○菅野座長 定刻になりましたので、ただいまから第14回労働検討会を開会いたします。
本日は御多忙のところ御出席をいただきましてありがとうございます。
それではまず、本日の配布資料の確認をお願いいたします。
○齊藤参事官 資料74は、「労働関係事件への総合的な対応強化に係る検討すべき論点項目(中間的な整理)」でございます。
資料75は「民事訴訟制度の概要」と題する資料でございます。
資料76は「諸外国の労働紛争処理制度の概要」でございます。
資料77は「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否等についての主要な論点」でございます。
資料78は「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否等についての検討資料」でございます。
以上、資料74から資料78までは再配付させていただいたものでございます。
資料79は髙木委員からの提出資料でございます。
資料80は矢野委員からの提出資料でございます。
参考資料としまして、自由法曹団の「解雇立法の法案化に反対する意見書」を配付させていただいておりますので、御参照ください。
資料は以上でございます。
○菅野座長 それでは、本日の議題に入ります。
本日は、前回に引き続きまして、論点項目の中間的な整理のうちの「3 雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について」の主要な論点について検討していただきたいと思います。
資料77をごらんいただきたいのですが、この部分についての主要な論点を整理したものです。本日は資料77のうちの3(2)専門家の供給源、員数等についてまず御議論いただいて、それから4の部分、専門家を活用する場合の関与の場面等について検討していただきたいと思います。
各論点の問題意識については、前回も申し上げましたが、再度申し上げておきますと、3(2)については業種、企業規模、業務内容等の相違も踏まえながら、どの程度の専門性を備えた人材をどの程度確保することができるのか、またどのように確保するのかについて、その検証等も必要になろうかと思われますので、そうした点も含めて御議論いただきたいと考えております。
また、4については具体的な制度設計の点も含めて視野に置きながら、専門性の導入が必要な場面や専門家の関与の対応、当事者の意向の反映の仕方といった点について、この資料に挙げてあるような幾つかの段階や項目にブレークダウンして、場面の違い等も踏まえた検討を始めて議論を積み上げていただきたいと考えております。
はじめに、3(2)の専門家を活用する場合における専門家の供給源、員数について御議論いただきたいと思いますが、この点につきましては前回、労働調停も含めて主な供給源となると考えられる労使の関係者等につきまして、その確保の方法、見通し、あるいはその検討の進め方それ自体等についてのお考えを委員の方々、特に鵜飼委員、髙木委員、石嵜委員、矢野委員からお伺いしたいとお願いしておりました。
そこで、まず最初に4人の委員からお考えをちょうだいした上で議論に入りたいと思います。お一人10分程度ずつで結構ですし、また委員の間で発言時間を調整していただいても結構ですので、よろしくお願いいたします。
最初に髙木委員からお願いできますでしょうか。
○髙木委員 お手元の資料79を御参照いただきながらお聞き賜りたいと思います。雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度を考える中で、専門家の在り方はどうかというスコープでペーパーをつくってみました。
まず専門家の性格ですが、労働事件訴訟に参審員として関与する専門家は、労働生活に法の支配を求め、法の世界を労働生活の実感に裏打ちされたものとして形成する、少し固い言葉で言えば行為規範と裁判規範の応答関係の確保というのでしょうか、こういう切り口で見て専門家が必要とされるということだろうと思います。そういう意味では、雇用関係や労使関係の在り方に責任を持つ労使関係当事者が専門家として関与することが基本だろうと思います。
ただし、これらの参審員は、日本の雇用関係や労使関係の在り方に責任を持つものであって、当事者の利益代表者ではないわけですから、使用者側、労働者側のどちらの推薦を受けた者であれ、中立公平性を眼目として裁判に臨むべきであろうと思います。
けだし、中立公平性に疑念を持たれることがあるとすれば、裁判制度そのものに対する信頼感が揺らぎかねないわけですし、参審型の裁判制度を持つヨーロッパ各国の制度やその運用の実態もこの公平中立性をいかに具体化していくか、そのことの重要性が強く認識されていると聞いております。
次に専門家の供給源ですが、これもヨーロッパ各国の例等を見てみますと、各国ごとに若干の違いがあるように思いますが、大きな枠組みとしては、経営者団体や労働組合団体の推薦する者の中から選ばれていると思います。日本においても、推薦方法や選任手続等で日本的な工夫を加える必要があるのではないかと思いますので、そういう工夫を加えながら、専門家の供給源の中心は経営者団体や労働組合団体の推薦する者とするという考え方でいいのではないかと思います。
特に労働組合団体による推薦の対象者は、労働組合のナショナルセンター及びそのローカルブランチ、あるいは産業別労働組合組織、個別企業労働組合等で長年の活動経験を持つ者やそのOBの人たちが考えられると思います。とりわけOBの皆さんにいろいろな形で貢献していただくことは重要ではないかと思います。
なお昨今、雇用差別問題等が非常に件数も増えておりますような状況等も勘案し、女性が一定の比率を占めるよう工夫、配慮を加えることが必要でないかと思います。
次に、組合運動で長い間仕事をしてこられたとは言いながら、ではそれだけで専門家に求められる素養といいますか知識といいますか、そういうものが全部担保されるとは思いませんので、研修等を行って補強する必要があるだろう。研修等を行うとしたら、思いつくままに列挙しただけでございますのでこれ以外にもあるかもしれませんが、研修等に組み込む課題は労働法の関係、労働判例、あるいは倒産・会社再建法制、民法・商法、また労働協約なり就業規則、民事訴訟法、訴訟手続、和解の手続等、ADR等。もちろんそれぞれ膨大な学習領域があるものも含まれておりますので、そういう中では必要最小限はどれぐらいということにならざるを得ないかなと思ったりもしております。
大体想定する研修時間、とりあえず最初のものですが、2週間ぐらい10日間で、1日6時間ぐらいを想定し、もちろん合宿等を組み込みますとこの時間数はもう少し増えるのでないかと思います。2週間のうち1週は合宿型ぐらいやってみたらどうか。もちろん当然一人一人の個人学習という世界もあると思います。
こういう集合教育や個人学習に当たりましては、裁判所、日弁連、法務省、厚生労働省、大学等の皆さんの御協力を得なければなりません。研修の実施主体をどうするかについては、ヨーロッパ各国でもいろいろな形があるようでございます。
一番上の「研修団体を新たに設置して対応」の第三セクター方式は、フランスの場合等はこういう第三セクター型、あるいは国からの委託型というのでしょうか、どちらともとれるような形のようでございますし、労使団体が共同して設立、運営する方式もあり得るのでないか。もちろん矢野さんの方とは事前に御相談等はしておりませんので、勝手に書いてあるだけでございます。
それと、既存の機関・団体にお願いして研修をやっていただく。例えば司法研修所、あるいは日弁連、あるいは日本労働研究機構、大学等にお願いするような形もあるでしょう。
イギリスあたりは、労働チャンセラーズオフィスが研修を主管しているようです。司法あるいは労働行政当局が研修主体としてやっているイギリスのような例。「労使団体がそれぞれ研修の仕組みをつくって対応」はドイツがこの形に近いようでございます。
いろいろな形がございますが、いずれにいたしましても、研修経費等はほとんどの国で国といいますか、行政サイドが見ておられるようでございます。どういう出し方をしているか等、詳細はまだ十分調べ切れておりませんが、必要であれば詳しく調べてみる必要があるかなと思っております。
参審員の任期は4年とか5年とか、国によっていろいろのようでございますが、再任を妨げない国が多い。そういう意味で、当初の研修だけではなくて、毎年2~3日とか1週間、それぞれの仕組みの中でフォローアップ研修というのでしょうか、さらに造詣を深める意味での研修も行われていると聞いております。経緯は先ほど申し上げたとおりでございます。
ドイツの場合は、経営者団体、労働団体が別個にそれぞれで研修を組み立てているということのようでございます。
本当に人数が確保できるのかという御心配をいただいておりますが、現在、仮処分事件を含めておおむね3,000件で、とりあえず近い将来、5,000件程度を想定してみました。年間約5,000件を想定し、参審員で出られる方に年間10件ぐらいに関与していただき、1件当たり1日なのか1日半か、よくわかりませんが、とりあえず1日半ぐらい、午前・午後、午前ぐらいの感じで時間を要すると想定した場合、500人ぐらいが年間15日参審員として裁判に参画することになるわけでございますが、この500人が本当に十分リクルート可能で、それも研修等を経てあるレベルを担保できるのかどうか、その辺のことを考えてみたわけでございます。
結論だけ申し上げれば、十分可能ではないか。OBの皆さん等にもお願いすれば、1,000人程度の方にはそれなりに貢献してもらえるのではないかと思われます。
去年6月時点での労働組合数は、これは厚生労働省の労働組合基本調査の数字ですが、単位組合数で3万と少し、組合員の数が1,080万人ほど。労働組合の専従者は統計的なものがきちんとありませんので、私の非常にラフな推測ですが、おおむね組合員600人に1人の割合で、産業なり地域、業規模によっても若干違いまして、300人ぐらいに1人いるところから、小企業の場合は100人でもいないということなので、中小企業を平均する1,000人に1人ぐらいということ等を総合的にトレースして、600人ぐらいかなと。これは目の子の数字で推計でございますが、そう大きくは違っていないと思っています。
そういうことで推計しましたときに、全体で1万9,000人前後の専従者が各組織の活動に従事しているのではないかと思われます。
この1万9,000人の振り分けですが、連合なり全労連等のナショナルセンター、そのローカルブランチも含めると700人、もうちょっと多いかもしれません、700~800人、産業別組織に2,000人前後、企業別組合に1万6,000人前後がそれぞれ専従者として働いていると思われますが、これらの人々のうち、ある期間以上、例えば10年、10年も検証可能かどうかよくわかりませんが、10年ぐらいの経験年数を積み重ねている者というぐらいを想定して、そういう方々を推薦の第一義的な対象者ととらえてみたらどうか。
加えてOBの皆さんや組合の役員を長くやられた人も、そのまま定年まで役員なり組合の専従者で働き続けられてリタイヤされる人、あるいはリタイヤする前に会社側の職場へ一度復帰して、それなりに職場の仕事もされて定年等で退職される方々、こういうOBの皆さんがおられるわけですが、OBの方々も少なくとも60歳代前半、あるいはもう少しの年限等は十分そういう任に堪えられる気力、経験、知力等を蓄積されている方々も多いと思います。
専従ではないのですが、長い間、非専従で役員をやっている方々もたくさんおられまして、こういう方々の中にも十分推薦可能な人たちもおるのだろうと思います。
