○菅野座長 定刻になりましたので、ただいまから第10回労働検討会を開会いたします。
本日は御多忙中のところ御出席いただきましてありがとうございます。
まず、本日の配布資料の確認をお願いいたします。
○齋藤参事官 まず、資料56でございますが、これは中間的な論点整理の再配布でございます。
資料57は、各委員の御意見の概要を整理させていただいたものでございます。前回の総論部分の関係でございます。
資料58は、今後の検討スケジュールについてのたたき台でございます。
参考資料として、座席表と、「ジェンダーの視点を盛り込んだ司法改革の実現を目指す決議」、日弁連作成のものを配布させていただいております。
以上です。
○菅野座長 それでは、本日の議題に入ります。
前回は、論点項目の中間的な整理のうち総論部分、「1.労働関係紛争処理の在り方について」の部分を全体的に御議論いただきました。(2)の「労働関係紛争の動向等」と(3)の「労働関係紛争処理制度の全体像」について一通り御意見をいただきまして、その後で労働関係紛争処理における特殊性・専門性について一通り御意見をいただきました。本日は、それらの御意見を踏まえてさらに総論について議論をいただきまして、この次から入る各論の検討の基礎にしていただきたいということです。
ですから、本日は前回の御意見を踏まえて補足説明、あるいはそこで出された論点についての賛成・反対意見等を闊達に御議論いただきたいと思います。
第1回の御意見は事務局の方でメモをつくり、皆様に配布させていただいていますが、私なりに把握したところでは、(2)(3)の「労働関係紛争の動向等」、「労働関係紛争処理制度の全体像」について言うと、共通の御意見が多かったように思います。つまり、労働関係紛争の動向については、景気低迷だけでなくさまざまな構造的な要因があって、今後も労働紛争、特に個別労働関係紛争は増加していくのではないかという見方では多くの委員の御意見が一致していたように思います。
紛争処理制度の全体像については、多様な紛争に対応した多元的・複線的な紛争処理システムが必要であり、そういう紛争処理システムの在り方が適切であるという御意見が多かった、大体こういう見方で一致していたのではないかと思います。
個別労働関係紛争の多くは、比較的簡易で調整的な処理によって解決が可能であるという見方でも一致していたような気がいたします。
また、紛争の自主的解決の必要性・重要性を指摘されて、企業内における自主的な紛争解決、あるいは紛争の予防の重要性について御指摘の御意見が多かったように思います。
他方で裁判所の役割については、裁判所は紛争を判定的に解決する最終的な公的機関として労働関係紛争の解決システム全体の中での重要性を持っている、「扇の要」という表現を用いられましたが、したがってそういう観点からの機能の充実・強化が必要であること、そしてまた、裁判所は他の紛争処理機関に対して紛争解決の基準を示すという意味でのルールメーキングの機能も発揮しており、これも重要であるという御意見が多かったように思います。
(2)(3)については、そのような共通性があったように思いますが、そのほかに各委員から独自の御指摘もいただきました。労働関係紛争の特殊性・専門性について、これも共通の御意見はかなりあったわけで、特殊性・専門性をどうとらえるかは各委員によっていろいろありましたが、何らかの意味での特殊性・専門性があり、しかしすべての事件についてそうであるわけではないとか、どういう意味で特殊性・専門性に対応するかという点では必ずしも一致していない、特に専門家を関与させる、導入する必要性・適切性については意見がまだ一致していないという御意見の分布であったのではないかと思います。
前回の(2)(3)について大方はそういう見方あるいは考え方で一致はしたのですが、本日は補足して説明したい、あるいは論じたい、提起したいという御意見をまずちょうだいしてその点を片づけて、総論部分で主に御議論していただきたい(3)について御意見をいただくという順序にいたそうかと思いますが、それでよろしいでしょうか。
それでは、まず(2)(3)について補足の御説明や提起したい御意見はございますでしょうか。
○鵜飼委員 前回、山口委員の御説明・御意見で、外国では裁判所が労働紛争をすべて取り込んで解決するシステムであるという説明をされておりますが、私は、少なくともイギリスにおいてはそうではないと思っております。イギリスのACASではパブリック・インクワイリー・ポイントという公的な相談窓口がありまして、日本の地方労働局では1年間で50数万件の相談があったということですけれども、それにほぼ匹敵する相談件数を電話等で受けていて、さらに助言・指導・あっせんの機能を持っております。それと、労働裁判に係属中の事件でも3分の2以上はそこで解決するということもあります。さらに集団的な紛争の解決機能を持っておりまして、私が非常に感心したのは助言的調停という制度です。具体的な苦情を通じて職場におけるルールメーキングを職場の中で共通のディスカッションをしながらつくっていく。そういうものが年間数百件あると聞いて非常に驚きました。
そういう意味でACASという行政機関が相談機能、あっせん・調整機能、さらには自主的な解決を図るためのコンタクトを持つ機能まで持っているということで、外国の制度はすべて労働紛争を裁判所に取り込むというシステムではないということをまず第1点として指摘したいと思います。
さらに、日本で個別労働紛争が増大していく中で、この数年間の大きな前進は、一番典型的には地方労働局で個別的な民事的紛争を取り扱うようになり、年間9万件近い事件の相談を受けて、あっせんが2,000件近く、助言・指導も千数百件という、それだけニーズが多いことと、それを受け入れた形で地方労働局が役割を果たしていらっしゃることは、私はここ1年間を見ても特筆すべきことだと思います。
さらに労政事務所と労働委員会は、労政事務所は既に大分前から、現在でも年間15万件と言われるぐらいの相談件数を受けて、東京では千数百件のあっせんをやっておりますので、一定の行政ADRとしての役割を果たしている。労働委員会も、既に47都道府県中42で個別紛争を取り扱う段階になっていて、幾つかの例外を除いてはほとんどの都道府県の労働委員会で個別紛争を扱うことになるのではないか。
そういう意味で行政のADRは日本においても、今まで実は民事紛争を行政が取り扱うというADRは、基本的に労政事務所がやってきましたけれど十分整理されていなかったというのが私の認識です。この数年間、それが整備されてきた。その機能をいかに強化するか。それは関係機関の協議が必要です。場合によっては裁判所や弁護士会、あるいは労働組合、労使の団体との協議が必要だと思いますし、いかにニーズにこたえるものにしていくかということが今後の課題ではありますけれども、そういうものが整備されてきたということが言えます。
山口委員の中で、「労政事務所、労基署、都道府県労働局等、我が国の行政機関の紛争解決機能が有効に機能している。これらを解体して英独仏のように、すべて労働紛争は裁判所で解決すべきか」という問題設定そのものが私どもと全く認識を異にするわけで、とにかくこれを強化しなければならない。強化した上で、しかし最後に我々のテーマとすべきなのは、裁判機能の強化ということです。すべて企業内の紛争解決機能を高めるためにも、行政ADRの機能を高めるためにも、扇の要である裁判機能を強化しなければいけない。
ここは、司法制度改革審議会の中でメッセージが出されておりまして、事前規制型、行政裁量型の社会の在り方から透明で公正なルールに基づく事後チェック型社会にする。その中で司法の役割、裁判所の役割は非常に大きいので、その機能を量的にも質的にも強化しなければいけない。こういうメッセージがあるわけですが、まさに我々は裁判所がこれまでの進め方でいいのか、これからは個別紛争が増大し、企業内の紛争解決機能を強化しなければいけない。その中で21世紀のあるべき裁判所の姿はどうなのかということを議論しなければいけないと思っておりますので、山口委員と認識が異なる部分について、山口委員の御意見があったらお聞かせ願いたいと思っています。
○山口委員 私の書き方がちょっときつすぎたのかもしれませんが、そこに書いてある外国というのは私の念頭ではドイツが頭にあったと思いますし、イギリスで紛争調整機関があることについては十分承知した上で書いているわけです。ただ、何でもかんでも基本的に裁判所なり、あるいは公的機関が解決に乗り出すことがいいのかどうかという意味での問題提起をしたということです。多様な紛争があること、そしてその解決のために多様な紛争処理機関がある必要があるし、むしろそのほうが望ましいということについて私も申し上げたつもりですし、そういう意味では行政の関係省庁でやっておられるADRをむしろ促進すべきではないかと私自身も思っております。
そういう意味で言えば、解体していいのかという書きぶりで書いたかと思いますが、ある意味では反語的な問題提起なので、むしろそういうものをもう少し拡充して、いろいろな紛争にいろいろな形でいろいろな機関が関与して解決に当たっていくべきだという基本ラインは私も同様であります。
裁判所の役割についてですが、委員の御意見を拝見しておりますと、基本的に裁判所が最終の判定機関として、かつルールメーキングを行うことによってADRその他の解決機関への1つの指針を示す役割になっていることについては、特段の異論がないように私自身は思います。そういうことを踏まえて申し上げますと、そういう関係での裁判所の判定機能、ルールーメーキング機能が今後とも十分に発揮できるような形のシステムはどのようにつくっていくのかという観点から考えていけばいいことなのでありまして、そのことはいろいろな専門性をどう見るか、あるいは労使の役割をどう見るかということについてこれから皆さんに十分議論していただいて、裁判所の在り方あるいはその他の紛争処理の在り方を議論していけばいいのではないかと思っています。
○菅野座長 そのほかにどうでしょうか。
○鵜飼委員 裁判所に求められている機能は確かにルールーメーキング的な機能で、それがすべてのADRにおいても、企業内の紛争解決システムにおいても解決の指針になる。これは非常に重要な機能でありますが、一方では、個別紛争をより迅速・適正に解決するという機能もあります。
私は労働事件をやっていますが、労働側のニーズとして、いろいろなADRを使うとしても、裁判所で適正な判断を示してもらいたいというニーズが強くあるわけで、これは非常に大切なニーズだと思います。それに対して、適正性と迅速性は現実の場面では必ずしも両立しない面がありますが、制度的に工夫をして、適正かつ迅速な解決機能を持つ。これは非常に重要な役割ですので、その中で労働裁判手続が仮処分と本案訴訟の二重構造になっていることによるいろいろな弊害があります。アクセスの障害等もあります。これは21世紀の労働裁判の姿としてそうあるべきなのかどうかということを検討していただきたいと思います。
それと、労使関係の実情についての専門的知見をいかに導入するか。これは迅速性と適正性のために必要不可欠なものだと思いますが、その辺が当然、議論の対象になってくると思います。
もしよろしければ、具体的な素材を提供する意味で、最近たて続けに解雇事件について2つの東京地裁の判決が出ましたので、そのケースを出して検討に供させていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
○菅野座長 個別的にではなく、一般化した形でお願いします。
○鵜飼委員 解雇事件は労働紛争の最も中核的・典型的な紛争でありまして、私は解雇事件でうまく利用されなければ、その制度設計は、十分ではないと思います。したがって、解雇紛争をいかに適切に迅速に解決できるかという制度設計を考えるべきだという意味で、典型的な整理解雇の事案についてお話しします。
解雇事件について私たち労働側からしますと、解雇されて裁判に持っていくまで一定のプロセスがあります。ストレートにすぐに弁護士のところへ来ることはなかなか難しい面があり、ADRなどいろいろ通じて行きます。したがって、弁護士に来るまでに数か月というある程度の間隔があります。
それから裁判に出す場合に、現在はほとんど仮処分を出すという選択になります。仮処分事件の7~8割は解雇事件ですから。仮処分事件は速いものは3~4か月で非常に迅速に処理されていて、これは評価するべきだと思いますが、事件発生後6か月から8か月以内の期間で処理される実態にあります。これは労働者のニーズとして、雇用保険の給付の期間が平均6~8か月ありますし、その中でめどをつけたい。解雇が無効ということになればそれは雇用の継続になりますが、解雇は有効となれば新しい就職先を探さなければいけないという選択の期間もありますので、期間は6~8か月と限定されます。
そのように期間を限定されている中でいかに適正な判断を担保するかということで2つのケースがありました。1つは3月に判決が出たもの、もう1件は9月に判決が出たものです。
○菅野座長 名前は伏せていただきたいのですが。
