行政訴訟検討会(第8回)議事録
- 1 日 時
- 平成14年10月21日(月) 13:30〜17:30
- 2 場 所
- 司法制度改革推進本部事務局第1会議室
- 3 出席者
- (委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(説明者)
榊原秀訓名古屋経済大学教授、中村民雄東京大学助教授
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、小林久起参事官
- 4 議 題
-
(1) 外国事情調査報告(榊原秀訓名古屋経済大学教授及び中村民雄東京大学助教授)
(2) 論点についての検討
(3) 今後の日程等
- 5 配布資料
-
資料1 行政訴訟に関する外国事情調査結果(イギリス)(榊原教授説明資料)
資料2 行政訴訟に関する外国事情調査結果(EU)(中村助教授説明資料)
資料3 行政訴訟に関する外国事情調査結果一覧表(改訂版)
資料4 イギリス行政訴訟法仮訳(榊原教授仮訳)
資料5 行政訴訟の対象及び類型に関する検討資料
資料6 行政をめぐる裁判
資料7 行政訴訟検討会の今後当面のスケジュール(案)
6 議 事
【塩野座長】それでは時間になりましたので、第8回行政訴訟検討会を開催いたします。
まず事務局から本日の資料について、簡単に説明をいただきます。
【小林参事官】座席表の下に、行政訴訟検討会(第8回)次第がございまして、その4のところに配布資料が書いてございます。資料の1から資料の7まで、そちらの方にあると思いますので、右肩の資料番号をご確認をいただければと思います。
右手の方に、今日の検討のために参考となる文献等を用意しておりますので、これもご参照していただければと思います。
以上でございます。
【塩野座長】それでは、御確認をいただきたいと思います。
本日の議事日程は御案内しておりますように、外国事情調査報告、及び論点についての検討であります。外国事情調査報告については、前回、アメリカ、フランス、ドイツについて3名の方からご報告をいただいたわけでございますが、英米法系の国の制度につき、もう1か国お聞きした方が適当ではないかということで、イギリスを加えたいということでございます。
それから、加盟国諸国の制度に大きな影響を与えておりますEUの制度についても、今後の各国の動向を見定める上でも大事ではないかということで、EUについてのご報告もお願いしたいということで、この検討会の皆様方の御了解をいただいているところでございます。
そこで本日は、イギリスの制度について榊原秀訓名古屋経済大学教授から、EUの制度については、中村民雄東京大学助教授からご説明いただくことにしております。それぞれ30分程度のご説明をお願いし、10分程度の質疑応答の時間を設けたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
後半では、個別の論点についての検討の第1回目として、今回まず、行政訴訟の対象及び類型に関する検討をいただくことになっております。
先ほどご案内がありました資料5と資料6について、まず事務局から説明をしてもらいまして、それを前提に、あるいはそれを踏まえて、委員の皆様方にご議論をいただくという形にしたいと思っております。
今回はできるだけこの行政訴訟の対象及び類型、とにかくご意見を賜りたいということでございますので、よろしくご協力をお願いしたいと思いますし、また、私の方からも場合によっては適宜ご指名をするということもあろうかと思いますので、御了解をいただきたいと思います。
なお、中村助教授からの説明、質疑応答の後、15分程度、つまり15時から15時15分くらいまで、多少の休憩の時間を取って、今回は前回と同じように4時間ベースということで、17時半を目途に検討を進めたいと思っております。
早速でございますけれども、まずイギリスの制度につきまして、榊原教授に御報告をお願いしたいと思います。資料1。関係法令の訳文は資料4にございますので、ご覧いただきたいと思います。 それでは、よろしくお願いいたします。
【榊原教授】それでは、始めさせていただきます。時間がない中なんですが、初めに若干の言い訳をさせていただきます。イギリスの場合、アメリカと並んで判例法の国なんですけれども、アメリカ以上に基本的な概念がしっかりしていないというか、明確ではないところがありまして、イギリスの改革でも、イギリスの行政法学者自身がアメリカ行政法ぐらいの明確な概念は使用して考えていくべきであるとしばしば述べています。
そこで、イギリスの場合には、個別の判例が幾つかないとなかなか一般論として何を考えているのかがわからないんです。できる限り判例を見はしたんですけれども、時間が限られていて、十分には検討できていないところもあるかと思います。
また、こういった資料であるとか、あるいは翻訳などがぎりぎりになってしまいまして、本来、かなり複雑に混み入っているので、わかりやすく図であるとか、流れ図というものを作れという注文を受けていたんですが、誠に申し訳ありませんけれども、そういったものはつくる時間がなくて、あるいは一度試みてみたんですけれども、うまく整理できなくて断念をしております。
中身に入ってまいります。まず、初めに「司法と行政との関係一般」というところなんですが、一般的にイギリスと言われておりますけれども、スコットランドは従来から全く別の制度を持っておりますし、北アイルランドも政治的な経緯から異なっておりますので、一般的にはイギリスと言った場合にはイングランドとウェールズを指しております。ただ、微妙にウェールズの場合は違うところもありますので、イングランドだけにむしろ限定していただいた方がイメージはしやすいかと思います。
まず、制度的な問題なんですけれども、イギリスには大きく二つの、最上位の裁判所があります。1つは、枢密院の司法委員会という形式だけを見ると行政機関があります。コモンウェルス諸国から上告を受けたり、イギリス国内においては、スコットランドとかウェールズに地方分権が行われましたので、そういった問題をこの枢密院司法委員会が扱います。そういった事柄を別とすれば、最も重要な最高レベルの裁判所、最高裁は貴族院です。貴族院には12名の法律貴族と言われるものがいますけれども、貴族院というのは立法機関でもありますので、貴族院の法律貴族たちは、貴族院の議員でもあります。立法活動にも関わることが可能で、現実に発言などもしております。ただ、立法活動に関わった問題が最高裁に乗ってきた場合には、その発言した裁判官がその裁判に関わることが独立性の問題などがあって、できなくなることもありますので、現在では実質的には立法活動に関わることを自己制約しているようです。また、実際の司法活動の中心はこの法律貴族ですけれども、これとは別に大法官という存在があります。大法官が司法の活動について最高の責任を持っており、その権限をこの法律貴族の中の一番の上級の者へ委任をしているという説明がされます。
この大法官は、貴族院の議員でもあり、内閣の大臣でもあり、最高裁の形式的には最高責任者でもあるという、そういう存在になっております。また、例えば日本と同じようにイギリスでもBSEの問題などが起こりまして、そうすると公的な調査を行います。この場合に裁判官がその責任者に就きます。BSEの場合には、貴族院の法律貴族がその調査の責任者に当たりましたので、1年以上にわたって、裁判活動には従事できないと、こういうことになっております。
こういう意味で、司法が行政にかなり密接に関わっている、こういう問題があります。
行政訴訟についてですが、行政訴訟として何をイメージするかということ自体が実は1つ大きな問題です。後から述べます司法審査請求というものを一応想定しますと、イングランドにおいては、ロンドンにある高等法院の行政裁判所に訴えを提起する必要があります。ウェールズの場合は、カーディフにある裁判所、あるいはロンドンにある行政裁判所にも訴えを提起することができます。イングランドの場合には、ロンドンにある行政裁判所のみですので、ほかの各地域で訴えを起こすことはできません。例外的には緊急事態ではできるようですけれども、一般的にはロンドン一極集中というふうになっています。
第二審は控訴院、それから最高裁は先ほど言った貴族院ということになっております。第一審の行政裁判所には、専門的な行政法裁判官がいる。行政法の事件については、現在は25名のようですけれども、大法官部と家事部の4名の追加的裁判官を除いて、25名の裁判官が担当しているということになっております。こういった仕組みは、1980年前後の行政訴訟制度改革によってつくられました。また、2000年にも民事訴訟手続規則というものが改正されまして、名称などの変更が行われましたけれども、基本的には従来の制度が維持されております。行政裁判所という名称自体も2000年の改革でできたものです。根拠法と言いますか、重要な法としては、最高法院法の31条、それから今言いました2000年の民事訴訟手続規則というものがございます。これが一般的なjudicial review 、司法審査の制度というものを定めております。
こういった一般的な制度のほかに、個別の制定法が訴訟の提起というのを認めており、アピールと言っております。一応ここでは制定法上の提訴、提訴権とか言った方がいいのかもしれませんが、こういうふうに訳しております。
2000年の改革からは日が浅く、まだ、どういった変化があるかは必ずしも明らかではありませんけれども、改革自体が大きなものではありませんので、従来の判例の状況がそのまま妥当するように思われます。
それから、行政訴訟における裁判所の審査の仕方にかかわった点なんですけれども、イギリスには国会主権というものがあると言われておりますので、その関係から裁判所が消極的に審査をとどめるべきであるということが盛んに強調されます。あるいはアピールについては妥当性も検討できるのに対して、judicial review については、適法性のみであるという、そういう限定があるんだという言われ方もなされています。ただ、現在では裁判所は積極的に司法へのアクセスを認め、違法性判断を下す、言わば司法積極主義の立場に立っておりますので、そういった従来の説明というのはかなり相対化していることになります。
更に、ここからちょっと長い部分ははしょりますけれども、国会主権を中心に司法審査制度を考えるのか、あるいは法の支配を中心にして、司法審査制度を考えるのかという考え方の対立があります。簡単に言うと、法の支配に基づく考え方では、国会とは関係なくて、行政の審査の仕方については、コモンローに基づいて裁判所が自由にできるのである、こういうことを強調しまして、司法積極主義を正当化するということを行っております。時間の関係からその詳細は省略いたします。
それから2ページの最後の方なんですけれども、現実の件数について、若干のことを書いてみました。制度改革前なんですが、後から述べます大権命令というものの請求件数が100 件を超えるのは1968年になってからです。それから、司法審査請求制度が1980年前後にできる前に1,000 件を超えることはありませんで、1,000 件を超えるのはようやく1985年になってからです。大権命令請求のみが行政に対する訴訟ではないんですけれども、恐らく中心はこの大権命令請求であるということを考えてみると、かなりもともとの訴訟の件数というのが少ないということがわかります。2000年の申請件数が4,247 件にも及んでおりますので、訴訟制度を改革してから、爆発的に訴訟件数が増えているという状況がわかるかと思います。ただ、訴訟件数が増えたのが行政の分野で一律にどこでも増えたということではなくて、イミグレーション、出入国管理を中心とした特定の分野について爆発的に増えているという、そういう特徴が見られます。勿論、こういった状況に対しては、司法制度改革だけでは間に合いませんので、行政上の救済手段の活用を求めるということが最近では強調されてきています。
3ページの方に移ります。「2 行政に対する司法審査の類型等」で、まず「訴訟類型」、ここが一番わかりにくいところかと思いますけれども、司法審査については大きく2つのものが存在しております。
1つは、大権的救済手段。もう一つは、私法的救済手段。後者のものは、通常の民事訴訟といいますか、そういったイメージでもいいかと思います。大権的救済手段と言われるものには、取消命令、禁止命令、職務執行命令という、こういう3つがあると言われます。
それから、私法的救済手段には宣言的判決、それから差止命令といったものがあります。これらがどう組み合わされるかということなんですけれども、大権的救済手段である取消命令、禁止命令、それから職務執行命令を求める場合には、厳密に言うと、私法的救済命令の中の差止命令を使って、官職保有者の公的活動を差止める場合も、司法審査請求というものの利用が義務づけられます。つまり、大権的救済手段を求める場合には、必ず司法審査請求というものを使わなければいけないことになります。
それから、司法審査請求制度の中で、私法的救済手段である宣言的判決や差止命令を求めることもできるという、こういう規定になっております。実際の司法審査請求を見てみますと、複数の大権的救済手段、それから私法的救済手段が組み合わされて請求をされるということが多いように思われます。また、後者の宣言的判決や差止命令については、この司法審査請求を使わずに、その制度外において求めることも一応可能です。この場合には、ロンドンにある裁判所だけではなく、さまざまな裁判所に訴訟を提起することが可能です。
司法審査請求制度には、後から述べます短期の出訴期間など、いろいろな制約がありまして、こういった制限のない、司法審査請求制度外、その外における宣言的判決や、差止命令を用いるには一定の制約があり、司法審査請求制度の利用強制と、例外的にその外での私法的救済手段の利用許容性が、後述する排他性の問題になっております。したがって、大権的救済手段と私法的救済手段と、この2つの間における排他性ということをイギリスでは問題にしているわけではありません。これがちょっとわかりにくいところかと思います。80年前後の改革でこういう仕組みというものが取られたわけです。
それから、司法審査請求制度自体ですけれども、これは二段階のものから成っています。「許可段階」と、その許可を通過した後の「聴聞段階」というものです。聴聞段階に進むためには、必ず許可を得る必要がある。ただ、この両者は訴訟要件審理と実体審理に対応するものではなく、例えば原告適格が両方の段階で審査をされるとされております。言わば「許可段階」では一見明白に認容の可能性がないようなケースを、却下と言うか、棄却というか、分かりにくいのですが、するためのものであるということができるように思います。
訴訟類型について、若干の説明をしたんですけれども、時間の関係もありますので、ここは省略させていただきます。ご覧いただければ分かると思います。
なお、イギリスの場合、司法審査請求について、行政がそれを活用することもしばしば行われます。行政機関同士で訴訟が行われるという事態があります。中央省庁と自治体の間であるとか、例えば性差別禁止委員会というようなものが、ほかの行政機関の行為を問題にして、司法審査の請求を行うというようなことです。
イギリスにおいては、機関訴訟のような客観訴訟を設けずに、通常の司法審査請求を利用しております。また行政機関が私人に対して訴訟を起こすことについて、例えば都市計画の領域での執行について、伝統的には法務総裁が、また、近年においては自治体が私人の義務履行を求める差止請求、これは積極的に何か行えという方の差止請求というものを提起しております。
また、近年におきましては、行政機関が自らの権限の有無などを確認するための助言的宣言的判決というようなものを裁判所に求める、こういったことが認められることも出てまいります。
日本における判例11長野勤評訴訟ですけれども、事実そのものについては争いがなく、一般的な法的重要性を持つ問題である。こういう場合には、宣言的判決が可能だという枠組みを取っておりますので、おそらくは宣言的判決が認められるケースではないかと思われます。
次に2番目にまいります。「『取消訴訟の排他的管轄』に類する議論」です。先ほども述べましたように、イギリスにおける排他性の問題というのは、司法審査請求の排他性の議論のことです。どのように考えるかということですが、判例におきまして、原告が公法上においてのみ認識される権利、利益の保護を求める場合には、司法審査請求を利用しなければならないというふうにされました。これには訴訟の過程を濫用しないものとして、当事者にいかなる反対も存在しない場合、司法上の権利侵害を理由とする請求においては、違法が間接的争点として提起される場合と言った2つの例外が示されました。勿論、両者が合意するというのは重要ではありませんで、司法上の権利侵害か否かという後者の例外が重要なものになっております。どう考えるかということですが、請求が契約、または不法行為上のものとしてなされるような場合、私法上の権利にかかわるような場合、こういう場合には司法審査請求によることはなくて、司法審査請求の外で私法的救済手段を求めることが可能であるというふうになっております。
さて、どの程度例外を認めるかということについて、広く例外を認める「広義アプローチ」、それから、「狭義アプローチ」というものがありますが、判例の傾向としては、例外を広く認める「広義アプローチ」というものを採用しております。
もう一つ、こういうアプローチのほかに、このアプローチ自身は私法上の権利をキーワードというか、メルクマール、判断基準として広く例外を認めるということでしたけれども、判例は更に手続が裁判所の過程を構成しているかどうか。リーディングケースでそういう言い回しもしておりますので、これをキーワードにするにも至っております。何らかの種類の私法上の権利の存在すらなくても、司法審査請求ではなく、その外で私法的救済手段を認めることが可能であるという、こういう言い方です。当事者、公衆または裁判所にとっていかなる重大な不利益も存在しないならば、通常、過程の濫用とはみなさなくてもいいだろうという判断も示されているところです。
さて、このような司法審査請求の排他性が要求されてきた根拠ですけれども、1つは、先ほど言いました2段階の審査として、まず初めに許可の要求が第一段階であるのですが、これを通して許可に値しないような訴訟の洪水というのを防止して、行政機関を保護する。それから、迅速かつ3か月という短期の出訴期間を設けることによって、行政が不安定に置かれるということを防止する。それから、行政法裁判官に訴えを集中することによって、専門的判断を確保する、であるとか、あるいは従来の大権命令請求においては、事実認定が困難で、文書開示であるとか、反対尋問の利用がなかなか認められなかったものが、それが改善されたので、司法審査請求を強制することが可能であるという、こういうふうな説明が判例によってされてきました。ただ、学説の多数はこのような説明には反対です。簡単に言うと現実的ではないし、従来を考えてみると、こういった仕組みを持っていなかったんだけれども、何も問題はなかっただろう、だから、こういったものをつくる必要はない、ということです。
ただ、1つだけ譲歩がありまして、5ページの上から6行目ぐらいに書いてありますが、ここで一番重要なのは出訴期間であるだろう。必要ならば、幾つかの領域で、制定法上の短期の出訴期間を定めればいいだろう。例えばその例として、計画法の領域においては、3か月ではなく、6週間という、こういう出訴期間が規定されているので、一般的に出訴期間を定めるのではなくて、本当に必要な領域においてだけ、短い出訴期間を定めれば足りるだろう、こういう言い方をしております。
以下、いろいろな批判がありますけれども、これは省略しまして、結論的に言いますと、学説の多数は、先ほども言いました排他性原則に批判的であって、どういう方向を目指すかというと、私法的救済手段の方向に一本化した、そういった訴訟手続が必要ではないだろうかと、こういうことを言っております。アメリカでは私法的救済手段の方へ統一がなされていったかと思いますけれども、むしろその方がベターであるというふうな判断があるかと思われます。
裁判所が、にもかかわらず、排他性原則を維持しようとするのは、先ほど見たような訴訟件数の急増、特に特定分野における急増があるので、こういったことに対処しなければならない、あるいは排他性の原則を使って、うまく対処できるだろうと、こういうふうに考えているようにも思われます。
我が国と比較した場合、イギリスにおける排他性の問題というのが、大権的救済と私法的救済手段の間の排他性の問題ではなくて、司法審査請求の利用強制の問題であるということに注意が必要かと思われます。
したがって、言わば民事訴訟を活用すること自体が問題とされているわけではなくて、司法審査請求の利用強制について、私法上の権利であるとか、手続が裁判所の過程の濫用を構成しているかをキーワードに例外を広く認め、更に学説は排他性そのものに批判的であるところに特徴があるかと思われます。
我が国の大阪国際空港訴訟の場合、差止命令の請求がなされると考えられます。先に述べたように、司法審査請求においても差止命令の請求が可能です。しかし、この場合には私法上の権利があるということから、司法審査請求の枠外における差止命令を求めることができるのでないかと思われます。
3番目に行きます。「行政に対する司法審査の対象」ということですが、規則を見ますと、enactment というのは法令と訳していいのかどうかわかりませんが、一応規則の類かと思われます。公的機能の行使との関係での決定、作為、不作為、これの違法性を争うということができると書いてあります。ただ、いろいろ判例を見ていきますと、法令を直接訴訟の対象にするようにも思えますけれども、どうも判例を見ますと、法令と同時に個別の決定を争っているようなものも見えますので、そうすると、法令を直接争うということを意味するのではなく、決定を通して、その中で法令を争うということを認めているようにも見えますし、必ずしも明確ではありませんし、これを区別して一般的に議論がされているというわけでも必ずしもありません。
