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行政訴訟検討会(第9回)議事録



1 日 時
平成14年11月7日(木) 13:30〜17:30

2 場 所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
塩野宏座長、市村陽典、小早川光郎、芝池義一、芝原靖典、成川秀明、萩原清子、福井秀夫、水野武夫、深山卓也(敬称略)
(事務局)
松川忠晴事務局次長、小林久起参事官、村田斉志企画官

4 議 題
(1) 論点についての検討
(3) 今後の日程等

5 配布資料
資料1 取消訴訟に関する検討資料
資料2 取消訴訟の特色
資料3 行政訴訟制度について(意見のまとめ)(芝原委員作成)

6 議 事

【塩野座長】それでは、時間になりましたので、第9回行政訴訟検討会を開会いたします。
 まず事務局から本日の資料について簡単に御説明願います。

【小林参事官】お手元の次第のとおり、本日の議題については「論点についての検討」を前回に引き続きお願いをすることとしておりまして、配布資料については資料の1と2が取消訴訟に関する事務局作成の資料でございまして、資料の3が芝原委員作成に係る「行政訴訟制度について(意見のまとめ)」とする資料でございます。そのほか、検討の参考資料を配布しております。
 以上でございます。

【塩野座長】御確認いただきたいと思います。それから、私の方から事務局に依頼しまして、検討の参考のため、取消訴訟の機能等に関する高柳信一教授の論文と、それから芝池委員と私の教科書の該当部分の写しを席上に参考配布させていただいておりますので、参考にしていただければと思います。
 それで本日の議事日程は、「論点についての検討」ということで、今、事務局の方から多少示唆がありましたように、取消訴訟についての検討を行うことになっております。
 取消訴訟に関する検討というのは、行政訴訟全体の中での位置づけをよくわきまえた上で、あるいはわきまえつつ、他の救済方法との関連において検討を進める必要がございます。独立してそれだけで議論できるものではございません。
 そこで、「行政訴訟の対象及び類型」に関する前回の論点についても、必要に応じて行きつ戻りつしながら検討を進めていきたいというふうに考えております。また、前回でも議論が決して、尽くされたわけでございませんで、まだまだ言い足りない、あるいはその後考えてみて、なお補完する、あるいは補正すべき点もおありかと思いますので、随時関連するところで御発言いただければ、というふうに思います。
 なお、検討を始める前に、芝原委員から先ほど事務局からも御案内ありましたように、「行政訴訟制度についての(意見のまとめ)」という資料が提出されております。まず、これについて簡単に御説明いただきたいと思いますが、資料3を皆様ご覧いただきまして、簡単に御説明いただきましょう。芝原委員、よろしくお願いいたします。

【芝原委員】それでは、お手元に資料3ということで、私のメモが出ておりますが、これは2、3回前の会議で、塩野座長からポンチ絵の宿題が出ておりまして、それをベースにとりまとめたものでございます。
 資料がいろいろございますが、まずめくっていただきまして、8頁の次に横で右上に資料2で「国民のアクセスの視点から見た行政に対するチェック手段」というのがございます。これからまず御説明をしていきたいと思います。これは、前回7月11日に検討会資料で「論点整理に向けて」というメモをお出ししましたけれども、そのときに書いたポンチ絵に対しまして、国民のアクセスルートから見た絵に変えられないかという御指摘がございまして、それ以降少し考えていたものを整理したものでございます。これにつきまして、まずこの頁とその次の頁、裏の頁2枚のものですけれども、これは大きく行政訴訟の視点を、行政活動の適法性コントロールの観点、それからもう一点が権利利益の救済の観点、その2つの視点から整理をしております。
 いずれにしましても、行政訴訟がいろいろ議論されておりますけれども、文言だけではなかなか分かりにくく、全体が見えないので、こういう形で国民の目から見てどういうことになっているのかという辺りを少し整理したわけでございます。
 この資料2の1頁目にある絵は、絵の見方としまして左側に主体である国民を書いてございます。一番右に、原告として被告サイドに立ちます行政を、これは国の場合に限定しておりますが、そういう形で右に書いていまして、その間にチェック手段、あるいはチェック機関というものを位置づけております。
 国民という主体の中に、一応これを3つほどの分類に仕立て直しております。一番下にあります「個人としての国民」、それからそういった個人としての国民が、近隣的あるいは利害的に集まった集団としての地域住民、あるいは利害関係者、こういったものの一員としての国民、あるいはそれがもう少し形になった団体、例えばNPO、こういうものでございます。更に「主権者の一員としての国民」という、かなり広い概念の国民、こういうものがございます。
 こういうふうに、国民という概念を分けております。こういうふうにして国の行政に対して、どういうチェック・アクセスルートがあるかという辺りを現状整理したものでございます。この太い黒字が、現在行政活動の実体的内容に関して法律上、あるいは事実上拘束力を持つアクセスルートというふうな認識で書いているところでございます。波線の部分が、そこまではいかずに拘束力を持たないけれども、一応ルートとしてはあるという辺りでございます。コピーの関係でやや濃くなっておりますけれども、やや薄くて幅の広いところが、現状、アクセスルートがなくて、この辺のルートがあればいいんじゃないかという辺りを示している絵でございます。
 こういう形で見ますと、まず行政活動の適法性コントロールの視点から見ますと、現行はやはり拘束力のあるチェック手段というのが、見て分かりますように、上の方の国会とか審議会を通じたルートにほぼ限定されているという状況になっているのではないかというふうに思います。ただ、最近の国民自身の成熟・成長というものを踏まえたときに、果たしてこういうルートだけでいいのかという辺りで、もう少し地域住民なり利害関係者に拡大をしたり、あるいは団体に当事者適格を認めたり、そういう辺りが要るのではないかということが、少し提起できるのではなかろうかと思います。
 それから右の方で見ますと、なかなかそういった主体から行政立法、ないしは行政計画、あるいは内部行為、行政指導、事実行為、この辺りに対してなかなかアクセスルートがないわけでございまして、この辺に対してももう少し適法性コントロールの観点からアクセスルートがあってもいいのではなかろうかというふうに思います。更に、そういったものの実効性を高める上では、行政手続法を、行政立法、計画手続まで広げるということもあってはいいのではなかろうかというようなものでございます。
 それから1枚めくっていただきまして、その裏の方に2番目として「国民の権利利益の救済の視点から」ということでございますが、こちらの方は逆に裁判所のルートを適用できる、あるいは、その前に弁護士さんが入りますが、こういう形で裁判所ルートを活用できるというものが、処分の名宛人である国民を中心にした形で、こちらは逆にそういう意味での狭い範囲に限定されている。なおかつ右側の方の行政立法、行政計画等へのアクセスがかなり狭くなっているんではなかろうかと、これは逆に言えば行政処分が出る前の段階での、早期救済がややできないのではなかろうかなという辺りが問題としてこの絵から出ているわけでございます。
 こういったアクセスルートを整備した上で、更にもう少し個別について見たのが資料3でございまして、例えば取消訴訟について見ますと、ルートはあるけれども、いろんなところで原告側としてのリスク、あるいは負担と言いますか、更に言えば法律的な落とし穴がいろいろあるのではなかろうかということで整理したわけでございます。本当はこういうのは、本来のユーザーであります日弁連さん辺りで書いていただくともっといいんでしょうけれども、こういう形で要件審理から本案審理に至るまでいろんな形で流れていきますが、先々でリセットされ、なかなか本案審理を経て判決で勝訴までもっていくには、相当な垣根がある、というのを絵解きしたものでございます。
 その次に資料4でございますが、こちらの方は前回及び前々回、国際比較論的な観点からいろんな紹介があったものを、これも本来事務局作業を少し僣越ながら我々の目で整理したものでございますが、下の絵で描いていますように、法律上保護された利益の侵害、あるいは上記以外の損害という縦軸、それから横軸で行政処分、行政立法・行政計画等という対象を横軸に取りますと、日本はドイツとほぼ同じようなカバー領域になっているという状況でございます。ドイツのところだけ違法確認訴訟が入っておりますが、これを除けばほとんど取消訴訟をベースにした絵だというふうに御理解いただければと思います。
 この辺も非常に大胆に整理したもので、法理論的に正しいかどうかは定かではありませんが、一応こういう理解でございます。その後に参考資料が付いておりますが、これはまた後でお読みいただけばいいんですけれども、問題のタイプ別にこういう訴訟のタイプがあって、どういう問題があってと、その絵の裏に表が付いておりますが、こういう論点に対して、こういう積極的意見、消極的意見がありますということでございます。ただ、この積極的意見、消極的意見につきましては、既にいろんな方が御発表になっているものを基本的には整理したものでございまして、適法性コントロールの観点が若干抜けているかな、というあたりだけ、ほんのわずか加筆しただけで、基本的には既存の意見でございます。更に言えば、消極的意見はほとんどが法務省と最高裁の意見に近いものになっています。これはそういう、整理の表でございます。
 資料の一番最初に戻っていただきますと、そういうことを整理したのが「行政訴訟制度について(意見のまとめ)」と書いている、1頁目の1、2、3でございます。この辺は少し省きます。
 その次に「行政訴訟の問題点」というところでございますが、そういったことを踏まえますと、国民のサイドから見て大きくはその次の2頁目の以下に書いてございますように、大きく3つに問題が集約されるのではなかろうかというふうに理解しております。
 1点目は、権利救済の機会がやはり制約されているということでございます。具体的には、その下に書いてある3つほどの例に典型的に表われるということでございます。
 2点目が、適切な救済が与えられないということでございます。
 それから3点目が、その次の頁でございますが、「行政訴訟が持つ適法性コントロール機能が十分発揮されていない」ということでございます。こういうことに対しまして、例えばどういう方向で議論したらいいのかということについて、3頁の中ほどから書いてございまして、やはり1点目は権利救済の機会拡大ではないか、そこにいろいろ書いてございますが、やはり行政行為を争う場合と私人の行為を争う場合で、訴訟アクセスの間口の広さが余りに違い過ぎるのではないか、この辺りの整合性を取るべきではないか、そういう辺りの問題。逆に言えば、行政訴訟と民事訴訟の両方を提起できるようにしたらどうか、こういう解決方策もありますが、いずれにしてもそういう機会の拡大というのが1点目にあるのではなかろうかというふうに思います。
 その後いろいろ書いてございますが、4頁目の中ほどの 3)のところで、「行政事件訴訟法では」というのが4行目ぐらいから書いていますが、原告の主張する法律上の利益が「制定法により保護された利益」でなければならない、とされておりまして、そういうものでなければ提起できないということになっていますが、極端に言えば憲法上保護された利益であっても、制定法の規定がないと提起できないのかということになってまいりまして、その下のパラグラフの2行目の最後から書いてございますように、本来、保護対象を狭く限定し過ぎた制定法に基づく行政行為こそ行政訴訟で争ってもいいはずであるにもかかわらず、現行法では、狭く限定すればするほど訴訟はできないということになってしまうのではないかと。要するに、訴えられる側が訴えることのできる人の資格を決めるという現行法の在り方という辺りが問題ではないかという認識が、国民としてはあるのではなかろうかという感じが若干いたしております。
 それから、その次の5頁目には、「適切な救済の実現」ということで書いてございますが、ここにつきましては、そこの1)の3つ目のパラグラフのところで、例えばどういう判決の内容を受けるにしても、裁判を受ける権利というのは望ましい類型の判決を求める権利も含まれているのではなかろうかと。こういう観点から例えば行政の第一次的な判断権を一定程度尊重しつつも、もう少し、義務づけ訴訟というのがあってもいいのではなかろうかというような問題があろうかと思います。
 それからその次、6頁のところでございますが、執行不停止原則も勿論ございますし、裁量審査の実効性を上げる仕方として、やはり手続違反があれば違法とするような、そういう仕組みがいるのではなかろうかということでございます。これは行政立法とか行政計画を審査するということに、もしなれば、なかなか実体的には当事者以外、非常に審査が難しいということでありますので、手続的な面でそういうものに垣根をつくるというか、それでなければ違法だというようなことにすれば、もう少し実効性が上がるのではないかというようなやり方もあるということを書いてございます。
 その次の7頁のところで、「適法性コントロールの拡大」ということで、これは最近の環境問題ないしは消費者問題に対する団体訴訟で特に問題になるわけでございますが、この環境問題、消費者問題、いずれにしても基本法というものが制定されるような、国にとっては重要な、あるいは国民にとって重要な政策課題であるにもかかわらず、なかなかそれを訴訟ルートでチェックすることが難しいという分野ではなかろうかと思います。そもそも、そういう基本法的に位置づけられた利益に対して、司法コントロールが及ばない、及びにくい、というのは問題ではなかろうかということでございます。その辺があるので、少しこの辺をもう少し議論してもよかろうかということでございます。
 以上でございます。かなり端折りましたが、ポイントは以上のところでございます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。前々回か私の方から芝原委員にお願いして、もう一度整理していただきたいと申しましたのは、この資料の2が主としたところでございましたが、そのほかの点についても、芝原委員のお考えということでおまとめいただいてあるものでございますけれども、貴重な資料として今日御披露をいただいたわけでございます。
 今日御披露いただいた中には、これから議論すべきところが多々ございますので、そういった点についてはまた議論の中で、芝原委員、どうぞ繰り返し御主張いただければと思います。
 何か今日皆様方にお見せしたものですから、すぐここで御意見が賜れなければ、気が付いたところ、ここはやっぱりちょっと、こう直した方がいいのではないかということがあれば、個人の御意見としてどうぞ芝原委員に情報を提供していただければと思います。
 何か特に御質問・御意見等ございますでしょうか、今の段階でこのペーパーについて。今日は一応御披露ということで、今後の検討の参考にする重要な資料として備えておきたいということでございますけれども、よろしゅうございますでしょうか。
 それでは、今、申しましたようにこの資料に関する御意見は、論点の検討の中で随時いただく、芝原委員のみならず他の委員からもいただくということにいたしまして、それでは引き続き事務局から取消訴訟に関する資料の説明をお願いいたします。

