○ 雇用を認めることには弊害が多い。外弁は徐々に職務を拡大し、最終的には事実上日本法を扱うことを目指している。また、日本の弁護士は日本の弁護士に教育されることが重要である。教育には3〜5年程度必要。
○ 最近の企業法務の世界では弁護士も大規模な組織体制で仕事をする局面が増えている。
若手の育成は日本人弁護士でなければできないわけではないだろう。共同事業という事業体で弁護士を雇用するという考え方もあるのではないか。
○ 難しいのではないか。私の経験からすると弁護士になりたての人は新しい法令に詳しくないため、セミナーによる教育、OJTによる弁護士からの指導等を行っている。外弁の下では日本法の素養を身につけることが十分にできないのではないかと思う。
□ 雇用のニーズの議論の前提については、外弁が弁護士を雇用する場合と、弁護士と外弁とが共同で弁護士を雇用する場合と2通りある。
○ 議論の前提は、雇用者である外弁が被雇用弁護士のアドバイスに基づいて日本法のアドバイスを行うことができるということなのか、被雇用弁護士が日本法を外弁にアドバイスできるかどうか、それができたとしても外弁がそれを顧客にアドバイスをすることはできないということか、どちらなのか。
● 現行制度では、外弁が日本弁護士から日本法のアドバイスを受けたとしても、日本法を自由に扱うことは禁止されているということが前提である。日本弁護士を雇用して活用する必要が色々あろうが、それは具体的にどういうことなのかを踏まえておくためにニーズ論を議論して頂きたい。
○ 相手が誰であろうと、日本の弁護士が日本法についてアドバイスできるのは当然である。誰が顧客に意見を伝えるかということは大した意味はなく、実質的に誰が最終的に責任を持ってアドバイスできるのかということが重要なのではないか。
□ B案で共同事業の目的制限を撤廃した場合に、共同事業で日本の弁護士を雇用することができるかについては後で再度議論したい。外弁が単独で日本弁護士を雇用するニーズについての議論に絞りたい。
○ なぜパートナー(日本の弁護士)がいなければ弁護士を雇用できないのか、その必要性が不明である。
● 外弁が弁護士を雇用することが必ず外弁の職務範囲の逸脱に結びつくのかどうか、必ずしもそうでないならば雇用を認めることにより、良い意味での協力関係が発揮できるのではないか、このあたりがポイントになるのではないかと考えている。
○ 外弁が日本法を取り扱うことができないのに何のために弁護士を雇うのか、ニーズはあまりないのではないか。
● 「共同事業の自由化」と「雇用」はうまくかみあわせることによってそのメリットが発揮される。その意味では両者を全く別々に議論することは窮屈と言えるかもしれない。
□ 外弁と弁護士は同じプロフェッションなので、例えば会計事務所が弁護士を雇用することとは事情は異なる。制度設計としては区別しなければいけないのではないか。
○ 外弁法の作りは、外弁の方が他の法律専門職の人より危ないという前提があって、わざわざ雇用禁止規定も設けている。この規定を残して共同雇用のみを認めるというのも一つの手である。雇用禁止規定は象徴的な規定なので残したくない、という意見もあろうが。
○ 日米交渉では自由な形態のパートナーシップと雇用は同列に扱われている。要望書などを見ていると同列で議論しているものが殆どであり、潜在的には雇用する形で使いたいという要望がかなりあるのではないか。現行制度では弁護士を雇いたいのに雇えない制度になっていることが問題ではないか。
○ 雇用禁止規定を象徴的に残しておくことにどれだけ意味があるのか疑問。弁護士と外弁との協力関係については、将来的に色々なバリエーションがあると思われる中で、外弁による雇用をもってワンパターンに4条違反とする意味があるのか。
○ 弁護士の判断の独立性を守ることが重要。外弁の指揮命令監督下に置かれることで判断の独立性は大きく害されるものであり、雇用禁止の意味はそこにある。外国からの要望は多々あろうが、法律判断の独立性は万国共通の重要な要素である。日本法を取り扱いたければ特定共同事業を利用すれば足りる。
○ 弁護士と外弁は同じ弁護士倫理の下に置かれている。雇用により法律判断の独立性が害されるのかについては疑問がある。
○ 49条1項の趣旨は外弁はロイヤーであるので違法行為をおこしがちだということを前提としているのではないか。それが今、突然変わるのか。外国からパートナーシップと雇用を一緒に言われているからということでは変わる理由にはならない。経験の浅い弁護士が雇用されている局面において、法律判断の独立性が守られているかということはチェックできない。だから49条1項の存在意義はあるのではないか。
○ 判断に雇用主の影響が出てくる可能性があることは否定しないが、可能性ということをもって規制を続けることが合理的なのか。そうしたリスクを全て排除しようとすることはそもそも無理がある。