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労働検討会(第17回)議事録



1 日時
平成15年3月24日(月) 13:30~16:30

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
菅野和夫座長、石嵜信憲、鵜飼良昭、春日偉知郎、後藤博、髙木剛、村中孝史、山川隆一、山口幸雄(敬称略)
(事務局)
松川忠晴事務局次長、古口章事務局次長、松永邦男参事官、齊藤友嘉参事官、川畑正文参事官補佐

4 議題
(1) 論点項目についての検討
(2) 今後の検討スケジュールについて
(3) その他

5 議事

○菅野座長 それでは定刻になりましたので、ただいまから第17回労働検討会を開会いたします。
 本日は御多忙のところ御出席いただきましてありがとうございます。
 本日は矢野委員と熊谷委員が御欠席です。
 まず、本日の配布資料の確認をお願いいたします。

○齊藤参事官 資料96は、今国会に提出されました司法制度改革関連の法律案でございます。5冊ございますので、御確認ください。
 資料97は、「労働関係事件への総合的な対応強化にかかる検討すべき論点項目(中間的な整理)」の再配布でございます。
 資料98は、「検討事項に関する主要な論点及び検討資料」でございます。これまでの分を全部合本したものでございます。
 資料99は、「論点項目に関するこれまでの議論の概要」でございます。
 資料100は、「今後の検討スケジュール -たたき台-」でございます。
 資料101は、鵜飼委員提出の資料でございます。
 資料102は、髙木委員提出の資料でございます。
 資料103は、春日委員から「労働調停について」と題する資料を御提出いただいております。
 参考資料としましては、座席表と日本労働弁護団の意見書で、「労働訴訟における敗訴者負担についての意見書」を配布させていただいております。
 資料は以上でございます。

○菅野座長 それでは、本日の議題に入ります。
 まず初めに、今般、司法制度改革関連の法律案が閣議決定され、今国会に提出されました。その中には、労働関係訴訟事件の在り方にも大きく関係する裁判の迅速化に関する法案や民事訴訟法の一部改正案等もありますので、主な法律案について事務局から簡単に御説明をお願いいたします。

○齊藤参事官 それでは、今国会に提出されました司法制度改革関連の法律案のうち、当検討会の御議論にも関係する部分につきまして、簡単に御説明申し上げます。
 まず、「民事訴訟法等の一部を改正する法律案」でございます。民事訴訟における計画審理の推進、証拠収集手段の拡充、専門委員制度につきましては以前、当検討会におきましても、法制審議会の答申等の概要を御紹介申し上げましたが、法務省におきまして立案作業が進められ、去る3月4日に「民事訴訟法等の一部を改正する法律案」として閣議決定され、国会に提出されております。
 次に、「裁判の迅速化に関する法律案」でございますが、3月14日に、司法制度改革推進本部におきまして立案作業を進めておりました4法案が閣議決定され、国会に提出されました。
 まず、お配りしておりますのは、第一審の訴訟手続については2年以内のできるだけ短い期間内にこれを終局させることを目標とする「裁判の迅速化に関する法律案」でございます。
 その次にお配りしておりますのは、「司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律案」でございます。内訳としましては、簡易裁判所の管轄の拡大、民事訴訟等の費用に関する制度の整備、弁護士から任官される民事調停官等が、裁判官と同等の権限で調停手続を主宰する制度の詳細等を規定する「司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律案」でございます。
 その次にお配りしておりますのは、仲裁手続等の整備を図るための「仲裁法案」でございます。
 この法律案に関しましては、労働関係紛争に係る仲裁合意の取扱いにつきましてこの検討会でも御議論がございましたが、昨年、仲裁検討会におきまして菅野座長、石嵜委員、髙木委員にも御出席いただいて検討が行われました。その御議論を踏まえまして、この法律案では附則第4条を御確認いただきたいと存じますが、「当分の間、この法律の施行後に成立した仲裁合意であって、将来において生ずる個別労働関係紛争を対象とするものは、無効とする」ことといたしております。
 その他、これらのほか裁判官や検察官等を法科大学院の教員として派遣するために必要な事項について定める「法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律案」を提出しておりますので、最後にお付けしてございます。
 以上でございます。

○菅野座長 ありがとうございます。それでは本論に入りたいと思いますが、前回までで論点項目の中間的な整理の各論点について1巡目の議論を一通り終了したわけであります。本日は1巡目の検討の全体を通じて、これまでの議論を振り返って特に補充しておきたい事項や意見、言い足りなかった部分、御感想等ございましたら、そういう御意見を頂戴したいと思います。
 本日はこれまでの各検討事項についての主要な論点や検討資料をまとめて再配布しております(資料98)。また、今までの議論の概要や各委員からの提出資料を整理した資料99も作成してもらっています。これらを参考にしていただければと思います。
 本日は、ごらんのように鵜飼委員から御意見のレジュメ、髙木委員からは御意見、春日委員からも御意見を文書でいただいています。鵜飼委員のレジュメは、私の拝見するところ、1巡目の議論の中での専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否と、労働関係に固有の訴訟手続の当否に主として当たっているように拝見いたしました。髙木委員の御意見は、参審制、専門家の関与する裁判制度の導入の当否という事項に関するものであります。春日委員は、労働調停の制度に関するものであります。これらを頂戴いたしまして、私の考えたところでは、今日の時間は、正確に言うと「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について」について補足的な御意見をいただいた上で、その後、休憩を挟んでその他の論点で御意見をいただき、そしてまた今後の2巡目の検討の日程、進め方についての御意見をいただく。こういう感じで進められればなと思っていますが、それでよろしいでしょうか。
 そういうことで最初にまず専門家の関与する裁判制度の導入の当否について、これまでの議論を振り返っての補充の御意見をいただきたいと思います。労働関係事件の裁判に何らかの形で労働関係の専門家に関与していただくことが有用な場合があるという点については、委員の皆様の御意見が概ね一致していたのではないかとも思うわけですが、いわゆる参審制の導入の当否という点では委員間の意見の隔たりが特に大きかったように見受けられます。
 本日、どのような専門家がどのような形で裁判手続に関与し、どのような役割を果たすのが是か非かという点について、もう少し議論を深めていただければと思います。どなたからでも結構ですが、御意見を提出していただいている委員の方から口火を切っていただいても結構だと思います。いかがでしょうか。

○髙木委員 資料102、いわゆる参審制を導入すべきだという観点からの意見を申し上げさせていただきます。
 この参審制について現在までいろいろな意見の交換が行われてまいりましたが、前回、経営法曹会議のペーパー等に出された意見もお聞きいたしましたが、その節は余り議論をする時間もなかったので、私の意見は余り申し上げていなかったと思いましたので、本日このようにペーパーを出させていただきました。
 私自身は、司法制度改革審議会の委員として審議会の議論にも参加する過程で、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の必要性を主張してまいった経過がございます。そういう経過の中で審議会の意見書は、その「導入の可否」という言葉が入りましたが、いろいろな経過を踏まえて本日、ニ、三申し上げさせていただきます。
 まず、1にいわゆる参審制を導入すべきであると考えているということでございます。
 2点目として、21世紀に入っておりますが、失業率の上昇や雇用・就業形態の多様化、あるいは働き方のルールの揺らぎを背景にして、個別労使紛争が増加してきております。そういう中で、労使紛争解決システムの整備、とりわけその要である裁判制度をより信頼性高く、使い勝手のよいものに改革していくことは当然のことだと思います。
 3、4についてぜひ委員の皆さんに御理解を賜りたいわけでございますが、また、釈迦に説法のようなことを申し上げておりますので失礼な面もあろうかと思いますが、今日、司法制度改革のメイン・コンセプトの1つは、統治の主体たるべき国民の参加・参画による司法基盤の強化、この点にあるのだろうと思っております。こういう国民の参加・参画による司法基盤の強化というコンセプトに照らし合わせて、労働事件訴訟におきましても、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度を導入することは、国民的基盤の強化というコンセプトにも沿うものだと思っております。
 国民参加の問題は、例えば裁判員制度を入れようとか、裁判官の運用の過程に国民が参加するとか、あるいは検察審査会の一定の議決に拘束力を付すとか、いろいろな観点から国民的基盤の強化が図られておりますが、その中でも、裁判自体に国民が参加することについて、特に法曹関係の皆さんの中には、プロである我々に任せておけ、素人を入れるのはありがた迷惑…ここまではおっしゃらないかもしれませんが、余り入らなくていいんだよということで唱えておられる。率直に言ってこういう向きがあろうかと思っております。
 司法制度改革審議会の意見書をぜひもう一度、総論のところ等をお読み返しいただきたいと思うのですが、意見書の5ページから8ページに当たりまして、そもそも司法がどういう役割を果たすべきか、その中で法曹の皆さんがどういう役割を担い、国民はまたどんな役割を担うことが期待されているのかについて、それぞれ記載されております。こういう部分を何度も読み返してみますと、司法制度改革審議会の意見書は日本の司法をこんなふうにデッサンをしたらということで、いろいろなサジェスチョンをしているように思います。それは司法部門が政治部門と並んで、いわゆる公共性の根幹を支える柱となければならないこと、あるいは法の支配の理念がもっと貫徹する世界にしていくこと、法曹の皆さんは「国民の社会生活上の医師」としてのサービスの提供という任務を担っておられること。また、統治主体・権利主体である国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない。こういうことを期待されているということを踏まえましてデッサンをすべきではないかと求めていると思います。
 この意見書が求めております司法の基盤としての国民参加の拡大、レベルアップは、先ほど申し上げましたように、他のいろいろなところでも具体的に対処策を通して示しているところでございます。
 私どもの労働検討会における検討状況を振り返ってみて、今次司法改革が何をメイン・コンセプトにしてなされようとしているのか。その点への配慮に乏しい議論になっているのではないかということをあえて申し上げさせていただきます。
 次の4は、意見書の特に22ページから23ページの2ページに労働関係のことを記載しているわけですが、その中で「労働関係事件については、雇用・労使関係の制度や慣行等について、各職場、企業あるいは各種産業の実情に基づき判断することが求められ、これを適正・迅速に処理するためには、科学・技術的専門的知見とは異なる意味で、そのような制度や慣行等についての専門的な知見が必要となる。また、労働関係事件は、労働者の生活の基盤に直接の影響を及ぼすものがあり、一般の事件に比し、特に迅速な解決が望まれる。ヨーロッパ諸国では、このような点をも踏まえ、労働関係事件についていわゆる労働参審制を含む特別の紛争解決手続を採用しており、実際に相当の機能を果たしている」とあり、ヨーロッパの参審制をそれなりに評価しているわけでございます。
 「我が国においてもこのような労働関係事件の専門性、事件動向等を踏まえ、訴訟手続に限らず、簡易・迅速・柔軟な解決が可能なADRも含め、労働関係事件の適正・迅速な処理のための方策を総合的に検討する必要がある」。これは意見書の22ページの中段に書いてあることですが、このように述べておりまして、ヨーロッパにおける労働参審制等を評価し、労働に関する専門的知見を活用する裁判制度の我が国における導入を前向きに検討するよう強く示唆していると私は読み取っております。
 次に、いわゆる労働参審制を導入する意義ですが、雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の裁判への関与によって、労働事件訴訟に求められる企業における人事労務制度とその運用等に関する知見を注ぎ込み、法曹(=国民の社会生活上の医師)と共に協働しつつ労働事件に内在する専門性・特殊性を補強する点に最大の意義があるのだろうと思います。
 また、労働参審制の効果として、今次司法制度改革の3年の柱の1つであり「司法制度をより利用しやすく、わかりやすく、頼りがいのあるものとする」ことや、審査の迅速化、判決や和解結果の職場へのフィードバック機能の強化、ひいては職場における良好かつ安定的な労働秩序の形成などが図り得るのだろうと思います。
 裁判実務にかかわっておられる裁判官・弁護士の皆さんの中には、訴訟代理人が裁判実務のプロフェッショナルとして法廷で法や判例等に関する専門知識を駆使しながら主張立証を行い、職業裁判官だけがその主張立証を吟味して判断を下す現在の裁判の形のままでよいとする御意見がございますが、21世紀の労働事件解決システムの一環としてのよりよい裁判制度の在り方を追求するという観点にお立ちいただき、労働参審制の持つ積極的な側面を考慮した対応を切にお願いしたいと思います。
 なお、司法制度の改革は不断に行われるべきものではございますが、日本の来し方を振り返れば、大きな改革は何十年に1回という頻度でしか行われておらず、今回の改革のチャンスを逃せば、次の機会はいつになるのかという思いもしないではございません。21世紀の最初の四半世紀ぐらいを視野におき、今次改革のコンセプトを十分に認識し、前向きかつユーザーである国民の視点に立った労働事件裁判制度の構築を図っていかなければならないと考えておるところでございます。
 なお、経営法曹会議の方で出された文章についてこういう形で異論を申し上げるのはどうかなと思いましたが、ニ、三感じた点だけ率直に申し上げさせていただくという意味で7を書かせていただきました。
 経営法曹会議司法制度改革検討会の「労働訴訟に専門家が関与する裁判制度の導入に関する意見」(2003年1月29日)は、英独仏等の参審制について一言も触れておられません。もし経営法曹会議の「意見」が労働事件訴訟について普遍性を持つ主張であるならば、英独仏の参審制はとうの昔になくなっているのではないかと思います。特に、「意見」の3ページの①から⑥までを挙げて批判されておりますが、こういう批判が正鵠を得ているとすれば、当然その主張を行うべきであり、その場合には私も「意見」に耳を傾ける余地もあると思います。
 また、「意見」は「・・・労使の専門家の『勘』とか『感覚』などで判断されるべきものでない」と主張しておられますが、木を見て森を見ない……この表現もどうかと思いますが、そういう「勘」や「感覚」で事実認定をしたり判断をするようなことがあれば、誰もが同意・納得しないであろうと思います。
 「勘」や「感覚」のみで事実認定をしたり判断をすべきであるといった主張を誰がしているのか、「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与」の意義をねじ曲げようとしている、そんな「意見」と申し上げざるを得ないかと思っております。
 本席には石嵜委員もお見えで、いろいろ御意見がございましたらまた率直な議論をさせていただきたいと思います。
 8番目に、いわゆる参審制をめぐる議論の中の一環として、労働参与制あるいは専門委員制で対応しようという御意見があるようでございますが、それぞれ中途半端であったり、今次改革の本来の意図にそぐわないのではないかという批判を免れないと思います。特に専門委員制については、特許事件や医療過誤事件等と労働事件の専門性・特殊性などの違いに留意しない考え方に基づくものであると申し上げざるを得ません。
 なお最後に、労働参審制と労使参審委員のリクルート及び研修の問題につきましては、2月5日の第14回検討会に、労働側として専門家を十分リクルートし、研修した上で対応していけるというペーパーを出させていただきました。今でもそのように考えております。
 以上のようなことを書かせていただきましたが、要は今次司法制度改革に求められているものは何なのかと、この場では審議会に出ておりましたのは私一人でございますが、審議会の中ではその辺を重きを置いた論点として議論をしてきたことを思い起こし、今までの議論がちょっとその辺の視点に欠けているのではないかという印象を強く持っておりましたので、敢えて申し上げさせていただきました。
 なお、私のとらえ方が違っているということがございましたら、審議会の議事録はかなり膨大でございますが、関係部分をお読みとりいただければと思います。
 以上でございます。