個別に判例を見てまいります。そうすると、その中には法令というふうになっていても、間接的に攻撃しているようなものも見えますし、例外的にダイレクトにこれを攻撃しているようにも見えるものはあります。先ほど述べましたように、司法審査請求の中には、私法的救済手段というものがあります。とりわけ宣言的判決というものを使いますと、相当に広い範囲のものを対象にすることができるようです。例えば通達の違法性に関わっての宣言的判決というものがあります。中絶についての取り扱いを示す通達といったようなものが争われております。あるいは医療会社からの情報を収集することについて、それが守秘義務違反とするようなものを争った事件があります。内容を考えてみると、むしろ行政指導的なものを争ったケースではないかと考えられます。
また、法規命令を争うということも認められています。従来宣言的判決で無効を宣言するだけでしたが、現在では取消命令も利用されております。幾つか見ましたけれども、例えば個別に見てまいりますと、どうも手続的な権利の侵害というものがあって、不利益を受けたものが訴訟を起こしたときに、認めるといったようなものがあります。それ以外に、米軍基地のところ、「さらに」というところに移っていただきたいのですが、さらに植民地に、同意に基づきイギリスが米軍基地をつくるために、そこで市民が居住し、そこへ戻ることを禁止するような規則をつくったときに、そこで生まれた者が、そこへ居住することができない、戻ることもできないということで争い、裁判所が取り消しを認めたケースというのがあります。これも直接的な影響があって訴訟を起こしているものです。ただ、個別の直接の影響がないにもかかわらず認めたものもあります。後の納税者訴訟にも関わりますけれども、納税者がECへの高額な金銭支出を認める国会での承認に服す枢密院令という法規命令です。この法規命令はつくって終わりではなくて、その後国会での承認が必要なんですけれども、それを納税者が争ったものです。これは国会での承認前に争うことを認めたものです。したがって、対象は効力が発する前の法規命令「案」だというふうに考えられます。また、納税者が争ったもので、その本人も個別的利益に関わっているようなものではありませんけれども、対象とされた、という、こういう事例であります。
更に、司法審査のところでは直接プランというものは対象には出てまいりません。ただ、通達なども広く争うことができる、あるいは法規命令も争うことになれば、計画もできそうではありますけれども、明示的には出てまいりません。ただ、都市計画法上は、アピール、制定法上の提訴が計画を争うために認められており、現実に多数の計画を争う訴訟というものが提起をされております。違法性もかなり認められております。また、税金についてですけれども、一般的には不当利得返還請求で争われます。他方で、公的機能を行使する場合に争うというふうになっており、行政機関以外の行為に対しても司法審査請求というものが利用されております。この場合は、司法審査請求の外に私法的救済手段が利用できず、他にいかなる請求権もない、であるとか、私法的救済手段が実効的ではないといったような場合に利用されております。どういった場合に利用できるかというのは、公的機能では余りにも広いので、それを限定する傾向が現在はあります。
日本へ戻ってみまして、1〜4までの事例ですけれども、計画に関わるものについては、制定法によって計画に対する提訴が認められることから、それを利用して訴訟を起こすことになるのではないかと思われます。その他の場合、対象が広く認められる現在の状況に照らすと、宣言的判決、あるいは取消訴訟の範囲も拡大しておりますので、それでもって争うことが可能かと思われます。また、1のケースでは、司法審査請求の外の宣言的判決が利用可能かもしれません。
7ページ、「3 原告適格及び訴えの利益」の一番目、「原告適格」です。法令上、原告適格は「十分な利益」となっております。リーディング・ケースでは、その判断として、原告適格と本案は完全に分離される問題ではないと判断しております。かかわる権限または義務の性質、主張されている違法、請求の主題といったものを考慮して原告適格を認める。結果として、かなり緩やかになっております。個人については、いわゆる事実上の不利益でもって原告適格が承認されると思われます。また、団体については、いろいろなパターンがありますけれども、この中で一番重要なのは公益訴訟というふうに書いたカテゴリーかと思います。構成員のだれにも、特定の個人に具体的不利益が存在しているわけではないけれども、公益を代表して、訴訟を提起することが認められる。そういうカテゴリーです。
1990年の日本の伊場遺跡訴訟に類似したローズ劇場というシェークスピアで有名な劇場を守るために、その地域の人たちであるとか、関心を持つ人たちがトラストをつくって訴訟を起こした事件については、原告適格が否定されました。ただ、今日で見ると、その原告適格が認められるのではないかと言われているんですが、その後、かなり拡大しているように思われます。
まず、環境団体が核再処理施設ソープの稼働を争った事件において、裁判所は環境団体40万の支援者のうち、2,500 人がその近隣に居住し、環境団体が多くの国際組織で諮問を受ける地位を持ち、環境に純粋な関心と、十分な情報を持って訴訟を提起できる専門性を持つ、完全に責任のある尊敬を受ける団体であって、他の者が訴訟を提起することが困難であろう訴訟を提起する能力を持つといったことを理由として原告適格を認めております。これは2,500 人がその施設の周辺に住んでおりますけれども、圧力団体がマレーシアにダムをつくることを含む建設プロジェクトへの資金支出決定を争った事件においては、裁判所は、法の支配を擁護する重要性、提起された論点の重要性、他に責任を持って争うものが欠如しているであろうこと、海外援助の問題に対して助言、ガイダンス、援助を与えてきたことにおける原告の傑出した役割などを評価して、原告適格を認めております。この最後のもので言いますと、直接的な不利益は全くありませんので、かなり広い範囲で原告適格を認めているということが言えるかと思います。
4行くらい飛びまして、納税者訴訟のところへいきたいと思います。納税者訴訟について、原告適格を認めるものがあります。先に見たリーディング・ケース自体も実は、納税者訴訟ですが、競業者が他の企業の不適切に低い課税を争うことの原告適格を認めるものもあります。また、競業者ではなく、一人の公共精神のある納税者として、単に納税者で有権者である資格でもって原告適格を認めるものとして、先に述べました法規命令案を争うという事件があります。ECの1億2,100 万ポンドの支出、これが違法であるという争いです。訴え自体は棄却されておりますけれども、原告適格は一応認められております。権限についての重大な問題を提起するということが重視されております。ただ、気をつけたいのは、納税者で有権者であるから、勿論、自動的に認められるかというわけではなくて、この原告適格と本案が完全に分離される問題ではないということを前提に重要な問題が争われているということから原告適格を認めたものであると考えられます。
日本に戻りまして、5〜10までの事件についてですが、まず、5のケースは、公益訴訟に関する団体の原告適格が緩やかに認められる傾向に照らし、主婦連という団体の評価、あるいは表示制度の重大性というものが考慮されれば、原告適格は認められる可能性があるように思われます。個人の場合にも、事実上の不利益があれば、それで認める、あるいはそうでなくても、争う対象の重大性というものがあれば、原告適格が認められることから、恐らくは原告適格が認められるのではないかと思われます。
次に(2)に行きます。「狭義の訴えの利益」ですけれども、ここの部分がもっとも明確ではないところです。アメリカのムートネスのような議論もありませんし、イギリスの学者自身が、ここのところでの議論が十分に行われていないというふうに言っております。宣言的判決にかかわって、原告が政治的亡命を求め、裁判途中で難民としての認定が行われ、その限りで救済が行われた事件の傍論では、類似の多数の事件が存在している、または予想されるので、論点は近い将来解決されなければならない場合には、公益上の十分な利益が存在するから、判断を示すんだということを言っておりますが、これは裁判途中で原告にとって満足的に問題が解決した場合に、なおも訴訟を継続する意味があるかを問題にしたものであるように思われまして、不利益になるような場合というのは明確ではありません。したがって、狭義の訴えの利益を判断する枠組み自身が必ずしも明確ではないのですけれども、先に見た原告適格などにおけるイギリスの裁判所の判断からしますと、取消命令はともかく、宣言的判決を利用すれば、日本の12のケースであるとか、13のケースでも認められるのではないだろうかと思われます。
次に4に行きます。仮の救済制度です。ここのところが記述がわかりにくかったところかと思うんですが、まず初めに、イギリスにおいても、一応執行不停止制度が採用されていると考えられます。ただ、司法審査請求において、聴聞段階に進む許可、二段階目の初めの許可が得られた場合、裁判所は指示を与えることができ、そこには請求に関する手続の停止を含むことができます。ただこれは、言わば裁判所が職権で停止を命令するという、そういうことになるかと思います。そうではなくて、国民だけではありませんが、国民の側から仮の救済手続を利用しようとする場合には、一般的な私法上の手続というものが利用され、仮の差止命令や仮の宣言的な決定というものを求めることが可能であるように思われます。この場合、仮の差止命令と言っても、執行停止とともに、ホームレスへの家屋提供のような、言わば仮命令とでも言えるようなものも認められます。
要件についてですけれども、これは判例によっております。執行停止の場合と、仮命令の場合で若干の違いがあり、勿論、後者の方が多少厳しい判断がされているようです。詳細は省略いたします。
5番目、「裁量処分の審査に関する法制及び審理手続における行政側の資料開示等」で、1番目「裁量処分審査に関する法制」ですけれども、法令上特別の規定はありません。判例上一般的に違法性、手続的な瑕疵、それから非合理性という3つのものが挙げられています。最後のものは、いかなる合理的当局もなし得ないほどそれほど不合理な判断は違法だろうという、これが最低限の審査でして、それ以外に、目的違反であるとか、他事考慮や考慮事項の不考慮といった審査を行うことになります。あるいは1998年に人権法ができまして、審査の在り方も変わるべきである。また、従来イギリスでは比例原則というものがありませんでしたけれども、それを付け加えるべきであるという議論がなされております。
最後の2番、「審理手続における行政側の資料開示等」ですけれども、イギリスにおきまして、司法審査請求は事実の審理には不適切であるとされます。一般的に司法審査請求においては、事実認定手続において、文書開示であるとか、反対尋問等の手続が認められることは例外です。それがために司法審査請求外で私法的救済手段を求めるということになっております。更に反対尋問については、規則改正によって利用できないような規定になっております。ただ、こういった場合には訴えを変更して、必要であれば反対尋問を認めることになるのではないか、などといったことが議論されております。こういった文書開示であるとか、反対尋問に消極的である理由は、迅速性が重視されているからです。また、事実認定が行政機関に期待され、特に多様な領域において審判所が設置され、そこにおいて事実認定が行われていることに注意する必要があります。更に近年では許可後の被告の行政側の率直性の義務もこれにかかわっていると思います。規則上のものではなく、判例上のものとして、一旦司法審査申請の許可が与えられた場合には、完全で公正な開示をすることが被告の義務であるということを強調する、こういった考え方です。
なお、最後に司法審査請求の法律扶助に関わって、近年の改革で、先に見た公益訴訟よりも範囲としては広いようですけれども、こういったところに優先順位を与えて法律扶助を認めているということを付け加えておきます。
時間をオーバーして申し訳ございませんでした。以上でございます。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それで、イギリス行政訴訟はより分かりにくい、ということだったわけですけれども、今日分かりやすくご説明、また短時間にもかかわらずご説明をいただきまして、ありがとうございました。
それでは若干の質問の時間を用意してありますので、どなたからでも結構でございますから、御質問いただければと思います。はい、どうぞ小早川委員。
【小早川委員】行政裁判所なるものについて、ちょっと説明していただきたい。特に裁判官の専門性ということが問題になっておりますけれども、養成なり、リクルートなり、任命の仕方なんかで、他の裁判所と違いがあるのかどうか。
【榊原教授】リクルートの仕方ということにかかわるかもしれませんけれども、要するにイギリスの仕組みはいろいろな実務の経験を経た後で、裁判官になってまいりますので、たとえば国側の法律代理人といいますか、そういうような実務の経験であるとか、反対側にいろいろな市民から訴訟が出てきますので、そういうところで弁護士としての経験を積んだ人たちが、その実績を買われて、裁判所に入って、そういった経験を考慮されて、行政裁判所のところへ配置されます。行政裁判所といいましても、日本でいうところの行政部ことであるわけですので、これが従来は件数が少なかったので、ごく少数の人が選ばれて、本当に専門性を持っているだろうという人たちだけで構成されていたのが、現在では件数が増えて、ここの人数も25人と拡大したので、中には濃淡があるだろうと、要するにいろいろと専門性を持って、非常に詳しい人もいるし、そうでもない人もいるだろう、ということが現在では言われているところです。過去の経験を見て、裁判官に選んでいますので、その中で行政事件とかをいろいろ扱ってきた人達が裁判官になっていると言っていいかと思います。
【芝池委員】今の点に関わるのですけれども、司法審査請求の方に属する私法的救済手段ですね、そっちの方に入るものがありますね。
【榊原教授】はい。
【芝池委員】それとそれに入らない方の私法的救済手段の、何か機能上の、実際に果たしている役割の違いのようなものはないでしょうか。つまり、行政裁判所がやるから、少し違ってくるという違いですけれども。
【榊原教授】それは一つの理由付けとしては、要するに司法審査請求はこの行政裁判所、行政部の方に行って、そうでないのは別にどうでもいいというか、その中身によって違いますけれども、いろんな裁判所のところに行きますので、実際に行政の判断について、間接的に争うことになるので、本来の姿で言えば、できるだけ行政裁判所のところへ持ってこようと。一番ネックというか、問題だと考えられているのはやはり、出訴期間の問題で、3ヶ月の出訴期間というのはあまりにも短いので、それで全部持ってくるというのはよくないだろうと。それを犠牲にしても他のところへ、時間を過ぎて行政裁判所でないところで争ってもそれは止むを得ないだろうというところかと思います。中身それ自体が違っているものの特徴というのはさほどなくて、制度的な違いは、出訴期間をどう考えるのか、あるいは専門性の確保というのをどれだけ徹底するか、そういう対立かと思います。
【小早川委員】学説では、その専門性に対して批判的だというご紹介がありましたけれども、その場合の批判の趣旨はどうなんでしょう。たとえば行政法について詳しくないとか、あるいは都市計画について詳しくないとか。いろんなレベルがあると思うのですけれども。
【榊原教授】2つあると思います。まず一般的には人数が増えてしまったので、今まで本当に経験を積んだ人もいるだろうけど、そうでない人もいるだろう。現実の運用状況を見ると、たとえば許可率について個人のバラツキがあまりにも多いので、一律にみんなよく知っているというふうな状況にはなっていないんじゃないだろうかというのがあります。もう一つ、専門性を確保するには今、小早川先生がおっしゃったように、審判所を、たとえば社会保障領域でつくるとか、いろんな領域でつくってますので、もしつくるなら、そういうような形でつくって、それで専門性を確保しているというならば、いいのだけれども、一般的に全ての分野をカバーするようなもので、専門性があるといっても、その専門性の程度というのは知れているので、そんなに重視してもしょうがないだろうという、こういうことかと思います。
【福井(秀)委員】5ページの真ん中辺りに、イギリスの取消訴訟の排他性は大権的救済と私法的救済の間の排他性の問題ではなく、司法審査請求の利用強制の問題だとありますが、この趣旨がよくわからなかったのです。司法審査請求は大権的救済の場合には、利用が義務付けられるわけですね。
【榊原教授】そうです。
【福井(秀)委員】その場合に大権的と私法的の排他性ではない、というのはどういう意味ですか。
【榊原教授】その大権的救済だけを考えると、それはそうなんですけれども、その司法審査請求の中で、私法的救済手段を利用できるので、その意味です。たとえば宣言的な判決であるとか、差止め訴訟であるとか、それを司法審査請求でやってもそれはできます。2つをセットで扱うのと、それとは関係なく訴えるものがあります。
【福井(秀)委員】日本の取消訴訟の排他性とは端的に言うと、どこが違うということになるのですか。
【榊原教授】つまり、権力的なものについて、別に民事訴訟的というか、私法的な救済手段で争うことは別に問題ではない。ただ一番大きなのはやはり出訴期間であるとか、許可を必要ですので、取るに足らないものはチェックされる。
【福井(秀)委員】ルートとしてはやはり司法審査請求のルートだということになれば、それ以外には行けないわけですよね。出訴期間のついた司法審査請求というふうに考えると。
【榊原教授】まず公権的なもの、権力的なものを扱うと、司法審査請求が原則ですけれども、他方で、ここでメルクマークとして、私法的な権利というものが問題になっているならば、別にその出訴期間とは関係なくって、あるいはロンドンである裁判所ではなくって、別のところへ訴訟を起こしてもいいよと。さらに現在では私法上の権利ではなくて、およそその時間が3ヶ月過ぎたって、行政に対して悪影響を与えないような決定もたくさんあるのだから、そういうものであったならば、何も出訴期間と関係なく他のところでやっても構わないだろうという、整理の仕方としては、そうなるかと思います。
【福井(秀)委員】間違いやすいという意味では、依然として、仮に広げても、広げるポケットの方に入れるのかどうかというのは事前にはわからないという意味で、やっぱり間違いやすいという要素はあるんじゃないでしょうか。
【榊原教授】それはあります。ですから、今の学説の批判の一つはそこで、ここでは間違いやすいと。ともかく一本で行って、どれが適切かは裁判所が選ぶような仕組みは考えられないのか、というのが学説の方の考え方です。
【福井(秀)委員】わかりました。
【水野委員】司法審査請求の外における事件だという判断が司法審査請求の中でされるわけですね。そういう場合の処理はどうなるんですか。つまり、いわゆる行政訴訟として行政裁判所に起こした。ところがこれは司法審査請求の外の問題だと判断された場合はどうなるのか。たとえば大阪国際空港の事件でも、司法審査の外における差止命令を求めることができるのでしょうか。
【榊原教授】要するに訴えの変更をどう認めるか、という話だと思うのですけれども、司法審査請求の方から行って、民事の方に移すのは比較的容易だと思うのですが、3ヶ月以内のところで訴訟を起こすと。だけれども、今のままだと司法審査請求では事実認定とか、なかなか認めませんので、本来別に民事訴訟のところでやっても構わないものであろうから、そっちのところへ移して、そこで時間をかけて、やればいいんでしょうという、そういうような判断もあるかと思います。
【水野委員】そうすると訴えを変更して、移送することになるんですか。
【榊原教授】そうですね。
【水野委員】逆の場合は。
【榊原教授】逆の場合もあるんですけれども、その場合は出訴期間がどうなるかという、やはり出訴期間が外れたやつが入ってくるのは多分無理だろうと思います。
【水野委員】出訴期間がたまたま順守されていれば、移送するのですか。
【榊原教授】はい、相互に可能だと思います。
【塩野座長】先ほど、イギリスでは法の支配と国会主権の話が出ましたが、どうも今のお話を伺っていると、日本で言う制定法準拠主義、あるいはイギリス法的にいうと国会主権、というのはあまり強くなくて、かなり裁判所の裁量的な判断によって、動いているというふうに見ますが、それが一つ、確認なんですが。そのときに、しかし、たとえば納税者訴訟をこういうふうに認めた、というときに、だからといって、制定法ではないので、これがどれだけの射程を持つかということについては、どの程度見たらいいのですか。気まぐれ判決というふうに見るのか、それともここからどんどんイギリス法としては納税者訴訟がアメリカでは州レベルですけれども、イングランドレベルにおいて認められる兆しというふうにみるのがイギリス法の理解なのか、という。要するに判例法の国というのはいったいどういうふうな形で法が発展していくのか、といったところがわからなかったものですから。最初の方の一つの確認のときには、そういった裁判所が裁量によって、国会法とはかなりかけ離れたところで動いているということについては、学説の反対というのは、あまりないのですか。あるいは裁判所の方で制定法準拠主義の点からくる反論というのはないのでしょうか。
