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裁判員制度・刑事検討会(第13回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年3月11日(火)13:30~17:10

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局) 大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1 裁判員制度について

6 議事

○井上座長 所定の時刻ですので、第13回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
 本日も御多忙の折、御参集いただきましてありがとうございます。
 御承知のように、本日から「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」、いわゆる裁判員制度の導入に関する二巡目の議論に入ることになっております。事務局の方でたたき台を作成してくださっていますので、まず、その内容について御説明いただきたいと思います。

○辻参事官 お手元にお配りしております「裁判員制度について」と題するたたき台について御説明いたします。かなり大部のものになってしまいまして、説明も若干の時間をいただくことになるかと思いますが、何とぞ御容赦いただいてお聞きいただければと思います。
 たたき台の性格等につきましては、これまでの検討会で御協議いただいたとおりでありまして、このたたき台の冒頭にも記載されているとおりでございます。特に今回のたたき台におきましては、従前は議論が十分に及んでいない、比較的細かな論点についても一定の考え方をお示ししているところがございますが、もとより、たたき台として、一つの考え方をお示ししたにすぎませんので、御承知おきください。
 それでは、「1 基本構造」というところから順次御説明いたします。
 まず、(1)の「裁判官と裁判員の人数」のアは、「合議体の構成」でございます。
 合議体の構成につきましては、A案及びB案の両案を併記しておりますが、これは、検討会におけるこれまでの議論において実際に出された御意見とそれらの御意見の前提となっている基本的な考え方を踏まえまして、整理させていただいたものであります。
 A案は、御覧のとおり、裁判官の員数を3人、裁判員の員数を2ないし3人とする案でありまして、B案は、裁判官の員数を1ないし二人とし、裁判員の員数を9ないし11人とするものです。いずれの案も、人数に幅を持たせた表現となっている部分がございますが、これはA案、B案それぞれの中でもさらに選択肢として幅があり得るであろうという趣旨でございます。
 たたき台の性格につきましては、ただいまも申し上げたとおりでございますが、合議体の構成に関しましても、もとよりA案、B案のいずれかしか考えられないということではございません。例えば、A案とB案の中間的な人数とする案や、B案よりも裁判員の人数が多いという案ももちろん考えられると思います。ただ、この部分は何ぶん人数の問題でありまして、論理的には一人ずつ刻みで無段階に案が考えられるということになりますので、それをすべて掲げることとしたのでは、議論の素材としての選択肢としては必ずしも適当な示し方にはならないのではないかという考えもございまして、議論のための素材としては、むしろ、前提としての基本的な考え方として、代表的な考え方に基づく、典型的な案、理念が明確になる案をお示しするのが適当ではないかという考えで、そのような案としてA案とB案を挙げさせていただいたものであります。
 ここで、一点、このたたき台全体を通じまして、御留意いただきたいことについて申し上げます。このたたき台では、「裁判官」という用語が、このアの合議体の構成のところにも出てきますし、この後も出てくるのですが、この裁判官という用語に関しましては、御承知のように、現在におきましても、「受訴裁判所」、「国法上の裁判所」、「国法上の裁判所に属する裁判官の合議体」、「国法上の裁判所に属する裁判官」、「裁判長」といった種々の概念があるわけでありますが、このたたき台におきましては、いずれにつきましても、単に、「裁判官」と記載しております。例えば、このたたき台では、訴訟手続に関する判断は裁判官のみが行うという案をお示ししております。一方、合議体の構成に関しては、裁判官の員数が一人になる案と、複数となる案をお示ししていますので、訴訟手続に関する判断のように、受訴裁判所を構成する裁判官が行うべき行為につきましても、裁判官の員数に関する案によって、裁判官の合議体の権限となるか、一人の裁判官の権限となるかという違いが生じ得るわけであります。そのような場合のすべてにつきまして、その都度、注記を設けることは非常に煩雑となると思われましたので、このたたき台におきましては、国法上の裁判所を指す場合や裁判長の趣旨で用いる場合も含めまして、すべて、単に、「裁判官」と表記することとさせていただきました。その結果、若干分かりにくくなっている点もあるかもしれませんが、個々の部分の趣旨につきましては、適宜御説明をさせていただきたいと考えております。以上のような前提で、たたき台を御検討いただければと思っております。
 次にイの「補充裁判員」の項目です。現行法におきましても、補充裁判官の制度が設けられておりますが、裁判員についても、疾病、事故等の理由により、裁判員が欠ける事態が予想されることから、補充裁判員を置くことができるものとしたものであります。
 次に(2)の「裁判員、補充裁判員の権限」についてであります。
 まず、アの「裁判員の権限」です。 (ア)は、裁判員の最も基本的な権限に関するもので、「裁判官と裁判員は、共に評議し、有罪・無罪の決定及び刑の量定を行うこととすべき」とする司法制度改革審議会の意見に従ったものであります。
 ただ、この検討会における議論を踏まえまして、法令の解釈につきましては、その専門性・技術性の高さや統一的な判断の必要性などの理由から、訴訟手続上の判断につきましては、専門性・技術性の高さや迅速な処理の必要性などの理由から、裁判員は評決権を有しないこととするいう考え方に従っております。その点については、(ウ)や次の(3)の評決の部分のイなどを御覧いだたければと思います。
 次に、(イ)は、裁判員のいわゆる補充尋問権に関するものでありまして、裁判員が裁判内容に主体的・実質的に関与することを確保するため、裁判員は、「審理の過程において、証人等に対する質問権など適当な権限を与えられるべき」とする司法制度改革審議会意見に従ったものであります。
 続いて、(ウ)は、裁判官の判断により、裁判員が評決権を持たない事項のみに関する審理についても裁判員を立ち会わせ、その意見を聴くことができるとしたものであります。この検討会においても御指摘がございましたように、法令の解釈及び訴訟手続に関する判断についても、裁判官が、審理の内容や場面といったものを考慮した上で適当と判断した場合に、裁判員を審理に立ち会わせ、その意見を聴くことができるとすることは、国民の感覚を裁判に反映させるという裁判員制度の趣旨に沿うという考えによるものであります。
 続いて(2)のイは「補充裁判員の権限」についてであります。
 まず、(ア)は、補充裁判員は、審理に立ち会い、審理中に合議体の裁判員が欠けた場合に、これに代わって、その合議体に加わるというものでありまして、補充裁判官に関する裁判所法第78条の規定を参考にしたものであります。
 次に、(イ)及び(ウ)ですが、補充裁判員には、その制度趣旨からして、審理を通じて自ら心証を形成する機会が与えられる必要があると考えられることから、証拠を閲覧し、評議に出席する権利を有するとしたものであります。ただし、補充裁判員はいまだ合議体の構成員ではないので、合議体の意思形成への介入を認めるべきではないとの考えから、(ウ)のただし書で、評議で意見を述べることはできないものとしております。なお、現行法では、補充裁判官について、(イ)及び(ウ)のような規定は置かれておりませんが、文献等によりますと、ほぼ同様の解釈・運用がなされているようであります。
 ウは、職権行使の独立ということで、裁判の公正を確保するため、裁判員の「職権行使の独立」を定めようというものであります。裁判官に関する憲法の規定、弾劾裁判所の裁判員に関する裁判官弾劾法の規定、検察審査員に関する検察審査会法の規定などを参考にしたものでございます。
 続いて、(3)の評決の在り方に関する項目についてですが、アとイの二つの項目からなっております。このうち、アが原則的な考え方を示したもので、イは先ほど御説明いたしました、(2)の裁判員の権限を前提といたしまして、裁判員が権限を有しない事項に関する評決の在り方を示したものであります。
 アにつきましては、A案ないしC案の三つの案を選択肢として掲げておりますが、検討会におけるこれまでの議論を踏まえ、いずれも評決の基本的な要件を、合議体の過半数の賛成としております。
 3案の違いについて御説明いたしますと、司法制度改革審議会意見は、「少なくとも裁判官又は裁判員のみによる多数で被告人に不利な決定をすることはできないようにすべきである」としておりますが、B案は、これを、そのまま評決の要件として記載したものであります。
 これに対しまして、A案は、B案のただし書に相当する内容を、被告人に有利・不利にかかわらず、評決の要件として書き加えたものでございます。
 現在の裁判の実務におきましては、通常、評議・評決は判決の結論についてのみ行われるのではなくて、結論の前提となる個々の論点ごとに行われ、それが積み重ねられて結論に至るという方法が採られているものと承知しております。このような実務を前提といたしますと、評決が、主要事実のみならず、間接事実のレベルで行われる場合が考えられるわけでありますが、間接事実はその評価の在り方が多義的でありまして、ある間接事実が被告人にとって有利な事実なのか、不利な事実なのかを一義的に決することが必ずしも容易ではないという場合も考えられるのではないかと思われます。そうだといたしますと、B案のように、「不利な」という限定を付していると、いかなる要件によって評決をするべきかを決めるのが困難というような事態が生じ得るのではないかという考えから、限定をしないこととしたのが、A案であります。C案は、憲法上、被告人に不利な裁判は職業裁判官の過半数の意見によることが要請されているという立場を前提としたものであります。
 次の(4)は、裁判員制度の対象事件についてであります。
 まず、アの「対象事件」の項目は、裁判員制度の対象事件についての原則的な考え方に関するものであります。
 「(ア) 原則」として、たたき台では、A案ないしC案の三つの案を掲げております。いずれも、「法定刑の重い重大犯罪」とする司法制度改革審議会意見及びこれまでのこの検討会での御議論を踏まえたもので、A案は、法定合議事件を対象とするという考え方、B案は、法定刑に死刑又は無期の懲役・禁錮刑の定めのある罪に係る事件を対象とするという考え方、C案は、法定合議事件であり、かつ、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件を対象するという考え方であります。
 検討会におきましては、このほかに、法定合議事件を基本にしつつ一定の罪を除外するといった意見なども述べられたところでありますが、A案ないしC案を基本とした考え方の一つとして扱うこととさせていただき、別個の案としては挙げておりません。
 また、A案及びB案におきましては、高等裁判所が第一審管轄を有する刑法第77条等の罪については対象事件から除外することとしております。C案には、もともとこれらの罪は含まれません。
 次の「(イ) 併合事件の取扱い」についてでありますが、例えば、殺人事件は裁判員制度対象事件であるが、死体遺棄事件は対象事件ではないということになったといたしまして、同一の被告人が、殺人を犯し、その被害者の死体を遺棄したとされる場合などには、対象事件でない死体遺棄事件も、対象事件と一緒に審理をするのが相当ということもあると思われます。そこで、原則的な対象事件と併合して審理することとされた事件についても、裁判員制度の対象として、裁判官と裁判員からなる合議体で取り扱うことができるとしたものであります。
 次に、(4)のイの「訴因変更の場合の取扱い」についてでありますが、アの(ア)の対象事件として起訴され、当初、裁判官と裁判員の合議体で審理されていた事件につき、刑事訴訟法第312条に基づいて、訴因や罰条が変更され、その結果、事件がアの(ア)の事件に該当しなくなる場合が考えられます。このような場合の取扱いについて、たたき台では、原則として、当該事件は引き続き、裁判官及び裁判員の合議体で取り扱うものとしつつ、裁判官が、審理の状況等にかんがみ適当と認めるときは、以後、当該事件を裁判官のみで取り扱うこととすることができるものとするという案をお示ししております。
 (4)のウの「事件の性質による対象事件からの除外」について御説明いたします。司法制度改革審議会の意見は、「組織的犯罪やテロ事件など、特殊な事件について、例外的に対象事件から除外できるような仕組みを設けることも検討の余地がある。」としておりまして、この検討会におきましても、例外的に対象事件から除外する制度を設けるべきであるとの御意見がございましたことから、そのような制度を設ける場合の一案として、A案を考えたものでございます。他方、例外を設けることには消極的な御意見もありましたので、B案を併記しております。
 A案について、若干、付け加えて御説明いたしますと、同案は、対象事件であっても、一般国民である裁判員に、公正な判断を期待できないような事情がある場合には、例外とするというのが基本的な考え方であります。
 たたき台にございます、「生活の平穏を侵害する行為がなされるおそれがある」場合としましては、司法制度改革審議会意見の述べる組織的犯罪やテロ犯罪があり得ると思われます。また、たたき台には、「民心…により、公正な判断ができないおそれがある」場合と記載しておりますが、これは刑事訴訟法第17条、いわゆる管轄移転に関しての条文でございますが、これを参考にしたものでありまして、国民一般の心情を考えると、裁判員の判断の公正が期待し得ないような特別な場合を考えたものであります。
 また、ただし書において、「事件の審判に関与している裁判官は、やむを得ない場合を除き、その決定に関与することはできないものとする。」としておりますが、これは、この場合の判断が、裁判体を構成する裁判員の心理状態、特に判断の公正性という微妙な事項についての判断でありますことから、同一の裁判体を構成する裁判官においてその判断を行うことは適当ではないのではないかとの考えもあり得ることから、別の裁判官の判断によるという案にしたものであります。
 また、裁判体の構成についての判断でありますことから、検察官や被告人・弁護人の意見を聴くこととし、さらに、その不服申立てを認めることとすることが考えられますので、その点を(イ)及び(ウ)として示しております。
 次に「2 裁判員及び補充裁判員の選任」について御説明いたします。
 (1)は、裁判員となるための基本的要件に関するものであり、A案、B案及びC案の三つの案を掲げております。
 司法制度改革審議会の意見が「裁判員の選任については、選挙人名簿から無作為に抽出した者を母体とする」としていることなどを踏まえ、いずれも、衆議院議員の選挙権が必要であるとしておりますが、裁判員となるための年齢については、それぞれ異なる要件を設けております。A案は、年齢は明記されておりませんが、公職選挙法第9条第1項により、衆議院議員の選挙権を有するのは「日本国民で年齢満二十年以上の者」とされていることから、年齢20年以上であることが前提となっているものであります。これに対し、B案及びC案は、衆議院議員の選挙権を有することを基礎としつつ、公職選挙法第10条の被選挙権等を参考にしながら、それぞれ年齢25年以上、年齢30年以上であることを要件としたものであります。
 次に(2)の「欠格事由」ですが、アは、裁判員の欠格事由につき、裁判所法第46条の定める裁判官の欠格事由などを参考としつつ、一案をお示ししたものであります。
 アの本文では、「他の法律の定めるところにより一般の公務員に任命されることができない者」としておりますので、これによりまして、裁判官の場合と同様に、国家公務員法第38条所定の欠格事由も、裁判員の欠格事由となることとなります。
 なお、心身に故障があることを欠格事由とするか否かにつきましては、検討会でも議論が分かれたことから、(ウ)において、二つの案を併記することといたしました。
 (2)のイでは、欠格事由に該当する者が裁判員として手続に関与した場合であっても、裁判員が権限を有する裁判がなされていない限り、既になされた審理の効力には影響を及ぼさないものとしております。これは、裁判員は訴訟手続に関する判断等に関しては評決権を有しないものとすることを前提といたしまして、欠格事由に該当する裁判員が審理に関与したとしましても、単に審理に関与して証拠調べを聴いたというようなことにとどまって、裁判員が評決権を有する裁判が行われる前に、当該裁判員が交代すれば、それまでの審理の効力を問題とする必要まではないのではないかという考えによるものであります。
 (3)は、裁判員の就職禁止事由に関するものであります。
 アでは、職業等に照らして、裁判員となってもらうことが適当ではないと考えられる者を(ア)から(ツ)まで掲げておりますが、これらは、大きく分けて二つの観点によるものです。一つは、三権分立の観点から、立法権や行政権の中枢を担う者が、司法権を担う裁判員となることは適当ではないのではないかというものであります。例えば、国会議員、国務大臣等が、この考え方によるものです。もう一つは、一般国民の社会常識を反映するという観点から考えて、司法の専門家が裁判員となることは適当ではないのではないかという考えです。例えば、裁判官、検察官、弁護士等がこの考え方によるものであります。
 イは、「公訴提起等に伴う就職禁止事由」としておりますが、自らが被疑者や被告人の立場で刑事手続にかかわることとなった場合には、いわば裁く側である裁判員となることは適当ではないのではないかという考えによるものであります。検察審査会法第17条も、禁錮以上の刑に当たる罪により起訴され、判決確定に至っていない者は、検察審査員としての職務執行を停止されるとしているところであります。
 ウは、「手続に対する影響」ということで、就職禁止事由に該当する裁判員が手続に関与したとしても、手続の効力には影響を及ぼさないものとしております。就職禁止事由を設けた趣旨が欠格事由の場合とは異なることを踏まえ、手続の安定性を重視する方が適当ではないかという考えによるものであります。
 (4)は、裁判員の除斥事由を掲げたもので、刑事訴訟法第20条の裁判官の除斥事由や検察審査会法第7条の検察審査員の除斥事由を参考としつつ、担当しようとする事件や、その被告人、被害者と一定のかかわりを有する場合に、裁判員となることができないものとしたものであります。
 (5)は、裁判員の辞退事由であります。検察審査会法第8条が定める検察審査員の辞退事由を参考としつつも、できるだけ多くの国民が参加することが望ましいという観点や、参加する国民個々の負担をできるだけ軽減するべきではないかという観点を考慮し、裁判員となるこことを辞することをできる事由を、アからキまで掲げております。
 アは、年齢70年以上の者は辞退することができるとしておりますが、検察審査会法制定以来の事情の変化等を考慮し、同法よりも10年高い年齢としております。
 エからカは、参加する国民の負担の観点から、過去の一定期間内に裁判員や検察審査員の職務を行ったことを辞退事由としたものであります。
 キでは、「やむを得ない事由」により裁判員としての職務を行うことが困難であると裁判官が認めた場合を辞退事由としています。「やむを得ない事由」の例といたしまして、検察審査会法を参考に、「疾病」を挙げておりますが、ほかには、例えば、養育すべき幼児や看護すべき親族がいて、他に保育、看護する者がいないため、本人が裁判員となると、その保育、看護に著しい支障が生じる場合や、裁判員となると、本人又はその雇用主などの第三者の業務に著しい支障が生じたり、重大な経済的損失が生じるといった場合が考えられると思われます。それらを含めまして、どのような支障が、どの程度生じる場合に辞退を認めることとするのが適当かについて御議論をいただければと考えております。
 (6)は、裁判員の忌避事由でありまして、裁判官の忌避事由を定めた刑事訴訟法第21条にならって、「不公平な裁判をするおそれ」があることを挙げております。
 (7)は、裁判員候補者名簿の作成に関する手続でありまして、1年ごとに必要な員数を選挙人名簿からくじで選定して、これを裁判員候補者名簿に登載するという案にしております。
 (8)は、(9)の質問手続のために裁判員候補者を召喚する手続に関するものです。
 アでは、裁判官は、公判期日が定まったときは、事件の性質や審理の見込み等を勘案し、当該事件のために召喚することが必要な裁判員候補者の数を定め、その上で、裁判員候補者名簿から必要な裁判員候補者をくじで選定し、質問手続を行う期日に召喚することとしております。また、裁判官は、事前に裁判員候補者の欠格事由、辞退事由等を確認するため、質問票を活用できることとしております。
 イは、裁判員候補者に関する情報を検察官及び弁護人に開示する手続に関するものであります。裁判員候補者と事件との関係の有無を確認するなどのためには、裁判員候補者に関する一定の情報の開示は必要と考えられる反面、裁判員候補者のプライバシー保護にも当然ながら配慮が必要であり、その両方の要請の調和を図るとの観点から一つの考え方をお示ししたものであります。
 (ア)は、氏名の開示でありまして、質問手続の日よりも前の日に、裁判員候補者の氏名だけは開示するものとしております。
 (イ)は、質問票に対する回答の写しの閲覧であります。質問手続当日に、その写しを閲覧させることができるとしております。ただし、質問票には、裁判員候補者のプライバシーにかかわる事項が多く含まれると思われるため、A案では閲覧の全部又は一部の制限を、B案では回答内容の漏洩について罰則を科すという二つの案を考えたものであります。
 (9)は質問手続です。そのうちのアは、質問手続の出席者に関するもので、裁判員候補者のプライバシー等との関係で、被告人が常に出席していることとするのは適当ではなく、また、その必要も必ずしもないと考えられるという考えに基づき、裁判官は、必要と認めるときは、被告人を質問手続に同席させることができるものとしております。同様に、裁判員候補者のプライバシー保護を考え、非公開としております。
 イは、質問手続の内容に関するものでありますが、(ア)及び(イ)のとおり、裁判官が質問を行うものとするとともに、検察官、弁護人は、必要と考える質問をすることを、裁判官に求めることができることとしております。また、(ウ)及び(エ)のとおり、質問の結果、欠格事由や辞退事由等に該当することが明らかになった裁判員候補者がいれば、裁判官は、当該候補者を選任しない旨の決定をするものとしております。
 また、(カ)のとおり、本検討会における議論を踏まえ、理由を示さない忌避を認めることとしております。ただし、その上限の数につきましては、裁判体の構成等ともかかわることでございますので、具体的な数を掲げるには至っておりません。
 そのほか、(オ)のとおり、理由付き忌避の申立てを却下する決定に対する当事者の不服申立てを認めるとともに、裁判員候補者の心情等に配慮し、(キ)のとおり、忌避の理由及び忌避の申立者については、裁判員候補者には明らかにしないものとしております。
 ウは、裁判員等を選任する旨の決定の手続に関するものです。裁判官は、選任しない旨の決定がなされなかった裁判員候補者の中から、裁判員及び補充裁判員となるべき者を無作為抽出するものとしておりますが、無作為抽出の方法としましては、改めてくじを行うことのほか、あらかじめ無作為に定められた名簿の順番等によることも考えられると思います。
 また、補充裁判員を二人以上選定する必要があるときには、その補充裁判員が裁判員となる場合の順位をあらかじめ定めて置くものとしております。
 以上の手続を経て、裁判官が、抽出された裁判員候補者を当該事件における裁判員及び補充裁判員として選任する旨の決定を行うものとしております。
 なお、たたき台では触れておりませんが、手続の過程で、裁判員候補者の数が、裁判員及び補充裁判員の員数に足りなくなったときの扱いについても、検討しておく必要があると考えられます。
 (10)は、裁判員に対する補償であり、アは、裁判員、補充裁判員及び出頭した裁判員候補者に、旅費、日当、宿泊料を支給するというもので、イは、裁判員等が、その職務に関連して、負傷等の災害にあった場合には、補償を行うというものであります。
 次に、3の「裁判員等の義務及び解任」について御説明いたします。
 3の(1)は、「裁判員候補者の義務」でありまして、ア及びイの二つの義務を掲げております。
 アは、先ほど御説明いたしました質問手続への出頭義務であります。
 イは、裁判員候補者は、質問票や質問手続において、虚偽の回答をしたり、回答を拒否してはならないというものであります。公正な裁判の保障のためには、除斥事由等の有無を正確に調査し、また、忌避手続を適正に運用する必要があり、その前提として、正確な情報が得られるよう担保する必要があるという考えによるものであります。
 3の(2)は、裁判員と補充裁判員の義務です。まず、アは、公判期日への出頭義務であり、イは、宣誓の義務であります。
 ウは、司法制度改革審議会の意見が、「裁判員の職務の公正さの確保のために採るべき措置についても更に検討する必要がある」と述べていることを踏まえたものです。前段は、誠実にその職務を行わなければならず、品位を辱めることのないようにしなければならないという義務です。後段は、裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為をしてはならないという義務であります。裁判員の職務にかんがみ、裁判の公正に対する信頼の保持の重要性から、特に、このような義務を設ける必要があるのではないかという考え方によるものであります。
 エは、評議において意見を述べる義務であり、裁判所法第76条を参考にしたものです。
 オは、守秘義務であり、司法制度改革審議会の意見が、「裁判員が、評議の内容等職務上知ることのできた秘密に関する守秘義務を負うべきことは当然である」としていることを踏まえたものです。
 次の3の(3)は、裁判員と補充裁判員の解任の要件や手続に関するものです。
 手続の明確性の観点から、裁判員等の地位の得喪の要件、手続は、これを明確にする必要があるという考えによるものです。
 この項は、さらに、アからオまで分かれておりますが、解任の類型としては、アからエまでの部分と、オの部分の二つの類型を設けております。
 まず、アの柱書部分についてですが、(ア)から(ウ)までの解任事由が存在する場合に、裁判官が、解任する決定をするというものです。
