労働関係事件への総合的な対応強化に係る検討すべき論点項目(中間的な整理)(資料56)中の「1 労働関係紛争処理の在り方について」の部分を中心に、次のような議論がなされた。(□:座長、○:委員)
ア 労働関係紛争の動向等、労働関係紛争処理制度の全体像(1の(2)、(3))について
○ 諸外国では労働裁判所がほとんどの紛争を取り扱っているという指摘があったが、英国では必ずしもそうではない。相談を受け付ける行政機関やあっせん、調停等を実施するACASがあり、大きな機能を果たしている。
○ 我が国の行政機関においても、個別労働関係の民事紛争を労働局や労働委員会が取り扱うようになり、ADRは整備されてきている。労働紛争は、行政機関のADRを解体して全て裁判所が取り扱うべきということではなく、行政ADRの強化も必要であるし、扇の要としての裁判制度の強化も必要である。
○ 全ての労働紛争を裁判所が担当すべきかという問題提起の意味であり、労働紛争には多様な紛争があり、多様な紛争処理機関があることが望ましいことは十分理解している。その中で、裁判所の判定機能、ルールメイキング機能を十分発揮できるようにすることが必要である。
○ 裁判所の機能としては、ルールメイキング機能も重要だが、個々の紛争を迅速・適正に解決することも重要である。そのためには、仮処分と本案訴訟の二重構造の弊害、労使関係に関する専門的知見の導入について議論することが必要である。
○ 例えば、整理解雇の事案では、通常、弁護士のところに相談に来るまでにADRを経るなどして数か月かかる。その後、裁判で争う場合には、まずは仮処分を申請し、ある程度解決の方向性の目処を付けて、本案訴訟に臨むこととなる。ある事件では、仮処分は6~8か月程度で処理され、解雇は有効とされたが、その後第一審で3年程度の審理の後、本案判決では解雇は無効とされた。
この事例からうかがわれるところは、本案訴訟はせめて1年以内に処理してほしいということと、仮処分は書面審理が中心で結論が不安定になりがちであるから仮処分と本案訴訟の二重構造の改善が必要だということである。
○ 現在の民事訴訟の構造を前提とすれば、仮処分と本案訴訟で判断が異なり得るのは仕方ないことである。両手続で主張や提出される証拠が異なれば、判断が全く同じになるとは限らない。両手続を一本化することについてはメリット、デメリットをよく勘案すべきである。
判決まで長期間かかることについては反省が必要であるが、当事者や代理人の訴訟活動にも問題があるのではないか。代理人の都合で次回期日の設定に1か月以上間があくこともあり、代理人に短縮の努力が求められる。将来的に法曹人口が増加することも改善の要因となるが、裁判所のみならず、当事者側でも改善に向けて努力する必要がある。
○ 解雇事件で本案訴訟の手続をすぐに利用することができない点に問題がある。ドイツのように、解雇事件について優先的に審理を行い、審理期間のタイムターゲットを定めて計画審理を行うようにする等の特則を設けることにより、本案訴訟が適正、迅速に処理される使いやすい手続とする必要があるのではないか。
○ 紛争の事前の自主的な解決システムの整備が重要だが、具体的にどのようにして企業内に定着させていくべきか。
○ 個人的な考えとしては、会社内に苦情処理機関を設置して労使で適正に運営していくことが望ましいが、労働組合の組織率の低下や中小企業ではそれだけの余裕がないことを考えると、困難であろう。法制度として、社内での苦情処理手続を前置するシステムを入れる必要があるのではないか。その上で、社内手続を経なかった場合には、裁判での利益衡量に際して一定の考慮をするようにしてはどうか。
○ 大企業では苦情処理機関は設けられているが、ほとんど利用されていない。それは、そうした苦情処理機関に紛争が持ち込まれる前に、労使間のコミュニケーション、信頼関係をベースとして、先輩や同僚が考えて答えを出していくからである。そこで得られる解決策が極めて妥当なものだと考えている。
経営者や管理者が企業内での紛争解決に意識を持って取り組むことが重要であり、苦情処理機関を法制度化しても解決にはならない。
○ 中小企業では、労使関係の現場の常識を無視するような企業があることを考えると、苦情処理機関を法制化してもどうなるものでもないのではないか。
また、苦情処理制度は一応あっても、成果主義等の人事政策のために企業の土壌が荒廃し、労使間の信頼関係が薄れてきている。また、雇用形態の多様化や派遣労働者の増加に伴い、組合に加入する者が急激に減少しているとともに、正社員の中の非組合員の比率も増大している。そのために、社内の紛争処理手続に乗らない労働者が増えてきている。
