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裁判員制度・刑事検討会(第14回) 議事概要

(司法制度改革推進本部事務局)
※速報のため、事後修正の可能性あり

1 日時
平成15年3月25日(火)13:30~17:00

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員)
池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局)
山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1-1 罪名一覧(法定合議事件・法定刑に死刑又は無期懲役・禁錮が含まれる罪・故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪)
資料1-2 通常第一審事件(地裁)における終局人員数・平均審理期間・平均開廷回数
資料1-3 法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の終局人員について

6 議事

 前回に引き続き、第13回検討会配布資料1「裁判員制度について」(以下「たたき台」という。)に沿って、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入について議論が行われた。
 議論の概要は以下のとおりである。

(1) 裁判員、補充裁判員の権限
 たたき台の「1(2)裁判員、補充裁判員の権限」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 裁判員の権限について(たたき台1(2)アの関係)

・ 証人等に対する質問権と同様、意見陳述をする被害者への質問も認めてよい。

・ 専ら訴訟手続に関する判断と法令の解釈は裁判官が行うことを前提にしつつ、裁判官は、裁量により、裁判員をそれらに関する審理に立ち会わせて、その意見を聴くことができるものとするのが相当である。

・ 例えば、覚せい剤事件で、尿検査の結果覚せい剤の使用は明らかであるが、採尿時における捜査官の暴行を理由として、採尿手続の違法性が争われ、有罪・無罪が採尿手続の違法性の有無の判断のみにかかっているような場合に、裁判員がその判断に関与しないということでよいのだろうか。訴訟手続に関する問題でも、法的判断の前提となる事実認定が争われる場合には、裁判員を関与させる余地がないのか議論すべきである。

・ 違法収集証拠排除に関する事実認定のみを、他の訴訟手続上の判断の前提となる事実の認定と区別して扱う理由はなく、裁判員に評決権まで認めることは相当ではない。

・ 訴訟手続上の論点に関する事実認定には様々なものがあり、違法収集証拠に関するものだけを区別して扱う理屈は立たない。また、例に挙げられた覚せい剤の単純使用は裁判員対象事件とならないだろうし、裁判員対象事件で違法収集証拠が問題となる事案では、通常、証拠の収集手続が事件の実体判断とも関連するので、裁判員が列席する公判廷で証拠の収集手続が審理されることになると思われるし、評議の結論に影響を及ぼすような重要な問題は、訴訟手続に関するものであっても、裁判官から裁判員に意見を求めると思われるので、裁判員の関与なしに判断されるとの懸念は当たらない。

・ 違法収集証拠に関する判断に当たっては、事実認定だけでなく、令状主義の精神の没却の程度や過去の同種の事例との比較などを総合的に勘案した上で事案を評価する必要があり、このような判断は裁判官が行うのが適当であろう。

・ 訴訟手続上の問題であっても、事実認定が判断の重要な部分を占めていて、かつ、信用性の判断と密接に関連するものについては、裁判員に判断権限を与えてよい。

・ 訴訟手続や法令の解釈についての判断は、これまでの法解釈、判例等を踏まえて行うべきであり、そうでないと裁判官のみによる裁判との整合性もとれないので、裁判官のみが行うというのが妥当である。特信性や任意性の判断については、公判廷で証人尋問が行われるのであるし、任意性の判断と信用性の判断との切り分けが難しいことをも考えると、裁判員の心証が結論に反映されないことはないのではないか。

・ 任意性の判断と信用性の判断を区別しておかないと、証拠能力の判断が抜け落ちてしまい、例えば、手続に違法があったが証拠自体の信用性は高いというような場合に、信用性が高いのだから証拠として採用すべきだという判断に傾くおそれがあろう。

・ 指摘の点は、裁判官が裁判員に判断の仕方を説明をすればよいのではないか。

イ 補充裁判員の権限について(たたき台1(2)イの関係)