労働組合産業と言ったらおかしいのですが、労働組合の総売上高は6000億円ぐらいではないかと思います。その中で2万人弱の人たちが専従として仕事をしております。そういう方々も含めますと、母集団という意味では十分想定し得るのだろうと思います。とりあえず500人とか1,000人というオーダーであれば、もちろん研修等をきちんと配置することが要件だろうと思いますが、十分に可能だと思っております。
参審員の推薦については、労使団体から推薦を行うことを中心軸にするという、それは雇用・労使関係に関する専門的な知識、経験を有する者に直接かかわっている団体が労使団体だという点に根ざすものでありますが、そのほかにも同等のレベルで、あるいは同等の感覚で考え得る給源があれば、そういう方々に入っていただいても当然いいのだろうと思います。
本当にラフなイメージ論だけでございますが、人的な意味での対応力を労働組合の側から見ればこういう感覚で御認識いただいていいのではないか、違った意味での御懸念はおありかもしれませんが、私どもはそんなふうに思っております。
なお、その次のページ以降に、フランスにおける名誉職裁判官の研修プログラム、静岡大学の川口先生に調べていただきましたが、手に入りましたのでつけております。これはかなり項目も多いし、恐らく推測するに、去年これを受けたから今年はこれだとかそういう意味で、その時々で研修を選択したり、順番等もいろいろあるのではないかと思っておりますが、フランスの名誉職裁判官の研修プログラム、カリキュラムの内容、あるいは時間配分等がこういう形ということでお調べいただいたものでございます。
あとはイギリスのETなどのカリキュラムも調べようと思っていろいろなところにお願いしてみたのですが、イギリスの場合にはエンプロイメントリビュナルに関与される職業裁判官の方が労使裁判官に対する研修の責任を負われる形。機関としてはロードチャンセラーズオフィスが主管しているということのようで、どうもカリキュラム等はトリビュナルの職業裁判官の皆さんそれぞれがやっておられるということのようだということしかイギリスの場合はわかっておりません。
御参考にまでに、フランスの例はこういうことですということで付け加えさせていただきました。
資料の一番下の「担当:POIRIER」等はそれぞれ担当される方のお名前だそうです。とりあえず私からは以上でございます。
○菅野座長 ありがとうございます。次に鵜飼委員、お願いします。
○鵜飼委員 私は髙木委員のレポートに付け加えることは余りございませんが、まず現在の労働組合、特に専従の人たちが日常的な業務に本当に追われておりまして、ある意味では昼夜兼行、休みもとれず、いろいろな問題の解決に当たっていらっしゃる。全体的に専従者の人たちの削減傾向がございますので、大変な状況の中で新たな責任と負担を伴うこういう制度改革についてのプランを出されたことに対して、私は感銘を覚えました。
それは改革審の意見書に込められた、これは国民の声だと思いますけれども、法を国や社会にあまねく浸透させていくというビジョンがありますし、それは国民のための司法を国民が支えるという国民参加の理念とも通じておりますけれども、労働紛争、労使紛争について引き直して言いますと、これはまさに労使自治、労使が企業内で解決を図っていく力を向上させていくと同時に、それは企業外の紛争解決についての責任を持つということだろうと思います。
そういう意味では、髙木さんのレポートの冒頭に書かれております「労働生活に法の支配を求め、法の世界を労働生活の実感に裏打ちされたものとして形成する」という、要するに今後の雇用社会における法の支配の在り方について、労働参審制は非常に重要な要素ではないかと考えます。
この中の研修のところでそれぞれの機関の協力が求められておりまして、日弁連としてもこういう要請については全力で応えていきたいと思います。昨年、労働法制委員会が立ち上がりまして、労使を含めた事件を担当している弁護士及び労働委員会の公益委員等を担当している弁護士が参加している委員会が発足いたしまして、ぜひこういうものについてのバックアップ体制をつくりたいと思います。
現実に日弁連では、財団法人日弁連法務研究財団ができておりまして、司法書士に対して簡易裁判所における代理権が認められることに伴う特別研修もこの財団がカリキュラムを組んで行っておりまして、日弁連として体制をつくる用意は十分あると思います。
髙木レポートの冒頭に言われていた問題は、企業内の紛争解決機能と企業外の紛争解決機能との有機的な連携という重要な問題を提起しておりまして、ヨーロッパの参審制がそういう問題として長い歴史があります。そういう機能を果たしているということが歴史的に実証されていると思います。そういう意味では、私はいくべき方向としてこういう方向はだれも否定できないのではないかと思います。
裁判を行う者は人間でありまして、神様ではありません。人間は、当然のことですけれども能力や経験に限界があります。どんなに研修をしても限界があるわけでありまして、それぞれの持ち場持ち場があると思いますが、労働紛争につきましては、雇用社会における紛争についての経験、もちろん経験に裏打ちされた経験則を生かすことが必要なのだろうと思います。
そういう意味で、ぜひこの髙木レポートの重みを受けとめていただきたいと思っております。
○菅野座長 それでは、矢野委員お願いします。
○矢野委員 まず専門家の供給源ですが、裁判制度に関与する専門家を使用者側から選ぶ場合の対象といたしましては、企業の人事・労務の担当、責任者、役員とか部長、あるいは経営者協会の役員とかそれに絡む者、人事・労務・法務部門の経験年数が一定以上の者、労働委員会の使用者委員もしくはその経験者、現役だけではなくてOBも含めて考えることになるだろうと思います。
ただし、選出方法については、公正中立な立場で裁判所が自ら選別することが望ましいわけでありますが、推薦母体となる団体を特定することが可能な場合、その推薦を尊重するのがよいと思います。
次に、どれぐらいの人を動員できるかという議論ですが、これは大変難しい問題でして、人事担当役員、人事部課長が何人いて、使用者側の委員が何人いてという数字を出しても、OBの数も合わせまして、直ちにそれが給源とは言えない。大変難しい問題で、ちょっと抽象的な言い方になりますが、労働調停専門委員とかそういうものも含めて考えますと、労働調停専門委員であればかなりの人数を用意することができるだろうと思います、極めて定性的な表現でありますが。専門委員は裁判制度の中に入ってよいわけでありますが、それ以上の部分になると、急激に給源は縮小する。とりわけ参審制ということになりますと、裁判官と同等のポジションを持つわけですから、果たしてそういう任務に耐え得るような人がどれほどいるのかということについては甚だ悲観的でございまして、この検討会でも経営側を代表する人の意見では、彼の感じでありましたが、30人という意見がありましたけれども、恐らくそういうレベルの話ではないかと思っております。
要するに、参審なり参与なりの持つ重みをどういうふうにとらえるかによって数字が変わってくるということはあり得るのだろうと思うんです。
幾つかの企業に意見を聴いてみましたところ、今日の議論はいわゆる裁判になった場合の給源ということなのでしょうけれども、もう少し幅広く、労働問題についての国民的な参画という視点から、企業がどれぐらい協力できるのだろうかということで意見を聴いてみましたけれども、とても無理だという会社がかなりありますし、出してもせいぜい1~2名、頻度としては月に1回ぐらいが精いっぱいだというような意見がありました。
これはあくまでも幾つかの会社の事例でありますので、それをもって全体を推しはかるわけにはいかないし、意見を聴いた会社は東京に本社がある大きい会社ですから、全国的にどういう反応が生じてくるかということは全く別になると思います。そういう意味では、全体を推しはかることは非常に難しいわけです。
また、こうした意見もございます。現時点において参審制、あるいは参与制に関与する専門家に具体的にどの程度の知見が求められているか。私は先ほど難しさの程度によって給源として予想される母体の数が減ると申し上げましたが、その関与の頻度とか処遇、取扱いの問題などもある程度明らかにならなければ答えようがないという反応も出ています。
先ほど何社かの企業の意見を聴いたと言いましても、これはあくまでも可能性ということであって、それですら、実際に自分の会社から出すとなって、だれをどういうふうにということになると、すぐ言えないということであります。
どこまで制度づくりをするかという問題と給源の問題は、実は切り離して議論できるかと思ったのですが、そうもいかないということがいろいろな企業の人たちの意見を聴いてわかったわけです。ですから、並行して今後議論していく必要があるだろうと思います。さらに今後、私どもの傘下の企業の意見も広く聴いた上で、意見を求めていきたいと思います。
なぜ責任の度合いが重くなるほど大変であるかということは、実は今日の議論で言うと4項になってしまうのですが、資料80として提出させていただいたものがありまして、これをついでに御説明させていただいてよろしいですか。
これは経営法曹会議の司法制度改革検討会ですが「労働訴訟に専門家が関与する裁判制度の導入に関する意見」ということで、今後の労働法制がどうあるべきかということに結びつく極めて重要な問題であるという認識のもとに意見をまとめたものでございますが、「裁判への専門的な知識・経験の導入の必要性について」で労働事件の専門性について考えてみると、医療や特許のような自然科学的、あるいは専門的知見という意味での専門性とは異なっている。労働法規なり判例、行政通達等が非常にたくさん出されているということ、したがって、こういう事柄に対する幅広い知識、洞察力が必要であるとともに、企業における人事・労務制度についての実務的な知識(知見)が必要であるというところに専門性の意味合いがある。
この会議でも勘とか感覚ということが論議されたことがありますが、労使の実務経験者による勘とか感覚ということは、労使の立場とか個人的な資質、属性によって影響を受ける主観的なものでありまして、それなくして労働事件の適切な解決はなし得ないという意味での専門性とは言えないということであります。
しからば、その専門性が必要とされる事件とその導入の必要性でありますが、確かに個別的労働紛争が増加して、その内容も多様化・複雑化しております。解雇事件、労働条件の不利益変更に関する事件、あるいは人事評価に関する事件など、背景に経済事情、国際的なものも含めて難しさがある上に、能力主義とか成果主義に基づく人事制度への転換がかかわっている場合やそうした背景事情とか人事・労務制度の実情に関する専門的な知識(知見)の補充を裁判で行う、そして紛争の実情を的確に把握する必要があると思います。
しからば、その専門性を導入する方法でありますが、裁判の基本はいわずもがなですけれども、当事者の主張をもとに争点を整理して、証拠調べによって事実認定を行って、これに法律を適用して判断を行うということである。私ども、いわゆる現在の訴訟の在り方に対する信頼性について、経団連の委員会で議論をしてきたわけですが、共通した認識はここの経営法曹会議のペーパーにもありますとおり、解釈・適用です。労働法規、判例・通達などの法的知識について言えば、その解釈・適用は専門家、裁判官を置いてほかにないと思いますし、事実認定についてもそういうトレーニングを受けた裁判官に代わり得る者が見出しがたいであろうと思うわけです。
確かに判決の中には、おかしいではないか、社会常識に反しているではないかということが全くないとは言えないのですけれども、経験的に見れば、そのような判決は稀であって、仮にあったとしても、さまざまな批判にさらされることにより修正されていくものと思うわけであります。
