○菅野座長 それでは、定刻になりましたので、ただいまから第21回労働検討会を開会いたします。
本日はお忙しい中を御出席いただきましてありがとうございます。
本日は都合により、矢野委員が御欠席ですが、矢野委員の御意見を御紹介いただくために日本経団連・司法制度労働検討部会部会長の小島浩さんにお越しいただいております。
それではまず、本日の配布資料の確認をお願いいたします。
○齊藤参事官 事務局からご説明します。
資料127は、「労働関係事件への総合的な対応強化に係る検討すべき論点項目(中間的な整理)」の再配布でございます。
資料128は、「今後のスケジュール」、これも再配布でございます。
資料129は、「検討事項に関する主要な論点及び検討資料(労働調停・裁判制度関係)」でございます。これも再配布でございます。
資料130は、「導入すべき労働調停についての検討のたたき台」でございます。これも再配布でございます。
資料131は、「労働調停についての検討の概要」でございます。
資料132は、「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否についての検討の概要〔2訂版〕」でございます。
最後に資料133は、「訴訟手続への外部の人材の関与制度の比較」でございます。これは再配布でございます。
参考資料といたしまして、「弁護士報酬の敗訴者負担の取扱いについて(労働検討会における委員の意見)」を取りまとめてございます。これをアクセス検討会の方へ、このような意見が出ているということで伝達してございますので、御報告させていただきます。
それから「2003年 司法総行動共同要請書」。「電子速記システムによる裁判所速記官養成再開と司法の充実強化の要請書」、これは裁判所速記官制度を守り、司法の充実・強化を求める会のものです。さらに、「労働裁判改革に関する意見書」は大阪弁護士会からのものでございます。最後に、「労働検討会等への要望について」、東京地方労働組合評議会からの要望書でございます。以上、参考資料として配付させていただきました。
以上でございます。
○菅野座長 それでは、本日の議題に入ります。
本日は、「労働関係紛争の解決のための専門的知見の導入の在り方」について、3巡目の御検討をいただきたいと思います。
初めに、専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について議論していただきまして、次に、労働調停の在り方について議論していただきたいと思います。
これまでの議論の状況については、事務局において資料131(調停関係)、資料132(裁判関係)として、主な御意見の概要を整理していただいておりますので、これらを御参照いただきながら議論していただければと思います。
まず初めに、専門的な知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否について議論していただきたいと思いますが、この点については、ご存じのようにこれまでの検討において、特に「労働参審制」の導入の当否について委員間の意見の隔たりが非常に大きかったわけです。そこで、3巡目の検討の進め方について、前々回・前回と御意見をお聞きしたわけですが、その中では、大きくまとめると2つの考え方があったと思います。つまり、一方では、これまでの労働参審制についての議論はいわば批判のための批判をしてきたようなところがあり、具体的な論点できる地一つ一つ議論を尽くし、共通の理解・コンセンサスを得る努力をすべきであるという御意見。他方もう一つは、このままでは議論は平行線をたどるだけであり、具体的な成果を目指して「中間的な制度の方向性」や「他の選択肢の有無」等についても検討すべきであるという御意見が、いわば対比された状況ではなかったかと思います。
そこで私としては、今後の検討スケジュールも考えますと、両者の意見を踏まえて対応していきたいと思います。まず本日は、これまでの議論の中で出された労働参審制に対する主要な疑問点なり懸念、それは大体資料132において整理されているところですが、それらについてさらに具体的に議論していただくことが必要ではないかと考えております。
その際には、時間の関係もありますので、私の方からは便宜上4つ程度の論点を設けさせていただきまして、その論点に分けて順次御議論いただければと思います。もちろんこれに限るつもりはありませんが、私がここで抽出した論点としては、第1は労働参審制に対する国民の信頼性の確保、労使の参審員の中立公正性等であります。第2は、労働参審制による適切かつ迅速な紛争解決の可能性であります。これは資料132をごらんいただきたいのですが、資料132で言うと、第1は6、7(3)、(5)、11のあたりに整理されております。第2の労働参審制による適正かつ迅速な紛争解決の可能性は7(2)、(4)のあたりに御意見が整理されております。第3の論点は専門家の確保で資料132の12、13、14のあたりに論点が整理されております。第4としては、いわばこれらのまとめとして労働参審制の導入の当否その他についての総括的な議論、例えば現行の裁判制度を変える必要性及びその効果、資料132で言えば1や5のあたりですが、その辺を議論していただければと思ったわけです。これらについて順次御意見をお願いしたいと思いますが、もちろんこれ以外の御意見をはさんでいただく、あるいは提出いただくのは結構です。
それとともに、これまでの議論で論じ尽くせなかった点を深めていただいて、一致できる点がないかを探っていただく議論とともに、本日は最初に御議論いただく労働参審制について、そういう主要な疑問点や懸念ごとの議論を踏まえて中間的な制度の方向性や他の選択肢についての御意見があれば併せてお出しいただき、それらも含めてさらに議論していただいてはどうかと思います。
そういう進め方を考えたわけですが、それでよろしいでしょうか。
それでは、そのような進行で進めていきたいと思います。まず、ただいま申し上げた4つの論点ごとにとりあえず議論していただければと思いますので、まず労働参審制に対する国民の信頼性の確保という点です。
資料132では1ページの1の3つ目の「○」で、「新たな制度の導入で懸念される点があれば併せてその対策についても検討すべきである」という御意見として整理されていて、右側において、国民の信頼性の確保、中立公正性という点では、例えば3ページの6において、中立的な立場についての懸念、あるいは事実認定の適正さについての懸念、あるいは7(2)では、「心証形成のトレーニングの経験のない者が関与して、正しい事実認定が可能か疑問である」という点が出されております。この辺も念頭に置いて議論を始めていただければと思いますが、どうぞどなたからでもお願いいたします。
○髙木委員 労使代表の中立公正性に対する議論がいろいろございますが、資料132の4ページの(3)でしょうか、この右側にもいろいろな御意見が出ておりますが、この辺について一、二申し上げてみたいと思います。
まず、憲法上の身分・収入保障が職業裁判官の中立公正性を担保しているという趣旨の表現がございますが、それがない非職業裁判官には中立公正性の担保がないという御意見が書かれております。この点につきまして、私は憲法上の身分や収入の保障が裁判官の中立公正性を担保しているのではなく、中立公正性を担保しているのは、良心に従い、独立した職権を行使する憲法76条3項ですか、この項に記載されているような趣旨を踏まえた裁判官としての倫理なり規範意識、そういったものが中立公正性を担保しているのではないか。
今導入が検討されております裁判員制度における裁判員、あるいは労働参審制がもし入れられた場合の参審員も、裁判官としての職権を裁判の過程で持つとするならば、同様な倫理や規範意識が求められるのだろうと思います。したがいまして、参与委員とか専門委員という議論もございますが、そういう委員ではなく、労働参審制や裁判員による刑事裁判につきましては、裁判官とか裁判員という位置づけがぜひ必要ではないかと考えておりまして、資料の憲法上の身分・収入保障が中立公正性を担保するというのは論理がちょっと違うのではないかと思います。
労働参審制における労使の参審裁判官に何が一番期待されているのか、それは労使関係等に携わりながら労働をめぐる職場あるいは企業における議論、あるいはその具体的な制度の施行等の経験を踏まえ、職業裁判官が多分こういう視点はお持ちではないのではないか、あるいはこういう点は時には見落とされることもおありになるのではないかという部分を補完することを期待されているのだろうと思います。そのこと自体が決して中立性や公正性を阻害するということではないだろうと思います。
例えば今、教育改革の議論が行われておりますが、教育改革の中でもいろいろな職業を御経験された方が教職に、あるいは教職に準じて教壇に立たれる試みがいろいろなところで行われておりますが、そういう職業経験を持つ人が教壇に立つことが教育の中立性やら公正性を邪魔しているという話は聞いたことがございません。
資料にも、労働委員会の参与委員の関係を持ち出されて中立公正性に疑問を呈する感じの御意見がありますが、こういうとらえ方は私は適切ではないと思っております。労働委員会の参与委員は調整的解決等でその役割を果たせという期待をされている面がございまして、そういう関係で労使それぞれの立場に立って行動する必要性も生まれておりまして、判定的解決を行う裁判制度のもとでの参審裁判官の役割とは少し違うのではないか。というより、参審裁判官の任務と労働委員会における参与委員の任務は根本的に違っていると申し上げていいのではないかと思います。
中立公正性に関してニ、三点、考えていることを申し上げさせていただきました。
○石嵜委員 中立公正性の関係で髙木委員から御反論がありました職業裁判官に憲法上の身分・収入保障が中立公正性を支えているのではないかと、これは経営法曹の会議の中で出てきたお話を私が御披露したと記憶しております。確かに裁判官の良心、そして裁判がきちんと公正中立に確保されるのが一番いいことだとは思いますが、しかし独立という形をきちんと確保するために、憲法の中でそのための担保として収入面を保障することによって初めてあらゆる権力から、いろいろな問題から独立できるということで、制度上入れられているということ自体が一般的にその懸念があると考えられていることであって、身分保障ないし収入保障の問題は、中立公正性の問題とは切り離せないのではないかと私自身も思っております。
もう一つ、労働委員会の実情の問題について、私もあれは集団的労使紛争の問題であって、個別労使紛争になれば、それは労使も違った立場で関与するのではないだろうかと、私自身の感覚にもそういうものがあります。しかし、使用者側としては、労働委員会が労使の唯一今の日本の法制度の中で関与した形態で行ったものであるとすると、現状あの状況下で個別労使紛争といえども裁判制度にこれを持ち込むことによって混乱するのではないかという不安は消せない。これが今の使用者側の現状認識だと御説明しておきたいと思います。
○鵜飼委員 まず裁判官の独立の問題ですけれども、これは職業裁判官の議論であって、その職業によって生活を維持している人ですので、その身分が安定せず収入が減額されるということになりますと、独立性が担保できないということだろうと思います。裁判員や参審員は同じように本来一般市民でありまして、職業裁判官ということで自分の生活を維持している立場にはありません。そういう意味では職業裁判官の独立性の担保の憲法上の規定と、他に職業を有する裁判員とか参審員の場合の独立性の担保の規定とはおのずから違う問題があると考えられます。
しかし、いずれにしても裁判員制度もこれから導入されますし、参審員制度を導入しようといたしますと、その地位をきちんと確保し、裁判員なり参審員になることについて妨害されたり、あるいはそれによって不利益が及ばされることがないような制度的な保障が当然必要ですし、これは各国でもそういう制度的保障を行っています。
さらに具体的な中立公正性の点から言いますと、現在の忌避とか除斥の制度がございますが、具体的に当事者と密接な関係のある、ある意味では公正性を担保できないような場合については、除斥や忌避によって裁判から排除される制度がございますが、これは裁判員制度についても同じような考慮をしないといけないだろうと思います。参審員についても、例えば当事者、労使関係について密接に関係のあるものについては自ら回避するか、裁判から除斥される制度は当然考えられるべきであろうと思います。
そういう意味では、裁判制度において、中立公正性は非常に大切なものでありまして、ある意味では裁判の生命線であると言っていいと思います。それを担保するために具体的・制度的な手当はいろいろ工夫しなければいけない。制度的な工夫をすることによって十分担保は可能です。一般的・抽象的に労使だから中立公正性が担保できないということはない。これは、世界各国の参審制はむしろ普遍的な制度ですので、そこでそういう問題はほとんど議論されていないところからも明らかなのではないかと思います。
労働委員会の件ですが、労働委員会についてはまず基本的に制度の構造が違う点が第一に指摘されるべきだと思います。労働委員会においては、労働側代表、使用者側代表、公益代表という構造になっています。また、調整的機能を担当することになっています。しかしもう一方で、現実の労働委員会における労使の参与の在り方ですが、私は中立公正にやっていらっしゃると思います。公益委員の人たちからいろいろお聞きしましても、例えば和解の場面において労働側委員は労働側を説得し、使用者側委員は使用者側を説得するという状況はむしろ普遍的な状況があります。ですから、先ほど石嵜委員がおっしゃった労働委員会の現状で、現在の状況下において不安は払拭できないとおっしゃいますが、具体的にどういうことを指しているのか。それが労働参与のせいなのでしょうか。むしろ労働委員会はいろいろな問題を抱えておりますけれども、労使参与がそれぞれの利益を代表するがために現在のいろいろな問題が出てきているとは、私はとても理解できません。むしろ労使参与は中立公正な立場でそれぞれの役割を果たしていらっしゃると思います。
