説明をなぜするのかというところは確かにわかりにくいところですが。
【福井(秀)委員】次の開発許可みたいなところですとね、もともと開発許可が検査済証交付後であっても、根っこから取り消すんだ、現状復帰せよ、という効力があるんだったら、「残っている」という議論は非常に意義を持つと思うのですけど。フランスでも同様にそこまでいかないのですか。
【橋本教授】ええ。
【福井(秀)委員】そうすると何のために認めるのでしょうか。
【橋本教授】そこは一種のすれ違いがあって、じゃなぜ違法なのに、処分時について裁判所が判断すべきなのに、判断しないのか、という言い方をされちゃうと、ということなんだろうと思いますね。
【福井(秀)委員】9ページの下のエンフォースメントの手段として利用するというのは。
【橋本教授】これは条文をちょっと見ていただくとわかりやすいと思うのですけれども、資料で条文がありまして、10ページの第5編に特定の訴えに関する特別規定というのがございまして、ここに一連のエンフォースメントに関する条文がございますが、たとえばこのL551−1とそれから11ページの551−2というのはこれは要するに地方公共団体がEU指令をちゃんと守らないで、変な行政契約をやったというときに国が裁判所に訴えを提起してそこで命令を出させるというわけです。EU法にちゃんと従って、ちゃんと契約を結びなさいということを裁判所を使って国が自治体に守らせる。さらにその後も12ページ、13ページとずうっとございまして、たとえば12ページの上はこれは視聴覚通信の領域ですけれども、視聴覚通信委員会がいわゆる放送業者がちゃんとやっていないときにそれを守らせるために裁判の命令を使って業界に守らせる、というような仕組みがある。
【塩野座長】どうもありがとうございました。まだご質問もあろうかと思いますが、時間がまいりましたので、ここで一旦休憩をとります。
(休 憩)
【塩野座長】それでは時間がまいりましたので、続きまして、ドイツの行政訴訟に関して、山本さんからご説明をいただきます。どうかよろしくお願いいたします。
【山本助教授】ドイツに関しましては資料3が原稿でして、資料の7が条文を抜粋したものになっておりますので、ご参照ください。
それではまずⅠの総説というところからですけれども、A.司法と行政との関係—一般論です。基本法の19条4項、憲法ですが、条文の方は資料7にございます。基本法の19条4項は公権力により権利侵害を受ける者に出訴の途を保障する。このように憲法により保障される出訴の可能性を、法律によって制限することは許されません。ここでいう「公権力」というのは、行政組織がどのような法形式を用いるかを問わず認められます。つまり、行政行為であれ、行政立法であれ、行政契約であれ、事実行為であれ、あるいは行政の内部行為であれ、不作為であれ、全て含まれる、というふうに理解をされております。さらにこの19条4項は、行政訴訟の中心的な機能を、個人の権利保護とする規定と解釈されております。この点は日本に似ているというふうに言えると思います。行政訴訟が、個人の権利保護機能以外に、行政活動の適法性保障機能を果たすことが、憲法上禁止されるというわけではございません。しかし、ということでこれは有力な学説の見解ですけれども、裁判所に適法性保障任務を課すことによって、権利保護任務の遂行を妨げるほど量的に過剰な負担を裁判所に負わせることや、権利保護任務を遂行するという裁判所の基本的な性格を質的に変えてしまうことは、これは許されない、ここまでいくと許されない、こういうふうに理解をされております。
個人の権利保護を目的としない行政訴訟は、基本的には、法律が特別に定める場合にのみ認められます。但し、地方公共団体など自治ないしは自律が認められている公法人や、一定の独立性が認められている行政機関、例えば地方公共団体の長と議会の関係などですけれども、こういったものにつきましては、基本法19条4項の出訴権の保障は受けない。19条4項というのは人権に関わる規定であり、こういった機関は人権を持っているわけではないですから、この19条4項の保障は受けないのですけれども、しかしこれらの主体・機関、行政主体・行政機関が主張する「権限」は、行政裁判所法42条2項の「権利」には当たると解釈されております。これには異論はありません。法律に特別の定めがなくても出訴が認められております。現実に、例はたくさんございます。それから最近、最高裁の判決があって、やや日本で話題になっていることですけれども、行政機関が私人に対して、公法契約の履行などを求める訴えも、これも基本法19条4項の保障は受けないけれども、行政裁判所法42条2項の「権利」を実現する訴訟には当たる。したがって訴訟は可能です。行政行為を定める権限を有する行政庁が、行政行為を定める代わりに、金銭の支払いを求める給付訴訟を提起するということがありますけれども、連邦行政裁判所は、既に争いがあり後に裁判になりそうな場合には、訴えを適法だと認めております。これには反対の学説もありますけれども、ただその反対の理由というのは、これが権利を実現するための訴訟ではないから、というのではなくて、特別の手続があるから、こういう理由でございまして、これは法律上の争訟ではないうんぬんといった議論はドイツにはありません。
基本法は19条4項、および憲法訴訟について定める93条及び100条により、「裁判所中心の権力分立」観を示していると説かれております。あるいは司法国家的という表現を使うこともありますけれども、そう言われております。具体的に申しますと、19条4項が「権利保護の実効性」を保障する規定として、広い範囲において原告私人および裁判所の権能を強化する根拠になっております。例えば連邦憲法裁判所は、この19条4項を根拠にいたしまして、後から説明いたします仮の権利保護としての仮命令が必要であると言っております。あるいは日本で言う要件裁量否定の原則というものをこの19条4項を根拠に導き出しております。司法権に対する「行政庁の第一次的判断権」の原則というのは、現在のドイツでは、主張も実現もされておりません。
司法権としての行政裁判所、行政訴訟法制度。基本法19条4項は、公権力による権利侵害がある場合に、司法権を行使する裁判官へのアクセスを保障するが、公権力を行政裁判所が統制する必要があるとは定めておりません。これは19条4項を見ていただきますとわかりますように、要するに裁判所に出訴できなくてはいけない。どこも決まっていない場合には通常裁判所と書いてあるだけでして、行政裁判所への出訴が保障されているとは規定されておりません。それから基本法95条は、連邦における最上級の行政裁判所の設立を規定しておりますけれども、基本法92条と相俟って、行政裁判所をあくまで「司法権」の一部と性格づけております。換言すれば基本法は、通常裁判所、行政裁判所を含む5種類の裁判所、他に、憲法裁判所、それから「特別行政裁判所」としての財政裁判所、社会裁判所というのがございますけれども、これらを「同じ資格」「等位」の裁判権と理解しております。従いましてドイツの行政裁判は、行政ではない。この点はしたがって、フランスとは、かなり違うということになります。ちなみに申しますと、連邦行政裁判所というのは、戦後できた組織でございまして、ここにありますように財政裁判所、社会裁判所の管轄に、租税事件とかあるいは社会保険などの事件がいきますから、その意味でもフランスのコンセイユ・デタほど歴史もなければ、権限もそれほど広くはない、ということになろうかと思います。
次に行政裁判所における組織、手続は、1960年以来、連邦法である行政裁判所法が、「完結的に」規定しております。民事訴訟法との関係でも、行政裁判所法は基本的に、行政訴訟手続を完結的に規定しております。ただし、民事訴訟法を準用するということはかなりございます。資料7の一番最後の条文ですが、行政裁判所法173条のところで、一般的に民事訴訟法を類推適用する余地を認めております。ですから、この点は現在も日本の行政事件訴訟法とやや似ているということが言えるかと思います。
次に、行政訴訟の類型と対象についてでございます。まず、訴訟類型です。日本の行政事件訴訟法は、取消訴訟に関する詳細な規定を設けた上で、他の訴訟類型に関する規定を順次置き、そこで取消訴訟に関する規定を適宜準用する体裁をとっております。解釈論におきましても、取消訴訟中心主義を前提にいたしまして、訴訟類型、さらには行政機関の用いた法形式毎に細かく分けて、訴えの適法性を判断する傾向が強いのですけれども、これに対しましてドイツの行政裁判所法は、給付訴訟、形成訴訟、確認訴訟という、民事訴訟と同様の分類を前提にするに留まっております。その上で、形成訴訟の一種とされる行政行為取消訴訟と、給付訴訟の一種とされる行政行為義務づけ訴訟について、法の第8節におきまして、不服申立て前置、出訴期間、それからこれは取消訴訟に限りますが、執行停止などに関する「特則」を定めております。それから113条に若干、判決主文についての規定がございます。取消訴訟、義務づけ訴訟の被告は、原則として行政庁ではなく「連邦、州、または団体」です。だからこの点は日本とは逆です。日本のような抗告訴訟と当事者訴訟の区別は、されておりません。そして、88条の条文は資料7の4ページにありますけれども、88条におきまして、裁判所は請求の内容を超えてはならないが、これはいわゆる処分権主義ですけれども、申立ての表現には拘束されない。ある学者の言によりますと、「特定の訴訟類型への法的性質決定と当てはめは、一次的に裁判所の任務である」、リスクを原告に負わせるべきではないというふうに言われております。