・ 補充裁判員が審理に立ち会い、審理中に合議体の裁判員が欠けた場合に、これに代わってその合議体に加わるものとすること、合議体に加わる前であっても、訴訟に関する書類及び証拠物を閲覧することができるものとすることは当然であり、妥当である。また、補充裁判員は正規の裁判員ではないので、評議において当然に意見を述べられるとはすべきでなく、裁判官から求められた場合に発言できるとするのが相当である。

・ 補充裁判員は、合議体の正規の構成員ではないので、評決権はなく、意見を権利として述べることはできないとすべきだろう。一方で、補充裁判員も自身の心証を形成する必要があり、補充裁判員が合議体に加わった時点で一からその疑問点を確認し直すことは手間なので、裁判長は通常、補充裁判員の考えをも確認しながら審理を進めていくことになると思われる。その意味で、補充裁判員は裁判長の求めがあれば意見を述べられることとしておくのがよい。

・ 補充裁判員独自の心証形成が必要であるとの前提に立てば、補充裁判員にも質問権を認めるべきではないか。

・ 補充裁判員の質問は、裁判長を通じて行うものとすれば十分であり、直接の質問権を認めるまでの必要性は乏しい。

・ 補充裁判員が述べる意見は、本来の裁判体構成員の意見とは言えず、後に正規の裁判員になる場合に備えた安全弁のようなものではないか。

・ 補充裁判員が最終的に合議体に加わらなかった場合、その意見は裁判の実体の形成に直接は影響を及ぼさない参考意見にとどまるという位置付けになると思われるが、そうだとすると、その補充裁判員が質問という訴訟行為を行うことが可能かということも問題となり得るかもしれない。

・ 補充裁判員の意見が正規の裁判員の心証形成に影響を及ぼす可能性もあり、それをどう評価するかという問題もある。

・ 補充裁判員は本来の構成員ではないから、構成員としての権限は行使できないとすべきである。補充裁判員に一定の権限を認める趣旨は、裁判員が代わったときの無駄な手間を省くことにあるのだから、補充裁判員の質問は、裁判長の権限において行うという程度しか認められないのではないか。また、補充裁判員の評議への出席は、義務付けるべきではないか。

・ 補充裁判員による質問は、裁判長を通じてであっても、裁判体の構成員以外の者が審理に影響を及ぼすことになるので適当でない。補充裁判員は、公判廷での証拠調べに立ち会う必要はあるとしても、評議に出席する必要はなく、正規の裁判員に事故があった場合に後から評議に加わるものとする方が、裁判体の判決形成にとっては望ましい。

・ 参加する国民の立場からすると、正規の裁判員であれ補充裁判員であれ、裁判に集中して関与できることが望ましい。補充裁判員は、いつでも裁判体に加われるよう準備しておく必要があるから、審理に参加させ、裁判長を通じて質問することも認めるべきである。しかし、合議体の適正規模を確保するためには、評議は基本的に正規の裁判員及び裁判官のみで行うのが相当である。ただ、評議の途中から補充裁判員がいきなり参加することになると、その負担が大きくなるので、あらかじめ出席しておいた方がよい。

・ 補充裁判員の単独での心証形成にかかわる部分は正規の裁判員と同様の権限を与えるべきであるが、評議という形での相互の意見交換は、裁判の内容に影響するので正規の裁判員のみで行うべきである。

・ 補充裁判員が評議に加わらないとすると、補充裁判員が途中から裁判体に加わった場合、その時点で他の裁判員との間で落差が生じることになる。

・ 指摘の落差は、補充裁判員であることに伴う限界でありやむを得ないが、落差を埋めるための手当てが必要だろう。

・ 落差を小さくする方法として、補充裁判員にも評議に参加してもらうという考えと、評議には参加させずに別の手当てを講じるという考えとがあるということだろう。

・ たたき台の案によっても、補充裁判員と正規の裁判員との落差を埋めるという趣旨は実現可能であると思われる。

・ 評議への出席を義務付けた上で、意見を述べる場合は裁判長を通じて行うものとすべきである。

(2) 評決
 たたき台の「1(3)評決」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

・ 被告人に不利な裁判は、3分の2以上の多数であって、裁判官及び裁判員の各1名以上が賛成する意見による、という特別多数決制とすべきである。裁判員は、無作為抽出で選ばれ、1件の事件だけを担当するという前提であるから、職業裁判官と比べ、判断にばらつきが生じると考えられる。したがって、被告人に不利な判断をする場合には特別多数決制とした方が、裁判の安定性・慎重性をもたらすことができる。なお、独、仏などでも、国民が参加する裁判体について3分の2以上という特別多数決制が採られている。

