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公的弁護制度検討会(第4回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)

1 日時
平成14年7月23日(火)13:30~17:50

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 井上正仁座長、池田修、浦功、大出良知、清原慶子、酒巻匡、髙井康行、土屋美明、中井憲治、平良木登規男、廣畑史朗(敬称略)
(説明者) 甲斐行夫(法務省刑事局参事官)
今崎幸彦(最高裁判所事務総局刑事局第一課長)
河原昭文(日本弁護士連合会副会長)
(事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、落合義和参事官

4 議題
1.私選弁護と公的弁護の関係
2.公的弁護制度下での弁護人の選任要件
3.公的弁護制度下での弁護人の選任の始期及び選任の効力の終期
4.公的弁護制度下での弁護活動の在り方
5.公的弁護制度下での弁護報酬の算定方法

5 配布資料
【事務局配布資料】
資料4-1 第4回公的弁護制度検討会における論点(案)

6 議事
 (□:座長、○:委員、◆:法務省、▲:最高裁、△:日弁連、●:事務局)

□ それでは、所定の時刻ですので、第4回の公的弁護制度検討会を開かせていただきます。
 暑い中、お集まりいただきましてありがとうございます。
 議事に入ります前に、事務局の方から事務連絡があるそうですので、お願いします。

● 前回にも申し上げましたとおり、事務局では、今般の司法制度改革につきまして、広く国民の皆様からの御意見を承っております。そして、事務局に寄せられました御意見につきましては、今後の参考とするため、事務局で保管し、その目録を作成しております。
 検討会の委員の皆様から御希望があれば、この目録をお渡しし、更に目録に記載された意見のうち必要とされるものを御覧いただくことができるようにしておりますので、その御希望がありましたら、本検討会の終了後など適宜の機会に、事務局の方にお申し付けください。

□ 次に、裁判員制度・刑事検討会の方でも説明があり、御承知のことだとは思いますけれど、去る7月5日に開催されました司法制度改革推進本部の顧問会議について事務局の方から説明があるということですので、お願いします。

● それでは、御説明いたします。
 7月5日に開催されました顧問会議で取りまとめられましたアピールは、お手元に配布してあります「国民一人ひとりが輝く透明で開かれた社会を目指して」と題するものでございます。
 このアピールは、司法制度改革推進本部長である小泉内閣総理大臣に提出されたものでありますけれども、同時に国民に向けたアピールとしての意味も持つものと位置付けられております。
 この中に、裁判所で2年以内に判決がなされるように制度的基盤の整備や、人的基盤の拡充を十分に行うという目標が掲げられております。
 小泉内閣総理大臣は、このアピールを受けまして、これもお手元に配布してありますあいさつ要旨のように、全国どの町に住む人も法律サービスを活用できる社会を実現すること、裁判の結果が必ず2年以内に出るようにすることなどを具体的な目標として改革を進める必要があるとし、改革に向けた強い決意を述べております。
 本検討会におかれましては、このアピール及び総理大臣の発言の趣旨をも十分に踏まえまして、今後の検討を進めていただければ幸いに存じます。
 以上でございます。

□ この件はよろしいでしょうか。
 それでは、早速検討に入りたいと思います。御案内のとおり、本日予定されている検討事項は、大きな項目として、「1 私選弁護と公的弁護の関係」、「2 公的弁護制度下での弁護人の選任要件」、「3 公的弁護制度下での弁護人の選任の始期及び選任の効力の終期」、「4 公的弁護制度下での弁護活動の在り方」、「5 公的弁護制度下での弁護報酬の算定方法」ということになっておりまして、非常に盛りだくさんでありますので、議事の進行をお考えくださりながら御発言いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 この大きな検討項目それぞれの中で取り上げるべき小論点につきましては、事務局の方で案を用意されておりますので、大きな検討項目の順に従って議論を進め、各検討項目ごとに、その案についてその都度説明していただき、それを手掛かりにして議論をしていくということにしたいと考えております。よろしいでしょうか。
 それでは、まず「1 私選弁護と公的弁護の関係」という項目から議論をしたいと存じます。ここで取り上げるべきではないかと考えられる小論点について事務局の方で用意された案の説明をまず伺いたいと思います。

● それでは、最初の論点であります「1 私選弁護と公的弁護の関係」の中での小論点の案につきまして、簡単に御説明したいと思います。
 司法制度改革審議会意見書では、「刑事司法の公正さの確保という観点からは、被疑者・被告人の権利を適切に保護することが肝要であるが、そのために格別重要な意味を持つのが、弁護人の援助を受ける権利を実効的に担保することである。しかるに、資力が十分でないなどの理由で自ら弁護人を依頼することのできない者については、現行法では、起訴されて被告人となった以後に国選弁護人を付すことが認められているにとどまる。」とされております。
 この意見書の記載に照らしますと、被告人段階だけでなく被疑者段階でも、大まかに言いまして、まず、自ら弁護人を依頼することができる被疑者は私選弁護を選択すべきであって、それから除かれる者、すなわち自ら弁護人を依頼することができない被疑者が公的弁護の対象になり得るという制度設計を考えているものと思われます。すなわち、意見書の趣旨からは、被疑者段階でも、原則は私選弁護であり、公的弁護はその補充ということになろうと思われますし、前回の検討会で複数の委員の方から、結論的に同趣旨の意見が述べられたと記憶しております。
 このような観点から、弁護人の援助を受ける権利の実効的担保のために、私選弁護と公的弁護の役割分担というものを検討しておくのが適当ではないかと考えております。
 その具体的検討の足掛かりとして、第1に、自ら弁護人を依頼することのできない理由にはどのようなものがあるかを検討すべきと思われます。つまり、被疑者が自ら弁護人を選任することができない理由には様々なものが考えられますが、そのうちのどれとどれが私選弁護でカバーすることが可能であるのか、どれとどれが公的弁護でカバーすべきなのかを検討しておく必要があると思われます。一例を挙げますと、被疑者の中には、資力はあるが弁護士に知り合いがおらず、そのために自ら弁護人を依頼することができないという者がいると思われます。このような被疑者について即公的弁護の対象とするべきなのか、それとも原則が私選弁護であるからには私選弁護人を選任できるような制度設計ができないかを検討してみるべきかということであります。
 具体的検討の足掛かりとしまして、第2に、被疑者段階でも私選弁護が原則、公的弁護が補充ということになりますと、これが公的弁護制度下での弁護人の選任要件にどのように反映されるべきかについて検討すべきと思われます。
 これは次の大きな検討項目であります「2 公的弁護制度下での弁護人の選任要件」にもつながる論点でありますが、例えば、原則は私選弁護であるとした上で、資力が十分ではない者を公的弁護の対象としますと、そこで言う資力が十分でないとは具体的にどのような意味として考えるべきなのかが議論されるべきと思われます。また、私選弁護が原則、公的弁護が補充ということは、選任手続にも反映されるのか、例えば、まず私選弁護人の選任を試み、それができないときに公的弁護がカバーすることにするのかということであります。
 検討の視点はほかにもあろうかと思われますが、とりあえず、ただいま申し上げました2点を足掛かりに検討していただいたらいかがかと考えております。
 なお、選任の具体的要件につきましては、次の論点で議論していただきたいと考えておりますので、ここでは、ただいま申し上げた大つかみのところについて御議論いただきたいと考えております。
 以上でございます。

□ ありがとうございました。これを一つの手掛かりにして議論をしていただきたいと思います。
 まず、ただいまの説明について質問がございましたら。特に説明自体については御質問はございませんでしょうか。
 大きくは、私選弁護と公的弁護との関係、それぞれの位置付け方ということです。そして、小論点の一番目としては、自ら弁護人を選任することができないとされている者に公的な弁護を付けるという場合、その理由にはいろいろなものが考えられるので、そのうちどれを私選弁護でカバーし、どれを公的弁護の守備範囲とするかということが挙げられるということですので、その点からまず御議論いただければと思います。
 前回の検討会でも、何人かの方から、基本は私選弁護であって、それの足りないところを公的弁護で補うというのが、在るべき形ではないかという御意見が出たと思いますけれど、必ずしもそれにとらわれなくても結構ですので、どなたからでも御発言いただければと思います。

○ 一つだけ質問というか、問題提起させていただきたいと思います。原則は私選弁護である中で、公的弁護ということを考えなければいけない際の重要なポイントに資力がないこと、つまり、資力要件があるということだったのですが、それ以外に、例えば弁護士の方を私選で選びにくい状況、つまり被疑者としては弁護人に付いてほしいし、資力もあるのだけれども、犯してしまった罪種によって、ひょっとしたら弁護士の方が引き受けにくいというようなものがあるのではないかと思います。これは○○委員にお聞きした方がいいかもしれないのですが、国家転覆を謀ったような場合であるとか、非常に弁護の引き受け手を捜すことが難しいような場合に、資力はあるし、知り合いの弁護士さんはいるかもしれないけれども、そのような理由で弁護人が付かない場合に、公的弁護を付けるべきかどうか、そういう場合も原則私選だけれども、公的弁護でカバーするかどうかという辺りは、どう考えたらいいでしょうか。

□ なかなか引き受け手のいないような性質の事件の場合にどうするかということですね。
 ○○委員、いかがですか。

○ 確かに事件によって、弁護士が選任されにくいケースというのは、あることはあります。例えば、オウムの事件などはそうですし、大阪で言えば、池田小学校の事件などがそれに当たるわけですけれども、そういう場合には、やはり資力要件にかかわらず、最終的には公的弁護でそれを弁護していくということにならざるを得ないだろうと思います。
 したがって、資力要件だけではなくて、自ら弁護人を依頼することができないという要件の中には、そういう幾つかの類型は当然入って来ざるを得ないのだろうというように思っております。

□ ほかの方は、いかがですか。

○ 今の御意見は、現在の被告人よりももっと要件は緩やかになるという、こういう趣旨なのでしょうか。

○ いえ、積極的にそういうことを申したわけではございませんが、今の被告人段階でも同じことですね。貧困その他の事由により弁護人を選任することができないという要件で国選弁護人が選任されているわけです。

○ 弁護士である以上は、依頼されれば公的には受けなければいけない。例えば、被告人の場合には、弁護士会を指定して、選任するということも認められていますね。弁護士会を指定するようなものを考えているということは、弁護士が受けにくいからというようなことは予定していないのではないかなという気がするのですけれども、それはどうなのでしょうか。

○ 現行法制定直後に公刊された注釈書の中で、 刑訴法36条の「貧困その他の事由により」には、希有な例ではあるけれども、ある地域のすべての弁護士の反感を買ってしまったような場合も考えられないではないという趣旨の注釈を読んだことがあります。そういう場合も、つまり○○委員がおっしゃったような場合も、国費で弁護士を付けるということは、想定されていたように思います。

○ なぜ私がそういうことを言いましたかと言いますと、被告人の場合と違って、被疑者の場合というのは、例えば勾留期間が非常に短いので、迅速に選任してあげないと実効性がないというようなことから、特に配慮が必要ではないかというような意味もありました。補足します。

□ 公判段階との整合性の問題と今のような特殊な事情と両面あろうかと思います。
 先ほど○○委員がおっしゃった点は、被疑者・被告人が弁護士会を指定して選任を希望しても、そこから最終的には弁護士個人に打診が行くわけですね。そのときに引き受けないという自由を個々の弁護士は持っているわけですから、弁護士会としては努力するとしても、最悪の場合は付かないということもあり得る。そういう場合、公判段階では、必要的弁護事件ですと当然付けないといけないわけですし、そうでない事件でも、国選に行くわけですね。それに見合ったようなものとして公的弁護制度を考えられるかどうかということではないかなということでしょう。

○ 仮に資力があるけれども、なり手がいないというときに、国が国選で付けるということはあっていいと思いますけれども、費用の負担は個人がするという制度でもいいのですね。いったん国選にしたら、全部費用負担は国がしなければいかんということでもないと思うのですけれども。

□ その点は、「公的弁護」ということの定義の仕方によって、誤解を生み、あるいは理解が食い違う可能性もあると思うのですが、だれが選任をするのかということと、費用をだれが負担するのかということは、一応理屈の上では分けて考えられるはずです。
 現行の国選の場合も、無料であるということは当然の前提にしているわけではありませんね。後で訴訟費用として請求できるわけですから。その辺も組み方としていろいろあり得るような感じがしますね。

○ 要するに、資力がある者は、受益者なのだから、やはり自ら費用負担すべきというのは、一つの流れとして原則です。今のような場合ですと、費用負担自体を別途考慮し、当該資力のある被疑者などが支払う。ただし、弁護人は何らかの別途の方策で確保するというのが筋になってくるのだろうと思うのです。
 同様の問題は、また公判段階あるいは公判の直前に出てくるわけです。要するに裁判員制度を動かしていかなければいけないわけですから、例えば私選で選ばれたとしても、何らかの個人的事情なり、いろいろ背景があって、弁護人が公判に出てこなくなってしまうという場合、その私選を補充するものとしての国選の選任というのは、当然必要になってくるだろうと思います。
 また、公判には応じられるのだけれども、そんな集中審理は自分はできませんと、こういう私選弁護人の方がおられた場合に、それがどうしても決着つかないといった場合、その場合も私選を補充するものとしての国選を選んでいくという形の制度設計をしていくべきなのかなと思うのです。
 ただ、いずれにしてみても、ほとんど御異論がないようなので、要するに私選弁護がまず原則であって、それを補充するものとしての公的弁護なのですから、基本的には、私選があれば国選を選任する必要はありませんし、私選が選任されれば国選は解任されるべきだし、資力のある者というのは、とにかくいろいろな理由で私選が選任できなかったということがあって初めて国選の方に流れていくという整理をして制度設計をしていくべきではないでしょうか。

○ 理論的に言えば、私選が原則で、国選が補充ということにもならない。被疑者、被告人の弁護人を選任する権利を保障するという意味からすれば、必ずしもそのこととは直接論理的には結び付かないのではないか。つまり、国家刑罰権行使の対象として、国から犯罪の嫌疑があるとして被疑者にされ、あるいは被告人として訴追されるわけですから、それに対して国の方が、その手続に要する弁護人の費用は全額負担するということは理論的にはあり得るのかもしれないという気がするのです。
 ただ、現行法の枠組みは、現行の国選弁護制度につきましても、私選が原則で、国選がそれを補充するものであるというようなことになっておりますし、それを被疑者段階で変えるという必要はないと思いますけれども、理論的、一義的に私選が原則、国選が補充ということになるのではないという気もしております。

□ 原理論的に言えば、そうかもしれませんが、今の憲法を前提にして組み立てる場合は、そこまでは言えないのではないでしょうか。

○ 憲法の国選弁護に関する規定は、被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを付するという形になっています。この文言からは、まず被告人が自ら依頼するというのが原則で、それが駄目な場合は国でという在り方が読み取れる。憲法を出発点にすれば、やはり私選が原則ということになるのではないでしょうか。

○ 先ほど座長が分けた、だれが費用を負担するのかということと、選任をだれがするのかということとを分けて考えますと、今の○○委員のおっしゃったことでも、理論的には本人が選任して、費用は国が出すという場合もあり得るわけですね。

□ 原理論的には、ですね。

○ 原理論的ではなくて、事実上は現在でもあるのではないですか。つまり、当番弁護士から国選に移行する場合に、当番弁護士で付いていた人間を被疑者、被告人としても選任したいという意向が伝えられて、裁判所がその方を事実上選任するというようなことも行われているのだろうと思いますから。

□ それは、運用上そういうこともあるということであって、制度としてそうなっているわけではないのではないですか。

○ 勿論、制度じゃないです。ただ、そのこと自体、現実にはそういうこともあり得るということです。

□ 理論の問題とおっしゃったから、理論の問題だとすると、やはり制度としてそういう組立てになっていないとおかしいので、事実上そう運用されているということとは別問題ではありませんか。

○ いや、そういう方向で考えることもできるのではないかという趣旨です。ですから、区別することができるということであれば、原則が何かということで言うと。

□ その点をこれ以上ここで議論しても仕方がなく、ともかく現行の憲法を前提にする限りは、やはり被告人が自ら選任するのが原則であって、それができない場合に初めて国選になるということになっているわけですね。

○ 選任することができるということと、費用をだれが負担するのかということは一応別ですよね。

□ それはそうです。

○ ですから、先ほど申し上げたように、選任はするけれども、費用負担は国がするということはあり得るのではないですか。

□ でも、自ら選任するというのは、やはり私選を意味しているのではないでしょうか。

○ 今、我々は具体的な制度設計を議論しているわけですから、理論的には、いろいろな順列、組合せがあると思いますけれども、それを余りこの場でやるのは適切ではないと思うのです。むしろ、今回は司法制度改革という大きな流れの中で、制度設計するわけですから、むしろそこのところを議論の中心に考えるべきだと思うのです。
 具体的に言えば、要するに裁判員制度等で、法律専門家ではない一般国民が司法に参加してくるわけですね。言葉の表現が適切ではないかもしれませんけれども、国民の分からないところで、小さなギルド社会の中だけで通じるような、いろいろな議論がされてきたのを止めにして、国民の目の前にそれが全部出てくるようになった。そういった中で国民の目線で見た場合に、こういう制度が本当に支持してもらえるのか、理解と支持が得られるのかどうかという観点を抜きにして議論をすると、余り生産的ではないと思うのです。
 それとともに、公的弁護制度というのは、私はそう簡単にうまく機能し、実現できるという予想はしていない。しかしながら、これは何とかしなければいけない。何で何とかしなければいけないかと言うと、例えば、裁判員制度などにおいては、国民なり、あるいは関係機関の負担というのは、非常に膨大になってくるわけですから、捜査、公判段階の合理化・効率化みたいな話を同時に検討していかなければいけないのですが、改革審意見を拝見しても、例えば略式手続の見直しの話などというのは、すべて将来課題とされているわけなのです。
 ところが、それを本当に見直していくためには、被疑者段階の公的弁護制度みたいなものがきちんとワークしないとできない。そうすると、とりあえずどういう制度をつくるにしろ、それをうまく機能させて国民の理解と支持を得て、ずっと改革が続くのですよという制度設計をしなければならないということを、まず頭に置くべきであって、理論的にいろいろな組合せがあるからといって、国民の側から見たら噴飯ものみたいな議論が出るようでは、私は、この制度は危いと思っているのですけれども、いかがでしょうか。

○ 今の○○さんの意見を前提にすると、私選が原則だということには必ずしもならないことになるのです。要するに、弁護人が付いていないと、司法制度がうまく回っていかないので、弁護人というのは必要条件だと。だから、私は弁護人は要りませんというような選択肢はないので、とにかく弁護人を全員付ける、付けてしまってから費用負担をどうするかというのは後で考えましょうというような話になってしまって、必ずしも私選弁護は原則だということにはならなくなると思います。

○ 要するに、この間、○○委員がおっしゃったように、将来のあり得べき姿をどう見るかということと、現在、いろいろな障害があるからどう見ていくかという整理だろうと思うのです。
 もっと言えば、私選弁護と公的弁護の関係は、言わば適用順序みたいな話を議論しているわけですが、両者の相対的な量の問題と、両者の適用順序の問題をどう見るかは、総合的に考えていかないと、きちんとしたバランスのいい制度設計はできないと思うのです。
 今の○○さんのおっしゃった話は、まさに両者の相対的な量みたいなところにも絡んでくるわけであって、本来的な形から言えば、資力があれば私選で選任できますが、資力がなければ不可能なのだから、不可能だとすれば、資力のない者についてはある程度広い範囲で国選弁護というか、公的弁護を機能させていきましょうということになり、さらに、理想を言えば、全部それを公的弁護でカバーするという考え方が良いかもしれない。
 ただし、それができるかというと話は別であり、全国どこでも一律に機能しないと制度と言えないわけですから、例えば弁護士の偏在だとか、対応能力の問題もあるでしょうし、財政上の国民負担の問題もあるでしょうし、そもそも私が冒頭に問題提起したように、国民がこの制度が動き出すときに、本当に理解と支持をしてくれるかどうかということをずっと見極めていかなければいけないと思うのです。そういった問題があるから、今言った中で若干の制限が出てくると。こういう具合に物事を整理していくべきものではないかと思うのです。
 したがって、この話というのは、単にどちらが順序が先かというだけではなくて、仕上がりの問題、例えば弁護の水準とか、適正確保の問題とも極めて密接に関連してくる話だろうと思うのです。結局、最後は国民がこれに理解と支持を与えてくれるかどうかというところにかかってくるということです。私が言いたいのは、それを念頭に置いて議論していくべきで、単に論理的にこういう可能性があるという議論を国民が聞くと、そんな制度をつくろうとしているのかと言われてしまって、そう言われた途端に改革が動かなくなるということを申し上げたいわけです。