また、労働事件において賃金や人事制度、労使慣行のどれをとっても普遍的なものがあるということはないので、各企業で制度運用も千差万別です。仮にそれに通暁している者がいるとすれば、当該労使関係の当事者であり、逆に言えば、中立公正な判断をなす者としてはふさわしくないと言えるわけです。
労働事件解決のために、専門的知識や実情を踏まえる必要があるとすれば、それについて当事者が主張を立証すべきである。訴訟の原則に戻って対応すべきであると思うわけです。
一般条項についての議論がありましたが、これを判断するに当たって、専門性が必要であるという意見もありますけれども、この部分こそ裁判所が判例法理として形成してきた重要な部分でございまして、またここで求められることは単なる裸の利益考量や判断ではなく、全法体系の中で労使の権利義務は何かを確定する法的価値判断でありますから、裁判官ではない労使の専門家の勘とか感覚などで判断されるべきものではないと思うわけです。
したがって、参審制・参与制については採用すべきではないという結論になるわけで、その理由としては、本当に判断者としての公平性・中立性があるのだろうか。国民の裁判に対する信頼がそれで損なわれるのではないか。労使の政治的な立場が裁判に持ち込まれる危険がある。あと幾つか書いてありますが、迅速な裁判、迅速性に逆行するおそれがある等々であります。
最終的に、どういう形の関与がいいのかということについては、専門委員として今、準備が進められておりますが、これを活用することがよいのではないか。また裁判官についても労働事件処理の専門性強化の方策、研修とかいろいろなカリキュラム編成等をきちんと充実させていけばよろしいのではないかということでございます。
日本の制度はADRの充実によって、かなり軽度の事案はそこで解決される仕組みになっておりまして、裁判に持ち込まれるケースは非常に難しい問題であるとか、争いが激しい、いわゆる難しいケースが裁判に挙がってくる、その傾向はこれからも変わらないと思います。労働調停まで含めていわゆる広い意味のADRを充実させていけば、労働問題、個別紛争に対する解決の場としては、それで十分機能するのではないかと思います。
裁判に入った場合には、専門委員という形で関与していくことがあれば、現在の裁判制度との連携も一層強まっていくということであります。
給源問題については、ちょうどいい機会だと私は思いますので、こういう労働関係の司法制度改革ということについては、傘下企業の皆さんの意見も聴いて、それをこの場で御紹介できればしたいと思っておりますが、給源の問題と制度のあるべき姿は同時に議論しないと答えは出そうもないというのが私の実感でございます。
経営法曹会議の意見書につきましては、私ども日本経団連としてもしっかり受けとめておりまして、またメンバーには石嵜先生も入っておられますので、補足のお話をしていただけるといいのではないかと思います。
○石嵜委員 専門家の供給源、員数の問題はまさに矢野委員がおっしゃいましたように、裁判にどのような形で関与するかという関与の対応および場面と密接不可分だと私自身も思っております。つまり、それに応じた専門性の程度は、労働調停と労働参審制であれば違うであろう。そういう意味で密接不可分という考え方をしております。
ところで、弁護士が供給源について議論できるのかという思いが相当あるのですが、自分の立場からいくと、ここだけは御説明できるのではないかと思い、ひとつ用意してきました。自分が所属する経営法曹という集団が果たして専門家として供給源たり得るのだろうか。こういうところから、経営法曹の場面についてだけ、私がわかる範囲で御説明を少しさせていただきたいと思います。
説明が難しいのですけれども、経営法曹というのは簡単に言えば、使用者側の労働事件の代理人をほとんどやってきている集団で、使用者側の日常の労務の相談を受けている、日経連といろいろな形でタイアップして、今後の経営者側の労務管理の在り方について議論をしている、こういうふうに思っていただければよろしいのではないかと思います。
経営法曹のメンバーは、平成14年12月段階で405人ということになっています。非公開なのでこの人数だけで御勘弁いただきたいのですが、全国に約400人のメンバーがおります。
現在、その多くは東京に157名おります。名古屋が47名、大阪が55名とう形で、ほとんどこの三つの都市に集中しています。
経営法曹の会員が不在の弁護士会は、北海道が札幌と旭川と釧路の三つに分かれていますので、これを別々として数えて大体18です。そして、1名の会員しかいない弁護士会は6弁護士会という形になっており、ほとんど大都市に集中していることになります。
とすると、今回の裁判に関与する専門家のことで議論すれば、これは全国一律裁判ということですので、基本的に供給源足り得るかは、経営法曹としては、その分布配図でもやはり疑問が残ることになってしまいます。経営法曹として仮に何らかの形で関与するとすれば、やはり大都市でないと難しいような状態になっています。
次に、この方々が真に僕らがここまで議論してきた裁判に関与する専門性を持っておられる人たちだろうか、つまり日常的に労務問題に体験しておられて、いろいろな形で事件処理されているかといいますと、恐らく地方の先生は、一部の先生を除いて一般の民事事件がほとんどだと言われています。大都市でも、専門的に労働事件をやっているのは何十人単位になるだろうと思っています。
その中で、単に弁護士活動ではなくて、民事再生法、会社更正法等で労働の現場で実務体験した数となればもっと絞られるということになりますと、現実に実務体験を通して、その体験を裁判に生かすという形での行動がとり得る、それだけの素養がある先生となれば、やはり大都市でも絞られるのは認めざるを得ない現実だと思っています。
そういう意味で、経営法曹という小さな枠の話ですけれども、私たちの、ある意味では労働事件、使用者側の専門としてやっている、こういう名称で動いている集団をもってして考えても、参審という形での供給源たり得るか、経営法曹では無理ではないか。こう言うと手前みそになりますけれども、何十人単位の人間はいるのでしょうが、彼らが参審で判決に関与するとすれば、労働側の人たちから逆に忌避の対象だろうと考えます。労働側の先生が、仮に鵜飼先生が参審のメンバーだと使用者側は何と言うだろうか。できる人は逆に入れない、これが経営法曹・労働弁護団の先生たちが労働委員会の公益委員になっていない一つの理由ではないだろうか。こういうふうに考えますので、裁判の参審という話になると、経営法曹は供給源たり得ないのではないか。経営者側の労務担当、人事担当を経験した方とか経営者団体とか、そこのOBという形での世界、矢野委員が御説明された世界の方のお話しかこの点については難しいのではないかと僕は考えております。
ただ、労働調停に関与するという形であれば、労働事件に対する知識という意味で、またコミュニケーションを図るというところで労働調停ならば、十分機能できるだろうし、この辺に関しては、自分の方もこの検討会や日弁連の労働法制委員会の中での検討会、日経連の中にも検討会がありまして、これは企業が入って議論する場、それと経営法曹で先ほど提出した文書の検討会メンバー、そして2月1日に経営法曹の先生たちを集めて、私は検討会の中間報告をやっていますから、この辺で皆さんの御意見を聴くと、労働調停の供給源ならば十分足り得るという意見が多かったと御説明することになると思います。
したがって、経営法曹という枠の中でしか御説明できませんが、この部分では、今のようにお考えいただくのが一番実態に沿っているだろうと自分は思っています。
それと矢野委員からお話がありましたので、本日資料として出されております「労働訴訟に専門家が関与する裁判制度の導入に関する意見」は、経営法曹会議が日経連の司法制度改革検討会の要請を受けて意見として出したものです。もちろん経営法曹の多くのメンバーを集めるのは全国的に難しいので、東京在住の弁護士で、弁護士経験20年から30年程度の本当に実務を実施している先生方を集めて議論したものです。
これについては矢野委員が御説明されたような意見が大勢です。簡単に言いますと、この部分だけではなく、経営法曹の先生方は、裁判は裁判官に任せるべきだ、プロとして任せるべきだという御意見が大勢です。そして、その部分について裁判官は研鑽してほしい。もう一つ、弁護士は訴訟での主張立証が基本的責任であるというお考えが基本にあります。そして、労使が労使の団体の推薦で中立な立場で参与する、参審するとしても、労働委員会の過去の労使参与の世界の歴史的繰り返しだと、間違いなく思っておられます。
私は正直言うと立場が全く違いまして、私は今までもこの場で述べておりますように、労使問題は労使で解決していくのが基本である、それが外部に持ち出されたとしても、その解決には労使が参与していく、そしてその解決内容には労使の問題を体験した人を通して判断することが一番いい解決につながるのではないだろうかという思いを持っております。私は常にいろいろな場所でその主張をしました。この場でも議論しましたが、まさしく少数説そのものです。これははっきり言っておきたいと思います。
ただ、この部分についてこのような形で結論を一にしているのは、ここでも議論をした経営法曹の皆さんに申し上げたのですけれども、皆さんとは180度違うふうに考えている。私自身はイギリスの形のように、ある意味では紛争類型を、解雇事件だけでも限定して、労使参審、参与という世界を考えるのも一つの道ではないかとは思っておりますが、今言ったように、経営者側の経営法曹でもそういう形態での供給源とはなかなかなり得ない。恐らく今まで私自身が経営者の人たちの意見を聴いても、なかなか難しいと思っています。加えて、経営者側の労働事件に関与した先生たちが最初からこれだけ反対なのですから、それを制度設計して、そして経営者、弁護士から見て中立・公平な制度設計として信頼してもらえるかどうかは大きな疑念を持っているところです。とすれば、ここはある程度いろいろな会合で御理解いただいたのですけれども、労働調停に労使の代表を中立・公平な者として入れて、調停で現実に労使の体験をうまく生かしてみて、実績である一定の信頼を勝ち得て、それに基づいてこの議論をしないと、したがって、私自身は労働参審制、参与制は将来的課題として検討していくべきものであるとは思っております。したがって、裁判への関与形態は専門委員にとどめるべきではないだろうかという経営法曹の最終的結論に現時点では承服する形で名前を連ねていることになります。
専門委員として関与するとすれば、専門委員としては争点とか証拠の整理の、特に争点のとらえ方とか和解の場面については専門的知見を生かしていただければと考えております。
まとまりませんでしたけれども、大体こういうところです。
○菅野座長 ありがとうございました。ただいま4人の委員から給源の問題についての御意見をいただいて、それと関連してこれから議論する4の点にも入って、専門家が果たすべき機能との関係での給源の点と基本的な御指摘をいただきました。
今日はあまり時間がないのですが、3(2)についての4人の委員の方々の意見を補足されて、議論を続けていただきたいと思います。その中では、必要とされる専門性の内容や程度を念頭に置いて、専門家をどの程度確保できるかという問題もありますし、山口委員から前回の最後に御指摘がありまして、髙木委員も意見の中で議論しておられますが、裁判に関与する専門家の性格、位置づけという基本的論点もあります。つまり、労使という労働関係についての異なる立場から、髙木委員は責任を持つ立場と言われましたけれども、そういう立場から専門的な知識、経験を注入することが必要なのであって、それぞれの知識・経験を代表するものとしての労使経験者が中立・公平な立場に立って裁判に関与すると考えるのか、または必ずしも労使という観点に限ることなく、労働関係についての専門的知識・経験を有する者が関与すると考えるか。したがって、労使関係者以外の専門家の関与も考えていいのではないかといった論点もございます。