 解任は、裁判体の構成員としての地位を失わせる手続でありますから、当該合議体の構成員である裁判官に、その判断権限を付与すると、同一の裁判体の中に、他の構成員を解任する権限を有する者とこれによって解任される者とが併存することとなり、適当ではないのではないかという意見もあり得ると思われます。そこで、たたき台では、このような立場から、原則として、受訴裁判所を構成する裁判官は解任の決定を行うことはできないものとする案を示しております。もっとも、裁判員が公判期日に出頭しなかったため解任するという場合には、その判断は形式的・客観的なものであると思われますし、当日の公判を円滑に行うために迅速な処理を要することも多いと思われることから、例外的に、合議体の構成員である裁判官が解任することも可能としております。また、同様に、支部などで合議体の構成員以外の裁判官を確保することが困難な場合も想定されますので、そのような「やむを得ない場合」も併せて例外とすることとしております。
 次に解任の事由でありますが、(ア)は、3の(2)の義務に違反した場合ですが、義務違反の態様や程度が様々であると考えられることなどから、義務違反の存在によって直ちに解任することとはせず、その「義務違反によって、当該裁判員等に、以後職務を行わせることが適当ではないと認められるとき」に解任するという案としております。
 (イ)は、欠格事由、就職禁止事由等の存在が明らかになったという場合であります。
 (ウ)は、質問手続において虚偽の回答をしていたことが判明した場合です。このような場合には、公正さに疑問も生じ得ると思われることから解任事由としているものですが、虚偽の内容、程度は様々であり、解任するまでもない場合も考えられることから、虚偽回答の事実に加えまして、「引き続きその職務を行わせることが適当でないと認めるとき」に解任する案としております。
 (3)のイは、当事者からの意見聴取、ウは、当該裁判員等への陳述の機会の付与であり、エは、裁判員等を解任しない旨の決定に対して、当事者からの不服申立てを認めるものです。これに対し、裁判員等を解任する旨の決定は、解任された裁判員等に代わって、新たに裁判員等が加わるということになるだけでありまして、当事者にとっては何ら不利益はないことなどから、不服申立ては認めないこととしております。また、解任は、当該裁判員等にとっては、出頭及び裁判員の職務を行う義務の解除であって、不利益処分ではないと考えられることから、解任された当該裁判員等からの不服申立ても認めないこととしております。
 次の(3)のオは、解任の二つ目の類型でありまして、解任の理由としては、(ア)と(イ)を挙げております。(ア)は裁判員等に辞退事由が存在する場合であり、(イ)は補充裁判員に引き続きその職務を行わせる必要がないと認められる場合であります。具体的には、例えば、数名の補充裁判員をおいて審理を進めていた事件で、以後の審理の見通しなどから、従前どおりの員数を維持する必要性がなくなったような場合を想定したものであります。オの類型の解任は、性質上、当事者からの請求によるということは考えにくく、また、当事者の不服申立ての制度も設ける必要もないなど、アの類型の解任とは性質を異にすると思われますので、別に記載したものであります。
 続いて、「4 公判手続等」について御説明します。
 司法制度改革審議会の意見は、「裁判員の主体的・実質的関与を確保するため、公判手続等について、運用上様々な工夫をするとともに、必要に応じ、関係法令の整備を行うべき」としておりますので、そのような運用上の工夫、法令の整備について、様々な観点から御議論いただければと考えております。このたたき台では、そのような議論の材料となりますよう、具体的な案にまで至っていない、検討の視点、論点のようなものも記載しております。
 (1)は、総論です。総論としまして、裁判員の負担を軽減しつつ、裁判員が実質的に裁判に関与することができるよう、迅速で分かりやすい審理が行われるように努めるという、基本的な在り方を記載したものであります。
 (2)は、準備手続に関するもので、本来の職業等を有する裁判員が裁判に関与するにあたっては、審理に要する見込み期間が明らかになっていることが必須の前提と考えられますので、裁判員対象事件においては、準備手続を必要的なものとし、審理に要する見込み期間をあらかじめ明らかにすることが考えられます。第一回公判期日前の新たな準備手続の在り方の詳細については、「刑事裁判の充実・迅速化」のところで御議論いただく予定でありますので、ここでは、裁判員が関与する公判手続の在り方を検討するのに必要な範囲で、準備手続に関する議論をしていただければと考えております。
 (3)は、「弁論の分離・併合」についてであります。複数の被告人や多数の事件が併合審理されると、証拠関係が複雑で裁判員に分かりにくいものとなったり、審理が長期化したりして、裁判員の負担が重くなる可能性がありますので、ここに記載しましたように、弁論の分離・併合の在り方について検討し、必要な措置を講ずる必要があるのではないかと考えたものであります。
 (4)は、「公判期日の指定」についてであります。これも一般的には「刑事裁判の充実・迅速化」のところで議論いただく問題でありますが、「連日的開廷は、訴訟手続への国民参加の制度を新たに導入する場合、ほとんど不可欠の前提となる」とする司法制度改革審議会の意見をある意味で確認する趣旨で記載したものであります。
 (5)は、裁判官による教示と裁判員らの宣誓に関するもので、陪審法や検察審査会法を参考にしたものであります。
 (6)は、裁判官と同様に、公判手続の更新による裁判員の交代の制度を設けるというものであります。補充裁判員をおいても、審理の途中で裁判員の数が不足することがないとはいえませんが、このような場合に審理を初めからやり直さなければならないとするのは、訴訟経済に反するのみならず、被告人、証人、被害者等に相当の負担を強いることになり、適当ではないのではないかとの考えによるものであります。
 ただ、公判手続の更新の在り方につきましては、たたき台に記載しましたように、裁判員に適したものとする必要があるのではないかということであります。
 次は、(7)の「証拠調べ手続等」であります。
 アは、冒頭陳述に関するもので、裁判員が、明確に争点を把握し、かつ、各証拠がどの争点に関するものか理解することができるように、検察官及び弁護人は、準備手続における争点整理の結果に基づき、証拠との関係を具体的に明示して冒頭陳述を行わねばならないとするというものであります。
 イは、証拠調べ等に関するものであります。証拠調べ等につきましては、迅速で、裁判員に分かりやすく、その実質的関与を可能とする在り方を検討し、必要な措置を講ずるべきであると考えられますので、そのことを記載いたしました。具体的な運用上の工夫や制度の手当てとしては、様々なものが考えられるところですか、議論の手がかりとして、具体的在り方として考えられるところを挙げてみたものであります。
 すなわち、○証拠調べは、裁判員が理解しやすいよう、争点に集中し、厳選された証拠によって行わなければならないものとすること、○専ら量刑に関する証拠の取調べは、公訴事実の存否に関する証拠の取調べと区別して行わなければならないものとすること、○争点ごとに計画的な証拠調べを行うものとすること、○証拠書類は、立証対象事実が明確に分かりやすく記載されたものとすること、○証拠物の取調べにおいては、争点との関連性が明らかになるようにすること、○証人等の尋問は、争点を中心に簡潔なものとすること、○証人等の反対尋問は、原則として、主尋問終了後直ちに行うこと、○供述調書の信用性等については、その作成状況を含めて、裁判員が理解しやすく、的確な判断をすることができるような立証を行うこと、○第一回公判期日前の裁判官による証人尋問の活用を拡充すること、○一定の期間を要する、鑑定のための事実的措置は、できる限り、公判開始前に行うこと、○迅速で、裁判員に分かりやすい審理が行われるよう、訴訟指揮を行うこと、○連日開廷下において、適正な公判記録の作成を行うこと、○論告・弁論は、証拠調べ終了後速やかに行うこと、○論告・弁論は、取調べ証拠との関係を具体的に指摘した、分かりやすいものとすること、ということであります。
 (8)は、「判決書等」についてであります。
 アは、判決書の内容等に関するものでありますが、司法制度改革審議会の意見及びこの検討会における議論を踏まえ、裁判官のみによる裁判の場合と基本的に同様のものとし、評議の結果に基づいて裁判官が作成するものとしております。
 次に、イは、裁判員の判決書への署名押印及び身分の終了時期に関するものですが、検討会における議論を踏まえまして、三つの選択肢を記載しました。
 A案は、裁判官と同様に、裁判員も判決書に署名押印することとし、署名押印時に裁判員としての身分・任務は終了するというものであります。この案は、現行の裁判官のみによる判決宣告及び判決書作成手続と同様のものを前提とするものでありますが、他方で、裁判員は、署名押印を終えるまでその任務を解かれないということになるわけであります。
 次に、B案は、裁判官と同様に、裁判員も判決書に署名押印するものの、その身分・任務は判決宣告時に終了するというものであります。この案は、裁判員の負担軽減を考え、裁判員の任務は判決宣告時に終了するものとしておりますが、宣告時に判決書原本が完成していなければならなくなると思われます。
 最後に、C案は、判決書には裁判官のみが署名押印するものとし、裁判員の身分・任務は判決宣告時に終了するというものであります。裁判員の負担軽減等を図ろうとするものですが、この検討会での議論におきましては、裁判員が判決の内容を了承していたことについての手続的な担保は必要ないのかとの御指摘もあったところであります。
 続いて、5の「控訴審」についてであります。
 裁判員が関与する場合にも、有罪・無罪の決定や量刑についての当事者の控訴を認めるべきとした司法制度改革審議会の意見と、この検討会におけるこれまでの議論を踏まえ、五つの選択肢を掲げております。
 順序は逆になってしまいますが、まず、D案から申し上げますと、D案は控訴審においても裁判員が審理及び裁判に関与するものとし、かつ、控訴審を覆審構造とするというものであります。裁判員が関与した第一審の判断を裁判官のみからなる控訴審が破棄できるとすることは疑問であること、裁判員が関与する以上は、書面審理が中心となる事後審の維持は困難であること等を理由とするものと考えられます。なお、D案のバリエーションと言えると思いますが、以前の検討の際には、控訴審の裁判官が第一審の判決を破棄すべきと考えた場合に限って、裁判員を控訴審に関与させるという御意見もあったところであります。
 これに対し、A案からC案は、いずれも控訴審は裁判官のみで審理及び裁判を行うものとするものであります。覆審すなわち審理のやり直しは、多大な時間を要するばかりか、訴訟関係人、証人等の負担が非常に重く、裁判員が関与しない事件の控訴審との均衡からも採用が困難であること、現在の控訴審の作業の実態からして、裁判員の関与は非現実的と思われることなどを理由とするものといえます。
 この中で、まず、B案は、控訴審は、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り等についてのみ自判できるものとし、量刑不当及び事実誤認については自判はできないとするものであります。第一審におきましては、有罪・無罪の決定及び刑の量定への裁判員の関与が想定されているところ、裁判官のみからなる控訴審が、裁判員が関与した第一審の判決を破棄するのみならず、更に進んで自ら判決をすることができるとすることは、裁判員制度の趣旨から適当でないとの考えから、破棄した場合は、必ず事件を第一審に差し戻し、後述のように、新たな裁判員を選任して審理・裁判をすべきとするものであります。
 次に、B’案は、B案と同様の理由から、事実誤認については自判を認めないこととしつつ、量刑不当については自判を認めるというものであります。事実認定と量刑では判断の質が異なるとも考えられること、現実にも、量刑不当を理由に、若干刑を変更するだけの場合にも差し戻さなければならないとするのは訴訟経済に反することなどを理由とするものと思われます。
 C案は、事実認定及び量刑不当に関する破棄理由を加重するというものであります。自判の前提となる破棄の範囲を限定することによって、裁判員が関与した判断を尊重しようという趣旨であると考えられます。
 最後に、A案は、控訴審を現行法どおりとするものであります。裁判員が関与した判断の尊重という点につきましては、事案ごとに運用によって弾力的に対処することがむしろ適当であるとの考えによるものといえ、この案によれば、裁判員が関与しない事件についての控訴審との整合性も保たれることにはなります。例えば、裁判員が関与した第一審の判決を破棄した場合には、裁判員の判断を尊重する見地から、運用上原則として差し戻すこととすべきという見解も、A案の一つとして位置付けられると思われます。
 次に、6の「差戻し審」についてであります。
 やはり、これまでの議論を踏まえ、二つの案を掲げており、いずれも、差戻し審においては新たな裁判員を選任して審理・裁判をすることとしている点で共通しております。ただ、審理構造が異なっておりまして、A案は、審理構造を現行法どおりの続審構造とする見解であり、B案は、覆審構造とするものであります。以前の検討の際には、覆審構造とすると、差戻し審の判決に対し再び控訴がなされ、さらに破棄差戻しされるなどして、際限なく訴訟が続くおそれがあることや、審理に多大な時間と労力を要することなとが指摘されております。一方、続審構造とすることについては、従前の書証を引き継ぎ、しかも、破棄判決の拘束力を前提とする審理は裁判員には困難であることが指摘されております。
 次に、7の「罰則」について、御説明いたします。
 7の(1)は、裁判員等が、正当な理由がなく出頭しなかったとき、正当な理由がなく宣誓を拒んだときの制裁を設けるというものです。
 裁判員等が、出頭義務、宣誓義務を負うことを前提として、これまでの議論において、その履行を担保するために制裁を設けることが必要ではないかとの御意見があったことを踏まえたものであります。また、出頭や宣誓が法律上の義務であることを明確にする意味もあると考えられます。
 7の(2)は、裁判員等の秘密漏洩罪です。
 内容は、裁判員等が、評議の秘密その他の職務上知り得た秘密を漏らす行為と、合議体の他の構成員以外の者に対して事件の事実の認定、刑の量定等に関する意見を述べる行為を処罰するというものです。
 いずれも、裁判の公正及びこれに対する一般の信頼の保護のためには、このような罰則も必要ではないかとの考えによるものです。
 前半の部分は、3の(2)のオに記載いたしました、守秘義務に対応するものであります。
 一方、後半の部分の行為は、同じく3の(2)のウの後半部分に記載いたしました、裁判の公正さに対する信頼を損なうおそれのある行為の一類型であると言えると思います。例えば、審理が終了してもいない段階で、裁判員が公に、「この事件は有罪だと思う」とか、逆に、「この被告人は無実だと思う」というような発言を行うことは相当ではなく、裁判に対する一般の信頼を著しく損なう行為に当たるのではないかということであります。
 7の(3)は、裁判員等に対する不当な働きかけを処罰するため、裁判員等に対する請託等の行為を処罰するものであります。やはり、裁判の公正及びこれに対する信頼を保護しようとするものです。
 内容は、二つからなっております。アは、裁判員及び補充裁判員に対して、その職務に関し、請託を行った者を処罰するものです。イは、事件の審判に影響を及ぼす目的で、裁判員又は補充裁判員に対し、その担当事件に関する意見を述べた者と、その担当事件に関する情報を提供した者を処罰しようというものです。
 「担当事件に関する意見を述べる行為」としては、例えば、「被告人は無罪だと思う」、「被告人は死刑にすべきだ」などと判決主文に関して直接的な意見を述べる場合のほか、「被害者の供述は信用できない」などと証拠の評価を述べる場合などが考えられます。また、「事件に関する情報を提供する行為」としては、「本件には警察も知らない目撃者がいる」とか、「被告人は反省していて毎日読経している」というように、発言者の評価・意見に至らない情報を伝達する場合などが考えられます。
 なお、賄賂罪につきましては、裁判員は、刑法第7条第1項にいう公務員に当たり、刑法の賄賂罪の適用があることとなると思われます。
 7の(4)は、裁判員、補充裁判員やその親族らに対する威迫行為を処罰するものであります。
 裁判員等に対する威迫行為は、(3)の請託等と同様、裁判員等に対する不当な働きかけであることから、これを処罰対象とするものであり、やはり、裁判の公正及びこれに対する信頼を保護しようとするものです。また、威迫行為は、同時に、個々の裁判員等の個人的平穏ないし自由に対する侵害行為でもあると思われますので、その保護を図るものでもあります。
 イは、アの威迫罪の加重類型を設けるという案であります。組織的犯罪処罰法第7条には、証人等威迫罪が組織的な犯罪に関して犯された場合の加重処罰規定が設けられておりますが、裁判員等に対する威迫についても、この種の威迫行為が、組織的な犯罪に関連して行われることが多いと思われること、及びそのような場合の害悪は特に重大であると思われることを考慮し、組織的犯罪処罰法にいう「組織的犯罪」として行われた罪に係る事件を担当する裁判員等に対して、威迫行為が行われた場合の処罰を加重するという案であります。
 7の(5)は、裁判員候補者の虚偽回答に対する制裁であります。
 まず、アは、裁判員候補者が、質問票や質問手続において、虚偽の回答をし、又は正当な理由なく質問に答えなかったときに、過料の制裁を科すことができることとするものです。先に御説明した裁判員候補者の回答義務が遵守されるようにするためには、その違反に対し秩序罰の制裁を科す必要があるのではないかとの考えに基づく案であります。
 イは、積極的に虚偽回答をした裁判員候補者については、刑事罰を科すこともできるものとするものであります。
 8は、「裁判員の保護及び出頭確保等に関する措置」についてであります。
 (1)は、「裁判員等の個人情報の保護」です。
 欠格事由等や、理由付き忌避、理由を示さない忌避に関する判断を適切に行うためには、裁判員等の個人情報を把握することが必要となりますが、一方では、それら個人情報は十分に保護する必要があると考えられます。
 そのような観点から、アは、訴訟に関する書類であって、裁判員等の氏名以外の個人情報が記載されたものは、公開しないとするものであります。訴訟に関する書類には、裁判員等の氏名のみならず、その生年月日、住所、職業等の個人情報が記載されることが考えられるところ、訴訟記録は、当事者の閲覧に供されるほか、事件確定後は、刑事確定訴訟記録法の手続に従い、一般にも公開されるのが原則となります。しかしながら、これらの個人情報は、専ら裁判員等の選任を適正に行うために収集・記録された情報ですから、裁判員等の選任の適正を期するために当事者に開示する場合以外に、公開する必要性は必ずしも高くなく、特に、その氏名以外の個人情報については、プライバシーとして保護する必要性が高いという考えによるものであります。
 イは、同様の考えによりまして、何人も、裁判員等の氏名、住所その他のこれらの者を特定するに足りる事実を公にしてはならないとするというものであります。
 8の(2)は、「裁判員等に対する接触の規制」であります。
 司法制度改革審議会意見が「裁判員の職務の公正さの確保のためにとるべき措置についても更に検討する必要がある」としていることを踏まえ、裁判の公正及びこれに対する信頼の確保のために、裁判員等に対する接触を一定範囲で規制することとするものです。
 アの前半は、「何人も、裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする。」というものです。現に職務に就いている裁判員又は補充裁判員に対して、その担当事件に関して、手続外で接触することは、請託や威迫、情報提供などを目的とする場合は、もちろん裁判の公正を害する行為でありますが、仮にそのような目的を有しない場合であっても、その心証形成に影響を及ぼす可能性がありますし、そうでなくても、国民一般から見れば、裁判員等が法廷外で事件に関する心証を得たのではないかとの疑いを生じさせる行為であり、裁判の公正に対する信頼を損なう行為であるとも考えられます。また、担当事件に関し、裁判員等に接触する行為は、その生活の平穏を害するおそれがあり、そのような行為が許されるとすると、広く一般の国民が裁判員となることをためらわせることとなるおそれもあるとも考えられます。そのような考え方に基づきまして、裁判員等に対して、その担当事件に関して接触する行為を規制しようというものであります。
 アの後半は、「何人も、知り得た事件の内容を公にする目的で、裁判員又は補充裁判員であった者に対して、その担当事件に関し、接触してはならないものとする。」というもので、裁判員等であった者に対する接触の規制であります。例えば、裁判終了後に、裁判員等であった者が、その経験から得た感想等を述べることは、裁判員制度、ひいては刑事司法制度に対する国民の関心と信頼を高めることに役立つものでありますから、担当事件に関し裁判員等であった者に対する接触を一般的に規制することは適当でないと考えられます。しかし、裁判員等であった者が、担当した事件の内容を公にすることは、事件終了後であっても適当ではないとも考えられます。裁判員や補充裁判員となった者は、法廷で取り調べられた証拠を通じ、その担当事件の内容を知ることとなるわけでありますが、その中には、関係者のプライバシーに深くかかわる内容も含まれているのが通常であります。裁判員等となった者は、あくまで、その職務を果たすために必要であったからこそ、そのようなことを知ることができたにすぎず、職務と関係のないところで、そのように知り得た内容を公にすることが許されるわけではないのではないかと考えられます。それは、その内容が秘密に当たる場合はもとより、そうでない場合も、同様ではないかと考えられます。そうだとすると、「知り得た事件の内容を公にする目的」で、裁判員等であった者に接触することも規制されてしかるべきだとも考えられます。アの後半は、このような考えによるものであります。
 次のイは、裁判員等に接触すると疑うに足りる相当な理由があることを被告人の保釈不許可事由及び接見等禁止事由とし、裁判員等に接触したことを被告人の保釈取消事由とするものであります。刑事訴訟法第89条や第96条は、被告人が証人等に加害行為等をするおそれがあることを保釈不許可事由とし、加害行為をしたことなどを保釈取消事由としております。ただ、証人等の場合とは異なり、被告人が、裁判員と接触をすることが許されてしかるべきといえるような正当な理由はなく、審判に影響を及ぼす目的と考えられることから、接触行為自体を保釈不許可事由等とするのが相当ではないかとの考えによるものであります。
 8の(3)は、「裁判の公正を妨げる行為の禁止」に関するもので、内容は二つであります。
 アは、「何人も、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめる行為その他の裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならないものとする。」というもので、裁判の公正を妨げるおそれのある行為を一般的に規制するものであります。
 イは、「報道機関は、アの義務を踏まえ、事件に関する報道を行うに当たっては、裁判員、補充裁判員又は裁判員候補者に事件に関する偏見を生ぜしめないように配慮しなければならないものとする。」というものであります。
 事件に関する報道は、もとより、国民の知る権利の観点等からして重要な役割を担うものでありますが、その一方で、その在り方によっては、事件に関する偏見を生ぜしめる可能性があることも否定できないところであると考えられます。そこで、報道機関が、他の者と同様にアの義務を負うことを踏まえ、事件に関する報道に当たっては、偏見を生ぜしめることのないよう配慮を求めるというものであります。この点に関しては、検討会でも、同趣旨の御意見が述べられたところであり、これを踏まえたものでもあります。
 なお、このたたき台におきましては、8の(1)ないし(3)に記載した規制につきましては、いずれも、罰則を設けるものとはしておりません。
 8の(4)は、「出頭の確保」ということで、裁判員等が出頭しやすい環境をつくるための措置に関する項目です。裁判員制度の円滑な実施には、裁判員候補者及び裁判員になった国民の出頭が確保されることが不可欠の前提であり、出頭しやすい環境づくりは非常に重要であると思われます。この点につきましては、これまでの議論におきましても、そのための配慮・措置が必要との御意見があったところであります。
 アは、「何人も、他人が裁判員となることを妨げてはならないものとする。」というものです。裁判員になることは、法律に定められた義務であり、公の職務ですから、何人も、これを妨害することは許されないことは当然であるとも思われますが、そのことを明示することにより、個々の裁判員等が職務を行うことに対して生じ得る様々な障害をできるだけ少なくし、その出頭を容易にするという効果が期待できるのではないかという考えによるものであります。
 イは、「労働者は、その事業主に申し出ることにより、裁判員の職務を行うために必要な範囲で休業すること(裁判員休業)ができるものとする。事業者は、労働者からのこのような裁判員休業申出があったときは、その申出を拒むことができない。」というものであります。裁判員制度は、広く国民に参加を求める制度でありますから、職業を持っている人も参加しやすい制度とする必要があります。そのような観点からは、職業を有している国民が、裁判員の職務を行うために必要な範囲内で休業することを可能とする仕組みが設けられれば、有効な措置となり得るものと思われるところであります。
 現行制度においては、労働基準法第7条が、「使用者は、労働者が労働時間中に、選挙権その他公民としての権利を行使し、又は公の職務を執行するために必要な時間を請求した場合においては、拒んではならない。」と定めており、例えば、証人としての出廷や検察審査員の職務は、ここにいう「公の職務」に該当するものと考えられているようであります。裁判員の職務を行うことも、同様に考えることができるとも思われますが、たたき台では、裁判員としての職務が、事件によっては、ある程度継続することが予想されることにも配慮して、新たな制度を設けることも考えられるのではないかという観点から、イに記載した案を考えてみたものであります。
 そして、そのような休業の制度を実効的なものとするために、事業主に対して、不利益な取扱いをしてはならないという義務を課すことも考えられることから、ウの案を考えたものであります。
 もとより、このイやウのような休業の制度は、種々の意味で、事業主に負担をかける制度でありますことから、事業主の負担の点も考慮に入れた十分な検討が今後必要であると考えており、御議論をいただければと思います。
 非常に長くなりましたが、以上であります。