○鵜飼委員 それではA事件、B事件とします。A事件については、これも平成11年3月に発生した事件で、これは企業側の都合による雇い止めのケースです。仮処分が出され決定が出されたのが11月24日でありまして、ほぼ7か月で決定が出ました。しかし、解雇は有効、雇いどめは有効という決定でありました。その後、本案訴訟になりまして、今年3月に判決が出たのですが、これは解雇は無効という判決で、即控訴されました。この間、本案判決まで仮処分決定から2年4か月たっていて、トータルで3年というケースです。B事件は、同じく平成11年3月に発生した解雇事件で、事業所のある部分の閉鎖に伴う解雇ですが、7か月後に仮処分決定が出まして、解雇有効という決定です。ところが、本案訴訟になって今年9月に解雇無効という判決が出ました。これは、トータルで3年6か月たっていて、両者は組合のバックがありましたので、何とか本案訴訟で判決というところまできたわけです。B事件も控訴されています。バック、支援のない純然たる個別労働者はこの期間でやることはほとんど不可能に近いと思います。
ここで出てくるのは本当は細かな問題がいろいろあるのですが、仮処分と本案訴訟の二重構造で、解雇事件はまず仮処分を使わないといけないという問題。しかし仮処分は書面審理が中心ですので、人証調べはできない、証拠収集の機能もない中で、どうしても結論が不安定な面がある。本案訴訟は本格的なことになりますが、それは時間がかかる。こういう二重構造でありますと、解雇された労働者側は利用するという立場からいうと非常に問題がある。それが21世紀の労働裁判の姿としてはこれを解消し、本案訴訟でこの6か月から9か月の……人証調べのある事件の期間は21.2か月ということになっており、この半減が求められておりますが、まさに半減が求められる解雇事件は典型的なケースで、 少なくとも1年以内に判決が出るシステムにしなければいけないのではないかと思います。
あとは、この中では経験則の問題。それはむしろ裁判所の責任に属する部分でありますが、仮処分と本案訴訟の判断を分けた岐路になるものは何かといいますと、一定の事実、あるいは証拠の見方、証明力の見方、証拠から推論する間接事実、間接事実から要件事実を推定し判断し、そして規範的な判断を下す、そのプロセスでさまざまな経験則が働きますけれども、これについて仮処分だけではとてもできない。本案訴訟になると相当時間がかかるという問題点が出てきていないかと思うのですが、そういう意味で現状と裁判のあるべき姿について、具体的な2つのケースを挙げたのですけれども、このケースに凝縮されているような気がします。特に解雇事件を典型的な事件として議論するとイメージがわくのではないかと思いますので、問題提起させていただきました。
○菅野座長 そのほかにいかがでしょうか。
○山口委員 今2つの事件を紹介していただきましたが、いずれもうちの部でやっているものだと思うのですが、個別の事件はともかくとして、現在の訴訟構造を前提とする限り、仮処分と本案訴訟で結論が違うことがあり得るのは避けられない事態なのだろうと思います。それを一本化した方がいいのかどうかは、それはメリットとデメリットと両方あると思っています。その分を簡易な形で解決することが、一審段階でなくて多分上の方にまで同じような形で流れるということになると、果たして迅速な解決がイコール適正な解決につながるかどうかという問題もあるので、その辺はメリット・デメリットを十分考えて検討しなければいけないと思っています。
仮処分と本案訴訟で結論が違うのは、それぞれ出されてくる主張、あるいは証拠が違っているというケースもあるわけで、2つの事件についてもそれはあったのではないかと思うものですから、必ずしも結論が違ったからということで全く同じ証拠、全く同じ主張で判断したとは限らないということも1つ押さえておく必要があるのではないかと思います。
本案の関係で、今の事件ですと3年6か月までかかっているということですが、これは確かにそういう解雇事件について時間がかかることがいいのかどうかは裁判所も反省しなければいけないと思っています。特に解雇という労働者の地位をめぐる紛争ですから、長期間かかることがいいとは裁判所も決して思っておりません。
これは御承知のように、裁判の迅速化法案でどんな事件でも2年以内に、と言われておりますように、せめて2年に満たない間で一審が解決されないことにはいけないと思っておりますけれども、これは1つは裁判所のせいばかりではなくて、当事者なり弁護士、代理人の訴訟活動についても問題があると思っています。期日を入れようとしてもなかなか入らない。仮処分の場合ですと2週間ぐらいに期日は受けてもらえるのですが、本案になると1か月を超えて期日が入らないのはざらということになりますから、そういう意味で言えば、代理人なり当事者の方がその期間の短縮に応じられるだけの執務態勢なり証拠の評価・分析ができるのかということですね。それをきちんとやっていただければ、こちらの方としても争点整理の期間をもう少し短くすることもできますし、必要な証拠調べもどんどん入れていくこともできるわけです。それはお互いがそれぞれの立場の問題を踏まえて改善に努力しなければいけないし、多分、将来的には法曹人口も増えていくでしょうから、その辺も1つの改善の材料にはなっていくのではないかと思います。しかし、少なくとも事件の長期化の関係で申し上げると、使用者であれ労働者であれ、当事者のためにとっては現状がよくないという認識でお互いにどうできるかを考えていく必要があるのではないかと思います。
○菅野座長 そのほかにどうぞ。
○村中委員 それでは違う観点から、前回、専門性ということが議論になりましたが、よろしいでしょうか。
○菅野座長 最初に(2)(3)の紛争の動向と紛争処理の全体システムについて、お願いいたします。
○鵜飼委員 一言言わせていただきます。私自身は、山口委員の御発言の、判断が分かれることを即問題にしているわけでなくて、判断が分かれることは問題ではあるのですが、要するに二重構造、本案訴訟を解雇労働者が利用できないというところ、すぐ利用するということがなかなか難しい点が問題なわけです。ですから、労働者は解雇という最も典型的・普遍的な労働事件を仮処分しか利用できない。まず本案訴訟が利用できるようにすべきだというのが私の提案です。
それは改革審とか法制審で議論されていますが、早く争点整理をして、例えばドイツのように、解雇事件については優先処理義務を双方に課して争点整理をきちんと計画的に行って、証拠収集の期間をもって集中的な証拠調べを行って判決のタイムターゲットを設ける。これは特に解雇事件についてそういう特則を設ければ、本案訴訟で十分可能ではないかと思います。そうすると、多くの労働者は本案訴訟を利用する。仮処分という使い勝手の悪い、迅速という点では非常に簡便ではありますが、適正な処理という点では不備な点がある手続ではなくて、やはり本案訴訟を使うのではないか。
そして、どうしても緊急性があって、本来の民事保全法の制度の趣旨に合った形の労働事件については、フランスのように仮処分を使えばいいわけです。そういうふうに多くの解雇事件について本案訴訟を利用できるようにしなければいけない。
それは我々も努力しなければいけないと思います。日弁連の労働法制委員会が始まりまして、労使ともに代理人としていかにアクセスをよくし、かつ本当にそのニーズに合った弁護士としての活動をすることができるのかということを、今後本当に体制をつくっていかなければいけないし、議論しなければいけないと思います。
ただ、努力だけの問題ではなくて制度設計の問題ですので、本案訴訟で法制審で議論されている問題との関連を見ながら、特に解雇事件については特則を設けるような、その辺はぜひ検討の対象にすべきではないかと思います。
○菅野座長 この辺は各論の議論で続けていただきたいと思います。
そのほかにいかがですか。
○山口委員 総論部分については多くの方々の意見は共通していたように思うのですが、紛争の予防という観点からは、紛争が起きてからよりは事前に防ぐシステムとして企業内の自主的紛争解決システムが重要だということについては、いろいろな方も御意見は一致したと思います。では具体的にどういう形で企業なり労働の現場に自主的な紛争解決システムを定着させていけばいいのか、そこはお聞きしていてよくわからなかったものですから、そういうことについて何かお考えがあれば聞かせていただきたいと思います。
○菅野座長 企業の現場としてはいかがでしょうか。
○石嵜委員 大企業のような場合であればいわゆる労使の話し合い、苦情処理委員会という形で現実的に機能する部分、またそういう形での使用者側の団体ないし労働側の団体による指導という形で解決できる部分はあると思うのですが、ただ、御存じの如く民間の労組組織率はもう2割を割っている。そして中小零細、特に100人以下の企業に半分以上の労働者が働いている。これが現実なんですね。そうすると、そういうことを議論して実際にそこに定着するかというとこれは無理だと思うので、今は企業は生きることに精一杯ですから、そういう枠の中では今後どういう形で、イギリスの制度がイギリス国内で定着していくかどうかは別として、社内前置主義のような形で苦情問題について外的機関、裁判所を含めてこういうものに出す前に社内でアピールする、最初に社内で上申するようなシステムを法制度としてでも入れないと、やはり現実は難しいと思っています。
そのときに、すべてADRとか裁判所に持ち出せないというわけにはいきませんので、それはそれなりに労働者が社内でアピールできない事情もあれば、そういうときには社内手続をとらなかったかとしてもペナルティをかけない。つまり損害なり請求が認められたとしても、その金額に対する減額率を考えるとか、イギリスのやり方は現実的ではないかとか、このような形で自分は思っています。ただ、こういうことは私たち経営法曹の中でもまだ議論したこともありませんし、私自身がそう思っているというふうに御理解いただければと思います。
○菅野座長 矢野さん、どうぞ。
○矢野委員 大企業の労働組合のあるところでは、どこでも労働協約の中に苦情処理機関を設けているんですね。それと、一般的な何でも話せるような労使協議もありますが、実際に個別の案件が苦情処理機関にかかるケースはほとんどないんです。私がこの会議でも企業の自主的解決能力が落ちていると言うのは、そういう制度がなくなってきたということを言っているわけではなくて、そういう制度があっても動いていない。私は苦情処理機関が動いているから自主解決能力が高いとは思っていないんですね。私が言っている自主解決能力というのは、職場でそういうところに問題が行く前のことを言っているわけで、それは労使の間、あるいは組合があってもなくても、管理者と従業員の間のコミュニケーションがどれだけうまくできているかという信頼関係がベースにあって、初めて機能しているものなんですね。ですから、必ずしも書かれたルールがあるわけでもないわけです。そうすると極めて漠然とした頼りにならないものかと思うととんでもない話で、実際には問題が解決していくわけです。先輩や隣の職場の人、同僚などいろいろな人が彼の問題を取り上げてみんなで考えて答えを出す。その答えが実は一番いい答えなんですね。
そういうところを強くしなければいけないということでありまして、組合のあるところは労使のそれぞれの掌に当たる人の自覚がまずあって、また組合があってもなくても、経営者とか管理者、監督者の立場の人が本当にその気になるということですね。どうもそういう心の世界がだんだん荒れてきているのではないかということを一番心配するわけで、日本の産業や経済のモラルの根本は工場や現場にあるんですね。そういうところで一緒に一生懸命働いている人がお互いに何でも話し合うことによって問題を解決していく。問題がないはずがないのですが、それを自主的に解決していく。それがだんだんせち辛くなってきたり、会社が人減らしをするということも影響しているかもしれませんが、何となくみずみずしい草地だったのが荒れ地になり始めているのではないか。
みんなでそこを耕して草が生えるようにしなければいけないという思いです。ですから、そう簡単にいく話ではないと思います。法律で各社は苦情処理機関をつくりなさいと言ったところで動かないと思いますね。そういう問題ではないということでありまして、1つの答えによって解決できることとは思いませんが、それぞれの掌にある人がその気になって一生懸命言っていけば共鳴者が増えて、共鳴者が増えれば実際に実行されるということではないかと思います。
○髙木委員 中小企業で労働組合のない職場に圧倒的に多いのですが、ここには2種類の問題がありまして、1つは、世間ではそんなことは通用しませんよという、世間で言う常識のようなものの物差しで解雇の問題を考える世界さえ否定し、そんな話は知ったことかということで動いてしまう世界。いろいろなチャネルで問題解決に当たろうとするけれど、平たく言うと、誰が何と言おうと、具体的に言うと時間がかかったらそのうち干乾しになるという発想まで含めて解雇にいってしまうような世界。もう一つの世界は、感覚的には世間の常識、あるいは労働現場の常識という物差しで考えてもいいのだろうけれど、そういう意味での企業内前置的な問題処理の機構をとてもつくり得ない企業規模の問題なり、企業内マンパワーの関係なり、その両方があるのではないか。特に前者のような感覚が結構あるわけですが、その辺は苦情処理機関の設置を法定してもその効果がどの程度あるのかと思われます。
中堅大手企業等では確かにどこの労働協約にも苦情処理のことは書いてありますし、それなりにルールも機構もできているのですが、最近そういうところに問題が上げられる根っこの感覚が大分変わってきています。1つは、労使関係の中での問題処理に対する信頼感のようなもの。これは矢野さんが御指摘になったように、企業の中の土壌・風土が荒れていること。その背景には、例えば成果主義あるいはオン・ザ・ジョブ・トレーニングの形骸化など、企業の中のいわゆる労務・人事施策がそういう土壌の荒れを招いている面もあるでしょうし、私は前にも申し上げたことがあると思うのですが、企業内の組合員になる人の比率が急激に落ちているんですね。この背景には雇用形態・就業形態の多様化もありますし、その1つとして、特に派遣労働者による常用代替。これはパートタイマー等とニュアンスが若干違う面もあります。