とにかく限られた時間ですが、ただいまの4人の方々の議論を続けていただきたいと思います。
○髙木委員 私どもも経営法曹会議の資料を拝見しましたが、こういうペーパーの出しあいをお互いにやるような論議はどうかなと思ったりもするのですが、石嵜委員もこの中にお名前を連ねておられ、そのお考えについては先ほどるる御説明があったので、それはそれで理解するわけですが、例えばこのペーパーに書かれていることについて、私どもが一読した限りの印象論みたいなものはもちろんあるのですが、こういう場でそういうやりとりをしていくのか。例えば我々のスタンスはこうだと言ったら、このペーパーに書かれているお考えでしか議論が収斂していかないようなとらえ方にもしなるなら、こういうペーパーの出しあいをするのはどうかなと思います。
もちろん、私が先ほど出したペーパーにも、私どもはこう考えていますということが少しは書いてありますから、一方的にこれがいいとか悪いという論議ではないのかもしれませんが、そういう感じがしましたので、もしこういうペーパーの出しあいをするなら、いろいろな形でペーパーばかりになってしまう。それがお互いに何か一つのことを求めていこうという議論に貢献するのかしないのか。今お話を聞きながら、拝見しながら、この内容について直感的に思ったことは今日は申し上げませんけれども、どうなのかなと思います。矢野さん、どうですか。
○矢野委員 何でも自由に話し合っていくのがこの会議の目的でもありますから、ペーパーがあってもなくても私はいいと思うのですが、この経営法曹会議の検討会は私の方から、先生方の実務体験あるいは経営者に対する法的コンサルタントとして、徹底的に議論して意見をまとめていただければとお願いして、それで受けとめたわけです。私どもの会員企業も入っている検討の場にもこれを出して、皆さんの考え方の指示を受けているわけです。
内容をごらんいただきますと、新しいことはそんなにたくさん入っているわけではなくて、私自身も口頭でずっと申し上げてきたことでありますし、それを文章化した部分も結果としてたくさんあります。経営者側の思いだけではなくて、法曹の専門家としての客観的な知見も含めて意見をまとめていただいたことが、結果として見ると私どもの考え方と一致していたと思うわけです。いつまでも何となくはっきりしない議論をするよりも、ある時点で意見、考え方をまとめた方がいいかなと思いましてこういう文章の提出になったのですけれども。
○菅野座長 今日のところは、申し上げましたように、労働調停も含めて労使関係に専門的知識・経験を有する者の関与する裁判制度をどう考えるかについて議論していますので、経営法曹会議のペーパーで論じられているような議論は、今までの必要性の有無とか適切性についてのもの、次の4の関与する場面などの議論に関連しておりますから、今は余り議論しないようにと思っていますが、専門家の関与する裁判制度の当否という論点の中では、確かに避けては通れない一つの主張なわけで、その大きな論点についての第一巡の議論をしているわけですから、第一巡の議論においてはこういう主張がこの中の委員の意見として出てくる限りは出しておいた方がいいと私は思います。
これについての反論はもちろん適当な段階でしていただきたいと思いますが、今のところは給源問題について議論していただければと思います。
○山口委員 髙木さんのペーパーの関係でお伺いしたいのですが、3点ほどあるのですけれども、なかなか御苦労されたペーパーだろうと思って拝見しました。1つはOBの活用を重視すべきであるとお書きになっていますが、具体的なOBあるいは現役の人数は大体どれぐらいというイメージがあるのかどうか。
2点目として、研修の必要性もおっしゃっておりますし、それはよくわかるのですけれども、現在の労働者側ということになるかと思うのですが、組合その他で具体的にこういうことについて研修が行われているのかどうか、行われているとすればどの程度行われているのかといったことのお尋ね、それが2点目です。
3点目は、3ページの専門家の員数の関係ですが、事件1件当たり平均1.5日という前提で計算されています。この平均1.5日という日数の関係ですが、イメージ的には訴訟の全過程に入っていくということで1.5日という数字になっているのかどうか、その3点をとりあえずお願いしたいのですが。
○髙木委員 OBですが、今、年金の支給開始年齢が少しずつ伸びていくこともありまして、61歳まで現役でおられる人ももちろんおりますし、おおむね60歳ぐらいで組合の現役の役員を離れる。その後の過ごし方はお一人お一人でいろいろですが、昨今のことですから、健康でもあり、いろいろなことをやっておられる。そういう意味では、きちんとお願いすれば、65歳なり67~68歳ぐらいまでは十分応援をしていただける、それから勉強をお願いすればしていただけるのではないか、そんな感じでOBの人たちにお願いができるのではないかと思っているものですから、そういう表現をさせていただきました。
○山口委員 供給源としては大体OBの方が主体になるということですか。その辺はどういう感じでしょうか。
○髙木委員 これをお受けするとなったら、例えば年間15日なのかよくわかりませんが、矢野さんも言われたように、それぞれやっている仕事の関係で、そういうものに対応できるような職場というか、仕事の整理も当然しなければならないでしょうし、そういう意味でOBの場合は現役よりはそういう整理の必要性が少し楽かなと、そういう面ももちろんあると思います。
労働委員会の委員等も、私も現役で中労委の委員をやらせてもらいましたけれども、現役でやりながら中労委をやるのは結構しんどいですね。そういう意味では、できるだけOBの方々等にもお願いするということで、OBの方々に最近は大分出ていただくようになっていると思います。
2点目の研修の現状ですが、当然、労働法の世界はどこまで体系的に勉強できているかどうかは別にいたしまして、それぞれ仕事の必要上、それなりにきちんとコースがあって、それを受けたか受けないかという次元は別にして、オン・ザ・ジョブ、オフ・ザ・ジョブでいろいろ勉強しておられるのではないかと思います。
判例についても、これも体系的にきちんとした判例研究のような格好で勉強できているということではないかもしれませんが、それぞれ自分のところにかかわるような事件との兼ね合いで、判例等もそれなりに見る人は見ているのではないか。
倒産法制等は、例えば私どもの組織で言えば、倒産法制等を日常的に仕事でよく知っていなければいけないセクションにいるのは7~8人ですから、その7~8人は年中、やれ会社更生法だ、民事再生法だ、産業再生法だといろいろやっておりますので、そういう者はかなりのレベルで、弁護士さん方とも一緒に仕事をしなければならない部分が多いわけです。
例えば民法、商法はどうなるかということはちょっと違うかも知れませんが、とりわけ訴訟法をどの程度、先ほど来、矢野さんがおっしゃるような次元でとらえれば、司法試験を受けるぐらいのレベルで訴訟法を勉強するということになればどうなのかと思います。先ほどの経営法曹会議の資料はヨーロッパの例に一言もお触れになっておられないけれども、ヨーロッパの参審型の裁判に参加している人たちがどういう研修を受けていて、どういうところが弱いからどういうものをするかということは、もう少し詰めて調査していけば自ずとわかるのではないか。
体系的にどこまで勉強できているかという意味では、今の訴訟法等は、恐らく研修を受ける人にはかなり基本の基本から受けてもらう必要があるのかなと思ったりもいたします。
それから平均的な1.5日という数字ですが、裁判の流れの中でどの過程にどの程度の時間が必要かというところまできちんと詰めて積算したわけではありません。そういう意味でイメージとしては裁判の流れの、プロの裁判官にお願いする部分、あるいは書記官的な方にお願いする部分といろいろあるでしょうが、裁判官が関与される世界はほぼ御一緒するという漠たる感じで、それも、その必要性がそれぞれどういうニーズに対してどうあるべきかという吟味はしてありません。午前・午後とやりましても、何となく1日で終わらないものもあるかなと。そういう意味では、1回ないしは2回ぐらいに及ぶものもあるかなということで1.5日という、かなりラフな想定です。
○鵜飼委員 まずこの議論は、これからどうあるべきかという議論でありまして、これは司法制度改革審議会の意見書を踏まえて、その共通の土俵のもとで今我々は議論しているわけですね。そういう意味で今は確かにそういう制度、仕組みがございませんので、議論されてはいませんけれども、そういうものが必要だという議論が中心になるのではないかと思うわけです。
経営法曹会議のペーパーの一つの感想ですけれども、共通の土俵、共通の議論が必要なのではないか。その上で、お互いの誤解もあるでしょうし、誤解は誤解としてお互いに解いた上で今後の制度設計についての議論をすべきだと思いますので、日弁連でも経営法曹会議と労働弁護団を合わせた共通の土俵がございます。そういう議論もできますし、それ以外のところでも議論が必要な時期なのではないかと思うわけです。
このペーパーの中で、いろいろ言いたいことはありますけれども、どうしても気にかかりますのは、「労働事件の専門性に関して、労使の実務経験者による『勘』や『感覚』が必要であるとの指摘があるが」とあり、それは主観的なものであって云々というものがあります。私はその辺は非常に誤解があるのではないかと思います。
著名な裁判官の人たちが事実認定論についていろいろ議論しておりますし、いろいろな論文とか著書も残されておりますけれども、そこでも言われていることは、事実認定については経験則が非常に重要な要素を占める。経験則については、裁判官も限界があるのですべての経験則を自ら体験することは難しい。その中で事実認定をどういうふうに誤りなく納得できるものにしていくかという議論がされているわけです。その中で、むしろ高名な裁判官が勘とか感覚とか、あるいは筋とか座りという言葉を出されておりまして、ヤマ勘とかそういうことではなくて、経験則というのは1人の人間にとってはいかに限界があるものなのか。経験則をなるべく幅広く身につけることによる総合的な判断として適正な判断、迅速な判断ができるのだということが裁判官の中で議論されているわけです。私は、実務家として全く同感いたします。
その意味では、労使紛争における迅速かつ適正な判断を担保するものとして、労使関係における経験則は避けて通れない問題ではないか。非常に激動する雇用社会の中で人事制度、労務制度もどんどん変わっております。価値観もどんどん変わってきます。労働法はまさに企業という部分社会の中におけるさまざまな交渉とか紛争を通じて形成されてきた慣行とかルールとか規範を社会的に一般的なものとして、場合によっては、それが法規範になっていくというプロセスをたどっていくわけです。
今、整理解雇の4要件と言っても、これは大企業の中において形成されたルールが判例法理によって確立されたのではないかという研究成果もございます。そういうものと考えれば、新しい大激動の時代の中で、個別紛争がますます増えていく、企業内の解決能力が落ちている状況の中で、企業における経験則をいかに活用していくか。経験則をいかに裁判のシステムの手続の中に導入していくのかということを議論しているわけでありまして、そういう意味でこの労働検討会での議論は、その辺の共通認識のもとでこの間進めてきたのではないかと思います。