・ 現行裁判制度の単純多数決制を変更する理由はない。慎重な判断の確保や意見のばらつきの防止を理由とするのは、裁判員一人一人の能力が職業裁判官より劣っていることを前提としないと成り立たない議論ではないか。また、同じ刑事裁判の中で、単純多数決と特別多数決とが混在するのも不自然である。

・ 特別多数決制とすべきというのは、裁判員の能力が劣っているという趣旨ではない。しかし、裁判員は無作為に選ばれ、裁判に関する知識・経験は前提とされない制度になるのだから、評議では多様な見解が示されることが予想される。評議では、多様な意見を一つにまとめることを目指すとしても、意見がまとまらない場合には、特別多数決とした方が評決が安定すると思われる。

・ やはりそれでは、裁判員の入った裁判は危険だというふうに聞こえる。

・ 裁判に国民の健全な社会常識を反映させるのが裁判員制度の趣旨であるのに、国民の多様な意見が反映されると判断が不安定になるという議論はおかしい。また、裁判は、有罪であれ無罪であれ事実を明らかにすることが目的であり、有罪の場合だけ慎重に判断すべきだということにはならない。B案によれば、「被告人に不利な裁判」に当たるか否かの判断が困難な場合があり得るし、またC案によると、結局、被告人に不利な裁判は、結局、裁判官の意見で決まることとなり、裁判員制度の趣旨に反することになるので、A案が妥当である。

・ 独、仏における国民の司法参加制度は、民主主義の原理や国民主権の観点から、君主が行っていた裁判を国民の手に取り戻すという発想によるものである。そして、素人である国民が裁判を行う以上、事実認定が粗くなるので、判断を慎重にするために、要件を厳しく3分の2以上にしたという歴史的経緯があり、裁判員制度とはそもそもの発想が異なる。裁判員制度では、現行のとおり、単純多数決でよく、A案とB案のいずれにするかは、裁判官と裁判員の人数を勘案して決めるべきだろう。

・ A案とB案とは、裁判員と裁判官との構成に関係なく、意味するところはほぼ同じなのではないか。B案によると、現行の評決方法を前提とすると、ある事実について有利か不利かが直ちに分からない場合に、評決方法の判断が困難となるので、有利・不利の区別をつけずにA案を示したということではないか。

・ 例えば、殺人事件の被疑者が、被害者から継続的に暴行を加えられていたという事実が問題になったとすると、当該事実は、殺意に関しては被告人に不利な事実と言えるであろうが、正当防衛の成否が問題になるような場合には、事案にもよるが、被告人に有利な事実とも言える。そうすると、B案のように「不利な裁判は」との要件があると、当該事実の事実認定に関し裁判体で意見が分かれた場合、どの評決要件によるべきなのかという点で困難が生じると思われる。特に、裁判官と裁判員の意見が分かれた場合、その事実をどう扱うのか難しくなる。一方、A案の場合、意見が分かれていれば、単純に評決の要件を満たさないということで、その事実は認定できず、真偽不明と結論づけざるを得ない。その後の取扱いは、殺意を基礎づける間接事実としては、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、当該事実が存在したと取り扱うことは許されず、一方、正当防衛を推認させる事実としては、当該事実が無かったとの認定ができない以上、そうした事実があったものとして取り扱わなければならないことになる。B案によると、被告人に不利な場面では認定せず、有利な場面では認定するということになるのかもしれないが、場面によって認定するか否かが異なってよいのかという疑問があることから、A案を考案したものであり、最終的な取扱いには違いが生じないのではないかと考えている。