次に、ドイツの行政裁判所法42条1項は、日本のような不作為違法確認訴訟ではなく、義務づけ訴訟を明文で認めております。特に行政行為の第三者が規制権限の行使を求める義務づけ訴訟の場合には、「権利侵害」が認められるか否かということが若干、問題になりますが、許認可に対する第三者による取消訴訟の場合と同様、原告の利益が行政行為の根拠規範によって保護されていれば、介入請求権が認められることで義務付け訴訟が認められる、ということになります。行政行為について行政庁に裁量が認められる場合も、義務づけ訴訟は適法に提起できます。ただ、義務づけ判決ではなく再決定判決、要するに行政庁にもう一回考えろと、その判決を前提にしてもう一度決定をしなさい、という判決をする、ということになります。
行政行為無効確認訴訟については、形成訴訟・給付訴訟に対する補足性を要件としておりません。だからこの点も日本の行政事件訴訟法とは逆、反対です。
それから予防的訴訟ですけれども、日本の最高裁は何度も出てきておりますが、長野勤評事件、11の事件におきまして、訴えの適法性を、一般的な訴えの利益の有無を基準に判断しております。この点はドイツと同じなのですが、しかし最高裁は、処分を受けてから事後的に訴訟を提起するのでは「回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情」がなければ、訴えの利益を認めないわけですが、これに対しましてドイツの連邦行政裁判所は、現実の紛争を的確に解決する確認訴訟であれば、即時確定の利益の要件も確認訴訟の補足性の要件も柔軟に認めます。確かに連邦行政裁判所も、将来の特定の行政行為それ自体を争点とする予防的訴訟については、厳しく制限いたしますが、しかしこの事件のように、行政行為の一適法要件、つまりこの場合ですと自己評定義務の存否ということになるわけですが、取消訴訟や義務づけ訴訟の先決問題、この場合、具体的には懲戒処分の取消訴訟を提起できれば足りるかどうかということが問題になるんですけれども、そういった取消訴訟や義務づけ訴訟の先決問題について、独立の紛争が既に現実化しているという場合には、予防的訴訟を基本的に認めております。最高裁はいわば懲戒処分まで、待てと言っているのですが、連邦行政裁判所ははっきりとそれとは逆のことを言っておりまして、懲戒処分まで待って争うリスクを原告に負わせるべきではないというふうに明言しております。
次に、「取消訴訟の排他的管轄」。これは若干理論的な問題になってしまいますので、少し早口で述べます。
行政行為取消訴訟という特別の訴訟類型が制定法上定められている点、そしてこのことから、行政行為に対して不服を有する者が行政行為の実現を阻止するには、原則として、取消訴訟を提起して取消判決を得なければならない、そうしますと出訴期間の制限がかかり不服申立前置の義務がかかるわけですけれども、そういうふうに解釈されている点は、日独で変わらないということです。ただ現在のドイツの学説は日本で用いられている行政行為の公定力に相当する概念を一般には用いておりません。従って、取消訴訟は公定力を排除する訴訟であるという説明も当然のことながらございません。むしろなぜかということを考えますと、これは他の行政の法形式、例えば行政立法や行政契約と共通の属性である「規律」という要素と、それから行政手続において期間内に提起しなかった異議を後の行政手続・訴訟手続において主張することを遮断する制度というのがところどころに定められております。都市計画の分野に多いのですが。これといわば共通の性格を持つ「確定力」の要素と「規律力」の概念でもって説明を済ませてしまうということであろうと思います。
次に大阪空港事件判決がどうなるかということですけれども、「航空行政権」を束ねて観念した上、航空行政権と同一の行政機関に帰属する「空港管理権」に関して民事訴訟を排除する、この大阪空港事件判決のいわゆる「一体的構成」の論理は、ドイツでは、事案が通常裁判所でなく行政裁判所の管轄に服することの根拠にはなると思います。しかし、ドイツには抗告訴訟に相当する訴訟類型がない上、取消訴訟の対象となる行政行為は、これは拡張的には認められない。あくまで分析的に識別されます。ですから、「空港管理権」をまとめて取消訴訟の対象にするといった論理は、ドイツでは妥当しません。ごみ焼却場の設置行為を行政行為と捉えるということも、これもドイツでは従ってしないわけです。具体的な法制度について申しますと、ドイツでは基本的に、空港設置の際には計画確定決定というかなり厳重な手続がとられます。それからごみ焼却場設置の際にはイミシオン防止法上の許可を必要といたします。その場合には利害関係者は行政手続に参加でき、取消訴訟を提起できるのですが、決定ないし許可の後は差止請求権を行使できないと、これは法律ではっきりと定められております。ちなみに、この種の特別な決定や許可を要しない公共施設はどうかと申しますと、この場合には一般的給付訴訟として、行政裁判所に差止等の請求訴訟を提起できるということになります。ドイツではこの手の空港であれ、原発であれ、ばんばん何でも止まりますから、その点、日本、おそらくはアメリカやフランスよりもこの種のものはとにかく直ぐに止まってしまう、というところで、ちょっと面食らうのですけれども、そういうことでございます。
次に、行政訴訟の対象。日本で言われる「処分性」の問題は、取消訴訟という訴訟類型を選択することが適切かという問題と、およそ当該時点で司法判断を求めることができる事項かという問題に分かれる、と思われます。前者の問題には、ドイツではさらに裁判管轄の振分けの問題、行政裁判所の管轄か通常の裁判所かといったような問題が加わります。行政裁判所は原則として、「非憲法的性質のあらゆる公法上の争訟」を管轄するという規定になっております。そうすると何が「公法上の争訟」かということなんですが、これは一般論として定式化をするのは困難と言われております。コンメンタールを見ますと延々、何百ページにわたって書かれているわけですけれども、逆に言うと一般論として定式化するのは非常に難しいということです。後者の問題につきまして、ドイツでは基本的に、司法判断を求められる事項か否かを判断するのに、行政機関の用いた行為形式を基準にはしません。専ら、原告が「権利」を侵害される主体か否か、訴訟の対象および訴えの形式が、原告の権利を保護するために必要かつ適切なものか、そしてその時点で原告の権利を保護することが必要かつ適切かということがあくまで基準です。
連邦行政裁判所が確認訴訟を許容した事案の中には、日本で言う行政指導に関するものも含まれております。それから一般処分は、取消訴訟の対象になります。法規命令の違法確認訴訟も、権利保護のために必要な場合、必要な範囲で認められます。最近認められた例といたしましては、空港周辺における飛行機の離発着経路を定める省令ですか、これが確認訴訟の対象になるというふうにした判決がございます。行政裁判所法47条という特則がございます。これは規範統制訴訟の制度を設けているのですが、これが設けられているからといって、法規範を、権利保護を目的とする一般の確認訴訟の対象にすることが排除されるわけではない。あくまで、規範統制訴訟というのは特別なものであって、それと無関係に確認訴訟が許されるかどうかが判断される、こういうことになります。
規範統制訴訟とは、何かと言いますとこれは条例の法形式をとる都市計画と、大半の州における州法律より下位の法規定について、特別に認められます。こういうふうに書けば分かるかと思いますが、実際に重要な意味を持っているのは前者、つまり都市計画の方です。規範統制訴訟も、私人については、「権利侵害」を主張する者しか提起できませんが、申立人の権利に関わらない違法事由も審理され、法規定を無効とする判決が万人に対して拘束力を持つという点で、通常の行政訴訟とは性格を異にいたします。
そこで4事件の判決ですけれども、ドイツであれば行政裁判所法43条にいう確認の利益が認められる事案と考えられます。従って、確認の利益の存在を理由に、適法とされるかと思います。最高裁は告示による一括指定の方法が可能かどうかというようなことを少し議論しているのですが、これは専ら本案の問題になりまして、この原審のように仮に告示を指定処分の基準を定めるものに留まると理解したとしても、確認訴訟は適法ということになろうかと思います。それから、用途地域の指定ですが、ドイツ法で申しますと、法形式を行政立法、つまり条例にした上で、規範統制訴訟を認める立法方針がとられる計画に相当すると思われます。つまりドイツ法の観点から見ると、規範統制訴訟を認めるべき計画と言えるわけです。加えまして、行政立法である用途地域指定の違法・無効を理由に、自己の土地および周囲の土地が工業地域に当たらないことの確認を求める訴訟が、考えられます。先ほど述べましたように、規範統制訴訟が認められるからといって、通常の確認訴訟が排除されるわけではありませんから、こういった確認訴訟も考えられるわけです。この種の確認訴訟については、個別事案毎に、確認の利益の有無を判断しなければいけない。但し、個々の処分を待つ必要は必ずしもありません。それから、第二種市街地再開発事業計画、これはちょっとあてはめるのは難しいのですが、おそらくドイツ法で言うと、行政行為の法形式をとるということになると思われます。そうなりますと、行政行為であれば、不服のある者は、出訴できるのみならず、出訴せねばならない。ドイツの場合はこういった段階的な行為の場合には制度をつくるときにどういった権利保護のルートをつくっておくかということを意識した上で、立法いたしますから結局こういうような言い方になる、行政立法、条例にするのか、行政行為にするのか、それによって権利保護のルートが変わると、こういうことになるわけです。
次に原告適格ですが、行政作用による私人の権利侵害を、ドイツの判例は、行政作用に適用される法規範が当該私人の個別的利益を保護する場合に認めております。ここまででお分かりかと思いますが、これが日独、日本とドイツのいわば、ほとんど唯一の共通点です。いわゆる「保護規範説」です。一般論としては、ほぼ日本と同じ基準が使われております。民事法上の権利として保護されていない利益も、行政法規が保護していると解釈できれば、「公権」として行政裁判による保護を受けます。民事上の権利かどうかは問わない。