【榊原教授】前者の問題も、後者の問題もかなり関連していると思うのですけれども、現在、裁判所の傾向が、比較的積極主義の方へ動いていると。特にむしろ下級審というか、その方が行政裁判所であるとか控訴院レベルのところはかなり積極化しているという、こういう傾向があって、そういう傾向を学説の主流も支えているという、こういう状況かと思われます。ただ、こういうところに入ってきますと、段々政治的な中身のところに裁判所が入っていって、そうすると国会主権で、要するに政治的主権というか、それが国会にあって、それがイギリスの民主主義だという説明をしてきましたので、今度はそうすると、民主主義の観点から、やはり妥当ではないだろう。今の積極主義のあり方というのが、その限界をあまり明らかにせずに、かなり漠然としたところでの拡大をしているので、それを歯止めをかける必要があると。だから一つは積極主義を支持しながらももっと明確なアプローチといいますか、それをつくる必要があると。それを提示するということをやっている学者と、もう一つは端的にいや、国会が民主主義の源なんだから、現在のあり方というのはそれに反すると。だから、もう少し狭めるべきだというのが、どちらかというと、左翼の側からそういう意見が出ています。
それから納税者訴訟についてですけれども、まず原告適格の中にいろんなことを考慮しながら、実態といいますか、それを加味しながら判断するということなんですけれども、まず個人が訴訟を提起するというような場合には、なかなか認められにくいところがあるように思われます。先ほどの、たとえば環境団体であるとか、圧力団体で、従来の実績ですね、国際的な活動であるとか、国内での活動というものが、それが加味されて原告適格が認められておりますので、個人レベルでそういうことはやはり評価されにくいものですから、こちらの基準ははっきりしないのですけれども、やはり個人だと認められにくいという状況があると思います。団体でいろいろな活動をしていると原告適格は認められやすいというのはあると思うのですが、今度は逆にいろんな活動をしている団体が原告適格を認められるということになると、政治の場面で活躍すれば活躍するほど、司法の場面でも原告適格が認められるということになって、結局、何というか、弱者というか、そういうものについては司法の場面でのところでも原告適格は認められないので、バランスの取り方としては適切ではない、という議論もあります。
【塩野座長】そういうときに制定法で決めるべきだと、たとえば納税者訴訟制度みたいなものを日本の住民訴訟にならってつくるべきだという、そういう議論はないのですか。
【榊原教授】なかなかないです。本来、ありそうにも思うのですけれども、いずれの領域でもなかなかないように思われます。必要なら裁判所が判断して広げるというように思われます。
【塩野座長】それでは今後ともまた榊原さんにはいろいろとご質問なりを聞く機会もあろうかと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。
それではお待たせいたしましたが、中村助教授の方から、EUの制度につきまして、御報告をお願いしたいと思います。報告資料は資料2ということでございます。30分程度ということでお願いをしておりますし、その後、10分程度の質疑応答の時間を用意したいと思います。よろしくお願いします。
【中村助教授】東京大学の中村でございます。
本日は行政訴訟に関する外国事情調査結果ということで、EUについて、私の分担となりました。
冒頭に申し上げたい注意点がございます。それは、御存知のとおり、EUと申しましても、今日お話しするのは、そのうちのEC部分だけに限るということでございまして、更にECは国家ではないということです。すなわち、これは比較の前提が全く異なっておりますので、皆様の御参考になる部分というもののうち、とりわけ我が国の判例との比較というのは、私としては危険過ぎてできませんので、一切省略させていただきたいと思います。更には、ECが扱う部分というのは、かなり広がってはまいりましたけれども、現在の国家が扱うもののうち、まだまだごく一部でございます。例えば墓地の許可だとか、原発の設置許可だとか、すべて関係ありません。したがって、これは極めて狭いテクニカルな問題であるということを念頭に置いてお聞き願いたいと思うわけです。
そこでECについて、司法と行政との関係一般についてを申し上げますと、まず、司法、これはECの一つの特徴なんですけれども、国際的な機関であるにもかかわらず、加盟国から独立の司法権や立法権、行政権というものを観念することができます。そのうちの司法権については、条約にECは「法の支配」に基づく共同体であって、「法の遵守を確保する」ことがEC裁判所の任務であるという規定がございます。
具体的にはECには2つの裁判所がルクセンブルグにございまして、表1に掲げますように、本来からありますEC裁判所と、それから89年の秋から始動しましたECの第一審裁判所と、この2つがございます。管轄権は大まかに分けますと、ECの第一審の裁判所は自然人、法人がECの機関に対して直接提起する取消訴訟等を扱うものが専門であるというのに対して、本来からある裁判所の方は、それ以外のすべてをまかなうということになっております。どのような訴訟類型があるかは後にお話しいたします。ただし、気を付けていただきたいのは、このECの司法権というのは、ECの裁判所だけが行使するものではございませんで、各加盟国、構成国の裁判所も先決裁定と呼ばれる独特の手続を通じてEC司法権の行使の一端に関与するわけであります。
では、先決裁定手続とは何かと申しますと、これはEC法規のうち、直接適用されるEC法規、例えば規則などがございますが、これは各国で直接に適用されるわけですので、各国の普通の訴訟においてEC法上の解釈や効力が争点となるわけです。その場合、各国の裁判所の解釈のばらつきを避けるために、そのEC法上の争点だけを先決問題としてEC裁判所に付託をいたしまして、終局判決に先立ちまして、その争点についての判断をやると、そういう手続でございます。したがって、この手続の後に、裁定が出た論点については、それに拘束されて、終局判決を各国の裁判所はするわけですので、そういう意味で大きく見て1つのEC司法権の行使の一端を担うということになります。
ところで、ECのこの2つの種類の裁判所は、民事事件も行政事件も共に扱う司法裁判所でありまして、今、我々がやっております比較作業に言うところの司法裁判所と行政裁判所という制度的区別はございません。
それからまた、行政訴訟という類型を立てて、その一般的な手続法を規定するような実務も、それから実定法もございません。むしろECの裁判所手続規則で重要な区別は、直接訴訟、これはECの裁判所に直接提訴される各種の訴訟ですが、これであるか、それとも各国の裁判所から持ち上がってくる先決裁定であるかという区別の方が重要になります。これはその主張・反論の機会が書面と口頭の両方であるか、それとも、口頭だけに限られるかといったような点で違いが出てくるわけです。
次に、行政の概念ですけれども、これは条約上の概念としては規定されておりません。ただし、これまでの訴訟等をながめますと、ECの設立諸条約、これを基本法規というふうに普通講学上呼びますが、それに基づいて定立された法規、派生法規である規則、指令、決定などですが、これらの実施活動を少なくとも指すことには争いがありません。なお、これは参考までにですけれども、2000年12月に政治的な宣言として出されましたEUの基本権憲章というのが、将来は人権規範として法的拘束力を持つかもしれないと言われているものですが、それの41条において、健全な行政という概念が出てまいります。「健全な行政を受ける権利」という個人の権利を規定しておりまして、それによると、「EUの機関及び団体から中立かつ公正に合理的な期間内に自分に関する物事の処理をしてもらう権利」という、そういう定義がなされております。
次に2ページにまいりまして、ECでの行政権というのはどのように観念すればよいかということを機能的に見てまいりますと、条約の法規を並べますと、ECの閣僚理事会、これは各国の関連する分野の大臣が一人ずつ出てまいりまして、現在、15か国ですので、15人ずつ分野ごとに開催される理事会という機構なんですけれども、ここに一応あるということが前提になっております。その理事会が一定の範囲について明文でEC委員会に委任をするというような規定の仕組みになっております。しかしながら、現実に見てまいりますと、EC委員会に対して具体的な執行の権限までを与えたような、そういう実施の仕方というものは非常に少ないのでありまして、それは具体的にはECの競争法、独禁法等ですね、競争法の部分にほぼ固まっております。それ以外の部分は、構成国の政府を通して実施が行われる。その実施のしぶりをEC委員会が監督をするといったような間接実施の方式が取られております。それから、近時、極めて例外的にではございますが、労使関係の分野におきましては、労使の自主的な合意によって実施をするといったような形式も編み出されておりまして、徐々にではありますが、ごく一部ですが、実務が開始されようとしております。今までのところを表の2にまとめますと、ECの行政の仕方には直接ECの機関、とりわけEC委員会が行う実施と、それから間接実施、これはほとんどの場合、構成国の機関による実施があり、更に特殊に、労使による自主的な実施がある。こういうふうな大きく分けて2種類があるということになります。
次に、それでは、こういった行政活動に対するEC法上の司法審査の類型等がどのようなものがあるかということに移りますけれども、まず、EC設立条約は、一般的な訴訟類型、いわゆる客観訴訟であるとか抗告訴訟であるとかいったような、そういうふうな一般的な訴訟類型は定めておりませんで、具体的な訴訟類型だけを定めております。これは主にフランスの行政訴訟の類型をモデルにつくられたと言われておりますが、純粋にそうではなくて、ドイツ的なものも若干は加味されているというのが学説の解説であります。
では、どのようなものがあるかと申しますと、直接実施に関与するものといたしましては、3つのものが特に重要です。それは取消訴訟、それから不作為の違法確認訴訟、そして、損害賠償訴訟です。それから、間接実施につきましては、各国の行為の前提となるECの派生法規の合法性そのものが問題になる場合がございますので、以上のものとはちょっと別個に、先決裁定請求の中でその効力を争うといったような、そういうものが考えられます。これは独立の訴訟類型というよりも手続の在り方と言うべきかもしれません。その中で当事者が持ち出せる主張のやり方としての違法性の抗弁というのがございます。これは独立の訴訟類型というよりも、ほかの訴訟に付随して主張されるものでありまして、例えばどういう場合にこれが出てくるかと申しますと、ECにおいて一般的な規則というものがある一定事項について制定されまして、それに基づいて具体的な実施細目を定めた決定がEC機関のレベルでなされた。あるいは構成国の政府がそれを委任されて代行したりと言ったような場合がございます。こうした場合、具体的な実施措置を争う場合に、大本の一般的規則の方が設立条約に違反しているといったような違法性を主張するものは、違法性の抗弁でありまして、具体的なものだけではなく、その大本になるものも一緒に争うといったやり方であります。こういったような訴訟類型がございますので、これを先ほどの直接実施、間接実施のモデルと組み合わせますと、表の2にございますような対応状況になるわけです。すなわち、ECの機関が直接に実施を担当する場合、これは例えばEC委員会が独禁法調査などの決定を行った場合などを想定していただければわかりやすいわけですが、その場合は、その決定について直接に関係する自然人や法人、これが取消訴訟を提起するということが考えられます。あるいは、何らかの公務上の過失があって、損害が生じている場合は損害賠償訴訟を起こすなどということが起こるわけです。
それから、一定の直接実施の中でも、ECの規則や指令といったものに設立条約との違背があると言った異議を申し立てるECの機関、あるいは構成国があった場合は、それらが取消訴訟等を起こす、こういうことになるわけです。間接実施の場合ですと、構成国が言わば行政を代行していくわけですので、まずEC委員会がその監督を行います。そのための訴訟が構成国の条約義務不履行の確認訴訟というものです。条約の規定上は、他の構成国のマター、それを提起できることになっておりますが、現実にはEC委員会がほぼ一手にやっております。それ以外私人に関するものとしては、私人が構成国による誤ったEC法上の行政の代行によって損害を受けている場合には、当該構成国に対する国家賠償訴訟が、EC法上これは判例法で認められるようになりました。1991年ごろです。
それ以外に、これは古くからの判例で、私人による国内法上の各種の訴訟において、EC法上の権利を直接に行使することができるという、そういう判例法がございます。例えばEC条約の設立条約の規定、これが直接に国内においても効力を持って、私人に援用可能な権利を生ぜしめるというのがEC裁判所の判例でございます。勿論、明確かつ無条件という条件が付いておりますけれども、その明確かつ無条件という条件を満たせば、ECの規則以外でも、たとえば条約の規定や指令の規定においても、私人と構成国との関係では、少なくとも直接に援用可能な権利が生じるということになりますので、この場合、私人が国内法上の訴訟でそれを直接行使すればいいわけです。それから、先ほど申し上げた違法性の抗弁等もここで取り上げることが場合によってはできるわけです。労使については極めて例外的でして、現実にはまだ裁判例がございませんので、省略します。
3ページの(2)のちょっと前に戻りますけれども、これらの訴訟は、係争の法や行為の停止的効力を持ちません。しかし、EC裁判所が必要と認める場合には、その停止を命じることができるし、それから、仮の措置を必要に応じて命ずることもできるということになっています。これはまた後でご説明いたします。
次に排他的管轄権に類する議論ですけれども、これは全くございません。ただし、機能的に見まして、比較でき得るものを挙げておきますと、先決裁定手続において、EC法規の効力を争う場合がございますが、その場合、当事者が実はその問題のEC法規の効力について、取消訴訟を直接に提起できる状況に実はあったし、そのことを十分知っていたにもかかわらず提訴しなくて、後になって違法性の抗弁を国内訴訟を起こして、先決裁定手続上主張したというような場合は、これは法の安定性、それからECの法制度の一貫性を保つために認めるべきではないとした判例がございます。しかし、これは直接排他的管轄権に関するものではございません。
次に行政に対する司法審査の対象ですけれども、それぞれ訴訟類型ごとにごく簡単に見てまいりますと、まず、取消訴訟での審査対象について、現行のEC条約では、そこに掲げました5つの行為を対象とできるということになっております。すなわち、ヨーロッパ議会と理事会の共同で採択した行為、これは現在共同決定手続というのがございまして、ECの立法でもこの二者が共同して立法するという行為がございます。ですから、それを念頭に置いております。それから理事会の行為、これは理事会が主としてほぼ単独で採択をする規則などがその典型であります。これから、委員会の行為。これは例えば競争法での委員会の競争法違反の決定などがそれに当たるわけです。そして、ヨーロッパ中央銀行の行為、それ以外にも欧州議会の行為で第三者に法的効果を生ぜしめる意図の行為などが定められております。逆に法的拘束力を持たないと条約上書いてあります勧告、意見という法形式については、これは審査の対象外になるということになっております。しかしながら、EC裁判所の判例では、法の支配に基づく共同体における法の遵守を徹底するために、実はこういった法形式の名称にこだわることなく、実質において法的効果を生じることが意図された行為か否かを基準にして、取消訴訟の審査対象範囲を決めております。したがって、たとえ勧告や意見という形式ではあっても、それを部分的にでも法的効果を生ずる点があるならば、そこについては審査の対象となるということになりますし、それからまた、EC設立条約が予定していないECの行為形式、予定してあるのは規則・指令・決定ですけれども、それ以外であっても、審査の対象になります。例えば域外の第三国とEC諸国の協定、国際協定を交渉するに先立って、EC諸国が共同歩調を決めたEC理事会での政治合意、これが法的効果を条約交渉という形で生ぜしめる場合にはやはり審査対象になるということが判例で決まっております。
それ以外にもそこで書きましたように、実務綱領であるとか、口頭での決定であるとか、あるいはECの競争法の調査手続において、本来はEC委員会の委員がサインしなければ正式な文書になりませんが、競争法部局の長の署名入りの書簡、これが最終判断をEC委員会として示すものであると考えられるならば、それがやはり決定に類するものとして、取消訴訟の対象にしております。
実は現在条約で入れられております欧州議会の行為であって、第三者に法的効果を生じさせる意図の行為というのは、これは判例法が先にできまして、それが後にEC条約の改正で明文化されたという経緯がございます。
次に「不作為の違法確認訴訟」ですけれども、ここにおいては、理事会、欧州議会、またはヨーロッパ中央銀行のEC条約に違反する不作為、または個人に対して勧告または意見以外の行為をEC機関がしなかったこと、これを審査対象とすると定めています。先決裁定手続においての効力を審査する場合の対象は、ほぼ同じでありまして、共同体の機関、すなわち理事会、委員会、欧州議会、司法裁判所、会計検査院が取った行為、それから中央銀行が取った行為であります。違法性の抗弁については、そこに掲げたものであります。ただし、違法性の抗弁においては、規定の文言上はすべて規則という法形式が対象となるように書いてあるわけですけれども、EC裁判所はこの規定を広く読みまして、実はその背後に法の一般原則として、違法性をただすという原則があるんだととらえまして、この規則というのは1つの例示的なものであるというふうに解しております。したがって、決定がまずありまして、その後に更にそれよりも詳細な実施決定があるような場合は、その最初の方の決定が違法性の抗弁においての審査対象となり得るというふうな判例がございます。
次に「3 原告適格及び訴えの利益」についてですけれども、原告適格については、制定法上、すなわち条約上は、取消訴訟について、次のように、3種類の原告適格が分けて書いてあります。
まず、特権的な原告適格、これはどのような場合にも原告適格がある機関ですけれども、委員会、理事会、構成国です。それから、それに類する準特権的原告適格を持つものとしては、これはすなわち自らの特権を擁護する限りでは、常に適格を持つというものですが、欧州議会、会計検査院、そして、ヨーロッパ中央銀行というのがあります。実はつい一昨日のアイルランドの国民投票の結果、ニース条約が発効することになります。ですので、間もなくこれが発効いたしますと、欧州議会は現行法では準特権的原告適格ですが、それが昇格いたしまして、特権的な原告適格を持つ機関に変わることになります。
その他の原告適格としては、これは直接かつ個人的に当該措置に関係する限り原告適格を持つというのが自然人であり、法人であるということになっています。
不作為違法確認訴訟の場合は、同様に、特権的であるか、その他であるかという区別がございまして、委員会・理事会・欧州議会・構成国・ヨーロッパ中央銀行、これが特権的な原告適格を持つ。自然人、法人はなされるべき行為の名宛人であるという範囲においての原告適格を持つということになります。
原告適格が認められる範囲についての、やや詳細な説明でありますが、取消訴訟の対象となる行為の性質が、根本的に一般的行為であるのか、個別的行為であるのかによって、それぞれの行為の違法性を訴える原告の範囲が異なってまいります。この区別はとりわけ個人について、すなわち自然人、法人について大きな意味を持ってまいります。
一般的行為とは、その行為の法的効果が及ぶ人の集合が規範的に、観念的に開かれているかどうかというところがメルクマールになります。
個別的行為はその逆に、ある個人に対して行為の法的効果が直接、かつ個人的に及ぶという対極に据えられることになります。一般的行為を含めまして、その効力を常に争えるのは委員会、理事会、構成国でありまして、その効力を争うことが自らの特権を擁護する上で必要と言える場合は、欧州議会、会計検査院、ヨーロッパ中央銀行にも原告適格が認められます。これに対して自然人、法人の場合は、原則として、一般行為の効力を直接に争うことはできません。もっとも自然人、法人がECの一般的行為を争う余地も多少はあります。
1つは、国内裁判所で争う場合です。それは国内裁判所に提起する何らかの訴訟において、具体的な実施措置の根拠法規たるECの一般的行為の違法性の抗弁を主張する場合です。この場合は先決裁定手続によって、その効力問題がEC裁判所に付託されてくることになります。それから、現在のEC条約の下では、自然人や法人は、あくまでも個別的行為そのものに対して、直接かつ個人的に関係する決定の効力について、ECの具体的には第一審裁判所に直接に取り消し訴訟を提起するものとされております。具体的な規定は230 条の4段にあるわけですけれども、そこでは問題とされるECの機関の行為が、原告本人との関係で、法形式の名称ではなくて、その実質において個別的行為と言えるかどうかという点から定められています。すなわち、原告に当てられた決定。それから、第三者に当てられた決定であるが、原告に直接、かつ個人的に関係する決定。あるいは、規則の形式を取っているけれども、原告に直接かつ個人的に関係する決定を争う適格問題、こういうふうに定めてあります。直接に関係する、というのは、これは取消訴訟の対象となっている行為が行為者とそれから名宛人との中間に第三者が介在したりして、裁量判断を伴うなどといった仲介律がなくて、直接因果関係を持って原告に法的効果を及ぼすことを言うわけです。個人的に関係するというのが最も重要なところなんですけれども、個人的に関係するというのを巡りまして、判例は1963年のプラウマン事件以降、今日に至るまで一貫して次のように述べています。すなわち、当該決定がその個人に特有の属性から、あるいは他ものからその個人を区別する特別な事情があるため、名宛人同然に個人的に区別されると言える場合、これに限られていると解釈しております。このような解釈はかなり具体的な個人性を示唆するわけですけれども、にもかかわらず、実はEC裁判所の判例は一貫しておりません。現在のEC裁判所の判例解釈では、この自然人、法人の原告適格がどのような場合に認められるかを明快に判断するのは至難でありまして、実務家、学説の批判も非常に多いです。どういうふうに区々に分かれているかといいますと、まず一方では、共同体の法の支配を徹底し、自然人、法人に対する実効的な司法的救済を保障するために、原告適格を広めに認める法分野が見られるのです。