労働参審制の重要な点は、職業裁判官に欠けている雇用・労使関係における実情及び経験、それに裏打ちされた経験則を、激動する雇用社会で労働事件、個別紛争が増える中で、迅速かつ適正なより良質の労働裁判を実現するために、それを導入していくシステムですので、その辺の共通認識ができれば、中立公正性は非常に大切な核になる概念ですけれども、それをどのように担保していくのか。ドイツにおいても名誉職裁判官について中立公正性の担保のためのいろいろな手当をしておりますが、そういうことによって十分クリアできる。日本の労使は、そういうものを支えるだけのものは十分持っていると思っております。
○髙木委員 石嵜委員からお話がありましたが、労使代表の中立公正性という意味では、逆に労働委員会の仕組みが、鵜飼委員がおっしゃったような構造ももちろんありますけれど、参与制であるがゆえにという側面は逆にないのか。具体的に評決権等を持つようになれば、逆に中立公正性はより強く求められるわけで、これはやってみなければわからない面もありますが、そういう側面もあるのではないか感じることもございます。
そういう意味で、7月5日ですか、ドイツなりイギリスの方からお話を聞くこともございますが、この辺もぜひそれぞれの国でどういうことなのかということを聞かせていただければいいなと思っているところでございます。
参審制について、私のつたない経験といいますか、何人かのお話を聞いた限りでは、参審制についてはいわゆる紛争解決の受容可能性が大分高まっているという御指摘がいろいろありましたが、この制度ゆえに事実の認定や法律の適用を誤らされているという話はどこの国でも聞いたことがございません。そういう意味でその辺も含めて、5日にいろいろ聞かせていただいたらいいのではないかとも思っております。
○村中委員 中立公正という観点から見ると、裁判官が1人でなされるときに、それが中立公正かという問題がございます。裁判官は法律と自らの良心に従って判断されるわけで、ご本人は非常に真面目にされている。しかし、それで中立性や公正性が担保されるのかというと、それは裁判官が自らが考えるところを信じて裁判をしているということ以外にはないわけです。むしろ、労使が入っていることによって中立性自体は、理屈で言えば多分高まると言えると思います。
私が問題だと思うのは、職業裁判官の持っている高い倫理観といいますか、そういうものは尊敬すべきものであって、それに類するものを、労使で関与される方がそのレベルのものを持って入ることができるのかという点です。これは裁判員制度でも同じ話なのだろうと思うんですね。理屈で中立性と言えば労使でお互いの利益を代表されて、それをベースに持っている方が来れば、そこの中立性はそれだけ高まるはずです。ただ、それに対して信頼感が出ないとするならば、裁判官の持っておられる高い倫理性に対する国民の信頼が非常に厚く、それを確保することが難しいのではないか、という疑問だろうと思います。それをどういうふうに確保するかという工夫が、労使を入れる場合には不可欠です。それは裁判官には憲法上の身分保障があるからだという議論は、石嵜委員に御紹介いただいたとおりであろうとは思いますが、憲法上の保障がなければだめとまではなかなか言い切れないようにも思います。それを補うような形で、少なくとも何か担保しなければならないだろうと思います。
○山口委員 中立公正性の関係で、村中委員と同じになるのかもしれませんが、労使が入ることによってそれぞれの見方をして職業裁判官と議論することによって労働裁判の質が高まることについての基本的なコンセンサスが、労使はもとより国民全体にあるのかどうかということが1つあるのではないかという気がします。
言われるように、一定の判断作業を行うについて労使がそれぞれの経験則を提供して、それが労働裁判のより適正化につながることになっていくのであれば、それは確かに1つの有力な考え方だろうとは思いますが、少なくとも現在の状況を見る限りは、いわば労使の立場を越えて中立的な立場で実際の裁判に関与した、あるいは関与できるという実績が我が国の裁判の中では行われていない。あるのは、労働委員会で労使が参与という形で入ってきているぐらいのもので、そうだとすると、仮に我が国の労使も中立公正性について十分な土俵があるとおっしゃるのですけれども、それについての実証性といいますか実績といいますが、それが少なくともコンセンサスを得るまでには至っていないのではなかろうか。
怒られるかもしれませんが、そうすると利益代表になる可能性がないわけではない。そうだとすると、せっかく労使が入っていったことによって逆に労働裁判の適正化についての疑念を抱かされる危険性もないわけではない。そう考えると、労使が入ってきて、しかもその意見が中立公正的な立場で言われるということについての十分な実績を積むことも考えていいのではないかと思います。それから労働訴訟に入れるかどうかを考えても遅くはないのかなという感じもしております。
○春日委員 先ほど来、中立公正の面で労使双方の参審員等を導入するとその役割は、要するに職業裁判官に欠けた専門知識を補充するというお話、これは鵜飼委員からもあったのですけれども、補充するやり方も1つ問題になるのではないかと思います。というのは、少なくとも労働事件も民事訴訟の1つですから、弁論主義は当然としているわけで、そうだとすると、本来は専門的経験則といっても当事者からの主張がなければ裁判所としてはそういうものは斟酌できないということになっているわけで、仮にそういうものを労働側か使用者側かはわかりませんが、どちらかの参与委員が釈明のような形で主張するということは基本的にはできないはずなのであって、そういう形で仮に専門知識を補充するということになると、これは手続原則からは明らかに反するでしょうし、また裁判官も恐らく判決理由を書くときにそういうことは書けないということになると思いますので、私は前から申し上げましたが、専門的経験則を何らかの形で補充するといっても、補充のやり方を考えないと、どちらかの当事者にとって手続的に不透明感はどうしても残ってしまう。また当事者の手続権も保障できなくなるおそれもある。そういう意味では、専門知識の補充はどういうやり方で補充するのかということまではっきりしていないと、最終的には中立公正性の点で疑問を絶えず抱かしめることになるのではないかと思うのですが。
○鵜飼委員 春日先生の御発言ですが、まず、専門的な経験則については確かに弁論主義が妥当するという有力な説もございますけれども、一般的に経験則については弁論主義の対象外と考えられているのではないでしょうか。もともと裁判所にそういう経験則は備えられていることを大前提として弁論主義が妥当するということではないでしょうか。
そういう場合に、ここで言う経験則はまさに雇用・労使関係における体験に裏打ちされた知識経験でありまして、まさに労使の常識と言っていいと思うんですね。具体的な事件を想定しましても、解雇事件について、通常の使用者であればどのような行動をしたのであろうか、通常の労働者であれば最大公約数的にどういう行動をしたのであろうかということを双方から経験則に基づいて考えて、総合的な判断によって、例えば当該解雇について合理性があるかどうか、相当性があるかどうかの判断をするわけですね。その部分ではまさに判断者の総合的な判断の領域に属することでありまして、これはある意味では弁論主義の対象外の部分だと思います。その部分はまさに参審制の核となる部分ですから、春日先生のおっしゃっている場面とはちょっと違うのではないかと思います。
裁判官が自らの判断に基づいて釈明権を行使するのは当然のことでありまして、現在の職業裁判官でも十分やっていらっしゃるわけです。むしろ、現在の職業裁判官は雇用・労使関係の実情を知らないがために、いたずらに双方の主張を延々とさせて、要するにけじめがつかない状況すら生まれてきているわけです。そういう意味では、雇用・労使関係の経験則を前提としためりはりのある釈明権を行使して争点を整理し、証拠を整理し、そして適正・迅速な解決に至ることが労働参審制のメリットとなる有益性ではないかと思います。その辺は、私の意見はそういうことです。
もう一つ、中立公正性について村中委員がおっしゃった点は私も全く同感で、職業裁判官といえども、裁判制度の持つ中立公正性の担保は最も根本的な永遠の課題といいましょうか、そういうものでありまして、職業裁判官であるからといって中立公正性が実質的に担保されているかというと必ずしもそうではありません。それは、それぞれの具体的な個別事件の解決の中で、本当に国民が納得できるものになっているかということによって実証されていくわけで、それは労使の健全な良識に双方から光を当てることによって、そこで法的コミュニケーションということがドイツでは議論されておりますけれども、これから開かれた裁判所ということになりますと、そういう意味では裁判所の中で3人の裁判官がお互いにコミュニケーションをはかり闊達な議論して、そこで一定の結論に達する。それは納得性という点では非常に高いレベルのものが得られるのではないかと思います。
高い倫理観については、私は今後、制度設計をする場合にむしろ労使の裁判官に求められるところでありますので、これはドイツ等においてもそういうものが求められていますので、私はこれは実現可能性は十分あると思いますけれども、非常に重要なテーマであろうと思います。
○春日委員 専門的経験則を裁判所が知らないから両当事者に主張させて延々と訴訟をやっているというお話だったのですが、私は裁判の実態はわかりませんけれども、少なくとも裁判所はそういうスタンスに立っているとは思えないので、これは山口委員からお話があるのだろうと思いますが、少なくとも専門的経験則なら、これは代理人たる弁護士の先生方がまずは自分で争点整理し、そして出すべき専門的経験則はまず出す。こういうスタンスでやっていかなければ、訴訟は幾らたっても延々となるだろうし、ということですので、別に裁判所の味方をするわけではないのですが、基本は当事者側からきちんと主張してもらって立証する、その原則はもちろん御存じでしょうし、こういうことはあえて釈迦に説法で言うまでもないのですけれども、その上で、それではもっと裁判官に欠けている特殊な専門的な経験則をどうするかという議論ならわかるのですが、そうでないレベルでの話ですとなかなか納得いかないという気がするのですが。経験則の話ばかりしてもしようがないと思いますので、その程度にしますけれども。
○菅野座長 国民の信頼性の中には、今御議論いただいている中立公正性という観点からの労使の利益代表にならないかとかそういう観点からの論議と、この中でもう一つされている一連の懸念は、事実認定ができるのかとか法的判断を裁判官と一緒にやれるのかということもあるものですから、そちらの方も御意見をお願いします。
そういうことを議論していくと、そういう専門家を確保できるのかという論点につながっていきますから、その当たりにも入っていただけるとありがたいと思います。
○髙木委員 山口委員は習熟論をおっしゃるわけだけれど、いろいろなものを改革・改善していこうというときに、習熟してからでないとだめだという話はままあるわけですが、本当にそういうアプローチでいいのか。裁判官の皆さんも労働事件においても一生懸命頑張っていただいているのかもしれませんが、それは一人一人の裁判官がいろいろなことを勉強なさって、あるいは調べられて、それなりの御判断をされる。それにもそれぞれの皆さんがお持ちの独立した判断という言い方になるのか、それぞれ微妙にお考えの違う部分もおありになるでしょうから、そういうことについてどう認識するのかという議論もあると思います。
そういう意味で、新しいことをやろうというときに、これが心配だから、あるいはこういうところをやるという前提で、ではどうするのかという議論をするなら私はいろいろな議論のしようがあると思うのだけれど、やらないための水掛けさましの議論ばかりのように聞こえてならない。現行の労働事件・訴訟について本当に裁判所として問題意識をお持ちでないのか……現にこういう議論が起こっていることについてどういう御認識、あるいは自覚症状をお持ちなのか、そういうことも含めて議論していく必要があるのではないかと思います。
それと春日先生からご発言もありましたけれども、資料で言うと、7ページの13の中立公正性等にもかかわるのかもしれませんが、2番目の「○」で下線が引いてあるのですが、こういうことだと思うのですが、これをもっときちんと言えば、「労働関係の経験則などを事実の認定や評価に際して反映させることが期待されている」と書いていただくのがより正確なのだろうと思うんですね。
そういうことも含めまして、もちろん法的な実務やら法自体に対する知識はプロの裁判官がたくさんお持ちなのはわかり切っていることで、そういうものはプロの裁判官の皆さんがきちんとやってリードしていただく。そういう中で、今言ったように経験則等を事実の認定や評価に際して反映させていくことが一番大きな眼目なのだろうと思っています。
そういうことで、習熟論というのは何をもって習熟するというのかという問題もありますけれども、習熟論を言っている限りは問題は先送りというケースが日本の社会でいかに多いかということだと思います。
○山口委員 その点は少し反論があるのですが、先ほど髙木委員がいみじくもおっしゃったのですけれども、やってみなければわからないような制度をつくるのがいいのかどうかは、私はむしろあまり適切ではない。やはり少なくとも一定の制度をつくる以上は、その制度がある程度適切に運営されていくだろうということについて一定のコンセンサスがないと、導入するのは適当ではないのではなかろうか。少なくとも参審制の問題で言いますと、労働者側は入れるようにとおっしゃっていますが、使用者側の方はそれに対して消極的な意見で現状はあるように思います。したがって労働参審なら労働参審を使おうとしている当事者双方が一致して、では労働参審を入れるべきと言うのであればまた話は違うと思うのですが、一方当事者が入れようとしていて、他方当事者が反対しているような状況で、それを押し切ってやったところで果たして十分機能するような制度になるのかということについては、率直に言って疑問はぬぐえないと思います。
