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行政訴訟検討会(第9回)議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり



1 日時
平成14年11月7日(木) 13:30〜17:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局)松川忠晴事務局次長、小林久起参事官

4 議題
  1. 論点についての検討
  2. 今後の日程等

5 配布資料
資料1 取消訴訟に関する検討資料
資料2 取消訴訟の特色
資料3 行政訴訟制度について(意見のまとめ)(芝原委員作成)

6 議事

(1)論点についての検討(□:座長、○:委員、△:外国法制研究会委員、■事務局)

□本日は、取消訴訟についての検討を行う。取消訴訟に関する検討は、行政訴訟全体の中での位置付けをわきまえつつ、他の救済方法との関連において検討を進める必要がある。独立してそれだけで議論できるものではない。そこで、行政訴訟の対象及び類型に関する前回の論点についても必要に応じて行きつ戻りつしながら検討を進めていきたい。前回でも議論が十分に尽くされたわけではないので、言い足りなかったり、補完するようなことがあれば、発言してほしい。
 芝原委員から資料の提出をいただいているので、説明いただく。

【芝原委員からの資料説明】

○資料1。行政訴訟の問題点としては、(1)権利救済の機会が制約されていること、(2)適切な救済が与えられないこと、(3)行政訴訟が持つ適法性コントロール機能が十分発揮されていないこと、である。それについて、どういう方向で議論すればいいのかについては、(1)権利救済の機会拡大=行政の行為を争う場合と私人の行為を争う場合とで、訴訟へのアクセスの間口の広さがあまりに違いすぎるので、整合性をとるべきではないか、憲法上保護された利益であっても、制定法の規定で言及されていなければ訴訟を提起できないのか、訴えられる側が訴えることのできる人の資格を決める現行法の在り方が問題ではないか、(2)適切な救済の実現=裁判を受ける権利には、最も望ましい類型の判決を求める権利も含まれるはずであり、行政の第一次的判断権を一定程度尊重しつつ義務づけを認めるべきではないか、行政立法や行政計画の審査はなかなか難しいので、手続的な面からの審査をすれば実効性が上がるのではないか、(3)適法性コントロールの拡大=環境問題や消費者問題は、国にとって重要な政策課題とされているにもかかわらず、訴訟ルートでなかなかチェック・コントロールすることが難しいということは問題であり、もう少し議論してもいいのではないか。
 資料2。1.行政活動の違法性コントロール、2.国民の権利利益の救済、の2つの視点から見て、個人としての国民、地域住民・利害関係者としての国民、主権者としての国民に概念を分け、それぞれに、どのようなアクセスルートがあるかを整理した。適法性確保の視点については、現状は拘束力あるルートは、国会等に限られているが、もっと広げる必要があるのではないか。対象についても、行政立法、行政計画等には拘束力ある手段はなく、行政手続法の対象を広げることも考えていいのではないか。国民の権利利益の救済の視点については、裁判所を中心としたルートにほぼ限定されている。対象についても、行政計画、行政立法についてはやはり、行政処分が出る前の段階での早期救済ができないのではないか。
 資料3。取消訴訟について、いろいろなところで、原告としてのリスク・負担または法律的な落とし穴があり、先々でリジェクトされてしまい、勝訴までもっていくには、相当な垣根がある。
 資料4。行政訴訟検討会で行われた外国事情調査結果の報告について、整理した。日本はドイツと同じようなカバー領域になっている。

