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裁判員制度・刑事検討会(第14回) 議事録

(司法制度改革推進本部事務局)



1 日時
平成15年3月25日(火)13:30~17:00

2 場所
司法制度改革推進本部事務局第1会議室

3 出席者
(委 員) 池田修、井上正仁、大出良知、清原慶子、酒巻匡、四宮啓、髙井康行、土屋美明、樋口建史、平良木登規男、本田守弘(敬称略)
(事務局) 山崎潮事務局長、大野恒太郎事務局次長、古口章事務局次長、松川忠晴事務局次長、辻裕教参事官

4 議題
「刑事訴訟手続への新たな参加制度の導入」について

5 配布資料
資料1-1罪名一覧(法定合議事件・法定刑に死刑又は無期懲役・禁錮が含まれる罪・故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪)
資料1-2通常第一審事件(地裁)における終局人員数・平均審理期間・平均開廷回数
資料1-3法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の終局人員について

6 議事

○井上座長 所定の時刻ですので、第14回裁判員制度・刑事検討会を開会させていただきます。
 本日も御多忙の折、御参集いただきましてありがとうございます。
 本日は、前回に引き続き、刑事訴訟手続への新たな参加制度、いわゆる裁判員制度の導入に関する二巡目の議論を行いたいと思います。
 まず、事務局から、配布資料についての説明があるということです。

○辻参事官 お手元にお配りいたしました資料について御説明いたします。これは、最高裁の資料などに基づいて当事務局で作成したものでございますが、いずれも、主として裁判員制度の対象犯罪を御検討いただく際の参考にしていただく趣旨で作成したものでございます。
 まず、資料1-1の「罪名一覧」を御覧ください。第4回検討会の際に、法定合議事件及び法定刑に死刑又は無期懲役・禁錮が含まれる罪の罪名表を資料としてお出ししておりますが、この資料は、たたき台に、C案として、法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪のものを記載しましたことを踏まえまして、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の罪名の一覧を付け加えたものでございます。
 この資料の末尾の(注2)に記載しておりますとおり、C案で一つの限定となっております法定合議事件に当たらないものにつきましては、(*)を付けております。
 次に、資料1-2の「通常第一審事件(地裁)における終局人員数・平均審理期間・平均開廷回数」でございますが、この資料は、通常第一審事件のうち、地方裁判所で行われた事件の人員数等を、地裁全体、法定合議事件、法定刑に死刑又は無期懲役が含まれる事件のそれぞれについてまとめたものであります。これは第4回検討会の際にお出ししました資料に、新たに平成13年の統計を付け加えたものであります。
 続いて、資料1-3の「法定合議事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の終局人員について」ですが、これは、たたき台のC案の対象事件の件数について取りまとめたものでございます。ここに記載しておりますとおり、たたき台のC案による対象事件の終局人員数につきましては、強制わいせつ致死傷及び強姦致死傷に関して、致死と致傷の結果を区別した統計がとられておりませんことから、正確な統計は存在いたしません。ただ、第5回検討会でも申し上げましたとおり、経験上、強制わいせつ致死傷、強姦致死傷の大部分は、恐らく致傷にとどまる事案、したがいまして、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪には当たらない事件であろうと思われます。
 そこで、仮に強制わいせつ致死傷及び強姦致死傷事案がすべてC案の対象事件に当たらないと仮定いたしますと、平成13年の統計で、その終局人員数は858人となります。第5回検討会の際には、統計の概数に基づいて857人と申し上げたところでございますが、統計の確定値としては858人となったということでございます。ただいま申し上げましたように、これに若干数の強制わいせつ致死又は強姦致死が加わると考えられますことから、平成13年のC案の対象事件は858人を若干上回ることになると思われます。
 また、資料の表の上の方に記載しておりますとおり、現在、C案の対象事件には、新設された刑法208条の2の危険運転致死罪が含まれます。ここに記載しておりますとおり、法務省刑事局に対する報告によれば、平成13年12月25日の施行後約1年間に危険運転致死罪で公判請求された人員は、48人であるということでございます。  最後になりますが、司法制度改革推進本部では、平成15年通常国会に、司法制度改革に関連する4つの法律案、すなわち、裁判の迅速化に関する法律案、司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律案、仲裁法案、並びに、法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律案を提出いたしました。この4法案の関係資料を席上配布させていただきましたので、御参照いただければと思います。
 以上でございます。

○井上座長 ありがとうございました。それでは、早速中身の議論に入りたいと思います。
 前回は、項目1「基本構造」の(1)「裁判官と裁判員の人数」というところについて議論していただきましたので、本日は、それに続く(2)「裁判員、補充裁判員の権限」から議論していきたいと思います。
 まず、その中の「ア 裁判員の権限」についてでありますが、たたき台では、御承知のように、裁判員の権限として(ア)から(ウ)までの3点が挙げられております。
 (ア)は、裁判員は、有罪・無罪の決定及び刑の量定に関し、審理及び裁判をするものとする、というものでありますけれども、これは、司法制度改革審議会意見の提言をそのまま掲げたものであります。
 (イ)は、「裁判員の質問権」の存在を確認したものであり、(ウ)は、裁判員は、本来権限を有してない事項についての審理にも、裁判官の判断により立ち会うことができ、求めがあるときは意見を述べることもできるとしたものであります。
 まず(ア)ですが、いま申したように、司法制度改革審議会の意見の提言をそのまま掲げたものですので、このとおりではないかと思うのですけれども、特に何か御意見がございましたらどうぞ。この点はよろしいですか。
 次の(イ)の「質問権」についてはいかがでしょうか。これも、意見書で裁判員には質問権があることにされていますが。

○髙井委員 訴訟関係人は、被害者の意見陳述に対して趣旨を特定するための質問ができますよね。この書き振りですと、意見陳述をしている被害者に対する裁判員の質問は認めないという趣旨でしょうか。

○井上座長 いかがですか。

○辻参事官 たたき台としては、特段排除する趣旨ではありませんが、そこは御議論いただければと存じます。

○井上座長 髙井委員の御意見はいかがですか。

○髙井委員 それは認めてもいいのではないかと思います。

○井上座長 ほかの方は、この点いかがですか。特に御意見はありませんか。
 次が(ウ)ですが、この点についてはいかがでしょうか。専ら訴訟手続に関する判断や法令の解釈は裁判官が行うということを前提にした上で、適当と認めるときには裁判員にも審理に立ち会ってもらって意見を聴くことができるということなのですけれども。

○平良木委員 これは、裁判官の運用に任せるということになるのだろうと思うのですが、この案でも結構だろうと思います。

○髙井委員 一巡目の議論でも問題になったと思うのですが、例えば、裁判員裁判の対象事件になるかどうかは別として、覚せい剤の使用事件で採尿手続に違法があるという主張があって、その判断さえクリアーしてしまえば有罪・無罪が自動的に決まってくるという事案があると思うのですけれども、そういう場合、この原案では、裁判員は違法収集証拠の判断には関与しないということになるという理解でいいのでしょうか。

○辻参事官 違法収集証拠の排除というのは、性格上は訴訟手続に関する判断に当たると思いますので、このたたき台によりますと、裁判員は評決権を持った形での関与はしないという考えになります。ただ、今の(ウ)の範囲、つまり、評決権はないが意見を述べるという範囲での関与はあり得るということです。

○髙井委員 そうすると、採尿のときに殴られたという主張が被告人から出ていて、捜査官は殴ってないと言っていて、殴っていれば違法収集証拠となり、殴っていなければ違法収集証拠でないという場合、殴ったか殴らないかの判断は裁判官のみで行うということになるのでしょうか。

○井上座長 今の枠組みだとそうではないでしょうか。

○髙井委員 そういうことになるわけですね。それでいいかという問題ですね。

○井上座長 それは、前から髙井委員がおっしゃっていることですが、ほかの訴訟手続上の判断の前提となる事実についての認定とはたして区別できますか。

○髙井委員 そこは難しいところですよね。

○酒巻委員 法律的な枠組みとして、訴訟手続上の判断の前提となる事実の認定ということになれば、区別は不可能だと思われます。そして、大枠としては、訴訟手続上の判断は裁判官にゆだねるわけですから、違法収集証拠排除問題だけを取り出して、その事実認定の部分について裁判員に判断権があるという構成をすることは無理と思います。

○髙井委員 違法収集証拠のみに限定して言っているのではなくて、訴訟手続に関して、法律の評価だけが問題になる場合と、法律の評価あるいは適用の前提になる事実認定に争いがある場合と二通りあると思うのです。後者については、裁判員を入れる余地はないのかということなのですけれども、私は結論に固執しているわけではないのですが、そこは一応議論していただいた方がいいと思うのです。

○池田委員 基本的にたたき台でいいと思います。今、髙井委員の言われた論点、訴訟手続上の論点についての事実認定といってもいろいろなものがあって、酒巻委員が言われたように、違法収集証拠なり、そういうものだけを区別するのは理屈の上で多分無理だと思うのですね。また、実際には、違法収集証拠で最初に出された例は、覚せい剤の使用事犯で尿の採取の手続に違法性があると主張された事案で、これは今の案によれば裁判員対象事件に入らないわけですが、裁判員対象事件で、そういう違法収集証拠、すなわち証拠の収集手続が争われる場合、そのかなりのものは、公判廷で、どうやって証拠を収集したのかが問題にされるような事案ではないでしょうか。状況証拠なり、現場に何があったのかとか、そういう問題と関連することが多くて、実体問題と切り離して、公判廷でないところで訴訟手続上の問題のみに関する証拠調べをやるような事案は想定しにくいと思われます。それから、訴訟手続上の判断は裁判官が決めるとしても、第1ラウンドの議論にあったように、裁判員と一緒に証言を聴いて、そして、裁判員のいるところで法律解釈なり手続上の問題を解決していく際に、頭から、関係ないから裁判員は黙っていてくださいということはあまりないと思うのですね。それが、本当に訴訟の結論を決めるような大事な問題であったら、こういうことになるけどどうかということは、当然裁判員にも話をして意見を聴いて行うことになると思います。ですから、訴訟手続に関する問題点のうち前提問題にだけ裁判員を関与させるというような切り方をしなくても、このたたき台の案でいいのではないでしょうか。

○本田委員 違法収集証拠の証拠能力の問題を判断する場合、事実の存否だけで決められるとは限らないわけですね。例えば、最高裁の判例によれば、違法収集証拠の証拠能力に関する判断には、令状主義の精神を没却するような重大な違法があったかどうかというかなり評価的な部分があって、そういった違法の程度の問題が入ってきます。そして、それは、ほかの事例とかいろいろなものを総合勘案して判断しなければいけないとなると、これは裁判官にやっていただくほかなく、裁判員の人に判断してもらうことは無理ではないか。そういう意味では、たたき台の案でいいのではないかという考えです。

○井上座長 裁判員のいないところで事件の決着がつくのはいかがなものかというのが髙井委員の基本的な発想ですが、公判廷で問題が出てきて、そこで審理がなされ、必要ならば裁判員の意見も聴かれるということでは不十分ということでしょうか。

○髙井委員 例えば、今のような事例の場合、捜査官の証人尋問が必要になるわけですけれども、今の議論では、その場合、準備手続で行うのではなくて、公判で行うことになるという前提ですか。

○池田委員 必ずしも、そうなるとは限らないです。

○井上座長 池田委員が言われたのは、裁判員裁判の対象になるような大きな事件では公判で行うことになるのではないかということですね。

○池田委員 本当に証拠能力だけに関連し、事件の実体判断の関係では全く証拠収集手続が問題にならないような場合には、準備手続でやるということもあり得ると思うのですね。しかし、それが事件の帰すうを決めてしまうようなものというのは、裁判員対象事件では考えにくいのではないかということです。

○四宮委員 今の件ではないのですが、よろしいでしょうか。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 この(ウ)と(ア)の関係なのですけれど、例えば、今の訴訟法を前提にしたときに、321条の、証人が法廷で検察官の調べのときと違った供述をしたときに、いわゆる検事調書に信用すべき特別な状況があるかどうかということの判断ですとか、自白が任意になされたものでない疑いがあるかどうかとか、そういった判断は、このたたき台ではどういう取扱いになるのかというのがよく分からなかったのですが。(ウ)で「専ら」という言葉が入っているので、今の議論とも関連するかもしれませんが、事実認定が相当重要な部分を占めて、しかも証拠の信用性と非常に密接に絡むテーマについては、「専ら」から外れて(ア)の方に入るのか、あるいはそれは手続上の問題だから(ウ)で処理するという形なのか、という点はいかがなのでしょうか。

○井上座長 (ア)と(ウ)とは問題のディメンションが違うのです。(ア)には、判断の対象となる事項が示されており、それについて審理をし判断するということが書かれているのに対し、(ウ)には、審理に当然立ち会えるのか、裁判官の判断によって立ち会えるのか、その場合に意見を聴けるのかということが書かれており、その(ウ)の訴訟手続上の判断のみに関係する審理については、裁判員は当然に立ち会ったり意見を述べられるわけではないということが前提とされているのですね。ただ、今、触れられたカテゴリーは、「専ら」訴訟手続上の判断のみ関係するものではなく、証拠価値ないし信用性の判断という事実認定に属する問題に密接に絡んでくるので、両方に関係がある、そういう仕切りではないかと思うのですが、どうですか。

○辻参事官 そのとおりでございます。

○四宮委員 そうすると、例として二つ挙げたものについては、裁判員にも判断権限があるという前提ですか。

○井上座長 いや、証拠能力については判断権限はない。しかし、信用性については、実体に関する心証形成に属する問題ですから、裁判員も判断する権限があるわけで、その意味で、訴訟手続上の判断と実体判断の両方に関係する証拠調べということになりますので、裁判員もその審理には当然立ち会うことになる、そういう位置付けだろうと思うのです。先ほどディメンションが違うと申したのも、いうのはそういう意味です。

○酒巻委員 確認ですが、四宮委員が挙げた例は、一つは、特信性の要件で、もう一つは、自白の任意性の要件ですね。これらは、いずれも、訴訟法上、証拠能力の要件であり、理論的には証拠の信用性とは別の事柄ですから、訴訟手続に関する事項であり、したがってその判断それ自体は裁判官が行う。ただ、特信状況にしろ自白の任意性にしろ、問題になる場面は、特に前者は公判期日以外には考えられない。また、任意性判断のための素材は、裁判員の判断すべき自白の信用性とも深くかかわるから、公判期日で調べられるだろう。あとは、先ほど座長がおっしゃったような整理になる。こういうことだと思いますが、それでよろしいのですね。

○辻参事官 そのとおりです。

○四宮委員 私は、第1ラウンドで、証拠能力の判断も含めて証拠の採否は裁判官が行うべきではないかと意見を述べたのですけれど、今申し上げたような手続問題であっても、事実認定が判断の重要な部分を占めていて、かつ当該証拠についての信用性の判断ということと密接に関連するものについては、裁判員にも判断権を与えてもいいのではないかと思うのです。例は、さっき申し上げた恐らく二つぐらいしかないのかという気がいたしますけれども。というのは、この二つは、今のような特殊性を持っているということと、証拠調べに裁判官とともに裁判員が立ち会っているわけですので、証拠調べも聴き、裁判官の裁量で(ウ)によって意見は求められるが、判断権はないということになると、役割意識といいますか、そういったことにも影響するのではないかと思うのです。ですから、今のような部分については、裁判員にも判断権を与えるという在り方もあるのではないかと思うのですけれども。

○池田委員 法律判断については、先ほど本田委員も言われたように、これまでに、法解釈についてはかなりいろいろな議論がされて、そして、判例の積み重ね等があって、そこについては解釈上専門的・技術的な問題も多くて、それを踏まえた上で法的な判断をしないと、法的安定性の問題にもかかわります。また、裁判員の入らない裁判官だけの裁判も残り、そちらとの整合性もつかなくなるので、法律解釈については裁判官がやるという切り方でいいと思うのです。
 今、四宮委員が懸念されている二つについては、いずれも、多分、公判廷で証人尋問が行われ、取調べ警察官、原供述者の供述の信用性の判断については、当然、裁判員が加わった上で判断せざるを得なくなるわけです。証拠能力の要件である特信性の判断と原供述の信用性の判断、自白の任意性の判断と自白の信用性の判断というのは、裁判官にとっても切り分けにくい問題があって、非常に相互に関連しているわけですね。今までの裁判例を見ても、例えば自白について、任意性がないとしておきながら、信用性の判断まで踏み込んで信用性もないとまで判断しているものもあるように、同じような事項が両方の判断に影響してくるわけですね。
 ですから、仮に、証拠能力の要件を裁判官だけが判断したとしても、裁判員が自分で証言を聴き、受けた印象を結論に反映させられないということはないと思うのです。ですから、おっしゃられたような懸念は多分必要ないのではないかと思うのですね。

○井上座長 逆に、そこを仕分けておきませんと、証拠能力の判断が結局飛ばされてしまうおそれがあると思うのです。つまり、最終的に信用できる証拠であると判断されればさかのぼって証拠能力を認めてその証拠を採用する。信用できないと判断されれば採用しないということになってしまう。しかし、本来、入り口である証拠能力についての判断と証拠の中身の信用性ないし証明力についての評価と二段階あるはずですので、そこのところが一緒になってしまっていいのか、という感じがするのです。

