雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について、次のような議論がなされた。
○ 裁判に関与する者の中立公正性は、憲法上の身分・収入保障ではなく、良心に従い独立して職権を行使するという憲法の規定を踏まえた倫理や規範意識の存在が担保しているのだと考えられる。裁判員や参審裁判官も職業裁判官と同等の権限を有するのであれば、同様の規範意識が必要である。
労使関係者が裁判に関与する場合、その関与する者に期待されることは、職場における議論や制度の実施についての経験を踏まえて、職業裁判官が持っていなかったり見落としていたりする点を補完することである。そのことが関与する者の中立公正性を阻害することはないと考えられる。例えば、教育改革においても、様々な職業の者が教職に就くようになってきているが、それによって教員の中立公正性が阻害されているということはないのではないか。
また、労働委員会では、紛争の調整的な解決の場面において、労使がそれぞれの立場に立って関与することが求められているのであり、労働参審制における参審裁判官の任務と労働委員会の参与委員の任務とは根本的に異なっている。
○ 裁判官は、収入や身分の保障があって初めて独立性を確保することができるのであり、裁判官の身分保障は裁判官の中立公正性と切り離すことはできない。
確かに労働委員会は集団的紛争を扱うのであって、個別的紛争の場合はまた異なるのかも知れないが、労働委員会の現状にかんがみると、使用者側としては、労使参加を裁判の場に持ち込むことに対する不安はぬぐえない。
○ 参審裁判官の独立性は、職業裁判官のそれとは違いがあると思うが、やはり参審裁判官としての地位を確保し、不利益を被ったり職務遂行を妨害されたりすることのないような制度的保障は必要である。また、参審裁判官には、当然、除斥や忌避の適用がされるべきである。こうした制度的手当を講ずることで中立公正性を担保することができると考える。
一般的に、裁判に関与するのが労使関係者だからといって中立公正性がないとは言えない。諸外国においても、そうした議論はないのではないか。
労働委員会では労使の委員がそれぞれ労使の代表者として参加して紛争の調整的な機能を果たしているが、それでも、労使の参与委員は、労働者委員は労働者側を、使用者委員は使用者側を説得する等して、中立公正に職務を果たしていると思う。
激動する雇用社会において、裁判に労使の経験則を導入することの必要性について共通認識を持つことができれば、中立公正性の問題は乗り越えることができると思う。
○ 労働委員会の参与委員に中立公正性の点で問題があるとすれば、それは労働委員会が参与制であるために生じる問題ではないか。労使関係者が評決権まで持って裁判に関与するのであれば、かえって中立公正性を強く持つようになるのではないか。
また、労働参審制の下では、紛争の処理結果に対する受容可能性が高いようである。労働参審制により、事実認定や法律判断に誤りが多いという話は聞いたことがない。
○ 裁判の中立公正性については、労使が関与して議論しながら裁判を行う方が、中立公正性は高まるのではないかとも思われる。ただ、裁判官が高い倫理性を有している現状を評価すべきであり、裁判に関与する労使関係者が、職業裁判官が有しているほどの高い倫理性を持てるかどうかが問題である。労使を裁判に関与させるのであれば、関与する者の倫理性に対する国民の信頼を確保することが不可欠である。憲法上の議論だけの問題ではないのではないか。
○ 労使関係者を裁判に関与させて、労使それぞれの見方を加えて議論していくことにより裁判の質が高まるということについて、国民全体の基本的なコンセンサスがあるのか疑問である。労使の有する経験則を活用することで適正な裁判が実現できるのであればよいが、我が国では、労使がそれぞれの立場を超えて裁判に関与できることについての実績がない。裁判への労使の関与について十分な土壌があるという意見もあるが、そのことについての実証的な実績はなく、コンセンサスまでには至っていないのではないか。労使の利益代表となったり判断の適正さに疑念を抱かせたりするおそれがないことについて、十分な実績を積むことが必要であり、その状況を見た上で、さらに検討を行うということはあり得ると考えられる。
○ 労使関係者が裁判に関与することの意義は、裁判官の足りないところを補充するという点にあるのだと思われるが、補充の仕方は様々考えられるのではないか。民事裁判は弁論主義が原則であり、専門的な経験則を当事者の主張なしに裁判官がしんしゃくすることはできないと考えられる。また、労使を関与させることについては手続的に不透明感が残り、当事者に対する手続保障の点で疑問もある。どのような形で経験則が補充されるのかを明らかにしないと、絶えず裁判に対して疑義を抱かせることになるのではないか。
