○ 少年審判手続において、付添人は、適正手続の諸条項が遵守され、非行事実が的確に認定され、さらには、要保護性に関する資料の証拠価値を吟味して、適正な処分がなされるよう、少年の利益を擁護することになる。非行事実の認定手続については、家庭裁判所調査官が付添人の役割を兼ねることができないのは言うまでもなく、要保護性に関する調査結果についても、適正処遇を期するには、少年側にその資料に対する批判の余地が与えられなければならないが、家庭裁判所調査官は、自ら集めた証拠に対する批判をするという役割を担うことはできない。少年審判における適正手続を監視することは、法律専門家である弁護士付添人がよくなしうるところであり、適正手続の観点からも、自ら付添人を選任できない少年に対し、公的付添人が付される必要があるのではないか。
○ 取調べに当たって、動揺や不安から非常に迎合的なところが見られるとか、曖昧な供述が繰り返されるとか、共犯が多く、友人をかばったり、一時逃れのために虚偽の供述をするなどの少年事件の特殊性があることは、広く一般的に指摘されている。警察捜査においても、特に少年事件の捜査に当たっては、少年が弁解やアリバイの主張をする場合はもちろん、犯行を認めている場合でも供述を十分吟味し、裏付け捜査を徹底することを心掛けている。このような少年事件の特殊性から、事実認定に誤りが生じる危険性があると思うが、基本的には、この問題は、捜査段階のものであろう。そうすると、これについては、警察においても慎重な捜査を行うことのほか、被疑者に対する公的弁護制度によっても、十分に担保されることになるであろう。一方、家庭裁判所における少年審判手続は、裁判官が少年と対峙する関係にあるわけではなく、公正な立場にある裁判官や家庭裁判所調査官によって手続が進められるわけであるし、平成12年に導入された法定合議制度により、多角的な観点からの検討によって判断の客観性が担保され、さらには手続の公正や信頼性も確保されることが十分に可能である。その上、更に公的付添人制度を導入する必要性があるのか疑問である。
○ 警察や検察が少年事件について捜査段階で配慮していることはそのとおりだろうが、それが十分であったか疑問を生じるケースがなかったわけではない。また、その場合であっても、付添人が付くことが必要ないということになるのか、更に付添人が付くことがあっていけないということにはならないと思う。少年事件の特殊性や少年の弱さから生じてくる事態には、幾重にも保障措置があってもおかしくない。裁判所が成人の事件とは異なる後見的な役割を果たしており、また、警察・検察もその点に配慮しているとしても、必ずしも少年の立場、少年の側に立っているということにはならないので、理念的にも実際上も少年の立場に立つ付添人の必要性を否定することにはならない。現状においては、法律専門家である弁護士が要保護性の問題についても対応することが必要だと思う。
□ 要保護性について、法律専門家である弁護士が対応すべきであると論理的に言えるのか。
○ 要保護性についても法的要素がないわけではなく、最終的には裁判官が法的な観点から判断するのだから、法律専門家である弁護士が付添人として関与することが必要である。
○ 保護手続は、制裁を科すための刑事訴訟手続とは全く性質を異にする。事実認定に困難な問題がある場合には、先の少年法改正で検察官関与が導入されており、公的付添人だけが関与して検察官が全く関与しないとなると、きちんとした判断ができるのか疑問がある。先ほど、要保護性に関する調査結果に対して少年側に批判の余地が与えられなければならないとの意見が述べられたが、それは公的付添人からだけの批判でよいのか、という問題が生じる。また、公的付添人と家庭裁判所調査官との役割分担はどうなるのか。現在の家庭裁判所調査官ではきちんとした調査ができない、そのような能力がないという前提に立つのか。しかも、要保護性の問題については、法律専門家である弁護士である必要はなく、むしろ、心理学や教育学の専門家であっても十分対応できる部分が多いであろうから、どうしても法律専門家である弁護士でなければならないという論証はなされていない。公的付添人について、現在の少年審判の構造の中でどういった役割を持たせるべきなのか、現在の裁判官と家庭裁判所調査官では駄目なのかがきちんと説明できなければいけない。ここでは、税金をつぎ込むのだから、こういう役割で必要なのだということをきちんと論証しなければならない。