【小林参事官】本日、資料の1と2を配布しております。取消訴訟に関してご検討していただくに当たって、まず取消訴訟の特色とは何かということで、資料の2を作ったわけです。この中で、一番左に整理したように取消訴訟は国民の権利利益の救済という性格をもって、その上で、その下の項目ですが、行政処分の早期・画一的確定を目指した制度になっている。具体的に取消訴訟の特色とは何かというと、結局は出訴期間があるということではなかろうかと考えております。規定によりますと、取消訴訟は処分又は裁決があったことを知った日から3箇月以内に提起しなければならないとされ、さらに取消訴訟は処分又は裁決の日から1年を経過したときは提起することはできない、このようになっているわけです。
 取消訴訟の制度について、その位置づけを検討するに当たっては、取消訴訟の制度がなかったらどうなるか、ということが問題になろうかと思います。これは日本国憲法の施行前であれば、行政処分については、取消訴訟の対象となることを法律で規定されていなければ、それを争うことができなかったことになりますが、日本国憲法施行後であれば、行政の行為であろうと全て裁判の審査の対象になりますから、取消訴訟がなければ、出訴期間もない。出訴期間がなくて違法な行政行為の効力はどうなるかということになると、法の一般原則からすると、それは無効になるのではないか。裁判の扱い方としてはそれが無効であることを確認するかどうか、適法なものが有効であって、違法なものは無効である。こういう基本原則に戻るだけではないだろうかと考えられるわけです。ちなみに民事訴訟の世界では、例えば契約や就業規則に違反して解雇の意思表示をしても、その解雇の意思表示は無効だ、と裁判所は判断する、これは普通の考え方ですので、違法なものが有効になることはあまり考える場合はないのではないか。ところが、この取消訴訟については、その対象の問題が資料の4ページになりますが、最高裁の枠囲いの中に書いてある判決でも、処分の取消しの訴えの対象は、「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」、と定められ、枠囲いの5行目のところで、(中略)の後に、「かかる行政庁の行為は、公共の福祉の維持、増進のために、法の内容を実現することを目的とし、正当の権限ある行政庁により、法に準拠してなされるもので、社会公共の福祉に極めて関係の深い事柄であるから、法律は、行政庁の右のような行為の特殊性に鑑み、一方このような行政目的を可及的速やかに達成せしめる必要性と、他方これによって権利、利益を侵害された者の法律上の救済を図ることの必要性とを勘案して、行政庁の右のような行為は仮に違法なものであっても、それが正当な権限を有する機関によって取り消されるまでは、一応適法性の推定を受け有効として取り扱われるものであることを認め、これによって権利、利益を侵害された者の救済については、通常の民事訴訟の方法によることなく、特別の規定によるべきこととしたのである」となっているわけです。取消訴訟の制度をつくることによって、一方で出訴期間の制限が設けられている。その出訴期間の制限を設けた取消訴訟という制度をつくった以上は、通常の民事訴訟の方法によらないで、それが取り消されない以上は有効なものとしてしまう。こういう法の仕組みをつくっていると、この最高裁の判決は理解しているのではないか、と思われるわけです。したがいまして、取消訴訟の対象となる行政庁の処分、これが何かということは、この範囲に当たるものについては出訴期間の制限を受けて、違法なものであっても、取り消されなくなってしまうことがあり得るという前提で、検討をしなければいけないのではないかということになります。
 逆に言えば、取消訴訟の対象とならないような行為、例えば行政立法、政省令が法律に違反していれば当然、無効である。これは当然の原則ではないかと思われるのですが、それが行政庁の処分になって、取消訴訟の対象ということになれば、これは出訴期間の適用を受けることになりはしないか、ということを前提に検討をする必要があると思われるわけです。
 他方、問題は、行政法の仕組み全体について言えることですが、行政庁の処分とは一体何なのかが普通の国民にとって本当に分かりやすいかどうかということになると、これが分かりやすいものもあると思うのです。課税処分は処分だろうというのは誰でも分かると思うのですが、ただ、現代の行政、いろんな多面的な行政の活動の中で、それが一義的に明白かどうかということになると、現にこのことが裁判所でも争われて、フリートーキング参考資料で挙げられたようないろんな意見が出てくるということは、それが明らかでない場面が、往々にしてあるからではなかろうかと思われるわけです。
 一方では、処分に当たるとされてしまえば、出訴期間という重要な制約を受けて、一定の期間が経過してしまったら、争えなくなってしまう。そういう重大な効果が国民に対して与えられるものであるにも関わらず、その処分がどれであるのか、行政の行為のうちの処分というのは何なのか、がはっきり分からないというのは、国民の権利保護の観点からいかがなものか、という感じがするわけです。
 そこで7ページに問題の所在というところで、簡単にまとめておりますが、具体的な行政の行為が取消訴訟の対象となるか否かを検討するに当たっては、他の訴訟類型による救済の可能性、つまり処分に当たらないことによって、その行為が無効になる。その無効を確認する訴訟であれば通常の当事者訴訟による確認訴訟でできる場合もありうるでしょうから、そういったことも出来ないのかどうかというような他の救済の可能性についても検討する必要がある。取消訴訟による救済が本当に必要なのかどうかということをきちんと押える必要があるのではないか。それから、具体的な行政活動は様々な領域で多様な形で行われている、ということを踏まえて、行政過程全体を見通して、その個々の行政活動の独自性も踏まえながら、利害関係人の権利利益の保護や国民や地域住民等の意思の反映をどういうふうに図っていくか。これは芝原委員から度々、ご指摘のあるような国民の利益をどういう行政過程にどういうふうに反映していくのか、というようなご指摘があろうかと思いますが、そういった観点、それから国民の不服申立てにどのような手段を用意するのか、そういったことも視野に入れて、司法と行政、それぞれの役割分担も念頭に置いた上で、検討を行う必要があるのではないか、というのが、取消訴訟の対象に関する事務局の問題の整理です。
 次に原告適格と訴えの利益の関係ですが、この原告適格に関しましては、立法担当者の考え方は、普通、訴えである以上は、その訴えをするに当たって、利益が必要だという当然のことを規定したものである、と考えられているわけです。それは9ページの下から10行目で「すなわち、法的に保護されている権利、利益を行政庁の行為によって侵害され、又は法律上の不利益を課されたもの(相手方たると第三者たるとを問わず)にしてはじめてその行為の取消しが、その権利、利益の救済に役立つわけであるから、その取消しを求めるにつき法律上の利益をもつといえることになるからである。」と、この程度のことを考えているのであって、この法律上の利益という、抽象的な概念で規定したのは、その下から5行目にあるのですが、「いかなる場合に行政庁の行為による権利その他法的利益の侵害があったと認むべきか、また、いかなる場合に法律上の不利益を被ったか、その限界を劃することは、困難であり、学説判例の発展にゆだねざるを得ない。本条が「法律上の利益を有する者」と抽象的に規定したのは、そのためである。」と言われています。一般に、他の、例えば会社更生等も多くの債権者の方に一度に多くの不利益を与えるわけですが、例えば会社更生に関する決定について誰が不服を申し立てられるか、ということになりますと、そのときは「その裁判につき利害関係を有する者」と規定されておりまして、やはり抽象的な規定で決められているわけです。こういったときにどういう利害関係を言うのか、というと、これも抽象的に言われているのですが、法律上の利害関係を言う。具体的に何が法律上の利害関係で、何がそうでないのかということになると、非常に微妙な問題があろうかと思うのですが、一般的にはその程度の理解がされている、ということでございます。
 他方で、先ほど芝原委員からのご指摘にもあったように、この最高裁の判例の考え方として、法律上保護された利益、例えば行政法規によって法律上保護されている、そういうことが法律上の利益として必要だ、最高裁の考え方がもしそうだという考え方を取った場合には、先ほどご指摘のあったような憲法上の利益はどう考えるのだろうか、という問題が起こってまいります。また現代型の行政の場合については、公益に近いような薄く広まった利益を保護している行政活動、法律が増えてきているのではないかと思われます。ですから、個人の利益を直接的に侵害したり、保護したりというような明確な特定の利益を対象にした行政活動から少し広がった利益を保護していく行政活動が増えているのではないかと思われ、そういった利益をどうやって救済をしていったらいいのか。法律がそういった利益を保護しようとしているとすれば、その保護しようとしている法律の趣旨を実現していくために適切な方策は何なのか、ということを検討していく必要があるのではないかと考えた次第です。
 そういう意味でここでの問題の指摘につきましては、結局、一般的な民事訴訟なり、訴えの原則と同じような利益が必要だと考えていると思われるのですが、一般的な訴えで要求される利益の考え方で、現代の行政で保護しようとしている、法律が守ろうとしている利益、そういったものを保護していったり、あるいは法律が予期していなかった憲法上の利益とか、そういった利益を保護していくための、そのための適切な方策、そういったものが何なのか、ということを考えていく必要があるのではないか、という問題意識でございます。
 それから個々の個別の問題について、15ページ以降に被告適格、出訴期間、出訴期間等の教示の問題がございます。被告適格につきましては、特に問題となりますのは、行政庁という概念が、これは行政法の枠の中では、行政庁ということで、昔から論じられ、法律の中でも多数、使われている概念であります。ただ、しかしながら、現実に何か行政から国民が処分なりを受けたときに誰に権限があるのかということをきちんと調べられるかということになりますと、実は行政の中での権限の委任、あるいは専決みたいなことは多数、行われております。例として、地方自治法を挙げているのですが、他の法律も調べますと、法令検索したら 1,000以上出てきてしまいまして、非常に多くの形で権限の所在が地方支分部局におろされたり、というような形で多様な動きをしているのです。国民の方からそういったことをきちんと調べた上で、争うということにするよりは、特に最近、地方分権で、機関委任事務がなくなったことを考えると、通常の民事訴訟の基本原則である権利主体が当事者となるのを行政であるが故に変える、その必要性が現時点においてどの程度あるのか、ということを検討する必要があるのではないかという観点でまとめております。
 それから、出訴期間につきましては、これも実は3箇月以内にしたのは行政事件訴訟法の制定のときに「知ったときから3箇月以内」、それまでは6箇月だったのを短縮しているのです。その趣旨としては、資料の17ページ以降に立法担当者の解説を書いてあるとおりで、実は各種の特別法によって、多数それより短い規定が定められていたという現状や諸外国ではそれより短い期間を定めていた、という実際等を踏まえて改正がされたということになっております。現状においてどうかと言うと、別紙9で、出訴期間の特例を定めた規定がございますけれども、実は取消訴訟の出訴期間を定めた特例は、現在は非常に少ない。これは逆に言うと、一般法である行政事件訴訟法が各行政庁から信頼されているというか、頼りにされている。この改正後は特例が非常に少なくなっている、というのが現状です。ある意味では分かりやすい。少なくとも行政事件訴訟法を知っていればそんなに大きな間違いを犯さない、という意味では分かりやすいのかもしれないですが、逆に一般法があるが故に、特別法で明確に規定するところが立法態度として怠られている面も無きにしも非ずではないか。例えば最高裁の判例では、「処分があったことを知った日」というのは、例えば官報とかに公告して処分をしたようなときは、その公告があったことをその人が知らなくても公告の日から出訴期間が過ぎる、こういう最高裁の判決がありますけれども、例えば会社更生法を見れば、会社更生の抗告期間はちゃんと会社更生法の中に公告が効力を生じた日から起算して2週間と明確に書いてあるのです。個別の規定を読まなくても、ある程度行政事件訴訟法によってみんなに理解してもらえるという一般法としての明確性というか、信頼性というのがあるということの裏返しとして、個別の適用に当たって、具体的な行政の特殊性を踏まえて、それでいいのかということになると、国民にとって、必ずしもそうとは言えない場合も有り得るのではないかという場合も生じている、ということになろうかと思います。
 そういう意味で、最後に出訴期間等の教示義務の問題。何が処分に当たるかということ自体も、ある意味、明確なのかもしれませんが、微妙な問題も多い。それから出訴期間についても、それによって国民が最終的に訴えを起こせなくなってしまう、という重要な効果をもたらすにしては、そのことが国民に明確でないまま訴えを起こしたところ出訴期間が過ぎて、処分だという主張をされてしまう、ということになるのでは、国民の権利保護として十分ではないのではないか、という視点から、行政不服審査法57条のような、処分について、これは不服申立ての対象となる、しかもその場合には出訴期間はどうなっている、というようなことを国民に対して明確になるような、そういう配慮も検討すべきでないかという視点から、この資料は整理をしています。
 なお、取消訴訟によって、争うべきなのか、あるいは他の救済手段もあるのではないかということについてはある程度具体的な事例をご参照いただいた方がよろしいかと思いまして、ちょっとお時間いただいてこの別紙の中に具体的な事例を幾つか挙げておりますので、そちらの方を村田企画官の方から御紹介させていただいてよろしいでしょうか。

【塩野座長】どうぞ。

【村田企画官】それでは、簡単に御説明いたします。取消訴訟の対象となるか否かが問題となった例として、別紙の3、5、6、8の4つの例を出しました。
 まず、別紙の3については、ごみ焼却場の設置が問題となる事例を想定しております。ごみ焼却場などの公共的な施設の設置については、迷惑施設などという言われ方をされる場合もありますが、周辺住民との関係で紛争となることがございます。そのため、都市計画法等による特別な手続、慎重な手続によりこうした施設が設置される場合もありますけれども、計画行政に関することは別の事例で検討いたしますので、ここの別紙3ではそういう特別な手続を用いない場合を想定して、矢印で示されたような流れを考えております。
 ここでは、ごみ焼却場設置のための用地の取得と設置の計画の策定、これは場合によっては順番が逆になるというようなこともあろうかと思います。いずれにしましても、この例においては、用地の取得に土地収用法等による強制収用の手続が用いられるようなことでもなければ、典型的な行政処分というのは登場しないという例になっております。
 判例によりますと、取消訴訟の対象についての考え方からしますと、ここにあります一連の行為のうち、例えばこの用地取得のために土地の売買契約をした、あるいは焼却場建設のため、請負業者との間で工事の請負契約をした。これは私人間の契約と同様であって、例えば私が土地を買って家を建てるというような場合と、契約の性質で異なることがあるわけではありませんので、契約相手との間で対等の立場で行うものということで、処分その他公権力の行使には当たらないんではないかというふうにされることになろうかと思います。
 また、この流れのうちごみ焼却場の設置計画の策定、それから起工決定というような言い方をしておりますが、この決定は行政内部のどのレベルでの決定なのか、場合によっては議会の議決というようなことになることもあろうかと思います。様々でしょうけれども、これはいずれも行政の内部的な行為で、行政から見れば外部に当たる国民の権利義務に直接の影響を与えるものではないというような整理から、「処分その他公権力の行使」ではないというふうにされております。建設工事の工事自体も、私法上の契約に基づいて請負業者が行っている事実行為ですので、「処分その他公権力の行使」とは言い難いということになろうかと思います。
 このように行為を個別に考えますと、土地の強制収用の場合を除きますと、取消訴訟の対象となるものはないということになって、取消訴訟では争えないということになります。そうなりますと、逆に取消訴訟の排他的管轄の制約、すなわち取消訴訟でなければ争えないという制約はありませんので、例えばこの施設の隣人が自分の人格権侵害を根拠にして民事訴訟で建築行為の差し止めを求めるということも、何ら妨げられないということになろうかと思います。
 このような場合に、あえて一連の過程全体をとらえて取消訴訟の対象とするというような考え方を取った裁判例もございました。このように考える場合には、果たして出訴期間を何について、いつから、どのように考えるかといった点、あるいは一連の行為が全体として取消訴訟の排他的管轄に服するとなると、民事訴訟で一連の行為の効力を問題とすることはできないのであろうかといった点、こういったことが問題になろうかと思います。このような事案では、民事訴訟による救済をどのように評価するのか、また民事訴訟による救済を妨げる要素があることを踏まえて、なお取消訴訟の対象とするべきものがあるのかないのか、それからその他の行政訴訟により救済の必要性、こういった点を検討する必要があろうかと思います。
 続きまして、別紙の5でございますけれども、これは通達が取消訴訟の対象となるか、ということが問題となる事案です。取消訴訟以外の救済方法についても御検討いただきたいという趣旨の資料です。
 墓地、埋葬等に関する法律を例に挙げました。この法律の13条では、墓地等の管理者は正当の理由がなければ、埋葬等の求めを拒んではならない、という規定がございます。何がこの「正当な理由」に当たるかという解釈を示す通達を変更した場合にどうなるかという事案です。自分のところの墓地の宗派が一定のものがあるとして、それと異なる異教徒による埋葬等の求めに対しては、従来からの宗派の人の宗教的感情を著しく害する恐れがあるということで、その求めを拒んでいいと、それには正当の理由があるという解釈を従前は示していた通達がある。これを変更して、異教徒であることだけを理由にして求めを拒むというのは正当な理由はないと考える、という新しい通達を発した。ところが、その新しい通達の内容に不服があるとして、その通達自体の取り消しを求めることができるかどうかというような問題になろうかと思います。この場合に、通達自体を取消訴訟の対象とするということになりますと、通達を前提とする後での具体的な行政処分、下の方に出てまいりますけれども、このような行政処分を受けることを待たないで、通達の効力を争うことが可能となるというふうにも考えられます。
 しかし、その反面取消訴訟で争うということになりますと、先ほどの説明にもありましたように、出訴期間の制限というものが伴い、またその取消訴訟の対象となる行為については、取消訴訟で取り消さないうちに他の訴訟でその効力を争うということは原則としてできない。明白かつ重大な瑕疵があるといったような場合でない限り、他の訴訟では争えないというようなことになりますので、原則としては出訴期間内に取消訴訟で争わないと、よほど大きな違法がない限り争えなくなってしまう、こういうことになろうかと思います。
 他方、通達自体は取消訴訟の対象とならないと仮に考えたとすると、そういった制約が逆になくなりますので、他の訴訟類型によりこれを争うということも考えられることになります。この場合、通達が取消訴訟の対象ではないと考えるということは、通達はその取消訴訟を含む抗告訴訟の対象である、「処分その他公権力の行使」には当たらないと考えることになりますから、抗告訴訟の諸類型でこれを争うということはできないということになるかと思いますけれども、その反面取消訴訟でなければ争えないという制約がないということになりますので、例えば当事者訴訟で通達の違法、あるいは無効の確認を求めること、またより具体的な義務として異教徒の埋葬に応じるような墓地埋葬法上の義務はないんだということの確認を求める当事者訴訟といったものを、現行の法制の場合には、ということですけれども、提起することも考えられることになるかと思います。ただ、これらの確認訴訟のようなものが、適法なものとして認められるか否かというのは、法律上の争訟と言えるか、更には確認の利益があるのかないのか、といったことをどう考えるかということにより決まるということになろうかと思います。仮にこの異教徒の埋葬の求めに対して、正当の理由がなくこれを拒んだということになりますと、この法律の19条によって墓地の経営許可を取り消される恐れがあります。更に21条という条文がありまして、この条文は途中までしか引きませんで、1号を書き落としてしまいましたけれども、この21条の1号には第3条、第4条、第5条1項または第12条〜第17条までの規定に違反したものというのがありまして、つまりこの13条の正当の理由がなくて拒んだ場合どうなるかと言いますと、千円以下の罰金又は拘留若しくは科料という刑罰を課される恐れがあるということになります。このような恐れがあることをもって、確認の利益があるというふうに考えられるのかどうかということが問題になろうかと思います。
 更には、そのような経営許可の取り消しを受けることを避けるために、経営許可取消処分ということがないように差止めを求める訴訟を起こすということも理論的には考えられます。この場合には差止めというものを許容する要件、更に差止めを認める実体的な要件、これをどのように考えるかということが問題になるかと思います。
 そして逆に、こうした確認訴訟や差止め訴訟で争えないという場合になりますと、経営許可取消処分の取消訴訟、更には刑罰について刑事訴訟で通達の効力を争うというようなことになりますが、それでもって救済手段として果たして十分なのか、遅過ぎないかという点についての検討が必要になろうかと思います。
 それから続きまして、別紙6の例でございますけれども、別紙6と別紙8はいずれも都市計画が問題となる事件ですが、別紙6は用途地域の指定を取消訴訟の対象として認めるか否かという問題です。その手続の過程において、他の訴訟による救済方法についても御検討いただきたいという趣旨です。用途地域と言いますのは、建築物等の立地を、住宅地ですとか、商業用地といったような用途によって規制するもので、その指定が一定の広さのある地域、これを対象にしますので、その地域内に土地を所有している者が複数いるというふうなことになりますと、関係者多数ということになって、個別具体的な行政処分とは異なって一般処分というような言われ方をされるものの一つになろうかと思います。この一般性、抽象性があるという点で、取消訴訟の対象となるか否かということが問題とされております。
 手続の流れについては、大体この資料に矢印で書いてあるとおりでございますけれども、用途地域の指定という決定がされて、これが告示されますと、建築基準法上いろいろ建築についての制限が発生いたします。自由には建物を建てられなくなるという法律上の効果が生じます。地域内の土地所有者にとっては、権利義務に一定の変動を生じていると見ることもできるかと思いますので、これに不服がある場合には、都市計画の1つである用途地域指定の決定自体、これを取消訴訟の対象として争うということが1つ考えられるわけです。けれどもこの場合、通達について述べたのと同様、出訴期間や取消訴訟の排他的管轄の問題についてどう考えるか、という点がございますし、更にはこの流れの中で理解いたしますと、後々出てくる処分との関係では先行する行為となります、この計画を公定力がある処分だということにいたしますと、いわゆる違法性の承継の問題、更にその後の具体的な処分を争う際に、前提となっている計画自体の適法性を争うことができるのか否かというふうなことが問題として上がってくるというようなことになろうかと思います。
 この場合、用途地域の指定によって、ここに挙げておりますようないろいろな建築基準法上の制限が発生して、しかもそれに反する内容で建築確認申請をしても認められないだろう、かと言って建築確認を受けずに建築するとなると、やっている工事の施工の停止命令を受けたり、でき上がってきている建築物の除却命令が出されたり、さらにまたそれに従わない場合には刑罰を課されるというふうなこともあり得るということになっております。そこで、この用途地域の指定の決定を取消訴訟の対象と仮に認めないとすると、また別の、他の争い方ができるという面もあるのではないか。すなわち、重大かつ明白な違法というふうなことが言えないまでも、とにかく違法であるということになると、それを前提にして、みずから受けるような今申し上げたような不利益を主張して、現行の法制で行きますと、当事者訴訟としての用途地域指定決定の違法、あるいは無効の確認訴訟、更には建築制限を受けないことの確認訴訟というようなことを提起することも理論的には考えられるのではないか。この場合には、勿論、ここで挙げられているような不利益が果たして確認の利益というものを基礎づけることになるのかどうかといったことを検討しなければいけないということになるかと思います。
 また、用途地域の指定の決定について争うことができないとしても、用途地域の指定により生じた建築基準法上の制限に違反しているということで却下される建築確認申請の却下処分、これの取消訴訟を提起すれば足りるのではないかという考え方もあろうかと思いますけれども、この場合には、用地地域の指定により発生した建築基準法上の制限、これはもう発生しているわけですけれども、これを無視した建物の設計をして、更にその制限に違反した内容の建築確認申請をして、初めて建築確認申請却下処分がされて、これを争うという段取りになりますので、そのような制限違反の申請をした上で争う、ということが期待できるのかどうかという判断になろうかと思います。建築確認申請が却下された場合でも、それが違法な処分だと。だから、あくまでも争うということを考えて、建築確認を受けずに建築を行うということももちろん考えられなくはないわけですけれども、その場合は、やはり工事の施工の停止命令や建築物の除却命令を受ける恐れがありますし、それを受けてから更に取消訴訟を起こすということで救済として十分か否かといった点についても御検討いただく必要があるのではないかと思います。
 それから最後に、別紙8の例でございますけれども、これも都市計画の1つの土地区画整理事業計画が問題となる事例です。土地区画整理と言いますのは、公共施設の整備改善、あるいは宅地の利用増進のために土地の区画の変更などを行うものですが、だれが主体となって事業を行うかによって、手続は微妙に異なります。ここでは公共団体が主体となる場合を例として、概略として矢印のような流れを挙げてございます。こういった市街地の開発の手法としては、強制的に土地を取り上げてしまう収用によるような場合と、ここに挙げておりますような土地を交換分合するという換地処分というような方法がありまして、ここでは換地処分による土地区画整理事業を挙げてございます。一定の範囲の地域を対象として、その範囲内の建物を一旦取り除き、土地を例えば碁盤の目状にきれいに区画整理して、もともと権利者である人に、新たにきれいに整理した土地を割り当てる、こういった方法で整理をしていくわけです。そのための区画整理の事業計画案というのを作成して、設計の概要について申請をして認可を得る。その上で換地の計画を作成して、必要な場合には仮換地といった手続も経て、土地の交換の換地処分というものをして、最後に清算をして終わるというような流れになっております。区画整理の設計の概要の認可というのがされますと、土地区画整理法上の建築行為等の、ここに挙げておりますような制限が生じます。この場合に、ここでの認可を取消訴訟の対象とするか否かということが問題になるわけですけれども、これを取消訴訟の対象とする場合には、やはり出訴期間の制限、取消訴訟の排他的管轄の問題、更には違法性の承継といった問題について、御検討いただく必要があろうかと思います。
 他方、認可に伴って生じる土地区画整理法上の制限に違反して建築等をしたいという場合に、許可の申請をすれば却下されることになりますし、にもかかわらず建築等をあえてしてしまうと、原状回復等の命令が発せられる恐れがあるほか、その命令違反に対しては更に刑罰が待っているということになっております。このような不利益をとらえて、事業認可の違法、無効確認訴訟や建築等の制限を受けないことの確認訴訟の確認の利益を肯定することができるか否かということも問題となろうかと思います。制限違反の建築等の行為に対する原状回復命令、これの取消訴訟を提起すればよいのではないかという考え方もあろうかと思います。この場合には、後に刑罰が控えているというようなことで強制されている法律上の制限に違反しなければ、原状回復等の命令を争う場面にはならないという点をどのように考えるかということが問題としてあろうかと思います。
 以上のような事案におきましては、行政訴訟で争う方向のほかに、更に各段階の行為を行政の行為ととらまえて、国家賠償請求を提起して、金銭賠償による救済を求めるという方法があることは勿論、可能でございますので、そのことも含め、念頭に置いて御検討いただければというように思います。長くなりましたが、以上でございます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。以上が説明でございます。取消訴訟の論点の検討は、この資料1にありますように、かなり広範、かなりまた一方において技術的な点がございますので、今の説明を前提にして、一挙に議論をしても、いささか混乱を生ずる恐れがあろうかとも思いますので、具体的な議論のしやすいというところで、大きく3つくらいに分かれるかと思います。
 1つは「行政訴訟における取消訴訟の位置づけ」と、「取消訴訟の対象」が一括りになろうかと思います。
 それからもう一つは、「原告適格及び訴えの利益」。原告適格を訴えの利益の中に含めて説明する場合もありますが、ここでは一応、原告適格及び訴えの利益ということで説明をしておりますので、この原告適格及び狭義の訴えの利益、これがもう一つのくくりになろうかと思います。
 それから第3の区分としては、やや技術的な問題、しかし、非常に国民の権利救済にとっては重要な問題である出訴期間の問題。それから遡りますが、被告適格の問題。そして、出訴期間等の教示という具体的な問題があるということで、大体この3つのブロックごとに議論を進めてはいかがと思いますけれども、いかがでございましょうか。
 もし、よろしければ、各論点に関する意見交換を行いたいと思います。
 最初に、取消訴訟の位置づけと取消訴訟の対象について、これは併せて検討をお願いしたいということでございます。これにつきましては、先ほどから事務局が、いろいろな角度から説明しておりますように、どうも取消訴訟だけをつかまえていたのでは、なかなか全体が見えない。常々、芝原委員に注意されているところですけれども、細かなところに入り込んじゃうとなかなか全体が見えないということもありまして、またこの場合でもそうでございまして、取消訴訟以外の制度、特に取消訴訟以外の抗告訴訟やそれから当事者訴訟、更には民事訴訟などの救済方法との関係も踏まえながら、こういう場合には取消訴訟がやはり必要なのかどうかというようなこと。あるいは、取消訴訟で救えないということに仮にするとすれば、本当にどこでも救ってもらえないだろうかというような意味での検討が必要ではないかというふうに思います。そういう意味では、行政訴訟とは一体そもそも何か。あるいは他の訴訟類型をどのように考えるかという前回の論点にも、かなり振り返って議論をする必要があろうかというふうに思いますので、まずそういうことで、先ほど御紹介にありました事例をも参考にしながら、どういった場合、どのような段階でどのような救済方法が可能かという、そういった観点から議論をしていったらどうかというふうにも思われます。
 せっかくの御紹介がございましたので、資料の1、先ほどの判例等々についての説明を思い出しながら、議論をしてはいかがかというふうに思います。どなたからでも結構でございますから、第1のブロックとして設定したところについて御意見を賜れればと思います。芝池委員、どうぞ。