○菅野座長 今の御意見、「雇用・労使関係の専門的知見を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について」という検討事項についての御意見をいただきたいと思います。

○石嵜委員 経営法曹の意見に関する発言がありますので、一言申し上げます。経営法曹の会議の場でも私は申し上げているのですけれども、私自身の個人的な考え方はこの文章とは少し違います。このことはもう最初から明確に、どこでも申し上げています。ただ、結論的には賛成である。それは、現時点で参与・参審という制度を裁判所に持ち込むことが国民の信頼関係を維持した形で実施できるかという観点から考えると、時期が早い、という気持ちがまだあるということです。したがってそれを前提に、「勘」とか「感覚」というお言葉がありますので、これは仲間のために少し弁解しておかなければいけませんので。
 彼らもただ単に「勘」「感覚」と言っているわけでもなくて、特に私も主張したのですけれども、労働事件の解決についてはいろいろなところで体験を通した中で事実を見るという、そういう立場からの議論が必要ではないか。その中にはある種体験から培った「勘」とか「感覚」というものが生きるだろうと、私はこういうふうに説明するものですから、そういう認識の上で、しかしそれはおまえ自身が持ちえる個人的な「勘」「感覚」であって、それは普遍的なものとは限らないのだから、そういうもの使うことについては我々としては危惧を感じる、こういう意味でありまして、単純な「勘」「感覚」の議論でやったわけではありませんので、そこだけは弁解しておきたいと思います。
 それからもう一つ、ヨーロッパの参審制についてお話ということになるのですけれども、私もドイツの制度を説明できるわけではありません。確かに1990年と2000年にドイツのいわゆる労働裁判所を見てきましたが、そのときはこういう意識はありませんでしたので。したがって2002年にイギリスへ行って、雇用審判所とACASと産業連盟、そして経営者側の弁護士事務所を回ってきて、そこで言われていますのは、雇用審判所はこのいわゆる司法改革制度の意見書の中にある「迅速性」を実現できるシステムではなくなっている。これははっきりそういう評価を受けております。
 ただ、内容的に適正かどうかというと、それは雇用審判所の決定を受けた人たちの9割近くは満足度を持っている。したがって、その適正さについては問題はないのではないか。こういうお話を受けて帰ってきたということも前提に御説明した上で議論はしていただいております。
 ただ、ここまでは御説明したのですが、その後1カ月ぐらい前に、シモンズ・アンド・シモンズという英国の弁護士事務所から労働担当の弁護士が参りまして、お会いして、彼が労働事件のチーフらしいのですが、彼にもう一度、イギリスの参審制についてお話を聞いたところによると、やはり労使が入って三者の意見が一致することは、その裁判官の訴訟指揮なり、その人の能力が労使の2人よりは卓越しているからである。それはなぜかというと、7年間の法曹資格の経験を持って裁判官になり、そしてそこを専門的にやっていく。そういう裁判官自身がその中で長期に労働事件に関与することによって、その体験を通した知識を十分持ち得ている。
 したがって、労使の意見を聞きながら1つの結論を見出せる、それがあるのだろう。したがって、こうおっしゃっていました。もし理論的に考えるなら、英国の参審制は事実上参与制に近いのではないだろうか。その意味で、労使の意見が対立したり、2対1になったりすることは余りなくて、裁判官を含めた労使や参与の意見がまとまる。これがイギリスの弁護士の説明だったので、それは一度皆さんにお話ししておきたいと思っています。
 その意味で今、自分の意見として1つ言えるのは、日本の今の裁判制度で裁判官が労働専門部も集中部も少ない、加えて専門部に3年配置されたら後、資料から見ても再配置という可能性は少なくて、裁判官自身の労働事件に対する専門性を経験で持ち得ないシステムに問題があるのではないだろうか。ある意味では、労働事件についてその専門性を裁判官が持ち得るためには、長期に労働事件に関与することも1つ考えていただきたい。こういうことも1つの道ではないかと今思っているということだけお話しさせていただきます。

○鵜飼委員 私のレジュメで1から3まで若干意見を述べさせていただきたいと思います。私だけ時間をとることになっては申し訳ないのでできるだけ簡潔に申し上げたいのですが、まず、2巡目の各論に入る際に、これからはかなり具体的に個別的な制度設計になりますので技術的な議論になってまいります。それは当然のことだと思いますが、木を見て森を見ないということであってはならないので、その都度、各論の議論の段階では指導理念といいましょうか、そういうものを確認する必要があるという思いで、まず1を述べさせていただきたいと思います。
 私は、実務を30年過ぎまして、労働裁判改革のチャンスがおとずれるとは今まで全く思っておりませんでした。この司法制度改審議会の議論がスタートいたしまして、これは50年か100年かに一回訪れるチャンスだと私自身は思っております。そういう意味では、ここで21世紀にたえられる労働裁判にしなければいけないという責任感を感じております。
 司法制度改革審議会の議論及び意見書が志向しているキーコンセプトは間違いなく社会の隅々に法の支配を及ぼす、そのための司法の役割の強化、これまでの圧倒的に小さな司法から大きな司法へということだったと思います。ここで「社会」という場合、雇用社会というのはまさにその基盤を成すものでありまして、その人数といい国民の圧倒的多数がそれに属しておりますし、社会の中で基盤を成す雇用社会、そこに法の支配を及ぼす必要がある。では実際はどうなのか。労働裁判は非常に小さい…(2)に書きましたが、労働裁判に対する現状認識として、経営側はそれほど不満を感じていらっしゃらないとおっしゃっておりますが、もっとマクロ的な観点から言いますと、小さな司法の中で特に労働裁判は小さい状況であります。絶対数としても、これはるる言っていますので敢えて言いませんけれども、労働者の人口比と対比しても圧倒的に小さいだけではなく、相談件数の割合からしても圧倒的に小さい。そして、もともと民事裁判も少ないと言われておりますけれども、その中における労働裁判のパーセンテージも非常に低いという状況の中で、小さな労働裁判というのが日本の特徴でありまして、これはもっと大きなものにしなければならない。訴訟社会という弊害を言うには大分手前の段階にあるというのが私の認識であります。
 改革のポイントは言い古されたことではありますが、最後の⑤労使自治との有機的連携についてちょっと補足して申し上げたいので2項に書きました。これは非常に重要なポイントでありまして、私はこの労働検討会の皆さんの御議論を聞きながら、私なりに考えてきたわけであります。今まで私たち弁護士は外部の観察者という形でやってきた傾向がありまして、労使自治については必ずしも十分な認識はなかったのかなという反省を持っております。
 この検討会の当初から企業内の紛争解決能力の低下ということが矢野委員、髙木委員を初めとして盛んに言われました。それは非常に大きな問題でありまして、自律的な企業内における紛争解決能力が伴わなければ、企業、雇用社会の中の活力であるとかモラルが高まっていかないだろうと思います。そういう意味で、それはある意味で労使自治の問題だと思います。労働相談から見まして、私たち日本労働弁護団では10年前から労働相談を含む活動に入りました。でも今は、私は定点観測だと言っているのですが、10年間の流れを考えてみますと、10年前に私がびっくりしたのは中高年管理職からの相談が多かったことです。これは、紛れもなく背景に日本的な雇用システムが大きな変動を来していたということがありました。最近、私はこれをしゃべることを躊躇していたのですが、確実にそうだなと思いますのは、うつ病や、「パワーハラスメント」という新しい言葉がありますが、そういう相談の割合が非常に増えている。昔は例外的な現象で、個人の資質ということでおさめられていた問題ですが、最近は非常に増えているわけです。パワーハラスメントという言葉も、相談を受けてみるとなるほどなと思えるケースがあります。要するに上司と部下の関係が非常にぎすぎすしていて、部下が上司にいろいろなこと相談できない。むしろ上司は権限を利用していろいろなハラスメントに及ぶという現場からの苦情であります。それが企業の中ではなくて外部の我々のところまでくる、あるいは正社員と非正社員との間にもいろいろなトラブル、それが我々のところに相談に来るとか。それを聞いてみますと、パワーハラスメントとしか言いようがないものです。
 うつ病については最近の相談件数が余りにも多く、労働弁護団で相談を受けている仲間に聞いてみますと、みんな一様にそういう感想を持っておりました。さらには東京都の労政事務所の人たちにも聞いてみますと、私たちが気がつくのが遅過ぎると言われました。もう大分前から労政事務所においては医療の専門家から意見を聴き、医療の専門家と連携しながらカウンセラーも、例えば中央労政事務所では常に配置しながらやっているのだということがあります。
 一体これは何なのか。この10年間で何がどう変わったのかということを私は考えてみました。自主的解決能力の低下という背景に、働く人たちが精神を病むという状況にまでなってきている。過労死とかサービス残業、さらに自殺という言葉が、今までは労働側で言ってきたわけですが、これは厚生労働省が公的な文書で認知するようになってきた状況があります。
 この背景には、大きな働き方の変化があります。コンピュータ化されグローバルな競争の中で、上司と部下、同僚間、あるいは非正規労働者との関係が大きなストレスがたまるような競争関係になってきている。仕事の仲間という関係ではなくて、競争関係になっている。そして、雇用形態の多様化は一面、格差構造でありまして、非正規労働者の数は最近の統計数字によると30%を超えて、このテンポは急激であります。総務省の労働力調査の一番最近の数字を見ると30%を超えております。それは一面、格差構造でありまして、私が最近もうつ病と自ら訴える人の事件を受任いたしましたが、それは派遣労働者が業務委託と称して10人ぐらいの人たちが一緒に大手企業に行くわけですが、派遣先の正社員のチームリーダーとのいろいろな確執がある。それは、派遣労働者の人たちの人事にも口を出す。人事配置、あるいはこの人はやめさせろというような関係の中で、派遣労働者のリーダーであるその人は自殺を何度も試みる。私自身が相談を受けながら、その人の手首を見せてもらって愕然としたわけです。そういう格差構造があり、非常にストレスがたまるような状況になっていく中で労働者が精神を病む状況になってきている。これはある意味で氷山の一角ではないか。これは労政事務所の担当者から聞きましたら、私たちは精神的労災であると考えていると言っていました。これは実はILOの報告書でも、2000年10月の「メンタルヘルス」という報告書の中に既に取上げられておりまして、経済のグローバル化とかIT技術の進展に伴って不安と不確実性が増大し、メンタルヘルス等精神性疾患の対策の重要性が指摘されております。その中で健全な職場とか差別禁止というルールが必要だと言われています。
 このように雇用社会はこの10年間、私自身もそれなりに把握していたつもりですが、非常に急テンポで変化してきている。そういう状況の中で、この後の変化を最も的確に把握できるのは労使であろうと思います。その労使が、雇用社会の中で起こってくるさまざまな軋轢、紛争に対してきちんと的確に対応していく、解決していくことが必要になってくるのだろうと思います。まさに、労使紛争はこういう職場の土壌の中から起こってきます。したがって、(2)の企業内と企業外の有機的連携ですが、山川委員がおっしゃっている紛争の受けとめ方でありますけれど、今まで裁判は「裁判沙汰」というふうにネガティブな受けとめ方がされていました。しかし私は、ポジティブな受けとめ方をして、問題原因がどこにあるかということを明らかにし、それを改善していく。最近は修復的司法と言われていますが、そういう展望が必要なのではないかと思っています。
 そう考えた場合に、企業内と企業外の断絶。これは企業内の紛争解決システム、企業内の労使自治という問題と、企業外の例えば裁判所はある意味では有機的な連携はそれほど必要とされていなかった。例えば大企業などについてはほとんど労働裁判はない。仮にあった場合でも少数の事件でありまして、むしろそういうものの影響力が企業内にくるのを極力排除するという思考パターンであったのではないかと思います。しかし現状は、多くの人たちの中でとにかく少数異端と言われるような状況ではなくなってきている。いろいろな層に、いろいろなところに紛争が起こってきている。非正規労働者で30%を超える状況になってきているわけです。
 そうなりますと、企業外の紛争解決システムに大企業といえども関心を払わざるを得ない。無関心であってはならない。そして関心を払って、全体のシステムの中でどういうふうに紛争を解決し、どこに問題があるか、そしてどういうルール、システムが必要になってくるのかということを共に考えていかなければいけない。そうなりますと、私は諸外国のように企業内紛争解決と企業外のシステムとの連関に注目する必要があると思います。私は率直に行って十数年ぐらい前はそういう問題意識は余りなかったのですが、これは非常に重要であることを最近本当に自覚するようになりました。
 そういう目から見ますと、ドイツでもイギリスでもフランスでも、それぞれの企業が企業の中における紛争解決システムをつくっておりまして、その中で解決しようとしている。しかしそれができなかった場合に、次に裁判とかADRにいく。その時にしかし企業内の紛争解決手続をとったかとらなかったかということが重要な判断要素になっている。例えばイギリスで言いますと、ACASが企業内の紛争処理手続のガイドラインをつくっていて、それを実践しているかどうかという点が裁判における判断にかかわってくる。そういう相互の関連性を歴史的につくってきたと思います。私は、これからの日本の紛争解決システムを考える時、労働裁判を考える時に、労使自治と労働裁判との有機的な連携を重視しなければいけない。その重要な回路として私は参審制が位置づけられるのではないかと思います。急テンポで雇用社会は変貌しているはずです。その実態、その実情を企業外の紛争解決システムにもいかに反映させていくか。それを無視した解決では何の役割も果たせない時代になってきています。
 さらにはフィードバック機能でありまして、担い手の問題でもあります。参審裁判官が責任を持って裁判官として紛争を解決することを通じて、労使自治の担い手になり得る。やはり循環的な関係も私たちは制度設計としては展望として持つべきではないかと思います。
 そこで3の雇用・労使関係における経験則と当事者主義・弁論主義の問題ですが、裁判所側、あるいは経営法曹会議の意見書の中にちょっと見られる点は、当事者が主張立証すればいいではないか、また裁判所は当事者の主張立証の範囲内で判断するという意見が見られるところです。しかし経験則というのは弁論主義の対象外でありまして、本来裁判所に備わっているべきものであり、経験則違反は法令違反の上告の対象となるというのが判例通説であります。しかし、中には特殊専門的な経験則については証明手続によるべしという、これは金子先生を初めとする有力説があります。特殊専門性というのは、通常の裁判所には期待できないもの、非常に科学技術的な専門性を指すわけで、医療とか建設、知財訴訟にあらわれるようなテクニカルな専門性だと私は思います。それは今までは、鑑定等の制度でその知見を補っていたところです。しかし、それでは裁判は非常に長い、当事者の負担が重いというところで、例えば東京地裁を中心とした専門調停制度を設けて、建築とか医療については専門調停で専門家を活用してきました。そして、その次の段階で専門員制度がつくられようとしているわけです。まさに専門員制度は裁判所が科学技術的な専門的な知見を備える制度として設けられようとしている。したがって、基本的・一般的な我々の考えるような経験則はもともと裁判所が持つべきということで予定されているわけです。
 それでは労働紛争における経験則は一体何なのか。これは職業裁判官の限界とも関連するわけですけれども、これはここでも共通した認識だと思いますが、要するに科学技術的な専門性ではありません。これは雇用社会に身を置く者というか、体験することを通じて身につける経験則であるわけですが、職業裁判官には限界があると思います。職業裁判官はある意味でエリートでありまして、秀才の中の秀才と言われていますが、しかし生活体験は非常に狭いわけです。そして経験則は限定されます。そういう意味では、確かに書物などいろいろなものを通じて研さん努力されていることは間違いありませんけれども、しかしやはり限界がある。したがって、現状の労働裁判はどうなっているかというと、例えば不当労働行為1つにしましても、形の上では配置転換や解雇については1つの法律行為として行われるわけです。つまり、有効であるか無効であるかは司法手続における判断でやるのですが、不当労働行為はそういう体裁を持ってあらわれている配転や解雇事件について、それが労使関係全体の文脈の中で不当労働行為意思に基づくものかどうかという総合的判断になってくるわけです。これは労使の中における経験則が物を言う場面でありますけれども、しかしそれは裁判官がそういうものを持つのに限界があることは、我々当事者双方が痛感しておりまして、主張立証に労使関係の今までの歴史を踏まえて、微に入り細にいった出張立証をつくさざるを得ない。そうしないと、裁判官になかなかわかってもらえないというジレンマがあります。
 そこで、(3)の裁判における「勘」「感覚」「スジ」「スワリ」のところでお話ししたいのは、先ほど髙木委員がおっしゃいましたけれども、これは法曹であれば共通の議論として理解できると思いますが、主観的な山勘ということではありません。田尾桃二さんとか加藤新太郎さんとかそうそうたる裁判官が判例タイムズ社の「民事事実認定」という本、春日委員もこの座談会に参加されておりますけれども、これをあげさせていただきましたが、要するに裁判官がここで議論されているまさに重要な1つの論点は、経験則の重要性です。要するに、経験則に基づいて、例えば当事者間の相対立する主張立証、対立する証拠の中で裁判官が一定の時間的枠内で、限られた限界の中で事実認定をしなければいけない。その時に物を言うのは経験則であるということがあらゆる角度で展開されております。そこでの判断は総合的・直感的判断であるとか、これは田尾さんそのものの言葉でありますが、裁判官としての「勘」であるとか「スジ」「スワリ」という議論がされているわけです。これは一般的な意味での「スジ」論とか「感覚」論ではないけです。裁判の手続の中で出てくる非常に専門的な議論なのです。
 その中で言われているのが、経験則は無限で、一人の人間がすべてを把握するのはとても不可能に近い。田尾元裁判官は非常に謙虚であります。その中で裁判官の限界を言われています。そこで合議の重要性も特に主張されています。私は労働事件における職業裁判官の限界を補うものとして、例えば英米法では陪審制がありますし、大陸法では参審制があると思います。参審制というのは、ある意味では歴史によって検証された普遍的な制度でありまして、日本の労働裁判は非専門家による職業裁判官によって一般民事手続と全く同じ手続で労働事件を扱うという、世界的にみて少数の制度になってしまっていると私は言わざるを得ません。そういう意味では、この段階で本当に労働参審制について真正面から議論すべきであると私は思っています。