□芝原委員から貴重な資料をお出しいただいた。これについては、今後の検討の参考として備えておきたい。
 次に、事務局から検討資料の説明をしていただきたい。

■資料1及び資料2についての説明
本日、資料の1と2を配布しております。取消訴訟に関してご検討していただくに当たって、まず取消訴訟の特色とは何かということで、資料の2を作ったわけです。この中で、一番左に整理したように取消訴訟は国民の権利利益の救済という性格をもって、その上で、その下の項目ですが、行政処分の早期・画一的確定を目指した制度になっている。具体的に取消訴訟の特色とは何かというと、結局は出訴期間があるということではなかろうかと考えております。規定によりますと、取消訴訟は処分又は裁決があったことを知った日から3箇月以内に提起しなければならないとされ、さらに取消訴訟は処分又は裁決の日から1年を経過したときは提起することはできない、このようになっているわけです。
 取消訴訟の制度について、その位置づけを検討するに当たっては、取消訴訟の制度がなかったらどうなるか、ということが問題になろうかと思います。これは日本国憲法の施行前であれば、行政処分については、取消訴訟の対象となることを法律で規定されていなければ、それを争うことができなかったことになりますが、日本国憲法施行後であれば、行政の行為であろうと全て裁判の審査の対象になりますから、取消訴訟がなければ、出訴期間もない。出訴期間がなくて違法な行政行為の効力はどうなるかということになると、法の一般原則からすると、それは無効になるのではないか。裁判の扱い方としてはそれが無効であることを確認するかどうか、適法なものが有効であって、違法なものは無効である。こういう基本原則に戻るだけではないだろうかと考えられるわけです。ちなみに民事訴訟の世界では、例えば契約や就業規則に違反して解雇の意思表示をしても、その解雇の意思表示は無効だ、と裁判所は判断する、これは普通の考え方ですので、違法なものが有効になることはあまり考える場合はないのではないか。ところが、この取消訴訟については、その対象の問題が資料の4ページになりますが、最高裁の枠囲いの中に書いてある判決でも、処分の取消しの訴えの対象は、「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」、と定められ、枠囲いの5行目のところで、(中略)の後に、「かかる行政庁の行為は、公共の福祉の維持、増進のために、法の内容を実現することを目的とし、正当の権限ある行政庁により、法に準拠してなされるもので、社会公共の福祉に極めて関係の深い事柄であるから、法律は、行政庁の右のような行為の特殊性に鑑み、一方このような行政目的を可及的速やかに達成せしめる必要性と、他方これによって権利、利益を侵害された者の法律上の救済を図ることの必要性とを勘案して、行政庁の右のような行為は仮に違法なものであっても、それが正当な権限を有する機関によって取り消されるまでは、一応適法性の推定を受け有効として取り扱われるものであることを認め、これによって権利、利益を侵害された者の救済については、通常の民事訴訟の方法によることなく、特別の規定によるべきこととしたのである」となっているわけです。取消訴訟の制度をつくることによって、一方で出訴期間の制限が設けられている。その出訴期間の制限を設けた取消訴訟という制度をつくった以上は、通常の民事訴訟の方法によらないで、それが取り消されない以上は有効なものとしてしまう。こういう法の仕組みをつくっていると、この最高裁の判決は理解しているのではないか、と思われるわけです。したがいまして、取消訴訟の対象となる行政庁の処分、これが何かということは、この範囲に当たるものについては出訴期間の制限を受けて、違法なものであっても、取り消されなくなってしまうことがあり得るという前提で、検討をしなければいけないのではないかということになります。
 逆に言えば、取消訴訟の対象とならないような行為、例えば行政立法、政省令が法律に違反していれば当然、無効である。これは当然の原則ではないかと思われるのですが、それが行政庁の処分になって、取消訴訟の対象ということになれば、これは出訴期間の適用を受けることになりはしないか、ということを前提に検討をする必要があると思われるわけです。
 他方、問題は、行政法の仕組み全体について言えることですが、行政庁の処分とは一体何なのかが普通の国民にとって本当に分かりやすいかどうかということになると、これが分かりやすいものもあると思うのです。課税処分は処分だろうというのは誰でも分かると思うのですが、ただ、現代の行政、いろんな多面的な行政の活動の中で、それが一義的に明白かどうかということになると、現にこのことが裁判所でも争われて、フリートーキング参考資料で挙げられたようないろんな意見が出てくるということは、それが明らかでない場面が、往々にしてあるからではなかろうかと思われるわけです。
 一方では、処分に当たるとされてしまえば、出訴期間という重要な制約を受けて、一定の期間が経過してしまったら、争えなくなってしまう。そういう重大な効果が国民に対して与えられるものであるにも関わらず、その処分がどれであるのか、行政の行為のうちの処分というのは何なのか、がはっきり分からないというのは、国民の権利保護の観点からいかがなものか、という感じがするわけです。
 そこで7ページに問題の所在というところで、簡単にまとめておりますが、具体的な行政の行為が取消訴訟の対象となるか否かを検討するに当たっては、他の訴訟類型による救済の可能性、つまり処分に当たらないことによって、その行為が無効になる。その無効を確認する訴訟であれば通常の当事者訴訟による確認訴訟でできる場合もありうるでしょうから、そういったことも出来ないのかどうかというような他の救済の可能性についても検討する必要がある。取消訴訟による救済が本当に必要なのかどうかということをきちんと押える必要があるのではないか。それから、具体的な行政活動は様々な領域で多様な形で行われている、ということを踏まえて、行政過程全体を見通して、その個々の行政活動の独自性も踏まえながら、利害関係人の権利利益の保護や国民や地域住民等の意思の反映をどういうふうに図っていくか。これは芝原委員から度々、ご指摘のあるような国民の利益をどういう行政過程にどういうふうに反映していくのか、というようなご指摘があろうかと思いますが、そういった観点、それから国民の不服申立てにどのような手段を用意するのか、そういったことも視野に入れて、司法と行政、それぞれの役割分担も念頭に置いた上で、検討を行う必要があるのではないか、というのが、取消訴訟の対象に関する事務局の問題の整理です。
 次に原告適格と訴えの利益の関係ですが、この原告適格に関しましては、立法担当者の考え方は、普通、訴えである以上は、その訴えをするに当たって、利益が必要だという当然のことを規定したものである、と考えられているわけです。それは9ページの下から10行目で 「すなわち、法的に保護されている権利、利益を行政庁の行為によって侵害され、又は法律上の不利益を課されたもの(相手方たると第三者たるとを問わず)にしてはじめてその行為の取消しが、その権利、利益の救済に役立つわけであるから、その取消しを求めるにつき法律上の利益をもつといえることになるからである。」と、この程度のことを考えているのであって、この法律上の利益という、抽象的な概念で規定したのは、その下から5行目にあるのですが、「いかなる場合に行政庁の行為による権利その他法的利益の侵害があったと認むべきか、また、いかなる場合に法律上の不利益を被ったか、その限界を劃することは、困難であり、学説判例の発展にゆだねざるを得ない。本条が「法律上の利益を有する者」と抽象的に規定したのは、そのためである。」と言われています。一般に、他の、例えば会社更生等も多くの債権者の方に一度に多くの不利益を与えるわけですが、例えば会社更生に関する決定について誰が不服を申し立てられるか、ということになりますと、そのときは「その裁判につき利害関係を有する者」と規定されておりまして、やはり抽象的な規定で決められているわけです。こういったときにどういう利害関係を言うのか、というと、これも抽象的に言われているのですが、法律上の利害関係を言う。具体的に何が法律上の利害関係で、何がそうでないのかということになると、非常に微妙な問題があろうかと思うのですが、一般的にはその程度の理解がされている、ということでございます。
 他方で、先ほど芝原委員からのご指摘にもあったように、この最高裁の判例の考え方として、法律上保護された利益、例えば行政法規によって法律上保護されている、そういうことが法律上の利益として必要だ、最高裁の考え方がもしそうだという考え方を取った場合には、先ほどご指摘のあったような憲法上の利益はどう考えるのだろうか、という問題が起こってまいります。また現代型の行政の場合については、公益に近いような薄く広まった利益を保護している行政活動、法律が増えてきているのではないかと思われます。ですから、個人の利益を直接的に侵害したり、保護したりというような明確な特定の利益を対象にした行政活動から少し広がった利益を保護していく行政活動が増えているのではないかと思われ、そういった利益をどうやって救済をしていったらいいのか。法律がそういった利益を保護しようとしているとすれば、その保護しようとしている法律の趣旨を実現していくために適切な方策は何なのか、ということを検討していく必要があるのではないかと考えた次第です。
 そういう意味でここでの問題の指摘につきましては、結局、一般的な民事訴訟なり、訴えの原則と同じような利益が必要だと考えていると思われるのですが、一般的な訴えで要求される利益の考え方で、現代の行政で保護しようとしている、法律が守ろうとしている利益、そういったものを保護していったり、あるいは法律が予期していなかった憲法上の利益とか、そういった利益を保護していくための、そのための適切な方策、そういったものが何なのか、ということを考えていく必要があるのではないか、という問題意識でございます。
 それから個々の個別の問題について、15ページ以降に被告適格、出訴期間、出訴期間の教示の問題がございます。被告適格につきましては、特に問題となりますのは、行政庁という概念が、これは行政法の枠の中では、行政庁ということで、昔から論じられ、法律の中でも多数、使われている概念であります。ただ、しかしながら、現実に何か行政から国民が処分なりを受けたときに誰に権限があるのかということをきちんと調べられるかということになりますと、実は行政の中での権限の委任、あるいは専決みたいなことは多数、行われております。例として、地方自治法を挙げているのですが、他の法律も調べますと、法令検索したら1,000以上出てきてしまいまして、非常に多くの形で権限の所在が地方支分部局におろされたり、というような形で多様な動きをしているのです。国民の方からそういったことをきちんと調べた上で、争うということにするよりは、特に最近、地方分権で、機関委任事務がなくなったことを考えると、通常の民事訴訟の基本原則である権利主体が当事者となるのを行政であるが故に変える、その必要性が現時点においてどの程度あるのか、ということを検討する必要があるのではないかという観点でまとめております。
 それから、出訴期間につきましては、これも実は3箇月以内にしたのは行政事件訴訟法の制定のときに「知ったときから3箇月以内」、それまでは6箇月だったのを短縮しているのです。その趣旨としては、資料の17ページ以降に立法担当者の解説を書いてあるとおりで、実は各種の特別法によって、多数それより短い規定が定められていたという現状や諸外国ではそれより短い期間を定めていた、という実際等を踏まえて改正がされたということになっております。現状においてどうかと言うと、別紙9で、出訴期間の特例を定めた規定がございますけれども、実は取消訴訟の出訴期間を定めた特例は、現在は非常に少ない。これは逆に言うと、一般法である行政事件訴訟法が各行政庁から信頼されているというか、頼りにされている。この改正後は特例が非常に少なくなっている、というのが現状です。ある意味では分かりやすい。少なくとも行政事件訴訟法を知っていればそんなに大きな間違いを犯さない、という意味では分かりやすいのかもしれないですが、逆に一般法があるが故に、特別法で明確に規定するところが立法態度として怠られている面も無きにしも非ずではないか。例えば最高裁の判例では、「処分があったことを知った日」というのは、例えば官報とかに公告して処分をしたようなときは、その公告があったことをその人が知らなくても公告の日から出訴期間が過ぎる、こういう最高裁の判決がありますけれども、例えば会社更生法を見れば、会社更生の抗告期間はちゃんと会社更生法の中に公告が効力を生じた日から起算して2週間と明確に書いてあるのです。個別の規定を読まなくても、ある程度行政事件訴訟法によってみんなに理解してもらえるという一般法としての明確性というか、信頼性というのがあるということの裏返しとして、個別の適用に当たって、具体的な行政の特殊性を踏まえて、それでいいのかということになると、国民にとって、必ずしもそうとは言えない場合も有り得るのではないかという場合も生じている、ということになろうかと思います。
 そういう意味で、最後に出訴期間の教示義務の問題。何が処分に当たるかということ自体も、ある意味、明確なのかもしれませんが、微妙な問題も多い。それから出訴期間についても、それによって国民が最終的に訴えを起こせなくなってしまう、という重要な効果をもたらすにしては、そのことが国民に明確でないまま訴えを起こしたところ出訴期間が過ぎて、処分だという主張をされてしまう、ということになるのでは、国民の権利保護として十分ではないのではないか、という視点から、行政不服審査法57条のような、処分について、これは不服申立ての対象となる、しかもその場合には出訴期間はどうなっている、というようなことを国民に対して明確になるような、そういう配慮も検討すべきでないかという視点から、この資料は整理をしています。
 なお、取消訴訟によって、争うべきなのか、あるいは他の救済手段もあるのではないかということについてはある程度具体的な事例をご参照いただいた方がよろしいかと思います。

