○ 労働審判制度の制度設計については、日弁連の労働法制委員会においても議論が行われ、以下のような骨子が示された。
- 労働審判の申し立てがあれば、相手方の意向にかかわらず手続を進行させ、原則として、調停による解決か、審判による解決案の決定まで進むものとする。但し、当該事案の性質上、審判手続によることが適当でないと認められる場合には解決案の決定をしないことができる。
- 解決案の効力については、不服のある当事者が異議を述べることにより失効するものとする。なお、その際、訴訟との適切な連携のための仕組みを工夫すべきである。
労働審判制度は、簡易迅速な手続で、労使の知恵を生かして紛争解決を図ることをシステムの根幹とすべきであって硬直的な手続にしてはならない。私は、解決案の提示については当事者の同意を要することとすべきであり、解決案の効力については当事者の異議によって失効させることができることとすべきであると考えてきたが、日弁連の労働法制委員会で議論して上述のような形でまとまった。また、あらゆる事案について解決案を出さなければならないと強制することも適当でない。
労働審判制度は、裁判を併存させることで手続を複雑なものとするよりは、解決案に不服がある場合には異議を述べることによって失効させ、正式な裁判は別に起こすこととして一本化しておく方が当事者にとって分かり易く、利用しやすい制度になるのではないか。ただし、異議を述べることにより解決案が失効した場合には、労働審判制度を利用した意味が失われないように、訴訟との適切な連携を工夫することとし、例えば、簡易な定型訴状を活用したり、時効中断等のために労働審判の申立て時にさかのぼって訴えを提起したものとみなしたりする等により、労働審判の申立人の負担軽減等の保護も図られるのではないかと議論している。
○ 中間取りまとめの趣旨に再度立ち返って考える必要があるのではないか。労働審判制度は労働調停をビルドインした制度である。制度の中核は話し合い、調停であって、労使双方の専門的知見が取り入れられ、互譲により解決されるところに重要な意味がある。したがって、手続の進行について当事者双方の同意があることが基本になる。また、企業も、裁判所における紛争解決制度であればそれを利用して速やかに紛争を解決したいと考えており、制度の利用を促進するためにも、様々な制約を課すことによって使いにくく分かりにくい制度にすべきではない。
手続の進行について相手方の同意を不要とし、不服ある当事者が訴訟を提起しない限り解決案の効力が失効しないとする考え方では事実上の4審制を招くおそれがある。複雑で重く利用しにくい制度となり、話し合いを通じて紛争の簡易迅速な解決を目指すという労働審判制度の趣旨から外れるものであって、賛成できない。
手続の進行は当事者の意向に依拠させるとともに、解決案は異議により失効することとし、適当でない事案については解決案を示さないこともできるようにすることが妥当である。また、訴訟手続との連携についても利用者の立場から考えるべきである。さきほど紹介された日弁連の労働法制委員会の意見については、この検討会に提出していただければ、検討することはやぶさかではないと考えている。
○ 労働審判制度は裁判所が主体となるADRであって、判定的機能を有するという意味ではADRの中心に位置付けられるものになるだろう。その眼目は利用しやすく迅速に解決を図るというところにある。利用者は、調停で解決できない場合には判定的な判断が出されることを求めているのだろうから、判定的な判断が出されないケースが多く出てくるような仕組みになるのであれば、調停制度との相違がなくなる。
○ 解決案の決定をすることに例外を設けることについて、運用上の懸念があることは理解できるが、審判手続に関わる裁判官と労使の三者を信頼して、その知恵に任せるような柔軟な仕組みにしておく方が制度自体は生きてくるのではないか。
○ 解決案の決定を行わない場合としては、ごく例外的に、当事者が多数で、複雑な事案であって、労働審判で処理することが適当でないケースを想定している。そのような事案についてまで必ず解決案を出すこととすると窮屈である。ただ、これが限定的なケースであることが分かるように表現を工夫する必要はあるだろう。基本的には調停による解決か労働審判による解決案の決定を原則とすべきだと考えている。
○ 日弁連の労働法制委員会の意見を聴いた限りでは、解決案の決定をしないという扱いが例外的なものであるとは理解できない。