○菅野座長 続いてどうぞ、ほかの方からお願いいたします。

○後藤委員 髙木委員から、改革審の議論を根拠にされて国民の司法参加という観点を主張されたのですが、従来この検討会では、労働裁判について専門性を導入するにはどうすればいいか、その専門性をどういう形で生かしていくかというようなことで議論されていたと思います。専門性を導入し、例えば専門委員なり参与員なりが関与するということで、その結果として国民がより身近に裁判に参加するイメージになる、そういう意味で別のものだとは思いませんけれども、それを抜きにして国民の司法参加という立場で労働裁判における裁判官以外、法曹以外の者の関与を検討するというのは、従来この場で議論してきたこととどうも違うような印象を受けましたので、そこのところを若干違和感があったということを述べさせていただきます。

○山口委員 私も連休中に少し改革審の意見書に至るまでの議論を読み返させていただいたのですが、基本的・総論的な部分については大方の方向性は出ているように思いましたけれども、具体的な、この場合で言いますと専門家の関与する裁判制度の導入の当否という事柄については、私の読んだ限りではさまざまな意見があったように思います。参審制の導入に積極的な意見がありますし、逆に労使の状況から見て参審制については必ずしも肯定的ではないような意見もいろいろあったように改革審の議論の過程ではうかがえました。
 そういう状況下でこの問題を考えるに当たって何が大事かといいますと、まず基本的に現在の状況に対する認識が必ずしも委員あるいは改革審の議論の中でも十分統一がとられないままに議論されているのではないかという思いをいたしております。これはこの検討会での議論をお聞きしましても、現状認識について委員の間にやりとりがある。そのずれをいわば埋めないままに議論しているからお互いの立場の言いっぱなしのようになっているところがあるのではないかと思っております。
 例えば、参審制を導入すべきであるという人たちの御意見は、現在の裁判制度が労使の考える事件の見方と違っているということから、したがって専門家を関与させるべきだという議論だと思うのですが、その前提としては、労働側も使用者側もある1つの事件については、見方としては同じ見方ができる、同じような見方をしているにもかかわらず、裁判所の判断が違ってということが前提になっていないと議論としてはおかしいと思うのですが、そこについては必ずしも意見が一致していない。労働者側はおかしいとおっしゃいますし、使用者側もおかしいとおっしゃいますが、おかしいとおっしゃる対象が何かについて十分議論はされていないままやっている。
 したがって、もう少し議論を詰めていくとすれば、その議論を具体的に検証していくことをしないといけないのではないかと思っています。例えば労働者側が書いた意見について使用者側の方もそれはそういうふうに思うとなるのか、しかもその場合に、裁判所の判断が違っているのはおかしいというふうになるのか、そういうことを具体的に検証していく。そうやって労使とも事件の見方が一致するにもかかわらず、裁判所の判断の多数がそれとは違った判断をしているということになれば、それはその前提でまた議論の仕方も変わってくるのだろうと思うのですが、そこが必ずしも埋まっていないように私は思いました。
 そういう方法が難しければ、例えば別の方法でも、訴訟記録を何件か読んでいただいて、労使のそれぞれの方々が何人でも何十人でも構いませんが、専門家と称される方々に見ていただいて、その判断が一致して、なおかつ裁判所の判断と違っていることが具体的に多数を占めていくことになってくれば、また議論の仕方も変わってくる。そういう何らかの意味での具体的な検証を抜きにして、お互いに自分のよりどころとする意見を言い合っても、余り進歩はないのではなかろうかと思っております。そういう意味では、現状の認識についてのずれを埋める作業をやっていかないと正しい方向性は見えてこないのではなかろうかと思います。
 もう一つは、専門家の関与する裁判制度について具体的にどういう形のイメージを持って議論しているのかというのは、それぞれの委員の頭の中では多少ずれているのではないかという思いを、私は聞いていてしました。今回、民事訴訟法の改正で専門委員が入ってくるわけですが、その専門委員について労働事件の場でどの程度使えるのか、あるいはそれで足りないとすれば具体的にどういうものが足りないのか、そういうことを少し詰めて議論しないと、なぜ参審、参与で対応しないといけないのかというのがもうひとつわかりにくい。
 具体的に言うと、専門委員で賄える部分とそれぞれ足りない部分として考えられるのが参与とか参審ですから、その参与と参審では具体的にどういう手続の中でどういうことが違ってくるのか、そういうことを踏まえて議論を詰めていかないと、これも抽象的に参審を入れるべきだ、あるいは逆に専門委員で十分だと言っても、具体的な場面で何がどう違うのかということが見えてこない以上は、議論が余り深まらないのではなかろうかという思いがいたしておりますので、そこをもって詰める必要があると思います。
 それからもう一つは、マンニングの問題。これはさらに詰めないといけないと思います。髙木委員の14回か15回ごろの意見書の中では、500人ぐらいから1,000人を確保できると御主張になっておりましたが、この数というのは労働事件に関与する機会がたしか1.5日という前提であったのだろうと思いますが、具体的に労働事件の現状、あるいはそれを改革するにしても、1.5日の関与で済むかということが1つの問題としてあるのだろうと思います。これを逆に3日も関与すれば、単純計算でマンニングは言った数の半分になる、さらにもっと関与することになればさらにマンニングは少なくなってくる。そういうことも詰めないといけない。
 専門家の確保という観点から言いますと、これは制度として導入する以上は全国一律に導入するわけですから、少なくとも大都市に数があるというだけでは足りない。せめて地裁レベルの単位で見て、外的にマンニングとして数がおるということが出てこないと、実際問題として制度として仕組むのは難しい面があります。その辺も考えなければいけないと思います。
 マンニングの問題については、労働者側は500人あるいは1,000人という数でおっしゃっておりましたが、使用者側は数十人単位というお話でした。したがって、そういう偏頗な数のマンニングで大丈夫なのかということもさらに考えないといけない。それから、労働裁判あるいは労働調停で関与させる専門家について、そのレベルが同じであっていいのか、あるいは違うレベルでなければいけないのか、その辺の議論もしないといけないと思います。そのレベルをどの程度に設定するかによってマンニングの数も多分変わってくるのだろうと思います。そういう具体的な事柄を踏まえてもう少し詰めた議論をしないと、総論でお互いにいろいろあるかもわかりませんが、50年に一回の機会だからあれもこれも入れたいという気持ちはよくわかるのですが、それをやろうとした場合にどういうところが問題となって、それはどういうふうにしてクリアするのかということをもう少し詰めて議論しないと、なかなか先に進まないのではないかと思います。

○鵜飼委員 具体的な事件に基づいて検証することがもし可能であれば、そういう機会はぜひ設けていただいて、私たちもそれに参加させていただきたいと思います。それは労使ともに具体的なケースを論じていけばいろいろな点は出てくるだろうと思います。
 ただ問題は、労働参審制・参与制のイメージの問題。これは確かに各人がそれぞれいろいろなイメージで言っているような感じがいたします。私も10年ぐらい前だったらもしかしたら、経営法曹会議と同じような意見を言ったかもしれません。ただ、私自身はイギリスの労働裁判所を見学したり、2000年にはイギリスの労働裁判官が日本に来て、その人からいろいろ聞いたりしました。日本労働研究機構のこの前の国際比較の本の中にもそういう見聞録があります。私の持っているイメージは、それはドイツの労働裁判所ともイメージはかなり一致するのですが、イギリスで言いますと職業裁判官が基本的に訴状の提出、答弁書の提出、争点整理、証拠の収集などについてリーダーシップを持って行っていますから、そこでは労使の参加の姿はほとんど見られません。しかしその後にに集中的に証人調べを行うヒアリングが設けられますけれども、そこでまさに労使の裁判官が法廷に立って審理に立ち会うわけです。
 私が職業裁判官に聞いたところによりますと、9時ぐらいにみんな集まって、そこで1件記録のファイルを渡されます。その1件記録のファイルは、それまでに争点整理をして、証拠収集をした双方の主張立証等がとじられています。1件記録のファイル自体、非常に薄いものですから、数十分でお互いに読んで、そこでお互いの意見を出し合うとおっしゃっていました。その段階では、もちろん感想程度ですが意見は余り一致しない……一致することもありますし、一致しないこともあります。そこで10時頃からヒアリングが始まり、証人調べが始まるわけですね。そして12時半とか1時ぐらいからランチタイムになりまして、ランチをとりながらディスカッションをする。これも一種の合議であります。そこでイメージがだんだん出てまいりまして、お互いの意見が一致する状況になってくるとおっしゃっていました。そして4時ぐらいにヒアリングが終わり結審いたします。そこで合議になるわけですが、8年間のキャリアで2対1になったのが、4件しかなかった。そういうふうにほとんどが、99%ぐらいが意見が一致するとおっしゃっていました。そして判決を出すというプロセスですね。その場合でも、法廷においては非職業裁判官は余り発言しません。先ほどの日本労働研究機構の本の中では、山下先生は裁判長に言われて一言、二言、参与裁判官が発言したとおっしゃっていますが、確かに現実に法廷ではほとんど発言されません。ドイツの労働裁判所でもそのような感想をみんな持っていました。
 職業裁判官に聞いたところ、大事なのは、合議の場で労使がそれぞれの労使の実情に合わせた感想とか意見を述べることが職業裁判官にとっては非常に有益であるとおっしゃっていたことです。この職業裁判官は実は日本と違いまして、例えばEOCという労働問題に関係する機関に携わっていたり、ある意味では労働事件に関与していた人が裁判官になって、それも職業裁判官としてずっと労働事件を担当するという専門的な裁判官です。その裁判官においてすら、労使からいろいろな感想や意見を聞くことが非常に有益であり、それに基づいて判断を下しているとおっしゃっているわけです。
 私は、そういう裁判であれば日本で現状よりも一歩進んだものとして十分導入が可能なのではないか。そのとおりやれというわけではありません。しかし、それは非常に参考に値するモデルなのではないかと思っています。イメージの共有化という点では、経営法曹会議の意見とか山口委員がおっしゃった意見に、私は一種の杞憂に近いものがあるのではないかと思います。そういうイメージを共有化するという意味では、もし可能であればイギリスとかドイツに行って労働裁判の現場を見学するとか、あるいは場合によってはイギリスやドイツの裁判官にこちらに来てもらって聞くとか、そこでイメージを共有化する作業がもし可能であればぜひしていただきたいと思います。