■資料1の別紙3、5、6、8についての説明

【別紙3について】

 都市計画法等による特別の手続によりごみ焼却場が設置される場合も多いが、計画行政に関する点は別途検討するので、別紙3では、そうした特別の手続を用いない場合を想定し、設置に向けて一連の行為が行われる場合を考えると、この例では、用地の取得に土地収用法等による強制収用の手続が用いられない限り、典型的な行政処分は登場しない。判例による取消訴訟の対象についての考え方からすると、一連の行為のうち、用地取得のための土地売買契約、ごみ焼却場建設のための工事請負契約は、私人間の契約と異なるところがなく、契約相手との間で対等の立場で行うものなので、「処分その他公権力の行使」とはいえない。
 ごみ焼却場の設置計画策定と起工決定は、行政の内部的行為で、外部である国民の権利義務に直接の影響を与えるものではないので、「処分その他公権力の行使」ではない。建設工事も私法上の契約に基づいて請負業者が行っている事実行為であり、「処分その他公権力の行使」ではない。このように、行為を個別に考えると用地取得が強制収用で行われているような場合でない限り、取消訴訟の対象となるものはない。そうであれば、取消訴訟の排他的管轄の制約、すなわち、取消訴訟でなければ争えない、という制約はないから、例えば、隣人が人格権侵害を根拠に民事訴訟で建築工事の差止めを求めることも何ら妨げられないこととなる。
 このような場合に、あえて、一連の行為を一体として取消訴訟の対象とする裁判例もあったが、そのように考える場合には、出訴期間を何についていつから考えるのかという問題を生じる上、一連の行為が全体として取消訴訟の排他的管轄に服せしめられると、民事訴訟で一連の行為の効力を問題とすることはできないこととなるのではないか、といった点が問題になる。
 このような事案では、民事訴訟による救済をどのように評価するのか、また、民事訴訟による救済を妨げる要素のあることを踏まえてなお取消訴訟の対象とするような考え方を取るべきなのかを検討する必要がある。

【別紙5について】

 通達が取消訴訟の対象となるか否かという問題のみならず、取消訴訟以外の救済方法についても検討するための資料
 墓地埋葬法13条で、墓地等の管理者は正当の理由がなければ埋葬等の求めを拒んではならないこととなっており、何がこの「正当の理由」に当たるかという解釈を示す通達の内容を変更した場合についての事例であり、異教徒による埋葬等の求めに対しては、従来からの宗派の宗教的感情を著しく害するおそれがあるとして、その求めを拒むことに正当の理由があるという解釈を示していた通達を変更し、異教徒であることを理由として求めを拒むことには正当の理由がないとする新通達を発したのに対し、新通達の内容に不服があるとしてその通達自体の取消を求めることができるかが問題となる。
 この場合に通達自体を取消訴訟の対象とするとすれば、通達を前提とする行政処分を受けることを待たずに、通達の効力を争うことが可能となる反面、取消訴訟で争うには出訴期間の制限があり、また取消訴訟の対象となる行為には公定力があり、取消訴訟で取り消されないまま他の訴訟でその効力を争うことは原則としてできない、すなわち明白かつ重大な瑕疵があるといった理由により無効である場合以外は他の訴訟では争えないことになるから、原則として出訴期間内に取消訴訟で争わない限り争えなくなる。
 他方、通達自体は取消訴訟の対象となるものではないと考えれば、他の訴訟類型によりこれを争うことも考えられる。この場合、通達が取消訴訟の対象ではないと考えるということは、この通達は取消訴訟を含む抗告訴訟の対象である「処分その他公権力の行使」には当たらないと考えることになるので、抗告訴訟の諸類型により通達自体を争うことはできないが、その反面、当事者訴訟として通達の違法ないし無効の確認を求めることが考えられる。また、より具体的な義務である「異教徒の埋葬に応じる墓地埋葬法上の義務」のないことの確認を求める当事者訴訟を提起することも考えられる。これらの確認訴訟が適法なものとして認められるか否かは、法律上の争訟といえるか、確認の利益があると考えられるか否かにより決まる。
 異教徒の埋葬の求めに対し、正当の理由がなくこれを拒んだとなると、墓地埋葬法19条により墓地の経営許可を取り消されるおそれがあり、さらに、21条により、13条違反として刑罰を課されるおそれがある。このおそれがあることをもって確認の利益があると考えるか否かが問題。さらには、そのような経営許可の取消しを受けること避けるため、経営許可取消処分の差止めを求める訴訟を起こすことも考えられ、この場合には、差止訴訟を許容し、差止めを認める要件をどのように考えるかが問題。そして、これらの確認訴訟や差止訴訟で争えないとなると、経営許可取消処分の取消訴訟や刑罰についての刑事訴訟において通達の効力を争うしかないということになり、これでもって救済手段として十分か、遅すぎないか、ということが問題。

【別紙6について】

 別紙6の例と別紙7の例は、いずれも都市計画が問題となる。別紙6は、用途地域の指定の決定を取消訴訟の対象として認めるか否かが問題となるとともに、手続の過程において、他の訴訟による救済も問題となる。
 用途地域の指定は、一定の広さをもつ地域を対象とするため、その地域内に土地を所有している者などの関係者が多数である点で、個別具体的な行政処分とは異なり、「一般処分」の一つとされる。この一般性・抽象性のため、取消訴訟の対象となるか否かが問題とされる。
 用途地域指定の決定がされ、これが告示されると、建築基準法上の種々の制限が発生し、自由には建物を建てられなくなるという法律上の効果が生じ、地域内の土地所有者にとっては権利義務に変動を生じていると見ることもできるので、これに不服がある場合、都市計画の一つである用途地域指定の決定自体を取消訴訟の対象として争うことが考えられるが、その場合は、通達について述べたと同様、出訴期間や取消訴訟の排他的管轄についてどう考えるか、また、先行する行為である計画を公定力を有する処分であると考えると、いわゆる違法性の承継の問題、すなわち、その後の具体的な処分の際に、その前提となっている計画の適法性を争えるか否かが問題となる。
 他方、用途地域の指定により建築基準法上の制限が発生し、しかも、これに反する内容の建築確認申請をしても、認められず、かといって建築確認を受けずに建築した場合には、工事の施工の停止命令や、建築物の除却命令が出されたり、さらにそれに従わない場合には刑罰を科されることもあり得ることとなっている。そこで、用途地域の指定の決定を取消訴訟の対象と認めない場合には、かえって多様な争い方ができるという面があり、こうした不利益を捉えて、当事者訴訟としての用途地域指定決定の違法ないし無効確認訴訟や建築制限を受けないことの確認訴訟を提起することが考えられる。この場合には、述べたような不利益により確認の利益があると考えられるか否かが問題となる。
 また、用途地域の指定の決定について争うことができなくとも、用途地域の指定により生じた建築基準法上の制限に違反しているとしてされる建築確認申請の却下処分の取消訴訟を提起すれば足りると考えるか否かも問題となるが、この場合には、用途地域の指定により発生した建築基準法上の制限を無視した建物の設計をし、これにより制限に違反した内容の建築確認申請をしてはじめて建築確認申請却下処分がされることになるから、そのような制限違反の申請をすること期待できるのかが問題となる。
 建築確認申請を却下された場合でも、それが違法な処分であると考えて、建築確認を受けずに建築を行うことも考えられなくわけではないが、その場合、工事の施工の停止命令や建築物の除却命令を受けるおそれがあり、それらを受けてからその取消訴訟を起こすことで救済として十分か否かについても検討する必要がある。

【別紙8について】

 別紙8は、都市計画の一つである土地区画整理事業計画が問題となる事例
 土地区画整理は、誰が主体となって事業を行うかにより手続が異なるが、公共団体が主体となる場合には、区画整理の事業計画案を作成して、その設計の概要の認可を得て、換地計画を作成し、必要な場合には仮換地の手続きを経て、換地処分をして、精算するという流れになる。
 区画整理の設計の概要の認可がされると、土地区画整理法上、建築行為等の制限などが生ずる。そこでこの認可を取消訴訟の対象とするか否かが問題となるが、これを取消訴訟の対象とした場合には、やはり、出訴期間の制限を伴い、取消訴訟の排他的管轄に服することになり、違法性の承継の問題についても検討する必要があることになる。
 他方、認可に伴って生じる土地区画整理法上の制限に違反して建築等をする場合、許可の申請をすれば却下されることになり、にもかかわらず建築等の行為をすると、原状回復等の命令が発せられるほか、その命令違反に対しては刑罰が科せられることとなっている。このような不利益を捉えて、事業認可の違法・無効確認訴訟や建築等の制限を受けなくことの確認訴訟の確認の利益を肯定することができるか否かが問題となる。
 制限違反の建築等の行為に対する原状回復命令の取消訴訟を提起することもあり得るが、その場合は、刑罰をもって強制されている法律上の制限に違反しなければ原状回復等の命令を争う場面にはならない点をどのように考えるかが問題。
 以上のような事案においては、いずれも行政訴訟により争う方法のほかに、各段階における行政の行為に対して、国家賠償請求訴訟を提起して金銭賠償による救済を求める余地があることも念頭に置いて検討する必要がある。

□取消訴訟の論点の検討は、かなり広範かつ技術的な点があり、一気に議論すると混乱を生ずるので、大きく、3つに区切って検討を進めたい。第1の区分としては、1の「行政訴訟における取消訴訟の位置付け」と2の「取消訴訟の対象」について、第2の区分としては、3の「原告適格及び訴えの利益」について、第3の区分としては、4の「被告適格」、5の「出訴期間」、6の「出訴期間等の教示」という具体的な問題と、3つに分けて検討をしてはどうかと思うが、よろしいか。
 (委員了承)