【芝池委員】現在は取消訴訟の対象は行政処分ということになっておりまして、その中には行政上の計画、すなわち先ほどの土地区画整理事業計画でありますとか、用途地域指定の行為は必ずしも入ってこないということになっておりますけれども、今回の行政訴訟改革では、取消訴訟形式を維持するといたしまして、その対象につきましては、行政処分という概念から切り離しまして、広げるという表現になると思いますが、広げた方がいいのではないかと思っております。ただ、これは私個人の好みということでは必ずしもないわけでありまして、こういう主張はかねてから学説にも存在をしておりますし、それから、裁判例によりますと、行政処分以外の行為について、取消訴訟を提起する例も割合と多いようです。
 それから、先般のパブリックコメント手続の結果を見ておりましても、取消訴訟の対象を広げる方向での声が多かったという印象を持っております。
 更に、先ほどの芝原委員の御報告も、同じような方向のものだったと考えるわけでありまして、以上のような次第で取消訴訟の対象を広げたらどうかというふうに考えております。
 ちょっと話が長くなるのですが、お手元に配布されております「行政訴訟制度改革に関する覚え書」という私の書いたものをご覧になっていただきたいと思います。これはまだ御紹介しておりませんでしたけれども、岡山大学の原野翹教授の還暦記念の論文集に書いたものでありまして、まだこの本は出ておりません。現在まだゲラ刷りの段階でございますが、出版社の了解を得まして、ここに配布させていただいている次第であります。その13頁以下で取消訴訟の対象になる行為について書いております。この行政訴訟検討会で意見をお述べになった方の中には、取消訴訟の対象を従来の行政処分と考えるという考え方をお述べになった方もおられるわけでありますが、その方の場合は、取消訴訟とは別に行政計画を争う訴訟のようなものを予定しておられますが、ただその考え方によりますと、新しくつくられる訴訟に漏れるものは、やはり救済の対象にならない、という問題が出てくるのではないかと思っております。
 それから13頁の後ろから4行目で書いておりますように、阿部泰隆神戸大学教授は「法令に基づく行政庁の決定で、外部に表示され、適法性の判断に熟するもので、権利救済の実効性を確保するために争わせる必要があるもの」と定義されております。こういう形で取消訴訟の対象を画するという御意見でありますが、このやり方も定義の仕方が精密になればなるほど漏れるものが出てくるのではないかという懸念を持っております。
 私はどう考えているかと申しますと、日弁連の方からの御意見に近いわけでありますが、「行政上の意思決定」という提案を行っております。13頁の一番最後の行から書いているところですが、「行政庁の意思決定」という提案を行っておりますが、この程度の漠然とした対象の設定の仕方でいいのではないかと思っております。
 要するに、日弁連の提案に私が賛成しますのは、従来の行政処分の観念から一旦切り離すことによってこの「行政上の意思決定」という観念が行政処分という観念よりも広くなっているからです。この「行政上の意思決定」という定式は漠然としているわけでありますが、その内容の重点は、今後の学説なり裁判例に委ねるということでいいのではないかと考えております。用語としましては、「行政上の意思決定」というのは行政手続法で用いられている用語でありますが、私としては、別にそれにこだわらずに行政決定と呼んでもいいのではないかと思っております。
 こういうふうに取消訴訟の対象を広げますと、先ほどの小林参事官のお話にあったことでありますが、出訴期間の制限をかぶってくるのではないか、あるいはその取消訴訟の排他性がかかってくるのではないかという問題があるわけでありますが、実はこれは非常に難しい問題でありまして、現在のところは、この出訴期間なり排他性の問題と切り離す方向で取消訴訟の対象を決めることはできないかということを考えております。目下検討中でございまして、またこの出訴期間の問題、それに関連した排他性の問題が議論になるときまでには何らかの解決策を考えておくつもりであります。
 それから、他の訴訟の可能性を勘案する必要があるという御指摘もございましたけれども、他の訴訟ができれば、取消訴訟を起こす必要はないということには必ずしもならないわけでありまして、現在、原子力発電所の設置に関しましては、取消訴訟ではなくて、無効確認訴訟ですが、無効確認訴訟と民事訴訟が並行して進められているというケースもございまして、他の訴訟との調整の問題は、今後の検討の課題になるのではないかと思っております。
 それから、他の訴訟の問題に関連するんですが、拒否処分は、もし義務づけ訴訟が導入されるのであれば、そちらの守備範囲に回すということも考えられるのではないかと思っております。
 それから、今申しました点に直接関係しないことでありますが、よく昭和39年10月29日の最高裁判所の判決では、この取消訴訟の対象に関する先例として言及されます。資料1では4頁に引用されているものですが、この判決は確かに取消訴訟の対象を定式化しております。取消訴訟ないし抗告訴訟の対象を定式化しているわけでありますが、その後の裁判例を見ておりますと、この判決に依拠して、行政処分の定義に該当しないという形でいわば一刀両断的に請求を退ける最高裁判所の判決は見当たらないわけでありまして、むしろ個別的に取消訴訟の対象にすることが適切かどうかという観点が見られます。この点から言いますと、この昭和39年10月29日最高裁判所の判決を基本に据えることは、余り適切なことではない、という感じを持っております。以上でございます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。今の御発言そのものについて、いろいろ反論とか、あるいは質問とかもあろうかと思いますが、まず第一読会の点でございますので、勿論、今の御意見にセコンドする、あるいは反対するという御意見でもよろしゅうございますが、必ずしも芝池意見に直接関連なくとも、最初の1のブロックのところでのお話を伺えればというふうに思います。水野委員、どうぞ。

【水野委員】先ほど説明がありましたように、現在の取消訴訟という制度は、行政処分の公定力を前提としてそれを排除する訴訟だ、このように解釈されております。ただし、取消訴訟の排他的管轄という議論で、要するに出訴期間に絡めて公定力というのは立法が用意したものだというふうに解釈されている学説もあるわけでありますけれども、基本的にはそういうことで理解されております。取消訴訟中心主義というか、あるいは公定力というのかもしれませんが、これは取消訴訟ができる場合には他の訴訟を排除するということがあるわけですね。
 1つは、他の行政訴訟を排除する。例えば課税処分取消訴訟がやれる場合には、納税義務不存在確認の訴訟、これは公法上の当事者訴訟になると思いますが、それは排除される。これは同じ行政訴訟なのに取消訴訟ができるときには公法上の当事者訴訟はできない。それから、義務づけ訴訟ができるかという議論のときに、今、判例では、他の救済手段がある場合には、義務づけ訴訟はできないという議論がありますから、取消訴訟ができるときには、義務づけ訴訟はできないという議論になっています。つまり、今の制度は立法も解釈も含めてかも分かりませんが、取消訴訟ができる場合には、そういった他の訴訟を二重の意味で排除すると、こういう制度になっているわけです。どうしてそういう制度ができたのかということになるんですけれども、これはやはり行政が優位であるというところから来ているのではないかと思われるわけです。訴訟の場では当然のことながら、原告と被告とは対等の立場でやらなければならない。これは訴訟の大原則です。しかし、行政訴訟に関して言うと、最初から行政が優位の立場にある。行政がやったことはまず適法であって、それを取消訴訟という形でいわば、それに対して取消しを求めていく。取消しがあって初めて効力がなくなる。つまり、形成訴訟だと。これが今の制度なんです。これは最初から原告である国民と被告の行政とが、対等の立場である訴訟制度になっていない、これは私は一番問題だと思うのです。この点が今回の行政訴訟の改革で取り組むべき最大の課題の1つであると思っているわけです。確かに行政のいろんな活動というのは、法律にしたがってやっておられると思いますから、違法な行政というのは必ずしも多くはないのかも分かりませんが、少なくとも国民が数ある行政の活動の中で、これは違法だとして訴えてきているものについて、その大半は適法なんだと、その適法を前提として訴訟制度を組み立てるというのはおかしいのであって、少なくとも訴えてきているものの大半は違法じゃないかというふうに考えるのが常識だと思うんです。少なくともイーブンであるべきだと。ですから、今のそういう行政優位の取消訴訟中心主義というのは是非改める必要があるだろうと思います。
 それから、民事訴訟では現在の権利義務に基づく訴訟が中心ですね。つまり、給付訴訟なり確認訴訟が中心でありまして、形成訴訟というのは例外なんです。そして、明文の規定があるときだけに認められているということになっております。ところが行政訴訟に関して言うと、取消訴訟ではすべてが形成訴訟なんです。なぜ行政に関してはすべてを形成訴訟として制度構築をする必要性があるのかということについての合理的な理由というのが私は見出し得ないのではないかと思います。行政訴訟の中にも、そういう形成訴訟によるべきだというものがあるかも分かりません。それは個別にそういう手当をしたらいいのであって、取消訴訟は全部形成訴訟であると、つまり抗告訴訟は全部形成訴訟だという今の制度の在り方というのは、その点からもおかしいのではないかと思うわけです。
 それでは、どういう改革をしていくかということでありますけれども、今の他の訴訟を排除するというのをまず改める必要があります。したがって例えば、いわゆる公法上の当事者訴訟でやるか、今のような取消訴訟でやるか、これはどちらも自由に選択できてしかるべきではないか。あるいは、義務づけ訴訟をやられるという場合で、義務づけ訴訟を選択してきた場合には、これは義務づけ訴訟を認めていいんじゃないか。取消訴訟ができるから義務づけ訴訟はできないという議論はやめる。だから、取消訴訟というのは仮に残すとしても、それはいろんな行政訴訟の1つの類型であって、他の行政訴訟を排除するものではない、何も取消訴訟が一番ではないという原則をまず確認すべきではないか。
 そういう意味からしますと、さまざまな訴訟類型を明文で規定していくべきではないか。義務づけ訴訟をやれるということを明文で規定する、計画に対する訴訟とか、様々な、いわゆる無名抗告訴訟と言っていろんな方が提案しておられますが、そういった訴訟類型について、明文の規定でやれる、取消訴訟と並べてやれるということを明確にすべきではないかというのが第1点。
 もう一つは、取消訴訟がやれるということによって、民事訴訟を排除するという、これもやめるべきではないか。民事訴訟は民事訴訟の要件があればできる。取消訴訟は取消訴訟の要件があればできるという形で、そこのところは認めるべきではないかと思います。そうしていきますと、結局、今の取消訴訟というのは、これは形成訴訟ではなくて、違法確認訴訟に近いものになっていくのではないか。これは芝池さんが今回書かれているものに指摘されておられますけれども、違法確認訴訟みたいなものになっていくのではないか。つまり、取消訴訟の判決があって初めて、民事訴訟の場でも、他の訴訟の場でもその処分の効力がなくなるんだという議論はやめるわけですから、これは結局、形成訴訟ではなくて、確認訴訟と似ているという形になっていくのではなかろうかと思われます。そうすると、取消訴訟というネーミングを残すかどうかという芝池さんも議論しておられますが、そのネーミングはともかくとして、他の訴訟を、いろんな訴訟を自由に認めることによって、現在の取消訴訟というのは、解釈として確認訴訟的なもの、あるいは確認訴訟の一種だという解釈になっていくんではないか。現在は、何も形成訴訟だと条文に書いてあるわけではないんだけれども、いろんなところから形成訴訟と解釈されています。しかし、今みたいな制度が実現すれば、確認訴訟の一種だというふうに解釈されるようになるんじゃなかろうかと思うんです。
 ですから、まずその点の改革というのが、今回まず第一番目に取り上げるべき改革点ではないかと思います。