例えばECの競争法の執行過程であるとか、あるいは域外外国企業との関係でアンチダンピング措置、こういったものをEC委員会が取る場合のように、ECの機関が違反調査と処罰の両方を権力的に介入して行うような法分野については、EC機関による処分が、たとえそれが規則の法形式でなされたもの、当該違反調査に直接関与した当事者のみならず、苦情申立人であるとか、予備調査に関与した製造者などにも原告適格を広く認めるということになっています。このような寛大な適格判断は、当該分野ではEC機関による不利益処分の適正手続を特に監視すべき今状況にあるということもさりながら、ほかに争うところがないというのもあります。当該、不利益処分はECの裁判所以外では争えない法律関係にあるということが実質的な理由としておそらく考えられると思うんです。これはいわゆる直接実施のところで、しかも、ECの排他的な、いわば支配関係が成立している部分であるわけです。しかしながら、他方でそれ以外のほとんどの分野では、個人的に関係する行為というのを広く認めないで、自然人、法人の原告適格を厳しく制限したままであります。
2002年、実は今年なんですけれども、判例の動きがあるかに見えました。第一審裁判所が従来の狭い原告適格の解釈では実効的な司法救済が結局否定されてしまうような事案が出てまいったからです。ちょっと細かい事案になるんですけれども、真ん中辺りの*が付いた注のところをごらんになっていただきたいんです。
これは2つの事件が関係していまして、1つ目の事件、Jego-Quereという事件は、一定行為の禁止を規則で定めた。これはアイルランド沖の漁獲の禁止なんですけれども、一定の網目以上のものでないとだめだと。細かい網を使っては、漁業資源保護にならないからだめといった、そういった規則の禁止行為があったわけです。
もう一つの方は、農業補助金を打ち切るという決定があったわけですけれども、いずれも規則という形で出されています。そのいずれの係争のEC規則も、国内の具体的実施行為を要しないまま、その具体的な内容が直接に実現されるものでありました。お魚を捕るなというのと、補助金を切るというそれだけのことですので、それ以上何も要らないわけです。それを自然人、法人が国内裁判所で違法だと争おうと思っても、直接争う国内の具体的実施措置がないために、国内法上の訴訟は起こせません。では、第一審裁判所に起こせるかというと、これは規則ですので、個人的に関係しないとだめということになりまして、ここの場合、特に名宛人として指定されているわけでもなく、一般的に漁業従事者とか、あるいは一定の農作物についての補助金を受け得るものというふうに書いてあった場合は、これは特定性がないということになってしまいまして、全く訴訟が起こせないということになるわけですね。このような事案に接しまして、本文に戻りますけれども、ECの第一審裁判所は法の支配と当事者の裁判を受ける権利を実効的に保証するためには、従来の狭い原告適格解釈を変更せざるを得ないという旨の判決を下したわけです。すなわち、プラウマン判決が一般的に適用される措置には、自然人、法人の原告適格を認めないことを基本としていた点を変更しまして、一般的に適用される連合体の措置であっても、それが原告個人の権利を制限し、または、義務を課すことにより、個人の法的地位に確実かつ現実的に影響を与える場合には、個人的に関係すると解して、原告適格を認めるのが相当であるとしたわけであります。しかしながら、ECの本体の方の裁判所は、数ヶ月後の、先ほどの補助金打切りの事件で、このような解釈は一般的行為と個別的行為のそもそもの区別を失わせてしまう解釈であって、それを前提として現行法の解釈としては無理があると述べまして、従来の解釈を維持するということを確認いたしました。加えて、更にもし原告適格を拡大したい場合には、各国における訴訟上の工夫をするか、あるいは条約を改正するかしか解決策はないとまで言っているんです。
こういうわけで、現在のECの本体の方の裁判所の判例はこの点についてはかなり硬直化しているのが私の印象であります。なぜこのような硬直化が起きているのかということは、法理論上、いろいろと議論がありますが、1つの背景といたしましては、訴訟が非常に多くて、過重負担が既にあるという点もございます。すなわち、適格を拡大いたしますと、更に第一審裁判所が特に混むというのが憂慮されるというのがしばしば言われるものであります。具体的な訴訟件数等はそこに掲げてあります。
ところで、団体訴権についてお聞きでありましたので、若干触れておきますと、このような状況ですので、一般的には自然人、法人の原告適格そのものからいたしまして、現状で団体の原告適格というのが認められる例は非常に少ないのであります。しかしながら、ごく特定の領域については認めたように読める例が出てまいりました。例えばECの情報公開、ECそのものの機関が持っております文書へのアクセスを争った事例であるとか、競争法に関する事例、こういったところでは、消費者団体、あるいはジャーナリスト組合、こういったものが情報公開を求めたり、あるいは競争法の調査をしないことについての不決定という決定を争ったというものがございます。しかし、これらは団体がやはりテクニカルな意味で、何らかの形で直接、かつ個人的に関係する決定を受けるような工夫をいたしまして、提訴した事案ですので、結果的には団体に認めたように見えているわけですけれども、裁判所といたしましても、従来の判例の中で処理できたというふうにも言える事例であります。更に、面白い事例といたしましては、そこに書きましたが、結論的には原告適格を認めませんでしたけれども、適格の有無の問題はさておいて、まず棚上げにしておいて、実体判断と適格判断は不可分一体であるというふうに理屈を立てまして、実体判断に入りまして、その後結局、訴えの中身を否定いたしまして、原告適格も認めないというふうな処理をしたという非常に例外的ではありますが、そういった事例も第一審裁判所の段階で出てまいりました。
なお、EC域内については、直接の課税権がもともとございませんので、納税者訴訟といったような制度を論じることはございません。しかし他方で、そこに書きませんでしたが、具体的な法分野、例えば消費者保護などの法分野で不当条項指令というのがございますが、その不当条項指令などでは、指令に団体訴訟を認めるよう、国内法を整備する義務というのを明文として書いたりしております。したがって、立法措置として各国の国内法の整備を団体訴権を認める形で命ずるといったような動きはございます。
次に、「訴えの利益」ですけれども、これは明文の定めはございません。それから訴えの利益が事後的に消滅したといったようなのに類する議論としてあえて拾いますと、1つございまして、不作為違法確認の訴訟がそれです。不作為違法確認の訴訟におきまして、提訴後に関係しているEC機関が求められていたところの行為を行った場合は、当然ですけれども、訴訟を継続する利益がないとされて、訴訟が却下されます。同様に、提訴後に関係する機関が求められた行為以外の行為をとりまして、何らかの形で関連する行為だと言える場合は、訴訟が却下されることになります。先決裁定を通しての効力の訴えなどがございますが、この場合はちょっと特別でありまして、EC裁判所と国内裁判所の相互の協力と信頼関係、これが裁定手続を支えるものであるという前提がございますので、付託した国内裁判所がその付託を取り下げを願わない限りは、裁定手続は原則として続行するということになっております。具体的にあった事例ですけれども、EC法上の一般的な重要な争点が付託された事案がありまして、ところが、付託された後で紛争の当事者にとっては、国内法上満足的に解決した事案がございましたが、これは国内裁判所からの付託の取り下げがないので、先決裁定を続行したという事例がございます。逆に、EC裁判所として、先決裁定を拒否するということもほとんどないわけですけれども、ごく例外的に国内の訴訟がもともと両当事者が結託をしていて、事案に真の争訟性がないといったようなことが書面上明白であるような場合などは、EC裁判所は先決裁定を拒否したという例が極めて稀ですけれども、あります。
次に「4 仮の救済」ですけれども、先ほども申しましたように、訴訟を提起すること自体には停止効がないというのは、条約に掲げる原則であります。ただし、事情によって必要と認める場合には、実施の停止をEC裁判所は命ずることができるとなっています。
では、どのようなときに命じるかと言いますと、その要件といたしまして、救済請求者の本案の主張に疎明があること、かつ緊急性があること、すなわち、仮の救済がなければ、請求者に重大かつ回復不可能な損害が生じることであります。執行停止効以外の仮の救済といたしましては、先ほども申しましたように、いわゆる必要な仮の措置という非常に茫漠たる規定がございます。要件は今申し上げた執行停止の要件と同じでございます。どのような内容のものかと申しますと、例えばEC法規を国内実施する構成国の行為の差止めであるとか、EC競争法違反事件において、被告企業の営業機密文書を、訴訟参加した競争の相手方企業に開示しない措置などがこれの代表になっております。
裁量処分についての項目に移ります。裁量処分の審査に関する法制度ですけれども、条約の取消訴訟を定めた条文では、まず、EC機関の裁量処分につきましては、違法事由を4類型掲げています。権限の欠如、権限の濫用、法の違背、手続の違背というこの4つです。これらの違法事由は勿論、重複し得るわけです。EC裁判所は、EC機関に広い立法裁量が認められている法分野、例えば農業政策や対外通商などにおいては、実際には裁量権行使に明白な誤り、または権限の濫用がない限りは、統制的な介入をしないという立場が非常に多いです。とは言え、技術的専門的な分野でありましても、例えばEC委員会の下の科学専門委員会というのがございますが、ここにおける技術的な判断の妥当性が表れた事件において積極的に介入した例があります。具体的に言うと、個々の事案の関連する点を、すべて慎重かつ公平に検討する義務を尽くしたか。あるいは、当事者が自らの見解を述べる機会を持つ権利を保障されたかどうか、当事者が十分に理由の記された決定を受ける権利を侵害されていないかどうか、こういったような観点から、これは実際には電子顕微鏡の輸入の免税措置を巡る事件なんですけれども、域内に同等の電子顕微鏡がなければ免税となる。輸入関税は免税となる。しかし、同等の顕微鏡があれば課税されるといった、そういう事案で、同等のものがあるとした専門委員会の決定を、実は顕微鏡のことについて何も知らない委員がほとんどであったとか、あるいは議事進行において、当事者に全く意見を述べる機会を与えなかったとかいったようなことを精査いたしまして、違法無効とした例がございます。構成国の裁量行為が問題となっている場合、この場合の適合性審査というのは、これは場面と言いますか、分野によって異なります。すなわち、具体的な国内法整備の指示が、条約や指令などの法規によって出されている場合は、その国内的措置によって達成されるべき法的結果が実効的に保障されているかどうか、これを審査することになります。具体的にはEC委員会が構成国に対して提起をする条約義務不履行確認の訴訟においてこれが行われるわけです。
もう1つの類型としましては、具体的な国内法整備の指示が特にない場合で、しかしながら、各国の統治権の裁量的行使がEC法に違反するという場面が出てくる場合です。この場合は、構成国の裁量権行使が原則として認められるのではありますが、EC法の規定や、原則に反しないように裁量を行使する義務というのがあるということになっておりまして、それに照らして統制されます。
第1に、国内裁判所について申しますと、EC法上の権利の実効的な保障を行うこと自体には裁量の余地がございません。国内現行法の枠内で、国内の類似の法的権利に認められる法的救済に少なくとも劣らない救済を認める義務というのを負っています。国内現行法に類似の権利がない場合や、実効的な救済がそもそも国内法上ない場合は、その救済をはばむ法理であるとか実務を排除する義務、あるいはEC法上の救済措置で填補するような可能性を聞く、そういったような積極的な行動義務が結果的に負わされています。このような実務、すなわちEC法の実効的な実現を保障する義務、これを通して実はEC法は各国法の変更を迫るまでの大きな影響を与えているわけです。
第2に、立法府、それから行政府の裁量行為、これは各国ですけれども、が、私人のEC法上の権利の実現を阻害するような場合は、当該構成国の行為がEC法上正当と認められる目的を達成するために、必要かつ比例した手段を取ったものかどうかという評価基準から判断をされます。いわゆる比例性の審査があるわけですけれども、これは実は比例という言葉を使いつつ、法分野によって、あるいはまた侵害されるEC法上の権利の性質によって、緩やかな審査があったり、厳格な審査があったりします。すなわち、緩やかな審査であれば、目的に関連する措置で、不釣合いでない手段であればよいといったような消極的な問い掛けをしますのに対して、厳格な審査であれば、必要な措置であって、かつ、ほかにより制限的でない手段がないかどうかを精査するというところまで踏み込むわけであります。なお、判例上認められました国内の私人が当該構成国政府の作為や不作為から損害を被っている場合、国家賠償請求ですけれども、これは構成国の立法裁量の行使、不行使に明白かつ重大な誤りがあって、十分重大なEC法違反を構成しているかどうかという点から判断されることになります。
最後に、審理手続における行政側の資料開示等の規定ですけれども、EC裁判所規程の、これはEC条約に付随した議定書でありまして、EC裁判所の構成そのものを規定している国際協定です。「構成法」と書きましたが、EC裁判所規程と申し上げた方がおそらく正しいと思いますので、そう申し上げますが、EC裁判所規程の21条によりますと、裁判所は当事者に対して裁判所が望ましいと考えるあらゆる文書を提出し、かつ、あらゆる情報を提供するように求めることができる等々が書いてありまして、また同じように、事件の当事者ではない構成国及び機関に対しても、訴訟遂行に必要と裁判所が考えるあらゆる情報を提供するように求めることができるというふうに定められています。また、石炭鉄鉱共同体、ECSCにつきましては、実はもっときつい現状にありまして、当該機関は裁判所に係争事件に関するすべての文書を提出する義務があるという定めがございました。ただし、ECSCは今年の7月23日に共同体として消滅いたしましたので、この規定は過去のものとなりました。当事者が裁判所または相手方当事者に対して自動的に関連する全文書の開示をすべき義務というのはございません。当事者についても、裁判所の許可なく、相手方や第三者と文書と情報を開示するよう強制する権利もまたないとされています。しかしながら、当事者の積極的主張事実は、勿論、自ら立証するべきものとされておりまして、先ほど申し上げました裁判所規程21条によって、公式の証拠調べを行うことなく、非公式に当事者に対して望ましい文書や情報の提出を求めることができるというふうに解釈、運用されています。当事者以外の構成国やECの機関に対しても同様です。
逆に、文書の提出を拒否できる場合というのが、これまでの実務の中で、あるいは規程で明らかになっております。すなわち、文書が訴訟事案と関連性を持たないとか、それから、弁護士と依頼人の間の特権が生じている場合、医者と患者の信任関係によって作成された医療記録・報告の場合、この場合は患者が提出に同意をしておって、医師の関与も行政的な健康検査のようなものであって、かつ非開示が司法運営の妨げになるような場合というのは、この拒否特権は認められます。それから、営業機密を含む文書、これは訴訟参加したものや、共同訴訟当事者への開示は拒否される。それから、EC機関の部内作業文書は、それ自体として非開示特権によって保護されるわけではございませんが、機関内の審議の秘密を保護するために、裁判所による職権探知は例外的にしかなされませんし、また、開示を請求する場合、その当事者は当該部外作業文書が事案に関連することを別の証拠を持って疎明しなければならないとされております。それから、これは条約の本体の規定があるんですけれども、国家安全保障に関する情報を含む文書は、これはカテゴリカルに拒否特権が生じます。ただし、これについては、他の構成国やEC委員会が当該構成国が安保文書の不開示特権を不適切に行使していると考えるとき、それを非公開のEC裁判所の法廷で争えるというふうになっています。
以上がごく簡単ではございますが、ECの類似した部分の説明でございます。
【塩野座長】どうも、ありがとうございました。今まで日本ではこういうふうに系統だってEC行政訴訟に関する紹介文献がなかったこと、またいろいろな新しい情報も含めて、ご提示いただきまして、大変ありがとうございました。
それでは何かご質問があれば、この際承りたいと思いますが、どなたからでも結構です。はい、どうぞ、小早川委員。
【小早川委員】2点ぐらい伺いたいのですけれども、一つは4ページに原告適格についてのまとめがありますが、これをにらんでいますと、特権的原告適格ですね、欧州委員会も今度入るということで、これは要するに構成国とそれからEC及び欧州の主要な機関というのが一方であって、それから自然人、法人、これは各構成国の国民であったり、ということだと思うのですが、質問はどっちがECの訴訟制度において中心なのか、ということなんですけれど、背景は要するに委員会が構成国に対して訴訟を起こしたりとか、あるいは構成国が委員会に対して訴訟を起こしたりとか、一種の連邦制の中の、連邦と支分国との間の紛争を訴訟的な方法で処理する、そういうのに近いかなという感じがあるのですが、そうだとすると個人や企業の権利を実現するための訴訟とはかなり趣が違うという感じがするのですが、そちらにウエートがあるのか、それとも自然人・法人間の訴えということで、ある種の公権力に対する個人の関係というところがやっぱり主なのか、そういうコンテクストで関心をもったものですから、そこを一つお願いいたします。
【中村助教授】全体として、流れが時代によって変わっておりまして、1980年代の半ばぐらいまでは、やはり機関が構成国を訴えるとか、あるいは構成国が機関を訴えるといったようなおっしゃられるところの連邦支分国間の訴訟方式に近いものが圧倒的に多くございました。とりわけEC委員会が条約義務を履行しない構成国を訴える、というその構図での訴訟が多かったのですけれども、しかし、80年代の半ば以降ですけれども、個人がECの決定を直接争う、といったような訴訟が非常に多くなってまいりまして、現在の司法統計では、ちょっと今、手元でさっとそのページが出てこないのですけれども、おそらく個人の提訴の方が件数としては多いと思います。これはしかしながら、非常に分野が限られておりまして、まさに競争法であるとか、ダンピングであるとか、といったような特定領域に非常に固まっております。それ以外のところでは構成国の行為が条約の原則規定に違反するというのを個人が争う、たとえば人の自由移動を阻害する措置を取っているとか、商品の自由移動を阻害する措置を構成国が取っているから争うとか、そういうような場合になりまして、そういう限られた分野での訴訟が多いということです。
【小早川委員】そうすると、最後に言われたのは個人が構成国の行為をEC法違反であるといって、EC裁判所に訴えるケースが多大にあると、そういうことですね。
【中村助教授】そうです。それはいわゆる間接実施なんかの部分で一番大きく問題になるところです。
【小早川委員】そうするとECの行為が争われる場合と構成国の行為が争われる場合があると。
【中村助教授】どちらかというと、構成国の行為を争うという事例が増えてまいりまして、おそらくそれは85年以降の域内市場統合政策の中での全体の企業活動の活性化というところに関連をしているだろうと思われます。
【小早川委員】もう一つは同じページの一番上の方に不作為違法確認訴訟というのがありまして、それについてのご説明が他でもいろいろとあるんですけれども、これは一体何物なのか。ご説明で、国別でいうとフランスの制度の影響を受けた部分がかなり多いような感じでおっしゃって、なるほど、らしいなあと思わされることもいろいろあるのですけれども、この不作為確認訴訟というのはこれはひょっとしてドイツ型の義務付け訴訟をこういう名称で採用しているということなのか、その辺の事情はいかがですか。
【中村助教授】これは発想は確かにドイツの義務付け訴訟にありまして、しかしながら義務付けないんですね、ただ確認をするだけでありますので、それ以降の行為については所轄の官庁において、判決に従う義務というのが生じるだけであります。そこが違うのですけれども、発想としてはドイツのその制度が基になっているとよく言われます。
