○菅野座長 それでは定刻になりましたので、ただいまから第19回労働検討会を開会いたします。
本日はお忙しい中、御出席いただきましてありがとうございます。
それでは、まず本日の配布資料の確認をお願いいたします。
○ 齊藤参事官 配布資料でございますが、資料110は論点項目の中間的な整理、資料111は今後の検討スケジュール、資料112は「検討事項に関する主要な論点及び検討資料」、資料113は「導入すべき労働調停についての検討のたたき台」、資料114は「労働調停手続の流れの概要(イメージ)」、以上は再配布でございます。
資料115は、「労働調停の位置づけについて(イメージ)」でございます。後ほど説明させていただきます。
資料116-1は、第18回労働検討会における主な意見を整理したものでございます。
資料116-2は、「主要な意見分布の状況〔改訂版〕」でございます。前回提出させていただいた資料に、前回の主な意見に下線を引きまして書き加えたものが資料116-2の方でございます。
資料117は、「訴訟手続への外部の人材の関与制度の比較」、資料118は「諸外国における労働関係事件の裁判制度の比較」でございます。この2つも再配布でございます。
参考資料としまして、座席表のほかに「平成14年度個別労働紛争解決制度施行状況」、厚生労働省発表のものを配布させていただいておりますので、御参考にしていただければと思います。
以上でございます。
○ 菅野座長 それでは本日の議題に入ります。
本日は前回に引き続きまして「労働関係紛争の解決のための専門的知見の導入の在り方」について、第1は「導入すべき労働調停の在り方」、第2は「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否」という2つの大きな論点に関して、2巡目の御検討をしていただきたいと思います。
前回、労働調停については一通り協議していただきましたので、時間があれば後ほどもう少し御検討いただくことにいたしまして、まずは雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否の件を中心に御検討いただきたいと思います。
前回の議論の状況及び前回を含めたこれまでの議論の状況については、先ほど御紹介のように、事務局において資料116-2として、労働参審制度に積極的な御意見、そして消極的な御意見と対比させて、意見の分布の要点を整理していただきました。いわゆる労働参審制の当否については、依然として委員間の意見の隔たりは大きかったと思いますが、それぞれ議論を深めていただきまして、他方で参審制度以外の関与形態の可能性について言及された御意見もあったかと思います。
それらを踏まえまして、さらに御検討いただきたいと思いますが、前回は専門的な知識経験を有する人材の供給源の在り方やその見込み等については、余り議論していただけなかったとも思いますので、労働調停に必要な人材の確保の関係も含めて、本日は特にこの点にも御留意いただきながら御検討いただきたいと思います。
この点について、日本経団連において会員企業に調査をされたとお伺いしております。まず最初に、矢野委員からその調査についての御紹介をいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
○ 矢野委員 まだ最終結果ではなく途中経過ですけれども、傾向は余り大きく変わらないと思いますので御報告したいと思います。
アンケート対象は会員企業と経営者協会、業種団体等、全部で1,376社・団体で、現在298社が戻ってきている状態です。回答率は22%弱、これから入ってくるところがありますから、この段階での傾向についてお話ししたいと思います。
いろいろなことを聞きまして、供給源のことも聞きましたが、その前提になる制度・仕組みの在り方についての意見も聞いておりますので、ちょうどいい機会だと思いますのでまとめてお話しします。
まず、労働事件における裁判官の訴訟の進め方、裁判所の判決に対する評価を聞いたのですが、会社が原告・被告となった場合の双方を含めて、特に労働事件で裁判所を利用したことがあるかどうかを尋ねました。そして利用経験がある企業に対して、裁判官の訴訟の進め方、あるいは裁判所の判決についての評価を尋ねたわけですが、回答した企業・団体の3分の1強、37%が過去に裁判所を利用した経験がある。評価としては、「どちらとも言えない」という回答が最も多くて全体の4割、43%です。残り6割は「満足」「ほぼ満足」が29%(32社)、「不満」「やや不満」が28%で、2つの評価に分かれました。一方が多いということでもなかったんですね。
「満足した」と答えた会社に聞いてみますと、その理由としては、「裁判官の訴訟の進め方が公平であった」が32社のうち21社です。「勝訴・敗訴はともかく結論は常識的なものであると感じた」は同じく32社中21社。満足か不満足かという点とその理由については1社で複数回答できるようにしています。「満足した」と答えた32社のうち勝訴したのは9社、そして「不満」「やや不満」の28%は31社で、そのうち20社が「判決までの時間が長くかかり過ぎた」で一番大きな理由になっておりまして、そのほかでは「裁判所は労働問題への理解が不十分である」が12社、「結論が常識とかけ離れていると感じた」が11社。「不満」と答えた会社のうち敗訴したのは31社のうち10社ですから、勝訴であったか敗訴であったかは、この統計には有意な関係がないと見ております。
労働事件の裁判への労使の参加は、専門委員なども含めて労使で何らかの形で参加させるべきかどうかという質問に対して、全体の3割弱27%が「参加させるべきである」と回答しております。4割強の41%が「参加させる必要はない」と答えていて、残りは「わからない」です。
「参加させるべきである」の理由としては、「労働事件の裁判に労使の専門的知識を生かし、裁判官の理解不足を補うべきだから」が最も多く81社中72社です。「参加させる必要はない」とする理由としては、一番多いのが「労使よりも職業裁判官の方が能力や公平さの点で信頼できるから」で、これは123社中69社です。「今のままで不都合はない」と答えた会社が123社中38社ですから、両方を合わせると123社中107社に上ります。
次に、労働参審制、参与制の導入の当否について聞きました。これは仕組みそのものについての議論がないわけですから、これまでの議論を踏まえて、労働参審制については「労使の参審裁判官が職業裁判官とともに常時、審理・評議に加わり、評決も行う制度」として、参与制については「評決は職業裁判官だけが行うが、労使の参与裁判官が職業裁判官とともに審理をし評議に加わり、意見を述べることができる制度」とした上で聞いております。
労働参審制については「導入すべきではない」と答えた会社が51%、「導入する必要はない」と答えた会社が23%で、両方合わせて74%。全体の4分の3です。参与制につきましても、「導入すべきではない」と考えている会社が33%、「導入する必要はない」は20%、両方合わせて53%。参審制は反対が74%、参与制については反対が53%です。
一方、参審制、参与制については「現時点では時期尚早だが、人材が供給できるようになるなどの諸条件が整えば、将来の課題として導入を考えてもよい」とする回答が参審制については全体の2割21%、参与制については全体の3分の1強37%です。また、「労働参審制をこの際導入すべきである」という回答は5%弱、「参与制をこの際導入すべきである」という回答は10%です。
次に、参審制、参与制が導入された場合の人材供給ですが、該当する人材の有無について聞いています。これも聞き方が難しいと思ったのですが、今までの議論を踏まえて各企業・団体において現役OBの双方を含めて参審裁判官、参与裁判官に該当する人材がいるかどうかということです。参審裁判官に求められる知識経験及び能力のレベルとしては「職業裁判官とともに評決に加わる以上、人事・賃金制度、労使慣行などの労働分野の専門的知見と職業裁判官に準ずる法律知識と事実認定をする能力が必要」という前提を置きました。参与裁判官に求められるレベルとしては「人事・賃金制度、労使慣行などの労働分野の専門的知見と、参審裁判官ほどではないが職業裁判官と意見交換をできるぐらいの法律知識が必要」という前提を置きました。
それに対して、「参審裁判官、参与裁判官のどちらにも該当する人材はいない」という回答が全体の83%です。「参審裁判官に該当する人材がいる」という回答は全体の約6%、「参審裁判官に該当する者はいないが、参与裁判官に該当する人材はいる」は約1割程度でした。
実は、実際に人材がいると答えた会社に対して聞いた質問が次にあります。これは何といってもサンプルが小さいのですが、「参審裁判官を出せる」と答えた会社が298社中19社、「参与なら」は298社中32社で、両方合わせると51社になるわけですが、どの程度の拘束があるか。任命期間や頻度等があるのですが、任命期間は数カ月以上ということで、「常勤もしくは非常勤で1つの事件について1日当たり数時間、あるいは一日中、月数回以上の頻度が要求される可能性がある」と述べた上で答えを聞いています。「出すことができない」という回答は51社中16社31%です。「OBであれば出せる」も含めて「出すことができる」と回答したのは55%、半数をちょっと超えるのですが、回答者全体から見ると1割以下、9%になります。
最後に労働調停の人材供給について聞いておりますが、調停委員に求められる知識経験としては、労働法、労働判例等に関する基礎知識、人事・賃金制度、労使慣行などの知識、労働訴訟に関する実務経験などのいずれか。必ずしもすべてではないと思いますが、それらが必要とされるけれども、労使の委員には裁判官に準ずる、または意見交換ができるほどの法律知識や事実認定の能力などが要求されないことを前提として、関与の頻度については非常勤で2年程度の任期で登録されて、選任された事件に拘束されるという設定です。
これについては、実際に調停委員を出せるかについては全体の約4割41%が「人材がいない」と回答しています。「人材はいるけれど業務に差し支えるので出せない」という答えも15%ありまして、両方合わせると56%が人材がいないか出せないということになります。
一方、「OBであれば出せる場合も含めて人材を出すことができる」と回答した企業・団体は、「現役なら」が6%、「OBも」は10%で、両方合わせて約16%。残りの3割は「わからない」です。
ちなみに、「調停委員に人材を出すことができる」と答えた16%程度の企業のうち、どのぐらいの人数を出せるかを集めると、供給可能人数は121社で160名という数字が出ています。
これが概要ですが、まとめてみますと、労働参審制については導入に反対する企業・団体が多く、参審裁判官の人材を確保することも困難であると思います。参与制については、導入すべきであるが10%、将来の課題として導入を考えてもいいという導入に前向きな回答が37%と申し上げましたが、これを両方足すと半数弱になるわけですが、人材の確保は参審制と同様に困難であると思います。しかも、回答した企業の6割以上は東京・大阪などの大都市に本社を置く大企業です。多くの従業員を擁する大企業ですら人材の供給は容易でないということから考えますと、日本全国での人材確保はさらに困難であることが予想されます。
この参審制、参与制に比べますと労働調停の調停委員の人材は確保しやすいと思われますが、実際には業務との兼ね合いなどの事情によって人を出せない企業も団体も少なからずあることが予想されますので、実際の制度設計の段では、今までも論議がなされておりますが、兼務とか出張という配慮、重点化も検討しなければならないだろうと思います。
私、今までいろいろな角度からこの議論に参画してきましたが、日本経団連の委員会なり会員企業の意見を聞きながらやってきたわけですが、改めて調査をしてみて、これまでの議論が大体実態に即したものであったことが再確認できたと思っております。以上でございます。
○ 菅野座長 ありがとうございました。ただいまの人材確保等についての調査の御説明も踏まえまして、専門家の関与する裁判制度について意見の一致点を見出すことができる部分があるのかどうかという観点から、さらに御検討を深めていただきたいと思います。
まず、矢野委員の御説明に対する御質問等から始めてくださっても結構ですのでどうぞどなたからでもお願いいたします。
○ 髙木委員 矢野委員に御説明いただいたのですが、回答される企業なり業界団体の皆さんにどれほどの予備知識あるいはバックグラウンドがあるのか、アンケート票の設問も回答も口頭でお聞きしたので細かいことはよくわかりませんが、私どももいろいろなアンケートをやったりするのですが、アンケートというのは設問の立て方なり、どういう人たちがどの程度のバックグラウンド、知識を持って答えてくれるかによって、一般的に回答はかなり異なってくるということがあったりしますので、基本的には今までも日経連時代から今言われていた感覚を代弁するかの御意見をいろいろ言ってきておられますから、多くの人たちがその延長線上でお答えを選択されたのではないかという印象を持ってお聞きしていたのですが、その辺はどうでしょうか。
○ 矢野委員 アンケートの一番難しい点ですよね。それは私も考えまして、今どういう議論がなされているかということをできるだけ公平に伝えるようにしました。賛否両論のそれぞれの立場を書くことにしまして、私がいつも話していることだけ書いたのではまずかろうと思いまして。しかも、議事録は公表されていますので、詳しくはそういうものを参照していただければいいわけで、必ずしも偏った前提での議論ではないと私は思っております。これをどう評価するかは難しいところなのですが、傾向としては思っていることをかなり書いてくれているのではないか。自由記述の部分もあるのですが、法務あるいは労働関係に携わっている部門の責任者が書いたのではないかと思うわけで、客観性の高いデータになったのではないかとは思っています。これは御批判もあると思いますから、決して100点だとは思っておりませんけれども。