○四宮委員 私は、むしろ今池田委員がおっしゃったように、二つの例の証拠能力の問題は信用性と非常に密接に絡まっていると思います。理論的にはもちろん区別しなければいけないのですけれども、先ほど議論になった違法収集証拠と少し違う点は、一つは、証拠物に関していえば、その証拠物自体の信用性はあまり問題にならないだろうと思われます。それから、違法収集証拠の場合には、さっき本田委員がおっしゃったように、判例の要件ですと、違法の重大性ということに加えて、違法捜査の将来の抑止という要件があるわけで、それは、ある意味での政策的・専門的な判断も要求される部分だろうと思うのですね。
 ところが、さっき申し上げたような二つの例は、池田委員がおっしゃるように、非常に信用性と密接に結び付いているという意味で、逆に裁判員にとって判断可能な部分なのではないかという気がするわけです。
 そういったことから、せっかく一緒に聴いているのであれば、裁判員にも、判断権限を持って加わってもらうというのも一つの在り方かなと思って意見を申し上げました。

○井上座長 私が申しているのは、例えば、仮に取り調べの過程で多少無理なことをやったととします。しかし、その結果として供述が得られ、その供述が内容的に信ぴょう性の高いものであったというような場合、その入り口のところの証拠能力の判断が飛ばされてしまうことになりはしないか、ということなのです。

○四宮委員 裁判官が一緒にいるわけですから、そこは裁判官がきちんと判断の仕方について説明をすることも可能ではないかと思うのです。

○井上座長 そこは、裁判官が法的な観点から証拠能力をまず判断するという方が理屈の上では合っているのではないかという感じを私としては持ったところですけれど、少し脇道に反れましたので、今の点は、これくらいでよろしいでしょうか。
 次に「イ 補充裁判員の権限」に移りますけれども、たたき台は3つの権限を掲げております。(ア)は、補充裁判員の基本的な役割に関するものでありまして、補充裁判員は、審理に立ち会い、審理中に合議体の裁判員が欠けた場合に、これに代わって、その合議体に加わるものとする、とされております。次いで(イ)として、補充裁判員が証拠にアクセスできるということを保障し、(ウ)において、補充裁判員は、評議には出席できるものの、その場で発言する権利はないという案が示されています。
 これらの3つの点について、まとめて御意見を伺えればと思います。もちろん、これ以外にも、補充裁判員にこういった権限を認めるべきではないかというような御意見があれば、御発言くださって結構です。いかがでしょうか。

○本田委員 このたたき台の案でいいのではないかと思います。(ア)は当然の話、補充裁判員がなぜ要るかという話ですから、これはこのとおりでしょうし、あとで裁判員が欠けた場合に補充裁判員が加わってそのまま継続して裁判ができるようにするためには、当然書類とか証拠物を閲覧できなければ困るわけで、これもまた当たり前の話でしょう。
 (ウ)の方ですけれども、評議に出席して、どういうことを評議されるか見ておく必要はあるのですけれども、当然意見を述べられるのだというのは、正規の裁判員がいる以上、それはおかしいと思います。ただ、この場合も、例えば、裁判官の求めに応じて発言するというようなことは許されてもいいのではないかという気がします。

○池田委員 私も、今の本田委員の考え方に賛成で、正規の構成員ではないわけですから、当然、評決権はない。そして、意見も、権利として述べることはできないだろうと思いますけれども、補充裁判員も、せっかく最初から審理に立ち会っているわけですから、自分での心証というのも当然作っていくわけで、突然、正規の裁判員がいなくなって入ったときになって、いや、実はみんなが考えていたところと違う、私はこういうことを考えていて、ここが問題だと思っていましたと、そこを調べてもらわないと、私はこのままでは判断できませんと、そういうことになると、せっかくそれまで進んだ手続が無駄になることにもなりかねないので、どうだろうかと思います。裁判官としては、意見を求めて、どういう気持ちでいるのか、全体の方向性についてそれでいいと思っているのかどうかというのを確かめながらやっていくのではないかという感じがしますので、裁判長が求めれば意見は述べられるというような切り口でもいいのかなという気がいたします。

○髙井委員 私も皆さんの御意見と同じですが、そういう立場に立つと、補充の裁判員には質問権を認めなくていいのかということになろうかと思うのですね。補充裁判員独自の心証形成が必要であるという前提に立てば、証人尋問に立ち会って裁判長の許可を得て質問するという権利もあっていいのではないかということになろうかと思うのですが。

○池田委員 そこは、裁判長を通じてというような形でも十分できるのではないでしょうか。メモを渡して質問してもらうということも可能なので、直接質問させるということまで必要なのかどうかというと、必要性は乏しいように思いますけど。

○井上座長 その場合、補充裁判員の意見というのは、法的にどういう位置付けになるのでしょうか。つまり、最終的には合議体のメンバーにならなかったとした場合、裁判の内容の形成との関係で、その補充裁判員の意見はどういう位置付けになるのかということですけれど。

○池田委員 それは、裁判を進行させている本来の裁判体の意見ではない、全く違うわけですけれども、ただ、外の人がどう見ているのかと同じように、どういうふうに自分たちの裁判の進行が見られているか、それから、補充員が本当に正規の裁判員になったときに、全く無駄にならないかどうか、これらを検証するという安全弁みたいなものではないかという気がします。

○井上座長 結果として加わらなかった場合は、裁判の実体の形成のために積極的な働きはしておらず、参考の意見であるという整理でしょうか。そうしますと、そのような補充裁判員が、質問等の訴訟行為をすることができるのかという問題にもなってくるように思うのですが。

○髙井委員 反面、補充裁判員の意見なり何なりが、正規の裁判員に対して事実上の心証形成に影響を与えることもあり得ますよね。それをどういうふうに見るかという問題もあると思いますね。

○井上座長 その問題は、質問権の存否ということなどにもはね返ってくることにはなりませんか。

○平良木委員 本来の構成員でないことは間違いないところですから、構成員の権限を行使できるということではないはずです。直接主義、口頭主義というものがあって、裁判官が替わったときに、無駄な手間暇を省こうというところに補充裁判官制度の趣旨がある、今度の補充裁判員も同じことだと思うのですが、そうすると、せいぜいやったとしても、先ほど池田委員が言われたように、裁判長にこういうことが問題になると伝えて、裁判長の権限において質問をするという程度、これしかできないだろうと思うのです。
 これはこれとして、少し付け加えていいですか。今の議論を前提にすると、評議に出席することを義務付けなくていいのかということが問題になると思います。つまり、意見を述べることはもちろん権利としてあるわけではないけれども、合議でいろいろなことを話し合っていく中で一つの結論を導き出すことはあり得るわけです。とすると、(ウ)によれば、評議に出席することができるということで、任意となっているわけですが、むしろ、出席を義務付けておく必要はないのかということを疑問として提示したいと思います。

○井上座長 その点はいかがでしょうか。補充裁判員も必ず出席しなければならないこととすべきではないかという御意見ですけれども。

○四宮委員 補充裁判員の位置付けなのですけれども、あくまで補充ですね。ですから、池田委員がおっしゃるように、合議に入ってから、裁判長の求めに応じて意見を述べるというのは、裁判体のメンバー以外のものが心証形成に影響を与えるということで好ましくないと思います。
 それから、出席義務ですけれども、これも、出席して黙っていればいいのかという問題がありまして、むしろ私は、合議には参加しなくてもいいのではないか。評議が始まった後に、もちろん場合によっては評議が長く時間が掛かって、裁判員のうちの一部が欠けるということはあり得ることではありますけれども、多くの場合は、審理の途中での事故ということなのだろうと思うのですね。そして、あくまでも補充裁判員だという地位を考えると、法廷での審理には立ち会って、証拠調べに立ち会ってもらわなわければいけませんけれども、評議については、私は平良木委員とは逆で、参加をせずに、万が一事故があった場合に後から入ってもらうという方が、裁判体の判決形成という意味ではいいのではないかと思います。

○井上座長 そうすると、たたき台の案をもっと制限し、出席することもできないとすべきだということですか。

○四宮委員 出席しないということですね。

○井上座長 評議に出席せず、意見も述べられないものとすべきだということですか。

○酒巻委員 四宮委員のお考えだと、補充裁判員は、法廷では何ができて何ができないということになりますか。さっき髙井委員が出した問題ですが、法廷にはいるわけですよね。

○四宮委員 法廷にはいます。

○酒巻委員 証人等に対する質問とか尋問の問題についてはどうなのですか。

○四宮委員 これは厄介ですね。

○酒巻委員 確かに厄介な問題で、実は、現在も、補充裁判官は時々置かれているわけですけれども、補充裁判官にどういうことができるかについてはあまり条文がないのです。これは池田委員にお聞きしたいのですが、現在、補充裁判官が置かれたときに、髙井委員から提起のあった、たたき台に出てこない問題についてはどうなっているのでしょうか。

○池田委員 実は、今回問題になってから、補充裁判官をやっている裁判体に尋ねてみたのですが、質問できるという説とできないという説とがあるようです。そして、質問できると考えている人の方が多いのですが、実際にはやったことがないということでした。法廷の中で正規の構成員でない人が直接質問するというのもいかにも不自然だということもあるのかと思うのですけれども。ですから、実務上は、そういうようなあいまいな運用がなされているということだと思います。

○井上座長 先ほどは、正規の構成員でないという観点から問題点を指摘したのですが、今度は反対の方から申しますと、補充裁判員であり、部外者ではないわけですね。ですから、裁判員としての未必的な状態といいますか予備的な状態ではありますので、そういった状態にいる人の地位をどのように考えるのかということだと思うのですね。質問を何らかの形でしたり、あるいは意見を言うということも、そういう位置付けから導けないこともないように思うのです。先ほどとは矛盾するようなことを指摘しましたけれども。

○髙井委員 当事者として言いますと、基本的には、誰を説得するべきか、要するに、説得する範囲が確定されてないと困るわけですよね。ですから、片や補充裁判員も実質的に裁判員と同じだと念頭に置いて、常から補充裁判員も説得の対象にしなければいけないのか。それとも、極々例外的だから、とにかく説得対象は正規の裁判員だけでいいか。これは、当事者から見れば非常に大事なことで、そういう意味では、ぬえ的な存在にされるのが一番困るわけです。ですから、補充裁判員としても独自の心証形成が必要であるし、評議に入って即座に意見を述べなくてはいけないということを前提に、そういうところに重点を置いて考えれば、私は、質問権も認めていただいた方が、当事者としてはやりやすいと思います。あの裁判員はこういうふうに考えているのだということがその質問振りから分かるので、当事者としてはやりやすい。
 むしろ逆に、補充裁判員はあくまでも補充だという立場に立つのであれば、今、四宮委員が言われているように、かなり権限を制限して、当事者としてはとりあえず正規の裁判員だけを説得すればいいのだというような仕組みにしっかりしてもらった方がいいと思います。とにかく、この人たちは説得すべきなのか無視していいのか分からないというのが、当事者としては実務的には一番困るだろうと思うんです。

○井上座長 これは、四宮委員に尋ねた方がいいのかもしれませんけれども、陪審を採用しているところで、補充陪審員を加えて審理を行う場合、最初から誰が補充陪審員であることが決まっているというやり方と、結審するまでは分からず、最後に陪審員として残る人をくじで決めるというやり方があり、後者のやり方の場合は、結審後誰が陪審員として残るかが決まるまでは、結果として補充陪審員でしかないことになった人も同じ権限を認められていますよね。結審までは、陪審員の間でも事件の内容について話をすることは許されないですけれども、基本的にはみんな同じ権限を持っているわけで、そういう構成もあり得るということではあるのです。

○四宮委員 アメリカの陪審では、恐らくこれも裁判官によるのかもしれませんけれども、最近は、陪審員が裁判官に紙を渡すという形でその質問を許す裁判官が多いようです。そして、最初から補充陪審員だと指定されている場合であっても、補充員だからそれができないかというと、許す裁判官が多いのではないかと思います。けれども、彼らは評議には入らないわけです。

○井上座長 アメリカの陪審の場合は、評議は審理終了後にのみ行われ、それまでは陪審員は相互の間でも事件の内容について話をしてはいけないことになっていますからね。

○四宮委員 ええ。審理が終わって最後に評議に入り、補充陪審員はそこから外れるということですね。

○清原委員 継続性を持った一貫した裁判官及び裁判員が迅速に裁判を行うという観点から、私は、昨年、もし裁判員の方がどうしてもいろいろな事情で継続的な審理に出席できず、欠席した場合は次どうなるのでしょうかとお尋ねしたところ、いや、補充の裁判員がいるから特段の支障なく進められる設計になると思いますというようなお答えがありました。
 そういうことから申しますと、国民も、司法の参加の中で一定の義務を持ってきちんと参加するべき制度になるとは思うのですけれども、不可抗力やいろんな事情で出席できない場合、その裁判を一貫して合議体として運用していくときに、どういう在り方が望ましいかということになってくると思うのです。そうであるならば、参加する裁判員の立場になりますと、それが正規の裁判員であろうと補充の裁判員であろうと、やはり、集中してその裁判にかかわるという状況がある方がいいとは思うのですね。補充というのは、最後まで補充であることもあるけれども、不意に明日からというか、今日から正規の裁判員になるということもあり得るわけですから、いつも準備態勢が整っていなければいけないということになりますね。
 そうであれば、私は、審理に関してはきちんと参加させていただいて、それで、正規の合議体とは違うということであっても、裁判長には意見なり質問なりができるチャンネルが開かれていた方が、それは、補充裁判員であっても、アイデンティティーというか責任感というか、それは持ちやすいかなと思います。
 ただ、一方で、四宮委員がおっしゃいましたように、評議のところに補充の裁判員もいつもいるとなると、人数の問題でかなり前回も議論されたと思いますし、補充の裁判員を何人にするかということも関係すると思うのですが、裁判の合議体自体の規模が変わってくるということになり得ると思うのですね。ここのところは、正規の裁判官及び裁判員の皆さんでしっかりと合議していただくという形をとる方が望ましいだろうなと思いまして、参加する国民の視点からは、補充であってもいろいろな可能性が開かれていた方がいいと思う気持ちと、しかし、合議体としては一定の整合性を持たなければいけないということで揺れ動いております。どこかで決着つけるとすると、合議体の評議の責務というところから、余りに補充の裁判員にまで、過大な発言権なり意見陳述なり質問権なりがあると、これはまた規模が大きくなり過ぎてどうなのかなというような心配もあるところです。

○井上座長 補充裁判員を評議から排除しろという御意見ですか。

○清原委員 そのあたり、今、本当に迷っていまして、排除しないとなると、これはどうなんでしょう。補充裁判員の数にもよるのですが、合議体の規模が大きくなって、裁判長が大変ではないかと思ったりします。はっきりした意見でなくてすみません。

○大出委員 私も少し迷うところで、皆さんの御意見をいろいろと今伺っていて思いますのは、区別するということができるとすれば、補充裁判員であったとしても、最終的に正規の裁判員になったときには、当然のことながら心証の形成が行われていなければいけないわけですので、心証形成にかかわる部分では、他の正規の裁判員と同様の権限を与えるということにする必要があるのではないか。ただ、その心証の表明あるいは証拠についての評価の部分についての意見を交換するという部分は、これはまさに評議に入ってくるわけで、そこは正規の裁判員として行うべき性格のものですから、補充という段階では評議には加わらないということにしておくと、そういうことで区別をつけるしかないのかなという感じがするのですね。

○井上座長 混ぜっ返すようですけれども、心証形成というものには、裁判体の他の構成員と意見を交換したり証拠についての評価をぶつけ合うということも入ってくると思うのですけれど。

○大出委員 それはまさに、評議という形での相互の意見交換というところでの心証形成も含めて評議というふうに言った方がいいですね。正確にはそうなるかもしれません。そこはやはり正規のメンバーで行うべき性格のものであって、相互に影響を及ぼすという中で形成されていくわけですから、そこに入るということになったときに、正規であるということが条件になってくると思いますので、それ以前の単独での心証形成といいますか、評価の部分については、自らが心証形成が可能なような手続的な権利を与えるというようなことかなというような感じがしますね。

○井上座長 最初におっしゃったこととの関係で、誰かが欠けたときに補充裁判員はすぐ入らないといけないとしますと、ほかの裁判員と心証の面等で落差ができるのではないですか、そこはどうするのでしょうか。

○大出委員 そこは、補充だということでの限界というのはあるわけですから、そこをどう手当てするかという問題ですよね。ですから、最初からすべて正規と同じだということを要求しているわけではないわけですから、補充であることはやむを得ないわけで、ですから、できるだけ落差というものを小さなものにするという手当てしかないと思います。先ほどからの議論にどう整合性をつけるかという問題だと思いますが、難しいことは間違いないと思います。

○井上座長 落差を小さくするために評議に参加してもらって、場合によっては意見を求められれば言ってもいいという形にするのと、それとも、そこはしようがない、評議への参加は遠慮してもらい、別の形で手当てをするというのと、そこの方法論の違いのような感じがしますね。

○大出委員 前者の立場に立ちますと、例えば、先ほど少し例に挙がりましたけれども、最後の時点で補充裁判員を除外するというようなことにでもしないと、形式的には正規の裁判員と区別がつかなくなるのかなという感じがするわけです。それも方法としてありということであれば、あり得るのかもしれませんけれども。

○酒巻委員 大出委員がおっしゃっている趣旨は、たたき台のイの(ウ)ではうまく表現されていることになりませんか。法廷には同席する、そして、評議にもいるが、意見は言えない。これでおっしゃりたい趣旨は実現できるのではないだろうかと思うのですが、いかがでしょうか。

○大出委員 出席することができるということは、酒巻説でいくと、そのときには意見は述べないという趣旨なのですね。

○酒巻委員 意見を述べることができないというのが(ウ)ですね。

○井上座長 そこは、皆さんからいろいろな意見が出たわけで、裁判官に求められれば意見を言ってもいいというご意見もあれば、さらに進めて出席を義務付けるべきだというご意見も出、たたき台の案の両方向に広がっていっているわけです。