・ A案では裁判員だけで無罪にできるが、B案ではそれができないということにならないのか。

・ A案のように、無罪についても双方1名以上が賛成する多数決が要件とされると、理屈の上では有罪でもなく無罪でもないという中間領域が生じるようにも見えるが、有罪にできない限りは無罪にしなければならないのであるから、A案でもB案でも結論は同じことになるのではないか。

・ 立証責任は検察官にあるという原則は変わらず、真偽不明の場合は被告人に不利な取扱いはできないのであるから、A案でも同じことではないか。

・ 特別多数決とする理由は見出せないので、単純多数決でよい。B案の趣旨は理解できるが、論点ごとに有利か不利かを判断するのは難しいので、現行の実務で行われているような論点ごとの評決ということを前提とする限り、B案では支障が生じ得るだろう。A案でも結論が変わらないのであれば、A案でよい。

(3) 対象事件
  たたき台の「1(4)対象事件」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

ア 対象事件について(たたき台1(4)アの関係)

(ア) 原則

・ 永続的な制度とすることを前提に議論するのか、それとも、暫定的なものと位置づけて数年後に見直すこととし、段階的に対象事件を拡大することを考えるべきなのかを考える必要がある。基本的には、A案の法定合議事件を対象にすべきと考えるが、まずは裁判員制度を定着させることが重要であるから、当初は対象事件数を絞り、裁判員制度が定着するまでの5年間程度は、B案、C案又は両案の折衷案とすることも考えられる。

・ A案の法定合議事件には、文書偽造など、裁判員裁判とする必要性・合理性の無い事件が含まれており、対象が広すぎる。B案では、人の死という重大な結果が生じた傷害致死など国民の関心が高い事件が含まれず、他方、C案では事件数が少な過ぎるので、結論として、B案プラスC案とするのが相当である。

・ 法定合議事件では広すぎる。意見書には、法定刑の重い重大事件とあるが、重大事件には、形式的に法定刑が重いというだけでなく、一般国民の関心が強い事件という意味もあると思われる。被害者が死亡している事件は、社会的関心が強いといえ、裁判員裁判になじむと思われるので、その意味でC案は相当であるが、殺人未遂が含まれないのは妥当ではなく、結局、B案とC案の折衷が相当ではないか。

・ 国民参加の趣旨から、件数の問題は軽視できない。国民が参加を実感できる数を設定すべきであるが、法定合議事件の件数でも十分な数とは思えない。余り件数を少なくして、管轄区域内に対象事件が1件も無いことになっては困る。

・ 例えば、殺人はAないしC案のいずれを採っても対象事件となるが、殺人事件が全く無い地方はないのだから、懸念は当たらない。A案に含まれる事件には、文書偽造や覚せい剤の譲受け、譲渡し、けん銃の所持など、裁判員裁判に必ずしもふさわしくない事件も少なくなく、国民の関心の高い事件を対象とするB案やC案が適当ではないか。

・ 最初からなるべく多くの人に参加してもらい育てていくという方法もある。対象事件を選ぶ基準としては、国民生活に深くかかわる重大事件であることと、一生に一度くらいは任務を担当する可能性がある件数とすることが必要であり、事件数が余りに少ないのは適当ではない。この二つの要請を満たすものとして、法定合議事件を対象事件とするのは合理的と思われる。法定合議事件は、半世紀の間、重大事件のカテゴリーとして機能してきた客観的・形式的な基準でもある。しかも、法定合議事件も、その多くは自白事件であるから、国民の負担という点でも十分対処可能だろう。B案では、傷害致死や危険運転致死など、国民生活に深くかかわる重大犯罪が対象にならないし、C案では殺人未遂が対象とならないなど問題がある。

・ 犯罪行為の形態・中身と犯罪の結果に着目して、C案をベースとし、それではカバーしきれない国民の関心の高い犯罪、例えば、身代金目的拐取やハイジャックなどを加えることとしたらどうか。