【芝池委員】私も不作為の違法確認訴訟、なつかしく聞いたのですけれども、これは量的に多いというふうに考えてよいのでしょうか。と言いますのは8ページの下の方の裁量行為のEC法適合性審査のところで、ご説明聞いておりますと、不作為の違法確認訴訟がかなりあるんじゃないかという気がしたのですが。
【中村助教授】これは実はほとんどございません、と申しますのは、ここで言っている不作為の違法確認訴訟というのはECの機関の不作為でありますので、実際には条約や派生法規で具体的にいついつまでに何をしなければいけないという具体的な中身がないと、訴訟を起こせないということになっているのです。条約の規定そのものは事件をきって具体的な中身の実現を義務付けているものというのはほとんどありませんので、起こしにくいというのが現状なんです。
【塩野座長】ちょっと一つですが、3ページの取消訴訟での排他的管轄、この点に関する議論はないという意味は、理論的にはありそうでいてないというのか。そもそもそういった議論が成り立たないということなのか。どうも後の方ではないかという気もちょっとしたのですが。
【中村助教授】そうですね、あってもおかしくはないのかもしれませんが、私の不勉強のせいか、今までこういう議論が。
【塩野座長】そういう議論はないと。
【中村助教授】ありません。
【小早川委員】これはEC裁判所の制度はここに掲げられた訴訟形式しか持たないわけですよね。
【中村助教授】そうです。
【小早川委員】基本的には、私人対私人の訴訟というのは、これは考えられない。先ほどのようなEC機関かあるいは構成国を相手とする訴訟しかない。普通に排他性を議論する場合の、民事訴訟というのが一般にあって、そこに行政訴訟が割り込んでくるというのとは、コンテクストが違うと。
【中村助教授】そうですね、多分、大きく見るとそういうことだと思います。
【塩野座長】その点、もし何かあったらまた教えてください。どうもありがとうございました。
(休 憩)
【塩野座長】それでは時間になりましたので、会議を再開させていただきます。冒頭にご案内いたしましたように、これから個別の論点についての検討に入ることになります。
個別の論点と申しますのは、第6回の行政訴訟検討会フリートーキング参考資料として、どんな問題があるかということをこの検討会で皆様から意見を出していただいたのを一覧にまとめたものがございます。
そこでその論点に入るということですが、第1のところは既に一応の議論はしていただき、もちろん固い結論は出ておりませんけれども、行政訴訟制度の目的について権利保護的な性格と、適法性の維持的な性格、両方をにらみながら論議をしていこうと、そういったことになったと思います。
そこで、今日は第2のところになるわけでございますが、まず事務局に十分な資料を用意して、説明をしていただきたい、ということで前回、この検討会でお願いいたしました。事務局の方でご用意いただいているということでございますので、よろしくお願いいたします。
【小林参事官】資料の5、それから資料6に基づいてご説明を申し上げます。
資料5は、「行政訴訟の対象及び類型に関する検討資料」と題する資料で、この資料は第6回行政訴訟検討会フリートーキング参考資料の「第2 行政訴訟の対象及び類型について」の記載、これを枠囲いをしておりますが、この記載について検討の参考となると思われる法令、制度の説明と、その資料、文献等を付記したもの、資料6は、行政をめぐる裁判の現状について、これを図示して、説明をした資料です。
資料5に基づいて、事務局の方で気づいている問題点等をご説明します。
2ページの一番上のところですが、そもそも行政訴訟、あるいは行政訴訟の対象、それからこの問題である行政訴訟の類型について考えるに当たっては、行政訴訟という特別の枠組み、立法に当たってそういった枠組みをつくる以上、その枠組みにどういう意義を持たせるのか、これが問題になるのだと思われます。これは大日本帝国憲法、日本国憲法の施行までの間であれば、行政裁判所に提起する訴訟を行政訴訟と呼んでおり、それはなぜかと言うと、大日本帝国憲法においては、行政官庁の違法処分によって権利を傷害された、という訴訟であって、行政裁判所の裁判に属するものは司法裁判所では受理できない。こういう規定があったから、行政訴訟という規定を設ける意味があったということになるわけですが、日本国憲法におきましては、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定した上で、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」ということになりまして、「特別裁判所はこれを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と規定したわけです。したがいまして、それに基づいて、裁判所法の3条1項では「裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定しておりまして、この規定などから裁判所、司法裁判所ですが、これは行政裁判所に代わって行政訴訟を行うことになったというだけではなくて、この意味は裁判所が司法権本来の作用として、その範囲において行政訴訟を審理することになったということを意味しているのだというのが現行の行政事件訴訟法の立法担当者の解説です。したがって、この行政事件訴訟というのは行政訴訟であるかないかによって、裁判所の審判の対象になるかならないか、司法裁判所の審判の対象になるかならないか、ということが現行法では決まっているわけではない、ということになります。
それでは、行政事件訴訟、現行法では行政訴訟と呼ぶよりは行政事件訴訟と呼んでいるわけですが、行政事件訴訟とは何かということになりますと、行政事件訴訟法は一般の法律とは極めて異なった規定の仕方をしております。それは何かと言うと、通常の法律であれば、行政事件訴訟とはこういうものを言うという積極的な定義がされるのが普通ですが、現行の行政事件訴訟法は2条において、「この法律において、「行政事件訴訟」とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟をいう。」。この法律で後で定義する訴訟類型を引っ張り出してきて、この訴訟類型の訴訟が行政事件訴訟であるという、非常にわかりにくい、これは現行の立法では極めて珍しい、立法の仕方をしているわけです。ですから、この訴訟類型が一体何なのかということを突き詰めてみないと、行政訴訟というのは一体何なのかはわからない、という規定になっております。しかも、この法律の総則の規定を見てみますと、結局書いてあるのは、抗告訴訟は何かというのを3条に書きまして、4条で当事者訴訟は何かということを書きまして、5条で民衆訴訟は何かということを書きまして、6条で機関訴訟は何かと書いて、第7条において「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」と、これをもって総則の規定が完結してしまっている。つまり、行政訴訟について一体、どういう特質をもった訴訟が行政訴訟であって、その特質をもって、行政訴訟についてどういう規定が必要だから、これを行政訴訟としたのか、ということがこの総則を見ても、全くわからない。これは私も裁判官をやっていたこともありますけれども、裁判官がこの法律を適用しようと思った場合に最も困難なのは、その趣旨がよくわからない、ということではなかろうかと思います。したがって、訴訟類型を考える前に、行政訴訟というのは一体、何で、その行政訴訟というのはどういう特質をもったものとして、規定すべきものなのか、ということを立法に当たってはもう一回検討する必要があるのではないか、と考えております。
それが2ページの真ん中辺りまでですが、行政事件訴訟法がこれら類型を定めているその趣旨は何かと言うと、これは具体的事件がいかなる類型の訴訟に属して、いかなる手続きで処理されるかを示すにすぎないものであって、訴訟の可能性を定めているものではない、というのが立法担当者の説明です。つまり、訴訟ができるかどうかということは、先ほどの憲法に定めている、あるいは裁判所法で訴訟の対象となっている法律上の争訟、つまり裁判の対象となる争いであるかないかによって決まるのであって、この訴訟のどの類型に当たるかどうかによって決まるのではない、ということです。
ただし、抗告訴訟のうち、この取消訴訟につきましては、特定の行政庁の処分について、その処分の効力を遡及的に消滅させるという意味での取消判決を求める形成訴訟と理解されておりますので、そういう意味で、民事訴訟の一般原則によれば、形成の訴えというのは実体法がその必要がある場合に個別に規定を置くこととされ、そしてその法定の場合のみ認められる、ということからすると、行政事件訴訟法9条で、取消訴訟の規定を置いたということから、この取消しの訴えというのが認められるという意味では、積極的な意義を有しています。
しかし、一般的には行政事件訴訟法が訴訟類型を定めている趣旨は、あくまで、原告が特定の訴訟類型を選んで、訴えを提起した場合に、その訴訟類型に定められた訴訟要件、具体的には出訴期間とか、原告適格とか、被告適格などが決められていますが、そういったものの適用を受けることを定めたものにすぎないわけです。行政事件訴訟法に訴訟要件が定められていない訴訟類型である当事者訴訟によって訴えを提起した場合には、その訴えが適法であるかどうかは、訴えの内容が行政に対する司法審査を求めるものかどうかで決まるのではなくて、その訴えが裁判所法にいう法律上の争訟に当たるのかどうか、あるいは通常、行政事件訴訟に関して、行政事件訴訟法に定めがない事項は、民事訴訟の例によるということになりますから、一般の民事訴訟の原則においてその訴えが適法な訴えと認められるかどうかによって決まることになるのです。
ところが、行政事件訴訟法の仕組みをよく見ますと、2条で「『行政事件訴訟』とは、抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟及び機関訴訟をいう。」、となっていて、資料6のとおり、民衆訴訟と機関訴訟というのは、裁判所法にいう法律上の争訟には当たらない。裁判所法、あるいは憲法で決められている司法権の範囲の外にあるものについて、特別に法律の規定で、裁判所法3条でも、法律に特に規定のある場合、その他法律において特に定める権限を有する、と書いていますけれども、法律で規定をすれば、裁判所でもこういう裁判ができる、ということから認められた訴訟である、というふうに位置付けられているわけですが、それ以外の普通の訴訟、ここでは主観訴訟とよく言われているわけですが、普通の訴訟の類型を見ると、抗告訴訟と当事者訴訟しかないわけです。
抗告訴訟と当事者訴訟という行政訴訟の類型を見ますと、抗告訴訟とは、行政事件訴訟法3条1項で、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟、ということになっていて、当事者訴訟は、第4条で「当事者間の法律関係を確認し、又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で、法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの」、これは特殊な訴訟ですが、及びの後で、「公法上の法律関係に関する訴訟をいう」、ということになっている。
つまり、行政事件訴訟法の仕組みでは、当事者訴訟というのは公法上の法律関係に関する訴訟というふうに書いてあって、抗告訴訟というのは行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟、この2つの枠組みに分かれていて、これで法律上の争訟という枠組みに入る行政訴訟というのは全部だ、というふうに考えているのが行政訴訟の仕組みではないかと思われるわけです。
行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟というのは、公法上の法律関係に関する訴訟であるのかないのかというのは私、ちょっとよくわからないのですが、本来であれば、まず、行政訴訟は公法上の法律関係に関する訴訟をいう、と規定した上で、そのうちの一部の訴訟類型を取り出して規定するのが普通の今の立法の仕方ではないかと思うのですが、最初からこの訴訟類型を分けて規定して、それを足したものが行政訴訟だという規定の仕方をしているので、非常にわかりにくい法律になっている、というのが現行の行政事件訴訟法の特質ではないかと思います。その場合に、抗告訴訟については行政事件訴訟法では第2章というところで、かなりたくさんの規定が設けられていますが、この規定の特色は、抗告訴訟のうち、取消訴訟に関して非常に詳細な規定を設け、その取消訴訟の規定を他の抗告訴訟に準用して、それから当事者訴訟にも準用しているため、行政訴訟に共通の規定は何なのか、行政訴訟の本質は何なのか、ということがよくわからない、そういう規定ではなかろうかと思います。ただし、最終的にこういった抗告訴訟や当事者訴訟を通じてどういう特質があるかということになると、当事者訴訟について、抗告訴訟に関する規定が準用されている41条の規定、これによって大体、わかるのかなと思うのですが、これによって当事者訴訟に準用されることによって、特に当事者訴訟で特色のあるところというのは、結局、24条の職権証拠調べに関する規定が準用されているということ、つまり、行政訴訟を通じた一貫した特色、抗告訴訟と当事者訴訟を通じた一貫した特色というのは、現行法を見る限りは、この職権証拠調べができるということに特質があるということになるのではなかろうか、というのが現状ではなかろうかと思います。
それから3ページの方の真ん中から下のところに行きますと、結局、抗告訴訟についても、その訴訟が適法であるかどうかは、それぞれの訴訟類型について行政事件訴訟法に定められた訴訟要件のほかに、それが「法律上の争訟」の要件その他民事訴訟一般の訴えの適法要件を充たすことが必要になるわけですが、ただし行政事件訴訟法では「法律上の争訟」に当たらない場合でも、民衆訴訟及び機関訴訟が提起できることを明らかにしているわけです。ところがこの民衆訴訟及び機関訴訟の規定は結局のところ、法律に定める場合に法律に定める者が提起することができる、と42条に規定しているだけで、この規定がなくても、結局のところ裁判所法3条1項で、法律において特に定める権限というのは裁判所が有しているわけですので、法律で定めれば、こういった訴訟ができるというのは実は行政事件訴訟法を待つまでもない、ということになろうかと思います。
それから、次に抗告訴訟の問題点ですが、抗告訴訟の中には先ほど申し上げたような処分の取消しの訴え、それから裁決の取消しの訴え、これは立法担当者の解説では先ほど申し上げたような形成の訴えという形で、民事訴訟では通常、法律に規定がないと認められないものについて規定をした、こういう仕組みをしているんですが、その他の類型として、3条4項、5項において、無効等確認の訴えと不作為の違法確認の訴えについて、類型を設けています。この無効等確認の訴えと不作為の違法確認の訴えにおいて、どういう問題があるか簡単にご説明を申し上げます。無効等確認の訴えは、3条4項の後、36条に無効等確認の訴えの原告適格に関する規定がありまして、「無効等確認の訴えは、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができる。」、という形の規定が設けられています。そこで、無効等確認の訴えというのは、このような規定が設けられているのですが、一般的な訴訟要件がどうなっているかというと、3ページの一番下の「法律上の争訟」とは何かという問題なんですが、結局先ほど申し上げたような、裁判所の裁判の対象となる「法律上の争訟」とは何かということになると、最高裁判所の判例で、当事者間の具体的な権利義務ないし、法律関係の存否に関する紛争であって、かつそれが法令の適用による終局的に解決することができるものに限られる、というように解されています。確認の訴えを含む場合、民事訴訟ではどういう訴訟類型があるかというのは資料6のとおりですが、これは実は訴訟類型に関する規定というのは民事訴訟にはないわけです。一般に給付の訴えとか確認の訴えとか、形成の訴えとというものがあるとされているわけです。民事訴訟においては、そういった訴訟類型については統一的な規定がなくて、個別に規定したり、解釈によって定められたりしているわけです。また、訴えの利益とは、法律の規定はないけれども、民事訴訟一般の訴訟要件として必要であると解されております。これが確認訴訟においては、確認の利益という形で言われるわけですが、民事訴訟においてはこういった訴訟類型について、その意義とか性質というのを定めた規定はないわけです。これは現行の民事訴訟法を平成8年に改正する際にも、この改正の際の「民事訴訟手続に関する検討事項」としては「訴えの類型(給付訴訟、確認訴訟、形成訴訟)に関する規定を整備するものとするとの考え方」が掲げられたけれども、結局のところ、形成訴訟の意義を一義的に規定することが困難なことや、訴えの類型の発展を制約する危険があることなどの理由から立案が見送られた、といわれています。ところがこの行政事件訴訟法においては、先ほど申し上げた無効等確認の訴えという規定がありまして、この規定につきまして、現行の一般の民事訴訟における訴えの利益、確認の利益という考え方からすると、この36条の規定は、この無効確認訴訟について、特に対象を処分に限っている、というところにおいても、通常の民事訴訟において、そこまで当然に限定されるものではないのだろうと思われますし、その場合において、その原告適格として、「当該処分に続く処分により損害の受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」、これは普通の確認の利益の問題ではないかと思うのですが、その後で、「当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができる。」、とここまで書いているというのは、むしろ通常の民事訴訟における確認の利益をさらに、この規定は制限しているのではないかというふうに解される可能性があるのではないかという問題点があります。
次に、不作為の違法確認の訴えも、抗告訴訟において、「行政庁が法令に基づく申請に対し、相当の期間内になんらかの処分又は裁決をすべきにかかわらず、これをしないことについての違法の確認を求める訴訟」、と定義されているわけですが、この行政庁の不作為の違法確認という問題についても、国家賠償などの領域では行政の不作為が違法になる場合というのは、必ずしも申請した場合に限らなくても、見受けられるし、争われていると思われます。その不作為の違法確認の訴えの規定は、ここに規定した場合について、不作為が違法になることが実体法で有り得ることを示したという意味では、この法律の条文は極めて意義があると思いますが、他方で不作為が違法になるのは実体法の問題であって、逆に言えば、義務付け訴訟の議論等で出ておりますように、行政庁が何らかの処分をする義務が発生する場合は、ほかにも実体法上、有り得るのではないか、仮にそういう場合があったときに、不作為の違法確認の訴えで認められている範囲でしか訴訟ができないのか、という問題もこの規定があるがゆえに逆に生じてくる可能性があります。
そこで5ページの真ん中のところですが、現在、訴訟類型について義務付け訴訟、あるいは予防的不作為訴訟とか、あるいは差止めの請求とか、いろんなことが考えられ、提言されているわけですが、結局のところ新たな訴訟類型の導入について検討するに当たっては、民事訴訟の一般原則に対してその規定がどのように変更を加えることを目的とするのか、という導入の趣旨、それからそれを踏まえた訴訟類型の定義と定義された訴訟類型に適用される規定の内容、さらには訴訟類型を定義しこれに適用される規定を設けることとした場合に、その裏返し、ないし反対解釈として、その定義に該当しない類似の訴えが不適法と解釈されて、行政に対する司法審査が制限される危険が生じないかどうか、などの問題について、検討する必要があるのではないかと思われます。先ほど申しましたように、行政事件訴訟法がこの抗告訴訟の類型を設けていること自体は、訴えを制約する趣旨ではない、訴えができるかどうかを行政事件訴訟法で決めた趣旨ではない、と立法担当者は説明しておりますが、個別に具体的な規定を見ると、民事訴訟の一般原則よりも狭くなっているのではないかと思われる点もある。そういった規定が具体的に置かれた場合に、逆にその裏返しの部分というのは訴えを認めないことにした趣旨なのか、というそういう解釈を招くおそれもあるのではないか、そういう問題点が立案に関わっては考えられるのではないかと思われるわけです。
次に、資料5の10ページに「2 行政訴訟の類型」として、「① 新たな抗告訴訟の類型を設けるべきであるとの考え方があるがどうか。」という問題の提起をしております。ただ、この問題の提起は、これで良いかどうかはそもそももう一回、見直さないといけないのではないか。それは先ほど申し上げたように、抗告訴訟という類型をつくることにどれだけの意味があるのかということを考える必要があるのではないか。抗告訴訟は、当然の前提として、その抗告訴訟の類型を設けるという考え方で行くのではなく、行政訴訟として、一般的に裁判を受ける権利として認められるべき訴訟を何らかの形で類型として取り上げていくことが必要なのかどうか、それをどういう形で取り上げていくのがいいのかと、そういう形でご検討をお願いした方がいいのではないかと思っておりまして、当然のごとく抗告訴訟という類型が必要であるかどうか、ということについては、それ自体も、また検討の対象ではないだろうか、と考えております。資料6について補足しますと、仮差押、仮処分というところが一番右の方にありまして、これは通常の民事訴訟であれば仮差押、仮処分は必要があれば認められるわけですが、行政訴訟になりますと公権力の行使についての仮処分というのはこれは認められない、となっております。それから左側の方に執行停止があります。執行停止は、行政庁の処分の執行を停止するわけですが、これについては現行の考え方としてはこれは行政権の範囲に入って、司法権、固有の司法権の範囲ではないのではないか、このような見方がされております。しかしながら、この検討会等でも様々な方からご指摘がありますように、この司法権の範囲についての我が国の考え方自体がこれでいいのかどうか、ということについて、様々なご指摘がございましたので、こういったこと自体も問題になるのではないかという視点を矢印で示したものです。