ヤマ勘とかそういうところで言っているものでは全くない、主観的なものでは全くないということは、経営法曹会議の方たちにも御理解いただきたい。そういう共通の認識のベースの上で生産的な議論をすべきだと思います。
そういう意味で、どうでしょうか、労働弁護団で同じようなペーパーを出すといっても泥仕合になってしまいますので、労働検討会というのは限られた場でありますし、時間も制約されておりますけれども、そういう意味では裁判の実務家、研究者、行政の担当者それぞれが参加している非常に大切な場でありますけれども、この中では議論できない部分もあると思いますので、もっと議論を深め、共通の土俵として議論できるようなものを模索すべきではないかという感じがいたしました。
○春日委員 専門家の供給源あるいは員数という点ですけれども、1つ考慮に入れていただきたいのは、専門家になるべき人の負担を考えていただきたいと思います。というのは、通常の民事調停をやっていて、自分では3回で最終的な結論まで持っていければいい方で、大体4~5回かかっているわけです。
そうすると、髙木委員からペーパーを出していただいているのですが、1件当たりに要する日数は平均約1.5日と想定されているのですが、実際は、民事調停でさえも相当の負担がかかってくる。そうだとすると、髙木委員が想定されているように、仮に参審制といったようなもの、つまり事実認定にも判断にも関与していくとなると、専門家になる方の負担はかなり重くなるだろうと思います。この計算自体をそれほど問題にしているわけではなく、実際には専門家になる人の負担は相当かかってくるという点を考慮していただいて、専門家にどういう場面まで関与していただくかということを考えないと、実際に仮に何らかの専門家の関与する制度、しかもかなり専門家が重く関与するような制度にした場合に、果たして専門家になる人がうまく確保できるだろうかという問題がどうしても生ずるのではないかと思います。
ここで考えていただく事柄としては、事実認定とか法的判断とか経験則という専門的な問題などいろいろあるのだろうけれども、専門家になる人の負担ということをある程度考えていただきたいと思っています。
○後藤委員 髙木委員の資料、3ページの結論のところに、専従者の方1万9,000人と書かれていますが、現にこの種の労使の紛争解決に関与している方の数、さらに言えば、1ページでは中立公平性を眼目にしてこうすべきだということで、500人から1,000人の推薦は可能だということではあるのですけれども、現に労側、使側に偏らずに、この紛争はこうあるべきだという立場でお仕事をしておられる方は、事実の問題としてどれぐらいおられるのでしょうか。
○髙木委員 まず後藤さんの質問の前提が、失礼な言い方をすれば、民間企業の職場のことを余りお分かりにならない御質問かなと。職場にはいろいろな摩擦があったりもめ事があって、それを解決するときに労側だ、使側だというより、要はどちら側に理があるかないか、そういうときに同じ企業の中で、強いて言えば労働組合の専従者ですから、労働者が何かあったときに罪一等減じてあげてよという感覚はもちろんあるけれども、誰が考えてもおかしいものはいくら労働組合でも守れないわけです。
いわゆる企業の中の秩序形成という意味では客観性なり公平性なり、過度にどちらかに偏ったようなことをやってはその職場が持たない。ちょっと言い方が悪かったかもしれない、ごめんなさい。
○菅野座長 申し訳ありません、今日は4の議論もしなくてはいけないものですから、3でまだ足りないというお気持ちもあろうかと思いますが、休憩を挟んで4に入って、その中でどうしてもということでしたら3に戻っても結構ですので、ここで一区切りさせていただければありがたいのですが、よろしいでしょうか。
それでは、11時半まで休憩します。
(休 憩)
(再 開)
○菅野座長 では、再開させていただきます。引き続いて、「4 専門家を活用する場合の関与の場面等」について議論していただきたいと思います。
議論の進め方については、いろいろ御意見もおありだと思いますが、実際の訴訟の段階や場面を想定していただいて、当事者や裁判官がそこの場面、段階でさまざまな手続や措置を行っていくわけですが、そこに専門家が関与する仕組みを導入するということになると、専門家がそれぞれの手続の段階や場面でどのようにかかわっていくのか、どういう働きをしていくのか、そういう関与による効用と問題点はどういうものが考えられるのか、そうした議論をしていただければと思います。
そこで、資料77ではこの議論をブレークダウンして論点として示しているわけでありまして、どの場面ではどういう専門性を導入するためにどういう関与が必要かという観点での議論をしていただくような項目の立て方になっております。
大きく分けて4つぐらいの場面を想定していただきたいのですが、第1は進行協議や争点整理の場面、第2は証拠調べの場面、第3は判決、判断の場面、第4は和解の場面。こういう4つの主要な場面ごとに専門家が関与する具体的なイメージ、専門家が果たすべき役割のイメージ等を議論していただきたいと思います。
その議論の際には、手続の透明性の問題、つまり導入された専門的知見の内容が当事者に開示されるべきものかどうかといった論点、専門家の関与についての当事者の意向の反映を考えるべきかどうか。そういう点も議論の中に加えていただければありがたく存じます。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします。
○村中委員 専門性の議論で供給源の話が出ていましたのは、労使からのそれぞれの代表者のような人、すなわち実務経験に裏づけられた専門的な知見をお持ちの人ということだったと思うのですけれども、そういう人たちの関与を積極的に考えるということであれば、鵜飼委員が先ほど言われたように、特に事実認定の場面であるとか評価の場面、例えば使用者に差別意思があったかどうか、あるいは解雇の場合に経営側はこういう合理化策が必要であるというけれども、その必要性の程度が実際どんなものか、あるいは人事、配転でも例えばローテーション人事は必要だと言いますけれども、それが企業実務にとって実際どの程度必要であるか、そういう事実の評価のようなものも結構あるかと思うのですけれども、そういう場面はそういう方がその能力を大いに発揮できると思います。
そういう観点からどの段階でということになれば、判断といいますか、最終的には判決まで関与するかどうかは別にして、その前段階までであれば、そこで入っていただくことはそれなりに効果が高いのかなというのが1点です。
専門性という見地から考えたときにもう一つのタイプが多分あって、それは先ほど座長がおっしゃっていたようなお話ですけれども、例えば企業年金の話が出てきますと、年金数理などの面での非常に特殊な専門性を持った人たちがいたり、また労働時間でもそうなのかもしれないですね。ややこしい制度設計になってきますと、それに長けた人が必要だとか、あるいは労働安全衛生という面ではそういう専門家が必要という、これは例えば医療事件におけるお医者さんと同じ意味かもしれませんが、そういう専門的な知見を持った人の活用も考えられます。
そういう人については、どちらかと言えば御意見を聴かせてもらうという形での導入の仕方が合理的であって、それほど深く手続に関与してもらう必要はないように思います。
ですから、専門性と言う場合、2つのタイプがあって、それぞれにそういう関与の程度になるのかなと、若干感想めいていますが感じております。
○鵜飼委員 私も大体同じような感想ですけれども、事件が提訴されて受理された段階で、訴状を見て判断できる事項、あるいは答弁書ぐらいは見る必要があるかもしれませんが、要するに事件として法令の適用によって結論が得られるような単純な事件の類型があることは間違いないと思います。
もう一つは、一般条項といいましょうか、そういう価値判断が問われるような、そういう事件がある。
もう一つは、先ほど村中委員がおっしゃいましたように特殊な制度設計、そういう意味では技術的な専門性がなければ、その制度そのものがなかなか理解できないというものもあるだろうと思います。
その意味での初めの段階における仕分けは、その段階で専門家が関与するということは、専門家の負担という問題もございますので、それほど必要ないのではないか。一応仕分けした段階の一般条項が判断として必要な事件とか、特殊技術的な専門性が必要とされる事件については、専門家が関与して審理を進めていく、仕分けの段階ではそういうことになるのではないかと思います。
○山口委員 それぞれの手続の段階での関与の在り方について、これは私個人の意見というよりはほかの裁判官の意見も聴いてきましたので、それを紹介する形で説明したいと思います。御承知のように現在の民事訴訟では、争点整理をやった上で、争点を絞り込んで証拠調べをして、その過程で和解をし、あるいは和解ができなければ判決となっておりますし、その場合の証拠調べは、基本的には集中的にやるという形になっておりますが、現状では、労働事件の場合にはなかなか人数の関係、証人の都合の関係もあって、集中証拠調べが十分できているかというと、そういう事件もありますけれども、必ずしもそうでもない事件、例えば月1回程度の期日を数期日入れるといったような事件もあるという前提でお聞きいただきたいと思うのですが、まず進行協議期日については、現状ではそれほど使われているわけではない。例えば、人証が多数ある場合に、その絞り込みをどうするか、書証がたくさん出ている場合に、出すべきものと出さないべきものとを振り分ける。具体的な訴訟の進行計画について打ち合わせる。あるいは傍聴人の関係で少し協議しておいた方がいいだろうという形の場合に使われておりますので、利用頻度はそれほど多くはありません。
そういう内容の期日ですから、いわば当事者と裁判所との内部的な打ち合わせのような形で行われておりますので、その場面に専門家が入るということは想定しにくいのではなかろうかという意見が多かった。
争点整理期日についてですが、例えば村中さんからもお話がありましたように、時間外手当の細かな計算、あるいは各種の保険関係、労基法の通達の関係、税金関係等について、それぞれの社会保険労務士、あるいは労基署OB等々の専門家が入ってくれるのは有益な場合があるのではなかろうかという場面も十分あるのではないかという意見がありました。
争点整理に労使が入る、ここでは労使の専門家ということを前提に考えた場合に、争点整理期日に労使が入るということはメリットもあるのかもしれませんが、当事者が基本的には争点を絞り込むはずであるのに、労使が入ることによって、逆に、本当の争点はここではないという形で争点が拡大、あるいは拡散されてしまう可能性もあるのではないだろうか。当事者の考える争点とあるいは労使の考える争点とが一致しない場合はどうするかというような疑問もあります。
専門家の争点整理期日の関与の必要性については、先ほど申し上げましたような専門的知識を持った方、あるいは中立的な学者の方が考えられると思いますけれども、その必要性については、都会というか集中部なり専門部があるところよりは、そういう人材が得られるという前提条件つきではありますけれども、地方の裁判所にとっての方が、ありがたい場合があるのではなかろうかという意見がございました。
証拠調べの関係で申し上げますと、基本的には主張立証責任は当事者が負うべきものでありますし、当事者が主張を立証すべきものですから、第三者が関与する必要性について、どこまであるのか、これはかなり疑問視する意見の方が多かったです。