○ 髙木委員 私は、今言われた数字のことは、思ったより評価する人が多いのだなというスタンスでお聞きした部分もあるので、今まで司法制度改革審議会時代から、当時の日経連がお出しになったいろいろな文書、ステートメント等を読ませてもらってきましたから、そういうものをお読みになっている方は日経連のスタンスはこういうことだったんだなとよく御存じの上でお書きになったとすれば、今の数字は思ったより評価が高いのではないかと感じた部分もありました。これは感想ですけれども。
○ 矢野委員 私もそう思います。
○ 石嵜委員 日経連の方々だけではなくて、これは日経連内にある労働検討会のメンバーで質問の原案についていろいろな意見がありましたし、当時、私も出ていましたので、私も聞き方についてはある程度公平に聞く形になるような意見を述べさせてもらったつもりですので、これは単に意図的につくったものではないと私自身も思っていますし、私は相当言いました。ですから、そうした前提で御理解いただければと思います。
○ 矢野委員 対象になった企業の中には日経連の会員ではない企業もかなり入っているんですね。去年、日経連と経団連が統合しましたので、それによって入ってきた新しい会社もかなり入っておりまして、その方々がどこまで勉強してくれているのかなということはありまして、そこまでは把握していないのですが。
○ 鵜飼委員 最終的な取りまとめはいつごろになるのでしょうか。
○ 矢野委員 なるべく早くしたいなと思っているのですけれども、まだ五月雨的に回答が入ってきておりまして、何とか5月いっぱいぐらいにはまとめたいと思っていますが。
○ 鵜飼委員 労働検討会の資料としてお出しいただけるのでしょうか。
○ 矢野委員 そこまで出せるかどうか、今のように偏見に満ちた調査ではないかという意味で髙木委員はおっしゃったのではないけれども、そういうこともあり得るので、そういう資料として出すのは適当かどうかは私自身は疑問に思っております。ただ、せっかく……私もスタンスとしてはもちろん経営者の代表ですけれども、これからのこの国の労働裁判や労働問題をどう考えるかという立場に立って、一面ではある公平な立場で、一私人として出ている意味もあるので、偏見を呼びやすいような数字は出さない方がいいのかなという気もしていますし、正直言って、今ちょっと迷っています。
○ 鵜飼委員 労働裁判を利用したというか被告になったケースでしょうけれども、3分の1強という数字は、矢野委員からするとどうでしょうか、この程度でしょうか。
○ 矢野委員 正直言いまして、私は意外と少ないと思いましたね。ただ、この中には団体が入っているんです。業種団体とか経営協会は自分で訴訟の対象になりませんから、それを引かなければいけないんですね。調べてみると意外に今度は、最も我々のシンパである経営者協会などが余り回答を出してきていないんです。298社のうち20団体ぐらいしかないんですね。それを全部引いたとして比率はどうなるかというと、それでもやはり4割ちょっと超えるぐらいではないかという感じですね。だから意外に少ないんですね。私もデータをにらみながら、幾つかびっくりすることがありました。公の場ではないのですが、裁判にはしょっちゅう勝つから裁判所を応援しているのじゃないかとか、労働委員会はしょっちゅう負けるから批判しているのじゃないかという声が経営者のポジションに対してないわけではないんですね。ところが、先ほどもちょっと触れましたが、勝ち負けは半々なんですね。ですからそういう前提に立って、勝っても負けても公平であるという評価の仕方があるということ、ある意味では少しびっくりした部分ですね。
○ 鵜飼委員 この数字を見ますと、「満足」と「どちらとも言えない」「不満」がパーセンテージからいって3つに分かれているような感じがするんですが。
○ 矢野委員 「わからない」の数が多いんですね。これをどう評価するかなんですね。
○ 鵜飼委員 「どちらとも言えない」ですね。
○ 矢野委員 「どちらとも言えない」というか「わからない」が多いんですね。けれども、これもクロス評価をしてみたのですが、例えば「裁判への労使の参加について」で「何らかの形で参加した方がいい」が27%と申し上げたと思います。それについて「裁判所を利用したことがある」と答えた会社で「訴訟の進め方、判決に満足している」と答えた会社で「裁判に労使を参加させるべき」は28%と変わっていないのです。「訴訟の進め方、判決にどちらとも言えない」と答えたところで「参加させるべき」と答えたのは21%とむしろ低いですね。「不満を持っている」ところはどうかと思ったら、「参加させるべき」が32%と、ほんのちょっと多い。一方、「裁判所を利用したことがない」の63%の会社について見ると、「参加させるべき」という答えが28%あるんですね。「参加させる必要はない」が40%。「参加させる必要はない」は大体40%ぐらいなんですね。
そういうことを見ますと、裁判所を利用したことがない人たちの抱いている考え方と利用したことがあるところとの間に余り大きな差がないということですね。
○ 鵜飼委員 経営者の方たちは、いわゆる労働参審制はどういうものかとか、労働裁判所とか労働事件のための特別な制度ができている諸外国の法制度がありますが、その辺についての認識はどの程度おありなのでしょうか。
○ 矢野委員 そこまで分厚い解説書をつけたわけではなくて、この検討会の資料にゆだねたところがありますので、アンケートそのものでは今まで議論した中で参審制とはこういうものだとか、参与制とはこういうものだという定義づけをしたのですが。
○ 春日委員 別の質問でよろしいですか。資料116-2で改訂版をつくっていただいて大変ありがたいのですが、従来から基本的に積極論と消極論と大きく分けてそういう二面があると思います。そこで、質問だけなのですけれども、雇用・労使関係についての専門的な知識経験を有している方が参審・参与として入るという積極論をおとりになっている委員は、およそ労働事件というものについて全部参審・参与ということをお考えになっているとは思えないんですね。ある種の特定の事件類型を想定してお考えになっているのではないかと思うのですが、それでいいのかどうか。
仮に特定の事件類型のようなものをお考えになっているとしたらどういう事件か、要するに賃金差別とか解雇事件とか不当労働行為とか、いろいろなものがありますね。その辺は何か具体的に、参審・参与で、仮にそういう手続だったとしたらどういう事件を基本的に念頭に置いて参審・参与に積極論なのかという点、そこはいかがでしょうか。この資料の中でも、そう鮮明には出てきていないような気がするものですから、その辺をお伺いしたいのですが。
○ 矢野委員 難しい御質問なのですけれども、もともと裁判になる事件は重い事件だと、これは基本的に間違いない認識ですね。解雇の問題とか、本人が話し合いで解決できないということですから。どういう事件類型かというのは、どういうことを念頭に置いて答えているかはわかりませんけれども、通常裁判になるケースの重さということを前提にした議論だろうと思います。その中で参審制であるか参与制であるかということを考えるわけですから、裁判の俎上に上るかどうか自体の判断は重い労働事件ということだろうと思いますね。
その点は認識は余り違っていないのじゃないでしょうか。いろいろな場で解決する道というのは皆さん知っておりますから、まずは自社内で解決しなければいけないとかいろいろあって、それでもやむなく裁判になったのだという認識ですから、そういう意味では認識に差があるとは思えません。
○ 髙木委員 私どもはこう考えているのですが、基本的に労働事件と称されるものは地方労働委員会で扱う集団的な不当労働行為事件等をどう仕分けするのかということは少しあるのかもしれませんが、ただし経過的に、先ほどのマンパワーの話やら何やらを含めまして、乗り移っていくときのステップとして、例えば事件類型を少し絞ってスタートするとか、そういう発想はあるのじゃないかと思っております。
今日出していただいて資料116-2に当たるのでしょうか、その6ページの10に、「一定の事件について、必ず関与させることも考えられる」というのは、多分連合でつくった整理から抜いていただいたものではないかと思いますが、いわゆる必要的参審、例えば解雇事件だとか労働条件の不利益変更、切り下げ問題だとか差別問題、それに加えて本人がぜひこれでやってくれというものが最初からやろうとしたらあり得るのではないか。これは刑事の方の裁判員制度の方でも、一部の重大な犯罪からスタートするというアプローチの仕方もあるわけで、いわゆる対処能力との関係でそういうことも場合によってはあり得るのかなということを申し上げたつもりです。
○ 春日委員 基本的にはいわゆる重い事件を念頭に考えておられるという理解でよろしいのでしょうか。
○ 髙木委員 その際に重い軽いというのは何を称して言うのか……。
○ 鵜飼委員 実務家として「重い」「軽い」というと、例えば解雇事件でも本人が解雇を争わないで未払賃金とか予告手当などで請求して、あとは解雇自体については争えないケースも圧倒的に多いものですから、その分類はなかなかしにくいのですが、解雇事件などはいわゆる重い事件に当たるのではないかと思います。要するに一般条項が適用されるケースですので、もちろん事案によっては非常に単純明解なケースもありますが、合理性とか相当性ということが判断の基礎になってきますし、あるいは不利益変更とか不当労働行為の問題が絡んでいる事件は一般的な総合的な判断が必要になる事件ですので、私も現実的には実現可能性というところで、プロセスとしてそういう事件から入っていって、私は最終的には労働事件全般に参審制を導入するのがいいのではないかと思いますが、現実的な導入のプロセスとしてはそういうところから入るのが1つの方法ではないかと思っています。
○ 髙木委員 このペーパーの議論に入っていいですか。
これをまとめていただいてありがたいのですが、資料116-2がいいのでしょうか、今までのものが全部入っていると思いますが。ここでいろいろな整理をしていただいているのですが、左右分かれていなくて流してあるものは、大体合意に近い感覚ということで整理されたのでしょうか。
○ 齊藤参事官 余り争いがないというニュアンスは確かにあります。ただし、必ずしも議論が尽くされていないがために、反対論あるいは対比すべき意見が余り鮮明になっていないがために、一括りになっているというニュアンスもございますので、その辺は御留意いただきたいと思います。
○ 髙木委員 何点か申し上げてみたいのですが、例えば1ページの2のヨーロッパの参審についてどう考えるべきかというということで、「実質的には参与制に近い運用がなされているようである」と、参与制に近いように見える法廷の姿ということは私は申し上げたかもしれませんが、参与制と参審制は全く似て非なるものという側面がありまして、そういう意味ではドイツの労働裁判では職業裁判官というか裁判長が事前に責任を持って準備をなさり、必要な証拠も事前に裁判長のお考えでお集めになり、和解歓試的な会合を持たれ、それでうまくいかなければ裁判をやるという流れかなと承知しておりますが、そういう中で参審制は決定的に評決権があるということ。評決権というのは、例えば企業あるいは産業の将来、あるいは労働者一人一人の人生に対して責任を負う側面は持っているわけであり、参与制はそういう意味での……責任がないとは言いませんが、その責任の程度は参審制に比べて大分違うのだろう。そういう意味では参与制に近い運用がなされている面は、見た目としてはあるかもしれませんが、実質的には厳然とした参審制の手続は踏まれているのだろうと思います。
そういう意味で、こういう運用がなされているようであるという発言があったぐらいのことは確かに……。
○ 石嵜委員 これはドイツについて申し上げたつもりはありませんで、ヨーロッパという書き方をしてあるのでひとつ問題があって、私はイギリスについてはそういうふうに十分聞いてまいりましたというお話をいたしました。ドイツについては触れておりませんので、そこはいろいろな議論が出ると思います。
○ 髙木委員 その次の「○」の、「参審制が機能しているのは経験を積んだ職業裁判官がいるからであり、3年程度の短期間でのローテーション人事が一般的な日本とは事情が異なる」という下りがございますが、これにつきましても、それぞれ国によっていろいろですが、例えばフランスでは、労働裁判には基本的には原則論としては職業裁判官は関与いたしませんし、確かにドイツは労働裁判所、1審、2審、3審と持っておりますから、それから裁判官の任用・配置の問題等、日本の裁判官制度とかなり違いますから、そういう意味で裁判官制度が違うという面も含めて、労働裁判所の職業裁判官は非常に経験が豊富だと。ただ、経験は豊富だというけれど、いわゆる名誉職裁判官というか参審裁判官の現場で培われた知識経験を多としているという評価をされる方がされると多いと聞いております。そういう意味で、またイギリスでは弁護士と名のっている方がパートタイマー裁判官みたいな格好で事件にかかわるという話も聞いたりしております。
だから、経験を積んだ職業裁判官がいるからというとらえ方は本当にそれでいいのか、もし日本がそういう経験が足りない裁判官の皆さんが多いという認識でこういうお話になるとしたら、それは逆に、裁判所の労働事件なり各分野別事件を担当なさる裁判官の専門性の深さの問題という立場で議論する必要がある話であり、どんな世界でもどんなことをやるにしても、やる前は足りないところがあって、そのためにいろいろ補充して準備をしなければならないのはよくある話だと思いますが、「短期間でのローテーション人事が」云々ということが理由であるというのは、私はちょっとおかしいと感じております。
その次の「○」の、「職業裁判官が職権主義的に訴訟を進められているようであり、日本の裁判の在り方とは大きく異なる」という表現がございますが、ドイツの例は私は細かいことはよくわかりませんが、ドイツでは労働事件をやるに際しまして当然、迅速化原則、和解優先の原則、訴訟当事者間の手続的平等の原則、手続簡略の原則と、そういうものがいろいろおありになるようですが、ドイツの場合は書面で証拠をとることが多く、日本とかなり違うのは証人尋問をそう重視していない。逆に日本の場合は、証人尋問中心型といいますかそういうところが、証拠の問題もあってかもしれませんが、そんな印象がございます。だから、立証すべき対象が非常に明確になっている。それは実定法の整備がたくさんなされているという、そういう意味では解明すべきことが明確になりやすいという面もあり、また必要な証拠を職業裁判官が職権でいろいろお集めになることもできる、そういう仕組みもあるのだろうと思いますが、いずれにいたしましても、証人尋問の意味が大分違うという部分もあるのかなと思います。