したがって、そういうことで一定期間やってみてうまくいくということになれば、労使も多分そういう認識になっていくでしょうから、そういう状況下で入れるときを考えても、それは決して先送りではないと私は理解しています。もしどうしてもそれが先送りということでおっしゃるのであれば、例えば一定期間内にもう一度検討するような形の期間を区切ってもいいでしょう。それはいろいろなやり方があるとは思いますけれども、少なくとも制度を入れる以上は、その制度が労使双方にとって合理的に運用されていくということについての認識なり共通理解がないと、それは入れたところでうまくはいかないのではなかろうかと、私としては思います。
○髙木委員 「やってみなければわからない」という言葉尻をとられて言われましたけれど、当然いろいろな御意見があって、こういう懸念があるならこういう懸念に対してはこういう制度的な歯止めをしましょうと、そういうことを議論するのは当たり前のことで、どういう懸念があるならこういう懸念に対してはこういう議論で懸念の極小化を図りましょうというアプローチになるのは、どんな世界でも当たり前のことで、何の備えもなくて、乱暴な話で走れなどということを私は申し上げているつもりはないので、各国の制度もみんなそういう工夫をしているのだろうと思います。
○鵜飼委員 制度が適切に運営されるかどうかということについてはっきりした見通しが立たないということで躊躇されるということはよくわかるのですが、ただ一方の前提として、雇用・労使関係における経験則など健全な労使関係の常識を裁判に反映させていくことについては余り異論がないと思うんですね。問題は、その具体的な制度設計の問題だと思いますが、もし制度が適正に運用するかどうかについて懸念があるということなので、それについて今検討しているというのがこの検討会での主要なテーマだろうと思うんですね。だから、見通しが立たないからだめという結論にはならないだろうと思います。
私がもう少し言いたいのは、裁判所の方には、先ほど来髙木委員から言われた自覚症状はないのかということなのですが、まさに当事者の1人で、裁判所はまさに当事者だと思うんですね。もちろん事件の当事者ではありませんが、要するに労働裁判をどうするかということを考える場合の当事者の1人が裁判所であると思うのですが。10年ぐらい前は本則仮処分が1,000件ぐらいで、精密司法という形でかなり長期間かけてやっていればよかった。あるいは裁判官も人事ローテーションで3年ぐらいで変わっていくというシステムでもやれたかもしれません。もちろんそれは特に提訴側の労働者側は非常に大きな不満がうっ積していたわけですが、この10年ぐらいで3倍ぐらいに増加した。これもやはり共通の認識だと思いますが、どういう増え方をするかどうかは別として今後増えていく。特に個別紛争が増えていくというときに、今までのとおりでいいのか。そのときに本当にキャリア裁判官だけで担当して、国民のニーズに対して対応できるのか。その辺についての自覚症状といいますか、裁判所の側は現状についてどうお考えになり、現状どのように変えようとしているか。その場合に、例えば参審制等の方向性についてはどのようにお考えなのか。コンセンサス云々といって傍観者的な立場ではなくて、自ら裁判を主宰する側としてどのようにお考えなのか。その辺はむしろ責任を持って御主張されたらいかがでしょうか。
○山口委員 前もお話ししたと思いますが、これは私の個人的な意見で、ほかの裁判官がどう思っているかは何とも申し上げられませんけれども、私としては現状の労働裁判が現状のままでいいと思っているわけでは決してありませんし、少なくとも迅速性の点で改善すべき点が多々あるというのは繰り返し申し上げたとおりであります。
問題は適正の方の関係だと思いますが、それについて、ある判断が適正かどうかということについては当事者によって見方は分かれるだろう。繰り返し申し上げましたように、一般的に申し上げ恐縮ですが、勝った方が正当な判断、負けた方は不当な判断ということになりますから、そういうレベルの問題ではなくて、勝った方も負けた方もこれはおかしいという事例をおっしゃっていただけるのであれば、それは裁判所の方も謙虚に受けとめて考えなければいけない。少なくともそういう検証作業が現状では行われてはいないのではないか。一般的に言って、裁判は勝ちと負けがあるのはしようがないことですから、その辺について十分な検証がされていない状況で一般論で申し上げられても、こちらとしてもそれは何とも申し上げかねる。
しかし、いずれにしろ現状の職業裁判官だけが労使の労働紛争を解決するというシステムが未来永劫とも続いていっていいのかということは、確かに問題意識としてはわかります。そういう意味で言えば、将来的には労使の専門家が訴訟に参加していく形態も1つの可能性としてはあっていいだろうと、私としては思っております。ただしかし、少なくとも現状ではそれについての土壌といいますか、少なくとも私の見る限りでは十分とらえられていないといいますか、できていないと私としては感じざるを得ない。少なくともこの検討会の議論を聞いておりましても、そういうことであるのであれば労使の意見が一致して労働参審を入れていくべきとなるはずなのに、そうはなっていない。その辺について、それは相手の方が悪いのだ、相手の方が自分の方に与しないから悪いのだというふうに議論しても、それは仕様が無いことなので、そういう労使の意見が少なくとも現状では一致していないという前提を踏まえてどうするかを考えざるを得ないのではないか。
私はそういう立場から申し上げているので、そういう現状からしますと、導入が決まっている労働調停で労使の方に入っていっていただいて、調停案の作成なり、調停の手続に関与することによってそういう疑問、あるいは意見の違いを乗り越えていっていただきたいと思うし、そういう健全な労使関係を志向されている労使であれば、それは乗り越えられていくものではなかろうか。そういう過程が必要なのではないかということを申し上げています。
○山川委員 今おっしゃったように調停までは決まっているということは、労使の専門家が広い意味での司法にかかわることに何らかの意味があるということが、司法制度改革審議会以来、原則的なコンセンサスになっているということだと思うのですが、それを訴訟の場で考える過程でいろいろな懸念が出ているためにコンセンサスを得るための議論をしていく、そういう位置づけになろうかと思うのですけれども、その場合には、懸念の中身を、各司法過程の中でも作用ごとに応じて詰めていく必要があるのかなという感じがしております。たとえば、中立公正ということですが、具体的に中立公正の意味、あるいはそれを妨げるという懸念は具体的にどういうことなのか。恐らくここに書かれていることから見ると、利益代表的な立場で臨むということを指しているのではないかと思いますが、では具体的に利益代表的な立場で臨むというのは一体どういう懸念のことなのかということをむしろお伺いしてみたいと思います。
事実認定の段階、また、仮に評議に参加する段階、あるいは評決に参加する段階ということになって、利益代表的な立場で臨むという場合の「臨む」は一体どういう具体的言動を指すのかということが1つ。
先ほど村中委員がおっしゃったこととの関連では、仮にそういう問題がある場合に、いわば労使が参加することによっていわば打ち消し合う、そういう解決方法があるかどうか。あるいは、それは中立性の確保とは別次元の問題なのかという点で、そういう実務上の経験が余りないものですから、利益代表的な立場で臨むことの具体的な意味と、その問題がいまひとつつかめないという感じがするのですが。
○菅野座長 私が労働委員会などで経験する例を一般的に言いまして山川先生へのお答えになるのかどうか分かりませんが、労働委員会では労使の参与委員はそれぞれの利益を代表することとなっていますので、和解などをやっていく過程で労使の委員は法的な判断としてこういう結論がいいと思っているはずだとこちらがわかるわけですが、合議の裁判所において述べる意見は、それとは違うそれぞれの立場を代表するような意見になり得るのです。しかし、それは法律がそれぞれ労使の利益を代表せよと言っている制度、三者構成の制度だからなのかもしれない。それが法律上はすべて中立公正な裁判官としての立場で参審せよと、そういう倫理とそれをきちんと研修等でたたき込むというか、そういうことであれば一致するようになるのかもしれない。そういう問題なのかなという気がするのですが。
○山川委員 後者の点にもかかわるのですが、労働委員会での多少の実務経験によると、そのことによって判断過程がゆがめられるということはおよそないという感じはするのですけれども。
○菅野座長 懸念は、現実に労使の利益をその代表が離れられるかということだと思います。
○鵜飼委員 別の立場から言いますと、裁判というのは一般的な法規範があって、具体的な個別の紛争があって、個別の事例に法を適用して具体的な法の実現というか、法の発見といいますか、それを行う作用だと思いますが、その場合に判断者が中立公正でなければいけない、これは当然のことだと思います。ただ、職業裁判官は先ほど村中委員がおっしゃったように、我々は一人一人すべて世界観が違いますし、生活環境も違いますし、それは限界があるわけですね。しかし、その中で何とか中立公正たろうとして努力する。これが現実の姿だと思います。
しかし、労使はそれぞれの立場で、労働者は労働者としての経験、使用者は使用者の経験の中から中立公正な立場で具体的な事件について一般的な法規を適用しようとする。その中で、自ずから労働者は普通の労働者であれば労働者側として行動するのではないかという一般的な経験則に基づいてその問題についてとらえて評価を下す。使用者は使用者という光が両サイドから当てられる。そして職業裁判官の光が当たり、そこで議論され、そして一定の結論が得られる。今、裁判員制度が議論されておりまして、職業裁判官の限界を踏まえて、バックボーンの違い、いろいろな市民の良識の中で議論していくことを通じて、より良質の裁判が担保できるという発想と基本的には同じだと思うんですね。特に労使の問題は、そういう意味では雇用社会で発生した事件ですから、労使が責任を持って解決するというところとも関連してまいります。
そういう意味ではそれぞれの利益代表というのではなくて、「利益代表」という言葉は労働委員会の今の労働者側の利益を代表するという規定がありますからそうなってしまうかもしれませんが、裁判官として、判断者として、具体的な事件をどのように中立公正に判断しようかというところから制度設計していけば、その辺の問題は払拭できるのではないか。
比較法的に言いますと、日本において実績がないと山口委員がおっしゃいますけれども、確かにそういうものがないので実績がないのは当たり前のことなので、やってみないとわからない部分がありますが、しかし比較法的に見て、多くの国でそういうことをやっている。そして、それをきちんと実績として見るべきではないかと思いますね。
○後藤委員 私は感想めいたことしか言えないのですが、中立公正性といったときに労の側の人と使の側の人と裁判官が入って三者で評議をしたとしてどういうことになるかというと、やったことがないのでわからないのですが、普通に考えますと、例えばそこで先例がある、下級審判例がある、あるいは最高裁の判例があって、この基準に照らすとこうだと、裁判官の意見は裁判官の意見としてありますね。裁判官なりの判断で言うとそうなるのだけれど、労働者側の立場でその裁判例、あるいは先例をそのまま当てはめたのではおかしい、どう見てもこれは不合理だから直すべきだと思い、使用者側は使用者側でまた同じようなシチュエーションでは、これはちょっと使用者側に酷だということになるのではないでしょうか。
そういうことで、例えば法律判断に限って言えば、多くの場合は一致するのでしょうが、事案によっては、労側の人は労側の立場で意見を言う、使側の人は使側の立場で意見を言うということになるのではないでしょうか。そういう意味では、中立公正性といっても、結局は、労側の方は労側の立場で言い、使側の方は使側の立場で言って、裁判官も入って、先ほど鵜飼委員がおっしゃったように議論をして、落ちつくべきところに落ちつく。そういう過程で結果的には中立公正な議論がされたということになるのではないでしょうか。そのためには、労側の方も使側の方もそういう議論ができる人を得て、議論をして適切な判断に至るというのが理想なのでしょうが、逆に自己主張ばかりされて相手方の意見を聞かない人が入っていると、あるべき議論ができないことになるのではないでしょうか。その場合には、1対2ですねと言って終わってしまうということになるかとも思いますが。
そこは結局、中立公正性としても、個々の方が個々の立場でやるというよりも、労と使の方が入っているわけだから、全体で中立公正な結論が出るという制度でないと困るということだと思うのですが、そうするだけの人の確保は本当にできるのでしょうかねという気がいたします。
今申し上げたようなことは、本来、双方代理人が法律専門家なわけですから、双方代理人と裁判官がよく議論して、そこでそれなりの結論を得て実際に動かしておられるので、裁判官が書面だけ見て一刀両断でこうだという判断をされているわけではないと思うんです。仮に労働参審というこれまでにない制度をとるのであれば、まずは先ほど述べたような議論ができる人の確保、人的な担保は本当にあるのだろうかというのが心配なところです。
○石嵜委員 今の裁判のお話で、理論上は当事者の主張立証、だから専門的知識も経験的なものも当事者が主張立証すれば足り得る。それを裁判所がきちんと判断するし、十分意見交換して判決が出ていると言われたら、それは少し違うのではないかと本気で私は思っています。それは、確かに実証しなければわからないとおっしゃれば、勝ち負けという話で両者を連れてくるということが実際になかなかできないだからであって、どう考えても、自分が使用者側だろうが労働側だろうが、やはりおかしいと思う判決が、特に私は最近、労働事件をたくさん持っていますので、いろいろなところでこのような事案にぶつかっていて、これは何なら持ってきて二人でやりましょうかというぐらいの、お見せしてもいいというぐらいの気持ちはあるんです、正直なところ。したがって、裁判の判断に重大な問題はあると言えずという、そして国民の信頼は十分高いと言われると、いや問題はあるんですと言いたい。けれども、今の裁判制度に対する信頼を国民がどう思っているかという話になると、鵜飼委員がおっしゃるほど、いわゆる批判があるとは思っていません。
