事務局から、資料6-1「第6回公的弁護制度検討会における論点(案)」のうち「1 公的付添人制度の意義、必要性、留意点」に関する説明とともに、資料6-2及び6-3に基づき、犯罪少年の身柄事件に関する手続の説明が行われ、続いて、公的付添人制度の意義、必要性、留意点について議論され、主として、以下のような意見が述べられた。
○ 少年事件の特殊性について、捜査の立場から見ると、少年事件も千差万別ではあるが、概して成人よりもグループによりなされる場合が多く、また、ひったくりやオヤジ狩りなどに典型的に見られるように、どこかでストップがかからない限り、反復継続されていくことが多い。グループのメンバーが少しずつ入れ替わりながら反復継続されるため、当該事件でだれがメンバーであったかの事実認定が難しい場合が多く、また、身柄拘束の制限により限られた時間の中で複雑な共犯関係を明らかにしなければならないため、必ずしも余罪の全容が解明できているとは限らない。さらに、7割強の事件は審判不開始又は不処分となるので、一部には徒労感を感じる者もあるというのが実情である。
○ 家裁送致前の捜査段階では少年を支援する者が必要だと思っているし、家裁係属中の段階でも、特に家庭に問題があり、保護者が保護者の責務を果たしていない場合や保護者がいない場合には付添人の必要性はあると言えると思うが、被害者の視点に立ったときには、少年には付添人が付いて弁護人的活動をするのに対し、被害者や検察官はその場にいられないとなると、そのアンバランスを不公正と見る人も多いかもしれない。特に家裁係属中の段階は、一般の成人の刑事裁判と違って、特殊であるがために、付添人が付くべきであるというときには、必要な場合の要件を明示しておくなどしないと、多角的な立場に立つときに不公正と受け取られはしないかという論点を指摘したい。
○ 犯罪の被害者の中でも、少年事件の被害者は特殊な立場にあって、傍聴する権利がないなど、成人事件の被害者であれば認められる権利が認められておらず、また、家裁で、ここは被害者のことを考える場所ではなく、少年をいかにして更生させるかを考えるところであると、けんもほろろに追い返されたという経験を持つ被害者もいる。少年事件の特殊性という場合には、加害者側で、うその自白をしやすいという特殊性だけではなく、被害者側から見た特殊性も十分に考慮された制度でなければならない。少年についても一定の条件で捜査段階でも弁護人が付くことになり、公的付添人制度を認めない場合には、家裁送致後、付添人が付かないことになるのに対し、成人についてはそのまま国選で弁護人が付くことがバランスを欠くという考え方はあるかもしれないが、成人事件の公判は科刑手続であるのに対し、少年審判の制度の趣旨は、いかにして少年を健全に育成するかというところにあるのだから、少年について、捜査段階で国選弁護人が終わってしまうということはあっても当然だと思う。ただし、捜査段階から否認している事件、特に犯人性を否認している事件について、少年審判であるから公的付添人は不要であるというのはいかがかと思うので、極めて限られた場合については、公的費用で付添人を付けるという場合があり得るだろうと思うが、その場合には、対審構造に近いことになるので、検察官の関与ができるという制度とすべきではないか。
○ 被害者のケアの問題は、少年審判手続や刑事手続とは別の観点でなされるべきであり、少年審判手続に公的付添人制度を導入するかどうかという問題と一緒にされると問題が混乱するのではないか。担当した少年事件の経験でも、子どもは接するたびに変わっていくもので、可塑性に富み、両親が子どものために一生懸命にやってくれているということで手紙を書くなどして立ち直っていく姿が見えた。家族との調整や少年との対話により理解を求めていく過程が重要であり、少年の目線で事件を見ていくという存在がぜひ必要だと感じている。少年たちが立ち直る姿を見て、熱心に少年事件を担当している弁護士も増えてきていると言ってよいと思う。少年事件について、事実認定だけでなく、処分に弁護士がかかわり、かつ、少年の目線で問題点を解きほぐす作業は、弁護士の仕事として重要だと思っている。被告人段階になれば成人については国選弁護人がいるのに、少年については、国選の付添人がいないというのはバランスを失しているし、保護処分といっても不利益処分であることに変わりはなく、それに対し、弁護士が付いて弁護活動をやることが必要であり、そのためには、広く公的付添人制度を認める必要があり、少なくとも家裁で観護措置決定を受けた少年については、すべからく公的付添人が認められる必要があると思う。