・ A案は、覚せい剤の営利目的所持など、国民の関心が高い重大犯罪とは必ずしも言えない事件まで対象となるので妥当ではない。結論としては、B案、C案、又は両案の折衷とすべきだろう。余りに対象事件を広げた結果、出足から制度がつまずいてしまうという事態だけは避けなければならない。なるべく多くの国民が経験した方がよいというのは一つの考え方として理解できるが、最初の段階で制度の運営に失敗したら何にもならない。国民が、裁判員裁判に積極的に参加しようという人ばかりならばよいが、検察審査員の例を見ても、参加を嫌がる人がいることは否定できず、そうした点も考慮して、裁判員制度を現実に動く制度とすることが重要である。

・ 法定合議事件をベースに、そこから裁判員による裁判になじまない事件を除外してはどうか。B案プラスC案では、国民の関心が高いと思われる生物兵器・化学兵器の製造などが外れてしまう。他方、銃砲刀剣類所持等取締法関係の事件などは外してよい。

・ 検察審査会制度については、国民の関心が不十分な点もあるかもしれないが、それは制度の周知徹底が不十分だったからではないか。裁判員制度について周知を図り、国民が参加することは当然なんだという雰囲気を醸成していくためには、制度が現実に動いていることを認識してもらう必要があり、そのためには、目に見えるところで裁判員裁判が行われている必要がある。最低限、法定合議事件をベースとして対象事件を検討すべきであり、そこから更に対象事件を増やしていくという発想が必要ではないか。

・ 私は、従前より、参審制度は軽い事件にこそふさわしいと主張しており、裁判員制度についても同じである。それに加えて、極めて重い部分に限定して制度設計しようという発想があったが、今回は軽い事件は対象にならないので、重い部分としてはC案が残ることになる。しかし、C案だけだと対象事件数がいかにも少なく、裁判員制度が行われているという実態を示すためには、対象事件をB案程度までには広げないといけない。とすると、B案とC案を併用せざるを得ないのではないか。具体的な対象事件については、化学兵器の製造のほか、爆発物の製造なども対象にすべきだろう。制度の見直しに関しては、対象事件だけでなく、制度全般について何年後かに見直す必要がある。

・ 参加に積極的な国民ばかりではないということを、対象事件の検討の出発点とすることには大きな疑問を感じる。確かに国民に負担をかけるが、だからこそ、国民が参加しやすい環境を整備する必要がある。大勢の人が参加するからこそ、参加しやすい環境の整備が進んでいくのであり、その意味でも、一定の事件数を確保した方がよい。また、法定合議事件に含まれる薬物事犯は、国民生活に深く関わる重大な問題と言えるのではないか。米国でも、陪審員として薬物事犯を経験することにより、薬物には決して手を出さないようにしようと感じる人が多いと聞いており、薬物事犯を対象とすることは、大きな社会問題を認識してもらうためにも意義のあることだろう。

・ 現実問題として、一定の環境整備をすれば裁判員が必ず集まり制度が機能するという保証はなく、かつ、検察審査会では検察審査員を集めるのに汲々としているという事実があるのに、対象事件を広げて必要な数の裁判員を集めることができずに制度が機能しなかったらどうするのか。裁判員制度を現実に動かすという観点も必要である。

・ 武器等製造法、爆発物取締罰則や覚せい剤取締法に関する罪名を加えるべきとの意見が述べられたが、実際の事案の中身を知る立場から言うと、期待にそえるような案件はほとんど無いと思われる。裁判員制度の趣旨は、司法の国民的基盤を確固たるものにすることであり、それを具体化するに当たっては、家族や地域社会の中に経験者が一人いることを目指すというよりも、体験を社会的に共有することを目指すことが相当ではないか。計画的に制度を立ち上げ、堅実に運営していくことを目指すべきである。

(イ) 併合事件の取扱い

・ たたき台のとおり、対象事件と併合されることとされた事件は、対象事件でなくても、裁判員の加わった合議体で審理するものとするのがよいだろう。

・ 事務局説明で例に挙げられたように、対象事件である殺人事件と、対象事件ではない死体遺棄事件を併合して一緒に審理できるようにしておく必要はあるだろう。

イ 訴因変更の場合の取扱いについて(たたき台1(4)アの関係)