それから下の方に、主観訴訟と客観訴訟についても当然にこういったものが前提になるのでなくて、諸外国の報告の中にありますように、国民の権利救済という範囲をかなり広く考えるという考え方もご指摘ございました。そういった意味で、司法権の範囲をどう考えるかというのもまた問題でないか。それからご指摘の中に、行政訴訟と民事訴訟の区別というところも多様な救済という視点で見直していくべき問題があるのでないかというご指摘がありましたので、中に点線を設け、柔軟に考えていってよいのでないか、こういう問題意識を持って、資料を作成しました。以上でございます。
【塩野座長】どうもありがとうございました。行政訴訟の本質とは何かという本質論と、それから他方、条文のスタイルと申しますか、あるいはどういうふうに配置するかという、ややかなり法制的、あるいは法制局的な問題点も含めて、いろいろな角度から指摘していただきまして、ありがとうございました。
行政訴訟の本質論というのは実は昭和37年制定の行政事件訴訟法の検討の法制審議会でも大分、議論がありまして、結局はそれをやっても意味ないからやめようという、そういう柳瀬、田中、雄川、三ヶ月先生辺りの論争があったことを思い出します。そういうことを思い出しますと、今の小林参事官のご批判に対して、田中先生だったらどういうふうに返事するかなということを考えながら、伺ったところもございます。
そういうことで、なかなかかなり専門的な問題と、それから行政訴訟の本質という言葉を使われておりますけれども、要するに行政の活動に対して、国民の権利救済の実を図るのには、どうしたらいいか、あるいはその場合の訴訟は普通の民訴とどのように一番違うのか、という根本論のご指摘もございました。私といたしましては、あまり法制的な、技術的な点は最初の第1読会のときにはしていただかなくて結構ではないか、たとえばこういった抗告訴訟の類型を具体的に認めるのが法制的にどうかというような議論よりは、たとえばでございますけれども、これは今日は大体こちらの方でいたしましょう、フリートーキング参考資料ではなくして、今日配っていただいている、今、小林さんが読み上げたこちらの方のページで申しますと、たとえば最初の方で6ページのところで見直すべき点があるかどうかという点について、率直なところ法制的にどう実現するかは別として、こういった点はやはり見直すべきではないか。あるいはそれが判例の所産であるかということもありますけれども、その判例の所産であるかどうかは別として、今まで、そういうプレゼンテーションがあったこと、あるいは外国法制もいろんなアテンドの結果のご披露があったことを踏まえると、この辺はやっぱり自分としては何が一番気になるか、という点を率直にお話いただきたいと思います。また、その過程でいわば各論的ないろいろな項目がございます。このいろいろな項目はこの検討会で出された項目をずうっと書いておりますので、かなり細かな問題も入っております。
たとえば、これはやや専門的な話ですけれども、15ページの⑧の結果除去請求権はどうかとかですね、それから補助金の請求についてはこれはどうするかというような、非常に細かな点もございますが、あまり細かな点については本日、立ち入ることはできないかと思いますけれども、こういった各論的な問題提起についても、どうぞ自分はこれはこう思うというふうなことをおっしゃっていただいて結構かと思います。
そういう意味からいたしますと、今の小林参事官のプレゼンテーションを前提にしながら、皆様方のご意見を賜りたいという点としては、何も前からずうっとやっていくわけではなくて、6ページの①についての例として、後の方の類型といいますか、そういった主張を認めるべきではないかという、そういう総論と各論の一緒の話ももちろん歓迎いたしますので、よろしくお願いいたします。また、従来、ともすると、この会議では職業柄と申しますか、職業意識に目覚めて、学者の方、弁護士の方のご意見の表明が多くなるところがありまして、行政側といいますか、裁判所側、あるいは役所側の委員の方々は少し控えておられるようにも思いますけれども、この段階に至りましては控えていれば、そのままもう無視をして、過ぎ去るということもありますので、どうぞ裁判所の関係の方も率直なご意見をいただきたいと思います。
それから、やはり話がなかなか法律的な、やや抽象的な、あるいは概念が前提としてのいろんなご議論がありましたので、少し、一般の方には、この道の専門家でないと当面とっつきにくいこともあるかもしれませんけれども、現段階では自分はこんな感じを持っているというそんなことでもよろしゅうございますので、どうぞ率直なご意見、あるいはご感想をいただければと思います。
それではまず今の、小林さんのなかなかプロヴォカティブな説明だったので、まず小林参事官の意見をやっつけたいということもあるかもしれませんけれども、今回はぐっと抑えて、抑えながら、まず先ほど申しましたように6ページの①のところから入ってまいりましょうか。どうぞ、福井委員。
【福井(秀)委員】行政訴訟の存在意義に関わる話ですが、現在の行政訴訟は権利救済と適法性コントロールと、いわば2兎を追う形の制度になっています。そこがはっきりしないという印象を、ずうっと議論を従来聞いていましても、持っておりまして、一般的に公共政策では、目的が2つ以上あるときには手段も2つ以上用意せよ、というのが基本定理としてあるわけです。行政訴訟は2兎を追って、一つの取消訴訟、という手段でコントロールしている。結局、一体どっちにウェイトを置くべきなのかということをいわばアナログ的に調節して、2兎を追って、両方を追えなくなっているという困難に陥っているのではないかという印象があります。司法審議会の意見書でも、行政のコントロールが提起されていることもあり、目的を分けて、権利救済のために役に立つ行政訴訟のあり方なり、制度改正の方向と、それから適法性コントロールのために役に立つことと、一応概念として分けて議論していく方が生産的ではないかという印象をもっております。
そういう観点からしますと、権利救済ですと、主観訴訟の充実ということが課題になると思います。主観訴訟という観点で考えると、ある私人にとっては自分の権利が毀損されたということが問題なわけですから、個人にとっての効用の毀滅というのがやはりベースにあってしかるべきだと思います。今の行政訴訟と民事訴訟とを対比すると、ある側面では非常に民事より手厚く、重装備だし、ある側面では民事ならこういう場合に当然に訴えができるのに行政では跳ね飛ばされる、という、ある面では過剰、ある面では過小というでこぼこが随分あります。これが2兎を追っているためにどっちつかずになっているということの反映のように思われますから、できるだけ民事ならどうなのか、もちろん民事がおかしいなら民事も変えてくれということもここで言ったっておかしくないと思いますが、適切な民事の主観的救済のあり方と対比して、行政がいわば過小でも過剰でもない、同じような困っている人に同じような救いの手を差し伸べるという仕組みで整理していくことが、主観訴訟の場合に重要であり、権利侵害の契機を重視することになると思います。
もう一つの適法コントロールの観点ですが、適法コントロールというのは今のご議論、あるいはご説明からしても司法ではないということになるのかもしれませんが、だったらそれは司法ではないと割り切ったとしても、では政策としてやるべきかどうか、という立法政策論、ないし司法政策論として考えていく方がよいと思います。憲法から当然に派生するものではないかもしれないけれども、アメリカのようには法律上の争訟の概念が広くないという解釈を直ちには変えられないとするならば、客観訴訟として端的に、計画統制やあるいは納税者の利益を守るということは司法の概念には入らないかもしれないけれども、行政訴訟改革の一環として拡充していくかどうかという議論ではないかと思われます。
たとえば納税者訴訟の議論も出ています。私は検討した方がよいと思っていますが、こういう公金の違法支出について、おそらく最後の砦として、司法権ではないかもしれないけれども、裁判所がコントロールすることは、法的統制という意味では、比較優位があり、会計検査院にはできないことが、実現できるという蓋然性はあるわけです。また環境・計画に関する事項でも、個別の利益、ある1人の利益をとってみれば主観訴訟では熟度がないけれども、トータルすればやはり甚大な健康被害や環境阻害をもたらしているような場合には、先ほどのイギリスのお話ですと、ブランドのある団体でないとだめだという議論もありましたが、それはちょっとおかしいと思うので、やはり本当にそれが積み重なって、誰かだけではなくて、社会的な効用を毀損しているのかどうかという観点でコントロールできる手段もあってもよいと思います。司法ではないかもしれないけれども、端的に計画環境統制訴訟という類型を認めてもいい、とも考えられます。できるだけ目的に応じた手段ということで、機能分離をしたアプローチをしていくのがよいと思います。
【塩野座長】どうもありがとうございました。年来のご主張だと思いますが、ただ、私の知る限りでは外国法制の検討の結果は必ずしも、それをきちっと各国で分けてやっているものではない。アメリカでは日本人が客観訴訟と考えているものを主観訴訟ということで、あるいは司法権の範囲で全部考えている。しかしやはり日本から見るとなかなかおもしろい制度があるな、ということにもなります。
それからフランスも客観訴訟ということで日本人は整理してきましたけれども、橋本報告にあるように、フランスではやはりそれは主観、日本流の言葉を使えば、主観訴訟。その中で、やはり地方公共団体、地方自治体レベルでは納税者訴訟という、日本に対応するものを考えているけれども、しかし国レベルではなかなかそうはいかないということでございましたので、そういった外国法のせっかくの成果も踏まえて、議論をしていただく必要もあるかと思いますが、ただ私は福井委員のご意見に何でも反対というわけではありませんで、議論の進め方としてはそういったこと充分、私も理解をしておりますけれども、直ちに福井委員の意見に沿った形で議論を進めるわけにはちょっと今までの流れからいって、いかないのではないかという感じがいたします。
それから、もう一つは、主観訴訟の場合には普通の民民の訴えと行政と、それから私人の訴えは同等であるべきだと、これもまた福井委員の年来のご主張ですけれども、そこも外国法の検討から見ると、やはり行政権限の行使の場合にはいろんな点で違うと。どこがどう違うのかはこれから議論していくわけですけれども、特に裁量の問題とか、証拠の出し方の問題、そういった点に違いがあるということが段々、各国を調べて分かってきた、ということもございますので、ここは是非議論に乗ってください。そういった主観訴訟は民民とまったく同じであるべきだと。ある意味では手厚い、ある意味では少なすぎるということで、どうも比較法の検討は割り切れないのではないかという印象を私は思っております。ただ民民との間の争いについて、それじゃなぜ、そこをそんなに違えなければならないのか、という点については充分議論をし、違える必要がないということであれば、違える必要がないということになろうかと思います。議論の場を狭めるつもりは全くありません。
【福井(秀)委員】外国法は確かに参考になるのですが、あくまでもその国に固有の制度として発達してきたものですから、外国にあることはもちろん参考にはなるけれども、それが直ちに日本にとってベストなパラダイムではないということはあります。そういう意味では外国で、もしさらに不自由に感じていることがあるのであれば、今度日本が変えるときにわざわざ、その不自由を真似する必要はない。やはり日本の制度として、どう構築するのが望ましくて、外国法のどの部分を参考にすればいいのかと考えるべきであって、要するに大数観察をして、外国がこうだったから、それに合わせないといけないという必要はないと思います。
【塩野座長】それは全くそのとおりのことですので、どうもありがとうございました。どうぞ、芝池委員。
【芝池委員】今の福井委員のご意見なんですけれども、確かに客観訴訟の充実はそれはそれで立法政策といいますか、今度、新しい行政事件訴訟法が出来た後の立法政策の問題として、そういうことも考えることができると思うのです。ですから、問題はいわゆる主観訴訟と言われるもののあり方をどういうふうに考えていくのかということがこの検討会での課題になるだろうと思うのです。その場合、福井委員のように主観訴訟をもっぱら主観訴訟として、権利保護の見地からのみ捉えることについては私は疑問を感じております。
一つは、たとえば環境訴訟一つとりましても、これは両面を持っているだろうと。両面といいますのは個々の環境訴訟が権利保護と、それから行政統制、両面を持っている、ということが充分に有り得るわけですね。それから環境訴訟の総体を考えますと、その中にはやはりそれぞれの面を持つものがあるだろうというふうに考えるわけでありまして、ですから行政訴訟を権利保護に割り切るというのはちょっとできないのではないかというふうに思っております。
それから、その点に関係するのですけれども、訴訟を起こす人の立場から言いましても、取消訴訟を起こす人が単純に自分の権利保護だけを考えているということはないと思うのです。多くの場合、行政が良くなるように、将来、間違った行政が行われないようにという期待を込めて行政訴訟を起こす場合が多いと思います。その点におきましても、主観訴訟を権利保護の見地からのみ捉えるのは適切ではないというふうに考えます。
それからもう一つは先般、行われましたパブリック・コメントの結果を見ておりましても、やはり行政統制の見地から現在の訴訟制度の充実といいますか、発展を図って欲しいという声が多いと受けとりました。ここでの一つの議論のベースになりますのはやはり先般のパブリック・コメントの結果でありまして、そういうものを全く考慮しないで、自分自身の意見だけを述べるというのはいかがなものかという感じがいたします。
【福井(秀)委員】かみ合っていないと思います。
【塩野座長】ちょっと別の方の意見も聞きたいので、また、あればペーパーでも出してください。
それでちょっとあまり学者っぽい議論ばかり続いてもあれですので、先ほど私が申しました、何が一番足りないと思うか、どこを改正すべきか、あるいは裁判所の運用のどこが一番おかしいというふうに考えているか。そういったところから今の一般論をまた展開していただければ、大変ありがたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。今の運用の仕方についてのご疑問があればどうぞおっしゃってください。よろしいですか。
【小早川委員】進め方ということであれば、そういう意見を言いたかったんですが。よろしいでしょうか。何が問題かということを1人1人、お尋ねになるのは大変いいやり方だと思いますが、その際にこのペーパー、検討資料、前の参考資料、それから今回、それにさらに付け加っておりますけれども、印象として、先ほどの小林参事官のご説明もそうなんですけれど、法律をつくるときに訴訟法の頭でどういうふうに整理したらいいだろうかという、大変失礼な言い方だったら申し訳ないのですけれども、そこが先に来ているような気がするのです。私はやはり、前にも申し上げたことだし、審議会でも同じことが言われていますけれども、一般国民が今の行政訴訟に何を期待し、それにも拘わらず何がフラストレーションになっているか、という、そこの具体的な感覚、感覚まで行かないかもしれませんけれども、事実を共有するということが必要だと思います。だから、今も出ていますように例えば環境訴訟、それから街づくりの争い、そういった問題で、今までの議論とちょっと関係しますけれど、住民としては自分の権利、利益の問題なんだと。しかしそれは自分だけの問題ではなくて、非常に広く、広がりのある問題で、そういうものについて、訴訟を起こしたいんだけれども、今の訴訟制度ではうまくいかないというようなところはやっぱりあると思うのです。これで出てきたところですと要綱に基づく補助金についてどうなのか、これはやっぱり行政が公の目的で制度をつくってやっているけれども、その制度がたまたま法律や条例じゃなくて、要綱だということで、それで救済の道が突然なくなるというのはいかがなものかという感覚、これはまたよくわかるわけです。そういうレベルの、何が今求められているかというところですね。さらに言えば、通達、要綱等を争わせてはどうかなんていう、こういう問題設定がありますけれども、これも非常に抽象的です。通達といっても一体何が問題なのかということで、長野勤評みたいに、取消訴訟でいけそうだから、事前に争いたいという、そういう教員の立場をどう考えるかと、そこが問題なんで、通達一般が問題というわけではないと思います。そういうレベルで先ずは議論したいなと思います。
【塩野座長】そういう趣旨で、6ページの①のところで自分が今、何を一番問題にしているか、たくさんあると思うのですね、だけどそれを全部ご開陳いただいたのでは大変ですので、率直なところ、自分としてはたとえば都市計画についていろいろ不満があるのはどうもうまく処理されていないのではないかと思うという、その程度でも結構でございますので、ご意見をいただければというふうに思います。あるいは裁判所の方でやっていて、やっぱりここはどうかなと、制度は制度でもよろしいですので、通達であるという一語でこれはもうだめだというのではなくて、場合によっては通達に違法確認ぐらいはどうかなと、具体的な例を頭に持っていきながら、御発言いただいてもよろしいと思いますが。
【市村委員】私も検討の方向というのは、今、小早川先生、芝池先生がおっしゃられたような方向で賛成でございます。ただそれでは、じゃ、どこに国民のフラストレーションがあるのかという点については、それ自体が非常に広範な議論でありまして、それをどうまとめるかということが非常に、問題をつくりだすのが難しかったと思うのです。別に私は事務局を擁護しようとするわけではございませんけれども、事務局は今まであった議論をずうっとそれをはめ込んでいくと、こういう順番になるのではないかといってつくっていただいたのが、今回のペーパーではないのかなというふうに思います。ですから、そういうものに沿ってということでも、どんどん脱線しても構わないと思いますが、とりあえずのテーマとしては具体的な形で、たとえば今の通達の問題でも、通達一般についてという形ではなくて、おそらく議論になればこういう場合には何らかの争訟性を持たせないとおかしいのではないかということは出てくると思うのです。そういうものを通して、その上位の抽象的な規範としてはどういうふうなものがあるかとか、それでは、広く取り込みすぎになるとか、あるいはそれでは狭すぎるとかいう議論がきっと出てくると思いますので、このペーパーの中であるものの中で今の議論をとりあえずやってみたらいいのではなかろうかなというふうに思います。裁判所の側から見て、特に何がという話でございましたけれども、私ども、やっぱり司法固有の中の作用が従前、充分に行われていないという指摘は非常に重く感じて受け止めなければならないところでございますので、是非本来の固有の司法作用、少なくともそれはできるだけ国民に使い勝手良く、権利救済が必要なものであれば、できるだけきちんと権利救済ができる制度に改めていただきたいというところは強い希望を持っておりますので、そういうところの改革を是非、最小限手をつけていただきたいというふうに思います。
【塩野座長】どうもありがとうございました。
【水野委員】議論がちょっと抽象的なので、どういう発言をしてよいか分からないのですけれども、そもそも行政訴訟というものをどう考えるべきか。行政訴訟には権利救済と適法性のコントロールという2つの目的がある。これについてはさっきから議論がありますけれども、権利救済と適法性のコントロールというのはなんとなく別の目的みたいな印象をこれまで持っていたのですが、しかし権利救済、いわゆる主観訴訟は権利救済であると同時に、違法な処分を是正するわけですから、適法性のコントロールでもあるわけで、いわゆる客観訴訟と言われているものについても、外国法とかいろんなご報告を聞きますと、やはり程度は低くとも主観的な利益が入っている。ですから、いわゆる住民訴訟だとか選挙無効の訴訟なんかも今まで客観訴訟というふうに考えてきたのだけれども、主観訴訟と言ってどうしていけないのかという気もするわけです。従いまして、2つの目的というのは非常に相対的なもので、これはこっち、これはこっちと分けることはなかなか難しいのではないか。2つを截然と区別する意味がどこにあるのか。主観的な利益というのをもう少し柔軟に考えるべきではないかというのを今回の外国法の報告の中で感じたところです。
