6 議事
(□:座長、○:委員、●:事務局)
□ それでは所定の時刻になりましたので、第10回「裁判員制度・刑事検討会」を始めさせていただきたいと思います。
この検討会としては、本日の会議が本年最後ということになりますので、締めくくりにふさわしい、実りのある議論になることを期待しております。
御案内のとおり、事務局では、本検討会の各テーマについて、広く国民の方々一般を対象にして意見募集を行ったところですが、事務局の方から、その結果の報告があるそうです。お願いします。
● それでは、事務局において行いました、国民の皆様に対する意見募集の取りまとめ結果について、御報告いたします。お手元にお配りいたしました資料1が、結果を取りまとめた資料でございます。
前回の検討会でも申し上げましたとおり「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」、「刑事裁判の充実・迅速化」及び「公訴提起の在り方」についての意見募集を、去る8月1日から10月31日までの間、司法制度改革推進本部のホームページ、新聞、法律雑誌及び政府広報誌等を通じて実施いたしました。
その結果、国民の皆様から、多数の御意見が寄せられ、総数は、郵便、電子メールを合わせて、3,932 件に達しました。
お手元の資料は、寄せられた御意見の中から、裁判員制度・刑事検討会における検討事項に関連する部分を引用し、検討会における主要な論点ごとに整理をしたものであります。なお、意見内容を引用するに当たっては、誤字と思われる字を修正し、長文を部分引用にとどめたものがあること、また、意見内容の整理に当たっては、一通の中に複数の御意見が示されている場合には、それぞれの御意見を別個にカウントしていることもあること、内容が同一又は同旨であると認められる御意見については、代表的なものを引用した上で、その余のものについては「(同旨○通)」という形で示すものとしたことを御了承いただきたいと思います。
それでは、寄せられた御意見の内容について、ごく簡単に御紹介させていただきます。
まず、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入に関して、1ページにありますとおり、「国民の司法への関心が高まり、より身近な司法になる」、「裁判に民意を反映させることができる」などの理由により、これに賛意を示す御意見がある一方で、3ページにありますとおり、「裁判員の専門的な能力や知識が不十分であること」、「判断が感情的となるおそれがあること」などを理由に、不安を示す御意見も寄せられております。
裁判官と裁判員との役割分担に関しては、18ページ以下にありますとおり、「裁判員は、有罪・無罪の判断だけではなく、量刑についての判断も併せて行うべきである」との御意見がある一方で、23ページですが「量刑は専門家に任せた方がよい」という御意見も寄せられております。また、法律問題、訴訟手続上の問題等に関する判断についても、「裁判官と裁判員との権限を別個に定める必要はない」との御意見がある一方で、「裁判員が専門性、技術性の高い事項に関与することは困難である」との御意見も寄せられております。
裁判体の構成に関しては、30ページ以下にありますとおり、「裁判員の数を裁判官よりもはるかに多数とすべき」とする御意見から「裁判官を裁判員よりも多数にすべき」とする御意見まで、幅広い御意見が寄せられております。
評決の方法に関しては、49ページ以下にありますとおり、「評決は全員一致にすべき」とする御意見から「単純多数決にすべき」という御意見まで、これも様々な御意見があります。
裁判員の選任方法に関しては、52ページ以下でありますが、「性別・年齢比に偏りがないようにすべき」との御意見、「無作為抽出を原則にすべき」との御意見、「無作為抽出したものの中から選任委員会が選任すべき」との御意見、「推薦制や公募制など、無作為抽出以外の選任方法にすべき」との御意見など、幅広い御意見が寄せられております。また、64ページ以下にありますが、裁判員の出頭を確保するために講じるべき措置についても、様々な御意見をいただいております。
対象事件の範囲に関しましては、73ページ以下にありますとおり、「法定刑の重い重大事件」の中で、「法定刑に死刑又は無期刑を含む事件」や「故意の犯罪行為により人を死亡させた事件」に限るべきであるとする御意見がある一方で、「その他の一般刑事事件」にも対象を拡大すべきという御意見も寄せられております。
公判手続の在り方に関しましては、81ページ以下にありますとおり、「公判手続は、裁判員に分かりやすく、迅速なものでなければならない」との御意見、「裁判員が膨大な調書を読まずに済むよう、法廷で心証がとれるようにすべき」との御意見など、様々な御意見が寄せられております。
上訴の在り方に関しては、90ページ以下にありますとおり、「控訴審は第一審と同様の裁判体、審理方式にすべき」という御意見が寄せられる一方で、「控訴審は書面審査を中心とした事後審とし、裁判員を関与させなくてよい」という御意見も寄せられております。
憲法との関係に関しましては、93ページ以下にありますとおり、「裁判員制度には憲法違反の疑いがある」とする御意見がある一方で、「憲法は公正な裁判を受ける権利を保障しているのであって、裁判員制度は合憲」という御意見も寄せられております。
続きまして、刑事裁判の充実・迅速化についての御意見について御紹介いたします。
まず、充実した争点整理のための新たな準備手続の導入に関しては、107 ページ以下にありますとおり、「準備手続は公判を担当する裁判官とは別の裁判官が行うべき」との御意見、「準備手続の主宰は受訴裁判所が行うべき」との御意見など、幅広い御意見が寄せられております。
充実した争点整理のための証拠開示の拡充に関しては、118 ページ以下にありますとおり、「事前の全面開示を原則とし、不開示を例外とすべき」との御意見、「証拠開示のルールの明確化に当たっては、証拠開示に伴う弊害の防止が可能となるものとすべき」との御意見など、様々な御意見が寄せられております。
連日的開廷の確保のための関連諸制度の整備に関しては、133 ページ以下にありますとおり、「審理期間を法定すべき」との御意見、「人的態勢を整備すべき」との御意見など、様々な御意見が寄せられております。
直接主義・口頭主義の実質化を図るための関連諸制度の在り方に関しては、136 ページ以下にありますとおり、「直接主義・口頭主義の徹底を求める」との御意見、「現在のように調書を採用してもよい」との御意見など、様々な御意見が寄せられております。
訴訟指揮の実効性を担保する具体的措置に関しては、142 ページ以下にありますとおり、「連日的開廷や集中的な審理のためには訴訟指揮権の適切な強化も必要となる」との御意見、「裁判所の訴訟指揮に従わない場合には一定の制裁措置を講じられるようにすべき」との御意見など、様々な御意見が寄せられております。
捜査・公判手続の合理化、効率化を図るための方策に関しては、144 ページ以下にありますとおり、「有罪答弁制度(アレインメント)を導入すべき」との御意見、「英米との社会的、文化的違いを慎重に考慮すべき」との御意見など、様々な御意見が寄せられているところであります。
最後に、公訴提起の在り方についての御意見を紹介いたします。
拘束力のある議決の種類・要件に関しては、147 ページ以下にありますとおり、「起訴相当の議決については、法的拘束力を付与すべき」との御意見、「法的拘束力の導入には慎重を期すべきである」との御意見など、これも様々な御意見が寄せられているところです。
拘束力ある議決後の訴追及び公訴維持の在り方に関しては、149 ページ以下にありますとおり、「付審判制度に準じて指定弁護士が訴追及び公訴維持に当たるべき」との御意見、「検察官が起訴及び公訴維持を担当すべき」との御意見などが寄せられております。
検察審査会の組織、権限、手続等の在り方に関しては、151 ページ以下にありますとおり、「検察審査会の充実強化のため、十分なスタッフを配置する必要がある」との御意見、「検察審査会の議決に拘束力を与えるのであれば、リーガルアドバイザーの関与は不可欠である」との御意見などが寄せられております。
以上、簡単ではありますけれども、御報告とさせていただきたいと思います。
なお、意見募集の取りまとめ結果につきましては、司法制度改革推進本部のホームページにも掲載する予定でございます。
以上でございます。
□ ありがとうございました。これだけ多数の御意見を国民の皆さんからいただき、本検討会の座長としても、ありがたく存じております。同時に、この資料1のような形にまとめて下さった事務局の方にも感謝申し上げたいと思います。この資料も参考にしながら、更に身のある議論をしていきたいと考えております。
ただいまの御説明について、何か御質問があれば。と言いましても、すぐには無理で。じっくり読んでからということになるでしょうから、またこれからの議論の中で、こういう国民のみなさんから寄せられた意見も踏まえながら議論していきたいと思います。
続きまして、前回の検討会でも事務局の方から説明がありましたが、裁判の迅速化を促進するための法案について、現在の検討状況の説明があるそうです。お願いします。
● それでは、裁判の迅速化を促進するための法案の検討状況について御説明します。
去る12月2日、事務局では、この法案の検討のために、法曹三者からのヒアリングを実施いたしました。その際の提出資料等を、本日、席上に配布させていただいておりますので、御参照いただきたいと思います。
現時点における法案の概略につきましては、昨12月9日に、顧問会議で御説明を申し上げたところでありますが、資料2の「『裁判所における手続の迅速化促進方策』に関する法案のイメージ」に基づきまして、法案の概要を御説明いたします。
まず、「1 審理期間の目標等」でありますが、(1)のとおり、審理期間の目標として、民事・刑事の訴訟手続について、2年以内に第一審における手続を終了させるとともに、第一審以外の手続も含めまして、裁判所における手続全体について期間の短縮を図ることを掲げたいと考えております。
また、この目標に従い、必要な制度の整備や体制の充実を図ることについても、「2 制度の整備・体制の充実」のとおり、基本的な考え方としてこれを掲げる必要があると考えております。
なお、手続を公正・適正で充実したものにするとともに、当事者の正当な権利利益が害されないように留意することは当然でありますので、1の(2)のとおり、この点も明らかにしたいと考えております。
次に、「3 国の責務等」でありますが、ただ今申し上げたような、基本方針の下で、訴訟手続の整備などの制度面の施策や、人的態勢の充実などの体制面の施策を実施することといたしまして、これを国の責務として定めたいと考えております。
同時に、「4 裁判所・当事者等の責務」のとおり、個別事件における裁判所や当事者、代理人、弁護人などにつきましても、迅速化のための努力をお願いするという観点から、民事・刑事の訴訟事件の第一審手続をできる限り2年以内に終局させることに向けて努力する旨の責務を規定することとしたいと考えております。
続いて、「5 迅速化に関する検証等」のところであります。目標の達成をより確実に担保するため、最高裁におきまして、定期的に検証を行い、その結果を国民に明らかにした上で、これを適切に活用して、更に総合的な方策を推進していく仕組みを設けることとしたいと考えております。
「6 その他所要の規定を設けること」の点でありますが、目的に関する規定などが考えられるほか、日弁連の責務の点も検討が必要であると考えております。
以上が、現段階における法案の概略のイメージでございます。
□ ありがとうございました。何か御質問があれば、どうぞ。
○ これは事務局に対して質問すべきことではないのかもしれませんが、先般行われましたヒアリングの場で、最高裁判所の方から、日本の刑事司法はいわゆる「精密司法」であると言われているが、現在の判決書の在り方にも触れつつ、そのような精密司法について考え直すべきところがあるのではないかという趣旨の御発言があったという旨の新聞報道を読みました。もし、お分かりであれば、どのような文脈で、具体的に、どのような御発言をされたのかということを教えていただければありがたいのですが。
□ その問題につきまして、まず、お断わりしておかなければならないのは、確か前回も申しましたけれど、2年以内に第一審の手続を終局させるようにするというアピールを顧問会議が出され、推進本部長である総理大臣がそれを受けて、そういう方向で進もうということになったわけですが、これは、審議会の意見書を前提として、そこで提言されている裁判の充実、迅速化についての具体的な目安を示したものだと理解しております。したがって、そのような刑事裁判の充実・迅速化を具体的に実現していくための諸方策についても、審議会の意見書にメニューとして示されているものを具体化していくということが、まず必要なことであり、まさに、そのような審議会意見に示された方策を具体化するということが、この検討会に課せられた課題であると、私などは考えているところです。
従って、それとは別の事柄について、いわば戦線を拡大して、この検討会で議論をするというのは、検討のための時間が限られていることに加え、今申し上げたように、この検討会でまずやらなければならないことが審議会意見に示された方策の具体化であるということとの関係で、適切ではないだろうと考えるわけです。
そのことをお断わりした上で、○○委員の御質問にお答えしますと、私も、そのヒアリングの場に出席していたのですが、私の記憶では、最高裁の方から、判決理由の見直しという趣旨の言及はなかったと承知しております。
ただ、御質問の件は、裁判の迅速化を促進するための法案に関する、先ほどの事務局からの説明に関連しますので、差し支えがなければ、最高裁の方から、その点について補足的に説明をお願いできればと思うのですが、よろしいですか。
(最高裁判所) 私もその場におりましたが、最高裁の方から申し述べたことを一言一句再現するわけにもいきませんので、こちらが申し上げたかった趣旨ということで、若干付言させていただきます。
先ほどのお話にありましたとおり、12月2日の事務局における法曹三者からの意見聴取の際に、最高裁の事務総局からは、審理の迅速化に向けた方策といたしまして、1点目として、司法制度の基盤強化、2点目として、司法制度に関する基本的な枠組みの見直し、3点目として、これらの方策の検討と対応を踏まえた訴訟手続の見直しということ、これらが必要である旨、御説明申し上げたところでございます。
そして、特に、今挙げた2点目の、司法制度に関する基本的な枠組みの見直しというものの中で、充実した審理の下に適正迅速な裁判を実現するということは、裁判所の不変の使命であるとした上で、裁判員制度の導入を前提として、すべての事件を2年以内に終えるためには、訴訟遂行に関する裁判所の役割の強化とともに、著しく精密化した審理の在り方の見直しも必要とされるであろうという説明を行ったものでございます。
このように、最高裁の事務総局の方から行いましたプレゼンテーションというのは、あくまでも2年以内に裁判を終えるという目的を達成するために必要な、今後検討していくべき課題の一つとして、著しく精密化した審理に言及したものでございまして、一部の報道にございますように、判決理由はもとより、これまでの審理の在り方を基本的に変更する必要があるという考えを示したというわけではございません。
言い換えますと、争点についてきちんとした実質的な審理を行い、実質的な判決理由の記載をするという必要性まで否定したものではないという趣旨でございます。
以上でございます。
○ 私もその場に居て、最高裁のプレゼンテーションを聞いていた一人ですが、今の最高裁の説明に加えて、私自身が注目したこととして、「訴訟観の変容」という言葉と、「フィロソフィーの見直し」という言葉を、確か最高裁がお使いなったと思うのです。それは、私個人としては、大変重要な指摘だと思っております。結局、具体的な施策のうちの多くは、審議会意見の中に提言されていて、それをきちんと実行していくことが重要であると受け取ったという感想を付け加えさせていただきたいと思います。
○ 先ほどの事務局の御説明との関係で、ちょっと確認なのですが、資料2の「2 制度整備・体制の充実」は、「1(1)の目標に従い」ということになっています。ただ、先ほどの御説明では、1の(2)の、手続を公正・適正で充実したものにするということを、当然踏まえるというニュアンスの御説明だったと思うのですが、ところが、2のところの枠の中は、「1(1)の目標に従い」としか掲げていないのですね。これはどういうことなのでしょうか。手続が公正・適正であるということは、ある意味では当然のことであって、そのための諸施策なり制度的な整備ということが課題になるべきはずだと思うのですが、なぜそこが落ちているんでしょうか。
● 1の(1)が、この法案の目的だろうというふうに考えております。(2)は、その際の留意点と言いますか、当然留意されるべき事柄という位置付けでございます。
□ その点にこれ以上立ち入っていきますと、この検討会で、裁判の迅速化を促進するための法案について検討するということになってしまいますので・・・。
○ 「4 裁判所・当事者等の責務」となっていますが、この「等」というのは、どういうことを考えておられるのですか。
● 例えば、代理人、弁護人が当然これに入ってくると考えております。
□ よろしいですか。それでは、本題の議論に入りたいと思います。
本日は、前回及び前々回に引き続いて、第2回の検討会で配布されました「裁判員制度・刑事検討会における当面の論点」というペーパーの項目に沿って、刑事裁判の充実・迅速化に関する議論を続けたいと思います。
前回までに、項目3の「連日的開廷の確保のための関連諸制度の整備」というところまで、一応、一通りの議論を終えましたので、本日は、項目4の、直接主義・口頭主義の実質化を図るための関連諸制度の在り方はどのようなものか、という問題から議論したいと思います。
これも既に御承知だと思いますが、念のために申させていただきますと、審議会の意見は、「この問題の核心は、争いのある事件につき、直接主義、口頭主義の精神を踏まえ公判廷での審理をどれだけ充実、活性化できるかというところにある。」、「争いのある事件につき、集中審理の下で、明確化された争点をめぐって、当事者が活発に主張・立証を行い、それに基づいて裁判官及び裁判員が心証を得ていくというのが本来の公判の姿であり、それを念頭に置き、関連諸制度の在り方を検討しなければならない。」などと述べているところであります。
この項目4の論点について、皆さんから活発な御意見を伺いたいと思います。いかがでしょうか。どなたからでも結構ですが。
○ 「直接主義」、「口頭主義」という言葉は、日本語として一見分かりやすいようではありますけれども、しかし、これも用いる人により様々な意味が持ち込まれているところがあります。議論の出発点として、これらは講学上どういう意味・概念なのかということをはっきりさせておいた方がいいと思います。
□ 「講義」にならないように(笑)、なるべく簡潔にお願いします。
○ それでは簡単に御説明申し上げます。座長が引用されたとおり、審議会意見は、争いのある事件について、直接主義・口頭主義の精神を踏まえて検討せよという趣旨を述べているわけですが、直接主義・口頭主義とは、いずれも近代的な刑事訴訟法の大原則とされておりまして、このうち、直接主義というのは、裁判をする裁判体と証拠との関係を規律する原則です。判決をする裁判所は、だれかに代わってもらうのではなくて、直接自ら証拠を取り調べ、それに基づいて事実を認定し裁判しなければならないという原則です。これが最も基本的な意味であります。
これに対して、口頭主義というのは、裁判所と証拠との関係を規律する直接主義とは内容を異にする別の概念であり、公判期日における手続の進行に際して、裁判所と訴訟関係人との間のコミュニケーションの方法をどうするかということについてのルールです。これを書面のやりとりではなく、原則として口頭で行わなければならないということが、口頭主義の基本的な内容です。
このような観点から見れば、現在の日本の刑事訴訟法は、直接主義・口頭主義の要請を双方とも基本的に満たしているわけであります。そのように、直接主義・口頭主義を満たしているということを大前提としつつ、これをより実質化し一層活性化しようというのが、審議会意見の言っているところであろうと、私は理解しています。
