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行政訴訟検討会(第8回)議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成14年10月21日(月) 13:30〜17:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(説明者)
榊原秀訓名古屋経済大学教授、中村民雄東京大学助教授
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官

4 議題
  1. 外国事情調査報告(榊原秀訓名古屋経済大学教授及び中村民雄東京大学助教授)
  2. 論点についての検討
  3. 今後の日程等

5 配布資料
資料1 行政訴訟に関する外国事情調査結果(イギリス)(榊原教授説明資料)
資料2 行政訴訟に関する外国事情調査結果(EU)(中村助教授説明資料)
資料3 行政訴訟に関する外国事情調査結果一覧表(改訂版)
資料4 イギリス行政訴訟法仮訳(榊原教授仮訳)
資料5 行政訴訟の対象及び類型に関する検討資料
資料6 行政をめぐる裁判
資料7 行政訴訟検討会の今後当面のスケジュール(案)

6 議事
(1) 外国事情調査報告(榊原秀訓名古屋経済大学教授及び中村民雄東京大学助教授)
【イギリス・榊原教授】
〔説明〕
 資料1に沿って説明。
〔質疑応答〕(□:座長、○:委員、●:説明者)

○行政裁判所の裁判官の任命の仕方はどうなっているか。

●イギリスでは、国側の代理人や、弁護士としての実務経験を積んだ者が、その実績を買われて裁判所に入り、経験を考慮されて、行政裁判所に配置される仕組になっている。行政裁判所は、従来は、本当に専門性を持った者だけで構成されていたが、現在では、非常に詳しい者もいるが、そうでない者もいる。

○司法審査請求に属する私法的救済手段と、それに入らない私法的救済手段の、実際に果たしている役割の違いはあるか。

●司法審査請求は行政裁判所、行政部の方に行き、そうでないのは色々な裁判所に行き間接的に争うことになるので、本来の姿で言えば、できるだけ行政裁判所へ持ってこようということになる。一番問題だと考えられているのは、出訴期間があまりにも短いので、時間を過ぎて行政裁判所以外で争ってもそれは止むを得ないだろう、あるいは専門性の確保をどれだけ徹底するか、ということだ。

○学説では、「専門性」に対して批判があるとのことだが、その趣旨はどのようなものか。

●まず、人数が増えてしまったので、中には経験を積んでいない人もいるだろう、ということ。もう一つは、特定の領域について専門性を確保するならいいが、一般的に全ての分野をカバーするようなものについて専門性があるといっても、その専門性の程度は知れているので、そんなに重視してもしょうがないのではないか、ということだ。

○イギリスの取消訴訟の排他性は、日本の取消訴訟の排他性とは、どこが違うということになるのか。

●大権的救済を求めるには司法審査請求が義務付けられるが、私法的救済手段は司法審査請求の中でもできる。イギリスでは、権力的なものについて、別に民事訴訟的・私法的な救済手段で争うことは問題ではない。ただ、出訴期間や許可段階のチェックはある。行政訴訟では、公権的なもの、権力的なものを扱うが、私法的な権利が問題になっているならば、出訴期間とは関係なく、ロンドンの裁判所ではなく別のところへ訴訟を起こしてもいいということだ。さらに現在では、私法上の権利ではないが3ヶ月過ぎても行政に悪影響を与えない決定もたくさんあるから、そういう場合は出訴期間に関係なく他のところで争っても構わないだろう、ということだ。

○認められるかどうか事前にわからないという意味で、間違いやすい要素はあるのではないか。

●今の学説の批判の一つは、間違いやすいということにある。ともかく一本で行き、どれが適切かは裁判所が選ぶような仕組みは考えられないのか、というのが学説の考え方だ。

○司法審査請求の外における事件だという判断が司法審査請求の中でされた場合の処理はどうなるか。例えば行政訴訟を起こしたが、司法審査の外における差止め命令を求める場合は、どうするか。また、その逆の場合はどうか。

●いわゆる訴えの変更をどう認めるかの話だが、行政訴訟から民事の方に移すのは、3ヶ月以内に提起するのであれば比較的容易だと思う。本来私法のところでやっても構わないものについては、民事に移送して、そこで時間をかけて、事実認定などをやればいいという判断もあろう。(民事から行政へという)逆の場合も、出訴期間が順守されていれば、移送することは可能だ。

□イギリスでは、日本で言う制定法準拠主義、あるいは国会主権というのはあまり強くなく、かなり裁判所の裁量的な判断によって動いていると見るが、例えば(判例で)納税者訴訟を認めた、という時に、これがどれだけの射程を持つと見たらいいか。イギリス法としては納税者訴訟が認められる兆しと見ればいいのか。そのように裁判所が裁量によって国会法とかなりかけ離れたところで動いていることについて、学説の反対、あるいは裁判所の方で制定法準拠主義の点からくる反論はないか。

●現在、下級審の傾向が、比較的積極主義の方へ動いていて、学説の主流も支えているという状況と思われるが、それは民主主義の観点から、やはり妥当ではないだろう、それに歯止めをかける必要がある、と、積極主義を支持しながらも明確なアプローチを提示している学者と、国会が民主主義の源だから現在のあり方はそれに反し、もう少し狭めるべきだという者(主に裁判所側)がいる。納税者訴訟について、個人が訴訟を提起する場合にはなかなか認められにくいが、環境団体・圧力団体で、従来の実績で国際的な活動であるとか、国内での活動というものが加味されて原告適格が認められやすい状況であるが、政治的に活躍する団体に司法でも原告適格を認めるのでは、弱者について原告適格は認められず、バランスの取り方として適切ではない、という議論もある。

□例えば納税者訴訟制度みたいなものを日本の住民訴訟に倣って作るべきとの議論はないか。

●いずれの領域でもなかなかない。必要なら裁判所が判断して広げると思われる。

【EU・中村助教授】
〔説明〕
 資料2に沿って説明。
〔質疑応答〕(□:座長、○:委員、●:説明者)