【「行政訴訟における取消訴訟の位置付け」及び「取消訴訟の対象」について】

□最初に、1の「行政訴訟における取消訴訟の位置付け」と2の「取消訴訟の対象」について検討をお願いしたい。
 取消訴訟についての検討に際しては、行政訴訟制度全体の中における取消訴訟の位置付け、取消訴訟以外の制度、特に取消訴訟以外の抗告訴訟や当事者訴訟、民事訴訟などの救済方法との関係も踏まえながら、取消訴訟という制度が必要かどうか、救ってもらえないとすれば、本当にそうなのか、という観点からの検討が必要である。その意味では、行政訴訟とは何か、他の訴訟類型をどのように考えるか、というような前回の論点も振り返って議論をする必要がある、と思う。事務局から紹介のあった事例をも踏まえて、どのような場合、どのような段階で、どのような救済方法が可能か、という観点から議論をしてはどうか。資料1の別紙の事例を参考にして議論をしていただきたい。

○現在は取消訴訟の対象は「行政処分」となっているが、その中には、行政上の計画等は入ってこないとされている。今回の改革では、取消訴訟を維持することを前提として、行政処分の概念を広げた方がいい。それは、かねてから学説でも存在していたし、裁判例を見ても、実際に行政処分とされるもの以外について取消訴訟を提起する例が多かった。また、国民からの意見募集でも、同様の意見が多かった。芝原委員の報告も、そのような方向だったと思う。
 自分は、「行政訴訟制度改革に関する覚え書」の論文の中でも書いており、日弁連の考え方に近いが、「行政上の意思決定」という漠然とした規定でいいのではないかと思っている。これは従来の行政処分の観念から一旦切り離すということであり、従来の範囲よりも広いことになる。この内容は、今後の学説、判例に委ねることでいいのではないか。
 このように取消訴訟の対象を広げると、出訴期間の制限、排他性がかかってくるのではないか、ということがあり、難しい問題であるが、排他性の問題と出訴期間の問題を切り離す方向で取消訴訟の対象を決めることはできないか、現在検討中である。解決策を考える予定だ。
 また、他の訴訟との関係を勘案する必要があるとのことだが、他の訴訟ができれば、取消訴訟を起こす必要がないということには必ずしもならない。原子力発電所の設置のように、無効確認訴訟と民事訴訟が並行して進められている例もあり、他の訴訟との調整が今後の検討の課題になるのではないか。拒否処分については、義務付け訴訟が導入されるのではあれば、そちらの守備範囲にまわすことも考えられる。
 取消訴訟の対象については、最高裁昭和39年10月29日の判例で定式化されているが、その後の裁判例では、この判決に依拠して、行政処分に該当しないと一刀両断的に請求を退けている判決は見当たらず、むしろ個別に判断している。したがって、その判決を基本に据えることは適切ではない。

○取消訴訟という制度は、行政処分には公定力があることを前提とし、それを排除する訴訟と解釈されている。取消訴訟の排他的管轄、とは、一つには、他の行政訴訟を排除するということがある。例えば、公法上の当事者訴訟、義務付け訴訟などについては、取消訴訟ができるときには、することができないという制度となっている。これは、行政が優位であるというところから来ているのではないか。訴訟の原則は原告と被告とが対等であることであるが、行政訴訟の場合は、行政の行為は適法であって、取消訴訟によってはじめてその効力がなくなる形成訴訟である、という制度で、行政と国民が対等な関係のものになっていない。これに取り組むのが、今回の改革の最大の課題の一つだ。少なくとも、国民が違法だと訴えてきているものを、その大半は適法だとして訴訟制度を組み立てるのはおかしい。取消訴訟中心主義は改めるべきだ。
 また、民事訴訟では、現在の権利義務に基づく訴訟が中心で、形成訴訟は例外で明文の規定がある時のみできることとなっているが、行政訴訟に関しては全てが形成訴訟である。なぜそうする必要があるのか、合理的な理由を見出し得ないと思う。必要なら個別法で手当てすればよく、行政訴訟は全部取消訴訟だとするのはおかしい。
 では、どうするべきかというと、まず、他の訴訟を排除するのというのを改めるべきであり、例えば、公法上の当事者訴訟、あるいは、義務付け訴訟を求めてきたら、それを認めるというように、取消訴訟を残すとしても、それは一つの類型であって、他の行政訴訟を排除するものではない、という原則を、まず確認すべきだ。したがって、様々な訴訟類型ができることを明文で規定すべきだ。また、取消訴訟ができる場合に民事訴訟を排除する、ということをやめるべき。民事訴訟はその要件があればできるようにすべきだ。そうしていくと、行政訴訟は、違法確認訴訟のようになっていくのではないか。その点の改革が、第一番目に取り上げるべき改革ではないか。

○現在の取消訴訟は負担過重であり、機能を拡大しすぎたという感じはする。今まで、他の適切な救済手段が現行法上考えにくいために、色々なものを処分と見立てて取消訴訟の対象としてはどうかということを、自分も、他の学説も、判例も、言ってきた傾向にあると思う。その結果、必要以上に行政全体が過度に権力性を帯びることになってしまった。昭和39年の判決で「・・・適法性の推定を受け有効性として取り扱われる・・・」という言い方は、標準的な学説からいうと言い過ぎであり、おかしいというのが多数説であり自分もそう思うが、他面、「行政目的を可及的速やかに達成する必要性」と「権利、利益を侵害された者の法律上の救済を図ることの必要性」という二つ要請のバランスを勘案して、通常の民事訴訟とは違う出訴期間の制限を伴った取消訴訟という制度を作ったのだということは、取消訴訟というものをきちんと説明しているのだと思う。自分は、こういう意味での二つの要請のバランスを取る取消訴訟の制度は必要だと思うが、対象範囲は最小限に絞るべきで、本来のテリトリーに撤退してもらうべきだ。
 ここでは、取消訴訟というかどうかはともかく、行政庁の決定に対する不服申立ということが必要な部分はあるだろうということを説明したい。まず、相手方に一定の公的地位を付与するような行政作用、例えば、営業許可行為や換地処分などについては、許可等を受けた者の地位がいつまでも安定しないという問題が起きないよう、出訴期間つきかつ排他性つきの訴訟で処理せざるを得ないのではないか。もう一つ、税などの関係の処分については、政策的に普通の民事訴訟手続で徴収することもありうるが、現在のコンセンサスからは行政に強制力を与えてもよいということになり、その場合は同様に出訴期間・排他性つきの訴訟になるだろう。
 しかし、あくまでも絞りに絞ることが大事で、それ以外の、出訴期間及び排他性つきの訴訟でなければいけないという証明ができないものは、そのような特権を与える必要はない。その場合には、広い範囲の行政決定を対象とした訴訟が認められていいのではないか。その場合は、訴訟類型についてあまり細かく書く必要はないのではないか。民事訴訟も、訴訟類型を区別しているわけでなく、必要に応じて原告が請求を組み立てることになっている。だから、申請をして拒否処分を受けた、というような場合には、一般には出訴期間・排他性付きの訴訟である必要はなく、特別に短い出訴期間を定める必要もない。その場合、請求権の主張・立証をする自信があれば義務付け訴訟(給付訴訟)を起こせばいいし、あるいは、違法確認を求めることでもいいだろう。共通的・基本的には、行政決定の違法性を認定してもらうような訴訟を考えておけばいいのではないか、というのがさしあたりのイメージだ。