もっとも、直接主義を強調しているのはドイツ法でありまして、そのドイツの直接主義には、二つの意味があると整理されております。一つは、形式的直接主義といい、先ほど述べたように、裁判をする裁判所が直接自ら証拠を調べなければならず、他の者に代行させることはできないということであります。もう一つは、実質的直接主義といい、これについては、ドイツの刑事訴訟法に条文がありまして、人の知覚した内容を証拠とする場合には、できる限り、その人間を法廷に呼んできて、直接、尋問の形で供述を聞かなければならず、その者の供述を記載した書面等の朗読で代用してはならないという意味があります。
この実質的直接主義は証拠の取扱いに関係する準則であり、例えば、公判期日外の供述を録取した書面については、直接は証拠とすることができないことになります。日本の場合は、証拠法について、英米流の伝聞法則を採用しております。その結果として、基本的に供述録取書等の供述代用書面は証拠にならないことになりますので、実質的直接主義と機能的には変わらないということになります。
□ 実質的直接主義は、英米的な証拠法則というよりは、調書等の朗読の禁止・制限だということですね。
○ そうです。
□ 以上のように、○○委員「講義」を伺ったわけですが(笑)、それをも踏まえていかがでしょうか。
○ 今、○○委員からのお話がありましたが、審議会意見が、直接主義、口頭主義をどのように理解しているのかということが一番よく分かるのは、意見書の107 ページですけれども、裁判員制度の下における公判手続はどうあるべきかというところの書き振りだと思うのです。そこには、「非法律家である裁判員が、公判での証拠調べを通じて十分に心証を形成できるようにするために、口頭主義、直接主義の実質化を図ることも必要となる。」と記載されています。
この書き振りからすると、重要なことは、法廷で心証がとれるようにするということであろうと思います。つまり、法律家ではない裁判員が法廷に座って、原則として、見て聴いて分かる裁判ということなのだろうと思います。
そうだとすると、私自身も、書面が証拠として利用されることを全く否定するつもりではありませんし、むしろ書面が必要な場合もいろんなケースではあり得ますし、また現にあるわけです。
ただ、特に裁判員が入る法廷を考えたときに、その裁判員が適正な判断に到達できるような資料というものを、今回は見直してみることが求められているのではないかと思います。そうだとすると、例えば、判断を誤りやすいようなもの、これは、多くの伝聞法則がそういった視点から英米では作られてきた部分があるわけですけれども、そういった視点からの見直しということもしてみる必要があると思います。
その意味で、よく議論されている、刑事訴訟法321 条1項2号の書面、検察官の面前での供述を録取した書面、こういったものは、今は一定の条件の下で証拠とすることが認められて、判断者である裁判官が読むことが認められているわけですけれども、そういったものの見直しも併せて考えていく必要があるのではないかと思います。
○ 今、伝聞法則の見直しの話が出たのですが、現実問題として、例えば、法廷における緊張感であるとか、時間の経過による記憶の減退であるとか、関係者への配慮、被告人の面前であるため話しにくいという事情、あるいは自己保身といった事情から、証人が、法廷において、真実の供述ができないという場面というのは、我々はよく経験することなのです。
また、被告人の場合を見ても、捜査段階における供述を覆して、法廷で不合理な弁解に終始するということも、実務上、しばしば経験するわけであります。
先ほど、いわゆる検面調書、すなわち、検察官の面前における供述調書の証拠能力の見直しという話が出たのですが、そもそも、検面調書の証拠能力が争点になれば、相反性や特信性といった、検面調書の証拠能力を認めるための要件について、当然、法廷での証人尋問等を通じて、きちんとした審理が行われ、その結果、そのような厳格な要件を満たすと認められて初めて、検面調書が証拠として採用されるわけです。もしそのように、相反性、特信性の認められる検面調書までも、証拠として用いることができないということになれば、刑事裁判における実体的真実の発見というものが、大きく後退せざるを得ないだろうと思います。
そういう意味では、現行制度というのは、きちんとした調和の上に制度が成り立っていると言えるのであり、伝聞法則の例外の厳格化といった方向から考えるのは、適当ではないというのが、私の考えです。
○ 私自身も真実究明の必要性というものを否定するわけではなくて、捜査段階の供述を証拠として用いるべきケースがあることも事実だろうと思います。ただ、その場合でも、検察官の前で述べたことについて、検察官が書いた書面を使うという方法だけではなくても、対応できるのではないかと思うのです。
例えば、起訴前の証人尋問制度があるわけですし、あるいは取調べそのものをビデオ化するといったことで対応するということはもちろん十分可能ですし、はるかに実効性のある対応なのではないかと思うのです。
□ それは、議論が一貫していないのではないでしょうか。今おっしゃったことは、公判外における供述が公判廷における供述と矛盾している場合に、公判外における供述を何らかの形で公判廷に出して、証拠として採用し、裁判所は、両方の供述を照らし合わせて判断することを認めることを意味しますが、それは、最初におっしゃったこととは矛盾しているような気がします。つまり、伝聞証拠というのは事実認定を誤らせやすいものである、だからこそ、先ほどは、検面調書に特化して議論されましたけれども、伝聞法則の例外はできるだけ少なくしていくのが、裁判員が事実認定を誤らないようにするためにいいのだということを、先ほどは、おっしゃったわけです。しかし、どのような形であろうと、公判外の供述は、伝聞証拠であることには違いはなく、最初におっしゃったのは、そのような伝聞証拠を除外すべきだという議論であったはずなのに、後でおっしゃったことは、方法のいかんによっては、証拠として認めてよいのだということになるように思うのですが。
○ そうです。分かりやすい方法であれば。
□ そうであるとしますと、それは、議論として筋が違うように思うのです。
それと、御意見を伺っていて疑問に感じたことを申し上げると、直接主義・口頭主義の実質化というのは、裁判員が関与する場合には、裁判員が、できるだけ公判廷で心証をとることができるようにするということだと思うのですけれども、その問題と、判断を誤らせやすい証拠を排除するという問題とは、問題の性質が違うのではないかという気がします。直接主義・口頭主義の実質化というのは、誤りやすい証拠はできるだけ排除する、証拠能力を認めないということではなく、証拠能力がある証拠が提出されたときに、それを公判で十分に調べて、そこから心証を得ていくということであって、それが、審議会意見が言っていることだと思うのです。議論がそこでずれてしまっているように思うのですね。
○ ただ、判断を誤らせやすいものを排除するということは、誤りにくい判断をしやすくするということとも重なるわけですね。
□ そこで議論がスライドして、拡大していってしまっていると思うのです。
○ そうでしょうか。
□ はい。
○ 質問ですが、○○委員の御意見は、裁判員が関与することを前提として、特に、二号書面・検面調書の証拠能力を認めない方向で見直すべきであるという議論であったと思いますが、そうすると、裁判員が関与する事件と、裁判官だけで審理する事件とで、そこに適用される証拠法則が違ってくるという話になるのですか。
○ 証拠法則が二つあって悪いということはないです。例えば、戦前の陪審では、陪審法と、裁判官の裁判とでは、証拠法則が違って適用されていたわけですね。ですから、二つあることが、私はおかしいとは思いません。ただ、今、私は、二つの証拠法則を作れと言っているのではなくて、裁判員が判断者として入るこの機会に、日本の証拠法を見直すことも必要なのではないかと言っているのです。
○ 審議会意見が裁判員の導入に絡んで、直接主義・口頭主義の実質化ということを言ってきたということですから、先ほどの直接主義の定義にもよると思うのですけれども、例えば、裁判員が自分では独自に心証を形成できないというのでは、直接主義に反すると思います。裁判員と裁判官がそれぞれ独自に心証を形成して議論をして一定の結論に達するということが、本来の在り方だと思いますが、裁判員は独自に心証形成ができない、裁判官の心証を聞いて、ああそうなんですか、そういうものなんですか、というような形で、裁判官の心証が裁判員に植え付けられて、そこで初めて議論が始まるというような制度では、私は直接主義には反すると思うのです。そういう意味では、例えば、従来の供述調書、私の基本的な立場は、刑訴法321条1項2号書面の証拠能力を認めることは必要であるという立場なんですが、従来の供述調書のように、物語式で、非常にある意味では捜査官の加工度の強い証拠が出てきた場合、その調書に録取された供述の中には、当然自発的な嘘もあるだろうし、迎合した部分もあるだろうし、いろんな要素が濃淡あや織りのようになって入っているわけです。そこを、例えば、この部分は本人が自発的にしゃべっているなとか、ここはどうも押し付けられてしゃべったかな、というように切り分けることは、本来、これは非常にプロの世界の仕事であって、練達の裁判官なら判断できるけれども、裁判員については、裁判官抜きで独自にそれを判断してみなさいというふうに言われたときに、果たして裁判員にそのような判断ができるのかということはあろうかと思うのです。
ですから、私が今言わんとしていることは、法案の問題ではなくて、実務の問題、あるいは規則で決めるようなことなのかもしれないけれども、供述調書は、裁判官抜きで、裁判員がその調書を読んでも、これは本当だとか、これはどうも違うぞとか、そういうことが、裁判員独自に判断できるようなものでなければいけないのではないか、そうでないと、裁判員との関係においては、直接主義の実質化とは言えないのではないかと思います。常に裁判官経由でなければ、裁判官の指導、あるいは助言がなければ、裁判員が心証形成できないという仕組みでは、直接主義に反するのではないかと思うのです。抽象論ですが、どうでしょうか。
□ おっしゃっている範囲では分かったような気もするのですが、具体的には、弁護側の同意に基づいて供述調書が調べられるという場合と、321条1項2号のいわゆる二号書面のように、証人が公判廷で証言をして、その証言が前に行っていた供述と相反しているので、前の供述調書が出てくるという場合の二つがありますね。今おっしゃっているのは、後者の場合ですか。
○ 具体的な場面で問題になるのは、二号書面、あるいは刑訴法322 条の書面が相被告人の関係で二号書面として扱われる場合ということだと思います。
○ 二号書面の関係等については、これまででも、書面だけ見れば、その信用性が判断できるという問題ではないわけです。そのために証人を呼んできているわけで、その証人の証言の中で、どうして、供述調書が公判での証言と異なるものになったのかということが出てくるわけであり、その証言を聞いていれば、法廷で話していることが信用できるのか、そうではなく、捜査段階で話していたことが信用できるのかということが分かるような尋問をしろということは、今でも言われているわけです。ですから、そのような尋問を徹底していけば、裁判員の方にも、当然分かっていただけるのではないかと思います。
○ 今、○○委員がおっしゃったような方法で解決できる部分があることは間違いないわけで、それは否定しません。ただ、常に100 %それで解決できるかというと、必ずしもそうではないと思うのです。法廷外供述と法廷供述のどちらを信用するかという問題は、単に供述態度だとか、調書の体裁、書き振りだけの問題ではなくて、裏付け証拠が付いてくるとか、付いてこないとか、いろんな判断で決めていくわけですが、それは、プロの裁判官が判断する場合でも、第一審は二号書面を信用する、控訴審はその二号書面を信用しないということもあり得るわけで、プロが判断しても判断が分かれるくらいに難しい世界もやはりあるわけです。そのような世界に裁判員が入ってきて、あなたは基本的な心証はどうなんですかと聞かれることになって、裁判官から意見を聞かないで、それを正しく形成することができるのかということになりますと、今のような供述調書の在り方では、必ずしもそうとは言えない場合もあるのではないかということを申し上げたいわけです。
□ ○○委員は、基本的なお考えがずっと一貫していると思うのですが(笑)、プロの裁判官と裁判員では証拠評価の能力に差があるという前提に立たれるわけですね。今の御意見を突き詰めていった場合、二号書面的なものは、今後、証拠することを認めず排除しろという結論になるのですか。
○ いや、ならないです。
□ では、どうすればいいのですか。
○ ですから、私は今のような供述調書の在り方が問題だと言っているわけで、例えば、供述調書の中の、あるページが事後的に差し替えられたという弁解が出ることがあるのです。これは実際によく出る。私も、自分が関与した事件で、そのような弁解が出そうになったこともあります。通常、供述調書の差し替えなどということはありませんから、そういう弁解は通らないわけなんです。しかし、今後、裁判員裁判になったときに、従来であれば、荒唐無稽な弁解であるとして簡単に排斥されていたような弁解が、果たして、同じように通らないというように言えるのだろうかと思います。
例えば、私の経験では、前の事件の裁判のときに、供述調書を捜査官に差し替えられたという主張を強硬にしていた被疑者がいたわけです。私は、それが分かっていたものですから、その被疑者には、供述調書の1ページ1ページに必ず指印をさせました。それによって、その事件のときには、調書を差し替えられたというような荒唐無稽な弁解は全く出ませんでした。
ところが、今の供述調書については、調書の作成方法、つまり、このようにして供述を録取するのだというように、きちんと決められているルールは多分何もないと思うのです。一応、運用なり慣行で決まっていると思います。例えば、供述調書の奥書の日付をどうするか、最初に調書を作り始めたときの日付にするのか、供述者が署名をして調書の作成を終えたときの日付にするのか、これも多分統一されていないと思います。そのようなことでは、やはり、裁判員が、公判供述が信用できるのか、供述調書の方が信用できるのかということを正しく判断することはなかなか難しいと思います。
ですから、少なくとも、例えば、供述調書の書式として、各ページの欄外に、押印欄を作って、そこに必ず供述者の印を取る、あるいは指印を取るということにするとか、調書を作成し始めた日付と、供述者が署名した日付が違う場合があるわけですから、奥書の日付をどちらの日付にするのかはっきりさせるとか、供述調書の作成方法を、形式的な要素も含めてきっちりと分かりやすく、判断しやすくする。そして、無用な弁解を出ないようにするというようなことを考える時期に来ているのではないのかということを言いたいわけです。
特に、供述調書は、もともとは筆で書く、そして、ボールペンや万年筆で書くようになりましたが、現在では、ワープロで供述調書を作っているわけです。手書き調書とワープロ調書とは本質的に違うわけで、例えば、手書き調書のときも、ページの差し替えとか、勝手に文章を書き加えたという弁解が出てくることありましたが、そういう場合は、例えば、筆の流れがどうだとか、インクの続きはどうだといった、客観的な状況で、そういう弁解を排除できたわけですが、ワープロになってくると編集が自由自在ですから、仮にそういう弁解が出たときに、従来のように、筆の勢いが続いているじゃないかとか、インクのかすれが続いているじゃないかという客観的な状況で、その弁解を排除するということはなかなか難しい状況になってきているわけです。
ですから、現在のようにワープロ調書が原則になっているときには、いわゆるワープロ調書の作成方法というものは、きっちりと法曹三者が合意したようなもの、これは任意性以前の問題として、こういうような場合は、こういうような方法で作るというようなものを決めた上で、二号書面がそのルールを満たすときにはそれを使っていくというようにしないと、裁判員裁判には対応できないのではないかと、実務的には思っているわけです。
□ ○○委員、さっきからむずむずしているようで、どうぞ。
○ 今おっしゃった、供述調書の形式の点はさておくとして、例えば、検察官面前調書には、自発的な嘘の部分もあるだろうし、迎合的に供述した部分もあるだろう、ということでありましたが、それは、法廷の証言にも当然あり得るわけです。だからこそ、証人を法廷に呼んで、その証言を聞き、これと検察官面前調書とが矛盾するときには、相反性と特信性についての立証を行い、その要件が認められて初めて、検察官面前調書を証拠として採用しますよという話なのです。そして、最終的には、その検察官面前調書だけで、その事件の事実認定が行われるわけではなく、ほかの証拠も総合して、どこまで事実を認定することができるかということが検討されることになります。
そして、今、供述調書の形式の点をいろいろおっしゃられたわけですが、これは、検察官面前調書の特信性の判断の問題とは、全然別個の問題ではないかと思います。供述調書の差し替えということは、私はないと考えておりますし、そもそも、差し替えの弁解というものが、それほど出ているのかどうか分からないですが、仮に、そのような弁解が出たとしても、それは、検察官面前調書の特信性の有無をめぐる攻防の中で、その弁解の真偽が明らかになる問題であると思います。もちろん、そういった弁解を簡単に排斥できるような方策というものを考える余地はあると思いますが、ただ、それは、先ほども述べたように、証拠能力の問題とは、別問題であろうと思います。
□ その点も、直接主義・口頭主義の問題ではないような気がしますね。いずれにしろ、公判廷で二号書面の特信性を判断することが、裁判官が行う場合であっても難しくなってきており、ましてや裁判員が入る場合には、その点についての工夫ないし見直しが必要ではないかというのが、○○委員の御趣旨だと思います。
○ 今の議論の部分にかかわっていることですけれども、私は実務をやっていませんが、ただ一般的によく言われることとして、供述調書は先ほどもありましたように、必ずしも供述者が述べたとおりに録取されているわけではない。まさに物語的に捜査官が整理をするというようなことが行われているというのは、我々が聞くところでは、もう既に常識と化しているような感じもするわけです。
先ほど○○委員から御講義がありましたけれども、意見書が言っているように、口頭主義・直接主義の実質化ということは何かというのは、先ほど確認もされましたけれども、まさに法廷に顕出された証拠によって直接心証がとれるようにすべきであるということになるわけですね。
そういう観点からしたときに、証拠というものがオリジナルであれば、もちろんそれに越したことはないわけです。ですから、証人が出てくればそれに越したことはないわけですけれども、もしそれが無理な場合、無理な場合があり得るということは私も否定するつもりは全くありませんし、それに代わり得るものというものはなければまずいだろうと、もちろん証人が相反供述をする場合もそうだと思いますけれども、その場合であっても、原則は何かと言えば、やはりオリジナル証拠でやるべきところに、その代替を認めるという話だと思うわけです。
特に、裁判員が入ってくるということになれば、ますますそうなってくるわけですから、だとすれば、証拠というものの第一次性というものがどこまで保障されているのかという問題になってくると思うんです。
その限りでは、先ほど○○委員がおっしゃったようなことがいいかどうかはともかくとして、直接主義・口頭主義に応えるような捜査過程での供述の取り方というのは、やはり、今のような形で本当にいいのかどうかということは、検討されてしかるべきではないかという感じがするわけです。
□ それは、直接主義・口頭主義の問題でしょうか。そういうものを証拠として採用することができるかどうかという証拠能力の問題ではないですか。
○ そうですけれども、しかし、実際上、その証拠自体がまさに心証形成のために必要かつ不可欠であるか、またそれが心証形成のために利用できる証拠として、最終的に証拠能力を付与されるべきかどうかという問題に絡んでいると思うんです。
□ 絡むと言えば、何だって絡むことになるかもしれませんけれども。