よりよいものにするために、私たちは主張しなければいけないことを主張しますが、それをちゃんと感じてきちんと処理できるだけ、裁判官について本当に1人でできるでしょうかと、これだけの仕事量があって、時代の流れの中で。その中では補う制度を考える。その制度をどこまでにするかはここの議論だろう。それはもう補わなければいけないということは明らかだと思っているんです。ただ、では補う制度で労働参審制がどういう意味づけを持っているかというと、確かにそれは実験もやっていませんし、何もしていませんし、新しい制度がいいものでもやはり副作用はあるし混乱はあると思うんです。したがって、その混乱を恐れたのではある意味進まないということはわかるのですけれども、その混乱がどの程度か、そしてそれが本当に国民のためになり、裁判の適正・迅速化になるかという、ここはもっと議論して、やはりいろいろな混乱があって、いろいろな批判があっても、それでもやはりプラスだったのだと、ある程度の見通しがない限り、現実に労使のものを今すぐに裁判制度に入れられるかと言われるとなかなか問題がある。その意味では私は使用者側のいわゆる慎重論に結論としては賛成している。その意味で、労使が参画する形で何らかのところで一度やる、実績を踏めと言われると、私もそれはやった方がいいのではないだろうか。それが裁判に関与する労働参与制のような形で、判決に関与せずして一定の和解までという形を考えるのか、労働調停の枠の中で労使が一度やってみるか。特に労働委員会では調停に関しては、髙木委員がおっしゃるように、労使はきちんと機能している。この部分は私もそう思いますし、和解については最後は労使が立場を越えてまとめようと努力しておられる現実は感じていますので、そこについての信頼性はあるし、個別的労使紛争についてこれをやると。そこで実績を見て、ステップをもう一つ上げるかどうか、これを議論するのが現状かなとは思っています。
ただ、先ほどのように裁判はきちんと、労働事件での裁判官がすべて私たちが考えているような時代の変化や労使のいわゆる機微とか、こういうものを当事者が主張すればちゃんと感じてやっていると言われると、甚だ疑問だと、これは一言だけ言っておきたいというのが私の立場からの話です。
○山口委員 私もよくわかりませんが、昔と比べて労働訴訟に対する当事者の意識はかなり変わってきている。言われたように、20年前は裁判官室のドアが蹴破られたという話も伝説として聞きますが、少なくとも現状はそういうことはないので、その辺はかなり変わってきていると思います。しかしビラをまかれる状況は変わっていませんので、どこまで変わってきているかはいわく言いがたいところもあるのですが、少なくとも個別労働紛争につきましては、当事者双方でルールに従ってそれぞれの主張立証をやっていこうという基本的なスタンスはあるような感じがしていますので、そういう意味で言えば、中身の勝ち負けについては、石嵜委員が言われるようにお互いにいろいろ意見はあるのでしょうが、訴訟の進め方についてはかなり共通の理解ができつつある状況にあると思います。
裁判が正しいかどうかということについてはいろいろな見方があるし、いろいろな意見があるし、怒られるかもしれませんけれども、基本的には主張立証が十分いったかどうかでこちらの方は考えざるを得ないところもありますので何とも申し上げられませんけれども、そういうことであるのであれば、専門家が必要な場合の専門委員の導入なり、あるいは専門委員導入で想定される部分では足りなければほかの部分を考えていくということは、可能性としてはないわけではないという気がしますので、どういうところにどういう形でどの程度入っていくかということも議論する価値はあるのだろうと思っています。
○小島氏 髙木委員には申し訳ないのですが、我々使用者側はこれまで基本的には参審制には余り賛成できないという意見を述べてきておりまして、先般、会員のアンケートなどをとりましたところ、参審制に賛成という会社は5%にも満たない状況なんですね。ですから、労働事件の一方当事者である使用者側がこういう状態で、参審制に進んでいくことは非常に困ると考えております。
では専門家が参与するという観点からどんなことが考えられるかというと、仮に私もそういう専門家だとすると、まずできそうなことは、事件の問題点を見つけるとか、その問題が起こってきた本当の理由は何であろうかというようなことを考える。あるいは、どういうことをしたら当事者双方が比較的傷つかないで満足できるような解決策が見つかるだろうかという分野でございまして、これは言ってみれば訴訟手続の外で斡旋とか調停という分野であろうと思うんですね。
もう少し中へ入ってきて、仮に山口裁判長が外資系の賃金制度はどうもよくわからない、どういうところに特徴があるのかということをお尋ねになったとすれば、多分私は相当わかりやすく御説明できるだろう。そしてそれが一般の会社とどのように違うか、どういうところが従業員によくて、どういうところが悪いのかということをお話しすることはできるかもしれない。それは多分、専門委員と言われているようなものではなかろうか。あるいは、もう少し司法手続の中へ入ってきてくれということであれば、司法委員のような格好でお手伝いができるかもしれない。
しかしその先の話になると、最終的な権利義務を確定してほしい、裁判所にルールをつくる役割をしてほしいという期待を持っている人たちからいたしますと、そこへ素人が入ってくることは、信頼性という点から非常に問題が起きるのではなかろうか。特に事実の認定や証拠の取捨選択、判断という話になると、相当の訓練を受けた人でないと信頼感を持たれることはないのではなかろうかと思うんですね。
私も、もしかしたら結論的には自分の体験に基づいてこんなことがあり得るはずはないのでこうだというようなことが言えて、それがたまたま当たるということはあるかもしれませんが、それは恐らく民事裁判、民事訴訟の手続とは全く似て非なるものではなかろうかと思うんですね。
そういう意味で、この制度そのものが国民の信頼を得るためには、先ほどからテストをしてみるという発想について御批判も出ておりますけれども、労働委員会の参与制度ぐらいしか見たことはないというのが我々なのでありますから、やはり何かしら、労働調停か、あるいはそれにかわるようなもので実績を積んだ上で、次のステップとして何かを考えるような方向が現実的なものではなかろうか。また、それ以外にはどうもなさそうだと考えております。
○髙木委員 いろいろな論点を一緒に言われたので反論をどう言うとよいかなと思いますが、今の日本の労働裁判の実情、例えば資料132の4ページの7(4)ですか、「以下の点からすれば、関与する者の意見が一致するかは疑問である……我が国では労使対立の厳しい事件が訴訟となることが多いこと」という表現がある。これはなぜこういう表現が当たり前のようになされる実態なのか。「労使対立の厳しい事件」というのは、労使対立とはそもそも何なのか。日本の事件数もかなり増えてきているということを山口委員からもお聞きしたりもしていますけれど、従来は世に言うコストに合わない紛争というのでしょうか、そんなものしか裁判所へはなかなか上がっていかなかった。一般的にこういう問題があって紛争解決をしてほしいという紛争のある部分はADR的なところでも少しは裁かれていったのかもしれません。だから、ドイツの60万件と日本の3,000件を一緒にしていいのかという議論もありますが、そういう意味でコストに合わない紛争といいますか、コストを度外視してでも、これは白黒をつけてほしいという紛争が多かったという今の労働裁判の現状をどのようにお考えなのか。そういう意味で裁判が最後の決着をつけていただく場でもありますし、そこに出された決着のつけられ方によって、それが職場へのフィードバック機能も持つわけでしょうし、あるいはそのことによって教育効果もあるのでしょうし、そういうことを含めまして、日本の労働裁判の現状をどうしていったらいいのか。
それと、いろいろな相談件数100万件に及ぶという中で、3,000件ぐらいしか裁判所に訴訟提起されない実態。ところがその陰で何が起こっているのか。多くは泣き寝入りとばかりは言いませんが、別途のチャンネルでの解決も行われているのかもしれませんが、我々の立場から言うと、泣き寝入りしている人も大分おるなという認識もありますし、労働委員会のことをおっしゃいますが、労働委員会にきますのは、斡旋やら調停にくるものは労働条件の高さ等を問うというものもいろいろありますので、労組法7条で不当労働行為で上がってきますものは、基本的には不当労働行為があったという自覚症状のもとに労働委員会に上げるわけです。それが本当の意味での不当労働行為に当たるかどうかについて審査ということをいろいろやるわけですが、そもそもそんなことはなかったら労働委員会には上がってこないわけです。そういうふうに自覚するような、そういう意味では不当労働行為のような世界はいかがなものかという、そういう経営側の御対応ではないかなと思うような事件も労働委員会に上がってくるものの中にたくさんあるわけです。そういう意味で、おっしゃったお話の中で今の労働事件に関する紛争解決システムをトータルで見てどういうことだと。例えば労働調停なら経験のある者を入れてやっていいけれども、労働調停はよくてなぜ裁判は悪いのだと。労働調停にも中立公正性は当然求められるわけでございます。労働調停なら何となくそういうことになるだろうと思えて、参審制ならなぜ思えないのか。その辺をどのように御認識なのか。
それと人材の問題ですが、では民事訴訟にかかる訴訟法にも、手続にも実務にも精通している者でなければならないということではないと思います。もちろん少しはそういうことも承知はしておかなければいけないと思いますが、一番求められているのは、小島さんがいみじくも言われた外資系の労働条件はこういう感覚でできているというようなことについて、外資系以外の企業とどういう感覚的な違いがあるのかというのは小島さんが一番よく御存じでしょうし、そういうものを裁判の中で実際に事実認定をするに当たってのベースとして、感覚として裁判廷に注入するというか、そういうものをくみ取ってもらうということで、私どももいろいろなことにかかわってきましたが、最初に話を聞いて、これはこういう話だろうなというのは大体そういう話です。多分こういうことはやられたことがあったでしょうと、大体文書を見せて下さいと言うと、中には隠す人もおりますが、やはり出てきます。そういう意味でのいわゆる物理学やら医学にかかわるような専門性とはちょっと違う意味でのことはたくさんあるように思います。
そういう意味では人を得てと後藤委員にも大分心配していただいているようですが、私は以前、何万人というオーダーで求められたらとてもではありませんが、少なくとも数百人あるいは千人ぐらいのオーダーであれば、もちろんそういうことになればそういう対象になっていただく方々にそれなりに勉強の機会を用意し、そういうカリキュラムについてもきちんとしたものにしていかなければいけないということは当然考えていますし、そういう意味で人の問題、人を得てというのはそのとおりだろうと思いますが、人を得てというところでどういうことなら御懸念がないのかということについても、いざやるとなったら、せめてこういうことができていないと無理だというのは当然あるでしょうから、どういうことになっていないと人を得てということにならないのか、なるのか。その辺についてもある種のイメージを議論していただく必要があるのではないかと思います。
そういう意味ではヨーロッパ諸国で、若干制度の細部は違うにしましても、こういう仕組みで裁判をしている実績がありまして、これについては7月5日にいろいろ聞かせていただけると思いますので。我々日本はまだ経験がないですから。また先ほどの習熟論ですけれど、こういう議論ばかりしていて本当にいいのかなと思います。
○山口委員 私もそれはそう思うんです。
○髙木委員 だから、どうなったらできるのだということなのですか。やってみて、また別途引き続き検討の場をつくればいいと先ほど山口委員は言われたけれど、それをやると、また次にもう一遍検討の場をつくりましょうということになります。
○山口委員 労使の専門家の方が入って、外資系なら外資系についての経験則といいますか、労使慣行のようなものについて言うことができるのではないかということですが、それは確かにそうかもしれませんが、もし参審という形で入ってくると、参審員の方々がきちんとした事実認定、きちんとした法的判断ができないと、それはやはりだめなのではないかと思うんです。言われましたように、裁判は一定の権利義務を確定するわけですし、しかもそれについて一方当事者を勝たせる、逆に言うと一方当事者を負かすわけですから、やはりそれなりの重みがある。その勝ち負けを決めるのは一定の事実を認定して、それに基づいて法的な判断を加える。こういう過程を経るわけですから、その事実認定についてもきちんとした形で意見が言えなければ、それは意見を言うということが必要なことだろうと思いますし、法的判断についてはきちんとした意見を言えるということがあって初めて入ってくる意味合いがあるのではないかと私は思います。
現実の事実認定の問題も、例えばいろいろな書証なり、あるいはいろいろな人証を踏まえて、例えばどの部分がとれてどの部分がとれないのかということもきちんと議論できるような形で、そういう議論ができるような形で入ってきてもらわないと、一定の企業の中の慣行はこうだというところは言えても、ほかの部分では言えないというのであれば、肝心な認定なり判断について十分に耐えられるのかということになると、率直なところは問題があるのかなと思ったりしています。
○髙木委員 心証形成というのはどういうことを意味するのですか、心証とは何ですか。