これはフランスのことについて書かれたある本を読んでみましたら、「証人は宣誓をすればうそを言わない」というふうに日本の裁判官は皆さん思っておられるのではないかと。そんなことはないでしょうが、そういう意味で証人の認識の仕方が少し違うのじゃないかなと、そういう感じがしました。
私ばかりであれですが、そのページだけで申し上げてみると、「実質的には参与制に近い形で運用されているのであれば、労働参審制が十分に機能していないと理解することができる」は、矢野委員が以前おっしゃったのだろうと思いますが、先ほど申し上げましたように、参審制と参与制は形態は非常に似ていますが、最後に担保すべきそれぞれの責任のようなところはかなり意味が違う制度だと思います。そういう意味で、参与制に近いように見えるから機能していないということではなく、これは審議会の意見書も、ヨーロッパの参審制についてはそれなりに機能しているという評価をしているはずですし、そういうことから考えましても、もう一度全体的に審議会の意見書を我々はもう一遍熟読、再吟味してみる必要があるのではないかと、こういう御意見についてそういうふうに思いますので、若干口はばったいことを申し上げましたが、よろしくお願いしたいと思います。
○ 山口委員 2の欄の区切り方は、私の理解では、左側が参審に好意的な見解で、右側はどちらかというと否定的な見解の意見を書いたというだけで、欄が区切られていないのはどちらとも書けないから流しているのではないかと、こういう理解をしていたのですが、それはおかしいのでしょうか。
争いがないという形になると、言われるように、髙木委員あたりからそれは当然出てくるはずなので、これはどちらともまとめにくいから流して書いたというふうに理解したのですが、そういう理解はおかしいのでしょうか。
○ 齊藤参事官 そういうニュアンスもあると思います。うまく左右に振り分けにくい部分が確かにございますと同時に、この資料は前回までの議論を踏まえてのことですので、また違った角度から御意見とか御指摘があれば、その内容や趣旨も踏まえて、さらに整理を十分に尽くしていきたいと思っていますので、ある意味で整理の途上のものだというニュアンスもありますので、さらにいろいろ御意見、御指摘をいただければと思います。
○ 山口委員 私も髙木委員が言われたように、参審と参与は分けて考えないといけないのではないかと思います。その実質がどうこうというより、参審をやるのか、あるいは参与でやるのか、あるいは入れるべきではないと考えるのか、それを考えるに当たってはそれぞれの利害の持っている長所あるいは短所、あるいは特質等を踏まえて、そこで便宜的に分けて考えないと、参審が仮にイギリスあたりでは実質的に参与に近い形で運用されているからといって、それは本当に参審と言えるのかという問題もありますから、そこは理念系としてはきちんと分けて議論しないと、正しい議論にはならないのではないかと思います。
○ 矢野委員 他国の制度を研究する場合には、いわゆるプリンシパルの部分と実態と両方並行して評価する必要があると思います。あるべき論と実際に行われている姿と両方理解する必要がある。つまり、裁判制度を含めて社会一般の制度は社会的な有用性があって存在しているわけであって、それがどのように運用されているかということは実態を反映しているわけですから、最後の価値判断のときに意味のある資料になるだろうと思います。
それからドイツの場合ですが、ここでドイツの制度を伺ったときの私の理解では、とにかく何でも持ち込むということになっているので、日本であればADRで片づくような話まで持ち込まれている。こういうふうに私は理解しているんですね。そうすると、ドイツの制度をそのまま日本と比較する場合、裁判の部分だけを比較するのは適当ではない。つまり、ADRも含めて全体のシステムを比較する必要がある。そういうときに初めてドイツの制度の意義づけ、単に現在の世の中に機能している意義だけではなしに、歴史的な意義づけですね。労使関係の在り方という根本のところに立脚した意義づけができるのではないかと思います。
この資料ですが、今見ていておやっと思ったので、今ごろ言うのも変なのですけれども、資料116-2の5ページの8です。右側は大体において私どもが申し上げたことのように思うのですが、一番上の欄の「○」の3つ目、「法的判断には関与しない形態や和解に関与する形態(参与制度、司法委員制度等)は考え得る」。参与制度に賛成した覚えは私はないのですが、これはどなたかの意見なのでしょうか。
○ 齊藤参事官 こちらの理解として申し上げてもよろしいでしょうか。
○ 矢野委員 どうぞ。
○ 齊藤委員 少なくとも矢野委員の御意見という整理ではありません。
○ 矢野委員 もちろんそうだとすると、ここまで言った議論があったかなということがあるので、そこまで話は進んでいないのではないかという気がしているものですから、これは事務局の意見かなと思ったのですが、違いますか。
○ 菅野座長 事務局の意見は入ってません。速記録に残っている意見をここで整理しているものです。
○ 矢野委員 わかりました。どういうバックグラウンドでこういう整理になったのかだけお話ししていただければと思います。
○ 菅野座長 ここに書いている参与制度を考えるべきだとかそういうのではなく、今日私が最初に申し上げた可能性について言及された意見もありましたという程度ですね。
○ 矢野委員 それなら結構です。
○ 石嵜委員 これはヨーロッパの話も出てきていますけれども、私はもともと労働委員会の問題を外して議論していましたが、日本では労働委員会でいわゆる労使の代表が関与する形態があるんですよね。ここで質問させていただきたいのですけれども、公益委員の先生方もおられるし、あれはなぜ参審評決権を労使の代表に与えていないのですか。あれは参与形式になっていて、一応は和解のときは調停には戻れますけれども、公益委員会議で結論を出すときには意見書を出すのですか。
○ 菅野座長 意見書を出すのは、私の理解では東京都労委だけではないかと思います。
○ 石嵜委員 そうすると、参与であっても、結論には意見も言わないんですね。
○ 菅野座長 いいえ、中労委では合議の最初に労使の委員が結論について意見を言います。
○ 石嵜委員 では労働委員会の歴史的経緯として、あそこで評決権をいわゆる労使の代表に渡さなかったのは何か特別の事情があるのですかということ、参審・参与のことをおっしゃるので、そこだけ教えていただければと思って。
○ 菅野座長 私は教えるような立場ではないのですが、私の理解では、まず労働関係調整法で労働委員会が調整をするとなって、不当労働行為については20年労組法で刑罰規定で、その刑罰について処罰請求をするかどうかを労働委員会が判断する、そういう制度だったわけですね。それが24年の法改正でもってアメリカ流の命令を出すということになったときに誰が判断をするかということだったのですが、労調法などで労使の利益をそれぞれに代表する労使委員が調整に関与するのが労使委員の役割で、判断は公益委員がやるものだということで整理されたのではないかと思います。その前提としては、労使の集団的な利害対立が非常に厳しく激しいものがあるので、それぞれの利益を代表する委員が、公正中立な判断に評決権を持って関与するというのは考えがたいと、現実にもそういう姿をとったのだと思います。
○ 石嵜委員 そこで議論が出るのは、それでは個別的労使紛争で裁判なら参審させても、その部分での労働委員会の最初の制度の議論も含めて、労働委員会と裁判ではまた違って、積極的に判決に参審させていいのか、その辺をもう少し議論すべきではないかと思うのですが。
○ 菅野座長 確かに山口委員が言われたとおりで、参審・参与が割と一緒に議論されてきたのですが、両者は制度的には違うもので、切り離して制度として議論するところまではこの検討会でもいっていないんですね。
○ 鵜飼委員 私も労働委員会の事件に関与してまいりまして、当事者それぞれが労使の代表として利益代表的な見方をする、例えば申立人側、使用者側はそういうふうに見る傾向がありますので、制度設計の中で公平中立性を強く要請しているものではないというところにちょっと問題……今回の議論とは性格が少し違うのではないかと思います。
しかし、なおかつ現在、労働委員会の労使委員が、果たして労使の双方の利益代表的な立場で動いているかというと必ずしもそうではなくて、これはむしろ公益委員の先生たちから実情をお聞きした方がいいと思いますけれども、ある意味ではマクロの立場で労使の関係の正常な発展を考えて、かなり中立公平的な立場で動いていらっしゃることは間違いないと思いますので、むしろ労働側は労働側に厳しく、使用者側は使用者側に厳しい側面もあって、双方から光を当てて実態を明らかにしていく役割を果たしているのではないかと思いますので、その辺はぜひ御留意いただきたいと思います。
次に、矢野委員から出された日本経団連のアンケート調査は非常に参考になりました。これは、確かにいろいろなバイアスの問題等があるかもしれませんが、ぜひ資料としてお出しいただければありがたいと思います。
制度改革を考えるときに、新しい制度をつくるわけですから、そういう意味では今まで我々が経験したことのない新しいものになるわけで、実証例があるかと言われても実証例はないわけです。したがって、国際的な比較、諸外国との比較法的考察はこういう場合には不可欠なものであり、そういうのは避けて通れないテーマだろうと思います。その際は、文化とか歴史が違いますから、それをきちんとどういうものかということを全体の理念と実情を把握した上で、日本の現状、今後を考えて、それを選択しながらとるべきものはとる、とるべきではないものはとらないということだろうと思います。
そこで、資料116-2の中で、ヨーロッパの労働参審制が実質的には参与制に近い運用がなされているようであるという、参審制と参与制のきちんとしたイメージがないのではないかという気がいたします。私は、イギリス、ドイツそれぞれが違いますけれども、イギリスはイギリスの労働裁判所に置かれている参審制、これはまさに参審制だろうと思いますし、ドイツの労働裁判所で行われている参審制はまさに参審制だろうと思います。要するに職業裁判官と参審裁判官は役割が違うのではないかと思います。お互いに判断者として裁判に関与しているわけですけれども、職業裁判官はあくまでも裁判実務あるいは法律実務の専門家として育成され選抜され、オン・ザ・ジョブトレーニングによってそういうものを磨いている。まさにエキスパートです。そういう人たちと同じようなレベルに、ほかの職業を持ってその中でエキスパートである人たちに匹敵するものが持てるかというと、そんなことは現実的にはないわけです。
まさに参審制は陪審制と同じように、日本の裁判官の人たちが事実認定論で議論されていますが、事実認定で一番重要なのは経験則であり、キャリア裁判官の人生で培われる経験則にはやはり限界がある。確かに全ての経験則を自らものにするのは不可能です。したがって、裁判の事実認定は一般の市民でもできる、市民生活の中で培われたいろいろな経験則を活用することによって適正な事実認定ができる。それを制度として組み込んだのが陪審制であるし、参審制でもある。これが国民参加という部分があると同時に、経験則をキャリア裁判官の長所と限界を制度として組み込んだものとして参審制、陪審制は考えられる。
こういうことが言われていますが、私もまさにそうだと思いますし、私がこの前紹介した村上淳一先生がお書きになった「ドイツの参審制の現状」という論文がありますが、その中にも、1999年のドイツの参審協会10周年記念論文集を1つの基礎にして、ドイツの参審制について深い洞察が加えられています。そこではっきりおっしゃっているのは、参審員の合議への寄与は大きなものがある、そして参審員は裁判の不可欠の助力者である、参審員不要論を述べる裁判官はいないとまで断言されています。そういう意味で役割が違う。
先ほどの日本経団連のアンケート調査の中で、日本の我々がなかなか理解しにくい点は、同じ裁判官として同じ能力を持ったエキスパートとして労使が参加するイメージでとらえられますと、そういう能力まで要求されますので、そういう能力を普通の企業人、労働組合の活動家たちに求めるのはある意味では不可能に近いわけです。まさに労使で培われた経験とか体験に裏づけられた経験則、ノウハウ等を労働裁判の中でどう生かしていくかという議論ですので、その辺で労働参審制とは一体どういうものかということを共通なものにする必要があると私は痛感しています。比較法という手法は重要だということもかんがみてであります。
もう一つ、資料116-2に抜け落ちているなと、若干ひがんでおりますのは、日本の労働裁判の在り方。ですから、この間の議論で制度改革の必要性論、果たして必要なのか、現状の労働裁判に大きな問題があるのかという議論が提示されております。まさに、これは確かに制度改革を成す場合の出発点だろうと思います。そのときに歴史的な軸と国際的な軸の双方が必要だと思いますが、現在の50年たった日本の労働裁判の姿はいろいろなアプローチがあり得ると思います。私は、検討の視点としてはマクロ的な制度の在り方論。制度を支える条件がどう変わっているのかということをマクロ的に議論するもの、もう一つは、実際の労働裁判を実証的に検討して、定量的分析と定性的分析があるかと思いますが、そして問題点があるかないかを検討する。この2つのアプローチの仕方があると思います。