今、議論になっているのは行政訴訟の対象をどうするかという議論だと思うので、行政訴訟の対象については幅広く、対象を広げるべきである、これは基本的にその方向でいくべきだというふうに思いますが、ただ問題なのは、その議論だけでは解決しない。たとえば取消訴訟の排他的管轄といった議論がある、出訴期間の問題もある。そういったものとの絡みで考えないといけないと思うんです。つまり、行政訴訟の対象になるものが、民事訴訟が排除されるとか、あるいは出訴期間にかかるということになるのであれば、これは対象を極めて狭くしなければいけないという議論になるんでしょうし、それはそれで幅広くしておいて、そして、仮に出訴期間を設ける、あるいは排他的管轄の認められる領域を残すとしても、それはそれでまた別の判断で画するんだといった議論であれば、これは幅広くしたらいいという議論になりましょうし、その辺りの議論と絡んでくると思うのです。私は基本的には今述べた後の方の考え方で、行政訴訟の対象を広くする、他方、したがって、同じような裁判が民事訴訟でもやれる。両方やれるということにしておいて、行政訴訟の対象を広くする、しかし、他方で、仮に出訴期間を設けるとすれば、出訴期間を設ける範囲は幅が広がった行政訴訟全般ではなくて、本当に必要な部分だけに限る。そういった議論をするべきではないかと思っております。
【塩野座長】その点はまた取消訴訟のところで、もう一度、当然、やることになるとは思います。1人1人、別にこちらからお願いするという趣旨でもございませんけれども、何か今の段階で、ございますか。成川委員、どうぞ。
【成川委員】来るたびに勉強してこないといけないと思いながら、あまり勉強してこなくて大変申し訳ないのですが、この間の欧米なり、ドイツ、フランスと日本との行政訴訟との違いを聞かせていただいて、大変参考になったというのが率直な気持ちです。というのは日本の今までの判例で、何故日本では大体、退けられたり、却下されたりしているのは、欧米なり、あるいはドイツ、フランスあたりで、これは一応ちゃんと行政訴訟として、当然訴訟になるよと、こういう判断が専門家によってアドバイスが出てきたわけなんで、なぜ日本では大変狭いのかと、その根拠を私なんかもう一回ちゃんと抑える必要があるなと、こう思っておりまして、やはりその根拠があれば、それはそれで、かもしれませんが、やはりどうも今、そういう主要国と比べて日本はどうしても狭くなってしまっているという根拠に、大変やはり合理的な理由がなければこれはしっかりと改めていかなければいけないと、こんなふうに思っているのです。そのときにこれは全くの印象なんですけれども、私達、国民が裁判を受ける権利、これは広くしっかりとしなければいけない。そういう視点から見たときに、どうも日本の場合狭いというのは、どうも国民の裁判を受ける権利が、どうも行政の特殊性なのか、あるいは特別な行政の位置付けでもって、制約されていると、こういうことがあると問題だなと。その点はなぜ、そうなっているかというところをちょっとしっかり私としては何らかの理由を明確にしたい、また、そういう点で意見も言う必要があるのではないかと、こんなふうに思っております。それで図なんかも出していただいたのですが、この図でさえも、日本の行政訴訟の範囲が大変狭くなっているわけなんで、その辺が本当に根拠があるのかどうかというあたりを私としてはちょっと整理しながら、また議論に参加したいと、こう思っております。
【塩野座長】どうもありがとうございました。なぜ、少なくとも表面的にグラフを描いてみると狭くなって、円グラフを描くと狭くなっているのかという点については、それぞれ学者、それぞれに自分で考えはあるかと思うのですが、こういう場面であまりそこを率直に説明したものはないと私は思います。そこで、どうですかね、どなたか。やっぱり成川委員からそういったご質問が出た以上は、やっぱり学者として、あるいは裁判をやっておられる方の方から一度はご説明がないといけないのではないかと、お前がやれと言うのなら、やりますけれども、しかし座長があまりでしゃばるものではないと思いますので。そんなに学問的にぎりぎり詰めなくても、なぜ。
【小早川委員】日本の行政訴訟がなぜ、国民の要求に応えられていないかということについて、私は一つはやっぱり官憲国家的伝統があって、行政は行政庁にまかせておけば大体は安全なのであって、よっぽどのことがある場合に裁判所の救済を用意しておけばそれで足りるという発想が一つあるのではないかと。それからもう一つはよっぽどの場合ということなんですが、これはむしろ戦後の日本の行政訴訟が先ほどの小林参事官のご説明にありましたように、司法に一元化されたということで、その際にしかも民事訴訟の特例というふうに位置付けられた、それはそれしかなかったのかもしれませんが、その結果、民事関係で保護されるべきであるようなそういうかっちりした権利、財産権が主だと思いますが、それともちろん人身の自由も含まれますけれども、しかしかっちりとした権利を行政権に対して保護すると。そこに行政訴訟のミッションのコアがあるというふうに考えられて、その結果、その周辺領域の行政が様々に国民生活に関わっている部分が捉えきれなくなっているのではないかというふうに思います。
【塩野座長】ありがとうございました。これはまた改めてきちんと整理した方がいいかと思いますけれども、今日の成川委員のご質問にとっさにお答えするとなると、私は田中二郎先生の意見をいつも思い出すのですけれども、田中二郎先生の司法権の限界論には2つの筋がありまして、一つは行政庁の第一次判断権の尊重ということで、これは官憲というか、要するに日本の国家の運営を今のところは、当時ですからね、戦後のことですけれども、当時はやっぱり行政が引っ張っていかなければいけないだろうと。それについて司法が非常にチェックするということになると、日本の戦後復興なりなんなりが、阻害を受ける恐れがあるのではないかという、非常に機能的な行政庁の第一次判断権の尊重がありました。もう一つはこれも大変機能的な話なんですけれども、これも田中先生がしょっちゅう言っておられたことは、裁判所は政治に介入してはいけない。それは何を一番考えておられたのかよくわかりませんけれども、よく私にお話しになりましたのはドイツでワイマールの危機が起きたときに、ナチスが何をやったかというと、シュタッツゲリッツホフと、ドイツ語でいっておられましたけど、それをまず血祭りにあげたということで、それはシュタッツゲリッツホフという一種の政治的な裁判、つまり司法が裁判に介入すると政治はまずそこを血祭りにあげると。そこを注意しなければいけない。それは日本国憲法ではそういうことは有り得ないわけですけれども、しかし裁判所への政治的な、人事を通じてだろうということを心配しておられたのだろうと思いますけれども、その介入を恐れていたと。その2つの大筋が一番ありまして、それからただしもう一つは日本が縮こまっているというところで、田中先生はそのことはあまり強調しておられないのですけれども、もう一つ付け加えるのはこのポンチ絵で、給付の訴えのところに国家賠償が入っています。これは実は日本の国家賠償はかなり広く、また深く賠償制度が成り立っている。外国では救えないようなものでもここでかなり、あるいは原告適格等々、取消訴訟なんかで救えないものをこちらでかなり救っているという状況があります。少なくともドイツよりは日本の方が広いのではないかと私も思いますけれども、ただ国民の権利救済を公平に見るためには国家賠償もきちんと押さえなければいけないというふうに思います。ただ最近、最高裁判所のリーダーシップの下に国家賠償が私の目から見ますと、適法性の審査を抜きにした非常に民事的な動きをしておりますので、それが続く限りは私はあまり国家賠償制度は重視すべきではないというのが今の結論ですので、それがややもう少し適法性の審査というところをクリアーするような仕組みになっていれば、かなり日本の国家賠償制度は適法性の審査にも役立つものとして運用できるはずなんですけれども、そこはちょっと今歪みが生じているということは申し上げておきたいと思います。
まだ他にもいろいろな理由はあろうかと思いますが、さしあたりこういった点が、先ほどの小早川委員のところに付け加えるという意味で、申し上げておきたいと思います。
そこで大体、皆様方の考え、共通しているところがあるのですけれども、じゃ今のようなことで具体的にどの辺が、というのはやはりどうも伺っていると、個別の問題に入らないとなかなか、いかないのではないかという感じもしますが、ただ、これをちょっとご覧頂きますと、お分かりになりますように、必ずしも抽象的な訴え方をしているわけではないのですね。たとえばイのとこですけれども、先ほど通達というような問題が出ておりますが、これも通達一般という形で従来、捉えてきたので、一発で駄目になると。通達は駄目。ただこの設定の仕方は紛争の成熟性を前提にこれを争わせるべきとの考え方、というのはこれはまさに私はそっちの方は素人ですけれども、紛争の成熟性と申しますと、個別具体な問題として出てきているわけでして、それから法令のような場合でも、あるいは内部的な、内部運用なる行為ということを申しましたが、そういった点でもう少し、今までは抽象的な段階で通達は駄目とか何とか言われていたことを、あるいは行政指導は駄目だとかいうふうなこともあったけれども、たとえば12ページのところを見ますと、いわゆる処分以外の機関の行為を対象とする行政権限違法の確認の訴えというのも、これもまたそういった具体の、たとえば行政指導のような場合でも、単に行政指導だからどうかというのではなくて、これも各国の紹介がございましたけれども、確認訴訟の段階で取消訴訟では救えなくても、こちらの方で個別具体の事例に即した形での確認訴訟ができるのではないかというような問題の指摘が出ているわけです。私としましては、そういう今までカテゴリーで切ってきたものについて、個別の紛争に即した形での解決の仕方、ということについて、もう少し考えてみるべきではないかという感じがいたしますし、また先ほどの小林参事官の話も通底するところはそういうところがあるのではないかというふうに思います。類型としてこう掲げているのだけれども、それはそれで全て紛争はこれで解決するということを言っているはずのものではなかったんだけれども、そこがどうもカテゴリーで判断してしまったということで、そういったもっと柔軟な、あるいは個別の救済に即して、かつそこで違法な問題が出てきますから、違法のチェックができるという、そういったことをもう少し考えるべきではないかというのが一つ、抽象的なことで出ております。そうしますと、具体的に言えば、例の計算尺なんていうのは、今だと市村さんのところだったら認めてくれるんじゃないの、ということを感じております。そういった具体例はまだ、行政指導でも、しつこい行政指導についてはある段階で無効確認、損害賠償請求という形ではなくて違法確認だって、やったっていいではないかという感じでこれが読み取れるというのが私の理解なんですけれども、深山委員、その辺は私、読みすぎですか。
【深山委員】いえいえ、読むのが、読みにくいというのが私、この資料に対する一番の不満で、前に私がいろいろと詳しい資料と、詳しい資料ということだけは間違いないですね、ですが、これは非常に素人分かりが悪いといいますか、もう少し最初のうちは立法事実、前にも言いましたが、ここの場で、こういうことは今度はきつく言いましょうとか、こういう判断はできるようにしましょうとか、そういうことを最初のうちは議論した方がいいんじゃないかなという感じからすると、あまりにもプロ向きではないかなと。それと付いている資料たるや、全部読みきれませんでしたが、いろいろ細かな条文までいろいろと書いてあって、こんな条文まであるのですかということも含めて、非常に読むのも大変ですし、それから客観的叙述に努めすぎたせいか、何を議論して欲しいのか、よく分からないと。準備も皆さん、どうされたのかなと思って、今日の議論はどうなることかと思ったのですが、塩野先生が言われた、せっかく、最高裁で問題判例と言ってはいけないのでしょうか、疑問が提起されている判例もピックアップしたことでもありますし、先ほどの計算尺の判例も、昔読んだ記憶があることも忘れていましたが、改めて読むとこれひどい話で、何でこれ救済できないのかなと、通常の理屈では、という感じが普通する感じのケースですね、古い裁判例ですけれども。あういうここの場で、必ずしも専門家でない方も含めて、こういう事態は何らかの形で解決した方がいいですね、と言えるところが10箇所、20箇所出てきて、その外延は、あるいはそのためには紛争の類型を増やすことなのか、取消訴訟の原告適格を拡大することなのか、何なのかはその次の問題だと思うのですが、司法制度改革審議会の投げ掛け方が非常に抽象的に投げられているものですから、どうも議論がしにくいのですが、普通の立法というのはこういうこととこういうことがおかしいから、変えたらどうかとか、こんなケースを救えないのは手続がおかしいから変えるべきだとか、そういう経済会や政治の世界からのいろいろな声があって、立法に動いていくというのが普通の立法だと思うのです。今回は初めが改革審の意見書からという非常に抽象的でまとまりのある形の意見をぽんと投げられて、後はそれを具体化せよという話になっちゃったところにちょっと話がしにくい原因があるので、この辺り、やはりこういうことは塩野先生が言われたように、読めば読めると、この中でも、と思いますが。そういう形でこれだけはせめて救えるようにしましょう、これは救済できないとおかしいですね、という辺りの合意ができるところがどこまであるかを少し一当たり議論してみて、そのために訴訟類型を考える必要が本当にあるのか、この中には相当程度、取消訴訟の、今のところ、拡大するなり、もっと言えば運用だけでもいけそうなところも含めてあって、全部が新たな訴訟類型うんぬんという話ではないような気もするのです。その一つ前を是非、議論できるような何か、議事進行していただければ議論がしやすい、こういうケースについては今までこんな理屈で駄目だったけれども、それは救うべきなんだという話になれば、後はそれは理屈をどう考えるかということです。
【塩野座長】実は私、今日、それこそご専門の方からこの①を見て、自分はこの判決、あるいはこの事件は、こうおかしいんだから、それはやってくれということで問いを投げかけたつもりではございますけれども、それともう一つはやや最初は少しふわっとした形で出ますけれども、どうせ今度は個別の問題に入りますので、最初から、どうですかね、大阪空港訴訟、どうか、なんていうことを持ってきてもちょっと難しいので、こういう形でまずご披露をいただいたということで、まず私としては具体的な事例はぽんぽん出して頂くということも考えていたのですが、ただなかなか、やっぱりこの席で、すぐにあるいはご用意いただくのもなかなか大変だと思いますので、もし今の深山委員のご発言はそういった具体事例、問題事例を事務局の方で出しても構わないという、あるいは出すべきだと。
【深山委員】これは全部やるとか、何らかの手当をするとかしないとかいうこととは別に素材として、こういう例がある、公刊、しばしば救済が狭いのではないかと、あるいは日本の行訴の実効性が上がっていないという例として言われるものをずらっと挙げてしまっていいんじゃないかと。
【塩野座長】最高裁の問題事例は出ましたが、あれ以外という。
【深山委員】先ほど、先生言われたようにどこで引っ掛かったのかということを改めて検証してみないと。解決の方法はしかし、別の切り口もあると思うのですが、それは新たな類型を設ければ、それっきりだと、判例自体は原告適格の問題を捉えてもですね、ということがあるにせよ、何かそういうところを初期の段階でひと当たり押える、あるいは議論する、あるいは説明をどなたか専門の方にしていただけると、私なんかすっかり忘れていますので、非常にありがたいと思いますが。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それは事務局の方でも今まで随分いろいろと準備してもらいましたけれども、問題判例はできているから。
【市村委員】現実に判決を書いている立場から言わせていただければ、判例というものは、その具体的事案の最も妥当な解決はなにかということ、これを主眼にやっているわけですが、その時代その時代で、いろいろ概念も社会状況も変わっているわけです。だから、一般抽象的に同じような事案を今だったらどうかという形で取り上げるのなら構わないと思いますが、過去の判例を次々もってきて、これは狭すぎるじゃないかなどとそのレビューをやってみても、ベースが違うので、意義は乏しいと思います。そういうことよりは、将来的なものとして、新しい問題が出てきていて対応できないもの、例えば計画行政の問題なんかについて、その当時はそういう考えでもよかったかも知れないけれども、今、それと同じ射程では困るのではないか、というような問題をどんどん見つけて、それを素材にやるという方が、これから先の訴訟法の検討をするのには建設的ではないかと思います。
【福井(秀)委員】過去の判例の中にも、この事件のこの判決が悪いというわけではなくて、こういう行為について救済が与えられなかったのはどうかという、ある程度定式化、一般化できるものが多いと思います。それと計画などの新しい類型の具体的行為類型なり、行政類型で、こういうケースで救済がエアポケットになっているのではないかとかいうことを示す一覧表があった方が議論しやすいという気がします。
【塩野座長】はい、わかりました。今までのいろいろなご発言の趣旨とそれから、今まで大体こういう方向で検討会を進めてまいりますというところとドッキングさせていただきたいと思います。と申しますのは、その度ごとにいろんなご意見が出て、では次回はこれをやりましょう、次回はこれをやりましょうでは到底、この会議、終わりませんので、今までは大体こういうやり方で進もうというご了解を得ておりました。しかし、やってみると、こういう点が問題だということで、またご指摘がありました。両方のことがございますので、申し上げさせていただきたいと思いますが、今までは皆様方から、それぞれの問題意識を背景にしながら、やや抽象的にいろんな問題を出していただきました。それがこのフリートーキング参考資料でございます。これに基づいて、逐次、上から議論をしていこうということでご了解を得ていると思います。その際にはしかし深山委員からご指摘がありましたように、一般の方にもおわかりになるような形で、材料を出していただきたいという、そういうお話でございました。
今日、そういった具体的な資料はなかなか出にくいのはやはり、類型立てましょうかとかですね、行政の対象は何でしょうかというこの第2の問いかけがややそういったものでしたので、今日の小林参事官の説明もこういうものを考える基礎的な物の考え方について、昭和37年の行政事件訴訟法の考え方を批判的に検討をして、むしろしていただいたわけで、私の考えるところでは要するに行訴があういう形でできたのであるから、もっと自由にものを考えていいはずだ、日本国憲法の下ではですね。そういうことで、ご提示があったというふうに思います。そこでしかし、またあまり抽象的なこともあれですから、第3で取消訴訟についてというところに判例がやや集中的に出ていて、その際どこがネックだったのか、今から見るとどんなところに問題点があるのかということを、外国はここはむしろもう解釈でやっているじゃないか、外国はしかし、こういうふうに制定法でやっているじゃないかというのが段々に出てくると思います。一例で全くの未成熟な考え方ですけれども、運転免許の停止の期間とかというようなものについてはあれは国家賠償で行けというのが最高裁のサインなのかもしれませんけれども、あれは別にそんなにお金をもらおうというのでなく、やっぱり停止というのはおかしいと、それで自分は大変な心身ともに損害を受けているのだと、それをお金に換算して欲しいなんて言ってのではない。少なくとも違法であったということを確認してもらえば、紛争解決に一番直裁ではないかという議論もできるかもしれません、今の時点ではですね。確認訴訟というのはそういうふうに見てまいります。そういう形で、先ほど言われた深山委員の問題解決の方法が見出せるのかもしれない。
しかし、後はやや法制的な問題になりますけど、確認訴訟はそんなの受けられない、ということになると、じゃ民事訴訟法の議論でも摺り合わせをどうするかと。行政訴訟としては是非そういうものをつくるべきなのか、つくるべきでないか、そういう問題の方に移ってまいりますので、そういう形で、少し次回からは第3の方に移って、取消訴訟をやりながら、実は義務付け訴訟もやれるというような形で、議論を進めるという形の資料をつくれば、深山さん、多少は満足されますか。
【深山委員】ええ、非常に満足です。
【塩野座長】事務局はどうですか。
【小林参事官】取消訴訟のところはかなり具体的な問題になろうかと思いますので、判例とか見ながら、問題点とか、解決の方向性の、フリートーキング参考資料に出ているような解決の方向性のこんなところで、考えられるのではないのかとか、そういうのを事務局なりに考えてみて、メモをつくってみるということでよろしいでしょうか。
【塩野座長】いかがでしょうか、何か。
【福井(秀)委員】行政訴訟の類型に関して、確かに今までのいろいろと検証してみて、こういう類型があり得るというのはあると思うのですが、その場合に、これも深山委員の問題意識と共通かもしれませんが、類型が増えて、かえって使いにくくなるとこれは元も子もないので、類型が増えて、今度類型の特定をするのにまた労力を割く必要が出てきて、結果的に外れだったら、アウトになるということにならないような整理が必要だと思います。実質的救済に寄与するような考え方が非常に重要でないかと思います。
【塩野座長】全く賛成です。
【福井(秀)委員】一つ補足ですが、さっきの権利侵害と適法性の議論、かみ合わないご意見をいただいたので、補足をしておきますと、別に主観訴訟と客観訴訟を全く独立にすべしと申し上げているのではなく、あくまでも現在は主観訴訟と言っても権利侵害の救済を求めるときに違法性が訴訟物になっているわけですから、そういう意味では混然一体であることは当然の前提です。しかし、適法性を独立に強調しすぎると、適法性をコントロールしたくても、たまたま権利侵害された人が訴えてくれないときには適法性コントロールができない、というのではやっぱり適法性コントロールの観点からは非常に領域が狭くなると申し上げたのです。適法性を追求するのであれば、たまたま権利侵害されて訴えてもいいという奇特な人が出てこなくても、適法性がコントロールできるような手段を検討する余地があるし、主観訴訟の外縁をにじみ出して広げるのでは適法性確保には自ずと限界があるという事実を申し上げているのであって、この部分は見解以前の構図の認識の問題だと理解しています。