最近は、内部告発者の権利が議論されるなど、紛争を外部に持ち出すことに対する意識も変わってきており、企業における紛争の取扱についての社会の受け止め方の共通項を、ある程度時間をかけてもレベルアップしていくことが重要ではないか。
○ アメリカでは、オープン・ドア・ポリシーの下、社内の紛争処理手続を制度化し、ルールを明確化している。そのような制度が活用されている理由としては、あめの部分(紛争を内部的に解決することで生産性の向上に寄与し得ること等)とむちの部分(訴訟になった場合には弁護士費用や懲罰的損害賠償により大きなコストがかかること等)があると考えられる。また、社内での紛争処理を実施することで企業の責任が免除されるといった実体法上の手当てがされている例もあり、このことも影響しているのではないか。
○ 人間関係調整型の紛争解決は従来のように長期雇用を前提とした時代には機能したが、有期雇用など雇用期間が短くなってくると人間関係だけではすまなくなる。明確なルールを確立することが必要と考えている。
○ 雇用社会に法のルールを定着させることが重要であり、そのためには紛争処理制度全体の制度設計をして、紛争解決のルールが労使関係の現場にフィードバックされるようにする好循環を作っていく必要がある。参審制を導入して労使が自ら裁判に関与することにより、法のルールを社会に還元していくことが必要である。
○ 紛争の自主的な解決には、雇用の流動化等に伴い十分機能しなくなる面があるのではないか。また、自主的な解決というのは本当に公正な解決なのか。むしろ紛争を外部に持ち出す方が健全だとも言えるのではないか。自主的な紛争解決の重要性をあまり強調しすぎるべきではないようにも考えられる。
○ これまでは経済成長の下、企業も労働組合に助けられてきた部分がある。しかし、職場の価値判断基準が揺らいできている。企業社会と一般社会とをつなげる道筋を付けておくことが重要である。
○ 従来の労使関係は氏素性の同じ人々の間の関係であったが、雇用形態が多様化し、企業内に氏素性の異なる人が同居するようになってきた。多様な価値観が現れて摩擦も起きている。企業内のルールを社会のルールに合致させていくことが必要である。
□ 労働紛争の自主解決が難しくなりつつあり、紛争が外部へ出ていく傾向が強まり、行政のADR等に流れている。そうした中で、裁判の充実、強化も必要ということであろう。
イ 労働関係紛争処理における特殊性・専門性(1の(4))について
○ 労使関係の経験に基づいて養われる勘のようなものとはどのようなものか。
□ 労働委員会の公益委員としては労使委員から団体交渉の状況等を聴くことが非常に有益であった。労働関係に独特の専門的なセンスがあるのではないか。
○ 説明するのは難しいが、ある主張の当否については、法律の素養があって、社会生活の経験者であれば、ある程度の判断はできるが、それだけでは紛争の解決にならない判断の幅があるのではないか。例えば、組合に対する便宜供与の在り方、組合専従者の職場復帰の在り方、事前協議制等には判断の幅があり得、そこに勘が働く余地があるのではないか。
○ 例えば、労働委員会で労働者側委員は労働側の立場で関与するのだが、和解において、一般企業の常識に照らして労働者側の要求が過大であれば、それを説得するといったことがある。同業種の企業の間でも、いろいろと実情が異なり、また、時代の変化によっても労使関係の在り方が異なっていく中で、当該企業の事情について大方の察しがつくというのが一種の勘ではないか。
○ ある労働委員会の公益委員の話では、労使委員の話を聞いて目から鱗が落ちる思いがしたことがあるという。労使委員の様々な体験に裏打ちされた意見を聴くことで事件に対する洞察力が高まるということであった。イギリスの雇用審判所において聴いたところでも、労使の審判官の経験を基にして、よい判断ができるとのことであった。
労働関係に関する感覚とは、異なる様々な事案を経験していく中で帰納的に得られる経験則であろう。これがあって初めて一定の事実の評価を行えるようになるのだろう。我々は裁判官に理解してもらうために、制度や経緯について詳細で膨大な資料を出して主張立証することが必要であるが、こうした点は法曹だけでは十分に判断できないのではないか。