○井上座長 ありがとうございました。大分長い説明で、また広範囲で内容的にも重大な事柄ですので、お聞きになっていてお疲れになったと思いますけれども、まず、今の御説明をも踏まえ、たたき台の内容につき御質問があればお伺いしたいと思います。たたき台はかなり大部なものですので、細かな点について、すべて、今、質問をいただいて答えていただくというのは時間的にも無理だと思いますので、そういう点はそれぞれの事項についての御議論の中で、また適宜開陳していただき、事務局の方にもその議論に参加してもらうという形でやらさせていただければと思います。
 差し当たりこの段階で、どうしても確認しておきたいという点がございましたら御質問いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

○大出委員 内容でなくてよろしいですか。内容にかかわるといえばかかわりますが。事務局に大変な御苦労をいただいて、これだけのものをまとめていただいた点について感謝申し上げますが、これは当然こうなるということが予想されたわけですが、今、座長もおっしゃったように、議論にはかなり時間を要することになろうかと思うんですね。どういう議論の順序でいくのかということと、それから、これはもちろんやってみなければ分かりませんけれども、当初予定されていた時間の範囲で、全体について、制度設計に必要な十分な議論が可能なのかどうかというあたりについては、正直申し上げて、私としてはどうも足りないのではないかという印象を持っていますので、第2ラウンドと言われる一通りの議論で、我々としては、一体どこまでこの議論を詰めるということになるのか、その辺についての見通しといいますか、何かお考えがおありでしたら、とりあえずお伺いしたいのですが。

○井上座長 事務局の方はどう考えておられますか。

○辻参事官 まず、議論の順序ということですが、とりあえずはこのたたき台の順に従って御議論いただくのがいいのではないかという感じでおります。それから、時間の点につきましては、御指摘のとおり、やってみていただかないとちょっと見通しがつかない部分もございますので、その結果、時間が足りないということになれば、そこはまた改めて御相談させていただくということは当然あり得ることだと思っております。
 次に、第2ラウンドでどこまで詰めるのかということにつきましては、仮に、たたき台の順序で御議論いただくとして、各論点につきまして、第2ラウンドの議論の時点で、直ちに、ここはこうですね、あそこはこうですね、ととりまとめのようなことをするのは余り適当ではないのではないかという感じでおります。当然、一通り議論した後、その後の進め方を考えないといけないわけですけれども、その点は、また、議論の進みぐあいとか、内容を踏まえまして、事務局でも考えたいとも思いますし、御協議いただくということにもなるのではないかと思っております。

○井上座長 私も大体同じように考えています。この先の進め方をどうするかについては、いずれ適当な時期に御相談しなければならないと思っていますが、当面の議論の順序は、前回、前々回と同じように、一応たたき台の順序に沿って議論をしていただくのが適切ではないかと考えています。
 ほかにはございませんか。よろしいですか。
 それでは、大分時間が経ちましたので、ちょっとブレイクを入れさせていただきたいと思います。

(休 憩)