○ 少年事件における被害者の立場は非常に微妙であり、いろいろな意味で問題が出ていることは理解できるが、そこと公的付添人制度とは結び付かないだろうと考えている。また、少年が公的弁護の対象となる犯罪を行った場合には、弁護人を付けるのが筋であろうが、問題は、非行事実が認められるとして、刑事処分相当ということになり、検察官に送致され起訴された場合に、真ん中が抜けたような形になるが、それがいいのかどうかということであり、少なくとも少年が公的弁護の対象となる犯罪を行った場合には公的付添人を付けるというのが一つの考え方ではないか。
○ 少年審判手続における付添人の役割を考えてみる必要があり、弁護士である付添人は、やはり法律的な立場からのアドバイスを行うことが期待されており、争いのある事件と争いのない事件とでは、必要性が違ってくるであろう。争いのない事件では環境調整や社会調査が主となり、それは家裁調査官という制度が機能する場面であろう。争いのある事件に付添人を付けるということになれば、やはり検察官の関与が必要となるのではないか。先般の少年法改正における検察官関与の立法趣旨は、検察官及び弁護士付添人の双方が関与した場で事実認定を適正に行うというものであり、もし検察官がいないとすると、少年・付添人対家庭裁判所という対峙構造を生じさせてしまい、少年審判の構造を根本的に変えるような問題になり、検察官を関与させて対峙構造を緩和させる必要が出てくるであろうし、そのような構造の変更がいいのかという気がする。また、中抜けになるのではないかという議論があったが、家庭裁判所の審判中は、家裁調査官制度、資格制限のない付添人制度、国選付添人制度があり、むしろその前後に、そのような少年の保護のための制度がないわけであり、そこに公的弁護制度を設けるということでバランスが取れることになるのであって、中抜けになるというのは違うのではないか。
○ 家裁調査官も、要保護性については、法律家である裁判官には分からない自分たちの領域の問題であるという責任感と自覚で調査をしており、付添人がいない事件でも試験観察になることも少なからずある。調査官が忙しいというのは指摘のあったとおりだと思うが、だからといって、やるべきことをやっていないとは思っていない。要保護性の範囲の問題について、付添人が付く必要はないと言うつもりはないが、公的費用を投じて要保護性だけが問題になる事件にすべて付添人を付けなければならないとは思えない。
○ 現在の少年審判は職権主義的審問構造であり、先般の少年法改正の際、検察官関与及び弁護士国選付添人という対審構造的なものを事実認定に争いがある場合に持ち込んだことは確かであるが、あくまで全体の構造を変えたわけではなく、裁判官と審理の対象となっている少年が向き合っているという形は維持されており、付添人も検察官も対向しているわけではなく、建前の上では両方とも審判の協力者である。もともと裁判所と少年が向き合っており、また、私選で弁護士付添人が付いている事件も多数あるわけだから、弁護士付添人が付くのであれば必ず検察官がいないとバランスが取れないということはないのではないか。
○ 少年審判手続が少年の健全育成を理念として成り立っていることは間違いなく、それが有効に機能し、改善更生の実をあげられれば、社会全体にとってのメリットであるということで、この手続が維持されているわけである。少年審判手続が有効に機能するために家裁調査官だけでは難しい問題があるということは付添人を経験されている人たちから言われており、付添人がいるということが有効に機能している場面があることは間違いなく、それが社会に還元されているということであれば、私選に任せておけばよいというものではない。公的資金を提供することによって更に最終的に少年の更生の機会が増えることが分かっている以上、この問題は、被害者との関係でバランスを失するということだけで論じられる問題ではないと思う。