○原告適格に関連して、ECにおける訴訟では、一種の連邦制の中の、連邦と支分国との間の紛争を訴訟的な方法で処理するということにウェートがあるのか、それとも、ある種の公権力に対する個人の権利を実現するための訴訟ということにウェートがあるのか。つまり、構成国・主要な機関と、自然人・法人のどちらが中心なのか。

●時代によって流れが変わっている。1980年代の半ばぐらいまでは、機関が構成国を訴えるとか構成国が機関を訴えるといった連邦支分国間の訴訟方式に近いものが圧倒的に多く、とりわけEC委員会が条約義務を履行しない構成国を訴えるという構図での訴訟が多かったが、80年代の半ば以降は、個人がECの決定を直接争う訴訟が非常に多くなってきて、現在は、おそらく個人の提訴の方が件数としては多いと思う。ただ、これは非常に分野が限られており、競争法やダンピング等の特定領域に非常に固まっている。それ以外では構成国の行為が条約の原則規定に違反するとして個人が争う場合がある。

○個人が構成国の行為をEC法違反であるといって、EC裁判所に訴えるケースが多いということだな。また、ECの行為が争われる場合と構成国の行為が争われる場合があるということだな。

●そうだ。どちらかというと構成国の行為を争う事例が増えており、いわゆる間接実施などの部分で一番大きく問題になるところだ。

○不作為違法確認訴訟があるようだが、これはどういうものか。フランスの制度の影響を受けた部分がかなり多いような説明があったが、あるいはドイツ型の義務付け訴訟をこういう名称で採用しているということなのか。

●ここの発想は確かにドイツの義務付け訴訟が基になっているとよく言われる。ただ、確認をするだけで義務付けはない。所轄の官庁において、判決に従う義務が生じるだけである点が違う。

○不作為の違法確認訴訟は、量的に多いと考えてよいか。

●ほとんどない。この不作為の違法確認訴訟は、ECの機関の不作為であるが、条約の規定で期限をきって中身の実現を義務付けているものはほとんどないので、起こしにくいのが現状だ。

□取消訴訟の排他的管轄に関する議論は、理論的にありそうだがないのか、それともそもそもそういった議論が成り立たないということなのか。

●今まで、そういう議論はない。

○普通、排他性を議論する場合には、行政訴訟と民事訴訟というのが土台にあり、そこで行政訴訟が割り込んでくる際の問題だ。ECでは、基本的に私人対私人の訴訟は考えられないので、コンテクストが違うのではないか。