【小早川委員】お二方の御発言に賛同する点と、それからちょっと違う点を述べたいと思います。
 まず、現在の取消訴訟制度は、時に言われる表現で言うと負担過重になっている。少し機能を拡大し過ぎているという感じはいたします。私自身も従来いろんな判例評釈とか何とかで、他に適切な救済手段が現行法上考えにくいために、つい、あえて言えば安易にいろんなものを処分と見立てて、取消訴訟の対象にしてはどうかというようなことを言ったことがよくありますし、学説もそういうところが割と多かったし、裁判所もそういう態度をお取りになった部分もあったと思います。それはそれで仕方ないんですが、その結果取消訴訟そのものは行政の権力的な側面をベースにした制度ですから、何となしに、どこがどうということではないんですけれども、行政全体がかなり権力性を帯びる。取消訴訟の対象になることによって、行政全体、そしたまたそれについての行政法も、我々行政法研究者も何か行政権力について語る学者みたいに思われるようなところがありましたが、権力性の過剰という傾向をもたらしたことが問題だと思います。
 ただ他方、先ほどから出ています39年判決、この資料の4頁に引用されているんですが、これが諸悪の根源だという見方もできますが、確かに適法性の推定を受け、有効として取り扱えるという言い方は、現在の標準的な学説からするとこれはおかしい、言い過ぎである。それがほぼ多数説だろうと思います。私もここは言い過ぎだろうと思いますが、他面、ここで引用されている、行政目的を可及的速やかに達成せしめる必要性と、他方、権利・利益を侵害された者の救済を図ることの必要性、この2つを勘案して、通常の民事訴訟の方とは違う、特に今日、小林参事官が最初に強調されたように出訴期間の制限を伴った取消訴訟という制度をつくったのだ、2つの要請のバランスのためにこれをつくったのだと言っているところは、これはやはり取消訴訟制度の、制度的な拠ってきたるところをきちんと説明しているんだろうと思います。
 そこで、さっき申しましたことと、これとをつなげますと、結局私はこういう意味での2つの要請のバランスを取る特別の訴訟制度は必要だと思います。しかし、その対象範囲は最小限度に絞るべきであるというふうに考えるわけで、本来のテリトリーまで撤退してもらうのがいいのではないかというふうに考えました。恐縮ですが、ちょっと走り書きみたいなメモを事前に事務局にお届けして、この席上に配布していただいております。これをご覧になりながら、ごく簡単に申し上げます。
 やはり私、考えますのに、どうしても今のような出訴期間及び排他性付きの、取消訴訟と言うかどうかはまた問題ですが、行政庁の決定に対する不服の訴訟、これは必要な部分というのがあるだろう。それは何だろうかと考えますと、1つは、例えば建築確認が与えられた、それに対して第三者である隣人が訴えるという場合に、いつまででも訴えられるとなると、許可を受けた者の法的地位がいつまでも安定しないということになります。これは建築確認くらいだったらまだいいんですけれども、事業認可に基づいていろんな事業を展開するということになれば、なおのこと問題は深刻であろうと思います。ですから、そういう、相手方に一定の法的地位を付与するような行政作用については、これはやはり出訴期間付き、かつ排他性付きの訴訟ということで処理せざるを得ないのではないか。
 もう一つの例は、先ほどの土地区画整理における換地処分のようなものでありまして、多数人の権利関係を行政庁の決定によって再編成するというような場合がありまして、この場合にそれで満足する人もいれば不満の人もいる。不満な人は訴えられてしかるべきなんですが、これもいつまででも、どんな方法ででも根っこの行政庁の決定を覆せるということになると、これは法律関係が混乱することになります。こういうものもやっぱり今の取消訴訟タイプのものが必要であろう。先ほどの話で言えば、一旦できたものを形成訴訟なのかどうかという議論はありますけれども、法律関係はこうなんですよというと、それは違いますよという形の判決が必要になってくる。それはそれなりの決まった要件の下でその訴訟を遂行させるという必要があるんじゃないか。
 それから、もう一つは、先ほど出ました、これは処分だろうという例で、税の関係の処分があります。ただこれは非常に政策判断的な話でありまして、税金も普通の民事訴訟手続で取ればよろしいということは、立法政策としてはあり得るわけで、それで面倒くさいのは税務行政庁だけである。他にだれも混乱するわけではないということは言えるわけです。それは、恐らくそうなると、徴税コストが非常にかかるということなので、多分、ここはよく分かりませんが、現在の国民のコンセンサスからすれば、税金の徴収については、民事手続よりもやや強力な手段を税務行政庁に与えざるを得ない、与えてもいいということになるのではないかと思うんです。
 そんなようなものが考えられます。しかしこれはあくまでも絞りに絞るということが大事でありまして、そういう出訴期間プラス排他性付きの訴訟でなければいけないという証明のできないものは、そういう特権を与える必要はないと考えます。その部分につきましては、おそらく先ほどから芝池委員や水野委員がおっしゃっておられる広い範囲の行政決定を対象とした訴訟というものが認められていいのではないか。その場合に私は、この先は水野委員の御発言と違ってくるかもしれませんが、あまり訴訟類型をきちんと書く必要はないのではないかという気が今のところはしております。民事訴訟法は別に訴訟類型を区別しているわけではありませんで、必要に応じて原告が請求を組み立てる。何か申請をして、拒否処分を受けたという場合には、これは恐らく一般には出訴期間、排他性付きの訴訟である必要はない。お金を下さいという申請であれば、請求権の時効はあるかもしれませんが、特別に短い出訴期間を定める必要も余りないんじゃないかと思います。その場合に、原告として、請求権まで全部要件を主張・立証する自信があれば、義務づけ訴訟というか、給付訴訟を起こせばいいし、行政庁のこの認定はおかしいということであれば、そこの部分の違法確認ということを求めるだけでもいいのかなと。共通的、基本的には行政決定の違法性を認定してもらうような、そういう部分を持った訴訟というぐらいのものを考えておけばいいのではないかなというのが差し当たりの私のイメージでございます。
 その他に、今日の例に挙がったいろんな事例、多くのものは出訴期間、排他性なしの不服の訴訟ということでやっていいのではないかと思いますが、ごみ焼却場のようなケースは、従来からの判例、学説もそうですが、民事訴訟で一応落ち着きがいいので、そういう意味での特別の行政訴訟の道をそのために開く必要はないのかなという気はしております。大体以上です。

【塩野座長】どうもありがとうございました。それでは福井委員、どうぞ。

【福井(秀)委員】事務局で御説明いただいた資料は盛り込まれている判例や行間に透けて見える考え方が大変望ましい方向として見えるように思え、参考になりました。
 今出た御意見、水野先生、小早川先生がおっしゃったような、どちらにも共感するところがありますが、まず、現在の取消訴訟の目的には二律背反的なところがあります。小林参事官もさっき指摘されましたが、取消訴訟の対象を広げたり、あるいは手前で争わせるようにすると、それが権利救済の拡大につながる側面がある反面、排他性、出訴期間がかかってくると、それから後は逆に言えば争わせない、あるいは別の訴訟手段を許さないということで、逆に権利救済のルートを狭めることにもなる。結局、取消訴訟が国民の権利利益の救済の拡充を狙っているのか、あるいは早期安定なり法的安定ということを狙っているのかということが不明のまま一緒くたに盛り込まれてしまっていて、とにかくある取消訴訟の対象処分だということになると、両方の側面が一遍にぶら下がってきます。結局アナログ的に調整しようとすると、早過ぎるのか、あるいは遅過ぎるのか、どこがいいだろうかということを、基準なく決めざるを得ないという側面を現行制度は持っている。救済を拡充する側面を拡充する側面に徹して、しかるべく取消訴訟の範囲なり、訴訟提起の機会を拡大する。それから、法的な安定なり、争える期間を限定するための政策的配慮の側面については、そこはそこでやはり徹底させる。分けて考えた方がより合理的な制度設計ができると思います。
 具体的には、今の制度の前提では、取消訴訟でしか争えないという排他性と取消訴訟には当然に出訴期間が付いてくるという、排他性と出訴期間が同じ集合についてぶら下がります。本当にそうであるべきなのかと考えると、分けてもいい。排他性があって、取消訴訟でしか争えないかどうかというのと、その処分に出訴期間という縛りをかけて、早期安定の枠に服せしめるかどうかという政策判断は異なるはずです。そう考えると、一番、国民にとって重要なのは短い出訴期間、これを過ぎたら争えないというのが究極一番難しいところなわけですから、出訴期間が一体何のために置かれているのかという意味に即した出訴期間対象処分の限定がないと、のべつまくなしに、何でも出訴期間がかぶるというのは、救済とは逆の方向に行ってしまうという気がいたします。
 小早川先生がおっしゃった御議論、私も同じことを申し上げようと思っており賛成です。結局、早期安定と言いましても、例えば後で裁判になったり紛争になったときの訴訟資料とか、事実関係の確認のためだということであれば、これは民事訴訟も同じであり、結局、時効というのはそういうことのためにあると思います。時効にかかる前は、一定の資料の散逸等がないだろうという想定を法的にしている以上、そのためであるならば、3か月という出訴期間が必然ではあり得ない。3か月にするのか、1年にするのかはともかくとして、一定の時効よりはるかに短い安定を図るための期間を置くとしたら、一体何の安定かと言いますと、結局さっき御指摘があったように、それが第三者に関わるというのが大きな枠組みでの重要な領域です。課税処分ですと、まさに政策判断で、特に短くするかどうかというのがありますけれども、他の人は関係ないわけですから、課税当局と国民だけの関係だと考えれば、時効にかかるまで放っておいても、だれかが直ちに困るということはない。
 営業の不許可処分のような場合でも、それで営業できるかどうかは当人と、あるいは当局との関係だけですから、それが本当に3か月の出訴期間に服せしめる必要があるという必然性がない。重要なのは、収用されて、それが分譲住宅でだれかの手に行ってしまってとか、あるいは原発とか空港のように、第三者の法律関係に関わるときに、それがいつまでも不安定だと、だれも法的関係を信頼して行動できない。しかも多数当事者が関わっているとなおさらです。こういう場合には、出訴期間で早期の法的確定を図る必然性が強い。第三者、多数当事者に関わるかどうかというのが一番純化した場合の出訴期間を付けるべき領域かどうかの基準となると思います。出訴期間を、そういう意味で限定したとすると、それを必ずしも取消訴訟だけで争わねばならないだろうかというと、これはまた別の問題がある。水野先生御指摘のように、取消訴訟ではなく、例えば当事者訴訟、あるいは民事訴訟とか、他の訴訟形態を直ちに排除すべきかどうかは、出訴期間とは独立の問題です。本当に取消訴訟だけで争わせないと、何か政策的にまずいことがあるのかどうかということを検証した上で、そういうことがなければ、むしろ原則的には選択提起を認めるというふうにしてもいいのではないか。その場合は、他の訴訟類型でかかっていったとしても、出訴期間はやはりぶら下がってくるとする余地もあると思います。
 次にここが一番のコアの部分ですが、芝池委員からも指摘がありましたように、取消訴訟の対象が広がるのは、それはそれで分かりやすいという類型があるとは思う。ただ、広がったら自動的に出訴期間のかかる範囲も広がるというのではやっぱり困る。訴訟類型としてはいろいろあった方がいいという観点から取消訴訟の類型が広がって、使いやすくなる。間違いが起こりにくくなる、しかし出訴期間はつかないというもう一つ外縁の類型というのがあり得ると思います。

【塩野座長】どうもありがとうございました。実務的な見地も、いろいろとおありかと思いますけれども、どうぞ、市村委員。

【市村委員】今、小早川先生、あるいは福井先生がおっしゃられた取消訴訟の従来の機能というものも生かして、1つの骨格にされるという御意見には全く賛成でございます。そしてそれが持った欠点というか、批判されるところというものをどうやって克服するかという御提案もここで大いに議論してみるべき課題だなと思います。ただ、国民の権利義務という観点から見ますと、直接それに影響を与えないような範囲まで、その訴訟の対象として広げていくかという問題に関しては、司法権の本来の範囲を超えないかどうかという点から、慎重に考えてみる必要があるかなと思います。
 それから、最初に御提案があった、その内容として「行政上の意思決定」と、そういうものとしてはどうかという御提案ですけれども、この点は今盛んに議論があった出訴期間、排他性とどう絡めていくかということと非常に関係することだと思います。それによって私も意見は随分変わってくると思うので、その辺り、また教えていただいたところで、申し上げたいと思いますが、ただ今までのところだけで申し上げますと、「行政上の意思決定」というといろんなことが考えられるし、だれが、どの範囲のことを対象にして、どんな効果が生ずるかという、そういうふうなことからいくと、少し漠然としてはいないかという気がしないではありません。特に私ども実務を担当していますと、例えば今の取消訴訟を担当するときには、処分要件の充足ということをまず考えるんです。どういうことがこの処分の適法性を基礎づけるものとしてあるのかということを分析し、それのどこが欠けているんだろうと考えていくわけです。このやり方というのは、他の民事訴訟の審理の仕方と非常によくなじんでおりまして、そういう方法は自分たちに分かりやすいんです。
 それと比べて、例えば「行政上の意思決定」というふうにされたときに、さて、判断の方式をどうしたらいいかと考えたんですが、かなりの部分は実は今のような方式で賄い切れるところではなく、例えばもう少し行政裁量に関する審査の在り方というふうなものを分析し、その裁判規範になり得るようにしていかないと、せっかくそれを取り込んだとしても、単に形式的なところだけを審査するのは、おそらくそれを対象にしようとした方々の本旨には沿わないだろうと思うんです。そういうことと絡めて議論しなければいけないというふうな気がいたしますので、今のような「行政上の意思決定」というふうに広げていく場合には、どうやって裁判規範にするかという非常に難しい問題を含んでいるということを、我々実務をやっている側からすると、是非御認識いただいた上で御議論いただきたいと思います。以上でございます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。もう一方くらいから発言いただいて、この部分についての第一読会を一応終わりたいと思いますが、どうぞ。

【深山委員】私もその取消訴訟の位置づけというのは、行政行為の中で、やはり出訴期間と排他性を伴った形でしか争わせないというような種類のものが、やっぱり存在する、という、さまざまな行政庁の行為のうち、ある部分はそういう形でしか不服を申し立てることを許さないという形で法的な権利関係の安定を図る必要があるというものがある、というところが出発点ではないかなと思います。その点について疑いを持ち出すと、それは民事上の権利関係はみんな同じということになりますが、そこが小早川先生もその趣旨のことを言っておられましたけれども、少なくとも教科書的に言われる典型的な行政処分と言われるものは、やはりいつまでも争うわけにいかない。それから、民事訴訟で争っても構わないというわけにもなかなかいかないというものがあって、それを争うために取消訴訟という制度が存在しているということ、そのこと自体の意味は非常にあるんだと思うんです。
 ただ先ほど多数委員から出ているように、負担過剰になっている。これは裁判所の側が事案を見て、これは救済せざるを得ないと、結論として。実務家の感覚は結論は先に来ますので、一般法理を使ってでも救済をしたい。あるいは今までの解釈を拡張してでも救済をせざるを得ないと考えると。そうなると、そこは解釈論を累累展開することになっていって、はみ出しが出てくるのでしょうが、それはまさに取消訴訟で取り込むという方向しかなかなか容易な手段がなかったからであって、立法論として考えるときは、むしろ学者の方もヒアリングのときに言われた方がいましたが、私は純化すべきであろうと。そう考えると、広義の公権力性と法律上の地位に対する直接的な影響と、現在、非常に固い最高裁のベーシックの様式というのは、1つの有効な範囲で、それを解釈論によって拡張して、いろいろ救済を図ろうとしたところにいろいろ混乱を来して、そのことが利用する側からすると非常に不透明な、予測可能性のない状態、処分性があるかどうかについてですね、そういうことになったんではないかなという気がいたします。
 ただ、それで、しかし現実に無理して救済する、あるいは無理しても救済はされていなくて、そのこと自体は不当だと言われている類型があります。全部がそのとおりかどうかは別として、外縁に行った部分はどうするかというのが、従来の取消訴訟拡大論はそれをなんとか取り込もうということだったんですが、新たに法制度をつくるということを考えると、限定をするとますますはみ出しが増えますが、はみ出して救済する部分は、やはり別類型を考えるということだと思うんです。別の訴訟類型を考える。ただその際に、これは事務当局から何度も言われていますが、何のためにそういうものをつくるのか。民事訴訟とどこか違うルールを適用するために別類型にするのかということをよく考えなくちゃいけないと思うんです。元々取消訴訟の出訴期間と排他性という、この2つの要素は、先ほど委員が言われていたように、別のことではないか。少なくともワンパッケージで取消訴訟へ取り込まれていますが、制度として新しいことを考えるときには、別に考える余地があるんではないかと思います。
 ですから、排他性までは認めないけど出訴期間だけは認めるというようなもの、つまり出訴期間だけを認めるために別の類型をつくるということもあるでしょうし、排他性と出訴期間、ワンパッケージではなくて、どちらかを持たせるために別に類型の訴訟形態を考えるということは十分あり得るのではないか。そんな気がします。ですから、私の持論ですが、新しい制度をつくると言っても、これまでの制度をなしにして、どうなるか分からないけれども、1つの理念系としてあり得る姿だからばんとやってみましょうというのも1つの方法ですが、救済が必要だとか、議論で、こういう類型を何からの形で救済しなけれはいけないというものを救済できるシステムが複数あるときは、従来からの法文化と言いますか、使えるものは使う。だめな部分は解釈でいくとかいうけちくさいことは言わずに制度をばんと考えるというふうにいく方が法制度の改革というのはよりスムーズに行くのではないかと思いますので、今言ったようなことを考えておりました。

【塩野座長】どうもありがとうございました。大体予定した最初の部分の時間が迫ってまいりましたので、もし今までの御議論に付け加えてこの論点、第1ブロックについて御発言があるという向きはどうぞ御発言いただいて結構ですが、どなたか。