□ 多くの方々は、現在の大きな枠組みを前提にしながら公的弁護制度をどうつくっていくかという位置付けをされているのではないかと思います。そこから更に原理論にさかのぼりますと、いろいろな組合せがあり得て、いろいろなことが言えるとは思うのですが、本検討会の使命からしますと、そこに余り深入りすべきではなく、そろそろ先へ話を進めた方がいいと思います。

○ それでは、実務的なお話に変わるのですが、この資力要件を判断するのは、どういう方法で行ったらいいのかというのが極めて重要だと思うのです。
 それから、その資力要件は、理想的には本人の申告を尊重しなければいけないと思うのです。ところが、資力要件を客観化して、ある一定の水準を決めたときに、本当にあるか、なしかということを判断しなければいけないわけで、その方法が問題ですね。
 もう一つは、その判断をする主体がだれか、どこかということで、従来は裁判所が国選弁護人の選定等々を担当していたと認識しているのですが、被疑者段階の公的弁護について、資力要件を迅速に判断しなければいけないときに、裁判所が適切なのか、それとも新たな運営主体をつくるということであれば、そこがすべきなのか、その判断の客観性はどう担保したらいいのかという問題です。
 かなり資力要件が重要だということは認識できるのですが、それをどう判断すべきか、どこが判断すべきかということについては、議論しておかないと制度が動かないのではないかなというように思います。

□ その点は、次の弁護人の選任要件のところで、もう少し突っ込んで御議論いただければと思います。
 とりあえず今の段階では、私選弁護と公的弁護との関係を前提にして、大きな枠組みとしてどういう要件の立て方があり得るのかというところについて、もう少し御議論いただければと思います。
 先ほど事務局から説明がありましたところの2に、そろそろ入ってきていると思うのですが、よろしければ、私から質問させていただきたいと思います。
 先ほどの○○委員がおっしゃったような引き受け困難という場合に、片一方では、これも御指摘があったように、捜査の段階では時間が非常に限られているので、迅速に判断し、弁護人を付けるべきものには付けなければならないという要請がある。しかし、原則は私選ですし、先ほど○○さんが言われたように、弁護士会としても一生懸命努力して、最終的にはかなり弁護人が付いているわけですので、それを更に緩めるのかという問題がある。その辺の要件の組み方といいますか、実体要件というよりも手続的な要件になるのかもしれませんが、その辺をどう考えるべきか、御意見をお聞かせ願えればと思うのです。質問の趣旨が分かりにくいかもしれませんが、現在のように弁護士会を指定して、こういう事件なのだけれども、だれか引き受けてくれないかと依頼した場合に、これは大変な事件なので、早く弁護人を付けないといけないから公的弁護に回すということにするのか、それとも、やはりその前提として、弁護士会の方ではできる限り私選弁護人を見つける努力をし、それでもどうしようもなくなったときに、初めて公的弁護というのが出てくる仕組みにするかということなのですけれども。
 ○○委員は、どうお考えですか。

○ 公的弁護の財源というのは、やはり税金ですから、税金の使途として納得できるものでなければいけないのだろうと思うのです。そういう説明ができなければ駄目なのだろうと。そういうふうに考えていくと、憲法上のベースがこうだということもありますけれども、私選が原則で、それを補完する意味で公的な弁護制度が機能していくというのが、やはり普通かなと思うのです。
 それから、先ほど出たお話ではありますけれども、かかった費用はできるだけ利用した人が返すという考え方が、一番納得を得やすいところかなというように思うのです。費用の償還というのでしょうか、そういった部分と弁護人を付けるということとを若干切り離して考えてもいいのではないかと思っております。
 いずれにしても必要なのは、裁判員制度という国民参加の司法制度を動かしていくときに、弁護人が必要不可欠な存在だということです。そこをうまく確保できるような手続というのを考えるべきですけれども、その場合でも、基本的には、弁護士会の推薦あるいは御努力によって、できるだけ私選の方に引き受けていただくというのが、原則的に一番いいだろうと思うのです。
 そこをどういった時点で判断するのがいいのか分かりませんけれども、今までのケースにあったみたいに暗礁に乗り上げてしまってどうにもならないというような事態になったときに、初めて公的弁護制度が動き出すという方が制度のつくり方としては自然なのかと、そんなふうに感じたのですけれども。

○ まず、公的弁護は確かに裁判員制度の裁判を前提にしている部分もあるのだけれども、余りにもそれとの関係だけで論じるというのは、私は間違っていると思うのです。仮に裁判員裁判が導入されないとしても、やはり捜査段階の公的弁護が必要であるというように思うので、そこは関連性がないとは言わないけれども、余りにそちらの方に着目し過ぎると、やはり制度設計がおかしくなるというように思いますね。
 もう一点は、確かに私選弁護が基本だとは思うのですけれども、選任手順の中で、余りに私選が原則だからと言って、私選を追求するという時間が長いと、おっしゃっているように、例えば10日満期ぎりぎりになってようやく公的弁護人が付いたとか、ようやく私選が見つかったというのでは、裁判員裁判には間に合うかもしれないけれども、捜査段階の公的弁護という観点からいくと、必ずしも十分なものとは言えないわけですね。
 ですから、手続的には、なるべく早期の段階で私選弁護と公的弁護が振り分けられなければいけない。少なくとも勾留請求の段階では、公的弁護か私選弁護かきちんと決着が付いていないと、これは制度としてはおかしいというふうに思うのです。
 ですから、とにかく弁護士会を指定したら、その弁護士会が必死になって私選のなり手を探して、どうしても見つからない場合に、ようやく公的弁護が動き出すという制度の仕組みはやはりいけないと思います。
 少し話が先に進んでしまうのかもしれないのですけれども、例えば、今、動いている当番弁護士というものをきちんとした制度にして、逮捕されたという一報があれば、とにかく弁護士が行く。そのときは私選が行くとか、国選が行くというのではなくて、とにかく一応接見に行って、その弁護士が、これは私選なのか、公的弁護なのか、資力はどの程度あるのかというものを判断し、基礎資料をその弁護士が作って裁判所に提出するというような仕組みを前提にした上で、公的弁護を動かさないと、うまく回っていかないのではないかというように思います。

□ ○○委員、いかがですか。

○ 今、座長のおっしゃった問題というのは、恐らく特別案件という範疇に入る問題で、事件自体が、そういう性質の事件である場合には、結局は弁護士会の方でどういう弁護人を付けるかということで協議し、弁護士を派遣するならば派遣していくという形を採らざるを得ないわけですね。その場合に、それが私選になるのか、国選になるのかというのは、これは次の段階の問題なのだろうと。その場合に私選を原則とするか、国選が補充になるかというのは、弁護人の選任ということから言うと、第二次的な問題になるのかなという気がします。
 そういう意味では、勿論、資力があれば私選の問題になるのでしょうし、なければ国選ということになるのでしょうし、そういう事件につきましては、弁護士会の中でどういう弁護士を派遣していくかというようなことで、結局は、これまで行ってきた特別案件への対応のような形を採らざるを得ないのだろうというように思うのです。

□ 特別案件というのは、今までは公判段階での国選についてのことですね。

○ 勿論、捜査段階でも、今実質的な意味で、特別案件というのがあるわけで、例えば先ほどの例に挙げました、池田小学校の事件などは、弁護士会から弁護人を積極的に選任して派遣して、弁護活動をしてきたという経過がありますし、和歌山のカレー事件などの場合にも、大阪の弁護士が別に付いていたのですけれども、さらに和歌山の弁護士会が派遣されたと、そういうことがあるのです。

□ おっしゃっていることは分かるのですけれども、公的弁護制度を入れる場合に、どちらに振り分けるかということは、そのための要件があって、選任の前の段階で判断しないといけないわけですね。その場合に、やはりまず弁護士会を指定して私選でだれか紹介してくださいという形で行き、難しそうだったら公的弁護の制度を発動させるということにするのか、そういう難しそうな事件の場合には初めから公的弁護で行くということにするのか、言い換えれば、公的弁護をどういう経路で、どこが付けていくのかということが問題になるわけです。
 もちろん今おっしゃったことも、一つの可能性ではあると思うのですが、そういった形に一本化されるのが適切だというところまでは、まだ行っていないので、そういう方式ではなく、例えば運営主体の常勤弁護士に担当させるという選択肢だってあり得るわけですね。したがって、入口のところでどういう制度設計をするかということをきちんと議論しておかないと、いずれにしろ弁護士会が処置する事柄であり、後はお金の出所の問題だというふうに割り切るわけにはいかないのではないでしょうか。

○ 弁護権というのは大事なことなのだと思うのです。検察権の行使だとか、そういうことと切り離された独立した存在でなければいけない。そうすると、そこはできるだけ尊重して、どうにもならないときだけ、公費でもって弁護士を付ける、つまり、国が乗り出してくるという制度を組む方がいいのではないかと私は思っているのです。
 ですから、どういう手続段階で、そういう公的弁護の手続に入るのかという、その手続段階の問題があるのだろうと思います。いきなり身柄拘束された段階で、そうしなければいけないのか、あるいは勾留請求の段階でやるのかとか、いろいろな組み方があるのだろうと思います。
 でも、基本的なスタートのところでは、やはり弁護権というのでしょうか、それを尊重して、できるだけの努力を促し、それが機能しないときに国が乗り出すという形の方が誤解を招かないのではないかと思います。これは、先ほどの意見の補足です。

□ それと、先ほど○○委員がおっしゃった時間との勝負という問題の兼ね合いですね。

○ 今、お話に出たことにかかわるのですが、私も今、○○さんが最後におっしゃったこと、時間との関係というのは、やはりかなり重要な要素であって、いずれにせよどういう制度を取るかということであったとしても、意見書もおっしゃっているように、弁護人の援助を受ける権利の実効的担保をどうするかという問題なわけですから、そういう観点からしたときに、被疑者段階について、やはり拘束を受けた場合であれば、早期に弁護人が付くことができるかどうか。それは勿論、私選が原則だと言っても、本当に私選が直ちに付けられるかどうかという問題にどうしてもなってくることになるわけですので、そういう意味では、○○さんが先ほどおっしゃった制度設計というのは、一つの案として十分検討に値する方法だろうというように思うわけです。
 最終的には、公的弁護のところでの費用の問題というのを事後的に考えるという余地も十分あり得るだろうと思いますし、それ自体が国民の皆さんの理解を得られないということはないだろうと思うということです。

○ 弁護人を早く的確に付けるというのは大事だと思うのですが、そのためには、今の公的な弁護を付けるか、そうではないかの実体的な要件、資力、その他が決まるとして、その要件についても、今の被告人についての国選弁護の要件よりももっと明確なものが必要なのではないかという気がするのが、まず1点です。
 今、被告人については、貧困その他の事由によって弁護人を選任できないときということになっていますけれども、実際に弁護人の選任照会を出すと、裁判所は、貧困のためかその他の事由か、その他の事由であれば具体的に書いてくれというような照会をしているわけですが、現実には貧困のためという回答がほとんどなのです。
 それでは、貧困のためというのは、後はどうやって判断するのかというと、ほとんど判断の資料がないわけです。事件の罪質から、この人はこれまでに刑務所に行っていたし、また今回もお金に困ってやったんだということなら、勿論まず間違いないでしょうけれども、それ以外は、もっと明白にこの職業から見てそんなことはあり得ないだろうというか、そういう資料的なものをどうやって集め、判断すればいいのかというのが明確でないのです。そのために、貧困その他の事由というのが非常に広くて、自分が貧困だと言えば、本当は貧困に入らないのかもしれないけれども、そのまま貧困ということになっているということが多いわけです。
 ですから、そういう実体的な要件についても、もっときちんとさせられないか。また、手続的にどういう資料を出させる、あるいは捜査側に求めるのか、本人に求めるのかは別ですけれども、そういうような資料についてもどうするのかというようなことも、もう少し明確にしておかないと、なかなか早く対応できないのではないかという気がいたします。

□ その点は、次の小論点のところで御議論いただきたいと思います。
 少し御質問したいのですけれども、今、弁護人を付ける段階ではなかなか判断が難しいとおっしゃいましたね。そうだとしても、最終的に訴訟費用に入れて全部又は一部を負担させるかどうかということになる。その段階では実質的な判断をしているのではないでしょうか。その段階では、公判に出てきた資料で、被告人の資力状態などもかなり実質的に分かるということなのでしょうか。

○ 大分分かりますし、勿論その後に負担免除の申立てを受けて審議すれば、更に分かるわけですが。

□ 実際には、負担を命じるかどうかというところで判断するのでしょうか。負担を命じておいて、被告人の方からの費用負担免除の申立てを待って個別に判断するのと、どちらが多いのですか。

○ かなり明白に出ていれば、当然そこで判断します。

□ 負担を命じるところで判断するということですか。

○ そうですね。命じないという判断をするときは、そこで判断します。よく分からないときには、やはり原則は負担ですので、負担を命じて免除申立てが出てくれば、更に資料を出させて考えるというようなこともあり得ます。

□ 両方の段階で判断しているということですか。

○ そうです。

□ 法律家でない委員の方もおられますので、少し御説明しますと、現行の国選弁護でも、貧困その他の事由で自ら選任できないという要件があり、被告人が国選弁護人の選任を請求する場合には、自ら弁護人を頼めない理由を書けということになっているので、貧困と書かれている場合には、審査しようと思ったら審査はできるはずなのですが、実際にはそうすることが難しいので、選任して、訴訟が終わった段階で、原則として訴訟費用の中に組み込んで被告人に負担させるということになっています。その段階で、どこまで被告人に負担させるかということを裁判所の裁量で判断するときに、資力の状況を考慮する。さらに、負担は命じたのだけれども、自分は払えない、こんな資力状況なので払えないということで訴訟費用の負担免除の申立てをしてきて、そこで判断するということもある。そういった3段階あるということなのです。
 お二人手を挙げておられるのですけれども、今の点に関連してでしょうか。

○ はい。更に一点だけお尋ねしますと、費用負担を命じた結果として、それを国としてちゃんと取り立てなければならない。しかし、取りはぐれるというか、なかなかそれを回収するには御苦労があるということも聞かないわけではないのですが。その辺りは、いかがですか。

○ それは、検察官の執行の問題だろうと思いますけれども。

○ 要するに、金がある人が、自分の金は使いたくないけれども、税金で負担してくれるなら弁護士を頼みましょうかというのでは、これはなかなか国民の目線から見ていかがかなとなるし、私はあの弁護士を頼みたいけれども、自分のお金を使うのは嫌だから、それは税金でもたせようというのは、ますます国民の目線からしていかがかとなるわけです。
 そういうことからすると、貧困要件というか、資力がないということは、絶対に外せない。ただし、先ほど来の議論からあるように、資力がないということをどういう具合に極めて短い時間内に認定するか。これは、非常に難しいので、通常の資力があるかないか、例えば法律扶助みたいにいろいろな関係書類を出させてゆっくり検討しましょうというようなことができないので、それを手続的な面でどう工夫するかというのが、一つのアプローチだろうと思うのです。
 他方、一遍金を出してしまったものを相手の被疑者なり被告人から、事後にそれを回収するというやり方は、まず期待しない方がいいわけです。コストが非常にかかりますし、非常に大変になるので、これは考えられない。
 そうすると、話がまた戻って、資力がないという要件を維持しつつ、回収が非常に難しい、コスト倒れになるということを前提にしてやるとどうなるかと言うと、出す段階での手続を考えなければいけない。そうすると、例えば、先ほど座長がおっしゃったように、とりあえず、まず私選の流れで弁護士会に依頼させるとか、あるいはそこの時点でどういう方向性を採るのか分かりませんけれども、例えば一部について仮納付をさせるとか、あるいは費用として手持ち現金から幾ばくかの予納をさせるとか、そういうことを考えるとか、何かそういう一遍私選の世界に入れる手続を踏まないと、結局は非常にお金持ちのやくざが自分の好きな弁護士に国の税金を使って依頼していて、国民がみんなげんなりするという事態が現出するのだろうと思うのです。
 その意味では、やはり貧困要件を維持しつつ、手続的な面で考える。確かに○○委員がおっしゃるように、私選を頼むだけの金はあるのだけれども、弁護人の受け手がないという特別の案件もあるでしょうが、そこは公的弁護制度が動き出すまでに、弁護士会の方でいろいろ努力していただいて、いずれ弁護士に引き受けてもらわなければいけないわけですから、なるべく私選の世界で済むようにやっていく。そこは、ここの話とは違うお願いベースの話になるわけですけれども、そういった形で整理していくべきなのではないかと思います。

□ 一番最後におっしゃったことは、もう少し後でまた議論したいと思います。
 ○○委員どうぞ。

○ 先ほど○○委員がおっしゃった当番弁護士制度をある意味では必ず前に置くということは有用と思います。資力要件とか、あるいは選任できない理由とか、そういうことを見極めた後に弁護士さんをお願いするというのではなくて、とりあえず早急に当番弁護士制度あるいは当番弁護士制度的なものを必ず前提条件として置くというような制度設計は、被疑者の視点からも、あるいは公的弁護の理念からもいいかなと思うのです。その際、これは弁護士会の方の御協力なくしてはできない制度になるわけですね。
 ですから、まさに法曹三者の連携協力によって公的弁護制度を実現していくということになりますので、それこそ公的にお願いしなければいけないことですし、対等に連携しなければいけないことなのですが、できれば私はそういうやり方が一つの有力な実効性のある制度ではないかなと思いました。
 以上です。

□ その段階で被疑者の状況をどれだけ見極めるか、その情報をどうやって取るかというのは、非常に大事だろうと思うのですが、当番弁護士制度というのは、要するに事実上の制度で、国の制度ではないものですから、それを今度整備する公的弁護制度の中にどう組み込めばいいのかということが一つの問題だと思います。
 もう一つは、制度化する場合にも、どのくらいの範囲の事件を対象にするのかということが密接に関係してくる。公的弁護制度の全対象事件について必ず当番弁護士を派遣して、その被疑者全部に会わなければいけないということになると思うのですが、どのくらいの範囲なら、実際にうまく動いていくものかということを考えなければならない。
 恐らくこの2点がポイントになるのではないかと思うのですけれども。

○ 今、座長が言われたとおりで、これは対象事件の絞りとの兼ね合いで、ある程度決まると思います。そして、事件の入り口と出口の、二つのところで無資力要件を考えなければいけない。最終的なところで、資力について、ある程度資料を集める時間がありますけれども、入口のところは、かなり制約を受けることになる。そうなってくると、ある程度明確な線を引いて、ここの範囲は必ずやるんだというのが一つの方法だろうと思います。そのときに、事件の範囲が余り広がってしまうと、負担がかなり大きくなってきてしまうので、そこを考えて決めるのが一つだろうということです。
 もう一つは、話が少し変わりますけれども、ドイツで日数罰金という制度がありますけれども、あの制度でどういう資力の定め方をするのか少し興味を持って見てみたときに、自供調書に必ず資力がどうか、収入がどうなっているかということが書かれている。これは、かなり参考になることで、恐らくこれから無資力要件ということを考えるときには、冒頭の弁解を聴く次ぐらいのところで、それを聴いておくことがある程度必要になってくるだろうという気がします。そういうことをやっておかないと、本当に逮捕から勾留、あるいは少し後のところで弁護人を選ぶことができるか、実際上難しくなってくるのではないかなという気がします。

□ ○○委員、いかがですか。

○ 弁解録取書も聴き取り書きですから、恐らく資力について聴けと言われれば聴きますけれども、とりあえずは言いなりのもので、とても裏付けを取るところまではいかないと思いますが、そういった形であれば、それはいろいろ今やっていることに付加することで、そんなに大変な負担というわけではなかろうかと思います。