・ 裁判員対象事件から非対象事件へと訴因変更された場合には、裁判員の加わった合議体でそのまま審理すればよいだろう。他方、裁判員制度の非対象事件として審理が始まったが、後に訴因が変更されて対象事件となった場合、途中から裁判員を加えるという対処もあり得るが、審理が進んでいる場合にはかなり難しいのではないか。

・ 裁判員制度の対象外の事件が訴因変更の結果対象事件となった場合は、訴因が変更された時点で裁判員事件になるのだから、裁判員を入れなければならないだろう。ただし、その場合でも、最初から審理をやり直す必要は無いと思われる。審判対象が変更された段階で、それに対応して裁判を行うというのが筋で、たたき台の例の場合は、裁判員を入れた丁寧な形でやっていたわけだから、それを崩さないでできるのであればそのままやっていこうということだろう。

・ たたき台の案で結構である。現状でも、非合議事件から合議事件に訴因変更された場合には合議体で審理せざるを得ないのであるから、非対象事件から対象事件へと訴因変更された場合にも、裁判員を加えた裁判体で審理するのが筋ではないかと思われる。ただし、その場合、最初から証拠調べをやり直すことになると、証人等に大きな負担をかけることになるので、裁判員についても公判手続の更新があり得ることにすべきであろう。

ウ 事件の性質による対象事件からの除外について(たたき台1(4)ウの関係)

・ 一般の国民に、必要以上の心理的負担をかけるべきではないので、必要以上の心理的負担、身体的危険を感じさせる事案については、定型的に除外すべきである。対象となる事案を罪種で固定するのは困難なので、A案の(ア)のような書き振りでよい。

・ 除外制度は設けないのが適当である。裁判員に負担を感ぜしめる事情はあり得るが、除外について明確な基準を設けるのは困難であり、A案の(ア)のような抽象的であいまいな基準を設けると、裁判員制度が重大事件を対象としていることと相まって、対象事件の範囲を不当に狭めてしまうおそれがある。仮に、A案の(ア)の定める事情が具体的に想定される事件があったとしても、そうした場合には、裁判員に対する保護や警備で対応するのが筋であり、裁判員の個人情報の保護・管理を一層徹底することや、安全で迅速な裁判を心がけることも必要である。安全な裁判としては、例えば、法廷で傍聴席から裁判員の顔が見えないようにするなどの対処があり得る。

・ 一定の事件について対象事件から除外することは必要だろう。個々の裁判員が警備を必要とするような状態に置かれるということ自体が望ましくなく、公正な裁判がなされるという外観が維持できなくなる危険があるのではないか。

・ テロ犯罪や組織的犯罪であることだけを理由に除外するのは、裁判員制度の趣旨からして好ましくなく、まずは裁判員の保護や警備で対応すべきである。しかし、どうしても保護が困難な場合の安全弁として除外の制度が必要である。国民に負担を強いた上に、裁判員に犠牲が出るようなことは絶対に避けなければならないし、極端な心理的圧迫の中で本当に的確な判断ができるのかという点についても考慮しなければならない。

・ 一般的抽象的にはそうした危険があるとしても、危険を類型化することは難しい。どのような事案にも危険は生じ得るのであり、危険について言い出すと非常に広い基準となりかねない。具体的にどのような事件を除外するのか、明確な基準が分からない。

・ 国民の負担に関して考慮すべきことは二つある。一つは、多くの人に負担をかけないということであり、もう一つは、一人の人に過大な負担がかかることは避けなければならないということであるが、このうち、後者の方が重要である。その意味で、除外規定を設けることには反対ではない。しかし、除外の対象となるような事件は、裁判官にとっても難しいわけであり、そういう事件について、裁判官3人で審理することは矛盾しないかという問題があるので、裁判員を外すとすれば、裁判官を一人加えるという制度にすべきではないか。一定の事件を除外するのであれば、そのような重大事件を特別に扱う管轄を持つ裁判所をもうければよいのではないか。