○酒巻委員 たたき台の案は、そういう様々な意見があり得ることを集約してこの辺になっているのではないかというのが私の想像ではありますが。

○清原委員 私は、参加する立場で言いますと、突然、補充だったのが正規になったときの意識の格差は結構深刻なものがありまして、そこまでいろいろある程度審議が進められてきて、一人やむを得ず欠けたから入ってくださいと言われたときに、かなりの負担感もあるし、皆さんとのやり取りに関して、自分の問題意識とかそういうものがついていくかどうか不安があることは事実なのですね。ですから、この、評議に出席することができるとすべきか、評議に出席すべきだとするかというところですが、できるものとするとして、本来的には出ていた方が、補充の裁判員としては、恐らく審議には加わりやすいだろうと思われますね。これは、心理的な影響から言いますと、かなりの負担感があるだろうと想像できます。
 ただし、正規と同様に出席しなければならないとすると、かなりの時間的制約とか義務が生じると思います。いつ正規になるかも分からないまま、最後まで補充だったけれども、ずっと出席していたということの負担感もあることは事実で、この兼ね合いを、どう制度としては判断するかということだろうと思います。
 いずれにしても、出ていた方が、私はよいと思いますから、出席することができるものとするというのは最低必要なのかなとは思います。

○髙井委員 先ほど申し上げた、線引きをはっきりしてもらいたいという立場から申し上げますと、評議には出る、評議に出るのは義務付けるが、そこで自由に物を言われたのでは正規の裁判員と同じになるわけですから、評議では、裁判長に求められたときだけ意見を言い、あとは黙っているという方がいいのではないかと思います。ある人が評議に出るか出ないか分からないというのは、当事者としては非常にやりにくいだろうと思います。

○井上座長 ひとわたり御意見を伺いましたので、この点はこれくらいでよろしいですか。
 次は、ウの職権行使の独立ということですが、このたたき台では、「裁判員及び補充裁判員は、独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束されるものとする。」という案が示されております。裁判員が独立して職権を行使すべきであるという点については、実質的に異論をお持ちの方は恐らくいないのではないかと思いますし、また、実際の条文の表現につきましては、法制的な面などから検討が別途必要であるように思われますけれど、特に何か御意見があればお聞きしたいと思います。

○髙井委員 細かいことなのですけれども、ウの「独立して」というところと、アの(イ)の「裁判長に告げて」というところについてです。後者を告げればいいというように解釈すれば矛盾はしないのかもしれませんけれども、仮に裁判長の許可を得て質問するという趣旨であるとすると、この「独立して」というところとぶつからないですか。

○池田委員 現行法においても、陪席裁判官は裁判長に告げて尋問することができるという規定振りだったと思うのですね。ですから、職権行使の独立には抵触しないのではないでしょうか。

○髙井委員 そうすると、裁判長は質問はだめだと言うことはできないわけですか。

○池田委員 できないのではないでしょうか。事項的にそこはやめておけということは、訴訟指揮としては可能かもしれませんが、ただ、権利として質問したいというときには、多分それを行使できるということではないでしょうか。

○髙井委員 そういう解釈に立てば矛盾しないわけですね。

○井上座長 髙井委員の御疑問は、「独立」というのは独自の判断で規制されずにという意味に受け取れるということでしょうか。

○髙井委員 仮に、この「告げて」というのが、裁判長の許可を得てというようなことであるとすると、自分は裁判員として独立して行使できるのだから勝手に聴くぞ、と言われたときに困るかなと思って、お聞きしているだけなんですけれども。

○井上座長 陪席裁判官の場合も、「告げて」ではないですか。

○辻参事官 文言は同じです。

○井上座長 陪席裁判官も独立して職権行使しているはずですので、それと同じではないでしょうか。訴訟指揮との関係で、手続の進行をつかさどっている裁判長に一応告げてから、質問をするということなのではないですか。

○髙井委員 ここは、「告げて」となっていますから、さっきから確認していますけど、裁判長はだめとは言えないわけですね。

○井上座長 この点について、たたき台の考え方はどうですか。

○辻参事官 ここで「独立して」と書いてあるのは、他からの指揮命令を受けて判断をするということがないようにという趣旨ですので、質問を裁判長の許可にかからしめるかどうかということが、直ちに職権行使の独立の問題につながるのかどうかというと、やや疑問もあるように思いますけれども。

○井上座長 この点について、ほかはよろしいですか。
 次が大きな問題で、項目1、基本構造の(3)「評決」です。まず、そのアにおいては、A案からC案までの3つの選択肢が示されております。その趣旨につきましては、前回、辻参事官の方から説明がありましたので、それを踏まえて御意見を伺えればと思います。もちろん、このA案、B案、C案以外の構成もあり得ると思いますので、そういう御意見でも結構です。いかがでしょうか。

○四宮委員 私は、A、B、Cと全然違う案を提案したいと思います。前回この点については発言をしておりませんでしたが、特別多数ということで、具体的な数字としては全体の3分の2以上の賛成を、被告人に不利な評決をする場合には必要とする、ただし、意見書の要求がありますので、その3分の2という意見は、裁判官の1名以上及び裁判員の1名以上は賛成する意見でなければならないという評決方法をとることを提案したいと思います。
 もちろん、今の裁判所法は、評決の仕方について単純過半数を採用しているのですけれども、今度は裁判員が加わることになります。裁判員は、無作為抽出で、かつ事件1件だけを担当するという前提であります。職業裁判官と比べて、判断基準は恐らく一定ではない、かなりのバラツキを前提としていると思うのですね。そうだとすると、特に被告人に不利な評決をする場合については、特別多数決制の方が評決に安定性をもたらすことができるのではないかと思います。それから、不利な場合には決定を慎重にするという意味でも、特別多数決制がいいのではないかと思います。
 あとは、第1ラウンドで、平良木委員から御紹介があったとおり、国民が参加する裁判体について、特別多数、特に3分の2という数字を要求する法制が、ドイツとフランスだったですか、外国にあることも一つの理由として挙げたいと思います。

○酒巻委員 私は四宮委員の意見に反対です。第1ラウンドでは、単純多数決ということ自体については異論がなく、確か、私が、現在の裁判における多数決は、ほとんど全部単純過半数であり、それを特に変更すべき特段の理由は見当たらないと述べ、そのときは皆さん御異論はなかったと思います。今、四宮委員が、特別多数決にすべきだという理由をお述べになったのですけれども、私にはその理由がよく理解できません。決定の慎重さとか、判断基準のバラツキを前提とするということをおっしゃったのですけれども、それは、こういう言い方は適当ではないかもしれませんが、裁判員の方の一人一人の、事実を認定したり量刑判断をしたりする能力が、職業裁判官と違っている、あるいはあえて言えば、職業裁判官より劣っているということを前提にしないと出てこないのではないかと思われるのですが、どうでしょうか。

○四宮委員 そうではないと思います。

○酒巻委員 私は、現在の裁判に裁判員が新たに加わるからといって、それを多数決のやり方に結び付けて変える理由はないと思います。さらに言うと、合議体で審理される重大な事件であっても、場合によっては裁判員事件にはならないことはあり得る。そして、裁判員事件でない合議事件や裁定合議事件については現状どおり過半数で決めるという方式が当然維持されると思います。そうすると、同じ刑事裁判の中に、特別多数決でなければ判断できない場合と、単純過半数で判断できる場合が存在するということになります。それ自体が、私は裁判の在り方として全く不自然不合理だろうと思います。これも特別多数決に反対する理由です。

○井上座長 四宮委員が言われた2番目の理由、つまり被告人に不利な判断は慎重にすべきということは、職業裁判官についても同じことが当てはまるはずですよね。ですから、むしろ1番目の理由として、判断のバラツキ云々と言われた、そこが決め手になるように思うのですが、酒巻委員の御質問は、それは実質的にどういうことを意味しているのだろうかということだと思うのですね。

○四宮委員 今、酒巻委員は、専門家でない国民の判断能力が専門家である裁判官の判断能力より「劣っている」というお言葉をお使いになりましたけれども、そういう趣旨で申し上げたわけでは全くありません。先ほど申し上げましたように、無作為で選ばれて、しかも一回だけ担当するということになりますと、裁判というものに対する知識・経験というものを前提にしない制度になるわけで、いろいろな意見の多様性、私はバラツキと申し上げたのはその多様性という言葉として置き換えてもいいのですけれど、そういったいろいろな意見がある人の意見を一つにまとめていかなければならない。もちろんそれは、議論を十分に尽くしてまとめていくということですので、最初から多数決というわけではないのですけれども。
 しかし、それでも意見がまとまらない場合にどうするかというのが、この評決の多数決制の問題だと思うのですけれども、その場合には、さっき申し上げたように、今の職業裁判官3人の裁判と比べれば、もともとの、その意見のベースが多様なわけですから、それを一つにまとめていく方向としては、特別多数まで要求した方がいいのではないかというのが私の意見の趣旨です。

○井上座長 多様だから危険だと言っておられるように聞こえるのですけれども。

○四宮委員 いいえ、そうではないと思います。

○井上座長 そうですか、まだ御趣旨がよく分からないのですが。

○四宮委員 2番目の点について、後の対象事件との関係にもよりますけれども、法定合議事件を裁判員制度の適用事件とするのであれば、裁判官だけの合議事件というのは残らない形になるわけですね。裁定合議は別にしてですけれども。それから、これはへ理屈の部分もありますけれども、今の裁判官3人で過半数というのは2人の意見ということですから、実質的には3分の2ということも言えるわけですね。

○井上座長 それは本当に「へ理屈」だと思いますね。

○本田委員 特別多数というのは、私も、四宮委員の話を聞いていてもよく分からないのです。多様な意見、多様な意見とさっきからずっとおっしゃっているのですけれども、少なくとも現在の職業裁判官の裁判に加えて、健全な社会常識を反映させるというのがこの裁判員制度の趣旨なんです。多様な意見という前提を持ってきて、そうするとバラツキが出てきて、要するに不安定だと、先ほど座長からも指摘がありましたが、そういうことを前提にして物を考えるというのはどうも私には理解できないというのが第1点です。
 それから、不利な場合は慎重にしなければいけないというようなことをおっしゃいましたけれども、裁判の目的からいえば、有罪であろうが無罪であろうが事実をはっきりさせることに意義があるわけで、例えば、有罪にする場合には慎重にしろ、無罪にする場合は慎重にしなくていいという理屈は私は立たないと思うのです。それは、実体的真実の発見というのはそこにあるわけです。これまでずっと、過半数ということで裁判が行われてきているわけで、これを変えなければいけない理由として今おっしゃられたことは、なかなか納得できない理由だろうと思います。
 前に私が質問したとき、これは日弁連の正式意見ではないということで、それ以上質問しなかったのですけれども、要するに、素人も事実認定に関しては裁判官と同等の能力を持っていることを前提として考えるべきだという主張があったのですけれども、ああいった考え方との関係はどうなるのだろうかと思います。全く整合性がないのではないかなという気がします。
 私の意見としては、このたたき台のA案でいいのだろうと考えています。B案という考え方もあるのかもしれませんけれども、被告人に不利な裁判といった場合、この不利というのは一体何なのかという点が必ず問題になるような気がしてくるわけですね。例えば、懲役1年と懲役2年・3年間執行猶予とでは、どっちが不利なのか。量刑も含まれるわけです。あるいは懲役3月で、刑期に満つるまで未決勾留日数を算入する裁判と、懲役6月・3年間執行猶予の裁判と、どっちが不利か、なかなか実務的に困難な問題が生じてくる。そうすると、A案ですっきりした形の方がいいのではないかと思うわけです。
 C案も、また、なぜこうしなければいけないのか。こうしなければ、憲法問題があるのだろうという背景があるという推測は立つのですけれども、裁判官の過半数でないと、被告人に不利な裁判ができないということになると、この有利・不利が、さっき言ったようによく分からない。さらに、例えば、有罪の裁判に関しては、裁判官の過半数ですから、裁判官の意見ですべて決まるが、その要件を満たさないと決まらないという不都合が出てくるのではないか。あれこれ考えると、A案が一番穏当な考え方ではないかという気がします。

○井上座長 先ほど、例に挙げられた場合、A案だと、どう評決することになるのですか。例えば、懲役1年なのか、執行猶予付きの懲役2年なのかという場合、有利・不利で決めるのは難しいというのは分かるのですけれど、それでは、A案だとどういうふうになるのかという質問ですが。

○本田委員 そこは、だから意見で順次多い方から決めていくのですね。

○井上座長 有利・不利ではなくて、ということでしょうか。

○本田委員 最初は、有罪・無罪から決まるのでしょう。有罪・無罪もいろいろあるでしょうね。理由によって、違法性なのか、責任なのか。これは、結論からだんだん上に多い方から決めていくのだろうと思います。

○平良木委員 先ほど、四宮委員から私の名前が出てきましたので、その点、少し補充をしておきます。御承知のことと思いますけれども、ドイツ、フランスの陪審・参審というのは、民主主義の原理とか国民主権ということが言われて、どうも、君主が行っていた裁判を自分たちのもとに取り戻すという発想で行われている。だから、国民の意見が通らない裁判というのはないというもともとの発想があって、その国民の行うことというのは、素人ですから、言ってみれば事実認定というのが粗くなってくる。だから、これをより慎重にするために3分の2以上にしていこうと、こういう発想があったという歴史的な経緯があるわけです。3分の2というのは、確かにドイツでもフランスでも今でも維持されているわけですけれども、ただ、これを日本で採るべきなのかというと、今申し上げた経緯からすると、今度の裁判員制度は発想が相当違うだろうということで、ここから先は四宮委員と意見が同じではなくて、今の過半数で足りるのではないかと考えるわけです。これは前回も申し上げたところであります。
 その中で、A案とB案のどちらを採るかというと、これは裁判員の数を裁判官との対比でどれぐらいにするかというところにかなり影響されるところがあって、もし裁判官3人、裁判員3人の構成という意見が出てくるのだとすると、これは結論的にA案でもB案でも変わらないことになるだろう。だから、裁判体の構成を踏まえて、どちらかということを決めた方がいいのかなという気がしております。

○井上座長 揚げ足を取るようですが、裁判官3人・裁判員3人でなかったら、A案とB案とで結論が違うのですか。

○平良木委員 違いというのはよく分からないのですね。裁判官3人、裁判員4人という構成でもほとんど同じになってしまうのだろうと思うのですけれども。

○酒巻委員 A案とB案は、私の理解では、裁判官・裁判員の構成からは直接影響を受けずに、結局ほとんど同じ結論になるのではないかと思います。B案については、確か事務局説明にもあったと思うのですが、「不利」という概念が決めにくいことがあるであろうということで、先ほどは本田委員は量刑のことをおっしゃいましたけれども、現に行われている、結論でなくて、個々の理由や事実関係についてあったかなかったかというような事実認定をきめ細かくやっていく場合には、ある事実については、状況により有利か不利か直ちに分からないということがあり得る。したがって、そういう区別をつけずに評決ができるようにするというのがA案の趣旨であろうと私は理解しています。人数とは構造的には余り関係ないように思います。

○平良木委員 そう言われればそういう気もしますけれども、どうなんでしょうかね。

○井上座長 事務局に伺いますが、具体的にどういう場合に、どこがどう違ってくるかということなのですか。

○辻参事官 非常に難しいところで、御議論をいただければと思いますが、A案とB案の違いということで、とりあえず事務局で考えたところを若干御説明いたします。例えば、殺人事件の被告人が、被害者から以前より継続的に暴行を加えられていたという事実の存否が問題となったといたしますと、当該事実は、殺意という面からすると、恐らく以前から暴行を加えられていて、恨みが募っていたとして殺意に結び付きやすいということになり、そういう意味で不利とも言えると思われます。
 一方、仮に正当防衛が問題となっていたとしますと、急迫不正の侵害があったかどうかということからすると、もちろん事案によるわけでありますけれども、以前から暴行を加えられていたという事実が認められれば、殺人事件の犯行のときも、被害者の方が、先制攻撃と申しますか、先に暴行に及び、それに対する防御のために被告人が攻撃に及んだのだという推認の一つの材料にはなり得るのではないかと思われます。事案にもよりますが、そういう意味で有利だと言えるのではないかと考えられるわけです。
 そうしますと、B案のように、「不利な」と書いてある場合、今言った殺人事件の被告人が、被害者から以前より継続的に暴行を加えられていたという事実に関して、裁判体の構成員で意見が分かれた場合、どのような評決要件によるべきなのかというところに悩みが出てくるのではないかということでございます。特に、裁判官はこっち、裁判員は全員こちらと、意見書が述べている、裁判官及び裁判員の最低各1名の賛成という要件を満たさないような意見の分かれ方になった場合、当該事実をどう扱うのかというのが難しいのではないかということでございます。
 A案によりますと、裁判官と裁判員の意見が完全に分かれたということになってしまいますと、A案の要件を満たしませんので、当該事実の認定はできないということになり、恐らく反対の事実も認定できないということで、当該事実は真偽不明という結論にならざるを得ないのではないかということでございます。その後の取扱いですが、そうしますと、殺意を基礎付ける間接事実としては、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が恐らく働いて、当該事実が存在したといった取扱いは許されないことになると思われます。一方、正当防衛を根拠付ける、それを推認させる一つの事実といたしましては、当該事実がなかったとも認定できない以上、これがあるとして扱わなければいけないのではないかと思われます。結局、事実自体は真偽不明であるけれども、取扱いの面で場面によって異なるということになるのではなかろうかと考えたということです。
 B案によりますと、不利な場面では認定できないが、有利な場面では認定するということになるのかもしれないですが、それについては、場面によって事実を認定したり、しなかったりというのがあり得るのかという疑問を感じたというようなことから、A案を考えてみたということです。今申し上げたような意味で、結果として最終的にそんなに取扱いに違いはないのではないかとは思っております。非常にややこしいことで申し訳ございませんが、以上が事務局として考えたことであります。