□ 具体的な要件の中身に移ってきたと思いますので、少し前後して説明しにくいかもしれませんが、事務局の方から次の小項目について説明していただけますか。

● それでは、次の公的弁護制度下での弁護人の選任要件についての小論点の案を御説明申し上げます。
 まず、小論点として挙げました実体的要件と手続的要件ということについて申し上げます。
 公的弁護制度下で被疑者に弁護人を選任する場合、どのような要件を備えた被疑者に弁護人を選任するかということが選任の実体的要件、そのような要件をどのような手続で審査し、判断するのかということが手続的要件ということでございます。
 まず、実体的要件としましては、意見書で、「資力が十分でないなどの理由で自ら弁護人を依頼することのできない者」と記載されております。
 ここで例示されている「資力が十分でない」の内実につきましては、先ほどの議論を踏まえた上で、抽象的にではなく、もう少し要件を具体的に考えるのか、例えば数字を用いて基準を作るべきなのか、その際、どのような数字を考慮に入れるのか、収入だけか、資産もみるのか、借金についてはどうか、被疑者本人の資力だけでなく一定の親族の資力もみるのか、少年についてはどうかなどについて議論をしていただきたいと存じます。
 また、意見書は、資力が十分でない「など」と述べておりますことから、資力が十分でないこと以外の実体的要件として、今も議論がありましたが、どのような要件があるかを検討していただきたいと存じます。
 このような実体的要件の検討に当たりましては、弁護人の援助を受ける権利の実効的担保の観点と、負担を求められる国民の理解の観点を踏まえることが必要と思われます。
 次に、手続的要件につきましては、実体的要件の有無を実効的かつ迅速に審査する手続でなければならないと考えられます。
 ところで、検討の順序でございますが、実体的要件と手続的要件とは相互に密接な関連を有することから、第1に、資力が十分でないこととその審査方法、第2に、その他の要件とその審査方法、といった順序で検討していただくのが適当と思われます。
 次に、この大きな検討項目の中の「その他」として、「選任できる人数」、「管轄区域と選任できる弁護士の制限」を掲げていますので、この2点について申し上げます。この2点は、若干技術的な論点かと思っております。
 「選任できる人数」としまして、被疑者段階で公的弁護制度を導入する場合、選任できる人数について御議論をいただきたいと思います。
 また、「管轄区域と選任できる弁護士の制限」につきましては、刑事訴訟規則第29条第1項では、「法の規定に基いて裁判所又は裁判長が附すべき弁護人は、裁判所の所在地に在る弁護士の中から裁判長がこれを選任しなければならない。但し、裁判所の所在地に弁護士がないときその他やむを得ない事情があるときは、その裁判所の所在地を管轄する地方裁判所の管轄区域又はこれに隣接する他の地方裁判所の管轄区域内に在る弁護士の中からこれを選任することができる。」と規定されております。被疑者段階を含めた公的弁護制度を導入・整備するに際しまして、被疑者段階について、このような規則29条と同様の規定を設けるのか、それとも、例えば、常勤弁護士や契約弁護士の活用という観点から、より緩やかな仕組みを設けるのか、また、同様の観点から、被告人段階についてはどうすべきかについて御議論いただきたいと存じます。
 以上でございます。

□ 整理していただいた論点は、大きく分けて四つあったと思います。
 一つは、先ほどからの議論の続きで、資力が十分でないという要件を課すとした場合に、具体的にはどういうふうに考えるのか。例えば、金額を示した基準を作るのかどうかとか、あるいはその金額も収入なのか資産なのか、借金などはどうするのか。あるいは、被疑者本人の資力ということだけでいいのか、親族とか、関係者まで対象を広げるのか、少年についてはどうなのかという、実体的要件と、それを具体的にどうやって判断していくのかとか、その他の手続的な問題をどうすべきか。そういった実体的要件と手続的要件の中身ということが1番目の論点です。
 2番目の「その他」というのは、これも先ほど出たことですが、それについても実体的要件と手続的要件というのをどうするのかということがあります。
 3番目は、選任する弁護人の人数です。
 4番目は、国選弁護につき選任母体となる弁護士を管轄区域ないし隣接区域に原則として限って、そこから選びなさいということになっている今の規則と整合のある形にするのか、それともそれとは違った考え方を採るのかということです。
 まず、資力要件の点について、先ほどからの議論の続きなのですが、○○委員から判断方法と判断主体について問題提起がありましたけれども、その前提として、具体的にどういう要件にすべきか。例えば、金額を設定するのかとか、あるいはその場合の金額というのは、収入なのか資産なのか、あるいは両方なのか。金額で考えるとしても、このぐらいは出せるが、それ以上は出せないという場合もある。そうなると、○○弁護士はとても雇えないけれども、○○弁護士にはお願いできるとか、そういうことになるとかなり相対的な話になってくると思うのですが、そういった問題点を含めて御議論いただければと思うのですが。

○ まず、「貧困」という書き方は不十分だろうと思うのです。今、本当は貧困ではない人が貧困だということで国選に回っているわけで、そういうような濫用が許されるような制度であってはいけないのだろうと思います。そうなってくると、何らかの形で数値あるいは数値的なものは入れなければしようがないのかなと。
 その場合に、例えばこの前も少し言いましたけれども、課税最低所得に達していないというような決め方にするか、あるいは先ほどの座長の話で、基本的な弁護士費用を幾らぐらいに想定するかによるのですけれども、例えば30万として、30万は払えるぞという人は30万をきちんと払いなさいと。30万も払えませんという人だけ国選にしましょうという決め方もありますね。何らかの形で数値的なものは入れないといけない。
 それをどうやって確認するかというと、聴く方法としては、裁判官が直接確認する、あるいは自己申告による、捜査側が確認する、もう一つは先ほどから言っているように、当番弁護士的なものが行って確認する、この四つしかないわけです。
 この中で一番客観的に妥当なのは、4番目だろうなと思います。何らかの形で弁護士が行って確認してくるというシステムにするのが一番いいのだろうというように思います。
 あと、その先まで言ってしまうと、一種の管轄的なものは、悪い言葉で言えば、弁護士会の既得権みたいなものだと思うのです。そういう利権は排除して、今の規則も全部取り払って自由競争でやる。東京から飛行機で行きますという人がいたら、東京から飛行機で行けばいい話だというように思うのです。

□ 最後の点は、4番目の論点ですので、この点は現行法の立法趣旨はどういうところにあるのかというようなことも含め、もう少し後で議論したいと思います。最初の点は、数値的なものは必要であり、それを確かめるのは当番弁護士的なものが一番適切ではないかという御意見だったと思いますが。

○ 私も、今具体的にどういうふうにするという明確なアイデアはありませんけれども、資力をかなり明確な形で要件にする必要はあると思います。その前提として大事なのは、その資力をどうやって確かめるかでしょう。一方で迅速性を要するし、判断するのは選任権者である裁判所ですが、裁判所が一生懸命調べるのにも限度があります。○○さんは今弁護士が面談して確かめるのが良いとおっしゃっいましたが、例えばアメリカで公的弁護をやっているところでは、最初に裁判所に出頭する前に自己申告で、financial affidavit という書面に自分の資力がどのぐらいあるというのを申告させて、それを裁判所がチェックして、ある程度より資力が低い人には公的弁護を付するという仕組みになっていると承知しております。
 先ほど、警察での弁解録取や取調べの過程で資力についても聴くというお話もありましたが、それもそれなりに有効かもしれませんけれども、まず、第1ポイントは自己申告ということになるのではないでしょうか。

□ その場合の自己申告の内容の真実性はどうやって担保するのですか。

○ アメリカの場合、今、affidavit と申しましたのは、宣誓供述書と言いまして、これはあちらではよく使われているのですけれども、そこでうそを書くと偽証罪として処罰されるのです。法的な義務付けと罰則の必要性については、この間○○委員におしかりを受けましたけれども、法の世界で何かを人に義務付けるときは、最後は制裁が付いていないといけないという話になりまして、アメリカの場合は偽証罪ということになっています。
 日本の場合も、一つのやり方としては、そういう資力申告をしていただく。うそを言ったら制裁もあるというような予告をする形で、まず自己申告をさせる。それ以上のことを裁判所がお調べになるのは時間的にも方法にしても難しいと思いますから、その申告書を判断の基本資料にして、資力が一定水準以下だったら、公的弁護とするという仕掛けが考えられるように思います。
 勿論、その前に○○さんがおっしゃったように、私選が可能な者は私選の方に誘導するという手だては考えられると思いますけれども、基礎資料としては、自己申告があり得るだろうと思います。

○ もう一つの考え方として、現在の国選ですと、最初の段階の本人の負担はゼロですね。全額国庫負担なのだけれども、仮に公的弁護だとしても、最低限5万円は払いなさいとか、そういう制度の決め方もあると思うのです。先ほどのと若干ずれますけれども。
 なぜ、そういうことを申し上げるかというと、今当番弁護士の中でも、呼ばれて行ったら、家の様子を見てきてくれとか、猫に餌をやってくれないかとか、わけの分からない話があるわけです。だから、そういうことで国民の税金が使われてはたまったものではないわけで、また、弁護士会としてもたまったものではないわけですね。そんなことは弁護士の社会的使命でも何でもないわけで、それも社会的使命だという意見もあるかもしれませんけれども、私はそういうのは社会的な使命だと思わないので、そういうような一種の濫用を防ぐためには、やはり一定の金は払ってもらうと。今時のこの御時世で、一応社会で生きている人が、3万円も払えませんという人は、路上生活者を除いたら多分いないと思うのです。ですから、ある程度は出してもらうということが必要ではないか。
 もう一つ、最初に行くのは弁護士がいいと思っているのは、とにかく弁護士が行ってああだ、こうだと基本的な説明をするわけです。あなたの事件だったら、こうだ、ああだねと、多分聞きたいことは全部そこで聞いてしまうと思うのです。それを聞いて、なおかつやはり弁護士が必要だと思う人は、それは私選費用を払う、あるいはどうしても金がないのだったら国選を頼む。最初に弁護士が行って、ああだ、こうだと手続を説明する、事件の大体のことを説明することによって、基本的には経費が抑えられるのではないか。私は捜査段階で弁護士は要りません、担当のお巡りさんもいい人だし、うその供述を迫っているわけでもないから、弁護はいいですという場合も結構出てくると思うのです。
 ですから、そういう意味も含めて、最初に行くのは弁護士の方がいいのではないかということを考えているのです。

□ 5万円なら5万円、3万円なら3万円払わせるというのは、○○委員が先ほどおっしゃったことと同じことですか。

○ そこもなかなか難しいのだけれども、破産などの場合はどうなるのですか。金がないから破産手続に行くのですけれども、あれは金を取ることになっているのではないですか。
 今の○○委員の説は極めて魅力的なところがあって、理論的にもう少し整理するとしても、いずれにしてみても先ほど申し上げたように、貧困要件というか、無資力というかは別として、そこを外してしまうと多分国民の理解は得られないから残す。事実認定で迅速にやらなければいけないということになると、いい知恵がないのですけれども、やはり本人から申告書を、P/LベースかB/Sベースかは別として、何かを出させると。その真実性を担保するのはどうするかというと、また○○委員に怒られるかもしれないけれども、何かペナルティーを科していく以外にいいアイデアがないのです。そこの両方の話をうまくつなげるとすればです。
 そうした上で、やはり一定の資産あるいは収入という一応のガイドライン、例えば先ほど少し民事法律扶助の話を出しましたけれども、ああいう観点から一応の明確なものを定めてやる。そういう仕組みを国民に提示しないと、なかなか理解は得られないような感じがするのです。

○ 大づかみないい加減な制度では理解を得られないということなのでしょうけれども、逆に正確性を求めるということになると、何か手続だけで重過ぎるものになってしまうのでしょうね。資力というのは、なかなか難しゅうございまして、大体身上とか職業、経歴なんかを8、9割方は大体常識の範囲内で、この人は金を持っているとか、持っていないというのは見れば分かるのですけれども、残りの1、2割となると難しかろうかと思うのです。まさに、よく言われているように、生活保護を受けている暴力団がベンツに乗っているなどという話もありますし、私も以前大阪で手掛けた事件なんか日本一か何かの、何百億という借金を抱えていますから、差し引きは大赤字のはずですけれども、夜な夜な遊び回っているということもありますから、その1、2割のところが問題なのだろうと思うのです。逮捕して持ち物検査などをすれば、金がある、ないというのは、9割方分かりますけれども、残りの1割というのは分からないところがありますので、それを余り重からず、かといっていい加減にもならないような中庸な制度にしないと、まさに先ほどおっしゃったような宣誓供述書云々でやっても、このためだけにアメリカ的に直ちに重い制裁というわけにはならないでしょうから、そこまでの重くない簡便なもので、かつ迅速な仕組みをつくっていただければ、その方向について警察段階でも身上調書を取る段階でも一生懸命やらせてもらいたいとは思うのですけれども。

○ 刑事事件の資力要件の判断で難しいのは、被疑者本人が身柄を取られてしまう、そのことによって仕事を失うとか、あるいは家族にいろんな影響を及ぼすというようなことがあります。したがって、逮捕時点での資力だけではなかなか計り知れないところもあるという難しさがあるのです。そういうものをどういうように制度に組み込めるかというのは、非常に難しい作業ではあるのですけれども、その辺も考えなければいけないだろうと思います。

□ ○○委員がおっしゃったように、やはり国民に対してきちんと説明ができる制度でなければならない。その点から資力要件というのは考えられるわけですが、実際には迅速性を要する中で判断をしないといけないわけで、重い制度になると動かなくなる。その両面をどうやって調整していくのか。最初の段階である程度チェックをするとしても、どうしてもすり抜けになる場合もあるので、どこかで本人から費用を取れる仕組みがなければならない。一つの方法としては、○○委員がおっしゃったように、予納制度的なものということも考えられるのですけれども、それはしかし、正確な費用ではないわけですね。そうすると、最後のところで取るのかという話になってくるのだろうと思いますが。

○ 今は訴訟費用というのは、労役留置場に入れられないのですね。ですから、結局未収がいっぱい多くなっている。ですから、裁判費用も、弁護士費用も、労役場留置できるようにしてしまうということしかないと思うのです。

□ 宣誓供述書を出させるという以上に強烈な案ですね。

○ そうすると、大概払うのです。私はお金がないから労役留置場に行きますなどという人はいないのです。例えば、略式請求で君は30万あったら釈放してあげると言うと、私は30万ありませんから公判請求してくださいという人は、私の経験ではいないのです。どんなことがあっても30万用意してくるのですから。そういうものを背後につくればみんな納めるものなのです。

□ そうすると、訴訟費用の執行方法も含めて見直すべきだという御意見ですね。

○ これも少し法律家的な話ですが、要件はできるだけ明確にというのが必要だというのは、先ほど来出ているところですけれども、分からないときにどうするかというのも、やはり決めておかないと困るのではないかと思います。特に短期であるわけですし、その段階で本当は国選の弁護士を付けなければいけなかったのに、付けなかったから、その間の手続で起こった証拠収集あるいは自白の適法性が問題になるとか、そういうことになると困るわけですので、そういうことが起こらないような制度にしておかないといけないのかなという気がします。

○ あいまいなところは国選を付けるという方向に行かざるを得ないですね。そういうところに付ければ、先ほどのように、後で資力があることが分かったときには回収しますという話になるわけです。その上で、有効に回収するためにはどうすればいいかという話になると思います。

□ 起訴されて公判に行けば、トータルで計算ができるのかもしれないのですけれども、そうではなくて、起訴されずに釈放されたという場合に、どういう費用負担を命ずる方法があって、回収はどうするのだというところも恐らく考えておかなければいけない論点だろうと思いますね。 あと一点、○○委員、先ほど判断主体について問題提起されたのですが、どうお考えですか。

○ 私も、例えば自己申告が望ましいなとずっと思っていたのですけれども、今ほど先生方のお話を聞いて、なかなかそれを期待するのもサンクションなくしては難しいかもしれないと思います。
 ところが、捜査段階で捜査機関がそれをお聴きになるというような制度にしてしまうと、被疑者にとっては、捜査されている主体から、資力要件について、つまり犯罪事実に直接関係する場合もあれば、ない場合もあるかもしれない事柄についても調べられるということに対して抵抗もあるでしょうし、公正さが欠けるというようなイメージがあるかもしれません。ですから、一番早くて適切かと思いながらも、そういう被疑者の心理だとか、客観的公正さの面で、そうしない方がいいのかなという思いがあったりしまして、そうであれば、やはり弁護士の方がまず最初の基礎的資料というのを話し合いに基づいて得ていただくのがいいのかなという感触も得たのです。
 ただ、あくまでも資力要件を公的弁護の条件にするときには、やはりきちんと本来的には本人の申告が前提であるのが望ましいなという思いが消えません。
 また、先ほどの収入なのか資産なのか、あるいは親族、家族まで及ぶのかということで言えば、これもいろいろ考え方があり得て、国選弁護の費用は、平均的な事件でこの間の御報告などでは10万前後ということで、それは弁護士の方の視点から見れば安過ぎるのかもしれませんが、その10万を払えるか、払えないかという判断に特化して言うならば、収入が高くても扶養する家族の多さとか、そのような条件も入ってきますから、一概に絶対数だけでは言えないでしょうし、私などは心情的に家族、親族が被疑者のために払うのが当然だなと思いながらも、そういう被疑者は我が親族、家族ではないという人が出てきたときに、どこまで強制力が及ぶかとか、いろんなことを思い描いてしまっているものですから、今日の時点では論点は分かったのですが、判断ができなくて、資力要件というものは極めて重要ですが、客観的に判断する形にもっていくのは難しいなということが分かった状況でございます。意見が言えなくて申し訳ありませんが、論点の広がりは把握できました。

□ 今、御意見が出ました、本人の資力ないし財産だけで見るのかどうかということとの関連で、少年などの場合は特にそういう点が問題になると思いますけれど、その辺は少年の付添人との関係のところで議論していただいた方がいいのではないか、いろいろなパターンが考えられますので、そこのところに問題を留保させていただければと思います。それに対して、成人の場合は、やはり本人の資力ということなのですかね。先ほど課税最低所得とおっしゃいましたけれども、それについても、先ほど例によく挙がったような、組関係の人などは正式な収入というのはないわけですね。しかし、ベンツを乗り回していて、どう見ても贅沢な生活をしている、といったような場合、判断が難しいだろうと思うのですけれども。

○ 私は、最初に申し上げたように、そういう特殊な状況にある人は、最初から除外してしまうということも考えられると思っています。

○ 暴力団組員で、国選弁護人の選任を受けるというケースはごくまれではないでしょうか。まれに自らの更生の意思を示すために国選弁護人でやりますというケースもないわけではないでしょうが。つまり、非常に例外的な、ベンツを乗りながら国選弁護人の選任を受けるというのはまさに例外的なケースですので、そのようなケースを中心に話をするとなると、全体を見誤る可能性があると思います。

○ 事務局の方からの最初の説明にもありましたけれども、本人以外の親族まで調べるとなると余計面倒なことになりそうではありますが、しかし考え方としては、例えば親とか親戚が大金持ちであるという場合、そちらが金を出してくれそうなときには、そういう親族の資力も考慮した上で、それでもどうにもならないときに国選という途もあるのではないか。私選が原則だという観点から、また、親族については、独立して弁護人選任権がありますから、その観点からも、親族の資力も考慮しようという途はあり得ると思います。

□ 具体的にどういうことでしょうか。公的弁護制度を発動するかどうかの実体的要件の点で判断するということなのか、そうではなく、私選が原則なのだから、選任権を持っている人たちに資力がある場合には、まずそちらに、弁護人を雇ってあげてくれないかという打診をして、それでも駄目だった場合に初めて公的弁護制度を発動する要件があるかどうかを判断する。そういう手続的要件として組むということなのか、どちらなのでしょうか。

○ どちらの組み方もあると思いますが、そこまで私は詰めて考えておりません。しかし、本人だけの資力を見るだけでいいのかというと、必ずしもそうではなくて、親族の資力も見る必要があると思います。
 それから、先ほど少年のことが後回しになりましたけれども、親が大金持ちであるというような場合に、しかし少年には純粋な意味での資力はないから直ちに公的弁護だというようになるのも少し変な感じがします。それを手続としてどうするかというところまではまだ詰めておりません。
 もう一点は、逆におよそ金がないことが明白なタイプの扱いです。先ほど○○さんが、まずは弁護士が会って、金が払えるかどうかという確認をやるべきだとおっしゃったのですけれども、先ほどの○○さんのお話にもありましたとおり、一見明白にこの人は金が全然ない、当番弁護士に相談する余地もおおよそあり得ないというタイプもあると思うのです。そういう人の場合は、まず弁護士さんと相談してというような手続をかませる必要もなくて、一見明白に全くどう絞っても何も出そうもない人については、これは貧困であることが明白なのですから、直ちに公的弁護という方向に行く途も残しておかないといけないのではないかという気がします。

□ その二つをどうやって仕分けるのですか。

○ 仕分けは難しいのですが、それは技術的な問題ではないかと思います。

□ 取調べに当たる警察官が特急組と鈍行組に分けるということですか。

○ 自己申告と、その他の状況から、やはりこれはどう絞っても何も出そうもない場合です。そうでないと大事な選任の時期がどんどん遅れていくわけです。やはり貧困者に公的弁護というのが、一番基本の核心部分ですから。

□ その視点も含めて、どういう流れにもっていくのがいいかを考えるべきだということですね。

○ その問題は、捜査弁護として何をするかというのとリンクしている部分もあるのです。先ほども言いましたけれども、最初にとにかく弁護士が行くということにこだわっているのは、行ってしまえばそれで済んでしまうと。本当に真犯人で、簡単な事件で調べがスムーズに行っていれば、最初に捕まったときに弁護士さんが来て、これはこうなるねと言ったら、そうですかと、それで多分済んでしまうのでしょうね。