また、今の御意見は、検察官面前調書や警察官面前調書というものは供述者が言ったとおりに録取されていないということを前提としていたと思いますが、確かに、供述者の一語一句をそのまま録取していないという意味ではそうかもしれませんし、おっしゃったようなものもあるかもしれません。しかし、今の制度では、供述者の供述を整理して物語式に録取したとしても、その録取内容を供述者に読み聞かせて、間違いがなければ、供述者の署名押印を得るという形で確認させることにより、録取内容の正確性を担保し、供述者が述べたとおりのことが録取されているものとして扱うという制度になっているわけですね。それがおかしいという御意見ですか。
○ おかしいというよりも、最終的にはそこまで行き着くかもしれませんけれども、つまり我々としては裁判員制度を導入して、審理というものをできるだけ合理的に適正に迅速にということになったときに、これまでの結果からしてみても、確かに制度的な枠としてはそういう前提がありますけれども、争いになってくる場合というのはどういう場合なのかということを考えた場合、そこのところがまさに問題であるということになってきた経緯というのはあるのではないかという気がします。○○委員のおっしゃったのもそういうことなのではないかと思いますけれども。
○ そこは少し違います。要するに、この直接主義というのは、従来は裁判官しかいなかったから、先ほど○○委員が言われたような定義づけでよかったのでしょうが、裁判員が関与するようになると、供述者が言ったとおりに供述調書に書いてあったとしても、証拠の内容が難し過ぎて、その証拠からは裁判員が独自に心証形成できず、裁判官から指導してもらわなければならないということでは、裁判員にとっての直接主義という観点からすると問題があるのではないかということです。
□ そこが、ほかの方と少しずれていると思うのです。そのような見方も成り立つのでしょうが。
○ それを言い出すと、裁判員制度自体が成り立たなくなるのではないでしょうか。
○ 裁判員だけではよく分からず、常に、裁判官に対し、この証拠はどういう意味なんですか、この証拠はどう見るんですかなどと聞き、裁判官に教えてもらって初めて、そういう意味なんですか、そう見るんですか、と分かるというのは、直接主義ではないと思います。
○ そのお考えを徹底すると、裁判員には証拠評価の能力がないというように聞こえるのですけれども。
□ 話を元に戻させていただくと、先ほどおっしゃった、直接主義・口頭主義の実質化の問題と、伝聞法則の問題に関する○○委員のとらえ方も、一つのとらえ方なのですけれども、審議会意見の構成は、裁判員が関与する事件だけではなく、刑事裁判一般について、直接主義・口頭主義の実質化によって公判を活性化し、全体として、充実しかつ迅速な訴訟を実現しようという構造になっているわけです。ですから、審議会意見の趣旨は、職業裁判官のみで審理する事件の場合についても、先ほど審議会意見を引用して読み上げさせていただきましたけれども、争いのあるところに集中して、できるだけ公判で当事者双方に活発な主張・立証を尽くしてもらい、それに基づいて裁判所が心証を形成して裁判をするということが基本原則であり、それを何とか実現したいということなのです。
そして、それを実現することは、裁判員が加わる裁判にとっても、裁判員が実質的に審理に関与でき、主体的な判断ができることを担保することになる。その点は、まさに○○委員が言われたとおりなのです。要するに、裁判員が、裁判官の見方に依拠して心証を形成するのは、それは実質的関与ではないし、主体的な判断をしていないわけですから、それはおかしい。
このように、審議会意見の趣旨は、全体として公判をどのようにして活性化していくか、そこを中心に物事を考えていくべきだということであると理解しています。
○ おっしゃるとおりで、よく分かるのですけれども、それで○○委員の先ほどの考え方が出てくるので、つまり、どちらの裁判に焦点を合わせるかということですね。○○委員は、裁判員が加わった裁判で、私が先ほど申し上げた言葉で言えば、裁判員が座って分かる裁判にすることによって、直接主義・口頭主義を実現すれば、当然おのずから裁判官だけがやる裁判についても活性化するでしょう、と。
ところが、裁判官だけがやる裁判で、今よりも更に直接主義、口頭主義を前進させたとしても、それが非専門家である裁判員にとって、相変わらず専門家に頼らざるを得ない程度のものであれば、それは実質化しないのではないですかということをおっしゃっているんだと思うんです。
だから、私も二つのものがあるのではなくて、刑事裁判が全体として直接主義・口頭主義を実質化することによって活性化するということは、そのとおりだと思いますけれども、軸をどちらに置くかということで大分変わってくるのではないでしょうか。
○ 少し今までの流れと違ってしまうかもしれないのですけれども、直接主義・口頭主義というのは、非常に重要な刑事裁判の在り方だと思いますが、併せて、これまで、充実した争点整理のための準備手続の創設などについても議論してまいりましたので、やはり、より直接主義・口頭主義の趣旨と意義を明確に示すためには、先ほど審議会意見を踏まえて座長がおっしゃったように、その事件で、一体何が争われているのかということを明確にした上で、その争点を判断するために、直接証人に来ていただくなり、被告人に発言していただくなりということが重要だということになるのだろうと思います。
ただ、例えば、自白事件のように、非常に争いが少ない事件の場合に、この直接主義・口頭主義をどの程度貫く必要があるのかという問題や、あるいは、否認事件で、すべてが争われ、同意書面がほとんどないような従来の裁判などの経過を踏まえますと、そのような事件で、直接主義・口頭主義を貫くことは、裁判の迅速化の趣旨にかなわないのではないかという心配もあります。連日的開廷を行うと言っても、審理が延々と長期間にわたって続くのではないかという懸念もあって、本当に、直接主義・口頭主義の望ましい在り方を考えるに当たっては、自白事件か否認事件かで違うのでしょうし、あるいは、何が争点かということもあるかもしれませんし、私のようなものには、やはり、ある程度、刑事事件の類型化が必要ではないかと思うのです。そうすることが、裁判員として裁判に加わるときにも、例えば、裁判員として、証人の証言のどういう部分に注目すべきかということがある程度分かってくることにつながり、○○委員の御心配のようなこともほとんどないのではないかと思うのです。ただ単に、証言を聞いてくださいと言われるだけでは、裁判の経験がない裁判員は迷うことも多いし、重要なことを聞き逃してしまうこともあるかもしれません。
もちろん、すべての裁判に直接主義・口頭主義が貫かれることは、一つの理想の形だと思うんですけれども、裁判の迅速化とか、あるいは被告人の人権とか、被害者のことを考えますと、もう少し、メリハリをつけて制度を作らなければいけないのではないかと思うのです。そのような、事件の類型化のようなものは難しいのでしょうか。やはり具体的なケースごとに違うものなのでしょうか。
○ 今、○○委員がおっしゃったとおり、意見書の趣旨は、まさに、争点中心のメリハリをつけた審理をしよう、争いのあるところに集中して審理を行おうということなのです。
現在の制度の枠組みでも、争いのない事件につきましては、捜査段階で作成された供述調書についても、証拠とすることの同意がなされます。その結果、供述調書そのものが証拠となるわけですが、ただし、口頭主義にのっとって、その内容が朗読されるか、又は要旨が告知されるという形で法廷で取り調べられることになります。ですから、そこは運用の工夫いかんの問題で、争いのない事項については、当事者あるいは裁判官が、工夫をして、分かりやすく、口頭で証拠の内容を説明することになります。
他方、争いのある事件でも、事実関係のすべてに争いがあるというわけではなく、ある程度は、同意される部分もありますから、そこは、今述べたように、口頭で説明して調べることになります。
当事者間で本当に争いがある部分については、○○委員がおっしゃったように、現在の制度でも、証人尋問等が行われることになりますが、新たな制度では、準備手続の段階で、これまでに、この検討会で議論したとおり、何が争点であるのかということが明らかにされることになります。そうすれば、公判審理が始まる段階で、既に、何が争点であるかということは裁判員の方にも御理解いただける形で明瞭に提示されることになると思います。ですから公判審理は、メリハリの効いた、裁判員にも分かりやすい進行になるだろうと思います。
○ 争いがある場合でも、膨大な供述調書が証拠になる場合があると聞いているのですが。
○ 争いのある場合は、これにかかわる供述調書は原則として証拠にならず、証人尋問による立証になると思います。
□ 二号書面として出てきたときのことではないですか。
○ その場合は、先ほど○○委員や、○○委員がおっしゃったように、まず、証人の証言と検察官面前調書が矛盾するかどうか、矛盾するとして、どちらの方が信用できる情況でなされた供述であるのか、ということが、その調書を証拠とすることができるかどうかを判断するための前提として、当該証人に対する尋問を通じて、公判廷で、十分に審理されることになります。
○ そのときに質問があるのですけれども、要約したり、ポイントだけ整理したような、例えば、私たちがここで議論するときに、事務局の方で論点整理をやってくださるのと同じように、そういうものを作ることは、今の運用では無理なのですか。
□ それは、当事者がポイントを絞って、ここが問題だと分かるような指摘を、有能な当事者であれば、するはずなのです。そのような双方の指摘がかみ合っていけば、裁判員も、ポイントになるところに注目して判断をすることが可能になると思います。これに対し、双方の指摘がかみ合わず、あるいは、下手な鉄砲も数撃てば、というように、いろんなところを突くような主張を乱発して出すと、ポイントが分からなくなってしまうことになるかもしれません。
○ 先ほど問題にしましたのは、結局、書面について争いが生じる場合には、その書面自体の作成過程、これはそういう言い方がいいかどうか分かりませんが、密室で行われており、争う方にしてみれば、書面が言ったとおりにはなっていない。つまり、しゃべったとおりに供述が録取されているわけではないわけです。捜査官が理解したところに従って、整理をして出してよこすわけですね。作文化されているという。
○ 本当に、そうなのかどうか。
○ ですから、それをさっき確認したわけで、まさにそれはそのとおりだということはお認めになっているわけで、そうでしょう。違うのですか。
では、そこを改めて確認しますけれども、少なくとも一問一答式で出てくるということは、基本的にはほとんどないですね。
○ ないですね。
○ ですから、私は一問一答式があったとして見ても、正確に供述内容が録取されているかどうかというのは疑義がある場合もあると思うわけですけれども、基本的に言うと一問一答式ではないわけで、捜査官がこういうことを言いたかったんだろう、言ったんだろうということを確認して、それを調書としてまとめて出してくる、そういう性格のものなんです。
ですから、そういう意味ではオリジナルではないだけではなくて、一次性と言いますか、それに代わるだけの一次性というものも疑義があるということに議論としてなるわけです。ですから、そういった紛議をまさに争いのあるときに避けるという方法を考えずして、調書というものを利用するということが、果たして妥当なのかどうかと、そういう問題です。
○ 調書の取り方自体を変えるということはあり得るのですか。
□ ちょっと待ってください。今の問題は、結局、公判外の供述を録取した書面一般に当てはまる問題ですね。それを証拠とする点での要件が甘いとか、あるいはその運用が甘いという議論になるのではないですか。御意見を突き詰めて言えば、そういうことですね。
しかし、どういう要件にするにしても、公判外の供述を録取した書面が一定の要件をクリアすれば、伝聞法則の例外として、証拠として採用するということは、我が国だけではなく、伝聞法則を採っている所では、多く採られている制度だと思います。そして、そのように要件をクリアして、証拠とすることを認められたものを使い、公判廷での証言とも照らし合わせて、裁判所が心証をとるということになるわけで、そのように、如何にして心証をとっていくのかというところから先が、直接主義・口頭主義の問題だと思うのです。
先ほどから整理させていただいているのは、そういうことなのです。
○ ですから、そのこと自体はそのとおりだと思いますけれども、ただ、その前提として、そういうものだと確認しておく必要があるんではないかという趣旨で申し上げたわけです。
○ 取調官が理解したところを勝手に押し付けて調書を取るような言い方をされたのですが、そういうことは絶対にないわけで、供述者から、ちゃんと話を聞いて、その供述を無駄なく調書化しますから、確かに、供述者が述べたことを一字一句録取したり、一問一答式にはなっていませんけれども、先ほどお話がありましたように、取調官は、録取する内容を口述して立会者に筆記させ、さらに、もう一度、それを供述者に読み聞かせをして、表現に誤りがあったり、ニュアンスが違ったりしたら、ちゃんとその部分は訂正した上で、間違いがないということで、供述者から署名押印を得ているわけで、供述者が述べたとおりに録取されていることの担保は取れているわけです。
○ ですから、先ほど申し上げたのは、争いがあるときというのは、まさにそこが争われているんではないかという確認をしたわけです。そうだとか、そうでないということを申し上げているわけではないんですが。
○ しかも、そのような供述調書が当然に公判で証拠になるわけではなく、争いのある事件では、そういう、内容に争いのある供述調書は不同意になるので、まず証人尋問が先行するわけで、先ほどオリジナルの証拠とおっしゃいましたけれども、まさに、その証人が出廷して法廷で証言するわけなのです。そして、その証言と捜査段階の供述調書との矛盾・相反が出てきた場合には、それでは、どちらの供述が信用できるかということになり、調書の供述の方が信用できるという立証できなければ、結局、その調書は証拠として採用されないのですし、調書の供述の方が信用できることが立証できてはじめて証拠として採用されるわけですから、どうも議論がおかしいのではないかなという気がします。
○ 調書をめぐる話だと、専門家の方の議論というのはいつもこうなるんです。私は、これが絶望的だという気がするんです。
裁判員制度のことに限らないのですけれども、できるだけ調書を離れる刑事裁判というのでしょうか、証人尋問などに徹底して、法廷での証人調べとか、そういうものに今よりももっと比重を移すと言いましょうか、そういう審理の在り方をしないと、いつまでもこういう話が続いていくということです。
□ 今の問題設定というのは、ある証人を、公判廷で反対尋問を含め尋問したところ、その証言と、その証人が以前に公判外で供述していたことの内容とが違っているという場合に、裁判所が事実認定をするに当たって、その公判外の供述をも材料にして、他の証言等と対照して評価するということに意味があるかどうかということなのです。そして、そのことに意味があるとすれば、その公判外の供述を何らかの形で公判廷に持って来ないといけないわけで、その方法としては、その供述を聞いた人が法廷に出てきて、自らが聞いたその供述内容を証言する、つまり、伝聞の証言をするか、あるいは、その公判外の供述を録取した書面を証拠として提出するか、そのいずれかしかないのです。これに対して、そのような公判外の供述を用いることは意味がないということになれば、そのような供述は証拠として使わないということになるのでしょうが、真実を見極めるとか、供述の信用性を判断するために、やはりそれは必要だということになれば、今言いましたような、いずれかの方法で公判廷に証拠として出さざるを得ないわけです。
そして、そこまでは、証拠能力の問題であるのに対して、証拠として法廷に出せるとしたときに、その証拠から、どういう形で心証形成をしていくのがいいのかという問題が、直接主義・口頭主義の話なのです。
○ そちらの話をもう少し進めないと、いつまで経っても終わらないと思います。
□ それを先ほどから申し上げているわけで、むしろ、そちらの、直接主義・口頭主義の方をどうするのかということに、議論を移していただきたいのです。
○ ちょっと言いかけになってしまったのですけれども、私も、供述調書が全く必要ないと言うつもりはないのです。しかし、法廷の場でいろいろ審理していくときに、今は余りに調書に傾き過ぎているという感じがとてもするのです。特に、争いのある事件については、ほとんど供述調書を信用するかしないか、というところで決まってしまうものもありますから。そういう事態がどうしても避けられないということは、実務上分かるのですけれども、ただそれにしても、余りにそれが過ぎるのではないかなという気がするのです。だから、そこのところをどうしたらいいのかという話を、もう少し考えてほしいと思います。
○ 口頭主義を尊重して、そして分かりやすい審理をすべきであるということは、以前ここで議論した、裁判員が入った公判審理の在り方の論点のところでも、皆さんの考えが一致しているところで、それは当然のことであり、そういう分かりやすい審理をする必要があると思います。そして、そのためのいろいろな工夫が要るであろう、今までと違って、争いがない事件でも要旨の告知なども相当工夫して裁判員の方に分かっていただくような審理というのが必要であろうと思います。
また、同意された書面でも、例えば、鑑定書や検証調書のように、書面を見ただけではすぐには理解しにくいものもあって、そういうものについては、場合によっては、その書面の作成者を証人として呼んで、その要点を聞いたり、説明を受けるとか、あるいは、そのような書面の証拠調べに合わせて、当事者の証拠説明のようなものを付けて、こういうことを言っているんですという説明を行う。もし、その証拠説明が違えば相手方当事者にも説明させればいいわけですので、そういう証拠説明を付け加えるというようなことを口頭でやっていって、分かりやすいようにするということが、まず第一だろうと思います。
それをやれば、○○委員が心配していたような、裁判官だけが分かっていて、裁判員にそれを説明しなければいけないということは少なくなるでしょう。○○委員が心配されるようなことになるというのは、そもそもおかしな話ですし、きっと、裁判官はこうだと考えていても、裁判員はそのような考えに賛成できないということが多くなってくると思うのです。ですから、そういう意味では、どんどん当事者が裁判官より裁判員にとって分かりやすい訴訟活動をするようになってくると思いますので、そこは、より実質的な口頭主義・直接主義になっていくのではないかという気がします。
もう一点、別の点なのですが、争点を絞った証人尋問をしていかないと、また被告人質問もそういう争点に絞った質問をしていかないと、尋問や質問が長時間になるし、焦点もぼやけて、裁判員にとっては、何でこんなことを聞いているのか分からないというようなことになると思います。そこで、今の刑事訴訟規則では、証人請求をした当事者は尋問事項書を提出することになっていますけれども、今も裁判所が命じれば提出してもらえるわけですけれども、その提出をもっと義務的なものにして、裁判所が、公判審理前の争点整理の段階で、尋問事項書中のこの事項については関連性が薄いから尋問を制限するというようなことを、あらかじめ決められるようにすることも必要なのではないかなという気がいたします。
○ 二つのことをおっしゃっていて、第一の点については、基本的には、私も同意見で、裁判員が独自に心証を形成することができないということは、確かに少なくなるだろうと思いますが、それでも、ゼロにはならないだろうなと思っています。
第二の点は、私のイメージとしては、準備手続の段階で、証人申請するときに、当然、双方の当事者が、尋問事項書ではなくて、陳述書をぶつけ合って、そこで大体こういうことかと把握した上で、公判審理に臨むというふうにするべきだと思います。ですから、基本的な方法ですと、今、○○委員がおっしゃったことを更に進めた形で、主尋問で、大体何が証言されるかということを、あらかじめ、相手方当事者が把握した状態でないと、計画的な公判審理はできないのではないかと思っています。
□ ○○委員、何か御意見はございませんか。