○ 専門的な経験則を当事者から主張立証するのが民事訴訟での原則である。労使双方が正当性を基礎付ける事実を主張することが必要である。それを踏まえて裁判所が判断するのである。このように事実認定の部分は、当事者の主張立証によるべきである。その資料がたとえ膨大になろうとも、ルールメイキングが必要な重要な事件では、ある程度時間をかける必要があるのではないか。事実認定に専門家を関与させると、ブラックボックスができるおそれがあるのではないか。
解雇事件等の優先的な審理については一つの考え方ではあるが、単に法令に規定するだけではなく、当事者が期日を入れられるようにする具体的な工夫等、具体的な対応策を考える必要がある。
○ 確かに労働事件は広い意味では民事事件ではあるが、一般の民事事件とは異なる感覚で見てほしい。立証に必要な資料は使用者側に偏在しており、立証責任の分配の問題も考える必要がある。
○ 労働事件に係る専門性を否定はしないが、特殊であることをあまりに強調する必要はない。また、証拠の偏在の問題は別途に考えるべき要素であろう。
○ 裁判の期日の日程の点については、弁護士としても反省して努力する必要がある。また、本人訴訟の場合、主張立証を全て当事者が行うべきであると言い切っていいかには疑問がある。
見出すべき労使の均衡点の在り方は、経済等の情勢の変動に伴い、数か月単位で変化していく。日常、労働関係の現場で体験している者から意見を聴く必要があるのではないか。
○ 具体的な事実関係は当事者が主張しなければならないが、規範的要件を判断する基準は経験則である。その点で法曹が提出できる部分には限界があるから、その判断基準には雇用社会の知見を導入すべきである。
事実認定についてブラックボックスができることはあり得ない。また、当事者に経験則についての立証責任を負わせることは適当ではない。
雇用関係は家庭と同様に社会の基礎的な単位であり、諸外国においても特別な訴訟手続が設けられているのは必然的な流れである。諸外国の制度の中からよい部分を我が国に移植すればよい。
○ 訴訟では、当事者の主張立証を踏まえて判決がされるのが原則である。実務上、微に入り細に入り主張立証がされているところである。
本人訴訟と代理人がつく場合を区別する必要はないが、法的な素養に違いがあるので、本人訴訟の場合にはある程度時間かけて事情を聴いて、それを裁判所でまとめることとしており、多少時間がかかるかも知れないが、本人訴訟にも十分に対応している。
ところで、一定の事実認定を前提とした上で、多様な要素をどう考慮して、どう総合判断をしていくかは悩ましいことがあるが、仮に労使を裁判に関与させるとして労使の判断は一致するものか。一致するとすれば、それは簡単な事件についてではないか。
○ フランスやイギリスでもほとんど一致していると聴いており、我が国でも一致するのではないか。
○ 集団的紛争では労使の一致は難しいかも知れないが、個別的紛争ではイギリスでも大体一致しているとのことである。
○ 価値観の対立にかかわる事件や新しい秩序形成に関するものでは労使の対立はあるだろう。しかし、ドイツにおいても、上級審は別として第一審では大体判断は一致している。
○ 労働事件においても、「通常はこういう風に進むが、この事件ではこの点が通常の流れとは異なる」といった点に注意すべきであるというような経験則があるのか。
□ 事件の内容は企業ごとに異なるので、個別の企業を超えた専門性はあるのか、また、企業のことは当事者や代理人が主張立証する必要があるのではないかといった論点が指摘されてきたところである。
ドイツの労働裁判所では、業界ごとに部を構成している。我が国ではそこまでは困難だが、業界を通じた専門性というものがあるのか。
○ 業種、企業規模、地域性、オーナー企業であるか否か等で区分すれば、大体分かるのではないか。均衡点をどこに落とすかについては、実際の体験のあるエキスパートを活用する必要があるのではないか。
○ 先に挙げた事件例で、本案訴訟で解雇が無効とされたのは、裁判所が労働者の生の声を聴いた上で判断したことが影響したのではないか。事件の本質を裁判所に理解してもらうために微細に立証することも必要なことがあるが、時間がかかるので、専門性を導入することで迅速に解決することができるようになるのではないか。
○ 経験則や総合的判断について、具体的にどのような場面で専門家を活用したらよいと考えているのか。法的判断の過程に導入するのか、事実認定に専門的な知見を補充する目的か。
○ 労使関係の慣行等が変化するのはそれなりの理由があってのことである。例えば、経営トップが変わり、その考え方によって職場に摩擦が生じていることもある。企業は権力機構であり、そうした事情があるのかどうかを見る必要もある。