○髙木委員 マンニングの話がいろいろ言われたけれども、こういう仕組みだからこれだけ必要だということになれば、今日言って明日ヨーイドンで、ある期間の準備をするのだったら…ところが日本の民間企業は労使ともにマンパワーに関するポテンシャリティはそう捨てたものではないと思っています。例えば私のところの組織は、組合員は約80万人ですが、私のところの関係だけでも1,500人ぐらいの専従者がおります。それは全部こういう仕事に堪能だということではありませんので、現にいろいろな分野で手分けして仕事しておりますから、そういう意味では危惧は同じで、いろいろなジャンルで仕事をする中で、労務とか人事とかそういうものに関与しておられる人たちは日本の企業社会の中で数十万人いるわけですから、そういう意味で500では足りず1,000にしてこい、あるいは2,000にしてこいと言ったら、そういう対応をみんながするのではないか。また、よりよいものを求めてやっていこうという時にそういう努力をお互いにし合うということが、制度を考える前提になければ制度というのは何も変わっていかない、よほどのことがない限りは。
 それから、先ほど後藤委員が言われた違和感ですが、逆にそういう印象を与えたとしたら、私のしゃべり方が悪かったのかもしれません。ともかく国民的な基盤、もっと言えば日本には「裁判沙汰」という言葉があるように、釈迦に説法でしょうが、裁判に及ぶということは沙汰によると同じことで、おまえたちは訴えることなんかはするなという中で国民はしつけられてきたというのが、この改革審の意見書の中にも現状分析の前提としてそういうニュアンスが入っていることはお読みとりいただけると思います。
 だから専門委員なら基盤が広がらないのかというと、それは今よりはいいのかもしれません。けれども、その程度のことをこの意見書は求めているのではないのだということを、改革審議会の議論にずっと参加してきて自分なりにイメージがすり込まれているせいかもしれませんが、今の後藤委員の御反論を聞いていて、率直に言って若干がっかりしたというか、これは私の感じ方ですから怒らないでほしいのだけれど、そういう感じがしましたので、これは感想で御反論はもう要りませんけれど、そういう意味ではいいものをつくりましょうというところに目が向いたことでなければ、この司法制度改革の議論にかかわってきて疎外感があるのは何のためだったのかという気も起きないわけではないので、そういう意味で言い方がまずい点はお許しをいただいて、どうぞよろしく、前向きに考えようではございませんかということを重ねて訴えたいと思います。

○村中委員 専門性のとらえ方は非常に漠然としていて難しいですね。労使を専門家として入れて、それが今、山口委員はどれだけ意見があるか、それがあった上で、かつ裁判官が持った意見と違うというケースが一体どれだけあるかという問題設定をされたのですが、そういうことで言えば、実はそういう例は余りないかもしれないし、逆に裁判官が持たれた見解の方が、あるいは社会常識的であるかもしれないし、要するに労使というと非常に狭い。労使といっても実際に出てこられる方は非常に狭い社会にそれぞれおられるわけですね。ですから、そういう意味ではそういうことをあれこれ議論するという点で考えれば、専門的な知見を持った人を入れるということは余り意義がないという考え方も出てくるかもしれません。ただ、この専門性というのは、例えば法律だとか技術的な側面、新しい労務管理の制度とか、そういうところに限定してとらえるというより、石嵜委員が最初におっしゃったような実体験に基づいた価値評価まで含めて考えると、実はもう少し別の視覚で物が見られるのではないかと思うんです。その時に考えなければいけないのは、髙木委員が今日意見書の中で強調されていたところで、後藤委員は違和感を持つとおっしゃった点ですけれども、国民に司法をいかに近づけていくかという視点を抜きにしては語れないであろう。確かに労働裁判に関しては後藤委員がおっしゃるとおりに、専門性を高める形で意見はまとめられているのですが、「意見書」は全体としてみれば髙木委員がおっしゃるとおりに、今までの裁判は御上が律令制度のような感じで上から判断を下すというのではなくて、これは国民の中で決まるもので、国民に近いところで裁判をしていく。そういうふうに見ますと、裁判の在り方が今までとは随分違う在り方にかえていかなければいけないのではないか。それは裁判官が一人で自分の正しいと思うところに向かって発破するのではなくて、むしろいろいろな人と議論する中で裁判を進めていくことが必要だと。その時に当事者ということだけではなく、労使の代表が裁判官として加わることが非常に有意義なことであろうと私は思います。
 というのは、労働紛争の場合は一般の民事事件と違って特質があるのではないかと思うわけです。このあたりは前の主観的な評価に基づくもので余り意味がないとおっしゃるかもしれませんけれども、労働関係というのは人間関係ですね。使用者側は多くの場合、企業ですから法人ですので人間的な問題点は余り出てこないのかもしれませんが、少なくとも労働側にとってみれば生身の人間が出てきて、その人たちは例えば金銭的な賠償を求めるようなケースであっても、むしろわかってほしいとか、自分のことを理解してほしいということを求める例が多いのではないか。例えば法人間で給与代金の未払請求訴訟というのとは紛争の性格が随分違って、そこは人格訴訟、人格紛争のような性格があると思います。そうであるならばそういう訴訟に関して、裁判がより身近なものになるにはどういう形があるのかと考えると、自分たちの体験を共通にしている人が裁判官、要するにチェアマンとして入っている方がより身近なものとして感じるのではないかと思います。
 同様のことは、実は使用者側についてもある程度妥当する場合もあるわけですね。例えば零細企業などで商店主が労働者から逆にいじめられているというケースがあるわけです。そういう場合は自分たちの代表の人が来て、実はそういうケースはあるということをわかってくれること自体が非常に重要ではないかという気もいたします。
 そこで考えてみますと、専門性という形でぐいぐいと押していって、では参審だというふうには実はなかなかいかないと私も思うんです。しかしそのことと裁判を国民により近づけたものとするというふうに、相まってといいますか、両者合わせわざ一本ではありませんけれども、両方の視点を見るとそれは非常に重要だと思います。そういう考え方に対しては、それで裁判は現実によくなるのか、具体的な結論が今までよりももっと正しいものになるのかという反論は当然出てくるかと思いますけれども、効果をその点だけで見るのはちょっと視野が狭過ぎると思います。今求められているのは、労働において裁判が機能を拡大しなければいけない。そのことが求められているわけですね。そうすると、紛争を裁判所へ行って解決するのがいいという気にどれだけの人が今以上になってくれるかということを抜きにはできない。逆に言うと、そのためであれば、今の旋律で正しいと思います。
 それと付随的にもう1点お話ししておきたいのは、先ほども少し話が出たかと思いますが、裁判官御自身の研鑽、労働の専門性を高めるということが重要だと石嵜委員がおっしゃって、私もその点は全くそのとおり、賛成です。ドイツの労働裁判所などは裁判所間で結構異動もありますけれども、裁判官自身がかなり専門性が高い。そういう点から見ても、実は参審というのはそういう面での専門性を高めてくれる場であろう。労使の代表者が入ることによって、もちろん外からいろいろな経験を聞かせてくれるわけですから、とてもよいOJTになるわけですね。そういうこともありますし、もう一つは刺激になる面もありますね。自分が中心でなければいけないという自負心は裁判官は当然持たれるわけでしょうから、やはり勉強しようという意欲も多分わくであろう。そういうことを考えますと、裁判官御自身の専門性を高めるという点でも参審制は非常にいいものではなかろうかと思います。
 結果、参審といつつ実体としては参与制ということにじきになると思います。それが成熟した姿だと思いますけれども、しかし制度的には参審という形でスタートして、国民により近い労働裁判が実現できれば、それがとりあえず出発点になるのではなかろうかと考えております。

○山川委員 村中委員の言われた司法への参加という点については同感です。専門性というのは職場の実態を反映できるような専門性という意味ですので、必ずしも矛盾するものではない。この点はやや意見が違うかもしれませんが、例えば企業が組織で動いていることとか、労使の自治のようなものが反映されるという意味、実態を反映するという意味でそれに詳しい人が参加すれば、いわば職場の実態に詳しい人が判断を行っているという意味で信頼性を高めるという関係になっていくかと思います。
 あとは、どういう形で議論をしていくかということですけれども、山口委員が先ほどおっしゃったように、具体的な関与の仕方それぞれについて検討していくことは、既にある程度はリスト等が出ていますけれども、確かにする必要があるかなと思います。例えば専門委員と参与員の違いですと、専門委員の場合は取扱う対象事項が今までのイメージ、少なくとも民訴法ででてくるであろうものは科学技術的な専門性に限られているような感じがありますが、参与制とか参審制でしたら、どちらかというと事件全体にかかわるようなイメージがあります。
 関与の仕方そのものは両者で明らかに違っていて、専門委員ですと説明をする、あるいは和解において関与することが中心だと思いますが、参与制でしたら合議に加わる、参審制でしたらさらに進んで評決権まで持つということで、それぞれについてどういうメリット、デメリットがあるのか。あるいはその中間的なものがあるのかということを検討してもいいのかなと思います。
 それとの関係で資料99の、以前出された経営法曹の意見の中に消極論の理由がまとめられていますけれども、これはいろいろな意見が集約されていると思いますので、それぞれについてもし具体的なメリット、デメリットの議論までするとしたら、ある意味で正面から議論していった方がむしろいいのかなと思います。例えば迅速な裁判に逆行するおそれがある、確かにこれは制度の仕組み方によってはそういう懸念が生じ得ると思います。もしそうではないということであれば、どういう形で、専門家なりが参加しても迅速性は損なわれないようにするのかという議論が必要になってくるであろうと思います。
 ほかに、①の判断者としての公平性・中立性という点については、結論が一致することが多いかどうかが1つなのかもしれませんが、もう一つは、法廷自体の雰囲気が変わるのではないかということがひょっとしたら懸念の対象になっているのかなという気もするのですが、果たしてそういう懸念が心配すべきものかどうかという点も率直な議論が必要になるかと思われます。他方、もしそういうおそれがあるということでしたら、それにどう対応するかということも検討対象となるかとは思います。
 ⑥の「勘」や「感覚」 については既にさまざまな御意見がありますが、聞いていてよくわからないのでむしろ教えていただきたいのは、例えば供述の信用性を判定するときに、この供述は不自然であるといって排斥することがあるのですが、その「不自然である」と排斥するのは経験則であるかと思いますが、なぜ不自然であるかを証拠に基づいて説明する必要があるのかどうか。この点は専門性の中身にかかわるのかもしれませんが。
 それから、例えば論文を読んで労働法を理解していただいたという場合にも、その論文を読んだということは一般に日本の裁判では引用されませんけれども、そういうことは検証しにくいという点で変わらないのではないか。例えば私の論文など偏頗なものが時々あるかと思いますが、それを引用されて判断を下されても検証ができないという点はあるのですけれども、現状でも、そういう問題も起き得ないではないのかなという感じがします。以上は経験則とはやや別問題ですが、⑥ももうちょっと具体的に詰める必要があるかなという感じです。

○菅野座長 専門的知識経験の導入に関して議論いただきましたが、ちょうどいい時間で休憩した方がいいと思いますので、この辺で休憩にしたいと思いますが、よろしいでしょうか。10分間休憩いたします。

(休 憩)
(再 開)

○菅野座長 それでは再開いたします。「雇用・労使関係に関する専門的知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否」という事項について休憩前に補足的な意見をいただきましたが、それについてなお御意見はありますか。