以下が判例なんですが、これが非常にややこしい。個別法に関わってきますので、あまり適確にできなかったのですけれども、まず10の事件に関連いたしまして空港、鉄道、遠距離道路など、主要な公共施設を設置する場合には、ドイツでは計画確定手続がとられます。原則としてとられます。ここにおいては、「広い」意味で計画に「関わる」利益「全て」を衡量しなくてはいけない。そして私人は、このようにして「法的に保護された自己の利益を適正に衡量することを求める権利」を有するということです。10事件とはちょっと違うのですけれども、10事件に関しましても、これは墓地の事案ですが、当該事案において原告が受ける不利益を考慮しないと、行政庁が裁量権を逸脱することになるような場合には、あるいは原告適格が認められるという論理が考えられます。ただ、これはおそらく異論の有り得るところかと思います。
それから、都市計画の分野においては実は日本よりもかなり広く原告適格が認められております。その考え方はどういうものかと申しますと、ちょっとややこしいのですが、AとBの空間利用をともに規律することによって、一体性のある、または調和のとれた都市空間が形成される場合には、Aは、Bが都市空間に適合した空間利用をするよう、またはAの空間利用と調和のとれた空間利用をするよう、行政庁に規律を求める権利を有するということです。この場合、いわばAを規律する規範とBを規律する規範が結合して、原告適格を根拠づけることになるわけでして、日本で新潟空港判決におきまして、処分の直接の根拠規定に限らず関係する規範の総体によって原告適格を根拠づけるというふうにこの新潟空港判決はいったのですが、この論理は、ドイツではむしろ都市計画の分野で活用されているということが言えます。9事件にこれをあてはめるならば、風営法関係法令と都市計画関係法令を合わせて根拠にして、周辺住民が「住居集合地域」、これは条例上は都市計画法令の用途地域をいわば引用した形になっておりますから、周辺住民が住居集合地域の「良好な風俗環境」の維持を求める利益を、原告適格の基礎にするといったことが考えられるのではないかと思われます。
それから、7判決と8判決、これは原発の例とそれからがけ崩れの例ですけれども、この点は、日本とドイツは共通。いずれにしても原告適格は認められると。ただ、財産を保護利益から除く判例は、どうもドイツの連邦行政裁判所には見当たりません。
それから近鉄特急の判決ですが、実は連邦行政裁判所の判決に、これと似たものがございまして、公共料金の値上げ認可等を利用者が争う原告適格は否定されております。それからジュース訴訟のような事案でも、連邦行政裁判所は原告適格を否定すると。ここはですから比較法的に見て、ドイツの原告適格の狭さが露骨に現れているところなんですけれども、ただ一つ付け加えておきますと、消費者保護の分野におきましては民事法上の差止めを請求する団体訴訟が、民事法上認められているということがございます。その点を付け加えておきます。
納税者訴訟につきましては、ドイツには認める判例も法律もなく、本格的な議論もありません。ドイツで私、日本の住民訴訟のことをしゃべりましたところ、大変珍しがられました。団体訴訟についても、多くの州の自然保護法が自然保護団体の出訴を認めるに留まっております。但しこの点は本年に法改正がございまして、連邦の行政機関の措置に対しても、実体法上の問題を争う団体訴訟が認められることになりました。
ドイツでは概して環境法や競業者訴訟の分野において、ヨーロッパ法や条約により、原告適格の拡張が法的に必要となっております。法的に必要とは言えない場合も、他のヨーロッパ諸国、フランスが一番いい例かと思いますが、に比べまして、ドイツの行政訴訟における原告適格が狭いことが際立つ結果になっております。そのため、学説上は様々な議論がありまして、保護規範説を放棄せよという説から、保護規範説をもっと柔軟に適用しろという説、それから逆にいわば反動と申しますか、むしろヨーロッパ法によるドイツ法の侵害だという説まで様々な反論が出ていると。従って、ここは将来かなり動きがあるかもしれません。
次に訴えの利益の消滅です。まず、14事件の判決から取り上げたいと思いますが、行政庁が違法な状態を作り出した場合に、行政庁は原状を回復させる義務を負い、違法状態により権利を侵害される私人は、原状回復を求める「結果除去請求権」を有するというのがドイツで既に確立した考え方です。その根拠は現在では、基本権だと、人権であると解する説が有力になっております。実はこの結果除去請求権の教科書事例といたしまして、建築許可処分取消判決を得た原告は行政庁に対して、建築主に対して建築物の除却等の措置をとるよう求めることができる、ということが教科書に挙げられております。つまり、建築許可を判決により取り消すことは、建築が完了した後も、少なくとも除却命令権限の発動に関する裁量権の行使を制約するという、法的意味を有するということになります。従いまして、14事件、及び14判決の元になった建築確認の例でも、訴えの利益は肯定されることになるのではないかと思われます。以上はちょっと特殊な例ですが、もう少し一般的にはどうかと申しますと、行政裁判所法113条1項は、「行政行為が既に取消しや他の事情により消滅した場合、裁判所は、行政行為が違法であったことを、原告がこうした確認について正当な利益を有する場合に、申立てに基づき判決によって宣言する」と定めております。「正当な利益」というのがではどういう場合に認められるかということなんですが、それは次の場合に認められます。
まず、「人間の尊厳」や「人格権侵害」を「回復する利益」、これは即、違法性確認の訴えの利益を基礎づけます。例えば、身柄拘束、通信傍受、家宅捜索、それから教科書の使用決定に対する親の取消請求、これは親の教育権、子どもの人格権に関わるという説明がございます。これは従って、確認の利益が認められます。それから以上はカテゴリカテルに認められるのですが、個々の事案における行政行為の理由や行政行為前後の状況から判断をして、「差別」、あるいは「名誉」や職業生活に必要な信頼の失墜等が認められる場合も、訴えの利益が肯定されます。ここに書きましたのは一例ですが、例えば衛生上の理由によるサラダの販売禁止の事例、これは訴えの利益が、営業上の利益があるということで肯定されたのですが、ただ営業許可の撤回後、原告が営業を止めてしまったという場合には、これは被害はないというので、訴えの利益が否定されております。それから原級留置のように行政行為が原告のキャリア形成に影響するという場合にも訴えの利益が認められます。日本の12事件につきましては、おそらくセンシティヴな権利に関わる事案ではない。具体的な利益侵害の状態が存続していたという事情もないのではないか。これは個別の判断ですけれども、従ってドイツでも訴えの利益は少し認められにくいのではないかというふうに思われます。
それから、「基本的に事実・法状態が変わらなければ同種の行政行為がなされる、十分に特定された危険」がある場合にも、訴えの利益が肯定されます。要するに同じような措置がまた繰り返される可能性があるという場合でも訴えの利益は認められます。この場合には、違法確認判決の既判力が及ぶという厳密な意味で同じ処分が繰り返される蓋然性は要求されない。これは連邦行政裁判所の裁判官の言葉ですが、「行政庁は裁判所の「自然の権威」を、比較し得る状況において尊重する、という期待ができればそれだけで確認の利益は認められる」というふうに言われております。
次に仮の権利保護の問題ですが、行政裁判所法は、執行停止と仮命令の制度を定めております。2本立てになっております。ちなみに、規範統制訴訟についても仮命令の制度を設けております。ここまで認めてしまっているわけですが、このことはここでは省略をいたします。執行停止制度が行政行為の取消訴訟の場合に関する特別法、仮命令の制度が他の場合を全て捕捉する一般法であると理解されておりまして、両者によって隙間のない仮の権利保護が確保されると言われております。
まず執行停止ですが、行政裁判所法80条1項は執行停止原則をとっております。日本やフランスでは従って、逆になります。先ほど言いましたように何か公共事業がどんどん止まるということの原因の一つもここにあったわけですが、但し、公課および公の費用の賦課徴収、警察執行官吏による延期不能な命令および措置に関しては、さすがにこれは執行不停止が原則となります。それから最近では、いわゆる「政治的衝撃力のある分野」で、執行停止原則の例外を定める個別法律が増えております。建築監督上の建築許可に対する第三者の取消訴訟、交通網整備に関する計画確定決定、これは理屈は何もないのですけれども、立法者がこういう行動をとっているというので、ドイツの学者などは最近の立法者の資質を示すものである、というふうに言っております。
次に仮命令ですが、仮命令は民事訴訟法に対応する形で、現状維持のための保全命令と、現状を変えるための規律命令に分けられます。保全命令は、たとえば行政行為の性格を持たない侵害行為の不作為を求める場合、それからこれはあまりないのですが、行政行為の予防的不作為を求める場合、それから第三者私人が現状を変えようとしている状況において反対利害関係者が行政庁に措置を求める、例えば建築停止命令を第三者にかけろ、というような場合。それから、金銭債権の保全措置を求める場合などに認められる。規律命令は、行政行為の義務づけ、その他の作為に当たる給付を求める場合、仮の建築許可、仮の進級、それから飲食店の近隣住民からの申立てによる仮の閉店時間延長、それから閉店時間が遵守されるための監視をしろ、あるいは官吏を元のポストに就けろ。公的主体による建築工事を止めろ。それから名誉侵害等があるということで、公報の停止と撤回を求める、というようなことがございます。要するに各訴訟類型に対応する形態の仮命令が、基本的に全て許容されるということになるわけです。