○ どの場面に専門家を導入すべきかはさらに整理が必要であるが、事実のとらえ方、認識の仕方の部分であろうと考えている。また、労働の現場における法の支配を強化し、裁判所の機能を迅速化、強化するために、判断の過程に参加することも必要だろう。事件をどのように解決したらよいのかの振り分けの段階に参加することも望まれる。
○ フランスでは、労使の裁判官の意見がほぼ一致しているようである。判断機能の強化のために、参審制の導入が考えられる。
○ 諸外国の労働裁判で労使の意見が一致することが多いのは、何世紀にもわたる伝統があり、共通の基盤ができあがっているからではないか。こうした基盤の形成が十分でないと考えられる我が国で導入しても、労使の意見がすぐに一致するかは疑問に思われる。
□ その点については、話し合い解決を重んじるという日本的な基盤はあるのではないか。
○ ドイツの場合と比較して、我が国の裁判所に求められている社会的な意味が異なっているのではないか。我が国ではこれまで労使の対立構造の厳しい事件が主に裁判で争われてきたということはあると思う。しかし、今後個別的な紛争が増えてくると、そうした状況は変わっていくのではないか。さしあたり、我が国の第一審はドイツの労働裁判所の第二審に相当するようなイメージだったのではないか。
○ 確かに我が国の裁判所は、先鋭的な対立のある少数の事件を中心に扱ってきたところがあり、裁判所を利用するニーズはあっても十分に利用できていなかった。その結果、裁判所と労使やADRとの間の循環が断ち切られてしまったのであり、その間の連携が必要である。
○ どのような類型の事件に、どのような段階で専門家を関与させるのか、また、そうした人材がどの程度いるのかをトータルに議論しないと、制度を作っても現実には動かないのではないか。十分に実務を考えて議論してほしい。
□ 労働調停における専門性の導入の在り方についてはどうか。
○ 規範的な判断を行うための勘は、調整型の手続で主に必要となるので、労働調停においては、このような専門性の導入が有用ではないか。
○ 労働調停をどのような仕組みとし、どのような事件がどのくらい申し立てられるのかによって、専門家の関与の仕方はいろいろあると考えられる。
○ 10~15年後にどの程度定着していくかは予測できないが、短期的には取扱件数は余り増えないのではないかと思う。行政のADRがいろいろとある中で労働組合の関係者が相談しようとする場合、まずは労政事務所や労働局、労働委員会に持ち込まれることとなろう。他方、使用者側は、労働委員会等に信頼感が低いので、裁判所の労働調停を利用した方が安心だと思うかも知れない。
○ 労働調停の利用度は手続の中身にもよる。相手方の出頭を確保できるかどうかや、調停に代わる決定の在り方等をどうするかも重要である。
○ 解雇事件には判定的側面と利益調整的側面があり、現行の民事調停制度が労働事件にほとんど用いられていない中で、労働調停を解雇事件で使えるか否かが重要である。訴訟での和解のように背景に強制権限があるわけではない調停手続では、合意に達することができず、時間が無駄になってしまうおそれもある。
また、労働調停活用の可能性のある分野としては、配転を争う場合等、労働契約関係が維持されながら争われる事件が考えられる。
○ 従来の民事調停の延長で考えるのであれば、手続に時間的な制約がなく、出頭も十分に確保できず、使いにくい。何らかの訴訟との連携を図るとともに、仮処分で処理されている事件の一部を取り込んでいけるような仕組みが必要ではないか。
○ 民事調停はあくまで互譲の手続であり、解雇事件で使えないと困ると言っても、調停になじまない解雇事件はある。話し合いで解決するのがふさわしい事件について、それにふさわしい手続を整備する必要がある。
○ 本人が申立を行うことができるよう、間口を広くするため、簡易裁判所で調停を扱うという形は維持すべきである。
○ ADRが行政機関で整備されており、労働調停では裁判所で行う手続として一味違う特色を出す必要がある。
○ 使用者側としては、解雇事件でも話し合いによる合意解決がほとんどであるから、労働局や労働委員会よりも、裁判所の労働調停が十分に整備された方がよい。
○ 労働局における紛争調整は、事務職員が事前に作成した書類を基に、2時間程度の期日1回だけで処理する非常に簡易な手続が原則である。したがって、ある程度詳しく事情を聴いてほしい場合等には労働局では十分に対応できない。行政のADRでは法曹の関与は少ないので、法的な解決という点での信頼性はそれほどではなく、過大に評価する必要はないのではないか。