○井上座長 私が追及するのはどうかとも思いますが、A案によっても、真偽不明の場合、正当防衛の場面では暴行があったという被告人に有利な方向に認定はするのではないですか。

○辻参事官 認定はしないということではないかと思います。なかったとは取り扱えないということになるのではないかと考えております。

○井上座長  急迫不正の侵害が実際にあったという認定はするのではないですか。そうしないと、正当防衛は成立しないのではないでしょうか。

○辻参事官 最終的にはそう取り扱うということですけれども、その事実自体は真偽不明のままで、後の取扱いの時点で、場面によって、ある意味、位置付けが変わってくるということではないかということです。

○井上座長 B案の「裁判」というものの中に、今言われた取扱いの部分まで含めてしまえば同じことになるけれども、それ以前の認定のレベルに限って考えると違ってくるということですか。

○平良木委員 認定について評決するかという、そこのところの議論になりますね。

○四宮委員  今、平良木委員がおっしゃったことかもしれませんが、一番単純に考えて、これを素直に読んだときに、例えば、B案によれば、有罪か無罪かという結論だけを見たときに、有罪にするためには過半数であって、どちらかのグループから少なくとも1人は賛成しなければならないということになると思うのですね。ただ、A案によると、有罪であっても無罪であっても、いずれのグループからも1人以上は賛成しなければいけないというように読めるわけです。そうだとすると、大きな違いがこのA案かB案かによって出てくる。確か、審議会のときも、竹下委員から、例えば裁判員が多数の場合に裁判員の多数だけで無罪にすることは構わないのですという御発言もありました。それが全体の合意かどうかは別にしても、そういう考えからも、B案というような形も出てくるのではないかと思うのです。
 これを素直に読むと、辻参事官が非常に細かく御説明になったこととは別に、今、私が申し上げたような、有罪・無罪の場合で結論が変わるということにはならないのですか。

○辻参事官 書き方は、現在の裁判所法にならったものとしたために、適当ではないのかもしれませんけれども、考え方といたしましては、今の実務で一般的に採られていると言われている理由評決を前提として考えています。したがって、有罪・無罪という結論について評決をするという考え方には、少なくともこのたたき台としては立っていないということです。

○井上座長 結論についてだけ評決するのではなく、理由の項目ごとに評決していくというのが今の一般的な考え方だと思います。それを前提にしているということでしょう。

○四宮委員 それが一般的な考え方なのですか。

○井上座長 実務上はそうだと思います。

○四宮委員 裁判所法の解釈としてはどうなんでしょう。

○井上座長 裁判所法の規定については、そのように解釈、運用されていると思います。

○辻参事官 裁判所法の運用としてはそうされています。

○四宮委員 例えば、物の本によれば、結果について評決するのが通説だという書き方をしている本もありますが。

○辻参事官 結果について評決する、いわゆる主文評決説といいますか、そういう考えがあることも事実ですが、一般的な運用とは違うと言われていると承知しております。

○井上座長 有力な学者の方がそういう説を採っておられるので、「通説」と書いている教科書もあるということなのかもしれません。いずれにしても、結論について評決しても、有罪を認定できるだけの要件を満たさない限りは、無罪にせざるを得ないのではないですか。仮に無罪判決をするためにも多数でなければならないとしますと、有罪判決でもなく無罪判決でもない中間の処置を認めなければならないことになるはずですが、今の制度では、有罪を認定できない場合というのがまさに無罪であるわけですので、無罪ということになるのではないでしょうか。

○四宮委員 例えば、これは国民から見たとき、A案とB案の違いというのは、さっき私が申し上げたようなケースを普通考えるのではないでしょうか。つまり、国民の多数だけで無罪にできる場合が残るか残らないかということですね。

○井上座長 A案とB案とでその点の結論が違ってきますか。

○四宮委員 仮に結論についての評決という考え方をとったときに、A案は、無罪の場合も、裁判官及び裁判員の各1名以上の賛成が必要ということになるのではないですか。

○辻参事官 そういう意味では、「裁判」という書き方がよろしくないのかもしれませんけど、無罪かどうかという評決というのは普通考えにくいということだと思うのですけど。

○池田委員 立証責任は検察官にあるという原則は変わらないわけで、先ほど説明にあったように事実があったかどうか分からない場合については被告人の不利に扱うわけにはいかないわけです。無罪というのは、積極的に無罪だと言える場合はもちろんありますけれども、有罪とも言えない、無罪とも言えないという場合にどうするかという問題は残るわけですね。そこについては、被告人の不利益に扱ってはいけないわけですから、結局は、この不利にという要件を書いているB案でなく、A案であっても、その原則が働いている以上は結論は同じになるのではないかなという気がしているのですけれども。

○井上座長 そこはそのとおりだと思いますね。

○四宮委員 問題は、裁判体全体としてそうだということはよく分かるのですけど、ここで言っている個々の構成員、今、池田委員がおっしゃったケースでいえば、裁判官のグループは疑いがないと判断し、裁判員のグループは疑いが残ると判断した場合を前提に今議論しているのではないかと思ったのですけれども。

○井上座長 A案でも、その場合に有罪にはできないでしょう。有罪の認定はできないですよね。

○池田委員 A案でも、裁判員の1人以上が有罪だと言わなければ有罪にならないですね。

○井上座長 そこはA案もB案も同じだと思うのですけれども。

○四宮委員 有罪とは言えないですね。ただ無罪といえるかというと……。

○平良木委員 昔から言われているように、有罪か無罪かという発想ではなくて、有罪か有罪じゃないかなんです。こう言わなければいけない。

○井上座長 検察官が立証責任を負うというのが刑事訴訟の原則なので、その原則が効いてくるということだと思うのです。
 ほかに、四宮委員のような、たたき台の枠にとらわれない御意見でも結構ですので、いかがでしょうか。

○池田委員 特別多数決についてはいろいろな方が言われたとおりで、私も今回の裁判員制度を導入する趣旨から考えて、採用する理由はなく、単純多数決でいいのではないかと思います。また、このたたき台の案の中では、B案というのも趣旨は分かるのですが、ただいま言われたように、不利なのか有利なのかというのは、論点ごとでは必ずしも決めかねるところがある。そして、実務では、個々の論点について結論を示せばいいというものではなく、その理由も書かなければいけないですから、論点ごとに評議せざるを得ないわけですけれども、その際に有利なのか不利なのかというのを一概には決めかねる論点が少なからずありまして、そこでB案では支障が生じるのではないかとも思います。したがって、A案によっても、結論がB案と変わらないのであれば、A案でいいのではないかと思います。

○井上座長 A案では、ある事実が真偽不明という場合にどう判断すればいいのでしょうか。結局、当の事実についての挙証責任がどちらにあるかということで決めるということですか。

○池田委員 そうですね。

○井上座長 それと有利・不利という基準とで、どこがどう違ってくるのかということだろうと思うのですね。

○池田委員 その挙証責任の議論によって被告人側が挙証責任を負わなければいけないことが明白でなければ、被告人に不利であると、そういうことですか。

○井上座長 それで本当に違うことになるのかどうかだということなのだろうと思うのですけれども。

○池田委員 B案によると、結論はA案といつも同じになるとしても、挙証責任の今の原則以外に、有利・不利を常に判断せざるを得なくなってくるわけですかね。

○井上座長 もちろん、理屈の上では、挙証責任が被告人側にあるという場合もあり得ますので、被告人に不利だから、検察官がすべて挙証責任を負うということには必ずしもならないのかもしれないですけれども、ほとんどの場合は、事務局から説明があったのと一致しますよね。ですから、そこの違いがもう少し明らかになればと思うのですけれど。実質的な違いがないということならば、どちらの案でもいいような気がしますね。

○辻参事官 恐らく挙証責任で決まるのだろうと思っているのですけど、それが先ほど申し上げた例などだと場面によって変わりはしないかというところがあって、一概に有利・不利といえるのかどうかという感じを受けているということです。

○井上座長 裸で、暴行があったというふうに認定してしまうと、不利な方向にもなるかもしれないということですかね。
 A案、B案のほかに、C案も挙げられているのですけれども、このC案について、これがよいというご意見の方はいらっしゃいませんか。一応、これについても御意見をいただいた方がいいかなとも思うのですが。
 特にご意見はないようですので、この点はこれくらいでよろしいですか。それでは、休憩を取る前にあと一点だけ、イについてなのですけれども、訴訟手続に関する判断と法令の解釈に関して、裁判員は判断する権限を持っていない。先ほど違う御意見もありましたけれど、その御意見でも、すべてについて判断権を与えるべきだということではなかったと思いますので、基本的には裁判員は権限がないということを前提として、これらの事項について裁判官が判断するときに裁判官の過半数で決することにする、というのがこのたたき台の案ですけれども、この点について、何か御意見があれば伺っておきたいと思います。
 四宮委員、ここも特別多数にすべきだということではないのですね。

○四宮委員 違います。

○井上座長 この点は、現行法でもこういうルールになっていますし、一巡目でも特に御意見がありませんでしたので、よろしいですか。

○四宮委員 すみません、一点だけ。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 多数決のところで、たしか、審議会のときに、佐藤会長と皆さんとのやりとりの中で、とにかくプロと国民とが意見を十分交換して、そして共通の結論に到達するように努力すべきだ、全員一致をとにかく目指して、それでどうしてもだめな場合に多数決の問題に入っていくのだというような、これは審議会の中での皆さんの共通の認識だったと思いますので、とにかく、運用としてはそういう形が目指されていることを確認しておけたらと思います。

○井上座長 私もそれはよく覚えています。意見書の原案では、最初に多数決で決めるというふうに書かれていたのですが、初めから意見が分かれることを前提にしたような書き方をするのはいかがなものかという指摘がありまして、裁判体の構成員の間で意見が最後まで分かれたときは多数決にするということそれ自体には異論はなかったのですけれど、あえては書かないという、そういうまとめになったのです。その趣旨は、今、まさに四宮委員がおっしゃったように、評議を尽くして全員一致となることを目指すというところにあったといえます。また、意見が分かれる場合も、必ずしも裁判員のグループと裁判官のグループが分かれるということには必ずしも当然にはならないので、裁判官の中で意見が分かれる、裁判員の中で意見が分かれるということは当然あるというとらえ方だったと思います。
 もう少し先に進めておきたかったのですが、そろそろお疲れだと思いますので、ここで10分ほど休憩させていただきたいと思います。

(休 憩)

○井上座長 再開させていただきます。
 次に、基本構造の(4)「対象事件」の部分に入りたいと思います。まず、アの(ア)ですけれども、この部分のたたき台におきましては、これまでの御議論を踏まえまして、A案からC案まで3つの選択肢が示されております。これらの案、あるいはそのバリエーションをも含めて、御意見をお伺いできればと思います。どなたからでも、いかがでしょうか。

○土屋委員 すみません。前の評決のところで伺うべき話だったと思うのですが、裁判官はどういう役割を果たすのでしょうか。書くまでもないのかもしれないのですけれども、例えば、評決をするときに、裁判官は議長役をするのでしょうか。

○井上座長 評議のことでしょうか。

○土屋委員 評決の際に、裁判官がどういう役割をするのかという部分がたたき台にないのですが、そのあたり、事務局はどう考えていらっしゃるのか、お伺いしたいと思います。

○辻参事官 基本的には、裁判長は裁判官が務めて評議を主宰するということを想定しております。

○土屋委員 それは、法案として書いていくときにはそういう形で書かれるのですか。

○酒巻委員 裁判所法には裁判長が評議を主宰する趣旨の条文がありませんでしたか。

○辻参事官 裁判所法75条2項が、「評議は、裁判長がこれを開き、且つこれを整理する」と定めております。

○酒巻委員 その条文があれば、何も書かなくても、そのままでよいのではないのでしょうか。

○井上座長 今の枠組みを変えない限りはですね。

○辻参事官 裁判員が入るということで、何らかのつなぎの規定は要るかもしれません。その意味でたたき台にも何か書くべきであったのかもしれませんが、事務局としては、現行法のベースが頭にあったため、何も書かなかったということです。

○清原委員 対象事件なのですけれども、今回、この制度を考えるときというのは、対象事件を決める際も、かなり長期的に対象事件はこうすべきだというふうに考えなければいけないのか。それとも、この制度の運用の当初、例えば5年間なら5年間はこういう対象事件で実施してみるけれども、その後、拡大もあるというようなことでもよろしいのでしょうか。この制度の運用のレンジというのでしょうか、長期的スパンで考えておくべきなのか、それとも段階的な対象事件のことも考えられるかというようなことが一つ論点になるかなと思うのです。個人的には、この裁判員制度がきちんと定着した後であれば、原則として、例えば、A案の法定合議事件を実施するのが望ましいのだけれども、当面、例えば5年間はB案でいくとか、C案でいくとか、あるいはB案、C案を折衷して、死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪で、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪ぐらいに絞ってやってみるとか、例えば、それが800件、何千件というような件数があるということが今日の資料でも分かったのですけれども、そんなふうに段階的に考えていくのかによって少し違ってくるかと思うのです。事務局としては、かなり長期的に安定した中で対象事件をまずは考えるというお考えでしょうか。

○辻参事官 ここは恐らく御指摘のとおり、まさに一つの論点でありまして、当面はこういう対象事件で実施し、5年か何年か後には見直すということにするかどうかについても、御議論いただければいいのではないかと思います。

○井上座長 清原委員自身は、そういうふうに段階的に拡大していくべきだというお考えですか。

○清原委員 うまく言えないのですが、司法参加は日本では初めてなものですから、国民にとって初めてだということは、裁判官にとっても検事にとっても、弁護士の方々にとっても初めてということなので、私は、とにかくこれを実効性のある形にして成功させて、そして定着させていくということを第一に考えたいと思うのですね。そういうときに、当初の年次から比較的事件数が多いところに対象を決めてしまいますと、後の選任とかいろんなこととも影響するのですが、国民にとっては、直ちに多くの事件について参加するということになってしまう。それでなかなかうまくいかないからだめだというような評価になるのは非常に残念なので、ある一定の年次は少し事件を絞って、そして、国民の司法参加についての審議会意見の趣旨などを反映できるような形を検証して、それから広げていくのがより望ましいのではないかなと、そんなような思いがあります。それで確認をさせていだたきました。

○髙井委員 まず、A案の法定合議事件ですが、この法定合議となりますと、文書事犯等も入ってくるわけで、これは、裁判員裁判にする必要がない案件ではなかろうかと思うのですね。法定合議事件というのは広きに過ぎると思うわけです。

○井上座長 文書事犯ですか。

○髙井委員 ええ。公文書の偽造等も法定合議ですが、裁判員裁判にする必要性・合理性が余り考えられないと思うのですね。そうなってくると、B案かC案ということになるのですが、例えば、B案ですと傷害致死が入ってこないということになって、余り妥当でない結果になるのではないかと思うのです。B案だと危険運転致死も入ってこないことになる。また、C案だけにしても若干範囲が狭過ぎるのではないかと思いますので、B案プラスC案というのが私の意見です。

○井上座長 傷害致死が入らないと妥当でないというのは、どうしてですか。

○髙井委員 死亡事件ですから、国民の関心が高いと思うんですね。

○酒巻委員 私も基本的に髙井委員と同じ意見です。法定合議事件はいろいろな意味でやや広過ぎると思います。対象事件の範囲についても、意見書の文言から出発しますと、意見書は、「法定刑の重い重大事件」という言葉を使い、さらに具体的には、法定刑に死刑・無期の定めのある罪と法定合議事件を例に挙げているわけです。私は、意見書が、一般国民の方に司法に参加していただくについて、重大な事件を対象にせよという趣旨は、単に法定刑が形式的に重いということだけではなく、法定合議事件というのはそういう形式的な切り方ですけれども、それだけではなくて、やはり、国民に参加していただくについて、一般国民の、あるいは社会的な関心が強い事件という意味が、「重大」という言葉の中には入っているだろうと理解しています。
 そうしますと、今、髙井委員がおっしゃったように、被害者が死亡している事件というのは、これは少年法改正の際に法律的な枠組みとして採り上げられ、同じような議論が出ましたとおり、社会的関心が強いものといえる。そういう意味で、裁判員制度になじむ事件であろうと思います。そこで、裁判員対象事件には、C案に出てくる「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪」が含まれることが望ましい。そうすれば、髙井委員がおっしゃったように、傷害致死あるいは危険運転致死という罪が入ってくるわけですね。
 一方で、C案だけにしますと、例えば、私が積年の恨みに耐えかねてある男を殺したという場合と、殺そうと思って殺害行為に着手したが、結局は殺し損なったという場合で、未遂の方が対象にならないことになる。しかし殺人と殺人未遂が、国民一般の社会的関心という観点からそんなに大きく違うかという疑問があるわけです。C案ですと、死亡させた罪ということですから殺人未遂が入らないのですが、やはり恨みに耐えかねて人を殺そうとして殺し損なったというのも、これは、「重大」、先ほど言った意味での社会的関心が強いという点ではあまり異ならないだろう。そこでC案にすると、殺人未遂が入ってこないので、B案とC案をうまく折衷したような形で、意見書のいう「重大」という趣旨を実現するのが適当ではないかと思うわけです。
 一方で、A案の法定合議にしますと、あまりにも形式的ですし、既に御指摘のあったとおり、偽造事犯や特別刑法違反の罪など、裁判員にはなじまないような事件も含まれてくるので適切ではないと考えます。