○井上座長 それでは、再開させていただきます。これから中身の議論をしていただくわけですけれども、先ほども申し上げましたように、たたき台の項目に沿って議論を進めていくということにさせていただこうと思います。また、前回にも申したのと同じですが、たたき台の項目について、関連して議論すべき事項があるということでしたら、それぞれの項目についての議論の最後のところで御意見をいただきたいと思います。まずたたき台に示されている事項について議論をしていただき、それ以外にこういうことも議論するべきではないかということがありましたら、最後の部分でそれを出していただければと思います。
 たたき台の趣旨については、これも、先ほど、辻参事官の説明の冒頭でも触れられましたし、前々回の検討会でも確認させていただいたとおりでありますけれども、これまでの検討会の議論において意見が分かれたような論点については、複数の選択肢を掲げてもらっていると理解しておりますし、また、今後の本検討会における議論は、このたたき台に記載された範囲に限定されるものではなく、例えば、ある論点について、二つないし三つの案が掲げられていたとしても、それらとは異なった案を提案するということは可能ですし、たたき台に取り上げられた論点以外の論点についての意見を述べることももちろん可能だというのが、皆さんの了解だったと思います。そういうことを念頭に置きながら、活発に御発言いただきたいと存じます。
 まず、項目1「基本構造」の「(1) 裁判官と裁判員の人数」の部分から議論を始めたいと思います。
 まず「ア 合議体の構成」についてですが、たたき台ではAとB、二つの案が示されております。この点は、第1ラウンドの議論においても様々に意見が分かれた点ですし、先ほど事務局から説明がありましたが、A案、B案以外の考え方も当然あるだろうと思いますので、必ずしも、ここではAとBのいずれに立つかということにこだわる必要はないのではないかと思われます。ただ、御自由に議論してくださいということになりますと、おそらく、第1ラウンドと同じように、議論の仕方も様々な形で御発言がなされるかもしれず、そういうことでは議論の焦点がぼやけてしまうのではないかと思われます。この構成の問題は、基本的に、裁判官の人数を何人にするのか、裁判員の人数を何人にするのかという問題であろうかと思われますので、まず、順序としては、裁判官の人数をどのくらいにするのかという点から御意見をいただき、それを踏まえて裁判員の人数についてどのくらいにすればいいのかという形で御議論いただければと思います。
 裁判官の人数につきましては、これまでの議論では、現行の合議体と同じ3人とすべきであるという考え方と、裁判員の加わった合議体においては、裁判官は必ずしも3人までは必要でなく、一人でよいのではないか、あるいは二人でよいのではないかという考え方が示されております。
 なお、本日、御欠席の清原委員からは、お手元にありますように書面で意見が提出されておりますことを付言させていただきます。
 それでは、まず、裁判官の人数について、どのくらいの人数とすべきなのかという点から御議論いただければと思いますが、どなたからでも結構ですので。

○四宮委員 私は、前回も、裁判官は3人でなくてもいいのではないかと申し上げました。今日も同じ意見を申し上げたいと思います。裁判官は原則として一人、これはベテランの判事ということですけれども、一人でいいのではないか。場合によっては、二人ということもあり得るのかもしれません。
 その理由ですけれども、今度の裁判員制度の趣旨の一つは、専門家である裁判官の知識・経験というものと、国民の健全な社会常識という双方を裁判に反映させようということですね。その知識と経験ということからすれば、一番ふわさしいのはベテランの裁判官であろうと思います。
 知識と経験というものが裁判官によって様々なのかというと、それは日本の裁判官システムを考えれば、そうではないだろうというふうに思います。前回、私の意見に対しての批判として、裁判員裁判にならない法定合議事件というものが残った場合に、それは3人の裁判官で法律問題を議論することになる。ところがより重い裁判員事件では、一人ないし二人というのはバランスが悪いという意見がありました。
 ただ、合議かどうかというのは罪の軽重によって決められますし、今度、裁判員裁判になるのかどうかも、重大事件ということですから罪の軽重によって決められるわけですけれども、他方、法律問題というのは必ずしも罪が重ければ法律問題も重大で、罪が軽ければ法律問題も軽いということではないわけですね。例えば、死刑事件を考えても、法律問題がほとんどない事件というのはいくらでもあるわけです。あるいは単独事件を考えても、非常に難しい、あるいは前例もない法律問題を含む単独事件というものもあるわけで、単独事件か合議かということで、法律問題の軽重、難易があるわけではないと思います。また、法律問題は、最終的には高裁、最高裁を通じてコントロールされていくわけで、法律問題に関してはレビューが当然に予定をされているということも理由の一つとして挙げたいと思います。
 そういう意味で、私は、原則は、裁判官は一人という意見ですけれども、指揮をする人と、裁判官としての知識・経験に基づいて意見を述べる人というものを分けるということは理由があるかもしれませんので、裁判官の人数が二人ということもあるかもしれません。いずれにしても、3人である必要はないのではないか。現在の合議体の構成にこだわることなく、新しい合議体を考えたらどうかと考えます。

○池田委員 第1ラウンドの議論のときも話したと思うのですが、裁判官の数については現状どおりが相当ではないかと思います。今、四宮委員は裁判員制度の趣旨をおっしゃいました。それは改革審の意見書にもあるとおりですが、今回の裁判員制度というのは、法律家である裁判官だけでやっていた裁判を、裁判員を入れることによって変えて裁判をしようということではなくて、法律家である裁判官の知識・経験と、非法律家である裁判員の知識・経験と両方を合わせて、今よりいいものにしていこうという制度なわけで、そういうところから考えると、裁判員制度の趣旨は、今の制度で3人の裁判官でやっていた裁判について、裁判官の人数を減らすという理由にはならないのではないかと思います。
 法律論については、確かに事件の重みと法律の解釈の問題点の大きさというのは、必ずしも即応はしません。しかし、単独事件でやっている事件でも、法律上難しい問題点があるものについては、裁定合議として裁判官3人でやるようになっているわけです。それから、大きな事件については、違憲立法審査に絡むような問題だってあるわけで、そういうようなものを一人だけの法律家でやれば足りるというのはちょっとどうかなという気がいたします。そのようなことから、裁判官の数は3人というのを維持すべきではないかと思います。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。

○酒巻委員 私は四宮委員の御意見には反対であり、池田委員の述べられた、現在の法定合議事件における裁判官3人という員数はそのまま維持すべきだという御意見に賛成です。理由は、この新しい制度の趣旨にかかわります。四宮委員の御意見、つまり現在の3人の職業裁判官を減らすことができる、減らしても構わないのだという考え方の基礎には、職業裁判官と、無作為に抽出される一般国民の方は裁判をするについて基本的に交換可能であるという発想があるのだろうと思うのです。

○四宮委員 いや、そうではないです。

○酒巻委員 論理的にはそうなるのだと私は思うのです。私は、この部分も含めてすべてそうですけれども、池田委員が述べられたとおり、審議会意見書が考えている裁判員制度の本旨は何かというところから出発しなければならないと思います。私の理解するところでは、意見書の趣旨は、職業裁判官と一般国民から選ばれた裁判員は全く同質のものであり、裁判という仕事をするについて交換可能だという考え方に立っているのでなくて、現在存在している刑事裁判制度に新たな要素である「健全な社会常識」、「社会常識」という言葉で象徴されている一般国民の方を付け加えて、今とは違う新たな裁判体を構成しようという考え方だと思います。
 このような考え方を出発点にすると、対象となるであろう重大事件、法定刑の重い事件については、現在の裁判制度は一人の職業裁判官ではなく、職業裁判官3人でやるという制度をとっているわけですから、そこを動かすのではなくて、これに加えて一般国民の方が関与するという構造になるのが意見書の趣旨に則した在り方だろうと考えます。

○四宮委員 酒巻委員が、私が裁判官の数は3人にこだわらなくていいのではないかと言っているのは、裁判官と裁判員は同質で交換可能だということを前提にしているのではないかとおっしゃいましたが、それは誤解です。最初に申し上げたように、意見書が言っている趣旨、つまりプロである裁判官と国民の裁判員とがそれぞれ持っているものを持ち寄って、という前提は同じです。ただ、だからといって、今の裁判官による合議を所与の前提として新しい裁判体を構想しなければいけないかというと、私はそうではないのではないかということを申し上げたわけです。つまり、池田委員も、酒巻委員も、酒巻委員は新たな裁判体をつくるのだということはおっしゃっいましたが、お二人とも、前提として、今の裁判官の裁判に何かを加えて、新たな裁判体を構成するという発想が意見書の発想だとおっしゃったわけですが、本当に意見書の発想はそうなのかということなのです。
 確かに、私も、今度の裁判員制度は、今の刑事裁判あるいは刑事裁判体に問題があるということで導入されたのではないということは皆さんと同じ意見です。でも、そうであるからといって、今の3人の刑事裁判官、プロの裁判官による合議体を前提にしてそこに何かを加えるという発想になるかというと、そうではないのではないかと思うのです。今日、清原委員の意見を拝見しましたけれども、その点は、清原委員もおっしゃっているように、意見書は、むしろ国民が自律的に責任を持って裁判を担っていくのだという発想に立っているのだと思います。国民が裁判を担う、それにプロの裁判官がどういう貢献をしていくか、どういうふうに一緒になって仕事をしていけるかという発想ではないかと、私は意見書を読んでおります。
 だとすると、必ずしも今の3人の裁判官の合議体を前提にそこから出発しなくてもいいのではないかという趣旨で申し上げたわけです。

○井上座長 確認させていただきたいのですけれども、新たなものでいいのだということは分かるのですけれども、今と比べた場合に、職業裁判官が今よりは少なくていいのだというのは、今、最後におっしゃった点が理由なのですか。要するに、国民が自律的・主体的に裁判に関与するというところが中心の部分で、それを裁判官が助けるということを審議会の意見書は言っていると理解されており、そうだとすれば、そういう形でいいのではないかということでしょうか。

○四宮委員 そうですね。少なくていいというふうにおっしゃられると、何か基準より満たしてないみたいに聞こえますけれども。

○井上座長 今と比べてということです。

○四宮委員 そういう意味です。国民が主体的・実質的に担っていく裁判体というものを考えたときに、それに貢献するプロの裁判官というのはどのような数、あるいはどのように貢献するのかというふうに発想すべきではないかと申し上げたわけです。

○井上座長 その点での意見書の趣旨の読み方については、異なった意見もあり得るところだと思いますが、御意見の趣旨は分かりました。

○髙井委員 結論的には、裁判官の数は3人でいいと考えています。一巡目の議論の際に、場合によったら二人ということも考えられるという意見も申し上げたと思うのですが、3人がいいと思います。理由は、裁判員と裁判官には役割分担があり、合議体の構成員として、裁判員が増えるわけですけれども、それは、事実認定のところで機能するということで意見が大方一致していると思われます。そうすると、法律の解釈とか、手続の進行とかは裁判官がやるということになっているわけです。同じような作業は現行制度でもあるわけでですが、現行制度にある二つの要素のうち一つだけを裁判員が加わって担うということになっていくわけですから、残りの法律解釈あるいは訴訟手続上の判断、そういう純粋にプロの裁判官がやるという世界において、現在3人でやられているものを一人にする、あるいは二人にするという理由はないだろうと思います。
 仮に、逆に一人の裁判官のみで、法律解釈や訴訟手続上の判断が決まっていくということになると、裁判官も均一ではなく、一定の幅があるわけですから、これは、かえって、制度として不安定であり、むしろシステムとしてはマイナス面が強過ぎると思います。
 それから、法の解釈の難しさについては、事案の軽重とは関係ないではないかという御意見があるわけですけれども、確かに法の解釈の困難性、難易の程度と事案の軽重は関係ないといえばそのとおりなんですが、しかし、法の解釈が適切になされなかった場合、あるいは手続の進行が適切になされなかった場合のデメリットというのは、重い事件の方が大きいわけですから、そういう意味で連動していると考えるべきだろうと思います。もう一つ、改革審の意見は、裁判官と裁判員が協働して行うというのが一つの基本だろうと思いますが、協働して行うということは、立場が対等であると同時に、人数においても余りの懸絶がないということが必要だろうと思うのです。そのように考えると、裁判官が一人であるとなると、逆にいうと、裁判員の数も少なくせざるを得なくなってしまってかえっておかしな話になりはしないかと思います。
 もう一つ、裁判員制度が憲法違反かどうかという問題がありますが、裁判官の裁判でないと基本的には憲法適合性を肯定するのは難しいのではないかと思われます。そうなってくると、最終的には裁判員と裁判官の数のバランスということも考えなくてはいけないわけで、そういう観点からも、裁判官は一人では少な過ぎ、やはり3人が望ましいと思います。
 それから、複数の中でなぜ3人になるかということなのですが、これは昔から3人よれば文殊の知恵と言って、二人よりは3人の方がバランスがいいかということです。やはり二人で議論していると煮詰まってしまうということもよくあるわけですし、3人の方がいいかなという判断です。以上です。

○大出委員 私は、裁判官3人というのは、もちろんあり得る数字だと思いますけれども、さっき四宮委員がおっしゃったことも理由があるところだと思うわけです。裁判官3人という意見をお伺いしていますと、現在の合議体における裁判官の数が3人であるということが前提になっているとお考えのようなのですけれども、新しい裁判員が加わっての裁判のありようということを考えたときに、意見書をどう読むかはともかくとして、現在の合議体における裁判官の数を前提にしなければいけないということはないということで考えてみる必要があると思うのです。そうしたときに、裁判官が3人ということが、どこまで積極的な根拠を持っているのか。
 今、髙井委員がいろいろとおっしゃいましたけれども、しかし、先ほど四宮委員もおっしゃったように、法律問題については、事件の軽重ということとは直接かかわりない部分というのは大きいわけです。現に、今の裁判所も単独事件を相当やっておられるわけですね。それで、もちろん問題がないということはないのかもしれませんけれども、基本的には、現に裁判所が単独事件で処理しているケースは、むしろ合議事件より多いかもしれないと思うわけで、そこで安定性が欠けているということにはなってないのだと思います。そういうことで考えたときに、そのこと自体が直ちに裁判官を3人とすべきという考えを積極的に根拠付ける理由にはならないのではないか、と私は思います。
 私も、酒巻委員が言ったように、裁判員が裁判官に取って代わり得るのだとは考えていないわけで、ですから、裁判員制度では現に裁判官が合議体に入っているわけです。つまり、陪審であれば、最終的な評議には裁判官は加わらないわけですけれども、裁判員制度の場合には裁判官は加わっているわけですから、裁判官を全く排除するいう発想で議論しているわけではないわけで、そこはやはり裁判官と裁判員とが協働するということは当然の前提になっているわけです。そのように考えたときに、どの程度の数の裁判官が必要なのかということは、全体として十分合理的に機能するような裁判官の数はどの程度かということで考え直してみるということは当然あってしかるべきだと思うわけです。
 そういうことからすれば、私は、先ほど四宮委員がおっしゃったように、訴訟指揮をすることは多分裁判官にお任せするということが必要になってくるだろうと思いますし、訴訟指揮をする、あるいは司会者的な役割を果たすという場合には、専門的な意見はなかなか言いにくいというようなことがあるかもしれませんから、裁判官をもう一人加えるというようなことはあるかもしれません。しかし、それを超えてさらに裁判官を3人にするというのは、現行制度がそうだからというだけで、それ以外の根拠が必ずしも明確ではないというような感じがします。そういう意味では、二人ぐらいというような線は十分あり得るのではないかと思っています。

○井上座長 3人もあり得るけど、二人もあり得るということでしょうか。

○大出委員 つまり3人ということもあるかもしれませんけれども、それが本当に積極的な意味をどこまで持っているのかということについて、私はちょっと疑問があるということです。

○井上座長 結論としては、まだ決まってはいないということですか。

○大出委員 二人というのが好ましい。

○酒巻委員 私の意見を、現行制度で裁判官が3人だから、裁判員制度のもとでも裁判官は3人がいいと言っていると受け取られたとすると、それは誤解です。むしろ私の方からお聴きしたいのは、原則は裁判官が単独で審理することとされているにもかかわらず、法定刑の重い重大な事件については裁判官3人の合議体で審理するとしている今の制度から、新たに一般国民から選ばれた人を付け加えて裁判体を構成するときに、なぜ、裁判官の数を3から、2や1に減らすことができるのかということです。そのような考え方は、職業裁判官と一般国民の方は裁判を行うについて完全に代替可能であるということを前提にしなければ出てこない理屈ではないかと思うのです。
 しかし、意見書の構想する裁判員制度というのはそういうものではないでしょう。裁判官と裁判員は違うものであるという前提に立った上で、現在の刑事裁判を新たなものに変えるために、裁判員の方の付け加わった裁判体を構成しようというものだと思うわけです。そうすると、職業裁判官は一人又は二人でよいという御意見に対して、プロフェッショナルが構成する部分をなぜ減らすことができるのかという疑問が生じてくる。それを論理的に説明するには、結局、職業裁判官と裁判員は交換可能だという考え方を前提にしなければならないと思うんです。しかし私は、職業裁判官と一般国民が異なったものであることは明らかであり、したがって裁判官と裁判員の役割が全面的に交換可能であるとは考えていませんから、裁判官の数は3を維持するという線がむしろ意見書の趣旨に沿ったものだと思うのです。

○大出委員 一言だけちょっと。交換可能かどうかという問題を余り議論しても生産的でないという気がするのです。つまり、具体的に先ほど申し上げましたように、裁判官すべてを排除しろということを申し上げているわけではなく、現に裁判官はいるわけですから……。

○井上座長 酒巻委員の質問は、何で減らせるのかということなんです。簡単に言うと。

○大出委員 もちろん裁判員が入るわけですから、その一人が、つまり量的な形ではかれる性格の問題かどうかという問題ですよね。裁判官二人はいるわけですから、その一人が裁判員によって取って代われたからといって、それは何も交換可能だから取って代えたということではなくて、それはトータルな意味で、健全な社会常識を反映した裁判体としての判断ができるかどうかという問題ですから、私は、プロが1名いるかいないかという問題ではないと思うのんです。