定量的分析については後でお話しいたしますが、マクロ的視点から見ると、まず日本の労働裁判が国際的な比較の点からいってどういう位置にあるかという点です。私は何度も言いますように、職業裁判官による一般民事手続による裁判です。特に、専門的な労働裁判官はいらっしゃいません。人事で2~3年の期間、労働事件を担当するというケースです。これは一般事件と基本的に変わらない発想だろうと思います。これは国際的には特異な状況になっているのは間違いないと思います。2000年12月1月に菅野先生が呼ばれてプレゼンテーションされた司法制度改革審議会に、日弁連も資料として「各国の労働裁判のターゲットについて」というものをお出ししています。それを見ましても、もちろんその後、いろいろな知見を通じましても、労働事件については各国さまざまな形で制度的な特別な手当をしています。日本のように、専門的ではない職業裁判官が一般的民事手続で行うのは例外的な状況になっているのは紛れもない事実だろうと思います。これでいいのかというのが次の問題です。
そういう裁判システムで今まで何とか対応できたとすれば、それはいろいろな要素があったのだろうと思います。事件数が非常に少ないということだろうと思います。それは、少ない事件を丁重に時間をかけて審理するのが今までの労働裁判の姿だったと思いますが、少なくともこの間、平成初年度は労働裁判の数は1,000件でしたけれども、平成14年度になりますと、実数からいっても3,000件を超すのではないかと思われます。労働相談の件数も、東京都の労政事務所だけを見ましても、10年前から3~5万件伸びましたし、地方労働局の今日出された資料によりましても、平成13年度は民事紛争9万件が平成14年度は10万件になったということもありますし、我々の労働相談の現場の実感からしましても、この傾向は変わることはないだろう、構造的なものです。これは論者の一致するところだろうと思います。
今まで日本の労働裁判が一般民事手続と同じように、特に専門性を強化せず行われてきたのは、そういう基礎的な条件があったのではないか。その条件は、構造的に大きく変わりつつあるのではないか。日本型雇用・労使関係は非常に大事なものですし、今まで十分機能してきましたし、それは日本の労働裁判が特別なものを要しないような背景としてそういうものがあったことは間違いないだろうと思います。
しかしこの構造自体は、これまで議論されてきましたように、大きく変容を迫られている。もちろんエッセンス、大事なものは残しながら、それをグローバルな新しい時代、情報化の時代の中でどのように生かしていくのかということが模索されている。現実的には、紛争が外部にいく状態も避けられない状況がある。その中でいかに新しいシステムをつくり、自主的な解決を図っていくのかということが求められるということがあります。そういう中で、司法制度改革審議会そのものが小さな司法から大きな司法へ、司法の役割を大きくし、法とルールに基づく紛争解決を図っていくことが大事であると言っている。
その脈絡から考えますと、今までの何の工夫もないといいましょうか、一定の工夫は我々も裁判所もしておりましたし、それはやっていたのですが、制度的な工夫をしてこなかった。この21世紀に向けて大きく変容を遂げる雇用社会、その中における個別紛争の増大、それに対して法をいかに適用して迅速・適切に解決するかという裁判の役割。ADRの役割も非常に大きいのですが、最後は国民一人一人に裁判を受ける権利がありまして、法の実現を求める権利があるわけで、重い軽いにかかわらず基本的には裁判を受ける権利が保障されなければいけないということは間違いないと思います。
そうしますと、少なくとも今3,000件になる、それが5,000件になる、1万件台になる可能性も十分あり得る。私はイギリスやドイツのように何十万件になるとは思いませんし、そうなってほしくないとは思います。そうなるかもしれませんが、しかし私は、この10年間で3倍に増えたという訴訟領域はほかに知らないわけですね。今後5,000件台になるのはそう先の話ではない、そのときに適正・迅速な解決を求めるためには、この今のシステムでいいのかということが問われています。
司法制度改革審議会のメッセージをきちんと受けとめるならば、司法制度改革審議会の労働関係事件に対するメッセージは、労働関係訴訟が急増している、これを大幅に上回る相談件数が来ている、そしてこれに対する総合的な対応を強化しなければいけない。そのための1つのモデルとしてヨーロッパ諸国では労働参審制を含む特別の紛争解決機能・手続を採用して、実際に相当の機能を果たしている。こういうメッセージを出し、そして早急に検討すべきだと、この検討をゆだねているわけです。我々は、まさに労働訴訟の実務に携わる者として、あるいは労使の直接の最高責任者もいらっしゃいますが、これに応えて歴史的あるいは国際的な基軸を踏まえた上で、現状でいいのか、改革すべきなのかということを議論すべきではないかと思います。
先ほど矢野委員が、ドイツではADRはない、どんな事件でも労働裁判に来ると言われましたが、ドイツの企業内の紛争解決システムは制度的、法制度的に非常に整備されておりまして、従業員代表組織があり、そこで協議義務があって、これは何回も言っておりますが、そういう手続の中で企業内解決が大きな機能を果たしています。そこで解決できないものが裁判にいくシステムになっています。これはイギリスも同じようなシステムで、フランスもそうです。ですから、ADRが発達していないところといっても、企業内の紛争解決システムが法制度的にも実体的にも大きな機能を果たしています。それは非常に重要な点だと思います。企業内の紛争解決機能と企業外の紛争解決機能の有機的な連携は、我々の今後の大きなテーマだと思いますが、その辺が外国の制度に学ぶべきだろうと思います。
そういう意味でちょっとマクロ的な視点からお話しいたしましたが、今まで何回も言い続けてきた点でありますが、やはり改革の必要性の問題で、その辺の基本的な認識を共通にできないかなというのが私の考えです。
○ 山川委員 参与委員と参審員と労働委員会における労使委員のそれぞれの役割という作用の面のお話もでましたので、多少論点を整理してみたいと思いますが、参与の場合にしろ参審の場合にしろ、あるいは調停でもそうかと思いますけれども、一体具体的にどういうことをするのかということを考える必要があるのではないかと思います。評決権がある、あるいは合議に参与するといっても、一体どういう評決をするのか。これはドイツやイギリスの和解弁論や法廷は見たことがあるのですが、実際の合議なり評決のプロセスまでは見たことがありませんので、もし機会があればその辺は知りたいところなのですが、一般にはそれぞれの主張を法的に整理して適用する法律関係の整理をして、それから争いがあるかないかを決めて、証拠調べをして事実認定をしていく。労働事件の場合は一般条項の適用の際に重要な事実を特にピックアップしていく。そういう作用が出てくると思うのですが、そういうプロセスの中で具体的にどういう関与をするのか。
最も大雑把というか一般的な関与としては、結論がいいか悪いかとか、結論について意見を述べたり、あるいは評決を行うことは最も抽象的あるいは一般的な関与の仕方としてはあるかと思いますが、アメリカの陪審でも、ジェネラル・バーディクトのほかに、スペシャル・バーディクトという、争点と決めた上でそれぞれについて評決をしてもらう制度もありますし、また、意見陳述でもそれと同じようなことがありうるかもしれません。そのように総合判断の場面で関与する場合と、個別の判断を特定して関与する場合とがあり、認定に関与する場合でも個々の争点を明確にして関与する場合もあり得るかと思います。
もう一つは、具体的な証拠調べの段階で、例えば労働委員会でもそうですけれども、発問をするような形で関与することもあろうかと思いますので、参審・参与にしても、それ以外にしても、現実的に一体どういうことをするのか。その中で問題があれば、その問題をなくすようなプロセスを探っていくということになるのかなと思います。
これは調停でも同じではないかと思います。家事調停のような一般条項の判断で済むものでしたら、それほど細かな作用の区別は要らないのですが、労働調停を導入すると法令の適用がかなりの要素を占めるかと思いますので、そうすると調停委員は一体どういうことをするのか、ある程度の法的知識も要ると、先ほど矢野委員のアンケートにも出てきましたけれども、その場合に要求される資質ともかかわりがありますので、どういう結論を見出すにしても、そのあたりをクリアにする必要があるのかなと思っています。
○ 鵜飼委員 実務家として労働委員会の参与を労働者側から見てきた感想では、和解では相当大きな役割を果たしているというのは一般共通の評価ですけれども、調査審問においては審査委員長、公益委員の許可のもとで関与するということだろうと思います。あれは関与できるということでしたかね……。欠席されるケースも多いのですが、ほとんど関与されていますし、質問する場合は審査委員長の許可を受けて質問する。証人調べなどでは質問されるケースもありますが、その機会を見かけることは少ないと思います。合議への参与はされていないわけで、その場合に意見を開陳する制度になっています。
非常に熱心な参与委員の場合は毎回必ず出席されて、記録も十分読まれて、その上で臨んでいらっしゃいますし、非常に適切な質問をされることはありますが、一方でそうでない参与委員もかなりいらっしゃるわけです。ですから、参審と参与の大きな違いは、自ら判断者として関与するのかそうでないのかという点にあるのではないかと私自身は思っています。自分で事件について事実を評価し判断しなければいけない立場で関与する場合と、そうでない場合、温度差というか熱意の差が出てくるのではないかと思います。もちろん参与制度も熱意を持って関与するインセンティブを制度的に与えることができればいいのでしょうけれども。
したがって、できれば制度設計として望ましいのは参審だと思います。判断者として責任を持って自ら事実を認定し、判断するという責任感を持って関与していく。そして、その場合は証人調べの関与は当然必要ですし、合議への関与は非常に重要な役割を持つものではないか。そういう意味では日本の労働委員会の参与はそういうインセンティブを与えるような制度設計にはなっていないのではないかと思います。
○ 春日委員 調停の話も出たので、これが参考になるかどうかはわかりませんが、率直に言うと、家事調停と民事調停とに分けて、双方ともに事件によってかなり違うと思います。例えば家事調停で遺産分割というと相当細かく資料も出してもらって調べるし、こちらでも細かく聞く。ところが、例えば離婚調停あるいは夫婦関係調整ということになると、これは特別な資料が出てくるというわけでもないし、当事者の意向を十分聞く程度になってしまう。民事調停も事件によって相当違うので、例えば所有権の範囲確認ということになると、相当細かく図面や過去の資料も出してもらわなければいけませんし、率直に言うとそういう事件は大変になって、したがって調停委員の関与の仕方も突っ込んだところまでやる。しかしそうではないもの、適切かどうかはわかりませんが、例えば車同士が衝突して物損といって双方が保険に入っているときに、過失割合を決めるときには双方にいろいろな資料は出してもらうけれども、最後に必ずしも明確でない部分は残ってしまい、ある程度は双方譲ってもらうということで、その部分について事実認定はそう深くはしないという結果になるので、事件によってかなり違うような気がするんですね。ですから何とも言えないというのが結論で、あまり参考にならないというのはそういう趣旨なのですが、元へ戻って参審・参与の区別は当然必要だと思うんですね。それは、参審の場合は判断権限も含めて、しかし参与の場合にはそこまでは含まない。それ以上先に、どの程度参審・参与について区別してここで議論するかはかなり難しい問題かなと思うので、私も判断がつきかねるのと、現在、労働事件について特に参審・参与の制度はもちろんないわけで、そういう段階であまり厳密に区別して考えることが生産的なのかなという気もいたします。しかし、原則は参審・参与の区別は必要なのだろうと思います。
もう一つは、今の話とは別なのですが、先ほど来から比較法の議論が相当出ておりますので、これは私の印象だけなのですが、我々も比較法というか外国法制を例に出して、自分の有利に援用するということはしばしばあるのですが、問題は比較法の議論はある種の限界があるような気がいたします。これは若干揚げ足取りなのですけれども、村上先生の参審・参与の積極的評価があるというお話だったのですが、逆に、一昨年の民訴学会でのシンポジウムでは、ドイツのボン大学のシルケン教授に来てもらってやったときには労働参審についても、極端な表現をするとマイナーな評価をしているので、比較法の議論は1つの参考例としては非常に意義があると思うんですけれども、それが我が国の制度をつくるというときに決定的な理由になるかというと必ずしもならないような気がいたします。ですから、外国法制あるいは比較法の議論は参考例としては十分尊重すべきだと思うけれど、しかしそれ以上のものでもそれ以下のものでもないような気がしています。これは感想ですけれども。
○ 村中委員 比較法の話は春日委員が言われたように、まさにそのとおりだろうと私も思います。ドイツがどうなっているからこうすべきだとか、イギリスがどうだからこうすべきという議論はすべきではないということで、参考にする程度だと思うんですけれども、考えなければいけないのは、日本でこういう労働裁判の改革がなぜ必要なのかということを常に機軸に置いて考える必要があって、それは何度もお話ししてきたところなので繰り返しませんけれども、一方で最近の労働立法は、行政的な介入というよりもむしろ民事的な効果を中心に形成されていて、……雇用機会均等法などが出てくるのではないかと思います。そうしますと、それに対応して司法というものがしっかり使いやすくなっていないと、これは法律をつくっても意味がないということになるわけですね。
今の裁判所の判決のどこに問題があるのかということは前回議論になっていて、判決の内容は、労働事件の判決だからといってそれがおかしいとかそういうことはないでしょうという話で、ほかのものに比べてそれが劣っているというわけではないのでしょうという話をしたのですけれども、今の労働裁判の一番の問題点は、みんなが非常に使いにくい、特にユーザーである労働者側が使いにくいと思っているところであって、これは労働者側の意識の持ち方が間違っているのだと言えば、それはそれでおしまいなのかもしれませんが、お金がかかるとか、何となく怖いとか、そこへ行ったら何をされるかわからないとかそういう意識まである。それを何とかして、国民が使いやすいものをつくらないといけない。