○井上座長 確認なのですけど、先ほどの資料によれば、A案の法定合議事件ですと、被告人の終局人員数では4,591人というのが平成13年の統計ですね。B案の死刑又は無期懲役が法定刑に含まれる事件ですと2,440人。そして、C案ですと、先ほどの御説明によれば、確実には分からないけれども、858人に48人を上乗せしたその周辺の数になるということでしたね。今の、お二人が新しく提案されたB案プラスC案ということですと、死刑又は無期懲役が含まれる事件の数に、傷害致死と危険運転致死の数を足したくらいの数になるということでしょうか。

○辻参事官 そうですね。

○井上座長 340人ほどプラスということで、2,800人くらいということですか。

○辻参事官 はい。おおよそ2,800人です。

○井上座長 分かりました。

○大出委員 もう一つ確認したいのですが。

○井上座長 どうぞ。

○大出委員 前にいただいているかもしれないのですが、地域分布といいますか、都道府県別の発生件数みたいなことというのは分かるでしょうか。

○井上座長 「発生」というのはどういう意味でしょうか。

○大出委員 つまり、B案プラスC案といった場合、どの程度、各裁判所の管轄区域内にその事件が今分布しているのかということは、何かお分かりですか。

○辻参事官 現在、手持ちではありません。統計の問題ですので、出るかどうかは直ちにはお答えできませんが。

○井上座長 統計数字は、各地方裁判所ごとに出ているはずですよね。

○酒巻委員 それが分かることによって何か重要な違いが出てくるのでしょうか。

○大出委員 前回のときに、法定合議事件についていろいろと御議論はあったわけですし、私も違った基準のとり方ということが全くあり得ないと思っているわけではないのですけれども、国民が参加するということの意味からすると、やはり、数の問題は決してないがしろにできない。確か四宮委員がお出しになったかもしれませんけれども、今の法定合議の数であっても、国民が本当に参加するという実感を持てるような数になっているのかということで言うと、決してそうではないだろうと思うのですね。もちろん、それであったとしても、無理に、もちろん裁判員が参加するにふさわしくないというのが適切なのかどうか分かりませんけれども、そういう事件が全くないことにはならないかもしれないのですが、やはり、国民の参加制度を作る以上、清原委員の言ったような意味で徐々にというようなことも考える余地としてはあるかと思いますけれども、その場合であっても、私は、スタートのところも国民が参加するということが実感できるような数というものが想定されるべきだろうと思うわけですね。
 それでいったときに、2,800人と4,500人とそんなに違わないという感じもするのですけれども、それが例えば、こういう事件は、その年によっても違いますし、事件発生状況というのは予測のつかないものだというのはそのとおりですけれども、しかし、あまり小さくした場合、その裁判管轄区域内では1件もないとかというようなことになってしまっては、スタートしたはいいけれども、およそその地域の国民は、裁判にそもそも最初から参加する余地がないみたいな話にもなりかねないわけです。恐らくそんなことはないと思いますけれども、そういう意味で、確認がすぐできればと思ったものですから、お尋ねしたということなんです。

○井上座長 その点は、追って資料を示していただくということでよろしいでしょうか。

○大出委員 はい。

○池田委員 今の大出委員の話もよく分かるのですが、今回、裁判員の対象事件は、どういう説をとっても、殺人事件などはA案、B案、C案のいずれにも入っているわけです。そして、殺人事件というのは、やはり全国的に、件数の多少はありますけれども、全くない県というのは聞いたことがないので、そういう意味で懸念される必要はないのではないかと思います。
 裁判員制度を導入する以上、当然、国民が司法へ参加しているという感じを抱いていただける件数でなければいけないとは思うのですが、個々の事件についても、国民の関心の高い、裁判員になっていただく方にとっても深く関与できるような、そういう事件の方が望ましいことも疑いがないところだと思います。今の法定合議事件を見ますと、先ほど言われましたように文書の偽造事件とか、あるいは私たちが日々やっている中でかなり件数がある、覚せい剤の譲渡し、譲受け事件ですとか、けん銃を所持している事件ですとか、それから、公衆道徳上有害な業務、要するにいかがわしい職業に紹介したとか、そういう法定合議事件もかなりあるのですね。特に、最後の職業安定法違反の事件などは、一方では罰金刑の選択刑までありながら、懲役刑は重く定められており、そのために法定合議になっているという事件でして、そうすると、国民の関心の高い事件であるB案あるいはC案に絞っていくというのは一つの考えではないかなという気がいたします。
 ただ、今日いただいた表を見ると、C案といっても、自殺関与というあまり重くないものが入るようになっているのですね。故意で死亡させたということになると、そのあたりはどうかなという気がいたしますけど。

○辻参事官 自殺関与罪は法定合議事件ではないので、法定合議事件であることをも要件としているC案では対象事件から外れるのではないかと思いますが。

○池田委員 そうですね。失礼しました。

○四宮委員 清原委員がおっしゃったように、確実なところから始めて育てるというのも一つだと思います。ただ、別の見方では、なるべくたくさんの人に最初から入ってもらって育てていくというやり方もあるのではないかと思うのですね。基準としては、皆さんがおっしゃったように、国民生活に深くかかわる重大な事件ということと、それから大出委員がおっしゃったような一生に一回ぐらいは任務を担当する可能性があるような枠組みということが必要なのではないかと思うのです。という意味で、事件数があまり少な過ぎてもいけないのではないかと思います。
 この二つの要請を満たすものとしては、法定合議事件という切り方は合理的なのではないかと思います。何より客観的・形式的でありますし、少なくとも半世紀の間、重大事件という内容の一つのカテゴリーとして日本では機能してきたということです。4,500件という数字が多いか少ないかというのはいろいろ議論があるとは思いますけれども、この4,500件すべてが争いのある事件ではなくて、恐らく、9割ぐらいは自白事件も含まれるのだろうと思います。その意味では、国民の負担という点からしても十分賄える範囲ではないかという気がいたします。
 他方、B案では、先ほどから議論がありますように、危険運転致死とか傷害致死など国民生活に深くかかわる重大犯罪は対象とならないということになりますし、C案では、既に指摘されたように、殺人未遂などが対象にならないということになります。
 その意味で、私は、前にも申し上げましたけれども、法定合議事件という切り方が客観的・形式的でよろしいのではないかと思います。

○樋口委員 結論的に申しますと、C案をベースにして、C案ではカバーできてないものを追加していくといった在り方がよろしいのではないかと思います。必ずしも既存の枠組みにとらわれる必要はないのではないかと思うわけでございますが、個々の罪名を、すべて罪名を、いただいた資料から見ましても、列挙しても数的にそう多いわけではございませんし、列挙するということも検討していただいたらいいのではないかということでございます。
 C案で漏れてまずいものというのはいくつもあろうかと思うのです。この資料から見ましても、身代金目的拐取もありますし、ハイジャック等、これはいずれも国民の関心の高い犯罪であろうかと思いますが、外れることになるわけでございます。C案をベースにしつつこういったものを加えていくといった考え方が一つあるのではないかと存じます。

○井上座長 C案をベースにするというのは、被害者が死んでいるので関心が高いからということでしょうか。

○樋口委員 やはり、犯罪行為の形態・中身と犯罪の結果をまずベースに据えますと、死をもたらしたというのは一つのベースになるのではないかと考えます。

○本田委員 私は、B案、C案の間で決めかねているのですが、A案はないだろうと思います。法定合議事件というのは、対象事件が非常に広くて、覚せい剤の営利目的所持とかいろんな事件が入っています。審議会の意見書がなぜ法定刑の重い重大犯罪にしたかというと、こういう犯罪に対しては国民が興味を持つのだろう、だから参加もしやすくなるのだろうと、こういう考え方だろうと思うのですね。そうすると、覚せい剤の営利目的所持というものについては、そんなに関心が高いのかというと、なかなかそうは言えないのではないかと思います。
 もう一つ、確かにB案だと、本来入らなければいけないような関心の高い重大事件が抜けてしまうこともあるということですね。また、C案そのものでも、例えば、殺人未遂あたりは抜けてしまうといういろいろ難点はあるので、B案かC案か、あるいはB案プラスC案みたいなところで検討をもう少ししていくべきだろうと思います。
 対象範囲を広げてしまうということについては、先ほど清原委員から話がありましたけれども、あまり広げることによって、出だしでつまずいてしまうことはやはり避けなければいけないのだろう。なるべく多くの人が裁判員裁判を経験するようにする方がいいというのは、それは一つの考え方だろうと思うのですけれども、出だしのところで失敗しては何もならないと思います。こういうことをはっきり言うのがいいかどうか分かりませんけれども、国民のすべてが裁判員裁判に積極的に参加しようとする人ばかりであるならば、それはもちろんそういう考え方も成り立つでしょうけど、例えば、検察審査会の審査員の例を見ても、決してそういうことを積極的にやらないというか、やはり嫌がる人もいるわけですね。現実に動く制度としてスタートさせるという観点から見ると、そのあたりのところをも実際考えておかなければいけないわけで、あまり対象事件の範囲を広げてしまうというのはいかがかなという気がします。
 結論がはっきりしない意見で申し訳ないのですけれども、そういったことを基本に考えるべきだろうと思っております。

○土屋委員 私も結論がはっきりしないで申し訳ないのですが、私は、法定合議事件をベースに、そこからふさわしくない事件を落とすという意見です。

○井上座長 樋口委員とは逆の発想ですね。

○土屋委員 はい。そういうふうに思っているのです。例えば、B案プラスC案でいきますと、4ページの下の方ですけど、今、戦争をやっている生物化学兵器などの場合の製造、こういうのは外れてしまうのですね。このあたりは、庶民的には非常に関心があるところだと思いますし、それからその下の、逆に銃刀法だとかけん銃の輸入だとか、そういう部分というのは、法定合議事件ではあるけれども、BプラスC案ではかからないという部分なのですけど、これはむしろ入れなくてもいいのかなと思ったりもするのですね。
 そうすると、大きな網としては法定合議事件でかけておいて、そこから、裁判員制度にふさわしくない、なじまないものを落とすという発想の方がいいかなというふうに私は考えます。ただ、何がいいのかというと、私には逐一意見を述べるだけの見識もありませんので、思いついたところだけを申し上げました。

○大出委員 先ほど本田委員の説に対する私なりの意見ということなのですが、育て方ということではいろいろとやり方があるというのはそのとおりだと思いますし、意見の違いだということになるかもしれません。検察審査会の例をお出しになりましたけれども、確かに、検察審査会というのは、制度自体、あるいは運用についても国民の間の関心というのはいま一つだということだと思います。けれども、それは制度について周知徹底させるためのいろいろなシステムというのが不十分だったという側面があることは間違いないわけですね。
 ですから、育てていくということになったときには、確かに、今の時点では、皆さんが裁判員にすぐなりたいと思っているかどうか分かりませんけれども、ただ、先ほど来、法定合議であったとしても、一生のうちに一回来るかどうかということであるわけですから、時間をかけて、じっくり、皆さんに制度を知ってもらって、国民がそれに参加するというのは当然なのだという雰囲気といいますか、制度の運用を作っていくということであれば、そこそこちゃんと制度が動いているということでないとまずいわけですね。ですから、国民の大多数なんていう話ではないわけで、本当に一握り、法定合議でやったとしても、本当に一握りの人が参加しているにすぎないというような数でしかないわけですから、その程度は実際に機能しているということになってないと、育てていくといっても、目に見えるところで裁判員裁判というのが行われているということにはならないのではないかと思うのですね。
 ですから、確かに、事件として国民の関心との関係でいったときどうなのかということはありますけれども、国民の関心というのもなかなか計りがたい基準であるわけです。酒巻委員は、先ほど、関心が高いかどうかということは重大であるかどうかということと密接に関連するということをおっしゃられましたが、もしそうだとすると、私などは、法定刑の点では問題があるにしてみても、例えば窃盗事件という方が、むしろ国民にとっては関心があるかもしれないという感じもするわけですね。そうすると、窃盗事件を入れるということになると、それだけで何万となるわけですから、何十万になるかもしれませんね。むしろ、そういうことを考えた方がいいかもしれないというような感じもするわけで、そう言い出すときりがないわけで、確かに基準としても非常に切りにくいということになるわけです。その意味では、先ほど来お話を伺っていると、数の点で、どの程度国民が関与するかどうかということの持つ重要性といいますか、その点についての配慮というのは、必ずしもどうも御意見としてはうかがえないわけですけれども、私は、件数の持つ重要性から、最低でも法定合議事件とするべきと思います。
 それから、土屋委員がおっしゃったように、そこから必要のないものを除外するというようなことがあってもいいかもしれませんけれども、そこをベースにして考えていく。そして、先ほど清原委員のおっしゃったことの関係でいけば、むしろそこをベースにして、さらに増やしていくということで制度を育てていくという発想が私は必要なのではないかという感じがするのですね。

○井上座長 御意見は分かりました。土屋委員の発想でも、覚せい剤とかけん銃関係とか、そういうものを除いていけば、かなりの数減るわけですね。

○大出委員 そこは、国民の関心ということでいくと、関心がないということになるかどうかというのは私は微妙だと思いますけれども。

○井上座長 国民の関心が高い事件とは法定刑の重い重大な事件であると、そういう切り口で審議会自身は絞っているわけです。そのほかにもいろんな切り口があり得たと思うのですけど、一応そういう形で審議会が絞っているものですから、それは意味のある基準として扱うべきものだろうと思うのです。

○清原委員 私は、将来的には、審議会意見の趣旨からしても、国民生活に深くかかわる重大事件で、やはり四宮委員おっしゃったように、一生に一度は、なるべく国民の、あるいは家族の一人は経験するような制度になっていくことを願っている者の一人です。ただ、私、冒頭に質問して問題提起いたしましたのは、そのために最初から法定合議事件でいくのか、それとも、それが目標であるけれども、当面段階的にいくのかというところで、取り組み方には何通りかあるということで、慎重論のように聞こえてしまったかもしれないのですが、私としては、もちろん多くの国民が参加していただくような制度になっていくことが重要だと思っています。
 ただ、懸念としては、当初、ある程度絞ってしまいますと、ずっと見直されないまま、その数にとどまってしまうというか、対象事件が狭い範囲にとどまってしまうのではないかというふうに思ってしまう方が多いとそれは残念なので、私の趣旨としても、できる限り、重大な事件については、国民がかかわれるような制度と願っておりますが、段階的にというようなことも考えられるのではないか。そのような趣旨ですので、よろしくお願いします。

○井上座長 法制度としては、見直し規定を置くとか、そういう形は可能だと思います。余計なことかもしれませんが、清原委員は、法定合議事件が目標とおっしゃったのですけれど、大出委員は法定合議事件が最低とおっしゃったので、大分違う感じもいたします。

○平良木委員 私は、参審制度というのは、裁判員制度も同じですけれども、軽い事件にこそ合うのだということを前から言ってきておりますので、軽い事件を中心としつつ、極めて重いものに限定してこれを対象事件に加えて制度設計をしようという発想を持っていたわけで、そういう点からすると、いわゆる軽い事件とC案を対象事件とすることになるわけです。けれども、意見書を前提とすると、軽い事件は除外されてしまいますので、C案だけが残るということになるのですが、C案だけだとするといかにも件数が少ないという感じがしまして、裁判員制度が行われているという実態を示すためにも、むしろもう少し多く、恐らくB案ぐらいにはいかなければいけないだろうという気がしております。
 先ほど、最初に髙井委員からB案とC案を併用するという話があり、基本的に私もそこまでいかざるを得ないのかなと思いますけれども、それと同時に、先ほど土屋委員が言われたような、化学兵器、それからもう一つは、爆取の関係、爆発物の製造というのを入れたらどうかという気がしております。

○井上座長 個々の犯罪について云々しだしますと、個人的な趣味と申したら言い過ぎかもしれませんけれども、話が細かくなり過ぎる気がするのですが。

○平良木委員 爆発物も生物化学兵器も、使用はあるのですけれども、製造はないということで、製造まで広げておく方がよいのではないかということです。

○井上座長 先ほどの樋口委員は、むしろ、身代金目的誘拐とかハイジャックとか、そういった犯罪を対象にすべきだとおっしゃっていたわけで、その辺になってきますと、意見がかなり多様に分かれてくると思いますね。いずれにしても、基本的にはB案とかB案プラスC案を基本にしながら、あとは個別に洗い出すと、こういう考え方ですね。

○平良木委員 はい。それから、関連して言っておきますと、見直し規定を設けるべきという案が出ていますけれども、これは、恐らく、対象事件だけでなくて、この制度全般について、何年後かに見直すというようなことをしなければいけないだろうという気がしています。

○四宮委員 先ほど本田委員がおっしゃったことなのですけれども、国民は積極的に参加してくれる人ばかりではないということを、対象事件の議論の出発点にすることには大きな疑問を感じます。まず、国民に対して、そういうふうに、こちら側から数を限定する理由として呼びかけることには、私は大きな抵抗を感じます。確かに国民に負担をおかけするわけですけれども、だからこそ、そういう方々に来ていただいて、こういったものに参加してよかったという仕組みを作っていく必要があるわけですね。少ないから、重大なものだけ来てくださいというのもどうかなという気がします。むしろ、たくさんの人に参加してもらう仕組みにするからこそ、そういった人たちが参加しやすい環境整備、職場の問題ですとか、家庭の問題ですとか、そういった環境整備、インフラの拡充・改革というものも併せて進んでいきやすくなるわけで、その意味でも、一定の数があった方がいいのではないかと思います。
 それから、法定合議の問題点として必ず薬物事犯が出るのですけれども、私は、薬物事犯というのは、国民は非常に関心があるし、国民生活に深くかかわるもので、特に、近時は重大な問題であろうと思います。私のつたない経験でも、例えば、アメリカの陪審員は、薬物事犯を経験すると、後で聴いてみると、絶対こういうものには手を出さないようにしようと思ったとか、そういう感想を言う人はたくさんいいるわけで、大きな社会問題を認識してもらう意味でも、薬物事犯が入っていることは非常に意味があることだと私は思います。
 細かな、何罪がどう、何罪がどうということをここで申し上げるつもりはありませんけれども、そういった意味でも、法定合議事件を軸に考えることは非常に意味のあることではないかと思います。