○ 本来、裁判官には経験則が備わっているということが前提になるのではないか。労使の有する経験則は体験に基づく労使の常識であり、通常の労働者や使用者であればどうするかという経験的な判断に関するものである。裁判官がそうした経験則を有していないのであれば、自ら釈明権を行使するのが当然であろう。裁判官が、労使の経験則を有していないが故に、延々と当事者に主張立証させることもあるところであり、労使関係者を参加させて経験則を導入することにより、適正で迅速な裁判が可能になると考えられる。
職業裁判官の中立公正性についても、事件の解決の積み重ねを通じて国民の信頼性が確保されていくのである。職業裁判官と労使関係者の3人でコミュニケーションを図りながら判断していくことにより、裁判の納得性が高まっていくのではないか。その際には、労使の参審裁判官には高い倫理性が必要となるのであり、そのことは重要である。
○ 専門的な経験則は、まずは代理人である弁護士が整理して提出していくべきであり、そうしないと手続が延々と続いてしまうのではないか。基本は当事者による主張立証であり、その上で、裁判官に欠けている特殊な専門性をどのように補充すべきかという問題であろう。
○ 制度改革の議論の際に、まずは習熟してから進めるべきだとのアプローチがよいのか。新しいことを行おうとする議論をしているのに、心配があるから先送りしようとするための水掛け論をしているように聞こえる。労働関係事件の裁判の問題点についての意識や自覚症状がないのかという観点からも議論する必要があるのではないか。
法的な知識は職業裁判官が有しているので、法的な面は職業裁判官がしっかりと行い、労使関係者は経験則を裁判に反映させることが重要であると思う。
○ 仮に実施してみなければどうなるか分からない制度なのであれば、そのような制度を作ることはよいことだとは思わない。ある程度は適正に運営されることについてコンセンサスがあることが必要である。労働関係事件に関して裁判を利用する当事者である労使双方が一致して参審制の導入を求めているのであれば話は分かるが、当事者の一方が導入に消極的な中で導入してもうまく機能するのか疑問である。
例えば、将来さらに検討を行うといったことはあり得るかも知れないが、労使双方に参審制の合理的な運用についてのコンセンサスがない以上、現時点での導入は難しい。
○ 労働参審制の導入に懸念があるのであれば、その懸念の制度的な歯止めについて議論をする必要があるのは当然である。懸念の解消を図るための工夫をすることが必要である。
○ はっきりとした見通しがないままに導入することの心配は分かるが、裁判に労使の経験則を導入することの必要性については異論はないのではないか。制度運営上の懸念があるのであれば、それについての検討は必要であるが、見通しがないからといって導入すべきでないということにはならない。
裁判所も労働関係事件の裁判をどうすべきかということについての当事者である。これまでは精密司法で対応できてきたかも知れないが、この10年で労働関係事件は急増してきた。今後、これまでどおり職業裁判官だけで対応していけるのか。その点をよく考えるべきである。
○ 現状の労働関係事件の裁判について、迅速性等に関してさらに改善の必要な点があると考えているが、裁判の判断が適正か否かは当事者によって見方が違ってくるものであり、両当事者ともに裁判の判断が適正でないと見ているような事例があるのかどうか十分な検証がなされていないのではないか。
個人的には、将来、労使が裁判に関与することもあり得るかも知れないと考えているが、現状ではその土壌はできていないと思う。労使が一致して参審制の導入に積極的とはなっていない現状を前提とすると、まずは労働調停において労使が関与することで、労使関与についての疑問点を乗り越えていくべきである。そうした過程が必要である。
○ 司法制度改革審議会の意見書で労働調停の導入が決まったのは、何らかの形での労使参加の有用性が認められたからであろう。ただ、訴訟の段階での労使関与については懸念が出されており、コンセンサスを得る議論が必要である。この場合、労使関係者が裁判に関与することにより裁判の中立公正性が妨げられるとの懸念の具体的な内容は何か、労使関係者が利益代表的な立場で関与するということなのか、また、労使双方が関与することでそうした利益代表的な立場同士が打ち消し合うのか、具体的に検討する必要がある。
□ 労働委員会の労使の参与委員は利益代表として関与しているので、不当労働行為事件の審査で公益委員会議の合議に先立って労使の参与委員が意見を述べる際には、労使それぞれの立場を代表した意見となる場合があるように思われる。ただし、倫理の確立や研修の実施により、中立の立場で関与することとなるように正すことができるのかも知れない。労使関係者が、現実に労使それぞれの利害を離れることができるかどうかが問題である。