○ 証人尋問と、検面調書に限らず調書一般についてどちらがいいのかという問題は、少し分からないところもあって、例えば、実務の現状を前提にすると、証人尋問の方が、よっぽど、でれでれ行われるということが多くあり得ると思うのですが、そうしたときに、先ほど言及がありましたように、争点中心の尋問とかいろいろな方法が考えられるわけですが、そのようなことを考えて尋問してもらうというように、尋問方法を全体でもう少し見直していくということが大事ではないかと思います。
また、直接主義・口頭主義ということが、ドイツで出てきたのは、もともとは、どのようにすれば、よりよく心証をとることができるようになるかということが研究動機として研究された結果であったので、その意味では、公判手続、特に、証拠調べがどうあるべきかという観点から考えていく必要があると思います。
そうすると、ベストエビデンスということがよく言われていますが、我々は、そのようなところを、もっともっと突き詰めていかなければいけないという気がしています。そういう意味で、証拠調べがどうあるべきかということに議論を絞るべきで、むしろ、証拠法則等の議論に入っていくと、果てしない議論になり過ぎるという懸念がありますので、私は、証拠調べの方法のところに絞った議論というものをしてもらいたいと思います。
○ 私は、直接主義、口頭主義という観点で、例えば、先ほどの、公判前に行われた供述をどういう媒体で判断してもらうかという観点からの話なのですけれども、証拠説明書を付けるということも一つの方法なのかもしれませんが、実は、証拠説明書を付けなければいけないような媒体であるということが問題なのではないかと思うのです。
つまり、例えば、前に行われた供述について、今、議論があったように、争いになるのは、供述録取書という形で出てくるからであって、先ほど少し申し上げたように、例えば、ビデオで前の供述を撮っておくなどという方法は、今は簡単に行えるわけですから、そうすれば証拠説明書なども恐らくは不要になるし、裁判員が判断することもできるだろうと思うのです。
□ それは、○○委員の御発言を誤解されているように思うのですが。
○ 供述録取書について証拠説明書が必要であるということを述べたわけではありません。私が申し上げたのは、鑑定書とか、検証調書とか、要するに、客観的な証拠についてのことであり、例えば、当初の段階ではいろいろなことを考えて広く調べているけれども、結局、争点にならなかった部分が相当あるのが普通で、争点に関係するのはどこかというのが分かりやすくないといけないので、そのために、その内容を一度そしゃくしたような証拠説明が必要になる場合があるのではないかという趣旨なのです。
□ 要するに、ポイントを示すということでしょう。
○ それは、ちょっと勘違いしました。でも、それは、恐らく準備手続の段階でいろいろなされるのではないかと思うのが一つです。先ほどの○○委員の発言とは切り離して、今のことは申し上げたいと思います。
それから、○○委員がおっしゃった、尋問の制限なども、次のテーマである訴訟指揮との関係があるのですけれども、今後は、裁判員が尋問を聴くということになると、これは運用の問題だとは思いますけれども、恐らく、先ほど○○委員がおっしゃったような、もし、でれでれとした尋問があるとすると、証言を聴いてくれなくなる可能性が事実上あるわけですね。そういったことによって、当事者の方も、相当に工夫をした尋問に変わっていくだろうと思います。
○ ○○委員が最初に言われたことに関連してなのですが、例えば、鑑定書の解説だとか、そういう部分については、もし直接主義・口頭主義を貫くとすれば、やはり専門家の方に法廷に来ていただいて、鑑定書の解釈の仕方とかを教えていただくのが、順当なところだと思うのです。ただ、それが無理な場合の代替案として、少し○○委員の御発言と似ているかもしれないのですけれども、例えば、鑑定書というのも、いろんな鑑定書があると思いますけれども、そのポイントだけ文章にして解説していただくのもいいのですが、専門家の方に、3分でも5分でも、ポイントについて話していただいたところをビデオに撮って、それを見るということが考えられないでしょうか。つまり、直接主義・口頭主義というと、法廷に必ず証人の方なり、鑑定した方なりに来ていただかなければいけないということかもしれないし、今までも、そうであったかもしれず、余りビデオ証拠というものは尊重されなかった経緯もあるかと思うのですが、もし、裁判を充実・迅速化させていくとなると、専門家の方をお招きするときにも、時間的な制約があって難しいとか、あるいは証人の方もいろいろな支障があるようなことがあって、もちろん、証人として出廷することは義務ですから、法廷にお越しいただくのが筋かもしれませんけれども、そういうときに、そのような電子的な媒体などが使えないのかどうか。どうしても、鑑定書を書いた専門家が、事件を審理する裁判所に行くことが難しいようなときには、これはテレビ会議的なものでもいいですし、例えば、北海道の裁判所の事件について、東京の専門家が、東京の裁判所でコメントするなど、その専門家の方の最寄りの裁判所へ行っていただき、ビデオリンクの方法で証言することも考えられるのではないでしょうか。原則は、事件を審理する裁判所の法廷に来ていただいて、直接主義・口頭主義でやっていただくけれども、補完的というか、代替的なことも考えていただくと、より裁判の充実・迅速化に資するのではないかなと、そんなことをお聞きして思いました。
□ 鑑定人に公判廷に出廷してもらい、両当事者や裁判所が、その鑑定人に質問をして、更に疑問点を明らかにするということが、原則であろうと思うのですが、それと同じような機能を、そのような方法によってではなく、別の何らかの媒体を使って果たさせることは考えられるかと思います。それは、工夫の余地のあるところだと思いますね。
ただ、そうではなく、あらかじめ、鑑定人が話す内容をビデオに撮影して、それを証拠として出してくるということになりますと、これは書面と同じことで、当事者や裁判所が、分からない点を鑑定人に質問することはできないわけです。そういうところをちゃんと説明してもらうというのが、○○委員の御発言の趣旨だろうと思います。
○ 分かりやすいように証拠を出していくというのは、確かに、いろいろな工夫が必要だろうと思います。
直接主義・口頭主義を実質化すべきであるという場合に、先ほど○○委員の方から御発言がありましたけれども、何が一番大事かというと、やはり争点を絞った審理、すなわち、その争点を中心に活発な証人尋問が行われるということが一番重要であろうと思います。争点である事実に関する供述調書類であれば、当然、証拠とすることは不同意になるので、そのような、争いのある部分については、証人に法廷に出てきてもらうことになり、そこで、証人尋問を通じて、活発な主張・立証が行われることになります。例えば、先ほど、調書の証拠能力の問題がありましたけれども、そこが争点になれば、証人尋問や被告人質問が、まさに、その争点をめぐって活発に行われることになるでしょう。
このような、争点中心の公判審理ということが、直接主義・口頭主義をまさに実質化して、活性化した公判審理というものを実現する一番の早道であり、要は、争点整理というものをきちんと行うということが大前提であると思います。そのために、審議会意見も、争点整理のための新たな準備手続の創設ということを打ち出しているのだろうと思います。
□ 審議会意見は、刑事裁判の充実・迅速化を実現するための諸方策を一体として提言していますので、今の○○委員の御指摘は間違いのないことだと思うのですけれども、少し角度を変えて、私の方から皆さんに質問させていただきたいと思います。供述調書その他の証拠書類をどの程度証拠として使うべきかということについては、かなり見方が分かれるところかもしれませんが、その供述調書等を証拠として使うということになった場合、それを公判廷で取り調べるわけですが、そのことから当然に、裁判所は、その供述調書等を公判廷でしか見てはいけないということになるのでしょうか。その点も問題の核心の一つなのですが。
○ 私の現在の制度の理解を申しますと、刑事訴訟法上、証拠は、その取調べ方法によって分類されており、例えば証人は尋問という方式で取り調べ、公判廷におけるその人の供述内容それ自体が証拠となるわけです。これに対して証拠書類、書証と呼ばれているものは、その取調べ方法は、公判廷における朗読又は要旨の告知ということになっております。したがって、書証、例えば検察官面前調書や自白調書が証拠として採用された場合、その取調べの方法としては、法廷で朗読又は要旨の告知が行われるわけですが、しかし、証拠として、裁判官が心証をとる対象になっているのは、まさに書証に書いてある記載内容でありますから、裁判官は、朗読又は要旨の告知という音声だけでしか心証をとってはいけないということではないはずです。この点が証人の供述とは異なっています。書証を朗読などした音声ではなく、そこに書いてある記載内容が、証拠として心証形成の対象になるということは、現在の制度の大前提だと考えています。
したがって、書証を証拠として採った場合、裁判官としては、当然ながら、公判期日におけるその朗読や要旨の告知を聞いてそこから心証をとり始めることになるとは思いますけれども、その書証の記載内容を、後に公判期日外で読んで、そこから更に心証を形成する、あるいは証拠そのものである書証の記載内容を確認するということに特段の制約がないというのが現在の理解だと思います。
そして、それは、裁判員の制度を導入したからといって、特段変わることにはならないだろうと、私は考えています。
最初に言いましたとおり、口頭主義というのは、公判期日における関係者のコミュニケーションの方式の問題であり、直接主義というのは、直接裁判体が証拠から心証をとるということですから、口頭主義に従い、公判廷で朗読ないし要旨の告知という方式により裁判体にその内容の要点が伝達された書証について、後で裁判体を構成する裁判官や裁判員が直接この内容を読んで、そこからも心証をとったとしても、直接主義・口頭主義のいずれかにも反することにはならないというように整理しています。
□ その場合に、公判廷での書証の証拠調べというのは、どういう意味を持つのでしょうか。
○ 裁判所は、公判廷での証拠調べの際に、朗読又は要旨の告知として口頭で表現され提示されたことによって証拠の内容の要点の伝達を受け、一応の心証をとるわけでしょう。そのような心証を基にして更に証拠調べを進めていく素材にするという意味はあると思います。しかし、そこだけで心証を形成しなければいけない、公判期日に聴いたことだけですべての事実を認定しなければならないということには、およそ、ならないのではないでしょうか。
□ 公判廷における書証の証拠調べとして、朗読とか、要旨の告知がなされる場合でも、音声で表現されているところが証拠なのではなく、元の供述調書なり書面そのものが証拠であって、それから心証をとる前提としての形式といいますか、証拠調べの方法として、朗読なり要旨の告知を行っている、ということだというわけですね。
○ そのように理解しております。
○ それは、全くそのとおりであり、証人尋問を行う場合には、証人の供述するところが証拠になる。これは間違いない。
それに対して、書証等は、その書証の存在と内容が証拠になる。これも間違いないところです。ところが、ドイツでは、証拠として書証を採用する場合に、朗読という言葉を使う。これは、朗読すること自体が証拠内容になるという考え方なので、日本とは大きく違う。そこのところを意識しておかないと、やはり具合が悪い。証拠調べとして行っている朗読とか、要旨の告知というのは、証拠調べの方法であるということを改めて確認しておかなければ具合が悪いと思います。
□ ドイツの場合は、音声で表現され、耳で聞いたものが証拠だということですね。その場合、元の書面は、合議のときには持ち込んではいけないのですか。
○ 恐らく、持ち込んでいるでしょうし、しかも実際上それを見ているのだろうけれども、その書面自体は証拠にはならないということです。
□ 書面自体は証拠ではなく、それが朗読され音声として聞いたところが証拠になる。そこが、日本の場合と構造的に違うということですね。
○ 全く違うということです。
○ ドイツはそうなのでしょうが、日本の場合はそれとは違い、書面の記載内容自体が証拠になるわけです。
□ 証拠物の場合はどうなのですか。証拠物は、公判廷で展示するという方法で証拠調べを行いますね。それを見た印象が証拠なのですか。それとも物自体が証拠なのですか。
○ それは、証拠物の存在自体が証拠です。
□ そうすると、それは、合議の際に持ち込んでいいということですか。
○ そういうことになりますね。
○ これは、議論のための議論かもしれませんが、証拠物というのは、見方を変えればいろんな解釈ができるものですから、例えば、公判廷では、当事者が、この証拠物はAと読むべきだ、いや違う、Bと読むべきだと、丁々発止をやったとします。ところが、公判が終わってから、評議の場へその証拠物を持ち込んでいろいろ議論したところ、だれかが、この証拠物はCだDだと言い出し、そこで、CかDかも含めて議論をした結果、これはDだという結論になってもいいわけですか。その証拠で、Dと認定するということは、いいのですか。
□ それはいいのではないですか。
○ 存在自体が証拠になると見るか、あるいは公判で調べたところが証拠になると見るか、その見方の違いです。
□ 今おっしゃっているのは、当事者の立証趣旨に拘束力があるかという話なのではないでしょうか。
○ 本当は、そういう問題でもないのですけれども。
○ 結論に影響するような問題であれば、当然もう一度、当事者に対し、AやBだけではなく、CやDという見方もあるのではないか、それはどうなのかということを当事者に示しておかないと、今の訴訟手続でも、当事者に対する不意打ちの認定ということになって、その判決は破棄されるということになると思います。
□ そのA、B、C、Dといったところがどの程度ずれているかということによって、認められる場合もあれば、認められない場合もあるということですね。
○ 結局、何が証拠になるかということです。
○ 先ほど確認したことで、座長の御整理は分かっているわけですが、証拠調べの方法ということに関して言うならば、やはり、心証をとる場所がどこであると考えるのかという問題は、審議会意見の言い方からいってもあると思うのです。それは、やはり、あくまでも公開の法廷で心証をとるというのが原則なのであって、そこで証拠調べが行われた証拠に基づいて、心証をとるというのが原則であり、供述調書を評議室に持ち込むべきかどうかという話は、それは確かに政策論だという部分があるかもしれませんけれども、供述調書を持ち込むという話になったときには、今問題にされているのも、結局、後に調書を見ることによって心証をとることが可能だという前提で、法廷での審理を扱ってしまうということになりかねないということは随分指摘されているわけでして、供述調書を全く見ることができないと言うつもりはないのですが、つまり記憶喚起というようなことで必要に応じてチェックするということはあり得るかもしれませんけれども、直接心証をとるべき場は法廷であるし、法廷での証拠調べというものを最大限重視する必要がある。そういうことでいけば、口頭で心証がとれるような取調べの方法というものを考える必要があるということになると思うのです。
○ それは、おっしゃるとおりだと思いますけれども、最初に、私が言ったのは、証拠書類というのは、あくまで、そこに記載されている内容が証拠になります。ですから、公判期日における証拠調べの際に心証をとるように努力するのは当然だと思いますが、しかし、だからと言って、その証拠調べの際に朗読や要旨の告知で聞いたことだけが証拠になるわけではない。それは動かないところではないかと思います。
○ ○○委員も、証拠として採用した書証を、法廷外で読んではいけないと言うわけではないのでしょう。
○ ですから、さっき言ったように、証拠として採った書証の利用方法について限定があるだろうということです。
○ 限定を付けるべきだということですね。
□ しかし、証拠として採用された書証は、それ自体が証拠ですよね。○○委員が言っているのは、それ自体が証拠なのであるから、証拠物と同じである、つまり、証拠物を評議を行う裁判官室なり裁判員室に持っていって、それを見ながら、ここはこうじゃないかと議論をすることと同じこととして、許されるのではないかということをおっしゃったわけです。
○ ただ、その場合には、供述調書も、それ以外の書証類も同じだということになりますか。
○ そうなるのではないでしょうか。供述調書とそれ以外の書証を区別する合理的な理由はないと考えます。
□ 書証自体が証拠である以上は、公判廷での証拠調べの後に、それを見ることは可能であるということですね。
○ 証拠として採用した書証を、法廷外では見てはいけないというための理屈を立てる方が難しいのではないでしょうか。
○ しかし、それでは、公判廷における証拠調べというのは、何のために行うのかという問題になると思います。
○ 法廷で心証をとることが基本だというのは分かる。
○ ですから、法廷外での調書の閲読というのは、証拠調べではないですね。
□ しかし、公判廷において適式な証拠調べを行った証拠について、公判外で、その証拠評価を行ってはいけないということにはならないのではないでしょうか。いけないというのは、一般的な理解とは異なるのではないですか。公判外で証拠評価を行うことができないということになると、評議自体が成り立たなくなるように思いますが。
○ しかし、評議をするためには、もちろん証拠調べを経ないで評議をするということはあり得ないわけです。そして、その証拠調べは、公判廷で行うわけですね。
□ ですから、公判廷での証拠調べを省略してもよいという議論はだれもしていないのです。そうではなく、まず、公判廷における証拠調べをできるだけ充実したものとすることを前提とした上で、その証拠の価値ないし証明力を評価するに当たって、その証拠が書証である場合に、それを裁判官室や裁判員室に持ち込んで閲読するのと、証拠採用した証拠物を裁判官室等で点検するのとで、どこが違うのかという議論をしているわけです。
公判廷に出さないで、裁判官室又は裁判員室で書面をこっそり読んで心証を形成するといったことを前提とした議論は、だれも行っていないのですよ。
○ 私もそんな前提で議論しているわけではありません。
○ 法廷で居眠りをしていて、証拠になった供述調書等を事後的に読んで、評議するのはだめです。
○ ただ、現実の問題として、今問題になっているというのは、そういうことになりかねないのではないかということだと思います。
○ そういうこと、というのは、どういうことですか。
○ つまり、居眠りしているとは申し上げませんけれども、法廷での審理の際に、裁判官が居眠りされているのを目撃したこともありますけれども、それはともかくとして、いずれにせよ、法廷での審理において心証をとるということを原則にしたときに、その審理というものを活性化し、充実化するためにどういう運用の在り方、制度の在り方が必要かという問題です。
□ 突き詰めて言えば、そのために、証拠採用した供述調書等の書証を評議室へ持ち込むことを一切禁止するのかどうか、そういう話になると思うのです。
○ いや、ですから記憶喚起のために、調書類を評議室へ持ち込むということはあり得ると思います。ただ、証拠の評価ということになったときには、まさに、その供述調書を評議室へ持ち込んで、改めて、そこで、その供述調書を読んで、証拠評価することを法廷外で行うのを認めるということになる。そうすると、先ほど御指摘にあったように、仮に、その供述調書について疑義が生じたときには、もう一度当事者の意見を聞くなり何なりという必要が出てくるかもしれませんけれども、いずれにせよ、証拠として採用した書証等を評議室にすべて持ち込んで、その証拠評価を行うということになった場合には、いったん結審して評議に入った段階で、議論が分かれてくるということがあり得るわけですね。
□ それは少し話が違って、新たな争点とか見方が出てきた場合に、弁論を再開して、当事者の言い分を聞く必要があるかどうか、という問題ではないでしょうか。
今問題にしているのは、そのようなことではなく、公判廷で当事者はその争点をめぐって十分争っており、その争点に関する証拠調べも行われたという場合に、その一環として取り調べた書証を、法廷外の裁判官室などに持ち込んで、より精査する、どちらの言い分が正しいのかといったことを判断するためにより精査するということができるのかどうかということです。そのような裁判官室などでの精査もできないということになると、評議自体を意味ある形ですることができなくなるのではないか、そういう疑問があるわけです。