○ 先ほど少年事件の特殊性は捜査段階の問題であるとの意見が述べられたが、捜査段階で少年の弁解・主張が出尽くしているかというと必ずしもそうではないわけで、審判段階でも捜査段階と同じような必要性はあり、その意味では、否認事件については審判段階でも付添人が必要だろう。ただし、事実認定をしっかり行うためには対審構造がよいので、少年事件においても、重要な事実、重要な情状事実について争いがある場合には付添人が付くべきであるが、付添人だけでは審判構造がおかしくなるから、検察官も付けることができるという制度にすべきである。途中から否認した場合には、裁判官が職権で付添人を付けられる余地を残しておけば、付添人が必要な事案については適切に対応できる。事実関係には全く争いがなく要保護性の判断だけの場合には、家庭裁判所調査官の判断で十分だろう。要保護性の判断だけの場合には、付添人が絶対に法律専門家でなければならないという要請はなかなか見い出し難いのではないか。
○ もし事実認定に問題がある事案で検察官関与を考えるのであれば、予断排除の原則、伝聞証拠排除の原則といった手続が要求されるのではないか。現行少年法は、少年の健全育成という少年法の目的に合致するものとして付添人を置いているのであり、公的付添人制度を導入することはこれをなお実質化するという意味合いがある。したがって、公的付添人が付いたからといって、直ちに対峙構造になり検察官がいなければならないという理由にはならない。
○ 要保護性に問題があっても、すべて法律専門家である弁護士を付添人にしなければならないとは思わない。家庭裁判所調査官や少年鑑別所技官等の補助によって、裁判官も、少年の立場に立って何がいいのかを考えながらやっており、かなりの事件は今のままでいいのではないかと思う。ただ一方では、すべての事件について公的付添人制度が不要であるとまでも言えないだろう。要保護性の観点でも、重要な情状事実に争いがあれば、非行事実の認定に争いがあるときに準ずるんだ、という考え方もあり得る。例えば精神状態に問題があってそれをどう見るかとか、法律家の観点からの法的な意見を聞きたいこともある。特に、刑事処分相当による逆送が予想される場合、少年院への送致が予想される場合、それから少年に保護者が全くいない場合には、法的な観点からのアドバイザーが必要な場合もあるのではないか。それらをどこまで含めるかというと、非常に難しい問題があり、もっと具体的に検討しなければいけないとは思うが、実務的にはそのような感覚がある。
○ 一切非行事実に争いがない場合であっても、見通しとして、実質的には少年にとっての不利益処分である少年院送致になりそうであるとか、刑事手続に連続する逆送決定になりそうであるというときは、やはり法律家である弁護士付添人が関与する意味は大変大きいと思う。そして、適正手続という観点からも、そのような実質的不利益処分に至る手続である場合には、少年の言い分を十分裁判官に伝えるなど、弁護士が法律家としての役割を果たすべきところはたくさんある。現在でも、私選で弁護士が付添人になることはいくらでもあり、結果として裁判官と少年側の一種の対峙状況的なことが審判廷で起こるのかもしれない。しかし、今の職権主義的審問構造の下で、あくまで建前としては付添人は審判の協力者であるから、仮に公的な形で弁護士が付添人になったからといって、直ちに、論理的に、だから相手方に検察官がいないといけない、ということにはならないのではないか。
○ 公的付添人を付ける例として、刑事処分や少年院送致が見込まれる事件とするとの意見があったが、刑事処分や少年院送致が見込まれる事件について、付添人に一体どのような役割を期待しているのか分からない。こういう基準で公的付添人を付けると、刑事処分又は少年院送致になることが少年に分かってしまい、審判の教育的機能の観点から疑問があるように思う。