(2) 論点についての検討
〔事務局による資料(資料5及び資料6)の説明〕
 資料5は、「行政訴訟の対象及び類型に関する検討資料」と題する資料で、この資料は第6回行政訴訟検討会フリートーキング参考資料の「第2 行政訴訟の対象及び類型について」の記載、これを枠囲いをしておりますが、この記載について検討の参考となると思われる法令、制度の説明と、その資料、文献等を付記したもの、資料6は、行政をめぐる裁判の現状について、これを図示して、説明をした資料です。
 資料5に基づいて、事務局の方で気づいている問題点等をご説明します。
 2ページの一番上のところですが、そもそも行政訴訟、あるいは行政訴訟の対象、それからこの問題である行政訴訟の類型について考えるに当たっては、行政訴訟という特別の枠組み、立法に当たってそういった枠組みをつくる以上、その枠組みにどういう意義を持たせるのか、これが問題になるのだと思われます。これは大日本帝国憲法、日本国憲法の施行までの間であれば、行政裁判所に提起する訴訟を行政訴訟と呼んでおり、それはなぜかと言うと、大日本帝国憲法においては、行政官庁の違法処分によって権利を傷害された、という訴訟であって、行政裁判所の裁判に属するものは司法裁判所では受理できない。こういう規定があったから、行政訴訟という規定を設ける意味があったということになるわけですが、日本国憲法におきましては、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定した上で、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」ということになりまして、「特別裁判所はこれを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と規定したわけです。したがいまして、それに基づいて、裁判所法の3条1項では「裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定しておりまして、この規定などから裁判所、司法裁判所ですが、これは行政裁判所に代わって行政訴訟を行うことになったというだけではなくて、この意味は裁判所が司法権本来の作用として、その範囲において行政訴訟を審理することになったということを意味しているのだというのが現行の行政事件訴訟法の立法担当者の解説です。したがって、この行政事件訴訟というのは行政訴訟であるかないかによって、裁判所の審判の対象になるかならないか、司法裁判所の審判の対象になるかならないか、ということが現行法では決まっているわけではない、ということになります。
 それでは、行政事件訴訟、現行法では行政訴訟と呼ぶよりは行政事件訴訟と呼んでいるわけですが、行政事件訴訟とは何かということになりますと、行政事件訴訟法は一般の法律とは極めて異なった規定の仕方をしております。それは何かと言うと、通常の法律であれば、行政事件訴訟とはこういうものを言うという積極的な定義がされるのが普通ですが、現行の行政事件訴訟法は2条において、「この法律において、「行政事件訴訟」とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟をいう。」。この法律で後で定義する訴訟類型を引っ張り出してきて、この訴訟類型の訴訟が行政事件訴訟であるという、非常にわかりにくい、これは現行の立法では極めて珍しい、立法の仕方をしているわけです。ですから、この訴訟類型が一体何なのかということを突き詰めてみないと、行政訴訟というのは一体何なのかはわからない、という規定になっております。しかも、この法律の総則の規定を見てみますと、結局書いてあるのは、抗告訴訟は何かというのを3条に書きまして、4条で当事者訴訟は何かということを書きまして、5条で民衆訴訟は何かということを書きまして、6条で機関訴訟は何かと書いて、第7条において「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」と、これをもって総則の規定が完結してしまっている。つまり、行政訴訟について一体、どういう特質をもった訴訟が行政訴訟であって、その特質をもって、行政訴訟についてどういう規定が必要だから、これを行政訴訟としたのか、ということがこの総則を見ても、全くわからない。これは私も裁判官をやっていたこともありますけれども、裁判官がこの法律を適用しようと思った場合に最も困難なのは、その趣旨がよくわからない、ということではなかろうかと思います。したがって、訴訟類型を考える前に、行政訴訟というのは一体、何で、その行政訴訟というのはどういう特質をもったものとして、規定すべきものなのか、ということを立法に当たってはもう一回検討する必要があるのではないか、と考えております。
 それが2ページの真ん中辺りまでですが、行政事件訴訟法がこれら類型を定めているその趣旨は何かと言うと、これは具体的事件がいかなる類型の訴訟に属して、いかなる手続きで処理されるかを示すにすぎないものであって、訴訟の可能性を定めているものではない、というのが立法担当者の説明です。つまり、訴訟ができるかどうかということは、先ほどの憲法に定めている、あるいは裁判所法で訴訟の対象となっている法律上の争訟、つまり裁判の対象となる争いであるかないかによって決まるのであって、この訴訟のどの類型に当たるかどうかによって決まるのではない、ということです。
 ただし、抗告訴訟のうち、この取消訴訟につきましては、特定の行政庁の処分について、その処分の効力を遡及的に消滅させるという意味での取消判決を求める形成訴訟と理解されておりますので、そういう意味で、民事訴訟の一般原則によれば、形成の訴えというのは実体法がその必要がある場合に個別に規定を置くこととされ、そしてその法定の場合のみ認められる、ということからすると、行政事件訴訟法9条で、取消訴訟の規定を置いたということから、この取消しの訴えというのが認められるという意味では、積極的な意義を有しています。
 しかし、一般的には行政事件訴訟法が訴訟類型を定めている趣旨は、あくまで、原告が特定の訴訟類型を選んで、訴えを提起した場合に、その訴訟類型に定められた訴訟要件、具体的には出訴期間とか、原告適格とか、被告適格などが決められていますが、そういったものの適用を受けることを定めたものにすぎないわけです。行政事件訴訟法に訴訟要件が定められていない訴訟類型である当事者訴訟によって訴えを提起した場合には、その訴えが適法であるかどうかは、訴えの内容が行政に対する司法審査を求めるものかどうかで決まるのではなくて、その訴えが裁判所法にいう法律上の争訟に当たるのかどうか、あるいは通常、行政事件訴訟に関して、行政事件訴訟法に定めがない事項は、民事訴訟の例によるということになりますから、一般の民事訴訟の原則においてその訴えが適法な訴えと認められるかどうかによって決まることになるのです。
 ところが、行政事件訴訟法の仕組みをよく見ますと、2条で「『行政事件訴訟』とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟をいう。」、となっていて、資料6のとおり、民衆訴訟と機関訴訟というのは、裁判所法にいう法律上の争訟には当たらない。裁判所法、あるいは憲法で決められている司法権の範囲の外にあるものについて、特別に法律の規定で、裁判所法3条でも、法律に特に規定のある場合、その他法律において特に定める権限を有する、と書いていますけれども、法律で規定をすれば、裁判所でもこういう裁判ができる、ということから認められた訴訟である、というふうに位置付けられているわけですが、それ以外の普通の訴訟、ここでは主観訴訟とよく言われているわけですが、普通の訴訟の類型を見ると、抗告訴訟と当事者訴訟しかないわけです。
 抗告訴訟と当事者訴訟という行政訴訟の類型を見ますと、抗告訴訟とは、行政事件訴訟法3条1項で、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟、ということになっていて、当事者訴訟は、第4条で「当事者間の法律関係を確認し、又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で、法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの」、これは特殊な訴訟ですが、及びの後で、「公法上の法律関係に関する訴訟をいう」、ということになっている。
 つまり、行政事件訴訟法の仕組みでは、当事者訴訟というのは公法上の法律関係に関する訴訟というふうに書いてあって、抗告訴訟というのは行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟、この2つの枠組みに分かれていて、これで法律上の争訟という枠組みに入る行政訴訟というのは全部だ、というふうに考えているのが行政訴訟の仕組みではないかと思われるわけです。
 行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟というのは、公法上の法律関係に関する訴訟であるのかないのかというのは私、ちょっとよくわからないのですが、本来であれば、まず、行政訴訟は公法上の法律関係に関する訴訟をいう、と規定した上で、そのうちの一部の訴訟類型を取り出して規定するのが普通の今の立法の仕方ではないかと思うのですが、最初からこの訴訟類型を分けて規定して、それを足したものが行政訴訟だという規定の仕方をしているので、非常にわかりにくい法律になっている、というのが現行の行政事件訴訟法の特質ではないかと思います。その場合に、抗告訴訟については行政事件訴訟法では第2章というところで、かなりたくさんの規定が設けられていますが、この規定の特色は、抗告訴訟のうち、取消訴訟に関して非常に詳細な規定を設け、その取消訴訟の規定を他の抗告訴訟に準用して、それから当事者訴訟にも準用しているため、行政訴訟に共通の規定は何なのか、行政訴訟の本質は何なのか、ということがよくわからない、そういう規定ではなかろうかと思います。ただし、最終的にこういった抗告訴訟や当事者訴訟を通じてどういう特質があるかということになると、当事者訴訟について、抗告訴訟に関する規定が準用されている41条の規定、これによって大体、わかるのかなと思うのですが、これによって当事者訴訟に準用されることによって、特に当事者訴訟で特色のあるところというのは、結局、24条の職権証拠調べに関する規定が準用されているということ、つまり、行政訴訟を通じた一貫した特色、抗告訴訟と当事者訴訟を通じた一貫した特色というのは、現行法を見る限りは、この職権証拠調べができるということに特質があるということになるのではなかろうか、というのが現状ではなかろうかと思います。