○春日委員 参審員とか参与員の権限とか具体的な関与の仕方についてイメージにかなり差があると思うのですけれども、少なくとも簡裁での司法委員が意見を述べるというくらいの程度ではなくて、経験則あるいは専門的な知見を提供する、さらに進んで事実認定に関与する、そしてまた、これは鵜飼委員などがイメージされていると思うのですが、法的判断権限までも含むという幾つかの段階があるのだろうと思います。参審の方に積極論を主張されている委員の方々は、恐らくは法的な判断権限までも含むことを前提にしておられると思います。私は一応そういうふうに思っているのですが、仮にそういうことを前提とした場合、今までのヒアリング等で伺ったところによると、日本の労働事件で裁判所にくるのは少なくとも非常に難しい事件が多い、とりわけ集団紛争などの案件と言われるものが多いと言われているわけです。
 そうだとすると、そこでの参審員の関与というものについてですが、先ほど鵜飼委員が言われたようなドイツのように、弁論や証拠調べに立ち会って1回で意見まで述べて終わるという手続、果たしてこういうふうに手続が迅速に進んでいくのだろうか少し疑問に思います。むしろ難しい労働事件では弁論も証拠調べも、何回か期日を入れたりするのではなかろうかと思うわけです。法的な判断権限まで参審員が持つのだとすれば、それに関与せざるを得ないわけで、これは前にも指摘した点なのですが、仮にマンニングが可能だとしても、果たして個々の参審員はそれにずっと関与できるのだろうか。それで交代ということも考えられるかもしれないけれども、そうするとまたその手続をどうするかとか細かな問題も含めて、果たして参審員がその負担にたえられるであろうかという疑問が1つあるように思います。
 法的判断も相当専門的な知見を持った人でないと、とりわけ労働法の専門的知識を持った人でないとかなり難しい。今の段階で、というのは例えば労働委員会でも労使委員は評議には参加しないという現状の中で、参審員という制度を直ちにつくって実行に移そうとしても、果たしてどれだけ効果的に機能するのだろうかという危惧の念を若干持っております。それが1点目です。
 2点目は、これは余り重要な問題でないかもしれないのですが、少なくとも法改正を視野に入れながら、なおかつ他の民事紛争の処理との整合性ということも考えなければいけないと思うんですね。労働事件だけ参審制とか参与員制を導入することに仮になるのだとすると当然、制度としてつくるということになれば、今はやりの言葉で言えば「説明責任」というんでしょうか、国民に納得してもらえるようなものでないとなかなか難しいのではなかろうか。それを直ちにつくるのはいろいろな障害を乗り越えないと難しいような気がいたします。労働調停については後で意見を述べたいと思ってペーパーをつくってきたのですが、そういう現状を踏まえると、これは自分が調停委員を務めているからというわけで若干我田引水的なところがあるのですけれども、とりわけ地裁の労働調停で調停委員の判断とか、あるいは将来的には参審委員とか参与委員となるであろう人の判断が公正、あるいは中立公平だという国民のコンセンサスが得られて、ある程度成熟していけば参審員とか参与員という制度を設けることも国民の司法参加という一環でいいだろうとは思うのだけれども、今ここで直ちに参審制とか参与員制度を労働事件に限って設けることについてはかなり難しいのではなかろうかと思っております。これはいろいろな御議論もあると思いますから、いやそうではないのだという意見もおありでしょうし、その点は私の疑問ということでほかの委員の御意見を伺えればと思います。

○石嵜委員 春日先生のお話に対する疑問ではないのですけれども、先ほど山川先生から、経営法曹の参審制導入反対の①から⑥の理由について若干ありましたので、これは私の意見ではないのですけれども、彼らがどういうふうに説明していたかということできちんと説明責任だけは果たしておきたいものですから。
 おっしゃったように、④⑤の辺は別として、①と②ですが、①と②は1つは集団的労使紛争の労働委員会における労使の対立、あのイメージをお持ちですから、あれが払拭できていないところというか、あるいは私の方は逆に言うと、簡単に考え過ぎだと言われているのですけれども、個別労使紛争なら私はその余地があるのではないかと私は思っているのですけれども、経営法曹の先生たちは労働委員会で起きたあの問題を意識されています。これが1つです。
 もう一つ、裁判所を中立公平と信じられるという概観はどこで担保されているかというと、裁判官の身分保障だという憲法上の、つまり10年間その職が保障される。そして、それについて再任についてもそのきちんとした審査が行われる。加えて収入の保障。これがあっていろいろなもの、いわゆる雑音ないし権力からとかいろいろな形の圧力を排して初めて判決を書くという意味での、身分保障という憲法上の問題を議論せずして、簡単に判決に非職業裁判官を入れるのは大問題だと。私はこれはそれなりの見識のある御発言だと思っています。そういうものが入っているのが①と②だろうと思います。特に①はそういうところがあると思います。

○山川委員 ついでに、これも石嵜委員にお伺いすることではないのかもしれませんが、①でそういう前提だとしますと、1行目にかかれてあるような「裁判官として関与させることは」と、そういうものを受けている御懸念だと理解してよろしいのでしょうか。

○石嵜委員 参審として評決を持つという意味です。

○山川委員 あとは、労働委員会の集団紛争のイメージというのは、労使委員が参与されていることとどうかかわるでしょうか。

○石嵜委員 それは労使委員だけでなくてお互いの委員もです。使用者側の弁護士は、はっきり言えば使用者側委員についてもそれほど信用しているとは思いません。ここまで言うと怒られてしまいますけれども、それはもう事実です。

○山川委員 それは参与者といいますか…。

○石嵜委員 そのシステムそのものがやはり変えていきたいというのでぶつかってきたということです。

○髙木委員 労働委員会の制度そのものが、例えば私自身も中労委委員を仰せつかっていますが、やはり労働側委員なんですね。だから常に、私は労働側委員であることを意識して集団的な労使関係の中でいろいろ起こるトラブルに関与していくわけでして、ですから、もちろん客観的に公平に見てやっているわけですけれど、実際に労働委員会という制度の設計そのものが不当労働行為については労働側、使用者側をそれぞれ代表するという意味で参与しているので、それは今の議論とは本質的な部分で違うのではないかと思います。

○石嵜委員 ですから個別的労使紛争と集団的労使紛争で参与の形は違うと私は思っていますけれども、多くの先生方の常識は違っているということです、今の段階で正直言いますと。

○髙木委員 それと春日先生のお話で、もちろん私も的確に反論ができるかどうかは、本を読んだり聞いたりしかできないのですけれども、例の刑事の一部の重大事案について、いわゆる裁判員制度を入れようということになった。今は具体的に他の検討会でどうするのかという意見等が出されておるわけですが、これにつきましても、今と同じように導入するということについて国民の納得が得られる、得られないなどいろいろな議論ももちろんありました。これは先ほど休憩時間に山口委員から御指摘があったのですが、例えば日本で昭和3年から18年まで15年間、いわゆる評決権のない参与型の陪審員ではありましたが、約500件近い事件が処理され、昭和18年4月に当時の陪審員をリクルートする徴兵事務との関係でいろいろな問題を起こしたりして暫時中断された。その後、現在も裁判所法かなんかに陪審員制のことは書いてあるところですけれども、ずっと中断されてきている。そういう経過も踏まえていろいろ議論して、やはり国民的な基盤を裁判について高めていくのだという観点も踏まえ、裁判員制度、これは陪審とも参審とも両方の制度のちゃんぽんにしたと言ったら言葉は悪いかもしれませんが、そういう仕組みのものも入ってきたわけでして、強いて言えば労働事件はそうだけれど、例えば社会保険に関する不服審査会、あるいはその先の裁判制度等もこういう仕組みがあっていいのじゃないかとか、現にドイツなどはそういう仕組みがございますし、これは労働事件の参審制とは違いますけれども、そういう別途の特別裁判所で処理する体系があったりしますし、そういう議論が日本でも順次広がっていくのかどうか、そこまではわかりませんけれども、そういうことで強いて言えば刑事事件、それもかなり重大な内容の犯罪についても裁判員制度をやっていこうという流れで議論が進んでいるということであれば、私は労働参審制についても、ここにいる皆さんの理解はそれなりに得られていくだろうと確信しています。
 労働調停等でちょっと練習して習熟してからやればいいじゃないかという御批判が審議会の時にもありましたけれど、率直に申し上げてその議論は、平たく言うとやらないという議論に帰結していく議論ではないかと自分では思ったりしておりまして、そういう意味で習熟論は、どんなことでもやったことのないことを始めようというのですから、それなりに一定の準備の期間、あるいは準備イコール勉強する期間というのでしょうか、そういう期間は必要だろうと思います。それが何カ月オーダーか何年オーダーなのか、そういう準備に対する期間が当然要るのだろうと思いますが、それなりに考えられる準備をして新しいものをつくるなら、それで知恵を絞り、みんなが汗をかいて新しい制度はつくっていくというごく当たり前の話だとは思うのですが、負担にたえられる、たえられないというのは、これも準備のされ方に大きくかかわっているのではないかと思います。

○鵜飼委員 ドイツの参審制の現状については、1999年にドイツ参審員協会10周年記念論文集が出されているようで、私は現物は知らないのですが、村上淳一先生がこれをもとに論文を書いていらっしゃいまして、そこでいろいろ勉強させていただいたのですが、ドイツは御承知のとおり労働参審制だけでなくて、税金、社会保障、少年事件その他、参審制がございます。その効用として、例えば参審員の合議の寄与が非常に多大であるということがかなり強調されています。裁判官は自分の考えをきちんと述べる必要が出てくる。そのために自分の意見をよく考えて、裁判官の一時的な感情とか、あるいは即断とかそういうものは排除される。そして、素人にわかりやすい表現を工夫するし、考え方が深まっていく。そして、職業裁判官にとって参審員は不可欠の助力者である、参審員不要を述べる裁判官はいないというところが引用されているわけです。
 そこでは法的コミュニケーションの重要性が指摘されておりまして、裁判官が職業裁判官だけの内部の議論ではなくて、素人裁判官が入ることによって一般の人にわかりやすい形で議論し、それが分かりやすい納得性のある判断につながっていく。こういうことだろうと思います。そういうわかりやすい表現を工夫することによって、考え方も深まってくる効用があるのだろうと思います。
 参審員制度は、特に労働事件について限定して言いますと、世界各国でかなり普遍的な制度でありまして、ただ、その内実は、フランスを除きまして私は先ほど言ったイギリスやドイツの労働裁判所の現状と似たりよったりではないかと思うんですね。ほとんどは実質的には法廷の訴訟指揮を初めとして争点整理、主張整理等はすべて職業裁判官が行う。そして、それぞれの段階の合議で参審員が意見を述べ、感想を述べる。そういう合議を積み重ねることを通じて、先ほど言った合議における寄与は大きいということが言われているような、国民にもわかりやすい事実論法律論が展開され、それが結論に導かれていく、こういうものではないか。
 もしそういうふうにイメージするとすれば、私は参審員が関与するステージは、思い切り言うと争点整理、証拠収集は場合によっては職業裁判官だけでもいいのではないかと思いますし、集中的な証拠調べの段階で参審員裁判官が関与していく、諸外国ではそのような状況にあると思うので、私はそういう制度設計で十分なのではないかという気もいたします。この辺は皆さん方の御意見を聞かせていただきたいと思います。
 もう一つは、参審員裁判官の負担の問題ですが、大半の事件、90%以上の事件は、イギリスの、職業裁判官にもお聞きしたのですけれども、1回の集中審議でその時に結論が出る。ただなかには、彼女が言っていましたが、24回2年間にわたってやっているけれどなかなか結論が出ない難事件もあるそうです。そういう場合の参審員裁判官は非常に負担が重いとは思います。しかし、それは全体の中でパーセンテージは少ないわけで、例えば不公正解雇というケースで言うと争点は非常に絞られますし、争点整理、証拠収集等をきちんとやりますと、1回の集中審議で基本的には終わる。またほとんど上訴がないと言うことです。そういう意味では、もう一度繰り返しますけれども、イメージをある程度共有化する意味ではイギリスとドイツに行ってみたらどうでしょうか。それがどうしてもだめだったら、イギリス、ドイツの裁判官に来ていただいてお話をお聞きする機会があれば、その辺の疑問点はそれなりに払拭できるのではないかと思っています。

○菅野座長 できれば議論をもう少し続けていただきたいのですが、今日は1巡目の議論の補足ということで、他の検討事項についてもお伺いしたいし、今後の進め方についてはお諮りしなければいけません。それで、もしこの時点でぜひという御意見がなければ、今後の2巡目の検討をどうするかというところで、そういう視点からの御意見をもう一回いただければと思いますし、そうしていきたいという意向です。

○山口委員 イギリス、ドイツの場合の訴訟の進め方と、少なくとも現状の日本における労働訴訟の進め方が違うということは理解しておいていただきたいと思うのです。先ほどのお話にもありましたように、多分ブリーフィングなどは非常に少なくて、その後は証拠調べに労使の方が入ってというのがイギリス、ドイツの基本的なパターンなのだろうと思うのですが、少なくとも日本の現在の労働訴訟を見る限りは、争点整理なり書証の整理がかなり多い。したがって、そういうところも裁判官のブリーフィングだけで労使の方が十分に理解できるのかどうか。その辺は厚みの違いも1つあるのではなかろうかと思っていますので、その辺も踏まえてどうするかというのは考えていただきたいと思っています。

○菅野座長 そういうことで他の検討事項、すなわち労働関係事件に固有の訴訟手続整備の当否。それから最初に労働調停がありますね、労働調停制度の内容。それから労働委員会の救済命令に対する司法審査の在り方がありました。これらについて1巡目の議論で述べ足りなかったところを述べていただきたいと思います。
 鵜飼委員のレジュメはその点もカバーしていると思いますし、春日委員からは労働調停についての御意見をいただいています。それでは春日委員から労働調停についてお願いいたします。