○ 例えば、ある裁判員は、公判廷で証言を聞いていたときには、その証人の言い分は信用できると思ったとしますね。ところが、評議をする過程で、裁判体の他のメンバーの意見を聞いて、確かに、あの証人の証言は必ずしも信用できないのではないかという心証に変化したとしても、それは、正常な評議の過程と言えるのではないですか。ですから、公判廷でとった心証が、そのまま評議の結論にまで至らなければいけないというのは、おかしくないですか。
○ では、こういうことなのでしょうか。確認ということになるのかもしれませんが、公判廷で供述調書を取り調べるという場合に、○○委員などが前提にされている、その証拠調べの方法というのは、全部朗読ということが前提になっているのですか。
○ 今の制度を前提にして述べていますから、朗読又は要旨の告知です。
○ ですから、結局、要旨の告知ということだけであったとすると、もちろん、それは当事者の意見を聞いた上で、要旨の告知ということになるのかもしれませんけれども、いずれにせよ、法廷に顕出されたものと、実際に評議室に持ち込まれたものというものは、その持ち込まれるものが証拠であったとしても、一致しない。つまり、公開の法廷で取り調べた内容と、評議室に持ち込まれて、評議の際に確認できる内容というが必ずしも一致していないという状態になってくるわけですね。それでもいいということになるわけですか。
○ 現在の制度では、そういうことになります。そして、要旨の告知の運用はともかく、これを変更する合理的理由はないと考えます。
○ 現在の制度とおっしゃいますけれども。
□ 問題点は分かりました。どうぞ。
○ 私は、少なくとも、法廷で証拠として法律上認められたものについては、判断者は、それを評議室に持ち込んで精査することはできる。これは、そうだと思います。
ただ、実は、今の裁判で、直接主義・口頭主義、人によっては、それが形骸化しているという言葉を使いますが、その一つの大きな理由は、証拠調べの方法についてであると思うのです。特に、要旨の告知についてです。
少なくとも、直接主義にしろ、口頭主義にしろ、これはあくまでも法廷でのルールですね。法廷でそれを実質化するということは、やはり相当程度のものでなければ、実質化したとは言えないのではないかと思うのです。
もう一つ考えなければいけないのは、特に、口頭主義の要請で言えば、裁判の公開との関係です。後で評議室に入って、判断者の裁判官と裁判員が読めば分かるからいいではないかということではいけないのであって、公開の要請があるとすれば、やはり、それは傍聴している国民が、そこで聞いていても分かるという程度の証拠調べがなされる必要があるわけです。その意味では、少なくとも、私個人としての意見では、要旨の告知というものに反対なのです。
ただし、だからと言って、最初に述べましたように、証拠として認められたものを評議室に持ち込んではいけないということではありません。
□ すべての書面について、全文朗読すべきであるということですか。
○ 特に、供述を証拠とする場合です。
□ ただ、供述と言ってもいろいろありますよね。
○ 例えば、実況見分調書とか、そのようなものを、どう朗読するのかという問題もあるし、むしろ、そのようなものは、示すということになじむと思うのです。ですから、それは、証拠によって取調べの方法というものも、ますます工夫がなされる必要があるという趣旨です。
□ 複雑な内容の供述を、かなりの長文で書いているような書証についても、全部朗読すべきであるということですか。
○ もし、そういう書証の証拠調べの必要があり得るとしたら、むしろ、逆に、書証の内容を読んで分かるように書くべきであるということです。
□ しかし、供述者の供述をできるだけ正確に録取するためには、むしろ、供述内容を整理してはいけないわけですよね。だから、実際的には、そこのところが悩みだと思うのですが。
○ 取調べの技術の問題だと思います。
○ 確かに、証拠調べの方法として要旨の告知を行って書証をたくさん取ってきて、後で、これを裁判員に読めというのも、ある意味では酷な話であり、そういう意味では、書証の公判廷での取調べの在り方というものも、見直さなければいけないというのも事実だろうと思います。
そういったときに、やはり、最初のところに戻って、公判廷でどれだけ心証をとれるようにするかという点を念頭に置くことが一番大事だと思います。このことを意識しておけば、証拠調べの方法として、要旨の告知であろうと、朗読であろうと、適宜やって構わないだろうというふうに思います。
□ この問題に関する第一ラウンドの議論としては、このくらいでよろしいですか。まだ、後に二つ論点が控えていますので、ここで少しブレイクを入れさせていただきたいと思います。
(休 憩)
□ それでは、再開させていただきます。
論点ペーパーの項目5の「訴訟指揮の実効性を担保する具体的措置」という項目の議論に移りますが、審議会意見は、この点について、「充実・円滑な訴訟運営のため、裁判所の訴訟指揮の実効性を担保する具体的措置を検討すべきである。」としております。
この点については、この検討会で、これまでにも、時折、言及されることがありましたが、そういうことも踏まえながら、基本的な考え方、方向性といった点について、大きなところから御議論いただければと思っています。座長の訴訟指揮権を濫用して、こちらから指名させていただいてもいいのですが(笑)、いかがでしょうか。
○ ○○委員を差し置いて、私の方から言うのも何だと思うのですけれども、やはり、訴訟指揮の実効性の担保というものは、是非とも導入していただかないと、充実した訴訟活動の展開ということはできないのではないかと考えています。
現実に、公判で、今、どういうことが行われているかと言うと、当事者が、裁判所の訴訟指揮に従わず、それが、審理遅延の原因になっている、あるいは、焦点の定まらない審理の原因になっているという事例が数多く見られます。例えば、裁判所の期日指定に従わないとか、裁判所による重複尋問の制限にも従わない場合があり、裁判所が、それでも、期日を指定したり、尋問をを制限しようとすると、法廷から勝手に退廷したり、公判期日に出頭しなかったり、あるいは弁護人を辞任しようとするといったことが見られるわけです。
ここで、きちんとした訴訟指揮が実効的に行われないと、充実・迅速な裁判を実現するということは到底不可能なわけであり、やはり、こういった訴訟指揮に従わない当事者に対しては、裁判所が、必要に応じて、一定の制裁を科し得る制度を、積極的に検討していく必要があるだろうと思います。
また、これは、前回も少し申し上げたのですけれども、例えば、私選弁護人が、裁判所の訴訟指揮を不服として、辞任をほのめかしたり、あるいは、実際に辞任するといった、いわゆる辞任戦術に適切に対処するためには、既に私選弁護人が選任されている場合であっても、一定の場合に、裁判所が併せて国選弁護人を選任することができるような制度というものを取り入れていくべきではないかというのが私の考えです。
□ 第2点目は、刑訴法289条2項に定められている必要的弁護事件の場合に限らず、もっと広く、私選弁護人と国選弁護人との併存を認めるべきであるという御趣旨でしょうか。
○ そうです。今述べました辞任戦術が採られたり、あるいは、弁護人の公判不出頭というようなことが続けば、なかなか、適正かつ迅速な審理を行うことができなくなりますから、仮に、そのような辞任戦術などが行われたとしても、公判審理を継続することができるよう、きちんと法廷に出頭する国選弁護人の併存ということが、訴訟指揮の担保措置として必要不可欠であると思います。また、そういった国選弁護人が併存していれば、私選弁護人が辞任戦術等を採ることを牽制するという意味合いも大きいと思います。
□ 分かりました。最初におっしゃった、一定の制裁というものの具体的内容はどのように考えておられるのでしょうか。
○ 少なくとも、過料を科すということが考えられると思います。それ以外の制裁が必要かどうかについては、更に検討を要すると思います。
○ 今、○○委員から言われたように、そういう問題事例が従来あったということは否定できないと思います。「当事者が訴訟指揮に従わない」と言われましたけれども、それは、弁護人がそういう活動をしていたということであり、そのような指摘を受けても、やむを得ない部分があったと思います。
ただし、これからは、裁判員裁判になっていくわけです。日弁連の方では、裁判員は弁護人の味方であるという前提で議論をされている場合もあるのですが、私は、果たしてそうかと疑問に思っています。裁判員の監視の下、すなわち、国民の監視の下に、公判が開かれるという見方もできるわけです。従来の、そういう弁護人の不適切な活動というのは、法曹三者、要するに、同じ仲間、同じ業界の人間だけの間で手続を行っている状態であったために起きていたイレギュラーな現象という見方もできるわけですね。特に公判における問題です。
実は、先日、ある人が私が弁護人をしている事件の公判を傍聴に来られましたが、その際、検察官が、同じ質問を繰り返したり、冗長な質問をしておられたのです。そうしたところ、その傍聴をしておられた人が、裁判官は我慢できるでしょうが、裁判員は、とてもあんな質問には我慢できないとおっしゃられました。確かに、その方が言われるように、裁判官であれば、「しようがないな、あの検事は」とか、「しようがないかな、この弁護士は」と思って聞いているわけですが、今後、裁判員が入ってくると、当然、「忙しい中、仕事を休ませて呼んでおいて、何だ、この質問は」ということになるわけですから、そういう意味において、事実上のプレッシャーというものが当然働くわけです。弁護人であっても、裁判官に対して抗議等をすることがあっても、逆に、裁判員に対しては、余り言わないのではないか、ということも考えられるわけです。
ですから、裁判員裁判になっても、○○委員がおっしゃったのと同じような不適切な現象がそのまま繰り返されるという前提で、この問題を考える必要はないのではないかと思います。
また、期日指定の問題も、当然、裁判員裁判であれば、連日開廷しなければならないということは、弁護人も分かっているわけですし、準備手続の段階で、あらかじめ、期日を指定していくわけですから、公判を引き延ばしたいがために、審理を欠席したり、辞任してしまうというようなことは、それほど心配する必要はないではないかと思います。
要するに、今までの弁護人のイレギュラーな活動というのは、公判期日が一か月に1回とか二か月に1回しか入らず、そのようなペースで、何年も公判審理を行うという大きな枠組みがあって初めてできることであり、しかも、公判には、法曹三者を監視する国民がいないという状況で初めてできることであって、今後、裁判員裁判になってくれば、その制度自体が、裁判所や当事者に対するプレッシャーになって、そういう、イレギュラーなものを排除していくことになるということは、大前提として考えていいのではないかと思うのです。
□ もっぱら裁判員制度の対象事件を念頭においた御発言でしたが、ここで、訴訟指揮の実効性を担保する具体的措置の在り方を始め、刑事裁判の充実・迅速化のための具体的方策を検討しているのは、裁判員制度の対象事件に限った話ではなく、刑事裁判一般についての話ですよね。裁判員が関与する事件以外の場合はどうなるのですか。
○ 当然、座長から、そういう鋭い指摘があると思いました(笑)。確かに、おっしゃるように、すべての刑事裁判について裁判員が入るわけではないのですが、裁判員裁判の方で、一つの規範が作られていけば、それが、当然、裁判官だけで審理する裁判の方にも及んでいくということは、ある程度、期待できるのではないかと思います。
ただ、だからといって、訴訟指揮に従わない場合の制裁が全く必要ないと言っているわけではなくて、例えば、いろいろなところで言われている、法廷侮辱罪を導入するというような、直接的な制裁というものには反対でありますが、例えば、先ほど述べたように、弁護人が辞任戦術を採るというようなこともあり得るわけですから、必要的弁護事件以外で、私選弁護人が付いている場合には、絶対に国選弁護人を併せて選任することができないというようなルールはおかしいわけであり、必要的弁護事件以外でも、場合によっては、私選弁護人と国選弁護人を重複して選任するということがあり得ていいわけです。また、場合によっては、一種の懲戒なり、そういう形で、間接的に、イレギュラーな行為を制限していくという仕組みは考えられていいのではないかと思います。
○ 最後の話を聞いていて、どうしようかと思ったりもしたのですが、裁判員裁判だけではないということは、まさに、そのとおりなわけですけれども、もう一つのファクターとしては、準備手続というものが入ってくるわけです。これまで公判で紛議が生じて退廷というようなことが起こった場合、もちろん、全部がそうだというように私も言うつもりはありませんけれども、やはり、公判に入ってから、審理の在り方をめぐって紛議が生じる場合というのも当然あっただろうと思うわけですが、そういったことについても、もちろん、事前準備を徹底してやるということで回避できるという場合も当然あるだろうと思うのです。
そういうことから考えれば、○○委員の御心配の向きは全くないと私も申し上げるつもりはありませんけれども、それほど懸念することもないと思います。
□ 新たな準備手続の創設や裁判員制度の導入といった要素により、これまでとは状況がかなり変わってくるであろうから、それ以上の措置は必要ないというのが、結論でしょうか。
○ はい。
○ 確かに、裁判員裁判が開始された場合に、それが、裁判所や当事者に対する、ある程度のプレッシャーになるという要素を全く否定するつもりはないのですけれども、果たして、それで、すべての事件がうまくいくのかという問題は依然として残っていると思います。結局、いかに、準備手続の創設や、裁判員制度の導入がなされたといったところで、裁判所の適正な訴訟指揮に従わない当事者がいなくなるかというと、その保障は何もないだろうというのが私の考えです。
また、訴訟指揮に従わなかった当事者に、制裁を科す制度を導入したとしても、当事者が、きちんと裁判所の適正な訴訟指揮に従っていただく以上は、その制裁が科されることはないわけで、特段、心配していただくことはないのではないかと思います。要するに、ちゃんとした訴訟活動を行っていただければ、制裁が科されることはないわけです。
○ 私、ほぼ○○委員の意見に賛成なのですけれども、つまり、手続的には、先ほど○○委員もおっしゃったように、準備手続で相当程度、公判の設計図ができるであろうということと、やはり、これは、基本的に弁護士の倫理、いつも○○委員は必ず弁護士の問題だけをお取り上げになるのですけれども、両当事者の問題であろうと思いますので、結局は、法曹の倫理の問題なのだろうと思うのです。
これは、御案内のとおり、過去にも一度問題になって、弁護士倫理は、1979年だったでしょうか、これを改定するという形で一つの決着を見ているわけで、今度の司法改革でも弁護士会の新しい役割というものも期待されているわけですけれども、そういった倫理の問題として対応していくのが、まず第一だろうと思います。
法廷侮辱罪も、これも○○委員はいつも弁護士だけが対象のようにおっしゃいますけれども、法廷侮辱罪は当事者に向けられているというよりは、公正、公平な裁判、フェアーなトライアルの維持、確保という点が制度趣旨のはずで、もしそのようなことを考えると、検察官はもとより、例えば、報道機関などもその対象になってしまう恐れがあるわけで、余りそういった性急な制度設計に走るよりは、やはり新しいこれからの21世紀の法曹倫理に期待するという解決がいいのではないかと、今の時点では思います。
○ 今、弁護士倫理という話が出たわけですけれども、弁護士倫理で対応できるというのであれば、現在でも、弁護士倫理はあるわけですから、それで十分対応できていなければおかしいはずですが、それが現実には対応できていない。
それから、今、私が弁護人だけを制裁の対象として考えているという趣旨のことを○○委員は言われましたけれども、私は、「当事者」という言葉を使っているわけであり、検察官も含めて、両当事者が制裁の対象になり得るというのは当然のことだろうと思っています。
○ ○○委員が2番目におっしゃった、私選弁護人と国選弁護人の併存というお話は、私は、いい案であると思います。いろいろと争いのある、大きな事件で、裁判の途中で弁護人の辞任や解任があり、その後任の弁護人となる方を探したり、その方の準備のために時間が掛かったりという事例があるということを、それは一部かもしれませんが、私は、気になっていたところですので、その御提案は、裁判の継続性といいますか、余り中断をしないで裁判を進めていく上で、非常にいい案ではないかなと思うのです。これは、訴訟が円滑に行われていくために、いいと思います。
ただ、そのためには、どういう要件の場合に、私選弁護人と国選弁護人とが併存することが必要なのかというところを明確にしておかないといけないだろうと思います。
いずれにしても、今年になって、私が裁判を幾つか傍聴させていただいた中で、やはり検察官よりも、弁護人の方が、公判期日の日程調整等では、非常に御苦労があって、相当お仕事が重なっていらっしゃるのかもしれませんが、裁判官が、次回期日の日にちを提案されても、弁護人が差し支えがあるということで、その提案がすっと通らないことが多かったのです。ただ、今後、これが連日的開廷という原則になっていけば、おのずと、そこでは公的弁護人による対応も含めて、そこのところはクリアされるのではないかなと期待しています。
そういう意味で、これも○○委員がおっしゃったことですが、裁判員制度が入ることによって、その裁判が一つのモデルケースとして、より目に見える形になっていけば、裁判員が入らない裁判にも望ましい影響を与えるであろうなという推測はできます。
ただ、裁判官、検察官、弁護人といった裁判にかかわる方々の力関係のようなものについての印象を、今まで裁判を傍聴させていただている立場から申し上げると、裁判官の方は、非常に皆さん温厚な方が多いのか、ここでこんなに長過ぎる尋問はやめてもらってもいいのではないかと思うのに、ほとんど止める場面に遭遇しませんでした。弁護人あるいは検察官が、異議ということで、それぞれ、相手方の尋問に対して少しストップをかけようとしたときにも、裁判官はそんなに強い訴訟指揮を発動されているようには見られず、円満な法廷の雰囲気を作り出すことに御努力されている方が多いです。
そこで考えたことは、訴訟指揮という言葉は、一般の国民には相当強い印象を与えることなのかもしれませんが、そもそも、裁判官というのは、野球のアンパイアのように中立公正であり、争いの場面であっても、どちらにも偏らず、本当に公正であるという立場にあるのですから、訴訟指揮というのは、強権発動的な指揮ではないということを国民も知らなければいけないなと思うのです。
ですから、裁判官の方としては、まずは、当事者の行き過ぎたところは柔らかく止めていただくような今までのやり方でもいいのかとも思うのですが、しかし、一般の国民の時間的感覚からすると、もう少し早く、裁判官の方に判断していただき、適切に訴訟指揮を行ってもらってもいいのなかという印象を受けます。
□ 先ほど○○委員がおっしゃったのは、例えば、私選弁護人が公判に出頭してこないような場合に、国選弁護人を併せて選任するという趣旨のように理解したのですけれども、今、○○委員が最初におっしゃったのは、もう少し広く、国選弁護人を併存させることを認めるような御意見であるように聞こえました。例えば、大きな事件で、審理に長時間が掛かりそうな場合に、私選弁護人だけでその審理に対応することに不安があるようなときにも、国選弁護人を選任できるようにすべきだという御意見ではないかと。そういうことなのでしょうか。
○ 今、座長がおっしゃったようなこともあるかもしれません。そこまで考えていなかったんですが。
□ その辺はこれから更に議論して、私選弁護人と国選弁護人とを併存させることができる要件を決めていこうということでしょうか。
○ はい。
□ ○○委員、何か弁明なり(笑)、ございましたら。
○ 今でも裁判官には強い訴訟指揮権というのが一応認められているわけです。しかし、裁判官は最後には自分が事件について判断しなければいけない。その判断をする前から、一方の当事者からすると、裁判官が自分の言うことを聞いてくれないという印象を与えるようなことがあると、最終的な、自分の判断についての説得力がなくなるのではないかというような懸念があることから、背後には大きな権限を持ってはいるのですけれども、できるだけ、それを発動したくはないわけです。それで、我慢に我慢を重ねているというところがあるわけです。もっとも、そんなに我慢しなくても良いという御意見を聞き、心強くなってもいます(笑)。