○ 裁判においては、判断者が中立公正でなければならないが、一人一人の裁判官ごとに見れば世界観等の違いもある。そこで、労使がそれぞれの経験から得た一般的な経験則を反映させて、労使両サイドから経験則の光を当てることにより、より中立公正な結論が得られるのではないか。
そのためには、労使関係者が利益代表としてではなく、裁判の判断者としてどのように中立公正性を担保していくかを検討すべきである。諸外国で労働参審制の実績があり、それを参考にすべきである。
○ 裁判官と労使関係者の三者で裁判を行うことを考えると、三者で議論して中立公正な結論を得られることもあろうが、そのためには優れた人材を得ることが必要であり、それができるか否かに係ってくるのではないか。自己主張の強い者が関与するような場合には、十分な議論ができないこともあり得るのではないか。
○ 正直なところ、現状の労働関係事件の裁判で問題のある例もあるとは考えているが、裁判についての国民の信頼性は高いと思う。この変化の激しい時代に、労働関係の専門的な知見を裁判に補うことは必要であるが、それをどのように行うかが問題である。労働参審制により本当に裁判の充実・迅速化を図ることができるのかどうかについて、ある程度の見通しを持つことは必要である。今すぐ参審制を導入するというのはやはり難しく、何らかの場で実績を積んでいくという過程を踏むべきである。例えば、労働委員会でも和解や調停といった調整的な場面では労使が十分に機能を果たしているので、個別労働紛争においてもその実績を積み、それからさらに議論することが必要である。
○ 裁判の結論の正しさについては、当事者の主張立証の状況によるところもあり、一概には言えないが、専門家の活用が必要であれば専門委員制度があり、それで足りなければさらに検討することはあり得るだろう。
○ 日本経団連の会員に対するアンケートでも労働参審制に賛成する意見は少なかった。裁判の一方当事者である使用者側がこのような状況の下で、労働参審制を導入することは困難である。
仮に労使の専門家が裁判所の手続に関与するとした場合に、その果たす役割として考えられるのは、事件の問題点を見つけること、紛争の発生してきた本当の理由を見つけること、どうすれば労使双方が満足のいく解決を得られるかということ等であり、こうしたことは訴訟の外におけるあっせんや調停の分野でこそ活用できるものである。
また、訴訟の場で、例えば「外資系企業の賃金体系はどうなっているのか」といった事項を問われれば、分かりやすく説明することができるかもしれないが、これは専門委員制度の利用が適当であろう。また、司法委員として関与することもあり得るかも知れない。
しかし、ルールを形成していく裁判の場に素人が関与したのでは、事実認定や証拠の取捨等について裁判に対する信頼が得られなくなるのではないか。労使の体験に照らして判断をして当たることもあるかもしれないが、それは裁判とは似て非なるものであろう。労働参審制について国民の信頼を得ることは、労働委員会における参与委員の参与の在り方しか見たことのない状況の下では、難しいのではないか。
労働調停とにより労使の関与についての実績を積んで、参審制は次のステップとして考えるのが現実的である。
○ 我が国では労使対立の厳しい事件が訴訟になることが多いとの意見(資料132-7(4))があるが、その理由は何か。コストを度外視してでも解決してほしいという紛争についてしか訴えが提起されず、一般的な紛争については、ADRで処理されるものもあろうが、訴えは提起されて来ないということではないか。
裁判による解決には、労使関係へのフィードバック機能や教育効果もある。こうしたことも含めて日本の裁判の現状をどうしたらよいのか。我が国では労働関係事件の訴訟の件数が多くないという状況はどういうことか。労働者が泣き寝入りをしているという場合も多いのではないか。
また、労働調停においても、関与する調停委員には中立公正性が求められるはずである。なぜ労働調停の導入ならばよくて、労働参審制の導入には消極的なのか。
労働参審制において関与する労使の人材は、必ずしも民事訴訟法に精通していなければならないということはない。そうした知識もある程度は必要であろうが、裁判における事実認定に当たってのベースとして、経験則を裁判体に注入して、くみ取ってもらうということが必要なのである。
労働者側としては、人材は数百人、一千人程度であれば、確保することは可能である。人材について懸念があるのであれば、どのような対処が必要かについてのイメージも議論することが必要である。
改めて検討の場を作るというのでは、議論が先送りされることになる。
○ 参審裁判官はきちんとした事実認定をすることができなければならない。当事者の権利義務関係を確定して、訴訟の勝敗を決める以上、事実認定や法的判断についてきちんとした意見を言えることが必要である。訴訟に関与させるのであれば、証拠を踏まえてしっかりと議論できるような形で参加してもらうことが必要である。