【萩原委員】非常に素朴な素人の感想的なものですけれども、これまでいろんな方々の御意見として、その対象として広くすべきだという議論があって、しかもまた、計画立案過程というのも、そういう訴訟を起こせるべきだとか、そういう非常に幅広い御意見の方が多かったものですから、私もそうあるべきだと、非常に素朴に思っていたんですが、今日の話を聞いていますと、いろいろそういう問題があるようだということで、なかなかそう簡単ではないのかなと思うんです。
 例えば今日の芝原委員のいろいろ訴訟の各段階での、どういうところが議論であるとか、あるいは事務局からも提出されましたいろいろ各段階でどうだという議論がありましたけれども、例えば具体的なこれまでの問題となっているような判例につきまして、例えば対象を広げるということを、もしこの判例だったらどういう形でできるかという形で、そういう形で考えていくとすると、おそらくあまり漠然としたものではなくて、多少なりとも類型までいくかは分かりませんけれども、多少少し具体的な制度に近づくような、そういったものが見えてくるのではないかなと、まさに非常に素朴なあれなんですけれども、そういうことも少し考えて見ることも必要なのかという、本当に感想でございます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。御指摘、斟酌して事務局でまた考えてもらいたいと思いますが。

【芝池委員】出訴期間、それから排他性の問題はまた勉強してから申し上げます。
 それでその点をひとまず脇に置きますと、小早川さんの提案と、私の提案は変わっていないように思います。出訴期間の、あるいは排他性のある訴訟を、その他の訴訟と別枠に置くかどうかという点だけで、私の場合はそこの境界を取ってしまおうという話ですから。しかし、法律上規定する場合には、出訴期間、排他性というのは当然出てくるわけで、変わっていないと思います。実務に携っておられる委員の方の御発言がありましたが、本当に我々から見ておりまして、現在の取消訴訟では争えない。さりとて民事訴訟では争えないものがあると思われますので、やはりそれは手当てをする必要があるだろうということであります。

【塩野座長】いろいろな御意見がございまして、そんなに簡単にはまとめるつもりはございませんが、皆様方もそれぞれ救済を充実すべきだということですが、その救済を充実する方法としては、やっぱりいろいろな論点が出されたと思います。例えば水野委員の描いておられるモデルと、それから、小早川委員、あるいは芝池さんも大体同じになったんですかね、小早川意見の描いているモデルとはかなり違います。つまり、排他性と出訴期間というもののコアの部分については、並行訴訟を認めないという趣旨だと私は理解しておりますが、そうなりますと、水野委員も、そのコアの部分はそのとおりだとおっしゃるならば、それはそれでよろしいんですが、そうじゃないような趣旨の御発言もあったようにも伺います。そういうことで、基本的な基調はこういう方向であるということは一切いたしませんで、救済の充実という点から見て、訴訟の類型、あるいはいろんな訴訟の形を考えながら取消訴訟を適切に位置づけるということで、今後ももう少し検討をしていくということになるのだろうというふうに思います。まとめにならないようなまとめということですけれども、今日の議論、それぞれ大変重要なポイントを突いておられますので、記録をきちんと起こして、できるだけ早い機会に、議事概要なりにして、次回の議論に役立てるようにしたいと思います。
 それでは、時間が少し押しておりますので、30分まで休憩ということにいたします。

(休 憩)

【塩野座長】それでは、時間がまいりましたので、引き続き「3 原告適格及び訴えの利益」について検討を始めたいと思います。
 ただ、先ほどの1と2の項目について、休憩中に何かはたと思いついて、今日是非発言したいということがあれば、最初に承りいたしますけれども、次の3の項目に行ってよろしゅうございますですか。原告適格のところでも、どうぞ行きつ戻りつで結構でございますから、1、2のところについて思い出しましたら、また3のところでも御発言いただいて結構だと思います。
 それでは「原告適格及び訴えの利益」につきまして、先ほどと同じようにどうぞ資料をご覧になりながら適宜御発言をいただきたいと思います。どなたからでも結構でございますから、どうぞ。
 最初に、皆様お考えの前に、やや雑談的で申し訳ないんですけれども、行政事件訴訟法の制定時点を回顧された雄川先生の講演が公法学会でございました。そのときに訴えの利益については、法律上の利益というのは当然の法理ということではなかったか、というふうな述懐をしておられました。ただ、雄川先生も、ただそれだけで済むのではなくて、やはり現代型行政訴訟というものが非常に広範にわたっているので、そういった点については、立法当時はおそらく考えていなかったんだということを背景に、今のような御発言があったのだろうというふうに思います。ただ、原告適格の場合にも、コアの部分についてはそう大きな議論はないと思います。周辺の部分について、これからいろいろ御議論があろうかと思いますので、どうぞ先ほどと同じように、いろんな角度からの御意見を賜わればと思います。どなたからでも結構でございますのでどうぞ。裁判実務で何が一番苦労されますかね。

【市村委員】いつも後からで申し訳ありません。原告適格は、確かに非常に問題にはなるんですが、ただ実は、実務をやっていますと、判例評論や、あるいは学説の中においていろいろ取り上げられている議論と比べれば、実務の中において、原告適格が争いになっている比重というのはずっと小さいんだろうと思います。ただ、ぎりぎりのところでどうするかということ、これは深刻な問題として出てくるから、結果として大きいわけで、日常茶飯に原告適格をどの事件でもやっているというようなことでは決してないのです。原告適格については、今の考え方について狭過ぎるという御意見もあると思うんですが、やはり裁判の規範、特に入り口の問題ですので、明確でなければならない。調べてみなければ分からないというのでは逆さまだろうと思うんです。さんざん事実調べをしないと、原告適格があるやなしやが分からないというのは、原告適格の意味をなさないんだろうという気がするんです。そういう意味で、訴訟の入り口に立って、その主張を見て、あるいは後は法令をよく調べてみれば結論が出てくるという方向のものというのが、非常に司法としては使いやすいわけです。
 そういう観点から見ますと、例えば事実上の利益というふうなものがある場合にも原告適格を広げるべきだという有力な御意見があることは承知しているんですが、そうした場合には、果たして訴訟の入り口において、事実上の利益の存否をどう判断していくんだろうかということなど、その規範を適用して存否を判断する側になると、なかなか難しいことだなという気がします。
 ただもう一つ、そうは言っても、今、救済すべきなのにこぼれ落ちているんではないかと言われている部分ですが、そういうものについては、できるだけ個別の法律で拾っていく、例えば計画行政であれば、それについて定めた法規において、ここから争えるようにしようと、それを明確にしていくというのが1つの考え方だと思うんです。その場合、まず1つ明瞭であるということと、それから事案においた適切な原告適格の拡大ができるという意味で優れているんではないかなというふうな気がいたします。これが、例えば訴訟法規、一般訴訟手続の一般法でやってしまいますと、非常に難しい書き方になると思うんです。そうすると、逆に取り込み過ぎになって混乱すると。やはり、人的なエネルギーも限られた中で、できるだけ裁判所の持っている機能を有効に使おうとすると、効果的なもので中身の濃いものをやりたいという気があり、また、規範として明確なものであってほしいというのが、実務をやっている人間の要望になるかと思います。以上でございます。

【塩野座長】どうもありがとうございます。どうぞ、水野さん。

【水野委員】民事訴訟では、原告適格というのは、ほとんど問題にならないんですよね。これは権利義務で、権利を主張して訴えるわけですから、原告適格はほとんど問題はないわけであって、本案で権利が認められなければ請求棄却になるだけの話なんですね。ですから、行政訴訟の目的をどう考えるか、ということが前提にあるんですけれども、要するに権利救済機能という場面では、これは基本的には民事訴訟とよく似ているわけでありまして、権利が行政処分によって侵害されたと、権利、利益が侵害されたことが違法なんだといって訴えるわけですから、これは、もうそれで原告適格が認められて、後は本案の問題ではないかと。
 もう一つは、いわゆる違法行政の是正という、やや客観訴訟的な側面の目的がある。これは、例えば違法な行政があった場合には、だれかが裁判所へ持ち込んで、それを是正させる必要があるわけで、これは日本の国民であればだれだっていいんだという議論だってあり得ないわけではない。しかし、やはりそうはいかないだろうから、やはりそれについて何らかの関係のある人が訴えると、それが原告適格ではないかというふうに考えますと、その原告適格というのは非常に緩やかでなければいけない。
 例えば、いろんな議論があると思うんですけれども、現実の利益といった表現、そういう利益が認められる人については、その違法行為の是正という、言わば社会的な役割のある原告という立場を担わせるということでいいんではないかと。これは、要は立法政策の問題なので、違法な行政があっても、それについて行政訴訟で是正させるんだけれども、それはごく限られた人でないと是正をさせないというふうにするのか、ある程度幅広く是正させるのかという選択の問題だと思うわけです。そうなると、そこはかなり緩やかな規定の仕方でいいんではないかと思っています。

【塩野座長】どうもありがとうございました。どうぞ、小早川委員。

【小早川委員】まず1つは、今、水野委員が言われたことに、あえて異を立てようというわけではないんですけれども、前回、前々回からそういった種類の議論がたたかわされていますが、行政訴訟の目的として、権利・利益の救済か、行政の適法性の維持かという、そこを最初からあまり分けて考えない方がいいんだろうと思っております。勿論、制度の立て方として、純粋な客観訴訟制度というのを何らかの政策的な理由に基づいて設けるということはあり得るんですが、現在、司法制度改革審議会のあれを受けて、この検討会でやるべき主たる方向というのは、やはり司法が今までやるべきことをちゃんとやっていないんではないかという、そういう国民の一般的な不満があるわけで、それが本当にそうかどうかということをまず確認しなければいけないんですけれども、その面でやっぱり行政に対して自分が不満を持っている、その不満がうまく司法で汲み上げてもらえないというところが大事なんではないかと思うわけです。これは、自分の権利、利益に結局は関係するはずなので、そこは今の制度はどうなっているのかということだと思います。法というのは、普通は権利とそんなに違うものではないはずなので、権利が侵害されるというのは、法で守られた権利が違法に侵害されるから、権利が侵害されるということなわけです。今の行政訴訟というのも、基本的にはそういう筋で考えていいんじゃないかと思っております。ただ、そうした上で、1つはさっきの行政処分というものの考え方の問題にもなりますが、特定の人の権利を制限したり権利を与えたりするのが行政処分で、それをなおすのが取消訴訟だというふうに考えますと、権利というものがどうしても正面に出てきてしまうんですけれども、それだけではなくて、もう少し緩やかな形で、私は、たしか第1回で申し上げたかと思いますけれども、民事の財産権みたいなはっきりした権利じゃなくても、薄まった権利・利益であっても大事だから行政的に保護する、そういう法律をつくって行政機関にそれを管理させる、マネイジさせるという、それが行政法の主たるミッションなわけなので、そういう言わば薄まった権利・利益みたいなものでも、きちんと訴訟に乗っけられるような、そういう行政訴訟制度が望ましいんだと思うわけであります。
 そういう観点から、差し当たり今の問題で、現在の判例がどうかと言いますと、市村委員が先ほどおっしゃいましたけれども、私としては、やはり判例がちょっと狭過ぎるんではないかと。具体的に言えば、これは学者はみんな言っていることになるんですけれども、資料の10頁の注の10ということで、判例の標準的な定式が書いてありますが、行政法規が保護している利益ということは、これは大事だと思うんです。先ほど市村委員もおっしゃられたように、行政法規に照らして、これはいいか、これは悪いかと、そこはやっぱりその関係法規を見て決めるというのはいいことだと思うんですが、それに加えて、それが個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとしているという、そこの部分が問題で、私は保護利益要件と個別保護要件というふうに分けて学生には説明しているんですけれども、個別保護要件の方が余分ではないかというふうに考えております。そこは裁判官の立場からは、そこは困ると言われるかもしれませんが、個々のケースで、訴訟でもって裁判所が違法判断をして何らかの判決をすることによって原告にプラスになるかどうかというもの以外は、個別的な訴えの利益の判断で代えられるのではないか。ただ、その前段としての法律の趣旨の解釈ですね、法律が行政機関にどういうミッションを与えていると見るべきか、行政機関としてはその法律に従ってどういう人の利益を考慮して判断をしなければいけないのか、そこの法律の構造をきちんと見極めるということは多分大事なんではないかと思っております。

【塩野座長】どうもありがとうございました。

【芝池委員】先ほど来、御意見を聞いていて、御意見の中にもあったんですけれども、個別の実体法を基準にするとか、争わせることが適切かどうかという基準で原告適格を考えるという考え方は従来からあったわけでございますが、昭和53年のジュース訴訟の判決で法律上保護された利益説と言われるものが打ち出されたわけです。あれは実は、不服申立資格に関する判決でありまして、取消訴訟の原告適格に関する判決ではなかったのですが、その判決を使って原告適格を限定するという傾向が進んだというふうに認識しております。
 実は、ジュース訴訟以前の判決を見ておりますと、割と緩やかに原告適格を認めておりまして、私は牧歌的時代だったと、よく学生なんかには説明するのですが、そういう時代があって、昭和53年に判決の画期があって、判例の流れが変わったと認識しております。先ほども申しましたように、考え方の対立のあるところなんですけれども、私の考えとしては、法律上の利益につきましては、法律と原告適格の判断を分けるか、あるいは現在ほど厳格にしないような、そういう工夫をできればしていただきたいと思っています。
 なお、最近の判決ですが、総合設計制度という制度について最高裁判所の判決が出ています。総合設計は、大規模な建物について認められますが、最高裁判所は、火災とか倒壊により不利益をうける危険がある人にだけ原告適格を認めています。しかし、これはどうも理屈が通らないと思われます。というか実情に照らして奇妙な判決でありまして、ニューヨークの事件のようなことがあれば、大きなビルでも倒壊はしますけれども、そうではない限り倒壊はしないわけですがところがそういう危険により不利益をうける人にだけ原告適格を認めるということになっています。これは一方では最高裁は法律、すなわち実体法を基準にしながら、ある程度実質的な利益を考慮しているんではないかと思います。これが1つの新しい潮流になればいいと思っていますけれども、私としては現在の判例は法律に拘束され過ぎているんではないかという印象を持っていまして、そこのところを拘束を弱めるということができればいいなと考えております。

【塩野座長】どうもありがとうございました。先ほど事務局の方から個別の判例に言及しながら説明がありましたので、もう少し分かりやすかったと思いますけれども、他のところについては、何度も資料としてお出ししておりますので、あえて取り上げて説明する必要もないというふうなお考えだったと思いますが、できれば行政訴訟の基本的な論点に関する判例というのが、この厚い資料の中の、頁数が書いてないので、なかなか作った人でないと分かりにくいですが、ありますので、これを見ながら、例えば小早川さんだと、この判例はどう見てもおかしいとか、先ほど芝池委員からは例のジュース訴訟について言及がありましたが、これもよく言われる話ですけれども、判例番号5は、これが認められないと、だれも出訴しないという事例でして、原発や何かのように近くの人が出訴するのは当然として、更にその外にいる人はどうかという、そういう問題とは少し違うわけなんです。
 それから、伊場遺跡訴訟も、あれが否定されるとだれも出訴する人はいないといった問題もありますので、多少、お考えをお述べになるときも、5〜10について一応言及してお話いただけると、必ずしも御専門ではない方にもお分かりいただけるのではないかというふうに思いますので、悪いけれども、小早川委員と芝池委員に、我が理論でいくとこれはおかしいと。

【小早川委員】どこですか。

【塩野座長】前の方に、行政訴訟の基本的な論点に関する判例が、ドイツ、フランスの次に出ています。他の方もどうぞ御発言をいただきたいと思います。
 福井さん、何かありますか。

【小早川委員】今、資料3というのがありましたが、5以下ですね。

【塩野座長】5から10までです。

【小早川委員】これについて全部答えよという。

【塩野座長】いえいえ、全部答える必要はないので、「これはどうか」ということで。

【小早川委員】私は、例えば6番ですが、毎日近鉄の特急を利用していて、特急の定期で乗っていたという人がいて、料金値上げを行政庁が認可したことについて、それは根拠が間違っているということで、値上げ認可の取消しを求めたという事件だと思いますが、判決は、これは確かに原告は値上げ後の料金を取られる立場にあるかもしれないけれども、しかしそれは原告だけではないし、当時の地方鉄道法の関係規定は、乗客個人個人の利益を保護する趣旨で、料金の基準規制をしているわけではないということを言っているわけでして、私の先ほどので申しますと、法律自体は消費者の利益を視野に入れて、適正な料金を決めろと言っている。その意味では消費者の保護を目的としていると言えると思いますが、しかし、個別に保護しているわけでない、個人個人の利益を保護しているわけではないということで、頑張って原告適格を否定したわけですが、私流に言うと個別保護要件で切るのはおかしいのではないか。これは法律が保護する範囲に入っていることは確かなので、後はその人たちが、他の日本国民一般と区別された特別の利益を持っているかどうかというような、例えばそういう観点から訴えの利益の有無を、これはグレーゾーンはあると思うんですけれども裁判所としてはやはり裁判所の見識でもって適切なところに線を引いて、国民だれでも訴えられる話ではないけれどもあなたはやはり特別の関係があるねということで原告適格を認めてもよかったのではないかと思うわけです。それに対して、最初の方は、これはジュースの表示の仕方の問題で、これを一般消費者が私も何%と書かれているのをうかつに信じて飲むかもしれないから、だからそういう表示の仕方を認めた公正取引委員会の処分はいかんというのは、日本国民だれでもが訴えられるということになってしまうので、それは個人的な特別の利益があるとは言えないのではないかと思います。この事件は更に、主婦連が原告になっていますので、団体としての主婦連をどうするかというのは、これはまた団体訴訟の問題で別に議論すると。

【塩野座長】どうもありがとうございました。6番の場合、後で定期利用者が事業者を相手にして不当利得返還請求ができますか。

【小早川委員】それはどうでしょうか、公定力の問題ですね。

【塩野座長】だけど、電気料金の値上げや何かの場合には、もう既に訴訟がありましたが、不当利得返還請求でやって、裁判所はそれを認めている例があって、ただ私が言っているのは、だからといって取消訴訟を認めるべきではないということを言っているわけではなく、その限りでは水野委員のさっきの発言に共通するところがあって、こういう場合に一種の並行訴訟があり得ると思いますが。

【小早川委員】そうですね、消費者には排他性を及ぼさないという、そういう解釈の方がいいのかもしれませんが、ただ、いずれにしても元を断った方がいいようなケースもある。