連邦憲法裁判所から見ましても、執行不停止原則をとることは合憲であると言えるかと思います。さすがにこれをとらないで、違憲だという判決はございません。ドイツの執行停止原則は、むしろヨーロッパ法との抵触を来たしているということがございます。しかしながら、仮命令を制度化していない日本法の状態について、連邦憲法裁判所であればこれは憲法違反の状態だと判断するであろうと思われます。実際に社会裁判所法には仮命令の規定がかつてなかったわけでして、これはこのまま適用すると違憲だということを連邦憲法裁判所は言っております。2001年の法改正でこれは改善されたわけですけれども、そういうことです。ヨーロッパ法を執行する国であればやはり、仮命令制度を設ける必要がある。これは先ほどフランスについて報告があったとおりです。「執行停止は、行政権の作用の一環とみるべき……で、司法権本来の作用である裁判とは異なる手続および思考過程によって行なわれる」というのはある行政法の昔の先生の言葉ですが、こういう考え方は、ドイツでは一般に見られません。逆に立法および判例は、仮の権利保護に関する要件の判断および内容の決定について、裁判所の「裁量」を認めております。もっとも判例は、本案を先取りする仮命令、および行政庁の裁量処分に関する、本案判決に可能な内容を超える仮命令が禁止される。これは先ほどちょっと話が出たところと関連しますが、裁量処分に関しては、基本的に裁判所はやり直せというだけであって、あることをしろとまでは普通は言えないわけです。ですからその場合には、仮命令もできないのではないかという問題があるわけで、これはできないという原則を立てます。しかしながら、基本法19条4項による実効的な権利保護の要請が、ここで効きまして、例外の認められることが実際には稀でありません。実際には例外がかなり認められるということです。
さて、執行停止の要件ですが、執行停止原則の適用されない公課および公の費用に関する行政行為の執行停止は、行政行為の適法性に「重大な疑義」がある場合、または、申立人に「不当に過酷な結果」が生じる場合に、認められます。それから仮命令は、命令請求権、つまり申立人が本案で権利保護を認められる十分な見込みと、危険の切迫ないし緊急の必要性の両者がある場合に、認められます。ちなみにこれは民事訴訟法を準用した規定です。しかしこれら以外の仮の権利保護については、要件が明確に法定されておりません。一般に判例は、仮命令の場合も含めて、包括的な利益衡量によって要件を判断しております。したがいまして、日本の行訴法25条2項のように、「回復の困難な損害」のおそれというほど、厳しい要件は課しておりません。「公共の福祉への重大な影響」というのが、結局利益衡量の一要素ないし結果として判断されることになるかと思われます。
最後に、裁量審査について簡単に述べます。ドイツでは、日本でいう効果裁量に当たる一般の行政裁量、計画裁量、要件裁量に当たる判断余地、この3つが分けて観念されます。行政裁判所法は裁量の審査基準について、簡潔な規定を置くに留まっております。これはお配りした資料7の一番最後のところにあります10ページにございます。見ていただきますと、日本の行訴法の場合とあまり変わらないということが分かるかと思います。しかし、一般の行政裁量については比例原則、計画裁量については「衡量原則」が、法治国原理から根拠づけられ、裁量統制の基準として機能いたします。計画に関しては、衡量過程と衡量結果の両者が審査されます。衡量過程の審査というのは日本ではあの日光太郎杉事件という有名な判決がございますけれども、あれは法治国原理からの当然の要請であるというふうに理解されております。法律の要件につきましては、基本法19条4項および20条3項により、裁判所が自ら完全に審査するのが原則とされております。つまり要件裁量は原則として否定されるわけです。例外的に法律が授権する場合に限り、行政に判断余地が認められます。どういう場合かというと、官吏の人事管理、合議体の決定、予測に関するリスクの評価、政治的考慮要素等に関して、判断余地を認めてきたのですが、実は連邦憲法裁判所がそれにブレーキをかけるような判決を出しておりまして、職業資格試験に関して、これは職業選択の自由を制約すること等を理由に、行政の判断余地を制限する判決をしております。
ドイツの行政訴訟においては職権探知主義が明確にとられております。行政庁は、裁判所の求めに応じて、審理に必要な書類・文書を提出し、情報を提供することを義務づけられております。全般的に申しますと、実はドイツでは35のところですが、裁判官が行政庁の判断を自らやり直してしまう傾向があると言われております。学説がこういう批判をしているわけで、その点も日本と状況が全く逆になっているわけですけれども、これに対しては最近、やや反省の傾向があるということです。
少し、超過しましたが、以上でございます。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは10分ないし15分程度、まず山本さんのご報告について、質問の時間をとりたいと思います。その上で、今度は3人のご報告全体として、それを素材として意見交換したいというふうに思っております。そこでまず、山本さんのご報告に対するご質問からお伺いしましょう。どうぞ、誰からでも結構です。説明者相互の間で質問してもいいですよ。
それでは私の方から質問ですが、4ページで14のところで確認訴訟の事案の中で、行政指導に関する事案も含まれているというふうに書かれておりますが、具体的にはどういうような事案か、あるいはもしまた難しければ定性的な、どういう場合、日本の行政指導のこういう場合には確認訴訟ができそうだという。
【山本助教授】たとえば私人がある義務を負うかどうかということが争われていると、その場合に要するにその義務が存在しないことの確認を求める。要するに処分はなかなかしないという場合、しかし争いは確実に存在するといった場合、ちょっと抽象的な言い方になってしまいますが、たとえばそういった場合です。
【塩野座長】およそ義務がないのに日本では行政指導をすることがありますよね。ある種の会社の重役は辞めるべきである、ということを呟いたりしますが、そういうのはどうなんですかね。
【山本助教授】ドイツの場合、行政契約、行政指導、両方に通じて言えることなんですが、あまりそういうふうに何となく背後に権限があるから従うということは、どうもあまり事例として現れていなくて、やはりかなり具体的な何か権限を持ち出すのが普通なんですね、ドイツの場合。だから、これは確実には言えませんが、私が見た感じだと、大体挙がっているのがそういうもので、そこはちょっと日本とずれるんですけれども、仮に何か具体的に不利益を及ぼす、というおどしがあるということになりますと、訴えの利益は認められるんじゃないかと。それがただ、先ほど言いましたようにちょっと背景になる状況が違いますので断言はできませんけれども。
【塩野座長】行政指導とはちょっと違いますけれど、いわゆる計算尺みたいな、鯨尺、あういうものはドイツでは。
【山本助教授】あれなんかはまさに認められるケースではないかと。先程挙げた不利益がちょうど計算尺の事例に当てはまるかと思います。
【芝池委員】ドイツで有名なシュバイネメスター、豚小屋事件というのがあって、これは豚小屋があった所に住宅ができて。
【山本助教授】あれは豚小屋がある所に段々、住宅の建築計画が出てきたんですね。これは要するに許可をするなという給付訴訟という形で出てきたと。
【芝池委員】それで、向こうの場合、行政訴訟でやりますよね、取消訴訟で。日本だったら、住宅建設について民事訴訟があり得るところだと思うのですけれども、ドイツの場合、行政訴訟を認める時に民事訴訟ができなくなっているのでしょうか。
【山本助教授】先ほどちょっと申しましたが、連邦イミシオン防止法それから、原子力法のように特別に規定がある場合には、これはできない。ただし、事後的に何らかの改善措置を求めるというような民事訴訟までは排除されない。しかし、差し止めはできない。そういう説明になります。これは特別法がある場合なんですが、無い場合どうなるかということで、まさに豚小屋のケースなんかがそうなんですね。あれは普通の都市計画ですけれど、普通の都市計画に関しては民事訴訟を排除するという規定は無いんですね。この場合どうなるかというのは、実はちょっと議論があったのですが、民事訴訟は排除されないと、むしろできるというのが連邦通常裁判所の判決です。具体的にはテニスコートかなにかの事例です。
【小早川委員】さっき、塩野先生、ご指摘のあったのは4ページの14ですが、14のところの法規命令の違法確認訴訟という表現が出てきたかと思うのですけれども、そうするとあと16のところには、用途地域指定の違法、無効を理由とする特定の地域のステイタスの確認、両方出てきますけど、これは別の話なんですかね。だとすると前の方の命令の違法確認、命令そのものを対象にすることが認められるのか、いずれにしても今日のご報告では違法確認訴訟というのが随分出てきて、これはドイツの一つの目の付けどころなのかな、という気がしていたのですけれども、具体的には。
【山本助教授】ここは少しややこしいのですけれども、一番最初に法規命令の違法確認訴訟と書いたのは、これはいわば通常の権利保護のための確認訴訟です。ですから法規命令であれば、およそ違法確認訴訟がすぐにできるということではございませんで、先ほど申しましたように、例えば空港周辺の発着経路を定める法規命令のようなかなり具体的で、すぐに紛争が起きる、あるいはもう既に紛争が起きている、という場合にはその時点で争える、という話なんです。それに対して、用途地域の場合は用途地域の指定があったからといって、すぐに紛争が起きるとは限らないわけでして、ですからここは個別の判断になると。既に紛争があり、権利侵害が既にあるという場合には、それを除去するのに必要な範囲で訴訟が起こせるということでございます。規範統制訴訟というのは、これはとりあえずは全くの別のものだと。