そういう意味で言いますと労働調停は、矢野委員が強調されますように、非常に使いやすいものにすることは積極的に評価されてよいと思うのですが、しかし鵜飼委員も何度も強調されているように、労働調停のバックに裁判というものがあって、裁判でしっかりと結論が出してもらえる、だから調停がきいてくるのだという視点は忘れるべきではなくて、そのために労働裁判の使い勝手がいいということが前提にないと、その調停も結局うまく機能しない。そうなったときに、労働裁判が国民、労働者にとって「ここは行ってもいい」という形にしてくれていないと困る。参審・参与がどういう形になるのがいいのかはなかなか難しいですけれども、そういう視点も議論するときには考えなければいけないと考えております。
○ 山口委員 裁判が使いにくいという印象を持たれているのは必ずしも労働事件だけではないような気もするので、むしろ民事裁判一般の使い勝手といいますか、使いやすさももう少し考える必要があるのかなという気はします。
それはそれとしまして、私も個人的に考えていることは、最近のこういう議論を聞きながら、将来的に日本の民事裁判がどうなっていくかということについて、マクロ的な視点は持たなければいけないというのは、鵜飼委員の言われるとおりだろうと思っています。
民事裁判が今後どうなっていくかについては、今までのように職業裁判官がそのまま関与するやり方と、将来的には陪審員のような形で動いていくという考え方と、あるいは専門家を関与させるやり方と、私の思いついたもので3つぐらいあり得るとは思うのですが、今のように社会の流動化が激しい状況が続いていて、しかもそれが短期間に変化が続いているという状況から考えると、日々の知識の補充は、少なくとも今のままの体制をやっていった限りにおいては十分対応できないのではなかろうかと個人的には思っています。したがって、職業裁判官でずっと今後もという形でいいのかどうかについては、私もいささかどうかなと思っておりますが、他方の極として、仮に陪審員をとった場合、少なくとも日本の現状では、その予測可能性あるいは公平性ということからして相当批判もある。そうなると、選択肢としては職業裁判官に足りないような専門的な知識経験を付与させて考えるという裁判制度は十分あり得るのだろうと思っています。
そういう観点から考えると、少なくとも民事訴訟法で専門委員という制度ができているわけですから、そういう制度を活用して職業裁判官に足りない専門的知識を付与して、より充実した裁判をつくっていくことが、少なくとも当面の策としては十分実効性のあり得る策になるだろうと思います。専門委員制度はまだ使われていないのでどうなっていくかわかりませんけれども、少なくともその実績を見ていく必要があるのではないか。それで本当に職業裁判官プラス専門家ということを考える場合に足りないのかどうかを見ていく必要があるのではないかと思っています。
ただ、将来的にはそういう実績があり、それから労働調停である程度労使が入った形でやるような経験を積んでいくことができるのであれば、その中立公平性、あるいはおっしゃられているような知識経験を労働事件の場に活用することは、将来的にはあってもいいとは思うのですけれども、少なくとも現状を前提とする限りは、仮に参審制度を考えてみた場合は、鵜飼委員も言われているように、事実を認定し、法を適用するということが評決権を有する参審裁判官に求められるわけですから、それはそれなりの人、それなりの能力が必要になってくるわけです。果たしてそういう方がどの程度おられるかという現実問題も考えなければいけない。そういう意味で言っても、参審あるいは参与についてはまだ考えなければいけない要素が多いのではなかろうかと思います。
○ 髙木委員 山口委員が専門委員制度のことについて触れられまして、これは私のイメージですが、例えば医療過誤だとか建築瑕疵だとか、その種の類型の事件にいわゆる専門的知見に基づく御判断というか分析内容を裁判官にお伝えする。その種のイメージで私は専門委員制度を受けとめていまして、そういう意味では労働事件の専門性とそういう事件の専門性に関する議論がいろいろありましたけれど、専門委員制度というのはどうも労働事件にフィットしやすい仕組みとは思えない、これは私の印象でございます。
後のほうで山口委員が言われたのですが、資料116-2の3ページの「制度上の論点について」の7の(2)、例えば「心証形成のトレーニングの経験のない者が関与して、正しい事実認定が可能か疑問である」という書き方があります。「心証形成のトレーニング」というのは何を意味するのか、要件事実やら何やら仕分けしてどうこうというお話なのか、心証形成の中でも大きな判断の物差しになるべきそれぞれの労働現場の労使慣行なり、労働にかかわる知識経験なり、そういうものがなくて心証形成など逆にできるわけがないじゃないかという、その議論の両面がこの部分には、我々の議論にあるわけだろうと思うのですが。
そういう意味で事実の認定と事実の評価の問題ということで考えていけば、例えば裁判員制度、こういう論理でどう説明されるのか。裁判員制度なり刑事司法の検討会ではどういう形でお入れになるかという議論をされている真っ最中だと承知しておりますが、こういうことができないからといったら、もう裁判員制度を頭から否定しているのと同じだというふうに申し上げても、私はそう言われてもしようがないのではないかと思います。そういう意味でこういう御意見があってそれをそのまま書かれることは、事実だからしようがないにしても、こういう御意見がよってきたる背景等を、今回の司法制度改革のコンセプトなり理念というものがどこで整合するのかということについて申し上げておかなければいけないと思います。
その欄に「勘、感覚」と、これは経営法曹会議の文章からおとりになったのだろうと思いますが、誰か勘やら経験でやったらいいということを言った人がこのメンバーの中でいるのか、勘や経験でやったらいいなどということを誰も言っていないと私は思っているのですが、これは御意見だからということになれば、それはそれで「そうですか」としか申し上げるしかありませんが、ここに例えば「全人格的な判断」という言葉を使って、「全人格的な」というのはどういう意味か。全人格的というのはよく使われる言葉ではあるように思いますけれども、その辺を整理された事務局の方にお尋ねしたい。
その次の「○」の、「判定的な解決を図る裁判の場で、労働関係の利害調整を行う調整力を導入する必要はない」と、労働参審制というのは調整力のために入れましょうという提案をしているわけではないと私は思っております。和解という過程が参審制には、例えばドイツでは入っておりますし、イギリスもACASとの関係で言えばそういう部分があることは否定しませんが、あくまで最終的な判断を裁判に求めるという、その仕組みの1つとして労働参審制という裁判の仕組みを入れてくださいという議論をしているのでありまして、調整力を導入するためにこの議論をしているのだという認識は、私にはございません。
その次の「法的な判断は裁判官が行うべきである」。法的な判断というのは、一番プロは裁判官でしょうが、ここで言う「法的な判断」は、要は何を判断することなのでしょうか。法律のプロである裁判官の皆さんに果たしていただくべき役割と、参審員の知識なり経験というものを分野別に発揮する役割をいかにうまくコーディネートさせるか。そういう意味で互いに持っている長所あるいは得意な面を発揮し合い、相互間をどうしていくかという仕組みを議論しているのだろうと思います。この「法的な判断は裁判官が行うべきである」という、これも先ほどの裁判員制度ではプロとアマチュアが協働して訴訟の全工程を一緒になってやっていきましょうということで、その具体的な手続論、方法論を今詰めておられるのだろうと思いますが、そういう意味で言うこの辺の書きぶりは、どなたの御意見がどうだったか、これだけを見たら意味がよくわからない。
とりあえずここまでにしておきます。
○ 菅野座長 時間も大体真ん中にきたので、休憩をとってからでよろしいですか。
それでは10分間休憩させていただきます。
(休 憩)
○ 菅野座長 それでは再開いたします。4時頃まで専門家の関与する裁判制度の問題をやりまして、4時頃から労働調停の議論をしたいと思います。
それでは、鵜飼委員、どうぞ。
○ 鵜飼委員 山口委員の御発言は、難しい労働裁判を担当されている経験のある裁判官の御発言として非常に重く受けとめさせていただきました。やはり職業裁判官だけで行うのは無理が出てくるというのは、私も率直にそう思いますし、余りにも職業裁判官にその責任を負わせるのは、将来の制度設計としては問題ではないかと思います。労働事件において専門委員的な者の関与ということになりますと、専門委員は審議会での議論でありましたように、科学技術的な知見、本来は裁判所にはなかなか習得しにくいようなものを、現在は鑑定制度があったり、専門調停制度があったり、調査官制度があったりしているわけですが、そういうものではない形で新しい制度を設けて補強していこうということだろうと思いますが、私は労働事件について専門委員的なものを設けるとすれば、そういうスポット的なものではなくて、プロセスとして関与することになるだろうと思いますし、もちろんそれは1人だけではなくて労使ということになるだろうと思います。労働側・使用者側のそれぞれの立場から、「協働」という言葉がありますが、職業裁判官とともに、職業裁判官に不足する知見を補いながら適正・迅速な解決を図っていくシステムになるのではないかと思います。その辺の制度設計は、これからコンセンサスづくりのために私自身も考えていきたいと思います。
今、雇用社会、企業社会は大きな変革期にありまして、これは多分、それほど問題意識の違いはないのではないかと思います。グローバル化とか情報化の中で日本型の雇用システムそのものが大きく変容を遂げざるを得ない。そういう中で非正規労働者の数が3割を超えるということもありまして、2回ぐらい前に御紹介いたしましたけれども、うつ病を初めとする心の病を抱えている相談者の数が全体の中で相当の割合を占めつつあります。これは、ある意味では非常に危機的な状況ではないかと思います。労政事務所に聞きますと、昭和61年に中央労政事務所で「心の相談室」を設けまして、平成3年に立川労政事務所でも設けて、専門家配置でやっておりますけれども、それ以外の労政事務所でのメンタルヘルス的な問題のある相談を含めた相談件数を見ますと、平成8年が294件だったのが平成13年は822件と非常に増えています。それほど雇用社会の中では競争が前面に出ておりまして、同僚関係、上司の関係、そして正規労働者と非正規労働者の関係が、お互いに円滑にいくような状況ではなくなってきている。そういう状況の中で、よりよい人間関係、よりよい法とルールに基づく問題の処理が図られなければいけない。
そういう意味で私は、そこに法とルールが定着していくような、生かしていけるような制度的な仕組み、これは企業内の仕組みもそうですし、企業外の仕組みが必要になってくるのではないかと思います。
現状の裁判に対しての見方の問題ですが、先ほどマクロ的な視点のお話をいたしました。実際の労働裁判について定量的に分析した資料はなかなかないわけですが、山川先生も共編者の1人である「解雇法制を考える」という本、これは何回か前に私も御紹介させていただきました。これは法学者と経済学者がお互いに協力して解雇法制の在り方を検討する、非常に参考になる文献です。解雇法制が主たるテーマですから、労働裁判そのものは直接対象になっておりませんけれども、私は非常に参考になると思います。
ほかにも参考になる論文があるのですが、そこで経済学の大竹文雄先生が整理解雇の実証分析をなさっています。結論だけ言いますと、判決の不確実性が論証されておりまして、1945年から1997年までの整理解雇の判例について、裁判所の判断基準が時期によって大きく変動している。終戦直後は有効の判決が多いのですが、70年代、80年代は有効の判決が50%前後、90年代後半になりますと有効は30%、2000年代になりますと逆に有効が70%。そういう意味では経済的な状況が判例に反映しているということにもなるかもしれませんが、判断基準が時期によって大きく変動していることが1つの実証的なデータとして出ております。
もう一つは、整理解雇事件の発生から判決までの日数が非常に長くかかっていることも出ておりまして、平均が1,234日、中位日数721日。最近は裁判所の御努力で短くなっておりますが、2000年で530日。検討会で出てきた資料としては、人証調べが行われた事件では21.2カ月というデータが出ていますが、やはり2年近く、1年以上の期間がある。そこで大竹先生は、多くの労働者は耐えられないと言われていますが、これが高裁、最高裁までいくということになると何年もかかりますので、予測可能性がなかなかないことと、時間がかかる点は大きな問題ではないかと思います。
もう一つは地域差が指摘されております。1999年から2000年の東京地裁で従来の判例、整理解雇の基準を大きく変えるような多くの判決が出されましたが、それが指摘されているばかりでなく、地域別の解雇有効判決率が10件以上の地裁のケースで出ております。東京地裁は70.31%、大阪地裁はこれと対照をなしており21.62%、全国平均が49.81%です。そういう意味では結論としては、期間的地域的な不確実性が指摘されています。もちろん母数自体が、整理解雇の事件数自体250件ぐらいで、サンプルの数は少ないことが日本の労働裁判の1つの問題ですけれども、今後、雇用社会の大きな変革の中で労働裁判の件数が、この10年間で3倍に増え、さらにそれが5,000件などになっていくときに、そういう不確実性は労使双方にとって大きな負担をもたらします。
これは常木淳という先生が同じ「解雇法制を考える」の別の論文で指摘していますが、整合性を欠いた司法判断は労使双方にとって紛争のコストの拡大をもたらし、大きな社会的な費用になる。法の公平な運用がこの点から問題だと指摘されています。司法判断の予測可能性を高めるために、一方では解雇ルールの制度化が必要ですし、一方では裁判を利用する間口を広げていくと同時に、裁判の判断を予測可能なものになっていくという制度的な手当が必要だということになろうと思います。