○本田委員 理念型として広く国民に参加してもらうということ自体、私は否定しているわけでもない。環境整備をすることが重要だということはよく理解しています。しかし、現実問題として、これだけの環境整備をすれば、必ずこれだけの裁判員がきちんと集まって、きちんと制度が最初から動くのか、そこの保証が本当にあるのなら、それは最初から広げていっても、別に全然構わないと思うのです。けれども、我々は、初めてこの制度を作って動かそうとしているわけで、似たような国民の参加というのは、検察審査会の例があるわけですけれども、これで参加者の確保にきゅうきゅうとしている事例があるのではないか、スタートで失敗したらどうなるのだということを、私は現実論として言っているわけです。
 将来的に育てていこうということ自体について、私は反対しているわけでも何でもないし、国民が参加しやすい環境を作って、なるべく参加しましょうということ自体を否定しているわけでも何でもないです。ただ、現実の制度は、動く制度にしないと本当にどうしようもありませんねと、そういう観点からの発想も必要ではないでしょうか。

○四宮委員 ですから、国民を信頼したらいいと思うのです。

○本田委員 検察審査会での現実があるからです。

○井上座長 そこはお二人の見方が大分違っているという気がしますね。ほかに御意見がございましたらどうぞ。

○樋口委員 個別の罪種について、先ほど武等法(武器等製造法)とか爆取(爆発物取締罰則)、覚取(覚せい剤取締法)の話がありましたけれども、実際の事案の中身を知っている立場からしますと、国民の関心という観点からして、余り御期待に添えるような案件というのは、ほとんどないかもしれません。だからといって、どうという話ではないんですけれども。
 それと一つ追加させていただきたいと存じましたのは、そもそも、この制度は、国民的な基盤を確固たるものとするということなのだろうと思うのですが、それをどう解釈するかということなのだと思うのです。最終的といいますか、何年か運用した後には、家族の中に一人は経験者がいるとか、地域社会に経験者がいるとかそういったところを目指すのか、それとも、やはり、いずれの県にも1件も事例がないというのではさすがにまずいとは思いますけれども、体験を社会的に共有するということを目指すのか。体験を共有するというのは一般論的で大変難しいとは思いますし、メディアを通じて体験を共有するということになりますと、そこもいろんな問題もあろうかとは思いますけれども、どちらかというと、私は、後者を目指すべきではないかと思います。
 標語的に、先ほどから出ています、小さく産んで云々というのがあるのですが、小さく産んでなのか、計画的に産んでなのか、また、堅実に育てるのか、それとも堅実に運営するのかなのですが、いずれの方も私は後者ではないかと、すなわち、計画的に産んで、堅実に運営をするのがよいのではないかというふうに存じます。

○井上座長 一通り御意見を伺いましたので、先に進ませていただいてよろしいですか。
 次は若干技術的な話で、これまで余り議論されていなかったことですが、ア(イ)の「併合事件の取扱い」について、御意見を伺いたいと思います。対象事件とされるものと併合して審理することとされた事件は、それ自体としては対象事件のカテゴリーに入らないものであっても、裁判員の入った合議体で審理をする、というのがたたき台の案ですけれども、この点についてはいかがでしょうか。

○髙井委員 基本的には原案どおりで結構だと思います。

○本田委員 私も同じ意見です。

○池田委員 たたき台の案の事務局の説明のときに、殺人に死体遺棄が付いたような場合という例を挙げられていて、確かにそういう事件を一緒に審理できるようにしておくというのは必要だろうと思います。ですから、そういうものも併合して、裁判員の入った合議体で取り扱うことができるとするのは相当であろうと思います。
 ただ、それでは何でも併合していいかというと、時期的な問題、例えば、選任手続がもう終わってしまった後で追起訴になってきたような事件を一緒に審理するというのは、これは困ると思います。そういう時期的な制限もあるでしょうし、あるいはもう一つ、被告人が異なる事件ですと、一緒に審理するのが本当にいいのかどうかということもありますので、そういうことを考えると、併合審理が原則というわけにはいかないのではないか、併合しないで審理を行うことも十分あり得るのではないかと思います。ですから、できるとしておくことは一向に構わないと思うのですけれども、分離して別々に審理を行うことも十分可能なように手当てしておくことも必要なのではないかと思います。

○井上座長 いま議論しているのは、仮に併合決定があった場合に対象としてよいかという話でして、どういう場合に併合すべきであり、どういう場合に併合してはいけないかというのは別の問題で、もう少し後ろの方で議論すべき問題であるように思います。今の御意見ですと、例えば、そんなことが実際にあるのかどうか分からないのですけれども、殺人で起訴され、後で死体遺棄で追起訴がなされた場合などは併合審理すべきでないということですか。

○池田委員 それは無いと思いますけれども、例えば、保険金詐欺で、殺人だけが先に起訴されて、後で、どうもこれは保険金詐欺だったとして保険金詐欺が追起訴されてくると、そういうようなことも考えられます。裁判員裁判で審理が途中まで進んできていて、そして別の裁判員裁判の非対象事件が追起訴になったときに、それは一緒に審理しなくてもいいではないかという気がするのです。

○井上座長 それでは、どのような場合に併合すべきであり、どのような場合は併合すべきでないかという点は、公判手続のところで御議論いただければと思います。ここは、この程度でよろしいですか。
 もう一つ、特に御異論はないと思いますけれども、やや技術的な話で、イの訴因変更の場合の取扱いです。
 たたき台は、裁判員制度の対象事件が非対象事件に訴因変更された場合には、原則として、その非対象事件についても、引き続き裁判員が加わった裁判体が審理を行うという案を示しております。この点については、逆の取扱い、つまり、訴因変更の結果、非対象事件の訴因になったというのであれば、以後の審理は、その訴因を基準に判断して、裁判官のみで審理することにするということも、論理的にはあり得る選択肢なのですけれども、この辺は御意見いかがでしょうか。

○酒巻委員 まず、たたき台に出ている場合、裁判員制度の対象となる事件で起訴されたが、途中で審理の対象が変更されて、そうでなくなった場合については、私はこのたたき台の案でいいだろうと考えます。

○井上座長 始まった以上は、同じ裁判体で審理すべきだということですか。

○酒巻委員 はい。ただ、実務上は、訴因が交換的に変更される場合はあまりなくて、技術的な話で申し訳ありませんが、後から予備的に追加されるというパターンがほとんどであろうと承知しております。そういう追加的変更の場合はこれには当てはまらないから、基本的にはそのままという理解でよいのですね。

○辻参事官 御指摘のとおりで、予備的な追加的変更でありますと、元の訴因、対象事件が残っていますので、そのまま対象事件という取扱いにすべきかと思います。

○井上座長 ただ、事物管轄があるかどうかという話であるわけですから、本位的訴因が成り立たないとしたうえで、予備的訴因で有罪とすることはできるのかという問題は残るわけでしょう。

○酒巻委員 いずれにしろ、裁判員で始めた事件ですから、基本はそのままいって、ただ、ただし書にありますとおり、例えば,訴因変更の時期等により新訴因についてすぐ判決できないような場合等、いろんな場合が想定されると思いますが、こういうただし書は置いておく必要はあると思います。
 それから、逆の場合はここには出てきませんけれども、どうなるんでしょうか。

○井上座長 逆というのはどういう場合でしょうか。

○酒巻委員 論理的には、非裁判員事件で始まったものが、訴因が変更されて裁判員事件になるという場合があり得るだろうということです。例えば、けがをさせるつもりでけがをさせ、傷害で起訴されたが、不幸にして、被害者が裁判中に死んでしまったとすると、傷害致死になりますね。

○井上座長 傷害から傷害致死に変更されるという例ですね。

○酒巻委員 そういう場合ぐらいですか。その場合も、同じように考えることになるのではないかと思うんです。

○井上座長 同じというのは、どういうことですか。

○酒巻委員 途中から裁判員事件になった以上は、途中からは裁判員を入れて審理するという道が一つありそうなのですが、これは、既に審理が進んでいる場合には、かなりいろんな難しい問題が出てくるような気もします。そこは少し詰めなければいかんなと思います。

○井上座長 結論は出ないということでしょうか。先ほどの考え方ですと、審理がかなり進められており、訴訟経済といいますか、せっかくここまでやったのだから、そのまま続けてやりましょうと、そういう考え方だったですよね。

○酒巻委員 思い付きで恐縮ですが、先ほどの考えだけで押してゆくと、そちらの方が原則になるという議論も成り立つのではないかというのが今の私の意見です。

○井上座長 今の考えを形式的に当てはめれば、職業裁判官だけでかなり審理を進めてきているので、それを大事にしようということになる、そういうことなのですか。

○酒巻委員 そうですね。

○四宮委員 傷害だったら、そもそも最初は単独事件ですよね。

○酒巻委員 事例がよくなかったですかね。でも、今のような事例はあり得る。それ以外に訴因が重い方向に変わるというのは実際は余りないと思いますけれども。

○平良木委員 逆の場合というのは、当然、その段階から少なくとも裁判員事件になるはずなので、だから、裁判員が入ってこなければいけない。それで、審理を最初からやり直さなければいけないかどうかという議論は出てくる余地はあるが、その必要は恐らくない。要するに、事件が変わった段階でそれに対応してやればいいというのが筋だと思います。ただ、このたたき台の場合はそうではなくて、訴因変更前は、より丁寧なというか、裁判員を入れた形でもってやってきているわけだから、それを崩す場合もあれば崩さない場合もある。崩さなくてできる場合は崩さないでそのままやっていこうと、たたき台の考え方はこういう趣旨ですよね。

○井上座長 簡単に言えば、大は小を兼ねるけれど、小は大を兼ねないと、そういう発想ですね。

○平良木委員 そうです。

○大出委員 ただし書のところの、「審理の状況等にかんがみ適当と認めるとき」というのは、事務局では具体的にどういう場合を想定されていたのでしょうか。

○辻参事官 通常、訴因の変更は、先ほども御指摘があったと思いますけれども、審理がかなり進んだ段階で行われるという方がむしろ多いのかもしれないので、そういう場合には、そのまま審理をしてもらう方がいいのだろうということです。ただ、証拠調べの非常に初期の段階とか、まだ審理が進んでいない段階で、こういう事態が生じた場合に、本来的には非対象事件であるから、そのまま裁判員に参加していただく必要がない場合もあり得るのではないかということを考えたということです。

○井上座長 御質問はそれでよろしいですか。

○大出委員 はい。

○池田委員 このたたき台にある事象については、このとおりの案で、私は結構なのではないかと思います。逆の、先ほどから出されている事象については、確かにいろいろな事案があって、最後の証拠調べがほとんど終わった段階で訴因が追加されるということもあり得るわけですけれども、ただ、今でも、もし単独事件から法定合議事件に訴因変更された場合には、裁判体を合議に変えざるを得ないわけですから、今回、裁判員を加えて、裁判員には、事実認定はもちろん、量刑にも加わっていただくわけで、量刑は少なくとも残っているわけですから、そういう意味では、裁判員を加えた裁判体でやる方が筋としては通るのかなという気がします。
 ただ、その場合に、それまでの手続を無駄にして、もう一度初めからやり直さなければいけないということにはしない方がいいのではないかと思うのですね。ですから、裁判員についても、公判手続の更新というのはあり得るというふうにしないと、もう一度最初からやり直すとなると、証拠調べが進んでいたところをまた初めに引き返すことになって、証人にもかなりの迷惑をかけることになります。ですから、そのあたりの手当ては必要になってくるのではないかと思います。

○大出委員 しかし、その、具体的な公判手続の更新についてはどういうふうにやるという話になるのでしょうか。

○池田委員 更新については、いろいろ工夫の余地はあると思います。

○大出委員 原則的に言えば、調書を含めて朗読をするというようなことが本来的なやり方ではありますよね。しかも裁判員が入ってくるわけですから、今の簡易なやり方ではないということになるのでしょう。

○池田委員 多分、裁判員については、補充裁判員を付けて、なるべく公判手続の更新の必要が生じないようにすることが望まれるわけですけれども、いくら手当てをしていても更新が必要になる事態というのも考えられますね。

○大出委員 通常の、当初から裁判員が入った場合ですね。

○池田委員 その場合に、更新は、当然、裁判官だけで行っている今の更新とはやはり違ってくるだろうと思うんですね。その場で新たに加わった裁判員に分かりやすいような方法で、それまでの双方の主張と証拠の要旨の告知とかを法廷で行うとか、そういう工夫というのは当然必要になってくると思うんです。

○井上座長 それについては、おそらくまた、公判手続のところで議論をしなければならないと思いますので、そちらの方に譲りたいと思います。
 もう一つ、少し難しい問題がありまして、それはウの除外という問題です。ウの、事件の性質による対象事件からの除外ですけれども、たたき台では、A案として、罪種として類型的には対象事件に該当する罪の事件であっても、一定の要件の下に裁判官のみで審理することができるという考え方を示しております。
 他方、B案としては、そういう除外の制度は設けないという考え方を示しているところです。
 そこで、一定の要件の下に対象事件から除外する制度を設けるべきか否か、設けるとした場合に、具体的にどういう制度とすべきかという点について、御議論いただければと思います。積極案がA案的な形ですので、これを一つの手がかりとしつつ、しかし、自由に御議論いただければと思います。この点も、審議会の意見書で、採用すべきだとまではされず、検討の余地があるというまとめになっていたと思います。

○髙井委員 私は、この除外例を設けるべきであるというふうに考えます。これも、一巡目のときにも申し上げましたけれども、一般の国民の方に、必要以上に身の危険を感じたり、心理的な負担をおかけするというのは、この制度の本来の趣旨とするところでないと思うのですね。ですから、そういう意味で、定型的にそういう必要以上の心理的負担あるいは身体的な危険を感じさせるような事案については除外するというものを設けるべきであると思います。
 では、どういった形にするかとなると、罪種例を最初から固定してしまうというのはなかなか難しいと思いますので、このA案の(ア)にあるような、細かい字句はともかくとして、大筋としては、(ア)のような書き振りでいいのではないかと思います。

○四宮委員 私は、第1ラウンドと同じように消極説、つまり、このたたき台でいえばB案、こういう制度は設けないものとするべきであるという意見です。今、髙井委員がおっしゃったような事情はあり得ることだとは思いますけれども、除外する明確な基準を設けるのはなかなか難しいと思います。この書き振りを見ても、非常に抽象的な言葉で書かざるを得ないわけですね。こういう抽象的な基準、あるいはあいまいな基準ですと、今回の裁判員制度が重大事件を対象としているということと相まって、裁判員制度が適用される事件の範囲を一層狭めてしまうおそれがあるのではないかとおそれます。
 仮に、こういった事情が具体的に想定される事件があるとしても、それは、裁判員に対する保護とか警備とかで対応するのが筋ではないかと思います。もちろん、大丈夫ですから来てください、というためには、それなりの、制度的なあるいは手続的な整備が必要なわけで、一つは、こういった事情がもし具体的にあり得るとしたときには、裁判員の個人情報の保護管理を一層徹底することが必要だと思いますし、安全で迅速な裁判ということを心がける必要性も一層強まるだろうと思います。そのために、法曹三者は、そういった迅速で安全な裁判のために努力する要請は一層強まるとは思いますけれども、このように除外規定を設けるのではなくて、そういった努力とか、裁判員の保護・警備で対応すべきではないかと思います。

○井上座長 「迅速」というのは分かるのですが、「安全」な裁判というのは何なのですか。

○四宮委員 先ほど申し上げたような、例えば、裁判員の個々の個人情報が漏れないようにする。あるいは、例えば、法廷でも、極端な場合には裁判員の顔が傍聴席からも見えないようにするとか、いろいろな方法があり得ると思います。

○井上座長 分かりました。

○酒巻委員 私は、これも第1ラウンドで述べたと思いますが、髙井委員の御意見、結論と理由に賛成で、このような形の対象事件からの除外は必要だと思います。理由を追加しますと、今、四宮委員は、個々の裁判員の方々に対する保護・警備あるいは個人情報の保護という形で対処すべきだとおっしゃられ、それはそのとおりだという面もあるのですが、ここでの問題は、現に危害が行われないように防御するというだけではないように思います。個々の裁判員の方が、そういう厳重な警備をしなければならない状態に置かれること、つまり強い心理的な圧迫を感じるような状態に置かれていること自体が、やはり望ましくないということだと思うのです。
 それは、髙井委員がおっしゃったような個々の裁判員の方々の心理的な負担だけではなくて、最終的な目標である公正な判断、公正な裁判が、外から見てもなされるような格好・外観が維持できないのではないか。つまり、事件の種類によっては、プロの裁判官はこれは仕事ですからいいのですが、一般国民が関与していることによって、事件の性質等によっては、外から見たときに、その裁判体の構成員が否応無く恐怖や不安のために公正な判断作用ができなくなる危険があるように見える、そのこと自体が問題ではないかと思うのです。そういう点からも、このような除外規定は必要であろうと考えます。