□ それは、対象事件の絞り込み方にもよると思うのですけれども。

○ 今のように逮捕された案件はすべてという一応前提で申し上げているのですけれども、そういう前提であれば、私はそれでかなりのところが賄われてしまうと思うのです。
 そうではなくて、とにかく貧困だからといって弁護人を付けてしまえば、それなりの経費を払わなければいけないわけで、結局余分な経費を国民が負担することになるというようになると思います。

○ 入口のところと、出口と言うと変ですけれども、その辺りの議論を区別して考えた方がいいかなと思ったりしています。
 例えば、逮捕時点というのを入口だと考えれば、その時点は自己申告しかしようがないわけなので、確認しようがないのですから、警察の方で努力をしていただいて弁解録取書などに、私は資力がありませんということを聴いていだたく。それをとりあえずは信用して何らかの手続に移る。公的弁護を要請するということであれば、公的弁護手続にもっていくというようなことにせざるを得ないのだろうと思うのです。
 その後はどうするのかという話ですけれども、手続がある程度進行した段階で、まだ運営主体論が何もやられていないので、私は少しものが言いにくいのだけれども、その一定の運営主体のところでどの程度の額を負担させるべきだとか、その申告内容が正しいかどうかというのはチェックをして、それで負担させるものは負担させる。回収するものは回収する。あるいは、金持ちの両親がいたり、そういう家庭事情の人だったら、そこのところから捻出できないか、そういうことを考えるとか、これを出口の部分と考えれば、そのようなことでもいいのかなと思っているのです。
 私は、基本的に余りサンクションは賛成できないわけです。私選が原則だという弁護制度の原則を考えると、例外的に公的弁護を頼んだ人が、公的弁護の金が払えないためにサンクションを受けるというのは、どうもしっくりこないのです。これは論理的につながっているかどうかというのは、もう少し詰めてみたいと思うのですけれども、サンクションはどういうものなのか、留置場というのは厳し過ぎると思いますし、軽いものだったら罰則みたいなものというのが考えられないわけではないのだろうと思うのです。実際にそういうものを用意しなければ、入口のところで取り立てなければ取れないというのが現実だろうとは思うのです。しかし、そういうサンクションを用意してというのには、私は少し抵抗がある。私選を原則として自分の費用で弁護士を雇って、弁護活動をしてもらうという考え方からいって、言わば自分は頼めないから公的弁護を頼むわけなのだと思うのです。頼めないから仕方がない手段として公的弁護しか選択できなかった人が、おまえは金が払えないからといって、更にサンクションを科されるというのは、罰則を科される方の立場からすると、いかがかなと。

○ 払えるのに払えないとごまかして国選を付けるから罰則が加わるということです。

○ ごまかした場合なら分かります。

○ ごまかさない人まで労役留置場に入れろとは言っていません。

□ 自己申告しかないということになると、本当のことを言う人もいれば、うそを言う人もいるので、うそを言った場合には、そういうサンクションを発動したらどうかというのが、○○委員の御提言なのです。

○ 先ほど、本人単体で考えるか、親戚も含めて考えて資産を見るかということですけれども、これはきちんと明確にしなければいけないのかなという気もするのです。とにかく本人が何らかの形で調達できるか、できないかというように考えればいいのではないかなという気がするのです。

□ どこかへ行って借金をしてくるのと同じだということですね。

○ 家族がどうか、親族がどうかというのは、今でも同じなのです。訴訟費用を負担させるかどうかに関して、裁判官の中でも議論があるわけですが、私はだれでも、いつでも援助してお金を出してくれるという人がいるのは、それは本人の力なのだというように思っています。ただ、人によっては、それは本人の資力ではないのではないかという議論もあって、そこは少し微妙ではあります。ですから、今の決め方でも同じようなことにはなるのかなという気がします。

○ ちなみに、大阪の場合には、刑事被疑者弁護援助制度については償還制を採っているのです。全国で唯一だと思いますけれども、特に積極的に弁護士や担当職員が出掛けていって回収するということではなくて、書類を送って返還しなさいという督促をするぐらいなのです。それで22パーセント回収できています。何もしないで22パーセント回収できているという実績があるわけで、それなりに方法を講ずれば償還というのはもう少し率は上がり得るのだろうという気はするのです。

□ 2割もというか、2割しかというか、その辺は評価が分かれるかもしれませんが。

○ その場合、もともと全然資力がない人もいるわけですが、その人達を含めて、全員について償還を求めるわけですから、もともと資力がない人が3割ぐらいいるとして、そうすると5割ぐらいという数字になり得ます。

□ 今、訴訟費用の執行不能というのはどの程度あるのですか。分かれば、後で結構ですので、教えていただけませんか。
 先に進んでよろしいでしょうか。あと残ったところの3点だけ御議論いただいて、少し休憩を設けたいと思います。急いで申し訳ないのですが、先ほどの資力が十分でないということのほかにも、事件が特殊で私選だと引き受け手がないという場合ということが挙がっていたのですが、それ以外に何か考えられますでしょうか。

○ 前回だったかもしれませんが、必要的というのをどう解するかという問題もありますけれども、やはり類型的に判断能力に問題があると考えられるような場合、少年の場合というのは、また別に議論が必要なのかもしれませんが、あと高齢者の場合とか、そういった場合については弁護人を付けるということを考えるというようなことができないのかどうかということです。やはり資力要件というのは、一つの重要なポイントだというように思いますけれども、そのほかに今申し上げたようなこと。
 それから、なかなか類型化するというようなことができるかというのは非常に難しいのです。それも場合によっては、先ほど出ました弁護人を知らないというようなことで、地域の実情などにもよると思うのです。ですから、管轄区域などという問題もかかわってくるかもしれませんけれども、その辺はもう少し検討の余地があるかもしれないと。
 とりあえずは、先ほど言いました、少年あるいは高齢者の場合というのは考える余地があると思うのですが。

□ 今の問題は、前回も御意見が少し出ましたね。現行の制度では、公判段階でそのような事情がある場合には、裁判所の裁量で弁護人を付けることができるということになっているわけですが、今の御意見は、公的弁護の対象事件の範囲内でそういう特別な事情があるときには、必要的に付けるという趣旨ですか。

○ そうですね。ただ、そうなると捜査の方ができないのかという御意見が○○委員からありましたけれども、それは別に考えることは可能だというように思うのです。

○ 必要的だという制度設計にしておいて、それを何ら本来の手続進行に影響を及ぼさないというのは、私は理解ができないのですけれども。

○ ただ、手続的にその辺がどうクリアできるかという問題はあるかと思いますけれども、先ほど○○さんから出た、最初にその点について判断できるような形での当番弁護士的なものが組み込まれてくるということになればクリアできるのではないか。

□ それは、実体要件に該当するかどうかをどうやって判断すればよいのかということであり、○○委員が言われているのは、必要的にすると弁護人を付けない限り、被疑者の身柄拘束自体ができなくなるのではないかという話なのですが。

○ ですから、そこのところは検討の余地はあると思うのです。

□ どういうふうに検討すればいいのですか。その点を避けておられるような感じがするのです。やはりこういう形にすれば、その問題に耐え得るということを言っていただかないと、話が進まないと思うのです。
 2番目の点は、どういうことですか。先ほど話題に出た、弁護士会を指定して弁護人を依頼するという制度がありますね。それでもなおカバーできない部分があるのかということになると思うのですが、どうですか。

○ 分かりました。そこはもう一度考えます。

○ もう一つ付け加えますと、そういうことをすればするほど、セーフティーネットというものを非常に充実させていかないと動かなくなるのです。例えば、前々回私が申し上げたように、運営主体に常勤していて、一般の私選弁護人が受けられない、あるいは弁護人が抜ける可能性がある、弁護士過疎のためというのでもいいのですが、そういうときには必ず常勤弁護士が行くという制度設計にしないと、制度全体が動かなくなるのですから、そうすると必然的に常勤弁護士的なものを非常に多数、全国津々浦々まで配置していくということとセットで考えていかなければいけない問題なのです。

○ ですから、少年あるいは高齢者の場合。

○ いやいや、必要的だとおっしゃると、例えば離島で少年や高齢者の問題が生じたとすると、そこにはだれもいないわけです。飛行機で行かなければいけないわけです。そのときにそれは動かなくなるわけでしょう。そうすると、そこのところに常勤弁護士を派遣する以外に、現在の制度設計上は多分対応策がないのではないかと思うのです。
 そうすると、そういうケースまでも考えた上でおっしゃるならいいのですけれども、弁護士の対応が無尽蔵にできればいいですよ。ただ現実に我々の議論などを見ていて、やはり一定の弁護士の対応能力の問題もあるでしょうし、いろいろな国民負担の問題もあって限界があるという議論をしているときに、最初から動かない可能性が極めて高い制度設計を議論していると、国民の側から見ると、金のことも人のことも何も心配しないでそういう議論をしているなと言われるのが嫌なのです。

○ 必要的弁護だかどうかはともかくとして、弁護人を依頼することができないというときに、金がない、だれも付いてくれないというほかに、もう一つは、弁護人を依頼する主観的能力がないという場合も理屈の上ではあると思います。例えば、心神喪失あるいは心神耗弱という状態で依頼することなんかできないという場合は含まれるのではないですかね。

□ 対象事件を絞り込んだ上で、選任の要件の一つとしてそういうことも考えるのか、それとも、そういう一般的な制度とは別に、特殊な事情がある人には特別に付けることを考えるのか。議論としては別の問題だろうと思うのですが。

○ 私は、基本的に原則として逮捕された案件は全部と考えています。ただ、オーバーステイは除くというのはあり得るかとは思っていますけれども。とにかく逮捕された事件はすべてという前提で、なおかつ、心身喪失の疑いがある場合も。

□ 勾留される事件は全部対象にするということを前提に議論されている。だから一致するのだということですね。

○ そこでまた弁護士になるのだけれども、弁護士が行けば、こいつは詐病だなとか、この程度だったら自分で判断しなさいよとか、これはひどいから国選を付けてもらわないといかんかなとか、そういう判断も弁護士ならできるだろうというのもあるのです。

□ 少し混乱してきたのですが、当番弁護士的な立場の人がとにかく接見に行くのが逮捕された被疑者全部ということなのか、公的弁護制度の対象になるのが身柄拘束された事件の全部であり、重なってくるということなのか、どちらなのですか。

○ 重なってます。

□ そうなるとまた、この前の議論に戻っていきますね。対応可能かどうかという話もありますので、次のラウンドで更に議論したいと思います。
 次に、人数と管轄、これはどちらかというと、本質的であるようにも、しかし技術的な問題であるようにも見えるという問題ですが、これを一括して御議論いただきたいと思います。先ほど管轄による制限というのが弁護士の身勝手な権利ではないかという御意見もありましたが、最高裁の規則に書かれていて、弁護士会規則ではありませんので、一概に身勝手とも言えないような気もするのです。ですから、何かもう少しそういうこととは別の立法趣旨というのがあるのではないかと思うのですが。

○ 裁判所側から見れば、当然活動していただくためには、一番活動しやすいところの人を選ぶのが当然だと思います。法廷に出て来る人は、その土地の人なのですから、そういう意味からだろうと思うのですけれども、それをどういうふうに使うかはまた別として。

□ 活動しやすいというのは、事情がよく分かっているということですか。それとも通ってくる距離が短いということですか。

○ 通う距離が短いということではないでしょうかね。

□ お金の問題も勿論ありますね。

○ 例えば、セーフティーネットとしての常勤弁護士みたいなものに余りこれを適用されてしまうと、全国の管轄区域にすべて置いておかなければいけないということになって、これはなかなか実際的ではないので、これは別途の考慮を要するのだろうと思うのです。

□ 御趣旨は、今の公判段階についての規則は被疑者段階には適用しないで、どの弁護士でも選任できるということにすべきだということなのか、それとも、一応原則としては、公判段階と同じ形にしておいて、それで賄えない場合には常勤弁護士などを派遣することも可能にすべきだということなのか、どちらなのでしょうか。

○ 最後の最後のセーフティーネット的な考え方です。そこを考えていかないと、こちらが結構大きな問題になってくると思うのです。

○ この制度自体、ある程度常勤弁護士というか、国選専門事務所の存在というのを前提にしていないと動いていかない制度だと思うのです。ですから、それは弁護士の事実上の再配置を伴うものにならないとしようがないわけで、そういう意味では規則のような考え方というのは、これからの時代には合わないのではないか。
 それから、捜査段階は公判段階と別途にやれという考え方もありますけれども、基本は、やはり捜査段階についた弁護士が公判を担当するというのが一番望ましい姿なわけですから、そういう観点から言っても最高裁の規則のような考え方は、まずそれは撤廃して考え直すということがいいのではないかと思います。

□ 最終的には、選任に当たる裁判所が判断するのか、その運営主体が判断するのか分かりませんけれども、そこの裁量ということですか。

○ そうだと思います。派遣できると判断すれば、他県からでも、例えば地方の中核都市からでもいいのではないかと思います。

○ まず、弁護人の人数という点から行きますと、やはり捜査段階というのは、非常に濃密な活動をしなければいけないケース、事件によっては毎日接見する、あるいは日に何回か接見しなければいけないというケースもあるわけで、そういうケースについては、実際に当番弁護士を3人ないし4人ぐらい選任することもあります。そういうことから考えますと、人数の点については、やはり弾力的にというか、今の被告人国選でも複数選任はあるわけですけれども、被疑者段階も当然のことながら複数選任ということを前提に考えて制度設計される必要があると思います。
 それから、29条の問題については、現行法上でもいろいろ問題があります。というのは、控訴審の段階では、高等裁判所のあるところの弁護士しか担当できない。例えば東京高裁管内の場合、東京の弁護士しか国選弁護人になれないわけです。最高裁になれば、東京の弁護士が国選弁護人になれるだけで、他の地域の弁護士はなれない。しかし、いろいろ被告人からの要求に応ずるという意味では、もともと地元の、例えば群馬県なら群馬県の弁護士が望ましいにもかかわらず、東京の弁護士が担当しているというケースがあります。最高裁になりますと、もともと身柄は高裁所在地の拘置所にありながら、弁護人は東京の弁護士だし、しかも東京から接見に行く費用というのは、国選費用としては考慮されていない。そういう現状からしても、29条には問題があるところだと思います。
 なお、被疑者段階の公的弁護制度ができることになれば、相互に弁護士が交流しながら助け合っていくという制度がどうしても必要になってくるだろうと思います。刑事専門の弁護士ではなくても、近隣の地域でそれぞれ弁護士を融通し合いながら事件に当たっていくという必要もありますので、29条の問題については、やはり○○さんが言われたように撤廃するといいますか、改正される必要があるだろうと思います。

□ 見直しをされるということですね。人数の点は、お一人しか御意見が出なかったのですが。

○ 私は、例えば国選でも1人というのが原則になっているので、その原則自体は崩すべきではない。複数選ばれるというのは、言ってみれば先ほどから出ている特別案件的なものなので、そういう例外的な処置まで封じる必要はないけれども、やはり原則は守っていった方がいいのだろうと思います。
 それから、管轄の点についても、これはやはりそれなりの意味があることなので、ここのところを全部取り払ってしまっていいというものではない。
 問題は公的弁護との関係で、例外的なところを幾つか設けなければいけない場合が必ず出てくるだろう。そのときの手当てをしておけば十分ではないかという気がします。

○ この人数の問題は、どういう制度を考えるかによって相当違うと思うのです。例えば、国選専門事務所の弁護士、これは給料制だったとしますと、それが1人で付いたが、大きな事件で、1人でやったら労働過多になってしまう、だったら2人でやった方がいいではないか。どのみち給料制なのだから、1人の被疑者に2人付けたからといって国民の税負担が増えるわけではないということもあり得るわけですね。
 給料制ではないというように考えると、何で国選で2人も国民の税金で付けてあげるのかという話になるのだけれども、給料制だったら何人付けたって構いはしないという、それは少しオーバーだけれども、2人、3人付けても余り問題は起きないのではないかと、そういう考え方もできますね。

□ ○○委員の御趣旨も、事情に応じて例外はあり得るが、原則形としては、ということなのでしょう。

○ 最終的な費用負担というのもあり得るわけでしょう。

○ やはり、原則は1人ではないですかね。ここの議論の中心は、私選弁護が原則であって、公的弁護は補充になっているわけですね。そうすると、必ず私選弁護をやるときに、全員が全員どの程度弁護士の需要があるか分からないけれども、中には1人を選ぶ、それは神様の目から見たら3人いるところを1人選ぶ、私選弁護に行く人もいるわけですね。そうすると、その人は1人なのだけれども、補充的であるべき公的な国選弁護の世界になってしまうと、どうやって事実認定していくのか分かりませんけれども、仮に担当弁護士の自己申告制と、私が5人と言ったら5人になるかもしれないのだけれども、そうだとして増えていくというのは、多分制度全体のバランスからいくとおかしいのではないですかね。
 だから、やはり○○委員がおっしゃったように、基本は1人という線は、多分私選と国選との補充関係という関係からも、そこは一応合理性があるのだと思いますけれども。

○ ただ、確かに私選が原則で、国選は補充的だということは言えると思うのだけれども、だからと言って国選が私選よりも劣位にあってはいけないと思うのです。提供される法的サービスの基本は、やはり私選も国選も大体同じ、全く同じというようにはならないのだろうけれども、おおむね同じぐらい、あるいは少なくとも劣っていいという前提での制度設計はいけないのだろうなと思うのです。

□ 分かるのですが、その点についてもまた、実質的な判断をだれがどういう形でできるのかという問題がありますね。特に捜査段階ですから、逮捕段階あるいは勾留段階の判断ということになった場合に、ある程度の線は決めておかないと、判断主体が非常に困ってしまうことになると思うのですが。

○ 例えば、オウムのような特殊な事件、これは別途なのですけれども、今の1人説もオウムなんかも1人でやれという説ではないことは承知の上で申し上げているのですけれども、例えば犯人が1人だと、要するに死刑あるいは無期が求刑される可能性のある事件があったと、本人は犯人ではないと言っている。単にそういうだけではなくて、いろんな主張、弁解をしている。弁護人としてもそれが本当かどうか確認しなければいけないというときに、1人で毎日接見に行って、ほかの調査活動も1人で全部やれと、それはなかなかきついものがあるのではないかという感じはしますね。

□ 体制をどうやって整備するかというところとも連動してくる問題ですね。専従体制をどうするのか。

○ しかし、そういうことは最終的には裁判所が必要かどうか決めるのですけれども、初期の段階でそもそも裁判所にそういう事情はどうやったら分かるのですか。

○ 私は、最初から、例えば死刑、無期求刑事件は最初から3人にしなさいということを言っているわけではなくて、最初の入口は1人でいいでしょう。でも最初に付いた弁護士が、この案件からいったら3人必要ですとか、2人必要ですというようなことを上申して、途中から2人になる、3人になるというような道は原則として開かれていないといけないのではないか。その場合は、罪名で切ってもいいのかもしれないけれども。

□ 原則として開かれているというかどうかは別として、言っておられることの実質はそんなに違わないと思うのですけれども。

○ 今ので言うと、私選で1人選んでいる人が、当該私選で選ばれた弁護士さんが、私1人ではきついですと、後で3人にしてくださいと言いますね。そうすると、そこに私選弁護でお願いしたクライアントが、私は3人も金がありませんと言うと、残り2人は公的弁護で選ぶのですか。

○ そういうことは言わないです。それは信頼関係で受けているのだから、その1人がやるよりしようがないでしょう。

○ あるいは、1人分の報酬で3人弁護士を集めるということも現にあるわけです。

□ この辺で、少し休憩とさせていただけますか。非常に白熱した議論で、後半もまたかなり重い話題がないわけではありませんので、ちょっと休憩させていただきたいと思います。

(休 憩)

□ それでは、再開させていただきます。先ほどの訴訟費用の徴収の件ですが、早速法務省の方で調べてくださったそうですので、少し御説明いただけますか。

◆ 訴訟費用の中に国選弁護費用も入っておりますので、訴訟費用全体の統計について御説明します。
 平成12年度について、件数ベースでまず見ますと、徴収すべき件数が約2万件ございます。このうち、処分済みの件数は約1万件となっております。未済件数が約8,800 件ということになっておりまして、約半分弱が未済となって翌年持ち越しになっております。そのほか、三百数十件ぐらいで徴収不能決定というものをしておりまして、結局どうやっても取れそうにないということで、そこで処分しているということでございます。

□ 三百数十件以外は、最終的には徴収できているということなのですか。それともやはりずるずる行っていると・・・。

◆ 翌年に回しているという状況です。金額ベースでは、平成12年でいきますと、徴収すべき金額が約17億円、未済が約7 億5,000 万円。徴収不能決定がなされているのが約2,900 万円ということでございます。