○春日委員 それでは、主として労働調停に限ってということで、今までの意見について若干のまとめをという趣旨でメモを書きましたので、本来ならばそれこそ事前提出をしておかなければいけないのですが、その点はお許しいただいて、まとめたものがありますので全部読むことはいたしませんで、要点だけかいつまんで説明させていただきたいと思います。
 最初の「労働関係紛争処理に関するトータルな視点」は結局、労働調停を訴訟と行政機関による紛争解決との間でどういうふうに位置づけるかということで、これは従来もお話ししていたとおりです。一言言いたいところは、少なくとも労働調停の仕組みを工夫して、もちろん民事調停の仕組みは現に機能しているわけですから、それを利用して労働関係紛争に即した具体的な改善、これが今現在最も現実的かつ効率的ではなかろうかという意見が(1)です。
 (2)「民事調停のメリット」は、なぜこういうことをいまさら書かなければいけないかということですが、どうも民事調停のイメージが必ずしもよくないというか、あるいは民事調停の機能とかメリットが十分理解されていない面があるのではないかということで、若干の批判に答える趣旨で書いておきました。
 1つは、何といっても紛争解決、とりわけ互譲による紛争解決という側面が強調され過ぎて、事実認定はおろそかにしているのではないかと、これは従来からも批判があるところですが、私は必ずしもそうではないのだということを指摘したいと思いました。もう1点は、労働関係事件について専門性の有無や程度をめぐって、調停では余り専門性を尊重していないのではないかという批判もありますから、それも必ずしもすべてが当たっているわけではないということを指摘しておきました。
 とりわけ事実認定については、調停であっても、少なくとも今現在の調停はさまざまな資料とか証拠に基づいて、できる限り具体的な事実関係を正確に把握しようという努力はしていることを特に理解していただきたいと思います。もちろんその結果としての調停案の提示を行うという時にも、単に足して2で割るといったような判断をしているのではなく、調停主任である裁判官も加わって最終的な解決内容を予想する。しかもその際には、判決であったらどんな結論が出るだろうかということを予想しながら調停案を考えているのだということを御理解いただきたいと思います。したがって結論的には、客観的な資料に基づいて効率的な判断のフィルターを絶えず通しながら紛争解決を試みている。それなくしては、したがって調停調書に執行力を認めるということもできないのだということを、私としては理解していただきたいと思った次第です。加えて紛争解決の内容も、訴訟に比べて柔軟で、当事者との率直な意見交換を経ている。したがって紛争解決への満足度も高い。これは一般的にも言われていることですが、したがって履行確保も十分図られるだろうということですので、民事調停のメリットをぜひとも労働調停に生かしていただきたいというのが次のページの (3)です。
 山口委員や他の委員から、従来の議論で労働調停についての批判点が幾つかありましたので3つにまとめ、そういう問題点については克服していく必要があるということで、1つは、訴訟でも和解が可能なのであって、調停によらなくても当事者の意思に基づく紛争解決は可能であるという議論がございました。もう一つは、調停をまずやってみるということになると、これは迂遠であるし時間もかかるという批判もございました。3番目の批判としては、労働関係紛争の実体についての専門的な知識経験を有する専門家による判定的な機能が欠けているという批判もございました。
 したがって労働調停を考える上では、こういう問題も克服しなければならないだろうと思いまして、その下に書いてありますが、まず①が、訴訟における和解の可能性という問題に絡みまして、調停でもメリットがあるということを1つは指摘しておきました。というのは、ある程度和解の可能性があるような、あるいはそういうことが予想される事件については、わざわざ訴訟を起こすよりも調停のルートを選択した方がコスト面でも、当事者にとっても有利になるのではなかろうかという指摘をしておきました。したがって、調停の選択肢は当然あってしかるべきだし、またそれを活用する可能性は十分見込まれるということです。
 2番目、調停は時間がかかって迂遠だという御議論もございます。確かにそれはそのとおりという側面もあるかと思います。ただ、少なくとも労働調停はここでの意見は地裁で行うという意見が多数ございました。そういうことを前提としますと、裁判官も積極的に関与していくことになって、民事訴訟で計画審理が言われているのと同じように、計画調停という手続の工夫は当然あってしかるべきだと思います。そのことを考えると、例えば民事保全などで3回程度の期日ということですので、大体それに合わせたように3回程度の調停期日を考えて、それから期間も3カ月程度で、もしも成立の見込みがない場合には早期に修了するというやり方もあるのではないかと考えます。
 確かに不調になってしまうと、3カ月分の時間のロスがあるというのだけれども、しかしながら、実際に地裁で調停が行われたということになれば、そこでの争点整理、あるいは事前の証拠収集は相当きっちりなされていると思うわけです。ですから、争点整理とか収集された証拠は全部では、ないにしろ当然訴訟でも利用することが可能になるわけで、そういう意味を考えれば、若干の時間のロスはあるとしても、それがすべてマイナスに作用するということは考えられないだろうという意見でございます。
 最後に専門家の関与という③ですが、地裁の調停ということになれば、これは中立公正な労使経験者を調停委員に入れるということなので、調停内容の説得力も高まる。それから民訴法で多分導入されるであろう専門委員による和解勧試の可能性、こういうものについても工夫して、地裁での労働調停、充実した調停システムを考えるべきではないかというのが、ある種の総論的な意見ですけれども、1巡目のまとめとして私としては申し上げたかった点でございます。したがって、このペーパーにまとめて提出させていただきました。
 その他については、先ほどもちょっとお話ししたのですが、そういうふうに労働調停が充実してくれば当然、訴訟における参与員制度や参審制度の道筋も自ずとでき上がってくるだろうという意見でございます。
 時間が長くなりましたが、以上です。

○菅野座長 それでは鵜飼委員どうぞ。

○鵜飼委員 私も余り時間をとらせていただいては申し訳ないので簡潔にやりたいと思います。
 「固有手続における法・規則事項と運用事項」ですが、これは既に2回前に固有手続について議論を闘わせていただきましたので重複することは避けたいと思いますけれども、しかし運用によることの限界を痛感しております。例えば仮処分1つにしましても、保全の必要性について全国各地の運用がばらばらでありまして、特に東京地裁とほかの地裁との運用の差は、ユーザー側にとってみればとても合理的な説明はつかないような状況になっています。こういうものは運用レベルでは全国性を確保できませんので、前々回に挙げましたいろいろなたたき台のそれぞれの論点について、できるだけ基本的なものについては明確なルール化をしていく。これは法律事項になるのか、規則事項になるのかという仕分けは必要でありますが、運用に任せるということではだめなのではないかと考えています。
 また、私は仮処分訴訟と本案訴訟の二重構造という点だけは問題性を訴えたいわけでありまして、私たち実務家もどうも労働仮処分の運用に安住していた面がないわけでありません。そういう意味で労働裁判そのものの本訴の改革に熱心ではなかったという点は非常に反省しております。保全訴訟の本来の在り方からいって、少し無理があるような仮処分の運用に安住していた側面はやはりあるのではないか。やはり労働裁判、本案訴訟そのものが、例えば解雇事件でも利用できるような迅速かつ適正化したシステムをつくるべきではないか。
 そういう意味ではこの間出しましたたたき台の案も、労働契約の終了についての事件については優先して処理すべきという努力義務を法で定めて、それに基づくいろいろなタイムターゲットのようなもの設けて、原則1回の集中審議で判断を下す。そういうものをルール化をすることが必要だと思います。
 「裁判所の人的・物的施設の拡充と専門化」は、先ほど石嵜委員が言われたこととほぼ同じなのですが、この10年間の流れを見ましても、労働裁判の数は約2倍に増えているわけですが、労働部、労働集中部に所属する裁判官の数はむしろ減っているといいましょうか、平成10年に39名ですが現在は大体35名でありまして、特に大阪地裁が集中部から専門部になったということもあるのでしょうが、6人から4人になっています。仮処分も同じ部でやっているということがありまして、単純計算しますと、それぞれの裁判官の手持ちの事件数は相当な数に上るのではないか。これも裁判官自身が過労死でもするようなそういうハードワークの状況になっているのではないかということを危惧します。そういう意味では、専門性の強化と同時に裁判官の数を増やさなければいけない。もう一つは、一般的なローテーションの中で労働事件を担当する仕組みは検討する必要があるのではないでしょうか。労働事件については労働事件の専門的な裁判官を養成・育成し、専門的な裁判官が労働事件を担当する方向でぜひ考えていただきたい。
 それと物的施設の拡充の問題について言いますと、集中審議をやる場合に法廷がなかなか確保できないという実態があります。弁護士が日程が合わないことも大きな問題なのですが、もう一つは法廷がないということもあります。したがって物的施設、法廷をどう確保するか、イギリスの労働裁判で言いますと、普通のビルの幾つかのフロアを借りてそこを労働裁判所の法廷にしているということもありますので、物的施設の拡充もともにあわせて考えなければいけないと思います。

○菅野座長 それではほかの委員の方、どうぞ、どの点でも。

○山口委員 裁判官の数の関係ですが、労働事件に関係する裁判官の数が減っているのではないかということがあるのですが、集中部から専門部にかわるということは、集中部でやっていた一般民事事件をはずして労働事件をやる裁判官に特化するということになりますので、集中部で担当した裁判官の数から一般民事をやる事件の相当分が引かれることになりますので、単純に数の推移でもって専門事件を担当する裁判官の数が減っているということは一概には言えないのだろうと思います。その点は1点指摘しておきたいと思いますが、ただ、将来、個別労働関係紛争を中心に労働事件がくるだろうということは予想されるわけですから、これに対する人員的な配置をどうやっていくかは一つの問題として最高裁の方でも十分考えていってほしいと私も思っております。
 人事システムの問題として、労働裁判官の専門性を高めるような人事システムを考えるべきではないかという趣旨の指摘があったと思います。これは長年、労働事件に携わる方がそれぞれ裁判官としてやっていくためには、もちろんそれだけというのはどうかと思いますけれども、ある程度専門的な訓練をやっていく必要があるわけですから、これも人事システムの問題としてはあり得ることかなと思っております。ただ、それと制度設計は表裏になるかどうかというのはまた別の問題かなと思います。
 一般的に1巡目の議論を振り返って感じたことなのですが、先ほど言いましたように、専門家が関与する裁判制度の関係で言えば、もう少し詰めた具体的な問題点を整理した上で詰めた議論をする部分があると思っておりましたが、このことについてはほかの分野についても基本的には言えることなので、例えば労働委員会と司法審査の関係で言えば、労働委員会制度のどこにどういう問題があって、それと取消訴訟の関係はどうなのかということを見ていく必要があるでしょうし、労働関係の訴訟手続の関係で言いましても、どの部分を改善して、なおかつどの部分を実効的な手当にしていく必要があるのかどうか。特に民訴法の改正、あるいは裁判を迅速化する法案ができてくる中で、具体的にどの部分をどういうふうに手当していく必要があるのかということをもう少しきめ細かく議論していく必要があるのではないかと思っています。
 それと、労働調停の関係で言うのであれば、少なくともこの導入自体は改革審の方で導入を前提として検討すべきであるとされておりますから、現実の問題として、労働事件に関する現在の調停が率直に言って利用されていないという実態があるわけですから、導入するというふうに決められた以上は、それが具体的に使われていくようなシステムを考える必要がある。そのためには、先ほど春日先生が言われたようなことも考えながらやる。これも、どうしたら使い勝手のいい、かつ使いでのある制度になるのかということを詰めて議論する必要があるのではないかと思っています。

○村中委員 労働調停のイメージの仕方ですけれども、これは当事者が必ずということではないでしょうが、弁護士などがついていないというイメージでしょうかね。弁護士がついてしまうと訴訟にいってしまいそうな気もするのですが、今の調停が使われるようにというお話で、弁護士がまだつけない段階で調停にいってそこで解決ができるのだったら安上がりにもなるし、迅速性もあるだろうというイメージでとらえるのか。そうなるとそういう調停は、春日委員がお書きになっているように、調停においてもかなり正確な事実関係を把握して、それに対して正しい法的な判断をして、それを前提にして調停案を出すということになると、それをできるだけの能力を持った人が要りますね。そうすると、例えば参審などで労使委員に入って、法的な事実に関しては裁判官に頼ってもいいけれども、逆に調停になるとかなり法的な知識まで要求される。裁判官が入ってやられるというのであれば、それで問題ないのかもしれませんが、例えば労使だけでやるという話になると、労働法の知識も相当なければとんでもない話になり、解雇無効という前提で話していて、解雇されてからどこかで働いているのかどうかということも何も確認せずに、当然給料は全部払うものだという調停案を出してしまうとか、そういうことをされたのでは困るわけですね。そうなるとかえってこっちの方が、人のリソース、人間を確保するのが難しいのかなと思います。また逆に、この民事調停がある程度の弁護士もついて重い感じで、それは弁護士が言うことは言うのだけれどというものとして考えるのであれば、そこまで考える必要はないですね。ですから、どういうイメージをするかは、誰を委員にするかというようなことも含めて大事なのかなと感じます。

○春日委員 調停の話が出たので、村中委員の御意見は御意見として、それを否定する意味でも何でもないのですけれども、少なくとも今までの議論では労働調停は主に地裁で行うという議論が多かったと思うので、そういうことになれば、普通は単に簡裁で、例えば社会保険労務士が調停委員になって比較的単純軽微な事件を処理するというのとはかなり違うのだろうと思っています。地裁事件ですが、労働事件でもかなり複雑な事件も扱う。したがって、双方代理人もつくだろう。こういうことを予想しているわけで、そういう意味では調停委員に対しても相当専門性を要求されてくるのだろうと思っています。これも単なる予測にすぎないと言われればそうなのですが、事件の難易度とか事件のいわゆる重さによっても違うだろうし、またルールメイキングという機能まで調停が担うかどうかは別としても、そういうことが必要な事件の場合においても調停で取扱い得ると、そういうことをイメージしているのですが。

○後藤委員 村中委員の、弁護士がつくことが前提か否かということですけれども、いずれにしても、ついていないならついていないで、御本人の主張を整理してあげて、きちんとした筋道を立てて説得しなければいけない。弁護士がついていればついていたで、弁護士を説得しなければいけないのですから、やはり能力は要るわけで、どちらのケースもあると思いますが、どちらであるからといって能力が低くていいということではないと思います。