○ 原則逆送事件について公的付添人を付けることは可能ではないか。少年事件の場合には、非行事実の内容よりも、要保護性の大小が処遇に結びつくことが極めて多いが、原則逆送事件の場合には、犯罪事実の認定が前面に出てきて、それ以外の要保護性の事情が消極的な要件として出てくるから、犯罪事実をどのように認定するかが極めて大きく、しかも、逆送される可能性が極めて高い。このように考えていくと、もし公的付添人を付けるのであれば、身柄拘束されている者のうち原則逆送事件について付けたらどうかということになる。
□ 逆送の場合には、付添人に刑事事件的な役割を想定されていると思うが、少年院送致の場合には、それ自体としては保護処分であり、そこで付添人にどのような役割を果たさせようとしているのか。
○ 少年法自体の性格が複雑であり、少年の福祉のための制度であると同時に、広い意味での刑事司法を担っている部分があり、保護処分の中でも、実質的には身体の自由を奪う結果になる少年院送致は、少年のためであると同時に、しかしやはり不利益処分であることは間違いないところである。そこに至ることが見込まれる場合には、審判の過程で、要保護性について、法的な側面から少年に有利な事情を説明する役割の人がいるということは、適正手続に資する。
○ 被害者の立場から言えば、少年事件の被害者は成人事件の被害者よりも苦しい立場に置かれている。公的付添人から二次加害、三次加害を加えられるようなことがあっては困るので、公的付添人になる人は、少年のことを一生懸命考えることは当然だが、被害者のことにも当然思いを致すことができなければならず、そういう意味で、公的付添人に対する教育を、被害者の立場から考えてもらいたい。また、加害者に税金を手厚く使うのであれば、被害者についても、常勤弁護士に被害者支援をしてもらうだけではなく、もっといろいろな権利を与えるとか、少年事件に関する情報開示の施策も併せて採ってもらわないと、納得できない。自分たちの税金で加害者が手厚く保護されて、自分たちは全く保護されないのでは、被害者は納得できない。
○ 少年法改正の際、検察官と弁護士付添人の双方が関与することによって事実認定の適正化を図ることが適切である、という議論の上に立って制度ができたことを考えると、検察官関与の問題を切り離して公的付添人だけを付するという議論はおかしいのではないか。先ほど否認事件に公的付添人を付けるという話が出たが、否認をすれば公的付添人が付くという結果が果たしてよいのか、疑問である。また、少年に公的付添人を付しながら検察官関与が許されないということになると、事実認定や処分の相当性について被害者の納得が得られるのか大きな疑問である。やはり被害者への配慮という面でも、検察官関与の問題は切り離して考えられない。
○ 被害者への配慮は大きな考慮要因であるが、被害者への配慮は独立に、そして今以上に一層の対処を考えるべき問題である。成人の場合との一番大きな違いは、審判が非公開である結果として直接の情報取得ができないという側面である。先の少年法改正でも、いくつかの情報提供ができるようになり、意見陳述もそれなりの形でできるようになったけれども、より一層の配慮が必要である。ただ、それと公的付添人制度を導入するかどうかは論理的には直ちに関係しないのであり、別個に配慮を考えるべきである。今の検察官関与制度は、非行事実の認定に関して、一般国民の社会的関心の強い重大事件について、そのような社会的関心をも踏まえて関与しているという側面はあるが、検察官は、被害者の代理人ではなく、公益の代表者として審判に協力する者であり、公的付添人が付いたからといって、被害者の立場を代弁する検察官が必ず必要だということにはならない。
○ 公的付添人の給源の問題については、できれば弁護士がよいが、弁護士でなければならないとすると、いわゆるゼロ・ワン地域などでは窮屈である。また、少年審判は、少年を処罰するためにあるのではなく、教育的効果が考えられているのだから、少年の立ち直りや社会復帰の面で役に立つ人が付けられることも大事である。