【小早川委員】これはいいです。これは別のものです。じゃ、そうすると前の方のやつはフランスでいう、あるいはアメリカでいう行政立法そのものの排除を求める方式ではなくて、自分に対してはこれを適用するのは違法だから自分に対しては違法だからということになるんですね。
【山本助教授】はい、そうです。
【小早川委員】その判断基準は多分、確認の利益で決まるというのだと思うんですが、そういう方式よりは命令そのものの取り消しの方が合理的のような気がするのですが、そういう議論はあるのかどうか。
【山本助教授】それはあまりそういった議論はないですね。やはりここは日本法と共通しているんでしょうけれども、権利侵害というところの歯止めをドイツは重視するといいますか、ここしか歯止めがないものですから、外すってことにはいかないですね。ただ、それでは法規的な都市計画なんかの場合に、それではどうもうまくいかないというので、特別に規範統制訴訟をするということなんです。
【塩野座長】その点との関係で、ドイツは日本と同じ保護規範説だというのですが、憲法では権利侵害を19条で書いてありますよね。では、保護規範説なる判例をやめてもらおうという時には、ドイツ人はどういうふうに考えるんですか。
【山本助教授】保護規範説をやめてもらう場合ですか。
【塩野座長】つまり法律で書いてあると、書こうという考え方もあるんですか。批判をしている人達の。要するにドイツ人がどういう提案をしているかということを知りたいんですが。
【山本助教授】具体的にこれを法律に書くというのは非常に難しいだろうと思うんですね。2つあるんですけれども、1つは一般的に何か書けないかなと、いうことでありまして、最近たまたまある本を見ていましたら、環境がらみのものだったんですけれども、原告適格の範囲をもっと広げるべきだと。ヨーロッパの各諸国並みに広げるべきだと。条文を書いてみるというふうに書いてあったのですけれども、見たら、法律上の利益と書いてあるのですね。法的利益かな。それだったら日本と同じじゃないか、ということなんで、結局ですから定式の形で広げるというのはちょっと難しいだろうと。それから、もう一つ個別法に書けないかということがあるんですけれども、個別法に実は書いてある例があるんですけれども、これは明らかに問題がある例で、つまり裁判所が原告適格を認めたのを否定するために、限定するために法律に書いてある例が極、極、まれにあるのです。たとえば隣人訴訟のような場合ですね。隣人訴訟のような場合、建築確認なんかで、塀の高さの何分の一にあたるところまでは住民が争えるとかですね、書いたものがあるのですけれども、これは学説は相手にしていない。これはやはり個別の事案で判断するしかない問題ですから、それを一般的には書けないだろうというので、なかなかこれは書くのは辛いのかなというように思います。ですから先ほどの法的利益のようにきっかけとして何か書き換えるということはあると思いますけれども、その定式を使ったから広がるという定式があるとはあまり考えられていないでしょう。
【市村委員】6ページのところの訴えの利益の消滅で、先ほど14の判決との比較をされた前提を少しお伺いしたいのですけれども、ご説明では行政庁が違法な問題を作り出した場合に、ということとそれと2行目に違法状態により権利を侵害される私人という部分がありますけれども、このときの違法状態というのは、たとえば日本でいえば、日照被害だとか圧迫感だとか、風害だとか諸々、そういうような実体上の権利が違法の中身として持ち出されるわけですけれども、ここでいう違法状態というのはやはりそういうことを想定してよろしいんでしょうか。
【山本助教授】はい。
【市村委員】当事者は「いや、そうでない、つまり、対置しているのは全く手続上の違法だと。たとえばこういう添付書類を添えなければいけなかったものであるのに、そういうものが添えられていない手続だ。」ということを言えるわけではないのですね。
【山本助教授】これはやはり権利というのがかかりますから、その判断はやはり保護規範説。
【市村委員】そうすると、日本の場合でいえば、その取消しを求めなくても、民事訴訟でまさに実際上の権利侵害があれば、ストレートにいけるんじゃないかと思われるのですが。ドイツの場合でいうとそうじゃなくて、この取消しを経てこないと、つまり逆に言うと、日本の建築確認とかあるいは開発許可と違った意味が含まれているのではなかろうかと、ドイツのちょっと許可の前提が私にはよくわかりませんが、したがって、それを取り消さないと次に進まないという制限がかかっているのかなという気がするんです。日本の場合だと、その問題の解決のためには、そこを越えなければいけないことはないというふうに思うのですが。その点はいかがでしょう。
【山本助教授】そこがおそらくかなり、発想が違うところなのかなと思うのです。つまり、民事訴訟で、解決すればいいじゃないかという議論は、だから行政庁が自分が違法な行為をした後始末をしなくていいという理由にはならないというのがおそらくドイツの考えだと思うのですが。
【市村委員】私人間でもできるんでしょう。
【山本助教授】それはできます。ただもちろん権利侵害という場合に、これは建築許可の根拠法規の問題になりますから、それに違反していればそれで取り消せるわけです。
【市村委員】行政庁がつくり出した違法な状態というのは、まず第一次的に考えれば、要するにそういう許可を与えたということ。それが違法な状態だと思うのです。それはそれで取り消すということで、まず、そこのところは除去したと。おっしゃられているのは、その次に除却なり除去なりの是正権限を発動するということだと思いますが、日本の場合には、たとえばこの発動には、たとえば聴聞をしなければいけないとか、様々な裁量がかかっている。そういうところの段階を踏むというのは、どういうふうに考えられるのでしょう。
【山本助教授】それは段階を踏まないといけないんです。
【市村委員】ドイツもそこはそうなんですか。
【山本助教授】それはそうです。
【市村委員】そうすると、ある特定の私人がそういう段階を踏んで、是正命令を発すべきだという権限を、行政庁が最初の違法な処分を与えたことによって獲得している。裏返せば、そういう保障をされているという理解をしたらよろしいんでしょうか。
【山本助教授】裏返しにいえばそういうことになるかと思います。ただ、何と言いますか、直接のお答えになるかどうかわかりませんけれども、違法行為といいますか、違法状態に対する原状回復という考え方が非常に強いですから、ちょっとずれますけれども、損害賠償等で片づけるという発想があまりないのです。あくまで、何かやったらそれは元に戻せと。これがあくまで、原則であるということなんで、ですからおっしゃられたように裏から説明すれば、そういうこともあるのかと思いますけれども、ただ説明としてはやはりその違法をつくりだした者が責任をとるべきだということかと。
【市村委員】しかし、日本でも除却命令という行政庁の力をかりてやるという方法だけでなくて、ダイレクトにそのものを被告にして除去を求めるという訴訟はこれは現実に行われているし、それが不適法だという議論はないと思うのです。それにプラスアルファで行政がさらに行政の持っている権限を行使してもらう。それはただ訴訟法の問題なのか、実体法の問題なのかというところが、ちょっと私には境界がよくわからなくなってくるのですが、そこをそこらへんがどうなんでしょう。
【山本助教授】実体法の問題。
【市村委員】ええ、つまりそういう実体法の問題ですよね。
【山本助教授】実体法の問題です。ただ、それは特別に根拠がないと認められない、というのではなくて、一般法理として認められるということですから、基本権と書きましたけれども、あれは人によっては法律による行政の原理の裏返しだという人もいます。
【塩野座長】ややドイツ独特というと、ドイツ人に叱られますけれども、ドイツ人が開発した実体法上の請求権で、日本人はまだそこは受け入れてないということだと思いますが。
それからもう一つは、先ほど山本さんがちょっと言っておられた日本の場合には割合、取消訴訟にいけなくても、国家賠償があるじゃないかと。運転免許の停止なんかもそうなんですけれども、それで日本が全体として、救済の率が上がっているというふうにみるか。やはりそこはおかしいんで、さらに国家賠償請求訴訟が少し違法性の判断を抜かしてこうやっていくような状況のあるときに国家賠償があるからいいじゃないかということになるか、これは今後の大きな問題の一つになると思います。
はい、どうぞ福井委員。
【福井(秀)委員】今のご質問に関連するのが一つなんですが、ドイツの場合は、建築許可の取消判決の効力として当然に除却命令の発動義務ということになるんでしょうか。もしそうだとすると日本の場合、除却命令に裁量がありますので、実際上は確認を取らないで、たとえば建築物だって除去命令なんかめったに発動されるはずがないというのが日本の実態ですが、そこは日独でかなり実態に差異があるんでしょうか。それから大阪空港事件のようなものについて、先ほどのご説明ですと、こういうケースについては民事訴訟が排除されるようにもお聞きしたのですが、それはそういう理解でよろしいんでしょうか。特に空港設置で計画確定手続があるとしますね、たとえば便の増便とか飛行時間の延長とかということになると、おそらく当初の計画段階で想定していなかった被害というのはあり得ると思うのですが、そういうものを航空会社相手に飛行差止めということで、事後的にかかっていくことができるのかどうかということをお伺いできればと思います。最後に裁量基準について、比例原則と衡量原則ということで一般則としては非常に単純だということだったんですが、個別法の中での裁量基準が、日本などと比べるともっと詳しいのか、それとも日本並みにかなり不確定概念が採用されているのかというあたりをお伺いできればと思います。