○本田委員 基本的には髙井委員、酒巻委員の考え方と一緒です。確かに四宮委員がおっしゃるように、例えば、組織的な犯罪とかテロ犯罪という、それだけの理由ですぐ対象事件から外してしまうということは、やはり、裁判員制度を導入した趣旨からいってまずいでしょう。第一義的には、裁判員に対する保護や警備ということで、裁判員制度がなるべく機能するように努力するのが当たり前の話でしょう。そういう意味では、四宮委員のおっしゃることはよく分かるのですけれども、しかし、それでも完全に保護しきれるのか、どんな場合にでも完全に警備ができるのか。警察の方でやっていただくことになるのかもしれませんけど、それだって、もし何かがどうしても防げないような状態というのがあり得ないわけではない。そうすると、そのときのための安全弁として、こういう制度というのは作っておく必要がある。国民に負担を強いた上に、またそこで新たな犠牲が出るようなことは絶対に避けなければいけない。もう一つは、先ほど酒巻委員がおっしゃったように、そういった極端な状況の心理的な圧迫の中で、本当に的確な判断ができるのかということも考慮すべきだろう。
 こういうことを考えると、こういう除外の制度自体は、設けておくべきであろうということです。

○大出委員 確かに、一般的抽象的にはおっしゃることは分からないではないという気はするのですけれども、具体的な類型化が本当に可能なのかどうか。一般的に危険という意味でいったら、どういう事件を想定されているのかという問題はありますけれども、一般的にはまさにどんな場合だって危険はあり得るわけですね。ですから、その危険を言い出すと、すべてが対象とは言わないにしてみても、非常に広い基準になってしまうということになりかねないわけですし、どうも、具体的に危惧されていることは、さっきも言ったように、抽象的一般的にそういうことがあり得るということは私は否定しませんけれども、具体的に果たして本当に類型化が可能で、一体、具体的にどういう場合に対応するということでおっしゃっているのかがよく分からないのですね。
 そのことは、先ほど四宮委員がおっしゃったような形での対応で本当に足りないのかどうか、というようなこと自体も具体的にはどうも分からないとしか言いようがないと思うんですね。

○本田委員 それはむしろ逆で、本当に完全に対応できるのかとお聞きしたい。

○大出委員 ですから、それを言い出したら、すべての事件についてそういう危険性はあるという話になってしまうのではないかと思うのです。なぜかといえば、被告人については、自分がそういう裁判をやられていること自体はけしからんと思う人たちは常にある意味でいる可能性があるわけですし、その周辺に、そのことを不満に思っている人たちは、多分一般的抽象的には常に存在し得るわけですから、どういう事態が起こってくるかということは、広げたらきりがないということに私はなるのだろうと思うのですね。

○井上座長 そこから、こういう除外というか、最後の逃げ場みたいなものを設ける必要はないという議論になるのでしょうか。心配されているのは、こういう除外制度を設けると、どんどん対象事件から落とされてしまうのではないかということですか。

○大出委員 ええ。明確な基準が具体的な形で示されるということであればと思いますけれども、少なくとも、ここに挙がっているのは、今、御説を伺っても、具体的にこの事件は除外する必要があるというようなことが基準化できるというようには思われないというのが私の意見です。

○平良木委員 私は、これも前から言っていることですけれども、国民に負担をかけるということに二通りあるだろう。一つは、多くの人に負担をかけないというような配慮をすることと、もう一つは、一人の人に心理的な負担がものすごいことになるような事態は避けなければいけない、そういう二つの面があるだろう。どっちが深刻かというと、恐らく、後ろの方が深刻ではないかという気がしている。
 その意味で、除外を設けるという方向に反対ではないのだけれども、除外の対象となるような事件というのは、考えてみると、どちらかというと、裁判官にとっても難しい事件であるだろうし、そういう事件について、裁判員を外して3人の裁判官でやるというのは、これは何か矛盾しないかという気がするのですね。つまり、裁判員なんていうのは、この場合、言ってみれば、いてもいなくてもいいという論理になりかねないようなことになるので、もし、外すのだとすると、例えば、これに裁判官を一人増員するとか、こういう手当てを考えないと、少しおかしなことになりはしないかということなのですが。

○井上座長 それは、この前出た裁判員と裁判官との代替可能論につながる話にはならないですか。

○平良木委員 必ずしも私はそうは考えていませんけれども。

○井上座長 理論的には代替論を前提にしているような感じがしますけれど。

○平良木委員 つまり、本来の裁判員事件、重い事件については、裁判員を入れて裁判官と裁判員で審理する。それから、さらに深刻な事件になった場合に、裁判員を除くということになるわけだけれども、それで果たしていいのだろうか。何か難しい事件であるがゆえに、逆に裁判員が除かれていることになりはしないのかというような気がするのです。それが分からない。

○井上座長 難しいということの意味が問題になるかと思うのですが。

○平良木委員 やりにくい事件ということです。

○井上座長 事件内容の難しさではなく、危険が及ぶかどうかという話だと思うのですね。そこが違うような気がするのです。座長の私が反論するのは良くないかもしれませんが、裁判員を入れることの意味は、裁判官と同じ機能を果たしてもらうということではなく、基本的にはこれまで裁判官でやっていたところに、社会の健全な常識を反映させるところにあるわけですね。そうであるとすると、対象事件から裁判員を除外することにより、そういう機能が取り除かれてしまう場合に、たとえ裁判官を増やしたとしても、同じ機能を補完することはできないはずですので、そこの理屈付けをどうするかだろうと思うのです。
 一つの割り切り方は、健全な常識を反映させることより参加する人の安全の方を優先させるべきときは、前者の機能は断念するということでしょう。平良木委員がおっしゃるのは、そこまで割り切るのではなく、裁判官を増員し、より手厚くするということによって補うということなのでしょう。

○平良木委員 私もそういう趣旨なのですが、そういったときに、一つ考えておかなければいけないのは、こういう事件を対象から外す場合には、ほかの管轄といいますか、ほかの裁判体を作って、重大事件を特別扱うというようなことでやるのだとすると、これはつじつまが非常に合うのだろうという気がするのです。要するに、外しただけでいいのかということが疑問に残っております。
 そのことがあるものですから、もし裁判官の増員といった手当てをしないということだとすると、むしろB案でいくべきなのかなという方に近づきつつあるということなのです。

○井上座長 消極的にではあるけれど、B案に賛成ということですか。

○平良木委員 ええ。

○樋口委員 申し上げたいところが2点あるのでございますが、結論から申しますと、除外規定を設けるべきだろうと思います。第1点目は、第1ラウンドの記録を読ませていただきまして、第1ラウンドでは、保護を前提として除外規定を設けないといった議論もあったかと存じますが、この前提というのは好ましくないと思います。というのは、裁判員のこういった状況がある場合の保護というのは、警察法2条からいたしましても当然の責務であるわけでございますけれども、その結果、懸念なりおそれなりが解消できるかといったところは、前提の定義にもよろうかと思いますが、そこまではなかなか難しいところがあろうということです。ですので、保護を前提にして除外規定を設けないというのは成り立たないのではないかということです。
 2点目は、A案で書かれておりますような事情が認定できるかということなのですが、これは、実務の感覚からいたしますと、認定できるであろうと思います。一律に、先ほど類型化できるかといったことをおっしゃっていましたけれども、類型にもいろんな定義があろうかと思いますが、一律的な判断というのは難しいと思います。ただ、個別具体的なケースで、捜査段階から言動等が顕著で、これはそういう事情が認められるなといったことは大いに期待ができると思います。
 現に、私どもでも、再被害の防止といった観点から、既に、全国でそういった態勢をとって対応しているところでもございます。これはまさに捜査段階から公判におけるいろんな弁論の中身等から総合的に判断をして、矯正施設等から出所した場合には、再被害のおそれがあるといったときにそれなりの態勢をとっているといったようなことですが、認定はできるだろうと思います。これは、必ずしも難しい事件かどうかとか、罪名的に重罪であるものにそういったものが多いというわけでも必ずしもございませんで、まさにケース・バイ・ケースです。そういう人の認定というのは、検察官との協力の上で裁判官が的確に認定ができるのではないかというふうに考えます。

○土屋委員 私は、この制度は設けないというB案がいいと思っています。というのは、半分は平良木委員がおっしゃったことなのですけれども、先ほど、対象事件を罪名によって除外するというのでしょうか、法定合議事件から落とすということを考えた方がいいのではないかという意見を申し上げたのですけれども、そういうふうに明確に言えることが大事だろうと思うのですね。このA案は、抽象的にすぎる。楯の両面みたいな部分がこの規定にはあるように思いまして、例えば、生活の平穏を侵害する行為という、一種の反社会的な行為ですけど、そういう反社会的な行為を裁判官だけで審理していいのかということになると、必ずしもそうではないのではないかと思うのですね。テロや組織犯罪だとかそういうものを対象にしていると思われますけれども、組織犯罪なんていうと、特定の概念規定が出てきてしまうので、そういう言葉はあまり使わない方がいいのかもしれませんが、もう少し平たく言うと、公安事件みたいなものを考えると、そういうものがこの抽象的な規定に当てはまってくるというような事態も考えられるのではないのかなと思うのですけど。

○井上座長 A案は、公訴事実がこれに当たるからということではなくて、具体的な事情によって、裁判員等を畏怖させ、その生活の平穏を侵害する行為がなされるおそれがあると認められる場合のことを言っている。つまり、起訴されている犯罪の中身がそういうものであるというのではなく、これから裁判員あるいはその関係者に対してそういうことがなされるおそれがあるという場合に、対象事件から外そうというもので、問題が違うと思うのですけれども。

○土屋委員 公正な判断ができないという、そこの部分は分かるのですが、それにしても、抽象的であり過ぎるのかなと私は感じています。つまり、何が公正な判断ができない事情なのかということは、今、樋口委員が実務的には認定できると言われましたけど、その実務的に認定できること自体が、一種の楯の両面という、裏の方の部分に当たるような事情になってくるのかなという懸念も覚えたのです。もともとそういうふうに除外するような事件であるならば、平良木委員がおっしゃったような、ほかの裁判体に移すとか、そういうような方向を考えた方がいいのではないかと考えました。

○髙井委員 今、議論が混乱しているようなので、はっきり押さえておかなければいけないと思うのですが、まず、ここで想定されているような事件は、事件の内容だとか、軽重であるとか、難易度とは全く関係ないのですね。被告人の属性にむしろ関係してくるわけで、もし裁判員を除外したら、代わりに裁判官が入れなくてはいけないのではないかとか、そういうこととは全く別次元の問題なのですね。非常に簡単な事件なのだけれども、被告人の属性によっては非常に危険で、裁判員が安全に生活できないということはいくらでも想定できるのですね。
 ですから、罪種とかそういうものではなくて、被告人の属性なのだということをまず念頭に置いて議論すべきだということと、それから、今、大出委員はどんどん広がってしまうのではないかというように言われましたけれども、それも属性だというふうに考えれば、そんなに広がるわけでもないし、具体的にどういうふうに認定するかというときには、当然危険性を疎明しなくてはいかんとか、そういう手続になっていくわけですから、めったやたらにどんどん広がって、結局裁判員の入る事件はほとんどないみたいなことにはなり得るはずはないので、そういうことを前提にした議論はまずいのではないかと思うのですね。
 もう一つ、保護しなければいけない、これは当然です。こういう危険があったら、直ちに裁判員を排除するかというと、そうでなくて、まず、それは保護するというのが第一段階ですけれども、24時間警察がぴったり張りついてカバーできるのか、孫が幼稚園へ行くときまできっちり送り迎えするのか、というと、それは到底不可能なわけですね。ですから、完全な保護はできないという前提で議論しないと、実際本当に実務的な議論にはならないと思います。

○井上座長 今の点に付随して、まだ御議論の対象になっていないのですが、仮に、除外するという制度を設けるとした場合に、それを誰が判断するのかという問題があります。このたたき台では、受訴裁判所、つまり、事件を審理している裁判所を構成する裁判官が行うのではなく、原則として、それ以外の裁判官が判断するということになっています。そもそもこういう制度を設けるべきでないという方は、前提を欠きますので、あえて意見を言う気もないかもしれませんが、仮に設けるとした場合、この点はどうかについても御意見を伺っておきたいと思います。
 これも、今、髙井委員が指摘された点に関連するところだと思うのですね。

○清原委員 私も、先ほど手を挙げましたのは、そのところを確認したかったからなのですが、これは、事件の審判に関与している裁判官は、やむを得ない場合を除き、その決定に関与することができないものとした根拠を、まず、事務局から御説明いただきたいと思うのです。

○井上座長 この前、説明があったと思うのですが。

○清原委員 すみませんが、もう一度お願いします。

○辻参事官 裁判体を構成する裁判員がどういう心理状態になるか、特に、判断が公正にできるのかできないのかという、ある意味、やや機微な事項についての判断であるということで、同僚に当たるような方が判断するのはどうかという感じを受けたということで、このような案をお示しした次第です。

○清原委員 その場合には、その訴えとか、そういう不安があるというのは、同じ同僚たる裁判所の裁判官ではなくて、別の裁判所なりに訴えるということでしょうし、その手だてというのは、もちろん、説明すればそれで開かれているとは思うのですけれども、察知するのは同じ同僚たる裁判官である可能性が一番高いわけですよね。そうすると、そのことに関して、形式的に外になるような感じもしないわけではなくて、かなり時間を争う緊迫した状況の中で、不安とかそういうものが出てくるのか、それとも、先ほど、捜査の段階で、この被疑者・被告人あるいはその周辺者は非常に危険性が高いとか、そういう情報が前段にあるということもありまして、時間的には、あらかじめそういうことが想定される場合と、裁判員裁判を始めたらそのようなことが起こった場合と、時間軸も考慮しなければいけないと思うのですね。そのあたりはどういうことでしょうか。

○辻参事官 それは、両様あり得るというふうに思っています。捜査段階からそういう兆候が見えて、手続はいろいろと作りようがあると思いますが、検察官が起訴した段階でこういう手続にのせていくという場合もあり得ますでしょうし、裁判をやっている途中で判明するという場合もありますし、あるいは、被告人の方で自分にだんだん不利になってくるというのを感じ取って、そういう行為に出る場合もあり得ると思いますので、そこは、最初からという場合と途中からという場合の両方が考えられるだろうと思っております。このような制度を作るとしたら、いずれについても対応できるようにするのかなという感じはしております。

○清原委員 関連してもう一点だけ。これと関連するのですが、まだ先の論点なのですけれども、14ページ以降の罰則に関連して、例えば、15ページに、(3)の「裁判員等に対する請託罪等」の次に、「裁判員等威迫罪」というのがあって、いわば事前の規制策として、こういうものが公表されるということも大事でしょうし、もう一つ、先ほど来、個人情報の保護ということも御指摘ありますけれども、16ページ以降にあるような、裁判員の保護として列挙されているところとの関連性もあるかと思うのですね。
 私も、やはり裁判員の氏名以外は、とにかく公表されない方がいいだろうし、裁判員同士も、相手の氏名以外は、その方の住所とか属性とか職業とか、そういうことを知らない方が、先入観がなくて、お互いにフラットな議論ができるとは思うのです。しかし、そうはいっても追跡されてしまうとか何とかということで、そのようなことが起こる可能性もあるわけなのですけれども、この論点については、後の罰則とか、こういう保護の問題と少しからめて、どのぐらい抑止力があるかとか、そんなこととの関係もあるのかなとは思いました。
 ただ、ここのたたき台においては、そんなような状況を整備したとしても、A案は、対象事件からの除外規定を設けるべきだという積極的なことだろうと認識しているのですけれども、私は、このような除外を設ける制度があった方がいいなとは思うのです。一方で、主体については心配があって、第三者性を担保しながらも、当事者の危機感とか、そういったものは尊重した判断をしないといけないのではないかという思いもありますので、その辺、もう少し具体化した制度作りが必要だと思います。以上です。

○井上座長 そうしますと、むしろ、受訴裁判所の裁判官が判断すべきだということになるのでしょうか。

○清原委員 まずは、受訴裁判所から問題認識が出てくるのですから、そこの判断というのが尊重されてもいいのではないかと思うのですが。

○井上座長 むしろ、このただし書は、同じ裁判体を構成する裁判官が判断するとした場合には、何人かの方が御懸念のように、除外を緩やかに認めて、裁判員事件の対象にしないで裁判官が自分たちだけでやってしまうということになるのではないか、少なくともそういうふうに見えるという問題があるので、そういう可能性を排除するために、原則として第三者的な立場の別の裁判官が判断した方がよいと、そういう考え方に立っているのだと思うのですね。

○清原委員 ですから、判断というのと、問題の現状認識と、先ほど来御議論されている、何を基準としてその判断をするのかというところのセットの話だろうと思うのですね。ですから、見かけ上、第三者性が担保されるということももちろん公正らしさの点から大事だと思うのですが、私は、当事者の感じる直感的危機感というものが客観的基準に合っているかどうか、そのぐらい時間的に迅速な対応が求められるのではないかと思いまして、その辺は、公正らしさを尊重しつつも、何か現実的なことも考える必要があるのではないかなと思いました。

○井上座長 たたき台の「やむを得ない場合」というのは、そういう含みでしょうか。

○辻参事官 主には、支部あるいは人数の少ないようなところで、他の裁判官が判断しなければならないと完全にしてしまうと、支障が出る場合があり得るかということで、若干のアローワンスを設けたということです。