例えば、労使の方が仮に入っていくとして、それぞれの立場からの発問なり何なりをやっていくということを考えてみた場合に、逆にその発問の内容によって訴訟の結論が左右されるということで当事者が納得するのだろうかという、基本的に自分たちが主張を立証したところと違うところで事実の認定なり評価がされてしまうのではないかという疑問はないのだろうかという指摘もありました。
和解の関係については、これは両方の意見がありまして、労働側の委員が労働側、あるいは使用者側の委員が使用者側を説得することがそもそもできるのか。これは消極説の立場ですが、そういう意見が一方でありました。つまり、少なくとも現状の訴訟を前提とする限りは、例えば労働側の話を申し上げますと、必ずしも大労組ではない人が少なくない。そういった場合に、労働者側委員が大労組の人であったような場合に、労働者側の当事者が、委員のおっしゃることに素直に耳を傾けられるのだろうかという疑問。同じようなことが使用者側にも言えまして、特に大企業側から選ばれた方が使用者側を説得しようとしても、使用者側の当事者が中小企業の方であったりして、その関係で十分聴いてくれないということもあるのではなかろうかといったようなこと、そういうことを一つの論拠にして消極説がありました。
もう一方の論拠は、労使の心証と裁判官の心証が分かれた場合、ではどういう形で和解を進めていくのか。その辺が非常に難しいのではなかろうか、そういう意見もありました。
積極説の方は、そういう消極説の前提条件がクリアできるという条件つきではありますが、長年の経験等を踏まえて、労働側が労働者の当事者、あるいは使用者側が使用者の当事者を説得すれば、それは聴いてくれる場合もあるのではなかろうかということで、和解についてはほかの場面とは少し違うのではないかという意見がありました。
ただ、少なくとも裁判の迅速化が叫ばれている関係からしますと、和解の場面について関与をお願いするとしても、一定期間を区切る形の運用を考えないと、労働委員会とは違うかもしれませんけれども、事件がいたずらに長期化するのではなかろうかという意見もありました。そういう意味では、両方の意見があります。
判決というか判断の段階について、仮に労使の方に入っていただくのであれば、当然意見を述べてもらうことになると思うのですが、実際問題として、判断なり判決が非常に難しいという意見が大勢です。委員も含めて、意見が2対1で分かれたような場合、この取扱いをどうするのか。多分、委員は経験則でおっしゃると思うのですが、その経験則が検証できない形でおっしゃられることになると思うので、それで説得力のある判決が書けるのだろうかという意見もありましたし、争点が一つではない事件の場合の方がむしろ少なくないので、例えば争点がA、B、C、Dと4つあった場合に、Aの争点についての認定なり判断、Bの争点についての認定なり判断、Cの争点についての認定なり判断等々がそれぞれ分かれた場合は一体どういう判決になっていくのだろうかという疑問もあります。
こういったことからすると、少なくとも今書いているような形の判決はなかなか書きにくいのではなかろうか。判決には合議の結果こうなったというような形で書ければいいのでしょうけれども、そういうわけにもいかないので、その辺はなかなか難しい問題が少なくないという意見が多かったです。
透明性の確保の関係で言えば、現在のように手続の透明性が言われている時代の流れからしますと、専門家が入るにしても、その専門家の意見は当事者の前で言うべきであるし、書面による意見が出されたとしても、それを当事者が見られる機会を与えないといけないのではなかろうかということでした。
当事者の意向の反映の関係でいいますと、事件類型で関与を義務づけるのは非常に難しい。例えば賃金請求の事件でも単純な賃金請求のものもありますし、就業規則の不利益変更の問題もありますし、なかなか難しい。
訴訟の進行過程において、争点が変わってくる場合もあるので、最初の段階で仕分けがきちんとできるのかという問題もあるでしょうし、そういう意味で、しかも当事者が関与されることに反対しているような場合に関与させて、果たして当事者が協力できるような訴訟進行ができるのかという問題もありますので、そうなれば、双方が同意する事件になっていくのではなかろうかという指摘がありましたので、一応御紹介申し上げておきます。
○髙木委員 先ほど春日先生からお話がありましたように、専門家として関与する者の負担というか労働との関係等を含めて、専門家が関与して一番有効なステージはどこなのかということで、優先順位というか、そういう判断を過程ごとに加えていきながら、場合によっては、例えばこのステップはプロの裁判官にお願いするとかしないとか、そういう仕分けはできるのではないか。実務的な細かいことをよく知りませんので、どのステージがどうなっているかということまでは申し上げられませんが、いずれにいたしましても、労働事件についても迅速化の要請が強くあるわけですし、あるいはアクセスのしやすさというか、裁判所に判断をお願いしに行く際の手続なり、出す書類も簡便化といいますか簡素化していただく必要もあると思います。また裁判手続あるいは証拠の偏在問題等も、これは後ほどの議論だろうと思いますけれども、裁判制度そのものも、プロの裁判官にお願いしている裁判制度と専門家が関与する裁判制度は構造的にもまた少し変わってくる面があるのではないか。いわゆる専門家関与型の裁判になったときの裁判手続がどうなるか。もちろんそういうことも意識してこの議論をしておくということだろうと思いますけれども、そういう意味で、例えば証拠の扱い方、それから一々書面のやりとりをしなければいけない云々、その辺の裁判が具体的に進められていく手続との兼ね合いもいろいろあろうかと思います。
専門家の関与についての当事者の意思確認は、例の司法制度改革審議会で裁判員制度の議論をしておりますときに、当事者の選択といいますか、どうするのかという議論がありました。結論から言いますと、とりあえずは刑事の重大事件という整理で、その対象事件については、例えば被告の選択に委ねるのはやめようということで、その仕組みの対象になる部分については意思確認は原則なしという結論が裁判員制度については出ていると思います。そういう意味で、もちろん全部が全部参審型である必要はないような事件もあるかもしれませんが、例えば解雇事件については、例外規定をつくるのかどうかはともかくとして、原則は参審制でやるということで、事件ジャンルごとに若干の仕分けをする必要があるかないかの吟味をしていくということではないかと思います。
○山川委員 4(1)と(2)のそれぞれに掲げられた項目が多分縦軸と横軸に分かれて、該当しない部分もあると思いますが、その中で現実に専門委員という形で既に実現の方向に動いているものがかなりあるとしますと、争点といいますか論点といいますか、現実に考えていくと、論点となる段階は絞られるのかなという感じがします。専門委員制度の中でも、現在の案によりますと、当事者の関与等については争点整理、進行協議、証拠調べ、和解の手続において意見を聴くことができるとありますから、それと異なる部分がどこにあるのかという点が問題になると思います。
そうしますと、意見陳述と判断ということになるかと思いますけれども、判断の場合は位置づけはほぼ明確ですが、意見陳述の位置づけについては、どういう意見陳述があるのかなど、よくわからない点があります。事件全体についての処理に関する感想もあるでしょうし、個々の証拠調べに関する感想もあるかと思いますし、逆に証拠調べ手続に参加するというと、発問といっても事実上は意見陳述と区別しにくい場合もあるかもしれないので、そのあたりをブレークダウンして検討する必要があるかなと思います。
特に、争点整理、証拠の整理という点では、専門員制度の設計に関する論文を見ましても、実際には弁論準備期日手続において、主張の含意とか証拠の読み取り方とか、より具体的に証拠調べの対象を絞っていく上での考え方のようなことが議論されることがありうるであろうと書かれています。そうすると、そういう中では、専門性を生かすことが有効な場合もあるのではないか。全く雰囲気的に争点を設定するのは問題かと思いますけれども、代理人側の対応ともかかわり、主張の仕方ともかかわるのかもしれません。時々、労働側であれ使用者側であれ、経験の豊かな方であればいいのですが、そうでない場合については、主張とか争点の絞り方自体がややどうかと思われるケースもありますので、そういう意味で専門家の意見を聴くことはあり得るのかなと思います。
最終的に判決への関与については、評決のようなものであれば別ですけれども、そうでない意見陳述への関与がどういうものかというイメージがいま一つつかめないということがあります。1つは先ほど村中委員が言われたように、現行制度で言えば鑑定人に近いようなものであると割と明確なのですけれども、そうでない形の意見陳述があり得るのではないか。現実の司法委員に関する論文を見てもそうした運用状況が書いてあります。例えば当該事件の見方等についての意見を聴くような司法委員の運用も参考になり得ると思いますけれども、もし制度設計をするのであれば、具体的な意見陳述の在り方まで考える必要があるのではないかと思います。ちょっとまとまりませんけれども。
○鵜飼委員 専門委員は司法制度改革審議会の議論の中でも、これは髙木委員が一番お詳しいと思いますが、技術的、科学的な専門的知見を、現在の鑑定ではなく、もっと機動的に裁判手続に反映していこうという発想で生まれてきたと私は理解しておりますけれども、そういう意味で全体の流れでの専門性の活用はいわゆるスポット的といいますか「点」といいましょうか、部分的でございます。
したがって、そういう部分の労働事件についての活用の必要性は、先ほど村中委員がおっしゃいましたようなところであるのだろうと思いますが、私は、むしろ労働事件については「線」として、その解決のために科学的・技術的な専門的知見とは違った意味での経験則をいかに活用するかというところで生まれてきたものだろうと思います。
先ほど事件類型と言いましたけれども、これは負担の問題とも絡んできまして、給源との絡みで余り負担をかけることは困難であるということからいきますと、事件類型として、特別に雇用労使関係における専門的な知見、経験則が必要のない事件もございます。確かに争点が変わっていく点はありますが、少なくとも争点整理の段階で見きわめはつけられるだろうと思います。私たちが扱っているような賃金未払いとか残業手当の支払い等については特に一般条項は必要となりませんので、そういう事件については経験則を特別に導入する必要性はない。
そうしますと、例えば典型的に解雇にあらわれますような一般条項が合理性とか相当性とか必要性の判断が必要となるような事件類型については、スポット的に点として活用するのはなかなか困難であろうと思います。流れの中で関与していくことが必要になってくると思います。
先ほどの山口委員のお話では、現状は裁判官がすべて行うということですけれども、裁判官の実情はいろいろな一般的な事件をやりながら、ローテーションの中で労働事件を担当することになりますから、そういう意味で労働事件について裁判官に特別に専門性というものがあるわけではないと思います。そういう裁判官が、これから事件数としては増えてくる、個別紛争は増えてくる。何件ぐらいになるかというシミュレーションはいろいろ考えられますが、私は今の個別紛争の相談件数とかADRの取扱件数等を考えますと、これから増えてくることは間違いないと思います。
増えてくる事件を迅速かつ適正に解決するために専門的な知見、経験則をどのように活用するかということですが、先ほどの争点整理と証拠調べのところで山口委員がおっしゃいましたけれども、例えば整理解雇の4要件にしましても、4つの要素なり要件がありますが、人員削減の必要性1つをとりましても、企業規模とか企業を取り巻く環境であるとか業種であるとか、そういうものの中でどの程度の削減の必要性があるのか。削減の必要性についてもニュアンスが違ってくると思います。その判断です。