もう一つは、広い意味で高学歴化の影響かもしれませんが、正社員の中での非組合員比率が大分上がってきておりまして、そういう中で労働協約で決めていることの対象に置かれる労働者の比率が企業の中で非常に大きくなっています。一部の経営者には、彼のことをこういう場に持ち出されても困る、彼は労働協約で処理すべき対象ではない人だという論理で外されるというか、苦情処理の対象でというのを拒否とまでは申し上げませんが、億劫がって対処される面も一部例があります。
そういう意味で、従来は企業の葉隠のようなものに律されて、企業の中の問題処理システムによって問題が解決される場合、問題を外へ出すということは、その行為自体が葉隠の外の行為という意味で、外に問題を出した人は原則的にはその企業の社員としての存在をフォーマル、インフォーマルに否定される。ただ最近はその辺の風潮が大分変わってきまして、最近では内部告発者の人権というのか、権利の擁護という議論も行われるようになり、そういう議論が行われるということは、その背景に企業の中での問題処理能力が形式的にはあるように見えても実質的に落ちていることの反映かなという感じで問題処理能力の問題を見ております。
そういう意味では、こういう判断、こういう対応をしたら社会的に余りいい対応ではないという、そういう社会的な受けとめ方の共通項を時間がかかってもレベルアップしていくことがまず一番大切な話かなと思っています。
○山川委員 実態の認識が十分ではないものですから、アメリカの状況等を簡単に申し上げたいと思います。紛争予防でしたら、多分日本の方がこれまでは労使協議で十分な利害調整をしていたと思いますが、現に不満をもつに至った段階での解決手段としては、インフォーマルな職場での解決や、苦情処理・調停・仲裁などによるかなりフォーマルな解決など、いろいろあると思いますが、職場での解決という面では、日本ではこれまで上司などによる暗黙のシステムによっていたという感じだったと思います。アメリカでは、オープン・ドア・ポリシーとか企業内相談室ないしオンブズマンという形でもっと制度化されて、苦情処理のルートなり担当がはっきりしているという点では特色があるのかなと思います。
そういう社内ADRが活用される背景は、1つには制度を整備するインセンティブが存在するということで、多分飴とムチがあって、ムチの方は裁判にいくと大変であるということで、判決で懲罰的損害賠償まで命じられることもありますし、そうでない場合も弁護士費用等で相当かかるという点です。飴の方は1つは、経済的効果が認識される場合があるということです。以前にも申し上げましたが、訴訟という形ではなくて内部的ADRによって組織の問題を解決することが、組織の生産性・効率性に寄与するという意識、それは法律でどうのという問題ではないと思いますが、そういう意識も指摘されてきています。もう一つの飴は裁判との関係で、これはむしろ実体法の問題になるかもしれませんが、企業内ADRと裁判システムによる解決が関連づけられる場合があり、自主的な紛争解決を促進していくようなルールが設定されていることがあります。
1つの例はセクハラで、例がちょっと限局的ですけれども、セクハラに対して社内の苦情処理システムをつくって有効に対処していれば、個人の責任はあるとしても、先ほど石嵜委員がおっしゃいましたが、使用者としては責任を免れたりあるいは損害額が限定されることがある。社内における制度の整備とその運用が実体法上も影響を与える。そういうことをやっていることがありますので、そういう意味では両者の相互関係を考えていくこともあり得るのかなと思いました。
○石嵜委員 従来の忠誠型で何とか人間関係でというのは企業にとっては一番いいことだと私たちも認識しておりまして、その1つは、長期雇用システムの中である程度雇用が安定して、賃金が年功序列で上がる。何かトラブルがあったときも、ここは我慢して、また次があるではないかという話ができた時代は確かに十分機能したと思うんです。ただ、今から先は賃金も実績成果になるし、契約期間もこれから専門労働者は短い期間になって、その都度にいわゆる契約が決済される時代になりますと、そこでのデメリット・メリットを考えると、人間的な話し合いだけで解決していくというか調和していくことはなかなか難しい時代が来るのではないだろうか。
労使の間に信頼関係がなければ企業は動かないことだけは間違いありませんので、今後は調整、人間関係というだけではなくて、何らかのルールを確立しておかないと、ルールを守り合うという形で補てんしていかないと難しいのではないかという意味で私は考えているということだけ補足させていただきます。
○鵜飼委員 私は審議会意見書が「法の血肉化」とおっしゃっていますが、法が血となり肉となるということは、単に法があるということではなくて、個人なり組織の行動原理が法に基づくということを指すのだろうと思います。そういう意味で、法なりルールはまず倫理とか道徳、正義などのもとにあるわけですから、法がないがしろにされる社会はまさに崩壊するわけで、雇用社会について私たちが一番憂慮しているのは、法・ルールを雇用社会に定着化させなければいけない。これは共通の課題だろうと思います。内部告発者保護法制をつくるなどのいろいろな動きがあるのも、そういうものに対する危機意識が前提にあると思うんです。
ですから、今後の労働紛争解決システム全体を、企業内紛争解決機能を強化していく、企業の中に法やルールを守っていくといいますか、自分たちのものとして機能させていくものとしてつくっていく。それが究極の目的だろうと思いますけれども、それと行政ADR、そして裁判が相互に有機的な連携を持った上でフィードバック機能を果たしながらうまく循環させていくことが必要なのではないか。そういう全体の制度設計、理念に基づいて大きな制度設計をして、その中における裁判の在り方を検討しなければいけない段階にきているのではないか。
私は労働紛争については、確か山川委員がいつかおっしゃっていましたが、1つはポジティブに考えて、この社会で起こってくる労働紛争はいろいろな矛盾のあらわれですので、それを受けとめて、それを迅速かつ適正に解決するルールを通じて、それがいかに企業の中に戻っていき血肉化されていく回路をつくるのか。これは非常に抽象的になりますけれども、具体的にその結節点になるのは、先ほどの実体法との連携もありますし、1つの媒介項としては参審制ではないか。労使の経験の中にいる人たちが自ら裁判の担い手になって、その知識・経験を生かすことを通じて法を適用し、法を発見し、それを社会に戻していく。これは非常に重要なキーポイントになるのではないか。専門性のことにもなりますけれども、企業内の解決能力をいかに高めていくかが非常に大切で、法ルールを社会に定着させていくことは非常に大切なテーマで、これは審議会の意見書で我々に課せられたメッセージであると思いますので、非常に重要なポイントだと思います。
○村中委員 実質的解決に関して、雇用の在り方が多様化するということだと思いますが、一方で、石嵜委員がおっしゃったように、専門的な人が短期的に移動する。そういうところで、企業の自主的解決といってもそもそも余り機能しないのではないかというのはそのとおりだと思います。
他方でしかし、従来のような正社員で企業に対する帰属度が強い人も一定程度残って、数は減るだろうと思いますけれども、その中でまた自主的解決を余り言い過ぎるということは、これは従来からも指摘されていますが、自主的解決が紛争の本当に公正な解決につながっているのかという疑問は基本的にあるので、その危険は指摘されたわけですね。結局、紛争が起こって不満が起こっていても、とにかく隠蔽する。それよりも、外に紛争を出した方が健全ではないかというのは従来から言われていると思います。ですから、自主的解決に関して私自身は、実際に機能しない場面が多々出てくると同時に、言い過ぎるとちょっと危険な部分もあるのではないかと感じております。
○髙木委員 今おっしゃったように、自主的な解決とは何ぞやという疑問も呈されていますが、多くの場合に企業内のローテーションがありますから、たまたま相性の悪い人の下にいるけれど2~3年我慢しなよと、「我慢しろ=押さえ込み」というのも解決と言われているケースもあって、それがどのぐらい明示的に表に出てくるのかということはありますけれども、そういう意味では、それぞれの職場を担当している労働組合の執行委員の人たちはそういう取り敢えずの解決があることを職場の中で大体承知はしているんですね。
甚だしいものに至っては、例えば希望退職を募集するけれど、なかなか人数が出てこないというときに、人数割当があってみたり、人数割当された課長なり部長は頭を抱えて、御本人が逆にノイローゼのようになってしまう。そういう希望退職の人数の割りつけのような世界が、さらに上の人からその人を評価する要素の1つになっていたり、ここまで言うとちょっとぎらついた話になり過ぎますけれども。
○矢野委員 だんだんさわりの部分になってきましたけれども、今までの日本の労使関係の制度も、高度成長とか今日よりも明日の方が生活がよくなるという前提で仕組みができてきたと思うし、みんなそれを認めていたし、そういうふうに実現するために頑張ろうというのでやってきたところがあると思うんですね。しかし実際はそうではなくなってしまったわけです。職場で抱く不満も、今ごろそんな贅沢なことを何言っているんだという批判に答えられない場合もあるし、そこなら無理がないなということがあるので、価値判断基準のようなものが今は物すごく揺らいでいるときだろうと思うんですね。
労使というと対立の構図でごらんになる方が多いのですが、ある意味で組合員というのは日本のユニオンショップの世界では従業員と一緒ですから、つまり組合の幹部も、ある意味では労使で決めたことについて会社の幹部に負けないぐらいの勢いで下を説得していくんですね。組合のある会社は経営者は随分助かっているところがあるんです。組合のない会社の場合は、それを会社側で全部やらなければならなくなるので大変です。
職場で解決するのが難しくなってきているというのは、いろいろな要件があるのではないかと思います。従業員の種類も増えてきていますし、前と違う状況が今はある、それをまず認識して認めることから始めませんと、幾ら話しても社内ではだめだというのですぐ飛び出していってしまうことになるかもしれない。その場合に、会社の中でもっと努力して我慢するところはしなければいけないのにしないで、よそへ行って訴えるとは何事だという考えを持つ人もいるのですが、そこを少し風通しをよくすることが必要ではないかと思います。
世の中の変化や、経済・社会情勢の変化とか人の価値観の変化とかそういうものを制度でくくろうとしますと、非常に難しさがあるという思いは消えないのですが、小さな企業社会と一般社会とをつなげる道筋のようなものをわかりやすく広げておくことは助けになるだろうと思いますね。これも今までになかった現象だろうと思います。
○髙木委員 同じことを申し上げるかもしれませんが、高度成長期につくってきた企業内の労働秩序は、かなりの部分が氏素性が一緒の者同士の世界なのですが、ここへきて雇用形態の多様化あるいは専門職については3年とか5年という年限雇用。そうすると、氏素性の違う人とも同居する社会ですね。氏素性が一緒なら、たとえ役員になっても、あんたも組合員のなれの果てではないか、組合員のときに何を言っていたか、こんなことを言っていいのか、立場が変わるとそういうふうに豹変するのかと言われる世界を共有していたわけですね。その辺が、矢野さんもおっしゃったように大分違う発想で物を考えるのが当たり前というふうにキャリア形成してきた人たちも企業の中に同居し始めた。だから、企業の中は価値観の雑居になってきているんですね。それがある種かみ合わせが悪いといろいろ摩擦になる。そういう意味では塀の中と塀の外のルールの平準化といいますか、感覚の平準化のようなこと。塀の中のルールを社会のルールに近いようにしていくしかないのではないか。
私、アメリカのオンブズマンのケースはよく存じませんが、多分そういう感覚でアプローチされた仕組みではないかと思います。
○菅野座長 今までのお話では、企業内の紛争解決あるいは防止は非常に重要性があるけれど、これから難しくなりつつあり、しかし問題であるということで、紛争が企業の外に出ていく傾向が強まるのではないか。簡単に言えばこういうことで、現にそれが労働局や今のさまざまな行政システムの紛争処理手続にあらわれている。そこで、行政のADRもそうだけれど、裁判の機能の充実・強化も必要ということではないかと思います。
(2)(3)はそのぐらいにしまして、(4)の専門性に関する議論に移っていただきたいと思います。前回、労働関係紛争処理における特殊性・専門性については多くの委員の方々の意見が一致していたと考えられる事項もありました。先ほども申しましたが、労働紛争処理に関しては何らかの特殊性・専門性はある、それは自然科学的な知見というよりも、幾つかのものがある。そこで指摘されたのが、1つは労働法制が複雑多岐になってきていて、しかもどんどん改正されていくような法制、あるいはそれに伴う法理論、判例法理の複雑性の点での専門性です。2番目は労働関係の制度とか技術、慣行、例えば企業の人事制度においてさまざまな技術、制度があり、それが複雑化している、変化している。労務管理のシステムもしかり。労使交渉もさまざまな制度が築き上げられて、そのもとで行われています。そういうことにあらわれている労働関係や法規範の面での集団的・組織的・継続的な性格がある。一言で言えば労働関係の制度、技術、慣行の面での専門性を指摘する御意見がありました。あとは、労使間の均衡点を模索する上での独特の経験に裏打ちされたセンスというか感覚のようなものが必要なのだという御指摘もあったと思います。