【山本助教授】まず除却命令の点でございますが、ドイツでもここは少し学説が分かれているところです。かつて結果除去請求権ということを一番最初に言った先生が実はこれは裁量がないんだと。結果除去請求には裁量がないというふうに言っておりました。しかし最近の学説はむしろ柔軟性、やはり事情に応じた柔軟性が必要だろうというので、最近の学説は裁量がやはりあると。措置を取るか否か。特にどんな措置を取るか、ということなんです。これについては裁量があるというふうに言っております。ですから、取消判決が出た後ですね、さらに争いになることはあり得ます。取消判決が出た後に行政庁が何も措置を取らないとか、あるいは近隣の住民からみて、不十分な措置しか取らないという場合にさらに義務付け訴訟を起こす、という形でその実体法上の請求権を訴訟法上、貫徹するということはこれはあります。結果除去請求権というのは先ほど言いましたように、あくまで実体法上の権利ですから、それを実現するその訴訟というのは色々とあり得るわけで、一つに考えられるのはまず取消訴訟を起こすと。それで不服があればまた義務付け訴訟を起こすと。こういうことになるかと思います。それから大阪空港ですが、あのケースでは、先ほどちょっと申しましたが、法律上差止め請求権等が排除されます、ということになると思います。ですから、民事訴訟なり、あるいは行政裁判所に提起する差止め訴訟というのは基本的には認められないということになります。じゃ、事後的に何か増便等がある場合に、どうするかということなんですけれども、この場合には行政庁に対して、計画を補足する措置を取るように求めることができるということになっております。ですからそれでさらに争いがあれば、義務付け訴訟を起こすということになります。空港の場合ですと、こういうふうに結局一元的に計画、ないしはその計画を補足する措置というものを捕まえてそれを争うと。特に補足する場合義務付け訴訟になりますけれども、そういう形になるのです。
それから最後は裁量基準ですが、私、網羅的に調べたわけではございませんけれども、個別法に裁量基準をかなり細かく書き込むということはあまりしていないと思います。大雑把に言うとやはり日本並みではないかと思います。
【塩野座長】ありがとうございました。大分時間も参りましたので、ドイツに対するご質問もあろうかと思いますので、それも含めて今までの3人のご報告について、ご質問なりあるいは共通する質問なり、あるいはご感想なりを承ればというふうに思います。最初私から申し上げて恐縮です。こんな質問ということで申し上げたいと思いますのは日本では行政庁の第一次判断権の尊重、あるいは取消訴訟中心主義という一つのドグマティックがあって、今ではあまりとられていないと思うのですけれども、それについて明示的にそういうことはないというふうなご判断もありましたけれども、ドイツ及びアメリカではそんな話は聞いたふうなことはないというふうな話がありましたが、フランスは実質的に多少、似ているなということがあったかと思いましたけれども、そういう言葉遣いはありますか。
【橋本教授】言葉遣いとしてはないと思いますけれども、ただ決定前置主義が原則ですから、実際上ある種、そういった考え方があるんですね。
【塩野座長】全面審判訴訟は限定的だというのもそういう意味では、取消訴訟を経てこいと。
【橋本教授】いやそこはちょっと違うと思います。全面審判訴訟の場合はやっぱりいろんな説明を見てもできるけどやらない。そういう説明ですけども。訴訟の構造自体がフランスでは覆審的であることは間違いないですから、似ているといえば似ている。
【塩野座長】そうするとドグマティックはないと。
【橋本教授】そうだと思います。
【塩野座長】ドイツはそういう言葉はない。
【山本助教授】昔それっぽいことを言った人がいますし、現在でも全く言ってないわけではないですけれども、ただじゃ実際上どういうことになるかということになりますと、先ほどちょっと申しましたが、処分をですね、たとえば取消訴訟を起こせばいいのに、事前に処分をやるなという不作為を求める訴訟、こういうのは基本的にはできない。ここのところではそういう説明をすることはありますけれども、それ以外の局面ではしないですし、実際それに反するようなことがかなりたくさんでてきますので。
【塩野座長】アメリカは確認するまでもない。
【中川教授】はい、取消訴訟中心主義といっても、取消訴訟自体がありませんので、訴訟に関しては先ほど、小早川先生からのご質問に答えましたが、第一次判断権に関しては、やはり行政機関が権限が与えられているのだから、まずなるべく判断せよと、その後から裁判と、そのところは一般的な理解としてあります。それは言葉をつけることはないです。
【塩野座長】第一次判断権の尊重がどこまであとを尾を引くかということで、日本の場合ですとそこから今度は法定外抗告訴訟の限定的解釈、そういうところに行きますが。
【小早川委員】私が先ほど質問で確認した、理解したところによれば、だからそこは個別法による訴訟ルートの決定がまずあって、それに対する補充として、判例法上の司法審査があって、だから個別法でいく限りは日本で言う取消訴訟のようなものは当然想定されていると。だから、そこからどこまで逸脱していいか、というのが解釈論になると。それを第一次判断権とは言わないけれども、そんな構造はやっぱり同じ。
【塩野座長】第一次判断権というか、要するにそこは取消訴訟ということを置くと、そういう話になる。
【中川教授】言い換えると、多分個別訴訟法中心主義みたいなものがあるかというご質問であれば、そうではない。だから個別法に書いてあるから、なるべくそれに持ち込もうというような発想はありません。それに入らなかったら、もうそれは判例法上の司法審査にいく。どっちに整理しますかと言ったら、これは裁判所の決めることになります。
【水野委員】今のと関連しますけれども、日本で言う争点訴訟みたいなもの、ドイツではどうなるのですか。先決問題として、行政処分の効力みたいなものは。
【山本助教授】少し調べたことがあるのですけれども、あまり出てこないんですね。なぜかと考えますと、先ほどの話しと関係するのですけれども、たとえば争点訴訟で出てくる例というのは一番典型的なのは農地買収の例なんです。あれと同じようなものが出てきた場合におそらくドイツ人であれば、それは行政庁が自分でいわばやったことなんで、当然行政庁に対して措置を求めるということになるだろうと思います。ですから、その場合に民事訴訟が出てきた場合にどうなるかというのはもう少し、詳しく調べてみますけれども、ドイツの場合の問題の出方はむしろ、その場合にもあくまで行政庁が原状回復義務を負うんだという発想が強いのではないかと。ですから、行政訴訟で出てきて、しかもそれができるとされるだろうと思います。
【水野委員】そうすると、行政訴訟はかなり広いから、大体まず原則的に行政訴訟を起こすので、そういうのを民事訴訟で起こしていく例がないということですね。
【山本助教授】あまり普通には出てこないです。詳しく調べれば出てくるかもしれませんが。
【水野委員】取り消した後のは当然、民事訴訟になるわけですね。
【山本助教授】取り消した後ですか。
【水野委員】先決問題として、まず取り消して、その後は民事訴訟でやると。
【山本助教授】その後もですから、行政機関の側がちゃんと責任をもって元に戻せと。そこまでいうものですから、結局行政訴訟に乗ってしまう。
【水野委員】行政裁判所の方で1回でけりがつくと。
【山本助教授】1回か、あるいは先ほどちょっと出てきましたように2回になる可能性はありますけれども、とにかく行政裁判所の方でけりをつけると。
【水野委員】ドイツで行政裁判所で1回、通常裁判所で1回ということで、間違った場合に移送という制度があるようですけれども、そういうことで不都合というのはあまり指摘されていないのですか。
【山本助教授】これはフランスと同じで、非常に制度が複雑なんですけれども、もし詳細に調べろということであれば、調べますけれども、裁判所構成法の中に規定がありまして、ドイツの場合は権限裁判所はなくて、ただ要するに裁判所が一旦判断したら、もうそれでいくんだという仕組みなんですね、基本的には。ですから、それであまり問題があるという指摘はないだろうと思います。
【塩野座長】今日、いろいろ外国法お伺いしまして、外国比較法研究、あるいは外国法研究の難しいところはそれじゃ全部、いいとこだけ全部日本にいただきましょう、という議論がたまに起こることがあるんですけれども、私はそれはやっぱり比較法研究あるいは外国法研究として、必ずしも正当な方法ではないのではないか。それなりにでこぼこがあるんですね。フランスはフランスなりにへこんでいるところがあるし、アメリカも大変綺麗な理屈だけど、あれは本当にしかし、弁護士でないとなかなかわからない。国民に対して親切かというと決して親切でもないし、あるいは裁量統制がどの程度、現実にやられているかどうか。つまりあの場合にはアメリカの場合はむしろ事実認定の手続を重んじますから、裁判所はドイツのような形で、突っ込んでいるわけではないということで、いろいろとでこぼこはあるんですが、それにしてもでこぼこを眺めてみても、日本は随分、真ん中の方にへこの方に収斂しているなという感じがするんですが、それぞれの国の満点のとこだけ取り上げてやろうといったって、これはそれぞれ一種の人体のようなものですから、そうはうまくいかないだろうと思いますが、深山委員どうですか。要するにそれぞれの国でそれぞれなりに共通の理念を追求していって、その結果、多少のでこぼこはあるんだろうという感じがしますが。