 それから3ページの方の真ん中から下のところに行きますと、結局、抗告訴訟についても、その訴訟が適法であるかどうかは、それぞれの訴訟類型について行政事件訴訟法に定められた訴訟要件のほかに、それが「法律上の争訟」の要件その他民事訴訟一般の訴えの適法要件を充たすことが必要になるわけですが、ただし行政事件訴訟法では「法律上の争訟」に当たらない場合でも、民衆訴訟及び機関訴訟が提起できることを明らかにしているわけです。ところがこの民衆訴訟及び機関訴訟の規定は結局のところ、法律に定める場合に法律に定める者が提起することができる、と42条に規定しているだけで、この規定がなくても、結局のところ裁判所法3条1項で、法律において特に定める権限というのは裁判所が有しているわけですので、法律で定めれば、こういった訴訟ができるというのは実は行政事件訴訟法を待つまでもない、ということになろうかと思います。
 それから、次に抗告訴訟の問題点ですが、抗告訴訟の中には先ほど申し上げたような処分の取消しの訴え、それから裁決の取消しの訴え、これは立法担当者の解説では先ほど申し上げたような形成の訴えという形で、民事訴訟では通常、法律に規定がないと認められないものについて規定をした、こういう仕組みをしているんですが、その他の類型として、3条4項、5項において、無効等確認の訴えと不作為の違法確認の訴えについて、類型を設けています。この無効等確認の訴えと不作為の違法確認の訴えにおいて、どういう問題があるか簡単にご説明を申し上げます。無効等確認の訴えは、3条4項の後、36条に無効等確認の訴えの原告適格に関する規定がありまして、「無効等確認の訴えは、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができる。」、という形の規定が設けられています。そこで、無効等確認の訴えというのは、このような規定が設けられているのですが、一般的な訴訟要件がどうなっているかというと、3ページの一番下の「法律上の争訟」とは何かという問題なんですが、結局先ほど申し上げたような、裁判所の裁判の対象となる「法律上の争訟」とは何かということになると、最高裁判所の判例で、当事者間の具体的な権利義務ないし、法律関係の存否に関する紛争であって、かつそれが法令の適用による終局的に解決することができるものに限られる、というように解されています。確認の訴えを含む場合、民事訴訟ではどういう訴訟類型があるかというのは資料6のとおりですが、これは実は訴訟類型に関する規定というのは民事訴訟にはないわけです。一般に給付の訴えとか確認の訴えとか、形成の訴えとというものがあるとされているわけです。民事訴訟においては、そういった訴訟類型については統一的な規定がなくて、個別に規定したり、解釈によって定められたりしているわけです。また、訴えの利益とは、法律の規定はないけれども、民事訴訟一般の訴訟要件として必要であると解されております。これが確認訴訟においては、確認の利益という形で言われるわけですが、民事訴訟においてはこういった訴訟類型について、その意義とか性質というのを定めた規定はないわけです。これは現行の民事訴訟法を平成8年に改正する際にも、この改正の際の「民事訴訟手続に関する検討事項」としては「訴えの類型(給付訴訟、確認訴訟、形成訴訟)に関する規定を整備するものとするとの考え方」が掲げられたけれども、結局のところ、形成訴訟の意義を一義的に規定することが困難なことや、訴えの類型の発展を制約する危険があることなどの理由から立案が見送られた、といわれています。ところがこの行政事件訴訟法においては、先ほど申し上げた無効等確認の訴えという規定がありまして、この規定につきまして、現行の一般の民事訴訟における訴えの利益、確認の利益という考え方からすると、この36条の規定は、この無効確認訴訟について、特に対象を処分に限っている、というところにおいても、通常の民事訴訟において、そこまで当然に限定されるものではないのだろうと思われますし、その場合において、その原告適格として、「当該処分に続く処分により損害の受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」、これは普通の確認の利益の問題ではないかと思うのですが、その後で、「当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができる。」、とここまで書いているというのは、むしろ通常の民事訴訟における確認の利益をさらに、この規定は制限しているのではないかというふうに解される可能性があるのではないかという問題点があります。
 次に、不作為の違法確認の訴えも、抗告訴訟において、「行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内になんらかの処分又は裁決をすべきにかかわらず、これをしないことについての違法の確認を求める訴訟」、と定義されているわけですが、この行政庁の不作為の違法確認という問題についても、国家賠償などの領域では行政の不作為が違法になる場合というのは、必ずしも申請した場合に限らなくても、見受けられるし、争われていると思われます。その不作為の違法確認の訴えの規定は、ここに規定した場合について、不作為が違法になることが実体法で有り得ることを示したという意味では、この法律の条文は極めて意義があると思いますが、他方で不作為が違法になるのは実体法の問題であって、逆に言えば、義務付け訴訟の議論等で出ておりますように、行政庁が何らかの処分をする義務が発生する場合は、ほかにも実体法上、有り得るのではないか、仮にそういう場合があったときに、不作為の違法確認の訴えで認められている範囲でしか訴訟ができないのか、という問題もこの規定があるがゆえに逆に生じてくる可能性があります。
 そこで5ページの真ん中のところですが、現在、訴訟類型について義務付け訴訟、あるいは予防的不作為訴訟とか、あるいは差止めの請求とか、いろんなことが考えられ、提言されているわけですが、結局のところ新たな訴訟類型の導入について検討するに当たっては、民事訴訟の一般原則に対してその規定がどのように変更を加えることを目的とするのか、という導入の趣旨、それからそれを踏まえた訴訟類型の定義と定義された訴訟類型に適用される規定の内容、さらには訴訟類型を定義しこれに適用される規定を設けることとした場合に、その裏返し、ないし反対解釈として、その定義に該当しない類似の訴えが不適法と解釈されて、行政に対する司法審査が制限される危険が生じないかどうか、などの問題について、検討する必要があるのではないかと思われます。先ほど申しましたように、行政事件訴訟法がこの抗告訴訟の類型を設けていること自体は、訴えを制約する趣旨ではない、訴えができるかどうかを行政事件訴訟法で決めた趣旨ではない、と立法担当者は説明しておりますが、個別に具体的な規定を見ると、民事訴訟の一般原則よりも狭くなっているのではないかと思われる点もある。そういった規定が具体的に置かれた場合に、逆にその裏返しの部分というのは訴えを認めないことにした趣旨なのか、というそういう解釈を招くおそれもあるのではないか、そういう問題点が立案に関わっては考えられるのではないかと思われるわけです。
 次に、資料5の10ページに「2 行政訴訟の類型」として、「① 新たな抗告訴訟の類型を設けるべきであるとの考え方があるがどうか。」という問題の提起をしております。ただ、この問題の提起は、これで良いかどうかはそもそももう一回、見直さないといけないのではないか。それは先ほど申し上げたように、抗告訴訟という類型をつくることにどれだけの意味があるのかということを考える必要があるのではないか。抗告訴訟は、当然の前提として、その抗告訴訟の類型を設けるという考え方で行くのではなく、行政訴訟として、一般的に裁判を受ける権利として認められるべき訴訟を何らかの形で類型として取り上げていくことが必要なのかどうか、それをどういう形で取り上げていくのがいいのかと、そういう形でご検討をお願いした方がいいのではないかと思っておりまして、当然のごとく抗告訴訟という類型が必要であるかどうか、ということについては、それ自体も、また検討の対象ではないだろうか、と考えております。資料6について補足しますと、仮差押、仮処分というところが一番右の方にありまして、これは通常の民事訴訟であれば仮差押、仮処分は必要があれば認められるわけですが、行政訴訟になりますと公権力の行使についての仮処分というのはこれは認められない、となっております。それから左側の方に執行停止があります。執行停止は、行政庁の処分の執行を停止するわけですが、これについては現行の考え方としてはこれは行政権の範囲に入って、司法権、固有の司法権の範囲ではないのではないか、このような見方がされております。しかしながら、この検討会等でも様々な方からご指摘がありますように、この司法権の範囲についての我が国の考え方自体がこれでいいのかどうか、ということについて、様々なご指摘がございましたので、こういったこと自体も問題になるのではないかという視点を矢印で示したものです。
 それから下の方に、主観訴訟と客観訴訟についても当然にこういったものが前提になるのでなくて、諸外国の報告の中にありますように、国民の権利救済という範囲をかなり広く考えるという考え方もご指摘ございました。そういった意味で、司法権の範囲をどう考えるかというのもまた問題でないか。それからご指摘の中に、行政訴訟と民事訴訟の区別というところも多様な救済という視点で見直していくべき問題があるのでないかというご指摘がありましたので、中に点線を設け、柔軟に考えていってよいのでないか、こういう問題意識を持って、資料を作成しました。
  