この間の御意見を思い出していただくような意味で、こういう御議論があったということを申し上げて、しかしながらすべての事件においてこういうものが見られるわけではなく、通常の経済的紛争として処理すれば足りるようなもの、あるいは労働法制でも割と簡単な法規の適用に関するもの等もあるという御指摘もあったわけです。
本日は、まず専門性とは何かということ。前回は主に労働裁判について御議論いただいたわけですが、労働調停についても御意見をいただいて、労働調停についてそういうことは考える必要はないのではないかという御意見もいただきました。労働調停の場での専門性、裁判の場での専門性の両方にわたってもう少し専門性の内容について詰めた議論をしていただきたい。これが1つです。
2番目には外部の専門家の活用の必要性、適切さでありまして、この辺になると、御意見が分かれてきたと思います。外部の専門家を活用する意義、適切さ、必要性を肯定する御意見と、基本的にその必要性はないのではないか、先ほど指摘したようなものは一般的・客観的な知識として習得すれば足りるものではないか、民事裁判の性格上、個別の事実認定ということになれば、当事者の主張・立証によってなされるべきであるという点から適切性を疑問視する等の御意見がありました。
その辺をさらに御議論いただきたいと思います。どうぞまた新しい御意見をいただきたいと思いますが、村中委員、どうぞ。
○村中委員 私は質問したかったのですけれども、座長からおまとめいただいた専門性の3つ目の観点についてです。私は前回、労働法に関する法制面、慣行、労使関係の実態に対する知見というもののボリュームが非常に大きくなっているということを強調したのですが、もう一つ、労使関係に現実にいた人、その場で経験した人が持っている勘のようなものを指摘される御意見もあったかと思います。
その点が私は労使関係の現場にいませんので、判断する際に労使関係の現場にいた人でなければわからないような勘どころといいますか、例えばある事実が集団的な紛争なら不当労働行為に当たるかどうかについての判断、あるいは利益の均衡といいますか、このあたりが大体穏当なのだろうということ。そういうことが労使関係の経験の中でようやく確保されるものかどうかという点について、私はどうなのだろうとわからないところがあるので教えていただきたいというのが私の質問です。
○菅野座長 いかがですか。私は都労委と中労委で十数年やって、一番勉強になったのは、実は労使の委員から事件の扱いを通して、労使交渉の均衡点というものです。つまり和解の場合や事件にあらわれた労使交渉の経緯を見たり、どこまでいったら十分な交渉をしたのか、行き詰まりになったのかとか、その辺は確かに経験に基づく独特のもので、やはり1つの専門的なセンスなのかなという感じは持っているのです。その辺は労使の方あるいは弁護士の方におっしゃっていただければと思います。
○矢野委員 なかなか難しい質問で、今問題になっている事柄は主張している方が正しいとか正しくないという判断ですね。これは常識豊かな法律的なセンスを持っている人で、しかもいろいろな意味で社会生活を深く考えている人なら、まあ大体こうではないかという感じは持つと思うんです。ところがそれでは問題解決にならないところがありまして、あまり焦点を絞って答えを出したからいい答えになるわけではなく、どこまで幅があるかという判断だと思うんです。
いろいろなケースがあると思います。例えば労働組合の役員の選任と会社の関与の仕方、これは集団的な問題になってくるかもしれませんが、あるいは会社による労働組合への便宜供与の範囲とか、会社によってまた違うんです、何十年という歴史がありますと、あのときはああいう約束をしたから今度はこれでいいじゃないかとか、ほかの会社はこうしているのだからそれはやり過ぎだという判断がどこまでの幅かです。
組合専従者が業務に復帰する際の処遇の在り方、事前協議制の中身、労働組合の経営権への関与の仕方、労使慣行の変更で労働協約を変えたり、それはみんな個別の労働条件に影響してくるわけですが、それを変更する場合に一般的にこうだという理論はあるにしても、個別のケースについてどう判断するか。複数組合のある会社もありまして、そこで公平か公平でないかということが出てきたときにどう考えるか。人事考課の昇進と昇給も、年功制であるところまでみんな一緒にだんだん上がるというところですと、ほんのちょっとの差別でも大問題になるわけです。しかし実力制ということになってきたら、相当大きな差をつけてもそれは差別とは言われないだろうなど、そういう判断の幅が実に一定ではなくて伸縮自在であって、それを判断する人の見方によってかなり変わり得るということです。
私は、そこが本当に生きた勘のようなものが働くところではないかと思います。ほかにもいろいろな見方があると思いますが、とりあえずそういう気がします。
○髙木委員 私も地労委、中労委と両方やらせていただいたことがあったのですが、和解で何とかしようというときに、私どもは労働組合の立場で作業をするようにというのが労働委員会の仕組みですから、主として和解のときには労働組合の人たちに、そんなことを言うけれどもそんな話は普通の会社ではなかなか通らない話だ、だからほどほどのところで手を打った方がいいのじゃないか、そういう話をしないとなかなか和解にならないものですからそういう話もします。しかし、それぞれの論理がある。論理と論理がぶつかり合い、そのときにこのケースはどちらかというとこっちの論理の正当性の方を認めるような内容ではないかとか、それぞれのケースを見ると、ここは和解するといっても、七三あるいは三七の感覚かなというのは、矢野さんも幾つかの例を挙げられました通りです。
同じ産業、業種の中にある幾つかの企業の間で、同じようなルールができているかというと、企業の中のルールは微妙に違うんですね。最近はその辺も大分薄まりましたが、昭和40年代、50年代前半ぐらいまでは、労働組合の委員長に大学出がならないところがかなりたくさんありました。それはなぜなのか。あるいは専従をやめて職場へ復帰させるときに、専従でなく普通にその期間を過ごしたら会社ではこういう評価で、こういう職階・職級に達していただろうとみなされるものより上にして帰すところと下にして帰すところと、同じ産業内でも両方ありました。それはそれぞれの企業の何十年にわたる労使関係の来し方がかかわっているのですが、見ていると、この会社はどちらかというとこっちの方の感覚だなとか何となく察しがつくというのでしょうか、そういう面がありました。
同じ産業・業種の中でも違うのは、時代の背景とともに変わる面もあります。例えば生産性三原則がありまして、生産性三原則に基づく生産性運動は労働組合の中でも賛成と反対の併存を長い間ひきずってきた運動で、「風が吹けば桶屋が儲かる」式かもしれませんが、例えば整理解雇4要件に与えてきた影響は大きなものがあると思っています。その生産性三原則の前提になるべきコンセプトが昨今のこういう経済情勢もあって、リストラやり放題という環境の中では、生産性をともに向上させ、その成果は雇用なり労働条件、あるいは社会に還元していきましょうという運動論の根っこのところがおかしくなってきています。つい最近、労組生産性会議の議長を仰せつかったものですから、いろいろ考えさせられることが多いのですが、広い意味で言う信頼関係という言葉がありましたけれども、生産性運動を進めるに当たっての前提となる基盤に対する相互信頼が揺らぎ始めたときに、生産性三原則そのものが今後も従来の延長線上であり得るのかというと、なかなかそうもいかないのではないか。相手の出方によってはこちらも対応するという部分が、生産性運動については今少し揺らいできているのかなと感じています。そういうことも労使関係に微妙な影響を与え始めているのだろうと思います。
○鵜飼委員 先週金曜日に神奈川地労委の公益委員と懇談会を持ったのですが、この問題が話題になりまして、公益委員は弁護士出身や学者出身の人が多いのですけれども、労使委員の話を聞いて目からウロコが落ちることが何回もあったと、皆さんが異口同音におっしゃっています。労働委員会の現状については批判的な意見が多いのですが、少なくとも公益委員の人たちが労使委員から、労使の実情に根ざした体験からのいろいろな意見を聞くことによって、自分の視野が広がる。あるいは別の角度からの視点が入ってくる。事件に対する洞察力が深まる。これは共通項があるのではないでしょうか。ぜひ公益委員の先生たちの声を聞きたいのですが、神奈川地労委ではそういう意見を異口同音に言われました。
イギリスに行っても、イギリスの労働裁判官がそういう意見を言っていました。要するに労使の経験をもとにして法の解釈、適用を考えるということをおっしゃっていますので、これは東西変わらないのではないかと思います。
我々弁護士も、この前、石嵜委員がおっしゃったように、労働事件をずっとやっていないとその感覚が失われる。その感覚は一体何だろうかと思ったのですが、山川委員が分析されましたように、職場の中には大なり小なり複雑な利害関係が絡んでおりまして、今はまさに多様化が進んでいるために、その複雑な利害関係がさらに複雑になっている。しかしそれは一過性のものではなく、継続性、一種の歴史があるんですね。歴史の中で培われたものが制度として、あるいは慣行として存在する。しかし、現在の激動する社会状況がありますので、それがまた大きく動き始めている。実際にその人たちの意見を聞き、体験していきませんと、1つの問題を見るときの基準のようなものが自分自身の中でなくなってしまうという点があります。私は、これは多分一種の経験則ではないかと思います。雇用社会におけるさまざまな経験から帰納される一般法則といいましょうか、これは書物にならない部分があります。それはむしろ「勘」と呼ばれるのでしょうが、そういうものがあって、それが一定の事実評価につながってくる。
これは本来は裁判官、判断者の責任に属することであって、事実の判断の場合には大前提に属することで、経験則を間違いますと法令違反になって取消しの対象になるような、本来はそうなのですが、しかし山口委員の意見書にあるように、労使が主張立証責任を尽くすべきとおっしゃるのは、事実がそうなっているわけですね。
要するに、日本の労働事件では企業においてどういう制度がつくられ、どういう問題があり、そして今どうなっているかということを微に入り細をうがってこちらも主張立証しなければいけない。それは膨大な書証になりまして、人証でも物すごい時間がかかってしまう。私が外国へ行って一番びっくりしたのは、労働事件のファイルの事件記録の厚さですね。私たちの事務所では一般民事事件に比べて労働事件はロッカーの大半を占拠している状況にあります。それだけで一事が万事ではありませんが、そういうものが当事者の立証責任に負わされているために、微に入り細をうがって歴史上の経過も含めて、これでもかこれでもかと立証して、やっと裁判官に理解してもらえるという感じがある。職場における1つの経験則は、我々法曹だけでは把握できない部分があるのではないか。これは公益委員の人たちがいみじくもおっしゃるように、そういうものではないかと思っています。
○春日委員 鵜飼委員から経験則の話が出たので、労働事件における経験則はどういうものか必ずしもよくはわからないのですけれども、しかし原則としては、労働事件であっても民事訴訟で処理するということになればやはり経験則、とりわけ専門的な経験則については当事者双方から主張があってしかるべきだし、争いがあるならば立証ということになってくると思います。これはあくまでも手続ルールですから、そのものを否定することはできないと思います。
ですから、まず当事者の主張がある。例えば解雇の正当性等が問題になったとしたら、労使双方でその正当性を基礎づける事実は主張していかなければならないと思います。双方の主張立証があって裁判官が判断する。その判断の部分で裁判官が判断できないという側面があるとおっしゃるのならこれはまた別ですけれども、しかし少なくとも事実認定の部分ではまず当事者双方の主張立証があってしかるべきだと思います。
おっしゃるように場合によっては膨大なものになるのかもしれないのですが、しかし少なくとも労働事件で労使双方ががっぷり四つに組んで、中核となるような事件で、とりわけ鵜飼委員がおっしゃっているルールーメーキングをするような事件では、これはある程度やむを得ないのではないかと思います。そこで時間をかけることによって、むしろルールが明確にされていく。紛争でもコアの部分の紛争はどうしてもそういう作業が必要だと思うんです。それを時間がかかるというようなことで、ある種の専門家を入れて判断するということになると、逆にどこか事実認定の部分でブラックボックス化する側面もあるような気もするので、そこは軽々に直ちに専門家を導入すればそれで済むという話ではないような気がするんです。これは若干の感想です。