○ 参審裁判官について、ハードルを高く設定しているのではないかと思う。事実認定は重要であるが、職業裁判官にも限界がある。陪審制や参審制では、誰もが事実認定等をすることができるという考え方が前提とされていると思う。職業裁判官には企業で勤務した体験がないので、事案の問題点を探る洞察力の面では、実際の労使の経験者の方が優れている。裁判だからといって、労働調停の場合とそれほど違いがあるわけではない。通常の労使であればどうするかといった労使の経験則を導入することで、合理性や社会的相当性を判断することができるのではないか。諸外国では参審制の実績があるのであり、労使には是非その責任を引き受けてほしい。
裁判は時間やコストがかかって利用しにくいという声は労働者側には強くある。その使い勝手の悪さの原因の中には、仮処分決定と本案判決で判断が異なることがあるといった結論の見通しの困難さがある。労使が裁判に関与することで納得性の高い結論が得られるようになるのではないか。
○ 使用者側としては、労働者側の示すような何百人もの人材を出すことはできない。考えるハードルの高さの問題はあるが、やはり裁判と調停とでは異なる。調停は知恵や経験を活用する場であり、多様な決着の仕方があり得る。しかし、裁判は勝敗を決めるものであり、そこに中途半端な者が入るのはかえって問題である。
現在の裁判所の中立公正性に対する信頼は疑問の余地ないほどに高い。労働関係事件の中には、政治的なショーとなるようなものもあろう。その場合には、労使の参審裁判官がそれぞれ労使を支持することとなることも考えられる。労働委員会での不当労働行為事件の審査における労使の参与委員の意見陳述においても、使用者委員は使用者側を、労働者委員は労働者側を支持する意見を述べることが多いと聞いている。裁判でもそのようになれば、かえって裁判官が混乱するのではないか。まれには労使が一致して職業裁判官と異なる判断を行うこともあるかもしれないが、裁判が今よりも複雑なものとなってしまうだろう。
労働関係で多くの紛争や苦情が生じているが、それらについては企業内に苦情処理機関を作るとともに、ADRにおいてかなりの解決が図られると考えられるので、ADRでの解決には使用者側としても協力していきたいと考えている。裁判についても協力できることは協力したいが、労働参審制の導入は無理であろう。
□ 労働委員会において、労使の参与委員が自身の立場と逆の意見を述べることもある。
○ しっかりとした事実認定ができるような労使の人材を確保する必要があるというが、それは困難なことであり、労働参審制というものは本来そういう高いレベルの人材の関与を期待するものではなかろう。イギリスの雇用審判所では、公募により素人審判官を任用しているが、それが可能なのは、労働事件を専門とする職業裁判官がいるからである。我が国の職業裁判官は必ずしも労働事件の専門家ではない。そのような裁判官では、労使関係者が関与することによるリスクが大きすぎる。まずは、職業裁判官に対する継続的な研修の実施や労働調停で経験を積んでいくプロセスが必要であり、現時点では労働参審制を導入することは難しい。
○ 委員間で参審裁判官に対する認識が異なっているので、議論がかみ合わない。
労使が関与することでかえって争点が拡散するおそれがあるとの意見(資料132-7(4))があるが、職業裁判官がしっかりと争点整理を行って仕切っていけば、そうした懸念はなくなるのではないか。
○ 諸外国では労使の参審裁判官の意見はほとんど一致していると聴いている。我が国の労使関係は欧米よりも協調的なはずであり、裁判に関与する労使の意見が対立するという認識は違うのではないかと思う。
○ 労使の意見が一致し、かつ、職業裁判官の意見と異なる場合というのは少ないのではないか。
□ 前回の検討会までに、労働参審制以外の中間的な制度設計の選択肢の可能性についても議論してはどうかとの意見があった。そうした中間的な制度の方向性についての意見があれば、述べてほしい。
○ 労働参審制の導入の当否という二者択一の議論では前進がないのではないか。現状を前提として可能な選択肢を考えることも必要であると思う。労働調停の導入は決まっているので、訴訟手続との連携の重要性も踏まえて、例えば、労使が関与して、現在の調停よりもう少し効力の強い制度を考えることもあり得るのではないか。ただし、手続が重すぎると利用しにくくなるので、できる限り適正・迅速な手続となるようなものを考える必要がある。
○ 手続の透明性や当事者の意向の反映を考えるべきとの意見(資料132-7(5),11)があるが、当事者に対する手続保障という意味では、労働参審制が導入されたからといって何ら変わるところはないのではないか。裁判の過程がブラックボックス化するとの指摘は労働参審制に対する批判とは関係がないのではないか。