〔論点についての検討〕(□:座長、○:委員、■事務局)

□事務局から、行政訴訟の本質とは何かという本質論と、条文のスタイル等の法制的な問題点も含めて、いろいろな角度から指摘してもらった。かなり専門的な問題と、行政の活動に対して、国民の権利救済を図るにはどうしたらいいか、その場合の訴訟は普通の民訴とどのように一番違うのか、という根本論の指摘もあった。行政訴訟の本質論については、昭和37年の行政事件訴訟法の制定の際の法制審議会でも、意味がないからやめようという論争が、柳瀬、田中、雄川、三ヶ月といった学者の間であったことを思い出す。自分としては、あまり法制的・技術的な点は、第1読会では議論して頂かなくてもよいのではないかと思う。資料1の6ページにあるような「見直すべき点があるかどうか」という点について、気になる点を率直にお話いただきたい。各論にわたる部分については、当検討会で出された項目をかなり細かな問題を含め書いている。結果除去請求権や補助金の請求といった点については、今日は深く立ち入ることはできないが、このような各論的な問題提起についてもおっしゃっていただいて結構だ。そういう意味では、今の事務局の説明を前提にし、総論と各論を一緒に話をしていきたい。行政側・裁判所側の委員、一般の委員にも率直な意見を頂きたい。6ページの①のところから入って行きたい。

○行政訴訟の存在意義に係る話だが、現在の行政訴訟は、権利救済と適法性コントロールという二兎を追う形の制度になっているが、そこがはっきりしない。一般的に公共政策では目的が2つ以上あるときには手段も2つ以上用意せよというのが基本定理だが、行政訴訟は二兎を追っているのに、取消訴訟という一つの手段でコントロールしていて、どちらにウェートを置くべきなのかがはっきりしない。目的を分けて、権利救済のために役に立つ行政訴訟と、適法性コントロールのために役に立つ行政訴訟とに観念的に分けて議論した方が生産的ではないか。
 権利救済という観点では、主観訴訟の充実が課題になり、その場合、個人にとっての効用の毀滅がベースにあってしかるべきだと思うが、そう考えると今の行政訴訟と民事訴訟を対比すると、ある側面では非常に民事より手厚いが、ある面では民事でできるのに行政では跳ね飛ばされるということがあり、これが二兎を追っている反映だ。適切な民事の主観的救済のあり方と対比し、同じように困っている人に同じような救いの手を差し伸べるという仕組みで整理するのが主観訴訟の場合に非常に重要だ。
 適法性コントロールの観点だが、事務局の説明だと司法ではないのかもしれないが、だとしたら、そう割り切って、行政訴訟改革の一環として、審議会の意見書にもあることでもあり、やるべきかどうかという立法政策論、ないしは司法政策論として考えていくということではないか。
 個人的には納税者訴訟の制度を検討した方がいいと思う。司法権ではないかもしれないが、公金の違法支出についてのおそらく最後の砦であって、会計検査院にはできないことが実現できるだろう。環境とか計画に関する事項でも個別の利益をとってみれば、とても主観訴訟では熟度がないが、トータルすればやはり甚大な健康被害、環境阻害をもたらしているような場合には、全体の社会的な効用を毀損しているのかどうかという観点でコントロールできる手段もあってもいいと思う。そういう観点では、司法ではないかもしれないが、端的に計画、環境統制訴訟という類型を認めてもいい。できるだけ目的に応じた手段ということで、機能分離をしたアプローチをしてほしい。

□委員の年来の御主張だが、自分の知る限り、外国法制の検討の結果は必ずしも明確に各国で主観訴訟と客観訴訟を分けてやっているものではない。そういった外国法の調査の成果も踏まえて、議論をしてもらう必要もある。
 また、主観訴訟は普通の民民の訴えと同等であるべきだ、というのもかねてからの委員の主張だが、外国法の検討から見ると、裁量の問題や証拠の出し方の問題といった点に違いがあるということが段々分かってきたので、主観訴訟は民民とまったく同じであるべきだとは、割り切れないのではないか。もちろん、民民の争いについて、なぜそんなに違わなければならないのかという点については充分議論をし、違える必要がないということであれば、違える必要がないということになろう。議論の場を狭めるつもりは全くない。