もう一つ、先ほど優先審理というお話も出たのですが、例えば解雇事件について優先審理をする、あるいはそういう条文を設けたらいいのではなかろうかというのは、確かに1つの考え方だろうとは思います。ただ、優先審理という条文そのものを設けて、それだけで問題処理ができるのかというとそんなことはなくて、当事者双方で解雇事件について優先審理をするのなら、とりわけ代理人の方々はもう優先審理なのだということで期日をどんどん入れてくれとか、それこそ仮処分のようにするなど、もっと具体的なことを考えていかないと結局題目だけで終わってしまう。ですから、この辺も何か工夫が要るのではないかと思います。
○髙木委員 広い意味で民事事件の一類型のように労働事件が位置づけられていることはおっしゃるとおりです。ただ、一般的に言いますと、一般民事とは少し違う感覚で訴訟手続なども見てほしい。例えば立証責任の問題にもお触れになり、あわせて事実認定については労使が関与するとある種のブラックボックスのようなものが生じるという御指摘もありましたけれども、少なくともこういうことを立証しなさいと言われても、立証するために必要な資料・データ等は圧倒的に会社側にありまして、簡単に言いますと証拠の偏在ということになるのかもしれませんが、そういうものを現状のままにしておいて、今のような御指摘をいただくのはどうかなと思います。
逆に言えば、私は労働側の委員を労働委員会で仰せつかっておりましたが、普通の会社ならこういう証拠はどこにあるかは私たちは大体わかるんです。あるなら出したらと言うのだけれど、出さない理由をいろいろお考えになって、ほかの人たちにこういう影響を与えるからそういうものは出せないなど、その都度いろいろな理由が挙げられますが、そういう意味で刑事事件の証拠の同意不同意の世界とは全く違う世界が民事の、とくに労働事件の立証責任分配をお考えいただくときの論理の背景にあるのではないか。私は法律実務はよくわかりませんので、感覚的な話で恐縮ですが。
そういう意味で一般民事事件とは少し違う面があるということについて御理解をいただいた上で、今後の議論をしていかなければいけないのではないかと思います。
○春日委員 私も、労働事件についての専門性等を否定するつもりで言っているわけではないのですが、余りに労働事件というので特化するというか、特殊なのだという前提のもとですべて進んでいくような感じが若干したものですから、それで申し上げたのです。
証拠の偏在はまた別問題なのではないかと思っているのですが、それも考えていかなければいけない1つの要素であることは感じております。
○石嵜委員 2点ありまして、訴訟の迅速性の話になると、山口委員がおっしゃるように裁判所だけの問題ではなくて、弁護士の問題は大きいです。絶対大きいと思います。日程の入れ方を見ても、自分が訴訟に出ていて現実になかなか入らない。だからできる限り複数で日程を合わせるように努力はしますけれども、その点で私たち弁護士が本当に反省しなければと思っています。加えて、弁護士はやはり敷居が高くて、また費用がかかって、その現実が、では5~10年で変わるのかというと、弁護士そのものも努力しますが、現実になかなか変わらない部分がある。今後増加してくると思える、裁判を受けて解雇されてそして救われたいというのは基本的にはこれから先も、恐らく30人以下とか、常に主張しますけれども、この規模の労働者がたくさん出てくる可能性がある。この辺を踏まえて、弁護士を雇えなくて、しかし自己で、いわゆる本人訴訟をやりたいという人たちに対して、裁判所は主張立証を全部ちゃんとやれと言い切っていいのかなという思いがやはりある。
裁判所としてはそんな負担ができるかと言われればそうだけれども、それは国という枠の中で制度設計しようと言っているのですから、その中で議論すべき対象であろうと思います。
もう1点、専門性について確かに今日の話もそうなのですが、今日の時点での、つまり労使の均衡点が現社会でどこにあるかを見出す作業ということはみんな大体一致しているわけですね。それは確かに今日のものを見出すかということになると、ある程度考えることはできても、これだけは本当に言えるのですが、その均衡点が今は1か月、2か月で変わるんです。ものすごい勢いです。
こういうことを言ったら削除してもらわなければいけないのですが、今出ている銀行や流通の大きな話を直接聞いて直接しゃべり、メーキングしたものが新聞に載っていく。その中で経営者と話すと、これはすごい勢いでいく。そういう中で5年、10年、15年という枠の制度設計をしようという議論をしている。そうすると、その均衡点は常に動いていくだろう。その均衡点が動かなければ、基本的には日本という国自体の問題になっていくのではないか。つまり、はっきり言えば人件費問題ですね、マーケットにおけるコスト競争ですから。
そういう枠の中で、体験者がいるので過去に体験した人間をそのままずっとということを言っているつもりではなくて、だからパート的と前回言ったのですが、常に企業ないし労働の現場で生きている人がパート的に、体験からや今自分が生きている社会からその時の均衡点についての意見を言わせるという特殊性は労働事件には必要ではないだろうかという気持ちです。したがって、5年、10年、15年の動きはやってみなければわからないではないかという点もあるのですが、私は世界構造から考えて恐らく市場が大きく動きそれに伴い労使の均衡点は動いていくだろうと思っているものですから、そういうふうに考えているということです。
○鵜飼委員 先ほど経験則の話がありましたが、例えば整理解雇の問題一つにしても、人員削減の必要性があるかないか、回避努力を尽くしたかどうか、人選基準は妥当かどうか、手続の妥当性があるかどうかは規範的要件であります。これ自体は裸の事実ではありません。我々は主張立証のレベルでは具体的な事実を出さなければいけない、これは当然ですけれども、必要性のありなしや努力義務を尽くしたかどうかという判断のところ、それを最終的には合理性があるかどうかの判断になると思いますが、判断の基準は経験則ではないでしょうか。
それは労使の均衡点を見出す作業と実際上同じになるわけです。そのときに、我々法曹が得られる知見は限界があります。というよりも、激動するこういう社会の中ですべてを知り尽くすなどあり得ない。裁判所にそこまで求めることはできない。そうするとどこで均衡点を見出すかというぎりぎりの判断基準は、この雇用社会における知見を利用することが求められているのではないか。それがある意味でブラックボックスというのは私はちょっと心外なのですが、事実認定のレベルではもちろん証拠収集などの部分がありますので、それはブラックボックス化されることはあり得ないと思います。判決の適否の中できちんと記載すればいいわけですが、むしろ問題は、そういう規範的要件についての判断、最終的な解雇の合理性の判断の基準をなす経験則は、本来は裁判所の職権調査事項と言ってもいいのですが、私はそういうふうに思っています。そういう部分についての強化を果たさないと21世紀の労働裁判は時代に適応できないと思います。すべて労使に立証責任を負わせるのは、ちょっと時代錯誤ではないか。
労働事件について特殊性を強調されるとおっしゃいますけれども、雇用社会に住む人たちは人数でも5,300万名を超えているわけで、家庭と同様に日本の社会の最も基礎的な単位を構成しているわけです。そこで紛争が発生したときに、それをどのように迅速・適正に解決するか。そして、それを法の支配に結びつけていくかということは、社会にとっても非常に重要な課題であります。それについて特別な手続を設けることはある種必然的な流れで、むしろ外国等においてそうされているわけです。日本においてはそういうものが必要ないということはあり得ないだろう、むしろ特殊性を見極めながらどういうシステム設計をすべきなのか。外国の法制とすべて一緒にするべきとは私は思いません。半周か一周ぐらい遅れている部分がむしろメリットに働く部分があると思いますので、外国の試行錯誤のプラス部分を日本の実情においてどう移植するかということを考えるべきだと思います。
○山口委員 いろいろお話はありましたけれども、裁判による解決とすると、基本的には主張立証を踏まえて裁判所が判断するという構造になるわけですから、具体的な主張立証の必要性がどこまであるかはそれぞれ事件に応じて千差万別でしょうけれども、基本的な主張立証を法規の要件の適用を求めなければならないというのは、変わらないのだろうと思います。
鵜飼さんからは、微に入り細にうがち立証しなければわかってもらえないというお話でしたが、裁判所から見ていますと、労働者側の方は余りにも微に入り細にうがち過ぎるという思いがしてならないので、どうしてそこまでやらなければいけないのかという思いがしております。
また、制度の問題ですから本人訴訟と代理人がついているものでは分けるべきではないというのは、そのとおりなのだろうと思っています。具体的な判断枠組み、その他主張立証の必要性の関係でも同じように考えていくべきだろうとは思っていますが、現実問題として、代理人がついている場合と本人の場合では具体的な法的構成その他で違いがあるということは厳然としてあるわけですから、現在の実務でも、本人訴訟の場合は代理人がついている場合と一応別枠に考えて、代理人がいる場合より長い時間をとって本人から当該事案の事由を聞いたりして、どういう法律構成がこの事件には適当なのか、この事件の一番の問題点はどこなのかということを、話を聞きながら裁判所の方がまとめるような作業をしておりますから、そういう意味で手間暇は裁判所にはかかっているのは事実ですけれども、それによって本人訴訟だから特に手当てが不十分だとは思っていません。
それなりに必要な証拠は、ある意味では弁護士さんがついているよりも少ない主張立証で済む場合もありますので、時間的には早いのかもしれませんが、そういうふうに言えると思います。
労使の均衡点を探る勘というのも私はもう一つよくわからないので、具体的に確かにこの事件についてはいろいろな事情を総合的に判断しなければいけない。したがって考えられる要素としてはこういうことがあるけれど、これをどの程度、どういうふうに考慮して、どういう判断にもっていくかということでは悩むところがあるのは事実だと思うのですが、例えば労使が当該事案の事実認定を前提とした上での議論になると思いますけれども、事実認定そのものが違ってくれば当然、要素も違ってくるのですが、事実認定がこういう場合にどういう判断が適当かということのように、労使の勘が一致するのかどうか。私はそこが知りたいんですね。そういう場合は一致するものなのでしょうか。
○鵜飼委員 一致するというから不思議なんですね。私はフランスやイギリスで、ほとんどが一致すると聞いていますから、それは多分一致するんでしょうね。
○山口委員 ある意味で紛争が定形的でかなり簡単だからという話であったと思うんですね。
○鵜飼委員 そんなことはないですね。
○山口委員 そこはどうなんでしょうかということを率直に聞きたいと思っています。
○石嵜委員 私も正直言うとそれが一番疑問でした。ただ、確かに集団的労使紛争のような労使の価値観の対立がある部分についてはおっしゃるとおりだろうと思います。そこは長い歴史も踏まえて、自分たちが生きてきた過程もあるので、この問題についてそう簡単にいかないだろう。これは今でも思っています。ただ、使用者と労働者の個人事件の場合に、この部分でどちらに理屈があるのだろうかとか、ある意味で本当は六四とか七三のようなものなんです。実態のずれなどはほとんど労使に関係ないです。
こんなことを言ってはおかしいのですが、本当は判決の中でも金銭賠償で六四にするというシステムがあると全然違うのでしょうけれども、今のようなオール・オア・ナッシングでやらされてしまいますので、そういう枠の中のものについて、不公正解雇でやっているイギリスで、雇用審判所の最大の懸案と聞いて何度も確認していますけれども、やはり大体一致して90%以上の人が、いわゆる審理が遅い、お金がかかるという不満はあってもその結論には大体満足しているのが結果だと、向こうは自信を持って胸を張って言いますね。ということは、ある種そういう経験則があるのだと思わざるを得ないのですが。
鵜飼さんと私なら合うのは当たり前というのはおかしいけれども、こういう話は違って、使用者側の課長・部長クラスでも、上が何を言っても構わないから、おまえはどう見ているのだという話をすれば、意外と常識的なことを言うんですね。そのぐらいしかお答えできませんが、そういう感覚を持っています。
○髙木委員 強いて言えば、例えば価値観の対立のようなものが、事実認定をするときにかかわるような内容のものがあるとか、新しい秩序形成のようなものがかかわるという部分には、率直に言って対立はあると思います。
先般、ドイツの連邦労働裁判所の労働側の参審員の方お2人が、ドイツでも、労働裁判所一審ではほとんど対立はないようですが、三審まで上がってくるようなものは時々そういう対立型になるものがあるということを言っていましたが、どういう事件が対立型になるのか、その比率がどのぐらいなのか、中身の違いによる類型の比率とかいろいろあるとは思いますが、大方を見たらこの事件はこういうことだなと、そうブレはないと思います。
○山川委員 先ほど来出ている論点は多分3つに分かれていると思います。主張立証責任の問題と、出された証拠の見方というか評価の問題と、さらに一般条項における各具体的事実の法的評価の問題があって、先ほどお話に出た経験則は証拠の見方の問題かなと思います。均衡点といものは恐らく規範的要件に関する法的評価に当たっての総合判断の在り方かと思います。