【塩野座長】わかりました。その点は、先ほど私は誤解はしたつもりはないのですけれども、私の説明ぶりがそれぞれ誤解を与えたとすると、失礼いたしました。
私は先ほど芝池さんも言われたかと思いますけれども、その場合に、司法あるいは裁判機構というものをどの程度、そういった法的な統制のために活用するかと、そういう問題で、行政の統制には他にいろいろなコントロール手段があります。また、最近も段々増えているときに、ここはむしろ福井さんのご専門の費用便益と申しますか、コストをいかにして、小さなコストでいいコントロールができるか、という問題で、司法権を幅広くすれば、それでコスト&ベネフィットが全うされるものではないというふうに思いますので、どういう組み合わせが必要かと、どこまで司法が出てくればいいかということを検討する必要があります。誤解なられないように言っておきますけれども、納税者訴訟なり、国民訴訟というのは、今の段階でやめたとかなんとか言っているつもりは全くありませんので、そういったご意見を充分に承りながら、今後も議論していきたいと思っております。
萩原委員、本当にある意味ではご専門外のことで、お出ましいただいたということで申し訳ないのですけれども、こういう議論をしておりますので、何かご意見があれば随時、お出しいただきたいと思います。
【萩原委員】ある意味で、進め方なんですが、以前にも芝原委員の方から話があったと思うのですが、今、対象とか類型とか言っているのですが、後の個別の議論をしていく中で、ある意味では、それをまたフィードバックして、もう一度見直しをするという、そういうことがどうしても必要かと思うので、何か法律というのは型にはめないと全て進まないというので、何か最初からということになっているようなのですが、もちろんいろんな方がおっしゃっているので、そういうことはないと思うのですけれども、どうもその辺のところ、そんなに最初にこんなに類型だ対象だということで、厳しくやらないといけないのかというのが非常に疑問でして、もうちょっと先に進んで、じゃ対象はどうあるべきなのか、あるいは類型はどうあるべきなのかという、その辺の議論をする時間を少なくとも置いておいて欲しいと思います。
【塩野座長】ごもっともなご意見だと思います。そこで最初にお断りしておりますように、また大体、そういうふうに向かっていると思いますけれども、次回は第3の方を行くと思いますが、ただ今日の議論で細かな議論に入れなかったわけなんですけれども、大体、今までの皆様のご意見を承って、こういう点についてはそんなにご議論はなかったのではないかという点について、やや確認的なことを申し上げてよろしゅうございますでしょうか。そうしないと事務局が、後から申しますように今日の議論をまとめなければいけませんので、そのこともございまして、まず最初の適法性か権利侵害か、というこの点については多数のご意見の方はそこはそう簡単に割り切れるものではないということでご発言もございましたが、しかしそこは別にもう少しきちんと整理すべきだというご意見もあった、ということは事実でございますので、これはご意見があったという形で整理させていただきたいと思います。また、いつでもしかし議論は出てきますし、国民訴訟はいずれ、十分、ずうっと議論はまだ続くと思いますので、今日で打ち切るつもりはございません。よろしいですか。
そこで、行政訴訟の対象の以下のところでございますけれども、①は別として、②以下のところで、もし法令というようなもので、これらの提案について、これは全くやる必要がないという考え方があればお出しいただきたいのですけれども、今日、お伺いしたところでは、たとえばイの通達のところでは、通達だけということでどうこうすべきでないとかですね、それから補助金について、ここはちょっとまだ議論をし足りないので、ここは議論し足りないというふうに整理をしたいと思いますが。
それから客観訴訟を拡充すべきであるという点について、どういう趣旨でおっしゃっているのか、ここはまだぎりぎりの技術論をやっておりませんので、しかし割と主観的なもの、従来の権利侵害に限るようなものでは良くない、というような考え方が多いのではないかと思いました。
それからあとは抗告訴訟の類型、これははなからそんなことを考えるのはおかしいという萩原委員のご指摘もありまして、確かにそれはそうなんで、議論をした後で、これが出てくるということで、これもわざわざこう書いたのではなくて、後ろの方まで考えてしまったから、①の問いが出てきたのだろうと思います。そこで多様な紛争の訴訟類型とか、こういった点については、それぞれ考えるということについては積極的に考えるということではなかろうかと思いました。権限行使の違法の確認もどういうふうに構成するかは別として、問題を提起するべきだということになろうと思います。
無効確認訴訟、これは議論をしていないということで整理をいたします。
それから、差止めとか、この辺については今後、具体的な訴訟の、取消訴訟との関係、あるいは従来の判例を見据え、分析をしながら、フィードバックして、考えていこうということで、これを最初から否定するとか、あるいは最初から肯定するとか、という問題ではなくて、問題としてはもう少し、議論をしていこうと。その議論は改めて独立に取りあげるのではなくて、次回以降の議論の中でできるだけ取り上げていったらいいのではないか、ということでございます。
それから⑨についても導入すべきだという考え方、今日もご披瀝がありましたので、ここはしかし今後の検討ということで、今日別にここで具体的な方向が決まったものではないというふうに理解をしております。
ざっと、そういう形で説明をいたしましたが、何か、今の私の一応の確認について、ご意見、あるいはご質問あれば、お伺いいたしましょう。小早川委員、どうぞ。
【小早川委員】どういうニュアンスでおっしゃられたかによるのですが、11ページの②の辺りの箇所で、「多様な紛争形態が多いから、訴訟類型を設けるべきであるとの考え方があるがどうか」と。これは紛争形態が多様なのは当たり前なのでして、それに一々、付き合って、一つ一つ訴訟類型を考えていくということになると、これは意味のない話なのですが、既に何人かの方からも、今日もご発言があって、むしろ訴訟類型というのはあまり凝らない方がいいのではないだろうかということもあり、私も感覚としてはそう思っております。ただ、結局どうなるかわからないですけど、できるだけ、お風呂屋さんの入口もたくさんにはしないで、あまり入口で迷うような、そういう制度でない方が、できればいいなという感じを私は思っておりますので、先ほどの座長の整理はそうでない方向だとしますと、ちょっと留保します。
【塩野座長】ここは最初にちょっと申しましたように、あまり法制的な、法制局で議論するようなことを考えて議論していただくのではなくて、たとえば抽象性を出ないですけれども、従来の法定抗告訴訟あるいは法定外抗告訴訟、法定外抗告訴訟はあまり認められていないということを前提としますと、法定抗告訴訟、それから公法上の当事者訴訟というようなカテゴリーではなくて、もうちょっとこんな請求の仕方をし、こんな判決を貰いたいんだということをもう少し柔軟に考えようと。それはできるだけ幅広く取り入れたいと思うのです。
そして、その後で、それをどういうふうに訴訟類型として料理するか、それこそ法律の専門家の話でして、先ほど、冒頭に小林参事官からお話がありましたように、類型とすると、どうも日本人はその類型以外は認めないという癖が出てきちゃうので、だけど、類型で挙げておかないと、今度はまた認めてくれないという、最高裁の判決といいますか、傾向がありますので、そこが大変、悩ましいところなので、最後にはそこを何とか決着をつけないといけないというふうに思っておりますが。私が言った趣旨はそういうことで、小早川委員がおっしゃったような悪い意味で申し上げわけではない。
【水野委員】先ほど、どうも①の辺りの議論が中心だというふうに認識でおりましたけれども、座長の最後のまとめは類型まで行きましたので、ちょっと、私の意見を申しあげたいのですが。行政訴訟の対象で、7ページの②のア以下ですが、これは先ほど申しあげましたとおり、どうしても民事訴訟との関係をどうするかという議論が先行しないと発言しにくい部分があるのです。特に、たとえばウの、いわゆる私法形式をとって行われた補助金の配分、こういったものは民事訴訟でいいんじゃないか、しかし行政訴訟でやりたいというのだったら、それはそれでいいんじゃないかという議論になるわけでして、これを行政訴訟にみんな取り込む、しかし民事訴訟はだめよということであれば、行政訴訟でない方がいいという議論もあるのです。そこのことを指摘しておきたいのと、客観訴訟は先ほど感想として申し上げましたけれども、従前、私自身が持っていたような見方ではなくてもいいのではないかということは思いました。先ほど申し上げたとおりです。しかし、そういうものを拡充すべきであるということについては、これは是非ともやるべきだと思いますので、どうすればそれができるかということについては、これから検討したいと思います。
それから訴訟類型については、先ほど小早川委員がおっしゃいましたけれども、訴訟類型をきちっと定めてしまうのがいいのかどうかということについても私自身は若干、疑問を持っております。訴訟類型を定めないと裁判所が乗っからないのではないかという議論もあるのかもわかりませんが、あまりきちっとしてしまうのが、いいのかどうかということについては、もう少し議論をしていく必要があるだろうと。少なくとも柔軟な訴訟を認める。訴訟の類型としては柔軟な形で認めていく。そして、判決の段階で、どういう判決を取るかということについての結論が出る。これは阿部教授がここで言われたご意見とよく似ておりますが、ですからいわば訴訟類型というよりは、判決類型という言葉を使った方がいいのかわからない、というふうにも思うのです。訴訟類型の議論は当然必要だし、どういう形で立法化するのかということはあるかもわかりません。がちがちのものにしないという配慮は必要だろうと思います。
それから、これで行きますと一番最後に納税者訴訟の導入というのがございます。これについては今日はもちろん全然議論されておりませんので、これから先、是非議論する機会を、充分な時間をとって、やっていただきたいと思います。日弁連でも、今、どういうふうな形でそういう制度化すべきか、という具体的な議論をしておりまして、場合によればそういう資料を提出したいと思いますので、これについてはまた独立の議論の場を設けていただきたいと思います。
【福井(秀)委員】行政訴訟の類型、若干、今のご意見とも連続するのですが、やはり行政訴訟に排他性を与えるという前提の下で制度改正をいたしますと、排他性の領域に入るのかどうかということが非常に大きな意味を持ってくると思います。排他性のある領域の中でどこに分類されるのかというのは技術的な問題かもしれませんが、排他性のぎりぎりの外延から落っこちるか、排他性の中に入るのか、というのは、要するに民事の救済を拒絶されるのか、与えられるのかという重大な違いをもたらします。間違いにくい制度にするという意味で、出訴期間がある以上は、その外延がくっきりしている、ということが類型を設ける場合の根本的な条件になると思います。その点を今後の議論でも是非考慮していっていただければと思います。
【塩野座長】ありがとうございました。今の話では間違えないような仕組みも考えなければいけないと。
【福井(秀)委員】そうですね。
【芝池委員】おそらく皆さん、ご覧になっているペーパーが違うのではないかと思うのですけれども、今日の議論があったのはこのフリートーキング参考資料の5ページの、行政訴訟の対象、それから行政訴訟の類型ですね。これは最初の小林さんの行政訴訟うんぬんの問題提起がありまして、それを受けた形で議論されたということになっているのですが、水野先生とか福井さんのご意見というのはむしろ取消訴訟の話ではないでしょうか。
【塩野座長】取消訴訟との関係もありますが、今の、どうせいろいろ出る議論ですので、ご意見として承りましたが。
【芝池委員】かなり一つ先のお話をしておられるように思ったんですけれども。
【水野委員】法令とか通達とかは一応、取消訴訟を念頭に置いているわけでしょ。
【芝池委員】だからそれを確認しようと思ったのですけれども、5ページの行政訴訟の対象の②のところで挙がっている、法令とか通達とかはもう一度取消訴訟のときにもやるのですね。
【小林参事官】これ自体は、事務局でこういう資料を整理したのは取消訴訟の対象とするという前提で考えておりませんので。これは通達とか指導要綱によって、法律上の争訟になる場合であれば、確認訴訟も可能ではないか、ということでこういう問題意識を提示しているのであって、取消訴訟の対象かどうかを議論しているという認識ではありません。
【塩野座長】今の水野委員のご発言は私も大体そのように考えておりますので、事務局の方で整理をしていただきたいと思います。ただ、今後のことも含めて、今日の取りまとめ方について、皆様方のご意見を最後に承りたいと思います。要するにいろいろご議論いただきましたが、今後のご議論の参考にするような、わかりやすい資料を、また念のために、わかりやすいということを申しますが、是非お作りいただきたいと思います。
それから、検討の中で、ある程度議論が進んでいく、何らかの方向性が見えたものができたりしたならば、さらに、また、それに応じた深堀りをした資料を出していただく、というようなことにもなろうと思いますので、事務局には先ほど来いろいろとお願いしておりますけれども、お願いいたします。
それから今日の行政訴訟の対象と、それから類型の話でございますが、なかなか一義的な議論ができるものではありません。それから、今ちょうどお話に出てきましたように取消訴訟の検討を経た上で考えなければならない点も多々、あると思います。ただ、今日いただいたご意見につきましては、事務局に記録をして、今後の検討に繋がるようにしたいと思います。ただ、その際、先ほどから申しておりますように、この審議を円滑、かつ効率的に進めるために、意見が大体一致しているというところ、それから意見がどうも分かれているというところ、それからどうも問題点としては出てきたけれどもまだ議論は充分されていないところ。こういったような分かるような形での整理の仕方、というのもあろうかと思います。こういう意見、こういう意見、こういう意見がありましたということだけではなくて、ある程度概括してまとめて、しかしこういう意見もあったというような反論とか、それから先ほど来、お話のように例えば補助金なんていうのはまだ、十分議論していないではないか、というようなところとか、あるいは国民訴訟というのも問題点としては指摘されているけれども、まだ議論の対象にはなっていない。そういう形で、大体、私が今思っている3つぐらいのカテゴリーで整理ができればなあというふうに思っておりますし、またそういうふうにした方が議論がはかどるのではないかというふうに思います。
ただ、もとより今度事務局がお見せする記述が何らかの意味で議論を確定した、今日の議論を確定したという意味ではございません。議論の客観的な資料としては皆様方のご発言以外にないわけで、それを事務局の方で忖度しながらまとめて出すということで、議論の確定効をもつものではない、ということを前提にした上で、そういった議論のつくり方をしてよろしいかどうか、ご意見を承りたいと思いますが、いかがでしょうか。
よろしいですか。ではそういう形で進ませていただきます。
それから、前回水野委員から今後のスケジュール的なものを示してもらった方がいいのではないかというご指摘がありました。事務局の説明を、資料の7ですか。
【小林参事官】資料7をご覧いただきたいと思います。行政訴訟検討会の今後当面のスケジュール(案)ということで、これまでにご日程をいただいております3月26日の第15回検討会まで、今日を含めまして、8回なんですが、できれば事務局としては、この辺りで、先ほど議論というのはあっち行ったり、こっち行ったりするということもご指摘ありましたし、2回りぐらいの議論はこの辺りでできるぐらいの、流れで議論した方が効率的でなかろうかと思いまして、13回、2月5日ぐらいまでに一通りの、第一読的な議論をした上で、さらにもう1回おさらいに入った方が効率的ではないかということで、このような案を作成して、第13回から第15回まででは2読もお願いできないかと、このように考えている次第です。
【福井(秀)委員】これは時間帯は全部今日と同じ1時半からですか。
【小林参事官】1時半から4時間、5時半までです。
【水野委員】これは最終的な期限といいますか、こういった議論はいつ頃までとお考えになっているのでしょうか。
【松川次長】前にもお話を申し上げましたように、推進計画法上は必要な措置をとるということではあるのですが、皆さんの問題意識としては、意見がまとまるものは是非、法律にしたいという意向が強いようですので、もしそれを前提にします場合には、国会での審議等を考えますと、一応は来年というのは間に合いませんが、平成16年に開かれるいずれかの国会には準備せざるを得ないということから逆算をいたしますと、全部、当検討会で検討されるものを全部、それに結びつけるかどうかという議論は別といたしまして、何らかのものをするということを前提であれば、相当程度、来年のしかるべき時期までにはある程度方向性を出していただかないといけないと。それが夏なのか、秋なのかというのはいろいろやり方によって違ってくると思いますけれども、そんなふうに思っております。
【水野委員】平成16年1月からの通常国会というのが考えられる時期だと思いますけれども、そうだと、おっしゃるように二回りぐらいまではある程度議論ができる。条文化という作業はありますから、その時間というのは見ないといけないでしょうけれども。ですから、3月、年度末までしか日程が決められていないので、こういうことになっていると思いますけれども、4月以降も、月2回でもいいと思いますから、入れていただいて、夏ごろまでにもう少し何度も詰めた議論ができるようなスケジュールをお考えいただきたいと思います。今日、初めて議論しましたけれども、やはり1回、2回ぐらいの議論ではなかなかまとまっていかないのではないかという気がするのです。やはりいろいろな、あっちに戻ったり、先に進んだり、いろんなことやりながらでないといけないのではないか、このテーマについてはこれで今日で決定というわけにはなかなか行きにくいのではないかと。ですからもう少し、議論の日程を先まで考えていただければと思います。
【塩野座長】また、その点は事務局で、日程等は詰めていただきたいと思いますが。何かその他にご発言等ございますでしょうか。
【水野委員】4月以降の日程はいつ頃、お決めになるのでしょうか。
【小林参事官】検討の進め方といいますか、そこら辺についての検討会での進み方にもよることなんですね。国民からどういう形で意見を募集するか、その際にどんな形で意見を募集するか、というような、そういうことも問題になるでしょうし、たとえば行政官庁を呼んで、ヒアリングをするのかどうかとかですね。そういった進め方の問題もあるでしょうし、今後の進め方をどうするかというのはもう少し先にこの検討がどう進んでいくかを見てみないと、それを見ながらまた4月以降、どういうふうにスケジュールを組んでいくかというのを事務局としても考えていきたいと思っていたものですから、まだ具体的なスケジュールは入れていないということです。
【芝池委員】前にもお話しているのですが、もし週2回となりますと、私、来年度は前期に週2回講義が入りまして、なかなか難しいですね。ですからそういう意味では早めに日程は詰めていただきたい。昔の話をいたしますけれども、行政手続法の審議のときには塩野先生からお電話をいただきまして、金曜日は空けろという命令がまいりまして、講義を動かしたという経験があります。もし、そういうことがあり得るんでしたら、早めに言っていただかないと、難しいので、よろしくお願いいたします。
【塩野座長】特に講義に関係のある先生方はね、自分では動かせないところがありますので、その点は十分考えていただきたいと思います。それでは先ほど申しましたように、行政訴訟の対象及び類型は一応今日、ある程度なめたということで、次回はすぐ取消訴訟の方に入りながら、フィードバック、あるいはするというふうな形で、議論を進めさせていただきたいと思います。そういう意味でまた資料をお配りいたしますので、お読みの上で、お出でいただければと思います。ちょっと時間が5分ばかり残っておりますけれども、特にご発言、ございますでしょうか。はい、どうぞ深山委員。
【深山委員】今、小林参事官がちょっと言いかけた各省庁のヒアリングですね、私、法務省から来てるので、何か行政代表みたいな、実は裁判官ですし、権力的な行政はやったことはない。行政訴訟も裁判官のときには関与していない人間ですので、訴訟一方の当事者である被告側がこの場に、総務省の方もおられますが、典型的な被告の方がおられないというのは前から奇異な感じがしてまして、事柄の性質上、ある程度、議論がまとまった段階で、是非全省庁から充分な時間をとって、ヒアリングをしていただくのが重要でないかなと。それをまたフィードバックして議論をまたしていくという過程をどっかの段階では是非お願いしたいと思います。
【松川次長】具体的にはいろいろ相談させていただきますが、今の問題意識は重要な指摘だと受け止めております。ただ、そのことについて、具体的に検討する上で、もうしばらく大体の方向性が出るような議論を是非していただきたいと思います。
【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは今日はこれで終わります。どうもありがとうございました。
|