○井上座長 そこはお二人で見方が違っているということだと思いますね。どうぞ。

○本田委員 私も裁判官は3名が適当であると考えます。今までの議論で出ましたように、今回の裁判員制度の導入というのは、現在の職業裁判官による裁判が正常に機能しているということを前提に、非法律家である裁判員を加えることによって、国民の司法に対する理解を深める、あるいは支持を深め、そのことで、刑事司法により強固な国民的な基盤を得るのだというのが審議会意見の基本的な考え方です。こういうことから考えると、まず、少なくとも法定合議事件は、現在、3人の裁判官でやっているわけですが、3人の裁判官でやっていることが正常にそれなりに機能してきたことが前提になっており、これを否定する理由はないと思われます。対象事件が、法定合議事件となるのか、あるいは、そこから更に絞られるのかもしれませんが、そのようなことを仮定して考えた場合には、より重い対象事件を審理する裁判所の裁判官を現在よりも少なくして、より軽い事件を審理する裁判所の裁判官の方がより多くなるという理由は一体どこにあるのか。今回の裁判員制度の導入は、職業裁判官に代えて裁判員を入れるのでなく、職業裁判官の裁判体に裁判員を加えるという発想であり、それで両者が協働するという発想ですから、そういう観点からすると、裁判官の数を減らす理由は何もないのではないかと考えます。
 もう一つは、先ほどから出てきていますが、法律解釈とか訴訟手続上の判断は、従来どおり、裁判官によって行われるということになるのでしょうから、そこで裁判官の数を減らすという理由は一体どこにあるのだろうかと考えると、減らさなければいけない理由は何もないはずです。
 先ほど、四宮委員から、今回の改革の趣旨に関し、国民が自律的に裁判を担い、裁判官がそれを助けるという御発言があったのですが、果たしてそうなのかという疑問を感じます。裁判員の主体的関与ということについて、改革審意見はそうは言ってないはずです。裁判官が主体的、実質的に関与することを確保するため、質問権を認めたりというようなことをして、裁判官と対等の地位を与えようではないかということを言っているのであって、あくまでも、現在の裁判制度に社会常識を反映させるために裁判員を加えましょうという趣旨を端的に考えれば、裁判官を現在の3人から減らす理由は何もないと思います。

○平良木委員 同じ意見になってしまうのですけれども、私もほぼ同じことを考えております。現在の制度での裁判体が、裁判員を導入することによって、おそらく、単独裁判官の裁判体と、裁判官3人の合議体と、裁判官3人の合議体プラス裁判員という三つの形が想定されているというか、そのような制度になるだろうと思われるのですが、そのときに、先ほどと同じように対象事件をどうするかということとの絡みがありますし、それから、もう一つ、これも先ほど出てきましたけれども、裁定合議は一体何人で行うのかというと、結局3人で行うということになるだろうと思われます。裁定合議を二人制でやるというのはちょっとおかしい。3人とすべきであるということになると、今、本田委員が言われたように、より重い事件について職業裁判官が減って、そうではなくて、それよりも軽いと思われる事件について、職業裁判官が多くいるということになりますが、これは本末転倒ではないかと思います。我々は、裁判体の人数をどうするかという場合には、これは裁判体の充実を図るという目安に、職業裁判官の数をまず決めて、そして次に裁判員の数で決めるというように考えていくのが、私は筋ではないかと思います。そういう意味からすると、やはりこの裁判官3人という原則は崩すべきではないと考えます。

○土屋委員 現状から減らすとか、増やすとかという考え方自体に、私はちょっと抵抗があります。現状が決してうまくいってないというのではなくて、現状はちゃんと機能していると思うんですけれども、だけど、それだからといって、現状から出発するのでなくて、国民が加わる刑事裁判の形というのはどうあるべきかというふうに考えるのが筋だろうと私は思っています。私は、裁判官3人はあり得ると思います。
 一巡目で、私は、裁判官一人というのはあり得ないんですかという意見を言いましたが、それは、今の、裁判員制度をどう設計するかという観点に立つと裁判官一人という選択もあるのではないかと思ったからです。現実に外国の裁判所では一人でやっているところもありました。私が見てきたところでもありました。それが決してうまくいっていないとは思えなかったのです。ですから、裁判官一人ということもあり得るのではないですかと申し上げました。
 しかし、その後、いろいろ考えてみると、やはり、違憲立法審査権だとか法律判断だとか、そういうところを考えると、一人というのはかなり無理があるかなというふうに今は思っています。ただ、二人があり得ないかというと、私は二人はあり得ると思っています。制度をどう作るか、どういう制度にするかという観点から考えれば、裁判官二人でいけば法律判断についての複眼的な視点も確保できるでしょうし、訴訟の進行という意味でもうまく機能するのではないかと思われます。要は、全体としての、裁判員を加えたときにどういう裁判体になるのかということで判断すればいいのだろうと思いますので、私は裁判官の数は二人でも3人でもいいのではないかという気がしています。

○井上座長 職業裁判官の役割とか、そういうことだけでは決まらないという御意見で、裁判員を加えたときの全体で判断すべきだということなのですけれども、その判断する際の視点はどういうものになりますか。そこがよく理解できなかったものですから。

○土屋委員 裁判員との分業、協働関係というのをどう考えるかという話とつながってくる問題だと思うのです。私がいろいろとこれまで述べてきた部分でも、裁判員というのは、かなりいろんな面で意見が言え、表現はどういう表現を使ったらいいのか、ちょっとすぐ思い当たりませんが、そういう裁判の進行全体に対してやはり目配りができるような、そういう制度設計が望ましいと思っているものですから、そういう観点からいくと、私は、裁判員の働く場面というのをかなり広く考えていく必要があろうかなというふうに思っているのです。だからといって、裁判官の領域を狭めろという意味では全くありませんけれども。

○樋口委員 私が意見として申し上げたいと思いますのは、常にそうなんですけど、実務に立脚して、と申し上げたいところなのですが、裁判員の員数については、なかなか、間接的にせよ、そこまでたどり着かないなという感じでございます。としますと、現行の制度を基準にして考えるのではないのかなと思います。私の申します実務というのは、捜査でありますとか、さらにその先には治安の確保があるわけですけれども、このことからいたしますと、これは、手続であり、法律の解釈でありということでございますので、正確性でありますとか効率性を重視する必要がありますので、現行制度との比較で裁判官は3人ということではないかと思います。

○井上座長 一通り御議論いただきましたので、さらに付け加える点があれば出していただくとして、そろそろ次に進んで、また必要ならば戻ってくるということも一案ですが。どうぞ。

○四宮委員 今の裁判をどうしても前提に考えるというお考えは分かるのですけれども、今、例えば樋口委員がおっしゃった捜査、治安の確保ということも、私は、意見書は、むしろ今のままでというよりは、そこも裁判員に担うようになってほしいと考えていると思うんですね。ですから、裁判員がそういったものを担う、担い方について、一体プロの裁判官がどのようにかかわるのかということを議論すべきではないかという趣旨なんです。
 それから、重い罪になると裁判官が減っていくことがそんなにおかしいことかというと、実はそうではなくて、むしろ外国などを見ますと、重大であるからこそ陪審を導入しているという国もあるわけです。つまり、重大だからこそ国民に判断してもらおう、あるいは国民に治安も含めた刑事司法を考え、担ってもらおうという制度を採っている国がいくつかあります。デンマークとかオーストリアは確かそうだったと思いますが、ですから、重い罪を、官が中心的に担っていかなければいけないということではないのではないかと思われ、そして、私は、意見書は、むしろそういうところ、そういう極めて重大なパブリックな部分を国民に担っていってほしいというふうに言っているのだと思うのです。
 それから、裁定合議の点は、裁定合議は裁判官だけでつくる合議ですので、それは私も3人で当然だと思うので、裁判員制度における裁判官が仮に二人だとしても、裁定合議事件を、つまり裁判官だけで行う裁定合議事件を二人にしろという趣旨ではありません。

○井上座長 最後に言われた点ですが、なぜ、裁定合議の場合の裁判官は3人でよいのですか。

○四宮委員 それは裁判官だけでやるからです。

○井上座長 先ほど御意見のあった裁判員制度の場合の裁判官と同じように、裁判官の数が二人とかではだめなのですか。

○四宮委員 それは、少なくとも、今の裁判所法を前提にしますと、裁判官だけでやる場合には、慎重を期すのであれば3人という考え方をとっており、それは一つの合理性があると思いますので、3人でもよいということです。それを二人にしていけないかというと、私はそんなことはないと思います。

○酒巻委員 なぜ法定合議事件を二人に減らして良いのか、それが分からない。

○四宮委員 それは裁判員が入っているからです。

○井上座長 まさにそこが、裁判員を裁判官の代替と位置付けているではないかと酒巻委員がおっしゃる点なのではないでしょうか。この点に関する審議会の意見書の捉え方については、委員の間でかなり差があるように思いますね。1点コメントなのですが、オーストリアとかデンマークの例を挙げられましたが、歴史的な経緯は逆ではないでしょうか。つまり、陪審員制度が先にあって、それを広げていくときにどうするかということで、参審的な形態が入ってきたというのが、その経緯だと思われます。ですから参審的な制度が先にあって、それを前提とした上で、より重いものをという発想ではなかったように思いますが、そこのところの捉え方によって物の見方が違ってくるのではないかと思われるものですから。

○四宮委員 ただ、歴史的にみて、陪審を導入したのは、全部の罪で導入したのではなく、一番重いものについて導入するということだったと思いますけれども。

○井上座長 見方によっては、それに対する反省があったので、次に制度を変えたり拡大するときに参審の制度が入ってきたというのが、歴史的な経緯なのですね。したがって、こうした点をどういう意味合いを持つものとして使うかによって、随分違ってくるということを申し上げただけです。

○大出委員 先ほどから申し上げていますけれども、我々は、何も陪審を作ろうとしているわけでなくて、裁判員制度では裁判官が入ることが前提になっているわけです。ですから、その裁判官と裁判員の協働の在り方としては、先ほど本田委員は実質的という言葉の意味も、ちょっと私の理解とは違う使い方をされたように思うのですけれども、裁判員が実質的に、しかも主体的に裁判に関与するということが求められているわけですから。ということで、裁判官と裁判員の果たすべき役割は確かに違いがあるのかもしれませんけれども、しかし、トータルな意味で裁判員が実質的・主体的に関与して裁判体として機能するということが重要なのであって、そういう意味で、まさに新しい制度を導入すべきだと言っているのはそういうことなので、私も既存の制度は機能してないなんて全く思っていませんが、そういうことでいけば、さっき申し上げたように、一人の単独体で十分機能しているわけですから、そのことも前提に考えるべきだと私は思います。

○井上座長 新しい形態を考えていくべきだという点では、皆さん、そう違ってはいないと思うのです。しかし、四宮委員が「主体的」ということを言われるときは、主になって、中心になってという意味で言われるのですけれども、本田委員は、「主体的」というのはそういう意味ではなく、個々の裁判員が裁判体に主体的・実質的に関与するという意味なのではないかということを指摘されており、そこで意見が分かれたのだと理解しました。
 この論点だけで、ずっと議論をしてもいいのですけれども、一応この点の議論はこのくらいにして、次に裁判員の数を議論していただいて、またその関係で必要があれば戻ってくるということにさせていただきたいと思います。
 裁判員の人数につきましては、たたき台のA案は2ないし3人としているのに対し、B案は9ないし11人と、随分差があるのですけれども、これまでの議論で、考え方としては大きく分けると、裁判官と同数程度が適当という御意見と、裁判官よりもかなり多い人数にすべきだという御意見があったというように思います。このたたき台は、辻参事官の説明にもありましたように、そういう二通りの考え方を典型的な形に落としたものにすぎません。したがって、この数以外の人数も、一つ刻みであり得るわけですので、このA、B二つの案に必ずしもとらわれずに、具体的な人数をどうすべきか、その理由は何なのか、基本的な考え方は何なのかということについて御議論いただければと思います。どうぞ。

○四宮委員 清原委員の御意見を御紹介していただいた方がいいのではないですか。

○井上座長 清原委員の御意見は、書面の形で傍聴の方をも含め配っておりますので、それを皆さんも適宜御参照くださって、御議論いただければと思います。

○酒巻委員 それでは、私の基本的な考え方の筋道を述べさせていただきます。第1ラウンドで述べたことの繰り返しになりますが、私は、審議会意見書の趣旨と、なによりも、そもそも裁判員というのは何をするのかというところから出発して考えるべきだと思っています。裁判員に求められていることは、まさに「裁判」です。具体的には、職業裁判官と協働して証拠に基づく事実の認定と適切な量刑を行うという仕事が求められているわけです。求められているこの仕事・協働作業にふさわしい合議体全体の数はどうあるべきかをまず考える必要がある。それから、先ほど私が意見として申し上げた、現在の3人の裁判官に新たに一般国民の方が付け加わって新しい合議体を作るということも踏まえて考える必要がある。
 このような観点から、結論を先に申しますと、新たに構成される裁判体・合議体全体の人数が余り大きいものでは、意見書の提言する趣旨は実現できないというのが私の意見です。この意味で、全体の人数は、ワイド型ではなくて、コンパクトなものにすべきであると考えます。更に詳しく言いますと、意見書は裁判員裁判について、二つの基本的なキーワードを述べています。一つは「評議の実効性を確保する」という要素であり、もう一つは、裁判員が「主体的・実質的に裁判内容の決定に関与する」という要請です。
 評議の実効性という観点、裁判員の方々の主体的・実質的な関与という観点、いずれの観点からいっても、裁判体全体の人数、合議体の人数が大き過ぎると、これらの要請を満たすことは困難だと考えます。
 評議というのは、先ほど述べたとおり、合議体として、法廷に提出される具体的な証拠に基づいて、それを評価して事実を認定するという作業の集積です。このような作業を行うに当たり、職業裁判官と一般国民たる裁判員とがお互いに緊密・濃密な議論をすることができるというのが、まさに評議の実効性だと思います。余りにも多人数では、そのような緊密な議論はできないであろう。じっくりとお互いの意見を言い合って、場合によっては、最初に思っていた意見も、相手の意見を聞いて変わるかもしれず、あるいは第三の意見が出てくるかもしれないというような形での緊密な議論をするためには、全体の人数があまり多くては困難だ思います。
 審議会の意見書は、やはりキーワードとして、裁判官と裁判員との間の「相互のコミュニケーションによる知識・経験の共有」というプロセスに意義があるのだと述べております。これは、評議という場が、密度の濃い、お互いが完全に自由に意見を言い合って議論をする、そういう場でなければいけないということにつながると思います。その観点から人数は多くない方がいい、コンパクト型がよいと考える次第です。
 次に、裁判員が、主体的・実質的に関与するという観点です。この点について私がとくに注意しなければいけないと思うのは、主体的・実質的な関与が求められているのは、裁判に関与する個々の個人としての国民であるということです。 裁判員の各人それぞれが、重大な責任を持って、主体的・実質的に関与するということであるということです。言い換えますと、一般国民のグループが、集団として影響力を持つということではない。無作為抽出で選ばれた人々が、それぞれの個人が、今まで生きてきた経験や知識を働かせて主体的・実質的に意見を述べ、死刑事件を含む重大事件における刑事被告人の運命を決する判断に関与するということが、審議会意見のいう主体的、実質的な関与ということの意味でありますから、そうだとすると、やはりこれも、余りにも大きな人数、全体の人数が多い場合には、じっと黙っている人が出てくるとか、あるいはしゃべりたい人だけがしゃべっているとかというような形になってしまいかねず、個人が主体的・実質的に関与するという要請にむしろ反する方向にいくのではないかと危惧する次第です。
 長くなってしまいましたが、以上の両方の観点から言いまして、全体の数は多くない方がいい、つまりコンパクト型が意見書の趣旨の実現に適合的な在り方であると考えます。そして、繰り返しになりますが、職業裁判官は、3人を維持すべきだというのが私の考えですから、具体的な数字は決めかねますが、職業裁判官と同数程度の裁判員の方が関与する形が望ましいと現段階では考えております。