特に経験則に関しては、私自身が十分な経験を積んでいないですし、経験則を二言三言で説明できてしまうようでしたら専門性は特にないということになるかもしれないので難しいのですけれども、司法修習生時代に習ったのは、一般民事事件については事件の筋というものがあるということで、その中の1つで非常に印象に残っているのは、お金の流れとか財産の流れに注目しなさいということでした。自然の経過では財産の流れはこういうふうになるのであって、そこで何か異常値が発生したらそこには何かあるのではないかと考えるべきであるというようなことを教わって、それは僅かながらの実務の経験の中では役に立ったように思っています。
労使関係についても同じことがあるかどうか。つまり、これは労使関係の継続性の中で出てくるのかもしれませんが、通常の労使関係ではこういうふうに進んでゆくはずだというパターンがあって、ここでボタンをかけ違ったというような事態が発生したことを見抜くことができるかどうか。通常ならこんなことはしないということがあるかどうか。これは私自身で経験しているわけでもありませんのでむしろ質問ですが、そういうことが財産の流れにおける異常値と同じような形であるかどうか。もしあるとすれば、それは一種の経験則の1つなのかなという感じがします。
均衡点の方は余り深く考えていないのですが、例えば能力不足で解雇をする場合には、改善の努力を従業員に求めるのが普通で、何か1つミスがあったら解雇できるという立場は一般に採用されていないと思いますが、会社で改善を図るとして、問題のあった従業員にどの程度のことをしたらいいかは、少なくとも学者にはよくわからないというところがありますので、この辺も何かあったら教えていただきたいと思っているところです。つまり、通常なら会社ではこのくらいまでのことはするというような水準があるか、あるいはそれが当てはまらないような事態があるのかどうか。それを判決の中でどういうふうに書くのか、心証過程で経験則をどの程度書くのかは、またよくわかりませんし、やや別の問題かと思いますが、以上が疑問と感想です。
○菅野座長 今のことに関連した論点で、前回ではなかったかもしれませんが出されていたのは、事件というのは個々の企業、個々の当事者によって違うはずで、企業を通じた経験則などあるのかということですね。あるいは専門的な知識はあるのか。個々の企業における事件はそこに属する当事者、あるいはその代理人によって主張立証して判断するのが筋ではないかという意見もあったかと思います。
例えばベルリンの労働裁判所も部を業界ごとにつくって、建設業界ならその業界から出てくる労使委員がこういう相場だとして、日本で言う懲戒解雇の正当性判断などはどんどん片づけられますが、日本で業界ごとの部をつくれるわけではないので、ありとあらゆる業界・企業の労働事件を扱う中で、それに通じた専門性があるのかどうか。そういうことも論点になったと思います。
○石嵜委員 企業の業種と規模、地域性、そしてその企業はオーナー企業のたたき上げなのか、ある種のサラリーマン社長なのか、まだいろいろあると思いますが、確かにおっしゃるとおり、当該企業ごとの均衡点だと私は思っていますから、当該企業ごとに判断しなければいけない。それは裁判所が当該企業ごとに判断していくということなのですが、今のようなものを集約していけば、これはこうやったなとか、しょせんこうだろうと言えば、正直言うとそれは大体当たっています。だから飯が食えるのですけれども、だから予防の注射が打てるという話になる。これは生意気ですけれども、本気でそう思っています。
能力の話になると、能力不足で即解雇できないという発想も私は少し違って考えております。それは長期雇用システム下のことで、おっしゃることはまさにそうで、だから改善を促すことが必要となる。しかしながらこれから先、規模によっても裁判所でもその許される範囲も違いますよね。中途採用かどうかとか、その専門性を持った契約によってか、もうバラエティがありますので、基本的には能力不足という理由で議論するのではなく、私は理由の程度だろうと思っています。その程度を今のようなものでどの辺に落とすかという話、この辺がスペシャリストとは言いませんが、体験を通したエキスパートのような形のものを持っている人が必要ではないかという気がしています。
○鵜飼委員 私もこの辺は言葉に整理して言うのは難しいと思っていますが、私は労働側でやっていることを前提にお話しいたしますと、先ほどのA事件、B事件それぞれの担当者からいろいろヒアリングしたのですが、仮処分で出されたデータと本案訴訟で出されたデータは基本的に変わらないと彼らは言っています。1つは、B事件について担当の弁護士が言ったのは、生の声を裁判所で聞いてもらったことが1つの実態を把握できた、労働側ですから、解雇無効になったということの大きな理由ではないかと言っています。
実はこのケースは迂回融資という問題があって、会社の資金を銀行から借りて子会社に迂回していたという問題があります。それは仮処分の段階でも指摘していたのですが、具体的な生の声によって人員削減の必要性との絡みできちんと位置づけられて、解雇回避努力があるかないかの程度の問題との絡みで、それがかなり大きなウエートを占めた。これは主尋問、反対尋問、その他の尋問を通じてその辺が裁判官に解雇無効という判断を決めさせた要素ではないかということを言っていました。
我々も労働側で事件をやっていますと、どこかで裁判所に通じたなといいましょうか、本質を理解していただいたなというところがありまして、微に入り細をうがって主張立証するというのは、我々もそうですけれども、裁判官にどこまでわかってもらえるかということがあるものですからそうする面があって、これは反省しなければいけないと思いますが、仮処分と本案訴訟の違いは、生の声で労使が説明する。それを通じて裁判官が具体的なイメージを持って、先ほどの規範的要件の判断をする。そういうメカニズムがあるのではないか。しかしそれは時間がかかる点が大きな問題でありまして、私はそこに企業社会の知識・経験を有する者が参加することによってより迅速にできる。それは外国にモデルがあるわけで、そういうことができるのかなと思っているわけです。
○山口委員 石嵜さんの話を聞くと、それなりに「黙って座ればぴたりと当たる」のであれば、余り裁判にならなくても済むのではないかと思うものですから、これだけ裁判所に出てくるような紛争について一致することについてはいまひとつ、ああそうですかとも言いにくいところがあるのですが、それはそれとして、多くの方から労働裁判についても専門家を関与させるべきではないかという御指摘も幾つかあったと思います。先ほどの経験則、あるいは総合判断とも絡んでくるのですが、具体的にはどういう場面に専門家を入れるべきだとおっしゃっているのか、その辺がもう少しわからなくて、具体的な判断部分についてまで専門家を入れるべきだというお考えなのか。あるいは労働の人事制度その他についての知識が裁判所では短期間では習得しにくいから、そういう専門的な知識なり知見の補充にウエートを置いた形で専門家を絡ませることを考えるべきだとおっしゃっているのか。その辺が皆さんもばらばらのような気もしますので、どうなのかなという気がしております。
○髙木委員 山口さんのお話の前に、山川先生が言われたことで、労使関係の中で何かが変えられるときにそれなりの理由はあるのかという御趣旨のお話がありましたが、私は多くの場合それぞれ理由があると思います。それはくだらない理由もあれば、みんながよくわかる理由もある。例えば経営のトップが変わったりして、その人の個性で経営を考えるような人が出てくる。そうすると労使関係を担当している役員あたりは、そういうことでかなりのプレッシャーを受ける。プレッシャーをかけられた労務担当役員なりはそのトップの要請に何とかこたえなければいけない。あるいはトップは変わらなくても、労務担当が変わって上方志向の強い人が出てきたりすると、それでもまたいろいろなことが起こったりする。
これは大手中堅企業の場合ですが、そのときに自分たちの仕事が儲かっているか儲かっていないかは、仕事をしている者が一番よく知っているんです。自分が今やっている仕事はそう儲かっていないと思っている連中は、例えば合理化などがあるとこういう事情だからある程度受け止めなければしようがないのかなという感覚を受けとめ、その感覚はそうばらつきがなく形成される面があります。また一方では、今の経営状態はそんなに悪くないのに、5年後の心配をしてこうせいああせいのようなことを言っていて、今度の労務担当重役は何を言っているのだと。それなりに理由があって、その理由がそれぞれ塀の中の人間にどういう咀嚼のされ方をするかによって、それが摩擦型になるとか、あるいは理解共感型になるとか、それこそケースごとに見てみないとわからないのだろうと思います。
企業は一般的に言えば上意下達型が強くて、基本的には企業社会は権力構造ですから、トップがそれなりにある種のリーダーシップを持っていて、気に入らなければ下の役員は一晩で地位もなくなる世界も持っているわけですから、そういう流れの中で、ある種変わるときは何で変わったかはそれなりに見る必要があるのではないか。
山口さんのお話は私もこれからいろいろ考えてもう一遍整理してみなければいけないなと思っているのですが、一言で言えば、事実の捉え方というのでしょうか、認識の仕方がまず第一義的な話ではないかと思います。
○鵜飼委員 労使の裁判官の意見の一致については、フランスのケースでも統計的に出ておりますので、労使の裁判官で判決を下すケースが95%以上ですね。意見が一致しないときに職業裁判官が入ってくるわけですから、もう統計的に出ているわけです。
イギリスやドイツでも、イギリスでは全く同じことを聞きました。ある職業裁判官は8年間の経験で、労使の意見が対立したのは3~4件と言われたのでびっくりしましたけれども、そういうふうに個別紛争について労使の意見が一致するのは、我々の経験ではなかなか分かりにくいのですが、労働委員会の公益委員の先生に言わせると、その辺は分かっていただける点があります。ですから、私はそうではないかなと思います。
判断機能か和解機能かですが、先ほどの全体図の問題はありますけれども、法の支配をきちんと強化していくための裁判の役割を考えますので、裁判の役割を強化する、迅速かつ適正にするためには、21世紀型は判断機能にも労使が参画する。振り分けの段階から労使が参加することによって、その辺がよりスムーズになる。しかし、それによって職業裁判官の役割はますます増えてくるわけで、その役割がなくなることはなくて、むしろ職業裁判官の存在はものすごく大きくなると私は思います。
○山口委員 職業裁判官のウエートが大きくなろうとなるまいと私には余り関係ないのですけれども、具体的にどういう形の専門性を考えるかは、これからいろいろな意見を聞いていけばいいのだろうと思います。労使の意見の一致の関係で鵜飼さんがいろいろおっしゃいましたが、外国において一致しているというのは決して否定するつもりはないし、それはそのとおりなのだろうと思うのですけれども、多分それは日本とは違って、それなりの労使の伝統があるのだろうと思うんです。自主的に紛争を解決するという100年、200年、あるいはもっと長い伝統があって、個別紛争についての物の見方も、ある意味では共通基盤が労使にできている。そういう伝統があるからこそそうなっているのではないかと思うのですが、日本の場合、果たしてそういう伝統基盤なり意見の共通基盤が今まであったのかというと、こういう形で基盤が形成されてきたということが目に見えないものですから、そういう基盤がはっきりしない状況のままでいきなりというのはどうかという思いがあるものですから、今の段階で労使の意見は一致するとおっしゃられても、にわかに「はいそうですか」とは思いがたいところがあるということことを申し上げているので、「いや、それでも」とおっしゃるのなら、またその中で議論していかなければならないと思っています。
○鵜飼委員 それはむしろ労使の方に御説明していただくのがよいと思います。
○菅野座長 その点についてだけ言えば、むしろ日本的基盤のようなものがあるのかなという気がするのですね。
学者的な言い方なので労使の方に体験的に修正していただきたいのですが、戦後、労働組合法をつくって、いわば欧米の労働組合思想を法制化して日本の労働組合がそれに力づけられて運動したわけです。この労働運動は、戦前からの政治的な対立を引きずって長年やっていったわけですが、結局、最も大きな労働運動は生産性向上を共通の理念とした企業別労使関係になったということであります。これが企業別労使関係の基盤でありまして、それが今また揺らいでいるのですが、基本的には存続しております。他方、ヨーロッパの産業別労働組合運動は産業別労使関係の上に成り立っているのだろうと思います。それはむしろ大きな対立関係でもあり、緊張関係は恐らく企業別労使関係である日本よりも強いのではないかと思うわけですが、しかしその中で労使の代表者が来て、中立の立場だという裁判官としての倫理と教育を受けて参加して一致しているわけです。
日本がそのインフラをそのまま移植できるかとかつくり上げられるか、これはまた別問題ですが、労使が意見を一致させる基盤があるのかどうかについて言えば、ないわけではないという気がするわけですね。