○ それに若干付け加えます。今、数字だけ言ったのですが、この徴収に要する職員の負担が大変で、毎年の全国の検察庁における問題点の一つになっていて、ほかの業務に対する影響が非常に甚大になっていることを付加しておきたいと思います。そこの部分のコストがこれに入っていない、これに加算されるわけです。

□ 分かりました。それでは、先に進ませていただいて、大きな検討項目の「3 公的弁護制度下での弁護人の選任の始期及び選任の効力の終期」に移りますが、これについても、まず取り上げるべきと考えられる小論点の案につき事務局から説明していただこうと思います。

● 御説明申し上げます。
 まず、最初の「公的弁護制度下における被疑者に対する弁護人の選任の始期」、より具体的には「逮捕段階か勾留段階か」について御説明申し上げます。前回、「被疑者に対する公的弁護制度の対象事件」を御議論いただきました際に、多くの委員の方々から、基本的には、身柄拘束された被疑者に限定すべきであるとの意見が述べられました。そのような意見を前提とした場合、更に、逮捕、勾留のいずれの段階から被疑者に選任請求権を認めるべきかという問題を生じることとなります。この問題につきましては、理論的な観点はもとより、制度を運営する裁判所や弁護士会の側における現実の対応可能性などの実務的な観点をも踏まえた上で御議論をいただきたいと存じます。
 次に、「公的弁護制度下における弁護人の選任の効力の終期」について御説明申し上げます。意見書が「被疑者段階と被告人段階とを通じ一貫した弁護体制を整備すべきである」と述べている趣旨などを踏まえますと、被疑者段階における国選弁護人の選任は、私選弁護の場合と同様、公判請求された後においても効力を有するものとすることが考えられます。その上で、公判請求以外の事件処理の場合はどうか。具体的には、略式命令請求の場合、公訴提起されずに釈放された場合に、それぞれ弁護人選任の効力の終期はいつとすべきかを御議論いただきたいと存じます。
 なお、家裁送致された場合の弁護人の選任の効力につきましては、公的付添人の問題とも密接に絡みますことから、むしろ公的付添人制度について検討する予定の第6回検討会で議論するのが適当かと思われます。
 また、解任につきましては、意見書では「弁護人の選任・解任は、現行の被告人の国選弁護制度と同様に裁判所が行うのが適切である」と記載されていますが、それ以上のことについては触れていません。そこで、解任に関する規定を設けるべきか、設けるとした場合、具体的にいかなる解任事由が考えられるか。その他、解任の裁判を待たずに弁護人の地位が当然に終了する場合があるかといった問題についても御議論いただきたいと存じます。
 さらに、「選任の効力が及ぶ事件の範囲」について御説明申し上げます。この点につきましては、私選弁護の場合と同様、事件単位を原則とすべきかどうかという問題を出発点としまして、余罪についても選任の効力が及ぶのか、といった問題を御議論いただきたいと存じます。
 以上でございます。

□ 今の説明について御質問はおありでしょうか。よろしいですか。議論の中でまた適宜質問していただければと思います。
 三つの小論点に整理していただきましたが、そのうち選任の始期はいつからか、どの段階からかという点から、御意見をいただければと思います。

○ 先ほど事務局からは理論的な観点とともに、実務的な観点をもとおっしゃいましたが、理論的な観点から理想論を申しますと、日本国憲法34条は、直ちに弁護人を依頼する権利が与えられなければ、抑留または拘禁されない旨を定めています。この抑留と拘禁というのは、現行法で言うと逮捕が抑留で、拘禁が勾留というように対応しているわけですけれども、要するに憲法自体は、身柄拘束の種類に特に区別を付けずに、弁護人を依頼する権利を保障しています。
 勿論、憲法の下で立法政策として、公的な弁護制度をどの段階・時点から始めるかというのは、いろいろな考え方があり得るわけですけれども、やはり特に被疑者にとって身柄拘束をされた初期の段階というのは非常に不安でもありますし、ある意味で弁護人の援助が最も必要な時期であります。また、ごく最近の最高裁の判例の中でも、憲法の趣旨から特に逮捕直後の弁護人との接見というのは非常に重要であるとの指摘がなされています。自分が拘束されている状態についてきちんと理解をして、もしそれがいわれのないことであれば、その疑いを晴らして拘束から解放されるというのが被疑者の重要な利益でありますから、なるべく早い段階で弁護人が付くというのは、立法政策としても憲法の趣旨にかなうものだろうと私は考えています。
 そういう意味で、いろいろ実務的にも技術的にも難しいところがあるというのは、私も十分認識しておりますが、理想論としては、身柄を拘束された初期、つまり逮捕の段階から貧困等で弁護人を選任できない人が請求をしたならば、できるだけ早い段階で付けられるような制度、つまり法律的には逮捕段階から請求権を認める、そういう制度設計を理想にして、何とか技術的なことをクリアするのが筋であろうと考えております。

□ ほかの方は、いかがですか。

○ 私は、当番弁護士制度前置という前提で勾留段階から選任をするという説です。

□ 当番弁護士がとにかく会いに行って接見をし、その要否だとか、要件があるかどうかを判断した上でということですね。○○委員の御意見ですと、勾留審査と併せて国選弁護人の選任要件の有無を判断するということになるのでしょうか。

○ そうです。

□ それに対して、先ほどの○○委員の御意見は、そういう身柄関係の判断とは別に、弁護人を付けるかどうかの判断を、裁判所なのかもしれませんが、どこかが行うということでしょうか。

○ 選任権者は裁判所ですから。

□ 勾留審査とは別に、その判断のための手続をつくるということになるのですかね。

○ そうです。あと、付加して言いますと、今も逮捕された人には、弁護人選任権は告知されるわけですけれども、更にこの国選制度についての告知の規定も整備して、できる限り早く動くようにしたい。

□ 分かりました。

○ 逮捕直後の接見が非常に大事なことは十分分かりますが、現実にはなかなか動かないのではないか。特に選任をするのが裁判官だとなると、逮捕の段階では裁判官には何も分からないわけです。通常逮捕では、逮捕状を発付するときには、どんな事件か分かりますけれども、そのときにはまだ資力要件を始めとして全然分からないわけですし、ほかの現行犯逮捕ですとか、そういうときに裁判所が逮捕の事実を知って、その資料を出させて判断するとなるとかなり期間は経ってしまうだろうと思います。
 先ほど来の○○委員の言われたセーフティーネットの話ではないのですけれども、例えば離れ島のどこでも逮捕段階から付けなければいかんとなると、本当に人がいるのかという問題もありますし、そういう話になると、現実には勾留段階からにしないと難しいのではないかという気がいたしますが。

○ 同意見です。やはり裁判所が関与するのは勾留段階でありますし、まず逮捕段階で、実際に動くのが非常に難しいと思うのです。しかも期間も時間も短いですし。
 やはり制度をつくる以上は、繰り返しになりますが、全国津々浦々どこでもきちんと動くような制度をつくっていかないとまずいわけですから、私は○○委員、○○委員と同じように勾留段階から。

○ 現場の立場から言わせていただきますと、警察の持ち時間48時間、プラス検察段階で24時間というのが、マキシマムではありますけれども、実際問題として48時間丸々警察に置いておいて検察庁に送致するというのは、まず少ないのだろうと思います。逮捕する時間にもよりますけれども、大体平日の午前中に送致するということですから、実際は更に警察段階での勾留請求前の持ち時間というのは短こうございますし、今、週休2日制でもありますので、木曜日の夕方辺りに逮捕したような事案は、大体金曜日の午後には勾留請求までやってしまいますから、理論上72時間が24時間以下に減ってしまうという実情もありまして、その中で判断材料まで集めてどこかに提供するにしても、実務上かなり困難を伴うのかなという気はしております。

○ 私は先ほど○○さんがおっしゃったように、拘束の開始時点から弁護人の援助というのは、やはり必要だと思いますので、○○さんの意見に全面的に賛成なのですが、ただ実務的な方式としてどういう方式を取るのかということについては、考える余地があり、それは先ほど○○さんが勾留段階というふうにおっしゃいましたけれども、実質的には逮捕段階から当番弁護士が行って対応するということを前提にしておられるわけですね。○○さんの先ほど来のお話ですと、全件についてそういうお考えでいらっしゃるということですので、そういう形で対応すれば、先ほど○○委員がおっしゃったような時間的な問題についてもクリアできるかもしれませんし、○○委員がおっしゃったような手続的な点での心配というのも一応クリアできるということになるだろうと思うのです。
 ですから、実質的にどういう弁護士の援助が提供できるかという問題ですので、そういうことで行けば、勿論公的制度という形で裁判所の選任が前提となるような形での弁護ということになってくると、それが勾留段階というようなことにもなるのかもしれませんけれども、私はそれでも場合によっては逮捕段階というのもあり得るだろうというように思っていますが、いずれにせよ弁護人の援助というものは逮捕段階から提供するという方向で制度設計を考えるべきだという意味で、○○委員の意見に賛成します。

□ 基本的にどちらの考え方を採るかによって、勾留審査の手続と一体化できるのか、それとも別の手続を設けないといけないのか、そこが違ってくるのだろうと思います。○○委員や○○委員の考え方でいけば、勾留審査の手続とは別の手続というのを設け、たまたま勾留審査と同時に行われることはあるかもしれないけれど、それより早く行われることもあり得る。そのときによって違ってくるという、そういう手続設計だと思うのです。
 それに対して、他方の考え方としては、当番弁護士の接見を前提にするかどうかは別として、勾留審査のときに一緒にやるということですね。

○ 私は、根本は、できるだけ早い段階でシステムが動き出すようになれば、それが最終目標だと思っています。理想形はやはり請求権は逮捕段階、そして○○さんがおっしゃったように、短い時間ではありますけれども、しかし書面を裁判所に申告書と一緒に持って行って、ぱっと付けていただくということも不可能ではないように私は思います。

○ 先ほど短い時間で負担が大変だというようなニュアンスで、72時間もない、24時間というようなことも言いましたけれども、逆に考えますと、逮捕後、できるだけ速やかに裁判官の下にというのは、72時間丸々引っ張っていなくて、それより短い時間で裁判官の面前に出ているという場合も、全部とは言いませんけれども、かなりあるという見方もできようかと思います。

□ ほかの方はいかがですか。

○ 私は、逮捕段階から選任できるような形にすべきだと思います。ただ、具体的にその手続をどうするかについては、いろいろ工夫が必要だろうと。
 ○○さんのおっしゃった、当番弁護士を前置するというような考え方も十分考慮に値するのではないかという気がしておりますけれども、その辺はなおどういう制度設計が可能なのか検討していきたいと思います。

□ 先ほどの、どれだけの判断材料をだれが集めて判断するのかということも絡んでくるのだろうと思うのですけれども。

○ やはり私も、理想は確かに逮捕段階かもしれないけれども、現実にやるとなると勾留段階ということになるだろう。特に裁判所が判断するということになるとすると、ほかに手続を設けるということの煩しさというのが出てくるし、必ずしも実際的ではない。
 例えば逮捕段階で準抗告を何で禁止しているかというと、やはりある程度短い期間で処理をしなければいけないということが前提になっている。そうだとすると、やはり勾留の段階まで少し時間はありますので、それまで待っても決して遅いことはないだろう。ここのところで審査をするというのが合理的ではないかなというように思います。

○ 今の○○委員の話は、実際にそうだろうなというふうに思うのですが、あえて少し理想論みたいな話をしたいと思います。二十数年前に経験した殺人事件の無罪事件がありまして、これは一審で無罪判決が出て確定してしまったケースなのですけれども、これはやはり取り調べ段階で、足の不自由な人が留置場で壁に向かって畳の部屋で正座をさせられて自白したというケースなのです。公判段階になって供述を翻したわけですけれども、足が悪いために車の運転ができないにもかかわらず、遺体を軽トラックに乗せて川に捨てたという事案だったのです。
 逮捕も何もされていない段階で、警察に呼ばれて、そこでひざが曲がらないのに正座をさせられた。お前は自分のやったことをよく思い出せというふうに言われて、ひざを崩すとしかられたというように本人は言っていましたけれども、そういう被告人質問などを聞いていて本当に思ったのですけれども、別にまだ逮捕も何もされていないのです。任意の段階なのです。だけど彼がなぜ自白してしまったのかというと、別に暴力を振るわれたわけでも、有形力を行使されたわけでもないのですが、彼にとっては、ひざが曲がらない状態で正座させられたのが非常に苦痛で認めてしまった方がいいと思って認めてしまったという事案だったのです。
 こういうことを考えると、できるだけ早く弁護人が付くということは本当に必要だろうと思いますし、そのことがまた審理の結果を誤らせないことにもなるだろうし、そういうことにつながってくるのだと本当に思うのです。
 ですから、制度設計としては非常に難しいのかもしれないのですけれども、何とか工夫して、できるだけ早い時期に、身柄拘束があってから速やかに弁護人が付くような方法を、法律家の皆さんに知恵を出していただけないだろうかと、そういうように感じます。

□ 分かりました。大体一通り御意見を伺いましたので、次の弁護人の選任の効力の終期について御意見を伺うということにしたいと思いますが、いかがでしょうか。

○ これは身柄の案件全部というような立場を取っていると、身柄の処分が決まったときを終期とするということになります。だから、公判請求されたらそれで終わり。略式命令で釈放されたら、勿論不服の申立ての可能性もあるわけですけれども、略式命令が出た段階で終わり。処分保留で釈放されたらその段階で終わり、ということだと思います。

□ 在庁略式は、どうですか。

○ 在庁略式も同じです。

□ しかし、身柄はつながっていますよね。

○ それで釈放されますね。それで終わり。不服の申立ての可能性があります。でも、それは関係ないと。

□ 身柄拘束の有無で判断するということですね。ほかの御意見はございますか。

○ 実務的な点で、よく分からないところがあるのですが、私も○○さんの意見が一つの方法なのだろうなと思うのですが、その場合、弁護という観点から見たときに、間隙が生じるということがないのかどうか。

○ ないです。

○ ないですか。例えば、今の例で出ましたけれども、略式の場合に正式裁判というのはあり得るわけです。身柄が釈放されてもです。その辺のところを配慮しなくていいのかどうか。

○ それは別の案件だから、別途弁護人を選ぶとか、何とかしてやると。

□ その場合には、また選ぶということなのでしょう。

○ はい。そのときは、もう身柄は自由になっているわけですから、被疑者の国選の対象にはならないわけです。

○ それは、起訴猶予などの場合も同じですか。

○ 起訴猶予というのは、それで終わりですからね。

□ 正式裁判を申し立てれば、今の国選の対象になり得るのでしょうね。ほかの方はいかがですか。余りにもぱさっとおっしゃられてしまいましたので、非常に簡明ではありますが、大丈夫かなという感じもしないわけでもないのですが。

○ 少年の場合については、また別途検討するのですね。

□ その点については、付添人制度とのかかわりということで、それについて議論する際にまとめて議論した方がよろしいかと思います。

○ ○○委員は、起訴された場合は、その段階で。

○ 今度は被告人国選に切り替わると。

○ 公判請求された場合、弁護人は捜査段階と同じですね。

□ 身柄拘束が続いていて起訴された場合は同じという前提なのでしょう。

○ 被疑者段階での国選弁護人選任の効力は、起訴後も続くということで。

□ そこは両方の組み立て方があり得ると思いますね。

○ 選任の効力が切れた方が、経費算定や何かが楽でいいと思いますよ。

○ 事実上はつながっているわけでしょう。

○ 同じ弁護士が、今度は被告人国選としてもう1回選任される。

○ だからその段階で、つまり弁護活動自体は引き続きできるわけですね。

□ 新たな選任行為を必要としないということですか、それとも改めて選任するのですか。

○ 決め方ですけれども、私はごく簡単なものでもいいから選任行為を付けた方がいいのではないかと思います。

□ そうすることのメリットは、費用の算定が明確になるということですか。

○ 費用の算定です。

□ 今の私選と同じように、被疑者の段階での選任が一審まで引き継がれるという制度もあり得て、そちらの方が簡便なところがあると思うのですが。

○ そういう制度もあり得ると思います。

□ そういう制度では、費用の算定の点で煩雑になるということですか。

○ その辺は、まだ余り詰めて考えていません。

○ 今の私選の、起訴されたらそのまま効力を維持するというのと同じようにした方が、先ほどの間隙が生じないということにはなりそうな気がしますけれども。

○ 私も、○○さんの意見に賛成です。わざわざ選任行為をする必要があるのか、今の制度でもないわけで、そのまま引き継がれるわけですから。

□ 両方の組み方があり得ると思いますね。新たな選任行為を必要とするとしても、被疑者の身柄がつながっている場合には、その判断をするまで前の選任の効力を維持するという組み方だって、立法ですから、できなくはないと思います。
 この段階では、そういう両方の可能性があり得るということでよろしいでしょうか。もう少しいろいろなものが見えてきてから、更に議論した方がいいように思います。
 あと一点、選任の効力が及ぶ事件の範囲ということで、要するに余罪との関係なのですが、この点はどう考えればよいかについて御意見を伺いたいと思います。

○ ここは、事件単位にしておくしかないのではないですか。

○ 費用の問題もあるしね。

□ 人単位でないといけないというような御意見はございますでしょうか。

○ 今の被疑者についての私選弁護人でもやはり事件単位なわけですから、それと公的弁護とで違うというわけにはいかないのではないかという気がしますけれども。

□ 手続的な明確性の問題ですね。

○ 例えば、今の被告人国選の場合でも、国選弁護人に選任された後に、その被告人が別件でまた逮捕されたら、それは事実上国選弁護人がカバーして、その別件の捜査段階の弁護活動も実際にやっておるわけです。
 また、私選弁護の場合でも、建前は事件単位なのですけれども、実際は人単位ということも少なくありません。

□ 今おっしゃった国選との関係は、ある事件の公判段階で付いた国選弁護人が、別の捜査段階の事件もカバーしているということですね。

○ 捜査を事実上カバーしているわけです。

□ 被疑者段階の公的弁護ができた場合に、それと同じ議論ができるかどうかということが一つの論点ですね。

○ その場合に、また別の被疑者段階の国選弁護人を付けるということになるかならないか。

□ その別の事件についても弁護人として選任してもらえば、当然カバーできるはずですね。
 今は、捜査段階の事件については私選でカバーするしかないわけですが、そのように私選で別件の弁護人にもなる場合、手続的には選任届を別途出さないといけないと思いますけれど、その報酬などはどのように取っているのですか。

○ 実質的には加算。

□ 加算してですか。

○ なかなか加算しにくいという事情はあると思いますけれども。

□ もともと私選の場合、契約書を交わしていないことも多いので、はっきりしないのかもしれないのですが、契約書を交わすとすれば、契約の対象になっていないと報酬は取れないですよね。

○ 費用を報酬の段階で加算するというようなことはあり得ても、人単位という考え方がないことはないという感じがするのです。

□ 考え方としてはですね。それで、○○委員はどちらがいいとお考えなのですか。

○ まだ、私自身、結論までには至っていないのですけれども、両方あり得るかなという気はしているのですが。

○ 質問してもいいですか。事件の件数の数え方なのですけれども、例えば連続殺人事件というときに、最初の1人の殺人が分かって、次の殺人が分かるまでの間の期間だとか、そういうことで2件と数えるのか、それとも一貫して1人の人間がやったら1件と数えるのかとか、細かいことで恐縮なのですけれども、事件単位か、人単位かというのは、逮捕状の数が基本ですか。

○ 事件ごとに逮捕することになっているので。

○ 事件ごとに逮捕すると、だから3人に。

□ 罪数というものがあって、1個の犯罪行為ごとにそれぞれ罪が成立しているというのが基本的な考え方です。ただ、同一意思で、例えば同じところから何回かに分けて物を盗み取ったという場合は、行為は複数あっても一つの罪として取り扱われるということもないわけではありませんけれど、連続して人を殺したり、あるいは同じ場所で同一の機会に複数の人を殺したという場合も、一人一人の被害者ごとに別の罪が成立するのです。

○ ところが、そうしますと、犯罪が解明された時期が同時期であって、1回に複数人を殺した場合、3人ならば3件と数えるのですが、捜査は同時進行的に行われますよね。

○ 殺人なら必ず令状を取りますから、実際はそうではありませんけれども、2人殺したということで、最初にAを殺したということで令状を取って捕まえました。Bを殺したことも自白しました。でも、令状を取りません。そのまま起訴後の勾留を利用して調べました。それでBを別に起訴してしまったと。起訴状は2通だけれども、逮捕状は1通しかないというときにどうするか。Bの殺人行為の捜査弁護はいつから始まるのかという問題がある。

○ というようなことで、1件ごとというのが原則としては分かりやすいのですけれども、実態としては重複している場合とか、今おっしゃったように逮捕している期間中に分かって、そして捜査も始まるという場合の弁護の、先ほどの始期と終期にかかわることになるかもしれないけれども、ただ、私は仮に理屈をお話しているので、実態としてそういう件数が多ければ積極的対応を図らなければいけないと思いますし、それが例外的であれば、原則だけ決めてそういうことへの対応を図ればいいのかもしれないのですけれども、現実的にはどちらが有効かということが論点になると思います。