○鵜飼委員 小島さんの御発言について、私はハードルを高く設定されているという感じがするんですね。アンケート調査も、もし仮に裁判員制度を実施することについてどうかということを国民にアンケート調査をする場合、アンケート調査の仕方によっては大きく変わってくると思うんですね。それは、ある意味で裁判官と同じように事実を認定し、量刑までやるわけですから、有罪・無罪まで判断するわけですから、それも重大な事件ですよね。果たして素人にやれるのかということになってきますと、相当意見は分かれるのではないかと思います。しかし、司法制度改革審議会の意見の中で1つのコンセンサスとして、裁判員制度が導入されることが決まって今、制度設計されています。これは、裁判における事実認定は非常に重要な要素ですけれども、裁判官の中でもこの間非常に議論されてきまして、つまるところ、もちろん事実認定をするための研さん・努力はどうしても必要のですが、一方でどうしても個々の職業裁判官にも限界があることは間違いないんですね。職業裁判官の知見とかそういうものには当然限界がございますので、本当に熟達した裁判官の議論の中でも、事実認定は誰でもできるというのが大原則ではないかという意見すらあるわけです。それを具体的に実施しているのは英米、陪審制度とか参審制度なのですが、要するに基本的に誰でもできるのだと、社会生活上のさまざまな知識、経験則を持っていれば、それを引き受ける責任と覚悟をきちんと持ってやれば、それはできるのだと、それがある意味では民主主義社会において国民に求められるものだというのが、陪審制、参審制を成り立たせる根拠になると思うんですね。
そういう意味では事実認定は、職業裁判官は職業裁判官という限られた閉ざされた生活空間の中で、もちろん訴訟手続のエキスパートとして訓練されていくわけですけれども、しかし実際の職業体験がないわけです。要するに雇用社会において自ら働いた体験はないわけですね。それはもう間違いない事実なので、そこで起こってくるさまざまな紛争について、先ほど小島氏がおっしゃったように、問題点はどこにあるかとか、一体その真相はどこにあるかとか、双方が傷つかない解決法はどうなのかということをお考えになる能力、洞察力は、確かに職業裁判官も訓練されてそういうものを持つことができないとは言えませんが、やはり雇用社会の中でその問題を普段やっていらっしゃる、雇用社会の中でさまざまな実務を担当している人たちが、むしろ洞察力については優れていると思うんですね。責任を持ってそれを引き受けるのだという覚悟のもとでやられる必要があることはもちろんでありますが、そういう意味で、裁判というのはその先の話ではなくて、労働調停のレベルとそうは違わない。例えば解雇事件1つにしましても、日本の法規範、まあどこでもそうですけれど、正当性とか公正性といっても、結局は日本で言うと合理性、社会的相当性ということですが、これは非常に一般的、抽象的な規範なんですね。それが例えば、会社はこのような理由で解雇した、それに基づく資料はこういうものがある、労働者はそれに対して反論する、反証を出す。その中で一体事実はどこにあって、合理性があるのか、相当性があるのかということを判断する。その場合、職業裁判官の限られた人生体験とか経験則だけでいいのか。そこに労使が自らの経験則を持って、先ほども言いましたけれども、通常の労働者であればこうであろう、通常の使用者であればこうであろうというのが1つの指針になるとは思うのですが、イギリスなどではそういう形で判断されていると言われていますが、そういうものを労使が出してきて議論していく中で、より合理的な判断をする。これは参審制が実施されている国で既に実証されていることではないかと私自身思っております。
したがって、人を得るという点はむしろその仕事を引き受ける覚悟はあるか。私はむしろ労使はその責任をぜひ引き受けてほしい。これからは雇用社会の中でさまざまな紛争が発生し、現在も発生しておりますが、先ほど山口委員が現在の労働裁判に問題はないとおっしゃっていましたけれども、実証せよと言われると、具体的なケースを出して立証するということになると、負けたからそうじゃないかとか、勝ったからそうじゃないかということを言われたら困りますけれども。
この前、全国労政連絡会のアンケート調査もありましたが、相談窓口に来る人たちがなかなか裁判を利用できない、裁判は見通しがなかなか立たない。いつ解決できるかわからない、時間の問題もある。コストの問題もそうですけれど、そういう意味で裁判が利用できないという声は、裁判を利用する側、提訴側は99%労働者ですから、そういう人たちにそういう声が蔓延していることは間違いないわけです。現在の裁判が使い勝手が悪いという中には、アクセスの問題だけではなくて裁判の見通し。例えば仮処分で勝って本案訴訟に負ける、一たん首がつながり、さらにその後の本案訴訟で負けてしまう。これは、ある意味では労働者にとって重要な選択肢をそういうことでゆだねていいのかという問題になってくるわけです。そこに私は、労使の実情、例えば使用者側は使用者、労働者側は労働者の日常をよく知っている方がそこにいらっしゃることによって、1つの結論についても納得性が得られることは参審制の実績から見てもそうなのじゃないでしょうか。
日本では、外国に比べて雇用社会において法というものが十分機能していないと思うんですね。例えば内部告発制度にしても、私はアメリカに行っていろいろ聞いたのですが、日本においては内部告発は非常に少ない、圧倒的に数が少ない。それは法に基づいて問題処理をしていこうということが日本ではまだまだ弱い。それをもっと法化社会と言いましょうか、法の血肉化と言いましょうか、そういうことを志向しているのが司法制度改革審議会意見書でありますし、労働検討会もその基本的な理念に基づいてやっているわけですが、そうだとすれば、ぜひ使用者側にもその責任を引き受ける……今までからすると個別のレベルの問題を越えたもっと一般的な法規範を個別の紛争において実現していくかという意味では大きな責任を持つことになりますけれども、裁判員制度に比べて労使はその問題に関心を持って責任を引き受けてもらうべきではないかと思っています。
○小島氏 人材の件ですが、いつかここで30人という話をして物議を醸したのですけれども、アンケートでいろいろやってみまして、出せるという数だけから言うとその倍ぐらいはいそうだということです。けれども、本当にそれができる人なのかどうかという議論になるとまた別ですけれど、ただイメージ的にやれそうというのは、私が考えていた倍ぐらいはいる。ただ、髙木委員がおっしゃった800人という数をこちら側から出すことは、とてもではないけれどできないということです。
これは責任の問題というよりも、先ほど鵜飼先生はハードルの高さをどこに設定するかということをおっしゃっていたのですが、そういう問題だろうと思うんですね。私は、裁判と調停とは相当違うと考えているんですね。調停こそ知恵とか経験を活用する場であって、調停の場では恐らく50:50とか70:30とか、いろいろな落着の仕方が考えられると思うんです。ところが裁判は、先ほど山口先生もおっしゃったように、勝ちか負けかということを決めるわけで、勝ちにしたら勝った方が本当に喜ぶのかというとそうでない場合もあるわけですね。それを決めるのが裁判ということになるわけですから、そこへ中途半端な人が入っていくことは問題が起きるのではなかろうか。特に現在、先ほど来お話に出ている中立公正性に関しては裁判所への信頼はほとんど疑問の余地がないぐらい高いと思うんですね。
そういう状態のときに労使が入ってきますと、これはいろいろなケースがあると思いますが、恐らく政治的なショーになるようなこともあり得るわけですね。そうすると、労側からついた人は労働者を支持する、使用者側からついた人は使用者側を支持するということになってくる危険性は非常に高いのではないかと思うんです。これはまさに現在労働委員会の不当労働行為事件の参与委員意見開陳というときに、逆の意見を言ったという話は聞いたことは私はないですね。使用者側の意見は基本的には不当労働行為はないとか、あるいは幾つかの問題点を否定するものであって、労働者側参与委員の意見は大体不当労働行為があったということであったという理解なんですね。ただ、出たことはないのでわかりませんが、大体そういう話を聞いています。恐らくそういうことになって、かえって裁判官は困るのではないか。非常にまれには、労使の委員が一致して裁判官が2対1で破れることになることもあるのかなと思いますけれども、多分今よりもややこしくなるだろうと思います。
髙木委員から御指摘のあったたくさんある事件、苦情をどうするのか。使用者側が今一生懸命やっていることは、会社独自の苦情処理機関をつくって充実すること。もう一つは、ADRをたくさんつくっていただいていますから、ADRを活用することによって、ドイツの何十万に相当するような事件のかなりの部分がADRへ流れるであろうと考えていますし、ADRの方へは使用者もできる限りの形で協力したい。もちろん裁判制度の方もやれる範囲ではやりますが、参審制度はちょっと無理ではないかと考えています。
○菅野座長 今のお話で、労働委員会でも労使委員がそれぞれの立場を離れて結論を言うことはあります。ただ、そんなに多くはありませんが。
○石嵜委員 人材の架空の世界の話になると、私はいつも小島先生とはぶつかっているのですけれども、議論を混乱させたくはないのですが1つ言えるのは、労働参審制をどうとらえているかだと思うんです。それは職業裁判官と素人裁判官というふうに呼び方をかえているんですね。したがって、あくまでも労使の代表、推薦されてきた人たちは素人なんですね。したがって、そのやり方としてイギリスは何をやったかというと、労使利益の代表を最初は労使で推薦したけれど、それでは十分な機能、いろいろな差別問題も含めて、今は公募しているというんですね。それも5年以上のいわゆる労働側での経験と使用者側での経験をもってして素人裁判官の要件として公募する。そういう人を関与させて行うことが今の状況下で可能か、意味があるかと考えるのであって、人材論のレベル論は裁判官同様に事実認定できるかどうかという形なら最初から無理に決まっている。ですから、そういうことを労働参審制は議論するのかなというのが1つあるんです。しかし、特にイギリスの話で経営法曹の先生方と結論が一致してしまうのは、向こうはそういう素人に対して労働専門の職業裁判官なんですね。今の裁判官の人たちに怒られるかもしれませんが、確かに日本も職業裁判官だけれど、では労働事件について専門家かというと東京地裁も3年ぐらいのローテーションでおられて、ほとんど雇用社会にもほとんど経験がない。司法試験に受かって司法研修所に行って裁判官になられて、雇用社会の経験もない。加えて労働事件に関する経験もない中で、そういう素人裁判官を一緒に入れて、雇用社会の労働事件に対する素人である職業裁判官で裁判を実施して起きる混乱が、今の時点で国民の信頼を保ちながら継続的に行うシステムとしては、やはり少しリスクが大き過ぎるのではないか。
その意味では、私が常に言うように、今の裁判所に労働事件を担当する裁判官、専門にしろと言うと専門バカにするのかとこの間怒られましたけれども、一定の継続的な担当とか教育研修をもっと増やすか、教育研修でも足りないとは言っているのですけれども、やはりやるしかないですから、それと同時に国民に、労使が参与していろいろな形で調停でもこれでもやってみたらうまくいっているのを見ていく、そういう過渡期がやはり要るのだろう。やはり現時点即労働参審制の導入は難しいのだろう。ただし人材論については、山口委員と小島先生がおっしゃったような高い議論をしているのではないと思いますけれども。
○髙木委員 英語で言うとレイジャッジという「レイ」という言葉がついていたり、先ほどの身分云々で中立公正性を担保する御意見も、ドイツでは名誉職裁判官と言うのですか、ドイツ語で何というか知りませんが、恐らく報酬みたいなものも、交通費ぐらいは出ているのかどうか知りませんが、たくさんあるような話も聞きませんし、そういう意味ではいろいろなもののとらえ方について、この点はこういうふうに認識しましょうというところを、お互いがそれぞれのイメージで認識しているところがあって、その認識の違いを前提に議論するから、どうも議論がかみ合わないというのを前々から感じておりました。例えば、資料132の4ページ、7(4)で、「関与する者が不意打ち的に新たな争点を提示する等して、かえって争点を拡散させるおそれがある」という御意見があったのですが、これは率直に言うと、ためにする議論ではないかという気がしておりまして、職業裁判官の争点整理が適正に行われていれば、こういうことが言えるとは私は思わない。先ほど春日先生もおっしゃったように、その辺の仕切りはみんなプロの裁判官の人たちがいてやられるわけですから。
○鵜飼委員 小島さんにぜひお願いしたいのは、参審制を導入したら労使の参審員の意見がまれに一致するというようなことをおっしゃいましたね。これは比較法的に言うと、例えばフランスでは実証的に95%以上が労使の裁判官が一致して、それが一致しないケースについて職業裁判官が入る。私もイギリスの裁判官に直接聞いたところでは、労使が意見が一致しなかったことは8年間で4件しかなかったということでした。7月5日にイギリス、ドイツから裁判官が来てお話しくださいますので、その辺をぜひ確認していただきたいと思います。これは法文化の違いなのか、あるいは労使関係の違いなのかということですけれども、私は日本の労使関係は、イギリスやフランスなどに比べてもっと協調的であろうと思いますし、意見が対立するようなことを特別に日本だから逆転するというようなことはないのではないかと思うんですね。その辺は前提とする認識として、労働参審制の場合に意見が対立して一致するのは少数なのだという認識はちょっと違うのではないかと思いますので、その辺はできれば7月5日に確認していただければと思います。
○小島氏 私がまれにと申し上げたのは、2人だけは一致したけれど職業裁判官の意見が違うということで、2人の意見で判決が出るということも理論上は出てきますねということを申し上げたかったわけです。
○鵜飼委員 まれにそういうケースがあるのではないかということですね。
○小島氏 まれか多くなるかはわかりませんが。
○鵜飼委員 それはまれですね。
○石嵜委員 間違いなくまれですよ。
○菅野座長 それでは10分休憩してよろしいでしょうか。
(休 憩)
○菅野座長 それでは再開いたします。
休憩前の議論で私が申し上げた労働参審制に関する論点は大体カバーされたと思いますが、なおまだ言い足りないというお気持ちを持っているかとも思います。そういう御意見をさらに出していただいて結構なのですが、それとともに、そろそろ中間的な制度の方向性や他の選択肢についての御意見も併せてお出しいただければと思います。今後の進行を考えるとそういう議論もしていただいた方がいいのではないかと思いますので、よろしくお願いいたします。最後に20分弱ぐらいは労働調停の検討もしたいと思います。よろしくお願いします。