○髙木委員 私もよくわからないのは、日本の裁判所にお世話になる労働事件が二千数百件ですが、例えばドイツの60万件と比較したときに、裁判所に判断を求めに行く事件の意味といいますか、社会的な感覚が大分違うのだろう。日本の場合は、例えば労働組合運動にかかわって「○○さんを何とかする会」のようなもので上がっていったケースとか、どちらかというと訴訟の場でのやりとりも対立構造をひきずったような裁判の比率が高いのではないか。だから、そういう裁判を日常的に処理されている山口委員などの感覚からすれば、労使で意見が一致することなどあるの、とお感じになる感覚も、私はわからないではない。それは日本の裁判所に上がっていく労働事件の質といいますか、正直言ってそれはあるのではないかと思います。ただ、今後も個別労使紛争等が増えていくときに、言葉は適当かどうかわかりませんが、権利実現のためにみんないくわけで、どちらかというとある種の力学が働いた事件が現在は裁判所にいっているという状況が大分変わってくるのではないかと思います。
もちろん社会の感覚的な意味での権利意識の形成、これは歴史的な背景も違いますし、現にあの60万件をどう評価するのかということで中身を見てみると、こんなケースもみんな裁判所にいくのというような面もあるかも知れません。条件の7~8割はプロの裁判官だけでの和解でけりがついていて、ドイツの労働裁判所の感覚で言えば、一審でけりがつかなくて二審に上がっていくぐらいの事件が日本の裁判所にいっている感覚かなと思われます。抽象的に思っているだけで検証したことはありませんが、その辺は日本の場合と異なるのではないか。
これは日本の訴訟件数がなぜ少ないのか、労働分野はとりわけ少ない分野かもしれませんけれども、その辺については司法制度改革審議会の中でもいろいろ議論が行われてきたのだろうと思っています。
○鵜飼委員 私も個別的ないろいろな紛争の相談を受けて、それでイギリスへ行ってイギリスの労働裁判所の状況を見て、私が相談を受けたいろいろな人の顔が浮かぶわけですが、その人たちがイギリスのシステムであれば裁判が出せたのだろうなという思いがあって、それで裁判システムについていろいろ考えるようになったわけです。
日本の労働裁判に出されるケースは、アクセス等の問題がありまして、非常に長期的に闘い続けるケースは先鋭な労使の対立がある形の事件が多いのは間違いないと思います。それは、もっと多くの例えば解雇事件1つにしても、裁判を利用したいというニーズがあるにもかかわらず、それはなかなか利用できなかったという現実はあります。結局、今の裁判システムと労使自治の能力の向上の問題やADRの問題と絡んでいきますと、裁判に集まる事件はある意味で本当に少数の事件で、そこが長期的な争議という形で、場合によっては10年ぐらいになるケースも例外ではないということになりますと、裁判所による適正・迅速な解決、ルールメーキングが企業の中にフィードバックして、自主的解決能力を高め、それがまた裁判に返っていくという好循環といいましょうか、あるいは企業側のADRの機能強化につながっていくという循環がどこかで断ち切られてしまっているんですね。これはやはり問題ではないか。もちろんそういうコアの部分の裁判があってしかるべきだと思いますが、裁判を利用したい多くの人たちが裁判を利用できて、それが好循環を果たしていく。それが労使自治の能力の向上にも跳ね返ってくるという相互の有機的な連携関係が必要なのではないか。
そういう意味で今までの裁判のイメージは、山口委員のイメージでは、例えば仮処分の事件はかなり個別紛争ですね。そういう事件が最近増えつつあると思います。少数の先鋭な対立の労働事件だけをイメージされていたのでは、現在の個別労使紛争の実像をもうひとつ理解できない面があるのではないかと思っています。
○山口委員 私は仮処分もやっていますので、先鋭的な対立だけではなくて個別紛争もやっております。そういう意味では第一線もわかっているつもりでいるのですが。
先ほどの話の続きになりますけれども、専門家も関与させるとした場合に、どういう形で関与させるのか。あるいはどういう事件、どういう類型に関与させるのか。あるいは、果たして関与にふさわしい人がどのぐらいいるのか。そういうことをトータル的に議論しないと、理念先行型でやっても制度としては実が伴っていないというのでは、私は設ける意味はないと思うんです。そういう意味では総論的な部分ではなくて、各論的な現実の実務的なことも考えた上でどうするかをぜひ決めていただきたいと思います。
○菅野座長 それはおっしゃるとおりだと思います。先ほど提起されたように訴訟のどの場面でどういう形で関与させるのがいいのか悪いのか、給源としてどういう人がいてこれからどのように供給していくのか、その辺は各論の中の中心的な論点だろうと思います。
それではこの時点で10分間休憩し、終わったらまたこの続きがあるかどうかをお聞きしたいと思いますが、もう一つの今後のスケジュールをどうするかも重要な論点ですので、よろしくお願いいたします。
それでは10分間休憩させていただきます。
(休憩・再開)
○菅野座長 それでは再開させていただきます。
本日は4時半までになっていますが、スケジュールの検討は20分ぐらいお時間をいただきたいと思います。それを前提にして、休憩前の御議論を続けていただきたいのですが、もし1つ議論していただければと思う点は、調停における専門性、あるいは専門家の導入についての御意見を今日は余りされていないものですから、いただければと思います。その点に限るわけではなく、先ほど言い足りなかった点、ぜひつけ加えておきたい点がありましたら、どうぞ。
○村中委員 先ほど私が質問してお答えいただいて勉強になったのですが、そこで出ていた勘とか規範的な判断という話のときに事例として出てきたものは、多くは利益調整型の問題だったのではないかと思います。調停ということで利益調整型の紛争を主として考えるのであれば、調停の場では実務経験のある方が果たす役割は非常に大きいのではないかと感じました。
○髙木委員 調停の議論をするときに議論することかなと思っておりましたが、労働調停なるものがどういう仕組みで設計されるのかにもよりますけれども、裁判所でやっていただく調整にどのぐらいの事件が委ねられていくものか、あるいはどういう内容のものが上がっていくのか。その辺は石嵜先生なり鵜飼先生は実務をやっておられるお立場でどう感じておられるか。かなり使い勝手がよくて、軽いものから重たいものまでかなりのボリュームで調停の場に上がっていくのか。どちらかというと重たいものが上っていくのか、軽いものがいってしまうのかによって、いろいろなADRのチャネルがある中で、裁判所で行う労働調停なるものがどういう役割を担うのかによって関与の仕方がいろいろあるのではないかと思っています。
○石嵜委員 私が感じていますのは、10年、15年の年数のスパンで長くなったときに、どれだけ労使間で裁判所を使う労働調停が定着しているかということ。これは予測しにくいところがあると思うんです。ただ、現状で導入後即件数が増えるかというと、私はそんなに増えないのではないだろうかと思います。なぜかというと、労政事務所もあれば、労働局もありますし、労働委員会もやっていますし、加えてそういうものは個人的に情報のない人がいろいろなところで相談を受けたりしたときに紹介を受けるとすれば、労働組合など地域の活動家が多い。その人たちは最初、裁判所というよりは労政事務所であるとか労働局とか労働委員会とか、こういうところがあるので、労働調停の質の理解はちょっと難しいですけれども、最初のうちは量が急激に増えるのかなと思います。
もともと私は、使用者側でも珍しく労働委員会説でしたから、とにかく今あるものをすぐ使えと、現実にそれはもう動いていますし。ただ、それがきちんとした形で国民にアピールされ、使いやすいものであり、正直言うとアクセスがよくて安くやれるということがアピールできれば。
ただ1つだけ予測がつかないのは、使用者側がこの労働調停をいかに利用するか、これはわからないと思っています。つまりなぜかというと、常に矢野さんも言うように、使用者側には労政事務所、労働局、労働委員会に不信感があるものですから、労働調停は裁判所の方が安全だという意識はどこかにありますので、その意味では使用者側の方でどこまで利用が進むのかなと。労働側は今の方で最初のうちは吸収していくのではないか。これはそういう感覚だというだけです。
○春日委員 そういう実態の問題については私はよく分からないのですが、恐らく労働調停で事件がどのぐらい来るかは、手続の中身にもよるのだろうと思うんです。非常に身近な問題で、例えば人の確保がもうできなければ民事調停は使いものにならないとか、ですから労働調停の場には人の確保で何か手当をするとか、あるいはもう少し拘束力を強める、あるいは仮処分のようなものも調停手続の中でやれるのかやれないのかとか、その後の拘束力をどの程度にするか、17条決定のようなものを出せるのか、決定が出た後に異議があったときもそれで手続が終わりと言われてしまうのでは、労働調停に事件がそれほど来るとは思えないんですね。ですから、そういう手続の中身についてもっと考えていかないと、予測もできないのだろうという気がするのですけれども。
○ 鵜飼委員 まず、村中委員がおっしゃった御意見は利益調整型に先ほどの議論は符合するのではないかということで、確かにそういう側面がありますが、例えば解雇事件について言いますと、一般条項ですので、究極の利益衡量といっていいのでしょうか、合理性のあるなしの判断は、何度も言いますけれども均衡点をどう見出すかというところがありますので、そういう意味では確かに専門性は一面判定的な部分と、一面利益調整型の部分の相互にまたがってくるのではないかと思います。
予測の問題ですが、まず現在、民事調停が労働事件で全然利用されていない。これは労使を問わず一致するところで、特に私は解雇事件というか断絶型の最も典型的な労働事件が労働調停で利用できるかというところをまず挙げたいのですが、解雇事件は労働者側にとっては6か月から8か月、どんなに長くても1年以内の解決を求められるケースで、初めに調整的な形で解決できるということであれば、行政ADRが十分整備されつつありますので、むしろそちらにいくのではないか。裁判所のきちんとした法の適用に基づく解決を求めたいというのであれば、本案訴訟がきちんと強化されればそれにいくのだろう。
労働調停が利用されないのは、判定的・強制的な権能がバックにないために話し合いでお互いの調整を図っていくという手続なものですから、背景にそういう強制的・判定的な機能がありません。したがって、結果的に合意ができればいいのですが、合意ができない場合、その数か月が無駄になってしまうというのが労使ともに共通の意見です。現在の民事調停の状況では、解雇事件は多分利用できないだろう。和解ができるものは行政ADRにいくでしょうし、きちんとした判定的な解決を求めたいという場合には、労働裁判にいくだろう。労働裁判の6~7割は和解ですから、そういう意味では判定的・強制的な解決機能が後ろに控えている労働裁判においては、むしろ解決の主要な中身は和解なんですね。
ですから、私は解雇事件について使えるものにしないと、労働調停として幾ら精緻なものをつくったとしても利用されないと思います。せっかく長い時間をかけて、審議会の意見書が出て、検討の結果、労働調停をつくったとしても、解雇事件で利用されなければ意味がありません。
労働調停の1つの可能性は、継続型の場合の労働条件の変更や配置転換、要するに労使関係の信頼関係を継続しながら何とかそこで一定の調整を図っていくのは、場合によっては労働委員会がいいのではないかと私は思っているのですが、労働調停の1つの活躍分野なのかなとも思います。
労働調停を考える場合は、解雇事件についての本案訴訟の機能がどういう姿になっていくのかということの絡みでないと、率直に言うと、例えば解雇事件について短期間きちんとした集中審議ができて、結論が出るという労働裁判の手続がもしあれば、和解で解決するケースはかなり出てくる。その振り分け作業の部分、あるいは場合によってはその段階における1つの和解手続を設ける、それを調停と呼ぶかどうかは別として。そういうものであればかなり有効に機能するのではないかと思います。
○菅野座長 ほかにいかがでしょうか。
○山口委員 調停がどうなっていくかは、基本的にはどういう枠組みでつくるかによって変わってくると思うんですね。今までのような民事調停の延長線上の形でのものをつくるというのであれば、それは時間的な制限もありませんし、出てくるか出てこないかの自由のようなところもありますから、なかなか使いにくいし、そこに流れていく事件はそう多くないとは思うのですけれども、ある程度の枠組みをつくって、利用しやすいようにして、なおかつ何らかの訴訟との連携をよほど考えないと使いにくいとは思いますが、逆に言うと、ある程度の紛争をそこで取り込まない限りは、今のようなシステムではつくっただけで意味がないという形にもなりかねませんので、解雇が流れるかどうかはともかくとして、今の訴訟あるいは仮処分でやっているような事件のある程度がそちらの方に流れていくような形での枠組をつくっていかないと、それこそ屋上屋を架すような感じもしますね。
○後藤委員 調停はいずれにしても互譲によって話合いで解決するという手続ですので、解雇事件に使えなければ困ると言っても、調停にはなじまない解雇事件は必ずあると思うんですね。ですからできないものはできないで、そういうものは訴訟手続を利用していただくしかないのですけれども、話合いで解決するのがふさわしい事件、それが労働事件の中にはかなりの部分あることは間違いないわけで、それにふさわしい手続を提供することは、改革の趣旨として必要なことだと思います。
民事調停ですと、従来は簡易裁判所でやる調停が中心で、これは代理人がついていなくても、本人の申立てで双方が裁判所に来て、中立公正な場で調停委員会の話を聞いて互いに譲ることになるわけですから、間口は広くとるという意味ではこの手続を充実させることを考える必要があると思います。