【塩野座長】紛争の一挙的解決ということで取消訴訟を認めるということにもなろうかと思いますが、どうもありがとうございました。
 どうぞ、この判例以外でも別の事例を捉えながら御意見をいただいても結構だと思います。
 芝原委員は、この前御欠席だったと思うんですけれども、今回、こういった点について、いろんな感覚がおありだろうと思いますので、この崖崩れとか、墓地の経営許可とか、いろんなケースがあって、こういうときに最高裁は8番の方は認めたんですけれども、10番の方は認めていないという事例なんですけれども、感覚から言うとどんな感じなんでしょうか。先ほど市村委員におっしゃったように、入り口が難しいと言われるんですが、墓地のような場合に、原発を認めるときの原告適格の難しさと、この場合の難しさというのは、こっちの方が。

【市村委員】結局、原発もどこで線を引くかということには、非常に難しいところがあったと思うんです。やっぱり、ただ原発も想定する事故の規模によっては相当変わってきますので、何を基準にそれを入れていくかということは、非常に難しいんだろうと思います。例えば、今、小早川先生がおっしゃられた近鉄特急の事件でも、たまたま近鉄特急だからあれですけれども、昔の国鉄のように一律運賃制を取っている場合に、国の運賃率を変えるというふうになった場合に、では国民全部が、率が変わるんだから、みんな原告適格があるかということとつながってきて、やはり切り方というのが、それが非常に難しい。
 逆に言うと、法律上保護された利益説でいけば、例えば原発のときのエリアは何キロという、50キロとかそういうものが示されているのかという話になると、またそれはどうして外側と内側が違うんだということはなかなか説明しにくいところがあると思います。難しさは、五十歩百歩だと言われればそうかもしれません。
 ただ、やっぱりそれでもまだ手掛かりがあると言いますか、そういうものとそうではないものとは違うような気がするんですけれども、どうでしょう。

【塩野座長】先ほどの小早川さんの意見の中にも入っていると思いますし、それからアメリカや他の外国法の専門家がいますので、後で補充していただいていいんですけれども、こういった点は、やはり裁判官が決めるという考え方がかなりあるんではないでしょうか。アメリカをちょっと教えてください。

【中川丈久外国法制研究会委員】まず、インジュリー・イン・ファクトの関係ですけれども、これは非常に明確な規範で、中身も濃い人がインジュリー・イン・ファクトがあるということだということをまず申し上げます。原告適格の話なんですけれども、インジュリー・イン・ファクトに加えて、ゾーン・オブ・インタレストが要求されます。そのゾーン・オブ・インタレストというのは、おそらく今、議論になっている個別法で保護されている範囲内かどうかということだと思うんですけれども、それも明らかにそうではないものと大体そうであろうとに分けて、前者は却下されますが、実際に訴訟してくる人は大体後者に引っかかるものみたいです。どうしても、これはだめだと思うかどうかというのは、司法裁量で、つまり司法権をその限界を超えていない範囲内で、コアを超えてどれぐらい広げるかということについては司法裁量で、それらの観点からちょっとこれは中身が薄い訴訟というのは、限定しようという場合には、裁判官が限定することはあり得るのですが実際には、これはあまり行使していないです。

【橋本博之外国法制研究会委員】フランスの場合は、権利というのではなくて、訴えの利益という概念が、訴える誰でも必ず必要である。訴えの利益について判例法等で判定をしていくということですが、ここは中川先生のアメリカと似ておりまして、利益圏の範囲内であるか、ないかという基準があって、そこから議論していくわけですけれども、フランスの場合は、処分の根拠法令を見て、そこから演繹して決めていこうという考え方はあまり取っていないようです。そういう意味では、ある程度インジュリー・イン・ファクトに近い考え方で、裁判官が個別に判断していると思います。

【塩野座長】どうもありがとうございました。ドイツは大体日本と似ているということですか。

【山本隆司外国法制研究会委員】そうですね。

【塩野座長】どうぞ、成川委員何か。

【成川委員】判例などを見て、9番とか、10番とか原告適格を否定しているということなんですが、今、お話もあったと思うのですが、訴えている人が自分の権利や利益を侵害されていると明確に主張していれば、要するにそのことで判断を下すというのはあっていいんではないか。そのことで認めるか、認めないかはその後でやればいいので、それを原告適格を有しないということで、何か入り口のところで排除してしまうというのは、どういう理由かなというのが、私の率直な感じです。今、個々の、確かに根拠法で判断するということも、勿論大事だと思うんですが、その際、訴えている方の権利や、あるいは利益というものがどういう根拠で訴えてきているのかと、むしろ訴えている側の主張を判断して、それでやらないと本当の権利利益の救済という趣旨にはならないんではないかと、こんな気がしまして、当然そうなりますと、法律がすべての国民なり、それぞれの人々の権利利益を法で全部書き切れているかと言うと、必ずしもそうではないでしょうし、また憲法上の一般的な規定もあるわけで、そういうものについては裁判の中で判断して、その蓄積の中で、やはりこれは社会的な法律をつくった方がいいというふうな関係もできてくるんではないかなと、そんな気がしていまして、ここで紹介されているような、本当の個別利害のところまでで判断するというのは、私としても少し狭過ぎるんではないかと、そんな印象を持っています。

【塩野座長】どうもありがとうございました。どうぞ福井委員。

【福井(秀)委員】原告適格の最高裁判例は法律上保護された利益説です。ある側面ではこれが基本的に妥当するという意味では、市村委員の考え方にも共感しますが、この説が2つの領域にまたがって、本来異質な領域に一緒に適用されているという気がします。この2つというのは、1つは実体法によって特につくり出された権利です。抽象的な権利だったり、営業上の身分とか、いろいろあると思うのですが、その法律によって初めて身分や法的な地位を与えられるという領域が1つ。
 もう一つは、法律に書いてあろうがあるまいが、例えば原発の許認可とか、飛行場の設置許可をすると、法律が何を保護していようが、あるいはその法律に何かを守ると書いてあるか否かにかかわらず、およそその許可の結果としての因果関係があって、何かうるさいものや迷惑なものができるという、事実上の影響、近隣外部性と呼べる領域です。今の法律上保護された利益説が、両方に妥当するというので、混乱があるという印象を持っています。事実上の影響がある方で考えますと、法律上保護された利益説は、やはりおかしい。何かの迷惑施設ができて誰かに実際に迷惑があるけれども、その根拠の条文に周りの人たちの迷惑のことを保護していると明記しているかどうかによって、現に感じている苦痛を守るか守らないかが決まるというのは倒錯した論議です。許認可の結果、飛行場ができた、原発ができた、何か迷惑があるという事実上の影響なり苦痛が発生した、などに着目して、民事の差し止めや損害賠償と類似の基準で原告適格を認めてもいい。
 また、もう一つの類型の実体法によって特につくり出された法的地位ということであれば、それはまさにその法律が守っている利益が侵害されたときに限って、その者を保護するんだという意味で、従来の法律上保護された利益説が当てはまる。そこを分けて考えた方がいいと思いますし、事務局の判例集の中でいろいろと問題視されているものも、事実上の影響が及ぶものが多いと思います。端的な許認可の相手方ではないところに影響が及びます。そっちは法律上保護された利益説というより、実質に即して考えた方がいいという印象を持っています。
 私はときどき申し上げていますけれども、そこでのバランスは、やはり民事訴訟での権利侵害なり、本案勝訴要件があり得るようなものは、逆に言えば当然に原告適格ありです。これも広げる方向か、狭める方向かは、恐らく論者によって評価は異なると思いますが、やはりそのバランスで広がる場合もあるし、狭まる場合もある。反面、特につくり出された権利については、今までの最高裁の解釈は、それなりに明確だし、合理性がある。こういう感覚を持っています。具体的な判例では、近鉄特急認可は認めてもいい。直接に特急料金を払っている人だったら認めてもいいと思いますが、反面塩野先生がおっしゃったように、それで排他性を持たせてしまう、あるいは出訴期間をかぶせてしまうと、救済の機会が狭まる方向にかえって行きかねない、1回限りのその認可のときにしか争えないというのもおかしいので、そういう意味で排他性や出訴期間を外すという前提で取消訴訟の対象にするということもあり得ると思います。
 9番のパチンコ屋の許可処分ですが、これは近隣住民は原告適格を否定されていますが、別の判決で近所の診療所が訴えたものは原告適格ありというものがあります。これは誠に奇妙で、住んでいる人はパチンコ屋を我慢しなければいけないけれども、阿部先生が面白いことを言っておられましたが、入院して閉じ込められている患者だけが静ひつの権利を持つのは妙だ。こういう評価もあり得る。そうしますと、9番では認めてもいい。ただし、認めてもいいけれども、それで排他性、出訴期間が被ってくると、これはまた逆の方向に行く可能性があるので、今日の前半の議論とも関係しますが、取消訴訟を手段としては認めるけれども排他性等は外すという選択もあり得ると思います。
 たまたま最新号の『自治研究』に小中学校の統廃合処分の原告適格。処分性について論文を書きました。お配りすればよかったのですが、それが実に奇妙な原告適格の判断をしています。小中学校の統廃合で、要するに今まで通っていた学校が廃止されるというときに、だれが争えるのかという原告適格の議論が、下級審にもいっぱいあり、最高裁でもつい最近判決が出ています。今までの判例の潮流は、小学校なら小学校の廃校処分を争えるのは、たまたまその小学校に在席している保護者と生徒に限られるというのです。来年、入学することが決まっていても、入学してからしか訴えができない。そして5年生、6年生になって訴え提起をすると、訴訟の途中で必ず原告適格がなくなるということが運命づけられているわけです。小学校ならまだ6年あるからいいのですけれども、中学校など入学して直ちに訴訟提起しても最高裁判決まで3年間でいく保証はほとんどありませんので、結局権利救済の道が閉ざされている。これなどは、法律上保護された利益説の観点からみても、ずれた判決の集積だと思います。小中学校廃止判決は、処分性の定義も極めて奇妙です。ある学校を廃止することによって別の学校に通わないといけなくなる。そのとき、別の学校に通うことが、社会生活上、子どもにとって受忍できる範囲を超えているときにだけ統廃合条例を争う処分性があるとする。要するに処分性の中に本案の勝訴要件がそのまま混入していて、ひどい目に遭っている子どもだけに処分性を認める。これが最高裁の前提になっているのです。これもいかにも奇妙であり、本案と本案前が混同されていますので、こういう判例を個別に見て、実質的救済に役立つように立法を変えれば解決する話については、合理化していきたいと思います。

【塩野座長】ここの検討会で、例えば9条を具体的にどうするかという問題は、まだまだ先のことかと思いますけれども、その場合においても、現在の最高裁の判決を客観的にきちんと認識しておく必要はあるのだろうというふうに思います。奇妙だというだけで切り捨てないで、なぜこういう判決をあえてしたのかという点について、もう少しそれぞれ吟味した上でないと、なかなか結論は出ないと思いますが、それとの関係で、9、10は、これはむしろ裁判官に聞きたいと思いますけど、民民ではどうにかなりますか、訴えはできますけれども。

【市村委員】こういうものが民民であるかという御質問ですか。

【塩野座長】地方鉄道のときは、これは民民でできると思うんです。法律上の要件を満たしていない限り運賃は値上げできませんのでね。

【市村委員】できるかどうかというところはちょっと、なんとも。実際に遭遇したことはありませんね。

【福井(秀)委員】建築確認の場合には、民民と似ているような気がするのですけれども。

【塩野座長】建築確認の民民は、私は争えそうな気がするんですけれども。

【福井(秀)委員】今、判例上大丈夫ですね。パチンコ屋を直接相手取って差し止めというのはできないんですか。

【塩野座長】だから、民法上の本件は何かということなんですが、深山さん、これはどういうことに。

【深山委員】これは営業させないわけですから、つくらせないということですね、求めていることは。そうすると、人格権侵害で差止めが認められるというのは、よくよくの場合ですから、実体法上の理屈上はあり得ても、おおよそ勝敗が分かっているような感じの訴訟になってしまうんじゃないですか。

【福井(秀)委員】その前提で、例えば違法を主張することが、民事の勝訴に影響するということはないでしょうか、要するに許認可の違法を前提にしてですが。

【深山委員】一要素として考えられることがあり得るということですから、それが決定的な決め手になるというよりは、人格権侵害の認定の一要素として重要な要素ではあると。

【塩野座長】ただ、私がそう申しましたのは、いろんな結論を導き出されるわけで、民民でも救えないようなものを行政でなぜ救う必要があるかという筋と、民民で救えないんですけれども、やはりこういった都市生活の安全というのは、やはり都市住民にとって非常に重大な利益なんだから、行政でこそ争うべきだと、そういう議論があって、私はどっちかと言うと、後者の方も考えられるなという、論点の議論だけですけれども、そんな感じがしておって、最高裁の裁判官は何を考えてこういう判決を下したのかなというふうなことですが、どうですかね、裁判官の方は。

【市村委員】今の民民でできるかどうかという点については勉強してみたいと思います。

【水野委員】民民ではできるんではないですか。

【塩野座長】できますけれども。

【水野委員】それはまた別の議論です。

【塩野座長】だけど勝てそうもないという前提があるのかもしれないです。要するに最高裁は、結構利益衡量をしているんですよね、救うべきものは救うという、むしろ救っているんではないかというふうに最高裁ご自身では思っておられるかもしれないですね。

【深山委員】会社更生法の抗告をするときの原告適格が紹介されたので、ついでに今法案を出していますので、ここの部分は別に変わっておりませんが、実は会社更生法等々の倒産法で、抗告をする場合の原告適格について、裁判につき、利害関係を有する者という表現が、それは別な表現が使われております。改正作業の中で、これを全部書くかという話、つまり倒産法上の抗告が許される裁判というのは、たくさんあるんですけれども、それぞれについて利害関係はものすごく違うわけです。違うものを法定するかという議論をしたことがあるんです。実は、解釈が争われる、当然こんな書き方ですから、解釈が争われて、既に裁判で問題になったケースもあるので、この際法改正なんだから、全部の抗告を許す裁判について、抗告を許す裁判というのは、全部規定が書いてあるものですから、そこに原告適格者を書き出そうかということを一時期議論をしたことがあるんですが、その時にやはり非常に大変なことなんです。ですから、先ほど原告適格の不明確さを解消する一番いい方法は書いてしまうこと。特に個別の抗告訴訟を許す規定、これは個別の実体法規に、だれが争えるかということを書くことなんですが、たかだか一つの手続の中で、20ぐらいの裁判についての原告適格者を書こうと思っただけで、議論百出でまとまらないし、しかも個別に書きようがないということになったので、勿論一個一個書いてもらうのが一番いいんでしょうが、行政事件訴訟法のような一般法でそれを書くというのが非常に困難なことなんだろうなあと思います。ですから、非常に抽象化した表現になって、どうしても解釈の余地が残るということになってしまって、先ほどどなたか法律の規定なんかを変えれば変わる、それは変えれば変わるんですが、極めて抽象的な形でしか、おおよそ書きようがない、民事訴訟に至っては、何も書いていないわけですから、どうしても解釈を委ねざるを得ない。そういう領域のマターとして考えると、今の法律上保護されている利益説と、塩野座長も言われたように、最高裁が特に重大な利益、生命、身体とか、そういうものについて相当解釈上のテクニックを駆使して拡大していますけれども、これも一つのやり方です。それに代替するようなクリアーな、より分かりやすい、判断のしやすい、しかも一般法で書ける抽象的要件というのは、事柄の性質上極めて難しいことではないかなという気がします。書きぶりのことなんかは、最後に考えればいいと、そのとおりなんですが、こと、この原告適格に関しては、個別法で書く以外に、一般法で書くときには本質的な困難さがあるんではないかという気がします。

【市村委員】今の個別法で書いたらいいというのは、私が申し上げたもので、多少補足したいんですが、私が考えているのは、むしろ疑義のある人、あるいは今の一般的な要件からいったら、ひょっとしたら原告適格が疑わしいと言われる、そういう人については権利救済の対象にのせるべきだということがあれば、それは個別法の中でそれを明記することで、個別法で全部書き切るという趣旨ではございませんので、一応念のために申し上げておきます。

【塩野座長】他に何か。

【福井(秀)委員】今の書き切るかどうかに関連してですが、同じような議論が、1年ぐらい前に別の政府の総合規制改革会議というところで議論があり、都市計画法とか、土地収用法とか、建築基準法とか、要するに国土省関係のいろいろな法律で、土地利用絡みのものが多く、だれが争えるのかよく分からないので、原告適格の範囲を一覧表にでもしてはどうかという議論がありました。私はそうしてはどうかということを言っていたのですが、そうすると、かえって裁判を受ける権利を制約することになりかねないという反対もあって、今のところはまだ一覧表にはなっていないのです。ただ、考えてみますと、一覧表にするというのは、何も憲法上の裁判を受ける権利を制約する意味は全くないわけであり、分かりやすく例示する、少なくともここまでは大丈夫だということを示して、当然裁判を受ける権利の行使として、他に漏れているのがあればそれもできる。こういうことであれば、勿論手間はかかりますけれども、方向性としては、個別実体法規に、特にややこしい原告適格については、できるだけ明記していくのが適切です。これは行訴法固有の問題ではありませんけれども、行政訴訟の重要な要素ですので、実体法所管官庁に対して、ややこしいものについて、少なくともこれはできるというものはちゃんと明記していけ、という要請をするということはあり得ると思います。総合会議の方でも継続検討になっていますが、競合領域でもありますので、問題提起をしておきます。

【萩原委員】今まで議論に出ていなくて、ちょっと一言出たぐらいなんですが、団体訴訟というのは、ここでは議論にはならないんですか。

【塩野座長】検討の論点の中には入っていると思います。

【萩原委員】ですから、原告としての団体を認めるという、消費者団体みたいなもの、そういうことはここでは議論すべきことではないんですか。

【塩野座長】どうぞ。

【萩原委員】いや、私が意見があるということではなくて、多くの環境訴訟とか、そういう問題の場合には、環境保護団体とか、そういうふうなところが訴訟を起こすときに、原告適格がどうのこうのということで、なかなか認められないということも聞いていますので、そういったようなことはどうしたらいいんだろうかと、今、個別の実体法で認めるというときに、これは他の委員の方に質問でもあるんですが、例えば個別の実体法の中に団体の権利みたいなものを明記するということが可能なのかどうかと。個別の環境権とか、あるいは憲法上の基本権とか、いろいろそういう権利を明記することもあるんですが、団体としてのそういうことも明記できるのかということです。それによって原告適格が可能になるのかという問題についてちょっとお聞きしたいんですが。