○春日委員 先ほど来、参審制度の導入の是非の議論が中心で、それはそれとして議論が深まって大変いいことだと思っているのですが、今、座長もおっしゃったように、参審制度の導入の是非という形で、そればかり議論しているのはどうかということも若干考えまして、私はここ2回ほど、二者択一も1つの考え方だろうけれども、そればかり議論していても前進するかというと必ずしもそうでもないのではなかろうかということで、それにプラスしてパブリック・コメントを求める時期のこともありますし、ある程度の段階に来たらいわゆる中間的な選択肢のようなものも模索してほしいと言っていたわけです。ですから、そういう議論も可能であるならばやっていただきたいと思っています。
先ほど石嵜委員から、現状の労働訴訟については不備もある、補う点もあるのではないかという、この「補う点」が1つ重要な点かと思いました。補うということですから、現状の労働裁判について不備な点がある、だからということで、即直ちに参審制にということにはならないだろう。というと、ある種の中間的な手続のようなもの、あるいは現状を前提にした上での可能な手続を考える必要があるのではないかと思います。
そうはいえども、具体的にどういう手続にするかなど技術的な問題もたくさんあるでしょうし、それらを乗り越えた上でなお新しい手続を考えるのかというと、これもまた非常に難しいわけです。そうすると当面は、少なくとも従来から議論に乗っているのは労働調停で、これも地裁にするか簡裁にするかなど議論がありますけれども、少なくとも労働調停では労使の調停委員が関与するという点では一致していると思います。ただ、特に髙木委員や鵜飼委員は、それよりももっと労使の専門的な知見を入れられるような参審制をおっしゃっているのだろうと思います。その中間ということになると、考え得るのは労使双方の委員が加わるような形で、なおかつ労働調停のようなものではない。労働調停では当事者が応じなければ手続は進められない。仮に手続に応じても合意が成立しなければ、それで取り下げてもらうか不成立にせざるを得ない。そういう手続ですが、そういうものではなくて、労使双方の委員が加わっている手続だから、労働調停よりもパワーアップした手続を考えていくことも1つの選択肢としては入るのではないかと思っているわけです。
そういう手続を考えると、少なくとも労使双方の委員が加わる手続ですから、訴訟手続まではいかない。参審のような手続まではいかないとしても、そこでは裁判という形式での判断を出していただくということを考えるかなんかしないと、労働調停よりパワーアップしたものにはならないのではないか。ある種のそういう手続も選択肢の1つに入れてみてはいかがかというのが私の意見です。
これはもともと私の意見というよりも、むしろ司法制度改革審議会の意見書を見ると、雇用・労使関係に関する専門的知識経験を有する者の関与はあってしかるべきだということが挙がっているわけです。もう一つは、訴訟手続との連携を強化することもそこには挙がっていますので、そういう面から従来の調停というか、あるいはこれまでこの委員会で議論されてきた労働調停プラス、もう少しパワーアップしたもの、あるいは機能的にもう少し充実させた手続を考え得るのではないか。そうすると、鵜飼委員がおっしゃっているように、ドイツやイギリスでの労働裁判所での基本的な考え方もくみ上げることができるような気もいたしますし、まんざら絵に描いた餅でもないような気がいたします。
もう一つ付け加えますと、これは労働調停のときにも言われたのですが、しかし手続を余り重たいものにすると、この手続を利用したがらないということもあるでしょうし、労使と裁判官が関与するとしても、そう重くない手続でできる限り適正・迅速に処理できるようなもの、ある種の理想も入っているのですが、そういうものを考えていただけないかなという気がいたします。
○菅野座長 ほかにはいかがでしょうか。
○髙木委員 参審制等の利用という意味で当事者の意向を反映する云々の項目も記載されておりますが、当事者に対する手続保障という意味では、参審制が導入されても私は何ら変わるところはないのではないかと思います。ここで、「外部の者が当事者に明らかでない形で関与することにより、事実認定や判断過程にブラックボックスができるおそれがある」という批判がございますけれど、これは労働委員会の参与制のイメージの延長線上にある御批判かどうかよくわかりませんが、いずれにしてもこれは参審制に対する批判とは無関係ではないかという印象がございます。
もう一つは、忌避云々のことも出ておりますが、参審制という裁判制度のもとで一般論としての忌避の制度はあるのかもしれませんが、当事者の自由選択に委ねるのはいかがかなという意見でございます。
○菅野座長 今のように、参審制に関する補足的な意見でも結構ですし、中間的な方向に関する御意見でも結構ですが。
○山川委員 今の透明性云々というお話ともかかわりがあるのですが、前回か前々回、いろいろな次元の組み合わせで整理ができるのではないかというお話を申し上げたと思います。ちょっと考えてみただけですけれども、恐らく3つの座標軸があるのではないかという気がしています。
1つの座標軸は、いわば専門家の関与する程度になります。ゼロはともかくとして、説明をすること、意見陳述、評議に加わること、決定に加わることの4つぐらいの次元にまず分かれるのではないか。図を使って説明するともっとわかりやすいかもしれませんけれども、もう一つの軸としては手続の進行段階がありまして、提訴はともかくとして準備段階、証拠調べ、和解、何らかの形での判決なりいろいろな形での裁定という最終段階に至るまで、いくつかの段階があります。3番目の軸が、手続のフォーマルさのようなもので、調停、訴訟などが考えられます。この3次元の組み合わせになるような気がします。
それぞれの座標軸がすべて独立ではないとは思うのですが、一応便宜上独立とすると、例えば専門委員は期日等において説明をするということで、いわば関与の仕方としてはかなり弱いものになるかと思います。もちろん参審制は決定ですから、フォーマルな手続での決定段階まで関与するので、ある意味で一番強いということになると思いますが、その中間に、簡易裁判所での司法委員のようなものがあります。そこでは、評議に加わったり、あるいは意見陳述をしたりという関与もあります。この評議と意見陳述の違いもいまひとつはっきりしない点がありまして、労働委員会型の意見陳述もあると思いますし、それにもとづき議論する形、労働委員会でもやろうと思えば議論はできるかと思いますが、意見陳述プラス議論という形もあろうかと思います。それはある意味で司法委員と労働委員会型の意見陳述の中間的なものかもしれませんが。
どれがいいかということではありませんが、前回申し上げた選択肢という点からすると、この3次元の中でそれぞれ適切な値をとって懸念を払拭できるようなものがあり得るのではないか。その意味でブレーンストーミングとして選択肢を挙げてみたにとどまりますけれども。
○春日委員 1番目は専門家の関与の度合いということでよろしいのですか。それと2番目はどういうものになるのでしょうか。
○山川委員 手続の進行段階といいますか…。
○春日委員 3番目が手続のフォーマルさですね。
○菅野座長 進行段階では幾つかあるのですか。
○山川委員 これはいわば準備、つまり争点整理、証拠の整理と証拠調べそのもの、それから裁定で、合議・評議がそこに入るかもしれません。和解はどの段階でもできることはできるのですが。
○菅野座長 手続のコーナーは類型は幾つか考えているのですか。
○山川委員 今のところ調停、訴訟と、簡易裁判所の手続あるいは少額訴訟のようなもの、ちょっと次元が違いますけれども、よりシンプルな訴訟手続などがありえます。……ここは前例等も余りないかと思いますので、まだ深く考えていないのですが、一応現状であるものを整理するとそういうことになるのかなという程度です。
○春日委員 フォーマル性に関連するのかもしれないのですが、裁判の形式はどうなのでしょうか。一般的には判決、決定、命令という分け方をしているけれど、例えば決定でいくとか。
○山川委員 その意味では、現行法では仮処分はここに入るかと思います。
○春日委員 例えば山川先生としては、こういうものがお勧めとかそういうものは何かないのですか。
○山川委員 とりあえずブレーンストーミングとして出しているということです。
○春日委員 専門家の関与ではどの程度とか、手続進行段階ではどの程度か、手続のフォーマル性でどの程度というのは何かあるのでしょうか。
○山川委員 現行の専門委員だけですと、ある意味で非常に弱いのかなという感じはしておりますけれども。現行といっても、現在の新民事訴訟法下での専門委員ということですが。
○菅野座長 今日は、この点ではこういうことが考えられるという可能性を探るような議論で結構かと思うのですが、いろいろ出していただければと思います。
○春日委員 そういう意味では先ほど鵜飼委員がおっしゃったように、参審制といっても参与と参審の間のようなものも考えられるというような、これは個人的な話の中で出ていたのですが、これは専門家の関与の度合いということなのかなと思うのですけれども、事実認定、法的判断のすべてに裁判官と同じく関与する。これは現実問題としてそこまでトレーニングを積んでいない方が関与するということになると、そこまで国民は期待しているかというと必ずしもそうではないような気がいたしますので、そういう意味では関与の程度は参審制より若干弱まることをイメージしてもいいのではないかとは思うのですけれども。
○鵜飼委員 今の点は休憩時間に春日先生と少しお話ししたのですが、特にイギリスの参審制を見学した状況を見ますと、訴訟指揮等については裁判官がかなりリーダーシップを発揮していらっしゃいますし、そういう意味では裁判官の役割は非常に大きいという実感がありますが、訴訟の各段階ごとに労使委員がそれぞれの労使委員の知見を披瀝して議論しながら一定の結論に到達していく。それも、集中審理で1日の朝から晩まで行う中で多くの事件は一致した結論を出すという、見学をした印象を春日先生にお話ししたので、参審制というと、すべて3人の裁判官がいて、それぞれの裁判官が独立した大きな権限を行使している、そして労使がそれぞれの見解に基づいて意見を述べるというイメージでは実際はないのではないかということを申し上げたわけです。
法律の専門家であり、訴訟手続のエキスパートは職業裁判官ですので、その辺のリーダーシップはドイツにおいてもイギリスにおいても発揮していますし、それは期待されているのではないか。そこに 労使の経験則、知識経験が導入されて反映されていく。こういう手続ではないかということを印象として申し上げたわけです。
先ほど髙木委員がおっしゃった当事者の意向の反映の在り方について専門委員のような同意、関与する者の意見を当事者双方から認識できる云々についての反論をされましたが、私も全く同じ意見です。これは新しい民事訴訟法の改正で専門委員制度が導入されますけれども、そこで専門委員制度として想定されているのは医療過誤訴訟であるとか建築訴訟という技術的・専門的な知識経験の必要な事項について専門委員に説明を求めるということだろうと思いますので、その場合、特に医療過誤訴訟の場合は医師側あるいは患者側双方の意見が対立しますし、医者の側にも派閥などいろいろな問題があって、中立公正性が担保できないということがあって透明性の確保を特に求めて、そういう意味で新しい民訴法の改正の中で当事者の意向の反映が特に設けられているということだろうと思います。
そういう意味では、ここで議論している労使の専門的な知識経験を裁判手続に導入することとはちょっと次元が違う、立法趣旨が違うのではないか。まさに1つの線として、プロセスとして裁判手続の中で反映させていくという議論ですので、その意味でこの議論は妥当しないのではないかと思います。
○山口委員 専門委員についていろいろな見方はあるかもしれませんが、少なくとも新しい民訴法で専門委員が使えるわけですから、基本的にはそれではどういうところが足りなくて、どういうところを補足しなければいけないのかということを議論していかなければいけないのではないかという気がしているのが1つと、参審をおっしゃる方は、先ほどの山川委員の話とも絡むのですが、訴訟手続のどの段階で関与すべきだとおっしゃるのか、御意見を聞いていても、例えば証拠調べのときだけでいいとおっしゃるのか、それとも最初から最後までという形でおっしゃるのか、人によって多少違うような感じもしますので、その辺はどういうお考えなのかお聞かせ願えればと思います。
○鵜飼委員 参審員の負担の問題もあると思うんですね。労働裁判をより迅速に適正に行うという場合に、これはまだ私の意見がそういうふうにかたまっているわけではないのですが、解雇事件が本案訴訟でできるような、早期に争点整理、証拠整理を行って、できれば1回の集中審理で結論が出せるような訴訟進行ということを考えますと、集中審理の場には労使が参加することは必要不可欠だろうと思いますね。
争点整理の段階で果たして労使の参審員が関与すべきかどうかということですが、少なくともイギリスにおいてはそこは関与していないですね。関与すべきなのか、すべきではないのかは、争点整理の段階で参審員がいることによって争点整理がより効率的に円滑に行われるのか、もしそうであるとすれば、参審員が関与したほうがよろしいでしょうし、私はその辺はまだ結論は出していませんが、少なくともイギリスのモデルからは、集中審理の段階で参審員が関与し、評決、合議に関与して結論を出す仕組みになっていると思います。
7月5日にイギリスの裁判官がいらっしゃいますので、争点整理は職業裁判官が行うのですが、その辺の全体の流れの中での労使の経験則の導入の問題については私も質問したいと思っています。
ただ、労働事件でも双方主張が、争点整理もそう簡単にできなくて、かなり長期的な審理が必要な事件はイギリス、ドイツにおいてもあるわけで、差別事件や不当労働行為事件が典型的なケースだと思いますが、そういうケースについてはその過程に参審の裁判官が関与しているのではないか。争点整理だけでも簡単なものではないと思うのですが、その辺は私自身もはっきり事実をつかんでおりませんけれども。何回も証人調べが行われて、その都度参審裁判官が出席して関与するのは非常に負担が大きいのですが、一方でそういう事実はあると聞いています。