○ 原則として調停による解決か、解決案の決定とすべきであり、解決案の決定をしないという扱いは例外的なものとして考えている。ただし、その判断基準については、事例を限定することや裁判官と労使の三者の知恵を活用すること等様々なものが考えられるのではないか。
○ 解決案を示さない例外的なケースとしてはどのようなものを想定しているのか。
○ 裁判とは異なり、労働審判で最後まで解決案の決定にこだわると、かえって窮屈で使いにくい制度になるのではないか。そのような性格の事案を審判手続によることが適切でないケースとして想定している。
○ 例外を認めるのは、審理の回数が3回では処理しきれないような事件についてということなのか。審理の回数が増やせればよいのか。
○ 複雑で、相当程度の審理の回数を重ねないと処理できないような事案についてまで無理に解決案を決定させることは、審判に携わる者にとっても酷なのではないか。
○ 労働審判では、3回の審理で終えることとしないと、審理が長期化し、制度が機能しなくなる。3回の審理を前提とすると、到底処理できないようなものも出てくるのではないか。しかし、単に物理的な観点から処理が難しい事案に限られるわけでもないのではないか。
○ ドイツの裁判官からのヒアリングによれば、どんなに難しい事案についても、他の事案と同じルールで処理しなければならないことになっているとのことだった。例外的な場合に当たるか否かの判断については審判に関与する者が行うことになるのだろうが、そのような方法では制度の適切な運用が難しくなるのではないか。難しい事案については、解決案を出さないという運用になっていくおそれがある。
○ 解決案を示さない例外的な場合に当たるか否かの判断については、裁判官と労使委員を信頼して任せるべきなのではないか。システムを重くすると利用しにくくなる。
3回の審理では処理が難しいような事案についても、3回の審理で解決案の決定まで行わせるべきだということか。
○ そうすべきではないか。資料の分量が人間の処理能力を超える等物理的に難しい事案については客観的な判断基準を作ることができるのかもしれないが、そのように客観的には決められない質的な例外も認めるというのであれば、その判断は誰がどのように行うのか。
○ 審判に関わる裁判官と労使委員の判断に任せるべきではないか。仮に当事者が解決案を求めていたとしても、三者の判断によって例外的に解決案を定めないこともあり得るのではないか。
○ 物理的に不可能な場合等、例外を認める必要性が全くないとまでは言い切れないが、そうでないのに、当事者が解決案を求めているものについてまで例外を認めるべきではないであろう。
○ 例外を認めるべきものについて細部まで検討しているわけではないが、例えば民事調停法には、「相当であると認めるときは」という形で判断者の裁量に任せる仕組みがある。原則を維持すべきことは当然だが、それが難しいケースについては、必ずしも解決案を出さなくてよい道を残しておかないと制度自体の実効性が失われるのではないか。もちろん、安易な方向に流れてしまうことは適当ではなく、どのように歯止めをかけるかが重要だ。
○ 3回の審理で終了する手続を設けたにも関わらず、審理の進め方は従来と変わらず、結局3回で処理しきれない、そのために制度が利用されなくなるような事態になることを懸念している。例外の設け方によってはそのようになりかねないので、十分に注意する必要があるのではないか。
○ 資料201の2(1)の「事案の性質」とはどのような意味か。
○ 事案そのものの有する客観的な性質ということである。例えば大量の昇進差別の事案のように、3回の審理では到底処理できないものを想定している。権利紛争か利益紛争かといった紛争類型で分けることを考えているわけではない。
○ 争点整理や審尋を行った後でも実際にどちらを勝たせればよいか分からないケースも出てくると思われるが、そのような場合でも解決案の決定を義務付けるのか。その場合には、審理には限界があるので申立てを棄却する解決案を出すのか。それとも例外として解決案を出さないことを認めるのか。
○ そのような場合は例外の対象にはならず、最終的には申立ての認容か、又は棄却の解決案を出すことになるのではないか。
○ 日弁連ではまだ十分に検討されていないが、個人的には裁判官と労使委員の三者で判断すればよいのではないかと考えている。
○ 真偽不明の場合についてはどうか。