【塩野座長】論点としては、十分あり得るところで、外国法制の紹介の中でも団体訴訟を広く認めていますというところから、個別の法律で認めていますというところもございます。ただ、団体訴訟という場合には、大きく分けて2つの類型があって、1つは個人個人が原告適格を持つような利害関係人があるけれども、団体でやればもっといいじゃないかという意味での個別利益の集合体としての団体というのと、それから例えば文化財保護団体とか、もっと極端に言うと、法律による行政を守る団体とかというふうに非常に抽象的な団体というものに原告適格を認めるという2つのやり方がございまして、そういった点が重要な論点であるということは学者も主張し、あるいは特に環境保護団体の方々が主張しているところでございますので、この検討委員会でもどこかのところで論点としてはあったと思います。

【小林参事官】今日の資料1の12頁のところに書いてありますが、一番下の注15の上の5行なんですが、司法制度改革推進計画におきましては、少数多数被害への対応として、いわゆる団体訴権の導入、導入する場合の適格団体の決め方等について、法分野ごとに、個別の実体法について、その法律の目的やその法律が保護しようとしている権利利益等を考慮した検討を行うとされておりまして、具体的には内閣府、これは消費者保護の関係でございますし、それから公正取引委員会、これは景品表示法の関係でございますし、それから経済産業省、これは不正競争防止法の関係でございますが、今、その関係では具体的な検討が進められているようでございます。それ以外の領域について、具体的に今おっしゃっておられた環境とかに、まだ具体的な動きがあるというふうには承知してはおりません。ただ、基本的には個別の法律において、その行政手続の中でどういう国民を、どういう形で利害関係を反映していって、その国民にどういう形で、あるいは団体に訴えを認めるかという、そういう行政プロセス全体を見て考えなければいけない問題ではないだろうかと思いますので、こちらの方でも御検討いただくのは十分御検討いただいて結構かと思いますけれども、最終的には、そういう個別の法律の全体の行政のシステムを考えていく必要があるのではないかと事務局では考えております。

【水野委員】個別の法律で決めたらいいというのは、それはそれでいいんですけれども、やはり基本の行政訴訟法といった、今検討している、そこでも団体訴訟の導入というのは不可能ではないと思います。ですから、どうしても制度的に無理だということであれば、これは仕方がありませんが、不可能ではないと思いますので、萩原委員も言われたように、ここでも団体訴訟の導入の可能性についてやはり検討すべきだと思います。

【芝池委員】今の御意見に全く同感でありまして、個別の法律に委ねるというのは、ちょっと危かしいものを感じるわけでありまして、今、小林参事官がおっしゃった例でも、環境訴訟については言及されていないようでありまして、ですから、経済の分野だけではなくて、それ以外の分野についても目を広げて団体訴訟の在り方を考えて、そしてこの行政訴訟検討会で書ける範囲で、実際に法案をつくらなければ、基本的な考え方を示す、そういう必要があるのではないかと思います。現在の行政事件訴訟法では、いわゆる客観訴訟は、一応触れられておりますけれども、あと全部個別の法律に委ねられているんですが、そういう形ではなくて、もう一歩踏み込んで考えて何らかの形で意見を表明する必要はあるんではないかということです。

【小林参事官】最初に資料説明の中で申し上げたように、現代型の行政の中で、非常に広く薄まった利益を法律が保護しようとしていて、それを実行あらしめるものとするために、どういうシステムが必要かというのは御検討いただきたいと、私どもは思っておりますので、その御検討をいただくこと自体については、やぶさかではないものですけれども、最終的にはそういったいろんな行政のプロセスも含めて検討する必要もあるんではないかという視点で申し上げたわけでございます。

【小早川委員】もう大分出ていますから、ちょっと一言申し上げたいと思います。現行法でも取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者という言葉で、例えばさっきの主婦連はジュースを飲まないけれども、主婦連の存在からすれば、これは法律上の利益を持っているという解釈はあり得るというのが1つ。だから、いずれにせよ9条の規定をどうするかということを議論する中では、この検討会でもその点は議論しなければならない話ではないかというのが1つです。
 それからもう一つは、何か法律で書くときに、私は、もしやるとすれば、やはり個別法で分野ごとに何か書くことになるのかなとは思います、おおよそ行政一般について適格団体の定義をするというのもなかなか難しいですし。ですが、個別法で書くときに、やっぱり前半の部分とつながってくる。行訴法のシステム自体が、自分の権利利益を侵害されているものだけではなくて、そういう人に代わって一種の、民訴で言えば任意的訴訟担当みたいなものではないかと思うんですけれども、そういうものについて行政訴訟特有の取り扱いをする余地があるのかないのかということですが、これは行政訴訟一般法の方のスタンスの問題だろうと思うので、両方向き合っている話ではないかなという気がいたします。

【塩野座長】論点としては、既に皆様方からお寄せいただいた意見集の中に出ておりますので、第6回行政訴訟検討会フリートーキング参考資料の中の9頁に出ておりますので、適切なときにこういうことを議論していきたいと思っております。今日もその一つの場面でございましたが、今日で直ちにどういうふうな結論は出ませんけれども、そういった問題意識は我々も事務局も持っているということでございますが、それをこの検討会の中でどういうふうに処理するかというのは、いろんなことを考えて整理していかなければいけないと、そういう趣旨だと思います。

【福井(秀)委員】資料の11頁にある「自己の法律上の利益に関係ない違法」という件です。先ほど詳しく説明がなかったのですが、資料の趣旨からすると、これはなくてもいいのではないかという問題提起のようにも読めます。私も個人的にはなくてもいいような気がするのですが、これがあることの必然的な立法意図というものがあったのかどうかということを教えていただければということと、今回の議論としてはどういう趣旨でこういう問題を提起されたのかという確認です。

【小林参事官】12頁の上の6行目の部分のことを御指摘されているものと理解しております。そして、立法理由そのものは、どうもその当時当然のことであるという意味で立法されたかのように、今までの文献等では理解をしております。ただ、ここで事務局として問題提起をしている趣旨は、仮に自分の利益に関係のない違法を主張させることが適切ではないというのが理念的には言えるとした場合であっても、他に事情判決の制度等もありますし、原告適格では一応元が絞られているわけですし、そういったことも考えて、争点を増やし過ぎはしないだろうかと。一方で原告適格を拡大していこうと、なるべく広く薄まった利益でも救済していこうというような、こういう流れになってきた場合に、せっかくそういったところでは救済して、原告適格を救おうというふうな流れになったときに、逆に今度はここで引っ掛かる場合が増えてはこないかと、そういう意味で争点を増やして、本来救済すべき場合についても、救済が困難になったり、場合によっては、特定の違法というのが今の行政というのは、いろんな多様な利益を複雑に考慮した行政法システムというのができていると思いますので、特定の違法事由について、これはだれの利益の救済なのかということを原告適格を広げてきたような場合には、判断がしにくいような場合もあって、この規定自体は権利救済の障害になってしまうおそれもあるのではないか。
 それから、目的自体に仮に適切な目的があったとしても、この制度の仕組み自体に権利救済上障害になるような副作用が大きければ、場合によってはなくして、事情判決の制度で対応するということも1つの考え方ではないかと、こういう問題意識です。

【福井(秀)委員】判例で、この条項を適用したために、取り消してもよかったのに取消せなかったという典型的な例はありますか。

【芝池委員】新潟空港訴訟。

【市村委員】小林参事官の御意見ですけれども、ここには「自己の法律上の利益に関係のない違法」というふうになっているわけで、引っくり返したような形で、関係のある違法は一切合財入れるという前提ですね。そうだとすると、別に主観的な個々人の利益に関係するところであれば言えるわけだから、むしろ主観訴訟の趣旨を徹底させているというか、そこを言っているだけのことだと私は当たり前の規定のようにも受け取って、現実に私は大した障害になっていない。むしろ、もっぱら例えば1つの処分で、自分だけではなくて、Aさん、Bさん、Cさんに対する告知聴聞もやらなければいけないところ、自分にはちゃんとやってくれるけれども、Cさんに対する告知聴聞をちゃんとやっていないじゃないですかというのをAさんが持ち出して言うことが妥当かどうかという辺りで考えられると思うんです。それは実際Cは何も言わないというのであれば、Aが、自分のことなら勿論言えますが、そこまで拾わなくてもいいんじゃないかという感覚もありますし、特に邪魔な規定だという感じは私はしないんですけど。

【塩野座長】両方の意見があると思いますので、議事を進行していいですか。どうもいろいろありがとうございました。大体時間が来ましたので、ここは両方の意見があるように思います。
 そこで、今まで原告適格と、それから10条1項についての御議論をいただきました。ここでもあえて簡単にまとめるつもりはありませんけれども、私の印象的なことを申しますと、一般的にはもう少し訴えられる場合を広く認めるべきであるという意見が多かったようにも思われます。ただ先ほど、私も申しましたように、この原告適格や訴えの利益、訴えの利益は条文もございませんけれども、括弧書きの条文しかございませんけれども、原告適格については、訴訟の一般原則の適用と同じだと、当然のことを書いたのである、という立法関係者のお話とか、あるいは解説というものがございますので、そうしますと、どういうふうにこれから我々が考えたときに立法例として整理していくのかという点が問題になろうかと思います。実際に書いてみても、なかなか書けないよという御指摘もありましたし、何か書けば少しは変わってくれるのではないかという淡い期待もあるということでございますので、この辺は今後論議を深めていかなければいけないというふうに思います。その場合に、行政訴訟が民事訴訟とどう違うのか。あるいはダブルトラックが開けるような形での原告適格論も展開すべきかどうかという問題がありまして、行政訴訟が民事訴訟とどのような役割分担を担っているのか。あるいはその両者の違いはどこにあるのかということをなお詰めていく必要があろうかと思います。
 それから、これも先ほど来、御議論が出ているところですけれども、現代行政の場合には法律によって保護される国民の利益が、個々人の利益から更に非常に薄い利益、更にはもっと抽象的な公益まで幅広く存在しておりますので、これを立法に当たってどういうふうに整理していくかという点は十分慎重に考慮していく必要があろうかというふうに思っております。大体そんな感じを受けた次第でございます。なお、10条1項の点については、今のような両方の御議論がありますが、何となくあると、それに引っかかって、悪い方に導くおそれはないかという、あってもなくても同じならない方がいいという議論もありそうな。

【小早川委員】学者でも誤解している人がいるんですね。これで例えば事業認定の取消訴訟で、事業の公益性は争えないと学者でも言っている人がいるんですけども、それは間違いなんで、ただ、そういう誤解が生ずるとすれば、規定をなくした方がいい。

【市村委員】主観訴訟であるということをはっきりさせているもので、正しく解釈されれば、本来は何の害もないはずですが。

【塩野座長】反論はできますけど、それは行ったり来たりで際限がありませんので、これはここで終了いたします。
 引き続きまして、時間の許す限り「4 被告適格」「5 出訴期間」「6 出訴期間等の教示義務」について、意見交換、検討をしたいと思います。5時25分くらいまでこの議論を続けたいと思いますので、どうぞ。ただ、被告適格とそれから出訴期間、出訴期間等の教示の2つはちょっと違いますので、まず被告適格から入ることにいたしましょうか。こういった点は弁護士が一番気になるところだろうと思いますが、いかがですか。

【水野委員】行政「庁」というのを被告にしていることによって、非常に訴訟の提起が困難になっている。だれを相手に訴えるべきかというのは、なかなかよく分からないというケースがあるんです。弁護士でも、その弁護士が勉強不足だと言われるかも分かりませんが、プロでもなかなか分からない。それで訴えを起こして、間違えますと、その時はもう出訴期間を過ぎてしまって駄目だということなんですね。例えば東京の麹町税務署長で更正処分を受けた。その後、大阪の北区に住所を移した。裁判を起こすときに、麹町税務署長のした処分を取消せということで、麹町税務署長を相手に東京地裁で起こすのか、現在住んでいる北区の税務署長を相手に大阪地裁で起こすのかということについて、これは一義的に明らかでないんです。これを例えば麹町税務署長を相手に訴えを起こしますと、被告適格が間違っているということで却下だという議論が現にされているんです。それ以外にも、例えば滞納処分の引継ぎというのがありまして、ある税務署長がやっていた滞納処分を国税局長が引継いだ。そのときに、その滞納処分を争うのは、引き継いだ国税局長が相手なのか、税務署長が相手なのかという議論があるんです。そういうことで、本来、相手は一緒なんです。すべて国なんです。すべて国であるにもかかわらず、行政庁を被告にしているために、被告が間違っているということで、却下になるというケースもあるんです。まして、機関委任事務がありましたからいろんな問題があった。しかも、裁判所はかなり厳しくて、弁護士が付かずに訴え出る場合はかなり柔軟に被告の変更を認めるけれども、弁護士が付いているときには、専門家だから駄目と、かなり厳しいです。これはやはり行政庁を被告にするといったイレギュラーな訴訟形態を認めているのが原因でありますから、今日のメモに書いてあるとおり、これは行政主体を被告とするというふうに変更すべきだと思います。これはあまり異論がないんじゃないかと私は思っています。ただ、それをやるときには、例えば税務訴訟などで言いますと、全部国になりますから、全部東京地裁の管轄だということでは困るので、管轄に関する手当は必要でありますけれども、やはり被告適格は行政主体にすべきだと。訴状の中に、どの行政庁が行った行政処分を争うのかというのは、どこかに表示すればいいわけですから、これは現に、例えばたくさんの支店がある大企業を相手にやる裁判でも、本店だけ書きまして、どの支店の事件だということを表示することでやっていますから、そういった形でやれば全然問題ない。これは是非変えるべきだと思います。

【塩野座長】問題は被告となる行政庁に利害があることでございますので、何らかの形で行政庁の意見も聞いてみないといけないとは思っておりますけれども、それ以前に問題を検討していただきたいと思いますが、裁判官はやはり弁護士だと厳しくなるんですか。

【市村委員】行政事件訴訟法の15条の被告変更の許可の問題かと思います。テキストには、やはり素人と専門家たる弁護士とは違うというふうに書いてありますが、専門家たる弁護士が付かれたときにも、15条で認めている例はかなりある。ただ、その根本になっている問題について、水野先生が御指摘の問題は、私も同感だと思います。それについては、許すならば、できるだけ早い時期に、もっとユーザーに使いやすいという意味で行政主体に改めるということが可能ならやった方がいいと思います。ただ、我々は行政側の都合というのは分かりませんので、やる前には、行政側にそういう点で支障が生じてこないかという意見は十分聴取する必要があろうかと思います。

【小早川委員】質問してよろしいですか。被告を国に一本化した場合に、例えば、先ほど水野さんが言われたような本当に実態が複雑なケースではなくて、大阪空港訴訟のような場合、あれは、国を被告とする民事訴訟を起こしたけれども、これは民事訴訟の対象にはならないからだめということで、最高裁で却下になった。そのときに、行政訴訟であっても国が被告でいいんだとすると、そういう却下の仕方はできなくなるのかどうか。もし、そうであればこの問題は非常に重要だと思います。

【水野委員】求めているのは人格権に基づく差止請求が訴訟物ですね。

【小早川委員】それは訴訟物なんですかね。差止めでしょう。

【水野委員】それを仮に運輸大臣の許可の取消しみたいな形で、同じ国だからというのでやるのであれば、それは予備的請求という形ではできると思うんです。これは現に行政訴訟、民事訴訟との併合を認めているケースがあります。例えば留学生の身分打切り処分があったときに、文部大臣を相手に留学生の身分打切り処分の取消訴訟をやるか、国を相手に留学生の地位確認の訴訟をやる。これは東京地裁で予備的併合を認めてたケースがあります。私がやったケースでも、神戸地裁で、港湾計画の取消訴訟を兵庫県を相手にやり、その後で民事訴訟を予備的に追加したのが認められているケースがあるのです。ですから、要するに、被告を一緒にすれば、そういった訴訟が柔軟にやれるということは言えると思いますが。

【小早川委員】不適法なものが適法になると。

【水野委員】それはそうですね。

【市村委員】例えば、今、取消訴訟と当事者訴訟がこのまま残るとして、その間の訴訟選択の問題というのは、非常に互換性が出てくるというのか、融通性が出てくるということはあると思います。今、融通を利かせるべきだと言われるわけですけれども、被告が違うという意味で、そこが非常に難しくなっています。

【塩野座長】いつかここでも松本英昭理事長が使われ勝手と申しますか、そちらの方も考えてくださいという発言もございましたので、行政機関としてどういうふうな問題点があるかということを何かの形で意見を徴したいと思っております。ありがとうございました。
 それでは、出訴期間と、それから出訴期間教示の点について御意見をいただきたいと思います。これはビジネスから言うと、芝原さん、3か月というのはどんな感じですかね。

【芝原委員】3か月ですか、民間としては四半期ですよね。だから1つの区切りではあります。そういう発想になります。

【塩野座長】こういう数字が出てきますと、では4か月はどうかとか、いろいろあってなかなか出訴期間を数字的に議論するということは難しいことだとは思うんですけれども、外国法や何かの関係で見ると、3か月というのはそう短い期間でもないんですね。

【小早川委員】確かに外国との横並びで考えると、これでいいのかなという気もするんですが、私はむしろ日本の場合には、不服申立前置との関係の方が問題で、非常に多くの処分について申立前置を要求されていて、その不服申立期間の方は3か月よりも短いわけですね。ですから、実際にシャットアウトされるとすれば、この3か月で切られるよりは、その前の60日なり何なりで切られてしまう、そこでつまづいてしまうという方が多いんだろうと思うので、この問題は直接関係ないのかもしれませんけれど、そちらを考えないと、ここだけ考えてもあまり意味がない。