解雇回避努力にしましても、先ほど言ったいろいろな要素の中でその努力を尽くしたかどうかという点でも非常に難しい判断になります。それ以外の解雇基準にしてもそうですし、協議義務を尽したかどうかもそうですけれども、そういう要素を規範的要件に基づいて、その事案特有の間接事実と主要事実を見きわめていくわけですが、その場合に労使関係における経験則は生かされるのではないかと思います。労使の実情をよく知っている人が参加することによって争点整理がスムーズに行われると思いますし、迅速性にもかなうのではないか。
さらに総合的な判断の中で、例えばこの解雇が有効であるかどうか、合理性の判断といいましょうか、まさに均衡点を見出す作業になるわけですけれども、そういうところで裁判官は非常に御苦労なさっていると思うのですが、その点で労使の経験則が生かされるわけでありまして、経験則はもともと弁論主義の対象外であるはずで、経験則違反は法令違反になって上告理由になるわけです。本来、裁判所でも備えておくべきことが予定されているものであります。
しかし現実には、私は今のキャリア裁判官の中にそういうものが蓄積されているとは思いません。従ってそれをどう補強していくのか、そして適正・迅速性を確保していくかという議論でありますので、争点整理、証拠調べ、そして判断の部分。ここにまさに、事件類型というのは先ほど言いましたようにありますけれども、その部分に当面活用していくことが必要なのではないか。
先ほどいろいろな危惧を言われました。例えば労使の参審員なり参与員の属性等によって、労使がそれぞれ違和感を持つのではないか、問題はないかという意見があったり、争点整理の段階より、むしろ労使が対立的側面が出てくるのではないかという危惧があったり、もちろんその危惧は否定できない部分がありますが、今の労働委員会の制度の中でも、参与ということで非常に限られておりまして、調査の審問への関与は非常に限定されていますが、私は争点整理とか、あるいは証拠調べ等における労使委員の役割は非常に大きいものがあると思っています。それは対立を激化する方向ではなくて、むしろ適正かつ円滑に争点を整理して、審理を進めていく方向で、あるいはその中における和解を活用させる方向で役割を果たしていると思います。これを一層強化する方向での制度設計は十分可能でありまして、公平中立性が一番キーになる、核になる概念だと思いますけれども、その辺はきちんと制度設計をして、それを担保していくということになりますと、これは制度ですからスタートしていく中で、そのものを実現していこうという中でそういうものがレベルアップしていくことは間違いないわけでありまして、現状から言うと心配は絶えない部分があるかと思いますが、私は十分耐えられる、十分やっていける問題だと思っています。
○春日委員 先ほど山川委員から関与の対象として、意見陳述が一番問題になるのではないかという御意見で、私もそういうふうに思います。ただ、意見の陳述は具体的なイメージとしてどういうものか、私もなかなか浮かばないのですが、少なくともここで「司法委員制度参照」と書いてあって、司法委員では恐らく意見の陳述はあまり多くはないと思います。多分、簡裁の判事が「結論はこんなところですかね」と言ったときに「まあそうでしょうね」とか、和解といったときに、「では別室で和解を進めてみますか」という程度で、少なくとも私の経験から言うとそういう程度なのですが、ここで言っている意見の陳述はそうではなくて相当専門的なものだと思います。先ほどから山川委員がおっしゃっているように、鑑定人に近いようなイメージでおります。
鑑定人に近いようなものというと、当事者とか証人等への発問の機会も当然与えられていないとぐあいが悪いだろうと思います。
ちなみに、司法委員の場合に裁判長に告げて証人等への発問を行うといっても余りしていないのが実態ではないかと思いますが、ここでの当事者、証人等への発問という場合には、意見の陳述をするための前提になるような発問が必要なのだろうと思います。
そういう観点から見ると、少なくとも民訴の専門委員の場合には当事者の同意が必要と書いてありますこととの対比で、これは手続の透明性とか当事者の意向反映も当然必要になってくると思います。仮に、意見の陳述についても鑑定人に近いようなものを考えるのだとすると、恐らく実際の民事訴訟では鑑定人を指定する場合には、当事者双方の代理人の意向を聴いてから、この人でよさそうかなと思う人を多分指定していると思いますから、そういう意味でも当事者の同意に近いようなもの、あるいは同意が必要だろうと考えております。
○髙木委員 私は、専門委員制度を今検討中ということですが、もちろんどういう方が専門委員になるのかにもよるわけですけれども、参審制の議論と専門委員の議論は全く別のものと思っておりまして、例えば今検討されている医療過誤だとか建築瑕疵の話は、ここでも議論になりましたように、専門性なるものの中身が大分違うという議論がありましたが、その裏返しの議論があるのかなと思います。仮に参審制のもとでも、専門委員的な方の意見を聴取する必要があるような事件もあるでしょうし、例えば労災問題とかでお医者さんの知見に近いようなものをお願いすることもあるかもしれません。
そういう意味では、以前に事務局の方にお願いして、ここに専門委員制度参照とかいろいろ教えてくださるのは結構なのですが、こういう項目の整理の仕方は議論の本質をぼかすのではないかという心配がありますので、その旨を私ちょっと申し上げたことがあったと思います。もちろん専門委員制度がどうということは別にして、参審制の中で意見の陳述をどうするのかは非常に大きな観点だと思いますから、それはそれできちんと議論したらいいと思うのですが、そもそも専門員制度と参審制は別次元で、全く別と言っていいかわかりませんが、かなり次元の違う議論になるのではないかと思いますので、その辺はどうかなという思いがして、今聞いております。
○菅野座長 資料77の中で専門委員制度とか司法委員制度が出てくるのは、別にそちらの方に誘導するとかそういうことではなく、逆に今のような御主張を出していただきたいということでありまして、お考えになっている制度は既存の制度と比べて同じなのか違うのか、その辺は制度を組み立てる上では必要な議論だということですね。
○矢野委員 以前に配られた司法委員制度の概要を改めて読んでみまして、大変興味のある中身だと思ったのですが、特に東京簡裁での実情について、4人の共同論文があって、それを読みますと、取り上げる案件の中に交通事故とか交通事故以外の損害賠償とか敷金の問題などがありますが、解雇予告手当とか賃金が随分取り上げられているようです。しかも、その司法委員の中には労働基準監督署とか労政事務所のOBが入って役割を果たしている。和解の補助と意見聴取の両方でいろいろと働いてもらっている。
一覧表を見てみると、登場する場面は証拠調べ後が多いようで、証言供述の信用性、証拠資料の評価、事実認定というところに登場する。もっと前の段階、後の段階、随時というのはいろいろあるようですけれども、この状況について前にもお話があったのですが、こういう関与の仕方が機能しているという実情をもう少し詳しく聞きたいという思いがしております。
専門委員制度については、これは訴訟のプロセスの中の1つの役割ということだと思いますので、そういうとらえ方をして、この専門委員制度はどうあるべきかということを考えていきたいと思っているのですが、その場合でも、ここに書いてあるような関与の仕方が労働問題、労働事案の場合にどういうことを想定すればいいのかということは、ちょっと議論が必要ではないだろうかと思います。
制度としてつくっても、中身をどう想定するかということが大事なのではないかと思いますが、少し議論を深めたいと思います。既に行われている司法委員制度、これから導入しようとすることが決まっている専門委員制度についての論議を深めてはどうだろうかと思いました。
○鵜飼委員 私の理解では、司法委員制度は裁判所がつけることを決めることで、当事者の意向は必ずしも聞かれないわけですが、特に主として簡易裁判所において本人訴訟が多いことと、裁判官自身も全部が法曹資格者ではないということもあるのではないかと思いますけれども、少なくとも私が見聞している司法委員制度の実情は、消費者金融等の貸金請求事件などで特に和解に司法委員が常に待機していて、別室で和解をして、和解を成立させていく。こういう中で相当役割を果たしていらっしゃいますけれども、むしろ裁判所の肩代わり的な部分が相当多いのではないか。法の制度の趣旨からいうと、簡易裁判所という本人訴訟が多いことと、必ずしも法曹資格者が裁判官ではないという中での専門的な知見を補強していくということがあるのではないかと思いますので、これから考える労働事件についての専門性の付与についてももちろん参考にはすべきだと思いますが、ストレートにそれから結論が出てくるものではないと思います。
専門委員制度は基本的には髙木委員と同じ認識ですけれども、現在でも鑑定がありますし、調停における専門委員の活用がありまして、そこで専門的な知見をかなり活用している部分がありますが、これも専門委員制度としてより機動的にしていこうということだと思います。
労働事件についても、先ほど髙木委員がおっしゃったような形で活用は十分できますが、今議論しているのは、まさに一般条項等を適用する労働裁判の場面において、労使の実情の専門的な知識、経験、経験則をどう活用するかということで、関連はしていますけれども、少し違う次元の議論であろうと思います。
ヨーロッパ等にありますような労働参審制が日本に適用できるのかできないのかということですが、現状を踏まえた危惧がいろいろございます。私は危惧を上回る効用があると思っていますけれども、山口委員がおっしゃった判決、判断の段階における危惧といいましょうか、2対1になった場合にどうするかというような議論がありましたが、私がイギリスで聞いた段階で、2対1になることはほとんどない。90数%で全員一致するということでありますが、これはヨーロッパ各国に行ってもそういうことです。2対1になった場合は、イギリスにおいては少数意見を判決文に書くとおっしゃいました。2対1になった場合は「2」の意見が結論になるわけでありますけれども、少数意見を書くと言っていました。ドイツではそういうことはないようでありますけれども。
そういう形でクリアできますし、経験則について検証できないではないかとおっしゃいますけれども、これは今の裁判でまさにそうでありまして、裁判所自身が自ら持っていらっしゃる経験則を適用して、証拠の判断をしたり、事実認定をしたり、総合的な評価のもとで結論を出しているわけでありまして、そのプロセスは当然説明責任がございますので、判決の中でその経験則のようなものはできる限りきちんと説明することが、参審制になろうとも現在の裁判であっても 必要だと思います。
したがって、現行の裁判システムにおけるいろいろな制度は参考にはなりますけれども、私は労働参審制、参与制は新たな制度を導入するものだと思いますので、その辺の議論は必要なのではないかと思います。
○山口委員 反論だけしておきますと、鵜飼さんのおっしゃることもわかるのですが、その前提として、労使の方が仮に入っていただくとした場合は、これは訴訟ですから、労働法や判例に基づいた意見をそれぞれの経験を踏まえて適切に開陳できることが前提になるのだろうと思うのですが、少なくとも現在の我が国においては、そういうふうにできるとはおっしゃいますけれども、具体的に検証された実績がないことが私にとっては一番の気がかりということを申し上げているので、制度を入れる以上は見込みのある制度を考えるべきでしょうから、そういう意味で言えば、その辺の実績がどうなのかなということを申し上げているだけです。