○ 私は、当事者が多数で内容が複雑といった事案の客観的性格からみて、解決案を示すことが適切でない場合に限定することを想定している。審理を尽くしてよく調べるように努力した上でもなお、手続の枠内で真偽不明になった場合には、立証責任の分配の中で判断するように割り切らざるを得ないのではないか。
○ 解決案を示さないことが例外として認められる場合というのは、著しく不相当な場合というイメージになるのか。
○ 民事訴訟法中の計画審理の部分に規定されている「審理すべき事項が多数」、「事件が複雑であること」等の表現を参考に、例示していくイメージである。3回では審理しきれない大きな事件が出てきた場合にどうするかという素朴な考えに発しているものである。いずれにしても、現段階では例外の部分について必要以上にクローズアップする必要はないだろう。
○ 調停がビルドインされているという視点に留意しておく必要がある。
○ 審判手続は、常にゼロか百かの判断がなされることを前提としているわけではない。立証責任の分配という訴訟的なものを考えるというよりも、調停案のようなものを解決案として差し出すということもあろう。事案によっては金銭賠償的な解決案が出せるような柔軟性のあるシステムとする必要があるのではないか。
○ 日弁連の労働法制委員会の骨子は、同委員会内で合意できる点を探って検討がなされた結果なのだろうが、実務家は新しい発想で何かを開始するときには概して保守的になる傾向がある。今、なぜ労働審判制度を作るのか、これに何を期待するのかといった本質論についてはどの程度吟味されているのか。
● 労働審判が申し立てられる事案の中には、個別紛争の形をとりながらも実質は集団紛争の性格を有するものもあるだろう。この制度が簡易迅速に3回の審理で判断を行うことを前提とするならば、それにふさわしい事案とそうでない事案があるのではないか。3回の審理で簡易迅速に処理するという枠組みから外れるものもあり得るということであり、当事者が解決案を求めているにも関わらず、解決案を出さないこととするという趣旨ではない。ドイツでは、複雑な事案であっても、一律に処理されているではないかとの意見に関しては、更に十分な検討が必要であると考えている。「事案の性質上、審判手続によることが適当でない」かどうかは、手続の簡易、迅速性との関係の中で判断されるべきものであり、真偽不明だからといって解決案を出さないということは考えていないのではないか。個別紛争の中にも簡易迅速な手続にふさわしくないものもあり得るのではないかということである。以上が日弁連の労働法制委員会における議論の状況であったと理解している。
○ 日弁連の労働法制委員会における議論では、手続の入口段階で相手方の同意を得ることとすべきとの意見もあった。確かにそのような手続は円滑な解決に寄与する部分もあると考えられるが、判定的な解決機能を半減させるおそれもあるため適当ではないとの意見が多数であった。
解決案の効力についても、いろいろの意見が出されたが異議を述べることにより失効することとしても、訴訟への移行が簡易迅速にできるような手続が整備されていれば、実質的には大きな違いはないのではないか、個別紛争が増大する中で労使が参加することに意義があるとの意見が大勢であった。日弁連の労働法制委員会では制度をできるだけ良いものにして実現したいという点で意見が一致したところである。細かい部分についての議論はまだ十分なされていないので、労働検討会の議論を踏まえて、今後更に検討していきたい。
○ 資料201の2(3)「労働審判手続と訴訟手続との適切な連携のための工夫」とはどのような段階におけるものを想定しているのか。
○ 資料201は、労働審判制度に関する論点を絞る趣旨で提出したものであって、特定の方向性を指向して出したものではない。
2(3)は、主に解決案の効力との関係で、審判手続や解決案が無駄にならないようにするためにはどのような措置が考えられるかという観点が重要だという趣旨である。