○現在の取消訴訟の目的は二律背反的なところがある。取消訴訟の対象を広げたり、手前で争わせようとして、それが権利救済の拡大につながる側面がある反面、排他性・出訴期間がかかってくると、そこから先は争わせない、あるいは別の訴訟手段を許さないということで、逆に権利救済のルートを狭めることにもなる。結局、取消訴訟が国民の権利利益の救済の拡充を狙っているのか、あるいは早期安定・法的安定を狙っているのかは、一緒に盛り込まれてしまっている。ある処分が取消訴訟の対象処分だということになると、両方の側面がぶらさがってくることになるので、どこの時点で救済するかということを調整しようとすると、基準なく決めざるを得ない。救済を拡充する側面は拡充する側面に徹して訴訟提起の機会を拡大し、法的安定・争える期間限定のための政策的配慮の側面については徹底すべきで、そこは分けて考えた方が合理的な制度設計ができる。
 具体的には、取消訴訟には排他性と出訴期間がついているが、排他性をつけて取消訴訟でしか争えないようにするか否か、出訴期間に服せしめるか否か、という二つの政策判断は異なる場合があるので、分けてもいい。国民にとって一番重要なのは短い出訴期間であり、出訴期間が何のために置かれているのかの意味に即した、出訴期間対象処分の限定があるべき。行政関係の早期安定といっても、あとに裁判になった時の訴訟資料や事実関係の確認のためであれば、3箇月の出訴期間は必然ではない。
 一般の時効よりはるかに短い安定を図るための期間を置くとしたら、第三者に関わる枠組みが非常に重要な領域だ。課税処分や営業の不許可処分のようなものは、直ちに他の人が困ることはないので、出訴期間に服せしめる必然性はないが、原発とか空港のように、第三者の法律関係に関わる時、また、多数当事者の法律関係に関わっている時は、出訴期間で早期の法的安定を図る必然性が出てくる。つまり、第三者又は多数当事者に関わっているかどうかが、出訴期間をかける基準だ。
 次に、それにより出訴期間をかける行為を限定した場合、それが必ずしも取消訴訟だけで争わねばならないかどうかという別の問題がある。当事者訴訟とか民事訴訟などの他の訴訟形態を直ちに排除する必要性があるのかは、出訴期間とは一応独立の問題であり、原則的には選択提起を認めていいのではないか。その場合他の類型にも出訴期間はぶらさがってくるとする余地もある。取消訴訟の対象が広がるのはわかりやすいが、自動的に出訴期間のかかる範囲も広がっては困るので、訴訟類型は色々なものがあった方がいいという観点から取消訴訟の類型が拡がって、使いやすくなる、間違えにくくなる、というもう一つ外側の類型があり得るのか、という気がしている。

○取消訴訟の従来の機能を生かして一つの骨格にするという意見には賛成だ。そしてその欠点、批判をどう克服するかということも、大いに議論してみるべき課題だと思う。ただ、国民の権利義務に直接影響を与えない範囲まで、取消訴訟の対象を広げていくかどうかについては、司法権の本来の範囲を超えないように、慎重に考える必要がある。
 取消訴訟の対象の表現を「行政上の意思決定」にするとの提案については、出訴期間、排他性と非常に関係するので、それらとどうからめていくかだが、今の案のままでは、誰が、どの範囲を対象にして、どんな効果を生ずるかということについて、漠然としてはいないか。裁判実務をやっている時には、処分要件の充足をまず考えるが、このやり方は、民事訴訟の審理のやり方となじんでおり、自分たちにわかりやすい。これに対し「行政上の意思決定」とした時には、判断の方式については、行政裁量に関する審査の在り方、という風なものを分析し、裁判規範となるように密なものにしていかないと、せっかく取り込んだとしても、形式的なところだけを審査することになってしまうだろう。「行政上の意思決定」と広げていく場合には、どうやって裁判規範にするか、ということを認識した上で議論してほしい。

○取消訴訟の位置付けだが、行政の行為のうち、出訴期間と排他性を伴った形でしか争わせないようにして、法的な権利関係の安定を図る必要があるものは存在するということが出発点だ。典型的な行政処分はいつまでも争うわけにはいかず、そのために取消訴訟の制度が存在している、ということだ。
 取消訴訟が負担過重になっている、とされているが、裁判所では事案を見て救済せざるを得ないと判断すれば、他の方法を使っても救済しようと解釈して、はみ出しが出ていたのだと思う。それはまさに取消訴訟で取り込むしかなかったと思うが、立法論として考えた場合は純化すべきだ。そう考えると、「行為の公権力性と法律上の地位に対する直接的な影響」という最高裁のかたいベーシックな様式というのは一つの有効な範囲で、それを解釈論で拡張しようとしたことで混乱を来たして、予測可能性がない状態になったんだと思う。ただ、その範囲に入らない外延について、現実に救済しようと考えた場合、新たに法制度を作るということを考えると、別類型を考えることになろう。そして、何のために別類型を作るのかを考えなくてはいけない。排他性と出訴期間を一つのパッケージで考えないで、別々に考える余地もある。排他性だけは認めないが出訴期間だけは認めるために、別の類型を作ることもあるだろう。その際、これまでの制度をなしにしてもいいが、従来からの制度で使えるものは使う、だめなものは新しい制度を考える、という方が、法制度の改革はスムーズに進むのではないか。

○これまで色々な方々の意見として、取消訴訟の対象を広くすべきという議論があり、計画立案過程を対象にすべき等の、幅広い意見が多く、自分もそう思っていたが、今日の話では色々な問題があるということで、簡単ではないのかなと思った。具体的な、これまでに出た問題となっている判例について、対象を広げるとどうなるか、類型まで行くかどうかは別として、具体的な制度に近づくようなものが見えてこないか、考える必要もあるかと思う。

○実務に携っている方からの意見があったが、現在の取消訴訟では争えないし、さりとて民事訴訟でも争えないものもあると思われるので、それは手当てをする必要があるだろうと思う。

□救済すべきものは救済すべきであるのに、今までの判例を見ると確かに救済されていないものもあるのではないか。ただ、現行の制度で救済の方法が本当になかったのか、そこは今日は紹介されていない。救済をすべきだという意見は皆から出ていたが、その救済を充実する方法としては、いろいろな論点があった。排他性と出訴期間のコアの部分については、並行訴訟を認めない意見と、そうでない意見があった。本日はどのような方向だということにはせず、ただ、救済の充実から見て、訴訟の類型あるいはいろいろな訴訟の形を考えながら取消訴訟を適切に位置付けるということで、今後も検討を続けていくということになると思う。

【「原告適格及び訴えの利益」について】

□取消訴訟の位置付け及び対象の議論においては、コアの部分について、取消訴訟というものがあるのは前提としていいという意見があった。原告適格についてもコアの部分については議論はあまりないと思うが、周辺の部分について、いろいろ議論があろうと思うので、いろいろな角度からの意見をいただきたい。

○原告適格は問題になるが、実務をしていると、判例評論や学説で取り上げられている議論に比べれば、実務において原告適格が争いになっている比重は小さいと思う。ただ、ギリギリのところでどうするかが深刻な問題として出てくるから結果として大きいということだ。原告適格は狭すぎると言われているが、やはり裁判の規範、入り口は明確でなければならない。事実調べを散々しなければわからないというのではさかさまで、原告適格の意味をなさない。その意味で、訴訟の入り口で主張を見て、法令を調べれば結論が出るのは、司法としては使いやすい。事実上の利益がある場合にも原告適格を広げるべきだというのは有力な意見としてあるのは承知しているが、事実上の利益の存否をどう判断するか、なかなか難しいと思う。救済すべきなのにこぼれ落ちていると言われる部分については、できるだけ個別の法律において拾っていく、明確にしていくことが一つの考え方だ。それにより、明瞭になるし、事案に応じた適切な原告適格の拡大ができるので、優れている。一般法では書き方が難しい。人的エネルギーが限られた中でできるだけ裁判所の機能を有効に使おうとするならば、中身が薄まらないように、また、規範として明確なものにしてほしい。

○民事訴訟では、原告適格は問題にはならず、本案で権利が認められなければ、請求棄却になるだけだ。行政訴訟の目的をどう考えるかだが、権利救済機能の場面では民事訴訟と似ており、権利の侵害が違法だといって訴え、原告適格が認められると、あとは本案の問題になる。もう一つ、適法行政の是正というやや客観訴訟的な目的があるが、違法行政については誰かが裁判所に持ち込んで是正させる必要がある。何らかの関係ある人が訴えるというのが原告適格だと考えると、その原告適格は非常に緩やかでいいのではないか。現実の利益が認められる人については、違法行為の是正という社会的な役割がある原告という立場を担わせるということでいいのではないか。これは立法政策の問題だ。ごく限られた者でないと是正させないとするのか、ある程度幅広く是正させるのかは立法政策だが、ある程度緩やかでいいのではないか。