【芝池委員】この出訴期間につきましては、パブリックコメントの結果などを見ていますと、やはり6か月ぐらいに延ばしてほしいという、そういう意見が強いです。できるだけそういう声は尊重すべきではないかというふうに思っております。
 1つ、これはどちらにお伺いしたらいいか分からないんですけれども、現在、処分してから3か月、それから処分を知らなくても1年になっていますが、1年の出訴期間を適用することによって不都合が生じた事例があるのかどうかです。1年後に訴訟を認めることによって、出訴期間が目的とすれば法的安定性が害されたとか、そういう事例があるのかどうかお教えいただければありがたいと思います。

【塩野座長】どういう形で、ケースになって出てくるか、あるいは不満がどういう形で出てくるかということで、ですからそれは行政苦情処理とか、行政相談とか、そういうところにどういう形で上がってきているのかということを見てみないと、とっさには事務局としては答えられないと思います。総務省辺りで聞いてみないと。

【水野委員】出訴期間がなぜ必要かということでしょう。

【芝池委員】ですから、1年というのは1つの出訴期間としてあるわけです。それで不都合があるのかどうかという話です。

【水野委員】不都合というのは、どちらの不都合ですか。

【芝池委員】行政側にとってです。

【小林参事官】おっしゃる趣旨は、多分3か月、知ってから3か月の出訴期間が仮になかったものとして、処分から1年という出訴期間だけあったって、十分行政としては機能するんではなかろうかと。

【芝池委員】そこまで断定していませんけれども。

【塩野座長】1年の方が短過ぎるということではないんですね。

【芝池委員】1年は長いですね。

【塩野座長】1年はいいということですね。

【水野委員】関連して発言させていただきたいと思いますけれども、出訴期間は行政訴訟の場合は、当然のごとく置かれているんですね。しかし、行政処分についてなぜ出訴期間が要るのかという議論が、どれだけされているのか、早期確定の必要性があるというのは分かりますが、しかし、行政処分全部について早期確定の必要があるのか。だから、当然に出訴期間というのではなくて、これについては特に出訴期間を設ける必要があるので置くんだということでないといけないのではないかと思うのです。課税処分の取消なんかでも、原告の方は出訴期間がありますね。それは、いつまでも争えるとすると、証拠の散逸があって困るじゃないかというのがその理由として言われます。
 しかし、課税庁の方は最長で7年間更正処分をやれる。ですから、一方では7年も更正処分ができるのに、争う方が3か月というのは、これはいかにもおかしいのではないかと思うのです。いずれにしましても、出訴期間の議論というのは、何か月にするかという議論もさることながら、そもそも出訴期間が要るのかどうかというところをきちっと議論する必要があると、つまり国民に説明する必要がある。この分野については、どうしても要るんだというのは仕方がないわけですが、その場合にその分野であれば、何か月必要か、という議論をすればいいというふうに思います。

【塩野座長】今の点は、今日の1、2の部分で議論をしまして、ですから取消訴訟とはどういうものかと、その場合にも、公定力と排他性と出訴期間をどういうふうに考えていくかという問題点と共通するものがあると思いますので、これからも考えていきたいと思います。

【福井(秀)委員】塩野先生御指摘の出訴期間を付ける領域を精選してもというのが先ほどの議論の関連ですが、出訴期間の長短です。長短で言うと、率直に言って、原告の方の方々とも被告の立場で具体的にやりとりしたことがありましたが、3か月というのは原告にとっては大変厳しいという気がします。というのは、例えば私は土地収用だったんですが、収用裁決を受けた、事業認定があったというとき、特にややこしいのは事業認定で、これは告示から3か月ですから、そこで争わないといけないのかどうかということ自体教示を受けていないということもあって、迷っているうちに過ぎてしまう。裁決にしても、収用裁決を自信を持って引き受けてくれるような弁護士さんを探すだけでも、田舎だと往生なことで、見つかったころにはほとんど出訴期間が終わりかけている。こういうことも実際に結構ある話であり、訴える方からすると、3か月というのは諸外国に比べると長いという意見もありますが、元々の処分対象自体が不明確ということも考え併せると、長くしてもいいというのが率直な感想です。
 被告にとってどうかということなんですが、私自身が被告代理人をやっていた頃に、出訴期間3か月でないと困ると感じたことは、少なくとも私や私の周りの担当者にはだれもいなかったわけです。仮にこれが1年になったとしても、それは起きれば起きたで粛々と応訴するというだけのことで、プラス数か月延びたからといって、行政執行上の重大な支障があるかと言うと、どちらにしろ裁判は裁判で起きたら粛々と対応するというのが行政庁の対応ですから、延びたからといって天変地異が起こるというような感覚はあまりない。更に言うと、何か事件が起こりそうな裁決とか、事業認定があると、3か月ぐらい経つころをみんなで心待ちにするわけです。訴訟が起こらないと司法判断が得られないのでがっかりするというムードもありました。
 際限なく長いのは問題なんでしょうが、一定の期間争えるということは、それだけ審査にさらされる可能性を高めるということにもなりますので、延ばしてもいいのではないか。個人的には1年ぐらいでもいいのではないかという気がします。

【芝池委員】私のアイデアではなくて、7月にやった行政法フォーラムで出た意見ですが、拒否処分について出訴期間を果たして認めるべきかどうかという、そういう問題提起がありましたので、御報告いたします。

【小早川委員】先ほどと同じで、出訴期間についてどうこうという話ではないんですが、関連する問題として、処分の執行ですね、今の行政実務のあれは知りませんが、処分の種類によっては、出訴期間内は執行を差し控えて、3か月過ぎたらほっとして執行するというような、そういうことは、ひょっとしてあるのかなと思います。また、別の話では、たしかフランス法では、出訴期間内だと職権取消ができる、それを過ぎるとできなくなるという別の効果もあって、訴訟が起きるかどうかだけではなくて、行政の進め方自体にも多少影響があるのかなという気もいたします。

【深山委員】緩和する方向の意見ばかりなので、私自身あまりそう思わないので、3か月が長いか短いかというのは、1つの考え方なんでしょうが、しばしばこれまで言われていたのは、先ほど福井委員も言われた、引き受けてくれる弁護士さんを探すのが大変だと、あるいは被告適格者を特定するのに弁護士さんだって相当いろいろ捜査しなければいけない、これはそのとおりで、裁判所でやっていても若い裁判官が資料室にこもって条例集を見てやっと分かったとか、半日かかったとか、そういうようなこともあるんです。ですから、時間がどうしても普通の民事訴訟よりもかかる面があるというのはそうなんですが、先ほどの被告適格者を特定するのにプロでも時間がかかるじゃないか、いろいろな調査、条例集なんていうのは、そう簡単に手に入りませんので、調べないとどういう委任がされているかよく分からないというようなことは、今回先ほどあまり異論がなかったですね、被告適格者を法主体に認めるということにすれば解消する。それから東京・大阪というところは別でしょうが、地方だと、なかなか行政訴訟を引き受けてくれる弁護士さんがいないという話も、それは現実としてそうなんだろうなと思いつつも、司法制度改革全体としては、そういう状態こそ、まさに地方に開かれていないので、司法試験の合格者を3倍にしてでも、そういう状態は解消して、多数の法律家が生まれれば、今よりももっと専門化が進むだろうと、これは一般的に言われていることですよね。今、水野委員のように行政は私専門ですと言える人は、たしかにそういない。本当に数えるほどしかいないと思うんですが、そういう時代ももう過渡的な状況で、そういうことを変えていく一方で、法曹養成の方のシステムを大幅に変えようとしているというときに、なかなか弁護士さんへのアクセス、あるいは訴訟までの準備に時間がかかるということを大きな根拠として1年に延ばすという議論というのは、一面で確かに争う機会を増やす、チェックの機会を増やすという面もあるとともに、迅速な裁判とか、法律関係の早期の安定と、先ほど言いましたように、取消訴訟の公の部分で、やはり早期に法律関係を安定すべき要請を持った行政庁の行為というのは、やはり厳然とあるような気がしてならないんで、そういうところが弛緩すると言いますか、そういう方の要請には逆行するので、それやこれやを考えるとですね、ここでこの時期に延ばすということは。縮めるとまでは言いませんが。
 これは、前に塩野座長から伺った話ですが、ドイツで1か月しかなくて、あれだけの件数があって、日本は3か月でこんなに少ないと、出訴期間が短過ぎて訴えの提起ができないということでは必ずしもないんではないか。ドイツと日本ではいろんな違いがありますから、一概には言えないでしょうけれども、私もそんな気がしてしょうがないです。これを延ばすとどっと訴訟が増えるとか、争う機会、違法性のチェックがかかるとか、何かそんな気が全然しないものですから、そういう意見もあるということです。

【水野委員】訴訟を起こすのに、勿論弁護士の選択もありますけれども、本人さんが決断するのに時間がかかるという部分があるんですね。これは、今、特に行政訴訟がなかなか勝てないことに影響していると思いますけれども、ですから、今の3か月というのは、私どもから見ると、どう考えても短いと思います。
 それから、行政の早期安定というのがすぐに出てくるのですけれども、さっき言いましたように、本当に早期安定の必要性があるのかどうか、つまり出訴期間によって早期安定ができないと行政は困るのか、それは何も論証されていないですね。早期安定という言葉だけが一人歩きしているような気がするわけです。

【福井(秀)委員】補足ですが、確かに深山委員が言われたようなこともありますが、今、水野委員が言われたように、早期安定という金科玉条、大命題が、裁判がたまたま全く起こらなかったときには3か月で形式的に確定するということなのです。いざ起こってしまうと、実際にまた10年、20年ぐらい安定しないことがある。一旦起こった場合には早期安定などどこかに吹っ飛んでしまうというのが今の裁判の実態ですから、入り口のところは、それほど重大な問題にはならないと思います。

【塩野座長】この点もなかなか意見の分かれるところだと思いますが、1つは短い長いということとは別に、もっと本質論の話として出訴期間制度というものをこの検討会でどういうふうに位置づけ、整理するかという点が一番の根本の問題としてあるかと思います。
 それからもう一つは、期間が短かかろうが長かろうが、今のような形でほうっておいて、弁護士さんも今後増えていくそうですけれども、それでもまだそれに数年かかるということであれば、その間、あるいはその後も今日の事務局の用意した資料の20頁の6のところにありますように、出訴期間が定められていた場合には、「出訴期間及び不服申立の前置の有無を教示しなければならない」というような不服審査法に類似した一種の環境整備を図るかどうかという問題の方が、むしろ私は重要ではないかというふうに思います。3か月が短いかとか、6か月ならばどうかとか、9とかいろいろな話はございますけれども、一応環境整備の方にも是非目を向けて議論をしていただきたいと思います。ただ、この点は、もう一つ不服審査法は教示義務を書いてはいるんですけれども、不服申立期間の教示がなかったことにより当該期間を徒過してしまったときの救済手続はありません。そのときには、損害賠償しか取れないというふうなこともあります。そういうような行政不服審査法の状況のときに、こちらの方でしっかりと法効果をもっとはっきりさせた教示義務を付けるということになりますと、不服審査法とのバランスの問題もありまして、この点も出訴期間が短い長いも含めまして、やはり行政庁側の意見も、所管の機関の意見も十分情報として聴取する必要があるというふうに思いますので、これはまた機会を改めて、どういう形かは分かりませんけれども、準備をしていただきたいと思います。

【福井(秀)委員】教示の件ですが、これは不服審査法にだけあって、行訴法にないというのは、立法当時、意図して意味を持たせてこういうふうに区分したのでしょうか。

【塩野座長】それは本来ならば、私か、小早川さんや、芝池さんが答えなければいけないはずのものですけれども、とっさに答えはありませんが、ただ、行政不服審査法の目玉商品ではあったんです。その当時、昭和37年の行訴法と行政不服審査法には、それぞれの目玉商品がありまして、不作為違法確認とかそういったものがありましたが、不服審査法のときの目玉が教示をする、つまり、それは総務省、当時の行政管理庁ですけれども、やはり行政管理庁の方が国民の身になっていろいろ考えるというベースはあったと思うんです。ですから、国民の皆様に対するサービスということで、ここだけは行政庁としてやりましょうという気分が底流にあったというふうに思います。裁判所の方は、国民の皆様という考えがないなんていうことは申しませんけれども、積極的にサービスをするという、そういうスタンスではなかったです。これは、行政管理庁とそれから法務省との違いだったということです。

【福井(秀)委員】特に行政訴訟の方に教示があってはならないから書き分けたのだということは全くない。

【塩野座長】私の理解はそうです。サービスです。

【福井(秀)委員】そうしますと関連してなんですが、出訴期間もさることながら、訴訟類型と言うんでしょうか、何をどの訴訟で争えるのかというのは、素人の原告にとっては極めて分かりにくいことが多々あります。
 収用裁決というのは、取消訴訟の部分と、それから損失補償に関する当事者訴訟の部分と2パートに分かれておりまして、よくあるパターンは、損失補償についての不服だったら、裁決の取消訴訟できても一切斟酌できないにもかかわらず、裁決の取消訴訟や裁決取消の不服申立で、専ら損失補償についての不服を言う案件が多々あり、非常に混線しているという実態がありました。不服申立について当然収用委員会は当人たちに教示し、「不服申立できる」とやってしまうと、当然裁決固有の不服ではなく、ほとんどはお金の問題ですから、損失補償について出てくる。だれも行政事件訴訟法や収用法をよく読んで、損失補償は当事者訴訟でなければならないなどと教えてくれる人がいないものですから、訴訟資源や不服申立資源は浪費されています。法律をよく読めば分かるというようなことでも素人には分かりにくいことは、できるだけあらかじめ前広に教示してあげて、損失補償だったら収用法の当事者訴訟でいきなさいなどとしてあげた方が、親切ではないでしょうか。

【塩野座長】御意見として伺っておきます。

【市村委員】1点よろしいでしょうか。

【塩野座長】どうぞ。

【市村委員】出訴期間について、大きい問題ではなくて、小さいかもしれませんが、17頁のウのところで、14条4項の規定ぶりの問題なんですが、現在、「裁決があったことを知った日又は裁決の日から起算する」、とこうなっているこの部分で、阿部泰隆先生がおっしゃっておられましたが、私も現実に実務をやっていますと、1年に1〜2件こういうことがあるんです。それで非常に気の毒な気がしますし、これはきちっと足並みをそろえておいた方が、この際いいだろうと思いますので、一応それだけ申し上げておきます。

【塩野座長】どうもありがとうございました。他に何かございますでしょうか。大分時間も迫ってまいりましたので、何か特に御発言が、どうぞ小早川委員。

【小早川委員】せっかく載っていますので、17頁の箱の中のエですね、出訴期間と裏腹の関係で、出訴期間を過ぎても無効の認定を緩めれば結構救済は広がる。そういうことは確かにあるのですが、ですから、この検討会で要は実体法まで考えるか、裁判官の個々の実体判断の仕方まで考えるかということなんですけど、ただ、方向としてはやはり、課税処分の根幹に関わる最高裁の例の判決のような形で、個別の事案を見てだれも迷惑を被らないのであれば無効を広く認めるということが望ましいわけで、出訴期間を考える場合にも、そんなことが前提にはなるんだろうと。

【塩野座長】どうもありがとうございました。特に御意見がなければ、出訴期間について、先ほど来いろいろな御意見が出ているところで、取消訴訟と、それ自体の位置づけ、あるいは構造というものとも関係して考えなければいけないということであります。仮に出訴期間付きの排他性のある取消訴訟制度というものが適用されるという場合には、今、ちょうどお話にありましたような出訴期間の長さの問題、それから出訴期間等についての教示の問題ということも、これからもう少し細かく考えていかなければいけないというふうに思います。
 ただそういった形にした場合、被告適格の問題も同じですけれども、それに具体的にどういった問題が行政の側にも生ずるのか。行政の側に生ずるということは、何となくあまりいいことではないような風に思われがちですけれども、これはマクロの話でございますので、これも一種の公益ということになり、国民の不利益に関わってくることでございますので、どういう点に問題があるのかということを具体的に議論をしていただくこととしたいというふうに思いますが、そういうことでよろしゅうございますでしょうか。
 それでは、大体今日の検討は以上のことで終わることにいたしたいと思います。そろそろ時間が参りましたので、今後の日程等について、事務局からお願いします。

【小林参事官】17頁のウについての市村委員からの御指摘については皆さん御異論ないということでよろしいですか。

【塩野座長】御異論ないということで。

【小林参事官】事務局としては、御異論なかったというふうに承ってよろしいですね。

【塩野座長】市村さんさえ、そう言うならば。

【小林参事官】今後の日程等につきましては、次回、取消訴訟についての2回目の議論ということが、最初のスケジュール案になっております。ただ今回、その論点自体一当たりしておりますが、座長御指摘のように、他の救済方法との裏返しの問題で、今日も取消訴訟をある意味でシンプルにしていったあとに、残りの部分をどうするのかという問題が出てまいりますので、前回、そこの部分は一応そちらの方に入っている論点なんですが、場合によると、そこら辺での事務局なりの問題点の整理が十分でないような御指摘も前回伺っておりますので、何らか資料が補充できるかどうかも含めて準備をしまして、それとの他の救済方法、他の訴訟類型について新しい類型を考えたらどうかという、御検討の中でありましたので、そういった点について何らか準備できないかと考えておりますので、そこも含めて次回、もう一回その点に戻って検討していただくようなことはいかがかというふうに思っているんですが。

【福井(秀)委員】民民の判例で参考になるのがあれば、提示いただければと思います。

【小林参事官】排他性の関係ですね。努力してみます。

【塩野座長】事務局がそれなりに資料は集めて提供するということですので、取消訴訟を中心として、他の訴訟類型も含めて、ややおさらいになるかもしれませんけれども、だんだん議論は深まっていくと思いますので、そういう形で次回は議論をしたいと思いますけれども、よろしゅうございますか。

【芝池委員】今、小林参事官がおっしゃったのは、前に配っていただいた資料の「行政訴訟の対象及び類型」のところですか。

【小林参事官】特に類型のところなんかは、あまり十分議論する時間がなかったように思いますので、資料もできれば補充して御検討をお願いできないかと。

【塩野座長】それでは、次回は11月21日木曜日の午後1時半から会議を開催いたします。よろしく御出席方お願いいたします。これで会議は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。