□ ○○委員がおっしゃった、起訴済みの事件と捜査中の事件とがあり、起訴後の勾留を利用して被告人を捜査中の事件の被疑者として取り調べているが、捜査中の事件については身柄拘束の手続が採られていない。あるいは、身柄拘束されている事件も起訴前である場合にもそういうことがあり得ますけれども、他方の事件との関係をどうするかという問題はあるかもしれませんね。実質的に身柄を拘束されているような状態で、実質的にはそちらとの関係でも接見したけれども、そちらは報酬の対象にはなるのかどうかとか、接見の関係なども違ってくるのかどうか、といった問題はあり得ると思うのですけれども。

○ 実務上、必ずそうだとは言えませんけれども、殺人なんかの場合には、余罪でそのまま送ってしまうということはなくて、別の殺人があればもう一遍再逮捕して手続を進める、普通実務上はそういうふうにしています。泥棒なんかで、ほかの余罪はまとめて再逮捕を繰り返さずに送ってしまうというのはありますけれども、凶悪犯の場合には、大体もう一遍一つずつやるというのが通例だと思いますが。

□ ほかの点でも結構ですが、いかがですか。

○ 弁護人の解任という問題は当然あり得るかと思うのですけれども、この場合に、捜査段階ということで、解任の問題をどう処理するかという点があります。
 現在の被告人の国選弁護では、解任請求権というような形では認められてはいないようですけれども、被疑者段階は短期に集中的な弁護活動が求められますから、弁護人と被疑者との信頼関係が一旦崩れれば大変なことになるわけで、極めてクリティカルな状況になります。そういう場合に、やはり被疑者、被告人、あるいは弁護人側からでも解任の請求ができるような制度というのは、少し考えてみてもいいのかなという気はしています。
 それと同時に解任ということがあり得るとすれば、それには弁護士会というものが関与する。とりわけ、裁判所が被疑者段階で解任する理由があるかどうかというのは分からないことも多いはずですので、その際に弁護士会が当該弁護人あるいは被疑者から事情を聞いてその手続にかかわっていくということも考えられてもいいのではないかと思います。

□ そこに運営主体が絡んでくると、どうなりますか。

○ 運営主体が解任するということは、恐らくあり得ないです。これは裁判所が解任する。

□ 勿論そうなのですけれども、弁護士会と同じ立場に立つかもしれないですね。例えば、常勤の場合などはどうなりますか。

○ 常勤の場合にも、いずれにしろ弁護士会の何らかのコントロール下に置かれる必要があるというのを前提にお話を申し上げてはいるのですけれども。そういうことで、解任の事由の有無などについては、裁判所には見えない、検察官の方も一方しか見ていませんから、そういうところで具体的に弁護活動に携わっている弁護士会がかかわっていくようなことが考えられるのではないかなという気がしております。

□ もう一つ、解任請求権を被疑者・被告人にも与える、とおっしゃいましたか。

○ 被疑者です。

□ 被告人の段階は今のままにしておいて、被疑者についてそのような請求権を与えるということですか。

○ 今、被告人と申し上げましたのは、被告人段階もそういう意味で解任請求というものを考えられないかと。

□ そのような解任の請求権を認めるということと、特に被疑者段階については、裁判所としては判断が非常にしにくいので、そこに弁護士会を介在させるというのが、御意見ですね。

○ それは、多分法律論としては、成り立たないのではないでしょうか。現在の公的な弁護制度の選任自体が裁判ですから、選任された弁護人の方から解任請求というと、要するに辞職請求、辞任請求。

□ 請求権を与えるべきだというのは、被疑者なのでしょう。

○ 失礼しました。弁護人ではなくて、被疑者の方ですね。

○ 被疑者もそうですね。あるいは弁護人の方からも解任されないことには、実際は辞任ですけれども、裁判としては解任決定ということになるのでしょう。

○ しかし、それも法律論としては成り立たなくて、裁判所で裁判をしたのですから、終わりも、先ほど言った身柄が釈放されたという、選任の基礎がなくなる場合は別として、あとはやはり裁判所の判断でおしまいになるという構成にならざるを得ないように思うのですけれども。

□ 要するに被疑者というのは、選任行為の受益者であり、選任行為によって弁護人を付される立場ですね。それと、弁護人にされる人、これは命令説ですと、裁判所による選任は裁判だということになり、その裁判の効力を受ける人ということになって、少し立場が違うと思うのですが、いずれにしろ、○○委員のお考えですと、裁判所の一方的な行為ないし裁判であるから、被疑者も弁護人もいずれも、それをあれこれ言える立場にはないということでしょうか。

○ 整理していただくとそういうことになります。

○ 現行の取り扱いはそうなっていますね。必ずしもそれでいいのかなと思っています。我々が実際に弁護活動に携わっている中で、すでに信頼関係が失われたのに無理やり弁護人にさせられているというケースもないわけではありません。そしてそのことを訴えても裁判所はなかなか認めてくれないのです。

□ ○○委員の御主張は更に拡大していっていて、被疑者、被告人だけではなく、弁護人の方にも請求権を与えるということですか。今でも、解任を事実上促すということはあり得るわけですが、それでは不十分だということなのですか。

○ 信頼関係を失ったと訴えても、裁判所からは何とか頑張ってくださいよと言われるケースが多いのです。

○ 本当に大変な場合には、それは解任ということもあり得ますけれども、ただ、そこもよく分からなくて、私はこんな人とはどうもうまくいかないから嫌ですという、裁判所側から言わせると、わがままな申出も少なくないので、それについては認めないということだろうと思うのです。一般の被告人段階の選任と同じように、被疑者段階でも選任というのを考える以上は、解任について請求権を認めるというのは、少し無理ではないかという気はしますけれども。特に本人が嫌だと言ったら、それでは解任すると、そうすると何で選任のときには希望を聞いてくれないのだということにもなりかねないですね。やはり国が公的にお金を出して被疑者の弁護を付けようという以上は、有能な方を提供しているわけですから、本人が嫌だという問題ではないだろうと思います。

○ 弁護活動というのは、信頼関係が基本ですから、それが失われるケースというのは間々あるわけではないのですけれども、ないことはないので、その点の対応を考えておく必要はあると思います。

□ 弁護士会がどうかかわるかという話は、次の問題とも絡みますので、そちらの方でまた御議論いただければと思います。
 次に、「4 公的弁護制度下での弁護活動の在り方」に移りたいと思います。これについても、まず事務局の方から検討すべきだと考えられる小論点の説明をしていただきます。

● 4番目の論点であります「公的弁護制度下での弁護活動の在り方」の小論点について御説明申し上げます。
 本論点におきましては、論点(案)にも記載しておりますとおり、「弁護活動の自主性・独立性の確保方策」及び「弁護活動の水準・適正の確保方策」について、一般の弁護士と、常勤弁護士及び契約弁護士との相違も念頭において御議論いただきたいと存じます。
 この論点に関しましては、司法制度改革審議会の意見書におきまして、上記機関、これは運営主体でございますが、その組織構成、運営方法、同機関に対する監督等の在り方の検討に当たっては、公的資金を投入するにふさわしいものとするため、透明性・説明責任の確保等の要請を十分踏まえるべきである、公的弁護制度の下でも、個々の事件における弁護活動の自主性・独立性が損なわれてはならず、制度の整備・運営に当たってはこのことに十分配慮すべきである、弁護士会は、弁護士制度改革の視点を踏まえ、公的弁護制度の整備・運営に積極的に協力するとともに、弁護活動の質の確保について重大な責務を負うことを自覚し、主体的にその態勢を整備すべきである、とされているところであります。そして、同審議会の議論の経過を見ますと、公費に見合う弁護活動の適正確保のための方策はどうあるべきかという問題提起もなされております。
 公費を支出するに当たり、それに見合う弁護活動の水準・適正を確保する必要があるとの意見もある一方、弁護活動の自主性・独立性への配慮も求められるところであり、そのような観点から、在るべき制度設計について御検討いただきたいと存じます。その際には、弁護士会が弁護活動の質の確保について、重大な責務を負うことを自覚し、主体的にその態勢を整備すべきであるとされておりますので、弁護士会における取組みにも目配りすることが必要であろうと考えております。
 なお、議論の進め方といたしましては、弁護活動の自主性・独立性の確保方策と弁護活動の水準・適正の確保方策とは裏腹の関係に立つ面もあると思われますので、両者を併せて御議論いただくのが適当ではないかと存じます。
 以上でございます。

□ 今の説明について、何か御質問がありますか。よろしいですか。 それでは、今説明していただいたような点を手掛かりにして議論を行いたいと思います。どなたからでも結構です。

○ これは、手掛かり、足掛かりがいっぱいありそうに見えて、全くないつるっとした岩もあるので、あえて言うと、これもつるっとした岩場みたいなもので、問題点の出し方によっては、ものすごく深い論点だと思うのです。ですから、どこまで踏み込んだ議論をするかということだと思うのです。
 この論点から若干離れて言うと、一体捜査弁護とは何なのか。単に接見に行って、元気か、今日は何を調べられて何をしゃべったんだというふうに聞いて帰ってくるのが捜査弁護だと考えるのか。そうではなくて対抗捜査すると、弁護士がやるわけだから、捜査ではなくて調査と言うのかもしれないけれども、弁護士は弁護士の立場で証拠収集をする、でき得れば間違った起訴を未然に防止するということまでやるのが捜査弁護なのだというように考えるのか。多分理屈の上では後者の方だろうと思うのです。仮に後者だとすると、検察側の捜査と、要するに検察訴追側の証拠収集と、弁護側の証拠収集が、真正面からぶつかり合うという場面も出てくるわけで、事はそう簡単にはいかない。片や捜査妨害だと言う、片や弁護権侵害だと言う、というような形で、がりがりがりがりやり合うというような場面が、いっぱいかどうか分からないけれども、従来よりも多くの場面で出てくる可能性があるということは考えなければいけないと思うのです。そういう場合を想定した自主性・独立性の在り方、あるいは水準・適正の確保だということになると、これは相当いろんな仕組みをつくらないといけないだろうなというように思うわけです。
 いや、そこまでは考えていないのだと。単に接見に行って帰ってくればいいのだみたいに、10日のうちに何回接見に行くかというのが質の問題なのだというような考え方をすれば、さほど大きな問題はないのかなというように思います。
 ただ、私としては、本来は弁護側の証拠収集の限界、捜査側の証拠収集の限界はどこまでかというような棲み分けのラインを本当はきっちりやらないと、いい捜査、いい弁護はできないのだろうなと思います。
 そういうように言う背景としては、例えば検察側からやり過ぎ弁護だというふうに批判される弁護活動があることは事実です。これを弁護士会がどういう評価をするかは別にして、検察側がそういうふうに批判する弁護活動があることは事実だと思います。ただ、その反面、表に全く出ていない世界で、そういうふうにやり過ぎだというように検察側から言われることを恐れて、本来やるべきこともやらないというような萎縮した弁護活動も実際にあるわけで、そういうような萎縮した弁護活動がそのまま残るような形の制度設計はよくないだろうなというように思います。ですから、お互いに限界をきちんとわきまえた上で、思う存分それぞれの活動をしやすいような仕組みとしてどういうものを構想するかということで議論をするのが、本来の姿だろうなというように思います。

□ 審議会の意見も両方のことが書いてありますが、しかしこういうものをつくる以上は、責任ある体制をつくらなければならないとしており、まさに仕組みをどうするかということだと思うのです。ここは、制度の根幹というか、国民の皆さんに公的弁護の制度を認めていただけるかどうかにかかわる極めて重要な点ですから、十分御議論をいただかなければならないと思います。一見つるっとしているように見えるかもしれませんけれども。いかがでしょうか。
 ○○委員は、どういうふうに見ておられますか。

○ 弁護活動の独立性というのは弁護士さんと話しているとしょっちゅう出てくる話ですね。実際にこれが非常に重要だということは、私もいろんな場面で感じさせられているので、できるだけ尊重するような方向というのは必要だと思うのです。
 その一方でもって、弁護活動の独立性を口実としてと言うと変ですけれども、その名目として少し首をかしげるような事態が生まれていることもまた一方では事実かなというように感じる面もあるのですね。
 ここで言う弁護活動の、言葉としては適正さが要求されるというのはそのとおりだと思うのですけれども、実際にそこの適正さ、あるいは一定の弁護水準を確保するということを言った場合に、現実にどういうことが起きてくるのかということを考えざるを得なくて、結局、一部の弁護士さんにとっては、十分な弁護活動の手かせ足かせとなるようなことが弁護活動の適正さの確保という名目でもって行われるのではないかという懸念を持たれる場面もあるのではないかなと思うのです。公的弁護制度を考えるときに、当然必要とされる適正さの確保というのと、一定の水準の必要性というのは、少し私も悩ましく思っているところなのですが、ただ、心配されているような批判を浴びるようなことがないように、極力配慮した制度設計をしておくべきではないかなというように思います。

○ 議論をしやすくするためには、今の現状で、弁護活動の独立性が侵害されるというのは、どういう場合が想定できるかということですね。抽象的には、弁護の独立だと言いますけれども、私自身は、余り独立性が侵害されるという場面が想定できないように思うのです。○○さんから強烈な反論があるかもしれませんが、どういう場合に独立性がなくなるのかと思うのです。依頼者からの独立だと言えば、また別だけれども。

○ 弁護活動それ自体について、例えば制度の設計の仕方によって、先ほど○○委員が言われたような萎縮した形の弁護活動しかできないような仕組みになるというのは非常に問題だと、基本的にはそういう考えなのです。最低レベルの弁護活動というのは、これまでよく言われておりました不適切な弁護、これをなくすというのは当然のことで、これは我々弁護士会がやらなければいけないことでありますけれども。
 さらに、先ほど言われた先端的な弁護と言いますか、その弁護活動については、現に捜査当局からいろいろな攻撃にさらされるわけだし、更には制度の運営主体の在り方いかんによっては、それ自体が制約される可能性というのは常にあり得ると思うのです。その場合に、自主性・独立性がそこで侵されるという可能性は当然あり得るのではないでしょうか。

○ 今、おっしゃっているのは、水準とか適正の確保ということだろうと思うのです。独立性と言うと、例えば今の国選制度で独立性がない、さぼっているとか、やり過ぎだというのは別ですが、そうではなくて独立性がないではないかというのはないのではないですか。

○ いやいや、例えば裁判所の訴訟指揮に従わないから、解任するというようなことはあり得ることです。極端な場合ですけどね。

○ それは、独立性の問題ですかね。

□ 要するに、弁護活動の内容に立ち入っていろいろ干渉されると、そのことによって活動の自由が奪われるということですか。

○ そういうことです。

○ 議論をどういう形でやるかという点ですが、非常に微妙なところもあるし、先鋭化するところもあるし、もう少し具体的な話から議論をした方が有益ではないかと思うので若干お尋ねしたいのですが、基本的に、意見書によりますと、弁護士会が弁護活動の質の確保について重大な責務を負うことを自覚し、主体的にその態勢を整備すべきであるとなっておるわけです。具体的に、現実には日弁連なら日弁連、あるいは単位弁護士会でもいいのですけれども、現在、これについてどういう取組みがされているのか、その内容というものを踏まえた上で議論した方が、もう少ししっかりした議論になるのではないかと思うのです。
 と言いますのは、私の手元にある新聞のコピーによると、昨年の9月19日に、日弁連の刑事弁護センターで公的弁護人の推薦等に関する準則案を採択したということですので、一体この内容がどういうものなのか、その後どうなったのか、今後どうなるのか、ここら辺りを少し説明していただければ、恐らく今言ういろいろな問題点が、現在の日弁連の刑弁センターの、少なくともこの記事による限りでは、動いているということが分かりますので、それを踏まえた上で議論したらどうかという提案であります。

□ これは、○○委員に伺うより、関係機関として日弁連から出席していただいていますので、差し支えがなければ御説明いただけますか。

△ それでは、日弁連の副会長の○○でございますが、御説明をいたしたいと思います。
 ただいま、○○委員がおっしゃいました国費による弁護人の推薦等に関する準則案というのは、本年2月18日、日弁連の刑事弁護センター全体委員会で採択されました。これは、公的弁護制度に向けて、弁護士会による公的弁護人推薦資格ないし推薦停止等の要件としての準則を定めることが必要との認識に立ちまして、同センターの原案を作成し、2001年10月5日付の全国単位会及び関連委員会に対する照会の結果、多数の単位会及び委員会の賛同を得て採択したものでございます。
 ただ、その後、日弁連の調査室におきまして、国費による被疑者弁護制度がまだ存在しない段階で、被疑者弁護を含めて準則化することの可否及び準則案の内容について検討しておりまして、また、現在、正副会長会においても協議中でありまして、日弁連の正式な準則としては、いまだ確定しておりません。
 しかしながら、国費による被疑者弁護制度は、日弁連が長年にわたって実現を求めてきたもので、日弁連が責任を持って担っていくべきものでございますので、また審議会意見書におきましても、弁護士会は、弁護活動の質の確保について、主体的にその態勢を整備すべきと言われております。したがいまして、今後、前記検討の結果も勘案して、できるだけ速やかに日弁連の準則として確定し、全国各単位会に対して同様の準則を制定するよう指導・監督して、全国的な態勢を整備すべく努力する所存でございます。
 以上でございます。

□ 確認ですが、先ほど○○委員は9月とおっしゃったと思うのですが、正式には2月ですか。

△ 9月は原案でございまして、それを全国に回しました。

□ 分かりました。それと、準則というのはどういう性格のものなのですか。会則とは違うのですか。

△ 国費による弁護人の推薦は、日弁連は関与しないわけです。各単位会が取り扱うべき事項ですので、そのモデル案として日弁連が作成したという意味で準則ということです。

□ 単位会がこれにならって準則を定める場合には、会則として定めるのですか。

△ 単位会は、会規あるいは規則になると思います。

□ 会則なるものがあるのは存じているのですが、会規というのはそれと違い、また規則というのも違うのですか。

△ 弁護士会では、会則というのが一番上部のものでございますが、会則、会規、規則と大体三つありまして、会則、会規は総会の議決事項、規則は単位会では常議員会の議決事項ということで、会則、会規は同等のものです。

□ 効力は全く同じなのですか。

△ 同じです。それから、規則は、その下部規則ということになっています。

□ 会則と会規は、何で分けているのですか。

△ 会則というのは、弁護士法上で会則を定めなければいけないということで、規定すべき事項も決まっておりますけれども、それ以外に、もっと会員の義務を定めたり、重要なものを定めたものを会規として定めています。

□ この準則というのは、会規か規則になるだろうということですね。

△ それは全部各単位会に任せると。

□ どちらでもいいということですか。

△ はい、どちらでも。

□ 分かりました。

○ 弁護士法の33条2項に会則というのが法律であるわけですね。その2項の10号に、官公署その他に対する弁護士の推薦に関する規定とあって、これは会則で定めなければならないというようになっているのですけれども、この推薦に関する準則というのは、法律で決めなければならないという、これではないという扱いになるのでしょうか。

□ 弁護士法の何条ですか。

○ 33条の2項というのが、会則という一番重要な、定めなければならないという法律で決まっている事柄ですね。その2項の10号に、官公署その他に対する弁護士の推薦に関する規定とあって、これは各弁護士会の会則で決めないといけないというのが、この法律の言っているところですけれども、私の単純な理解によれば、まさに国費による弁護人の推薦というのは、官公署その他に対する弁護士の推薦に関する規定に当たるように思うのですけれども、そうではないという位置付けなのでしょうか。もし、会則事項だとすると、全部の単位会でつくらなければいけない話なのではなかろうかと読めるのです。
 ただ、先ほどのお話では、要するにモデルを示して単位弁護士会に会則ではない形でルールをつくっていただくように御指導されるというようにお聞きしたのですけれども、そこのつじつまが合うのか、合わないのかよく分からないということです。

○ 国選弁護人の推薦は、確かに弁護士法33条2項10号に当たることは当たると解釈されていますが、現在、各単位会ごとに刑事弁護委員会とか、刑事弁護センターとか、そういうものがあって、そこで国選弁護人を推薦するという規定を、おおむね置いているのです。
 したがって、現在は各単位会ごとに刑事弁護委員会を置く、刑事弁護センターを置くというようなことによって、そこで国選弁護人を推薦するという扱いになっています。現状は、それによって運用されています。
 他方、この準則というのは、どういう意味があるかと言いますと、特にこの基準に沿わない弁護活動をした場合に、国費による弁護人としての推薦を停止するという法律効果と結び付く、そういうものを今後つくっていこうということを考えています。したがって、準則は33条の10号に関連はしますけれども、それ自体ではないのです。