○行政訴訟の目的として、権利利益の救済と行政の適法性の維持ということを、あまり分けて考えない方がいいと思う。制度の立て方として、純粋な客観訴訟制度を何らかの政策的な理由で設けることはあり得るが、この検討会でやるべき主たる方向は、司法がやるべきことを今までやってきていないのではないか、司法が不満をなかなか吸い上げてくれないのではないか、との国民の不満があることをよく考えることだ。国民にとっては、結局自分の権利に関係がある部分についてどうなっているのか、ということだろう。「法」というのは「権利」とそう違いはないはずで、法で定められた権利が違法・不当に侵害されるから権利が侵害されるということであり、今の行政訴訟も基本的にその筋で考えていいのではないか。したがって国民の権利については、財産権のようなものでなく薄まった利益でも重要であり、それを守るのが行政法のミッションだから、そういった利益についてもきちんと訴訟に乗るようにするのが重要だ。その点、現在の判例は狭すぎる。
 関係行政法規を見て、行政法規がどのような利益を保護しているかという「保護利益要件」を考慮するのはいいが、それを超えて、個々人の利益を保護されているか否かという「個別保護要件」を考慮するのは、余分だと思う。裁判官からは困るといわれるかも知れないが、個々の事例で、裁判所が何らかの違法判断をすることによって、原告にプラスになるかどうかというやや個別的な訴えの利益の判断をすればいいのではないか。その前段として、法律の趣旨の解釈つまり法律が行政機関にどういうミッションを与えているか等、その法律の構造を見極める、ということが大事だと思う。

○原告適格を考える場合、従来から、個別の実体法を基準にするか、争わせることが適切かどうかを基準にするか、という考え方があったが、昭和53年のジュース訴訟の判決は、法律上保護された利益説に立った。これは行政不服審査法についてのものであったが、それ以降、その考え方に沿った判決が続いた。それ以前は、原告適格についてはわりと緩やかに認められており、牧歌的な時代だったが、同判決以降は変わってしまった。自分としては、現在ほど厳格にしないような工夫が必要だと思う。総合設計制度に関して、火災とか倒壊の危険がある者についてのみ原告適格を認めるという最高裁の判決が最近出ているが、ニューヨークのような事件でもなければ倒壊などしないわけで、実情に照らして奇妙な判決だと思う。最高裁は、法律に書いていることを基本に、実質的な利益を考慮しているのではないかと思うが、現在はまだ、裁判所が拘束されすぎていると思うので、拘束を弱める工夫ができればいいと思う。

□第4回検討会の資料である「行政訴訟の基本的な論点に関する判例」をみながら、議論してほしい。よく言われるが、この資料の番号5の判例(ジュース訴訟)については、その原告適格が認められなければ誰も出訴できないというものであり、伊場遺跡の訴訟も同様だ。議論の際は、多少、この判例の5〜10についても、言及してほしい。

○6の近鉄特急の判例は、毎日定期を使って通勤していた者が、特急料金の値上げ認可の取消しを求めた事件だが、判決では、当時の地方鉄道法の関係規定は、個人個人の利益を保護する趣旨で認可制度を置いているわけではないとして、原告適格を否定した。しかし、法律で保護する範囲に入っているのは確かであり、個別保護要件の判断により認めなかったのはおかしいと思う。グレーゾーンはあると思うが、裁判所が特別の見識をもって認めてもよかったのではないか。ジュースの判例については、ジュースの表示を公正取引委員会が認めたのはいけない、というもので、日本国民の誰もが訴えられることになってしまうので、個人的な特別の利益があるとは言えないのではないか。

○近鉄特急の例が挙げられたが、近鉄特急ではなく、国鉄のようなところが一律に運賃率を変えたら、国民が訴えられるのかどうかという問題になるわけで、切り方が非常に難しい。逆に言えば、法律上保護された利益説でやっていけば手がかりができるので、手がかりがないものは違うと思う。

□原告適格について、外国ではどうか。裁判官が決める面があるのではないか。

△アメリカでは、原告適格は、injury in factプラスzone of interestで判定される。injury in factについては、裁判官が決める以前に、中身の濃い人があるということになっている。zone of interestの方が、日本でいう個別法で保護された利益の範囲内かどうかということだと思う。injury in factがあると、だいたいひっかかるようになっている。司法権の限界を超えない範囲でコアをどこまで広げるかは、司法裁量だ。ただしその権限は実際にはあまり行使されていない。

△フランスの場合は、訴えの利益という概念が必ず必要である、とされている。訴えの利益については、判例法で判定していくことになるが、アメリカと似ていて、利益保護の範囲内かどうかということだ。フランスの場合は、処分の根拠法規を見て、そこから判定するという考え方はとっておらず、その意味ではアメリカのinjury in fact に近い考え方で裁判官が判断している。

△ドイツは、日本とほぼ同じだ。

○訴えた人が、自分の利益が侵害されていると明確に主張していれば、それだけで判断を下すことがあっていいのではないか。入り口のところで排除してしまうのは、どういう理由か。個々の法律で判断するのは大切だが、訴えている方がどういう根拠で訴えていきているのか、その主張を判断しなければ本当の権利利益の救済にはならないのではないか。全ての人の権利利益を法に全て書ききれているかというと、必ずしもそうではないだろうし、憲法上の一般的な規定もあるわけで、そういうものについては裁判の中で判断し、その蓄積の中で、法律を作った方がいいという関係もできてくるのではないか。やはり個別利害のところまでで判断するのは、やはり狭すぎるのではないか。

○最高裁判例で示された「法律上保護された利益説」は、基本的には妥当すると思う。しかし、この説が、本来異質な二つの領域、一つは、実体法によってはじめて作りだされた権利、もう一つは、守られるべき利益が法律に書いているか否かにかかわらず、例えば許可の結果として因果関係のある事実上の影響・近隣外部性が及ぶ領域、という二つ領域の両方に妥当するということで、混乱しているのだと思う。
 事実上の影響で考えると、法律上保護された利益説はやはりおかしい。根拠法で守ると明記しているか否かによって、現に受けている苦痛を守るか否かが決まるのは、倒錯した論議だ。やはり、事実上の影響・苦痛に着目して、民事と同じ差止めなどを認めてもいいのではないか。一方、実体法によって初めて作り出された権利の方は、まさにその法律が守っている利益が侵害された時にそれを保護するわけで、従来の法律上保護された利益説がぴったりと当てはまる。そこをわけて考えたほうがいい。事務局の判例集で問題視されているものも、端的な許認可の相手方ではないところに及ぶ事実上のものが多いと思うが、そちらについては、まさに法律上保護された利益説というよりも、実質に則して考えた方がいいのではないか。
 民事訴訟でも権利侵害なり、本案勝訴要件があり得るようなものは、当然に原告適格ありとすべきだ。また反面、特に作り出された権利については、今の最高裁の解釈は、それなりに合理性があると思っている。
 具体的な判例に即すると、近鉄特急の例などは、直接に特急料金を払っている人であれば認めてもいいと思うが、反面、それが排他性を持たせたり、出訴期間をかぶせるということは救済の機会がせばまる方向になっていくので、おかしい。排他性とか出訴期間を外すという前提で、取消訴訟の対象にするということもありうる。
 9番のパチンコ屋の許可処分。近隣住民は原告適格が否定されているが、近所の診療所が訴えたものは原告適格ありとされている。入院している患者しか、静謐な環境の権利を持つことができないというのは奇妙だ。9番の例などは原告適格を認めてもいいが、排他性、出訴期間を外すということはあってもいい。
 小中学校の統廃合処分の原告適格と処分性で論文を書いたが、その例では最高裁が奇妙な原告適格の判断をしており、今まで通っていた学校を廃止するときに、誰が争えるのかという議論については、今までの判例では、たまたまその小学校に在籍している保護者と生徒に限られる。これは法律上保護された利益説から言っても、ずれた判例の集積がある。また、社会生活上子供にとって受忍できる範囲を超える場合のみ処分性があるという判例があるが、本案の要件と本案前の話が混同されていて、やはり奇妙だ。こういう判例を個別に見ていって、こういう場で合理化していっていただければと思う。

□この検討会で条文を具体的にどうするかは、ずいぶん先の話だと思うが、現在の判例を客観的にきちんと認識しておく必要はあるのだろうと思う。
 判例9、10は、民事訴訟で訴えることはできるだろうか、民事訴訟でもできないのではないかと思う。

○実際に遭遇したことはない。

○建築確認は民事訴訟で行けるのではないか。

□建築確認はできるのではないかと思う。

○人格権侵害で差止めが認められることはよっぽどなので、理屈上はわかってても、実際には難しいのではないか。

□民事訴訟で認められないものは、行政訴訟でも認められないと考えるのか、逆に、民事訴訟で救われないから、行政でこそ考えていくのか、という問題だ。自分の問題意識は後者だ。

○民事訴訟でできるかについては勉強していきたい。

□最高裁は利益衡量している。最高裁は、救っていると思っているかもしれない。

○倒産法で、抗告する場合の原告適格で、裁判につき「利害関係を有する者」という表現があり改正作業の中で抗告が許される裁判のそれぞれについて、解釈が争われるので、原告適格者を法定するか、という議論があった。原告適格の不明確さを解消する一番いい方法は、個別実体法規に誰が争えるかを具体的に書くことだが、非常に大変で、議論百出でまとまらなかった。
 ましてや、行政事件訴訟法のような一般法で書くのは非常に困難なことだろう。極めて抽象化した表現になって、解釈の違いが起こらざるを得ない。最高裁が生命、身体など、特に重大な利益について、解釈上の技術を駆使して拡大していて、それも一つのやり方だが、それに代替するようなものは、事柄の性質上、極めて根本的な困難さがある。