また、恐らく、裁判員制度になれば、それは、大分、状況が変わってくるだろうというのは、皆さんが言われるとおりです。当事者の訴訟活動も変わっていただきたいと思いますし、逆に、訴訟指揮権の実効性を担保する手段を作らざるを得ない、あるいは、それを発動しなければいけないという事態が起こらなければそれに越したことはないわけです。
ただ、今後、裁判員制度を導入し、また、今日も最初に紹介のあった迅速化促進方策として、第一審の手続が2年以内に終了するようにするという期限を設けることになるわけであり、そういう中で、裁判手続で真実を発見していくためには、訴訟進行に対する当事者の協力というものが非常に大事になるわけです。
迅速化促進法案についての今日の紹介でも、裁判所だけではなく、当事者等にもそういう期間内に終了するように努めるという義務が課されることになるということであり、それは結構なことですけれども、やはり、義務が課されるとしても、それを守ってもらえない、あるいは守ろうとしても守れないというようなことがあり得るので、そのような事態に対処できる手当ては必要であると思います。
いろいろな方法があると思うのですが、その一つは、先ほど来、出ておりますように、私選弁護人が選任されている事件であっても、その弁護人だけの態勢では集中的、連続的な開廷に応じるだけの能力がないというときに、それを補う公的弁護人を選任するということや、あるいは、義務を果たさない弁護人がいるときには、公的弁護人を選任するというようなことも必要になってくるのではないかなという気がします。
□ 最後に言われた点のうち、後者の方は、○○委員と同じような御意見でありますけれど、前者の方は、国選弁護人を併せて選任してもらいたいという当事者の申立て、それは裁判所が国選弁護人も付けたらどうかと促し、それを受けて当事者がその旨申し立てる場合も含むでしょうが、そのような当事者の申立てを前提として、国選弁護人を併せて選任することができるようにするという御趣旨なのでしょうか。それとも、裁判所の関与をもっと強くし、裁判所が、私選弁護人だけでは連日開廷等に対応できないと判断すれば、職権で国選弁護人を選任することができるようにするという御趣旨なのでしょうか。
○ その辺りの要件は、いろいろと決め方があると思いますが、できれば、当事者に説明して、当事者の方から、私は早くやってもらいたいけれども、私が頼んだ一人の弁護人だけでは対応できないのであれば公的な弁護人を付けてくださいということを言ってもらえるのなら、そういうことで解決するのなら、それはそれで結構だと思います。ただし、それですべてがうまくいくのかどうかということになると問題かもしれません。どういう場合に公的な弁護人を併せて選任することができるのかということについて、更に検討が必要だろうと思いますけれども。
○ 私は、お話を聞いていて、○○委員や○○委員がおっしゃったことは非常に共感できるところがありました。この問題について、特に自分として強い意見があるというわけではなくて紹介ですけれども、訴訟指揮という言葉は、ドイツ語の翻訳なのですが、そのドイツなどのヨーロッパ大陸諸国は、職権主義といいまして、裁判官が主導的に訴訟を進めていく訴訟構造が採られています。これに対し、日本のモデルになっているアメリカ法は、当事者主義といい、当事者が主導して訴訟を進めていく訴訟構造が採られています。しかし、このような訴訟構造の違いにかかわりなく、どこでも裁判所の権威は確固として維持されていると思います。私がこれまでに訪問した幾つかの国で、法律関係者に対し、裁判官の訴訟指揮や裁判官の公判の進め方に従わない当事者がいるときに、このような者に対してどのような制裁があるのか、訴訟指揮の実効性を担保するためにどのような方策があるのかという趣旨の質問をすると、大抵どこの国の人でもまず、お前は何でそんなことを聞くんだというような、怪訝な顔をするのです。それは、職権主義を採っている国であるかどうかにかかわらず、ヨーロッパ大陸諸国でも、アメリカでも、イギリスでもです。
いずこであっても、裁判所というところは、まさにジャスティスを実現する、正義が行われるべきところであり、それを代表しているのが裁判官であるから、そこに出てきて法廷活動を行う人間は、裁判官の言うことには、ちゃんと従うのが当たり前であるという、法律家としての活動の大前提となる倫理が、どの国でも確立されているのであり、だからこそ、先ほどのような私の質問に対し、何でおまえはそんな変な質問をするんだということをいつも言われるわけなのです。したがって、まず、そのような倫理が確立されなければならないというのが前提だと思います。
しかし、その上で、それぞれの国には、裁判所に従わない、とんでもない法律家に対しての制裁の制度というものが、一応は設けてあるわけです。先ほどからお話が出てきたように、訴訟指揮の最後の担保として考えられるのは、一つは、倫理違反に対する法律家の世界での制裁、つまり、懲戒のような形のものとか、あるいは、コンテンプト・法廷侮辱、すなわち不届き者から言うことを聞くまで金を取ったり、これを拘束したりするわけですが、それは最後の手段として必要であろうと思います。ただ、大前提は、先ほど○○委員や、○○委員がおっしゃったように、そのような手段を使わないで済むように倫理がまず確立された国にならないといけないということだろうと思っております。
□ そのような倫理を確立するためには、何をすればいいのでしょうか。
○ ですから、なぜ日本だけこうなってしまったのか、私はよく分かりませんけれども、日本が異常であるとすれば、それを正常な状態に戻すためには、まずは、法律家に反省していただく。そして先ほど最後に言いましたとおり、反省しない不届き者に向けてある程度の制裁措置は必要であろうということになります。
□ ○○委員いかがですか。
○ では、今の○○委員の御発言に関連して申しますと、○○委員のおっしゃるとおりであり、アンパイアが野球監督から殴られるのは日本ぐらいで、アメリカではそういうことはないのでしょうから、そのようなことがないよう、所要の制度を整えていかなければいけないという気がしております。
それともう1点ですが、私選弁護人にいろいろ不都合があるときに国選弁護人を併せて選任するという提案がありましたが、タックスペイヤーの立場からしますと、資力要件を考慮して国選弁護人を付すというのであれば分かりますけれども、私選弁護人を雇うだけの資力がありながら、わがままと評価するかどうかはまた別問題なんですけれども、良からざる者が、かえって税金で、国選弁護人の上乗せができるというのは、タックスペイヤーの立場からすると、いかがなものかなと、もう少し別のルートと言いますか、ほかの解決策があってしかるべきかなという気がしております。
□ 必要的弁護として弁護人を強制的に付す場合には、通常の国選弁護と同じように、その費用を訴訟費用に組み込んで、被告人に費用負担をさせることは当然できるのではないですか。
○ そうですね。
□ そこは、同じスキームになるのではないでしょうか。
○ ただ、被告人に費用負担させることができたとしても、それが十分に徴収されているかというのは別問題だと思います。
○ 確認ですが、ケースとしては、弁護人を一人は雇えるけれども、もう一人は雇えないという場合はあると思うのです。ですから、資力要件をもちろん課すのであれば課して構わないと思いますけれども、やはり事件によっては、一人の弁護人では対応できない、しかし二人を雇うだけの資力はないという場合はあり得るわけで、そのことを念頭に置いておく必要があるのではないかと思います。私は、私選弁護人と国選弁護人の併存は、それで構わないというふうに思っているものですから、そういうケースというのはあり得ると考えられるのではないかと思っているのですけれども。
□ そこはまた、公的弁護の話になるかもしれません。○○委員、どうぞ。
○ かつての荒れる法廷というのは、別に、法定刑の重い法定合議事件に限ったことではなくて、例えば、裁定合議事件でも、結構あったと思います。やはり、そのような比較的法定刑の軽い事件も含めて考えていかなければいけない。そうだとすると、訴訟指揮というのは、恐らく、どちらの事件にとっても重要なことなので、詰まるところは、裁判所の訴訟指揮に応じなければどうするかという問題に帰着するのであり、広い意味で、そのような事態を、何かコントロールする方法を残しておかないと、訴訟指揮の実効性はないと思います。
その意味では、○○委員が最初に言ったように、少なくとも、過料を科すという提案も含めて、今後検討していった方がよいと思います。
もう一つの国選弁護を併存して選任するという提案については、確かに、必要的弁護事件の場合に、それを限定するというと、論理が通りやすくなるということはあるかもしれないけれども、しかし、先ほど述べたように、法定刑の比較的軽い事件であっても荒れる法廷というものがあったわけであり、そのような事件でも、やはり弁護人の辞任戦術というのが出てくるおそれがあるということを前提にすると、必要的弁護事件以外の場合にも、私選弁護人と国選弁護人とを併存させ得るようにするということもやはり今後検討した方がいいだろうと思います。
○ 本当に荒れる法廷は、過料では制限できないと思います。
○ ですから、それも含めて検討しようということです。
○ 私は、基本的には、先ほど述べたように、私選弁護人に併せて国選弁護人も選任するということでしか解決されないのではないかと思っています。
○ 私も、簡単に述べますが、先ほど報道の問題なんかも出ましたけれども、前に少し意見で述べましたように、法廷侮辱というような立法は余りお考えいただきたくないと基本的に思っています。
ただ、何らかの形で、訴訟指揮の実効性を担保する必要はあるだろうなというのは、私も思いは同じで、実際に、荒れる法廷というのも、今まで見ていますけれども、見ていて思うのは、理由が通った抵抗ならともかく、そうではないなと思うようなときもないわけではないのです。そのような場合に、もっと訴訟指揮をうまくやっていただかないといけないと感じたことも率直に言ってあります。
ですから、そこのところを何とかしなければという思いは分かるんですが、ただそれはやはり法曹三者の中の倫理の問題として解決していただきたいと思っています。
□ 制裁については強い抵抗感をお持ちのようですけれども、刑罰ではなくて、過料のような行政罰でもやはり抵抗感があるということですか。
○ できれば避けた方がいいだろうと思うのです。そこのところは、例えば、弁護人の解任であるとか、いろいろと、そういったような手続で極力対応できないですかね。
○ 私選弁護人を裁判所が解任するというのは、難しいのでしょうね。
□ 皆さん、一通り発言していただけたと思いますので、この論点に関する第1ラウンド目の議論は、この程度にさせていただければと思います。先を急ぐようですが、よろしいですか。
それでは、論点ペーパーの項目の6番目で、最後の論点として掲げられています「捜査・公判手続の合理化、効率化を図るための方策」という論点に移ります。ここでも、審議会意見を一応リマインドさせていただきますと、「争いのある事件とない事件を区別し、捜査・公判手続の合理化・効率化を図ることは、公判の充実・迅速化(メリハリの効いた審理)の点で意義が認められる。その具体的方策として、英米において採用されているような有罪答弁制度(アレインメント)を導入することには、被告人本人に事件を処理させることの当否や量刑手続の在り方との関係等の問題点があるとの指摘もあり、現行制度(略式請求手続、簡易公判手続)の見直しをも視野に入れつつ、更に検討すべきである。」として、例示ではありますけれども、いわゆる有罪答弁制度(アレインメント)の導入や、略式請求手続、簡易公判手続の見直しについても言及しております。
この点についても種々の考え方があり得ると思われますけれども、まず、基本的な考え方、あるいは方向性といった点について御意見を伺えればと思います。
○ 日本の捜査で最も手間暇が掛かっているのは、被疑者が認めている事件でも、常に、否認を想定した捜査を尽くしているということにあります。結果的には、起訴された後に法廷でも認めている事件が8割ぐらいだと思うのですが、捜査段階で、被疑者が認めている事件であっても、その被疑者が公判で否認することを想定した捜査をするというのが、日本の伝統的な捜査なのです。確かに、そういう完璧な捜査をして起訴するからこそ、被告人が公判で無用な否認をすることを抑止しているという部分もあると思います。しかし、そういうように否認を想定した捜査をしても、しなくても、法廷でも認めるという被疑者は結構いると思います。そうすると、結果的には、実際に行った捜査のうち、かなりの部分が無駄な捜査になっているということになるのです。
ですから、捜査手続を合理化するということを考えた場合には、今申し上げている、結果として無駄に終わるような部分をどうやって削ぎ落としていくのか、それによって生じた余力を裁判員裁判などの方へ振り向けていかなければならないと思うのです。
そうすると、これは、思い付きの制度ですが、例えば、検察官が、警察から、被疑者の身柄付きで事件送致を受けた場合に、被疑者は事実を認めており、しかも、弁護人が選任されていて、弁護人が被疑者に確認してもやはり間違いないと言っているような事件については、直ちに起訴してしまう。現在は、罰金事件については略式請求で起訴しますが、略式請求と同じように直ちに起訴してしまう。ただし、略式請求の場合の手続とは異なり、起訴状や一件記録といった書類だけが裁判所に行くのではなくて、被告人本人も裁判所に行き、裁判官の目の前に行く。同様に、検察官も弁護人も裁判所へ行く。その上で、検察官が簡単に起訴状を朗読し、被告人がそれを認め、裁判官が直ちにそこで判決を言い渡すというような制度が導入できないかと考えております。
そういう簡略な手続の制度ですから、当然、科刑制限を設け、執行猶予相当事件に限って、そのような手続によることができるというようにすれば、先ほど述べたような、相当な部分の無駄な捜査をしなくていいということになり、これは、捜査の合理化には非常に貢献すると思うのです。仮に、裁判所が、これは実刑相当事案ではないかと判断した場合、そのような簡略な手続によるのは不相当ということで検察官に戻すなり、ただし、そこは、いったん起訴したものをどうするかという話になり、制度の仕組みが大変難しいのですが、そこは、次の問題として検討する必要があるでしょう。
また、仮に、弁護人や被告人が、そういう簡略な手続でやってほしいと言っても、検察官の方で、どうもこれは余罪がありそうだとか、常習性がありそうだとかいうような場合などには、そのような簡略な手続で起訴することはできないということになるでしょう。
検察官も、この事件は当然執行猶予相当であると考え、また、弁護人も被告人も、その事件を被告人が行ったのは間違いないというような事件に限って、そういう簡略な制度に乗せることはできないかと考えております。
例えば、真っ当な会社員が、忘年会で酔っ払い、帰宅する際に、警察官を殴ってしまったという場合に、公務執行妨害罪の法定刑には罰金がなく略式請求はできないけれども、被疑者に前科前歴もなく、公判請求された場合でも、執行猶予付きの判決となることが必至であるというようなときには、そもそも公務執行妨害罪というのは、現行犯逮捕されるものですから、犯人性に問題なく、被疑者も弁護人も間違いないと言っているのであれば、そのような簡略な手続によるのが適当であると考えられます。
そのほか、例えば、出来心でやったような初犯の万引きの事件で、現行犯逮捕であり、犯人性に全然問題のないようなものについても、先ほど述べたような、簡単な手続によることが考えられると思います。
現行の略式請求は、それでも10日間とか20日間勾留し、その間に捜査を尽くしてから行っているのですが、そうではなくて、警察から事件送致を受けた段階で、要するに、警察段階の証拠だけで起訴してしまうというようなことがができないかと思っております。
そして、被告人は、裁判官の目の前に行って、そのような簡略な制度に乗ることを承諾した場合は、もはや否認することはできないものとする必要があろうと思います。万が一否認したときにはどうするかとか、また次の問題を考えなければいけないわけですけれども。
また、被告人側に対する証拠開示の必要はないと思います。要するに、弁護人として、証拠開示を受けなければ、被告人が認めていることが正しいかどうか分からない、あるいは不安があるというような事件は、この制度になじまないといえます。証拠開示を受けるまでもなく、被告人に接見して十分話を聞けば、間違いないと弁護人も確信できるというようなものに限って、そういう制度を導入してくるということはどうかなと思います。
□ 今の制度でも、事件送致を受けた段階で、検察官は、起訴することができるわけですよね。
○ 起訴はできますが、基本的に、日本の検察には、否認されたらどうするのか、今は認めているけれども、将来法廷に行って裁判官の目の前で否認したらどうするのかということが、常に大きな命題としてあるわけで、幾ら捜査段階で被疑者が認めていても、否認を想定して、十重、二十重の捜査をするわけで、そのために、10日、20日掛かってしまうわけです。そうすると、その後にアレインメントをやったとしても、結局、その前の10日、20日は、否認を想定した捜査をしなければならず、捜査手続の合理化、効率化にはつながらないということになるわけです。
□ それは分かるのですけれども、今の制度からどこをどう変えれば、否認を想定した捜査をせずにすむようになるのでしょうか。
○ 基本的には、裁判官の目の前で否認しないということです。それが何らかの形で担保されないと、この制度は動いていかないと思います。
□ そうしますと、現在よりは早い段階でなされる簡易な起訴、別に内容が手抜きだという意味ではありませんが、そのような起訴をする前に、検察官が被告人、弁護人と話をして、被告人側が、全く争わない、そのような簡易な手続で行ってくださいといったときに、直ちに起訴をし、裁判所に行くということをお考えなのですか。
○ そうです。要するに、裁判所に行っても絶対に争わないという保障がある制度ということです。
□ それを制度的に保障するということですか。
○ ええ。そうしないと、結局、将来の否認を想定した先回り捜査が避けられないことになりますから。
□ 分かりました。
○ 質問です。○○委員の御提案は、大変よく分かるアイデアなのですが、その大前提は、やはり被疑者の利益を守るために弁護人が捜査の段階で選任されているということですね。その一方で、○○委員が、そのような簡易な手続の対象として想定しているのは、やはり、単純な事件、例えば、軽微な傷害とか、窃盗というような話になると、捜査段階の初期から、弁護人をちゃんと付けられるかどうかということが問題になるのではないですか。
○ 想定しているのは身柄事件ですから、今後、公的弁護制度が導入されれば、私の考えでは、基本的には、弁護人が付いているということになります。
□ 公的弁護制度の対象事件の範囲については、もちろん、まだ決まっているわけではなく、確かに、今○○委員が言われたような御意見もありますが、それとは違う御意見もあるわけですね。
○ いずれにしても、弁護人が付いているということが大前提であり、弁護人が選任されていない事件を、そういう制度の対象とすることは、到底考えられないと思っています。
○ しかし、弁護人が選任されている軽微な事件が簡易な手続の対象ということになると、公的弁護制度との絡みでいえば、弁護人の選任を確保するという点で難しいところがあるのではないかということです。
□ 分かりました。ほかの方、どうぞ。
○ 今の○○委員のアイデアは、十分検討に値する制度だと思います。
そのほか考えられるとすれば、現行では50万円以下の罰金刑のみを科し得る略式手続によって、一定範囲の自由刑についても科すことができる制度を導入することが考えられると思います。もちろん、その場合には、被告人の権利保護をもう少し手厚くするといったことなどを検討する必要があると思いますが、そのような制度を導入することによって、公判手続が省力化されることはもちろん、本当に争いのない事件であれば捜査の方も、それほど手をかけずに行うということになることも考えられますので、一つの制度としてはあり得ると思います。もちろん、いろいろと細かいことを検討しなければいけませんので、今すぐ具体的な制度設計を聞かれても、私は答えられないのですが、一つの方向としては、そのような制度もあるのではないかと思います。