□ そのように解釈され、位置付けられているということですね。10号の関係では、そのための委員会があり、仕組みと言いますか、委員会があってそこが推薦をするという仕組みについての規定を置けば10号との関係では足りている。今度の公的弁護のための推薦はそれとは別の話だと、そういうことですか。

○ はい。

□ 分かりました。そういう位置付けで、全体として重い責任を果たしているといえるかどうかという話に恐らく戻ってくるのだろうと思うのですけれども。

○ 重い責任の一歩を果たしている。

□ 分かりました。そういうことで先ほどの御質問はよろしいですか。

○ 要するに、まだ日弁連の諮問機関か何か分からないのですけれども、そこにおける案ができたという段階なのですか。

○ 厳密に言えばそうです。

○ 単位弁護士会が、これを採択するかどうかについては、何か強制権が現時点であるのですか。

○ 日弁連は、各単位会を指導・監督できるのです。それに基づいて、大抵こういう準則をつくったり、規則をつくる場合には、日弁連の調査室の方の審査を経るということになります。その過程で、もし基準に達していなければ、日弁連による指導等を通じて、基準を下回ることのないような形のものにするということです。

○ 私が確認したいのは、単位弁護士会がこれを採択しない限りは、実際にはワークしないという理解でいいのですか、ということです。

○ だから、それはつくらなければいけないものとして指導することになるのではないでしょうか。

○ いやいや、指導はいいのですが、実際に法的効果と言うのかどうか分からないのだけれども、それが生まれるためには、単位弁護士会がこれを何らかの形で採択しない限り動かないという理解でいいのですか。

○ 個別の単位会に採択してもらうことになります。

○ 現時点ではそれがないということですね。
 もう一点お伺いしたいのですが、日弁連の弁護士倫理を拝見しますと、例えば弁護士は偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽の証拠の提出をしてはならないとか、弁護士は怠慢により、又は不当な目的のため裁判手続を遅延させてはならないというのが弁護士倫理上あるのですが、これは、日弁連が定められた弁護士倫理と、推薦停止との関係ではどういう関係になるのでしょうか。

○ 弁護士倫理ということになれば、今度は、これに違反すれば綱紀・懲戒の問題になります。確かに弁護士倫理違反が常に直ちに懲戒事由とはならないのですけれども、弁護士としての品位を失う非行という場合の解釈基準として弁護士倫理は位置付けられています。そうすると、弁護士倫理に違反すれば、懲戒問題が出てくるのです。

○ そうすると、先ほどの準則との関係はどうなるのですか。

○ 準則はそういう意味では、国費による弁護人としての推薦を停止する、その限度での規範性を持たせるということで議論してきたという経過があります。

○ 例えば、今、私が読んだような事項が仮に生じた場合には、準則の15条の2号か何かで懲戒処分を受けない限り推薦停止にはならないという枠組みになるのですか。

○ この構成からいくとそうです。しかし、例えばこの刑事事件に対して懲戒処分を受ければ、推薦停止というのは自動的に連動するということになるかどうかは別にして、弁護人として推薦しないということはできるという規定になっていますから、この条項に従って推薦停止されるということになる。

○ そうすると、例えば偽証若しくは虚偽の陳述をし、又は虚偽の証拠を提出してはいけないという弁護士倫理があるのだけれども、それに違反したとしても、まだ懲戒手続が終るのをしばらく待って、それが懲戒まで行くと、準則の15条2号に該当して、なおかつその上で15条では、「次の各号に該当するときは一定期間、当該会員をして弁護士として推薦しないことができる」とされているので、弁護士会は推薦するか、しないかについて裁量があるという枠組みになっているのでしょうか。

○ だから、弁護士倫理違反がはっきりしていれば、それは当然懲戒になるでしょう。

○ ですから、違反があった場合には、まず懲戒をやって、2年かかるか、何年かかるか分かりませんが、それをやって、それが終わって、準則が定めている推薦停止事由の一つである15条2号の懲戒処分を受けたときに該当することになるのですが、そのときに更に単位弁護士会は、これを推薦するかしないか更に裁量で決められるという枠組みで準則を定められているということなのでしょう。

○ 確かに、そういう意味では、裁量の余地はあるかもしれません。

□ だから、○○さんが言っているのは順序なのでしょう。要するに弁護士倫理というのがあり、これに違反したら当然懲戒になるかどうかは言えないけれども、一つの解釈基準として位置付けられているということですね。
 したがって、例えば偽証を教唆したというような場合だと、品位を傷つけたということで懲戒になるかもしれない。懲戒になったとすれば、それを媒介にして、今度はこちらの推薦停止というところに来るだろうという順序なのかということを確認したいのだということですね。

○ そうなのです。

○ ○○さんが言うのは、しかも推薦しないことができるだから、推薦することもできるのだろうということを言いたいわけですね。

○ そういう仕組みを今のところ検討されているというように理解して、我々の次の議論を進めていいのかどうかということを伺いたいわけです。

□ 日弁連に質問すべきだと思いますが、懲戒というのは、処分としては結構重いですね。それと推薦をしないという一種の処分というか、サンクションと、事柄の軽重から言うと順序がそれでいいのかどうか、感じとして少し分からないところがあります。
 公的弁護とか、国選に推薦しないということは、別にほかの活動には影響しないわけでしょう。そこの部分のサンクションが一番後に来るというのは、順序として何か変な気もするのですが。

○ 懲戒処分の中でもっと重いものもありますから、例えば除名とか。

□ だから、話としては軽い方が先に来て、重いのが最後に来るという感じがするのですけれども。

○ 15条の2号が生きてくるのは、実際は軽い懲戒処分なのです。

□ 重いものは、その前にもう除名等にされてしまっているということですか。

○ この準則の場合には、14条で助言・監督ということで、前段階で弁護士会が助言・監督をして、準則に反するような行為については、それをたしなめていくというようなシステムも考えているのです。

○ でも、これは倫理違反については、助言・勧告権はないのでしょう。

○ 倫理違反については、そういう意味では懲戒の問題であると。

○ だから、そういう意味では、おっしゃっているように、14条でカバーできるということではないと。

○ この準則の14条というのは、それより前の規定を言っているのではないですか。15条も14条に入るのですか。

○ 勿論、1条から13条までです。

○ そうすると、懲戒の問題というのは、この14条に入ってこないのではないですか。

△ 今、○○委員がおっしゃいました弁護士倫理、偽証のそそのかしというのがあるのですが、確かにこれなんかは、この準則の中に偽証のそそのかしをしてはならないというのは当然入れるべきではないかと今私は思いますし、先ほども申しましたとおり、調査室で検討しておりますし、これから正副会長会でも、その点も含めて、もっといい準則にしたいと思います。

○ それは、当然そんなことは許されないことだし、むしろこの準則よりも上位の規範に違反するということで、それは綱紀・懲戒のレベルで処理されるべきことなのです。ですから、そういう意味では棲み分けているということにはなるのですが。

□ 先ほどの御質問は、要するに指導とか勧告もできないのかということなのでしょう。

○ 雰囲気は分かりました。日弁連の内部の話ですから、余りここで細かなことを言うのも余り意味がないのかなという感じがしてまいりまして、私もなかなか具体的なイメージがつかめなかったのですが、いずれにしてみても、冒頭に言いましたように、今回は、国民が司法参加してきて、国民がいろいろな実務法曹の事柄を実際にその目で見るという枠組みの中でやるわけですから、従来のような三者の間だけで話が通じるような議論というものを、これから続けていくというのは抜本的に改めなければいけないというのが第一ではないかと思うのです。
 水準であるとか、適正確保の問題というのは当たり前の話でありますし、意見書に出てくるように、まさに弁護士会が弁護活動の質の確保について重大な責務を負うことを自覚して主体的な整備をするというのは当たり前の話だと思うのです。
 ただし、これは主体的にその態勢を整備すべきであるということであって、排他独占的に公的弁護という制度について、日弁連なり、弁護士会というものがその態勢を整備すべきであるという具合に見てはならないと思うのです。それはなぜかと言えば、今回、まだそこの議論に至っていないのですが、運営主体というものをつくるわけですね。運営主体というものをつくる以上、やはり運営主体は運営主体の中の組織があって、運営主体の規律もあるだろうし、そこにおける水準なり、あるいは適正確保は、日弁連と同じように当然別の組織ですから、そこはそれで考えていかれるのだろうと思うのです。
 問題は、その両者の関係というのをどうしていくかなのですけれども、本来的にそれはやはり国民の側から見れば二重の基準になるのは適切ではなくて、両者が一致する方向に行くのが一番望ましいだろうと思うのです。
 ここから先はお願いベースの話でありますが、まず、日弁連の方が主体的にやられるということになっているわけですから、その内容をできるだけ一般国民の目から見ても、なるほどこういう人には公的弁護人として推薦を停止するのだなと、だれが見てもそういうものができるのだなと、非常に分かりやすくて、透明性を確保できるものをどんどん進行して作っていただきたいというお願いを我々はすべきだろうと思うのです。
 それとともに、日弁連のやっている話が即運営主体のエリアの中でダイレクトに全部及ぶかというと、それは組織論理上おかしいわけですから、日弁連の作業と同時並行して運営主体におけるルールづくりというものをやはりきちんと考えていくべきだと、そういう形で物事を整理していったらいかがかなという具合に感じるのですけれども。

○ 運営主体のルールという話が出てくると、初めてここで自主性・独立性の確保方策というのが意味を持ってくるわけです。そうなってくると、運営主体の権限と義務、責任の範囲はどこまでか、当然運営主体に常勤弁護士がいるのだったら、それに対する一種の指揮・監督のようなものはある程度、例えば出勤時間をどうするかというような意味での指揮・監督というのは当然あるでしょうけれども、それと個別弁護をどうするかに対する指揮・監督というものも認めるのか認めないのか、あるいは、指導・助言というものを認めるのか認めないのかというのが極めて重大な問題として出てくるということになると思うのです。そういう意味では、ここは運営主体の組み方をどうするかということを抜きにしては具体的には論じられないものですね。

○ そこはまだ議論が先なので、なかなか運営主体がどうなるか分からない。少なくとも現在の議論とすれば、ここの意見書に書いてあるように、公正・中立な機関なのです。公正・中立な機関が、例えば常勤弁護士を雇う、あるいは契約弁護士と契約してやっていくわけで、そこにおけるルールというものも当然あるのだろうと思うのです。そこのルールも、日弁連という別の組織が決めるんだという話にはならないのだろうと思うのです。
 ただし、そこの両方の話は、プロの弁護士が両方とも所属する話ですから、両方のルールというのは、国民の目線から見れば、基本的に一致するのが望ましい。そのためには、日弁連の方でもっと御努力いただいて、中立・公正な運営主体が日弁連のルールをそのまま横に持ってきて、内部の規律ができるようなものになるのが一番理想形ではないかと思います。

○ そこは、そうでもない。要するに、ここの準則は、かなり弁護活動に踏み込んでいるわけです。ある側面からの弁護活動だから、例えば検察、捜査側から当然不満があるのだろうけれども、弁護活動の内容に踏み込んでいるわけです。それと運営主体の権限とか、人事管理、組織管理をどうするかという問題が当然出てくるわけだけれども、そういう人事管理、組織管理の責任と権限を持っている運営主体がつくるべきルールが必ずしもこれと同じでなければいけないということにはならない。同じだという考え方も当然あるのだけれども、別ものだと、弁護活動の中身は弁護士会がつくる、しかし、組織管理、人事管理のルールは、その運営主体がつくるという決め方も当然できるわけです。
 そこはまさに、ここの自主性、独立性の確保方策という観点から議論をしなくてはいけない。

□ 整理させていただきますと、運営主体がどういうものになるかは別として、そこに雇われている常勤の人とか、契約している人も弁護士である以上は、弁護士会には属さないといけない。ですから、その意味では弁護士会のコントロールが及ぶわけです。それを前提にしながら、公的資金を投入する場合の運営主体として、果たしてどこまでコントロールを及ぼすべきか、及ぼすべきでないか、そういう話だろうと思うのです。そういうように整理していただいた方が分かりやすいと思います。
 その意味で、弁護士会が重い責任を持っているというのは、常勤とか、契約の人も視野に入れながら、弁護士一般としての質の維持に重い責任を持っているのだから、それに見合った態勢をきちんと整備してくださいというのが、審議会の意見なのです。
 それにプラスして、公費によって一定の制度を運営していく主体として、国民に対してどういう責任のある態勢を取れるのか。これは、それに付加した問題、あるいは少し別の問題だろう。私なりに整理すると、そういうことではないかと思うのですけれども。

○ 弁護の適正の問題については、意見書は弁護士会でその問題は自主的にコントロールしていきなさいということを言っていると理解しているのですが。そこはそうではないのですか。

□ 弁護士会の自主的なコントロールだけで十分だとまでは必ずしも言っていないのです。そこのところは、両方の意見があり、意見が一致するまでには行かなかったわけです。
 運営主体がどういうものであるか、運営主体の権限や責任がどこまで及ぶのか。そういうこととは別に、弁護士会としても、全弁護士が属している組織である以上、刑事に限らないわけですけれども、弁護士の活動一般について、自治の枠組みの中で、当然責任を負っている。そういうものとして、責任ある態勢を整備してください。少なくとも弁護士会としては、そうすべきだと、そういう位置付けだと思うのです。
 運営主体の方については、そういう点で何もしなくていいとまで意見が一致したわけではなく、反対にコントロールを及ぼすべきだというように意見が一致したわけでもありません。議事録を読んでいただければ、分かると思いますが。

○ そうでしょうか。議事の経過から見ても、今の座長のようなまとめではないように私は理解していますが。

□ それは、そうではないと思いますね。

○ 弁護の適正の確保という問題については、弁護活動の自主性・独立性に密接にかかわってくるから、この問題については、弁護士会の自主的なコントロールに任せるべきだと。私選弁護も公的弁護も含めてです。

□ そのような意見も確かにありましたが、それに加えて、やはり運営主体として責任を取るべきではないかという意見もあったわけです。

○ 最終的には、こういうまとめになっているわけですから。

□ 議事録をきちんと読んでください。弁護士会は重い責任を持っているので、きちんとした態勢を整備してくださいという注文ないしお願いを審議会としてしたというまとめであり、それを超えて、いずれかの方向での意思決定を示すものではなかったはずで、議事録を読んでいただければ、御理解いただけると思いますけれど。

○ そこら辺の経緯は分からないのですが、およそ組織が二つあるわけです。日弁連は日弁連で、今度はそれ以外に日弁連からも中立・公正、裁判所からも、裁判所は中立・公正なのかもしれないけれども、検察官からも中立・公正、そういった組織をつくりますと言っていて、選任・解任以外のことは運営主体にやらせましょうという枠組みを一応つくっているわけでしょう。そういう組織をつくっていて、その組織の中の内部規律、例えば、一番分かりやすい例で言うと、仮に単位弁護士会が採択した中で、怠慢あるいは不当目的のための裁判遅延をした場合は、助言又は勧告の対象にするのかしないのか分からないし、あるいは懲戒になるのかならないのか、あるいは懲戒を待ってからでなければ推薦を停止しないとしたときに、国費を投入した組織の中において、少なくともその組織が契約している、あるいは常勤で雇っている弁護士がそういう怠慢若しくは不当目的のために裁判遅延をしたら、その弁護士に対しては別個のペナルティーを内部で科すとして、それができないというところが分からないし、そういうことの事実認定を、当然公正・中立の運営主体をつくると言っているのだから、何でそこがそれをしないで組織維持ができるのか私は全然理解できない。
 先ほどの議論でも、専ら裁判所の議論なので黙って聞いていたのですけれども、例えば公的弁護人を解任する際に、弁護士会が何か手続上関与しなければいけないというのは、理論上の問題もそうなのだけれども、そもそも枠組みの問題として、裁判の独立に対して、日弁連なり弁護士会が、解任に対して関与していくという発想自体が私は理解できません。それと同様に、今のこの枠組みでも、私は当然こういう組織を設ける以上、当然そこはそれなりの内部規律をやっていかないと、組織維持ができませんし、責任を持てないのではないですかね。

□ そういう意見もあり、他方、それは自主性・独立性にかかわるという意見もあったわけです。恐らく、運営主体についてのイメージというか、前提として想定しているところにずれがあったのだろうと思うのですけれども。

○ 公正・中立だということを外せば別ですよ。

□ その経緯を今申し上げているのですけれども、そういう意見もありましたが、結果として意見がまとまったのは、そこに書いてあることだけなのです。私も、運営主体なるものが必ずそこまでやるべきだというようになったとは申し上げていません。そういうコントロールの権限は持つべきではないという意見も出て、そこは残された問題なのです。私個人としては、それなりに考えがありますけれども、審議会の意見としてまとまったのは、少なくとも弁護士会としてはきちんとした態勢を整備してくださいということなのです。
 そして、先ほどの○○委員の御質問に対して弁護士会の方からお答えがあったり、議論があったということが、その責任を果たそうとされていることにほかならない。まだ一歩か二歩か、あるいは一歩の準備かもしれませんが、そういう状況なのです。
 そういうことを前提にしながら、他方また、○○委員がおっしゃったように、運営主体が中立・公正なものとは言いつつ、何か影におびえているようなところがある。それは、実体が見えないものを前提に議論をしているところがあるからで、その意味では、運営主体の在り方、具体的な姿というものを踏まえて、更に議論をしなければならないと思いますが、いずれにしろ、この点はやはり議論をきちんとしておかないと、説明ができない、国民の理解が得られないのではないかと思うのです。
 審議会でも申し上げたのですが、少くとも、不十分な弁護、つまり、やるべきことをきちんとやっていないというときには、組織原理からしても、運営主体はチェックせざるを得ないだろう。一番微妙なのは、いわゆる不適正弁護と言われるもので、ここに運営主体がどうかかわるのか。その点については両様の意見があったわけですが、しかし、やはりきちんと議論をして、制度をつくるときにはっきりさせておかないと駄目だと思うわけです。

○ 1点だけ、中立・公正ということを言われましたが、これは被疑者・被告人に弁護を提供する制度を公的につくろうというわけなのです。したがって、これは弁護士会からも検察庁からも、裁判所からも等距離の中間にあるということではなくて、ずっと弁護士会側に近いということであっても、何ら問題がないはずなのです。
 公正・中立ということになりますと、これは行政からの公正・中立というのはあるかもしれません。しかし、弁護士会側にずっと近付いていても、公正・中立という言葉は、そういう意味では弁護を提供するという観点から考えたら、必ずしも弁護士会には当てはまらないような気がしています。

○ 話を余り抽象的にすると分かりにくくなるので、私はそんなに難しいことを言っているわけではないわけです。要するに、ある常勤弁護士が虚偽証拠の提出をしたとします。あるいは、不当目的の裁判手続の遅延をしたとします。その場合に、今の単位弁護士会が採択する可能性のある枠組みで言えば、とりあえずまず懲戒手続がいつになるか分からないけれども終わって、終わった後で推薦停止になって、しかも単位弁護士会の裁量があってやるという枠組みで、水準なり適正確保をやりますという枠組みを仮に弁護士会という枠組みの中でやっているとしたときに、公正・中立な運営主体側から見ると、やはりそういうことをやったら懲戒も待たずに、まずもってこんなことは止めてくれと言うというのでもいいですし、これは内部的に、一種の別個の手続でやるのかもしれないけれども、何らかの不利益処分を科するということを決めたことが、弁護士活動の自主性・独立性の関係に影響してくるのかが、私は分からないのです。

□ 例えば、常勤弁護士を解雇する、あるいは契約関係を破棄する。そういうことですね。

○ ええ、契約関係もあるでしょうね。

○ それ以外にも、例えば場合によっては法律に推薦の欠格事由というような形で書いて、それに当たれば裁判所は解任するというやり方だって、激しいですけれどもあるのでしょう。

□ それはもう一つの在り方だと思いますが、今、○○委員が言われたのは、運営主体という組織の中のサンクションのことです。 これに対して、○○委員が言われたのは、弁護士会のサンクションであり、○○委員が言われたのは、それをさらに裁判所による解任の事由の一つとして組み込み、連動させていく。解任ないし欠格事由という形でですね。そういう形で訴訟法の方にはね返らせるというアイデアですね。

○ そうです。ついでに、私は多分先ほどの○○さんと同じことを聞きたいのだと思いますけれども、先ほども少し話に出て、最後まで聞いていてよく分からなかったのは、弁護士倫理と準則の関係なのです。ざっくばらんにお聞きしますが、何で弁護士倫理に書いてある事柄を準則に盛り込まないのですか。
 先ほどの説明だと懲戒の理由になるからということでしたが。

□ それは、ほかで既に規定してあるからこちらには書かないというのが○○委員の説明でした。もっとも、日弁連の○○さんの御発言では、そこも含めてまだ流動的だということでしたね。