○同様の議論が、1年前の政府の審議会であった。原告適格の範囲を一覧表にしてはどうかという意見があり、自分もそれを言っていたが、それをやると裁判を受ける権利を制約するのではないかとの反論があったが、一覧表にするのは、裁判を受ける権利を制約する趣旨はなく、少なくともここまではできるということを例示するもので、それ以外にも、裁判を受ける権利の行使として、もれているものもできるということにすればよい。方向性としては、個別実体法規に、ややこしい原告適格については、できるだけ明記していく、ということが一つあり得、総合規制改革会議でも別途今年も継続検討になっている。

○この検討会では、団体訴訟は議論の対象には入っているのか。環境訴訟を起こすときなど、原告適格の問題で訴訟を起こせない場合もあるので、確認しておきたい。また、団体については、個別法に書くことによって、原告適格が認められることもあるのか。

□論点としては十分あり得る。外国法制の報告でも、団体訴訟を広く認めているもの、個別法で認めているものもある。ただ、団体訴訟という場合二つの類型があり、一つは、個人個人が原告適格を持つが団体としてやればもっといいじゃないかという、個別利益の集合体としての団体と、文化財保護団体とか法律による行政を守る団体など、非常に抽象的な団体に認める、という二つの方法がある。

■資料1の12頁で、「司法制度改革推進計画では、「少数多数被害への対応」として、「いわゆる団体訴権の導入、導入する場合の適格団体の決め方等について、法分野ごとに、個別の実体法において、その法律の目的やその法律が保護しようとしている権利、利益等を考慮した検討を行う。」とされており、内閣府、公正取引委員会、経済産業省で、具体的な検討が行われているようだ。それ以外の、環境等の分野で具体的な動きがあるとは承知していない。基本的には、個別の法律において、その行政手続の中で、どういう国民を、どういう形で利害関係を反映していき、どういう形で、国民あるいは団体に訴えを認めるか、行政プロセス全体を見て考えなければいけない問題だと思うので、検討会でも検討いただいて結構だと思うが、最終的には個別の法律の全体のシステムを考えていく必要があるのではないか。

○個別の法律で決めたらいいというのはそうだが、基本は、今検討している行政事件訴訟法であり、ここで、団体訴訟の導入の可能性について検討するのは不可能ではなく、検討すべきだ。

○同感だ。個別の法律に委ねるのは危なっかしい。今の事務局の説明でも環境訴訟については言及していなかった。経済の分野だけでなく、それ以外の分野についても、団体訴訟のあり方を考え、行政訴訟検討会で書ける範囲で基本的な考え方を示す必要はあるのではないか。現在の行政事件訴訟法でも、客観訴訟は、全部個別の法律に委ねられている。そういう形ではなく、もう一歩踏み込んだ形で、なんらかの形で、意見を表明する必要はあるのではないか。

■広く薄まった利益の保護を実行あらしめるためにどういうシステムが必要かということにつき、検討いただくこと自体はやぶさかではない。最終的には、色々な行政のプロセスを含めて検討する必要もあるのではないか、というものだ。

○現行法は「取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」という表現だが、ジュース訴訟の例でも、主婦連の存在意義からすれば、法律上の利益があるという解釈はあり得るので、9条の規定をどうするか議論する中では、その点は議論せざるを得ないのではないか。
 もう一つ、団体訴訟については、個別法で分野毎に書くことは考えられるが、およそ行政一般について、個別法で適格団体の定義をするのは難しいだろう。行訴法のシステム自体が自分の権利利益を侵害された者だけではなく、それ以外の者について行政訴訟特有の取扱いをする余地があるのかないのか、これは行政訴訟一般のスタンスの問題ではないか。

□団体訴訟については、第6回フリートーキング参考資料の9頁に出ている。問題意識はもちろん持っており、検討会でどのようにするかは、色々なことを考えて、整理していかなければならない。

○資料の11頁で10条1項について言及されており、この条文はなくてもいいのではないかという趣旨かと思ったが、この規定の必然的な立法意図があったのか、また、今回の議論として、どういう趣旨で提起されたのか。

■12頁の上の6行の部分を指摘されているものと理解しております。そして立法理由は、その当時当然のことであるという意味で立法されたように、理解をしております。事務局として問題提起をしている趣旨は、仮に自己の利益に関係のない違法を主張させることは適切ではないということが理念的には言えるとした場合であっても、他に事情判決の制度等もありますし、原告適格で一応元が絞られているし、そういったことも考えると、争点を増やしすぎはしないだろうか。一方で原告適格を拡大していこう、なるべく広く薄まった利益でも救済していこうというような流れになってきた場合に、せっかくそういうところでは原告適格を認めるという流れになった時に、逆に今度はここでひっかかる場合が増えて来はしないか、そういう意味で、争点を増やして、本来救済すべき場合についても救済が困難になったり、今の行政はいろいろ多様な利益を複雑に考慮した行政法システムができていると思いますので、特定の違法事由について、これは誰の利益のための規定かということを、原告適格を広げてきたような場合には判断しにくい場合もあって、この規定自体が、権利救済の障害になってしまう恐れもあるのではないか。目的自体に仮に適切な目的があったとしても、制度の仕組自体に、権利救済上障害になるような副作用が大きければ、これは、場合によってはなくして、事情判決の制度で対応することも一つの考え方ではないか、という問題意識です。

○判例で、この条項を適用したために、取り消せなかった例はあるか。

○新潟空港訴訟だ。

○この規定は「自己の法律上の利益に関係のない違法」となっており、関係のある違法は全て主張できるという、主観訴訟の趣旨を徹底した当然のことを言ったものだ。この規定により特に障害になっていない。例えば、ある者が、自分以外の者に対する告知聴聞を行政庁がしていないことを主張するのは妥当かどうかと思う。

□ここは両方の意見があるようだ。ここでまとめるつもりはないが、印象的なところでは、一般的には訴えることのできる場合を広く認めるべきであるという意見が多かったように思う。ただ、原告適格や訴えの利益については、訴訟の一般原則の適用と同じ、当然のことを書いたまでだという立法関係者の話とか解説があるので、我々が立法論を考えるときにどう整理していくのか、という点が問題になろう。条文もなかなか書けないという指摘もあった。なんか書けば少しは変わってくれるのではないか、という淡い期待もある。また議論を深めていかなければならない。その場合、行政訴訟が民事訴訟とはどう違うのか、という問題もあり、行政訴訟が民事訴訟とどういうような役割分担を担っているのか、両者の違いはどこか、を詰めていく必要がある。現代行政は、法律によって保護される国民の利益が、個々人の利益から、薄い利益、さらに抽象的な公益まで幅広く存在しているので、立法にあたってはどう整理していくか、という点は十分慎重に考慮していく必要がある。なお、10条1項については、両方の議論があるが、規定があると、それにひっかかって悪い方に導く恐れがないか、あってもなくても同じなら、なくてもいいという議論もある。

○学者でも、10条1項について誤解している者はおり、そのような誤解が生じるのであれば、規定はなくした方がいい。

【「被告適格」について】

○行政庁を被告にしていることで、誰を訴えるべきかわからず、訴訟の提起が困難になっている。例えば、被告を間違えたことによって、出訴期間を徒過してしまったりすることもあるし、また、東京の麹町税務署長から処分を受け、そのあと大阪の北区に住所を移した場合、東京の税務署長を訴えてたら却下だ、という議論もされている。また、ある滞納処分を税務署長から国税局長が引き継いだ際、税務署長を訴えるのか、国税局長を訴えるのか、わかりにくい。いずれの例も、被告は国であるのに、わかりにくくなっている。これらは、行政庁を被告にするというイレギュラーな訴訟形態を認めているのが原因であるから、被告は行政主体に是非変更すべきである。この点は異論がないものと思う。その際、国だからといって、管轄は全て東京地裁などとしないようにしてほしい。

□この問題は、行政庁に利害のあるところなので、何らかの形で、行政官庁の意見を聞いてみる必要がある。

○被告の行政主体への変更は、やるべきだとは思うが、支障が生じないか、行政庁の意見を十分に聞く必要はある。

○逗子の池子の弾薬庫のケースは最高裁で被告が違ったのでだめだったものであるし、大阪空港のケースは国を相手に民事訴訟を提起してだめだったものであるが、仮に行政訴訟を国を被告として提起することになると、そういった却下の仕方はできなくなるのかどうか。もしそうだとしたら、この問題は非常に重要な意味を持つ。