○外国法は確かに参考になるが、あくまでもその国固有の制度として発達してきたものだから、直ちに日本にとってのベストなパラダイムではなく、外国で不自由を感じていることまでわざわざ真似する必要はない。

○主観訴訟のあり方をどのように考えるかが、この検討会の課題になると思う。先程の意見のように、主観訴訟を権利保護の見地からのみ捉えることは疑問だ。例えば環境訴訟をとっても、権利保護と行政統制という両面を持っている。また訴訟を起こす者が単純に自分の権利保護だけを考えていることはなく、将来、間違った行政が行われないようにという期待を込めて起こす場合が多いとも考えられる。また、先般のパブリック・コメントの結果でも、行政統制の見地から現在の訴訟制度の充実・発展を図って欲しいという声が多かったが、そういうものを全く考慮しないで意見を述べるのはいかがか。

□学者っぽい議論ばかりではなく、何が一番足りないと思うか、どこを改正すべきか、あるいは裁判所の運用のどこが一番おかしいと考えているか、といったところから今の一般論をまた展開していただければ、大変ありがたい。

○資料や事務局の説明もそうだが、訴訟法としてどう整理するかが先に来ている気がする。一般国民が何を期待し、何がフラストレーションになっているかの具体的な事実を共有することが必要だ。例えば、環境訴訟や、街づくりの争いに際して、住民として訴訟を起こしたいが、うまくいかない、また、補助金が要綱に基づいているために、救済の道が突然なくなるのは困るという感覚があることもわかる。さらに、通達、要綱等を争わせてはどうかという問題もあるが、通達一般が問題なのではなく、何が問題なのかというレベルで、まず議論したい。

□そういう趣旨で、何が一番問題と思うか、例えば都市計画についてうまく処理されていないのではないかという程度でも結構なので、意見がほしい。

○先程の意見には賛成だ。ただ、検討資料については、今までの議論をはめ込んでいくとこのような順番になるのではないか。議論になれば、こういう場合には何らかの争訟性を持たせないとおかしいのではないか、ということは出てくると思うので、とりあえずペーパーの中であるものの中で今の議論をやってみたらいい。自分としては、司法固有の中の作用が従前充分に行われていないという指摘は非常に責任を重く受け止めるので、固有の司法作用はできるだけ国民に使い勝手良く、権利救済が必要なものであれば、できるだけきちんと救済ができる制度に改めていただきたいので、そういうところの改革は最小限手をつけていただきたいと思う。

○行政訴訟の目的は権利救済と適法性のコントロールの2つだとされており、その二つは一応別の目的のような印象をこれまで持っていたが、いわゆる主観訴訟は権利救済であると同時に、違法な処分を是正するという違法性コントロールの機能もあり、また、いわゆる客観訴訟は、外国法等の報告を聞くと少なくとも主観的な利益が入っているということであり、2つの目的が非常に相対的で明確に分けるのはなかなか難しい。外国法の報告を聞いて、主観的な利益をもう少し柔軟に考えるべきだと感じた。
 行政訴訟の対象は広げるべきであると思うが、しかし、例えば、行政訴訟の対象になるものが民事訴訟が排除されるとか、出訴期間がかかるということであれば、これは対象を極めて狭くしなければいけないという議論になるだろうし、逆に排他的管轄の認められる領域を残しても、それはそれで別の判断で画するという議論であれば、幅広くしたらいいという議論になるだろう。自分は、行政訴訟の対象を広くするが、同じような裁判が民事訴訟でもやれることにしておいて、行政訴訟の対象を広くし、出訴期間をかけるのは、本当に必要な部分だけに限る、という議論をするべきではないかと思っている。

○欧米、ドイツ、フランスの行政訴訟の、日本との違いの報告を聞き、大変参考になった。欧米では当然訴訟となるようなケースについて、今までの日本の判例で却下や棄却された例に根拠があればいいが、合理的な理由がないなら、改めていかなければいけない。国民が裁判を受ける権利は広くしなければいけない。狭い理由が行政の特殊性ということにあるのなら問題だ。資料の図でも、日本の行政訴訟の範囲が大変狭くなっているので、それが本当に根拠があるのかどうか整理して、議論に参加したい。

○日本の行政訴訟がなぜ国民の要求に応えられていないかについては、やはり官憲国家的伝統があり、行政庁にまかせておけば安全で、よほどのことがある場合に裁判所の救済を用意しておけばそれで足りるという発想があるのではないか。また、戦後、日本の行政訴訟が司法に一元化され、行政訴訟が民事訴訟の特例と位置付けられた結果、民事関係で保護されるべきかっちりとした財産権、人身の自由を主とする権利を行政権に対して保護することに行政訴訟のミッションのコアがあると考えられて、その結果、その周辺領域の、国民生活に関わっている部分の行政を捉えきれなくなっているのではないか。

□田中二郎先生は司法権の限界論を唱えていたが、それには2つの筋があり、一つは行政庁の第一次判断権の尊重で、戦後のことなので、当時は行政が引っ張っていくことに対して司法があまり行政をチェックすると日本の戦後復興を阻害してしまうだろうということ、もう一つは、裁判所は政治的問題にまで介入すると、逆に政治が裁判所に介入してくるのでそれはしてはいけない、ということだったと思う。ただし、日本の国家賠償はかなり広く、外国では救えないものでもここでかなり救っているという状況があるので、国民の権利救済を公平に見るためには国家賠償もきちんと押えなければいけない。
 従来、通達一般とか、行政指導とか、カテゴリーで考えられてきたものについて、個別の紛争に即した形での裁決の仕方をもう少し考えてみるべきではないか。取消訴訟で救えなくとも、たとえば検討資料12頁の処分以外の行為を対象とする行政権限行使の違法確認の訴えなどで、個別の救済に即して違法な問題のチェックができるということをもう少し考えるべきではないか。そうすると、例の計算尺の事例などは認めてくれるのではないか。しつこい行政指導については、ある段階で違法確認、損害賠償請求という形でやっていいのではないかというのが私の理解だ。