○鵜飼委員 現状の調停は、大きく2つのケースに分けられると思います。地裁の付調停に基づく調停のケースの多くは建築紛争とか、知財関係は知財の専門部ができましたけれども、あるいは医療過誤とか、そういう専門的な調停委員が要るということで、受訴裁判所が当事者の合意に基づいて調停に回して、そこで専門的な調停委員を通じていろいろ検討し、説得をし、そして合意に至る。あるいは合意に至らない場合でも調停にかわる決定を出して、それは受訴裁判所に戻していく。場合によっては最近は、受訴裁判所の裁判官自らが調停主任として実際の調停を取り仕切るケースもあります。そういうジャンルの調停と、簡易裁判所の調停が定型的にありますのが、後者は主任の裁判官はほとんど顔を出さない。その分を調停委員が双方から事情を聞いて、言葉は悪いかもしれませんが、足して2で割るような形の解決を図っていく。
 後者の調停でも十分意義がありますし、それ自体を否定するわけではありませんが、大きくカテゴリー的に分けますと、2つになるのではないかと思います。後者については労働調停として我々がつく場合はほとんど利用できないというのが率直な感想でありまして、使用者側の弁護士も労働側の弁護士も、弁護士がつく場合には調停はちっとも利用できない。したがって、裁判に出して裁判の中で和解を模索していく。これが通常のパターンです。
 今、労働調停をつくろうとしているときに、より利用されやすい労働調停ということになりますと、前者の労働調停になるのかなという気もしないでもないわけですが、そういう側面も科学技術的な専門性ではなく、労使が調停委員になって主導的に調停を仕切っていくということになると思うんですね。そうなりますと、主任裁判官の調停委員といいますか法律の専門家がいない中でやるとすれば、村中委員がおっしゃったように、大変な能力が求められます。労使の調停委員が紛争の真相を把握し、お互いに対立する……労働事件は本当に対立するわけで、主張も証拠も対立するわけですから、その中で真相を把握し、一定の方向での同意を求めていく。場合によっては調停案を出すということになりますから、これは大変な能力を必要とされます。その能力はある意味では、先ほど村中委員がおっしゃったように、労働参審制に求められる能力より上の能力かもしれません。現実の姿として私は1つの考え方としては、今の労働事件で調停で扱っているケースで私が聞いたところによりますと、経営法曹あるいは労働弁護団を問わず、労働事件を長年やってきた弁護士が調停委員の場合はその弁護士を選んで、例えば使用者側の事件をやっていた弁護士が調停委員になる場合はバランス上労働例の調停委員、あるいはそれと関係ない調停委員をペアの調停委員に選んで処理をする。したがって、そういう場合には法律的な知識なり経験がございますので、一定の事件については労働法的な判断が出せる。それをベースにして説得ができる。こういうことが現実にあるようですから、そういう意味では労働調停を制度設計する場合に、そういうところはきちんとした工夫をしてやらないと、現状のとおりになってしまって殆ど利用ができないという可能性がありますので、検討すべき事項ではないかと思います。

○春日委員 私もそう思うのですけれども、調停主任である裁判官は、地裁での労働調停ということになれば積極的に関与していただきたいと思っているわけです。他の調停委員としては、労使の経験豊かな、あるいは労働問題に関する弁護士で経験を十分持っておられる方が入ってこられるのだろうと思っていますけれども。

○山口委員 簡裁の調停案、別に足して2で割るような形で簡裁の裁判官が何もしないということは私はないと思います。それは調停委員としてそれなりの人が入ってやっているわけですから、当事者の意見も、十分ではないとおっしゃるかもしれませんけれども、ある程度お聴きになって調停案を提案するわけですけれども、足して2で割る場合がないとは言いませんが、それがほとんどであるかのような形で議論するのは適当ではないのではないかと思っています。
 調停の後は簡裁でも、裁判官と調停委員との協議は行われているわけでして、そこで調停の在り方、あるいは今後の進め方について簡裁の裁判官の方が話しているはずですから、それが全くされていないということは到底言えないのではないかと思っています。

○山川委員 家裁と借地借家調停しか経験がないので簡裁も地裁の調停もわからないのですが、例えば3回程度の期日で労働事件を行うというのは具体的にシミュレーションで考えてみるとどういう感じになるでしょうか。どのようにして、初回期日、第2回期日、第3回期日で終結ということになるのですか。もし御経験等ある方がおられましたら教えていただきたいのですが。

○春日委員 私も3回で終わったという事件は余りないので、3回で終わるというのはかなり無理があるかもしれないのですが、少なくとも第1回期日までには相当事前準備をしてきてもらうということ。それで争点も、大体ここが争点だなとわかっているような形にしていただいて、第1回はそれで争点をきちんと確定しておく。2回目あたりになると具体的な資料とかすべて提出してもらって、そこでできたら評価まで含めるとか、3回目はそういうことや、あるいは当事者の意向を十分把握する。こういうことかなと思います。3回というのは私も余り経験がないからうまく説明できないのですが、少なくともそういう形でできる限り短期間のうちにある程度やっておかないと、長くなったら余り意味がないと思うんですね。そして誰も利用しなくなると思うので、できる限り調停の方に事件がくるようにするには、そういう具体的な手当を考えておかないと。もちろん回数を区切るわけではないのですけれども、ある程度短期間のうちにやるということになると、これは弁護士の先生方にむしろお願いということになるだろうけれども、実際にその期日が入るかという問題は当然出てくると思うんですね。そういう時は訴訟と基本的に変わらないという認識を持っていただいて、それで期日もできる限り入れていただくというか、むしろ優先審理ということでもいいと思うんですね。そのぐらいの覚悟でやってもらわないと、労働事件の処理はうまくいかないだろうと思うんですね。そのぐらいの覚悟でなければ……これは労働事件だけがそうだと言うわけではないけれども、そのぐらいは必要なのではないかと思いますけれども。

○鵜飼委員 もしこの計画審理を労使調停委員にやらせようと思ったら、これは無理だと思いますね。もしこれを本気でやるとすれば、まさに職業裁判官が、訴訟手続についていろいろな経験を得て熟練度のある方しかできないと思うんですが、労使調停委員だけでやるということはとても無理だと思いますよ。

○春日委員 ですから私としては、調停委員になるのは弁護士の先生方、あるいは学識経験者とか、そういう方になると思うんですね。現状では労働訴訟が2,700件ぐらいですか、そのどのぐらいがくるかは別としても、当面そんなにどっと事件がくるということでもないでしょうから、処理できないとは思わないのですけれども。

○鵜飼委員 「意見書」の提起している労働調停は、労使の専門的知識経験を有する者が参加する調停ですからね。それで、もしこういう制度設計であれば、まさに経営法曹会議の意見、危惧がそのとおり当たるので、民事訴訟手続に関する知識経験が乏しいと言われれば、労使調停委員は乏しいわけですね。計画審理のようなものはほとんど経験がないものですから、それは非常に難しいと思いますよ。そうすると主任裁判官がすべて1件ごとにそれを全部やらなければいけないということになってしまうわけです。

○春日委員 現状でそういう知識がないとかという問題よりは、くるような制度づくりが必要だと思うんですね。今現在、そういう調停委員がいないかという問題でもないような気がするのですけれども。

○鵜飼委員 それが弁護士であればいいのですけれども、パートタイマーで、本来の労使の現場で職業を持っている方が訴訟手続に精通するということは、ちょっとそこまで期待できないと思いますけれども。

○山口委員 その場合は裁判官が入っていく形になっていくのではないでしょうか。労使委員に任せて手続の面まで労使の方がやれということになると、それは負担が大き過ぎるという形になると思いますが、それは今の調停とは違って、裁判官がびっしり入って手続を主宰していくという形になっていくのではないでしょうか。

○鵜飼委員 そうすると、労使が入る意味はどこにあるのでしょうか。どこで労使が活躍するのでしょうか。

○山口委員 それは具体的な紛争について労使の意見を聴くという形になるのでしょう。

○鵜飼委員 どの段階ですか。争点整理、証拠収集といろいろあるわけでしょう。その段階で聴くわけですか。

○山口委員 それごとの段階というか、あらゆる段階で。

○後藤委員 民事調停は民事調停委員会が行うわけですね、3人で決まっているので、最初から入っていると思います。調停の手続は調停委員会がやるのですから…。

○鵜飼委員 ですから現実は、2人の調停委員がですね……。

○後藤委員 現実はといっても、現行法でもそういう制度なのですから。

○鵜飼委員 現実の訴訟指揮をされる、いわゆる法廷の訴訟指揮と同じようなことされるのは2人の調停委員がやるわけですね。主任調停委員は出席されないのが圧倒的多数なんですよ。

○春日委員 現状の簡易裁判所はままそういう所があるのではないかと思いますけれど。

○石嵜委員 地裁で労働調停というお話になっているのであれなんですが、私自身は地裁、簡裁、両方使えて仕分けができないのかなと。難しい事案、つまり通常裁判所に持っていっているような事件は地裁で調停する。従来のような形で、本当は調停にいけばいいというもの、でも今は労働事件は調停にいっていないんですね、それはいろいろあるわけですけれども、はっきり言えば、労働事件だけは特別という意識があるんですよ。恐らく労使にも労働者の方にも。それは何かといったら、弁護士も本当は今までは労働事件といったら扱いたくなかったんですね。普通、民事をやっている先生たちは逃げていた、正直言うと。この分野だけは特別ないわゆる専門の弁護士にやらせるというぐらい、民事の弁護士でさえ労働事件については若干特別なものとしていた。したがって調停などということは通常利用するのは多数ではない。プロの私たちがつけば、それは即裁判所に持っていくという現状だったと思うんです。それがこれだけ急増した個別労使紛争についてこんなことは言っていられない、今までのADRとは別にもう一つ、多様な解決形態として労働調停をつくろうではないかという議論を今しているわけですね。その場面について、労働調停と裁判の違いは、私たちから見ると雇用を継続していく、つまり長期に継続しなければいけない、それは信頼関係に基づいていく。したがって決定的なダメージを与えたくないというのだったら、判決よりは話し合いで終わったという形を選べないだろうか。したがって、解雇でも解雇の原状復帰だったら裁判所にいくしかないだろうと私たちも思っているわけですね。ただ、配転命令をかけて本人が拒否している。この時点で解雇に進むのか、配転命令を撤回するのか。こういうところもあるわけですね。そういう場面では使用者側も訴訟というより、解雇してしまって解雇事件になるよりは労働調停の場面も使ってみたいとか、こういうものは需要としてあるだろうと思っていて、それは期待している。
 したがって、こういうものは地裁でやらざるを得ないだろう。そういう地裁の場面においては、その手続の中心メンバーは裁判官なのだろう。それに労使が参画する形で、持っている専門的な体験に基づく意見を言いながら、早く話し合でいで解決する。こういうイメージで、簡単なものは、もし労働調停は地裁だと仮に考えられたら、今の調停システムのような、簡易裁判所の調停を本人が使ってもいいわけですから、そちらにも今まで専門的な人を用意できれば用意してもいいわけですから、そういうことで労働調停については、地裁で今の裁判所にいっている訴訟の事件を代替するというイメージだったら三者構成であり、かつその流れの一部の中心は裁判官に担ってもらわなければならないのだろうと思っています。

○鵜飼委員 私も石嵜委員と珍しく意見が同じなのですけれども、私は不利益変更の問題、借地借家の調停と同じで、継続関係の中で条件を変更する場合の調停のメリットはあるのではないかと思います。だから、地裁で行う労働調停で、もしそれが使用者側も利用できるようになれば、日本の紛争解決システムは非常に大きな意味を持ってくると思うので非常に期待したいと思いますね。

○髙木委員 いろいろな御議論がありますが、ともかく調停の過程が余り長いことかかられたらかなわないんですね。そういう意味では期限で切れるとか何とかいうのもまたあれかもしれませんが、どういう動き方をするのかを見て使い勝手もいろいろ出てくるのだろうと思いますが、私どもが承知してこの事件は結構ややこしそうだなと思ったら、最初から裁判へいきましょうやという判断をしてみたりいろいろだろうと思うのですが、いずれにしても調停で時間がかかってしまって、調停の過程がむだであったということではなく、裁判にいっても調停の過程のやりとりが生かされるのだろうということかもしれませんが、今地裁で裁判官の人たちがかなりの時間張りついてやっていただくような調停ということになれば、結構難しい事件だという想定でそういう陣立てをされる。ですから、時間のファクターというんでしょうか、調停が実質的には何かの前置みたいなことになり、それに時間を結構とられてしまって、解決が結果的に遅れるということにならないような工夫だけはぜひお願いしたいということです。

○菅野座長 ほかにいかがでしょうか。あともう一つ検討事項がありますので、4つの検討事項についての補足的な御議論は一応このぐらいにさせていただいて、今後の2巡目以降の検討の進め方についてお諮りしたいと思います。
 2巡目以降の検討の進め方についてスケジュールや議論の仕方ですが、まず資料100として、今後の検討スケジュール案を配布しています。これを参考にしながら議論していただきたいと思いますので、事務局から資料100の御説明をお願いいたします。

○齊藤参事官 4月以降の労働検討会の検討スケジュールの案といたしまして、資料100をお配りしておりますので、簡単に御説明申し上げます。まず、このたたき台におけるおおまかな検討の進め方のイメージでございますが、まず、4月から6月ころまでの間は、これまでの1巡目の御議論を踏まえまして、各論について2巡目の御検討をしていただく。そして7月ごろに当検討会における検討状況について中間的な取りまとめを行い、8月ごろにその中間取りまとめにつきまして広く一般の御意見を募集し、9月以降、意見募集の結果等を踏まえましてさらに検討を行い、遅くとも10月頃を目処に当検討会として法改正事項について検討を取りまとめていただければと考えております。その後は本部事務局におきまして法律案の立案作業を進め、来年の通常国会に関係法律案を提出させていただきたいと考えております。
 少し具体的に申し上げますと、まず2巡目の検討におきましては、これまでの御議論の中で労働調停の在り方は労働関係事件の裁判の在り方にも関係するとの御指摘もございましたので、「導入すべき労働調停の在り方について」と「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について」は、専門的知見の導入の在り方という観点から、一括して議題といたしまして、必要に応じて行きつ戻りつの御議論をいただくという形ではいかがかと考えております。
 2巡目の議論の際には、座長とも御相談の上で、可能なものにつきましては、これまでの御議論を整理した検討の素材となるたたき台のようなものをお示しした方が、御議論いただくのによろしいのではないかと考えております。
 さらに、3巡目の議論では当研究会の検討状況について一定の中間的な取りまとめを行っていただき、これをインターネット等により公開して一般の御意見を募ることとしてはいかがかと考えております。これまでも当推進本部の行政訴訟検討会関係、裁判員制度・刑事検討会関係、仲裁検討会関係におきまして意見募集を実地しておりまして、利用者である国民の視点からの御意見を幅広く伺うことが適当ではないかと考えております。
 この資料はスケジュールについての1つのたたき台としてお示ししているものでございますので、何卒十分御検討いただきたいと思います。
 以上でございます。