【深山委員】私、前提のことはあまりわかりませんけれども、確かにでこぼこがあって、へこんだところだけ集めてるといわれると、まさにそのとおりだと私もそんな気がしました。先ほど、水野委員も、聞かれましたけど、一つは裁判をする担い手の違いがそれぞれの国にありますので、もちろん行政裁判制度をとっているか、それが司法権かどうかというところが違うのと、それから仮にその点はアメリカ、あるいはドイツの行政裁判所のように、司法権の一部だとしても、そこで裁判をする裁判官が日本で行政裁判をやっている一般の民事裁判官と同じような人達なのかどうかと言うあたりも、制度がどういうふうに実際上、運用されているか、違うと思うのですけれども、フランスが全然違うというのは一見して明白なのですが、アメリカあるいはドイツの実際の行政事件、日本と同じようにアメリカを考えれば、昨日まで民事事件、今日は行政事件、また次の事件は民事事件ということを一つの地方の裁判所ではみんなやっておりますが、そういうようなことなのか。あるいはドイツの行政裁判所は司法裁判所だから、人事交流は非常に頻繁で、昨年まで民事裁判をやっていて、今年は行政裁判、また来年は社会裁判所ということはあるのか、というあたりの判断する主体側の養成なり、あり方はどういうふうに違うんでしょうか。そこは何か関係するんだろうと思うのですが。
【中川教授】印象でしかわかりませんが、アメリカでは行政事件は特に連邦高等裁判所にいきますが、連邦高裁の裁判官は何でもやります。あと連邦裁判所の場合は特に行政事件が多いといえるかもしれません。いわゆる民事事件、私人間の民事事件が一番多いのは州の裁判所なので、連邦法の問題は連邦裁判所しかいきませんが連邦法は多くが公法なのです。その関係もあって、そもそも行政事件が多いのだろうという印象は受けます。ただ、じゃ特に行政法を勉強したかというと、そうでは特にない。アメリカのロースクールでは行政法がまだいまだに選択科目ですので。ただ、その代わりに関連科目が非常に多いんですね、個別法に関する授業が多いんです。全部選択科目ですが。連邦裁判所には行政事件が多いということ以外には、特に日本と違ったことはありません。
【山本助教授】私もこれは詳細に調べたわけではございません。印象に過ぎないのですけれども、ちょっと前に連邦行政裁判所の裁判官が日本に来て、そのときに雑談をしていたのですが、日本の裁判官というのは、とにかく東京から北海道、那覇とどんどん、とにかく異動があるんだ、ということを言ったら、えっ、という顔をされまして、それは裁判官の独立を害するのではないかという言い方をされました。全般的な印象として見ましても、かなりスペシャリストであまり動かないという印象があります。ですから、人事交流がないか、その辺りは調べないとわからないんですが、少なくとも日本ほど頻繁にあっちこっちに行くことはないと思います。かなり一つのポストに長いこと居続けるということが普通ではないかという感じがいたします。なお、行政法はドイツでは主要な科目です。
【中川教授】ちょっと言い忘れましたが、異動が少ないという面は全く同じです。地裁からいわば昇進人事的に高裁判事になることはありません。連邦高裁というのはものすごく高い地位にあります。私が知っているところではハーバードの先生もやっておりまして、それは非常に高い地位です。しかも異動はありませんので、特に例えばワシントンD.C.の地区の連邦高裁の判事になりますと、ものすごい行政事件のスペシャリストで、学者みたいな論文まで書く、そういったところはあります。
【小早川委員】深山さんがお聞きになられたドイツの行政裁判官の養成方法は通常裁判官とは。
【山本助教授】わりと初めから別だろうと思います。私も細かいところまではちょっと調べていないんですけれども、ただ本とか何かを見ておりますと、そういうふうに動いているという気配がほとんどないんですね。しかもドイツの場合にはさらに細かく裁判管轄が分れていますから、どうも初めからわりとスペシャリストという形で養成されるんじゃないかと思いますので。
【小早川委員】社会裁判所、財政裁判所の方はフランス的に行政との交流があるということはない。
【山本助教授】社会裁判所、財政裁判所の裁判官についてもわりとあまり動いていないという印象ですけれども。
【塩野座長】そのあたりはこの検討会でも環境整備ということで、議論していただく機会があろうかと思います。時間の関係もありますので、山本さんは今の質問についてはもしわかることがあれば調べて頂きたいと思います。本日は3人の外国法制研究会の委員から非常に緻密で詳細、貴重なご報告ありがとうございました。こういう形の議論をしていただくにはもう一つの目的がありまして、一覧性を把握して頂きたい、皆様方にですね。外国法の相場というとちょっと語弊はありますけれども、だいたい世の中、特に自由主義国家、そして基本的人権尊重を唱える国家ではだいたいこの程度の相場に至っている。もちろんでこぼこ、それぞれ特徴はある、ということですがそういう意味での一覧性を頭の中に入れておいていただきたいと思います。資料4が、これは事務局が大変な苦労で作って頂いたものでございまいて、これについてはもう少し、場合によっては補正をしていただく。たとえば私が質問したように行政庁の第一次判断権とういう言葉、概念があるかどうかとかですね。そういった日本法から見た者として、もう少し付け加えていただくこともあるかもしれません。それから今日ご質問があった点との関係で、あるいはこの基になっている方を直すということと、との関連で資料4が訂正されるということもありうることだと思いますけれども、是非皆様方もこれをご利用していただきたいというふうに思います。そして3人の方、どうも大変ありがとうございましたが、3人の方につきましては今後個別の論点の検討についての際に、やはり外国の制度の現状あるいは今日既に一種の宿題みたいなものを与えられておりますけれども、そういったことで対応していただけるように今後とも検討会にご出席を願おうかと思っておりますが、これは検討会の皆様方のご同意が必要かとおもいますが、いかがでございますでしょうか。よろしゅうございますか。それでは大変お時間とって恐縮だと思いますけれども、3人の方、引き続き検討会にご出席いただき、場合によっては質問にお答えをいただくことになろうかと思います。どうもありがとうございました。
それでは引き継ぎまして、またそういうことでございますので、外国等の事情についてはまたいろいろと質問あるいはご意見の開陳をいただく機会があるということを前提といたしまして、意見募集結果の報告について事務局からご報告をいただきます。山崎補佐、よろしくお願いいたします。
【山崎速人参事官補佐】それでは先日、当事務局において行いました、国民に対する行政訴訟制度見直しについての意見募集のとりまとめ結果について、ご報告いたします。
資料9−1、9−2、9−3が、意見募集関係の資料でございます。各個人・団体からいただきましたご意見につきまして、ご提出いただきました順にまとめたものが、9−3「意見提出者毎の意見内容」となっております。9−2の方は、これを「項目による分類」としまして、【行政訴訟制度の現状についての認識】と【行政訴訟制度の見直しに向けての提言】に大別して、整理いたしております。なお、後者の【行政訴訟制度の見直しに向けての提言】につきましては、便宜、ご意見を、第6回フリートーキング参考資料の項目に沿って整理しております。資料9−1は、「概要」となっております。なお、団体から、意見の配布の要望がありましたものにつきましては、席上にお配りしてございます。
「行政訴訟制度の見直しについての意見募集」につきましては、資料9−1の【意見募集の概要】という箇所にありますように、去る7月1日から8月23日までの間、司法制度改革推進本部のホームページにおきまして、意見募集を行っている旨を掲載することによって、行いました。意見の提出は、メール及び郵送により、お願いいたしました。以上の事実を周知するために、新聞、これは主要6紙を始めとします全国77紙、政府広報誌、ラジオ、法律雑誌、これは9誌等におきまして、広報を行っております。また、日弁連その他の団体等につきましては、7月の時点で、「現在、国民一般に対する意見募集を行っています」という旨を、各団体の構成員の方々に周知していただくようご依頼いたしました。
その結果、【結果の概要】以下にありますように、多数のご応募をいただきました。意見提出総数は、96件でありました。
本集計におきましては、個人として意見をお出しいただいた方につきましては、氏名が出てもかまわないとされる方もいらっしゃるかとは思いますが、当該個人が特定されることによって不利益を被るということをさけることから、一般的に「個人」とのみ記載するにとどめまして、団体につきましては、団体名を公表することにいたしました。
意見提出総数の96件は、個人・団体、両方をあわせたものですけれども、うち、85件が個人、11件が団体からの意見となっております。なお、個人につきましては、1件につきまして数人の提出者でお出しくださったケースもございますので、個人として意見をお出し下さった方は、全体では105名ということになっております。
その105名の内訳ですけれども、まず、性別で見ますと、男性が90名、女性が9名、無記入が6名、となっております。
次に、年齢で見ますと、20歳代が1名、30歳代が7名、40歳代が7名、50歳代が12名、60歳代が13名、70歳代が8名、80歳代が3名、無記入が54名となっております。
次に、職業別で見ますと、一番多いのが弁護士の20名、以下、多い順に、無職9名、税理士6名、大学教員5名、会社役員、司法書士、行政書士がそれぞれ3名、社会保険労務士、自営業、地方公務員がそれぞれ2名、国家公務員、団体職員、弁理士、公認会計士、会社員、農業、自由業、フリーアルバイトがそれぞれ1名、無記入が44名、となっております。
なお、意見をいただきました団体につきましては、その総数が先に申し上げましたとおり11件でしたので、これを特にあえて分類はしておりません。各団体の名称、それから意見内容等につきましては、資料9−3でご覧いただければと思います。
資料9−1の2ページ目をごらんいただきますでしょうか。そうしますと、項目ごとに何件ずつ意見が提出されたか、それを集計した表がついております。一つの意見内容が、複数の項目に関係すると思われる場合には、当該それぞれの項目に該当するものとして整理した上で、件数を計上しております。したがって、一つの意見が複数カウントされている場合もございます。