・ ここでは、裁判員に危険が及ぶかどうかが問題となっているのであり、「難しい事件」かどうかというのとは質が違う。また、裁判員は健全な常識を反映させるために加わっているのであり、裁判員に代えて、裁判官を加えることで代替できるものではないのではないか。

・ 除外規定は設けるべきである。裁判員を保護することで裁判員の持つ懸念やおそれを解消することは難しいと思われるので、保護を前提として除外規定を設けないという議論は成り立たない。また、A案の(ア)に示されている事情が認定できるかについて疑念が表明されているが、一律的類型的に判断することは難しいかもしれないが、個別具体的な事件について個々に判断することは可能と思われる。

・ B案が妥当である。除外対象事件を設けるとすると明確な基準が必要であるが、A案では規定が抽象的すぎる。公正な判断ができない事情とは何であるのかを適正に判断し得るものなのかを懸念する。もともと除外すべき性質の事件であれば、当初から他の管轄に移すという対応の方が望ましいのではないか。

・ ここで想定されている除外の対象となる事件は、事件の内容や軽重とは全く関係なく、むしろ、被告人の属性と関係しているということを念頭に議論すべきである。そのように、被告人の属性と関連するのであるから除外対象が無限定に広がるものではなく、具体的な認定の手続では、危険性の疎明などが要求されるなどするだろうから、除外の対象が無限定に広がり裁判員対象事件が無くなってしまうようなことはあり得ない。また、裁判員を保護するとしても、警察が24時間張り付いて警備することは不可能であるから、完全な保護はできないことを前提にしないと、現実的な議論にはならない。

・ 除外の判断主体に関しては、時間的に余裕がある場合には外部の裁判官が判断するとしても、時間を争う緊迫した状況の中では、裁判員の心理状況を迅速・的確に察知し得るのは、同僚たる裁判官であるという考えも成り立つのではないか。第三者性を尊重するだけでなく、当事者の直感的な危機感を尊重した判断のため、迅速な対応が求められることもあると思われ、現実的な対応が必要である。

・ 除外の制度を設けるかどうかは、罰則規定や裁判員の個人情報保護とも関連する問題であり、これらを絡めて検討すべきではないか。

・ 理念的には、除外制度を設けずに済むように保護や警備で対処すべきと考えるが、そうした対応策で完全に危険が排除できるわけではなく、そうした場合に備えて除外の規定を設けておくということはあり得る選択だろう。しかし、除外の当否についての判断は非常に難しいと思われ、個々の判断基準にばらつきが生じないよう、どのように運用するのかについて十分に議論しておく必要がある。また、たたき台の中に「民心」という用語があり、これは刑訴法の管轄移転の要件に関する規定でも用いられているが、管轄移転が認められた例は稀である。裁判員対象事件からの除外は、裁判地の変更以上に大きな影響があるから、もう少し明確な要件にしておくべきではないか。ある犯罪について全国的に大きな報道がなされた場合にどうするのかなどについても、あらかじめ議論しておく必要がある。

(4) 裁判員の要件
 たたき台の「2(1)裁判員の要件」に関し、主として、以下のような意見が述べられた。

・ 年齢については、選挙権を有する者と同じにすべきである。被選挙権の年齢制限は、職業的に公務を行う者についての要件であり、裁判員には当てはまらない。裁判員制度では、裁判員が無作為に選ばれ、1回だけ職務を担当するという制度設計であるから、選挙権と同一の基準で判断する必要がある。健全な社会常識の反映という趣旨からも、25歳又は30歳未満の者が裁判員となり得る制度とするのが適当である。

・ B案が妥当である。被選挙権が選挙権と同じとされていないことにはそれなりの合理的理由がある。裁判員制度は、国民の健全な社会常識・経験がプロの裁判官の判断と合一してよりよい判断に至ることを目指しているのであるが、20歳では、大半の人は大学生であり、必ずしも十分な社会経験を有しているとは言えない。安定した制度とするためには、25歳以上の人を裁判員に充てるのが適当だろう。