○菅野座長 ただいま御説明いただいたように、2巡目の全体のスケジュールは資料100のとおりですが、2巡目の議論は1巡目の議論を基礎にして、その上に積み重ねていくようにしたいということで、2巡目の議論の中で各検討事項についてこれまで出された御意見の対立点とか一致点等を整理してみたもの、あるいは論点に応じて可能なものについては、ある程度1巡目の議論の中で出てきた具体的な選択肢等を示すようなもの、そういうたたき台を、私と事務局の方で作成してお示しできればと思っているわけです。
 労働調停と労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度というのはどうしても相互に関連しているので、これはごらんのように18回、19回で両方を同時並行的に議論していくような案にしています。全体をごらんいただくと、今年の秋ごろまでには当検討会として制度化すべき事項については取りまとめが行われることを目指す必要があります。そのように考えておりますので、それを前提とした議論のやり方を考える必要があるということであります。
 そういうものが私の方で考えているイメージですので、これはまた今日の皆様の御意見をいただいてさらに考えたいと思っております。どうぞ御意見をいただきたいと思います。

○髙木委員 4月11日、5月2日の2巡目の議論ですが、労働調停と裁判制度、いわゆる参審制等をどうするかということ、確かに労働に関する専門性というか特殊性みたいな部分を共通項として調停委員なり参審員なりということがどういう人たちによって担われるのかというところでの共通的なものもあるかもしれませんが、調停制度と裁判制度そのものは、ある意味では全く違うものとは言いませんが、かなり違うものを制度論として並列的に議論することは、議論に混濁をきたしたりはしないかという感じがちょっとしますが。

○菅野座長 労働調停はかなり技術的な点も含めて論点の整理が進んでいる事項で、これに対して労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度というのはまだまだそこまで進んでいないという意味でも、議論の進行状況においても随分違いがあるので、確かにその辺は皆様の御意見を伺って、これは1つの案ですから。全く切り離すわけにもいかないし、完全に重ねるわけにもいかないという感じなんですね。その点はどうぞ御意見をいただきたいと思います。

○石嵜委員 私が思っていますのは、裁判に参審制であり、そして労働調停に地裁の段階で労使の代表を参画させる、こういう形での調停を図ると言えば、確かにこれは統一的に議論して進めた方がすっきりするのだろうと思うのですけれども、仮に裁判に参与制ということを考えた場合、確かに意味は、互譲でまとめるのに参画するのと、結論を決めるのに意見を述べるという意味で参与とは違うのでしょうけれども、実際上の機能は参与制をとれば地裁での和解における参画が多くなっていくだろう。実際にそうすると、労働調停における労使の参画と、裁判における参与制、これは屋上屋を重ねるような形になるので、この辺の整理をやるならきちんとやる以上しなければいけないのではないだろうかと思っていたので、これは労働調停と裁判に関する当否は1つの枠の中で議論した方がよろしいのではないかと考えています。

○鵜飼委員 先ほど労働参審制に対するイメージの問題が出てまいりましたが、これは実現はどうなんでしょうか。イギリスやドイツに代表的に労働参審制の実情がどうなのかということについて、イメージが具体的に共有化できた方がそういう意味では共通の議論ができるのではないかと思うのですが、現実的にはなかなか難しいのでしょうか。
 イメージが違った中で議論していくような感じがいたしますので、そういう意味では訴訟指揮というか法廷指揮はやはり職業裁判官が行うものというのは各国で共通していると思います。対立当事者間のお互いの言い分を整理しながらてきぱきと一定の時間内に論点を整理し、証拠を収集し、結論を導き出していくのはやはりエキスパートで、そういうところはどこでも職業裁判官が行っているわけです。そういうプロセスの中で参審員も関与し、一定の役割を果たす。これが私の労働参審制のイメージでありまして、そういう意味ではいろいろお話されているものは裁判官と同じような関与の仕方をお考えになっているものでありまして、それはイメージがちょっと違ってくるのではないかと思うんですね。ですから、その辺の共通のイメージができるのであれば、イギリスとかドイツの裁判官に来てもらって話を聞くなどして、イメージを共通にする作業がもし可能であればと思うのですが、いかがでしょうか。

○菅野座長 ほかにそうした方がいいという御意見があればまず伺ってですね。

○髙木委員 全員がというわけではなく、誰か行ってきたらいいじゃないですか。

○鵜飼委員 行ってくると自分の感想になりますので。

○髙木委員 私もドイツの実際の労働裁判所へ行って、職業裁判官の人から労働側、使用者側でとられる名誉職裁判官やいろいろな人たちとじかに話を聞いてきました。もちろんそういうものでつくったイメージですから、また聞く人によってつくられるイメージも違うのかもしれませんが、それ以外にも労働組合を通じて労働組合それぞれの組織から出ている裁判官の人たち、労働側裁判官の人たちにもいろいろお話を、ドイツ、イギリスだけですけれども聞いてきていますから。もちろんどういう形で行くのか、予算のことやら、この検討会で行くとなるといろいろあるかもしれませんから、それでは有志でそれぞれ自前で行ってくるかみたいな、たまたま時間だけ合わせていけばいいわけで。

○菅野座長 検討会の回数からいくと、それを今からというのもちょっときついかなという気もするんですね。まるまる一回分の時間をとれるかという問題もありますので。

○髙木委員 先ほど山口委員から、お互いにとらえ方、思っていることが違うのじゃないかというお話があり、紙に書かれたものでどこまで実感的な感覚が得られるのか。やはり見たり聞いたりしてくるというのがいいですよね。

○齊藤参事官 外国の制度のイメージを共有化する、その上で議論すること自体はまことに結構なことだと思うんですね。ただ、そのための手段としてどういう方法が講じ得るかということになると、今の時点で事務局の方も具体的な準備とか特段想定したものはございません。それで、去年の段階でこの制度につきまして日本の研究者からヒアリングをさせていただいたわけですけれども、ヒアリングで得られた成果をもう少し整理したり、あるいは実際の運用面の状況などを加味するなどして、それで実情をどのぐらい明確にできるか、そういうところは事務局としてある程度努力できるのではないかと思います。
 これから実際に見に行こうかという問題は、ちょっとそこまでは想定しておりませんでしたので、それは事務局としてはよほど考え方を再考してみないと、事務局主導でそういうことは難しいかなとは思います。

○髙木委員 わかりました。

○菅野座長 見に行くといいますか、鵜飼委員などはヒアリングで呼ぶというご意見ですね。1回かけて適当な人を呼ぶことができるかということもありますし、誰を呼ぶかを決めるということ、先方との都合を合わせたりいろいろありますので。

○山川委員 確かにいろいろ質疑応答して聞いていくという意味は結構あると思いますので、お呼びするという道を探るということができればと思います。
 もう一つ、細かなことですけれども、訴訟指揮の在り方とか審議の雰囲気という点は、本当は行くのが一番いいんでしょうけれども難しいと思いますので、例えばビデオのようなもので見る、あるいは記録を誰かに頼んで、法廷の状況を上映するとか、撮ってもらったものを上映するとか、そういう機会はあり得るでしょうか。

○鵜飼委員 それはできると思いますね。

○石嵜委員 向こうがビデオを取らせてくれるんでしょうか。

○鵜飼委員 向こうはかなりフランクで、いわゆる写真は写させてもらったんですね。ビデオは可能だと思いますね。可能であれば、かなり臨場感というか現場の状況はよくわかりますよね。

○菅野座長 そういう御意見とか問題提起があったということで受けとめて、また後で果たして今後のスケジュールで時間的に、あるいは事務的に可能かどうかを検討させていただくということでよろしいでしょうか。
 ほかにいかがでしょうか。

○山口委員 1点だけ。18回、19回で調停と裁判制度の導入の当否について、概ねここで議論がある程度かたまっていくのだろうと思うのですが、先ほどもお話し申し上げましたように、具体的に専門委員と参与員あるいは参審員がどういうところが違うのか、あるいは関与させる事件としてどういうものがあるのか、どういうものを想定しているのかということについては、必ずしも十分統一した考えのもとに議論が進んでいるようには思えないところがありますので、その辺を少し整理した表のようなものを事前につくっていただいて、それをもとに議論するという形でやった方が理解が進むかなと思いますので、そこも検討していただけないでしょうか。

○石嵜委員 前々回ぐらいに司法委員と専門委員と参審、参与といろいろな形態の一覧表がありましたね。その表にどういうポイントでどう加えてほしいとおっしゃっているのか、あの表以上に何が必要なのか。というのは、確かに専門性のレベルとかこういうこともイメージして…。

○山口委員 今ざっと言いましたとおり、参与と参審では評決権があるかないかとか具体的に違うというのはわかるんですが、例えばどの段階でもそういうことなのかということも教えてほしいのが1つと、どの事件について議論するのかということについては、少なくともあの表は触れていないと思います。したがって、全事件についてそういう議論をしようというのか、あるいは一定の類型の事件にしようとするのか、あるいはまた別の方法があるのか。そういうことも考えていただきたいと思いますし、参審についても集中証拠調べ、先ほどの話ではないのですが、人証調べだけ関与すればいいみたいな話もありましたし、その辺のところがあの表では出ていないと思いますので、もう少しきめ細かくしてほしいなということです。

○髙木委員 今の御議論で何かつくれるならつくっていただいてもいいのですが、どういう制度にしてどういうことをそれぞれに枝になるべき役割として担わせるかという、一種の制度論をやりながらイメージがつくられてくるようなところもあるのではないですかね。

○山口委員 それでさっき言った幾つかの委員の在り方について、関与の現実が労使なのか、あるいは中立的な第三者なのかということについてまだ十分詰められていなかったような気もするんですね。

○髙木委員 ドイツではこういう役割になっていると、じゃあイギリスのETではこういう位置づけだ、フランスの場合はプロの方は特別の場合しか入らないみたいな話のようですから、フランスではそういうのはどういうふうにしのいでいるとか、その辺は前回お越しいただいた先生たちにお聞きすればかなりのところはおわかりになっておられるのではないでしょうか。

○菅野座長 外国の制度についてのイメージというか、あるいは具体的な理解とともに、日本の制度についてどうするかを考える上での既存の制度との違いをどのように考えるかを議論すべきではないかという御趣旨ですね。
 それについては、一応、前々回あたりに出したものをさらに改良することを事務局では検討するということでよろしいでしょうか。
 そのほかにどうぞ。

○山川委員 調停については、こちらは比較的方向性としては共通の点が多いかと思いますので、例えば先ほどのシミュレーションではありませんが、考えられるべき調停の流れとか、そこでの具体的な論点みたいなものを図のような形にして、かつ地裁と簡裁の案を比較できるようなものを資料としてお出しいただければ、議論がより具体的な原案づくりの方に進むのかなと思います。

○菅野座長 調停については論点はかなりはっきりしていますし、整理はされつつありますので、ここでは地裁か、簡裁かといった基本的なところの議論をしていただければ今後の作業が事務局の方でやっていただけるのではないかと思いまして、それとの関連で「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度」がむしろまだまだ詰めるべきところがあるということで、そちらの方の議論を一緒にしていただこうかと思っております。

○春日委員 事務局の方には若干負担がかかるかもしれないのですが、労働調停についてはある種のたたき台のようなものでもよいので、手続の流れ図のように、先ほど山川先生もちょっとおっしゃいましたけれども、そういうものを少しつくっていただいて、これはなにも単数でなくともいいと思うんですね。場合によってはこういう考え方もあるだろうし、こういう考え方もあるだろうという形でもいいので、たたき台のようなものを少し出していただいた方が議論がしやすいような気がするのですが。
 先ほどの期間なども含めて、大体こういう手続はどうだろうかというたたき台のようなものがあればと思っているのですが、それはもちろん我々委員の方でも個別的に出せればそれにこしたことはないでしょうけれども、いろいろ難しいでしょうし、事務局の方で出していただけると、こちらとしても議論はしやすくなるような気がするのですが。

○鵜飼委員 私個人も2年ぐらい前に案をつくっていまして、一番苦労しているのは本案との連携ですね。ただ、それはどうしましょう。集中的にやれれば、労働調停というのはかなり集中的、技術的な議論ができると思うんですが、私はやはり労働参審制の問題や手続の問題がかたまらないともうひとつ議論しにくい部分があるかなと思っています。論点に移れば、地裁にするか簡裁にするかでは、労働調停はほぼ地裁という方向がかなり強いと思いますし、それも単なる足して2で割るではなくて、判定的な部分もかなり証拠収集とかそういうものもある。そして期間とかタイムターゲット、さらに本訴への連携がある。その辺はいろいろな選択肢がありますけれども、出される論点とそれに対応する技術的な対応は選択肢はそれほどたくさんあるわけではありません。そういう意味では、集中的にやればコンセンサスは得られるのではないかと思っています。しかし、それをどの段階でやるかということですね。

○髙木委員 裁判制度がどうなるかによって調停の在り方みたいなものも、頻度も大分違ってくる。ドイツのように、特に1回目は職業裁判官が、まさに和解工作的な日を1回は必ず持たれてやっておられる。それで済んでしまうものも圧倒的に多いと聞いておりますが、そういう意味で裁判制度がどうなるかによって調停の使われ方とか意味だとか、大分変わるような気もしないでもないですね。さっきはその大変が行ったり来たりにならなければいいがなとちょっと心配して申し上げたのですけれども。

○菅野座長 ほかにありますでしょうか。
 なければ、今日いただいた御意見を参考にして詰め方を考えて2巡目の議論に入りたいと思いますが、いかがでしょうか。
 それでは、次回は「労働関係紛争の解決のための専門的知見の導入の在り方」で、労働調停と混線しないように、しかし関連づけて、両方について何らかのたたき台をお示しするということでしてみたいと思っておりますが、なお事務局と検討させていただきたいと思います。
 ほかに何かありますでしょうか。
 なければ、事務局から次回の日程についてお願いします。

○齊藤参事官 次回は、4月11日(金)午後2時半から5時半を予定しておりますので、よろしくお願いします。準備は委員の方々の意向にどのぐらい沿えるかわかりませんが、いろいろ準備させていただきたいと思います。

○菅野座長 それでは、本日はこれで終わります。どうもありがとうございました。