私は、解雇事件についての実証的な分析は非常に大事だと思いますけれども、労働条件の変更について言うと、さらに不確実性といいますか、予測可能性は実務家としてほとんどないに等しいわけでありまして、実際に蓋をあけてみないと結論がわからないというのが現在の判例の状況だと思います。最高裁の判例でも十数件ある中で、地裁、高裁、最高裁が一致したケースは1件しかないという意味では、本当に変転極まりない状況がありますので、こういう労働裁判、ルールメイキングという役割から言いましても、予測可能な裁判制度にするためにも、特に今、変革期にありますので、そういう中で制度的な手当として、判断に労使の実情を反映させていくことがますます問われると思います。
労働裁判の現状でもう一つ、それぞれ個々の判決、決定についてどう分析するかという問題があります。これは何回か前に石嵜委員が、個人的には労働裁判の現状に対しては不信感が募っているという趣旨のことをおっしゃいましたし、私は個人的には同じような感想を持っておりますけれども、他方現実に労働裁判の担当裁判官が非常に真面目に熱心にやっていらっしゃることについては、私も全く否定するものではありません。しかし、これだけ多くの紛争が出てきて迅速な解決が問われている時代には、今までと同じようなシステムではいけないのではないかというのが、労使を問わず多くの実務家が本当は思っているののではないかと思います。それを具体的なアンケートとして出せるかという点になると私はなかなか難しいのですけれども、現実に担当する裁判官が労使の実情を本当に知っていらっしゃらないという点は常に痛感するわけで、労働法なり判例法はそれなりに勉強されて一定の水準にあるとは思いますけれども、1つの事件が企業社会の中でどういうメカニズム、どういう状況で発生し、そしてどういう解決が望ましいのか。あるいは合理性があるかないかという判断自身も、こういう雇用社会を前提にして判断しなければいけない。そういうときに、私たちとしては担当裁判官に一から説明せざるを得ない。あるいはもし理解していただけなければ、理解してもらうための証拠とか人証を申請しなければいけない。こういうことがあって、我々実務家としてはどうしても裁判に慎重にならざるを得ない点があります。そういう意味では、担当裁判官がより専門性を強化していただくことも非常に大事だと思いますが、一方で、労使の実情を判断者の側に補強することが必要だと思います。
数回前に山口委員が、具体的を事件を分析したらどうかとおっしゃいました。確かにそれは1つの案だと思います。ただ、一件の記録はかなり膨大なものでして、お互いの主張と書証と証人調べがされていて膨大な記録となります。そしてどういう事件をどうセレクトするかという問題もありますので、私はぜひ労使の実務家、場合によっては裁判官、研究者が幾つかの事件をどういうプロセスでどういう判断に至ったのかということを検証することは非常に意義があると思いますが、ちょっと時間的にとても間に合わないだろうと思います。
問題点ありとの声は、特に利用者側、提訴側の99%が労働側ですから、これはある意味では充満しておりまして、メールとか私のところにもいろいろな資料が来るわけです。一つ一つを紹介するのはどうかなと思っているのですが、パブリック・コメントをやって いただければ現状の労働裁判に対して労働側の不満はかなり受けとめていただけるのではないかと思います。
例えば、最近は一般に公開されたものとしては、岩波書店の「世界」に島本慈子さんが「解雇」という連載記事を載せておりますが、そこに具体的な解雇のそれぞれのケースについて、特に労働側が考えている疑問、問題点が生々しく出されていると思います。具体的なケースでも一々挙げるのも時間がかかって、また言っても、それは客観性がないではないかと言われかねませんけれども、例えば陳述書の見方にしましても、これは賃金差別の事件ですが、上司あるいは同僚の書いた陳述書は基本的に部下あるいは同僚である労働者を悪く言うはずはないという趣旨の判断があります。これは労働者側にとっては非常に不評な判断ですが、こういう判決が事実あるわけです。私の経験則としては、一般の正常な労使関係の中では、上司が部下に対して、あるいは同僚が同じ同僚に対して、ことさら真実を偽って低く評価することは、経験則としては通常はあり得ないと思いますが、非正常的な、紛争状態になったときに一体どうなのか。こういう経験則も一方であるわけで、その辺はかなり問題だろうと思います。
ほかにもいろいろありますけれども、特に現状の労働裁判に対する問題点は特に提訴側、生活の基盤を喪失して、その重みに耐えながら提訴し、裁判を遂行する側の声をぜひ聞いていただきたい。これは以前の労政事務所のアンケート調査にもありましたように、やはり裁判は時間がかかる、コストがかかる、アクセスが困難である、そして見通しが立たないというので躊躇せざるを得ないということがありますので、現状の労働裁判は手放しで受け入れているわけではない、むしろその逆なのだということを御理解いただきたいと思います。
○ 石嵜委員 私個人の労働裁判の現在の判決に対する感想は、前回も申し上げましたし、鵜飼委員がおっしゃるとおりですけれども、ただ、それでは使用者側の弁護士、経営法曹で中心的に労働事件をやっておられる先生方を含めてみんなそうかというとそれは違って、逆に経営法曹で労働事件を多数やっておられる先生方は、裁判所の判決に対しては信頼性をお持ちの方が多い。これは私が一緒に議論して感じているということだけは申し上げておきます。
○ 春日委員 議論が出尽くしたのかどうかわからないのですけれども、また、この表で積極論と消極論と呼ぶのが正しいのかどうかわかりませんけれども、仮に積極論と消極論と呼ぶとすると、積極論の側の主張としては、民訴の専門委員の活用や労使双方が労働調停に関与するものだけでは不十分ということだと思います。他方で消極論の方の主張としては、参審員という形で労働裁判で事実認定や法的判断のすべてにかかわっていくという点については、裁判の中立性や公平性、手続保障、透明性等の問題で異論があるのではないか。私としては双方でこうおっしゃっているように理解するのですが、それはそれで双方ごもっともだと思う点が多々あります。そして、前回と今回で2回、それから1巡目でも相当議論されていて、それぞれの主張は双方とも十分理解できるのですけれども、このままこれで、どちらかだというようなオール・オア・ナッシングの議論をしていくと多分、現状のままでは司法制度改革審議会での労働調停の充実というところは形としては出るけれども、しかし労働裁判の領域については、およそ形になるものとか、この委員会で何かまとめ上げるというものは出てこない可能性がかなりあるのではないか。私は今までの議論を伺ってちょっと心配しているわけです。
参審員とか参与員のこの問題についての議論は非常に深まっていると思うので、この議論の深まったところを土台にして、もう少し前向きな議論にしていただけないものか。あるいは分析だけしてそれで終わりというのでは、もったいないと思います。後のスケジュールとも関係するのですけれども、結局予定では中間取りまとめで意見照会もする、それからタイムリミットもかなりきている。ですから、ここでオール・オア・ナッシングという発想を少し脱皮してみて、もうちょっと何らかの方向性を……双方妥協してほしいというわけではないのですけれども、ある種の中間的というか、むしろ双方の積極的な面を取り上げて、そういうもので何らかの手続のようなものは考えられないのか。あるいはそういうことについての議論をここでやるかやらないかというか、私はやるべきだと思っているのですが、そういう議論があった方がいいような気がするんですね。
これは全くの大雑把な話ですけれども、双方の主張を別々に踏まえた手続を何か工夫したらいいということになれば、従来の議論で言うと結局、訴訟で参審・参与を関与させるか、あるいは調停だけでいくかという2つの両極端の議論をしているわけですけれども、訴訟と非訟の中間のようなものとか、あるいはどこかで、技術的な問題はさておいて、この辺で1つの何らかのまとまったものを出そうという方向性がないのかどうか。そのあたりについて、皆さんの御意見をむしろ伺いたい。私は、これから中間取りまとめもやって意見照会するのだから、その土台になるものはここでつくって、それで意見照会なりしないと、意見照会された側も意見の出しようがないと思うので、何かある種のものをここで、時間的にも恐らくあまりないと思うのですけれども、そういう方向で努力したらどうかというのが私の意見です。
○ 鵜飼委員 私もタイムリミットを常に念頭に置きながら議論しなければいけないと思いますし、対立のままではなくて、何らかの具体的な成果を出すべきだと思います。ただ、現在の意見の対立が乗り越えられないものかどうか。コンセンサスが可能な部分もあるのではないかと思うものですから、できるところまで議論してコンセンサスづくりをまずしたいと思います。非常に貴重なせっかくのチャンスなものですから。
そういう意味で春日委員もキャリア裁判官にプラス、例えば労使の実情を知っている専門的知識を入れることの有用性自体は肯定されておりますし、先ほど山口委員も、職業裁判官だけでなくてそういう人が関与することも必要だとおっしゃっています。そういう点での共通認識はかなり深まってきたのではないかと思います。比較法的考察は確かに限界があるのは当然のことですけれども、例えば公平中立性が疑問あり、検証されない、リスクが大き過ぎるという御議論、その他のいろいろな御議論については、私は実際に何百例もやっているところは一体どうなのか。実際の運用ではどういう問題があって、それをどうクリアしているのか。その辺は率直に我々が持っている疑問なり危惧を提示して、その辺の回答を聞いて、その上で我々は考えればいいわけでありまして、今まで労働参審制について本当に徹底的に、実証的な面を含めた検討なり議論がされてこなかったところがあると思いますので、そういう意味ではまだ議論を進める必要があるのではないかと思います。
公平中立性が消極論の方の一番大きな理由だと思いますが、外国の法制も公平中立でなくていいという制度設計ではないはずで、まさに裁判の根幹、裁判制度の根幹が公平中立性にあるとするならば、外国の陪審制度や参審制は一体どういう制度設計で工夫をしているのかということがあります。私は、イギリス等を見させてもらった上で率直に思いますが、きちんとした制度設計をし、労使の参審員、裁判官が中立公平性をきちんと自らの規範としてうたう、確立するということであれば、日本の労使が公平中立に裁判に関与できないはずはないと思います。現実に日本にそういう制度がないから実証されていないとか、あるいはリスクがあるということになるわけですが、それはそういう制度の中で、まさに日本の労使はそういう土壌があるわけで、企業の中で対立しながらも、昭和20年、30年の対立関係を乗り越えて共通の企業内ルール等に基づいた紛争の解決とか処理をしてきたという伝統があるわけです。それを国のシステムにしていこうということで、公平中立性は、諸外国ができて日本の労使ができないはずはない。むしろ日本の労使はそういう資質を持っているのではないか。要するにそういう経験がないだけなのではないか。むしろ経験がこれから必要なのではないか。企業の中で競争原理が導入されてきて、日本のよい労使関係がどんどん失われつつある中で、企業を越えた普遍的な法・ルールを企業の中で大事にしていく。そういうものを定着させるためにも諸外国のケースは参考になるのではないか。そして、労使が公益的な立場からお互いに協力し合って、1つの事件を法を適用して解決するという経験は、私は労使にとって非常に大きな意味があるし、社会にとって非常に大きな意味があると思います。
あと、消極的な意見の中で、労使の政治的な対立が裁判に持ち込まれる危険ということをおっしゃっていますけれども、これは私はとても理解できないので、個別紛争で特に政治的対立がどこで出てくるのかわかりませんけれども、これがどういう意味があるのかもしおわかりになれば、石嵜委員から説明していただきたい。我々が考えている労働参審制で、労使が政治的な対立を裁判の場に持ち込むなどということはちょっと考えられません。企業秘密漏洩のおそれも、本来、裁判員として、労働調停でもそうですけれども、調停員として参加するというときに、企業秘密漏洩などということはあってはならないことですし、制度設計をきちんとすれば、十分できると思います。
迅速な裁判に逆行するというのは、私はむしろ逆でありまして、これは先ほどの山口委員のお話にもありましたように、そういう人たちが参加することによって迅速・適正性が確保できるということではないか。民訴手続に対する知識経験が乏しいということは、先ほど私が言いましたように、そもそも労使参審員にそういうことは求められていない。もちろん本当に公平適正な手続がどのようなものかということを学ぶことは必要ですけれども、その専門家ではありません。
勘や感覚は、私は何度も言いましたけれども、まさに民事裁判官のエキスパートの人たちが事実認定は直感的、総合的な判断作用の部分がある、経験則を導入する必要ということをおっしゃっている。これは労使の経験則が導入され、そして補強されることによって適正な判断に帰するということを言っているわけですが、単なるやま勘とか感覚ということではない。
検証できないおそれといいますけれども、これは山口委員が、他の裁判官の御意見をお聞きした上で御発言された第14回の御意見がありますが、この辺とも共通するわけです。労使の経験のある人が裁判官手続に参画することによって、新しい光をあてることによって、新しい観点が引き出されるということは当然あり得ることです。これはキャリア裁判官だけではどうしてもわからない分野は、なるほどこういうことか、こういう点の見方があるのかという視点を出すということは非常に重要なことです。それによって争点が拡大・拡散する可能性とおっしゃったら身も蓋もないわけですが、まさにそういうことによって事実の真相が浮かび上がってくる。それによってより速く事案の真相に接近できるという点がメリットとしてあるわけで、なにも労使が論点を拡散させるために、あるいは遅延させるために関与するわけではないわけです。