○菅野座長 先ほど山口委員が言われた専門委員制度は、労働事件においてどのように活用することが考えられて、それは何が足りないのか、その辺の御意見があればどうぞ。例えばそれを強化するということは考えられるのかなど、いかがですか。
○鵜飼委員 専門委員制度は、先ほど小島さんがおっしゃったように、例えば外資系の賃金制度について説明せよという場合にそういうエキスパートの方が説明する。こういうのが専門委員制度にかなり近いイメージかなと思うのですが、例えば解雇についての合理性や相当性を判断する過程に関与するものとは専門委員制度は明らかに違うと思いますね。関与の程度の違いはありますけれども、内容も違うのではないかと私は思っています。
○山川委員 これから申し上げる制度がいいという趣旨では全くないというか、まだ具体的に考えていないのですけれども、たとえば、資料133の表を見てみますと、司法委員と専門委員が並んでいるわけですが、「○」のついている場所を単純に比較すると、司法委員は評議において意見を述べることができますし、期日においても意見を述べることができるわけですけれども、専門委員は説明という感じの位置づけに現在ではなっていると思いますが、論理的には評議の意見のほかに期日の意見のところに「○」がつくことも成り立ち得ないのではないと思います。繰り返しますけれども、それがいいという意味ではありません。
○村中委員 不勉強で申し訳ないのですが、専門委員制度の利用は裁判所が判断して職権で行うということですね。そうすると、例えば当事者が入れてほしいと言っても裁判所の方で必要ないと判断すると、それは入れないという制度と思ってよろしいですね。
○鵜飼委員 私の理解では、専門的な問題についての専門的な知識経験を、裁判所も含めて当事者双方に欠けているものについて専門委員が説明してその内容をわかりやすく理解できるようにする役割だと思いますが。もちろん専門的な知識経験を導入する手続では鑑定がありますし、あるいは調査官制度もありますが、鑑定は重いというか時間もかかることもあるので費用がかかるということがあって、もっと簡単にということではないかなと私自身は思っていますが、したがってある事項・問題について説明するという位置づけではないかと思っています。
○最高裁判所 法制審議会で専門委員を1人以上ということが議論されたときに、委員の中から労働事件についても考えるべきだということで、あえて1人以上と。要するに立場が違う人を2人入れることも十分考えられるということで1人以上という議論がされたことがございました。御参考までに。
○髙木委員 専門委員については関心もないのでと言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、今黙って聞いていたのですが、ちょっとイメージが違うと思うんですね。医療過誤や建築瑕疵とか。裁判所の方から法制審議会で労働事件というお話もあったけれども、その人がどういうイメージでそういう発言をされたのか私もよくわかりませんが、少なくともこの検討会でも以前に専門性について大分議論しましたね。それは例えば医療過誤で求められている専門性は少し違いますねという議論をしてきた経過があったと思うのですが、そういうスコープで見れば、資料に書いてあるようなイメージの専門委員は我々が議論の俎上に乗せるイメージのものではないと私は強く思っていますので、この議論に何かを申し上げる気持ちもありません。
○春日委員 法制審議会では労働事件でも使える、あるいは使えるようにしておきたい、そういう余地は残しておきたいということなのでしょうか。
○最高裁判所 そういう趣旨でございます。
○春日委員 髙木委員が参審制とおっしゃるときには、参審員も判決に直接関与するということをお考えになっていると思うんですね。問題は、使用者側といいますか、小島さんのお考えでは、それはとても難しいということだと思うんですね。その辺が両極端にかなり分かれている部分があると思うんです。これは全く仮定の話ですが、参審員が判決に関与しないという形での参審制が考えられるかとか、あるいは調停手続では先ほど言ったような欠点もあるので、それも許可したような手続で参審員が判断の部分まで関与できるなど、幾つかのバリエーションは考慮する余地は全くないのかという疑問を常々持っているのですが。
○菅野座長 それと、実は今回はほとんど議論されていないのですが、参与制のバリエーションというか、参与制にもいろいろなものがあり得ると思うのですが、労働委員会の参与制は、例えば判断については合議の最初に意見を述べるというだけの参与制ですけれども、使用者側が参与制も反対だという場合は、どの程度の参与制を考えておられるのでしょうか。
○鵜飼委員 先ほどの専門委員制度について申しますけれども、私どもも医療過誤訴訟などをやって、テクニカルタームというか薬剤名がいろいろ出てきたり、その用語の解説自体ももちろん医学用語辞典などを引きながらやっているのですが、やはりわかりやすく簡潔に説明してもらう人がいるかいないかは裁判の進行にとっても大きな意味があって、そういう意味での制度が専門委員制度であると私は理解しておりますので、労働事件でそういうことは、ある意味では立法趣旨から外れるのではないかと思っています。
参与制と参審制のバリエーションの話がありましたが、今まで議論されている中で、参審制についての反対論、危惧論は、多分実績がないというのはもうないからしようがないわけでありまして、具体的な危惧論がどの程度の根拠があるかないか、合理性があるかないかということを議論しなければいけない。それはここで詰めている段階ですけれども、私はその辺が十分議論が尽くされていないのではないかと思います。もしどうしても参審制導入に反対という場合に、最後に出てくる論拠は一体どういうものになってくるのか。中立公正性ということなのかどうか。さらに人材供給の部分は、国民の要請との絡みで、あるいはどの程度のレベルを要求するかというハードルの問題との絡みで出てきますし、一気にすべての事件でやるということではなくて、いろいろな制度設計の仕方もあり得ると思うのですが、最も参審制に反対される論拠は今の段階でどういうところになるのか。その辺をある程度まとめることができるのであれば出していただければと思っています。
○髙木委員 春日先生には先々のことを御心配していただいていろいろなお考えを出していただいているのですが、私たちの感覚からしますと、これは日本経団連さんに失礼になってもいけませんが、例えばいろいろな団体交渉をやりますね。そのときに組合の方はこういう趣旨でこういう要求にしましたという、いわゆる能書きを説明する。そうすると経営側は、そんなものは出されてもこれこれの理由でそう簡単にいかないという、また反論といいますか、経営側の立場での能書きを言う。現在の我々の議論は、そういう例えで言えば、大体能書きをお互いに言い合って、能書きの言い合いにちょっと疲れた……と言っては失礼ですが、これからどういうふうに着地点を見出すのかという議論は恐らく、着地点探しの努力をお互いがし合っているかというと、恐らくまだそういう段階に至っていないと思います。ただ、いつまでもこんなことばかりやっていてどうするのかという皆さんの御心配もそのとおりだと思います。むべなるかなと思いますので、皆さんもおっしゃるように、労使が不一致のものをやれと言うわけにいかないではないかと、山口委員もそういう趣旨のことをおっしゃいましたが、それでは労使が合わせてきたらやってくれるのですかという話になります。
そういう意味で合わせるような努力をする必要はあります。どの程度なら合わせられるのかはいろいろありますけれども、そういう意味でお互いに階段を上ったり下りたりしていないので、その辺の努力を座長にもお力添えいただいてですけれども。ただ、7月5日のシンポジウムもありますし、先ほど言いましたように、お互いにイメージの整理が必要という面もありますから、そういう面も少し認識を合わせて、こういう懸念があるのではないかという御議論がたくさんあるわけですが、ドイツではどういうふうにそういうものをしのいでいる、イギリスではどうしている等々、いろいろな知恵のもとがあるはずなので、7月5日には午前中にいろいろなお話を聞かせていただけるということなので、そういうものもベースにして、大体こういう認識でお互いいいんですねと確認し合って、それではどうするかという階段を上がったり下がったりする議論をその後にやろうかなと、私自身はそういう印象なのですが。
○菅野座長 ただ、司法制度改革審議会の意見書がこの検討会に要請しているのは、雇用・労使関係に専門的知識経験を有する者の関与する裁判制度の導入の当否ということなので、そういう制度の選択肢は突き詰めながら、しかし髙木委員の信ずるところは主張していただければいい、そしてできればそういう制度の当否について何らかの結論に到達したいということだと思います。
○髙木委員 座長の御認識でよいのですが、わずか2ページの意見書の中の労働関係ですけれども、あの文章をずっと読んでいただくと、「当否」ということなのですが、これは当時の使用者側の担当の方が、ここは「要否」とか「当否」という言葉をつけてくれ、このまま書かれるとまだ経営者内部で…ということで、その場合に書かれている例えばヨーロッパの参審制を評価した下りや、それぞれ団体の意思を統一しながらやるのはどこでも大変なこともありますので、労働調停については即でいいということでした。逆に我々は労働調停はどうでもいいなどとは思っていませんでしたが、それでも優先度の高いものは参審制だと当時から思っておりました。けれどもそれは当時の日経連は労働調停はぜひ入れたいとおっしゃるから、私は反対しなかった。先ほど小島さんも言われたADRの多元化というスタンスで……それが審議会の中のニュアンスですから。
○春日委員 髙木委員の今の御発言は、中間案も考慮の余地ありというふうに私としては理解してよろしいのですか。
○髙木委員 今日の段階ではそういう考慮ありまで申し上げるのは…。
○春日委員 私はむしろそういうふうに伺って…。
○髙木委員 日本経団連の方の意見を変えてほしいといまだに思っていますから。
○小島氏 いえ、それはなかなか変わらないですね。
○春日委員 山川委員の3つないし4つの基準も検討に入る余地は十分ありと理解したいのです。私としては。
○髙木委員 それはもうちょっと先の議論にしませんか。
○春日委員 ただ、先の議論といっても、タイムリミットも大体決まっていますし、ある程度……。
○髙木委員 半年先、1年先などということは言っていないので、まだ一、二カ月。
○春日委員 私も日弁連主催の外国の方がいらっしゃって、それが終わってからというふうには言っているのですが。
○鵜飼委員 私も労働側で労働事件をやってまいりまして、この10年間近くの状況はさまざまな紛争、労働相談が増えてきて、確かにADRはだんだん整備されてまいりましたが、紛争解決の要である裁判制度を何とか改革しなければいけない、ハードルを低くすると同時に、見通しのいい、見通しの立てられる適正・迅速な制度にしなければいけないというニーズはひしひしと感じているわけです。したがって、最終的に労働検討会の場で何らかのコンセンサスづくりがあって、一歩でも半歩でも前進する必要があると痛感しておりますので、春日委員、山川委員の御提言については私自身も真剣に検討したいと思っています。
ただ、小島さんにぜひお願いしたいのは、これは山川委員からも、この検討会の初めの頃から言われていましたし、菅野座長の御本の中の「労働法の普遍性と専門性」の項にも書かれてありますけれども、労使関係における権利義務の確定、ルールメーキングといった場合に、雇用社会を取り巻く状況はどんどん変動しておりますけれども、最終的には利益衡量といいましょうか、かなり複雑な利益衡量、経営側あるいは労働側のそれぞれの利益衡量の中での均衡点を探っていくところに帰着する部分があります。そういう場合に、私は職業裁判官は今の制度の枠の中で非常によくやっていらっしゃると思う。それについては評価するにやぶさかではありませんが、それと同時に、均衡点を探るための御努力は、労使の中でこの間ずっと一貫してやってきたのではないでしょうか。非常に厳しいこの経済環境の中で、リストラにしても、人事政策を策定するにしても、そういう均衡点をぎりぎりまで詰めていきながら合意を求め、そしてやってきたと思います。
そういう意味で私は労働裁判という一国の社会の雇用社会から発生する紛争を労働がお互いに力を合わせてどのように均衡点を見出していくのか、合理性を見出していくのかという作業の中に、労使はぜひ関与していただきたい。これは今後の日本の将来のために、私は労使自治……菅野先生は「フィードバック機能」とおっしゃっていますが、そういうものを取り戻しいくためにも必要不可欠な制度なのではないか。これが「直ちに」ということがもしできないとすれば、それは段階的に、そういう方向性を目指しながら実現を目指していくということはぜひお考えいただきたいと思っています。
労働側が言っているからすべて使用者側にとって不利なのだということではなくて、多分そういう御理解ではないと思うのですが、私は今後の雇用社会の将来を考えた場合に、そういう労働裁判の果たす役割はあるのではないかと思っています。
○石嵜委員 先ほど座長から、裁判に関与する形は参審制だけではなくて参与制もあるではないか、その参与制がどの程度で参与していくか、和解の段階なのか、判決の段階か、証拠調べからといろいろな段階があると思われるのですが、その辺について経営法曹も含めて使用者側の人たちと議論した中では、裁判そのものに素人が関与すること自体に反対しているというのが今の結論であることだけは間違いないんです。したがって、裁判に関する参与制についても今は反対……これは事実だけでなぜかという議論をここでするつもりもないのですが、日経連も含め、経営法曹も含め、議論した結論は現時点ではそこにあるということです。