ついでで恐縮ですが、先ほどの関係で言いますと、基本的にもしそういう方に入っていただくとして考えてみた場合に、それぞれ争点整理、あるいは証拠調べ等々にずっと関与していくのが望ましいとおっしゃっていましたから、仮にそうしますと、少なくとも現状を前提とする限り、そういうたぐいの事件には1年半ぐらいかかっていますから、これをどれだけ短縮するにしても、1年程度と考えても少なくとも12期日、そういう回数に来られるだけの人数の問題がどうしても残るし、こういう制度を仮に導入するとすれば、ある裁判所だけに入れて、ほかは入れないというわけにはいかないと思いますので、都会ばかりではなくて、地方においても一定数の方が確保できることが必須の前提になると思いますので、その辺の兼ね合いも見ていかなければいけないのではないかと思います。
○矢野委員 私どもの内部の論議を御紹介したいと思うのですが、参審制、参与制を考える場合、現状の仕組みに重大な問題があるので変えなければいけないという議論が成り立たないと、新しい仕組みの必要性は説得力がないと思います。あるべき論というのはよくわかります。そういう考え方があることもよく承知しておりますが、ここまで1~2年かけてやってきていることは、ADRを充実して、しかも裁判所で労働調停をやって、専門委員制度も入れてという形で、労使とは特定いたしませんけれども、広い意味での参画の形を増やそう、それによって多くの個別紛争が解決できるだろうと見ているわけです。
そういうスクリーニングを経た上で裁判、訴訟が行われるわけで、その制度はしっかり担保されなければならないことは当然ですが、個別にはいろいろあっても、総じて私が受けた印象では、決して100点満点とは言いませんけれども、かなり信頼性の高い裁判制度を日本は持っている。つまり政治などいろいろな問題については皆さん不満を言うけれども、裁判について決定的な批判は、ないわけではありませんけれども、ある程度の社会的安定のもとをなしていると私は思うんです。根本的に今の制度にどうしようもない欠点があるというのならともかく、そうでない場合には現状を尊重する。そして、足りない部分をADRで補完するという考えがあっていいのではないか、こういう議論が基本にあることを申し上げておきたいと思います。
司法制度改革審議会の私どもに対する諮問を見ても、参審、参与については当否あるいは可否を含めて検討してほしいと言ってきているわけでありまして、本来どういう大問題があるのかということが論証されない場合には前に進めないだろうと思います。私どもはそういう観点で相当意見を取り交わしているのですけれども、今申し上げたような判断になっています。
○髙木委員 これをやり出すとまた大論争になってしまうのですけれども、そもそも司法制度改革審議会がなぜ今このときに設けられたのか。日本の司法がいかに問題が多いか。ここには司法にかかわっておられる人がたくさんおられるから、では裁判所に、あるいは裁判官にかかわってどういう問題があるのかといろいろな議論が今まで積み重ねられてきていまして、少なくとも改善・改革を要するところがたくさんある。そういう中で労働事件訴訟についても例外ではない面があるということで、21世紀中頃ぐらいまでをにらんで、少しでも現状をよくしていくためにはどういうことが今求められているというコンセプトが司法制度改革審議会の意見書にはいろいろ書かれていると、自分も参加してきて思っております。そういう意味では、現在までの来し方、現在はこの制度しかないのですから、この制度のもとでよりよいものにしようという努力は法曹関係の皆さんがしてきたはずですし、努力にもかかわらず、なおかつこういう難点があるということはいろいろな指摘があるわけです。
これはだれでもそうだろうと思うのですが、何か新しいものを求めよう、あるいは変えようというときに、どうしても従来からのシステムなり感覚への親和性を人間は持つわけで、新しいことに挑戦するというか取り組むときには、過去の延長線上でこういう懸念があるだろうという意見はたくさんあるのだろうと思いますが、新しい制度、あるいは新しい発想で物事を考えていくときに、そういう懸念をできるだけ極小化する努力は当然あってしかるべきだと思います。そういう意味では、矢野さんおっしゃるように、今の状況でそう問題はないのだからという御認識があってもいけないとは私は申し上げませんが、その辺はもう少しいろいろな観点からいろいろな意味で御議論していただきたいものだと思います。日本経団連の内部、あるいは経営法曹の先生方も、例えば今言っているような議論は、毎年毎年こういう議論ができるわけではないと思いますから、ある期間を頭に置きながら、よりよいものは何かということを議論していくために私どもこの場に出ていると思います。釈迦に説法のような書生論で申しわけないのですが、裁判官に対する評価はいろいろありますし、審議会のときにもそういう調査が行われた例等も私どもも拝見したことがありますから、場合によってはそういうものも皆さんで吟味していただいて、日本の今の司法の状況を社会はどう評価しているのかについて、必要なら議論したらいいと思います。今は本当にそう大きな問題がない状況なのかという認識のよって来るところの違いのようなものかなと思って、あえて発言させていただきました。
○鵜飼委員 例えば解雇事件を1つ例にとりまして、現実的には解雇された労働者が裁判を利用できるかという問題が1つあります。裁判を利用した場合に、本当に満足の得られる解決になるかという問題がありまして、労働者側には現在の裁判制度に対する不満がかなりあることは間違いありません。これは、労政事務所の人たちが窓口の担当を通じて労働者にアンケートしたり、自らもアンケートをやっておりますので、その辺のところは近くお渡ししたいと思いますが、少なくとも個々の労働者にとってみますと、裁判所は非常に敷居が高くて、かつどういう結論になるかわからないという見通しのなさといいましょうか、不確実性についての不満が相当あることは間違いありません。
どうも企業側、あるいは大労組の中でも、現在の労働裁判は特別問題ないではないかという御意見があるようにお受けしますが、全体的な日本の雇用社会、そして労使関係の在り方を考えた場合に、労働検討会でも冒頭から言われてきましたように、企業内の解決能力低下の問題は危機意識を持って語られてきましたし、個別紛争が企業外にどんどん出ていくであろうという見通しはかなり共通のものになりました。
今、解雇紛争について、例えば見通しはどうかという点がありますが、これは山川委員も編者の1人になっていらっしゃいます『解雇法制を考える』という最近出された本を読みましても、データ分析で、例えば地域別解雇有効判決率というものがありまして、この中で東京地裁、福岡地裁、神戸地裁、横浜地裁、大阪地裁とかなりばらつきがございます。東京地裁では70%ですが、大阪地裁は21.6%とばらつきがありますし、判断基準そのものも年代別にずっとシフトしております。このデータベースに基づく分析がすべて正しいと私は思いませんが、判断基準そのものも時代の流れの中で非常に変わってきている。判決に至る期間も非常に長くかかっておりまして、整理解雇事件で平均日数が1,230日で1,000日を超えるということがあります。人証調べのケースについては21,2カ月というのがデータとして最高裁の方から出されましたが、解雇事件については時間もかかりますし、判断、見通しがなかなか立たない。
数回前に私が具体的ケースを挙げましたけれども、あのケースにおきましては、1999年に地裁の仮処分で解雇有効の判決が出て、その後、一昨年に本訴で解雇無効という判決が出て、その後、昨年は東京高裁で解雇有効という判決で二転三転した。それは必ずしも例外ではないという状況があります。
解雇という普遍的・典型的な事件において時間がかかる、そして予測可能性もなかなか立ちにくい。それはよくわかるんですね。この激動する状況の中で、判断基準の当てはめがいかに難しいかということを実証していると思います。その中で、実体法のレベルでは、解雇ルールをよく明確にしていこうと政策目標として具体化しつつあります。今日も自由法曹団の反対意見が出されておりますけれども、それは解雇事件をいかにルールに基づいた適正な解決を図っていくかという試みの1つだろうと思います。
そういう意味で、私は事件類型としては解雇事件を典型的なものとして、果たして今の裁判でいいのか、予測可能性を含めて、期間の問題、当事者の負担問題も含めていいのかという議論、その中で現状に対する危機意識のレベルは相当違いますけれども、司法制度改革審議会の基本的なメッセージを受けとめて、21世紀の裁判の在り方を考えるときに、解雇ルールが法制化されようという動きと連動して解雇についての裁判システムの抜本的な改革を考える時期に来ているのではないかと思っています。
○石嵜委員 労働側からの裁判所の事件に対する見方を言われましたが、我々も半年ぐらい経営法曹の中で議論してきて、裁判所に対する感覚は個々の事件とか個々の裁判官に何らかの問題があることを感じている方は多いのですけれども、しかし裁判所全体の在り方については、今なぜ変えなければいけないのだろうという意識が経営者側に強いことは間違いないと言わざるを得ないと思います。
もう一つ、裁判は中立公平で国民の信頼を必要とする。そのときに裁判官が中立公平に判決を書ける担保として、憲法上の身分保障がきちんとされている。したがって今後、参審制などを考えるとすれば、それに参加する人たちの身分保障をどうするのだろう、こういうこともきちんと議論しないでは前に進めないのではないか。これは私自身、今どう言っていいかわからないのですけれども、そういう問題を提起されていることだけはお話ししておきたいと思います。
○菅野座長 時間になりましたが、特に御発言はありますでしょうか。今日は第一巡目の議論ですが、「雇用・労使関係に専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否」という論点については、一とおり議論をしていただいたと思います。
今日の議論では、和解に関与させるべきという意見、和解への関与を中心に考えているという議論はなかったのかなという気もしています。主として議論の論点、対象になっているのは、むしろ争点整理とか証拠調べ、判断というか判決の方であるという感じであると理解しました。これは、また今後議論を継続していくことであります。
ほかに発言がなければ、専門家の関与する裁判制度の導入の当否についての一巡目の議論はこのくらいにしたいと思います。
前回と今回の御検討を踏まえて、事務局においてある程度議論の整理、検討をしてもらった上で、二巡目の検討でさらに詳細な御議論をいただこうと思います。
次回は論点項目の中間的な整理の4「労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否」について、御検討いただきたいと思います。
これまでと同様に、事務局の方に特にポイントとなる主要な論点、論点についての検討資料を準備してもらい、それらを参考にしながら検討を進めていただきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
最後に、事務局から次回の日程をお願いします。
○齊藤参事官 次回(第15回)の検討会は、2月27日(木)午前10時から12時30分を予定しております。よろしくお願いいたします。
○菅野座長 それでは、本日の検討会はこれで終わります。どうもありがとうございました。