○ 当事者が、裁判官と労使の専門家の三者による解決案の提示を求めているのであれば、これに十分に応え、本来の制度目的が具現化されるような制度設計にする必要がある。そのような制度の本質論を考えていくべきである。仮に解決案を異議により失効させることとしても、決定された事実やその内容が訴訟の場でも影響を有することになるとの意見もあるが、解決案が失効した段階で以後争うことを諦めてしまう当事者も出てくるのではないか。労働審判手続と訴訟手続との関係が、労働委員会手続と訴訟手続のように形式的に全く別の仕組みになって連携が図られないとすると、4審制の批判を免れない。「訴訟手続との適切な連携」の内容をどのようにするかが大きなポイントである。解決案と訴訟を連動させることが私の意見であるが、仮に異議により失効することとするのであれば、訴訟との連携をきちんと整理する必要がある。何らかの工夫をした上で、全体として、迅速な紛争解決が図られる実効性のある仕組みにする必要がある。
解決案を出さない例外的な場合については、例えば多数当事者に関する事件であっても同一事由による事件等については労働審判手続の中で十分処理できるだろう。単に当事者が多数だというだけでは例外的な扱いをする理由にはならない。
○ 当事者が多数であることのみをもって例外的な扱いをすべきではない。労働審判制度の門戸は可能な限り広くし、多くの事件を解決できるようにする必要がある。
また、調停では、調停の不成立等の場合には、2週間以内に訴訟を提起すれば時効の中断や印紙代の通算が認められることになっているが、労働者が2週間以内に裁判を提起することはなかなか難しいのが現状である。労働審判手続においては、より簡易に、負担なく訴訟に移行できるような工夫をする必要がある。利用者側のニーズを踏まえてよい制度を作るべきではないか。
○ 国が提供できる人的・財政的資源は限られているので、限られた資源を活用して制度が効率的に運営されるようにする必要がある。労働審判制度は専門性を有する労使が関与するがゆえに事件の本質を早期に見抜くことによって迅速に処理できるという側面も有しており、これは効率的な運営の観点からみて重要なポイントである。効率性の視点から考えると、労働審判手続が利用され、なるべくそこで解決が図られ、訴訟にまでは進まないようにすることが望ましい。入口・出口の問題を議論する際には、このような視点を重視し、使い易さと労働審判で事件処理を完結させることの両面を意識して考える必要があるのではないか。
○ 労働審判制度は個別紛争を扱うのだが、個別紛争の顔をした集団的紛争が申し立てられることもあるのではないか。他方、労働委員会に申し立てられる事案の中には、集団紛争の顔をした個別紛争もある。このようなものをどのように整理するのかについても議論する必要があるのではないか。
□ 労働審判制度の対象となる紛争は、現時点では個別労働関係紛争解決促進法で定義されている個別労働関係紛争としているが、これで十分かどうかについては議論する必要がある論点ではないか。
○ 個別紛争として発生した事件であっても、労働組合が関与して集団的な紛争解決の手続を経ているケースもある。また、労働委員会に個別紛争が持ち込まれることもあるが、これは制度の不備の問題という側面もあるのかもしれないが、個人加盟型の組合で扱われて集団的紛争の形をして出てくるものもあろう。いずれにしても、事案の内容によっておのずと判断されるのではないか。
労働審判手続と訴訟手続との連携については、裁判官と労使の三者で解決案を示しても、異議を述べて失効するのでは、審判に関わる労使も苦労のし甲斐がない。国費をかける以上、制度が有効に活用され、コストが無駄にならないよう、解決案の内容がフィードバックされるような連携方法を考えることが、制度に対する信頼性を高める上でも重要なポイントになるのではないか。
○ 解決案が異議により失効することとした場合であっても、当事者が負担なく訴訟へ移行できるよう訴訟との連携を最大限工夫する必要がある。そうした連携が制度的に十分担保されれば、労働審判手続による解決も増えていくのではないか。労働者側にとっては訴訟を提起するという山を越えることは大変なので、訴訟との連携は重要な論点である。
○ 日弁連の労働法制委員会では、労使双方の側の弁護士や労働委員会の公益委員を務めている弁護士が参加して、これまで議論してきた。その中では、労働審判制度は個別労働紛争の解決に意義のある制度であるという点では共通認識ができていると思っている。また、なるべく労働審判制度の中で解決が図られるようにすべきとの意見もあった。
訴えを提起することで失効する解決案については、労働者側は別途反訴を提起することが必要になるといった問題点も指摘されており、異議で失効する解決案であっても、簡易に訴訟へ移行できるようにするならば、それほど大きな違いはないのではないか。そこで、日弁連の労働法制委員会では、訴訟との適切な連携のための仕組みを工夫すべきとの取りまとめとなった。