判断の段階で2対1に分かれた場合にどうするか。これはまさに合議という、事件の評決の場面では常にそういうことがあり得るわけです。日本の合議事件では、裁判官にお聞きしても2対1は少ないようですけれども、ドイツの参審制のところで裁判官が議論している中で、合議の重要性は、田尾元裁判官とか加藤裁判官などもおっしゃっていますが、合議の重要性は本当に強調されています。1人の裁判官が自らの知見だけで判断するのではなく、例えば労働事件で言うと労使の参審員が関与することによってディスカッションしていく。1つの事実の見方にしても証拠の見方にしても、それを総合した判断にしても、それによって問題が深まり、真相に迫るという積極面、もちろんデメリットはあり得ると思いますが、むしろその積極面を評価すべきではないか。
そういう意味で私は比較法的な手法が限界があることは十分承知の上で、しかし参審制は日本の制度にはありませんから、その意味では例えばドイツ、イギリスの裁判官に来てもらって、率直に言って我々が思っている疑問とか危惧をぶつけて、それに対する意見を聞いてディスカッションする。その中でそれが果たして参考になるかどうかという場をぜひ設けていただきたいと思っています。推進本部からはそれはなかなか難しいようなので、日本弁護士連合会でぜひ企画させていただいて、ただし人選につきまして日弁連で偏頗な人選をすると言われても困りますので、誰から見ても中立的と思われるような人選を何とかして、我々が持っている率直な疑問や危惧をぶつけて議論して、そこで我々が言ったような危惧をどうクリアしているのか、果たしてそういう危惧かあるのかどうか、プラス面とマイナス面はどういうところにあるかということを率直にディスカッションする場を設けていただきたい。日弁連でもそういう企画をしておりますので、それが具体化いたしましたらまた報告したいと思います。
○ 菅野座長 4時ぐらいまでにこの議論を大体終えて、労働調停の方も議論していただきたいところがあるので、これが第2ラウンドの最後の方になってきているので、私としては、春日委員が言われたように今後どういうふうに議論したらいいかということでもし御意見があれば、その点を優先させて御意見をいただければありがたいのですが。
○ 矢野委員 いろいろな可能性について議論することには賛成です。その場合に、参審制が片方の端っこにあって、もう一つの端に何があるのかということです。これは現状だと思うんですね。労働調停でもなくて、新しく導入される専門委員でもない。それと参審制ではなくて、現状と参審制が比較されるべき両極端なのだと思うんですね。ですから、現状に対して、これは裁判ではないにしても、労働調停制度が設けられて、専門委員制度が新たに設けられるわけですから、私はそこにかなり大きな変革が行われようとしていると見ているわけです。そういう見方で評価して、どういうふうに考えるかということでなければいけないのではないか。
先ほどアンケートを御紹介しましたが、将来の課題として検討すべきテーマではないかと、ある意味ではしばらく様子を見てから、新しい制度が専門委員制度とか労働調停というものが実行されていって、それでもやはりだめなのかということになって、新たにやったらいいのじゃないかという意見が出ているわけですから、そういう意味では参審制は2割ちょっとだし、参与制の場合はもう少し、37%の会社がそういうことを念頭に置いているわけですから、そういうことも1つの判断の基礎にして議論したらいいのではないだろうかと思います。
○ 春日委員 私の発言で誤解があったかもしれないのですが、私は労働調停を他方の極なのだという趣旨で言ったのではなくて、双方あるけれど、要するに発想として、今までの両極端のそれだけの発想では困るという趣旨で申し上げたので、必ずしも労働調停が他方の極にあるという趣旨で発言したのではないということだけ御理解いただきたいと思います。
○ 山川委員 私も、これ以降の議論の方向としては何らかの成果を生み出すような議論ができないかと思っていまして、そういう意味では春日委員の言われた方向に賛成です。その場合に、先ほど申し上げたこととも関係するのですけれども、二極対立構造ではとらえ切れない面があるのではないかと思います。労働調停と専門委員制と現状の制度、また、参審制と参与制があって、例えば1つの軸プラスマイナスで1つの横軸だけではとらえられない面があるのではないかと思いますので、そういう面からも、私自身も必ずしも頭が整理されていないのですけれども、たとえば図に書いたらどうなるかを、事務局の方で何かお考えいただくか、労働調停と現状も視野に入れた上で、今後はどういう制度の位置づけが可能か、そういう中から何か見出せることができるかが課題になりそうです。結果的にいろいろな方向があり得ると思いますが、もう少し、一直線上にいろいろなものが並んでいるというだけではないことをふまえた整理の仕方をした上で議論してはいかがかと、少し抽象的ですけれども思います。
○ 髙木委員 ちょっとがっかりしたのは、現状と労働参審制が対極というのは、矢野委員、それはないですわ。ここまで議論してきておいて、また現状と両方、最初から議論をやり直すということですか。
今回の司法制度改革はどういうことをトータルで求めていこうとしているのか。それが時代の大きな流れの中で、確かに矢野委員の御関係の企業なり団体に聞いたらそういう御返事が多かったということかもしれないけれども、違うところで違う調査をしたらどういう結果が出てくるのかとかそういう話になるから、私どももアンケートをやろうかなと思ったけれどそれをやめたんです、その種の議論に与するのは嫌ですから。
そういう意味では皆さん方に大変失礼な言い方になるかもしれないけれど、何十年に一遍しかこういう話はできないのだろうと思う。今までの日本の司法にかかわられた人たちの来し方も振り返ってみて、そういう中で金輪際だめだというものができるわけがないわけですけれども、できるだけ将来のことも含めて、これは経営側だとか労働者側とかそういうことでもなくて、日本の労使紛争はどういう形で解決されていくのが一番いいのか、ベストまでいかなくてもベターなのかという道を一歩でも探っていくことを目的にして我々は議論しているはずだと思うのですが。
もう余り時間がないからということで中立性の問題とか申し上げたいこともありましたが、それぞれの論点についてどういうところがどうなのだと、この整理はお互いに言いっぱなしになっているところがありますから、例えば「職業裁判官は憲法上の身分・収入保障があるが、非職業裁判官にはそうした保障がなく、中立公正性を担保することができない」と書いてあるけれど、こんなことが本当の論理ですか。確かに憲法上の身分・収入保障がある職業裁判官の方がより強く、いわゆる職業モラルという面も含めて問われるレベルは高いのだろうと思いますが、それでは非職業裁判官にはそうした保障がなくと言ったら、どこかから賂でももらって悪いことをするのかと、そんなことになる話かと。そういう意味では、そもそも中立公正性というのをブレークダウンしたらどういうことになるのですかと。そういう吟味も一つ一つ加えていきながら、これはこういうことなら大体こういう認識を共有できるのじゃないですかというものを詰めていく議論を今我々はしているのじゃないか……ここ1回、2回ですね。
そういう意味では、その次の忌避の問題でも、外国のことをどう捉えるか知りませんが、例えばドイツが労働参審制を長い間やっているけれども、ドイツの参審制で忌避は実態的にどのぐらいあるのか、これはプロの裁判官に対する忌避はないのか。そういうことも含めて客観的に、どちら側というような立場ではなくて、事実をきちんと分析し、また日本ではそれにどう対応したらいいのかという知恵を出していけばいい話だと思います。
関与する者が不意打ち的にどうこうとか、これは合議を前提にして裁判も進められるはずだと思うのですが、釈明権の問題等があるのかもしれませんけれども、批判のための批判をお互いにそれぞれの立場でし合ったという段階に今あるのではないか。それぞれに、こういうことならこの論点についてはこういう認識を共有できますねという詰めた議論が、今の段階でそうできていると思っていないんです。
○ 菅野座長 ほかに会議の進め方についての御希望、御意見があればお聞きしておきたいと思いますが。
○ 山口委員 私が申し上げたのは、必ずしも労働事件特有の話ではなくて、将来的な民事裁判の在り方一般について申し上げたので、その辺は誤解のないようにしておいてほしいんですが、1つは、タイムリミットの関係は確かにあるとは思うんですが、少なくとも今日の段階で議論を聞いても、参審と参与がどういうふうに違っていて、どうしても参審でなければいけないのか、それとも参与でもいいというふうに、入れるほうの側の方は考えているのかとか、その辺がまだ十分詰まっていないような感じもしますし、もう少し詰めてみて、これで難しければ、タイムリミットの関係があるのでそこも考えた方がいいとは思うんですが、5月30日に訴訟手続の関係をやるようになっていますので、ここに今日の議論をずれ込ませた方がいいのではないかと思うのですが。そういう意味でまだ議論し足りないとおっしゃっている方も少なからずおられるようなので、やっていただいてどうするかを決めてもいいのじゃないかなと思っています。
○ 鵜飼委員 山口委員の御意見ですけれども、制度的な手当をしていないところのもう一つの大きな部分は、特別な労働裁判のための労働裁判所もありませんし、労働裁判の手続があるわけではありません。そういう意味でこういう手続の部分は非常に重要なポイントですので、これはぜひ外さないでいただきたいと思いますし、むしろどちらが重いか軽いかというところもあると思いますので。
もう一つ、先ほど日弁連の方の計画を申し上げましたが、どうしても我々が隔靴掻痒といいましょうか、具体的な労働参審が実はないものですから、どういうものかということで参審と参与の区別の問題もありますし、いろいろ出されている反対意見は私も十分わかるので、ある意味で日弁連で考えておりますのは、イギリスとドイツの裁判官をお呼びして率直なディスカッションを通じて、一体各国ではどういう工夫をしてそこをクリアし、どういうプラス面とマイナス面を考えていらっしゃるのか。大量の事件を扱っているわけですから、それは非常に参考になると思いますので、これを抜かして、軽々に結論を急ぐべきではないのではないか。私の方もなるべくそれに合わせて、6月から7月にかけてお呼びして、何とかその機会を設けさせていただきたいと思いますので、ぜひその辺をお願いしたいと思います。
○ 菅野座長 ほかにいかがですか、今後の進め方についての御意見です。
もしなければ、次回は労働事件に固有の訴訟手続に関する第2巡目の議論をしていただくことになっていますが、その最後にまた少しお諮りしたいと思います。いずれにせよ予定では次々回からは第3ラウンドになっておりますので、それをどうしたらいいか、今日の最後の方で述べていただいた議論を参考にして考えて、また次回の最後にでもお諮りしたいと思います。よろしいでしょうか。
それでは、残った時間で労働調停制度についての基本的な点を少し議論していただきたいわけです。労働調停については、本日再配布しております資料113に基づいて一通り議論していただきまして、その際、委員の方々の御意見が分かれた部分が何点かありました。本日は時間も余りありませんので、そのうち最も基本的と言っていいのかもしれませんが、基本的な制度設計に関する部分である「労働調停と一般民事調停との関係」「労働調停の事物管轄」の2点についてさらに御意見をいただきたいと思います。
この点に関して前回の資料を再配布しておりますとともに、事務局に新たな資料も作成していただいていますので、まず事務局から簡単な説明をお願いいたします。
○ 齊藤参事官 労働調停につきましては、前回の検討会で一通り御議論いただいた中で幾つかの点、先ほど御指摘の点につきましては御意見の相違が見られたように思われます。まず1つ目として労働調停と一般民事調停との関係ですが、この点につきましては、労働関係紛争はすべて労働調停の手続によることとし、一般民事調停との選択を認めるべきではないとの御意見と、一般民事調停との選択を認めるべきであるとの御意見がございました。一般民事調停との選択を認めないこととした場合は、労働調停は労働関係の専門家が関与する手続とされておりますので、比較的単純で軽易な紛争についても一律に専門家が関与する手続によることとなろうかと思われますが、それぞれの紛争に適した解決方法についての選択の在り方、あるいは専門家の負担や人材の確保との関係をどのように考えるかといった観点から、さらに御議論を深めていただければと存じます。
2つ目は労働調停の事物管轄についてでございますが、地裁を原則とすべきとの御意見と、簡裁を原則とすべきとの御意見とが大きく分かれていたかと存じます。こちらは、専門家が関与する労働調停におきましては、比較的単純で軽易な紛争だけでなく、比較的複雑な紛争にも対応する必要があるかどうか。あるいは、専門家の人材の確保の在り方、さらには労働調停へのアクセスの在り方といった観点から、先ほどの労働調停と一般民事調停の選択を認めるかどうかという論点とも関連させながら、さらに御議論を深めていただければと存じます。
そのための1つの参考にしていただくべく、資料115を事務局でつくらせていただきました。資料115をごらんいただきたいと思うのですが、これは労働調停がどのような位置づけで制度設計し得るかという関係をイメージとして図示してみたものでございます。
1ページのイメージ①は、労働調停と一般民事調停の選択を認めるとともに、労働調停は原則として地方裁判所で行うとする。このように考えた場合には、比較的複雑な事件が地裁の労働調停で処理し得るのではないか。そして、比較的簡易な事件は簡易裁判所の一般民事調停が活用できる。こういうバランスになるのではないかというイメージでございます。
続きましてイメージ②でございます。こちらは、労働調停と一般民事調停の選択を認めるとともに、労働調停は原則として簡易裁判所で行うこととする場合。このように考えた場合には、比較的簡易な事件は簡易裁判所における労働調停と一般民事調停をそれぞれ選択的に活用できるであろう。ただし、比較的複雑な事件の場合は、地裁での調停が利用できませんので、このような事件は地裁の訴訟の方に主にいくのではないかというイメージでございます。