○井上座長 ほかの方はいかがですか。

○四宮委員 私の意見も第1ラウンドと同じといえば同じですけれども、私も、意見書から出発するということは大賛成です。その点は全く同じです。違いは、意見書のどこから出発するかということだと思います。意見書の裁判員制度のところの部分では、今、酒巻委員がおっしゃったようなことは確かに書いてあるわけですけれども、今日、清原委員が、この裁判員制度というのは、国民的基盤の確立に位置付けられているとお書きになり、意見書3ページの総論の部分の、国民像というものを引用しておられますけれども、私もこの視点に賛成です。
 この意見書ができるとき、裁判員制度が、確か、最初は、刑事司法改革のところに位置付けられておりましたけれども、その趣旨は国民的基盤の確立だということで、今の独立の柱のところに移された経緯を思い出します。ですから、そうだとすると、この裁判員制度というのは、意見書の基本的な思想の部分から、まず発想していかなければいけないと思います。そうすると、清原委員がおっしゃるように、まず国民像というものは、「国民が自律的に責任をもって司法参加する」というふうにお書きになっていらっしゃいますけれども、まさに自律的であるとか、社会的責任を負った主体とかという言い方が意見書の随所に、特に思想の部分にたくさん出てまいりますけれども、そういったものとして、そこから国民参加の制度も考えていく必要がある。つまり自律、自分たちで決めるという意味、そういった思想に裏打ちされているということをまず考える必要があるだろうと思います。
 そして、専門家の役割について意見書がどういうふうに言っているかというと、私が繰り返すまでもありませんけれども、「法曹は国民の主体的・自律的な営みに貢献しなければならない」と言っています。つまり、さっき裁判官の数のところで申し上げましたけれども、国民のそういう自律的あるいは社会的責任を果たすというために法曹が貢献をする。それで、豊かなコミュニケーションをとることが必要だということはそのとおりですけれども、豊かなコミュニケーション自体が目的ではないと思うのです。国民が自律性ですとか、社会的責任を果たすために専門家・法律家との豊かなコミュニケーションが必要だというふうに意見書は考えていると私は思います。そういった意見書の思想からすると、やはり国民が担っているということが外からも構成上も分かるというような制度にする必要があると私は思います。そうすると国民の数というものは相当多数になってくるであろうということです。
 もう一つ、これも清原委員の意見に非常に共鳴をする部分ですけれども、無作為の抽出制度であるということです。意見書が無作為抽出制度を導入した主な理由は、やはり民意を反映させるということであろうと思います。それは別な言葉で、「健全な社会常識の反映」という言い方もしておりますけれども、民意の反映の仕方にはいろいろ制度があるわけで、例えば有識者に入ってもらうという制度もありますが、その中で意見書は無作為抽出制度を採用したということだと思います。これは私は正しかったと思っておりますけれども、無作為抽出という場合には、知識、教育、経験を基本的に要求しないという制度ですので、国民の数を少人数にしてしまうとやはり偏りが生じることが避けられなくなると思います。無作為抽出制度を前提にして、公正な裁判体をどう作るかということになれば、それは一定の規模の国民に入ってもらって、グループ内で偏りを是正していくという、グループの機能というものに期待をすることになるのだろうと思います。そこは、前回、裁判官の合議に関し、岩松判事の論文を引用して、主観性の相殺による客観性への到達ということを申し上げましたけれども、それは裁判員が入った場合でも同じだろうと思います。
 それで、どういう規模の国民に入ってもらえば、そういった無作為抽出のグループの公正を期待できるかということですけれども、それについては、私たちは、幸いにして、参考にすべき前例をもっているのです。それは検察審査会制度です。検察審査会制度は民意を反映させる目的で作られ、そして、検察審査員は無作為に選ばれます。その公正を維持するために11人という数を要求しているわけです。この制度は少なくとも半世紀の間適正に機能し、また国民に支持をされ、多くの検察審査員の経験者の方々に支持をされているということです。ですので、私たちは、この11人という数字を前例として、現在持っているわけですから、私は、無作為抽出制度を構想する場合にはこれを無視することは考えられないと思います。
 そして、3番目に、やはり、国民の声ということに耳を傾ける必要があると考えます。裁判員として参加するのは、今申し上げたように無作為で選ばれる国民であり、つまり誰でも裁判員として参加する可能性を持っているわけですから、そういった参加する可能性を持った一般の国民が、どんな制度を希望しているかということについては謙虚に耳を傾けていく必要があるだろうと思います。最近、新聞にも、司法改革国民会議の皆さん、財界の方などの意見が論壇などにも載りました。そこでも11人という数字が出ておりました。それから、少なくともパブリックコメントで要望されている数も、この間、日弁連から資料が出ておりましたけれども、圧倒的に多くの意見は国民の数を多くということでもありました。また、ヒアリングでは、連合からも同じような数字が出されておりました。
 ちょっと長くなりましたが、そういったことを考えると、私はこのB案を軸に数字を検討する必要があるというふうに考えています。

○井上座長 審議会の意見書についてですけれども、それには私自身も関与しておりましたので、1点、ちょっと御注意いただきたいと思うことがあります。四宮委員がおっしゃったように、裁判員制度の趣旨として、民意の反映、多様な意見の反映という意見も審議会の中ではあったのですけれども、意見書をまとめるにあたって、そこのところは必ずしも一致した意見にはなりませんでした。裁判は世論調査のようなものではないということや、民主代表性と司法というものの関係の問題とも絡んでくるということが指摘され、かなり深刻な議論をしたのです。その反映として、意見書の総論部分に書いてあることと裁判員制度の導入を扱った各論部分に書いてあることが必ずしも直結はしていません。裁判員制度について最終的に意見が一致したのは各論部分に書かれていることであり、民意の反映という点では意見は分かれたということです。
 無作為抽出の方法をとった理由についても、民意の反映という趣旨にも見えるのですけれども、最も中心的な理由は、広く国民に平等に責任を持って参加していただこうということでした。それが民意の反映のやり方だという理解も無論可能かもしれませんけれども。

○四宮委員 前回、私が「多様性」という言葉を使ったときに、座長からそういう御指摘をいただきましたので、今、私の意見を述べる中では、「多様性」という言葉を使いませんでした。

○井上座長 それは分かっております。

○四宮委員 座長御指摘の点は、十分認識しております。ただ、「民意の反映」という言い方が悪いとしても、国民的基盤というところから出発するという点については、審議会の中では合意があったと思うのです。

○井上座長 ここでこれ以上議論してもしようがないのですけれども、その趣旨は、一般の方々が裁判に主体的に参加し、国民の健全な常識が裁判に反映されるということによって、裁判と一般の国民との距離が近くなり、責任も負っていけだけるようになる、そういう意味で、そういうことを通して国民的な基盤を確立していこうというのが審議会の意見書の基本的な考え方なのですね。ちょっと余計なことかと思ったのですけど、コメントをさせていただいたということです。ほかの方の御意見は、どうぞ。

○大出委員 先ほど来、お話を伺っていますと、前回もそうだったと思うのですけれども、人数の問題については、先ほど酒巻委員も触れられたように、コンパクト論というか、ワイド型というか、どちらでも言い方はいいと思うのですが、要は先ほどの酒巻委員の意見でいけば、3人とか4人とかということになるのでしょうか。

○酒巻委員 全体の構成ですか?

○大出委員 裁判員の数です。私は前回は座長に詰問されたものですから……。

○井上座長 「詰問」ということではありませんよ。

○大出委員 私は、12人まではありだということは申し上げておきましたけれども、私は多くて構わないといいますか、むしろ多い方が好ましいだろうというふうに思っているわけでして、理念的な問題等については、今、四宮委員が十分いろいろとお話になりましたが、基本的に私も同じような認識の下で申し上げているというふうに御理解いただいていいと思います。酒巻委員のお話を伺っていましても、それから前回のお話を伺っていましても、つまり実効的な評議といいますか、それが主体的・実質的にかかわるということにつながってくるということでもあるという御主張だと思いますが、そのためにはコンパクトである必要があると。つまり十分な裁判体としての効果的な評議が行われるにはコンパクトな構成でなければできないという御意見だと思いますが。
 先ほど酒巻委員は合議体の人数が多くては困難であるというふうにおっしゃいましたけれども、しかし、私の認識するところといいますか、少なくともこれまでの明らかにされたものも含めてですけれども、なぜ、本当に困難なのかどうかということについての具体的な何か証明があっておっしゃられているのかどうかということについてはやはり疑義があるわけですね。何か実証的なそのことについての証明が本当にあるのかどうか。
 もちろん私は小さければできるであろうとも思いますけれども、じゃあ、大きいということでなぜできないのか。困難だということがどうして言えるのか。一般的、抽象的、理論的にはそういうことをおっしゃることは可能かもしれませんけれども、私は実証されてないというふうに思うわけですね。
 先ほど冒頭で、合議体の人数に関する議論は今日で終わりではないですねと確認させていただきましたけれども、改めてもう一度確認しますが、実は、私はそういうこともあって、座長も自分で経験してこい、やってこい、調べてこいというお話だったということもありますから、実は模擬裁判を学生と一緒にやりました。半年かけて、準備しまして、先月の2月23日にやりまして、実は今日そのデータを全部提出したかったのですが、いかんせん、私には強制力もなければ財政力もないということで、今日までには間に合いませんでした。
 ただ、そこですべてはいずれこの問題について決着がつく前に資料として提出させていただくつもりですので、それを御参照いただきたいと思いますから、簡単に申し上げますけれども、これはこの間、池田委員とちょっと雑談しましたら、それは無作為だと言わないと言われましたけれども、でも、私は基本的にそれは無作為だと思いますが、まさに選挙人名簿から無作為に福岡地方裁判所本庁管内の市町村から約190人を抽出して、もっと抽出したのですが、最終的に190人ほどに、御協力いただきたいということで、突然ですが、招請状を出しまして、最終的に40通ほど返事があり、その中で14人の方たちが応じてくださいました。もちろん応じたいけれども、都合があってどうしても無理だとか、中にはベビーシッターが用意できないから無理だ、行きたいんだけど、無理だという方も含めて、積極的な返事を下さった方が、20人ほどになりました。
 それで14人の方が実際に協力してくださったものですから、そこの裁判体は、裁判官役は3人ずつにしましたけれども、10人と4人の裁判員の方たちに入っていただいて、一つは13人の裁判体、もう一つは7人の裁判体としました。同じ事件について、演劇を見ていただいて評議をしていただきました。これは1時間半ちょっと、2時間までは時間はとれませんでしたけれども、そこでやった内容というのは、私はすべてちゃんとその段階で両方ともチェックしたわけではありませんから、それは資料をまた皆さんに御覧いただきたいと思いますけれども、私の見る限りでは、評議が形式に流れたとか、全く発言しない人がいるとか、中身について詰まった議論にならなかったとか、ということは、私の見るところではなかったと言っていいと思います。
 もちろん私は、先ほどのたたき台にもあったように、裁判員の方たちには、ともかく全員発言していただくということ、それから、いきなり決をとるというようなことをしないことなど、いくつかお願いして始めていただいた部分がありますけれども、そういうような工夫があれば、十分に全体として議論をして詰めていくことができるのです。しかも、この評議では、最終的にそういう短い時間で、もちろん模擬裁判ですので、完璧なんていうわけにいかないところがありますけれども、しかし議論していただいた結果、私はこのたたき台で用意しているよりも厳しい数字、過半数ではなくて3分の2という要件を課したのですが、それでも両裁判体とも有罪という結論になりました。
 これは、従前、模擬裁判といわれるものが、ともすると無罪という結論に終わるということであったこととの関係で考えますと、その結論を、私が賛成するかどうかはともかくとして、リーズナブルな合議の結果であっただろうというふうに思っていまして、そういう意味でやはり実証的な検討というのをやってみる必要があるだろうと考えているのです。我々は、非常に重要な制度設計をやっているわけですので、本来であれば、これは事務局と我々が一緒になって、そういったことを試みるということもあってもいいような性格のものではないかと思うのです。ただ、時間的にもいろんな都合でできないとすれば残念なわけですけれども、しかし、実際にやってみると、そういうことになっているという部分もあるということはぜひ踏まえていただく必要があるだろうと思います。早ければ、次回にでも資料を出させていただきたいと思います。

○井上座長 分かりました。資料については、出していただきたいと思います。

○池田委員 今、コメントがあったので、私が言った、実は無作為抽出でないという趣旨について一言付け加えます。私は、最初の、選挙人名簿から選び出して、招請状を郵送したところまでは、それが無作為抽出であることを疑っているわけではありません。その後、協力しようという人が選び出されて、その人たちだけでやるのは、これは無作為抽出ではないということを申し上げたのです。したがって、その結果だけに基づいて、今回の裁判員制度を制度設計されたのでは困ると申し上げたのです。裁判員制度においては、本当に呼び出し状が行った人の中で、嫌だと言う人がいてもやっていただかなければいけないはずで、それがなければ、今回の裁判員制度というのは、国民が参加するという制度にはならないのではないかということです。
 それを前提にして、ちょっと続けてよろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○池田委員 無作為抽出だから人数が多くなければいかんという議論は、それは論理的ではないのではないかと思います。無作為抽出であるということと人数というのは結び付かないはずです。無作為抽出で一人だけが選ばれても、その一人は国民の一人なのであり、それが国民の意見だということだって十分あり得るわけです。それを何人にするかというのは、それはまた別の観点から決めるべきで、無作為抽出だから何人も必要だというのは、おかしいのではないかと思うのです。もし、そうであれば、もし、クロスセクションというか、社会を分けて、女性の中からこれだけ、男性の中からこれくらいとしたり、あるいはほかのやり方にしたりするのであれば、それはまた別だと思いますが、無作為抽出だから人数が多くなるということは、それは論理的じゃないんじゃないかと思います。
 それから、今、大出委員が、合議体の人数が多かったら評議ができないという実証的な根拠がないのではないかと言われたのですが、そのように言われることについては私どもが裁判官として、自分らがやってきたことについて説明不足だったのかというふうに反省しています。最近、模擬裁判をいろいろなところでやっておられて、それは非常に結構だと思います。いろいろな試みがあることで、みんなが裁判員制度に対して関心を持っていただくという意味では非常に結構だと思います。また、模擬裁判という制約から、時間的にも制約がありますから、ある程度論点が単純な事件が選ばれているのも仕方ないと思います。しかし、世の中、そんな事件ばかりではないわけです。特に、今回裁判員制度を最初に導入しようとしている法定刑の重い事件、人が死亡するというような事件の中には、物すごく論点の多い事件がいっぱいあるわけです。特に、最近の例では、例えば、カレー事件のように、状況証拠だけから、有罪か無罪かを考えるという事件では、何が状況証拠なのか、その一つ一つがそれでは認められるのか、それが認められるとして、それではそれがどれだけの重みを持つのか。逆に認められないとしたら、それがまたどれだけの重みを持つのか。そして、それぞれについて、それを検討して、さらにそれらが相互に関連するときにはどれだけの重みがあるのというような作業をしているわけです。
 そのすべてが判決書に出てくるとは思いませんけれども、そういう作業をしていることは間違いないわけです。今の裁判が精密すぎると言われることもあり、そういうようなところは改めないといけないと思いますし、また裁判員が入れば改まっていくと思うんですけれども、しかし、人が有罪なのか無罪なのかを決めるときに、真剣に、この事実がどれだけの重みを持つのかというようなことをやはり十分検討しておかないと、それは世に耐えられない、裁判の名に値しないものになるだろうと私は思います。
 そのためには、じっくり検討をする必要があります。裁判官と裁判員とがお互いにそれぞれの知識と経験に基づいた意見をフランクに交換し合って、そしてお互いに得るところがあって、それによって意見が変わることもあるというような実質的な議論をするためには、そんなに多人数ではできないのではないかと思うわけです。その実質的な数としては、裁判官を3人ということであれば、それと同程度ぐらいの人数なのではないかというふうに思います。そうでなくて合議体の人数が多くなると、論点だけの結論的なものしか理由としては示せなくなるのではないかと思います。
 これは実証的なものとしても、例えば、陪審制では、結論だけしか示さないということもあるわけです。そういうもので耐えられるのかという問題もあるわけですけれども、今回の裁判員制度の導入については、今の裁判の質は落とさずに、そして事実に不服のある人については、上訴権を保障した上で、その理由について正しいかどうかを上訴審で争えるようにしながらやっていこうということですから、それだけの実質のある裁判ができるようにするには、ある程度人数の小さいところでやらないと、そのようなことは難しいのではないかというふうに思うわけです。

○大出委員 ちょっと一言だけよろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○大出委員 雑談をまくらにしてしまったことについてはお詫びいたしますが、先ほど申し上げたかったことは、私が個人的にやるには強制力を行使するわけにいかないわけでして、少なくとも無作為で抽出した方たちに、突然お手紙を差し上げて協力をあおぐという以外に方法はないわけです。であればこそ、本当に制度設計をやるなら、そういう条件を可能にするような実験的な試みをやっぱりやってみるべきだと私は思うわけです。ですから、この事務局なり、この検討会でそういう方法による実験というものをやってみるべきだということを私は申し上げたかったということです。
 なおかつ、今のお話を伺っていましても、確かに裁判所がいろいろと御苦労になっていろんな工夫をされている。実際に事件自体の持つ重みということから考えれば、裁判所がそれに対応されていることについて、私も否定するつもりは全くないわけでして、ただ、それが本当に裁判員の加わった少し大きな形での、少しだというふうに私は言っていいと思いますが、この間の議論からいっても多人数というのは20人とか30人とかという話だと思いますので、私は10人前後の数というのは決してそんな極端に多いという数字ではないと思いますから、その数で本当に評議ができないのかどうかということは、今のお話からだけでもやはり納得できるものではないと私は思います。

○酒巻委員 私は、先ほど批判を受けましたので、一言だけ発言したいと思います。

○井上座長 そうですか。客観的に見ると、そうでもないように思うのですけれど、ともかくどうぞ。

○酒巻委員  第一に、大出委員は、私の意見には実証性がないとおっしゃり、模擬裁判を実施されたという実例をお出しになりましたが、それは一つの実例があるというだけのことであり、「実証的」という言葉の通常の意味からすれば、私の議論と同様に「実証的」ではないと思います。第二に、大出委員が「実証的」とおっしゃる趣旨は、おそらく経験科学的な調査・研究・分析に基づいてということだと思うのですが、私の先ほど述べた議論と意見はそういうものに基づいた性質のものではありません。私の議論は、新たな法制度の設計について、様々な要素を勘案した上で、私の知識・経験と論理則・経験則に基づいた合理的な推論の過程を述べたのであり、最初から実証性ということが問題となる性質の議論ではないのです。したがって私の議論に反論するとすれば、先に述べた推論の過程のどこかに不合理なところがあるかを問題とすべきでしょう。
 それから、先ほど言いそびれました点を付け加えます。私の意見は、池田委員がおっしゃったのと同様に、刑事裁判に関与するすべての人が納得できるような判決書を書ける程度の評議ということを想定した議論だという点を付け加えさせていただきたいと思います。
 最後に、先ほど四宮委員が11人という数字を挙げて、検察審査会の蓄積と経験例があるとおっしゃいましたけれども、一般国民だけで構成され、不起訴処分の当否を審査する検察審査会と、これから我々が考えようとしている裁判員制度とは根本的に仕組みが違うものですので、検察審査会の11人という人数が直ちに裁判員制度の11人という人数の参考になるとは思われないというのが私の意見です。