・ 国民が統治主体として国政に参加することを求めているのだから、選挙人名簿に登録されている人間を基準にすべきではないか。若者は、我々の想像がつかない知恵・認識を持っており、多くの国民が色々な形で参加することで社会常識が形成されるのだから、18歳以上にするということもあり得るだろう。

・ B案のように、20歳よりは若干引き上げる方がよい。社会常識の反映というのは、裁判に関与する個々人の社会常識を反映するという趣旨であり、年齢要件を20歳以上にすれば社会常識がより反映されるということではない。国政に関与するのだから選挙権に合わせるべきとの意見があったが、裁判員になることは、司法作用という国権行使の重要な部分に携わるということであるから、同じく国権行使に直接携わっている国会議員の被選挙権に対応させるのが筋ではないか。

・ B案かC案が妥当だろう。自ら判断することと、判断する人を選ぶこととは違うと思われ、裁判員は、重要な判断を行うわけだから、25歳や30歳という年齢要件を設けることはおかしくないだろう。

・ B案が妥当である。裁判員は公の職務であり、判断者でもあるのだから、単に国政に参加する資格があるというだけでは足りず、社会経験・人生経験が必要になってくるのであり、それを満たすのは25歳くらいからではないか。司法制度改革審議会で判事補制度について論じられた際も、判断者として成熟するには一定の年齢が必要ではないかとの議論があったと記憶しており、被告人の納得を得るためにも、一定の人生経験を有した人が判断する必要があるのではないか。

・ 年齢の要件と欠格事由は関連する問題であり、選任要件はできる限り開かれている方が望ましい。裁かれる人の納得も大事だが、できれば、選挙権を有する者全員に対象を広げるべきである。人生経験の有無が論拠になっているようだが、20歳なら20歳なりに然るべく対応してもらうことが望ましいのではないか。

・ C案が妥当である。裁判をする側の責任は重大なものであり、社会経験の有無は無視できない。年齢は上の方が望ましいと考える。

・ たたき台では「衆議院議員の選挙権」という書き方をしているが、地方自治法にある「普通地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する」者とすべきではないか。近時、地方参政権についての議論が高まっており、最高裁でも在留外国人に地方参政権を認めることは憲法の禁じることではないとの判断を示している。司法権が国権の一翼であることに疑いはなく、司法権が地方自治の一内容ということではないが、その一方で、裁判員裁判は、一地方における住民に参加してもらうものであるし、刑事裁判は、その地域における正義の修復という趣旨もあると思われ、そのような刑事裁判の一側面を考えたときに、仮に国籍が無くても一定の範囲で在留外国人が裁判員として入り得る扉を開いておくべきではないか。

・ 憲法上、刑事司法作用は、国の権力行使・統治の作用であり、他方で、地方公共団体の選挙は憲法上地方自治の問題であるから、両者は論理的に関係なく、そのような議論は理屈が立たない。

・ 刑事裁判は国権の作用であり、地方選挙の名簿によるのは相当でない。各地方の実情に即した量刑はあり得るとしても、地方によって司法の運用にばらつきがあってよいわけではなく、衆議院議員の選挙人名簿によるのが相当である。

・ 地方自治と司法作用を同列に考えることには納得できない。外国人も裁判員になることができるようにするためにそうするのであれば、そもそも、なぜ国権の作用に外国人を参加させるのかというところから議論しなければならない。

・ 今すぐに外国人を参加させろとか、刑事司法が地方自治の一部であると言っているのではなく、一定の定住外国人が統治に関わることについて今後議論されるだろうから、将来の検討のために扉を開いておくべきではないかということである。

・ そのような趣旨から仮に外国人が裁判員になることを将来認めるとしても、そのために裁判員の要件を地方参政権に連動させるというのは筋違いである。むしろ、国政への参与の途が広げられ、他の国権の作用にも参加することが認められていくというのが筋ではないか。

(5) 次回以降の予定
 次回(4月8日)は、引き続き、刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入に関する検討を行う予定である。

(以上)