また、裁判制度の一般論として忌避を考えることはあろうが、労働参審制の利用を当事者の自由な選択に委ねるというのは適当ではないのではないか。
○ 裁判への専門家の関与については、3つの座標軸を考えることができるのではないか。一つ目は、専門家の関与する程度の問題であり、法廷での説明、法廷での意見陳述、評議への参加、評決への参加等が考えられる。
二つ目は、手続の進行段階であり、準備手続、証拠調べ、和解、判断(合議)等が考えられる。
三つ目は、手続のフォーマルさであり、調停、仮処分、簡易裁判所の手続、訴訟等が考えられる。
例えば、簡易裁判所には司法委員制度があり、評議に加わることができる。また、労働委員会では公益委員会議の合議に先立って参与委員が意見陳述を行うという形を取っている。
○ 参審制といっても、参与制に近いような関与の度合いのものもあるのではないか。また、事実認定と法的判断の双方に関与することまで国民は期待しているのか。もう少し、関与を弱めることも考えられるのではないか。
○ イギリスの雇用審判所では、訴訟指揮の面で職業裁判官がかなりリーダーシップを発揮しており、職業裁判官の役割が大きい。職業裁判官が法律のエキスパートとしてリーダーシップを発揮し、そこに労使の素人裁判官の経験則が注入されるという印象である。
医療過誤事件の訴訟等では、具体的な事項について意見を求める場合に、医師の中立公正性を確保することが難しいことから、当事者の意向を反映させることが必要となると考えられる。しかし、これは労使の経験則を導入する場合とは異なる。労働参審制では、参審裁判官はプロセス全体を通じて関与するのであり、当事者の意向を反映させるべきとの考え方は妥当しないと考えられる。
○ 専門的知見の導入については、専門委員制度が導入される予定なのであるから、まずは専門委員制度の活用で足りない部分があるのかどうかを議論すべきである。
また、労働参審制の導入に賛成する意見では、参審裁判官が訴訟手続のどの段階に関与することを考えているのか。
○ 参審裁判官の負担を考える必要もある。例えば、解雇事件について早期に争点整理をして、集中して証拠調べを行うのであれば、証拠調べを行う集中審理の場に関与することは必要である。
ただ、争点整理の場面については、イギリスでは素人裁判官は関与していないようだ。
また、例えば、外資系企業の制度についての説明等では専門委員制度に近いイメージがあるが、解雇の合理性を判断する場に労使が関与することを考えると、専門委員制度とは違うのではないか。
○ 例えば、専門委員制度において、専門委員が期日に意見を述べるような制度も成り立ち得るのではないかと思う。
▽ 専門委員は1人以上が関与することとされたが、法制審議会の議論では、労働事件も念頭に置いて、立場の異なる者が関与できるように、1人以上とすることとされた。
○ 専門委員制度は、医療過誤事件や建築瑕疵事件での活用が想定されており、労働関係事件での労使の関与とはイメージが異なる。労働関係の専門性は医学等の知見とは異なり、専門委員制度は我々が議論の俎上に乗せている労働参審制とは異なるものである。
○ 労働者側は判決への関与を主張し、使用者側は判決への関与は困難と主張しており、意見が全く違っている。そうだとすると、労使が判決での判断自体には関与しない参与制や調停の場において判断に関与する制度等いろいろなバリエーションが考えられるのではないか。
□ 参与制については、いろいろの態様が考えられよう。
○ 医療過誤事件の訴訟では、難しい専門用語も多く、そうした事項についての説明を聴くのが専門委員制度であろう。労働参審制の趣旨とは異なる。
○ 裁判を利用する上でのハードルを低くすることが必要である。検討会でコンセンサスを得て、一歩でも前進したいと考えている。
労働関係事件の裁判は、労使の利益衡量、均衡点の模索に帰着する。労使はこれまで様々な場で均衡点を探るぎりぎりの努力をしてきた。したがって、裁判での紛争解決にも労使が関与していくことが重要であり、裁判で定まるルールを労使の現場へフィードバックする機能は大事である。
○ 訴訟の段階にはいろいろとあるが、使用者側としては、素人が裁判に関与すること自体に反対であり、参与制にも反対である。
労使間の問題は労使自身が関与して解決を目指すことが望ましく、将来的には労使が裁判に関与することもあり得るかも知れないが、現時点では困難である。まずは、労働調停において労使が関与して知恵を出し合う努力をしていかないとならない。労働調停における労使の関与がもっとも現実的である。
ただ、労働調停において、話合いがまとまらなければ調停不成立として終わらせるのか、もう少し効力を強めることが適当かについては、さらに議論する必要があろう。また、例えば、解雇事件の裁判では、労働調停に積極的に付調停して労使が解決に関与していくこともあり得るのではないか。