○井上座長 ほかの方も手を挙げられていますので。

○平良木委員 刑事裁判で一番大切なのは事実の見方、事実認定だということについては、誰も争わないと思います。しかし、これともう一つの裁判員の役割である量刑については、裁判員が本当に多くの影響を及ぼすかというと、実際上余りあり得ないだろうというような気がいたしております。これを言うと、裁判員制度をつぶすことにもなりかねないのですけれども、今の裁判というのは、裁判所と被告人だけではなくて、検察官も弁護人もいて、それぞれが主張し合っているわけで、それを全部聞いていて、なおかつ裁判員が独自の意見を述べて、これはすごい意見だということはあり得ないという感じが私はしているんです。
 そういうことで、裁判員がいくら増えても、それほど、いい結果が出てくるという保証というのはないだろうという気がしております。そうすると、裁判員は一体何のために入れるかということになりますが、よく司法と国民との乖離ということが言われており、ここのところを解消する一つの手段ということになるのではないかと思うのです。要するに、司法と国民の乖離を解消するには、裁判あるいは司法の中身を見せた方がいい、国民に示した方がいいということではないかと思うのです。そのために裁判員を使ってみてはどうかというわけです。
 裁判員制度が導入されて、裁判員が入って裁判をやるということになると、裁判官は、裁判員に対して納得のいく説明をするだろうと思われます。その納得のいく説明をすることによって、分かりやすい裁判というのを実現することになるのだと思うのです。そのことがもう一つの大事なところであって、そういうことがトータルで国民と司法というものを近づけることになっていくのだろう。そのために裁判員制度を導入したらどうだろうか。私はどちらかというと、そういう感じの方が強いのです。
 そうしますと、裁判員はそれほど多い必要はないということになってくるわけですが、ただ、一方では、先ほどから出ているように、裁判員に対して意見を述べやすいような環境作りというのをしておいてやらないといけないだろうとも思われます。そのためには、裁判員の数が裁判官よりも少ないと、心理的な問題から意見をいいにくいということがあるかもしれないので、裁判員の数は裁判官と同じかちょっと多いぐらいにすべきではないかという考えから、私は従前もそうでしたけれども、裁判員の数は3人、あるいはそれよりかちょっと多い4人、これがいいのではないかと申し上げてきたわけです。

○井上座長 前提としての考え方のところは、皆さんが共有する意見かどうか、審議会の意見書がそのような考え方にたっているかどうかは別として、平良木委員がそういう御意見であるということは、随分前から皆さんが承知していると思います。

○本田委員 裁判員制度が今回の司法制度改革の大きな柱の一つであり、ぜひとも成功させなければいけないというのは、みんなの共通の認識だろうと思うのです。そういった観点から、最高検でも、昨日、次長検事を総括責任者として最高検、東京高検、東京地検の検事をメンバーとする「刑事裁判迅速・充実化プロジェクトチーム」というのを発足させました。全国の検察庁の協力を得て、裁判員制度の下での検察活動の在り方を念頭に置いて、刑事裁判の充実・迅速化のために、検察が行うべき具体的な方策を検討して順次実施に移していくことにいたしました。
 私が言いたいのは、この裁判員制度の導入を考える場合には、導入の趣旨はもちろん実現されなければいけないのですけど、現実に動く制度としなければいけないということであります。そういった観点からすると、裁判員の数を多数にするというのは本当にできるのだろうかという問題意識があるわけです。
 先ほど四宮委員から、我々の経験として検察審査会という11人の国民からなっている制度があるという御意見があったのですけれども、検察審査会については、マスコミの報道にもありますように、審査員が集まらないという問題があるのです。私自身が確認したわけではありませんが、東京の例では、昨年度以降、審査員が集まらなくて流会となったケースが13回もあり、ぎりぎりで開催にこぎ着けたケースが30回以上あったという報道がなされています。それと同時に、前回の検討会の席上で、土屋委員からも審査員の確保に非常な困難があるという事例が紹介されておりました。
 もし、裁判員が集まらなかったために裁判体が組めず、そのため、法廷が開けないという事態が生ずれば、この制度は崩壊してしまうだろうと思うのです。そうなったら、裁判員制度は二度と日の目を見ることはないと思われるのです。我々は、検察審査会よりももっと拘束時間が長く、あるいは負担が大きい裁判員制度というものを考える場合に、検察審査会でさえこういう状態であるということを無視して考えていいのだろうかと思うのです。本当に実際に動く制度ということを考えなければだめなのではないかと思うわけです。
 もちろん、裁判員の数に関しては、酒巻委員、池田委員がおっしゃった理由もあるわけですけれど、それに加えて現実に本当に動く制度にする必要があると考えます。他方、制度導入の趣旨、つまり、裁判への国民の健全な常識の反映という観点から考えると、裁判官と同数程度の数というところで落ちつくのではないかと思います。

○土屋委員 私は、実際、今、本田委員が言われたとおり、制度が本当に機能するということが一番大事だと思っていまして、折々いろんなことを申し上げているのです。そのためには、今日、たたき台で示された中にもありますが、具体的な方策を講じることによって、極力クリアしていきたいと思います。そういうものなしにこの制度をいくら論じていても机上の空論みたいなものだなという気が一面ではしております。
 裁判員の数について、私がキーワードだと思うのは、無作為抽出という言葉なのです。今、無作為抽出のプラスの面について随分いろいろ言われましたけれど、実は考えなければいけないのは、無作為抽出にはマイナスの面があるのではないかいうことだと思うのです。というのは、無作為抽出で選ばれてくる人というのは、どういう偏った意見の人であるか、何の保証もないわけですね。いろんな人がいろんな形で入ってくる。まさにそれは国民の意見だから、多様だからいいのだという言い方もありましょうが、私は、できるだけ良質な意見を確保するのが裁判としてあるべき方向だろうと思うのです。
 そうしますと、そのためにはどういう制度があり得るのかというふうに考えたときに、時々、スポーツのフィギュアスケートの採点方法を考えるのです。フィギュアスケートの採点方法は、最高点と最低点を外して、中間の意見の平均をその人の得点とするというものですが、これは極めてよくできた知恵だと思います。理由をつける必要もないのでしょうけど、いずれにしても最高得点と最低得点というのは偏った意見だと思ったらいいのだと思います。オリンピックでフランスの審判員が買収されたというような事案もありましたし、そういうものは自動的にいわば除かれる装置が必要だろうと思うんです。つまり最高と最低の二人は除くべきだと思うのです。ですから裁判員が二人あるいは3人ということであると、そういう人たちが紛れ込んできてしまったときに、制度的に除く保障措置がないことになり、それはまずかろうと私は思います。そういうことから、裁判員が二人ないし3人という意見については私は賛成しかねます。裁判員が3人ではなぜだめかというと、両極端を除いたら、残りは一人しかいないことになり、これで健全な良識といえるのかというと、その保証は何もないということになるからです。だから、両極端を除いて、なおかつ、中庸の健全な国民の良識を反映させるためには、裁判員の数は少なくとも5人は要るであろうと思います。ただ、5人の場合、難点があるのは、裁判官が3人であるとすると、合議体の総数が偶数になってしまうという点です。私は、合議体の総数として、偶数は望ましくないと思います。何が多数意見であるのかというのは、その場に参加している人が数えなくても分かるという状況が必要だと思うのです。つまり奇数であれば分かれますので、そうするともう一人足して6人という線がやはり必要な線であろうかなというふうに考えたりします。
 清原委員も6人は必要でしょうと言っておられその根拠は経験的な市民運動の体験からいうとそれだけ必要だということですが、私もそのくらいの線が一番制度的にも安定した制度になるのではないかという気がします。

○髙井委員 結論から言うと、私は、裁判員の数は5人が相当であると考えます。理由を申し上げます。まず先ほど来、裁判員制度については民意の反映ということが強調されています。これを否定するものではありません。しかし、裁判の本質は、民意を反映することにあるのではなくて、実体的真実を発見することにあるということをまず押さえておかなければいけないと考えます。民意は反映されたけれども、実体的真実は全く反映されておりませんというのでは、これは裁判ではないわけで、実体的真実が発見される、つまり、正しく事実認定がされるという大前提がまずあって、その上での民意の反映だということを考えなくてはいけないと思います。そして事実認定が正しく行われるためには、今の制度を前提にすれば、証拠に基づく議論が濃密に、有効に行われなければいけないのです。
 では、その議論とは一体何かというと、これは池田委員も言われましたけれども、非常に細かい事実関係、細かい証拠関係に踏み込んでいって、集中的に議論をしていくということになります。しかも、その議論はお互いそれぞれ自分の信念を言うわけではなくて、互いに相手を説得する、あるいは、逆に説得されるという議論でなければなりません。説得するのも能力でありますし、説得されるのも能力です。要するに説得し説得されるということが、すなわち、でき得れば、全員が一つの意見に到達するというのが裁判の本質であるわけです。
 今、この検討会で議論しているのは、これは本来の合議における議論ではありません。それぞれ自分の思っていることを理由をつけて言っているだけであって、例えば、私が池田委員を説得しようとか、四宮委員を説得しようとかしていませんし、お互い説得される気もありません。こういうのは、裁判所での合議における議論ではないわけです。しかし、検討会におけるこのような議論であっても、時間が足りないのです。この検討会の場で議論している人数はせいぜい8人から9人しかいませんが、それでも時間が足りないのです。これが現実なのです。
 裁判においては、きちんと詰めた議論をしなくてはいけないわけですが、その中には、嫌だといって出て来たがらない人にもいるでしょうが、そういう人にも無理やり来てもらって、あるいは早く帰りたがっている人に残ってもらって、非常に集中力の要る議論に参加をしてもらい、それでその人なりに正しい意見を積極的に言ってもらわなければいけないということになるのです。これは、物すごい作業なわけです。そうなってくると、合議体の人数が大きな数では到底不可能だと思うのです。この点を論証されてないという御意見もあるようですが、こんなものは常識であると私は思うのです。
 そういう意見に対しては、特に日弁連から、多種多様な意見を反映させる必要があるから人数は多く要るという考えが述べられるのですが、ワイセツとは何かというような問題ならいざ知らず、ある事実が本当かどうか、この事実に対する裏付けがあるかどうかという議論を詰めてしていくときに、多種多様な意見が入り込む余地などないわけですし、それは本来不要であると思います。ですから、多種多様な意見を反映させることが必要であるというのは、裁判員の人数を多くしなければならないということの論拠としては、私は成立しないと思うのです。
 また、もう一つ、裁判官の数よりも裁判員の数の方がかなり多くないと、裁判員が意見を言えないという議論もありますが、それもおかしいと思います。そういう国民を前提にしているのなら、そもそも裁判員制度は成り立たないわけです。この制度を動かすという以上は、裁判官が何と言おうと、私が信ずるところはこうですよと言える国民だということ、日本人というのはそういう国民だという前提に立たない限り、この制度を論ずること自体がおかしいと私は思うのです。
 実際問題としても、「裁判官がこれは有罪だと言っているから、私は本当は無罪だと思うんだけど、一言も言えません。」というような人はいるわけはないと、私は思うのです。ですから、この意見も、裁判員の人数を多くしなければならないということの論拠としては成立しないのではないかと思います。
 ただ、ある事実認定をするときに、あるいは、ある証人の証言の真偽を判断するときに、ある経験を持っていたら、その判断が正しくできるという場合はあり得るわけです。その事件の審理に必要な特有な経験というものはあり得るわけで、そういう経験を持っている人が裁判員として入っていた方が、裁判がより良いものになるということはいえると思います。その方が、証言の真偽の判断が正しくできるということは言えると思うのですね。そういう意味では、裁判員の人数は、多くの数は要らないけれども、ある程度の数は必要なのではないかと思います。そういう観点からいけば、私は、二人だとか3人というのは少な過ぎると思います。
 また、事実認定の問題、つまり、どれが嘘か、本当かの判断は、一般国民も裁判官も同程度にできるという議論は成り立つとは思います。裁判官と裁判員の数が3対3という考えはそういう前提に立っていると思うのですが、確かにそれはそうなのですが、職業裁判官、検事、弁護士といった、実務法曹というのは説得のプロ、議論するプロであるのに対し、一般国民は論理的に相手を説得するということには慣れていない、議論をする専門家ではないということに留意する必要があると思います。そういう意味では、相手を説得する能力は、裁判官と一般国民は決して対等であるとはいえないと思うのです。例えば、一般国民は、裁判官がこうだと言っているのだけれども、何かおかしい、何かあの裁判官の言っていることはおかしいのだけれども、それを自分の言葉でどうやって表していいか分からないということはあり得ると思うのです。
 法律家というのは、相手の言っていることがおかしいと思えば、それを言葉できちんと聞き出して、目の前にぽっと出すことができるわけですが、一般国民の人はそうそうそれができるわけではない。そうなると、説得をする技術という点においては、やはり両者には差があるという前提に立たないといけないだろうと思うのです。
 一般国民が有罪、裁判官は無罪という形に常に結論が分かれるわけではありませんが、しかし、ぎりぎりのところで裁判官の意見と裁判員の意見が分かれたという場合を想定したときに、裁判官は説得するプロなのですから、裁判官が裁判員を説得するハンデは必要だろうと思います。裁判官と裁判員の人数が3対3であれば、裁判官が裁判員を一人説得すれば、4対2になるので、裁判官の勝ちということになるでしょう。同様に、裁判官と裁判員の人数が3対4でも、裁判官が裁判員を一人説得すれば、4対3になるので、やはり、裁判官の勝ちということになります。やはり、私は、裁判官のハンディは2票必要だと考えます。裁判官が裁判員二人を説得しなくてはいかんということであれば、説得の能力に関する格差も対等になるのではないかと思うのです。そうすると、裁判官と裁判員の人数は3対5ということになります。そうであれば、裁判官は裁判員を二人説得しないとひっくり返らないことになるからです。そういう意味で、私は、裁判官と裁判員の人数は3対5にすべきであると言うわけです。

○井上座長 評決の仕方について、裁判官も裁判員も少なくともそれぞれ一人は賛成していなければならないという条件がありますので、場合によっては全員説得しないといけないかもしれないですけれども。

○樋口委員 新しい話ではないのですけど、9分の1か10分の1の意見を明示しておくという意味で申し上げたいと思うのですが、基本的には、この裁判員制度によって健全な国民の常識を導入するということが求められているのだと思われます。常識でもって裁くといった要素を導入するということは非常に期待するところも大きいと思うのですけれども、だからといって、裁判員がより人数が多い方がいいということにはやはりならないのではないかと考えます。仮に無作為抽出された裁判員の、これは言葉が適当ではないとは思うんですけれども、バラツキを補正するとか、バランスのとれた民意の反映、この民意の反映については、もう既にいろんな異論も提示されておりますので、これまた適当でないかもしれませんけれども、ないしは多種多様な意見を反映する、これについても異論があるところですが、仮にそういったことを考慮する場合にも、二人ないしは3人を10人にしてみたところで本当に意味があるのだろうかという考えであります。これが数十人ということであれば、また状況は違うであろうと思いますけれども、数人が10人で本当に本質的な意味があるのかどうかという考えです。
 ということになりますと、この意見書によればということなのですけれども、対等な権限を有して協働するということでございますので、基本的には素直にいけば同数ということではないかと思います。
 それから、評議の実効性の確保の観点ですが、これは人によっていろんな分野の、経験が違うと思いますけれども、経験に照らしていえば、5~6人であれば実効性のある議論ができるのかなという感じでございます。そうすると総数が5~6人から、裁判官3人を引き算をすると、裁判員の人数は二人ないしは3人ということになりますが、合議体全体の人数が奇数の方がいいかなということになると、裁判員の人数は二人かなという考えでございます。

○酒巻委員 今まで出た御議論の中で、やや疑問に思ったことだけを申し上げます。土屋委員は御意見の中で、無作為抽出の結果として非常に偏った人間が選ばれた場合の御心配をおっしゃいました。しかし、まさにその点に対処するために、別のところで、理由付きあるいは理由なしの忌避制度とか、除斥の制度が考えられているわけです。その御心配はそちらの方で対処し、最終的にそれをさらにクリアした人の数がどうあるべきかというのが今の議論であろうと思っています。
 それから、髙井委員の御意見については、最後の部分、つまり、裁判員の数は5人とすべきであるという結論に直接結び付くところ以外は、私はすべて賛成です。しかし遺憾ながら、御意見の最後のところは私には了解不可能であります。御意見の前提は、裁判員グループと裁判官グループがぎりぎりのところで、どうしても対立した場合というのを想定されているように思いましたが、事実の認定、証拠の評価というのが一般国民の方も裁判官と同等にできるという前提に立てば、必ずしも裁判官グループと裁判員グループが分かれるだろうということを前提にはできないのではないかと思います。合議体の中での意見の分かれ方は、特に、議論の最初の段階では、いろんな場合があり得ると思われるので、裁判官と裁判員とで意見が分かれるということを前提とされた上での、先ほどのハンディの計算式はちょっと理解できません。

○四宮委員 多人数、多人数といいますけれども、私が考えているのは10人程度なのです。これは社会心理学上、グループダイナミクスでは10人というのは小規模集団に分類されるわけです。多人数では議論ができないのが常識だと髙井委員はおっしゃったのですが、藤田さんという学者が、人間は必ずしも常識的な予想のとおりに事象を認知して行動しないということは明らかである、常識的な予想と意見のみに基づいて制度を設計することは、暗闇を手探りで歩く危険を冒すことにもなるというようなことをおっしゃっています。この方は弁護士会が企画をした4カ所の模擬裁判でアンケート等を実施して、評議を経た国民は、裁判官より2倍、3倍ぐらいの評議を一貫して求めているという結果を発表しておられます。