○それはあると思う。大阪空港訴訟は、人格権に基づいて差止めを求めているが、仮に運輸大臣の許可の取消しとすると、予備的請求という形で行政訴訟を付け加えればできるだろう。現に、行政訴訟と民事訴訟の併合を認めているケースがある。留学生の身分打ち切りの訴訟をやるケースなど、東京地裁に予備的に併合するのを認めているケースはある。自分の担当した兵庫県の港湾計画の取消訴訟でも、民事訴訟を予備的に追加した。したがって、被告の表示を一緒にすれば、そのような形で訴訟が柔軟にやれると思う。

○もしそうすると、取消訴訟と当事者訴訟がこのまま残るとして、その間の訴訟選択の問題というのは非常に互換性、融通性が出てくる。今は、融通性を利かせるべきだという意見があるが、被告が違うことで、難しくなっている。

□被告適格については、検討資料の「4 被告適格」の②の考え方にあるように「当該処分又は裁決に係る事務の帰属する国又は公共団体を被告として提起するものとすべきである」ということで、ここはまとめてもよろしいでしょうか。ただ、手続の問題もあるので、一度行政庁から意見を聞く必要があると思う。
 (委員に特に異論なし)

【「出訴期間」について】

○3箇月の出訴期間については、外国との横並びを考えるとこれでいいのかとも思う。むしろ、不服申立前置との関係の方が問題だ。非常に多くの処分について、不服申立前置の規定が置かれていて、その不服申立期間の方は3箇月よりも短い場合がある。実際にシャットアウトされるとすれば、行政訴訟での3箇月でよりは、その前の60日などでの場合が多いだろう。今回の検討に直接関係がないかもしれないが、そちらを考えるべきであると思う。

○出訴期間については、意見募集の結果を見ていると、6箇月ぐらいに延ばしてほしいという意見が強く、できるだけそのような声を尊重すべきではないか。現在は、処分があったことを知ってから3箇月、処分から1年という出訴期間となっているが、1年の出訴期間を適用することによって、不都合なり、行政の公的安定性が害されたというような事例はあるのか。

□どういう形で不満が出ているかについては、行政苦情処理や行政相談の問題であり、そこは総務省に聞いてみないと、わからない。

○出訴期間は行政訴訟の場合当然のものとして置かれている。しかし、行政処分について、何故必要かの議論は十分にされているか。行政関係の早期確定の必要性があるというのはわかるが、行政処分全部について早期確定の必要はあるのか。当然に置くのではなくて、特に必要があるものに置くべきだ。課税処分の取消しでも、出訴期間がなければ証拠が散逸してしまうという反論があるかもしれないが、課税庁は7年間も更正ができ、いかにもおかしい。出訴期間を議論するにあたっては、本当に必要かどうを議論し、本当に必要なものについて、期間を検討すればよい。

□今の点は、取消訴訟とはどういうものか、その場合の公定力と排他性はどうか、という問題点と共通するところがあると思う。これからも考えていきたい。

○出訴期間をつける領域をもっと精選してもいいのではないか。また、3箇月という出訴期間は、引き受けてくれる弁護士を探すのも大変だし、原告にとって大変厳しい。もともとの処分対象自体が不明確であることを考えると、もう少し長くしてもいいのではないか。一方、被告にとってどうかというと、自分が国側の代理人をしていた経験では、出訴期間が3ヶ月でないと、どうしても困るということはなかった。仮に出訴期間が1年でも、訴訟が起きたら粛々と対応するだけだ。もちろん、際限なく訴えられるのは困るが、一定の期間争えるようにするのは、審査にさらされる可能性を高めることになるので延ばしてもいい。個人的には1年ぐらいはいいのではないかと思う。

○7月に開かれた行政法フォーラムの際に出た意見だが、拒否処分について、出訴期間を認めるべきかどうかという問題提起があったので、お伝えする。

○行政実務は知らないが、出訴期間内は処分の執行を差し控えて、3ヶ月過ぎたら執行するケースもあるのではないか。フランスでは、出訴期間内だと職権取消ができ、それを過ぎるとできなくなるという効果もある。訴訟が起きるかどうかだけではなく、行政の進め方自体にも多少の影響が出るのではないかと思う。

○緩和する意見が多いが、自分はそうは思わない。もちろん、被告適格者がだれかわからずそれを調べるために時間が必要だというのは今までは確かにその通りだったが、仮に今回の改革で被告を行政主体にすれば、解消する。地方の場合に弁護士が見つからないという事情については、司法制度改革で弁護士が増やされれば解消する。それを考えると、出訴期間を延ばすのは、迅速な裁判、早期の行政の法律関係の確定という要請に反する。短くせよとは言わないが、変える必要はないのではないか。ドイツでは出訴期間が1箇月であるのにもかかわらず訴訟が多いことをよく考えるべきだ。

○本人が決断するには時間が必要であり、3箇月という出訴期間は短い。行政の早期安定、とすぐ言われるが、本当に早期安定を図らなければ行政が困るのか、何も論証されておらず、言葉だけが一人歩きしている。

○早期安定という言葉が金科玉条になっており、裁判が起こらなければ確かに3箇月で確定するが、いざ裁判が起きてしまうと、実際には10年や20年は安定しない実態がある。入り口のところはそれほど大きな問題にはならないのではないか。

□この点も意見の分かれるところだ。期間の話とは別に、本質論の話として、出訴期間制度をこの検討会でどう位置付け、整備するか、という点が、一番根本問題だ。

【「出訴期間等の教示義務」について】

□期間の問題もあるが、出訴期間や不服申立を前置していることを教示しなければならないという、行政不服審査法に類似した一種の環境整備を図るという問題の方が、重要ではないか。これについても、行政庁側の意見も聴取する必要があると思う。

○行政不服審査法には教示の規定があるのに、行政事件訴訟法にないのは何故か。行政事件訴訟法には教示の制度があってはならないから書き分けたのではないという理解でよいか。

□行政不服審査法の目玉は、教示だった。行政管理庁は、国民の視点に立ってそのような規定を入れたのではないか。行政事件訴訟法には教示の制度があってはならないということではなく、国民に対するサービスということで行政不服審査法に入ったのだと理解している。

○素人の原告にとっては、どういう訴訟類型で争えるのかは大変わかりにくい。自分の経験では、収用裁決については裁決の取消訴訟と、損失補償に関する当事者訴訟が提起されるが、損失補償に関することを、裁決の取消訴訟で主張するケースが多い。これは、収用委員会が、裁決に対して不服申立ができることを教示するための誤解である。このように素人にはわかりにくい規定については、できるだけ前広に教示してあげた方が親切だ。

○14条4項については、実務をしていると、1年に1,2度、この規定のために出訴期間が徒過するケースがある。これは、他の規定と足並みを揃えておいた方がいい。

○17頁の枠囲いの中のエで「取消訴訟の出訴期間の経過後でも、無効確認訴訟で救済を求めることのできる範囲をより拡大すべきであるとの考え方」とあるが、個別の事案を見て誰も迷惑を被らないのであれば、無効を広く認めるのは望ましい。この検討会でそのような実体法上の問題まで踏み込むのかという問題はあるが、出訴期間を考える際はそのようなことも前提にはなるだろう。

□出訴期間について色々な意見が出ている。取消訴訟自体の位置付け、出訴期間付の排他性ある取消訴訟制度が適用される場合の出訴期間の長さの問題、それらの教示の問題、それらを、今後、細かく考えて行かなければならない。そのような形にした場合、どういう問題が行政の側にも生じるか。行政にとっての支障は、結局国民にとっての不利益になり得る問題なので、具体的に議論をする必要がある。
 また、14条4項の改正の問題については、異論はなかったと整理する。
 (委員了承)

(2) 今後の日程等(□:座長、■:事務局)

■当初の予定では、次回は取消訴訟の二回目となっていたが、本日の議論でも、他の救済方法との裏返しの問題で、取消訴訟をシンプルにすると、残りの部分をどうするか、また、他の訴訟類型を考えてはどうかとの意見もあったので、前回の資料でも触れているが、何らかの資料の補充も考えており、その点に戻って議論をしていただいてはどうかと考えている。

□事務局が資料を提供するということなので、次回は、訴訟類型も含め議論をするということでよろしいか。(委員から意見なし)

7 次回の日程について
 11月21日(木)13:30〜17:30

以 上