○鵜飼委員 その場合、行政のADRがかなり整備されていますね。利用する側が、ここはこう違うと、一味も二味も違わないといけないと思うので、裁判所によって行うADRはある程度形式的というか、法の適用という部分といいますか、その辺が行政ADRに比べてニーズが出てくるのではないかと思います。
○石嵜委員 ニーズの議論だけだったら、使用者側はつくってほしいですよ。だから、単純に言ってしまえばこれはそういう話なので。
○鵜飼委員 使用者側が出すのですか。
○石嵜委員 使用者側も、仲裁は別としても早めに、特に契約が継続しているものはもっとそうだし、解雇も金銭で解決するのがほとんどなんですよ。したがって最初から裁判所に持っていく前に、できれば合同労組と直接会っても金銭解決するわけですね。そういう意味では、そういうところでうまくいかないときに、早くどこかで話し合っていくとすると、裁判で和解させていただくのも1つなのですが、それがいわゆる労働調停という形での1つの機関があって、これは新しく裁判所でつくられたということになれば、つくられたわけではなくて調停はもともとあるのですが、きちんとした形で宣伝されるということになれば、本当に先ほどから何度も言って怒られてしまいますが、使用者側は労働委員会へ行くより、労働局へ行くより、裁判所という気はありますよ。
ですから、正直言って私は少数説で、経営法曹のみなさんは、はい労働調停、はい裁判所だと、簡易裁判所でも窓口は広がる。これが使用者側のほとんど一致した意見ですから、その意味で使用者側からいけばその部分についての広がりがある。それで春日先生がおっしゃるように、いろいろな手続内容で、ここで解決できる確率の高いシステムをつくれば、それは使用者側のある部分としては利用するだろうなと、だから、こちらはある程度利用があるだろうと思っています。
○村中委員 労働局の紛争調整ですけれども、実際の手続としては1か月以内に1回の期日で解決してしまうことを原則にしていますね。そうすると、あらかじめ監督官をやっていたような人が外れて事務をやっておられるわけですが、その方が書類をつくられて、それをベースに両方に1回来てもらって、せいぜいかけて2時間ですね。
もうそこで結論が出なければおしまいという、そのぐらい簡単な手続でしかないわけです。そうすると、ある程度詳しいことを言いたいというようなことを言われても、多分今は対応できないのではないかと思います。
労働局の紛争の手続は非常に簡易で、その分、当事者にとってみたら、その日に来たらそれだけで解決してしまうのですが、しかしもうちょっと聞いてほしいというちょっと複雑な事件になると対応ができないし、またもう一つの問題は、実際に紛争調整委員をしている方に、専門的な知見はある程度あるのかもしれませんが、法曹の方がどのぐらい関与されているかはかなり疑問ですので、法的な判断を前提にした調整についてどのぐらい信用性があるかというと、私はちょっと疑問に感じています。そういう意味でも、それほど過大に評価する必要はないのかなというのが私の印象です。
○菅野座長 ほかにありますでしょうか。
もしよろしければ、大事な点として、今後のスケジュールの議論をしていただきたいと思います。次回以降、各論に入るわけですが、検討の順序、進め方です。まず事務局から検討のスケジュール案のたたき台について御説明をお願いします。
○齋藤参事官 資料58をごらんください。今後の各論の検討の進め方につきまして、座長とも御相談の上、事務局において1つの案としてたたき台を作成させていただきましたので御説明します。
まず、今後のある程度長期的な検討の進め方としましては、来年3月までに各検討事項について一通り御議論いただいて、おおよそ議論の方向性の整理をお示しいただき、その後、来年の4月から7月ころまでを目処に、各論の議論の二巡目として、それぞれの論点についてさらに具体的な制度設計等の御検討を深めていただき、9月ごろまでを目処に、少なくとも法改正が必要な事項については、当検討会としての検討を取りまとめていただくようなイメージが1つ考えられるかと存じます。
その上で、10月頃以降、要綱や法律案の作成、検討を行い、再来年の通常国会に必要な法案を提出することになろうかと存じます。
次に、当面の今年度内の検討の進め方ですが、前回までの御議論の状況を踏まえまして、2つの案をお示ししてございます。
A案は、裁判と調停は性質的にも異なるので必ずしも裁判制度について先に検討する必要はないのではないかとの御意見、司法制度改革審議会意見書で導入すべきとされている労働調停について早急に検討を行うべきであるとの御意見がございましたので、労働調停の在り方の検討から始めるイメージとしております。
B案は、まず紛争処理制度の要である裁判制度を検討した上で、それを踏まえてADRである労働調停の在り方を検討すべきであるとの御意見がございましたので、専門家の関与する裁判制度の導入の当否についての検討から始めるイメージといたしております。
いずれにしましても、限られた時間の中で検討を尽くしていただき、必要な措置を講じていく必要がございますので、合理的に検討が進められるようなスケジュール等について御検討をよろしくお願いいたします。
以上でございます。
○菅野座長 それでは御意見をお出しいただきたいと思います。
○髙木委員 私の意見ではB案の議論の順序がいいのではないかと思ったりしておりますが、A案でやったらというご主張の中の、裁判制度と調停制度は全く別物だからという認識があるという御説明がありましたが、裁判制度の仕組みによって、裁判所で行われる調停制度もその影響を受けるというか、その関係で仕組みが違ってくるような気もします。その辺はよくわかりませんが、いろいろ御意見があると思いますので、遮二無二にどちらでなければいけないというこだわり方はしませんが。
○鵜飼委員 私は、制度設計はこれから各論に入る前に全体の基本設計といいましょうか、大きな全体像をきちんと押さえて、それはもちろん司法制度改革審議会の基本理念に基づいてつくっていくわけで、それは大まかなもので完璧なものではありませんから、その後の個別的な各論の制度設計の中でフィードバックしていくことが必要でしょうけれども、そういう意味ではB案に近い。要するに、日本の労働裁判の在り方、イメージを大体のところどうか、現状をどう変えていくのかいかないのか。私は解雇事件が具体的にイメージしやすいと思いますし、労働事件の中核でもありますので、そういう意味で労働裁判手続について、解雇事件について遅くとも1年以内、これは半減が目標値とされているように、それが司法制度改革審議会の方向性でもありますので、例えば解雇についての労働裁判手続はどういうイメージになるのか、その中における専門家が関与する労働裁判のイメージはどうなるのか。そこで裁判所の設けるADRである、私は和解と調停と考えますけれども、それをどういうふうに位置づけるべきなのか。
やはり利用されないものにしてはいけないので、利用されるものにするには、これは角山先生などもヒアリングでおっしゃっていますように、本当に実効性のある使い勝手のよいものにしなければいけない。その意味では労働裁判のイメージと密接に連携してくる。本案訴訟との連携という話もありますが、本案訴訟がどういうイメージになるのか分からないと連携のしようがないわけですから、そういう意味ではB案の方から入るべきではないか。
B案でも、専門家の関与する裁判制度の当否だけに絞らないで、これからの労働裁判のイメージのようなものを、今日もいろいろ議論が出ましたが、その辺で共通項をまとめていくことはできないか。その上で裁判所の設けるADRについて、行政のADRとの違い、そして労働裁判の手続との関連性、そのあたりの議論をすべきではないかと思います。
○春日委員 これは両方2回ずつ検討するという趣旨ですか。
○菅野座長 そうです、どちらかを先にして。よろしいですか。
○春日委員 私は、基本的にどちらから先にやっても特にどうという意見はないのですが、双方同じウエートでやっていただけるのかなという点です。
○山口委員 私はA案でもB案でも、どちらでもいいと言ったら怒られるかもしれませんが、基本的には労働調停の在り方については導入が決まっていますので、それについてしわ寄せにならないというのであれば、訴訟と調停は分かれているとは言っても裁判所でやるわけですから、どういう人がどのように入っていくかということでお互いに関連しているわけですから、総論の訴訟の方から入っていった方がいいというのであれば、それはそれでも構わないと思っています。その議論が長引いて労働調停が余り議論できなかったということのないようにしていただければ、それは構わないと思っています。
○髙木委員 矢野さんは中座されたし、座長が御判断してください。
○菅野座長 ほかにどうぞ。
○石嵜委員 大事なのは、この問題は最初に山口委員が言われたように、総論は総論として、各論のいろいろな問題をどう踏まえて考えるかですから、どちらの順番ということではないと思っています。
○山川委員 私も、要はどちらかが時間切れになってしまうと困るというのが当初の各委員の問題意識だったと思いますので、順番というよりも時間を確保していただけることが重要だということだと思います。
○菅野座長 両者は密接に関連していると思います。労働裁判のイメージをつくらないと労働調停も議論できないところがあると思いますので、労働調停を議論してもらうとしても、その中で重要な論点として両方議論していただくようなことだと思います。私の希望は、しかしともかく各論の議論に入っていただきたい、理念よりも制度設計の議論に入っていただきたいということであります。たとえば今日のところでは、専門性とは何か、専門家の関与の是非、仕方の議論は大分できたかなという感じがしまして、ただし、やっていないのは、鵜飼委員が言われるように、労働裁判の審理期間とか審理の主体、あるいは専門家を関与させるか、どういう場面でどういう形で考えるのかということは議論していないわけです。
そういう意味ではそれをやらなければということもあるのですが、実際的に言うと次回が2週間後ということもあって、労働調停について中間的な論点の取りまとめの中でかなりの論点の整理はされていて、これは必ず導入することになっていますから、事務局としてはさらなる検討をしたいのだけれども、非常に基本的な点、つまりは例えば地裁レベルで考えるのか簡裁レベルで考えるのか、裁判手続との連携はどのように考えるか、あるいは他のADRとの連携をどのように考えるのか、その辺の基本的な方向をある程度出してくれると、さらなる実務的な検討をあらかじめしておける。そのことによってほかの3つの論点についての議論の時間がむしろとれるということがあります。
これらのことをあれこれ考えて、結局私としては、基本的にはA案とさせていただけないかと考えています。A案の中で労働調停の基本的方向を議論していただき、その中で労働裁判について必要な限り、在り方というかイメージなども一緒に議論していただいて結構で、しかしなるべく早く労働調停についての基本的な方向を、はっきりとした結論でなくていいのですが、例えば選択肢としてこういう方向があり得るというようなことも含めて出していただいた方が、後の議論を安心して腰を落ちつけてできるのではないかという気がしております。
私としては、結論的に言うとA案をとらせていただけないかと考えているのですが、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。
それでは、そのようにさせていただきいと思います。
○髙木委員 4月以降の日程もいろいろなものが入ってきているので、早めに調整していただきたいと思います。
○菅野座長 ひとつ御相談申し上げたかったことなのですが、私の方が大学の来年度の日程がまだはっきり出ていないものですから入れにくいのですが、それでも金曜日が比較的入れやすい日です。皆様の御都合で金曜日はどういう感じなのか、4月から7月までで7~8回のイメージで考えるとして、例えば金曜日はもう授業を入れてしまったとかありますか。春日先生などはいかがですか。
○春日委員 私は結構です、むしろ金曜日が一番いいです。
○菅野座長 山川さんは。
○山川委員 午前中なら問題ないですし、午後は第二と第四が別の関係の用事が入る可能性が高いですね。
○菅野座長 毎週やるわけにはいきませんので。
○石嵜委員 もうセミナーや講演を1年分とってありますので、早めに決めていただければそれは入れ換えますので。
○菅野座長 第一と第三はなるべく予定を入れないようにしておくとか、金曜日の第一、第三の午後の方が時間はとりやすいでしょうね。
○齋藤参事官 事務局としては午後の方がありがたいです。
○菅野座長 来年度は金曜日の第一、第三の午後はできるだけ入れないようにしておいていただくということでいかがでしょうか。
○髙木委員 私の方も調整します。
○菅野座長 来年度の予定が決まり次第、もっと具体的な設定をさせていただきたいと思います。
○齋藤参事官 それでは後ほどアンケートのような形で、委員の皆様の御都合をお伺いする作業をできるだけ早くいたしますので、よろしくお願いいたします。
○菅野座長 今後の検討会の日程はいいですか。
○齋藤参事官 それでは次回の予定を申し上げます。次回第11回は12月6日(金)午後1時から4時を予定しておりますので、よろしくお願いいたします。
○菅野座長 ほかに御意見はありますでしょうか。
なければ、本日の検討会はこれで終わります。どうもご苦労さまでした。ありがとうございました。
(了)