□ 分かりました。○○委員、手を挙げられましたか。
○ 事件のスクリーニングというのは、非常に重要だと思います。今、○○委員がおっしゃったように、スクリーニングをしないと、あらゆる事件において否認を想定して調書をたくさん作るわけですね。そのことが、冒頭の直接主義・口頭主義の実質化を妨げてきたということは事実としてあるのだろうと思うのです。
そのスクリーニングの制度としてどういうものを作るかというのは、なかなか難しいのですけれども、審議会意見も言っているアレインメントとか、あるいは司法取引というものの制度化ということも考えてみる必要があると思います。
ただ、アレインメントを導入するにしても、捜査は今のままにして、そして起訴後にアレインするということですと何も変わらないわけで、例えば、勾留質問段階でのアレインメントの導入ということも考えてみる必要があるのではないかと思います。
ただ、それには幾つかの条件が不可欠で、一つは○○委員もおっしゃったように弁護人が付いているということがありますし、記録の閲覧はしないということでしたけれども、むしろ、私は、その段階での記録の閲覧を認めるということが必要なのではないかと思います。
また、これは、非常に重要な判断を招来することになりますから、弁護人と被告人との自由な接見交通ということが不可欠になるのだろうと思います。
接見交通については、平成11年の最高裁大法廷の判決があるわけですけれども、刑訴法39条3項の廃止も含めた検討も必要になるのではないかと思います。
いずれにしても、事件を合理的にスクリーニングしていくということは、今日の冒頭の直接主義・口頭主義を実質化するという意味でも不可欠だと思います。
□ 先ほど、○○委員や○○委員は、かなり軽微な事件を念頭に置いて、簡略な手続の導入を提言されていたわけですけれども、○○委員の今の御発言は、軽微な事件に限らず、一般的に、アレインメント等を導入すべきであるということでしょうか。
○ 今の段階では、軽微な事件に限って考えているわけではありません。ただ、今の私のアイデアは、勾留質問段階でのアレインメントということであり、非常に時間が短いわけですから、軽微な事件に限らないとうまくいかないのではないかという懸念もあり、そこの問題はまだ十分煮詰めてはいません。
ただ、勾留質問段階までに収集された証拠を前提に、被疑者も弁護人もアレインメントを求め、裁判所で、事実を認める意思表示をするというアイディアで、量刑のための資料収集というのは、その後でもいいのではないかという気がしています。
ただ、具体的に、どの時点で、何をして、どこで、というのは、まだ、具体的には詰めて考えていません。
□ 勾留質問段階であるにしても、理屈の上から言うと、訴追行為がなければアレインメントはできないはずで、その訴追行為を、例えば○○委員が言ったような形で介在させるということが必要なのではないですか。
○ そうですね。
□ また、先ほど、接見の話をされましたが、当事者が話し合って認めてしまうということと接見の話とは、どういうつながりがあるのですか。
○ そういった重大な判断をするためには、接見の自由の確保が重要だという趣旨です。
□ ただ、そこから、いきなり、刑訴法39条3項の廃止ということを導くというのは、論理の飛躍があるのではないかという感じがするのですが。そもそも、そのような争いのない事件で、接見指定がなされているのですか。
○ 罪種にもよると思うのですけれども。
□ 私のような実務に疎い人間でも、そこのところはいかがなものかなという感じがしますが、ともかく御意見として承っておきます。
○ 接見指定の廃止の問題については、座長と同じ考えであり、なぜ、アレインメントの話と、接見指定の廃止ということとが結び付くのか理解できないところです。
やはり、このような簡易な手続で処理する事件というのは、例えば、不法残留の事件であるとか、覚せい剤の自己使用の事件など、ある程度定型的に量刑判断をすることができるような事件というものを想定すべきではないかと思います。犯情の軽重などが問題になるような事件を、そのような簡易な手続で審理するというのは、なかなか量刑の面で難しいところがあるのではないかなという気がします。
○ 従来のアレインメントの議論に、捜査の側として、必ずしも、食指が動かなかったのは、それは、23日間捜査をしっかりやってから後のことではないか、公判段階での負担軽減にはなるのでしょうが、捜査段階では一向に負担軽減されないのではないかという疑問があったからでした。しかも、○○委員の御指摘のように、否認を想定して捜査を尽くすということで、十重、二十重に、自白偏重だ、調書偏重だという、言われなき批判を受けざるを得ない捜査を行っておったわけです。
けれども、先ほど来御提案されているように、アレインメントの時期が、現状の捜査でいうと、その初期の段階などに前倒しされるというのであれば、捜査の側にとっても、大いに検討に値するものでありましょうし、まさに、メリハリの付いた捜査を、余力を持ってできることになろうかと思います。
10年前は、約170 万件だった刑法犯が、今や、約270 万件に達しているということで、非常にオーバーフローしてしまっている状況ですので、そこに、新たな制度ができて、その制度の下で、きめ細やかな配慮をしていかなければならないということになると、どこかで、例えば、類型的、定型的な事件については、何らかの方法で、負担軽減してもらう必要があるのではないかと思います。そうすることによって、捜査段階での全体のバランスを取ることができ、新しい制度における人権により配慮した捜査ということも可能になるのではないかというように、総論としては考えます。具体的な御提案次第だろうと思います。
□ ほかに、いかがですか。
○ 基本的に、合理化、効率化が必要だというのはそのとおりで、裁判所においても、現場で周りの人に話を聞くと、やはり、これから裁判員制度が導入され、さらに、すべての事件を2年以内に終了させなければならないということになると、当然、裁判員対象事件や、審理に時間を要するような事件に集中して力を注がなければいけなくなるわけで、そうなると、争いのない、軽微な定型的な事件で、量刑も定型的に決められるような事件については、もっと簡易な方法があり得るのではないか、そのような制度を導入することは検討に値するのではないかという声が強いです。
ただ、日本の現在の刑事訴訟のかなりの部分は、自白事件であっても量刑的な面で争いがあって、その点についてある程度調べてみないと適切な量刑ができないという事件が多いものですから、そういう事件については、アレインメントみたいなものを行ったとしても、結局、その後に、量刑判断のために資料をもう一度調べ直さなければいけないということになり、手間は現在と同じだという感じがしますので、やはり、先ほど来出ているように、定型的に量刑を決めることができる軽微な事件の方がいいのではないかという気はします。
□ 大体御意見が出たと思いますので、第一ラウンド目はこの程度でいかがでしょうか。
○ スクリーニングの話以外に移っていいですか。今、事件のスクリーニングの話だったので。別の観点からの意見です。
□ どうぞ。
○ 今日のテーマは捜査と公判の合理化ということで、捜査と公判とが併せて論じられているように、非常に重要だと思うのです。両者は密接につながっていると思います。
その意味で、確かに、司法制度改革審議会でも、前回の12月2日のヒアリングでも、最高裁の分析によると、刑事裁判の遅延には、様々な原因があるわけですけれども、そのうち証拠開示をめぐる問題と、取調べの可視化をめぐる問題というのが、非常に大きいということが指摘をされておりました。
捜査・公判にまたがるテーマの一つとして、前回、証拠開示について議論されましたけれども、この点がいろいろ紛糾するのは大体常でありまして、前回申し忘れましたけれども、例えば、検察官が手持ちの証拠のリスト化を図って、それを事前に提示する制度というものも、公判の合理化に非常に役立つだろうと思いますし、また、取調べについても、先ほど直接主義・口頭主義の関係でも申し上げましたけれども、それをビデオ化するというようなことは、公判の合理的な運営のためにも検討してみる必要があるのではないかと思います。
□ 最初の点は、結局、証拠開示の方法の問題だろうと思います。
2番目の点は、公判の合理化の問題とおっしゃったけれども、審議会意見が、それは将来の検討課題だとしているところを、捜査・公判手続の合理化・効率化のテーマの方にすり替えているような感じがしますね。確かに、最高裁の方からの指摘にもあったように、今の制度では、自白の任意性をめぐって、証人調べに時間を費やすことがあり、それが審理に時間がかかっている一つの要因であるので、それを何とか合理化しないといけないということは分かるのですが、その方法としてどういうものがあるかということだと思うのです。
司法制度改革審議会では、御存知のように、取調べの適正さをどのようにして担保するかという議論の枠組みの中で、その点をかなり議論しましたが、その際に、公判のことをにらんでいなかったかというと、そうではありません。取調べの適正さをどうやって担保するかというときに想定されるメカニズムとしては、捜査段階で取られた被疑者の自白について公判段階で任意性の有無という形で争いになる、そういう任意性の有無についての審査を通じて、取調べ過程の適正さをコントロールないしチェックしていくということを、審議会でも、当然、念頭に置いて議論していたのです。
そして、具体的にどういう方法があるのかということについて、いろいろな意見があり、真実の発見といった点での取調べの持つ機能、役割なども考慮すべきではないか、という意見も強くて、結局、意見がまとまったのは、取調べ過程を書面により記録化するということであったのです。それが、審議会としてのまとめ方であったわけで、「可視化」の名で叫ばれる取調べの録音・録画や、弁護人の立会いといった問題は、これに対し、将来の検討課題だという整理をしているのです。
その可視化の問題を、もしここで、捜査・公判手続の合理化・効率化といことに含まれる問題として、改めて議論するということになりますと、結局、実体としては、取調べの適正さを確保するための措置について行った議論をもう一度やるということになり、それは議論の枠組みを捜査・公判手続の合理化・効率化の方へ移しただけに過ぎず、議論の蒸し返しになるのではないかという気がします。
○ 私自身は、司法制度改革審議会をずっと傍聴させていただいて、今、座長の御指摘のような議論経過であることは十分承知をしております。
ただ、一つは、例の迅速化法案という新しい要請が入ってきたということも考えなければいけないと思いますし、先ほど、○○委員からもありましたように、すべての刑事システムをバランスよく設計していかなければいけないと。
そうすると、スクリーニングとも関係しますけれども、供述調書の作成の負担というようなものも一緒に考えながら設計をしていく必要があると思うのですけれども、そうだとすると、そういった可視化は非常に役立つだろうと思います。
もう一つは、先送りになったと、審議会意見書には確かにそう書いてありますけれども、そのように記載されたものを今の検討会で議論してはいけないかというと、そうではないと思います。その一つの理由は迅速化法案という新しい状況であり、もう一つは、具体例として、国際化検討会では、将来の課題とされた外国弁護士による雇用の問題についても、新しい進展を見せている聞いておりますので、そういった点も議論してはどうかという意味で発言をいたしました。
□ 後者の点は、それぞれの検討会のお考えなので、それについてコメントする立場にはありません。
また、前者の問題は、最初に申し上げたことだと思うのです。審議会意見自体が、刑事裁判の充実・迅速化を提言し、そのための具体的な方策として、幾つかのものを提案しているのであり、まず、その諸方策を具体的な制度にしていくにはどうすればいいのかということを検討するのが、この検討会の使命であると思います。
少なくとも私の理解では、今回の迅速化法案は、審議会意見の提言に更に何か付け加えて、こうすべきであるなどと言っているわけではないと考えております。
ですから、まず、やらなければいけないことは、審議会意見が提案した諸方策を具体化することであり、それが、少なくとも、この検討会の使命だろうと思います。それらの方策で不十分かどうか、あるいは、こういうことを付加してやった方がいいのではないかというようなことは、この検討会の場で議論すべき問題ではないのではないかというのが私の理解なのです。
○ 私は、審議会の意見を更に前進させるものであれば、もちろん、ほかの議論とのバランスもあると思いますけれども、やってみたらどうかなと思いますが。
□ そもそも「前進」と言えるかどうかが難しいのです。これだけ意見が分かれて激しく対立しているところは、一方から見れば前進なのでしょうが、他方から見れば、前進ではないことになるわけですから。
○ 前進というか、審議会の意見に対応すると言いますか。
□ しんどいから、議論をせずに逃げようとか、そういう話ではなく、その問題は、結局、議論の蒸し返しになってしまい、もう一度、おおもとから議論を行わなければならず、審議会の提言の具体化すらおぼつかなくなるおそれがあるように思うものですから。
○ 今、取調べの可視化、その録音・録画ということを、捜査・公判手続の合理化・効率化の観点からもう一回議論したらどうかという話があったのですが、それが許されるのならば、何らかの点で、公判手続を合理化・効率化する効果を有するものであれば、すべて、この検討会で取り上げて議論することができるということになると思います。
例えば、故意、目的といった、犯罪の主観的要件の審理に長時間を要する事例も少なくないわけで、そうすると、構成要件を客観的行為に比重を置いたものに改めることや、あるいは、主観的要件の推定規定を設けるといったことも、この検討会で議論すべきであるということになり、議論の範囲が余りにも広がってしまうおそれがあると思います。
しかしながら、この検討会は、時間的な制約がある中で議論をしているわけで、そういった観点からは議論の範囲を広げるということは、到底できないと思います。やはり、ここは、きちんと議論の範囲を整理した上で検討を進めていく必要があり、審議会意見や、司法制度改革推進計画で示された範囲に従って議論をしていかないと、とてもではないですが、議論できないというのが正直な感想です。
□ ほかの方はいかがですか。先ほどの○○委員の意見は、少なくとも、公判手続、捜査手続の効率化の問題とは趣旨が違うのではないかと思います。効率化ということで、審議会意見で言われているのは、むしろ、争いのない事件について、どれだけリソースやコストを節約して、それを争いのある事件に振り向けるかという問題であり、そうすることによって、審理を充実させようという話であったと思うのです。
御指摘の点は、何らかの枠組みに当てはめようとするのであれば、むしろ、公判の迅速化の方策の一つということだろうと思います。
○ 先ほどの○○委員の意見について、私は、基本的に賛成なのです。軽微な事件について、類型化できるようなものについて、簡易な手続を考えるべきだということですね。ただ、その場合に、もう一つ条件として思ったのですけれども、覚せい剤の自己使用の事件などであれば簡単にできると思うのですけれども、被害者のある事件だとしたら、被害者の立場も考えなければいけないのではないかと思います。
□ 被害者の感情、意見等については、当然、検察官や警察官が聞いていると思います。
よろしいですか。第1ラウンドの議論は、このくらいにさせていただければと思います。
それでは、ロジスティックスに属する事柄について御相談させていただきたいと思います。二つありまして、一つは、これで第1ラウンドの議論が一応終わったのですが、第2ラウンドの議論の進め方をどうするかということです。これまでの議論は、かなり細かな点に入ったこともありますけれども、できるだけ大きな観点から、制度の骨格となる枠組みについて議論していただいたと思います。これから、更に具体的な制度設計に結び付くような細かな論点をも含めて議論をするということになるわけですが、第2ラウンドの具体的な議論の進め方について意見交換をし、その進め方を決めておくというのが適切であろうと思います。この点について、何か御意見がある方はいらっしゃいますか。
○ これは、夏にも気がせいて発言させていただいていたことで、第1ラウンド目が終了するこの時点で改めて提案したいと思うのですが、この検討会の特徴というのは、大枠の方針、必要な事項については、審議会意見によって既に決められていて、それを実際に具体的な制度にしていくときに、私たち委員と事務局とが一緒にコラボレーションをしていくという趣旨で、私も、この検討会の委員を承りました。
そこで、これまでの第1ラウンドの議論の際には、事務局の方で御用意いただいた当面の論点という、審議会意見に基づいて論点を出していただいたペーパーに沿って、ざっくばらんな意見交換をさせていただいてきたと思うのですけれども、これからの私たちの役割は、裁判員制度を具体的にどうするか、刑事裁判の充実・迅速化についてどういう制度設計をするか、それから、検察審査会の制度について、どのような改革の制度を作っていくか、ということを一つの到達点として示していく必要があるわけです。そこで、それぞれのテーマについて、これまでの議論を踏まえて、新たな制度の枠組みの骨子を整理していただいた、たたき台作りを、できれば私がやりたいと言いたいところなのですが、ちょっと力量がないのと時間不足なので、事務局にお願いできないかと思います。
ただし、事務局に御配慮いただきたいのは、私たちの意見が分かれていた論点があることでございます。ですから、事務局でたたき台を作成するからといって、事務局のメンバーが英知を絞って、これが望ましいというような形で出していただくということではなく、そのような論点については、複数の選択肢をお示しいただきたいと思います。失礼ですが、文字どおり、たたき台なので、それを少し改善して最終案に結び付くこともあるかもしれませんし、大幅に変更して充実させていくこともあるでしょう。大変失礼ですが、事務局のたたき台は、本当にたたきのめされてしまって、全く新規のものができてしまうかもしれないということもあるかもしれないと思います。私は、恐らく、事務局の方も迷われていることや、私たちが議論する上で、押さえておくべきものを、きちんと押さえたたたき台を出してくださると信頼しております。そして、そのようなたたき台を素材として、私たちが、遠慮なく、忌憚なく、収れんに向けて議論させていただければというのが提案です。
なお、その際に配慮しなければいけないのは、一般的に、事務局が案を出されると、その案で決まりであるとか、それが落としどころであるというように、私たちが思わない心構えが非常に重要だと思います。
本当に私の勝手な都合で言ってしまっていますけれども、制度全体の整合性を見極めつつ、私たちが共通の枠組みを提案できるための端緒ということで、事務局に御苦労いただけないかなということです。
以上です。
□ 我々の覚悟、心構えという点では、これまでの議論を見てもお分かりのように、そんなことで物おじするような方はほとんどいないと思います(笑)。今、○○委員から、御提案がありましたが、御意見をどうぞ。
○ まず、今、○○委員がおっしゃられた核心部分である、事務局に、これまでの議論を踏まえて、たたき台を作っていただいて、第2ラウンドに進むという基本的な方向について、私も賛成です。そのようにしていただきたいと思っております。
私の意見は、○○委員が先ほどおっしゃられた中に出てくるのですけれども、たたき台を作っていただくときに、これまでの第1ラウンドの議論というのは、大きな枠としては、検察審査会、裁判員、充実・迅速化と、三つのテーマがあり、それぞれについて、一番メインになる論点ごとに議論をしてきたわけなのですが、それを単に、これまでの検討会では、この論点について、こういう意見があった、というように整理するのではなくて、それぞれ、個別の制度の全体、例えば、裁判員制度なら裁判員制度の全体の姿、充実・迅速化なら充実・迅速化の制度全体の姿が分かるような形で、これまでの議論を踏まえたたたき台を作っていただきたいと考えております。それが、私の希望です。一つの制度全体の仕組みがどうなっているかということを示していただくことによって、そういう一つの大きな制度というのは、各部分に分かれるわけですけれども、全体と各部分との関係が分かるような形で、これまでの議論を、そういう形で整理した形のたたき台を作っていただきたいというのが希望です。