○井上座長 ちょっとよく分からなかったのですが、「2倍、3倍くらいの評議を求めている」というのはどういうことでしょうか。

○四宮委員 合議体の人数です。ごめんなさい。裁判員の数としては、裁判官の2倍、3倍を求めているという趣旨です。

○井上座長 誰が、裁判官の2倍、3倍の人数を求めているということなのでしょうか。

○四宮委員 模擬裁判に参加をした人です。

○井上座長 分かりました。

○四宮委員 裁判官との評議を経て、そういう結論に達しているという彼の研究が一つあります。それから、もう一つは、人数が少なくなければ議論ができないかという点ですが、十分検討するには少数でならなければいけないというのが常識だと、今、おっしゃったのですが、この点はそうではないのではないかという、もう一つの例として、1978年にアメリカで出た、6人未満の陪審は憲法違反だとするバリュー判決というのがあります。その前に、6人制の陪審は憲法違反ではないというウィリアムズ判決という判決があったのですが、バリュー判決は、5人制の陪審は憲法違反であるとする中で、グループ、集団の討議というものが、規模が小さくなればなるほとワークしなくなるというおびただしい。。つまり6人制陪審は憲法違反ではないとした判決が出た後に、おびただしい研究が行われたわけですけれども。。そのおびただしい研究を引用して判断をしました。
 その主たる理由は、数が少なくなると、健全な社会常識をきちんと代表するといいますか、解釈する、あるいは適用するということに問題が生じてくるのだというのが大きな理由です。この判決の中にはたくさんのそういった実例が紹介をされております。
 それともう一つは、私が、広島で実際に経験したことです。9人の裁判員、3人の裁判官の合議体で模擬裁判を行った際、私自身は、裁判官役の一人として参加したのですが、ほかの裁判官役は現職の裁判官の方でしたけれども、この裁判官の方は、弁護士会が言っているから9人制には反対だとおっしゃっておられましたけれども、評議の後に、9人でも議論はできますね、とおっしゃっていたということも紹介したいと思います。
 それから、実質的な評議という言い方は意見書に出てくるのですけれども、どのような数が評議の実質性を確保するのかという点については一致を見なかったと理解しております。
 それから、池田委員から、無作為抽出であることと人数を多くすべきだということが結び付かないというお話もございました。今日、私は、お手元に資料を2種類配らせていただきましたけれども、その中に、「各国の陪・参審制度」という資料があります。資料の中で黒く塗ってあるところは、陪審・参審を問わず、無作為抽出制を採用している国であります。この国々のうち、陪審員・参審員の数が6名未満のところはわずかに2か所しかありません。アルゼンチンの一部の州とウガンダであります。それ以外のところはやはり無作為抽出という制度で最低6名を選んでいるということです。
 私自身は、先ほど申し上げましたように、検察審査会の人数を基準に考えるべきだと思っておりますけれども、今日は、この各国の例、それから清原委員のお話、土屋委員のお話を伺いますと、6という数字も非常に経験的に何か意味があるという数字なのかということで、重みを持っているようにも思います。
 もう一つ、私は、合議体が大きくなった、小さくなったということは、それはメリット、デメリット両方があると思います。ただ、それはそれぞれのメリット・デメリットは別のタイプのデメリットとメリットの裏返しであろうと思います。今度の改革は、新しい裁判員制度という制度を作って国民に呼びかけているわけですから、今までのものに全部しがみついて、手放さずに新しいものを作るというのでは、新しいものが絶えずできないと思います。従来のもののうち何かを手放す、そして新しいものを手に入れるということも必要であろうと思います。問題はその比重をどうするかということだと思いますけれども、それは先ほど私が意見書の読み方から言ったので繰り返しません。
 井上座長も、この制度の趣旨は、幅広く多くの人が裁判の過程に参加して、そして義務も公平に負担していただくということだというふうにおっしゃっておられますが、私も、そのとおりだと思います。今日、お手元に出したもう一つの、これは前に日弁連が出した資料に足したものですけれども、これを見ますと、仮に裁判員の数が検察審査会と同じ11人だとしても、一生の間、つまり50年の間に人間が、つまり20歳から選挙権を取得して70歳までの50年の間に裁判員を経験するのは40人に一人ということです。これは数字上の話ですけれども。そうすると、70歳になってクラス会を開いたときに、その中で一人裁判員を経験したかどうかというような話になるわけです。裁判員の数が11人だとしてもそうです。そうではなく、裁判員の数がもっと少ないとすると、裁判員制度なんていうのは身近で見ても、全然行ったことがない、呼ばれたこともないというような制度になりかねないと思います。
 私が、先ほど御紹介したアメリカの判例のバリュー判決というものはワイセツ映画を放映したという事件なのですけれども、その映画の題が『ビハインド・ザ・グリーンドア』という題でした。ドアの向こうで誰かがやっているということですが、裁判員制度を、私たちには関係ないのだというような制度にしてはならないと思います。そういう意味で、裁判員の数は、私は先ほども申し上げましたように、B案を基軸に考えていくべきであると思います。

○井上座長 皆さんにお願いしたいのですけれども、できるだけ論点に絞ってお話ししていただきたいと思います。今の四宮委員の御発言について、2点御注意いただきたいところがあります。アメリカの判例の意味合いは、アメリカという国の社会構成や陪審制度の持っている社会的・政治的機能と切り離しては考えられないところがありますので、6人以下のところは反映が悪くなると言われた点も、果たしておっしゃるような意味なのか、そうではなく、むしろ、社会の多様な構成を反映させなければならない、これは憲法上の要請なのですが、そういう意味合いではないのかということはもう一度御確認いただきたいと思います。もう一つ、外国の例を挙げられたのですけれども、ちょっとミスリーディングなところがあるのではないでしょうか。つまり陪審制のところも含めて挙げられていますが、陪審制で無作為抽出の制度を採っていないところはあるのでしょうか。

○四宮委員 ……。

○井上座長 つまり、陪審制を採っているということは無作為抽出の制度を採っているということとほぼイコールなので、そういうところの人数というのは、我々が人数の多少を議論するときに意味を持つのかどうかということです。陪審員というのは国民の間から選ばれた人だけですから、無作為抽出というのが理念的にも結び付きやすいですし、その数もある程度の数になり、二人とか3人の陪審員というのはないわけですね。ですから、陪審制を採っているところの数を含めた表を示すのは、ミスリーディングのような感じがするのです。

○四宮委員 参審はいいですね。

○井上座長 今述べた意味でミスリーディングだと申し上げただけです。

○酒巻委員 四宮委員が挙げられたバリューv.ジョージアは、有罪・無罪の結論のみを評決する陪審裁判の話です。それから検察審査会にしても、先ほど言いましたとおり、これは我々が作ろうとしている裁判員制度とは違うものですから、直ちに参考になるものではないと思います。陪審にしろ、検察審査会にしろ、一般国民だけの合議体であり、我々が作ろうとしているのは、プロフェッショナルの裁判官と一般国民が協働する話であるという点を忘れるべきではないと考えます。

○大出委員 それは、それこそミスリーディングな話なので、それはそうだと思いますよ。だから実証性がないと言っているんですよ。

○井上座長 資料の扱いとか位置付けについては気をつけなければいけないということを私は申し上げただけです。

○四宮委員 無作為に選ばれる、つまり、申し訳ありません。私に至らない点があったらお詫びしますけれども。

○井上座長 無作為に選ばれるのは大きな数だとおっしゃったのだけれども、その表の陪審についての部分が意味しているのは、陪審制だから無作為抽出の方法によっていて、また構成員の数も大きな数になっているということであって、ここでの論点については、意味を持つ数字ではないのではないかということなのです。

○四宮委員 それでは陪審の部分を除いて御覧いただければよろしいと思います。

○井上座長 だから、全く間違っているということではありません。学者なものですから、こだわってすみません。

○四宮委員 ただ、これを見る限り、無作為抽出でない陪審制もあるようです。

○井上座長 ほとんどはそうでしょう。

○四宮委員 陪審制が無作為抽出だということですか。

○井上座長 はい。

○四宮委員 陪審の多くは無作為抽出ですけれども。

○井上座長 無作為抽出でない陪審は稀ですよね。しかし、これ以上議論してもしようがないように思いますね。

○四宮委員 御覧いただければ分かります。

○井上座長 もう一つ、本日、ぜひ議論していただいておきたいと思うのは、補充裁判員についてです。たたき台では、常に補充裁判員を置くということではなく、補充裁判員を置くかどうかは審判に要する期間を考慮して決めるのだということになっています。この辺あるいはその場合の数なども含めて御意見を伺っておきたいと思いますが、いかがでしょうか。

○大出委員 確認ですが、事務局の方では、この期間をどの程度というふうに考えていらっしゃるのか。もしあれば伺いたいのですが。

○辻参事官 期間と申しますと。

○大出委員 審判に要する期間を考慮してという場合、何を基準にして、どの程度の期間というようなことをお考えになっていらっしゃるのか。

○辻参事官 適当かどうか分かりませんけれど、前提として想定していたのは、準備手続で、争点整理とか、証拠開示の問題とかをやった後で、裁判員の選任という手続を経まして、それから公判審理を行うということですので、期間というのは、その公判審理の部分という趣旨です。

○大出委員 ですから、何日間ぐらい開廷するということでしょうか。

○辻参事官 それは事件によりまして、様々ですから。

○大出委員 つまり開廷期間が長くなれば、支障が生じる可能性が高いから入れるという話でしょう。ですから、それがどのぐらいの期間だったらばというふうに事務局は想定して、審判に要する期間ということをお考えになったのかということをちょっと確認したかったんです。

○辻参事官 それはなかなか。

○井上座長 大出委員はどのくらいだと思いますか。

○大出委員 私は、できれば全部に入れた方がいいと思いますけれども。

○井上座長 どんなに期間が短い場合でもですか。

○大出委員 争点準備手続の結果、公判が1日で終わるというようなことがはっきりしている場合は別ですけれども、二日にわたるというようなことになったときに、それこそ何があるか分からないですから、この前も、東北へ行きましたら、ドカ雪で電車がなかなか動かないとか、そういうことも起こりますし……。

○井上座長 とにかく1日で終わらない場合は、念のために置いた方がいいと、こういう御意見ですか。

○大出委員 はい。

○井上座長 という御意見ですが、ほかの方どうぞ。

○四宮委員 これは、要するにケースによっていろいろだと思うんですね。それで、今度の改革によって、十分な準備手続をするということになっていますので、そこで当事者とも打ち合わせの上で裁判官が見通しを立てて、置くか置かないか、そして置くとした場合の数を決めればいいのではないかと思います。

○井上座長 人数については法的な定めは置かないで、置くことはできるとするということですね。

○四宮委員 置くことができる。

○井上座長 ということでいいということですか。その場合、目安というのは、これも実証的な話ではないと思うのですけれど、大出委員のように、公判が複数の日にわたるようなら置くべきだというお考えですか。それとももう少し期間がかかる場合にということですか。

○四宮委員 ケースによると思います。ですから全く予測ができない問題だろうと思いますので。

○井上座長 日にちは、準備手続で、できる限り、審理計画を立てて、どのぐらいかかるかを見定めてやるということですので、無論途中で何が起こるかは分からないですけれど、大体予測がつくはずですよね。そういうことを前提にしてもケースによるということですか。

○四宮委員 見定めるのも裁判官に任せたらいいということですね。

○井上座長 見定められた場合に、何が基準になるのでしょうか。日にちというのは割とはっきりしているのですけど、それ以外に、例えばこの構成だと、病気になりそうな人がいるとか、そういうことですか。

○四宮委員 それはしかし基準は立てられないのではないでしょうか。

○井上座長 いろんな要素があるということですか。

○髙井委員 補充裁判員という制度が必要であることは分かるのですが、これをやたらに置くと、本来の裁判員が無責任になると思います。本来、裁判員というのは、指名されたら最後まで頑張るというのが原則でなければいけないわけで、それが雪が降ったから行けません、ほかの代わりの人と代わってもらいます、腹が痛くなったから行けません、はい、ほかの人と代わってもらいますということでは果たして裁判かということですね。
 ですから、抽象的なことをいえば、補充裁判員制度は、基本的には、例外的な制度として位置付けるべきだと思います。ですから、1日で終わる事件はもちろん要らないし、2~3日で終わる場合も原則は要らないのではないかと思います。ただ、10日を超えるとか、そういうことになると、それは事案の複雑さとか裁判官の考えとか、そういうもので、裁判官の裁量で決めればいいのではないかと思います。だから基準になるのは日数だろうと思います。
 数については、私は裁判員は5人という説ですから、5人を前提にすれば、3人ぐらい補充補充裁判員を入れるということになると思います。

○井上座長 補充裁判員がいるから、自分は行かなくてもいいやという気になってしまうのではないかということでしょうか。

○髙井委員 私が行かなくても、あの人が行ってくれるならいいだろうという人だって出てくるということです。

○井上座長 なるほど。

○本田委員 無責任になってもらっては困るというのは髙井委員と全く同じ意見なのですが、この場合の審理期間とか、何人にするかというのは、実際にやってみないと分からないと思います。だから、制度としては、審判に要する期間を考慮して必要と認めるときは置くことができるとしておいて、何回かやってみれば、ある程度経験で、どれくらいの期間だったら、このくらい必要だなとだんだん分かってくると思います。ある程度の経験を踏まえて運用で決めていかないと、最初から論理的にこうだああだと決めても、1日だから出てくると思っていたら、突然病気になって出てこないということだってあり得るわけで、そうすると裁判が開けないということでは大変なことになりますので、制度としては、こういったたたき台みたいな形にしておいて、実際動かしてみて、最初は念のために補充裁判員を置いておくということでよいのではないでしょうか。その上で、運用を見ながら決めていくしかないのではないかという気がします。

○井上座長 四宮委員に近い御意見でしょうか。どうぞ。

○平良木委員 制度の在り方としては、私はこのたたき台の在り方でいいのですけれども、補充裁判員は例外的に認めるというのが本来であり、どうしても出てこないときということが想定できる場合に置くということになってくるのだろうと思うんです。最初からそこのところを想定しながら、これを付けるというのは本末転倒かなという感じがします。ですからこういう形でやって、いろんな場合が出てくるでしょうけれども、ここら辺を余り安易に使うというのはちょっと問題があるかなという気がします。

○井上座長 ほかの方はいかがでしょうか。

○池田委員 補充裁判員を置くことができるという制度を作るのは必要不可欠だと思います。その人数とか期間についてはやってみないと分からないというところはあるでしょうし、確かに余り最初から全事件に置くとなると、補充員として入る人にも負担をかけるわけですから、そういうのは決して好ましくないわけですけれど、しかし、本当に置いておかないと、後でいなくなったときにもう一回最初からやり直さなければいけないというようなことになるのは避けなければいけないし、そして最初から補充員を置いていれば、その人は途中で正規の裁判員になるにしても、最初から証人尋問等を聞いているわけですから、そういう意味ではその人の関与について疑うべきところはないわけですから、そういう意味では長期になりそうなものについては置く必要があるのではないかと思います。その期間の長さに応じてその人数もある程度おいていかないとしようがないのではないかという気がします。期間以外の考慮要素というのはなかなか思いつきませんが、期間だけかというと、ちょうどそこに来た正規の裁判員が病弱そうな方ばっかりだったというようなときに、それではそれを考慮できないかというと、それも違うでしょうし、ある程度、期間以外の要素も考えることにはなると思いますけれど、主としては期間なのではないでしょうか。

○井上座長 ほかにいかがですか。補充員は置いてはいけないという御意見はないですね。他方、必ず置かなければならないというまでの御意見もなかったと思います。置くことができるとして、その要件ないし目安みたいなものをどういうふうに設定するのかという点で、個々の事件ごとに決めるしかないという御意見と、ある程度目安を設けることができるという御意見等があったということですね。
 まだ、たたき台の入り口で、入り口といっても、意見が分かれる論点について御議論いただいたので、かなりヘビーな一日だったのですけれども、まだまだこれから御議論いただかなくてはいけない論点が多数残っていますので・・・。何か。

○四宮委員 さっき、座長が、これ、また議論していただくとおっしゃってくださいましたけれども、ここの裁判官と裁判員の人数問題はまた議論するという理解でよろしいですね。

○井上座長 全体について、これでおしまいということはないのではないかと思っています。それで、先ほど冒頭で、この先をどうしていくのかということについては、時期を見て御相談させていただきたいと申し上げたのです。

○四宮委員 今日、いろいろ報道してくだされば、国民の関心もまた高まると思いますので、ぜひ、また議論してほしいと思います。

○土屋委員 しっかり報道すると思います。

○四宮委員 そうですか。

○井上座長 報道していただいて、国民の皆さんに関心を持っていただき、いろんな意見を寄せていただくというのは非常に大事なことだと思いますが、ここでの我々の議論は、それが少なくとも第一の目的ではありませんので、集中してこれからも御議論いただきたいと思います。

○土屋委員 一つだけ要望があるのですけれども。裁判体の構成で、男性だけで裁判をしてはいけないとか、女性だけで裁判をしてはいけないというふうにしておいた方がいいのではないかと思うのです。先ほど男女の比率みたいな話がありましたけれど、国民の健全な意見を反映させるといったときには、この検討会でも清原委員がいればバランスがとれると私は思うのです。男女が必ずいなければいけないという構成はあった方がいいと思います。それを感じます。

○井上座長 御意見として承っておきます。また御議論いただければと思います。
 時間を気にしすぎて申し訳ないのですけれども、私としては、合理的に見て許容できる程度の時間で会議は終わりたいと思っております。まだ後に残した事項が本当に数多くありますので、これから2週間に一遍ずつくらい集まっていただいて、時には激しい議論にもなるかもしれませんけれども、よろしくお願いいたします。
 事務連絡はございますか。

○辻参事官 いつも申し上げていることでございますが、国民の皆様からの御意見の目録を今回もお配りしておりますので、いつもどおり目を通していただいて、御覧になりたいというのがありましたら、お申し付けください。

○井上座長 どうもありがとうございました。これで終了したいと思います。次回は3月25日、午後1時30分からとなっておりますので、よろしくお願いします。