イメージ③は、労働調停と一般民事調停の選択を認めないこととするとともに、労働調停は原則として地方裁判所で行うこととする考え方です。この場合には、地裁における労働調停に、比較的複雑な事件も調停として扱われていくであろうと考えられます。ただし一方で、比較的簡易な事件の場合に、これがどこで吸収されていくかという難しい問題があるかもしれません。比較的簡易な事件で簡易裁判所の一般民事調停は活用できないことになりますので、地裁での調停にどれだけ流れていくかが問題になろうかと思います。
最後のイメージ④でございますが、労働調停と一般民事調停の選択を認めないこととするとともに、労働調停は原則として簡易裁判所として簡易裁判所で行うこととする考え方です。この場合には、比較的簡易な事件は簡易裁判所の労働調停で十分吸収されると思いますが、比較的複雑な事件が簡易裁判所の労働調停の方に吸収されにくくて、どちらかというと、比較的複雑な事件は地裁の訴訟に吸収されていく傾向があるのではないかというイメージでございます。
これはイメージ図でございますので、論理必然的にこうであるということではありませんが、おおよそのイメージとして参考にしていただければと思います。
以上でございます。
○ 菅野座長 それでは、労働調停と一般民事調停との関係、労働調停の事物管轄、地裁・簡裁いずれのレベルを想定するか、その辺を絡ませて議論していただきたいと思います。
○ 矢野委員 ちょっと質問してよろしいですか。このイメージ図ですけれども、例えば労働調停を原則として地方裁判所にするとか、あるいは原則として簡易裁判所にするといった場合に、例えば原則として地方裁判所といった場合には、簡易裁判所でも労働調停ができるというたてつけですか。逆に、原則として簡易裁判所といった場合には、例外としてということになるのでしょうけれども、地裁でも労働調停ができるという仕掛けなのでしょうか。
もしそうだとすると、先ほどの御説明に当てはまらないケースが出てくるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。もう少しわかりやすく御説明をしていただければ……。
○ 齊藤参事官 事物管轄を対比しやすいように、原則的に簡易裁判所にするか地方裁判所にするかということでイメージ図をつくってみてあります。したがって、このイメージ図は事物管轄としては地裁あるいは簡裁のどちらかに限定するというものではありません。ですから、例えば合意があれば地裁を原則とするけれど、簡裁も可能にするとか、あるいは例外的に地裁原則でありながら簡裁も一定の場合は管轄権がある、そういうイメージではあるのですが、主としてどこを中心に労働調停を運営するかということを考えたときに、比較的簡易な事件、あるいは比較的複雑な事件が主にどういう裁判所に吸収されていくかということを、ある程度大まかに整理してみたイメージです。
○ 石嵜委員 質問も踏まえて、こういう分け方もあるのですけれども、これにどういう構成にするかという問題があると思うんです。もしイメージ①で議論した場合に、ユーザーの方の利用しやすいという意味からは簡裁の方が利用しやすいということがあるけれども、人材の問題も含めて考えて、問題の軽い重いがあるかどうかは別として、軽いものがあるとすれば、軽いものは一般民事を使って簡裁でやる。しかしながら、この調停について何らかの専門的知見を持っている人を1名でも、社会保険労務士でも企業側のOBでも労働側のOBでも入れる形で考えて、その問題に対する対応の準備はしておく。そして労働調停は、原則地方裁判所であれば、労使の代表でも参加させて調停をやるかということもかみ合わせて議論しないと、単にこれだけでは議論できないのではないかと思うんですね。
したがって、今のようにユーザーの利用という意味で、一般民事調停でもきちんと専門委員がついて利用できるという担保があって、かついわゆる複雑な解雇事件について調停でも処理できるようにという形で、地裁に労使の代表を入れた形でのものをつくるというのであれば、これは地裁と簡裁の併用とほとんど変わらなくなりますから、こういう点についてならば私たちは議論は十分できると考えますけれども。その辺で、一般民事調停に任せて民事調停のシステムは今までどおりであるというのであれば、またいろいろな議論が出るのではないかと思いますが。
○ 鵜飼委員 私もかなり近いのですけれども、先ほど山川委員が、横軸で現状と参審制、労働調停などではない別の軸があるのではないかとおっしゃって、それとの絡みで言いますと、審議会の意見書のメッセージは、非常に増える労働事件について雇用・労使関係の知識経験を有する者の関与によって適切・迅速な解決を図るというものです。その1つとして労働調停が実施課題になっているわけですが、そうしますと労働調停は、特にその中でも本訴との連携の強化があります。実際、調停が労働事件で利用できない理由も、もうここで多くは言いませんけれども、判定的な解決機能がバックにないと、特に生活の基盤を奪われた形で訴えを提起せざるを得ない労働者にとってはとても調停では間に合わないということがあります。本案との連携の強化はキーワードになると思います。
したがって私は、労使の関与する労働調停は原則地方裁判所であろう。関与する労使の知見が本案訴訟に生かされるか生かされないかという点も1つの制度設計として工夫すべきところではないだろうか。現在の専門的な調停の中では、調停に代わる決定を通じて専門的な知見が本案の裁判に反映されるとか、そういう仕組みも設けていらっしゃるようですので、労働調停を本当に利用されるものにして審議会の意見書のメッセージを受けとめるのであれば、やはり地裁が原則であろう。それが労使から出た調停委員が調停委員として労働調停を行う。私は本訴との連携を強調したいわけですが、そういう意味では管轄は本訴との関係で言うと地裁がほとんどなものですから、そういう面でも原則は地裁があろうと思います。
○ 菅野座長 ほかにいかがですか。
○ 山口委員 基本的には労働調停で何を取り扱うかなのだと思うのですが、いわゆる解雇という重たい事件を扱うというのであれば、それは地裁の方が原則になるのでしょうけれども、ただ、労働事件あるいは労働事件かどうか微妙な事件もあるわけですし、そういう意味では労働調停と一般民事調停の選択はあった方がいいということになると思うのですが、いずれにせよ、仮に原則として地裁でやることになったとしても、利便性の観点から言えば、簡裁の方がメリットがあるというのは石嵜委員の言われるとおりですから、そこに配置する調停委員をどういう形で増やしていくか、あるいは相互の利用をうまく調整していくかは運用面では必要なことではないかと思います。
○ 菅野座長 事務局で検討していただく上で、この辺は一番基本的なところなのものですから、こうであるべきという御意見があれば述べていただければありがたいのですが。
○ 矢野委員 制度をつくって、こうなりましたと、法律改正なども含めるにしても、国民にPRしていくわけですね、当事者というか企業もそうですし労働組合もそうだし、広くPRしていったときに、「簡易裁判所で今度労働調停ができるようになりました、どうぞそこにいらっしゃってください」と言うのがいいのか、それとも「地方裁判所でやりますから」では、門構えが大分違うんですね。ですから、どちらが本当に皆さんのためにプラスになるのかというのが大事な判断基準ではないかと思うんですね。
議論も今まで出ましたように、ケースが年にあるかないかというところにまで、地方の簡易裁判所に人を置く必要があるかどうかという問題もあるし、そういう時にはそういう時で何か方法を考えるということにして仕組みをつくる。けれども、敷居が高いという話もよく出ますね。どちらが行きやすいのかということを考えた時に、私はA案がいいのではないかということを申し上げてきているのはそういう理由なのですが、簡易裁判所でしかできないということになると、地裁のあるところに住んでいる人はそこへ行って申し込めばできるということも必要ですし、どちらかといえば軽い事件は簡易裁判所で、重い方は地方裁判所ということになるかもしれませんが、それはどこかで仕分けをすればいいので、やりようがあるのではないか。ですから表玄関を地裁にして、簡裁でもできるというのがいいのかどうか、そこは皆さんの御意見を伺いたいと思うんですね。私どもの耳に聞こえてくる意見ですと、簡易裁判所は例えば交通事故にしても借金問題にしても、みんな駆け込みやすいと言われていますので、労働調停もそういうふうにした方が新しい制度としての意味が大きいと思うのですが、そこの議論を深めたいと思いますね。
○ 菅野座長 山口委員が言われたことですけれども、イメージ①で一般民事調停が比較的軽易な労働関係事件について機能し得るようになるかどうかが、かなり重要かなという気がするのですが、そこで構成において工夫がなされているようで、今は使われていないわけですね。それがそうなるかどうか、そういうふうにできるかどうかが1つのポイントかなと思いますが。
○ 村中委員 調停が機能するかどうかという点については、むしろその専門家がいるかということも大事なのですが、特に労働局のあっせん手続がありますね。今日お配りいただいた最後のページに流れ図が描いてあると思いますが、その冒頭に総合労働相談があって、そこでかなり当事者を受けとめているんですね。それがすごく利用しやすいという側面があって、そこからあっせんへ流れていく。そうすると、実際に調停に当たる調停委員の問題と、もう一つ前に最初の事務局といいますか、そこでの対応。そういうものも随分影響するのかなと私は思いますけれども。
○ 石嵜委員 使用者側の弁護士としても、村中先生がおっしゃるように、最初から簡易裁判所に行くかどうかは別としても、使用者側が労働局とか労働基準監督署であっせんを受けたり何か話を聞くというと抵抗感が強いので、使用者側でウンと言わない方が多いと思うんですね。それなら簡易裁判所があるから行ってきてごらんと言えば、「裁判所」とついているとイメージが違うんです。正直なところ悔しい部分が少しあるんですが、実際にそうなので、そういう意味ではアピールの仕方だろうと思うんですけれども、それが徹底すれば、簡易裁判所という「裁判所」がついたところでの話し合い、あっせんの方が、労働局とか今やっている労政事務所よりは使用者側は話し合いに応ずる確率は高くなると思います。これは先ほどから鵜飼委員も思い込みで議論していますね、私の話も思い込みと言われるとそこで終わってしまいますけれども、私はそういうふうに思います。
○ 鵜飼委員 私も思い込みではないと自分自身は思い込んでいるのですが、私たちが相談を受けている人で労働者について言うと、地裁の利用ニーズが高いのじゃないでしょうか。簡裁レベルで言いますと、地方労働局や労政事務所、弁護士会等でも相談とあっせん機能を連結してやっておりますけれども、それと同じようなものができる……簡易裁判所の裁判官は法曹資格を持っていない方もたくさんいらっしゃいますし、特に労働法についての専門的知見はほとんど欠落しているわけです。したがって、たまたま労働事件を担当している弁護士が調停委員にいますと、そちらにお鉢が回ってくるという現実があります。私は対外的なイメージという点から言ってももっと裁判所の敷居を低くしていく、これがまさに司法制度改革の基本的な理念ですから、利用しやすい形になるわけですから、そういう意味ではなぜ労働調停が利用できないかというと、労働法の専門性あるいは労使の実情をきちんと知らないというところでも、調停に出すよりも裁判、本案の裁判なり仮処分というところにいかざるを得ない。そこで落差があるために、それを橋渡しするものが必要ということになりますと、私は地裁が原則だと思います。地裁に労働調停を導入する。
しかしだからと言って石嵜委員、山口委員がおっしゃるように、簡易裁判所の門戸を閉じる必要は全くない。簡易裁判所はもっと専門性を強化していく。労働法、労働事件について、一般の民事調停手続の中の労働事件であれば、専門的な知識経験を持っている人が、例えば労働事件を担当している弁護士が調停委員になったり、あるいは社会保険労務士の方が調停委員になったりということは工夫が必要だと、しかし原則は地方裁判所であろうと私は思います。
○ 菅野座長 こんなところでよろしいでしょうか。大体予定していた時間になりつつあるのですが、もしよろしければ労働調停についてはこのぐらいにしたいと思います。
労働調停の方も専門家の関与する裁判制度の導入の当否と一緒にして、次々回以降、第3巡目の検討で議論を深めていただきたいと思います。次回は5月30日、「労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否について」で第2ラウンドの検討をお願いすることになっておりますが、それについての御希望、あるいはその他の件でも進行についての御希望があればお伺いしておきたいと思います。
この夏までに一定の中間的な議論を取りまとめる予定になっておりまして、その関係でもう1回程度、検討会の期日を追加できたらした方がいいのではないかと思っております。それが可能かどうかお伺いさせていただきたいと思います。
(日程調整)
○ 菅野座長 それでは、7月11日の午前中は今のところ何とか皆様の御都合が合うということで、11日午前は仮押さえにしておいていただいて、また御連絡することにしたいと思います。早急に検討させていただいて御連絡するということで、もう1回の追加は処理したいと思います。
それでは次回の日程について事務局からお願いします。
○ 齊藤参事官 次回は5月30日(金)午前10時から12時30分を予定しておりますので、よろしくお願いします。なお、8月1日は本来予備日として予定していたわけですけれども、情勢としましては、この回も活用させていただくということで開催させていただくこととしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
○ 菅野座長 ほかに御発言はありますでしょうか。ありませんでしたら本日の検討会はこれで終わります。どうもありがとうございました。