私自身は前から言っているように少し違うとは思っているのですけれど、ただ、自分としては、正直言って、今後本当に雇用社会における労使の問題は労使が中心に関与して解決することが一番妥当な解決を見出す方法ではないか。それは労使で、いわゆる会社内で努力する。そして、それができないときはADRなど多方面をつかってやると言いながら、最後はやはり裁判所においても労使が関与する形が将来的にはあってもいいのではないかとは思うのですけれども、再三述べますように、現時点ではなかなか難しいというのが使用者側の枠の中です。そうだとすれば、労働調停を導入して、この労働調停に地裁管轄と簡裁管轄の両方、簡裁は民事調停利用でも構いませんから、とにかくどちらか利用できる。そして解雇のようなものでも地裁での労働調停の中で、ここにいわゆる推薦で労使を入れて、本当に調停に関連して労使の知恵を出してみて努力して、そこで一つ一つの実績を見きわめて、国民の信頼なり労使の歩み寄りを見出す努力は先にしないとなかなか難しいのではないかと思っています。
したがって私自身は労使が参与した形で何らかの形をつくりたいという意見ですから、ただ、今のところは労働調停が現実性が一番高いのではないかと感じています。ただし、それだけよりは、それについてパワーアップさせることをもう少し考える……私はそれを考えていなかったのですが、春日先生がおっしゃったように、調停の中で労使が関与して単に話ができなかったらそれでだめにするのか、さらに何らかの形のものを入れるかは、やはり考慮する余地があるだろうし、この辺については使用者側も最終的にまだ議論していないような気がしていますので、できればそうして、解雇事件は調停に付してしまって、労使の話し合いで早く解決しろというのをやったらどうか。そこで解決できなかったら地裁にもう一度戻して裁判という形で、もっと解雇に関して労使が関与できる場面を増やすということも1つあるのだろうと思うんです。
○髙木委員 今のお話で、そんなはずではないという意見はいろいろありますけれども、今日は述べません。
○菅野座長 今日は労働調停自体についても御議論いただくはずだったのですが、時間が大分たってしまいました。労働調停については、これまで一番基本的な事物管轄、土地管轄について、それから基本的なイメージ、どういう事件を対象に考えるかについては大分議論はしていただきまして、なにせしかし裁判の方と関連するものですから、そのぐらいでとどめておいたわけです。そういう中で、調停委員会の構成と、調停委員をどこから供給するかの調停委員の供給源、調停が不成立の場合の取扱い、資料を引き継ぐかどうか、口頭の申立て等を認めるか、調停成立を促進する仕組み、調停手続の迅速化等の論点についての議論をもう少ししていただければということがあります。時間はあと15分ぐらいしかないのですが、そのあたりで御意見がありましたら伺いたいと思います。
調停委員会の構成、労働調停委員の供給源、調停不成立の場合の取扱い、調停成立を促進する仕組み、調停手続の迅速化についてです。
○村中委員 調停委員会の構成と供給源で、皆さんの御意見と違うかもしれませんが、調停はその後訴訟になった場合にどういう結果になるかということを相当程度に意識して進めるということだと思うんですね。それで当事者への説得もそういうことが説得の材料として用いられるので、調停の場の方が労働法等に関する専門的な知識がより高く必要になるのではないかと思っています。
もちろん足して2で割るということで、調停という互譲の精神だからというのでやってもいいのかもしれませんが、全く法律を知らずにやってしまって、後でちゃんと言ってくれなかったではないかというような話になってもそれは困るわけですから、調停というのは、例えば3人の構成で、裁判官が1人入って労使が1人ずつ入ってということで、裁判官が労働法に関する相当の知見を持っておられて、労使委員にそれをしっかり説明した上で進めるということであれば、それはそれでいいのかもしれませんが、先ほど石嵜委員がおっしゃったように、裁判官で専門的知見を持っている人がどのぐらいいるのかも不安であるということになると、東京地裁は問題ないのかもしれませんが、ほかのところでは場合によっては労働法を全く知らない人3人で進めてしまうということもある。それはちょっと困るだろう。調停だから労働法の知見が要らないというのは、私は違うのではないかという認識を持っています。
○春日委員 結論だけというか私の意見だけなのですが、調停に代わる決定については、それよりも強い効力を持った制度を考えるべきではないかと個人的に思っています。資料131の5ページでは、調停での資料の収集も訴訟になった場合には引き継がないというのが皆さん大方の意見だったと思いますので、そうだとすると、調停をやって結局17条決定が出ても、異議が出されると全く元へ戻ってゼロになってしまう。そういうことだと余りにも調停の意義がなくなってしまうので、調停にかわる決定よりももう少し強い効力を持ったある制度を考えていってほしいという意見です。
○髙木委員 資料は引き継いでよいのではないですか、調停で出されたものが裁判のときにも。
○石嵜委員 一度出されたものは相手側も知っていますから、私もそう思うんですが。
○髙木委員 調停の場だから出したのだと、裁判なら出さないという論理はどうかなと思ったりもしますが。
○鵜飼委員 証拠資料は当然引き継げるのではないでしょうか。これはなぜ引き継がないということになっているのでしょうね。
○春日委員 前回の意見では、むしろ反対に書いてある方が多かったように私は理解したのですが。
○鵜飼委員 証拠関係の職権で集めたり当事者が出した証拠については、ナンバリングして引き継ぐのは当然ではないでしょうか。もちろん調停は柔軟性があって、それが訴訟に出されると困るとか、いろいろ配慮があっては困るという御意見もあったかと思いますが、しかし一たん証拠として出されたものは相手方にも渡るわけですから、これはもう引き継ぐことが前提ではないでしょうか。
○春日委員 そこではそういうことがあるから出し惜しみをするという意見が多かったと思うんですよ。
○山口委員 それは一般論としてはわかるのですが、少なくとも民事調停はそういう建前になっていないと思うんですね。調停はいろいろなものを出し合う場なのだから、それを基本的には後の証拠で使うかどうかは、まさに当事者の自主性に委ねることなので、当然には引き継がないという前提で今の民事調停はできていると思いますので、労働調停の場合だけ別の扱いをするというのであれば、労働調停だから引き継がなければならないという理由をつくらないと、それは難しいのではないでしょうか。あるいは一般的に民事調停自体で引き継ぐべきだという形にするか、どちらかにしないと難しいと思います。
○春日委員 極論すれば、今の調停手続の中で仮に労働事件だけ調停での証拠も訴訟で引き継ぐということになれば、調停手続と違う別途手続を何か考える必要性があるような気がするんですね。そうでもしないと、少なくとも現在の調停手続を利用しているのだと、先ほど山口委員が言ったようなことになるような気がします。
○鵜飼委員 現在の調停手続は引き継ぎませんから、本案訴訟との連携はある意味ではほとんど考慮されていませんから、そういう意味ではなくて、意見書の中にも本訴との連携が書いてあるように、特に解雇事件ではなぜ調停が利用できないかというと、迅速性の問題があるわけです。したがって、調停と本案訴訟の連携、橋渡しが十分機能していないと調停が利用できないということがあるものですから、迅速性、適正性。特に労働事件の特殊性がありますので、そういう意味で新たな制度設計が必要だということになると思うんです。その場合、例えば本案訴訟への提訴をどう簡易にするか、あるいは出された証拠をまたもう1度出さなければいけないということになるのか。そうではなくて基本的な証拠関係については引き継ぐことにするのか。むしろ引き継ぐようにすべきではないかというのが私の意見です。ですから、新たな制度ということになります。
○後藤委員 今の民事調停で証拠調べをしているわけではないので、証拠を引き継ぐといっても、逆に使いにくい手続のような気がしますけれども。いずれにしても、調停で出された資料のコピーはもらうのですから、相手が出さなければそのコピーを訴訟で出せばいいはずです。
○石嵜委員 そうなんですよね。単純にそれだけの話だという気がしていて。
○鵜飼委員 今日は余り時間がないのですけれども、少なくとも裁判所におけるADRという、労働調停を特別に設けるというからには基礎的な証拠をある程度……、解雇についても解雇を基礎づける資料が全く出ない、それで調停ができるかということですよ。相手方にそういうものが渡らないと、調停ができるかということです。そうだとすれば、労働調停で労働事件は利用できない現状があるのに、同じことになってしまうわけです。したがって、本当に利用できるものにするにはどうすればいいかという制度設計の中で、今とは違う仕組みとして判定的な機能、証拠調べ的な機能を付与していくかどうか。そこで出されたものを全く無にしていいのか。春日委員が言われたように、それは本案訴訟との関係をスムーズにして引き継ぐという工夫が必要なのではないかという意見です。
○春日委員 鵜飼委員が「判定手続」という言葉をおっしゃいましたけれども、そういう言葉は別としても、新たな手続ということをおっしゃっているから、そうだとしたら、私が先ほどから言っているように、あるいは前回も言ったように、中間的なものも模索したり考える必要はないのですかということで私は常々疑問に思っているんです。そういうことも含めて、できたら考えていただけないかというのがここ3回ぐらいの私の意見なのですが。
○山川委員 資料131の4ページの訴訟との連携で、先ほどの議論ともかかわるのですが、石嵜委員が先ほど言われた点で、これまで調停前置を導入する必要はないという点で意見が一致したように思うのですけれども、むしろその点は別のご意見もありうるのでしょうか。
○石嵜委員 解雇事件については、これだけに限定して地裁から最初に調停に回したら、そういう特別手続をとったらどうかと考えています。ですから、いろいろな形で一般調停の関係で証拠の引継というか、証拠と言うかどうかはありますけれども、その引継が難しくても、審判された問題についてでも、例えば一緒に調停の証拠を引き継ぐということはあるのではないかと思います。
私は、調停前置はみんな反対とおっしゃっているけれど、それは解雇事件についてだけは持っていってもいいのではないかと思っています。
○山川委員 これまで調停前置に消極的な意見が多かったのは、その見通しがつかないとか、延々とやられても困るという運用を前提にしての議論だと思うのですが、訴訟との連携ということで言うと、先ほどの時間軸との関係では、まず調停が入るのは入り口において調停というものが訴訟の手続の中に入り込んでいるということになりますか。
○石嵜委員 ですから、計画審理のような形も運用で考えられるわけですから、解雇事件について第2回なら2回目は、この前も議論したのですけれども、どのぐらいの期間で争点整理するか、その間は調停だけでもやっておいてもらうかとか、それはいろいろ考えられると思うんです。そこはまだ議論していなくても、今のような感覚で私は考えています。
○山川委員 場合によっては、付調停ということで、訴訟が一定程度進行した段階で調停の手続にかわるということですか。
○石嵜委員 私は、できれば受けて、最初から1回は和解させる。だから金銭賠償で終わる確率が高いのですから、裁判官関与でやれば、多くの解雇事件は本当は金銭で解決しているという実態もあるので、今も裁判所では解雇事件でも最初に当事者間で話し合いの余地があるかと聞くこともあるわけですから、それを調停で1回やってみてもいいのじゃないかですかと。私は、和解は2度やられているような気がしていて、最初の段階でどうですかと言われて、無理だったら審理をやっておいて、裁判官が心証をつくってもう1回和解はどうですかと。そのときにあなたは負けると脅かされるとか、こういう話なんですよね。
○髙木委員 今の議論は、私たち組合として、あるいは解雇された側としてどう思うかというと、経営者を見てどちらを選ぶかという面はやはりありますよ。でも、前置で確かに金銭解決は多いけれど、一方ではいわゆる職場放棄というケースもまだあるわけですし、お相手を見て、石嵜委員がついてくれたらこっちへいこうかとか。
○山口委員 石嵜委員が言われることもよくわかるのですが、制度として導入するかということになるとちょっとどうかなという感じがするんですね。結局、これは労働調停にどういう人が関与して、どういう形でやっていくのか。したがって、そういう関係で解雇事件が流れていくといいますか、利用される形になっていけば、実質的には解雇事件では調停前置のような形で運用されるようになるのかもしれませんが、言われるように、同じ解雇事件でもそう簡単に話がつかない事件もないわけではないので、一律に調停前置という形でするよりは、その辺は少し運用の形で委ねておいた方がいいのではないかという気がします。
○菅野座長 今日は調停の方は余り議論ができませんでしたし、またその前の裁判制度の方もまだまだ議論が必要ですので、いずれも次回に回すことにして、大体時間がきておりますのでこのぐらいにしたいと思います。また次回、今日の議論を踏まえてどのようにするかを考えたいと思います。次回の日程を申し上げて終わりますが、今後の運営についての御希望などがあればお伺いしておきたいと思います。
○髙木委員 いただいている日程で、例の中間取りまとめは8月1日ということで、今日は熊谷委員がおられますけれども、労働委員会の関係の厚生労働省での検討は7月の何日でしたか。
○熊谷委員 今いただいている日程で一番最後が7月25日ですので。
○髙木委員 そういうことになっているとすると、8月1日だけで中間まとめの整理ができるのかどうか、その後、お盆休みはこらえてほしいけれど、お盆休みの前にもう1日ぐらい、場合によっては議論する必要があるのかなという感じがしているのですが、その辺の日程を入れることも考えてはいかがでしょうか。
○菅野座長 ほかにその点についての御意見はありますでしょうか。
そういう御注文が出たということを考慮して、今後のこの会をどう進めるか、できるだけ早く検討した上で、遅くとも次回には明らかにしたいと思います。
ほかにございませんか。
それでは、本日の検討会はこれで終わります。長時間にわたりありがとうございました。