各ご意見の内容のご紹介につきましては、ここでは、時間の関係上省略させて頂きますけれども、今後の検討に際して、参考としていただければと思います。
意見募集とりまとめ結果につきましては、司法制度改革推進本部のホームページにおきまして、掲載する予定でございます。
簡単ですけれども、以上でございます。
【塩野座長】ありがとうございました。まず、私から国民の皆様からいろいろご意見を頂き、大変ありがたく思っております。また今後ともいろんな形で委員の皆様方、あるいは団体の方々からのご意見をお待ちしております、ということを申し上げたいと思います。今日お出ししただけのことでございますので、なかなかこの意見について皆様方多少前もってお配りしているかとも思いますけれども、直ちにご感想をいただけるかどうかわかりませんが、もし何かありましたら今後こういった意見募集についてはこういった点について注意したほうがいいんじゃないかというご注意も含めまして、何かございましたらどうぞ伺いたいと思います。どうぞ芝池委員。
【芝池委員】いただいたご意見の取り扱いなんですが、私どもこれを読みまして参考にするのは当然ですけれども、おそらく意見をお寄せいただいた方はそれだけでは満足されないというような気がしております。パブリックコメント手続の信頼を高めるような何か対応方法を考えておられるのでしょうか。
【塩野座長】パブリックコメントはいろんなやり方がございまして、本当の正式なパブリック、正式なパブリックコメントというのも言い方あまりよくありませんが、閣議決定の対象となっているパブリックコメントの場合には対応をきちんと書いて、それぞれにご返事をすると、そういうやり方なんですが。そうではないこういった何かしら、審議会あるいは研究会、検討会等が意見をまとめるに際してパブリックコメントに付すると、いう場合にはこれはいろいろですね。ですからそれぞれにお答え申し上げるのがいいのか、それともこういう形で披露して、ということを前提にして、さらに議論の過程でパブリックコメントの中のご意見を参照するということがあれば、それはそれとして既に議事録等に載る、ということになろうかというふうに思います。数は今のところ少ないですから、いちいちお答えするのもできるのではないかというご意見もあろうかと思いますけれども、場合によりましては非常に多くなる場合には一つ一つにご意見をつけてということをまだ議論の対象にもなっておりませんので、今の段階ではちょっと無理であろうかと思っております。大阪弁護士会の方から出ておりますね。
【水野委員】出しております。
【塩野座長】出した気持ちからするとどうしてほしいかというところは。
【水野委員】要望したものは実現してほしい。一つはこれから議論が始まっていくと、それが逐次公開されていく中で、またさらに意見を出したいと、ということが出てこようかと思うんですね。今、ちょっと96件は私としてはやや少ないなあという印象なんですが、それはやはり、議論が進んでいくと、また出てくるんじゃないかと思います。したがって、これ一旦、締め切られて、結果としてまとめられていますが、いずれまた、もう一遍募集するという機会を是非設けてはどうかと思っております。それから念のため、確認ですけれども、この資料9の1,2,3、3つとも公開ということですね、ホームページで。そうですね。
【小林参事官】はい。
【小早川委員】今のセコンドする意味で、今回のはとにかく何も言わないで意見をくれという話しですから、出す方も大変だと。やっぱり本来のパブリックコメントは原案を示して、それに対する意見。そうするとそれに対してまた、取り入れますとか、こうこうだから、取り入れられませんとか、そういう話しになるわけなんで、いずれにしてもさらに次の適当な時にもう一度、もっと具体的な形でパブリックコメントをやれるかどうかということであります。
【塩野座長】今、小早川委員の方からもやれるかどうかということも含めて、検討しようということでございます。原案になると、原案がいつできるかっていうので、原案がきちんとできてからパブリックコメントにしたのでは、任期切れということもあります。そこは事務局がきちんと考えてくれると思いますので、しかるべき段階で意見を聞く場合もありますし、ご意見はいつでも承りますということは一つ前提としてあるんですね。ですからこの議事録が公開されていく過程でご意見があればいつでも。大阪弁護士会だってまだ何度でも出していただいて、ということでございますので、それがちょっと普通のパブリックコメントのやり方とは違うということを前提にしていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。それでは意見募集結果の報告はこの辺で終わりたいと思います。そこで次回以降のことでございますので、私の方からちょっと準備していることがございますので、申し上げさせていただきたいと思います。今日は三カ国の行政訴訟制度についてご報告いただきましたが、まだ、英米法についてはアメリカということではちょっとバランスの観点から、問題のあるようにも思えます。イギリス法とアメリカ法には雲泥の差があるという意見もあるぐらいでございますので、最近行政訴訟の改革論議が盛んと伺っておりますイギリスについても本検討会でお話しを伺う、あるいは専門の方から、ヒアリングをする機会を設けてはどうかというふうに考えております。それからフランス及びドイツ、そしてイギリスが加盟しているEUには独自に行政訴訟の制度があるということを聞いているんですけれども、なかなかいい情報がありません。そこでその制度についてもどの程度におまとめいただけるかどうかわかりませんけれども、調べていただいた結果をお聞きするのが有意義ではないかというふうに考えております。そういうことで、もしお許しいただければイギリス法とそれからEU法についてコメントをいただいてはどうかというのが私のご提案でございますけれども、いかがでございますでしょうか。よろしゅうございますか。
ではそういうことで、準備をさせていただきます。よろしゅうございますでしょうか。
ではそれでは専門分野の少ないところでございますので、事務局と事前に相談いたしまして、名古屋経済大学の榊原秀訓教授にイギリス法を、それから東京大学の中村民雄助教授にEU法をそれぞれお願いしてはいかがかと。榊原教授につきましては既に色々な論文等がございますし、中村民雄助教授はEUの公法部門の研究を対象ともしておられる非常に数少ない方のお一人でございますので、今日たまたま雰囲気を聞いていただきたいということで、出席を賜っていますけれども、次回はこの2人の方にまず、ご報告をお願いしたいと思います。それでは、そういうことで進めたいと思います。
では次回以降、今のその外国法制の検討の状況を伺った後、あるいは意見交換をした後、次回以降いよいよ個別の論点についての検討ということで、前回の検討会の資料1「第6回検討会フリートーキング参考資料」の項目の順に沿いまして、検討をしていただくことになると思います。そこでまず次回はイギリス、EUの制度をご報告いただいた後、検討第一段階として、フリートーキング参考資料の「第2 行政訴訟の対象及び類型」、もう一度繰り返しますと、フリートーキング参考資料「第2 行政訴訟の対象及び類型」について、ご検討をいただきたいと思います。資料見当らない方は早めに事務局にお申し出てください。
【小林参事官】当日、皆様のところに置いておきます。別途書き込みできるぐらいに一つずつ置いておきたいと思うのですが。
【塩野座長】私が申しましたのは、宿題を家でやっていただきたい。その場で考えろと言ってもなかなか。ですからもしお時間があれば、お配りいたしましたものについて、ご検討いただいてこの場に望んでいただければと思います。これはもちろんそういったお時間の許す限り、ということでございますので、よろしくお願いいたします。何か会議の進め方等についてご意見ございますでしょうか。
【水野委員】7月の検討会で芝原委員に宿題みたいなことをおっしゃられたと思いますが、もしそれが、準備できているようであれば、次回にご報告いただいたらどうかなと。
それから今、第2の方から始めると、それはそれでいいと思いますけれども、今後のある程度のスケジュール的なものをですね、つまり次回は大体何時間でどの程度をやるという、そういったスケジュール的なものを一度、この検討会である程度の見通しをつけておく必要があるんじゃなかろうかと思うんです。毎回、毎回、次回はこれ、次回はこれといきあたりばったりといいますか、ある程度の全体的なスケジュールみたいなのを考えておく必要があるんじゃなかろうかと思いますがいかがでしょう。
【塩野座長】順序は頭からいきますから、つまみ食いではなくて、縦断的にやってまいります。問題は何月にこれはやるかということは前もって、どの程度覚悟を持ってできるかどうか。ある項目に非常に時間を取ってしまうということもあり得るんですから、ただ常識のある皆様方ですから、大体の検討はいただけるかと思いまして、もし大体検討がつくようなことが、これやるとまた事務局主導だなんて言わないことを約束していただけるなら。
【水野委員】それは皆さんで議論してある程度の統一的な意識を持った方が。
【塩野座長】わかりました。それから先ほどの芝原委員のことは、また、事務局とも相談してお願いいたします。よろしゅうございますか。
それではどうも長時間、最初の4時間コースで、4時間コースがいかに大変なものか私もよくわかりましたが、次回も4時間コースですね。
【小林参事官】予定しております。次回は10月21日月曜日、午後1時半から事務局会議室で、行いたいと思います。同じぐらいの時間でよろしくお願いいたします。
【塩野座長】どうもありがとうございました。
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