異議で失効する解決案であっても、訴えにスムーズに移行できる仕組みを是非検討してほしい。
○ 解決案に対する不服の申立が簡単にできるほど、解決案に従わなくなる可能性が高くなり、折角出された解決案が無に帰する可能性が高まろう。
そうすると、解決案に従うことが見込まれる事件でなければ、解決案を示さないようになる可能性も否定できない。
○ 当事者双方が受け入れる見込みがなければ解決案を出さないといったことになるのであれば、労働審判制度は機能しなくなると思う。そのような安易な方向に流れないようにする担保は必要だろう。解決案を示さない場合を、事案が複雑で3回の審理では処理できないものに限定する工夫が必要である。労使間に先鋭な対立のある事件が持ち込まれたからといって、解決案を示さないという方向に流れないよう歯止めをかけることは重要である。
○ 解決案を示さない例外的な場合はあり得るとは思うが、例外はなるべく抑えないとならない。申し立てれば何らかの解決案が示されるようにしないと、制度の利用が促進されず、制度を利用するか否かの利用者の判断にも影響を及ぼすことになる。
○ 個別紛争の解決に当たっては、労使が参加して、その知恵を生かして柔軟に対応できるようにすることが基本であろう。解決案を出すか否かも、実際上は裁判官と労使の三者が知恵を出し合うことで、解決していくのではないか。
○ 労使の知恵を生かすことは重要であるが、知恵の生かし方としては、解決案を示さないという判断をすることも一つではあろうが、解決案を出す方向で知恵を出してもらいたい。個々の事件では、解決案を示さない方がよい場合もあるかも知れないが、制度全体の効果としては、必ず解決案が示されるようにしておいた方が利点があるのではないか。そのような視点も必要であろう。
○ 解決案を出さないという判断を行う時期も重要だ。3回の期日を経た後で解決案を出さないことにするというのでは問題だろう。手続の最初の段階でよく検討して決めるようにしないと、よい制度にはならないのではないか。
また、解決案を示さない事例を具体的に想定することができるのだろうか。やはり、裁判官と労使の専門家が参加して判断することが、制度の趣旨を生かすことになるのではないか。
○ 裁判官と労使の専門家の三者の一致した意見で解決案を示したとしても、異議が述べられる場合が結構あるのではないかと思う。
○ 訴えを提起することで解決案を失効させる制度では、債務の不存在確認訴訟が提起され、さらにそれに対する反訴が提起されるといったように、複雑に訴訟が併存する難しいシステムになってしまう。それよりは、解決案は異議で失効させておいて、訴訟は訴訟で行うとした方が使いやすい制度となるのではないか。労働法制委員会でも、訴訟手続が併存するような状況は労働者側も辛いのではないかといった議論があった。
○ 解決案に不服がある場合には訴訟を提起することにより失効させるべきだと考えているが、仮に異議を述べることで失効するとしても、審判の申立を訴訟の提起と見なし、また、審判の資料を訴訟に引き継いで、訴訟の迅速化に資するようにすることが必要である。異議を述べてそこで終わるだけというのでは適当ではない。
○ 訴えの提起により解決案を失効させるという仕組みには、解決案に重みを持たせるということであり、労働審判手続の中で当事者が十分な証拠を出して真剣に手続を進めてもらうようにしようという趣旨である。そのためには、解決案を異議で失効させるだけではなく、もう一工夫することが必要だと思う。
○ 解決案が異議を述べることで失効した場合、改めて訴えを提起することが一つの山となる。そこを簡単でスムーズに訴訟に移行できるようにすることが重要である。さらに、訴訟の中でも、労働審判手続が尊重され、審判の資料が訴訟に引き継がれるようにし、迅速に解決できるようにすることが必要ではないか。
○ 政策面の検討は労働検討会で十分に尽くすべきであるが、手続法制上の観点からも考える必要がある。他の制度との整合性も検討する必要があり、労働審判の解決案について、調停に代わる決定と同様に考えるのか、仮処分に対する保全異議と同様に考えるのかといった理論的な検討を行う視点も必要である。この点については、事務局にもよく検討してもらう必要がある。
○ 他の制度との整合性を考えることも重要であるが、調停に代わる決定と同じような効力では不十分ではないかと考えている。