○ あと、弁護士倫理の位置付けも私はよく分からないのですが、これは全弁護士が当然これに違反すると、品位を害するということになるということですか。

□ 弁護士倫理の位置付けはそういうことですか。懲戒事由の一つについての解釈基準を示したものということでしょうか。

○ ということですかね。

○ 今、○○さんの出した例で、結論から言えば、それは何でおかしいのという話になるのです。例えば、虚偽の証拠を出したじゃないか、不当な目的で遅延を図っているのではないか、だから、そいつを首にして何が悪いのだ、何でそれが独立性を侵害したことになるのかという○○さんの意見は、その限りにおいては正しいのだけれども、なぜそれが問題なのかというと、果たして本当にそうなのかというところをだれが判断するのかという、そこがかっちり決まらない限り、そう簡単に事は進まない。これは明らかにそうでしたとなれば、極端なことを言えば、そんな者は首にしようが、当然だろうという話になるわけです。
 問題は、当然そこに一目瞭然にそうだと言える場合ばかりではないから、そうではない、これは正当な弁護活動だという意見が必ず出てくるわけだから、そこをどうやって判断するかということが一番の問題なのです。それを弁護士会が判断するのか、公正・中立だという運営主体が判断するのかというところは非常に大きな問題だと思います。
 もう一つは、○○さんは盛んに公正・中立と言うけれども、そもそも弁護は公正・中立ではないわけです。弁護は被告人のためにあるわけであって、弁護人は被告人のために弁護活動をしっかりやることが本来公正なわけです。そういう意味では、その弁護活動を統括している運営主体が課せられている公正・中立と、今、○○さんが最初に言った、どこからも離れているという、弁護士会からも離れる、裁判所からも離れている、検察からも離れているという意味での公正・中立とはやや違うというように私は思います。意見書で言う、公正・中立というのは何を意味しているのか、これはなかなか難しい問題だと思うのです。そう簡単にはいかない。

○ 今のところ、意見書の枠組みで我々は議論をしなければいけないわけだから、運営主体についての議論は後でやられるのだろうと思うのです。しかし、少なくともその前までに我々は運営主体というのは公正・中立な機関であるとされているのだから、公正・中立な機関というものを設けられることを前提にして、水準なり弁護の適正確保の問題、その手段・方法なりを考えていかなければいけないのではないでしょうか。
 先ほど言ったようにダブルスタンダードは国民の目から見たらまずいわけですから、一番の理想は、弁護士会が立てられたものを運営主体がそのまま内部的にそれを引き写して使えるという状況が一番理想だと思いますけれども、仮にそうではない場合があったとして、それが直ちに自主性・独立性に響いてくるのだと言われるのが、もう一つ分からないわけです。
 先ほどからの議論で、私はどうして分からないかと言うと、多分発想がまだもう少し一昔前の、私はギルド社会と言っているのだけれども、ギルド社会の発想なのだろうと思うのです。要するに、今回の司法制度改革の問題は何かと言うと、私の感じるところでは、一般国民と、我々法曹三者あるいはその周辺の法律家も含めた意識、感覚の間にものすごく差があるのだというところが非常に大きいのだろうと思うのです。要するに、私たち専門家のことは専門家に任せろ、ほかのことは言わせないというのではなくて、もっと謙虚に、我々は一般国民の目を、開かれた形で受け入れるというスタンスでいかないといけないと思うのです。そのときに、こういう枠組みをつくっておいて、なおかつその話はここはこうなっていて、議論はこうなったのだから、これは排他独占的にすべて弁護士会が決めるのだというような姿勢は、私は大丈夫かなと思ってしまうのです。話を聞いていると、私の方のバランス感覚が狂っているのではないかと思いましたけれども、余り言っていると国民から相手にされないのではないですかね。そんなにおれたちのことは、おれたちに任せろというぐらいの自信があったら、司法制度改革なんていらないのではないですか。

○ 日弁連も排他独占だというように言っているわけではないというのが1点。
 それからこれは本質的な問題なのだけれども、確かに国民の理解が得られることが非常に大事だと思うのです。司法が余りに独善になっているから、そこに国民の意見を反映させるという考え方も勿論大事だと思うのです。これを私は否定しないです。
 ただ、私は最終答申を見ていて違和感を持っているのは、本来司法の独立というのは、少数者保護のためだろうと思うのです。ところが、余りにも国民の意見が反映されていくと、多数者支配になってしまう。少数者保護、もっと言えば嫌われ者の保護はどうなるのということも当然出てくるわけです。
 確かにオウムの事件で、何であんなやつを弁護するのだと、弁護活動やっていると何であんなに悪いやつを弁護するのだということが必ず出てくるわけです。一般国民の素朴な意見はそうです。だから、一般国民の素朴な意見がそうだからと言って、どこまでその意見を取り入れるべきなのか、やはり駄目なものは幾ら国民が言っても、それは違う、駄目なものは駄目と言わなければいけない一線があるわけです。その辺はやはり国民の理解と共感を得るために何をすればいいか、どういうことを語ればいいかということと同時に、嫌われ者とか、少数者を保護するために司法として守らなければならない一線は何かということもきちんと見据えてものを言わないといけないと思います。

○ まさにそうなのですね。国家権力から刑罰権行使の対象とされている被疑者・被告人を弁護するというのは、国民全体の利益と相反することをせざるを得ない側面があるわけですよ。そういう意味で、今おっしゃったように、国民の目、国民の負担とか、そういうことを余り強調し過ぎると、この公的弁護制度の中身が矮小化される危険が非常に強いと思います。私は、そういう意味で言うと、ギルド社会の発想だという批判の仕方は当たってはいないというように理解します。
 もう一つ、これもギルド社会の議論だという観点から批判されるかもしれないけれども、弁護人の推薦の問題があろうかと思います。現在、被告人段階の国選弁護の8から9割ぐらいは弁護士会が推薦している状況です。これを先ほどから出ておる常勤弁護士、私どもは刑事弁護を専門的にやる弁護士というような範疇と考えているのですけれども、そういう弁護士を仮につくるとする、あるいは契約弁護士としてつくるとしても、それは恐らく弁護士会の個々の弁護士が順に選任されていくような形の順転と言いますか、そういうやり方で、常勤弁護士や契約弁護士についても弁護士会が推薦するという体制は必要になるのだろうと思っています。つまり、事件を恣意的に配てんされるようなことになると、先ほどから問題になっている弁護活動の自主性・独立性に大いにかかわる問題が出てくるのだろうと思われますので、その辺1点だけ付け加えさせてください。

□ その点はまた、運営体制というか、そちらの方の問題と、具体的にどういうように選任していくのかというところの仕組みの問題ですので、この段階では一つの御意見として伺っておくことにしたいと思います。

○ 弁護活動の自主性・独立性を確保する方策の一つとしては、それは不可欠だということで申し上げました。

□ そろそろ引き取らせていただいてよろしいでしょうか。議論がいよいよ面白くなってきたところなのですけれども、後の予定もありますので、一応、今の問題は、この程度にさせていただきたいと思います。
 先ほど少し申し上げたとおり、一方で、これは特に弁護士会の方にお願いしたいのですが、やはり意見書が言っているように、重い責任というのを負っておられるので、それを十分考えていただいて、なるべく速やかにその責任を果たす態勢というものを見える形で提示してきていただきたいと思います。それとともに、次回に御議論いただきます運営主体の在り方、姿ですね。最後の問題は、その両方を踏まえながら更に議論していかなければならない事柄だろうと思います。
 その意味では、今日はまだ何となく本丸が見えない状態で議論をしなければならなかったために、少し上滑りに走り過ぎたところもあるかもしれませんけれども、今の2点を踏まえて、今後更に御議論をいただければと思います。
 何度も繰り返しますが、弁護士会の方でも、よろしくお願いしたいと思います。
 あと弁護報酬の算定方法という論点が残っておりますので、これについても事務局の方から小論点につき説明をしていただきたいと思います。

● 最後の論点につきまして、小論点の案を御説明いたします。
 公的弁護制度下では、公的弁護制度を担う弁護士として、常勤弁護士、契約弁護士のほか、運営主体と契約関係を結んでいない一般の弁護士があるわけですが、常勤弁護士及び契約弁護士の弁護活動の報酬は、運営主体との契約内容によって決められることになると考えられます。したがいまして、ここでは主に一般の弁護士の弁護報酬の算定方法について御検討していただきたいと存じます。
 まず、現行制度では、公判段階における国選弁護人の報酬は、受訴裁判所が算定することとされております。
 新しい制度について考えますと、捜査段階では、公判段階に比し、弁護活動の内容を把握して、それに見合う報酬額を算定することが困難であるという問題があります。さりとて、適正な報酬算定の仕組みが定められませんと、公的資金の投入についての国民に対する説明責任との関係で問題になります。
 また、被疑者に対する公的弁護制度が導入されることなどに伴い、公判段階の弁護報酬の算定方法についても、これをどのようにすべきか、という問題もございます。
 このような問題点があることを前提にして、弁護活動の自主性・独立性にも配慮しつつ、国民に対する説明責任の要請を満たした捜査段階、公判段階の報酬算定の仕組みについて御検討をいただきたいと思います。
 以上でございます。

□ それでは、御質問でも結構ですし、御意見でも結構ですが、どなたからでも御発言いただければと思います。

○ 今、公判段階、被告人段階の国選弁護の報酬額については裁判官が決めているわけですけれども、決め方を自分が担当していて感じるのは、なかなか具体的な弁護活動の評価というのは難しいということなのです。
 前回、前々回に標準額というのが紹介されて、3回の公判を開くと八万六千幾らでしたか、そういうような金額だと思いますが、多くの事件は、標準額によっているわけです。それはどうしてかと言うと、基本的には公判回数というのがベースにあって、何回も公判を開けば、それは大きな事件だったので大変だっただろう、回数が少なければ、それは楽だったのだろうというのが基本にあって、回数が前提となるわけです。多分その事件の中身から見て、これは大変な事件だと、社会的に注目されて、十分に準備もしていたということ等を加味して考えるのですけれども、それ以外の弁護活動というのが余り裁判所から見ると見えないわけです。公判は当然開くわけですから、その都度弁護活動としてどのようなことをされたかということを見ると、そのための準備としてどの程度のことをやっておられたかというのは、かなり推測はできるのですが、それでも正確なことは分からない。ですから、そこら辺の資料が余りないので、公判回数を標準にしたそういうものによっている例が非常に多いわけです。
 しかし、それは本当は余り望ましくないのではないか。本当に公的資金を出して弁護人に活動していただければ、その活動状況に応じて支払うことが必要なのではないかと思います。今でもめり張りの付いた報酬決定をするようにはしているのですけれども、本当に一生懸命やられた人と、全く手抜きというのは明らかに分かるのですが、中間的なところというのは非常に見えない。場合によっては、弁護人にどういう活動をしたか報告してほしい、その報告によって金額を決めるからということで書面を出していただくこともある。何回会いに行って、どの程度のものを書いたかということを出していただくこともあるのですが、多くの方が出されないのは、多分、裁判所にこういう活動内容まで評価されたくないということもあるのだと思うのです。
 そういう意味から、かなり現在の状況は、標準みたいなものをベースにして、余りそれに上乗せも、下げることもできないというようなものになっていて、それがいいのかということが今回の被疑者段階の公的弁護をやるときに考えることではないかなという気がいたします。

○ 捜査段階の捜査弁護の報酬というのは難しいですね。公判段階は、検察官も活動を見ているし、裁判官も見ている。捜査のときというのは、裁判官は勿論見ないし、場合よったら捜査官もほとんど分からないところでの弁護活動が主だという場合もあるわけで、非常に難しいと思うのです。だから、ごく定型的に考えれば、タイムチャージというのが一番素直かなという感じがするのです。
 ところが、例えば渉外事務所がやっているようなタイムチャージ制というのは、成果物が出るわけです。成果物の量から見れば、これで何時間ぐらい使ったと、そんなものかなというのが分かるのだけれども、刑事弁護のときの成果物は一体何かというと、これは分からないわけです。陳述書が後でいっぱい出てくるとか、そうすれば分かるのだけれども、陳述書を取ることは取ったけれども、法廷で使わないということだってあるわけだし、そうなってきますと、定型的に言えばタイムチャージかなと思うけれども、やはり成果物からそれを検証することが不可能だから難しい。一方的に弁護士の申告書を信用してくれと言っても、なかなか今の御時世からいっても難しい。うそを書いたら3倍取るとかというのもあるかと思うのですが。
 そうなってくると、余りいいことではないのだけれども、ある程度上限と下限を決めておいて、その中で決めていくことになるかなというように思います。
 あとは、目に見えるものは接見回数ですから、それなどを基本にして決めていくということにならざるを得ないのかなと思っておりますけれども。

□ ○○委員、いかがですか。

○ 少なくとも弁護活動が報酬に反映されるということが必要になるのだろう。特に捜査段階ですと、時には接見が1回か2回で済むケースもないわけではない。毎日接見に行くケースもありますので、そういう弁護人の活動が報酬に反映されるシステムをつくる必要があるだろうと。ただ、その場合に、今、○○さんがおっしゃったように、全部タイムチャージでいくかというと、これもなかなか決めにくいところもありますし、あるいはタイムチャージを仮に裁判所が判断するとなると、弁護活動の詳しい中身を裁判所に報告するということにもなって、それにはなかなか応じがたいという人も出てくる可能性もあります。ただ、先ほどの準則では、弁護活動について事件終了後速やかに事件処理の報告を出すという規定が入っていますので、それをきちんとしないときには、推薦停止の理由にもなるという、そういう仕組みにはしているのですけれども。
 したがって、結論的に言うと、一定の定額部分を置いて、それを例えば5段階ぐらいに分けて、それを何か点数制みたいなものでAからEという形で決めていくという方法もあるのではないかと考えます。
 現に、これはまた大阪の例で恐縮なのですけれども、大阪は刑事被疑者弁護援助制度の報酬を12万、10万、8万という3段階に分けています。これは、接見回数や示談、示談についても、実際に示談に出掛けて行ったか、あるいは電話だけで済ませたか、さらには準抗告の申立てをしたとか、そういう活動について弁護人から具体的な中身を報告させて点数評価するわけです。何点以上になると12万、何点の場合は10万、何点以下だと8万という形で評価しています。これは私なんかは合理的なやり方かなと思います。何かそういうような方策を考えて、少なくとも弁護活動に応じた報酬というのが支払われることが必要になると思います。それもタイムチャージでなくて、今のような固定部分と、それから活動によって異なる部分というのを分けてみるというのも一つの考え方かなと思っております。

□ その限りにおいては裁判所がのぞいても大丈夫だが、それ以上は応じがたいということですか。

○ 場合によっては、どこかそれを評価する機関があって、今は法律扶助協会でやることですので、その点は余り問題になっていないのですけれども、それが直接裁判所になると余り望まない人が出てくるかもしれませんが、その辺は一つ工夫をする必要があります。

□ 理由が必ずしもよく分からないところがあるのですが。

○ 結構、実務的なところで難しいところだろうというように思うのです。ですから、余りそのことを気にしても始まらないわけですが、しかし、この間一貫して言われているのは、トータルな予算規模をどうするのかということにどうしても影響してくる問題ですので、やはりタイムチャージということで査定が非常に難しい方法を採るというのもなかなか難しいのだろうというように思います。
 そういう意味で、やはりある一定額、ただそれを固定的にというのは、やはり弁護士の方たちの意欲にもかかわる問題になってくると思いますから、そこはやはり配慮する必要があるわけで、そういう意味では一定の幅をもって、その中である程度算定して、御努力を評価するという方法が必要なのだろうと思います。
 ですから、そういう意味では、お二人のおっしゃったこと辺りで合理的なところを決めていくというようなことが多分妥当な方法なのだろうなという感じがするのですけれども。何とかその場合であっても、これまでの水準よりは絶対的なところの水準、つまり下限を上げていくというようなところは是非考える必要があるなと思いますし、被疑者弁護、あるいは国選も併せてというようなことになってくると、やはり弁護士の方たちに負担していただかなければいけないところは相当増えてくることは間違いないわけですから、その点に対する配慮は必要だと思います。

□ ほかの方はいかがですか。

○ あえて○○委員がおっしゃったことに、えげつない言い方を許していただきますと、行為の外形からある程度差を付けるというのは分かるのですけれども、そうしますと、点数かせぎのためにあえて毎日必要以上に接見したり、準抗告したり、それも少し問題だなという気がするわけです。
 もともと先ほどの適正のところとも関係しますけれども、一方で捜査妨害だと、片や一方で防御権の正当な行使、これは大体被疑者・被告人と弁護人は一体という捉え方だと思うのですけれども、最近のカスタマーズ・サティスファクション、クライアンツ・サティスファクションみたいな考え方から言うと、果たして被疑者・被告人と弁護人が一致しているのかどうなのか。被疑者・被告人の本当に利益になっているのかどうなのかというのは、なかなか言えないと思うのです。先ほどの適正のところにも返ってくるのですけれども、そういう観点から報酬なり評価なりというのも考えていただければなと思うのですけれども。言うは易し、具体的な中身は難しいのですけれども。

○ それだけ接見の回数によって、大きく差が出る、あるいはそれだけ1件の接見で弁護報酬が保障されるシステムなら、非常に結構かと思いますけれども。

○ 活発な弁護は大変結構なことで。

○ それともう一点、被告人段階の報酬の算定の中で、先ほど開廷数の問題をおっしゃいましたが、裁判員制度が実施されますと、準備段階がありますね。その準備段階に対する報酬、充実した準備というのは表には見えないのですけれども、それを反映させるような報酬のシステムを考える必要があると思います。
 例えば、本庄の保険金殺人事件で、集中審理でやっておられるケースなんかも、公判開廷までの準備の段階では報酬が出たのか、出なかったのか明確ではないのですが、何か月か、6か月なら6か月間準備しているのに、その間報酬が出ないというのは困るという話を耳にしたことはあります。準備段階を充実させるという意味では、準備に対応した報酬というのが是非必要になるのではないかと思います。
 そして、その前提として、やはり今の国選弁護の報酬の基準がオープンになっていなくて、裁判所の方が、先ほど言われたように、ある程度加算しましょうということで裁量で加算されておられるようなのですけれども、今回こういう形で被疑者段階の公的弁護ができる以上は、その報酬の基準については、報酬なり費用なり、費用というのは、今は出ないのですが、その辺の基準を明確化される必要があります。
 さらに、その基準の策定に関して、弁護士会の意見が反映されるシステムにはなっていませんので、その辺は弁護に携わる弁護士会の意見が何らかの形で反映されるような、そのようなものも考えていただく必要があるかなという気がします。

○ その辺りはよく分かるのですが、そういうことも考えると、今の被告人段階も被疑者段階も、やはり運営主体みたいなところが、準備活動なり、そういうことについてどういうことをやったのかというのをもっと正確に資料を出させて評価するという方がいいのではないか。
 やはり、裁判所だと限度があるし、資料など出したくないという人もいるわけで、それでは結局そんなに実質に応じた報酬額を決めるというのは難しいのではないかという気がしますね。

○ 少しイメージがつかめないので、最高裁の方が来ておられるから、お分かりだったら教えてもらいたいのですが。今、私が承知している、余り個別事件のことは適当でないのですけれども、ほかに例がないのでお尋ねしたいのです。集中的審理をしておる国選弁護の事件というのは、今、○○委員がおっしゃった埼玉の事件しかないのですが、具体的に国選に対してどの程度の費用が支出されているのか、もしお分かりだったら教えてもらいたいのですが。先ほどからタイムチャージの話とか出ておりまして、イメージが少しつかめないのです。

□ 今、動いている事件ですので、お答えになれる範囲で結構です。

▲ 今日は、数字も含めて準備をしておりませんので、申し訳ございません。

○ 最終的な報酬額は、当然終結した段階でまた考えると思いますので。ですから、それはどういう形で出しているのか、ちょっと分からないですね。

○ 関係者の負担が非常に大きいという具合に伺っているので。今後、制度設計をするときに余り抽象論ばかりやってもしようがないので、具体的に今のところ私が知っているのは、その1件ぐらいしかないものですから。

□ 個別具体的な事件ですし、進行中の事件でもありますので、その点は、そういう数字を出すのが適切かどうかということを含めて検討させていただきたいと思います。少なくとも今日の段階では、御用意がないようですし、適切かどうかという点を含めて検討させていただければと思います。
 そろそろ時間になりましたので、このぐらいで今日のところは終了させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。
 次回の第5回は、少し先になりますが、10月29日午前10時30分からとなっています。そこでは、懸案になっております公的弁護制度の運営主体というテーマについて御議論いただきたいと思います。
 では、今日はこれで終了します。ありがとうございました。

(以上)