○この検討資料は詳しすぎる。あまりにもプロ向きではないか。客観的な資料ということに努めすぎた結果、何を議論して欲しいのかよく分からない。例えば計算尺の判例など、何故これが救済できないのかというケースが10箇所、20箇所出てくるが、そのためには紛争の類型を増やすのか、取消訴訟の原告適格を拡大するのかは、その次の問題だ。普通、立法というのは、ここがおかしいから変えたらどうかという経済界や政治の世界からの声があって、動いていくというのが通常の形だ。だから、せめてこれだけは救えるようにしようという合意がどこまでできるか一当たり議論し、その上で、そのために訴訟類型を考える必要が本当にあるのか、運用だけでもいけるのか、ということだと思う。今までこんなケースは駄目だったが、それは救うべきだという話になれば、後は理屈をどう考えるかということになる。

□最初は少しふわっとした形での資料を出したが、最初から大阪空港訴訟などを持ってきてもちょっと難しいのではないか。事務局から、問題事例を出した方がいいということか。

○それについて何らかの手当をするしないとは別に、素材としてこういう例がある、あるいは日本の行訴の実効性が上がっていない例と言われるものを初期の段階でずらっと挙げていいのではないか。

○現実に判決を書いている立場から言うと、その時代によって色々な概念・社会状況が変わっているから、過去の判例を持ってきて、狭すぎるじゃないかと言っても、ベースが違うのではないか。それよりは、例えば計画行政などの新しい問題について、それを素材にどんどん検討する方が、建設的ではないか。

○今の両意見に賛成だ。過去の判例の中にも、こういう行為が救済が与えられなかったのはどうかと、ある程度定式化・一般化できるのが多いと思う。また、計画等新しい具体的行為類型のこういうケースで、今、救済のエアポケットになっているじゃないかという一覧表があった方が議論しやすいのではないか。

□第3の取消訴訟については、ここにかなり国民の不満が上がっており、また判例がやや集中的に出ていることも事実である。判決について、どういうところに問題点があるのか、外国は解釈でやっている、あるいは、制定法でやっている、というのが段々出てくると思う。また、類型の問題、例えば、運転免許の停止について、最高裁は国家賠償で行けという方針かもしれないが、お金に換算して欲しいと言っているわけではなく、少なくとも違法であったということを確認してもらえば紛争解決に一番直裁ではないかという議論もできるかもしれない。
 しかし、確認訴訟はそんなのでは受けられない、となると、では民事訴訟法の議論との摺り合わせをどうするか、行政訴訟としてはそういうものをつくるべきなのか否かの問題に移ってくる。そういう形で、次回からは第3の方に移り、取消訴訟をやりながら、実は義務付け訴訟もやれるというような形で、議論を進めるという形の資料をつくりたい。

■取消訴訟のところはかなり具体的な問題になろうかと思うので、判例等を見ながら、問題点や解決の方向性について考えられるところを、事務局で検討し、メモをつくりたい。

○行政訴訟の類型については色々あり得ると思うが、類型が増えて行政事件訴訟法が却って使いにくくなると元も子もないので、実質的救済に寄与するような考え方が非常に重要だ。

○補足だが、自分が申し上げているのは主観訴訟と客観訴訟を全く別にせよということではない。現在は主観訴訟と言ってもあくまでも権利侵害を求めるときに適法性が訴訟物になっているので、渾然一体としているのは当然だ。適法性をコントロールしたいときに権利侵害された人が訴えてくれないと適法性コントロールができず、非常に領域が狭くなるのではないか。適法性コントロールを追求するのであれば、適法性がコントロールできるような手段としての客観訴訟というのがあり得てもいいのではないか、という趣旨だ。

□行政の統制には他にも色々なコントロール手段が増えているが、小さなコストでいかにいいコントロールができるか、司法権が幅広くなればいいというものでもないので、どういう組み合わせが必要か検討する必要がある。ご意見を充分に承りながら、今後も議論していきたい。

○最初から対象とか類型などと言っているが、そんなに最初から厳しくやらないといけないのか非常に疑問だ。もうちょっと先に議論が進んだ段階で、それをフィードバックしてもう一度見直しをすることがどうしても必要だと思うので、対象、類型がどうあるべきかの議論をする時間をあとに置いておいて欲しい。

□次回は第3の方に行こうと思う。今日の議論では細かい議論に入れなかったが、皆様のご意見を承って、確認的なことを申し上げたい。
 まず、行政訴訟の目的について、適法性か権利侵害かという点については、多数の意見はそう簡単に割り切れるものではないということだったが、しかしそこは別にもう少しきちんと整理すべきという意見もあったことは事実であり、意見があったという形で整理したい。国民訴訟の議論は続くと思う。
 行政訴訟の対象について、②以下のところの提案について全くやる必要がないという考え方があれば出してほしいが、今日伺ったところでは、たとえば通達については、通達だということだけでどうこうすべきでないという議論があった。また、補助金についてはまだ議論をしていないので、議論し足りないという整理をしたい。
 客観訴訟を拡充すべきであるという点については、まだ技術的な検討はしていないが、主観的なもの、従来の権利侵害に限るようなものでは良くない、というような考え方が多いと思った。
 類型を最初から考えるのはおかしいという指摘があった。多様の紛争の訴訟類型についてそれぞれ検討することについては、積極的に考えるということではないかと思った。権限行使違法の確認もどう構成するかは別として、問題を提起すべきだということになろう。
 無効確認訴訟は議論していないと整理する。
 差止訴訟のあたりについては、今後、取消訴訟との関係、あるいは従来の判例を見据え、分析をしながら、フィードバックして考えて行こうということで、最初から否定あるいは肯定をするという問題ではない。問題としてはもう少し議論をしていくが、その議論は改めて独立に取りあげるのではなく、次回以降の議論の中でできるだけ取り上げればよいのではないか。
 納税者訴訟についても導入すべきだという考え方が今日も出されたが、今後の検討ということで、今日ここで具体的な方向が決まったものではないと理解する。
 今の一応の確認について、意見、質問はあるか。