○池田委員 私は、理念的には、こういう制度がなくてもいいように十全の保護を図る、あるいは警備をすると、そういうようなことで対処すべきだろうと思うのですね。ただ、完全にそうすればなくなるかというと、そうではないでしょうから、その場合にこういう規定が残るというのはあり得る選択かと思うのですが、今の要件の定め方で、仮に、別の裁判体が判断するとしても非常に難しいのではないかという気がしまして、もう少し明確になるか、あるいは明確にならないとしても、どういう運用をすべきなのか、議論をしておかないといけないのではないかと思います。そうでないと、人によって緩やかにしてしまったり、あるいは、厳しくしてしまったりという、そういうバラツキが生じると困るわけで、本来、この例外的に外れる場合というのは厳しく限定されるべきなのかどうか、そのあたりの議論が必要ではないかという気がします。
 それと、この要件の中で、「民心」という言葉が使われていますが、これまたかなり難しい要件ではないかと思います。今でも、一地方の民心により裁判の公平が維持できないときに別のところへ移せるという、刑訴法の管轄移転の条文では使われていますけど、それを認められた例は非常に少ないわけです。多分、今回は、裁判員を入れるかどうかということですから、場所を変える以上に大きな影響がありますので、その意味では、このあたりについても、もう少し明確なものにしておかないといけないのではないでしょうか。例えば、ある犯罪について全国的に大きな報道がなされて、記事だけを見ているといかにも被疑者は犯人であるかのように思われると、そういう状況になってしまった場合に、それではどこでやればいいのか、あるいはどうすればいいのかというようなことも議論をしておく必要はあるのではないかと思います。

○井上座長 一般的にはよく分かるのですが、それでは、具体的なカウンタープロポーザルがおありかどうか、ですね。
 この辺は、一般的に必要性があるかどうかという点でまず御意見が分かれ、さらに、必要性があるとしても、こういう要件でいいのかどうかという点で、これはごくごく例外的な場合なので、除外が緩やかに認められることをそんなに心配するには当たらないという受けとめ方をされる方と、要件が緩やかすぎてどんどん裁判員裁判の対象から除外されてしまうのではないか、という懸念を持つ方とで意見が分かれる。そういった意見分布であるような感じがします。この点については、さらにまた、先で議論をさせていただければと思います。
 次は「裁判員及び補充裁判員の選任」ですけれども、(1)は、裁判員の要件です。たたき台では、A案からC案までの3つの案、これは、年齢に着目した分け方ですけれども、裁判所の管轄区域内の衆議院議員の選挙権を有する者ということを基本としながら、年齢の下限が、A案では20歳、B案では25歳、C案では30歳ということになっています。この点について御意見をお伺いできればと思います。どなたからでも、どうぞ。

○四宮委員 これは、第1ラウンドでは議論されなかった部分ですけれども、まず、年齢については、私は、選挙権を有する者と同じにすべきであると思います。確かに、被選挙権、選ばれる側については、国政にしろ地方自治にしろ、選挙権と同一でないということがあるわけですけれども、そういったケースは、いずれも、職業的に公務を担当する者を選ぶ場合ですね。ところが、今度の裁判員というのは、職業として裁判を行うものとしては想定されていないわけで、無作為に選ばれて、かつ一回だけ職務を担当して、また市民生活に戻るという制度設計ですので、むしろ、選挙権と同様の基準で判断するということが必要であろうと思います。
 それから、意見書が言っている、健全な社会常識を反映させるという意味でも、30歳未満、あるいは25歳未満の世代からも裁判員となり得るという制度の方が、一層その趣旨にかなうと考えますので、年齢は選挙権と同一とすべきであると思います。

○髙井委員 私は、B案が妥当であると思います。四宮委員の御意見も、それは一理あるのですが、やはり、被選挙権が選挙権と同じ年齢にされてないというのは、それなりに合理的な理由があるわけで、健全な社会常識だとか、社会経験であるとかというものが、プロの裁判官の判断と合一してより良い判断に至るということを考えているわけですから、20歳だというと、まだ大半の人は大学生ということになるわけで、十分な社会経験があるのかというと、必ずしもそうでないという場合も多いのではないかと思うのですね。そういうようなことから考えると、25歳以上を裁判員に充てるというのが、最も安定した制度ではないかと思います。

○大出委員 国民参加、しかも、統治主体ということで国民の参加というものを求めるということになっているわけですから、それは、当然、国政に主体的に関与するということを、言ってみれば前提にしているというふうにも考えられるわけで、選挙人名簿というのは、意見書もそう言っていることなわけですから、当然、選挙人名簿に登録されている人間ということでいえば、当然、20歳ということになるわけです。確かに、最近の大学生は社会常識がないというようなことを私も言っておりますけれども、しかし、それにしたところで、他方では、我々の想像がつかないようないろいろな知恵だとか認識というものを持っている部分があることも間違いないわけですね。ですから、多くの国民がいろんな形で参加するということで社会常識というのは形成されるということでもあるわけですから、そういった世代の人間、恐らく、例えば、コンピュータの関係のことなどについては、私なんかよりもよほど彼らの方が上だということにもなると思いますし、むしろ、今の状況からすれば、18歳というような方向へ持っていくという話だってあるわけですから、それを25歳にということになってくると、どこかで少年法の議論のときにもあったかもしれませんけれども、責任だけは社会的に問うというようなことをしながら、実際に主体的な関与というもの自体については消極的に考えるというのは、おかしな感じがするわけです。選挙人名簿と言っている以上は、選挙人名簿20歳ということで当然いいというふうに私などは思います。

○井上座長 意見書が選挙人名簿と言っているのは、その範囲が全部資格があるということを当然に意味するものでは必ずしもなく、選び方としてまず選挙人名簿を最初の出発点、母体として選びなさいという趣旨です。つまり、そこにさらにどういう要件をかけるかは、これからの話であって、オープンであると御理解ください。

○大出委員 年齢については、それは、いろいろと見方があると思いますけれども、私は、そこで決めるべきだという趣旨です。

○井上座長 審議会において年齢の点について何らかのことが決められたというわけではない、ということを申し上げただけです。

○酒巻委員 年齢を決める確たる理屈は余り思い付きませんが、私は、B案がいいと思います。髙井委員がおっしゃった理由とほぼ一緒ですが、20歳よりは少し上げた方がいいと思います。大出委員がいろいろおっしゃったのですけれど、まず、「社会常識」というキーワード、個々に関与される個人としての裁判員の健全な社会常識を反映することが本旨でると思われますので、20歳からと範囲が広がり、若い人一般に範囲が広がるから、社会常識がより反映されるという話にはならないだろうと思います。
 それから、国政に関与するのは選挙権だとおっしゃったのですけれども、裁判は司法作用・司法権の行使でありまして、むしろこれは、国権の行使の重要な部分の作用に携わるという点に着目するのが適当ではないか。そうすると、やはり、国権の行使に直接携わっておられる国会議員の衆議院の被選挙権に対応させる方がいいのではないか、そちらの方が筋が通るではないかと思われます。
 20歳と25歳でどう違うかというのは、正直言って私はよく分かりません。ただ、この対比はあまり意味がないかもしれませんが、職業裁判官である判事補も、よほど真っ直ぐ来ても25~26歳だと思うのです。このような合議体を構成して協働する職業裁判官との年齢のバランスも一要素になるかもしれない。それから、近年しばしば報道されている成人式の状況を拝見いたしますと、やや心配になるのですが、5年もたてば、それなりに落ち着いて社会常識はできるのではないかという感じもしておるわけです。最後のところは余談かもしれませんが。

○本田委員 B案かC案かという気がするのですけれども、今まで髙井委員、酒巻委員がおっしゃったことに加えて言うならば、要するに、自ら判断する仕事と判断する人を選ぶのとは若干違うのだろう。被選挙権と選挙権を比較すると、被選挙権の方は、実際選ばれて活動して、いろんな判断作用する人ですね。それとそれを選ぶ人は違う。年齢で設定されているというのは、これは、一つの人間の知恵かなと思うわけです。裁判員というのは、まさに、司法という国家機関の中で重要な判断作用をやるわけですから、そうすると、25とか30という年齢が出てきても決しておかしくないなと思います。だから、20歳と25歳とどこがどう違うのか、具体的に言ってみろと言われても、それは、個々的にはなかなか難しいのでしょうけれども、大体そんなものだろうという、ある程度、成人になって社会的経験を積んで、このくらいになれば判断作用を任せましょうというような制度が今までずっと動いてきているわけですから、そういったことを考えると、B案とかC案というのが一つ考えられるのではないかという気がします。

○土屋委員 私は、B案です。というのは、大分議論が出ていますけれども、裁判員というのは公の任務でありますし、やはり判断者でもあるわけですから、単に参加する資格があるというだけでは足りない。もう一味必要なのではないかと思うのですね。それは、社会経験でもあるだろうし、人生経験でもあるでしょうし、そういうものが必要だろうと私は考えます。それを満たすのは25歳ぐらいかなというふうに思います。
 それから、司法制度改革審議会のときの議論を思い出したのですけれども、あのときに、判事補制度の段階的解消ということがうたわれましたけど、そのときに出た意見の中で、判事補制度というのは、判断者として、まだ成熟していない部分があるのではないだろうかという趣旨の、そういうふうに私には受け取られる意見もありました。私も、そういうふうに感じているところがあって、裁かれる人が納得するには、それだけの経験ある人が、その人生経験に基づいて下した判断である必要があるだろうと思います。そのためには、最低25歳という年齢が必要かなと、私は感じます。

○清原委員 私は、この司法参加は、限りなく開かれたものであることが望ましいなと思っておりますので、どうしても午後5時に早退しなければいけない立場から言いますと、(1)と(2)は相互に関連性があると思っていまして、できる限り、選任要件というのは開かれている方が望ましいという立場です。
 ですから、今、土屋委員がおっしゃった、裁かれる人の納得というのは極めて大事なところだと思うのですけれども、私は、できればこの制度に関しては、A案のように選挙権を有する者にまで広げて、とにかく、できる限り広げる方向というのも考えていった方がよいのではないかと思っています。
 というのは、皆様もおっしゃいましたように、何となく、25歳、30歳ぐらいだと人生経験もあるしというようなことが論拠になっているようですが、私は、年齢的なものについては、20歳なら20歳なりの、あるいは21歳なら21歳なりの対応をしかるべくしてもらった方が望ましいし、そういう、大いなる機会に、この司法参加の制度はなるのではないかというふうに認識しています。
 同様に、(2)の「欠格事由」なのですが、アの(ア)、(イ)というところは、まだ、私自身の個人的な吟味が足りないのですが……。

○井上座長 清原委員、今回は、そこまでは議論しないつもりなのですが、もし、次回御欠席ということでしたら、今御意見を伺っておければと思います。

○清原委員 今回そこまで議論しないのであれば発言は控えますが、ただ、次回出席できるかどうか確実ではないものですから……。

○井上座長 それでは、御意見をとりあえず伺いましょう。

○清原委員 すみません。なるべく広げるという趣旨は、例えば、(ウ)のA案に、「心身の故障のため」という表現があるのも、私には非常に残念な表現です。法律的には可能なのかもしれませんし、知的障害、精神障害の方の場合には別途の配慮が必要だと思いますが、身体障害の場合には、むしろ、御本人に支障があるのではなくて、社会の側に、その方が職務の遂行をする上で支障があるわけですから、保障していくという方針が大事だと思うのですね。ですから、むしろ、ここに含めるのではなくて、自ら辞退できる要件に、疾病だけではなくて身体障害等で職務が執行できないということも入れるべきではないかと思っております。年齢とも関連しますが、裁判員の要件については、なるべく開かれた制度にすることがむしろ望ましいのではないか、そんなような関連で発言いたしました。

○井上座長 今述べられた点は、次回、議論になると思います。お忙しいでしょうが、時間が許す限り、御出席いただければと思います。

○平良木委員 結論だけ言っておきますけれども、私は、B案かC案、先ほど本田委員が言われましたけれども、大体同じ意見で、むしろ、C案でもいいというように考えています。

○井上座長 C案でもいいと申しますと。

○平良木委員 むしろ、C案の方がいいと言った方がいいのかもしれません。やはり、裁判をする側の責任といいますか、それは、かなり大きいので、いわゆる社会経験というものを無視できないだろうということです。ただ、なぜ30歳でなければいけないのだと言われるとなかなか難しいものですから、説明しやすいところだとすると、B案もあると思うのですが、しかし、結論だけですけれども、年齢は上の方がいいだろう、30歳がいいだろうと思っています。

○四宮委員 今、年齢の議論をしましたけれども、(1)についてほかの議論をしてもよろしいですか。

○井上座長 どうぞ。

○四宮委員 「衆議院の選挙権」という書き方をしているのですけれども、私は、地方自治法にある「普通地方公共団体の議会の議員及び長」の選挙権を有する者というふうにすべきではないかと思います。今の法律では、地方公共団体の選挙権と衆議院の選挙権の要件は同じになっているので、あまり議論の実益はないということも言えるのかもしれませんが、近時、地方参政権についていろいろ議論の高まりがありまして、最高裁判所も、我が国に在留する外国人のうちでも、永住者であって、特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者については、法律で地方参政権を認めても憲法上禁止するところでないというふうな判断を示しています。
 先ほど酒巻委員から御指摘があったとおり、司法権は、まさに国権の一翼であることは疑いもないわけですけれども、一つは、司法、特に、今度の裁判員が入った裁判というものは、一地方における住民に入ってもらうということもありますし、そもそも刑事裁判は、その地域における正義の修復という趣旨もあるのだろうと思います。司法権も地方自治の一内容であるというふうに申し上げるつもりはありませんけれども、そのような刑事裁判の一側面を考えたとき、仮に国籍がなくても、最高裁判所が示したような、一定の範囲の在留の外国人が裁判員として入り得る仕組みというのは、扉を開いておくべきではないかと思います。
 ただ、私は、何も裁判員制度を今作るときにそうすべきだと言っているのではなくて、今、地方参政権についていろいろなところで議論が行われておりますので、そういった議論の推移を見ながら、いずれそういった道も残しておく、扉を閉じてしまわないという意味で、資格も今回の要件のところでそのような定め方をしておいてはいかがかなというふうに思います。

○酒巻委員 引用されましたので、一言だけお返事をしますと、刑事司法作用は、憲法上、日本国の統治権の行使であります。地方公共団体の議会や長の選挙というのは、現在の日本国憲法の下では地方自治の問題であって、地方自治の問題と刑事司法作用は論理的に全く関係がない。したがって地方参政権を基準とする理屈は立たないというのが私の反論です。

○池田委員 私も、裁判は国権の行使であって、地方選挙の名簿によるというのはおかしいのではないかと思います。もちろんその地方の実情に即した量刑等がないわけではありませんが、しかし、司法の運用が、その地域によって、そんなバラツキがあっていいわけではありませんので、これは、国権の一作用と位置付けられるべきですし、それが揺るぐものではないと思いますので、衆議院選挙の名簿によるのが相当ではないかと思います。

○本田委員 同じことですが、第1ラウンドのところで申し上げたとおり、地方自治とこういう司法判断を同じレベルで考えるというのは、どう考えても納得できない。先ほど、外国人の参政権という話がありましたが、もし、外国人の裁判員を入れるためにそういうことをやらなければいけないとなると、なぜ、国権の作用のところに外国人を入れてやらなければいけないかという議論、疑問があるところであって、これは、衆議院の名簿からやるべきだというふうに思います。

○四宮委員 私は、今、直ちにどうこうとか、司法権が地方自治の一部であるというふうに申し上げているわけではなくて、一定の定住外国人が、統治にかかわっていくという仕組みというのは、恐らくこれから議論になるだろうと思うわけです。日本ももちろん批准している世界人権宣言の21条の「自国の統治に参加する権利」の、「自国」という解釈は、最近は、出身国ではなくて定住国という解釈がかなり広まってきております。
 そういったこともあるので、私は、くどいようですけど、今どうこうということではなくて、将来の日本のいろいろな議論を踏まえて検討するという扉を開けておく必要があるのではないかということを言いたいだけです。

○井上座長 そういう御趣旨だとしますと、地方参政権を前提にするというより、国政への参与の問題の一環として捉え、国籍を有する者に限られず、もう少し広い範囲の人が国政選挙の選挙権を認められるということになったら、それに合わせて、そのような人たちが他の国権の作用にも参加することになっていくというのが、筋ではないかかという感じがしますね。

○四宮委員 そうなれば、余り疑いがないのですけれども、ただ、恐らくは、歴史の順番からいくと、地方自治から扉が開かれるだろうということで、意見を述べました。

○井上座長 しかし、そういうアプローチであるからこそ、理屈に合わないという反論を浴びるように思うのですね。それでは、本日はこのくらいにさせていただけますか。
 最後に、事務局から事務連絡があるということですので、お願いします。

○辻参事官 1点は、推進本部の事務局におきまして、これまで本検討会における議論のたたき台として、「検察審査会制度について」というペーパーと、「裁判員制度について」というペーパーをお出ししたわけでありますが、これにつきまして、広く国民の皆様からの意見を募集することを検討しております。募集の方法といたしましては、昨年行いました意見募集とほぼ同様の方法で行うことを考えておりまして、期間は、現在のところは、4月1日から2か月ぐらいの予定でと考えて、今現在、準備を進めているところでございます。
 もう一点は、本検討会の第1回会合の内容を記録した録音テープに対する情報公開請求に関して、当該録音テープの不開示決定を一部変更する決定について御説明申し上げます。以前にもお知らせいたしましたが、本検討会の第1回会合の内容を記録した録音テープについての不開示決定に対し異議申立て行われ、情報公開審査会から議事の公開の協議の部分は不開示が妥当であるが、その他の部分は開示すべきであるとの答申がなされました。
 当本部におきましては、答申を踏まえ、3月12日付で全部不開示とする決定を変更し、議事の公開の協議の部分を除き、開示する旨の決定を行いましたのでお知らせいたします。
 以上です。

○井上座長 どうもありがとうございました。それでは、これで本日の議事は終了とさせていただきます。次回は、4月8日の午後1時30分からとなっております。かなり短い期間に頻繁に検討会が開かれますが、よろしくお願いいたします。