□ これまで、我々は、裁判員制度、裁判の充実・迅速化、検察審査会制度の三つを、それぞれ大きな枠として、議論してきたのですけれども、その各テーマごとに、制度の全体像が分かるたたき台を作ってもらいたいという意味でしょうか。
○ そういう意味です。そうすることによって、全体と各部分の相互関係もはっきりすると思います。
もう一点は、恐らく、そのような、たたき台作成の作業をしていく過程において、これまでは、主要論点ごとに議論してきたわけですから、必ずしも、これまで十分に議論されておらず、技術的な問題かもしれませんが、しかし、制度を設計するに当たって当然想定されるような細かい論点が現れてくるだろうと思うのです。そういう論点についても、たたき台に取り上げていただき、こういう論点があり得るという形で示していただければありがたいと思います。
そして、先ほど○○委員がおっしゃいましたとおり、意見が分かれたところがあるわけですから、その部分については、大きな分かれ方として選択肢を示していただくということが必要ではあると思っております。
以上です。
□ ほかの方、どうぞ。
○ 基本的には、○○委員、○○委員のお考えに賛成なのですけれども、ただ、第1ラウンドの議論の中には、例えば、一つのアイデアとか、可能性といった程度の趣旨の意見もあったわけです。このようなものも含めて、すべてをたたき台に示すということになると、選択肢が多くなり過ぎるのではないかという懸念があります。○○委員がおっしゃったように、考えられる制度全体の姿を見ながら第2ラウンドの議論を進めていくということになると、その全体の姿と整合性のないようなものまでを選択肢に掲げてもしようがないのではないかと思います。
また、これまで、意見が大きく分かれた論点については、選択肢を並べてもらう必要があると思いますが、ただ、これまでに出た意見を大小漏らさずにすべてたたき台に記載するという形にすると、議論の焦点が定まらなくなってしまうおそれがあるので、主要な意見を選択肢として掲げることにして、議論が集約していく形のものにするがいいのではないかと思います。
○ 私も、基本的に、たたき台的なものを用意するということは必要だと思いますし、その主たる役割を事務局に担っていただかざるを得ないのかなと思うわけです。
ただ、これまでの議論状況との関係で、今、○○委員のおっしゃったことをお伺いすると、これからの検討会の回数も、諸般の事情によって、それほど十分に時間が取れるということにはなっていないのではないかと思いますし、私も自分の首を締めることは言いたくないわけですけれども、それでも、第1ラウンドの議論の経過を見ますと、委員の間で詰めるというか、更にこの場で検討する前提として、少し委員の間で詰めてみるということが必要な部分もあるのではないかという感じがするわけです。もちろん、事務局にお願いするというのも一つの手だとは思いますけれども、もし、そうであれば、例えば、事務局と一緒に委員の分担で最終的なところは詰めをやった上で、ここに出してくるということがあってもいいのかなという感じがするのです。最終的な整理のところですね。
□ そういうように詰めてしまうということになりますと、そもそも「たたき台」ではなくなりませんか。
○ そんなことはないのではないですか。あくまでも、そういうものとして出してくれればいいわけですから。これまでの整理ですから。
○ それは、多分○○委員が意図されていることと逆の結果を招くと思いますよ。
□ ○○委員の御意見のように、こてんぱんに、たたきのめすということはなかなか難しくなるのではないですか。
○ でも、整理だけですから。基本的に言うと。
ただ、先ほど、○○委員がおっしゃったように、たたき台の具体的なところで取捨選択ということが入ってくるとすると、そこは、事務局だけにお任せするわけにはいかないだろうという感じがするわけです。
○ しかし、たたき台が、議論の外縁を決めるわけではないわけで、別に、たたき台に載っていない意見は言えないとか、議論の対象にならないというわけではないのだから、それは、余り神経質になる必要はないのではないでしょうか。
□ それは、論理の問題で、一つのシステムとして、大きな枠の中で各部分が整合していないとおかしいということであり、それが○○委員が言われたことだと思います。そのような制度全体のシステムとは全く違う発想の御意見も、局所局所ではあったわけですが、そのような意見も含めて全部たたき台に入れるということになると、全体として整合性が欠けることになってしまうので、まず、今までの議論の大きな論点をつなぎ合わせればこういうことが考えられるというような、たたき台を出してもらう。これは、別に事務局がこうすべきだとして誘導するものではなく、これまでの議論の経過を踏まえて一応のたたき台を出してもらう。主要な論点について、意見が分かれたところは、選択肢を出してもらう。そういうことであり、無論、そのたたき台に記載された大きな枠組み自体についても、それを当然の前提にしなければならないということではなく、その大きな枠組み自体についても、おかしいのではないか、それとは違う枠組みの方がよい、といった議論も当然できるということだと思います。
いずれにしても、今後、具体的な制度設計に向けての議論をしていくに当たっては、たたき台のようなものなど、議論の素材がないと、議論がぐるぐる空回りするように思いますね。
○ 私も、たたき台がなくていいという趣旨ではもちろんありません。ただ、その作り方をどうするかという問題です。
□ しかし、その場合に、委員の一部で集まって詰めるということになると、その他の委員との関係もありますし、議事の公開の要請にも反することになりかねず、おかしな話になってくると思うのです。
○ 私は、委員がみんなで分担するしか手がないだろうと思っているのです。一部の委員ということではなくて。
□ それが本当に現実的なのでしょうか。
○ それを言われると、なかなかという感じがしますが。
□ 実際的な感覚からすると、どうかなと思いますね。
○ ○○委員のおっしゃるたたき台作成の分担というのは、大きな制度としては三つあるわけですけれども、それぞれの委員はある部分にしか関与しないたたき台の作成ということになるのですか。
○ それはあくまでもたたき台ですから。
○ そのような作り方自体が私は適切でないと思います。
○ でも、それはたたき台なわけですから、事務局がお作りになるのと、一部委員が分担して作成する場合とで、たたかれるという意味では同じではないですか。一緒にたたいて構わないと思います。○○委員がそんな遠慮深い人だと全然私は思わないのですけれども(笑)。
○ そうであれば委員がたたき台の作成に参加する必要がない。
□ 要するに、○○委員の御心配は、事務局に任せてしまうと、ある方向付けをされてしまうということでしょうか。
○ それは、先ほどから、たたき台作成の条件付けがあるわけですから、そんなことはないだろうと私も思います。
ただ、これまでの議論からしてみても、我々が、この制度にどこまで、どういう形で制度設計のところでかかわるのかという自覚と努力の問題だという面もあるだろうと思うのです。
もちろん、先ほど言いましたように事務局と共同してということを考えたときに、どういうやり方がいいのかということでもあるわけですから、事務局に一定の負担をお願いするというのは、ある意味では当然と言うと失礼かもしれませんけれども、お願いすべきだと私も思いますが、ただ、最終的なところで時間的な制約というものをクリアしていくためには、何らか考えなければいけない方策はないのかという部分もあって、一応御提案申し上げたわけです。
□ それだと、まさに一部の委員だけで絞り込みをやるということになってしまうように思うのです。この検討会の場で議論する時間は限られているから、争点整理として、合意できるところは絞ってしまおうという話になりますよね。そのようなことをすると、ほかの委員がなかなか意見を言いにくくなるのではないでしょうか。
○ ○○委員が、ある程度の整理というのは可能だというニュアンスのことをおっしゃいましたので、それで申し上げたということです。
○ たたき台が、ここでの議論の外縁を決めるものではないという合意さえあれば、○○委員が心配される問題は全く起きないのです。
○ 全くと言われても。
○ ○○委員のおっしゃっていることは、一つには、そもそも、物理的、時間的に可能なのかという疑問があります。委員で集まってたたき台を作ると言っても大変な作業なわけです。今までの記録を全部読み直す必要もありますし、手分けてしてやると言っても、第2ラウンドまでに、そんなことが本当にできるのかという疑問があります。集まってやると言っても、私は、およそ、できそうにないと思います。
もう一つは、事務局の方でたたき台を作っていただいて、それを基にして議論をするわけですが、たたき台とは異なる意見であれば、その議論の際に、その意見を言っていただければいいわけで、それはそれで、また議論の対象になるわけですから、問題はないと思います。
○ 今、話題になっている大きな枠組みを示して、ポイント、ポイントで意見が分かれている部分を示すというのは、少しイメージしづらいのですけれども、具体的には、どのようなたたき台をお考えなんですか。今、議論されている、たたき台というのは。
□ たたき台なるものは今は存在しないわけです。我々が、事務局にたたき台の作成をお願いすることになれば、これから作成することになるのではないでしょうか。
○ 先ほど座長がおっしゃった大きな枠組みというのは。
□ これまでは、個々の論点ごとに、個別に議論してきましたけれども、本来は、すべてがつながっている問題であるはずですよね。したがって、制度全体が一つのシステムとして整合するようなものを考える必要があるわけです。その場合、もちろん、ある論点でAという説を取れば、別の論点において取るべき説もAに変わらざるを得ないということはあり得ると思うのですが、たたき台は、選択肢の部分が含まれているとしても、全体としてまとまっているということが必要であり、それが、先ほど来言われている、大きな枠組みということだと思うのです。それとは全く異なる発想で出てきたような御意見は、その大きな枠組みの中には論理的には入ってこないのではないかという、その程度の趣旨であると思います。
要するに、大きな枠組みの下で整合性のある選択肢であれば、たたき台の中に入ってくるということだろうと思うのです。抽象的に言ってみても、分かりにくいと思いますが、実際のたたき台を見れば、それほど難しい話ではないと思います。
○ 私が気になったのは、先ほど○○委員がいろいろなアイデアを除くべきだと言われたことで、大きな枠組みそのものは、審議会意見の枠組みということなのですか。それとも、ある考え方に基づくと、こういう全体的なスキームになりますよ、こういう制度になりますよということを暫定的に示してみるということなのですか。
□ それは、審議会意見から出てくるということなのではないでしょうか。
○ 審議会意見で決まっていることがありますね。審議会意見で決まっている枠組みで、一つの制度の流れを作ってみると、個々の段階ではいろんな考え方がありますよというような形で示していく。原則的には、もし何らかの意見を除くのであれば、それを言った人の了解も取ってほしいという気もしますけれども。もちろん、本人が除いていいですよと言うことは、思い付きで言ってきたことなのかもしれませんけれども。
□ まさに、第1ラウンドというのは、そういう思い付きの意見も含めて自由に議論しましょうということでしたから。
○ ○○委員の話は、それは、第2ラウンドの議論の範囲に外縁があるということを前提にした議論でしょう。たたき台が出されたとしても、外縁がないという前提であれば、今おっしゃっているようなことは必要ないわけです。たたき台に載っていない案であっても、この場で、また、その案を言えるわけですから。たたき台から外れることはここでは議論しませんと言うのであれば、それは、今、○○委員や○○委員が言われるようなことが起きてくるけれども、例えば、出されたたたき台に全く載っていないことでも、いや、この点は書いていないけれども、こういうことがあるじゃないかと言えるわけです。そのように言ったことも含めて、皆さんで議論しましょうという話ですから、たたき台が議論の外縁を決めるものではないということを前提として、事務局にたたき台を作ってもらうということでいいじゃないですか。
□ 大きな枠組み、大きなくくり方自体も、結局は、たたき台にすぎないので、その点についても、意見が言えるということではないとおかしいと思うのです。
○ 例えば、三角の設計図だけれども、本当はこれは丸でないといけないのではないかとか、そういう話ができればいいわけでしょう。
○ たたき台そのものも国民に示すことになるわけですね。
□ それはそうです。
○ そうだとすると、国民の議論の対象になるものは幅広いものがいいと思います。私も外縁がないということで賛成なのですけれども。
○ 事務局の方の今後の日程との関係では、具体的に、どういう手順、イメージを考えておられるのでしょうか。既にお考えのこととか、○○委員とか、お考えのことがあるのでしょうか。つまり、かなり膨大な量にはなりますね。
○ 大きな制度の枠組みとしては、検察審査会の部分、裁判員の部分、迅速・充実の部分三つがあるわけでしょう。ですから、それぞれについて、第1ラウンドで議論した順番に、たたき台を作っていただくということでよいのではないですか。
□ テーマごとの議論の順番はまた後で御相談します。もちろん、事務局に余力があれば全部一挙にたたき台を出してもらうということもできるかもしれないし、余力がなければ、恐らく余力はないだろうと思うのですが(笑)、順番に、たたき台を出してもらうということになるでしょう。その点は、これから、詰めていただくことになると思うのです。
○ 1、2、3というように、順番に、一つずつ詰めていくということでしょうか。
□ 我々の検討も、結局、順序を付けてやらないといけませんので、それと並行して、たたき台を作るということであれば、可能なのではないでしょうか。その作業を行うわけではない私が可能だと言うのは、やや無責任かもしれませんが、事務局は、これを仕事にされているわけで、我々のように、ほかに本来の仕事があるわけではないのですから、やってくださいと言えば、やってくださるのではないでしょうか(笑)。
○ 御返事がいただけない。
□ 我々がそうしてくれと言えば、多分、大丈夫でしょう。
○ 大丈夫ですか。
○ いろいろ御懸念ももっともだと思うのですけれども、要は、少し有り体に言えば、事務局主導だというそしりを内外から受けないように、我々、検討会委員がしっかりと議論することが重要だと思います。たとえ、たたき台が何らかの格好で出てきても、それは審議会意見のような重みは持っていませんぞ(笑)、ということを前提にして、みんなが自由闊達に議論をするということではないかと思いますが、いかがでしょうか。
□ 最も典型的な「事務局主導」と言われるのは、会議がなされる前から既に結論が決まっていて、会議を始めるに当たっても、こういう案が考えられますが、どうですかとそれを示し、一応意見を聞いたという形にするということだと思うのです。
しかし、我々の方は、第1ラウンドにおいて、自由に議論をしていますし、枠組みの話がありましたけれども、それほどずれた枠組みを念頭に議論してきたわけではないと思います。もちろん、時には、議論が議論を呼んで、あいつが言ったから絶対に反対意見を言ってやるというように受け取れる議論もなかったわけじゃないと思いますが(笑)。
これまでにも、この検討会では、かなり多くの論点が出ており、中には、見落としている点もあるかもしれませんけれど、そのような議論の経過を踏まえて、事務局の方で、たたき台を整理してもらえば、それほどおかしなものは出てこないのではないかと思います。それを捉えて事務局主導だと言われても、それはみかけだけの話にすぎず、むしろ、今、○○委員が言われたように、我々として、このたたき台のこの案はおかしいのではないかというようなことを、どんどん言って、大きな枠組み自体の当否も含めて議論していくということにすれば、事務局主導との批判は、実質的には乗り越えられる話なのではないかと思います。
やはり、議論の素材、焦点となるものを用意せず、これまでのような議論の方法を続けていたのでは、第2ラウンドの議論も、おそらく収れんしていかないことになるのではないでしょうか。この点は、皆さん、御意見が一致していると思いますが。
○ シャドーボクシングばかりやっていてもしようがないわけですから、やはりたたく相手を作ってもらいたいと思います。
□ 多くの方が、我々のこれまでの議論の経過を踏まえて、事務局の方でたたき台を作ってもらうのがいいのではないかという御意見でありましたので、そういうことにさせていただけませんか。もちろん、御注意がありましたように、あくまで、本当の意味のたたき台であり、槌を持っているのは、我々である。ただ、少し誤解があるかもしれませんが、この検討会は、事務局の方と我々とが一緒に議論する場であるというのが本来の趣旨ですので、これまでは、事務局の方では、言いたくても黙っていたということもあったのではないかと思うのですけれど、たたき台を事務局に作ってもらえば、事務局の方も発言せざるを得なくなるのではないか。例えば、たたき台のここのところの趣旨が分からないなどと質問をして事務局に答えてもらうというような形で、事務局を議論の場に連れ出してくるという意義もあるだろうと思います。
いずれにしても、事務局に作ってもらうのは、あくまでもたたき台であり、選択肢が示されている場合でも、どの選択肢を取るのかは自由であるばかりか、選択肢に含まれていない意見を提案することも当然可能である。たたき台に示された、大きな枠組み自体についても、それに必ずしも拘束されない。そういう了解の下、事務局にたたき台を作ってもらい、第2ラウンドを出発させるというのが適当であると思います。
そういうことでよろしいですか。
(「賛成です」と声あり)
□ ありがとうございます。
それでは、次は、議論の順序なのですが、先ほど少し話が出ましたように、三つのテーマについて、どういう順番で、たたき台を出してもらい、議論するのかということなのですけれども、私としては、第1ラウンドの議論の流れと同じ順序で、第2ラウンドも検討を進めていくのがよいのではないかと思います。まず、公訴提起の在り方、すなわち、検察審査会の一定の議決に拘束力を与える問題からスタートするということですが、事務局の負担等を考えますと、次回は1月で、それほど時間的な余裕もありませんので、まずは、そのテーマからたたき台を作ってもらうのがいいのではないかと思われるからです。その上で、裁判員制度、刑事裁判の充実・迅速化という順序で検討を進めていくとうことにさせていただければと思いますが、よろしいでしょうか。
たたき台の方は、それが出来上がった段階で、事務局から我々に示していただくということでよろしいですね。
● はい。
□ では、そういうことで、次回、1月28日は、検察審査会制度について、たたき台を示していただいて、それを基に、第2ラウンド目の、より詰めた議論をするということにさせていただきたいと思います。
それから、もう一つ御相談があります。以前、○○委員から、議事録に発言者名を記載するように取扱いを変更すべきではないかという御意見が出され、議論の節目のところで改めて皆さんにお諮りすることを考えさせていただきたいということを申し上げていたのですが、今回、第1ラウンドの議論が終わり、次回から、第2ラウンドに移るという節目になりますので、その点について、この段階で議論させていただければと思います。
これは、議事の公開に関する協議ですので、恐れ入りますが、ここの議論のところだけ、報道機関の方には、御退室願います。
(報道関係者退室)
(委員間で協議)
(報道関係者入室)
□ どうもお待たせしました。協議の結果、次回以降の議事録につきましては、発言者名を明示するという扱いとすることになりました。これも、当面の措置ということで、申し合わせたことでございます。
それでは、予定した時刻より大分超過してしまいましたが、これで本日の議事を終了したいと思います。
次回は、来年1月28日火曜日午後2時からということになっておりますので、よろしくお願いします。
どうもありがとうございました。