○資料11頁②で、多様な紛争形態が多いから訴訟類型を設けるべきであるとの考え方があるがどうかとされているが、紛争形態が多様なのは当たり前であり、それに一々訴訟類型を考えていくのは意味のない話だ。何人かの委員からも発言があったが、自分も訴訟類型というのはあまりない方がいいと思っている。座長の整理がそうでない方向ならば留保する。

□従来、法定外抗告訴訟はあまり認められていないということを前提とすると、法定抗告訴訟と当事者訴訟というカテゴリーではなく、もう少しこんな請求の仕方をし、こんな判決を貰いたい、ということを柔軟に考え、できるだけ幅広く取り入れたい。その後で、それをどう訴訟類型として料理するか、それこそ法律の専門家の話だが、類型とすると日本人はその類型以外は認めないという癖が出てしまう一方で、類型で挙げておかないと最高裁が認めてくれないという傾向があり、大変悩ましいところだが、最後は何とか決着をつけないといけないと思っている。

○行政訴訟の対象については、やはり民事訴訟との関係をどうするかの議論が先行しないとどうも発言しにくい部分がある。特にいわゆる私法形式をとって行われるものについて、民事訴訟でいいが、行政訴訟でやるのならそれでもいいのではないか、という議論になる一方で、どちらかでやれということになれば、行政訴訟でない方がいいという議論になる。
 客観訴訟を拡充すべきであるということについては、是非とも議論したい。
 訴訟類型をきちっと定めてしまうのがいいかどうか、若干疑問を持っている。訴訟類型を定めないと裁判所が乗ってこないという議論もあるのかもしれないが、あまりきちんとすることがいいかどうかについては、もう少し議論をする必要がある。訴訟の類型としては柔軟な形で認めていく。訴訟類型の議論は当然必要だが、がちがちなものにしないという配慮は絶対必要だ。
 資料では、一番最後に納税者訴訟の導入とあるが、今日は全然議論されなかったので、これから先、是非議論する機会を、充分な時間をとってやっていただきたい。

○行政訴訟に排他性を与えるという前提の下で制度改正をすると、排他性のところに入るのかどうかが非常に大きな意味を持ってくる。排他性の中に入るのか否かは、民事の救済を拒絶されるのか否かの重大な違いをもたらすので、間違いにくい制度にするという意味でも、出訴期間がある以上外延が明確になっていることが、類型を設ける場合にも根本的な課題になるのではないか。

○今日の議論は、行政訴訟の対象と行政訴訟の類型だったと思うが、先程出た意見は、むしろ取消訴訟の話だったのではないか。

■事務局による本日の資料は、通達とか指導要綱について、法律上の争訟になる場合であれば確認訴訟も可能ではないかという問題意識を提示しているのであり、取消訴訟の対象とするという前提では考えていない。

□色々と議論頂いたが、事務局の方で、今後のご議論の参考にするような、わかりやすい資料を作ってほしい。また、検討の中である程度議論が進んでいき、何らかの方向性が見えたものができたならば、さらにそれに応じた深堀りをした資料を出していただきたい。
 今日の行政訴訟の対象と類型の項目については、なかなか一義的な議論ができるものではなく、また、取消訴訟の検討を経た上で考えなければならない点も多々ある。したがって、今日の意見については、事務局に記録をさせ、今後の検討に繋がるようにしたい。その際、この審議を円滑かつ効率的に進めるため、意見が大体一致しているところ、意見がどうも分かれているところ、問題点としては出てきたが議論はまだ充分にはされていないところ、といったことが分かる形での整理の仕方ができればと思っており、その方が議論がはかどると思う。ただ、その記述が何らかの意味で議論を確定したという意味ではない。それを前提とした上で、そのような資料を作りたいと思うがよろしいか。(委員了承)。

(3) 今後の日程等(□:座長、○:委員、■:事務局)

■資料7は、行政訴訟検討会の今後当面のスケジュール(案)だ。3月26日の第15回検討会まで、2回りぐらいの議論をする予定で議論した方が効率的なので、2月5日の第13回ぐらいまでに一通りの議論をし、さらに第13回から第15回までで、二回目の議論をお願いしたい。

○最終的な議論の期限はいつ頃までと考えているか。

■推進計画法上は必要な措置をとるということであり、法律にするということを前提とすると、国会での審議等を考えると、平成16年に開かれるいずれかの国会には準備せざるを得ない。逆算すると、相当程度、来年のしかるべき時期までにはある程度、方向性を出していただかないといけない。

○平成16年の通常国会だと思うが、そうすると、来年4月以降ももう少し、場合によっては月2回でもいいので、日程を入れていただき、夏ごろまでにもう少し何度も詰めた議論ができるようなスケジュールを考えていただきたい。1回、2回ぐらいの議論ではなかなかまとまっていかないので、もう少し議論の日程を先まで考えていただきたい。

□事務局で、日程等は詰めてほしい。

○4月以降の日程はいつ頃決めるのか。

■検討会での議論の進め方にもよる。国民からの意見募集、行政官庁からのヒアリングをするかどうかなどとの関係があるので、それとの兼ね合いを見ながら考えていきたい。

○自分は、来年春以降、週に2回講義が入る予定なのでなかなか難しい。早めに日程は詰めていただきたい。

□行政訴訟の対象及び類型は一応ある程度議論したということで、次回は、取消訴訟の方に入り、あるいはフィードバックするという形で、議論を進めていただきたい。

○この検討会には行政訴訟で被告となる典型的な行政官庁の方が入っておらず奇異に感じていたので、ある程度議論がまとまった段階で、全省庁から充分な時間をとって、ヒアリングをしてほしい。

■今の問題意識は重要な指摘だと受け止めるが、それを具体的に検討する上でもうしばらく議論を進めてほしい。

7 次回の日程について
 11月7日(木)13:30〜17:30

以 上